人道支援と平和構築

人道支援と平和構築
上野
友也
はじめに
冷戦終結以後、自然災害や武力紛争の被災者に対する人道支援は、国境を越
えて大規模に展開するようになり、マスメディアを通じて世界に広く報道され
るようにもなって、国際的関心を喚起することにもなった。とくに、武力紛争
下の人道支援は、武力紛争の被災を緩和するだけでなく、武力紛争における敵
対と不信を緩和することを通じて平和に対する一定の貢献を果たしてきた。そ
れゆえ、人道支援の実践と研究は、平和の実現と平和学の発展に貢献するもの
であるといえよう。
昨今では、人道支援の急激な拡大と発展に伴って、人道支援の軍事化と、人
道支援と復興開発支援の統合という二つの傾向が見られるようになってきた。
本章では、人道支援の定義、発展と拡大、課題を見た上で、このような新しい
二つの傾向としての人道的介入と平和構築についても考えてみよう。
1. 人道支援の定義
人 道 支援(humanitarian assistance/aid)は、自然災害や武力紛争の被災者の生
命と安全を確保するために、被災者に対して物資やサーヴィスを提供する行為
である。被災者は、一般に災害の経験者を意味するが、すべての災害の経験者
に人道支援は必要ではなく、自己の生命と安全を自己の能力で維持できない人
びとに対してのみ支援が必要である。また、人道支援は、被災者の意思を無視
して提供すべきではなく、被災者からの見返りを期待して提供するべきもので
もない。人道支援に際しては、被災者の尊厳や主体性を最大限に尊重しなけれ
ばならない。
(1)人道支援の主体
それでは、このような人道支援は誰によって実践されているのであろうか。
自己の生命と安全を確保できない人々に対する支援は、多くの場合、家族や国
家の扶助によって確保される。ところが、被災者の扶助に対する家族や国家の
1
意思や能力が十分ではない場合、第三者からの支援が必要となることがある。
たとえば、2005年12月のスマトラ島沖津波地震では、津波の犠牲者が約20万人
も生じ、生存者の中にも支援が必要な被災者が多数発生し、大規模な人道支援
が必要となった。このような場合に、被災者を救済する国際的な主体が、外国
の政府と非国家主体である。
外国の政府は、外交機関や援助機関が中心となり、国際機構や非政府組織な
どを通じて資金や物資を提供することが一般的である。日本では外務省や国際
協 力 機 構(JICA)、アメリカでは国務省やアメリカ開発援助庁( USAID)、
欧州連合では欧州連合人道援助局(ECHO)が人道支援に関する代表的な組
織である。また、外国の政府が、直接被災地に対して人員を派遣して人道支援
に従事することもある。日本では、国際 緊 急援助隊 が消防庁、警察庁、医師
などから編成され、自然災害地域での救助・医療活動に従事し、これに自衛隊
の部隊が派遣されることもある。これに対して、武力紛争の被災者に対する人
道支援では、国際平 和協力 隊 が派遣されることがある。しかし、人道支援で
は緊急の対応が必要となることが多いので、外国の政府は被災地ですでに活動
している国際機構や非政府組織などに資金や物資を提供することが一般的であ
る。
紛争被災者に対する人道支援を提供している非国家主体(以下、
「人道支援機
関」という)は、三つに分類することができる。第一は、赤十字社である。こ
れは、スイスのジュネーヴに本部を置く非政府組織である赤十字 国際委員 会
(ICRC)、ジュネーヴ条約締約国に設立が許されている各国赤十字社・赤新
月 社、各国赤十字社・赤新月社から構成される国際組織である国際 赤十字 ・
赤新 月 社連盟(IFRC)の三つの別組織から構成されている1。とくに、武力紛
争の前線において被災者支援を展開しているのは、被災地の赤十字社・赤新月
社である。昨今、赤十字国際委員会は、紛争当事者による国際人道法の遵守を
監視する活動だけでなく、被災地での人道支援も実施するようになってきた。
第二は、国際機構(政府間組織)である。これには、国際連合(以下、
「国連」
という)の補助機関や専門機関が該当し、とくに、国連難民高等弁務官事務
所(UNHCR)、国連世界食糧計画(WFP)、国連児童基金(UNICEF)が被
災地で活動する代表的な国際機構である。
第三は、非政府組織(NGO)である。英国のセーブ・ザ・チルドレン(Save
2
the Children)やオクスファム(OXFAM)、米国のケア(CARE)、ワー ル ド ・
ビジ ョ ン(World Vision)、フランスの国境なき医師団( MSF)や世界の医療
団 (MPM) といった組織が代表的な団体である。また、非政府組織には、特
定の宗教や宗派の価値に基づいて活動する団体も含まれる。なお、日本の代表
的な人道支援組織として、ジャパン・プラットフォーム 、ピースウィング ・
ジャ パ ン、アムダ、シャプラニール、JEN、ペシャワール会 、難民を助け
る会などが挙げられる。
(2)人道支援の活動
それでは、人道支援機関は、どのような活動を被災地で展開しているのであ
ろうか。人道支援機関は、被災者に対する援助 (assistance/aid)を通じて、被
災者が生命を維持する上で必要不可欠な物資を提供するだけでなく、被災者に
対する保護(protection)を通じて、被災者が生命を維持する上で必要な暴力か
らの安全と法的地位も確保している。なお、人道支援に関する最低限度の基準
を定めたスフィア・プロジェクト(Sphere Project)2は、人道支援の四つの活
動領域について言及している(表 1 参照)。
表 1 人道支援の活動
医療
・
・
・
病院や治療施設への支援と確保、情報収集
感染症の予防・発見・治療、外傷の治療
精神的ケア、リプロダクティブ・ヘルス、慢性疾患への対応医療
公衆衛生
・
水供給と排水、排泄物・廃棄物処理、病毒媒介動物・昆虫の制御
食糧・栄養
・
・
・
食糧配給(食糧の確保、配給方法、配給の割合・分量の調整)
食糧供給の規模と安定の確保、市場での食糧へのアクセスの確保
栄養補給と栄養不良の改善
避難所と日常生活
・
・
避難所の設置・建設
衣類、寝具、食器、燃料、暖房・照明器具等の供給
(出所)Sphere Project, The Sphere Project: Humanitarian Charter and Minimum Standards in Disaster
