ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関する基礎

ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関する基礎的研究
−エブリデイ・マジックに着目して−
渡辺 良枝
(奈良教育大学大学院)
松川 利広
(奈良教育大学国語教育講座)
A preliminary study on the interconnection of ‘reading’and‘writing’learned from Fantasy
−in terms of Everyday Magic−
Yoshie WATANABE
(Graduate student of Japanese Language Education, Nara University of Education)
Toshihiro MATSUKAWA
(Department of Japanese Language Education, Nara University of Education)
要旨:現行(平成14年度版(2002))の小学校国語科教科書には文学的文章として、ファンタジー教材が採択されて
いる。文学的文章の中でもリアリズムの文学教材は指導のポイントを逐次つかんでいるのに対し、ファンタジー教
材はリアリズム教材とひとくくりにされた指導が行われている。しかし、元来ファンタジーは構造において他の文
章とは異なる特質をもつ。本研究では、ファンタジーの構造価値に着目して、構造(〈骨格〉〈通路〉)を使ってファ
ンタジー(エブリデイ・マジック)を書くことを提案する。「読み」に偏りがちであったファンタジー教材であるが
「読み」と「書き」を連動させ、感性と技法を磨くことで、新たな文学性を享受でき、より学習の効果が期待できる
と考える。ファンタジー教材に関してはファンタジーの研究が不可欠であり、共通理解の基準を図るため、ファン
タジーを広義のファンタジーとジャンルとしてのファンタジーに分けた。その考察の上で、ファンタジー(エブリ
デイ・マジック)をどのように書くか、仮想実践例で示している。
キーワード:ファンタジー fantasy,ファンタジー教材 fantasy teaching materials,構造価値 constructive value
1.はじめに
「月刊国語教育研究」第179集〈特集・ファンタジー童
話の教材研究〉がある。両誌の特集において、国語教
現行の小学校国語科教科書には文学的文章としてフ
育研究者からのファンタジー教材論、国語教育実践者
ァンタジー教材が採択されている。昭和46年度版
からの実践報告などが展開された。当時の状況を萬屋
(1971)に、あまんきみこの「白いぼうし」(学校図書
秀雄は「このような特集は、更に継続して取り組まれ
4年上・光村図書5年上)、「小さなお客さん」(教育
る必要があり、十分とはいえないが、とりあえずは今
出版3年上)が登場し、昭和52年度版(1977)の教科
日のファンタジー教材・実践研究の一つの到達点とみ
書から現代児童文学のファンタジーが多く採用された。
なしてよかろう。」
その結果ファンタジー教材の研究が昭和50年(1975)
ジー教材の特集を管見したところ、平成2年(1990)
代後半∼60年(1985)代前半にかけて、盛んに行われ
6・7月号「実践国語研究」№99に〈ファンタジー教
ている。
材が生きる発問の工夫〉が特集として取り上げられて
1)
としている。その後のファンタ
「教育科学国語教育」№296(明治図書)では昭和
いたが、最近では、目立ったファンタジー教材の特集
56年(1981)12月に〈特集・ファンタジー教材をどう
は見あたらない。このような中でも、西郷竹彦の文芸
扱うか〉を特集した。これは国語教育専門誌が初めて
教育研究協議会(文芸研)では、ファンタジー教材に
行った「ファンタジー教材・実践研究特集」として意
ついての研究は変わらず行われているようであるが、
義深い。また国語教育学会誌が初めて行った「ファン
以前のようにファンタジー教材が特集として多く取り
タジー教材研究特集」として、昭和62年(1987)4月
上げられなくなったことは、萬屋が述べるように、と
59
渡辺 良枝・松川 利広
りあえず一つの到達点に達したからであろうか。ファ
るものであり、ファンタジー教材とは、国語科教科書
ンタジー教材が登場し、指導法の模索状態を一時脱し
において教材として扱われているものを指している。
たとはいえ、到達点に達したと考えられる昭和60年
過去、ファンタジーの構造に着目する指導について
(1985)代前半から今日まで、すでに十数年という月
は、西郷竹彦、萬屋秀雄、森本正一が積極的に主張し
日が流れている。その間、リアリズムの文学教材が、
ている。
その教材解釈の方法や指導のポイントを逐次つかんで
西郷はファンタジーを現実と非現実のあわいになり
いるのに対し、ファンタジー教材は、ファンタジーの
たつ世界と定義し、作者の虚構の方法を学びとること
もつ特質を、いまだ授業に生かし切れていない。ファ
を主張した。「日常的な現実性を持った細部(ディテ
ンタジーという言葉がもつあいまいさや教材としての
ール)のつみあげによって、逆に非現実的なファンタ
指導の難しさゆえ、ファンタジーの本質や、表現方法
ジーを構築するという魔術(虚構の方法)をなるほど
の特質などに、一定の共通理解がなされないまま、文
面白いという形で学びとらせたい」
4)
と述べる。
萬屋はファンタジー教材の「内容価値」5)と「表現
学教材の中で、リアリズム教材とひとくくりにされた
6)
価値」
指導が行われているのが実状である。
に着目し「ファンタジーの表現・技法を具体
一方、ファンタジー教材の研究が振るわないのは、
的にとりだし検討することは、作品のイメージ化、意
その後の教育施策にも関係しているととらえられる。
味づけをより豊かに深くすると共に文学の本質ともい
平成10年(1998)7月29日に教育課程審議会が出した、
うべき虚構の方法を解明することにもつながる高次な
これからの教育課程の基準改善の「答申」による、国
指導になるといってよい。よって「表現価値」を検討
語科の「改善の基本方針」によれば、「特に、文学的
することは、結果として「内容価値」をあきらかにす
文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を
ることになる」
7)
