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セントラル パーク N・Yの思い出 1988年・秋 どんな公園なのかしら・・・と

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セントラル
パーク
N・Yの思い出
1988年・秋
どんな公園なのかしら・・・と、セントラルパークへ散策に行ったのは、ニュ
ーヨークへ来てまだ一ヶ月にならない十一月中旬のことでした。その日はニュー
ヨーク晴で風もなく、お昼ごろ29丁目のホテルを出て、碁盤の目のようになっ
ていて迷う心配のないアベニューやストリートを楽しみながら公園につきました。
公園に入ってまず眼に入ったのは、沢山な樹木は紅葉がまじりあくまでも澄み
切った紺碧の空とのコントラストの美しさに、しばし眼をうばわれて立ち尽くし
ていました。色とりどりの落葉を敷きつめた広い道は、右に左に斜めにと分かれ
道があり、気のむくままあちらこちらを歩き回っているうちに自分がどこの辺り
にいるのか解らなくなってしまいました。木陰のベンチに腰を下ろして小休止を
していると、すぐ近くに栗鼠がチョロチョロッと来て、忙しげになにか食べはじ
めました。しばらく見ていましたが、人に馴れてるのかナ?とベンチから立ち上
がろうとすると、あっという間に姿を消してしまいました。ニューヨークの栗鼠
も矢張り人間とは一線を画しているようでした。
ベンチを離れ奥の方へ向かって歩いて行くと、とても広い幅のある道路に出ま
した。サイクリングらしい人々、スケートボードてあっという間に私を追い抜い
て去ってゆく若者たち、何と言ってるのか解りませんでしたが、楽しげな声を残
していきました。道路からちょっと入ったところでは、乗馬服を着こなして、馬
をいたわるようにゆっくりした歩調で乗馬している格好いい年配の男性もいまし
た。高層建築の林立するニューヨークの街のなかにこんなにゆったり楽しめる場
所が・・・と、初めての、それもごく一部だけの散策でしたけれど何とも言えな
いゆたかな解放感に浸っていました。これからも何度か来て、公園の隅々まで行
ってみようと思いながら暗くならないうちにと、夕暮の近づいたニューヨークの、
日本にはない匂いのするアベニューを早足にホテルに向かっていました。
セントラルパークは、59丁目の五番街から八番街までを横一辺とし、そこか
ら110丁目まで縦の線で矩形を描く非常に大きな公園です。大小の池、広い芝
生、球技場、遊技場、遊歩道、羊などの放し飼いの区域、小動物園等など、そし
て80丁目から83丁目までのイーストサイドの公園内にはメトロポリタン美術
館があります。79丁目から81丁目までのウエストサイドには、公園と向かい
合って、ナショナル歴史博物館があり、62丁目辺りには公園に隣接するように、
リンカーンセンターがあります。
ニューヨークという都市設計をした旧き時代に、このような心の和む憩いの場
所を組み入れた先達は誰だったのでしょう。街なかの公園にも栗鼠が沢山おり、
ベンチに座ってじーっとしていると、肩の近くまでやってくる、そんな楽しい公
園をあちらこちらでみつけました。人口も多い大都会、林立するビルの谷間で栗
鼠と挨拶ができるような自然があるということにも、当時の設計者達の未来への
心を感じとっていました。けれども今は、公園は夜になると危険で、とくにセン
トラルパークは暗くなる前に出ないと危ない、といわれているのは本当に残念な
ことです。
私は、五ヶ月のニューヨーク滞在中に何回ぐらいセントラルパークへ行ったで
しょうか・・・その冬は雪が多く東京人の私は、ニューヨークの厳しい寒さのあ
いだは、残念ながらほとんど足を向けることが出来なくなってしまいました。
それでも真冬の寒さの来る前までは何度か行き、探し物でもするように、今ま
で通らなかったところを歩き回ったり、メトロポリタン美術館の行き帰りに通り
