皆さんにとって、時代が変わっても大切にしたいもの、大事にしたい気持ち

 皆さんにとって、時代が変わっても大切にしたいもの、大事にしたい気持ちは何でしょうか?
3組の家族が共に過ごした時間を振り返り、そして明日を語ります。
東海道新幹線からも見える一画に温室が
並ぶ「馬込シクラメン園」。戦後の混乱の
中で花の美しさにひかれた波田野章さんは、
昭和27(1952)年に野菜農家から転身し、
ここに500粒の種をまきました。現在は
「姿の良い最上級のシクラメンを」との思
いで30品種、8,000鉢を、妻の作子さん、
長男の清明さん夫妻と共に育てています。
病虫害も多く、繊細な温度の管理が必要
なシクラメンは栽培の難しい花。それだけ
に「60年間シクラメンだけでやってこれた
園の正面にある宮ノ下児童公園には「シクラメ
のは大したこと」と章さんの感慨もひとし
やすよし
ンゆかりの里」の碑が立っている。
おです。孫の恭祥さんは大学院で制御工学
まさき
を学びこの春から社会人に。また弟の雅規さんはアメリカンフットボールの学生
コーチとして走り回る日々。好きな道を歩みなさいと言われのびのび育った2人
ですが「先祖から受け継いだ土地だから、兄弟で協力して何らかの形でやってい
きたい」と祖父や父の思いは届いているようです。新しいアイデアを取り入れな
がら、これからも馬込のシクラメンは美しい花を咲かせ続けることでしょう。
波田野家の皆さん 写真左から恭祥さん、美子さん、清明さん、作子さん、章さん、雅規さん
電気・電子部品の精密ばねを製造する「小松ばね工業株式会社」は昭和16
(1941)年に創業。バレエ教師だった節子さんが手探りで経営を引き継ぎ、秋田、
宮城、インドネシアに事業を展開するまでになりました。6年前に長女の万希子さん
が社長に就任。二人三脚の期間を経て、平成26(2014)年に代表権を譲っています。
社内を回って社員に声をかけ、誕生日にプレゼントを贈るなど「家族のように社員
に寄り添う」社風は変わりません。
また、「一歩外に出ると厳しい競争があることを、折に触れ社員には伝えたい」と
気を引き締めている万希子さん。
それに対し節子さんが「アンテナ
を常に張る必要がある。でもあわ
てることはないんです。社長にな
ると新しいことをしなければと思
うものですが、まずはお客様を第
一に考えて、着実に」と自分の経
験を踏まえてさりげなくフォロー
します。身をもって学んだ経営ノ
ウハウと親子の絆が育てた太い
根っこで、たとえ向かい風が吹い
肉眼ではとらえきれないばねも造る。高い技術力に
ても小松ばねの土台は簡単に揺ら
写真左から
ほれ込んだDJから声がかかり、工場の映像を使った
よしあき
ぐことはないでしょう。
小松万希子さん(代表取締役社長)、勤続8年の佐々木優治さん、勤続23年の江川祥章さん、小松節子さん(会長) ミュージックビデオ制作にも協力した。
いば
ひでのぶ
ザ・ビッグバンド・オブ・ローグス
伊波秀進さんは今年50周年を迎える「The
Bigband of ROGUES」
(東京キューバ
よし
オルケスタ・デ・ラ・ルス
ンボーイズJr.)のバンドマスター。長男の淑さんは「ORQUESTA DE LA LUZ」など
で活躍するプロのパーカッション奏者。「父から学んだのはどんな時もお客さんを楽
しませること」と話す淑さん自身も平成27年ビッグバンドを結成し、大田区民プラ
ザで父子による競演を果たしました。
みさご
ただあき
日本のラテン音楽の草分け、見砂直照氏の血を受け継ぐ「ROGUES」のコンサー
トには、若い頃ラテン音楽の洗礼を受けたお客さんが熱心に足を運びます。「生き
がいだとおっしゃるんですよ。
重みを感じます」と秀進さん。
淑さんも「数々の先輩たちの思
いを絶やすわけにはいかない」
との強い思いでステージに立っ
ています。区内では中学生吹奏
楽へのクリニックも積極的に行
うお二人。淑さんはアプリコみ
んなの音楽祭2016で広報大使も
務めました。ラテン音楽の楽し
さを踊りだしたくなるビートに
のせて、ここ大田区から日本中
糀谷小学校での音楽イベント。
「本気で演奏すれば子どもたちも応えて
へと広げていきます。
くれる」と淑さん。
2 大田区報 平成 29 年 1 月 1 日号
下丸子JAZZ倶楽部の本番前に。写真左から伊波秀進さん、淑さん