Response: 2004 Edition, London: Oxfam Publishing, 2003 を筆者が要約。
(3)人道支援の行動規範
次に、人道支援の行動規範について見ていきたい。これは、人道支援機関が
どのようなルールに基づいて人道支援を展開しているのかということである。
人道支援機関は、それぞれ独自の行動規範を持っているが、その中でも最も影
響力がある行動規範が赤十字 基本原 則 である。これは、赤十字社の行動規範
3
として成立したもので、赤十字社以外の多くの人道支援機関にも影響を与えて
いる。赤十字基本原則は七つの原則からなり、その中でも人道・ 公平・中 立
の三つの原則は、人道支援の発展と限界を考える上で鍵となるものである(表2
参照)。
表 2 赤十字基本原則(人道・公平・中立原則)
人道
国際赤十字・赤新月運動(以下、赤十字・赤新月)は、戦場において差別なく負傷者に救
護を与えたいという願いから生まれ、あらゆる状況下において人間の苦痛を予防し軽減す
ることに、国際的および国内的に努力する。その目的は生命と健康を守り、人間の尊重を
確保することにある。赤十字・赤新月は、すべての国民間の相互理解、友情、協力、およ
び堅固な平和を助長する。
公平
赤十字・赤新月は、国籍、人種、宗教、社会的地位または政治上の意見によるいかなる差
別をもしない。赤十字・赤新月はただ苦痛の度合いにしたがって個人を救うことに努め、
その場合もっとも急を要する困苦をまっさきに取り扱う。
中立
すべての人からいつも信頼を受けるために、赤十字・赤新月は、戦闘行為の時いずれの側
にも加わることを控え、いかなる場合にも政治的、人種的、宗教的または思想的性格の紛
争には参加しない。
(出所)日本赤十字社ホームページ(http://www.jrc.or.jp/about/principle.html)
人 道原則は、人道支援の目的に関する行動原則である。人道支援は、人間の
生命・安全・尊厳が尊重されるべきであるという理念に基づいた活動である。
人道支援機関は、人道支援を通じて被災者の生命・安全・尊厳の確保を促進す
るだけでなく、これらを損なう行為を抑制する活動も展開する。人道支援機関
は、とくに武力紛争の場合、紛争当事者に対して国際人道法を遵守するように
要求し、このことを通じて紛争被災者の生命や安全を脅かす戦闘行為を抑制し
ようとする。たとえば、赤十字国際委員会は、アメリカによるイラク・アブグ
レイブ収容所での拷問が国際人道法に違反すると非難し、アメリカ政府がテロ
リストに対する国際人道法の適用を容認したのは、このような人道支援活動の
成果の一つであると言える。
公 平原則は、支援者と被災者との関係を規定する行動原則である。公平原則
は、無差別原則と比例原則の二つからなっており、前段が人道支援の機会の均
等を保障する原則である一方で、後段が人道支援の結果の平等を保障する原則
となっている。無差別原則によれば人道支援の対象はすべての被災者となるが、
比例原則によれば人道支援の程度は被災に応じたものでなければならない。た
とえば、同じ被災地で日本人と外国人との間で区別を設けるのは、無差別原則
によって差別とみなされるが、重傷者と軽傷者との間で区別を設けるのは、比
4
例原則によって公平とみなされる。しかし、緊急事態では多くの人々の生命と
安全がかかっているので、被災に応じた人道支援が提供されたとしても、人道
支援の財とサーヴィスに限りがあるので、被災者の間で人道支援をめぐる闘争
が生じることが一般的である。
中 立原則は、支援者と紛争当事者との関係を規定する行動原則である。紛争
当事者間の武力紛争が被災者を生み出しているので、人道支援機関はそのよう
な紛争に関わって紛争を激化・長期化させないことが求められる。実際には、
人道支援機関が武力紛争に巻き込まれることが少なくなく、中立性を維持する
ことは困難であるが、そのことを理由として中立原則の意義が損なわれること
はない。それは、人道支援機関が、ある紛争当事者に対して援助を優遇し、そ
の他の紛争当事者に対して援助を冷遇することを通じて、紛争当事者間の援助
をめぐる対立を意図的に作り上げてよいことにはならないからである。
このような赤十字基本原則は、赤十字社共通の行動規範として発展してきた
ものであるが、1991 年、人道・公平・中立原則は、国連総会の決議によって人
道支援の基本的原則として確認され3、1994 年、国際赤十字社と非政府組織が
策定した「行動規範(Code of Conduct)」にも同種の原則が盛り込まれた4。
2. 人道支援の発展と拡大
それでは、このような人道支援はどのように国際的に発展してきたのであろ
うか。ここでは、国際人道支援の誕生の背景、人道支援機関と国際人道法の誕
生、人道支援の発展と拡大について考えてみよう。
(1)国際人道支援の誕生の背景
ヨーロッパ近代国家は、中世以来の戦争の正当性に関する議論(正戦論)を
放棄して、国益追求の手段として戦争を利用した。戦争技術の進歩によって、
第一次世界大戦では戦車やミサイルなどの破壊力や殺傷力の高い兵器が開発さ
れて、戦闘員の死傷者が多数生じるようになった。第二次世界大戦では国民全
体を戦争に動員する総動員体制が敷かれ、ヨーロッパやアジアの主要都市への
空爆と、広島と長崎への核攻撃によって、戦闘員だけでなく非戦闘員にも多く
の犠牲者を生み出す戦争が現出することになった。国家は、戦争技術の向上と
総動員体制の確立に資源を投下する一方で、軍医などの制度を導入しつつも、
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紛争被災者に対する支援を十分に果たす能力と意思に欠けていた。
(2)国際人道機関の誕生
紛争被災者に対する支援に乗り出した組織が、赤十字国際委員会や各国に設
立された赤十字社であった。実業家アンリ・デュナン(Henry Dunant)は、イ
タリア北部の町ソルフェリーノを旅していたときに、イタリア=オーストリア
戦争で傷を負って町に運び込まれてきた多数の兵士に偶然遭遇し、その治療と
介護に当たった。デュナンは、この衝撃的な経験を記した『ソ ルフェ リー ノ
の思 い 出(Un souvenir de Solférino)』を刊行し、この中で、戦時の人道支援に
