「元気が出る!仕事に必要な言葉」 ~人材育成とリーダーのあり方~(Pdf

講
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演
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研修名
平成24年度 第2回管理者特別研修(講演)
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講
日本ユニシス株式会社
特別顧問 島田 精一(しまだ
師
せいいち)様
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日
時
平成24年10月31日(水) 13:30~15:00
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場
所
県庁6階
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演
題
「元気が出る!仕事に必要な言葉」
~人材育成とリーダーのあり方~
講堂
はじめに
ご紹介にあずかりました島田です。私は,50 年間ビジネスマンとしての生活を
してきたわけですが,最初の 40 年間は,三井物産におりました。そのうち,ほぼ
18 年間は海外,イタリア 2 回,メキシコ,アメリカで,生活しました。今日は,
最初に「第三次坂の上の雲の時代」,それから「人生の転機」,それと最後に「仕事
に必要な言葉」について,お話をさせていただきます。
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第三次坂の上の雲の時代
まず,
「第一次坂の上の雲の時代」。これは,ペリー来航から日清・日露に至るま
で,1850 年から 1900 年くらいの間の日本の明治時代です。私は,人が勉強や努力
をするためには,危機感というのが大事だと思っていますが,司馬遼太郎の坂の上
の雲の時代は,それこそ,坂本竜馬や高杉晋作,あるいは西郷隆盛とか,そういう
人たちが大変な危機感を持って厳しい現実に立ち向かっていた時代です。だからこ
そ,わずか 30 年か 40 年で日本を近代国家に建て直すことができました。それから,
「第二次坂の上の雲の時代」。
「第二次」というのは私が勝手に言っているのですが,
敗戦後,マッカーサーが日本に来て,結果的には農地改革から憲法からすべての法
律の改正,教育制度の抜本的改革,財閥解体などありとあらゆる制度を抜本的に改
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革した時期です。この改革の中身においては,18 世紀末のフランス革命よりも大
きな革命であったと言う学者がいますけれども,残念ながら日本人自身の手による
ものではなく,占領軍の強制によってできたわけですね。日本はいつも外圧によっ
て大きく国が変えられます。第一次はペリーの来航,第二次はマッカーサーによっ
て起きました。
そして,これから目指すのは,「第三次 坂の上の雲の時代」,これはグローバル
な時代です。日本は 1991 年以来,失われた 20 年を続けてきました。今も閉塞感
に満ちています。でも,この間なんとか日本人は飢えずにやってこられました。こ
のノウハウというのは大したものです。ネガティブなことばかりをいうのではなく,
日本が前向きにいくためには,もっと強みを見ないといけないと思います。今,ア
ジアは日本の 1960 年くらいの状況だと思います。ということは,日本が 1960 年
から 90 年まで,踊り場はあってもトレンドとしてはアップトレンドできたように,
中国やASEAN諸国はこれから 30 年間くらい,多少踊り場やアップダウンはあ
ったとしても成長していくでしょう。つまり,世界で唯一の成長地域の中に,日本
は唯一の先進国としているわけですから,日本はアジアの諸国とうまくやっていけ
ば,発展する余地があります。しかし,国内にとどまっていたのでは,残念ながら
日本の市場は、少子高齢化の影響もあり少しずつ縮小に向かっているので厳しいで
しょう。ですから,今こそ日本は,アジアを中心としたグローバリゼーションの中
