上原記念生命科学財団研究報告集, 25 (2011) 91. エイズウイルスの新規組込み作動システムとその潜伏感染への影響の 解明研究 蝦名 博貴 Key words:レトロウイルス,インテグレーション, DNA 修復,DNA 損傷,潜伏感染 京都大学 ウイルス研究所 付属エイズ研究 施設 ウイルス病態領域 緒 言 エイズの原因ウイルスである HIV は,自己がコードする酵素インテグラーゼ (IN) の作用によって,ウイルス cDNA を宿主染 色体へ効率的に組込む.ウイルス cDNA の宿主染色体への組込みはレトロウイルス複製に必須である 1).そのため,組込み活 性を担う IN は HIV の薬剤治療のターゲット分子として注目されてきた.そして,近年 Raltegravir のような IN 阻害剤が臨床 の場に登場し,その有効性が期待されている 2).しかしながら,IN を持たない non-LTR レトロトランスポゾンや HPV 等の DNA ウイルスゲノムも,細胞 DNA 修復機構を介して細胞染色体へ組込み込まれる 3,4).このことから,外来 DNA として感染 細胞の核に侵入する HIV cDNA は IN 阻害剤の存在下でも細胞染色体に組込まれる危険性があることが憂慮される.これまで に我々は,IN 活性欠損変異導入 HIV は低頻度ではあるが細胞染色体に組込まれる事,さらには DNA 損傷導入環境下にお いては,その IN 活性を介さない遺伝子組込み効率が増加することを明らかにした.すなわち,HIV はある環境下において IN 機能を介する事なくウイルス cDNA を組込む能力があることを明らかにした. 本研究では,自然感染環境下における IN を介さない HIV 遺伝子組込み機序の解明とそのウイルス学的意義を明らかにする ことを目的とする.特に,その IN 非依存的な反応により組込まれたプロウイルスのプロモーター活性,すなわちウイルス産生能 力の有無の検証,並びに,DNA 損傷で誘導される新たなウイルス組込み経路が潜伏感染へ与える影響を検証した. 方法および結果 1. HIV cDNA の IN 活性非依存的な組込みメカニズムの解析 HIV cDNA の組込み頻度の解析には [Human elongation factor 1α subunit promoter(FE-1)-Green fluorescent protein(GFP)] 発現カセットを組込んだレンチウイルスベクターを用いた.このウイルスベクターをヒト T 細胞由来培養細胞株 (Jurkat 細胞)に感染させ,2週間後の GFP 陽性細胞をフローサイトメトリーにて解析した.これまでの研究では IN 活性に依 存しない HIV cDNA の組込みの解析に,IN 機能欠損変異 (D64V) 導入レンチウイルスベクターを用いていたが,本研究で はそれに加え IN 阻害剤 Raltegravir,並びに Elvitegravir 存在下における WT ウイルスの IN 非依存的な組込みを検討し た.MOI 10 の WT ウイルス量に相当する D64V 変異導入ウイルスを感染させた細胞では約 2%の GFP 陽性細胞が検出され た (図1 a:0 Gy).IN 阻害剤 Raltegravir, Elvitegravir 存在下で WT ウイルスを感染させた細胞における GFP 陽性細胞 の割合も,D64V の結果と同様に約 2%であった (図1 a:0 Gy).すなわち,MOI 10 に相当する WT ウイルスを用いたこと から,IN を介さないウイルス cDNA の組込み効率は WT ウイルスの約 0.2%の組込み効率であることが計算できる.また,放 射線を照射し DNA 損傷を導入した細胞を用いた結果,IN 活性に非依存的なウイルス cDNA の組込み効率は放射線量に依 存して,最大5倍程度まで増強した (図1 a:10 Gy).この結果は,IN 非依存的な組込みは,細胞の DNA 修復機構を介 する事を示唆する.同様に,実際の生体内における DNA 損傷誘導要因である過酸化水素で細胞を処理した場合の IN 非依 存的なウイルス cDNA の組込み効率を解析した.過酸化水素の処理濃度に依存して,D64V 変異ウイルスの組込み効率,並 びに,IN 阻害剤存在下におけるウイルスの組込み効率の増加が確認された (図1 b). 