人的資源管理の制度改革- 中高年の処遇を中心に- † 京都大学 経済研究所 有賀 健 要約 本稿では、日本の中規模以上の企業における、中高年の処遇(昇進・昇給)の過去 20 年 間の変化とその原因について分析をおこない、現在急速に進行している雇用を巡る制度変 革を評価する。この 20 年間の主要な変化は、定着化の進行、中高年層の肥大化、管理職 層の相対賃金の低下であるが、これは安定的な企業ヒエラルキーを維持しつつ、昇進選抜 の強化と賃金調整により、人口構成の変化や成長率低下といったショックを吸収した結果 と考えられる。制度的対応も、その基本は、長期雇用・技能の内部養成という基本線を維 持しつつ、昇進速度や相対賃金の調整がもたらす副次効果に対処するものであった。最近 年に至り、職能制度を核とする現行の人的資源管理を根本的に変革しようとする試みが見 られるようになったが、内部労働市場の広がりすぎという内在的な問題を解決しない限り、 中間管理職の位置付けは不透明なままに終わる可能性が高い。 Japanese Human Resources Management at the Crossroad Kenn Ariga Institute of Economic Research, Kyoto University Abstract This paper overviews recent changes in Human Resources Management (HRM) of the large Japanese firms. We find that institutional adjustments in the last two decades have been essentially those of passive responses to major environmental changes, e.g., growth deceleration, population aging, and secular decline in turnovers. Slower promotion and reductions in the wage premium on middle and upper managerial jobs have been the standard responses. In the last few years, however, due in part to the prolonged economic stagnations, many firms started wholesale restructuring of HRM and substantial reductions in their core employees. Yet, we find that these changes do not fully resolve the underlying problem of excessive development of internal labor markets. † 本稿に紹介する計量分析の多くは、大日 康史(大阪大学)および、G.Brunello 氏(Padua 大学)との 共同研究、特に Ariga,Brunello, and Ohkusa(近刊)によるところが大きい。但し本稿の制度改革に関する 見解に関してはあくまで筆者個人のものであり、共同研究者のものでは必ずしもない。 1 はじめに 日本の雇用のあり方を巡っては、長期化する不況の中で近年非常に活発な議論が展開され ており、しかも、変革の必要性やあるべき方向について大きく異なる見解が主張されてい る1 。なかでも中高年、特に中間管理職の処遇に関する議論は、これまで日本の雇用シス テムの中核的な存在であっただけに、日本の雇用全体に関わる様々な論点が集約してあら われている。本稿では、この一連の議論のなかでも特に大きな見解の相違がみられる、制 度改革に焦点をあてる。ただし、本稿の目的はこれまでの改革案の全体評価や、独自の改 革案の提示ではない。目的はむしろ、中高年層に対する処遇に焦点をあてながら、それぞ れの改革案が、どのような企業目標や経営システムのもとで選択されやすいか、企業シス テム全体のデザインと雇用のあり方の間の整合性、制度的な補完性を提示することにある。 いわば、それぞれの改革案が最も有効に成りうる状況とはどんなものか、処方箋を示すこ とである。 本稿は以下のように構成されている。まず次節では、中高年層、特に中間管理職の処 遇と成果に関する事実、特に過去20年間程度の変化を跡付ける。この20年間の変化の 原因として、(1)成長率鈍化(2)世代効果(人口構成の変化と高学歴化)(3)定着化 の3つをとりあげ、それぞれが果たした役割を検証する。3節では、まず、日本的な人的 資源管理のしくみには内在的な問題、内部労働市場の肥大化の傾向があり、この問題は 70 年代以降認識されていたものの、本質的な解決がなされないまま 90 年代の長期停滞の時 期を迎えたことが示される。次に、人事制度改革の主要なものをとりあげ、それらを簡単 に特徴付けたのち、それぞれの処方箋が想定する企業全体の姿、特にそのような企業の競 争力のコアとの関連を分析する。4 節では、中間管理職の処遇に関わる問題が実は、採用 や経営陣選抜の問題と密接不可分であることを主張する。 2 中間管理職の処遇:過去20年間の変化 以下では、中間管理職及び中高年層の従業員に対する処遇の変化を概観する。最初に、処 遇をとりまく環境および供給要因の変化を整理し、その後、賃金水準・体系及び、昇進昇 格について簡単な分析を行う。 2.1 定 着 化 と 混 雑 現 象 ・ 相 対 賃 金 の 低 下 過去 20 年間、中高年層の雇用者は、平均すると一貫して定着化のトレンド上にあった。 1 最も代表的なものとして、一方では小池(1999)、特に第 3 章、「おわりに」や、猪木(1996)第 6 章 のように日本型技能形成の効率性を主張するものがあり、他方、八代(1997)に代表されるように、日 本型雇用システムの根本的な改革を求める声も強い。 1 表1は、1976 年と 1996 年の 2 時点の各職階での平均勤続年数を比較するものであるが、 産業や企業規模を問わず、この傾向が一貫していることがわかる。なかでも注目されるの は、これまで、大企業に特徴的だと考えられてきた長期雇用が、千人未満の中規模企業に も急速に広がりつつあることで、1996 年の中規模企業の平均勤続年数はほぼ、1976 年の 大企業のそれに対応しており、長期雇用の外延的な拡大現象がこの間続いていたという主 張を裏付けるものになっている2 。 