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第4回
志 学 会 報 告 書
2011 年 8 月発行
目
次
まえがき(志学会実行委員長:太田和功一氏)/1
志学会とは(主な活動と会則) /2
志学会講演リスト
/6
志学会研究助成金授与者リスト /8
2008 年リトリート
「クリスチャンとして途上国の問題にかかわって-農業技術研究者の場合-」
岡田謙介/10
「見ること・見えること」
大谷哲久/22
「信仰と希望に満ちた場所に集うことの喜びと使命」
木村めぐみ/45
公開講演会
「ギリシア語読みの信仰―アリストテレスとパウロ―」
千葉惠/48
「イギリス 17 世紀の思想と現代——Matthew Henry を中心に」新井明/72
「英詩人ミルトンと私」
小森禎司/77
「聖書信仰者として進化学研究へ―研究遍歴および福音理解と自然観・科学観」
嶋田誠/87
執筆者紹介・あとがき/115
まえがき
志学会の歩みは、その発足に向けての準備会から数えると今年で 10 年になります。
具体的な活動としては、学部新入生を対象とする大学での学びへのオリエンテーショ
ンが 2003 年から始められました。2006 年からは対象を学部生、院生、若手研究者に
広げ、名称も志学会リトリートと変えられました。リトリートは今年で 6 回目を迎え
ますが、専攻・専門分野、また世代を越えた出会いの場、互いの啓発の機会として続
けられています。
また、2008 年からは、定期的に公開講演会を東京で開催し、様々な分野の研究者や社
会で活躍しておられる方々をお招きしてきました。参加者の中に学部生、大学院生が
増えてきていることに励まされています。今年の秋には、大阪で第1回の公開講演会
も開かれる予定です。
志学会の活動のもう一つに研究助成があります。2006 年度から、主に学部生、院生の
研究を助けるために研究助成のファンドを設け、これまで 5 名の方々に研究助成金を
授与してきました。
今回の報告書には、上記のリトリートや公開講演会でのいくつかの発題や講演を載せ
ることができました。また、これまでの公開講演の記録や助成金授与者のリストも載
せてあります。これらを通しても互いの出会いと啓発の輪が広がってゆくことを期待
しています。
志学会の歩みはまだたどたどしいものですが、これまでの一歩一歩を主が導いてきて
下さったように、これからも続けて導き、よき出会いと励まし合いの場として用いら
れることを祈り、期待しています。この報告書をお読みになる方がたもその祈りに加
わってくだされば幸いです。
2011 年 7 月
2010 年度志学会実行委員長 太田和功一
1
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
志学会とは
志学会の主な活動
1.ネットワーク作りおよび情報の提供
主にメーリングリストを通して志学会の目的に賛同するクリスチャン研究者のネット
ワークを作り、同じ専門分野の中堅研究者からのアドバイスを必要とする若手研究
者・学生・大学院生のために情報を提供することによって、両者の仲介(パイプ役)
を務めます。関心のある方は事務局(下記)までご連絡ください。
2.リトリート
夏に全国のキリスト者研究者・研究職・専門職を目指す大学院生・学部生が集まり、
交わりを持ちます。講演やディスカッションがもたれます。
3.公開講演会
軽食を囲みながらの交わり、講演、質疑応答。詳細は事務局にお問い合わせいただく
か、ホームページをご覧下さい。
4.研究助成
キリスト教信仰を有する(または求道中の)大学生・大学院生および若手研究者の学
びや研究を励ます目的で、研究助成金の支給を行っています。詳細については事務局
までお問い合わせください。
志学会事務局 塚本良樹・四元須磨子
住所:〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台 2-1OCC ビル KGK 事務所内
E メール:[email protected] 電話:03-3294-6916
ウェブサイト:
http://www.shigakukai.net/
2
志学会会則
キリスト者としての意識を活かしつつ、将来大学その他の研究機関で研究、教育そ
の他の職務に従事することを志す者となるための契機となるために、キリスト者であ
る学者らが集まり、大学生、大学院生、若手研究者らとの出会いの機会などを設ける
ことを意図して、志学会を設立することとし、以下にその会則を定めることとする。
第1章
総則
1
名称 本会は、「志学会」と称する。
2
主事 本会の活動を円滑に進めるため、主事を置く。
3
目的 本会は、キリスト者としての意識を活かしつつ、将来大学その他の研究機
関で研究、教育その他の職務に従事することを志す者となるための契機となることを
目的とする。
4
会員 本会は別紙原始会員目録記載の原始会員及び本会の目的に賛同し、総会で
入会を認めた者で組織する。
5
活動 上記目的に沿った大学生、大学院生、若手研究者らとの出会いの機会を年
1回以上設けるほか、本会の趣旨が確立されるような活動を行うものとする。
第2章
機関
第1節
総会
1
総会 総会は、定時総会と臨時総会とする。定時総会は毎年9月1日から2ヶ月
以内の期日に開催し、臨時総会は必要に応じて開催する。
2
総会の権限
①
総会は次の事項を審議する。
会長の選任(任期は1年とする。
)
② 実行委員の選任(任期は1年とする。)
③ 主事、事務局長の選任
③
予算の承認
④
決算の承認
⑤
会則の改正
⑥
その他実行委員会において総会に付議することを相当と認めた事項
3
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
3
招集 総会は会長が招集する。
4
議長 総会の議長は総会で選任する。
5
議決 総会の議事は、出席会員の過半数でこれを決し、可否同数のときは議長の
決するところによる。
6
議事録 総会の議事については、議事録を作成し、議長が署名押印して本会に保
存する。
第2節
実行委員会
1
実行委員会 本会に実行委員会を置く。
2
実行委員会の構成 実行委員会は実行委員長、主事、会計責任者、および相当数
の実行委員で構成する。(実行委員長は実行委員の互選で選任する。)
3
実行委員会の職務
実行委員会は次の事項を職として行う。
①
総会に付議する事項
②
本会の常務に関する事項
③
細則の制定・改廃
④ 事務局の構成員の選任
⑤ 事務局の待遇
⑥ その他実行委員会で必要と認めた事項
第3節
事務局
1
事務局 本会に事務局を置く。
2
事務局は、本会の常務を執行する。
3
事務局の構成 事務局は事務局長、事務局会計、事務局員、および主事で構成す
る。(構成員は各々兼任することができる。)
第3章
会計
1
会計年度 本会の会計年度は、毎年9月1日に始まり翌年8月31日に終わる。
2
本会の経費
3
予算 会長は、
毎会計年度の始めに予算を作成し、
総会の議に付するものとする。
本会の経費は、会員の負担金、会費、寄付金その他の収入で賄う。
4
4
決算 会長は、
毎会計年度の始めに決算を作成し、
総会の議に付するものとする。
第4章
1
改正
この会則を改正するには、総会において、出席会員の3分の2以上の賛成を必要
とする。
第5章
1
補足
この会則の施行に必要な事項は細則で定める。
付則
この会則は平成18年9月4日から施行する。
この会則は平成22年10月16日から施行する。
志学会
5
会長
有賀 寿
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
志学会講演リスト(☆は本書の収録) ※役職は当時。
第 1 回公開講演会 2008 年 4 月 25 日(金)
午後 6 時〜8 時半
北原和夫氏(国際基督教大学教授 物理学)「科学と信仰」
第 2 回公開講演会 2008 年 6 月 20 日(金)
午後 6 時〜8 時半
千葉惠氏(北海道大学大学院文学研究科哲学科教授 哲学)
「ギリシア語読みの信仰ーアリストテレスとパウロー」☆
2008 年度リトリート
2008 年 8 月 22(金)-23 日(土)
岡田謙介氏(独立行政法人国際農林水産業研究センター研究員兼東京大学大学院農学
生命科学研究科教授)
「クリスチャンとして途上国の問題にかかわって--農業技術研究
者の場合---」☆
大谷哲久氏(理化学研究所発生再生科学総合研究センター)「見ること・見えること」
☆
第 3 回公開講演会 2008 年 10 月 17 日(土)
午後 6 時〜8 時半
新井明氏(敬和学園大学長 英文学)「イギリス 17 世紀の思想と現代ーM. Henry を
中心にー」☆
第 4 回公開講演会 2008 年 12 月 6 日(土)
午後 2 時〜4時半
阿久戸光晴氏(聖学院大学学長)
「現代日本社会の根本問題 『個と共同体』-自由の
成熟-」
第 5 回公開講演会 2009 年 2 月7日(土) 午後 2 時〜4 時半
小森禎司先生(桜美林大学名誉教授 英文学)
「英詩人ミルトンと私」☆
第 6 回公開講演会 2009 年 4 月 10 日(金)
午後 6 時〜8 時半
谷村禎一先生(九州大学大学院 准教授)
「生物学と信仰の間」
6
第 7 回公開講演会 2009 年 6 月 13 日(土)
午後 2 時〜4 時半
竹内茂夫先生(京都産業大学文化学部准教授)
「美しく楽しい古楽の世界ーキリスト教
音楽でたどる音楽史ー」
2009 年度リトリート 2009 年 8 月 28(金)-29 日(土)
高田麻里氏(獨協大学外国語学部 英語教育・認知言語学)
・且原真木氏(岡山大学資
源生物科学研究所 植物生理学)「クリスチャンとしての○○学者 なぜその道を選んだ
か?」
川中子義勝氏(東京大学総合文化研究科 ヘブライ・キリスト教思想史)
「キリスト者
そして研究者としての歩み」
第 8 回公開講演会 2009 年 10 月 31 日(土)
午後 4 時〜6 時半
東條隆進先生(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
「よい社会を求めてー経済学・社
会学の研究を通してー」
第 9 回公開講演会 2009 年 12 月 14 日(月)
午後 6 時〜8 時半
細田衛士先生(慶応義塾大学教授)「『環境経済の探求ー地の塩たらんことを求めて」
2010 年度リトリート
2010 年 8 月 27(金)-28 日(土)
中村潤児氏(筑波大学大学院数理物質科学研究科教授)
「ご専門とクリスチャン研究者
としての歩み」
第 10 回公開講演会 2010 年 3 月 5 日(金)
午後 6 時〜8 時半
柳沢美登里氏(日本国際饑餓対策機構海外事業担当総主事)
「主によって広げられ続け
る『枠組み』―世界で顧みられない人々の回復に寄り添う全人宣教からの学び」
第 11 回公開講演会 2010 年 5 月 22 日(土)
午後 5 時〜7 時半
依田泉先生(常磐大学教授)「
『文字をもたらしたもの』と『文字がもたらしたもの』
−メソポタミアでの成立の過程」
7
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
第 12 回公開講演会 2010 年 10 月 1 日(金)
午後 6 時〜8 時半
豊川慎氏(聖学院大学大学院博士後期課程・明治学院大学等非常勤講師)
「キリスト教
思想から考える平和教育ー信仰,学問、召命」
第 13 回公開講演会 2011 年 5 月 21 日(土)
午後 4 時半〜7 時
嶋田誠氏(藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 講師)
「聖書信仰者として進化学研
究へー研究遍歴および福音理解と自然観・科学観」☆
志学会研究助成金授与者リスト
<2006 年度>
応募者:一名 授与者:〇名
<2007 年度>
応募者:二名 授与者:一名
・鶴島
暁氏(:北海道大学大学院文学研究科・博士課程)
<2008 年度>
応募者:三名 授与者:〇名
<2009 年度>
応募者:七名 授与者:三名
・佐々木 直文氏(東京大学大学院総合文化研究科・博士課程)
・大島
聖美氏(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科・博士課程)
・鶴島
暁氏(海星学院高等学校)
<2010 年度>
応募者:四名 授与者:一名
・盛岡
のぞみ氏(山口県立大学健康福祉学研究科・博士課程)
8
2008 年 リ ト リ ー ト
9
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
リトリート講演
2008 年 8 月 22(金)-23 日(土)
「クリスチャンとして途上国の問題にかかわって
-農業技術研究者の場合-」
岡田謙介
独立行政法人国際農林水産業研究センター研究員
東京大学大学院農学生命科学研究科教授
今日は、
(1)自分のあかし、
(2)世界の食糧事情と飢饉、
(3)飢饉の問題に聖書
は何を語っているか、
(4)国際農業研究機関、
(5)純粋科学と応用研究、農業研究
と援助について、という内容でお話しさせていただきます。大学2年で救われてから
も気負ったり逆にぬるま湯につかってしまったり、主の前に立つときに恥ずかしい思
いになるだけの歩みでしたが、振り返ってみれば節目々々で主に導かれて来たことを
改めて覚えます。そんな歩みをお証してとくに若い方々に少しでもお役に立てること
があればうれしく思います。
1.あかし
今日のお話しのテーマの一つは隣人への愛ということなのですが、私は幼少の時に
「愛隣幼稚園」というキリスト教系の幼稚園に通っていました。幼いときに聖書の教
えに触れたことから、よくは覚えていませんが大きな影響を受けたのではないかと思
っています。私の育った時代は高度経済成長の時代でしたから私も工作が好きで、将
来は発明家か研究者になりたいと思っていました。初めは好きな物理をめざしていた
のですが高校 3 年あたりから数学の落ちこぼれになってしまい、大学に入ってからは
新たに興味を抱いた生物学を志望するようになりました。結局大学3年に進むときに
農学部を選んだのですが、その中にもいろいろな分野があります。水産や森林にも興
味があったにもかかわらず普通の作物を扱う農学科に決めたのは、将来もしかしたら
途上国にいって働くかもしれない、そのときに役に立つように、と考えたからだとい
うことを覚えています。今思い返してみると、高校生のころからしばしばエチオピア
の飢饉などの報道を見て心を痛めていたことが背景にあったのではないかと思います。
10
そのあと研究に進みたいと思って修士課程に入りましたが、後にネパール宣教師に
なり今はアンテオケ宣教会の国内主事をしておられる森敏先生が同じ研究室に入って
こられました。森さんは大学の数学科を出てからコンピューター関係で最高峰の会社
で活躍していた研究者でしたが、信仰を持ってネパール宣教師になる召命を受け、農
業を身につけるために農学部に入り直したという方でした。森先生との交わりからす
ばらしい人格的な影響とビジョンをいただくことができましたが、その一方で自分の
内面にはあせりが生じ、自分も NGO などに入って直接途上国の現場で働くべきなの
ではないかと強く思うようになりました。
結局、まず途上国を自分の目で見てこようと考え、修士1年が終わった春休みにマ
レーシアで開かれたキリスト者の大会である IFES 東アジア大会に出席するとともに、
台湾、フィリピン、インドネシアを訪問して途上国の問題を肌で感じて来ようと計画
しました。しかしいくら 30 年前とはいえ台湾などは日本とあまり変わらないほどの
経済発展をしており、その中でできれば飢餓の実態を見てこようという自分の思いは
まったく肩すかしとなったことを覚えています。しかし最後にインドネシアのカリマ
ンタン奥地の安海宣教師のところを訪ねていき、進路を示してくださいと必死に祈っ
ていたときに、宿舎の壁のカレンダーにかかっていた箴言のみ言葉が目に飛び込んで
きました。
心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(箴言 3:5,6)
そして「あなたの行くところどこにおいても主を認めよ。」という箇所から、今自分
の居るべき場が大学で、そこに留まって勉強を続けながら、大学の友人、教会、家に
遣わされて仕えて行くようにと主が言っておられると受け止めることができて、少な
くとも大学院を終わるまでは勉強を続けようと決心したのです。
そして博士号をやっと取ってから、大学などいくつかの就職のお話しをいただいた
にもかかわらずやはり途上国に行きたいと願っていたところ、インドの ICRISAT1と
1
半乾燥熱帯作物研究所(International Crops Research Institute for the Semi-Arid Tropics)
11
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
いう国際研究機関でのポスドクの話をいただきました。実はその 1 年前に結婚してい
たのですが、家内とともに喜んで行くことにしました。実は、家内は喜んでいったか
どうかは分からないのですが、以前から途上国で働きたいということは話していまし
たので、志を一つにしてくれたのだと思います。
ICRISAT のことは後ほどまた述べますが、そこで大変良い経験をすることができま
した。4 年の任期の終わりにはアフリカのマラウィ国での正規研究員ポストのオファ
ーもいただいたのですが、子供も与えられ、一方で国際研究所の職の不安定さも知る
ようになっていました。また何よりも、国際機関とは公平な競争で切磋拓磨されると
ころだと思っていたのにポスト確保のために上役にへつらっている人が多いというマ
イナスの面が目につくようになり、もっと腰を落ち着けて研究できる日本での就職を
目指したという側面が大きいと思います。一時は塾の講師も考えたのですが、幸い今
の職場の前身の熱帯農業研究センター(農林水産省)に就職ができました。
さらに数年後には南米のコロンビアにある CIAT2という国際研究所にも行くことが
できて5年間研究に専念できました。今は短期出張ベースですがアフリカでの研究に
従事することが多くなっています。
2.世界の食料事情と飢餓
さて、自分のことばかりお話ししてしまいましたが、これから今日の主題の一つで
ある世界の食糧事情と飢餓についてお話ししたいと思います。
現在石油価格の急騰と平行して世界の食糧事情が激変していることはご存じだと思
います。実はほんの5-6年前には、世界の食糧生産が順調に伸びる一方で、中国の
努力などにより世界人口増加の勢いが鈍ってきたため、なんとか着地点(すなわち人
口が一定に達する時)が見えてきたと言われて楽観論が広がっていました。
しかし最近、食料の価格が急騰しています3。世界銀行の推計によると過去 3 年間で
世界の食糧価格は平均で 83%上昇。これが原因で少なくとも 1 億人が食糧不足にさら
されているとみられています。その価格高騰の原因は、①旱魃(オーストラリアの小
麦など)、②中国・インドの経済成長による需要急増、③トウモロコシ等のバイオ燃料
2
国際熱帯農業センター(International Center for Tropical Agriculture、もとはスペイン語)
2008 年 8 月のリトリートでの発表時の状況で、原稿全体としてその後の情勢変化を修正していま
せん。食料価格は 2008 年前半をピークとし、その後世界不況等の影響もあってやや下がりましたが、
今でも 2006 年秋に比べ 1.4~2.2 倍という高い水準にあります
(2009 年 6 月農林水産省資料による)。
3
12
利用による需要の増大、④投機です。①は 2 年間続いたものですが、昨年は豊作で価
格の下げが予想されています。また④の投機についてもそろそろ引き始めているそう
です。しかし②についてはますます拍車がかかるでしょうし、③も当分は続きそうで
す。
そして今年、エチオピアで実際ひどい飢饉が起こっています。BBC 等ではこのニュ
ースが大きく報道されていますが、日本ではほとんど知らされていません。
(今の日本
のマスコミには、たとえ世界の重要事であっても人々の注意を引かず視聴率向上につ
ながらないことは報道しないという大きな問題があります。)
まず 5 月には 13 万 6000
人の子供が深刻な栄養失調に陥っているという UNICEF の調査結果が出て国際社会
の注意を引きました。その後食物が大幅に足りなくなるとの報道が相次いでいます。
現在は雨期で毎日よく雨が降っているのですが、青々とした風景の中で作物が元気に
成長している一方で人々が飢饉に陥っているという深刻で皮肉な状況があります。エ
チオピアは 1984 年に 100 万近くが死亡する大飢饉が起きた国です。その後も慢性的
な食料不足に悩まされていましたが、今回は 2 年続く旱魃に加えて食料価格の高騰と
いう 2 重の要因が重なりました。
ここしばらくの雨と緊急食料援助のおかげで息をついているように見えますが、
TIME 誌によれば 9 月の収穫期までに 460 万人近くの人々に緊急食料が必要とのこと
です。しかもそのうちの 7 万 5000 人は子供です。またこれもあまり報道されていな
いのですが、南インドの農村でも同じような飢餓が起こっています。
3.飢饉の問題に聖書は何を語っているか
さて食料と飢餓について聖書は何と語っているでしょう。ちょうどこの水曜日に教
会の祈祷会で発題する機会があり、
「食」
の問題についてお話しさせていただきました。
食物は、神様が創造のときから神が人間や動物に生きるために与えてくださったもの
です。
「見よ。わたしは、全地の上にあって、種をもつすべての草と、種を持って実を結
ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地の
全ての獣、空の全ての鳥、地をはうすべてのもので、いのちのいきのあるもののた
13
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
めに、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。(創世
記 1:29-30)
このようにして私たちは食物を通して神様の一般的な恩恵を毎日目に見える形でい
ただくことができるのです。
また「食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が
造られた物です。」(Ⅰテモテ 4:3)とあり、とくにクリスチャンにとって神との特別
の恵みの関係を覚えるものとしての重要な意味があると言うことができます。
ですから私たちは感謝をもっていただき(ヨハネ6:11、ローマ14:6)、与えられた
ものをいただいて満足します(マタイ6:25,26、箴言30:8)。神様の恵みを忘れただ食
欲にまかせて食物をむさぼるようなことは戒められています(箴言15:17、17:1、詩篇
78:18)。
人は創造されて後神様に背いてから食を得るために苦労しなければならなくなった
と聖書にあります(創世記3:17-18)。しかしまた農業は神が人に文化の業として命じ
られたものであり(創世記2:15)、人が工夫によって生活を豊かにしていくための積極
的な手段として与えられているものでもあるのです。
今日の世界の飢餓や栄養不足の原因については、ここではあまり詳しくお話しして
いる時間はありません。しかしごく大ざっぱに2つに分けると、第1はある国や地域
なりで医療の向上等によって人口が増えてくるにも関わらず不良環境条件や技術不足
で農作物の収量が増加しないためで、第2はたとえ作物が良く育っても貧富の差や戦
争などで食物を入手できない人々が存在するためです。しかし人口の増加に歯止めが
見えてきた今、悲観論に陥ることなく世界を正しく管理していくという神様のみここ
ろにそって工夫努力していけば、これらの問題にも糸口が見えてくることと信じてい
ます。
神様のみこころは、私たちが貧しい人たちに手をさしのべることです。
しかし、彼らは日ごとにわたしを求め、わたしの道を知ることを望んでいる。
(中略)
「なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかったのですか。
(中略)
」
見よ。あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの労働者をみな、
圧迫する。
(中略)わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くび
14
きのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕
くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を
家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。
(中略)飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、や
みの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。
(中略)あなたのうちの
ある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、
「破れを繕う者、市
街を住めるように回復する者。
」と呼ばれよう。
(イザヤ 58:2-12)
そして、まるで現代の状況を描いているかのように、富んでいる国がますます周辺
諸国から収奪している様子を述べ、諸国からの収奪が罪であると断じています。
あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでし
ょう。なぜ、裏切り者をながめておられるのですか。悪者が自分より正しい者をの
みこむとき、なぜ黙っておられるのですか。あなたは人を海の魚のように、治める
者のないはう虫のようにされます。彼は、このすべての者を釣り針で釣り上げ、こ
れを網で引きずり上げ、引き網で集める。こうして、彼は喜び楽しむ。それゆえ、
彼はその網にいけにえをささげ、その引き網に香をたく。これらによって、彼の分
け前が豊かになり、その食物も豊富になるからだ。それゆえ、彼はいつもその網を
使い続け、容赦なく、諸国の民を殺すのだろうか。
(ハバクク書 1:13-17)
また聖書の十戒のうちの第 6 戒「汝殺すなかれ」はごく自明のことのように受け止
められがちですが、ウェストミンスター大教理問答はもっと踏み込んで次のように解
釈しています。
問い 135
答え
第 6 戒で求められている義務は何であるか。
第 6 戒で求められている義務は次の通りである。すなわち、自分と他人の
命を保持するため、できる限り注意深く研究し、合法的に努力することであって、
それは誰のであれ不正に命を奪うようになるすべての思いと企てを制御し・・・
15
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
このように人の命が構造的に奪われるような状況があるとき、とくに天災などとは
違って人にそれを食い止める力があるときに、あらゆる努力を払ってそれを防止する
ことがこの第 6 戒で求められているというのです。
4.国際農業研究機関
第 2 次世界大戦後、ノーマン・ボーローグ博士がメキシコで全く新しい小麦の品種
を作ったことで、1960 年代には大規模な飢餓が予想されていたインドとパキスタンで
小麦の生産量が大幅に増加して数千万人の命が救われたといわれています。そのあと
稲でも同様の品種が作られ世界の開発途上国の栄養不足軽減に貢献しました。これら
の出来事は「緑の革命」と呼ばれ、その業績が認められてボーローグ博士は 1970 年
にノーベル平和賞を受賞しました。
その成功に後押しされて、トウモロコシや小麦の研究を担当する CIMMYT4がメキ
シコに、稲の研究を担当する国際イネ研究所(IRRI5)がフィリピンに設立されまし
た。それらの国際農業研究所の数は次第に増え、現在世界中に 15 の研究所がありま
す。世界銀行やロックフェラー財団そして各国の拠出金によって支えられ、国際連合
には属していませんが国際的な組織と見なされています。
私が 1985 年から 1990 年まで赴任していた国際半乾燥熱帯作物研究所(ICRISAT)
はインド中部のハイデラバードに本部がありアフリカにいくつかの支所を持っている
研究所です。
年間の降水量が 500mm から 800mm くらいの乾燥した地域を対象とし、
作物育種や栽培方法の改良を研究しています。そこにポスドクとして赴任し、乾燥に
強いキマメというマメ類やトウモロコシに似ているソルガムという穀類作物を研究す
る機会がありました。世界各国からきた国際研究員が 150 名位おり、他にアシスタン
トなどを含めると数千人が勤務していました。若い時だったのでいろいろな国の人と
友達になることができました。またバイブルスタディを始めて、そこで親しいクリス
チャンの友人もできました。何しろインドがまだ経済的には鎖国していた時代でした
ので、工業製品にも乏しく生活面ではかなり苦労したことを覚えています。
4
国際トウモロコシ・コムギ改良センター(International Maize and Wheat Improvement
Center:原語はスペイン語表記)
5
International Rice Research Institute
16
そこで行ってきた研究は、現金収入がなくて肥料を購入できない半乾燥熱帯の農家
のために、リン酸肥料をあまり必要としないマメ類の生理機構を解明して、その特性
を役立てるということでした。その機構を解明できたので応用への道も開け、このマ
メをうまく輪作の体系に組み込むことで、他のソルガムなど穀類へのリン酸肥料を節
約できて、農家の助けとすることができました。
またコロンビアの CIAT は研究のレベルが高く、そこで刺激的で充実した経験をす
ることができました。イネプログラムに所属して陸稲の酸性土壌に対する抵抗性の研
究をしていたのですが、比較的小さいプログラムで国際研究者 7-8 人で構成されてい
