グローバリゼーションの意味を問い直す - 応用金融工学

2004年 3 月 12 日
京都大学経済研究所応用金融工学(野村証券グループ)
寄付研究部門シンポジウム 2004
グローバリゼーションの意味を問い直す
佐和隆光(京都大学経済研究所)
Ⅰ.9.11 同時多発テロからイラク戦争・占領へ
1. 2001 年 9 月 11 日、同時多発テロがアメリカ東海岸で勃発した。ワールド・トレード・セン
ターとペンタゴンという米国を象徴する建物に、乗っ取られた米国籍の旅客機が激突した。
2. かつてフランシス・フクヤマは東西冷戦の終結を「歴史の終わり」といったが、9.11 の出来事
は「新しい歴史の始まり」を意味するのではないか。サムエル・ハンティントンは米ソ冷戦
の終結後の世界では、イデオロギーの衝突ではなくして、「文明の衝突」の絶え間がないであ
ろうといったが、少なくとも私自身は、同時多発テロを「文明の衝突」とは見ない。
3. この事件がきっかけとなって、米英軍がアフガニスタンに侵攻し、アルカイダ(アラビア語
で「基地」の意味。90 年ごろにビンラディンが作った組織。98 年ケニアとタンザニアの米
大使館に自爆テロを仕掛け、257 人を殺戮した)の殲滅作戦を実行した。その後、パレスチ
ナとイスラエルの武力紛争が激化し、パキスタンとインドもまた一触即発の危機に追い込ま
れるなど、始まったばかりの「新しい歴史」は、フランシス・フクヤマの言ったような「平
和で退屈」な時代ではなさそうだ。
4. ブッシュ大統領は、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけ、2003 年 3 月 20 日、
イラクが「大量破壊兵器」を保有することを大義名分に米英軍はイラク侵攻に踏み切った。
5. 一連の事件の発端である同時多発テロが 21 世紀の最初の年に起きたことは、21 世紀の世界
のゆくえを占う上で、きわめて重要な意味を持つ。それは、1990 年代に急進展したグローバ
リゼーションへの強烈なアンチテーゼとしての意味をもつからである。
6. 90 年代に進展したグローバリゼーションは、政治的にも経済的にも「アメリカ主導」の傾き
が強すぎる嫌いがあった。地球上、至るところに、マクドナルドとコカコーラの店が、そし
て誰もがリアルタイムで CNN ニュースを見られるようになった。
7. アメリカの金融資本は、グローバリゼーションの進展により多大なる恩恵を授かった。その
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恩恵はすべての国々に等しく及んだわけではなく、総じていえば、
「富める国々をますます富
ませ、貧しい国々をますます貧しくした」
。「グローバリゼーションがすべての国々をハッピ
ーにする」という命題は必ずしも普遍的な真理ではありえないことを人々は知らされた。
8. 一見したところ無関係なようだが、01 年 3 月 28 日、ブッシュ大統領は京都議定書からの離
脱を宣言した。またABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約からの離脱をも宣言。かくして、
ブッシュ共和党政権は、アメリカの一国主義(ユニラテラリズム)的志向を強固のものとし、
国の内外において、保守原理主義的施策をなりふり構わずかまわず推し進めつつある。
Ⅱ.グローバリゼーションとは何か、なぜ 90 年代にそれは急進展したのか
9. 「グローバリゼーション」という言葉は 90 年代に入ってから使われ始めた新造語である。
1980 年代までは、グローバリゼーションという言葉は、学術論文にも日常会話にも使われた
ためしはなかった。その証拠に、80 年代末までに編纂された英々辞典のどこを探してもこの
言葉は見当たらない。
10. 90 年代に入ってから、この言葉がいたるところで使われるようになったということは、その
意味するところの「現象」が 20 世紀の「最後の 10 年」に急進展したことを意味する。
11. グローバリゼーションとは、どういう現象を意味するのか。一言に要約して言えば、それは
「世界中の国々、そして人々がより一層緊密に結びつけられるようになる」ことを意味する。
12. この定義からも明らかなように、グローバリゼーションという現象が 90 年代に実現したの
は、モノとヒトの輸送費と通信費が大幅に低下したから。また同時に、ヒト、モノ、カネ、
情報、サービスなどの国境を越えた移動を妨げていた「人工的な障壁」が解体したから。
