4~15 世紀前半の聖地巡礼記に見る「サラセン人」2007.12.15. 於押川記念ホール ヨーロッパ文化研究所、東北学院大学オープン・リサーチ・センター公開講演会 東北学院大学文学部歴史学科准教授 櫻井康人 はじめに (1)「旅行記」の分類 (a)T・トブラー:110 作品 R・レーリヒト:318 作品 U・ガンツ=ブレットラー:110 作品 A・グラボワ:91 作品 (b)ヨーロッパ人による「旅行記」の 6 区分 A群=メモワール(聖地回復論覚書):9 作品 B群=旅行書・観察書・地理書:13 作品 C群=創作・伝記・年代記:30 作品 D群=聖地巡礼記:116 作品 E群=巡礼ガイド:15 作品 F群=その他:2 作品 (2)研究史 (a)ピレンヌ・テーゼ「マホメット(ムハンマド)なくしてシャルルマーニュなし」 =「トゥール・ポワティエ間の戦いの神話」 ←F・カルディーニによる批判 (b)ヨーロッパ人による「他者」認識についての研究 N・ダニエル、B・ケダー、P・セナ、F・カルディーニ ・12 世紀までの無関心、13 世紀以降の関心 ・オリエンタリズム ・寛容 ⇒「聖地回復=十字軍=反イスラーム=反ムスリム」という図式を前提 1.「十字軍前の時代」(4世紀~1097 年):表1 (1)「サラセン人」saraceni という語について (a)イスラームが誕生する以前から、主にキリスト教徒・ペルシャ人以外の東方世界の 人々を指す用語として用いられる ・語源:旧約聖書(創世記)に現れる、アブラハムの妻でありイサクの母であるサラ の子孫。他に、仕え女ハガルの子孫という意味で Hagarenes、或いは、ハガル の息子イシュマエルの子孫という意味で Ishmaelites という語も用いられるが、 「サラセン人」が圧倒的に多い。 (b)イスラームが誕生すると、ムスリムを指す言葉となる(ただし、「イスラーム」「ム スリム」という語は、16 世紀にはじめてヨーロッパで現れる)。 (2)「サラセン人」の登場 (a)エゲリア・聖シルウィア:「サラセン人の土地」terras saracenorum=エジプト 殉教者アントニヌス:砂漠の民、偶像崇拝者としての「サラセン人」 -1- 「サラセン人」から修道院などを守るキリスト教徒兵士 (3)イスラーム誕生期 (a)良き王ムアーウィア:聖ベーダ→アルクルフス (b)信仰の敵、危険な存在としての「サラセン人」 ex.) 聖ウィリバルドゥス、ディクイルス、不詳 13 +巡礼者からの税の徴収(=巡礼許可の重要性) ex.) 聖ウィリバルドゥス、ベルナルドゥス (c)巡礼路の管理者としての「サラセン人」(史料1) ◎イスラーム誕生から約1世紀を経て、信仰の敵対者としての「サラセン人」の像 ただし、①ムハンマド、クルアーンに関する言及は見られず ②経験により左右 2.「十字軍盛期」(1)(1098 年~1187 年):表2 (a)基本的には武勲譚(「サラセン人」によるキリスト教徒の殺害、「サラセン人」によ る教会の破壊、「サラセン人」の恐怖):サエウルフ、不詳(c.1130)、不詳(1137)、 ニクラス・ベルグソン、ニコラ・サエムンダーソン、ヨハン・フォン・ヴュルツブ ルク、テオドリック (b)R・エレンブルムによる文化的境界線の存在 ⇔テオドリックの記述(史料2) .. (c)「サラセン人」の発見 ・恐怖・危険 ex.) 史料3 ・信仰・風習 .. ブルカルト・フォン・シュトラースブルクによる初めての観察 「サラセン人」のキリスト教的要素(史料4) 3.「十字軍盛期」(2)(1188 年~1291 年):表3 (a)やはり、武勲譚:不詳(1202)、不詳(c.1231)、不詳(1250~)、アルベルト・デ ィ ・スターデ、不詳(1260~1280)、不詳(c.1265)、ブルクハルト・フォン・モンテ ・ジオン、フィリッポ・ブッセリオ←ただし、悲しき現状報告 (b)危険な「アラブ人」・「ベドウィン」 (c)クルアーンを実践するサラセン人に対する否定的見方・ムハンマドへの敵意 ex.) ティートマール(史料5) ⇔キリスト教徒との類似性 ・マリア信仰(不詳(c.1265)、ブルクハルト、不詳(13c 後半)) ・共生(ウィルブラント・フォン・オルデンブルク、不詳(1267-1268)) ・スルタン支配下のキリスト教(徒)の現実 教会の維持、信仰の自由(「スルタンの平和」Pax Sultani) (d)「サラセン人」への評価とキリスト教徒への批判=「托鉢修道会時代」へ ・ブルクハルト(史料6・7) -2- ・リコルド・ダ・モンテ・ディ・クローチェ(史料8)←背景としての聖地喪失 ⇒クルアーン・ムハンマドと「サラセン人」との分離 4.「托鉢修道会の時代」から「俗人の時代」へ(14 世紀):表4 (a)続き ・不詳イングランド人(史料9) ⇔ただし、「サラセン人=信仰の敵」という図式も併存 イスラーム信仰の強制者としてのスルタン 教会のモスク化への嘆き (b)「俗人の時代」 ・巡礼路の保全→「良き人スルタン」・「スルタンの平和」 ・教会のモスク化:贖罪価値の確定 ・「危険=アラブ人・ベドウィン」 ・クルアーンを遵守しないサラセン人への批判 5.「騎士の時代」(15 世紀前半):表5 (a)「聖墳墓の騎士」 ex.)ノンパール・ド・コーモン: ①聖なる教会の守護、②聖地回復のためへの助力、③正義をなし、 ④清らかに結婚の秘蹟を守る、⑤背信しない、⑥寡婦と孤児を守る →16 世紀以降、「聖墳墓騎士団」へ (b)金銭トラブルの続発→「貪欲なサラセン人」 ←安全感覚の麻痺 おわりに (a)全体的傾向としての、「イスラーム信仰」認識と「サラセン人」認識の乖離 (b)「他者」認識の鏡としての「自己」認識 「縦のフィルター」と「横のフィルター」の多層性 -3- 主要参考文献 一次史料:表参照 二次文献 ・Atiya, A.S., The Crusade in the Later Middle Ages, London, 1938. ・Brefeld, J., A Guidebook for the Jerusalem Pilgrimage in the Late Middle Ages: A Case for Computer-Aided Textual Criticism, Hilversum, 1994. ・Campbell, M. 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Silvia of Aquitania to the Holy Places (Circa 385 A.D.)", Palestine Pilgrims' Text Society, 1, 1891.(羅英対訳) (2) Geyer (ed.), Itinera Hirosolymiyana saeculi IIII-VIII, pp. 37-101. D-4:(1) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 29-40, 43-47. (2) Stewart (ed. and trans.), "The Letter of Paula and Eustochium to Marcella, About the Holy Places (386 A.D.)", Palestine Pilgrims' Text Society, 1, 1889.(英訳) (3) Stewart (ed. and tra.), "The Pilgrimage of the Holy Paula by St. Jerome", Palestine Pilgrims' Text Society, 1, 1887.(英訳) (4) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 79-91.