抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察 ――序説的検討――

論説
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察
――序説的検討――
名古屋大学教授
横 溝
大
1 問題の所在
2 法多元主義からの議論
盧 Berman の見解
盪 Teubner の見解
蘯 小括
3 法多元主義からの議論に対する批判― Michaels の見解
4 若干の考察
盧 Romano における法秩序
盪 Mayer における法秩序
蘯 考察
5 結語
1
問題の所在
本稿の目的は、抵触法の対象となる「法」とそれを形成する共同体について、
主として法多元主義(legal pluralism)の観点から所謂非国家法の適用を主張
する近時の見解とそれに対する批判を通じて考察することにある。
抵触法 1)における所謂非国家法 2)の適用という問題は、国際契約の準拠法
1)
本稿においては、準拠法選択規則を中心とする狭義の国際私法と国際民事手続法との
双方を含んだ意味で「抵触法」の語を用いる(石黒一憲『国際私法 第 2 版』(新世社・
2007 年)25 頁の用法に依拠する)。尚、とりわけフランスにおいては、同様の意味で「国
際私法」(Droit international privé)の語が用いられているが、フランスにおける議論を参
照する際には、用語を完全に置き替えるのではなく、「国際私法(ここでいう抵触法)」な
どとして、文意が混乱しないよう努めた。
筑波ロー・ジャーナル 6 号(2009 : 9)
3
論説(横溝)
につき、主として実務上の要請という観点から、lex mercatoria 等の適用が早
くから提唱されていたが 3)、従来学説は、抵触法が各主権国家の国家法秩序の
並存する国際社会における国家法の抵触をその任務としているという点や、非
国家法の内容等の不明確であるという点を根拠として、これを認めない見解が
多かった 4)。だが、ユニドロワ国際商事契約原則、ヨーロッパ契約法原則等体
系性を備えた準則が作成・利用され 5)、また、電子商取引やインターネットの
進展に伴い lex informatica 又は lex electoronica といったネットワーク共同体に
固有の法の存在が主張されるようになった 6)。近時では、所謂イスラーム金融
に関する取引において、「イスラーム法」や「イスラームのシャリーアの原則」
を準拠法とする契約が問題となってもいる 7)。さらに、手続的にも、非国家法
に従って紛争解決を行う国際仲裁の利用が増大し続けている 8)。このように、
2)
我が国において通常用いられる「非国家法」の意味するところは、それ程明らかでは
なく、特に定義されずに使われていることが多い。「国家法以外のルール」とするのは、
森下哲朗「国際商取引における非国家法の機能と適用」国際法外交雑誌 107 巻 1 号(2008
年)15 頁、16 頁。ここでは、国家的法秩序に属しない規範で「法」として主張されている
ものを「非国家法」とし、文脈上場合によっては「非国家的規範」の語を用いる。
3)
Ex. Berthold Goldman,“Frontière du droit et‘lex mercatoria’”, Arch. Phil. droit 9
(1964)
, 177.
4)
例えば、法例研究会『法例の見直しに関する諸問題盧―契約・債権譲渡等の準拠法に
ついて―』別冊 NBL80 号(2003 年)34 頁以下、澤木敬郎「国際私法と統一法」松井芳
郎=木棚照一=加藤雅信編『国際取引と法』(名古屋大学出版会・ 1988 年)127 頁、138 頁
以下。
5)
西谷祐子「国際支払とソフトロー─信用状統一規則の意義と法的性質」小寺彰=道垣
内正人編『国際社会とソフトロー』(有斐閣・ 2008 年)215 頁、240 頁及びそこに挙げられ
た文献参照。
6)
Ex. Gautrais G. Lefevre et K. Benyekhlef,“Droit du commerce électronique et norme
, Rev. dr. aff. int., 1997. 547; Olivier Cachard, La
applicable : l’émergence de la lex electronica”
régulation internationale du marché électronique(L. G. D. J., 2002)
, at 18 − 21.
7)
Kilian Bälz,“Islamic Banking : Ein Wachstumsmarkt für Deutsche und Internationale
Banken”,(Gleiss Lutz 2005), http://www.gleisslutz.de/media.php/Ver%C3%B6ffentlichungen/Downloads/GleissLutz_Baelz.pdf(last visited September 17, 2008)
, at 4; Shamil Bank of
Bahrain EC v Beximco Pharmaceuticals Ltd and others,[2004]4 All ER 1072.
4
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
実務が一層進展する中で、近時非国家法の存在意義が高まっていることが見て
取れる。また、各国の動向としても、1994 年の国際契約の準拠法に関する米
州条約は、「国際的組織によって承認されている国際取引法の一般原則」の適
用を認めており 9)、また、とりわけ 2008 年に成立した契約債務の準拠法に関
する理事会規則(ローマ蠢規則)10)を巡り、結局は削除されたものの、欧州委
員会提案 11)3 条 2 項において、ユニドロワ国際商事契約原則等「国際的に又は
欧州共同体において承認された契約実質法に関する原則及び準則」を契約準拠
法として当事者が選択することを認める提案がなされたことは記憶に新し
い 12)。
このような実務や各国の動向を反映し、我が国においても、当事者が契約準
拠法として非国家法を選択する可能性を認めない多数説に疑問を呈する見解が
次第に増加している 13)。また、2007 年 1 月に施行された法の適用に関する通則
法の契約準拠法に関する 7 条は、法例 7 条の「何レノ国ノ法律」という文言を
改め、「当事者が選択した地の法」とした。法例改正時の議論においては準拠
法選択の対象が国家法に限ることが当然視されており 14)、このような文言の
8)
ルーク・ノッテジ(中林啓一=那須仁訳)「手続法上の lex mercatoria ―国際商事仲裁
の過去、現在、未来―」絹巻康史=斎藤彰編著『国際契約ルールの誕生』(同文館出版・
2006 年)113 頁。
9)
同条約については、高杉直「1994 年の国際契約の準拠法に関する米州条約について」
帝塚山法学 1 号(1998 年)206 頁参照。
10) Regulation(EC)No 593/2008.
11) Proposal for a Regulation of the European Parliament and the Council on the law applicable to contractual obligations(Rome I), 15. 12. 2005, COM(2005)650 final, 2005/0261
(COD)
.
12) 同条項を巡る経緯につき、西谷・前掲注(5)41 頁以下。
13) 高杉直「国際開発契約と国際私法―安定化条項の有効性と非国家法の準拠法適格性―」
阪大法学 52 巻 3 ・ 4 号(2002 年)1007 頁、中野俊一郎「非国家法の準拠法適格性―国際私
法的側面からみた Lex Mercatoria ―」CDAM ディスカッションペイパー 04/6J(2004 年)、
森下・前掲注(2)
。
14) 神前禎『解説 法の適用に関する通則法 新しい国際私法』(弘文堂・ 2006 年)59 頁
以下。
5
論説(横溝)
変更がなされた理由は不明であるが、法例 7 条の「国ノ法律」という文言が、
「主権国家に基礎をおく国家法秩序の並存している国際社会において、国家法
の牴触を解決する任務を負っているのが国際私法であるとする」「国家法中心
の」国際私法観が我が国で採られていることの証拠として挙げられていたこと
からすれば 15)、今回の文言の変更は、見方によっては、非国家法の選択・適
用につき解釈の可能性を開いたものと評価出来ないこともないだろう。
だが、抵触法における非国家法の適用という問題は、理論的には契約準拠法
に限定された問題ではない。不法行為等他の単位法律関係の準拠法についても、
同様に非国家法の選択・適用が問題となり得るのである。また、この問題は、
準拠法選択という抵触法上の一制度に限定される問題ではない。国家以外の共
同体(例えば ICANN や WIPO 仲裁センター)が下した判断を承認執行するか
否か、といった外国国家行為承認執行の局面でも問題となり得るのである 16)。
このように、この問題は、抵触法のあらゆる分野において、国家以外の共同体
が創り出す一般的・具体的規範 17)をどのように扱うべきか、という一般的問
題として把握することが出来る。実際、以下に見るように、主として法多元主
義の観点から、国家以外の共同体が創り出す規範を「法」乃至「判決」と認め、
抵触法にこれらの規範を適用・承認することを要求する立場が登場しているの
である。これらの立場は、非国家法の適用を肯定するこれまでの見解が、実務
上の必要性以外の説得的な理論的根拠を必ずしも示して来なかったのに対
し 18)、これに法理論的根拠を提供するものであり、国家法中心の抵触法観に
代替する選択肢を提供するものとして理論的検討に値しよう。
15) 澤木・前掲注(4)139 頁。
16) Paul Schiff Berman,“Conflict of Laws, Globalization, and Cosmopolitan Pluralism”, 51
Wayne. L. Rev. 1105(2005)
, at 1141 − 1143.
