酸性雨越境汚染防止策に関する国際比較 - 政策科学部

酸性雨越境汚染防止策に関する国際比較
─日中韓を事例として─
千 ●
Ⅰ.はじめに 娥
Ⅲ.酸性雨防止のための欧米の取り組み
Ⅱ.日中韓における大気汚染の現状と大気環境政策の特徴
1.国連欧州経済委員会による長距離越境大気汚染条約
1.日本・韓国・中国の大気汚染の現状
2.酸性雨防止のための米国とカナダとの環境条約
2.大気汚染と酸性雨に対する日本と韓国の取り組み
3.欧米における酸性雨防止のための取り組みの特徴
3.中国における環境政策の展開と大気汚染防止のた
Ⅳ.酸性雨問題に対する欧米と日中韓の取り組みの比較
めの取り組み
Ⅴ.おわりに
4.日中韓における大気環境政策の特徴
Ⅰ.はじめに
一方、東アジア地域では、世界最大の発展途上国であ
る中国において石炭の消費量が伝統的に多い上、将来の
東アジア地域では、現在、中国を中心として、急速な
急速な経済成長の過程でエネルギー消費がさらに大幅に
経済発展に伴い広域の大気汚染問題が発生している。ま
増加することによって、中国の大気汚染と酸性雨問題が
た将来、日本と韓国は、中国の大気汚染に起因する酸性
これまで以上に悪化すると考えられ、中国国内だけでは
雨によって被害国になる可能性が高いと考えられてい
なく、隣国の韓国と日本を含む東アジア地域に大きな影
る。しかし、この地域には、東アジア酸性雨モニタリン
響を及ぼす可能性が高い。そのため、中国は、経済成長
グネットワーク(EANET)はあるが、欧州と北米に存
と共に国内の大気環境政策に取り組むと同時に、近隣諸
在するような越境型大気汚染に関する国際環境保全機構
国との環境協力にも取り組んでいく必要があるが、この
がまだ構築されていないのが現状である。
地域は、政治や経済の発展段階、社会・経済構造などが
世界で、これまでに酸性雨問題が国境を超えて国際問
各国で大きく異なり、EU のような地域共同体を作るこ
題になった地域は、欧州と北米である。欧州地域では、
とが難しく、欧米のように酸性雨のような越境型環境汚
1960 年代から大気汚染による酸性雨問題が顕在化し、
染問題に取り組むための環境協力は十分に行われていない。
酸性雨に対するモニタリングが 1970 年代から開始され、
このようなことから、中国、日本及び韓国を含む東ア
1979 年から国連欧州経済委員会(UNECE)において採
ジア地域において国境を越える環境汚染問題が深刻化し
択された長距離越境大気汚染条約(LRTAP: Convention
つつある現在の状況を考えると、欧米地域が酸性雨防止
on Long-range Transboundary Air Pollution)の下の特別
のためにこれまで行ってきた取り組みについて検討し、
のプログラムとして欧州モニタリング評価計画(EMEP:
今後、東アジア地域の環境問題の解決に向けて、大気汚
European Monitoring and Evaluation Program)が実施さ
染物質について東アジア地域でも欧米地域のように具体
れている。また欧州地域に比べて遅れていた北米でも、
的な削減目標を提示した国際条約を結ぶことが可能であ
五大湖周辺の工業地帯で、米国とカナダとの国際問題と
るのかについて分析する必要がある。
して酸性雨被害が顕在化し、1980 年には、米国で酸性
以上の問題意識から、本稿では、まず、日中韓各国に
雨降下物法が定められ、モニタリングと生態系の調査が
おける大気汚染とこれに対する取り組みの現状を調査し
実施されるようになった。その後、1991 年には酸性雨
て各国の環境政策の特徴を分析し、次に、酸性雨防止の
被害防止のための大気保全二国間協定を調印するなど、
ために取り組んできた欧米地域の国際条約を取り上げ
欧米では 10 年以上も前から越境型汚染問題を解決する
て、日中韓地域の状況との比較を行う。これらの調査・
ための国際的な取り組みを行っている。
検討を通して、近い将来、東アジア地域で、欧米地域の
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政策科学 12 − 1,Sept. 2004
ように越境型大気汚染問題を解決する取り組みを構築す
5.1(年平均値の全国平均値)、第2次調査(1988 年∼
るための方策の考察への一助とする。
1992 年)と第3次調査(1988 年∼ 1992 年)では、
pH4.8 ∼ 4.9、第4次調査(1993 年∼ 1997 年)では、pH
Ⅱ.日中韓における大気汚染の現状と大気
環境政策の特徴
の年平均値は、4.47 ∼ 6.15 の範囲にあり、欧米並みかそ
れ以上の酸性降下物が観測されているが、まだ欧米のよ
うな大きな被害は報告されていない5)。しかし、地域別
1.日本・韓国・中国の大気汚染の現状
にみると、大気汚染物質が冬季の日本海側でより多くな
(1)日本
っており、その原因として中国大陸からの大気汚染物質
日本で大気汚染が最も深刻であったのは、1960 年代
の長距離輸送の影響がよく指摘されている。ただし、中
である。この時期、高度経済成長によってエネルギー消
国だけが日本海側の酸性雨の主な発生源であると特定す
費量が 1955 年∼ 1964 年の 10 年間で約3倍(1955 年の
ることはできない。日本海を挟んで最も日本に近いとこ
5,130 万石油換算トンが 1965 年は 14,580 万石油換算ト
ろにある国は韓国であり、日本の関東地域とほぼ同じレ
1)
ン)になり、大気汚染が広域化、深刻化していた 。そ
ベルのエネルギー消費国である。韓国を発生源とする大
の後、日本は硫黄分の少ないエネルギー源にシフトした
気汚染物質の排出の影響も無視できない。さらに、北朝
り、火力発電所や工場など硫黄分を含むエネルギーを使
鮮やロシアのシベリアにも工業地帯があり、これらの地
用する所には脱硫装置の装着を義務付けたりして、硫黄
域からの大気汚染物質の流入も考えられる。
酸化物排出規制を中心とする産業公害防止対策に取り組
現在、中国を発生源とする日本での SOx 沈着寄与率
んできた。現在、日本の大気汚染の環境基準は先進国の
は、中国科学院の見積りの 5 %から、日本の複数の研究
中でも厳しく、その環境基準に定められている基準値も
機関の 40 %まで大きな開きが出ており6)、モニタリング
ほとんど達成している。たとえば、2002 年度の二酸化