対応するために平時から訓練された医師と看護師からなる国際組織の設立を訴
えた。このデュナンの意思に共鳴した人々が 1863 年に設立した団体が赤十字
国際 委 員会である。赤十字国際委員会は、各国政府に赤十字社を設立するよう
に要請し、1863 年以降、ヨーロッパ諸国を筆頭に赤十字社が設立された。なお、
日本赤十字社は、博愛社として出発し、大政奉還から間もない 1877 年に設立さ
れた。
第一次世界大戦では、英国のセーブ・ザ・チルドレン が、協商国による同
盟国に対する経済封鎖によって生じたベルリンやウィーンの飢餓の子どもたち
を救済するために募金を通じて資金を提供した。第一次世界大戦後には、国際
連盟がロシア革命と内戦の混乱で生じた難民をヨーロッパ諸国に受け入れる組
織として難民高等弁務官を設置し、ノルウェーの冒険家フリチョフ・ナンセ
ン(Fridtjof Nansen)が初代弁務官に就任した。また、国際連盟は、ドイツ国内
での差別と弾圧によって生じたユダヤ人難民に対応するために、ドイツからの
難民高等弁務官も設置した。
第二次世界大戦中、連合国は連合国救済復興機関を設立して、これが、国連
難 民 機 関や国連児童基金の母体となった。国連難民機関は、米ソ冷戦の煽り
を受けて、政治的中立を標榜する国連難民高等弁務官事務所に生まれ変わり、
現在の難民問題に対する専門的な機関に成長した。また、第二次世界大戦では、
英国でオクスファ ム 、米国でケ アが誕生し、非政府組織の人道支援機関も発
展を遂げることになった。
(3)国際人道法の誕生
6
人道支援機関は、被災者の拡大を抑止するために、国家の戦闘行為を制限す
る活動も展開してきた。1864年、赤十字国際委員会は、戦時の傷病兵の保護
に関 す る赤十字条約(ジュネーヴ条約)を起草し、ヨーロッパ列強に同条約
を批准させることに成功した。ジュネーヴ条約は、1906年、1929年の改訂を経
て、第二次世界大戦後の1949年の改訂において、これまで保護の対象であった
傷病兵と捕虜だけでなく文民も保護の対象とすることになった。また、1949年
のジュネーヴ条約では、共通第三条の中に国内紛争の非人道的行為を規制する
条文が置かれ、1977年、二つのジュネーヴ条約追加議定書も署名されることに
なった。このようにして、国家の戦闘行為は、無差別戦争観に基づく無制限に
承認されていた時代を経て、兵器の使用に関する規制を課したハーグ法 と紛争
被災者の保護に関するジュネーヴ法で一段と規制されることになった。このよ
うに赤十字国際委員会は国際人道法の形成に寄与するだけでなく、国際人道法
の普及と履行の監視を通じて国家の戦闘行為に対する制限を加えてきた。
(4)国際人道支援の発展と拡大
第二次世界大戦後、人道支援活動の中心はヨーロッパからアジア・アフリカ
へ移動することになった。人道支援機関が紛争地域での活動を本格的に展開す
るようになったのは、
1967年から1970年までのナイジェリアでのビアフラ戦争
が始まりと言われている。ビアフラ戦争は、ビアフラ地域のイボ族によるナイ
ジェリアからの独立戦争であったが、イボ族がキリスト教徒であったために国
際的な関心を喚起し、赤十字国際委員会とヨーロッパ各国の赤十字社は、ナイ
ジェリアに職員を派遣して人道支援を実施することになった。なお、ビアフラ
戦争を契機としてフランスで国境なき医師団が設立された。
冷戦終結以後、人道支援機関は武力紛争の最前線まで活動の範囲を広げたの
で、紛争当事者との政治的摩擦に直面するようになった(表3参照)。
表 3 戦争・人道支援・集団安全保障の歴史的相関関係
戦争
18631919
合法な戦争と違法な
戦争との峻別(正戦論
の復活)
・第 1 次世界大戦
人道支援
組織の形成
・ 赤十字国際委員会
の設立
7
集団安全保障
条約の形成
・ ジュネーヴ条約
(第 1 回、第 2 回)
19191945
戦争の一部違法化
・ 国際連盟規約
・ 不戦条約など
戦争の違法の形骸化
・第 2 次世界大戦
・ 国際連盟の難民支
援機関の設立
・ 非政府組織の人道
支援の活発化
・ ジュネーヴ条約
(第 3 回)
国際連盟
・ 集団安全保障体制
の設立
・ 集団安全保障体制
の形骸化
19451990
戦争の違法化
・ 国連憲章
戦争の違法の形骸化
・ 冷戦
・ 植民地解放闘争
冷戦終結
・ 国連の人道支援機
関の設立
・ 国際人道機関の人
道支援の活発化
(保護の対象者と
対象地域の拡大)
・ ジェノサイド条約
・ ジュネーヴ諸条
約・議定書
・ 難民の地位に関す
る条約・議定書
・ 自由権規約・社会
権規約
・ 拷問等禁止条約
国連
・ 集団安全保障体制
の設立
・ 内政不干渉義務
・ 武力不行使義務
・ 集団安全保障体制
の形骸化(拒否権
の発動)
1990-
戦争の変容=「新しい
戦争」
・ 市民の大量殺害や
民族浄
・ 大規模かつ急迫の
人道危機の発生
戦争の変容=「対テロ
リズム戦争」
・ 国際人道機関の人
道支援の活発化
(後方から前線
へ)
・ 国際刑事裁判所の
設置と規程
集団安全保障体制の
活性化(拒否権の抑
制)
・ 人道的介入
3. 人道支援の課題
(1)人道支援の参入
冷戦終結以後、人道支援機関は、自然災害や武力紛争の被災地に人員を直接
動員し、積極的に物資を搬入するようになってきた。
人道支援機関は、中立原則に基づいて活動している場合、自然災害や武力紛
争の被災地に対して人員や物資を搬入するために、政府や反政府勢力から活動
に対する同意を取り付ける必要がある。ところが、政府や反政府勢力は、被災
地での大規模な人道危機や人権侵害の事実を海外に公開されることを恐れて、
人道支援機関の活動を拒絶することがある。また、武力紛争の場合、政府や反
政府勢力が敵対する勢力への人道支援を拒否して、被災地への人道支援機関の
関与を拒否することもある。これは、被災地に対するアクセス の確保の問題と
もいわれる。
この場合、人道支援機関は、政府や反政府勢力と交渉を実施する必要がある
が、この交渉が長期化することで人道危機が深刻化することも少なくない。た
とえば、アフガニスタンのタリバーン政権下での人道支援では、赤十字国際委
員会はタリバーン政権と長期にわたる交渉を行わなければならなかった。
それゆえ、非政府組織の中には、中立性の確保を棚上げして、被災地の政府
