クローバー合唱会講演会記録 (小見出しは編集者による) 2004 年 12 月 5 日 於東京外語大本郷サテライト 「国境なき医師団の活動について」 寺田 朗子 (若 かりし日 の思 い出 ) 嘗 て私 がクローバーに入 っていた頃 は、小 出 さんは一 年 先 輩 の姉 御 でした。楽 譜 を持 って小 さな 声 で歌 っていた私 を多 分 ご記 憶 だと思 います。気 が小 さくてこんなふうに人 様 の前 でおしゃべりを す るなど、うそのようなクローバーの一 員 でした。私 はまずはクローバーに 2 年 間 皆 様 とご一 緒 にいて、 今 もよく覚 えている「白 いバラ」で育 ちました。3年 の夏 、フランスに 1 年 留 学 、そのあとクローバーの 変 遷 があり、コールユーベルという名 前 のクラブの頃 にお別 れしました。でも、やっぱり一 番 最 初 の、 若 かりし日 の思 い出 のクローバーが一 番 大 きい存 在 です。 私 が 3 年 生 でフランスに留 学 、次 の年 帰 国 し、当 時 の学 園 紛 争 の波 に乗 って外 語 大 はロックアウ ト。授 業 がなくてしまいました。でもクラブに歌 だけは歌 いに行 っていました。でも、下 手 に仲 間 に会 う と、いわゆるスト派 への説 得 が強 烈 だった。だからあまり練 習 に行 きたくなくなって、だんだん足 が遠 のきました。こうした先 の見 通 しのない日 々の間 に、結 婚 をしてしまい、子 供 を二 人 生 んだあとで卒 業 をしました。結 局 10 年 間 月 謝 を払 い続 けましたけど、決 して決 して勉 強 が好 きだった訳 ではない ことだけ、そこで沢 山 勉 強 したから、今 なにか出 来 ているとういうことではないことだけは、申 し上 げて おきたいと思 います。 今 日 お話 しをする国 境 なき医 師 団 は、その頃 にフランスで起 こっていた社 会 運 動 に端 を発 し、始 まった活 動 だったとあとで知 りました。 (会 長 としての私 の仕 事 ) 今 私 がして いるの は、 国 境 なき医 師 団 の会 長 という、立 場 は偉 そう に 見 え るので すが、実 質 は会 社 の会 長 さんみたいなもので、社 長 さんは事 務 局 長 で、実 際 の運 営 を取 り仕 切 っています。その人 はフランス人 なのですが、国 境 なき医 師 団 の世 界 各 地 の事 務 局 と常 にコンタクトを取 りながら、医 師 な ど を送 り だ す こと をして い ま す 。私 は 週 数 回 事 務 所 に 行 き 、 日 本 の 中 で の 団 体 と し て の 立 場 に 関 することを考 えたり、例 えばヨーロッパなどの支 部 との定 款 の兼 ね合 いを考 えながら、日 本 でのもろも ろ規 則 をまとめたり、寄 付 のお願 いに出 かけたりしています。今 は定 款 の一 部 改 訂 があるので、毎 日 文 字 を見 つめて暮 らしています。また、日 本 国 内 の多 くの方 々に、テレビなどで知 る厳 しい状 況 の 国 々の単 なるニュースでなく、MSF の活 動 を通 して知 る多 くのことを皆 様 にお話 をすることを一 生 懸 命 やっています。自 分 で関 わっていてすごく思 うのですけれど、一 番 大 事 なこと、それは「知 ること」な のです。「人 の苦 しみは、それを見 た者 に義 務 を負 わせる」というフランスの哲 学 者 の言 葉 があります が、「見 て」「知 って」しまったら、「何 かしなければいけない」のではないか、という思 いに駆 られます。 ただ、私 は医 者 でもないし、看 護 士 でも栄 養 士 でもないから、せめて私 の立 場 で知 ったことを誰 かに 話 すこと、これが一 番 大 きな役 目 かなと思 って、毎 日 過 ごしています。 (国 境 なき医 師 団 の生 い立 ち) メドゥサン サン フロンティエ (Medecins sans frontiers=Doctor without borders)の頭 文 字 をとって、 1 MSF と呼 ばれています。今 から 33 年 前 、1971 年 12 月 にフランスで生 まれました。 