17) 以下、本稿では、一般的規範とは「A ならば B である」又は「A ならば B でない」とい
った一般的・抽象的・仮言的な規範(=準則)を、具体的規範とは、「B である」又は「B
でない」といった個別的・具体的・定言的な規範(=決定)を意味する。Cf. Pierre Mayer,
La distinction entre règles et décisions et le droit international privé(Dalloz, 1973)
, at 35 − 55.
6
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
そもそも、歴史的に見れば、抵触法が国家法に限定されている状態の方が例
外的であり、抵触法は時代毎に、国家と法の性質についての支配的見解に沿う
形で存在して来たということが出来る 19)。確かに、これまでの(近代法的)
抵触法体系の前提は、国家だけが自らの領域内において準拠法を決定し、国家
機関である裁判所は国家が適用を命じる法(国家法)を適用するというもので
あった 20)。だが、近時は国際社会におけるパラダイム転換が指摘されるよう
になっている。そこでは、通信革命による個人の自律性の一層の増大や、個人
が社会的に国家的法秩序を越えて活動するようになった結果、国家以外の他の
社会や国家的法秩序以外の「法」が登場しており、国家法が寧ろ例外となりつ
つある点が指摘されている 21)。このような現状に鑑みれば、現在の国際社会
の社会構造をどのように把握するのか、また、それに適合した抵触法とは何か
という点につき、今後検討を進めて行く必要があろう。
このような問題意識の下、本稿では、今後の検討の出発点として、法多元主
義の観点から国家以外の共同体が形成する規範を抵触法の対象である「法」と
すべきであると主張する代表的な見解を巡る議論を通じ、抵触法が対象とすべ
き「法」とそれを形成する共同体について考察することにした。以下、法多元
主義からの議論として Berman と Teubner の見解を紹介し盪、それに対する
Michaels の批判を確認する蘯。その上で、抵触法の対象とする「法」とは何
か、また、そのような「法」を形成する共同体とは何かという点につき、法秩
序に関する Romano と Mayer の見解を参考に若干の考察を試みる盻。予め結論
18) 西谷・前掲注(12)241 頁は、これまでの「レークス・メルカトーリア」論が、「伝統
的な国際私法の枠組みを崩し、準拠法適格性を非国家法にも拡大する契機とするだけの合
理的な根拠」を示して来ていないと指摘する。
19) Eugen Ehrlich,“Internationales Privatrecht”
, 126 Deutsche Rundschau 419(1906)
, at 428.
20) Id., at 425.
21) Charalambos Pamboukis,“La renaissance-métamorphose de la méthode de reconnaissance”
, Rev. crit. DIP, 2008. 513, at 519; Diego P. Fernández Arroyo,“Compétence exclusive
et compétence exorbitante dans les relations privés internationales”
, 323 Recueil des cours 9
(2008)
, at 26 − 32.
7
論説(横溝)
を示せば、現行抵触法体系の基本的枠組を前提とすれば、共同体構成員である
私人相互間の行動様式をあらゆる法律関係に亘って規律し社会生活のモデルを
構成する準則と、当該準則を個別的な法的問題に適用し判断を下す固有の裁判
所を有していることを、抵触法の対象となる「法」を形成する共同体(=法秩
序)か否かを判断するための条件とすべきではないか、というのがここでの考
察の帰結である。最後に、今後の検討課題を示して結語とする眈 22)。
2
法多元主義からの議論
法多元主義(legal pluralism)とは、同一の社会空間内に異なる一連の規範
の共存という社会的事実に言及する規範的多元主義(normative pluralism)の
一種であり、広義には、同一の地理的空間において共存する法体系や法秩序に
ついて言及するものである 23)。初期には 1960 年代のタンザニアのように、一
国内に複数の法体系が存在していることを指していたが、次第に国家中心主義
から脱却し、全ての社会に多様な法秩序が存在し、国家法がそのうちの一つに
過ぎないと考えるに至り、同一の状況が地方的、国家的、国家横断的、地域的、
世界的法秩序に規律されることを認める方向に進んでいる 24)。近時、法多元
主義の観点から抵触法を考察する動きは国際的に活発化しているが 25)、ここ
では、その中でも積極的な発言を行っている Berman26)と Teubner 27)を採り上
22) 本稿は、抵触法と法哲学(IPRP)研究会(2006 年 6 月 2 日、同 12 月 16 日、2007 年 7 月
14 日、いずれも近畿大学)、また、第 61 回法形成論ランチォン(2008 年 1 月 28 日、北海道
大学)及び、国際私法を語る会(2009 年 2 月 19 日、名古屋市)における報告を基としてい
る。御教示下さった先生方にこの場を借りて謝意を表する。尚、本稿は、基盤研究窖(平
成 21 − 23 年度)「グローバル化における『私法』の変容」(代表 浅野有紀)の研究成果の
一部である。
23) William Twining, Globalisation and Legal Theory(Northwestern University Press, 2001)
,
at 82 − 83.
24) Id., at 83 − 85.
25) 例として、Hélene Gaudemet-Tallon,“Le pluralisme en droit international privé : richesse
et faiblesses(Le funambule et l’arc-en-ciel)
”
, 312 Recueil des cours 9(2006)
; D. Boden,“Le
pluralisme juridique en droit international privé”
, Arch. phil. droit 49(2005)
, 275.
8
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
げることとする。
盧
Berman の見解
まず、Berman は、抵触法が社会的現実の変遷に対応し常に変遷しており、
時代の多様な変化に対応した抵触法モデルを追求する必要性があるとし 28)、
一定の領域を基礎とした主権的国民国家という考えは、17,18 世紀に生じた
特有の歴史的政治的出来事の結果に過ぎないとして 29)、現代世界において適
切な共同体(community)とは何かを問題とする 30)。そして、現代社会の特徴
として、国家以外の多様な共同体が規範形成を行っていることを指摘する。そ
のような共同体の例として、①州、郡、町、水域、地理的地域、ボーリングク
ラブ、宗教的結社、学校、バスク、シーク、タミル等の下部国家的共同体
26) P. S. Berman,“From International Law to Law and Globalization”
, 43 Colum. J. Transnat’l
L. 485(2005); ders.,“ Choice of L aw and Jurisdiction on the Internet : Towards a
Cosmopolitan Vision of Conflict of Laws : Redefining Governmental Interests in a Global Era”
,
153 U. Pa. L. Rev. 1819(2005); ders., supra note(16); ders.,“ Dialectical Regulation :
Dialectical Regulation, Territoriality, and Pluralism”, 38 Conn. L. Rev. 929(2006); ders.,
“Global Legal Pluralism”, 80 S. Cal. L. Rev. 1155(2007); ders.,“A Pluralist Approach to
International Law”
, 32 Yale J. Int’l L. 301(2007)
. 邦語による Berman の紹介として、浅野
有紀「法のグローバル化における意思決定・自由・秩序」近畿大学法科大学院論集 5 号
(2009 年)75 頁、101 頁以下。
27) G. Teubner,“The Two Faces of Janus : Rethinking Legal Pluralism”
, 13 Cardozo L. Rev.
