2012年の米国経済の焦点

■米国経済・金融特集─■
2012年の米国経済の焦点
―家計の負債圧縮下の中期低成長が基本、
FRBは所得支援でQE3へ
三菱UFJモルガン・スタンレー証券
エクイティリサーチ部 シニアエコノミスト
森山 昌俊
■1.はじめに
■2.循環的にみた米国経済の
局面とリスク
足元の米国経済については、雇用や住宅の
指標が改善していることもあり、楽観的な見
はじめに、循環的にみた米国経済の局面を
方が強まっている。それに伴い、連邦準備制
確認したい。生産活動を示す代表的な指標、
度理事会(FRB)による量的緩和第三弾
ISM製造業景況指数の長期的な推移を調べる
(QE3)観測が後退するばかりか、利上げ前
と、米国の生産活動には2∼2.5年の周期性
倒し観測さえ出始めている。以上のことから、
がみられる。これを製造業の在庫循環と考え、
日銀の追加金融緩和をきっかけとしたドル
今後の局面を展望すると、おそらく2012年の
高・円安の流れが加速している。
秋口頃までは、生産のモメンタムは上向きの
本稿では、こうした動きが持続的なもので
局面と予想される。
足元でこのモメンタムを支えているのは、
あるのか否かについて考える。
〈目 次〉
自動車である。東日本大震災やタイの洪水に
1.はじめに
伴う部品供給の停滞で減産を余儀なくされた
2.循環的にみた米国経済の局面とリスク
日系メーカーを中心とした在庫復元目的の増
3.暖冬効果と季節調整の歪み
4.家計の負債圧縮局面
5.所得支援としてのQE3と
ゼロ金利長期化
産は、最新計画からみて6月までは続く見込
みである。自動車は生産誘発効果が最も高い
(1ドルの生産で製造業全体は2.2ドルの増産
効果、米商務省「2002年詳細産業連関表」)。
38
月
4(No. 320)
刊 資本市場 2012.
(図1)予算管理法、在庫循環、景気後退
(名目、10億ドル)
1,400
裁量的支出(米財務省財政収支ベース、会計年度、左目盛)
1,200
1,200
連邦政府支出(米商務省GDPベース、暦年、右目盛)
*2011
予算法:第1段階(裁量的支出にキャップ制、右目盛)
1,000
800
(名目、10億ドル)
1,400
2013年に景気後退リスク
予算法:第1段階+自動削減メカニズム(右目盛)
※予算法=2011年予算管理法(2011/8/2成立)
800
2013年(MUMSS推計)
前年比:8.2%(979億ドル)減
GDP押し下げ:0.6%
600
400
600
400
ISM製造業指数(月次、左目盛)
65 (%)
60
1,000
91/1
93/6
96/1
98/12
01/5
03/4
*12/2
05/5
07/2
55
08/12
50
45
40
景気後退
35 (NBER基準)
29
31
35
27
90年代平均: 30.5ヵ月
30
24 25
20 23
00年代平均:23.0ヵ月
10/12 12/12
or
or
11/6 13/12
24 or 30ヵ月
25
85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13
(出所)米商務省、行政管理予算局(OMB)、議会予算局(CBO)、ISMより、MUMSS作成
自動車の増産が続く間は製造業のモメンタム
決裂。そのため、現行法では、2013年1月か
が腰折れすることはない。また、これまで生
ら、国防・非国防を問わず毎年同額の支出が
産活動の重石になっていた外需の減速につい
自動的に削減されるメカニズムが発動する。
ても、中国が金融緩和に舵を切ったことで今
後は徐々に和らぐと期待される。
この場合、国内総生産(GDP)を直接構
成する連邦政府支出は、2013年に前年比979
ちなみに、循環的にみて懸念されるのは
億ドル減少する(筆者試算)。これは2013年
2013年である。ISM製造業景況指数はその周
のGDPを0.6%押し下げる規模。波及効果も
期性からみて、秋口以降2013年にかけて下降
含めればそれ以上の押し下げとなるのは必至
局面に入ると予想される。こうした局面でシ
である。そうなれば、2013年の景気後退回避
ョックが加わると、在庫調整は軽微にとどま
は難しい。通常、景気後退が起こると景気対
らず、景気後退となる可能性が増す。
策で連邦政府支出は拡大する。今回は、循環
ここで有力なショックの一つに財政緊縮が
的な減速局面に追い討ちをかけるかのように
ある。2011年8月2日に成立した予算管理法
連邦政府支出が減少する異例の事態となる
の下、議会超党派による合同特別委員会(通
(図1)。
称スーパーコミッティ)が続けていた追加の
財政赤字削減をめぐる協議が同年11月21日に
月