表 1 平均勤続年数の変化 製造業 非職階 係長 課長 部長 1976 10.8 20.1 19.8 24.3 非職階 係長 課長 部長 1976 8.6 14.5 16.6 18.2 金融 大企業(従業員千人以上) 1996 1976 1996 15.5 9.1 10.6 22.8 17.1 16.8 24.9 20.8 21.9 28.3 23.8 26.8 中規模企業(従業員百人以上千人未満) 1996 1976 1996 11.5 6.4 9.6 18.7 12.8 17.0 21.7 18.1 21.7 24.1 20.2 25.6 流通 1976 7.3 14.0 18.5 23.5 1996 10.9 18.1 23.6 25.7 1976 5.7 11.2 14.8 17.4 1996 9.3 15.4 21.4 24.4 注)単位:年 出所)賃金構造基本統計調査をもとに Ariga, Brunello, and Ohkusa(近刊)で作成 勤続年数の増加と同じくして、平均年令も急速に伸びており、これも産業・規模・職階を 問わず見られるが、中でも製造業大企業や流通において高年齢化が著しく、表1のサンプ ル期間では成長率が高く、入職者の伸びも著しかった金融ではそれほどではない。 定着化のもうひとつの側面は定年退職年齢の引き上げである。1970 年代中期に始ま った定年年齢の 55 歳から 58‐60 歳への引き上げは、1980 年代後半には主要大企業にお いてほぼ実現し、最近年でほぼ企業全体の 80%以上をカバーするに至っている(労働省 「雇用管理調査」参照)。定着化と人口高齢化により、従業員の年齢構成は人口全体の高 齢化を上回るペースで進行している。1975 年雇用者の 37%に過ぎなかった 40 歳以上従業 員は、1995 年には 51%に達し、それと共に 25‐39 歳のシェアは 43%程度から 33%にま で低下している。更に、高学歴化も労働力の定着化の進行を促した。1970 年には新卒修 学者の 27%を占めた中学卒は、1990 年には 5%程度にまで激減し、中規模以上の企業に おける労働力の殆どは高卒以上、1980 年半ばには短大・大卒が新規学卒就業者の 40%以 上を占めるに至った。 定着化・高齢化と表裏一体をなすのが、中高年層全体と、中間管理職層のシェアの拡 2 中馬(1997)は賃金センサスの個表を用いて詳細にこの事実を示す。 2 大である。表2は、賃金構造基本統計調査にみる、職階毎の SPC(スパン・オブ・コント ロール)、つまり、各職階における(直接・間接の)部下の平均人数であるが、いずれの ランクでも、部下の数は減少しており、半分以下にまで激減しているケースもある。中で も大企業でその減少幅が大きく、1976 年時点で存在した大企業と中規模企業のこの面で の格差の大半は 1996 年では消滅していることがわかる。産業間での比較を行うとここで も、製造業と流通における変化が大きく、金融が比較的変化が小さい。 表 2 S P C の変化 製造業 係長 課長 部長 1976 6.4 28.6 71.4 係長 課長 部長 1976 12.3 15.3 40.4 金融 大企業(従業員千人以上) 1996 1976 1996 5.0 7.7 9.5 11.4 9.8 6.2 30.2 25.1 21.8 中規模企業(従業員百人以上千人未満) 1996 1976 1996 9.1 7.5 4.5 9.7 9.6 6.0 24.1 19.1 15.0 流通 1976 8.2 9.1 28.4 1996 5.9 6.3 23.6 1976 9.2 9.1 24.4 1996 8.4 8.5 22.4 注)SPC は、各職階一人あたり、それより下の全ての職階に属する従業員の人数。但しその他職階は含 まない。出所)表 1 に同じ 表3 相対賃金の変化 製造業 係長 課長 部長 1976 1.58 2.24 3.02 係長 課長 部長 1976 1.36 1.67 2.11 金融 大企業(従業員千人以上) 1996 1976 1996 1.30 1.55 1.33 1.73 1.94 1.75 2.18 2.34 2.22 中規模企業(従業員百人以上千人未満) 1996 1976 1996 1.32 1.43 1.31 1.57 1.87 1.69 1.96 2.20 2.09 流通 1976 1.37 1.92 2.48 1996 1.25 1.66 2.06 1976 1.31 1.72 2.29 1996 1.38 1.54 1.97 注)相対賃金は各職階の平均賃金を非職階の平均賃金で割ったもの。出所)表 1 に同じ 中間管理職の候補となる年齢層での定着化と混雑現象の結果、中間管理職の相対賃金 の大幅な下落が起こっている。表3は各職階の平均賃金を非職階のそれで割った比率であ るが、どの職階・規模・産業においても非職階にくらべての相対賃金は大幅な減少になっ ている。なかでも製造業大企業での下落が大きく、これは、SPC の減少の幅に対応してい 3 る。たとえば、製造業大企業の部長は 1976 年時点では平均して 70 人以上の部下を持って いたが、96 年では部下の数は 30 人になっており、これは 1976 年時点で、同じ製造業大 企業の課長の SPC に対応し、相対賃金も両者でほぼ同じである。また、勤続年数や SPC の 変化と同様、金融部門では相対賃金の下落は緩やかである3 。 実際、産業・規模・年代を通じて部下の数と相対賃金の間には右上がりで凹の非常 に安定的で強い相関関係があり、過去 20 年間の変化はこの安定的な関係の上での変化で あることが判る(図1)。図1は、安定的な企業組織における役職と部下のポストの代替 可能性を示す、技術的な関係をあらわすものと考えることができよう4 。 相対賃金の変化は、職階間だけでなく、勤続年数にたいするリターンを分析するこ とでも確認できる。Ariga, Brunello , and Ohkusa(近刊)の計測結果によれば、勤続年数リ ターンは 90 年代には 80 年代にくらべ減少し、その減少幅は大企業で特に大きいことがわ かる。また、それと裏腹に、外部経験年数のリターンはこの間上昇しており、全体として、 企業内での経験に対するリターンは絶対的にも相対的にも減少したことが確認できる。 