によるデータの蓄積によって、実際にどの地域からの影
2)
硫黄の有効測定局数は、1,565 局(一般局 : 1,468 局、
3)
響が大きいのかについて調べていく必要がある。
4)
(2)韓国
自排局 : 97 局)であったが、長期的評価 による環境
基準達成率は、一般局で 99.8 %、自排局で 99.0 %と良
韓国で大気汚染が問題になったのは、本格的に経済開
好な状況となっている。結果として二酸化硫黄濃度の年
発が開始された 1970 年代からである。この時期の環境
平均値は 1970 年代以降、著しく減少し、近年もゆるや
問題は、工業団地周辺地域の環境破壊と周辺住民に対す
かながら減少傾向にある。
る被害が中心であり、この主な原因は、工場から排出さ
環境省による日本国内の酸性雨の調査によると、第1
れる化学物質と燃焼排ガスであった。また都市地域では、
次の調査(1983 年∼ 1987 年)では、全国的に pH4.6 ∼
主として無煙炭ないし重油による暖房を行っていたた
表1 各国のエネルギー消費量および消費構造(2001 年)
最終エネルギー消費量
国
消費構造(%)
(石油換算百万トン)
石炭
石油
原子力発電
水力発電
米 国
1540.62
23.9
39.6
9.2
0.8
カ ナ ダ
184.98
12.3
35.5
8.0
11.4
イギリス
161.42
17.0
34.8
10.0
0.1
フランス
173.79
4.7
34.5
40.4
2.4
中 国 *
582.43
66.1
24.6
0.6
2.5
日 本
342.13
19.2
49.2
16.0
1.4
韓 国
130.25
22.1
51.9
15.0
0.2
出所: ENERGY BALANCES OF OECD COUNTRIES, 2001-2001, 2003 Edition
ENERGY BALANCES OF NON-OECD COUNTRIES, 2001-2001, 2003 Edition より筆者作成
注:*中国は 2000 年度の資料
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酸性雨越境汚染防止策に関する国際比較(千)
め、これら燃料の燃焼により発生する SO2 による環境汚
しかし、質の良い石炭が少なく、低硫黄炭は輸出にまわ
染も生じていた。つまり、1970 年代の環境汚染の主な
されているため、国内では主に高硫黄炭(硫黄分含有率
原因は、政府による重化学工業の育成と急速な都市化現
3 %以上)を使用しているのが現状である。日本の科学
象の進行であった。1980 年代に入ってからは、急速な
技術政策研究所の報告によると、中国で消費されている
生活水準の向上に伴う自動車の増加と冷房・暖房の需要
石炭は灰分と硫黄成分の多い低級炭が大部分を占め、平
の増加、産業の高度化による化学物質の増加が原因で、
均硫黄含有量は1.35%と、日本(0.67%)と韓国(0.74 %)
大気汚染がさらに拡大された。
に比べてはるかに高い7)。そのうえ、中国には 50 前後の
韓国政府は、1978 年、初めて環境保全法令に基づい
火力発電所があるが、そのほとんどに脱硫設備が付設さ
て二酸化硫黄基準を定めた。その後、2001 年には大気
れておらず、そのまま汚染物質が放出されているのが現
環境基準を先進国の基準と同じように強化し、施行して
状である。また中国国内の多くの企業では、石炭に含ま
いる。2001 年度の環境部による大気汚染度の総合評価
れている硫黄分を除去する脱硫装置があまり普及してお
によると、SO2 の年度別の平均汚染度は、ソウルとブサ
らず、さらにエネルギー利用効率が非常に低いことから
ンなど 29 都市で改善されて、11 都市は横ばい、新都市
煤煙が大量に排出され、大気汚染悪化の原因となってい
のクァチョンなどの 11 都市で悪化した。ただし、韓国
る。現在、二酸化硫黄排出による大気汚染は、中国の各
で最も大気汚染の深刻な工業都市であるウルサンは硫黄
主要都市で深刻に現れている。北方の都市の 1/2 以上、
酸化物濃度の減少している地域のひとつである。本地域
南方の都市の 1/3 以上で二酸化硫黄の年平均濃度が国の
3
定めている基準を上回っている8)。
の濃度平均値は、0.01mg/m であり、環境基準値を達成
している。しかし、これでもまだ大気質が良いとは言え
つまり、石炭をエネルギー消費の中心としていること、
ない。
さらにその石炭の質が悪いことが、中国の大気汚染の深
1983 年から実施されている全国的な酸性雨モニタリ
刻さの根本的な原因である。さらに、石炭燃焼で生じる
ングは、1990 年代に入って科学技術部、環境部の研究
二酸化硫黄は、大気汚染だけではなく、酸性雨というも
支援を受け、各研究機関の横断的な酸性雨研究が始まっ
う一つの大きな被害を与えているのである。中国政府が
た。環境部は、1992 年9月のソウルの降雨 pH が 1991 年
このほど公表した環境状況報告によれば、国土の4割が
の 5.7 から 1992 年には 5.3 に、デェグでは同じく 5.9 から
酸性雨によって汚染され、改善があまり見られないと報
5.1 に、ウルサンでは 5.7 から 5.3 に低下したと発表した。
告している。
1年間でこれだけ大幅に pH が低下したのは国内汚染物
2.大気汚染と酸性雨に対する日本と韓国の取り組み
質の変動だけでなく、越境汚染物質の増加が原因となっ
日本における大気汚染に関する初の法律は、1962 年
ているのではないかと考えられている。
(3)中国
に制定された煤煙の排出の規制などに関する法律であ
現在、中国の大気環境は、日本と韓国に比べてかなり
る。1965 年度以降の継続測定局における大気中の SO2 濃
厳しい状況で、一部の地域を除き、改善があまりみられ
度の年平均値は、1967 年度の 0.059ppm をピークにして
ないのが現状である。中国の大気汚染物質の主な発生原
減少傾向に転じた9)。これは、燃料の低硫黄化を進めた
因としては、次の3点があげられる。第一に、エネルギ
ことや、横浜市で編み出された公害防止協定方式が全国
ー源として石炭が多く使われていること、第二に、窒素
的に広がったからである。1968 年6月には、工場等か
酸化物や硫黄酸化物の発生源からの除去があまりされて