1 図 1. 細胞 DNA 損傷によって誘導される HIV cDNA の IN 活性非依存的組込みの解析. a. 放射線(0, 5, 10 Gy)を照射した Jurkat 細胞に,D64V 変異導入レンチウイルスベクター,もしくは IN 阻害剤 Raltegravir, Elvitegravir 存在下で WT レンチウイルスベクターを感染させた.2週間後の GFP 陽性細胞の割合を フローサイトメトリーにて測定した. b. 過酸化水素(0, 50, 100µM)で 6 時間前処理した Jurkat 細胞を用いて a. 同様の実験を行った. 2. IN 活性非依存的に組込まれたプロウイルスの転写活性の解析 IN 非依存的な HIV cDNA 組込み機構のウイルス学的意義を明らかにするため,IN 活性非依存的に組込まれたプロウイル スの LTR プロモーター活性を検証した.実際の HIV と同様の転写調節を介した LTR プロモーターの活性を検証するため, LTR プロモーターの制御によりウイルスの転写調節因子 Tat 並びに GFP 蛋白質を発現する HIV ベクターを用いた.放射線 照射により DNA 損傷を誘導した Jurkat 細胞に HIV ベクターを感染させ,2週間後の GFP 陽性細胞の割合と,GFP の蛍 光強度をフローサイトメトリーにより検出した.その結果,D64V 変異導入 HIV ベクター感染 2 週間後の細胞においても,GFP の発現が観察された.そして,その GFP 陽性細胞数は,EF-GFP カセットを導入したレンチウイルスベクターの場合と同様 に,DNA 損傷を誘導する事により増加した(図2 a).しかしながら,GFP の蛍光強度に関しては,IN 活性に依存して組込 まれたプロウイルス由来のものに比べ,20%程度の蛍光強度の低下が観察された(図2 b).すなわち,IN 活性に非依存的 に組込まれたプロウイルスの LTR は転写機能を保持しているが,そのプロモーター活性は IN 活性に依存して組込まれたプロ ウイルスに比べ低下していることが示された. 図 2. IN 活性非依存的に組込まれたプロウイルス LTR プロモーターの転写活性の解析. 放射線(0, 5, 10 Gy)を照射した Jurkat 細胞に,D64V 変異導入 HIV ベクター,もしくは IN 阻害剤 Raltegravir, Elvitegravir 存在下で WT HIV ベクターを感染させた.感染2週間後にフローサイトメトリーにて測定した GFP 陽性 細胞の割合 (a), 並びに蛍光強度 (b). 2 3. IN 活性非依存的に組込まれたプロウイルスからの HIV 粒子の増殖 IN を介さずに組込まれたプロウイルスの LTR はその転写活性は低下しているものの,機能している事が示された.そこで, 複製可能な HIV NL4-3 株を用いて,IN 非依存的に組込まれたプロウイルスの感染性ウイルス粒子の産生能力を検証した. その実験方法を図3 a に示した.DNA 損傷を誘導した Jurkat 細胞と損傷を誘導していない Jurkat 細胞のそれぞれに IN 阻害剤 Raltegravir もしくは Elvitegravir の存在下で NL4-3 を感染させた.3 日後に上清に含まれるウイルス粒子と IN 阻害 剤を洗浄除去した後,新たにウイルス増殖のターゲットとなる DNA 損傷を誘導していない細胞を十分量加えることでプロウイル スからのウイルス増殖を促した.新しく細胞を加えた日以降を recover phase として,培養上清に含まれる p24 量を継時的に 測定する事により,ウイルスの増殖を測定した.その結果,DNA 損傷を誘導した Jurkat 細胞では,非照射群に比して明らか に効率的なウイルス複製が観察された (図 3 b).また,このウイルス複製効率の違いが,infection phase に細胞染色体に組 込まれたプロウイルスのコピー数に帰結している可能性を検証するため,リアルタイム PCR 法により Day 0 の培養中に存在する プロウイルス量を測定した (図3 c).その結果,放射線を照射した培養細胞からは非照射群と比して,5 倍以上のプロウイル スが検出された. 図 3. IN 活性非依存的に組込まれたプロウイルスからのウイルス粒子産生能力の解析. a. 