ジェリコ通信第 1 号(5 月) 2007 年 5 月 17 日 「パレスチナ自治区国持続的農業技術確立のための普及システム強化プロジェクト」 営農・普及専門家 佐藤 久泰 このたび、パレスチナ自治区の JICA プロジェクトに参加することになりました。 ブラジルの時同様、こちらの様子を報告したいと思います。 パレスチナ自治区国へ 1. 約 18 時間の旅 4 月 30 日午前 12 時前、日航機で成田空港を発って初めての一人旅でパリに向かいました。成田空 港のチェックインでは、パリ空港で乗り継ぎ時間が 2 時間弱なので、チェックインや荷物の引き取り などをしなくて済むスルーの手続きが出来るというので、お願いしたところ、スルーの手続きが出来 て大変助かりました。 パリのシャルル・ドゴール空港までは、12 時間ほどかかるのですが、成田空港を発つのが予定より 30 分余り遅れた分シャルル・ドゴール空港にも遅れて到着しました。しかし、スルーの手続きが済ん でいたので助かりました。とくにシャルル・ドゴール空港でテルアビブ行きに乗り換えるのですが、 丁度テルアビブ行きなどのスポットが拡張工事中で、かなり歩いた後バスで 2E スポットに入りまし た。ここでもバスを下りてからかなり歩き、出国のセキュリティ検査を受けました。セキュリティ検 査では、機内持ち込みのコンピュータをはじめ、全てをバックから出して調べられました。その中に シックⅡのカミソリを入れていたのですが、それを見せなさいといわれるほどの厳しさでした。 テルアビブ行きは、エール・フランス機ですが、狭い機内にほぼ満員の乗客でした。パリ時間(マイ ナス 7 時間)の夕方乗り込み、テルアビブ空港には予定より 30 分以上早く、深夜の 11 時過ぎに着き ました。入国審査では、入国目的と何処に行くかと聞かれたので、へたな英語で応えると、何という 会社かと聞かれました。そこで会社の写真入り社員証(ぼくは現在、日本工営株式会社の契約社員)を 提示すると、笑顔で通してくれました。入国スタンプを押すか押さないかを聞かれると聞かされてい ましたのですが、聞かれずに押されました(イスラエルの入国印があると、多くのイスラム諸国に入国 できない)。ぼくは他のイスラム諸国に行くようなことがないと思うので、記念に押そうと思っていた のですが、聞かれず押されてしまいした。 次いで荷物を受け取りましたが通関検査はなく、時間にしては僅かで通過することが出来ましたの で、思ったより厳しくありませんでした。出口をでるとプロジェクトの尾形総括が出迎えてくれまし たので、挨拶をしたあと迎えの車でテルアビブ市内のホテルに向かい、午前零時過ぎホテルに入りま した。尾形総括には朝 9 時半フロント集合なので、ゆっくりと寝るようにいわれましたので、シャワ ーを浴びたあと、浅い浴槽に浸かったあと午前 1 時過ぎ床に着きました。 2. 挨拶などを済ませてジェリコ市へ ホテルでの朝は、深夜に着いて時差も-6 時間あるため、時差ボケもあるのか 6 時頃目覚めてしま いました。ホテルのベランダに出て外を見回すと、テルアビブの市内がよく見え、ホテルの 100m 余 先には地中海があり、穏やかな砂浜が続いていました。早朝から市民がジョギングをしたり、散歩を したり、犬を連れている人、グループでいる人、家族でいる人など、多くの人たちが思い思いに楽し んでいました。直ぐにでも砂浜に行ってみたい感情に誘われましたが、来たばかりで事情がわからな 1 いので自重し、眺めるだけとし、無事テルアビブ着のメールを書きました。 9 時半フロント集合でしたが、JICA テルアビブ事務所で急遽会議ということで、11 時頃出かけま した。