誰 が立 ち上 げたかの説 明 をしますと、ちょうど私 がフランスにいた 1968 年 の 5 月 に、日 本 の大 学 紛 争 の前 身 というかお手 本 のようなものなのですけれど、学 生 たちが従 来 の価 値 基 準 に疑 問 を持 ち 始 めましたことから、いわゆる 5 月 革 命 といわれるものが始 まりました。さまざまな事 柄 に対 し、これま での見 方 でいいのか、もっと違 った見 方 がないのかといろいろ悩 んだのです。日 本 でのこの流 れの展 開 上 には寮 費 の値 上 げとか色 々あったのを記 憶 していますけれど、フランスでのスタートはこうしたも ので した 。 そ の時 、 若 い 医 師 と か、 医 学 生 が 、 医 師 は 白 い 服 を着 て病 院 で 患 者 を 待 って い る だけ で いいのか、もっと医 師 として出 来 る仕 事 があるのではないか、と考 えたりしていたそうです。 ちょうどその人 たちの数 人 が、1969 年 ナイジェリアのビヤフラであったひどい飢 饉 、飢 餓 に国 際 赤 十 字 から依 頼 を受 け、医 療 援 助 に行 きました。国 際 赤 十 字 というのは戦 争 の時 でも何 処 の国 へも 入 れるし、身 の安 全 を守 って貰 えるけれど、「現 地 で見 たことは一 切 しゃべらない」という中 立 の基 本 姿 勢 で、その約 束 に署 名 をして現 地 入 りをします。フランス人 の医 師 数 名 も現 地 に行 きましたが、実 際 にアフリカのビヤフラの地 で見 たものは・・・ 何 かが違 う。一 つの民 族 が意 図 的 に飢 餓 の状 態 に追 いやられて滅 ぼされて行 くのに近 い情 態 でした。これは自 分 たちが黙 って医 療 だけをしていていいの だろうか、とすごく悩 んだのです。然 し署 名 をしている以 上 、とにかく医 療 だけをして、帰 国 。それから 「ビヤフラの虐 殺 に抗 議 する会 」というものを立 ち上 げました。これは「 本 当 は一 つの民 族 を滅 ぼす、 生 きて行 く権 利 が損 なわれている人 たちがいるという問 題 ではないのか」と問 題 提 起 をしました。 1970 年 、今 度 はバングラデシュで大 洪 水 があり、「心 ある医 師 よ、援 助 に行 こう」との呼 びかけが あり、数 名 の医 師 が出 かけました。ところが、当 時 のバングラデシュは国 の制 度 が整 っていなくて、入 国 自 体 も移 動 や手 続 きも大 変 でした。かなり時 間 がかかってたどり着 いた現 地 では、医 者 がテントな どの用 意 をするのでは余 りにもロスが多 い。その上 、背 負 っていかれる荷 物 は僅 かだから、出 来 るこ とも僅 かで、こんな思 いをして行 ったのにどうしてこれだけしか出 来 ないのかとジレンマを抱 いて帰 国 しました。 そ し て 帰 国 し た後 、こ の 両 者 を結 び つ け る人 た ちが いて 、 「 も っと効 率 よ く 、み ん なの 思 い と 力 を 合 わせて、ぱっと動 けるグループを作 ろう」ということになり、国 境 なき医 師 団 という緊 急 医 療 援 助 団 体 を立 ち上 げました 自 分 たちが現 地 に出 かけて行 き、実 際 に見 てきたことを世 の中 に伝 えて、そのことで辛 い人 たち が少 しでも助 かることのプラスになるのなら、赤 十 字 とは立 場 の違 う「証 言 活 動 」を大 切 にするかたち で行 こうということを決 めました。そして、自 分 たちの活 動 の資 金 は、篤 志 家 の寄 付 を募 り、それを無 駄 なく効 率 よく使 う、という形 でスタートしました。 (発 展 の経 過 と沿 革 ) 翌 年 、ニカラガで地 震 がありました。医 療 チームを3つ、外 科 医 を 3 人 、10 トンの物 資 をこれまで の記 録 にな い速 さ で現 地 に 送 り ま した。動 き の速 い 団 体 が出 来 たと ヨーロ ッパで 知 られ るよ うにな り ました。 初 め のう ちは 資 金 が不 足 。 医 師 仲 間 に 頼 ん で資 金 を 集 め、 そ れ を プ ー ル し て、洪 水 や 自 然 災 害 など必 要 と思 われるところに出 かけていきました。