公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015 ベトナム中部フエ京城都市における塁上集落の居住環境に関する調査研究 Research on the Living Environment in the Settlement Located on Ramparts of Hue Citadel, Central Vietnam 柴野美弥*, 小林広英**, 藤枝絢子*** Myia SHIBANO*, Hirohide KOBAYASHI**, Ayako FUJIEDA*** In 1993, the Complex of Hue Monuments was registered as the UNESCO World Heritage, where many people as squatters’ communities already have been living in the citadel, even on the ramparts after Nguyen dynasty. The Vietnamese government has announced the clearance policy many times, however they implemented it only in few parts and local people still continue to live on the ramparts. This paper examined their unique living environment and special structure using the features of rampart construction, in order to find the appropriate way between city development and conservation in Hue citadel of central Vietnam. Keywords: Settlement on Rampart, Living Environment, Spatial Structure, Hue Citadel, Central Vietnam 塁上集落、居住環境、空間構成、フエ京城都市、ベトナム中部 1. 研究の背景と目的 年 9〜10 月の間に実施し、一角の塁上集落を調査対象集落 ベトナムの中部に位置するトゥアティンフエ省フエ市 (図 1 左図参照)として 50 世帯への聞き取り調査と 25 戸の は、ベトナム最後の王朝阮朝の都が置かれた都市である。 図面採取に基づいたものである。 第二次インドシナ戦争で多くの歴史的建造物群が破壊さ 2. フエ京城都市の概要 れた阮朝京城都市に関する保存修復のための調査や関連 研究は 1993 年に世界遺産登録されたのを契機にいっそう 1)〜 4)など 地理的特徴として、フエ市を流れる香江以北の旧市街は 。一 1802 年から 1945 年ベトナム最後の王朝、阮朝の都がおか 方で阮朝崩壊後、フエへの人口流入により京城内は市街化 れた、王宮を中心とした 2.5km 四方の都市である。阮朝京 され、要塞構造物上にまで不法占拠住居群が存在するよう 城は三層の城壁で囲まれている。最も外側の要塞構造物に 盛んになり、現在も数多くなお行われている (1) になった。世界遺産の登録にあたり、塁上集落 の住居移 囲まれた 2.5km 四方の地域を京城都市とよび、塁上集落は 転計画が 2001 年に発表されているが、未だ一部の地域を この上に分布する。正方形平面を持つヴォーバン様式城塞 除いては実行に移っていない。住居移転計画が実施された (2) 場合、本調査研究は京城市街化の歴史的一面を記録する役 する。この稜堡は敵からの死角をなくすために考案された 割を担う。一方で市街化を含めた歴史景観の価値化という 形で、その外側に向かっていくにつれて高くなるよう傾斜 で稜堡と呼ばれる本体から突出した要塞が 24 か所存在 視点も出てきている。これは遺産保存と開発の矛盾に対す がかかっている(図 1 A-A 断面図及び B-B 断面図参照)。ま る有効な解決策であるが、その検討や実行にあたり本調査 た、京城造営時から現在の都市化までの歴史的概要は表 1 研究のような居住環境改善のための基礎的調査が必要と の通りで、塁上集落形成過程の事例を図 2 に示す。 なる。なお本調査研究は、現地調査をフエ科学大学と 2013 1. 南明 19 18 A 17 16 B 20 15 14 21 2. 南興 BB断面図 13 3. 南正 B 12 a A 0 10 5 20m 13. 北定 ẳ ị 14. 北和 ẳ ▼ +6252 15. 北順 ẳ 16. 北中 ẳ 17. 北奠 ẳ ậ 18. 北清 ẳ ệ 11 ▼ +0 4. 南昌 ẳ 5. 南勝 6. 南亨 22 10 23 9 24 8 1 7 AA断面図 7. 東泰 ▼ +0 3 4 5 6 19. 西成 8. 東長 9. 東嘉 2 ▼ +6252 ▼ +4453 0 10 5 20m ▼ +3578 ▼ +2208 銃眼 中堤 城壁 濠 斜堤 稜堡 中堤 ▼ +4120 20. 西綏 ờ 21. 西静 ị 10. 東輔 Report 22. 『Investigation for西翼 Adjustment and Embellishment “Thuong Thanh and Eo Bau”, ực Hue Citadel』 Representative of Peoleʼs Commitee of Hue City, 2005をもとに作成 23. 