August - 法然上人鑽仰会

浄土1<<63~島 S 号 (毎月』図 1 目先行} 平反 9 年 S 月 l 自発行稽鞘 1 0年 5 月 20 自陣 3 81 錫便物~可
monthly
1000
1
9
9
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8
1997
August
法然上入場仲会 ・ 発行
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時高官
日|人|寺
本l 々|に
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右ガ~s:ro を奥11不動堂
芭貌lならではの獄々のを宝刀ある
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行嚢苔.n:といわれる不ItJIJl歪
裏軸轟に並ぶ上人像。
をは緩随愈上人
幅市原康政侯の事。容縄県の指定史郎だ
-要 文化旬、網銀康政像
本1#"手の見'な庭園
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山門から見る.1:1
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緩和λ
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告会側
穏淫駅鶏務純
相情熱・会
1
鍵御酒造。井戸の伝脱|こlå8W寺の8見事里会ガでてくる
•
1997/ 8 月号
I ~]
次
カラーグラビア寺F完紀行 ・・……………...・H・-…・……写真= タカオカ邦彦
3
月 ………....・ M・-…...・H・..…・・…・・…・……
8
連続小説
法然」二人をめ〈。る人々 ………….....….......・H・-…一一石丸品子 20
灯台 |梢ぞ!1H らす光 “....... . …-………M・H・-・・… 岡
表紙は諮る
寺院紀行
.三橋圏民
……
if宇潟県館林普噂寺-……・…. .
.
.
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……
… 真山
克己 29
剛 30
若手口尚のちょっといい話 … ......“....“....・・・・・・・・・・・・・・・......…““"““"“"…“・・……・…・・・…..
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… "…......…………………' 仰
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うまい野菜と料理の話 ー・・・…...
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我回 大 4 6
制1法31i に聴く ………………
11 常仏教語…-・・・・・……...... .....・・…...・M・-……………………..........................
J フォ ー ラム …・....・M・-…...・M・...……….
輸局便り
綴集後記 …
… ・ …・ “
59
・…… ・ …・ ・・ 69
………・……………………・………・…... .
....………….. 7
0
… ………
表紙短字=浄土門主
'1 ' 村康 l滋4見下
表紙撮影 =問先己
アートデイレクション = ilI 必 l' 問 !!II
7
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53
•
ー-圃圃.
民
1
先年、私が山崎川のためm
よMの戦跡を」れたとき の ことである
。
ζ その塊は古びた飯企なのだ
よく見る s、
ころに、なんで飯企が?」
。
。
。
かつての激しい戦闘のあ った御山に、大きなト小の技が張り出していて、その枝の先端に
t
妙なものがぶら下がっているのを見つけた
一体あんな尚い
「
。
私はその風討を仰にして、令.てをさとり凝然とした
それは多分・』ういうれだったのではないかと思う
中
当時何百人という日本軍の兵士が、この海岸に沿って敗走していた。おそらく、その
の一人が歩けなくなって、まだ木
非だ ったこの木の技に、片時む下放さなかったれ分の飯
フ
' か
。
。
いうこ
命令引 っかけた やがて兵上は hb 尽き処てて、この本の制んで息絶えていった||。
.
った
そして、五十年 t いう歳川は、この兵上の閉山した版企を雫刈くつるし上げて
いのだ
ろ
附利卜九( 一九九州)年も抑し品ま ったト二 川 の こ主だ った。
私はすでに、松村という出t 二人だけにな っていた。全〈 食料が断たれている t
ギニアでもあった
l
。
。
その
とは、どう立ち回っても生身の体を維持することはできなにそのうえ、高温多湿、時に
は問卜氏度にもなる灼熱の地、ニュ
倒れてい〈兵 Lしたちの三 分の 一は戦死、あとはことごとく必伎によるものだった
か 9H
病名は「マラリア」、「脚気」、「アメーバ赤痢」で、ろくな薬もなく死んでいくのだから、死
に際の苦痛 t いうものは想像を超えていた。
。
私は定期的に発熱するマラリヤ以外には橋忠もせず、
品聞がりなりにも健泌を保っていた
9
これは、生来病弱だったためか、自分の体力の限度みたいなものを知りセ
、ーブしていた
。
が幸いしていたようである(ただし戦闘だりは迫っていた)
こ t
t
。
。
そして必条件の弔なる飢餓の日々が続いていた とうとう私も風ヒ耐と恐れられていた
はそ
「脚れ」に揃促されてしまったのである
ふ
幾日かが縫っと妙に足がだるく、重くなってきた。小さな持切れが泌ちていても、それ
。
を跨ぐことさえ出来ないのだ。これが悪性脚気の前触れだった
、むう
生き血を断
一つは心臓を爪唱されて制時削で
脚気は、死にぷよるコ
lスがパターン化されていて、先ず腎臓をやられ全身
二倍
がにも浮
,、.M
LV
。
臨んでしまう「市五浮肱」というmt
。
たれてしまう て辿りがあった
私のは後将のほうだつた
。
その日の夕方だった 断続的に心臓がきりきりっと締め上げられてくる。川円が痛いとか
ヲか
t
。
き私は岬き、野献のような叫ぴ戸をあげていたと、後で相伴の松村から聞かされた
。
腹が痛いというの tは全〈別、て、心臓そのものを鷲摘みされているような苦痛であった
その
。
よく「脂・げをかく」とパう持えがあるが、断続的に襲ってくるこの昨しさだけは今も忘れ
られない
軍医もいない小さな独立中隊であった
。一人だけいた衛生兵は、上陸した直後に発狂し
いま栄にしてやるからな」
。
死没していた。そのあ t、やむなく任命された代用衛生兵の山本は、もともと魚屋の店員
。
で、何の医療経験もない引だった
。
その山本が私の-状
Mを聞きつけて、.阪縦新をドげて私M
へ
のm
小やってきた
「だいぶ円しそうだな、
一二怖さん
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。
。
千 いながら彼はいっぱしの手つきで、
山本のギヨロメが私の朗のす寸真上にあった そう 円
t気
取り出したアンプルから柁射器に液を入れ、針bzk向きに
す泡
るを抜いていた 針の
先端からこぼれ落ちる小さなポ摘が、小山由の中へ斜めに差しこんでいるオレンジ色の夕刊
。
を受けて、キラキラ光っているのを私は見つめていた なぜかその時、あれほど苦しかっ
た心臓も楽になっていたのだ。それと視力が落ちていたのだろうか、針先に蝉ける光球が
拡大され、幻影の世界が私の眼球の奥仁柿きだされていた。
と、耳元で思いもかけなかった母のささやきが聞こえた。
。
「くにたみ!何をぼんやりしているんだいそんなものそ注射されると、お前殺されて
しまうよ!」
、
。
さっき、「来にしてやるからな」と、行っていた山本の
Hpt 吋のささやきが.羽の底のほ
うでもつれあっていた。
そう・ベえば、トN科的、山本がこんなこ tをパいながら笑 っていたのを思い川した
。
「俺はなあ、臨時に間引兵なんぞに任命されたけどなこう次々に死んでいかれちゃ った
。
h楽
1 にしてやれるぷ法を制み出したんだよ」
e
んじゃあ、.どうしていいのか分かんねえんだ
だり.どな、以近、死にかけて打しんでる奴
には、す
「薬もないのに、そんないいぶ法があるのかい?」
私が聞くと、にやっ t して、
。
。
3ζ
、
三分
いう注射液だけはゴマとあってなどうもかなり強烈な薬らしくて、今まで使われずに
。
「議にもいうなよ これはここだけの:::
何しろ医療桁には何んにもねえが、ピタカン
t
。
残されていたようなんだ ところが、そのピタカンを苦しんでる奴に打ってやる
12
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•
聞も経たないうちにコロリなんだよ
。
いる
。
これは、与えようによ っては、慌にしてやれる
を的立げに 立っ ていた山ぶの頗が、私の一
肌 t に被さ って
t
助け薬』っ ていうことになると思うんだ」
そんなこ
『
お
「しま った!この注射液は、山本が人の息の娘を間取に止められると
って
い
いたピタカ
ンなんだ!」
。
私は反射的に、右手に掲げている山本の注射器を払いのけた
「何をするんだよ!」
そんな戸だけが問、』えた。
。
このとき、注射器は外の草むらに吹っ飛んだそうである
。
削船
つはい小さなアンプルだった。
しばらくすると、また山本が私の枕瓦へ舞い.民つできたらしく、
コニ締さん。見えるかい?これ:::」
私の刷版すれすれのt ころに突き出したのは、茶色
としている悦野の向こうに、心配そうに峨き込んでいる松村の顔が
やてっ
tぼ
比え
いる
。
「さっきはごめんごめん いま朕山町新在引っ繰り返して探したんだが、こんなのがでてき
。
たんだよ。人法はこれを打とうと思フんだが駄目かい?」
。
私はも・フ.由倒央くなってい
どたうにでもなれ、と思った
「アア、それでいい。それそうってくれ、ありがとう:::」
。
心腕のどこかがチクッ tしたあと、すうっと、視界が時旧日一色に閉ざされていく私の体
。
は次第に膨脹していくような感じがした その私をも フ
・ 一人の私が横からじっt眺めてい
1
3
.
