心身を健やかに養う農業 - NPO法人統合厚生協会

『心身を健やかに養う農業』酒生文弥
心身を健やかに養う農業
FAWM(Farming as Wellness Making)
-ファーミング・ライフはセロトニン神経を活性化し、免疫を高めます-
NPO 免疫療法懇談会理事長
酒生文弥
プロローグ
ご縁あって、昨年 10 月に新潟県上越市の農村に 700 年続く寺院の住職を承継
しました。昨今我が国の常景として、日本海に臨む高齢化の目立つ田園地帯で
すが、殆どの方が現役で今も生き生きと農林業に従業されています。身体は溌
剌と動いて老いを感じさせず、何より顔が皆朗らかに輝いています。ここには
私が長年暮らす首都圏で最近夙に増えて来た、朝から疲れて生気に欠けた都会
人の表情は見られません。農業と言う生き方に、大自然と調和してヒト(陽を
留めるべき存在)として生きる、本物の心身創建の鍵が宿されていることは明
白です。そして以下に慨術する通り、何故農林漁業が人間の心身の健康に資す
るのかには、既に幾多の実証がなされているのです。
優れたフィットネスとしての農業
当 NPO 顧問であるスローン・ケタリング記念がんセンター統合医療事業部長
バ リ ー R. キ ャ サ レ ス 博 士 ( Barrie R. Cassileth, Ph.D, Director, Integrative
Medicine Service, Memorial Sloan-Kettering Cancer Center, New York)は、近著『が
んのケアにおける補完医療の完全ガイド』(“Complete Guide for Complementary
Medicine in Cancer Care” 2011) で、フィットネス(運動)こそ「エビデンスの
ある補完医療(EBCM)」として最善の予防医学であり、闘病に貢献する最高の
補完療法でもあることを絶賛しています。同著では、きびきび歩いたり自転車
に乗るなど、農作業にはつきものの基本的なエアロビックス(有酸素運動)は
心身の全般的な健康に多大に貢献し、「乳がん、直腸・結腸がんの罹患・死亡・
再発率を 40-50%も減らす」ことが幾多の臨床試験で実証されていることを明
記しています。
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『心身を健やかに養う農業』酒生文弥
自然の中で四季の移ろいに順応して、早朝から陽光を浴びながら四肢体幹を
動かす活動を中心とする農業というライフスタイルは、まさに仕事そのものが
理想的なフィットネスであると言えます。農業は、従事する人々に幸福感と健
康(wellness)の高まりをもたらし、がん等難病や生活習慣病の予防に役立ち、
闘病においても治癒の促進や QOL の向上に貢献する、一挙両得の可能性を大い
に秘めた生産活動なのです。
セロトニン神経を活性化する農業
当 NPO で長年こころのケアのご指導を頂いている有田秀穂東邦大学医学部
教授は、セロトニン神経の権威です。血漿の中から発見された脳内物質である
セロトニンが、人間の精神を明るく安定した状態(「舞い上がりもせず、落ち込
むこともない平常心」)に維持できるための必須要素であることは、内外の膨大
な実証データでエビデンスに裏付けられています。脳内にセロトニン神経が欠
乏してしまうと、ウツ・パニック障害・攻撃性など多くの精神障害がもたらさ
れます。有田教授は、昼夜逆転的で電子的な事務作業に埋没しがちな昨今の生
活形態にこそ、こころの問題に起因する多くの現代病の根源である、と断言し
ます。そして、
「農業がセロトニン神経の活性化に大いに貢献することは極めて
明白です」と言明されます。
僧侶でもある私が有田先生とご縁を得たのは、有田教授のセ統合生理学教室
でのセロトニン活性実験の被験者の一人としてでした。有田教授の研究チーム
は、あらゆる形態の運動の効果を徹底的に検証した上で、ヨガ・禅・念仏など
瞑想と呼吸法も加味した膨大な実証データを踏まえて、セロトニン神経の活性
化が健全な精神を如何に育み保持するかを実証して来ました。その結論は、次
