Son Oeil―――――――――目

(Premiere
photo)
存在感と魅力
20代から30代に掛けての男の顔はまだまだ未完成に思う。疲れ知らずの馬力と勢いは
感じさせても 存在感をかもし出す男の魅力 となると中々居るものではない。 魅力 と
言うのはモノ作りをするヒトに該当し、机に座って何かを研究したり、計算したりする
ヒトに対し 魅力が有る とは言い難く、 インテリ と言う言葉がマッチする。
インテリはイメージ的に非常にクールさを感じさせ近寄りがたい所もある。
その点、モノを作るヒトの様(さま)は、そのヒトに会う前に、そのヒトが作ったモノを見る
だけで共感を覚え、好みの域と、そのヒトへの興味が湧き上がってくる。魅力とは動的人
間を指し、それが
存在感と魅力 の始まり。写真の方は誰だかご存知ですね!
仮に、この写真の方を知らないヒトが居たら、貴方は不勉強である事が証明された訳です
から、これから直ぐに 1975 年頃のフランス本土におけるフランス料理の流れ、そこで中心
となって活躍していたシェフたち。そして日本、1980 年代初頭において日本のフランス料
理に新風を巻き起こしたシェフ達の事を知る事で食文化の流れ背景を投影する事が出来る
でしょう。日本で最初に本物の ビストロ を開いた男! そしてまた、日本で最初に本物
の オーベルジュ を開業した男! 芸術的抜群のセンスで意思決定し物事を表現して行く、
料理人の域を超えてしまった男❢
芸術家
勝又
登 『存在感をかもし出す男の魅力』
p3.
この男にして、この言葉あり! 芸術家=絵になる男は写真を撮っても、その表情・物越し
から伝わって来るものがある。益しては生(なま)で当事者を目の前にすると、やっぱりそ
こには魂の中心から オーラ が湧き上がって来ている事を知る。
勝又シェフ に初めて会ったのは 1982 年の秋ではなかったか? 私は初対面の挨拶で交
わす名刺には後で必ず年代と日付を書く様にしているが、勝又シェフに至っては今だに名
刺をもらった事がない。持ってないのか?作ってないのか?渡す事を好きでないのか?
どれに該当するかは分からないが、顔が名刺と言うが、正にこの事だろう。
店名は Bistrot de la Cite 、今も思う本当にいい店、いい店名である。西麻布交差点そば
の裏通りに面し、一坪も無い様な小さなキッチンの中にはシェフを含め3∼4名居た様に
記憶する。店内は全くもってパリのビストロに迷い込んだ様な雰囲気ですべてフランスか
ら運び込まれた本物、 ハンガー、絵、ドアの蝶番、テーブル、椅子、壁の色、ラバボーの
洗面台、トイレの便座、モールに至るまで何もかも PARIS の BISTRO を再現した様で、
そこに腰を下ろし語る 勝又 の片手にはジタン (フランス産でブラックタバコと言われフィルタ
ーも無く、シガーの様な香りでとても強い紙巻タバコ) 、言葉をイメージしながらゆっくりと語る
勝又 の話に聞き入った事を思い出す。初対面で会ったこの時すでに、
『この方はとんで
もないセンスに持ち主で、妥協しない徹底した本物を作る事が出来るヒト!』と強烈なプ
ラス ショックを受けた事を鮮明に覚え、また店内を飾るフランス産大道具・小道具・調
度品のすべてをどうやって揃えたのだろう!と驚く事ばかりだった。作り出される料理も
フランスのエスプリを完全メッセージした自然体のビストロ料理完璧主義である勝又を感
じている矢先に今度は Aux six arbres を六本木交差点の近くにオープンさせた。
p4.
