文献講読 2004/08/19 ルイス・カーンの空間構成/原口秀昭 1 均質空間への道程 −機能と形態を一対一に対応させるか、多対一に対応させるか− 近代建築における形態と機能の関係を、「機能別のブロックを非対称に連結する」 、「単一 ブロック内に様々な機能を入れる」の2つに大別したうえで、それぞれについて近代以 前の空間構成から中心性が解体されたことが示されている 近代建築において、機能と建物ブロックの関係は、以下2つに大別することができる A.機能別のブロックを非対称に連結する B.単一ブロック内に様々な機能を入れる A・・・機能と形態を一対一に対応させ、非対称な配列で集合させる 空間を足していく ex)『バウハウス校舎』ワルター・グロピウス(デッサウ、ドイツ、1926) B・・・ひとつの大きな形の中に様々な機能を内包する 空間を割っていく ex)『IIT 化学工学科校舎』ミース・ファン・デル・ローエ (シカゴ、イリノイ州、アメリカ、1945) □『バウハウス校舎』ワルター・グロピウス(デッサウ、ドイツ、1926) ・3つの棟による構成 ・各棟の部屋、窓の大きさは大中小と明快に階層づけされている ・全体として非対称な卍形、複雑な輪郭 →中心性の解体のための形態操作 静的構成を嫌った動的配置から導かれた結果 □『IIT化学工学科校舎』ミース・ファン・デル・ローエ (シカゴ、イリノイ州、アメリカ、1945) ・20世紀前半のミースの空間構成の変遷(別紙、表参照) Ⅰ期(1907‑21)外壁による明確な輪郭 Ⅱ期(1921‑31)複雑な輪郭 中心性を解体するために輪郭が複雑になっている →ミースの歩みは単純化、純粋化だけではない 1 Ⅲ期(1931‑35)コート周壁による明確な輪郭 輪郭が明確化 壁体の分離の徹底、分離面のみによる構成 Ⅳ期(1938‑52)水平スラブによる明確な輪郭 ・IITはⅣ期に属する ・様々な大きさの教室を単一の直方体に納める構成 ・吹き抜けのエントランスホールを箱の片側に寄せ偏心性をつくる ・長手立面において、壁面を片側に寄せガラス面と対比させ、左右対称を避ける Ⅰ期とⅣ期では同じ箱でも、空間の中心性を強調するか、周辺を強調するかにおいて 大きく違う 周辺を強調した、偏心された箱はその後、ファンズワース邸やクラウンホールでは壁 も最小限まで減らされ、2枚の水平スラブで挟まれただけの「水平スラブの空間」へ いたる ミースの空間構成は「壁の空間」の中心性が複雑な操作によって解体され、遠心性と呼 び得る空間に変容し、さらにその動的な性質が弱まり、「水平スラブの空間」の均質性へ 収束していくという明快な変化をたどる 2 均質空間 −ミースが最終的に到達したのは「水平スラブの空間」− ヨーロッパの伝統的な建築を「壁の空間」、ミースの「均質空間」を「水平スラブの空間」 とし、両者の対比によって前者から後者への近代建築(またはミース)における空間の 変遷と成立を示している 「均質」という言葉には4つの意味 この章では、 「建築の内部空間や形態のデザインが均質である」というように建築構成の 問題に限定して使用 ミースによる「均質空間」とは、以下のように要約することができる 「2枚の水平スラブに挟まれ、垂直な境界面がすべて透明ガラスであり、(平滑な)水平 スラブが内外から分離して見ることのできる(無注の)空間」 2 また、水平スラブが分離して見えるとは、以下のことを指す 「外からは水平スラブのエッジを、スラブの右端から左端まで見ることができ、内から は天井面と床面のエッジを、右端から左端まで見ることができる」 このような「均質空間」の定義をより単純化し、即物的な名として、 「水平スラブの空間」とする。 日本建築 = 「床の建築」 ヨーロッパの伝統建築 = 「壁の建築」 (∵水平方向を組積造の厚い壁で枠取りし、空間をその内側に封じ込め、垂直方向は 比較的自由に決めることができる特性) 「壁の建築」を「壁の空間」と呼ぶとすると、ミースによる「水平スラブの空間」と の対比が言葉の上でも明瞭となる。 つまり、近代建築における空間の成立と変遷は、 「壁の空間」から「水平スラブの空間」 への変遷過程であったといえる。 □『IITクラウンホール』ミース・ファン・デル・ローエ (シカゴ、イリノイ州、アメリカ、1950‑56) ・「水平スラブの空間」の大空間としての最初の達成例 ・梁は屋根の上に出され、床スラブは地面より浮かし、内部をなめらかな水平スラブ で挟まれた無注空間としている ・無注空間を達成するため、壁で仕切った小部屋を半地下に入れている →上の開放性を達成 □『国立美術館』ミース・ファン・デル・ローエ (ベルリン、ドイツ、1962‑68) ・小部屋を地下に埋め、地上をガラス貼りの大空間とする ・巨大な屋根を8本の柱で浮かし、床は基壇状に持ち上げ、水平面で挟まれた空間を つくりだす □『シーグラムビル』ミース・ファン・デル・ローエ (ニューヨーク、ニューヨーク州、1954‑58) ・コアの輪郭を整理することなどにより、シカゴ派以来の空間を単純化、純粋化 ・高層ビルにおける「水平スラブの空間」の達成 3 ミースの出発点が古典組積造の箱であるならば、カーンのそれは、近代的フレームの箱 であった □『ラッドビル精神病院』L.I.