(英訳) D-5:(1) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 51-54. (2) Stewart (ed. and tra.), "The Epitome of S. Eucherius about Certain Holy Places (Circ. A.D. 440), and the Breviary or Short Description of Jerusalem (Circ. A.D. 530)", Palestine Pilgrims' Text Society, 2, 1890.(英訳) (3) Cuntz et al. (ed.), Itineraria et alia geographica, pp. 236-243. (4) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 94-98.(英訳) D-6:Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 323-327. -2- D-7:(1) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 63-88. (2) Bernard (ed. and tra.), "Theodosius ( A.D. 530)". Palestine Pilgrims' Text Society, 2, 1893.(英訳) (3) Cuntz et al. (ed.), Itineraria et alia geographica, pp. 114-125. (4) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 103-116.(英訳) D-8:(1) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 91-138. (2) Stewart (ed. and tra.), "Of the Holy Places Visited by Antoninus Martyr (Circ. 560-570 A.D.)", Palestine Pilgrims' Text Society, 2, 1896.(英訳) (3) Geyer (ed.), Itinera Hirosolymiyana saeculi IIII-VIII, pp. 159-218. (4) Cuntz et al. (ed.), Itineraria et alia geographica, pp. 128-174. (5) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 129-151.(英訳) D-9:(1) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 57-59. (2) Stewart (ed. and tra.), "The Epitome of S. Eucherius about Certain Holy Places (Circ. A.D. 440), and the Breviary or Short Description of Jerusalem (Circ. A.D. 530)", Palestine Pilgrims' Text Society, 2, 1890.(英訳) (3) Geyer (ed.), Itinera Hirosolymiyana saeculi IIII-VIII, pp. 151-155. (4) Cuntz et al. (ed.), Itineraria et alia geographica, pp. 107-112. (5) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, p. 92 f., pp. 117-121.(英訳) D-10:Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 331-343. D-11:(1) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 141-210. (2) Macpherson (ed. and tra.), "The Pilgrmage of Arculfus in the Holy Land (About the Year A. D. 670)", Palestine Pilgrims' Text Society, 3, 1895.(英訳) (3) Geyer (ed.), Itinera Hirosolymiyana saeculi IIII-VIII, pp. 221-297. (4) Cuntz et al. (ed.), Itineraria et alia geographica, pp. 177-234. (5) Wright, T. (ed. and tra.), Early Travels in Palestine, New York, 2003, pp. 1-13.(英訳) (6) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 167-206.(英訳) D-12:(1) Tobler (Hrsg.), Descriptiones Terrae Sanctae ex saeculo VIII. IX. XII. et XV., Leipzig, 1874, S. 1-76. (2) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 243-281, 285-297. (3) Brownlow, C. (ed. and tra.), "The Hodoeporicon of Saint Willibald (Circa 754 A.D.)", Palestine Pilgrims' Text Society, 3, 1895.(英訳) (4) Wright (ed. and tra.), Early Travels in Palestine, pp. 13-23.(英訳) (5) Deluz, Ch. (tra.), "Vie ou plutôt pèlerinage de sant Willibald, VIIIe siècle", Régnier-Bohler, D. (éd.), Croisades et pèlerinages, récits, chroniques et voyages en terre sainte XIIe-XVIe siècle, Paris, 1997, pp. 893-915.(仏訳) (6) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 233-251.(英訳) D-13:(1) Tobler (Hrsg.), Descriptiones Terrae Sanctae ex saeculo VIII. IX. XII. et XV., S. 77-99. (2) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 301-305. (3) Watson, C.(tra.), "Commemoratorium de casis Dei vel monasteriis", Palestne Expolation Fund Quartery, 45, 1913, pp. 23-33.(英訳) (4) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 252-257.