13. 確かに、1989 年のベルリンの壁崩壊、そして 91 年のソ連解体を画して「社会主義の崩壊」
がいわれるようになり、東西冷戦は完全なる終結を迎え、旧ソ連・東欧諸国の市場経済化と
民主化が一気に進んだ。また、中国やベトナムは「社会主義市場経済」という名のもとに、
政治的には共産党一党独裁の社会主義を堅持しつつ、経済の面では市場経済制度を導入する
という「改革開放」の路線を敷いた。こうして、ヒト、モノ、カネの国境を越えての移動の
頻度と密度は、90 年代に入り圧倒的な高まりを見せた。
14. 同じく 90 年代に入り、情報通信技術の進歩には著しいものがあった。通信衛星を介しての
衛星放送のおかげで、地球上どこにいようともCNNのニュースを見ることができるように
なった。かつてソ連と東欧諸国は、社会主義体制を維持するために「鉄のカーテン」によっ
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てヒトとモノの移動を妨げていたけれども、通信衛星を経て伝わってくる情報の侵入を遮る
ことはできなかった。その意味で、社会主義を崩壊させたのは情報技術(IT)の進歩であ
るといっても決して過言ではない。
15. インターネットを通じて、ほとんどタダ同然の安い費用で、大量の情報を高速通信できるよ
うになったのは、90 年代に入ってからのことである。強調しておかねばならないのは、イン
ターネットは専門家の占有物ではなく、一般の庶民が必要に応じてそれを利用できるという
点である。
16. 1950 年代から 70 年代前半ごろまでは、国民経済の運営に関する限り、社会主義は資本主義
をしのぐと考えられていた。社会主義国は、失業者のいない、所得格差のない平等な社会で
ある、と誰もが信じていた。社会主義社会の何が問題とされていたのかというと、一党支配
体制のもとで自由と民主主義への抑圧が日常化していることだった。
17. グローバリゼーションは、政治・経済のみならず、文化、宗教、環境、その他人間活動の一
切合財に関わる現象なのだが、実際問題として、経済に関わるグローバリゼーションの影響
が、良きにつけ悪しきにつけ、もっとも大きいと見てよい。発展途上諸国の中には、経済の
面でのグローバリゼーションの恩恵に与りたいばかりに、文化的アイデンティティを失うこ
とに無頓着な国が少なくない。
18. 狭義のグローバリゼーションは
「グローバルな規模での市場経済化」
を意味すると見てよい。
市場経済化とは、規制を緩和・撤廃して、あらゆる経済活動を民営化し、自由で競争的な市
場を創り出すことを意味する。市場経済がグローバル化するということは、とくに途上諸国
が貿易の障壁を撤廃し、貿易と資本取引を「自由化」することを意味する。
19. 90 年代に入り、旧ソ連・東欧諸国で社会主義経済体制が崩壊し、いっせいに市場経済化を推
し進めるようになったこと、そして豊富な労働力をもつ東アジアの発展途上諸国が、先進諸
国からの資本移入を図るべく、市場経済化を推し進めるようになったことが、狭義のグロー
バリゼーションが 90 年代に急進展したゆえんである。
Ⅲ.グローバリゼーションは抗しがたい「潮の流れ」
20. グローバリゼーションを肯定的に見る向きと、否定的に見る向きとがいるけれども、グロー
バリゼーションが社会主義の崩壊と情報通信技術の進歩と普及ゆえのことだとするならば、
それは堰き止めがたい「潮の流れ」であることを認めざるを得まい。
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21. なぜなら、社会主義と東西冷戦が復活することは二度とあり得ないだろうし、一般に、技術
は「非可逆的」なのだから、情報通信技術の進歩によって不利益をこうむる人がいるにせよ、
インターネットを廃止するとか、電子メールを禁止するなどといったことは、やろうとして
もできないことである。過去の技術革新を振り返ってみると、DDT、サリドマイド、フロン
などの化学製品のごく一部を別にすれば、いったん市場に参入した製品が、後々、市場から
姿を消したという事例はきわめて数少ない。
22. 20 世紀末になって、発展途上諸国の工業化が急進展した結果、財・サービスの貿易が多品種
かつ大量になったことはいうまでもないが、それよりも重要なのは、為替取引と資本の流出
入が、量的にも質的にも空前のレベルに達したということである。