Bistrot de la Cite とは全く異なる Restaurant の完全再現! 妥協を許さない本物だけ。
Bistrot de la Cite と同じくして、素晴らしいセンスと塊で作られたお店は東京に居て PARIS
の BISTRO と RESTAURANT に居る様な店であった。当時の勝又は月・水・金は BISTRO
で、火・木・土は RESTAURANT と言うローテーションでそれぞれのお客様に料理を作っ
ていた。また当時、フランス料理専門店で2件のお店を切り盛りするオーナーシェフは他
に居なかったのではないだろうか。両店とも連日爆発状態で話題の店の中心に有ったが、
勝又はヘタな雑誌からの取材を拒否し、ひたすら 勝又 BRAND を作るべく MY WAY
の世界を歩み続けていった。そしてまた、次なる挑戦は誰もが驚くセンセーショナルな話
題をフランス料理界に発信したのであった。それが日本で始めての完全フランスの宿場&
レストラン、 オーベルジュ の開業であった。
Auberge au MIRADOR の誕生である。
オープンニング レセプションの時の話は余りにも有名で、今では考えられない様な事が
起きたのであった。当時、フランス料理を引き入る中心的街場シェフの会=クラブ デ ト
ラントのメンバー全員が一箇所に集まり、そこからバスを貸切り箱根のミラドー目指して
向かったのであった。(敬称略) 井上、石鍋、石神、扇屋、鎌田、北岡、熊谷、坂井、酒
井、城、高橋ほか 第一線で活躍するバリバリのシェフ達とその仲間達数十人がバスに乗
り込み MIRADO=勝又のお祝いに向った。私もバスに乗り込むように誘いを受けたが予定
が合わず乗れなかった。今、思えばと本当に残念で行けなかった事を悔やんでしまう。
そのくらい夢のような貴重な出来事がミラドー誕生の日に起きたのである。
箱根町湖尻、芦ノ湖に近く道路脇に面し、回りは緑一色、何かブルゴーニュにタイムスリ
ップした様な雰囲気に中に建つ。白壁のゲートを抜け、ゆったりとした庭を通り、正面に
エントランス ドア! 出迎えのマトモアゼル レセプションがドアそばでニコヤカに迎え
てくれる。ウェイティング ロビィーでシャンパンを頂き、大人の時間= 食のプロローグ
の始まりである。東京では考えられない、ゆっくりした空間の中に洗練された料理がテー
ブルに運ばれて来る。何時どの様にして、この様な発想の料理が出来るのだろう、
p5.
と思うほど他の影響を受けていない独自な芸術的発想が目に入って来る。
『これらのフランス料理は誰にも影響されていないクリエートされたセンスの固まりです
ね!』と問いを投げ掛けると『これは 勝又料理 !』と答えが返って来た。
ミラドー はスペイン語で『ミラドール=見晴らし台(丘山の)』の意味を持つ。ここで少
し時間をBistrode la Cite時代に戻すと、元々Bistroを作った目的は、『またフランスに戻る
為に少しお金を貯めて戻ろう!と言う思いで始めたBistroが当ってしまって戻れなくなっ
てしまった。ヨーロッパから彼女も来て居たんだけど、Bistroが忙しく彼女には帰っても
らった!』今だから聞ける中々色っぽい話である。その彼女の写真が残っているものなら、
ここに載せたかったなー! ミラドー の名前の由来。フランスPaye Basque地方の小さな
町Biarritz(ビァリッツ)の丘陵地に有るレストラン EL MIRADOR を訪ねた時、次なる店
名は オーベルジュ ミラドー にしょう! と決めていたそうである。そして、東京の2
店のお店 Bistrot de la Cite と Aux six arbres の繁栄店をなぜ売却したのか?を尋ねる『目
まぐるしく変わる東京、気を抜けない東京でこれから先、何十年もレストランを続ける事
は難しい!であれば東京から離れた場所で自分を試そう! 東京に満足出来ないお客にこ
こまで来てもらおう!』東京を売却し、新天地=箱根を求めミラドーの開業に至った。
凄まじい勇気と決断であった。
1986 年−月 AUBERGE AU MIRADOR がオープンする。この時のレセプションに
駆けつけた日本を代表するシェフの面々! 貸切バスで乗り付けてシェフの面々! 駆けつ
けたシェフ全員がそれぞれキッチンに入り料理作りを手伝ったと聞く。こんな場面は後に
も先にもこの MIRADOR で繰り広げられたレセプションは 勝又にしか出来ない、勝又だ
から出来た 『一夜のスーパー宴(うたげ)』だった。開業旋風が食通また業界の間で『ミラ
ドー!行って見た?』この話題が持ちきりとなり、関東・関西の食通たちが MIRADOR を
目指した。そして時間が経過しても勝又の情熱はさらにヒートアップし、
1997 年—月 PAVILLON MIRADOR Braidal Holl & HOTAL をオープンさせた。
フランス式 結婚式も出来る。AUBERGE でエスプリを全身に感じながら食事を愉しむ、
食事の後は森林浴の香りと牧歌的雰囲気の中、ROOM に入るとフランスの感覚が充満して
いる。余計なテレビもなければ異空間を味わってほしいと言わんばかり時計もない。
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異空間には現実を知らせる時計は不要なのだ。時間はゆっくりと流れていく。東京から
一時間程でこんな空間を作ってしまった勝又の頭の中はどんななっているのだ!
