「僕の意見、私の考え」発表内容(PDF:353KB)

『子供達が安心して住める地域づくり』
城山小学校
6年
加藤彩名
私は、未来がよりよくあるために、子供達が安心して住めるあたたかい地域づくりが
大切だと思います。なぜなら、最近不審者などの事件が多発しているからです。
このままでは子供達だけでなく、大人も安心して住むことができないと思っていた私
は、夜実行されている活動があることに気が付きました。それは、地域のパトロール隊
の活動です。地域のパトロール隊とは、地域のみなさんが夜にいろいろな所をまわって
パトロールして下さる団体の事です。他にも「子ども 110 番の家」や「子ども 110 番の
店」などもあります。
でも、地域のパトロールに参加して下さる方も、
「子ども 110 番の家」や「子ども 110
番の店」も数が限られていたり、子ども 110 番の家・店が、どこにあるか分からないと
いう方もいたりすると思うので、子供達が安心して住める地域をつくるのは大変なので
はないか、と考える人もたくさんいるでしょう。
そこで私は、地域の信頼を築き上げることと、地域の安全マップを作るということを
考えました。なぜこのように考えたかというと、地域の信頼が深まれば、何かあった時
に地域の方々が助けて下さったり、地域の方が困っていたら私達が助けたりという助け
合いの絆が生まれます。これにより、思いやりのあるあたたかい地域を作りあげること
ができると思うからです。そして、地域の安全マップを作ることにより、「子ども 110
番の家」や「子ども 110 番の店」がある所はもちろん、危険な場所や安全な場所をみん
ながはあくできるので、子供達だけでなく、お年寄りの方も安心して住めます。さらに、
この安全マップを地域のみんなで作れば、お年寄りの方から大人、子供まで世代を超え
てコミュニケーションをとることができるので、一石二鳥だと思います。これにより、
地域の絆が深まりやすくなり、キラキラ輝いた笑顔の花がたくさん咲きます。
私は、この笑顔の花をどんどん増やしていきたいと思います。なぜなら、笑顔は楽し
いという気持ちの花、つまり安心しているということだからです。したがって、私が考
えた、地域の信頼を築き上げること、地域の安全マップを作るということを実行し、子
供達が安心して住めるあたたかい地域づくりを地域の人みんなが目指していけば、より
よい未来につながっていくのだと思います。
『いじめは助けられて助けてあげられる』
瑞鳳小学校
6年
川瀬桃菜
小学4年生の秋ごろ、私は理由もわからず3人の男子にいじめられる様になった。な
ぜ、私はいじめられるターゲットになってしまったのだろう。それから私の恐怖の1ヶ
月間がスタートした。
それからのこと、私はその3人が一緒にいると、私のことを言っているかもしれない
と、不安になってしまい、すごく心が苦しかった。私の気持ちはもうくずれてしまいそ
うだった。元気が全然でなくて食欲がなかった。でも、お母さんや、お父さんに心配を
かけてしまうと迷わくをかけてしまうと思ってとにかく笑い、明るく過ごした。でも、
私は無理に笑顔を作っていた。お母さんもお父さんも私に気づいていたのかもしれない
…。
私に対する3人の行動がだんだんエスカレートしていく…私がただ席に座っている
のに、むこうがわざとあたってきて、
「じゃま」
と怒った様に言ってくる。その後、わざと私の後ろに来て舌打ちを何回もしてくる。本
当に苦しかった…。私はもう学校生活を送ることがすごくいやになった。もう学校に行
きたくなかった。
私はすごくイライラしていた。もう、何もかもがめんどくさくて、何かをする気分じ
ゃなかった。自分でもわかるほど、心がおかしかった。次の日のことを思い浮かべると、
明日は何をされるのか…など、色々なことを考えてしまい、夜、ねむれない日があった。
とにかく心が苦しくて、死にたいと思った日があったのかもしれない。私はいじめを受