るのも 小思議だった
。
い
私は山口必の親の
指先のとこ
。
。
ところが、そんな恥純な怠思さえも通じないのだ
。
ひで
どく恥
体のふれてが鉛を協かし出まれたような感、じ
ろぞ川捌かそう
t 試みた
いつ頃読んだのか忘れたが、永井仰風の汗いた本の・中に、
を思い起こしていた
t
。
「人聞は死にいたるとき、からだふれれ切が鉛のように亙くなって物体化し、脳からの伝達は
無視されていくLt いった一節のあったこ
(永井荷風t いう作家は凄いなあ。人間の最後のこんな状態まで比透かしているんだから
・:・)
。
どのくらい時間が絞ったのだろうか私は現ぞ流したような、そして汗のない大きな風
どうしたぷか、随分長い時が過ぎているはずなのに、いくら部
。
っても・ぼらしいところに到将しなかった。
洞のなかを部下していた
ちてい
HV
,
。
。
。
。
から外へ仰き出された感じだ った 瞬間、均しれがけいなあ
t 思った
。
。
私はけを附けて、ふうっ t、胸い っぱいに息を嶋い込んだ その時である
「あっ、あれは:::」
。
汚っ て
日の先 一メートルもないところに、突然、川町のマスクが浮かんでい(
た何か私に
。
ふわっ、と、何処かに軟将陀した パネ仕掛りの人形が、巨大なブラックホールの出け
ているようである
聞き、大の字になった 落下していたときとは違って、A必はは倍以上のスピードで上昇し
。
は、私の背中全体を寸いっ t押し上げてきたのである 無意識の内に足と両手を.K
らして
。
しばらくすると、.史に深い地ほから、ひと塊の風が逆さに吹きトしがって逆
き風
たの塊
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るようだぞ?)
「くにたみ!負けるんじゃないよ。かあちゃんの名川はカツ。だからおまえはまけちゃ
。
あダメ:::。分かったかい!」それは私が幼いころ、よく附かされた母の口癖だった
「かあちゃん・・・:-」
f
ζ
した 。だ が、-どうしてな
私は幼児 柴
う
H で吋をボめ、同の下を伸ばして吋の傾合触ろt
のか、手が届かないのだ。
「かあちゃん!」
。
。
時くて、髪のもなどはよく比えなか った そのせいか、兵っ門なマスクだけが宅聞にポ
浮き上がり、私を見つめてほほ笑んでいる。更仁もう一度伸
予ば
そした
ッt
瓜ぎね唱のマスクは、すうっt私の下から逃げていき、まるでカメラのピントを合わせ
る時のように、シャ ープになるに従い小さくなってい〈||。
あわてて口をこらし、今度はしっかりと見つめた。
あれっ、
。
っき
て いた
いっても、深伎の空は内地の秋を川崎わせるほど澄み
。
t
か
月光ぞうけて銀
いうこ
き、 ニッパ作きの朴先川
ぃ
H 〈浮かぷ土ニ
れのマスクは鮮明きを明したい作わりに、ぽにの述
夜の月に変わっていた
t
「なんだあ、川だったのか:::。市生めフ
!ン、日が純であったなら:::t
あ」
熱帯
疋 へい品速度で琉
色に蝿くちぎれ主が、密林の・木々の梢のずっ
う
と向こうの高空を、心から・
れていく。
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J
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私は無性に母が恋しくなってきた
。
ひ t 風 uあ
からだ全体は怪やかで、哀のタ
n ぴたあの気分なのだ。私は小川を足したく
Hト
。
なって起き上がった 腕の時社は州時一下
て、小川崎の外はド平が賞品を宿し
-分を指していI
て光っていた。(もうす寸夜明けかあ、今日は卜・一川
げの
だ仰っけ。危うく私の命 日になる
ところだった:::)
夜がしらじらと明けていき、六時の点呼の時間が近くなっていた。隣に眠っていた松村
が目を覚ますと、胡座(あ?ら)をかいている私に気づき、しばらくは凝視したまま絶句
体を高山 のどの辺に
していた。彼は、昨佼息をひきとった私を凡て、判になったら私の死
。
哩作しようかと案じていたそうである
それから 三 日経 った日の午後、官林 の奥八キロにある旅同司令部へ、
AXA誌のため出
。
顔見知りの K軍医は、私の差し出したアンプルh
にく印字され
向を命じられた。私は枕元に捨てであった茶色の空アンプルを持って、司令部に付随して
いた軍医部に立ち寄った
ているドイツ文字を読んでいたが、
一日どのといえ
』 みたいなもんだよ。市川 AV
「おい、三橋。お仰の 小隊はたしか点点 からだったなあ。椛.
引rだよ。これはドイツ製で心
臓には趨一流の特効薬でな 。-パえば 『アンナカ
E のくらい多くの人間が助かるか :::L
。
EKA ,時お日にはかかれなレ世主薬だ。 おはラッキーポ lイだねえ もし、今こんな薬
があったら、
。
代用衛生兵の山本は、そんなことは何も知らず、ピカタン投与のことで興費刈昧だった
。
った
私への下山、その場濯ぎに茶色アンプルの液を打ったに過ぎな
かのだ
った
その仲代射械がドイツ製の特効誕
だとは
1
7
偶然というには山米過ぎていた
った
。
。
ってくれたとしか、
xq に浮かぷ川を介して、.北の淵を訪ねしていた私を救
故郷の川りが
守えられない山米がであ
.
.
私が奇跡的に蝉 った側、ドH…咋に出ていった私 の姿を凡て仰 大し、ギヨロけを 史にギヨロ
。
。
一年六か川が過ぎた敗戦の明年、払は漸く家に辿り行いた
。
山本自身は適切な治療を受けるこ tもなく、あっけないほどの最後だった
。
。
っかせていた代用衛生兵の山本il そんな山本が、二 か H後、私と全く同じ症状で倒れてし
まった
って
な形でも、私に関わりのあ ったものが死ぬのは寂しい思いがした
このことがあ
。
その使、枕ぞ技べたM
りに戦場での奇跡
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刈hに手附した
ほん
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に:::」
ら
しく、
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レ川私をねち、抱いている思いのすべてを包み込むかのようにして私
、のJ をじ っ と
。
聞いていた吋は、いかにも明治保まれの K
「よか ったねえ
と、ひと 一高
いっただけだった 。
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町田市原町田 6/ 幻/ 2m0427/
泣/
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側 0427/幻/
『 の料開(うた)死の島ニューギニアからの生週一など
出版刊 鳥
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大正九 (一九二Oごままれ
町国市、hm楽寺{永録字削ころ関山/住職、茂田真澄]
に代々績後として拳仕。茂図真澄上人より逆修授受
NHK
。朴団法人目展、糾団法人光風会審R
曲央術作夜
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連載小説
同閉間同四
虫【
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小必必然 l二人をめ<-る人々
ホりつト九。
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った山にござ
委細はこ こに持参いたしました主人
主人の知行間讃岐に御変更にな
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った
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一Jしておくと、彼は
の文を御覧くださいませ」
と?
