失われゆく延喜式内社を求めて 【 番外篇 】 オキタリュウイチ × 宮脇渉 深刻化する“若者の神社離れ”を防ぐ取り組みとなるか? り組むために、異業種のプロフェッショナルが連帯し、新たなプロジェクトが動き出している。今回は延喜 価値観やライフスタイルが変化している現代において、若い世代に神社の意義とその魅力を伝える課題に取 形 態 は 固 定 さ れ 過 ぎ で す し、 演 劇 界観を表現するのに、「バンド」の 中心とする豊穣で多様な日本の世 「神社復興アイドル」の舞台裏 式内社をめぐる旅から一息入れ、番外篇ということで、 〝 若 者 の 神 社 離 れ 〟 と い う 大 き な 難 問 に 向 き 合 う「 神 のような上演芸術では大衆やメ 関心が著しく薄まっているという う 状 況、 こ れ は 神 社 そ の も の へ の いるのに氏子数は減っていくとい 試 算 が 出 て い ま す。 人 口 は 増 え て セントもの神社が消滅するという 較 し て、 現 代 は 1 億 人 ほ ど 人 口 が 猛 烈 に 神 々 が 勧 請 さ れ、 神 社 の 数が飛躍的に増えた江戸時代と比 時期にさしかかっています。 あ り、 根 本 的 な 解 決 手 段 を は か る 神社の氏子数は減っていく一方で え て い き ま し た が、 そ れ に 対 し て 期 を 経 て、 日 本 の 人 口 は 劇 的 に 増 オキタ/文明開化から戦後の成長 り組もうと思われたのですか。 が、 な ぜ 共 に こ の よ う な 課 題 に と ―― お 二 人 は 全 く 異 質 な 職 種 で す 音楽のもつ力を社会事業に パー 葉 に で き な い こ と、 考 え て い る け れ る も の、 あ る い は、 そ の 人 が 言 辛 い 人、 ハ ッ ピ ー な 人、 そ の 人 が置かれている状況を代弁してく です。 わる場面にたびたび立ち会ったの 場 が 変 容 し、 人 の 行 動 が 劇 的 に 変 行 う な か で、 我 々 の 作 っ た 音 楽 で ロッパやアメリカなどでライブを 感 し て い ま し た。 日 本 は じ め ヨ ー を 経 て、 音 楽 の も つ 特 別 な 力 を 実 宮 脇 / 私 は、 十 数 年 間 の 音 楽 活 動 の宮脇渉さんだったのです。 出会ったのが、音楽プロデューサー 共通のビジョンをもつ仲間として ると思っていました。そんななか、 なブランディングをする必要があ 関 心 を 集 め る た め に は、 全 く 異 質 て き ま し た が、 と く に 若 い 世 代 の 私 は 事 業 再 生 の 立 場 か ら、 退 廃 していく神社を保全する術を考え らいいのか。 見 え て き ま し た。 八 百 万 の 神 々 を な が ら“ ア イ ド ル ” と い う 手 段 が 2 人 で 議 論 を 重 ね、 よ う や く 朧 げ 適 解 を 見 出 せ ず、 そ の 後、 数 年 間 しかし、神社復興は大変デリケー ト な 課 題 で あ る た め、 容 易 に は 最 なテーマだったのです。 さんであり、“神社”という根源的 そ ん な な か、 出 会 っ た の が オ キ タ の で は な い か と 考 え 始 め ま し た。 的なものに役立てることが出来る 界 の 仕 組 み そ の も の を、 何 か 社 会 に す る よ う に な っ て、 こ の 音 楽 業 引 退 し、 プ ロ デ ュ ー ス 事 業 を 主 軸 ん で し た が、 演 者 と し て の 活 動 を という意識をもつ余裕がありませ は、 そ の 手 段 を 何 か に 役 立 て よ う ンのただなかで活動していた時期 できるのが音楽です。メジャーシー メッセージとして音に乗せて発信 れども誰にも共感されないことを に な る こ と な ど、 あ ら ゆ る こ と が る こ と、 各 地 域 や 神 社 の シ ン ボ ル こ と や 踊 る こ と は も ち ろ ん、 演 じ そ の も の が 総 合 芸 術 で あ り、 歌 う れ ま す が、 ア イ ド ル は 言 わ ば 存 在 通常のミュージシャンは基本的に、 できるという利点が挙げられます。 一に 適 っ て い る 理 由 と し て は、 ま ず 第 社復興を PR する上で非常に理に 宮脇/アイドルの事業モデルが神 えてください。 