ました。しかしイネという一つの作物にかかわって品種改良、雑草、植物栄養、病気、
バイテク、経済、など各分野の研究者が 1-2 名いるという異分野総合型のプログラム
で、毎週集まっては熱心に論議していました。例えばコロンビアのどこそこの地方で
新しいウィルス病が出てきたといえば、植物病理の研究者はアメリカの大学やアフリ
カの研究所に連絡をし、データベースにあたってそのウィルスの同定をする、経済研
究者はその病気の被害額を見積もってどの程度の規模の対処法をするべきか検討する、
育種研究者はさっそくそれに強い品種の選抜を開始するなど、熱心に現場の問題に対
処していた場に参加できたことはすばらしい経験でした。
ここ 5-6 年はアフリカに関係することが多く、最近は西アフリカのニジェールに
ある ICRISAT サヘル支所のプロジェクトにも参加しています。ニジェールは世界の
最貧国で、トウジンビエと呼ばれる雑穀を主食にしていますが、今でも雨期の収穫前
の何ヶ月間かは、農民が毎年は栄養不足の状態に陥っているところです。そこの土の
肥沃度を向上させ収量を増加させるための研究を行っています。
5.純粋科学と応用研究、農業研究と援助について
最後に今いろいろと考えていることについてお話しさせていただこうと思います。
(1)知的財産と公共財
10 年ほど前から研究所等でも知的所有権(intellectual property)が強調されはじ
めました。論文にして公表するよりも特許にすることで先取権を獲得し、それがビジ
ネスに結びつくことを期待して占有権をもっておく。国立研究所などの公組織でもど
んどんそういうことをしていかなければいけないのだ、という主張です。今としては
普通の考えの一つになっていますが、これが盛んに強調されはじめたころは、国立の
17
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
研究所などはのほほんと構えていたので非常に新鮮に聞こえ、皆で知的所有権につい
て勉強したりしました。
しかしながら、私たちのような途上国の発展に貢献することをめざす公的研究所で
特許取得ばかりに固執することには、私はいささか違和感を抱かざるを得ませんでし
た。もともと国民の税金で進められている研究です。その成果が貧しい国の助けにな
るのならそれは日本の国際貢献として当然評価されることであり、何も技術や発見の
優先権を主張しなくてもよいのではないかと疑問に感じていました。
ところが、
私は過去 4 年ほど JIRCAS から離れて国内農業の研究所にいたのですが、
この 4 月に JIRCAS に戻ったら「公共財としての研究成果」ということを強調するよ
うになっていて、たった 4 年間でずいぶん変わったなという印象を持ちました。途上
国の農業に役立つ研究成果などは、やはり知的所有権というよりは公共財という概念
によりよくなじむと思います。ですからインターネットなどでどんどん新技術を公開
して、その技術をどのくらい使ってもらえるかということが評価されるということで
十分ではないかと思っています。
(2)食料増産から人道目的の援助へ
もうひとつ最近流れが変わったなと思うことがありました。途上国を対象にした農
業研究所のやるべきことは、昔(といっても 10 年くらい前)は産業としての食料生
産増強だと言われていました。私はむしろ人間として必要最低限の食料を確保するた
めの農業を優先的に研究するべきだと思っていたので、幹部にこの研究所は「飢餓の
克服」
をまず第一の目的にするべきだと進言してあっさり却下されたことがあります。
農業研究は食料だけに目を配っておけばよいので、人に焦点を当てた「飢餓」という
なまなましいことは援助機関や NGO に任せておくべきだというのです。しかし私は、
どこで飢餓が起こっているか、どのようにしたらもっとも効果的にそれに対処できる
かなどを分析し、そこに研究の重点化をしてもいいのではと考えていました。
その後 2003 年に日本の第一の援助機関である JICA の理事長に緒方貞子さんが就
任し、その前後から「ベイシックヒューマンニーズ」を満たすことが JICA の基本的
な任務であると認識されるようになったそうです。緒方さんは国連の難民高等弁務官
事務局長をされた方ですから、インフラ整備や経済発展よりも、まず人間が尊厳をも
って生きられるということを援助の基本的な目標に据えるという考えがあったのでは
18
ないかと思います(またそれは当時の国際的な援助の新しい潮流でもありました)
。そ
のような新しい援助思想の流れを受けて、最近では私たちの研究所でも基本的な考え
方を変えてきています。
(3)研究機関と人道援助
CIAT に赴任していた 1994 年にルワンダで民族抗争による大虐殺がありましたが、
その紛争後 CIAT は副所長の強力なリーダーシップのもと、ルワンダの隣国のウガン
ダにあった支所を拠点としてインゲンの緊急種子援助を開始しました。インゲンは
CIAT の主な研究対象作物で、東アフリカでは住民の主要なタンパク源として重要で
す。
なぜ緊急時に食料ではなく種子なのでしょうか。確かに紛争直後には国連世界食料
計画(WFP)や NGO などが行う食料援助が効果的ですが、農家は紛争が終わっても
翌年に蒔く種を持っていないのです(緊急時にすべて食べてしまうため)。CIAT はル
ワンダ内戦継続中からその状況を把握し、当時東アフリカ数カ国にいた CIAT のイン
ゲン研究関係者の間で種子を増殖し、内戦終了後それを NGO を通じて迅速にルワン
ダの農家に配布しました。もともとインゲンの品種改良は CIAT の主要な研究分野で、
種子を増殖する技術やある程度の財源を持っていたので、その事業に踏み切ることが
できました。その取り組みは国際的にたいへん高い評価を得ました。そのノウハウに
ついて言えば、その当時も GIS(地理情報システム)を利用してどの村に持って行く
のがもっとも効果的かというような、ある程度の分析はやっていたと思います。
今年 6 月に CIAT のウガンダ支所を訪問する機会がありました。そこで知ったので
すが、CIAT はその手法にさらに磨きをかけて、国連世界食料計画(WFP)や米国援
助庁(USAID)
、著名な国際 NGO を巻き込み、いつ、どこで、どのような技術パッ
ケージを持ち込むことがもっとも効果的なのかを明らかにする手法を開発する研究を
深化させていました。そしてそれらの機関と共同で実用的なマニュアルを作り、各国
への普及も行っているとのことでした。
このように、何が本質的に必要とされているか見抜き、それを技術化していくとい
う創造的な姿勢に強い感銘を受けました。現場に近い NGO などは、研究所と提携し
て体系化することで、豊富な現場での経験とそれに裏打ちされた様々な心得などを普
遍化することができます。現場でのそれらの貴重な経験も担当者だけが体得する知識
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
に終わるのであれば、担当者が替われば一からやり直さなければならないのです。一
方研究所も体系化し普遍化したマニュアルを作成することで、専門性を生かした貢献
をすることができ、社会的にも評価されることになります。
(4)研究・技術開発から現場での普及までの距離
研究は事象のメカニズムや原理を解明しようとします。そして応用研究では解明さ
れた知識に基づいて役に立つ技術を開発しようとします。しかし研究の成果が現場で
独り立ちして利用され、世の中での生活向上などに貢献できるようになるまでには大
きな距離があります。
このような距離を実感させてくれる言葉に、技術開発の現場で使われる「デスバレ
ー(Death Valley)
」ということばがあります。今日この会に参加されている皆さんの
中にもこの分野を専門としている方がおられるかもしれませんが、簡単に言うとこの
ようなことです。まず研究の成果として技術が開発されます。そしてその効果やコス
ト、使いやすさなどを現場に近い条件で実証試験して、必要ならその技術を修正しま
す。しかしそこから、その技術が商品化されて本当に売れるようになるまでには長い
道のりと多くの困難があり、その途上には途中で朽ち果てた技術の屍が累々と横たわ
っているという意味で、デスバレー(死の谷)と名付けている訳です。新製品の開発
に限らず、農業の新しい技術などにも同じようなことが言えます。
これに対して政府や NGO の開発プロジェクトなどでは、最初に特定の村に入り込
んで、そこでの農業技術なり生活改善なりをじっくりと行うという事例も多くありま
す。この場合には現場での苦労は多いですが、成果が目に見え役に立っていることが
実感できます。しかし援助の費用対効果をみた場合に、一村だけの生活向上ですので
必ずしも高い評価を得られる訳ではありません。そこで開発された技術も往々にして
その村だけで役立つ site specific な技術だと言われます。もちろん多くの場合はスピ
ル・オーバー・エフェクトといってその周辺の村に成功が波及する効果が出ることを
期待するのですが、必ずしもそううまく事が運ぶばかりではありません。
このような両方からのアプローチの間に身を置いて悩むことは、援助のケースだけ
でなくともしばしば見られることです。私は研究所にいてどちらかというと前者のア
プローチを身近に見てきたのですが、研究だけで自己満足してしまってその研究が本
当に役に立っているのかどうかほとんど気にしない研究者が多いことも確かです。そ
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のような場で問題意識を持ち続けて来ることができた背後には、神様に救われたこと
の自覚と、神様との関係の中で問い続けて来られたということがあったのではないか
と感謝しています。
(5)創造性
そして最後に、やはり途上国にあるとはいえ国際色豊かな研究所において、理論化
していく姿勢というものに目を開かれたと思います。さきほどの緊急種子援助もそう
なのですが、前述の site specific な研究といいますか、事例研究のような成果をより
一般化するためにはどうしたらよいかを考えて、新しい概念や手法(ここではとくに
地理情報システムやモデリングが素材となりますが)を構築して問題にアプローチし
ていくということです。農民参加型研究6とか、農家の利益を市場にまで延長してとら
えていくバリューチェインアプローチ7など、みなそうです。このような創造性も、や
はり根本的には、神様との関係の下にある主体性、創造性と関係しているのではない
でしょうか。私たちひとりひとりが、神から与えられた創造性を豊かに発揮して世界
をより良く治めていくことへと召されているのです。
6
研究者が新しい品種や栽培技術などを開発して農家に技術普及するという一般的な図式ではなく、
開発の当初から利用者である農家に参加してもらうことにより、的確なニーズ把握を行うとともに、
農家自身の経験のうちに内在している知的資産を活用し、技術の開発速度と普及の広がりを目指す
手法。
7 農産物の価格は農家から卸売り市場、仲買人、小売り、消費者と手渡されていくうちに上昇して
いく。小農家に焦点を当てた開発計画では、その一連の商品経路全体を対象として研究を行い、農
家の販売方法への助言や市場整備、政策提言などによって、農民がより多くの利益を得られるよう
にするアプローチ。
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
リトリート講演
2008 年 8 月 22(金)-23 日(土)
「見ること・見えること」
大谷哲久
理化学研究所発生再生科学総合研究センター
形態形成シグナル研究グループ
1. 自己紹介とイントロダクション
1-1. 自己紹介
1-2. 形態学者のモティベーション:美しいということ
1-3. 見ていても見えていない:研究の視力
2. 見ていても見ていない:霊的視力
2-1. 復活のイエスに会った弟子たち
2-2. ベテルのヤコブ
2-3. 愛のまなざし
3. “愛のまなざし”から応答する愛へ:詩篇 8 篇に学ぶ
3-1. “わたし”に心を留めてくださる神
3-2. 地を治める
3-3. 栄光を神に帰す
4. 罪の現実の中で生きる
4-1. 研究倫理について
4-2. 若手研究者のキャリアパス問題
5. 終りに
6. 補遺
7. 引用・参考文献
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1. 自己紹介とイントロダクション
1-1.自己紹介
私は、現在理化学研究所・発生再生科学総合研究センターというところで研究員を
させていただいています。いわゆるポスドクの身分です。私の専門は発生生物学や細
胞生物学と呼ばれる分野で、私たちの体やその体を作る細胞がどのようにしてそれぞ
れユニークな形を作っていくのかということを研究しています。私たちの体は約 60
兆個の細胞からできていると言われています。この 60 兆個の細胞はすべてたった 1
つの受精卵が分裂を繰り返すことによってできてきたのです。しかし、この 60 兆個
の細胞をただ集めただけではそれは細胞の山にしかすぎず、
私たちの体はできません。
それぞれの細胞が正しく配置され、また目の細胞なら物を見るために、耳の細胞なら
音を聞くためにそれぞれの役割にふさわしい形と働きをきちんと獲得して初めて、私
たちのからだは細胞の山ではなく一つの体となるのです。私たちの研究室ではショウ
ジョウバエという生き物を用いて体づくりの基本的なメカニズムを理解しようと日々
研究をしています。
この体づくりのプロセスというのは驚異的なものであります。図 1 はゼブラフィッ
シュの受精卵が分裂を繰り返していく様子を示しています(1)。最初はまだ 2 つだった
細胞がどんどん分裂を繰り返していき、途中から、覆いかぶせ運動という動きが始ま
り、体が前後に伸びていきます。そうすると、だんだんと体節と呼ばれる節構造が出
来ていきます。最後にはようやく少し魚らしい形なります。このように体づくりの過
程では細胞の数や配置がわずか 1 日の間に劇的に変化していくのです。
図 1. ゼブラフィッシュの体
づくり(1)
23
図 2. ショウジョウバエの気管の形成(2)
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
sしかし、図 1 のような実験ではただ顕微鏡の上に卵をおいただけなので、体の中で
何が起こっているのかということについてはこれではなかなか分かりません。
そこで、
2008 年のノーベル化学賞の受賞対象ともなった GFP(緑色蛍光タンパク質)を用い
て特定の組織が蛍光を発するような仕掛けをすることで、ある組織がどのように作ら
れていくのかを観察することもできます。たとえば、図 2 はショウジョウバエの気管
ができていく様子を撮影したビデオです(2)。最初は節毎の細胞の塊であったのが、伸
びて枝分かれしてつながって体中に張り巡らされたネットワークを作ります。このよ
うに体中にネットワークを張り巡らすことで、ハエは体中に酸素をうまく運ぶことが
できるのです。このような驚くほど複雑なプロセスの背後にどのようなメカニズムが
あるのかを研究するのが発生生物学と呼ばれる分野です。
私自身は発生生物学と細胞生物学という分野を専門すると申し上げました。発生生
物学は今述べましたように一つの受精卵から体がどのようにしてできていくのかとい
う現象を理解しようとする学問です。一方、細胞生物学というのは私たちの体の成り
立ちについてそれを構成する細胞という単位・大きさから生き物を理解しようとする
アプローチの総称です。つまり、細胞生物学者が発生生物学を研究するというのは、
体が出来ていく時に、細胞に何が起こっているのか?細胞はどうふるまうのか?とい
う問いかけを発していくことであります。
1-2. 形態学者のモティベーション:美しいということ
私は、細胞生物学の中でも特に形態学に強いバックグラウンドを持った研究者なの
ですが、それでは、形態学者の日々の研究を支えるモティベーションは何なのでしょ
うか?それは、一言で言うならば、生き物が美しいということに尽きるのではないか
と思います。多くの生物学者の言葉もこの事をはっきりと物語っています。
例えば、私の現在の上司に当たる林茂生という人は図 2 にもあったショウジョウバ
エの気管がどのようにできるかを研究していますが、
「なぜ気管を研究対象に選んだの
か」と問われた時に次のように答えています。
「美しいからです。それが最大のモティ
ベーションです。美しいものには、それを支える美しいルールがあるはず。そう直感
したんです。
」(3)
また、世界で初めて“電気シナプス”という神経の構造を電子顕微鏡
でとらえることに成功した濱清先生はご自分の研究人生を振り返って次のように言わ
れています。
「50 年近くの間、飽きもせずに形態学の仕事を続けられたのは、顕微鏡
24
を通して見る生体の構造がいつも新鮮で美しかったからです。」(4)
あるいは、世界的
な細胞生物学者である廣川信隆先生も次のようにおっしゃっています。
「私が米国のワ
シントン大学にいた頃、ある日 John Heuser (筆者注:この方も大変有名な細胞生
物学者であります)とどの様な瞬間に最も excite し、喜びを感ずるかという事を話し
た事がある。私達の答えは、はからずも全く一致した。それは、電子顕微鏡の蛍光板
上に、未知の機能的に重要な、美しい構造を見た時である。」(5) これらの方々の言葉
を見ていくと、形態学を主なアプローチとする生物学者にとっては、“生き物が美しい”
ということが日常の研究を何十年もの間支えることのできる強いモティベーションと
なっていることは明らかでしょう。
私自身にとっても、やはり生き物が美しいということ、そして細胞が美しいという
ことは日常の研究を支える重要な動機となっています。私はショウジョウバエの体の
表面に生えている剛毛という細胞がどのようにできるのかを研究しています。図 3 は
ショウジョウバエのイラストです。これを見てもあまり美しいと思う人はいないかも
しれません。しかし、このショウジョウバエであってもさらに詳しく観察していくと
驚異的に美しいのです。剛毛というのはハエの体の表面に生えている毛のことです。
これを電子顕微鏡で観察した写真が図 4 です。さらに倍率をあげてみると、剛毛の表
面に整然と平行に溝が走っているのがわかります(図 5)。あたかもギリシア・ローマ
時代の建築物の柱を見ているかのような美しい配列になっています。これだけでも驚
きではありますが、さらに驚異的なことはこの剛毛はたった一つの細胞からできてい
るということです。一つの細胞が変形して何十倍にも伸びていくことによってこの美
しい構造は形成されるのです。これらの電子顕微鏡写真は私が撮ったものですが、私
自身、日常の研究の中でこのようなものを観察すると「きれいだなあ」とため息がも
れることがあります。生き物が美しいということは形態学者にとっては何よりの日々
のモティベーションなのです。形態学者とは、生き物の美しさに魅了された人々なの
です。
図 3.ショウジョウバエ
図 4.電子顕微鏡で見た
ショウジョウバエの背中
図 5.電子顕微鏡で観察した
ショウジョウバエの剛毛
25
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
1-3. 見ていても見えていない:研究の視力
それでは、私たちの実際の毎日の研究の現場はどのようなものでしょう。実は、私
たちが毎日していることは、皆さんが慣れ親しんだ二枚の良く似た絵の違いを見つけ
る“間違い探し”のゲームのようなことです(6)。実際の研究ではもちろんイラストなど
ではなく、たとえば普通のハエとある遺伝子の機能がおかしくなったハエ、すなわち
ミュータントとを見比べて何がおかしいかを観察するわけです。たとえば、図 6 は普
通のハエ、図 7 はある遺伝子の機能がおかしくなったハエの剛毛の写真です。ミュー
タントでは剛毛が折れ曲がっているのが分かりますね。
図 6.正常なハエの剛毛
図 7.あるミュータントの剛毛
このように、形態学の研究において物を見るということが重要なのは明らかでしょ
う。どのようにして人の見ていないものを見るかということが大事だからです。もち
ろん、技術の発展によって今まで見えていないものが見えるようになることはありま
す。ハエの剛毛を撮影するのに用いた電子顕微鏡もそうですし、最初の体づくりの様
子を撮影するのに用いているビデオ顕微鏡などもその好例です。しかし、同時に重要
なことは「眼力」ということ、良い眼をもつということなのです。私が尊敬する月田
承一郎さんは次のように語っています:
日常生活の中でも、
『見える』ということの不思議を考えさせられることがある。毎
日通っている道の道端に綺麗な花が咲いていることに、ある日突然気づくことがあ
る。毎年その季節にはその場所に咲いていた筈なのに、そして当然それは僕自身の
網膜に映っていた筈なのに、
『見えて』いなかった。そして、翌年からは、確かにそ
26
の季節にそこに咲いているのが『見える』のである。…(中略)…要するに、
『見て
いても見えてないもの』、もう少し科学的な言い方をすれば、『網膜に像を結んでい
ても、脳の中では意味のある像としては意識されていなくて、結局、像を結んでい
ないのと同じことになるもの』が、世の中には結構沢山あるのではないか。…(中
略)…この『見える』ということの不確実さは、もっと広げて、人間が網膜に頼ら
ず『認知する』『気づく』『解る』といったことの不確実さにも通じるものがある。
ある『真実』のまわりを毎日研究していても、なかなかその『真実』に気がつかず、
ある時気づいてしまうと、どうしてこれまで気がつかなかったのか不思議でたまら
ないといったようなことを、研究者なら誰もが経験しているであろう。天才的な科
学者であるセント・ジオルジ博士が、ウッズホールの臨海実験所に次のような言葉
(正確ではないが)を残しているのを見たことがある。
『発見とは、これまで多くの人が見てきたものと同じものを見て、その人たちが気
づかなかった真実に気づくことである』
。(7)
先ほど紹介した「間違い探し」のゲームをする時でも、皆さん同じような「見ていて
も見えていない」ことを経験するのではないかと思いますが、この「見ていても見え
ていない」ことは研究の現場においてはしばしば起こることです。私も大学院時代に
このことを経験しました。図 8 と図 9 は私が大学院時代に撮った写真です(8)。これは、
白い線が細胞の境目を見ているのですが、図 8 が普通の細胞、図 9 はある遺伝子が働
かないように操作した細胞です。実は、この遺伝子を研究し始めた時は、細胞同士が
うまくくっつくためにこの遺伝子が大事なのじゃないか。と私は考えていました。だ
から、初めてこの写真を撮った時は、正直がっかりしたんですね。
「なんだ、この遺伝
子が働かなくても細胞はくっつけるじゃないか」と。しかしながら、それはやはり、
「見ていても見えていな」かったのです。ある時先生とこの細胞を一緒に観察してい
た時に、先生がこのように言われました:
「なんかこいつらだらっとしとるな。」と。
そうして改めて「見る」と、確かに「見えて」きたんです。この遺伝子が働かないと
細胞の境界がたるんでしまうのです。どうして細胞の境界がまっすぐになるかはそれ
までほとんど理解されていなかったので、結果としてこのことを論文にまとめて博士
論文を提出することができたのです。
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
(左)図 8. 正常な細胞の細胞同士の境界(8)
(右)図 9. ある遺伝子が働かないように操作
した細胞同士の境界(8)
形態学はものを見る学問です。しかし、このように、興味深いことに私たちは「見
ていても見えていない」ことをしばしば経験するのです。黒岩常祥(つねよし)先生
はこのように語っています:
顕微鏡は目で観るのではなく、心で観るものです。若い頃、視野にはあったのに、
見えなかったという体験を何度かして、それがよくわかってきました。つまり想像
していないと出会えない、見えないのです。(9)
先ほど月田さんも引用されていたセント・ジョルジという人も次のような言葉を残
しています:
発見とは準備された心に訪れる事故である。(10)
また、あのルイ・パスツールも次のように言っています:
幸運は準備された心を選ぶ。(10)
つまり、
「見える」ためには準備された心が必要なのです。先ほどから取り上げてい
ます「間違い探し」のゲームで二つの絵の間違いを探す時に皆さんはどうされるでし
ょうか?おそらく、注目する箇所を選び「ここが間違っているのではないか?」とい
う仮説のもとに二つの絵を見比べてその仮説が正しいかどうかを検証する。という作
業を無意識の中で繰り返さすのではないでしょうか。やはり「見える」ためには“準備
された心”、あるいは視点が大切であることが分かるのではないでしょうか。どのよう
な視点から「見る」かによって「見える」かどうかが影響されるのです。
「見る」こと
と「見える」ことは違うのです。そして、
「見える」ためには準備された心が大切なの
です。
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2. 見ていても見ていない:霊的視力
2-1. 復活のイエスに会った弟子たち
興味深いことに、聖書を読んでいくと、聖書は私たちの霊的な視力に関して、やは
り「見ていても見えていない」ことを繰り返し教えているように思えます。イエス様
は幾度となく
「目を覚ましていなさい」
「耳のあるものは聞きなさい」
と言われました。
また、復活のイエスに会った弟子たちのエピソードは非常に印象的です。マグダラの
マリア(ヨハネ 20:11~18)もエマオ途上の二人の弟子(ルカ 24:13~35)も、復活
のイエス様と出会っても最初は「目が遮られていて」
「それがイエスだとは分からなか
った」のです。不思議なことに、彼らは復活のイエス様の姿と出会いその方とお話し
していても、その方がイエスさまであることが分からないのです。まさに「見ていて
も見えていない」のです。
2-2. ベテルのヤコブ
旧約聖書においても興味深いエピソードとしてヤコブの歩みがあげられます(創世
記 28:10~22)。ヤコブは叔父ラバンのもとへの旅の途中、“とある場所”で日が沈ん
だのでそこで一夜を明かします。ヤコブにとっては兄エサウとの確執のすえに旅立っ
たわけですから失意と後悔と共に前を見ていこうという思いが交錯した複雑な思いが
あったでしょう。また、家族・友人と離れて旅立つわけですから言いようのない孤独
感があったと想像されるのではないでしょうか。そのような中で、彼は“とある場所”
で夜を明かすことになります。ところが、その晩、彼はそこで夢を見ます。天から梯
子が下りてきて天使たちが上り下りし、主がヤコブの傍らに立ち「わたしはあなたと
共にいる。わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約
束したことを果たすまで決して見捨てない。」と語られたのです。ヤコブは眠りから覚
めた時に、
「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」と言い、
そこに記念碑を建て、そこを“ベテル=神の家”と名づけ誓願を立てます。始めは失意
のヤコブにとってそこは「とある場所」であったのに、眠りから覚めた時には同じ場
所が彼にとっては「神の家」となったのです。彼は、初めは神が共におられることが
「見えていなかった」のに対し、その夢を通し、神が共におられること、しかもそれ
29
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
は“家”と呼ぶことのできる親密な距離感で傍らに立って守ってくださるのだ。という
ことが「見える」ように変えられたのです。
2-3. 愛のまなざし
これらの出来事から考えさせられるのは、信仰とは見えない神様を仰ぎ見て生きる
ことだということです。しかも、私たちが「神を仰ぎ見る」とは、神様を恐れ、びく
びくしながら恐る恐る仰ぎ見ることではなく、幼い子供がその父親を見上げるように
「愛のまなざし」をもって仰ぎ見る歩みなのです。このようなキリスト者と神様の親
密な関係についてパウロは次のように表現しているのです:
「あなたがたは、人を再び
恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けた
のです。私たちは御霊によって、
『アバ、父。
』と呼びます。」
(ローマ 8:15)(11)。し
かし一方で、先ほどの聖書に記された出来事から考えると、救われた私たちであって
も、同時に罪びとに過ぎぬ私たちの霊の眼はしばしば閉じていることがあると考えら
れます。私たちは目の前の物事を見てはいても、その霊的な意味が見えていないこと
があるのではないでしょうか。
誰でも、自分に愛する人ができた時、その人のちょっとした仕草、携帯のストラッ
プや一つ一つの言葉、その人自身でさえ気づかないけどにじみ出ている「その人らし
さ」に目を留め、心をときめかせるのではないでしょうか。
「愛のまなざし」とは、そ
のように相手に関係のあるすべてにおいて相手の人格を見出していくまなざしであり
ます。ですから、この世界の創造主である神様の子供とされた私たち、神様と互いに
愛しあう関係に入れられた私たちは、その神様が造られ「それは非常に良かった」と
言われたこの被造世界をも「愛のまなざし」でもって見つめるように招かれているの
です。宗教改革者カルヴァンは次のように言っています:
そこで、我々は創造主の造られた自然を見つめる時、この自然を支配される一人の
神がおられ、我々が彼に向き、彼を拝み、その御名を呼び賛美することを期待して
おられるということを心に刻もうではないか。(12)
しかし、私たちはこの被造世界の中に、あるいは自分の生きている現実の日常生活
の中に神様を見出そうとしているでしょうか?私たちは神様が作ってくださった世界
30
におかれ、神様の与えてくださっている恵みに日々支えられて生きていますが、私た
ちはその日常の中で神様を愛し、
神様の仕草・神様らしさを見出しているでしょうか?