すべてにおいて嘘のないガストロノミと本物しか認めない空間の中のアート!
勝又を単なる料理人として見るのではなく アーティスト= 勝又 登 として見ると表現
しているすべての面で納得する事が出来る。彼に取って料理は表現の一部であって、彼自
身 を 表 現 す る 為 Auberge
au MIRADORが必要であった。
更 に Paviloon MIRADOR
も必要になった。すべてのイン
テリア関係・備品・小物・
アメニティーに至るまでフラ
ンス製にこだわる事で、か
もし出す雰囲気もフランスの
エスプリを自然に表現出
来ることになる。バスルームの
石鹸、シャンプー、何気な
く置いてある雑誌に至るまで
フランス語で徹底する。先
日、アラン デュカス氏も見学
に来てくれた。彼は何を感じてくれただろうか?
何があろうと起きようと 勝又 の考えは終始一貫している。不変的に信念を貫くと言う
のは不安の固まりでも有り、不安と緊張が過ぎり眠れない夜だってあるはず。
その心境は誰に語れるものでもない。誰もやってない事に挑戦する事は不安の壁をブチ壊
すだけの大きなエネルギーが継続する必要がある。後退も挫折も有り得ない事である。
プラチナのように硬くて強い信念・突き進むエネルギー・マグマのように熱く湧き上がり
続ける情熱! やっぱり アーティスト 勝又 として捉えるのがピッタリと来る!
2004 年---月 COLONIALE MIRADOR 3棟目の館がオープンしたが、今度は生まれ変
わった MIRADOR。誰もが目を疑程 MIRADOR が変身してしまったのである。一転して
フランスからバリ島にな
ってしまった。これまで
もそうだった。勝又は自
身の頭に描かれる立体的
構図を図面に書いて行く。
p7.
そのイメージに合うオブシェ・置物を買い付ける為に海外に飛ぶ!その動きも電光石火で
買い付けたらまた直ぐに戻ってくる。買い求めるものがすでに頭に描かれている。その目
的の物を探す! COLONIALE うわ物が完成し、室内・庭・回廊などに設置されるすべて
のインテリア・美術品・オブジェに至る商品選び・買付けを1ヶ月で済ませた。イメージ
の場所に置いて見たらピッタリだったと言うのだから頭の中で描かれていた構図がいかに
センスしていたかである。日が沈み MIRADOR の建物と広い庭がライトアップされ、テラ
ス式ガラス張りの RASTAURANT で食事が始まる。私は庭に準備された白いテーブルで食
事を愉しむ事にした。ここはフランスの Auberge!そんな思いにさせるローケーションの
中でピッタリの食前酒がある。PERNO!水割りで少し飲んで、次に口を濡らすのはやっぱ
り CHAMPAGNE!
p8.
