close

Enter

Log in using OpenID

会員のひろば - 北海道医師会

embedDownload
久しぶりの受験
会 員 の
ひ ろ ば
札幌市医師会
札幌ひばりが丘病院
髙橋 大賀
事の発端は介護保険第2号被保険者に、来年の誕
生日前日、その立場となることである。そのことは
介護認定審査会に参加していると次第に意識される
ようになっていた。そんな折、昨年、MSWや看護師
とカンファレンスを行っていた際、介護支援専門員
(ケアマネージャー)実務研修受講試験の合格報告
があった。職場から2名受験し、2名とも合格であ
る。合格率1
8
.
3
%!
!
のなかの一発合格とのことであ
った。被保険者予定者としてケアマネには興味はあ
ったこと、難関試験の一発合格の快感?を味わいた
いなどが相まって、勢いで7月に願書を提出。試験
は平成2
5
年1
0
月1
3
日である。
合格ラインとしては7
割の正答率とのことなので、
1
0
月までに参考書を一通り読んでおけば、何とかな
る作戦であった。験を担いで合格者から使用した過
去問題集、過去問を購入、紀伊國屋で○ーキャンの
参考書を購入した。やはり計画は計画で、一時間程
度の読書が限度。しかも、平日2日ほど。その進行
具合は遅々としており、9月下旬に過去問題集、実
際の過去問を解いたのだが、5割以下の出来で玉砕。
合格職員からもさすがに遅すぎるとの指摘もあった
が、あきらめが悪い性格で、朝は家から病院までの
移動バス、地下鉄では参考書、病院では昼休みなど
を利用して過去問を眺める作戦に。
しかし始めたとたん、ストレスなのか左目に霰粒
腫ができ、腫脹疼痛もあり、9月30
日近隣の眼科先
生に相談し、1
0
月1日午後、駆け込んで外科的処置
を懇願し、摘出術を受けた。すぐに回復し、前述の
作戦と病院の帰りは試験特有の環境になれるためと
称して、スタバ、モスといった若者が多い環境で参
考書を読む作戦も併用した。
試験当日は北海道大学工学部にて、やはり若者が
多くリラックスできていた。しかし開場後は、失敗
したセンター試験以来の会場で、トラウマであろう
か、動悸とおぼしき症状を感じたり、試験官の説明
が長すぎると感じたりしているうちに、試験が始ま
った。試験中の記憶は皆無、手応えもまた皆無であ
った。長年の経験からか、5問ほど鉛筆転がし作戦
なるものを敢行していた。うなだれながら帰途に着
き、解答速報を見て、答え合わせ。
「介護支援分野」が2
5
問中1
7
問、
「福祉サービスの知
識等」が1
5
問中1
1
問を合わせてちょうど7
0
%の正答
率。ちなみに鉛筆作戦は各1問ずつ成功。結果は12
月1
0
日。神のみぞ知る(記1
0
月1
4
日)。
安上がり自慢
日高医師会
佐藤眼科
佐藤
明彦
3年前の話である。私が小学校の PTA会長をやっ
ていたころ、役職柄、校長先生と雑談をすることが
多々あった。ある日の雑談で私が自慢をした。
「日本
1
)
の医療費は GDP比で OECD諸国中2
2
位 と低額なの
にもかかわらず医療評価は世界一だ2)」と。すかさず
校長先生は切り返してきた。
「日本の教育費は GDP比
で OECD諸国中2
7
位3) とほぼ最下位なのにもかかわ
らず、学力は世界でもトップクラス4)に入っている」
場の話題はすぐ次のものに移り変わったが、この
会話は3年間ずっと私の心の中に残っており、今で
もいろいろな場面で考えが浮かんでくる。
・日本の教師もけっこうやるな。
・教育と医療の二者択一を迫られたら教育を選ぶ
のか?
・ほかから予算を回せばよいのに。
・このままなら医療も教育も破綻するな。
・医療も教育も国の基本なのだから、 OECD諸国
中で第一位の予算を付ければよいのに。
皆さんどう思います?
1)OECDHe
a
l
t
hDa
t
a2
0
1
0
:日 本 の 対GDP総 医 療 費 は8
.
1
%
(2
0
0
7
年)。OECD加盟3
1
ヵ国中2
2
位。
2)カナダの非営利調査機関「コンファレンス・ボード・オ
ブ・カナダ」が20
1
0
年に発表した『先進国の医療制度ラ
ンキング』による。
3)文部科学省『図表でみる教育 OECDインディケータ(2
0
1
0
年版)』:日本の初等中等教育段階における公財政支出の
対GDP比は2
.
5
%(2
0
0
7
年)。OECD加盟2
9
ヵ国中2
7
位。
4)OECD生徒の学習到達度調査(PI
SA2
0
0
9
):日本は6
5
ヵ国
中、
「数学的リテラシー」9位、
「読解力」8位、
「科学的リ
テラシー」5位。
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
3
8
漢方入門
虹、そして旅客飛行機
札幌市医師会
発寒中央病院
札幌市医師会
手稲渓仁会病院
日﨑
恵一
杉原 暁美
医師になり1
3
年半ほど経ちました。私の専門は消
化器内科ですが、ここ3年ほど療養病院勤務が続い
たこともあって、消化器以外の疾患もある程度は自
分で診なければならなかったり、使いたくても高価
な薬が使えなかったり、病院経営も考慮した治療を
しなければならない、というように、ただ診療すれ
ばよいのではなく、いろいろなことを考えながら診
療しなければならない状況が続きました。
そんな中、以前勤務していた病院担当の漢方薬剤
会社の医薬情報担当者(MR)を介して、当時の病
院担当MRから漢方セミナーの受講を勧められまし
た。
「漢方なんて逃げの手だよな…」と昔は全く興味が
なかった私ですが、認知症の患者に抑肝散を使用し
奏功したこともあって、もっと漢方について知りた
いと思ったため、セミナーを受講することにしまし
た。
いざ聴いてみると、その講演では風邪・インフル
エンザ、がん患者の化学療法後の消化器症状や更年
期症状など、何でもかんでも漢方で治すという内容
だったので「本当にそうかな??