先に紹介した多くの研究者の方々の証言からも分かるように、私たちはキリスト者で
あるなしに関わらず、自然を見る時に、あるいは研究の現場において被造物の美しさ
に触れる時に、それに感動を覚え、心を動かされます。しかし、自然の美しさは言葉
にならないほど素晴らしいものでありますが、それはさらに素晴らしい神様の美しさ
を反映しているものなのです。私たちの主イエス・キリストは山上の説教において野
の花は「神が装ってくださる」のだ(マタイ 6:30)と語りました。私たちはこの自
然や生き物の美しさを見る時に感動を覚えるものですし、それ自体は素晴らしいこと
です。しかし、キリスト者である私たちは、さらにその背後におられる真に美しく素
晴らしいお方であられるそれを造られたお方に霊の眼を向けることが大切なのではな
いでしょうか。
3. “愛のまなざし”から応答する愛へ:詩篇 8 篇に学ぶ
聖書を開くときに、聖書記者もまた被造物を見て、その美しさ・不思議さに驚嘆し、
そのことへの応答としてそれを造られた方への賛美を記していることに気付かされま
す。このことは、私たちは被造物の美しさを見て、神様の存在を単に覚えたり意識し
たりするだけではなく、そこに応答していくことが大切だということを私たちに教え
ています。
「愛のまなざし」と言った時の“愛”とは、人格的な関係を示す言葉でありま
すから、そこに私たちの応答が伴うことは本来ごく自然なことなのではないでしょう
か。聖書の中でも、詩篇、ヨブ記、イザヤ書などは被造物を見た応答としての賛美の
代表的なものだと言ってよいでしょう。今日は、特にそれらの箇所の中から詩篇の 8
篇に注目し、聖書記者がどのように被造物を“見て”いたのか、彼らが被造物を見た時
に何に驚嘆して賛美の声を挙げたのかを学びたいと思います。
31
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
詩篇 8 篇
指揮者によって。ギティトに合わせて。賛歌。ダビデの詩。
主よ、私たちの主よ
あなたの御名は、いかに力強く
全地に満ちていることでしょう。
天に輝くあなたの威光をたたえます
幼子、乳飲み子の口によって。
あなたは刃向かう者に向かって砦を築き
報復する敵を絶ち滅ぼされます。
あなたの天を、あなたの指の業を
わたしは仰ぎます。
月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう
あなたが顧みてくださるとは。
神に僅かに劣るものとして人を造り
なお、栄光と威光を冠としていただかせ
御手によって造られたものをすべて治めるように
その足もとに置かれました。
羊も牛も、野の獣も
空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
主よ、私たちの主よ
あなたの御名は、いかに力強く
全地に満ちていることでしょう。
32
3-1. “わたし”に心を留めてくださる神
詩篇 8 篇においてまず注目すべきポイントは、人とは決定的に違う創造主なるお方
が人を顧みて下さること、人を心に留めて下さることへの驚き・畏れ・感謝にありま
す。この驚きが詩人の心に賛美を呼び起こしているのです。
この詩篇において、詩人は被造物を見ることを通して、創造主なる神様の天に輝く
威光の圧倒的な偉大さにまず目を留めています。そのことは必然的に私たちの小ささ
を認識させ、私たちはこのお方の前にへりくだらざるを得ません。自然に対する謙遜
という感覚は、キリスト者であろうとなかろうと、自然の奥深さを日々実感している
多くの科学者が持っているものではないかと思います。しかし、この詩篇を注意深く
読んでいく時に、この詩人が語っている言葉は単なる自然に対するへりくだりや謙遜
ではないことに気づかされていきます。詩人のへりくだりは、被造世界の背後におら
れる創造者なる神様と「わたし」と「あなた」として対峙した時に呼び起こされる畏
敬の念なのです。月や星を配置された私たちをあまりにも超えた偉大な創造主なる神
が、あまりにも小さな存在にしかすぎないこの“わたし”を顧みて下さること、“わたし”
を心に留めていて下さることへの驚きを詩人は告白しているのです。この詩篇の関心
の中心は、被造物・創造主の偉大さへの驚きではなく、何よりもその偉大な創造主な
るお方が、小さな存在である“わたし”と個人的にかかわってくださること、そのこと
への驚きと感謝なのです。このことに目を向けることが私たちに賛美の声を呼び起こ
すのであります。
3-2. 地を治める
さらに、この詩篇における詩人の驚きは、神様が自分に目を留めてくださるという
ことだけでなく、神様がわたしに地を治める使命を与えてくださっていることにもあ
ります。この“地を治める使命”とは、創世記において神様が人に対して言われた「我々
にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地
を這うものすべてを支配させよう。」
(創世記 1:26)、
「主なる神は人を連れて来て、エ
デンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」
(創世記 2:15)という言
葉に起源をもつ「文化命令」と呼ばれる神様が人間に与えられたこの被造世界を治め
管理する使命を指すのではないかと考えられます。興味深いことに、創世記の記事を
さらに読みすすめていくと次のような記述があることにも気付きます:
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、
人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶかを見ておられた。
人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
(創世記 2:19)
とあります。これは、生物学者である私からすると聖書における生物学の起源とも呼
べる箇所であります。しかし、もう少し広い視野に立つならば、この世界にある事象
を分類してその概念を整理して言語化もしくは定式化するという営みは、あらゆる学
問・研究に共通することではないでしょうか。つまり、この箇所から読み取れること
は、この被造世界を体系立てて理解しようとする自然科学や学問・研究の営みという
のは、
神様が創造において人間に与えてくださった使命の一部であるということです。
さらに創世記の記述をもう少し注意深く見ていくと、創世記 1 章において、神様は
創造の御業を行うにあたって“光”を“昼”と呼び、“闇”を“夜”と呼ばれ、“乾いた所”を“地”
と呼ばれ、“水の集まった所”を“海”と呼ばれます(創世記 1:1~10)。つまり、神様の創
造の働きと言うのは、ある存在を呼び出すとともに、その本質にふさわしい名前を付
けることを含むということが分かります。言い換えるならば、本来この世界の事物に
「名前をつける」という行為は神様の創造の働きの一部を成しているということがで
きます。ところが、創世記 2:19 の箇所においては、人が生き物を見て観察し、その特
徴と本質をとらえてそれを名づけ分類するのです。神様は造られた生き物に名前を与
える働きを、造られた存在にしかすぎない人に委ねられているのです。つまり、驚く
べきことに、神様はその創造の御業に人間を参与させておられるのです。すなわち、
私たちは造られた被造物の性質を明らかにしていく学問・研究を通して神様の創造の
御業に参与していくことができるのです。違う言い方をするならば、私たちは学問・
研究を通してこの被造世界の性質・構造を明らかにしていくことを通して、自らが神
の像・神のイメージに造られていることを証していくことができるのです。そして、
この詩篇 8 篇において、詩人は神様が一被造物にしかすぎない小さな存在である私た
ちにこのような偉大な使命が委ねられていることに驚きを禁じえず、
「人とは何者なの
でしょう。」と告白しているのです。
34
3-3. 栄光を神に帰す
さて、この詩篇の前文には「ギティトに合わせて」という言葉が添えられていま
す。
「ギティト」の意味についてはガト地方を指すとか楽器の種類なのではないかなど
諸説あるようですが、一つの説として「ギティト」は「ぶどう搾りの歌」と訳される
ことばであり、酒造りの際に歌われていた詩篇なのではないか。と言われています。
また、この「ギティトに合わせて」という表題を持つ詩篇は、ユダヤ人にとって秋の
収穫感謝祭でもある仮庵の祭りで歌われる歌であったようです。つまり、イスラエル
の民は神様の創造の恵みであり私たちの労働の結実でもある収穫物への感謝を味わい
ながら、あるいはその収穫物を前にした労働の現場においてこのような神様の偉大
さ・その神様がわたしたちを顧みてくださることを歌っていたのです。彼らは収穫物
を得た時に、それを労働の実り・自分の努力の成果としてのみ見るのではなく、その
背後におられる方、私たちの日常の労働の上に立って導いておられるお方である神様
に目を向け、賛美の声をあげていたのです。
私たちは労働の現場、日々の研究の現場において、あるいはその結実・収穫である
学会発表や論文の発表の際に、このような賛美の声をあげているでしょうか。自らの
研究の成果を前にした時に、その成果を与えてくださったお方、私たちの歩みを支配
し導いておられるお方である神様に感謝を捧げているでしょうか。研究の成果をあげ
るためには私たちの能力や多大な努力も求められますし、そのことは当然正当に評価
されるべきことです。しかし、大切なことは、私たちが研究の成果が出た時、単にそ
れを自分の努力や能力で勝ち取ったものとしてのみ考えるのではなく、その栄光を神
様に帰すことではないでしょうか。
エミー・カーマイケルという人は次のような詩を詠んでいます。
他の人たちの見出し得なかったものを
もしかしてわたしが発見した時、
深い所に隠されている真理を
啓示してくださる方、
暗闇の中にあるものを知って
それを示してくださる方を
もし忘れるならば、
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
その光のひと筋を
まことにふつつかなしもべに
与えてくださったのは
主にほかならないことを
もし忘れるならば、
その時わたしは
カルバリの愛をまったく知らない。(13)
エミー・カーマイケルという方は科学者ではなく、インドで奉仕した宣教師です。
しかし、彼女の霊的洞察はクリスチャン科学者にとって重要な示唆を与えているよう
に思います。自然科学の研究の営みは、この神様が造られた自然の美しさの背後にあ
る深いところの真理を明らかにしていく営みです。この営みの中において、多くの研
究者の地道な努力が重ねられているのは言うまでもありません。しかし、それととも
に研究者であれば誰でも「見ているのに見えていない」こと、そしてそれがある時か
ら「見える」ようになるという、あたかも神様がそこにあった覆いを外してくださっ
たかのような経験をするのではないでしょうか。また、私たちの日常の歩みのすべて
は常に神様の摂理の御手に守られているということを忘れてはなりません。私たちの
側の能力・努力も研究の成果を得ていくためには重要ですが、キリスト者である私た
ちにとってはその背後にあって私たちの歩みを日々支えていてくださる神様に栄光を
帰すということが肝心なのです。
4. 罪の現実の中で生きる
4-1. 研究倫理について
さて、ここまでキリスト者が学問・研究に取り組むことの積極的な意味についてと
りあげてまいりましたが、もう一つ私たちが歩んでいく上で目を背けてはならない現
実は、私たちは罪びとであり、罪びとの織りなす世界に生きているということです。
ここ数年、この日本においてもあるある大辞典などの番組捏造事件、耐震強度偽装、
食品偽装など多方面において社会倫理の問われる事件が明るみになりました。日本漢
字能力検定協会の選ぶ 2007 の今年の漢字に「偽」の字が選ばれたのもまだ記憶に新
36
しいでしょう。残念ながら、純粋に真理を探究する世界であると思われがちな科学研
究の世界もやはり罪人の織りなす世界であり、罪の影響を免れません。私のいた理学
部などでは純粋に真理を探究したいとの夢を持って研究の世界に入ってくる人が多く、
何か科学の世界にあこがれにも似たユートピア的イメージを抱いて入ってくる人が多
いように思います。しかし、現実には科学の世界も人間が作り上げる世界であり、人
間社会そのものであり、罪の問題は避けて通ることができません。
特に、私のいる生命科学の分野ではここ 10 年ほどの間に論文の捏造など研究倫理
が問われる事件が多くありました。とりわけ、韓国のホワン・ウソク教授らのグルー
プによるヒト・クローン胚に関する論文がねつ造であった事件は世界的に大きく報道
され、大きな衝撃を社会にも与えました。しかし、この事件だけでなく、物理学では
ベル研究所のショーン研究員が 15 報以上の論文を捏造した事件がありましたし、日
本においても東京大学の助手による論文捏造事件、大阪大学の医学部生による捏造事
件、同じく大阪大学の教授による捏造事件など多くの問題が起こっています。
論文捏造というと、非常に大きな不正というイメージがあり、どこか遠い世界の出
来事のように思われるかもしれません。しかし、現実には科学者はその日常において
その倫理観の試される場面に多く直面いたします。いくつか具体的な例を考えてみま
しょう。
<例 1>
あなたはある学会に行き、そこのポスター発表で自分と関連する研究発表で非常に
興味深い未発表データを目にしました。研究室に帰って、そのデータをもとに実験し
て研究を展開することもできますが、どうしますか?
<例 2>
投稿論文に必要なデータで、何度再実験してもどうしてもきれいなデータのとれな
い実験があります。ちょっとした画像処理を行ったり、統計処理をする際にデータの
取捨選択を少し行ったりすることによって、そのデータを“きれいに”することもでき
ますが、あなたはどうしますか?
<例 3>
あなたは博士課程に在学中で現在学術雑誌への投稿論文を執筆しています。ところ
が、この段階にきて、今のモデルとは一致しないと思われるデータが出てしまいまし
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
た。モデルを修正するためには多くの追加の実験も必要になり、時間がかかることが
予想されます。学位審査の日程を考えると、早く論文を投稿しないと卒業が半年遅れ
てしまう可能性が高いです。そのデータを無視して、つまり見なかったことにして論
文を書くこともできますが、あなたはどうしますか?
<例 4>
ある学術雑誌から論文の査読の依頼が来ました。ところが、編集部からのメールに
書かれたその論文のタイトルと要旨を見ると、ショックなことに、まさに今自分たち
の研究室で行っているのと同じ研究が論文として投稿されていました。査読を引き受
けてその論文のデータに目を通したり、あるいは査読の返事を伸ばしたり、たくさん
の追加実験を要求したりして時間を稼ぎながら、自分たちの結果を大急ぎで論文とし
て投稿することもできますが、あなたはどうしますか?
<例 5>
このケースは実際にアメリカの研究室であったケースです(14)。あなたは、自分の研
究室のボスがグラント申請において不正なデータ使用を行っていることを偶然知って
しまいました。しかし、そのことを内部告発したならば、研究室全体が非常に厳しい
調査の対象となり、最悪のケースでは自分たちの研究室そのものが閉鎖となり、自分
自身が路頭に迷う可能性があります。あなたはその不正を見なかったことにして黙っ
て日常の研究を続けますか?それとも自分のキャリアを棒に振る可能性を覚悟で内部
告発しますか?
本日は、研究倫理について考えることが主題ではありませんので、この一つ一つに
ついて丁寧に考えることはいたしません。しかし、このように具体的なケースを考え
てみると、研究に携わる者はその日常においてその倫理観が試される多くの場面に直
面することが分かるのではないでしょうか。私たちは、置かれている日常においてキ
リスト者としてどのように歩むべきかを具体的に問わなければなりません。先に、信
仰とは見えない方を仰ぎ見て歩むことであると申し上げました。当たり前に聞こえる
かもしれませんが、私たちはいつも自分が神様の前に歩んでいることを覚えながら一
歩一歩を歩むことがやはり大切なのではないでしょうか。
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一方で、私たちは「研究の世界も結局は罪にまみれた世界であるのか」とそこに失望
してしまったり幻滅してしまったりしてはいけません。確かに、一見純粋な“真理の探
究”であると思われている科学研究の世界も、現実には不正が存在し個々の研究者は必
ずしも純粋に真理を探究することだけが動機ではなく、さまざまな欲望~名誉や競争
に勝利することへの欲望~などにも動機づけられています。また、どんなに誠実に真
理に取り組む研究者であっても、やはり私たちは不完全な存在でありますから、時に
誤謬を犯してしまう可能性が誰にでもあります。しかし、驚くべきことに、そのよう
に不正や誤謬があり欲望もその動機に含まれる科学の世界であるにも関わらず、歴史
の中で人類は真理へと近づいてくることができたのです。誤謬や不正も確かに存在は
しますが、それらは誤りが訂正されたり、あるいは結果が再現されないために、歴史
の中で忘れられたりしてきました。罪人が利己的な歪んだ動機・不十分な能力で科学
に取り組んでも、歴史の中で人類が全体として真理に近づくことができるのは、人類
に対する神様の憐れみに支えられているからなのではないでしょうか。被造物にしか
すぎず、罪びとにしかすぎない私たちが科学研究を通して真理に接近できることその
ものが神様の一般恩恵の一部なのです。ですから、私たちはこの科学研究の歩みを通
して真理に私たちが近づいていくことができることの恵みを覚え、感謝してその業に
日々あずからせていただくものでありたいと願います。
4-2. 若手研究者のキャリアパス問題
もう一つ最近取りざたされる問題として、若手研究者のキャリアパスの問題があり
ます。大学院重点化・ポスドク 1 万人計画によって多くの大学院生・博士研究員が生
まれましたが、現在、その多くの人々の進路をどうするかという問題に日本は直面し
ています。あるアンケート調査では博士課程の大学院生の 46.2%は自らの将来のキャ
リアパスに不安を感じていると報告されています(15)。ここ数年、この若手研究者のキ
ャリアパスの問題は徐々に取り上げられるようになり、この中にも“高学歴ワーキング
プア”という新書を読まれた方、あるいは“博士が 100 人いる村”という波紋を呼んだホ
ームページをご覧になった方もおられるかもしれません。このような問題の発端とな
ったのは、
「研究の戦力を増やし、大学の研究を活性化させる」目的で行われた大学院
重点化・ポスドク 1 万人計画にあると一般には考えられています(16)。確かに、大学院
重点化・ポスドク 1 万人計画の結果、日本の科学研究は活性化してきた面があります
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
が、一方で、この聞こえの良い目的の背後には、“研究戦力”を増やすという目的には
らむ人を資源としてしか見ない罪の影響もあったのかもしれません。残念ではありま
すが、研究室によっては研究員・大学院生を“労働力”としてしか考えない研究室もあ
るのは事実であります。キャリアパス問題が現場の若手研究者にとって非常に切実な
問題であるのは、それが彼らにとって将来の生活に直結した問題であるからです。私
たちは、このような中にあってキリスト者としてどのように歩んでいくことができる
のでしょうか。“Show the difference”という言い方がなされますが、キリスト者とし
て私たちはどのように“違う歩み”をしていくことができるのでしょうか。
2000 年前の民衆に対して、主イエス・キリストは山上の説教の中で次のように語り
ました。
だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分
の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服
よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉
に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、
鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからとい
って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むの
か。野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、つむぎもしな
い。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着
飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、
神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではない
か、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか。』『何を飲もうか』『何を着よ
うか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あな
たがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加
えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思
い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
(マタイ 6:25~34)
主イエス・キリストは 2000 年前のパレスチナ地方の群衆の生活に直結した切実な
悩み:衣食の問題を取り扱っておられます。この箇所はグルメやおしゃれの問題を取
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り扱ったのではなく、民衆の今日・明日・また将来の生活の問題を取り扱っているの
です。主イエス・キリストは、天の父は私たちの必要をご存知であり、それらを備え、
私たちを養ってくださるのだと語りかけておられます。現在私たち若手研究者が直面
しているキャリアパス問題もこの 2000 年前の民衆の抱えていた問題と大きくは違わ
ないのではないでしょうか。
使徒パウロはピリピ人への手紙の中で次のように語っています。
どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを
ささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超え
る神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
(ピリピ 4:6、7)
多くの人が生活や将来の不安を抱えている中において、キリスト者である私たちは
神様を見上げ、神様に自らの道を祈って委ねることができます。パウロは、私たちが
そのように自らの問題を神様に打ち明ける時に、“あらゆる人知を超える神の平和”が
わたしたちの心と考えを守ってくださる。と語っています。私たちは現実に将来の生
活・進路に大きな不安を抱えています。しかし、神様は私たち一人一人に最善の道を
用意してくださっています。それは、もしかしたら現在自分の希望している道でない
かもしれません。しかし、キリスト者は信仰をもって与えられる道を神様が私たちに
与えてくださった最善の道であると信じ、
喜んで受けとっていくことができるのです。
私たちは日常の生活の中で抱えている不安を日々神様に祈りの中で打ち明け、神様か
らの平安をいただいて歩むことが大切なのではないでしょうか。そして、そのような
平安をいただいた歩みこそがこの不安な世界の中にあって“違いの見える”歩みとなる
のではないでしょうか。
5. 終わりに
この日本と言うキリスト者の少ない国において、また、学問・研究という狭い社会
の中で神様に従うということを具体的に実践していくには勇気が伴うことがあるかも
しれません。特に若い研究者にとっては本当に神様に従うこととこの学問・研究の世
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
界で生き残っていくことが両立するのかどうかということになかなか自信が持てない
という現状があるかもしれません。しかし、私はあるクリスチャンの細胞生物学者か
ら聞いた次のような言葉が深く印象に残っています:
クリスチャンの多い国よりも、日本のような国においての方が、私たちは真の意味
で生き方の違いを見せることができるのではないだろうか。
私たちは神様の計画の中で、この日本と言う国にキリスト者として、研究者として
今遣わされています。私たち一人一人が与えられた場で自分の願いにではなく、神様
が私たちに何を求めておられるのかに具体的に従っていくことを神様は期待されてい
ます。特に、若い研究者にとっては、そのように神様に従う生き方に自信を持つため
には、良きロール・モデルとしてそのような生き方をすることと研究の世界で生きて
いくことに何の矛盾もないこと、いやむしろそこにより豊かな世界が広がっているこ
とを示してくれる人生の先輩との個人的・人格的な出会いが、特に若い時期での出会
いが非常に重要です。この志学会の交わりを通して、若い大学院生・研究者がそのよ
うな人生の先輩との“友としての出会い”を経験していくことができるように願ってい
ます。そして、ここから送り出されていく一人一人の生き方を通して、神様の素晴ら
しさがまだ神様を知らない方へと伝えられていくことを願っています。
6. 補遺
当日の質疑応答の中で、この物質世界を見る視点としての“自然”と“被造”の違いと
いうことが話題となりました。聖書には本来“自然”に相当する概念はないこと、筆者
の視点が“自然”という見方に近い印象を受けたとの感想がありました。確かに現代の
生物学の知見から生き物の体づくりを見るならば、それは“ひとりでになる”ように思
え、“自然”という見方に近いように思われるかもしれません。しかし、生物学的観点
から見て自律的に体づくりが進行するということと“被造”という見方とは矛盾するも
のではありません。自然科学的知見によって理解可能な体づくりの過程であっても、
私たちはその背後においてその過程を保持しておられる神様がおられることを知って
おり、
「あなたは、わたしの内臓を造り母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わ
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たしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上
げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。」(詩篇
139 篇 13~14 節)と告白することができるのです。むしろ、私にとっては生物学者と
して体づくりの過程が如何に精緻な過程であるかを実感すればするほど、このダビデ
の告白が心に迫ってくるものであります。自然科学の観点からは“自然”である事象を
キリスト者の視点から“被造”として見るということこそ、私にとって「霊の眼で被造
世界を見る」ということだと考えております。
43
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
7. 引用・参考文献
(1) “Stages of embryonic development of the zebrafish.”
Kimmel CB, Ballard WW, Kimmel SR, Ullmann B, Schilling TF. Dev Dyn. 203(3):253-310.
(1995)
より改変。ゼブラフィッシュの発生のムービーについては以下の URL をご参照ください。
http://www.eb.tuebingen.mpg.de/departments/3-genetics/literature/flipbook-50.mov
(2) 違う動画ですが、http://www.cdb.riken.jp/signal/の Gallery よりショウジョウバエ気管発生の動
画がダウンロード可能です。また、ショウジョウバエの胚発生の動画については以下の URL をご参
照ください。http://flymove.uni-muenster.de/
(3) 理研ニュース 2007 年 2 月
http://www.riken.jp/r-world/info/release/news/2007/feb/index.html#frol_02
(4) 季刊「生命誌」15 号(サイエンティスト・ライブラリー:濱清)
http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no15/index.html
(5) 日本細胞生物学会会報「細胞生物」巻頭言 No.60 廣川信隆
http://www.nacos.com/jscb/jscb/jscb_kantogen60.html
(6) 間違い探しが何か分からない方は以下の URL をご参照ください。
http://spot-the-difference.net/
(7) 旧月田研ホームページより
http://mail.mfour.med.kyoto-u.ac.jp/~htsukita/new-pub/Boyaki1.html また、関心のある方は月田
先生のご著書「小さな小さなクローディン発見物語―若い研究者へ遺すメッセージ」
(羊土社、2006)
もご参照ください。
(8) “Cdc42GEF Tuba regulates the junctional configuration of simple epithelial cells.”
Otani T, Ichii T, Aono S, Takeichi M. J Cell Biol. 175(1):135-46. (2006)
(9) 季刊「生命誌」38 号(サイエンティスト・ライブラリー:黒岩常祥)
http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no38/index.html
(10) "A discovery is said to be an accident meeting a prepared mind." (Albert von Szent-Gyorgyi)
"Dans les champs de l’observation, le hasard ne favorise que les esprits préparés"
英訳:"In the fields of observation, chance favors only the prepared mind." (Louis Pasteur)
http://www.quotes-zone.com/quotes/22/prepare.php など参照。
(11) 聖書の引用はすべて新共同訳聖書(日本聖書協会)に準拠しています。
(12) キリスト教綱要 第 1 篇・第 2 篇 改訳版、 第 1 篇第 5 章
ジャン・カルヴァン (著), 渡辺 信夫 (翻訳) 新教出版社 (2007)
(13) カルバリの愛を知っていますか
エミー カーマイケル (著), 棚瀬 多喜雄 (翻訳) いのちのことば社 (2004)
(14) “Scientific misconduct. Truth and consequences.”
Couzin J. Science. 313(5791):1222-6. (2006)
(15) 「理系」という生き方―理系白書〈2〉
毎日新聞科学環境部 (著) 講談社文庫 (2007)
(16) 公開シンポジウム「研究・教育者等のキャリアパスの育成と課題」基調講演(有馬朗人氏)(2007)
http://www.nacos.com/seikaren/PDF/2007sympo_report/sym2_arima.pdf
44
<Contact Address>
大谷哲久
〒650-0047
神戸市中央区港島南町 2-2-3
理化学研究所 発生再生科学総合研究センター
形態形成シグナル研究グループ
e-mail: [email protected]
リトリート参加学生・研究者による感想
「信仰と希望に満ちた場所に集うことの喜びと使命」
2008 年度リトリート
名古屋大学大学院国際言語文化研究科国際多元文化専攻
メディアプロフェッショナルコース
木村めぐみ
私は昨年、初めてリトリートに参加させていただき、今回で 2 回目になります。今
は名古屋大学の大学院に在学していますが、志学会をご紹介いただいたのは学部時代
を過ごした慶應義塾大学の梅津先生です。
学部時代は私の人生の中で本当に楽しかった時期なので正直、私は大学院進学の際
に名古屋へ戻ったことを後悔していました。しかし、昨年のリトリートに参加して私