1443(1992); ders., Law as an Autopoetic System(translated by A. Bankowska/R. Adler,
Global Bukowina’
: Legal Pluralism in the World Society”
,
Blackwell, 1993)
, 100 − 122; ders.,“ ’
in : G. Teubner(ed.), Global Law Without a State(Darmouth, 1997), 3; A. FischerL escano/G. Teubner,“ Regime-Collisions : The Vain Search for L egal Unity in the
Fragmentation of Global Law”
, 25 Mich. J. Int’l L. 999(2004)
; グンター・トイプナー(村上
淳一訳)「グローバル化時代における法の役割変化―各種のグローバルな法レジームの分
立化・民間憲法化・ネット化―」ハンス・ペーター・マルチュケ=村上淳一編『グローバ
ル化と法』
(信山社・ 2006 年)3 頁。
28) Berman, supra note(16)
, at 1106 − 1108.
29) Id., at 1109.
30) Ibid.
9
論説(横溝)
(subnational communities)、②ロックフェラー財団、ソロス基金、アムネス
ティ、グリーンピース、アルカイダ等の国家横断的共同体(transnational communities)、③国際連合、欧州共同体、世界貿易機関等の超国家的共同体
(supranational communities)が挙げられる 31)。また、Berman は、共同体に関
する帰属意識の脱属地化(deterritorialization)も指摘する 32)。すなわち、個
人は空間的な所在により共同体と結びつくのではなく、空間的位置と無関係に
常に複数の共同体に所属しているのである 33)。このことは、個人に関する特
定の紛争と潜在的に結びつく規範的共同体が多様であることを意味している 34)。
このような現代社会に対応するため、Berman は、抵触法において法多元主
義の採用を提唱する。Berman のいう法多元主義とは、法が常に多様な規範創
出的共同体(norm-generating communities)の競合を通じて形成され、国家法
はそのうちの一部に過ぎないという考えである 35)。Berman に依れば、抵触法
は、裁判管轄や法適用に関し非主権的な共同体の主張をも考慮すべきであり、
抵触法は、様々な共同体が裁判管轄や法適用の主張を通じ、法的言語を用いて
将来の世界についてのヴィジョンを明確化するための議論の場を提供するべき
なのである 36)。このように、規範形成的共同体として認められるか否か自体
も含め、抵触法は、共同体の定義と将来的な国際実質法的規範形成の国際的プ
ロセスの一翼を担うものと位置付けられることになる 37)。抵触法自体につい
ては、それが国家法であることを前提としているようであるが 38)、Berman は、
政府利益に焦点を中てるという Currie の見解を受け入れつつ、国家横断的規
31) Id., at 1101; Berman, supra note(26)
[Dialectical Regulation]
, at 936 − 937.
32) Berman, supra note(26)
[Dialectical Regulation]
, at 934.
33) このような状態を、Berman は、flexible citizenship と表現する。Berman, supra note
(16)
, at 1115.
34) Ibid.
35) Ibid.
36) Id., at 1116.
37) Id., at 1117.
38) Berman, supra note(26)
[Choice of Law]
, at 1845 − 1852.
10
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
制と多数の共同体の連携とが錯綜する世界的体系に参加することについてのよ
り広い政府利益を考慮すべきであるとしている 39)。Berman の議論において各
国抵触法が国家以外の共同体の規範を法として受け入れねばらならないことの
根拠を、この点に見出すことが出来るだろう 40)。
具体的判断枠組として、Berman は、裁判管轄、準拠法選択、判決の承認そ
れぞれについて次のような提言を行っている。
まず、裁判管轄については、土地との関連性に基づいた従来の裁判管轄の決
定方法は不適切であるとし、寧ろ、紛争当事者が同一の共同体構成員として適
切に概念化されるか否かに基礎を置くべきであるとする 41)。そこで、単なる
地理的領域との関連よりも、寧ろ民族等の共同体との実質的関係が重視される
ことになる 42)。また、裁判管轄が部分的には離れた場所にいるアクターに対
し共同体が支配を及ぼす主張であることからすれば、侵害されたとされる共同
体の性質や、紛争と共同体との関係、対象となるアクターを支配することの社
会的意味も裁判所は考慮しなければならない 43)。このように共同体との実質
的関係を判断の中心に据える場合、例えば、米国のインターネットサーヴィス
プロバイダーである Yahoo !がオークションサイトで提供していたナチ関連の
記念品についての情報がフランス法に違反する点が問題となった、有名な
Yahoo !事件では 44)、Yahoo !が企業形態上米国法人であるという点よりも、
寧ろ Yahoo !とフランスとの数多くの実質的関連が裁判管轄に関する分析の中
心となる 45)。また、例えば Guantanamo Bay における拘留の不法性が問題とな
39) Id., at 1852.
40) Cf. Ralf Michaels,“The Re-state-ment of Non-State Law : The State, Choice of Law, and the
Challenge from Global Legal Pluralism”
, 51 Wayne L. Rev. 1209(2005)
, at 1243.
41) Berman, supra note(16)
, at 1126.
42) Ibid.
43) Id., at 1132.
44) 同事件については、例えば、R. T. Razzano,“Comment and Casenote : The Ninth Circuit
Frustrates the Efforts of Yahoo! Inc. to Declare a Speech-Restrictive Foreign Judgment
Unenforceable”
, 73 U. Cin. L. Rev. 1743(2005)
.
11
論説(横溝)
った Rasul vs. Bush46)の場合にも、施設が米国外にあるか否かは問題とならず、
当該施設が合衆国政府に完全に管理されていることから容易に裁判管轄が肯定
されることとなる 47)。
次に、準拠法選択については、紛争と潜在的に関連する共同体のうちどれが
相対的に重要かを考慮して決定すべきであるとされる 48)。但し、それと同時
に、当事者が複数の共同体に参加していることを考慮し、裁判所は、国際紛争
解決のための実質法的な準則を発展させるべきであることも指摘される 49)。
すなわち、各共同体の裁判所は、法規範についての対話を行うアクターなので
あり、国際条約・合意、NGO の行為規範、共同体の慣習、特定の活動に関連し
た準則等が、そのような超国家的な特別の準則の形成に資することになる 50)。
このようなアプローチにおいては、バルセロナ市がスペイン人設立の米国会社
に対して米国裁判所で行った、米国で登録されたドメインネームの移転請求に
つき、ドメインネームが米国法人に登録されたことを理由に米国商標法を適用
した Barcelona.com, Inc. v. Excelentisimo Ayuntamiento de Barcelona51)の判断
は批判され、バルセロナ市に言及したドメインネームに関するバルセロナ市と
スペイン人に関する紛争であることを理由に、スペイン法の適用が求められる
ことになる 52)。また、インド系移民アメリカ人がインドの発行する国債を購
入している場合、その購入が当該移民の感じている祖国との紐帯を反映してい
ることを考慮して、その購入がたとえ米国でなされているとしても、米国証券
取引法ではなくインド法により当該国債が規律されるべきであるとされる 53)。
45) Berman, supra note(16)
, at 1128 − 1129.
46) 542 U. S. 466(2004)
.
47) Berman, supra note(16)
, at 1131 − 1132.
48) Id., at 1132 − 1133.
49) Id., at 1134.
50) Id., at 1134 − 1135.
51) 330 F. 3d 617(4th Cir. 2003)
.
52) Berman, supra note(16)
, at 1135; Berman, supra note(26)
[Choice of Law]
, at 1829 −
1834.