こ こで誠実について
川乱のあ
摂政関 h 必時限忠辿の第
三乙』で、源γ争
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いつもならば 一時の余を経典に向かうt
。
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討起こす
った
、仙川状の人
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峡である
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きであった
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の日まで 二 十年近い議日を、彼は法
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のト年ほ
のあいだは、その身辺にもろもろ
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然の教えをうけて米たわけであるが、特にこ
以米
実四ト 一議の
文治五年(一 一八 九〉春。法然五十七歳、雅
彼が法然の教えを乞うよ・フになったのは、
った、い
川級
川武
t に摂政、つい
と、源頼朝の絶大な支援のも
・』
えてくる
そして
ては他に技ぷ告なき情 勢をほこ
ろを、この日だけは半時で切りあげ、あt は
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で閃 h に就任。一時は、京都政界で匝下とし
るのが間
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液実の使将は、法然の前ににじり山
伏した
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刷の小桁ゐ己主し
山山
の壬辛が相次いで、彼は一段
t、仏道帰依の
きに、主 人法実の使
「御山立前の慌しγ
い
御
失脚
。
政令に敗れたと・』ろ仁生じた政、界 からの
。
心を深めていた
らの火急の知らせがあり、法然ω
一さまにおか
。
いで参上いたしました 実は只今、太政官か
t
る tヂ
木々の小枝で、小品がしきりにさえずってい
作のきわやかな利が明けよう t していた
てきた。
主に、弟子が九条誠実の使打を案内して入
ひたすら念称のとき令過ごしている法然の店
こ
三川ト六日川ド仙い
川よ
、いよ法然山屯の判で
,、
れましては、御配流の川川が上位からわれらの
21
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。
。
後鳥羽上阜の中宮であ った娘任子の、
からの追放
正案北政所の死
。
此経の.北||
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・
たこ
、そして讃岐に赴かれたのちは、力の
t
。
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及ぶかぎりのことをさせて頂きたい行が、記
されていた
品川状のぷ厄に、駄が
ζHAまれている
はしなれ
しぞ忠ふ
こ tbE
振りすてて ゆくは別れの
ふみわたすべき
会折定離は附のならいとは巾せ、これから
こ
にて消えぬ
心は同じ 蓮のうてなぞ
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。
〈惨ないわれらの身は、任いに別
t
れ別れの所で消えゆく・』とになりましょうと
践のご
市路の身は ここかし
その終わりに感慨を託す一行を泳み添えた
彼は側らの経机に向かう t、礼状を認め、
bhQ
時h
。
読み終えた法然の頓に微笑が浮かんだ
。
後は、お手紙ぞきしあげ、お導きやら賜りたく
。
fn
一
うのである
配械の地が述同 上位に決定した、』とを知った
。
に崩い
t
存じます、
て読みはじめた
そ こには、前夜おそく、
t
ら れたこと、その報
らせが、今側、佐川け前に誠実のも
て準火の上必がうけ入れ
th吊の総司によっ
し出した桐の新から、結実の占状を恥り出し
・
ベうと、使行がち
法然はねやかな戸でそう
「おお、仰定搬.卜の」
t炎していたのだ
配流先が向分の知行問讃般仁変更されるよう、
とき、彼は後九羽上皇に処分の緩和を願い出、
。
く、絵師に命じて捕かせたものである 法然
の敬鮮の心を深め、れ分の持仏全に掲げるべ
な悲しみ仁遭過するなかで、いよいよ法然へ
法然の真写は、兼実が、人としてのこのよう
引夜、「足虫の御影」t して知られている
蛸
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内
22
小J見法然 l 二人をめ〈・る人々
•
。
su、任いの心は唯一つ、起の花咲く作
仲代供するk』
にあります
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k
へ、
つめかける立賎mMK
の群れ仁取り閉ま
。
つけながら、別中
1(民行)の到ゃ引を伴ってい
に向かい、ときどき叱り
彼らは押しあう人 M.
非道使(軒-斤
M)
M のド役人たちがやって来た。
ぴいし
とそんな人町一をかきわけるようにして、検
れはじめていた
続々
頃、その住一貯の周辺は出立の朝と知って、
法然が兼実の使者 t対前している丁度その
七
叡山の帥兵が、法然二打に他山内合加える行
動に山山るかもしれなかった。
とはない
それよりもまた、法然の州依折たちが、護
。
送の途小で法然怒川の行動に川るこ
だろうか
その恐れはト分ある、 t検非追使はにらん
だわけで、そこで兜例のことではあるが、治
l
市丸羽の船将場まで、別中じきじきに護送の
。
指抑守する・』とになったのである
‘,eAVL
偶
v.
別 AY
のl到将を待ちながら、領送使の清原武
t
いうのは、処罰をうけた人々を配流
。
次は配下の二人の武者をふり返って微笑した
領送使
地まで護送する役の者のこtて検非泣使所
属の下級役人である。
武次に振り返られた二人の武将は、ともに
。
緊張した両持ちで控えている
。
領送使は満足気にうなずくと、昨夜のいt必
のやりとりを心に匙らせた
昨夜、彼が役所から家に州ると、必のたね
がいきなりこうえい出したのだ。
「お山川さん、やはり明日は小松谷にお迎えに
行くおつもりかえ」
「これもお役 U じゃ。仕五あるまい」
たねはむっとした様「でしばらく押し黙っ
ていたが、やがて怒りをこめた日で犬そにら
auLK
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2
4
っていた
何せ、
かいうものは、お上
。
って以来、わたしァ、
。
「わたしがあれ程
言っ たじゃないか」
顔色が変わ
「お前さんt 一緒にな
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これも運命とあきらめてきましたよ
そのお前さんのお役目
のお怒りにふれた人聞をとっ捕まえて、お仕
tじ
置きをする現場の指闘をする、
』ゃないか
。
しかしね、お前さん」
い
わたし ァ、これも K 一
併にな った困呆だと我慢
して来たさ
。
って
一息 つ くと、
興脅して言葉が乱暴になるのは、たね
の
つもの癖であ った
彼女は 言 葉を切
ったんだい
。
h
。
「寸
A
度という今度は我慢できないと、あれ程
わたしが 品目 ったのは、どうな
。
ゃだよ、わたしァ 何の罪も犯していなさら
失 が符
。
えない の をみる主、 たねはますます
言 い募 った
寸いつまで経っても撤克の仕事にしがみ
つい
て、これがお役目ですとはお前さん、いくら
なんでも情けない t は忠わないかい」
「じゃ、おれにどうしろというんだ」
たが
去 の権幕には慣れている武次ではっ
あ
。
彼は のどの奥がす っかり干 からびた 戸てそ
う問い返した
。
「分かってるじゃないか」
たねは怒鳴 った
気がすむのさ
ら
。
わたしアいやだよ、そんなお
。
、
お品
川さんが病気な
って、何問わたし仁
「明日は病気になるんだ
言 わした
、お上人をお送り申すお役は、お前さんの
ら
。
朋曜にお鉢が回らアね 後生だか ら病気にな
っておくれよ
武次は一古っ
た
。
「お前一か言
らわれて、 おれもあれからず
っと
「それは出来ない」
みなまで聞かないうちに、
QHM L
ない尊いお上人令、お純にかけて述い四国ま
お前さんのお伴で地獄に堕ちるこたァ、
bE
。
でお連れ申すなんぎ、仏間もいいとこじゃな
いか
・」
わたしァ、いくら女房でも兵 っ平さ」
「
2
5
i1;r.-1tI . 人 {t'め 〈・ る人々
小J見
。
そしておれの高うことを
。
考えてきたんだ だがな、たね」
。
武次は飢色をあらためた
「よく附 いてくれ
よく考えてほしいんだ」
、
その顔がたねをじっと見つめていた。
。
いつになく真顔の夫の顔がたねの前にあっ
「何さ 急にあらたまっちまって」。
た
思わず、こちらもつられて其願になったた
ねに武次は、
t
忠う」
。
お役目は他の誰か
「おれが明日、病気になるとしたら、
どうな
る
「きまってるじゃないか
に回らアね」
「そ こだよ、おれは仮病、でお役目からはずれ
てお役目を逃れても、やはり仏削をうけよう
とな」
。
「何だい、それは お前さん、よく話してく
れないと、わたしァ分からないね
」
朋輩を仏間にあわせ
、
「おれは嘘をついていやなお役を逃れ、その
お役を人 に押しつけて
・」
ようというのだからな」
「
「そんな小手先そっかつてお役を逃れたとこ
。
ろで、何にもなるまいよ いや、我が身かわ
。
言 い返すこ t も忘れ
いきに他人を突き落とそうとした、もっと近
い責め苦ぞうけようぞ」
いつの間にか、たねは
て夫の顔を見つめていた
「そこ仁気付いたのだ法然上人さまの新し
。
ることが、できようが、おれの仮病のために、
いみ教えのことはようは知らぬ
ぞ
しかし、た
おれの身代わりはお上人をお送りしなければ
ね、お上人は、みだ仏助け給えの一心干大切
み仏は、人の心の内 側
。
ならぬ」
とお教えなそうな
夜風に乗って、桜花の匂いが漂って来た。
。
「当たり前じゃないか」
御覧になるとな」
。
「おれは考えてわか ったのだ おれがお上人
・ を使つ
を謎送・附して仏罰にあうならば、射仮
2
6
小説法然上人をめぐる人々
•
領送使は匂いのする庭の暗がりへ口を向け
ていたが、妻営見返ると、
与・・』'h
uae
っ
「のう、たね、おれが邪な心で仮病をつか
てそれが何になろうぞ」
t
いう 言葉 を背にうけて家を出て来たのであ
のゐ。
長官の到着を待ちながら、今、彼は、法然
を護送するにあた っての白分が出した結論が、
。
u やかま しい京さえも納得させたことに、附
れやかな満足感を味わっている
。
「ーーでは、明 日は小松谷へ行くと」
とそこへ長官の車が到着した
。
晶民はたねが乾いた声で訊ねた。
A
いよいよ、出発のときである
。
彼女の心には、すでに夫に納得する心が芽
生えていた
やがて、長官、領退位、従おたち大勢に山川
。
っ」
。
。
-
。
送使に強〈勧められ、七十K哉の法然だけは
鳥羽まで随行する弟チや、長官、そして傾
こえてくる
ただあちこちから、畷り泣きの戸だけが聞
に、あたり 一帯がっつまれてい った
が、それもす?に静まり、蹴然とした雫気
きあがる
一
斉に、集まった群集の間にどよめきが沸
「
-B
お!
現わした
後を謎られて、法然の.行が住
M の外に姿を
「もとよりおれが行く。今u、~何者たちにも
朋輩の中には叡山びいきの者も
どんな扱い方をするかわからぬ朋輩
。
命じておいたが、心そこめて法然さまをお送
。
り申そうぞ
おうフ
。
に、法然さまを任せなど出来ぬわ」
式次はきっぱりさっ た
というわけで、彼は今日の朝早く、妻の
Jo
上人さまを大切にお見送り山中してくださ
れ」
2
7
)
¥
.