抜けたりするときに、何かしら目新しいものを見聞きすることが出来ました。
日増しに寒くなってきましたが、厚みを増した落葉の絨毯では相変わらず栗鼠
が元気に見え隠れして、葉の落ちた樹木はたっぷりと太陽の光を大地にそそぎ、
訪れる人を和ませる自然がそこにありました。
そんな暖かい或る日、散策していると可成り大勢な人だかりを見つけたので覗
いてみると、大きな樹を背に落葉の上で、南米系と思われる中年男性が、大道芸
人なのでしょうか・・・マリオネットを操っていました。大勢の子供達にまじっ
て大人も老人も人形の動きを真剣な眼差しで見つめていました。マリオネットの
芸人は、人形を操るだけでなく、固定してあるハーモニカを吹いたり、喋ったり
の、大忙しのパフォーマンスには、私の眼も吸い寄せられてしまいました。うし
ろに置いてあるトランクには、次の出番を待ってるのでしょうか、別の人形が見
えていました。
そこを離れてしばらく歩いてゆくと、かなり広い木陰の場所があり、そこでは
檜舞台をめざしてる若者たちなのでしょうか、グループ名か自分の名前か?書い
てある自製の看板を立て掛けて、今様ミユージックの演奏や歌を、チャンスに夢
を託しているのでしょう真剣に演じているのが何組もいました。私は今様音楽は
苦手なのですが、セントラルパークで聴いていると、ニューヨークの美しい青空
がうるさい音を吸い取ってくれるのかとても素晴らしい演奏のように思え、曲名
は一つも解りませんでしたが聴いているうちに、どの曲にも心が弾んでしまいま
した。
又ある時は、池の畔の樹の下で、年配の優しそうな白人男性がモーツァルトの
時代の宮廷楽士のような服装で、私も耳にしたことのあるお馴染みのクラシック
曲を、バイオリンのとても綺麗な音色で弾いていました。その宮廷楽士さんが一
曲終えたときに、白人の年配の紳士が楽士さんの前に置いてある缶に紙幣を入れ
て自分の好きな曲を頼んだようで、楽士さんはベートーベンのロマンスといった
ふうな曲をいくつも演奏してくれ、私もご相伴にあずかりました。その年配の紳
士が楽士さんに笑顔で何やら挨拶して立ち去ると楽士さんも一休みするらしく、
バイオリンをいたわるように大切にケースに収めていました。アルバイトか生活
の手段なのかそこまでは解りませんが、聴くほうも聴かせるほうも、聴かせても
らってありがとう、気に入ってもらってありがとう、といったムードで、暗さと
か、みじめさをまったく感じないお金のやりとりでした。そういえばマリオネッ
トの人も、歌やバンドの若者たちも、お金受けの帽子や箱を前に置いていました。
ニューヨークは不思議なところです。ニューヨークなんて自己主義の固まりの
人ばかりで、危険がいっぱいなところで何が起こるか解らないと思い込んできた
のですが、オヤッと思う人々の温かさを感じることに、たびたび出会いました。
温かさといえば、ニューヨークマラソンを思い出します。私がニューヨークへ
来て二週間ほどの十一月六日(日)はニューヨークマラソンのある日でした。ゴ
ールがセントラルパークだと知りスポーツ大好き人間の私は、あの有名なニュー
ヨークマラソンのゴールインが見られるなんてと、喜び勇んでゴールになってる
セントラルパークへ、地図を見ながら出かけました。それは私がセントラルパー
クへいった最初の日でした。
公園にはすでにマラソンを見ようとする人が沢山つめかけていました。どこが
どうなのかさっぱりわからないのでキョロキョロと辺りを見回し、人をかきわけ
てなかに入って行くと、すぐ近くに花やリボンで飾られたゴールのアーケードが
見えてきました。その辺りは大変に混雑しているのでゴール付近は無理と思い、
公園の奥へ向かう人々についてゆくと、そこがゴールへのコースらしいので、若
いカップルに聞いてみるとやはりそうでした。あそこで見るといいと、スタンド
を教えてくれました、やさしい幸せそうなカップルでした。スタンドはこの日の
ためにしつらえたらしく、四段くらいでかなり長いのが芝生のところどころ設置
してありました。