」と思いつつも、そ
の発想は面白いなと思いました。
その後いろいろな漢方セミナーに参加させていた
だき、各分野での処方例を学び、診療に生かしてい
ます。
漢方を専攻される先生は誰もが「漢方は自分で試
せるから、実際試してみると良いですよ」と言われ
るので、例えば私なら二日酔いには五苓散と黄連解
毒湯、ダイエットには防風通聖散といった感じで、
自分でも効果を感じています(ダイエットはまだ途
中ですが…)
。
現在勤務している病院長は漢方専門医でもあり、
いろいろとご教示いただきながら診療しています。
まだまだ漢方の門を叩いたばかりですが、これか
らもセミナーにもっと参加したり、いろいろ本を読
んで漢方の面白さを感じながら頑張りたいと思いま
す。
私は、宮崎で生まれ育ちました。数年前から宮崎
といえば完熟マンゴーが有名です。夏は肌がジリジ
リと焼けるような暑さになります。入道雲が現れ
て、帰宅途中に夕立に遭遇することもしばしばで、
雨が上がった後の空に架かる虹を眺めて子ども時代
を過ごしました。途切れることのない半円形の虹
や、まっすぐな虹を見つけた日は、特に嬉しくなっ
たのを覚えています。
高校では気象への関心から気象大学を目指しまし
たが、不合格でした(笑)。その後も空を眺めるのは
大好きで、医学部に進学した時に転居した場所が宮
崎空港から西へ直線で数百メートルの住宅地で、陸
側から飛行機が離発着するときは住宅の真上が航路
となるロケーションでした。騒音でテレビの音が聞
こえず苦笑いということもありましたが、気が付け
ば旅客飛行機を眺めることが好きになっていまし
た。ちょうど、全日空が「マリンジャンボ」と名付
けたくじらを機体いっぱいに描いた飛行機を宮崎空
港にも就航させており、自宅からでもそのお腹のし
ま模様をはっきりと確認することができました。飛
行機の「ゴォー!!」という音が聞こえてくると、
玄関から飛び出して飛行機を眺めていました。
就職してからは大学医局からの出向で地方に勤務
することも多く、飛行機を眺めながらの生活という
わけにはいきませんでしたが、県北ではパラグライ
ダーのサークルに入りました。しかし、なかなか均
等にパラを立ち上げることができず、一人で空の散
歩を楽しむまでには至らずに異動となりました。
そんな生活の中で旅行や出張時に利用する各地の
飛行場では、ご当地テレカとでもいうのでしょうか、
その飛行場を離発着する飛行機がデザインされたテ
レフォンカードが販売されており、収集することが
楽しみの一つとなりました。
北海道生活の最初の1年は新千歳空港そばに住ん
でいましたので、幼少の子どもたちと一緒にポケモ
ンジェットを眺めて過ごしました。札幌に転居して
からは日常的に飛行機を目にする機会はなくなりま
したが、これまでに集めた3
0
枚ほどのテレフォン
カードを今でも大切に保管しています(お菓子の空
き缶が保管庫ですが)。
3
9
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
オチのない“落語”の話
ピアノ演奏会
札幌市医師会
H・N・メディックさっぽろ東
角田
旭川市医師会
大西病院
政隆
米増美保子
はじめまして。札幌市東区の透析施設「 H・ N・
メディックさっぽろ東」で勤務している角田政隆と
申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。
今回、このような機会を与えていただき、誠にあ
りがとうございます。しかし、まじめな文章を書く
のはおこがましくもあり…。少し趣味の話をさせて
いただいて、お茶を濁したいと思っております。
医師という職業は皆さんご存じの通り、日常の診
療だけでなく、学会発表や、時に講演を頼まれたり
するなど、個人や大勢を対象に話をする機会が多い
です。上手に話をするためには、依頼されたものは
なるべく断らずに経験を積むことも大切とは思いま
すが、うまい人の話を聞くのも重要だと思います。
と、いうわけで、前置きが長くなりましたが、私
の趣味の一つは落語鑑賞です。着物を着たおじさん
やおじいさんが、座布団の上で話をする、たったそ
れだけですが、聴いているだけで、見たことのない
昔の情景など、いろいろな世界が浮かんできます。
すぐに字幕が出て「ここで笑ってください」などと
指示されているような錯覚さえ覚えてしまうテレビ
のバラエティ番組と違って、聴く方にも想像力や、
多少の知識が求められますが、その分、高座の後は
心地よい満足感に包まれます。本当にうまい噺家さ
んになると、知らず知らずのうちにそこにいる観客
すべてを同じ世界の中に引き込んでいきます…。息
をするのもはばかられるような緊張感、そうかとい
えば、席から転げるほどの大爆笑。何の演出効果も
なく、ただ一人の噺家さんの言葉や表情、仕草だけ
でその世界に連れて行かれるのです。もともと「笑
点」くらいしか知らなかった私は、初めて落語会に
行ったときに激しい衝撃を受け、この世界をもっと
早く知っていれば、人生は変わっていたかもしれな
い、と後悔?しました。
そして、話術の向上に生かしたいという目的はど
こへやら、落語にどんどんはまっていく自分がいる
のでした。東京や大阪には寄席があって、いつでも
聴きに行くことができますが、札幌では自分で情報
を仕入れることが必要になります。新聞や情報サイ