カーン (フィラデルフィア、ペンシルバニア州、アメリカ、1949‑53) ・機能別に分けられた直方体を非対称にY字型に連結 ・1章、Aの構成 □『ワイス邸』L.I.カーン (ノリスタウン、ペンシルバニア州、アメリカ、1948‑50) □『ジェネル邸』L.I.カーン (ロウアーメリオン、ペンシルバニア州、アメリカ、1948‑50) ・パブリック空間とプライベート空間に分けたH型プラン ・1章、Aの構成 □『ピンカス精神病院』L.I.カーン (フィラデルフィア、ペンシルバニア州、アメリカ、1949‑53) ・鉄骨トラスを均等に架け直方体を構成 ・内部は天井まで届かない壁で自由に仕切る ・1章、Bの構成 →フレームで箱をつくり、内部を機能に応じて分割する方法は、近代建築における 最もオーソドックスな方法 カーンは当初、なんのためらいもなく当時全盛だった近代建築の構成を取り込んでいた 3 均質空間からの離脱 −均質な「水平スラブの空間」の分節化− カーンは柱梁をグリッドにのせる近代建築の構成にも見られる方法に加えて、正三角形、 正方形等の純粋形態を使用し、空間の輪郭と構造の単位の一致を追求することで、コル ビジェやミースの影響から離れた空間を構築した 『イェール・アート・ギャラリー』(1951‑53)において近代建築の構成(=「水平スラ ブの空間」)にわずかであるが、新しい変化が見られる。それは以下の3点である。 ①天井の正三角形(正四面体)グリッドや階段の円と正三角形などの純粋形態によ 4 る空間の統制 ・純粋形態とは、円、正方形、正三角形、正四面体を指す (純粋形態は近代建築でよく提唱されたが実際には直方体がほとんどであった) ・天井一面に正四面体を使用 コンクリートを使用しているため、構造トラスではなく、正四面体の1つの面 をつなげて梁とし、その他の面は天井の装飾 →「このようにかなり無理をしてでも、カーンは天井に正三角形を並べたかっ たのだろう」 正四面体グリッド使用に関しては、バックミンスター・フラーの構造的成果か らの影響が大きいと思われが、以下の2点において、フラーの志向とは異なる。 ○スティールではなくコンクリートを使用したこと ○全体を覆うことよりも個々の空間を独立させる方法として構造を 考えたこと ②柱による空間の輪郭の規定、構造の単位=空間の輪郭 ・コアを挟んで2つある展示室は、それぞれ別の柱に支えられている ・中央のコアの部分において、柱をコアの壁につけず、離して配置 ↓ 柱による構造の単位と展示室という空間の単位が一致 ③背後の公園側の開放的な大ガラス面に対する道路側の閉鎖的な壁面 ・アプローチの道路側は壁面、裏の公園側がガラス面で構成 cf)「均質空間」・・・「2枚の水平スラブに挟まれ、垂直な境界面がすべて透明ガ ラスであり、…」 その後、正三角形グリッドは『シティー・タワー計画』(1952‑57)、『アダス・イエ シュラン・シナゴーグ』 (1954)で使用されるだけで、それにかわって正方形グリッド が使用される。 □『ユダヤ・コミュニティ・センター』 (トレントン、ニュージャージー州、アメリカ 1954‑59) ・正方形グリッドの使用 ・上部にトップライトをもつピラミッド状の方形屋根によって、個々の空間単位 を分離しつつ、全体をシステマティックに構成 ・メインとサブのグリッドによるダブルグリッドを基本に構成 5 →廊下、トイレなどサブの空間は陸屋根、主要な部屋は方形屋根 ダブルグリッドはカーンが好んで用いたが、コルビジェはほとんど使用せず、 ミースは決して使わなかった →∵ダブルグリッドの柱割りの使用は空間の均質性が潜在的に崩れてしまう →「カーンは意識的に均質性を壊す方向に向かっていたのではないだろうか」 柱梁をグリッドにのせる方法は、近代建築の構成にも当然見られる。しかし、 『イェール・ アート・ギャラリー』、『ユダヤ・コミュニティ・センター』にみられるように、以下の 2点においてカーンの空間構成は近代建築のそれ(「水平スラブの空間」)と異なる ・正三角形、正方形等の純粋形態が使用されていること ・空間の輪郭と構造の単位の一致が追求されていること ↓ 「コルビジェが均等においた柱を、ミースがじゃまにして空間の端に寄せた柱を、カー ンは空間を分節する道具として堂々と中央にもってきた」 4 均質空間からの離脱 −水平スラブの空間」の解体から「空間単位=構造単位」の生成へ− カーンはミースによって統合された均質空間を、幾何学グリッドを用いて 再び個々の空間に分割、解体することで、空間単位=構造単位にまで分解した 『イェール・アート・ギャラリー』以降、構造単位と空間単位の輪郭の一致が 意識されたしかし、空間単位は箱型の輪郭に隠れて分かりにくい段階であった ↓ 『フラクター邸』(1951‑54)の平面スケッチで初めて、空間単位の完全な分離が みられる ・居間、寝室の正方形の空間単位が他から独立 ・正方形の空間単位はそのまま構造の単位となる ・正方形は120°ずつ振られ、頂点で各単位が接する構成 →「以下に単位を強調したかったかが、このスケッチから読みとれる」 これ以降、いくつかの作品において正方形の空間単位が強く意識されている 『デ・ヴォア邸』(1954‑55)、『アドラー邸』(1954‑55) 6 →正方形の空間を前後にずらす 『ユダヤ・コミュニティ・センター・デイ・キャンプ』(1954‑57) →空間単位をランダムに配置 『クレヴァー邸』(1957‑61) →大きな正方形の居間に小さな正方形の居間が挟み込まれ、おのおの別の屋根が架 けられている 『リチャーズ医学研究所』(1957‑64)において空間単位の分離というコンセプトが明確 な形となる ・エレベーターやトイレなどの設備が納められた中央の正方形のコアの周りに、卍 型に正方形の研究室が配されている(Ⅰ期工事部分の計画初期案) →動きのある配置とることにより、単位であることを強調 のちにⅡ期工事においてリニアに正方形の単位が付加され現在の形に至る ・構造表現の方注目される傾向にある プレキャストの柱梁を井型に組み、その構造形式を極力外に表す 設備や階段シャフトなどにより、全体として塔の集合体としての印象 →構造的な取り組みというより、正方形の空間単位に分離して連結したことから の帰結(小さな空間が上方にのびると必然的に塔状になる) 空間単位の分離は動的な配置により表現されてきたが、次第に『トリビューン・レビュ ー社屋』(1958‑61)のような静的な配置の作品も増える ・中央に設備や動線のコアを置き、長方形のオフィスを両側に配置 ・オフィス部分は構造的に相互に独立 ・コアとオフィス部分の接合面はそのオフィス部分の壁面から後にさげる →全体を1つの箱とせず、2つの箱を連結した構成 ・柱は壁の外側に出され、梁も露出 梁はプレキャストコンクリートでつくられ、梁から下の柱と壁はコンクリートブ ロックでつくられた ・長手立面に置いて壁は梁の下側で留められている →梁の壁からの分離 ・初めてのT字型の窓の採用 →壁が梁を支えていないことの表現 ↓ カーンの架構の組立ての表現のこだわり 7 以上より、カーンによる空間単位の分離の変遷は以下のようになる 水平スラブの空間 ↓ 幾何学グリッドの適用 ↓ 空間単位の分離とその動的配置 ↓ 空間単位の分離とその静的配置 このようにミースによって統合された均質空間は、カーンによって再び解体され、 空間単位=構造単位にまで分解される 8 文献講読 2004/08/25 ルイス・カーンの空間構成/原口秀昭 5 空間単位の統合 −分解された空間単位は、中心によって統合されていく− カーンは構造単位まで分解された空間単位をいかに並べるかを試行錯誤したのちに、そ れらの統合方法を模索している 中心となる空間を設定することで他の空間単位をまとめるという手法の変遷を示してい る □『クレヴァー邸』L.I.カーン(カムデン ペンシルヴァニア州 アメリカ 1957‑61) ・支配的空間によって多くの単位を統合しようとした最初の例 ・大きな屋根空間の周りに小さな空間単位が集められている □『シヴィックフォーラム』L.I.カーン (フィラデルフィア ペンシルヴァニア州 アメリカ 1956‑57) ・円形の中庭の周囲に建物を配してはいるものの、建物はコアによって分離されてはい るものの,単位として分離していない近代建築 □ 『ファーストユニタリアン教会』L.I.カーン □ (ロチェスター ニューヨーク州 アメリカ 1958‑68) ・大空間の教会堂という中心によって、小空間の教室を統合している □ 『ゴールデンハーグ邸』L.I.カーン □ (モンゴメリ ペンシルヴァニア州 アメリカ 1958‑68) ・周囲の部屋は単位と言えないが,中央に向かって傾斜した屋根,45度のプラン上の 線によって,中庭は強い中心となっている。 この後から二列の細長い建物の間にはさまれた空間という、一方向の軸性が強い線形の 中心も現れる。 □『ソーク生物学研究所』L.I.カーン(ラ・ホヤ カリフォルニア州 アメリカ 1959‑65) ・中庭が二つの細長い研究棟で挟まれ、中心が軸性の強いものとなっている。 階層的中心による統合(研究者の各部屋を、大きな実験室の空間が統合し、その実験室 を中庭が統合する) 9 □ 『ソーク生物学研究所コミュニティセンター計画案』L.I.カーン □ (ラ・ホヤ カリフォルニア州 アメリカ 1959‑65) ・壁が主体となった中心性を持つ構成 ・二重皮膜→奥行きのある立面の表現、気候条件の緩和 →この頃からカーン独特の「壁の空間」が現れはじめる 壁によって強く限定された単位空間が中心によって段階に統合されていく空間構成 6 単核プランと複核プラン −ライトによって解体された中心は、カーンによって復活する− 中心によって全体が統合される空間構成は組積造時代の構成原理であり、20 世紀前半の 建築家は極端にそれを嫌った。