研修会を活かした よりよい作品創り を期待 長野会会長 髙橋貞夫 今年も前半が経過し、主要な事業で其々成果を挙げることができた。 第 52 回日本現代工芸美術展では、当会副会長の木下五郎先生が審査員を拝任、長期間の審査と 展覧会運営に貢献してくれた。出品者全員が入選を果たし、小林洋子の現代工芸賞、酒井昭子の本 会員賞、木下五郎先生の文部科学大臣賞の受賞は会員にとって大きな励みとなるものとなった。 これも個々の努力の賜物と敬意を表する。省みると数回の事前研修会での活発な相互研鑽を活か せた作家と、 未消化の作家の作品の差が大きかったと反省している。従前から、長野会では「研修会を事業の中軸に位置付け」 重視し、多様な素材と技術を駆使し、“ 今 ” を意識した作品創りをするため、自己主張の焦点を明確にする、積極的に他分 野を学ぶ、常に高みを目指す等を意識した研修を心がけ、結果発表としての本展出品、長野会展開催を行っている。 当会入会間もない作家が増えた為、第 52 回展終了後は、審査員による全作品のより丁寧な講評と指導を軸に研修会を実 施し、次いで秋の日展出品の図案研修会を開始した。厳しい指摘、新たな教示やヒント等、一歩前進のための研修内容をしっ かり受け止め、よりよい作品創りを目指し、各会員が次回作へ活かすよう更なる精進を期待する。また、研修会の内容も若 い力を活用して更に活性化し、充実させるつもりである。 第 33 回長野会展が、関係者の尽力で 6 月後半から愈々最終準備段階に入り、茅野市美術館の全面協力により 7 月上旬に 開催される。今回は第 52 回日本現代工芸美術展出品作と近作を 83 点展示する。当会が産声をあげた諏訪地域で久しぶり の開催となり、毎日の作品解説、子供体験講座「君もアーティストになろう」 、ギャラリートーク、ナイトミュージアム等 の企画実施と合わせ、現代工芸美術活動の楽しさを直接発信し、地域の期待に応えていきたい。 第52回日本現代工芸美術展 受賞 入選 おめでとうございます 第 52 回日本現代工芸美術展が 4 月 18 日 ( 木 ) ~ 23 日 ( 火 ) まで、 東京都美術館で開催されました。当会会員公募出品者全員が入選、 帯刀益夫さんが初入選を果たしました。また、当会副会長木下五郎先生 ( 審査員 ) 文部科学大臣賞、酒井昭子さん本会員賞、小林洋子 さん現代工芸賞を受賞され、当会総務長向山伊保江先生がシンポジウムのパネラーを務められました。 審査を終えて そして受賞に感謝 審査員 長野会副会長 木下五郎 10 年振り四度目の鑑審査に参加させて戴きました。 この 10 年日展の審査に係わらせて戴き、現代工芸展の審査はしばらく遠のいて居 ましたがさすがに年代も移り若い審査員達との歳の差を正直意識せざるを得ません でした。此の間、審査システムの精度も増強され、作品の面前では堂々とした発言 が飛び交い、それは新鮮で爽快感が躍動する中、自らを鼓舞し続けた緊張に満ちた 時間でした。 前回勤めました 42 回展と大きく変化したことは、当時 830 点の陳列数に対して 今展では減速して 657 点であった事です。如何に此の 10 年が社会・経済状況に変 化があった事が如実に表れているかを知らされました。当然私たちの制作環境も不 遇となった要因なのでしょう。しかし、驚いた事に応募作品群は何れも高い水準にあって、量的に精査されても現代工芸の 健全振りを観る思いでした。 長野会出品者も近年同志となった会員の創作に眼を見張る底力が感じられ、審査では高い評価を示していた事に、これか らの会活動に力強い自信と手応えを持たせて頂きました。選考の厳しい戦いの中、本会員賞と工芸賞を射止めた事は受賞者 の努力の結実であり、併せて会員応募者全員の入選は日頃の研鑽の賜で、大変嬉しい結果と成りました。反面、本会員出品 者の一部に元気さが見えず、ここ数年成果が現れて居ない状況は否めません。今後の在り方として、研修会は基より、個の 自己啓発を企て、従来の固定化や反復におもねづ、常日独創性ある方向を試み、表現の根底にある「魂をゆさぶる」精神性 や、理念・思想等を集結し、心に届く表現力を発揮しなくては成らないでしょう。表面的な技巧のみに頼っていては解決の 糸口は見つかりません。