12
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
最後に、判決の承認については、裁判所は、結び付き合っている国際的な法
体系に参加していることの重要性を認識すべきであり、外国判決につきまとう
疑念を持つ必要はなく、長期的な相互的利益という観点から、当事者が所属し
た共同体で下された判決については出来る限りこれを承認していくべきである
とされる 54)。そこで、例えば、表現の自由に関する米国憲法第 1 修正に反する
名誉棄損法に基づいた英国判決も、当事者が米国に所属していないのであれば
承認されるべきであり 55)、同様に、前述の Yahoo !事件において第 1 修正に反
するフランス法に基づき下されたフランス判決も、Yahoo !の海外での事業の
度合いがフランス判決を正当化するとされ、米国で執行可能とすべきであった
とされる 56)。
盪
Teubner の見解
次に、従来のシステム理論への抵触法的アプローチの導入を目指す 57)
Teubner は、グローバル社会の多元的分立化(fragmentation)58)という現象が
法の分立化・細分化を齎しており 59)、グローバルな法多元主義は、グローバ
ル社会の互いに衝突する諸分野間の根底にある全社会的矛盾の表現であるとい
う認識を示す 60)。すなわち、WTO や WHO 等の国際組織や ISO 等の規律レジ
ーム、lex mercatoria や lex digitalis といった非国家的な「民間の」法レジーム
の成長等により、グローバル社会は中心的権威を有しない多中心的な社会とな
53) Berman, supra note(16), at 1135 − 1136. その他の例につき、Berman, supra note(26)
[Choice of Law]
, at 1823 − 1829.
54) Berman, supra note(16)
, at 1137.
55) Berman, supra note(26)
[Choice of Law]
, at 1871 − 1872.
56) Id., at 1879.
57) Teubner, supra note(27)
[Autopoetic System]
, at 108 − 109.
58) 尚、「分立化」の訳はトイプナー・前掲注(27)(グローバル化)6 頁の村上訳に依拠し
ている。
59) トイプナー・前掲注(27)
(グローバル化)5 頁。
, at 1004; トイプナー・同上。
60) Fischer − Lescano/G. Teubner, supra note(27)
13
論説(横溝)
っており、法的なヒエラルヒーが崩壊した現状における唯一の現実的選択は、
分立した法の間に緩やかな関係を創り出す法の階層形式を発展させることであ
る、と Teubner は主張する 61)。そして、そのような中心を持たない法レジー
ムのネットワーク化のための指導原則として、①法の階層的統一ではなく、単
なる規範的両立性、②自律的法秩序の相互的反目、観察、反映を通じた法形成、
及び、③法的方法としての抵触法的な中心を持たない態様、を Teubner は提唱
する 62)。
より具体的には、著作権、サイバ・ロー、人権、環境法等といった、最密接
関係というものが存在しないような規律対象に対し、Teubner は、特定の国家
法を選択する代わりに、国家横断的だが分野毎のレジームの選択による解決を
主張する 63)。すなわち、抵触法は、国家的法秩序間の抵触のみを対象とする
のではなく、ICANN と国家的裁判所、WTO と WIPO といった分野毎のレジー
ム間の抵触にも焦点を中てるべきなのである 64)。
そこで先ず、裁判管轄の問題は、偶然に言及される法廷地手続法により機械
的に解決されるのではなく、寧ろ機能毎のレジーム(functional regime)の特
徴に依拠することになる。すなわち、裁判管轄は、最早法廷地国家法との法的
関連が確立されるかという点に依拠するのではなく、寧ろ問題となっている法
廷地が分野毎のレジームの一部と理解され得るか否かという問題により決定さ
れるのである 65)。
また、準拠法選択においても、法的問題と最も密接な関連を有する属地的国
家法の決定に基礎を置くのではなく、対象となる法的問題が属する機能毎のレ
61) Id., at 1017; トイプナー・同上 13 頁。
62) Id., at 1018.
尚、同論文と少からず内容の重複するトイプナー・同上 13 頁では、③に
「世界法を民間憲法化する方法としての非中心的[相互関係調整的]な紛争解決を」とさ
れており、内容が若干異なっている。
63) Id., at 1019; トイプナー・同上 14 頁。
64) Id., at 1020 − 1021; トイプナー・同上。
65) Id., at 1021.
14
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
ジームを特定することが模索されることになる。その際には、複数のレジーム
の実質法規が調査されることで、国家的・国際的及び国家横断的なレジーム法
形成の多元性が処理されなければならない 66)。
そしてさらに、伝統的な準拠法選択のアプローチを越えて、レジーム間の抵
触法を通じた国家横断的な実質法準則の形成までも Teubner は主張している。
すなわち、主として一つのレジームにのみ属する紛争は例外なのであり、紛争
が複数のレジームにより重視される以上、裁判機関により次第に形成されるそ
のような実質法準則が原則となり、準拠法選択規則は例外となるべきなのであ
る 67)。
蘯
小括
法多元主義の観点から展開される両者の見解には、若干の相違もあるが 68)、
共通点も多い。そのような共通点として、①現代グローバル社会の認識におい
て国家以外のアクターの存在・活動が重視される点、②それらの主体が一般
的・具体的法規範の形成機能を有していると考えられている点、③グローバル
社会のこのような変容に対応するため、抵触法がこれらの国家法以外の「法」
を尊重すべきであると主張されている点、④法的説得の場、又は、渉外実質法
の形成の過程として裁判所の役割やプロセスが重視される点、などが指摘出来
よう。
これらの見解には、勿論法技術的な問題点もある。例えば、恐らく裁判所に
おける議論での法的説得に委ねられているためであろうが、Berman のいう法
66) Ibid.
67) Id., at 1022.
68) 例えば、Berman においては、共同体が法形成主体として認められるか否かという点が
問題とされ、その解決が法的説得に委ねられているのに対し、Teubner においては、言説
やコミュニケーションによる法の自己組成が重視され、法形成主体としての共同体の存在
が問題とされていないという点が指摘出来よう(Teubner, supra note(27)[Global
Bukowina]
, at 13)
。
15
論説(横溝)
形成機能を有する共同体の定義は不明確であり 69)、また、両者により提唱さ
れている抵触法の判断枠組も、具体的にイメージすることが難しい。このよう
な不明確さの背景には、アメリカ抵触法革命においても見受けられる、裁判所
の役割を重視しルールよりもアプローチを志向する姿勢が感じられ、大陸法の
影響を強く受けた比較的静態的なこれまでの我が国抵触法の方法からは、かな
りの隔たりも感じられる 70)。だが、それでも猶これらの見解は、我が国抵触
法に対し、次のような重要な問題提起を行うものと言えよう。すなわち、法多
元主義を基礎として、国家以外の共同体により形成される「法」や「判決」を
適用・承認する可能性が我が国抵触法においてもあるのではないか、という問
題である。
このような法多元主義的アプローチからの問題提起を受け、各国抵触法が非
国家法を考慮すべきか否かについて、国家の観点から批判的な応答を示したの
が Michaels である 71)。以下では、Michaels の反論を確認しよう。
3
法多元主義からの議論に対する批判― Michaels の見解
Michaels は、抵触法が各国毎に個別に存在した国家法であるという現状を
前提として議論を展開する。すなわち、外国国家の法と非国家的規範秩序
(non-state normative orders)とで異なる扱いをすべきか否かは、夫々の国家及
びその抵触法が決定する問題であり 72)、法理論の問題ではない 73)。その上で、
69) Berman の見解に関するその他の問題点として、浅野・前掲注(26)104 頁以下。Cf.
Annelise Riles,“Cultural Conflict”
, Law & Contemporary Problems, Vol.71, No.1(2008)
, 273,
at 294 − 296.
70) 勿論我が国においても抵触法の動態的解釈の試みがないわけではない。例として、石
黒一憲『国際私法の解釈論的構造』(東京大学出版会・ 1980 年)、松岡博『国際私法におけ
る法選択規則構造論』(有斐閣・ 1987 年)。だが、法の適用に関する通則法や民訴法 118
条・民執法 24 条等の制定法・明文規定を有する我が国の前提の下では、米国に比しルール
から離れることに対する制約が大きいように思われる。
71) Michaels, supra note(40)
.
72) Id., at 1241.