コルビュジエやライトもその例外ではなく、中心を解体 する方向に向かっていった。ここではライトの中心の解体を追い、カーンの作品と比較 し差異を述べている ライトの中心の解体の変化 □『ブロッサム邸』(シカゴ イリノイ州 アメリカ 1892) 古典的 9 分割の構成ながら、それから抜け出そうとしている 側面からの建物に沿ったアプローチ 対称性を崩すようなアルコーブの突き出し □『ウィンズロー邸』(シカゴ イリノイ州 アメリカ 1894) 空間による中心を解体した最初の例 中央部に量塊がおかれ、空間的中心が解体される 動線の主軸が内部で壊され、迂回させられている この遠心的構成は十字形平面だけではなく二極化されたヘラー邸、ユニティ教会にもみ られる □『ユニティ教会』(シカゴ イリノイ州 アメリカ 1906) 教会堂と教室棟にわけて並列させる 教会堂:9 分割され中央が吹き抜け 教室棟:3 分割され中央が吹き抜け →中心が左右に二極化され、両端に重点がうつる 四隅をふさいだ十字方向からの古典的採光 10 カーンとの比較 『ファーストユニタリアン教会』 教会堂を中心としその周囲に教室などの小部屋を配置 増築された教室棟も中心の教会堂からのびた付属的空間 対角方向を強調した独自の採光 ⇒ライトは中心を二極化することで中心性を解体し、カーンはあくまでも中心的構成で ある 一見、類似した構成に見えるが根本的に違うものである 7 求心的構成と偏心的構成(1) −求心的な空間を基本とする方法と,均質な中に偏差を与える方法− 20世紀の都市計画を5つあげ、都市の主軸と主となる建物の軸が一致しているかとい う点に着目し、カーンとコルビュジエの構成を比較している ニューデリー キャンベラ エドウィン・ラッチェンス(インド ウォルター・バーリー・グリフィン 1912‑) ロマルド・ジョゴラ (オーストラリア チャンディガール ブラジリア ダッカ コルビュジエ ルシオ・コスタ L.I.カーン (インド 1951‑62) オスカー・ニー・マイヤー(ブラジル (バングラディシュ 1912‑) 1956‑) 1962‑74) ニューデリー、キャンベラ、ダッカ:建物の主要な対称軸と、都市の主軸が一致 →全体として対称性は強くなり、建物は中心としてのインパクトが必要となる ニューデリー、ダッカ:強烈な左右対称の建物 キャンベラ:中央に塔を立て中心を強調 しかしダッカは都市の主軸にバロック的大通りを設けず、建物の配列のみを左右対称に →ほかの二つに比べ、都市の軸が権威的でなくなる チャンディガール、ブラジリア:意図的に都市軸からの建物の軸をずらす チャンディガールとダッカの比較 チャンディガール:壁の立ち上げを極力少なくした垂直的表現 吹抜の中に議事堂を偏心させて配置 ダッカ :壁を立ち上げて外部を区切る水平的表現 11 議事堂を中央におきその周囲に他の空間を付加していく求心的構成 ⇒チャンディガールは均質な中に偏差を与える方法であり、ダッカは求心的空間を中心 に構成する方法である 8 求心的構成と偏心的構成(2) −アアルトは扇形を隅に置き,カーンは正方形を中央に置く− アアルトの建築の変遷を段階的に追い、アアルトの特徴を示し、アアルトとカーンの作 品を比較することによって、カーンの空間構成の特徴が独特であることを示している アルヴァ・アアルト:曲線や、木、れんがなどの自然素材を用い、近代建築を風土にな じませた建築家 アアルトの変遷を以下の3期に分類する ① 1920 年代(準備期)−新古典主義と近代建築から学ぶ ② 1930 年代(変革期)−大型の近代建築を手がけながら、独自性を盛り込んでいく ③ 1940 年代(完成期)−固有の表現を持った作品を次々と生み出す アアルトのもっとも大きな特徴 波打つ曲面と扇形 直方体の複合を基本とし、非対称に扇形、波打つ曲面をとりいれる。 『ヴィープリの図書館』(ヴィープリ 『フィンランド館』(ニューヨーク 当時フィンランド、現ロシア アメリカ 『オタニエミ工科大学』(オタニエミ 1927‑35) 1937‑39) フィンランド 1949) カーンの『エクセター大学図書館』との比較 アアルト 重要な空間を周辺部隅に配置 その空間に屈曲して最後にたどり着く ⇒近代建築の構成 周辺部を強調する構成 カーン 重要な空間を中央に配置 その空間にまっすぐ最初に入る ⇒近代建築から離れた構成 中心を強調する構成 カーンとアアルトは求心的構成と偏心的構成という対極に位置し、カーンの建築は近代 12 建築とは大きく違っている 文献講読 2004/09/02 ルイス・カーンの空間構成/原口秀昭 9 機能的配列と形式的配列 −部屋構成は、コルビュジエはトップダウン、カーンはボトムアップ− 建築構成のプロセスを、 「トップダウン」と「ボトムアップ」の2種類に大別したうえで、 カーンとコルビュジエのブロックの構成や配置を比較し、その特性からカーンを近代以 降の作家と位置づけている 建築の設計における全体と部分の関係は大きく2種類に分類することができる A.