全文 - 長岡大学

2011 第11号(通巻21号)
ISSN 1348-8015
2009.4 -2016.3
長岡大学地域研究センター年報
特 集 企業経営の持続性と事業承継
∼世代を超えた企業・地域の成長∼
目次
特集 企業経営の持続性と事業承継∼世代を超えた企業・地域の成長∼
2011 第11号 CONTENTS
基調報告① 長岡地域企業の成長・発展に関する基礎課題
∼事業承継問題を中心に∼
……………………… 長岡大学専任講師・地域研究センター運営委員 井 本 亨
2
基調報告② 事業継承で私が心がけたこと
……………………………………… 魚沼冷蔵株式会社取締役会長 小田島 美智子
9
パネルディスカッション 円滑な事業承継のための準備と課題
小田島美智子、品川十英、高野 裕、今井進太郎、松本和明、井本 亨
15
論稿
東日本大震災と産業の再生
31
……………
………………………………………………… 原 田 誠 司
新幹線整備が地域経済に与えた影響事例
1
………………………………… 鯉 江 康 正
51
レーガン政権の対中米外交に関する考察
―対ソ連強硬路線を基調とした1980年代のアメリカ国際政治戦略体系の一構成要素としての対中米外交― …… 広 田 秀 樹
85
QRコードを利用したpdfファイルのメール送信 ………………………… 吉 川 宏 之
93
粉飾疑念企業の分析
―㈱プロデュースのケース― …………………………………………………………… 中 村 大 輔
99
研究レポート
地方小規模大学における就職支援体制
―5つの事例から探る成功要因― …………………………………… 松 崎 陽 子、岸 本 徹 也
107
研究ノート
農業会計における複式簿記の基礎⑶
―開業貸借対照表及び流動資産の記帳について― …………………………………………… 田 邉 正
127
長岡大学地域研究センターご案内 ……………………………………………………………………
139
センター日誌 ……………………………………………………………………………………………
141
長岡大学地域研究センター規程 ………………………………………………………………………
147
長岡大学地域研究センター 2010シンポジウム
2010年11月12日開催
中小企業にとって、円滑な事業承
継を実施することは、企業としての
継続性を確保する上で非常に重要な
課題であります。しかし、事業承継
は人間のライフサイクルと共に必ず
発生するものでありながら、その準
備・対応が不十分であったために、
経営者の交代による業績不振や、後
継者不在による廃業へとつながる事
例も多く報告されています。長岡地
域の企業は、事業承継に対してどの
ように認識し、どのような課題を抱
えているのか。当センターは事業承
継に係わる諸問題を考えるためのシ
ンポジウムを企画いたしました。事
業承継をきっかけとして新しい経営
者が事業を大きく成長させることは、地域経済の発展のためにも重要です。事業承継を後ろ向きの問題として
捉えるのではなく、新たな成長のための準備として位置付け、どのような準備が必要なのかも探ります。
シンポジウム終了後の来場者アンケートではほぼ全員の方より「内容が参考になった」というご回答をいた
だき、充実したシンポジウムとなりました。以下ではその内容を紹介いたします。
——— 次 第 ———
1 名 称 企業経営の持続性と事業承継~世代を超えた企業・地域の成長~
2 日 時 平成22年11月12日㈮ 14:00~17:00
3 会 場 アトリウム長岡(新潟県長岡市弓町1-5-1)
4 次 第 ⑴主催者挨拶
⑵基調報告①:
「長岡地域企業の成長・発展に関する基礎課題
~事業承継問題を中心に~」
長岡大学専任講師・地域研究センター運営委員 井 本 亨
⑶基調報告②:
「事業継承で私が心がけたこと」
魚沼冷蔵株式会社取締役会長 小田島 美智子 氏
⑷パネルディスカッション
テーマ:
「円滑な事業承継のための準備と課題」
パネリスト
魚沼冷蔵株式会社取締役会長 小田島 美智子 氏
株式会社品川鋳造代表取締役社長 品 川 十 英 氏
株式会社パートナーズプロジェクト代表取締役社長・税理士 高 野 裕 氏
株式会社コマスマーケティング代表取締役・中小企業診断士 今 井 進太郎 氏
コーディネーター
長岡大学准教授・地域研究センター運営委員 松 本 和 明
長岡大学専任講師・地域研究センター運営委員 井 本 亨
5 主 催 長岡大学地域研究センター
6 後 援 長岡市、長岡商工会議所、㈶にいがた産業創造機構、長岡産業活性化協会NAZE
1
特集
企業経営の持続性と事業承継~世代を超えた企業・地域の成長~
基 調 報 告 ①
長岡地域企業の成長・発展に関する基礎課題
~事業承継問題を中心に~
長岡大学専任講師/地域研究センター運営委員 井 本 亨
長岡大学経済経営学部専任講師の井本と申します。
くない」
「悪い」の3段階で表して、
「良い」から「悪い」
よろしくお願いします。
を引いたものを数字で表したものです。ですから、0
本日は、長岡地域企業の成長・発展に関する基礎課
を分岐点としまして、上の方に行きますと、業況が「良
題と題しまして、毎年8月に行っております、当地域
い」と感じている企業が多く、下の方へ行くと業況が
研究センター主催のアンケートの結果報告と、あとは
「悪い」と感じている企業が多いということを示すも
それに関連した事業承継のお話をさせていただきたい
のです。近年では、統計の上ではこのように回復傾向
と思います。
が伺えるということです。
ちなみにこの赤色の全国平均と青色の新潟県の数値
まず、基調報告ということで、アンケート調査結果
を比べてみた場合、全国平均よりも新潟県内の方が下
をご説明する前に、新潟県の景気動向についてお話し
回っているのが特徴的に捉えることができます。日銀
をさせていただきます。
新潟支店の考察によると、新潟県内の製造業において、
いわゆるリーマン・ショックがありましてから、世
業績に与える影響は国内需給要因と海外受給要因に比
界的な不景気が広がっておりますが、全世界的に見て
べてみた場合、新潟県内の製造業は、ほとんどが国内
も、あるいは新潟県で見ても、契機はリーマン・ショッ
授与うで業況が影響を受け、数字でいうと76.1%Pで、
ク以降景気が低迷しています。しかし、2009年3月か
海外需要は20.9%Pであるという数字です。全国平均
ら6月にかけて景況判断が上っているということがグ
は国内需要が57.2%P、海外需要は30.7%Pですから、
ラフから読み取ることができます。これは日本銀行新
新潟県では圧倒的に国内需要の方が大きな影響を受け
潟支店が出しております、新潟県企業短期経済観測調
ています。海外に比べて現在の国内の需要は相対的に
査結果というものです。赤色の線が日本銀行が行って
弱い状況ですから、新潟県の数値は全国平均に比べて
いる全国の統計で、青色の線が日銀の新潟支店が行っ
低い位置にあるというように日本銀行新潟支店はまと
ています新潟県の統計です。
めています。
当地域研究センターのアンケート調査は毎年8月に
行っているもので、今年で4年目の調査となります。
私どもの調査は、毎年企業は入れ替えをしております
が、今年は598社に郵送でアンケート票を送付し、回
業況判断D.I.というのは、製造業141社、非製造業
答を得ております。今回、有効回答数は73件、回収率
151社という新潟県内の企業合計292社に、現在の業況
は12.2パーセントでした。
はどうかということを聞きまして、「良い」「さほど良
先ほどの業況判断D.I.のグラフを見たとき、2年目
2
以降は、毎回前年よりも景況判断が下がっています。
干良い数字が出ております。売上高や経常利益に比べ
今年は景気が悪かったから長岡の地域企業の業績も悪
まして、従業員数というものは変化の度合いが少ない
かったですねと、3回連続で景気がどんどん悪くなる
ものではありますが、
「減少した」という割合が昨年
中で、アンケート結果を報告する方も忍びなかったの
度に比べて減っているのに対して、
「増加した」とい
ですが、今年度は前年に比べて景況判断の数字が上
う回答が、若干昨年度に比べて増えております。
がっていますから、良い報告が出来るのではないかと
いうふうにも考えております。
次に、前年と比べて経常利益はどのように変化した
かという質問です。経常利益に関してみると、売り上
げの伸びに比べて追いつきが弱く、
「減少した」とい
1.長岡地域企業の概況
う割合が42.5パーセントと比較的高い割合を占めてお
まず、長岡地域企業の概況について、売上高、従業
て回復傾向を読み取ることができます。
ります。これも時系列で見た場合には、昨年度に比べ
員数、経常利益、企業業績全般に対する評価、企業規
模拡大の意向ということで、単純集計したものをご報
告いたします。
昨年に比べて、売上高はどのように変化したかとい
う質問に対して、今年度の割合を示したものがこちら
の円グラフです。「非常に増加した」
「かなり増加した」
という割合は少なくて、「やや増加した」「あまり変わ
らない」
「減少した」という回答が続きます。
「減少した」
という回答は39.7パーセントですが、時系列で見比べ
業績全般の評価についての質問では、会社の業績に
てみた場合には、去年は「減少した」が80.0パーセン
ついて、経営者の方はどのように考えておられますか
トであったのに対してその割合が少なくなってきてお
という意図で、「大いに満足」「まあまあ満足」「やや
ります。一方で、「増加した」あるいは「変わらない」
不満」「大いに不満」という4つの選択肢から選んで
という割合は比較的増えてきておりますので、全国的
もらったものです。それを見ると「大いに不満」とい
な景気の回復、あるいは新潟県内の景気の回復という
うのが43.8パーセントで圧倒的に多い割合ですが、昨
ものが長岡地域企業の売り上げにも現れているのでは
年度は「大いに不満」が67.1パーセントでしたので、
ないかと考えることができます。
割合的には減少しています。その分「やや不満」ある
いは「まあまあ満足」の割合が伸びています。「大い
に満足」と回答していただいた企業は、2008年以降3
年連続で回答がありませんでした。まだまだ景気の回
復は途上であると考えております。
次に、企業規模の拡大についての意向です。これは、
2009年度のアンケート調査から新しく付け加えたもの
なので、時系列は2つしかデータがありません。
「積
極的に成長機会を見つけて規模を拡大させたい」「機
従業員数の変化で見ましても、昨年度に比べると若
会があれば拡大させたい」「現状以上の規模拡大は望
3
課題ということでいくつか質問をし、クロス集計を
行ってみました。
御社の事業の中で力を入れている取組は何ですかと
いう質問を複数回答で3つまで選んでいただいた結果
が2-1です。トップが「既存顧客・取引先との取引
深耕」で、第2位が「新規顧客・取引先の拡大」とい
うように力を入れている取組が示されています。
これを先ほど1-4でお示しした業績の評価とでク
まない」という3つの選択肢の中から今後の成長意向
ロス集計を行ってみました。具体的には「まあまあ満
をうかがったものです。
足」
、
「やや不満」
、
「大いに不満」という回答が業績に
昨年に比べますと、「積極的に成長機会を見つけて
ついては存在していましたが、
「まあまあ満足」と「満
規模を拡大させたい」という回答が、若干ではありま
足」という肯定的な回答と、
「大いに不満」という否
すが割合として増加しております。おそらくここの
「現
定的回答で見たときに、どんな特徴があるのかを調査
状以上の規模拡大は望まない」というものが一定程度
して参りました。
の割合で固定されておりますが、機会があれば拡大さ
それを調べたものがこのグラフです。スライドの画
せたいと回答していた企業が、「積極的に成長機会を
面でいくと青色が「まあまあ満足」
、
赤色が「やや不満」、
見つけて規模を拡大させたい」へ移ったのではないか
緑色が「大いに不満」をそれぞれ表しております。
と推察しております。
「力を入れている取組」と現在の「業績の評価」で
みた場合、「既存顧客、取引先との取引深耕に力を入
れている」と回答した企業は、業績が「大いに不満」
と答えている企業は56.3パーセントです。一方で、
「ま
あまあ満足」となると21.4パーセントです。これは3
つまでの複数回答でしたが、トップ3に「既存顧客、
取引先との取引深耕に力を入れている」が入っている
のは、業績にある程度満足している企業では21.4パー
セントしかいなかったとように読み取ることができま
す。
2.長岡地域企業の成長・発展のため
の取組
「大いに不満」が比較的高い割合を示しているのに対
長岡地域企業の成長・発展のための取組またはその
くと、だんだんと数字が減少しております。あくまで
同じように、「新規顧客・取引先の拡大」でみても、
して、
「やや不満」
「まあまあ満足」と上へ上がってい
因果関係ではなくて相関関係を示すものですので、
「既
存顧客、取引先との取引深耕に力を入れている」から
業績が不満なのだという因果関係を示すものではあり
ません。しかしこのように見ると何らかの特徴が見え
てくるのではないかと考えます。
一方、
「まあまあ満足」
「大いに不満」の、逆に、
「ま
あまあ満足」の割合が高くて「大いに不満」の割合が
低いものは、例えば新製品、新サービスの開発あるい
は優秀な人材の確保というものでした。
この4つが特徴的なもので抜き出しをしましたが、
これを見ると、業績の評価で「まあまあ満足」と答
えている企業は、比較的顧客志向の活動をしている企
業よりも、製品・サービス指向あるいは優秀な人材の
4
―既存顧客との取引に今後も力を入れていきたいとい
う企業ででは46.2パーセント。一方で積極的に拡大さ
せたいという企業は29.4パーセント。ですから規模の
拡大が既存顧客とのパイプを強くすることではなく
て、別の新しい顧客先、新しいマーケットへの進出で
規模の拡大を図っているのではないかということが推
測されます。
また、コスト削減にしても、
「規模拡大は望まない」
とした企業は、
73.1パーセントの企業が「今後の課題だ」
と述べたのに対して、
「積極的に規模を拡大させたい」
と回答した企業は41.2パーセントと相対的に低い割合
となっています。
一方で、
「積極的に規模を拡大させたい」と回答し
た企業で割合が高かったのは、新規事業への進出ある
確保を指向している企業において、ある程度業績に満
いは経営戦略等の項目で割合が高かったということが
足しているという回答が高いと読み取ることができま
示されています。
す。
またその他にも「組織体制の充実・効率化」といっ
また、今後、注力すべき課題は何ですかという質問
たものも「規模を拡大させたい」と回答した企業では
もさせていただきました。
相対的に割合が高いということが示されております。
全体としては、
「新規顧客・取引先の拡大」が59.7パー
セントで第1位、「コストの削減」が56.9パーセントで
第2位というような結果となっています。
3.長岡地域企業の事業継承に係わる
状況
これを「企業規模拡大の意向」でクロス集計をとっ
てみました。
「企業規模を積極的に拡大させたい」と回答した企
ここからは本日のシンポジウムのテーマである、事
業を青色、「機会があれば拡大したい」と回答した企
業承継に係わる状況を報告します。
業を赤色で、「規模拡大は望まない」とした企業を緑
まず、回答企業の社長様の年齢についてお伺いしま
色でそれぞれ割合を示しております。
した。40代、50代、60代、70代という10歳区分の選択
既存顧客・取引先との取引深耕は、全体で見れば最
肢で選んでいただきましたが、60代、50代、70代以の
も割合が高かったものですが、今後注力すべき課題―
割合が多くなっております。やはり50代、60代、70代
5
以上ということで、事業承継を取り組む課題として真
剣に取り組まなければならない、あるいは既に取り組
んでいるような世代の方々にアンケート調査をしてい
るということをうかがうことができます。
次に、事業承継の準備状況についてです。事業承継
について十分に準備していますか、あるいは少しだけ
準備していますか、何もしていませんか、という質問
です。「不十分だが準備している」という回答が全体
としては高い割合でした。
4.長岡地域企業の事業承継の分析
事業承継に係わる準備状況をクロス集計で整理して
みました。社長の年齢ごとに40代以下、50代、60代、
70代以上という区分で準備状況をお示ししたものが4
-1です。特に40代以下と70代以上のところはサンプ
続いて、事業承継の方法です。一般的には「息子な
ル数がともに9しかないので、統計的に有意かどうか
ど親族に継承」が多いのですが、近年では親族以外の
は疑問ですが、年齢が高くなるほど準備をしていると
従業員、役員、あるいは全く関係のない第三者に会社
いうことが言えると思います。
を継がせたり、M&Aや事業譲渡により第三者に事業
を売却するという手法もあります。事業承継の方法を
尋ねたところ、「親族などへの承継」が約半数、
「親族
以外」が19.2パーセント、M&A等が4.1パーセント、比
較的若い経営者層でしたが、「まだ考えていない」が
24.7パーセントという割合になっています。
事業承継の課題についてでは、もっとも割合が多
かったのが「後継者を教育すること」で42.6パーセント、
第2位が「取引先との関係を維持すること」で36.8パー
セントという割合になっております。
6
次に「事業承継の方法」と「事業承継の準備状況」
のであれば、優秀な人材を指名するケースが多くなる
を見てみます。親族に承継すると回答した企業におい
ので、あまり後継者教育は必要無いのかと思ったので
ては、「十分に準備している」という割合が9割を超
すが、親族に承継する場合においても、親族以外に承
えました。92.9パーセントが「十分に準備している」
継する場合にも、やはり現社長が跡取りを教育するこ
と回答したのに対して、親族以外への承継を考えてい
とは課題だというのがどちらも高い割合を示していた
ると回答した企業では「十分に準備している」という
というのが特徴的です。
割合は54.1パーセントでした。その分「不十分だが準
従業員規模と事業継承の方法について調べました。
備している」あるいは「何もしていない」という割合
一般的に、従業員数でいう規模の小さな会社、規模・
が増加しております。
従業員数の大きな会社ごとに、親族承継が高くなり、
大きな会社であれば親族以外の承継が高くなるという
ふうに全国的な統計では出ておりますが、今回の長岡
地域企業を対象としたアンケート調査でもそのような
傾向が見られます。
自分の息子など親族への承継と親族以外への承継と
では、承継上の課題も異なるのではないかということ
で集計してみましたのが4-3です。大きな差がでて
います。
後継者の候補を確保することは、自分の息子等親族
また、従業員規模と事業承継の課題についてクロス
への承継の場合、5.9パーセントという低い数字である
集計をとりました。これも会社の規模、従業員数の規
のに対して、親族以外であれば42.9パーセントという
模によって課題に差があるのではないかと思ったので
高い数字です。後継者が株式を買い取ること、取引先
すが、例えば後継者が株式を買い取ること等において
との関係を維持すること、金融機関との関係を維持す
は若干差が出ましたが、あまり大きな差が見られませ
る等においても、それぞれ親族に承継するのか、親族
んでした。
以外に承継するかで大きな差があります。後継者を教
育することでは、一般的に、親族以外を後継者とする
以上を踏まえて、事業承継を考える視点を述べさせ
7
ていただいて、まとめに代えたいと思います。
まず、事業承継の準備をはじめる適切な時期という
ものもあるのではないかということです。事業承継上
には様々な課題があるということがアンケート結果か
らも見てとれましたが、それらの課題を解決するため
には事業承継をはじめるべき時期が存在します。また
承継者が息子などの親族か、親族以外かによって直面
する課題が異なります。事業承継を語るときには誰に
継がせるのかを意識しなければなりません。さらに、
従業員数あるいは会社の規模にはそれほどこだわる必
要はないようです。ただし、個人的には規模の大小に
よっても課題に違いはあるのではないかと思います。
また、アンケート結果では示されておりませんが、
一般的に経営者の世代交代と共に、例えば息子が会
社の後を継ぐことによってその息子が新しいビジネス
をはじめるというように、経営者の交代が企業成長の
きっかけになるということもケースとして多く報告さ
れています。
事業承継を企業成長のきっかけとするにはどうした
ら良いのかということは、この後の小田島会長のご報
告では聞かせていただけるかと思いますので、楽しみ
にしております。私の報告は以上でございます。あり
がとうございました。
8
基 調 報 告 ②
事業継承で私が心がけたこと
魚沼冷蔵株式会社取締役会長 小田島 美智子
みなさまこんにちは。ご紹介いただきました、小千
「事業承継について」は早い段階で考えておかれるべ
谷市から参りました魚沼冷蔵株式会社の小田島と申し
きかな!と思います。
ます。
魚沼冷蔵は小千谷の駅前に所在する小さな会社で
本日のこの人選は動機が不純でして、原田先生と夏
す。これは8年ほど前に新築した社屋です。
の暑い頃にビールを飲みながら「社長職は娘に譲って
中越地震で被害を受け、結構な修理をしました。
閑職になりました」と報告を致しましたところ、それ
魚沼冷蔵は、昭和24年9月に創業で当初は名前の通
なら今年のシンポジウムには丁度良いと簡単に決まっ
り冷蔵保管業でスタートしました。戦後早々のこの時
たらしいのです。私のような者の話が皆さんのお役に
期、一般企業や店舗にも冷蔵庫など無い時代で多くの
立つのか?全く自信もありません。たまたま当社とし
地域の方々の要請を受け、協力も頂いて起業したのだ
ては一応の「事業承継は済んだ」ということで、成功
と思います。
したとか、上手く行ったとか、未だそういう段階では
既に社歴60年を過ぎましたが、未だにこの社名で営
ございませんのでそのつもりで聞いていただければと
業しております。いろいろ有りましたが何はともあれ
思います。
長く続いてきました。
今日は若い方も、学生さんもいらっしゃると思いま
すが、後継者の立場で聞いていただいて、何かひとつ
でも参考になるところがあれば幸いです。まずは魚沼
冷蔵と私の自己紹介!漫画のようなスライドですが見
ていただきたいと思います。
最初にお断りしておきます。話をすると涙が出てし
まうのですが、私の妹の連れ合いがこの7日に夕刻5
時半頃、突然倒れまして、私も救急車に付き添って日
赤病院に行き、見守りましたが意識を取り戻すこと無
く急性の脳出血の診断で翌朝8日3時半に亡くなり
ました。義弟は私より半年程若いのにです。あまりに
も突然な出来事でショックと葬儀の準備等で夜も眠れ
ない状態が続いており、また、本日は午後6時からお
営業所は南魚沼市の六日町と小千谷市にあります。
通夜ですので中座させていただきますがご了承願いま
そして20年ほど前に私が立ち上げました「吉雪」とい
す。彼は精密機械の会社の現役の役員をやっており、
う自社ブランドの小さな借り店舗が小千谷市の中心街
その父上である会長が96歳で6月に亡くなられたばか
近くに有ります。今、「吉雪」では売上の7割ほどが
りなのです。その5カ月足らずのうちに専務が亡く
県外のお客様のお買い上げです。
なった訳です。世の中には「まさか?」と思うような
小千谷や長岡のお客様がお中元やお歳暮などで当店
事が現実にあるのだ!ということを私自身、ここ1週
の商品を東京へ、大阪へ、全国各地へと送って下さっ
間で学びました。
たおかげで、その受け取った方々が包装やシールを確
皆さんお一人お一人も、ご自身のことに置き換えて
認して電話やホームページで注文し、お付き合いの長
きっ せつ
9
いお得意様になって下さったという口コミ宣伝の形で
る店としてNHKやTBSなどマスコミにも取り上げられ
全国へ広がりました。
ました。上越新幹線が停車、高速道路も開通、まさに
ほんとうに有難い事だ、と感謝しています。
越後湯沢が活況を呈した短い期間です。私も単純に束
資本金は僅か1,000万円。事業内容としては、食品の
の間の成功?を喜んでいました。これはその後の「吉
卸売、加工、小売。社員はパートさんも含め30名ほど。
雪ブランド」へと繋がりました。
私が社長就任時もおよそ30名、今も約30名。但し、事
その後、現在まで小規模ながら加工、卸売、小売の
業内容は大きく変わりました。
3本柱で営業を続けております。
まずは当社の歴史と、現状を見ていただこうと思い
また年に1・2度の展示会では業務用関係のお得意
ます。このDVDは昨年の10月に創立60周年と私の社長
様(ホテル・旅館・レストラン等)をご招待し、冬シー
退任式のサプライズ用として現在の社長である娘が中
ズン用の新商品や必需品を見て頂き、メニユーを決め
心になってつくってくれました。私も全く知りません
てご注文を頂く、などのイベントも今年でもう27、8
でしたので、退任式で初めて見たときには大いに感動
回続けております。
しました。
。先ほど申し上げた自社ブ
これは小千谷の「吉 雪 」
きっ せつ
ランドの商品です。この店は地震で大きく壊れ、現在
は街の中心街に近い家具屋さんの一角をお借りしてア
<<ビデオ上映開始>>
ンテナショップの形で営業しています。このスライド
江戸時代の頃から我が祖先は「塩物問屋」として北
は地震の後です。
海道松前の魚介類などを北前船で新潟港へ運び、塩蔵
これは「登紀子ばぁば」こと料理研究家の鈴木登紀
物等に加工して魚沼地域の山間地へ背負い商いをし、
子先生です。86歳になられますが、頭は益々冴えて大
喜ばれ必要とされていたと聞いています。私の父は昭
きな仕事をバンバンされています。10年ほど前に先生
和14年に戦地で負傷し、何とか一命を取り止めました
が当社の鮭を気に入ってNHKTVの「今日の料理」
が足かけ5年程、東京の陸軍病院に入院。終戦間近に
等で使って下さり、家庭画報やサライなど雑誌等でも
半身不随の身体で小千谷へ帰って来ました。その父は
全国に向けてご紹介下さいました。小千谷にも何回か
終戦後しばらくの間、小千谷高校の教師を務めました。
お運びいただき、商品開発等、親しくご指導も賜りま
教師の仕事を愛していた父でしたが、昭和32年頃、高
した。
齢の祖父に懇願され不本意ながら、魚沼冷蔵の経営を
これはお客様をお呼びしての「新商品の試食会」の
引き受けるはめになりました。この時が祖父から父へ
様子。こちらは素人の社員達が冷凍技術を生かし「生
の強引な「事業承継」だった訳です。
蕎麦の冷凍」を地域資源の認定をいただいて進めて居
その後、父は将来を見越して昭和42年に六日町に土
るところでございます。
地を求めました。その当時、湯沢は静かな温泉町でし
「事業承継作業」の中で実行した事のひとつは、
(様々
たが、50年代に入ると「東京都湯沢町」と呼ばれ活況
な意味で実力を持つ)古参社員の存在は交代後、何か
を呈しました。その後しばらくの間、六日町営業所の
と問題が起きると考え、思い切って退いてもらいまし
売上は右肩上がり。会社の成績も大いに伸びました。
た。彼は優秀な社員でナンバー2の立場でしたからそ
病弱だった父が昭和56年暮れに亡くなった為に、私
の後は大きな影響が出ました。また彼は早々に同業を
は家付きの長女として翌57年新年正月早々、突然、ふ
立ち上げ、今も奮闘中ですから、当社のライバル的存
たつの銀行から融資の保証人として経営への参画する
在になり、現場では厳しいこともいろいろ起きていま
よう求められました。ほとんど何も分からぬ状態での
す。当時は社員の中に動揺も有りましたが、新たな若
取締役就任でしたが、必死で経営セミナーに通い、コ
い社員が入り、社風も変わり活気づきました。これは
ンサルタントに指導を求めました。売上の増加に合わ
「事業承継」の大きなポイントかも知れません。社員
せ、六日町営業所に冷蔵庫を増築し、冷蔵保管業は廃
共々、また、お互いに大変な思いもしましたが、私の
止しました。また、また、周りからは「トップの道楽」
在任中に実行できて良かったと思っています。
と揶揄されましたが賑やかな湯沢駅前に「駒子雪本舗」
このDVDは全社員に配布しました。一番喜んだのは
という名で小千谷縮や食品等、新潟の土産物を扱う店
社員の子供さんや奥さん。仕事場で働く家族(父や母)
をオープン。マンション族等、都会のお客様が立ち寄
のキリリと引き締まった顔や姿に感動して、繰り返し
10
何度も見てくれているそうです。また年に1回、もう
から、「研修生の制度ができたから是非!」と誘われ、
20回余り続いておりますが、期の初めには市内の大き
保険とは何なのか、火災保険と生命保険とどう違うの
めの会場をお借りして、「経営計画発表会」を行って
か?分からないようなお粗末なレベルでしたが、とに
います。全社員がひとりずつ前に立ち、今期の目標・
かく自立しようとの決意で研修生として入社させてい
数値を発表する。その目標に沿って毎日、毎月頑張る。
ただきました。
今はパソコンの画面で毎日の数字のチェックも行えま
案の定、無知ゆえにいろいろ大変な思いをし、毎日
すし、全員がパソコンの画面で行動予定・各種情報・
「退職願」をカバンに忍ばせて出勤していました。当
達成率等も確認できますので、各自、日々チェックし
時は損害保険(自動車保険・火災保険等)の取り扱い
ながら前向きに行動しています。
は男性の営業マンがほとんどでしたから、お客様も相
また地震の後、あまりにも仕事が無く、暇なので社
手にして下さらないのです。それなら、仲間があまり
員の心を引き締め、まとめる為にISO9001の取得を目
売らない保険を売るのだ!と決意し、研修で学んだ新
標に掲げ、夜の勉強会を続けました。悪戦苦闘の1年
しい賠償保険を真剣に勉強しました。その研修の為に
間の準備後、何とか取得する事ができました。お陰様
は淋しがる娘を母に預け大阪や東京などへ随分通いま
でほとんどの作業が仕組みで動く形が出来て、資料も
した。
日報も大変見やすく分かりやすく改善され、様々なク
そのお陰もあり「珍しい保険や難しい保険はあの人
レーム等もほぼ無くなりました。ISO取得は「地震の
に聞けば良い」とあちこちの企業から声をかけて頂き、
おかげ」ですがとても良かった出来ごとでした。
56年には、新潟県で最初に特級一般代理店への格上げ
の認定をいただきました。
<<ビデオ上映終了>>
私の自己紹介をします。私は昭和19年、戦争の末期
に超未熟児で生まれ、医師からは命の保証は出来ない
と言われたそうですが、父母に頑張って育ててもらい
ました。小千谷高校を卒業後、北越銀行に5年間勤
務しました。退社後、昭和42年5月に結婚。翌年、綾
子と名づけた娘に恵まれました。ところが娘が2歳に
なった時、主人は29才で天国に旅立ってしまいました。
私は26歳。銀行に勤務していたおかげで、様々な方か
ら「当社へ来て働かないか?」と言っていただきまし
たが、小千谷市内には顔見知りが多く、歩くことすら
辛いので、知人のいない地域ならば、ということで、
そして私の「事業承継」のスタートは昭和56年12月
たまたま長岡市の安田火災海上保険(損害保険会社)
29日の真夜中!父が新潟大学病院で亡くなった時で
す。享年67歳でした。大晦日に密葬、雪の降る大変な
寒さの中、翌昭和57年1月10日に社葬を行いました。
父は病気がちではあるが当分生きていてくれるもの
だ、と私は勝手に思い込み、病床の父の話や懇願には
耳も貸さず、魚沼冷蔵のその後の事など全く考えてお
りませんでした。
今になって父の無念や心残りの想いを察すると申し
訳無く、胸が苦しくなるほどです。
その社葬に参列して下さった地銀2行の支店長さん
から翌日に電話が入り、「是非、来店して欲しい」と。
用件は「融資の保証人は直系のあなたが引き受けねば、
引上げさせて頂きます」と言われました。それまで私
11
込まれました。
しばらくの間、私はただ仕事に振り回されて棒立ち
状態でした。毎日、夜中の2時、3時まで保険の事務
作業をし、朝7時、8時には魚沼冷蔵に出勤するとい
う状態で、娘の面倒を見る時間は全くなく、ほとんど
母に育ててもらったようなものです。娘は今も言いま
すが「私にはお母さんはいなかった。お父さんみたい
な怒りん棒の人がいた」と。
一人娘の綾子には中学生位までは「良い人生だっ
た!と言える生き方をして欲しい。好きな事をやれば
良い。お母さんは絶対に子不孝はしないから」とカッ
コ良い事を言っていましたが、どこを見回しても娘以
自身は「今後は古参の役員さんが経営するのだろう…」
外、誰もいませんでしたから、「経験も知識も少ない
位に考えていました。苦労を背負うだけだからと母や
のに我儘を言うな!」と、高校以降、大学進学も就職
身内は私の役員就任には大反対でした。しかし30名の
も全て私が強引に方向性を示して従わせました。
社員から嘆願書が出たり、銀行からは催促されたり。
高校は本人の希望で長岡高校に行きましたが、その
とうとう何も分からないまま役員を受けざるを得ない
後は産能短大の後継者育成の学科のみ受験させ他の大
立場に追い込まれました。
学の願書は捨てさせました。2年間で広く、浅くでは
結局、「おだじま保険事務所」という自ら起業した
有りましたが、経営一般をひと通り学ばせ、保険・簿
保険代理業と、異業種の食品流通業の「魚沼冷蔵」の
記・秘書検定などの資格も在学中に取るように伝えま
両社を自ら経営しなければならないという状況に追い
した。
短大卒業後はすぐに安田火災を受験させました。秘
書室勤務でどうか?と言われたのですが、「一番辛い、
忙しい現場を体験させて欲しい」とお願いし、渋谷の
事故処理センターに勤めさせていただきました。2年
後、おおよその仕事を覚えたという時に上司にお願い
し、随分、慰留されましたが、再び強引に辞めさせ、
知人経由で新宿の人材派遣会社の社長に預け、1年間
の約束で派遣側と派遣される側の両方の体験を積ませ
ました。その頃、上京し、娘と泊まると10時過ぎにど
こかへ電話をして、「どうしても続きませんか?何が
一番辛いですか?」などと派遣されている人の話を聞
き、慰めたり、熱心に説得している様子を見て、
「こ
の若さで大変ではあるが勉強になるな!」と感心して
聞いて居りました。その後、
相当、
抵抗も有りましたが、
派遣会社も約束どおり1年で辞めさせました。本人は
嫌々、小千谷へ戻って来たのですが、保険関連の仕事
はもちろん、労務なども含め経営の基本的な事はほぼ、
任せられるレベルに育っておりました。
「若い時の苦
労は買ってでもさせろ!他人の飯を食わせろ!」の諺
は確かだなぁと、親として非常に嬉しく思った事を思
い出します。
幼児の頃には気の置けぬお客様の訪問には了解を得
て、連れて行きました。多くのお客様から娘や孫のよ
12
うに可愛がっていただき、連れて行かないと「待って
べくノートに書くようにして励ましながら、未だに続
いたのに」とがっかりされたりする程でした。
けています。15年程になります。
おだじま保険事務所の娘への「事業承継」は10年ほ
私自身、
「人生は出逢い次第、良い人脈次第」が持論。
ど前に行いましたが、1,500 ~ 1,600件のお客様の引き
娘には常に私の人脈を紹介し伝えて来ました。そこに
継ぎも「娘さんの方が説明が親切だから。優しいから」
本人が良い出逢いと人脈を積み重ねて人生も仕事もス
とお客様からの抵抗はなく、かえって新しいお客様も
テップアップし、変革して行けば良いのですから。
増えた様子でした。おだじま保険事務所は現在、社長
である娘を含め5人でやっております。
また、魚沼冷蔵の仕事も、娘が高校生の頃から商品
の販促活動や湯沢・小千谷の新店舗の立ち上げなどス
タッフの中心において夜中まで手伝わせました。また、
お得意様への挨拶回りとか会合などご招待などの席に
も同行させました。また、社員の個別面接や人事評価
も、人を見る目を養わせる為に同席させました。
私は社員のミスを見つけて注意したり新商品の試食
で文句を言う事はできるのですが、手先の細かい現場
作業は苦手なので、多くの作業を娘に丸投げして、例
えば大寒の雪の中で商品を売る、展示会でお客さんに
説明する、お店では商品の美しい包装や商品説明、言
娘のこれまでの人生は自由度が非常に少なく気の毒
葉使いや礼儀作法等、美しく仕事をこなせるように厳
だった!悪かったかな?と反省点が無いわけではあり
しく躾けました。
ません。しかし、私自身の引き継ぎ作業皆無の承継に
比べれば、今となっては本人のために、会社のために、
良かったのではないかと思っています。
両社の社員は、若い時から共に働く娘の後ろ姿を見
ておりましたので抵抗なく後継者として認知してくれ
たものと思います。
今の私は「老いては子に従え」を守って生きて行き
娘にはどちらの会社の経営についても高校生の頃か
たいと決意しております。後を継がせる気持ち、又、
ら相談相手として(大きな投資やパソコンのシステム
後継者として任せる想いをお持ちならば、その本人が
を変える時、社員の採用等)相談を持ちかけ意見を求
出来るだけ若い内に覚悟をさせるべきではないかと思
めました。娘に順序だてて説明し、質問される事で私
います。若い時期、好き勝手をして良いからと許して
は自分の決意や心を決めてきたような気がします。
おきながら、トップや親の都合で急に家に帰ってこい
その他、母と娘の「連絡ノート」。どちらかという
では本人も気の毒ですし反発もあると思います。
と事務連絡なのですが、ちょっと書きにくい「頑張っ
当社の場合には特殊かもしれませんが、特に地方都
て偉いね!」とか「賢いプランだね!」などは、なる
市の中小企業の場合、親が歳を取ったから戻ってこ
13
い!では難しいのではないかと考えます。後継者とし
ての必要な覚悟、学習、人脈等は、若い内ならば素直
に受け入れ易いのではないか。
引き渡す側にとって「事業承継」の最大の目標と夢
は後継者を自分より優れた経営者に育て上げることで
しょう。我が例が良い承継作業だったのかどうかは、
未だ全く分かりませんが。
娘が感想のコメントを書いてくれました。
娘、小田島綾子からです。
「小学校で保険代理店を継ぐように言われ、高校生
の時、魚沼冷蔵の方もあなたが引き継ぐのだよと言わ
れました。子どもの頃から会社の大人の中に入って
できる手伝いをしてきたことは、お客様の大切さ、仕
事の細かさ、社員とのコミュニケーション等、体験か
ら覚えたり、稼業の変化を間近で見る私の修行期間で
した。
私が幸運だったのは、何をするときも周りの方から
一人前のメンバーとして扱ってもらえたことです。引
き継いだ現在は、新たな目標やライバル社との戦いで
力を試され、精一杯な毎日ですが、会社が進んできた
道のりや、社員の皆と一緒にした様々な体験を持って
いることは、皆の力を信じ、迷わずに決めたり、過去
の失敗からうちの会社なりの危機管理をすることが私
の感覚のなかで育ち、これから新しい事にもチャレン
ジできるところに繋がっているように思います。
」
本当にお粗末で、特殊な漫画のような人生ですが、
何か一つでも参考になれば幸いです。
14
パネルディスカッション
円滑な事業承継のための準備と課題
<パネリスト>
魚沼冷蔵株式会社
取締役会長
お
だ じま み
ち
株式会社品川鋳造
代表取締役社長
こ
しながわ
小田島美智子 氏
じゅう え い
品川 十英 氏
1944年生まれ(小千谷市)。1962
年県立小千谷高等学校(商業科)
卒業。北越銀行、安田火災海上保険
勤務を経て1972年株式会社おだじま
保険事務所を設立し、代表取締役に
就任。1982年魚沼冷蔵株式会社取締
役、1987年同社代表取締役。自社ブ
ランド「吉雪」を立ち上げるなど
事業を大きく成長させる。2009年10
月、円満な事業承継を経て取締役会
長に就任し、現在に至る。
1957年生まれ(長岡市)。1977年職
業能力開発総合大学校卒。1977年、
㈱東芝にて研修。1980年、品川鋳造
所入所。1996年㈱品川鋳造代表取締
役社長就任。2002年中越鋳物工業協
同組合副理事長就任、2008年㈶日本
鋳造協会理事就任、現在に至る。長
岡商工会議所青年部初代会長(2002
年)。
株式会社パートナーズプロジェクト
代表取締役社長
コマスマーケティング株式会社
代表取締役
たか の
ひろき
いま い
高野 裕 氏
しん た ろう
今井 進太郎 氏
1952年生まれ(長岡市)。神奈川
大学大学院法学研究科修了、横浜国
立大学大学院国際経済法学研究科修
了。税理士、中小企業診断士、IT
コーディネーター、ファイナンシャ
ルプランナーなどの公的資格を持
ち、企業の経営指導や講演で活躍。
説得力のある歯切れの良い指導には
定評。専門家がネットワークを組み
運営している㈱パートナーズプロ
ジェクト代表取締役。
1979年生まれ(長岡市)。慶応義塾
大学卒業後、マーケティングのコン
サルティング会社を経て、2006年に
コマスマーケティング株式会社を設
立。中小企業診断士・1級販売士と
して県内企業の経営サポートを行っ
ている。長岡商工会議所 中小企業応
援センターのコーディネーターやに
いがた事業承継支援センターのコー
ディネーターを務めている。
長岡大学経済経営学部准教授
長岡大学経済経営学部専任講師
<コーディネーター>
まつもと
かずあき
い もと
松本 和明 氏
とおる
井本 亨 氏
1970年生まれ(東京都上野)。明治
大学大学院経営学研究科博士後期課
程中退。1999年長岡短期大学専任講
師に就任、2007年より現職。専門は
日本経営史(主に鉄道会社)および
新潟県内の産業・企業・企業家史。
『北越製紙百年史』や『長岡砂利採
取販売協同組合創立四十年史』など
の調査・執筆を担当。現在、『長岡商
工会議所百年史(仮)』の執筆や新潟
港の近代化、外山脩造の企業者活動
などの研究を鋭意進行中。東山油田
(史跡・産業遺産)保存会会長。
1976年生まれ。立命館大学大学院
経営学研究科修了(博士・経営学)。
立命館大学非常勤講師、龍谷大学非
常勤講師を経て、2009年に長岡大学
専任講師。日本ベンチャー学会、日
本金融学会に所属。
15
司会 続きまして、パネル・ディスカッション「円滑
感謝しております。
な事業承継のための準備と課題」に移らせていただき
ます。なお、これからの進行は、コーディネーターの
高野 株式会社パートナーズプロジェクトの高野と申
長岡大学准教授・地域研究センター運営委員の松本和
します。
明と、先ほど基調報告を行いました井本亨に引き継ぎ
パートナーズプロジェクトとは何ぞやといえば、専
ます。よろしくお願いします。
門家、
資格者が集まった集団です。それを統括してやっ
ているわけです。
松本 よろしくお願いします。これから約90分にわた
私はそもそもが長岡の土地っ子です。先祖は魚屋を
りまして、今度はシンポジウムということで、先ほど
やっていた。先ほど魚沼冷蔵さんの氷の話がありまし
の井本報告、そして小田島会長のご講演を受けて、3
た。うちの先祖が魚屋をやっていたということはどう
名のパネリストの方々においでいただきまして、議論
いうことかといえば、魚は腐るものですから、冬、長
を進めてまいりたいと思っております。
岡の雪を集めましてそれを山にしてわらをかけて、夏
ではまず、それぞれご案内かもしれませんが、自己
までもたせた。夏になると氷になりますから、それを
紹介ということでお話しいただきたいと思っておいり
切り出して魚に使うということも戦前はやっていたよ
ます。なお、皆様にお配りした資料にそれぞれの略歴
うです。戦後は例の如く冷蔵庫ができましたから、こ
を印刷してお配りしておりますので、それも合わせて
んなのは話にならないということで辞めています。
ご参考になりながらお聞きいただければと思います。
私のお爺さんは魚をやったのですが、親父は税理士
改めましてですが、小田島会長さんから。
という仕事をやりまして、もう50年です。私も2代目。
税理士などやらないと言っていたのですが、いつの間
小田島 先ほどはお粗末な私の40年間を聞いていただ
にか税理士をやっています。その組織だけではダメだ
きましてありがとうございました。自己紹介と言って
というので、今度はパートナーズプロジェクトという
もあれしかありません。そういう生き方をしてきたと
組織を作って専門家集団としてワンストップサービス
いうことで、皆さんから知っていただければと思いま
ということでこの間10周年をやらせていただきまし
す。よろしくお願いします。
た。そんな訳の分からないことをしている高野でござ
います。よろしくお願いします。
品川 品川鋳造の社長で品川十英といいます。品川鋳
造というのは昭和7(1932)年に長岡の地で私の祖父
今井 コマスマーケティングの今井と申します。どう
が創業した会社です。昭和56(1981)年に株式会社に
ぞよろしくお願いします。
組織変更していまに至って私で3代目の会社です。何
私はいま31歳でして、どちらかというと今日ご来場
をつくっているかというと、鋳造ですので――鋳造と
の学生さんに近い年齢ですが、私自身、東京でコンサ
いう言葉はなかなか皆さんのお耳に届くことは少なく
ルティング会社におりまして、その後2006年にコマス
なったのでどんなものをつくっているのだろうという
マーケティングという会社を創業して、中小企業診断
ところですが、型を作った中に鉄を溶かして形をつく
士という資格をとって、中小企業の経営サポートをと
るという商売をしております。一般的に皆さんの目に
新潟県内で――生まれも育ちも長岡なのですが。そ
触れることが少なくなってしまいましたが、いま仕事
ういう経営サポート、特に販売面、営業面の支援をし
としてつくっているのは車のエンジンを削ったり、半
ているのですが、長岡商工会議所の中小企業応援セン
導体のシリコンウェハーを切ったり、検査をする機械
ターという事業のコーディネーターをさせていただい
の土台をつくる仕事をしています。
たり、また新潟事業承継支援センターというのがあり
長岡市内、もともとは新町という中心地にいたので
まして、そちらでもコーディネーターをさせていただ
すが、いまは宮下という工業団地に移ってやらせてい
いたり。そういった形で、いろいろな企業の事業承継
ただいております。家族、父と母、私の女房と子ども
をはじめ幅広いお手伝いをさせていただくことがござ
3人、7人で暮らしております。父も母も80ですがま
いまして、そういった意味で今日この場に来させてい
だまだ元気で、毎日いろいろなことを教えていただい
ただいているのかなと思っています。
ています。父は大学でもお世話になっておりますので
今日、中小企業診断士の大先輩であられる高野先生
16
が座ってらっしゃいまして。鞄持ちでくるならば良い
のですが、そろそろ事業継承を考えなければならない
のですが、今日はパネリストということでございます
年頃なのかなということに今になって気づいている自
が、少しでもお役に立てるお話ができればと思います。
分に愕然としたところがありました。
どうぞよろしくお願いします。
それと話を合わせて、いまほど小田島会長の事業継
承をするなかで子どもの育て方を見ていると、自分と
松本 ありがとうございます。本学のシンポジウムの
しては遅れているなという気がします。ただ、小田島
特徴は、肩書き・歳に関係無く、あがってしまったら
会長が、正直な話をしてくれてお金の話までしてくれ
言いたいことを言うというのを特徴としておりますの
ました。今日はパネラーと言うよりは私は会長のお話
で、よろしくお願いします。
を聞きに来て、あとで咀嚼して自分の生活に活かした
いと強烈に思っています。
井本 先ほど基調報告をさせていただきました井本と
その中で「仕組みで動く」という話と、娘さんの教
申します。私自身は事業承継の実務について深く関わ
育と、もうひとつショッキングだったのは、自分の会
りがあるわけではございませんが、研究者の立場から
社の、
どういう言葉遣いをするかは分かりませんが「子
統計データ等を踏まえながら事業継承を今回分析しご
飼い」の従業員で、自分の会社を存続させて発展させ
報告させていただきました。
ていくためには年数を勤めた従業員でも自分が娘に継
事業承継に係わる長岡地域の現状は基調報告でご報
がせるためにはまずいと思った従業員を、自分が働け
告させていただきました。また、今日の資料としてお
るうちに辞めてもらわなければ困るというのは、私に
配りしている『地域研究』という冊子の111頁には全
とっては非常にショッキングな発言でした。私のいる
国的な統計を調べたものもご紹介しております。統計
社会としては、金属製造業の立場に居ると、金属製造
データなどを踏まえながら、コーディネーターの役割
業はどうしても一人のスキルに頼るところがある。ス
を勤めたいと思います。
キルの高い人間が居て、その人が団体生活になじめな
最後は松本先生の自己紹介でございます。
かったら、これはとても大きな問題になっている問題
ですので、そこで一つの解答をいただいたと感謝して
松本 松本でございます。私がやっている産業史、経
おります。
営史という分野は、ある意味では事業承継の歴史、歩
ただ、自分が今日この話を聞いて、明日自分の会社
みそのものであると言っても良いと思いますので、力
で右から左になるものかと言ったらそれはならないと
不足ではありますが、どうかよろしくお付き合いいた
思いますが、一つのやり方としてそういうやり方がで
だきたいと思います。
きるということは、今ほど「漫画みたいな人生だ」と
なお、先ほど小田島会長ご本人もお話しいただきま
言われましたが、自分で自分の立場をつくって、自分
したが、4時15分前後に御降壇されるということでご
を無理矢理そこに追い込む。自分で自分の立場を追い
ざいますので、予めよろしくお願いします。
込んでしまって、追い込んでしまったら自分で勉強を
して自分で体験をするのだと。それが「今考えると楽
●小田島会長講演および井本報告に対するコメントお
しい」とおっしゃいました。私はお歳からいけば少し
よびリプライ
離れていますが、このバイタリティをもって、いま娘
では、まず前半の井本報告と小田島会長のご講演に
さんに事業を受け継がれて、自分でもうひとつ何かは
ついて、いろいろな側面、いろいろなポイント、いろ
じめられるのではないかとご講演を聴く中でパワーを
いろお聞きになりながら気づかれた点等があるのでは
感じました。今日はこの話を聞かせていただいたのは
ないかと思います。まずその辺りについて、コメント
本当に良かったと思います。
ないし感想等を頂戴しまして、それに対して小田島会
それと、井本先生のご報告について少し残念なのは、
長や井本さんにリプライしていただくというところか
アンケートの集計数がもう少し上がってくれて、でき
らスタートしてまいりたいと存じます。
れば50パーセント、とまでは言いませんが、30パーセ
ントか20パーセントくらいまで上がれば‥‥数字は
品川 井本先生の報告のなかで、私は53歳で、男の子
変わらないと思うのですが、実態を写した数字だと思
どもが2人いて23歳の倅と20歳の倅と11歳の娘がいる
いますので、興味深く聞かせていただきました。以上
17
です。
売をしていますから、税理士という資格がないと経営
ができない。税理士事務所は税理士が居なければ開け
高野 井本さんは研究者ですから、データはこうです
ない。だから、親父がいなくなって私一人になったと
と言えばその通りなのでしょうね。そういうデータを
きに、私が53歳が死んだら事務所は潰れる。事務員は
取っているという作業、それを見て、今度は我々が見
路頭にさまよう。これはまずい。さらにお客さんも今
てそれを良いだの悪いだの言うわけですね。私などは
までお願いした先生が亡くなったといって、次の先生
よくそういうデータが出てきますと「それはそうなっ
のところへいって、それで変な先生だった‥‥とはじ
ているけど、君の意見は」と質問するんですが、まあ、
まるわけです。だから非常に迷惑をかけるわけです。
あったような、なかったような傾向かなと。まあ研究
そこで私はふと思って、
「ああこれはいかん」
、何が
者ですからね、もうちょっと突っ込むともっと面白
いかんかというと、私は一人で資格をとって、親分を
いのにと思いながら、これからはそういう方向で行く
やっているようなのではダメだ。組織をつくらなけれ
んだろうと高い期待をしながら見させていただきまし
ばダメだと。組織をつくらなければだめだ。それで先
た。
ほどの話に繋がるのです。仕組みをつくらなければい
小田島さんの話については非常に共感させていただ
けない、組織をつくらなければいけない。組織をつく
く話がいっぱいありました。
るということをやらないとダメ。我々の商売はそうな
私自身も同じようなことを考えていました。一番、
んです。そこからパートナーズプロジェクトに繋がる。
事業承継で不孝なのは、本人の意識がないうちに親が
それから、後継者、私の子どもなど税理士などして
死んじゃったというもので、まさにそのものなので
いません。そんな勉強はしていません。息子だからと
しょうね。そうすると子どもは大変な思いをする。そ
いって二代目になるなんて、そんな甘い。ふざけちゃ
の大変な思いを「漫画」といってお話しされたのでしょ
いけない。顔洗って出直せです。本当に力があるんだっ
う。
たら、息子だからといって次期社長になど絶対なりま
私自身も中小企業診断士をやっているものですか
せん。力があるなら資格をとって一から入って来いと。
ら、そういう話を、あちこちで講演するわけです。そ
やりたいんだったらやれと。そのなかで後継者を選ぶ。
れでそういう事例をいろいろ話をします。そのときに
息子だからといって後継者になどは選ばない。私ども
私が40代のころ必ず言っていた話があるのです。それ
の資格にはそういう世界があります。
は、社長は53歳、死ぬよと言ったんです。いま十英さ
そのように決めまして、腹をくくった瞬間からパー
んのお話を聞いたら「俺53歳」と。どきっとしました。
トナーズプロジェクトという専門家集団をつくるとい
そういう話をよくしたんです。
うところにたどり着くんです。そういう意味で、私の
53歳で何故死ぬかというと、要するに40代のころ一
考えていた事例のまさにそのものをいってこられたと
生懸命やった自分がいて、それが頭に入っていて、い
いうことで、非常に共感するところがありました。勉
ざとなったら自分はやれるという意気込みがあるので
強になりました。ありがとうございました。
す。あるのですが、53歳。気がついたらだんだん体力
が落ちかかっている。それを忘れて無理してしまう。
今井 私はまず、井本先生のご報告のなかで、事業承
それで早い話が、逝ってしまうんです。それで死んで
継の課題というところで、一番多かったのが後継者を
しまうんです。
教育するということで、これは分かる気もしますし、
そのとき不思議と奥さんは49歳とか、50にならない
意外と言えば意外です。やはり経営者に事業承継の話
のです。それでポイントはここです。そういう話をし
をしますと、「株式や相続の問題でしょう。それなら
ていた。それで私が講演をするときにうちのスタッフ
税理士と対策済みだよ」という答えが返ってくる。
が付いてきて、聞いているんですが、あるとき帰りの
でも実際は本質的な課題は後継者選定の話もそうだ
車の中で言った。「先生は53歳で死ぬなら死ぬでいい
し、後継者をどう教育・育成していくのかというとこ
ですけど」、私は死ぬことになっていました。「残され
ろが非常に大きな課題です。そういう意味では、今日
た私どもはたまったもんじゃないですよ」と言われた
のパネル・ディスカッションは一つ後継者教育が論点
のです。
となってくると思います。私自身は後継者の方の年齢
どういうことかというと、私どもの資格は、資格商
に近い部分もあります。
「後継者の視点で」というと
18
おこがましいと思いますが、そういった話もできれば
は誰も分かるはずがない。無理だ!」と反発しており
と思って聞いておりました。
ましたが、どの先生からも「目標や夢の無い経営など
後継者教育について小田島会長の話は非常にユニー
有りえない」と叱られ、結局、私には娘以外に相談相
クでした。保険会社に勤めさせ、社長秘書。社長秘書
手はいない。それでいつも頭の中には常に「娘」の存
といったらやれやれと言ってしまうのですが、そうで
在を置いて考えるしかなく、先生方のご指導も嫌がる
はなくて厳しいところに敢えて。また、派遣会社。こ
娘を引き引きずり出して共に受け、目標や対策を共に
れは使われる従業員側の立場の気持ちと使う側の立場
考える作業をしてきました。
という、非常に考えられて入社前教育をされていたと
その頃からは、経営はまずは目標ありき!夢あり
いうことで、目から鱗の話でした。業界に勤めさせる
き!それに向かって色々な事を考えるような形にして
ということがよくやられていることですから、そうい
きました。期毎にトップの計画に基づき、全社員の数
う意味で大きな気づきをいただきました。ありがとう
値・行動の目標を纏めた上で、経営計画書を作成し、
ございました。
全員で発表会を行って参りました。しかし、経営も人
生も数値通り、目標通り、にはなかなか行かない事が
松本 お二人に対して、コメントあるいは質問という
多かったのですが・・・。
ことで色々投げかけをいただきました。それを受けま
話があちこちに飛びますが、迷って先生方に悩みを
して、繰り返しの部分も含めてコメントいただければ
ぶつけた時には「廃業や合併などは資金が潤沢になけ
と思います。
れば至難の業!経営側の勝手な我儘で社員を路頭に迷
わせてはいけない」と先生方に諭されました。たし
小田島 みなさまから丁寧にお聴きいただき嬉しゅう
かに社員さん達の懸命な姿や顔をみると気持ちは揺ら
ございます。私の主人はこの会社の後継者として東京
ぎ、当時、いろいろ迷った挙句、どのような形にせよ、
でのサラリーマン生活を辞め、地元に帰って、婿養子
「まずは税金を納める会社を目指そう!」と決意し、
になってくれたのですが、昭和46年、入社後、僅か3
その後はひたすら自己資本比率の充実を図って参りま
年で亡くなりました。その後、しばらくの間は病弱な
した。
父を支えて叔父が社員と共に頑張って経営を継続しま
したが、56年の父の死後は、経営状態も非常に厳しかっ
松本 ありがとうございます。
たので「廃業できないか?合併先を探そう」などと言
経営学では一般的に言われる話ですが、長期、中期、
う瀬戸際も有ったようでした。
短期の経営計画、その目標・ゴールを明確にとは言う
親類の長老衆には幼い頃から「美智子さんは小田島
のですが、それはなかなか、言うは易く行うは難しと
家の跡取りで9代目なんだよ!」と折々には言われて
いうところがあります。その辺りは非常に勉強になり
居りましたが、主人の死後、立ち上げた保険代理業が
ました。
面白く、忙しくしておりましたし、社員さん、株主の
井本さん、お答えづらいと思うのですが、先ほど頂
方々には申し訳ない事ながら、その当時はこの会社の
戴したご意見・コメントに対してお願いします。
将来について特に愛着を持っておりませんでした。
今井さんからもお話が有りましたが、正直なところ、
井本 まず品川社長の、アンケートの回収率をもっと
私が切羽詰まり、足しげくコンサルタントの先生を訪
高くというご指摘でございます。これはアンケート調
ねたり、研修会などへ真面目に通うようになったのは、
査の実施主体である長岡大学地域研究センターとして
父の死後、魚沼冷蔵株式会社という会社の経営責任が
も課題として認識しており、もっと回収率を上げたい
突然、降って来て、逃げられなくなってからです。
ということは内部でも話し合っております。来年度以
先生方からは事業計画について10年後はどうなりた
降、上がるように何らかの対応をとらせていただきた
いか?の長期計画、中期、短期の計画はどうするのか?
