Title 日本語と中国語の名詞句構造について : 「V(する)Nがある 」と“有NV”を通しての語用論的考察 Author(s) 橋本, 永貢子 Citation [岐阜大学教養部研究報告] no.[30] p.[273]-[283] Issue Date 1994-05 Rights Version 岐阜大学教養部 (The Faculty of General Education Gifu University) URL http://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/123456789/3927 ※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。 岐阜大学教養部研究報告第30号 ( 1994) 273 LV 日本語 と 中国語の名詞句構造 につ `・て - 「V ( する) N がある」 ど 橋 有 NV 本 を通 しての語用論的考察- 永貢子 中国語研究室 ( 1994年 2 月10日受理) A Pragmatic Study of N olin Phrases in J apanese and ChiIT lese Ekuko H A SHI M OTO レ 0 . は じ め に どの言語か ら どの言語への翻訳で あっ て も, 文法的な規則 に従 っ て単語 を配置すれば常 に 完全 な文が得 られる と い う わけで はない。 文法的には間違っ てい ない場合で も, 翻訳さ れた 側の言語の言語習慣 に合致 してい る と い う 意味において, 完全 な, 正 しい 文で はな い こ と も ある。 こ のこ と について は, 久 し く , 意味論的観点か ら 一 例 えば単語の範躊の不一致 であ る, 或いは慣用的な表現の問題であ る な どー の記述がな さ れてい る。 しか し, そ う し た記述 と い う のは√断片的で逐一辞書に載せでい く よ う な, 一般化 にはほど遠い ものにな ら ざる を得ない。 それに対 し, 近年, 木村 ( 1990) のよう な語用論の立場や, 中川 ( 1992) の よ う な類型論の立場か らの一般化が試み ら れて い る。 竹島 (橋本) ( 1993) もそ う した流れを受けて, よ り一般的な考察を試みた もので あ る 。 具体的には 「VP ( する) N,がある/ ない」 に対応す る 中国語 没有 VP 的 N 有/ 没有 NVP 。ど 有/ の相違 を, 可能性や必然性 な どのモ ダ リ テ ィ ーの有無 と い う視点から論 じた。 そ こ で対象 と したのは修飾語 VP と 中心名詞 N が 「外の関係」 にあ る , つ ま り VP が N の 内容 を補充説明す る よ う な関係 にある も ので あ っ た。 本稿 で は, 更 にN と VP の V が潜在 的な格関係を持つ 「内の関係」 にある もの, 特に 「着る服がある/ ない」 のよ う な 「V ( す る) N がある/ ない」 に対応する 有/ 没有 NV ど 有/ 没有 V 的 N の意味 と機能に つい て考える。 更にこれ ら を 日中両言語 における一般的な名詞句構造の枠組みの中で と らえ, その両者の差異 ・ ズ レを語用論的観点か ら解釈 し てみたい。 1. 有 V 的 N″ の対比性 ま ず, 本稿 で考察の対象 と す る のぱ 有 NV ど し ¥ 有 V 的 N , つ ま り竹 島 ( 橋 本 ) ( 1993) での VP部が V のみで, 且つ N がその V の潜在的な 目的語 にな っ て い る もので あ 橋 274 本 永 貢 子 る。 1-a) 2-a) 着る服がある 行 く と こ ろがない 1-b) 有衣服穿 1-C) 有穿的衣服 2-b) 没有地方去 2-c) 没有去的地方 b) と c) の対立は, 「外の関係」 にある る 。 1-b) 2-b) に は , 有 NVP ど 有 VP 的 N における対立 と は異な 如 果 弥 有 机 会 来 日本 , 一 定 到 我 家 来 玩 几 口 巴。 の下 線 部 にお け る よ う な可能性 , あ る い は必然性な どのモ ダ リ テ ィ が認め られないか らで あ る1)。 統語論的規則に従えば, a) の日本語から得 られるのぱ 有 V 的 N であるが, 比較的, 意味のズ レが少 ないのは, む し ろ 有 NV タ イ プで あ る。 ¥ 3) 退職 してする こ と もないので, 家でぶ らぶら している。 3) 退休以后, 也没事干, 在家固着。 4) 着る服 もない し, 明日のパーテ ィ には行 きた く ない。 4) 没有衣服穿, 我不想参加明天的聚会。 5) 那些光身子梢在草坪上的人, 悦不定就是没有衣服穿1 1巴! ( 陳) ( あの裸で芝生に寝そべっ ている人は, も しかする と着る服がないんだろ う 。) 6) 弥去邨几 ? 我同呉迪。 反正我有地方去。 ( 一) ( 「どこ に行 く んだ ?」 私は呉迪に聞いた。 