と述べる。
森本は「ファンタジーの場合、作者の用意は、特に、
改め、自分の考えを持ち、論理的に意見を述べる能力、
目的や場面などに応じて適切に表現する能力、目的に
こちら側の世界からあちらの世界への通路に現れてお
応じて的確に読み取る能力や読書に親しむ態度を育て
り、その通路の取り扱いは、なかでも重要である」
ることを重視する」という指摘から、言語の教育とし
と述べ、構造上の重点(「通路」)について、それらを
ての立場を再認識するとともに、国語科で重視する資
生かすことがファンタジー教材の取り扱いの中心とな
質や能力の育成の見直しが図られた。その結果、現行
るべきであり、構造上の重点(「通路」)を鮮明化する
の国語科教科書は文学的文章を少なくし、「伝え合う
発問を提唱している9)。
8)
力」の育成、「話すこと・聞くこと」の音声言語の重
以上、三者に共通しているのは、ファンタジーの構
視がみられる。現在、文学的文章の中に含まれるファ
造の重要性である。ファンタジーの構造を読み取らせ
ンタジー教材の研究が据え置かれることにもなった一
ることは、ファンタジー教材の読みを深めるための、
要因である。
読解の指導へとつながるものであった。昭和50年
しかし、「改善の基本方針」は文学的文章の詳細な
(1975)代後半∼60年(1985)代前半にかけてファン
読解に偏りがちであった指導の見直しを図ったもので
タジー教材を含める文学的文章の指導は読解中心であ
あり、文学的文章の教材価値の否定ではない。読解に
った。
偏らない文学的文章の指導法があるはずである。今後
1.2.研究の目的と方法
も文学的文章の研究は進めていかなければならないと
しかし、現行の学習指導要領は、これまでのような
考えている。特にファンタジー教材は、現場の教師か
2)
と
詳細な読解を目指してはいない。文学的文章の指導と
言われ続けながら、一方、子どもたちにとって、それ
して、今日では内容についてのディベートや、内容に
ぞれの自由な読みを大切にし、空所を学習者の想像に
関連したパネルディスカッションを取り入れた実践報
よって満たし、テクストの多義性を認めることにおい
告が取り上げられている。また、紙芝居を作ったり、
ら何を教えるのか分からない、指導が困難である
3)
とする読
物語の主人公に手紙を書いたり、といったことが行わ
者論的な見方もある。既存の主題を求める読解指導に
れ、そのことによって読みを深めようとするものであ
こだわらない教材研究、指導法の如何により、良い教
り、どの実践も、「読むこと」を「話すこと・聞くこ
材にも、悪い教材にもなりえるのであり、これまで以
と」や「書くこと」につなげようとした実践である。
上に質の高い研究が望まれる。
しかし、以上のことは、内容面で文学的文章に寄って
て、ファンタジーは最も適した教材になる
いても、国語の時間だけでなく、他の教科や総合的な
1.1.先行研究
学習の時間において、取り扱っても良いものである。
本論では、まずファンタジーの構造に着目し、読解
そこで私は、国語の時間に読解に偏らない、しかし
に偏らない指導方法を考えた。本論でいうファンタジ
文学的文章のもつ特質を生かして、読解プラス表現活
ーとは、文学としてのファンタジー作品全般をとらえ
動につなげられる授業展開がないかと考える。文章の
60
ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関する基礎的研究
中には構造が存在する。むろんファンタジーの文章に
と語るが、もともと定義は、作家の創作の前提として
も構造は存在する。そこで、特にファンタジーの構造
存在するものではなく、作家が創作する作品に後から
に着目し、構造を読解として読むだけではなく、構造
ファンタジーという名称を与え、分類しようとするも
の中の表現技法を使って、ファンタジーを書くことが
のである。作家は常に今までの枠にとらわれない作品
できないだろうか。読解に偏りがちであった文学的文
を創作しようと試み、ファンタジーの定義はそのこと
章の教材でも、その教材を「書くこと」につなげるこ
によって書き換えられるものでもある。
とで、より学習の効果があがることが期待できると考
2.1.広義のファンタジーとジャンルとしてのファ
える。目的や場面などに応じて適切に表現する能力を
ンタジー
「書くこと」でも、養うことができるのではないだろ
うか。読解教材と表現活動を連動させながら指導を進
しかし、ファンタジー教材を論じていく場合、ある
めるのである。ファンタジーを「読むこと」で「書く
一定のファンタジー概念を定めなければ論が混乱す
こと」ができるようになり、「書くこと」で再度教材
る。私はファンタジーという用語の混乱を避けるため、
の読みを深め、ファンタジーの構造と文学性をより理
まず広義のファンタジーとジャンルとしてのファンタ
解できると考える。
ジーという言葉を使い整理してみた。佐藤さとるはジ
15)
ャンルとしてのファンタジーを「狭義のファンタジー」
むろん、ファンタジー教材に関してはファンタジー
文学そのものの研究が不可欠であり、それを欠いたフ
という言葉であらわしているが、ジャンルとしてのフ
ァンタジー教材は、ファンタジーの真の魅力を見落と
ァンタジーと同義語と見なして良いだろう。
すことになりかねない。そのためには、まずファンタ
『広辞苑』(第5版)によればファンタジーは「①
ジーとは何かという、共通理解の基準を私なりに提唱
16)
空想。幻想。白日夢。②幻想的な小説・童話 。③幻
する。その考察の上でファンタジーの構造を分析し、
想曲。」となっており、まずこれらのもの全てを広義
どのように「書く」か仮想実践例をあげながら具体的
のファンタジーと呼ぶことにする。広義のファンタジ
に述べることにする。
ーの中には文学的なもの、音楽的なもの、またアニメ
やテレビゲームなど視覚的なものが含まれる。その文
2.ファンタジーとは何か
学的なもの(②幻想的な小説・童話)の中にファンタ
ジー教材として使われているファンタジーは、ジャン
もともと、ファンタジーという言葉は、ギリシャ語
ルの一つとして存在する。二上洋一は一ジャンルのフ
のファンタシアphantasi@に由来し、「見えるようにす
ァンタジーを「広義の意味を包有しながらも、独立し
る」あるいは「想像力」を意味する。元来「どちらか
た作品形態を持つ文学系列として捉えられなければな
というと、哲学者達が用いたようで、中でもアリスト
らない」17)と述べる。図1は二上の論をもとに筆者が
