会員のひろば - 北海道医師会

遠くの犬影に目を凝らし、近づこうとするものがあ
れば即、戦闘態勢に入ろうとします。いいからもう、
吠えなくていいから。綱を引いたり引かれたり、そ
んな時間を繰り返しながら、数十分の散歩を積み重
年以
ねながら、私たちの季節が巡っていき、もう10
上が過ぎました。
家の近くまで戻ってくるとまた犬たちが吠え始
め、気付くと信号の向こうにご主人さまに連れられ
た黒い犬がおりました。黒い犬は私たちに気付いた
のか、ご主人さまを見上げるとスッと踵を返して、
来た道を戻り始めます。二人が初夏の日差しに消え
るそのさまは、私には互いに引き綱に繋がれていく
花道のように見えました。
会 員 の
ひ ろ ば
繋がれていく
札幌市医師会
さくら耳鼻咽喉科
石井
香澄
散歩の時間になると、合わせて20
k
g
は超える犬た
ちを両脇に抱えてマンションの玄関を出ます。地面
に降ろした途端、私のことなんか気にも留めず、二
頭の犬たちは駆け出していきます。私はいつも肩で
息をしながらグングンと引きずられていくしかあり
ません。
ペットの犬たちにとって、朝と夕方はゴールデン
タイム。街中の公園はしつけの行き届いた賢い犬で
溢れます。すてきなご主人さまを自慢するかのよう
に振る舞う犬たちは、まるで昔、本で読んだ18
世紀
末のロットン・ロウを歩く貴族たちのようですが、
そんな優雅な場所に吠えまくるわが家の犬を連れて
行く訳にはまいりません。
室内で育てられ、ほかの犬に慣れていないわが家
の犬たちは、散歩中に別の犬に出会った時など、も
う大騒ぎ。私は先方の飼い主さんに「すいませんす
いません」とわびつつ、吠えるわが家の犬たちを引
きずるように引っ張って、足早にその場を立ち去り
ます。
でもそういう時、先方の犬は大抵、吠え返すこと
もなく、ああ、あんな時期が自分にもあったなぁと
でも言いそうなメロウな表情で、黙ってこちらを見
ています。恥ずかしながらわが家の場合、散歩とは
「しつけのできないダメ主人の市中引き回し」と言
った方が正しいのです。
もっとも、そんなわが家の犬たちも最初こそ元気
ですが、家から離れるにつれ疲れ始めるのか、だん
だんと歩調がゆっくりになります。年老いてきた一
頭は立ち止まって道端のにおいを嗅ぎ、休んでまた
移動。昨日は道端に咲いていたアスパラガスの花の
匂いを、ことのほか熱心に嗅いでいました。もう一
方は別の場所で茂みの奥に入り込み、そこにオナモ
ミが生えていたと見えて、顎の下にたくさん種を引
っ付けてきました。
ただし、残念ながら平和な時間はいつも長続きし
ません。二頭は常に頭上のカラスや野鳥、あるいは
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道端に咲いたアスパラの花
1
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口へ向かっているときにツアーの引率をしている小
生の患者さんを見かけてしまい、最後の最後まで、
何だか慌ただしい3日間となってしまった。
ある6月の3日間
札幌市医師会
萬田記念病院
坂東
マラソン
秀訓
札幌市医師会
耳鼻咽喉科麻生2
8
今年の6月末のこと、日本抗加齢医学会(会場:
パシフィコ横浜)と Ty
pe
1 DMs
u
mmi
t
(会場:東京
ミッドタウン)へ参加するため、金曜日に通常勤務
の後、夜の便で羽田へ飛んだ。その後電車で横浜に
行き、宿泊先に着いたのが2
3
時過ぎであった。
2日目は、7時から学会開催のランニング大会へ
参加のため、パシフィコ横浜近くの公園へ向かった。
パシフィコ横浜の屋上を含む5 k
mのコースであっ
たが、屋上へ行くのはもちろん初めての体験で、屋
上一周は結構時間がかかってしまい、パシフィコ横
浜の大きさが感じられた。
走り終わって配られた水を飲んで、すぐに学会受
付に向かった。ランニングシャツとタイツというス
タイルであったため、少しバツが悪かった。それか
らホテルに戻って着替え、朝食を取ってから会場へ
入り、展示コーナーへ向かった。ドリンクコーナー
に行くと、2種類の水がすでになく、他の水を飲ん
だ。ランチョンセミナーに参加してから、タクシー
で東京ミッドタウンへ移動した。確か、芝を過ぎた
辺りで渋滞となったが、1時間以内で何とか到着で
きた。
ミッドタウンの中を取り急ぎ見て、1
6
時からの
Ty
pe
1 DMs
u
mmi
t
に参加した。プロモーションのス
トリーミング映像が流れたが、1型糖尿病患者を支
援するプロジェクトのためか、出演した患者さまが
あたかもスターのようであった(センターは徳島大
学の黒田暁生先生)。
各先生の講演を拝聴し、懇親会へ。当日移動した
先生と一緒になったが、羽田から来るとき、やっぱ
り渋滞だったとのこと。その後、夜の皇居ランをし
て2日目を終了した。
3日目は DMs
u
mmi
t
の講演でサマーキャンプの実
情などについて拝聴し、ランチョン終了後、再度横
浜の学会へタクシーで向かう。このとき“パシフィ
コ横浜へ”と言ったのであるが、
“パシフィック横
浜?”などあまりピンときていなかった様子で、東
京のタクシーの運転手とパシフィコ横浜とはあまり
縁がないのかなあと思った。何とかカーナビを使っ
て無事到着、2日目の単位登録を完了し、最後の講
演と閉会式を終えて帰途に着いた。
とりあえず、2日行かないと専門医の更新に必要
な分(必要単位確保のためには毎年2日分単位獲得
しなければならない)が取れないというのは北海道
在住には大変である。しかも帰り際の空港で、搭乗
坂田
文
耳鼻咽喉科麻生病院のサテライトクリニックであ
る「耳鼻咽喉科麻生2
8
」に勤務している坂田と申し
ます。このたび原稿の依頼をいただき、何を書こう
か2時間ほど考えた結果、マラソンについて書くこ
とにします。
と言うと、なんかブームに乗って公園の中をさわ
やかに走っているかのように思われそうですが、私
は生来何が嫌いかってマラソンと登山はだめなので
す。人より良い筋肉は持っていると自負しています
が、これが全く無用の長物で、もう何十年も(いや、
そこまでトシでもないが)まともに1
0
0
mも走ったこ
とがありませんでした。それなのにマラソン好きな
高校時代の友人たちと飲みに行った時に、その場の
ノリとちょっとブームに乗りたい気持ちから、誘わ
れるまま、ついうっかり今年の豊平川マラソンに出
場してしまいました。
豊平川マラソンの良いところは、能力に合わせて
いろいろなコースがあるところです。私はもちろん
「3 k
m ファンラン」というコースです。なーんだ
3k
mか、とお思いでしょうが、これが本当に厳しい
戦いで、
「どこが f
u
nr
u
n
なのか…」としみじみ思いま
したね。そもそもスタート地点で隣にいた小学生の