23. グローバル電子経済の急進展:1兆ドル/日もの為替取引。コンピュータのマウスをクリッ
クするだけで、巨額の資金を、地球上ほとんど何処にでも瞬時に移動させることができるよ
うになった。一般に、そうした資金はローリスク・ハイリターンな投資先を求めて地球上を
動き回る。
24. ソ連が崩壊して以降、アメリカは、グローバルな世界秩序を維持するに足るだけの経済的、
政治的、文化的影響力、そして軍事力を併せ持つ唯一の超大国となった。それゆえに、グロ
ーバリゼーションはアメリカナイゼーションではないかとの批判。コカコーラ、マクドナル
ド、CNNなどのアメリカン・ブランドが、世界中いたるところを席巻するようになった。
25. 97 年から 98 年にかけての東アジア通貨危機が大事に至らなかったのは、アメリカが「グロ
ーバルな市場経済のガバナンス役」を務めていたからである。そうしたガバナンスを可能に
したのは、アメリカの強大な軍事力と経済力があってこそのことである。
今後を展望するに、
アメリカが世界最強の軍事力を持ち続けることは間違いない。しかし、その経済力について
は疑念を抱かざるを得ない。仮にアメリカがグローバルな市場経済のガバナンス役を果たせ
なくなれば、あるいはその役割を放棄することになれば、そのとき世界はどうなるのか。
26. クリントン政権下の 90 年代アメリカは「経済ユニラテラリズム」を具現していた。米財務
省が IMF を介在させることにより、グローバルな市場経済のガバナンス役を引き受けてい
た。政権を背後で支えたのは財務省と金融資本であった。他方、ブッシュ政権は「軍事ユニ
ラテラリズム」
へと転じた結果、アフガニスタン侵攻、イラク戦争・占領という事態を招いた。
政権を背後で支えるのは国防総省と石油資本、軍需産業など古典的な産業・資本である。
Ⅳ.WTO と IMF、そして反グローバリゼーションのうねり
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27. 「市場経済化の進展はすべての国々を、そしてすべての人々をベターオフにする」という先
験的な命題が「真」であることを暗黙の前提にすえた上で、先進諸国、そしてその意向を代
弁する国際機関である世界貿易機関(WTO)と国際通貨基金(IMF)は、財・サービス市
場と資本市場の自由化の推進役を努めてきた。
28. グローバルな財・サービスの貿易の自由化を推進することにより世界経済の発展をかなえる
べく、WTOは 1995 年 1 月 1 日に設立された。WTO 加盟各国には、自由貿易を妨げる国内
の制度・慣行を廃絶すること、そして WTO の定める自由貿易のルールを遵守することが義
務づけられている。
29. WTO はグローバルな市場経済のルールを定め、ルール違反の容疑国を摘発し、加盟国の訴
えを受けて当該国がルール違反を犯しているか否かについての判決をくだす。要するに、
WTO は、グローバルな自由貿易にかかわる立法、司法、行政の三権を一極に集中させた強
大な機関である。
30. 1999 年 11 月 30 日から 12 月 3 日にかけて、米国のシアトルで開催された WTO の第3回閣
僚会議は、予想外の決裂に終わった。この会議を決裂に導いたのは、直接的には、加盟 134
カ国中 100 カ国以上を占める発展途上国政府の根強い抵抗だったのだが、市民、NGO,労
働組合、農民団体、消費者団体による大規模な抗議行動が、途上国政府の異議申し立てを支
援したこともまた見落としてはならない。
31. その後、反グローバリゼーション運動は激化の一途をたどっている。グローバリゼーション
の推進母体である WTO、IMF、世界銀行の開く国際会議、そして先進 7 カ国サミットには、
必ずといっていいほど大規模なデモ隊が押し寄せ、グローバリゼーションへの執拗な抗議運
動を繰り広げている。
32. IMF と世界銀行は、第二次世界大戦中の 1944 年 7 月、荒廃したヨーロッパの再建に資金を
提供し、戦後に予想される経済不況を予防するために、アメリカのニューハンプシャー州ブ
レトンウッズで開かれた連合国通貨金融会議において設立が決まった国際機関である。世界
銀行は、発展途上諸国の経済発展を支援することをその使命とするのに対し、IMF に与えら
れた使命は、世界経済の安定化を図る(1930 年代の世界恐慌の再来を防ぐ)ことである。
33. ブレトンウッズ会議の主要メンバーの一人であったジョン・メイナード・ケインズは、会議