いと思います。
などとしつこく質問されました。またセミナーでは
「未
高野先生の、データを示すだけではなくて自分の意
来の夢は何か?会社をどこへ持って行きたいのか?」
見を言いなさいという指摘については、今後の私の活
を徹夜で纏めるように、グラフで数値化するように、
動に対する応援のメッセージとしてありがたく聞かせ
などの宿題も良く出ました。当初は、「そんな先の事
ていただきました。今後はますます一層頑張りたいと
19
思います。
た卒業文集は、
「日本一の鋳物屋になりたい」と書いて、
今井先生の、後継者教育が、資産・負債の承継だけ
工場の絵を描いて出した。そしたら爺さんに喜ばれま
ではなくて後継者教育も課題となっているということ
して、おまえは良い子だとか言われて、それで疑いも
については、特に小田島会長の話もそうかもしれませ
なくずっとやってきたわけです。
んが、後継者教育は、自分の会社に息子あるいは跡取
ただ、事業承継で自分がなってみて、そこから長岡
りとなるような親族を入社させて、自分が跡取りを鍛
工業高校にいって、それから職業訓練校の先生を育て
える、跡取りをトレーニングするという直接的教育だ
る学校にいって、それから東芝の京浜事業所という横
けではなくて、間接的な教育、例えば他社就業を経験
浜の鶴見にある大きな発電機のモーターをつくってい
させるですとか、敢えて何も手を触れずに海外にバッ
る鋳物屋にいって、私は中学のときには鋳物が自分で
クパッカーのような旅に出させるというのも広い意味
つくれました。ものをつくること自体は非常に得意に
では後継者教育ではないかと考えております。
育ったと思います。ただ、手先が器用でないのと美的
そういう意味では、後継者教育をどうやるのが良い
センスが無いので、絵を描けとか、粘土で顔をつくれ
のか、あるいは自分がやるのが良いのか、第三者にやっ
とか言われても無理なのですが、図面を描いたり読ん
てもらうのが良いのかということで悩んでいる経営者
だりするのは得意だったので、それはよかったのかな
の方も多いのかと思っております。
という気がします。
いま53歳になって、24だか25で家に戻ってきて、そ
松本 教育の問題は大事でして、もちろん直接的に自
のときにものをつくること自体は抵抗はなかったので
らがという面と、他で修行してこい、あるいは教育研
すが、だんだんお金の心配をしなければならなくなっ
究機関で教育を受けてこい、という様々なタイプがあ
た。父から事業を譲り受けたのが39歳で、これは非常
るわけですが、その辺をどう組み合わせるか、あるい
に大切な話だと感じたんですが、もし事業継承をする
はどちらを選択するかということも、教育というのは
ならば、技術的なものは確かに大切なのだけれども、
広いですから、その辺りも論ずるポイント、あるいは
会社の財務内容は、しっかりと自分はこの人に譲ろう
重視しなければならない部分かと思っております。
と思う人間については予め話をしてしっかりしていか
ないと難しいのではないかと思うのです。
●事業承継ないし第二創業の経緯
私の場合は恵まれていたので20代でやらなければな
品川 私の場合はいまほど言われた事業承継というよ
らないことが周りでおきて、これはお客さんと折衝し
うな格好いいものではありませんでした。昔は会社な
ながら、ちょうど発電所、水力発電と火力発電の日本
どありません。工場。工場の内に家があるものですか
のピークは昭和50年ごろでした。オイルショックあた
ら、どこに行くにも工場を抜けないと外へ出られない
り。その発電機のモーターをたくさんつくって東芝に
し、家に帰れない。これは365日毎日そうで、会社が
収めていた。それが原子力に変わって、原子力の認定
休みじゃない日以外は毎日工場に勤めている職員と話
を受けた。ところが原子力もいろいろなことで頭打ち
をしている。自分がこれ以外の商売をするはずがない
になった。放射能の問題で伸びて来なくなった。
という環境に育ちました。それを事業承継と言って良
そのとき、津上製作所の工作機械をやらせてもらっ
いのかわかりませんが、たまたま小学校6年生の卒業
ていて、そこから工作機械に事業をシフトしてきたん
文集を書く段で、将来の自分の夢を書かねばならない。
ですがこのときに、私が結婚したのは30歳でしたから、
そのとき親父に相談にいった。「親父、将来の自分の
20代で事業が変わっていくのを見て、技術というのは
夢を書けと言われたけれど、何を書けば良いだろうか」
大変だと感じました。発電所のプラントをつくるのと
と相談したところ「お前、鋳物屋になるか」と聞かれ
工作機械をつくる技術というのはまるっきり変わりま
た。鋳物屋になるか、ならないかという話はない。毎
すから、非常に良かったと思います。
日毎日従業員に待っていると言われているので、
「俺
30で結婚しましたが、当時大山梅雄さんという人が
は鋳物屋になりますよ」という話をしたら、お前は偉
会長さんだった。「日本の再建王」といわれた。昭和
いと言われた。「もしお前がならないと言ったら、中
49年だか50年に津上製作所(現・ツガミ)に入って
学から飯は食わせないからな」と言われたんです。鋳
こられて、津上退助さんという創業者がおられたので
物屋になるなら飯を食わせると言われた。それで書い
すが、その後大山さんが入ってこられて、大山さんと
20
話をさせていただきました。そのときに、「品川、こ
がリアルに浮かんでくるような話でした。
れからお前の時代はもう家業というわけにはいかない
大山梅雄は稀代の再建王として日本の企業経営史上
ぞ。企業にならなければ他のお客さんと付き合ってい
でも重要な人物ですが、家業ではなくて、企業化、経
けなくなる」と言われた。私はそのときその言葉はよ
営の近代化、そこにはもちろん組織化が含まれてくる
く分からなかったのですが、39で仕事を継いだのです
わけですが、これはポイントになってくるところでは
が、色々と、対お客さん、対従業員、対金融機関との
ないかと思いました。
関係をしてくると、私の時代はもう3代目だから無理
なんです。カリスマが一つもないから。カリスマもな
高野 いま話を聞きながら、自分はどうだったかなと
ければリーダーシップもない。そうするとやはり会社
思い起こしておりました。
にしなければならない。
私は、考えて見れば、自分が小さい時に親父も税理
会社にしないといけないと思った瞬間から、組織を
士をやっておりました。税理士という仕事には毎月期
つくろうと思ったのですが、それもいろいろな人が教
限がありますから、どうにも書類を期日までに出さな
えてくれて、組織というのはこういうものだと教えて
ければならない。一生懸命出すためになにをするかと
いただいて、お金の計算も教えていただいた。
いうと、うちの親父は徹夜をして書類をつくるわけで
先ほど、小田島会長から古参の従業員という話があ
す。そんなのを、私は自宅が事務所でしたから、いま
りました。職人の世界ですから、職人の世界は嫌いな
の品川さんと同じようなもので、帰ってくれば事務員
わけじゃないんですが、職人の世界のなかに組織論を
がいたし、出ていくときは朝早いから事務員いません
持ち込むと最初は無茶苦茶に抵抗されました。
「そん
けど。2階が自分の部屋ですから2階でギターなんか
なことをやったってものはできない」と言われた。そ
弾いていたら下からうるさいと怒られる。普段そろば
れをどうしようかということで悩んでやってきて、10
んの音しか聞こえないような事務所ですから、そろば
年間経ちました。50歳になりました。ここへ来て、少
んの音以外は何も聞こえない。まさに職人の世界です。
しだけ組織ができました。すると30歳で大山会長が言
だから親父は自分の仕事にプライドを持っていますか
われた「家業を企業にしなければならない」という言
ら、徹底的にやっているわけです。
葉がやっと分かってきたというふうに思います。
今になると分かるのですが、そのときのうちの従業
だから、いまは私の倅も、生まれたときには会社が
員さんがどういう状態かといえば、まさに親父という
工業団地に移っていたものですから滅多に見る機会が
王様がいて、あとは歩がずらっと居た。歩以外は居な
ない。たまに連れて行って、こういう仕事だというこ
い。金銀飛車角などいっさい無し。全て命令直結です。
とは見せてはいますが、私の時代とは違って、先ほど
そんな中でワンワンとやっていて、お袋が上がってき
会長が言われたように、好きなことをさせるのか、そ
て言う。「お父さんは大変だよ。お父さんがんばって
れとも事業を継ぐことを念頭に置いて何かをさせるの
いるよ」と聞かされるわけです。なんだかんだ、税理
かということは考えておけば良かったのですが、たま
士って大変なものだと植え付けられていくのです。税
たま倅2人は工学部に進んでくれましたので、なんと
理士というのは大変なんだ、だったら俺いいやと。
なく興味を持ってくれているという気がします。
大学を受験するとき、その頃税理士には商学部を受
いまやっとここで、事業承継について考え始めて、
けると良いと言われていたのですが、税理士は大変だ、
自分が経験したことについては一歩進んだ考え方で事
だから商学部は受けないということに自動的になるん
業を考えてもらいたいというふうに話をしている最中
です。よくよく今になって考えて見ると、自分の前に
です。だから私の事業承継からいったら、他に職業が
親父という絶対値があるんです。どう見ても。親父と
無い。テレビを見ていて、刑事になりたい、弁護士に
いう絶対値に、誰かさんじゃないけど「飯食わさん」
なりたい、野球選手になりたいとか思いましたが、た
なんて言われてしまったら大変だと、そこまではいか
だ思うだけ。思うのは許されましたが、実行は許され
なかったけれども、その絶対値に従うか、従わないか
なかったと思います。
だけでした。だから、税理士になるか、ならないか。
ならない場合何になりたいかというと、税理士以外
松本 ありがとうございます。品川社長のお父様で私
だったら何でも良いんです。要するに「それ以外」と
どもの品川英夫理事長および御祖父である英三氏の姿
いうだけです。そういうものが自分の中にあるので
21
しょうね。親ががつがつ言うというのは、逆に言うと、
今井 あまり公でお話ししないのですが、今日はせっ
絶対値に従うか、従わないかの世界に入ってしまう。
かくですからその辺りを。
そうやって考えてみると、私などはある意味では反発
コマスマーケティングの「コマス」というのは何か。
して従わなかった。従わなかったけれども今結局やっ
コマースではないかと思われたかと思いますが、コマ
ています。
スというのは屋号です。私の実家は長岡の神田。先祖
やはり現実のことを考えると、自分の中に税理士と
代々商売をしておりました。江戸時代には言い伝えで
いう仕事しか知らない、見ていない。だから、何も考
は米屋であった。その米を量る「枡」で、“小枡” とい
えないときには反発するだけでそれ以外なら何でも良
う屋号です。先祖代々手を変え品を変え生き残ってい
いということなのですが、結局、結婚しようと思っ
る商売でして、祖父は金物屋をやっておりました。し
たとき、私は大学院など行っていましたし、私も学者
かしホームセンターが出来てきて、これでは金物では
の道を歩もうと思っていました。そういう中で、この
食っていけないということで、うちの父は建材屋に乗
ままでは学者の世界では食えないなと‥‥いや、何を
り換えました。いまでも建材屋を父は商売でやってお
言っているんでしょうね。
ります。
それで、食えるためにはどうしたら良いのかといっ
そんな中で、私もお二方と同じように、継ぐものだ
たら、ふっと浮かぶのは税理士しかない。結局その道
ということで教育を受けておりました。いろいろお話
に入ってしまった。子どもというのはそういうものな
を聞きながら思い起こしていたのですが、私も中学の
んだろうなと思うのです。それで私などはそういうふ
ときに母に、俺は継がないよ、ということを言ったの
うに攻めてきた中で、結局税理士をやりながら、親と
です。そうしたら母にはすごく怒られました。「もう
の関係で見ていると、親父がこけたら事務所はパアに
あなたのご飯は明日からつくりません。そんなために
なるという話に繋がるから、何をすべきかといったら、
生んだわけじゃありません」とまで言われました。私
組織化です。一人じゃダメなんです。専門家一人じゃ
の他に3人姉が居るんですが。ですから継ぐものだと
だめです。税理士に皆相談が上がってきて、そこで私
思って育ちました。
どもがなんだかんだやるというのは‥‥時間がありま
高校を卒業し、大学に行くときに、父から建材屋だ
せんね。1分でまとめましょう。
と今後は難しいからもしれない。お前はお前で自分の
要するに組織をつくることになってしまう。個人経
商売を見つけてこいということで送り出されました。
営から、品川さんの話と同じですが、個人経営からス
東京でそれを見つけてきて、こっちへ帰ってきてそれ
テップアップしてくると、今度は組織をつくるという
をやれという話をうけました。それこそ大学入学前に
ところに必ず入ってきて、そして組織をつくるときに
三井物産とか連れていかれました。さすがに部長さん
は何がポイントかといえば、人を信じるしかない。自
とかそういうクラスにあって話をしろと言われても何
分が任せるしかない。任せることで育てるしかない。
も話ができませんでしたが、そういった教育を受けま
育ってくれないと、次が出てこない。だから結局会社
した。
をつくり、組織をつくるというのは、従業員を育てる
東京でマーケティングという分野に出まして、これ
ことです。それができれば組織が生まれてくる。これ
からの企業はどうやって売り上げを伸ばしていくの
が話のキーワードになるかと思うのです。そういうふ
か、どうやって売っていくのかというところが問われ
うに自分で経験するなかで見えてくる。
る。特に新潟県民はPRが下手だと聞きましたので、そ
ういったマーケティングの要素を新潟に持ち込んだら
松本 絶対値を背負うというもの、それに従うか否か
受けるんじゃないかと思って新潟に戻ってきまして、
というのは確かに一つの分かれ道かと思います。DNA
2006年に創業して、早いもので5年目くらいになりま
を受け継いでいるというのはあるわけでしょうから、
す。
そこがどういう発露をしていくかということも、それ
いま思うのは、お話を聞いていて、私自身の事業承
も教育と関わってくる部分ではないか。あるいは親子
継は今後どうなるんだろうかなんて30前半で考えてみ
関係を含めてのお話かと承りました。
たのですが、事業承継というのは年齢ではないですね。
では今井社長は、第二創業というタイプかと思うの
私がもし倒れたらうちの会社は多分、コマスマーケ
ですが、その辺りお願いします。
ティング自体はスタッフが十数名いますがアウトだろ
22
うなと。高野先生おっしゃったように、組織とかしっ
ついては、ずっと知っていますから、やっと働くのか
かり回っていく仕組みづくりは年代を問わず必要に
くらいで、スムーズに受け入れられたと思います。
なってくるのではないか。今日のテーマは企業経営の
スキルについてですが、まだまだ高度成長時代の名
持続性というテーマでしたから、自分も任せて育てる
残があって、私は昭和50年に高校を卒業しています
というのは、痛いところをお聞きしたと感じました。
が、第2次オイルショックでしたが、それでもオイル
ショックから立ち直ってきて、高度経済成長を続けて
松本 いろいろな論点、組織化であるとか任せて育て
いた最中だったと思います。そうすると、経営という
る、他人というか従業員関係者を信用するというとこ
面からいくと、やっている人の悪口を言うわけではあ
ろから次のステップへ進んでいくということは、経営
りませんが、事業をやっていれば儲かったんだと思い
規模ですとか業種を超えて本質的には共通する部分で
ます。借金をすればインフレが返してくれた時代です
はないかと承った次第です。
から。
さらにここから深掘りをしていくところですが、今
ですから、
父も祖父も、
とにかく「現場で覚えてこい」
までのお話でも出てまいりました、継承をしていう面
という話でした。それで学校を出て、東芝の京浜事業
でいうと、様々な側面があると考えられます。端的に
所に、3年で辞めるという約束でしたので、社員とい
言うと、いわゆる一般的な経営資源、ヒト、モノ、カ
う話では入れない、労働組合がありますから3年で辞
ネをどう受け継いでいくかというところがポイントに
める人間を社員にはできないと言われた。それで品川
なると思います。それに対してどう教育を施すか、内
鋳造からの派遣という形で東芝に3年間置いてもらっ
部の体制をどう構築していくかということはその中で
てずっと現場にいました。
重なってくるところであるかと思うのですが、その辺
ただそのときに良かったのは、中小企業はものをつ
り、品川社長に、いままでのお話でも取りあげていた
くることは得意なのですが、ものをつくることを理論
だいたところではありますが、まず鋳物技術のスキル、
的にまとめ上げる力は、うちの会社、当時の品川鋳造
ノウハウは当然継承、進化させていかねばならなかっ
所にはありませんでしたから、それは徹底的に教えて
たというところでしょうし、あとはいわゆる財務、資
もらってこいと言われた。その当時の課長がかなり厳
産もさることながら負債も継承してどう進めていくか
しい人でした。毎日3年間レポートを出した。レポー
という面もお持ちでしょう。
トを出すと毎日帰ってくる。最初のうちは私が書いた
また、お父様から受け継がれたという中でも、そも
意見に対する返答ではなくて、誤字脱字が多かったも
そもの従業員の方々あるいは取引先、金融機関との
ので、赤でたくさん直してもらった。
家計の面でいろいろご苦労さなってきた点もおありで
3年間お世話になって、ずっと現場にいて、3年目
しょう。非常にスムーズに行かれた点もあるかと思う
にはじめて技術屋というスタッフに入れてもらって仕
のですが、その辺り、繰り返しになってしまうかもし
事をさせてもらったのですが、鋳物というのはこんな
れませんが、少しお話しいただけますでしょうか。
に奥が深いのかと思ったのはそのときでした。そのと
きの課長に、辞めるときに言われたのは、「お前の技
●既存の経営資源をいかに継承すべきか
術や技能では、品川鋳造所に帰っても多分バカにされ
品川 私が事業を継ぐとき、工場に入るときはスムー
る。だからお前はこの東芝で習った3年間で一番得意
ズにいきました。私が生まれたときから小学校の5、
なことで、しかも品川鋳造所の従業員ができないこと
6年生くらいまで、うちは祖父と祖母とは別居してい
をやれ」と言われた。これは良かった。帰って何をし
ました。何故別居したかというと、祖父と祖母の家に、
ようかと思っていたので。
従業員が15人くらい下宿していた。それで私達が住む
何が出来なかったかといえば、鉄を溶かす技術は
場所が無かったので、私達の家は工場の脇に。祖父と
うちにもある。鉄の溶かし方の技術はうちよりも東
祖母にしてみれば自分達が表なのでしょうが、工場の
芝の方が進んでいた。鉄の溶かし方を、こんなこと
裏に祖父母宅がありました。そこに十数人下宿してい
をやるよりもこうした方が良いよ、といって自分で計
ました。風呂もありませんでした。風呂は工場に風呂
算してやりはじめたら、やっていた人間が、鋳物屋の
があって、そこに毎日一緒に入っていました。ですか
場合は時間当たりどれくらい溶かせるかでお金が決ま
ら従業員、工場の人間に受け入れられるということに
りますから、するといままで1時間で3トンしか溶
23
かせなかったものが、やり方を変えたら1時間で3ト
さないと満足できないというところが続いてきたので
ン300溶かせるようになった。それですごいと言われ
すが、40代後半になって、少しだけ待てるようになっ
た。違う材質でもできるよと。東芝はうちとは違う材
た自分が居るんじゃないかという気がします。
質をやっていたのですが、その材質はうちではできな
これは、右腕と言われる人は私にはいなかったので
いから東芝に逆にお願いしていた。それを自分でやれ
すが、この右腕を、社員の反発はあったのですが大手
たので、それは余所に頼まなくても自分の家でできる
の会社を辞めた人間を引っ張ってきて、とにかく会社
といってやった。そうしたら、お前はいろいろなこと
の中で、お前は鋳物はつくれないから外から見た感じ
を知っているねと言われた。知らないこともたくさん
で意見を聞いて話をしてくれということでやっていま
あったのですが、それ以来受け入れられたと思ってい
す。彼は会社の人間に反発を受けていて、何で社長は
ます。
こんな人間をつれてきたんだと言われていますが、彼
だから、先ほど、年代年代でいろいろな人がいろい
が入ったお陰で若い人が伸びるようになったので喜ば
ろなことを教えてくれるということについては、その
れています。
ときは私は東芝の課長に非常に感謝しています。
最初に言われたのは、社長はもっとゆっくり考えて
次にいくと、資産、負債の話については一切話はあ
くれ、人間は一つのことを為すのに一日でなる人間は
りませんでした。こんなことを言うと父に怒られます
いないのだ。言ったことがもし3ヶ月、半年でできる
が、私は自分がこの立場になって最初に思ったのは、
ようになれば、全くできなかったよりも良いではない
中小企業の財布は、オフィシャルなものもプライベー
かと言われています。少しだけのんきに構えられるか
トなものも一緒だったと思う。それが良かった時代も
なという気がしています。
あったのですが、プライベートな面どオフィシャルな
順番に順番にやっていかないと、一度にいろいろな
面は分けないといけないということで、これは毎日親
ことはできないので、順番にやることが大切ではない
父と喧嘩していました。毎日です。事務所で従業員が
かと痛切に感じています。小田島会長の話もそうです
私の肩をつかんで待ってくれというんです。こんなこ
が、自分が求める視点が、経営者という考え方で視点
とをしていたら仕事にならんと言われたのですが、こ
を求めていくと、そこに現れる人達は、普段見過ごし
れについてはずっとやってきましたが、結局非常に難
ている人達かもしれないけれども、自分が考えている
しい問題で、やっと解決が付いたのが10年くらい前だ
ことの答えを持ってくれる人に巡り会える可能性が高
と思います。
くなるということだけは間違いないと思います。これ
これは別に親父が嫌いだとかいうのではないんで
だけは確信しています。
す。しかし私のポリシーとしてはこうだ、親父のポリ
シーはこうだという形があったので、これについては
松本 教育といってもなかなか短期間に出来るもので
それくらいです。そのときにはたくさんの負債を背
はありませんから、年代を経て、時代を超えてという
負っていました。負債を背負うというのは、どうして
場面で経営者としての進化が見られるということとと
も設備産業ですから右肩上がりの時は良かったのです
らえました。
が、成長が止まってしまって、落ちたりあがったりす
では、高野先生にも、同じような質問なのですが、
るようになったときには負債を返せる計算をしなけれ
資産・負債および資金面の継承、それから井本報告で
ばならない。そこまでは難しかったのですが、それは
も出てきましたが、子弟ないし親族以外へ継承せざる
何とかしなければならない。
を得ないケースも出てきているとのことですので、そ
だから、とにかく家業を企業にしていかなければな
の辺りをお話しいただけますか。
らないというのは今でもまだ痛切に感じていますし、
まだまだやることはたくさんあると思っています。
高野 質問の趣旨がよく分かりませんが。
ただ、少しだけ良いと思うのは、20代のときは非常
事業承継というのはどの時点をもって言うのか。会
に短気で、けんかっ早くて、30代で鋳物業青年研究会
社だったら代表取締役が替わった時点で事業承継が成
というのに入っていろいろやっていると、あいつほど
立しますかという質問が来たら、そういうケースもあ
生意気な奴はいないと言われ、40代になって少しおと
る。だけど形がいくら整っても中味が実際動いていな
なしくなって、当時はせっかちで、とにかく結果を出
いというのはザラにあります。 24
特に苦労された社長さんは早めに代表者をバトン
きて返せと言ったって、親父はまた病院に入るかもし
タッチするとか言って、息子がまだ30歳、自分が60に
れないといって私が握っていますがね。
ならんとするところでバトンタッチして、さっさと代
まあ、実態は私が握っていません。私は完全にカネ
表者を降りてバトンタッチしたんだとか自慢げにあち
なんて握っていません。うちには経理がいる。嫁さん
こちで言う。言うんですが、後ろで「何をやってるんだ」
ではなくて従業員です。私は従業員にすいません、す
とか実質オーナーのまま。こんなケースはいっぱいあ
いませんと言って小切手を切ってもらって、
「交際費、
ります。肩書きばかり立派で、息子は代表者だと言わ
誰と誰がいったんですか」と言われて、
「いや鯉江先
れて、嫌なときだけ行ってこいと。これは一番アウト
生かな」なんていう状態です。
です。
要するに、銀行の判子を握った人間です。誰が判子
それから、任せた任せたといって、結局任せない。
を握っているかが判断点です。これはいわゆる個人経
よくあるパターンです。君に任せたと言いながら、い
営とか小さな会社ですよ。組織化してくると、経理、
ざとなったら文句を言う。気がつくと私も同じような
総務が居て、従業員に完全にオープンにして、個人の
ことをしているかもしれまんせけどね。人間なんてそ
カネも会社のカネもごちゃ混ぜではなくて、当然のご
んなものでしょうね。
とく綺麗にしてやっていくというレベルであれば、そ
そういう形式的なものではなくて、本当に事業承継
んなレベルではなくなる。そういう意味で、
カネのキー
のなかでバトンタッチしたと言えるのはどの時点か。
ワードはここです。
これは私の経験からいうと、私の親父はワンマンです
税理士事務所はそれほど借金をしませんから何とか
から、ガンガンとやりまして、自分で全て采配を振っ
いけるんですが、それでも都合で車を買わねばならな
て、全て結論を出してやる。品川さんのところの親父
い、コンピュータを入れるというときに、借金をしな
さんにはほど遠いんですけどね。本当優しいんです。
ければならないと銀行に行って、保証人どうしてくれ
うちの親父は結構ガンガンと言って、いくらなんだ
ると言われて、保証人などと言われて頭を下げてやっ
かんだ言っても、最後のどん詰まりはカネを握ってい
た記憶がありますから、借金をするのは嫌であまり借
るのは誰かなんです。小切手は親父が切る。だから親
金をしないようにしました。
父が決裁する。小切手を親父が切るものだから、例
銀行と判子というのは、経営者のキーワードです。
えば私がそのときに海外研修に行きたいのだと言って
銀行との付き合い。先ほどの社長さんは毎月銀行に報
も、私は青色専従者、給料は安い。ほんの少ししか小
告に行くと。そこまでやるのかなと思いますが、それ
遣いは無い。嫁さんには3万円しかないのに、ゴルフ
は大事だということで、銀行の付き合いと、判子を持っ
に月2回も行ったらうちの家計はどうするのと言われ
ているのは誰か。これが経営の一番のシンボルだと思
てゴルフを止めましたけどね。そういう状態でしたか
います。
らカネが無い。親父がカネを握っている。だから親父
それからもうひとつ、親族以外への継承についての
に権限があるんです。
質問がありましたからその話をします。
銀行でも判子を握っている人間が王様、実権を持っ
先ほどのデータのなかでも、ほとんどは身内です。
ている人間です。ということは、銀行の判子を私が握っ
一番安心できるからです。だけど他人にやるというの
た瞬間に事業主です。どの時点で握るか。親父が元気
は難儀です。自分の思うように動かないし、
自分が思っ
なうちは親父が握っています。しかしある日、突然親
ている通りにはいきません。娘、息子、身内ならば、
父が腹が痛いといって緊急入院をした。病院に胆石で
「俺の言うことを聞け、でなければ飯を食わさん」と
入院しまして、10日くらい病院に入った。それも確定
いってどやせば良いんですが、他人に飯を食わさない
申告の時期です。私ども税理士にとっては2月上旬か
と言っても、
「あんた出ていけば」と言われて終わり
ら3月中旬は大変なんです。そのときに入院した。そ
ます。すると、他人の場合は、自分がやっているのと
うすると機能が止まる。親父から病院からメモが来ま
同じことをやってくれると思ったら大間違いです。す
した。小切手帳はここにあって、毎月何日にはここに
るわけがないし、できるわけがない。自分の考えてい
いくら入れて、引き落としはこれがあるからと事細か
ることの8割をやってくれたら大成功。5割までいけ
な指示がくる。やれと。これで半分握った。もうこう
ばOKですよ。
なったら返しませんよ。一度握ったものは。退院して
自分の考えていることの半分ができればOK。そう
25
いう腹でいなければダメです。それを何でできないん
てくる人が経営をするかといったら、現実には難しい
だと突っ込んでもダメです。突っ込んだって仕方がな
でしょうね。ということで、それが質問の答えです。
い。それよりも、あなたのアイデアでもっと違うこと
をやってみなさいと言えば、自分が考えていないよう
松本 無茶ブリを大変失礼いたしました。
なことをやってくれたりする。そうやって人を育てて
では、若干別の角度からになるかと思いますが、今
いくわけで、人を育てるということは、部下を育てて
井先生は79年の生まれということで、継承される側の、
後継者に仕上げていく。これが社員から上がってくる
20代後半や30代の方々といろいろなご関係をお持ちだ
とダメなのは、サラリーマンをずっとやった人間が社
ということをうかがっております。お話の中でも、後
長をやれるかというと、やれません。やっても経営は
継者世代の立場からという側面をおっしゃっておられ
うまくいかない。やるのは一番良いのは、経営者とし
ました。その辺りを中心にお話しいただけますでしょ
ての意識を持っている人間でなければできません。そ
うか。
れは余所から引っ張ってこないと難しいと思うので
す。
今井 後継者教育というのは、やはりどこの会社も社
そうすると、自分の会社の内容が悪くなったときに、
長さんが頭を抱えてらっしゃる。私が診断士としてや
自分の会社を余所に売るという発想が出て来るわけで
らせていただいている強みは、若いことなんです。ど
す。しかし売るというときに、皆さん大体のところが
うして強みかというと、こういう依頼が最近多い。「う
思うのは、助けてくれると思って売るんです。ところ
ちの息子を何とかしてくれ。あなた世代近いから、育
が、買うというのはビジネスですから、完全にビジネ
ててやってくれ」という依頼です。いま専務である息
スライクで、徹底的に叩きます。徹底的に叩いて安く
子さんが、新規プロジェクトを立ち上げようとしてい
かう。だから義理も人情も何もあったものではありま
るけれども、一人ではおぼつかない。親子でやっても
せん。老舗だなんて言っても、金になっていなければ
喧嘩をするだけだから、あなたがついて助けてやって
ダメといって切られますし、将来性があるといっても、
くれという依頼が結構多い。それくらい、何とか後継
そんなものあるはずがないと言って切られます。とに
者を育てようとやってらっしゃる。
かく借金はお前がもて、退職金なんてふざけるなと言
その他にも、いろいろな後継者、2代目、3代目の
われてばさばさに切られてずたずたにされて、それで
方とも交流があります。長岡では青年経済人の集まり
どうにもならないといって会社を売り渡すという状態
というと、品川社長が初代会長をされた長岡商工会議
に入る。これが現実のM&Aです。そういう状態のな
所の青年部であったり、長岡青年会議所(JC)
。私
かでやるためには、こちらにきちんとしたノウハウが
はJCに入っているのですが、そこで、100人以上いらっ
あって、きちんと売るものがあって、向こうが欲しい
しゃるある会社さんの副社長をやってる方が、その青
といって、向こうから頭を下げて、あなたの会社を売っ
年会議所の理事長になられた。会社ではナンバー2、
ていただけませんかと来る、俺は売らない、じゃあこ
JCではトップ。
れだけ付けますから、じゃあ売ろう、という形で取引
その方が仰ったのは、組織の規模ではないと。自分
するしかない。そのくらいビジネスライクにやらない
はJCという組織のトップに立って、はじめてトップの
とM&Aは成り立たないんです。助けてなどくれるは
難しさが分かったと。ナンバー2ではダメだ。という
ずがない。
ことをおっしゃったのは記憶に残っています。何が違
M&Aは現実に色々ありますが、それで我々も実際
うかといえば、やはり最後の意思決定です。最後の意
にM&Aを手がけますが、そういうのはかなりの規模
思決定はトップがやる。その点先ほどの判子の話。判
のところがビジネスライクに動くだけです。だからそ
をつくのは本当の意味のトップです。そういう、最
こらの中小企業がM&Aといっても二束三文で買いた
終の意思決定の場を経験すると、人間は成長するので
たかれてほっぽり出されるのが関の山です。まあそれ
しょうね。
は名前が残れば良いかといって渡すと、名前などすぐ
事業承継の代表交代のタイミングは各社あるので
に変えますから残りません。それが現実です。
しょうが、やはり後継者教育を考えたときに、いかに
ということで、M&Aなどというのは聞こえが良い
人の上に立ってリーダーシップを発揮して、自分で意
けれども良いものではない。それから社員から上がっ
思決定をして物事を進めるか。そういう経験をいかに
26
させるか。それが会社内での新しいプロジェクト、社
ない。ただ私はたまたま社長の倅だったから殴られる
外で組織のリーダーをやるという経験が後継者教育に
ということはされませんでしたが、体で覚えろという
とっては重要になるのではないかと思います。
時代でした。
ある意味、いかに矢面に立つかというのは、人の成
いま振り返ってみますと、良かったとも思いますが、
長に大事な要素だと思うのです。今日は学生さんも来
いまの人達にそんなことをしても、多分事業は継承し
てらっしゃるので、どんどん矢面に立っていただくと
てくれないし、会社も技術、技能も継承してくれない
自分自身成長していくのではないかと思います。私自
だろうと確信しています。
身今日は矢面に立って、高野大先生の後にしゃべる。
いま非常に良いと思うのは、何故これをしないとい
でもやらないといけないんです。そうやって人間は成
けないのかということを教えると、非常に皆さん理論
長していくのではないかと考えております。
的に考えてくれる。40代前半までは。とくに20代半ば
から30代半ばまでは、何故かということを教えると、
松本 色々お話を伺いたいこと、あるいは広げたり深
非常に素直に聞いてくれるんです。理屈が分からない
掘りしたいテーマがあることは事実ですが、だんだん
と何故自分がこの仕事をしなければならないのかとい
お時間も終結に向けて迫ってきておりますので、いま
うことについて疑問を持つ。しかし理論、理屈を教え
までのお話も踏まえて、あるいは他から色々見たり
てあげて、あなたがやっている仕事はこれをやること
知ったようなケースもあろうかと存じます。繰り返し
によってとても良いできばえになるんだということを
でも結構ですが、事業承継を円滑に進めるためのポイ
教えると、そこから知恵を使うということについては、
ント、いままでに3人のお話あるいは小田島会長のお
私はチームで仕事をしろと言っているのですが、チー
話の中にもポイントが出てきていると思うのですが、
ムが活性化してくると、それと同じで、仮にいま私も
まとめに近くなってきていますから、いま一度、いか
倅、次男に後を継いでもらいたいと思っています。今
にお考えかをお聞きしたいと思います。
年のお盆に家族全員揃いましたから、再来年に長男が
大学院を修了し、次男が大学を卒業し、次男は大学院
●事業承継のポイントとは
に行きませんから、どちらが後を継ぐのかという話の
品川 自分が事業を継いで、これから後継者に譲らね
なかで、長男は自分がやっていることをもう少しやり
ばならないという立場になってきていることに気づく
たい、次男はお父さんの後を継ぎたいという話になり
ことが一番大切だと思っています。古い話をすると、
ました。ではお前はこれからプログラムを立てようと
10年前の話を昨日のことのように話せる年代になって
いう話で進めています。
しまっている自分に反省しています。
そのとき、仮に兄貴が途中から帰ってきた場合、次
30年前の話をしても、30年前に生きていなかった人
男に、
「お前は先に俺の後を継いでも、兄貴が社長だ」
というのはここにたくさんいる。30年という月日はも
と言いました。それは何故なのかと聞かれますよね。
のすごい長い月日で、それを昨日のことのように話し
それでは自分が一生懸命やった意味が無いではないか
てそれを伝えることは非常に難しいと思います。いま
と思われるかもしれませんが、これは品川家が代々引
会社にいて、いろいろな人と話をする機会を設けるよ
き継いできた家訓の中にあって、長男が継承すること
うにしているのですが、私が技術、技能を習ったとき
については当たり前の話だ。だけどお前が一生懸命勉
には、品川鋳造所も東芝も、誰も言葉でなんか教えて
強をして会社を継いでくれたら、こんなことをしてい
くれないんです。お前こんなこともできないのか、俺
こうよと。これも何故です。従業員と話をするときに、
の後についてこい、という職人の世界でした。東芝の
これをやるならこうしようという話をはじめたところ
鋳造部門といっても昔で言う「渡り職人」という人が
です。
たくさんいて、戦後渡り職人が東芝の社員になった方
すると、投げかけると、自分で自慢をするわけでは
がたくさんいた。非常に楽しい職場でしたが、ものを
ありませんが、投げかけたことで事業の継承がはじ
教えてくれるということについては、言葉では教えて
まってきているのではないか。先々週、10月30日に倅
くれない。
が先輩の結婚式で帰ってきたので色々話をしました。
ところが帰ってきて自分の会社に戻ってきても、お
「お父さん、俺が帰ってきたら何をして欲しい」と言
前は東芝で習ってきたんだからといって教えてはくれ
うんです。「お父さんの仕事は、僕が見ていると付加
27
価値が低いんで、僕が帰ってきたら付加価値を上げな
そのときに何を考えたかというと、一番のキーワー
いといけないと思う。その付加価値を上げるためにも
ドは、親父が足を引っ張るか引っ張らないかという話
う少し勉強させてくれ」と言ったんです。それで、
「お
です。だけど私が中小企業診断士の試験を受けると
父さん悪いけど、お父さんの資産と負債を教えてくれ」
言った瞬間、親父は喜びました。やる気になったかと。
と言うんです。何故かと聞いたら、「もし僕が帰って
それで中小企業診断士の試験を通って、それからまた
来なかったときに、弟が後を継ぐから、お父さんの資
世界が広がってきた。面白かったですよ。皆さん方も
産については全て弟にやってくれ」と。財産放棄をす
中小企業診断士という資格を取ってご覧なさい。面白
るからと。
いですよ。
財産といっても負債しかないから要らないと言った
中小企業診断士の資格をとったときから、税法だと
のかもしれませんが、それは全て弟に譲ってやってく
か法律をやっていたものが経営の世界に入った瞬間、
れという話をしました。私は甘いことを考えているわ
世界が広がった。その先に何があったかといえば、人
けではありませんが、やはり口に出して、言ってしま
間が見えてきた。我々がやっていることは人間なん
うということをまずしないとダメかなということを痛
だ。そう思った瞬間にもうひとつ見えたことがあるん
切に感じています。やはり有言実行が一番良いのでは
です。人間て弱い。もっと見えて来たのは、自分がい
ないかという気がしています。まだ成功していません
かに弱いか。結局、自分に勝つか、負けるか。自分の
からいずれ失敗するかもしれませんが。
弱さに負けるんです。結局なんだかんだ言っても、今
回はいいや、といって逃げてしまう。そうではなくて、
松本 ありがとうございます。家族会議の重要さはい
よしやろうと言って、そのときに口に出すんです。口
ろいろなところからうかがったところでもあります。
に出す。言った手前逃げられなくなりますから。する
会話のキャッチボールのなかから次に繋がっていく部
と今度は冷や汗をかく。冷や汗だけで終われば良いで
分、また新たな芽が創出するところだと思います。
すよ、それがみんな良い経験になる。今井君だって冷
や汗かきっぱなしだけど良い経験になるんだ。だから
高野 事業承継について自分が考えていたポイント
叩くことにしていますけどね。
は、やはり事業承継とかいうのは、自分がその気にな
そういう冷や汗をかいた中で力が出て来る、自信が
らなければ何もはじまらないんです。その気になると
付いてくる。自分に自信がついてくれば、あとはやる
き、私は、親父が税理士をやっていてそれで息子です
んだという気迫に繋がる。いじけていたら多分無かっ
から2代目です。税理士業界に入ると先輩が言うんで
たでしょうね。どこかで居直ったんでしょうね。その
す。「あんた2代目でいいね。俺なんか初代だよ」と。
なかで必ず悩んだときに弱音を吐くのは、嫁さんに言
私が悪いかのように言われる。
うんです。嫁さんは何を言うかといえば「やれば」と。
そのときに思ったんです。それは初代は初代で大変
冷めた言葉でね。ぐさっと突き刺さってね、居直って
でしょう、ご苦労様です。だけど私は2代目として、
また出ていくんです。男ってそんなものなんでしょう
初代として同じことをやる意味など何も無いわけで
ね。そういう中で、夫婦仲を悪くしてはアウトです。
す。それでは親父の人生は何だったんだということに
夫婦仲を維持して、嫁さんをたてながらやっていく。
なるわけです。すると私がやるべきことは、いわばカ
これをやれれば、後継者の中で、苦しいことがあった
タパルトの上に乗っているのですから、カタパルトか
としてもなんとかやっていけるんだろうな。私はそう
らうまく飛行して、エネルギーを使わずして次なるス
いう意味で、事業承継というときに、夫婦仲が良いか
テップに上がっていくのが私の仕事なんだ。初代は陸
悪いかは大きな影響です。ここがポイントのような気
地からやっとあがった。そこから私はさらに、ジェッ
がしますよということで、ポイントです。
ト機にロケットをつけるようなもので、次のステップ
に飛び出すことが私の仕事なんだ。そう考えたとき、
松本 最後の最後に本質が出てきたという気がしま
初代は初代でご苦労さんですね、まあ頑張ってくださ
す。では、一番大変かもしれませんが、今井先生にも
い。私は私なりの世界で大変なことがありますんでと。
ご発言をお願いしたいと思います。
そんなことを言ってもはじまらないんで、ああそうで
今井 私が一日お聞かせいただいて、キーワードがあ
すねと言っておいて自分の世界を進む。
28
るとしたら、向き合うということなのではないかと。
す。その辺り、支援体制、行政にしても商工会議所、
私自身はご支援させていただいている中で、事業所が
商工会、関係団体ではいろいろ作られてはいても、と
うまく行っているところと行っていないところの分岐
いうところだと思います。実態、課題を含めてお三方
点は、経営者、後継者がしっかりと事業承継に向き合っ
にコメントをお願いしたいと思います。
ているかどうかということが左右していると思いま
す。
品川 まるっきり私の個人の意見ですが、製造業全体
小田島会長の話で一番印象に残ったのは、交換ノー
の事業承継について、一番やらなければならないの
トをやってらっしゃること。娘さんと向き合ってらっ
は、辞める環境をつくってやらねばダメだということ
しゃっている。品川社長もいま息子さんと向き合って
です。事業を辞める環境をつくらなければ、第2次創
らっしゃる。うまくいっていないところは、お盆に帰っ
業も第2次起業も起きない。第三者保証や個人保証、
てきたからといって、うまく話せなかったということ
抵当権を提供しているから、辞めたくても辞められな
をよく聞きますね。「あいつも継ごうと思っているん
いという人がたくさんいるんです。辞めたくて辞めさ
だかよく分からないんだよね」という話はよく聞きま
せてあげられれば、創業起業が少なくなっているとか
す。それではうまくいきません。しっかり事業承継の
M&Aの話があるんですが、もし合併できていたら、
問題に気づき、そしてそれに向き合うということが事
負債を背負うことなく、技術と証券を合併できていっ
業承継で一番大事だと思った点です。
た中小企業同士は、これは経産省も進めているところ
ですが事例としては1件くらいしかない。
松本 ありがとうございました。いろいろ具体的なお
日本がこれからどういう中小企業を目指さねばなら
話を含めて、広げつつ、また深掘りしつつ、その先に
ないかというと、私達の企業からいくと、やはり規模
見えるのが本質であるというのは、フロアの皆さんも
を求めなければダメです。1件あたりの規模を求めて
御理解、ご認識いただけたのではないかと思っており
いかないと、ドイツ型の企業、ドイツは鋳物では世界
ます。
最高の先進地ですから、鋳物屋でドイツで100人未満
時間ではありますが、せっかくですから、小田島会
のところはほとんど無い。事業を大きくしていって、
長はおいでではありませんが、お三方のお話、ご見解
そのなかにいろいろな、鋳物だけでなく設計、機械、
について、ご質問、コメントを頂戴したいと思います。
ものをまとめる部門があるというふうに目指していか
ないと、人材も育たない。先生、保護者に相談されて、
●行政・産業界の支援のあり方と関わり方
仮に品川鋳造とパナソニックの両方受かったとき、ど
原田 今日の話は、基本的にはミクロ、各企業でした。
こへ行ったら良いでしょうかといったら、100パーセ
それを支援する社会的インフラをどうするかというこ
ント、パナソニックに行きなさいとなる。そうすると、
とが問われている。今日の資料でも、商工会議所はマッ
製造業の魅力、中小企業の魅力をつくってくるには、
チングですから、この仕組みを作るということ。社
国のインフラ整備は、私は辞めやすい環境と一緒にな
会的インフラとしては、マッチングを相談会のように
れる環境をつくらなければ中小製造業は我慢に我慢を
やってもダメだと思います。これについて。例えば品
重ねて倒産するか、我慢に我慢を重ねて倅に継がない
川さんの場合にはNAZEとかやられているわけで、そ
で良いよと言うという話が現実として起こると思いま
ういうところでどういう支援をすれば良いのか。
すので、重要だと思っています。
いま、開業率よりも廃業率の方が高くて、新潟県は
開業率は全国で下から2番か3番。どんどん会社が
松本 地域というよりは日本全体の課題だと思いま
減っている。そのなかでの企業継承が問題です。個別
す。
の企業としては今日議論されたようなことなのです
診断士として、あるいは産業団体でお仕事なさって
が、それをもっと社会的に、地域経済の振興というと
いるという部分も含めて、高野先生、今井先生の順で
ころでやる、インフラとして事業継承問題はどういう
お願いします。
条件を制度化すれば良いのか、一言ずつお聞きしたい。
高野 私が企業再生協議会というところでお手伝いし
松本 実は今日の論点に入っていたテーマでもありま
ているのですが、企業再生ということでどんなことが
29
できるのか。色々やってみると分かるのですが、借金
ます。この前お手伝いした例では、70代の創業者の方
でガチガチになっているところで、いわゆる伸びる要
が、長男に継がせたいのだけれども、社長さんからみ
素があり、会社を潰すことで社会的影響が多いならば、
ると長男はだらしない。それで従業員さんに継がせた
銀行の債権を検討していただいて、その会社を建て直
いと思っているのだがという話がありました。
しましょうということでどうしたら良いかということ
そこで、従業員さんに承継する場合のメリット、デ
で、どうしたら良いかと。
メリット、長男に承継した場合のメリット、デメリッ