食事が終わりプロムナード! Auberge から Pavillon の庭を通り
Coloniale の回廊の入口から Coloniale の館の方に足を踏み入る
と、そこは薄っすらとした幻想の光の中に浮かぶオブシェ! 点
在するオブシェの回廊は何とも言えないエロティズムを感じさ
せ、そこに魅力ある女性をたたずませたら素晴らしい写真にな
るであろう事が想像できる。フランス共和国からインドネシア
バリ島に見事
なタイムスリップである。館の中に入っ
てもピンスポ
ットの薄明かりに微かに聴こえて来るバ
リの音楽! ロ
ビーフロアーに入ると石壷からは水が湧
き上がり、壷の
底からは一筋の光が水の中を通る。 勝
又 の際立った
アートセンスをここでも感じる事が出来
る。朝を迎え
Coloniale で朝食を取る。ここで何故コロ
ニアルかを確
認する事が出来た。朝食=プティ デェジ
ォネは申し分
のない完全フレンチ スタイル! 正しく
コロニアホテル文化である。そのメニューは PARIS の★★★星を思わせる様な アンペカ
ーブル=完璧 を感じさせるものだった。
笑ってしまった事がある。Auberge の横に
綺麗なプールがあって、このプールを掃除
する掃除器があった。この掃除器、ロボッ
ト掃除機でなかなか頭が良くて一人で水の
中をグルグル掃除してくれる優れもの!
これもフランス製で、ゴートダジュールで
見かける事は有ったが、まさか箱根の Au
Mirador で見るとは想像もしなかった。こ
こまでやるかー!で大笑いしてしまった。
Auberge Au Mirador、Pavillon Mirador それに Coloniale Mirador、すべてにおいて
アーティスト ムッシュ勝又 の繊細なスピリットから湧き上がるセンスとパッション!
その 存在感と魅力 に是非ふれてほしい。
PS.
p9.
Son Oeil―目
Le
Chapon!
今回はコートダジュール、リビエラの料理に欠かす事の出来ない、
ル シャポン=オニカサゴ
(写真はコートダジュール、バンドールに水揚げされた
シャポン )
コートダジュールに行って『ラスカス!』と言ったら、
『これはラスカスではない。 シャ
ポン だ!』と言われる。写真の物が シャポン このサイズ、1.5kg はあるが、フラン
スに置いても日本と同じくして漁獲量の少ない高級魚。
めったに食べられるものではなく、
レストランのメニューにもそうそう載るものではない。素材と言うものは、まあまあ獲れ
る内は良いが、獲れ過ぎると商品価値が落ちて大衆化して行く。
『腐ってもタイ!』
、天然マダイを料理するまでは良いが、需要に追い付かなくなると獲得
競争が厳しくなり相場価格を上げ、結果、欠品=信用不信・迷惑が発生する。そこに目を
付けたのが 養殖マダイ ! メニューには マダイ とは書くが 養殖マダイ とは書け
ない。 天然マダイ では量もサイズも揃えられない事で、相場安定・サイズ安定・年中調
達可能な条件を満たす為に 養殖マダイ を使う。トレッサビリティー・生産履歴が必要
な時代に突入した今、養ダイでは説明が付かなくなってしまった。
p10.
資源の枯渇 と言われるようになって随分と時間が経つが食物連鎖で何かが減ると何か
が増える。世の中に求められている事は相変わらず、 差別化・生き残り 言葉では簡単に
使われるが実際問題、そんなに簡単ではない。在り来たりのものでは説得力もなく、珍し
過ぎても分かってもらえない。そこでメニューに載せるに必要なのが、 ネーミング・スト
ーリー性・旨み・料理用途による魚の色・大きさ魚体 など条件を満たす魚種が書かれた
メニューの説得力を増す! Chapon はそれにふさわしい魚種と思いたい、ただ漁獲安
定度と言う点はチョット不安がある。そこは LFF 瞬間液体凍結=リキッド フローズ
ン の力を借りて上質鮮度と必要サイズの Chapon だけを預貯金の様に静かにおとなしく
貯め一定の量を満たした時に限定的に料理に登場させる。限定的と言うのは希少価値で説
得力もあり、増しては Chapon はコートダジュールのエスプリを満載した Le Poisson=