図1 SPC と相対賃金 2.64354 相 対 賃 金 1.17971 4.72774 SPC 39.2348 2.2 変 化 の 要 因 分 析 3 金融部門は 1970 年代以降バブルの終焉まで高率の成長を持続しており、このことが、相対賃金や SPC の変化を遅らせ、逆に 1990 年代の変化をより劇化させた。 4 このような関係を前提に、Ariga, Brunello, and Ohkusa (近刊)では企業成長と内部労働市場の調整の連 関をモデル化し、実証分析を行っている。表4に示す推定式はその結果である。 4 上に述べたような「混雑現象」と「定着化・高齢化」の進展を主に労働供給側の要因によ る変化とすると、この二つは同じコインの裏表に過ぎない。混雑現象は、転職の可能性を 狭め、定着化をもたらす。また、定着化は、さらに外部雇用機会の減少を進めるので、転 職はその二次効果によってさらに減少する。 混雑化・定着化の傾向に対し、企業側は場合によっては人材獲得の好機と捉え採用数 を大幅に増やしたし、少なくとも人事制度を根本的に改革し、この傾向がもたらす長期的 な人員構成や職務配分への影響を除去しようとはしなかった。ここで、特に注目されるの が、1970 年から 15 年程度の間に大卒就職者の比率が爆発的ともいえる成長を示したこと で、従業員千人以上の企業でみると、1970 年には、新卒採用の 24%、8.1 万に過ぎなか った大卒者は、1985 年には新卒採用の 48%、15.0 万に達した5 。大卒定期採用は、基幹 従業員の候補とみなされるが、このように大量の新規採用を同一の採用基準を用い、長期 雇用・内部養成のシステムに組み入れたことは嘗てない経験であった。定着化とは、現在 の勤務先に比べて外部の雇用機会の魅力が乏しくなることであるから、雇用側にとっては、 それを利用して、より選別を厳しくし、全体として賃金費用を下げる、ことが可能になる。 しかし、このような政策をそのままで実施すると、大きな副次効果を生む可能性が高い。 それは、選別に取り残された者のモラル低下、企業内の人材の滞留といった問題である。 企業側にとって、高学歴化・定着化した労働力の受容という結果が本当に望ましいもので あったかは次節以降で分析することにして、ここでは、定着化、高学歴化、といった供給 面での変化が、賃金体系や昇進、ヒエラルキーの外形的特徴といった側面にどのように吸 収されたかを簡単にみておこう。 表4 昇進確率と賃金の変化 年齢 年齢 2 勤続年数 勤続年数 2 SPC 長期成長率 コーホート相対比率 大卒比率 サンプル数 R2 昇進確率 .033 * * -.501x10 ‐3 * * -.003 * * .241 * 1855 .53 賃金 ** 1.047 -.022 * * .104 * * -.0014 * * .163 * -.796 * * 168 .85 .690 * * -.014 * * .100 * * -.0018 * * .142 * * -.009 * * 227 .83 注)**1%, *5%で有意 詳細及び出所:前掲 Ariga,Brunello,and Ohkusa (近刊) 5 労働省「雇用動向調査」、各年 5 内部労働市場のこの間の変化を、上に述べたような供給要因と、企業側(需要)の要因 変化であとづけることができる。その詳細は別紙に譲るが 6 、企業側の需要要因として長 期の成長率を取り上げて分析した結果を表4に示す。表4は昇進確率と実質賃金の推定式 であるが、これをみると、過去 20 年間の需要供給要因の変化に対し、企業側は昇進基準 をより厳しくする一方、上位ポストの数を増やし(SPC を減らし)、同時に職階間の相対 賃金をよりフラットにする形で対応したことがわかる。表4は、需要側要因として、長期 成長率の変化、供給要因として、世代毎の相対人口と、大企業新規入職者のうち大卒比率 をとり、賃金センサスから構築した擬似パネルで計量分析をおこなったものである。相対 賃金の低下についてはすでに上にみたように、職階間相対賃金、勤続年数に対するリター ンのいずれでみても、低下が起こっていることが観察されている。選別についてはどうで あろうか。表4の結果が示すように昇進確率に対し長期成長率が正の、SPC が負の効果を 持つことから、混雑現象に対してポストを増やすという対応だけでなく、成長率鈍化には 昇進基準を厳しくすることで企業は対応したことが確認できる。賃金の擬似パネルの計量 分析も同様の結果を示している。表4の結果は大企業における大学卒新規入職者の比率や、 入職時の各世代の相対規模が有意に該当世代の賃金に負の効果をもたらすことを示してい る。このことは、次のような仮説を支持するものと考えることができる。新規大卒者就職 先のうちで大企業の占める比率は強い景気との相関を持っている。大卒者の殆どは大企業 就職を希望するため、その比率の高低は、毎年の大卒者の能力分布をほぼ一定とするなら、 大卒者で就職するものの平均的な能力と強い負の相関を持つはずである。実証分析の結果 は、このような効果は就職時以降長期にわたりその世代の平均賃金を押し下げることが判 った。 つまり、過去 20 年間の中高年の処遇や昇進に見られる大規模な変化は、企業組織 の根本的な変革によるのではなく、むしろ企業のヒエラルキー構造の基本を維持しつつ、 長期の供給と需要要因の変化に対する受動的な調整に伴うものであることが推測される。 企業は、高度成長期の末期から急激に起こった高学歴化と定着化、さらにはいわゆる団塊 世代の大量就職に対して、内部労働市場の外延的な拡大により対処した。その効果は、彼 等が中間管理職に昇進する時期、つまり 1980 年代半ばを過ぎるころから、急速な中間管 理職層の肥大化となって現れた。この間成長率は高度成長の終焉により急速な鈍化を経験 したから、二つの要因はいずれも非常に強い効果を持って、中高年層の肥大化をもたらす ことになった。 これまでの多くの先行研究では、技術進歩や OA 化の進捗に伴う企業組織の変革が、 中間管理職の機能やその生産性変化の遠因として指摘されてきた7 。しかし、企業ヒエラ 6 Ariga, Brunello, and Ohkusa (近刊)及び Ariga, K., Brunello, G., Nishiyama, K. and Ohkusa, Y. (1992)参 照 7 例えば、中馬・樋口(1995 年)は、製造業高卒男子の賃金プロファイルを労働生産性上昇率によって 説明している。 