新・実学ジャーナル

食料 環境 健康 バイオマスエネルギー & 情報
No.103
新・実学ジャーナル
9
月号
Sep. 2013
東京農大応用生物科学部
オホーツク新食品誕生記 (18)
東京農大農学部植物園から(10)
学校法人
東京農業大学の沿革
榎本武揚と横井時敬
創設者は、明治の英傑榎本武揚だ。明治政府で外
傘下に東京情報大学
東京農業大学は、農学部、応用生物科学部、地域
相、文相、農商務相などの要職を歴任した榎本は、
環境科学部、国際食料情報学部、生物産業学部、短
明治24年(1891)、東京に「私立育英黌」を設立した。
期大学部の 6 学部21学科からなり、大学院は 2 研究
その農業科が東京農学校、東京高等農学校と名を替
科19専攻体制が整っている。世田谷、厚木、オホー
えつつ、拡充の歴史を歩み、今日の東京農業大学と
ツク(北海道・網走) の 3 キャンパスに学生・院生
なる。
ら約13,000人が学んでいる。
東京農学校時代の明治28年、評議員として参画し
学校法人東京農業大学の傘下に、東京情報大学
たのが、明治農学の第一人者横井時敬だった。「人
(千葉) がある。総合情報学部 1 学科、大学院 1 研
物を畑に還す」
「稲のことは稲にきけ、農業のこと
究科で、学生・院生は約1,900人。傘下には、他に
は農民にきけ」と唱えて、
「実学」による教育の礎
併設校として農大一高/中等部、同二高、同三高/
を築き、東京農業大学の初代学長を務めた。本学の
附属中学がある。
「生みの親」は榎本、
「育ての親」は横井である。
学校法人東京農業大学戦略室
両陛下 「食と農」の博物館企画展を鑑賞
天皇、皇后両陛下が 7 月10日、東京農大「食と農」の博物館を訪れ、荒廃した国土の緑化復興を写真でたどる
企画展「日本の森林復旧展─日本の山はハゲ山だった─」
(主催:東京農大、国土緑化推進機構、毎日新聞社)を
鑑賞した。両陛下は髙野克己学長らの出迎えを受け、博物館長の小泉幸道教授に導かれ館内へ。同展には植林に
よって蘇った山林や全国植樹祭の写真が展示されており、両陛下は森林総合科学科の宮林茂幸教授の説明を受け
ながら、熱心に見て回った。ハゲ
山や植林のため斜面に石を積んだ
写真には、
「戦争の時に材木に使っ
たからね」
、「石を持っていくのは
大変だったでしょうね」などと話
し、当時の苦労を思いやった。
また、併せて開催中のもうひと
つの企画展「緑化作品にみる『農
大造園家』90年の軌跡、そして明
日へ∼明治神宮の森から首都高速
大橋ジャンクション「目黒天空の
庭」まで∼」
( 9 月16日まで)も、
造園科学科の近藤三雄教授の案内
で見学した。
東京農大「食と農」の博物館
(世田谷区上用賀2-4-28)
℡03-5477-4033
幕末・明治の新聞報道が生んだ東欧イメージ
東京情報大学総合情報学部 准教授 柴 理子
はじめに
東欧は、日本人が「遠い」と感じる地域の一つであ
るようだ。30年もの間この地域に関わり、じかにその
多様な魅力に接してきた身としては、まことに残念で
ならない。確かに、冷戦時代には体制の違いが心理的
な距離を広げたが、冷戦終結から20年以上経っても、
その距離は一向に縮まらないように見える。東欧より
地理的に遠いイギリスやフランスやドイツには多くの
日本人が親近感を抱いているのに、同じヨーロッパで
あるはずの東欧に対するこの距離感は一体どこから来
るのだろう。
人がある国や地域に対して持つイメージは、勉強し
しば りこ
1958年山形県生まれ
津田塾大学大学院国際関係学
研究科博士後期課程満期退学
東京情報大学総合情報学部総
合情報学科(映像・音響コー
ス)准教授 修士(国際学)
専門分野:国際関係論 東欧
地域研究
主な研究テーマ:日本・東欧
(特にポーランド)交流史
主な著書・訳書:
『東欧』
(共著)
自由国民社 『ポーランド
を知るための60章』(共著)明石書店 『日本・ポーラン
ド関係史』
(訳書)彩流社
てみたいとか、実際に行ってみたいとかいうその人の
意欲や行動を左右する。いたって個人的な問題のよう
に見えるが、実はそこにとどまらない。近代以降の国
民国家という装置においては、あるイメージが国民多