トなどを見て、なるべくアンテナを張って、時間が
許す限り出掛けることにしています。
結局のところ、落語によって、自分の話がうまく
なったのかは分かりません。どうやら落語が自分を
元気にしてくれるのは間違いないようです。笑うと
いうことは本当に重要なことですね。
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
上杉春雄先生のピアノリサイタルを聴く機会があ
った。多くの方々がご存じと思うが、上杉先生は立
派な神経内科医としてご活躍されていると同時に、
プロのピアニストでもある。まさに、二足のわらじ
を履きこなされている方だ。最近リリースされたバ
ッハの『平均律クラヴィーア曲集 第1巻』で大変
高い評価を得ていられると聞く。私は先生と直接の
面識は全くないが、ひそかにファンと自認している。
今回は、デビュー 25
周年の記念コンサートという
ことで、旭川、札幌、東京、神戸と演奏旅行が組ま
れているそうだ。その皮切りの旭川での演奏会であ
る。ここ数年、毎年旭川では「木造館」という小さ
なホールでコンサートが開かれているのだが、今年
は「大雪クリスタルホール音楽堂」という本格的な
ホールで聴くことになった。音響の良いことでは定
評のあるホールである。
当日のプログラムは多彩だった。バッハに始ま
り、現代音楽、一転してベートーベン、ストラヴィ
ンスキー、ショパンと続く精力的な演奏だった。ク
セキナス作曲『ヘルマ』という全く初めて聴く現代
曲もあり、これについては、
「何だ、この曲は!?と
あれこれ考えずにただ素直に聴いてください」と奏
者からのコメントがあった。心を無にして聴けとい
われても難しいけれど、聴いていると何か宇宙空間
に身を置いたような次元の違う音の世界で、でも決
して不快な音ではなかったのは、先生の技術のせい
もあるのかもしれない。そのすぐ後にはベートーベ
ンの後期の荘重なピアノソナタに引きずり込まれ、
休憩を挟んで、ストラヴィンスキーの難曲。そのめ
まぐるしい指の動きを見ていると、先生が外科医だ
ったら、素晴らしい手術をなさるだろうなどと余計
な想像をしてしまった。そして最後のショパンのソ
ナタはデビュー時のプログラムに入っていたらし
く、先生にとっては感慨深いものがあったかと推察
する。アンコールでは2曲も弾いてくださった。
終演後サイン会などもされたようで、さぞやお疲
れのことと拝察。明日はまた医師としての仕事に戻
られるのだろうと、陰ながらお体に気遣ったことだ
った。
来年はチェリストとの協演を考えられていると
か。楽しかった一夜に感謝して、来年もまた楽しま
せていただきたいと願っている。
4
0
が BSの番組に没入したのは当然でした。ちなみに、
番組という言葉はもともと能から来ています。その
日に演じられる能の曲や配役などを一覧にした紙の
ことを「番組」と呼ぶそうです。
<立ち位置について>
コーラスは後方に位置します。歌謡曲でも能楽で
もコーラスは節度を保ち、きちんと自分の出番を守
り、繰り返しをいとわず、協調して自らの役割を果
たします。ここで私自身の周りをぐるり水平に36
0
度見渡してみると、私も含めて多くの人がコーラス
のように見えなくもありません。若いころに夢見た
のとは違う立ち位置の人も少なからずいることでし
ょう。私の知る山伏も、子どものころは大天狗にな
ることを夢見ていました。いや、本当は牛若丸に憧
れていたそうです。今は普通の山伏です。どうやら
BSの番組を観た私も自分のさまざまな思いを重ね
てクール・ファイブを観ていたようです。昔、父が
テレビの懐メロ番組を夢中になって観ていた心境が
分かったような気がします。
ところで、昨日の夜、私は夢を見ました。夢の中
で私はクール・ファイブのバックコーラスの一員で
した。やっぱりそうか。舞台でワッワーッ、バババ
バーッ、となぜか上手に歌っている自分。するとい
つの間にか私は前にしゃしゃり出て行きます。マイ
クを取ってメインボーカルを歌い出しました。前川
清が隣で怪訝そうに私の横顔を観ています。私は強
気で私の方が彼より少し上品に歌っているので気に
入らないかと思いました。ついに聴衆がざわめき始
めました。私は歌っています、朗々と歌っています。
止めはしないぜ。あー気分がいいー本当にとっても
いい、涙が出るくらいだ。
クール・ファイブを
知っていますか
北見医師会
末松整形外科医院
末松
典明
「内山田洋とクール・ファイブ」という歌謡グルー
プがかつてありました。紅白歌合戦の常連でした。
私は先日の夜、久しぶりに BS番組で彼らの歌を聴
き、姿を観ました。メインボーカルの前川清が「中
の島ブルース」
(1
9
7
5
年のヒット曲、この時筆者は大
学生)を往年と変わらぬ節回しで大熱唱。
「赤いネオ
ンに身をまかせ…」懐かしくしみじみと感動。この
番組では6曲ぐらい歌いました。日本の歌謡は世界
的にも高いレベルといいます。前川清の後ろにはバ
ックコーラスの男性4人組(内山田洋氏は2
0
0
6
年に
肺がんで他界、享年7
0
歳)がいて、皆年は取りまし
たが確かに見覚えのある面々。4人はアーアー、ウ
ッウウー、ラッララー、バッバッバーと出番を間違
えずにしっかりと歌って前川清を盛り立てていま
す。この4人はもう何千回となくこうして後ろで歌
っています。今流行りの AKB4
8
と違って、彼らの時