JICA テルアビブ事務所で担当の岩崎所員に案内され、成瀬所長はじめ、所員の方に挨拶をし ましたが、今回の営農・普及システムプロジェクトに対する期待を伺い、ぼくの役割も重責であり、 尾形総括とともに成果の上がる活動にしたいと心を新たにした次第です。そのあと事務所で今朝書い たメールを送信(受信)し、世界の何処にいてもメールが出来る嬉しさを再び感じました。 その後、間もなくコンサルタントで来ている社員の方々と合流し、潅水資材メーカーとのミーテン グに参加したあと、移動してペレスセンターでのミーテングに参加、多少の買い物などをして、夕方 5 時頃宿舎であるパレスチナ自治区ジェリコ市のホテルに向かいました。テルアビブ市内は車が多く 夕方のラッシュと重なり、渋滞に巻き込まれました。それでも郊外は混んでいなかったので、7 時過 ぎに宿舎のインターコンチネンタルホテルに無事着きました。 途中の風景は、岩石が多い灰褐色の荒涼とした丘陵地帯に点々と小集落等があり、所々にテレビで 見るコンクリートの高い塀が張り巡らされていました。途中数カ所の検問を無事通過しましたが、民 族・宗教間の対立関係を目の当たりにして、同じ地域内で分離壁を設けなければならない対立に、深 い悲しみを感じざるを得ませんでした。 3. ホテルとプロジェクト事務所 ホテルは、このジェリコ市一番の 10 階建て高層ホテルで、市内の入口にあります。名称は「イン ターコンチネンタルホテル」で、世界の一流ホテルチェーンです。昨年、イスラエルがパレスチナの 刑務所を襲撃したときや、インティファーダ(大衆蜂起)時の弾丸の跡が生々しい建物が見られますが、 このホテルは無キズで、イスラエルも攻撃をしなかったといいます。お客も多く、我々日本からの 3 プロジェクト関係者(コンサル(水環境)、短専(地方行政)、短専(持続的農業))が現在 13 名宿泊していま すし、毎夕、韓国の聖地巡礼ツアーのバス 1 台が来ます。朝食時には日本語の他、韓国語が飛び交っ ています。 先日の朝食時、一行の中に 2 年前まで日本に住んでいたという婦人が、日本人とわかって話しかけ てき来ました。2 週間のツアーで、アフリカ、中東、欧州と周り、前日はカイロから陸路バスで 8 時 間余りかけて当ホテルまできたといっていました。死海で泳いだあと、ここの聖地を訪れてからロー マ、スイス(ユング・フラウにも登る)、フランスなどを回って帰国するということでした。韓国人も 随分と豊になったものと感じました。 プロジェクトの事務所は、ホテルから車で 10 分ほどのところにある National Agriculture Research Center(NARC) ジェリコ支所の 1 室を借用しています。日本からは我々(持続的農業)二人 と、他のプロジェクト(コンサル(水環境))関係者が 5 人と現地スタッフ 2 名がいます。多少の出入りが ありますが、大変心強く感じられます。 4. 食事 こちらの食事は、主食が独特のピタ(丸いパン) 、少々ダンゴっぽいものですが、それにフムス(ひ よこまめのペースト)やその他ペースト状のもなど 10 数種類と何処にでもあるバター、ジャム(いち ご、オレンジなど)、蜂蜜、それに刻んだ野菜、キューリ・赤カブのピクルス。肉類では鶏の丸焼き、 ヤギ肉や羊肉の一口刺し焼き肉、羊肉の挽肉を錬った独特の焼き肉などです。名称はしっかり覚えら れませんので、ボチボチ覚えようと思っています。ホテルではそのほかインゲンマメを煮て潰したも の(味付けなし)、ゆで卵、スクランブルエッグ、ウインナーソーセージ、牛肉のハム、チーズ、魚肉 ソーセージ、塩漬けのオリーブやキュウリ等があります。また、注文すると目玉焼き、卵焼き(オムレ ツといっている)をしてくれます。