らの煤煙の排出等を規制し自動車排出ガスの許容限度を
いないこと、第三に、エネルギーの利用効率が非常に低
定めることなどにより大気汚染を防止するため、上記の
いことである。中国は世界最大の石炭消費国であり、最
法律を廃止し、代わって大気汚染防止法が制定された。
近になって石油と天然ガスの消費も増えているが、表1
この法律の制定によって、硫黄酸化物や窒素酸化物、排
に示すように中国のエネルギー消費構造における石炭の
煙、自動車排気ガスなどの排出が規制され、民間におい
割合は先進国や世界平均と比べて極めて高い。このよう
ても燃料の低硫黄化や液化天然ガスへの燃料転換及び排
に中国がエネルギー源の大部分を石炭に頼っている大き
煙脱硫装置の設置などの対策が進められた。こうした対
な原因は、石炭資源が豊富で、単価が安いからである。
策により 1970 年から排煙脱硫装置が設置され、1975 年
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政策科学 12 − 1,Sept. 2004
頃には 0.02ppm 程度まで下がった。1998 年末には排煙
ための二酸化硫黄基準を定めた。そして最初の酸性雨調
脱硫装置設置基数は約 2,300 基、脱硫能力は約 250 百万
査が行われた。その後、1979 年には環境庁が発足し、
3
10)
m N/h となっている 。
環境政策に本格的に取り組み始めた。1982 年から定期
このように、日本で本格的な環境政策が行われたのは
的に環境白書を刊行するとともにソウル地域の酸性雨調
1970 年代からである。国内では、四日市ぜんそくなど
査も行った。1988 年からはソウル・ブサンなどの大都
の公害問題に対する住民運動の影響、国外からの影響で
市では、環境規制だけでなく、液化天然ガスのようなク
は、1970 年のマスキー法による米国の排気ガスの規定
リーン燃料の供給と使用を増やすなど、大気汚染対策に
および 1973 年の石油危機によって日本の輸出企業、特
対して非常に積極的な姿勢が見られるようになった。し
に自動車メーカーが新しい省エネルギーなどの環境技術
かし、この年は、ソウルオリンピックの開催年であった
を開発するきっかけとなり、二酸化硫黄の排出量の削減
ため、このような姿勢転換は、国際社会からの影響が大
が促進され、大気質が改善されている。
きかったと言える。
しかしながら日本国環境省は、将来、中国を中心とし
韓国で本格的な環境政策が行われるようになったの
て東アジア地域の国々で経済発展に伴い大気汚染物質の
は、1988 年のソウルオリンピック以後であり、国際社
排出量が増大し、日本が被害国になる可能性が高いと判
会からの影響と韓国国内の民主化によって市民意識が強
断し、酸性雨による悪影響の未然防止のための国際的な
くなったことがその背景としてあげられる。1990 年に
取り組みを進めることを目的として東アジア酸性雨モニ
は環境汚染問題についての市民参加の運動も多くなり、
タリングネットワーク構想を提唱し、ネットワークの正
1991 年、環境政策基本法および大気環境保全法の下で、
式稼働に向けて 1998 年4月から試行稼働を実施し、関
個別法が制定されるなど、より具体的な環境法が整備さ
係各国及び国際機関の協力の下で積極的な取り組みを進
れた。その結果、韓国の硫黄酸化物排出量は、図1のよ
11)
めている 。
うに、1990 年から減少に転じている。
韓国政府が、全国に酸性雨の自動測定器を設置し始め
る。この時期、権威主義の政治的制度の下で、1963 年
たのは 1991 年からであるが、その当時は、国内では酸
に日本の立法をモデルにして公害防止条例が制定され
性雨があまり大きな問題になっていなかった。しかし、
た。しかし当時は、工場からの煙が経済発展のシンボル
1995 年、韓国の酸性雨の 33 %が中国の大気汚染による
であるという認識が根強く、この法令は、当時の経済発
ものであるという世界銀行の調査報告が発表され、東ア
展によって引き起こされた環境問題を軽減するための十
ジアにおける環境協力の重要性が認識されはじめた 12)。
分な役割を果たしていなかった。ところが、1967 年、
また、このような情報が環境運動市民団体とマスメディ
韓国政府によって計画された初の工業地域であったウル
アによって国民に伝わり、酸性雨問題に対する国民の危
サン工業地域の大気汚染問題がきっかけとなって、1977
機意識が広がった。韓国政府は、こうした状況に押され
年 12 月に包括的な立法として環境保存法令が制定され
て国境を超える環境問題について政府レベルの本格的な
た。翌年、環境保全法令に基づいて、初めて空気の質の
対策に取り組み始めたのである。
硫黄酸化物排出量(千トン)
韓国で環境政策が実施されたのは 1960 年代からであ
1800
1600
1400
1200
1000
800
600
400
200
0
日本
韓国
1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 年度
図 1 日本と韓国の硫黄酸化物排出量の推移
出所: OECD Environmental Data, Compendium 2002 より筆者作成
−74−
酸性雨越境汚染防止策に関する国際比較(千)
業汚染の規制を強化し、末端での対策を主とすることに
1998 年 10 月、韓国の環境部が主催した第7回北東ア
ジア環境協力会議(The 7th Northeast Asian Conference
より、生産の全過程での抑制に徐々に転換する。第三に、
on Environmental Cooperation: NEAC)には、日本、中
酸性雨規制区、二酸化硫黄規制区の汚染対策を重点的に
国、モンゴル、ロシアが参加し、持続可能な開発指標お
実施する。そして、国土の生態系環境を保護し、生態系
よび有害大気汚染物質などのテーマについて情報および
農業を大いに発展させるというものである。その後、
意見の交換を行ったが、議論だけで終わった。こうした
1998 年1月から主要都市の大気汚染週報を公表(1999
中で、韓国政府の主導で 1999 年から始まった日中韓三
年3月より北京市で、2000 年6月より他の主要都市で
カ国環境大臣会合(Tripartite Environmental Ministers
公表)し、2000 年4月 29 日には、大気汚染防止法を公