(英訳) D-14:(1) Tierney, J. (ed. and tra.), Dicuili Liber de mensura orbis terrae, Dublin, 1967.(羅英対訳) (2) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, p. 231 f..(一部英訳) D-15:(1) Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 309-320. (2) Wright (ed. and tra.), Early Travels in Palestine, pp. 23-31.(英訳) (3) Deluz (tra.), "Itinéraire de Bernard, moine franc, IXe siècle", Régnier-Bohler (éd.), Croisades et pèlerinages, récits, chroniques et voyages en terre sainte XIIe-XVIe siècle, pp. 893-915.(仏訳) (4) Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, pp. 260-269.(英訳) -3- D-16:Wilkinson (ed. and tra.), Jerusalem Pilgrims before the Crusades, p. 270 f..(英訳) D-17:Tobler et Molinier (ed.), Itinera Hierosolymitana et descriptiones Terrae Sanctae, pp. 347-349. -4- 表2:1098 年~1187 年の旅行記リスト C 創作・伝記・年代記 整理 名 年 (レーリヒト:38、トブラー:28、グラボワ:25) 出身 社会 言語 Rö 1 レギナルド・オブ・ダラム c.1108 ダラム 修道士 羅 2 3 4 アカール・ダルエーズ ペトルス 不詳 c.1120 1137 ~1160 アラス モンテ・カッシーノ コインブラ 隠修士 図書館士 ベネディクト会士 羅 羅 羅 77 80 74 5 6 不詳 不詳(偽ベーダ) c.1180 c.1187 ? ? ? ? 仏 羅 100 84 D 聖地巡礼記 整理 名 年 出身 1 不詳 c.1098 仏? 2 3 サエウルフ 不詳 4 ベラルド・ダスコーリ 5 6 デルマティウス 不詳 1102-1103 イングランド 1104(~1142 北西ドイツ ) 1112-1120 アスコリ・ピチェーノ (マルケ州) 1115 アイルランド c.1130 ? 7 不詳 1137 8 ニクラス・ベルグソン 社会 言語 Rö To 4 26 29 32 23 To ? 羅 69 1 商人 聖職者 羅 羅 68 110 3 修道士 羅 75 ? 聖職者 羅 羅 76 86 ? ? 羅 83 c.1140 シンゲイラル 修道院長 9 不詳 10 ニコラ・サエムンダーソン c.1145 1151-1154 ? シンゲイラル ? 修道院長 11 オトマルス c.1165 ハインブルク 聖職者 羅・ 氷 羅 羅・ 氷 羅 -1- Ga Gr a 22 Ga Gr a 19 20 21 備考 フィンカルの聖ゴドリックの奇跡譚 ボードワン1世を讃える詩 修道院長ギナルドに捧げる コインブラの聖十字修道院の初代院長 聖テオトニウスの聖人伝 司教区リスト Innominatus VI、恐らくは巡礼者で はない、聖ベーダの書を基に作成 備考 Innominatus Ⅰ 後にマームズベリの修道士に 24 6 27 30 編者フレテルスは1200年頃のアンティオキア の助祭 現存するのは14世紀の写本版 82 87 33 31 Innominatus VII 年代記中に挿入された巡礼記 92 13 34 28 7 12 不詳 c.1170 ? ? 羅 93 15,21 13 ヨハン・フォン・ヴユルツブルク 1165 ヴュルツブルク 聖職者 羅 91 12 36 14 テオドリック 1175 ドイツ 修道士 羅 18 37 シュトラースブルク 修道士? 羅 95 19 39 ? ? ? 北東フランス? ? ? ? 教会人? 羅 羅 羅 仏 97 102 24 94 103 26 40 41 42 15 ブルカルト・フォン・シュトラー 1175 スブルク 16 17 18 19 不詳 不詳 不詳 不詳 c.1175 c.1185 1185~1187 c.1187 Innominatus II、やや旅行記の要素 も持つ 後のヴュルツブルク司教テオドリックと同一 人物か? 後のヴュルツブルク司教、11の知己 フリードリヒ・バルバロッサによるサラディ ンへの使節(シュトラースブルク司教の代 理)、『エジプトもしくはカイロの状 況』 Innominatus IX Innominatus VIII Innominatus III C-1:Stevenson, R. (ed.), Libellus de vita et miraculis S. Godorici, heremitae de Finchale, London, 1847. C-2:(1) De Vogüé, M. (éd.), "Achard d'Arrouaise, Poème sur le Templum Domini", Archive d'orient latin, 1, Paris, 1881, pp. 562-579. (2) De Sandoli, S. (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, Jerusalem, 1980, pp. 51-61.(羅伊対訳) C-3:(1) Geyer (ed.), Itinera Hirosolymiyana saeculi IIII-VIII, pp. 105-121. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 171-205.(羅伊対訳) C-4:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 33-41.(羅伊対訳) C-5:Michelant, H. et Raynaud, G. (éds.), Itinéraires à Jérusalem et descriptions de la Terre Sainte régigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, Paris, 1882, pp. 9-19. C-6:(1) Neumann, W. (Hrsg.), "Drei mittelalterliche Pilgerschriften", Österreichische Vierteljahresschrift für Katholische Theologie, Jahrg. 7, 1868, S. 397-438. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, Jerusalem, 1983, pp. 45-75.(羅伊対訳) D-1:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 1-5.(羅伊対訳) D-2:(1) Revd, R. (ed. and tra.), "Saewulf (1102, 1103 A.D.)", Palestine Pilgrims' Text Society, 4, London, 1896.