6 ルキーの外形的な特徴、相対賃金や昇進確率の変化を分析する限り、職階間の相対的生産 性と SPC の関係に構造的な変化は起こっていない。もちろん、このことは、企業の制度変 革が全くなかったことを意味しないし、また、上に述べたような構造変化の要因が無視で きることを結論付けるものでもない。ただ、企業のヒエラルキー構造、昇進速度、職階間 相対賃金といった内部労働市場を特徴づける変数のこの間の変化に関する限り、大きな構 造変化の証拠を見つけることはできない。 要約しよう。現在の中高年世代に見られる、この間の処遇の変化は基本的に(1)長 期成長率の鈍化、(2)該当世代の相対人口比率の大きさ、(3)企業側の受動的対応から 説明できる。成長率鈍化は、企業ヒエラルキーの外延的拡大速度を鈍らせたが、企業は一 定程度 SPC を小さくすることで、増加した中間管理職適齢世代を吸収しつつ、他方では昇 進基準を厳しくすることで対応した。上部の肥大化したヒエラルキーは相対的に中間管理 職の生産性を低下させたばかりか、その候補となる世代の混雑現象は、世代の平均能力の 低下という形でも現れ、これも相対賃金の低下の要因となった。 3制度変革の道筋 前節で述べたような、過去 20 年間の変化は、上に述べたような企業ヒエラルキーの量的 な調整を可能にするために、いくつかの側面での制度面での対応が行われた。実際、程度 の差こそあれ、以下でみるような制度面での調整の内容もその調整をもたらした要因も、 過去 20 年程度をみると基本的に大きな違いはない。言い換えれば、日本の企業は過去 20 年間ほぼ一貫して、同じ長期課題に対し、同じ方法で対処をしていた。その背景には、前 節で跡付けたように、1970 年代から 15 年程度の間に急速に進展した高学歴化と定着率の 上昇があった。このような従業員の大量採用により、内部労働市場は急速に肥大化した。 3. 1 日 本 的 な 人 的 資 源 管 理 シ ス テ ム の 過 適 応 日本的な昇進慣行と報酬体系は、ゆるやかで長期の昇進・選抜過程と、平等主義的な賃金 体系で特徴づけられる。職能資格制度は、個別従業員の潜在的能力の査定とそれをもとに した賃金と、職務配置を行うしくみであり、このようなしくみがうまく機能するためには 二つの不可欠な前提条件がある。 第一に、緩やかで長期の昇進・選抜のプロセスが対象となる従業員に熟知され、また、 外部労働市場と大きな矛盾なく維持可能でなければならない。遅い昇進は、一方では、昇 進の遅い「敗者」の労働インセンティブを長期にわたり維持するものの、他方では、昇進 の早い「勝者」の他企業への引き抜きによる損失を蒙りやすいといわれてきた。日本の場 合、限られた移動可能性のために、能力の優れた人材が流出するという問題が比較的小さ 7 く、そのため日本企業は緩やかで長期の昇進・選抜政策を用いてきたといわれる8 。 むしろ、近年問題視されているのは、「敗者」のモラール維持が結果的には、「敗者」 の抱え込みになっており、そこに大きな費用が発生しているのではないかという点である。 「労働市場の流動化」の必要性が叫ばれる最大の理由もそのあたりにあるようだ。つまり、 第二の条件として、個人の潜在的能力の評価をベースとする報酬体系は、それぞれの能力 に見合った適切な職務が企業内で用意されねばならない。当然のことであるが、この条件 は養成される技能が企業特殊的であればあるほどより深刻な課題となりうる9 。 戦後日本の主要企業が置かれた環境条件がこのような不可欠の条件に見合うものであ ったことは繰り返す必要がないだろう。労働移動の低さは高学歴化により一層助長された し、長い高度成長の期間にあっては、高度の技能を身につけた中高年の労働力は不足する ことはあっても、余剰が問題ではなかって。また、このような内部労働市場の性能を高め る条件もそろっていた。多くの企業は、高度成長期に独自技術の開発で新製品や新しい市 場を確立し、急速に国際競争力をつけていったが、その基盤となる技術とそれを担保する 技能は企業特殊的であり、内部での技能養成に適していた。 しかし、このように例外的に好条件のそろった状況は、1970 年代半ばから徐々 に崩れ始めた。なかでも、90 年代の経済の長期停滞は、これまで日本的な企業システム の存立基盤となった多くの環境与件を根底から覆すものであったことは、すでに多くの指 摘があるとおりである。しかし、それ以上に本質的な問題は、職能資格制度に代表できる ような日本の人的資源管理のシステムはそれ自体に内在する課題であった。 それは端的にいえば、内部労働市場の行き過ぎである。成功したがゆえに、内部労 働市場は広がりすぎ、肥大化したのである。肥大化は一方では従業員の過度の固定化とし て、他方では内部での技能養成志向の行き過ぎとして表れた。従業員の過度の固定化を象 徴するものは、いわゆるホワイトカラー従業員の比率の上昇、そして彼らを中心とした定 期新卒採用者重視の採用政策の急速なひろがりであろう。当初から長期雇用を前提としな い職種や採用区分を設けない限り、従業員とその賃金費用が著しく固定化するのはさけら 8 筆者達は、ある電気機械産業に属する大企業の人事記録を利用して、離職者は昇進競争の 「勝者」に より近いか、「敗者」により近いかを計量モデルで検証したが(大日他 1999)それによると、若年層で は昇進速度の速いものほど離職確率が高い傾向が観察される。この傾向は定期採用の従業員でより有意 であり、中途採用では有意でない場合が多い。また、昇進速度と離職の関係は年齢層があがり、職位が 上位になると有意でなくなり、ついには、関係は逆転し、昇進速度が遅いものほど離職確率が高くなる (但し、この関係は有意ではない)。この企業では、Ariga,K., Y. Ohkusa, and G. Brunello (1999)が示し たように、比較的早い時期から同期入社の間で昇進区別が行われている。多くの日本の大企業では、こ のサンプル企業より徹底した遅い昇進政策が取られており、緩やかで長期の選抜過程が、定期採用の若 年層における逆選抜現象を起こしている可能性がある。 9 このような問題は日本企業に固有のものではない。例えば、Baron and Kreps (1999) 第2章の IBM のケーススタディをみよ。 8 れない。さらにより根本的な問題は、明らかに内部労働市場で育成・管理するには不向き な職種にまで内部化が進んだことにある。専門性の強い職種の内部養成をすることの限界 は、専門職層を管理する管理職の人材不足という形でも発生する。