Meeting: TEMM)では、東アジアでの地方政府間の環境
布して9月1日から施行した。この大気汚染防止法は、
協力について具体的な論議が行われた。その後 2000 年
大気汚染防止に対し、以前より明確で厳格な規定を定め
の本会合では、環境共同体としての人材養成・交流・海
ている。この結果、2000 年1月∼9月の間に、石炭中
洋汚染防止のために向けた3国の協力体制強化などを盛
に硫黄分を多く含んでいる 4,732 の炭鉱を閉鎖してお
り込んだ共同コミュニケが調印され、国境を越えて被害
り、硫黄分を多く含んだ石炭の生産量は年間 1,902 万ト
が深刻化する酸性雨問題と大気汚染のための協力につい
ンほど減少している。この他にも、エネルギー効率の低
て話し合われた。日中韓3カ国は、この会議で東アジア
い 106 台の小型火力発電ユニットや 862 の小型のセメン
の環境協力のために展望(Vision Statement)を採択し、
ト、ガラス生産ライン、そして 393 の小型鉄鋼生産ライ
13)
国際環境協力のための基金の設置に合意した 。このよ
ンも閉鎖・生産停止した。また 2000 年6月末までに、
うに日中韓の三カ国環境大臣会合は、東アジアの環境協
中国では自動車のガソリンの全面的な無鉛化を実現して
力のための大きな可能性を示した最近の成果であると言
おり、ガソリン中の鉛含有量の基準達成率は 99 %以上
える。
となっている。全国において無鉛化が実現した後は、年
間の大気への鉛の排出量を 1,500 トン以上減らすことが
3.中国における環境政策の展開と大気汚染防止のため
でき、都市における環境大気中の鉛の濃度も大幅に低下
の取り組み
している。無鉛化をいち早く実現した重点都市では、す
中国は環境保護を人口抑制と並ぶ2大国策と位置づ
でにガソリン中の硫黄やオルフィン、芳香族炭化水素等
け、経済発展の水準がまだ高くない早い時期から環境問
といったその他の汚染指標の規制も始まっている。2000
題に取り組んできた。中国政府による環境政策は、1979
年6月5日からは中央電視台などといったメディアを通
年の改革・開放政策以後であり、大気環境政策としては、
じて、42 の重点都市の大気質日報を公表している。ま
1982 年、中国で初めて大気環境基準が制定された。し
た、全国の 55 の都市でも、地元のテレビ局等のメディ
かし、この時期の環境政策とは、環境法の制定や環境に
アを通じて、その都市の各地域の大気質日報が公表され
関する法律の整備を行うことにとどまっていた。中国が
ている 14)。
現在、石油の消費が急速に増加している中国であるが、
環境保護のために本格的に取り組み始めたのは、1980
年代の後半からである。1989 年の環境保護法では、環
中国政府としては、今後もエネルギー消費構造において
境汚染防止と規制のためのシステムを導入している。こ
石炭の割合が高い今の構造を大きく変えない方針であ
れ以前は、政府によって情報公開が厳しく制限されてい
り、大気汚染防止のために企業に公害防止設備と脱硫設
たが、この環境保護法の条項に従って、1990 年以降、
備を付けることを義務化するなど、石炭を利用しつつ、
環境上の情報を公表するなど、環境政策に対して積極的
大気汚染防止を行うための様々な対策を行っている。
に対応している。
4.日中韓における大気環境政策の特徴
1995 年3月、全国人民代表大会で承認された第9次
5ヶ年計画(1996 ∼ 2000 年)では、以下のことを言及
日中韓における経済指標の変化に伴う環境政策の発展
している。すなわち、第一に、2000 年に環境汚染と生
の過程は、多くの点で一致している。日本と韓国はいず
態系破壊の激化傾向が基本的に抑制され、一部都市と地
れも短期間で経済発展に成功したものの、それ以上に環
区の環境が質的に改善されることを目指す。第二に、工
境汚染を経験した。中国の場合も、今は発展途上国であ
−75−
政策科学 12 − 1,Sept. 2004
るが、世界で最も高い経済成長を維持し、急速に経済発
期に移行してから環境基準値が改訂されている。韓国は、
展しているため、過去の日韓と同様に環境汚染問題も急
1981 年にソウルでオリンピックが開催されることが決
速に顕在化し、非常に深刻となっている。
まり、低い硫黄分の石油の供給とともに大気環境基準値
日本は、環境政策が始まった 1950 年代の半ばから
を改訂した。そして民主化によって軍事政権から文民政
GDP が急速に伸びはじめている。また、日本の高度成
権が始まった 1993 年に3回目の大気環境基準値を改定
長期といわれる 1960 年代には年率 10 %近い高い経済成
した。中国の場合は、1970 年代から大気質が悪くなり、
長と共に大気質が悪化したため、四日市ぜんそくなどの
1977 年、経済成長率が 10 %を越えて高度成長期に入っ
公害被害が全国に現れ、本格的な環境政策を実施するよ
てからエネルギー強度もピークに達し、大気汚染問題が
うになった。その後、1970 年代のオイルショックや日
深刻になってから 1982 年に初めて大気環境基準を制定
本企業の対米輸出を促進するために環境技術を開発する
し、その後 1996 年に改訂している。現在、中国は経済
きっかけとなったのである。
発展と同時に深刻な環境汚染に直面し、公害問題の克服
韓国は、環境政策が始まった 1960 年代の初期から輸
だけでなく、快適環境の追求、地球環境問題への対応な
どの様々な課題が残されている 15)。
出率が急速に伸び、この時期から年間経済成長率が
一方、日中韓の環境政策の相違点としては、日本は、
10 %を超えた。その後、1970 年代に入り、政府によっ
て計画されて作られた工業地域での環境汚染が広がり、
戦後、東京都や大阪府など、地方政府が中心となって環
それ以降、汚染規制のための行政上の組織が拡大された。
境対策に取り組んできたが、韓国と中国の両国は、中央
そして中国は、1978 年に憲法に初の環境保護が規定さ
政府が中心となって取り組んできたことが挙げられる。
れるが、この時期とは、1970 年代から安定した経済成
そのうえ、民主主義の下で公害問題に対する市民運動や
長が続く中で、エネルギー強度が急激に上昇し、大気質
輸出中心の産業構造で環境技術を開発・発展させてきた
が悪くなり始めた時期である。1977 年には経済成長率