は名古屋大学に遣わされたのだと思い、今年のリトリートには友人を連れていこうと
決心していました。
私が名古屋大学に入学した時は、
聖研メンバーの半分以上が理系の大学院生でした。
女子が私一人であったこともあり、少しさびしさを感じていたのですが、翌年 4 月に
私の所属する研究科にクリスチャンの女性が 2 名入学されました。もともと、韓国か
らの留学生でクリスチャンの先輩がいたので、研究科のクリスチャンが 4 名になりま
した。当然、私は志学会についてお話をさせていただきました。4 月のことでした。
3 月の終わりに由紀さん、ダニエルさん、藤原さんとこの場(浜名湖バイブルキャ
ンプ場)でミーティングを行った際、私は「名古屋大学からたくさんの人を連れてき
ます!」と宣言した気がするのですが、その後 4 か月の間に、修士も 2 年目となり、
学生代表になって日本各地の進学説明会に行くなどかなり多忙な日々を過ごしていま
した。博士課程(入学当初から進学の意思がありました)での研究テーマを「映画と
地域」にしようと決めた時期に名古屋市で大林宣彦監督が映画を撮影する、というこ
とを聞きつけ調査のお願いをしたところ、参与観察という意味での調査どころか実際
に映画のプロデュースに関わることになってしまいました。私はメディアプロフェッ
ショナルコースというメディア研究を中心とするコースに所属しているのですが、そ
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
こでは実践的な経験と理論的な研究の融合を方針としていて、私自身も名古屋市での
映画撮影はとてもよい経験になると考えました。しかし、修士論文との両立は大変な
ことと気づいたのはすでに志学会が目前に迫っている時期でした。そしてこの忙しさ
のせいで、私は研究科の 2 人のクリスチャン女性へのリトリートの連絡が遅くなって
しまい、今回も名古屋からたった一人で参加することになってしまいました。私一人
でも来ることができたのは、大きな喜びではありますが。
今回、ディスカッション・テーマとして私が考えたのは「信仰と希望に満ちた場所
に集うことの喜びと使命」です。
「信仰と希望に満ちた場所」というのは、私の考える
志学会です。やはり研究をしていると様々な試練に遭遇するわけです。実は昨日、自
身の指導教官と 2 名の先輩とお食事をしたのですが、おそらく 4/5 ほどの時間は先
輩方の将来への不安で話でした。将来への不安や学部時代に許された甘さが許されな
い現状、日々戦い、なんて思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
同じ信仰をもった人々が集まる志学会に集えることを喜びと感じていらっしゃる方
は多いと思うのですが、しおりに志学会の沿革が記載されているように、なかなか学
生が集まらないまま、今回でリトリートも 6 回目を迎えることとなりました。
私は現在、名古屋に住んでいますので参加することができませんが、東京では講演
会なども開かれているようで、とても素晴らしいことだと思います。
これからの時間、志学会が今後どうあるべきか、またどのように学生を増やしてい
くか、志学会の将来像、理想像を分かち合っていただければと思います。
46
公
開
講
47
演
会
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
志学会公開講演会
第 2 回公開講演会 2008 年 6 月 20 日(金)
「ギリシア語読みの信仰―アリストテレスとパウロ―」
千葉惠
北海道大学大学院文学研究科哲学科教授
序
信仰と学問
志学会の趣旨をキーワードにより表現すれば、
「信仰」と「学問」にまとめられ
ることになるでしょう。今日はこの二つの単語をめぐってその意味することがら
について普段考えていることをお話することにより、講師の責めを果たしたいと
思います。
私のこれまでの生はこれら二つの事柄をめぐって遂行されてきたと言って過言
ではありません。ですから、或る年齢以降の生は、そのほとんどどの断片を語っ
ても信仰か学問かいずれかを、そして実は多くの場合双方を語ることになるでし
ょう。或る方から見れば、二語でまとめられる生とはなんという狭い貧弱なもの
かと感じられることでしょう。確かにそのように狭い道を歩んできたと思います。
「井中の蛙、大海を知らず」です。しかし、これには下の句がありまして、
「され
ど天の高きを知る」と誰かが返したのです。狭いしかし、自分なりに真っ直ぐな
道を歩めたらと願ってきました。と言うか、実際にはこだわりが強く、それ以外
の道を歩めなかったのです。森有正が列車に乗っていても車窓に流れる風景を眺
めつつ、いつもその向こうに自分の魂を見つめているということを言っています
が、私にもそういうところがあります。そのようにはなりたくないと思いつつ、
気になってしまうのです。ただ、イギリスで事柄そのものに即する訓練を受けて
ようやく、虚心坦懐に事柄を見ることが少しできるようになりました。
「信仰」と「学問」という二語の組み合わせは既に緊張をもたらします。この
緊張については、高井ヘラー由紀さんから送っていただいた報告書三冊をとても
印象深く拝見しましたが、そこに既に語られています。三冊の内容の豊かさに喜
びまた多くを学びました。水垣渉先生の「精神史としての大学」は北大の一年生
向けの「人間の学としての人文学」という授業でさっそく用いさせていただきま
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した。梅津光弘さんとは学生時代一緒に聖書を読み、また多井一雄先生からはご
自宅にうかがいブーバーをドイツ語で読んでいただいたりと懐かしい方々の文章
を拝見しました。他の方々の文章も親しいものでした。やはり聖書という同じテ
クストを毎日読み、同じ存在者に祈るひとびとの近さをそしてその居心地のよさ
を感じました。自分は何か遠くへ旅していた気になりました。異なる考えをもつ
ひとびとのあいだに長くいたという感覚を持ちました。
この感覚を反省してみますと、ここにお書きの方々におかれても同じことであ
ると思いますが、やはり新しいものを、居心地はよくなくとも他の世界を必要と
していたと強く感じます。そこで哲学と神学の対話を続けてきました。塵にも等
しい身であるにしても、もし与えられたタレントがあるとすれば、それは「僧に
あらず俗にあらず」「哲学にあらず、神学にあらず」、非僧非俗の分水嶺を歩くこ
とであったと思います。そこで見出しましたものをお伝えしたいと思います。信
仰者として生きることを決意し、また研究者として生きることをも決意ないし希
望した場合に生じるコンフリクトやディレンマについて考察しながら、自らの歩
みのなかで与えられた最善のものを、部分的にではありますが、お伝えしたいと
思います。
2
ディレンマ
理性は知識のフロンティアーを求め、信仰は魂の故郷に帰ることを求めます。
そして解明されたフロンティアーは共有の知識となりいわば古び、次へと進みま
す。他方、信仰は、例えば聖書を毎日読んでもいつも新たに心が刷新されること
から分かるように、ひとの心身が常に変動しており、とりわけ愛において欠乏し
やすいものであるために、それにより魂の根源的な部分にいつも立ち返りが求め
られるそのようなものです。その意味で理性と信仰は考えることそして信じるこ
とという行為として矛盾しないのです。しかし、何にでも堕落形態があり、理性
にも信仰にも質のよいものと堕落したものがあるということから、そしてこの世
の肉においてあるかぎり知識に到達することなく、信じるしかないことがらを魂
の中心部にかかえていることからくる構造的な緊張を信仰と学問は抱えています。
一方、愛せよとの戒めをキリストの弟子として心から守りたい、キリストに倣う
者でありたいと思います。そしてそこからそれは一挙手一投足隣人と共にあるこ
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
と、共に今を生きることであるという思いを演繹させがちです。他方、学問研究
を通じて隣人に奉仕したい、より普遍的な仕方でお役に立ちたいという使命なり
希望を持ちます。そしてそこから、研究こそ人類に貢献する道であると演繹しが
ちです。そこにディレンマが生じるのです。
隣人にできるだけ誠実に共にあろうとするとき、それは端的に時間をも捧げる
ことになります。そこでは、研究の時間がなくなるのではないかという恐れを持
ちがちです。他方、研究を通じてキリストに栄光を帰したいと思うとき、それは
端的に時間を学問という相対的に独立した領域においてそれも競争社会のなかに
おいて費やすことになります。そこでは、愛よりも個人的な関心や利益、有利を
追及するのではないかという恐れを持ちがちです。梅津さんの経済人と学者の対
比にはどきっとします。
「反対に学者の世界は偏屈で怒りっぽく、ひとづきあいが
悪いくせに甘えて他人を利用することが多い、自己顕揚欲が強くまたその反面嫉
妬深く、プライドが高いくせに劣等感を持っている、口はだすが責任はとらない、
一口で言って「変わり者」が多いのが学問の世界だと思います」という名言には
ひとつひとつ我が身に思い当たるところがあります。
イエスご自身はもっと辛らつです。律法学者とは宗教家のことでもありますが、
このように批判します。
「偽善な律法学者(grammates)、パリサイ人たちよ。汝ら
は災いである。汝らはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そ
して、つくったなら、彼を自分よりも倍もひどい地獄の子とする。..盲目な案内者
たちよ。汝らはぶよはこしているが、ラクダは飲み込んでいる。汝らは白く塗っ
た墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なも
ので満ちている。外側はひとに正しく見えるが、内側は偽善と不法とで満ちてい
る」(Mat.23.5)。この批判にもいちいち思い当たるものがあります。
こうしてディレンマのなかで身動きが取れなくなります。これを勝手につくっ
た双方の律法により、自らを縛っているのだと批判することはたやすいのです。
しかし、実際にはやはり類似のディレンマを抱えつつひとはこの世の肉の生を生
ききるしかないのです。どんな生にも罪との苦闘から逃れることはできませんが、
研究者をめざす場合の分かりやすい躓きはこのディレンマの何らかの一ヴァージ
ョンでありましょう。武藤小枝里さんが報告している国際協力の現場と開発経済
学のはざまでの感慨もそのひとつのように思われます。
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3
ディレンマの乗り越えとしての愛
学問は普遍的には万人を拘束するが個人的には誰をも拘束することのないロゴ
スを求める営みです。そこでは、どうしても、たとえば文学がその生命線として
あたたかい眼差しで描く、人生の個々のディーテールに対する感覚と興味を失い
がちになります。学問はどんなに吟味しても壊れないセンテンスを刻むことをめ
ざします。ことの必然的な勢いとして確かなものとして語りうる部分に議論と関
心を限定しまた理性の厳密性にこだわります。その結果、感情、パトスつまり身
体をその座とする一回的、受動的そして不定なことがらへの対処の仕方が苦手に
なり、感情を無視したり、取るに足らないこととして正面から引き受けることを
避けます。そのような定かならぬものに身を任せることを愚かと感じます。しか
し、身体を持つ限りにおいて自らにもパトスは必ず生じるため、普段無視してい
ることのつけとして他者への配慮を欠き自己中心的な態度に陥りがちになります。
ちなみに、鋭敏な内村鑑三は自らのパトスの大きさに常に翻弄されたひとですが、
彼はそれをストア的な矮小な理性により操作しようとはせずに、信仰により聖霊
により聖められることを求めました。そしてその聖められていくプロセスを詩人
としての文才を交えてそのまま文章にし福音の生きた力を伝えています。それだ
けに、罪や貧困そして死別などに苦しむひとびとに多くの励ましと力を与えるこ
とができたのだと思います。
学者はパトスを無視することにより厳密であることを求めそのために分析的に
なり、差異はどんなに微妙であっても掴んでしまえばはっきりした差異として認
識され、神経質とも思えるほどに細部にこだわります。このこだわりかたはパト
スを肯定しつつ、愛情をもって対象をなでたりさわったりするところからくる、
言ってみれば文学的なそれとは異なりがちで、常に批判者を想定しながら、自ら
それとなり、吟味することからくるこだわりをもちがちです。これはひとつの職
業病とでも言える状況を出来させます。対象の下にたち(under-stand)、荒削りで
はあっても何か光るものを見出そうと好意的に常に努力していないと、他の文章
をみても、どうしてこんなにゆるいロゴスでやっていけるのだなどと、裁きがち
になります。そして知識において高ぶるとき、パウロによれば、
「知っているべき
ことさえ知らない」ひとりよがりが生じます。私はこのようなときいつもキルケ
ゴールの「アイロニーの最大の振幅がユーモアである」という言葉を思い出しま
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
す。アイロニーは客観的な知識により相手をその無知な思い込みから変革します
が、そしてそこには確かに聞き手は理解できるはずであるという相手への何らか
の信頼を持ちつつ、そのもとに婉曲的にあるいは辛らつに無知をあばきたてます
が、知性の質においてユーモアに劣るのです。というのも、対象の下に立ち対象
とどこまでも行程を共にする場合には、自ら気づくことの無かった新しい発見が
あるからです。或る人はアリを数日観察して、
「アリの生態は分かった」と言いま
したが、ファーブルはアリを何年も観察して「アリってなんて不思議なのだ」と
言いました。人間を少しだけ或いは長くやって、
「人間はこんなものさ」と言うの
でしょうか。それとも、死の間際においてさえパスカルのように「人間とは何と
いう珍奇、妖怪、矛盾の主。宇宙の栄光にして宇宙の廃物、真理の受託者にして
曖昧と誤謬のドブ、このもつれを誰が解くのか」という驚きをもって自ら人間で
あることを感じるのでしょうか。その差異はどこから生じるのかと言えば、対象
に対する愛情でありましょう。視点を変えつつ、愛情をもって対象の下に立ち、
自らの思い込みや固定観念を常に打破することによってだけ、ゆるみとともに創
造的、肯定的なものが生まれます。
実際、ストア的な理性はアイロニカルでありまた矮小です。ストア的な理性と
は、理性が支配できるものと、支配できないものを峻別したうえで、支配できな
い名誉や地位その他を軽蔑し、支配できる意志や感情など総じて自らの心的状態
の操作に向かうそのような機能のことです。そこでは理性は自己の分裂の前提の
うえで、感情を操作抑圧し、制御するというプラグマティックな目的に用いられ
るために矮小なものとなります。プラグマティズムとは或る信念は、与件の状況
のなかでうまく言っていればよいものであり、真なるものであるという思考の傾
向性ですが、そこには真理性と効率性の癒着が見られます。これは信仰生活にも
警告を与えるものであり、救いを求めそして心に平安が与えられる限りにおいて
理性が機能するとすれば、その堕落形態はプラグマティックなものとなり、対象
の下に立ちなでたりさわったりするという事柄そのものに即する上質な理性が機
能しなくなる可能性をはらみます。エロースであれアガペーであれ愛が前提にあ
るところでだけ、理性は対象そのものに即し、理解し喜びのなかで真理の探究を
続けます。エロースとアガペーの相補性に関して長年考えてきましたが、ここで
はお話する遑を持ちません。ただ、
「愛」というものは永遠との関連においてしか
52
語られることはありませんでした。エロースは永遠なる真善美の追求であり、ア
ガペーは神の国の現実のことであり、支配からも被支配からも唯一自由な場所で
出来事になる我と汝の等しさです。
信仰も学問も律法的に受け止めてしまうとき、このディレンマは解決不能のよ
うに思えます。しかし、律法主義とは律法の目標となったイエス・キリスト以外
のものさしを身に着け、自他にあてがうことです。彼は唯一の義人、唯一の物指
しでしたが、裁くものではなく裁かれる者となりました。パウロの言う「キリス
トの律法」とはイエスが死に至るまで信仰による従順を貫き、贖罪の死を遂げる
ことにより過酷な神を義としたために、神が義であることを証ししました。それ
故に彼は父なる神に義とされ復活しました。キリストの律法はこの事態を基礎に
たてられるものであり、その復活の主が共にいたもう限り、満たすことのできる
愛の律法です。主は「我に来たれ」と呼びかけられます。その荷は軽く追いやす
いのです。その荷とは幼子のごとき従順でありそしてそれは喜びです。聖霊の充
溢のなかで永遠の今を隣人と共に生きることに立ち返るとき、基本的には焦りも
怒りも不満もなく与えられた今を感謝します。
コリント I.12-13 が連続していることは重要です。12 章において、個々人は自
らの能力、機能を相互に異にしており、その個々のタレントが枚挙されます。さ
らにそれらはキリストの身体の部位としての位置づけがなされ、13 章の愛の賛歌
に続いています。
「目は手にむかって、お前は目ではないからいらない」とは言え
ませんし、「お前は目ではないから、身体ではない」とも言えません。「もし身体
全体が目であるなら、どこで聞くのか」と難詰されます。各部位は相互に依存し
ています。タレントは愛において基礎づけられないとき、それはただの誇りと差
別のなかで機能不全となるだけであり、愛に基礎づけられるとき、最も生かされ
ます。個々人キリストの身体としてその部位になるときこのディレンマからも解
放される喜びを持ちます。生がキリストに帰一的に秩序づけられるとき、躓きは
さり、力のアイドリングから喜びと力のうちに隣人と研究対象双方の事柄そのも
のへの集中へと転換されます。
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
4
理性と信仰へのアクセスの発見
私は理性と信仰の緊張としてこの問題、このディレンマを哲学的に引き受けて
きました。あるとき、パウロが語る「ピスティス」(信、信仰、信実)には、「イ
エス・キリストの信」と私どもが持つ心的状態として強かったり弱かったりする
信仰の二つの意味があることがわかり、パウロはそれらを明確な自覚のなかで分
節し、また関係づけていることを見出し、理性と信仰の関連について自分なりの
視点とアクセスを得るにいたりましたのでお話したいと思います。その関連で、
カトリックとプロテスタント即ちトマスアクィナスとルターの両者が分かれる分
水嶺がピンポイントで指摘できるように思えましたので、両者の和解に導く信の
哲学を構築しております。その点についてもお話できればさいわいです。
私自身は begriff stößigh〔概念につまずく〕人間であり、少し偏執狂的なほど
に気になる問題にこだわり、何度も躓きましたが、かえってその故にか、時間は
かかってもそのつど何度も飛躍を与えられ、今では毎日喜んで研究と教育に従事
しています。貴族でもなければ、私たちの世代ぐらいからではないでしょうか、
欧米諸国とのハンディがなくなっていくなかで、自由に勉強に打ち込むことがで
きるようになったのは。ともあれ、私の生は信仰と学問これら二つを離れてはな
かったことは事実です。
私の回心は 1984 年の冬の寒い夜に 29 歳のときに起こりますが、その前の年の
秋、私の信仰の師であり旧約聖書をお一人でお訳しになった旧約聖書学者関根正
雄先生が友人森有正から教わったというアウグスティヌスの言葉を引用しながら
罪との苦闘を続ける私にはがきをくださり、励ましてくださいました。「「誤った
広い道を大手を振ってのし歩くよりも、正しい細い道をびっこを曳きながらとぼ
とぼ歩くほうがはるかに優る」
。君は正しい道を歩んでいるから歩みぬきたまえ」
とありました。それから三ヵ月後に、魂の底が抜けるという経験をいたしました。
そのことは今日お渡ししました資料「御霊の呻き」にございますので、後に見て
いただければ幸いです。逃れる場所の他にどこにもない追い詰められた状況で「信
じます」と生まれて初めて心の底から応答したときに、底が抜け、抜けた魂の底
から徐々に聖霊がはいり、それまでの懊悩と暗黒の世界から平安と光明の世界に
移されたのです。詩篇やイザヤ書など聖書が自分で書いたもののように分かるよ
うに思えました。霊の言葉は霊により理解されるのであろうと思います。長く懐
54
疑とニヒリズムに沈んでいた者にとっては、この世界に確かなものがあるという
だけで喜びでした。今日までどんな状況にあっても、その出来事を思い出す時、
喜びに満たされます。それはその喜びがこの世のものではないからであろうと思
います。この世の喜びは何であれ色あせますが、救いの確かさはこの世のもので
はないからこそ、いついかなるときにおいても、魂を刷新する力を持つのである
と思います。死とその棘である罪から解放されるとき、もはや棘の抜かれた死は
死ではないために、この世にへばりついている時には一巻の終りである死がもは
や力を振るうことができないのでありましょう。
その後ことあるごとにこの回心の出来事に立ち返り、新たな力を得てきました。
あの出来事は一体何であったのであろうという問いが常に私を学問に駆り立てま
した。聖霊というロゴスで掴みにくいそのことがらをどのように理解でき、語る
ことができるのであろうかという問いがその後の生を規定しました。
私は人類が持ちえた宝であると言える二つのギリシア語テクストに人生の多く
の時間を注いできました。アリストテレスとパウロです。しかし、相手は二千年
前さらにはそれ以上前のしかもギリシア語のテクストです。遠くに網を投げる営
みであり、収穫までに長い時間のかかる作業です。ルターは「聖書を正しく理解
するところ、そこに聖霊が宿る」と言いました。テクストを正しく理解すべく、
気になる問いにこだわってきました。かつてはタイムマシーンがあり、著者に直
接聞くことができさえすれば一瞬で解決するようなテクスト上の異読の問題など
にどうしてこれほど時間をかけねばならないのかと、さらには解けそうもないア
ポリアにであうと、美しく問いをたてるその仕方を理解していなかったために途
方にくれていましたが、
「地平融合」さらには「魂の調和」と呼ばれる二千年の距
離を埋める解釈作業そのもののなかに著者との対話としての哲学があることがわ
かってからはどこまでも解釈作業に従事することができるようになりました。ア
ポリアに出会うとこれで思考が前進する手がかりを得たと喜ぶようになりました。
もはやケーベル先生の次の言葉に同意してはいません。「哲学は多くを約束する。
文献学は少なく約束する。哲学は多くを約束し、少なく与え、文献学は少なく約
束し、多くを与える」
。優れたテクストを相手にするかぎり、この二つの営みは離
れていません。単語の意味ひとつの理解、定冠詞の有無で世界がひっくりかえっ
てしまうそのような緊張と確かさのなかでこの仕事に従事できたことは幸いでし
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
た。実に彼らの議論はソリッドなのです。この伴侶を得られたことを詩人たちと
一緒に「わがために図り縄はよき地に落ちた」と心から感謝しています。彼らか
ら裏切られたことはありませんでした。それほど傑出していると思います。だか
らこそ古典として人類の審判に耐え、逆に人類を審判しているのだと思います。
ふたりとも洞察に満ちています。
5
ヌース(知的洞観)
魂の機能にヌース(知的洞観)と呼ばれるものがあることをアリストテレスは
論じまたパウロも言及しています。アリストテレスはヌースはその対象(ノエー
トン)に「触れるか触れないか」いずれかであり、真であるか無知であるかいず
れかであり、決して偽の可能性はないとしています。人間の魂が同一の構造をし
ている限り、そしてアリストテレスがヌースを語っている限り、ヘレニズムとヘ
ブライズムは対話可能であると思います。この機能は現代のコンピューター時代
にはわかりやすいものとなりました。サーチをかけてヒットするかヒットしない
かどちらかです。これは一方感覚と類比的なものですが、他方、この対象は感覚
対象とは異なり、ノエートンと呼ばれるものであり、理論的な諸学問の原理に対
しても、また実践的な選択すべき正しい個別の行為をも対象とすると言われてい
ます。確かなことは偽の可能性がないことです。パウロはヌースを霊と肉を媒介
するものとして理解していますが、残念ながらここではパウロの心身論について
語ることはできません。彼らは何か確かなものに触れており、そしてそれをテク
ストとして残したのだと思います。アインシュタインが相対性理論を発見したと
きも、ひとつのヒットが次のヒットの基礎となり、次々にヒットし続けたように
思えます。現在問題になっている電磁力と重力など四つの力を統一するグランド
セオリーも彼のヒットの延長線上で解明されると思います。
この対象に触れたときにだけ発動するヌースという魂の機能の存在は私には自
然科学と人文学のあいだになんら差別がない局面のあることのよい証左のように
思えます。自然のなかにその法則、ロゴスを探求する自然科学者とすぐれたテク
ストのなかにその正しい解釈を探す人文学者のあいだにはこのようにノエートン
(知的洞観の対象)つまり人間と自然と宇宙の原理さらにはかなたの存在者を対
象にしているという点で同様であると思われるのです。そして、偽の可能性がな
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いという点でもソリッドなものであるように思われるのです。テクストを正しく
理解するところ、そこに事柄そのものが宿るのです。
私も 1997 年 10 月 5 日と 1999 年 8 月 15 日にそれぞれアリストテレスの「本
質」とパウロの意味論に関してインスピレーションを得、それが正しいはずだと
いう信念のもとに、そこからテクストを読み直す作業を続けています。新たな視
点から読み直し、次から次にそれが検証されると同時にこれまで解けなかった多
くの問題が解けるようになり、今に至ります。そのヒットのもとでは、何を考え
ても新しいことを言うことになります。アリストテレスの本質に関しては、お手
元の池田康男先生が訳された『トピカ』
(京大出版会)の月報を後にごらんいただ
ければさいわいです。10 年以上前のことですが、その発見した翌日に私の先生の
David Charles 先生にメールで伝えました。その後議論は今日にいたりますが、
当初は ‘conjecture’, ‘conjecture’と評しておられましたが、10年かかりましたが、
今ではお認めいただき、 ‘The paper is really good and deserves to make an
impact’ と 言 わ れ る に い た り 、 よ う や く そ の 仕 事 に 一 段 落 つ く と こ ろ で す
(‘Aristotle on Essence and Defining-phrase in his Dialectic, Definition in Greek
Philosophy, pp.203-251,ed. D.Charles (Oxford 2010)参照ください 2011/07/20
註)。David Charles 先生との 23 年の交わりに関してはお話したいことはたくさ
んありますが、ここでは割愛いたします。
「本質」についての或る解明は、誰もが
誰の曲か分からなくとも「夕焼け小焼け」を歌えるように、共有財産となり今後
その基礎のもとに思考が展開されることを望んでいます。多くの混乱した議論に
終止符を打てればと願っています。テクスト読みの喜びは、思想とは異なり、同
意が成立するとき、それは 100%明確に共有されることです。仲間とともに確かな
ものを積み上げることができることは端的な喜びです。
6
「ローマ書」
さてパウロがヒットしたものは何だったのでしょうか。それは「イエス・キリ
ストの信」であり、彼はそこから一切を思考し直しました。
「ローマ書」はイエス・
キリストの信実の出来事を媒介にしての、神が義であり信実であり愛であること、
さらにはそれに基づく福音を論証する手紙です。考え抜かれており、理性のうえ
でも無矛盾な仕方で論証が展開されています。この手紙は比喩的に表現すること
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
が許されるなら、素手でローマ帝国を滅ぼしたほどの力を含んでおり、アウグス
ティヌス、ルター、ウエスレー等多くの人々に力を与え、人類の歴史を改造し続
けてきたものです。この手紙に隠されている力に与りたいとこの手紙のなかに長
年宝探しを続けてきました。
パウロ研究におけるブレークは行き詰っていた 1999 年の夏の夜におきました。
「神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡した」(Rom1.26)に触れたとき、「恥ずべき」
という語はその当人にどう思われているのであれ、神によりそのようなものとし
て理解されているはずだということに気づき、一気に視界が開け「ローマ書」の
意味論的分析が始まりました。信じる者も信じない者も同一の言語を使う者であ
る限り、同意できるテクストの共約可能な知識があるはずであり、それをパウロ
の意味論として展開しました。信じる者も信じない者も同一の魂を持つ者である
限り、同意できるテクストの共約可能な知識があるはずであり、それをパウロの
心身論として展開しました。それらはそのもとに解釈が遂行されるべき岩盤であ
り、過剰な解釈に陥りがちな聖書読解に確実な制約を課す力を持つことになりま
す。そして今「信の哲学」の構築をめざしていますが、そこではパウロが信の哲
学の創始者だったことを明らかにしようとしています。
パウロは人間存在に関しそこにまなざしを注ぎ言葉を紡ぎだしている実在の地
平をそれぞれ相対的に独立したものとして三層を分節しています。二つは神の前
つまり神自身により理解されている人間存在の啓示の層であり、その一方は(A)イ
エス・キリストにおいて救いをもたらす神の力である福音として啓示されており
(eg.3.21-26)、他方は(B)律法において啓示されている神による人間存在の理解です
(eg.3.19-20)。一方は人間が義と看做されている層であり、他方は罪と看做されて
いる層です。もう一つは彼が(C)「汝らの肉の弱さの故に、人間的なことを語る」
(Rom.6.19)さいに、まなざしを注ぐ私ども生身の心的状態です。これを「人間的
な人間存在」と呼ぶことにします。生身の自己(C)は(A)(B)双方の可能存在として
の層であり、神の前に義でもまた罪でもありうるものとして展開されています。
例えば、パウロがローマの信徒に「かくして汝らも自らが罪に対しては死んでお
り、キリスト・イエスにおいて神に対して生きているものであると認定せよ」(6.11)
と命じるとき、彼はひとが双方のどちらでもありうるという前提のもとに命令形
を用いています。命令形は従うことも従わないこともありうるからこそ、用いら
58
れるのです。福音の層(A)がナザレのイエスにより切り開かれたことを受けて、こ
れまでどおり(B)業の律法のもとに生きることもできる人間に対して、イエス・キ
リストにある生を自らのものとするよう命じています。また、
「生」と「死」とい
う語は彼が(A)と(C)の実在に眼差しを向けて語るときは、
同一の語でありながら意
味を異にしています。パウロが「われらは、われらの古きひとが共に十字架につ
けられたことを知っている、それはこの罪の身体が滅び、もはやわれらが罪に仕
えることがないためである」(6.6)と語るとき、十字架において死んだイエスの死
がわれらの古きひとの死を意味しています。しかし、生物としての生身の自己は
まだ生きています。このように意味論的分析をするとき、パウロの書簡とりわけ
最も体系的な「ローマ書」を正しく理解することができます。
このパウロの分節に対し、神の前の二つの人間存在の現実(A)(B)と人間的な人間
存在の現実(C)との関連はカント流に超越論的観念論にして経験的実在論という
仕方で調停が申し立てられるでもありましょうし、プラトン流にイデアと現象の
離在と分有という仕方で調停が申し立てられもするでしょう。しかし、ナザレの
イエスだけがこれら三つの層をまったく十全な形で一なるものとして生きたと報
告されています。彼の生身の生それ自身が神の前で罪なき義なる生であったと報
告されています。従って、歴史のなかで三つの実在の層を一つのものとして生き
た一つのサンプルが存在する限り、すべては神の意識のなかのことがらであると
いう観念論に逃げ込むことなしに、歴史的現実世界のなかで実在論のもとに人間
とその信の何であるかが理解されうるはずです。また、実在論と言っても、真の
人間が歴史上啓示されたことを受けて、ひとであることの範型はイデア界におい
てではなく、歴史のなかに存在する限り、これはプラトンのイデア論が不可避的
に抱える離在と分有の様々なアポリアに陥ることを回避することができるでしょ
う。パウロは「汝らにキリストの形が成るまで生みの苦しみを続ける」(Gal.4.19)