その日もニューヨークの空はあくまでも美しく、私は日の当たるスタンドの空
いているところを探して腰を下ろし観戦することにしました。ニューヨークマラ
ソンは一般も参加でき、参加人数も多いことで有名ですが、私は、日本の選手は
誰が出場してるのか知りませんでしたから、日本の選手がどの程度頑張るかくら
いの軽い気持ちで、選手のゴールインを待っていました。そのうちにマラソンの
途中経過がスピーカーから流れるようになり、そのたびに私の周囲からも喚声が
上がりました。その頃にはコースの両サイドにロープのはってある芝生の植え込
みには、いっぱいの人垣が出来ていました。私にはアナウンスされる内容はよく
わからなかったのですが、アナウンサーのオクターブがあがるにつれて、まわり
の人達の気分もハイになり、みんなどっぷりとお祭り気分に浸っているようでし
た。私もすっかり巻き込まれてしまい、負けじと拍手をしていました。
どうやらトップのランナーがセントラルパークに入ってきたようで、しばらく
するとうねりのような喚声と拍手が我々のほうに押し寄せてきたと思うと、その
中を優勝者が走り去ってゆきました。日本人ではありませんでした。イギリスの
ランナーでした。間を置いて、ぱらぱらと上位のランナーが走ってくるたびに、
ものすごい喚声と拍手が起こりました。
突然、車椅子が眼に入ってくるではありませんか。がっしりとした上体の若い
男性が、汗びっしょりの赤くなった顔で、一生懸命車を操作しながら走り去りま
した。優勝者のときよりも大きいと思える拍手、人々の大声でかける励ましの言
葉、私の今までのお祭り気分はどこへやら、体キューンとなってしまいました。
優勝者がテープをきってから数時間たった頃には、続々とランナーがゴールす
るようになりました。健常者ばかりでなく、アルミ色の金属製の松葉杖の片足の
青年、腕のない人、伴走車と走る盲目の人など、そして老人、この人たちへの掛
け声はより温かく、拍手は割れんばかりのもの凄いものでした。私は何度も眼を
拭っていました。
スピーカーからは音楽が流れ、女性アナが参加者の紹介をしていました。有名
な人は勿論、外国の参加者は、今来たゼッケン○○番はイタリアのどこそこから
の参加者です。ゼッケン○○番は日本からの学生ですなどと紹介し励ましていま
した。そのつどあたりの拍手がさらに大きくなりました。また三十分ごとに記録
の区切りをつけて、ゴールはそこです、頑張ってください、もうひとふんばりで
あなたは三時間三十分以内の記録達成です、ガンバレ~~~ガンバレ~~~。そ
して残り十秒になると、女性アナの声に和して、誰も彼もが一斉に9・8・7・
6・5・・・とカウントダウン、間にあった人達を祝福してるのでしょう、ゴー
ルのほうから又々大きな喚声と拍手が聞こえてきました。
私は、四時間三十分のゴールインの人を拍手で迎えてから、感動でいっぱいの
心を抱えて帰路につきました。
なんと、翌日の新聞を見て驚いたことには、男も女も約七時間半以上かかった
ランナーや、ハンディキャップの人の中には十時間以上もがんばってゴールした
ランナー等々、マラソンの話題が沢山載っていたことでした。長時間のゴールイ
ンを待つ間、交通規制はどのようにしてたのでしょうか。
さらに驚いたことには、新聞にはゴールインした人達の名前とタイムが一人残
らず、新聞にびっしりと載っていたことでした。呆然とする思いで、ニューヨー
クって、本当に凄いところだなぁとすっかり感心していました。
(2001年・秋)
N・Yマラソン「テロ・炭疽に負けぬ」
4日、警戒が続くニューヨーク市
内で、マラソンが実施された。出場取りやめが相次ぎ、予想より5千人少ない
2万5千人。一方、沿道警備の警官は史上最多の2千8百人だった。
(2001年11月5日
朝日夕刊)
テロで若い息子を亡くした父親の、息子への思いを胸に走る姿も、NHKのテ
レビに映し出されてました。
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