16
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
論ずべき問題は、非国家的規範を「法」として適用することに、国家がどのよ
うな政府利益を有しているかである、と Michaels は主張する 74)。そして、そ
のような政府利益の存在につき、Michaels は次のように否定的見解を示す。
すなわち、国家は、「諸国家の共同体」として、法の創造と運営を行い、他
者が入るのを許さないカルテルを維持することにつき集団的利益を有している
のであり 75)、抵触法により他国の法形成権力を相互的に承認し、その法を相
互的に適用することは、国家を他の共同体に比し唯一の法形成者という堅固な
地位に置いている 76)。これに対し、非国家的規範を「法」として国家が認め
ることは、究極的には唯一の法形成主体という自らの役割の低下を招くことに
なり、従って、国家には非国家的規範を「法」として認めない政治的理由があ
る、こう Michaels は述べるのである 77)。
また、Michaels は、法多元主義の見解を各国が受け入れた場合の問題点と
して、以下の 4 点を指摘している。第一に、法の抵触の氾濫という点である。
すなわち、これまでの国家法間の抵触に加え、国家法と非国家法、また異なる
非国家的秩序間での抵触が生じることになり、法抵触の更なる増大を導く 78)。
第二に、共同体の質についてである。すなわち、法多元主義は分析概念であり、
内在的な規範的価値を有していないため、共同体の性質を規範的に評価出来ず、
73) そもそも、法理論上も何が法であるかは用いられる基準により異なり、基準は分野毎
に容易に異なり得るのであって、非国家的規範が法理論上「法」であるとしても、このこ
とが直ちに抵触法上「法」として扱うべきであることを意味するわけではないのだから、
問題は法理論ではなく、関連する抵触法の解釈にあるとされる。Id., at 1237 − 1240.
74) Id., at 1241 − 1242.
尚、Ralf Michaels,“Privatautonomie und Privatkodifikation : Zu
Anwendbarkeit und Geltung allgemeiner Vertragsprinzipien”
, 62 RabelsZ 580(1988)
, at 621 −
622 は、国家法に裁判所が拘束される根拠は権力分立や民主主義にあるが、ICC、世界銀行、
UNIDROIT の形成する非国家的規範にはそのような民主主義的正統性が欠けている、とい
う点を指摘している。
75) Id., at 1243.
76) Id., at 1247 − 1248.
77) Id., at 1249.
78) Id., at 1250 − 1252.
17
論説(横溝)
そのためテロリスト団体等も法形成主体として認められることになり、不正が
増加する 79)。第三に、法から権力への移行という点である。すなわち、法多
元主義が「国家」という形式基準を破壊すれば、法形成を行うと認められる共
同体とそうでない共同体との区別が必要になるが、区別のために普遍的基準を
設定することは不可能であり、また、法多元主義の主張する「法的説得」は、
力と自己利益のぶつかり合いの危険性を齎し、抵触法をヘゲモニーの道具にす
る 80)。最後に、非国家的規範固有の意義の減少という点である。すなわち、
非国家的規範の意義は、自らが法ではないというその性格にあり、例えば、仲
裁が魅力的なのは、とりもなおさず仲裁人が適用する衡平が、裁判所により適
用される準則と異なるからである。これに対し、非国家的規範が「法」として
再概念化されると、その力が減少し、飼いならされ、法中心主義に陥る危険性
がある 81)。
これらの点から Michaels は法多元主義を抵触法に導入することに反対する
のだが、かといって、これまでの伝統的な抵触法をそのまま善しとするわけで
もない。これまでの抵触法を続けるわけにも行かず、他方、法多元主義の示唆
は劇的過ぎるとして、Michaels は、法多元主義とは別の観点からの議論を示
唆している。すなわち、国家が抵触法を運営している限り、抵触法は国家を基
礎にし続けるという点から、国家の観点からの議論が必要であるとし、真の問
いは、国家自体がグローバル化に対処するためにどう変わるべきか、公的・私
的利益の組み合わせを通じて抵触が如何に解決されるべきかにある、このよう
に Michaels は指摘するのである 82)。
4
若干の考察
グローバル社会の社会構造の変容を指摘しそれに相応しい抵触法モデルの構
79) Id., at 1252 − 1254.
80) Id., at 1254 − 1255.
81) Id., at 1255 − 1258.
82) Id., at 1258 − 1259.
18
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
築を目指す法多元主義からの議論の示唆は多岐に亘るが、筆者は現段階ではそ
れらを包括的に検討する能力を持たない。以下では、抵触法の対象となる「法」
とは何か、また、そのような「法」を形成する共同体とは何か、という問題の
みについて、若干の考察を行う 83)。
Michaels も指摘するように、法多元主義からの議論のように非国家的規範
を抵触法上の「法」として適用・承認する以上、「法」を形成することが認め
られる共同体と認められない共同体とを区別する必要があると思われるが 84)、
そのような区別のための基準を設定することはどこまで可能なのだろうか。こ
の点を考察するには、抵触法における法秩序に関する議論が一定の示唆を与え
てくれるように思われる。この問題を近時正面から扱ったのは Mayer である
が、Mayer の見解は、法秩序に関する Romano の制度的把握を基礎としている。
そこで、最初に簡単に Romano の見解を確認した上で、Mayer の見解に進むこ
とにしよう 85)。
盧
Romano における法秩序
我が国ではとりわけ行政法において参照されている Romano であるが 86)、法
83) Michaels も述べるように、何が「法」かは文脈により異なるのであり(前掲注(73)。
Cf. Ralf Michaels/Nils Jansen,“Private Law Beyond the State? Europeanization, Globalization,
Privatization”
, 54 Am. J. Comp. L. 843(2006)
, at 870)
、ここでは抵触法的観点からの検討に
限定する。
84) 尚、Twining, supra note(23)
, at 85 − 86.
85) 尚、法秩序という概念を抵触法上最初に用いたのは von Bar であるが、その必要性が意
識されるようになったのは比較的近時のことであるとされている。Pierre Mayer,“ L e
phénomène de la coordination des ordres juridiques étatiques en droit privé”
, 327 Recueil des
cours 9(2007)
, at 35. von Bar に示唆を受けつつ「管轄ある法秩序の参照」という方法を提
唱したのは Picone であるが(Paolo Picone,“La méthode de la rérérance à l’ordre juridique
compétent en droit international privé”
, 197 Recueil des cours 229(1986)
. 尚、Picone の見
解を紹介するものとして、西谷祐子「イタリアにおける外国判決承認制度と国際私法」国
際法外交雑誌 101 巻 1 号(2002 年)52 頁、70 頁以下)、そこでは、法秩序の定義や構成要
素それ自体に関する言及は見当たらない。
19
論説(横溝)
の一般理論に関するその著書『法秩序』において法秩序間の関係が取り扱われ
ていることから、諸外国では抵触法においても注目されている 87)。Romano は、
法秩序を、規範の前提となる現実的で具体的な社会的一体(unité)として把
握する 88)。Romano に依れば、あらゆる社会団体(tout être ou corps social)
が、法秩序(=制度)とされる 89)。すなわち、法秩序は、①外的に個別化さ
れる客観的・具体的実在であり、②個人間の関係ではないという意味で社会的
(social)90)性質を有し、③自己完結的であり、④安定的で恒常的な一体であ
る 91)。法秩序に関するこのような広い定義の結果、Romano においては、国際
社会、国家、教会、学校、家族等様々な国家以外の共同体が法秩序と看做され
ることになる 92)。
Romano において国際私法(ここでいう抵触法)は、国家自身が自発的に自
国法を他国法と調整するための手段として理解される 93)。そこでは、国家的
法秩序の相互調整が中心に論じられているが、教会法秩序との調整が例として
論じられていることに示されているように、国家以外の法秩序との調整の可能
性が否定されているわけではない 94)。但し、各国国際私法(ここでいう抵触
86) とりわけ参照、仲野武志『公権力の行使概念の研究』(有斐閣・ 2007 年)205 頁以下。
同上・ 222 頁以下では『法秩序』の要約がなされている(尚、仏語版を参照しているとい
う問題を少しでも補うため、和訳については同書を参照した)
。
87) Romano がフランス抵触法に与えている影響については、Santi Romano, L’ordre
juridique(2e éd., 1945, traduit par L. François/P. Gothot, Réédition, Dalloz, 2002)における
Mayer の序文を参照。
88) Id., § 3.