テレス(AristotelSs 384−322 BC)はこころのはたら
作成したものである。
き、動物や人間の行動を分析する際に、このことばを
広義のファンタジー
10)
多用している」 。しかし、文学においては夢想的な
幻想的な小説・童話
物語全般に冠せられる名称である。そして、ファンタ
神話 探偵小説(ミステリー)
民話 メルヘン
説話 SF
怪奇 ファンタジー
伝奇 ハイ
・ファンタジー
怪談 エブリデイ
・マジック
伝承 ナンセンス
伝説 タイム・ファンタジー
昔話 動物ファンタジー
幼年童話
ジーのとらえ方は各領域で、微妙に違っている。野上
暁は
「なぜか大人向けの文学の場合は幻想文学といい、
子ども向けの文学の場合にはファンタジー文学という
11)
語が使われることが多いようだ。
」 と述べているが、
ファンタジーは主に児童文学の領域において、好んで
幻想的な映画
幻想曲
TVゲーム
(RPGなど)
アニメ
12)
取り上げられてきた 。
※各ジャンルは相関関係をもつ
ファンタジーとはいかなる物語かと問われ、一般的
図1
に「文学」というものには、はっきりと定義できる境
例えば、昔話
界線が無いのと同じく、ファンタジーという概念も一
18)
は広義にファンタジーと言えるが、
義的に定義できないものである。文学の中においても、
ジャンルとしては、ファンタジーよりも昔話というジ
ファンタジーは神話、伝説、民話、伝承、説話、怪談、
ャンルに当てはめる方が概念形成されやすい。昔話は、
怪奇、SF、伝奇、探偵小説などにまでクロスオーバ
「むかしむかし あるところに」という発端句で語り
13)
ーして存在する 。ファンタジーという用語は混沌と
始める口頭の伝承であり、場所が特定されず、一人の
し、各自の内に構築された概念は、それぞれ同じファ
作家の手によって書かれたものではない。時代、場所、
ンタジーとして成立しえない。英米文学者の杉山洋子
人物が不特定で、民話、メルヘン、お伽話など人類が
は「ファンタジーの定義は精密であろうとすると、砂
最も古くから持っていた物語は、広義のファンタジー
みたいにどんどん指の間から抜けていってしまう」
14)
として扱われる。ジャンルとしてのファンタジーとS
61
渡辺 良枝・松川 利広
Fを対比させると、それぞれ修辞(レトリック)の特
文学界において確立した。イギリスでは19世末にE・
徴が異なる。例えば、SFでは物理的な原因に重点が
ネズビットが現れ、『砂の妖精』(1902)で現実の中に
置かれ、ジャンルとしてのファンタジーでは非物質的
ふと顔を出す魔術的なもの(妖精や魔女など)を描い
19)
20)
な結び付きに力点がおかれる 。また、幼年童話 の
た児童文学を発表、これらの主題を《日常の魔術
場合、読者対象がアニミズム傾向が強い幼児において
everyday magic(エブリデイ・マジック)》と名づ
は、ジャンルとしてのファンタジーと理解するよりも、
け、このジャンルにファンタジーという呼称を与えた
それは広義のファンタジーの中の一つとなる。「現実
ことから始まる。ごく普通の家庭の子どもの日常に取
と非現実の世界とが、はっきり区別できる、つまり客
材し、非現実世界の住人を現実世界につれてくるとい
21)
のものをジ
う形態のファンタジーは、リアリティーを増して説得
ャンルとしてのファンタジーとして扱っているよう
力を強め、子どもたちの興味を引きつけることができ
だ。言い換えれば、読者側に立ったとき、ジャンルと
た。この方法は、以後のイギリスファンタジーの強力
してのファンタジーは発達認知的にみて小学校中高学
な伝統となって今日に及んでおり、児童文学の発展に
年以上向きのものであるといえよう。
大きく寄与している。エブリデイ・マジックの確立に
観的科学的認識のできる中高学年以上」
児童文学でいうファンタジーとは、ジャンルとして
よって、同時にファンタジーなる呼称も確立された。
のファンタジーであり、童話、妖精物語(フェアリ
その後、エブリデイ・マジック型のファンタジーは、
ー・テイル)、メルヘン
22)
などと呼ばれる、従来の文
トラバースの『風にのってきたメアリー・ポピンズ』
学ジャンルとは区別され、特定の作家の思想を組み込
(1934−62)ではじまるシリーズや、メアリー・ノー
み、深層意識やシンボリズムなど、現代的な意義が付
トン『床下の小人たち』(1952)からはじまるシリー
されたもので、魔術や妖精といった超自然の要素など
ズに引き継がれていく。
が実際に機能する非現実世界を扱う作品のジャンルの
日本においては、佐藤さとる『だれも知らない小さ
一つとしてとらえられる場合が多い。口承の作品に由
な国』
(1959)、いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』
来した小人や魔女であっても、作家は、特有の思想で
(1959)が超自然(小人族)を現実につれてくるファ
それらをだれも作り出さなかった、全く新しい登場人
ンタジーであり、エブリデイ・マジックの代表として
物に仕立て上げた。英語のフェアリー・テイル(妖精
あげられる。2作とも超自然がリアリティーをもって
物語)やドイツ語のメルヘンは、もともと口承であっ
読者に訴えかけ、すぐそばに小人族が存在するような
たものをまとめたものであり、むしろ日本では民話・
印象を与えるファンタジーであった。
説話と訳される。
3.ファンタジー(エブリデイ・マジック)の構造
2.2.ジャンルとしてのファンタジーの系譜
ジャンルとしてのファンタジーは児童文学史上、幾
ファンタジーには構造価値が存在することはこれま
多の変遷を経、今日、多様な形態をもつに至っている。
で述べてきたが、では構造価値とは何を指しているの
例えばトールキンの『指輪物語』(1954−55)に代
かここで詳しく述べておく。
表されような、現実とは切れている異界だけで完結し
まずファンタジーがファンタジーとして存在するた
ている作品群はハイ・ファンタジーと呼ばれ、一方、
めに最も大切なことは、〈ありそうで、なさそうで、
現実世界の中に非現実がふと顔をみせる作品群は、エ
あるはずもなく、でもあったかも知れない〉と思わせ
ブリデイ・マジックと呼ばれる。また、既成のセンス
ることである。作中の論理が通らなければ、破綻する。
をひっくり返すような、ルイス・キャロルの『不思議
佐藤さとるは「現実にはあり得ない仮象の世界にも、
の国のアリス』(1865)はナンセンスと呼ばれ、さら
