【完結】特異点X 死滅英雄血戦トロイア ID:86421

【完結】特異点X 死滅
英雄血戦トロイア
ロライゼン
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︻あらすじ︼
カルデアスとシバを用いて紀元前1000年の地球を観測していたロマンは、その前
後の年代に新しい特異点を発見した。
年代も場所も明確ではない、初の神代へのレイシフト。カルデアのマスターである少
女は内心の不安を押し殺し、頼れるサーヴァントたちと共に遥かな過去へと足を踏み入
れた。
││そこはトロイア。かつて相対した護国の英雄が、再びカルデアの前に立ち塞が
る。
8/15記載
FGOマテリアル発売前に考えた独自設定の一部に公式設定との齟齬がありますが、
修正せずこのまま話を進めようと思ってます
8/24 19:50記載
25節の最後の辺り、少し加筆しました
20:25記載
あとがきも追記しました
11/5記載
23節一部修正
中途半端な数なので兵数を七百から一千に変更
11/24記載
タイトル短くしました
目 次 アバンタイトル ││││││││
第12節:最優降臨 ││││││
第13節:勝利を呼ぶ聖剣 │││
第18節:月の続き ││││││
第17節:兄弟の死闘 │││││
第16節:聖騎士包囲網 ││││
t ││││││││││││││
第 1 5 節:a l e a i a c t a e s
第14節:イデ山へ ││││││
15
第23節:決戦前夜・トロイア │
第22節:決戦前夜・アカイア │
第21節:運命の行方 │││││
第20節:英雄復活 ││││││
第19節:最後のピース ││││
33
473 452 417 387 367 347 323 306 291
第1節:英雄敗北 │││││││
第2節:復讐の預言者 │││││
第3節:愚者と預言者 │││││
第4節:釣り合わぬ天秤 ││││
第5節:飛将軍襲来 ││││││
第6節:疾風と暴風 ││││││
第7節:黒赤の騎兵 ││││││
第8節:別行動 ││││││││
第9節:武力介入 │││││││
第10節:反撃の秘策 │││││
第11節:最強の敵 ││││││
47
256 231 217
58
1
75
199 178 161 143 110 93
第24節:曇り空の下の誓い ││
第 2 5 節:羅 刹 二 人、刹 那 の 決 闘 489
第27節:友情の音色 │││││
第29節:護国の残照 │││││
第 3 0 節:G r a n d O r d e r 626
第 2 8 節:カ ル デ ア ス・ユ ニ テ ィ 562
第 2 6 節:剣 の 隣 に 並 び 立 つ モ ノ 512
542
594
683
│
太陽神より授かったこの予知能力を、以前は何度だって使用した。この力さえあれ
葉に耳を傾けてはくれなかった。
できない。どれだけ真剣に言葉を伝えても、喚く子供のように泣訴しても、誰も私の言
なんて、無力なのだろう。未来を見通す力があるはずなのに、私にはどうすることも
止めることができなかった。
私には何もできなかった。あの戦士と戦えば兄が死ぬと知っていたのに、私には兄を
殺されたのだ。敵の中でも最も強く、最も速い戦士に、友の仇として討ち果たされた。
で、誰よりも優しくて、誰よりも強かった兄が逝ってしまった。
兄が逝った。陽気にへらへらとだらしくなく振る舞うけれど、本当はいつだって真剣
た。それならばまだ、滑稽すぎて笑うことだってできたかもしれないのに。
なってしまうのなら、いっそ嵐のように一片に何もかもを失くしてしまってほしかっ
だ っ て そ う だ ろ う。こ の 戦 い は 哀 し み し か 運 ん で こ な い。ど う せ 何 も か も が な く
││もうこんな戦い、早く終わってほしいとしか思えなかった。
アバンタイトル
アバンタイトル
1