「どのみち行 く と こ ろ はあるわ。」) 下線部分 を 有 V 的 N に置き換える と, ニ ュ ア ンスが多少異なる 。 つ ま り 「着 る服 はな いが ( 売 る服はある)」 とか 「行 く と こ ろ はあ るが ( 泊まる と こ ろ はない) 」 といっ た対比性 が出て く る。 確かに次のよ う に対比的に言 う 場合には, 有V 的N れ以外 で はあ ま り見かけない。 7) タ イ プが現れるが, そ I 吃的菜, 肉, 油, 穿的棉衣, 毛衣, 桂株, 住的窃洞, 房屋……差不多一切都可以自 己造, 自己亦。 ( 茫 ( 1991) よ り借用) (食べる野菜や肉, 油, 着る綿入れやセータ ー, 靴に靴下, 住む洞穴や家屋…ほと ん どすべてのものは自分たちで作 る こ とがで きる。) もち ろ ん√N の修飾部が V だけで な く 何 らかの成分がつい た も のは, ご う し た対比 的な コ ンテ ク ス ト は必ず し も必要で はない。 8) 我不能相信他悦的活。 ( 彼の言 う こ と は信 じ られない。) 9) 迫是容易解決的同題。 ( これは簡単に解決する問題です。) こ う し た対比的なニ ュ ア ンスが顕示 さ れない場合 と顕示 さ れる場合の違い はどこ か ら来るの であろ う か。 二 上 一般に中国語の連体修飾語 ( 定活 ) は, その文法的意味が限定性の もの と 描写性の も のに大別 さ れる。 時間 ・場所 ・所属な どを表す連体修飾語は限定的な意味を持ちやす く √性 質 ・状態 ・材料 な どを表す連体修飾語は描写的な意味を持ちやすい。 また同 じ語句で もその 現れる位置によっ て, 限定性になっ た り描写性 になっ た りする。 10) 穿虹衣服的那位姑娘是小李的妹妹。 ( 限定性) ( 赤い服のあの女の子は李 さ んの妹です。) 日本語 と 中国語の名詞句構造について 11) 迫吋, 対面走来了一位穿虹衣服的姑娘。 275 ( 描写性) に の時, 正面から一人の赤い服 を着た女の子が歩いて来た。) しか し, こ れは, 語順である どかス ト レスの強弱 とかによ り, 或いはその名詞句が置かれ た コ ン テク ス ト によ り, 他の ものと 区別す る機能が強 く なった り , あるいはその区別機能が 弱まっ て, た だ中心名詞が 「どのよ う で あるか」 を示す描写機能が強まっ た りす る と考える べ きで あろ う 。 ある修飾語が本来的に限定性である, 又は描写性 である, と い う もので はな い。 限定性で あ ろ う が描写性であろ う が, 連体修飾語は, それに よっ て, 同 じ カ テ ゴ リ ーに ある他の事物 と 区別で きる よ う な属性 を示す ものである。 中心名詞が指す と こ ろ の事物 を更 に下位分類す る よ う な特徴付け と な る も ので ある。 例えば, 次の例 を比較 して見てみ よ う 。 12) 他養了一条狗我要夭。 13) 他養了一条我要哭的狗。 Li ( 1981) は13) の下線部を apreestablishedclassof suchitems である と い う 。 つ ま り話 し手 も聞 き手 もその事物がこ れこ れの性質 ・特徴 を持っ て いる こ と を仮定 してい る, あるいは当然知っ ている よ う なその事態 ・ 性質を表 しているとい う。 12) はある人が犬を飼っ ていて その犬 をた また ま話 し手が買いた い と思っ てい る場合に用 い ら れる発話である。 一方, 13) は, 話 し手がある種の犬を買いたい と思っ ている こ と を, 話 し手 も聞き手 も知っていて, その話 し手が買いたい と思っ ている種類 の犬 を彼が飼っ ている , そ う い う 場合に用い られる 発話 で ある。 12) の 我要夭 は犬 につ いて の叙述にす ぎないが , 13) の 我要夭 は話 し手の指す犬がどれであるか, 聞き手がわかる よ う に作用する こ と を期待 してな される特徴 付 けで ある。 そ れが描写性で あ るか, 限定性で あ るかは, コ ンテ ク ス ト に よ る。 と こ ろで, 木村 ( 1983) が指摘する よ う に, 前天 ‥ 那吋候 な どの已然を表す語句 も, 的 要 を含んだ名詞句で は, 明天 了 卜 や 着 な どの非已然 を表す語句 も無い 場合 ( アスペ ク ト的にunmarkedの時) , 修飾語部分を已然に解釈する傾向がある。 14) 他夭的令是 《儒林外史》 。 (a. 彼が買う本は 〈儒林外史》 だ。 b. 彼が買っ た本 は 《儒林外史》 だ。) 15) 弥{「1蓋的房子是木鈷杓児, 述是俐筋水泥児 ? (a. あなたたちが建てる家は木造ですかそれと もコ ンク リー ト製ですか。 b。 あなたたちが建てた家は木造ですかそれと もコ ンク リ ー ト製ですか。) 未然 を示唆す る コ ンテ ク ス トが特になければ, bのよ う に已然で解釈す る可能性はかな り高 い。 