ホンジュラスの洪 水 の時 には、先 ず緊 急 の援 助 を したあと、この地 域 には医 療 が無 いではないか、医 師 がいないではないか、このまま自 分 たちが帰 っ たら、あとどうなるか、ということで、長 期 の医 療 技 術 援 助 をすることになり、こうした形 の援 助 の必 要 性 にも気 がつきました。 2 レバノンの内 戦 地 域 に行 き、「弾 の飛 び交 う下 で医 療 をしている医 師 がいる」と新 聞 に書 かれて、 名 前 を上 げました。カンボジアでポルポト政 権 に追 われて多 くの難 民 が出 た時 には、(後 にはその数 は何 十 万 人 にもなりますが、当 時 は 8 千 人 位 ということでした)、非 常 に緊 張 して 100 人 位 のボラン ティアを集 め、タイ国 境 で難 民 キャンプを提 供 しました。 こうした活 動 の経 験 のなかから、自 分 たちがすることは何 が一 番 いいのか、自 分 たちしか出 来 ない ことは何 なのか、自 分 たちのスタイルを作 り上 げて行 きました。 こうして 30 年 、その間 には仲 間 内 の主 張 の違 いや活 動 の方 針 で意 見 が分 かれて、「世 界 の医 師 たち」というグループと分 かれてしまいました。「世 界 の医 師 たち」は今 も活 動 していますが、実 はその 時 「国 境 なき医 師 団 」に残 った人 の方 が少 なかった。これについて、自 分 たちは間 違 ってないはずな のに、どうい うことかと、それまでの 活 動 の方 法 などを検 証 しました。先 ずは現 地 に 行 ってもらう人 た ちの本 国 の住 居 の手 当 てとして、当 時 のパリの家 賃 の月 7 万 円 前 後 を支 払 うことにしました。医 者 の給 料 としては少 ないけれど、少 なくとも自 分 の住 む部 屋 だけは確 保 できているということです。この 生 活 の基 本 の安 定 でボランティアの登 録 者 が大 変 増 えたそうです。 活 動 のシステムとしても、医 師 や看 護 士 は専 門 化 であるから、その能 力 は専 門 域 で存 分 に使 って 欲 しい。雑 務 は医 療 が専 門 でない人 でもでき る、ということで、これらの仕 事 をこ なす者 としてロジス ティシャンという職 掌 をきちんと確 立 し、仕 事 をより能 率 的 に行 なうようにしました。 寄 付 の集 め方 も考 えました。のちに一 日 1フランキャンペーンというのを初 め、活 動 資 金 も安 定 し たものになりました。このように一 旦 落 ち込 んだものを乗 り越 えて組 織 がまた大 きくなったのです。 (世 界 中 に拡 がる組 織 ) 当 初 はフ ラ ンスから医 師 団 を送 り 出 していた が、隣 国 の オランダ、 ベルギー、 ルクセンブルグな ど から活 動 に参 加 する人 も増 え、だんだんと各 国 に支 部 が増 え、最 終 的 には 18 の国 に支 部 が出 来 ま した。18 の国 のうち、13 がヨーロッパ、あとの5つはアメリカ、カナダ、オーストラリア、香 港 、日 本 です。 そのなかで も歴 史 の古 い5ヶ国 フラ ンス、オラン ダ、ベルギ ー、ス イス、 スペインは、 派 遣 チー ム を送 り出 すことが出 来 ました。しかし日 本 など、彼 らから見 ればまだ幼 い組 織 は、まだその仲 間 には入 れ てもらえず、境 的 にはこのような形 でバランスをとって仕 事 をして来 ました。 日 本 での収 入 は 16 億 円 近 く、でも世 界 中 で集 められるほぼ 480 億 円 の数 %で、日 本 の貢 献 度 は まだ小 さいのですが、それでもアジアの拠 点 として何 かをしたいとの思 いが増 えてきました。 このような 環 境 の中 で 、フラン スや オランダが 、チー ム派 遣 を行 なう オペレーシ ョン部 門 の 仕 事 を 他 の国 に分 けていくことを始 めました。フランスには派 遣 に係 わるオペレーション部 署 のなかにデスク というのが8つあって、一 つのデスクは大 体 4 カ国 を担 当 しています。