内部労働市場の行き過 ぎは、従業員・経営者の過度の同質化という問題もはらんでいる。中間管理職はもとより、 上級管理職や経営職層への登用さえも、広がり過ぎた内部労働市場のため、生え抜きが大 半をしめる中間管理職のなかからの選抜に限定されてしまう。 内部労働市場の肥大化がホワイトカラーを中心におこる場合、新規事業への参入や企 業規模の成長が続いている限りその問題は顕在化しにくい。量的な問題は、出向や転職で もある程度は吸収されたし、専門性の高い職種への適応の問題も外部労働市場が未発達な 場合、新規事業への参入の適否自体を問題視しない限り、外部で見つからないので内部で 養成するという戦略に間違いを見つけることは難しい。また、肥大化は一方では、従業員 全体の一体感、帰属意識を高めるためにはむしろプラスに作用する。内部昇進で地位を得 た経営陣に根本的な改革を断行するのはこの面からも現実的ではなかったかもしれない。 3. 2 制度変革: 過 去 と 現 在 前節の最後にみたような問題は、いわば日本の人的資源管理システムの内部矛盾とも 表現できるものであり、それを是正しようとする動きも 90 年代に初めてあらわれたもの ではない。90 年代の内部労働市場の制度変革について、過去の資料を見ると、いわゆる 終身雇用や年功賃金に対して、変革の必要性や方向性を示す変革案は 70 年代初期から一 貫して現れている。 その限りでは、近年の年俸制の導入、職能制度から職務給への転換、複線型人事制度 の挿入といった制度変革の提案が、過去 30 年近く叫ばれてきた日本的雇用慣行からの脱 却というスローガンとどのよう異なるかは自明でない。 表5は「労政時報」に 1979 年から 98 年まで掲載された、制度改革の記事の内容を分類し、 そのシェアを調べたものである。これを見ると、70 年代末から 20 年の間、職務配置や職 能制度、昇進制度と査定、賃金制度の3つが常に最も重要な関心事であったことがわかる。 また、より細かく制度改革の内容をみても、すでに多くの指摘があるように、改革の基本 的な方向に、この間大きな変化が見られるわけではない。職務配置や職能制度の面では、 その最大の焦点は職能制度の運用において、資格等級に対応する職務を適切に配分するこ と、特に 80 年代以降急速に進行した、資格等級でみた高位従業員の増大に対し、適切な 職務配分を実現するための方策に興味の中心があった。いわゆる複線型人事制度も、この ような方策のひとつとして捉えられる10 。昇進・査定・賃金の面で最大の関心事は、少な くとも 90 年代初期までは、職能制度に沿った厳格な昇進政策の運用にあった。言い換え れば、職能制度における年功的要素の排除である。多くの企業では、職能制度の 10 「労政時報」3325 号、3304 号(いずれも 1997 年)は多くの実例を紹介している。 9 表5「労政時報」にみる制度改革の焦点 採用 職務区分・資格制度 昇進・査定 賃金(年俸制以外) 年俸制 合理化・雇用調整 定年制・年金・退職金 出向 福利厚生 女性雇用 機構改革 訓練・技能検定 その他 合計 79‐98 年 4.2 25.2 27.8 22.8 3.9 2.3 3.1 0.3 0.8 0.8 1.2 5.8 1.9 100 79‐84 6.4 30.0 31.8 21.0 1.2 2.9 4.1 0 0.3 0.6 0 1.8 0 100 85‐89 3.7 27.7 28.2 22.6 0.3 3.2 2.7 0.5 1.5 1.2 2.0 6.6 0 100 90‐94 1.7 22.4 29.8 20.8 4.4 3.0 1.7 0 0.3 1.0 0 12.7 2.3 100 95‐98 4.8 19.8 22.2 27.0 8.6 0.5 4.0 0.5 1.1 0.3 2.4 3.2 5.6 100 注)数字は、「労政時報」の各時期に現れた制度改革の記事に紹介された企業の比率、単位%、 出所)表1に同じ 中に等級の最長滞留年限が制度化されていたり、査定のなかに年功要素が組み込まれるな ど、事実上職能制度が年功賃金体系を正当化するようなケースがみられたからである。つ まり、90 年代初期に至るまで、人事制度を巡る多くの企業の関心事は、職能制度の維持 と、年功型の賃金・昇進のしくみからの脱却により、長期雇用と内部養成の基本線を維持 しつつ、従業員の年齢構成の変化や高学歴化にともなう供給側のショックを吸収しようと したものと解釈できる。 このように 90 年代初期までの制度的対応が、職能制度の枠内にとどまるものであっ たとすれば、その基本は異なる技能や技能水準を持つ従業員の構成変化を職務再配置・出 向やヒエラルキー組織の調整により吸収することにあったといえよう。制度的対応の焦点 は、高度の技能を修得した中高年の労働力に対し、適切な職務を与えることにあった。そ して、そのような制度的対応に重心が置かれる限り、長期の技能形成を反映した個々人の 潜在的能力評価に基づく処遇という基本線は維持する方針が貫かれたといえる。また、本 節の冒頭に記したように、目標や手段が類似した制度改革が 20 年間にわたり繰り返し現 れることは、人事制度の変革には非常に強い内部制約要因があり、また同一産業のなかで も企業毎に非常に異なったシステムが並存しうることを示唆するものといえよう11 。 しかし、個別企業はともかく、日本の企業社会全体の置かれた環境を考えると、この ような基本方針は年を経るにつれて、ますます維持が困難になっていった。第一節で述べ 11 Baron and Kreps (1999)参照。 10 た、人口構成の大きな変化と定着率の上昇、高学歴化といった供給要因の激変に加え、成 長率鈍化、規制緩和に伴う競争激化、更には、産業構造の大きな転換といった企業側の需 要構造の変化をもその課題に抱え込むことで、職能制度に代表される雇用システムの維持 に限界が見えてきたのが最近数年の状況である。 このような限界を象徴するのが、最近年での賃金制度の見なおしであろう。表5は 年俸制を含む賃金制度に関わる記事のシェアが、80 年代初期の 20%程度から、最近年は 35%強にまで増加していることを示す。他方職務配置・職能制度や昇進制度に関わる記事 はいずれも 30%程度から、20%前後に漸減している。 制度的対応が限界にきていることを示す第一の事実は、長期雇用と内部養成という 戦後日本の大企業における人事政策の根幹を放棄するような制度改革が決定あるいは計画 される企業が急増している点である。