ちびっこを勝手にライバル視したのですが、スター
トした途端、そのちびっこはびよーんと走り去って
いき、そこで私はマラソンの過酷さを目の当たりに
し、あっという間に心も折れてもうバテバテでした。
本当に辛かったですが、それでも何とかゴールし
たときは、うっかり走った割には感動しました。
友人は「次は5 k
mに挑戦だ!」とけしかけますが、
もう決してそんな挑発には乗りません。ただせっか
くウェアもそろえたので、私はこれから一生3km
だ
けを走って「3 k
mの女王」を目指すことをここに勝
手に宣言して終わります。
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精神科医が緩和ケアに
なじむために必要なこと
マネジメントのお勉強
札幌医科大学医師会
札幌医科大学附属病院
札幌市医師会
市立札幌病院
今井
智之
上村 恵一
ここ1年間ほど、教室執行部の一員として、関連
病院のあいさつ回りや人事調整といった業務に従事
し、全道各地の前線で活躍中の先生方に貢献すべく、
現場の声を粛々と伺う日々を過ごしておりました。
とりあえず若い先生たちとは、部活ぽいノリで積
極的に晩飯に行ったりしていたものの、食いすぎ飲
みすぎで体重が5 k
g
増えるというありさま。こう
いう良い関係づくりは最も大切ではあるものの、も
う少し身体に優しく、かつ賢い方法も身に付けない
とならず、しっかり勉強を始めることにしました。
それらしき本を探してみると、
『医局長どたばた奮
戦記』
(如月遠香)はトラブル対応には役立ちそうな
ものの、エッセイ的というか内部告発に近く、読後
の微妙な後味の悪さが難。次にドラッカーの『マネ
ジメント』にチャレンジするも難しすぎて挫折。
『も
しドラ』すらも読み通せず、ようやく『まんがでわ
かるドラッカー』系を数冊読破。ただ、研修医教育
の書籍は別として、中堅医師のための指南書はなか
なか見当たらず、
「一般的な経営論を医療職の特殊性
に当てはめることはできるのか?」という課題は残
っていました。
そうこうするうち、交渉や人心掌握の達人が、私
たちのすぐ近くにいることに気付くのでありまし
た。…廊下に並んでいる MRさんたち。きつい・汚い
(罵声を浴びがち)
・危険(地雷を踏みがち)という
3 Kの極み、一般にブラックな仕事と称される一方
で、気難しい Dr
をどのようにハンドリングし、シェ
アオブマインド(D
r
の思考の中で占める割合)を高
めるか…といった視点で、新米 MRさん向けの極めて
わかりやすい指南書が何冊も出ており、
『なぜあの
MRは顧客に好かれているのか?』
(池上文尋)
『 MR
、
行動心理学』
(平野裕幸)などは、私たちが読んでも
大変興味深く、参考になりました(ゴリ押しが強く
てこちらが辟易しがちな、あの MRさんを攻略するの
にも、随分役立つかもしれません)。
しかし、
どの本にも書かれていた大切なことは「真
摯さ・誠実さ」であり、実は私たちが患者さんを診
療する際の姿勢に求められるものとマネジメントに
必要なものとは、全く同じものなのでした。私自身
にとっても、これまでの多くの先生方にヒアリング
をさせていただいた経験は、次の職場で出会う患者
さんたちとの精神医学的面接にも、きっと生かせる
に違いないと信じています。
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「精神腫瘍学の基本教育に関する指導者研修会」の
参加動機一覧が手元にあります。
「緩和ケアチームの精神症状担当医として勤務す
ることになったので…」
これは、毎回少なからずの参加者が記載してくだ
さる理由の1つです。
「これから緩和ケアチームの一員として仕事をし
よう」
「病院の方針で精神腫瘍科を立ち上げることに
なった」
「地域の病院の緩和ケアチームから“週に1
度でも”ということでがん患者さんの精神症状の対
応をしなければならなくなった」という理由で、緩
和ケアに携わることになる精神科医が本研修会に参
加されるのは少なくない現状です。そんな精神科医
の参加者から、地元に戻ってから数ヵ月してメール
をいただくことがあります。
「精神疾患の対応の依頼
があまりない」
「介入が必要なケースが少ない」
「終末
期の患者さんばかりで介入することがない」などの
相談内容です。
緩和ケアを始めたばかりの精神科医が必ず最初に
ぶつかる壁は、コンサルテーションのくる症例がこ
れまでのコンサルテーション・リエゾン精神医学と
は異質のものであり、bi
ops
y
c
h
os
oc
i
a
l
な切り口に当
てはまらない、どのように介入したら良いのか分か
らない症例が多いことだろうと思います。依頼が増
えないこと、介入が必要なケースが見当たらない場
合は、b
i
ops
y
c
h
os
oc
i
a
l
な切り口から少し離れて、が
ん患者さんのヒト全体を眺めてみる必要性を強く感
じています。せん妄やうつ病への介入という極めて
生物医学的医療の要素が強い疾患群に対処すること
を得意とする精神科医も、ここに当てはまらない患
者さんの訴えに愕然としている場面によく遭遇しま
す。自分も含めて精神科医が緩和ケアをより身近に
考え、より精神科医が苦痛なくこの分野に携わるこ
とができるためには何が必要なのかを考えてみるこ
とにしました。
精神科医にとってコンサルテーション・リエゾン
精神医学とは①精神疾患のスクリーニング②コンサ
ルテーション-という二つの軸で展開されていま
す。精神科医・心療内科がいない部門では、スクリー
ニング陽性の場合に精神科医に相談し介入方法を決
定し、精神科医はスクリーニング陽性もしくは治療
医からの依頼によって、初めて患者さんの面接を行
うことになります。それは「救命救急センター、膠
原病内科、外科病棟などで生じる自殺企図患者に対
2
0
「ループス精神病に対して
する精神科的トリアージ」
の薬物療法的介入」
「術後せん妄に対しての介入」に
おいては十分な成果を発揮し、
「精神科コンサルテー
ションが早期に行われるほど患者は早期に退院す
る」などの医療経済的な裏付けの元に、総合病院精
神科の役割は確実な成果を挙げていることは疑いな
い事実と思います。しかし、生物医学精神医療を緩
和ケアの領域の主戦とすること、それこそが精神科
医がぶつかる壁の最初の原因であるように思われま
す。
つまり、緩和ケアに関する精神科医への依頼があ
り・診断面接を行い・精神医学的な診断をしようと
する過程において、多くの精神科医が生物医学的視
点からの診断と介入の限界を感じ、戸惑いを覚える
ことが最初の壁であるように思われるのです。
キューブラー・ロス、レイモンド・ムーディをは
じめとする死生学運動に取り組まれた先人や、臨死