それなりに一種の権威を持つ特殊な法則があり(じつ
に、時間を操るファンタジーはタイム・ファンタジー、
はその法則も作者である私が無意識のうちに設定して
動物の擬人化によるファンタジーは動物ファンタジー
いたのだが)、その法則にのっとった出来事は、たと
と呼ばれる。
え非現実な出来事であろうとも、特殊な必然性を与え
23)
られて、抵抗なく真実として納得できる」 と述べる。
それぞれの作品の形態は過去に倣い重なりあいなが
ら、新しい形に変容していったものや、過去の形態を
ファンタジーと呼ばれる虚構の世界は、読者に非現実
モチーフに、作家が新しい様式を加えて作り出したも
の世界があるように思わせるために、実は作家が綿密
のである。作家が既存を越える新しい創作を行うこと
に計算しつくした世界なのである。つまりファンタジ
で形は多様になり系譜としてつながってきた。
ーは、ただ空想物語ととらえられ、ふんわりと、あい
ところで、国語科教科書におけるファンタジー教材
まいに書かれたものではない。ジャンルとしてのファ
はエブリデイ・マジックが多い。本稿では特にエブリ
ンタジーは、前節2.2における色々な形態のファン
デイ・マジックについて述べておくことにする。
タジーすべてに構造価値が存在する。
先にも述べたが、国語科教科書の教材として扱われ
エブリデイ・マジックという呼称はイギリスの児童
62
ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関する基礎的研究
ているファンタジーは、エブリデイ・マジックが多い。
に戻るとき《「おや。」松井さんはあわてました。》
教科書には編集上、短編しか掲載できない制約がある
の「おや。」が言葉の〈通路〉になり現実に戻るキー
ため、短編でも十分ファンタジーとして成立するエブ
ワードになっている。
下図は、3.1.〈骨格〉と3.2.〈通路〉を示し
リデイ・マジックは教材として適している。そこで、
たものである。
本論では特にエブリデイ・マジックに主眼をおいた構
造を追究する。
現実
エブリデイ・マジックの構造価値を以下3点でとら
↓
えた。
〈通路〉《白いぼうし》
3.1.構成−構造上の〈骨格〉
↓
非現実《女の子を車に乗せる》
ファンタジーは構成において、構造上の〈骨格〉が
大切である。特にエブリデイ・マジックは現実から非
↓
現実に移り、現実に戻るという構成を展開する。なお、
通路《「おや。」》
作品によっては、現実と非現実の境界線が明確に区別
↓
できるものとそうでないものがあるが、例えば一日が
現実
朝・昼・夜と移り変わる時に目印となる境界線がない
図2
のと同じく、端々が重なりあいながら移り変わるとい
うものである。またリアリズムにも見られる枠物語の
3.3.表現−〈ディテール〉の積み重ねによる虚構
構造もファンタジーにおいて使われることがある。現
の方法
実世界を主体とし非現実が顔をだす世界はエブリデ
イ・マジックの特徴である。
ファンタジーは文章表現において、できるだけ合理
的、論理的で散文的でなければならない。
3.2.技法−〈通路〉を使ったプロットの展開
ファンタジーの超自然、非現実は〈ディテール〉の
作家は、ファンタジーの作品を成立させるために論
積み重ねによるリアリティーから生まれる。日常的な
理的な順序や組立でプロットの展開を計算し、一つの
現実性を持った〈ディテール〉の積み重ねは、逆に非
事件を解決する。ファンタジーの技法として、現実か
現実的なファンタジーを構築するという虚構の方法は
ら非現実に入る〈通路〉、非現実から現実に戻る〈通
ファンタジーの特質である。つまりこの場合の〈ディ
路〉、この出入口の〈通路〉はエブリデイ・マジック
テール〉は、積み重ねによって作品にリアリティを生
の場合、非常に重要である。〈通路〉を挟んだプロッ
み出す場合と、逆に〈ディテール〉によって不思議な
トの展開はファンタジーのいわゆるクライマックスで
非現実世界を描く場合の二種類の〈ディテール〉があ
もある。作者の発想のおもしろさや、発想の意外性を
るわけだが、しかしそれは表裏一体の関係とでもいえ
楽しむことができ、ファンタジーの技法の見せ場であ
よう。
る。またプロットの展開に矛盾があっては話が成立し
例えばファンタジー教材「白いぼうし」の場合、ぼ
ない。この場合、前節3.1.と関係してくるが〈通
うしの裏に、赤いししゅう糸で《たけやまようちえん
路〉は作品によって、明確になっているものもあれば、
たけの たけお》とぬい取りがしていたことが描か
不確かなものもあるが、現実世界と、不思議な非現実
れている。赤いししゅう糸のぬい取りというディテー
世界を描いていることにかわりはない。
ルは、現実の幼稚園児の男の子の存在を、登場人物と
例えば、〈通路〉が何らかの時間の経過を示すこと
して描き出さないまま読者に伝え、まして、たけのた
で、あらわされていたり、「ふいに」「はっと」「する
けおという少し不思議な感じがする名前は、現実であ
と」といった言葉がキーワードになり、現実から非現
りながら、非現実を演出する効果をもっている。また
実に移行したり、非現実から現実に戻ったりする場合
赤いししゅう糸は色彩と不思議さを漂わせるのに有効
がある。
なディテールの〈アイテム〉であり、この有効な〈ア
また〈通路〉には、有効な〈アイテム〉を用いる場
イテム〉もファンタジーにおいて不思議さと、効果を
合がある。例えばファンタジー教材の代表としてあげ
醸し出す重要な役割を担う。この教材の夏みかんとい
られる、あまんきみこの「白いぼうし」(平成14年度
う〈アイテム〉は嗅覚的にさわやかな香で、現実→非
版(2002)学校図書4年上・光村図書4年上)では
現実→現実の作品全編を一つの線上で貫き、印象に残
〈通路〉になる〈アイテム〉として《白いぼうし》が
る黄色い色彩は視覚的に菜の花と重なり、作品世界に
あげられる。帽子のように穴や暗闇を持つ物は〈通路〉
有効な効果をあらわすディテールとなっている。
になりやすい。白いぼうしを松井さんがつまみ上げた
一方、表現方法の工夫として、擬態語やオノマトペ
ところから不思議がはじまる。そして非現実から現実
の活用を付け加えておく。教材「白いぼうし」では
63
渡辺 良枝・松川 利広
《ぼうしをつまみ上げたとたん、ふわっと何かが飛び
1988)がある。著書の中で池田は、いままでの作文指
出しました。》のふわっと、《かわいい白いぼうしが、
導は、子どもにとって苦痛の場になりがちであったこ