興に来った。
一族郎党を率い、はるばると信濃から、輿
。
を用意して駆けつけたのは、幕府の御家人角
帳の成阿弥陀仏である
桜花咲き匂う
、
法然を乗せた輿は、前後を六人の若者にか
、
つがれ、一路 存政たなびき
。
仰大路守、市南九州制の港に向かって南下して
行った
,
随行する弟子たち六十人。彼らが一様に、
悲しみ仁沈んでいるのに対し、由同の法然の心
。
これもすべて仏恩、てある。京を中t心
は明るか った
||
した畿内名地には、すでに、みだ仏の慈悲の
こ
li
え
のみ教えを遠い津々浦々にまで伝えて
。
教えが浸透しはじめている これからはさら
に、
いかねばならぬ
t
も、その心をゆり動
t
道を求める民の戸ある限り、いや、た
民の心が眠っていよう
、
。
かして、いかなる所へも 法然は仏の心を伝
えに赴かなければならなか った
ー此度のこの事件は、まことに仏忠、であ
i
った。感謝しても感謝し尽くせね、み仏の尊
い御計らいである。聖教の楠は、これから後、
瀬戸の海べにも、九州、問問の同々にも、広
こ
の時、興の中の法然を仰いだ者が
〈伝わってレ〈、であろう
i l
もしも
。
いたならば、彼は、法然の姿から後光がちし
ていたと言ったにちがいない
「なむあみだ仏、なむあみだ仏」
流罪地へ向かう興にゆられながら、念称す
る法然の心は、阿弥陀仏います浄土の光に、
。
一杯に満たされていた
(つづく)
2
8
表紙は語る
光
口附
一
関
撮影⑨ 岡克己
間の夜
漆黒の荒涼たる海t こ
投げ出され採まれつづける ーィ隻がある
i皮の音、船体の事L,ら
すなわち長L 鳴館悔の疲労と不安
カ勺質点にj委するとき
速く、微かに
一粂の光が見える
驚問
わき上がるt.';盟
生かされている こ t への歓将
光は次第に太〈強 <R弘、 )J 1:.なって
船を?包み込み
礁かな航路へ t 導〈
灯台
長い歳月を越えて
月
得.え 1Lつ賂
へなしささ
艦イ崎灯ム
珂鹿十
日 (青森県)
1
9
4
1(昭和 16)
年 9 月 15 日に初点灯。昭和47年、後器が自動化されて無人化。 男鹿航路
標識事務所が遠隔整復している。 位置/北緯40虜3&分 3鮒J。 東経 1 39度 52介。初、塗色&
概急/白色 ・ 円形 ・ コンクリート造り 。光り方/単問自光、毎 1 0秒に | 閃光。光度/6 1 方
カンデラ 。 光遠距脅色/21.5海塁(約 40刷。 高さ /23.7m。 灯高(平均水面上から光の中心
までの高さ) 68m 。 撮影日 /1996年 9 月 10 日 早乳
岡克己プロ フィール・1948年岡山県倉穀生まれ。風土
写真家、中村昭夫氏に師事。 ,.Aaua21 .Jに連載されだ
r水のある風景J ガ高い評価を得る。灯台はライフ ・
ワーク。全国 1 20力所、 2000蚊に及ぶこれらの作品は
CD - ROMr 日本の灯台第一集.J (発売/ジエイ・プ
レジデント〉として好評発売中! !
2
9
Lqiω
ロ道寸
タカオカ邦彦
まザ 一
真山
又
向。
型車車事壱第七十七世
俊鑓事[~聴き康問報悌般大賞。平成二年の落Ii:l式にて
)0
寺院紀行
「今度の取材先は館林です」
「たてばやしですか、茨城県、でしたつけ?」
。
文福茶釜、て有名なところですよ」
「群烏県.です
tのやりとりだが、実は文
今回訪れたお寺が決まった時の編集部
ころの物語、であるtこ
一 茶釜は知っていても、ぞれが館林といtう
制
t
。
急いで 二 つの事に手伝つけた ひとつは本
tも私は知らなかったのである。
ゃ、その館林が群馬県というこ
これではいけない、
t つは、なぜか館林出身というこ
屋さんでの旅行害あさり。もうひ
鑓件柿釈はかつての醤導寺のぬ内だっ芝
とだけは党えていた知人への情報提供の・お願いだ。お寺自体につい
ては編集部から概要や資料が用意される。問題は館林自身だ。
。
きて旅行書だが、これがない 群馬県のガイドはあっても、そこ
に館林の地名はない。草津、伊香保、水上といった温泉、軽弁沢や
尾瀬といった観光
地。群烏県にはこうした全同区の名所が多すぎる
のである。この激戦地群鳥、て」冗り。が文福茶釜だけではパンチが
弱い、館林は旅行書には影も形も載らないのである。
しかし最近は肱行舎というより生活情報誌に近い本も書店に並ん
。
でいる それでようやく館林の紹介ぺ1ジが見つかった。
。
いくつかヘッドコピーを読んでみる
31
って、「世界一を誇る一
まず「知るほどに'央が深い文化のt街
あ」
万株のツツジ闘」「ユーモラスなタスキ保が出迎え」「田山花袋記念
附」「乾翻うどんの街」などと続く。
。
これに館林出身の知人の土地っチならではの情報を加える
北に渡良瀬川、南に利根川と水に恵まれ、龍村酒造や美智子皇后の
御尊父の実家である正川哲加が有名。上地も肥沃で「群馬のワクライ
。
。
トマトも布名 れ候は、銑地ゆえの互の砕き、阿風(からつか
ナ」といわれ、特にキュウリの単位而積当たりの収椴品は全国平均の
J一
倍
ぜ)での冬の寒さが天下τ山。交通は.小便で一軒山当たりの自動車保
有率は全国トップクラス。パスは十年前にすべて廃止、などである。
。
そのいわれから合め主なできごとを列記してみる。
この館林の・有利、そして名利、である菩導寺だが、こちらは資料が
虫山にある
和銅元年(七0・八)行恭介融一
が
庵を川上析村林中に結ぶ
・
越久間年( 一一九三)頓阿見性法併が行泉菩薩の山跡を忍び草庵
・
そ修控する
建治 二年(一二七六)浄よ宗h幡涜の相、寂恵了眺上人が大伽憶
・
を辿半、終耐山見性院品川禅寺と呼称し、以降浄よ宗に属する寺院
LL
わゆehv
美智予皇后の銅四時父の実家である
E
包家は曲回線にある
32
寺 院紀行
天正十八年(一五九O)徳川四天王の一人、制原康政候が館林
。
城に赴任 康政侯が浄土宗附随意上人に深く帰依し、議日導寺を谷
徳川家康の自邸像。融情原康政侯ガ韓首曜特寺巳尊信しだ
越(現在の館林駅付近)に移し伽藍を整備、上人を中興第一世と定
め、菩提寺とする
元利元年(一六 一五)家康が関東に十八の植林(浄土宗僧侶養成
・
。
この時、十八
のための白幡派守院)を選び、その一か寺となる
公(松の字になる)にちなみ見性院を見松院に改める
明治二年( 一八六九)明治天皇より勅願所の論旨を下賜される
・
この他にも、行基盤口薩御作といわれる不動尊像の譲験て祐天上人
が感応した話や宝物や歴代略記をしるした館禁尋寺記、あるいは
。
浄土宗の辞典や全集にも普導寺関連の項目が多〈、その古剃、名刺
の程は資料から十二分に知るこtζができる
し
きて、こうした事前の下調べをして訪れた掠尋寺だが、美
その
ま
。境内を散策する t、新しく建てられたレくつものお堂、
く彩色された伽盤、整備された境内と、およそ古利のたたずまいら
しくない
tした池が配された庭闘 t
きれいに整理された榊原家墓陵、広々
。
。
そんな疑問に副住職がす?に答え
るで新しく建てたお寺のようだ
てくれた
3
3
簸沼周辺ta舎はそツツジ窃にほっている。菖蒲窃も見事だ
3
4
与以ゑ:ft
寸実は平成二年に落慶を終えたばかりなん、です」
。
しかし残念ながら取材当円は住職に
。
占剃の移転、想像以上に大変なこtだったに違いない そのいき
さつから聞いてみたくなった
お寺の則引が入ってしまいお会いできなかった。そこで宵耐での質
のこ
ようだ。
疑応答となったのだが。やはりお守の移転は大変tな
石井大宜(いわい ・だいせん)住職が善導寺の第七十七世の法灯
を継いだのが昭和三十問年十二月のこと。
。
ψ時
l のおい守の様子を仲代臓は-』う記している
司 一
山川方の本堂は内附ぞ除いてすべて雨漏り状態。 庫裏(住ま
十
い)は三分の二以上が雨漏り状態。山門は倒壊寸品別て消防署から門
弁天堂、薬師堂、不動&、附山堂、観斤堂、東門、北門などの
。
扉をあけないよう仁、そして人を近づけないようにと注意されてい
た
.
i
刊誌地は荒れるにまかせ雑
諸吹はすべて 耐漏りし倒城又は倒壊寸F
草が身の丈ほ Et いう状態。それに加え、かなりの借金があった』
ニュースがあった。まるで金儲けが
およそ一か円前、僧侶が境内地を勝手に処分してその金を自分の
貨沢品につぎ込んでいたとい う
お守の仕事 t いわんばかりの住職だったのだろうが、議尋常寸の第七
トヒ枇は同じ悦似でもお寺の也て抗しが仕
。事
二十代 半ばでの使命
35
。
時代を担う副住職に何を望むかを聞いてみた
也
泌を尽くし、境内建物に
ついては早め平めに補修
「間信徒の教化に
すること」
。
〈ル ポライター
}
内建守一緒に支えてくれた制信徒、そして伽藍の大切さを身にし
一
みて感じている住職ならではの一 言である
寧成二年十一月の落鹿式での石井大室住路
庭園に2つ石斧侯雄副佳.