研究の専門家の多くが精神科医であったように、医
療に携わりながら生物医学的医療の限界を超えよう
とする医師が死生学に近づくことは、とても合目的
な態度のように感じます。精神科医は、通常診療に
おいてみとりをほとんど経験しません。精神科医に
とっての「死」というイメージはうつ病患者さんの
自殺であったり、救命救急センターに毎日搬送され
る自殺企図患者さんのケアであったりと、精神科医
にとってのメンタルヘルスを強く脅かすものにほか
なりません。緩和ケアにおいては死に直面した患者
さんを前に面接を行い、自らが忌避してきた死に対
して半ば強制的に向き合うことになります。そこ
で、がん患者さんと死に真正面から向き合うという
精神医の日常診療の急激な変化は、精神科医が直面
する第二の壁であると思います。
多くの精神科若手医師は、宗教観を強く持った精
神科医でない限り、死について考え、自分の死と他
人の死の違いを強く意識した経験はあまりないので
はないでしょうか。がん患者さんと会うたびに死に
対する恐怖の話になり、支持的精神療法だけでは安
易に太刀打ちできない問題に直面する精神科医の多
くがベッドサイドから足を遠ざけてしまう、という
話をよく聞きます。その理由には、自分の精神療法
スキルに関する無力感、
「何もしてあげることができ
ないもどかしさ」があると言われています。精神科
医も死について語ることで、どんな不利な状況に置
かれても生かされている意味を患者さんと一緒に考
えられる共同作業を実現することができれば、患者
さんから学ぶというケアの本質も理解することがで
きるのではないでしょうか。
総合病院精神科医師の多くは、敷居が低くなり過
ぎた精神科外来に多くの時間を取られ、精神科以外
のすべての診療科からのコンサルテーションに対応
しての疲弊した心理状況では、緩和ケアの質を向上
させることはできないでしょう。問題の本質には、
総合病院精神科医のマンパワーの不足があるかもし
れません。それでも、緩和ケアに興味を持ってかか
わり始めてくれている若い精神科医の先生は、きっ
かけは何であれ死生学に近づくことになるので、興
味をもってその新しい分野に浸ることで、自分の精
神科医としてのスキルをさらに高めることができる
のではないかと思います。
つまり、内科医・外科医・麻酔科医が緩和ケアに
携わるようになる場合の心理的な障壁に比べて、精
神科医が緩和ケアに苦痛なく携わるようになるため
の障壁は、高いのかもしれません。マンパワーの問
題は今すぐに解決されるものではないにしても、精
神医学教育の中に生物医学的精神医療からはみ出し
たスピリチュアリティ、自死以外の死に関しての学
術的探索を取り入れ、一般的なコンサルテーション・
リエゾン精神医学とは違った視点で緩和ケアを見つ
め直す体験を取り入れることが必要と強く感じてい
ます。
精神腫瘍学の指導者研修会で講演する演者
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臨床で活かされる産業医経験
東洋医学を学びたく
帯広市医師会
十勝脳神経外科病院
札幌市医師会
勤医協中央病院
松本
大樹
澤崎 兵庫
医師となって1
4
年目を迎えた私は、北海道のドク
ターの皆さんとは一風変わった経歴の持ち主です。
こ
の場をお借りして私の経験を少しご紹介いたします。
北海道は十勝出身の私が北九州市の産業医科大学
に入学したのは約2
0
年前。この大学は臨床医学だけ
ではなく、予防医学や産業医学を学べる、世界にも
類を見ない大学です。自治医科大学や防衛医科大学
と同様に設立趣旨が明確であり、優れた産業医を養
成し、産業医学の振興を図ることが目的となってい
ます。
残念ながら私は優れた産業医にはなれなかったの
ですが(笑)、のべ5年にわたり日本を代表する有名
大企業で専属産業医として勉強させてもらいまし
た。そこでの経験は地域医療を担当する現在の私に
とって非常に大きな影響を与えたものでした。かつ
ての日本は経済発展のために有害物質を垂れ流して
でも生産を続け、豊かさの代償として多くの公害を
発生させてしまいましたが、現在ではメンタルヘル
ス対策に重心が移り、精神疾患による休職や自殺か
ら生じる労働力損失の抑制が急務となっています。
現場では実にさまざまな問題を抱えた多くの人た
ちと出会いました。うつ状態で相談に来た人が突然
派手な行動をしたり(双極性障害)、どこに居ても周
囲の人間とトラブルになる「生きづらさ」を抱えて
いたり(パーソナリティ障害)、何度教えても同じ失
敗を繰り返し叱られてうつ状態になったり(発達障
害?)。もちろん、非常勤の精神科専門医の指導の下
で診断し対応していたのですが、慣れないうちは鑑
別診断が非常に難しく、必死に勉強した記憶があり
ます。しかし毎日何人も診ているうちに感性が研ぎ
澄まされるのでしょう、
「この人の本質は何か」を常
に探るようになりました。眼つき、顔つき、話し方、
言葉の端々からその人の特徴を捉え、返す言葉と態
度を慎重に選んでいく、という作業を繰り返したも
のでした。
これらの経験は現在の仕事にとても大きな役割を
果たし、病だけでなく人を診るという医師として大
切な能力を育んでくれたと思います。画像やデータ
には現れない、人が人たるゆえんの核となる情動や
欲動(いずれも間脳が支配している)を精神機能的
側面から診ることができたのは、脳神経外科医にと
って価値ある経験でした。
さあ、まだまだ人生折り返し地点、これからどん
な経験が待っているか、とても楽しみですね。
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勤医協中央病院が新しくなり、多くのことを患者
さんから学びながら、日々楽しく働いています。現
在、学生のころから多くの機会をいただき学んでき
た鍼灸を、北海道でまた学びたいと考えています。
過日、いろいろな立場の鍼灸関係者からお話を聞
く機会をいただいたので、その時のことをまとめて
みました。
現場の鍼灸師の意見として「西洋医学を勉強する
場所がない」
「症例の相談をできる場所がない」
「病院
などで医療チームとして働きたい」
「鍼灸師の意見を
まとめる場が存在しない」
「鍼灸院以外で働く場所が
ない」などが挙がりました。
鍼灸学校からは「医療保険適応が限定的で、小児
はりのニーズが少なく、高齢者の運動器疾患に偏っ
ている」
「卒後研修などがなく、鍼灸師の知識・技術
が十分担保されていない」
「鍼灸院以外の就職先がな
く、病院などの医療機関への就職は厳しい」などの
意見をいただきました。
北海道鍼灸師会からは「医師の同意書への誤解を
解いていきたい」
「厚生労働省は口頭同意での同意書
の延長を認めている」
「毎年、鍼灸師会として勉強会
を行なっている」
「開業治療院、鍼灸院へ医療保険請