創造欲・制作欲・発表欲それらが三位一体と成って進化させる事が大切だとおもいます。私達は「も の造り」の前に「コンテンポラリー・アーチスト」で 在ることを忘れては為りません。 審査の任に当たり自も文部科学大臣賞の栄に浴しま したことは、長年ご指導頂きました会長の髙橋先生は じめ先輩諸先生方のご高庇と、会員の皆様のご厚情の 賜と心より深甚なる感謝を申し上げます。未だ路半ば にして見えない頂を目指して皆さんと共にゆっくり歩 んで参りたいと存じますので今後とも宜しくお願い申 し上げます。 今度の誉は只個人の栄に留まらず、長野会の発展途上に対して激励を戴いたものと認識し、今後更に会員一同切磋琢磨し、 気を引き締めまして邁進して参りましょう。ありがとうございました。 入選者の皆さん ( 会員・会友・一般 ) ■会 員 吉田 冴子 ( 染織 ) 芝野 静子 ( 七宝 ) 小林 洋子 ( 染織 ) 星野 英子 ( ガラス ) 古根 香 ( 染織 ) 浦野 真吾 ( 陶磁 ) 永澤 とき江 ( 七宝 ) 酒井 弘幸 ( 陶磁 ) ■会 友 小口 隆史 ( 複合材料 )) ■一 般 金子 繁三 ( 陶磁 ) 小林 道雄 ( 陶磁 ) 岩崎 和子 ( 陶磁 ) 加納 義晴 ( 木 ) 塩澤 正信 ( 組子 ) 竹内 義浩 ( 漆 ) 中村 美須寿 ( 染織 ) 政所 新二 ( 木 ) 宮島 覚 ( 木 ) 帯刀 益夫 ( 陶磁 )( 初 ) 思いがけない本会員賞 酒井昭子 ( 革 ) 第 52 回現代工芸展におきまして、身に余る賞を賜りまして光栄に存じます。 この重みある賞を戴くことが出来ましたのも、会長の髙橋貞夫先生と副会長の木下五郎先生 の大変なご高配を賜りましたことと、深く感謝申し上げます。また、日頃ご指導いただいて おります諸先生方や会員の皆様のおかげと、心より御礼申し上げます。 私がここまで来られましたのも、木下五郎先生にお声を掛けていただき長野会に入会出来 ましたことが、工芸への道が開けたことです。人の縁・目に見えない不思議な力・私に関わっ てくださった多くの方々に支えられ、そして長野会に育てていただきましたこと、大変有り 難いことだと感謝するばかりでございます。 今後の作品に重責を感じながらも、一作ごと精一杯の力を出すことを目標として、心掛け て行きたいと思います。今後ともどうぞ変わらぬご指導と励ましを賜りますようお願い申し 上げます。 現代工芸賞を受賞して 小林洋子 ( 染織 ) この度、第 52 回現代工芸展におきまして現代工芸賞を、賜りましたこと、誠に有難うござ います。 40 年来染色に携わってまいりましたが、受賞のお知らせを頂いた時は、修業中の色々な事 などが脳裏を巡り「続けて良かった!こんなに嬉しいご褒美を頂けることが出来て」と、感激 でいっぱいでございました。授賞式の際、壇上において大樋理事長より金色のレイを掛けて頂 いた際には「これ、夢かしら?」と、思う程でした。 審査にあたられた副会長の木下五郎先生には大変お世話になりました。また御尽力頂いた会 長の髙橋先生、諸先生方、会員の皆様のお陰と、深く感謝申し上げます。 この賞を励みに精進してまいりたいと存じます。どうぞご指導ご鞭撻を賜ります様、宜しく お願い申し上げます。 手で思索する 帯刀益夫 ( 陶磁 ) この度、髙橋貞夫会長のお勧めもあって、今年の現代工芸美術展に出品し、光栄にも入選させていただき、長野会にも入会 させていただきました。 よろしくお願いします。 私は東北大学に勤務している間に、相沢正樹先生の工房で陶芸を習い始め、退職後は池田町で作陶を楽しんできています。 私にとっての陶芸は、それまでの科学研究での実験が「真理の追求」であったのを、「美の追求」に変えただけだという認識で あり、職業的でないゆえに、作陶での試行錯誤を「実験」として楽しんできました。 これまでも伝統工芸展や現代工芸美術展を鑑賞者として何度も見てきましたが、展 覧会場に自分の作品が並べられているのを見ると、大きな「迷い」を感じました。ま ず、私にとって「 「観られる」ための作品を作る必要があるのか、自己満足であって も自身の美意識を好きに求める方が良いのではないか」という迷いです。もう一つは、 「「現代工芸」が何を目指すものなのか理解していないのに、その中に自分の作品が置 かれてよいのか」という迷いです。 