代はバックコーラスの人はずっとバックコーラスな
のです。その夜、私はなぜかそんな4人組に心惹か
れ、前川清ではなく後ろの4人ばかり観ていました。
番組が終わってからも自分がどうして4人に惹かれ
たのか気になり、私なりに考えました。
<芸能の歴史>
バックコーラスは外来語ですが、実はわが日本に
も昔からありました。室町時代から続く伝統芸能に
「能」があります。能は和製オペラとか和製ミュー
ジカルとかいわれています。主役は「シテ」で立っ
て演じ、目立ちますが、コーラスは「地謡」といっ
て舞台の右横に数人で座して歌います。昔から洋の
東西を問わず、バックコーラスは欠くべからず重要
な役割を果たしてきたといえるでしょうが、その類
似性から、前川清を「シテ」に、バックコーラスを
「地謡」に見立てることが可能です。愛、迷い、悲
恋、未練、恨み、罪業。前川清の思い詰めた生まじ
めな表情、立ち姿。
「シテ」と似ています。コーラス
も「地謡」としてしっかり歌唱しています。クール
・ファイブは室町時代からの日本の伝統を受け継い
でいます。彼らの歌謡が日本人の大きな支持を得た
ゆえんでありましょう。現に私は目に浮かびます。
能舞台で観世流の「シテ」が「中の島ブルース」に
合わせて幽玄に舞っています。さすがです。続いて
は能装束の前川清が登場、磨かれた床をツツツーッ
と進み、いま熱く歌い始めました。舞も慎重にこな
しています。私は客席正面に座し、震えながら舞台
を見上げています。日本の伝統と日本人の趣向。私
じ うたい
4
1
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
空を華麗に彩りました。
8月1
1
日はレマン湖に沿って列車でグリュイエー
ル村へ行きました。カイエのチョコレート工場を見
学し、しっかり試食して、夕食はスイス名物「ラク
レ ッ ト」を 食 べ、小 さ な 田 舎 の ホ テ ル「 DES,
CHEVALI
ERES」に宿泊しました。放牧してある山羊
の鈴の音が聞こえ、とても癒され、ゆったりした気持
ちになります。アルプスの少女ハイジの世界です。
8月1
2
日はチーズ製造所を見学し、列車ゴールデ
ン・パスでモントルへ行きました。レマン湖畔にあ
る有名な高級リゾート地で、スイスらしい最も景色
の美しい町と言われています。
8月1
3
日は車でヴヴェイへ出発。小さいが富豪の
邸宅が多く、チャップリンが余生を過ごしたとのこ
とで、散歩道に像があり、日本で買った竹製の杖を
持っていました。ここには、カイエ・ネスレの本社
があり、スイス人ネスレが赤ちゃんの粉ミルクを作
り、そこからチョコレートが作られるようになり、
ここがチョコレート発祥の地とのことです。その
後、世界遺産ラヴォー地区散策に出掛けました(写
真2)。ブドウ畑が果てしなく続き、その中に小さな
村が点在し、急傾斜に作られているブドウ畑は石垣
で仕切られ、白ワインを産出しています。
8月1
4
日は車でフランスのシャモニーへ行きまし
た。素晴らしい快晴で、アルプスの最高峰モンブラ
ン(4
,
8
1
0
m)がくっきりと見えています。ロープウ
ェイを乗り継ぎ、3,
8
4
2
mの展望台まで2
0
分ぐらいで
到着しました。すぐ目の前には真っ白なモンブラン
がそびえ、振り返るとマッターホルンも遙か彼方に
見えます。ここからアルピニストのモンブラン登山
も始まり、登山者の列が続いています。一旦シャモ
ニーへ下り、午後は35
0
段の階段を降りて、氷河のト
ンネルを歩きました。年々氷河は溶けて、氷河帯が
どんどん短縮しているとのことです。
8月1
5
日は今回の旅行の目的であるモンブランを
眺めながらのハイキングです。2
,
5
2
5
mのブレヴァ
ン展望台までロープウェイで上り、高低差約5
0
0
mの
下りを楽しみました。モンブラン山群のパノラマが
スイス旅行記
札幌市医師会
回明堂眼科・歯科
齋藤三恵子
2年前の夏にスイス旅行をし、アイガー、メンヒ、
ユングフラウを眺め、マッターホルンの麓を散策し
氷河特急に乗りましたが、今夏は残りのモンブラン
を中心に旅行しました。
二組の夫婦で、8月9日羽田国際空港からの深夜
便J
A
L
で出発し、シャルル・ド・ゴール空港からエー
ルフランスに乗り換え、ジュネーヴ空港へ到着し、
花の町イヴォワールへ行きました(写真1)。レマン
湖の対岸で、フランスです。汽車でニヨンまで行き、
船に乗り、イヴォワールへ。古城があり、現地ガイ
ドさんの話によると人口わずか15
0
人ほどの村とい
うことですが、町興しのため、皆で花を植え、花の
町として有名になり、今では年間60
万人も観光客が
訪れるそうです。
8月1
0
日はジュネーヴ観光です。時計博物館や国
連に行き、夜1
0
時からレマン湖畔で催される花火大
会へ。なんと音楽に合わせて打ち上げられ、夏の夜
写真1
花の町イヴォワール
写真2 世界遺産ラヴォー地区のブドウ畑 湖は
「レマン湖」
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
写真3
4
2
2
,
5
2
5
mのブレヴァンから見たモンブラン
広がり、雪渓が所々にあり、高山植物が咲き乱れ、
岩場にはロッククライミングの人たちがいたり、空
には色取り取りのパラグライダーがたくさん飛び交
い、モータークロスで下ってくる人もいるし、変化