お魚 であるから作る側・食べる側の両方からの満足度が得られる Very Very Good な響
きになる!メニューに例えると『幸せのお魚=シャポン!コートダジュールの香り!』と
して、サフランを使ったり、ブィヤーベースのジュを使ったりしてコートダジュールをメ
ッセージするエスプリに満ちた料理がテーブルに載る。
ここで Chapon 漁獲の背景を説明する。長崎漁港を基地として入出港する漁船。船名は
第8恵比寿丸 19Ton=豊重船長 率いる乗組員5名の延縄漁船である。
漁場は 441∼452 区海域!と説明しても海図が無いので分かるはずは無いが、まあザッと
言うと五島列島・下五島から南に向って鹿児島方向の中間に位置する男女群島の近くと
想像してもらう。(う∼みは広い∼な、大きいな∼! 月が昇る∼し、日が沈むー、海は大
∼波、青いな∼み、ゆれてどこまで続くや∼ら∼!-----------) この歌を知っている方は年令
がバレてしまいます。そんな訳でこの 第8恵比寿丸 出港して10日間程の漁に入る。
水深 150∼200 メートル付近、澄んだ海でも光が届く深さは水深70メートル程度、これ
を超える深さは昼でも闇の世界である。こんな所に縄を張り、針を浮かべる。縄の長さは
8mail∼9mail=13km∼14km! 縄入れに一時間、水揚げに4∼5時間を要し、1日に
2回の縄入れ操業は早朝4時から夜9時くらいまで続く。限られた狭い船上での立ち仕事
の中にあって仮眠状態で10日間も続く。漁が思わしくなかったら辛く、やってられない
仕事であり陸での生活からはおよそ想像できない。エサには イカ や サンマ を使い、
漁獲魚種は オニカサゴ、アマダイ、アラ、レンコダイ、ユメカサゴ、クロムツなど。
p11.
操業海域には中国船も多くレーダーで他船の動きを見ながら操業するが、中国船が近くで
操業されると商売=漁が出来なくなる。この中国船出没現象は元来、日本の底引き船に従
事していた船員が中国船に指導者して乗り込み、色々な操業場所を明かした事が日本船に
対する中国船の迷惑操業につながっている。延縄漁の縄に付けられている えだ針 はカ
ゴに入れて分けられ、ひとカゴに 45針∼50針 ひと縄に20カゴ、針の数にして1
000針が付けられている。これだけの針で獲物を狙う! その為に操舵室に備え付けられ
た装備は ソナー(海底の地形・水深・地質)、潮流計、ナビゲーション(海図上の位置)、
魚群探知機、プロッター(二次元図形)、GPS(測位装置)、レーダーなど所狭ましと並び、
これだけ揃えるだけでも軽く¥1000 万を超えてしまう。
Chapon=オニカサゴはアマダイ狙いに中に混じって漁獲されるもので Chapon を狙って
漁をする事はない。また、水深が 200 メートルを超える深いところでは獲れなくなる。
価値有る素材が料理を引き立てる! 水産食材の加工の条件は水際の鮮度が一番大事!
どんなに立派な設備と技術を持っていてもすでに鮮度が落ちたもの、状態が良くないもの
を最新の冷凍技術を使って凍結しても、それは後の祭り、解凍時には更に劣化速度を速め
る事になる。凍結商品を作るに必要不可欠な条件は 最初が肝心! 上質な鮮度のものを
水揚入荷後、水際でいかに早いスピードで加工処理するかに掛かっている。つまり、生産
地がいかに水揚げ港=魚市場に近いかである。IMEX=LABO は長崎魚市から 500 メートル
程のところの 水産加工団地 内に位置しています。
『安心水際・安心鮮度・安心スピード
処理・安心環境・安心瞬間凍結』これらの条件を満たした場所で商品作りを行っています。
(枝針)
(富重船長=パトロン)
Restaurant
東京
自由ヶ丘 奥沢バス停そばに
Le
(延縄)
Chapon
レストラン ル シャポン 、イタリア人の様な陽気な日本人シェフと笑
みを絶やさないギャルソンが Bouillabaisse を準備して待っています。壁には手書きのコートダジルのスケ
ッチ(コットン画)! 勿論、シャポン料理もOK❢
☎ 03-57-58-86-71 この番号の書き方もフランス式❣