最近、豊科近代美術館で高田博厚の彫刻を見る機会がありました。彼は、ロマン・ ロランと親交を深め、彼の顔の彫像の作製を許可されたとき、デッサンもせずに直ち に粘土で制作を始めたのですが、ロランはそれを見て、「タカタは手で思索する」と 表現したということです。ロランの彫像を見ると、その内面性がよく表現されていま す。私は退職後、 「人間の進化」について「われわれはどこから来たのか、われわれ は何者か、われわれはどこへ行くのか」をハヤカワ新書として出版し、現在その続き を執筆中ですが、人類が他のサルと大きく違う進化を遂げた理由として、言語の発明 と道具の使用が大きく貢献したと言われています。原始人類の最初の石器は石を叩き つけて偶然に出来たものですが、そのうち意図的に鋭利な刃物としての石器を作るようになります。この意図的な道具作製時 の脳の活動は、言語の脳の活動とオーバーラップするらしいことが分かってきました。つまり、人類進化の上で、工芸は手と 思索を結びつける大きな貢献をしてきたことになりますし、 「手で思索する」というロランの表現は、制作の上から奥深い意味 があります。 70 歳を迎える私は、これから「手で思索する」ことを目標に、長野会の皆さんのご教示を賜りながら、私の「迷い」を少な くしてゆきたいと思っています。 第 52 回日本現代工芸美術展 -特別シンポジウムのパネラーとして- 向山伊保江 ( 七宝 ) 日本現代工芸美術展 50 周年の節目に始まった特別シンポジウムですが、今 年も展覧会会期中に開催され、私もパネラーとして参加させていただきました。 今年は山岸大成先生をコーディネーターとし、地方会の 40、50 代の本会員 である友定聖雄氏、増田守世氏、十二町薫氏、そして私の 4 名がパネラーとな り「工芸家の言葉」-自己の感性と素材について- 語ることとなりました。当 初、私自身はパネラーとして参加するに当たり大変戸惑いがありましたが、初 出品から 30 年、生活環境が変わる中制作活動をしてきた女性の一人として、 等身大のままで参加させていただくことに致しました。 はじめに地域、制作環境、種別が異なる 4 名のパネラーが経験に基づき、それぞれの視点 から意見を述べ合いました。日本現代工芸美術展も半世紀を迎え、シンポジウムの内容も自 ずと「現代工芸のこれから」という方向に向き、それに関し会員はもとより一般参加の方々 からも直接的なご意見や具体的なご提案をいただきました。 シンポジウムを終えてみますと、私自身、言葉が足りないこともありましたが、何より「現 代工芸」について改めて考える時間をいただいたことに気がつきました。もちろん簡単に結論が出るテーマではありませんが、 こうした機会にもう一度現代工芸を考えさせていただいたこと、大変ありがたく思っております。 今後もシンポジウムのような企画を通じ、多くの作家の言葉をお聞きできればと思っております。 またまたロマン薫る・・・今回は、諏訪 記:長野会 海川盛利 前回の安曇野に続いて、またも勝手な諏訪のお話をさせていただきます。単に諏訪と申し ましたが、諏訪湖を中心とした一円から八ヶ岳山麓あたりのお話です。 諏訪は長野県のほぼ中央に位置し、私たち長野会の研究会などもここで開くことが多いの です。なにしろ長野県は広いし山国なので、県内一円から集まるのはたいへんです(諏訪の 人は「ごしたい」と言うようです) 。 諏訪といえば、やはり「御柱祭」 。これを語らずして何を語るかでしょう。 天下の奇祭といわれるだけあって、まったく変な祭です(諏訪の皆さん、すみません)。 何しろあのデカイ丸太棒を寄ってたかって山から神社まで引っ張っていくのですから。しか も坂の上から滑り落とすわ、川を渡すわ(いっしょに泳いで渡す!)、ほとんど毎回死傷者が 出るという、まったくクレイジーな話です。しかし、諏訪の人々は燃えるのです。数えで 7 年ごと―寅と申の年に行われるこの祭を語らずして諏訪は語れません。 諏訪大社は諏訪湖周辺に 4 つの社があり、全国の諏訪神社総本社です。日本中に 1 万余の 諏訪神社がありますが、どうしてこんなにあるのかと不思議に思っていたのですが、古くは 軍神として崇拝されており、名将たちが全国各地に分霊を持ち帰ったためだそうです。