(千葉ランニングクラブ 金子泰夫 )

11 月3日全国スポーツ祭典陸上競技大会を主管して
また、千葉大学陸上部へも協力要請し応援を頂
きました。このためジャッジに伴う役員について
は全て公認審判員を配置することができました。
また、やり投で光波測定器を使用できたこと、
走幅跳にメジャーを使用せず距離測定器を使用で
きたこと、更にゴールタイマーと風力を電光掲示
したことが特筆されます。
○プログラム作成について
申込み締め切りが3段階(千葉8月末、一般9
月末、10 月開催の都府県大会は 10 月)だったの
でそれぞれ入力し、同一チーム、選手が重複しな
いようにチェックしながらの入力で苦労しまし
た。チームの名前と大会開催地の名前が違ってい
るケースもあったため仕分けに手間取りました。
今回、申込者が 1 人の漏れ落ちや種目の間違え
が無かったことは評価できるのではないかと思っ
ています。入力時のチェックと番組編成前のチェ
ックそして番組編成時のチェックの3回行い万全
を期しました。
○参加者への事前の通知及び当日配布物について
受付の確認については当初、競技日程を記入した
葉書を予定していましたが、競技注意事項や県外
からの参加者のことを考慮し、会場図・アクセス
を記入した文書もいれて封筒で送付しました。
カラーの受付用紙は受付時の時間短縮になったも
のと思います。大会当日に配布のプログラムの入
った袋の表紙には会場図や競技者受付の要点も印
刷しました。
○その他大会運営について
陸上競技場にナイター施設が無いため、曇りの
日や雨天時に写真判定が出来なくなることを考慮
し投光機をレンタルしました。幸い好天に恵まれ
借りなくても良かったのですが、事前の心構えと
しては良かったのではないかと考えています。第
二陸上競技場を借用し場内司令を配置しましたス
タート係のジャンパーと帽子(NJSFが印刷)
は千葉ランニングクラブで購入する形にしまし
た。
○ 財政について
当初400名で予算を計上し、約20~30万
円の赤字を予測していたのですが、参加者の増加
と個人募金・広告収入があり黒字収支報告が出来
ました。競技役員を多くしたため交通費と弁当代
が多額になってしまいましたが、会場費が比較的
安かったことが幸いしております。
千葉ランニングクラブ 金子泰夫
○ 気づいた点(課題-1)
出場資格を参加要綱に基づき誰でも参加で
きるようにしました。近年のランニングブー
ムから(長距離)は《締切り日以前にも締切
る種目がある》とも明記しましたがやはり、
締切り後に大会を開催した東京、大阪、滋賀
から「入賞しても全国大会に出場できないの
は納得できない」との抗議がありました。
千葉ランニングクラブとしての回答書を作成
し、抗議のあったクラブに送付しましたが、
次回の要項作成にあたり再検討すべき点が幾
つかあります。
具体的には各都府県の大会要項に全国大会参
加希望の欄を必ず設ける事、先着順である事
を明記した方が良いのではないでしょうか。
課題-2 プログラムの入稿及び校正を 1 人
で行ったため、見落としが目立ちました。
印刷段階で印刷会社へ大きな負担を掛けさせ
てしまい、印刷費の高騰にもつながりました。
校正は陸上競技に精通した複数で行なう必要が
あります。プログラムのレーンとスタートリス
トのレーンの違いが1レースあり、スタートに
若干の遅れが出たものの競技日程通りに競技が
進行したことは、選手だけでなく役員からも評
価されました。
課題-3 今回初めて広告以外に広く募金を
訴えました。今後も健全財政を念頭に入れ、全
国RCとして全国祭典のための積立金の計画が
必要ではないかかと考えます。
○全体的な感想として
千葉ランニングクラブはまさに“清水の舞
台”から飛び降りる覚悟で引き受けた祭典陸上
競技大会でした。それでも多くの友人・知人の
協力に恵まれ、関西からの大勢の参加者があっ
たこと等によりお陰さまで成功することができ
ました。福島県白河高校陸上部の顧問から「普
段高校の大会しか出場できない生徒達にとって
一般の選手と競技ができとても勉強になった」
とのコメントを戴きました。財政的にも大きな
赤字を出さずに済みました。以前全国連盟の理
事会で『鳴かず飛ばずの千葉県連盟』と辛口の
評価を頂いておりましたが、少しは汚名返上に
なったのではないでしょうか。
(千葉ランニングクラブ 金子泰夫 )
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全国スポーツ祭典陸上競技大会(11/3
於:千葉県立総合スポーツセンター)
2010 年被爆 65 年東京~広島・長崎1500Km反核平和マラソン(東京~広島ドキュメント)
7月27日~8月8日の13日間で行われた
2010 年被爆65年東京~広島・長崎1500Km
反核平和マラソン(主催:新日本スポーツ連盟、