確かに仕組みはいっぱい考えられているのですが、
トと、どちらも両面あるんですが、そこを整理してお
現実には、社会的影響が大きいところといえば、大き
伝えしました。そうしたら社長さんは頭がすっきりし
なところしか結局相手にされていないんです。小さい
たと。俺は長男に継がせる、長男を育てねばならない
ところは、補助金行政でカネをばらまかれて長続きを
といって喜んでいただいた経験をしました。
する、いまならば仕事がないからといって公共事業の
支援機関、それが金融機関、行政、商工会議所等でも、
発注をかけて道路工事をやっていますが、それで息が
まずはそういった相談の機会をつくらないといけない
繋がったと。あれは輸血しているだけで、死に体に輸
と思いますし、現状の課題をしっかり整理して、方向
血して、また血が切れたら輸血してくれと。これが繰
性を一緒に考えていくという支援。それをやってくれ
り返しになる。とにかく補助金、補助金。
る人はなかなか居ない。親子で話し合えば喧嘩になる
そうじゃないんです。そもそも死んでるんです。そ
だけですから。そういった中立的な立場に立って整理
れを、私はもうあなた死んでるんですよ、死んでいる
して、方向性を導いてあげる支援が必要ではないかと
人間がいつまでもそこにいて大きな子になっちゃダメ
考えております。
なんだ。あの世に行かなきゃダメなんです。それが正
しいことなんだと思うんです。でもそんなことは言え
松本 ありがとうございます。いろいろなポイントが
ないんです。言えないけれど、それを言うのが、私は
出てきたのではないかと思います。最後の閉めるとい
中小企業診断士という仕事をやりながら色々見て、あ
うことを含めた体制整備もあるのですが、日常のなか
なたの会社はもう辞めなさいと断言する。すると仲間
での気づき、向かい合い、腹を割ったコミュニケーショ
はあいつは冷酷無情だと言われるんですが、私はか
ンは、親子、家族、従業員もろもろで日々一歩一歩展
えってそれが本人のためになると思っていますし、そ
開していくことで、承継という場面でスムーズに次の
ういう例をいっぱい見ていますから、そこで肩の荷を
ステップにいけるのではないかと感じた次第です。
下ろしてあげること。辞め方も気持ちよく逝くかぐず
まだまだお話は尽きませんが、10分近く超過してお
ぐず逝くかがありますから、気持ちよく逝っていただ
ります。この辺でシンポジウムを終結したいと思いま
く。そしてその後なんとか生活できるようなことを考
す。長岡大学としては人間経営学科を持っております
えてあげるというフォローが大事。そういうことを言
ので、承継の問題にはこれからも取り組んでまいりた
う人がいないのですが、そういうことをやるのが我々
いと思っております。井本さんが論文を書くと言って
中小企業診断士なのではないかと思っています。
おりますので、ご期待いただきたいということと、あ
もうひとつは女性です。これからのキーワードは女
とは教育の面ですと、夢想に近いのですが、「若旦那
性ですから、女性をどう活かすか、どういう意識を持っ
養成コース」などつくってみたいと考えております。
てもらうか。先ほどから出ているのは全部男の話です。
これは決意表明ということを含めて、今後の地域の持
長男だからとか。だけど、これからの時代はものすご
続的発展には欠かせないポイントだと思います。大学
いキーワードになっていますから、女性に対してどう
としては、皆様と密接に連携をとりながら進めて参り
あるべきかというその仕掛けをもう少し整備していか
たいと思います。今後ともなにとぞよろしくお願いし
ないと、我々は早めに意識しなければならないと感じ
ます。
ています。
では、これをもちましてシンポジウムを終結させた
いと思います。長らくのご静聴感謝いたしますと共に、
今井 支援者と支援機関。私の経験として、経営者の
3人の皆様に拍手をお送りいただきたいと思います。
方が事業承継に悩んでいるときに、課題を整理してあ
どうもありがとうございました。
げると、自分自身で答えを導き出すということがあり
30
論稿
東日本大震災と産業の再生
原 田 誠 司
長岡大学教授 はじめに
1 若干の経緯-3・11 以降の復興の動向について-
2 大震災の被災状況-9月時点-
3 復旧・復興の視点と方向
(1)被災者再建と地域・コミュニティ主体の復興
(2)<減災>の地域づくり
(3)産業再生とグローバル競争力強化
(4)特区形成と新しい東北圏
はじめに
2011年3月11日午後2時46分、M9.0の大地震が東日本(東北関東地域)を襲った。当日、筆者は川崎市産業振興
会館で開催予定の新産業政策研究所イノベーションシステム研究会の開始(15:00)直前の時点で直撃された。研
究会は当然にも中止。しかし、当日は帰宅できず、川崎駅東口地下のAZERIAで一晩を過ごすことになった。
いわゆる帰宅難民であった。
しかし私の経験など何の問題ではなく、多数の方々が大津波で亡くなられた。AZERIAで携帯のニュースを
みながら大災害であることを認識した。今回の大震災で亡くなられた多数の方々のご冥福をお祈りします。また、
被災された膨大な住民の方々、企業、自治体が甚大な被害を被りました。皆様の一日も早い生活再建、復旧、復興
を祈念いたします。
本稿は、研究会での報告(7月22日の宇都宮共和大学シンポジウムおよび9月30日の上記イノベーションシステ
ム研究会での講演資料)をベースに、震災6ヶ月時点での大震災の影響と大震災からの再生、とくに国土形成-産
業の再生について、私見を整理したものである。
1 若干の経緯-3・11以降の復興政策の動向について-
(1)経緯
まず、大震災発生以降の政府の復旧・復興対策の経緯をみておきたい。大きくは次の通りである。
・2011年3月11日午後2時46分-東日本大震災(M9.0)…大地震、大津波、原発事故勃発
*5月2日-第一次補正予算成立・総額4兆153億円
・6月24日-「東日本大震災復興基本法」成立
・6月25日-東日本大震災復興構想会議(議長:五百旗頭真氏)が「復興への提言~悲惨のなかの希望~」発表
*7月25日-第二次補正予算成立・総額1兆9,988億円
・8月11日-東日本大震災復興対策本部「東日本大震災からの復興の基本方針」発表
*8月26日-特例公債法、再生可能エネルギー特別法成立。同日、
菅首相退陣表明、
9月2日野田佳彦内閣発足。
31
以上、大震災発生から6ヶ月を経て、やっと、基本方針発表という段階までこぎつけた。だが、政府=民主党政
府の対応は「遅い」という印象が一般化した。しかし、筆者は別に民主党の肩を持つわけではないが、
「遅い」とは
思わない。日本の縦割り官僚主導の政府の対応はこんなもんだと思う(政治主導と言いながら官僚を動かせない民
主党の政治主導の限界でもあるが)。逆に言うと、国民・住民はそんなに政府に依存するなということだ(これは自
民党政府時代も同じ)。
(2)復興基本法のポイント
さて、復興の憲法とも言うべき復興基本法には何が述べられているのか。そのポイントを整理しておきたい。次
の通りである。
①基本理念(第2条)…震災復興は、単なる災害復旧にとどまらない復興の推進により、
「新たな地域社会の構築
がなされるとともに、21世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して行われるべきこと」
。この表現は当たり前と
思うが、識者のなかには、これは「道州制をもくろむもの」でありけしからん、という評価をする人もいる。筆者は、
むしろ逆に、「新たな地域社会」や「21世紀半ばにおける日本のあるべき姿」が、明確に<道州制への移行>として
政治のレベルにあがってほしいと思う。そうした政治の進展がない、あるいはできない現状の政治能力の低下の方
が問題だと考えるべきだと思う。
②資金(第7・8条)…復興予算のため、「復興債」を発行する。他の公債と区分・管理し、
「あらかじめ、その償
還の道筋を明らかにするものとする」。この考え、位置づけは、GDPの2倍近い借金(赤字国債)が積み上がって
いる政府財政の現状を見れば、正しい。だが、政治的思惑から(次の総選挙で当選できるかどうか)
、おそらく、<
現世代だけでの増税>という理想は腰砕けになるのではないか。これを突破して、増税できれば、野田内閣は評価
されよう。
③復興特区(第10条)…「被災地域の地方公共団体の申出により、区域を限って、規制の特例措置その他の特別措
置を適用する制度」=復興特別区域制度(復興特区)を設置。復興特区については、住居の高台移転のための土地
利用規制緩和などだけでなく、少子高齢化とグローバル経済時代における東北圏の競争力形成を目標にした特区を
めざすべきである。したがって、被災地域の申請によるだけではない展望を広範に募る必要があろう。
④推進組織(第11条)…「東日本大震災復興対策本部」を置く。同本部は、(第12条)「東日本大震災復興基本方針」
の企画・立案・総合調整を行う。(第13条)同本部長は首相をあてる。
(第17条)現地対策本部をおく(3県ごと)
。(第
18条)本部に「東日本大震災復興構想会議」をおく。この推進組織は一応、この通り進められているが、特区を東北
圏全体に広げるとすれば、もう1つの推進組織が必要になる。
⑤今後の組織(第24条)…上記対策本部等の機能を引き継ぐ組織として、
「復興庁」を「できるだけ早期に設置する」。
復興庁を単に政府予算の配分・執行機関とするか、より広範な機能・権限を持たせるか、特区設定との関係も含め、
早期に検討する必要がある。
(3)復興への提言
復興基本法と対に発表された東日本大震災復興構想会議の「復興への提言」は、復興の具体案ではなく、基本的
な視点と方向性を提示したものである1)。
なかでも最も重要なのは、次のような復興7原則であり、この原則が以後の「基本方針」等の柱になる。
・原則1‥「失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点で
ある。」
・原則2‥「被災地の広域性・多様性を踏まえつつ、地域・コミュニティ主体の復興を基本とする。国は、復興
の全体方針と制度設計によってそれを支える。
」
・原則3‥「被災した東北の再生のため、潜在力を活かし、技術革新を伴う復旧・復興を目指す。この地に、来
るべき時代をリードする経済社会の可能性を追求する。
」
・原則4‥「地域社会の強い絆を守りつつ、災害に強い安全・安心のまち、自然エネルギー活用型地域の建設を
進める。」
32
・原則5‥「被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はな
い。この認識に立ち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す。
」
・原則6‥「原発事故の早期収束を求めつつ、原発被災地への支援と復興にはより一層のきめ細やかな配慮をつ
くす。」
・原則7‥「今を生きる私たち全てがこの大災害を自らのことと受け止め、国民全体の連帯と分かち合いによっ
て復興を推進するものとする。」
この7原則は、復旧・復興の基本的考え方として基本法理念を支える役割を担うものであろう。その上で、
「提言」
で示された復旧・復興のポイントは、次の5点にまとめられる。
①<減災>の考え方に立った地域づくり、②地域・コミュニティ主体の復興、③地域経済再生-イノベーション
とインフラ、④経済社会の再生、⑤原子力災害からの復興
(4)復興の基本方針
基本法第3条に基づく復興取組の基本方針の概要は、次の通りである。
①考え方…復興を担う行政主体は市町村であり、
国は「市町村が能力を最大限発揮出来るよう」支援する。県は「広
域的な施策」の実施と市町村の連絡調整・補完を行う。基本法の基本理念、復興7原則にのっとって取り組む。
②復興期間…平成23年度から10年間、前半5年間=集中復興期間とする。
③復興支援…国の総力をあげた取組みを行い、復興特区制度、使い勝手のよい交付金制度等を検討する。
④事業規模…前半5年間19兆円、10年間総額23兆円を想定する。
⑤財源確保…前半5年間は歳出削減、資産売却、時限的税制措置等により13兆円確保(第一次・二次補正合計
6兆円)。第三次補正予算で、復興債発行(通常国債と区別)
、税制措置(基幹税等、現在世代で負担)
。
⑥復興施策…災害に強い地域づくり(減災、土地利用、居住安全、市町村計画策定人的支援)
、地域の暮らし再生(支
え合い、雇用、教育復興人材等)、地域経済活動再生(企業資金繰り、イノベーション拠点形成、農・林・水産業、観光、
生業支援、二重債務、交通・物流・情報、再生エネルギー産業、環境先進地域、ガレキ処理)
、原子力災害からの復興(除
染、賠償、医療産業拠点、再生エネルギー拠点、研究機関等)
、復興庁の早期発足。
9月末時点で、政府・民主党の第三次補正予算の枠が11兆円程度と公表されたが、決定時期等は全く不明である。
(5)第一次・第二次補正予算
これまでの第一次・二次補正予算の概要をみておく。
①第一次補正…歳出4兆153億円。 *財政投融資計画-4.3兆円追加
★歳出…災害救助等(10万戸の仮設住宅等)4,829億円、災害廃棄物処理(ガレキ等処理)3,519億円、災害対応公
共事業(河川、道路、空港、水道等インフラ)1兆2,019億円、施設災害復旧費等(学校、医療等、農林、警察等)4,160
億円、災害関連融資等経費(中小企業等再建融資、災害復興住宅、農林漁業再建等)6,407億円、地方交付税交付金1,200
億円、その他経費(自衛隊・消防・警察等活動経費、養殖施設復旧、被災者生活再建支援金、雇用、被災児童等)8,018
億円 ★歳入…基礎年金国庫負担、こども手当、高速無料化減額
②第二次補正…歳出1兆9,988億円。
★歳出…原子力損害賠償法等経費(補償金、健康基金、モニタリング、除染等)2,754億円、被災者支援関係費(二
重債務対応、生活再建支援金等)3,774億円、予備費8,000億円、交付税交付金5,455億円 ★歳入…前年度剰余金
第三次補正予算では、第一次・二次で回避してきた復興債=復興増税(9月末の政府・民主党案では9.2兆円~
11.2兆円)の取り扱いが大きな焦点となる。
2 大震災の被災状況-9月時点-
(1)県別被害
東日本大震災は、巨大地震(マグニチュード9.0、史上第4位の規模)、巨大津波(最大遡上高38.9m)および津波
33
による原発事故(東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン)の3つが重なった、史上初の広域(東日本地域)
巨大震災であった。おおよその被害状況をまず確認しておきたい2)。
図表1によれば、次のような被害状況を確認できる。
まず、死者・行方不明者総数は、約2万人(死者約16,000人、行方不明約4,000人)にのぼり、行方不明者の捜索が
続いている。住宅被害は、全壊・半壊合わせて約30万戸(全壊約120,000戸、半壊約180,000戸)にのぼり、一部損壊
も約59万戸と巨大であった。浸水家屋は約2.5万戸にのぼる。非住宅(事業所・公共施設等)被害も約4.7万戸ののぼる。
さらに、道路損壊、堤防決壊、鉄軌道損壊など社会的インフラの被害も巨大であった。
県別にみると、岩手、宮城、福島3県の被害が大きく、なかでも宮城県の被害は大きく、死者・行方不明者数、
住宅被害、非住宅被害および道路・堤防・鉄軌道損壊など社会的インフラの被害全てで巨大であった。こうした巨
大な被害の多くは、岩手県から千葉県の太平洋沿岸部を襲った巨大津波によっている。茨城県、千葉県の沿岸部も
大きな被害を被った。地震の被害では、内陸部の栃木県で大きく、液状化現象は沿岸部(千葉県)
、内陸部(埼玉県)
でも発生した。
図表1 平成 23 年東日本大震災の被害状況(9月)
北海道
青森県
岩手県
宮城県
福島県
秋田県
山形県
茨城県
千葉県
東京都
神奈川県
群馬県
栃木県
埼玉県
その他
合計
死者
1
3
4,662
9,473
1,604
0
2
24
20
7
4
1
4
0
0
15,805
行方不明
0
1
1,654
2,141
241
0
0
1
2
0
0
0
0
0
0
4,040
全壊
0
307
20,209
75,391
17,724
0
37
2,783
797
0
0
0
262
0
0
117,510
半壊
4
851
4,529
91,411
48,814
0
80
20,650
9,085
11
7
7
2,083
5
0
177,537
一部損壊
7
107
7,135
172,788
139,173
3
0
158,122
30,254
257
279
16,154
64,155
1,800
17
590,251
浸水家屋
874
0
2,084
18,050
401
0
0
2,333
1,480
0
0
0
0
1
30
25,253
非住被害
469
1,195
4,148
27,394
1,052
3
0
11,877
615
20
1
195
295
33
16
47,313
道路損壊
0
2
30
390
19
9
21
307
2,343
13
0
7
257
160
1
3,559
堤防決壊
0
0
0
45
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
45
鉄軌道
0
0
0
26
0
0
0
0
1
0
0
0
2
0
0
29
(注1)単位は次のとおり。死者、行方不明は人。全壊、半壊、一部損壊、浸水家屋、非住家被害は戸。道路損壊、
堤防決壊、鉄軌道は箇所。
(注2)浸水家屋=床上浸水+床下浸水、道路損壊=道路損壊+橋梁被害+山崖崩れ
(注3)資料出所は、警察庁緊急災害警備本部。平成 23 年9月 22 日発表の広報資料。
(2)地域別被害状況
最も被害の大きかった岩手、宮城、福島3県の沿岸部の地域別の被害状況の概要をみると、図表2~4の通りで
ある。
①岩手県
図表2-1、2-2から明らかなように、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市の6市町は、
大津波により大きな被害を被った。死者行方不明者数は、岩手県全体で7,000人を超えた。市町別の死者行方不明者
数では、陸前高田市が2,000人を超え最も多く、大槌町と釜石市も1,000人を超えた。なかでも、大槌町では死者行方
不明者数が人口の10%を超えた。
さらに、大津波によりこの6市町沿海部の市街地はほぼ壊滅状態に陥った。宮古市・田老港、釜石港および大船
渡港では防波堤・防潮堤が破壊され、大津波が市街地を襲った。
なお、沿岸部地域は、1次産業(農業・漁業)が中心で、
高齢化が進み、
過疎指定地域も多くなっている(図表2-2)。
34
図表2-1 市町村別被害状況①-岩手県-
(出所)
「復興への提言」より。
以下図表3−1~4−1も同じ
図表2−2 市町村別被害状況②-岩手県-
人口
(人)
洋野町
久慈市
野田村
普代村
田野畑村
岩泉町
宮古市
山田町
大槌町
釜石市
大船渡市
陸前高田市
上記小計
岩手県
死者行
方不明
数 (人)
死者行
方不明
数割合
(%)
65 歳以
上人口
割合 (%)
第1次
産業割
合 (%)
0
4
38
1
36
7
770
871
1725
1305
468
2149
7374
0
0
0.8
0
0.9
0.1
1.3
4.4
10.5
3.2
1.1
8.8
2.6
28.1
25.2
28.7
31.1
31.4
36.7
29.1
30.7
31.1
34
30.4
33.4
22.8
12
20.5
21.3
24.7
24.5
10.6
20.4
9
8.4
11.5
16.4
26.4
13.7
19,790
38,569
4,936
3,150
4,072
11,489
57,912
19,684
16,376
41,038
41,398
24,457
282,871
1,355,205
主な被害状況
防潮水門・防潮堤が効果発揮。被害ナシ
田老港・10 mの防波堤破壊。鍬ケ崎壊滅
津波・火災で市街地壊滅。
津波で市街地壊滅。町長死亡。
世界最深の湾口防波堤が津波で破壊。
湾口防波堤が津波で破壊。市街地被災
津波で市街地壊滅。
(注)人口、65歳以上人口は平成21年3月住民基本台帳人口。産業割合は平成17年度国勢調査
就業者数も割合。
②宮城県
図表3-1、3-2から明らかなように、沿岸部の15市は大津波で大きな被害を被った。なかでも、気仙沼市、
南三陸町、石巻市、女川町、東松島市、仙台市、名取市の7市町の人的・物的被害は大きい。死者行方不明者数は、
宮城県全体で14,000人を超えた。市町別の死者行方不明者数では、石巻市が5,000人を超え最も多く、他の5市町(仙
台市除く)は1,000人を超えた。
35
さらに、大津波により、気仙沼市、南三陸町、石巻市、女川町、東松島市5市町の沿岸部市街地は壊滅状態の被
害を被った。平野部の仙台、名取両市の沿海部も被害は甚大であった。
なお、気仙沼市、南三陸町、石巻市、女川町、東松島市など被害の大きかった沿岸部地域は、1次産業(農業・漁業)
の割合も高く、高齢化が進んでいる(図表3-2)
。
図表3-1 市町村別被害状況①-宮城県-
図表3-2 市町村別被害状況②-宮城県-
人口
(人)
気仙沼市
南三陸町
石巻市
女川町
東松島市
松島町
利府町
塩竃市
七ケ浜町
多賀城市
仙台市
名取市
岩沼市
亘理町
山元町
上記小計
宮城県
75,725
18,035
165,099
10,411
43,506
15,694
33,725
58,097
21,094
62,861
1,006,522
70,868
44,271
35,703
17,095
1,678,706
2,330,989
死者行
方不明
数 (人)
死者行
方不明
数割合
(%)
65 歳以
上人口
割合 (%)
第1次
産業割
合 (%)
1489
1183
5795
1031
1236
4
3
22
72
187
879
1031
183
268
734
14117
2
6.6
3.5
9.9
2.8
0
0
0
0.3
0.3
0.1
1.5
0.4
0.8
4.3
0.8
29.5
29
26.3
33.2
22.2
29.3
15
26.1
21
17.5
18.2
18.9
18.9
22.4
30.1
12.4
26
10.1
15.8
10.4
7.2
2.7
1.4
4.4
1.4
1.1
6.3
3.8
11
14.3
21.8
6.2
主な被害状況
津波・火災で市街地ほぼ壊滅。
津波で市街地壊滅。役場流失。町職員死亡
津波で中心市街地壊滅。日本製紙操業不能
津波で中心市街地壊滅。女川原発停止
津波で市街地壊滅。仙石線被災
津波被害比較的軽微
津波被害比較的軽微
津波被害比較的軽微
津波被害。ガス精油所爆発
津波被害
宮城野区、塩釜港、若林区が津波被害大
臨海関上地区津波被害大。仙台空港被害
津波被害
津波被害
津波被害
(注)人口、65歳以上人口は平成21年3月住民基本台帳人口。産業割合は平成17年度国勢調査
就業者数も割合。
36
③福島県
図表4-1、4-2に見るように、福島県の沿岸部10市町も、大津波により被害を被った。なかでも、新地、相馬、
南相馬、浪江、いわきの5市町の被害は大きかった。死者行方不明者数は県全体では2,000人弱、市町別では南相馬市
の死者行方不明者数が約700名で最も多い。岩手、宮城両県ほどではなかったにしろ、大津波による被害は大きかった。
何と言っても、大津波により引き起こされた福島第一原発の爆発・放射能事故(大熊町)は世界に大きな衝撃を
与えた。浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町の6町は役場・住民が町外・県外に避難せざるをえな
い事態となった。福島第一原発直近周辺の「警戒区域」
(半径20km圏内)は立ち入り禁止とされ、南相馬市・川内村
図表4-1 市町村別被害状況①-福島県-
図表4-2 市町村別被害状況②-福島県-
人口
(人)
新地町
相馬市
南相馬市
浪江町
双葉町
大熊町
富岡町
楢葉町
広野町
いわき市
合計
福島県
8,505
38,634
71,999
21,748
7,260
11,154
15,894
8,139
5,499
351,756
540,588
2,063,768
死者行
方不明
数 (人)
死者行
方不明
数割合
(%)
65 歳以
上人口
割合 (%)
第1次
産業割
合 (%)
114
458
706
180
35
57
20
13
3
354
1940
1.3
1.2
1.0
0.8
0.5
0.5
0.1
0.2
0.1
0.1
0.4
26.6
24.9
25.7
25.6
26.1
19.5
21.1
25.7
22.6
24
15.3
11.5
8.9
10.3
9.6
8.8
6.3
8.3
5.5
4.2
24.1
9.2
主な被害状況
津波被害。新地駅停車列車流失
松浦漁港被害大
津波被害大。原町火電被害。避難準備区域
請戸漁港津波被害。原発事故で町外避難
原発事故で役場・住民町外避難
福島第一原発事故。役場・住民町外避難
原発事故で役場・住民町外避難
原発事故で役場・住民町外避難。第二原発
原発事故で役場・住民町外避難。広野火電
海岸部で津波被害大
(注)人口、65歳以上人口は平成21年3月住民基本台帳人口。産業割合は平成17年度国勢調査
就業者数も割合。
37
の一部と浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町の5町はこの区域内に含まれる(人口約78,000人)
。さらに、半
径20km ~ 30km圏は「緊急時避難準備区域」(非常時に備え屋内退避・域外退避ができるよう準備する地域)に指定
され、南相馬市、田村市、川内村、広野町が含まれる(人口約58,500人。10月1日に一応指定解除)。さらに、風の
向きで放射線の累積が多い浪江町・川俣町・飯館村地域が「計画的避難地域」
(半径20km ~ 50km圏のうち年間累積
放射線量が20mSvをこえそうな地域)に指定された(人口約10,000人)
。
福島第一原発の爆発・放射能事故は原子力災害としても最大の災害(レベル7)であり、地震・津波からの復興
とは全く異なる対策を必要としており、9月の時点でも解決の方向は極めて不透明である。第一原発原子炉の安定
的な冷温停止は何時か、蓄積した汚染水はどう処理するか、廃炉の工程は、平成24年春には日本の原発全てが点検
のため稼働停止状態になるが電力不足にならないか、停止原発の再稼働はどうなるか、再生エネルギーは原発に代
替できるか、広域に拡大した放射線汚染エリアの除染をどうするのか、損害賠償をどこまで行うのか、そして、「警
戒区域」や「計画的避難地域」に指定され避難している住民は何時帰れるのか・帰れないのか、など数え上げれば
きりがないほど課題は多い。しかも、早急な対応が迫られている。
(3)産業面の被害状況
産業面の被害状況は、大きく、①沿岸部における農業、漁業及び素材系製造業・中小企業、②内陸部の電子・自
動車等製造業に大別される。
①農業・漁業
岩手、宮城、福島3県の農業は津波浸水により膨大な被害を被る。図表5によれば、津波による海水の浸水被害
耕地面積(農地)は、全体で約24,000haにのぼる。なかでも、宮城県の被害耕地面積は約15,000ha、耕地面積の40%
を超える甚大な被害となった。被害額も全体で7,000億円、宮城県だけで約4,000億円にのぼり圧倒的に多い。
漁業の被害も大きい。岩手、宮城両県の漁港は、ほとんど被災し、使えない。ほとんどの漁港が50 ~ 80cmの地盤
沈下を起こしており復旧が進まない。漁船も、岩手県は約6,000艘弱、宮城県は約12,000艘が、津波で流され、壊滅状
態のままだ。漁業被害額も岩手県が約1,400億円、宮城県は約6,000億円弱の巨額にのぼる。
図表 5 産業面の被害状況①
被害耕
地面積
(ha)
青森県
岩手県
宮城県
福島県
茨城県
千葉県
その他
合計
79
1,838
15,002
5,923
531
227
0
23,600
被害耕 被災漁
地面積
港数
(%) (箇所)
0.4
11.7
41.9
20.1
2.4
0.6
0
14.5
18
108
142
10
16
13
0
307
津波で被災した主な漁港
三沢、八戸
山田、大槌、釜石、大船渡
気仙沼、女川、渡波、石巻、塩釜
松川浦、請戸
平潟、大津、久慈、那珂湊、波崎
銚子、千倉
非被災 被災漁 農業等 漁業被
漁港数
船数
被害額
害額
(箇所) (隻) (億円) (億円)
74
3
0
0
8
56
0
141
617
5,726
12,011
873
249
335
907
20,718
4
261
3,842
2,363
388
152
128
7,138
154
1,387
5,739
810
449
33
451
9,023
(注1)耕地被害面積=推定値、被害面積割合=青森県~千葉県の太平洋岸市町村の耕地戦績
に占める推定被害面積割合。
(注2)資料は農林水産省資料。平成 23 年5月末現在
②製造業
図表6は、比較的大規模の製造業事業所をリストアップしたものである(出所は新聞報道等による)
。
岩手、宮城、福島3県の沿海部の大手工場は、素材系・食品系が多く、損壊が大きかったため、復旧には年後半
までずれ込むとのこと。製紙工場(三菱製紙、日本製紙)
、ビール工場(キリン、アサヒ)
、セメント(太平洋)など。
38
図表 6 産業面の被害状況③-主な被災工場等-
青森県
岩手県
宮城県
福島県
茨城県
栃木県
八戸市
釜石市
北上市
金ヶ崎町
大船渡市
登米市
大崎市
石巻市
石巻市
大衡村
大衡村
松島町
多賀城市
仙台市
仙台市
名取市
蔵王町
本宮市
伊達市
西郷村
いわき市
いわき市
いわき市
日立市
ひたちなか市
かすみがうら市
取手市
守谷市
鹿嶋市
鹿嶋市
足利市
小山市
上三川町
芳賀町
紙パ
素材
電機
自動車
素材
電機
電機
紙パ
食品
自動車
自動車
電機
電機
食品
食品
食品
電機
食品
電機
素材
素材
紙パ
自動車
電機
電機
機械
食品
食品
素材
素材
薬品
電機
自動車
自動車
三菱製紙八戸工場
新日本製鐵釜石製作所
岩手東芝エレクトロニクス(株)
関東自動車金ケ崎工場
太平洋セメント
村田製作所登米工場
アルプス電気大崎工場
日本製紙石巻工場
マルハニチロ石巻工場
関東自動車大衡工場
セントラル自動車宮城工場
東京エレクトロン宮城
ソニーグループ
キリンビール仙台工場
マルハニチロ仙台工場
サッポロビール仙台工場
宮城ニコンプレシジョン
アサヒビール福島工場
富士通アイソテック本社工場
信越化学工業
三菱マテリアル
いわき大王製紙
日産自動車いわき工場
日立製作所
ルネサスエレクトロニクス那珂工場
日立建機
キリンビール取手工場
アサヒビール茨城工場
住友金属工業鹿島製鉄所
三菱化学鹿島事業所
田邊三菱製薬
村田製作所小山工場
日産自動車栃木工場
本田技術研究所
製紙
タイヤ用銅線
半導体
自動車車体
セメント
電子部品
電子部品
製紙
水産食品
自動車車体
自動車組立
半導体製造装置
光学部品
ビール
水産食品
ビール
液晶パネル
ビール
パソコン
半導体素材
銅精錬
製紙
自動車エンジン
発電タービン等
半導体
建設機器
ビール
ビール
船舶用鋼板
エチレン
製薬
電子部品
自動車組立
自動車開発
(出所)新聞等より原田作成。5月末時点
茨城県では、鹿島臨海工業地帯の金属、化学の大工場が大きな被害をこうむった。
他方、内陸部の工場では、岩手・茨城両県の半導体工場、岩手・宮城両県での系列自動車工場、福島・栃木両県
での自動車組立工場が被災し、大手自動車メーカー(トヨタ、日産、ホンダ等)の生産が停止する。6月にほぼ復
旧するが、いわゆるサプライチェーンの危機が顕わになった。エレクトロニクス・半導体(ソニー、ルネサステク
ノロジー)なども秋に復旧の予定。
これら以外に津波で流された中小企業も多いと思われるが、早急の調査が必要である。
図表7は、製造業の資本ストックの被害額推計を示したものである。これによれば、岩手、宮城、福島、茨城4
県の推定被害総額は約1兆6,000億円、そのうち沿岸部製造業の被害が約1兆円、内陸部が6,000億円超である。岩手、
宮城、茨城3県は沿岸部の被害が大きい。とくに、岩手県は沿岸部企業の被害が60%近くにのぼる。
39
図表7 製造業の資本ストック被害額推計 (単位:10 億円)
岩手県
宮城県
福島県
茨城県
合計
内陸部
推定ストック 推定被害
1,534
64
1,910
148
4,597
262
5,441
175
13,482
649
沿岸部
推定ストック 推定被害
326
191
1,252
290
996
151
4020
355
6,594
987
合計
推定ストック 推定被害
1,860
255
3,162
438
5,593
413
9,461
530
20,076
1,636
内陸部
4.2%
7.7%
5.7%
3.2%
4.8%
被害割合
沿岸部
58.6%
23.2%
15.2%
8.8%
15.0%
合計
13.7%
13.9%
7.4%
5.6%
8.1%
(出所)日本政策投資銀行『東日本大震災の被災状況と復興への課題』
(2011 年5月)より作成
(4)被害額
では、東日本大震災の被害額規模はどのくらいか、見ておきたい。
「復興への提言」によれば、図表8に見るよう
に、被害総額は、約16兆9千億円である。内訳は、建築物等約10.4兆円、ライフライン施設約1.3兆円、社会基盤施設
約2.2兆円、農林水産関係約1.9兆円、その他約1.1兆円。復旧・復興費用はこの被害額を念頭におけば、約20兆円程度か。
ただしここには、原発事故関係の被害は含まれていないので、復旧・復興費全体がどの程度になるかは全く、見通
せない。
図表8 東日本大震災の被害額
(出所)東日本大震災復興会議「復興への提言」
(6月25日)
3 復旧・復興の視点と方向
以上を踏まえて、東日本大震災からの復旧・復興の視点・方向について、4点提起したい。
(1)被災者再建と地域・コミュニティ主体の復興
まず、何よりも被災者の生活再建=復旧を図ることがまず第1の課題である。
「復興への提言」等で強調されてい
る<地域・コミュニティ主体>でどう進めるか、大きな課題である。
40
☆2つの復旧推進原則
筆者としては、「提言」や「基本方針」を踏まえるならば、次の2点を復旧レベルの原則にすべきと考える。
・原則①-個人・中小企業等被災者の全面救済・再建の原則を明確にし、その早期制度化を図ること。
・原則②-その方法は基本方針等で明確にしているように、徹底した<市町村主体-地域・コミュニティ主体>
で事業を進めること。
この2つの原則は、被災者が自ら復旧過程に参加し、自ら納得できる復旧を達成することが真の復旧になると考
えるからである。
☆4つの達成されるべき前提条件
しかし、そのためには、次の4つの条件を達成しなければならない。
①ガレキの撤去…まず第1に、壊滅した津波浸水エリアのガレキの撤去。岩手・宮城・福島3県のガレキ総量は
約2,270万tにのぼるが、6ヶ月たった9月21日現在で、約半分(45%)しか撤去できていない。ガレキ総量は全国の
年間一般廃棄物の半分という巨大な量なので作業は厳しいが、早期に100%達成にこぎつけなくてはならない。ただ
し、注目すべきは、ガレキの最も多い釜石市(616t)の撤去率はまだ28%と低水準であること。都市部のガレキ撤去
が急がれる。
②地盤沈下への対応…第2は、地盤沈下対策。ガレキ撤去が進んだエリアでも、家屋等の建築は進んでいない。
それは、建設抑制方針のためもあるが、より大きな要因は津波浸水沿岸地域がほとんど地盤沈下に見舞われ、その
対策が決まっていないからだ。
宮古・山田・大槌・釜石市町は40 ~ 60cm、大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸・石巻市町は50 ~ 80 cm、東松島・
利府・亘理・岩沼・相馬市町は20 ~ 40 cm、福島第一・第二原発は50 ~ 65 cmの地盤沈下、という状況である。堤防建設、
かさ上げ・埋立等地盤沈下対策の費用と整備期間を早急に検討し、市街地・漁港の復旧・整備や住宅等高台移転な
ど安全な居住、事業環境の復旧、まちづくりの実現を急がなければならない。
③塩害の除去…第3は農地の復旧。被災耕地=被災水田等は上記のように、3県全体で2.3万haの広大なエリアに
のぼるが、津波被害のため海水に耕地が浸かってしまった。いわゆる煙害を除去しなければ農地・耕地として復旧
しない。煙害除去には数年かかると言われるが、そんなに時間はないのではないか。強力な煙害除去対策を講じな
くてはならない。なかでも、宮城県は、2.3万haの60%を占めており、宮城県農業の復旧には不可欠である。
④避難者情報の蓄積・更新…第4は、避難者支援情報の確保・蓄積である。3県の避難者は、9月8日現在、総
計74,900人にのぼるという。そのうち、約40%の方々が避難所・知人宅等、約60%強の人々が仮設・公営等住宅で避
難生活を送っている。計画した仮設住宅5万戸はぼぼ完成し、民間賃貸住宅利用が約4.5万戸とのこと。仮設住宅は
立地条件の問題(買い物、病院、学校等が不便)があり空き室もかなりある。仮の生活を送っている避難者の人々
の生活ニーズ等諸情報を蓄積・更新するとともに、双方向の情報交流の仕組みを構築し、避難者の方々が本格的な
居住・仕事(もとの居住地・仕事への復帰も含めて)に円滑に移行できるよう、支援体制の充実を図る必要がある(市
町村、NPO)。
☆早急な復興計画と基金設置を!
以上の4条件を進めつつ、市町村-地域・コミュニティレベルの復旧・復興計画を早急に策定する必要がある。
第1に、計画づくりを早急に進めること。9月初旬時点では4市町(洋野町、
久慈市、
岩沼市、
相馬市)のみとのことで、
計画づくりが進まなければ、復旧・復興も遅れる。とにかく、住民ニーズを集約して、居住、仕事、高台移転・市
街地等まちづくり等総合的な計画を策定する(復旧よりも復興に重点を置いて)
。そのための協議・討論の<場>を
多様につくる必要がある。
第2に、その際、外の専門家等を活用すること。行政の大きな被災状況(人的・物的)
、避難場所の分散さらに高
齢化の進展等のハンデを補い計画作りを進めるため、震災復興支援アドバイザー・地域づくりアドバイザー・生活
再建アドバイザー等の制度を積極的に活用し、配置する必要がある(NPO、県、国、全国公募等)
。
第3に、長期の復旧・復興事業を支える基金制度を早急に確立すること。復旧・復興事業は長期
(10年)
にわたるので、
41
事業を変更・更新できる使い勝手のよい復興基金を県単位で、早急に設立する必要がある。その際、次の参考資料
1の<中越地震復興基金>に見るように、住民のアイディアを吸い上げて事業化できる仕組みづくりが大きなポイ
ントとなる3)。
第4は、福島第一原発「警戒区域」等住民の生活再建の問題である。言うまでもなく、このテーマは極めて重い
課題である。現状(9月時点)では、原子炉の安定冷却の時期、廃炉工程の明確化、放射線除染などを着実に進め、
生活再建の条件を整備すべきとしか言えない。しかし、早期に、条件整備状況の確定と全面的生活支援展望(居住
地に戻れるのか、他地域での生活再建か)を別途構築し、住民の方々に示さなければならない。
<参考資料1>
中越地震復興基金の概要
・平成16年10月23日中越地震勃発…M6.8、震度7。
広域の中山間農村地帯地震。
・被害…死者68人、重傷・軽傷約4700人。住宅・
全壊半壊約17,000、公共施設等約40,000。
・平成16年11月26日…政府、激甚災害指定-ほぼ
県要望通り。*復興費は約2,000億円
・平成17年3月
(財)新潟県中越大震災復興基金(理
事長:知事)…基金規模(県債)3,000億円、
年2%
で10年間運用。予算規模600億円。利子は地方交
付税で国が補助。
・同月…県、震災復興ビジョンとりまとめ。各市
復興計画作成。
(2)<減災>の地域づくり
第2の大きな課題・視点は、<減災>の地域づくりの考え方と進め方である。<減災>の考え方は、
「復興への提言」
や「基本方針」等で明示されているが、東北地域、ひいては地震列島・日本における<減災>の地域づくりの全体
方向は明示されているとは言えない。被災者の生活再建の次に重要な課題とみる。
☆すでに提示されていた<減災>の地域づくり
まず、<減災>とは何か。津波への考え方として、防波堤・防潮堤等による最前線での<防災>だけではなく、
災害時の被害(人的・物的)を最小化する<減災>の考え方にたつ必要がある。
「逃げる」ことを基本に、ソフト(防
災教育、ハザードマップ等)対策をプラスする。
「国土形成計画」
こうした<減災>の地域づくりは、すでに「国土形成計画」
(全国計画)において、
明示されていた4)。
(平成20年7月閣議決定)第3章第3節「災害に強いしなやかな国土の形成」に明確に記述されている。具体的には、
ハードな防災の強化とともに、ソフトな「減災」の考え方を具体化する。自助・共助・公助の考えに基づき、事前・
事中・事後の減災システムを構築する。そして、その計画(BCP)=業務継続計画(行政)
、事業継続計画(企業)
の策定を進める必要がある、と。図表9は、ハード(防波堤・防潮堤等)とソフト(ハザードマップ等)が一体となっ
た総合的な災害対策の推進を、図表10は、自助・共助・公助のバランスのとれた考え方での防災の必要性を、それ
ぞれ示す。
42
図表9 ハード・ソフト一体となった総合的な災害対策の推進
(出所)『国土形成計画(全国計画)の解説』
図表10 自助・共助・公助のバランス
(出所)図表9に同じ
☆東北圏広域地方計画における災害対策プロジェクト
この国土形成計画(全国計画)に基づき、平成21年8月に、
「東北圏広域地方計画」
(東北6県+新潟県で構成)
が策定されている(国土交通省)5)。この東北広域圏計画は、多様で自立した地方分権型の東北圏をめざし、「美し
い森と海、人の息吹と躍動感に満ちた『東北にっぽん』の創造」を理念としている。そして、広域連携プロジェク
トとして、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震等大規模地震災害対策プロジェクト」が掲げられ、推進されている
のである。防波堤等津波対策の強化・観測態勢の整備、沿岸地域の孤立集落対応、広域連携による震災対策の3つ
を推進している。
この広域プロジェクトは始まったばかりではあるが、この計画がより具体的に推進されていれば、今回の大震災
への効果的な対応も可能であったかもしれない。政府、県、マスコミも含めてこの計画とプロジェクトについては、
全く言及しない。
☆<減災>東北・日本列島の再構築へ
この広域大規模地震災害プロジェクトのなかで今回の大震災で効果的であったのは、
「広域連携」であろうか。県・
市等自治体や消防・警察、自衛隊などの支援活動は目に見える形で、有効であったと思われ、広域連携の成果だと、
言えそうだ。しかし、「防波堤等津波対策の強化・観測態勢の整備」や「沿岸地域の孤立集落対応」、「BCP策定」
は極めて不十分であり、<減災>の施設・仕組みづくりは明確な総括が必要であろう。また、原子力関連施設の安
全性確保もこの東北圏広域地方計画に指摘されているものの、
「安全性の確保に万全を期す」との抽象的な表現にと
どまり、全く具体性がない。その意味で、東北圏広域地方計画の総括を行い、今後の大規模地震災害等対策プロジェ
クトの改定・深化を行う必要がある。
そして、図表11に見るように、日本列島はまさに地震列島であり、どこでも大きな地震・津波被害の可能性があ
り、東北の教訓を全国に拡大する必要がある。大規模地震災害等対策プロジェクトを日本列島全体に拡大・形成し、
<減災>日本列島の再構築を図る必要がある。原発の安全性(ストレステスト等)問題も、
この一貫として位置づけ、
具体化するべきであろう。
43
図表11 想定される地震-日本列島-
(出所)図表9に同じ
(3)産業再生とグローバル競争力強化
第3は、産業の再生である。内陸部のサプライチェーン再構築はほぼ復旧したので、沿岸部の農林漁業の再建、
中小企業の再建および雇用問題解決が当面の課題であるが、グローバル経済化・超円高が進む厳しい環境をのりき
るための競争力強化の観点が不可欠である。
☆当面の雇用問題・中小企業再建支援
3県の被災産業の失業者は約7万人。最初の失業保険切れの6ヶ月後の10月以降の失業給付期間延長が明示され、
雇用調整助成金適用基準緩和および就職支援強化を実施中である。政府は当面の雇用確保対策を継続中である。
また、資金繰り・施設再建支援等・二重ローン問題などの中小企業支援も先の予算措置で実施中である(日本政策
金融公庫、中小企業基盤整備機構、県が実施)。その意味では、被災企業の再建は少しずつ進み始めている。
だが、失業被災者を雇用するには、企業立地促進や新産業の育成、創業・起業の仕組みづくりなど多面的な産業
政策が不可欠となる。
☆リスク・マネジメントの普及
今回の大震災の重要な教訓として、企業・公共施設・自治体等のリスク・マネジメント体制の再構築があげられる。
東北の被災企業だけでなく、全国の企業、学校等公共施設及び市町村施設が、
BCP
(Business continuity plan)
=事業・
業務継続計画を策定しておく必要がある。図表10で見たように、日本は地震列島であり、
「東北がだめなら関西に立
地」という考えは成立しない。被災企業、とくに中小企業におけるBCP策定のため、
震災復興支援アドバイザー(コ
ンサルタント等)を徹底的に活用する必要がある(中小企業基盤整備機構)
。
BCPとは、災害等による被害を受けても重要業務を中断させない、あるいは中断しても短期間で再開できる事
業継続計画(重要業務の決定、バックアップ、安全確保等)である。今回の大震災では、富士通アイソテックが好
例だ。同本社工場(福島県伊達市)は、3年前に新インフルエンザ対応で整備したBCP(福島と島根の工場が被
災した場合、業務の非被災工場への移管を規定)
、伊達工場の生産を島根にスムーズに移管、1ヶ月で元に戻れ、生
産中断期間を最短にできた。
☆グローバル競争に勝つビジネスモデルの再構築を!
もう1つ重要なのは、グローバル競争に勝つビネスモデルを再構築することである。
ビジネスモデルとは、「事業(商品・サービス)における顧客満足(価値)を利益に変換する仕組み」のこと。具
44
図表12 産業構造ビジョン2010(平成22年6月、経済産業省)
体的には、①誰に(市場・顧客)、②何を(商品・サービス)、③どのように提供して(提供方法)、④利益をあげる
か(コスト構造)という体系的な仕組み(アーキテクチャー=設計図)である6)。
なぜビジネスモデルかと言えば、図表12に見るように、日本経済の日本経済の地位低下からの脱却のためには、
企業ビジネスモデルの転換(「技術で勝って、事業でも勝つ」
)が不可欠である(自動車依存産業構造の転換、グロー
バル化と国内市場の二者択一からの脱却、政府の役割の転換の3つも必要-経済産業省「産業構造ビジョン2010」)。
さらに、日本企業の低利益率からの脱却(日本企業の営業利益率は5%未満、米企業は10 ~ 30%)
、利益計上企業
の増大(全国:法人数約270万社、利益計上法人約89万社-納税企業は約33%。高度成長期は70%超)、開業率の上
昇(全国の開業率6.4%、廃業率6.5%-平成16 ~ 18年の年率-)などもビジネスモデル再構築の大きな要因である。
さらに加えれば、世界市場は大転換しており、日本企業の競争力再構築が不可欠であることだ。リーマンショッ
ク後は「新興諸国(中国、インド、インドネシア、ブラジル等)は成長、先進国(米、ユーロ圏、日本)は停滞」
が明確になる。年間所得3千ドル~2万ドルの中所得層は14億人(中国4億、インド2億、インドネシア8千万)
にのぼり、この層の購買力が大きい。この新興諸国のニーズに対応した商品・サービス提供(リバース・イノベーショ
ン)とネットワークの再構築が企業競争力のポイントになっている。超円高でこの傾向はますます強まり、中小企
業もこの流れへの対応が迫られている。
☆競争力をもった産業の再生へ!