けているときつぶやいた、
「学校は、なんであるんだろう??学校なんてなければいいのに…。」
と心からそう思った。こう思ったときから、学校生活の毎日がすごくいやになった。そ
してその1ヶ月間の中で一番うれしい日は土曜日と日曜日、3人の視線を気にいないで
ふつうに笑って過ごした。でも、また月曜日から、恐怖の1週間が始まろうとしていた。
そしてある日、
「もういやだ…。
」
と思った。ついに私はお母さんに話した。
「A君とB君とC君にいじめられてる。
」
と言った。今まで起きたことをはじめから、いままでのことを全て言った。私は、自分
から言うことができて、心がスッキリし、あっと言う間に軽くなった。今までのことを
お母さんに話していると、自然になみだが出てきて、とまらなくなってしまった。そう
したらお母さんが、
「桃菜は何も悪くないからね。明日先生に相談してみな。
」
と言ってくれた。その言葉は私にとって、とっても勇気が出る言葉だった。そして次の
日…私は担任の先生に全てを話した。先生は、
「よく話してくれたね。それじゃあ、その3人から話を聞くね。
」
と言ってくれた。話しているとき、またなみだがあふれていてとまらなくなってしまっ
た。そうしてしばらく私のことを先生が話してくれたおかげで私に対するいじめは終わ
った。私はこの体験をしてすごく苦しいことがわかった。だから、私はもしいじめられ
ている人がいたら助けてあげようと思った。
そして、5年生の2学期ごろのことだった。となりのクラスの仲良い友達が男女から
いじめられていた。男子からはわざと大きな声で「死ね」や「きもい」と言われていた。
しかも、女子からは体育で着替えているとき、けられて、
「いいたいことあったら言えよ!!」
と言われていたらしい。私はその話を聞いて、助けたいと思い、担任の先生に相談した。
そして、お母さんにも話してみた。お母さんは、
「助けてあげられることがあったら、助けてあげられるといいね。」
と言ってくれた。私はうなずいた。そして、3週間くらいたったときのことだった。友
達のいじめがなくなった。なぜ、いじめはなくなったのかは、クラスの誰かが、
「やめようよ!!」
と言ったからだった。それからのこと、いじめはなかった。友達も笑顔で学校生活を送
っている。私はすこく安心した。あまり、助けてあげることはできなかったけど、いじ
めがなくなって良かった。そして、クラスみんなが笑ってすごせるようになって本当に
うれしかった。私は本当に貴重な体験をした。この体験から生かせることがあればどん
どん生かしていきたいと思った。
『オンリー1 であるために』
東中学校
2年
名原夕稀
「世界に一つだけの花」という歌。覚えやすいメロディーと歌詞の内容が良い事など
から教科書にのる事にもなり、みなさんも一度は耳にした事があるのではないでしょう
か。
でも私はこの歌の歌詞があまり好きではありませんでした。「ナンバー1 にならなく
てもいい、もともと特別なオンリー1」このフレーズがいつも気になっていました。た
とえ結果としてナンバー1 になれなかったとしても、ナンバー1 を目指して頑張るべき
なのではないかと思っていたからです。ナンバー1 になれない人達が、自分で自分をな
ぐさめているようにしか聞こえなかったのです。もちろん、この歌詞にこめられた意味
が、自分の解釈とは違うのだろうと分かっていても、どうしても共感できずにいました。
けれど、そんな私の考えが変わる出来事がありました。
私には年の離れた弟がいます。弟の通う幼稚園の運動会を見に行った時のこと、両足
が不自由で車イスに乗っている女の子がいました。自分で立つ事も出来ないのに、その
子は他の子と一緒に組み立て体操をしていたのです。出来ない事は周りの子が上手くフ
ォローし、出来る事を精一杯がんばっていました。初めは「あの子どうやってやるのだ
ろう」と興味本意で見ていました。けれど、途中からその子の足に障害がある事を忘れ
るくらい、演技に感動している自分がいました。