とし、
「イエスは主である」(Rom.10.9)との宣教を通じて、信徒がキリストのよう
になることをめざしています。ナザレのイエスがその信仰により律法の要である
愛を成就したことを受けて、各自は自由のなかで愛を貫いたかどうかにおいて、
キリストの形が実現されたかどうかが判別されます。パウロはこのように聖霊を
受けたか否かは古い自己からの解放のもとに愛において判別されるという帰結主
義をとっています。そこに福音の健全性があります。終りの日に神の前に立つと
59
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
き、もはや肉の弱さの故に譲歩として認められた人間的人間存在は問題とならず、
三層において遂行された人生の一切をひっさげて神の前に立つことになるでもあ
りましょう。明確に啓示されていることがらとして、その審判の規準は「イエス
の信仰に基づく者」(Rom.3.26)と看做されたか否かであり、そのように看做され
罪赦され義とされた者は愛の果実を必ずや生んでいるでありましょう。ヤコブ書
は正しいですが、パウロはよき業を生み出す根拠を明確にすることにより、もっ
と正しかったのです。
私どものこの肉の生においては、神の前の現実が人間的なものにおいて共約的
な議論となりうるかは、一つの問いですが、パウロは二つの地平を歴史の事柄と
して接続させていたことは重要です。私は信の哲学において、パウロの神学が哲
学的次元の分析に十分に耐えうるものであり、そこに留まり、復活など通常信じ
なければ理解できないとされるテクストの分析を通じて、信じる者にも信じない
者にも同意できる共約可能な地平を確定し、その拡張可能性の探求に従事してい
ます。聖霊というロゴスにかかりにくいものを理性による解剖を試みています。
その理性が「聖められた理性」
(アウグスティヌス)であるかどうかはそれも果実
により知られ、終わりの日に明確に審判されるでありましょう。
なお、神の前の現実(A)(B)はそれぞれ二種類つまり、ひとつには啓示されている
神の前の現実があり、他方啓示されていない神の前の現実があります。前者には
とりわけイエス・キリストにおける神の人間認識、判断および判決が属します。
例えば、「ローマ書」3.21-26 は啓示の言語で神の前の現実つまり神によりそう看
做されていることがらは現実に神の前でそうであるということがらが展開されて
います。人間の心的状態は問題にされていません。後者には、個々人の義認や救
いの箇条が属しています。なお、聖霊という神の国を構成する人格的な組成以外
の組成については、思弁が展開されることはありませんが、その構成員には義と
愛のもとに遂行される様々な活動があるでありましょう。啓示されていない個々
人の義認や救いに関する神の認識や判断についてはパウロは「~と認定する」
(Rom.3.27,6.11,8.18)、「~と確信する」(Rom.8.38,15.14)、「わが認識に即して」
(Cor.I.7.25,40)等の表現により自らの判断として語っています。信の哲学はこれら
三つの実在の層の関係を追及することにより、信と知識の連関を明らかにし、ま
た神学的思惟と哲学的思惟の関連を明らかにすることにつとめています。
60
7
信仰義認論の演繹
ここでは「ローマ書」3.19 以下により三つの実在の層とそれに対応する三つの
言語の層が判別されていることを実際に確認したいと思います。
[(B)]律法のもとにある人間存在
一九
われら知る、律法が語りかけるのは、律法のもとにある者たちに告げること
がらは何であれ、すべての口がふさがれそしてすべての世が神に服従するためで
あることを。二〇なぜなら、すべての肉は業の律法に基づいてはご自身の前で義と
されることはないであろうからである。というのも、律法を介しての[神による]
罪の認識があるからである。
[(A)]福音のもとにある人間存在
二一
しかし、今や、律法を離れて、神の義が明らかにされている、それは律法と
預言者たちにより証言されているものであるが、二二神の義はイエス・キリストの
信を通じて信じるすべての者に明らかにされている。というのも、[信じるすべて
の者のあいだに]何ら差異は存在しないからである。二三なぜなら、すべての者は、
罪を犯したのであり、そして神の栄光を欠いているが、二四キリスト・イエスにお
ける贖いを通じてご自身の恩恵により無償で義とされる者だからである。二五
二六
神は彼をその信を通じて彼自身の血において償いとしてご自身の義の証示のため
に公に晒したが、それは、先に生じた諸々の罪に対する神の忍耐における軽減を
介して、今という好機にご自身の義の証示に向けて、ご自身が義であり、さらに
イエスの信仰に基づく者を義とするためである。
[(C)]人間的な人間存在
二七
かくして、どこに誇りはあるのか、排除された。どのような律法を介してか、
業のか、そうではなく、信仰の律法を介してである。二八なぜなら、われらは、人
間は業の律法を離れて信仰によって義とされると認定するからである。二九それと
も神はユダヤ人だけのものであるのか。そうではなく異邦人のでもあるのか。そ
のとおり、異邦人の[神]でもある、三〇いやしくも神はひとりであり信仰に基づく
割礼者を、そしてその[業の律法を離れた]信仰を媒介にして無割礼者をも義とするで
あろうなら。三一それでは、われらはその[業の律法を離れた]信仰を媒介にして律法を
無効にするのか。断じて然からず。むしろわれらは律法を確認する
61
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
まず、(B)は旧約聖書において啓示されていることを論拠にして、展開されます。
「主は天からひとの子らを見下ろして、賢い者、神をたずねる者があるかないか
を見られた。彼らはみな迷い、みな等しく腐れた。善を行う者はいない、ひとり
もない」(詩篇 14.2-4)。律法は、それが語られた民とはユダヤ人のことですが、
この啓示を通じて全世界のひとびとの口がふさがれ、神に服従させる機能を果た
します。そして、1.18 以下の結論として誰も神の前で義とされないであろうと主
張されています。業の律法に基づく限り、すべての律法を満たす義務があり、そ
こに生きる者には「神はおのおのにその業に応じて報いるであろう」(2.6)と言わ
れています。これは次に見る「ローマ書」における彼の一つの中心的な主張(C)、
つまり行いはなくとも信じるだけで義とされるという信仰義認論と抵触するよう
に思われ、ケーゼマン等には「パウロを分裂病としないためには、この発言は警
告と読まねばならない」と言われますが、言葉を紡ぎだす実在の層が異なってお
り、矛盾ではありません。明確なことは(B)において業の律法に基づいては誰も義
とされないということです。その理由は「律法を通じての[神による]罪の認識があ
ること」によります。この箇所は従来7章の律法の機能は罪の自覚をもたらすこ
とにあるとされる箇所に言及し、人間の罪の自覚としますが、ひとが持つ心的状
態である罪の自覚は神の前のことがらつまり啓示の理由(「というのも~であるか
ら」)にはなりえませんので採用できません。ここでも意味論的分析をしてこなか
ったために彼の議論の層を判別できなかったのです。
続いて[(A)]節を見ます。二千年前パウロが「今や」の発見者の喜びのなかで伝え
ようとした人類に比類のない新しい出来事を「イエス・キリストの信(pistis)」(3.22)
と名づけました。彼はイエス・キリストにおいて生起した人類未経験の心的態勢を「ピ
スティス」というユダヤ人が持っていた神への信仰と同じ語をあてることができると
考えました。これまでの言語網の延長線上にしか新しい事態は理解されないからであ
り、そして語の意味の拡張が許されるそのような出来事であると理解したからです。
というか、この後このパウロの報告に基づきひとが持つ「信仰」は「イエス・キリス
トの信」との帰一的な構造のもとに理解されることになります。
「ピスティス」は含意
豊かであり、一つには人は知らないからこそ真であると信じるという仕方で認知的な
事実に関わる文脈において用いられ、他に信実や信任、信頼など人格的な価値に関わ
る文脈においても用いられる語です。広義には理論と実践を媒介する語です。パウロ
62
は「神の信(pistis)」(3.3)をも語りますが、神はひとを信仰することはないため、日
本語では「信」が認知的、人格的要素双方を表現できるぎりぎりの語句です。
「神の信」
は自らの「言葉」をユダヤ人に「信任した」(3.2)そして自ら語る言葉において偽らず
「真実」(3.4)であるという連関において用いられています。神はユダヤ人をはじめ人
類への約束を信実に遵守したのであり、その媒介がイエス・キリストの信でありまし
た。
この箇所は「イエス・キリストの信」を媒介にして、神が義であることさらに「信
じるすべての者」即ち「イエスの信仰に基づく者」と神が看做す者を神は無償で義と
する事態を啓示の言語として伝えています。「神の義」は神がそれにより審判する能
動的義か、ひとが神から与えられる受動的義かで争われていますが、神はまず自ら義
でなければ、ひとを義とすることはできないでありましょう。ユダヤ主義者はパウロ
による不敬虔な者の信仰による義認の主張に対し、そのような神は不義であると反論
しており、神自身の義の論証がこの節の主題です。神はすべての者が罪を犯したため
に、信じる者のあいだに、それがマザーテレサであれヒトラーであれ、「何ら差異は
存在しない」と見做しています。その罪の蔓延のなかで「今や」イエス・キリストの
信の生起が人類の状況を一変させました。神はイエス・キリストに帰属した信を自ら
の義の啓示の媒介たりうると理解しています。だからこそ、神は彼を「その信を通じ
て」彼自身の血において償いものとして公に晒すことができ、その行為を通じて自ら
の能動的な義を「証示」することができました。他方、この信の故に、神は罪人を義
とすることができると理解しています。イエスの信仰は神の意図である罪人の贖いに
十全であると認識されたからです。それ故にひとがイエス・キリストの信を通じてそ
の罪赦され義とされる受動的な義も生起しました。それは「キリスト・イエスにおけ
る贖い」つまり代価の支払を通じて「恩恵により無償」であります。無償であるとす
るなら個々人の信仰の強弱や罪業の深重が問題とされない地平が存在し、これが神の
前の人間の現実です。
律法との対比において、神が義しい方であるということがイエス・キリストの
信を媒介にして信じる者すべてに新しく啓示されたのです。大事なことはこの箇
所においては私ども個々人の心的状態は問題にならず、イエス・キリストにおい
て成就されたことが問題とされ、それを通じての神ご自身の特徴と神による人間
認識が啓示されていることです。
「神の義」をルターは神がそれにより人間を審判
63
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
する自らの正しさ、つまり神の能動的義のことではなく、それにより信じる者が
義とされる、つまり神から与えられる人間の受動的な義であると解釈することに
より、天国の門が開かれるという経験をしました。しかし、まず神が義であるの
でなければ、神はひとを義とすることができないのです。ユダヤ主義者との長い
論争があり、パウロは論敵により彼の信仰義認論によれば、律法を守らない罪人
を義とする神は不義なのではないかと論難されていたのです。まず、それに反論
しているのです。神は人間の罪の償いとして人間の代わりにナザレのイエスを十
字架につけ公に晒しましたが、彼は死に至るまで従順を貫き、苛酷なる神を義と
したために、神は自らが義であることを証するために罪なきイエスにも復活を与
え、イエスを義とし神の子と定めたのでした。イエスは救い主キリストとなった
のです。ルターは贖罪がいかなるものであるかを力強く述べています。
「神は自ら
の独子を十字架につけ、次のように審判した。
「汝はりんごを食らいしアダムなり、
汝は姦淫者ダビデなり、汝は涜神者パウロなり、汝はあらゆる罪を犯せりすべて
の者なり」。
続いて、これまでの議論を踏まえ信仰義認論の解明に取りくみます。27節「かく
して」により導入される節[(C)]は節[(A)]の結論です。パウロはここで生身の人間に
眼差しを注ぎ、おのれの義に関する「誇り」という心的態勢は「業(わざ)の律法」
ではなく「信の律法」により排除されたことを[(A)]の議論の含意するところとして結
論づけます。
神の前に誇りを携えて立つべき魂の部位はどこにも存在しません。
なぜ、
信の律法により誇りが排除されたかと言えば、神は(A)福音において、(B)業の律法を
離れ、ひとが持つ信仰を義とするということを自らの新しい審判規準つまり律法とし
て含意したからである、とパウロは推論します。換言すれば、あの啓示の出来事によ
り、信仰以外によっては義とされる道が閉ざされたのです。その意味でルターの「信
仰のみ」は正しいのです。ただし、確認であるが、業ではない信仰のみによってとい
うことではなく、(B)業の律法ではなく(A)福音の出来事に基づき信の律法によ
り命じられているが故に(C)信仰のみにより義とされるということです。業の律法
を離れ、それ故に業を誇ることのない信仰を持つ者が信の律法を通じて神に義とされ
るとパウロは主張します。彼が信仰義認の教説を提示するのは、誇りの排除を確認す
る理由文においてです。「なぜなら、人間は業の律法を離れて信仰によって義とされ
ることを、われらは認めるからである」(3.28)。信仰義認の教説(「認める(看做す)」)
64
とは、信の律法のもとでひとは信仰によってのみ義とされると理解するが故に、業の
律法にまとわりつく自己義認に基づく誇りは排除されてしまっているという見解です。
パウロは信仰義認論の正しさの論拠として神は「ひとり」であり、ユダヤ人そして
業の律法をもたない異邦人の神でもある以上、福音の啓示以前のアブラハム(cf.4.11)
のように「信仰に基づく割礼者」が神の前で義とされるであろうとするばかりではな
く、「その[業の律法を離れた]信仰を媒介にして無割礼者」にも神との交わりの道が
開かれたことを挙げています。これは割礼という律法を守る者も守らない者も人格的
徳とは無関係に、つまり業の律法のもとにあることが義認の条件とはもはやならず、
福音の啓示において信仰が新たな律法として唯一の条件であると明らかにされたこと
に基づく主張です。神の意志としてこれ以外の道による神へのアクセスは断たれたの
です。
換言すれば、
律法主義の下にある生が誇りと審判を伴わざるをえないとすれば、
福音を受動する信仰は魂の根源的行為であり、「信」は魂の根源語であることを示し
ています。
この箇所から明らかなように、
彼は業の律法を遵守することを否定してはいません。
ただ、律法を守る者はその信仰に基づき守るとされます。彼はユダヤ主義者との論争
を念頭に「それでは、われらはその[業の律法を離れた]信仰を媒介にして律法を無効
にするのか」を自ら問い、「断じて然からず。むしろわれらは律法を確認する」と主
張します。「確認する(histhanomen)」は従来しばしば「確立する(establish)」と訳
されてきましたが、人間が神の律法を立てることはありえず、また愛に収斂する律法
を遵守するという意味での「確立」という議論もここではまだ為されておらず
(ch.12-13)、その誤解を避ける必要があります。この語は律法の正しさを「確認(証)
する(confirm, uphold)」という意味です。神の律法は信仰義認により無効にされるの
ではなく、業も信の律法に基づく限り廃棄されるわけではなく、ひと(「われら」)
は信仰義認の教説により、業の律法によっては義とされず、信の律法のもとで信仰に
より義とされることを神の意志そして審判規準として確認するとパウロは結論づけま
す。
従来、「業(わざ)の律法(ergôn nomû)」ではなく、「律法の業(わざ)」と理解
してきたことから、業(行為)ではない信仰とはいかなるものであるかに解釈者たち
は頭を悩ませてきました。信じることが義認の条件となるならば、それは業ではない
かと危惧し、その杞憂からただちに恩恵による信仰、つまり、信じることは信じせし
65
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
められることだとする恩恵に逃げ込んできました。「業の律法」は(B)神の行為であ
り、「律法の業」は(C)人間の行為、業であり、混同のありようもないのです。先駆
者アブラハムはその信仰により義と認められたのであり、自らの責任ある自由のなか
で一つの業として信じることは義認にとって実質的であることをパウロは疑ってはい
ません。これも意味論的分節を怠ってきたことから生じる誤訳です。パウロは他の書
簡において「信の律法」と「業の律法」に対応するものとして「キリストの律法」と
「モーセの律法」と語ることもあります(Cor.I.9.9,21,Gal.6.2)。
このようにパウロは実在とそれに対応する言語の層を三つに分節し、それぞれ
の次元においてある人間を分析しています。
8
ピスティスの二相
以上の分析をもう少し詳しく述べてみましょう。パウロがヒットしたのは「イ
エス・キリストの信」であったのです。pistis(ピスティス)の訳語「信実
(faithfulness)」および「信仰(faith)」「信(faith/faithfulness)」について確認しま
す。パウロは一方、「神のピスティス」(3.3)を語ります。神はユダヤ人に対し、
彼らの不信仰、不信実と対照的に、ご自身の「言葉」を「信任」し、「偽り」を
言うことなく「真実」であり、約束に忠実であったという文脈において、神に帰
属するひとへの心的態度として「ピスティス」が用いられています。なお基本的
には人間の心的態度である信仰を神に帰属させることはできないので、この箇所
を「神の信実」と訳します。
パウロは、他方、神に対するひとの一つの心の状態、つまりひとが自らの側で
持つ神への信頼、信実、誠実等を含む心的状態にも「ピスティス」を用います。
そこでは「ピスティス」に「強弱」(14.11)や「成長」を語ることができる、ひと
により差異があるものとして語ります。これには人口に膾炙している「信仰」の
訳語を与えます。
パウロは神の信実とひとの信仰に同一語を適用することに問題を見出してはい
ません。なぜなら、彼はこの語の根源的使用をイエス・キリストの出来事に定め、
そして他の一切の自らの使用をそれとの何らかの関連において理解したからです。
イエス・キリストの出来事は人類にとって預言されてはいたが未経験の比類なき
救いの出来事であり、これを表現する新しい語を必要としていました。新星の発
66
見者にその星の命名権が属するように、パウロは自らの発見を「イエス・キリス
トのピスティス」(3.22)と表現しました。このピスティスは神とナザレのイエ
スというひと双方のピスティスを含意するため「信」と訳します。
職名「キリスト(受膏者・救い主)」を伴う固有名「イエス・キリスト」は固
有名「イエス」(eg.,3.26)や「キリスト」(eg.,14.9,15.3)と同一の存在者を指
示しますが、それぞれの名前は異なる文脈において用いられ、理解されるべき事
柄つまり意味は異なります。「イエス・キリスト」は他の用法とは異なり行為主
体(「イエス・キリストは(が)・・する(した)」)とされることはありませ
ん。パウロは神でもひとでもある存在者に一つの行為を帰属させることができな
かったからです。パウロはしばしば「われらの主イエス・キリスト」
(e.g.Rom,1.4)
という表現を用いますが、それは原始教団において確立した呼称であったと思わ
れますが、「主(キュリオス)」は神のことであり、この固有名には神が含意さ
れています。当時の宣教の目的は「イエスは主である」という告白に導くことで
した(10.9)。
「イエス・キリスト」は常に場所や媒介の前置詞「において」や「通じて」、
「即して」を伴い、媒介の範疇において理解されています。神はイエス・キリス
トを媒介にしてひとと和解したという理解は自然ですが、イエス・キリストがひ
とと和解したという言い方は不自然であることから分かるように、パウロは行為
主体としてその固有名を用いることはありません。実際、「神の子イエス・キリ
ストは然りと否にならなかった、むしろ彼において然りがなったのである」
(Cor.II.1.19)と言われ、そこにおいて神の人間に対する肯定が出来事になった媒介
者として用いられます。従って、「イエス・キリストの信」の属格「の」は従来
の主格的(イエス・キリストが持つ信仰)でも目的的(イエス・キリストへの信
仰)でもさらに「神秘的(神とひととの霊的交わりの)」属格でもなく、「媒介
者イエス・キリストに帰属した神の信実とそれに対応するナザレのイエスの信仰」
という意味で、帰属の属格と解すべきです。実際、主格的属格の理解は行為主体
とされるため採用できず、目的的属格は信徒個々人の心的状態としての信仰が啓
示の媒介にはなりえないため採用できず、神秘的なそれも信徒個々人の心的状態
を含意するため採用できません。
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
他方、固有名「イエス」はパウロにおいてナザレのイエスの人間性を表現するた
めに用いられています。ナザレのイエスは自らの責任ある自由において神への信
仰のなかで使命を遂行しました。それ故に「イエスのピスティス」(3.26)は「信
仰」と訳します。
「イエス・キリストの信」は神の前の現実として、神の義の啓示を媒介するも
のとして啓示されています。啓示の主体は神であり、啓示の遂行者はナザレのイ
エスでありそして啓示の対象と内容はその信の故に神が義であることであり、啓
示の受けてはすべて信じる者です。このように、神による信実と義の啓示は歴史
上の一つの実在として、私たち自らの信仰を通じて認識されるべきものとしてあ
ります。ここで「信じる者すべて」における「すべて」において、ひとの心的状
態としてどれほどの信仰であれば、信じる者に入るのかは問題とされていません。
啓示の対象は「すべてのひと」ではなく、「信じるすべてのひと」とあるのは、
ちょうど「泳ぐ」ということが「水」の理解なしには理解されないように、神が
義であること神が信実であることを疑っているひとは知ることはできないという、
神の前の現実を表現する語用上の制約です。
神の前の人間現実はイエス・キリストにおいて啓示されたものであり、ナザレ
の「イエスの信仰に基づく者」(3.26)とは、人間イエスの信仰をご自身の信実
に対応すると神は認定しましたが、それに基づくと神が認定するところの者のこ
とです。「信じる者すべての」も同様に神にそう認定される者のことです。私た
ちは自らがイエスの信仰に基づいているかどうかは啓示されておらず、それは自
らの側で持つ信仰により把握、認識すべきことがらです。パウロはそれを「汝が
汝自身の側で持つ信仰を神の前で持て」(14.22)と命令形で表現しています。生
身のひとは神の前の出来事つまりイエス・キリストにおける私たちの出来事をそ
のつど自らのことがらとして受け止めることができるだけです。神のイエス・キ
リストにおける判決においてのみひとは神に信実であることができます。このよ
うに、パウロは同一語により神の前の一つの事態(イエス・キリストにある神と
ひとの信)を表現したのです。
68
9
ピスティスの認知的要素と人格的要素
このように「ローマ書」における「ピスティス」には各人のあいだに差異があ
る心的状態としてのそれと、各人のあいだに差異がないイエス・キリストの信の
二つの用法が見られます。その一般的な理由として、
「ピスティス」には知らない
から信じるという認知的要素と我と汝の或る等しさに生起する相互の信実という
人格的要素双方が含意されていることが挙げられます。この後者の人格的要素と
いう表現は普遍的に表現された場合のことであり、実質的には、
「イエス・キリス
トの信」として明らかにされた歴史的な出来事に基礎づけられます。各人の強弱
ある信仰が神によりイエス・キリストにおいて出来事になった信において、
「イエ
スの信仰に基づく者」と理解される限りにおいて、信じる者たちは自らのあいだ
に「何ら差異がない」(3.22)とされます。ヒットラーとマザーテレサのあいだ
に何ら差異がないところに救いの確実さがあります。もちろん人間的な人間存在
からすれば、両者の差異は一目瞭然ですが、神の前ではすべてのものは罪を犯し、
神の栄光を受けるに足らないために、イエス・キリストの信において理解されて
いる者は義とされるということが啓示されているのです。
カトリックとプロテスタントの分水嶺はこのピスティスのいずれを理解するか
によって分かれたのです。ルターは「彼ら(パリ学派)は注がれた信仰が大罪と
ともに存在しうるとすら断言する。
・・神の賜物である信仰が、大罪と共に存在し
うるなどということを、誰が教え込まれたりするか・・信仰について彼らは何ひ
とつ正しく理解していない」と批判します。
ルターは
「キリストの信 Fides Christi」
においてまずこのイエス・キリストの信を理解しています。彼は「信じることは
神の業[信じせしめられること]である」としますので人間の心的状態と神の前の信
をわけておりません。カルヴァンも「義認と聖化を分けてはならない。それはあ
たかもキリストを引き裂くことだ」と言うとき、神の前の現実つまり義認と道徳
的再生としての人間の心的状態つまり聖化をわけておりません。これは信仰内容
としては正しいのです。といいますのも、信じるとは復活の主が今ここに共にい
たもうと信じることだからです。しかし、個々人には自らが「イエスの信仰に基
づく者」とみなされているかどうかは啓示されてはいないのです。だからこそ、
信じることは常に実質的なことになります。スコラは「信仰」において人間の心
的状態のみを問題にします。キリストは「明確なヴィジョン(apertam visionem)」
69
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
があったので信仰をもたなかったとトマスは主張しています。ルターは人格的要
素においてピスティスをとらえ、トマスは認知的な要素においてピスティスをと
らえていたことに二人の分水嶺が横たわっています。パウロはどちらでもありま
せんでした。
「汝らの肉の弱さの故に人間的なことを語る」とし、譲歩として人間
的な分析を認めていたのでした。そこでは人間は義にも罪にも奴隷となることの
できる可能存在として捉えられています。これは通常哲学が人間を理解する責任
ある自由のもとに生きる存在者のことです。
パウロは自らの身体の限界を自己の限界であると考える傾向性を「肉の弱さ」
(6.19)としていますが、ひとは身体を持つ限りその制約のなかにおり、知らないか
らこそ信じるという認知的要素を克服しきることはできませんが、認知的要素か
ら人格的要素への移行こそピスティスの本来性への移行であるとしています。パ
ウロは「汝が汝自身のがわで持つ信仰を神の前で持て」とこの移行を命じますが、
この命令が可能なのはイエス・キリストの信が出来事になったことにあります。
彼は福音宣教の目的を「我が子らよ、キリストが汝らのうちに形づくられるまで、
我、再び、生みの苦しみをする」(Gal.4.19)としており、個々人がキリストと共に
あることが、肉の弱さの克服した状態です。「アッバ父よ」(8.15)と時空の限界
を超えて祈るイエスのように、神との父と子の人格的な関係はキリストが身体の
うちに形づくられるという仕方で遂行されます。
ひとが自らの全存在を神に託するとき、
「あなたが存在するかどうか知りませんが、
あなたが存在することを信じます」とは言いません。J.H.ニューマンも「祈り」に関
して「名高い諺「神よ、もし神が存在するなら、わが魂を救いたまえ、もし私が
魂を持つなら」は信心の至高の尺度でもあろう。しかし誰が、その存在について
彼が真剣に懐疑のうちにある存在者に現に祈ることができるであろうか」と言う
とき、祈りのもつ人格的関係性に訴えています。そこでは認知的要素は問題になり
ません。魂の根源的変革が不可避であり、これまでの信念体系、認知構造(noetic
structure)では生を遂行することができないという状況においては、ひとびとのあい
だで伝えられてきた、差し出されている神の愛と信実を、「信じます」という仕方で、
我と汝の回復ないし受容という人格的要素だけが問題になります。そこでのみ魂の根
源的変革は遂行されます。
70
しかし、その発話は声帯を通じて空気を振動させてしかなしえません。つまり、神
の呼びかけに応答できる部分がすべてのひとに等しく(さもなければ恩寵とは言えな
い)
備わっているとして、
身体を媒介にしてしか信じるという行為を遂行しえません。
その身体とは「肉の弱さ」がまさに属するところのものです。
「肉」とは身体をもった
自然的存在者の生の原理です。人間は身体性のゆえに、自らの身体の限界が自己の限
界であると考えがちな存在者であり、それが「肉の弱さ」と呼ばれるものです。パウ
ロは「汝らの肉の弱さのゆえに、人間的なことを語る」(6.19)として、生身(なまみ)
の存在者を譲歩として認めています。イエス・キリストにおいて啓示されている信の
出来事が自己の信であるにしても、そのことを信じるという行為は肉を媒介にせざる
をえず、認知的に制約のある身体性の媒介のゆえに、人格的要素だけが問題であるこ
とがらにも、認知的要素が混入せざるをえないのです。その事情の故に、パウロは二
つの相においてあるピスティスをその一語において表現したのだと思われます。それ
は、身体への顧慮を含意し、二元論的なグノーシス主義を回避しています。身体もパ
ウロにおいては神の喜ばしい愛の表現としての創造の産物なのです。
10
結論
このようにパウロはカトリックでもあり、プロテスタントでもあったと言うべ
きでしょうか。どちらでもなかったと言うべきでしょうか。なぜ最も優れたもの
が啓示されているのに、ひとはその啓示に集中しないで、譲歩として認められた
領域を一生懸命分析するのかとルターならスコラ学者を批判するでしょう。しか
し、ここでもそれぞれの賜物の相違に思いを致すべきです。理性の仕事が愛の業
である限り、それはキリストの身体につらなるものとなるでしょう。信仰のみの
主張も愛の業でない限り、それはキリストの身体を構成することのない人間的主
張になってしまうでしょう。信の哲学は信のこれら二つの側面とその関係につい
て明確な理解を提供することをめざしています。
(校正時註 2011/07/20
この講演の基礎にある諸文献の多くのものは電子レポジ
トリ HUSCAP で閲覧できます。検索手順、北大 HP→付属図書館→HUSCAP→
千葉惠)
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
志学会公開講演会
第 3 回公開講演会 2008 年 10 月 17 日(土)
「イギリス17世紀の思想と現代——Matthew Henry を中心に」
新井明
敬和学園大学長
柳生直行氏(1920-86)が新訳『新約聖書』を新教出版社から出されたのは1985年で
あった。その出版記念会が関東学院大学の主催で、横浜駅ちかくのホテルで催され、
出席した。わたしはあらかじめ「文学研究家としての柳生先生」を語るように、先生
からのご指示があった。同席されたもうひとりのスピーカが有賀寿氏であった。
有賀氏は早くからマシュー・ヘンリの聖書注解の邦訳出版を考えておられたらしい。
その事業の推進方法を柳生先生と相談しておられたのであろう。いま申し上げた祝賀
会の後のある日、有賀さんはわたしを訪ねてこられて、その翻訳事業に加わることを
求められた。柳生先生からのご推挙、とのことであった。新井はマタイ福音書。創世
記は、たしか高野進氏と、お二人の間では決まっていたらしい。
当時、日本女子大学で各種の役職を負わされていた新井には、翻訳の作業も簡単に
は進められなかった。しかし1986年9月に柳生先生、
ご逝去。これは大きな驚きであり、
それがわたしの背中を打つ鞭となった。なにか怒れるがごとき思いでヘンリの翻訳に
突き進み、1988年5月には第1巻(マタイ福音書、第1-4章)が出た。しかしその後、
2000年3月に日本女子大学を定年退職するまでに、第3巻(8-10章)を出すにとどまっ
た。
そうこうするうちに2003年春、北越の新発田市に移ることになる。この転機をヘン
リ注釈書の翻訳に用いようと決意した。そして6年。第4巻から第9巻までを、つまり
マタイ福音書注解全体の翻訳の完成に漕ぎ着けることができた。新発田時代のわたし
を共訳者として助けてくださったお2人がいるのだが、そのお1人、池貝眞知子さん
はここにご出席である。
*
72
最初のうちは、ヘンリ注解書の日本語訳を手がけたのはわたしが最初であろうと思
っていた。ところが、平戸領主・松浦静山(1760-1841)が寛政元年(1789)に長崎
でヘンリのオランダ語訳注解を入手し、通詞・石橋助左衛門に訳させたと、『甲子夜
話』で名高いこの学者大名が『楽歳堂新蔵書目』に記している∗。石橋はその書を「古
今テスタメント」とした。静山は「静疑ラクハ天教ノ書カ」と注記している。わたし
が松浦史料博物館に問い合わせたところ、全部で14巻とのこと。実際にそこを訪れた
のは1990年2月のことであった。館員の方がその14冊を積み上げてくれた。約1メート