実験方法のフローチャート.ウイルス感染3日後に培養上清に含まれるウイルス粒子,IN 阻害剤を洗浄除去し,新 たに放射線非照射細胞を加え(Day 0),それ以降を recover phase とする. b. Recover phase の培養上清に含まれる p24 量を ELISA 法にて測定した. c. Day 0 の培養中に含まれるプロウイルスのコピー数をリアルタイム PCR 法(Alu-LTR PCR 法)にて定量した. 考 察 本研究では,IN の酵素活性を欠損もしくは抑制された環境下でも HIV cDNA は細胞染色体に組込まれることを見いだし た.その IN を介さないウイルス cDNA の組込み効率は非常に低いが,ストレスなど DNA 損傷が誘導される環境では効率的 に組込まれることが懸念される.現在臨床の現場では,薬剤耐性ウイルス出現の危険性を回避するため複数の薬剤の併用療法 3 が行われており,低頻度な IN 非依存的な組込みの危険はさほど重用視する必要はないと考えられる.しかしながら,低頻度 であっても IN 非依存的に組込まれたプロウイルスは感染性ウイルス粒子を産生する能力を保有しており,IN 阻害剤耐性ウイル スの出現頻度を助長する危険性も考えられるため,十分に警戒する必要はあるだろう. また,IN を介した HIV cDNA の組込み位置は,IN と相互作用する細胞性因子 Lens Epithelium-derived Growth Factor (LEDGF) により決定される 5).HIV cDNA は LEDGF を介して転写が活発な遺伝子をコードする領域に組込まれる ことで,活発にウイルスが産生される.一方,本研究の結果,IN を介さない組込みでは細胞の DNA 修復機構により DNA 損 傷部位に組込まれることが予想された.このプロウイルスの組込み位置の違いがプロウイルスのプロモーター活性に違いを誘導 し,結果として 20%程度の発現量の違いが誘導されたと考えられる.すなわち,IN を介さない組込みでは,IN を介した組込 みに比べ,潜伏感染を誘導しやすいことが考えられる.現在,IN 非依存的に組込まれたプロウイルスの組込み位置の解析を行 っている. 共同研究者 本研究の共同研究者は同研究室の鈴木康嗣,金村優香,浦田こずえ,小柳義夫である.また,研究遂行にあたり御助成 をいただきました上原記念生命科学財団に心よりお礼申し上げます. 文 献 1) Suzuki, Y. & Craigie, R. : The road to chromatin - nuclear entry of retroviruses. Nat. Rev. Microbiol., 5:187-196, 2007. 2) Nair, V. & Chi G.:HIV integrase inhibitors as therapeutic agents in AIDS. Rev. Med. Virol., 17: 277-295, 2007. 3) Ostertag, E. M., Kazazian, H. H. Jr.:Biology of mammalian L1 retrotransposons. Annu. Rev. Genet., 35:501-538, 2001 4) Pett, M. & Coleman, N.:Integration of high-risk human papillomavirus: a key event in cervical carcinogenesis?, J. Pathol. 212:356–367, 2007. 5) Shun, M. C., Raghavendra, N. K., Vandegraaff, N., Daigle, J. E., Hughes, S., Kellam, P., Cherepanov, P. & Engelman, A.:LEDGF/p75 functions downstream from preintegration complex formation to effect gene-specific HIV-1 integration. Genes Dev., 21:1767-1778, 2007. 4
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