数によって共有されたとき、外交政策や文化交流への
大きな影響力となりうるからだ。
従来、日本人の東欧観は、外交官、軍人、知識人と
いった日本社会の上層部を主たる分析対象としてきた
が、私はエリートではない普通の人々の動向こそが重
要だと考えている。日本が近代的な国民国家に変貌し
ていく幕末∼明治に生きた人々は、東欧をどうとらえ
ていたのか。それがどう受け継がれ、どう変わってき
たのか。当時の新聞報道を手がかりに探ることが、目
下の私の研究課題である。
幕末の新聞と東欧報道の始まり
幕府が欧米列強と条約を結んで開国に踏み切った
1850年代後半∼60年代初頭は、情報という観点からし
ても重要な転換点であった。鎖国の時代、幕府に独占
されていた海外情報が、一般庶民にも解禁されたから
である。
日本初の近代的新聞が創刊されるのもちょうどこ
の頃で、日本における東欧報道は、まさにこの近代
『官板バタビヤ新聞』1862年 1 月
所蔵:国立国会図書館
発行した。上記の記事は、アヘン戦争(1840年)以来、
欧米列強の侵略に苦しんでいた清国に、クリミア戦争
(1853─56年)で苦杯をなめたロシアを重ね合わせて
おり、清国も敗北をバネにしたロシアに倣って近代化
を進めるよう説いている。
1862年 1 ∼ 2 月発行の『官板バタビヤ新聞』もやは
り幕府による翻訳新聞であるが、こちらは、オランダ
が植民地バタビヤ(現インドネシア)で発行していた
オランダ政庁機関紙を基にしている。帝国治下の東欧
諸地域の動静を扱った記事は、情報量も『官板六合叢
的ジャーナリズムの船出と時を同じくして始まったと
談』に比べて格段に多いが、1863年の対ロシア蜂起前
言ってよい。1858年 3 月、最初期の新聞の一つ『官板
夜のポーランド情勢を「ポロニヤは兎角に凶聞のみ多
六合叢談』が掲載したロシアの鉄道建設の紹介記事に、
かりき」と書いているあたりは、やはり支配者側の視
䘌肖(ワルシャワ)、各弗諾(コヴノ)というポーラ
ンドの 2 都市とプロイセンを結ぶ路線の敷設計画への
点である。
ただしこれは、幕府が意図的にそうしたというより、
言及がある。この新聞の原紙は、イギリス人宣教師が
上海で発行していた中国語新聞であるが、幕府はキリ
長い鎖国の後で情報収集が追いつかず、たまたま関係
を維持していた中国とオランダの情報に頼り、その視
スト教関係の記事を慎重にそぎ落としたうえで抄訳・
点まで同時に取り込んでしまったというのが実情かも
新・実学ジャーナル 2013.9
1
しれない。
「東部論」―西欧の視点からの東欧報道
幕末に新聞が市販されたといっても、実際にそれを
買って読むことができた人は、庶民全体からすればほ
んの一握りであったろう。しかし、明治に入ると、新
政府が上意下達のメディアとして重視したこともあ
り、新聞は急速に人々の間に普及していった。庶民向
けには漢字に総ふりがなが付いた新聞もあり、ともか
くも人々が識字の程度に応じた新聞を手にできる状況
になる。
一方、この頃の東欧は、15世紀半ば∼18世紀末に独
立国家を失って以来の状況が続いており、隣接するロ
台湾・国立嘉義大学で行われた東欧報道に関する講演が、
台北発行の雑誌『週刊巴爾幹』で紹介された
シア、オーストリア、プロイセン、トルコのいずれか
または複数の帝国の支配下に置かれていた。日本との
交流は偶発的・散発的なもので、正式の国交は望むべ
くもなかったのである。
ところが、明治維新から間もない1870年代半ば、創
刊されたばかりの新聞に突如、東欧に関する記事が連
日のように掲載されるという状況が出現する。
それは、
1875年、トルコ統治下のボスニア・ヘルツェゴヴィナ
の農民反乱を契機として始まり、翌76年のブルガリア
ような「無法にして略奪を事とする人民」に「自治の
権」を与えたこと自体が「欧洲平和の為めには最も失
策」とさえ書く。
1890年代、日本が日清戦争での勝利を契機に大陸進
出を本格化させ、ロシアとの潜在的対立がいよいよ深
まると、新聞には、ロシアの反対側に位置するバルカ
ンを極東情勢に関連づけてとらえるという視点が濃厚
の対トルコ蜂起、セルビアとモンテネグロの参戦を経