ちょこんと置いてあります》のちょこんとなども、作
とをあげ、子どもにとって、書くことを楽しいものと
品のふんわりとしたやさしい不思議なイメージを漂わ
し、自分で進んで、夢中になれる作文指導としてファ
せるうえで有効なディテールである。
ンタジー作文を提唱している。子どもたちに「もし…
だったら」と問題提起し、テーマを決めさせ自由に書
以上、大きく区切って3点がファンタジーの構造価
かせる指導を行っており、この仮定的な問いかけは想
28)
値である。これを分かりやすく例えるならば、構造上
像を刺激するもので、
『ファンタジーの文法』
(1978)
の〈骨格〉は、身体をかたちづくる中心となる骨であ
を書いたジャンニ・ロダーリも、ファンタジーの大切
り、〈通路〉は骨と骨をつなぐ関節部分である。非現
な創作方法の一つとしてこの方法を取り上げている。
池田はファンタジー作文の結果、見えてきたことと
実に現実感をもたせる〈ディテール〉は関節と関節を
結びつけ、骨を動かす腱の部分といえようか。そこに、
して、子どもたちの想像力で、思いもかけないプロッ
色々な筋肉である有効な〈アイテム〉などのディテー
トの展開が生まれたり、「作品から、子どもの喜びや
ルがつき、ファンタジーは成立しているのである。
悩み、疑問や不満、希望や失望、欲求などを読みとれ
る場面がある」
29)
と述べる。また、「子どもたちの多
くが、とにかく量を書くようになった」30)「子どもの
4.ファンタジー創作の実践史
31)
ユーモアが育ってきて、教室が明るくなった」 とも
4.1.先行実践と問題点
述べている。この実践例を見ていると子どもたちの想
過去の創作指導を考察すると、皆無ではない。西尾
像力や心理面を窺い知ることができ、書くことに興味
実は「文学教育とは、文学活動を経験させることであ
を持ち、楽しんでファンタジー作文を書いていること
り、文学活動を経験させるとは、創作活動と鑑賞活動
が分かる。
24)
とし、子どもたちに文
しかし、私が気になることは、どの子も、一人称の
学経験を与えることが、文学教育であると規定してい
ファンタジー作文しか書けていないということであ
る。しかし結果的に、創作活動がうまくいかなかった
る。第三者を登場人物にしたてた客観的な作品がなく、
のは、創作技術の指導方法が確立していないため、自
あくまでも自分が主人公であり、作文の粋から出てい
由に書く、それをつづって展示するといった形が多く、
ない。これは学校教育が常に生活作文に力を入れてき
子どもたちの目的目標意識が定まらないまま終わって
た弊害であろう。書くということは個人の内面を語る
しまっている場合が多い。
ものであるとする考え方が、広く全体を見渡して、客
をいとなませることである」
25)
青木幹勇は「読むために書く、書くために読む」 、
観的に書くという力を育ちにくいものとしている。
26)
言い換えれば「表現と理解の一体化」 を図り、虚構
4.2.実践上のこれからの課題
作文(フィクション作文)と題し、子どもたちのイメ
ージを自由な発想で、また自由な表現で描いてみる学
このように、物語創作については、その布石として、
習を提唱している。大人の読書については、フィクシ
色々な学習活動が用意されている。しかし、創作とい
ョンが数多く提供され、それが好んで読まれている現
う虚構の世界を、イメージにおいて、あくまでも自由
実に、我が国の作文指導は生活経験をありのままに書
な想像・発想と理解し、自由に書くという印象を持つ
くことだけに徹底している
27)
と矛盾を指摘している。
ためか、生活作文で行っている「書き方(書く方法)」
青木の場合、虚構の創作の例を、物語の続き話や、物
となる技法の指導が、創作指導では行われていない。
語の主人公になりかわって書いてみる、シナリオを書
教師の側がファンタジーの構造に気付かず、「書き方」
いてみるといったように、最終的に子どもたちに創作
指導が確立していない実状もある。
童話を描かせてみたいと考えながら、そこに到達する
前述のように、創作童話でも、特にファンタジーは、
までのステップの段階でとどまっている。また現行
構造価値が存在する。〈骨格〉〈通路〉〈ディテール〉
(平成14年度版(2002))の小学校国語科用教科書『国
といった構造価値を追究することで、ファンタジー教
語 五年(下)大地』(光村図書)には「言葉を集め、
材が本来有していた特質の見直しを図ることができ、
物語を作る」という小単元があるが、あくまでも一つ
一方、構造を「書く」ための一定の枠組として利用す
の言葉から生まれるイメージで物語を描いてみようと
ることができる。まず、ファンタジーを書くためには、
するものであって、創作のための技法の指導というも
ファンタジーが構造価値を有しているという認識を持
のはなされていない。
つことが大切であり、その結果、教師は指導しやすく、
また過去、子どもたちに書かせたファンタジー作文
生徒も書きやすく、さらに作文と創作の違いを認識で
の事例集として、池田操&「58の会」『書くことが楽
きるという利点があげられる。
しくなる「ファンタジーの作文」事例集』(明治図書
また「書くこと」は楽しんで行わなければならない。
64
ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関する基礎的研究
ヴィゴツキーは「人間はあらゆる未来を創造的な想像
性は豊かな感性を育てることにもつながると考えられる。
32)
の助けをかりて、理解する」
と言ったが、子どもた
6.仮想実践例
ちをファンタジー創作の中の想像の異空間で遊ばせ、
「書くこと」に対する抵抗感を無くし、書いて楽しむ
ことによって創造的想像の育成を期待したい。
ではファンタジー教材を使ってファンタジーを書く
ためには、どうすればよいだろうか。ここでは、仮想
5.「読み」「書き」連動の意義
実践例をあげて論じることとする。
まず書くことは、楽しみながら行わなければならな
これまでの国語科教育は、学習指導要領においても
い。また、ジャンルとしてのファンタジーが理解でき
「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」を、
るのは、アニミズム期を脱した小学校中高学年である
カリキュラム上、それぞれ独立した領域として扱いが
という発達段階を考慮すると、3章で述べた3点の構
ちであった。しかし元来、それらは独立したものでは
造価値のうち、3.1.構成−構造上の〈骨格〉、3.