89) Id., § 12. 制度概念と法秩序概念との完全な同一性については、Id., § 11.
90) 仲野・前掲注(86)224 頁は「社団的」という用語を用いている。
91) Romano, supra note(87)
, § 12.
92) Id., § 17 − 19. 尚、法秩序についての Romano の見解に従うものとして、David Sindres,
La distinction des ordres et des systèmes juridiques dans les conflits de lois(L. G. D. J., 2008)
, at
19 − 38.
93) Id., § 40.
国際私法(ここでいう抵触法)の根拠は、国際法が各国に課す、自国法の
絶対的属地主義を拒絶する一般的で不確定な義務にある。
20
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
法)においてどのような法秩序を考慮するか(関連性〔relevance〕95)を付与す
るか)は、各国に委ねられた問題とされており 96)、各国抵触法が対象とすべ
き法秩序については、非国家的法秩序をも考慮する可能性があることを示唆す
るに留まっている。
盪
Mayer における法秩序
次に、近時抵触法における法秩序の問題を正面から扱った Mayer は、
Romano における制度的な法秩序の把握に依拠しつつも、国際関係において分
離され得る法秩序内の機能的要素に着目し、国際私法(ここでいう抵触法)の
法秩序の構成要素としては、準則(règles)、裁判所、執行機関(organe de
contrainte)が必要であるとする。
Mayer に依れば、まず、如何なる人間社会にも、共同体構成員相互間の行動
様式を規律し社会生活のモデルを構成する準則が不可避的に備わっている 97)。
次に、強制が法的現象の真の構成要素であるかという点については争いがある
が、国際的な私的関係に関しては、強制の要素を無視することは出来ない。例
えば、異なる 2 つの国において被告に対し 2 つの相異なる判決が出た場合、2
つの法秩序の外部にいる第三者から見れば、いずれの判決も等価値であるため、
被告に責任があるか否かという問題は、論理的観点ではなく、被告の財産に対
して執行がなされるかという実務的観点を考慮しなければ解決することは不可
能である。当事者の権利義務についての宣明が意義を持つのは、強制の可能性
が参照される場合のみなのである 98)。Mayer はこのように述べて、抵触法にお
ける法秩序の構成要素に執行機関を含める。最後に、抽象的である準則と、義
94) Ibid.
95) ある秩序の存在、内容、妥当性が他の法秩序によって課される条件に合致しているこ
と。Id., § 34.
96) Id., § 40.
97) Mayer, supra note(85)
, at 27.
98) Id., at 27 − 28.
21
論説(横溝)
務の特定化を前提とした強制とを結び付けるものとして、準則の具体的適用を
行う社会的機関(例えば裁判所)が必要であるとされる 99)。
このように、Romano と異なり抵触法上の法秩序たり得る条件として準則、
裁判所、執行機関を掲げる Mayer においては、とりわけ執行機関が法秩序の
構成要素に含められる結果、抵触法上の法秩序は国家法秩序だけに限定される
ことになる 100)。すなわち、lex mercatoria には裁判所も執行機関もなく 101)、
lex electronica には司法機関も制裁もない 102)等 103)、国家法秩序以外の全ての
他の秩序にはこれらの構成要素のいずれかが欠けているとされ、抵触法上法秩
序であることが否定されるのである 104)。
蘯
考察
抵触法にも言及しながら法秩序を論じた Romano の見解と、抵触法の観点か
ら法秩序を論じた Mayer の見解とを簡単に確認した。前述のように、Romano
においては、各国抵触法が教会法といった国家以外の法秩序との調整を行う可
能性は否定されないものの、具体的に如何なる法秩序を考慮すべきかについて
の示唆は得られなかった。このことは、現在の抵触法の前提と同様、Romano
が、抵触法自体は国家法の一部であるという前提から出発していることと無関
99) Id., at 28. 従って、裁判所は法体系の本質的な要である。
100)Id., at 79.
101)Id., at 64 − 72.
尚、lex mercatoria に制裁があるという反論については、法秩序内にお
ける強制と社会的集団からの排除という制裁との間には質的な差異があり、また、制裁が
稀にしか行われず、期待出来ないという点が指摘される。また、裁判所として仲裁が挙げ
られる点については、仲裁の法的価値を認める規範が国家法であること、仲裁廷の 85 %が
国家法を指定しており、仲裁人が lex mercatoria を自らの法廷地法と考えているわけでは
ないことが指摘される。
102)Id., at 74 − 75. 紛争が国家的裁判所か仲裁により解決されている点が指摘される。
103)その他、スポーツ法につき Id., at 72 − 74.
104)尚、欧州共同体は、法秩序ではあるが私的関係に関する訴訟に関し裁判管轄を有して
いないし執行機関もないとされ、検討から除外される(Id., at 77 − 79)。このような共同体
をそもそも抵触法上の法秩序の定義から外す可能性については、後述。
22
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
係ではないように思われる。すなわち、そのような前提を採れば、如何なる法
秩序を対象とすべきかが各国の裁量事項ということになり、Romano のように
法秩序を如何に広く定義しようとも、そのような法秩序の定義自体から抵触法
が国家的法秩序以外の法秩序をその対象に含めるという帰結が導かれることに
はならない、ということである。
この点、既述のように、Berman は、グローバル共同体に参加するという各
国のより広い政府利益から、各国抵触法が非国家的規範やそれを形成する共同
体を対象とすべきであることを説明しようとする 105)。だが、Michaels が指摘
するように、非国家的規範を「法」として認めることが独占的な法形成主体と
しての国家の役割の低下を齎し得るという点を考慮すれば、Berman のような
政府利益からの説明は、各国における外国国家法の適用根拠にはなり得る
が 106)、非国家的規範の適用を直ちに根拠付けるものではないのではないだろ
うか。また、各国抵触法が国家以外の共同体を法形成主体として無制約にその
対象に含めて行くことには、規範に服する私人の側からの別の問題もある。す
なわち、Berman のように、抵触法により非国家的規範に従うことを私人が無
制約に要請される場合、私人には、「分散する無数の規制主体に無限に従属す
ることを迫られる危険性」107)が生じることになるのである。このように考え
れば、抵触法が国家法であるという前提を動かさない限り、抵触法の対象とな
る「法」とその形成主体である抵触法上の「法秩序」を、矢張り限定的に解す
るべきだということになろう。
そこで寧ろ、抵触法が属している国家的法秩序につき、抵触法的観点からそ
105)Berman, supra note(26)
[Choice of Law]
, at 1852.