(テクスト+英訳) (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 3-31.(羅伊対訳) (3) Wright (ed. and tra.), Early Travels in Palestine, pp. 31-50.(英訳) D-3:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 153-157.(羅伊対訳) D-4:(1) Neumann (éd.), "La《Descriptio Terrae Sanctae》de Belardo d'Ascoli (1112-1120)", Archive d'orient latin, 1, pp. 225-229. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 43-49.(羅伊対訳) D-5:Edmond, M. (ed.), Thesaurus novus anecdotorum, 1, Lutetiae Parisiorum, 1717, pp. 340-343. D-6:(1) De Vogüé, Les églises de la Terre Sainte, Paris, 1860, pp. 412-433. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 73-117.(羅伊対訳) D-7:(1) Macpherson (ed. and tra.), "Fetellus (Circa 1130 A.D.)", Palestine Pilgrims' Text Society, 5, London, 1896.(英訳) (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 121-151.(羅伊対訳) (3) Boeren, P. (éd.), Rorgo Fretellus de Nazareth et sa description de la terre sainte historique et édition du texte, Amsterdam/Oxford/New York, -2- 1980. D-8:Hill, J. (ed. and tra.), "From Rome to Jerusalem: An Icelandic Itinerary of the Mid-Twelfth Century", Harvard Theological Review, 76, 1983, pp. 178-191.(英訳) D-9:(1) Tobler, T. (Hrsg.), Descriptiones Terrae Sanctae ex saeculo VIII. IX. XII. et XV., Leipzig, 1874, S. 100-107. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 77-83.(羅伊対訳) D-10:(1) Werlauff, E. C. (ed.), Symbolas ad geographiam medii aevi ex monumentis Islandicis edendo prolusit Ericus Christianus Werlauff, Hauniae, 1821, pp. 9-54.(氷羅対訳) (2) Kedar, B. and Westergård-Nielsen, C. (ed.), "Itinerarium ad loca sancta", Medieval Scandinavia, 11, 1978/1979, pp. 206-209.(氷英対訳) (3) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 207-222.(羅伊対訳) D-11:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 299-305.(羅伊対訳) D-12:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 9-15.(羅伊対訳) D-13:(1) Tobler (Hrsg.), Descriptiones Terrae Sanctae ex saeculo VIII. IX. XII. et XV., S. 108-192. (2) Stewart (ed. and tra.), "Description of the Holy Land by John of Würzburg. (A.D. 1160-1170)", Palestine Pilgrims' Text Society, 5, 1896.(英 訳) (3) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 225-295.(羅伊対訳) D-14:(1) Stewart (ed. and tra.), "Theoderich's Description of the Holy Places. (Circa 1172 A.D.)", Palestine Pilgrims' Text Society, 5, 1896.(英訳) (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 311-390.(羅伊対訳) D-15:(1) Pertz, G. (ed.), "Arnordi abbatis Lubecensis Chronica", Monumenta germaniae historica, Scriptorum, 21, Hannover, 1869, Nachdr. 1963, pp. 101-250. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 393-412.(羅伊対訳) D-16:(1) Golubovich, G. (ed.), Biblioteca bio-bibliografica della terra santa e dell'oriente francescano, 1, Quaracchi, 1906, pp. 405-408. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 91-99.(羅伊対訳) D-17:(1) Tobler (Hrsg.), Descriptiones Terrae Sanctae ex saeculo VIII. IX. XII. et XV., S. 193-196. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 85-87.(羅伊対訳) D-18:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 17-21.(羅伊対訳) D-19:(1) Tobler (Hrsg.), Descriptiones Terrae Sanctae ex saeculo VIII. IX. XII. et XV., S. 197-224. (2) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et descriptions de la Terre Sainte régigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, pp. 21-28. (3) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 2, pp. 415-421.