に富んだコースです。ここからのモンブランが一番
素晴らしい眺めでした(写真3)。
8月1
6
日は車で最終地フランスのアヌシーで一泊
し、
チーズをたくさん買い込み、
1
8
日に帰国しました。
画面も小さいし。
そんなわけで、大手の携帯電話会社の回線を又貸
し す る 仮 想 移 動 体 通 信 事 業 者( Mobi
l
eVi
r
t
u
a
l
Ne
t
wor
kOpe
r
a
t
or
,
MVNO)のうち、格安でデータ通信を
提供する一社と契約した。というか、その会社が売
り出している、モバイル Wi
Fi
ルーターと呼ばれる機
器を買って、そのおまけで付いていた1
0
0
日間利用で
きるデータ通信を利用した。10
0
日の期限切れ後は、
3ヵ月期限付き買い切りタイプの他社契約を利用し
ている。
これで出先での調べ物も Ne
xu
s
7でできるように
なり、さらに便利になった。そうすると、人間の欲
望とはとどまるところを知らず、今度はスマートフ
ォンにあってNe
x
u
s
7
にないものが気に入らなくなっ
てきた。それは「カメラ機能」だ。私の買った Ne
xu
s
7には、背面カメラがなかった。
“それなりに高機能
の端末をお安く提供する”という Goog
l
e
社のコンセ
プトにより、省かれたものと思われる。携帯電話な
んかよりずっと大きいタブレット端末を構えて「ハ
イ、チーズ」とやることの滑稽さはさておき、なけ
ればないでやっていけないこともないのだが、ス
マートフォンを利用していたころはちょっとしたメ
モ代わりにカメラを使用することもあったし、とに
かく一度ないことを不満に思うといつまでも「あぁ、
カメラがあればなぁ」と思ってしまうわけだ。ちな
みにガラケーにもカメラ機能はある。が、私にとっ
て問題なのは、愛用する Ne
xu
s7にカメラがないこ
となのだ。ガラケーは画面も小さいし。
そうこうしているうちに、2
0
1
3
年の秋に Ne
xu
s7
が代替わりをするという噂がネットの中でちらほら
見られるようになった。代替わりした Ne
xu
s7に
は、携帯電話回線を用いてデータ通信を行う機能も、
背面カメラも付いているという。
そんなわけで、今、私の手元には新型の Ne
xu
s7
がある。旧型の方は主に自宅で新型の充電中にイン
ターネット閲覧などに使っている。思案中なのは、
一 気 に そ の 存 在 価 値 を 失 っ た モ バ イ ル Wi
Fi
ルー
ターの利用方法だ。考えなしに自分の物欲を満たす
のは、やはり考えものだ、と今や無用の長物となっ
た代物を見ながら今日もモヤモヤしている。
タブレット端末導入と
それに伴うあれこれ
札幌市医師会
東苗穂病院
馬場
顕介
2
0
1
2
年の秋から Goog
l
e
社謹製の「 Ne
xu
s
7」なる
タブレット端末を購入して使っている。液晶画面サ
イズが7
インチの、スマートフォンを大型化したよう
な機種である。
「i
Pa
d」をご存じの先生は、それを3
割くらい小さくしたものをお考えいただきたい。
「i
Pa
dmi
n
i
」などというものまでご存じの先生は、大
きさも実感できるだろう。お詳しい先生方なら、OS
がどうのこうのとか、同じ7インチの An
dr
oi
dでも他
社の機種がどうしたこうしたとか、話は尽きないと
思われるが、この辺りは飛ばして先に話を進めさせ
ていただく。
この薄型の簡易コンピューターが、至極使い勝手
が良い。
画面が大きい分、
何しろ見やすい。Ne
xu
s
7
購入の2年ほど前から携帯電話をスマートフォン
( An
dr
oi
d)に機種変更して使用していたが、四十の
声を聞く少し前から小さな画面でインターネットを
閲覧するのが億劫になってきていたため、 Ne
xu
s
7
購入後はスマートフォンでやっていた作業はメール
と電話以外はほとんど Ne
xu
s
7でやるようになっ
た。電話とメールだけなら前の携帯で十分、と思い
つき、2
0
1
3
年の3月にはスマートフォンをフューチ
ャーフォン(いわゆる“ガラケー”)に戻した。
ただ、この Ne
xu
s
7、私の購入時には携帯電話回
線を利用してデータ通信を行う機能が付いたものが
日本では売られておらず、無線 LAN( Wi
Fi
とも呼ば
れる)でのみのインターネット接続だった(購入後
数ヵ月で日本でも上記の機能が付いたタイプも売ら
れるようになった)。自宅や勤務先には無線 LANの
環境があるので不便はないが、困るのは外出先だ。
スマートフォンを持っているうちは出先でのちょっ
とした調べ物などはスマートフォンで行っていた
が、ガラケーに戻してこれができなくなった。いや、
ガラケーでもそれなりのことはできるはずだが、人
間一度便利に慣れるとなかなか不便には戻れないも
ので、
要はガラケーでは調べ物などしたくないのだ。
Nexu
s
7
4
3
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
ちになって「うるさい!」と怒鳴っていた。ふと目
が覚めると周囲の様子がおかしい。静寂。眠ってい
る間に降りたんだなあ、とぼんやり思っていたが、
だんだん頭がはっきりして来ると、おばちゃんたち
はさっきと同じように座っていて、しかしヒソヒソ
声で話している。何となくこっちをチラチラ見てい