)8
N
M
U
L
。
C
「どうもありがとう」
二人の若者がすっ言いながら、
。
手を合わせ、深々と頭を下げる
。
そんな、某コマーシャルをテレ
ビで見ました
何となくホツと安堵感をおぼ
えたのは、きっと小生一人では
。
ないはず(と信じたい:・)
A、近ごろ、家族が
そう号-Tば
食卓を囲むシーンで、合傘して
いただきます」を言う、テレ
「
。
ビドラマが結構見られます
おそらく、中には、なぜ公共
の電波を使ったテレビドラマで
」示教行為みをするのかと、不
。
快感を抱いている人も
確かに、A量ほ。宗教行為々
。
ではない、とは言いません 仏
。
教で、仏さまに対して礼拝する
ときの姿に代表芯れるように
ぷ:和尚の
o eo跏 C
90e其 二十七
でも、それより以前に、相手
識を培、つ二とは、情操教育に欠
かせないもののはずです
もち
に対して自分の敬虐8を表す合
ろん、それを 4
華というかたち
。
掌というかたちが、なぜ、毛嫌
。
で教えることを強制するもので
。
はありません
いされる風潮にあるのでしょう
小学校、虫子校によっては、
ただ・:。 子供は大人の背中を
見ています
給食を食べる前に行っていた、
合掌しての「いただきます」
きます」「ありがとう」と頭を
。
合掌して「いただ
が父兄からの批判で取りやめと
黍れる大人の姿に、きっと何か
。
なり、なんと、笛の音で生徒が
を感じとっているはずです 宗
。
一斉に食べ始めるとか そんな
教行為だ なんだと周りが騒ぎ、
が判断するようになると思うの
。
事態にまでなったところがある
立てなくったって、いずれ子供
。
というニュースに、背中に冷た
いものが走るのを感じました
「いただきます」
。
ですが・:
『ありがとうL
「ありがとう」
『いただきます」
これらは、直接、間接にいた
(正
)
理屈抜きのこれらの言葉が索
。
だいた多くの支えによって、今
思いませんか
直に言えるって、貴いことだと
。
この私があるということを自然
に認識させていきます
人間として大切なそれらの慧
39
てみた。
い聞
時代を抱う副仲間職に何を明むかを
t
」
「純信徒の教化仁意を尽くし、境内建物については口十め早めに補修
するこ
?l)
伽藍の大切さを身にし
再建を 一緒に支えてくれた棋信徒、そして
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が判断するようになると思うの
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これらは、震後、間接にいた
だいた多くの支えによって、今
直に言えるって、貴いニとだと
(正)
この私があるということを自然
。
思いませんか
。
に認識させていきます
人間として大切なそれらの意
39
御法語に聴く
弥陀の本願を決定成就して、極楽世界を荘厳
したてて、御目を見まわして、わが名をとな
。
。
うる人ゃあると御 覧じ、御耳をかたぶけて、
きこしめき
甘
わが名を称する 者 ゃあると、夜 間一
るるなり
きれば 一
称も 一念も阿弥陀仏に知
られまいらせずという 事 なし
可
不
人
惑
訓
』
íilH沿ltt こ革~<
‘
。
。
。
・:
阿弥陀さまは、そのご本臓のお誓いを成・威し、組楽世界をつくりあ
げられました そして、その御日を凡まわしては、わが名b称
E える
者はいないだろうかと御覧になり、御耳をかたむけでは、わが名を
呼ぶ者はいないだろかと、悶什.も夜も問わず、いつもお聞きになられ
ているのです ですから、たとえわずかの戸のお念仏.であっても、
阿弥陀さまがお気づきになられないことなどは あり ませ ん。
弥陀はいつまでも
、
「あのう ちょっとおうかがいしたいことが
:・
。
うちの菩提寺の
このあたりでは、十三日の夕方にお墓に行って、迎
ご住職から、今年のお盆のお棚経は八月十三日に行主ますと連絡が
ありまして
、
え火を焚くんですけど 十三臼の昼間にお経をあげていただいても
まだご先祖さまをお迎えしていないということにはなりませんか。
。
例年は十四日にお棚経にお見えいただいてたんですけど ・: 家族の
,
41
てがてれ
こいーごま地会長
質問家中
ん
かみ
いがっとん
んな般先せ方悩をのろ、い話な
ない的祖んにみさ皆いだ先し
も
この
をカごよ、れさ
ろい
日
て納
t 、得
つごるんおよ
い迎だて も
が話お電たが
を
え L 、 t .i
考精う
つらた
し困話んい
と
と
お
、
て棚と
した習どいいしって・でか
いわもでへたのこすな
て前
六三のすか信でうな、ど
え霊こ
みのは十十しですんのよんがい
はでや目白遺
先はののい
と祖円支タIJ タが
勧の十
め引
、ー・
刻あ
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-
ま供目送墓
お
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たを昼火やか
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司.
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と
玄ら
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ー
はい先概
、て
でに
にま お迎は
つ
. だ送え 申
お り 火し
迎すをよ
え
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ら心すで問
質いい
深がす
かう
そい、
れごあ
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も
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。
たつ 庭
家
ごは
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寸
。
よお
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経
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お
断
ワ
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よ
7
4
:
'
華民.}.;,.II
ー
「極楽にいらっ
しゃるご先祖方は、どう思っているだろう」
しょ
うか。 いいえ、もっと大切な事がありますよね。そう、
えません。
い具合に土曜や日曜に重なっているかというと、そうぽかっとも言
の方が都合がいい、というのが現実でしょう
。で は、 ご命日がうま
ご親戚や知人の方々に法要に来ていただくには、土曜日や日曜日
同じこどは年団法要などを動めるときにも言えると思います。
りも、家族が心を向けてお迎えしたからにはかならないのです。
で
三日の夕方という時間がやってさたから、ということだけによるの
ご先祖が極楽からいらっしゃるとされるのは、
その時、 つまり十
。
「せっかくおじいさんのO 回忌の法事をするのだから、どうして
も命日に営みたい」
。
4
3
本義からすれば、 まさにその通り
「せっかくおじいさんのO 回忌の法事をするのだから、命日ょっ
•
と
何
よ
。
は少し早いが、皆さんが都合をつけやすい日曜日にしよう」
これまた人情として大いに結構
はて、どちらが正解。
おそらく、 両方でしょう。なぜなら、 法要を営むということに対
しての真警な姿勢が、・双方の考え方にはあるからです。
。
ご供養するのに、 いつならよくて、 いつはいけない、 なんてこと
は誰も言えません。
浄土宗では、 一番のご供養はお念仏
法然よ人もおっしゃるように、
阿弥陀さまは、お念仏を称える私
たちの姿を、 その声を、 いつも見届けよう 、聞き取ろうとされてい
るのです。もちろん、 阿弥陀さまのお膝元にいらっしゃるご先祖だ
って同じでしょう。
例年とちがって、菩提寺のご住職が今年は十三日にお見えになる
というのは、 きっと何か、ご事情がみつてのことかと忠われます。
4
4
1向賠訴lこ総〈
「 なたが、 ぜひとも十三日にお迎えし、十四日にご供養したい
あ
。
大丈夫
、
ご先祖さまを 一目前の十二日にお迎えして、
というそのお気持ちは、もう、極楽のご先祖さまみんながゑ知して
いますよ
。
っかくですから、 ぜひお棚経をしていただいて下さい ご先祖さま
.
正 孝 )
だって、きっとそれを願っているはずで喜
すん
。でくれるはずです 」
。
こう申しよげて、受話器を戻したのでした
(小村
,
せ
セ
ひ
そ
、ソ
'
•
ナ
ー ッめ
る
つ
エ L、
い
台、
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ロ
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菜
野
と
.