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や反政府勢力の同意を得ずに活動を展開する組織もある。たとえば、アフガニ
スタンのタリバーン政権下での人道支援では、国境なき医師団がタリバーン政
権との交渉を放棄して、アフガニスタンに入国し、人道支援を展開したことが
よく知られている。しかし、この場合、このような人道支援機関に対する安全
が確保されるかは不透明となる。
(2)人道支援の配分
人道支援機関が被災地に参入した後に問題となるのは、人道支援の配分であ
る。緊急事態の場合、人道支援機関が被災者に提供できる人道支援の物資とサ
ーヴィスは限られており、人道支援をどのように配分すべきなのかという問題
が生ずることが多い。
人道支援の配分の権限が、人道支援機関に委ねられていない場合、人道支援
機関が公平原則に基づいて被災に応じた援助を提供することは困難である。そ
れは、人道支援の配分の権限者が、自己の利益を増進する目的で人道支援を利
用することが多いからである。これには、権力者が被災者に対する支配を強化
する場合と、権力者が他の権力者に対する優位を確保する場合がある。
前者に関しては、たとえば、政治指導者が統治の正統性を確保するために、
人道支援機関の提供した援助物資を国民に施しとして与える場合がある。被災
した国民は、困窮して援助物資を必要としているので、政治指導者にやむなく
信任を与えることになる。家父長制度が維持された社会においても同様のこと
が見られる。家長が他の家族の構成員に対する権威を維持するために援助物資
の配分を行うことがあり、援助を必要とする女性や子どもに十分な支援になら
ないという問題も生ずることになる。
後者に関しては、たとえば、軍事指導者が敵対する武装勢力に対する優位を
確保するために、人道支援機関の提供した援助物資を換金して武器を入手した
り、避難所で徴兵や兵士の訓練を行うことで軍事基地として利用したりする場
合がある。いずれの場合も、援助の配分は被災に応じた配分という公平原則を
離れて、配分の権限者の利益に応じた配分に変質してしまうことになる。
人道支援の配分の権限が、人道支援機関に委ねられている場合であっても、
公平原則に基づいた援助を提供することが困難な場合がある。人道支援機関は、
すべての被災者が満足できるほどの物資とサーヴィスを提供できないので、援
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助物資やサーヴィスをめぐる被災者同士の対立や被災者と人道支援機関との摩
擦を生み出すことにもなる。たとえば、治安の著しく悪化した武力紛争地域や
孤絶した自然災害地域に対して、輸送機から援助物資を投下する場合があるが、
被災者が援助物資を奪い合う光景が見られることが少なくない。この場合、援
助物資を奪取できるのは、疾病や傷害を負った貧弱な被災者というよりは、よ
り健康な被災者であることが多い。
(3)人道支援の安全
人道支援機関が被災地に参入して援助活動を展開するにつれて、職員の安全
確保が深刻な問題として理解されるようになってきた。とくに、武力紛争の被
災地では、人道支援機関は、援助の活動地域を前線に拡大してきたので、紛争
当事者による暴力の犠牲となる援助職員の数も増大してきた。
英国の海外開発研究所(ODI)の人道政策グループは、人道支援機関の職員
に対する危害の包括的な統計を提供している5。この調査によれば、1997年から
2005年にかけて、人道支援活動の従事者に対する危害の件数が増大し、誘拐を
除いて殺害や傷害の被害者数も増加の傾向を示している(図1参照)。2003年、
イラクの国連事務所と赤十字国際委員会の事務所がテロリストの攻撃に遭って、
活動の停止を余儀なくされた。このような事件のたびに、人道支援の安全確保
の必要性が強調されているが、根本的な解決策は見出されていない。
図 1 援助機関職員に対する危害事件数・被害者数(1997 年-2005 年)
(出所)Abby Stoddard, et. al, “Providing aid in insecure environments: trends in policy and operations,” HPG
Report 23, September 2006, p. 20, Table 2: Yearly breakdown of incidents に基づいて筆者作成
10
(4)人道支援の調整
自然災害や武力紛争の被災地には、様々な人道支援機関や現地の援助団体が
参入して様々な援助活動に従事しているので、被災者のニーズに対応するため
の援助に重複と空白が生ずることがある。それゆえ、このような重複と空白を
なくし、人道支援機関の資源を効率よく提供することで、人道支援の有効性を
高める必要が説かれている。このような人道支援の調整を所管する機関として、
国連 人 道問題調整事務所(OCHA)が設立され、国連事務総長が指定した主
導機 関(lead agency)や国連人道調整官 (humanitarian coordinator)とともに
人道支援機関の諸活動を調整している。しかし、多様な人道支援機関の多様な
活動を一元的に管理することは、人道支援の効率性・有効性にとって有益では
あるかもしれないが、各組織の独立性を脅かすおそれも否定できない。
(5)人道支援の調達
人道支援機関は、被災地での援助計画を実行するために多額の資金を調達し、
その資金から援助物資の調達費・輸送費、職員の人件費・渡航費、組織管理費
などを捻出する必要がある。人道支援機関は、このような多額の資金を調達す
るために市民や企業からの募金だけでなく、援助国政府(ドナー) からの資
金援助にも依存している。最近では、援助国政府が納税者に対する説明責任を
果たすために、多額の資金を援助している人道支援機関に対して、援助の有効
性や効率性、透明性、説明責任を問題にするようになってきた。人道支援機関
が援助計画の事業評価を通じて援助の有効性や効率性を高め、説明責任を果た
すことで援助物資の調達などに関する透明性を確保することは意味のあること
である。しかし、人道支援機関の援助計画に対する結果責任が強調されたから
といって、被災者を救助する責任を担っている被災国の政府や政治・軍事指導
者の責任が曖昧にされてはならない。