東北圏広域地方計画には次の4つの広域の産業振興プロジェクトが掲げられ、進行中である。
①農業・水産業の収益力向上プロジェクト
45
②次世代自動車関連産業集積拠点形成プロジェクト
③「日本のふるさと・原風景」を体験できる滞在型観光圏の創出プロジェクト
④グローバル・ゲートウェイ機能強化プロジェクト
まず第1に、農業・水産業の再生。これは、①の農業・水産業の収益力向上プロジェクトのなかに、3県の被災農業・
水産業の再生施策を組み込み、まさに利益のあがる農業・水産業の再生を進める。集落単位での高付加価値農業再生、
共同事業化・水産基地化等含めた競争力ある水産業産業集積の形成など。その際重要なのは、上記の利益のあがる
ビジネスモデルを農業・水産業ともに構築することである。専門家(経営コンサルタント等)の強力な支援が不可
欠である。
第2に、被災中小企業のビジネスモデルの再構築。被災した中小企業には上記の融資等による再建支援が行われ
ているが、重要なのは、単なる再建ではなく、新しいビジネスモデルを構築して利益のあがる、つまり競争力のあ
る企業として再生することだ。専門家(経営コンサルタント等)によるビジネスモデル構築支援が不可欠であり、
これをベースに投融資を実施し成長・発展をめざす(中小機構、政策金融公庫)
。この方式を被災中小企業以外にも
拡大して、強い現場力の維持形成および海外とのネットワーク形成を促進する必要がある。
第3に、次世代自動車産業集積拠点形成の強力な推進。今回の大震災の被災状況から、はからずも東北圏が自動
車産業のサプライチェーンの重要な一環を担っていることが明らかになり、上記②の「次世代自動車関連産業集積
拠点形成プロジェクト」の根拠と方向性の正確さが立証された形になったと言える。震災後のトヨタ自動車の東北
拠点化意向の表明もあり、次世代自動車産業集積拠点形成の可能性が見えてきたと言えそうだ。産学官連携を強化し、
世界自動車産業のイノベーション・生産拠点づくりを推進する必要があろう。
第4に、観光等のグローバル展開を進めること。東北圏広域地方計画における、③の観光プロジェクト、④の港
湾機能強化プロジェクトは、いずれも、県内・市町村でおさまるプロジェクトではなく、広域で戦略を形成し、ネッ
トワーク化が不可欠な事業である。この2つのプロジェクトの充実・拡大をめざして、被災地域の関連産業の再生
とまちづくりの方向を明確にする必要があろう。
第5に、グローバル企業のビジネスモデル再構築について指摘しておきたい。大企業は、超円高に地震・電力不
足問題、さらに税制改革等の検討を踏まえた上で、明確なグローバル・ビジネスモデル(国内に何を残し、海外立
地を進めるのか等)を再構築する必要がある。地球上のどこで企業活動を行おうと<立地リスク>は不可避であり、
グローバルなリスクマネジメントを組み込んだビジネスモデルが必要な時代に入ったのである。
以上の産業再生事業は、全て、先の3県の復興基金を活用して、強力に展開することが望まれる。
(4)特区形成と新しい東北圏
大地震、大津波、原発事故という3重の大災害からの再生は、単なる復旧ではなく、グローバル競争力の形成を
展望した新しい経済社会への復興=新しい東北圏の創造でなければならない。
「復興への提言」等で宣言されたこの
視点・方向性に反対の者はいないであろう。筆者も大賛成である。だが、現段階(9月末)では、復旧レベルが遅々
とした段階にあるためか、復興の展望・方向は見えない。ここでは、筆者の私見を述べることとしたい。
☆東北圏イノベーション拠点ネットワークの形成
1つは、東北圏イノベーション拠点ネットワーク=新しいイノベーション・産業集積の形成である。岩手大学、
東北大学、山形大学、福島大学等核にした産学連携によるイノベーション拠点(サイエンスパーク、新しい産業集積・
クラスター)とそのネットワークを形成する7)。そのなかに、世界の企業・国際機関・各国の研究機能も集積した世
界的なセンター機能を形成する。
その新しい産業集積の分野等は今回の大震災で提起された課題取組や資源活用という観点から、環境・エネルギー、
医療産業、原子力安全問題の3つクラスター形成を図る。
①東北圏環境・エネルギークラスターの形成…東北圏環境・エネルギー先端拠点・地域の形成。この分野においては、
既に東北圏広域地方計画の広域連携プロジェクトとして、
「東北圏のポテンシャルを活かした低炭素・循環型社会づ
くりプロジェクト」が始動している。今回の大震災からの次のような課題をさらに加えて、プロジェクトの充実・
46
拡大を図り、世界に誇る環境・エネルギーのイノベーション拠点・産業集積を形成する。具体的には、再生可能エ
ネルギーの世界最先端研究開発拠点(大学・民間研究所・公的研究機関の集積による太陽光、風力、地熱、バイオ
マス等の研究開発拠点)の形成を図るとともに、再生可能エネルギーの開発・試行・導入(スマートシティ試行・
形成)を図り、新しい環境・エネルギー産業集積を形成する。同時に、再生エネルギー全量買取り制度、発電・送
電分離の新制度も導入する。
②東北圏医療クラスターの形成…世界をリードする医療産業集積の形成。この分野においても、既に東北圏広域
地方計画の広域連携プロジェクトとして、「地域医療支援プロジェクト」が始動している。このプロジェクトは、医
師の確保、救急医療及び遠隔医療等に限定されている。これに、東北圏の資源の高度活用の観点を追加して、東北
圏の大学医学部・薬学部等を核にして、医薬品・医療機器・医療ロボットの研究開発・製造拠点を形成し、世界に
誇る医療産業集積の形成を図る。
③原子力安全クラスターの形成…このクラスター形成は、誰しも認めざるをえない今回の大震災の課題として最
も重要なテーマである。放射性物質の除去等の原子力安全研究開発拠点・地域再生の設計が不可欠だ。福島第一原
発等の安全な廃炉プロセスや放射線汚染地域の再生等原子力安全に関する総合的な研究開発拠点(公的・民間原子
力研究者等広範な研究者の集積した大学院・研究機関等設立)を形成して、全国・世界の原発安全の方策を開発・
提供するとともに、福島第一原発周辺地域の再生に資する。
☆東北圏NPO経済社会=非営利経済社会の形成
今回の大震災の復旧・復興過程もかつての阪神・淡路大震災、中越地震などと同様、膨大な数のボランティアの参加・
活躍によって、進められている。また、マイクロ・ファイナンスによる企業再生(ミュージック・セキュリティ等ファ
ンドによる少額投資資金募集)の広がり、NPO設立の増大、さらに3・11後の国会でのNPO法改正(認定NP
O法人の枠の拡大-非課税寄付が容易な制度改正)などが進み、非営利活動・事業の拡大条件がさらに広がりつつ
ある。コミュニティ・ビジネス、ソーシャル・ビジネスの一層の拡大条件が形成されつつあると言える8)。
この条件をさらに活用して、東北圏広域地方計画において、進められている「地域づくりプロジェクト」の充実・
拡大を進め、東北地域に分厚い非営利経済社会を形成しよう。新しい東北圏のもう1つの姿である。
東北圏広域地方計画では、「地域づくりコンソーシアム創出による地域支援プロジェクト」を掲げている。その目
的は、地域づくり支援組織「地域づくりコンソーシアム」を創出し、東北圏のネットワーク化を図り、住民主体の
地域づくりを支援する取組み。推進組織としては、大学等、NPO、経済団体、行政等の連携した推進協議会を立
ち上げ、政策・戦略研究、人材育成・支援、地域づくり指導・助言、住民主体の地域コミュニティ維持・振興・再
生等取組み支援を行うという意欲的な事業を掲げる。
この「地域づくりコンソーシアム」プロジェクトは、
まだ
「新たな公」
プロジェクトチーム設立の段階にある。今後は、
最初に述べた地域・コミュニティ主体の復興計画づくりの議論をベースに、非営利活動・事業と推進主体(NPO)
形成を促進し、コミュニティ・ビジネス、ソーシャル・ビジネスの拡大をめざす。
☆多様な特区制度の活用へ!
以上の生活再建、産業再生及び世界に誇る拠点形成を東北圏の復興として実現させるためには、特区制度の活用
が望まれる。特区の提起は多く聞こえるが、具体的にどのような性格の特区制度かは明らかではない。現時点で、
筆者としては、次のような多様な性格の特区制度を提案したい。
・被災地域の居住・都市計画等…土地利用・用途転換や都市計画の諸手続の廃止・簡易化
・試行・開発・研究…再生エネルギー等研究開発・試行・導入、医療開発研究、原子力安全研究開発への国の
特別助成
・立地企業等…東北圏への企業立地全てに全法人課税半減。さらに、再生エネルギー、医療、原子力安全地区
への内外立地企業・機関非課税、NPO法人非課税
・就労・留学等ビザ…同上立地企業・機関の外国人研究者への長期(10年)ビザ
・特区制度の範囲…被災地域だけでなく東北圏広域地方計画協議会の全域(東北6県+新潟県)を対象とする。
47
上記の東北圏広域地方計画の広域連携プロジェクトを活かし、かつ発展させる観点から、当協議会構成県全
域が適切と考える。東北圏広域地方計画については、<参考資料2>を参照されたい。
・特区期間…復興期間が概ね10年なので、特区期間も10年程度か。なお、10年後の特区の行方がどうなるか(道
州制への道か否か)は、その時点で、住民投票等で判断するのが望ましい。
<参考資料2> 東北圏広域地方計画の意義
・国土形成計画(全国計画)…平成17年、国土総合開発法(昭和25年)=全国総合開発計画廃止、国土形成計
画法成立。平成20年、国土形成計画(全国計画)閣議決定。平成21年東北圏広域地方計画策定。全総計画=
国土開発から国土形成計画=国土管理(国土のマネジメント)に大きく転換した。
・新しい国土像…グローバル競争時代において、
「一極一軸型国土構造」の是正を目指して、
「多様な広域ブロッ
クが自立的に発展する国土」=新しい国土像を構築する。
・広域ブロック…人口600 ~ 1,000万人程度以上の規模(スウェーデン、スイス等欧州の中規模諸国の人口・経
済規模に匹敵)を有し、相互活用すべき諸資源や機能、
施設をいわばフルセットで備える自立した圏域を指す。
「広域ブロック」レベルでの国際競争力を形成し、グローバル競争時代に生き残るという構想。
・広域ブロックとは…次の10の広域地方計画区域。
①北海道
②東北圏(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、新潟の各県)
③首都圏(埼玉、東京、神奈川、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨の各都県)
④中部圏(静岡、愛知、三重、岐阜、長野の各県)
⑤北陸圏(富山、石川、福井の各県)
⑥近畿圏(京都、大阪、兵庫、滋賀、奈良、和歌山の各府県)
⑦中国圏(鳥取、島根、岡山、広島、山口の各県)
⑧四国圏(徳島、香川、愛媛、高知の各県)
⑨九州圏(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島の各県)
⑩沖縄県
・広域地方計画は、北海道と沖縄県(別の振興計画あり)を除く、8ブロックで作成されている。
おわりに
本稿は、平成23年9月末時点の大震災関連のデータ・復興の進捗状況等をベースにまとめたものである。とにか
く復旧=被災者の生活再建・企業の事業再建を第一に、その次に復興=競争力のある東北圏の創成をぜひ達成して
ほしい。それが、現下の日本経済の競争力回復の1つの大きなプロジェクトでもある。ただ、原発問題は余談を許
さず、慎重にかつ先見鋭く、大胆に進める必要がある。本稿で提示した<原子力安全研究開発拠点・地域再生の設
計>プロジェクトは「災いを転じて福となす」プロジェクトとして位置づけ、
早期に具体化すべきである。期待する。
<注>
詳細は、東日本大震災復興構想会議『復興への提言~悲惨のなかの希望~』
(平成23年6月25日)を参照されたい。
1)
2)
被災の詳細は、政府の東日本大震災関係のホームページや岩手、宮城、福島3県のホームページ(復興計画・参考
資料等)を参照されたい。政府以外の資料として、日本政策投資銀行『東日本大震災の被災状況と復興への課題-
現地写真・分野別エリア別分析-』(平成23年5月)、一般財団法人機械振興協会経済研究所『東日本大震災が機械
関連製造業に与えた影響に関する実態分析』(平成23年7月20日)などがあげられる。
48
3)
中越地震と基金の詳細については、中越地震復興基金のホームページおよび次の資料を参照されたい。内閣府『新
潟県中越地震復旧・復興フォローアップ調査報告書』(平成20年)、震災復興ビジョン策定懇話会『新潟県中越大震
災復興ビジョン』(平成17年3月1日)、長岡技術科学大学中越地震調査団『新潟県中越地震災害調査報告書』(平
成18年4月)。
4)
地震・減災等の対策については、国土交通省国土計画局『国土形成計画(全国計画)の解説』
(平成21年8月、時
5)
東北圏広域地方計画の詳細は、国土交通省ホームページに掲載されている、国土交通省『東北圏広域地方計画~豊
事通信社)を参照されたい。
かな自然の中で交流・産業拠点として発展するふるさと「東北にっぽん」~』
(平成21年8月)を参照されたい。
6)
ビジネスモデルについては、原田誠司「オープン・イノベーションとビジネスモデルの再構築」
『長岡大学地域研究・
第10号』(平成22年11月、長岡大学地域研究センター)を参照されたい。
産業集積・産業クラスターについては、原田誠司「ポーター・クラスター論について」
『長岡大学研究論叢・第7号』
(平
7)
成21年7月、長岡大学)、原田誠司「経済成長戦略と地域優位-「新しい産業集積」の形成へ-」『長岡大学地域研
究・第8号』(平成20年11月)などを参照されたい。
8)
ソーシャル・ビジネスについては、独立行政法人中小企業基盤整備機構『東日本大震災の復興過程におけるソーシャ
ルビジネスの創出促進及び既存ソーシャルビジネス事業者の活動基盤の整備に関する提案』(平成23年8月)、原田
誠司「ソーシャル・ビジネスへの視点」『長岡大学研究論叢・第8号』(平成22年8月、長岡大学)などを参照され
たい。
(2011年10月8日)
49
50
論稿
新幹線整備が地域経済に与えた影響事例
長岡大学教授 鯉 江 康 正
はじめに
北陸新幹線の延伸(長野~金沢)が2014年度(平成26年度)中に予定されており、それにより富山県や石川県で
は新幹線を活用した地域活性化策の検討が進められているところであるが、そもそも交通需要は派生需要であり、
新幹線ができれば、それによって地域の活性化が達成できるものではない。
本稿では、既存の上越新幹線、長野新幹線および東北新幹線(盛岡~八戸)開業に伴う地域への影響を様々な角
度から分析し、新幹線整備が地域経済に与えた影響を紹介する。なお、本稿は昨年度社団法人糸魚川法人会から委
託を受けて行った「北陸新幹線延伸に伴う糸魚川の振興方向」の一部を再整理したものである。東日本大震災直後
のこの時期に被災地を対象とした調査研究を公表することについてはかなり悩んだが、昨年度の調査であること、
過去の事実は事実として評価する目的であることからここに公表することをご容赦願いたい。震災により、亡くな
られた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
1.新幹線の整備効果とその計測手法
(1)新幹線整備に伴う効果体系
新幹線整備に伴う効果は、大きく事業効果と施設効果に分けることができる(図表1-1参照)
。事業効果は、新
幹線供用開始以前の調査、建設段階で発生する効果であり、新幹線建設に係わる直接的雇用増加、所得増加とそれ
図表1-1 新幹線整備に伴う効果体系
51
に伴う経済波及効果がそれにあたる。施設効果は、新幹線のサービスが利用されることによって生じる効果である。
施設効果としては、①利用者の時間短縮、安全性・快適性の向上などの利用者効果、②事業者自体の営業利益を増
加させる事業者効果、③新幹線が停車することによる当該都市のシンボル性の向上、都市拠点の形成が期待される
存在効果、④経済効果、土地利用効果、モーダルシフト効果などの波及効果が期待できる。
これらの効果は、新幹線整備に全くコストがかからないならば間違いなく発生するものであり、新幹線整備の正
の面を整理したものといえる。しかしながら、現実には、建設には資金が必要であり、その資金を他の用途に使用
すれば、もっと大きな効果が期待できるかもしれない。また、他の地域に新幹線を敷設する方が効果が大きいこと
もある。さらに、同じ沿線でも、地域間競争の点からその効果の程度には差が生ずることもある。これらの点がや
やもすると無視され、政治的判断が先行しがちであるが、ここに紹介した効果体系は、路線の優先順位を決定する
ための便益計測例(費用便益分析)を示しているものであることには留意すべきである。
(2)新幹線が国民経済に及ぼす影響
上述の効果体系の中で、経済波及効果はその影響範囲が膨大で、多くの社会経済指標が相互に絡み合っているため、
その計測は容易ではない。これらの効果を計測するための手法として最も一般的なものは、地域計量経済モデルを
構築して、新幹線の有無による社会経済の姿を予測し、効果を計測することである。ここでは、計量経済モデルの
基本的構造を参考に、新幹線が国民経済に及ぼす影響を整理しておく(図表1-2参照)
。
新幹線整備を行うためには、その建設がなされる必要があり、建設による波及効果が生まれる。また、新幹線整
備がなされることが決定されると、将来を見越した先行投資が誘発されることも知られている。これがアナウンス
メント効果といわれるものである。同時に、新幹線に関連して再開発事業が行われるケースが多い。
実際に新幹線が供用されると、輸送時間の短縮、輸送の信頼性の向上、輸送費用の変化、快適性の向上がもたらされ、
行動圏域の拡大、輸送需要の増大を通じて、商圏の変化、産業立地の促進、観光・レクリエーションの発展、定住
圏の確立(人口増加)等の効果が計測される。
図表1-2 新幹線が国民経済に及ぼす影響の概念フロー
52
(3)「両刃の剣」の可能性がある新幹線
「新幹線整備に伴う効果体系」および「新幹線が国民経済に及ぼす影響」でみたような影響は、基本的に正の効果
である。しかしながら、後述する「2 上越新幹線の人口への影響(新潟県を例として)」では、効果がみられるもの
の期待したほど明確なものではなかった。また、「3 長野新幹線の地域への影響」でも必ずしも正の効果のみではな
いことが明らかとなった。研究者の中には、地域間競争に慣れていないため、新幹線が開通しても地方都市は衰退
するのが現実という意見を持っている人もいる。確かに、同時期に多くの新幹線(高速道路や他の振興策も同様と
思われる)ができた場合には競争は激化するであろう。つまり、地域への影響は複雑なものであり、新幹線を活用
した地域振興の仕組みをどのように作るかがキーとなると考えられる。
以下では、新幹線開通の影響をいくつか取り上げ、どのようなことが各地域で起こったかを整理していく。
図表1-3 「両刃の剣」の可能性がある新幹線
2.上越新幹線の人口への影響(新潟県を例として)
ここでは、1982年に開通した上越新幹線の効果をみるために、新潟県内20市および停車駅がある湯沢町と大和町
の人口の変化を検討する(図表2-1参照)。新潟県内で、新幹線駅がある市町は新潟市(新潟駅)、三条市(燕三
条駅)、長岡市(長岡駅)、大和町(浦佐駅)、湯沢町(湯沢駅)である。
53
図表2-1 県内市町村の人口の推移(人)
市町村
県
市
町
新
長
三
柏
新
新
小
加
十
見
村
燕
栃
糸
新
五
両
白
豊
上
湯
大
計
計
計
市
市
市
市
市
市
市
市
市
市
市
市
尾
市
魚 川 市
井
市
泉
市
津
市
根
市
栄
市
越
市
沢
町
和
町
昭和 40 年
昭和 55 年
平成 12 年
(1965 年)
(1980 年)
(2000 年)
2,398,931
1,421,300
977,631
370,941
154,752
74,080
84,153
73,992
56,594
47,376
38,937
49,576
40,968
32,651
40,134
36,013
39,332
32,334
38,113
26,494
33,887
31,655
119,318
9,651
15,451
部
村 部
潟
岡
条
崎
発 田
津
千 谷
茂
日 町
附
上
2,451,357
1,575,710
875,647
477,790
180,259
85,275
83,499
76,209
62,282
44,963
36,705
49,555
41,833
33,540
44,236
30,694
36,080
28,575
39,936
21,248
33,092
42,097
127,842
9,514
14,549
1965 年 ~ 1980 年
0.14
0.69
− 0.73
1.70
1.02
0.94
− 0.05
0.20
0.64
− 0.35
− 0.39
0.00
0.14
0.18
0.65
− 1.06
− 0.57
− 0.82
0.31
− 1.46
− 0.16
1.92
0.46
− 0.10
− 0.40
2,475,733
1,640,738
834,995
527,324
193,414
84,447
88,418
80,734
65,860
41,641
33,085
43,002
43,526
31,758
43,480
24,704
32,003
27,882
38,306
17,394
40,012
48,997
134,751
9,130
15,636
年平均成長率(%)
1980 年 1965 年 ~ 2000 年
~ 2000 年
0.05
0.09
0.20
0.41
− 0.24
− 0.45
0.49
1.01
0.35
0.64
− 0.05
0.37
0.29
0.14
0.29
0.25
0.28
0.43
− 0.38
− 0.37
− 0.52
− 0.46
− 0.71
− 0.41
0.20
0.17
− 0.27
− 0.08
− 0.09
0.23
− 1.08
− 1.07
− 0.60
− 0.59
− 0.12
− 0.42
− 0.21
0.01
− 1.00
− 1.20
0.95
0.48
0.76
1.26
0.26
0.35
− 0.21
− 0.16
0.36
0.03
資料)「 国勢調査 」(昭和 40 年から平成 12 年)
,
「新潟県推計人口(平成 14 年 10 月1日現在)
」による。外国人を含んだ常住人口。10 月
1日現在。
図表2-2 新幹線開通前後の人口成長率
1.50
1980年∼2000年の年平均成長率︵%︶
市部計
1.00
大和町
−2.00
−1.50
−1.00
町村部計
0.50
長岡市
0.00
−0.50
0.00
0.50
三条市
1.00
1.50
−0.50
湯沢町
−1.00
−1.50
1965年∼1980年の年平均成長率(%)
54
新潟市
2.00
図表2-2は、新幹線開通前後の人口の年平均成長率をプロットしたものである。横軸は開通前の1965年~ 1980
年の、縦軸は開通時点を含む1980年~ 2000年の年平均成長率である。市部計の人口の成長率をみると、開通前は0.69
%、開通後は0.20%であった。これに対して、新潟市は開通前1.70%、開通後0.49%といずれも市部計を上回っている。
長岡市も1.02%、0.35%と市部計を上回っているが、三条市は開通前は0.94%と市部計を上回っているが、開通後は
−0.05%と単に下回っているどころかマイナス成長である。三条市と接しており、実質的に駅所在地とも考えられる
燕市も同様である。新潟市や長岡市は県内ではポテンシャルも高く、人口増加が新幹線の効果と結論づけることは
危険であり、かなり強引であるが、新潟圏や長岡圏以外の他の多くの市が三条市や燕市よりも激しく人口が減少し
ていることをみるならば、ある程度は効果を体感できそうである。また、燕三条駅周辺のホテルや公共施設等の都
市開発はここ数年で大きく変化しており、今後の駅周辺地区の発展が期待できる。実際に、新横浜駅周辺でも新し
いまちづくりに約15年から20年かかったことを考えるならば、燕三条駅周辺も当然の結果と考えられる。
また、町村部計の人口の成長率をみると、開通前は−0.73%、開通後は−0.24%であった。新幹線が停車する湯沢
町は−0.10%、−0.21%、大和町は−0.40%、0.36%と他の町村部よりも良好な結果が得られている。大和町は新幹線
開通にあわせて、国際大学を誘致し、その後、県内でも有数の学力水準を誇る県立国際情報高校の開校や北里学園
も誘致し、学園都市としてのイメージが定着しつつあり、新幹線をうまく利用したと言えそうである。
図表2-3 市町村別年平均人口成長率(%)
(1965年〜2000年)
ー1.50
−1.00
−0.50
0.00
県計
0.50
1.00
0.09
市部計
0.41
町村部計
−0.45
新潟市
1.01
長岡市
0.64
三条市
0.37
柏崎市
0.14
新発田市
0.25
新津市
0.43
小千谷市
−0.37
加茂市
−0.46
十日町市
−0.41
見附市
0.17
村上市
−0.08
燕市
栃尾市
1.50
0.23
−1.07
糸魚川市
新井市
−0.59
−0.42
五泉市
0.01
両津市 −1.20
白根市
0.48
豊栄市
1.26
上越市
湯沢町
0.35
−0.16
大和町
0.03
55
図表2-3は建設効果やアナウンスメント効果等も含めて、より長期的な人口の変化への影響をみるために、
1965年~ 2000年の年平均成長率を市町村別に図示したものである。この期間は、同時に関越自動車道や北陸自動車
道、磐越自動車道も整備されているため、新幹線ばかりの整備ではないが、多少はその効果を実感できそうである。
新潟都市圏の豊栄市、白根市、新津市を除くと、新潟市、長岡市、三条市は高い人口成長率を示している。とりわけ、
三条市が県内第3の都市である上越市よりも人口成長率が高いことは注目に値する。湯沢町および大和町について
も、町村部計よりも明らかに良好な結果となっている。
3.長野新幹線の地域への影響
ここでは、文献および統計データを参考に長野新幹線の地域への影響を整理する。
(1)長野新幹線の概要
図表3-1 長野新幹線の概要
長野新幹線は、整備新幹線の一つである北陸新幹線のうち、
1997年10月1日に開業した高崎~長野間の暫定的な通称であ
る。東京を起点とすると、東京~大宮間は東北新幹線と共用、
大宮~高崎間は上越新幹線と共用となっている。
新幹線開業年月日
東京からの距離
東京からの最短時間
単純平均速度
運行本数(長野発)
長野新幹線
平成9年 10 月1日
222.4km
1時間 19 分
168.9km /h
28本
(2)輸送実績
長野新幹線は1997年(平成9年)10月1日に開業している。長野新幹線開業前後の輸送実績を「全国幹線旅客純
流動調査」でみると、首都圏(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)と長野県の純流動量は1990年度の20,163千人が、
1995年度には18,772千人と6.9%減少したが、2000年度には21,307千人にまで増加(伸び率は13.5%)した。2005年度
には20,091千人と2000年度よりも5.7%減少しているが、1995年度よりも7.0%伸びている。
図表3-2 首都圏と長野県間の純流動量
代表交通機関別純流動量(平日データを使用) (単位:千人/年)
航空
鉄道
幹線旅客船
幹線バス
乗用車等
全機関
1990 年
13
6,942
0
449
12,757
20,163
1995 年
15
5,333
2
861
12,561
18,772
2000 年
1
9,382
3
1,140
10,782
21,307
2005 年
4
9,471
0
1,343
9,271
20,091
(資料)国土交通省「全国幹線旅客純流動調査」
図表3-3 首都圏と長野県間の純流動量(伸び率)
代表交通機関別純流動量の伸び率(平日データを使用)
(単位:%)
航空
鉄道
幹線旅客船
幹線バス
乗用車等
全機関
90 ~ 95 年
15.4
− 23.2 ---
91.8
− 1.5
− 6.9
− 93.3
75.9
50.0
32.4
− 14.2
13.5
95 ~ 00 年
300.0
0.9
− 100.0
17.8
− 14.0
− 5.7
00 ~ 05 年
(資料)国土交通省「全国幹線旅客純流動調査」
56
図表3-4 代表交通機関<全機関>の純流動量(千人/年)
22,000
21,000
21,307
20,163
20,091
20,000
18,772
19,000
18,000
17,000
1990年
1995年
2000年
2005年
また、代表交通機関<鉄道>の純流動量は1995年度の5,333千人が、2000年度には9,382千人と75.9%も増加してい
る。2005年度の純流動量は9,471千人で若干ではあるが増加を続けている。その結果、
交通機関分担率の推移をみると、
1995年度から2005年度にかけて鉄道の分担率は、28.4%から47.1%へと増加している。
図表3-5 代表交通機関<鉄道>の純流動量(千人/年)
10,000
8,000
9,382
9,471
2000年
2005年
6,942
5,333
6,000
4,000
2,000
0
1990年
1995年
図表3-6 首都圏と長野県間の機関分担率
代表交通機関別分担率(平日データを使用) (単位:%)
航空
鉄道
幹線旅客船
幹線バス
乗用車等
全機関
1990 年
0.1
34.4
0.0
2.2
63.3
100.0
1995 年
0.1
28.4
0.0
4.6
66.9
100.0
2000 年
0.0
44.0
0.0
5.4
50.6
100.0
2005 年
0.0
47.1
0.0
6.7
46.1
100.0
(資料)国土交通省「全国幹線旅客純流動調査」
57
図表3-7 代表交通機関別分担率の推移(%)
0%
1990年
1995年
20%
40%
34.4
60%
2.2
28.4
66.9
44.0
2005年
5.4
47.1
航空
鉄道
100%
63.3
4.6
2000年
80%
50.6
6.7
46.1
幹線旅客船
幹線バス
乗用車等
(3)時間短縮
長野新幹線開業に伴い、長野と東京(首都圏)との時間距離が約2分の1(最速79分)に短縮された。また、高
崎へは42分、大宮へは60分と首都圏への通勤・通学も可能な範囲になっている。さらに、日常的な生活圏域が大き
く広がり、旅行先での滞在可能時間も増え、ビジネスや広域的観光が便利になっている。
図表3-8 長野と各地域間の時間短縮
高崎
大宮
1:33
0:42
1:00
東京
新潟
仙台
1:19
2:18
2:39
2:28
開業前
4:25
2:55
盛岡
開業後
3:24
3:42
5:25
(資料)長野県『北陸新幹線(長野・東京間)の開業に伴う効果
「北陸新幹線長野・東京間開業1年 ~長野からのレポート~ 」
』
(平成10年11月)
新幹線にアクセスする在来線やしなの鉄道では、新幹線接続列車のダイヤを工夫したことにより、新幹線の時間
短縮効果がより広範囲に及んでいる。
58
図表3-9 例:長野駅での新幹線と信越線長野以北との接続
開業前
開業後
新幹線から豊野方面へ
13本(23分)
34本(14分)
豊野方面から新幹線へ
16本(19分)
38本(13分)
※開業前は、旧信越線特急「あさま」
「白山」と概ね20分以内に接続する列車の状況。
( )内は、上記列車の平均接続時間。
※開業後は、新幹線「あさま」と概ね20分以内に接続する列車の状況。
※上記の他、上田、佐久平、軽井沢の各駅においても、大幅な接続の改善が図られている。
(出典)長野県『北陸新幹線(長野・東京間)の開業に伴う効果「北陸新幹線長野・東京間開業1年 ~長野からのレポート~ 」』(平成10年11月)
(4)人口への影響
長野新幹線の長野県内停車駅は、軽井沢(軽井沢町)
、
佐久平(佐久市)
、
上田(上田市)
、
長野(長野市)の4駅である。
図表3-10および図表3-11は、この4市町とその他の長野県の人口の変化をみたものである。この4市町の平成
7年(1995年)の人口合計は561,351人であり、県内構成比は25.6%であった。それに対して、平成12年は568,536人で、
県内構成比は25.7%に高まっている。5年間の人口増加率は1.3%と、4市町を除く長野県の増加率0.9%よりも高い。
長野県では平成15年以降市町村合併が行われているが、周辺自治体との合併後(軽井沢町は合併をしていない)も
4市町の人口は横這いないしは増加傾向を保っている。
図表3- 10 長野新幹線開業前後における人口の変化
平成7年
実数(人) 構成比
(%)
2,193,984
100.0
561,351
25.6
1,632,633
74.4
長野県
停車駅4市町
その他の長野県
平成 12 年
平成7年~ 12 年
実数(人) 構成比
(%) 増加数
(人) 増加率
(%)
2,215,168
100.0
21,184
1.0
568,536
25.7
7,185
1.3
1,646,632
74.3
13,999
0.9
(注)停車駅4市町は、長野市、上田市、佐久市、軽井沢町の合計である。
(資料)国勢調査
図表3-11 長野新幹線開業前後における人口の変化(構成比、%)
0%
20%
40%
60%
平成7年
25.6
74.4
平成12年
25.7
74.3
停車駅4市町
80%
100%
その他の長野県
長野県内市町村別の人口の変化をみたものが、図表3-12および図表3-13である。平成7年から12年の人口増
加率は、長野市が0.4%、上田市が1.7%、佐久市が4.2%、軽井沢町が5.4%である。軽井沢町については平成12年から
17年にかけても6.0%増加している。この点については、
『長野新幹線にみる新幹線効果の「光」と「陰」
』
(フォーラ
59
図表3- 12 長野新幹線開業前後における人口の変化
平成7年
平成 12 年
平成7年~ 12 年
実数(人) 構成比
(%) 実数(人) 構成比
(%) 増加数
(人) 増加率
(%)
2,193,984
100.0
2,215,168
100.0
21,184
1.0
358,516
16.3
360,112
16.3
1,596
0.4
205,523
9.4
208,970
9.4
3,447
1.7
123,284
5.6
125,368
5.7
2,084
1.7
− 1,655
− 2.9
58,056
2.6
56,401
2.5
106,772
4.9
107,381
4.8
609
0.6
52,104
2.4
53,858
2.4
1,754
3.4
53,842
2.5
54,207
2.4
365
0.7
45,692
2.1
46,158
2.1
466
1.0
62,250
2.8
62,284
2.8
34
0.1
33,601
1.5
34,338
1.6
737
2.2
42,292
1.9
42,624
1.9
332
0.8
31,020
1.4
31,011
1.4
−9
0.0
− 1,003
− 3.7
27,423
1.2
26,420
1.2
52,807
2.4
54,841
2.5
2,034
3.9
60,481
2.8
64,128
2.9
3,647
6.0
38,294
1.7
39,402
1.8
1,108
2.9
64,206
2.9
66,875
3.0
2,669
4.2
15,345
0.7
16,181
0.7
836
5.4
762,476
34.8
764,609
34.5
2,133
0.3
長野県
長野市
松本市
上田市
岡谷市
飯田市
諏訪市
須坂市
小諸市
伊那市
駒ヶ根市
中野市
大町市
飯山市
茅野市
塩尻市
更埴市
佐久市
軽井沢町
その他の町村
(資料)国勢調査
図表3-13 長野新幹線開業前後における人口の変化(増加率、%)
−6.0
−4.0
−2.0
0.0
2.0
長野県
8.0
0.4
松本市
1.7
上田市
1.7
−2.9
飯田市
0.6
諏訪市
3.4
須坂市
0.7
小諸市
1.0
伊那市
0.1
駒ヶ根市
2.2
中野市
0.8
大町市
飯山市
6.0
1.0
長野市
岡谷市
4.0
0.0
−3.7
茅野市
3.9
塩尻市
6.0
更埴市
2.9
佐久市
4.2
軽井沢町
5.4
その他の町村
0.3
60
ム福岡19号、2008年3月29日発行)で以下のように分析されている。
<開業後も人口増加が続く軽井沢人気の源泉>
高級避暑地として広く知られる軽井沢町は、新幹線開通後も人口が増え続ける数少ない自治体のひとつだ。
その人口増を下支えしているのは、軽井沢町への移住者だ。
長野新幹線の開業により、軽井沢~東京間は約1時間で結ばれるようになった。このため、大手企業の管理
職や大学教授らを中心に収入と時間に余裕がある人たちが軽井沢へ移り住み、東京方面へ通う人たちが増えて
いる。さらにリタイアした団塊世代も定年後の住まいとして軽井沢を選び、引っ越して来るケースも増えてい
るという。
これらの人気を呼んでいる要因としては、自然の豊かさに加えて、清涼な気候に恵まれた環境が挙げられる。
さらに落ち着きのある高級リゾートという「軽井沢らしさ」というイメージが、人気に拍車をかけていること
は間違いない。
(5)事業所数への影響
図表3-14および図表3-15は、4市町とその他の長野県の事業所数の変化をみたものである。長野新幹線の開
業をはさんだ平成8年と平成13年の事業所数をみると、長野県全体では平成8年の133,597事業所が、平成13年には
128,969事業所とこの間4,628事業所の減である。減少率でみると3.5%の減少となっている。これに対して、新幹線停
車駅がある4市町の減少率は−0.7%で、その他の長野県の−4.4%よりは良好である。
図表3- 14 長野新幹線開業前後における事業所数の変化
平成8年
平成 13 年
実数
構成比
実数
構成比
(事業所)
(%)
(事業所)
(%)
長野県
133,597
100.0
128,969
100.0
停車駅4市町
34,774
26.0
34,519
26.8
その他の長野県
98,823
74.0
94,450
73.2
(注)停車駅4市町は、長野市、上田市、佐久市、軽井沢町の合計である。
(資料)事業所・企業統計調査
平成8年~ 13 年
増加数
増加率
(事業所)
(%)
− 4,628
− 3.5
− 255
− 0.7
− 4,373
− 4.4
図表3-15 長野新幹線開業前後における事業所数の変化(構成比、%)
0%
10%
20%
30%
40%
50%
60%
平成8年
26.0
74.0
平成13年
26.8
73.2
停車駅4市町
70%
80%
90%
100%
その他の長野県
また、市町村別にみると(図表3-16、図表3-17参照)
、長野市で0.5%の減少、上田市は3.4%の減少、佐久市は
1.1%の減少、軽井沢町は10.8%の増加となっている。
図表の整理はないが、平成13年から18年の推移をみると、長野県全体では7.2%の減少(全国は6.9%の減少)
、旧長
野市は9.9%の減少、旧上田市は7.1%の減少、旧佐久市は3.5%の減少、軽井沢町は3.0%の増加となっており、長野市
61
図表3- 16 長野新幹線開業前後における事業所数の変化
平成8年
実数
構成比
(事業所)
(%)
長野県
133,597
100.0
長野市
22,219
16.6
松本市
14,367
10.8
上田市
7,369
5.5
岡谷市
3,852
2.9
飯田市
7,320
5.5
諏訪市
4,368
3.3
須坂市
3,135
2.3
小諸市
2,779
2.1
伊那市
3,648
2.7
駒ヶ根市
2,142
1.6
中野市
2,217
1.7
大町市
2,118
1.6
飯山市
1,766
1.3
茅野市
3,113
2.3
塩尻市
3,210
2.4
更埴市
1,955
1.5
佐久市
3,794
2.8
軽井沢町
1,392
1.0
その他の町村
42,833
32.1
(資料)事業所・企業統計調査
平成 13 年
実数
構成比
(事業所)
(%)
128,969
100.0
22,106
17.1
13,637
10.6
7,118
5.5
3,470
2.7
7,135
5.5
4,211
3.3
2,965
2.3
2,556
2.0
3,426
2.7
2,100
1.6
2,131
1.7
1,999
1.5
1,562
1.2
2,776
2.2
3,043
2.4
1,862
1.4
3,752
2.9
1,543
1.2
41,577
32.2
平成8年~ 13 年
増加数
増加率
(事業所)
(%)
− 4,628
− 3.5
− 113
− 0.5
− 730
− 5.1
− 251
− 3.4
− 382
− 9.9
− 185
− 2.5
− 157
− 3.6
− 170
− 5.4
− 223
− 8.0
− 222
− 6.1
− 42
− 2.0
− 86
− 3.9
− 119
− 5.6
− 204
− 11.6
− 337
− 10.8
− 167
− 5.2
− 93
− 4.8
− 42
− 1.1
151
10.8
− 1,256
− 2.9
図表3-17 長野新幹線開業前後における事業所数の変化(増加率、%)
−15.0
−10.0
−5.0
−3.4
上田市
−9.9
−2.5
飯田市
−3.6
諏訪市
−5.4
須坂市
−8.0
小諸市
−6.1
伊那市
−2.0
駒ヶ根市
−3.9
中野市
− 5.6
大町市
塩尻市
更埴市
佐久市
− 11.6
− 10.8
− 5.2
− 4.8
− 1.1
10.8
軽井沢町
その他の町村
15.0
−5.1
松本市
茅野市
10.0
−0.5
長野市
飯山市
5.0
−3.5
長野県
岡谷市
0.0
− 2.9
62
での落ち込みが著しい。この点は、長野市は県庁所在地であり、もともと営業所や支店が多く存在したためと考え
られる。新幹線による大幅な時間短縮が出張コストをさげ、相対的に営業所や支店の維持コストを上昇させた可能
性がある。
図表3- 18 長野新幹線開業前後における従業者数の変化
平成8年
平成 13 年
平成8年~ 13 年
実数(人) 構成比
(%) 実数(人) 構成比
(%) 増加数
(人) 増加率
(%)
長野県
1,107,235
100.0
1,077,961
100.0
− 29,274
− 2.6
− 6,833
− 2.2
停車駅4市町
315,066
28.5
308,233
28.6
− 22,441
− 2.8
その他の長野県
792,169
71.5
769,728
71.4
(注)停車駅4市町は、長野市、上田市、佐久市、軽井沢町の合計である。
(資料)事業所・企業統計調査
図表3-19 長野新幹線開業前後における従業者数の変化(構成比、%)
0%
20%
40%
60%
平成8年
28.5
71.5
平成13年
28.6
71.4
停車駅4市町
長野県
長野市
松本市
上田市
岡谷市
飯田市
諏訪市
須坂市
小諸市
伊那市
駒ヶ根市
中野市
大町市
飯山市
茅野市
塩尻市
更埴市
佐久市
軽井沢町
その他の町村
80%
100%
その他の長野県
図表3- 20 長野新幹線開業前後における従業者数の変化
平成8年
平成 13 年
平成8年~ 13 年
実数(人) 構成比
(%) 実数(人) 構成比
(%) 増加数
(人) 増加率
(%)
− 29,274
− 2.6
1,107,235
100.0
1,077,961
100.0
− 5,180
− 2.5
207,773
18.8
202,593
18.8
132,157
11.9
129,310
12.0
− 2,847
− 2.2
− 3,234
− 4.9
66,112
6.0
62,878
5.8
− 1,336
− 4.3
30,909
2.8
29,573
2.7
58,342
5.3
57,468
5.3
− 874
− 1.5
34,615
3.1
34,923
3.2
308
0.9
− 2,501
− 9.6
26,144
2.4
23,643
2.2
− 1,797
− 8.0
22,590
2.0
20,793
1.9
− 1,120
− 3.6
30,748
2.8
29,628
2.7
17,664
1.6
17,683
1.6
19
0.1
18,407
1.7
17,741
1.6
− 666
− 3.6
− 1,492
− 8.8
16,885
1.5
15,393
1.4
− 1,367
− 10.8
12,683
1.1
11,316
1.0
− 767
− 3.0
25,481
2.3
24,714
2.3
29,376
2.7
28,998
2.7
− 378
− 1.3
− 529
− 3.1
16,914
1.5
16,385
1.5
31,126
2.8
31,647
2.9
521
1.7
10,055
0.9
11,115
1.0
1,060
10.5
− 7,094
− 2.2
319,254
28.8
312,160
29.0
(資料)事業所・企業統計調査
63
図表3-21 長野新幹線開業前後における従業者数の変化(増加率、%)
−15.0
−10.0
−5.0
0.0
長野県
−2.6
長野市
−2.5
松本市
5.0
−4.9
岡谷市
−4.3
飯田市
−1.5
諏訪市
0.9
−9.6
小諸市
−8.0
伊那市
−3.6
駒ヶ根市
0.1
中野市
大町市
飯山市
15.0
−2.2
上田市
須坂市
10.0
−3.6
−8.8
−10.8
茅野市
−3.0
塩尻市
更埴市
−1.3
−3.1
佐久市
1.7
軽井沢町
その他の町村
10.5
−2.2
(6)従業者数への影響
図表3-18および図表3-19は長野県における従業者数の変化を、新幹線停車駅がある4市町とその他の長野県
で比較したものである。長野県の平成8年の従業者数は1,107,235人で、平成13年の従業者数は1,077,961人で、この間
2.6%の減少となっている。4市町の変化率は2.2%の減少、
その他の長野県の変化率は2.8%の減少であった。その結果、
長野県内に占める4市町の従業者数の構成比は、平成8年の28.5%が、平成13年には28.6%と若干高まっている。
また、市町村別にみると(図表3-20、図表3-21参照)
、長野市は2.5%の減少、上田市は4.9%の減少、佐久市は
1.7%の増加、軽井沢町は10.5%の増加と、佐久市と軽井沢町では従業者数は増加している。
(7)観光への影響
長野新幹線の観光への影響としては、
・観光客数は約2倍に増加したが、観光施設で濃淡はある。
・コンベンション機会の増大により、参加者数は3倍に増加した。
・観光客の日帰り化に伴う宿泊の減少。
・超広域周遊化に伴うB&B(Bed&Breakfast)の増加。
・新幹線駅周辺の観光施設の入込は好調である。とりわけ、個人客や年配顧客層、強い個性等の温泉は好調。
・アクセスが悪い観光施設は不調。発展した観光地と衰退した観光地のギャップが大。
・これまでシーズンに集中した観光客が通年で訪れるようになったのは効果大。
・開 通以前は、東京−松本−白馬のルートが主流であったが、開通後は、東京−長野−白馬が主流と大きく変化
64
した。
などが報告されている(参考文献3、参考文献4)
。
長野県(参考文献2)によれば、新幹線開業に合わせて新設されたバス路線がある(図表3-22参照)。また、レ
ンタカーの貸出状況も(新幹線沿線主要5社)は前年同月比46%増と報告されている。
定期観光バス利用者は高齢者や女性客が多いことが予想されるが、対象者とテーマが合致している。若者や高齢
でない男性を含む観光客の場合、より広域的(オリンピック施設から自然探索まで)に行動することを望む傾向が
強いため、レンタカーを利用することにより効率の良い旅行ができるのではなかろうか。また、上述したように、
長野駅での新幹線と信越線長野以北との接続を良くすることにより、利用者の利便性は高まっていると思われる。
図表3- 22 新幹線開業に合わせて新設されたバス路線
路線バス
長野-大町
佐久平-白樺湖
長野-白馬
佐久平-小諸-高峰高原
長野-上高地
軽井沢-万座・鹿沢口-草津温泉
長野-志賀高原
定期観光バス
川中島古戦場とオリンピック施設めぐり(長野駅)
峠の釜飯とオリンピック施設めぐり(長野駅)
北信濃ハイライト(長野駅)
善光寺と北信濃ロマン街道「松代・小布施」めぐり(長野駅)
美術館巡りコース(軽井沢・佐久平駅)など
図表3-24 ~図表3-26は、平成5年以降の長野県内の観光入込客数(延べ数)をまとめたものである。長野新
幹線の停車駅を含む各地方事務所の市町村構成は、図表3-23のとおりである。
図表3- 23 長野新幹線の停車駅を含む各地方事務所の市町村構成
地方事務所
市 町 村 名
小諸市、佐久市、佐久穂町、小海町、川上村、南牧村、南相木村、北相木村、
佐久地方事務所
軽井沢町、御代田町、立科町
上小地方事務所
上田市、東御市、長和町、青木村
長野市、須坂市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、信州新町、信濃町、
長野地方事務所
飯綱町、小川村、中条村
長野県の観光入込客数は、平成8年に101,420千人であったが、新幹線が開業した平成9年には105,327千人と1.04
倍となっている。これを地域別にみると、佐久地方事務所内が1.02倍、上小地方事務所内が1.04倍、長野地方事務所
内が1.33倍、その他の長野県が0.97倍となっている。新幹線の開通が10月1日であることから2ヶ月間の効果として
は非常に大きいことが伺える。しかしながら、停車駅がある地域(佐久、上小、長野地方事務所)はいずれも平成
10年には観光入込客数は減少している。
観光入込客数はイベントの開催や天候によって大きく変化するため、個々の年次で比較することは難しいが、新
幹線が開業した2年後の平成11年を基準にその推移をみると、停車駅がある3地域ではほぼ横這いであるのに対し
て、その他の地域では減少傾向がみられる。
影響調査(参考文献2および参考文献4)でも指摘されているところであるが、強い個性等をもった温泉は好調
である点について確認するために、上田市にある別所温泉と丸子温泉郷の観光入込客数(延利用者数)を比較した
ものが図表3-27 ~図表3-29である。
別所温泉は新幹線開業前は利用客数が減少傾向にあったが、開業後は若干減少傾向にあるものの横這いを保って
65
延利用者数(千人)
図表3- 24 地方事務所別観光入込客数
佐久
上小
長野
その他の
長野県合計
地方事務所 地方事務所 地方事務所
長野県
平成5年
14,046.2
6,717.6
19,026.8
64,698.3
104,488.9
平成6年
14,599.1
6,618.8
17,815.1
65,286.2
104,319.2
平成7年
14,793.5
6,182.7
16,319.0
62,603.0
99,898.2
平成8年
15,404.7
6,107.6
16,291.2
63,616.8
101,420.3
平成9年
15,722.4
6,343.5
21,637.7
61,623.7
105,327.3
平成10年
14,871.9
6,049.2
16,264.6
63,089.5
100,275.2
平成11年
14,509.5
5,942.3
15,286.3
59,969.9
95,708.0
平成12年
14,566.1
6,103.1
15,730.8
60,225.3
96,625.3
平成13年
15,015.1
6,012.5
15,112.4
58,056.2
94,196.2
平成14年
15,128.5
6,288.5
14,850.7
60,378.7
96,646.4
平成15年
14,725.8
6,022.3
19,663.8
57,802.2
98,214.1
平成16年
14,676.9
5,843.7
14,713.7
57,059.9
92,294.2
平成17年
14,645.2
5,927.6
14,452.8
53,918.9
88,944.5
平成18年
14,574.6
5,758.2
14,665.0
52,557.2
87,555.0
平成19年
14,602.4
5,998.4
16,775.7
53,357.7
90,734.2
平成20年
14,166.2
5,860.4
15,310.9
51,419.8
86,757.3
平成5年
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
平成6年
103.9
98.5
93.6
100.9
99.8
平成7年
105.3
92.0
85.8
96.8
95.6
平成8年
109.7
90.9
85.6
98.3
97.1
平成9年
111.9
94.4
113.7
95.2
100.8
平成10年
105.9
90.1
85.5
97.5
96.0
平成11年
103.3
88.5
80.3