1
"
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タ
の
料理の括 ⑧
ケ
同国困
うまい野菜 t 料開の訴
今年の山菜とりのシーズンはほぼ終わった
。
ついていた。午寄りはみなよく知っていた。
昔はシパキ伐り、午局の飼料や地肥用の市刈
り、
例年より秘雪が少なかったので早〈始まり早
く終わった。残雪が多 い t雪 の消え際はいつ
ものにならないほ
E 山とよくつきあっていた
林の下刈り、炭焼きなどで今
t はくらべ
までも勺消え時の気候となり、それなりの山
またその山から流れてくる川も、山中をヤ
。
からだろう
。
菜がいつま、でも採れるのだ
が、討が少ない
、
と残雪は早くに消え はぽ全山 一斉 に芽ぶい
ζ
魚野(うおの)川
。
。
う
オオ
小学校の時瓦休みに辿
t
っていた
。
いう(正式)名がある
う)、オ
l(はい)で行
。
カワともは'とんど言わなかった。イゴソ|(行
u
川遊びに行くのはオオカワにだった
はオオカワであった
それがやがて合流する盆地の中央を流れる川
い
マガワとえい、川中川に出ると阿から来る、ある
化方ぶきを採るのが山菜だからこう
。
いう
てしまう
t
いは、ムラの西にあるからニシノカワと
な いうちに、あれよあれよ
なられると、山るのを知っている場所を全部
まわりきら
聞にシーズンが終わってしまう。
山系(原二
市OO m)の衷から始まり尚いと
ころで標高七 i 八OOm ほどの山が私のホー
。
ムグラウンドだ 両のほうにあるからそのふれ
。
t
体をニシヤマという が、ムラの 小 ではその
ナツゴエ
とはあとで知った。ミズアピ(泳ぐ)や、カ
。
か
t
んどない
こ とはほ
ジカツキ(カジカぞヤスで突いてとる)をし
う
名を 言
t
呼ぶようでなんかへンな感じがした
。
びあっている親しい友だちを
戸籍上の姓名で
て親しい川を魚野川と呼ぶのは、あだ名で呼
lザワ t かナカンサワ
。
かの地中引でいう 山菜とりやキ
ウサギダイラ t かド
t
りを始める前までは知らなかったが、
t
かカナグラ
ノコ
主要な沢やタイラやミふにはちゃんと名前が
4
7
•
白問菜t か言えばい いの仁
。
え!と、いろいろ寄り道をしながら進んで
車京でもかつてはオオカワ t いえば隅田川
のこと、であった。.山山
山、
川 、丙ノ 川、大川
つてはそ
いるわけですが、この、私のホームグラウン
t
のように、なんて ことない普通名詞て山や川
この人々に
ドのニシヤマ の山菜が終わ ったあと、誘われ
い。そ
合いうのは而白
。
ズンが温い まだキノメ(アケ
征もした そこに行くとさすがに下よりは一
mそこす奥日ハ見の銀山.キに述
て標高 一OOO
t
に行っても川はオオ カワ。それでは
こ
れで間述うことはないから、それでいいのだ。
が、ど
いう、広域を移動する t か支配する
ムラの人は「ちょっ
ー
山菜
t
。
いうとそれはみな同時に出
ると思う人がいるかもしれない。が、だいた
ご苫で
ト月 ほ E シ
t
。
凶る
か
ピのツル先)やゼンマイのサカリだった。
、
かいう人によって、固有名詞はつけられたの
だろう
。
山菜とか山菜とりだってムラではふつうあ
ばだ
コゴミ
i
ゼンマイ
・
い同じ場所、ては、種類によって好みの環境は
こと
i
まり使わない
、
述うのだが
フキノトウ
と山アスピ(遊び)に」とか「ヤサイt りに」
ワド
ゼンマイ
t
i
フキ
・
ミズ
タケノコー
・
りに行ったわけじゃなか
の向きによってバラツキがあるが)
・
ったが、
ζいう
キノメ
山菜というのは町や
とか「 山 に」とか言う
ように時間をおって出る。標高や残雪や斜両
。
都会の人に対して使うことばだ。あるいは白
。
かヤマヤサイとかは「正しくな
考えているムラの人がつかう
t
t り t
分が町の人
ヤサイ
これが、
偶然ゼンマイの群性に出くわした
ニシヤマてはけ
。
寸集だと与える人が、といってもいい。
い」 一同
すごい、すごかった 。生まれて初めてアッケ
。
でも「野」菜は、人間が手をかげて栽培して
l
ナ(あんな) のを見
たテ
いる植物というのも、おかしな話だ。畑菜、
48
.
語、. 1ちゃ
•
英、~
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イラ:JI., r ... .
4
9
っこ'フ、
うろうろしてそれなりのを
t
るつもりの私だ ったが、これはこれ、
ってい
スケ|
。
リュックをおろして前
。
こから・とろうか考えるゆっくり見ると、さ
らにまた発見がある
掛け袋(前掛けが袋になっている採ったも
。
山げがちがうゼンマイ白体が太い、長い。(符
のを入れる 両手をつかう必要のある山菜t
。
一 ・五側、長さ五 l 六Om 一は
E か。茎がこん
りではスーパーのポリ袋などを手に下げ
いて
。
なに仲びても、先はまるまっていわゆるゼン
たのでは仕事にならない一
)つで身軽になり
、
マイ形をしている。下、てこは
れは E伸びれば
かたっぱじからぽきぽきとるうれしい。
て道無きヤプワラをしばらく歩かなければな
。
な祉となる むやみにとっても肉分、て背れっ
一?』ういう場所を見つけると、もう結構
。
葉が聞いてし・まい食用に適さない)そしてカ
。
プツ(株)が大きい。一株に一 O木はどがす
っている
一つのカプツを兄つけて、よかった、とろ
。
。
り訴はフィクションです
t
とってしまうのだが
らないから、おのずと限度というものがある。
l
ゼンマイ林だ あるあるある、ある
う、でもちょっ tまてよ、とあたりを兄わた
ゎ
その限度いっぱいを(あたったときは)
。
すと、カプツがぞろ、ぞろ、ぞろと並んでい
る
というゼンマイ
。
奥只凡ではよそ者は山菜をとっ てはならない
ありすぎてある場所をおぼえきれなく
て頭が興慌してパンクしそうだ。(あたった、
からです
。
これくらい出ていれば商売もした
完るための乾燥ゼンマイを作っているらしい
。
ことになっているらしいから、です
地元の人
E
で
。
あた った、ゃった l) こういう時には、おも
。
まあ小使をして気そ落ち着ける しながら
だが、タバコを般わない私 t しては間る
が地域守分け、ゼンマイ小原に泊まりこみで、
。
し、
むろ仁タバコを一服してから
t るものだそう
ある
っ
5
0
くなるはずだと思った。でも商売t なれば、
あるのが、とるのが、当たり前の附界
これに対して、素人の山菜とりは、原初
。
見つけてうれしいなんてコっていられないだ
。
ろう
だ
tm
的な食料発見と婚付の喜びを得られる
、u
,吋ノ。
その喜びの麻薬的な力はそうとう強いもの
、
か行方
で、危険をかえりみず 古川ぴ勇んで人々は春
t
スが地方マスコミをにぎわすこ
の山に入る。例 年、山菜と りで死亡
ー
都会的 小央のニュースにはならな
不明のニュ
。
いようだが。
売っている野菜は野菜と
。
また円びには食ペるそれもあることはいう
までもありません
いうのは、自分で野菜作りをしてからの感
いう名品川がついているだけのカス(失込だ
t
想です。それは、露地で旬に、化学肥料はあ
まりくれないで育てた自分の野菜をとって食
ってそう 忠 ったのだった。しかし、そのうま
いのも、無内川薬無肥料無耕起無掛種、ないな
。
多くの植物の新芽の中か
いづくしの欣任天然自然の山菜の味には脱相
するしかなかった
浄土宗法衣専門
合巧依ゑ洛
5
1
とは多い
古き伝統姥
刊におたる
三w
有限
会枇
•
人類は味
ってき て食う のですが、食うと、アクも
ら制先が選んできた経験によ って、私も山菜
をと
。
、』
と
・ に気づかされるの、で
だけど「新」が出てくると、その感党は
。
の時はああ、』れがフキノトウだtな
思ってい
る
まがいものであった
言 わ、ざるをえない
うまみであると
す。 一目すれば、コレ、ホンモノ
t
、
それは、青とか邸への刺激によるの、でし
ま
。
ツポにはま った無条件幸福がきてしまう
がし
うが、昧と匂いのせいと片づけられない気
。
す
。
E うも迫力に
的にはアクを排除するような店内で「野菜」
、
ょ
t
という文化財ぞ作 ってきたのですが、「改・民」
されていな い山菜と比ペる
欠けるのを感じないわけにいかない
この山菜の作在感は、私が奥底にもってい
るだろ・フ動物あるいは原始人の頃の昧の記憶、
』んな山菜至上、下義みたいなことをコっ
って、た
ている私なのですが、シーズンにな
殺培拙物など食ったことない以の味覚b
、zよ
-
とえばフキノトウやキノメやウコギやウドや
びさましているような気がします。
t
ワラビやその他いろいろ多くを 一年振りに食
うと、しかし、そのものの真の感覚を忘れ去
。
たとえばフキノ
ト
ウはこう
っていたことに気づかちれます 。 これはどう
い
1
うことなのか
恨のを食
った時の感覚はすごく違う
。
いう昧と 言集てはい えないが 記憶 している、
t
っ ている
。
そ
フキノトウは茄でて冷凍
E して冬に食
。
っちりピントがあ ったのとピンポケの写真
それ
ば
との違いというか
しておいたのそも
5
2
五回
-言問
道の入口(関}在意味する言葉
敷の玄関は、お寺の書院の入り
す
実は、貴族の住宅や武家屋
玄関は今日では住居の入口を
で、転じて、公案(さとりへ導
口、本堂の出入口が玄関といわ
房におまつりしてあるところが
。
さまです 甲宵を身につけ、厨
あの有名な意駄天(いだてん)
で盗難除けの抽押さまというと、
守らなければなりません。仏教
また盗難されたりすることから、
ろいろな魔性が入ってきたり、
ところで出入口といえば、い
。
。
くために工夫させる問題)の意
れていたものを転用したのだそ
指す語として用いられています
と言っても、アパートやマンシ
味であるとしています
うです
チなどと呼ぶそうですが、
どちら
ョンでは、玄関とは言わずに、
にしましても、深遠なる悟りの
l
。
ポ
境界に入るための、出発点、関
るのは、武家屋敷だけで、町家
。
大方二戸建の家の場合は、玄関