です から御柱祭も日本中あちこちで行われています。祭神は建御名方神(タケミナカタ) 。出雲の大国主神(オオクニヌシ)の子 どもです。ちなみに母親は越の国(新潟)の奴奈川姫(ヌナガワヒメ)です。 古事記によると、ニニギノミコトの降臨に先立ち、タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りを迫りました。これに反対したタ ケミナカタはタケミカヅチに相撲を挑みましたが負けてしまい(相撲のルーツがここにあります。○○海とか○○山という四 股名が多いですが、海の神と山の神なんですね) 、諏訪の地まで逃れました。そして、ここから出ないことを誓って許されました。 御柱祭では、山から切り出した樅の木を各お宮に 4 本ずつ計 16 本曳行されます。4 本の柱は境内の四方に立てられます(建 御柱―たておんばしら 長野オリンピック開会式にも行われましたが、覚えていますか) 。タケミナカタは諏訪の地から出な いことを誓いましたが、そのとき結界として神社の四隅を仕切ったという話があります。そういえば地鎮祭ってやりますよね、 あれです。あのでっかいのなんですね。 もうひとつお話しすると、この御柱祭の前の年、新潟県境の小谷村で「薙鎌(なぎがま)打ちの神事」が行われます。その お宮があるところが戸土(とど)という地で、新潟県に出てからもう一度長野県に入り直して、さらに山奥のそのまた奥へ入っ ていきます。道はこの戸土で行き止まりになります。つまり「とどのつまり」です。この地は、海のない長野県にあって唯一 海が望めるところです。そう、タケミナカタの母ヌナガワヒメの生まれた地が見える場所なのです。諏訪の神は、母への想い をこのような神事に込めたのでしょうか。 ところで、「みすずかる信濃の国は~」といいますが、 「みすずかる」は信濃の枕詞です。 「すず」はスズタケのことで、信 濃はタケやササが生い茂った未開の山国だったのです。その開拓のためにすずを刈り払ったのが薙鎌です。諏訪明神の神器の ひとつで信濃の開拓の象徴なのです。 「信濃路は今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に足踏ましむな 沓(くつ)はけ わが背」――(万葉集 東歌のひとつ) 本当は水薦刈(みこもかる)を水篶刈(みすずかる)と誤読したらしいのですが、意味はともかく「みすずかる」の言葉の 響きは信州にとてもよく似合いますね。諏訪大社は日本最古と もいえる古い神社ですから、古代の信濃の様子も伝えているの ですね。 さて、諏訪を語るのに、もうひとつ忘れてはならないのが「諏 訪湖」です。 信州には「塩の道」というものがあり、日本海から塩を運び 諏訪大社上社本宮 ました。新潟県糸魚川から安曇野を南下し、松本を経て塩尻に 至ります(まさに塩の尻) 。そして塩尻峠を越えると眼下に広がるのが 諏訪湖です。日本のド真ん中にあるこのでかい水たまり(ごめんなさい) は信州一大きな湖で、天竜川の源となっています。冬はワカサギ、特に 夏の諏訪湖は花火一色です。 諏訪湖周辺の一帯は雪は少ないのですが、たいへん冷え込む土地です。 諏訪湖は真冬に全面結氷して、さらに冷え込むと、氷が裂けて亀裂が走 り山のように迫り上がる現象が見られます。「御神渡(おみわたり) 」です。 平安期の山家集に―「春を待つ 諏訪のわたりも あるものを いつ を限に すべきつららぞ」とあり、すでにその時代からその呼称があっ たようです。御神渡は上社の男神が下社の女神の元へ通う恋の路といわ 御柱祭 下社木落 れます。 誰がそんなロマンチックな物語を考えたのでしょう。昔の人はすごいですね。星空を眺めて星座を思いつくなんてこともす ごいなと思います。そういえば、 雪形(ゆきがた)というものもあります。山の雪解けの形が蝶だったり、獅子だったり、 鶴だっ たりします。いつも忙しがっている現代人にはとても思いつきませんね。 そう、私たちは一度立ち止まって、じっくりと自然と向き合うことが必要なのではないでしょうか。現代人は自然に対する 畏怖を忘れてしまいました。人間には自然すら思い通りにできるという思い上がった考えがいろんな問題(原発事故とか)を 起こしていると思います。