92.7
91.6
平成12年
103.7
90.9
82.7
93.1
92.5
平成13年
106.9
89.5
79.4
89.7
90.1
平成14年
107.7
93.6
78.1
93.3
92.5
平成15年
104.8
89.6
103.3
89.3
94.0
平成16年
104.5
87.0
77.3
88.2
88.3
平成17年
104.3
88.2
76.0
83.3
85.1
平成18年
103.8
85.7
77.1
81.2
83.8
平成19年
104.0
89.3
88.2
82.5
86.8
平成20年
100.9
87.2
80.5
79.5
83.0
(注)平成 10 年に開催された長野オリンピック・パラリンピック(2,452.4 千人)は
「その他の長野県」に含めた。
(資料)長野県観光部「平成 20 年 観光地利用者統計調査結果」
指数(H5=100)
66
図表3-25 地方事務所別観光入込客数(千人/年)
70,000
60,000
50,000
40,000
30,000
20,000
10,000
0
平
成
5
年
平
成
6
年
平
成
7
年
平
成
8
年
平
成
9
年
平
成
1
0
年
平
成
1
1
年
平
成
1
2
年
平
成
1
3
年
平
成
1
4
年
平
成
1
5
年
平
成
1
6
年
平
成
1
7
年
平
成
1
8
年
佐久地方事務所
上小地方事務所
長野地方事務所
その他の長野県
平
成
1
9
年
平
成
2
0
年
平
成
1
9
年
平
成
2
0
年
図表3-26 地方事務所別観光入込客数(指数、H5=100)
120
110
100
90
80
70
60
平
成
5
年
平
成
6
年
平
成
7
年
平
成
8
年
平
成
9
年
平
成
1
0
年
平
成
1
1
年
平
成
1
2
年
平
成
1
3
年
平
成
1
4
年
平
成
1
5
年
佐久地方事務所
上小地方事務所
その他の長野県
長野県合計
67
平
成
1
6
年
平
成
1
7
年
平
成
1
8
年
長野地方事務所
いる。それに対して、丸子温泉郷は新幹線開業前は横這いであったが、開業後は大幅な減少傾向がみられる。
新幹線による交通アクセスについて言えば、確かに別所温泉の方が約30分ほど有利であるが、
「別所温泉観光協会
-公式ホームページ」と「丸子温泉郷-日本温泉協会」のホームページを比較してみると、
その差に驚かされる。是非、
一度ご覧頂きたい。
たとえば、交通アクセスひとつをみても、別所温泉は長野新幹線上田駅からとなっているのに対して、丸子温泉
郷はしなの鉄道上田駅からとなっている。また、イベント等の実施や紹介も圧倒的に別所温泉観光協会の方が積極
的である。
平成16年調査「北陸新幹線整備に伴う糸魚川地域の振興方向(社団法人 糸魚川・西頸城法人会)
」でも指摘したよ
うに、当時から別所温泉は、高齢者や若い女性に人気の湯治場としての健闘が伝えられていた。具体的には、駅で
の出迎えと送迎マイクロバスの運行、コンサート、津軽三味線や琉球民謡、ジャズの演奏イベントなど、日帰りを
させない「しかけ」、他の地域とは異なる「しかけ」が考えられていた。
図表3- 27 別所温泉と丸子温泉郷の利用者数の推移
別所温泉
丸子温泉郷
延利用者数
指数
延利用者数
指数
(千人)
(H5=100)
(千人)
(H5=100)
平成5年
1,039.5
100.0
629.3
100.0
平成6年
888.9
85.5
640.7
101.8
平成7年
832.3
80.1
646.9
102.8
平成8年
818.9
78.8
630.4
100.2
平成9年
955.2
91.9
632.5
100.5
平成10年
927.5
89.2
555.9
88.3
平成11年
900.5
86.6
486.0
77.2
平成12年
931.9
89.6
538.2
85.5
平成13年
949.5
91.3
520.0
82.6
平成14年
954.2
91.8
506.6
80.5
平成15年
988.1
95.1
510.2
81.1
平成16年
887.2
85.3
483.5
76.8
平成17年
915.4
88.1
469.7
74.6
平成18年
876.1
84.3
418.8
66.6
平成19年
890.2
85.6
401.9
63.9
平成20年
831.0
79.9
401.0
63.7
(資料)長野県観光部「平成 20 年 観光地利用者統計調査結果」
図表3-28 別所温泉と丸子温泉郷の利用者数の推移(千人/年)
1,200
1,000
800
600
400
200
0
平
成
5
年
平
成
6
年
平
成
7
年
平
成
8
年
平
成
9
年
平
成
1
0
年
平
成
1
1
年
平
成
1
2
年
平
成
1
3
年
平
成
1
4
年
別所温泉
68
平
成
1
5
年
平
成
1
6
年
平
成
1
7
年
平
成
1
8
年
丸子温泉郷
平
成
1
9
年
平
成
2
0
年
図表3-29 別所温泉と丸子温泉郷の利用者数の推移(指数、H5=100)
120.0
100.0
80.0
60.0
40.0
平
成
5
年
平
成
6
年
平
成
7
年
平
成
8
年
平
成
9
年
平
成
1
0
年
平
成
1
1
年
平
成
1
2
年
平
成
1
3
年
平
成
1
4
年
別所温泉
平
成
1
5
年
平
成
1
6
年
平
成
1
7
年
平
成
1
8
年
平
成
1
9
年
平
成
2
0
年
丸子温泉郷
(8)産業への影響
影響調査(参考文献3および参考文献4)によれば、農林業関連分野への影響や効果として、
・地元農産品を郷土料理あるいはおみやげとして商品化し、産品の付加価値化及びPRに努力をしている。こうし
た取り組みの1つとして、土産物店や食堂等の地場産品を提供する業種でプラスの効果が得られはじめている。
・地元としては、グリーン・ツーリズムなど、農林水産業を活かした取り組みが始まっているが、地域的に、新幹
線ルートとそれ以外の地域の温度差もある。
・郷土料理等、地元産品への人気も上々で、長野イメージのPR等も積極的に行っている。
などが報告されている。また、商業への影響としては、
・大型店舗の進出等民間投資の拡大、集客範囲/商圏/営業範囲の拡大がみられる。
・一方で、在来駅乗降者数減少により駅前商店街等の売上等が減少している。
図表3-30 新幹線開業による長野の商業への影響
いくらかの
マイナス
6.5%
大きなマイナス
2.4%
大きなプラス
6.2%
その他
20.2%
いくらか
のプラス
30.9%
影響なし
33.8%
69
・買回品の小売ではマイナスの影響もある。
・新幹線駅周辺は、地域再開発で活況を呈す一方、在来線駅周辺は利用客が大幅に減少し、店舗の閉鎖・移転が増
加した結果、空洞化が進んでいる。
などが報告されている。その上で、商業集積としては、目に見えて変化しているが、新しい産業が興ったり、産業
基盤が発展するといった結果は、因果関係もわからないし、評価できないと結論づけられている(参考文献4)
。
また、長野商店会連合会では、新幹線の開業が長野の小売業に与えた影響についてアンケート調査を実施してい
るが、その結果は図表3-30のとおりである(参考文献2)
。プラスの効果があったと回答している割合は37.1%で、
マイナスの効果があったと回答している割合8.9%を28.2ポイント上回っており、効果を実感しているようである。
商業、とりわけ商圏への影響として顕著な例は佐久市と小諸市の変化である。この点については参考文献2およ
び参考文献6が詳しい。
佐久市は新幹線駅の新設決定(佐久平駅)を受けて周辺60ヘクタールの区画整理事業を行った。佐久平駅周辺の
公共投資額は、区画整理事業が約106億円、アクセス道路整備事業が約254億円である。また、大規模駐車場も整備
され、新幹線通勤者が利用している。また、佐久市内へ住宅を求める人も増加し、県外購入者の割合も2割に達し
ている(参考文献2)
駅周辺を整備した結果、駅前の幹線沿いにはイオン佐久平ショッピングセンターをはじめとする郊外タイプの大
型商業施設が軒並みオープンした。これらの広大な駐車場を備えた大型商業施設には、佐久市内にとどまらず、周
辺の市町村からも大勢の買い物客が集まってきている。かつて、佐久市、小諸市、北佐久郡、南佐久郡をエリアと
する佐久地域の商業中心地は小諸市だった。平成3年の小諸市における商品販売額は約2400億円にのぼった。しかし、
その後は減少傾向を示し、平成16年にはピーク時の3分の1となる約800億円にまで減少している。この間、ジャス
コや東急百貨店も撤退、さらに駅前の相生町商店街も空き店舗が相次ぐ事態となる。一方、買い物客は佐久平駅前
の大型商業施設へ向かうようになり、佐久市が商業の中心地に取って代わった(参考文献6)
。
この間の両市の年間商品販売額の推移をみたものが図表3-31および図表3-32である。小諸市の商品販売額の
推移は上述のとおりであるが、佐久市の年間商品販売額は新幹線が開業した平成9年の約2300億円がピークでその
後若干減少しているものの比較的堅調に推移している。佐久市と小諸市の比較をすると、平成3、4年調査では佐
久市は小諸市の0.86倍であったが、新幹線が開業した平成9年には1.18倍、平成11年には1.09倍とシェアを落とした
ものの平成14年には1.28倍となり、小諸市の大型店舗の撤退を機に平成16年には2.58倍、平成19年には1.98倍となっ
ている。
図表3- 31 佐久市と小諸市の年間商品販売額の比較(百万円)
平成 3、4 年
平成6年
平成9年
平成 11 年
平成 14 年
平成 16 年
平成 19 年
佐久市
208,244
226,457
233,041
231,135
219,620
200,804
199,405
小諸市
243,496
238,696
196,681
212,332
171,661
77,778
100,945
佐久/小諸
0.86
0.95
1.18
1.09
1.28
2.58
1.98
(注1)平成3年は飲食店を含まない調査が行われ、平成4年に飲食店調
査が実施された。
(注2)平成6年・9年・11 年 ・14 年・16 年の調査は飲食店を含まない。
(資料)「佐久市統計書(平成 21 年版)
」
、
「2009 年版統計小諸」
70
図表3-32 佐久市と小諸市の年間商品販売額の比較-佐久市/小諸市-
0.0
0.5
1.0
平成3、4年
1.5
2.0
2.5
3.0
0.86
0.95
平成6年
1.18
平成9年
1.09
平成11年
1.28
平成14年
2.58
平成16年
1.98
平成19年
(9)交流人口への影響
長野県と首都圏(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)との輸送実績については上述したとおりであるが、
ここでは「全
国幹線旅客純流動調査」結果を用いて、長野生活圏といくつかの生活圏の旅客流動量を詳細に調査し、新幹線の開
業が交流人口にどのような影響を与えたかを検討する。
図表3-33は長野生活圏からの鉄道距離による人口1人当たりのトリップ数をプロットしたものである。例えば、
長野と東京(23区)の純流動量(OD量)は2005年1年間で1,720千人であるが、長野と群馬(前橋・高崎)間のO
D量は524千人である。これをもって、長野は前橋・高崎生活圏よりも東京23区の方が結びつきが強いかと言えば、
確かにOD量は多いが何か違和感がある。もともと、東京都23区は人口も多く人口が多ければ同じトリップの発生
率でもOD量は多くなる。そこで、人口で割り引く<具体的には、OD量/(長野生活圏の人口+相手先の生活圏
の人口)>ことによって、交流の原単位を作成した。また、機関は全機関を採用している。新幹線となれば代表交
図表3-33 長野からの距離による人口1人当たりのトリップ数(2005年)
0.600
以下の3ゾーンは値が高いため図から省略した。
新潟(上越)の距離75km、1.9トリップ(新幹線駅なし)。
新潟(魚沼)の距離231km、1.7トリップ(新幹線駅あり)。
群馬(渋川・吾妻)の距離、141km0.8トリップ(新幹線駅なし)。
0.500
0.400
0.300
0.200
0.100
0.000
0
500
1,000
長野生活圏からの距離(km)
新幹線駅あり
71
新幹線駅なし
1,500
2,000
通機関<鉄道>となるが、新幹線開業によってモーダルシフトが起こり、乗用車等のOD量が減少してしまえば、
交流人口は増えたことにはならないからである。
長野生活圏からの距離による人口1人当たりのトリップ数をみると、当然のことながら、距離が長くなるとトリ
ップ数は減少している。これを新幹線駅がある生活圏と新幹線駅がない生活圏で分けてみると、新幹線駅がある生
活圏の方が多いことが伺える。
図表3-34は長野生活圏からの新幹線駅を持つ生活圏への人口1人当たりのトリップ数を1995年と2005年で比較
したものである。また、図表3-35はその一部を拡大したものである。長野からの距離は1995年と2005年では同じ
(2005年の距離を採用)であり、多くの生活圏で2005年の方がトリップ数が増加していることがわかる。
図表3-34 人口1人当たりのトリップ数の変化(新幹線駅ありの生活圏が対象)
1.400
1.200
1.000
0.800
0.600
0.400
0.200
0.000
0
200
400
600
800
1,000
1,200
1,400
1,600
長野生活圏からの距離(km)
1995年
2005年
図表3-35 人口1人当たりのトリップ数の変化(新幹線駅ありの生活圏が対象)
0.600
トリップ数が0.6より大きい、新潟(魚沼)
1995年0.832、2005年1.166は図から省略した。
0.500
0.400
0.300
0.200
0.100
0.000
0
200
400
600
800
1,000
長野生活圏からの距離(km)
1995年
72
2005年
1,200
1,400
1,600
図3-36は、長野を発着するOD量を主要生活圏間で比較したものである。新幹線駅がある生活圏でみると、大
阪を除いてすべての生活圏でOD量は1995年よりも2005年には増加している。ただし、全国でみた場合には、新幹
線駅がある生活圏でもOD量が減少しているところもある。
人口1人当たりのOD量の変化をみると、前橋・高崎、東京23区、新潟、長岡、富山で増加が著しくなっている。
図表3- 36 長野を発着する生活圏間流動表
50 都府県
ゾーン
OD量(千人/年)
207 生活圏
ゾーン
宮
城 仙
台
福
島 福
島
栃
木 宇
都
宮
群
馬 前 橋・ 高 崎
東
京 23
区
神 奈 川 横
浜
新
潟 新
潟
新
潟 長
岡
新
潟 上
越
富
山 富
山
石
川 加
賀
福
井 嶺
北
知 名
古
屋
愛
京
都 京
都
大
阪 大
阪
(資料)全国幹線旅客純流動調査
1995 年
32
23
63
378
1,292
319
407
334
2,775
105
74
61
245
95
219
2005 年
60
24
82
524
1,720
380
699
569
1,831
175
139
22
280
105
60
新幹線駅
フラグ
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
人口当たりOD(トリップ/人)
1995 年
0.014
0.020
0.038
0.206
0.144
0.076
0.233
0.281
2.868
0.089
0.046
0.053
0.087
0.046
0.069
2005 年
0.026
0.021
0.049
0.286
0.192
0.090
0.400
0.478
1.892
0.149
0.087
0.019
0.099
0.051
0.019
変化
0.012
0.001
0.011
0.080
0.048
0.014
0.167
0.197
− 0.976
0.060
0.041
− 0.034
0.012
0.005
− 0.050
倍率
1.88
1.04
1.30
1.39
1.33
1.19
1.72
1.70
0.66
1.67
1.88
0.36
1.14
1.11
0.27
長野新幹線が開業することにより距離帯別にOD量がどのように変化したかをみたものが図表3-37および図表
3-38である。新幹線駅がある生活圏とない生活圏では明らかに新幹線駅がある生活圏のOD量は増加している。
長野生活圏との距離が200km ~ 300kmでは新幹線駅がない生活圏とのOD量も増加しているが、この距離帯はOD
量も多く、新幹線を利用した後、在来線で新幹線駅がない生活圏へ移動している可能性もある。この距離帯に含ま
れる新幹線駅がない生活圏としては、東京(多摩)、千葉(船橋)、千葉(千葉)、神奈川(相模原)、千葉(成田)
などが含まれる。また、新幹線駅がある生活圏とのODのうち700km以上ではOD量が減少しているが、ここでは
代表交通機関データを使っているため、この距離帯は航空の機関分担率が高いことが原因と思われる。
長野との距離
~ 200km 未満
200km ~ 300km 未満
300km ~ 500km 未満
500km ~ 700km 未満
700km ~ 1000km 未満
1000km 以上
図表3- 37 長野生活圏からの距離別OD量の変化
新幹線駅がある生活圏とのOD量
新幹線駅がない生活圏とのOD量
(千人/年)
(千人/年)
1995 年
2005 年
倍
1995 年
2005 年
倍
512
841
1.64
4,255
3,196
0.75
3,252
4,269
1.31
1,980
2,564
1.29
892
1,267
1.42
205
193
0.94
643
849
1.32
224
141
0.63
500
268
0.54
312
286
0.92
88
44
0.50
305
343
1.12
73
図表3-38 距離帯別にみたOD量の伸び(倍)
0.0
0.5
1.0
∼200km未満
1.5
1.64
0.75
1.31
1.29
200km∼300km未満
300km∼500km未満
1.42
0.94
500km∼700km未満
1.32
0.63
0.54
700km∼1000km未満
1000km以上
2.0
0.92
0.50
新幹線駅あり
1.12
新幹線駅なし
4.東北新幹線(盛岡~八戸)開業に伴う地元購買率の変化
(1)岩手県内の新幹線停車駅がある2市1町の地元購買率の変化
新幹線開業の結果として生活圏が拡大するため、消費者のなだれ的な流出現象(ストロー現象)の危険が話題に
されることがある。図表4-1は、それを確認するために岩手県内の新幹線停車駅がある市町の地元購買率を、東
北新幹線の盛岡~八戸間が開業した平成14年前後でみたものである。
旧盛岡市の場合(図表4-2参照)、全品目で平成10年から15年にかけて地元購買率が低下しているが、平成15年
から20年にかけて地元購買率は全品目で上昇している。この結果からみる限り県庁所在地である盛岡の場合、スト
ロー現象はみられない。
岩手町の場合(図表4-3参照)、平成10年から15年にかけて、下着類、家具・インテリア、書籍雑誌・CD、家
電製品で地元購買率の大幅な低下がみられた一方、スポーツ用品・娯楽用品、日用品・台所用品では地元購買率が
上昇している。平成15年から20年にかけては、買回品を中心に地元購買率が下がっている。また、準買回品である
医薬品・化粧品では5.7ポイント、最寄品である日用品・台所用品、食料品では地元購買率が上昇している。
旧二戸市の場合(図表4-4参照)も、平成10年から15年にかけて、
紳士服、
婦人服、
家具・インテリア、
スポーツ用品・
娯楽用品で地元購買率が大幅に低下しているが、買回品でも家電製品の地元購買率は上昇している。また、普段着、
下着類、医薬品・化粧品などは地元購買率が上昇している。平成15年から20年では、紳士服、婦人服、下着類、医薬品・
化粧品では地元購買率が上昇しているが、くつ・カバン、家具・インテリア、スポーツ用品・娯楽用品、書籍雑誌・
CD、家電製品では地元購買率が大幅に低下している。
岩手町、旧二戸市の場合、買回品を中心に地元購買率が低下傾向にあり、ストロー現象がみられなくもないが、
実際の所はよく分からない。なぜならば、以下にみる大船渡市、陸前高田市、釜石市の場合も、岩手町や旧二戸市
と同様の傾向がみられるからである。それらを検討後、両市町のストロー現象を判断したい。
74
図表4-1 岩手県内の新幹線停車駅(盛岡~八戸間)がある市町の地元購買率の変化
(単位:%)
旧 盛 岡 市
岩 手 町
旧 二 戸 市
平成 10 年 平成 15 年 平成 20 年 平成 10 年 平成 15 年 平成 20 年 平成 10 年 平成 15 年 平成 20 年
紳士服
95.8
94.9
96.9
14.4
6.4
3.1
57.0
39.7
45.0
婦人服 (※ 1)
95.4
93.7
97.4
16.7
9.4
4.8
47.2
31.8
35.8
普段着 (※ 2)
96.2
94.6
97.9
22.8
14.1
8.5
58.6
66.0
63.8
下着類 (※ 3)
96.4
94.4
97.7
35.7
18.0
11.1
71.9
77.8
83.1
くつ・カバン
97.0
94.3
96.8
14.5
12.8
9.3
61.8
57.8
49.0
家具・インテリア
92.7
92.2
96.0
24.5
13.0
9.1
67.3
46.6
36.8
スポーツ用品 ・ 娯楽用品(※ 4)
99.1
94.8
96.7
21.5
25.4
13.0
82.3
64.5
46.8
書籍雑誌・CD
98.9
98.3
98.6
50.3
33.3
29.9
92.5
92.6
79.7
日用品 ・ 台所用品
98.6
96.9
98.1
78.1
79.8
88.2
96.3
97.6
95.3
家電製品
99.2
99.0
99.2
50.5
29.5
36.7
78.4
82.0
73.3
医薬品 ・ 化粧品
97.6
95.3
96.7
83.8
83.3
89.0
90.5
93.2
97.6
食料品
97.6
97.1
97.6
88.1
88.0
91.0
98.7
97.6
100.0
品目総合
97.4
96.4
97.5
68.3
68.3
71.4
87.9
87.5
88.4
(注)※1. 婦人服の平成 10 年の数字は婦人服 ・ 子供服のものである。
※2. 普段着の平成 10 年の数字はシャツ ・ セーター類のものである。 ※3. 下着類の平成 10 年の数字は寝巻 ・ 下着類のものである。
※4. スポーツ用品 ・ 娯楽用品の平成 10 年の数字はスポーツ ・ レジャー用品のものである。
(資料)岩手県「岩手県広域消費購買動向調査」
図表4-2 盛岡市の地元購買率の変化(%)
−6
−4
−2
婦人服
−1.7
普段着
−1.6
3.7
3.3
3.3
2.5
−0.5
家具・インテリア
3.8
−4.3
1.9
−0.6
書籍雑誌・CD
0.3
−1.7
1.2
−0.2
家電製品
0.2
−2.3
1.4
−0.5
食料品
品目総合
6
2.0
−2.7
くつ・カバン
医薬品・化粧品
4
−2.0
下着類
日用品・台所用品
2
−0.9
紳士服
スポーツ用品・娯楽用品
0
−1.0
10年∼15年
75
0.5
1.1
15年∼20年
図表4-3 岩手町の地元購買率の変化(%)
−25
−20
−15
−10
−8.0
紳士服
0
5
10
−3.3
−7.3
−4.6
婦人服
−8.7
普段着
下着類
−5
−17.7
−5.6
−6.9
−1.7
−3.5
くつ・カバン
−11.5
家具・インテリア
スポーツ用品・娯楽用品
−3.9
3.9
−12.4
−17.0
書籍雑誌・CD
−3.4
1.7
日用品・台所用品
8.4
家電製品 −21.0
7.2
−0.5
医薬品・化粧品
5.7
−0.1
食料品
3.0
0.0
品目総合
10年∼15年
3.1
15年∼20年
図表4-4 二戸市の地元購買率の変化(%)
−25
紳士服
−20
−15
−10
−5
0
5
−17.3
5.3
−15.4
婦人服
4.0
普段着
7.4
−2.2
5.9
5.3
下着類
くつ・カバン
−8.8
家具・インテリア −20.7
スポーツ用品・娯楽用品
書籍雑誌・CD
10
−4.0
−9.8
−17.8
−17.7
0.1
−12.9
日用品・台所用品
−2.3
家電製品
1.3
3.6
−8.7
2.7
4.4
医薬品・化粧品
−1.1
食料品
−0.4
品目総合
10年∼15年
76
15年∼20年
2.4
0.9
(2)岩手県内の新幹線停車駅がない3市の地元購買率の変化
図表4-5は、岩手県内の新幹線停車駅がない3市の地元購買率の変化をみたものである。
大船渡市の場合(図表4-6参照)、平成10年から15年にかけて全品目で地元購買率が低下している。さらに、平
成15年から20年にかけてはそれに拍車をかけたように婦人服、くつ・カバン、家具・インテリア、スポーツ用品・
娯楽用品で地元購買率が低下している。
陸前高田市の場合(図表4-7参照)、平成10年から15年にかけて普段着、下着類、書籍雑誌・CDなどでは地元
購買率は上昇しているが、買回品を中心に地元購買率は低下している。平成15年から20年にかけては、全品目で地
元購買率が低下している。
釜石市の場合(図表4-8参照)も陸前高田市と同様の傾向がみられ、平成10年から15年にかけて医薬品・化粧
品以外の品目では地元購買率が低下している。平成15年から20年にかけても地元購買率が上昇しているのは新幹線
や高速道路とは関係のない日用品・台所用品、医薬品・化粧品、食料品だけで、買回品を中心に地元購買率の低下
が続いている。
(3)ストロー現象の有無
図表4-9は、岩手県内の5市1町の平成10年から20年の地元購買率の変化をまとめたものである。
この図から明らかなように、旧盛岡市については仙台へのストロー現象はみられない。
岩手町、旧二戸市については、買回品を中心に地元購買率は低下しているが、この傾向は大船渡市、陸前高田市、
釜石市でも同様かそれ以上の低下をまねいている。人口規模から言えば岩手町や二戸市よりも大船渡市や釜石市の
方が大きいことを考えると、ストロー現象があると結論づけることはできない。
図表4-5 岩手県内の新幹線停車駅がない市の地元購買率の変化
(単位:%)
大 船 渡 市
陸 前 高 田 市
釜 石 市
平成 10 年 平成 15 年 平成 20 年 平成 10 年 平成 15 年 平成 20 年 平成 10 年 平成 15 年 平成 20 年
紳士服
78.5
70.1
63.9
36.7
29.9
24.7
55.6
41.6
33.6
婦人服 (※ 1)
76.9
65.5
57.1
58.2
41.7
29.3
49.5
28.0
19.1
普段着 (※ 2)
82.1
79.9
74.0
64.3
69.8
58.0
57.2
34.6
25.7
下着類 (※ 3)
89.7
88.7
88.3
75.6
83.3
78.6
69.4
41.9
41.3
くつ・カバン
84.0
77.7
64.7
62.6
43.0
38.5
65.0
45.2
40.8
家具・インテリア
87.1
80.7
63.3
73.6
60.4
44.4
85.9
67.6
47.3
スポーツ用品 ・ 娯楽用品(※ 4)
78.3
70.4
43.9
67.9
52.2
39.5
79.1
76.3
60.6
書籍雑誌・CD
97.7
95.3
93.6
74.6
86.0
78.5
84.3
76.6
73.6
日用品 ・ 台所用品
96.6
93.5
95.9
92.8
96.6
94.6
84.9
80.3
90.1
家電製品
96.6
96.5
94.9
53.4
31.4
15.2
92.3
91.3
87.8
医薬品 ・ 化粧品
94.6
90.8
95.9
93.2
96.6
91.8
86.3
89.1
93.6
食料品
96.6
95.9
96.3
94.0
94.9
93.4
88.9
86.8
87.7
品目総合
93.1
91.3
90.0
83.7
82.7
79.2
82.6
79.2
78.7
(注)※1. 婦人服の平成 10 年の数字は婦人服 ・ 子供服のものである。
※2. 普段着の平成 10 年の数字はシャツ ・ セーター類のものである。
※3. 下着類の平成 10 年の数字は寝巻 ・ 下着類のものである。
※4. スポーツ用品 ・ 娯楽用品の平成 10 年の数字はスポーツ ・ レジャー用品のものである。
(資料)岩手県「岩手県広域消費購買動向調査」
77
図表4-6 大船渡市の地元購買率の変化(%)
−30
−25
−20
−15
−10
−5
0
5
10
−8.4
−6.2
紳士服
−11.4
−8.4
婦人服
普段着
−5.9
−2.2
−1.0
−0.4
下着類
くつ・カバン
−6.3
−13.0
家具・インテリア
−6.4
−17.4
−7.9
スポーツ用品・娯楽用品 −26.5
−2.4
−1.7
書籍雑誌・CD
−3.1
日用品・台所用品
2.4
−0.1
−1.6
家電製品
−3.8
医薬品・化粧品
5.1
−0.7
食料品
0.4
−1.8
−1.3
品目総合
10年∼15年
15年∼20年
図表4-7 陸前高田市の地元購買率の変化(%)
−30
−20
−10
20
−16.5
−12.4
婦人服
普段着
5.5
−11.8
下着類
7.7
−4.7
−19.6
−4.5
−13.2
−16.0
家具・インテリア
−15.7
−12.7
スポーツ用品・娯楽用品
書籍雑誌・CD
11.4
−7.5
日用品・台所用品
家電製品
10
−6.8
−5.2
紳士服
くつ・カバン
0
3.8
−2.0
−22.0
−16.2
医薬品・化粧品
3.4
−4.8
0.9
食料品
−1.5
品目総合
−1.0
−3.5
10年∼15年
78
15年∼20年
図表4-8 釜石市の地元購買率の変化(%)
−30
−20
−14.0
紳士服
−21.5
婦人服
普段着
−10
−8.0
−8.9
下着類
家具・インテリア
スポーツ用品・娯楽用品
10
−8.9
−22.6
−27.5
くつ・カバン
0
−0.6
−19.8
−4.4
−18.3
−20.3
−2.8
−15.7
−7.7
書籍雑誌・CD
−3.0
−4.6
日用品・台所用品
9.8
−1.0
−3.5
家電製品
2.8
4.5
医薬品・化粧品
−2.1
食料品
0.9
−3.4
−0.5
品目総合
10年∼15年
79
15年∼20年
20
図表4-9 岩手県内5市1町の地元購買率の変化(平成10年~ 20年)
(%)
−50
−40
−30
−20
−22.0
2.0
1.7
5.2
−8.1
−6.3
−31.5
1.3
−24.6
下着類
11.2
−1.4
3.0
−28.1
くつ・カバン
スポーツ用品・娯楽用品
−29.2
−35.5
−34.4
−23.8
−2.4
−8.5
−28.4
−18.5
−20.4
書籍雑誌・CD
3.3
−15.4
−30.5
−38.6
−0.2
−5.2
−12.8
−19.3
−24.1
−24.2
家具・インテリア
−0.3
−12.8
−4.1
3.9
−10.7
− 0.5
− 1.0
− 0.7
日用品・台所用品
家電製品
20
1.1
−14.3
普段着
10
−11.9
−11.4
−19.8
−28.9
−30.4
0
−11.3
−12.0
−14.6
−12.0
紳士服
婦人服
−10
−13.8
−38.2
10.1
1.8
5.2
0.0
−5.1
−1.7
−4.5
−0.9
医薬品・化粧品
−1.4
1.3
5.2
7.1
7.3
0.0
食料品
−0.3
−0.6
−1.2
2.9
1.3
0.1
品目総合
−3.1
−4.5
−3.9
盛岡市
岩手町
80
二戸市
大船渡市
0.5
陸前高田市
3.1
釜石市
とりまとめ
本稿では、最初に新幹線の整備効果とその計測手法を紹介し、
その後、
上越新幹線、
長野新幹線および東北新幹線(盛
岡~八戸)開業に伴う地域への影響事例を紹介した。この三線の社会経済事象のデータを統一できればより詳細な
分析が可能となるであろうが、データ収集が難しく、入手できたデータの紹介にとどまってしまった。そのような
限られた影響事例ではあるが、ここで得られた知見をとりまとめとして整理し、今後の研究の方向性を明らかにし
ておく。
<新幹線開業に伴う地域への影響>
・新幹線整備に伴う効果は、大きく事業効果と施設効果に分けることができる。事業効果は、新幹線供用開始以前
の調査、建設段階で発生する効果であり、新幹線建設に係わる直接的雇用増加、所得増加とそれに伴う経済波及
効果がそれにあたる。施設効果は、新幹線のサービスが利用されることによって生じる効果である。
・施設効果については、研究者の中には地域間競争に慣れていないため新幹線が開通しても地方都市は衰退するの
が現実という意見を持っている人もいる。わが国の場合、新幹線も高速道路もその路線網はほぼ全国に張り巡ら
されているため競争は激化している。つまり、地域への影響は複雑なものであり、新幹線を活用した地域振興の
仕組みをどのように作るかがキーとなると考えられる。
<時間距離の変化に伴う交流人口の変化>
・長野新幹線にアクセスする在来線やしなの鉄道では、新幹線接続列車のダイヤを工夫することにより新幹線の時
間短縮効果がより広範囲に及んでいる。
・長野新幹線開業前後の輸送実績を「全国幹線旅客純流動調査」でみると、首都圏(埼玉県、千葉県、東京都、神
奈川県)と長野県の純流動量は増加している。本文では整理していないが、首都圏-秋田県間、首都圏-山形県
間、首都圏-青森県間でも同様の効果がみられている。
・長野生活圏からの距離による人口1人当たりのトリップ数を、新幹線駅がある生活圏と新幹線駅がない生活圏で
分けてみると、新幹線駅がある生活圏の方が多い。また、新幹線駅がある生活圏のOD量は増加している。
・長野新幹線開業前後の10年間の長野生活圏と新幹線駅のある生活圏間のOD量の変化をみると、200km圏内では
1.64倍、200~300km圏内では1.31倍、300~500km圏内では1.42倍、500~700km圏内では1.32倍となっている。
<社会経済活動の変化について>
・上越新幹線、長野新幹線ともに停車駅がある自治体合計の人口、事業所数、従業者数の県内構成比は高まる傾向
がみられた。しかしながら、個々にみると、実数で低下している自治体、構成比を下げている自治体もある。
・商業とりわけ商圏への影響も同様で佐久市と小諸市の例が顕著である。新幹線駅開設に際して、区画整理事業や
大規模駐車場を整備した佐久市が佐久地域の商業中心地となった。また、駐車場整備は新幹線通勤を可能にし、
県外からの転入人口も増加している。
・県全体、新幹線駅がある自治体合計では効果があるが、個別には競争があり、新幹線駅の存在イコール地域の発
展ではない点に注意が必要である。交通需要は経済活動等からの派生需要である。そのためには、駅周辺の開発
や交通利便性の向上、魅力ある地域社会の充実を図っていくことが重要である。
・時間短縮の結果、長野市などは首都圏からの日帰り圏となり事業所数は減少している。支店経済を築いている地
域では、その実績を高めていかなければ、事業所数の減少につながるものと思われる。また、地域資源をうまく
利用した観光開発にも目を向けていくことが必要である。
81
・新幹線開業の結果として生活圏が拡大するため、消費者のなだれ的な流出現象(ストロー現象)の危険が話題に
されることがある。岩手県内の5市1町の地元購買率を、東北新幹線の盛岡~八戸間が開業した平成14年前後で
みた結果、ストロー現象はみられない。
・人の生活は買回品(とりわけ、高級アクセサリーやインテリア)だけが重要なわけではない。ほとんどの生活が
準買回品や最寄品でなりたっているのである。そして、地域をつくっているのはインフラなどのハード面ばかり
ではない。最も重要なのは人である。人のつながり(絆)こそが地域を住み良い「まち」にし、来訪者に安心感
や安らぎを与えるのである。そのような「まち」になってこそ、真の豊かさを実感できるのではなかろうか。
<観光開発について>
・長野県の観光入込客数についても一定の効果は見られているが、新幹線開業に合わせたバス路線の新設や、利用
客の特性を見極めたテーマ、サービスを行わなければ効果は継続しない。
・上田市にある別所温泉と丸子温泉郷の観光入込客数の例にみられるように交通アクセスの有利さも影響するが、
ホームページによる情報発信、各種サービス、楽しいイベントなどの仕掛けが重要である。
・「全国幹線旅客純流動調査(年間、平日)」によれば人口に対する幹線旅客流動量の比率は、1995年と2005年を
比較すると60歳以上では1.2%から2.5%と倍増している。また、30歳代、40歳代の人の10年後の年代別人口に対す
る幹線旅客流動の比率が増えていることから旅行回数も増えている。年齢階層別、訪問目的別、季節別、足回り
別にこれらの資源を整理して、何が欠けているのか(ボトルネックの発見)、何を充実させれば良いのか(ボト
ルネックの解消)を検討することが重要と思われる。
・いずれにしても、長時間滞在してくれるしかけ、消費に結びつけられるしかけを考えることが重要であろう。そ
のためには、新幹線駅を降りてからのルート、移動サービスを充実させることが必要であろう。
・観光客にとって、重要なことは、お金を払って行ったとして、それに見合った満足が得られるかどうかという安
心感である。そのようなソフト面での充実こそが地域活性化の決め手になる時代が来ていると思われる。そのた
めには、地域の「強み・弱み」を洗い直し来訪者が何を望んでいるかを明確にし、その上で他地域との差別化を
図り、適切な情報を伝えることが大切である。さらに、リピーターを呼ぶためには、これまで以上に「もてなし
の心」を磨くことが重要である。
<今後の研究の方向性について>
・本稿ではデータを個々に分析し、事例として紹介した。本来社会経済事象は相互に関連しているものである。新
幹線の整備効果とその計測手法のところで整理したように、これらの影響を計測するための手法として最も一般
的なものは、地域計量経済モデルを構築して、新幹線の有無による社会経済の姿を予測することである。
・北陸新幹線の延伸(長野~金沢)まであと3年であり、沿線地域ばかりでなく、沿線地域ではない上越地域を除
く新潟県にどのような影響が予測されるのかを把握しておくことは重要と思われる。次年度に向けて、研究をよ
り深化させていきたいと考えている。
<主な参考文献>
1.社団法人糸魚川・西頸城法人会「北陸新幹線整備に伴う糸魚川地域の振興方向」(平成16年3月)
2.長野県『北陸新幹線(長野・東京間)の開業に伴う効果「北陸新幹線長野・東京間開業1年 ~長野からのレ
ポート~ 」』(平成10年11月)
3.日本銀行金沢支店「北陸新幹線の金沢開業に向けた取り組みと今後の課題-経済効果の持続的な拡大に向けて-」
(ほくりくのさくらレポートvol.12、2010年7月30日)
4.国土交通省「新幹線を含めた広域交通ネットワーク形成等による都市連携モデル調査」
(平成14年度 新全国総
合開発計画推進調査)
82
5.富山県交通政策研究グループ「新幹線後の公共交通とまちづくりはこれだ」
(平成16年3月)
6.『長野新幹線にみる新幹線効果の「光」と「陰」
』
(フォーラム福岡19号、2008年3月29日発行)
7.北海道新幹線開業効果拡大・活用検討会議『北海道新幹線「新函館(仮称)駅」開業に関するアンケート調査』
(平
成19年3月)
8.国土交通省政策統括官「平成18年度 全国幹線旅客純流動調査 報告書」
(平成19年3月)
9.櫛引素夫『地域振興と整備新幹線-「はやて」の軌跡と課題』
、弘前大学出版会、
(2007年5月30日発行)
83
84
論稿
レーガン政権の対中米外交に関する考察
―対ソ連強硬路線を基調とした1980年代のアメリカ国際政治戦略体系の一構成
要素としての対中米外交―
広 田 秀 樹
長岡大学教授 ガンの国際政治戦略は、同時代の多数の人が半永久的
はじめに
に固定された世界体制とも認識していた冷戦体制にピ
1.レーガン政権以前の中米の状況
リオドを打ち、それまで地球上の約3分の1を占有して
2.レーガン政権の対中米外交
いた社会主義・共産主義体制の大半を一挙に消滅させ、
2.1. ―1981 年―
世界を自由主義・資本主義・市場主義体制に全面的に
2.2. ―1982 年―
移行させる契機を創造し、本格的に世界が一体化し行
2.3. ―1983 年―
くグローバル化(Globalization)への突破口を開いて
2.4. ―1985 年―
いった。
2.5. ―1986 年―
レーガン政権は対ソ連外交を政権の中心的な外交と
2.6. ―1987 年―
して強硬に進めつつ、対ソ連外交体系の一構成要素と
2.7. ―1988 年―
して、ソ連の影響力が浸透していたソ連同盟国・友好
2.8. ―1989 年以降―
国やそれらが存在するエリアへの、レーガンドクトリ
おわりに
ンに基づく強硬な国際政治戦略を進めていった。1980
註
年代において、ソ連の影響力が浸透していたエリアは、
主要参考文献
中米・中東・アフリカなど複数存在した。その中でも、
強力なソ連の同盟国キューバの影響力が強かった中米
はじめに
は、ソ連にとってその覇権を拡大する好機を狙う絶好
アメリカは、その変化の影響力を自国内だけにと
中米を含むラテンアメリカは、歴史的に「米国の裏庭」
どめない国家である。特に第2次世界大戦以降、アメ
として、他国の覇権を許容できないエリアであった。
リカは一貫して国際政治全体を変える動きを有してき
レーガンは対ソ連外交でソ連を直接的に圧倒していく
た。そして、1980年代のレーガン政権下のアメリカは、
ことを中心とした国際政治戦略体系中で、対中米外交
第2次世界大戦後40年以上続いた冷戦体制を終わらせ、
を連動させていった。
世界を劇的に変えたのであった。
レーガン政権は1981年から1983年にかけてソ連に対
1981年に誕生したレーガン政権は、それ以前の政権
して強硬路線を進める時、対中米外交も強硬に展開さ
が形成してきた対ソ連・対東側へのデタント路線を
せた。しかし、1985年以降、アメリカの強硬路線で疲
真っ向から否定し、「力による平和」(Peace through
弊していったソ連が大幅に譲歩の姿勢を示す時、レー
Strength)を国際政治上の基本戦略においた。そして、
ガン政権の対中米外交も柔軟に変化していくのであっ
当時のソビエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)を
た。
事実上の盟主とした共産主義陣営と鋭く対峙し、世界
本稿では、レーガン政権の対中米外交を、対ソ連強
各地の反共産主義勢力も積極的に支援するというレー
硬路線を基調とした1980年代のアメリカ国際政治戦略
ガンドクトリンを打ち出した。
体系の一つの構成要素という視点から分析する。
のエリアとなっていた。一方、アメリカにとっても、
レーガン政権の強硬な国際政治戦略は大規模戦争を
1.レーガン政権以前の中米の状況
も引き起こすのではないかという危惧すら持たれ、当
初、深刻な衝撃を世界に与えた。しかし、卓越したレー
85
中米は基本的に先進超大国アメリカに隣接したエリ
⑷
1980年のカーターと
も崩れさっていく危機にあった。
アで、アメリカからの直接投資、アメリカへの製品輸
対峙した大統領選挙において、レーガンは中米戦略の
出等によって、経済的に発展するポテンシャルを有す
強化を訴えていた。
るエリアであった。しかし、中米は、政治的不安定、
2.レーガン政権の対中米外交
社会的不公正、極度な経済格差の存在などで、恒常的
に社会は不安定で経済発展は遅れていた。そのような
2.1. ―1981年―
状態は左派社会主義革命を生じさせる温床となり、結
果として中米は左派社会主義革命を支援しようとする
2.1.1. レーガン政権の中米への基本スタンス
ソ連と、それを阻止しようとするアメリカによる「代
理戦争」を惹起させがちなエリアとなっていた。
⑴
1977年からスタートしたカーター政権は、「人権外
1981年に大統領に就任したレーガンは、キューバー・
交」を基軸に中米に対しても、比較的穏健な外交を展
ニカラグア・エルサルバドル・グアテマラと、ドミノ
開した。1977年には、「新パナパ運河条約(パナパ運
倒しのように中米カリブ海エリアに、社会主義革命が
河条約及びパナパ運河の永久中立と運営に関する条
波及しソ連支配下の共産国家が発生するという「ドミ
約)」を締結した。この条約によって、パナマ運河と
ノ理論」を主張した。事実、1981年時点で、米国の情
運河地帯の施政権が1999年12月31日をもって、パナマ
報機関は、ソ連がその大量の兵器をキューバに移送し、
⑵
に正式に委譲されることになった。
キューバからニカラグアに渡り、さらにニカラグアか
ニ カ ラ グ ア で は、1936 ~ 79年 の43年 間 に 渡 っ て、
らエルサルバドル・その他中米諸国に渡っているとい
ソモサ・ファミリー(親子2代3人)による独裁政権(ソ
う情報を得ていた。
「ソ連⇒キューバ⇒ニカラグア⇒
モサ王朝と呼ばれた)が続いていた。ソモサの独裁政
エルサルバドル⇒その他の中米諸国(グアテマラ・ホ
権は親米のスタンスをとり続けていたため、アメリカ
ンジュラス・コスタリカ)
」というソ連の中米への影
も長期に渡って独裁政権を許容していた。
響力浸透の流れを、米国はソ連が中米諸国を共産化す
ところが1979年6月、ニカラグアのサンディ二スタ
る動きとして、懸念をもって注視していた。
民族解放戦線(FSLN、以下FSLN)が、ソモサ独裁政
レーガンは就任後直ちに、
「エルサルバドル死守」
権に対して大規模な軍事攻撃を開始し、同年7月に社
を宣言し、エルサルバドルの軍事政権の支持を表明し
会主義革命(ニカラグア革命)を成功させ、ダニエル
た。そして、ニカラグアをエルサルバドル等中米の政
=オルテガが国家再建会議議長に就任した。⑶革命後の
治不安を招く国家として強く批判し始めた。
ニカラグアは、キューバ・ソ連との関係を強め、キュー
1981年2月には、レーガン政権の国務省は『エルサ
バ・ソ連もFSLNを軍事的・経済的に支援し始めた。
ルバドル白書』を発表した。
『エルサルバドル白書』は、
1980年になると、ニカラグアのFSLNに影響されてエ
エルサルバドル内戦におけるFMLN等の「解放勢力」
ルサルバドルでも、ファラブンド・マルティ民族解放
を共産主義勢力と断定し、またそれら勢力へのニカラ
戦線(FMLN、以下FMLN)が社会主義革命運動を開
グア政府の関与を指摘したもので、エルサルバドル政
始し、エルサルバドル内戦が勃発した。さらに、1980
権への軍事援助を含む多様な支援の必要性を訴えた。
年代初頭、グアテマラでも左派革命の流れが形成され
また、
エルサルバドル「解放勢力」の背後にソ連・キュー
ていった。即ち、武装反乱軍(FAR)がグアテマラ政
バ・ニカラグアが存在するとし、ニカラグアへの経済
府の打倒を狙い政府軍との戦闘を開始した。又、
キュー
制裁を提言した。
バで、グアテマラ国民革命連合(URNG)と愛国グア
レ ー ガ ン は ニ カ ラ グ ア や ニ カ ラ グ ア へ の ソ 連、
テマラ委員会(CGUP)が発足し、左派の革命運動は
キューバ等の関与を懸念し、次のように述べている。
加速し内戦が激化して行くことになった。
「毎日のようにモスクワの代理人フィデル・カストロ
カーター政権末期には、伝統的な「米国の裏庭」に、
が、ますます多くの兵器や共産主義者の “顧問” を中
キューバに次ぐ社会主義国家がニカラグアに誕生し、
米地域に送り込んでおり、ニカラグアが全中米を共産
さらに隣接するエルサルバドル、グアテマラでも社会
化するベースキャンプになりつつあることを示す新た
主義革命への動きが活発になっていった。アメリカが
な証拠が明らかにされていた。ニカラグアのサンディ
伝統的にプレゼンスを確立してきたエリアは、もろく
ニスタ政権は1979年、独裁者アナスタシオ・ソモサを
86
倒したあとニカラグア国民や米州機構(OAS)に対し、
ニカラグア民主戦線を直ちに支援し、ホンジュラス国
ソモサの独裁に代わって民主主義を確立することを公
境からニカラグアに侵入させ、FSLNに対するゲリラ
約して権力を掌握した。自由な選挙、自由な報道、自
戦を開始させた。また、1982年にはFSLN自体から離
由な企業、独立した司法制度も公約したはずだった。
脱して「民主革命同盟」が結成された。アメリカは民
しかし、ソモサ打倒後数週間もたたないうちに、サン
主革命同盟も支援し、コスタリカ国境からニカラグア
ディニスタは、一つの独裁体制に代えて別の独裁体制
のFSLNに攻撃を開始させた。これらFSLNに対抗する
の樹立に取りかかった。彼らはテレビ、ラジオ局を接
勢力は総称して「コントラ」と呼ばれ始めた。
収し、新聞の検閲を始め、民主主義的感情に基づくと
コ ン ト ラ は、 反 革 命 を 意 味 す る ス ペ イ ン 語 の、
みられるものすべてを、かつてソモサがやったのと同
contra-revolucion(英語では、counter-revolution)か
様に乱暴、かつ無慈悲なやり方で圧殺した。その一方
らきた名称であった。FSLNに反対するという意味で
で、彼らはカストロやモスクワ、東欧ブロックと同盟
あった。コントラは、3グループから形成されていた。
を結んだ。」(わがアメリカンドリーム、388 ~ 389p)
第1に、最大のグループが、旧ソモサ軍を中心にし
レーガンは中米での形勢逆転を狙いCIA等に迅速に
たニカラグア民主軍(FDN)で、当初、数百人の部隊
指示を出し、ニカラグアでの親米の反体制派(旧軍出
であったが、米軍・イスラエル国防軍・ホンジュラス軍・
身者・地主層等)を結集させて行くのであった。レー
アルゼンチン陸軍・パナマ国軍からの訓練等の支援も
ガンは次のように述べている。「ビル・ケーシー以下
受け、1,500名の部隊にまで拡大した。ホンジュラスを
のCIA当局者は、キューバからニカラグア、エルサル
基地にして、ホンジュラス側からの攻撃を実行した。
バドルへのソ連製兵器の流れを阻止しようとする非サ
第2に、元FSLN司令官エデン=パストラが率いた民
ンディニスタ派ニカラグア国民に対し、今後数か月に
主革命同盟(ARDE)で、部隊規模は2,000 ~ 3,000名
わたり援助を供与する隠密計画を通じ、中米での共産
で推移した。コスタリカを基地にして、コスタリカ側
主義の脅威に対処する構想をまとめ上げた。最初は数
から攻撃を実行した。
えるほどでしかなかったこれらの人たちが、のちにニ
第3に、FSLNの強制移住政策・スペイン語教育等の
カラグアのコントラ自由戦士らの中核となった。
」
(わ
同化政策に反発した、カリブ海岸の先住民、ミスキー
がアメリカンドリーム、390p)
ト、ラマ、スモ等を中心とした、MISURASATAがあっ
さらに、米国経済界及び世界経済の最大の実力集団
た。
であるロックフェラーグループと緊密な関係を有して
レーガン大統領はコントラを、
「自由の戦士」と呼
いたレーガンは、ロックフェラーグループに中米対応
び賛嘆した。米国はホンジュラスに、コントラのため
を要請したのであった。レーガンは次のように述べて
の基地を建設した。⑸ 米国の支援を受けたコントラは、
いる。「私はデービッド・ロックフェラーに中南米諸
1981 ~ 1984年にニカラグアの南北から攻撃を展開し
国の経済改善計画を、“大巨人” がまたもやあれこれ指
た。コントラの兵力は最盛期、約15,000人に拡大した。
図しようとする試みなどと受け取られないような形で
1981年レーガン政権は、グアテマラへの軍事援助も
策定できないか検討してほしいと依頼した。」(わがア
開始した。
メリカンドリーム、311p)
2.2. ―1982年―
2.1.2. ニカラグア介入の開始
2.2.1. 「イラン・コントラ・アフェアー」の発端
1981年、ニカラグアがソ連の軍事拠点になるとして、
レーガンはニカラグアに対する攻勢を強めていった。
1982年末に米国議会は、国防総省とCIAの予算を、
即ち、1981年にニカラグアへの経済制裁を開始した。
ニカラグアのFSLN打倒のために使用することを禁じ
段階的に経済制裁の水準を上げ1985年には全面禁輸ま
た。これに対して、ホワイトハウスの国家安全保障担
で行った。
当補佐官・国家安全保障会議事務局長ジョン=ポイン
1981年、ニカラグア国内で、旧ソモサ政権の国家警
デクスター(John Poindexter)と国家安全保障会議
備隊員・ニカラグア新政府から離脱した保守派が終結
軍政部次長オリバー=ノース中佐(Oliver North)は、
し「ニカラグア民主戦線」が結成された。アメリカは
米国政府・国連安全保障理事会が武器禁輸国に指定し
87