の三つの要件に集約されます。(1)屋外で十分な日照を浴びること、(2)四
肢体幹を動かすこと、
(3)グルーミング(人と人との触れ合い)が行われるこ
と。早起きして野良仕事に出かけることから始まる農業は、要件(1)と(2)
の充足そのものであり、声をかけ合い助け合うことに努めれば(3)も十分満
たす、まさに理想的なセロトニン活性活動なのです。
あらためて実験する必要もないほど明確な事実だそうですが、予算を得れば、
播種・育苗・雑草取り・田植え・刈入れなど典型的な農作業でこのことを実験・
検証することは容易です。
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『心身を健やかに養う農業』酒生文弥
免疫力を向上させる農業
免疫力の維持・向上が身体的な健康を保持・増進し、がんなど難病と成功裏
に闘病できることの要であることは、昨今周知の事実となってきています。当
NPO も世界で初めての免疫療法による闘病者の連携を起源にしますが、アメリ
カにおいて免疫療法(Immuno-therapy)はがん治療・ケアの 5 大療法(手術・
放射線・化学療法・ホルモン療法・免疫療法)のひとつとして既に主流医療(Main
stream Medicine)の一画に位置づけられています。しかし、2003 年私が当 NPO
活動を始めた時点わが国では、免疫療法と言うと何か怪しい民間療法の様な顔
をされたことを思い出します。
優れた EBCM 材料の宝庫でありながら、統合医療(Integrative Medicine=主
流医療+EBCM)全般についても欧米の後塵を拝してきたわが国ですが、免疫力
の活用に対する偏見や謬見を打破してくれたのが安保徹新潟大学医学部大学院
教授の一連の研究、著作と講演でした。
「病は気から」の諺にある様に、こころ
の健全性が健康の鍵であることは古来知られて来ました。この経験則を科学的
に実証して「こころと免疫」の相関性を世に広く知らしめたのが、安保教授が
2003 年に世に問うた『免疫革命』
(2003 年、講談社)でした。夏の晴れた日に
は盲腸手術が増える、と言う事実にインスピレーションを得て始まった安保教
授とそのチームによる実験・研究は、「穏やかで明るいこころ」(リラクセーシ
ョン)こそ免疫力を高めて健康を保持してくれる最大の要因であることを解明
し、今日の医療・健康産業界のみならず社会全般に行き渡る免疫ブームに火を
つけたのです。
こころが明るく穏やかであれば(先述の様に、基本的に脳内にセロトニンが
十分存在している状態を意味します)、副交感神経が優位となり(リラクセーシ
ョン状態)となり、リンパ中の顆粒球濃度が低く保たれ、免疫力全般が高まる。
よって病気になりにくくより健康になる、と言うのが安保先生が実証データで
解明され平易に説かれている「こころから免疫へ」と言う作用機序の概略です。
反対に、こころが暗くて不穏であったなら、交感神経は張り詰め(ストレス・
テンション状態)、体内組織を害する顆粒球が過多となり、免疫力全般も低下し
て病気になりがちになってしまう、と言う訳です。まさに「病は気から」であ
り、「笑う門には福来たる」訳です。
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『心身を健やかに養う農業』酒生文弥
ここで前節の有田教授の実証と併せて考えてみれば、
「農業がこころを明るく
し免疫を高めて、心身の健康増進に寄与する」ことは、作用機序と基本的エビ
デンスの両面で、明白であることが理解されます。ただし、先述した様に、特
殊具体的な農作業等に焦点をあてたより実証的かつ実用的な研究・実験を行っ
て行く必要は大いにあります。
つけくわえれば、NPO 機関誌で対談頂いたこともある、高血圧とレニン研究
でノーベル化学賞候補にもなられている村上和雄筑波大学名誉教授は、
「こころ
と遺伝子発現の相関性」に言及されています。村上名誉教授は、
「笑いの作用で
血糖値上昇も抑えられる」など、穏やかで明るいこころが代謝など生理機能に
もたらすプラスの作用を実証され、更にはご自身も参加されたヒト・ゲノム研
