「過剰生産能力の多産業林立状態」の歴史的実例 2

過剰設備の林立状態の実例, 2015-06-11, 1/1
「過剰生産能力の多産業林立状態」の歴史的実例 2
Two examples of the bristled situations of overcapacities in many industries
1 1973 年の第一次石油ショックのあと
「過剰生産能力の多産業林立状態」の歴史的実例の一つが、1973 年の第一次石油ショックのあ
とで通商産業省が刊行した文書(通商産業省編(1978)
『昭和 53 年度版産業構造の長期ビジョン』
)
に描かれている。同文書で頻出する「需給ギャップ」という用語は、商品の需要量と供給量の相
違(gap)ではなく、商品の需要量と商品の供給能力(つまり生産能力)とのずれ(gap)を意味
している。前者が存在しなくても後者による過剰設備は存在することがあるから、両者の意味の
違いは明白である。なお、
( )内の数字は同文書のページ数。
1. アルミニウム製錬業では、過去の「積極的な設備投資により」
(332)生産能力は 1976 年 151
万トン、77 年 163 万トンに達する。1976 年度の需給ギャップは生産能力の 1/3 に相当し、
稼働率は 64.2%に落ち込んだ(332)
。
2. 石油化学産業では、1976 年度の需要 3882 千トンにたいして生産能力は 5148 千トンあり、
過剰能力は 24.6%になる(278)
。1975 年以来「続いている需要の低迷による大幅な需給ギ
ャップの存在は、各設備の稼働率を下げることとなり、企業収益面に深刻な影響を与えてい
る」
(271)
。
3. 石油精製業では、1976 年度の需要 243 百万 kℓにたいして生産能力(日産)は 5940×108 バ
ーレルあり、稼働率は 71.5%である(291)
。
4. 化学肥料産業におけるアンモニアについては需要 300 万トンにたいして設備能力は 455 万ト
ン、尿素は需要 200 万トンにたいして設備能力は 394 万トンある。
「需要量を大幅に上回る
ため、設備の著しい過剰状態は長期にわたり継続すると予想される」
(283)
。
5. 合成繊維産業では「25~30%に相当する過剰設備が顕在化」している(242)
。
6. 鉄鋼一般については「粗鋼生産能力は年間 1 億 4 千万トンあり、稼働率は約 70%程度ときわ
めて低い水準に落ち込んで」おり、1978 年 6 月 1 日時点で「高炉 64 基のうち 21 基が休止
中」
(309)である。
7. 平電炉業の生産能力は 1580 万トンに達し、1976 年度の需給ギャップは粗鋼ベースで 700 万
トンを超え(319、321)
、過剰能力は 55%になる。この背景には、電炉の新設数が 1970 年
15、71 年 15、72 年 11、73 年 9、74 年 13、75 年 9 と高い水準で推移したことがある(320)
。
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1990 年代初頭の「バブル経済崩壊」後
東京都心部でのオフィスビル用地の地価上昇に端を発した地価高騰は、海外からの投機マネー
の流入や超低金利政策、
「円高不況対策」の財政資金投入などを背景に、全国に波及し、株価高騰
を含む「資産バブル」を出現させたが、その過程で日本の製造業では能力増強の設備投資が相次
いだ。地価上昇の抑制政策と株価の反落などをきっかけとして、できあがった生産設備は次々と
過剰設備になった。たとえば自動車産業では 1988~90 年に 100 万台近くの年産能力が追加され
て年間生産能力は 1400 万台に達し 90 年度の生産台数は 1359 万台とほぼ追いついたが、93 年度
の生産台数は 1085 万台と 20%の能力が過剰になった。とくに年産能力が 250 万台以上になった
日産自動車は、1994 年 3 月期の生産台数が 175 万台にとどまり、座間工場の閉鎖(95 年度)を
決定した。また半導体産業では 1989~91 年に 2.36 兆円以上という設備投資が行なわれ、当時の
最先端半導体製品だった 4 メガ DRAM の生産能力は月産 2000 万個になったが、92 年上半期の
国内需要は月 450 万個しかなく、輸出に拍車がかけられた。また紙パルプ業界ではバブル期の急
激な設備投資により生産能力がバブル以前より 30%以上も追加され、92 年には需要を 20%以上
も上回った。石油化学産業のエチレンプラントは 92 年の年間生産能力が 620 万トンに対して需
要(内需と輸出)は 600 万トンであったのに、年産 60 万トンという国内最大の生産能力をもつ
プラントの稼動が 93 年に予定されていた。また家電業界の AV 機器の国内生産設備は 20%が過
剰になった(以上は「過剰設備 変わる経営(1)~(5)」『日本経済新聞』1992 年 7 月 12~16 日を
参照)
。以上の実例から、生産能力の形成を市場メカニズムが調整できると考える余地が少しでも
あるだろうか。ところでこのような過剰生産能力の集団ができるには、それまでに「生産能力の
多産業林立状態」が形成されていたことを推定せざるをえない。