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(図2)非農業雇用:季節係数の推移
1.010
*2011
0.990
0.999
*2011
11月(左目盛)
1.009
0.989
1.008
0.988
1.010
6月(右目盛)
0.998
1.008
0.997
0.996
5月(右目盛)
1.006
0.995
10月(左目盛)
1.007
0.987
0.994
1.004
3月(左目盛)
0.993
1.006
0.986
0.991
1.005
0.985
1.004
0.984
1月(右目盛)
*2012
02
04
06
1.000
0.990
0.989
0.998
0.988
1.003
00
1.002
0.992
4月(右目盛)
12月(左目盛)
08
10
0.983
12(年)
2月(左目盛)
*2012
0.987
00
02
04
06
08
10
0.996
12(年)
(注)季節調整値=原数値÷季節調整係数
(出所)米労働省より、MUMSS作成
調査の非農業雇用者数の場合、この分が上乗
■3.暖冬効果と季節調整の歪み
せされている可能性がある。
第二に、2008年9月のリーマン・ショック
秋口まで循環的な景気のモメンタムは上向
以降の季節調整の歪みの影響がある。2008年
きとみられる2012年も、過度の楽観は禁物で
10月から2009年3月にかけ非農業雇用者数は
ある。例えば、足元の非農業雇用者数の強さ。
激減した。こうしたデータを受けて新たな季
これは第一に、暖冬効果でかさ上げされてい
節調整が施されると、10月から3月までの雇
る可能性がある。冬場に平年より高温(暖冬)
用を押し上げるようとする「誤った」上方バ
の場合、民間雇用増は上振れる傾向がある。
イアスが当面はかかる。つまり、この間の季節
経済活動が暖冬で平年より活発になるからで
調整済みの雇用者数は実態よりも強めに出る。
あろう。過去118年で1月は4番目、2月は
17番目の高温だった。
この季節調整による雇用の見かけの押し上
げ効果は、春以降、剥落する可能性が高い。
実際、家計調査で2月に悪天候で働くこと
リーマン・ショック後、4月以降の季節調整
ができなかった者は、過去5年平均より14.2
には、10∼3月までの反動もあり、3月まで
万人も少なかった。調査週に働いていないと
とは逆に下方バイアスがかかるようになって
雇用にカウントされない可能性が高い事業所
いるからである。暖冬効果の剥落も重なると、
40
月
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刊 資本市場 2012.
(図3)米家計の所得環境
(前期比年率、%)
20
*Q1/21
7
(2-3月横ばい)
6
15
4.6
5
4
3
10
2
1
5
1.6
1.0
0
-1.5
−5
*12/1末
貯蓄率(右目盛)
02
03
04
05
−3
−6
名目個人支出
01
−2
−5
回転信用残高(リボルビング)
−15
−1
−4
名目可処分所得
−10
0
06
07
08
09
10
−7
−8
11
12
(年、四半期)
(出所)米商務省、FRBより、MUMSS作成
4月以降の非農業雇用者数が一転して弱めと
辺(1.6%)で低下基調に歯止めがかかって
なる可能性があることには、過去2年と同様
いない。
に注意が必要である(図2)
。
このことは、名目可処分所得の伸びが、
2010年初めの前期比年率5%台から低下傾向
■4.家計の負債圧縮局面
にあることに表れている。貯蓄率が4%台に
まで低下しているのは、消費の強さの表れで
雇用についてもう一つ気になるのは、今回
はなく、年末商戦やその他の基礎的支出を賄
の回復が所得の拡大にあまり寄与していない
うのにも所得の伸びが不十分だったため、貯
という点である。2009年11月からの今回の労
蓄を止む無く取り崩した結果と考えられる。
働投入(雇用者数×労働時間)回復局面全体
クレジット・カード残高が昨年末にかけ急増
にいえるのは、前回の回復局面と比べ、時間
したのも同様の理由であろう(図3)
。
当たり賃金が低水準かあまり伸びていない業
米国では医療サービスの消費デフレータ
種に労働投入がより集中しているということ
が、1960年以降の累計ではエネルギーのデフ
である。そのため、雇用回復ペースは前回の
レータより上昇している。米国の1人当たり
ITバブル崩壊後と同程度でも、時間当たり
医療関連コストは先進国で突出している上、
賃金の前年比伸び率は、統計開始以来最低近
削れない支出であるため、名目消費支出に占
月
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刊 資本市場 2012.