106)とりわけ、従来直接請求が認められないとされて来た外国の社会的・経済的政策を体
現する法規(強行的適用法規)の適用根拠になり得る。尚、拙稿「抵触法における不正競
争行為の取扱い―サンゴ砂事件判決を契機として」知的財産法政策学研究 12 号(2006 年)
185 頁、212 頁の Fetzer の見解参照。
107)大屋雄裕「分散する規制、分散する主体」Mobile Society Review 11 号(2008 年)6 頁、
10 頁。
23
論説(横溝)
の本質的構成要素を考察し、それらの構成要素を備えた共同体を抵触法上「法
秩序」と看做す、という Mayer のアプローチの方が、抵触法が対象とする法
秩序という問題を考えるのに適しているように思われる。そして、Mayer がそ
のような構成要素に、国際法上従来国家の構成要素と言われていた領域 108)を
含めていない点に着目すれば、Mayer のいう法秩序には既に国家以外の共同体
が抵触法の対象となる可能性が見出される 109)。
だが、問題は、抵触法上の法秩序の本質的構成要素が、Mayer の言うように、
準則、裁判所、執行機関であるのか、という点である。確かに、国際関係にお
いてこれらの 3 つの要素は分離され得るし、共同体構成員間の紛争に具体的解
決を齎す裁判所の重要性について特に異論はないだろう 110)。だが、国際的な
私的関係において Mayer が無視出来ないとする強制の要素は、財産関係事件
については当てはまるかも知れないが、身分関係事件については紛争解決に重
要な要素と必ずしも言うことは出来ない。また、そもそも、Mayer の挙げる、
異なる 2 つの国において被告に対し 2 つの相異なる判決が下された場合につい
ても、2 つの法秩序以外の第三者は、被告に責任があるか否かという点を被告
財産に対する実際の執行可能性の点から判断するわけではなく、自らが属する
法秩序の抵触法により判断するのである。これらの点からすれば、Mayer の挙
げる抵触法上の法秩序の 3 つの構成要素のうち、少なくとも執行機関は不要で
あるように思われる。抵触法上の法秩序の構成要素としては、準則と裁判所の
108)山本草二『国際法【新版】
』
(有斐閣・ 1994 年)125 頁。
109)実際、そのような可能性は、結果的には全て否定したとはいえ、lex mercatoria や lex
sportica が抵触法上法秩序足り得るかという点を、Mayer が検討の対象としている点から
も確認されるのではないだろうか。
110)尚、Michaels, supra note(74)
, at 615 も、規範の法的妥当性を考える上で体系内に裁判
所が存在している点を重視する。また、ジョゼフ・ラズ(松尾弘訳)『法体系の概念──法
体系論序説 第 2 版』(慶応義塾大学出版会・ 1998 年)245 頁も、法体系の存在を確認する
重要な要因の一つに「法適用機関」を挙げる。さらに、秩序の制度化に裁判制度が決定的
役割を果たすことにつき、Neil MacCormick, Questioning Sovereignty(Oxford, 1999)
, at 6 −
11.
24
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
2 つで十分なのではないだろうか。
だが、さらに進んで、準則の性質を問題にする必要はないだろうか。例えば、
準則の性質を考慮せず存在のみを問題とするならば、裁判所が存在する以上少
くとも当該裁判所の手続に関する準則が存在することは自明であるから 111)、
準則の存在を抵触法上の法秩序の独立の構成要素とする意義がない。また、仮
に欧州共同体のような国家間の共同体が国家の義務を定める準則しか有してい
ないような場合に、準則を有しているからと言ってこれを抵触法上の法秩序に
含めるのは、抵触法が私人の法的地位や私人を巡る法律関係を対象としている
ことからすれば、意味がないようにも思われる。そこで、抵触法上の法秩序た
り得る資格としては、共同体の機関 112)以外の個人を対象とした準則が存在す
ることが必要だと言うべきなのではないだろうか。
また、共同体は、そのような個人を対象とした準則を、契約やスポーツ、イ
ンターネットといったある特定の法律関係や分野に関して有していれば抵触法
上法秩序として認められるに十分と言えるのだろうか。このような共同体をも
抵触法上法秩序と認めるとすれば、対象となる法的問題や分野毎に、その規範
が「法」として適用され得る法秩序の選択肢が異なり得ることになる。法多元
主義の観点からは、この点が肯定されることになるだろうし、また、Mayer も、
とりわけ固有の仲裁廷を有する lex sportica につきある程度好意的な態度を示
しており 113)、個別分野や法律関係毎に抵触法が対象とする法秩序が異なり得
る点を認めているように見受けられる。現行抵触法体系の基本的枠組を維持す
るとしても、このような対応は不可能ではないだろう。
この点は、現代グローバル社会の社会構造をどのように認識するかという点
と密接に関っており、現段階で容易に答えを出すことは出来ず、最終的な態度
111)尚、裁判所等の機関を対象とする準則につき、Sindres, supra note(92)
, at 44.
112)一定の機能を共同体の名において行使することにつき、実際に共同体に特別に指定さ
れる個人又は集団を意味する。Cf. Sindres, supra note(92)
, at 42.
113)Mayer は、強制という構成要素が法秩序の定義がなければ、スポーツ法秩序の存在を
認めても良いと考えている。Mayer, supra note(85)
, at 72 − 73.
25
論説(横溝)
決定は将来に委ねる他はない。但し、ここで問題としている抵触法上の法秩序
という問題は、抵触法という仕組が機能する前提に関っており、抵触法が全体
として安定的に機能するためには 114)(それは私人間の国際的法律関係の安定
化に結び付く)、何れの法律関係や分野が問題となるとしても、対象となる法
秩序が常に同一であることが望ましいように思われる。例えばある法的問題が
不法行為と相続との何れに性質決定されるかによって、適用され得る法秩序の
選択肢が異なるということでは、私人間の国際的法律関係が不安定な状況に置
かれることになろう。そこで、共同体が抵触法上法秩序であることを認められ
るためには、当該共同体が抵触法の対象とする法律関係全てに亘り準則を有し
ていることまでも要求されるべきなのではないか、と現時点では考えている。
尚、同様の問題は、抵触法上の法秩序の構成要素として、準則という要素自
体が必要か、という点を問題とした場合にも生じ得る 115)。我が国を含め各国
の現行抵触法体系は、外国法適用制度という他の法秩序の一般的規範(=準則)
の自国での適用と、外国国家行為承認制度という他の法秩序の具体的規範(=
決定)の自国での承認とを体系の両輪としており 116)、個別の準拠法選択規則
や承認要件につき改正がなされるとしても、外国法適用制度を廃止し外国国家
行為承認制度に一本化するといった根本的変更が、今後生じる可能性は今のと
ころ高くない 117)。準則を有さず裁判所しか持たない共同体は、準拠法選択の
対象となる準則を提供することはないが、少くとも外国国家行為承認制度の対
象となる決定は提供し得る。このように、抵触法の 2 つの基本的枠組のうち一
方の制度の対象としかなり得ない共同体をも抵触法上法秩序として認めるべき
114)抵触法は法秩序間の調整を行うシステムであり、個別に柔軟性を取り入れるとしても、
構造上の全体的な整合性や基本的枠組の安定性があって初めて機能するものなのではない
だろうか。
115)準則を有しない共同体というものは想像しにくいが、正義や衡平に基づく判断を下す
紛争解決機関のみを備えた共同体が考えられる。歴史的に準則を有さず裁判官のみを備え
た法秩序が存在していた点につき、Romano, supra note(87)
, § 7.
116)尚、準則と決定につき、前掲注(17)参照。
117)但し、結語参照。
26
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
なのだろうか。この点についても、法多元主義の観点からは、肯定するべきだ
ということになるだろうが、前述した抵触法体系の安定的機能という観点から
は、否定的に解されることになる。
結局、現行抵触法体系の基本的枠組を前提とするならば、外国法適用制度と
外国国家行為承認制度という双方の制度の対象となる可能性を常に備えている
こと、すなわち、共同体構成員である私人相互間の行動様式をあらゆる法律関
係に亘って規律し社会生活のモデルを構成する準則と、当該準則を個別的な法
的問題に適用し判断を下す固有の機関(=裁判所)を有していることを、抵触
法上の法秩序を構成する条件と考えるべきではないか、と現時点では考える。
このような基準に依れば、準則はあっても固有の裁判所を有していない lex
mercatoria 等は法秩序として認められないことになる。また、固有の仲裁廷を
有する lex sportica についても、スポーツ以外の分野に関する準則を有してい
ないという点で、矢張り抵触法上の法秩序としては認められないことになろう。
他方、準則と固有の裁判所を有しているジプシー共同体 118)等は、たとえ固有
の執行機関を有していないとしても 119)、抵触法上法秩序として認められるこ
とになろう。
5
結語
以上、抵触法への法多元主義的観点の導入を巡る現在の議論状況を踏まえ、
抵触法の対象となる「法」とは何かという問題について、抵触法の対象となる
法秩序という観点から若干の考察を行った。現行抵触法体系の基本的枠組を前
提とすれば、共同体構成員である私人相互間の行動様式をあらゆる法律関係に
亘って規律し社会生活のモデルを構成する準則と、当該準則を個別的な法的問
題に適用し判断を下す固有の裁判所を有していることを、ある共同体が抵触法
118)Walter Otto Weyrauch/Maureen Anne Bell,“Autonomous Lawmaking : The Case of the
‘Gypsies’
”
, 103 Yale L. J. 323(1993)
.