の舞台回し役さながら、実に大きな影響力を及ぼした。実際、少なくとも当初のうちは、世
界経済の安定化のために IMF のなすべきことは、ケインズ経済学の実践にほかならなかっ
た。世界の総需要の維持に協力しない国に対して圧力をかけること。そして、自国の資金で
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総需要を維持しきれない国には「融資」により流動性を与えること。要するに、IMF の主流
派は「市場は不完全なのだから、世界経済の安定化のためには、世界政府の金融当局の役割
を担う IMF と世界銀行が、世界の総需要を管理するべきである」との考えを、ケインズ経
済学者と共有していた。
34. IMF のケインズ離れ、すなわち IMF の主流派の教義が市場万能主義に転じたのは 1980 年
代に入ってからのことであった。1979 年にイギリスでサッチャー政権が、そして 81 年にア
メリカでレーガン政権が発足して、市場を万能視する新保守主義が先進諸国で席巻を開始し
てから後のことである。
35. 2001 年のノーベル経済学賞受賞者であるスティグリッツによると、資金市場の自由化推進の
担い手である IMF の途上諸国への援助の手順と「条件」の付け方に諸悪の根源がある。IMF
の融資の「条件」は、おしなべて途上諸国の貧困層をますます貧困にし、途上国と先進国の
経済格差を拡大する傾きがある。途上国への援助のねらいが、途上国の経済発展への支援を
通じて世界経済の安定に寄与するというIMF本来の役割を離れて、先進国、とくにアメリ
カの金融資本を守ることにすりかえられている、と。
36. 貿易赤字と財政赤字の削減、インフレ率抑制、付加価値税率引き上げ、実質経済成長率の低
目誘導などを、IMF は途上国に対して支援条件(コンディショナリティ)として要求する。
また、融資された資金の大半は内需喚起にではなく、欧米先進諸国のヘッジファンドが引き
上げる短期資本の返済に充てられるという点をスティグリッツは問題視する。
37. 市場主義の権化と化した IMF に対して、スティグリッツは手厳しい批判の矢を浴びせるの
だが、スティグリッツ対 IMF の論争は、反市場主義者と市場主義者のグローバリゼーショ
ンへの観点の相違を雄弁に物語っているとの感がある。
38. IMF の過酷なコンディショナリティの背景には、アメリカ財務省の影が見え隠れする、とも
スティグリッツはいう。反グローバリゼーションの抗議運動が標的とすべきなのは、IMF と
それを支配するアメリカ財務省である、とまでスティグリッツは厳しく断罪する。
39. IMF のコンディショナリティは、投資家にハイリターンを担保しつつ人為的にリスクを軽減
するための措置である。発展途上諸国に対して資本市場の自由化を義務付けるということは、
結局、IMF がリスク回避のための安全弁を備えつけたハイリターンな投資先を提供すること
を意味する、とスティグリッツはいう。
Ⅴ.
「包囲された伝統」がファンダメンタリズム化する
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40. 01 年 12 月 15 日付けの日本経済新聞の春秋欄に次のような記事が出た:英国の社会学者ア
ンソニー・ギデンズの「暴走する世界」
(佐和隆光訳)の原著は二年前に出たが「九月十一日」
を先取りしたような記述がある。生活様式や思考様式を異にする人々とひんぱんに出会う、
グローバル化した世界への対応の違いが「コスモポリタン的寛容とファンダメンタリズムの
対立」を招き二十一世紀の争点になるというのだ。
41. 確かにギデンズは「21世紀における争点の一つは、コスモポリタン的寛容とファンダメン
タリズムの対立である」という。また「ファンダメンタリストは伝統を保守するためには、
暴力に訴えることをすらはばからない」ともいう。これはまさしく 9.11 同時多発テロを暗示
するかのようではあるが、イスラム・ファンダメンタリズムが攻撃の標的にすえたアメリカ
がコスモポリタン的寛容の持ち主かどうかと問われれば、私は首を傾げざるを得ない。
42. 情報や映像が日常的に地球上をかけめぐるグローバル化した世界では、生活様式、宗教、思
想、民族などを異にする人々が、日常的に出会うようになる。コスモポリタニズム(国家的
偏見にとらわれない世界主義者)は、異文化のふれあいと融合を好ましいことだと考える。
ファンダメンタリストはそれらを秩序破壊的なことだと考える。宗教、人種的アイデンティ