になる。日露戦争の開戦前夜には、1903年に対トルコ
て、
ロシアの介入で勃発する77年の露土戦争まで続く。
蜂起を起こしたマケドニアがにわかにクローズアップ
報道主体となった政府系の『東京日日』
(
『毎日』の前
され、マケドニア問題が「巴爾幹問題」
「東欧情勢」と
身)は、ともに内憂外患を抱えるトルコと清国を比較
して紙面をにぎわせるのである。
し、そこに士族の内乱と列強の圧力に揺れる新生日本
を重ねている。
この時期の多くの記事には「東部論」
「東邦論」とい
う見出しが付され、「東方問題」という西欧列強の視
点で書かれていることが明白である。「東部」「東邦」
とはトルコまたはトルコ治下のバルカンのことであ
り、1880年代半ばになると、これが「東欧」という言
葉に置きかわる。つまり、関心がバルカンに集中する
さらに日露戦争後には、「近東」が「東欧」
(=バル
カン)を指す言葉として用いられるようになる。「脱
亜入欧」へと舵を切るなかで、日本は自己を「欧」と
認識しながら、東欧を「欧」ではなくむしろ「亜」に
近いものとして位置付けたのである。
おわりに
なかで、
「東欧」が「バルカン」という意味で使われ
明治期の新聞を読んでいると、他では独自性を競っ
ているのに、こと東欧報道に関しては大差がないこと
るようになるのである。
に気づく。この背景には、当時の新聞が独自の情報源
「東欧」から「近東」へ
1880年代末から1890年代半ばにかけて、日本が憲法
制定、条約改正、対外戦争での勝利という国家目標を
達成すると、東欧報道は明らかに変容する。日本が国
を持たず、国内外字紙や海外新聞という欧米経由の情
報、突き詰めればロイターという 1 通信社の情報に依
拠していたという事実がある。
そうしたなか人々に提示されたのは、ほとんどの場
合、戦争や蜂起や動乱とセットになった東欧の姿で
家としての独立と安全保障の確立を喫緊の課題として
あった。他に依拠しうるメディアが存在しない状況下
いた1870年代は、東欧側の視点に立つことはないとし
では、いったん作られたイメージは修正困難であった
ても優越意識も見られない。しかし、1880年代になる
と、上からの目線に変わり、侮蔑に近いものとなる。
ろう。
1885年、ベルリン条約(1878年)で自治公国となっ
る現代でも、海外情報は一部の巨大メディアが独占的
たブルガリアがトルコ治下の隣接地東ルメリアを合併
に配信していたりする。東欧を「借り物」の視点で見
てはいないか、もう一度振り返ってみる必要があるの
ではないだろうか。
するという行動に出ると、
『東京日日』はこれを「拙
策」と非難し、セルビア、ルーマニア、ブルガリアの
2
新・実学ジャーナル 2013.9
多種多様のメディアから情報を得ているように見え
東京農大応用生物科学部
食品安全健康学科 来年 4 月に開設
「食の科学の専門家」を育成
2014年 4 月、東京農大応用生物科学部に食品安全健康学科が誕生する。「食」がグローバル化する現代にあっ
て、食の安全性や食品の機能性に対する社会のニーズは変化し、食文化の未来をリードする「食の科学の専門家」
を求める声は高まっている。健康の基盤は食の安全であり、食品安全健康学科は、食の安全と機能を深く理解し、
健康に寄与できる専門家の育成を担うことになる。
「安全と健康」を教育と研究の中心に据えた国内初の学科の
入学定員は140人、専任教員は教授 7 人、准教授 4 人、助教 6 人の17人。
新学科設置の目的と必要性
近年、生体に健康増進・生活習慣病予防の付加価値
をもたらす食品の機能性因子に関心が高まり、生理活
家の育成を目指す。
新学科の概要・特色
応用生物科学部には現在、「バイオサイエンス学科」
性をもつサプリメントが利用され、また、新たな形質
「生物応用化学科」「醸造科学科」と「栄養科学科」が
が付与された遺伝子組み換え食品が商業栽培され、さ
らには、食品を起因とした新たな人畜共通感染症の発
生などが危惧されるようになった。しかし、機能性を
持った食品の開発の動きが活発化する中で、「市場で
ある。食品安全健康学科は、栄養科学科の食品栄養学
は有効性が独り歩きする。未知の機能性の安全性に考