特にそれは職能資格制度の事実上の放棄にもっとも 象徴的にみられるといえよう。但し、職能制度を完全に代替するような制度への転向をは っきりと示した企業は現在のところ少数派にとどまっている。限界を示す第二の事実は、 長期雇用・内部養成という根幹を職能制度により保障しつつもそれを適用する対象を限定 する方針を打ち出す企業が増えている点に見ることができる。具体的には、新卒定期採用 の対象を狭め、企業全体の中での固定性の高い従業員層を極力絞り込む政策をとる企業が 目立っている。第三は今述べた、賃金制度の改革に重心が移ってきたこと、しかもその改 革が職能資格制度と相容れない要素をはらんでいる点に見られる。日本企業の賃金制度の 骨格である職能資格制度は、長期の査定にもとづく従業員個人の能力評価、そしてそれを ベースとする賃金体系である。一方、年俸制に代表されるような賃金制度改革の方向性は、 いわゆる成果主義的な賃金体系、つまり、与えられた職務内容と遂行された職務の評価に 基づく賃金体系への移行である。つまり職能資格制度から、成果主義を取り入れた職務給) への流れである12 。 このような流れは相互に関連しあうことで、全体として新しい人事・人的資源管理の システムを形成しうるものもあるが、一方では、職能制度の補完あるいは改革と位置付け られるものや、改革案が相互に矛盾をはらむ場合も少なくない13 。そこで次節では、この ような改革案の細部に立ち入るのではなく、人的資源管理のシステムとしてどのような全 体像を描こうとしているのかに注目し、3 つの主要なシナリオを考えてみたい。 3.3 3 つ の シ ナ リ オ 3.3.1 シ ナ リ オ ( 1 ): 内 部 労 働 市 場 の 縮 小 均 衡 現在の制度変化をそのまま外挿してえられる姿は、簡単に言えば、現行の内部労働市場の 12 「労政時報」3276 号(1996 年)は年俸制の多くの事例を紹介している。また、猪木(1997)も参照。 斎藤(1999)によれば、1986 年、長銀は外部コンサルタントの協力を得て、いわゆる Hey System を導入した。それと同時に目標管理制度に基づく査定と昇進昇給のシステムが用いられることになった。 「数字至上主義に」陥った人事評価システムの導入こそ、長銀の転落の隠れた原因である、との長銀関 係者の談話が紹介されている。 13 11 縮小均衡である。縮小は、簡単にいえば前節で「肥大化」と呼んだ部分の外部化である。 第一に、長期雇用と技能の内部形成で特徴付けられるような雇用・処遇の対象が、現在の ような新卒採用の殆ど全てから、その一部分に限定される。例えば、制度的には現存する いわゆる総合職、一般職といった採用時の区分けを利用することが考えられる。また、新 卒採用数そのものを極めて限定し、絞込みを厳しくする場合もあろう。いずれの手段を取 るにせよ、縮小均衡のシナリオが目指すものは、現行の長期雇用・内部養成により得られ る人材を基幹とする企業の姿を維持することであり、これに対応する様々な方策はいずれ も現行制度の問題を極小化するための調整策といえる。 縮小の第二の意味は、内部養成する職種や人材の幅が限定される点である。たとえ ば、大規模な事務労働のアウトソーシングはそのひとつであるし、企業全体の長期戦略次 第では、いわゆる「ファブレス」化等により、競争力のコアとなる部分以外を完全に企業 組織の外に置くことも考えられる。また、すでに何度も触れた複線型人事制度も、それが 基本的に遊休資源となった中高年層の配転・出向・転籍のための手段として利用される限 り、現行システムの根幹を維持しつつ、余剰人材を活用する手段として理解されるべきだ ろう。 このような路線を採用する企業は、ここで掲げた 3 つのシナリオの中で最も多数に のぼると思われる。産業が成熟しており、安定した事業継続の見こみはあるが、近い将来 大きな業容の変化や成長が期待できないような企業にとっては、最も現実的な選択肢であ るからだ。企業は、現在の従業員の帰属意識やモラールをできる限りそこなわない形で、 「肥大化」した従業員層の削減に努めるしかない。長期雇用と内部養成という基本線は変 わらない。しかし、縮小均衡の路線をとる殆どの企業は、過去、長期にわたり、雇用の堅 持と安定したキャリアの保障を実現し、それが企業への帰属意識と統合の源になっている。 そのため、大規模な雇用調整は、ほぼ必然的に強い抵抗と、その後のモラル低下をもたら す可能性が高い。戦後の日本の大企業に共通する、男子新卒定期採用者全員に昇進の機会 を与え、強い企業忠誠心と高いモラールに企業の競争力の根源を求めるのは難しくなると 考えられる。 3.3.2 シナリオ( 2 ): 分 社 化 ・ フ ラ ッ ト 化 このシナリオは組織のフラット化が目指す企業組織に対応する。つまり、(1)分社化や 持ち株会社制を用いて機動性が高く、高度の経営意思決定権限を付与された企業内企業に 組織を分割する、(2)中間管理職層を大幅に削減し、課程度の規模で柔軟で流動的なユ ニットを基本単位として、それらを企業内企業の経営陣が直接管理する、といった組織で ある。経営意思決定はその多くがこれら企業内企業に分権化されるが、他方中間管理職を 核として行われていた管理・監督機能は、ユニット単位の管理に集権化される。 いうまでもなく、このような目標は人的資源管理自体のものではなく、企業組織や企 業経営のあり方に関わる。したがって、このようなゴールを目指す企業がどのような人的 12 資源管理のシステムを持つ(持とうとしている)かは必ずしも一様ではない。しかし、こ のような目標に適合性の高い人的資源管理のシステムには幾つかの特徴があげられよう。 第一に、日本のこれまでのほとんどの企業に共通していた、人事政策の集権的管理は事実 上不可能になり、分社化された組織単位自体が管理するシステムになろう。したがって、 全社的なローテーション、共通の人事査定や処遇を貫くことも難しい。分社化された組織 の中では集権化が進むため、昇進選抜も厳しくならざるを得ない。このような組織像の極 限は自立性の高い小組織を多数抱える「分社」の経営陣が、厳しい計数管理により、小組 織を頻繁に離合集散させ、高利益で柔軟な企業体につくりあげることである。組織のなか から中間管理職はほぼ消滅し、その機能を一方では、小組織の自立性を高めることで、他 方では各分社経営陣の機能と権限強化によって担うことになる。