(仏伊対訳) -3- 表3:1188 年~1291 年の旅行記リスト A メモワール(聖地回復論覚書) 名 整理 1 不詳 年 c.1289 B 旅行書・観察記・地理書 整理 名 1 2 C (レーリヒト:72、トブラー:19、グラボワ:11) オリバー・フォン・パーダーホ ゙ルン ルスティケロ・ダ・ピサ 出身 ? 年 社会 ? 出身 言語 Rö 羅 社会 パーダーボルン 司教 羅 1269-1271 ピサ 著述家 仏 Ga Gr a 52 To Ga Gr a 146 言語 Rö 1215-1219 To 備考 備考 第5回十字軍参加者 138 50 マルコ・ポーロの『世界の記述』の口 述筆記者 創作・伝記・年代記 名 整理 1 2 3 年 出身 社会 言語 Rö To 備考 Ga Gr a 1191 c.1199 c.1211 フィレンツェ近郊 イングランド ドイツ エルサレム総大司教 シトー会士 ? 羅 羅 羅 109 110 114 地理書的記述 『世界年代記』 地理書および歴史書 4 アイマーロ ラドルフス・ニゲル ゲルウァシウス・フォン・ティル ブリ フィリップ・ムスケ c.1241 ヘント 仏 127 聖書の話を中心とした詩 5 ブルネット・ラティーニ c.1281 フィレンツェ トゥルネ教会聖堂参事 会員 詩人 仏 142 詩、ダンテの師 D 聖地巡礼記 整理 名 1 2 不詳 年 1202 or c.1180 ウィルブラント・フォン・オルテ 1211-1212 ゙ンブルク 出身 社会 言語 Rö ? ? 羅 99 ブレーメン ヒルデスハイム教会聖堂 参事会員 羅 115 -1- Ga Gr a 12c44 28 4 45 備考 To Innominatus V 後にユトレヒト司教に。教皇インノケンティウス3 世によるアルメニア王レオ2世への使節 、巡礼記的要素も含むが多くは使 節としての情報 1217-1218 c.1231 ライン下流域 フランス マギステル、俗人? ? 羅 仏 119 125 不詳 不詳 アルベルト・ディ・シュターテ ゙ 8 不詳 9 不詳 10 不詳 11 マウリティウス c.1231 1250~ 1251-1252 フランス ? シュターデ ? ? フランチェスコ会士 仏 羅 羅 109 1260~1280 c.1265 1267-1268 1270-1273 フランス フランス ? ベルゲン ? ? ? フランチェスコ会士 仏 仏 羅 羅 141 134 168 139 12 不詳 13 ブルクハルト・フォン・モンテ ・ジオン c.1270 1283 羅 羅 140 143 14 フィリッポ・ブッセリオ 1285-1291 ? ? シュトラースブルクo ドミニコ会士 r マクデブルク サヴォーナ フランチェスコ会士 羅 145 15 リコルド・ダ・モンテ・ディ ・クローチェ 16 不詳 17 不詳 18 不詳 19 不詳 1288-1301 フィレンツェ近郊 ドミニコ会士 羅 148 13c 13c ~1239 13c後半 ? ? ? ? ? ? ? ? 羅 羅 羅 羅 177 171 170 3 4 ティートマール 不詳 5 6 7 9 12c27 45 47 Innominatus X 48 49 Innominatus IV 17 51 53 18 ボニファティウス8世~ヨハンネス22世期に教皇 特使としての任務に就く 54 A-1:(1) Sinner, J. (ed.), Catalogus codicum MSS.Bibliothecae Bernensis, annotationibus criticis illustratus, 2, Bernae, 1770, pp. 319-329. (2) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et description de la terre sainte rédigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, pp. 237-252.(仏訳) B-1:De Sandoli(a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 377-401.(羅伊対訳) B-2:(1) Pauthier, M. (éd.), Le Livre de Marco Polo, citoyen de Venise, Conseiller privé et commissaire impérial de Khoubilaï-Khaân; rédigé en français sous sa dictée en 1298 par Rusticien de Pise, 2 tomes, Paris, 1865. (2) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et description de la terre sainte rédigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, pp. 201-226.(一部仏訳) (3) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, Jerusalem, 1984, pp. 95-102.(一部羅伊対訳) (4) マルコ・ポーロ(愛宕松男訳注)『東方見聞録』全2巻、平凡社、2000 年。 C-1:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 163-193.(羅伊対訳) C-2:(1) Prutz, R. (Hrsg.), "Chronica universali", Monumenta germaniae historica, Scriptorum, 27, Hannover, 1885, Nchdr. 1964, S. 331-341. (2) Krause, H. (Hrsg.), Radulfus Niger―Chronica, Frankfurt am Main/Bern/New York, 1985. C-3:Prutz (Hrsg.), "E Gervasii Tilleberiensis Otiis imperialibus", Monumenta germaniae historica, Scriptorum, 27, Hannover, 1885, Nchdr. 1964, S. 359394. C-4:(1) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et description de la terre sainte rédigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, -2- pp. 106-122.(仏訳) (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 485-501.(羅伊対訳) C-5:Chabaille, P. (éd.), Li Livres dou Tresor par Brunetto Latini, Paris, 1863, pp. 634-637. D-1:(1) Neumann (Hrsg.), "Drei mittelalterlich Pilgerschriften", Öterreichische Vierteljahresschrift für Katolische Theologie, Jahrg. 5, 1866, S. 211282. (2) De Sandoli, S. (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, Jerusalem, 1983, pp. 29-43.