ルの高さ。それで全部かと思っていたわたしは、驚いた。そのオランダ語訳は創世記
から列王記までの訳でしかなかった。
それから2年後の1992年4月に、オクスフォード大学のボッドレイアン図書館に席を
もらい、その5月にハーグの王立図書館へ飛んだ。 あらかじめ連絡をとっておいたの
で、図書館側の対応は親切であった。すぐに判ったことは、オランダ語訳は全50巻、
1792年完訳ということであった。
マシュー・ヘンリは1660年の王政復古のあと、王権に屈することなく「非国教徒」
“non-conformist”として野に下った長老派の牧師フィリップ・ヘンリ(Philip Henry,
1631-96)の息であった。都市近郊に住むことの許されなかったこの派の牧師たちは教
会での宣教はゆるされず、「家の教会」で安息日を守った。フィリップの苦難はその
息マシューの注解での特徴を形成することになる。まとめてみれば、(イ)イングラ
ンド国教会(またローマ教会)の儀式中心主義を排す。(ロ)ピューリタニズムの「狂
信」を排す。(ハ)聖書そのものの教えに立つ。(ニ)平易なことばをもって宣教に
あたる。(ホ)求道者にたいして牧会への勧めを強める。これら諸特徴の基底をなす
ものは、まず個人に与えられた「理性と良心」の声に聴くという姿勢であった。
*
こうして野に追われた長老派牧師たちのこととの関連で考えられるのは、詩人・思
想家ジョン・ミルトン(John Milton, 1608-74)のことである。かれは少年期より当
時の代表的な長老派牧師トマス・ヤング(Thomas Young, 1587?-1655)の膝下で訓育
をうけた。だから、スチュアート王家の国教会中心主義に反抗して、1642年に出した
『教会統治の理由』(The Reason of Church-Government )
を見ても、それは恩師の
論理を踏襲していた。この派では、教職者と長老が治める教会を小会とし、いくつか
の小会がクラシスとよばれる中会を構成し、教師候補者の決定・任職、さらには各個
73
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
教会の監督に当たった。中会はさらに大会を構成し、最高決定機関としての総会をも
った。つまり長老派はクラシスを中軸とする、積み上げ方式の教会統治法をとったの
である。これは主教中心の、トップダウン方式の国教会監督制とは、まさに正反対で
あった。∗ 海老沢有道『日本の聖書——聖書和訳の歴史』(日本基督教団出版局、1964
年・1981 年)、66-67ページ。
ミルトンが長老派に違和感を感ずるようになったのは、かれが『離婚の教理と規律』
(The Doctrine and Discipline of Divorce)を公刊した1643年ころからのことで、こ
の出版物に長老派がこぞって反発したことに端を発する。
『教育論』
(OfEducation)、
『言論の自由論』(Areopagitica)
などを出版した1644年には、かれは「理性と良心」
にもとづく個人の「選択権」を主張する論者となる。これは長老派ではなかった。こ
れ以後は、内戦の時期、一途に議会の独立派に近い歩み方をする。
1688年の秋のクロムウェルの死後、チャールズ2世がロンドンへ戻る動きが生じたあ
たりに、かつての主教制の再来を危惧したミルトンは『自由共和国樹立の要諦』(The
Ready and Easy Way to Establish a Free Commonwealth)を急遽執筆、発表する。
1660年のことである。このなかで、かれは各州の主な都市に個別の「通常会議」を設
け、それが州単位の「州会議」の選出母体となる。さらに州会議から代表者が選ばれ
「中央評議会」を構成する。こうなると、かれがここで提議する「共同社会」案には、
それより18年前に提案した教会統治法のボトムアップ方式、つまり長老派流の影が宿
っていることがわかる。教会統治法と政治体制とでは、基本的には別に考えなくては
ならない多くの点のあることは承知の上で、わたしはそれでも少年期のミルトンに沁
み込んだ思考様式は消えていなかったと言うほかない。
王政復古をなしとげた政治情勢の中で、独立派と目されたミルトンの提案など一顧
もされなかった。しかも、王党派が再生させた主教政は、(国王の帰還の方策にまで
気をくばった)長老派をまで切り捨てる手に出た。1662年の「礼拝統一令」は国王へ
の忠順、国教会祈祷書の使用、また国教会による再叙任をまで強制した。その結果、
この強制に反対した約2千名の聖職者が「非国教徒」の烙印を押され、聖職禄を失っ
た。
*
74
1660年の王政復古前夜以降のミルトンが長老派の思考様式を復活させたことは、と
くに非国教徒という烙印を押されて野に放たれた長老派教職者たちの一部には驚きの
経験を与えたのではなかったか。マシュー・ ヘンリが書いた『フィリップ・ ヘンリ
牧師伝』(1698年)には、父の心中を察して、“Iam here buried alive, but I am quiet
in my grave.”という一行がある。これなどはミルトンの『闘技士サムソン』(Samson
Agonistes, 1667)の100行目——
To live a life half dead, a living death
半生の生、生ける死を生き、埋められることも
を下にした一行としかとれない。王政復古後の「沈黙を強いられた教職者」たち約2
千人のなかには、クロムウェルの死とともに、(長老派的政界構成論を吐きつつも)
表舞台を去った一詩人の行き方に共鳴する一部があったのかもしれない。
ミルトンの叙事詩『楽園の喪失』(Paradise Lost, 1671)は次のように終わる。アダ
ムとエバが楽園から追われ行く姿である。
ふたりはうしろをかえりみ、いままでかれらの
幸(さきわ)いの住みかであった楽園の東側を見やった。
・
・
・
・
・
・
ふたりは思わず涙。が、すぐにうちはらう。
安息のところを選ぶべき世は、眼前に
ひろがる。摂理こそかれらの導者(しるべ)。
手に手をとって、さ迷いの足どりおもく、
エデンを通り、寂しき道をたどっていった。 (新井 訳)
この結びは、おそらくは直接的には、詩人が夢みた共和政的「楽園」がクロムウェル
の死後、消滅し、その楽園の到来に夢をかけた面々が死罪を課されたり、追放された
り、逃亡を(オランダへまで!)余儀なくされた時代に、「摂理こそかれらの導者」
として「荒野」へと出てゆく者の背中に向かって、同情と激励をあたえた一節なので
あろう。そして、もしかりにミルトン——王政復古時に長老派的な政治体制を主張し
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
たミルトン——に、「沈黙を強いられた」「非国教徒」——おもに長老派牧会者たち
——への親近感があったとすれば、『楽園の喪失』の結びは、かれらをも視野に入れ
た情景を想定していたかもしれないのである。
そもそもイングランドでは、いまでも「非国教徒」の思想については、ちゃんとし
た研究がない。いわば蚊帳の外の人びとだからであろう。だから、この人びととミル
トンの関係など調べる研究などない。最近Thomas N. Corns(ed.), A Companion to
Miltonなる研究書がでた(Blackwell, 2003)。やっとミルトンと長老派の関係が調査
の対象になった。しかしここでも、マシュー・ヘンリのことにふれることはない。(ド
イツ語のルッター、フランス語のカルヴァン。それに匹敵するのが英語のマシュウー・
ヘンリであるにもかかわらず、である。)イギリス人はここら辺のことを、もっと真
剣に勉強すべきである。日本にも(前記したごとく)徳川時代にマシュー・ヘンリの
オランダ語訳は長崎、平戸に入ってきていたのである。平戸に出入りするオランダ人
たちに必要とされた注解書であったのであろう。また明治時代にもこの国に来た宣教
師たちはヘンリ注解書(英語原書)を使っていたようである。そのことを裏づけるひ
とつの出来事として、成瀬仁蔵(1858-1919)が1885年(明治18年)の日記に 「ヘン
リー・マシュー」 を引用していることを記しておこう。かれはH.H.レビット
(1846-1920)や澤山保羅(1852-87)らに師事した伝道者で、のちに日本女子大学を
創設した教育者である。明治期の日本でも、ヘンリ注解書は読まれていたのである。
*
さいごに付け加えておきたいことがある。先にも述べたことであるが、ヘンリ父子
の牧会上の指針を、ここに再度申し上げる。(イ)儀式中心主義の排除、(ロ)「狂
信」を排す、(ハ)聖書そのものに立つ。(ニ)平易なことばの使用。(ホ)求道者
に牧会への道を勧める。これは現代世界——日本のみならず、全世界—-に必要とされ
るエキュメニカルな宣教精神なのではないか。マシュー・ヘンリは今に求められてい
ることを、今も語っているのである。
この聖書注解家を知って、23 年。イギリス 17 世紀に生きた長老派の優れた牧会者
の存在にふれ、わたし自身、同時代の詩人ミルトンへの理解にも重要な変革を迫られ
た。さらには、一平信徒としての生き方にも貴重な指針をあたえられたことを、 深き
謝意をもって、ここに告白したい。
76
志学会公開講演会
第 5 回公開講演会 2009 年 3 月 7 日(土)
「英詩人ミルトンと私」
小森禎司
桜美林大学名誉教授
(この論文は 2009 年 2 月7日、志学会で行った講演を加筆したものです)。
皆さんこんにちは。司会者の梅津先生からご紹介を頂きました小森禎司です。今日
は志学会の後援会にお招きくださいましてありがとうございます。この会のメンバー
には学生の方が多いと聞いていますので、今日は「英詩人ミルトンと私」という題で、
17 世紀イギリスの詩人ジョン・ミルトン(John Milton
1608―1674)と私の関係に
ついて分かりやすく話すことに致します。本題に入る前に、新約聖書、ヨハネによる
福音書9章1節から 3 節を読みます。
またイエスは道の途中で生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエ
スに質問して言った。「先生。彼が盲目に生れついたのは誰が罪を犯したからです
か?この人ですか?その両親ですか?」イエスは答えられた。「この人が罪を犯し
たのでもなく、両親でもありません。神の業がこの人に現れるためです・・・。」
私は自己紹介に先だって、この聖書の箇所を引用することにしています。私自身が
生まれつきの盲人だからです。栃木県の那須地方に生まれた私は地域の盲学校で教育
を受け、マッサージ・鍼・灸など、いわゆる三療の資格を取りましたが、高校時代に
クリスチャンになった私は大学進学を思い立ったのです。夢は盲学校の教師になるこ
とでした。盲学校卒業と同時に恩師鈴木彪平先生の計らいにより、桜美林学園の創立
者、清水安三・郁子先生ご夫妻にお会いすることができました。清水先生ご夫妻は私
の願いを叶えて下さり、1959 年(昭和 34 年)4 月、桜美林短大英文科への入学が許さ
れました。桜美林短大から明治学院大に進んだ私は卒業後、母校栃木盲の非常勤講師
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
になりました。それから 1 年後に結婚したのですが、結婚を契機として、私の人生は
一変しました。
奇跡の人生
1964 年(昭和 39 年)10 月 10 日、東京の空は青く澄み渡り、神宮の上空には戦闘機
の編隊が五輪の輪を描いていました。午後 2 時、東京オリンピックの開幕を告げるフ
ァンファーレが鳴り響きました。私たちが華燭の典を挙げたのは正にその時でした。
パートナーは小森知子です。私達を引き合わせてくださったのは彼女が所属していた
教会の玉田敬次牧師でした。
玉田牧師は失明者で、
私をよく知っておられたからです。
それにしても、何ひとつ不自由のない健常者の彼女に盲人の私が紹介されたのですか
ら、この話は彼女にとっては、驚き以外のなにものでもありませんでした。しかし牧
師が告げるメッセージを神の言葉として受け止めた彼女の非凡な信仰は、私のパート
ナーとなることを決意させるに十分なものでした。結婚式の日をオリンピックの開幕
日、10 月 10 日に決めたのも彼女の提案でした。下の引用聖句は彼女の提案の趣旨を
暗示しています。
競技場で走る人たちは皆走っても、賞を受けるのは唯一人だということを知ってい
るでしょう。ですからあなた方も賞を受けられるように走りなさい。また闘技をす
る者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうす
るのですが、私達は朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから私は決勝
点が何処か分からないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしては
いません。私は自分の体を打ちたたいて従わせます。それは私が他の人に述べ伝え
ておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです(新約聖書、コ
リント人への第 1 の手紙、9 章 24―27 節)。
彼女は上に引用したパウロの勧めとオリンピックのマラソン競技をダブらせて、私達
の結婚生活を、神から朽ちない冠を得るために、二人三脚で走ることだととらえたの
です。
78
桜美林への道
1965 年(昭和 40 年)1 月 4 日、私達は桜美林学園を訪れました。清水安三先生に
結婚の報告をするためでした。私達を心の底から歓迎してくださった安三先生は、
「二
人で勉強して、桜美林で教えられるようになりなさい」と言って、励ましてください
ました。また英詩人ミルトンを研究するようにとも言われました。結婚から三ヶ月も
たたないうちに、私達の進むべき道が示されたのです。早速ミルトンに関する書物を
読み始めました。最初に手にした書物は失明者岩橋武雄の『ミルトン研究』でした。
この書物も安三先生から紹介された 1 冊でした。安三先生が私にミルトン研究を進め
られたのも、ミルトンが失明の詩人だったからです。私達は安三先生のアドバイスに
従って明治学院大学の大学院に入り、2 年後の 1967 年(昭和 42 年)4 月、桜美林短
大英文科の専任助手として採用され、以来 2008 年(平成 20 年)3 月までの 40 年間、
教育と研究の充実した日々を過ごすことができました。
二人三脚のミルトン研究
私達のミルトン研究はアメリカ留学にその基礎をおいています。1970 年(昭和 45
年)9 月から 2 年間、カリフォルニア州クレアモント大学で、コロンビア・ミルトン
全集の編集に関わったフレンチ・フォーグル博士の教えを受けたからです。博士の指
導のもとミルトンを読んでいくうちに、ミルトンの作品の根幹をなす部分が明らかに
なってきました。それらは真理の探究、善悪の識別、神への従順、そして忍耐の勧め
など、
そのひとつひとつが私達の人格形成にとって、
不可欠なものばかりであります。
しかしミルトンの作品に現れたこのような特徴以上に私の心を捉えたのは、彼の生涯
であり、政治に対するひたむきな態度でした。とくに彼の生涯
波乱万丈の生涯
には心ひかれるものがありました。それらは 2 度にわたる妻との死別、失明、イギリ
ス市民革命と挫折などでした。ミルトンが直面したこれらの出来事は彼の肩に重くの
しかかりましたが、その都度彼は、キリストを信じる強い信仰によって克服していき
ました。今日はこのようなミルトンの生涯を概観しつつ、彼の政治的立場について考
察し、さらにミルトンが理想とした政治理念を紹介して、混迷する今日の日本の政治
のあるべき姿を考えてみたいと思います。
ミルトンの生涯は三つの時期に分けられます。第 1 期は教育時代(1608―39)、第 2
期は散文時代(1640―60)、そして第 3 期は叙事詩の時代(1660―74)であります。
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
教育時代
壮大な叙事詩『楽園喪失』
(Paradise Lost)の作者ジョン・ミルトンを輩出した 17
世紀のイギリスは、まさにルネッサンス期を迎えようとしており、彼の父の誕生は、
明らかに来るべき時代のさきぶれでした。オックスフォード社のヨーマン(Yeoman
自由農民)の子として生まれた父は、ミルトン家の伝統であったカトリックの信仰か
らプロテスタントに改宗したため、生れ故郷を離れてロンドンに移り住みました。ロ
ンドンで教養豊かなルネッサンス教育を身に付けたミルトンの父は公証人となって富
を築き、信仰深い乙女サラと結婚しました。そのような両親のもとに、後の叙事詩人
ジョンは、1608 年 12 月 9 日、ロンドンのブレッドストリート Bread Street に生
まれました。両親を尊敬してやまなかったジョンは、Pro Populo Anglicano Defensio
Secunda 『英国民のための第 2 弁護論』の中で、次のように書いています。
私はロンドンの名家に生まれた。父は高潔そのもの、母は清廉潔白、彼女の施しの
行為はあまねく賞賛された。父は私の幼少のころから学問を施したが、そのことが
契機となって学問の虜となった私は、12 歳を過ぎると、真夜中前に床に就くことは
殆どなかった。このことが失明の主たる原因となったが、生来視力が弱かったこと
も手伝って、しばしば激しい頭痛に悩まされた。しかし頭痛が私の向学心を損ねる
ことはなかったので、父は日中は学校で、夜は家庭教師をつけて私を学ばせた。私
は数ヶ国語をマスターし、表面的ではあったが、哲学の甘美な陶酔に浸ることがで
きた。父はそんな私を英国2大大学の一つ、ケンブリッジに行かせた。この学び舎
で7年間、誰の咎めも受けず、誠実な級友達から好かれ、伝統的な軍事教練と教養
教育に励み、(Cum Laude 首席)で修士号を取得した。(私訳)Complete Prose
Works of John Milton, Don M. Wolfe, et al.,8 vols.,(New Haven, Conn.),1953―82.
Vol. IV, p612 ff
ケンブリッジを去ったミルトンは、少なからず両親を失望させました。両親は息子
が必ずや聖職者になってくれるものと確信して、ケンブリッジのクライスト学寮に進
学させたからです。ところが英国国教会の腐敗に業を煮やした息子のジョンは、聖職
者になるよりも、詩人として、しかも歴史に残る叙事詩人として生きる決意を固めて
いたのです。そのため彼は父の別荘のあったハマースミスやホートンで自学自習の5
80
年間を詩人となるための充電の 5 年間を過ごしたのです。学生時代に開花した彼の創
作意欲は、自学自習の時期にも極めて旺盛でした。ケンブリッジ時代からホートン時
代に創作されたミルトンの主な作品は『キリスト降誕の朝によせる讃歌』On the
Morning of Christ’s
Nativity (1629) 、『快活な人 』L’Allegro『沈思の人』 Il
Penseroso(1631)、仮面劇『アルカディアの人々』 Arcades(1633)、仮面劇『コーマ
ス』
Comus(1634)、そして友人エドワード・キングを追悼した哀歌『リシダス』
Lycidas(1637)
などの英詩の他に、『父へ』
Ad Patrem を含む数編のラテン詩や、初恋の人エミリアに宛てたイタリア語のソネ
ットなども含まれています。これらの作品の中から、ケンブリッジ時代の無二の親友
であったエドワード・キングの死を悼んで書かれた哀歌『リシダス』について触れて
おきたいと思います。この詩には、聖職者ではなく、詩人として羽ばたこうとする若
きミルトンの思いが伝わってくるからです。
1637 年秋、ミルトンは親友エドワードの訃報に接します。ケンブリッジの研究員と
して前途を嘱望されていたエドワードは、イングランド北西部の町チェスターからア
イルランド沖を航行中遭難し、帰らぬ人となりました。このような状況の下で書かれ
た詩が 193 行からなる哀歌『リシダス』です。詩人はエドワードに「リシダス」の名
で呼びかけますが、その名は古代ローマの詩人ベルギリウス(前 70―19)の牧歌を模
したものです。
詩人は冒頭月桂樹、銀梅花、蔦など三つの植物に呼びかけます。太陽神アポロに捧
げられる月桂樹は詩人の冠と勝利を表し、才媛の女神ビーナスに捧げられる銀梅花は
愛の象徴であることから、詩を愛する意味とともに弔いをも表し、蔦は学問の象徴だ
からです。このことから詩人は歌を愛し、学問を愛した親友エドワードの死を悼むの
です。また蔦はキリスト教芸術では不滅を表しています。とはいえ詩人は、未だ熟し
ていない果実を手荒にむしり取ってしまったと言って、哀歌を書きたくなかった自分
を嫌悪しつつ、若い友の死を悲しみます(1―5行)
。若いリシダスの死に報いるため
に哀歌を歌い、弔いの涙をながすのは、彼の遺体を海の墓に放置し、風に吹きさらさ
れないためだ(10―14 行)というのです。ソネット形式で書かれた『リシダス』冒頭
の 14 行は、哀歌の序奏であります。
詩人はこの序奏に続いて、
「始めよう」begin
を 2 度繰り返して、やおら哀歌を始
めます。ここで読者が最初に目にする光景は、ミルトンとキングがともに学び、とも
81
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
に暮らしたケンブリッジの回想の場面です(23―36 行)。この 14 行は実に快活に歌わ
れ、青春を謳歌したことが伺えますが、詩調は突如一変します。
But, oh! the heavy change, now thou art gone,
Now thou art gone and never must return! (37―38 行)
あー酷い変わりよう もう君は行ってしまった。
行ってしまった君は 2 度と戻らない。
ここで詩人は初めて追悼の涙を流します。自然も彼の死を悲しんでいるというのです
(39―44 行)。
しばしの追悼の後、詩人の筆は、遭難の原因を探ろうとします。当時海は波静かだ
ったとみられていました。しかし厚い雲に行く手を阻まれた船は、岩に衝突したので
はなかろうかというのです。詩人は波に、荒れ狂う風に向かってエドワードを乗せた
船に何が起こったかを問うても、当然答えは返ってくるはずがありません。そこで彼
は「奇抜な着想」conceit を用いて、遭難の原因を斯く物します。「賢人ヒポタデスが
もたらした答えは」こうです。
「風も波もなかった海上に海の精パノピーが姉妹達を伴
って現れ、遊び戯れ、致命的な呪いの言葉を発し、辺りを曇らせ、清き君の頭を、海
底深く沈めた」というのです(96―102 行)。詩人はここで eclipse 「日(月)食(101
行)という語を用いていますが、ミルトンがこの語を用いる時は、その後に悲惨なこ
とが起こる前兆です。
『リシダス』はガリラヤ湖の水先案内人ペテロの登場によってクライマックスを迎
えます(108―31 行)。ペテロは会葬者のしんがりとして現れます。ペテロはずっしり
と重い二つの鍵を持っています。その一つは金、他の一つは鉄の鍵です。前者は戸を
開け、後者は閉める時に使われます。ペテロは錠前を鳴らし、厳しい語調で、時の大
主教ロードを非難します。ロードの宗教改革の不備を責め、私腹を肥やす彼とその一
派を「狼」wolf と揶揄しています。私腹を肥やし、地位を望む者には、善良な信徒で
ある羊を救うことは出来ないと訴えます。彼らの説教には御霊はくだるはずがないと
いうのです。ペテロが開けた戸口からは善良な羊が天に迎えられ、閉められた戸の部
屋には悪しき祭司らが閉じ込められます。若いエドワードの命を奪ったのは、実にこ
れらの悪しき祭司達だというのです。これらの詩行には宗教改革に強い思いを寄せる
82
詩人ミルトンの情熱が感じられます。教会を画一的にし、儀式的にすべきではないと
いうのです。この主張は、後になってから、ミルトンの宗教改革論となっていきます
が、ここで詩人がペテロを祭司の理想像としていることは注目に値します。(正義の)
「剣の柄に両手をかけたペテロは戸口に立ち、腐敗した国教会の大主教ロードを「今
一度打ちのめそうと身構えている」
(130―31 行)というくだりは、国教会を根底から
作り直そうとする詩人の主張であったことは疑いありません。
哀歌も終わりに近づきますが、詩人は友の死を、イエスの死と復活に結びつけます
(165―85 行)。これらの詩行にはそのイメージが随所に散りばめられています。リシ
ダスは海底深く沈んだけれども、夕べに沈む太陽が明日に上るように、
「リシダスは深
く沈み、高く上った」と歌います。リシダスを復活させたのは、海の上を歩いたイエ
スの力によるのだというのです(166―73 行)。天に上ったリシダスは聖徒らの歓迎を
受け、この世のすべての苦しみ悲しみから解放されます。詩人は「明日は新たな森へ、
新たな牧場へ」To_morrow to fresh woods, and pastures new と歌い、明日に向かっ
て は ば た く 自 分 を 宣 言 し ま す 。( 注 ) The Minor English Poems Lycidas,
(pp636―734)
哀歌の結びの行に促されたかのようにして、ミルトンは 1638 年 5 月、従者一人を
伴って大陸旅行に旅立ちます。15 か月に渡る彼の大陸旅行は実り多いものでした。彼
の豊富な知識と優れた語学力は言うまでもなく、父親の豊富な人脈も大いに役だった
からです。彼は行く先々で傑出した学者、文化人、芸術家と交わり、一挙に世界を広
げていきました。彼はフランス・イタリア・そしてスイスを訪れましたが、とりわけ
ルネッサンス発祥の地、フィレンツェは、言葉に尽くせぬ感動を与えました。そのフ
ィレンツェでミルトンはガリレオに会いましたが、その時彼が受けた衝撃はひとしお
ならぬものでした。失明者となり、すでに老人の域に達していたガリレオは、地動説
を唱えたかどで宗教裁判を受け、自宅軟禁されていたからです。その様を目にしたミ
ルトンは、学問研究の自由の大切さを学びました。このような貴重な体験が彼を自由
への戦いへと導いていったのです。
散文時代
私は先にミルトンの生涯は三つの時期に分けられえるといいましたが、そのもっと
も重要な時期は第 3 期、叙事詩の時代とすることに異論を唱える必要はありません。
83
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
しかし、この見方は詩人ミルトンを論ずる場合に限られています。一方ミルトンが歩
んだ生涯にスポットを当てますと、彼の生涯の第 2 期(1640―60)も第3期のそれに
劣らず重要であることが分かります。第2期は「散文時代」の名に違わず、ミルトン
は殆ど詩を書いていません。その理由は、ピューリタン革命の引き金となった王党派
と議会派の内乱の前後に、自由と解放を強く訴えたミルトンは、議会派の立場に立っ
て、多数の論文を書いていたからであります。この時期にミルトンが書いた論文は、
主に市民の自由を訴えたものでした。ミルトンの論文中に見られる共通のテーマは宗
教の自由、家庭の自由、そして政治の自由であります。宗教の自由に関する論文は、
英国国教会の監督制度に抗議した5編の宗教改革論であり、家庭の自由に関する論文
は、メアリー・パウエルとの浅はかな結婚の反省から生まれた4編の離婚論であり、
政治の自由に関する論文は『アレオパギティカ』Areopagitica (言論出版の自由 1644)
に見られる政治の理想と民主主義の主張であります。加えてこの時期は妻との死別、
失明、革命と王政回復による挫折など、実に多難な 20 年でした。これらの出来事の
中から私は、2008 年 7 月 7 日、イギリスのロンドン大学で開かれたミルトン生誕 400
年記念国際シンポジウムで発表した論文、
「日本の政治とミルトンの『アレオパギティ
カ』」の要旨を紹介して講演の結びといたします。
~~~
2001 年 7 月 29 日、今世紀初の国政選挙が行われました。参議院議員選挙でした。
私はその選挙に立候補しましたが結果はついてきませんでした。それにしてもなぜ私
は参院選に立候補したのでしょうか。それには少なくとも二つの理由がありました。
その一つは元自治大臣白川勝彦氏との出会いであり、他の一つは、政治かけたミルト
ンの情熱に触発されたからです。
2001 年 2 月上旬、私は白川氏が自民党を離党して、「新党自由と希望」を立ち上げ
るというニュースに接しました。このニュースに強い関心を覚えた私は早速白川氏と
会って意見を交わし、二人はすぐに意気投合したのです。白川氏は 1990 年代初期に
起こったバブル崩壊とそれに続く不況の原因の一つが、政治の閉塞感から来ていたに
もかかわらず、政界も、財界も、そのことに気付かず、有効な解決策も見出せない状
況を嘆いていました。白川氏はこの閉塞感を打破するために新党を結成して、参院選
に臨むのだとして、改革への熱い思いを熱っぽく披瀝されました。白川氏の話を聞い
84
ているうちに、私の心は挑戦する思いに駆り立てられていきました。白川氏が理想の
政治家像を求める時、
「政治を志す者は学識があり、賢く、思慮深く、良く躾けられて
いるべきである」という古代ギリシアの雄弁家、イソクラテスの教えを範としていた
からです。私は今日の日本の政治の状況を、1640 年代のイギリス議会のそれと対比し
て考えてみました。1640 年代にミルトンが感じていた政治家に対する不満は、彼らが
民主主義に徹していなかったことでした。ミルトンによれば、彼らは先にふれたイソ
クラテスの原則から遠く離れていたというのです。ミルトンは『アレオパギティカ』
において、政治家のあるべき姿に言及していますが、それによると、政治をする者に
とって最も大切なことは高潔な人であり、国民の不満に迅速かつ効果的な対策を講ず
る能力の持ち主であり、善悪を識別し、悪に対して断固として戦うことであるとして
います。
私は「新党自由と希望」の綱領の下に、
「政界浄化」を自分のテーマとしていました。
1640 年代のミルトンが王政を打破して、ピューリタン革命による共和政府の樹立を願
っていたように、私は日本の政治を永田町や霞が関の利権の体質から、国民のための
政治、真の民主政治への転換を願ったのです。参院選を間近にして、森喜朗政権は内
閣支持率の低下に喘いでいました。そのような状況の下で、私達にも十分つけいるチ
ャンスがあると思われていたその矢先、思わぬ伏兵が現れました。それは小泉純一郎
総理の出現でした。
長引く不況と政治の閉塞感の中で、
多くの国民は行財政の改革を望んでいたのです。
このような状況を巧みに利用したのが小泉首相でした。小泉氏はこの機会を捉えて、
自民党の解党的出直しを宣言、さらに行財政の抜本的改革を訴えました。
「聖域なき財
政改革。」「改革なくして成長なし」といった改革のスローガンは、またたく間に有権
者の心を捉えていきました。私達は小泉政権が掲げる改革の内容に強い疑いを持って
いましたが、私達を含む全野党の主張は小泉旋風に吹き飛ばされ、多数の有権者は、
小泉改革の内容を吟味することなく、ポピュリズムにあおられていったのです。小泉
政権を支持する彼らの熱狂ぶりは正に異常でした。かくして小泉政権は「改革」の名
の下に 2001 年夏の参院選に勝利し、郵政民営化の是非を問うた 2005 年 9 月の総選
挙にも大勝して、5 年余り続いた小泉劇場に終止符を打ち、安倍晋三氏に総理の座を
譲り、さらに福田康夫氏、麻生太郎氏へと、政権のたらい回しが続いています。
85
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
では何故このような状況が起こっているのでしょうか。それは安倍政権の頃から、小
泉主導で行ってきた一連の改革は改革ではなく、改悪であったことが分かってきたか
らです。この事実に追い打ちをかけたのが 5 千万件に及ぶ消えた年金記録をはじめと
する、社会保険庁の失態でした。このような問題をはらんで行われた 2007 年 7 月の
参院選で、安倍政権は歴史的敗北を喫し、退陣に追い込まれ、福田政権、麻生政権へ
と続いて今日に至っているのです。
ではここで小泉改革の主なものを見ていきますと、その一つ一つに重大な欠陥があ
ったことが分かります。たとえば、国立大学と国立病院の形態を独立行政法人に格下
げして補助金を減らし、教育と医療の質の低下を招いたこと。社会保障費の伸びを抑
制して、母子加算の打ち切りなどに見られるように、福祉を後退させたこと。障害者
自立支援法の名の下に、障害者施設の各種補助金をカットして、年金以外に収入のな
い施設利用者に重い負担を課したのです。この事実が示すように、障害者自立支援法
は、自立支援法ではなく、障害者いじめ支援法であることが明らかとなりました。後
期高齢者医療制度も、その性格からして、高齢者いじめ医療制度と呼ばれても仕方が
ありません。彼らの改革の意図は、予算の切り詰めと増税以外のなにものでもなかっ
たのです。また郵政民営化によって、過疎地の郵便局は、採算割れを理由に廃止に追
い込まれるケースが続いています。このように小泉改革は今や負の遺産として、国民
にその爪痕を残しているのです。教育、福祉、医療を劣化させてきた自公合体政権は、
総選挙によって下野しなければなりません。しかし現政権を下野させることができる