ば、絶望的な未来なんて回避できると信じていたから。たとえ虚言の呪いに私の言葉が
蝕まれていようとも、それでも本気で想いを伝えれば言葉は届くと信じていたから。
けれど、その結果がこれだった。太陽神より授かった予知の力は、太陽神に押しつけ
られた虚言の呪いによって、なんの役にも立ちはしない。
だからいつしか、この力を使うことはほとんどなくなった。どうせ未来を見ても何も
変わらないのだから、見るだけ無駄だと結論づけたのはいつだっただろうか。
兄が死んで以来、私の中にあった希望は完全に掻き消えた。生きる気力も衰えて、父
母や兄たちの心配を余所に、自室に引きこもっていた。
きっと大好きだった兄の死が、とてもショックだったのだろう、なんて他人事のよう
に思う始末だ。涙も枯れ果てて、日がな一日、何もせず無為に過ごすだけ。
だからいま予知能力を使ってみようと思ったのは、他に何もやることがないというた
だそれだけの理由だ。未来を垣間見たところで何が変わるわけでもない。ただこれか
ら起きるであろう辛いことに対し、予めの覚悟ができるだけだった。
そしていずれはパリスも討たれ、終焉を呼ぶトロイの木馬が繰り出される。
兄さんの仇であるアキレウスを討ってくれる。
もう少し月日が進めば、このトロイア戦争の元凶である兄││パリスが、ヘクトール
﹁そろそろ、終わりの時だよね⋮⋮﹂
2
オデュッセウスの姦計に騙されたトロイアの人間は、自ら招き入れたアカイアの人間
に情け容赦なく殺される。それでトロイアは滅ぶのだ。
それはもう変えられない運命だ。神々が定めた残酷なシナリオだ。
いまから私が見るのは、私の結末。以前、最後に見た未来は神殿でアイアスという小
男に凌辱される光景だ。その続きを、覚悟をする為にいまのうちに見ておこう。どう
せ、碌でもない最期なのは予想がつくけれども。
寝台に寝そべったまま、瞼を閉じる。暗闇の中に光が差し、やがて網膜に未来のヴィ
﹂
ジョンが焼けつき││││全てが、燃え尽きた。
﹁││││え
﹂
?
﹂
滅んだ。人類史が、跡形もなく焼却された。
浮かんだ未来。それは確かに破滅である。この国の破滅││ではない。だが、未来が
﹁これは、なに⋮⋮
思わず声が出た。以前に見た未来とはまったく別の光景が網膜の裏に広がっている。
?
?
│
兄さんの顔まであり││でもその顔は、いまにも泣いてしまいそうなほどに辛そうで│
浮かんでは消える幾つもの光景。未来の光景であるはずなのに、そこにはヘクトール
﹁なに、これ││││私⋮⋮
アバンタイトル
3
気づけば私は寝台から身を起こしていた。起き上がったのも久しぶりだからよろめ
いて、それでもすぐに起き上がって自室を飛び出した。
石の床を走る。体力もまるでない癖に全力疾走したせいで、息はすぐに絶え絶えだ。
向かう先は修練所。いまは深夜で警備の者以外は皆寝静まっているけれど、彼ならば
﹂
まだ己を鍛える為にそこにいるはずだった。
﹁パリス
﹂
!?
﹂
?
﹁もしかして、ボクを激励しに来てくれのかな ⋮⋮わかってる、ヘクトール兄さんが
優しげな笑みを浮かべ、こちらを安心させるような温和な表情でパリスは言った。
﹁顔を合わせるのは何日ぶりだろうね⋮⋮もう、大丈夫なのかい
れど、いまはどこか違う。いつの間にか精悍さが増したように思える。
何人もいる兄のうちの一人、パリス。以前は頼りない印象が拭えない面持ちだったけ
いただろう場所││踵の位置に見事的中している。
・
が人の形を模した的へ向かって放たれた。集中を削がれたであろうに、矢は彼が狙って
弾かれたように顔をこちらへ向ける線の細い優男。その拍子に構えていた弓から矢
﹁カサンドラ⋮⋮
その名を私は声の限りに叫んでいた。
!
4
死んだのは、そもそもこの戦いの発端であるボクのせいだ。だから、仇は絶対取る。ア
?
キレウスは必ずボクが討つ。だから、どうか元気を出しておくれ、カサンドラ﹂
﹂
﹁いえ、違うんです⋮⋮いまは、それどころじゃなくてっ﹂
﹂
﹁それどころじゃない
﹁大変なんですっ
?