日本に対して、社会主義の中国と軍事政権下の韓国では、
が 10 %を越えて高度成長期に入り、1980 年代にも 10 %
経済発展を妨害すると認識された環境汚染に関しては、
前後の高い経済成長率が維持される中で、エネルギー強
政府によって情報が遮断されたため、一般市民の環境汚
度もピークに達し、1990 年から本格的な環境政策が行
染に対する認識が低く、市民環境運動が起こる状態では
われている。
なかったのである。
このように日中韓の環境政策の共通点とは、高度成長
以上のように、すでに工業先進国である日本と約 10
期に入る前に環境政策に取り組み始めはするが、消極的
年前に OECD に入った韓国、発展途上国で経済成長率が
な環境政策であったため、高度成長期に入ってから全国
高い中国というように経済的格差が大きいという事情か
に広がる公害被害に対応できなくなり、それから改めて
ら、環境汚染の程度や環境基準、などが各国で異なって
環境に関する法律を整備するなどの本格的な環境政策を
はいるものの、環境政策の歴史的過程に関しては、比較
取るようになったことである。その代表的な例として、
的に類似点が多いと言えよう。
日中韓における SOx ・ NO2 の環境基準値を制定した時期
Ⅲ.酸性雨防止のための欧米の取り組み
を取り上げることができる。日本の場合、1969 年に
SOx の環境基準値を初めて制定するが、その時期とは、
1959 年に塩浜に隣接する磯津地区で煤煙による喘息患
大気汚染による酸性雨の被害は、発生原因国だけでな
者が多発してから 10 年後であり、大気汚染が問題にな
く、国境を越えて、多地域にまで広がる。こうした越境
って全国に広がり始めてから大気環境基準値を制定して
汚染問題を解決するためには、国際的な取り組みが必要
いる。韓国では 1978 年に初めて SO 2 の環境基準値を制
である。こうした国境を超える環境汚染問題に対する国
定するが、この時期も、1967 年にウルサン工業地域で
際的な対応は、欧州と北米を中心として始まった。ここ
汚染問題が提起されてから9年後である。つまり、両国
では、欧州地域の長距離越境大気汚染条約と、酸性雨に
とも、高度成長期の最も大気質が悪かった時期の約 10
関する北米の国際的な取り組みについて分析し、それら
年後に環境基準値を制定し、規制するようになったので
の特徴をまとめる。
ある。その後、日本は、高度成長が終わり安定経済成長
−76−
酸性雨越境汚染防止策に関する国際比較(千)
1.国連欧州経済委員会による長距離越境大気汚染条約 16)
1983 年3月に発効した。この条約では、加盟各国に越
欧州の中でも北欧諸国は、長年、英国やドイツの工業
境大気汚染防止のための政策を求めるとともに、硫黄な
地帯から飛来する大気汚染物質によって多くの湖沼が酸
どの排出防止技術の開発、酸性雨影響の研究の推進、国
性化されていた。これは特にスウェーデンで顕著であり、
際協力の実施、酸性雨モニタリングの実施、情報交換の
1960 年頃から pH の低下が始まり、1979 年には pH 6.0 ∼
推進、などが規定されている。
pH 4.5 程度になったことが報告されている。スウェーデ
1985 年には、この条約に基づき、国連欧州経済委員
ンでは、約 14,000 の湖沼が脆弱な水生生物を養うこと
会に属する 21 カ国が 1980 年時点の硫黄酸化物(SOx)
ができなくなり、2,000 の湖沼で生物がほぼ全滅してい
排出量の最低でも 30 %を 1993 年までに削減することを
2
る。またノルウェーでも、合計 13,000km の水域で魚類
定めたヘルシンキ議定書 20)に署名し、1987 年9月に発
が消滅し、2,000km2 の水域で魚類に影響が現れている 17)。
効した。その後、ソフィア議定書に国連欧州経済委員会
北欧諸国は、1972 年にストックホルムで開かれた国
に属する 25 カ国が 1988 年に署名し、1991 年2月に発効
連人間環境会議で、酸性雨の被害について訴えたが 18)、
した。この議定書は、1994 年までに窒素酸化物(NOx)
主要国の首脳はこの問題をあくまで内政の失敗とみな
の排出量を 1987 年時点の排出量に削減することを定め
し、北欧諸国の提案には冷淡であった。しかし、これを
ている。同時に新規の施設と自動車に対しては経済的に
きっかけとして欧州における硫黄酸化物の長距離移動の
使用可能な最良の技術に基づく排出基準を適用しなけれ
研究として、1977 年、国連欧州経済委員会の下で長距
ばならないことが規定され、無鉛ガソリンの十分な供給
離移動大気汚染物質モニタリング・欧州共同プログラム
も義務づけられている。さらにスイスを中心とした西欧
(EMEP: Co-operative Program for Monitoring and
12 カ国では、1989 年から 10 年間で窒素酸化物の排出量
Evaluation of the Long-Range Transmission of Air
を 30 %削減することを宣言した。その後、冷戦構造の
19)
pollutants in Europe) が始まった。このモニタリング
崩壊が進む中で、1994 年のオスロ議定書では、硫黄酸
のデータが集積してくると、モデルによる計算が多く行
化物の排出量の国別の削減目標が規定され、硫黄酸化物
われるようになった。この間、種々のレベルの国際学会、
排出の一律規制を全面的に書き改めて、地域ごとの生態
国際会議、国際ワークショップが開催され、情報が広が
学的被害の水準を基本に置く画期的なものとなった。そ
っていった。そして国連欧州経済委員会で長距離越境大
の後、オスロ議定書は順調に批准が進み、1998 年8月
気 汚 染 条 約 ( LRTAP: Convention on Long-range
発効した。
長距離越境大気汚染条約による各国の大気環境対策に
Transboundary Air Pollution)の交渉が始まった。この
交渉は 1979 年 11 月に合意に達し、33 カ国が条約に署名、
よって、欧州地域の硫黄酸化物排出量は、図2のように
ベルギー
デンマーク
フランス
ドイツ
オランダ
スウェーデン
ノルウェー
イギリス
ハンガリー
硫黄酸化物排出量(千トン)
7000
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
