『聖書と宗教』2 Bible and Religions 2(2012) ISSN2186-4020 報告 Report 聖書文学学会 2011 年次大会報告 Society of Biblical Literature Annual Meeting 2011 in San Francisco 大宮 有博 OMIYA, Tomohiro 前川 裕 MAEKAWA, Yutaka 聖書文学学会(The Society of Biblical Literature; SBL)は、 毎年感謝祭の 1 週前の週末に年次大会(Annual Meeting)をアメリカ国内で開催する。SBL は、長年、アメリカ宗教学会(American Academy of Religion; AAR)と共同で年次大会を開催してきたが、2008 年から 2010 年の間だけ独自に年次大会を開催した。 しかし、 AAR の資金不足や両学会の会員の強い希望により、今年のサンフランシスコ大会から再び 共同開催に戻った。ちなみに、SBL は、秋にアメリカ国内で行う年次大会とは別に、夏に国際大会 (International Meeting)をアメリカ国外(主にヨーロッパ)で開催している(2011 年はロンドン)。 年次大会は、1 万人を超えるアメリカ国内外の聖書学・宗教学関係の研究者が年に 1 回集まる。そ のため、SBL/AAR 以外の学会も、同じ期間に同じ会場で研究会を行うことがある。また、会場とな る Moscone Center 内のカフェテリアやホテルのロビー、周辺のカフェを注意して歩くと、あちらこち らで博士課程の学生の入学面接や、博士論文の非公表の審査、大学の教員採用の面接が行われている のがわかる。私もそういえばナッシュビル大会の時に、会場となったホテルで博士課程 2 年目の審査 を受けたのを思い出した。 今年度の年次大会には、本学会より私と前川裕会員が出席している。本稿では、Common English Bible と Contextual Interpretation の報告を大宮が、ヨハネ研究についての報告を前川が行う。 1. Common English Bible 宗教関係の書籍の展示会(Exposition)は、SBL/AAR の目玉の一つでもある。SBL の年次大会にタイ ミングをあわせて、話題になるような本を刊行する出版社もある。そういう本の多くは、来年度の教 科書になることを期待して大幅な学会割引で販売される。また、年次大会のプログラムのなかには、 書評を行うセッションもある。書評セッションで扱われた本は、すぐに売り切れてしまう。 今回の Exposition では、今年の 8 月に発表された新しい英語訳聖書 The Common English Bible のブ ースが目立った。また、SBL のプログラムのなかで、CEB の出版記念セッションも行われた。 CEB は、 「コミュニティーのためにコミュニティーによって作られた翻訳」を合言葉に、120 人の翻 訳スタッフ(聖書を専門家とする人や教会の説教者も含む)と 24 の教派と信仰共同体の代表者によって 翻訳・編集された。また、出来上がった翻訳は、ミュージシャンや IT 技術者といった分野の人も含め た 500 人近い読者によって批判的に検討された。とにかく、たくさんのスタッフと協力者によって作 られたということが、特徴の一つとして強調されている。 11 聖書と宗教 No.2 CEB で一番注目をされているのが、従来の翻訳において the Son of Man と訳されてきた言葉が CEB では the Human One (o は大文字)と訳されていることである。ギリシャ語の ὁ υἱὸς τοὺ ἀνθρώπου とは、当 時のギリシャ語では何か特別な意味を持って使われてきたわけではなく、単に「人」という意味で用 いられていた。これは、そのニュアンスが伝わる訳の試みである。ダニエル 7:13-14 の新共同訳では 「見よ、 『人の子』のような者が天の雲に乗り…」というくだりも、“I suddenly saw one like a human being coming with the heavenly clouds”となる。実は、私の博士論文の指導教授でもある Joel B. Green(現在、 Fuller Theological Seminary)が、この訳の編集者に入っており、この「人の子」を the Human One との 訳を主張した一人でもある。翻訳を記念するセッションではこの点が議論されるかと思ったが、話題 にはあがらなかった。 