ていたイラン・イラク戦争中のイランに武器を秘密裏
コリント・サンファンデルスル・サンファンデルノル
に輸出し、その収益をコントラへの支援活動費に流用
テ・ポトシの、海軍基地・主要港等を空爆したのであっ
した。レバノンでイランが支持するテロリストグルー
た。
プ、ヒズボラに拘束されている米国人を解放する一貫
2.3.3. 親米国家コスタリカへの支援
としてイランに武器売却が展開されたのであった。
後にレーガン政権を揺るがすことになるイラン・コ
ントラ・アフェアー(Iran-Contra Affair)は、1986年
コスタリカは1948年に、フィゲーレスが内戦から権
11月に、レバノンの新聞アルシラア誌によって、米国
力を握り軍事評議会をつくり、その下の議会で1949年
が秘密裏に武器をイランに売却したと報道されたこと
憲法が成立した。この憲法によって、常設の軍隊が廃
から露見し始めるのであった。
止された。常設軍隊の廃止は、中米で頻繁に勃発して
いた「軍部による軍事クーデター」の温床をなくし、
2.3. ―1983年―
結果として政治的安定につながることになった。⑹コス
タリカは、基本的に親米の外交スタンスをとり、外交・
2.3.1. コンタドーラグループの結成
安全保障に関して事実上、米国の力を背景とする戦略
を採用した。
1983年7月、メキシコ・パナマ・ベネズエラ・コロ
1980年代前半、レーガン政権は、モンへ大統領が
ンビアといった中米を囲む諸国の大統領がパナマのコ
リーダーシップを執っていたコスタリカを強力に支援
ンタドーラで、ニカラグア内戦・エルサルバドル内戦・
した。モンヘ政権下のコスタリカとレーガン政権下の
グアテマラ内戦に関して協議した。メキシコ・パナマ・
アメリカには、緊密な同盟関係が構築された。アメリ
ベネズエラ・コロンビアの4カ国は「コンタドーラグ
カは、年間2億ドル前後、コスタリカGDPの約10%に相
ループ」と呼ばれ、中米での紛争を、米ソ対立・東西
当する多額の経済援助を実行した。1983 ~ 85年のコ
対立のコンテキストで考えることを拒否し、大国や域
スタリカ政府予算の1/3は、アメリカの経済援助で賄
外国の干渉を排除しあくまで関係国の対話・交渉での
われた。一方、コスタリカはその援助を、教育の充実・
解決を主張した。そしてこの会議において、以下のこ
強化等を中心に聡明に使用し、社会的安定を築いて行
とが決議されたのであった。
き、そのベースの上に経済を安定化し発展させて行っ
た。またコスタリカは、アメリカを民主主義国家のモ
デルとし、米国の外交、安全保障、政治、経済の基本
①ラテンアメリカの問題は、ラテンアメリカ自身
的な考え方、方針なども支持したのであった。コスタ
で解決すべきであって、超大国(米ソ)の介入
リカは、ニカラグアのFSLNに対抗するコントラの基
を排除する。
地をコスタリカ内に設置することも認めた。⑺
②戦闘の終結
レーガン政権の支援を背景に安定した民主主義・
③自国領土内への外国軍隊の受け入れ禁止
自由主義の親米国家に発展していったコスタリカは、
④民兵勢力の武装解除
1986年のサンチェス大統領の登場を機に、中米和平を
⑤政府と民兵組織の対話・和解
前面に立って調整する国家となって行くのであった。
2.4. ―1985年―
しかし現実には、コンタドーラグループによる和平
調整にもかかわらず、ニカラグア内戦・エルサルバド
ル内戦・グアテマラ内戦は終結しなかった。
2.4.1. ゴルバチョフの登場と歴史の転換点
2.3.2. ニカラグア空爆
1981年のレーガン政権の誕生以降、アメリカの強硬
な対ソ連外交にソ連も当初、米国への対決姿勢を崩さ
1983年、レーガン政権はニカラグアへの米軍による
なかった。しかし、1982年から1985年にかけて、ブレ
直接的軍事攻撃を断行した。即ち、1983年9月~ 1984
ジネフ、アンドロポフ、チェルネンコと、3人の指導
年4月にかけて、ニカラグアの、プエルトサンディーノ・
者の相次ぐ死去に直面し、経済的にも疲弊していった
88
ソ連は次第に、国際政治戦略を変更せざるをえない状
2.6. ―1987年―
況に追い込まれて行く。
1985年3月、ソ連で改革派のゴルバチョフが最高指
2.6.1.米ソ間でのINF全廃条約成立とソ連の対ニカラ
導者に就任した。ゴルバチョフは、疲弊した国内経済
グア支援の終止
を再建する上で対米軍事負担を軽減することを目指
し、対米協調路線を模索した。1985年11月のレーガン・
⑻
ゴルバチョフのジュネーブでの米ソ首脳会談以降急速
1987年、米ソ間の協調路線は大きな歴史的成果を生
に、米ソ間の対話が進み、米ソ協調が形成されていっ
むことになっていった。即ち、1987年12月ワシントン
た。その流れの中でソ連は、スターリン・フルシチョ
で、アメリカとソ連は、第2次世界大戦後初めての軍
フ・ブレジネフ時代に顕著だった、共産主義の対外拡
備縮小、又、特定の核戦力カテゴリーの全廃となる
張、その為の世界各地での左派勢力の支援、あるいは、
「INF(中距離核戦力)全廃条約」を締結した。レーガ
確立した左派政権の不穏な動きへのソ連の直接的介入
ンはワシントン会談の最終段階で、中米情勢に関して
(ブレジネフドクトリンないし制限主権論)といった
もソ連と協議し、ゴルバチョフにソ連のニカラグアへ
従来からの伝統的な国際政治戦略を放棄して行くこと
の兵器積み出し等の軍事支援の停止を要請し、ゴルバ
になる。
チョフからの同意を得たのであった。ソ連はニカラグ
アへの軍事支援をストップし、さらにニカラグアへの
2.5. ―1986年―
石油供給等も停止した。当時ニカラグアの年間石油需
要約75万トン中の20〜30%を、ソ連は供給していたの
2.5.1. コスタリカによる和平戦略の展開
であった。ソ連の後ろ楯を失ったニカラグアは、安全
保障上も経済的にも一挙に弱体化した。ニカラグアで
1986年コスタリカで、国民解放党(PLN)のオスカー・
は、1,000%以上のインフレが起き国民の不満は増大し
アリアス・サンチェス(以下、サンチェス)が大統領
⑼
ていった。
に就任した。サンチェスは1940年生まれでコスタリ
2.6.2.エスキプラス合意
カ・エレディア州の富裕層の出身だった。首都サンホ
セで学んだ後アメリカに留学し、ボストン大学で医学
を学ぶ。その後、コスタリカに帰国しコスタリカ大学
1987年8月、グアテマラのエスキプラスで、コスタ
で、法学・経済学を学び、1967年にはイギリスに留学
リカ・ニカラグア・エルサルバドル・ホンジュラス・
し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、エセッ
グアテマラの大領領が会談した。サンチェス大統領が、
クス大学で学んだ。エセックス大学から政治学博士号
ニカラグア内戦の停戦・和平への調停案等を提案した。
を取得した。後に、ハーバード大学・プリンストン大
これにより以下のような「エスキプラス合意」が成立
学・ダートマス大学・ワシントン大学等を含むアメリ
したのであった。
カの主要大学から、名誉学位を受ける。思想的に親米・
親英派であるサンチェスを、アメリカは強力にバック
①サンディニスタ民族解放戦線とコントラの戦闘
アップして行く。
終結
サンチェスは大統領就任後、米ソ冷戦の影響で混乱
②コントラの武装解除
した中米に安定と平和を回復することを宣言した。サ
③政府軍の軍縮
ンチェス大統領は、軍備全廃の日(Military Abolition
④民主的選挙の実施
Day)を定めるなど、コスタリカが平和志向国家であ
⑤国民の和解と融和
ることを世界にアピールした。
サンチェスは、ニカラグア・エルサルバドル・グア
テマラ・ホンジュラスの各国指導者と精力的に会談し、
中米では「エスキプラス合意」によって平和が回復
自ら作成した「平和計画」に結集するよう説得した。
「平
した。歴史的な中米和平合意を達成に導いたサンチェ
和計画」には、①軍備の制限・②報道の自由の保証・
⑽
スは、ノーベル平和賞を受賞した。
③公開の自由選挙、などが含まれていた。
89
92議席中38議席を獲得し第1党になった。
2.7. ―1988年―
1989年エルサルバドルでは、クリスティアーニが大
統領に就任した。内戦は完全には終止していなかった
2.7.1. 中米5ヵ国大統領会議
が、1992年には国際連合が調整に乗り出し、和平が
実現した。そして、国際連合エルサルバドル監視団
1988年1月、中米5 ヵ国大統領会議が開催され「サン・
(ONUSAL)が派遣され、その下で1994年に総選挙が
ホセ共同宣言」が発表された。これをもって、中米の
⑾
FMLNも合法政党として、政治活動を展
実施された。
安定がさらに確立に向かうと期待された。
開するようになった。
1990年代末までには、ニカラグア、エルサルバドル、
2.7.2. ニカラグアのホンジュラス侵攻とアメリカに
グアテマラの内戦は完全に終結し、中米全域において、
よる阻止
安定した民主化が実現していった。
おわりに
「サン・ホセ共同宣言」で、中米の安定が確立され
ると見えたが、一時的に中米和平を危ぶませる事件が
起きた。1988年3月15日、ニカラグア政府軍がホンジュ
1980年代の中米は、ソ連・キューバの支援を受けた
ラスへの侵攻を開始した。アメリカは即刻、3月17日
ニカラグアのFSLN・エルサルバドルの反政府勢力・
から、米軍をホンジュラスへ派遣しこの動きを阻止し
グアテマラの反政府勢力と、それらに対抗して米国が
た。
バックアップしたニカラグアの反政府勢力(コント
3月23日ニカラグア暫定停戦合意が成立した。この
ラ)
・エルサルバドル政府・グアテマラ政府の間での
暫定停戦合意は、①4月1日からの60日間の攻撃的軍事
内戦が、事実上の「米ソ代理戦争」として展開された。
活動の停止、②本格的停戦交渉の実施、を内容とする
1981年に誕生したレーガン政権は、ニカラグア・エ
ものであった。ニカラグアのホンジュラス侵攻の動き
ルサルバドル・グアテマラと、ドミノ倒しのように、
に対してアメリカ議会も3月31日に、対ニカラグア反
中米カリブ海エリア全体に社会主義革命が波及し、ソ
政府勢力(コントラ)援助(非軍事に限り、4,790万ド
連支配下の共産国家が発生するという「ドミノ理論」
ル)の法案を可決した。
を主張した。そして、特に1981 ~ 83年の間は、反米
その後4月15日~ 6月9日にかけて、ニカラグアの本
勢力への経済制裁、準軍事行動、空爆等の直接的軍事
格的停戦交渉が4回実施され、中米情勢の安定は確立
行動、親米勢力への支援等を含めた包括的かつ強硬な
して行った。
対中米戦略を展開し、中米の共産化、ソ連の覇権拡大
1988年6月・7月アメリカは、シュルツ国務長官によ
を阻止した。
るニカラグアを除く中米の歴訪を実現させ、中米の安
その後、1985年以降米ソ首脳会談が開始され、1987
定化を世界にアピールしたのであった。
年のINF全廃条約に象徴される米ソ間協調が実現し、
ソ連が国際政治戦略上で大幅に譲歩して行くのに対し
2.8. ―1989年以降―
て、アメリカの中米に対する外交スタンスも、和平・
安定化実現の方向に変化していった。アメリカは、中
中米和平の潮流の中で、ニカラグアではFSLN自体
米にあって親米路線で民主化・自由化・経済的社会的
が次第に方針を変化させていった。即ち、急進的社会
安定の実現に成功していったコスタリカをバックアッ
主義からヨーロッパ型社会民主主義へのシフトであ
プし、中米和平を進めた。コスタリカのサンチェス大
る。元来FSLNは、ヨーロッパ型中道左派政党を主力
統領のリーダーシップで、1987年に「エスキプラス合
とする「社会主義インターナショナル」にも加盟して
意」が成立し中米は次第に、平和、安定の方向にシフ
いた。1990年には民主的選挙を実施し、結果を受け
トしていった。さらにアメリカはPKO等の国連の力も
て野党になりニカラグア議会で第2党として活動して
引き出し、中米の安定を固めていったのである。
いった。2006年11月には、政策を穏健化させたダニエ
ル=オルテガが大統領に当選し、2007年1月に大統領
に就任した。また、2006年に行われた選挙でFSLNは、
90
平合意、1989年以降の急速な世界の民主化、自由
註
化といった潮流を理解できなかったノリエガは、
1989年の大統領選挙に落選すると、軍を使い選挙
(1)エルサルバドル駐在の米国大使ホワイトも「中米
の無効を宣言し独裁を保持した。これに対してア
紛争の根本原因は、失業・飢え・不公正にある」
メリカは軍事介入し、ノリエガを排除、拘束し、
とした。
大統領選挙で当選したギジェルモ=エンダラの大
統領就任を、バックアップしパナマの民主化を達
(2)新パナパ運河条約では、アメリカ軍が完全撤退す
成させた。
ることが予定されていたが、有事の際にアメリカ
が軍事介入する権利は保持されたのであった。
(5)アメリカは、ニカラグア・エルサルバドル・グア
テマラの3国に近接するホンジュラスに建設した
(3)サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)は1961年
コントラの戦略前線基地を重視した。
に、キューバ革命の影響を受けて、トマス=ボル
ヘ、カルロス=フォンセカらによって創設された。
(6)但し、コスタリカの1949年憲法でも、非常事態に
その組織名を、1927 ~ 33年に米国の侵略に対抗
おける徴兵を定めている。
した革命家アウグスト=セサル=サンディーノに
由来させるほど、根本的に反米を基調とする組織
(7)さらに後にコスタリカは、パナマの政権打倒をめ
だった。1972年のニカラグア大地震の後、勢力を
ざす武装組織の訓練基地のコスタリカ内設置も認
拡大した。組織内部には、持久人民戦線派(国民
めている。
の大半を占める農民を中心による農村部基盤のグ
ループ)・プロレタリア潮流派(都市部の労働者
(8)1985年3月のソ連共産党書記長就任直後のゴルバ
を中心基盤にするグループ)
・第三の道派(資本家・
チョフの国際政治戦略は、世界の共産主義勢力を
中流階級・学生・失業者・スラム街居住者等、最
支援するというソ連の旧来からの戦略と同じで
も広範な人々を内包するグループ)が存在した。
あった。事実、ゴルバチョフは1985年4月、ニカ
ラグアのFSLNの指導者、ダニエル=オルテガと
(4)歴史的にアメリカは、「裏庭」と認識するラテン
会い、ソ連の財政支援継続を約束した。これに対
アメリカに対しては直接的な軍事介入を含む、強
して、アメリカは対ニカラグア全面禁輸を断行し
硬な国際政治戦略の手法を採用してきた。1954
たのであった。
年、グアテマラでPBSUCCESS作戦を実行し、親
米政権を樹立させた。1961年、左傾化するキュー
(9)外交上の交渉対象国の経済を疲弊、不安定にさせ、
バのカストロ政権の転覆を狙い、プラヤ・ヒロン
交渉を有利に進めるのは、国際政治戦略の常套手
侵攻事件(ピッグス湾事件)を起こしが、失敗し
段とも言える。
た。1965 ~ 66年には、ドミニカ侵攻を断行した。
1970年チリにおいて、合法的選挙によって社会主
(10)サンチェスは1990年まで大統領を務めた。その後
義政党の統一戦線である人民連合が政権を獲得
は、ノーベル平和賞の賞金等をベースに「平和と
し、アジェンデを大統領とする社会主義政権が発
人類の進歩のためのアリアス財団」を設立し、そ
足した。これに対して米国は、ピノチェト将軍を
こを中心に活動した。2006年サンチェスは再び、
中心とする軍を支援しクーデターによって社会主
コスタリカ大統領に就任した。
義政権を転覆させた。1983年には、グレナダへの
(11)1989年12月の米ソの冷戦終結宣言、1991年12月の
侵攻を断行した。
パナマでは1950年代から、ノリエガ将軍が親米
ソ連崩壊以降、多くの旧社会主義諸国等は社会的
路線をとり、キューバのカストロ政権、ニカラグ
混乱に直面して行く。概して、それらの鎮静化に
アのFSLNへの米国の対抗作戦に協力していた。
おいて1992年頃より、米国は自国が前面に出るの
しかし、1985年以降の米ソ対話、1987年の中米和
ではなく、国連PKO等の国連の力を利用して行く。
91
アジアにおいても、カンボジアの安定化を進める
上で、国連カンボジア暫定統括機構(UNTAC)
ロナルド=レーガン(尾崎浩訳)
『わがアメリカンド
等の国連の力が発揮された。
リーム-レーガン回想録』読売新聞社 1993年
主要参考文献
村田晃嗣『アメリカ外交』講談社現代新書 2005年
五十嵐武士『政策革新の政治学―レーガン政権下のア
広田秀樹 「レーガン政権の対ソ連外交とグローバラ
メリカ政治』東京大学出版会 1992年
イゼーションの地平-アメリカ国際政治戦略「力によ
る平和(Peace through Strength)戦略の軌跡と成功
石井修『国際政治史としての20世紀』有信堂 2000年
要因」
『長岡大学研究論叢第9号』
2011年
伊藤孝之・林忠行編『ポスト冷戦時代のロシア外交』
藤本一美編『アメリカ政治の新方向―レーガンの時代』
有信堂 1999年
勁草書房 1990年
下斗米伸夫『ゴルバチョフの時代』岩波新書 1988年
Gaddis, John Lewis., The United States and the
End of the Cold War:Implications, Reconsiderations,
アドルフォ=ヒーリー(LA研究センター訳)『革命の
Provocations, New York and Oxford : Oxford
ニカラグア―過渡期社会とサンディニスタの挑戦』柘
University Press, 1992
植書房 1980年
George P. Shultz, Turmoil and Triumph : My Years
寿里順平『中米の奇跡コスタリカ』東洋書店 1984年
As Secretary of State, NY : Scribner, 1993
寿里順平『中米=干渉と分断の軌跡』東洋書店 1991
Ronald Reagan, An American Life, Simon&Sohuster,
年
1990
アーマンド=ハマー(広瀬隆訳)『ドクター・ハマー
Margaret Thatcher, Statecraft : Strategies for a
~私はなぜ米ソ首脳を動かすのか』ダイヤモンド社 Changing World, NY : Harper Collins, 2002
1987年
Nancy Reagan, My turn, Rondom House, 1989
キャスパー=ワインバーガー(角間隆監訳)『平和へ
University Publications of America, National Security
の闘い』(Fighting for Peace)ぎょうせい 1995年 Decision Directives(NSDD : 国家安全保障決定指
キャスパー=ワインバーガー、ピーター=シュワィ
令:国家安全保障上の政策及び目標を実施する大統領
ツァー(真野明裕訳)『次なる戦争』(The Next War)
の決定を公布するためにレーガン政権・ブッシュ政権
二見書房 1998年
により使用されたもの)
コリン=パウエル(鈴木主税訳)『マイ・アメリカン・
ジャーニー:コリン・パウエル自伝』角川書店 1995年
ジョセフ=ナイ(田中明彦・林田晃嗣訳)『国際紛争
―理論と歴史』有斐閣 2002年
ティップ・オニール(土田宏・鬼頭孝子共訳)
『下院
議長オニール回想録―アメリカ政治の裏と表―』彩流
社 1989年 92
論稿
QRコードを利用したpdfファイルのメール送信
長岡大学准教授 吉 川 宏 之
はじめに
紙面データのデジタル化において、イメージスキャナで読み取る場合、1つのファイル、または、指定した枚数
ごとにまとめられた複数のファイルが作成される。例えば、授業で回収したレポートを学生に返却する場合、以下
の手順が考えられる。
・レポートを1件ごとにイメージスキャナで読み取り、ファイルを作成する。
・学生宛のメールを個別に作成し、ファイルを添付して送付する。
これらは単純な作業であるが、件数が増えると時間がかかってしまう。また、似通ったメールアドレスに送る場合、
特に間違いに注意が必要になる。
QRコードを使用することにより、これらの作業を簡略化することが今回の目的である。イメージスキャナで一括
して読み取ったファイルを分割し、QRコードに埋め込まれた情報を利用してメールに添付し、送信するものである。
イメージスキャナで読み取ったファイルは、PDF形式を使用する。
類似のものとして、酪農学園大学の「飛ぶノート」があげられる。
1 全体の流れ
必要な情報をすべてQRコードに埋め込むことで、外部のデータベースを必要としない方式とした。また、インター
フェースにWebブラウザを使用することで、PCに個別のインストールを必要としない構成とした。メールの添付ファ
イルとすることで、返却以降のやり取りが容易になる利点もあげられる。全体の流れを図1に示す。
事前準備
・読み取る用紙に QR コードを付ける.
読み取り
・イメージスキャナで一括して読み取り,ファイルを作成する.
ファイルのアップロード
・ファイルを分割する.
・QR コードの情報を利用してメールを作成する.
・メールにファイルを添付する.
・メールを送信する.
図1 全体の流れ
93
2 QRコードに埋め込むデータ
QRコードは、漢字・かな(Shift JIS)最大1,817文字のデータを扱うことができる。日本語が利用できることが、
今回のきっかけとなった。QRコードに必要なデータを全て埋め込むことにより、データベース等の参照が不要にな
る。
メールの送信を考えると、必要な情報として以下のものがあげられる。
⑴送付先メールアドレス(省略できない)
。
⑵差出人メールアドレス。
⑶差出人名
⑷件名
⑸本文
⑴はメール送付に不可欠な情報である。QRコードに⑴ ~⑸のすべての情報を記録しておくことも可能である。た
だし、送付時に変更したいことも想定し。⑵~⑸の情報は送信時に変更可能とした。
3 QRコードを付ける
QRコードの利用方法として、以下の2通りがあげられる。
・事前にQRコードを印刷した用紙を使用する。
・用紙にQRコードのラベルシールを貼り付ける。
ラベルシールでは、使い方により2通り用意した。
⑴1ページのラベルシートに同じQRコーが印刷されたもの。
⑵1ページのラベルシートに異なるQRコードが複数印刷されたもの。
⑴の方法は、同じ利用者が、何度も繰り返し使用することを想定した。⑵の方法は、少ない回数の利用を想定した。
ラベルシート、用紙はPDFファイルとして出力し、必要に応じて印刷して利用する。 QRコードの作成はPHP言語と
QRcode Perl/CGI & PHP scripts、FPDF Libraryを使用した。
QRコードの作成画面を図2に、ラベルシートの例を図3、図4に示す。また、用紙に1つのQRコードを直接印刷
した例を図5に示す。
図2 QRコードの作成画面
94
図3 同一QRコードの一覧出力例(pdfファイルの一部)
図4 異なるQRコードの一覧出力例(pdfファイルの一部)
図5 1ページに1つQRコードの出力例(pdfファイルの一部)
4 ファイルの分割
ファイルの分割方法は、以下の2通りを想定した。ファイル名は「アップロードされた元のファイル名+連番」
とした。
⑴枚数を指定して分割
95
⑵QRコードの有無による分割。QRコードがあれば先頭ページ、無ければ前のページとの続きとして扱う。
PDFファイルの分割にはPHP言語とFPDF Libraryを、QRコードの読み取りにはZBar bar code readerを使用した。
5 メールの送付
2で述べたとおり、メールの送付には以下にあげる⑴~⑸の情報が必要になる。
⑴送付先メールアドレス(省略できない)
。
⑵差出人メールアドレス。
⑶差出人名
⑷件名
⑸本文
⑴はQRコードの情報を利用する。⑵~⑸は送信時に追加・変更可能とした。
読み取り・送信画面の例を図6に示す。
図6 読み取り・送信画面
6 1台のPCで簡単に利用できるように
制作したシステムは、Webサーバ、PHP、Zbarの組み合わせを使用できるLinuxのPC 1台と、イメージスキャナ
読み取り用にWindows PC 1台を使用した。イメージスキャナを使った読み取りでは、イメージスキャナ付属のソ
フトウェアが使用できるWindowsPCが使い勝手が良く、細かい設定もでき便利である。この組み合わせでは2台の
PCが必要なため、1台のPCで完結できるような構成を検討した。
「簡単にインストールでき、コンピュータの知識
をあまり必要としない構成」が目的である。
⑴OSとしてWindowsだけを使用
Windows用のApacheを導入し、PHPを設定することで基本のシステムは使用することができた。QRコー
ドの読み取りソフトZbarはLinuxと同じバージョンのものが使用できなかった。
⑵OSとしてWindowsと仮想化したLinuxを利用する。
Windows上に仮想化したLinuxPCを作成し、動作させる方法である。coLinuxと、VMWareで試験を行っ
た。Windows,Linuxの2台のPCを用いた場合と同様に動作することを確認できた。
⑴と⑵のどちらの構成も、設定にはコンピュータやネットワークのある程度の知識が必要になり、
「簡単にインス
96
トールでき、コンピュータの知識をあまり必要としない構成」には至らなかった。設定が済めば、Windows,Linuxの
2台のPCを用いた場合と同様に利用できることが確認できた。
「簡単にインストールでき、コンピュータの知識をあまり必要としない構成」を実現するためには、根本的な設計
の見直しが必要である。別のアプローチとしてPCを2台使用するが、LinuxをインストールしたUSBメモリとPCを
使用して、必要なときに一時的にLinuxを稼働させる方法が挙げられる。
7 今後の課題
今後の課題として、以下の⑴~⑶が挙げられる。
⑴ファイルの分割
QRコードの有無でファイルを分割する方式では、QRコードが読み取れなかったときに前のページと続きと判
定してしまい、前の送付先にデータが付いて送付される点があげられる。なお、ページ数を指定してファイル
を分割する方式では、エラーデータとなりメール送付されない。
⑵QRコードの読み取り精度の向上
現在は1ページを、そのままQRコードを読み取っているため、認識できない場合がある。また、1枚に複数の
QRコードが記載されていた場合、先に読み取った情報でメールを送付してしまう。この点は、ページの中の指
定された部分だけを切り出して処理することで改善される。今後のソフトウェアの改良で対応する予定である。
⑶QRコードで指定したフォルダへのファイル振り分け
メール送信ではなく、指定されたフォルダに保存する機能。
8 おわりに
オープンソースのライブラリを使用することで、QRコードの作成と読み取り、PDFファイルの取り扱い、メー
ルの送付などの部分を直接扱わなくて済ませられたため、比較的に短時間でシステムをまとめることができました。
作者、協力者の方々に感謝致します。
ソースコード公開のための作業を進めています。
参考文献・URL
・QRコード http://ja.wikipedia.org/wiki/ Wikipedia(2011年8月)
・「飛ぶノート」by mikiko http://www.carrier-port.jp/mahara/view/view.php?id=783酪農学園大学 学生支援推
進プログラム事務局(2011年8月)
・QRコード・バーコード http://www.swetake.com/qr/ Y.Swetake(2011年8月)
・FPDF Library http://www.fpdf.org/(2011年8月)
・ZBar bar code reader http://zbar.sourceforge.net/(2011年8月)
・JPHPMailer http://techblog.ecstudio.jp/tech-tips/mail-japanese-advance.html(2011年8月)
・PHPM@iler http://phpmailer.worxware.com/(2011年8月)
・coLinux http://www.colinux.org/(2011年9月)
・VMWare http://www.vmware.com/(2011年9月)
97
98
論稿
粉飾疑念企業の分析
― ㈱プロデュースのケース―
中 村 大 輔
長岡大学専任講師 1.はじめに
企業の利益は「経営者の意見」と言われることがある。実際、経営者は赤字回避や減益回避そして利益目標達成
などのために利益管理(Earnings Management)を行うことが論じられている(Burgstahler and Dichev[1997]や
中村[2006]など)。利益管理は裁量的な会計発生高や実体的な会計政策によって行われるが、これらは会計基準か
ら逸脱しないような形で行われる。こうした利益管理が広く行われている一方で、時として粉飾が行われることも
ある。その理由は様々であるが、粉飾は会計基準から逸脱したものであり認められるものではない。
粉飾を行うことで利益を水増ししても、それはいつか必ず破綻する。粉飾はその企業が破綻するだけではなく、
利害関係者そして社会にも多大な影響を及ぼす。本稿でとりあげる㈱プロデュース(以下、プロデュース)も粉飾
が明らかになった結果、地域社会に多大なる影響を及ぼした。
そこで、本稿はプロデュースのケースについて、公表されている資料から粉飾の実態に迫ることを目的とする。
特にプロデュースは訂正有価証券報告書を公表する前に倒産しており、訂正前後の財務諸表を比較することによっ
て粉飾の技法を推測することは不可能である。そのため、訂正前の財務諸表のみを調査対象とする。
2.設立から破綻までの経緯
プロデュースは、1992年7月にカスタマイズ事業の設計業務を目的として新潟県長岡市に設立された(有限会社
プロデュース)。1996年4月には株式会社に組織変更がなされ、株式会社プロデュースとなる。その後、2005年12月
にジャスダック証券取引所に株式を上場したが、2008年9月18日に証券取引等監視委員会の強制調査が入る。強制
調査後、株価は暴落し2008年9月26日に民事再生法の適用を申請するに至った。
3.粉飾の事実
訂正有価証券報告書が公表されていないため、粉飾の事実は判例や証券取引等監視委員会の報告書に頼ることと
なる。
判例によれば、粉飾は上場前の2003年6月期から繰り返されていたという。罪に問われた2005年6月期から2007
年6月期まで、売上高では累計で116億円超、税引前利益では31億円余を粉飾していた(表1)。その方法は「当期
表1 プロデュースの粉飾額 (単位:百万円)
売上高
税引前利益
(△損失)
粉飾後
実際
粉飾額
粉飾後
実際
粉飾額
2005年6月期
3,110
1,477
1,633
191
△ 68
260
2006年6月期
5,886
2,451
3,435
694
△ 231
925
99
2007年6月期
9,704
3,118
6,586
1,224
△ 730
1,953
累計
18,699
7,046
11,653
2,109
△ 1,029
3,138
の売上げの前倒し計上、貸倒れ損失の未収金処理に始まり、架空売上金と架空買掛金の相殺、商流と呼ばれる架空
の循環取引にC社とダミー会社を何度も介在させて売上げを増加させるなどの手法を駆使しながら、売上高を大幅
に水増しするとともに、組立外注費等の製造原価を設備費等の資産科目に振り替えて売上原価を圧縮するなどの方
法により、利益金額も大幅に水増しするものであった」
(さいたま地方裁判所 判例)という。
4.事業の推移
主要財務数値(表2)から導き出された主要財務指標(表3)を見ると、成長性、安全性、収益性には大きな問
題が無いどころか、むしろ絶好調と見える。2007年6月期の当座比率が低いことと、売上債権回転期間が2004年6
月期(5か月)と2008年6月期(4.2か月)に若干高めであり、棚卸資産回転期間も2006年6月期(4.2か月)と2007
年6月期(2.4か月)に高めであることぐらいである。
有価証券報告書には【事業等のリスク】において「当社のカスタマイズ事業は、ユーザーからの要求に応じて、
製品ごとに開発・製造を行うこと、また(中略)ユーザーの要求する仕様によりある程度のカスタマイズが必要な
表2 主要財務数値の推移 (単位:百万円)
売上高
売上総利益
営業利益
経常利益
当期純利益
現金預金
売上債権+棚卸資産
売上債権
棚卸資産
うち製品
うち原材料
うち仕掛品
うち貯蔵品
前渡金
その他流動資産
流動資産計
有形固定資産
無形固定資産
投資その他の資産
固定資産計
資産合計
仕入債務
短期借入金
長期借入金(流動負債)
長期借入金(固定負債)
その他負債
負債合計
純資産
うち資本金・資本剰余金
うち利益剰余金
営業C/F
投資C/F
財務C/F
損益計算書項目
2005年6月
2006年6月
3,109
5,886
559
1,157
211
653
212
594
107
411
貸借対照表項目
226
289
624
811
990
3,506
773
738
1,424
38
252
2,082
0
0
0
21
12
50
17
240
2,032
0
0
0
0
0
0
14
12
120
1,051
1,291
4,250
469
602
1,086
30
26
30
14
5
64
513
633
1,180
1,564
1,923
5,430
501
369
1,078
0
60
0
63
55
50
277
166
118
158
132
610
936
727
1,806
628
1,196
3,624
503
963
2,981
125
233
643
キャッシュ・フロー
153
△ 143
△ 860
△ 407
△ 196
△ 681
364
402
1,886
2004年6月
1,872
286
118
118
70
100
2007年6月
9,704
2,187
1,216
1,206
780
2008年6月
16,366
3,301
1,865
1,817
1,247
709
5,428
1,672
3,756
0
21
3,735
0
0
185
6,322
2,396
42
223
2,661
8,983
1,374
2,150
129
336
709
4,569
4,414
2,998
1,424
845
9,021
5,706
3,315
25
44
3,244
2
1,426
341
11,633
3,191
249
226
3,666
15,299
754
2,050
118
218
2,528
5,550
9,749
7,064
2,671
△ 968
△ 1,413
2,466
△ 2,399
△ 1,084
3,705
ことから、受注から納品までの期間が6ヶ月を超える案件も多くあります。また、検収後ユーザーに対する売掛債
権の回収までに要する期間も、通常1ヶ月から6ヶ月程度かかります。」(2007年)とあり、売上債権や棚卸資産の
回転期間が多少長くても投資家が納得してしまうような記述が見受けられる。
表3 主要財務指標の推移
成長性比率(前年比)
売上高増加指数
売上総利益増加指数
経常利益増加指数
当期利益増加指数
安全性比率
自己資本比率
借入金依存度
流動比率
当座比率
固定比率
長期固定適合率
内部留保率
収益性比率
売上高経常利益率
総資産経常利益率
売上高当期利益率
総資産当期利益率
自己資本当期利益率
効率性比率
売上債権回転期間(月)
棚卸資産回転期間(月)
仕入債務回転期間(月)
固定資産回転期間(月)
総資産回転期間(月)
2004年6月
2005年6月
2006年6月
2007年6月
2008年6月
166.1%
195.5%
179.7%
152.9%
189.3%
207.0%
280.2%
384.1%
164.9%
189.0%
203.0%
189.8%
168.7%
150.9%
150.7%
159.9%
40.2%
21.7%
159.5%
151.6%
81.7%
56.7%
19.9%
62.2%
14.6%
232.6%
185.0%
52.9%
46.3%
19.5%
66.7%
3.1%
259.1%
124.9%
32.6%
31.1%
17.7%
49.2%
29.1%
153.4%
57.8%
60.2%
54.6%
32.3%
63.6%
15.6%
225.5%
127.0%
37.7%
36.2%
27.4%
6.3%
7.5%
3.7%
4.5%
11.1%
6.8%
11.0%
3.4%
5.6%
8.9%
10.1%
10.9%
7.0%
7.6%
11.3%
12.4%
13.4%
8.0%
8.7%
17.6%
11.1%
11.9%
7.6%
8.2%
12.8%
5.0
0.2
3.2
3.3
10.0
2.8
1.0
1.4
2.4
7.4
2.9
4.2
2.2
2.4
11.1
2.1
4.6
1.7
3.3
11.1
4.2
2.4
0.6
2.7
11.2
5.貸借対照表項目の分析
しかし、貸借対照表項目を見ていくと、大きな問題があることが分かる。表4は、主たる貸借対照表項目の資産・
負債・純資産合計に対する割合を示したものである。売上債権と棚卸資産の合計額は常に総資産の5割以上を占め
ており、資本金に資本剰余金を加えた額を超過している状態である(表1)
。売上債権+棚卸資産の額は年々急上昇
しているが、それと同時に売上高も上昇している。結果として売上債権や棚卸資産の回転率に異常は現れないため、
こうした安全性や効率性の指標を見ているだけでは問題は発見しにくい。
表5を見ると、その異常さが際立ってくる。2004年6月期から2008年6月期の4年間で企業規模(資産合計)は
およそ10倍になっている。売上債権+棚卸資産の金額はこの期間に11倍になっており、一見したところ企業規模の
拡大にそったものとなっている。しかし、それぞれの項目で見ると売上債権は7倍である一方、仕掛品は2007年6月
期では220倍、2008年度で190倍と企業規模の伸びと比べると異常と言えるほど異なっている。なお、この間の売上
高の伸びは8.7倍である。いくらカスタマイズ製品であるとはいえ、このような伸びが正常であるとは考えがたい。
仕掛品について、別の観点から見てみたい。表6は仕掛品の増加要因を分析したものである1。これを見ると2006
年6月では仕掛品の滞留期間が8.7か月、2007年6月では10.5か月と非常に長い。これはプロデュースが「受注から納
品までの期間が6ヶ月を超える案件も多くあります」と有価証券報告書に記載している事に該当するのであろうが、
2005年度は1.7か月であり異常なほど延長されている。もし、受注が大幅に増加した結果として延長されていたとし
分析の方法は、森脇[2002]pp.142-149を参照のこと。
1
101
ても、従業員の推移から見るとその受注を捌き得るだけの従業員の増加がない(表7)
。
表4 貸借対照表項目の構成割合
現金預金
売上債権+棚卸資産
売上債権
棚卸資産
うち製品
うち原材料
うち仕掛品
うち貯蔵品
前渡金
その他流動資産
流動資産計
有形固定資産
無形固定資産
投資その他の資産
固定資産計
資産合計
仕入債務
短期借入金
長期借入金(流動負債)
長期借入金(固定負債)
その他負債
負債合計
純資産
うち資本金・資本剰余金
うち利益剰余金
2004年6月
14.5%
51.9%
49.4%
2.4%
0.0%
1.3%
1.1%
0.0%
0.0%
0.9%
67.2%
30.0%
1.9%
0.9%
32.8%
100.0%
53.5%
0.0%
6.7%
29.6%
16.9%
100.0%
100.0%
80.1%
19.9%
2005年6月
15.0%
51.5%
38.4%
13.1%
0.0%
0.6%
12.5%
0.0%
0.0%
0.6%
67.1%
31.3%
1.4%
0.3%
32.9%
100.0%
50.8%
8.3%
7.6%
22.8%
18.2%
100.0%
100.0%
80.5%
19.5%
2006年6月
11.5%
64.6%
26.2%
38.3%
0.0%
0.9%
37.4%
0.0%
0.0%
2.2%
78.3%
20.0%
0.6%
1.2%
21.7%
100.0%
59.7%
0.0%
2.8%
6.5%
33.8%
100.0%
100.0%
82.3%
17.7%
2007年6月
7.9%
60.4%
18.6%
41.8%
0.0%
0.2%
41.6%
0.0%
0.0%
2.1%
70.4%
26.7%
0.5%
2.5%
29.6%
100.0%
30.1%
47.1%
2.8%
7.4%
15.5%
100.0%
100.0%
67.9%
32.3%
2008年6月
5.5%
59.0%
37.3%
21.7%
0.2%
0.3%
21.2%
0.0%
9.3%
2.2%
76.0%
20.9%
1.6%
1.5%
24.0%
100.0%
13.6%
36.9%
2.1%
3.9%
45.5%
100.0%
100.0%
72.5%
27.4%
2005年6月
128
122
95
663
57
1,412
86
123
128
87
36
123
123
2006年6月
276
432
184
5,479
238
11,953
857
404
232
100
457
230
347
2007年6月
314
669
216
9,884
100
21,971
1,321
602
511
140
1,593
519
574
2008年6月
374
1,112
738
8,724
210
19,082
2,436
1,107
680
830
1,614
715
978
表5 資産項目の増減(2004年6月期=100)
現金預金
売上債権+棚卸資産
売上債権
棚卸資産
うち原材料
うち仕掛品
その他流動資産
流動資産計
有形固定資産
無形固定資産
投資その他の資産
固定資産計
資産合計
2004年6月
100
100
100
100
100
100
100
100
100
100
100
100
100
102
表6 仕掛品の増加要因分析
仕掛品
月平均仕掛品進捗額増加
前期仕掛品滞留期間
前期月平均仕掛品進捗額
滞留期間延長
原材料費
当期製品製造原価
期末仕掛品
仕掛品進捗額
月平均仕掛品進捗額
仕掛品滞留期間
①仕掛品進捗額増加要因
②仕掛品滞留期間延長要因
③進捗額・滞留期間延長要因
④仕掛品増加
①/④
②/④
③/④
合計
2004年6月
551
1,587
17
1,069
89
0.2
0
0
0
0
2005年6月
49
0.2
89
1.6
753
2,550
240
1,652
138
1.7
9
139
76
223
4.1%
62.1%
33.9%
100.0%
2006年6月
96
1.7
138
7.0
873
4,728
2,032
2,801
233
8.7
167
958
667
1,792
9.3%
53.5%
37.2%
100.0%
2007年6月
123
8.7
233
1.8
1,045
7,517
3,735
4,281
357
10.5
1,074
411
218
1,703
63.1%
24.2%
12.8%
100.0%
2008年6月
307
10.5
357
△ 5.6
2,869
13,065
3,244
7,967
664
4.9
3,216
△ 1,991
△ 1,715
△ 490
表7 従業員数の推移
2005年9月
63人(15人)
2006年6月
89人(15人)
2007年6月
161人(20人)
2008年12月
214人(21人)
( )内は臨時従業員の年間平均雇用人員(1日8時間換算)
表8 区分を並び替えた営業C/F (単位:百万円)
税引前当期純利益
減価償却費
諸調整項目
法人税支払額
利益要素計
売上債権増減額
棚卸資産増減額
仕入債務増減額
その他資産負債増減額
運転資本要素計
営業C/F合計
2004年6月
118
31
4
△ 25
128
△ 420
△9
436
19
26
154
2005年6月
191
58
0
△ 55
194
35
△ 215
△ 192
35
△ 337
△ 143
2006年6月
694
141
18
△ 123
730
△ 685
△ 1,833
769
159
△ 1,590
△ 860
2007年6月
1,224
204
13
△ 317
1,124
△ 249
△ 1,879
296
△ 260
△ 2,092
△ 968
2008年6月
2,008
270
87
△ 493
1,872
△ 3,879
513
△ 661
△ 244
△ 4,271
△ 2,399
5年累計
4,235
704
122
△ 1,013
4,048
△ 5,198
△ 3,423
648
△ 291
△ 8,264
△ 4,216
6.キャッシュ・フローの分析
表2のキャッシュ・フローを見ると、2004年6月期こそ営業活動によるキャッシュ・フロー(以下、営業C/F)
がプラスを示しているが、それ以降はずっとマイナスである。一方で投資活動によるキャッシュ・フロー(以下、
投資C/F)は一貫してマイナスである。この営業C/Fと投資C/Fのマイナスを財務活動によるキャッシュ・フロー
が埋め合わせている状況である。
営業C/Fを利益要素と運転資本要素に分けても、営業キャッシュ・フローのマイナスが運転資本とりわけ売上債
2
。
権と棚卸資産の増加によるものであることがわかる(表8)
利益要素と運転資本要素に分ける(並び替える)方法は、井端[2009]pp.180-183を参照のこと。
2
103
ただし、運転資本要素は売上高の増減によっても変動する。売上債権回転期間+棚卸資産回転期間-仕入債務回
転期間によって求められる3要素総合回転期間から売上高の増減を求めてみる。ここで3要素総合回転期間を仮に
2004年6月期の2か月が正常値として利用するならば、2005年から2007年にかけての売上高の増減にかかる運転資
本の収支は10億円となる。2005年から2007年までの運転資本要素の合計がマイナス40億円であるため、売上高増加
分を除いた運転資本要素のマイナスは30億円である。この30億円が粉飾分と考えられ、この金額は判例による粉飾
額31億円にほぼ一致する。
すなわち、プロデュースは循環取引を行い、売上債権と棚卸資産に資金を回していると言えよう。
7.売掛金と買掛金の内訳
これまでの調査により、プロデュースは循環取引によって資金を売上債権と棚卸資産に回している疑いがもたれ
た。ここで再度、売上債権とくに売掛金に注目してみたい。表9と表10はそれぞれ売掛金と買掛金の相手先内訳を
示したものである。このなかで、C社、J社、K社は売掛金と買掛金のどちらの内訳にも入っている。通常の取引
形態では同一企業に売掛金(売上債権)と買掛金(仕入債務)発生するとは考えにくい。こういったことも循環取
引を匂わせている。
表9:売掛金相手先内訳(単位:百万円)
2005年6月 2006年6月 2007年6月
A社
126
109
227
B社
117
89
243
C社
110
D社
102
E社
54
F社
135
G社
126
H社
97
I社
553
J社
211
K社
88
その他
145
390
287
計
654
947
1,609
表10:買掛金相手先内訳(単位:百万円)
2005年6月 2006年6月 2007年6月
C社
155
J社
44
161
67
K社
87
L社
48
M社
23
350
N社
21
131
O社
63
P社
164
Q社
139
R社
128
S社
31
その他
86
217
401
計
309
1,078
931
7.まとめ
プロデュースは財務指標を一見したところでは成長著しい新興企業である。しかし、財務諸表を金額面から見直
すと仕掛品やキャッシュ・フローの金額と動きに気づくことができる。特に仕掛品が大きく伸びた2006年や、仕掛
品が増えさらに短期借入金を21億も借り入れた2007年頃から粉飾が疑われることがわかる。
こうしたことから、企業を外部分析する際には、見かけの指標に騙されずに有価証券報告書を詳細に検討するこ
とが肝要である。
参考文献
Burgstahler, David, and Ilia Dichev[1997]“Earnings Management to Avoid Earnings Decreases and Losses”,
Journal of Accounting and Economics, No.24,
井端和男[2009]『黒字倒産と循環取引』税務経理協会
井端和男[2009]『粉飾決算を見抜くコツ(改訂新版)
』セルバ出版
中村大輔[2006]「アーニングスマネジメントと会計発生高 ―会計方針変更の問題を含めて―」
『年報 経営分析研究』第22号、日本経営分析学会
104
森脇彬[2002]『資金と支払能力の分析(四訂版)
』税務経理協会
『東商信用録(新潟県版)』[2007]東京商工リサーチ新潟支店
さいたま地方裁判所判例、平成21年8月5日
105
106
研究レポート
地方小規模大学における就職支援体制
―5つの事例から探る成功要因―
長岡大学経済経営学部准教授 松 崎 陽 子
長岡大学経済経営学部准教授 岸 本 徹 也
はじめに
長引く不況に加え、東日本大震災などの影響も被り、本学のみならず全国どこの大学においても今年の就職活動
は例年よりもさらに厳しさを増している。
しかし、このように恒常化した就職氷河期においても、昨年、一昨年のデータを見ると様々な施策・努力によっ
て就職内定率90%台を達成している大学もある。必ずしも偏差値が高い有名大学であるというわけではない、地方
の小規模大学iで少なからず健闘している光る大学が存在するのである。その秘訣を学ぶことは、本学の就職支援対
策にとっても大いに有用であると考え、いくつかの地方大学のキャリアセンターにおいてヒアリングを行い、分析
と考察を加えたのが本報告である。どの大学でも担当者各氏は腹蔵なく現状や課題を語って下さり、本学と類似し
た課題を持ちつつも、積極的に現状打破の努力を行っている事実に感銘を受けた。すぐに実施できそうな項目もか
なりもあり、本学でも前向きに導入を検討して欲しいと考える。
<事例1>
【大学名】麗澤大学(れいたくだいがく)
【所在地】〒277−8686 千葉県柏市光ヶ丘2丁目1番1号
小規模大学…原則として在学学生数300名以下を指すが、本報告では施策の内容に重きを置き、学生数1,000名~ 3,000
名クラスの大学も含まれる。
i
107
【沿 革】1935(昭和10)年 道徳科学専攻塾 開塾
1942(昭和17)年 東亜専門学校 開校
1950(昭和25)年 麗澤短期大学開学
1959(昭和34)年 麗澤大学外国語学部開学
1992(平成4)年 国際経済学部開設
1996(平成8)年 大学院言語学研究科、国際経済研究科(博士前期)を開設
1998(平成10)年 大学院言語学研究科、国際経済研究科(博士後期)を開設
【在学学生数】
外国語学部
1,307 人
国際経済学部
66 人
経済学部
1,337 人
(2011年5月1日現在)
【就職実績】就職決定率
外国語学部 … 84.9%(就職決定者:202人、就職希望者:238人)
国際・経済学部… 83.0%(就職決定者:137人、就職希望者:165人)
2011年4月1日現在
【ヒアリングによる分析と考察】
1.就職支援体制
・キャリアセンターの組織体制
センター長1名…経済学部の教授、日本輸出入銀行の出身者
副センター長2名…外国学部、経済学部からそれぞれ1名。事務職員8名…正社員は4名、3名は、嘱託(企業
出身者で、定年退職後センターで雇用)1名は、非常勤嘱託(企業出身者)
・運営委員会(長岡大学の就職委員会にあたる組織)
外国語学部から3~4名、経済学部から3~4名、ここに、センター長、副センター長を含めた、およそ10名の
体制で、月一回の委員会を開催している。
2.企業との関係構築
20年前に経済学部が開設された頃から企業回りを行い、関係の構築を始めた。同じ時期に就職支援センターも設
置された。
企業回りは、主に民間企業出身者の嘱託社員3名が行っている。嘱託社員は、週に2日程度、非常勤嘱託は週に
1日ほど。正社員男性2名は、週に1日ほど(ただ最近は、学生の面談もあるので、なかなか企業回りが出来てい
ないのが実情である)。
この嘱託社員と正社員の事務体制で、毎年およそ700社の企業を回っている。この他、センター長も企業回りをし
ており、1人で、100社から200社ぐらいを回っている。日本輸出入銀行出身者ということもあり、大手企業、特に
エネルギー関連企業に強いコネクションがある。
インターネットの時代で、ネット上に企業情報はあふれているが、本当に重要な就職情報はそこにはない。キャ
リアセンターのスタッフが企業に直接足を運び、その企業の生の情報を収集している。
3.個別面談
学生一人当たり、4~5回の面談を行っている。学生一人一人の興味・能力・価値観を理解しながら、顔と名前
が一致する対話を目指している。