(羅伊対訳) D-2:(1) Laurent, J. (Hrsg.), Peregrinationes medii aevi quatuor, Lipsiae, 1864, S. 159-191. (2) De Sandoli(a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 195-249.(羅伊対訳) D-3:(1) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 251-295.(羅伊対訳) (2) Deluz (tra.), "Le pèlerinage de Maître Thietmar, XIIIe siècle", Régnier-Bohler (éd.), Croisades et pèlerinages, récits, chroniques et voyages en terre sainte XIIe-XVIe siècle, Paris, 1997, pp. 928-958.(仏訳) D-4:(1) De Vogüé, Les églises de la Terre Sainte, pp. 444-451. (2) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et description de la terre sainte rédigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, Paris, pp. 87-103.(仏訳) (3) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 449-463.(羅伊対訳) D-5:(1) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et description de la terre sainte rédigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, pp. 104-1047.(仏訳) (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 465-477.(羅伊対訳) D-6:(1) Golubovich (ed.), Biblioteca bio-bibliografica della terra santa e dell'oriente francescano, 1, pp. 408-410. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 101-107.(羅伊対訳) D-7:(1) Golubovich (ed.), Biblioteca bio-bibliografica della terra santa e dell'oriente francescano, 1, pp. 181-185. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 1-10.(羅伊対訳) D-8:(1) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et description de la terre sainte rédigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, pp. 227-236.(仏訳) (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 109-118.(羅伊対訳) D-9:(1) Michelant et Raynaud (éds.), Itinéraires à Jérusalem et description de la terre sainte rédigés en français aux XIe, XIIe et XIIIe siècles, pp. 177-199.(仏訳) (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 57-79.(羅伊対訳) D-10:De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 81-84.(羅伊対訳) D-11:(1) Storm, G. (ved.), Latinske kildeskrifter til norges historie i middelalderen (Monumenta historica norvegiae), 1880, Kristiania, pp. XLVII-XLIX, 163-168. (2) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 85-93.(羅伊対訳) D-12:(1) Neumann (Hrsg.), "Drei mittelalterlich Pilgerschriften", S. 224. (2) De Sandoli, S. (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 3, pp. 23-27.(羅伊対訳) D-13:(1) Laurent (Hrsg.), Peregrinationes medii aevi quatuor, S. 1-100. (2) Stewart (ed. and tra.), "Burchard of Mount Sion A.D. 1280", Palestine Pilgrims' Text Society, 12, London, 1896.(英訳) (3) De Sandoli (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 119-220.(羅伊対訳) D-14:(1) Neumann (Hrsg.), "Drei mittelalterlich Pilgerschriften", Öterreichische Vierteljahresschrift für Katolische Theologie, Jahrg. 11, 1872, S. 1-79, 165-174. (2) De Sandoli, S. (a cura di), Itinera Hierosolymitana Crucisignatorum(Saec. XII-XIII), 4, pp. 221-254.(羅伊対訳) D-15:(1) Laurent (Hrsg.), Peregrinationes medii aevi quatuor, S. 101-141. -3- (2) Kappler, R. 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XII-XIII), 4, pp. 340-367.(羅伊対訳) -4- 表4:14 世紀聖地巡礼記(レーリヒト:94、トブラー:32、グラボワ:26、ガンツ=ブレットラー:66) A メモワール・聖地回復論書 整理 名 1 ハイトン・ゴリゴス 2 マリーノ・サヌート 3 パウロ・プッツオーリ 4 ギョーム・アダム 5 不詳 6 フィリップ・ド・メジエ 7 不詳 年 1307 1321 c.1330 c.1332 1374 1389 14c前半 出身 アルメニア ヴェネツィア ヴェネツィア フランス ? ピカルディー フランス 社会 王族 貴族 プッツオーリ司教 ドミニコ会士 ? 下級貴族 ? 