この現象 も また, 修飾語 とい う ものが中心名詞の指すある カ テ ゴ リ ーにある特定の事物 を同 じ カテ ゴ リ ーにある他の事物 と 区別す る よ う に働 く こ との現れで ある と考える。 それは, 修飾語の表す事態が已然であれば。 未然の事態 と違い, 実際に確認で きる と い う 点で, 属性 と し て よ り鮮明で あ るか らで ある。 他 と 区別す るのによ り有効 な特徴付 け と な り得 るか らで ある。 し ▽ > 犬 つ ま り, すべて名詞の前にある修飾語 は多少な り と も中心名詞の指すある事物を他のその 事物 と区別す る働 きがあるのだ。 純粋 に描写性の機能 しか持 たない と い う 修飾語は存在 せず , コ ンテ ク ス ト によって 限定性の機能が意識 さ れない, 表面化 さ れない にす ぎない。 さ て, 以上の よ う に考 えて く れば, 穿的衣服 の対比性につ いて説明がつ くご で あ ろダ う。 276 橋 本 永 ・貢 子 も と も と修飾語 には区別 ・ 限定機能があ り, すべて 中心名詞の指すあ る カ テ ゴ リ ーの中で下 位分類 さ れた他の事物 と 区別す る よ う に対比的に, その特徴, 属性 を述べるのである。 ただ し 8) 我悦的活 ていて, 相対的に, や 9) 容易解決的同題 悦 ‥ 解決 は, いさ さ かな り と も修飾部の要素が多 く な っ の対比性が緩和 さ れる。 また, 10) 11) の下線部が↓そ れぞれ限定性, 描写性 にな る こ と か ら, 左側の修飾語ほど, 対比性が強い と い う こ と がいえ る。 つ ま り, 対比の重心は後ろ にあ る に置かれる。 そのため 悦 解決 悦 解決 よ り, む し ろ前 にある には修飾語の要素が 穿 ( 的衣服 ) ほどの対比性 は意識 さ れない2)。 逆 に 穿的衣服 我 容易 だ けで あ る場合 は, 修飾部が短いがために, 他悦 的活 よ り対比性が強調 さ れる ので あ る 。 従っ て , そ う した強い対比性が認め られない 1-a) 「着る服がない」 ある」 に対応す る 中国語 と して, 一般的な統語規則 にのっ と っ だ 2-a) 「す る こ と が 有V的N は, 妥当で ない よ う である。 2. 有 NV″ の抽象性 と こ ろ で , 「着る服がある」 「す る こ とがない」 の下線部が中心名詞 を下位分類 させる よ う - に働かないな らば, で は一体, 修飾語 と して どのよ う な働 きを持っ ているのだろ う か。 対応 す る と 思われる 中国語か ら考えてみる。 14) 犬 我管銭的活, 到月底要没懐吃的。 ( 井) (私に財布の紐を握 らせた ら, 月末には食べる ものがな く なるで し ょ う ) 14) *我管銭的活, 到月底没懐的。 15) 都一点了, 食堂没有包了。 15) *都一点了。 食堂没有懐吃了。 ( も う 2時だ, 食堂にご飯は無い よ) 16) 以前称不悦活, 是不会況, 没活悦。 ( 陳) (以前, 君が話を しなかっ たのは, う ま く 話せなかっ たからだ し, 話す こ と も無 かっ たか らだ) 16 17 *以前弥不悦活, 是不会況, 没活。 糟樵, 下起雨来了, 我没有傘。 ( し まっ た, 雨が降っ て きたけれど, 傘を持っ ていない) 17) *糟樵, 下起雨来了, 我没有傘打。 具体的な事物 を指 して言 う と きに 有 NV はな じ まない よ う である。 そ し て , 表 し得ない よ う な抽象的な ( ? ) 意味合いの場面で 有 NV 有N が は現れる。 抽象的 と いえば, 中国語の名詞は本来が抽象的な, 物質名詞的な性格 を もつ と言われる。 例えば中国語の 警察 は裸で使 う 場合は, あ く まで も総称 と し て , あ る い は職業 ・ 身分 を言 う だ けで ある。 日本語の 「警察が調ぺに来た よ」 と い う よ う な, 現実世界に同定す る事 物が存在す る場合 にぱ 一令 を付 けなければな ら ない3)。 しか し, 有 NV の抽象性はレ こ犬 う し た 中国語の名詞本来の もの と は違 う 。 やは り, N の後の V の付加 に よ っ て生み出さ れるので あろ う 。 ・。- -・- 。 そ こ で , N に対する V の働 き ・ 意味関係 を見てみる。 。■ 日本語 と中国語の名詞句構造について 18) 辛老帰現在弥高升了, 出月有革坐, 倣了什公官 ? 277 ( 陳) (辛先生, 偉 く な られたんですね, 外出する にも乗る車があるんですか ら, 何にな ら れたんですか。) 19) 市場上没有大白菜次。 (市場 に売 り物の白菜が無い) V は N の後ろ に位置 してい るのである か ら, 1で論 じた よ う に, 同 じ カ テ ゴ リ ーにある他 の事物 と区別する作用がある わけではない。 しか し, イ ンフ ォーマ ン ト に よれば, 18) 19) の 坐 矣 を付けないで言 う と, 何のための車か分からない, 漠然 と して し ま う , やは り 矣 を付けたほう が 自然である と い う 。 