総合大学に設置されることが最大の特色。カリキュラ
ム(専門教育科目)は<表㊤>の通りで、専門分野「食
えが及んでいない」との声もある。栄養科学科長の上
原万里子教授も「長寿、健康には食品の重要性が理解
専攻を発展的に改組するもので、「農学を生かし」、食
品学を基盤とした食の安全に関する科学を修得させ、
食の機能・安全の専門家を養成する。つまり、農学系
品安全科学分野」と「健康機能科学分野」の二つを教
されているが、健康を維持するための機能性には安全
育・研究の柱としている。 2 分野それぞれに三つの研
性が担保されていなければならない。安全性と機能性
究室が設けられる<表㊦。スタッフとして名を連ねて
いるのが専任教員>。
の両方の面から食品を考えることが重要だ」と言う。
少子高齢化によって国民の総摂取カロリーは減少
し、2050年には今よりも26∼28%も下がるといわれて
いる。これは、食品の消費量にも大きく影響すること
になる。食品企業にとっては大問題で、高年齢層の消
安全・安心の分野では、病原微生物の枠にとらわれ
ず、健康被害を起こす物質・事象をグローバルな視点
を含めたあらゆる角度から検証する。機能と健康の分
の開発に力が注がれることになる。国は国民が健康で
野では、健康の維持・増進につながる食品の機能性因
子を探求し、その生理活性を分子レベルで理解する。
ま た、 所 定 の 科 目 を 履 修 す れ ば、 食 品 衛 生 監 視
あることをめざし、国民にも「いつまでも健康でいた
い」という望みがあり、特定保健用食品を含む「機能
員、食品衛生管理者のほか、今日、世界の食の安全
手法として用いられているHACCP(Hazard Analysis
性食品」が、気軽に消費・活用されていく。
また、スーパーなどで輸入された食品を見かけるこ
Critical Control Point)管理者の資格が取得できる。
HACCPは米国で宇宙食の安全性を確保するために開
とは珍しくない。市場には新たな食材や加工食品があ
ふれている。豊かな食文化が楽しめる一方、残留農薬、
発された食品の衛生管理の方式で、食品の原料の受け
入れから製造・出荷までのすべての工程において、危
異物混入など食の安全を脅かすニュースも多く、食の
害の発生を防止するための重要ポイントを継続的に監
グローパル化にも「食の安全」に対する高い専門性が
視・記録する衛生管理手法。この方式は国連の国連食
欠かせない。
「安全」あってこその「安心」で、安全
糧農業機関(FAO)と世界保健機構(WHO)の合同
管理は絶対的課題といえる。「食の専門家」により解
機関である食品規格(Codex)委員会から発表され、
決すべき問題は山積しているわけで、食に対する問題
各国にその採用を推奨している。
解決力を備えた広範な能力を有する人材が求められて
いる。食品安全健康学科はこうした現代の課題を科学
「食の安全・安心」と「食の機能と健康」の領域で
専門的な知識と技術を持った人材には食品産業のさま
の力で解明して、食への確かな信頼を導いていく専門
ざまな分野から大きな期待が寄せられている。食品
費者に支持される商品(機能性食品や介護食品など)
新・実学ジャーナル 2013.9
3
4 年間のカリキュラム(専門教育科目。赤字は必修科目)
1 年次
2 年次
後期
前期
3 年次
後期
前期
学部専門
専門共通
科目
生命科学
環境科学
創生型
科目
食育コース
学科専門
学際領域
科目
進化論
生物工学概論
専門基礎 食品安全健康学概論 生化学
科目
生理学
無機化学
微生物学
分析化学
有機化学
生化学実験
基礎化学実験
微生物学実験
生理学実験
酵素学
生物有機化学
分子生物学
細胞生物学
分子生物学実験
食品化学
病原微生物学
食品物性学
食糧資源学
栄養機能学
食品化学実験
食材生化学
食品機能学
食品衛生学
食品加工保蔵学
公衆衛生学
物質分析学
食材利用学実習
生理活性物質学
専門コア
科目
4 年次
後期
総合化科目
食品工学概論
バイオプロセス
工学概論
機器分析学概論
起業論
知的財産論
生産経営概論
科学メディア論
機器分析学
科学英語
食品安全学
病理学
一般毒性学