西安 11. 東永 【図 1】京城都市と城壁の構造 * 非会員 京都大学大学院工学研究科(Graduate School of Engineering, Kyoto University) ** 正会員 京都大学大学院地球環境学堂(Graduate School of Global Environmental Studies, Kyoto University) ***非会員 京都大学学術研究支援室(Research Administration Office, Kyoto University) - 180 - 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015 【表 1】フエ京城の都市化歴史 【表 2】京城内住民定住の利点と生じる義務 【図 2】 調査対象集落の世帯変遷 3. 京城保存政策と居住移転計画 4. 塁上集落の概要 3.1. 住居移転の現状 塁上集落は京城外周全体にわたって中堤および稜堡上 1993 年阮朝王宮はフエ建造物群としてユネスコの世界 (3) に分布する(図 1 右図参照)。住居はフエの他地区でも各地 遺産登録を受けて以来フエ遺跡保存センター が主導と で一般的に見られるコンクリートフレームのレンガ組積 なり王宮や廟など宮廷建築に焦点を当てた保全活動が行 壁による形式が多い。京城都市南部に行くほど住居世帯数 われてきた。現在約 50 世帯の王宮南側の旗台周辺におけ が多く分布し店舗なども多数見られる一方で、北部は畑地 る占拠住民は 2010 年〜2011 年に実施された居住移転政策 利用の割合が多く特に中堤上は大部分が畑である(図 3,図 により退去しているが、さらに拡大した区域については予 4)。本来は攻防用として建造された要塞構造物から生活空 算が得られ次第実行との返答がフエ遺産保存センターへ 間への用途転換が全域にわたり定着している。 のヒアリングから得られた。 調査対象集落での聞き取り調査では、移転計画の告知は 住民集会を通して 1986 年から度々行われていることが住 民への聞き取りからわかった。また 2012 年には行政によ る占拠世帯の世帯数や住民総数の調査や、ベースマップ作 成を目的とした実測調査も行われている。多くの住民は自 らの居住地が不法占拠地帯であることを認識しているた め、移住に対して否定的な意見を持ちつつも移住令が下っ た場合には政府の方針を受け入れるという意見が多数聞 かれた。また、安定した暮らしへの希求から、移住を強く 【図 3】京城南部の住居 【図 4】京城北部の畑地 願う住民も聞き取り調査の内約 34%もいた。 5. 調査対象集落の居住環境 3.2. オンサイト定住案 一方でフエ遺産保存センター副監督 Phan 氏は移転計 5.1.集落の歴史概要 画を取りやめ、住民に観光業や遺跡保護への従事を提案し 調査対象集落は、大衆市場や小学校が近く都市化の影響 ていることなどから、塁上集落の文化的景観を肯定的に受 を強く受け最も高密度化している京城南東部に位置して 5) け止める動きもあることが読み取れる 。氏はこうするこ いる。現在の集落構成は 1968 年のテト攻戦による全壊以 とで住民と地方自治体に様々な義務と利益が生じると述 降に形成されたものであり、住民の出身や起源はおおよそ べている(表 2)。しかしながら、現在のところフエ遺産保 下記のように分類されるという(4)。 存センターは依然として再定住の指針のもとにマネジメ (1)19 世紀末のフランスによる土地売買自由化に伴い、 市の中心部に移住してきた平民 ントプランの作成を目指している。 (2)ベトナム戦争時の難民またはその子孫 - 181 - 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015 (3)阮朝皇帝から大邸宅や土地を下賜された旧皇族・貴 4" 族・宮廷使用人、共産党・軍・公安関係者、および 5" 7" 公職者・医師・教員 4" 調査対象集落における住民へのインタビュー調査から 3" 1" 2" 1" 4" 出身地と塁上集落への移住理由は図 6 の通りであり、上記 ( 2" 分類に類似した多様な背景をもつ住民によりコミュニテ )" 1" 1" ィが形成されていることがわかる。 9" 4" 6" 【図 6】最初の世帯主の出身と移住理由 オンイクキエム通りに面し ており、 商業活動や祭事など が行われ、 活発に人が往来 している。 また、 オンイクキエ ム通り挟み南亭の反対側に はディンと呼ばれる集会施 設があり、 住民に利用されて いる。 路地 F 路地 A 路地 B 路地 C 路地 D 路地 E ⑪ ⑪ ⑪ ⑪ ⑪ ⑪⑪ ⑪ ⑨ オンイクキエム通りから幅 1~2mほどの6つの小路に分 岐し、 その路地の住民だけが 使う私的な度合いの高い空 間。 路地は全てその頂部で 屈曲している。 親戚同士が集 まって住む親しみのある空 間を形成している。 ★ ◎ ム通り クキエ オンイ ◎ ★ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ★ ⑧ ⑧ ⑨ ⑨ ⑩ ⑩⑩ ⑨ ⑦⑤ ⑥ ⑥ ⑤ ⑦ ③ ③ ③ ③ ③ ★ ④ ② ②② ① ⑥ ◎ A ★ ⑫ ④ ④ ◎ ⑫ ⑫ Aʼ ① N 10m 路地とその周辺の世帯が 集まっていくつかの小さな地 域共同体、 ソムを形成してい る。 血族同士はたいてい同じ 路地沿いに居住している。 調査対象塁上集落 住居の内外の至るところで レベル差を処理してその地 形に調和している。 (①、 ②) A-Aʼ住居断面 ソム境界線 路地 井戸 祭壇 A家 B家 C家 D家 E家 F家 G家 H家 I家 J家 K家 L家 0 2m 樹木は日陰を作り多数の鉢 植えと異なる色に塗られた 外壁は家を象徴する要素と なっている。 (③) 要塞構造が空間として取り 込まれようと変更し活用さ れている。 (④) 路地A ①銃眼を利用した台所 路地B ②急傾斜の路地 路地C 路地D 【図 5】 調査対象の塁上集落概要 - 182 - ③住居間の路地 路地E ④塁上の井戸で水を汲む住民 路地F 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015 5.2.集落の居住環境 補注 図 5 に示すように稜堡下部はオンイクキエム通りに面し (1)阮朝京城第三の城壁における土塁上の不法占拠住居を て商業、祭祀、会話など様々な活動が行われている。通り 本論文では塁上集落と定義する。 に面して 6 つの小路が接続され、集落の私的度合いの高い (2)S.ヴォーバンに考案された攻防に優れた城塞様式。 空間となっている。小さな地域共同体、ソム(5)や血縁同士 (3)トゥアティンフエ省直轄の阮朝歴史的建造物の管理、 は同じ路地沿いとその近辺に集まって配置されている。住 居形態は 50cm 以上もある基礎や路地上の急傾斜など、住 保存を行う組織。 (4)ベトナム民族史に詳しい東京外国語大学研究員・新江 居の内外の至る所で稜堡の段差を処理してその地形に適 応している。城壁にある銃眼に水道を引き、穴を穿ち濠へ 利彦氏へのヒアリングによる。 (5)ベトナムでは伝統的に地域間でソムとよばれる地域共 と排水できるようにした上で台所として活用するなど、要 同体を形成し、祭祀や集会を行う。 塞構造物が住居やその他生活空間の一部として取り込ま れている様子が各所で見られる。各住居の庭や前面の路地 参考文献 には樹木が多数植えられ、日陰を作り出し、日中の強い日 1) 1) 中沢信一郎,中川武,西本真一,坂本忠規,土屋武, 差しの中でも過ごしやすい空間となっている。 白井裕泰:フエ遺産保存センターの保存活動について: インフラの状態は稜堡頂部に行くにつれて悪化する。下 ヴィエトナム/フエ・阮朝王宮の復元的研究(その 44), 水を濠に垂れ流すなど良好とは言えない。一方、土塁で周 日本建築学会学術講演梗概集,2001 年度大会 F-2,pp. 囲より小高くなっているため、毎年雨期に発生する洪水の 165-166,2001 年 7 月,など一連の研究 影響を受けにくく、1999 年の大洪水の際もほぼ浸水して 2) 2) Nguyen Ngoc Tung:Conserving Hue Traditional Garden Houses for Contemporary Use in Hue Citadel Area, Vietnam, いない。 京都大学博士学位請求論文,2012 年 9 月 6. まとめ 3) N. T. Nguyen, H. Kobayashi: Spatial transformation of 塁上集落の起源は 1802 年の阮朝京城造営のための兵力 traditional garden houses in Hue Citadel, Vietnam, 招集に端を発し、その後度重なる外力の影響で都市化、人 Vernacular Architecture: Towards a Sustainable Future, 口流入を続け世界遺産登録後も住民はその地が不法と認 CRC Press, pp. 543-549, Aug. 2014 4) 古川尚彬,佐藤滋,井上拓哉,杉本千紘:フエ市船上 識しながらも今なお住み続けている。 塁上集落に対して政府は再三住居移住計画を発表して 生活者集落に対する陸地移住政策の変遷と段階的再定 いるが、王宮南面の旗台周辺を除き未だ実行には移ってい 住の実態に関する研究,日本建築学会学術講演梗概集, ない。一方、一部では住居の現状維持を容認する動きも出 2009 年度大会 F-1,pp. 335-338,2009 年 7 月 ており、住民の生計立脚や京城景観の一部とする提案がさ 5) Phan Thanh Hai:遺跡の中の住民 歴史と現状およびフエ れている。その生活空間は不法占拠地帯であり、また高密 省開発政策、住民構造に対する影響, 「トゥアティンフ 度居住のため生活環境は良好とは言えないものの、その立 エ省における伝統文化の変容」,東洋大学アジア文化研 地と防災性は他の地域より優れている。最も都市化が進ん 究所・アジア地域研究センター,2009 年 1 月 でいる南東部の住民に聞き取り調査を行った結果、移住計 画実施があった場合には強く抵抗する意志はあまり見ら れず、よりよい生活環境と安定した生活を求めて移住を希 望する住民もいることがわかった。 塁上集落は京城都市外周全体に渡って分布する。調査対 象集落の住居は 6 つの路地沿いに配置され、路地を介した 血族同士の住居集合やソムなどの共同体が見られる。その 住居は土塁の斜面を段差や斜路によって、家の内外問わず 至る所で処理し適応している。また王朝時代の攻防のため に設けられた要塞構造物の諸要素を生活空間の一部とし て取り込み共存している。以上のように、通常遺産整備で は着目されない遺産内の集落居住環境の様相を把握した。 今後、この塁上集落を含む京城内における都市保存と発展 の双方を見越した、適切な整備計画と実施が求められる。 - 183 -
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