職能制度における中間管 理職の重要な機能は部下の訓練と監督にあるが、分社化・フラット化された組織において は、分社の経営陣は OJT のための異動を綿密に計画し、且つスーパーヴァイザーの役職を 設けて内部養成が必要な技能習得の場を提供することが求められている14 。 このような路線をとる多くの企業は、競争力が非常に強い分野を持ち、戦略的にその 分野に資源を集中するため、組織の柔軟性や機動性に力点を置くことが多い。分社化され たそれぞれの組織がさらに自立性を高めるならば、エンジニアリングに重心のあるハイテ ク企業のようなシステムに近づき、内部労働市場の姿は全く異なったものに成らざるを得 ない。 3.3.3 シナリオ( 3 ): 成 長 企 業 型 このタイプは、現在でも多くの高成長企業にみられるもので、(1)にあげた「縮小」型 と良く似ている。中途採用者への依存度が高く、従業員の異質性も高い。制度的には職能 制度を取っている場合が多いが、中間管理職や上級ポストにむしろ人材が不足しており、 本稿が取り上げた代表的な日本企業が抱えるような課題とは無縁である。それにも関わら ず、ここで敢えて第三のシナリオとしてあげるのは、このタイプは、しばしば創業者の個 性や独自性が強力な統合力となっており、入職時からせいぜい 2‐3 年の間に強い自己選 抜が働き、離職率が高く、その反面、その時期を乗り越えた従業員が強い企業への帰属意 識を持っている特徴が見られるからである。また、このような強力なリーダシップが維持 されれば、例え成長速度が鈍っても、企業規模を小さめに維持し、組織の肥大化と年齢構 成のゆがみをかなりな程度回避できよう。そうである限り、このような企業は大規模な雇 用調整や、機構改革が果断に実行され、(1)に見られるような問題が比較的軽微ですむ。 3.4 中 間 管 理 職 の 処 遇 へ の 影 響 日本の人的資源管理の目立った特徴のひとつはその強い平等性志向である。遅い昇進や長 14 シリコンヴァレイーに輩出した多くのハイテク企業では、類似企業間でのエンジニアの異動がこのよ うな機能に該当しているかもしれない。Hanan, Burton, and Baron (1999)参照。 13 期の技能養成、異動による職務配置の調整により、個別従業員の潜在的能力にふさわしい 報酬と職務を与えることで、結果的に同一世代内での処遇の格差を小さく押さえることが できた。しかし、今後新たに入社してくる従業員はともかく、現在中間管理職に相当する 世代にこのルールを維持することは大半の企業にとっては企業の存続さえも危うくしかね ない負担になっている。 上にみたシナリオの中から生まれてくる中間管理職、あるいはその職層に対応する従 業員の処遇はどのようなものであろうか。 まず明確なことは、中間管理職の処遇は全体として悪化せざるを得ないが、それと同時 に、昇進や処遇の格差が拡大すると予測できることである。中間管理職の全体的な地位と 所得の低下は 2 節でみたように、一方での高学歴化と他方でのヒエラルキーの中での中間 層の肥大化という需給両面からの影響を受けるもので、今後予想される制度変革の道筋か ら推測しても、この影響を打ち消すよりもむしろ加速化させる可能性が高い。また、格差 の拡大は、企業内・企業間双方でおこると予想される。企業内では、昇進選抜がより早期 からより厳格に行われるであろうし、職能制度の骨格が不変な企業においてさえ、昇進に ともなう賃金格差は拡大せざるを得ない。但し、それが役職に対応する賃金格差の広がり によるものとは限らないであろう。また長期の傾向に影響する要因として、前節で触れた、 1970 年代以降の高学歴化の進展が注目される。その結果、特に大学卒業者の間での能力 格差自体が拡大傾向にあると推測できるからである15 。 前節で考えた可能なシナリオのなかで、現在の中間管理職の処遇や機能がほぼ不変の まま残るのは最後の(3)成長企業型と名づけたタイプに限られるであろう。タイプ(1) の企業では、これまで以上に中間管理職の刈り込みが行われる可能性が高い。タイプ(2) では、このような企業に残る者のなかで激しい分化が進行するものと予想される。一部の 者は、分社化により発生する経営職層の空席に採用され、残りの多くの中間管理職は、小 組織のリーダーとして、これまで以上に自立性の高い組織単位の成果に責任を持つ役割を 負うことになろう。また一部のものは、このようなラインの職務編成から離れた専門性の 高い職務に振り分けられることになるが、このような職務の実態がどのようなものになる かは予測が難しい。 余剰化する中高年の人材の多くは、成長の大きい企業や、新分野進出により大幅な 機構改革と人員補充を求めるような企業にとって依然として魅力ある存在である。しかし、 このような需要が枯渇している現状が打開されない限り、人材利用の根本的な解決策は見 当たらない。前節で考えた 3 つのシナリオあるいはその中間型のいずれが採用された場合 でも、現在の中間管理職に相当する年齢層の従業員を大規模に必要とする企業はない。自 明のことであるが、中間管理職の需要が最も高いのは創立後の年数が浅く、企業規模が急 成長しつつある企業であるから。 15 大竹・猪木(1997)の推定結果はこのような能力格差の拡大傾向を示す。 14 一方、タイプ(2)のような戦略をとる企業においては、中間管理職の層自体が大 幅に削減される分、分社化あるいは自立性の高い事業部制への移行により、経営職への昇 進がこれまでより早まる可能性が高い。選抜が強化され、早期に行われる傾向はタイプ (1)でも予想されるから、中間管理職に位置する従業員の二極分解の様相はこの効果に よっても促進されよう。 4 「将棋の駒」から、「蛸の足」へ - 結論に代えて企業のヒエラルキーはピラミッドによく例えられるが、小池和男氏の表現を借りるなら、 その姿は将棋の駒に近いという。つまり、あるレベル以上では、ポストの数が急速に減少 し、その分、下位での選抜以上に、競争は厳しくなる。これは、日本企業に固有ではない。 差異は、この上級管理職から経営陣に至る階層への選抜候補者の構成にある。つまり代表 的な日本大企業と、典型的な米国企業の違いは、上級管理職候補が、後者では外部から採 用された中間管理職、内部昇進者、直接外部から登用されたものと多様性を持つのに対し、 前者ではほぼ 100%内部昇進により上り詰めた長期雇用者に限定されている点である16 。 日本的雇用慣行の昇進選別の基本を崩さずに、選別をより厳しくする形で対応を続け ると、その重要な影響は中間管理職ではなく、その上の経営・上級管理職の人材にも及ぶ のである。