か否かは、皆さんの一票にかかっているのです。特に若い世代の皆さんにお願いしま
す。もっと政治に関心を持ち、選挙に行って、政治の流れを私達の手に取り戻しまし
ょう。皆さんの投票行動によって、新たな希望の光が差し込んでくるのです。この新
しい流れの実現のためにミルトンが提案していることは、道徳教育、宗教教育、そし
て政治教育の充実であります。日本では特に宗教教育と政治教育が疎かにされていま
す。皆さんもあらゆる機会を活用して、自分の意見を持ち、積極的に発言し、より良
い社会、平和国家建設のために力を注ぎましょう。
ご清聴ありがとうございました。
※小森禎司先生は、2010 年に召天されました。先生のこれまでの志学会への貢献を感
謝すると共に、残されたご家族の上に主の慰めがあるようお祈りいたします。
86
志学会公開講演会
第 13 回公開講演会 2011 年 5 月 21 日(土)
「聖書信仰者として進化学研究へ
―研究遍歴および福音理解と自然観・科学観」
嶋田誠
藤田保健衛生大学総合医科学研究所講師
概観とご挨拶
本日、私に依頼されたましたことは、進路を選ぶ過程で、何に悩み、どう考え、ど
う信仰者として向き合ってきたか、ということでした。私の場合、進路や経歴の話と
なりますと、聖書に対して、また進化に対しての立場を問われます。そこで、導きの
証に加え、聖書観や自然観に影響を与えた、その折々に目にした情報、データ、御言
葉などを紹介するというスタイルで、お分かち合いをしたいと思います。
<第 1 部:発表者のプロフィール>
救いの証
私はクリスチャンホームで生まれましたが宗教的教育はとくに受けませんでした。
ですので、厳密には二世キリスト者とはいえません。それでも救われる前の高校生の
ころ、
「神」の概念は唯一・絶対者というイメージを持っていました。また、自然観に
ついては、進化に対する見方も含め、一般の理科系の高校生と同じでした。高校生の
ころ、クラスの友人に教会の高校生会へ誘われたことがきっかけで教会へつながった
ので、親とは違う教会に行くことになりました。親の通っていた教会はいわゆる主流
派でして、私の通いだした教会はいわゆる福音派でした。そこで私は、
「この教会の人
たちは生物進化でさえも否定するのか!彼ら本気だ。真剣だ」という衝撃を受けまし
た。そうして、私もまじめに神様について考えるようになりました。自然界はたしか
にうまくできていると、自然の秩序に神の存在を信じ始めるようになりました。教会
へ通うにつれ、人間の側の熱心さや真剣さ以上に、まず神様の側が神の御子イエス・
キリストの十字架といういのちがけの契約をもって救ってくださったことを知りまし
87
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
た。そのメッセージに対して、
「高校生の時、すなわち職業選択の自由が与えられてい
る情況で救われたことは、恵みであり、それに応えていく責任がある」と受け止める
ようになりました。ただ、そのころは何か具体的な神様のみこころや計画というもの
があって、それをはっきり知り、それで頑張りたいという態度でした。(自分の側の責
任や応答として進路を決断するという態度に欠けていました。) その後、大学受験失
敗で考えさせられたことは、
「神の御思いを知るのは、何と難しいことでしょう」と聖
書に書いてある通りですが、御心を知ることは難しいことであること、信仰と思い込
みの区別は難しいということでした。
高校・大学時代職業選択考慮時に受けた影響や助言
高校生のころ創造論の立場に立って進化を勉強したいがどうすべきか、と当時「進
化論を斬る」
という本を書かれた、
稲垣久和先生にお手紙を書いたことがありました。
そのお答えとして「進化論が出てくる背景として神学・哲学をまず修めなさい」とい
うアドバイスをいただきました。私としてはちょっと意外な感じがしましたが、その
アドバイスがずっと活きており、本日の話のひとつの核となります。
また、大学に入学した時に(聖書の創造の記述を現代の科学的知見によって説明し
ようとする立場である)創造科学研究会が設立され、入会いたしました。このことも
別の影響を与えていくことになりました。
学生時代の専攻
大学時代の教養学部の理学科生物学専修というところで、理学部ではありませんで
した。そのため、科学史と科学哲学が必修であるという特徴があり、それは良かった
と思っております。本日の話の大事な部分になります。
また、専門の講義を聞くときには、創造科学的発想の影響下で履修していました。
たとえば、
「前提」なり「仮定」をかえたら、創造科学の言っているシナリオに合致す
るのか、絶えず考えながら生物学や地質学の講義を聴いていた感がありました。
いよいよ講義を聴く段階から、研究をするために所属研究室を決める段階になった
時、創造科学的な背景を背負っていた私にとっては、他の学生とはちょっと違った気
構えがありました。(現代の科学的探究の場は大規模な共同作業が要求されること、あ
るいは師弟関係は卒業後の活動にも大きな影響があることを考えると、)研究室に所属
88
することは、いわば徒弟制度下の一門に入門するような意味を持っています。二人の
主人に仕えることはできない、とあります通り、予想されることですが、当時の私は
自分の信じていることで、話の通じない異分子というような誤解を研究室で受けたく
ない、あるいは、研究室での意見や思想の衝突を避けたいという意識がありました。
また、
(そのような誤解や衝突を吹き飛ばすほど)自分自身の能力に自信があったわけ
ではありませんでした。そのため、高い成果と積極的な研究室業務への参加を期待さ
れるような、研究室に所属することを敬遠している部分がありました。今思うとその
意識はマイナスであったと思っています。誤解を生むことに慎重でなければならない
とは、今も思いますが、アクティブな研究環境は若いときに必要な訓練を提供してく
れると思います。私が学生時代、研究室での生活で、研究業績の具体的な意味とその
重要性を十分に感じ取らないまま、
大学院に進んだことはその後の研究人生にとって、
良くなかったことだったと思っております。
研究テーマ
私は学部生のころから、生物学の中でも進化を前提としているテーマではなく、進
化そのものを研究したい、という意識をもって研究テーマを選んでいました。以下が
これまでの主な研究テーマの一覧です。

ラン科植物(コチョウラン)の一種の種内変異(卒論)

大学および大学院時代は「種」とは何かという問題にこだわりを持って
いました。

ヒトと類人猿における血液タンパク質変異(修士論文)

サバンナモンキー野生群における系統地理学・集団遺伝学(博士論文)

「種」の下の分類段階に「亜種」というカテゴリがあるのですが、ある
遺伝子の違いを定量化しますと、同一亜種内にハプログループというカ
テゴリで分類構造があり、
それは亜種レベルでの違いに匹敵することを、
アフリカミドリザルのエチオピア地方の亜種で見つけた、という仕事で
す。

チンパンジー野生群における系統地理学・保全遺伝学

西アフリカのある地域のチンパンジーについて、その進化的背景と遺伝
子レベルでの多様性や保全的評価に関する仕事です。
89
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行

類人猿のゲノム進化学

人類集団における集団遺伝学

世界中の現生人類、約600人で、ゲノム中遺伝子のうちのある一領域
を互いに比較したところ、おそらくネアンデルタール人が生きていた時
代に、そのような今は絶滅している古代人が現代人の祖先と混血したら
しい証拠が含まれていることを見つけたという仕事です。

人類多型データベース構築

現代人の遺伝子レベルでの個人差について、
データベースをデザインし、
公開する仕事です。

mRNA スプライシング機構の進化

今やっている仕事です。
<第2部:私の科学観について>
聖書信仰を貫く際に科学観を確認することは重要なこと
科学観、すなわち科学に対する見方・考え方は、研究者のみならず、現代に生きる
すべての人にとって、整理されておくべきことだと思います。と言いますのは、現代
では生活のあらゆる領域に科学の影響があるにもかかわらず、何が科学なのか吟味さ
れずに語られることが多いからであります。
それゆえ、
語る者が意図しないところで、
混乱を招き、それが福音理解にも負の影響を与えていることを、一般的に見ることが
できるからです。
特に私の専門が生物進化ですので、
教会で話す時には誤解のもとになってきました。
まず、聖書信仰をいただいている、私が科学をどう認識しているのか、つまり科学観
を最初に説明する必要があると思います。
今回は私が科学論について、受けた教育や読んだ本をざっと振返りながら、お話し
たいと思います。
科学的命題とは
まず、科学的命題とは、どういうものでしょう?いろいろな言い方ができると思い
ますが、ここでは「真偽を判定できる文の内容」としておきましょう。
90
科学的方法論とは
それでは、科学的方法論とはどういうものでしょう?こちらもいろいろな言い方が
できると思いますが、稲垣久和著(1981)「進化論を斬る―科学とキリスト教」を参考
にしますと、
「論理的に筋の通った説明」できれば「数式による定式化」による説明に
より論を進めていくこと、といえましょう。ここで我々が科学的方法論を理解するう
えで、重要な側面は、文化的・思想的背景や嗜好を超えて、人々の間で納得できる方
法論であるということです。さらにそれは聖書の記述で使われている方法とは、質的
に異なっているということで、後ほど詳しく見ていきたいと思っているところです。
科学についての歴史的理解
科学的方法論をあっさりと定義してしまいましたが、歴史的にはダーウィンなどの
科学の巨人たちの時代と現代とでは、その意味するところが違うと思いますし、現代
であっても、科学哲学者の間では、厳密にはそれぞれの違った答えをされると思いま
す。私は科学史が専門ではなく、このような場で話をするのには力不足ですが、私個
人がおもに学生時代に見聞した科学史研究成果が、自らの科学と聖書信仰との関係を
理解するのに大事であったと認識していますので、
当時講義や本で教えられたことを、
簡単に振返ってみましょう。
科学的方法論が発達する前の中世ヨーロッパでは「哲学(学問)は神学のはしため(下
女)」という言葉があったそうです。この言葉で2つのことが確認できると思います。
一つ目は、近代以前「知ること」は神学が中心であったこと。2つ目は学問が専門分
野に分かれておらず、ひとくくりにされていたことです。
その後、
中世から近代へと移り変わっていくころ、
聖書と自然を二つの書物として、
両方とも神の御性質を知る手段という意味付けを与えられていたようです。このこと
は科学がなぜヨーロッパで始まったかという問いに対し、ひとつの答えを与えると、
私が学生時代に渡辺正雄先生の科学史の講義などでは教えられました。といいますの
は、このような自然と宗教との関係があったからこそ、自然を被造物として、観察対
象あるいは管理対象としてとらえることができ、科学が発達した。ところが自然の中
に自らを置いて考える東洋的な汎神論の土壌では、技術は発達したが、科学的方法論
として構築の方向に向かわなかった、というわけだそうです。
91
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
科学が神学を凌駕する方向へ向かった契機を作っていったのが、フランシス・ベー
コンやルネ・デカルトといった16世紀後半から17世紀の知の巨人と言われていま
す。ベーコンの科学に対する歴史的な貢献としては、人間がもつ偏見や先入観(イド
ラ・偶像)を排除して理解することの大切さを説いたこと、また帰納法とよばれる、
実際の観察結果を集めることで、一般法則を見出す、という「真理」発見方法を提唱
したことでしょう。またデカルトは徹底的に疑うことで、その疑っている私自身の存
在は疑えないことで有名であります。彼は物事を小さく区切って分析したうえで、総
合するという還元主義的な方法論を提唱しました。このような時代の空気の中で、神
学と世俗の学問との間を分離していく傾向、あるいは学問領域が専門化。再分化の方
向へ向かうことになります。
このような流れに対し、当時のカトリック教会の一般的な自然観に関する態度は、
以前より教会として採用していたスコラ学およびアリストテレス学派の見方を堅持し
ていた、と聞いています。スコラ学は11世紀以降カトリック教会の神学者たちの間
で行われた学問のスタイルで、聖書を含む古典を批評的に学ぶスタイルだそうです。
代表的な神学者にトマス・アクィナスがおり、彼がアリストテレスの手法を神学にと
りいれたとされています。アリストテレスといえば万物の祖として知られ、生物学の
領域もほとんどがアリストテレスに遡ることができます。アリストテレスは優れた観
察眼をもって自然現象のありとあらゆる事象に説明を加えたといえるでしょう。ただ
しアリストテレスもギリシャ哲学の人であり、ギリシャ時代特有の説明の仕方で世界
を眺めていたといえるでしょう。近代科学の一切の前提を疑う手法とは、そぐわない
面があります。また元々批評的に学ぶスタイルであったスコラ哲学といっても、トマ
ス・アクィナスが偉大すぎたためか、その後のスコラ学派あるいはローマカトリック
教会はトマス・アクィナス自身を批判的に見ることはなかったのではないでしょうか。
フランシス・シェ-ファーの著作で近代科学の勃興について書かれた章を高校生のとき
に読みましたが、そこには、
ローマ教会がコペルニクス(1475-1543)とガリレオ(1564-1642)を攻撃したのは、彼
らの説が聖書に反したことを実際に含んでいたからではなかった。教会の権威者た
ちはそう考えたが、それはアリストテレス的要素が教会の教説の一部になっていた
からに過ぎない [「それでは如何に生きるべきか」(1979)p129]
92
と書かれています。おそらくそうすることが信仰的と考えていたのではないかと思
います。この歴史から学ぶことができるのは、われわれ人間の本性は時代によって、
そう変わるものではない。ただし、認識のしかた、思考の仕方は時代によって変わっ
ていくということ。神学的教説であってもただ聖書のみからなるものではなく、人間
の認識を通って形成されていること。長く受け継がれた歴史のある教説や偉大な先駆
者による教説は時代とともに再構築される必要が生じても、それに気づきにくい、と
いうことではないでしょうか。
ところで、惑星の運動の様子をプロットするとスライドの図 1 のようになります。
図1
逆行:2001 年火星の運行
http://www.astrophotoclub.com/tenmonyoug
o/s96.htm
これを例にして、当時の見方を振返ります。近代科学の前は自然神学(という、科
学的知識を用いて聖書を解釈しようとする神学)の影響がありますので、まず「デー
タありき」ではなく、
「神様が定めた一般法則ありき」からスタートします。それにア
リストテレスの体系が存在していました。アリストテレスが採用した宇宙モデルは地
球が中心の同心円でした。当時円は完全を表していました。完全すなわち神的な神聖
なものという図式があったようです。神聖で完全な物体が、不規則で一様でない運動
すなわち不完全な運動をすることはあり得ないと考えられていました。ところが惑星
が不規則に運動していることは(図 1 で)見たとおり否定しようもなかった。この矛
盾を救うべく、
当時の天文学者は規則的な円運動から惑星の運航を導き出せることを、
数学を駆使して示すことが仕事でありました[OU 科学史(1983) p.74 創元社]。
そこで、後期ギリシャ時代に離心円、周転円、エクァントなるものを作り出しまし
た(図 2)。これで、惑星の運航は矛盾なく観察結果を説明できるそうです。ただ観測デ
ータの蓄積、精度の向上に伴い、修正を重ねる必要が生じてきました。地動説のコペ
ルニクスはエクァントなしで説明することはできましたが、結局は円を神聖視する見
93
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
方が強く、
実際には太陽を一つの焦点とした楕円軌道する惑星の運動を説明するには、
周転円は必要でした。17世紀になって望遠鏡が発明され、周転円の数を増やすなど
の工夫では説明できないことが増えてきました。ケプラーの法則、ニュートンの運動
の法則および万有引力の法則によって、楕円軌道のモデルがそれまでより、はるかに
シンプルに観測データを説明できるようになりました。
この例で私が示したいことは、
神様の清さ、完全さは変わることがないですが、科学上の知識は変わるということが
一つです。またもう一つは、よりシンプルに説明できる説の方が美しいし、説得力が
あるということです。
図2
離心円、周転円、エクァント
OU 科学史 I(1983) p.74 創元社
歴史つながりで、生物に対する見方の変遷をたどりながら、ダーウィンの進化理論
が出てくる背景を考えたいと思います。生物に対しても、今日の私たちからみれば、
どうしてそんな前提があるの?と思われるような思考の枠組みが、中世以降のヨーロ
ッパにはありました。それは「存在の大いなる連鎖」という枠組みです。神を頂点と
し、次に天使、という序列で人類も動植物、鉱物までが序列化された枠組みです。特
徴は全てを一つの価値観で序列化することですが、もうひとつギャップや飛躍を嫌う
ということがあります。起源はギリシャ哲学、プラトンの「充満」ですが、18世紀
になるとさらに時間的感覚がとりこまれるようになりました。チャールズ・ダーウィ
ンが「自然は跳躍しない」という句を愛好した(だから種は少しずつ進化するという
ことになるのでしょうが、)というのも、この概念につながっていると言えるのではな
いでしょうか。一つ一つ深くは踏み込みませんが、」科学史研究家の多くは、「存在の
大いなる連鎖」
「啓蒙主義と楽観主義の台頭」「機械論的自然観」の3つが絡み合って
進化思想が生まれてきたと述べています。たしかに、チャールズ・ダーウィンの著作
を読むと、その洞察力とバイタリティに圧倒されるのですが、もう少し前の時代から
ヨーロッパでの思考的枠組みの歴史的変遷を考えたときに、進化理論は歴史的必然と
して登場したという感じを私は持っています。チャールズ・ダーウィン直前 18C 後半、
ウィリアム・ペイリー(1743−1805)という当時の権威が「自然神学」なる本で、全て
94
の生物は神が天地創造の時点で完璧な形でデザインしたとする説を発表しています。
当時、大航海時代の産物として世界中の動植物の標本が集められ、知見が急速に増え
ていきます。神学の中にもギリシャ哲学から引き継いだ理性を強調する立場で神様の
御計画を当時の知的な枠組みで説明することが盛んに行われていたようです。ダーウ
ィン自身もこの「自然神学」を大学の教科書として用いたようです。
現代の科学論
さて、現代の科学論ですが、私が学生時代に受けた授業ではドアの絵(図 3)を見せら
れるところから始められました。
「このドアは曲がっていますか?」
普通に答えると
「曲
がっている」となります。ただし次の図(図 4)はいかがでしょう?一概に曲がって
いるとはいえなくなりますね。要はスクリーンの枠を基準に見る場合、家を基準とし
て見る場合とで評価が変わってきますね。現代の科学論で問題になるのは、個々のデ
ータだけでは何とも言えず、概念の枠組み(conceptional framework)が重要だという
ことだ、と教わりました。
図3
図4
このドアは曲がっていますか?その1
このドアは曲がっていますか?その2
さらに具体的に理解を深めていただくために、学生当時覚えたキーワードを中心に概
観してみたいと思います。まず、
「理論負荷性」という言葉です。図(図 5)のような
画面を見ながら作業しているとします。
図5
「理論負荷性」の例:
データとして見るのは一部の人のみ
95
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
この図は現代人がネアンデルタール人のような絶滅古代人との混血があったことをし
めすデータなのではないかと、このコンピュータ画面を家で眺めていました。そこへ
家人が入ってきてこの画面を見て言います。「あら、きれいな色使い。」これは、同じ
ものを見ても、見る人によって意味が異なることの例です。ということは「科学的事
実」は「理論」
(あるいは予備知識)を前提として成立しているということになります。
つまり、ある実験結果としての「事実」は、総合的な理論系のネットワークとの関連
づけの中で、はじめて意味を持ってくる、ということになるといいます。このことを
理論負荷性と呼ぶそうです。さらに理論がデータから作られるのではない以上、それ
は一種の規約(convention)と看做そうという考えを規約主義といいます。それではす
べてが「規約」ならば、疑似科学と真正な科学とをどう区別するのか、という批判が
でてきます。ここではカール・ポパーという科学哲学者が挙げている例ですが、共産
主義の理論では歴史的事実を積み上げて、
「科学」として論を進めています。このよう
な例と天文学や物理学の理論との間に境界は無いのか、という問いを彼は発したと言
います。そこで彼が出した解決策が「反証可能性」の概念です。つまり、科学理論を
示す法則は「全ての S は P である」(例えば、私の受けた村上陽一郎先生の講義では
「すべての火星人は3本足である」、)
という普遍言明のかたちをとります。
いくら個々
の火星人を調べ、確かに三本足だったとしても、それでは「すべての火星人は三本足」
は完全に証明されたことになりません。いつ3本足でない火星人が発見されるかわか
らないのですから。つまり厳密な意味では、経験的に検証しきることは論理的に不可
能であるのです。ポパーはこの点を利用しました。反証可能性を備えていなければ、
つまり反証の余地がなければ「真正の」科学とは言えないというのです。つまり、マ
ルクスの歴史理論あるいはフロイトの精神分析理論などは反証をゆるさない形で出来
上がっているので、科学とは呼べなくなるというのです。ここで先ほど、話題になり
ました「科学的命題とは」につながってくるのです。さらに私の個人的な思い出話に
なりますが、大学生当時「創造科学研究会」という聖書の記述を文字通り起こったこ
ととして科学的に立証し伝道に役立てよう、という趣旨の会に積極的に参加しており
ました。そこでは創世記1章の記述どおり世界は現在の時計とおなじ一日24時間と
して、
七日間で世界が創造されたということを科学的に説明しようとしておりました。
その中で、宇宙のはるかかなたから何億年という時間をかけて地球に到達する恒星の
光を、どう七日間の創造で説明するのかという問いが生じることになります。その一
96
般的答えは、神様は光を創造されたときに、それぞれの星から地球までの何億光年分
の光を一瞬で創造された、というものでした。たしかにそうかもしれませんが、そう
でないかもしれません。反証ができない種類の答えであると私は思いました。
さて、
もうひとつ現代科学論で大事な概念がパラダイムおよびパラダイム変換です。
この用語は、規約主義のなかでも規約が科学の歴史上どのように変わってきたか、お
もに研究者・観察者の心理まで踏み込んで議論することに興味を持った、科学哲学者
たちによる言葉です。科学の歴史は累積的なデータの積み重ねのときもあるが、そう
ではなく不連続的に考え方の枠組みが変わることがあるというものです。私自身学生
時代は創造論と実際行われている科学的営みとの間をつなぐものとして、このパラダ
イム変換に期待している部分があったように思います。
どういうことかと言いますと、
実際の科学的営みでは仮定していないことが、もし実際は存在したならば、普通に言
われている科学的解釈は随分変わるでしょう。たとえば、当時の創造科学の人たちが
創世記1章「大空の上の水」の解釈として挙げている「天蓋」(地球を覆う水蒸気の層)
が、もし存在したならば、年代測定の理論も見直すことになるであろう、などいった
ことです。イメージとしてはグラフに直線を表す式(y=ax+b)を考えた場合、直線の傾
きの値(a)は理論から求まっており、変わらないという状況でも、座標軸との切片の値
(b)が変わるとグラフは平行移動しますね。年代推定理論は傾きを与え、実測値が切片
を規定するので、そのような切片の値を従来とは違った値を与えることで、傾きは同
じでも年代推定は変わることになります。科学の前提が変われば、傾き(理論)は変わ
らなくとも推定値は変わるのではないか。地球の年代測定でも若い地球像が導かれた
りするかもしれない、などと空想しているような学生でした。
科学論の説明が長くなりましたが、要するに科学的方法論とは単純に白黒つけられ
るものではない、ということが言いたかったのです。
「今の理論では説明できない一つ
の結果が出ました!それみろ~~理論は間違いだ」、とか逆に、一つの結果で「~~は
証明されました!」といえるようなものではない、ということです。
自分自身の皮膚感覚
大学院に入り実際に自分で研究する場面になると、そのような空想は大風呂敷を広
げているということで話がかみ合わない状態でした。実際の研究室の現場では科学論
の違いなど問題になることは無く、型にはまった実験をひたすら繰り返しデータを出
97
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
すという作業でした。ある時研究計画書をいろいろな先生方に見ていただいきコメン
トをいただいたことがありました。やはり私の研究計画はどうしても大風呂敷を広げ
たものとなり、限られた時間の中で答えを得る形に持っていけておりませんでした。
そのような計画書に対し、与えられた印象的なコメントは「君の考えているようなこ
とは、一つ一つの研究の積み重ねの結果として、言えることである」というものでし
た。肩の荷が下りたような感覚でした。
私の研究室での皮膚感覚として科学論を考慮するよりも、もっとシンプルに状況証
拠を一つ一つきっちり積み重ねていくことが一人の現場の研究者に課せられた仕事な
のだということで理解しています。実際にデータを解釈するにもシンプルに説明でき
るかどうかという単純な判断基準がじつは大事であるということも、思わされます。
実際科学の歴史を先ほど話した際に、同心円の天動説から楕円軌道の地動説に変わっ
た時もシンプルに説明できる点が決め手になりましたね。自然神学なりギリシャ時代
の伝統的説明なり、
近代科学前の説明は証明不可能な教説なり教条から出発するので、
複雑なモデルを作らないと現実のデータと合わなくなっていくものだと思います。シ
ンプルな説明とは、それだけ前提となる先入観が少ないことの表れ、と考えた方がよ
いと思っています。生物進化のデータの中で私がシンプルな説明が説得力あるとする
例は、DNA の配列データです。DNA は遺伝子本体であります。ダーウィンの時代と
違って DNA 分子の進化はその大部分が淘汰に対して中立と看做すことができます。
ですので、DNA 配列は時間とともに突然変異によって変化していきます。DNA 上の
突然変異には大小いろいろな規模といくつかのパターンがあります。それら突然変異
は規模やパターンによって起こる頻度は変わりますが、おこる場所は基本的に DNA
上のランダムな場所です。図6は遺伝暗号の単位が置き換わるタイプの突然変異を示
しています。このタイプの突然変異は時間に対してほぼ一定の割合で起こります。こ
のような性質を利用して DNA の同じ場所を比較することで、お互いの類似度および
時間的にどのくらい離れたものか求めることができます(図6A)。これをシンプルに眺
めると種の分岐の順序が描けることになります(図6B)。また、遺伝暗号中に別の配列
が挿入されるタイプの突然変異もあります。DNA 配列の長さは非常に長いので、挿
入される場所はランダムで、しかも一度挿入されたら偶然に全く同じ位置で切り出さ
れ除かれることはありません。挿入されたまま、世代を重ねて遺伝暗号が伝わってい
98
くので、挿入の有無を先祖の記録として用いて分類できることになります。こちらも
種の分岐の順序を示すことになります。
ところが種は創造の始めから変わらない、という自然神学の教説を前提としたら、
神様がわざわざ何らかの目的を持って DNA の配列に時間とともに系統が順に分岐し
たように見える違いを造られたということになりましょう。では何の目的か、救いの
教義と一貫性をもった説明が必要になり、話が複雑になってしまうのではないでしょ
うか。ちょうど先ほどの惑星の軌道は円と神様が定めたと主張して、周転円など複雑
なモデルを持ちだしてこなければ説明がつかなくなったことと似ていいます。
図6
遺伝暗号の単位が置き換わるタイプの突然変異
と得られる分子系統樹
意味局面(領域)について
以上、私が大学で一般学生向けに講義を通じて教わった科学論を話の取っ掛かりと
して、お話してまいりましたが、ここからは稲垣久和先生の著書にあります、キリス
ト教哲学の紹介になります。少し長くなりますが、抜粋します。
ある時新聞記事のトップ・ニュースに「列車正面衝突、20 人死亡、380 人重軽症」
という見出しで、S 鉄道でおこった事故の報道がありました。ここでまず、「死者 20
人」という数が目に飛び込んで、大事故だという印象を受けます。「現場付近は標高 300
メートルの○○盆地の一角」という記述で、空間的な感覚がわかります。「正面衝突」で
すから、正反対に運動していた二つの鉄の塊から発生した物理エネルギーはすさまじ
いものであったことが予想されます。「現場は緑の田園地帯の真ん中」ということで、
生命感あふれる植物群が目に浮かびます。けが人は病院に運び込まれてもスペースが
なく、「廊下などに放置されたまま『痛いよう』などとうめいていた」という描写から、
人間的心理が耐え難い極限に達していることが読み取れます。翌日の新聞には事故原
99
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
因の分析が始まったと報道されていますので、人間の論理的思考も介在しています。
そもそも新聞報道というものは言語を媒介にしてなされますが、その解説によれば、
全国で死者が 7 人以上出た列車事故は、1955 年以来 10 件あったと言います。列車事
故にも歴史があるのだということを教えてくれます。救助工作隊の出動は、人間の共
同的、社会的作業ですし、被害者への補償という面になれば経済的かつ法的な側面が
関係してきます。また悲惨な事故ではあっても、出動した消防車のデザインにはそれ
相当の機能美が感じられるでしょうし、
さらには「現場近くに住む人が救助の手伝いに
駆けつけた」ところには、人間だれしもがもつ道徳的感覚が認められます。「こんなの
どかな田園地帯で列車の正面衝突なんて信じられない」という目撃者の感想には、「信
じる」という人間の基本的機能が表現されています。
(稲垣久和, 1994,「生きる意味を
求めて」p21、太字は演者による)
この例で稲垣先生は一つの事例あるいは「個物」が15に分岐した意味の局面によ
って特徴づけられることを紹介しています(図7)。これら 15 という数字そのものがな
にかマジックナンバー的なものではないので、局面の数は分け方によって変わるかも
しれません。ですが大事なことは還元主義のような細かいレベルに還元することを考
えたものではなく、むしろ互いに還元できないものであり、それぞれが領域主権を持
っていること。かといって互いに独立なのではなく互いに調和を保つべきものである
といいます。さらに被造物である人間がどれかの局面を絶対視すると反動として、別
の局面が絶対視されてしまう。福音はこれらの全局面を調和させる出発点であると言
います。
図7
意味局面
(稲垣久和,1994,「生きる意味を求めて」,
いのちのことば社)
100
近代以降の合理主義は 7 番目の論理的局面と科学的方法が絶対化してしまいます。教
会もまた近代以降、理性と信仰の間に葛藤を生じております。論理的局面が絶対化す
ると、合理主義を招くとされ、聖書の字句を必要以上に現代科学のデータと一致させ
ようとする、といいます。いわば合理主義思想に信仰を従属させることである、とま
で言われています。それと反対に、信仰的局面が絶対化しますと、信仰主義を招きま
す。信仰主義とは信仰を心の問題として内向きに限定し、現実社会の問題に信仰を関
わらせようとしない態度と説明されています。
このキリスト教哲学でいうならば、私のように、進化学研究で生活しているものは
どのように生きるべきでしょうか。各々の領域主権をまず尊重したうえで、各局面を
キリストに在って調和していくことであろうと、
私は理解しています。
科学的手法は、
偏見や主義主張を超えて、理解しうる合理的な手続きを、少なくとも、目指すことで
定まってきました。キリスト者である私もその枠組みの中で、受け入れるべきものは
受入れて、その上に自分の結果を積み上げることになります。私が普段解析に用いて
いるのは DNA の配列データでありますが、通常の科学的手法に従ってデータを眺め、
解析すれば、キリスト者であるかどうかに関わらず、進化について新たな知見を増し
加えることになります。そこに聖書の記述を持ちこんでそれに合わせようとすれば、
無理が生じることは、私の体験としても分かっております。同時に、科学的営みと聖
書解釈の営みとの間の、質的と言いますか意味的な、違いもわきまえ知ることが重要