る気もする。斜め前方に若い男性が、先ほどまでは
喧騒の中で修行僧のような顔をして座っていたのだ
が、こっそり振り返って私の方を見ている。目が合
った、と思ったらバネ仕掛けのようにクルッと前に
向き直った。
ここに至ってはっきり悟った。夢の中だと思って
いたが、実際にもたぶん「うるさい!」と怒鳴って
しまったのだ。同類のおばちゃんに怒鳴られて雰囲
気を壊されたおばちゃんたちの怒りが顕在化しつつ
ある中、私は再び閉眼して寝たふりをするしかなか
った。
それ以来、車内での睡眠は自重している。今は文
庫本を読んでいる。初めからこうすべきであった。
J
R通勤
美唄市医師会
心療内科あおぞらクリニック
稲葉
央子
JRで通勤するようになって5年が過ぎた。片道
約5
0
分。一日で1時間40
分。それだけの時間を一人
で使えることは久しくなかったので、初めのうちは
柄にもなく文献を読む時間に当てようなどと殊勝な
ことを考えた。しかし予想通りなぜか急に老眼が悪
化し、諦めた。せっかくの時間、好きなことに使お
うとパソコンやポータブル DVDプレイヤー、 PSP・
3 DSなどのゲーム機を持ち込んだが、重いしどうも
周囲の目が気になるしで断念。結局、不足している
睡眠時間を補うためと称して行儀は悪いが爆睡する
ことにした。
ところが、最近これも難しくなってきた。 JR北海
道による不祥事の相次ぐ発覚で、おちおち寝ていら
れない心境になったことも一因である。2
0
1
1
年5月
の JR石勝線脱線炎上事故の際、釧路の先生方が的確
に行動してくださったことで最悪の事態を回避する
ことができた。私にはそのようなリーダーシップを
発揮することは到底できない。しかし万が一の事態
の時、せめてリーダーをサポートできるように迅速
に反応したい。そのためには熟睡するわけにはいか
ない。 JR北海道は心して会社の立て直しに勤しん
でいただきたい。
が、眠れなくなった本当のきっかけは上記のよう
な社会的理由ではなく、もっと情けない個人的な出
来事である。
JRを利用している方々には分かっていただける
と思うが、特に観光シーズンになると必ず元気なグ
ループがいる。たいていは世の中で“おばちゃん”
といわれる、私と同世代かちょっと上の方々。楽し
そうなのは何よりなのだが、たまに有り余るエネル
ギーを声で発散させる集団がいる。私も地声が大き
いし気を付けなければいけないなと自戒しつつ、友
達同士の旅行など夢のまた夢、というやっかみも手
伝ってか、近くに座られると正直辟易する。
その日、私はとても疲れていた。帰宅する前に車
内で少しでも眠って回復しておかないと、遅い夕食
作りもままならない状態だった。いつもの車両に乗
り込むと席は空いていたものの、おばちゃん8人グ
ループの真ん前である。何かイベントがあったらし
く、ヒートアップしておしゃべりというより叫び状
態になって盛り上がっているそばで、それでも疲労
困憊の私はウトウトした。そのうち夢を見たらし
い。夢の中にもおばちゃんの叫びが侵入し、現実で
は極めて小心者の私が、夢の中では勇敢にも仁王立
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
4
4
キ、おじいさんが捕まえてタヌキ汁にするようにお
ばあさんに言いました。おじいさんが出かけるとタ
ヌキはおばあさんを殺して汁にして、帰ってきたお
じいさんに食べさせました。というのが発端で、悲
しみにくれるおじいさんに代わってウサギが仕返し
をして、最後は泥舟に乗せて沈めてしまう-という
お話でした。
婆汁を作ったタヌキはおばあさんに化けて、おじ
いさんに汁を(
タヌキ汁と言って)
勧めたのですが、
なるほどそんな物語を読んだらこんな妖怪を想像し
てしまうのも無理もないと思ってしまいました。
いたずらなタヌキはおばあさんにけがを負わせた
だけで、泥舟にも乗ったけれど「ごめんなさい」で
助けられたというバージョンもあります。こちらの
方が一般的でしょうか。ネットでは「こんな残酷な
話、子どもに聞かせられますか!?」
「改心して皆仲
良く暮らしました、のお話ばかりになっちゃってつ
まらない」といったコメントが。
同じくネットで明治の中期に日本で作られた絵
本、お土産用か英語で書かれた Ka
c
h
i
Ka
c
h
i
Mou
n
t
a
i
n
の1ページを見つけました。ページの下に Cl
i
c
k
Cl
i
c
k
Mou
n
t
a
i
n
,
ort
h
eMou
n
t
a
i
nofVi
c
t
or
yと 書 か れ て い ま
す。勝ち勝ち山? ちなみにタヌキはb
a
d
g
e
r
でし
た。
Mount
ai
nofVi
ct
or
y
札幌市医師会
土田耳鼻咽喉科クリニック
土田
伸子
秋に道立文学館で開かれていたジブリ美術館企画
の「挿絵が僕らにくれたもの」展に行ってきました。
アンドルー・ラングの童話集の挿絵を主にしたもの
でしたが、世界各地から集められたお話の中に、か
ちかち山や浦島太郎、猿蟹合戦かと思われるものも
ありました。
うわっ!と思ったのは、かちかち山のタヌキ。猿
のような手足に長い爪、フサフサの尻尾はキツネみ
たい。とんがった耳に一対の角まで生えています。
これを見て、タヌキと言い当てられる日本人はいな
いはず。描いた人は“ Ta
n
u
k
i
”を何だと思ったので
しょうか。妖怪?