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(図4)米家計の負債圧縮シミュレーション
(%)
180
35
住宅正味資産/可処分所得(左目盛)
家計負債/可処分所得(左目盛)
貯蓄率(右目盛)
医療費負担調整後(右目盛)
160
140
2007
137.6%
*2011
118.7%
終了の目安(可処分所得比)
年−5ppt 2015年100%
120
30
25
20
100
1932
71.3%
80
2015
100.0%
*2011
52.8%
60
1982
10.9%
40
20
1933
−1.7%
0
1925
1935
1955
1965
1975
1985
10
5
*2011
2005 4.7%
1.5%
1943
26.6%
1945
7.8
15
1995
2005
0
−5
2015 (暦年)
(注)1929−51年の住宅正味資産はエール大シラー教授収集の住宅価格から推計。
家計負債の1929−41年はコロンビア大ミシュキン教授(1978)、42−51年は線形補完。
(出所)米商務省、FRB、エール大、コロンビア大より、MUMSS作成
めるシェアは、1960年代の6%前後から2011
となっている。住宅バブル崩壊前と異なり、
年10∼12月期には19.3%にまで上昇。医療支
株高で消費の約48%を占める所得上位20%の
出のシェアが1990年代並み(16%)のままで、
支出は増えても、ほぼ同程度のシェアを占め
節約分が貯蓄(返済)に回っていれば、足元
る中間層の支出が過剰債務で低調な間は、マ
の貯蓄率は4%台ではなく7∼8%になる。
クロでみた消費の力強い回復は期待し難い。
このように医療支出の負担が大きい上、所
では、中間層を中心とした家計の負債圧縮
得が伸びないと、消費が抑制されるだけでな
が一服するのはいつ頃と考えられるか。家計
く、負債の圧縮が遅れる。住宅の値上がりを
の負債総額は可処分所得比で2007年の
担保にしたホーム・エクイティ・ローンで過
137.6%をピークに、2011年末には118.7%ま
剰消費を行っていた米国の中間層(所得の下
で低下している。つまり、年平均5%ポイン
位20∼80%の層)は、住宅価格の下落で、い
トのペースで負債比率は現在低下中である。
わゆるアンダー・ウォーター状態(住宅ロー
ここで、負債比率の過去の下値を結んだトレ
ン残高が住宅価値を上回っている状態)に陥
ンド線と、年5%ポイントのペースで低下す
っている。所得上位20%と異なり、中間層は
る負債比率がぶつかるところを当面の下値と
株式資産をほとんど持っていない上、住宅価
考える。すると、2015年、負債比率100%と
格下落が続いているため、負債の圧縮が急務
いうのが負債圧縮一服の目安とみることがで
42
月
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刊 資本市場 2012.
(図5)米家計貯蓄率と住宅
240
220
200
逆相関
(1977/1=100)
(%)
新築一戸建て住宅販売
中古一戸建て住宅販売
(月次、左目盛)
住宅一戸建て着工
住宅価格(2000/1=100)
12
10
180
160
8
140
120
6
100
80
4
60
40
家計貯蓄率(暦年、右目盛)
□ は医療費負担増調整後
20
0
2
0
70 72 74 76 78 80 82 84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 12
(年、月次)
(出所)米商務省、NAR、CoreLogicより、MUMSS作成
きる(図4)。
いのが、長期のローンを組む高額の支出。つ
通常、負債圧縮優先の局面では貯蓄率は上
まり、住宅の購入である(図5)。また、最
昇ないし高止まりする。既にみたように、貯
近の集合住宅着工の好調は、住宅差し押さえ
蓄率の実態を7∼8%と考えれば、こうした
による賃貸需要増という一戸建て需要の犠牲
負債圧縮局面とも整合的である。つまり、公
のもとに成り立っている。賃貸市場の需給逼
表値の4%台の貯蓄率やクレジット・カード
迫は一服しているため、今後は家賃の伸びと
残高の拡大をみて、負債圧縮過程が終了した
ともに、集合住宅着工の水準も頭打ちとなる
とみるのは早計ということになる。こうした
可能性が高い。
状況で、イランという地政学リスク要因でガ
ソリン価格が一段と上昇するようなら、イン
フレよりも消費への悪影響が懸念される。
■5.所得支援としてのQE3と
ゼロ金利長期化
家計が2015年頃までは負債圧縮局面にある
と考えれば、足元で指標が改善している住宅
そうなると、米国経済の持続的かつ力強い
についても暖冬効果一巡後は楽観できない。
回復のためには、家計に対する所得支援が極
家計が負債圧縮を優先し、貯蓄率が上昇ない
めて重要になってくる。しかし、巨額の赤字
し高止まりしている局面で、一番起こりにく
を抱える財政政策に打つ手はほとんどないの
月
4(No. 320)
刊 資本市場 2012.