4. 人道支援と人道的介入
冷戦終結以後、武力紛争やジェノサイドによって生じた人道危機に対して、
その被災者を救済するために被災国に外国の軍隊が介入するという人 道 的 介
入(humanitarian intervention)が実践されるようになってきた。それゆえ、人道
11
的介入は、人道支援を目的とした軍事介入と定義することも可能である。
旧来、人道的介入は、外国に居住する自国民が危害を加えられた場合に、自
国民を救出するために外国に軍隊を介入させることを目的として実行されてき
たので、人道的介入の概念は、軍事侵攻を正当化する根拠として援用されるこ
ともあった。これに対して、冷戦終結以後の人道的介入は、自国民の救出では
なく武力紛争で被災した外国人を救済する目的で実行された。
人道的介入は、人道支援を目的として行われるが、その手段に関しては留意
する必要がある。これまでの人道支援機関が実施してきた人道支援の観点から
みれば、人道的介入は人道支援の軍事化を意味する。伝統的な人道支援は、非
軍事的・非強制的手段を用いて、紛争当事者からの同意を原則として得た上で
実施されてきた。これに対して、人道的介入は、軍事的・強制的手段を用いて、
紛争当事者からの同意なしに実行可能な軍事行動である。人道的介入を理解す
る上で、この人道支援の軍事化という側面を見逃してはならない。
(1)人道的介入の目的
人道的介入は、人道支援を目的とした軍事介入であるが、人道支援機関の非
軍事的・非強制的な人道支援とは異なり、以下の四つの目的を果たす6。第一は、
援 助 物 資の輸送支援 である。これは、介入軍が輸送機や輸送車両を用いて、
物資貯蔵庫から被災地までの援助物資の輸送を支援するものである。とくに、
大量の物資を被災地に搬入する必要がある場合、輸送コストは高いが、軍隊の
輸送能力は有効であると言われる。第二は、援助機関の保護である。これは、
武力紛争地域に参入している人道支援職員の安全を確保するものである。これ
には、人道支援機関の事務所、食糧庫、輸送車両の護衛が含まれる。第三は、
被災 者 の救助である。これは、武力紛争地域の被災者の安全を確保するもので
ある。これには、ある特定の広範な地域を安全地域 (safe haven/ safe area)に
指定して、その地域全体の治安を確保したり、難民キャンプなどの限られた避
難所での治安を維持したりすることが含まれる。第四は、紛争当 事者の打 倒
である。これは、人道危機を引き起こしている武装集団に対して武力で威嚇ま
たは武力を行使して、停戦合意を遵守させたり、停戦や和平に合意させたりす
る行為である。
12
(2)冷戦終結以後の人道的介入の事例
冷戦終結以後の人道的介入の最初の事例は、1991 年のクルド難民支援を目的
とする多国籍軍によるイラクへの軍事介入であると言われている。その後、国
連安全保障理事会が中心となってソマリア、ボスニア、ルワンダ、東ティモー
ル、コンゴ(ブニア)に対する人道的介入を実施し、1999 年には、北大西洋
条約 機 構(NATO)が独自の判断でコソヴォに対する人道的介入を実行し、ユ
ーゴスラヴィア連邦に対する断続的な空爆を行った。
コラム 1
ソマリアに対する人道的介入
ソマリアでは、1991 年 1 月、長期独裁政権を率いてきたバレが、統一ソマリア会議を初めと
する反政府勢力によって打倒され、氏族間の対立や氏族内の対立が噴出し、ソマリアは内戦状
態に陥った。統一ソマリア会議のアリ・マハディとアイディードが首都モガディシオをめぐる
戦争を繰り広げ、バレ旧政府軍がソマリア南部から首都への進軍を計り、ソマリア北部ではソ
マリランドが新たに建国された。ソマリア南西部では飢餓が発生し、人道支援機関が武力紛争
の直中で人道支援を展開する事態に至った。1992 年 12 月、アメリカ軍を主体とする多国籍軍
がソマリアでの人道支援(「希望 回 復作 戦」)を展開するために軍事介入し、1993 年 3 月、第
二次 国 連ソ マ リア 活 動(UNOSOMII)がこの多国籍軍の活動を引き継いだ。ところが、多国
籍軍が、アイディード将軍派と武力衝突を引き起こし、アメリカ軍のレンジャー部隊が殺害さ
れ、その遺体が国際的に報道されるに至って、国連ソマリア活動は停止を余儀なくされた。
コラム 2 ボスニアに対する人道的介入
ボスニアでは、1992 年 3 月、ユーゴスラヴィア連邦からのボスニアの独立が宣言され、独立
に反対するセルビア人勢力が独立を支持するイスラーム教徒のボスニア人に対する攻撃を開
始し、この戦闘にクロアチア人勢力も加わることで、ボスニアを構成する主要な三民族が武力
紛争に突入した。1991 年 6 月、国連安全保障理事会は、ボスニア首都サライェヴォ空港の再開
と人道支援の提供を目的とする国 連保 護 軍(UNPROFOR)の展開を承認した。1993 年 4 月、
国連安全保障理事会は、ボスニアの 6 都市を安 全地 域(safe area)に指定し、安全地域への人
道支援物資の搬入を確保しようとした。1994 年 4 月、セルビア人勢力の攻勢に対して、北大
西洋 条 約機 構 (NATO)軍が国連の承認を得て初めての航空攻撃を行った。ボスニア内戦で
は、敵対する民族を一掃する民族 浄 化(ethnic cleansing)を目的として、強制移住や大量殺害
といったジェ ノ サイ ド(genocide)行為が頻繁に利用された。強制収容所も各地で設置されて
処刑や拷問が日常的に行われ、捕われた女性は強姦させられ強制妊娠させられるという非人道
的行為も横行した。1995 年 7 月のス レブ レニ ッ ツァ 陥落に際しては、約 2,500 人の男性と少
年が処刑されたと言われている。1995 年 8 月、サライェヴォのマルカレ市場の再攻撃を契機と
して、北大西洋条約機構軍のセルビア人勢力に対する断続的な空爆が実施された。1995 年 11
月、紛争各派はデ ィ トン 合 意を経て、ボスニアは、ボスニア人とクロアチア人主体のボスニ
ア・ヘルツェゴヴィナ連邦と、セルビア主体のスルプスカ共和国から構成される連邦国家とな
った。
コラム 3 ルワンダに対する人道的介入
13
ルワンダでは、1994 年 4 月、ハビャリマナ大統領が乗った航空機が墜落したことを契機とし
て、イントラハムウェやインプザンガンビなどの多数派フツ族武装集団がラジオなどを通じて