に入っていかなければいけないし,入っていけば発展の余地は十分にある,いや,
発展すべきだと願っています。何しろ,日本には豊富な資金と優れた技術がありま
す。バイオなどの医療の分野,リチウムイオン,ハイブリッド,ロボット製造技術,
新幹線,電力,特に生産性が高く環境に優しい日本の製造技術は,世界ナンバーワ
ンであることは間違いないです。そして,世界に行くとよくわかりますけど,日本
人は平均的に優秀です。これだけ教育レベルの高いところはありません。ものづく
りの面では,教育のレベルが均一化して高いというのは,すごい力になっています。
そういう意味で自信を持っていいと思います。それから,資源がないといいますけ
れども,日本は,幸いにして,水は豊富にあるし,30 年 50 年先だと思いますけど
も豊富な海底資源の開発の余地があります。確かに石油とか鉄鉱石はありませんけ
ど,決して資源がない国とは言えません。
それから,これからは,貿易立国ではなくて産業投資立国,あるいは価値創造拠
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点という方向に行かざるを得ないと考えています。これの意味するところは,今ま
ではものづくりが中心でそれを輸出して日本は成り立っていましたが,労働集約的
なものづくりの部分は,ある程度海外に出ていかざるを得ないということです。従
って,日本では,研究開発であるとか,世界全体のグループ会社をマネージすると
か,そういう知的な労働力はどんどんニーズが増えるでしょう。しかし,国内だけ
では,若者が全部就職できるような就業機会はないので,若者たちは海外に出てい
くべきだと思います。日本の企業,製造業はもとより例えば小売業や外食産業など
もアジアにたくさんの店舗を出しています。確かに店員はほとんど現地の人だけれ
ども,店長とか,マネージャーとか,料理人などはやはり日本人がよいので,そう
いう現地の事業をマネジメントする若い日本人は,これからいくらでも必要です。
そんなことで,「坂の上の雲」の時代をなんとかしたいというのが,私の痛切な思
いであります。
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人生の転機
私は,1961 年に三井物産に入社しまして,3 年目にイタリアのナポリ大学に留学
しました。ナポリでは,週末になると大学の友達にホームパーティーに誘われます。
それで行きますと,みんなマンドリンひいたり,ピアノひいたり,歌なんか歌った
りしているので,彼らに,「なんでそんなに楽しそうにしているのか」と聞くと,
みんな変な顔をして,「何を言っているんだ,人生というのは楽しむためにあるん
じゃないか」と言うんですね。私は当時,人生というのは働くためにあると思って
いた。企業戦士なんていいまして外貨獲得の先兵として行ってこいと人事課長に言
われていましたし,当時イタリアで 2 つジョイントベンチャーをやっていましたか
ら必死だったのです。いずれにしても,25 歳のときは,血わき肉踊り,ナポリに
来てよかったと,人生は楽しむためにあると覚えただけでもいいと思いました。た
だ,人生というのはちゃんとバランスが取れているというか,いいことばかりでは
ありませんでした。
40 歳の半ば頃,メキシコに転勤しました。そして,最後の 5 年めの年です。当
時副社長でしたが,ある日,車で出勤しましたら,人がダダダッと走ってきて,あ
っと気がついたら,ピストル 4 丁とカービン銃で,「動くと撃つぞ」と。私も何が
起きたのかまったくわからない。一瞬誘拐だと思ったのですが,実は誘拐ではなく
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て検察に連れて行かれました。検察へ行くと,社長も,メキシコ人の弁護士も,担
当者の日系人の人も捕まっていて,結局私をあわせて 4 人が拘置所に入れられまし
た。しかし,日本の政府がいろいろ抗議してくれたものですから,社長と弁護士は
3 日で釈放されたので,私も 1 週間くらいで出られると思ったら,195 日間拘束さ
れて,3回くらい殺されそうになったという,今にして思えば非常に怖い目にあい
ました。
この事件はビジネス用語では、マーケットクレームというのですが,私の前任者