なく、つながるものとして考えることができる。
2.技法−〈通路〉を使ったプロットの展開、の2点
例えば「読むこと」と「書くこと」を取り上げた場
にしぼるのが有効であると判断される。
合、心理学者の内田伸子が、文章理解と文章産出の接
国語科教科書のファンタジー教材はエブリデイ・マ
点について「「読み」の間にも、たえず内的な「書き」
ジックが中心であり、ファンタジーを書くと言っても
が、逆に「書き」を実現するためにも内的な「読み」
エブリデイ・マジックを書くことになる。骨格のはっ
が生じている」33)と述べる。読むことで、書くことが
きりしたエブリデイ・マジックは、分かりやすく書き
でき、書きたいと思い、また、書くことで読みの力が
やすいという利点もある。エブリデイ・マジックの特
つくことにつながっていく。
徴である現実から非現実に、非現実から現実に移るた
また「実践国語研究№99特集〈ファンタジー教材が
めに〈通路〉をもつファンタジーの創作が適当である。
生きる発問の工夫〉」(明治図書1990.6・7)の中で、
よって、教材を読んで、構造を理解した後、子どもた
「書くことと読むこと−これからの国語科授業」と題
ちがファンタジーを書く条件として
し、中西一弘は須田実と対談を行っており、それによ
ると、一つの教材を学んで、それは読む力がつくと同
①構造上の〈骨格〉現実→非現実→現実の構成を
時に言葉により密着しながら、それが書く力に転移す
使う。
るのではないか。また書く力に転移しないような、も
②出入口の〈通路〉を用意する。
しくは知識とか、技能とかを与えてないような読みは、
本当のところ読んでいるとはいわないのではないか。
以上2点をふまえ、子どもたちの自由な発想で、の
読む時間は、読むだけで終わり、書く時間はまたゼロ
びのびと書かせたい。3章における3.3.表現−
からスタートする。領域が無関係で非常に書きづらい。
〈ディテール〉の積み重ねによる虚構の方法、につい
作文を書くときに、内容を報告させるとか、感じたこ
ては、各々子どもたちの能力と感性にまかせる。でき
とを書けという学習は、何を学んでどういうふうに書
れば、自分以外の登場人物を設定し、三人称で書けれ
くか、という意図が希薄であるといった、見解を述べ
ば良いだろう。それができれば、自分の内面を語るだ
ている。つまり、一つの教材で「読み」と「書き」を
けでなく、物事を客観的にとらえて書くという力がつ
連動することにより、何を学んでどう書くかという意
くと思われる。
図が明確になり、より学習の効果が期待できると考え
られるのである。
仮想実践例として、拙作を用意した。対象として、
ファンタジー教材の場合は、近年、自由な読みを重
小学校中高学年の児童を視野に入れ、特に構造価値を
視する傾向にある。これまでのように「読み」に数時
全面に押し出して書いている。子どもの書く文章を意
間かけ、部分部分を精読しその主題に迫るという学習
識して、余分な部分をそぎ落とし、現実→非現実→現
よりも、全体を把握する学習が必要になってくる。そ
実の〈骨格〉をなるべくはっきりと、分かりやすく描
のためには、ファンタジーの特徴である作品全体の構
いた。
造をとらえることが必要であり、その構造を読み取る
なお、表記に関しては学年別配当漢字を留意する必
力というものが大切になってくる。構造を「読み」理
要があるが、ここでは一般的な漢字表記に従った。ま
解するためにも、構造を使って、教材を模倣したファ
た、国語科用教科書は縦書きであるが、本稿は横書き
ンタジー作品を「書く」ことでファンタジーの構造を
のため、算用数字を用いた。
再度認識し、一方、作者の気持ちや考えを疑似体験す
ることで、もともとの教材の「読み」(理解)が深ま
『時間よ進め!』
ると考えられる。さらに、ファンタジーの有する文学
65
渡辺 良枝・松川 利広
空は晴天、五月晴れ。ぽかぽかと暖かい月曜日。
「先生ごめんなさい。もう、授業中にほかのことを考えたり
窓際に座っているたつおは、運動場がまぶしくて、次の体
しないから・・・。だから、助けて・・・。」
育のことばかり考えていました。
と思ったとき
今日は隣のクラスと、ドッチボールの試合を行います。
「おい、起きろ、いつまで寝ている!」
先週の試合の時、たつおは最後まで、陣地に残ってがんば
松原先生の太い腕で揺り起こされました。
りました。なのに、(あの時のゆういちの、フェイントさえ
「チャイムが鳴っても起きないなんて、私の長い教員生活の
なけりゃな∼)たつおは、つぶやきました。
中ではじめてだ。」
最後の一球が、わずかにたつおの肩をかすめ、我が4年2組
気づくとあきれ顔の先生が立っています。まわりのみんな
は惜しくも破れてしまったのです。きのうは日が暮れるまで
は、もう体操服に着替え始めていました。(ってことは国語
練習しました。だから負けるはずありません。(今日は、絶
の授業は終わりってことか)
対に勝てやるからな。)と思いながら、たつおは国語の教科
「ご、ごめんなさい。」
書をぱらぱらとめくりました。
たつおは、いそいで体操服をさぐり、あわてて運動場へ駆
けだしていきました。
「はい次は、23ページ、この漢字は書き取りテストに出すぞ。
走っている間、たつおは考えました。(あれは夢だったの
ノートに20回書いて覚えろ∼。」
かな。授業中に眠ちゃったのかな。きのう遅くまでドッチボ
担任の松原先生の授業は、まだまだ続きます。先生の頭の
ールの練習したから、疲れてたし・・・。
)
上にある時計は、10時になったばかり。国語の時間が終わる
でもたつおは、心の底で本当は夢じゃないと思っています。
まであと20分もあります。
なぜなら、たつおは知っています。たつおを叱っている松原
たつおは、なんだか、目がちかちかして、お尻がむずむず
先生のひたいには、一筋、赤いえんぴつのあとがついていた
してきます。たつおは机に赤えんぴつで
ことを。
時間よ進め! と書いてみました。
「ま、どっちでもいいか。とにかく、次はドッチボールだ!!。
「どうだ、書けたか。」
ゆういち、負けないからな。」
先生がふいに、たつおをのぞいている気がして、たつおは
たつおは、ぽかぽか太陽に向かって、思いっきりボールを
あわてて、消しゴムを探します。たつおは親指と、人差し指
投げ上げました。
と、中指と・・・薬指にありったけの力をこめて、ぐきゅ、
次に、この作品を3章と同様に、構造上の〈骨格〉
ギュギュと消しゴムをすべらせました。その時、
と〈通路〉を中心に検証する。
「あれれ∼。」
〈時間よ・・・〉の文字が、数ミリ浮き上がりました。そし
6.1.「時間よ進め!」−構造上の〈骨格〉
て、たつおが、消しゴムでこするたびに、なんだかどんどん
この作品は子どもには一番身近な、学校の授業中が
机からはがれてくるのです。こすったら、ぺったりくっつく
シールと似ているけど、まったくはんたいに・・・。
背景となっており、主人公たつおにとって、現実は国
たつおは、驚いて、ぽかぁ∼んと口を開けました。
語の授業中である。非現実は、たつおが書いた赤い文