言語 羅 羅 羅 羅 羅 仏 羅・仏 Rö 178 179 189 B 旅行書・観察記・地理書 整理 名 1 オドリコ・ポルデノーネ 2 ジュルダン・ド・セヴェラク 3 ジョヴァンニ・デ・マリニョーリ 4 不詳 5 ヨハン・デ・ヘーゼ 6 リチャード・キングストン 7 ハンス・シルトベルガー 年 1320 1321 1338-53 c.1338-49 1389 1392-93 1396-1421 出身 ポルデノーネ ルエルグ近郊 フィレンツェ ケルン ユトレヒト イングランド ミュンヘン近郊 社会 フランチェスコ会士 ドミニコ会士 フランチェスコ会士 商人? 司祭 聖職者 騎士 言語 羅 羅 羅 低独 羅 羅 独 Rö 183 To 7 207 199 227 229 227 21 年 1332-54 1337-41 1342/43 1348 c.1348 c.1350 1356 1358 1360 1372 出身 ドイツorオーストリア ドイツorオーストリア リエージュ オスナブリュック サンリス近郊 カタロニア フランス? アレッツォ ケルン? ? 社会 遍歴詩人 遍歴詩人 司祭 シトー会士 シトー会士 フランチェスコ会士 修道士? 人文主義者 カルメル会士 ? 言語 独 独 羅 羅 仏 カタロニア 仏 羅 羅 ? Rö To c.1388 1390~96 カラブリア ブレゲンツ? ドミニコ会士 ミンネゼンガー 羅 独 C 創作・伝記・年代記 名 整理 1 ペーター・ズーヒェンヴィルト 2 ペーター・ズーヒェンヴィルト 3 ユーグ・ド・リエージュ 4 ニコラス・デ・フーダ 5 ギョーム・ド・ディグ゙ルヴィル 6 不詳 7 不詳 8 フランチェスコ・ペトラルカ 9 ペトルス・トマソ 10 アルフォンソ・ペーチャ (史料現存せず) 11 ピエトロ・ディ・ペンナ 12 不詳 - 10 - To 2 3 Gra Ga 9 10 34 19 62 218 Gra 59 Ga 1 3 24 53 43 45 47 備考 中国への教皇使節 初代Columbum(大インド)大司教 中国への教皇使節 東方三博士についての記述中心 プレスター・ジョンの国への旅 ダービー伯ヘンリーの財務官、遠征・巡礼の会計簿 ニコポリスの戦いでバヤジット1世の捕虜に、アンカラの 戦いでティムールの捕虜に Gra Ga 備考 騎士フリードリヒ・クロイスバハの巡礼の詩 ブランデンブルク辺境伯アルプレヒトの巡礼の詩 英・仏王の和解と十字軍の必要性の詩 ルドルフの巡礼記の簡略版 夢の中での巡礼についての詩 創作世界旅行記、世界各地の紋章を記す いわゆる「ジョン・マンデヴィルの旅行記」 巡礼に向かうジョヴァンニ・マンデッリに捧げた書 証書史料、その中で巡礼に言及 聖女ビルギッタの巡礼記、S・デ・サンドーリによるRe velationesや聖女伝からの再構成 歴史書および巡礼ガイド ブレゲンツ=ファンベルク伯フーゴー8世・フォン・モンフォールの宮 廷詩人 30 14 70 205 196 215 20 22 13 備考 教皇クレメンス5世宛てメモワール 教皇ヨハネス22世宛てメモワール 教皇ヨハネス22世宛てメモワール 教皇ヨハネス22世宛てメモワール 歴史的記述と聖地回復論 キプロス王ピエール1世の側近 仏王宛てのメモワール? 69 29 30 31 33 68 51 46 D 聖地巡礼記 名 整理 1 フランチェスコ・ピピーノ 2 シメオン・フィッツシモンズ 年 1320 1323 出身 ボローニャ アイルランド 社会 ドミニコ会士 フランチェスコ会士 言語 羅 羅 3 4 5 6 7 8 30 不詳 アントニオ・デ・レボルディ アンベール・ド・ディジョン ヴィルヘルム・フォン・ボルデンゼーレ ヤーコポ・ダ・ヴェローナ ルドルフ・フォン・ズートハイム ブラス・デ・ブイーザ 1323 1327, 30 1330 1334 1335 1336-41 c.1342 カタロニア クレモナ ディジョン ミンデン ヴェローナ パーダーボルン スペイン ドミニコ会士 フランチェスコ会士 ドミニコ会士 ドミニコ会士 アウグスティヌス会士 司祭 フランチェスコ会士 カタロニア 羅 羅 羅 羅 羅 羅? 9 10 11 12 13 14 15 16 不詳 ルドルフ・フラメインスベルク ニコロ・ダ・ポッジボンシ ドルチベーネ・デ・トーリ 不詳 不詳 ヨハン・フォン・ボードマン ヘルテル・フォン・リヒテンシュタイン 1344 1346 1346-50 1349 1350~60 c.1350 1376 1377 イングランド ランヅフート フィレンツェ近郊 フィレンツェ フランクフルト・アム・マイン フィレンツェ ボードマン リヒテンシュタイン 聖職者? 騎士 フランチェスコ会士 宮廷詩人 フランチェスコ会士 俗人 領主 貴族 羅 羅 伊 伊 羅 伊 独 独 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 不詳 リオナルド・フレスコバルディ ジョルジォ・グッチ シモーネ・シゴーリ ロレンツ・エーゲン ウルリッヒ・フォン・テンシュタッド トマス・ブリッグ ニコロ・ディ・マルトーノ オジエ8世 ニコル・ルーヴ 不詳 不詳 不詳 1383 1384 1384 1384 1385 1385 1392 1394 1395 1395 1395 14c 14c フランス フィレンツェ フィレンツェ フィレンツェ アウクスブルク コンスタンツ イングランド カリノーラ アングリュール メス フィレンツェ フランス イタリア? 俗人 貴族 有力者 貴族 俗人 俗人 司祭 公証人 領主 騎士 俗人 俗人? 修道士? 仏 伊 伊 伊 独 独 羅 羅 仏 仏 伊 仏 羅 - 11 - Rö 184 191 To 6 187 192 198 195 201 202 204 203 10 14 Gra 55 27 Ga 2 4 56 58 60 62 61 63 5 6,8 7 11 12 13 15 18 17 64 65 66 22 71 25 27 26 28 73 74 75 259 219 220 222 223 224 225 226 230 231 232 233 31 32 76 77 78 79 262 備考 17世紀のフランチェスコ会士マルティノ・ダ・ラーティアによる 編集・修正 16 17 18,66 23 詩、ルクセンブルグ公カール4世の宮廷詩人 56 28 35 36 前半部分は、アウグスティヌス会士レオポルトが編纂した フィリップ・ド・サヴォアの書の独語訳 55 資金と日数について 38 39 40 41 42 同行者ペーター・シュパルナウが補う 46 Guine城主トマス・オブ・スィンビュルン付き司祭 48 49 50 59 E 巡礼ガイド 名(人称) 整理 1 不詳(なし) 2 不詳(二人称複数) 3 不詳(二人称複数) 4 不詳(二人称複数) 5 不詳(三人称複数) 6 不詳(なし) 7 不詳(なし) 8 不詳(三人称単数) 9 不詳(なし) 10 不詳(なし) 11 12 13 不詳(なし) 不詳(三人称複数) 不詳(二人称単数) 年 c.1310? 14c前半 14c前半 c. 1348 c.1350 c.1350 c.1380 14c 14c 14c 出身 ? フランス? 南仏? イタリア ? アイスランド フランス フィレンツェ ? ? 社会 ? ? ? 俗人? ? ? ? ? ? フランチェスコ会 言語 羅 羅 仏 伊 羅 氷・羅 羅・仏 伊 羅・英 羅 14c 14c 14c ヴェローナ フランス フランス ? ? ? 