そ う する と , 考 え ら れる のは, 「何 のた 坐 め」 といっ て も 18) 19) においては, 同 じカ テ ゴ リ ーの中で初めから区分けを して し ま う よ う な属性 を表すので はな く , 今後 どのよ う に活用す るか, そ の 用途 を示す働 き を し て いる ので はないだろ う か, と い う こ とで ある。 こ れは, N を更に下位分類 させる特徴付 けに はな らず, 言っ てみれば後天的な, 一時的な機能 と い う 意味で の 用途 で あ る 。 18) に つい て言えば, 車 と い う ものを は じめか ら 「乗 る」 専用の車, 運転す る車ではな く て乗る車, とい う ふ う に機能を限定す るので はな く , 「乗 る こ と に もつかえる車」 と い う ぐ ら いの意味 にな る と考え る。 こ う した考え方は, 1で紹介 した Li ( 1981) の主張 と抵触 しない。 再び例文を挙げて, そ の主張を確認 してお こ う 。 20) 我買了一件太大的衣服。 - 21) 我買了一件衣服太大。 ■ ・ どち ら も買っ た服が大 きす ぎる こ と を言っ ているのだが, 20) は大 きす ぎる こ と を知っ てい て買 っ た と き に言う のがふさ わ しい。 一方21) は, 買っ た後で大 きす ぎた こ と に気が付いた 場合 に用いるのがふさ わ しい。 つ ま り20) の 衣服 類 さ れていて, 太大 ぱ 太大 と い う 属性 で服が下位分 の範躊 に入 る服のみ指 し てい る。 21) の方ぱ 衣服 テ ゴ リ ーにあて はまるある物 を指 してい るだけで, 太大 は服 と い う カ はそれについて叙述 し て い る。 21) の 衣服 が指す ものは決 して大 きす ぎる服で はな く て , 単 に服 と 呼べ る あ るモ ノ な のだ。 そ しで 太大 はこ の一枚の 衣服 後天的 ・ 二次的な特徴 ・ 性質を表す4)。 18) 19) の 坐 大 白菜 矣 は動詞述語であ りに特徴 ・性質と は言いに く いが, どころで, 18) 19) のよ う な 矣 ¥ しか じ 革 を下位分類 し ない と い う 点で は, 同様で あ る。 属性 と はな り得 な い二次 的な働 き 方をする, そ う いう 意味で, やは り や を他 と 区別する よ う 働 く 属性 と はな り え な い, 用途 有 NV を示 し ている と考え られる。 は, 抽象的な意味合いがそれほど強 く ない。 坐 を取っ て も, 多少物足 り ない感はあるが, 全 く 不適切 と は言 え ない よ う なやや具 体性 のある ものである。 14) ~ 17) にお けるほどの差はない。 抽象的な意味合いが強 く 感 じ られ るのは, 次のよ う な もので ある。 22) 有懐吃, 有地方去, 有事干, 有衣服穿, 有栽看レ有田神, 有活悦…… 一 目瞭然で あるが, V は N と動 目関係 にな り得 る動詞の中で最 も基本 的な , 最 も典型的 な動詞である。 また, N 自身 も比較的抽象度が高い, V に と っ てその行為の対象 と して最 も 総称 的, 抽象的な もの, 同源賓語 とい える ものである。 18) 19) と 同様, はな いから, V はN を下位分類す る働 き方はせず, やは り 後天的 V 的N で な用途で あ る 。 しか 27( ▽ l 橋 本 永 貢 子 し 22) に現れる V は N を対象 と しで行われるある行為 と いう にはあま り に も N との結 び付 きが強い。 N と結びつ く であろ う 様々な他の動作 と 同列 に置けない, 最 も典型的な動詞であ る。 そのため, 時的な用途 同源賓語 と いえる N と意味が重 な り合 い, あるい は衝突 し て , あ る一 に止 どま らず, 余剰の意味を生み出すので はない だ ろ う か。 動詞 の表 す動作 について の下位分類 , そ の動作その ものに段階 を付 けて , ある一定 レベ ル以上 に達 し ている 動作の対象 と なる N, と な るので はないだろ う か。 た と えば服 とい う のは, 着る もの と して 存在価値がある ので あ り , そ れを こ と さ ら用途 と し て叙述す る こ と に よっ て 「着 る」 と い う こ と に別の新た な価値, 意味合い ー どー 「着 る に値す る」 あ るいは 「着て も不都合で な い」 な を付 ける こ と になる。 その結果, (有) 衣服穿 は, 単 に 「服があ る」 と い う のと は違 う , また 「売る服」 と対比的に言われる もの と も違 う , 「着る価値のある服」 「着 るべ き 服」 と い っ た現実世界 に照応する ものの無い服 を指す。 