対 象 国 の情 況 を全 部 把 握 して い て 、 派 遣 の 内 容 を決 め て い ま すが 、 そ の 8 つ の デ ス ク の 一 つ を 日 本 の 事 務 所 の な か に 置 いて く れ ました。フランスから責 任 者 が来 て、その下 で日 本 人 が仕 事 をしています。今 日 本 が担 当 しているの は、ミャンマーとケニヤで、そのほかに国 内 プロジェクトを少 しやっています。そのデスクが始 まって以 後 、私 たちと現 地 との距 離 がすごく近 くなりました。それまで、毎 年 12~13 人 、多 い時 で 17 人 位 し か派 遣 者 が送 り出 せなかったのですが、去 年 は 33 人 になり、今 年 はもうすぐ 50 人 になります。私 た ちにとって、デスクが日 本 に置 かれたことはすごく大 きなことでした。 日 本 から人 を送 り出 す時 はどうするかというと、派 遣 を希 望 する医 師 や看 護 士 に説 明 会 を開 き、 現 地 の情 況 や条 件 、仕 事 の内 容 な どを話 しま す。また、登 録 できるた めの条 件 として、一 つ は語 学 で、医 師 団 では 3000 人 近 いボランティアがほぼ 80 の国 で、40 数 カ国 籍 の人 たちが働 いていますか 3 ら、英 語 かフランス語 で仕 事 が出 来 ること。それから、それぞれの職 種 でのキャリアが 2 年 以 上 ある こと、特 に外 科 医 は自 分 一 人 で手 術 が出 来 る認 定 外 科 医 の資 格 が必 要 です。もう一 つは、仕 事 に 行 く期 間 が基 本 半 年 なので、半 年 職 場 を休 めること、ここが日 本 では一 番 引 っかかるところです。特 別 に外 科 医 に関 してだけは、厳 しい情 況 のろころに派 遣 される場 合 、1 ヶ月 か 2 ヶ月 の仕 事 もありま す。あるスリランカへ派 遣 された医 師 は、1 日 15 回 も 20 回 も手 術 があって、それは厳 しかったと言 っ て い ま した 。こ の よ うな条 件 をク リア した 方 に登 録 し て いた だ き、 フ ラン ス など に連 絡 を 入 れま す 。 求 められた条 件 にあった人 がその中 にいて派 遣 が決 まると、出 発 前 にフランスなどに寄 り、必 ずレクチ ャーを受 けることになります。今 は日 本 が担 当 している国 に関 しては、日 本 でもレクチャーが出 来 るよ うにな り、 逆 にフ ラン ス からもそ れ らの国 へ の 出 発 前 にレ クチャ ーを 受 け に来 る こともあり 、 色 々な意 味 で、 日 本 の組 織 とし ては経 験 を積 んで、 仕 事 内 容 に厚 みを得 てゆ くための大 事 な場 所 と して、デ スクがあると思 います。 (危 険 を冒 し、沢 山 の人 たちが支 える活 動 ) 派 遣 される人 は、医 師 (外 科 医 、内 科 医 、小 児 科 医 など)、看 護 士 ,助 産 士 、検 査 技 師 、麻 酔 医 、 心 理 療 法 士 等 です。 最 近 は、心 理 療 法 を扱 う精 神 科 医 は役 割 が大 きくなっています。目 の前 で家 族 がなぶり殺 しにな った家 族 の心 のケアは大 変 と聞 いています。日 本 から派 遣 された専 門 家 は、母 親 が残 された子 供 を 抱 くことができなくなっ ていたのを、半 年 ほど母 親 の話 を聞 いて聞 いて、中 にしまいこんでいるものを 外 に出 させて、最 後 は子 供 を抱 けるようになったとの例 があました。いかに心 理 療 法 が重 要 かわかり ます。栄 養 失 調 のひどい地 域 では栄 養 士 の活 躍 も大 きいですね。 さら に 、 ロジ ス ティシャン と呼 ば れ る 人 た ちが 医 師 団 の 活 動 に は大 きな 役 割 を 果 た して います 。 こ の仕 事 の話 を少 しさせてください。 物 を管 理 す る こ と か ら 始 ま っ て あ ら ゆ る 雑 務 を 引 き 受 け て い る 「 な ん で も 屋 」 と い わ れ る 縁 の 下 の 力 持 ちです。