選抜の強化は同質化を高め、日本的な経営の一層の純化をもたらすことになろ う17 。産業の成熟化や成長率の鈍化、定着率の上昇といった条件は、日本経済全体の特徴 であるばかりでなく、成功した企業の殆どがたどる道筋でもある。このような条件が積み 重なると、内部昇進や生え抜き重視の慣行が次第に、経営陣の同質化傾向となって現れや すい。しかも、それには長い時間がかかり、このような慣行が制度化され何年も経って始 めて顕在化する。もちろん、同質化がどんな場合でも悪いというわけではない。しかし、 現在人的資源管理のシステムの改革を計画する多くの企業が、このような論理的帰結をど の程度考慮にいれているかは疑問である。もしそれが、企業経営に桎梏となっているので あれば、目指すべき姿は、多様な人材を企業内外から経営陣候補として持ちうる、いわば 蛸や烏賊の足のような企業組織ではないだろうか18 。 中間管理職に集中して現れているかに見える日本企業の人的資源管理の問題は、「肥 16 例えば、Baker, Gibbs, and Holmstrom (1994)のサンプル企業と代表的な日本企業を比較すれば、この 違いは明確になろう。 17 繊維、鉄鋼、電気、小売、サービスの 5 業種の上場企業からランダムに 20 企業づつ選び、取締役の 構成をみるため、簡単な回帰式を推定すると、生え抜き登用の比率が高い企業は、設立年が古い在来型 産業で、取締役会の規模が大きく、大卒者の占める比率が大きいことがわかる。この傾向を何よりも物 語るのは、繊維とサービスの 2 産業の比較であろう。前者では平均して役員の 56%が生え抜きであるが、 後者では 25%に過ぎない。前者は典型的な成熟産業、後者は典型的な成長産業である。 18 このことは、基幹従業員に対し長期雇用と内部養成を核とするシステムを適用することと何ら矛盾し ないであろう。 15 大化」と「同質化」傾向というシステム自体に内在する課題である。それは、大量の新卒 定期採用を長期雇用と内部養成で育て上げるシステムがもたらした結果である。もしも、 従業員に企業を超えて通用する高度の専門性を求め、自立を促すのであれば、現行の採用 制度を維持したままで、「複線型」人事制度がそのような人材を産み出すことを期待する のは楽観的に過ぎるのではないだろうか。 中間管理職に相当する世代の従業員を中間管理職以外の職務のイメージで捉えること が難しいのは、採用時からの異動・訓練・昇進のあり方が、昇進を重ねて上級管理職や経 営陣に連なる人材を念頭に設計されているからである。敢えて悲観的な言葉で本稿を締め くくるとすれば、これからどのような制度改革が断行されようとも、すでに現在中間管理 職に対応する年齢に達した多くの従業員の運命を大きく変えることは難しいかもしれない。 種は、90 年代にではなく、彼らが採用された 70 年代初期に蒔かれたのである。逆にいえ ば、今正しい路線を選択しないことのツケは、数年後にではなく 20 年後に現れることに なる。 16 参考文献 Ariga, K., G. Brunello, and Y. Ohkusa, Japanese Internal Labor Markets in Transition, Cambridge University Press (近刊) Ariga,K., Y. Ohkusa, and G. Brunello (1999), “Fast Track: Is It in the Genes? The Promotion Policy of a Large Japanese Firm,” Journal of Economic Behavior and Organization, 38:385-402 Ariga, K., Brunello, G., Nishiyama, K. and Ohkusa, Y. (1992), “Corporate Hierarchy, Promotion and Firm Growth: Japanese Internal Labor Market in Transition,” Journal of the Japanese and the International Economies 6: 440-71. Baker, G., Gibbs, M. and Holmstrom, B. (1994),”The Internal Economics of the Firm: Evidence from Personnel Data,” Quarterly Journal of Economics, 881-919 Baron, J.N., and D.M. Kreps (1999), Strategic Human Resources: Frameworks for General Managers, New York: John Wiley. Hanan, M.T., M.D. Burton, and J.N. Baron (1999), “Inertia and Change in the Early Years: EmploymentRelations in Young, High-Technology Firms,” in G.R. Caroll and D.J. Teece (eds.): Firms, Markets, and Hierarchies, New York: Oxford University Press. 猪木武徳、『学校と工場』(20 世紀の日本7)岩波 1996 年 大日 康史・有賀 健・ G. Brunello (1999)、離職行動の実証分析―ある電子機器メー カーにおける事例研究、未定稿 大竹文雄・猪木武徳、「労働市場における世代効果」、浅子・福田・吉野編『現代マクロ 経済分析』、東京大学出版会、1997 年所収 小野 旭、 『変化する日本的雇用慣行』、日本労働研究機構、1997 年 小池 和男、『仕事の経済学(第二版)』東洋経済、1999 年 斎藤 貴男、 『精神の瓦礫』岩波、1999 年 中馬 宏之、「経済環境の変化と中高年層の長勤続化」、中馬・駿河編『雇用慣行の変化と 女性労働』、東京大学出版会、1997 年所収 中馬 宏之・樋口 美男、「経済環境の変化と長期雇用システム」 猪木・樋口編『日本 の雇用システムと労働市場』、日本経済新聞社、1995 年所収 八代 尚宏『日本的雇用慣行の経済学』、日本経済新聞社、1997 年 17
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