本当は、この面談に時間をかけたいが、さまざまな業務があるために、時間をなかなか割くことができなくなっ
てきている。
108
4年生の5月頃になってもキャリアセンターに来ない学生に対しては、センターから直接学生の携帯にキャリア
センターに来るようにと連絡を入れる。
7月頃に、ゼミの教員を通じて、学生の就職状況を確認してもらう。
10月、内定を取っていない学生、活動していない学生への対応
4.OB・OG訪問会on Campus
7月(4年生対象、少し3年生)と12月(3年生対象)の年に2回、卒業生を大学に招待し、グローバルに活躍
する職業や学生が憧れる職業に就いているOB・OGから、仕事内容、成功・失敗談、苦労話などの体験談を話してもらっ
ている。
毎回、卒業生が60人ほど集まる。訪問会の進め方は、最初、卒業生が1人ずつ自己紹介をする。その後、卒業生
ごとにテーブルを用意して、学生が聞きたい卒業生のところに集まって、話し合いの場が持たれる。
学生は、卒業生からの会社や仕事の生の話を聞くことができるので、
「働くこと」を現実的にイメージできるよう
になる貴重なイベントである。
5.キャリア教育科目
全て選択科目である。センター長が全ての科目を1人で担当している。キャリア関連科目の導入を試みたが、う
まくいかず、結局、センター長が全て担当するということで実現できた。
キャリア教育は1年次から配置されていて、3年生の2学期まで4段階で構成されている。
(1)「麗澤スピリットとキャリア」1年次…約80名が受講
学習目標:建学の精神をもとに、キャリア形成に必要な学生生活のあり方を考察
主な学習内容:大学の歴史、建学の精神、就職試験を使った基礎学力(SPIや聞き書きの練習)等
(2)「キャリア形成入門」2年次…約350名が受講
学習目標:企業と就労の実態に関するイメージ形成
主な学習内容:働き方の事例、雇用形態・給与体系と将来設計等
卒業生を中心に地元の経営者や東洋経済の記者などのゲストスピーカーに登壇してもらっている。
(3)「キャリア形成研究」3年次…約200から300名が受講
学習目標:労働市場に対する理解の促進と職業観の確立
主な学習内容:就職戦線の現状、業種・企業・職種研究、エントリーシートの書き方等
(4)「キャリア形成演習」3年次…約300から350名が受講(3年生の約半分)
学習目標:自己表現力やプレゼンテーション能力の向上
主な学習内容:自己分析、面接トレーニング、履歴書・エントリーシートの書き方等
ベネッセに委託して、11月~ 12月の集中講義としている。土曜日の1限から3限で、5日間。
(5)「ジェンダーとキャリア形成」1年~3年の2学期…約200名が受講
外国語学部の女子学生が一番力があるのだが、就職先として大手を敬遠する傾向にあった。そこで、実際に働い
ている女性の方に講義してもらい、女子学生の意識を変えようと、この講座を設置した。
6.求人情報
システム上にアクセスは、400〜500人。
SNSを使ったシステムは、今年の4月から導入されている。まずは、遊びから入って、アクセスすることを学生に
習慣づけようとしている。
センターの職員が企業を回って、お薦め会社があれば、フラグを立ててそれをシステム上で明示している。
7.インターンシップ
a.学部の企画 109
外国学部…留学、海外ボランティア
経済学部…企業実習(3単位、半期の授業、2週間の実習)
b.就職センターの企画
夏休みの2週間(3年生)
長期インターンシップ
昨年から始めた。大学がスポンサーになっていることもあり、柏レイソルに学生を10名送っている。半年の
インターンシップ。レイソルの試合会場の放送やイベント等々の仕事をやっている。
他の企業に2名。学生、大学、企業の3者が共に得るものがあるような仕組みを作ることが肝要である。
インターンシップの参加は、全体3,000人の学生、1%ぐらいの参加率。3年生は、600人いて、30人ぐらいがイン
ターンシップに参加している。
意識の高い学生は、外部の大学が関与していないインターンシップに行っている。
8.その他
筆記試験対策
10月〜1月にSPI対策を行っており、SPIの対策本の著者を外部講師にして、3年生を対象にした10回コースを開
催している。参加費は1000円。
4年生で就職に決まった学生が、就職アドバイザー(ボランティア)30〜40名が3年生の指導をする。
弱みは、卒業生パワーが弱いこと。まだまだ卒業生が少ないため。
9.まとめ
麗澤大学は、キャリア教育、長期インターンシップ、卒業生による面談等就職支援のさまざまな取り組みを組織
的に行っている。しかし、キャリア教育は、必修ではなく選択科目であり、受講者も決して多くない。また、長期
インターンシップも最近始めたばかりである。となると、いったい何が麗澤大学の就職支援の強みなのか。
課長の長谷川氏に、就職支援で学生の就職率を上げている一番効果のあるものについて伺ったところ、次のよう
な答えが返って来た。
「それは、企業面談と学生面談です。企業面談ではその企業が求める人材像、
学生の能力等をつかみ取ります。また、
一方の学生面談ではその学生の能力や気質、就職希望先を聞き、時間を取り一緒になって考えます。企業の情報と
学生の情報を同時につかんでいるのは、センターの職員のみです。この情報をもとに企業と学生の適切なマッチン
グを図ることが何よりも重要であると思います」
▲左:川瀬主任、右:長谷川キャリアセンター課長
110
インタビューに答えてくれたのは、キャリアセンター課長の長谷川善仁氏と主任の川瀬達也氏の2名であった。
15時から始まったインタビューは、17時を過ぎまで続いた。お二人とも非常に熱心に私の質問に答えて下さった。
経済学部教授のセンター長は、ちょうどロシアに出張中ということで、残念ながらお会いすることはできなかった。
(担当:岸本)
<事例2>
【大学名】東日本国際大学(ひがしにほんこくさいだいがく)
【所在地】〒970−8567 福島県いわき市平鎌田字寿金沢37
【沿 革】1966年 昌平坂学問所の精神を受け継ぎ、昌平黌短期大学設立
1972年 いわき短期大学と校名変更
1995年 東日本国際大学設立(いわき短期大学商経第一、二部の改組転換。短大はそのまま存続)
。
経済学部:国際経済学科、経済情報学科
2000年 附属中学・高等学校を設置
2004年 福祉環境学部新設
2007年 経済学部を改組し、経済情報学部を発足
【在学学生数】
経済情報学部
福祉環境学部
留学生別科
国際経済学科
経済情報学科
社会福祉学科
精神保健福祉学科
164 名(夜間生含む)
272 名(夜間生含む)
68 名(1.2 学年のみ)
40 名(1.2 学年のみ
21 名(1学年のみ)
(2007年4月現在)
【就職実績】就職内定率
経済情報学部 92.3%
福祉環境学部 92.1%
(参考:短大幼児教育科は2年連続100%)
(2011年4月16日現在)
111
【東証上場企業及び公務員への就職率の推移】 卒 業 時 期
H. 20. 3
H. 21. 3
経 済 情 報
9.6%
9.9%
福 祉 環 境
4.3%
14.5%
H. 22. 3
15.5%
12.9%
H. 23. 3
36.4%
3.4%
【ヒアリングによる分析と考察】
1.就職支援状況
・キャリアセンターの組織体制…四大・短大事務室の中に、学務課・入試広報課・就職指導課の3つがある。就職
指導課は、次長の遠藤紀男氏のほかスタッフ2名で、四大と短大の対応を行っている(遠藤氏はキャリアセン
ターでの相談業務、求人先企業開拓の他にキャリア科目の講義も担当)
。
2.企業との関係構築…積極的な企業アプローチを行い、求人先企業の開拓のために、年間700社を超える企業訪問
を行い、複数回の学内企業説明会を開催。2011年1月の説明会には県内26社の企業を招聘
した。
3.資格取得のサポート体制…高校教員資格(公民、情報、商業、福祉)
、公務員試験、情報処理(ITパスポート、
基本情報処理技術者)、日商簿記、ファイナンス・プランナー、社会福祉士、精神保健福祉士国家試験受験資格、
社会福祉主事、児童福祉司、児童相談員、家庭相談員任用資格、住環境コーディネーターなどの資格取得が可能。
・公務員試験講座Ⅰ~Ⅳ…卒業必要単位には含まれないが、選択科目として単位付与。外部委託はせずに、学内の
教員が担当している。実績としては、いわき市役所、足利市役所、佐野市役所、習志野市役所、警視庁、福島県
警、神奈川県警、自衛隊(陸上、航空)など。
・国家試験対策…福祉環境学部では、3年次秋~4年次末(国家試験直前)までの期間、通常の授業とは別に受験
の全科目について学習する「国家試験対策講座」を設けている。指導は各科の専任教員によって行われている。
4.キャリア科目…教養科目の中に位置づけられており、経済学部では必修の「キャリアガイダンス」の他、選択
科目として「自己啓発とキャリア」、2年生で「キャリアデザインⅠ」、3年で「キャリアデザインⅡ」、4年生で
「職業意識の形成とキャリアプランニング」を履修する。スポーツマネジメントコースのための「スポーツビジネ
スにおけるキャリアデザイン論」という選択科目もある。専門科目としては、
「キャリア演習Ⅰ、Ⅱ」がある。
5.インターンシップ…選択科目。いわき市商工会議所が中心となり、積極的に受け入れ企業を確保。学内の成果
発表会だけでなく、市内の大学・高専の学生による成果発表もあり、産学協同により効果を上げている。教職員
によるインターンシップ委員会を設け、事前教育・成果発表会など、力を入れて取り組んでいる。
▲キャリアセンター次長 遠藤氏
112
6.その他
a.留学生と日本人学生の交流を促進する「異文化交流」プロラムが正課(自由選択科目)となっている。平成
19年度は福島県留学生弁論大会で優勝、2等賞、3等賞を独占、日本語検定1級合格者5名を輩出するなど、
留学生対応に注力して来た成果が表れている。
b.スポーツ振興…野球部、柔道部、弓道部、バドミントン部、卓球部、サッカー部、空手部の7部を「強化指定部」
として総額700万円の財政的支援を行っている。スポーツ特待生の制度もあり、在校生のモチベーションアッ
プだけでなく、県内外の優秀な高校生アスリート招聘効果があると思われる。
7.まとめ
・民間企業から転進したという遠藤次長のエネルギーが大いなる牽引車としてキャリアセンターや学生、企業を巻
き込んで前進しているという印象を受けた。学生数から考えれば、決して多いとは言えない職員数であるにも関
わらず、授業で教え、個別の学生相談にも応じながら、企業訪問をこなしている遠藤次長のバイタリティが「東
北の私大で就職率ナンバーワン」という結果を導き出しているようだ。
どの時代でも、就職内定率が高い大学には、名物就職室長やカリスマキャリアセンター長が存在して話題にな
ることが多いが、その原則は今の時代にも脈々と受け継がれていることを目の当たりにした。学生は教員や職員
の本音を敏感に察する。教職員が必死になって、1人でも内定を取らせようと多くの企業相手に奔走しているの
を見れば、おのずとその熱意は伝わって行くものなのだろう。
・就職活動がインターネットの時代に入り、求人情報もネット検索が当たり前となっている。東日本国際大学も、
もちろん学生はインターネットで求人情報を得るシステムがあるが、それに主体的にアクセスするような学生で
あれば、放っておいても自分で就職活動を行って行く。そうではない学生も少なからず存在するので、あえて昔
ながらの紙の求人票も学生が通る廊下にびっしりと掲示してある。
さほど就職活動に一生懸命ではない学生でも、登校して何気なく目にした1枚の求人票から、積極的な活動を
スタートする場合もある。いちいちパソコンを立ち上げて、学校のURLにアクセスし、さらに求人情報までた
どり着く手間と時間を考えると、「廊下に求人票」の旧来の方式が、学生にとっては有難いはずだ。インター
ネット全盛時代に、こうしたアナログ方式も共存させるという柔らかい思考が大切であると痛感した。
経費をかけて、新しい方法論を導入するだけでなく、ちょっとした発想でより効果が上がる方式はいくらでも
あることに気付かせてくれた。
▲びっしり貼られた求人票
▲卒業生の就職先まで掲示している
・東日本国際大学の沿革を見て判るように、建学の精神は一言で言えば孔子の教えであり論語の精神である。学生
は論語の授業が必修になっている。私見であるが、初年度から孔子について学び、論語を理解して行くプロセス
というものは、結果として素晴らしいキャリア教育になっていると思われる。
113
就職の実戦の場では、コミュニケーション能力やエントリーシートを書くための文章力が要求されることになる
が、継続して論語を読み続けることが読む力だけではなく、理解した内容を相手に伝える力や、良い文章の鋳型
が頭に入っていることから日本語としてきちんとした文章を書く力をも育てていると思われる。 (担当:松崎)
<事例3>
【大学名】羽衣国際大学(はごろもこくさいだいがく)
【所在地】〒592-8344 大阪府堺市西区浜寺南町1-89-1
【沿 革】1923年 羽衣高等女学校
1947年 羽衣学園中学校 開校
1948年 羽衣学園高等学校 開校
1964年 羽衣学園短期大学(文科・家政科)
開学
1997年 羽衣学園短期大学に国際教養学科 開設
2002年 羽衣国際大学 産業社会学部 開学
2005年 羽衣国際大学 人間生活学部 開設
2006年 羽衣国際大学 産業社会学部産業ビジネス学科を改め、キャリアデザイン・放送メディア映像の
2学科体制に
羽衣学園短期大学 閉学
【在学学生数】
学部
産業社会学部
学科
放送・メディア映像学科
キャリアデザイン学科
産業ビジネス学科
在籍者数
164 名
392 名
4名
小計
560 名
人間生活学部
食物栄養専攻
262 名
介護福祉専攻
87 名
生活マネジメント専攻
131 名
小計
480 名
総計
1,040 名
(2010年5月1日現在)
114
【就職実績】就職内定率
産業社会学部… 72名( 63名) 74.3%(81.8%)
人間生活学部…105名(103名) 87.5%(88.0%) ※( )内は留学生を除いた数字
【ヒアリングによる分析と考察】
1.就職支援体制
・キャリアセンターの組織体制…就職支援、資格取得支援、インターンシップの3つのセクションに8人のスタッ
フ(専任職員3名、嘱託1名、キャリアカウンセラー3名、派遣職員1名)
・教員の組織する「キャリア委員会」と連携し、方針・具体策を決定している。全教員には委員会を通じてキャリ
アに関する指導方針が伝わる仕組みである。
2.資格取得奨励…羽衣エクステンションセクションによる資格支援が充実している。20以上の検定、30以上の資
格対策講座を提供し、一定レベルの資格には2~6単位を認定している。
「HEC検定クーポン」で、受講希望講座の受講料、
検定の受験料などが最大5,000円まで割引きを受けることが出来る。
留学生に対しては、日本語1級試験の費用全額負担している。この他にも、学科によって、たとえば栄養士国家
試験に関しては、専用のサーバーを設置し、e-Learningによる模擬受験が可能となっている。
3.保護者対応…教育懇談会の他に、保護者対象の就職・進路セミナーを実施して、就職活動への理解を得て家庭
での協力も求めている。
4.企業との関係構築…年3回「学内合同企業セミナー」を実施。約150社が参加。「学内企業選考会」(個別説明会
や面接会)も実施。
5.キャリア教育科目…正課授業に多くのキャリア科目がある。産業社会学部3年では通年科目「キャリアプラン
ニング」、人間生活学部では「就職支援プログラム」を開講している。
その中で、内定者を「ジュニア・アドバイザー」、OB、OGを「キャリア・アドバイザー」として招聘し、後輩学
生の支援を行っている。
また、2010年度入学生より、キャリアデザイン基礎論Ⅰ、Ⅱ、キャリアデザイン論Ⅰ、Ⅱ(必修)、キャリアプラ
ンニングⅠ、Ⅱ(選択)と低学年からのキャリア教育に力を入れている。
6.インターンシップ…開学以来の実学教育の柱として位置づけている。
「インターンシップの羽衣」というイメー
ジが強く、評価も高い。
・事前教育として正課科目「インターンシップ論」2単位
・インターンシップⅠ:短期2週間2単位
・インターンシップⅡ:中期4週間4単位
・インターンシップⅢ:長期:最長6カ月16単位
・海外研修にも注力…シンセンのテクノセンターでのインターンから、タイでの海外ボランティア、オーストラリ
ア語学研修など)
7.入学前研修
・オープンキャンパスで入学前集中講座。継続学習はe-Learning(羽衣国際大学カスタマイズ)で自宅学習だが、
Web上で添削も。学内学習会3回とハガキ応援作戦で98.9%の履修達成。
・さらに前述の羽衣検定も実施。
・希望者には「高大接続英語」講座。正規科目で、2月下旬~3月中旬までの土日15回。出席と修了テストによ
115
り、入学後1単位の認定。例年10~15名が参加。
・各学科で600~1,000字のレポートを課し、産業社会学部ではビジネス検定3級の問題集を配布し、提出を義務付け
ている。
・入学予定者によるプレゼンテーション大会(グループワーク、パワーポイント作製含む)→学長表彰
・在学生による各種プログラム「先輩と語ろう」:小グループに別れてディスカッションし、入学後のモチベー
ションアップを図る。インターンシップ、ボランティア、学科の講座など様々。
・入学後の担当に決まっている教員が「学び探求シート」を書かせる。
8.新入生研修…テーマパークで研修し、具体的な職業イメージを持たせる。
「働くこと」や「仕事」について、現
場見学を通して感じ、考える。キャリア研修プログラムは実務家教員が加わって開発。研修後に学んだこと、自分
がやりたいこと、自分が果たせる役割とそのために必要な能力開発についてレポート、それを1年次の基礎ゼミナー
ルで活用している。
9.その他
・南大阪地域大学コンソーシアムで単位互換制度などを充実させ、学生の学力向上を図る。
・2008年に戦略的大学連携支援事業に採択され、桃山学院大学を代表とした6大学連携で、「実践力のある地域人
材の輩出」をテーマに研究教育活動を実施。
・「羽衣教養検定」…学士力養成のため、一般常識を中心に出題。就職試験を平易にした内容。全学学生に実施。
優秀者は学長表彰
・必読書を1週間1冊4年間。読書感想文に全学で取り組み、優秀者の学長表彰する。
10.まとめ
高等女学校から短期大学を経て四年制大学へと移行してからまだ9年目であるという沿革や、少人数であること、
産業社会学部でスタートして2学科制に変換した経緯など、本学と非常に類似点が多い大学であった。偏差値もほ
ぼ同じような水準である。
インターンシップ先進大学としては、立命館大学が有名であるが、規模の大きい大学だからこそ出来る体制など
ということもあり、小規模大学ながら初期からインターンシップに力を入れて来た羽衣国際大学では、就業力の育
成に大いに効果があることを示す良い実例であると思われた。
しかし、キャリアセンター長(取材当時)の竹内氏によると、
例年、
インターンシップ参加者の数が減って来ており、
必ずしも就職内定率との明確な関係性はないようだということだった。
産業社会学部を改革して、新たに開設した2学科においては放送・メディア映像学科は学生には人気であり、設
備なども充実させて来たが、放送業界は就職先が限定されるために、競争が激しくなかなか内定者が出ないという。
逆に、人間生活学部の食物栄養専攻や介護福祉専攻では、栄養士や介護福祉士などの資格に裏打ちされている強み
があり、内定率は高い。特に求人の多い業界である介護関連は好調のようである。
資格支援に注力している点も本学と類似しているが、初年次からの基礎力・学士力を重要視していることと、入
学前の教育にもきめ細かい配慮をしているという点に驚かされた。キャリア科目の初年次導入のみならず、新入生
合宿も単なるオリエンテーションに止まらず、「働く」を考えるという明確な目的に沿って研修の形で行われている
点に注目したい。
付け焼刃の就職力養成ではなく、「羽衣教養検定」や必読書に見られるような地道な努力で学生に力をつけようと
する姿勢は、一見遠回りであるように見えてそれこそが王道なのではないかと思われた。 (担当:松崎)
116
<事例4>
【大学名】松本大学(まつもとだいがく)
【所在地】長野県松本市新村2095番地1号
【沿 革】1898年 私立戊戌学会 創立
1911年 松本商業学校と改称
1953年 松商学園短期大学 開学
2002年 松本大学 総合経営学部総合経営学科 開学
松商学園短期大学を松本大学松商短期大学部に改称
2006年 松本大学 総合経営学部に観光ホスピタリティ学科増設
2007年 松本大学 人間健康学部(健康栄養学科、スポーツ健康学科)を開設
【在学学生数】
学部
総合経営
学科
総合経営
観光ホスピタリティ
健康栄養
スポーツ健康
在学学生数
431 名
382 名
人間健康
342 名
406 名
合計
1,561 名
(2010年5月1日)
【就職実績】
総合経営学部…90〜95%
人間健康学部…97%
【ヒアリングによる分析と考察】
1.就職支援体制
・キャリアセンターの組織体制
専任の職員数は3名、嘱託職員は3名、派遣職員2名で、大学と短期大学を担当。
・全職員に資格取得を奨励。有資格者、現在、学習中の職員も多い。
117
資格一覧 ※( )内は学習中。
キャリアカウンセラー 6名(3名)
産業カウンセラー (3名)
EQトレーナー
2名
EQプロファイラ―
3名(1名)
(2009年5月)
この他、桜美林大学大学院「大学アドミニストレ―ション研究科」の通信課程に入学した職員もおり、資金援助
も行っている。
職員研修も年数回行い、信州大学とは事務職員の交換職場研修も行っている。
資格の有無ではなく、資格を取るための学習プロセスそのものが、学生支援に大いに役立つと思われる。職員の
モチベーションも向上し、学生に対してもプラスに作用すると考えられる。
2.キャリア科目…「実践的教養科目」として学科ごとに定められた科目群に、キャリア関連科目が組み入れられ
ており、専門科目とキャリアの科目をドッキングさせた部分が特徴的であり、相乗効果を上げていると思われる。
総合経営学科では1年次に「キャリア入門」、2年次向けに「キャリア形成Ⅰ」
、3年生対象の「キャリア形成Ⅱ」
などの科目が必修となっている他、4年生では「社会人になるために」、「ワークインフォメーション」などの社会
人になってから役立つ講座で学ぶ。
観光ホスピタリティ学科では、
「キャリア形成Ⅰ」
、
「マナー概論」
、
「キャリア形成Ⅱ」を必修科目として、
「コミュ
ニケーション学」、「接遇演習」、「観光コミュニケーションⅠ」
、
「社会人になるために」などの科目がある。
健康栄養学科・スポーツ健康学科では、
「マナーと接遇」
、
「キャリアカウンセリング基礎Ⅰ」を必修とし、
「EQ論」
も選択科目として実施されている。
学生は自らが学ぶ学科の専門に即したキャリア科目を受講する事が出来るので、学びの意欲が向上すると思われ
る。また、教える側からも、その学科を出てどんな職業に就き、どう働いているのかをより具体的に示せる上、ゲ
スト講師などの招聘もしやすい。総論としてではなく、生きたキャリア教育を行える環境になっている。
3.キャリアカウンセリング…入学前段階から、3年次まで専門のカウンセラーによるキャリアカウンセリングを
全学生対象に実施。入学前では、大学生活や勉学の方向性を各自が明確に出来るよう配慮する。2、3年次では、
就職意識・職業意識を身につけ、将来の方向性を明らかにすることに主眼を置いている。各学生のカルテ報告書も
提出する。
学年ごとに時期をずらして実施するが、カウンセラーの人数も必要なためキャリアカウンセラーの人脈を開拓し、
今ではリストに50〜60人の登録があるという。
単発的なカウンセリングではなく、1人の学生をプロのカウンセラーが長期的に支援していく方法は非常に丁寧
な学生対応でありかつ効果が期待されるサポートシステムである。
4.インターンシップなど…インターンシップのみならず海外研修、社会活動などを奨励している。正規授業科目
においても、「アウトキャンパス・スタディ」として、それぞれの学科でゼミと実習科目として見学型と体験型に分
けて積極的に実施されている。
社会活動のひとつとして2005年に「地域づくり考房『ゆめ』」という画期的な組織を構築している。専任スタッフ
(教員1名、職員3名)が学生による地域活動をサポートする専門組織として、初期は学内の一室に設けられていた
だけであったが、2008年に松本駅前にワークステーションを設け(学生GPで採択された)、松本市役所、松本商工
会議所などとの連携のもと、学生と地元とを結びつける役割を果たしている。
「地域づくり学生チャレンジ制度」などで助成金を出すなどの経済的支援も行い、活発な活動を推進、学生の自主
企画から製品化されてビジネスへと発展したケースもある。
このような取り組みは、地域連携だけでなく、学生の職業意識を高め最終的には就業力の育成に大きく貢献して
118
いる。実際に、それまでに学生が行った地域活動との関連で進路相談に応じるなどもしており、キャリアセンター
との連携はもちろん、公的セクターに連絡を取り学生の就職実現への協力依頼をすることもあるという。
5.その他
履歴書やエントリーシートに関しては、学生に書かせるまではキャリアセンターで誘導するが、その後の添削は
外部委託している(2011年より学研メディコン、2010年まではベネッセコーポレーション)。現在、利用中のシステ
ムでは赤字で添削・コメントを入れてもらえるだけでなく、A~Eまでの5段階評価もつくため学生にとってはど
こをどう直せば良いかが明確になるだけでなく、自分がどのレベルにあるのかも判り、モチベーションアップに繋
がるのではないかと思われる。
6.まとめ
・他大学に比較して、格段に職員の能力開発に力を入れていることに驚嘆した。大学の規模が多くなるほど、サラ
リーマン化した職員が増えて5年ごとにどんな職場に異動するかわからないような状況では、「就職支援のプ
ロ」が育ちにくいことは自明である。様々な部署への人事異動が少ない小規模大学のほうが、腰を落ち着けて
「プロ化した職員」を育てる事が可能なのかもしれない。
たとえ企業で人事を担当したというキャリアがあっても、大学生の就職支援には違った側面がある。発達段階
のキャリアデザインについて、キャリアの資格を取得する際に学ばねばならない多くの事柄が、実践の場で役に
立つのである。さらに有資格者としての人脈を駆使して、全学学生にキャリアカウンセリングを受けさせるため
の下地作りに寄与している点も多いに参考になった。入学前から継続して、学外のキャリアカウンセラーが公正
な判断に基づいてカウンセリングを行うことは非常に重要であり、カルテとして報告し、学内で情報共有する仕
組みも、学生をトータルに指導して行く点で大変効果的であると思われる。
・さらに、履歴書やエントリーシート作成のために、内部での「書かせるまでの誘導」と外部の教材+添削のシス
テムを上手に組み合わせて活用している点にも注目したい。
必修科目である「キャリア形成」や選択科目の「キャリアカウンセリング基礎Ⅱ」でも文章能力の育成を行っ
ている点にも注目したい。
文章能力育成は、正規授業科目にあっても当然であり、本来、短時間に片手間でできる仕事では無い。多くの
大学のキャリアセンターでは、キャリアカウンセラーによる就業支援と、就職のための文章指導が混在している
のが現状であるが、キャリアカウンセリングが得意なカウンセラーが、必ずしも説得力のある文章を書く事が得
意であるとは言えない。600人を超える学生のエントリーシートを添削して来た経験から、職員やカウンセラーの
文章指導が最適とは言えないケースにも、しばしば遭遇した。このような文章指導は質において均一ではないた
め、外部のプロに委託することで一定の基準のもとでの添削と評価が得られるシステムは学生にとっても納得が
行くものであると思われる。また、キャリアセンターの側でも、添削のコメントを読んで、客観的な判断の下で
学生に最適なアドバイスをすることが出来るというメリットがある。 (担当:松崎)
119
<事例5>
【大学名】大阪国際大学(おおさかこくさいだいがく)
【所在地】大阪府枚方市杉3丁目50番1号(枚方キャンパス)
大阪府守口市藤田町6丁目21番57号(守口キャンパス)
【沿 革】1929年 帝国女子薬学専門学校の姉妹校として帝国高等女学校設立
1938年 帝国高等女学校設立者を財団法人 帝国学園とする
1951年 財団法人帝国学園を学校法人帝国学園に改組
1965年 帝国女子大学(家政学部)を開学
1988年 大阪国際大学(経営情報学部)を開学
1992年 帝国女子大学を大阪国際女子大学に校名変更、家政学部を改組し人間科学部を開設
大阪国際大学に政経学部(2000年、法政経学部に名称変更)を開設
1993年 学校法人大阪国際学園に法人名称変更
大阪国際大学に大学院経営情報学研究科修士課程開設
1995年 同 博士(後期)課程開設
1998年 大阪国際大学に大学院総合社会科学研究科修士課程開設
2002年 大阪国際大学に人間科学部開設、大阪国際女子大学学生募集停止
2007年 大阪国際大学に国際コミュニケーション学部を開設
2008年 大阪国際大学経営情報学部及び法政経学部を改組し、ビジネス学部及び現代社会学部を開設
【在学学生数】(大学院は除く)
経済情報学部
法政経学部
ビジネス学部
現代社会学部
人間科学部
国際コミュニケーション学部
42 名
39 名
828 名
537 名
1,397 名
609 名
合計
3,452 名
(2011年5月1日現在)
120
【就職実績】就職内定率
経営情報学部……………………81.5%(就職決定者110人、就職希望者238人)
法政経学部………………………86.8%(就職決定者 79人、就職希望者 91人)
人間科学部………………………83.0%(就職決定者250人、就職希望者301人)
国際コミュニケーション学部…89.8%(就職決定者 80人、就職希望者 89人)
(2011年5月1日現在)
【ヒアリングによる分析と考察】
1.就職支援体制
・キャリアセンターの組織体制…キャリアセンターの業務は、学生指導、求人開拓、進路関係を3本柱としてい
る。サポートは、全体、グループ、個人の3パターンで指導や行事を行っている。
学長 ― 副学長 ― 事務局長のラインに連なって、事務局長の下に、入試・広報部、キャリアセンター、庶務部の
3部門が所属。
キャリアセンターではセンター長の下、課長1名を含めて総計18名(うちキャリアカウンセラーの有資格者8
名)で、センター長、課長を除き2つのキャンパスに配属され業務。 ・キャリアセンター運営委員会は、各学科から選出された教員、キャリアセンター職員の計12名からなり、月一回
の委員会を開催し情報を全学で共有している。
・キャリアセンターの今後の方針としては次の通り。
① 求人企業開拓の強化→求人開拓専任者だけでなく他の職員も含めた求人開拓を行っているが、今後は専任職員
の増員を予定
② 進路指導の強化→キャリア教育、就職セミナー、個別面談を意識的に連携し、年間行事として位置づける。
② 斡旋活動強化→企業セミナー開催回数を増やし、学生に迅速に求人情報を提供する。
2.企業との関係構築
企業を招いて学生とのマッチングを図る「企業セミナー」を学外で年間数回開催している。学内でも1〜2社に
来訪いただき、説明会を随時開催している。
3.キャリア教育科目
厚生労働省認可の「若年者就業基礎能力支援事業(YESプログラム)の廃止に伴って全体的な見直しを図って
いるが、現在は、読み書き、計算、社会常識、ビジネスマナー、職業人意識、コミュニケーションの6つの能力向
上に重点を置いた「キャリア開発プログラムⅠ〜Ⅲ」を展開している。
2009年度より、2年生対象に「セミナーⅡ」のうち3~5コマを「働く意味」
、
「自己理解・自己発見」などキャ
リアマインドを育成するためのカリキュラムを導入。キャリアセンター職員とゼミ担任と協同して行っている。
4.インターンシップ、留学など
インターンシップは、枚方キャンパスでは2年次から、守口キャンパスでは3年次から実施。期間はおおむね2
週間(実質10日間)。
19年度148名参加から、21年度は71名と参加者が半減しているが、原因は事前教育・指導を厳しくしたためと分析
している。
なお、国内のみならず、海外インターンシップも実施している。インターンシップ以外にも、留学や海外研修を
推奨し、学生の主体性涵養に努めている。
留学先:中国、韓国、台湾、米国、カナダ、ニュージーランドなどに中長期の留学提携大学あり
研修先:春期・夏期の短期研修先としては、上記の国の他、オーストラリア、カンボジア、タイ、モンゴル、ベ
トナムなどがある。内容は語学研修、ボランティア、日本語教員アシスタントなど多彩。
121
5.資格取得を奨励:(課外活動奨励者奨励金を付与、表彰)しており、例えば、これまでに次の資格が取得され
ている
<教員免許、学芸員、認定心理士、健康運動実践指導者資格、初級障害者スポーツ指導員資格、ビジネス実務士資
格、上級ビジネス実務士資格、カウンセリング実務士資格、健康管理士一般指導員資格、実用英語技能検定2級、
TOEIC550以上、パソコン検定3級、販売士3級、法学検定3級、宅地建物取引主任者、ビジネス著作権検定初級、
CGクリエーター検定デジタル映像部門3級>
6.その他
・キャンパス・ライフ・クリエーター制度:主に2年生以上の学生メンバ―を中心として、新入生合宿のアドバイ
ザー、就職相談会、近隣の大学訪問調査とそれに基づく改善点の提言など行っている。
・SNS「絆ネット」の活用。2009年より正式採用し、授業科目、就職活動、クラブ活動に関する学内のコミュニケー
ションが活性化した。
・中退者が多い時期があり、学生の「やる気」を引き出すために、トレーディングルームでの仮想ビジネスゲーム
など、実践的な科目を多く配置し、少しずつ効果が上がっている。
・文部科学省の『「大学教育・学生支援推進事業」学生支援推進プログラム』に採択され、予算がついたのでニン
テンドーDSを約800台購入し、学生に貸与。就職常識やSPIを学ぶツールとした。
ゲーム機を使っての就職支援という画期的な試みであるが、現代社会学部の中野健秀准教授によれば、現状で
は導入したばかりであることと、枚方キャンパスでの800台という限られた台数によるチャレンジなので、結果は
まだ不明ということだった。
導入にあたっては、DS本体の割引は受けられなかったが、市販の就職支援関係のソフトを低廉な費用で購入で
きるなど、好条件に恵まれたという。ただし、学内で、教員対象のDS使用にあたっての説明会も開催したが、教
員全員からの理解が得られたかという点になると批判的にとらえられた部分もあったようだ。高齢の教員ほど、
学問の世界に遊びの道具を持ちこむという事に拒否反応を示したのではないかと推察される。
学生からの反響としても二分される状態で、元から就職活動に積極的である学生は意欲的に取り組み、通学の
時間を使ってゲーム機で一般常識やSPIの問題を解くなど活用しているという。
▲左:庶務課 中山氏、右:中野准教授
122
7.まとめ
大阪国際大学は、学部増設・改組を行い、大学院も設置するなど変革に次ぐ変革に圧倒される大阪国際大学であ
るが、かつては中退者が多く、対策を立てなければならなかったなど本学と共通の悩みを有していた。
ニンテンドー DSを使用した就職支援という発想は画期的かつ非常にユニークなものである。パソコンよりもゲー
ム機の扱いに習熟している学生は多いと思われ、講義スタイルの授業には前向きにならない学生でも、ゲーム感覚
で学べるという環境を与えれば、自発的に取り組む可能性は高いのではないだろうか。
しかし、3年の就職活動のスタート時期からではなく、初年次教育からこのシステムを導入して、学生が授業以
外に主体的に学ぶという習慣をつけさせることが必要であろう。通学時間や講義と講義の間の空き時間など、細切
れの時間でも自分から学びのために使えるのだという発想に慣れて行けば、自然と効果が上がるのではないかと考
える。 (担当:松崎)
おわりに
5つの大学を回り、様々な就職支援の在り方やキャリア教育の現状などについてもヒアリングを行って来たが、
そこからが導き出した書く大学の成功要因は次のポイントに要約することができる。
(1)初年度教育・カウンセリングの重要性
(2)キャリアセンター職員の教育・質の向上
(3)企業との密なる関係性の構築
(4)情報機器・システムの効果的な利用
以下にそれぞれ、順を追って考察を進めて行きたい。
(1)初年度教育・カウンセリングの重要性
文部科学省の推進策もあって、キャリア教育を低学年からスタートすることにした大学は少なくない。しかし、キャ
リア教育以前に学士力の重要性に気付き、様々な方策を用いて学生の基礎学力を向上させようとする例が多く見受
けられた。羽衣国際大学の必読書、 「羽衣教養検定」などが典型的な例であるが、毎週1冊の本を読み感想文を書
くという一見単純な課題が4年間継続することで大きな効果を上げるだろうことは想像に難くない。美しく正しい
日本語の文章が「鋳型」として頭にインプットされることで、自分の書いた文章のどこが間違っているのか、どこ
がおかしいのかが感覚的に理解できるようになるだろう。それは、美しく正しい、説得力のある文章作成の第一歩
である。同様に、東日本国際大学の論語の必修科目も、継続するうちに学生の力を高めて行くと思われる。
さらに、羽衣国際大学の場合には、オープンキャンパスを単なるお祭りや縁日に終わらせず、初年度教育へ繋げ
ていることにも瞠目せざるを得ない。英語などは講習を修了した高校生に1単位を付与し、大学入学後に「使える」
単位としている。新入生合宿すらも、キャリア教育の一環となり1年次のゼミナールに繋がっている。
松本大学でも、入学前の期間を有効に活用している。入学前カウンセリングで、大学で何を学び、将来どのよう
な仕事に就きたいか、そのためには大学での4年間、あるいは2年間をどのように過ごせばいいかなどについての
自分の考えを、プレ新入生たちやキャリアカウンセラーに話すことで、目的意識を明確にして、大学生活をより有
意義なものへと導くよう工夫している。
こうした教育の連続性・継続性が入学前と初年度に存在することで、基礎的な学士力の有効な土台を作って行く。
それが結果的に就職活動に強い学生、本番で勝負できる学生を育てて行く。就職のためだけに特化した秘策がある
わけではなく、学生本来の力を初年度からきっちりと育てて行くことこそが、最も効果的な就職支援の基本である
ことに改めて気付かされた。
(2)キャリアセンター職員の教育・質の向上
どの大学のキャリアセンターでも、複数の職員がキャリアカウンセラーなどの有資格者であった。外部委託のカ
123
ウンセラーに丸投げするというケースは無く、想像以上に正規職員の意欲が高く、資格取得者であったり、資格取
得のために学習中であるなどした。
松本大学のように、他大学の通信教育を受ける職員に経済的支援をしているところもある。自分の大学のキャリア
センターにおいて質の高いカウンセリングを実施するためには、数年でいなくなる嘱託社員としてのキャリアカウン
セラーではなく、ずっとその大学に腰を据えて学生の経年変化も見守って行ける人材が不可欠である。来年か再来年
までという限られた任期の中では、優秀なキャリアカウンセラーであってもおのずと限界がある(雇用の継続や正規
職員として登用するという方向性もある)
。大学に対するロイヤリティにも、もちろん大きな差があるだろう。
今回ヒアリングした大学ばかりでなく、亜細亜大学ではキャリアセンター長が率先してキャリアカウンセラーの
資格を取得したところ、指示したわけではないのに部下が続々と資格を取得し始め、学習中の1名を除いてすべてが
有資格者になったという事例(2006年)も聞いた。法政大学にも、職員が資格を目指して学習する場合はそれにか
かる費用を負担する制度がある。学生対応・サポートの質を向上させることが、結果的に就職内定率を上げるとい
う因果関係は明確であり、そのための「先行投資」として職員の資格支援をサポートするということは大学の就職
支援戦略に不可欠な要素であると考えられる。
また、資格取得だけではなく、トップの必死な姿勢がキャリアセンター全体を引っ張って行くという事実も忘れ
てはならない。前述した亜細亜大学でセンター長の資格取得が、他の職員の背中を後押しする効果があったように、
東日本国際大学ではキャリアセンター次長の遠藤氏の奮闘に周囲も協力を惜しまない体制となっている。かつて、
数十年前の石油ショック後の就職氷河期においても、就職内定率の良い大学には名物(カリスマ)就職室長がおり、
東日本では「明治の西(室長)、上智の千葉(室長)」と言われてマスコミにも再三登場し、企業にアピールするな
どの活動をしていた。西室長の名刺は裏面に「本学の非常に優秀な学生です。よろしくお願い致します」という裏
書きがあれば、それで内定したという「ご印籠名刺伝説」が残っているほどである。キャリアセンター長も、大学
の看板のひとつとして広報活動を担い、自らの大学の学生を売り込むという気概を持たなければ、就職戦線で生き
残れる大学にはなれないと言えるだろう。
(3)企業との密なる関係性の構築
前述したように、企業対策を抜きにして就職支援体制は語れない。大阪国際大学では当然ながら企業開拓専任職
員はいるが、専任任せにせず全職員で企業開拓に取り組む姿勢を明確にしている。優良中小企業を探し、関係構築
して行くにはそうした地道な努力が必要であり、継続性と繰り返し行って行くことが重要である。営業活動はどん
な業界業種においても、原則は変わらない。何度でも断られても足を運び続け、努力を怠らない営業マンが信頼を
得るのである。通り一片の企業開拓では、何とかして優秀な人材を確保したいと真剣に考えている企業に足元を見
られてしまうだろう。
年間に700〜800社の企業回りをするという東日本国際大学の遠藤次長の素晴らしさは、他大学の追随を許さない
のではないか。次長というレベルの職員が頻繁に訪れる点も大きい。契約社員や嘱託社員が企業訪問するのではな
く、実際に生身の学生の就職相談に乗り、キャリア科目の授業を教えて学生を知り尽くしているキャリアセンター
次長が自ら訪問して、企業の人事課に熱意を持って「我が大学の学生」を売り込むのである。これ以上、優秀なセー
ルスマンがいるだろうか。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた地域の大学であるにも関わらず、90%台の就職内
定率を達成できたのは、学生の努力もさることながら、キャリアセンター次長というトップセールスマンに負うと
ころが大であろう。
(4)情報機器・システムの効果的な利用
ヒアリングを実施した大学では、麗沢大学、松本大学、大阪国際大学など多くがSNS(ソーシャルネットワー
キングサービス)を公式に採用しており、就職支援だけでなく学生生活の利便性を図っている。
本学にも中村専任講師の管理による非公式SNSが存在し、筆者は授業で活用させて貰った経験があるが学生の
パソコンスキルの上達や、留学生の積極的な授業参加に関して一定の効果があった。昨今の就職活動ではインター
ネットが不可欠であり、エントリーもWEBエントリーの時代に入っている。プライベートでSNSを利用してい
124
る学生も少なくないことから、積極的な活用によって学生の「就勝力」を向上させることが出来ると考える。また、
SNSを利用して自宅にいながらにして求人情報を得ることができれば、現在本学に多い「
(就職)活動に消極的な
学生」層を、積極的なグループに移行させるきっかけになるのではないだろうか。
また、携帯電話も学生のほぼ100%が所有している情報機器であり、この活用は早急に着手すべきである。学生が
前もって自分の希望する業種・職種を登録しておくと、それに見合った求人があった場合にキャリアセンターから
携帯メールが届くというようなシステムを取り入れている大学は少なくない。その求人に興味がなければ、そのま
まにして良く、詳しく知りたい・応募したい場合には登校してキャリアセンターを訪ねることになる。これも、全
体的な求人情報を送信するのではなく、学生の興味・関心のある業界に絞ってピンポイントで情報提供することが
重要である。法政大学のキャリアセンターでは、金融志望の学生のアドレスをリスト化し、学生の希望に見合った
求人や説明会の情報提供を行っていた金融業界担当の職員(当時)がいて、数年間で1000名近い学生のリストとなっ
たと聞き及び、職員の熱意に感服した記憶がある。
大阪国際大学のゲーム機による自習システムも、教員の提案により実現したもので、大変に興味深いが、スター
トしたばかりであり結果は不明である。3年生からではなく、初年度教育で導入するとより効果的なのではないか
と推論するに止めたい。
いずれにしても、情報機器やシステムの活用に関しては、スタートしたばかりというケースも多く、まだ課題が
多いように思われる。今後の研究・調査によって、この分野の成功事例・要因などを明らかにして行き、一日も早
く本学に有用な試みを導入し、学生の効率的なサポートを実現出来ればと考えている。 (担当:松崎)
125
126
研究ノート
農業会計における複式簿記の基礎⑶
―開業貸借対照表及び流動資産の記帳について―
田 邉 正
長岡大学専任講師 はじめに
平成11年7月に、食料の安定供給の確保、多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村の振興を基本理念として、
「食料・農業・農村基本法」が創設された。そのなかの第22条に「農業経営の法人化の推進」が規定されている。そして、
平成17年に、「経営所得安定対策等大綱」が公表され、この大綱にしたがって、平成19年に、農業の担い手に対する
経営安定のために、「担い手経営安定新法」及び「水田・畑作経営所得安定対策」が施行され、このなかの取組みに
おいて五年の期間をかけて農業生産法人化計画が実施されることとなった。これによって、本格的に集落営農が経
営体として機能することになりつつある。
前稿では、農業経営における企業形態と農業会計の簿記一巡について述べた1。本稿では、農業会計における開業
貸借対照表及び流動資産の記帳について述べることにする。まず、集落営農を法人化した場合、複式簿記によって
記帳しなければならい。その際、ある程度の資産及び負債を農業法人が引継ぐことになるので開業貸借対照表が必
要となる。そこで、開業貸借対照表の仕組みについて述べる。次に、資産の分類の考え方について説明をし、農業
会計における流動資産の処理と記帳について述べることにする。
1、開業貸借対照表について
(1)農業経営の法人化
平成11年7月に、食料の安定供給の確保、多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村の振興を基本理念として、
「食料・農業・農村基本法」が創設された。その内容は、食料・農業・農村の基本計画、食料の安定供給の確保に関
する施策、農業の持続的な発展に関する施策、農村の振興に関する施策について規定されている。
「食料・農業・農
村基本法」の内容は、第一に、食料・農業・農村の基本計画の策定について、第二に、食料の安定供給の確保に関
する施策についてである。これらの内容のなかで第三の農業の持続的な発展に関する施策は、わが国の農村の過疎
化及び高齢化ならびに後継者確保という農業労働力の弱体化の打開策を唱えている。従来の農業経営は世襲が強く、
経営と家計が混同したものであったため、現在では高齢によって離農が増え、古いタイプの家族農業では継続して
いくことが困難となっていた。そこで、集落単位の営農システムの発展と安定性を図るために、条件の整った集落
営農については特定農業法人の設立を推進することになった。したがって、従来、集落営農は任意組織であったが、
農政が要求する特定農業団体から法人へと徐々に移行していくであろう。平成14年に、
「米政策改革大綱」が公表さ
れた。このなかで集落営農のうち一定条件を満たす組織は、集落型経営体として認定農業者とならぶ担い手とした。
そして、平成17年に、「経営所得安定対策等大綱」が公表され、この大綱にしたがって、平成19年に、農業の担い手
に対する経営安定のための交付金交付に関する「担い手経営安定新法」及び「水田・畑作経営所得安定対策」が施
行されることになった。このなかの取組みで農業生産法人化計画が五年の期間をかけて実施されることとなった。
この集落営農を経営体として発展させていくことは困難であるため、国政として安定的かつ継続的な担い手を育成
田邉正「農業会計における複式簿記の基礎⑵-農業経営における企業形態と農業会計の簿記一巡について-」『長
岡大学研究論叢』 第8号 59 ~ 69頁。
1
127
するとともに経営体を充実させるために法人化を政策のなかに組み込んだと考えられる。
そこで、内国法人には、公共法人及び公益法人等、人格のない社団等、協同組合等、普通法人がある。これらの
法人が法人税の納税義務を有していることになるが、従来の集落営農では、任意組合による組織化が一般的であっ
たため、法人税の納税義務は有していなかった。農業生産法人化計画によって集落営農の法人化が推進されているが、
この農業生産法人とは、上述した普通法人である株式会社、合同会社、合名会社、合資会社及び農事組合法人で農
地法第2条3に規定された事業内容、構成員、業務執行役員等について一定の要件を満たした企業形態である。
(2)開業貸借対照表
会社を設立する場合、企業会計では元手である出資金をもとにして設立することになる。もし、この出資金のみ
で一から農業経営を始めるならば、従来のとおりの企業会計の処理になるが、事前に存在する集落営農を法人化す
るならば、資産及び負債も引継ぐことになるため、通常の会社設立とは異なることになる。すなわち、現物出資で
ある。そのため、集落営農の詳細な資産及び負債の価値を測定したうえで、それらの差額から資本金を計算するこ
とになり、さらに出資金があれば、その金額を資本金に加えることになる。下記に取引例とその仕訳を示すことに
する。
【取引】
4月1日 現金200,000円、建物2,000,000円、機械4,000,000円、車両300,000円、土地300,000,000円、短期借入金3,000,000
円、長期借入金2,000,000円を引継いで農業経営を法人化した。
4月5日 さらに現金1,000,000円の追加増資をした。
〔仕訳〕
4月1日 (借方) 現 金
200,000
(貸方) 短期借入金
3,000,000
建 物
2,000,000
長期借入金
2,000,000
機 械
4,000,000
資 本 金
31,500,000
車 両
300,000
土 地
30,000,000
(貸方) 資 本 金
1,000,000
4月5日 (借方) 現 金
1,000,000
(図表1)
貸 借 対 照 表
平成○年4月1日
資 産
流 動 資 産
現 金
固 定 資 産
機 械
車 両
建 物
土 地
金 額
負債及び純資産
流 動 負 債
短期借入金
固 定 負 債
長期借入金
純 資 産
資 本 金
1,200,000
4,000,000
300,000
2,000,000
30,000,000
37,500,000
金 額
3,000,000
2,000,000
32,500,000
37,500,000
農業を生業としている農家が法人化する場合、従来の資産及び負債を引継いで法人化することになる。その際、
現物出資として出資金である資本金は、その資産及び負債を時価で評価したのち、その資産の金額から負債の金額
を控除した金額が出資金である資本金の金額となる。そこで、上記の取引例の場合、資産の合計金額が36,500,000円
であり、負債の合計金額が5,000,000円であることから、資本金の金額は31,500,000円となる。さらに1,000,000円の追
128
加増資をしたので資本金の金額は32,500,000円になる。そこで、
開業貸借対照表を作成すれば、
(図表1)のようになる。
(図表1)が開業貸借対照表であるが、法人化するにあたって定款の認証料、収入印紙代、定款の謄本の取得料、
登録免許税等と約二十五万円の登記料が費用としてかかってくる。これらの費用は繰延資産の一つとして創立費と
して借方に計上されることになる。
2、流動資産について
(1)資産の分類
資産とは、企業等のある特定の経済主体に帰属する将来の経済的便益であり、貨幣額で合理的に測定できるもの
である2。したがって、所有している経済主体にとって必要不可欠な財貨及び権利であって、これらのものが、将来、
経済主体に収益をもたらす潜在的な力をもっているものである。ただし、貨幣額で評価されなければならない。
そこで、資産を分類する際、二つの考え方が存在する。まず、流動資産と固定資産に分類する考え方がある。こ
れは資産を原則として正常営業循環基準(normal operating cycle basis)で分類することになる。正常営業循環基準
とは、企業の主目的たる営業取引過程にあるものを流動資産又は流動負債とする基準である。すなわち、営業サイ
クルに該当するか否かで分類するのである。よって、現金預金、棚卸資産、売掛金、買掛金等は、たとえ決済等が