さてこの Ta
n
u
k
i
、縛られて梁に吊るされているけ
ど、どんなお話だったかしら。背負った柴に火をつ
けられたり、泥舟に乗せられたりしたのは思い出せ
ましたが。調べてみると-畑を荒らす性悪なタヌ
Japane
s
ef
ai
r
yt
al
es
e
r
i
e
s
『Kac
hikac
hiMo
unt
ai
n』 Davi
dTho
mps
o
n訳、小林永濯 絵(1
8
5
5
年 弘文社)
画像提供:梅花女子大学図書館
h
t
t
p
:
/
/
m
a
n
a
b
i
y
a
.
b
a
i
k
a
.
a
c
.
j
p
/
e
l
/
c
o
n
t
e
n
t
s
/
0
0
0
0
7
_
j
a
o
F
i
j
/
4
5
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
子どもは地域の宝
上埜耳鼻咽喉科を継承して
札幌市医師会
山本内科・眼科クリニック
札幌市医師会
上埜耳鼻咽喉科
山本登紀子
上埜 博史
眼科の校医をさせていただいている「あいの里西
小学校」は、今年開校2
0
周年を迎えたばかりの若い
学校で、ちょっと今までにないような新しい形の学
校です。札幌駅から JR学園都市線で北へ3
0
分ほど
行った「あいの里教育大駅」の住宅地の真ん中にあ
ります。
「あいの里」は日本住宅公団が宅地開発分譲して
できた新しい街で、街づくりの一環として『地域の
みんなが活用できる学校』をコンセプトに設立され
たそうです。学校の隣には学校と同じ位の大きさの
緑地公園が広がり、校庭との間に垣根がないので子
どもたちは公園の芝生に寝転んだり、マラソンの練
習をしたり、緑に囲まれた中で伸び伸びと過ごして
います。校舎の西側は緑地公園、東側はグラウンド
で、災害時には学校が地域の避難場所として十分機
能を発揮できるようになっています。校舎の玄関を
入ると3階吹き抜けの教室4個分くらいの大きな
ホールになっていて、ホールの奥に体育館が続いて
います。両方とも床暖のフローリングなので、子ど
もたちにとっては巨大なリビング。縦横無尽に走り
回っている子、車座になって遊んでいる子、これな
ら一年中、雨の日だって平気です。放課後は地域の
人たちが多目的ホールとして活用しておられるそう
です。子どもたちが落ち着いている学校だなぁとい
つも感じていましたが、リラックスできる空間がた
くさんあるからかもしれません…。
「あいの里」は街が若いので、住民の皆さんが自分
たちで良いものを作っていくという意識が高いのだ
そうです。
『子どもは地域の宝』
『学校は地域の財産』
との考えの下に、学校と地域の連携がとてもうまく
いっていて「拓北養護学校との交流」
「地域での職業
体験」や「
学校図書館の開放」など熱心に活動を続け
ておられます。
「あいの里西小学校」で育った子ども
たちが「あいの里」に帰ってきて、地域で受けた愛
情を次の世代の子どもたちや地域に還元し、そのサ
イクルが続いていくことが夢だそうです。子どもた
ちが健やかに育つよう、微力ながら私も協力させて
いただきたいと思っています。
2
0
1
3
年6月3日に前院長で父の上埜光紀が永眠い
たしました。同年4月より副院長として勤務し、6
月4日より院長をさせていただいております。現在
まだ1
0
月で院長就任から4ヵ月しか経っておらず、
順調なのかも分からないまま診療や雑務に追われる
毎日です。幸い大きなトラブルは起こっておりませ
んが、
「何か見落としてはいないか?」
「気付いていな
いが、実はトラブル寸前だったのではないか?」な
ど不安が消えず、何だか見えない敵と戦っているよ
うな気がします。
医院を継承するにあたり、従業員や器材、院内シ
ステム、紙カルテも含めて、ほぼすべてをそのまま
継続としました。周囲からは異論もありましたが、
これで良かったと思っています。私のような若輩者
には、経験ある職員と出来上がったシステムが必要
だったと実感しています。最初は「あれ?」と思う
ことも、変更しようとすると問題が発生してしまい、
なるほどと納得する毎日です。
当院で診療してみて実感したのは、前院長のカル
テは役に立つ、というより勉強させられることが想
像以上に多いです。例えば、咽頭違和感で来院され
た7
0
代の女性について。ファイバースコープをする
と後鼻漏が少量のみで「うーん。所見は軽度だな」
と思いながら前院長のカルテを見ると、副鼻腔炎の
病名とリゾチーム塩酸塩の処方のみ(副鼻腔炎がリ
ゾチームのみで治るものか?)
