見えるいのちと見えないいのち

見えるいのちと見えないいのち
~包まれるものと包むもの~
江角弘道
弁栄聖者の高弟であられた田中木叉師は、その深い信仰の境地から出る数々
の歌を残されました。その一つに、
青い稲葉は、その中に白いお米の実るため、死ぬる身体はその中に死なぬ生命
の育つため。
の歌があり、河波上人も何度か講演やひかり誌上で引用されています。この歌
の中では生命に主として2つの意味があることが示唆されています。第1には,
死ぬる身体で、この場合,誕生から死に至るまでの「見えるいのち」,すなわち
「生きている間,生涯,一生」です。政治,経済,文化,科学技術などの社会
現象は,見えるいのちの営みです。西洋医学では,見えるいのちを永らえさせ
ることが重要課題です。第2には,死なぬ生命です。これは、
「生物がいきてい
くための元の力となるもの」と考えられて、
「見えないいのち」と言えるでしょ
う。
アメリカの著名な哲学者レオ・バスカリーア博士が書いた絵本「葉っぱのフ
レディ~いのちの旅~」は,読むほどに、いのちについて深く考えさせられる
絵本です。その内容は,擬人化した大きな木にある葉っぱの誕生から死にいた
るまでの喜びや悲しみ,そして苦悩といのちへの目覚めを描いています。その
中でいのちについて,
「私たちは,いつかは死ぬさ。でも“いのち”は永遠にい
きているのだよ。」と述べている場面があります。ここにいのちに2つの意味が
あること示唆しています。
解剖学の研究者である三木成夫氏は,
“いのち”には 2 つの意味があると述べ
ています。第 1 の意味は,
「個体の生存期間」という意味である。第 2 の意味は,
「生物を連続させていくもとになる力」で,生物には親子代々の連続がありま
す。およそ現代まで 30 億年の連続で,親から子へ,子から孫へ,孫から曾孫へ
と図 1 のように波状に伝わってゆくものです。私たち個人は、1つの波として
存在していることとなります。そのような「いのちの波」をもたらす源として
のいのちの意味です。
生殖
成長
生
種(卵)
老衰
死
図.いのちの波
この見えないいのちは,地球上の生命の誕生をさらにさかのぼり,宇宙の開
闢以来ある“根源的ないのち”を指しています。
金子みすずの童謡詩「木」は,この「いのちの波」を示唆しています。
木(金子みすず作詞)
お花が散って,実が熟れて,その実が落ちて,葉が落ちて,それから芽が出て,
花が咲く。そうして何べん,まわったら,この木はご用が,すむかしら。
宇宙が創成したのは,137億年前であり,やがて宇宙生成のプロセスにお
いて生命が誕生するにいたるが,この奇蹟的な出来事につき,宇宙物理学の研
究者である桜井邦明氏は,次のように述べています。
「人間のような生命が存在できるためには,宇宙の進化の過程の中で,星々
が形成され,そのエネルギー源となる熱核融合反応を通じて,生命が必要とす
るいろいろな元素の合成が成されていなければならなかった。この反応は星の
中心部で,順に重い元素を軽い元素群から合成するもので,生命に必須な炭素
や窒素,酸素は,ヘリウム同士の融合を基本過程として合成されてくる。生命
も,宇宙の進化の過程から離れては存在しえないのである。したがって,宇宙
の進化が,私たちの前に今広がっているような自然界を作りだしてくれるもの
でなかったとしたら,私たちは存在していなかったことになる。
宇宙に存在する物質の間には,四つの力(相互作用という)が働いている。
四つの力のうち,二つは原子核や素粒子などのミクロな世界でみられるもので,
強い力,弱い力という。あとの二つの力は電磁力と重力(万有引力)である。
四つの力の強さを決める物理定数,つまり結合定数が,どれでもよいから現在
知られている大きさと違いがあったら,今までに明らかにされたような宇宙の
進化は起こっていなかったことになる。これは偶然に生じたとは、とても考え
ることができないことである。 生命が存在できるような形に,自然界にみつ
かるいろいろな物理量が必然的に決まっているとも考えられる。宇宙には前も