非 常 に大 切 な人 たちです。必 要 な資 材 や薬 品 の搬 送 や手 配 と配 布 の確 認 (中 にはお 金 のために売 っ てしまう人 もいて、本 当 に必 要 な人 を見 極 めます) 、安 全 情 報 の収 集 、運 転 士 の手 配 、時 とし て百 を 越 す トイレ の穴 掘 りや 確 保 、ワ クチンの 用 意 、 きれ いな水 、と いっ ても菌 がなくて病 気 にならないレベルの水 の用 意 ( そのために塩 素 でどのように消 毒 するとか、きちんと教 育 を受 けて います)、安 全 情 報 のための無 線 機 は命 綱 になるので、それの手 配 と修 理 、それから車 の修 理 が出 来 ること。蛇 足 ですが、車 は一 番 多 く使 われているのがトヨタのランドクルーザーで、一 つの車 種 にし ぼれば、部 品 の調 達 に便 利 でマニュアルが一 つで済 むからです。また東 芝 のパソコンが現 地 では喜 ばれていると聞 きました。ともに日 本 製 で嬉 しいですね。ロジスティシャンはまた、地 元 の安 全 情 報 を 得 るためにゲリラのボスと会 って、自 分 たちの仕 事 を説 明 して安 全 の保 障 を取 り付 けたり、地 元 の行 政 関 係 に行 って話 をしたり、時 としてはゲリラのボスと杯 をかわしたり、色 んな方 法 を使 って、安 全 に 仕 事 が出 来 るよう にして います。そ し て、私 た ち はどちら の 味 方 でもな くて、 武 器 を 持 ってなけ れば、 誰 でも治 療 しますということを知 らせています。 こうして安 全 に働 けるように取 り組 んでいても、悲 しいことに襲 われることがあるのです。アフガニス タンで一 つのチームが車 で仕 事 に出 て行 きました。15 分 経 って何 の連 絡 も無 い。近 くの二 ヶ所 のテ ントから見 に行 ったら、医 師 団 の車 は、前 後 から撃 たれ、横 から手 榴 弾 を投 げられ、中 に乗 っていた 人 は医 師 たち者 3 人 と地 元 の運 転 手 と通 訳 5 人 が亡 くなっていました。援 助 を待 っている人 がいて も 、 行 く 人 の 命 が 保 障 され な い と・ ・・ 断 腸 の 思 い で 、 ソ 連 の 侵 攻 の 頃 か ら ず っと仕 事 を 続 け 、 タ リ バ 4 ン時 代 も現 地 スタッフで仕 事 を継 続 してきたアフガニスタンでしたが撤 退 しました。現 在 もアフガニス タン 国 境 近 くで い つで も 入 国 でき る よう に待 機 して います 。 イラ ク でも 同 じよ う に 撤 退 を して います の で、非 常 なジレンマに陥 っています。 元 に戻 りまして、ロジスティシャンは、チームの活 動 の基 本 を支 える人 たちです。さまざまな工 夫 と 知 恵 、たいしたものと思 います。アフガニスタンで 1990 年 、医 師 団 が無 断 で国 境 の裏 山 を越 えて活 動 をしていましたが、ある地 域 でワクチンがどうしても必 要 になりました。ワクチンは4℃でなければだ めになる、それをどうやって運 ぶかを考 えよと指 示 が出 ました。昼 間 はかんかん照 り、険 しい山 、無 断 で入 りこ んでいるか らヘリコプ タ ーも飛 ばせ ない、車 も 通 れない、 人 が背 負 う ことは無 理 。そこで ロ ジスティシャンが知 恵 をしぼって最 後 に思 いついたのは、地 元 の人 が山 を越 えるのに使 っているロバ。 これを3頭 用 意 し、1頭 目 の背 中 に太 陽 発 電 機 、2頭 目 の背 中 にバッテリー、3頭 目 の背 中 に冷 蔵 庫 を積 んで、ハイテクと一 番 基 本 のロバを利 用 という工 夫 をして無 事 に求 められていたワクチンを求 めていた人 たちの手 元 に運 ぶことが出 来 ました。 このように国 境 なき医 師 団 は医 師 だけで動 いているのではないことを知 っていただき、「自 分 も何 かしたい」と思 う方 に参 加 していただきたいと思 っています。