ティ、あるいはナショナリズムの名のもとに、ファンダメンタリストは伝統を復活させ純化
された伝統を保守しようとする。伝統を守るためには暴力に訴えることをすら辞さない。
43. 文化の多様性を容認すること、すなわちコスモポリタン的寛容と民主主義は表裏一体の関係
にある。
欧州の中道左派政権はコスモポリタン的寛容を金看板のひとつに掲げている。実際、
コスモポリタン的寛容を売り物にする 90 年代の欧州諸国には、アフリカ、中東のイスラム
圏から大挙して移民が押し寄せた。その結果、失業率が高まり、犯罪率も高まり、そして学
校教育が荒廃するという事態が招来され、いくつかの国で右派への政権交代が生じた。
44. ファンダメンタリズムという言葉は、1960 年代に入ってから使われ始めた言葉である。もと
もとファンダメンタリズムとは「聖書に帰れ」
、すなわちキリスト教の聖書の説く教義を、社
会、経済、政治に適用することによって、秩序と伝統の保たれる望ましい社会の実現を目指
す立場を意味する。おそらくは仏教以外のあらゆる宗教は、ファンダメンタリズム化する契
機をその内にはらんでいると見てよい。
45. もともと文明であれ宗教であれ、平和共存できるはずである。サムエル・ハンティントンの
いう「文明の衝突」の危険性は、文明がファンダメンタリズムと化してはじめて生まれる。
文明や宗教は、グローバリゼーションの荒波にさらされることにより「ファンダメンタリズ
ム化」せざるを得なくなる。文明や宗教のアイデンティティを形作る、儀式性と反復性を伴
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う営みのことを「伝統」という。伝統は、集団、地域社会、共同体を特徴づけるものであり、
人々は伝統や慣習に付き従おうとする。そうすることによってはじめて、集団への帰属意識
を確かなものとすることができる。
46. グローバリゼーションの進展は、宗教や文明の基盤としての伝統を次第に干からびさせてゆ
く。日本の伝統を順不同に列挙してみよう。終身雇用、年功序列、系列関係、政官業のもた
れ合い、接待供応、中元・歳暮、男尊女卑、見合い結婚、法事などの伝統・慣行は、グロー
バリゼーションのゆえに廃止ないし簡素化の道をたどっている。ギデンズは次のようにいう。
グローバリゼーションは伝統を「包囲(beleaguer)」する、すなわち、伝統の存在意義を問う
ようになる、と。その結果、文明はファンダメンタリズム化せざるを得なくなるのだ、と。
47. 第二次大戦中のナチズムとヤマトイズムは、ファンダメンタリズムであった。なぜなら、自
ら「包囲された伝統」として孤立することを選択して第二次世界大戦へと突き進んだからだ。
48. 80 年代にわが世の春を謳歌したネオ・ヤマトイズムもまた、ファンダメンタリズムの一種だ
った。日本型制度・慣行を絶賛し、欧米型のそれらの不行き届きをことさらに挙げつらい、
80 年代に不振をかこっていたアメリカ経済を蘇生させるには、日本型経営、日本型行政を真
似るべきであると主張していたエコノミストの言説は、ニッポン・ファンダメンタリズム以
外の何物でもなかった。
49. 1987 年、中曽根首相(当時)が知識水準にひっかけて人種差別発言をしたとき、中曽根発言
が人種差別的であることを日本のマスコミが見落とすほどにまで、日本人は傲慢の域に達し
ていた。石原慎太郎氏は故盛田昭夫ソニー会長との共著『ノーと言える日本』の中で、日本
の半導体を禁輸すればアメリカ経済は立ち行かなくなるのだから、対米交渉において日本は
はっきり「ノー」というべきであると説いた。
50. グローバリゼーションが本格的に進展したのは、1990 年代に入ってからのことである。
「グ
ローバリゼーションに適応し、それに寄生してゆく」だけのしたたかさをもつのが、本来の
ファンダメンタリズムのはずなのだが、ニッポン・ファンダメンタリズムはひたすらグロー
バリゼーションへの「同化」に努めようとした。
51. その結果、日本国内の経済論壇では、1990 年代の後半に入ったころから、市場主義をふりか
ざすエコノミストが多数派を占めるようになった。1979 年、マーガレット・サッチャーがイ
ギリスの首相になり、市場主義改革を次々と断行した。ということは、90 年代末になって、
「20 年遅れのサッチャリズム」が日本で始まったことになる。
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Ⅵ.ファンダメンタリズム化した市場主義