求などの指導をしている」などの意見をいただきま
した。
患者さんからは「治療を受けたいが受けるのが怖
い」
「治療費が分からない」
「病院で治せなかったもの
が治った」など体験を通じての意見をいただけまし
た。
医師からは「鍼灸でできることが分からない」
「同
じ病名で保険請求できない」
「治療行為に対する責任
の所在がはっきりとしない」
「口頭同意は医療現場の
流れに反している」
「現実的に患者さんの病状把握、
治療成果などを電話対応のみでカルテに記載するこ
とは難しい」などの意見がありました。
さまざまな立場から多くの意見をいただき、それ
ぞれの立場で問題意識があることが理解できまし
た。
私は自分の鍼灸体験から、鍼灸には除痛効果を実
感しており、特に内服困難症例、内服で除痛困難症
例への効果を期待しています。さらに内服困難症例
の内科疾患に対しても効果を期待できると考えてい
ます。
鍼灸を医療チームに取り込むために学生実習、卒
後研修の場として病院などの開放が重要で、鍼灸師
2
2
の知識・技術の獲得と、ほかの医療者の理解が必要
であると考えています。
こうした提案は簡単にはできないでしょうが、少
しずつ前進していくことはできるのではと期待して
います。すでにこうした取り組みがあれば、教えて
いただけると幸いです。
私の生活習慣病
札幌市医師会
北陵内科病院
及川 央人
道北の肩疾患について
私の勤務する病院は糖尿病を専門としていること
もあって、患者さんの大半は生活習慣病の方です。
食事や運動を含めた生活指導が重要なのは言うまで
もないのですが、
「医者の不養生」を地で行くような
アラフォー中年太りの身としては、指導に説得力を
持たせるためにも節制が必要と痛感しています。幸
い、血糖値もコレステロール値もまだ薬物治療が必
要なほどの異常はありませんが。
しかし、それ以外に私には難治性・進行性の生活
習慣病があります。一部で「お尻贅沢病」と呼ばれ
るその病は、主に飛行機でビジネスクラス以上の座
席に慣れてしまい、エコノミークラスに座ることが
できなくなった人々を指す言葉として使われており
ます。
私がこの病気を発症したのは2年ほど前です。も
ともと飛行機には縁がなく、初めて利用したのは研
修医1年目の道東出張で、初めて海外旅行に行った
のも3年目になってから。その後も飛行機の利用は
年2~3回程度でした(当然エコノミークラス)。5
年前に大学医局人事を離れてから収入と休暇が増え
たのを機に旅行頻度が増加し、それとともに空の旅
の楽しさに目覚め、人が変わったように飛行機に乗
り続けて航空会社のマイルが貯まるようになり、そ
れを有効利用するには…となった結果、気が付くと
ビジネスクラス(まれにファーストクラス)ばかり
利用するようになっていました。旅行の計画を考え
る際も「どの航空会社で、どんな座席なのか」を最
優先にチェックしている始末で、約1年先の飛行機
の予約をすることさえあります。
この疾患は患者自身に治そうという意思がまった
く欠如していることが多く、難治性・進行性とされ
ており、私も例外ではないようです。ゴルフもしな
い、酒もたまにしか飲まない、車もめったに買い替
えない、ということで、
「ささやかな楽しみ」という
言い訳とともに、今年もまた空の旅を楽しんでおり
ます。
旭川市医師会
J
A北海道厚生連旭川厚生病院
堀籠
圭子
平成4年に札幌医科大学を卒業し、整形外科医と
して今年で2
2
年目となりました。平成11
年より旭川
厚生病院に勤務しており、平成23
年より主任部長と
して4名のスタッフとともに診療に携わっていま
す。
専門は肩関節です。そのきっかけは、入局1年目
に当時大阪厚生年金病院で肩鏡視下手術の研修を受
けて大学にお戻りになられた岡村健司先生(現:羊
ヶ丘病院院長)の恩師である米田稔先生が、札幌医
大で講演と肩反復性前方脱臼の鏡視下手術を行わ
れ、その手術ですっかり肩関節鏡の世界に魅了され
てしまいました。平成8年に1年間、大阪厚生年金
病院の米田先生のもとで研修を受け、以降、肩関節
疾患と向き合っております。
手術の大半は腱板断裂に対する鏡視下修復術で
す。患者さんは旭川とその近郊が中心ですが、稚内、
紋別などの道北からも手術を受けに来ます。旭川は
農業が盛んですから、患者さんも農業従事者が多く、
農繁期は肩が痛くても我慢し、農閑期の10
月以降に
手術を希望します。また、除雪後に肩が痛くなって
受診する患者さんもおり、10
月から3月までは手術
を希望する患者さんが非常に多くなります。
実際、道北で肩の鏡視下手術を行う病院は、当院
と旭川医科大学病院にほぼ限定されます。手術を希
望する患者さんの人数からすると、圧倒的に肩専門
医の数が少ないのが現状です。手術には2ヵ月ほど
待っていただいています。少しでも早く治療を開始
するためには、肩外科医の仲間を増やさなくてはと
思っております。自分が当時そうだったように、若
いドクターにももっと鏡視下手術の魅力を知ってほ
しいと、初期研修医にアピールしております。
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子のバーゼルでの仕事や生活に耳を傾けた。ローマ
からエーゲ海・イスタンブールへの2週間のクルー
ズを楽しむ予定という。給与が高い(スイスは税金
も高い)ことも背景にあるのだろうが、
「赴任4ヵ月
後でそんな長い休暇を」と心配すると「ヨーロッパ
ではこれが当たり前」という。親の定年後の夢を20
代後半で実行するというのは、異国の地であまりに
も短慮ではないか、なぜか自信に満ち、躊躇も不安
もないようにも見え、私のその時代とは大きく異な
るのだ。赴任1週間もしないのに、3~4日の学会
出張を申請する若い医師の姿勢ともダブったもの
だ。親ばかの心配は尽きない。
バーゼルからミラノの列車は、豊富な緑の中や山
峡・湖の淵を快走し、牧歌的な田園風景や雪を頂い
たアルプスの山々に心を奪われた。列車はだんだん
と南下し、東へ向かう。北イタリアにも湖が多い。
ミラノで一泊後、ユーロスター・イタリアのフレッ
チャビアンカ(白い矢)でベニスへ。本土からリベ
ルタ橋を渡り終えるころ、停泊しているクルーズ船
が3隻見えた。
サンタルチア駅構内は建物と彫刻が調和して素晴
らしい。が、少し薄暗い。だが構内を抜けると、ま
ばゆいばかりの陽光が輝き、運河の周りは人で溢れ、
人々の動きも活発だ。メンデルスゾーンがイタリア
旅行で作曲した『交響曲第4番』の躍動的なリズム、
叙情と熱狂の明暗の表出が分かるような気がした。
クルーズ船の待つベニスの海港駅へは、水上タク
シーで向かう。料金も波も高い。
海からのシルエット号の巨大で優美な姿は、憧れ
を満たすに十分だった(写真1)。ロマンを刺激す