余 談 ですが、今 日 本 に来 ているフランス 人 のロジスティックの責 任 者 は「僕 は機 械 いじりが好 きで、人 の行 かない国 へ行 ってみたかった」と思 い国 境 なき医 師 団 に参 加 したそうですが、仕 事 の重 さに虜 になってそのままずっと仕 事 を続 け、今 最 高 責 任 者 になりました。今 回 日 本 に来 て、かわいいお嬢 さんと仲 良 くなり彼 女 を奥 さんにしてしま いました。 医 師 以 外 には他 にも、現 地 の活 動 の運 営 をして行 くアドミニストレーター、経 理 専 門 家 等 もいて、 さ ら に 地 元 の ナ シ ョナル ス タ ッ フと、 仲 間 として どう 仕 事 を し て 行 くかが 重 要 になっ てい ます 。通 訳 の 出 来 る地 元 の人 で英 語 が話 せる人 、道 が分 かっている運 転 手 さん(特 にカンボジアでは地 雷 がある ので)、事 務 所 の警 備 をするガードマン、みなの食 事 を用 意 する料 理 人 等 、色 んな人 たちが働 いてい て、各 国 に派 遣 されている人 が全 体 で 3000 人 くらいに対 し、ナショナルスタッフが 18000 人 から 20000 人 働 いています。この地 元 スタッフが、タリバン政 権 下 のアフガニスタンのケースのように、派 遣 者 不 在 の間 も地 元 の人 たちだけで仕 事 が出 来 るほどに仲 間 としての絆 を深 めたいというのが、私 たちの今 の願 いです。 これら全 部 を含 めて、自 分 たちは「国 境 なき医 師 団 」という思 いを持 って、天 災 、人 災 、戦 争 など、 あらゆる災 害 に苦 しむ人 に、人 種 、宗 教 、思 想 、政 治 すべてを超 えて、差 別 無 く援 助 を提 供 するとい う理 念 を掲 げて、苦 しむ人 のいる地 域 で仕 事 をしています。 (医 師 団 との私 のかかわり) 日 本 に事 務 所 が出 来 たのは 1992 年 でした。なんで私 がここに関 わったかというと、これが外 語 の おかげなのです。 外 語 同 窓 会 の会 報 の手 伝 いをしていた頃 、インド語 のある会 社 の社 長 をしてた方 が、日 本 に事 務 所 を作 りたいとしていた国 境 なき医 師 団 に、事 務 所 スペースを提 供 することになりました。末 の娘 がまだ高 校 に行 っ ていた頃 でしょうか、ある日 その方 から電 話 が突 然 かかってきました。最 初 はしぶ っていたのですが、とにかく来 てくれということで、フランスから来 た人 に会 いました。「この団 体 は皆 さ んから頂 いた大 切 な寄 付 を自 分 たちの手 で現 地 に運 んで行 くから、どこへ行 ったかわからないような 使 い方 はしない」と言 われたのが心 に残 りました。 資 料 を訳 すように頼 まれ、「1 月 5 日 に持 って来 て、そしたらニュースレターの第 一 号 が出 来 るか 5 ら」と言 われて断 れず、暮 とお正 月 に大 変 な思 いをして、先 ほどの「天 才 、人 災 、戦 争 などあらゆる災 害 に 苦 しむ 人 に …」 な どの 預 かっ た資 料 の 翻 訳 をし まし た。こ れが そ もそ も の きっ かけ で 国 境 な き医 師 団 に足 を一 歩 踏 み入 れてしまいました。本 当 に外 語 のおかげで、私 の知 らなかった世 界 を知 る機 会 を頂 けたことに感 謝 しています。 それでも余 り深 入 りしないでお手 伝 いをしていました。ある時 、他 の人 が訳 したニュースレターに載 せる記 事 が置 いてありました。一 部 もらい、帰 りの電 車 の中 で読 んだ時 、涙 がこぼれてどうしようもな ってしまいました。これを読 んだショックが、国 境 なき医 師 団 に深 くかかわってしまったきっかけでした。 これに書 いてあったのは、カンボジアの話 で、洪 水 があった地 域 に月 1回 の巡 回 医 療 で回 診 をしてい たある医 師 の手 記 でした。<< 或 る村 に行 った時 、6歳 位 の少 女 が大 きなスカートを肩 からかけてお 母 さんとお ばあさんと一 緒 に順 番 を待 っ てい た。どうしたのと声 をか けるとスカ ートを 取 る のを嫌 がっ て い た 。 