生体高分子学
食品衛生・安全学実験
食品生理活性学
感性科学
リスクマネジメント論
研究倫理
食品安全健康学実験
病態分子生物学
免疫学
放射線科学
遺伝子工学
遺伝毒性学
生物統計学
ケミカルバイオロジー
バイオインフォマティ
クス演習
インターナショナル
フードアセスメント
前期
後期
所定の科目を履修することで、次の資格が取得できる。
*食品衛生監視員/食品衛生管理者=︵任用資格︶関連職種に就職後申請できる。
*HACCP 管理者︵日本食品保蔵科学会の認定資格︶=資格認定に必要な科目
は必修科目になっているため、単位取得後に講習会を受講、修了することで取
得できる。
前期
卒業論文
食品安全健康学科研究室
食品安全評価学研究室
スタッフ:
食品中の有害因子の生体への影響を 中江大教授
分子病理学的に評価する
村上麻実准教授
煙山紀子助教
食品利用安全学研究室
スタッフ:
食品の機能と安全に配慮した新しい 村清司教授
加工学を切りひらく
阿久澤さゆり教授
田村倫子助教
健康機能科学分野
食品安全科学分野
スタッフ:
食品安全解析学研究室
食品中の有害因子を探り出し、その 冨澤元博教授
生体影響を定義する
鈴木智典助教
スタッフ:
分子機能学研究室
食品因子の生体内での働きを分子の 阿部尚樹教授
小野瀬淳一准教授
レベルで解明する
菅谷紘一助教
生理機能学研究室
スタッフ:
生活習慣病予防・治療につながる食 上原万里子教授
品因子の機能を解明する
高橋信之准教授
井上博文助教
生体環境解析学研究室
スタッフ:
食品中の栄養素・機能性因子の生体 大石祐一教授
での影響を科学する
岩槻健准教授
山根拓実助教
メーカーはもちろん、商社・小売業などの食品流通に
関わる企業、また食の安全・安心や医療を司る行政機
る『安全・安心』&『機能と健康』」をテーマにシン
ポジウムを開催する。東京大学食の安全研究センター
関および公的研究機関、新たな人材を育成する教育機
特任教授・清水誠氏、北海道大学大学院水産科学研究
院教授・一色賢司氏、フードネスト株式会社代表取締
役・今井教文氏、東京都健康安全研究センター薬事環
関など活躍の場は幅広い。上原教授も「食に興味を持
つ学生が、
知識を得て応用力を養い、問題解決力を持っ
た社会に貢献できる人材に成長していってくれれば」
と入学志願者に期待のメッセージを送る。
記念シンポジウムを開催
食品安全健康学科の開設を記念して10月12日(13時
∼17時)に丸ビルホール(東京都千代田区丸の内2 4
1、丸ビル 7 ・ 8 階)で、「これからの『食』を牽引す
4
新・実学ジャーナル 2013.9
境科学部長・中江大氏の 4 人と、学内から大石祐一教
授が講師として参加。座長は阿部尚樹教授と上原教授
が務める。また、
「食の『安全・安心』&『機能と健康』
を考える」をテーマにパネルディスカッションも行う。
記念シンポジウムの問い合わせは食品安全健康学科
開設記念シンポジウム事務局([email protected])。
(学校法人東京農業大学参与 谷口 弘)
オホーツク新食品誕生記 (18)
エミューの生どら焼き
東京農業大学生物産業学部教授 永島 俊夫
北海道にエミューが導入されたのは1995年、上川郡の下川エミュー牧場
で、畜産目的でした。その後観光用としても注目され、翌年には猿払郡早
来町、1997年には網走市稲富でも観光用として飼育が始まりました。エ
ミューはオーストラリア原産の走鳥で、ダチョウよりもひと回り小さい体
型をしています。食肉としてはもちろん、脂肪はマッサージオイルなどと
しての機能がある高価なもので、卵も利用できることから、オーストラリ
エミューの産業化と地域活性
新規地域資源の利用①
エミューの卵を使った
「生どら焼き」
アの原住民たちは万能の鳥として活用してきたそうです。
農大とのかかわりは、稲富の牧場から人工孵化の条件について研究委託
があったことから始まり、その後は雌雄判別、肉の加工利用、脂肪の分離
精製など、エミューについてのいろいろな研究協力をしてきました。その
結果、大学発のベンチャー企業としてエミュー製品を中心とした会社、株
式会社東京農大バイオインダストリーが設立されました。