の仕事でトラブルがあり,訴訟がおきていました。相手は,「三井物産は契約スペ
ックどおりの機械を納入しなかった」という虚偽の訴えをして,法外な損害賠償金
を要求していた。ただ,三井物産側に非はありませんでしたので,私たちを脅さな
いと普通では勝てないと思ったわけです。
結果的には 195 日目に,ある日突然,判決もなく無実の罪だということで解放さ
れたのですが,その間はいつ出られるかわからないという状態でした。もしかした
らこの中で命を失うかもしれない,せめて本でもたくさん読んでやろうと思い,本
が欲しいと言いましたら,日本からなんと 500 冊くらい本が届きました。こういう
時は,「日本は今後どうなるんだろう。三井物産は大丈夫か。家族は大丈夫か。日
本はこれからどうあるべきか。」なんてマクロなことを考えるものですから,どう
いう本を読みたいかと聞かれて,戦国時代と明治維新,第二次世界大戦の時代の本
を頼みました。哲学,刑事訴訟法,それから当時最先端のビジネスだったマルチメ
ディアの本も 20 冊くらい読みました。実は,それから5年後,情報産業本部がで
きたとき,君はマルチメディアをよく知っているから初代の本部長になれといわれ
たわけですから,人生というのはどこでどうなるかわからないものです。
この時,最初に開いたのが高杉晋作の本で,1 ページ目をぱっと開けたら,「お
もしろき こともなき世をおもしろく すみなすものは 心なりけり」。これだと思い
ましたね。それまで自分は,どうして三井物産は私たちを助けてくれないのか,こ
れは前任者が変なところと契約するからだというように,どこか人のせいにしてい
ました。すべて自分の運命なのだと思おうとしても,なかなかそう思えないところ
に,この言葉と出会った。ああそうだと,この世の中,おもしろいはずだと思うか
らいけないんだと。おもしろくない世をおれが自分でおもしろくしてやるんだと,
人のせいにしてもしょうがないんだというふうに,私なりにこの句を読み解いて,
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これを毎日,何十回も口ずさみました。それから,友達が,
「朝の来ない夜はない」
「夜明け前が一番暗い」なんていう手紙をくれて,この言葉も救いになりました。
その後も本当にいろいろな経験をしました。切羽詰まって,もう進退きわまった
と,会社に辞表を書かなきゃいかんと思ったことが二度も三度も起きましたが,そ
のたびに,この「おもしろきこともなき世」と「夜明け前が一番暗い」という言葉
を自分に言い聞かせました。それから「覚悟に勝る決断なし」。これは,情報産業
本部長のときに気づいた言葉です。私が情報産業を始めたのは,1990 年,インタ
ーネットが商業解禁される前です。通信以外に衛星放送も手がけましたが,衛星を
1基打ち上げるのに 300 億円かかり,しかも5発に1発は落ちる,そういう時代で
した。かなりハイリスクの仕事ですから,失敗したらどうしようと思うんですね。
そんなある時,後輩に言われたんです,島田さん覚悟をしてないから決断できない
んですよと。あ,そうだ,わかったと,失敗したら全責任をおれが取ると覚悟すれ
ば,世の中,霧がぱっと晴れて決断できるんだと思いました。「覚悟に勝る決断な
し」今でもこの言葉が一番こたえています。
情報産業部門では,100 社,約 2,000 億円の投資をしました。私が日本ユニシス
で社長をしていた時,ユニクロの柳井さんに「島田さんは三井物産時代いろんな投
資をしたらしいけど何勝何敗ですか」と聞かれました。そんなことは考えたことも
なかったのですが,「5 勝 4 敗か 6 勝 5 敗ですかね」といいました。失敗もたくさ
んしましたけど,1 勝くらい勝ち越したのではないかと。それから 1 週間くらいし
て,本屋へ行くと「1 勝 9 敗
柳井正」という本が出ていて,「自分の経験では失
敗したほうが多い。9 敗して,その 9 敗の経験で,今のユニクロの 1 勝があるのだ。
やはり 9 敗しないと 1 勝はしない。そんなに世の中生易しくない。」と書いてあっ
て,5 勝 4 敗なんて言わなきゃよかったなって思いました。つい最近,柳井さんと
お会いしたのでその話をしたら,「島田さんはサラリーマンだから。私はオーナー