で も お 母 さ ん た ち に 説 得 さ れ て そ れ を は ず し た 。 お な か の 前 に ビ ニ ー ルの 袋 が ぶ ら下 が っ て いた。そこを見 たその医 師 は言 葉 を無 くした。その袋 の中 にはその少 女 の腸 が入 っていたのだ。少 女 は2歳 の時 に腸 の異 常 から開 腹 手 術 をして、それがうまくいったらきちんと閉 じる手 術 をもう1回 する 約 束 だった。ところが再 手 術 の時 になり、お金 がないということで手 術 をして貰 えなかった。そのうちに だんだんと傷 が開 いて、腸 がはみ出 てきてしまった。お母 さんは思 い余 って、ビニールの袋 を綺 麗 に 洗 って腸 を収 め、背 中 から吊 るようにして、その子 は4年 間 過 ごしてきたという。医 師 は『今 日 は何 も 出 来 ないけれど、必 ず連 絡 するから待 っているように』と言 ってプノンペンに戻 った。そしてフランスか ら医 師 を呼 び、麻 酔 医 も呼 んで、プノンペンの病 院 で準 備 を整 えて、その少 女 を呼 び寄 せて手 術 を した。手 術 は難 しかったが、無 事 に終 えることが出 来 た。三 週 間 病 院 にいて、少 女 は村 へ帰 った。そ れ から また巡 回 医 療 で、 医 師 が その 村 を 回 った 時 、 そ の少 女 が笑 顔 で 過 ご してい る の を 見 て 、 あ あ 国 境 なき医 師 団 で仕 事 をして良 かったなあ、と思 った。>> こういう話 の載 っているものだったのです。 私 も3人 の子 供 の母 親 ですので、その少 女 も辛 かったろうと思 う一 方 、親 がどんな気 持 ちでいたのだ ろうと思 うと、どうしようもない気 持 ちになりました。 日 頃 私 たち が「 医 療 がない」 とか「薬 がない」 とか聞 いても 、あまり深 く 思 わないで その言 葉 そ のま まにしか受 け取 らないものが、実 はその裏 に私 たちが全 然 想 像 つかないものがあることを強 く感 じま した。最 初 にお話 した言 葉 「人 の苦 しみを知 るものは、義 務 を負 う」、この言 葉 のように、私 にできるこ とを何 かしなければいけないと思 い、この活 動 に深 く関 わるようになりました。 そして 日 本 の国 境 な き 医 師 団 が 単 なる事 務 所 から組 織 を 整 え 、理 事 会 を 作 り 新 生 なった時 、外 語 の卒 業 生 で、当 時 インド・スエズ銀 行 の責 任 者 をされていた渡 辺 さんが 1 年 間 、初 代 会 長 をしてく ださいましたが、ご多 忙 なため、一 番 古 いボランティアだった私 に依 頼 があり、暫 くの間 と思 って会 長 役 を引 き受 けました。ところが、1999 年 、ノーベル平 和 賞 を頂 くことになったのは計 算 違 いで、会 長 として取 材 やインタビューを受 け、講 演 を頼 まれるようになってしまいました。結 局 はこの立 場 をいた だいたことに感 謝 をするしかないと思 って、一 つの新 しい人 生 をそれなりに進 むことにしました。 その後 、日 本 の国 境 なき医 師 団 は順 調 に育 っています。特 にノーベル平 和 賞 をいただいてから知 名 度 も上 がり、皆 さんに沢 山 の真 剣 なご寄 付 をいただいて、私 たちはますます思 いを新 たにしなけれ ばいけないと思 っています。 (勇 気 を与 え、心 と心 をつなぐ キガリの女 性 の言 葉 ) ノーベル平 和 賞 の授 賞 式 は素 晴 らしいものでした。その中 でスピーチの一 部 が、私 にとって忘 れら れ な い も ので す ので 、今 日 も そ れをお 話 し たい と 思 います 。 ス ピ ーチ を し た 人 は 、 医 師 団 の カ ナ ダ 人 6 医 師 で 、 ル ワ ン ダ 内 戦 の 時 、 首 都 の キ ガ リ で 医 療 活 動 を し て い た 人 で す 。 彼 の い た 病 院 で は 、 170 人 いた入 院 患 者 が全 部 ひきずり出 されて殺 された。そういう情 況 で仕 事 をした人 です。 