52. 市場を万能視する立場もまた、グローバルな市場経済化を受容可能性を度外視して推し進め
ようとするという意味で、また途上国政府や環境保護団体の絶えざる反発を招くという意味
で、
「包囲された伝統」とならざるを得ない。したがって、「市場原理主義」という言葉があ
るように、市場主義もまたファンダメンタリズムの一種である。
53. 「市場主義改革の恩恵を授かるのは相対的には少数派の強者であり、多数派の弱者は改革の
被害者でしかない」
という反市場主義者の言説に対して、
市場主義者は次のように反論する。
市場主義改革は経済成長率を高めるから、その恩恵は貧困層にまでしたたり落ちる
(trickle-down)のだ、と。確かに、製造業が国民経済を牽引する高度成長期には、トリッ
クルダウン仮説どおりのことが実現いたしました。しかし、近年の統計の示すところによる
と、トリックルダウン仮説の現実味は乏しくなったといわざるを得ない。
54. 9月 11 日に勃発した同時多発テロを、イスラム・ファンダメンタリズムとマーケット・フ
ァンダメンタリズム(市場原理主義)という、二つのファンダメンタリズムどうしの「衝突」
であったと私は見る。
55. 今日のファンダメンタリズムとは「グローバリゼーションが進む中で、その存在理由を問わ
れるようになった伝統」を意味する。と同時に、
「他を許容しない」という意味で、いささか
の寛容さをも持ち合わさないのがファンダメンタリズムである。
56. もっともわかりやすい例を挙げれば、
「毛沢東語録」を聖書のように奉った中国の文化大革命
はファンダメンタリズム運動の典型例であった。その意味で、文化大革命は、毛沢東支配下
の中国社会主義体制が「危機」に陥ったことの裏返しであった。冷戦時代の共産主義もまた
「包囲された伝統」という意味でのファンダメンタリズムだった。
57. イスラム教をはじめとする宗教がファンダメンタリズムの源泉というわけでは必ずしもなく、
グローバリゼーションの進展に伴い、イスラム教が「その存在理由を問われるようになった」
からこそ、イスラム・ファンダメンタリズムが台頭したと見るべきなのだ。
58. イスラム文明はグローバリゼーションから「排除」された、あるいはグローバリゼーション
を「拒否」する文明の一つであることは、火を見るより明らかである。また、情報化の進展
によって、彼我の経済的格差が誰の目にも明らかに見えるようになってしまったことが、ア
フガニスタン人をして、自国がグローバリゼーションの恩恵から「排除」された地域のひと
つであるとの意識を尖鋭化させたのである。
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59. グローバリゼーションが「排除」された文明をファンダメンタリズムへと走らせる可能性は
もとより否定できない。なぜならギデンズによると、グローバリゼーションは「伝統的な生
活と文化を揺るがす圧力と緊張を醸成する」
、言い換えれば、グローバリゼーションの推進役
であるアメリカの文明と相容れない文明ないし伝統は、結果的に「包囲」される運命のもと
にあるからだ。
60. アメリカはもともと「多様性」を容認する寛容な社会であった。人種の坩堝といわれる多民
族国家であり、少なくともアメリカ人の半数は社会的異端に対して寛容なリベラリストのは
ずである。クリントン大統領はイスラエルとパレスチナを融和させるべく最大限の努力を惜
しまなかったのです。ところが、2001 年 1 月にブッシュ政権が誕生してから後、アメリカ
は、ユニラテラリズムの傾向を強め、国際的な緊張緩和、紛争の解決、途上国への支援、地
球環境問題などへの「大国」として取り組みを怠るようになった。
61. ブッシュ政権の下でアメリカのユニラテラリズムが台頭し、同時に国際協調からの離脱が目
立つようになったことは、意図してのことか否か別として、アメリカの国是である市場主義
がそのまわりを発展途上諸国に「包囲」され、ゆえにファンダメンタリズム化する可能性が、
いまや急激に高まりつつある。
62. 自由主義と民主主義がファンダメンタリズム化することはあり得ないはずである。なぜなら、
異端を「排除」しなきこと、相対主義的な観点に立つことが、自由主義と民主主義の基本的心
情だからである。それゆえ、それらが敵に「包囲」されることはありえないはずだからであ
る。
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