フツ族の住民を煽動し、少数派のツチ族の一般住民や穏健派のフツ族指導者を次々に殺害し始
めた。フツ族兵士や憲兵隊は、ツチ族住民を学校、教会、サッカー場に追いやって銃や手榴弾
を使用して一気に殺害し、煽動されたフツ族住民も隣人のツチ族住民を鉈(なた)や棍棒など
で殺害した。拷問を盛んに行われ、男性や少年の中にはアキレス腱を切断されて歩行を不可能
にさせられた者もいた。このようなジェ ノ サイ ド行為を通じて、1994 年 4 月から 7 月までの
間に、約 80 万人の人々がジェノサイドの犠牲に遭ったと推測されている。このようなジェノ
サイドの最中であっても、赤十字国際委員会は人道支援を実施していたが、武装集団によって
活動が著しく制約されていた。一方、アメリカを中心とする大国は人道的介入に消極的であっ
たが、1994 年 6 月、国連安全保障理事会がフランス軍主体の多国籍軍のルワンダへの軍事介入
を容認し、多国籍軍は「ト ル コ石 作 戦」の展開を開始した。1994 年 7 月、ツチ族主体のルワ
ンダ愛国戦線が首都キガリを占領し、フランス軍の介入地域である南西部を除いた全土を掌握
した。
(3)人道的介入の課題
人道的介入は、実効性の問題と正当性の問題を抱えている。実効性の問題と
は、人道的介入がどれほど人道支援に貢献できたのか、人道支援に貢献するた
めには、どのような人道的介入を展開する必要があったのかという問題である。
たとえば、ソマリアでの人道的介入は、国連ソマリア活動の多国籍軍がアイデ
ィード将軍派と軍事衝突し、一般市民にも犠牲者を出して人道危機を引き起こ
したと批判される一方で、軍事衝突後に即座に撤退して、ソマリアの被災者を
見捨てたと非難されることにもなった。また、ボスニアでの人道的介入は、国
連保護軍が被災者の保護に消極的であり、活動の目的を人道支援機関の保護に
限定したことが批判された。さらに、ルワンダでの人道的介入は、国際社会の
対応が遅れてフランス軍主体の多国籍軍が到着したときには、ジェノサイドは
ほとんど終わっていたと揶揄された。
人道的介入が被災者の救済に十分な効果をあげられない原因はさまざまであ
る。その中でも重要な要因は、軍隊を提供する大国が人道的介入を本格的に実
施する意思に欠けているということである。大国の国民は、マスメディアの報
道を通じて他国の窮状を知り、政府に何らかの措置を取るように働きかける。
それゆえ、大国の政府は、他国の人道危機に対して何かをしている姿勢を取る
必要があるが、政府の外交目標とは無関係な国家に対して資源を投下する意思
は弱く、武力紛争を政治的・軍事的に解決するよりはコストのかからない人道
支援を提供することで国民の要求に応えようとする。したがって、人道的介入
14
は、介入国の外交目標に影響されることから、その実効性の確保はきわめて困
難であると言えよう。2001 年 9 月のアメリカに対する同時多発テロリズム
以後、大国は、他国の人道危機の緩和よりもテロリズムの根絶を目的とした対
テ ロ リ ズ ム戦争 に関心を移し、人道的介入は一過性の現象になりつつある。
このような大国の外交政策の変遷からみても、人道的介入の実効性の確保がい
かに困難であるかということが理解できよう。
正当性の問題とは、人道的介入はいつどのようにして実行されるべきなのか
という問題である。ソマリア、ボスニア、ルワンダの人道的介入に対しては、
国連安全保障理事会が国連憲章第 7 章 に基づく強制措置として、加盟国に「必
要な あ らゆる措置/手段(any necessary measure/ means)」を取る権限を与え
ることで、人道的介入の合法性を確保した。一方、コソヴォの人道的介入に対
しては、北大西洋条約機構が国連安全保障理事会の決議なしに軍事行動を開始
したために、ロシアや中国から国際法に違反する行為であると非難されること
になった。このような事態を受けて、2001 年、カナダ政府が主導して組織され
た 国 家 主 権 と 介 入 に 関 す る 国 際 委 員 会 ( ICISS ) が 、『 保 護 す る 責 任
(Responsibility to Protect)』報告書7をまとめ、人道的介入の正当性を確保する
基準を示した。しかし、この報告書は、「人間の保護を目的とする軍事介入は、
例外的かつ臨時的な措置である」と指摘し、人道的介入の制度化には否定的な
見解を取っている。それでは、紛争被災者の保護を目的とする原則的措置とは、
いかなる措置であろうか。それは、非軍事的・非強制的手段による伝統的な人
道支援である。それは、そのような人道支援が被災者の救済にとって十分な機
能を果たせるのであれば、人道的介入は過剰な対応であると言えるからである。
人道的介入の実効性や正当性の問題を考えてみると、人道的介入に過剰な期
待をするよりは、伝統的な人道支援の実効性を向上させることがより現実的な
対応であると言えよう。
5. 人道支援と平和構築
冷戦終結以後の人道支援の拡大と発展に伴って、武力紛争下の人道支援と武
力紛争後の復興開発支援との関係が国際的関心の対象となってきた。人道支援
機関は、紛争被災者の救済を目的とする人道支援を提供する一方で、被災の社
会的・構造的要因の改善を目的とする復興開発支援まで展開していないことも
15
多い。それゆえ、人道支援は当座の対応にすぎないと批判されることもある。
しかし、人道支援と復興開発支援は目的を異にするので、人道支援機関が復興
開発支援まで展開する必要はない。しかし、それでも人道支援機関は復興開発
支援を見据えた人道支援を展開する必要はあるであろう。それは、人道支援が
復興開発支援に少なからず影響を与えるからである。たとえば、難民や国内避
難民の帰還(repatriation)は、民主的選挙の正統性の確保には不可欠であろう。
また、帰還民の社会への再統合(reintegration)は、社会の分断を解消し、武力
紛争の再発を予防する効果もあるであろう。このことからも、人道支援から復
興開発支援への継続性を確保する必要性があると言えるであろう。
このような人道支援から復興開発支援への連続性に関しては、平 和 構 築
(peace-building)という紛争社会の包括的・統合的な復興の枠組みの中でも議
論されるようになった。以下、平和構築の概念、実践、課題について見ていこ
う。