トップダウン・・・全体から発想して部分に下りていく (全体の輪郭を最初に設定し、そのあとに分割して部屋を作る) B.ボトムアップ・・・部分から発想して全体に上がっていく (部屋を最初に設定して、そのあとに部屋を集合して全体を構成する) □『バウハウス校舎』ワルター・グロピウス(デッサウ、ドイツ、1926) ・ おおまかな機能によって分けられたブロックを連結 ・ ブロックを分割することで小部屋がつくられている →トップダウン 建設構成の上位のレベルでは大まかな機能分けによるブロックの「連結」、下位レベル では小さな機能分けによる部屋の「分割」がなされる □『スイス学生会館』ル・コルビュジエ(パリ、フランス、1930‑32) ・ ピロティで浮かした直方体のブロックに、入り口ホールと階段室のブロックを付加 ・ 直方体のブロックを細かく分割して個室をつくる →トップダウン □『ブリンモア大学女子寮』L.I.カーン (ブリンモア、ペンシルヴァニア州、アリカ、1960‑64) ・ 部屋の集合の方法がデザインのテーマ ・ 正方形の吹抜けホールの周囲に部屋を連結して集め、さらにその単位を3つ連結 ・ 入り口ホールも個室も、ひとつの形式のなかで構成 13 →ボトムアップ カーンは部屋を形式的に配置し、コルビュジエは部屋を機能的に配置する ・ カーンのブロックは「部屋の社会」の結果であり、そのコンセプトを追求する ・ コルビュジエのブロックは機能別に分類されたものである →コルビュジエの機能的な配置方法ほど普遍的なものはない カーンの正方形への異常なまでのこだわり ・ コルビュジエは全体の比例を意識しつつも、機能的にブロックの形態を決定する ・ カーンはつねに、正方形という形態に異常なまでにこだわっている →カーンは近代以降の作家として位置づけられる 10 規則的連結と不規則な重合 −分節させながら規則的に連結させる構成と、ランダムにコーナーを重合する構成− カーンとコルビュジエの修道院から、形態の配置方法や空間の連結方法の違いを比較し、 カーンがデ・コントラクシオンにも通ずる試みを 60 年代におこなっていたことを示して いる カーンの形態構成の変遷 1950 年頃まで ミースが実現した「水平スラブの空間」(1章参照)を踏襲 1950 年代以降 空間単位の分離 分離された空間単位を中心によって統合 1960 年代 1960 年代以降 カーン独自の「壁の空間」といえるような空間構成を完成 基本的には左右対称な静的な構成 非構成的ともいえる空間構成が試み □『ドミニコ会修道院計画案』L.I.カーン (メディア、ペンシルヴァニア州、アメリカ、1965‑68) ・ 個室群をU字型のブロックにし、中庭をつくる ・ 中庭の中で、おのおの自立した形態をランダムにぶつけ合わせる →デ・コンストラクシオン(脱構築)的な形態的特長 ・ 形態のコーナーをかみ合わせ、重合させている(『フィッシャー邸』でも見られる) →ローマの都市計画からの発想か 14 カーンは空間単位を不規則に配置して、それぞれが単位であることを強調している ex)『デ・ヴォア邸』(1954‑57) 『アドラー邸』(1954‑55) 『ユダヤ・コミュニティーセンター・デイ・キャンプ』(1954‑57) 『フィッシャー邸』(1960‑69) □『ラ・トゥーレット修道院』ル・コルビュジエ (リヨン郊外、フランス、1957‑60) ・ 伝統的な修道院を参照し、それを変形 ・ ロの字型にブロックを配置したオーソドックスな構成 ・ 列柱の変わりに、板とガラスによるパターン ・ 外側の単純な直方体と対照的に、多数の形態の集合により構成される中庭 ・ 斜路を用いた通路 →人の動きをデザインに生かす(カーンにはない発想) カーンの修道院とコルビュジエの修道院の比較 類似点…修道士の部屋群を同じようなU字型に配置して、中庭に様々な形態を入れる 相違点…1.中庭内での建物の配置方法 コルビュジエ:直交座標にのっとった十字型の通路によって人の動きを つくろうとする カーン :不規則に正方形や長方形を配置 2.