そういえば工芸という仕事もそのルーツは自然界からいただいた素材です。ついでに言うなら諏訪 大社には本殿がありません!山であるとか森であるとか自然そのものがご神体なのです! さて、諏訪湖周辺を歩いてみますと、いろいろな美術館があります。日本のふるさとをテーマに 描く諏訪市出身の原田泰治氏の作品を収蔵した「諏訪市原田泰冶美術館」。エミール・ガレをはじ めとしたアール・ヌーヴォーからアール・デコにかけての優美なガラス工芸品を収蔵する「北澤美 術館」 。本阿弥光悦「白楽茶碗 銘 不二山」(国宝)など重要文化財・重要美術品を収蔵する「サン リツ服部美術館」などなど。また、我が長野会の祖であります小口正二先生の作品は諏訪市美術館 に収蔵されています。さらに八ヶ岳山麓まで足を延ばすと、八ヶ岳美術館など様々な美術館や博物 館が点在しています。また、茅野市の尖石縄文考古館へ行くと「縄文のヴィーナス(国宝の土偶)」 に会えます。 このようにたっぷりと美術散策を楽しむことができます。縄文のヴィーナスが登場しましたが、 霧ヶ峰や和田峠あたりは縄文最大・世界最古の黒曜石産地でした。古代には黒曜石、近代は蚕糸、 次いで精密工業。世界のセイコー・エプソンにつながります。信州の産業・文化をリードしてきた のがこの諏訪の地といってよいでしょう。栄えた産業により蓄えられた潤沢な財力が文化を後押し してきました。これからはこうして築かれた文化の礎に立ち、あらためて信州をリードしていく地 縄文のヴィーナス になることが期待されます。 いかがですか神話の時代にまで遡る歴史をもつ諏訪。たぶん地元の皆さんに言わせると、 「まだまだ大事なことが語り尽く せていないぞ」とおしかりを受けるかもしれませんが、私にとっては、現代工芸がなければこれほどこの地を知ることはあり ませんでした。この地から学ばせていただいた恩返しとして、私たちは次代の文化の担い手になるべく、ますます身を引き締 めて創作活動に取り組んでいきたいものです。 次回は南の信州―伊那谷あたりをお話ししようと思います。 ◇ 展覧会・個展報告 ◇ 第 44 回日展 工芸美術 長野県入選者展 2012 年 12 月 18 日 ( 火 ) ~ 2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 主催:安曇野髙橋節郎記念美術館 共催:第 44 回日展工芸美術長野県 入選者展実行委員会 伊藤彰敏 陶芸展 1 月 11 日 ( 金 ) ~ 4 月 8 日 ( 月 ) 主催:茅野市美術館 ( 信濃美術をみつめる ) 3 月 16 日には、“ 作家によるギャラリートーク ” が行われ、大勢の方が聴講されました 安曇野凛風 高木初見 作陶展 2 月 9 日 ( 土 ) ~ 24 日 ( 日 ) 安曇野髙橋節郎記念美術館南の蔵 陶芸を始めて間もない頃から現在までの作品 を展示 髙橋貞夫会長 工房 「木匠安曇野」 訪問 菜の花が咲き乱れる暖かな春の日に長野会会長髙橋貞夫先生 の工房へ広報正副委員長(松田、酒井)私浦野、三人でお伺い しました。 信濃大町駅前の道路に面した商店街の中に、木匠安曇野 ( 木 彫と彫彩展示館 ) がありました。木芸家にふさわしい風格ある 佇まいです。 ギャラリーには、これまで制作された作品や小品が数多く展 示され、「大町へようこそ」と、この地の気候、自然、その心の 在り方が語りかけてくれる様な、安らぎの空間を感じました。 奥に進むと工房があり、足を踏み入れると一変厳粛な雰囲気 になり、身の引き締まる思いでした。諸道具は整然と保管され、塵一つない工房から見える中庭が 緊張感を和らげてくれ、髙橋会長の厳しくも温かい人柄が溢れる工房でした。 「木」という素材に魅せられ、彫彩技法を確立された木彫作家髙橋貞夫、「昨日の己に今日は勝つ」 精神で今日まで長野会を牽引されてきた会長の言葉一つ一つが胸に響く工房訪問でした。 記:浦野真吾 天井の高い吹き抜け 思いを・・・かたちにする のギャラリーに飾ら れている作品の数々 会報ながの№ 44 平成 25 年 7 月 ■発行 現代工芸美術家協会長野会 ■編集 現代工芸美術家協会長野会広報委員会
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