協賛団体:平和市長会議、非核宣言自治体協議会
等16団体)を振り返って見ましょう。
8月6日~8日の広島~長崎間は毎年実施され
ておりますが、東京~広島間1000kmは 2005
年以来5年振りでした。今回の反核平和マラソン
は東京から広島・長崎まで走る本隊ランナーと本
隊が通過する期日に合わせA(東京~静岡)・B
(愛知~兵庫)・Cは兵庫県連県境までサポー
ト、以降本隊のみ・D(広島~長崎)の3つのブ
ロックの実行委員会が反核ランナーの組織と道案
内・給水等のサポーにより進められました。参加
者は本隊ランナー16名、スタッフ7名(計23
名)A:18名、B:86名、D:ランナー13
8名スタッフ51(計189名)合計316名で
行われました。(詳細はスポーツのひろば 10 月
号、2010 年反核平和マラソンホームページを参照
ください)それぞれの区間を通過した時の概要を
報告します。7/27 夢の島 12 時(永井会長、他
の方々の激励を受け、第五福竜丸館長の号砲で)
出発。都心の目抜き通りをアッピールしながら走
る。17 時横浜市役所着大桟橋入り口の波止場会館
で「本隊結団式」を開催し交流。
7/28 横浜~箱根(芦ノ湖)永井会長の見送り
を受け横浜市役所出発。平塚を過ぎ小田原から曇
り空、幸い箱根の山登りは風とガスだけ。宿は全
国連盟の板垣さん紹介の宿で交流会。東京都連盟
の萩原さんのアコと歌姫こと辻陽子さんの歌唱指
導でその夜は大変盛り上がりました。
7/29(箱根~藤枝)朝から雨で雨支度。箱根峠
を越え、下りは横殴りの雨とガスに巻かれ視界が
きかない。気温 13℃。トラックも走っている。三
島~由井までズーッと雨。18 時藤枝到着。宿での
夕食時、高校サッカー全国優勝の藤枝東高の部員
と同席。トークありまたアコ・歌で。
7/30(藤枝~豊橋)朝から時折雷雨、大井川
を渡る頃晴れて、浜松では遠州WKの方々の出迎
えを受け、萩原さんもう一人のアコ奏者角田さん
とも共奏。豊橋市役所そばの公園で到着式―静岡
テニス松本氏の激励。萩原氏他2名帰る。
7/31(豊橋~大垣)朝、NHK の取材あり。便
利屋清ちゃん(岡本さん)御油の松並木など旧東
海道を先導。名古屋では愛知 RC のサポート&ラン
を受け、だんだん気温が上昇し猛暑に、途中ラン
ナーとランナー車とが別々な道を走ることになり
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ランナー迷子に!NHK ニュースも幸いし何
とか所在が判り、大垣到着 18 時を廻るが岐
阜、滋賀、京都の仲間多数で出迎えてくれ
た。韓国のキムさん日本語で「思いを」語る
あいさつ。
8/1(大垣~京都)大垣から滋賀の星さ
ん等のサポートを受け彦根城址も巡った。琵
琶湖畔では大勢でのピースラン。京都市役所
で北出 RC 会長、京都の仲間が多数出迎え到着
式。夜は京都府連盟の交流会を設けて頂いた
8/2(京都~明石)京都から洞が峠で大
阪 RC の先導で昼時、梅田の繁華街をピースラ
ン。神戸市内でランナー車が道に迷い、兵庫
の仲間(9の会他)は先に出発していたが、
後を追いかけ瀬戸内海を眺めながら明石到
着。兵庫の仲間が交流会を設けて下さった。
8/3(明石~瀬戸内市)岡山県境まで兵
庫の仲間の先導を受け、岡山入りテレビ局の
取材が待っていた。ピースランナー川沢さん
お孫さんとテレビに!反核マラソンも流れる
姫路で吉成責任者合流宣伝車気合いが入る。
8/4(瀬戸内市~尾道)この間は本隊だ
けでのピースラン。陽が上がるにつれ気温も
上昇。熱中症になっては大変と小刻みに区切
って走り全員でサポートし佐藤静トレーナー
の出番とあいなる。神奈川からサポート2名
合流。17:30 尾道市役所到着。
8/5(尾道~広島)今日は残り 80Km。
広島はすぐソコとリラックス。13 時広島入り
沿道の方々から激励を受ける。豊橋で帰った
橋本氏合流。14 時平和公園へ到着。FSGT、韓
国の代表、全国連盟、広島・長崎実行委員会
の出迎え、まさに 1000Km を反核を訴え走って
きた。明日からDブロック大部隊率いる西村
さんらにバトンタッチ、通しランナー5人も
元気。夜は平和交流会、フランス・韓国代表
来年は自国で反核マラソンを始めたい!と発
言。永井会長「5年後も実行しよう」と宣
言。翌6日8:00潘国連総長の発言の最
中、Dブロック長崎に向け出発。
本隊ランナー隊長の藤本 貴さんから「反
核平和マラソンを振り返り」の一文を寄せて
いただきました。
◇◇ 10 月 10 日の本隊解団式の日に 2010
年反核・平和マラソンの報告集が届きまし
た。渡辺良治さんは毎日夜遅くまでホームペ
ージを作成し広報係として (P-4 へ)
2010 年被爆 65 年東京~広島・長崎1500Km反核平和マラソン 藤本ランナー隊長の声