い。
だろう。でも、それでも行動しなければならないと思ったのだ。理由は、よくわからな
パリスはじっと私を見たまま押し黙った。きっと私の言葉など信じてはもらえない
﹁⋮⋮﹂
﹁このままだと、世界が滅びます﹂
のままにただ一言。
それから説明すべきことを考え、どう説明していいかもよくわかなかったから、あり
いた。
言われ、私は深呼吸を繰り返した。気息は全然整わないけれど、気持ちは多少落ち着
﹁⋮⋮わかった。ちょっと落ち着こうか、カサンドラ。落ち着いて話してみて﹂
!
﹁え││
﹂
﹁││わかった。信じるよ。どうやらいまのボクなら、君の言葉を信じられるようだ﹂
﹁その⋮⋮信じてもらえないかもしれませんけど││﹂
アバンタイトル
5
?
﹁信じるよ。君の予言を、君の言葉を﹂
・
・
・
・ ・ ・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
た本人に、その呪いが作用するはずがないんだ﹂
﹁ッ⋮⋮もう、憑いておられるのですね、アポロンさまは﹂
﹂
﹁複雑な思いだろうね。でも、いまは行動しよう。世界の危機なんだろ
すればいいんだい
?
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
流石にいまのボクの立場か
?
﹁仰るとおりです。ですがこの場にいれば、私もパリスも││﹂
らすれば逃げるわけにはいかないんだが⋮⋮その、いまボク、総大将なわけだし﹂
﹁⋮⋮とはいえ、どうしても逃げないといけないのかい
たはは、とパリスが笑うが、その表情もすぐに真剣な面持ちに変わっていた。
﹁だよね。ちょっとした冗談だよ﹂
﹁それはないです﹂
﹁それはもしかして駆け落││﹂
﹁⋮⋮そうでした。ではパリス、私と一緒にトロイアから逃げてください﹂
?
ボクは何を
葉を信じられる。君に呪いをかけた神さまは、いまボクの中にいるからね。呪いをかけ
・
﹁⋮⋮ごめん、カサンドラ。いままで信じてやれなくて。でも、いまだからこそ、君の言
そんなことを言うのか。初めから私の言葉を聞いてくれたのなら、きっと││
﹁なんで、いまさら⋮⋮﹂
6
﹁しっ││﹂
不意に言葉が遮られた。パリスが口元に人差し指を添え、喋るなと眼で伝えてくる。
﹂
私を後ろに隠すように立ち、彼は修練所の入り口の方に視線を向ける。弓には既に、
矢が番えられている。
﹁そこにいるのは、なんだ
?
か
いや、いいや違うな。その慧眼は君元来のモノだろう
・
・
・
・
・
・ ・ ・
・
・
・
・
君が三人の女神に審判
?
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
﹂
?
い。
それを、どうやらパリスも肌で感じ取ったらしい。男を見据える彼の瞳に油断はな
種、兄の同類だ。目的の遂行にあらゆる手練手管を講じる策士だ。
けれど油断してはならない。一瞬たりとも気を抜いてはならない。この男は、ある
た。そのあまりにふくよかな体型に、一瞬毒気を抜かれるほどだ。
演説さながらに長々と語りかけながら姿を見せたのは、赤い衣服を身に纏った男だっ
らぬと理解していたのだろう
・
を求められた時、アフロディーテを選んだ理由が解ったよ。何を選んでも、結果が変わ
?
が、なかなかどうして鋭いな。あるいは君に宿る神が、私を人外の者であると見抜いた
ロイア戦争の元凶とされる君のことだから、てっきり愚者だと決めつけていた。⋮⋮だ
﹁││ほう。そう訊くのか。そう誰何するのか。誰だではなく、なんだと問うのか。ト
アバンタイトル
7
﹁⋮⋮いや、確かに君の言うとおりだよ。パリスという男は、どうしようもない愚者だっ
たさ。││だがいまのボクは違う。〝甘さ〟も〝心の弱さ〟も、兄さんの墓所に捨てて
きた。君の眼前に立つ男は、真実ヘクトールの弟だと弁えてもらおう﹂
﹂
!