43
が現状である。そこで、バーナンキFRB議長
会(FOMC)参加者の失業率とコアインフレ
は、金融政策で所得支援をしようとしている。
の予想をみると、インフレ率は最もタカ派で
住宅ローンを抱えている家計では、その金
もインフレ目標の2%を上回っていないが、
利負担だけで所得の9%以上になる。したが
失業率にはばらつきがある。そうした中、
って、この負担を軽減するだけでもかなりの
2014年10∼12月期の失業率予想の中央値が
所得支援になる。仮に、住宅ローン金利が
7.15%で、先行きガイダンスが「少なくとも
0.5%ポイント低下し、その恩恵を家計が十
2014年遅くまで」
、ゼロ金利政策を続ける可能
分に受けることができれば、年間で利払い負
性が高いというのであれば、失業率7%割れ
担は500億ドル弱減少する。これはマクロの
を利上げの一つの目安とみることができる。
家計全体の可処分所得の0.4%程度に相当す
ところが、FOMCの失業率予想の中央値実
るため、かなりのものである。
現には、月15∼20万人の雇用増が3年続く必
ここで問題なのは、低金利ローンに借り換
要がある。春以降、暖冬と季節調整による押
えられなければこの恩恵は享受できないとい
し上げ効果が剥落するとみられる上、最近の
うことである。そこで、2012年に入り、FRB
米銀の企業向け融資基準の厳格化が雇用の伸
は住宅市場の現状を分析し政策オプションを
びを抑制する可能性がある。2012年秋口以降、
提示したレポートを議会に送付するなどして、
循環的な減速局面に入るとみられることも踏
政府・議会にローン借り換え促進措置などの
まえると、FOMC予想の実現は容易でない。
総合的な住宅対策の必要性を精力的に訴えて
また、家計が負債圧縮過程にあり、連邦政府
いる。そしてその中に、FRBによる政府系金
も多額の債務を抱えている米国で、最もやっ
融機関(agency)の住宅ローン担保証券
てはいけない一つが金利引き上げである。こ
(MBS)購入を位置づけることで、共和党の
うした点も含めて考えると、FRBによる利
抵抗を和らげるとともに、ローン金利低下の
上げは2015年中も難しいということになる。
家計への所得支援効果を高めようとしている。
そうなると、対ドルで一本調子の円安は進
したがって、4月の雇用統計以降、景気楽
みにくい。2月14日の日銀のサプライズの追
観論が後退するようなことになれば、市場の
加緩和は、量的緩和も含めた金融緩和姿勢で
予想とは反対に、6月末に終了予定のオペレ
明らかにFRBより劣っていた日銀が、FRB
ーション・ツイストを引き継ぐ形で、FRB
に先んじて動いたこともあり、一定の認識修
がagency MBSを新たに購入するQE3に乗り
正を市場に迫ることになった。ただ、FRB
出す可能性は俄然高まると予想している。
がQE3に踏み切り、2015年中もゼロ金利政策
ゼロ金利政策にしても、解除は後ろ倒しの
可能性が高いとみている。連邦公開市場委員
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を継続するなら、ドル円相場は再び70円台後
半に戻り、それが長期化する可能性がある。
月
4(No. 320)
刊 資本市場 2012.
日銀の2月の追加緩和は糊代としては有効で
あったが、80円台半ばの円安を維持し、一段
の円安を促すには、日銀の更なる思い切った
追加の量的緩和が必要になろう。
1
森山 昌俊(もりやま まさとし)
1962年兵庫県生まれ。92年3月早稲田大学大学院
政治学研究科博士課程修了。同年4月株式会社三
和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルテ
ィング株式会社)に入社。07年4月三菱UFJ証券
株式会社(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券
株式会社)入社、現在に至る。97年より米国経済
をウォッチ。
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刊 資本市場 2012.
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