だからそう言えたんだ」といわれていました。確かにそうですよね。私が1勝 9 敗
だったら,とっくに解雇されていたと思います。
また,あるとき,どうしても通さなければいけないという案件があったのですが,
二度チャレンジしても投資の許可がでないことがありました。ただ,私はこれをや
らないと三井物産の情報産業部門の将来はないと信じていまして,事実そうだった
んですけど,やろうとした。若い人からも「島田さん,やってください」なんて元
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気づけられて,必死の覚悟でやったんだけど,どうしてもだめ。それでこれが最後
のチャンスという日の朝でした。車が迎えに来ているのに腰が立たない。なぜかと
いうと,前の日に社長以下全部にノーと言われていましたし,でも若い人からはど
んどん突き上げられて,
「島田さん頑張ってくださいよ」
「できなかったら承知しま
せんよ」と言われているものだから,こっちはもう追い詰められて。そしたら妻が
来て,あなた何やってるのと言うから,会社に行きたくないんだと,辞表を出すと
言ったら,何言ってるのよと,一生懸命若者たちがやっているのに,あなた敵前逃
亡じゃないと言われて,ポーンと肩をたたかれて,押し出されて,すると前に自動
車があって,無意識にぱっと中に入った。そしたら自然に会社まで行ってしまって,
会社に行ってしまったらしょうがないので会議に出て,必死に説明したら,奇跡的
に,社長がそこまで君が言うんなら通そうと言ってくれて,百億円の投資を通して
くれたのです。いずれにしても,この経験で,「前向きに明るく逃げず知ったかぶ
りせず」,「覚悟に勝る決断なし」,「リスクなきところに利益なし」,こういうこと
を覚えました。
そして,三井物産から,日本ユニシスを経て,2005 年,当時の住宅金融公庫に
行きました。住宅金融公庫の総裁ということでものすごく重い任務でしたが,みん
なと一緒に必死にやりました。この時に感じた官と民の違いを挙げると,官にはフ
ローとストックの概念がない,生産性・効率性の概念がないということです。民は,
いかにお金を使わず,少ない人でお金をもうけるかですが,官はなるべくたくさん
の予算と人を取る人が優秀だといわれていました。今は変わっているかもしれませ
んが,私が行ったときの住宅金融公庫はそうでした。それから,官は,縦割り組織
で,省益があって国益なしとか,課益あって局益なしくらいならまだしも,グルー
プ益あって課益なしとかになっているケースも非常に多いです。民も同じような傾
向はありますが,民のほうが少ないのは,そんなことをやっていると会社がつぶれ
てしまうからです。実は,つぶれないという保証があると,絶対,生産性は上がり
ません。私がトヨタの張社長に,「トヨタはどうして危なくなっても頑張れるんで
すか」と聞いたら,
「トヨタは労働争議と資金繰りの悪化で,昭和 25 年につぶれか
かった。そのときのことをみんなに伝えていて,今の社員も,トヨタはいつつぶれ
るかわからないという気持ちでいる者が多い。危機感の共有化がトヨタの生産性に
つながっているのだ。」ということでありました。いい意味の危機感ですね。それ
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から,塩野七生さんに聞いた話ですが,ローマの衰退というのは,人材がいなかっ
たわけじゃない,いい人材がちゃんとしたポジションにつくメカニズムが狂ってし
まったのが原因だそうです。いい人材はいつの世にも同じようにいるけど,いい人
材がしかるべきポストにつくようなメカニズムがちゃんと機能しないといけない。
これは組織全般にいえることだと思います。
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仕事に必要な言葉
仕事に必要な言葉を少し御紹介したいと思います。
「一歩前に」~先ほども申し上げましたように,玄関で一歩前に妻に押し出された
のが,私が今日なんとかこうやっていられる原因です。出ようか出まいか迷った
ら,一歩前に出ることが大事だなというのを確信しました。
「前向きに明るく逃げず知ったかぶりせず」~私は,物産でも日本ユニシスでも住
宅金融公庫でも,毎日のようにこれをみんなに言っていました。なぜか。この反