﹂
?
ンダナに勝るとも劣らぬ宝剣だった。
その右手に忽然と黄金の剣が現出した。その意匠も然ることながら、兄の宝具ドゥリ
えられる者のうちの一人だよ﹂
する偉大なる国の偉大なる統治者。君より後の時代で、君の兄上と同じく九大英霊に数
﹁││セイバーのサーヴァント、ガイウス・ユリウス・カエサル。いずれこの国より発足
告げた。
再度のパリスの問いかけに、赤い男は笑みを浮かべ両手を広げ、己を誇るようにこう
に答えてもらおう。君はなんだ
﹁⋮⋮聞き捨てならない言葉だったが、それはいい。いまはね。それよりさっきの問い
ジョンは、やはり││
それが何を意味するのかを理解して、私はよろけそうになった。先程見た未来のヴィ
﹁││
ぬ男だと言い含められていたとも。こうして直接会うまでは半信半疑だったがね﹂
﹁弁えているとも。理解しているとも。ここに来る前に、君の兄上からは君が油断なら
8
﹁では話し合いもここらで幕引きとしよう。油断を誘おうと思っていたが、君たち私の
こ と を 警 戒 し す ぎ だ。こ れ で は 楽 に マ ス タ ー か ら の 仕 事 を 達 成 で き な い で は な い か。
それともオデュッセウスか
まったく、この私に直接戦闘を任せるべきではなかろうに﹂
﹁誰の命令でボクたちを殺しに来た アガメムノンか
﹂
?
﹁な、に
﹂
﹁カサンドラという、控えめで楚々とした可憐な乙女からのオーダーさ﹂
?
﹁⋮⋮意味が解らないな。この期に及んでまだ弁舌でボクを幻惑しようという魂胆か
カエサルを警戒したまま、パリスが一瞬だけ私に視線を向けた。
?
﹂
?
の言葉の意味に合点が行くとも。生きて、生還できたのならばな﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
重々しい巨体がにじり寄ってくる。言外に、逃がしはしないと告げていた。
・
・
・
・
﹁いずれ解るとも。すぐに解るとも。生きて此処より生還できたのならば、明日にも私
るんだけど
君の言う、眼に入れても痛くないほどかわいい女の子なら、いま現在ボクの後ろにい
?
?
・
・
・
・
・
・
・
のならこの手にかけよう。慧眼の愚者よ、 黄 の 死の錆となれ││
クロケア・モース
﹂
ば致し方あるまい。パリス、君を殺せとのオーダーは本来入っていないが、邪魔をする
・
﹁女性の暗殺など気の進まぬ命令だったが、それが彼女本人による介錯じみたものなら
アバンタイトル
9
!
翻る黄金。その巨体からは想像すらつかぬ速さで以ってカエサルが宙に舞い踊った。
瞬きの間にパリスが立て続けに五本の矢を撃ち放つ。絶技と呼ぶに相応しい連射。
その全てをカエサルは眼にも止まらぬ剣閃によって叩き落とした。そのままパリス
に向かって渾身の一刀を振りかぶり││
││修練所の石床を、夥しい鮮血が紅く染めた。
◇
﹂
?
みるって前に言ったでしょ
まだ調査中なんだけど、一つ厄介な問題が浮上してきて
﹁第三特異点を修復した後に、カルデアスとシバを使って紀元前千年の地球を観測して
マシュの確認の声に、ロマンが厳かに頷く。
﹁後回し、ですか
予定を変更して、これはちょっと後回しにしようと思う﹂
﹁次に人理修復に向かうのは第五特異点である北アメリカ大陸││だったんだけどね、
れから今回のレイシフトの為に選抜した残り四騎のサーヴァントだ。
揃ったメンバーは右から順番にわたし、マシュ、フォウくん、ダヴィンチちゃん。そ
中央管制室に集まったみんなを見まわし、ロマンが言った。
﹁││よし、全員いるみたいだね。ではブリーフィングを行おうと思う﹂
10
?