づ 行 く と い う 用途のあ る と ころ 行 くべきと ころ 行 く と ころ 話す と い う 用途のある話 話すべ き話 話す話 ( こ と) 読む と い う 用途のあ る本 読むべ き本 読む本 耕す とい う 用途のある 田んぼ 耕すべ き田んぼ 耕す田 食べ る と い う 用途のある ご飯 食べるべ き5) ご飯 食べる ご飯 乗る と い う 用途のあ る車 (乗るべ き車) 乗 る車 売る と い う 用途のあ る 白菜 (売るべ き白菜) 売る 白菜 - 22) の よ う な 有/ 没有 NV は, 有/ 元 N 可 V ㎜ ㎜ ㎜ - - と いう 形に置 き換えて も言わ ん とす る こ と にそれほどズ レが無い。 こ のこ と を考 え合 わせれば, 全 く 的外れな仮説で ある と は言 えないだ ろ う 。 ただ し, 有/ 没有 NV ど 有/ 元 N 可 V は全 く 同 じで はな い こ と は言 - う まで も ない。 21) の よ う な描写文や について の性状規定であ るが, 有/ 元 N 可 V 有/ 没有 NV - における N の右 にあ る語句 は, N の V は動詞で あ り, やは り動 的要素 , コ ト 的要素が強い。 しか し, その動作が N に と っ て , 最 も典型的な動作 で あ る た め, N と の結 び付 きが強 く な り, その結果, 抽象的な ( ? ) 名詞相当の意味を持つ こ と にな る と考 え られ る 6)。 3. 名詞句構造 にお ける文脈依存の中国語 と状況依存の 日本語 3。 1 日中両 言 語 に お け る 名 詞句構 造 の相 違 木村 ( 1990) は, 省略疑問文, 三人称代名詞, 指示詞に関 して 日中両言語を比較対照 し, 両言語間におけるズ レ を語用論的 ・ 機能論的に分析 し てい る。 こ れ ら 3件 に共通 し て 見 ら れ るのは, 文脈に依存す L る中国語 と , 状況に依存す る, つ ま り言語外的な コ ンテ ク ス ト に依存 す る 日本語 とい う 傾向で あ っ た。 これは広 く 類型論的観点か ら指摘 さ れ る傾 向に も 合致す る7)。 それ ら をふまえて こ こでは文脈依存の中国語 と状況依存の日本語 と い う 傾向が √名詞 句構造に も認められる こ と を示 したい。 ㎜ ■㎜ 23) 電話の男は, 総裁には, 何 といっ たんですか ? 23) 打屯活的那令男人対怠裁悦了些什公 ? ■ ㎜ ■ ■ ( ミ) ■ ■ 日本語 と 中国語の名詞句構造について 24) 卜 279 夢中に殴 り合い を している間に, 学校の制帽を と う と う 向こ う のものに取 られて し ま っ た ので す。 ( こ) 24) 在不順一切的互相厩打之中, 被対方拾去了学校友的制帽。 25) 夏の終わ りの月は, 前 よ り も っ と仲良 く なっ た, こ の包帯だ ら けの女の子 と , も う 絶対 に 「狼 ごっ こ」 をや らない犬 を, 庭の少 し上のほう か ら, 見ていた よ う だっ た。 25) (窓) 夏末的月亮彷彿正炊比院子略高一点的空中礁着迫一対比以前更加棄密的小伏伴, 而迫対小伏伴一令是失上誼満細帯的少女核, 男一令則是絶不再玩 小狗。 装狼游栽 的 ノ 中国語 と 日本語の対応す る表現 を比較 して よ く 言われるのは, 中国語では動詞を多 く 用い, 日本語では名詞を多 く 用いる傾向がある という こ とだ。 もっ と も これは, 西欧語の傾向 も併 せる な ら, む し ろ 日本 語が名詞率の高い言語であ る と言 う 方が妥当で あ ろ う8)。 と もか く こ う した傾向のため, 結果 と して, 中国語 は中心名詞 と修飾語の意味関係が明瞭であ り, 日本 語はそれが曖昧 にな る こ と につ ながる。 「電話の男」 で あれば, 「携帯電話 を持 つ七い る こ と で特徴付 け られてい る男」 で あ る可能性 もある。丁学校の制帽」 は決 し て 「学校 が所有 し て い る 帽子」 で はな く , 「学校が制定 し て学生が所有 し てい る帽子」 である。 「~ だ らけ」 といっ て も 「血だ ら け」 「花 だ ら け」 「借金だ ら け」 と い ろ いろ あ るが, 「包帯だ ら け」 は包帯 で ぐ る ぐる に巻かれてある様子 をい う のであ る。 - 「名詞十 「の」 十名詞」 構造以外め場合で も, 中国語は分析的である。 26) 然 し, 年の若い私達には, こ の漠然 と した言葉が尊 と く 響いたのです。 ( こ) 26) 但対于年軽幼稚的我{【】来悦, 逮概念模糊的洞活脈起来復神聖。 27) 私は喜んで こ の下手な生け花 を眺めて は, まずそ う な琴の音に耳を傾けま した。 ( こ) も ち ろ ん 日本語で 「 こ の概念が漠然 と し た言葉」 「生け方が下手な花」 一 と , 修飾語 と 中心名 詞の意味関係が明 らかになる よ う に表現 し て も構 わないので ある。 