はがれた文字は、たつおの鼻先まで浮き上がり、空中をふ
字が浮きあがり、時計の針を動かす。そして、その文
わふわ泳いで、ぐんぐん前に進んでいきます。そして先生の
字が先生のひたいに張り付くことである。戻った現実
頭を横切り、黒板の上にある時計の前で、ぐるぐると回り始
は、たつおにとって、国語の時間であるが、実は国語
めました。もっと驚いたことに、時計の長い針も、文字と一
の授業は終わっていて、たつおの望みどおり、体育の
緒にぐんぐん、ぐ∼んと、進み始めたのです。
時間になっていた。授業中という一次元の中で、たつ
おは現実→非現実→現実を体験したことになる。
「生きているみたい・・・、時計ってこんなに、はやく動く
んだ・・・。」
6.2.「時間よ進め!」−〈通路〉を使ったプロッ
なんだかたつおが感心しているうちに、長い針は10時20分
トの展開
を指しました。
この作品の〈通路〉は消しゴムで消すことである。
すると〈時間よ止まれ!〉の赤い文字が先生のひたいにび
そこから不思議が始まり非現実に移行していく。消し
ゅ∼んぴたっと、くっついたのです。
たつおは思わず、ぷっと笑ってしまいました。そして、も
ゴムは文字を消すものであるという既存の概念を捨
う一度息を吸い込んだとき、赤い文字は、ぴゅーん、と飛ん
て、文字が消えない消しゴムを考えたとき、こすると
できて、あっという間に、たつおの口に吸い込まれたのです。
文字がはがれていく消しゴムは不思議を醸し出す有効
な〈アイテム〉となった。現実に戻る〈通路〉は先生
「うっ。」
に揺り起こされることであり、それによって、夢とも
たつおは、苦しくなって、うつぶせてしまいました。そし
現実ともつかない非現実世界から現実に戻る。
て、それから、体をぐんぐんゆすぶられるような感じがしま
ディテールとして〈アイテム〉に赤い文字を用いた。
した。
66
ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関する基礎的研究
先生のひたいに残った赤い線が読者の印象に残れば、
は異なった文体を書く経験を与えることであり、第2
ありそうで、なさそうで、でもあるかもしれないエブ
に、「読み」「書く」ことで作者の気持ちを疑似体験で
リデイ・マジックとして成立する。
き、新たな文学性を享受できることである。第3は教
以上の関係を3章の図2と同様の観点でまとめると
材の部分部分を読解するのではなく、全体の構造を読
次のようになる。
みとり書くことで、再度ファンタジー教材の全体像を
とらえ直すことができ、国語科教育において「読むこ
現実
と」「書くこと」という各領域を独立したものではな
↓
く、一つの教材で関連したものとしてとらえる認識を
〈通路〉《消しゴム》
持つことができる点であり、第4は「読み」「書く」
↓
ことで、ファンタジーのもつ特質から豊かな感性を育
非現実《赤い文字が時計を動かす》
て想像力を育むことができることである。
↓
今後、子どもたちにとって、ファンタジーは面白い
通路《揺り起こされる》
と思えるような、楽しんで学べる、ファンタジー教材
↓
の指導研究が進展していくことが望まれる。
現実
参考文献
図3
・関口安義 原昌他編『「入門」児童文学』中教出版
6.3.評価の観点
1993.11
評価の観点として ①〈骨格〉と〈通路〉がしっか
・日本児童文学者協会編『児童文学の魅力 いま読む
りと書けているか。②〈アイテム〉をうまく使い、話
100冊日本編』文溪堂 1998.5
が破綻しておらずファンタジーとして成立している
註
か。③発想の意外性、面白さなどがあるか。などをあ
げることができる。創作の後、お互いが作品を読みあ
ったり、冊子をつくるなどの工夫が行われてもよいだ
1)萬屋秀雄『現代児童文学と国語教育』高文堂出版
ろう。
社 1996.11
p.21
2)向 川 幹 雄 『 教 科 書 と 児 童 文 学 』 高 文 堂 出 版 社
7.おわりに
1995.9 p.150
3)関口安義『国語教育と読者論』明治図書 1986.2
以上述べてきたことのまとめをする。
pp.135−138
子どもたちは、「読み」で作品の内容を理解した後、
4)西郷竹彦『西郷竹彦文芸教育著作集19=文芸文学
大まかな構造を読みとり、その構造を模倣してファン
講座Ⅲ 表現・文体・象徴』明治図書 1979.9
タジーを書くという一連の学習活動を行う。さらに、
pp.245−246
書き終えた後、教材作品と自分の作品を図3のように
5)「内容価値」とは、−現実的な作品では描けない
図式化し比較検討することで、ファンタジーの〈骨格〉
世界−現実には起こり得ない世界を描くことで人
〈通路〉という構造を再度意識し、理解することがで
間の深い真実が描かれ、読者に美的感動をよびお
きる。それはファンタジー作品というものの成立過程
こす価値。換言すれば、次元の異なる世界−非現
を知り、エブリデイ・マジックの創作方法を知ること
実の世界の美的体験を通して人間をより深くとら
にもつながる。一方、自分が作家となる経験をするこ
える価値であり、それは日常世界とはまったく異
とで、その経験は、もとの作品に戻ったとき、初読と
質な世界をつくりだす想像力の可能性に目を開か
は異なる「読み」を生み出し、新たな内容理解につな
せることでもある。(萬屋秀雄『現代児童文学と
がるのである。「読み」と「書き」を連動させ、ファ
国語教育』高文堂出版社 1996.11
ンタジーの文学的表現の中で感性を磨き、技法を修得
pp.202−203)
6)
「表現価値」とは、−現実には起こりえない不思
することによって、生活作文とは異なる文学的文章の
議をひき起こし読者を納得させ感動させるには、
創作を享受することができると考えられる。
それなりの作者の表現上の工夫(表現・技法)が
つまり、ファンタジー教材の学習指導過程において
なされているはずである。その表現・技法がどの
「読み」と「書き」を連動させる意義は、以下に記す
ようにつかわれているか、具体的にとりだして検
4点に集約することができよう。
討してみることはきわめて意義あることである。
まず第1に、一つのファンタジー教材で書く技法を
(萬屋秀雄『現代児童文学と国語教育』高文堂出
知り、子どもたちに、これまでの生活作文や感想文と
版社 1996.11
67
p.203)
渡辺 良枝・松川 利広
7)萬屋秀雄『現代児童文学と国語教育』高文堂出版
社 1996.11
文学事典』東京書籍1998)
pp.202−203
21)原 昌 浜 野 卓 也 『 新 版 児 童 文 学 概 論 』 樹 林 房
8)森本正一『ファンタジー教材の読み方指導』明治
図書1989.10
1988.5 p.177
P.2
22)原意は〈小さな物語〉〈短い報告〉。ドイツでは中
9)森本正一「ファンタジー教材の構造上の重点を鮮
世の終り頃より、非現実的なつくり話の意味で用
明化する発問」(「実践国語研究99号 ファンタジ
いられるようになり、今日の文芸学上の概念では、
ー教材が生きる発問の工夫」明治図書 1990.