果物はテルアビブのホテルはリンゴをはじめスイカ、オレンジなど にヨーグルトも数種類ありましたが、 このホテルには果物、 ヨーグルトはなくトマトがあるのみです。 2 通勤時にジェリコの中心街を通るのですが、メロン、スイカ、オレンジをはじめ果物が沢山積んで 売られていますし、レストランではオレンジ、レモン、アップルのジュースを飲むことが出来ます。 飲み物は、イスラムの国ですから、アルコールは御法度、コーラかフレッシュジュース、水などで 食事をします。 先日特約のタクシー運転手の実家に招待されました。 そのときのご馳走は羊の焼き肉、 レバー焼き、挽肉を丸めて焼いたもの、スープ、パンは例のピタ。パンに付ける材料が 10 種以上と 大変なご馳走でした。でも飲み物はコカコーラかスプライト、水、コーヒーでしたので、日本人の陰 の声では、これにビールがあったら最高という声でした。 ただし、ホテルではドラフトビール(生ビール)があります。夕食には我々日本の 7~8 人(2 人は飲ま ない)が、冷凍庫から出したジョッキに注いでくれた大変冷たいビールを美味しく飲んでいます。 5. 気象 パレスチナの気候は、地中海に面するガザ地区の地中海性気候と、ジェリコ県のあるヨルダン川 西岸地区の半乾燥気候、あるいは乾燥気候に大別することが出来ます。西岸地区の中央は、700~900m の石灰岩からなる小高い丘と傾斜地が多く見られ、南東の死海付近は、平均海面より 400m 余りも低 い、西岸地区で最も標高が低い地域があります。気象統計ではジェリコ市はパレスチナ自治区の中で も最も温かく、5 月の平均気温が 25.6℃で、エルサレム 20.0℃、ヘブロン 18.4℃より格段に高いの です。ですからこの頃は日中 35℃を超えているようで、皆さん熱風が吹いているといっています。 一方、ガザでは海の影響を受け、5 月の平均気温は 20.7℃ですが、年間比較的温度差がないといわ れています。雨の統計では 5 月にはジェリコで降っていませんが、エルサレムでは 3.0 ㎜、ヘブロン では 4.7 ㎜、ガザでは 1.0 ㎜降っています。しかし 6 月に入ると各地とも殆ど雨が降りません。です から、半感燥地、乾燥地ということが出来るのです。 年間雨量ではエルサレムで 625 ㎜、ヘブロンで 596 ㎜、ガザ 446 ㎜と降りますが、ここジェリコ では 141 ㎜と極端に少なく、水は貴重な資源です。このように狭い自治区ですが、気象条件は地域に よりかなり異なっているといえます。また、パレスチナでは生活するにも、農業をするにも水が制限 因子となっている上、湧水や、井戸水すべてがイスラエルに管理されているということです。 6.ホテル周辺の風景 ホテル周辺は三方が荒涼とした平地に住宅が僅かに点在していますが、一方は住宅や学校などが道 路沿いに続いています(写真参照)。メイン道路は中央部に分離帯のある(全てではないが)片側 2 車線で 右側通行です。道路側面には並木(赤や橙色の花・樹種不明)が、中央分離帯には椰子か夾竹桃が植え られています。北東側の奥の方には、農業ハウスなどが並ぶ農業地帯があります。 また、ホテルの周辺や花壇には、日本の春の花であるパンジー等が見られました(8 日に取り除かれ た)一方、ブーゲンビリア、ハイビスカス、夾竹桃などが咲いていますが、ここでは全てが潅水用チュ ーブを張り巡らし、点滴潅漑されています。 ホテル向かい(西)は市街地区で緑が ホテルの北・東側は荒涼とし、住宅 あるが、その奥は不毛の山並みが。 が少し建ち、その奥は農業地域。 3 Jeftlik 地区にある湧水とバックの 緑地帯はスィートコーンである。
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