る。この憧れは多分中世の人も同じだったろう。セ
レブリティ社のこの船は、12
2
,
0
0
0
トン、全長は31
4
メートル、定員2
,
8
8
6
人の大型豪華客船である。一昨
年にハンブルグからローマへのクルーズでデビュー
し、まだ真新しい。乗船手続は長い列だったが、ス
ムーズに乗船。1
1
階の船室に入り、すぐに船内を探
索。1
2
階のフィットネスセンター、8階の図書室、
レストランなどを下見した。
2度目の地中海クルーズ
室蘭市医師会
市立室蘭総合病院
土肥
修司
豪華客船クルーズを一度経験すると、時間と貯え
のある人は病みつきになるという。そのいずれもな
いのだが、2度目を決行した。
最初の地中海クルーズでは高齢者の多さに驚き、
豪華ホテル以上のサービスと、夜間航行で訪問地へ
という高い利便性も実感した。想定外の経験もした
が、大海原からの眺望は変化に富み、中世への憧れ
が一層刺激された。2回目は少しレベルを上げ、前
回の轍を踏まぬよう準備もした。東地中海とアドリ
ア海周辺の古都・世界遺産を巡るクルーズである。
老いの現実と車椅子の老人を担いで第3腰椎圧迫
骨折、という前回の体験(*)から、心配性の私は
腰痛の貼付薬や発熱などの薬を手荷物にし、盗難の
事態も想定し受託荷物にも加えた。前回は他ツアー
客を含め、5名の病人を診たのだ。持参のわずかな
薬ではケチらざるを得なかった。フランス航空の乗
員には、医師である証明書の提示を求められたので、
対応にも万全を期したのである。
5月8日、病院の会議後、夜に千歳をたち、深夜、
羽田から ANA便でフランクフルト、そこからは I
CE
(I
n
t
e
rCi
t
yExpr
e
s
s
)でスイスのバーゼルへ。一泊
後、ミラノ(泊)経由でベニスに入り、クルーズ船
に、という計画だ。ミュンヘンからアルプスを列車
で越える当初の予定を、息子のバーゼル転勤で変更
した。
フランクフルトからバーゼルへの列車の旅も快適
であった。この市は、ドイツとフランスとの国境に
接し、ラインの大河が街を流れ、街並みも美しく典
雅だ。
ライン川をボートで渡りレストランで食事中、息
てつ
写真1
写真2 クロアチアの古都ドブロブニク
都の全貌にロマンをかきたてられた。
セレブリティシルエット号と多数の水上タクシー
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4
展望台からの古
避難訓練などの説明後、17
時に船は岸をゆっくり
と離れる。ベニスの街中の航行は圧巻だ。バルコ
ニーからの視野では満足できず甲板に出た。多くの
人がその光景を楽しんでいた。その雰囲気を引きず
っての夕食である。
食後、フィットネスセンターで汗を流す。実に爽
快。私は旅行中には良く眠れない性質だが、バーゼ
ルでもミラノでも、クルーズ第一夜もよく眠れた。
妻はいつも快眠だ。
朝5時半に起床、すぐにフィットネスへ。誰もい
ない。全周6
0
0
メートル余りの甲板をジョギングや
散歩する人々が姿を見せる。今日の寄港は正午の予
定。船はまだアドリア海の真中。遠くにクロアチア
の島々を見ながら朝食を楽しむ。
中世古都へのクルーズ:
「ヨーロッパの古都で君が
まず訪れなければならない街が二つある。一つがド
ブロブニク、もう一つが…」と中世の旅人は言った
という。この「アドリア海の真珠」と称されるクロ
アチアのドブロブニクが最初の訪問地(写真2)。入
港も圧巻。この旧市街全体(19
7
9
年に世界文化遺産
登録)は古代遺跡の残る神秘的な町で、城壁に囲ま
れたロマネスク様式の建物も残る。紺碧の空、灰白
色の城壁、家々の茶橙色の屋根や壁の均整の取れた
色合いが何とも美しい。地中海の人々と私の差異
は、文化的基盤のみならず、街の醸し出す色彩感覚
の影響によるのかもしれない。古都の城塞の散歩中
に通り雨。
3日目は終日クルージング。船内の行事を見学
し、
「体脂肪の燃やし方」の講義も拝聴した。講師は
話がうまいし、飽きさせない。この夜のディナーの
ドレスコードはフォーマル。タキシード姿は少ない。
4日目朝。船は前回の出港地のチビタベッキア
へ。停泊中の船も多い。下船後、ローカル列車で
ローマ市内~バチカン市国のサンピエトロ寺院内
へ。何度見ても圧倒される。道に迷ってベネチア広
場に到着。博物館と周辺を見学。ローマはどこに行
っても建物に彫刻に絵画にと、圧倒されるものに事
写真3
ナポリ・ポンペイ遺跡
欠かない。
「ナポリを見て死ね」どこで聞いたか記憶はないの
だが、5日目はそのナポリ。この風光明媚な都市は
人口約10
0
万(都市圏は約30
0
万)だが、古くから過
密が社会問題。従ってこの言葉は、今では「ナポリ
が死なないうちに見ておけ」という皮肉の意も含ま
れるという。19
9
5
年、世界文化遺産『ナポリ歴史地
区』として登録。ナポリ郊外にはポンペイ遺跡があ
る(写真3)。繁栄した古代ローマの余暇地、ポンペ
イの人々の生活ぶりを今に伝える貴重な遺跡であ
る。西暦7
9
年夏、ナポリ湾を見下ろすヴェスヴィオ
火山の大噴火によって、ポンペイの町は火山灰に埋
もれた。遺跡のスケールの大きさに圧倒され、古代
ローマへの憧れと畏敬の念が強まる。遅い昼食後に
歩いて旧市街を散歩。シルエット号は1
9
時に シ チ リ
ア島のカターニアへ向け出港。ナポリの港は夕陽が
海に反映されて実に美しく、ロマンに溢れる。
航行中に、娘から母死亡の連絡が入った。どう急
いでも葬儀には間に合わない。兄の好意もあり、ク
ルーズを続行することにした。
カターニア(6日目)は、シチリア島で二番目に
大きな都市。前回訪れたパレルモとは、街の雰囲気
は違う。人口3
0
万のシチリア島の東側の海岸に位置
し、エトナ山の噴火によって過去に9回も被災して
いるという。そのたびに再建され、古代のギリシャ
やローマ遺跡やバロック建築が多く残っており、世
界文化遺産をバスで見学。
バレッタ(7日目、1
9
8
0
年に世界文化遺産登録)
は中世の計画都市だそうだ。地中海の小さなマルタ
島(2
4
6
k
m2)の首都、歴史、文化などの豊かな遺産
がある。ヨーロッパ屈指の天然港を一望できる壮大
なパノラマ風景は素晴らしい。30
0
0
年の歴史を持
ち、沈黙の町と言われるムディナではドームのモス
タ・カテドラルなどを訪れる。4時間のバス見学で
はもちろん不十分だ。
翌8日目は一日クルージング。朝、昼、夕食前に
フィットネスへ。夜は映画。
ローマ時代の壮大さにはただ感嘆
2
5
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ビーチベッド。船内厨房の見学。フィットネス。劇
場では連日のショウ。ダンス教室、テーマごとの講
義など、数々の催しが提供される。船が港を離れて
いる間は免税店も開く。とにかく、乗客を飽きさせ