だと思っております。例えば、聖書は永遠に変わらない神の言葉でありますが、他方、
科学は日々新たに変化するものです。現在の科学的知見は 100 年経ちましたら、多く
の物は古くなりましょうし、訂正されているものもあるでしょう。ところで、被造物
を観察することで一般法則が導けるというのも、究極的には神様がそのように秩序だ
って創造されたことの表れだと思います。進化の法則も同じことがいえます。進化を
研究することによって、進化の法則がますます明らかになっていく。その法則の究極
的はじまりとして創造者を覚えることになればと思います。
かつて、私も「進化か創造か」というようなタイトルの本をよく読んでおりました
し、福音派の教会内では今でもよく耳にします。このような問いのスタイルは、キリ
スト教哲学の意味局面がいうところの、領域主権が守られていない例ではないか、と
私は思います。自然界を科学的手法で解析する時、進化理論が導き出されるのは、科
学的手法の当然の成り行きでありますし、聖書がそのような科学的手法の結果をまと
101
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
める、あるいは教える目的で書かれたものではありません。次に述べますように罪の
起源と結果、およびそこからの回復のメッセージの出発点としての創造の記述であり
ます。局面の違うものどうしを比較しているように私には思えます。いわば、この地
上で生きていくためには必要なものは「心か体か」というような比較をしているよう
であります。どちらも必要です。むしろ「健康な体か病弱な体か」とか「気前の良い
心か貧しい心か」のように同じ領域の属性を比べるべきです。
<第3部:私の聖書観について>
私が救われた当時学んだように、聖書は原典において誤りのない神の言葉であると
信じております。また、創世記 1 章の記述を通じて、神様はこの世界を創造されたこ
と、その世界は神様の目には甚だ良かったこと、そして、その被造物の管理者として
の目的を持って、
人をご自身の息を直接吹きかけて創造されたことを信じております。
この息を吹きかけるというところは、神ご自身の主権により、人を他の被造物とは霊
的に異なった特別の存在として創造されたことを意味すると信じております。また、
人はこのとき被造物を管理する仕事を、喜びをもって行い神様とともにいることを喜
ぶ存在であったと、創世記 2 章は教えていると信じております。さらに創世記 3 章は
罪の本質は神から離れること、つまり神の創造の業の目的から外れるとともに、神と
の交わりを避けることが罪の本質であることを教えていると、信じております。さら
に、代々人は生まれながらにして神との交わりから断絶したところ、つまり罪の中に
生まれ、自分の力では神との交わりに入ることはできないことを信じております。一
方、愛なる神は、このような状況を良しとはなさず、罪のない御自分のひとり子であ
るイエスキリストを十字架につけて、人類の罪を背負わされ、人が再び神と交わりを
回復する手段、すなわち救いの道を用意してくださったことを信じます。また、回復
された神との交わりは永遠であり、それが永遠のいのちであると聖書が教えていると
信じています。イエス様の復活はそんな永遠のいのちの約束の証であると理解してい
ます。また地上においては依然、様々な制約があり、私たちは許された罪人にすぎな
いこと、その状況の中の助け主として聖霊が私のうちにともにおられることを信じて
います。
以上の告白の中に含まれましたが、創世記の 1-3 章の伝えるメッセージは、私たち
は目的を持って神に形づくられたこと、しかし私たちはその造られた目的から外れて
102
しまい、神によって壊され砕かれる、すなわち滅ばされるべき存在であったことを教
えています。また罪とは人間社会の道徳的な悪を指すというよりは神との交わりを持
っていないことを指すことを教えています。
聖書全体に拡大したとしても、その伝えるメッセージは滅ぶべき我々が、イエス様
の十字架によって、創造のときと同様、神様との交わりを回復させてもらったという
ことではないでしょうか。それが福音であり、聖書の書かれた目的であるとも言える
と思います。
逆に聖書の書かれた目的は、科学の教科書ではないことも重要な点であるかと思い
ます。たしかに神の言葉は誤りのないものであるはずと私たちは信じます。ここでい
う誤りとは科学的命題として、真偽を判定されるべきものなのでしょうか。わたしは
そうではないと思います。
たしかに先ほどまで見てきたように科学的命題といっても、
すべてが竹を割ったように単純に真偽を判定できるものばかりではありませんが、神
の言葉としての聖書に誤りがないというときには、科学的な命題として言っているの
ではないといえます。
私が信じているのは、
聖書は神から私たちに与えられたメッセージでありますので、
上から下に一方的に与えられるたぐいのものです。一方近代以降の科学はあらゆる先
入観を排して、人間側の知的営みで下から積み上げられていく類のものです。いわば
方向が別といえます。
たしかに個別の聖書箇所には解釈の難しい個所もあります。しかし、聖書の大局的
なメッセージを忘れないようにするためのいくつか注意するポイントというものがあ
るかと思います。
その一つは、聖書は神の言葉であるのに、人間の言葉で書かれているという点では
ないでしょうか。無限の神様を有限な人間の言語に閉じ込めておくことができるので
しょうか。それも特定の時代の特定の地域の言葉を使って。
例えば、創造の奇跡をどうやって人間の言葉で表現するのか、このこと自体非常に
無理のあることであると言えないでしょうか。たぶん時間も空間も、それから時代の
思考の枠組み、そういったものに限定された人間の認識をはるかに超える創造の奇跡
は、
人間の認知機能を超え、
当然人間の言語に落とすことは不可能だと私は思います。
ただし、神は福音を我々の手で隣人に伝えるように定められました。まさに、第1コ
リント1:17-25に書いてある「宣教のおろかさ」の通りです。
103
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
さらに人間の言語間でも民族や時代によって、言葉、概念、発想に大きな違いがあ
り、今の我々の言葉のイメージを押し付けられない場合もあります。レビ記 11:4 には
ラクダはひづめが分かれていないので、
あなた方には汚れたものと、
書かれています。
私は現在のパキスタンとエチオピアとでそれぞれ現地で飼われているヒトコブラクダ
を見たことがあります。実際その背中に乗ったこともございます。そのとき撮った写
真(図8)をみますと、ひづめはわかれているのですね。このことは私が自分で気づい
たことではなく、大学時代の文化人類学の講義のなかで青柳清孝先生が言われたこと
を覚えていて、写真をとっておいたわけです。考えてみればレビ記が書かれた時代と
場所では、ラクダは普通に見ることができたのではなかったかと思います。我々の言
葉に訳された場合、
変ですが、
当時の人にとっては問題とはならなかったと考えると、
字句通り解釈するのでなく、文化による認識の違いまで考慮する必要があるというこ
とでしょうか。らくだの足には、現代の私たちの言う「ひづめ」が2つありますが、
他のひづめをもつ動物と違って、足が地面に接する部分はひづめだけでなく、肉の部
分も多く接します。他のひづめがある動物はほとんど「ひづめ」しか地面に接してい
ません。ですから、レビ記 11:4 を現代の我々の言葉の使い方に意訳するとすれば、
「ひ
づめが分かれていない」というよりも「ひづめが典型的ではない」というべきでしょ
うか。
図8
ラクダのひづめ
(© Makoto Shimada)
聖書を字句通り解釈すると混乱するもっと重大な個所はほかにもあります。創世記
1 章では人は第 6 日目に獣の創造のあとに造られたと読めます。ところが隣の 2 章で
は人を形づくられた後、人が一人でいるのは良くない。ふさわしい助け手を造ろうと
いうことで、獣を造られ人の前に連れてこられます。つまり、順序が逆になっている
ように読めます。そうなるとここは字句通り、あるいは我々の時系列の感覚で解釈す
べきところではないことがわかります。よく教会で「私は進化を研究しています」と
104
いいますと「それでは創世記と書かれていることと矛盾しますね」といわれますが、
それに対し、
「それは聖書を科学の教科書としてみるからです。その見方では創世記の
1 章と 2 章とでも矛盾しますよ。」と答えたらよいと思います。
そのようなことを考えますと、私たちが聖書に接するとき、自分たちの読み方、と
くにその前提となっていることをよくよく吟味することの必要性を迫られます。アウ
グスティヌスも戒めていたそうですが、聖書のなかであまり具体的でない記述、ある
いは多くの人に隠されているとイエス様が言われているような箇所、たとえや黙示文
学調あるいは詩的表現で書かれているような箇所は、あまり具体的にイメージを作っ
て、さらにひとに語るということを軽々しくすることではないといえます。たしかに
私たちは具体的にイメージを得たいという欲求がありますが、異端とされるグループ
にありがちな、妙に具体的な終末論を提示することなどには慎重になる必要があるの
ではないでしょうか。
さらに付け加えるとすれば、同じ言葉であっても、専門用語として使われる場合に
は、日常の用語として使われる場合と混同しやすいということがあります。とくに福
音派の教会では「偶然」ということばがその例です。教会に行くと「あなたは偶然に
生まれてきたのではない」とか「進化論はすべて偶然により頼んでいるから駄目だ」と
いうようなことが語られるのを耳にします。私はこの語の混乱は再考されるべきだと
思います。進化理論の最もよく体系だった説明をあたえる分野は集団遺伝学というダ
ーウィンの自然選択とメンデルの遺伝学を併せて数学的理論で説明する分野です。数
学では確率として答えを出すことができます。この確率を使う時に、偶然という要素
が入ります。確率をもとめるときには神様の御心は普通計算に入れません。コインを
投げたあと、神様の御心はひとまず考えずに表か裏か 2 通りのどちらかとして計算す
るのです。メンデル遺伝を学生時代に履修した方はお分かりですが、親の遺伝子頻度
から次の世代の遺伝子頻度を求めるときには確率の問題になります。このような確率
的な事象をメンデル遺伝学、集団遺伝学、進化学で偶然といっているのです。このこ
とは単に「偶然」という一つの言葉の使い方にとどまらず、福音派の教会の中で神の
御心に対する神学的混乱がある、もしくは少なくとも、一般性を持つよう整理されて
語られてこなかったことに起因していると思います。よく教会の中で「すべてのこと
には意味がある」ということが聞かれますが、それはどういう意味でしょうか。「神の
御計画に従って召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくだ
105
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
さることを知っています」(ローマ 8:28)とありますが「すべてのことに意味がある」
とは言っていません。「神の御許しがなければ、鳥の巣も動かない」ということも信じ
ています。
ただすべてのことに神様の特別な意図が隠されているわけではありません。
コインを投げて表がでるか裏が出るか、それぞれの神の御心があるわけではなく、物
理法則に従ってコインは落下し、表か裏が上になるのです。進化学で言う偶然とはそ
ういう法則性をいっているのであって、神の御心とは別の領域を扱っているのです。
聖書観については神の言葉に関することが多くなりましたが、紹介させていただき
ましたキリスト教哲学でいうところの、
「意味の局面」に関することをひとつ言及しま
す。それはヘブル書 11:1-3 です。私たちは科学的に証明された、あるいは説明できた
から、聖書を信じているのではないということです。死者の復活や処女降誕も科学の
領域では有り得ないことです。それでも信仰においては基礎ともいうべき大事な事柄
です。イエス様は見たから信じたのですか?見ずに信じる者は幸いですといわれまし
た。私たちは科学的証明のあるなしにかかわらず信仰によって信じ救われたのです。
すでに話しましたように、現在はキリスト教哲学の意味局面で言うところの「論理的」
局面が巨大になっていますので、昔の自然神学のような聖書解釈をしていたら、この
順序が逆になり、科学的に証明したから信じるという方向へ流れる危険性があると言
えるのではないでしょうか。
批判について
さて、福音派の教会の中で時折見られる態度について批判のように聞こえる内容を
述べましたが、気を悪くされた方がおられましたら、済みません。それは私の意図で
はありません。教会の中で何か対立をあおるつもりはありませんし、一信徒の私はそ
のような立場ではありません。私の願うところは、進化をどう理解していいかという
ことで、神様に近づくことができない、あるいは妨げられている方々がいれば、その
妨げを取り除く手助けになることです。一致を探る目的で始めた対話が、必要以上に
兄弟間で意見を戦わせることになるならば、その時間やエネルギーを伝道に用いるべ
きだという考えでおります。
一般に私たちは持論をわかりやすく説明するのに、悪者を仕立てあげ、極端な例と
して引き合いに出して利用する弱さがあります。本日の中でも、自分自身がかつての
創造科学をステレオタイプ的に取り扱ってはいないか、顧みるべきであると思ってお
106
ります。かつて自分が属していたので、一口に創造科学といっても、様々な背景や思
いの兄弟姉妹がその立場に属していたことを知っています。
また、相手を批判するということは、学問の世界では自浄作用あるいは競争原理の
効果を期待して積極的に捉えられる傾向があると言えるかもしれません。
大学生の時、
村上陽一郎先生の科学哲学の講義を履修いるとき、先生がレポートかテストの説明の
際に言われました。
「私の意見に対し理解したうえで批判するなら結構です。それで評
価を下げたりすることはありません。ただし、理解しないまま批判したのでは、それ
は良い評価を与えられません」のようなことを言われたのを覚えております。一般に
キリスト者は全能の神様の側につくものとされたからでしょうか、相手を理解せずに
批判する危険性にさらされていると思います。実は私は福音派の教会には、もっと進
化理論あるいは科学の世界のことを知ってほしいと、思っておりますし、専門家が起
こされてほしいと願っています。それは、一つには研究者を救いに導くにはやはり同
労者というか同志でないと、なかなか心を開いた交わりができない、ということがあ
ります。もうひとつは、キリスト教哲学的な説明をしますと、先ほどの言いました通
り、神なき現代社会は論理的局面と科学的方法が絶対化している部分が非常に大きい
ので、研究者でなくともこの社会に属するものを獲得するには、パウロが言っている
ように、この世のただ中で絶対視されているものを、知る必要があるのではないでし
ょうか。
このような現代において、進化について知らないあるいは理解していないまま、進
化を批判するのはどうでしょうか。説得力がないばかりか、未信者や一般社会に対す
る信頼を失うことになると思います。いくつか教会内で耳にする進化に対する誤解を
挙げさせていただき、私の立場から簡単に現状をお伝えしたいと思います。
一つ目は「進化論は仮説にすぎない」という声です。実はこの「進化論」という単
語の使用からして、ずれている感があります。一般に生命科学の分野で「進化論」と
いう言葉は使いません。使われるのは歴史の話をするときです。現象を指す際には単
に「進化」といい、理論を指す際には「進化理論」と言います。それはよいとして、カト
リック教徒であり、私も学生時代に読んだ遺伝学の教科書の著者である、進化学研究
者のフランシスコ・J・アヤラはその著書『キリスト教は進化論と共存できるか?』(翻
訳:2008)の中で、この「進化論は仮説にすぎない」という声に対して、それをいうな
ら分子論(すなわちすべての物質は分子からできているということですが)は仮説で
107
第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
あるというのと同じ程度のことだと述べています。うまい譬えだと思いました。遺伝
子の配列が確率的に時間によって変わることを理論的に利用したおかけで、進化理論
は今や非常に緻密になり、しかも実際に配列を調べれば実証できるので、非常に確固
たる理論が築き上げられました。それが基礎科学とか純粋科学の枠を超え、現実に応
用されるようになってきました。例えばインフルエンザなどのウイルスは進化の理論
に従って、その遺伝子の配列を変えています。ウイルスと人類の付き合いの中で今や
進化理論はなくてはならないものになっています。また病気の起源を考えるときに
我々の遺伝子がどのように進化してきたかを進化学的に解析することは、今や普通に
行われていると言えます。例えば糖尿病などの現代病は食べ物をいつ食べられるか分
からない環境に適応していった人類の進化の歴史の中で、ごく最近直面した飽食の環
境との不一致として、説明されています。
二つ目の誤解は「小進化」と「大進化」を区別して考えることができるとするもの
です。実は私も学生時代ここに非常にこだわりました。「小進化」とは種内の進化で家
畜や園芸での品種などの程度の進化を指し、種を超えた進化を「大進化」といいます。
遺伝子の配列が時間とともに一定で理論化しやすいのに対し、生物の性質とくに目に
見える形などは時間に対し一定に変化するものではないので、化石記録から進化をみ
ると、形態的に定義した種がそうそう変わるようにはみえないという事実から、そう
いわれているかもしれません。あるいは種内では形態が多少違っている品種どうしで
も交配が可能であるが、種間では交配できないというイメージがあるからかもしれま
せん。このことについては 2 つのことをお伝えしたいと思います。一つは、交配可能
性は 0 か 100 かというものではないということです。遺伝的に遠くなるにつれて交配
可能性は徐々に下がっていくのが原則です。二つ目は、種というのは操作的、便宜的
な概念であって、すべての場面で使える定義はありません。現代進化理論は生殖隔離
が重要な役割を与えられています。すなわち、もとは一つの繁殖集団であったものが
途中物理的な障害物が生じ行き来できずに 2 つの集団に分かれそれぞれ世代を重ね始
めたとします。最初はそれぞれの分集団から実験的に 2 個体を取り出し繁殖させたと
したら、健康な子をもうけることができますが、時間が経つに従い、そのような交配
実験での繁殖率がだんだん下がるようになります。ついには全く交配できなくなると
きがきます。このようなときこれらを 1 種とするか 2 種とするかは、目的あるいは文
脈によって変わります。また、遺伝暗号の違いから、遺伝的に近い遠いという遺伝距
108
離を客観的に求めることができます。いろいろな組み合わせで遺伝距離を計算します
と、とくに断続的なものはみられず、なめらかな直線関係になります(図9)。つまり、
時間と遺伝子の違いの関係は、
種内の品種間のような遺伝距離の近い組み合わせでも、
あるいは植物対動物のように遠い組み合わせでも、同じ関係性が保たれています。大
進化と小進化の境のような断続面は分子レベルでは観察されないのです。
図9
様々な分類階級における分子配列の違い(概念図)
地質学的に分岐年代を高い信頼性で算出された二生物の間では、淘汰に対して中立的な変化をす
る DNA やアミノ酸分子の違いは、分岐年代と比例関係を示す。
遺伝的な距離に応じて適切な進化速度の分子を比較する必要はあるが、生物界の遺伝的距離は連
続的であり断続的な面は存在しない。
3 つ目の教会内でよく見受けられる誤解は「生物学的にヒトのみが他の霊長類とは
質的に異なっている」とする見方です。聖書が教えているのは「息を吹きかけられた」
ということです。これは霊的な意味です。生物学的には形態や能力の差はありますが
程度の問題と言えましょう。遺伝子レベルの違いは 1.2%、分岐年代で約700万年し
かないのです。これはスマトラのオランウータンとボルネオのオランウータンの間の
差より少し離れた程度の差です。こういうデータを自然神学的立場でみますと、
「神様
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
がそういうものとして創造されたんだ」ということになるでしょう。でもどうでしょ
うか。復活がなければ死を超えて主との交わりに入れられるとの教義が成り立ちませ
んし、
処女降誕がなければ罪ないお方としてイエス様の購いの教義が成り立ちません。
一方、遺伝子レベルで連続性がありながらも、ヒトが他の動物と別個に造られなけれ
ばならない教義上の必然性があるのでしょうか。
4 つ目が「進化」とは読んで字のごとく、良いものへ変わっていくという誤解です。
漢字圏でなければ進化には進むという意味がありません。英語で evolution は語幹に
回るという意味の vol がありますが、語源は展開という意味です。17 世紀に「変態」
を evolvere といって、個体が一生のうちに時間とともに違った形へ変わっていく様を
展開することに見立ていたようで、
それが生物全体の歴史展開に拡大されたそうです。
ここでは良いものへ変わっていくという語感がありませんでした。チャールズ・ダー
ウィンが、進化を淘汰によって説明したところ、それを社会学的に捉え、弱者は滅び
ゆくものとした社会進化論がでてきます。チャールズ・ダーウィン自身はその動きを
まじめに受け止めたことはなかったようですが、日本に進化論が紹介された明治期、
生物進化としてではなく、こちらの社会進化の方が積極的に紹介されました。そのた
め evolution に進化という語を当てたらしいのです。ちなみに生物進化であっても、
分野上の立場によって若干定義が異なります。私が学んだ集団遺伝学のある教科書に
は、進化を「遺伝子頻度の変化」として定義していました。すなわち形態やゲノムに
まったくの変化がなくても進化とよぶことができるのです。
<第4部:キャリアパスについて>
御心の落とし穴
私が進路を決めるにあたって混乱していた教えがあります。それは先ほど「偶然」
「確率事象」のところでも少し触れましたが、
「御心」についてです。私のようなもの
が語るのは気が引けるのですが、神の御心に逆らうことをしながら、あれこれと自ら
動くことを戒める聖書の個所はいくつかあると思います。ですがそれを拡大解釈し、
「自分であれこれ動くことは良くないこと」および「キリスト者はじっと御言葉を待
ち望むべきあるいは御旨のなるのを待ち望むべき」であるとしたり、または、
「神の御
心ならば何も動かなくとも大丈夫」、のような考えに陥ることはよくあります。私もこ
のことについて、
誤った考えを持っていましたし、
当時の教会の中でも混乱があった、
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あるいは少なくとも組織的に学ぶ機会がなかったと思います。丸屋真也先生は今年出
された著書「健全な信仰をどう育てるか」の中で「主は必ず導いてくださるから大丈
夫だ」という信仰を不健全な信仰の第一として挙げておられます。大事なのは神の導
きと同時に、
これは人の側の解釈であり、
責任が人の側にあるとの認識だと言います。
人間側の責任
私が大学院生のころ、たぶん誰の目にも心配に移ったのでしょう、別の研究室の先
生からアドバイスやら励ましを受けることが何度かありました。その中でも印象に残
っている言葉は「誰も助けてくれない」
「我われは岸から声をかけるしかできない。泳
ぎきるのは本人」という言葉でした。たしかにその通りで、キリスト者だからという
ことで、
状況が楽になるとか、
神様が人生におまけをしてくださるということはない、
のだと思わされました。私は教会の奉仕や日々の devotion で時間をささげるときに、
神様はこのささげた時間分をきっと何らかの方法で報いてくださり、研究生活には支
障ないようにしてくださるはず、
と信じて疑わないようにしていたところがあります。
しかし実際の研究生活は実際に費やした時間や努力に相応のもので、自分で刈り取り
をしなければならないものだと思わされました。クリスチャンになったからといって
1 日が 24 時間以上になるわけではないし、スーパーマンになったわけではありません。
みながつまずき、地べたを這っているところでは、クリスチャンであっても同様であ
ること。逆にそうしないと競争社会では残っていけないという認識が必要でした。
理神論という立場があり、17-8 世紀の研究者たちの少なくとも一部が持っていた信
仰の立場ですが、神様は法則を造り、世界が動き始める最初だけこの世に関与し、あ
とは創造した法則にしたがって世界が動くに任せている、というものです。実際に仕
事の作業に取り掛かっているときは目の前のものに集中しているからでしょうか、現
実の研究生活の中で神を覚える時間をとることや瞑想することができなくなり、理神
論のような信仰生活になっていきました。先ほどの「偶然」という言葉の使い方、
「御
心」の捉え方のくだりで言及したことと関連しますが、例えば普段から「こういう遺
伝子型を持っている人は何人に一人」
「この病気は何人に一人が発症する」というよう
な「数的」意味局面が多い現場で生活していると、
「キリスト者だって、未信者の方と
同じ確率で良いこと悪いことが身に降りかかってくるはず」と考えますから、生活の
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
現場の個々の現象について、以前のように「このことを通じて神様は何を教えようと
おられるのか」と考える機会が少なくなりました。
さらに災害や事故のニュースを聞くと、教会内ではそのことを「終末」や人の罪に
結びつけて、憶測で結論めいた発言が聞こえてくるように思い、それが気になるよう
になりました。
オリバーストーン監督などベトナム戦争帰還兵が戦場と帰還後の社会とのギャップ
に悩む姿を映画に描いていますが、自分が教会とかキリスト者の交わりに行くと、ち
ょうどそのような感覚を持ったこともありました。天国の空想話で兄弟姉妹が盛り上
がっていれば、
「地上でやることたくさんあるのに、空想でものを言っている場合じゃ
ない」とか、教会で子供の歌を歌っているのを聞くと、「教義を矮小化しすぎている」
とか、そういった思いが先に出て、教会内では落ち着かないという状態でした。
だからといって、個人の静思の時はしっかり持てばよいのですが、大学院生活の忙
しさとその先が見えない不安感を慢性的にかかえた状態で、一人で思いを巡らすとネ
ガティブな方向へ進んでいってしまうこともあって、静思の時をだんだん持たなくな
ってしまいました。
(こうなったのは、丸屋先生の著作で言われているような、自分の
決心は自分の解釈であるという視点が欠けていたために、決心した当時信じていたり
思い描いたりしていたことと、違う現実を知ったことへの反動であったと思います。
神様は絶対的善な御方ですが、この世のことは相対的であり、一つの事象に良い面と
悪い面があると言えます。
ですので、
信仰的な決心であってもこの世で実践するには、
やはり良い面悪い面両面を持ち合わせていると言えます。この世での、そういう違う
意味局面との調和が自分の中でうまくいっていないのであると思います。
)
健全な方向にむかって頑張っているのならよいですが、私の場合は、研究室の教官
の研究姿勢なり研究テーマにフォローしていくのでは、将来新たに職を獲得して研究
を続けることはできないと感じながら、出口を探すという方向での苦労でしたので、
健全な訓練とは言い難いものでした。また大学院当時はアフリカに出かけて行って、
サルの試料を集めてくることが研究の大部分のような研究でしたので、とくに社会に
役立つ研究というわけではなく、本人がスパッとやめたとしても社会的分業としては
だれも困らないという状況でした。
客観的情勢から判断しても自分にはもう限界かも、
そう思うと何度かやめたいと思うこともありました。そのようなときに思ったのは、
やはり客観的情勢からしても、聖書信仰をいただいていながら、進化学を理解し、実
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際のデータを目にして発言している者が少ないという現状でした。やはりやれるとこ
ろまでやる価値はあると、辞めないでいたところ、一度は応募して駄目だったポスド
ク(博士研究員)のポストに空きが出たから来ないかという電話がかかってきたという
ことがありました。
そんなときでも、
「たとい自分の心が責めても」(I ヨハネ 3:20)という御言葉ではな
いですが、日曜の礼拝だけは欠かさず出席することだけは、最後の砦のように思って
いました。アフリカなどでの field work をしていて、周りには教会がない地方に滞在
するときも、暗い中起きて礼拝の録音を聞くなどして、自分なりの礼拝になってしま
うこともありました。集団で仕事をすることの多い分野なので、自分だけ時間の使い
方を変えなければならない(日曜やクリスマスの)ときは、やはり気を遣いながら、
ということになりました。
団体への帰属意識と協調性
日本の集まりはメンバに帰属意識を持たせる傾向が強い気がして、私は苦手です。
なかでも、教会も研究室もどちらも「覚悟を決めろ!」と一生もののコミットメント
を求められるところです。私の周りでも日本の分子進化研究者はキリスト者で同時に
研究者というスタンスを基本的に信用していないところがあります。「ゲノムと聖書」
という本を書いたフランシス・コリンズは米国の著名な研究者でありながら、福音的
な信仰をもった研究者です。この人のことについて、私を以前ポスドクとして雇って
くれた日本の著名な進化研究者は最近出された著書(斎藤成也, 2011,『ダーウィン入
門: 現代進化学への展望』
)の中で、こういう人がアメリカは政府系研究機関の要職に
つかせるのだから、アメリカという国は信用できないというようなことを書いていま
す。
(実際はこちらの先生は私を非常に心に掛けていてくださり、直接の雇用関係が無
くなってから、宗教観について個人的に話す機会を得ました。その後も変わらず応援
してくださっています。)一般に、このような雰囲気の中、社会的には短期契約を食い
つないで渡っていくのは、気も遣います。
逆に教会も、先ほど言いましたように、私にとっては異文化な面がありますので、
私のことは理解されないことも多いです。Walter R. Hearn が研究者クリスチャンは
両方の社会とも孤独であるのが当然ということを書いています(Walter R. Hearn,
1997, “Being a Christian in Science”)
。これには大いに慰められました。
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第 4 回志学会報告書 2011 年 8 月発行
私が今回の発表で伝えたかったことを一言で表すならば、二つの異なる世界観は避
けられない。その二つを構造的・組織的に理解してから、あるいは理解しながら、専
門領域の訓練を受けることが大事なのではないか、
ということになろうかと思います。
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執筆者紹介
岡田 謙介 (おかだ・けんすけ)
東京大学教授
大谷 哲久 (おおたに・てつひさ)
理化学研究所研究員
木村 めぐみ(きむら・めぐみ)
名古屋大学大学院博士後期課程
千葉 惠
(ちば・けい)
北海道大学大学院教授
新井 明
(あらい・あきら)
元敬和学園大学長
小森 禎司 (こもり・ていじ)
桜美林大学名誉教授(故人)
嶋田 誠
藤田保健衛生大学総合医科学研究所講師
(しまだ・まこと)
編集者あとがき
主の御名を賛美します。
まず何よりも無事に報告書が完成したことを嬉しく思っております。今回の報告書は志学会とし
ては久しぶりの報告書になりました。非常に充実した内容となっています。すばらしい原稿を執筆
くださいました皆様に心より感謝いたします。
10 年の節目を迎えた志学会は、働きのさらなる拡大と深化のため、主事の設置を決定し、私のよ
うな若輩者を初代主事として任じてくださいました。諸先輩が主から与えられたビジョンと、これ
まで重ねられてきた祈りと、この働きを若手に継承してもらいたいとの熱い思いを覚えつつ、畏れ
と感謝をもって、与えられた責任に取り組んで参りたいと思っております。
この報告書によって、志学会を知り、あるいはさらに理解し、この働きに加わってくださる方が
起こされるようにと願いつつ。
志学会主事・事務局長
塚本 良樹
第4回志学会報告書
発行日
2011年8月26日
編集者
志学会実行委員会
発行所
志学会事務局
〒101-0062
千代田区神田駿河台2-1 OCCビル3階 KGK事務所内
Tel: 03-3294-6916 Fax: 03-3294-6050
E-mail: [email protected]
ウェブサイト: http://www.shigakukai.net/
印刷所
株式会社アイエスサクライ
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