(1)平和構築の概念
1992 年、当時の国連事務総長ブトロス=ガリは、
『平和への課題(An Agenda
for Peace)』8の中で、予防外交(preventive diplomacy)、平和創造(peacemaking)、
平和 維 持(peace-keeping)とともに平和構築の概念を提起し、平和構築を「紛
争の再発を回避するために平和を強化し堅固にする構造を認識し、支援するた
めの行動」と定義した。1995 年、ガリ事務総長は、国連の平和支援活動の展開
を踏まえて、『平和への課題』を修正した『平和への課題・補遺(Supplement
to An Agenda for Peace)』9を公表し、平和構築の活動として非軍事化、小型武
器の管理、政治・司法システムの改革、人権監視、選挙制度改革、社会・経済
開発を挙げて、これらが紛争の予防と紛争後の疲弊した社会にとって有益であ
ると主張した。
国連による暫定統治が、東ティモールやハイチなどで実施され、この文脈で
平和構築を評価する動きが見られるようになり、平和構築の概念も洗練される
ことになった。2000 年、『国連平和活動に関するパネル報告(ブラヒミ報
告) 』10が提案され、平和構築は平和の基盤を再構築する諸活動を意味し、具
体的には、旧戦闘員の社会への再統合、法の支配、人権侵害に対する監視・教
育・調査を通じた人権の尊重の改善、民主的開発のための技術支援の提供、紛
16
争解決と和解の技術の促進などが挙げられた。
数多くの国連機関や政府機関が平和構築に関与することで、平和構築活動を
統合する機関の設立を求める声が高まってきた。脅威・挑戦・変化に関するハ
イレベル・パネル報告書『より安全な世界 (A More Secure World)』11やアナ
ン国連事務総長の『より大きな自由(In Larger Freedom)』12報告は、平和構
築委 員 会(PBC)の設立を求め、2005 年 12 月、同委員会は設立された。
(2)平和構築の実践
これまでの人道支援や復興開発支援と比較して、平和構築支援でとくに特徴
的なのは政治・軍事分野での支援である。紛争後の治安維持には、軍隊や武装
集団の解体が必要であるが、とくに、兵士の武装解除(disarmament)、動員解
除(demobilization)、除隊兵士の社会復帰(reintegration)、いわゆる DDR 支援
が必要とされる。また、これに加えて治安部門改革(SSR)では、紛争後の社
会において法の支配を根付かせるために、軍隊の再構築、文民警察の確立、武
力紛争における犯罪行為の処罰に関する移行期正義 (transnational justice)、裁
判所、検察庁、刑務所などの制度の確立と運用の改善といった司法機関の復興
支援が実施されるようになった。また、紛争後の政治体制の実効性と正統性を
確保するために、選挙支援・メディア支援を通じた民主化支援 、法整備支援 、
政府や公務員制度の確立といった行政支援 も行われるようになった。
(3)平和構築の課題
ここでは、平和構築支援の実効性と正当性の問題について述べていきたい。
平和構築支援の実効性に関しては、平和構築の歴史が浅いために、人道支援や
復興開発支援と比較しても検証が不十分であると言えよう。平和構築支援も人
道支援や復興開発支援と同様に成果を強調して、課題を批判的に検証しなけれ
ば、政 府開発援助(ODA)に対する非効率で無駄な支援であるという批判と
同様の批判を免れないであろう。
平和構築支援の正当性はより深刻な問題である。平和構築を通じて武力紛争
の再発を予防することは極めて重要なことであるが、そのことは平和構築の正
しさを保証しない。それは、必要の充足が正しさを充足しないからである。確
かに、帰還民の再統合が実現したり、兵士の武装解除が実現したり、社会の安
17
定を導く政治・法制度が確立したりすることは望ましいことであるが、平和構
築支援の受益者がそれを望んでいなければ、それは支援者にとって望ましいだ
けにすぎない。人道支援と同様に人びとの主体性の確保が平和構築支援におい
ても重要な課題となる。これを無視した平和構築は、宗主国が植民地開発を理
由に植民地統治を正当化した同じ過ちを犯すことになるであろう。被災者の意
思を無視して人道支援を提供する行為は親切の押しつけであるが、人びとの意
思を無視した平和構築支援も同様である。
コラム 4 予防外交
人道支援や平和構築支援、人道的介入はいずれも人的・財政的負担が莫大であるので、より
負担のかからない方法として武力紛争の予防が注目されてきた。ブトロス=ガリ事務総長の
『平和のための課題』によれば、予防外交とは、紛争当事者間に不和が生じ、その不和が武力
紛争に深刻化することを防止し、武力紛争の拡大を制限する行動である。ここでは予防外交の
活動として、信頼 醸 成措 置、事実 調 査、早 期警 戒、予防 展 開、非 武装 地 域が挙げられてい
る。武力紛争を事前に回避するためには、紛争当事者間の誤解や不信を軽減する手段が有効と
なることがある。信頼醸成措置はこのような手段の一つであり、具体的には、ホットラインと
いった紛争当事者間のコミュニケーション手段の確保や、軍事演習の事前通告や相互招請など
を通じた軍事情報の公開といった手段が採られる。また、武力紛争を事前に防止するためには、
紛争に関する正確な情報の収集と情報の公開を通じた国際的関心の喚起が必要となる。このた
めに、国連や地域機関による事実調査団の派遣や現地で活動する非政府組織の情報提供といっ
た事実調査や、国連や地域機関などの報告や声明、非政府組織のマスメディアを通じた注意の
喚起といった早期警戒の手段が採られる。さらに、紛争当事者の武力紛争を直接的に抑止する
ために、国連平和維持軍などが武力紛争の勃発前に紛争地域に展開したり、国連安全保障理事
会によって指定された非武装地域で活動したりすることも予防外交の手段として実施される
こともある。このような予防外交の手段によって武力紛争を短期的に抑止できるかもしれない
が、中長期的にみれば、小型武器の蔓延や大量破壊兵器の拡散、貧困と食糧・エネルギー危機、
国際テロリズム、地球環境破壊といった武力紛争の構造的要因となっているグローバルな構造
的暴 力に対応することなしに、武力紛争を予防することは困難であろう。
おわりに