自然法則の因果律や時間・空間の規定にとらわれ
6・7)
ず、自由な想像力で創られた非日常的・不可思議
10)池田紘一 眞方忠道編『ファンタジーの世界』九
な物語を意味する。童話・民話 fairy tale、contes
州大学出版会2002.3 p.3
de fBe の言葉がこれにあてられている。太古か
11)野上暁『ファンタジービジネスのしかけかた あ
ら自然発生的に民間に伝承されてきたメルヘンを
のハリーポッターがなぜ売れた』講談社α新書
〈フォルクスメルヘン VolksmCrchen〉
(民衆童話)
2003.7 p.140
と称し、ある作者が民衆童話の形式を借りながら
12)杉山洋子『ファンタジーの系譜―妖精物語から夢
自己の詩的意図を象徴的に表現する〈クンストメ
想小説へ』中教出版1979.6 p.6
ルヘン KunstmCrchen〉(芸術童話)と区別され
13)二上洋一「日本のファンタジーの系譜―怪談・伝
る。∼中略∼グリム兄弟は、ゲルマン民族の神話
奇小説にみる文学性と美意識」(「日本児童文学」
についての研究と関連して、民族に伝わるメルヘ
1983.6)
ンの収集と学問的体系化を志し、ドイツの民衆童
14)杉山洋子『ファンタジーの系譜―妖精物語から夢
話の集大成である有名な『子供と家庭のためのメ
想小説へ』中教出版1979.6 p.8
15)佐藤さとる『佐藤さとるファンタジー全集15
ルヘン』(いわゆる『グリム童話』2巻、1812.
フ
15)を刊行した。伝承的なメルヘンに登場する形
ァンタジーの世界』講談社1983.9 P.56(佐藤さ
姿、背景、モティーフには各国固有のものと同時
とる『ファンタジーの世界』講談社 1978の再録)
に多くの共通点がみられる。人間と動物、植物、
16)一般に児童を読者対象とした文学性のある読み物
自然物の間の相互交流・相互変身、巨人、妖精、
で。多く低学年向きの短編を呼んでいる。(日本
魔女、小人などの魔術的な形姿、嫁取り、婿取り、
児童文学学会編『児童文学事典』東京書籍1988)
勧善懲悪、恩返し、ハッピーエンドのモティーフ、
子どものための物語の呼称であるが、概念に広狭
城、森、泉の牧歌的背景がそれである。(『世界大
の差があり、時代の変遷によってもさまざまであ
百科事典』平凡社1998)
23)佐藤さとる『佐藤さとるファンタジー全集15
る。現在はメルヘンの意、または空想性を主とし
ァンタジーの世界』講談社1986. 4
た創作の意に限ろうとしているが、かならずしも
とる『ファンタジーの世界』講談社 1978の再録)
適切とはいえない。種類、様式別に、幼年童話、
24)西尾実「文学教育の基本問題」1953(『西尾実国
生活童話などと呼ぶこともある。児童文学の代称
語教育全集第八巻』教育出版1976.2 pp.16−17)
に近い。(『世界百科事典』平凡社1998)
25)この言葉は、青木幹勇『第三の書く』国土社1986
以上童話の概念にも、かなりのゆれがあることを
示唆しておく。
の副題である。
17)二上洋一「日本のファンタジーの系譜―怪談・伝
26)青木幹勇『子どもが甦る詩と作文 自由な想像=
奇小説にみる文学性と美意識」(「日本児童文学」
虚構=表現』国土社1996.10
1983.6)
p.5
27)青木幹勇『子どもが甦る詩と作文 自由な想像=
18)主に五大昔話を指す。五大昔話とは「ももたろう」
虚構=表現』国土社1996.10
「したきりすずめ」「かちかち山」「花さかじいさ
pp.3−4
28)ジャンニ・ロダーリ 窪田富男訳『ファンタジー
ん」「さるかに合戦」(小澤俊夫編著『昔話入門』
の文法』筑摩書房1990.9(1978年の再版)
ぎょうせい1997.10)
29)池田操&「58の会」『書くことが楽しくなる「フ
19)ブライアン・アトベリー著 谷本誠剛 菱田信彦
ァンタジーの作文」事例集』明治図書1988.7
共訳『ファンタジー文学入門』大修館書店1999.
3
フ
p.86(佐藤さ
p.173
p.232
30)池田操&「58の会」『書くことが楽しくなる「フ
20)幼児・幼年期(就学前∼小学校1・2年ごろ)の
ァンタジーの作文」事例集』明治図書1988.7
子どもを読者対象とした文学。雑誌「赤い鳥」が
p.176
昭和初期に幼年読み物と名づけて、片かなに平易
31)池田操&「58の会」『書くことが楽しくなる「フ
な漢字混じりの童話を発表したのが幼年童話の先
ァンタジーの作文」事例集』明治図書1988.7
駆といわれている。(日本児童文学学会編『児童
p.176
68
ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関する基礎的研究
32)ヴィゴツキー『子どもの想像力と創造』新読書社
1972.5
p.162(1967年の再版。原書の初版は1930
年)
33)内田伸子『子どもの文章 書くこと考えること』
東京大学出版会 1990.6
pp.155−156
69