ね﹂
﹁まさか、ソロモンについて何かわかったんですか
﹂
﹂
﹁すみません、正確な年号と場所が特定できなくても、レイシフトってできるんですか
できていないけど、放っておけば人理の崩壊に繋がるだろう﹂
点が観測された。シバの観測も精度が落ちている為、正確な年号と場所は完全には特定
﹁いや、残念ながらマシュの期待しているのとは違うよ。紀元前千年前後に、新しい特異
?
﹁ただ
﹂
イシフトしても無事かどうかという懸念があってね⋮⋮﹂
とって真空のそれだと聞く。デミサーヴァントであるマシュはともかくとして、君がレ
﹁紀元前千年前後と言えば紛れもなく神代だ。話によると神代の空気は、現代の人間に
?
ただ﹂
﹁それに関しては問題ないよ。特異点そのものがレイシフト先への指針になるからね。
と、わたしは挙手しながらロマンに尋ねる。
?
﹂
?
﹁ほら、ロンドン。あの魔霧は普通の人間には有毒な代物だったけど、わたしはこの通り
﹁というと
﹁そっか⋮⋮でも、それなら大丈夫じゃないかな﹂
アバンタイトル
11
五体満足で生還できました。きっと、マシュが守ってくれたからだと思うんですよ﹂
頷きを返し、覚悟を決めて霊子筐体コフィンに搭乗する。何度もレイシフトしている
くれ﹂
ダーとする。マスター並びにサーヴァントは直ちにレイシフトの準備に取り掛かって
﹁⋮⋮ わ か っ た。そ れ で は、紀 元 前 千 年 前 後 の 特 異 点 の 人 理 修 復 を 次 の グ ラ ン ド オ ー
ら立ち向かうしかない。
択肢は残されていない。逃げてもその先に待っているのは人類史の焼却だけ。だった
けれどカルデアの、引いては人類最後のマスターであるわたしには、逃げるなんて選
ている。
だってそれはいつものことだ。レイシフトした先の世界では、常に死の臭いが充満し
││そんなことは今更だ。
い。
下手をすれば死ぬかもしれない。もしかすれば、レイシフト直後に死ぬかもしれな
内心の恐怖を押し殺し、満面の笑顔でロマンにそう告げた。
復する為なら、未来を守る為なら、わたしは何処へでも行きますよ﹂
﹁だから行きましょう。紀元前だろうが神代だろうが、知ったことじゃない。人理を修
﹁先輩⋮⋮﹂
12
けれど、この中に入るといつも緊張してしまう。
もう帰ってこれないかもしれない。そう思うと、心臓がうるさいくらいに暴れ出す。
自分の責任は重大だ。なんの力も持たない自分が大きなミスを犯せば、それは取り返
しのつかない事態を招く。未来が焼却される。人類が滅びる。
コフィンの中で自分自身を抱きしめる。震えそうになる体を必死に抑えた。
自分は独りではない。マシュがいる。他のサーヴァントたちもいる。ロマンだって、
ダヴィンチちゃんだって、フォウくんだって、ほかの所員だっている。だから、独りで
はない。
けれど独りではないと理解しながら、時折、孤独感に押し潰されそうになる。
紀元前。神代でのグランドオーダー。いままで以上に大変なミッションになるのは
考えるまでもないことだ。正直に言えば、できることなら逃げてしまいたい。だって、
本当はどうしようもなく怖いから。
それでも逃げない。それは人類史を守る為だし、同時に単なる意地だった。
魔術王ソロモン。人類を蔑む者。人類を閉じようとする者。カルデアの敵。
││あんな奴に、わたしは絶対負けたくない。
あと3、2、1⋮⋮全行程 完了 グランドオーダー 実証を 開始 します︼
クリア
︻アンサモンプログラム スタート。霊子変換を開始 します。レイシフト開始まで アバンタイトル
13
14
特異点X 人理定礎値:A+ BC.1184 死滅英雄血戦トロイア
悲劇の予言者
それも当然と言えば当然だ。この戦が始まって十年間、ずっとアカイア軍を苦しめ続