。ではではと副鼻腔
炎について丁寧に説明して、クラリスロマイシンや
カルボシスティンなどをしっかり処方。すると数日
後に「薬が強すぎた!」と患者様からお叱りを受け
ました。前院長の処方通りとなり、病状も改善した
ことは言うまでもありません。
父を亡くして4ヵ月です。こうして原稿を書いて
いると、さまざまな思いが込み上げてきますが、そ
れは触れないことにしました。ただ一つだけ、治療
内容で迷い、入院中の病室まで父に相談に行った時
のことです。
「それでいいよ。自分の思ったようにや
りなさい」と優しく言ってくれたことを今でも鮮明
に覚えています。今日も診療しながら数年前のカル
テを捲る日々です。そのたびに父に背中を押されて
前に進んでいます。
ちょうどこの原稿を書いていた時、1
0
月1
3
日「ど
うしんあいの里こどもマラソン大会」の学校対抗駅
伝の部で「あいの里西小学校」が9連覇達成!の嬉
しいニュースが入ってきました。
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
4
6
の新緑が、また夏には朝にセミ、夜にはコオロギの
合唱が目や耳を楽しませてくれます。
峠を越えて進むと、遠目にも鮮やかな赤い着物を
着たお地蔵様があり、往来の安全を護ってくれてい
ます。赤い着物は時々きれいなものに替えられてい
て、お供え物も絶えることなく、誰かが大切に世話
をされていることが分かります。この峠では昔、1
年先輩の医師が亡くなられました。仕事のいろはを
教えてくださった先輩とお地蔵様に毎朝心のなかで
手を合わせながらここを通ります。
峠を降りてかぼちゃの町を抜けると、遠くに連な
る丘陵地帯まで田畑が広がっています。農作業姿の
人が道の両脇の所々でピックアップされるのを待っ
ています。日本の食を支えている一大農業地域であ
ることを感じます。夏の仕事帰りにはカエルの大合
唱が聞こえます。稲刈りの時期にはあちらこちらか
ら、もみ殻を焼く煙が棚引いています。
そろそろ職場のある町に入ります。ここは合宿の
里として毎年多くのチームが合宿に訪れ、夏にはア
スリートたちが朝早くからロードワークに励んでい
る中、車を走らせます。
道中には野菜の直売所がいくつかあり、採れたて
新鮮野菜を安く買うことができます。今朝は先ほど
峠の農園で買った新鮮な葉を付けたままの大根と落
葉きのこが車に同乗しています。今日は半日で診療
終了です。帰りには白菜と、峠の名を冠したきのこ
を買って、今夜はきのこ鍋です。
道北の車窓から
上川北部医師会
しべつ耳鼻咽喉科あらかわクリニック
荒川
卓哉
1年半前に道北の町で開業して以来、片道5
0
k
m
ほ
どを自動車通勤しています。毎日大変ですねと多く
の方が言ってくださるのですが、朝夕の各1時間が
仕事と生活の間の良い気分転換になっています。
朝は6時ごろ家を出ます。今日はまだ薄暗く濃い
朝もやの中の出発でした。
走り出してほどなく市街地を出ると、低い山が見
えてきます。山の木々に季節を感じながらトンネル
に入り、これを抜けると田園地帯が広がっています。
右手にはまもなく雪化粧をその身にまとう大雪山系
がそびえています。秋晴れの青い空の下、黄金色に
輝く田の奥に山並みを望む景色は思わず車を止めた
くなる景色です。
道は大きく左にカーブして、昔通っていたスキー
場が右手に見えます。山あいの谷間には、まだとこ
ろどころにモヤが漂っています。
道はその名と同名の小説で有名な峠に向かって登
りはじめます。そろそろ空の色もはっきりと朝の色
に変わってきます。道の両側には木々が茂り、秋に
は麓よりも少しだけ早い色づきが、春には少し遅め
佳加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加可
嘉
嘉
北海道医報ファイルについ
北海道医報ファイルについて
嘉
嘉
嘉 北海道医報本誌を1年分綴ることができるファイルを用意して
嘉
嘉
嘉
嘉 おります。
嘉
嘉 ご希望の方に無償にてお送りいたしますので、下記まで送付先な
嘉
嘉 らびに希望数をご連絡ください。
嘉
嘉
嘉
記
嘉
嘉
嘉
嘉
申込先:北海道医師会事業第一課
嘉
嘉
嘉
嘉
〒0
6
0
8
6
2
7 札幌市中央区大通西6丁目
嘉
嘉
TEL 0
1
1
2
3
1
7
6
6
1 FAX 0
1
1
2
5
2
3
2
3
3
嘉
嘉
Emai
li
[email protected]
doui
.
j
p
嘉
嘉
夏加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加嫁
4
7
平成2
5
年1
2
月1
日 北海道医報
第1
1
4
3
号
Author
Document
Category
Uncategorized
Views
11
File Size
1 543 KB
Tags
1/--pages
Report inappropriate content