形態同士の連結方法 コルビュジエ:連結するものとは違う形態を挟むことで分節する カーン :正方形や長方形のコーナーを重ね合わせる →デ・コンストラクシオンの潮流と一致 カーンは 60 年代に、80 年代後半から現在に渡って流れている、デ・コントラクシ オンの潮流と一致する空間構成をすでに試みていた →新たな創造の模索であると同時に、空間構成のみでオリジナリティを出すこと の限界を示している デ・コントラクシオン(古典的な構成をやめ、違った地平に新たな可能性を探るもの) ・ 物として存在する限り、広い意味での構成からは逃れられない ・ 結局、ランダムに物を「構成」していることに他ならない ・空間構成=躯体によるデザイン→空間構成史の連続的発展上に位置する 15 空間構成だけで新たな発展を期待するのは、そろそろ限界に来ている 11 二重皮膜の構成 −環境を調節し、率面に奥行きをつくる二重皮膜− 組積造に敵対する近代建築運動が、重量感の消失と透明感の演出のために二重皮膜を用 いていたのに対し、カーンの二重皮膜の用い方に相違点があることを指摘している 近代建築 壁:極力薄いもの←→組積造の厚い壁 (鉄筋コンクリート、金属板、ガラス) 窓:横長連続窓←→組積造の縦長窓 近代建築の原理である薄くて存在感のない壁は、建物本体から自立させて離して置く と、構造とは無関係であることを強調できる 壁にあけた孔を通して奥に建物を見せると、奥行きと透明感を演出できる →『サヴォア邸』の2階の中庭の壁に開いている水平連続窓と同じ孔は、気候条件 の調節のためではなく、以下のデザイン上の目的からである ① 直方体としての輪郭を保持するため ② 重量感をなくして透明感を出すため □『カサ・デル・ファッション』ジュゼッペ・テラーニ(コモ、イタリア、1932‑36) ・ 壁とフレームを対比させる ・ フレームの奥にガラスや壁を見せ、透明感と奥行きをあたえる(重量感の排除) →近代建築の二重皮膜はフレームによるものが最も多く、その代表例 □『インド経営大学校舎、学生寮』L.I.カーン(アーメダバッド、インド、1962‑74) ・ 気候条件を調節し、概観に象徴性をもたせる装置 →象徴的形態に孔を開けられた厚い壁による二重皮膜 ex)『ソーク生物学研究所 コミュニティーセンター』 (ラ・ホヤ、カリフォルニア州、アメリカ、1959‑65) *カーンが二重皮膜を用いた最初の例 カーンの二重皮膜はコルビュジエの「ブリーズソレイユ」に比べ、デザイン上の手法 としての性格が強い →カルロ・スカルパやマリオ・ボッタらや、更にも現代建築に影響を及ぼす 16 12 ガラスの劇場と壁の劇場 −「壁の空間」と「水平スラブの空間」における入れ子の構成− ミースの劇場と、カーンの劇場を比較することで、近代建築とカーンの建築の違いを明 確に示している 劇場の空間構成は基本的に入れ子の構成である ・ 観客席はホワイエに囲まれる必要性があるため、全体の大きな箱の中に、劇場の 箱が入れられることになる ・ 内側の箱の壁は遮音や証明の装置のために二重の壁になる場合が多い →劇というフィクションと外側の現実とを切り離す空間構成 ホワイエや観客席と、舞台や舞台裏といった観客が立ち入ることのできないスペース が同じくらいの大きさが必要とわかる □『フォートウェインの劇場』L.I.カーン (フォートウェイン、インディアナ州、アメリカ、1961‑73) ・ 外側の箱と内側の箱とで外観の表情を変えることで、入れ子の構成でることを明確 にしている ・ 天井、壁が打ち放しコンクリート→音響的問題はらむ ・ 音響のためにギザギザになった劇場側の壁と、列柱のようなホワイエ側の二重壁 二重壁の内側→設備のためのスペースとしてあらかじめ用意し、他と分離 ex)『リチャーズ医学研究所』(1957‑64) 『ソーク生物学研究所』(1959‑65) 平面的に設備を他と分離 断面的に設備を他と分離 ・ ホワイエ→高い壁に囲まれた垂直の空間 ・ 壁は厚く、窓は壁に開けられた小さな孔に過ぎず、空間を規定する壁の役割を減じ ていない □『マンハイム国立劇場計画案』ミース・ファン・デル・ローエ (マンハイム、ドイツ、1952‑53) ・ 完全に開かれた劇場の提案 ・ 外の箱がガラスで、内側には壁がまったくない入れ子の構成 →ホワイエと観客席の境界がない ・ 屋根スラブは鉄骨トラスの大梁によってつられ、内部は柱のない、水平スラブに挟 まれた空間になっている 17 ・ 内部空間は水平にのみ延び広がり、透明ガラスを通して外と視覚的に連続する ・ 上下の水平スラブは、中からも外からもエッジを見ることができ、面として分離さ れている 『ファンズワース邸』(1945‑50)や『クラウン・ホール』(1950‑56)と同様の「水平ス ラブ」の空間を劇場にまで適用しようとするミースの一貫性がうかがえる →日常とは切り離された独自の世界を必要とする劇場においては、外部と劇場との 視覚的連続は、少なくとも機能と矛盾しているのではないか ミースの劇場が「水平スラブの空間」であるならば。カーンのそれは「壁の空間」である ミースは劇場本来の入れ子の構成を大胆に変革しているが、カーンは入れ子の構成を単純 化してみせたのである 18 文献講読 2004/09/08 ルイス・カーンの空間構成/原口秀昭 13 大架構の空間 ‐コルビュジェは屋根をつり、カーンは床をつった− 大会議場、体育館、ホールなどの巨大なスパンを必要とする大空間では、構造形式でデ ザインが決まる。 □ 『IITクラウン・ホール』ミース・ファン・デル・ローエ (シカゴ、イリノイ州、アメリカ、1950‑56) □ 『マンハイム国立劇場計画案』ミース・ファン・デル・ローエ (マンハイム、ドイツ、1952‑53) ・H型の大梁やトラス梁によるフレーム構造 ・「水平スラブの空間」は、大スパンの場合、床スラブは半地下の細かい割りで入れら れた柱で支えられ、屋根スラブはその上部に出された大梁やトラス梁によってつる すことで支えられている ・梁を屋根スラブの上に出す □ 『チャンディガール州議事堂』ル・コルビュジェ (チャンディガール、パンジャブ州、インド、1951‑62) ・ 会場全体をシェル構造でまとめている →音響的には好ましくない □ 『オペラハウス』ヨーン・ウツソン(シドニー、オーストラリア、1957‑73) ・ シェルの内側に異なる箱を入れ子にした構成 □ 『国際連盟本部設計競技』ル・コルビュジェ(ジュネーブ、スイス、1927‑28) ・ 大梁による大架構 ・ 構造体は不可視 □ 『ソヴィエト宮設計競技案』ル・コルビュジェ(モスクワ、ロシア、1931) ・ 放物線を描く構造体からケーブルで大梁をつり、その大梁から更にケーブルで曲面 状の天井をつるアクロバットな架構法 →構造的な役割と同時に外観デザインを決定付ける重要な要素 ・ アシンメトリーな構成を検討 19 軸が権威的になりすぎず、空間に奥行きと変化を与えることが出来る アプローチがわかりにくく、形をまとめにくい →最終的には左右対称の軸構成 ⇒コルビュジェは一般に考えられているほどには、対称性を忌避してなかった □ 『ヴェネツィアの会議場計画案』L.I.カーン(ヴェニツィア、イタリア、1968‑74) ・巨大な門型から床スラブを中央に垂れ下がるようにつるダイナミックな構造 →機能と形態と構造が一致した明快な空間構成 ・垂直動線は両側のコアに納める →アプローチと避難の動線に問題 入り口、ホワイエが左右二つに分かれてしまう 1960 年代、さまざまな構造的な成果が世界中で達成される中で、重要な位置を占めて いる。 14 垂直シャフトによる構成 −四隅にコアを置く構成は、ライトにはじまり、カーンによって展開された− 四隅にコアを置く構成の変遷をたどり、古典主義や城館の形態構成にはじまり、ライト によって近代建築に持ち込まれ、カーンによってさまざまな手法として展開されたと述 べている フランク・ロイド・ライトは住宅において、2本の柱や量塊を両脇に突出させることに よって立面を構成する方法をよく用いた →左右対称を強調、古典主義建築における代表的なブロック配置の手法 コーナーに塔を配する構成(ヨーロッパの城館によく見られる) →形態的なまとまりをつくるデザイン手法 隅に量塊や塔を置くと、デザインがまとめやすい □『ユニティ教会』フランク・ロイド・ライト(シカゴ、イリノイ州、アメリカ、1906) ・四隅に置かれたコア 形態イメージ先行(フレーベルのギフト)、機能的には必要なし 20 □ 『ラーキンビル』フランク・ロイド・ライト (バッファロー、ニューヨーク州、アメリカ、1903) ・四隅にコアを置く構成 動線のコア、機能的な意味づけ ・アプローチが軸上に真っ直ぐとられず、メインのブロックとサブのブロックの隙間 から、建物に沿ってとられている →カーンに影響(イェール・アート・ギャラリー) 軸対称の量塊構成にもかかわらずはっきりしない入り口 ・中央の吹き抜けの周囲に事務室を開放的につなげる構成 =建物全体に中心性をもたらす古典的な形式 →アトリウムとして復活(1960 年代以降) ・均質空間以前の構成だが均質空間以後の構成にも大いに参考になる Ex)ノーマン・フォスター、香港上海銀行、1986 カーンの作品中、空間単位の四隅に柱を置いているものは 『アドラー邸』(1954‑55)、『ユダヤ・コミュニティセンター』(1954‑59)から 垂直コアシャフトが用いられ始めたのは『リチャーズ医学研究所』(1957‑64)から 以後、何度となくカーンのデザインに使用されるようになる カーンの用いるコアシャフトは以下の3種類に大別される ①階段などを入れる垂直動線のコアシャフト ②ダクトや配管などを入れる設備のコアシャフト ③太陽光を採り入れ、何度か反射した後の淡い光を室内に取り込む光のコアシャフト ・3種類とも構造的な意味を同時に担っている □『ミクヴェ・イスラエル・シナゴーク計画案』L.I.カーン (フィラデルフィア、ペンシルヴァニア州、アメリカ、1961−72) □『フォートウェインの芸術センター』 (フォートウェイン、インディアナ州、アメリカ、1961‑73) ・光のシャフトによる淡い光がデザインのメインテーマ →『ダッカの国会議事堂』(1962‑74)のモスクにおいて実現 日本ではカーンの影響を受け、丹下健三やメタボリズムの建築家たちが、四隅にコアを 置く方法を取り入れた →単にシステマティックに形態を構成するだけで終わってしまっている 21 15 屋根による空間構成 −フレーム構造が再度用いられるようになる− 屋根を操作することによって現れる「屋根の空間」がカーンの空間構成にどのような変 化もたらしたかを述べている。 