一年を超えても営業サイクルに該当することから流動資産又は流動負債と分類されるのである。そして、営業サイ
クルに該当しないものに関しては一年基準(one year rule)で分類することになる。一年基準とは、貸借対照表日
の翌日から起算して一年内に決済されるか否かで分類し、一年以内で決済されるならば、流動資産又は流動負債と
分類されるのである。
次に、貨幣性資産と非貨幣性資産に分類する考え方がある。貨幣性資産とは、売買が対象とならない資産であっ
て現金等のように法令又は契約によって金額が決定しているものである3。したがって、貨幣性資産以外のものは非
貨幣性資産となる。また、費用化される費用性資産は非貨幣性資産の一部であって重複することになる。
そこで、農業会計において貸借対照表上、資産を分類すれば、
(図表2)のようになる。
(図表2)
流動資産
資産
固定資産
繰延資産
当座資産 … 現金、預金、売掛金等
棚卸資産 … 未販売農作物、生産資材等
有形固定資産 … 建物、大農具、土地等
無形固定資産 … 水利権、借地権等
投資等 … 農協出資金、投資不動産等
… 開業費等
(図表2)のように、企業会計において馴染みのない勘定科目も農業会計では使用されることになる。企業会計上
の営業サイクルも若干異なっており、加工される資産も流動資産として分類されることになる。
(2)流動資産の記帳について
①現金
企業会計上、現金の範囲には通貨と通貨代用証券とが存在する。通貨とは貨幣と紙幣である。一方、通貨代用証
券とは、他人振出小切手、郵便為替証書、送金小切手、利払日の到来した利札、配当金領収書等である。これらは
現金勘定としてすべて処理されることになる。現金勘定が増加すれば借方勘定が増加するし、減少すれば貸方勘定
が増加することになる。その際、現金勘定の収支を詳細に把握するために、補助簿の一つである現金出納帳がある。
下記に現金勘定の収支に係る取引例とその仕訳を示すことにする。
広瀬義州著『財務会計 第10版』中央経済社 2011年 168頁。
広瀬義州著 同上書 171頁。
2
3
129
【取引】
4月5日 農協より人参の種子3,000円を現金で購入した。
4月6日 作業用帽子500円とゴム長靴700円を現金で購入した。
4月25日 高田商店に人参60,000円を現金で売上げた。
4月26日 肥料3,000円を現金で購入した。
〔仕訳〕
4月5日 (借方) 種 苗 費 3,000 (貸方)
現 金 3,000
4月6日 (借方) 作業衣料費 1,200 (貸方)
現 金 1,200
4月25日 (借方) 現 金 60,000 (貸方)
野菜収益 60,000
4月26日 (借方) 肥 料 費 3,000 (貸方)
現 金 3,000
上記の取引のように、現金勘定の収支がみられた場合、補助簿であるため任意であるが現金出納帳に記帳するこ
とになる。上記の取引例を現金出納帳に記帳すれば、
(図表3)のようになる。
(図表3)
現 金 出 納 帳
日 付
4
1
5
6
25
26
30
摘 要
前月繰越
人参の種子購入
作業用帽子及びゴム長靴購入
人参売上げ
肥料購入
次月繰越
収 入
200,000
支 出
②60,000
5
1 前月より繰越
① 現金に着目し、現金の支出があれば、支出欄に記帳する。
② 現金に着目し、現金の収入があれば、収入欄に記帳する。
③ 現在の現金の残高を記帳する。
260,000
252,800
①3,000
1,200
3,000
252,800
260,000
残 高
200,000
197,000
195,800
③255,800
252,800
252,800
(図表3)のように、現金出納帳に記帳されることになるが、企業会計上の現金出納帳と殆ど同じである。したがっ
て、現金出納帳によって現在の帳簿上の現金残高を把握することができる。しかし、実際上の手許現金が一致しな
いことが多々ある。このような場合、一時的に現金過不足という仮の勘定科目を使用して処理し、一致しない原因
を調査することになる。そして、原因が判明すれば問題ないのだが、決算日まで原因が判明しなければ、不足の場
合は雑損又は雑損失、過剰の場合は雑益又は雑収入で処理することになる。下記に現金過不足に係る取引例とその
仕訳を示すことにする。
【取引】
5月1日 現金の手許有高を調べたところ、帳簿残高よりも2,000円不足していた。
10月25日 現金不足額のうち1,700円は、飼料費の記入洩れであった。
12月31日 現金不足額のうち300円は原因が不明のため、決算にあたり雑損として処理した。
130
〔仕訳〕
5月1日 (借方) 現金過不足 2,000 (貸方)
現 金 2,000
10月25日 (借方) 飼 料 費 1,700 (貸方)
現金過不足 1,700
12月31日 (借方) 雑 損 300 (貸方)
現金過不足 300
【取引】
6月8日 現金の手許有高を調べたところ、帳簿残高よりも3,000円過剰であった。
11月26日 現金不足額のうち2,500円は、ダイコン販売代金の記入洩れであった。
12月31日 現金不足額のうち500円は原因が不明のため、決算にあたり雑益として処理した。
〔仕訳〕
6月8日 (借方) 現 金 3,000 (貸方)
現金過不足 3,000
11月26日 (借方) 現金過不足 2,500 (貸方)
野 菜 収 益 2,500
12月31日 (借方) 現金過不足 500 (貸方)
雑 益 500
②預金
預金には、一般的に当座預金、普通預金、定期預金等が存在する。そこで、種類別に勘定科目を設けることになるが、
これらをまとめて諸預金勘定としてもよい。また、郵便局等の貯金も預金として処理される。そこで、企業会計で
も一般的に利用される当座預金勘定について述べることにする。当座預金は金融機関の審査を経て契約を締結して
小切手を振出すことが可能となる。ただし、わが国では当座預金は無利息となっている。当座預金勘定が増加すれ
ば借方勘定が増加するし、減少すれば貸方勘定が増加することになる。その際、当座預金勘定の収支を詳細に把握
するために、補助簿の一つである当座預金出納帳がある。下記に当座預金勘定の収支に係る取引例とその仕訳を示
すことにする。
【取引】
5月4日 農協より小豆の種子6,000円を小切手を振出して購入した。
5月14日 コンバインの使用料金8,000円を小切手を振出して支払った。
5月18日 高田商店に大根30,000円を売上げ、代金は当座預金に振込まれた。
5月26日 肥料3,000円を小切手を振出して購入した。
〔仕訳〕
5月4日 (借方) 種 苗 費 3,000 (貸方)
当座預金 3,000
5月14日 (借方) 賃 借 料 8,000 (貸方)
当座預金 8,000
5月18日 (借方) 当 座 預 金 30,000 (貸方)
野菜収益 30,000
5月26日 (借方) 肥 料 費 3,000 (貸方)
当座預金 3,000
131
上記の取引のように、当座預金勘定の収支がみられた場合、補助簿であるため任意であるが当座預金出納帳に記
帳することになる。上記の取引例を当座預金出納帳に記帳すれば、
(図表4)のようになる。
(図表4)
当 座 預 金 出 納 帳
摘 要
収 入
1 前月繰越
100,000
4 小豆の種子購入
14 コンバインの賃借料
18 大根売上げ
② 30,000
26 肥料購入
31 次月繰越
130,000
5
1 前月より繰越
116,000
① 当座預金に着目し、当座預金の支出があれば、支出欄に記帳する。
② 当座預金に着目し、当座預金の収入があれば、収入欄に記帳する。
③ 現在の当座預金の残高を記帳する。
日 付
5
支 出
① 3,000
8,000
3,000
116,000
130,000
残 高
100,000
97,000
89,000
③ 119,000
116,000
116,000
(図表4)のように、当座預金出納帳に記帳されることになるが、企業会計上の当座預金出納帳と殆ど同じである。
また、取引先が小切手を換金したとき、当座預金の残高が不足していたら、金融機関は拒否し不渡小切手となる。
この不渡小切手によって倒産を招くことになりかねない。そこで、金融機関と当座借越契約を結んで、このような
事態を招かないようにしなければならない。ちなみに、当座借越勘定は負債に該当することになる。下記に当座借
越勘定に係る取引例とその仕訳を示すことにする。
【取引】
6月16日 農薬費62,000円を小切手を振出して購入した。ただし、当座預金残高は102,000円であり、当座借越契約
500,000円が結ばれている。
7月7日 カイワレ大根の種子50,000円を小切手を振出して支払った。
8月10日 鈴木商店に人参50,000円を売上げ、代金は当座預金に振込まれた。
〔仕訳〕
6月16日 (借方) 農 薬 費 62,000 (貸方)
当座預金 62,000
7月7日 (借方) 種 苗 費 50,000 (貸方)
当座預金 40,000
当座借越 10,000
8月10日 (借方) 当 座 借 越 10,000 (貸方)
野菜収益 50,000
当 座 預 金 40,000
このように、当座借越勘定を用いて処理することになり、当座預金の振込みがあれば、まず当座借越勘定を減少
させて、その差額を当座預金勘定として計上することになる。この処理方法を二勘定制という。また、当座借越勘
定及び当座預金勘定を使用せず、当座勘定を使用する一勘定制もある。上記の取引を一勘定制で処理すれば下記の
ようになる。
132
〔仕訳〕
6月16日 (借方) 農 薬 費 62,000 (貸方)
当 座 62,000
7月7日 (借方) 種 苗 費 50,000 (貸方)
当 座 50,000
8月10日 (借方) 当 座 50,000 (貸方)
野菜収益 50,000
上記のように、一勘定制ならば、借方に残高だと当座預金ということであり、貸方に残高だと当座借越というこ
とになる。
③前渡金
生産資材又は肥育素畜を購入するときに、その代金の一部を前払いすることがある。これを内金という。この場合、
内金を支払えば、前払金勘定を借方に計上し、内金を受取れば、前受金勘定を貸方に計上することになる。前払金
勘定は資産に該当し、前受金勘定は負債に該当する。この前払金勘定を前渡金ともいう。下記に前渡金勘定に係る
取引例とその仕訳を示すことにする。
【取引】
7月1日 きゅうりの種子90,000円を注文し、予約金10,000円の小切手を現金で支払った。
7月7日 きゅうりの種子の引渡しをうけ、予約金を差引いた80,000円を現金で支払った。
〔仕訳〕
7月1日 (借方) 前 渡 金 10,000 (貸方)
現 金 10,000
7月7日 (借方) 種 苗 費 90,000 (貸方)
現 金 80,000
前 渡 金 10,000
④売掛金及び未収金
農畜産物販売取引をする際、その都度、現金や小切手を渡していては面倒であるため、馴染みの取引先とは月末
に一括して代金を支払う又は受取ることがある。これを掛取引という。月末に代金を受取る場合、売掛金勘定で処
理することになる。売掛金勘定は資産である。一方、月末に代金を支払う場合、買掛金勘定で処理することになる。
買掛金勘定は負債である。下記に売掛金勘定に係る取引例とその仕訳を示すことにする。
【取引】
7月1日 鈴木商店に人参50,000円を掛けで売上げた。
7月31日 鈴木商店から掛代金50,000円を現金で受取った。
〔仕訳〕
7月1日 (借方) 売 掛 金 50,000 (貸方)
野 菜 収 益 50,000
7月31日 (借方) 現 金 50,000 (貸方)
売 掛 金 50,000
上記のように処理されるが、値引及び返品があった場合、逆仕訳をすればよいことになる。また、農畜産物販売
取引以外の売買取引をする際、後から代金を受取る場合は未収金勘定で処理し、後から代金を支払う場合は未払金
勘定で処理することになる。
133
⑤貸付金
金銭消費貸借契約書等を締結し金銭を貸付けた場合に貸付金勘定で処理される。この貸付金勘定は、決算日後一
年以内に返済期限が到来する短期貸付金と一年を超えて返済期限が到来する長期貸付金に分類される。貸付金勘定
は資産である。一方、金銭を借入れた場合に借入金勘定で処理される。借入金勘定も決算日後一年以内に返済期限
が到来する短期借入金と一年を超えて返済期限が到来する長期借入金に分類される。借入金勘定は負債である。
⑥仮払金
金銭を支払ったり受取ったりしたが、その内容が解らず一時的に仮の勘定を設けて記入することがある。この仮
の勘定には、内容が解らず支払ったことを意味する仮払金勘定と内容が解らず受取ったことを意味する仮受金勘定
とがある。仮払金勘定は資産に該当し、仮受金勘定は負債に該当する。下記に仮払金勘定に係る取引例とその仕訳
を示すことにする。
【取引】
8月15日 野菜産地の視察旅行にあたって、現金150,000円を支払った。
8月25日 視察旅行から戻り、旅費50,000円、小農具費10,000円で残額は現金を受取った。
〔仕訳〕
8月15日 (借方) 仮 払 金 100,000 (貸方)
現 金 100,000
8月25日 (借方) 旅費交通費 50,000 (貸方)
仮 払 金 100,000
小 農 具 費 10,000
現 金 40,000
上記のように処理されるが、本来、仮払金勘定及び仮受金勘定は、決算期までに内容を明確にして該当する勘定
科目に振替える必要性がある。
(3)棚卸資産について
企業会計において棚卸資産とは、通常の営業過程で販売することを目的として保有する財又は用役、製造中の販
売資産、販売資産を生産するために短期間に消費される財及び販売活動において短期間に消費される財のことであ
る。 具体的には、商品、製品、仕掛品、半製品、原材料、消耗品等があげられる。土地又は建物等の不動産も不動
産業者にとっては棚卸資産となる。
しかし、農業会計において棚卸資産とは、農産物のように販売を目的とする資産であり、農業の場合、種子、肥料、
飼料等のように消費されて農産物となる生産資材も含まれる。期末にこれらの資産があれば、実際有高を調査して
記帳する必要性がある。具体的には、未販売農産物、未収穫作物、肥育家畜、繰越資材があげられる。
①未販売農産物
期末に販売されず在庫として保有している農産物は未販売農産物勘定として処理する。ただし、借方は未販売農
産物として計上されるが、貸方は収益勘定を計上することになる。この未販売農作物の評価には、収穫時の時価を
用いて評価する収穫時価法を採用している。したがって、簡便な処理を採用している。この処理は企業会計におい
ては未実現利益であって本来計上すべきではない。この点が企業会計とは異なることになる。もし、適切な会計処
理を採るならば、貸方には未販売農産物勘定にかかった費用を控除するために、費用勘定を計上すべきであり、収
益の認識には実現主義を採用すべきである。下記に未販売農産物勘定に係る取引例とその仕訳を示すことにする。
134
【取引】
12月31日 期末に販売されすに残っていた人参8,000kgを10kgあたり1,000円で評価した。
〔仕訳〕
12月31日 (借方) 未販売農産物 800,000 (貸方)
野菜収益 800,000
また、未販売農産物勘定ではなく、勘定科目に具体的な作物名を付けても構わない。
②未収穫作物
期末に圃場又は温室に単年性作物で収穫されずに残っている農作物は未収穫作物として処理する。これらの未収
穫作物は、すでに費用が投入されているため、次期の費用に繰り延べるために、当期の費用から控除して未収穫作
物として資産計上されることになる。一方、当期の費用から控除されるため、貸方に費用勘定を計上することになる。
ただし、未収穫作物の評価額が少なければ、未収穫作物として資産計上する必要性はない。下記に未収穫作物勘定
に係る取引例とその仕訳を示すことにする。
【取引】
12月31日 期末においてビニールハウスで栽培中の蜜柑を種苗費10,000円、肥料費20,000円、農薬費30,000円で評
価した。ただし、これらの費用は、すでに費用発生の取引として記帳済である。
1月1日 翌期になったので再整理仕訳をした。
〔仕訳〕
12月31日 (借方) 未収穫作物 60,000 (貸方)
種 苗 費 10,000
肥 料 費 20,000
農 薬 費 30,000
1月1日 (借方) 種 苗 費 10,000 (貸方)
未収穫作物 60,000
肥 料 費 20,000
農 薬 費 30,000
上記のように、期末において未収穫作物として資産計上すれば、翌期の期首には逆仕訳をして再整理仕訳をしな
ければならない。
③肥育家畜
期末に飼育中の肉牛、肉豚、ブロイラー等の販売目的の家畜は、肥育家畜勘定で処理する。肥育家畜勘定は、前
述した未収穫作物と同様の処理となる。したがって、素畜費、種付費、飼料費、診療衛生費等の要した育成費用が
肥育家畜勘定として計上される。下記に肥育家畜勘定に係る取引例とその仕訳を示すことにする。
【取引】
12月31日 期末において肥育中の肉牛を家畜費100,000円、飼料費200,000円、診療衛生費50,000円で評価した。た
だし、これらの費用は、すでに費用発生の取引として記帳済である。
1月1日 翌期になったので再整理仕訳をした。
135
〔仕訳〕
12月31日 (借方) 肥 育 家 畜 350,000 (貸方)
家 畜 費 100,000
飼 料 費 200,000
診療衛生費 50,000
1月1日 (借方) 家 畜 費 100,000 (貸方)
肥 育 家 畜 350,000
飼 料 費 200,000
診療衛生費 50,000
④繰越資材
期末に肥料、飼料、農薬、育苗用ポット等の購入資材が在庫として残っていれば、これらを繰越資材で処理する。
これらの評価方法は、原価法又は低価法を採用して評価する。その際、
継続記録法によって、
購入資材の費消を個別法、
口別法、平均原価法で計算する。そして、購入資材の購入及び費消を明確にするために、補助簿の一つである商品
有高帳に記帳することになる。商品有高帳の記入例として、
(図表5)のようになる。
(図表5)
商 品 有 高 帳
(先入先出法) 品 名:肥 料 単位:袋、円
日付
6
摘要
1
4
繰 越
購 入
10
使 用
19
購 入
30
繰 越
受 入
数量
単価
金額
10
300
3,000
40
350
14,000
数量
払 出
単価
金額
{ 20
300
350
3,000
7,000
{ 30
350
330
7,000
9,900
26,900
10
30
330
9,900
20
80
26,900
80
残 高
数量
単価
金額
10
300
3,000
10
300
3,000
40
350
14,000
{ 20
20
30
{ 350
350
330
7,000
7,000
9,900
(図表5)では先入先出法の記入例であるが、上述したように大別して個別法、口別法、平均原価法が存在する。
個別法とは、資材の一つずつを購入単価で評価する方法である。購入量が少なく、一つずつの単価が高価なものに
適用される。
口別法には、先入先出法(fast in fast out method)と後入先出法(last in fast out method)がある。先入先出法とは、
先に購入した資材から先に費消して在庫を計算する方法である。したがって、期末に購入した単価に類似した価額
が期末在庫として評価されることになる。よって、物価上昇時には、期末在庫の評価額と時価がかけ離れないが、
費消額に物価上昇額が含まれないことになる。一方、後入先出法とは、後に購入した資材から先に費消して在庫を
計算する方法である。したがって、物価上昇時には、期末在庫の評価額と時価がかけ離れることになるが、費消額
に物価上昇額が含まれることになる。ただし、平成20年9月26日に、企業会計基準委員会から後入先出法の廃止が
公表されている。
平均原価法には、単純平均法、総平均法、移動平均法がある。単純平均法とは、個々の資材の購入単価の平均単
価を計算して評価する方法であるが、一般的には採用されない。総平均法とは、資材の受入合計額を合計数量で除
して平均単価を計算して評価する方法である。移動平均法とは、購入単価が異なるごとに残高金額と受入金額の合
計金額を残高数量と受入数量の合計数量で除して平均単価を計算して評価する方法である。
繰越資材も費用がすでに投入されているため、次期の費用に繰り延べるために、当期の費用から控除して繰越資
材として資産計上されることになる。一方、当期の費用から控除されるため、貸方に費用勘定を計上することになる。
136
下記に繰越資材勘定に係る取引例とその仕訳を示すことにする。
【取引】
12月31日 期末において肥料50,000円、農薬100,000円が未使用であった。ただし、これらの費用は、すでに費用発
生の取引として記帳済である。
1月1日 翌期になったので再整理仕訳をした。
〔仕訳〕
12月31日 (借方) 繰 越 資 材 150,000 (貸方)
肥 料 費 50,000
農 薬 費 100,000
1月1日 (借方) 肥 料 費 50,000 (貸方)
繰 越 資 材 150,000
農 薬 費 100,000
上記のように、繰越資材を繰越すことになるわけだが、これらの資材が毎年同じ量で、さほど多くなければ繰越
資材として処理する必要はない4。
おわりに
農業会計では、企業会計では使用しない勘定科目が多く使用されている。したがって、これらの勘定科目の内容
を把握しておかなければならない。特に棚卸資産の範囲については大きく企業会計と農業会計では異なっている。
企業会計では、棚卸資産の範囲として、商品、製品、仕掛品、半製品、原材料、消耗品等があげられる。しかし、
農業会計において棚卸資産とは農産物のように販売を目的とする資産であり、種子、肥料、飼料等のように消費さ
れて農産物となる生産資材も含まれることになる。したがって、農業会計では、棚卸資産の範囲として、未販売農
産物、未収穫作物、肥育家畜、繰越資材等があげられる。
このような農業会計における棚卸資産は、決算日に繰越されることになるわけだが、企業会計のように繰越資産
として資産計上するだけで繰越されるわけではない。これらの農産物には、これまで費用がかかっているため、資
産計上するとともに、それらの費用を当期の費用から控除しなければならない。したがって、費用を精査しなけれ
ばならないのである。確かに重要性の原則を適用すれば、決算日の棚卸資産の繰越処理は必要ないが、このような
ことが、家族経営の農家で処理できたのかという疑問がある。すなわち、企業会計における会計処理よりも複雑な
のである。
次稿では、農業会計における固定資産の記帳を中心に説明したい。企業会計とは異なって、農業会計では独自の
固定資産が存在する。よって、会計処理も農業会計独自のものとなる。その際、固定資産については減価償却の処
理も必然的に必要となる。減価償却の処理において税務上の取扱いも実務により近い農業会計では必要不可欠と考
えられるので、農業における減価償却の税務上の取扱いについても述べてみたい。
古塚秀夫、高田理共著『現代農業簿記会計』農林統計出版 2009年 73頁。
4
137
138
◉長岡大学地域研究センターご案内
ごあいさつ
長岡大学の地域貢献
活動の特徴と課題
長岡大学地域研究センター所長
長岡大学長 原
陽一郎
長岡大学は地域貢献を活発に展開している大学として大学関係者の間では知
られるようになりました。日経新聞社の「全国大学地域貢献度ランキング」で
平成21年度から2年続きでベストテンに入ったのがきっかけでした。地域研究
センターの活動や学生による地域活性化プログラムなどが予想外の高い評価を
得た結果でした。
それ以降、長岡大学の地域貢献活動は多くの大学から注目され、大学関係の
セミナー、シンポジウム(私大協会、大学コンソーシアム京都など)での発表、
教育学術新聞などのマスコミの取材、大学関係者の調査のための来訪(早稲田
大、東大、同志社大、竜谷大、東北大など)などが相次ぎました。
今年も9月に東北公益文科大学(酒井市)に招かれ、後援会総会で「大学と
社会をつなぐ試み」と題する講演を行い、ディスカッションにも参加して、同
大学の地域貢献活動の実態も聞かせてもらいました。たまたまですが、その後、
札幌での産学連携に関する会合で、小樽商科大学ビジネス創造センター(国立
大学の共同研究センターと同種の組織)副センター長の澤田教授の講演を聞き、
小樽商科大学にもお邪魔して、同大学の地域貢献活動についても詳しく聞かせ
てもらいました。
東北公益文科大学も小樽商科大学も社会科学系の大学として地域貢献活動を
活発に展開していることで全国的にもよく知られていて、長岡大学も手本にし
たいところでした。小樽商科大学はさすがに伝統ある国立大学として、北海道
経済の活性化を目指す大きな構想を打ち出して活動していますし、学生の地域
貢献活動も本学よりもレベルが高い。東北公益文科大学は県をはじめ周辺市町
村が応援してできた大学だけに、地域社会に密着した研究や貢献活動を幅広く
行っています。
見習うべきところはたくさんありますが、この二つの代表的な大学の話を聞
いて、長岡大学の地域貢献活動の特徴が少し分かってきました。長岡大学の場
合は、教員や学生が地域貢献に参加している割合が明らかに大きいのです。小
樽商大では、地域貢献に積極的な教員は2割程度、学生の参加率は10%位と言
うことですが、本学の場合は教員の5割以上、学生の2割以上が具体的な活動を
行っていると思われます。
問題は地域貢献の質です。地域社会の経済や福利厚生の発展に寄与したと誰
からも分かるような実績を出すことです。社会科学系では、そのような実のあ
る地域貢献の実績は多くありません。地域研究センターの究極の課題はその一
点にあります。
139
STAFF
所 長
●原 陽 一 郎 長岡大学長
運営委員長
●鯉 江 康 正 経済経営学部教授
運 営 委 員 ●原 田 誠 司 同 教授
( 兼 研 究 員 ) ●菊池いづみ 同 准教授
●吉 川 宏 之 同 准教授
●松 本 和 明 同 准教授
●牧 野 智 一 同 専任講師
OUTLINE
名 称 長岡大学地域研究センター
設 立 平成13年4月1日
目 的 地域経済、経営問題を中心に、さらに幅広く地域文化、生活、歴史な
どの諸分野にわたり地域社会の科学的、実証的研究・調査を行います。
これらの研究・調査による地域ニーズの把握とその教育への反映、大
学の持つ知的蓄積の地域への開放をつうじて「地域に開かれた大学」
を実現し、本学の教育・研究、経営基盤をより堅固にすることを目的
とします。
事
業 (1)地域に関する自主研究及び受託研究・調査
(2)地域関連資料・データの収集・整備
(3)実践講座、シンポジウム、研究会などの開催
(4)診断活動および研修活動
(5)機関誌「地域研究」の刊行、研究成果の公開
研 究 員 本センターの研究員は本学教員で組織されておりますが、研究テーマ
により学外の専門家に参加をお願いすることもあります。
経
緯 平成3年10月16日、長岡短期大学地域研究センター設立。平成13年4
月1日より長岡大学地域研究センターに改組。
活 動 経 過 (1)シンポジウム ●地域・時代のテーマで年1回、計10回開催 (2)受託調査等 ●「長岡市サービス業振興調査」
●「長岡市成長産業可能性調査」
●「長岡市高齢者等生活実態調査」
●「長岡市障害者生活実態調査」
●「長岡の地域産業を取り巻く課題調査研究」
●「長岡地域の若年者雇用実態調査研究」
(3)機 関 誌
●「地域研究」を毎年発刊、計10号
(4)そ の 他
●研究会・実践講座等の開催、地域活性化・産業振興
活動に積極的に参加
140
センター日誌
2010年
2011年
11月12日 2010シンポジウム
1月26日 第220回センター運営委員会
企業経営の持続性と事業承継
2月23日 第221回センター運営委員会
~世代を超えた企業・地域の成長~
5月18日 第222回センター運営委員会
(於:アトリウム長岡、主催/当地域研究
6月15日 第223回センター運営委員会
センター、後援/長岡市、長岡商工会議
7月13日 第224回センター運営委員会
所、㈶にいがた産業創造機構、長岡産業活
8月11日 第225回センター運営委員会
性化協会NAZE)
9月14日 第226回センター運営委員会
◆基調報告①
10月26日 第227回センター運営委員会
『長岡地域企業の成長・発展に関する基礎
2011年
課題~事業承継問題を中心に~』報告
11月 (長岡市)
長岡大学専任講師 井本 亨
「長岡市障害者生活実態調査」
◆基調報告②
『事業承継で私が心がけたこと』報告
魚沼冷蔵株式会社
取締役会長 小田島 美智子氏
◆シンポジウム
2010シンポジウム
企業経営の持続性と事業承継
~世代を超えた企業・地域の成長~
<パネリスト>
魚沼冷蔵㈱
取締役会長 小田島 美智子氏
㈱品川鋳造
代表取締役社長 品川 十英氏
㈱パートナーズプロジェクト
代表取締役社長/税理士 高野 裕氏
㈱コマスマーケティング
代表取締役 今井 進太郎氏
<コーディネーター>
長岡大学准教授 松本 和明
長岡大学専任講師 井本 亨
11月24日 第218回センター運営委員会
12月22日 第219回センター運営委員会
141
BULLETIN
『地域研究』創刊号
特集 市場構造急変の中の企業戦略
−21世紀に躍進する企業の条件を探る−
●平成13年度10月発行
目 次
ごあいさつ………………………………………中 西 貞 夫
特集 長岡短期大学地域研究センター 2000年シンポジウム
市場構造急変の中の企業戦略
−21世紀に躍進する企業の条件を探る−
●基調報告 新潟県における産業・企業と企業家の変遷
… ……………………………松 本 和 明
成長企業の条件とその条件の経営状況への影響
… ……………………………鯉 江 康 正
製造業の革新の方向−製造業はどのように変わ
ろうとしているのか− … ……原 陽一郎
●パネルディスカッション ……小田勝也、小埜寺正臣、渡辺 登、原 陽一郎、
松本和明、鯉江康正
論稿
メーカー生き残りの戦略−コストに対する執念と論理と
智慧の結集で− … ……………………………原 陽一郎
計量経済モデルによる新潟県経済の長期予測
… ……………………………………鯉 江 康 正
『地域研究』第2号
Long-term Chase of Vicissitude of Business Environment,
Industrial Organization and Industrial Policy at Japanese Steel Industry
… ………………………………………Hideki Hirota
コーポレート・ガバナンスと組織の経済学
−インセンティブとモニタリングのトレードオフ関係−
… ……………………………………權五景・崔学林
センターコラム
アメリカ雑感 ―強さの源泉― … …………早 川 博 之
地域を考える(2)―地方分権について― 栃 倉 一 彦
研究会要旨
新潟県の情報政策の現状と今後の方向
…新潟県企画調整部情報政策課 主任 松 村 雅 一
ITの取り込みと伸びる企業の条件
中小企業診断士中村公哉事務所 所長 中 村 公 哉
長岡大学地域研究センターご案内
センター日誌
長岡大学地域研究センター規程
編集後記
特集 新時代への挑戦−地域企業からの脱皮−
●平成14年度10月発行
目 次
ごあいさつ………………………………………中 西 貞 夫
特集 長岡大学地域研究センター 2001年シンポジウム
新時代への挑戦 −地域企業からの脱皮−
●基調報告
変貌する市場への挑戦
−知らない会社が顧客や競争相手になる時代の企業経営−
………………………………………早 川 博 之
厳しい新潟経済の先行き
−大胆なシュミレーションが示す地域の未来像−
………………………………………… 鯉 江 康 正
メーカー生き残りの作戦の秘訣を考える
−制約理論(TOC)を使え− ………原 陽一郎
●パネルディスカッション
地域企業の新時代への適合性を求めて
………羽田一司、松原 亨、原 陽一郎、早川博之、
鯉江康正、小田康治
論稿
地域社会に支えられる産業の活力
― 地域イノベーション・システムをどのように構築するか ―
………………………………………… 原 陽一郎
長岡圏域の社会経済の将来像 ― 一層進む外延化と過疎化 ―
………………………………………… 鯉 江 康 正
日本の科学技術政策における政策システムの発展と課題
― 新規重点政策領域における政策主体と政策手法に関する一考察 ―
………………………………………葊 田 秀 樹
142
業績管理会計の中小企業への適用可能性に関する一考察
………………………………………小 田 康 治
資料紹介
創業期と大正期における北越製紙に関する資料
………………………………………松 本 和 明
オピニオン
日本の金融政策論議と景気の行方 … …早 川 博 之
センターコラム
環日本海シンポジウム
「東北アジア新時代 ライバルかパートナーか」を開催して
………………………………………兒 嶋 俊 郎
地域を考える(3)― 新聞投稿から ― … 栃 倉 一 彦
研究会要旨
「わが社の経営戦略と業界の動向」
…クリーン・テクノロジー株式会社 代表取締役 西 澤 和 夫
「七里商店の経営戦略と将来展望」
…株式会社七里商店 代表取締役社長 七 里 貞 雄
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センター日誌
長岡大学地域研究センター規程
編集後記
『地域研究』第3号
特集 知識経済と企業・人材育成
●平成15年度10月発行
目 次
ごあいさつ………………………………………原 陽一郎
特集1 長岡大学地域研究センター 2002年シンポジウム
知識経済と企業・人材育成
●基調講演
長岡圏域の振興方向と戦略
新潟県長岡地域振興事務所長 大 掛 幸 夫氏
指導型人材育成の限界―新しい意識改革手法コーチング―
マックス・ゼン取締役・FMながおかパーソナリティ
丸 山 結 香氏
●パネルディスカッション
知識経済に向かう中での企業・地域活性化方策を探る
……………井口 宏、丸山結香、大掛幸夫、
原 陽一郎、鯉江康正
特集2 大都市部と農村部における製造業の存立基盤特性と
競争特性の比較研究
開業率・廃業率および雇用カバー率の地域間比較
…………………………………鯉 江 康 正
都市部と農村部における経営風土の違いに関する分析
……………原 陽一郎、早川博之、兒嶋俊郎、
高橋治道、鯉江康正
論稿
日本経済はなぜオチコボレたか…その原因とこれからの展望
………………………………………原 陽一郎
「両大戦間期における新潟県の産業発展と企業家グループ(下)
―郡部の場合―」…………………………………松 本 和 明
『地域研究』第4号
自己拘束性と戦略補完性
―ナッシュ均衡解としての日本企業システムを理解するためのノート―
………………………………………權 五 景
競争的研究資金配分の制度設計に関する一考察
―科学技術政策の中心領域における現状と課題―
………………………………………葊 田 秀 樹
オピニオン
地域振興策としての外国人観光客誘致を考える
―私の北ドイツ紀行― …………………………早 川 博 之
センターコラム
地域を考える(4)― 新聞投稿から― … …栃 倉 一 彦
研究会報告
酒造りの現状と今後の方向
…………新潟銘醸株式会社 取締役 山 下 進氏
三条品産の強みと、弱み
………三条金物卸協同組合 理事長 韮 澤 喜一郎氏
三条における工業の現状と課題
…協同組合 三条工業会 副理事長 兼 古 耕 一氏
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長岡大学地域研究センター規程
編集後記
特集 地域間競争力と経営風土
−しぶとい、地方の製造業が日本を変える−
●平成16年度12月発行
目 次
ごあいさつ………………………………………原 陽一郎
特集 長岡大学地域研究センター 2003年シンポジウム
地域間競争力と経営風土
−しぶとい、地方の製造業が日本を変える−
●基調報告Ⅰ 開業率・廃業率および雇用カバー率の地域間比較
…長岡大学産業経営学部助教授 鯉 江 康 正
●基調報告Ⅱ 都市部と農村部における経営風土の違いに関する分析
………原 陽一郎、早川博之、兒嶋俊郎、
高橋治道、鯉江康正
●パネルディスカッション 地方の強みをどう活かすか ………河田 博、山崎 隆、早川博之、
兒嶋俊郎、高橋治道、鯉江康正、
原 陽一郎
論稿
開発投資型新幹線による地域振興策の検討
―糸魚川地域を例として― …………………鯉 江 康 正
廃棄物処理の有料化と需要管理 …………内 藤 敏 樹
長岡工業会の設立と活動
―昭和戦前期における長岡商工会議所の一側面―……松 本 和 明
新生「南魚沼市」発展への一政策提言
―カントリーライフ指向時代の地域発展―……葊 田 秀 樹
143
日本企業システムの定着とインセンティブ構図
―日本企業システムに見られる制度補完性― 權 五 景
活動基準予算管理の再検討 ………………三 木 僚 祐
オピニオン
テロが無くなるのはいつか
―アメリカ西海岸駆け足旅行記― ………早 川 博 之
センターコラム
勝つ大学 ……………………………………栃 倉 一 彦
研究会報告
「ベンチャー企業から見た長岡と東京の違い」
〜なぜ長岡に工場を建てたのか〜
…株式会社フォトニクス 常勤監査役 柳 田 一千一
「企業システム開発の現状と課題」
…株式会社ジェイマック SI事業部第3システム部システム課長 石 橋 宏 之
センター日誌
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編集後記
『地域研究』第5号
特集 科学研究費助成研究シンポジウム
●平成17年度11月発行
目 次
特集1 長岡大学地域研究センター 2005年長岡大学
科学研究費助成研究シンポジウム
●基調講演
21世紀の「ものづくり」と地域イノベーション
東京農工大学大学院教授 TAMA活性化協会会長 古 川 勇 二氏
●パネルディスカッション
地域イノベーションシステムの構築をめざして
……………松原 亨、井口 宏、高田 篤、
有本匡男、原 陽一郎
特集2 ビジネス成功の鍵を握るマーケティング力を語る
−経営のため、従業員のため、社会のためのマーケティングマインドの活用法−
会社力とマーケティング
〜力強く利益を出し続けるために、マーケティングの重要性と活用〜
㈱ニコン・エシロール代表取締役社長兼CEO 長谷川 和 廣 氏
商品力とマーケティング−消費者動向の把握
〜売れる商品づくりのために、マーケティングリサーチの重要性と活用〜
ハウス食品㈱マーケティング本部業務推進部開発企画課主席 岡 本 慶一郎 氏
論稿
都市部と農村部および工業集積地域と工業非集積地域における
製造業の成長・衰退要因とそのパターンに関する分析
………………………………………鯉 江 康 正
産業・地域特性とイノベーション・システム―川崎、花巻、長岡を比べて―
………………………………………原 田 誠 司
内部・外部経済論−産業集積理論の再構築に向けて−
………………………………………原 田 誠 司
『地域研究』第6号
新潟県の商工会発展への一政策提言
―地域経済社会の支柱的機関としての商工会の高度化に関する課題と展望―
………………………………………広 田 秀 樹
厚生年金適用拡大のインパクトと新潟県経済への影響に関する考察
………………………………………石 川 英 樹
進出企業と地域産業 ………………………内 藤 敏 樹
エッセー&センターコラム
モンゴルの経験… ………………………………土 田 和 弘
勝つ大学(2)… ………………………………栃 倉 一 彦
地域情報&オピニオン
中越地震から1年、地域復興への課題 −長岡商工会議所に学ぶ−
………………………………………………桂 信太郎
大学広報の効果的実施 〜地域密着型大学の場合〜
………………………………………………伊 吹 勇 亮
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編集後記
特集 北陸新幹線延伸と長岡地域の将来
−2010年問題を考える−
●平成18年度11月発行
目 次
特集 北陸新幹線延伸と長岡地域の将来
−2010年問題を考える−
●基調報告Ⅰ 北陸新幹線延伸のインパクト
−新潟・長岡・上越を中心にして−
長岡大学教授
… 鯉 江 康 正
地域研究センター運営委員長
●基調報告Ⅱ 北陸新幹線延伸問題と地域振興
−地域活性化の方向−
上信越トライネット
…… 推 進 協 議 会 幹 事 長 秋 山 賢 治 氏
●パネルディスカッション 北陸新幹線延伸と長岡地域の将来
−2010年問題を考える− ………井上 亮、樋口栄治、尾島 進、
元井悦朗、秋山賢治、鯉江康正、
原田誠司
論稿
新成長戦略と地域イノベーション
―地域活性化戦略とは― …………………原 田 誠 司
廃棄物処理の有料化をめぐって …………内 藤 敏 樹
商工会の組織力向上への政策提言
―地域社会の変化と商工会の戦略的対応― ……広 田 秀 樹
中小企業金融の動向と創業期を含む資金調達にあたっての留意点
〜管理会計情報ないし経営管理情報の融資交渉における有用性〜… …谷 崎 太
大学進学率の決定要因に関する考察
〜都道府県別パネルデータ分析による内部収益率アプローチの検証 … 石 川 英 樹
国内製紙業界再々編機運の高まりと中国戦略 桂 信太郎
エッセー
システム・デザインと新産業の創造
―台湾調査から感じたこと― ……………伊 吹 勇 亮
地域情報
中越地震からの地域復興
―県内最大手スーパー原信の震災対応と今後の戦略に学ぶ―… …桂 信太郎
長岡大学生による調査研究紹介
「長岡大学生の睡眠時間」
実態把握のためのアンケート調査分析… ………水 品 享
センター日誌
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144
『地域研究』第7号
特集 2006年度シンポジウム・
人口減少時代と地域社会の展望
●平成19年度11月発行
目 次
特集 2006年度シンポジウム・
人口減少時代と地域社会の展望
●基調講演
「人口減少と地域経済の課題」
長岡大学教授 鯉 江 康 正
●パネルディスカッション
「人口減少時代と地域社会の展望」
……………小林武司、水澤千秋、小川峰夫、
渡辺千雅、鯉江康正、石川英樹
論稿
ビジネスモデル戦略と企業競争力の再構築
−事業構想の計画化に向けて− …………原 田 誠 司
卸売市場に関する考察
−新潟中央卸売市場統合移転を契機に−…内 藤 敏 樹
不正競争防止法の誤認惹起行為 …………吉 盛 一 郎
『地域研究』第8号
長岡地域企業の成長・発展に関する基礎調査の報告
…………石 川 英 樹・鯉 江 康 正
競争的リサーチ・グラント(CRG)の理論と展開
― 科学技術政策の中心的制度としてのCRGの理論と日本におけるCRGの展開 ―
………………………………広 田 秀 樹
地域情報
長岡発ベンチャー企業の経営と成長戦略
−㈱プロデュース企業見学から学ぶ−
…………桂 信太郎・桂ゼミナールⅢ
センター日誌
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編集後記
特集 長岡地域企業の成長・発展に向けて
●平成20年度11月発行
目 次
ネットワーク社会が子どもを狙う
― 児童を取り巻くネットワーク社会の現状と保護者の責務 ―
………村 山 光 博
中越地震被災者の生活復興過程と生活復興感
………平 野 順 子
ビークルの具体的活用方法における導管性と問題点(2)
-集団投資スキームの仕組みとビークルの特徴を中心として-
………田 邉 正
繰延税金負債の発生原因と評価性引当額の実態
……中 村 大 輔
資料紹介
創設期から大正後期における長岡商工会議所に関する資料
-『長岡商業会議所設立二十周年記念誌』を中心に-
……松 本 和 明
地域情報
老舗米菓企業の世界品質マネジメント
-岩塚製菓㈱の企業見学から学ぶ- ……桂 信太郎
センター日誌
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長岡大学地域研究センター規程
編集後記
特集 長岡地域企業の成長・発展に向けて
●基調報告
『長岡地域企業の成長・発展に関する基礎調査』報告
長岡大学准教授 石 川 英 樹
●パネルディスカッション
「長岡地域企業の成長・発展に向けて」
……………高橋 弘、品川十英、鈴木隆三、
内藤敏樹、石川英樹、鯉江康正
論稿
長岡市の1人当たり市民所得の分析 ……鯉 江 康 正
長岡地域企業の成長・発展に向けて
~2008年アンケート調査結果の報告 ………石 川 英 樹
経済格差は勉強力の格差から生まれる?…ひとつの仮説
………原 陽一郎
経済成長戦略と地域優位-「新しい産業集積」の形成へ-
……原 田 誠 司
日本のICRG(競争的研究資金制度)高度化のドライビングフォースとしての
科学技術系ポリシービジョンに関する一考察
―『競争的資金の拡充と制度改革の推進について』
(CSTP・2007)を中心として―
………広 田 秀 樹
145
『地域研究』第9号
特集 なぜ長岡の市民所得は低いのか
~豊かな地域社会の構築に向けて~
●平成21年度11月発行
目 次
特集 なぜ長岡の市民所得は低いのか
~豊かな地域社会の構築に向けて~
●基調報告①
『長岡市の市民所得分析』報告
長岡大学教授 鯉 江 康 正
●基調報告②
『長岡地域企業の成長・発展に関する基礎調査』報告
長岡大学准教授 石 川 英 樹
●パネルディスカッション
長岡の市民所得向上の方策とは
−豊かな地域社会の構築に向けて− ……………矢島善信、尾島 進、樋口栄治、
石川英樹、鯉江康正
論稿
長岡市産業連関表からみた長岡市の産業構造と産業連関
………………………………鯉 江 康 正
長岡地域企業の成長・発展に向けて
~不況脱出と環境対応を中心に~
(2009年アンケート調査結果の報告)
………………………………石 川 英 樹
政府研究開発と競争的研究資金制度
― 政府研究開発における競争的研究資金制度の位置・
制度分類およびプログラムオフィサー配置の課題 ―
………………………………広 田 秀 樹
『地域研究』第 10 号
産業集積の規模は何に依存するのか
−長岡と浜松の比較を通した長岡市と産業界への提言−
………………………………權 五 景
クラウドコンピューティングがもたらす情報革命
−クラウドコンピューティングの現状と課題−
………………………………村 山 光 博
研究ノート
環境規制と経済成長の関係性に関するノート
………………………………井 本 亨
農業会計における複式簿記の基礎(1)
−農業会計の財産計算と損益計算について−
………………………………田 邉 正
資料紹介
岸宇吉と松方正義・渋沢栄一に関する資料
………………………………松 本 和 明
センター日誌
長岡大学地域研究センターご案内
長岡大学地域研究センター規程
編集後記
特集 産業構造転換の視点
〜環境イノベーションと企業・地域の成長〜 ●平成22年度11月発行
目 次
特集 産業構造転換の視点
〜環境イノベーションと企業・地域の成長〜
●基調報告①
長岡市産業連関表とその活用・課題
~産業構造の特徴と長岡花火の経済効果を中心に~
長岡大学教授
… 鯉 江 康 正
地域研究センター運営副委員長
●基調報告②
長岡地域企業の成長と発展に関する基礎課題
~不況脱出と環境対応を中心に~
長岡大学准教授
… 石 川 英 樹
地域研究センター運営委員長
●パネルディスカッション
産業構造転換の視点
〜環境イノベーションと企業・地域の成長 ……………伊丹敏彦、樋口栄治、栗林義久、
鯉江康正、石川英樹、原田誠司
論稿
オープン・イノベーションとビジネスモデルの再構築
………………………………原 田 誠 司
環境負荷の改善に関わるビジネス
― 環境会計報告書を手がかりに ―…………吉 盛 一 郎
長岡市の社会経済の将来像…………………鯉 江 康 正
146
アメリカの科学技術系競争的資金制度の卓越性を実現するファクターズ
−制度改善メカニズムFDPと研究大学におけるグラントオフィスを中心に−
………………………………広 田 秀 樹
地域包括支援センターの創設と総合相談支援・権利擁護事業の展開
−インフォーマル・ケアの質の確保策を探るための基礎的研究:長岡市の事例をもとにして−
………………………………菊 池 いづみ
教育の情報化はどこまで進んでいるか
−教育の情報化に対する国家戦略の策定と今後の課題−
………………………………村 山 光 博
研究ノート
中小企業における事業承継の現状と課題に関するノート
………………………………井 本 亨
資料紹介
防衛省戦史部図書館所蔵・軍事輸送関係資料について
………………………………兒 嶋 俊 郎
外山脩造の企業者活動に関する資料(1)
………………………………松 本 和 明
センター日誌
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長岡大学地域研究センター規程
編集後記
長岡大学地域研究センター規程
(趣旨)
(経費)
第1条 この規程は、長岡大学学則第5条第2項の規
第5条 自主研究・調査に係る必要経費はセンター予
定に基づき、長岡大学地域研究センター(以
算から支出する。
下「センター」という。)について、必要な
2 自主研究・調査の成果は、個人研究・調査、共
事項を定める。
同研究・調査のいずれも文書をもって所長に報告
しなければならない。
(目的)
(組織)
第2条 センターは、長岡大学(以下「本学」という。
)
学内教育研究施設として、地域経済、経営問
第6条 センターに次の職員を置く。
題を中心に、さらに幅広く、地域文化、生活、
一 所長
歴史等の諸分野にわたり、地域社会の科学的、
二 副所長
実証的研究・調査を行うとともに、地域ニー
三 研究員
ズの把握とその教育内容への反映並びに本学
四 事務職員
のもつ知的蓄積の地域への開放を通じて「地
2 所長は、本学学長とする。
域に開かれた大学」の実現を推進し、本学の
3 副所長は、本学専任教員のうちから学長が選考
し任命する。
研究、経営基盤をより堅固なものとすること
4 研究員は、第3条に定める事業を遂行する意志
を目的とする。
のある本学専任教員とし、学長が委嘱する。
(事業)
5 事務職員は、本学事務職員のうちから学長が任
第3条 センターは、前条の目的を達成するために次
命する。
の事業を行う。
6 第1項第2号及び第3号に定める者の任期は2
一 地域にかかわる自主研究・調査および受託研
年とし、再任を妨げない。
究・調査
(研究協力者)
二 地域関連資料・データの整理
第7条 前条第1項に定める職員の他、センターに学
三 公開講座、セミナー、研究会の開催
四 診断活動および研修活動
外の者を研究協力者として置くことができ
五 「地域研究」の刊行、研究成果の公表
る。
2 研究協力者については、別に定める。
六 その他センターの目的達成のために必要な事
業
(所長・副所長)
(自主研究・調査)
第8条 所長は、センターの業務を総括し、副所長は
第4条 前条第1号に定める自主研究・調査を個人研
これを補佐する。
究・調査と共同研究・調査に区分する。 (地域研究センター運営委員会)
2 個人研究・調査は、個人が地域にかかわる特定
第9条 センターの運営に関する重要事項を審議する
の研究事項につき、研究・調査するものとする。
ため、地域研究センター運営委員会(以下
3 共同研究・調査は、数人が地域にかかわる共通
「委員会」という。)を置く。
の研究事項について、各人の専門分野より共同し
2 委員会は、教授会によって選出された委員長と、
て研究・調査するものとする。
委員長によって指名された委員若干名により構成
する。
147
3 委員長及び委員の任期は2年とし、再任を妨げ
ない。
(委員会の業務)
第10条 委員会は次の業務を行う。
一 各年度事業計画の策定及び予算原案の作成
二 研究員から提出された自主研究・調査のテー
マと予算の査定
三 受託研究・調査のテーマと予算の査定
四 第3条第3号及び第4号に定める公開講座、
研修活動等の企画及び推進
五 センターの施設・設備、資料等の整備及び管
理
六 「地域研究」の刊行及び研究成果の公表
七 研究協力者の推薦
八 その他センター運営に必要な業務
(予算)
第11条 センターの予算は次の収入による。
一 本学予算によって定められたセンター費
二 受託研究・調査、公開講座等の事業活動によ
る収入
三 寄附金及びその他の収入
(会計処理)
第12条 センターの合計処理については、別に定め
る。
(雑則)
第13条 この規程に定めるもののほか、センターに
関する必要事項については、学長が別に定め
る。
(事務)
第14条 センターに関する事務は、総務課において処
理する。
附 則
この規程は、平成13年4月1日から施行する。
148
地域研究 第11号<通巻21号>
定価 1,500円(本体1,429円)
発行年月日 平成23年11月11日
編集・発行 長岡大学地域研究センターⒸ
〒940−0828 新潟県長岡市御山町80‐8
電 話 0258(39)1600㈹
FAX 0258(39)9566
印 刷 株式会社中央印刷
〒940−0041 新潟県長岡市学校町1−9−21