年度
図2 欧州地域の硫黄酸化物排出量の推移
出所: OECD Environmental Data, Compendium 2002 より筆者作成
注:ドイツは統一後の資料
−77−
政策科学 12 − 1,Sept. 2004
1980 年から大幅に減少し、1990 年以降も徐々に減って
の排出量を減らすように働きかけた結果、両国政府は、
いる。現在、長距離越境大気汚染条約は、欧州諸国を中
越境大気汚染に関する合意覚書をかわし、越境大気汚染
心に、米国とカナダなど 55 カ国の国連欧州経済委員会
条約締結交渉を行うための米加調整委員会を設けること
21)
の中で 43 カ国が批准している 。
に同意した。また 1991 年には、米国とカナダとの大気
汚染物資の国境移動に関する協定が締結されることによ
2.酸性雨防止のための米国とカナダとの環境条約
って、大気汚染物質を減らすための制度的な保障が用意
酸性雨問題をめぐる国家間の代表的な論争事例として
された。実際、図3のように 1980 年代から硫黄酸化物
は、米国とカナダとの論争があげられる。米国とカナダ
排出量が徐々に減少している。
は、国境付近の五大湖の周辺に産業施設が密集し、酸性
1991 年3月、米国とカナダは、酸性雨被害の拡大を
雨による被害が発生し、1970 年代の後半から酸性雨論
防止するための大気保全の二国間協定に調印した。その
争が始まった 22)。当初、酸性雨による被害は相互的なも
後、NAPAP 終了後の 1990 年には、米国は大気清浄法を
のと思われていたが、カナダ環境省による 1980 年度の
改正し、酸性雨対策に向けた硫黄酸化物や窒素酸化物の
酸性雨調査の結果、カナダが受けた被害は、米国が受け
総量削減方策を盛り込んだ。2002 年9月 15 日、米国環
た被害より3倍も多いと推定された。この結果から、カ
境保護庁 24)(EPA: U.S Environmental Protection Agency)
ナダ政府は米国政府に対して強く抗議すると同時に、煤
は、大気質の状況及び酸性雨に関するデータを公表した。
煙規制の強化と酸性雨の対策を要請したのである。一方、
報告書「全国の大気質に関する最新の知見: 2002 年の
その当時、米国国内では、1970 年代から始まった公害
状況と傾向(Latest Findings on National Air Quality:
反対運動によって、工場側は周辺地域の汚染濃度を低く
2002 Status and Trends)」によれば、1970 年以来、6種
する方法として、工場の煙突を高く設置するようになっ
類の主要な大気汚染物質(CO、鉛、NO 2、オゾン、粒
た。その結果、国境を越える汚染物質の「輸出」が加速
子状物質及び SO2)が 48 %削減されたという。また、酸
化した。
性雨に関するデータによれば、発電所から排出される
SO2 は 2002 年で約 1,020 万トンであり、2000 年と比べて
1980 年6月、米国では酸性降下物法が定められ、こ
の法律に基づき、雨水モニタリング、生態影響調査など
9 %、1980 年と比べて 41 %削減された。同じく NOx は、
を内容とする全国酸性降水評価計画(NAPAP: National
2002 年で 450 万トンであり、2000 年と比べて 13 %、
23)
Acid Protection Assessment Program) が開始された。
1990 年と比べて 33 %削減された。
これに使われた予算は膨大なものであった。この報告書
3.欧米における酸性雨防止のための取り組みの特徴
の中では、石炭の燃焼が硫黄酸化物の排出の主たる原因
であるため、クリーンコール技術(硫黄酸化物排出量が
欧米地域における酸性雨防止のための取り組みの大き
少ない石炭利用技術)の開発を推進するべきことが記さ
な特徴は、EU と北米自由貿易協定(NAFTA: North
れている。NAPAP 終了後、米国内では様々な所で脱硫
American Free Trade Agreement)という地域統合が進
技術が利用されるようになった。
み、環境政策の共通化が進んだことである。
硫黄酸化物排出量(千トン)
1980 年8月には、カナダが米国に対して硫黄酸化物
欧州地域は、産業革命の起点となって経済発展が進み、
25000
20000
15000
カナダ
米国
10000
5000
0
1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 年度
図3 北米の硫黄酸化物排出量の推移
出所: OECD Environmental Data, Compendium 2002 より筆者作成
−78−
酸性雨越境汚染防止策に関する国際比較(千)
Ⅳ.酸性雨問題に対する欧米と日中韓の
取り組みの比較
環境問題は、ほぼ同じ時期に深刻化した。また一国だけ
では環境悪化に対応できない地理的要因も作用した。こ
のような状況で、北海では 1970 年代初期から汚染防止
大気汚染によって酸性雨問題になった欧米地域の特徴
活動が本格的に開始され、オスロ・パリ委員会(The
Oslo and Paris Commissions)
25)
は、第一に、経済的な格差が少ない工業先進国が多く、
を中心として業務経験
を蓄積していた。1975 年7月、ヘルシンキで、米ソを
地域の統合によって環境政策が共通化されつつあること
含む 35 カ国の首脳が参加して全欧安全保障協力会議
である。第二は、モニタリング研究によって科学的デー
(Commission on Security and Cooperation in Europe:
タが蓄積され、科学的インフラが一体となり、越境汚染
CSCE)が開かれた。この会議では欧州の緊張緩和と相
に対する具体的な制度が整備されていることである。第
互安全保障について討議が行われ、欧州各国の主権尊重、
三は、モニタリングのデータによって、工業先進国のイ
武力不行使、科学・人間の交流の協力など非軍事的協力
ギリスやドイツから北欧に、米国からカナダへ大気汚染
課題による信頼醸成・デタント促進の具体的素材として
物質が流れるというように工業先進国の方が加害国であ
環境が注目され、1979 年に国連欧州経済委員会を事務
ることが明らかになったことである。