そこで、これまであまり使われていなかったエミューの卵を利用する試
みとして、地域のお菓子屋さんに依頼して「どら焼き」の開発をしてもら
いました。従来の「どら焼き」とは違い、甘さを抑えて生クリームを餡と
し、これをエミューの卵を使って焼いた皮で挟みました。「どら焼き」の
皮はこれまでの鶏卵を使ったものとは違うソフトな食感になり、餡の生ク
リームととてもよく合いました。しかし、味については餡と皮とのバラン
スが悪く、塩味を何度も調整した結果、塩分はオホーツクの海洋深層水の
みとし、食塩の添加はしないことにしました。その結果、食感と味のバラ
ンスが整い、いろいろな人たちに試食してもらったところ好評価が得られ
ました。流通販売は冷凍で行い、食べるときに解凍してもらうことにしま
したが、冷凍状態でもアイスクリームのように食べられ、いろいろな楽し
み方ができるのもヒットの要因かもしれません。
エミュー卵の特徴は鶏卵と比べて卵黄の割合が多く、一般成分組成は水
分がやや少なく、その分タンパク質や脂質などの成分が多いことと、加熱
した場合、
鶏卵のように固くなりません。このことについて調べたところ、
タンパク質を構成している熱凝固する成分が鶏卵より少ないためであるこ
とが明らかになりました。このような性質が「どら焼き」のソフトな食感
となっているものと思われます。
「どら焼き」は発売以来大ヒットを続け
ていますが、エミューは冬期間しか卵を生まないため、卵の確保が大変で
毎月数量限定で製造している状態です。
ながしま としお
株式会社東京農大バイオインダストリーを核としたエミューの生産、加
工、販売の確立を目指した取り組みは、内閣府の「地方の元気再生事業」
東京農業大学生物産業学部
食品香粧学科教授。学校法
人東京農業大学元理事。食
品製造学、発酵食品学。
著書(共著)『生物資源と
その利用』
、
『食品保蔵・流
通技術ハンドブック』
、『日
本の伝統食品事典』など
に採択され、牧場の整備、研究協力体制の強化、飼育のための一般市民の
参加などによりエミューの頭数も増えて、現在は1,000羽を超えるほどに
なっています。原料としての課題は価格ですが、肉は食肉製品、卵は菓子
類、脂肪は化粧品類に広く利用できることから、今後はさらに多くの製品
が販売されるものと期待しています。
新・実学ジャーナル 2013.9
5
東京農大農学部植物園から(10)
シャムサクララン
Craib
ガガイモ科
若い女性がハート型に憧れるのか、本種の
には何回か出かけていますが、比較的簡単に
葉柄から切り取ったハート型の葉を小型の鉢
見られたような気がします。
また、バンコク、チェンマイなどの花市場
でも数多く売られています。野生種の葉は緑
に 1 枚ないしは 2 枚を植え込み「ラブラブ
ハート」
、
「ラブリィーハート」などの名前を
付けて、お花屋さんの店頭でよく売られてい
ます。葉柄から切り取って植えられた葉は枯
色ですが、画像の個体は葉の外側に白斑が見
られる個体でさまざまな斑入りの個体も見ら
死することはありませんが、生長点がないた
れます。葉腋に集散花序をつくり、花は肉質
めに茎を出し花を咲かすことはありません。
でクリーム色の星型花弁が開き、さらに花弁
本種の和名「シャムサクララン」から分かる
ように東南アジアのタイを中心にラオスなど
の一部が変形し蝋細工のような副花冠が星型
になっています。
にも分布する常緑つる性低木です。現地タイ
新・実学ジャーナル
2013年 9 月号 No.103
2013年 9 月 1 日発行
編集・発行 学校法人東京農業大学戦略室
〒156 8502 東京都世田谷区桜丘 1 1 1
TEL.03 5477 2300 FAX.03 5477 2643
http://www.nodai.ac.jp/hojin/
定期購読ご希望の方は上記までご連絡ください。
(植物園 伊藤 健)
2013 東京農大創立122年
学校法人
東京農業大学 東京情報大学 東京農業大学短期大学部
東京農業大学第一高等学校 東京農業大学第二高等学校
東京農業大学第三高等学校 東京農業大学第一高等学校中等部
東京農業大学第三高等学校附属中学校
8130901