119)Id., at 358 − 360.
27
論説(横溝)
上の法秩序か否かを判断するための条件とすべきではないかというのが、現時
点における考察の帰結である 120)。このような法秩序の定義に依れば、法多元
主義を掲げる見解が問題とする lex mercatoria や lex sportica 等は法秩序と看做
されず、我が国において準拠法の対象となることがないことになり、これらの
規範については、従来通り実質法的法指定や、非国家法の国家法への変質の確
認、また仲裁判断の執行等の方法により対応すべきだということになる 121)。
一方で、嘗ての法多元主義が関心を寄せていた少数民族等については抵触法上
法秩序と看做される可能性が開かれることになる。抵触法が国家法であるとい
う前提や現行抵触法体系の基本的枠組を維持する限り、これ以上の多元主義的
観点を導入することは難しいように思われるが、どうだろうか。
本稿の対象とする問題の大きさから、本稿は序説的検討に止まらざるを得な
かった。以下、今後の検討課題を挙げて本稿を終わることにしたい 122)。
先ず、本稿においては現行抵触法体系の基本的枠組(それ自体は我が国だけ
120)尚、この問題は、未承認国の抵触法上の取扱いという点とも関連を有する。この問題
については、法律が現実的に行われているか否かが重要であるという点が指摘されるのみ
であり(例えば、江川英文『国際私法(改訂)
』
(有斐閣・ 1957 年)73 頁、池原季雄『国際
私法(総論)』(有斐閣・ 1973 年)190 頁、溜池良夫『国際私法講義[第 3 版]』(有斐閣・
2005 年)185 頁以下)、その意味するところは必ずしも明確ではなかったが、抵触法上の法
秩序を抵触法上の「国」とすることで、その扱いを明確化することが出来よう。また、こ
のような検討は、不統一法国の判断に関しても一定の示唆を与えるものと思われる。
121)Cf. Michaels, supra note(40)
, at 1227 − 1237.
122)以下に掲げるものの他、抵触法上法秩序であると認めた場合であっても、別の理由に
より当該法秩序が抵触法の対象となることを妨げられる場合がないか、という問題もある。
共同体においては、準則と固有の裁判所を有しているとしても、他の法秩序の準則や判決
を無視し、また、他の法秩序の構成員による訴訟を受け付けないという意味で、抵触法を
。このよ
有しないに等しいものが存在する(Weyrauch/Bell, supra note(118)
, at 360 − 367)
うに、他の法秩序との調整を行う努力をしない法秩序の準則や決定をも適用・承認の対象
とすべきなのだろうか。外国判決承認制度における相互の保証要件を巡る議論に示される
ように、相互主義的考慮が、私人が直接関ることのない法秩序間の関係を考慮するものと
して抵触法上は激しい批判に曝されていることからすれば、このような法秩序に対しても、
我が国抵触法は(たとえ一方的ではあっても)開かれて行くべきということになろう。
28
抵触法の対象となる「法」に関する若干の考察―序説的検討
ではなく、各国に共通するものである)を前提としたが、グローバル社会の社
会構造の変化に伴い、新たな抵触法モデルを模索する動きが近時大陸法系にお
いても生じている。その多くは、外国法適用制度と外国国家行為承認制度の対
象範囲の変更に関するものであるが 123)、中には、人の地位を主たる対象とし
た議論においてではあるが、関係する複数の法秩序のうち何れの法秩序を利用
するかを当事者の選択に委ねることを前提に、各法秩序における法廷地法の適
用を肯定し、各法秩序が互いに他の法秩序で形成された法的地位を承認し合う
ことを提唱するものもある 124)。このように外国法適用制度を放棄する場合に
は、抵触法上の法秩序の構成要素として準則を求める必然性がなくなり得る。
そこで、外国法適用制度と外国国家行為承認制度という現行抵触法の基本的枠
組が、グローバル社会の現在の社会構造に適したものなのか、適していないと
すればあるべき抵触法モデルはどのようなものなのか、今後検討する必要があ
ろう。
次に、本稿の考察においては、Michaels、Romano、Mayer と同様、抵触法
が国家法の一部であるという現状を前提としたが、ある意味ではこのような前
提を採用した段階で、既に法多元主義的観点の導入についての態度が決定され
てしまったとも言い得る。「国家法としての抵触法」という前提を止め、「グロ
ーバル社会にあるべき抵触法モデル」(そのようなモデルを非国家的共同体も
採用出来る)という前提を採用するならば、法多元主義の観点に立ったより緩
やかな抵触法上の法秩序の定義も、或いは可能なのかも知れない。そのような
可能性についても、今後さらに検討したい 125)。
さらに、抵触法の対象となる「法」という問題は、本稿のようにその形成主
123)とりわけ、状況の承認に関し、参照、Pamboukis, supra note(21); Sylvain Bollée,
“L’extension du domaine de la méthode de reconnaissance unilatérale”
, Rev. crit. DIP, 2007.
307; Paul Lagarde,“La reconnaissance : mode d’emploi”in Vers de nouveaux équilibres entre
ordres juridiques : Liber amicorum Hélène Gaudemet-Tallon(Dalloz, 2008)
, 481.
124)Gian Paolo Romano,“La bilatéralité éclipsée par l’authorité : Développements récents en
matière d’état des personnes”
, Rev. crit. DIP, 2006. 457.
29
論説(横溝)
体に着目する方法以外にも、様々な角度からの検討が可能であり、そのような
ものとして、例えば、実質的・手続的正統性の観点からの検討が考えられ
る 126)。民主主義・権力分立等の観点からの議論については 127)、抵触法の主た
る対象である「私法」が民主主義と完全に結びついたことがないと言う点から
既に批判がなされているが 128)、ラフ・コンセンサスやランニング・コードと
いった新たな手続的正統性に関する議論もなされているところである 129)。法
多元主義の意義は寧ろこのような手続的正統化にあると思われるが 130)、「法」
の形成主体に着目した本稿では検討することが出来なかった。この点も、今後
検討することとしたい 131)。
(2009 年 4 月 30 日脱稿)
【付記】金沢大学時代御教示下さった学兄の早過ぎる死を悼み、御冥福を祈る。
125)但し、Romano のいう法秩序の質的多様性を念頭に置くならば、それらの法秩序の抵触
を全て処理する抵触法を構想することは不可能なように思われる。そこで、抵触法の対象
となる法秩序として一定の均質性を共同体に課すのであれば、ここでの結論とそれ程変わ
らないことになるのではないかという感触を現時点では有している。
126)Michaels/Jansen, supra note(83)
, at 879 − 881.
127)前掲注(74)参照。
128)Michaels/Jansen, supra note(83)
, at 881(私法が、大衆の意思よりも寧ろ学識者による
決定により形成されて来た点を指摘する). グラルフ=ペーター・カリース(守矢健一訳)
「ラフ・コンセンサスとランニング・コード―グローバル化時代における私法の正当化―」
カール・リーゼンフーバー=高山佳奈子編『法の同化:その基礎、方法、内容 ドイツか
らの見方と日本からの見方』
(De Gruyter ・ 2006 年)127 頁、133 頁以下。
129)カリース・同上 135 頁以下。
130)Teubner, supra note(27)[Global Bukowina], at 14; 村上淳一「歴史的意味論の文脈に
おけるグローバル化と法」マルチュケ=村上編・前掲注(27)25 頁、28 頁も参照。
131)その他、近時公表された Sindres, supra note(92)では、法秩序の概念と法体系の概念
とを区別し、抵触法が対象とするのは法秩序ではなく、法秩序と切り離すことの出来る個
人に向けられた準則の集合体すなわち法体系であるとして、契約当事者が法秩序に属さな
い法体系を選択する可能性を認めるという興味深い議論が展開されており、本稿に密接に
関るが、時間の制約上検討が間に合わなかった。この点についても他日を期したい。
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