「出費した分は取り戻す…」などと思う貧乏症
ない。
の私にも快適なペースであった。中世古都の散策と
豪華クルーズ船での生活とのギャップを感じる余裕
もなかったが、ワインを飲めない体質でも、私には
クルーズという旅の型が向いているようだ。
だが、万全を期したはずなのに、母の死の報。高
齢故に心配もしていた。心配していたことも起こる
のである。港々の古都の教会では「母のためにお参
り」をした。
「私も」と妻も言っていた。私は宗教心
に乏しく、西洋の教会での祈りと仏前のお参りの違
いも分からないのだが、多分「故人を偲ぶ」のは同
じと思う。帰国後、仏前で母に不在を詫び、父の気
丈さに安心もした。
シルエット号の乗員に、棺の用意の有無を尋ねて
怪訝な顔をされた。自分で準備した42
枚のクルーズ
メモも役に立たず、持参した薬は全く使用する機会
がなかった。
古都へのささやかな訪問は、城塞の数々や人々の
暮らしの断片を垣間見たに過ぎないが、中世への憧
れを十分に満たしてくれるものだった。最初の寄港
地のドブロブニクとポンペイ遺跡には鮮明な記憶に
ある。だが、シチリア島のカターニア、マルタ島の
バレッタ、モンテネグロのコトル、クロアチアのス
プリトの古都の情景や感動の記憶は、鮮明ではない。
それがかえって、中世への想いを大きくしている。
中世は人と人の結びつきの強固な時代。この時代へ
の憧れは、IT社会の現代人が失いつつある“人との
結びつき”の想いに直結するのだ。何百年という間、
古都の文化を継承し、受けついできたもの。それが
些細な土産物であったにしろ、人との深いつながり
を感じることができたのだ。年を取り過ぎていない
今、実行して良かったと思っている。
だが、どの古都でも“すごいね”を連発していた
妻が、日本語で話したのは私とだけ。
「友達は一人も
できなかった」と、1
2
日間のクルーズを述懐した。一
瞬、人との結びつきがだんだんと希薄になっていく
であろう余生を思ったものだ。母もまた、江別から
東京郊外に移り住んで26
年、一人の友達もできなか
ったようだ。
1回目のクルーズでは「老いの現実」と「心配し
ないことも起こる」ことを実感し、そして中世の古
都へのクルーズでは「心配していたこと」も起こっ
た。だが2度目では「夢みる老後への愛着」も少し
強くなった。ささやかな日常でも、この実感はだん
だんと大きくなっていくに違いない。多分、それが
年を取るということなのだろうと思っている。
コトル(9日目)は人口2万人のモンテネグロの
街。コトル港周囲にある印象的な城壁はベネチア共
和国によって築城され、建物にも強い影響が残され
ている街という。湾はリアス式海岸の一部で、アド
リア海ではもっとも陸側に位置し、ヨーロッパ最南
部のフィヨルドと呼ばれている。この古都へはテン
ダーボートでの上陸。コトル周辺の石灰岩の張り出
した崖と建物とが調和している。これを地中海的な
景観というのだろう(写真4)。1
9
7
9
年に世界遺産
「自然と文化歴史」に登録。
スプリット(1
0
日目)はクロアチアの首都ザグレ
ブに次ぐ第二の都市。船は海岸と山麓の間の狭い海
路をゆっくりと進んでいく。スプリットには約19
万
人が住み、周辺の島々へのフェリーが多い。1
9
7
9
年
に世界文化遺産に登録。観光客も多い。
そしてベニスへの帰港。これも圧巻で、中世ロマ
ンに溢れるものであった。だがベニスに戻った時
は、感動よりも安堵したという気持ちが強かった。
クルーズ中、母の死が頭から離れなかったのだ。
クルーズの毎日:“ c
r
u
i
s
e
”には「あちこち立ち寄
りながら船旅をする」以外に「快適なペースで生活
する」という意味もあるようだ。ペースはともかく
船内での毎日は快適だが、多忙でもあった。私は早
朝6時から小一時間フィットネスクラブで汗を流
し、シャワー後に朝食、港々では観光に出かけると
いう毎日。船内新聞と放送以外には情報はないの
で、辞典が役に立った。2,
6
8
0
名の乗客中、日本人は
4
名(英米から約1
,
5
0
0
人、ヨーロッパ1
,
1
0
5
人、アフ
リカ4
8
人、アジア系約4
0
人)。中国系と思われる人た
ちは総じてよく目立つし、マナーもよくない。夕食
中はほかのテーブルでは大きな笑い声が絶えないの
で、夫婦二人の寂しいテーブルではと、妻にも気を
遣い、ほかの乗客を控えめに観察して楽しんだ。
寄港地では、1
0
から1
3
のオプション旅行が準備さ
れている。英語の説明なので十分でないが、海洋国
の古都の略奪と戦禍の歴史を少しは理解できた。過
去に不幸な戦禍を経験しているガイドは、歴史への
思い入れも愛国心も強いようだ。
船内では、最上階のローン・クラブにはゴルフや
ワイン、チーズのサービス。プールサイドには4
0
0
の
*:土肥修司:念願の地中海クルーズと老いの現実.日本
写真4 モンテネグロのコトル湾眼下には古都と現代の街
並みとが共存 湾内にはシルエット号
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病院会雑誌2
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;8
7
:7
7
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8
2
6
ない、どうにか折り合いをつけないと前に進めない。
その一つが、書くという行為なのでしょう。不幸で
悲しい出来事ではあるけれども物語にして共有する
ことで、書く側も読む側も、また前を向く力になる
のです」と述べられている[
朝日、
(インタビュー)新
・遠野物語]
。
社会学者の上野千鶴子氏が、ある新聞の人生相談
回答欄の中で「書くという行為は、何がしか自分の
人生にオトシマエをつけるためのもの」であると述
べていたが、やや物騒な言い回しにギョッとすると
ともに、なるほどと思った。国語辞典(旺文社、1
9
8
0
年)に「落とし前」とは「もめごとがまとまるため
の(謝罪するとか、金品で保証するとかの)条件・
処置」とある。すなわち、書くとは、
“(問題山積、悔
いの多かった)過去の人生”を“納得する、決着さ
せる”ための行為、ということになろうか。上記の
大震災被災地住民の「書く」という行為もまさにそ
うであるし、たとえその内容が過去の体験ではなく
純粋に創作的内容であったとしても、過ぎ来し人生
への“生きた証”として、やはり人生のオトシマエ
をつけるという意味を有するといえるのではなかろ
うか。
こんなことをとつおいつ考えているうちに、以前
新聞紙上で見た、
「アイデンティティー」
(自分が誰で
あるかの根拠となるもの)とは「自分が自分自身に
語って聞かせる物語」だと精神分析医 R.