門、入口、そこを玄関と言って
。
つまり、仏教
。
のは江戸時代以後のことだそう
入口の意味とするようになった
玄関という言葉を、家屋の出
いるのです。
と称するのが普通でしょう
二の「玄関」という言葉も元
。
を正すと、お経の中に出てくる
言葉です
「玄
」とは、微妙な道理のこ
。
と、「関」とは、要所の出入口を です もともと玄関をつけられ
さすとあります
。
店
多いようです
すて
一
回
げんかん
愚ムハ一五
五回之土 ,ml 京
I -I A 町区
の説く教えの暴席い(玄)、その
にはそれを禁じてあったそうで
一
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千年の歴史に
悌具は当店に
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ひと目で明確になります
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FORUM
海士の広場
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晶・。
には非ず。
且ゴ
を歎くは、往生の志のなき
t
教もあ
ったわけです
。
まあ何でも向山に選べ
たわけですが、逆に
言えば足場が何もない、
。
大変不安定な心の布様でした 何かの教えに
。
近づいては、これでは信
仰なんて頼りになら
ん、 t忠う事もあ り ました
こ と
そのような時、法然上
人 の二紙小消息」
主いう ご法語(お手紙) に出会い、その
。
やがてお別時のM
- に述なったりしながら、
をきっかけにお念 仏の教えにご縁ができまし
た
。
だんだんお念仏宕称える事ができるようにな
って いきました
ところが、お別時の席、て参加者の五々のお
話を伺います主、その
小 には「私ははじめて
阿弥陀さまの前で木魚をたたいてお念仏させ
ていただいた時に、もう涙が流れて止まりま
せんでした」 t いう方が幾人もおられました。
そういう H は、お別時の府でお念仏される時
ま
した。本
にも、実に勢いよく木魚ぞたたかれ、こう全
身拝ぴに満ちて お念仏しておられ
M
して、 私が心のよりどころを求めた 時は、
当に
お念仏を称えるとは、本願の救 いに出 会
の前には 仏教はもちろんキリス ト教も新興宗
私はお与の生まれではありません。従いま
(法然上人「十
二筒粂の問答」)
心のゆるなるこ
浄土を願えども鑑しからず、念仏すれども
(青森 ・弘前市遍照寺)
もに
花田俊岳
な白お白
く信念ら
てが仏の
6
0
、
•
。
台、糸町
ふり返って内分自身を見てみますと、
ました
4 なのか、 と鳴かされ
たド地があって句』その
うとは、ああこういういやなんだなあと、お別
時の席の 一番後ろの隅から見ていて忠わされ
ました。
また、そうした喜びに満ちてお念仏する方、 どうもお別時をしていても、足の痛みや時計
まだ五十代の男性でしたが、休憩時附中に向 の針の進み方が気になって、喜び.どころか集
らない。日常の事を考
中するこ
さえままな
己紹介をしたり、色々お話していた時の事で
えてみても、「気がついたらお念仏するt」い
t
す。「どちらから来られたのですか
」とか「お
う程度でした。
別時は何度目ですか」など t話される言葉の
t 「気がついた
その令い間合い聞に、何かこうゴニョゴニヨ 「気がついたらお念仏する」
。
と一百いますか、ぶつぶつと言っておられるの らお念仏していた」では、全然違いますよね
です。何だ、変なくせのある人だなあ、と思 「気がついたらお念仏する」というのは、普段
。
いかにお念仏していないか、t いうがをぷし
.
っていましたが、その内はっと気づき
ました
ているようなものです。
それはもちろんお別時が終った限後は、い
よく聞けば、ゴニョゴニョではなくて「市悦
阿弥陀仏」だったんですね。山仙の山入りに合
合わせてお念仏したりしていました。ちょう
知阿弥陀仏」「雨無阿弥陀仏」と、息の出入に
っぱしの念仏おになったような気がして、「両
わせて「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と称
も
えておられたので、ゴニョゴニョ、ぶつぶつ
と聞こえたのですが、実は言葉の An
い削に
お念仏そ絶え間なく称えておられたのです。 ど、高倉健さんの映同を日んて映画館を出てく
いうこ
t
その方は、お父様が大変熱心なお念仏有であ ると、身振りも気持ちも飽きんになったよう
を後に聞かされ、やはりそうし な気がするの t同じように、しばらくの聞は
る t
6
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「南無阿弥陀仏」
2m黙
M阿弥陀仏」t やってい
。
・手品した
しかし そうした高ぶりは、就いて 二
円、早ければ次の朝には「気づかない
t念仏
。
しない人」に逆戻り。そうした事のくり返し
でした
お念仏
t
のご縁は、こんなに薄いも
急内、道は足の遅ちを
。
ku
のなき者は、ゆるなるをも歎かず、猛し
からぬをも悲しまず
欺く。急がぎる道にはこれを歎かざるが如
fレ。
往生したい t いう志のないものは、心がいい
かげんであることも、ひたすらに往生を願う
心が起こらなくtも、これを悲しんだりはし
t
ちていました。お念仏したい、 t心から思っ
私
。
ないものです。先を急ぐ道のりだからこそ足
う
のだったのだろうか。あの喜びは
何だったの
。
心のゆるなるこ
ゐら
。
u
を歎くは、仲忙
ル
Tの
.志のなき
。
。
お念仏しても 一向に心が燃え上がらない 心
。
がどうにも決らなにでも心配する事も、絶
望する事もないのです こんなお念仏で・川氏い
には非ず
浄土往生を願う心が激しくお
こらず、また
のだろうか、こんな気持ちでお念仏していて、
私などの信心では、お念仏してもだめなので
。
お念仏しても心がいいかげんであると歎く
こ
それでお浄土へなど往生できるのだろうか。
ご法語は、』う続きます。
とは、往生の志がないわけではありません。
t
きたのです
いました
そういう時にこのご法制に出会っ
げ
浄よを願えども姐しからず、念仏すれども て、川の術がどっと降りたように思えました
そうした時、次のご法訴に出会うことが、で ころかお念仏するのがつらい、 -とさえ思
って
だろう、もうだめなのかな、とも思いました。 実はお念仏しても点ぴが叫聞かなにそれど
の避さぞ歎くのです。急がないなら足の遅い
事も歎きはしないようなものです。
ていました。それなのに、どうしたことだろ
お念仏仁出会った当初は
、確かに寝ぴに満
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くり
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でも、そのままそのま
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もちろんあのお別
、
し、うむ事なくお念仏していれば いつかは
もに お念仏するには歪つてはいません 。 しか
った -M
時の席、で出会
のように、息の出入と
いういや
はなくなりました
周
一 の荷がおりてから、お念仏がつらいt
、
て下さるのです
らぬものは、何とか卒
・ 業できるよう下を尽し
山市川様はそういう思いにとらわれたに
併はお念仏できないことを歎くようなお、
至
。
はないでしょうか
たとえゆ
っているので
そう思い悩んだ tしても、その時、足は
。
でも、たとえそう思っても、安心して下さ
、
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まちがいなくお浄 LLのほうへ向
す
まお念仏して歩いていけば良いのです
更に法然上人は、う
』 はげまして下さいます
いわんや往生を願い念仏を山中して、わが心 きっと苔ぴに満ちたお念仏を、出入の息とと
Uげ
た
tζえ
もにできるようになるのではないか
。
の航しから必こ tを歎かん人をば、仏もあ
そうなる前に命が尽きたとしても、お浄土に
書b
われみ菩躍も守りて、障りを除き、知識に
は行けるのだ、'と思えたとき中
心の
の闘が消
。
もし、心がいいかげんだ、お念仏しても存
えていきました
あいて往生を得ぺきなり。
往生を願ってお念仏しながらも、心はげしく
ならない耶を歎くような人をこそ、阿弥陀織
続してまいりましょう
。
ようお勧め申し上げ、共々にお念仏をこそ相
卜
て、安心してお念仏をご相続してさ
.います
E
うか住生を願い、念仏しよう t の志をもっ
もあわれ んで下さり、菩薩様も・お守り下さりび
、が湧かない、という方がおられましでも、
さb
、
。
障りを除いて 良い導き手に出会って往生で
きるようにして下さるのです
はじめから喜び昆んでお念仏できる方は、
いわば優等生です。露守生は放ってい
おても
。
率業できます 阿弥陀さまは、援 母生のよう
6
3
もょっといい
紅葉谷てふ新緑の谷歩く
のみ
野併に盤の跡あり遠郭公
吉田ゆきゑ
五月.卜旬かねてか・ら行きたいと思っていま
した、世界遺産になりました安去の{川島に行
。
ってきました ホテル、で明ヰ日く
党めた私達
。
は紅葉谷の方に散策に出ました。夜来の雨が
一
一層緑令美しく見せました。八十七哉のお婆
さんが一人、で茶店を聞く準備をしていました
「海半兵
学校御用達」というやっ上読みとれる
。
粍の占い石板がかかっていました挨拶を交
わし、その訓われなどきいておりましたら、
その店の飼犬が私述の道案内を刀って出てく
れたのです。一
力紙の・中、さっさと歩いては、
時々、私達をふりかえり、陥れすぎると待つ
6
4
ていてくれるのです
何度かそれを繰り返し、
。
ぅ
山にはもう一匹二十議になる名犬がいま
。
。
すでに足腰が萎えていましたが、その
。
した
。
心ゆくまで緑や」楽しませてくれましたその
二匹は仲良 しでした。
帰宅してu速
T家族におよ産訴をしました