「障害があるのに頑張っていてすごい
な。」という同情の気持ちはなくなり、心から「かっこいいな」と思っていました。ど
んなに頑張って演技をしても、見た目の美しさだけで言えば、健常児の子に負けてしま
うかもしれません。でもその子にしか出来ないオンリー1 の素晴らしさがありました。
私はこの事をきっかけに、あの歌詞の内容に共感できるようになりました。
近頃、オンリー1 や個性という言葉がよく使われ、採用試験などにも個性を重視する
といったニュースをよく聞きます。でも、これらの言葉は自分を甘やかす為に使う事も
出来るのです。
人はそれぞれ、かけがえのない存在です。でも社会で生きている以上、少しでも貢献
できるよう、努力しなければいけません。健全な成人が仕事もせず、引きこもってゲー
ムをする事を、オンリー1 の姿にしてはいけないと思います。いくら個性だとしても、
TPOをわきまえる事は必要だし、他人に迷惑をかけるような行動をする事は許されま
せん。一人だけ奇抜な格好をしたり、授業中に騒いだりする事を個性として正当化する
事は間違っていると思います。人と違う事をすれば良いという訳ではないのです。
私は、組み立て体操を頑張っていた女の子のように、自分の存在が周りから認められ
る人間になりたいです。そして、自分の個性としてアピール出来る特技を沢山身に付け
ていきたいと思います。
『正しい判断力』
旭野高校
1年
中野由莉菜
今、世界中に広がるSNS。一瞬で相手に用件を伝えることができ、とても便利なも
のである。しかしその反面、危険も潜んでいる。文字だけだと、相手に誤解されてしま
ったりして問題が生じることもある。現代の若者はLINEやTwitterに多くの
時間を費やし、勉強時間に影響が出ている。このようにSNSは良い意味でも悪い意味
でも、私達若者にとって大きな存在となっている。
私は中学の時にSNSにより、仲の良かった友達との間にトラブルが起こってしまっ
たことがある。その友達は普段からあまり感情を表に出さない人だった。最初のうちは、
「少し怖いなぁ…。」と思っていたが、話したりしているうちに、彼女も私に少しずつ
自分の気持ちを訴えるようになってきて、私達の距離は縮まっていった。ある日、私は
彼女から送られてきたLINEに腹を立てていた。内容はよく覚えていないが、ただ言
えるのは彼女が私を物凄く見下した言い方をしたということだ。私はその時イライラし
ているのと同時に、心に大きな悲しみが広がっていた。もうどうして良いのか分からな
くなったので、とりあえず一時的にLINE上で彼女をブロックして、暫く関わらない
ようにした。次の日も、また次の日も、私が彼女と話すことはなかった。ある時、勇気
を出して私の心情を彼女に打ち明けることにした。私から言わないと何も変わらないと
思ったからだ。全てを話し終えると、まず彼女の口から「違うよ。
」という言葉が出た。
それから「言葉の捉え方がお互いに違ったんだね。」と言った。そこで私は初めて気が
付いた。文字だけじゃ伝わらないこともあるんだと。
私はこの経験を通して、2 人の距離が更に縮まったように感じる。このようなことが
なければ、私達はお互いに本音をぶつけあう機会を逃し、今でも「表面的に仲の良い友
達」に留まっていたことだろう。しかし、自分達の性格的なこともあり、たまたま上手
くいっただけであって毎回良い結果が得られるとは思わない。文字だけで伝えるものは
宙に浮いているので、右にも左にも転がすことができてしまう。それがどの方向に転が
るかは自分自身の考え方次第である。SNSの面白さであり怖さである部分はここに潜
んでいる。このSNSをどのように利用するかが、今後の日常生活を送るに当たっての
鍵となりそうだ。私の場合は正直失敗しているような気がする。元々、あまりコミュニ
ケーション能力がないので、相手と上手く会話ができない人なのに、全て楽だからとい