局として設立し、長距離越境大気汚染条約を締結した。
それに比べて、大気汚染による酸性雨問題への取り組
その後、1980 年代半ば以降、ドイツで酸性雨等による
みに関する東アジア地域の特徴は、第一に、発展途上国
木々の枯れ死である「森の死」などの環境問題を背景に、
から先進国まで経済的な格差が大きいため、経済発展程
政治的注目を集めるなかで、北海閣僚会議が定期的に開
度によって環境政策や環境基準が異なり、同じレベルの
催され、拘束力はないが、実効的な閣僚宣言の採択を通
環境基準を定めにくい状況にあることである。第二に、
して様々な政策革新が提起された。その中には、予防原
酸性雨防止に対して、日本は 1980 年代、韓国は 1990 年
則(Precautionary Principle)、利用可能な最適の技術
代、中国は 1990 年代後半に取り組み始めており、越境
(Best Available Technology: BAT)などの原則、一律排
汚染に対する科学的なデータがまだ蓄積されていないた
出削減などの具体的な方式が存在した。このように、
め、越境汚染に対する具体的な制度が整備されにくいこ
EU は、環境問題を重要な共通政策と位置付け、EU 全体
とである。第三に、東アジア地域では、発展途上国であ
の問題として取り組んでいる。
る中国が今後一層多くの大気汚染物質を排出し、中国国
北米地域では、1970 年代の後半から米国とカナダと
内だけでなく日本と韓国に被害を与える加害国となる可
の酸性雨論争が始まり、1973 年に米国とカナダ間で2
能性が高いことである。
国間協議が開始された。その後、1977 年、米国は、大
東アジア地域で、1977 年に国連欧州経済委員会の下
気浄化法を改正し、新設石炭発電ボイラはすべて排煙脱
で特別のプログラムとして始まった EMEP 計画と同じよ
硫装置を新設する、また天然ガスを混焼したり、流動燃
うなプログラムが始まったのは、1990 年代に入ってか
焼ボイラや石炭ガス化発電への改造などが行われた。ま
らである。越境型大気汚染問題に気づいた日本の主導で、
た排煙脱硫装置が設置されていない石炭火力では、SO2
1993 年、初めて東アジア酸性雨モニタリングネットワ
低減化対策として、米国中西部の高硫黄炭(硫黄分平均
ーク(EANET)に関する専門家会合が開催され、酸性
3.6 %)から西部炭(硫黄分 0.3 %)への使用の転換が図
雨の現状やその影響、さらには地域協力の方向性に関し
られる
26)
など、酸性雨防止のために様々な規制が行わ
て議論が行われた。EANET 参加国から提出されたデー
れた。その後、米国とカナダは、1979 年に「長距離越
タの検証、データの質の評価、モニタリング結果の評価、
境大気汚染条約」に加盟し、欧州と共に越境型大気汚染
EANET 参加国の主要な問題点の整理及びこの地域での
問題について取り組みはじめる。1992 年には、北米自
モニタリングの改善を目的とし、試行稼動時におけるモ
由貿易協定(NAFTA: North American Free Trade
ニタリング活動の評価を記述したモニタリング状況報告
Agreement)が結ばれ、EU を凌ぐ大規模経済圏を形成
書が、EANET 暫定科学諮問グループによって作成され、
し、経済政策の協調だけでなく、越境型環境問題につい
第2回 EANET 政府間会合で採択された。また、東アジ
ても本格的に取り組んでいる。
アの酸性雨モニタリングネットワーク専門家会合では、
1995 年から 1997 年までの間に東アジアの酸性雨モニタ
−79−
政策科学 12 − 1,Sept. 2004
リングガイドライン・技術マニュアルを作成し、これら
境政策の共通化が難しい。
は、1998 年から開始された EANET の試行稼動で得られ
(2)欧米と同様、日本と韓国では、環境政策を取り
た経験及び最新の科学的、技術的知見を踏まえ、2000
組む際に市民運動による影響力が非常に大きか
年3月の第2回 EANET 暫定科学諮問グループ会合にお
ったのに対し、中国の場合は、中央政府の影響
いて改訂され、本格稼動に用いられる EANET のガイド
が非常に強く、徐々に NGO などの市民運動が見
ライン・技術マニュアルとして採択された。 その後、
られてはいるが、まだ市民レベルでの環境運動
2001 年から本格的にモニタリングネットワークが稼動
が活発に行われていない。
している。
(3)これまで日本と韓国が外部の圧力によって環境
このように、現在、酸性雨防止のための国際的な枠組
規制を強化し、環境対策を行ってきたように、
み構築に関する東アジア地域の状況は、約 20 年前の欧
中国も北京オリンピックや上海博覧会など、国
米地域の状況に似ている。しかし、東アジア地域は、
際イベントの開催に伴って環境政策に取り組ん
1950 年代に酸性雨が問題になってから約 30 年後に酸性
でいるものの、特定地域を中心に環境対策を行
雨モニタリングネットワークを構築した欧州に比べる
っているため、まだ国全体の酸性雨防止には至
と、非常に早い段階で、酸性雨モニタリングネットワー
っていない。
クを稼動している。その理由として、世界第 2 位の対外
(4)東アジア地域では、発展途上国である中国が大
援助国である日本が、経済格差のある東アジア地域での
気汚染物質を排出しているため、越境型環境汚
環境協力のあり方として、中国や東南アジアの国々に資
染問題を解決するためには、中国に対して、被
金を提供するなど、いち早く越境型汚染問題に対して取
害国になる可能性が高い日本と韓国の支援が必
り組んできたからであろう。
要である。
(5)東アジア地域でも今年 EANET を稼動しており、
Ⅴ.おわりに
過去の欧米地域と同じようなアプローチをとる
ことによって、将来は、具体的な削減目標を提
酸性雨の大きな特徴は、硫黄酸化物や窒素酸化物を排
示した国際条約を結ぶことが可能であると考え
出する国の国内にとどまらず、近隣諸国にも影響を及ぼ
られる。しかし、それに至るまでには、中国が
すことである。欧米地域でも酸性雨問題は地理的な要因
経済的に豊かになり、欧米地域と同様に東アジ
から国内だけでなく、近隣諸国にも被害を与える越境型
ア地域でも経済的格差があまり存在しなくなる
汚染問題にまで拡大したが、酸性雨防止のために様々な
のを待たなければならない。従って、日中韓に