D.
レインが
言っている、との鷲田清一氏(哲学者・大阪大学総
長、当時)の言葉を思い出した。だとすると、自分
自身の過去を記述する行為は、自らのアイデンティ
ティーを確認するための作業であり、さらにはこの
ような人間が存在したことをほかに向かって主張す
るという意味を持つことになるのではなかろうか。
より直接的に自分の存在を確認、主張することを意
図したものが「自分史」ということになるのだろう。
このように考えると、上記の「書くことによる、
自らの人生が肯定され前進する力が与えられる」メ
カニズムもすんなりと理解され、
「書くという行為は
自分の人生にオトシマエをつけること」という考え
方とも直につながっていることが理解される。
もうろくして死んでいくのが人間の自然な姿で、
そうありたいと願う人もいる。私自身は、ほうけて
訳が分からない状態で死んでいきたいとは思わな
い。いずれかの時点で自ら気づかずに病識を失って
いくということもありえようが、できれば最後まで
判断力と感性を残していたいと願っている。
「年を取
るのもまんざらではないな」ということの証左とし
ても、今後もその折々の出来事を書き写しながら余
生を楽しんでいきたい。
書くということ
札幌医科大学医師会
浦澤
正三
若いころは年を取ると記憶の減退がひどく、感情
の鈍麻も著しいものと思っていた。喜寿を迎える年
ごろになって、確かに記憶全般の減退は日々実感し
ているが、古い記憶に関して思い出そうと努めれば、
芋づる式に次々と細部がよみがえるということも何
度か経験している。さらに、過去の出来事にまつわ
る感情は確かに記憶の減退とともに薄れていくが、
辛く苦しいことに伴う感情に比べ、楽しいことへの
感情はより持続する傾向があるように思われ、苦し
かったこともセピア色に染まった何か懐かしい光景
として想起されるように思われる。若いころとの比
較は難しいが、身辺の出来事に対する喜怒哀楽も主
観的には極端に鈍麻しているとも思われない。
札幌医大を65
歳、藤女子大を70
歳で退職してから
は定職を持たず、気楽な毎日を送っている。以前は
自分の研究に関する論文の執筆を依頼されて、半ば
義務的に書いていたものだが、近ごろは過去の出来
事について頼まれもしない文章をまじめに書き、か
つ推敲している自分に驚いている。書くことの前提
となる「過去を想起する」という行為には、過去の
事象をたどり、いわば再体験するプロセスが含まれ、
これが脳を活性化する働きを有するのではないだろ
うか。
また、書くという行為はより積極的、前向きな意
味を持つ場合があるように思われる。高齢者の日常
は楽観的思考に努めている中にあっても、折に触れ
て心身ともにその限界を思い知らされる、穏やかな
らざる日々でもある。そのような折に、過去の人生
についての文章を書き記していると、前向きな気分
が戻ってくることに気付く。
「こんなこともあった。
自分の生涯まんざら捨てたものでもなかった」と、
自らの過去あるいは現在の人生が肯定的に認識さ
れ、心和み、空虚感が満たされ、動かしがたい現状
はそのままに、一歩前へ進む力が与えられるように
思われる。
さらに『アンネの日記』
『獄中記』などの例に見る
ように、書くということはどんなに身体的、精神的
に追い詰められた状況下でも可能である。東日本大
震災の被災地において、文芸評論家、東雅夫氏は
「震災怪談」と呼ぶ不思議な話が次々と生まれてい
るという。
「愛する家族が津波にのまれ、一瞬にして
会うことができなくなったという喪失感は、他人に
は計り知れないものがあります。深い悲しみ、悔や
みきれない思いを抱えたままでは、人は生きていけ
2
7
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いつか地域デビューを
戻ってきて感じたこと
札幌市医師会
札幌市清田区保健福祉部
舘
石狩医師会
はまなす医院
睦子
橋本
6月下旬に「会員のひろば」への原稿執筆のご依
頼をいただきました。日ごろから、北海道医師会の
皆さまにはご指導いただきありがとうございます。
平成元年から札幌市衛生行政に従事しています
が、4月の異動で清田区保健福祉部勤務になりまし
た。札幌市保健所勤務を経て、3年ぶりの区役所勤
務ですが、
「地域の人は忙しい」を実感しています。
地域における高齢者の見守り活動・巡回訪問、地域
子育て支援活動、災害時の要援護者支援体制の検討、
福祉サービスにつながっていない障がいを持った方
への支援、健康づくり活動、介護予防活動、交通安
全啓発、地域のお祭りなどの各種行事など、ある民
生委員・児童委員の方のスケジュール帳は、土日も
含めびっしり埋まっている状況でした。
活動されている方は、町内会・自治会役員、民生
委員・児童委員、地域福祉推進員、交通安全指導員、
健康づくりリーダーなど、お一人が複数の役を持た
れていることも少なくありません。むしろ、活動人
員の確保に苦労されておられ、いくつもの立場でフ
ル回転されている方が多いのが実状です。
地域の高齢化が進む一方、元気な方は定年延長や
技術の伝承などのために現役続行期間が長くなり、
地域活動の担い手を探すことに苦労しているという
お話を聞くことが多くなりました。
私自身の地元地域とのかかわりといえば、昨年度
持ち回りで単位町内会班長をやったこと(といって
も、ほとんど夫が担当)があるくらいで、向こう3
軒両隣の方のお顔がようやく分かる程度です。子ど
もが小中学生の際には、同学年の保護者や、少年団
・部活動の親の会など、顔なじみが多かったのと比
較すると、格段に知り合いが少なくなってしまいま
した。
子どもが成長し、私自身の自由時間が増えました。
町内会回覧などをじっくり見れば「○○祭りのお手
伝い募集」や「介護予防教室△△のボランティア募
集」などの記事もあり、地域から孤立しないよう、
そして地域に少しでもお役に立てるようプチデビ
ューをしてみようか、と思っている今日このごろで
す。