羅 仏 仏 Rö 251 To Gra 54 206 67 209 221 267 254 72 Ga 54 55 61 21 25,26 27 37 52 58 60 63 64 65 備考 聖所の記述のみ 情報源:フィリップ・ド・サヴォナ 資金リスト 聖所の記述のみ 情報源:フィリップ、マリオ、オドリコ、ニコロ 聖所の記述のみ 都市と都市間の距離のリスト 聖書・十字軍国家の歴史 聖所の記述のみ 祈祷書・巡礼指南・贖罪リスト・聖所の記述 、フランチェスコ会発行の公式ガイド? 聖所の記述のみ 聖所の記述と巡礼指南・祈祷書 巡礼指南・祈祷書 A-1.Omont, M. 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XIV ?", Biblioteca bio-bibliografica della terra santa e dell'oriente francescano, 5, pp. 365-367. - 16 - 表5:15 世紀前半の旅行記リスト A メモワール(聖地回復論覚書) 整理 名 年 1 エマヌエル・ピローティ 1420 B 旅行書・観察記・地理書 整理 名 1 2 C 創作・伝記・年代記 整理 名 1 2 3 4 年 社会 ヴェネツィア領クレタ 商人 出身 言語 Rö To 伊 社会 14 フィレンツェ 市民 伊 ベリー 国王伝令士 仏 出身 社会 Gr a 伊 1423-1425 ポンメルン 国王 丁 ルードヴィヒ・フォン・デ ィースバハ 1440 ディースバハ 領主 独 出身 c.1400 ナポリ 1409-1411 フィレンツェ 1409 フィレンツェ フェッラーラ 社会 8 言語 Rö To Ga エステ辺境伯 伊 Gr a 16 32 羅 伊 伊 メモワールの他に旅行記的要素を多 く含む、教皇や多くの王侯貴族に 献呈、現存するのはフィリップ善良 公宛の仏語版であり原典は伊語 備考 フランス国王シャルル7世に捧げた、各地 の情報 備考 6 31 1 フランチェスコ会士 修道士 都市貴族 - 16 - 28 3 Ga 備考 通商のための使節 31, 42 言語 Rö To 貴族 1413 288 Gr a 84 6 トスカーナ フィリッポ・ダヴェルサ フレデリコ・ダ・カーヴァ リナルド・デリ・アルビッツ ィと弟ルカ ニコロ・ダ・エステ 10 Ga 1416 年 Ga 言語 Rö To ヤーコポ・ダ・サンセヴェ リーノ エーリク7・ア・ポンメルン D 聖地巡礼記 整理 名 1 2 3 出身 年 フェリーチェ・ディ・ミケーレ・フ 1422 ゙ランカッチィ ジル・ル・ブヴィエ 1440, 145 0 (レーリヒト:72、トブラー:19、ガンツ=ブレットラー:44、グラボワ:11) W.モーレループによる年代記史料等 からの巡礼の再構成 従者ハンス・フォン・デア・グルーベンによ る 年代記的作品 Gr a 備考 テンプル・ドミニの記述のみ 2 27 9 7 3,4 82 ニコロの尚書官で巡礼の随行者ルチー ノ・ダル・カンポが作成 5 マージェリー・ケンペ 1415 キングズリン 6 ハンス・ポルナー 1418 ブラウンシュヴァイク 市参事会員 7 ノンパール2・ド・コーモン 1418-1419 コーモン 領主 仏 8 不詳 ヘント? 俗人 仏 9 不詳 c.1419~14 25 1420 オスナブリュック 修道士? 低独 領主 仏 10 ギルベール・ド・ランノワ 1421-1423 ランノワ 11 ヨハネス・ポロナー 1422 12 不詳 市民 英 独 羅 c.1425 ドイツ(ザクセン? 教会人 ) イングランド ? 13 ヨハネス・バッセンハンマー 1426 ドレスデン? 独 14 ヨハネス・フォン・フランクフル ト 1426-1427 フランゥフルト・アム・マ 哲学博士 イン ハイデルベルグ大学 長 1428 メッス 騎士 1431 シエナ 司祭 15 ニコル・ルーヴ 16 マリアーノ・ディ・ナンニ 英 ? 17 ガスパーレ・ディ・バル トロメオ 18 ベルトランドン・ド・ラ・ ブロキエル 1431 19 カッツェネルンボーゲン伯 フィリップ 20 不詳 1433-1434 カッツェネルンボーゲン 伯 1434 ? 21 フランケン=ブランデンブル ク辺境伯 ヨハンとアルプレヒト 22 ペロ・タフール 1435 ニュルンベルク 羅 仏 伊 シエナ 司祭 伊 1432-1433 ヘント 騎士 仏 1435-1439 コルドバ 5 28 4 28 5 33 1 巡礼から21年後に口述筆記で作 成 7 8 8 83 9,22 94 11 27 6 28 9 10 1,12,3 80 9 15 85 29 1 11 17 君主ファルツ伯ルードヴィヒ3世の聖地巡 礼に随行 18 29 7 29 6 29 9 12 20 21 23 独 300 14 24 ? 独 25 辺境伯 独 30 2 303 15 下級貴族 西 30 5 1403年・1446年にも聖地巡礼、 巡礼記とメモワールの二部構成 ブルゴーニュ公フィリップ善良公の家臣 、他にサンチャゴ・デ・コンポステーラやロー マ巡礼の記述を含む 13 13 - 17 - 81 聖墳墓教会についての詩 87 89 1462年にヨハネス・フォン・シューマン・フォン・ リュッツェンブルクが書き留める 同行者の博士Doctorハンス・ロヒナーが 記す 26 27 マリアーノ・ディ・ナンニの同行者、マリアーノ の記述を参照し簡略化? ブルゴーニュ公フィリップ善良公の家臣 、メモワール的要素も含む、旅行記的 要素も強い 88 23 ヨルク・プフィンツィンク ニュルンベルク 市民 独 ニュルンベルク 参事会員 独 25 オーストリア大公フリードリ 1436 ヒ 26 ハンス・ロット 1440 オーストリア 大公 独 バーゼル ミニステリアーレン 独 27 ジルナント・フォン・シュヴ ァルバハ 28 不詳 1440 クレベルク ? 独 1441 ドナウエッシンゲン ? 独 29 不詳 1444 アウクスブルク 騎士 独 30 ステファン・フォン・グムペンヘ 1449-1450 ヴュルツブルク ゙ルク 31 ヨハン1・ファン・クレーフェ 1450-1451 クレーフェ 市民 独 領主 低独 32 6 43 言語 Rö To Ga 24 ペーター・リーター E F 巡礼ガイド 整理 名 1436, 144 0 1436 年 出身 社会 1 不詳 1427 ? 2 不詳 c.1450 オーバーシュヴァーヘ 教会人? ゙ン その他 整理 名 年 フランチェスコ会士 出身 社会 30 6 16 28,33 90 ヨルク・フィンツィンクと共に旅。1479年の セバルト・リーターの巡礼記などと共に 、1594年に一族の子孫のハンス・リー ターが編纂。 後のドイツ皇帝フリードリヒ3世 30 30 7 31 2 31 3 31 5 32 0 323 羅 295 独 32 9 29 34 35 92 36 38 18 40 Gr a 巡礼手引きの他に聖地の歴史や 地理情報を多く含む 祈祷文選 17 言語 Rö To Ga 1 ガンドルフス 1444 シチリア フランチェスコ会士 羅 319 37 2 ゲオルク・ミューリッヒ・フォ ン・アウクスブルク 1449 アウクスブルク 画家 独 32 2 41 Gr a A-1.(1) Dopp, P.-H.(éd), Traité d'Emmanuel Piloti sur le Passage en Terre Sainte (1420), Louvain, 1958. - 18 - 備考 備考 教皇特使として聖地に派遣され る委任状 領主ヨハン・フォン・ウァルデンブルクに随 行、聖書を題材としたイラスト (2) Régnier-Bohler (tra.), "Traité sur le passage en Terre sainte, Emmanuel Piloti, XVe siècle", Id. 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