人道支援は、平和を建設するだけでなく破壊する可能性も孕んでいる。人道
支援の支援者が、人道支援は正しい行為であると盲目的に信じて人道支援を提
供する行為は極めて危険な行為である。それは、そのような人道支援が被災者
にとって常に正しい行為であるとは限らないからである。人道支援の支援者が
被災者の意思を無視して支援を実施すれば、それは慈善の強要にほかならない。
さらには、
「援助してやっているのだから文句を言うな」という支援者の被災者
に対する高慢な態度は、慈善行為を容易に偽善行為に変える。自然災害や武力
18
紛争の被災から立ち上がるのは被災者自身であり、人道支援は本来、被災者の
自立を助けるだけの控えめな行為に過ぎないはずである。人道支援が平和に貢
献するのは、そのような態度で支援が行われるときだけである。
参考文献
アンリー・デュナン、木内利三郎訳『赤十字の誕生—ソルフェリーノの思い出』、
白水社、1959 年(原著、1862 年)。人道支援の古典の一つである。デュナン
はこの本を通じてソルフェリーノにおいて経験した救護活動の悲惨さを描く
だけでなく、常設の救護団体の設立と傷病兵の保護に関する条約の締結の実
現を表明した。
ジャン・ピクテ、井上忠男訳『解説赤十字の基本原則—人道機関の理念と行動
規範』、東信堂、2006 年(原著、1979 年)。赤十字国際委員会の国際法学者ピ
クテによる赤十字基本原則の解説書である。
国連難民高等弁務官事務所編『世界難民白書—人道行動の五〇年史』、時事通信
社、2001 年(原著、2000 年)。国連難民高等弁務官事務所の世界難民白書の
一つであり、国連の難民政策を歴史的に分析し、現代の複雑化した難民問題
も射程に入れた報告書である。
緒方貞子『紛争と難民—緒方貞子の回想』、集英社、2006 年(原著、2005 年)。
1990 年代に国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏による回想録である。こ
の回想録を通じて、人道危機が頻発した 1990 年代の国連難民高等弁務官事務
所の被災地での活動を理解できる。
メアリー・B・アンダーソン、大平剛訳『諸刃の援助—紛争地での援助の二面
性』、明石書店、2006 年(原著、1999 年)。開発援助の現場の観点から、人道・
開発援助が被災地にもたらす否定的効果に関して分析した研究書である。
最上敏樹『人道的介入—正義の武力行使はあるか』、岩波書店、2001 年。日本
における人権・人道研究の第一人者による研究であり、人道的介入を軍事介
入に限定せずに、伝統的な人道支援の観点も含めて分析した研究書である。
篠田英朗『平和構築と法の支配—国際平和活動の理論的・機能的分析』、創文社、
2003 年。日本における平和構築研究の第一人者による研究であり、平和構築
を法の支配という観点から総合的に分析した研究書である。
19
メアリー・カルドー、山本武彦・渡部正樹訳『新戦争論—グローバル時代の組
織的暴力』、岩波書店、2003 年(原著、1999 年;第 2 版、2006 年)。1990 年
代以降の武力紛争を「新しい戦争」と呼び、それ以前の「旧い戦争」と対照
してその特徴を明らかにしている。人道支援や平和構築が実施された武力紛
争を理解する上で有益であろう。
1
赤十字国際委員会と各国赤十字社・赤新月社は独立した組織であるが、武力
紛争の被災者に対する支援は、赤十字国際委員会が援助の調整と実施を担当し、
ジュネーヴ条約締約国などから資金を調達し、各国赤十字社・赤新月社が人員
を派遣している。また、自然災害の被災者に対する支援は、国際赤十字・赤新
月社連盟が援助の調整を担当し、各国赤十字社・赤新月社が人員、物資、資金
を提供している。
2
Sphere Project, The Sphere Project: Humanitarian Charter and Minimum Standards
in Disaster Response: 2004 Edition, London: Oxfam Publishing, 2003.
3
A/RES/46/182, 19 December 1991
4
IFRC, Code of Conduct for the International Red Cross and Red Crescent Movement
and Non-Governmental Organizations (NGOs) in Disaster Relief, 1994, available at
the website: http://www.ifrc.org/publicat/conduct/code.asp
5
Abby Stoddard, Adele Harmer and Katherine Haver, “Providing aid in insecure
environments: trends in policy and operations,” HPG Report 23, London: Overseas
Development Institute, September 2006.
6
Taylor B. Seybolt, Humanitarian Military Intervention: The Conditions for Success
and Failure, London: Oxford University Press, pp. 38-45.
7
The International Commission on Intervention and State Sovereignty, The
Responsibility to Protect, Ottawa: the International Development Research Centre,
2001, available at the website: http://www.iciss.ca/menu-en.asp
8
A/47/277-S/24111, 17 June 1992.
9
A/50/60-S/1995/1, 3 January 1995.
10
A/55/305-S/2000/809, 21 August 2000.
11
A/59/565, 2 December 2004.
12
A/59/2005, 21 March 2005.
20