他にも、persecute「迫害する」も harass という言葉に置き換えられるなど、日常的に使われる言葉 が用いられている。また、細かい言い回しも日常的に用いられるものが選ばれている。他の翻訳に慣 れた読者がこういった日常生活の使用言語が用いられている聖書を読むと、多くの気づきがあるので はないか、と Green 氏は記念講演で述べた。 CEB は、この翻訳のために設立された Common English Bible 社から刊行される。同社はこの翻訳の 出版にあわせてナショナルジェオグラフィック社と共同で地図と出版した。また、ディボーションガ イドが順次出ており、註解書などが準備されている。 2. Contextual Biblical Interpretation 今回の年次大会で私は、“Meet the Samaritans in the Multiethnic Coexistence Society”という題での口頭 発表を Contextual Biblical Interpretation のグループで行った。このグループは、Fortress 社より TEXTS@CONTEXTS というシリーズを刊行中である。このシリーズは、聖書の各書の現場からの読 みをまとめたものである。2010 年に、 「創世記」と「マルコによる福音書」の巻が刊行されており、 2012 年に「出エジプトと申命記」および「マタイによる福音書」の巻が刊行される予定である。現在、 「レビ記―民数記」の巻と「ルカ福音書―使徒言行録」の巻が準備されている。今回の年次大会では 4 つのセッションが開催され、それぞれテーマは「レビ記―民数記」 ・ 「ヨシュア記―士師記」 ・ 「ルカ ―使徒言行録」 ・ 「コリント書簡とヨハネ文書」と具体的にこのシリーズの準備にあてられている。あ わせて、 Daniel Patte の編集で Abingdon 社から 2004 年に Global Bible Commentary が出版されているが、 これもこのグループの成果の一つであると言える。 このグループの研究テーマである Contextual Interpretation という手法は、Daniel Patte や Fernando Segovia といった Vanderbilt University の新約学から提唱された。この読みは、テクストの歴史的文脈で の意味や文法的な意味よりも、聖書が現場で読まれた時の意味の広がりを大切にする読みである。こ のグループが焦点を当てるのは、ヨーロッパ・アメリカの教会の伝統的読みよりも、周縁部(margin; ex. 第三世界の貧困者、戦時下における非キリスト者のグループ)の読みである。 このグループに発表者の一人として参加して強く感じたことは、この数年でのこのグループが方法 論を確定しつつあるということである。3 年前のナッシュビル大会では、このグループの読みは、現 場の視点によるものならばどのような方法であれ―歴史的批判的であれ、文学的手法であれ―受け入 れられてきた。今年私と一緒に発表をした 6 人のうち 2 人が Empirical Hermeneutics という手法を紹介 12 聖書文学学会 2011 年時大会報告 した。この手法は次のような手順で行われる。一つの聖書テクスト(例えば善きサマリア人の譬え)を 特に解説せずに一つのスタディーグループに提示し、話し合ってもらう。そのグループは、特定のエ スニシティーやジェンダー、宗教的なバックグラウンドなどを持っているものが望ましい。そのグル ープに聖書テクストをシェアしてもらった後に、いくつかの質問項目を提示する。例えば、善きサマ リア人の譬えをシェアしたグループには、 「サマリア人・ユダヤ人・盗賊はそれぞれ誰か」 「なぜユダ ヤ人は襲われたか」 「なぜサマリア人は助けたのか」といった質問項目が想定される。その回答を、エ スノメソドロジーで言うところの談話分析のような手法を用いて分析する。私の先に発表をした Sakari Hakkinen(フィンランドの教会からパレスチナに派遣された宣教師)は、ヨルダン西岸部に暮らす 非キリスト者パレスチナ人の読みを明らかにした。また、Esa Autero(ヘルシンキ大学)は、この Empirical Hermeneutics をはじめとする Contextual Interpretation 全般が解放の神学の聖書解釈を置き換えるものと は言わないまでも、現代に継承されたものであることを、その研究史を通して明らかにした。 