で し ょ う か、 そ の 意 図 と 特 徴 を 教 ク ト 」 と は、 ど う い っ た も の な の ――「 神 社 復 興 ア イ ド ル プ ロ ジ ェ 一般性があると考えたのです。 上 に、 実 社 会 へ の 影 響 力 を 有 す る それが神社の仕組みにも合致する る仕組みが“アイドル”にはあり、 神々の数だけ要素を増やしていけ ディアを取り込むことは出来ない。 社復興アイドル」プロデュース事業の仕掛け人の二人に話を聞く。 ことに他なりません。 し み を 分 か ち 合 い、 何 が 最 も 重 要 チ ャ ー は 見 逃 せ な い、 と い う 人 々 社が無惨にも倒壊している写真を に 関 わ っ た こ と の な い 人 で も、 神 お 賽 銭 を あ げ る ぐ ら い し か、 神 社 な い は ず な の で す。 初 詣 に 行 っ て 日本人が本来もっている DNA は、 古 の 人 々 も 若 い 世 代 も 変 わ ら くれることを期待しています。 (自分ゴト)として彼らが受容して と で、 自 分 た ち に 関 係 の あ る こ と コンセプトを歌に乗せて伝えるこ が関心をもつことはありませんが、 の 勉 強 会 を 実 施 し て も、 若 い 世 代 が出来る点です。 郷土史や 『古事記』 通言語でメッセージを伝えること 同 世 代 の 人 々) が 理 解 し や す い 共 に よ っ て、 若 い 世 代( ア イ ド ル と イドルという依り代を介すること オ キ タ / も う 一 つ 重 要 な の は、 ア しょう。 やかな視線を向けている人が少な 手 に や っ て い る だ け、 と い う 冷 や そ ん な な か、 神 社 を 保 全 す る 活 動 に つ い て も、 好 き な 人 た ち が 勝 来事でしかありません。 するとそれは自分とは無関係な出 識 が あ り ま す が、 一 般 の 人 々 か ら り、 お 神 楽 を 演 じ た り と 当 事 者 意 に積極的に神輿の担ぎ手になった 社 に 関 心 が あ る 人 々 は、 祭 事 の 際 す。 氏 子 連 な ど の 神 社 関 係 者 や 神 りに遠ざかっているように感じま の 世 界 が 極 端 に 切 り 離 さ れ、 あ ま 日 で は、 一 般 の 人 々 の 生 活 と 神 社 そ れ は 当 然 で し ょ う。 し か し、 今 域であり、秘するべきものなので、 側 面 が あ り ま す。 本 来、 神 界 は 聖 でも悪い意味でも閉じられている オ キ タ / 神 社 の 世 界 は、 よ い 意 味 ことは何でしょうか。 ―― こ の 事 業 に よ っ て 打 開 で き る に感じています。 こ の よ う な“ 生 き た ” コ ミ ュ ニ ティの場が本来の神社だったよう ことも度々ありました。 る と き に、 宮 司 さ ん が 隠 れ 場 所 を し た。 境 内 で 缶 蹴 り 遊 び を し て い 会 う の が、 私 の 少 年 期 の 楽 し み で し て さ ま ざ ま な 人 間( 大 人 ) に 出 ら 神 社 に 通 い、 神 社 と い う 場 を 通 古 社 が あ る よ う な 場 所 で、 日 頃 か 私は愛媛の宮大工の家系ですが、 実家の周りは数十メートルおきに 動きと言えるでしょう。 に“ 本 来 ” の あ り 方 に 戻 っ て い く も の で は あ り ま せ ん。 む し ろ、 逆 演 出 の“ 目 新 し さ ” を 売 り に す る 宮脇/そもそもこの事業は企画や しょうか。 ―― こ の 事 業 の 新 奇 性 と は 何 で けることが出来るはずです。 の世界と一般的な世界をより近づ 度全方位的な幅広い活動が 可 能 で す。 こ の 間 口 の 広 さ は、 つ な の か を 体 感 さ せ る こ と で、 彼 ら 講 演 会 で レ ク チ ャ ー を し て も、 関心がない人はそもそもそこには 年後に まり幅広い層からの支持が得られ も徐々に意識をもつようになるで 訪 れ な い で し ょ う。 神 社 に は そ れ 現 代 的 な 手 段 で“ 本 来 ” の 姿 に 立 の 関 心 部 分 に ア プ ロ ー チ し、 巻 き 見 る と、 う ま く 言 語 化 は 出 来 な い く な い の で す。 実 は あ ら ゆ る 日 本 曲を書いて歌を歌う活動に集約さ 昭和 55(1980)年、愛媛県松山市生まれ。平成 19(2007)年、ユニ バーサルミュージックよりメジャーデビュー。