うのを理由に自分の声で返答せず、文字だけで返していた。その結果、私の人見知りは
悪化してしまった。これはまさに失敗例だと言えるだろう。あまり接点のない人に話し
かけられると、何でも笑顔で誤魔化してしまう自分が情けない。こうなってしまっては
いけないので、やはり全てをSNSに頼ってしまうのではなく、その時その時に今使う
べきかかというのを判断することが大切である。この判断がしっかりできる人こそ、素
晴らしい人間関係を築くことができるのではないかと私は思う。
『あいさつ』
旭野高校
2年
尾崎未夢
私は「子供が伸び伸びと育つ明るい社会をつくるため」という今回のテーマについて
自分には何ができるのか、何をすべきなのかを考えました。私は、まず、第一歩として
「あいさつ」の大切さ、重要性を考えてみました。
私の住む地域では、地域の方々がボランティアで防犯パトロールをして下さったり、
小学校の登下校時に子供達を見守って下さったりしてくれています。また、小学校でも
中学校でもあいさつ週間があったりします。高校生の私にも「おはよう」「いってらっ
しゃい」といつも笑顔で声をかけてくださいます。声をかけてくださり、心ではうれし
く思っていても、恥ずかしくて、大きな声で「おはようございます。」と返せない自分
がいることも否めません。小さいころから人見知りであいさつする時に恥ずかしく声が
小さくなってしまったりするのです。学校の委員会活動で、あいさつ運動をした時には、
あいさつをしない人や、下を向いている人、声が小さい人がいるなぁと感じました。私
と同じように、分かってはいるけれど、なかなか行動にうつせないような気持ちなので
はないかと思います。もちろん、それではいけないのです。せっかくの地域の方や学校
の活動があるのに、あいさつの輪が広がらなくなってしまいます。あいさつをすれば、
地域の輪が子供からお年寄りまで老若男女問わず大きな輪になっていき、明るい地域に
なっていくのではないかと思います。今、毎日のように子供の事件が起きています。そ
ういった事件は昔と違い希薄な時代になってしまったからだとニュースで見たことが
あります。あいさつをすることで顔見知りになり、いい事も悪い事も声をかけあったり、
時にはお互いを助け合ったりできるようになっていくと私は思います。
昔からよく父や母は、「知っている人に会ったら聞こえるようにあいさつしなさい」
と言っています。この聞こえるようにというのが小さい頃から恥ずかしがりやの私には
難しい所であり、私の反省すべき点です。心の中では聞こえなければ意味がないと思っ
ていても、なかなか行動できずにいました。でも、
「あいさつ」は、自分の心の持ち方、
小さな意識で改善できると思います。
私は、小学校からずっとソフトボール部に所属しています。部活はあいさつから始ま
り、あいさつで終わります。私が中学校の時の試合で監督さん、審判さんはもちろん、
違うチームの私や父兄にも大きな声であいさつしているチームがいました。私はあいさ
つされて、すごく気持ちが良かったし、その姿を見て、強そうだなぁと思いました。あ
いさつでその人のチームの印象が決まるものだと思いました。また、あいさつをするこ
とで自分も気持ちよくなり、チームの雰囲気がよくなります。私は気持ちを伝え合った
り、声を出すことで生まれる力があるのだということを実感しました。
こうした色々な経験から、一人一人が行動に移せば地域・社会が変わってくるのでは
ないかと思います。一人一人のあいさつや声かけが、大きな輪になり、明るい社会につ
ながっていくのだと思います。あいさつは、する方もされた方も気持ちがいいですし、
笑顔になったりします。声に出すことによって人間関係も広がったりします。私は、こ
れから、相手に聞こえるようにあいさつ、声かけをすることを日々の生活で心がけてい
きたいです。地域・社会を住みやすい場所にするため、小さいことから一人一人が行動
していけば、地域のかかわりも明るいものになっていくと思います。