「当 時 、私 はキガリのチームの責 任 者 でした。そこで働 いていた人 々の勇 気 を、言 葉 で言 い表 すこ とは出 来 ません。そこで死 んだ人 の恐 怖 を、言 葉 で言 い表 すことは出 来 ません。そして、私 や医 師 団 のメンバーが、ずっと心 に抱 き続 けている恐 怖 を、言 葉 で言 い表 すことは出 来 ません。私 は、キガ リで一 人 の患 者 の言 っ た言 葉 、『 ウメラ ウメラ ッシャ』という言 葉 を、 忘 れることが出 来 ません。これ は、ル ワン ダの 言 い 方 で、大 ざっ ぱに訳 すと『 しっかり 、し っ かり、 友 よ 、頑 張 って、 勇 気 を奮 い 起 こし て 』と いう 意 味 に な り ます 。キ ガリの 病 院 で 、な たで 襲 われ た ばか りか 、 全 身 意 図 的 に 切 断 さ れ た 一 人 の女 性 が言 った言 葉 です。彼 女 の耳 は切 り落 とされていました。顔 は念 入 りに傷 つけられていた ので、傷 の中 に、顔 の組 織 がはっきりと見 えるほどでした。その日 は、何 百 人 という女 、子 供 、男 が病 院 に運 びこまれ、余 りの数 の多 さに、路 上 に寝 かせるしかありませんでした。多 くの場 合 私 たちは、そ の時 、その場 で手 術 をして、病 院 のまわりの溝 は、文 字 通 り真 っ赤 な血 が流 れていました。彼 女 はそ うした大 勢 の一 人 で、非 人 間 的 な筆 舌 に尽 くしがたい苦 しみの中 にいました。私 たちがその時 、彼 女 にして上 げられることは僅 かに、必 要 とされる縫 合 、そして出 血 を止 めること、それくらいのことでした。 私 たちが疲 労 困 ぱいしており、 外 に も沢 山 の患 者 がいることを、彼 女 は知 っ ていました。彼 女 も 私 も 分 かっていました。その時 、彼 女 は私 を、この逃 れられない地 獄 の情 況 から救 ってくれました。私 がそ れまで聞 いたこともないような澄 んだ声 で、彼 女 は私 に言 いました。『さあ ウメラ ウメラッシャ 頑 張 って 勇 気 を奮 い起 こして』と」 結 局 、この女 性 は、そ のまま亡 くなっ て行 きました。このお医 者 さんは、この一 人 の女 性 の命 を 救 うことが出 来 なかっ た。だけど、彼 女 は亡 くな ったけれど、 その彼 女 がこのお医 者 さんに 、もの すごい 力 をくれたのです。そのお医 者 さんに実 際 に会 って話 をした時 に、彼 が言 っていました。「もし彼 女 が 自 分 に声 をかけてくれなかったら、自 分 は医 者 なんかもうやっていられなかっただろう。今 国 境 なき医 師 団 にいることも有 り得 ないことだっ た」人 間 というのは、最 後 の最 後 でもすごいことが出 来 るなと強 く思 います。 私 たち国 境 なき医 師 団 は、平 和 賞 を受 けてい ますけれど、平 和 をつ く る団 体 では ないのです。平 和 を作 る こ と 、 こ れ は大 き な 力 でな け れ ばでき ま せ ん 。私 た ち に 出 来 る こ と は 、平 和 の か げで 苦 し ん でいる人 たち、或 いは失 敗 のうらで泣 いている人 たちに対 して、一 つでも彼 らの苦 しみを減 らすこと、 命 を助 けること、それしか出 来 ないのです。でも、これこそが国 境 なき医 師 団 に出 来 ることだと思 って います。 今 も 3000 人 近 いボランティアが多 くの地 域 で、様 々な思 いを抱 きながら仕 事 をしています。「そば にいる人 に手 を差 し出 すこと」、これが私 たちの活 動 の原 点 です。この行 為 のつながりが世 界 中 に広 がって、いつの日 か国 境 なき医 師 団 の仕 事 がなくなるその日 を私 たちは夢 見 ています。その日 を心 から願 いながら、私 も私 の出 来 ることとして、今 日 はお話 をさせていただきました。女 性 の目 から見 た 話 で、あまり論 理 だったものでなかったかとも思 いますが、聞 いていただいてありがとうございました。 7
© Copyright 2024 Paperzz