日本に加えアメリカ、フラ ンス、ドイツなど海外での活動も積極的に行う。平成 26(2014)年にバ ンド活動を休止し、現在はプロデューサーとして後進の育成に力を入れる。 Ameba のブログランキングに度々ランクインされるなど、アルファブロ ガーとしても知られる。 増 え て い ま す が、 る 理 由 で も あ り、 多 く の 日 本 人 の しょう。 ち戻る ほど興味がないけれどサブカル 心をつかむ入口になるのではない かと考えられます。 日本人の国民性を表す象徴とし て、 外 国 に 発 信 し て い く 上 で も ア が、 と て も 悲 し い …… と い う 実 感 オキタ/現代を生きる多くの人々 込 ん で い く 手 法 を と る こ と で、 神 を も つ。 そ の 彼 ら が も っ て い る 本 人の生活に密着している最も重要 に と っ て 神 社 は、 静 謐 で 清 ら か な イドルという器が有効となるで 質の種を開花させることがこのプ なルーツが神社であることを一般 空間というイメージが強いので 教 え て く れ た り と、 一 緒 に 遊 ん だ ロジェクトの真意であるとも言え の人に知ってもらうにはどうした 宮脇渉(みやわき・わたる) 音楽プロデューサー 78 79 360 昭和 51(1976)年、徳島県徳島市生まれ。早稲田大学中退。行動経済学 に基づく経済心理学を独自の手法でマーケティングに応用し、数々の事業 再生に従事。京都の老舗米屋をネットで 17 億の売上にするなど、驚異的 な成果を生み出す。同時に社会活動家として、自殺者撲滅や障害者の起業 支援を日本財団と共催するなど、社会的課題の解決にも取り組む。 40 ま す。DNA レ ベ ル で 喜 び や 悲 オキタリュウイチ クリエイティブディレクター 25 都内の神社を巡り、日本のルーツに想い馳せる。左:宮脇渉 右:オキタリュウイチ も あ っ た り と、 複 合 的 な 意 味 を は 分たちの芸能活動、自身の PR で あ っ た。 神 事 の 奉 納 は つ ま り、 自 などが奉じられる芸能の場でも で は 里 神 楽 が、 社 殿 で は 延 年 の 舞 集 う 賑 々 し い 空 間 で し た し、 舞 台 祭事の際には立場を超えて人々が も そ う で も な か っ た。 季 節 ご と の し ょ う が、 本 来 の あ り 方 は 必 ず し されています。もっと「人間の生活」 プリを利用するなどの手段に代替 代 わ り に 人 々 が「 出 会 い 系 」 の ア 的 な 機 能 が 失 わ れ つ つ あ り、 そ の い ま で は、 そ の よ う な 神 社 の 本 来 をつなぐのが「縁日」の役割でした。 交流の機会が少ない村と村の関係 き っ か け と な っ た の で す。 日 々、 他 の 村 に 嫁 い で、 子 供 が 生 ま れ る りました。そこで出会いが生まれ、 業の真価なのです。 みに再び戻していくことがこの事 た人間関係を神社を中心とする営 能を再びとり戻し、散り散りとなっ し ょ う。 神 社 が 本 来 担 っ て い た 機 代的な手段に転化されているので 神 社 の 機 能 が 失 わ れ た こ と で、 DNA レベルでそれを補おうと現 いたのです。 く営みはいつの時代にも存在して たびたびこの連載でも言ってい る こ と で す が、 日 本 の 神 々 は 尊 敬 す。 DNA に 組 み 込 ま れ て い る の で を 感 じ る 性 質 は、 私 た ち 日 本 人 の は な い で し ょ う か。 そ こ に 面 白 味 目するのは日本的なものの見方で 西 欧 に 対 し て、 キ ャ ラ ク タ ー に 注 ん。 り替えたほうが得策かもしれませ は も と も と、 文 字 通 り 縁 を つ な ぐ オキタ/たとえば、神社の「縁日」 か。 役割があったということでしょう ―― 神 社 に は 元 来、 も っ と 多 様 な ります。 事業のもうひとつのテーマでもあ 復 活 さ せ る こ と、 そ の こ と が こ の 密 着 さ せ、 生 き 生 き と し た も の に 態 か ら、 再 び 神 社 を 人 間 の 生 活 に 固 定 し て し ま っ た。 形 骸 化 し た 状 いくだけの場所というイメージが し か し、 近 代 に な り、 静 的 で 慎 む べ き 場 所 と さ れ、 た だ お 参 り に のだったように思うのです。 