って定められたデザイン原理のようなもの,すなわち「宇宙意志」があると思
える。」 ここでは「宇宙には意志があり」,現在のような自然,生命が誕生し
たと推察してあります。
このように見えない生命は,ある時を境にして生まれたのではなく,ただ,
宇宙の始まりから,途切れることのない流れの中に現われたものであるといえ
ます。光から物質(前生命的生命)そして生命へと生滅しながら,生まれ変わ
り死に変わり,色々な形に変化し,雲となり,水となり,氷となり、風となり,
火となり、山となり,川となり,あるいは,木となり,草となり,魚となり、
蛙となり、猿となり,人間となり,ありとあらゆる現象として現われながら,
その見えないいのちがずっと動いています。なんと壮大極まるドラマではない
でしょうか、そのドラマは現在進行中であります。
生命科学の研究者である村上和雄氏は,地球上には現在200万種以上の生
物がいるといわれ,その遺伝子の構造と原理は,すべての生物に共通している
事実に感動し,この遺伝子という生命の設計図がどうしてできたかについて考
察しました。その結果,人間を超えた何か大きな存在を意識せざるをえなくな
り, この人間を超えた大きな存在とはたらきのことを,
「サムシング・グレー
ト(偉大なる何者か)」と呼んで、「いのち」はサムシング・グレートからの贈
り物であり、私たちの体は大自然からの借り物であると述べられています。こ
れは,桜井氏のいう「宇宙意志」とも通じるものがあります。サムシング・グ
レートは,親の親,その親の親とさかのぼったはての「いのちの親」のような
存在であります。サムシング・グレートが,
「いのちの波」の伝播してゆくエネ
ルギーを出していると考えられます。
河波上人の述べられている「包むものと包まれるもの」
(ひかり誌、平成18
年5,6月号)は、
「見えないいのちと見えるいのち」そのものです。河波上人
は、ひかり誌の中で、次のように述べられています。
「それは摂取するものと摂
取されるものとも言える。そして、この包むものとは、阿弥陀仏の光明のこと
に他ならない。さらに私たちは最初からその中に包まれているとはいえ、誰も
が気づかずにしかもその中で生かされている。」
絵本「葉っぱのフレディ」では,春が来るごとに,新しい葉っぱが生まれ,
秋が来るとともに葉っぱは枯れてゆく(死んでゆく),つまり,生死の繰り返し
があります。それを三木氏は「いのちの波」と名付けられた。
「いのちの波」が
伝播してゆくエネルギーとは,阿弥陀仏の光明に常に照らされていることです。
親鸞上人の著書「教行信証」の行巻末尾に記された偈文、つまり、
「正信念仏偈」
の中に、
「我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我(我もまた彼の摂
取の中にあれど、煩悩まなこを障へて見たてまつらずと雖も、大悲倦(ものう)
きこと無くして、常に我を照らしたもふ)」とあり、私たちは、大悲(阿弥陀仏)
に常に照らされていることが書かれてあります。だから、私たちは、常に知っ
ていても知らなくても阿弥陀仏の光明に照らされている存在なのです。
光から物質が生成され,物質からあり得ないほどの極小の確率で生命が誕生
し,原始生命は「いのちの波」として進化し,人類が誕生してきました。従っ
て,私たちの見えるいのちの中には,永遠に死なない宇宙のいのち-見えない
いのち-が宿っていると言えます。さらに,その見えないいのちのおかげで生
かされています。生命の尊さを考えるとき,それは今ある生命の尊さのみなら
ず,私たちの「現在」を伝えてくれた過去の人々・生物・物質への感謝の思い
と,それを受け継ぐ未来の人々・生物・物質への配慮の気持ちが必要だと考え
られます。つまり阿弥陀仏への感謝と帰依こそが必要であります。
参考文献
三木成夫(1992):海・呼吸・古代形象(第6版),103-125,うぶすな書院,東
京.
村上和雄(1997):生命の暗号,194-236,サンマーク出版(初版),東京.
桜井邦朋(2001)
:宇宙の意志に人間は存在するか,7-8,5月書房(初版),東
京.