天井が同じ高さで広がっていると、平らな床と天井に挟まれた空間はどうしても均質に なってしまう。 天井の凹凸によって空間をデザインしようとする場合は、平屋か低層の建物に限定され てくる □『ユダヤ・コミュニティ・センター』L.I.カーン (トレントン、ニュージャージー州、アメリカ 1954‑59) ・正方形のピラミッド上の屋根の頂部にトップライトをつけた方形屋根を並べる構成 □『クレヴァー邸』L.I.カーン (カムデン、ペンシルバニア州、アメリカ、1957‑61) ・大きな屋根の周りに、小さな屋根の正方形平面の部屋単位を集めた構成 1960 年代の「壁の空間」の時代を経て、再び「屋根の空間」へ □『オリヴェッティ・アンダーウッド工場』L.I.カーン (ハリスバーグ、ペンシルバニア州、アメリカ、1966‑69) ・各柱の上に、下部が正方形平面、上部が八角形平面の、キノコの傘上の屋根を架け、 それをつなげることにより、工場全体の屋根としている。 ・相互につなげて出来た45度にふられた正方形の穴をトップライトとして使用 →工場のラインの方向と45度ずれて見え、繁雑な印象の空間 □『キンベル美術館』L.I.カーン(フォートワース、テキサス州、アメリカ 1966‑72) ・「屋根の空間」の最も成功した例 ・反射光を均一にするためのサイクロイド曲線のアーチ状の屋根 ・単位となる屋根を分節させながらシステマティックに並べ、屋根の頂部から光を取り 入れている ・ディテールにも細かい工夫(パンチングメタルの反射板) ・ダブルグリッドにより屋根を支える構造単位を独立させ、相互に分節、静的な構図で 全体がまとめられている 22 →サーヴド、サーヴァントスペースの分離 □『ブリティッシュ・アート・センター』L.I.カーン (ニューヘブン、コネチカット州、アメリカ 1969‑74) ・最上階の各スパンごとのトップライト →正方形の構造単位を強調 ・フレーム架構にもかかわらず、壁面を多く配置 →吹き抜けによる空間の垂直性を強調 「壁の空間」を作り出そうとするカーンの意図 「屋根の空間」と「壁の空間」が同時に作られることでカーンの作品がバラエティに富 み、明るさや開放感が感じられるようになった 16 ルイス・カーンの構成の変遷 −近代建築の構成→空間単位の分離→中心による統合→構成の多様化− カーンの変遷を、その変異点で整理すると以下のようになる Ⅰ.近代建築の構成 −『イェール・アート・ギャラリー』(1950−53)以前− ・正三角形や正方形などのグリッド ・左右対称 ・構造単位と空間単位の一致の追求 Ⅱ.空間単位の分離 −『フラクター邸』(1951−54)から− ・ランダムな配置による単位の強調 ・動的な構図 Ex)『デ・ヴォア邸』(1954‑55) 『アドラー邸』(1954‑55) 『ユダヤ・コミュニティー・センター・デイ・キャンプ』(1954‑57) Ⅲ.ダブル・グリッド −『ユダヤ・コミュニティー・センター』(1954−59)から− ・単純なシステムによる静的な構図 ・各空間単位を独立 ここまでは「水平スラブの空間」 Ⅳ.壁の空間 −『モリス邸』(1957−59)から− ・壁構造により、水平スラブ主体の空間から壁主体の空間へ移行 23 Ⅴ.中心による統合 −『シティー・センター・フォーラム』(1956−57)から− ・分離された空間単位は、中心によって段階的に統合されている Ex)『ソーク生物学研究所コミュニティー・センター』(1959‑65) 『ファースト・ユニタリアン教会』(1958‑68) 『ゴールデンバーグ邸』(1959) 「壁の空間」は60年代の作品に顕著で、カーン独自の構成が完成 Ⅵ.構成の多様化 ・フレームによる構造の復活 ・屋根などによって空間単位が強調された「屋根の空間」 ・「壁の空間」と「屋根の空間」を同様に用いる →構成のバリエーションが増加 以上の構成上の変遷を更に大まかに整理すると以下のようになる ① 準備期 −1930〜40 年代 近代建築の構成、「水平スラブの空間」 ② 変革期 −1950 年代 グリッドの適用、空間単位の分離 ③ 完成期 −1960 年代 中心による空間単位の統合、「壁の空間」 ④ 展開期 −1970 年代 「屋根の空間」の登場による構成の多様化 最初カーンは近代建築を何の疑いもなく取り入れていたが、 空間単位の分離 ↓ 壁による空間構成の採用 ↓ 中心による分離された空間単位の統合 という順序で近代建築を離れ、独自の構成へと歩みを進めた ⇒均質性を有する「水平スラブの空間」から、中心性を有する「壁の空間」への移行 60 年代以降の均質空間の解体 近代建築から始まるカーンの歩みは、驚くほど段階的に進み、ミースの変遷に近い 24 ⇔コルビュジェ、ライトの大ジャンプを含んだ変遷 25
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