ルの芸能活動のルーツに当たるも た は ず で す。 本 来 は 意 外 と ア イ ド ミックに活気づく生きた文化だっ は 私 た ち 人 間 に 密 着 し た、 ダ イ ナ 古のメッセージを大和言葉に乗せ はずです。 ますます重要なアプローチになる を次世代に伝えていくことが今後 ながらも身近な大先輩として、神々 が 入 り 口 で も 全 く 構 わ な い。 敬 い き …… と い う よ う な 個 人 的 な 感 情 私はこの神様がカッコいいので好 の 神 様 は ユ ニ ー ク で 面 白 い と か、 デ ザ イ ン し な く て は な ら な い。 こ ま し た。 そ の 見 方 を も う 一 度、 再 対象として神々を見るようになり 係のない向こう側にいる畏れ敬う 近 代 以 後、 自 分 た ち か ら 遠 く 離 れ た 偉 大 な 存 在、 自 分 た ち と は 関 素にもなるはずです。 こ と が、 神 の 魅 力 を 伝 え て い く 要 神の趣味や主義にも着目していく 神々はもっと身近な存在なのです。 ろうなと思うのです。このように、 山盛りの白米が大好物だったんだ て 力 を 結 集 し、 課 題 を 解 決 し て い ありました。色々な人が寄り集まっ なわれていた活動に同様の機能が な、 神 社 の コ ミ ュ ニ テ ィ で 本 来 行 で は な く、 無 尽 講 や 伊 勢 講 の よ う ま す が、 そ れ は 決 し て 新 し い も の い“ 共 有 ” の 手 段 が 提 案 さ れ て い やカーシェアリングといった新し オ キ タ / 現 代 で は、 シ ェ ア ハ ウ ス きが重要ではないでしょうか。 もう一度神社を活気づけていく動 も の と し て 危 惧 す る だ け で な く、 た よ う に 思 い ま す。 消 滅 し て い く り 合 わ さ っ た、 ホ ッ ト な 場 所 だ っ 神 社 は 本 来、 い ろ い ろ な 意 味 が よ の お 導 き と い う 必 然 性 が 加 わ る。 場 で あ る 神 社 で の 出 会 い は、 神 様 会 い も 素 晴 ら し い で す が、 神 聖 な ほ う が よ い と 思 い ま す。 通 常 の 出 コミュニティの場として機能した 宮 脇 / 私 も、 神 社 が も っ と 本 来 の ことが日本という国を PR し、売 が、 そ の 彼 ら の 期 待 に 応 え て い く 日本女性の品位であったりします ン ジ ャ の 鮮 烈 な 生 き 様 だ っ た り、 そ の 憧 れ の 対 象 は、 サ ム ラ イ や ニ しさに触れることを夢見ています。 に 日 本 と い う 国 に 憧 れ、 日 本 人 ら て い ま す が、 外 国 人 は 私 た ち 以 上 海 外 展 開 に む け て、 フ ラ ン ス の コーディネーターとも会議を重ね にもなります。 クトのレベルを保持していくこと たを注視することがこのプロジェ いく上で、“大義”への向き合いか が 重 要 で す。 メ ン バ ー を 選 定 し て を 個 々 が も ち、 実 践 し て い く こ と 日本を本当に良くしたいという志 を 評 価 の 基 準 に し ま す。 加 え て、 し、 そ こ に 真 摯 に 取 り 組 む か 否 か 身につけてもらう必要があります メンバーの女の子たちにもそれを す。運営チームはもちろんのこと、 り学んでいく姿勢を重視していま し」のスタイルなどを出来るかぎ 重視した和のコンセプト、「もてな のプロモーションという発想に切 社 復 興 と い う テ ー マ を 一 度、 神 々 口 と し て 有 効 と な る で し ょ う。 神 すい言葉で伝えていくことが入り が日常的に使っている受け入れや 味 の あ る 特 徴 で あ り、 そ こ を 彼 ら ルは若い世代が関心をもてる面白 け て い ま す。 各 神 々 の プ ロ フ ィ ー はもともと非常にタレント性に長 法 を 重 視 し て い ま す。 日 本 の 神 々 様のキャラクターに注目させる手 の 一 つ で す。 一 方 で、 私 た ち は 神 ナリオを用意するというのも方法 入 れ た り、 紙 芝 居 的 な ア ニ メ の シ フレーズに印象的なキーワードを ン セ プ ト を 伝 え る た め に、 歌 詞 の 宮 脇 / た と え ば、 日 本 の 神 々 の コ を検討していますか。 