対をやったらどうなりますか。後ろ向きに暗く逃げて知ったかぶりをしたら。前
向きに明るくやるから,人はついてくるし,何かが起きるのです。これはポール・
アランという哲学者が言ったのですが,つまり楽観主義は行動につながるという
ことです。だから失敗か成功かどちらかの結果が出る。そして失敗しても,いつ
かは成功することもあり得る。一方,悲観主義は単なる心の状態にすぎないから,
何もやらない。失敗もしなければ成功もない。従って経験にもならない。何歳に
なっても何の進歩もない。柳井さんも,アップルのジョブズ氏も言っていますが,
やはり,どれだけ意義ある失敗をしたかが大事なのです。
「不言実行より有言実行」~沈黙は金ではありません。言うべきことは言わなきゃ
いけない。それから,言うと自分が追い込まれるというよい面があります。言う
とみんなに見られていますから,たとえできなくても,全力をつくそうとします。
「人を見る目,先を見る目」~ビジネスパースンに何が必要かといったら,人を見
る目,先を見る目です。これも失敗経験がないと養われません。
「情報やセンスだけでは不十分。変化の渦中に飛び込んでこそ,現実が分かる」~
これはトヨタの「現地現物主義」です。トヨタは工場で問題が起きると,工場長
以下みんなが問題の起きた機械のところに集まって,ここが悪いと議論するそう
です。これはすべてに通用します。机の上でやっていたのでは絶対だめ。問題が
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起きたら必ず現場に行くということが必要です。
「焼畑略奪農業型リーダーでは,企業の継続的発展はできない」~人の植えたもの
を全部刈り取って,それで取れなくなったら次のところへ,こういう管理職は絶
対だめですね。なぜかというと次に行った人は,また何もとれないところから始
めないといけないから,ものすごい時間のロスが起きるし,成果が上がらない。
焼畑的な短期的な視野で,次世代のことを考えないマネジメントはだめだという
ことです。自分も業績を上げながら,将来のことも2割か3割考えてやるマネジ
メントが重要だということです。
「偶然は必然,必然は偶然」~ゲーテですね。
「現在の延長線上にイノベーションはない」~江崎玲於奈さんの言葉です。真空管
を研究したのでは,自分は後輩なので勝てないということで半導体を研究して,
ノーベル賞を貰いました。つまり今までと同じことをやっていたら,大きなブレ
イクスルーというか,画期的発展はない,ということだと思います。
「リスクなきところに利益なし」~これはビル・ゲイツの言葉ですが,本当にそう
だと思います。松下幸之助は,新製品を発売するとき,取締役会の過半数が賛成
した新商品はやめにしたらしいです。過半数が反対した商品はやった。なぜか。
みんながいいと言う新商品はもう遅い商品だと。過半数が反対するような商品で
一歩先に行かないといけないというのが,松下幸之助でした。
「理想と現実の緊張関係」~マックス・ウェーバーの言葉ですが,丸山眞男先生に
教わりました。大変尊敬する大先生で,卒業式のときに言われたのは,君たちは
これから社会に出ていくが理想は忘れちゃいかんよと。しかし現実は全然違う。
現実は理想とこんなに乖離していると。多くの人は,理想を捨てて現実だけに向
かう。あるいは理想だけを追い求めて宇宙遊泳してしまう。どっちもだめだと。
理想と現実の間に一本の張りつめた凧の糸のような緊張関係をつくるのが,君た
ちがやらなければならない仕事だ,ということを言われました。この前,改めて
岩波新書のマックス・ウェーバーの「職業としての政治」を読み直しました。政
治家に必要なのは、第一に情熱だと。次に適切なる判断力だ。しかしこれだけで
は十分ではない。責任感が絶対必要条件だと。このことは、ビジネスパーソンに
も、仕事をする全てに共通します。おもしろいので皆さんもお読みになるといい
と思いますよ。
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そろそろ時間となりました。私の講演はここで終わらせていただきます。ご清聴
ありがとうございました。
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