究で DNA に書き込まれた 30 億個の化学文字が、「サムシング・グレート
(Something Great 大いなる何者か)」つまり大自然の恵みに感謝することで有意
義にスイッチが入り、人間の心身の健康と幸福に寄与する可能性に言及されて
います。大自然と対面して海の幸・山の幸に感謝しながら報恩の業として行う
のが農林漁業の原点であるとするならば、村上先生の解明・提唱される科学的
真理にも、農業と健康の密接な関連性をエビデンスを取りながら研究していく
ビジョンが示されていると言えるでしょう。
エピローグ
NPO 免疫療法懇談会は、2009 年の夏に明治神宮で「地球と免疫(ガイアと
ィミューン)」をテーマに、宮脇昭横浜国立大学名誉教授、有田秀穂教授、蓮見
賢一郎蓮見国際研究財団理事長の 3 人を基調講演者とするシンポジウムを行い
ました。宮脇先生は、
「鎮守の杜」を大切にして来た日本の伝統から説き起こし
て、地球温暖化など切迫する環境問題に対する抜本的な解決策として、森林の
保全と植林による回復の緊要性を訴えられました。絶対君主であった明治天皇
の崩御に当たって、代々木の練兵場が入念な計画の下に森林として造営したの
が明治神宮です。諸外国では権力者の霊廟をピラミッドの様な威圧的な建造物
として建造するのが常ですが、森林を再生したことは農耕文明である日本の本
源的精神を世界に示したことで躍如たるものだと思います。森林を大事にする
農業は、人間のみならず自然と生態系の健康をも維持する営みであることが象
徴的に示されています。
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『心身を健やかに養う農業』酒生文弥
私の父方祖父母は戦前アメリカに移民し、帰化してカリフォルニアのフレズ
ノで没しました。全米 2 番目に国立公園となったヨセミテが至近で、アメリカ
で最も美しい自然公園です。ここを著名にし国立公園に選ばせたのは、40 代で
がん余命宣告を受けた戦前のあるウォールストリート証券マンの生涯でした。
どうせ 1 年の命なら、少年時代親父が連れて行ってくれたあのヨセミテ渓谷で、
そう思った彼はひとり山小屋暮らしを始めた。ところ、不思議と元気を回復し、
喜びの裡にボランティアガイドに努め、その熱い想いが国を動かしイエロース
トーンに次いで国立公園に指定された。この男は 90 代で没したそうです。
樹・木を「キ(=気)」と呼ぶのは日本人だけです。酸素を供給し、フィトン
チットンを放出し、せせらぎと相俟ってマイナス・イオンを放散する。根元に
はβグルカンによる免疫賦活が知られる「キノコ」を茂らせる。森林には自然
と人間の健康を「鎮守」する力が満ち満ちています。森との共生を持続して来
たわが国の農業の特性が、地球環境と農業従事者の健康に資しうる、もうひと
つの秘密がここにあります。
昨年 3 月以来、わが国は大地震・津波という未曾有の天災とそれに起因する
原発事故という人災に見舞われています。その被災物故者をも上まわる数の自
殺者が毎年出ています。薬害や多くの文明病も増えています。日本から文明の
あり方が問われているのだ、と考えます。首都圏を含む直下型地震の早期到来
の可能性も公表されました。
「水・食料」と「疎開先」の確保という観点だけで
も、今ほど「都市・農村の絆」が要請されていることはありません。
「農業と健康」の関係性を調査研究することは、こうした大局的な問題の解
決に向かうための優れた糸口にできるものと信じます。私たち NPO 免疫療法懇
談会は、先述の宮脇先生、有田先生、安保先生、村上先生などを顧問に仰ぎ、
大局的には「統合厚生(Integrated Health 人間や生命のこころといのちに最
も叶う様に、環境・農業・職場・地域社会・住居・医療・福祉など文明の要素
を再構成しようとする営み)」を理念とする福祉国家像を展望しています。国、
農林水産省、全農その他農業諸団体等との有意義な協働の機会の付与を希望す
る次第です。
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