こ のよ う に両言語 を対比 して見る と 日本語の曖昧 さ があ らわになるが, 実際には日本語を 母国語 と す る ものが, 意図さ れて い る意味 を取 り違え る こ と はほと ん どない。 また意味が曖 昧だ と意識す る こ と さ え無いであろ う 。 日本語 と して は, ご く 普通の, 過不足の無い表現な のだ。 しか し, こ のこ と で, 日本語が非論理的で 中国語が論理的 とい う 結論 を出すのは妥当 で ない。 なぜな ら聞き手 ・ 読み手が, 聞いて ・ 読んで得た情報は, 曖昧な 日本語 も分析的な 中国語 も ほぼ同等で ある と考え られるか らで あ る。 注 目すべ きなのは 『非論理的』 な表現 に もかかわらず, 到着す る可能性のある他の解釈に 到達せず, 話 し手 ・ 書 き手の意図す る と お りの解釈 にた ど り着 く こ と ので きる メ カ ニズ ムで ある 。 そのメ カ ニズムと い う のは, 文字 どお りの, 統語的な意味だけで な く , 前後の文脈, す なわち コ ンテ ク ス ト と のかかわ り も考慮 に入れて, 語用論的に解釈 し よ う と い う ものであ る。 またそ こ で は現実世界で得て きた様 々な知識 も, 解釈 に影響 を与 える要因 と な り得 る。 つ ま り 日本語は, 表現す る側 も解釈する側 も, 言語内 ・ 言語外的コ ンテ ク ス ト に対す る依存 度が 中国語 に比べて高い のだ。 こ のよ う な傾向が顕著に現れているのが次のよ う な文である○ 280 橋 本 し 永 貢 子 ¥ 28) このごろ ト イ レに行けない コマーシャルが多 く て困る○ 29) 頭の良 く なる本で も買っ てい ら っ し ゃい。 ■ ■■ ■ 統語論的観点だけか らの解釈で は, はなはだ理解 に苦 し む。 30) 千さ んがいつ も買 う 店はどこo 日本語 を母 国語 とす る もので あればほと ん どが, 千 さ んがいつ も行 っ て買い物 をす る店 をた ずねているのだ と分かるであろ う 。 しか し, 英語で は, 松本 ( 1993) によれば, 31) WhereisthestoreMr. Senalwaysbuys? 「千さ んが繰 り返 し買 う建物 ( 商店) を指す こ と にな り, 語用論的には不自然であるにもか かわらず, 統語論的に決定 さ れた解釈が と られるので あ る」。 中国語で もやは り , 千 さ んが いつ も買い物 をする店 と は解釈 さ れに く い。 32) 老千平吋夭的商店在邨几 ? このよ う な文が 日本語で決 して例外で ないのは松本 ( 1993) が指摘する とお り, 日本語では 統語論的な解釈が必ず し も優先 さ れず, む し ろ意味論的語用論的に適切で あるか ど う かが解 釈に当た っ て優先 さ れるか らで あ る。 33) 京都での会議 33) *在京都的会孜 34) 34) M 先生がフ ラ ンス語を教えている学生 *M 老師正在教法悟的学生 助詞 「で」 に相当す る介詞 在 (徐 ( 1983) からの借用) を対応 させて もそのま まで は名詞句 と し て成立 し な い。 また, 日本語は間接 目的語にな る名詞 も問題な く 「内の関係」 で ある名詞句構造 と なるが, 中国語で は全 く 別の表現に しなければいけない。 こ う した 日本語名詞句の 『寛容さ』 も, や はり状況か らの語用論的解釈が優先 さ れる こ と につながるのであ ろ う 。 3。 2 有 NV ″ の 文 脈 依 存 と 「 N が あ る 」 の 状 況 依 存 と こ ろで , 2の18) 「出掛けるのに乗る車がある」 と い う のはい さ さ か不 自然 な 日本語で ある。 少な く と も19) 「市場に売る 白菜がない」 と は言わないであろ う 。 他 に も例 を挙 げよ うO ■ 35) 家里有手芝人, 将来不愁没有姻抽。 (魯) ■ ㎜ 尚 (家に手職人がいれば, この先, ( 吸う ) タバ コ に困らない) 35) 36) ゛家里有手芝人, 将来不愁没有姻 村干某 : 村長和副村長先按手印口 巴? 二篆和六奎大叔向印台伸手去。 万泉 ( 突然友活) : 慢着 ! 大栄好象有活況。 況口 巴, 想忠公着 ? (村役人某 : 村長 と副村長がまず栂印を押すので し ょ う ? 二 栄 と六奎叔父がス タ ンプ台へ手 を伸 ば し た。 万泉 ( 突然口を挟んだ) : 待っ た ! 大栄は話す こ と/ 話がある よ う だ。 言いなよ, どう 思っ て いる んだ) 日本語 と 中国語の名詞句構造について 36) 〉 281 ″ 大篆好象有活。 37) 他只会神田呵, 没有田神他想亦法 ? (彼は田畑を作れるだけ とい う のに, 作 る田畑/ 田畑がなかっ た ら どう した ら良い だろ う ) 37) = し 7他只会神田呵, 没有田他忽亦法 ? ¥ 先に も述べた よ う に, 35) ~ 37.) で N の後ろ に V がない文は不 自然であ る 。 V が付いて yヽな い と N が具体的な事物 を指すか らである。 