を 伝 え る た め に、 ど の よ う な 手 段 ―― 若 い 世 代 に 神 社 の 意 味 や 役 割 し て い く た め に、 こ の プ ロ ジ ェ ク し、 ま た 次 な る 日 本 ら し さ を 発 明 き 日 本 に 関 心 を も ち、 新 た に 解 釈 し て い き た い。 新 し い 世 代 が、 古 たという形を新たなスタイルで残 私たちの本来性を見失わないよ うに、日本は本来こういうことだっ るはずです。 くための基本的な情報共有にもな ま れ、 日 本 の ル ー ツ を 保 持 し て い その土地らしさが人々の記憶に刻 ざしたスタイルでライブを展開さ る …… と い う よ う に、 各 地 域 に 根 や っ て い る か ら、 ラ イ ブ は こ う な 饌 を 祀 っ て、 直 会 は こ う い う 風 に ○ ○ 県 で は、 こ う い う か た ち で 神 て 演 出 が 変 わ っ て い く で し ょ う。 ラ イ ブ の あ り 方 な ど も、 地 域 ご との神々のプロフィールに基づい いることなのです。 それぞれの地域と神が結びついて しょう。日本の神々が面白いのは、 け ば、 よ り 本 質 的 な 動 き に な る で 地神様アイドルとして展開してい の 型 が 出 来 た 後、 日 本 各 地 に ご 当 オキタ/いまのメンバーでひとつ らを勇気づけることが出来るはず い 世 代 に 興 味 を も っ て も ら い、 彼 様って意外と身近なんだな」と若 の身近な魅力を伝えることで、「神 しくて共感するところがある神々 大 神。このような、すごく人間ら ながらも、そこから脱却した天 照 関 係 に 絶 望 し、 一 度 は 引 き こ も り と な っ た 大 国 主( 大 己 貴 )。 人 間 を 開 拓 し 乗 り 越 え、 最 終 的 に は 王 経 て、 努 力 の 末 に い ろ い ろ な こ と も殺されるという壮絶な青年期を 兄 弟 全 員 か ら い じ め ら れ て、 3 回 トーリーが『古事記』の物語です。 行錯誤をして成長していったス 訳 で は な く、 失 敗 を く り 返 し、 試 る の で す。 生 ま れ つ き 有 能 だ っ た 恵がメッセージとして隠されてい 方 法、 悩 み を 乗 り 越 え る た め の 知 そこに私たちが生きていく上での し 愛 す べ き 大 先 輩 で あ り、 失 敗 を オキタ/構造や仕組みを重視する らんだ空間でもありました。 できるのではないでしょうか。 日 で あ り、 い ろ い ろ な 村 か ら 若 い て り込んでいくことにもつながるの トが一つのきっかけになることを を 肯 定 し、 神 社 と 人 々 が 再 び 融 合 神社はさまざまな人・物・ つまり、 事 が「 つ な が る 」 場 で あ り、 本 来 男女がやってきて出会う場でもあ ―― 今 後 の 事 業 的 な ビ ジ ョ ン、 数 で す。 彼 ら が ア ニ メ や ゲ ー ム を 通 望んでいます。 おお くぬ ぬし おお な むち やモノの考え方、「侘び・寂び・数 で す。 そ の た め、 日 本 人 的 な 所 作 身が日本を徹底的に体現すること ち自身が学ばなくてはなりません。 の目を通した日本の見え方を私た な る で し ょ う。 ま た、 同 時 に 海 外 伝えていくことが私たちの役割に 石黒壯明 インタビューより編集構成 あまてらす せ る こ と で、 そ の 地 域 の 本 来 性、 おおみかみ 乗り越えてきた存在でもあります。 です。 年先の未来像についてお聞かせく し て 知 っ た、 ス サ ノ オ や ア マ テ ラ 神々のキャラクター性を伝える 饌 で、 炊 い た 米 を ど ん ぶ り 山 神 盛りにして捧げる神社があります ださい。 ス と い っ た 神 々 の 意 味 を、 正 し く しん せん が、 そ の 神 様 は き っ と ど ん ぶ り に で こ だ わ っ て い る の は、 私 た ち 自 寄 」 な ど の“ 儚 さ ” や“ 弱 さ ” を 80 81 宮脇/私たちがこのプロジェクト 鎮守の杜で撮影されたプロモーション写真。7 人のメンバーにもそれぞれ、神社に関わる思いがあり、揺るぎない決意がある。
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