後姿と待っている様子が t てもいとおしくて
たまりませんでした。犬は人につき猫は家に
つくとか山中しますが、私達の旅を.そう明る今まで見知らぬ七地での人々のふれあいは何
。
犬
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ι 達の
かわ いい 人
vy民n
が
のふれあいは初めてで した。おだやかに
く栄しいものにしてくれた出来一品でし川
た叩 度も経験し旅に彩を添えてもらいましたが、
り道もきちんと先導してくれました。そして
重ねたお婆さん
紅葉谷から町・中に出るあたりで、さらりと引 年 bz
焼明しをして送り刷けたいと思
山米ました
ころです。紅葉谷での忘れられな
。
き返していきました。「ありがt う」 t お礼を
っている
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・
いながら、何度もふりかえりましたが、も
。
C (03)お55・2お8 〒160
い思い出でした
四谷店東京観新宿区四谷 2-8
う姿は見えませんでした。
C (閃) 381 ト44印字 11 3
役目を終えた犬はX茶店に一民ったのでしょ
念珠の修理・仕立替承ります。
O アクセサリーの修理 ・加工・
リフォームも承ります。
。
。
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5
A
マカタ ロ グ を こ諦求 下 →c目
をお属げ致します
「念珠年報
』
本店東京事E文京区湯島4-5-3
(汲本売技士一家の基参)
誌上俳
しづけぎに咽びし基よ不和帰
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どっの花風薫る
初夏の蝶躍っゆくなっ遊行寺へ
辻堂はと
十薬を漬けて黄泉へと急ぎけつ
佐藤雅子 (山形県上山市)
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本堂の廊に、一ハ鉢岩煙草
遊船や知らない人に手を掠つぬ
検這ひて入る勝手ロ額の花
生け極に且えでは隠る白日傘
夜もえゆえのきずはし震の峰
単線車去って八オ青山河
松本厚子 (東京都町国市)
内堀綾子 (東京都小平市)
児玉仁良 (埼玉県入間市)
67
待望の回向文
コ新制剛山も
訓
刊撲
行から十一年
。
一 調など多数加わり、
新作、 n品
。
定価
O総ルピ付
。
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700
ア』ノ'
円 (税 ・送料込)
(タテ.九センチ、ヨコ八センチ)
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Oサイズは従米泌り、比刊ち泌ぴに使制な大きさ
。
O内山骨を再吟味川向文とは何かからが Jえました
ムエ-O
.附充実し た識揃撲ができました
。
A Iここに、 『嵐訓
が生まれ変わりました
・撰 む
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長谷川岱潤
・
上1'1 ' 布クロス鮎リ
ザ為
大室了姶 / 大谷寿雄/山本康彦
ふじゅせん刊行会代表
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新手
訂威
従米の文京も般用して、
より
編監
集修
〒 141 東京都田川区上大崎ト9-11 (戒法寺内)
TEL : 03-344 ト8971 F
AX:03-344 ト8702
郵便振替00150-8- 158563 ふじゅせん刊行会
ヌ1.ふじゅ ぜん刊行会
事務局便り
J
-FORUM
事務局便り
・
(
浄土フォーラム)
ご好評を頂いております、皆械のためのコーナ
-読者アンケートのお願い
編集部では「浄土」のより一層の充実を図るた
。
めに、皆様にアンケートをお願いしております
八月号でもっともよかった記事
。
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(J ・ FORUM - 毎月、投句、投稿を頂いて
今後、掲載してもらいたい記事、希望する内容
ー
2
。
おりますが、編集部ではもっともっとたく 8 んの
法然上人讃仰会の活動として望むこと
。
ご意見、ご感想など 官製はがきまた
。
3
その他
。
作品を、お待ちしております 短歌や俳句、書評
4
。
で事務局までお送り下さい もれなく記
。
随筆や詩、身近な出来事や情報など、先の要領で
FAX
は
。
東京城南組
東京城北組
広島南区
静岡東駿組
光岳院
本性院
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遍照寺
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どんどんご応募ください 私たち編集部では、読
(住所、氏名、電話番号をお忘れなく)
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念品を差しよげます どうぞご協力お願いします
。
者の皆さんと一緒に、この「浄土」をより楽しく、
すばらしいものにしていきたいと考えております
め原稿用紙十枚以内
随筆 ・歌など:・四百字詰
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-新規会員紹介(敬称略、順不同)
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購読会員
川柳など・
:四首まで
・
俳句
青森弘南組
短歌
2
その他、本誌の体裁や掲載記事に対するご意見
・
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投稿は随時受け付けてお
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やご感想など、何なりと気軽にお聞かせ下さい
適宜
・・::
タイトルは自由です
。
りますが、採否に関しては編集部に「ニ任下さい
また、原稿は返却いたしませんので必ずコピーを
。
おとりのよお送り下8 ぃ 採用八万については記念
品を進呈いたします
6
9
ニュースみて気もそぞろなり夏の月
。
歳時記で「.互の月L を見ていたら、恭し暑い夜
のあかめか t昇る月の出などはうっ t うしい感じ
て、秋の月のように眺める 気 持ちを起 こ さないと
あった 。神戸領 暗区の小学生殺害事件の容は枇者逮
捕の報告からの 一連の報道には、だんだんと心を
時くし寂しい気持ちになってくるものがある
たぶん少年犯罪でも、数人の、グループによるも
のであったならば、単純な怒りだけが起り、説明者
っ
の的暴化、学校教育の晦落を嘆くだげの感情だ
。
。
たこ t だろう
しかし ζの事件は単独犯{現在の
ころ)の可能性が強いそうだ 少年の心の問題、
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、
。
、
。
。
少年を取り巻く、両親や、祖父母、学校の教 師等
の心の問題 が気 になり、すべてが弱翁だりに怒り
だけに終わらない
犯罪の残虐性は、悪逆無道な E あらゆる言葉を
使っても足りないほどだ 。 しかし一部週刊誌が、
少年の顔写真ぞ公表したり インターホット上仁
少年の実名を載せる 等 2と いうこ t は、人間の心を
持たない人非人の所作に過ぎない
こちらには強
者であるだけに強い怒りを覚・ λ る
今回の主主二年生が其犯人ならば、その声明文
t
、
の中で 「私はA151ホ人叩を呼ばれたことが 一度も
、本名をわざわぎ名を A叩に書き挨 ・えてい
ない」
編集チ l
編集スタ
編集顧問
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長谷川岱澗
斎藤晃遥
村田洋 一
石上俊数
故山哲郎
大室了時
年会紫六千円
六十五巻八灯号鎖倒六百円
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会社シ
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7 4 1 4 1
真 野龍海
宮林昭彦
日
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昭和十年五月二 十日第 三純一郵便物認可
発仔人
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印刷 ||千成 九年七月二ト五
発行 1i v 成九年八月
一
編集人
印刷所|株式
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五 本以m浴KV公
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照会館内
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少年の・中にはいまだ、後悔も反省も起きていな
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とき、阿弥陀仏の名守呼ぶこ
が唯 一の少年の救いになる
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後記
編集
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発行人/真野鶴海
編集人/宮林昭彦 編集チ
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フ/長谷川岱潤
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