しか し, 一部の 有/ 没有 NV に対応す る 日 本語 を考えた と き, 「V ( する) N がある/ ない土 も不適格 と は言 え ないのだが, 少 く と も 口語で, とい う 条件を付ける と丿N がある/ ない」 と V を付 けず に言 う 方が よ り適切 な も の もある。 いずれに し ろ 日本語で はレ こ う し たある種の抽象的な事物 を言 う と きに付いて く る V が, 中国語で必要 と さ れる ほど必要 と さ れないのだ。 従 っ て , 逆 に 日本語か ら 中国語 を考 える と き に, 「N がある/ ない」 は, コ ンテ ク ス ト に よっ て は, 適当な V を補っ で 有/ 没有 NV とす る方が適切な場合がある と い う こ と を頭においておかなければな ら ない 。 例 えば 「テ ーブ ルに本があ る」 と言 う 時, 中国語で は 38) 犬 二 泰子上有胤 - と, 有N にな る。 だが 「本があれば, 他 のこ と はま あ構わない」 と言 う 時は ー 39) と, 只要有令看, 別的且不去管官。 有 NV を使 う 。 同 じ 「本がある」 で も, 異なる 中国語訳にな る のは, 前者 は具体的 な現実世界 に照応す る もののある本 を指 し, 後者がそ う で はない, 「抽象的な」 本 を指すか らで あ る。 二 △ こ の時, 日本語話者の頭の中で は意識す る し ない にかかわらず, 本 についての同様な 区別 がな さ れてい る はずである。 ただ, 日本語で はその区別 を言語化す る必要が無い。 同 じ く 「本がある」 で も, それが具体的な現実世界 に照応する もののある本 を指す のか, あ る い は ー そ う で ないかは, 前後のコ ンテ ク ス トか ら判断で き, 必ず し もその区別を明示 しな く て も よ いのだ。 つ ま り, 中国語はあ く まで も明確 な言語化 を必要 と し , 「抽象的な」 本で あ れば 有 NV と し なければな らないが, 日本語 は話 し手 と聞 き手の間に統語論的な解釈 よ り も 語用論的に適切な解釈 を優先するだろ う と い う 暗黙の了解があ り, 「N があ る」 と 言 え ば, それで十分なのである。 こ こ に も, 前説で述べた 日中両言語の名詞句構造に見 られた 「中国 語の文脈依存 ・ 日本語の状況依存」 とい う 傾向 ・ 原則 を当て はめる こ とがで きる。 4. おわりに 以上, 「す る こ とがな く ぶ らぶ ら してい る」 のよ う な N が V の潜在的な 目的語で あ る 「V 十N」 とい う 名詞句に対応する 1) (有) NV をめ ぐっ て考察 した。 以下に, 要約する。 「V ( する) N がある/ ない」 に対応する中国語ぱ 有/ 没有 NV 論的ルールに従えば, 有/ 没有 V 的 N と考える。 統語 で あるが, 修飾語 と い う のは本来, 中心名詞 に対 して 限定的に働 く もので あるた め。 対比の意味合いが顕著 と な り適切で はない。 2) ( 有) NV の V はN の属性 と な り えないー , 一時的な用途を表 し, N が指す も のは 現実世界 に照応す る ものの無い事物で あ る。 これは V に対 しで 同源賓語 といえる N と, V と の意味の衝突によっ て, 余剰 の意味を生み, V と い う 行為が一定 レベル以上 28y ・ 橋 本 永 貢 子 の価値のある ものである こ と を要求する よ う 働 く か らである。 そ して結果的には一定 レ ベ ル以上の N と い う 意味合い を生み出す。 3) 十 づ 一般的に, 中国語は文脈依存で, 日本語は状況依存の傾向が見 られるが, これは名詞 句構造 について も当て はまる。 日本語で 「N がある/ ない」 と い う 時の N は, 具体的な事物 を指す場合, 非具体的 な事物 を指す場合のいずれ も有 り う るが, 中国語で は, 前者 ぱ ぱ 有/ 没有 NV 有/ 没有 N に後者 になる。 こ う 七たズ レ も また, 中国語の文脈依存 ・ 日本語の状 況依 存 と い う語用論的要因に帰す る こ とがで きる。 3で 日中両言語における名詞句構造の差異を, 日本語の状況依存 ・ 中国語の文脈依存 と い う構図 に当て はめたが, こ の構図はあ く まで も傾向にす ぎない。 日本語 ・ 中国語が どの程度 まで状 況 に, または文脈 に依存す る のかは, 更に分析 して行 く こ と が必要である。 それには, 第 3, 第 4 の言語 と の比較 と い う 方法を取るの も有効であろ う 。 いずれにせ よ, 単 に統語論 的にだ けで な く , 語用論的機能論的な視点 も取 り入れて考察 して いかな ければな ら ない こ と はい う まで もない。 〈注〉 1) 竹島 (橋本) ( 1993) 参照。 なお, 単に 有衣服 没有地方 とい う のと比較す れば, も ち ろ ん ある種 のニ ュ ア ンスが認め られる。 