このようにして Contextual Interpretation は、今までなんでもありに見えた読みから、体系的な手順を 持つ方法論として完成しつつある。この方法は、解釈者が読み手のコミュニティーの外に立っている という点で、宣教師の聖書学のような印象が残った。13 しかし、この点はセッションを毎年重ねるう ちに克服されていくであろう。 (ここまで、大宮有博) 13 聖書と宗教 No.2 3. ヨハネ関係セッション ヨハネ関係のセッションとしては、John, Jesus, and History Section(および Johannine Literature Section の二つがある。前者は 3 セッション、後者は 2 セッションが開催され、さらに両者の合同として 1 セ ッションが開催された(合同セッションは時間の関係上、聴くことができなかった) 。 John, Jesus and History Section では、まず 19 日に書評セッションが開催され、Anthony Le Donne and Tom Thatcher, The Fourth Gospel in First-Century Media Culture (T&T Clark, 2011)について、著者(Tom Thatcher)による要旨および 4 名からの応答およびフロアとの質疑応答があった。Thatcher は新約文書 のメディア論における草分け的存在であり、メディア論の定義および本書の主張である一世紀のメデ ィア環境について論じた。応答は古代のメディアのコンテクストおよびヨハネ文献の視点から各 2 名 ずつが出て、それぞれの立場からの批判点を述べた。メディア論は福音書研究の最先端でありまだ方 法論的に十分成熟していないが、今後の可能性に大いに期待が持たれる。 同セクションの 2 つ目は Media and Method: Reading John and Jesus in an Oral/Aural Context がテーマ であり、1 つ目と共通する内容であった。4 本の発表はいずれも古代のメディアに関するもので、特に Orality に注目したものである。書かれた文書としての福音書というこれまでの考え方を越えて福音書 の伝達に注目をした点で、現代の教会にもつながる内容であるといえるだろう。大学院生を中心とし た発表であったが、発表の質は必ずしも保たれておらず、大変優れた発表の後に明らかに準備不足な 発表があったりした。 3 つ目は再び書評セッションで、Urban von Wahlde, The Gospel and Letters of John (Eerdmans, 2010)が 取り上げられ、3 名の応答があった。これは Wahlde の研究の集大成と言ってよい福音書の編集の歴史 についての大部の注解であり、3 段階を経た編集、特に 3 回目の編集は 1 ヨハネの後であるという仮 説は、従来の緒論的仮説に挑戦するものであり大いに議論された。 4 つ目はヨハネ福音書と考古学をテーマとし、ローマ時代の道路、石の瓶の使用状況、イエスの裁 判における足取りなどについて、J. H. Charlesworth を始めとして 4 本の教授クラスの発表があった。 ヨハネの記事は歴史的でないと考えられることが多いが、実際には数多くの歴史的証拠が含まれてい るということが実証的に主張された。いずれも図版等を交えた大変興味深い発表であり、聴衆の入り も一番多かった。 Johannine Literature Session の 1 つ目は、Johannine Scholarship Today - Global and Local Perspectives と題 する世界各地におけるヨハネ研究の状況を紹介するセッションであった。今回は北米(A. Rheinharz)、 北欧(Kasper B. Larsen) 、アジア太平洋地域(F. Moloney、主に豪州・ニュージーランドについて)の 研究動向について説明があり、それぞれの地域での研究者や著作が紹介された。北欧地域以外はレジ メがなく口頭発表であったのが残念である。 2 つ目は統一したテーマはない一般の発表であり、米国 2 名、スウェーデン 1 名の研究発表があっ た。残念ながら聴衆は少なかったが、ヨハネと知恵の書との関係やプロローグの aurality についてな ど、興味深い内容であった。 (この項、前川裕) 14
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