対策を取り組んできた。現在、東アジア地域でも、中国
おける酸性雨防止対策を迅速に進めるためには、
が酸性雨の被害国でありながら、越境汚染の加害国にも
欧米とは異なる国際的取り組みが必要であると
なりつつあり、今後も石炭中心のエネルギー消費構造を
考えられる。
維持しつつ、本格的な大気汚染防止の取り組みをしない
限り、近い将来、中国国内だけでなく、東アジア地域に
今後、東アジア地域で越境型大気汚染問題を解決する
も大きな影響を及ぼすであろう。
ためには、中国がいままで前例のない高い経済成長と積
東アジア地域では、酸性雨防止に対して、日本に続き、
極的な環境対策を同時に取り組む新しい政策を展開して
韓国が大きな成果をあげており、今後、中国が日本や韓
いく必要があり、そのためには、中国の役割が最も重要
国の経験を生かし、酸性雨防止に大きな成果を出すこと
であると考える。また東アジア地域における酸性雨防止
が可能であるのかについて検討する必要があると考えら
のためには、中国だけでなく、日本と韓国の環境協力を
れる。本研究では、以上の問題意識から、日中韓におけ
通じた地域的な取り組みをしていくべきであろう。
る大気汚染の現状と大気環境政策の特徴を取り上げ、酸
性雨防止のための欧米での先行事例を検討し比較した。
その結果、以下のことがわかった。
謝辞
本研究を行うにあたり、立命館大学国際関係学部 大島
(1)経済的格差が大きい日中韓は、欧米のような環
堅一助教授、政策科学部 周 生教授に謝意を表します。
−80−
酸性雨越境汚染防止策に関する国際比較(千)
注
支炎、肺気しゅなどの疾患の予防や健康回復に関する情報と
1)独立行政法人 環境再生保全機構(http://www.erca.go.jp/
大気汚染の歴史、大気汚染の現状と対策、さらには最新の低
taiki/history/yo_osen.html)、2004 年5月
公害車に関する情報を提供している。
2)一般環境大気測定局(一般局):住宅地などの一般的な生
16)[同義]ジュネーブ条約、国連欧州経済委員会(ECE)条約
活空間における大気汚染の状況を把握するため設置された測
17)原子力百科事典─エネルギーと地球環境─ 地球環境問題
定局を一般大気測定局という。
が人類に及ぼす影響・その1(大気環境問題)(01-01-02-02)
3)自動車排出ガス測定局(自排局):道路周辺に配置された
18)『環境年表』2002/2003
ものを自動車排出ガス測定局という。
オーム社 p.258
19)EMEP プログラムは3つの主要な要素に依存する:(1)
4)当該地域の大気汚染状況や規制などの施策の効果を的確に
排出データの収集、(2)空気および投下品質の測定、(3)大
判断することなどを目的として、年間にわたる測定結果を観
気汚染の沈殿と大気の輸送をモデル化すること。EMEP は、
察した上で評価を行う評価をいう。
これらの 3 つの要素の組み合わせ、排出、集中、大気汚染物
5)環境省報道発表資料、1997 年4月 18 日、(http://www.env.
質の沈殿を規則的に報告し、評価する。
go.jp/press/press.php3?serial=771)、2004 年5月、酸性雨調
20)1984 年4月、当時西ドイツのミュンヘンで酸性化問題の多
査研究会(Japan Acid Rain Monitoring Network)(http://
国間会議を開いた。この場で、硫黄酸化物の 30 %排出削減
www.vuni.ne.jp/~jarn/results/2002acid.html)、2004 年5月
が東側に提案された。こうして 1985 年にヘルシンキ議定書
6)Economic Review
Vol.6 No.1
経済トピックス 2002 年
が署名され、各国は 1993 年までに 1980 年比で 30 %以上の硫
1月
黄酸化物の排出削減をめざすこととなった。
7)金顯眞「21 世紀東北亜の大きな問題、中国の環境汚染」
『月刊〈朝鮮〉』2000 年6月号〈2003 年 12 月〉
21)国連欧州経済委員会(http://www.unece.org/env/lrtap/
status/lrtap_s.htm)、2004 年5月
8)『中国環境年鑑』2000 年 pp.598 ∼ 599、『中国環境年鑑』
2002 年 p.598
22)カナダは 14,000 以上の湖沼が著しく酸性化し、東部の
15,000 の湖沼(7つに1つ)が生物学的被害を受けている。
9)独立行政法人 環境再生保全機構 http://www.erca.go.jp/
アメリカの場合は、環境防衛基金の発表によると酸性化した
湖沼の数は約 1,000、酸性化すれすれの湖沼は 3,000 である。
taiki/history/so_taiousaku.html
10)公害健康被害補償予防協会、独立行政法人 環境再生保全
23)アメリカ国家酸性雨評価計画(National Acid Precipitation
機構(http://www.erca.go.jp/taiki/taisaku/ko_taisaku.htm)、
Assessment)(http://www.oar.noaa.gov/organization/napap.
2004 年5月
html)2004 年5月
11)環境庁地球環境部監修『酸性雨─地球環境の行方─』中央
24)米国の環境保護庁(EPA)は、ADS というデータベースを
法規出版株式会社 1997 年 11 月 pp.151 ∼ 152
設け、米国内にある9つのモニタリングネットワーク、200
12)金顯眞「21 世紀東北亜の大きな問題、中国の環境汚染」
『月刊〈朝鮮〉』2000 年6月号
サイト以上でデータを収集している。
25)オスロ・パリ委員会は、1992 年9月 21 ∼ 22 日にパリで開
13)日中韓三カ国環境大臣会合公式ホームページ(http://www.
催され、北東の大西洋(「OSPAR 協定」)の海洋環境の保護
temm.org/)、2004 年5月
のための新しい協定を結んだ。
14)中国環境協力研究会、会報『中国環境事情 NO34』、2000
26)環境庁地球環境部監修『酸性雨─地球環境の行方─』中央
年6月、pp.1 ∼ 2
法規出版株式会社 1997 年 11 月 p.166
15)環境省所管の公害健康被害補償予防協会。喘息、慢性気管
−81−