こ のこ と について は 2 で考察す る。 2) 幾つかの修飾語が並ぶ 多項定語 の場合, 領属を表す ものが一番前 に位置す る 。 こ れ も, 対比 「こ れ」 であっ て 「あれ」 で はない こ と を明示する こ と ー の重心が, よ り前に位置す る修飾語 にあ る こ との反映であろ う 。 3) 大河内 ( 1985) 参照。 ただ し, 一度話題になっ ている場合には, 裸で出て く る こ と もある。 4) 語順の相違によっ て名詞 との意味関係が異なる例は英語にも見 られる。 the visible star ー とい う のは, 「常に見える星」 であるが, the star visible は, いつ も は見えないが, 例えばた また ま 雨で ス モ ッ グが きれいに洗われたために 「一時的に見える星」 をい う 。 名詞の前 にある形容詞は, そ 一 の名詞 の継続的な固定 した属性 を表すが, 名詞の後ろ に置かれる と一時的で偶然の性質を表すので あ る o・ 5) 。■ ・ 。 。 ・ 「べ き」 という のは実は意味の広い曖昧な語であ り, 曖昧であるから こそ, こ こ で は敢 えて こ の語 を使 っ た 。 具体的に言えば 「~ に値す る」 「~ こ とので きる」 「~ レして も よい」 な どの意味が相当す る であ ろ う が, こ こで は逐一説明は しない。 ただ し, 有恒吃 について は 22) に挙げたその他の例 と はまた異 なる意味合いを持っ ている よ う で ある。 それが 「べ き」 の解釈で説明仕切れるのか, あ る い ぱ 恒 が生 きてい ぐう えで欠かせない ものであ る と い う 意味論的要素 と 関係 があ る のか, あ る い はそ れ以外の理由に よるのかは今後の考察 を待た なければな ら ない。 6) 中国語の総称名詞にぱ 事件, 令本, 紙張, 人口… といっ た 『名詞 小量詞』 で で きて い る もの があ る 。 中国語の語構成 を考え る う えで たいへん興味深い。 7) 中川 ( 1993) 参照。 8) 大河内 ( 1990) 参照。 <参考文献〉 郡 芭 守信 暁 1983 『漢語及物性開係的語意研究』 1991 『汝悟的短悟』 汝悟知i只双令 台湾学生書局 日本語 と 中国語の名詞句構造について 刈月隼 ・ 瀋文娯 ・ 故悴 1993 『実用瓦代収活活法』 呂 翼平 1985 『夏条價活』 盾 1981 「有字句」 『中国活文』 1981年 升第 張正立 ・ 本鉄堅 ・ 度玉林 大河内康徳 収活知i只沸活 外活教学与研究出版社 上海教育出版社 第 1期 1985 『日汲翻渾基椙』 院西人民出版社 1985 「量詞の固体化機能」 『中国語学』 232号 1990 「日本語 と 中国語の語彙の対照」 『講座 日本語 と 日本語教育 7巻』 木村英樹 1983 「矢于ネト活性活尾 283 着/ zhe 和 明治書院 了/ 1e 」 『活文研究』 第 2期 1990 「文脈依存 と状況依存」 『中国語』 第368号 十 徐 昌華 1983 「 日中両語の連体修飾構造の対応関係への一試論」 『人文学報』 第160号 東京都立大学 人文学部 竹島 (橋本) 永貢子 1993 「『有 ・N ・V』 と 『有 VP 的 N』 一 日本語からの考察」 『中国語学』 第240 号 寺村秀夫 1975~ 78 「連体修飾のシ ン タ ク ス と意味 : 1 ~ 4」 『日本語 ・ 日本文化』 第 4 ~ 7号 国語大学 ( 『寺村秀夫論文集』 1992 中川正之 大 阪外 く ろ しお出版に拠っ た) 1992 「類型論か ら みた 中国語 ・ 日本語 ・ 英語」 『 日本語 と 中国語の対照研 究論 文集 ( 上 ) 」 く ろ しお 出版 松本善子 1993 「 日本語名詞句構造の語用論的考察」 『 日本語学』 11月号 Li√Chales & Thompson, Sandra A 1981 M andarin Chinese Press. < 引用文献〉 ¥ (井) : 随文夫 「井」 『令人主叉小悦上』 (一) 吋代文芝出版社 : 王朔 「一半是火焔, 一半是海水」 『貞女』 ( 陳) : 高暁声 『除央生上城出国杞』 (魯 ) : 王滋 『魯班的子弥』 上海文芝出版社 1991 吋代文色出版社 (秋) : 対 巨 『菊豆 ・秋菊打官司』 中国社会科学出版社 1993 ( 窓) : 黒柳徹子 『窓 ぎわの ド ッ ト ち ゃ ん』 赳徳逸 ・ 朱廉訳 『窟辺的小姑娘』 に : 夏 目漱石 『こ こ ろ』 周炎訳 『心』 1988 時代文芝出版社 1986 講談社文庫 湖南少年几童出版社 1983 新潮文庫 漓江出版社 1983 ( ミ ) : 西村京太郎 「ミ ステ リ ー列車が消えた」 揚軍 ( 逸博) 訳 『神秘号列革失踪之迷』 新潮文庫 群双出版社 1992 U niversity of California
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