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学
2年ほど前に、大学院入学のため北海道に戻って
きた。大学卒業から十数年。成績不良・健康優良学
生だった私も、ベテランの先生から指導されつつも
若手に指導する中堅医師となっていた。学生のころ
には見えていなかったことも、医師として、また社
会人として、少しは見えるようになった気がする。
せっかくいただいた機会なので、こうしてこの2年
で気付いたことをつづらせていただく。
まず、帰ってきた北海道での第一印象は、パチン
コ店だらけ、だった。広い駐車場を持つ巨大なパチ
ンコ店が、非常によく目に付いた。
街全体の活気はというと、札幌駅南口周辺はとも
かく、全体としてはやや停滞ムードであり、何とな
く沈滞した街全体の雰囲気の中で、平日休日を問わ
ず若者が朝から列を作り、妙に活気づいているパチ
ンコ店には違和感を覚えた。北海道の景気はパチン
コ店に吸い上げられているのではないか、と思わず
考えてしまった。
もう一つ、タバコ臭い。
前述のパチンコ店の前を通ってもそうだが、道を
歩く人々で火の点いているタバコを持っている頻度
がとても高いことが気になった。愛煙家は一般的に
気にならない方が多いようだが、吸わない者にとっ
ては鼻につく臭いである。私はエキセントリックな
禁煙運動家ではないが、あまりにも無神経に公共の
場でタバコを吸うことに関しては疑問を感じる。首
都圏の幹線道路に程近い住宅に居たこともあり、北
海道では新鮮な空気を期待していたのだが、あまり
のタバコ臭さにガッカリした。そればかりではな
い。大きな有名病院の前でも「禁煙」と書かれてい
る張り紙の前で、患者さんとおぼしき人々が何の気
兼ねもなく喫煙しているのには唖然とした。以前勤
めていた癌専門病院では、禁煙指導に従わない患者
さんは治療拒否と見なされ、退院勧告までされてい
た。そこまでするのが良いのかどうかは分からない
が、健康診断の再検査で診察してくれたとても感じ
が良く優秀そうな循環器内科医ですら非常にタバコ
臭かったことをかんがみると、北海道の病院で禁煙
指導を徹底するのは無理なのかもしれない。
よく晴れた日に、窓をいっぱいに開けて車を走ら
せる。石狩の風は爽やかで心地よい。身近すぎる
と、素晴らしいものでも気付かないのかもしれない。
閉め切った車の中で、煙にまみれながら信号待ちを
する隣の車を見て思った。
2
8
ます。
② 釣趣に欠ける:
「ハヤのひとのし」といって最初
だけ引きますが、後は抵抗なくあっさり上がって
きてスリルに欠けます。釣り上げると「グエッ」
と鳴くのも嫌がられます。見た目も地味で雑魚の
扱いです。
③ 漁獲圧が低い:①②のため、狙って釣る人は少
数派です。食べるために持ち帰る人も少ないで
す。一方マス類は食味・釣趣も優れていて、絶え
ず狙われてしまいます。
④ 換金性がない:マグロやウナギなどは高価故に
漁師のターゲットになり、乱獲されて資源が減少
していますが、ウグイははっきり言ってお金には
なりません。
ウグイについて思うこと
上川北部医師会
名寄市立総合病院
山下
孝典
平成1
7
年度から名寄市立総合病院に勤めまして9
年目となります。
平成1
0
年(卒後5年目)に1年勤務した時にはの
んびりした体制で、朝早く起きて仕事前に川釣りに
行ったりしましたが、最近は年々忙しさも増して体
力の衰えもあり、あまり釣行に出かけられないのが
残念です。
当地は天塩川と名寄川の合流部で川釣りが盛ん
で、魚種としてはヤマメ・ニジマスなどマス類の人
気が高いのですが、実際に魚影が最も多いのはウグ
イ類(地方名:ハヤ、アカハラなど)です。マスに
比べてウグイはなぜ多いのか考えてみると以下の理
由が考えられます。
【人間側の要因】
① 食味が今一つ:小骨が多くておいしくない魚と
されています。本州の内陸部では昔から冬に寒バ
ヤと称して食する地域もありますが、北海道では
あまり好まれません。ただし、海から遡上したも
のを洗いや飯寿司にするとおいしいという人もい
【魚側の特性】
① 雑食性である:藻類・昆虫・魚卵・魚や獣の死
骸など、何でも食べます。
② 広く分布する:川の上流から河口・湖沼に加え、
一部降海もします。
③ 汚染に強い:他の魚が住めないような pH3とい
う強酸性の水域でも生存可能です。
④ 再生産性が高い:繁殖力が旺盛で、川のいたる
ところで多数の稚魚を見かけます。
人間にあまり評価されないが故に乱獲を免れてい
るウグイですが、豊かな自然環境がなくてはやはり
生きていけません。これからも当地の自然が守られ
ていくことを切に望んでおります。
ウグイ:i
l
l
us
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r
at
edbyDr
.Shi
geoTanaka(
1
9
1
1
)
佳加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加可
嘉
嘉
北海道医報ファイルについ
北海道医報ファイルについて
嘉
嘉
嘉 北海道医報本誌を1年分綴ることができるファイルを用意して
嘉
嘉
嘉
嘉 おります。
嘉
嘉 ご希望の方に無償にてお送りいたしますので、下記まで送付先な
嘉
嘉 らびに希望数をご連絡ください。
嘉
嘉
嘉
記
嘉
嘉
嘉
嘉
申込先:北海道医師会事業第一課
嘉
嘉
嘉
嘉
〒0
6
0
8
6
2
7 札幌市中央区大通西6丁目
嘉
嘉
TEL 0
1
1
2
3
1
7
6
6
1 FAX 0
1
1
2
5
2
3
2
3
3
嘉
嘉
Emai
li
[email protected]
doui
.
j
p
嘉
嘉
夏加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加加嫁
2
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