アキレウスが言えた義理ではないが、現在のアカイア軍は多少なりとも緩んでいる。
だからアキレウスが懸念したのは、小アイアスの部隊の方の孤立である。
逃げられる程度には末端の一兵まで調練が行き届いている。
も、更に選りすぐりの最精鋭だ。例え孤立してトロイア軍に囲まれても、全員が動じず
は迷わずに断じられる。自らが率いるミュルミドスネは精鋭揃いのアカイア軍の中で
孤立の可能性が高かった。自分の軍が孤立した程度ならば問題はない、とアキレウス
できなかったのだ。
い。不審に思って四方八方に斥候を放ったが、近くにはアカイア軍もトロイア軍も捕捉
なっていた。だが合流地点に到着しても、小アイアスの部隊は一向にその姿を現さな
今回の進軍ルートでは、途中で小アイアス率いるロクリスの部隊と合流する手筈に
理由は至極単純。違和感を懐いたからだ。
自らが率いていたミュルミドネスの部隊を、アキレウスは早々に後退させた。
第1節:英雄敗北
第1節:英雄敗北
15
16
けてきたとある将軍が、もうトロイア軍にはいないからだ。
即ち、大英雄ヘクトール。トロイアのプリアモス王が長子。トロイア軍の総大将であ
りながら、アカイア最高の智将オデュッセウスとも互角の計略合戦を繰り広げられる戦
術家。
そして軍のトップでありながら何度も何度も最前線に出てきては奇襲を仕掛け、その
都度寡兵を以って大軍のアカイア兵を潰走させてきた。極めつけに、個人としての武勇
も尋常ではない。
だがそのヘクトールも、アキレウスが討ち取った。当然の如く、トロイアの士気は下
がりに下がった。
このまま圧倒できるとアカイア軍の誰もが思っていたことだろう。アキレウスとて
そう思った。あくまで、最初はだ。
思いの外トロイア軍は崩れなかったのだ。ヘクトールに代わって総大将を務めるパ
リスの指揮が、予想外に巧いからだ。
軍勢の中でも弱いところや隙がある部隊をピンポイントで突いてくる。攻め時と引
き際を決して見誤らない。オデュッセウスの悪辣な策すらも看破する。そのパリスの
確かな戦術眼に、アキレウスは兄のヘクトールを垣間見た。
以前のパリスはすぐに怯懦に駆られるような軟弱な男だった。戦場に立つ勇気もな
第1節:英雄敗北
17
い惰弱な男だった。アキレウスは同じ男として、パリスのことを心底蔑んでいた。かつ
てのパリスのことを。
だがいまのパリスは、もう以前のパリスとは別人だ。恐らくはヘクトールの死によっ
て、彼の甘さも死に絶えたのだ。ヘクトールに代わってトロイアを纏め上げるその雄々
しき姿は間違いなく英雄であり、奴こそヘクトールの弟だと断言できるほどの急成長
だった。
あるいは自分を殺す男は、パリスかもしれないと思わせるほどに││。
だが、そこまで正当にパリスを評価できているのは自分の他に、せいぜいがオデュッ
セウスとディオメデス、それに大アイアスくらいのものだろう。あとは兵卒どころか将
校すらもパリスとトロイア軍のことを舐めきって、自軍の勝利をまったく疑ってもいな
い。
だから小アイアスが孤立しているとなれば、そのまま潰走という可能性もあり得るだ
ろう。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
しばらく考えてから、アキレウスは単身で小アイアスの部隊の救援に向かうことにし
た。
〝疾風怒濤の不死戦車〟ならば単騎での対軍戦闘が可能だし、包囲されても問題なく
撤退できる。
神馬の牽く戦車が荒れ地を音速で駆け抜ける。速すぎて団体行動に適さない戦車で
はあるが、こういう状況ならば他の追随を許さない性能だ。
小アイアス軍の進軍ルートにはすぐに入った。だが残る痕跡などから、途中で軍が
ルートを逸れて進行しているのにアキレウスは気がついた。もしかしなくても敵の陽
動に引っかかったのだろう。功を焦って深追いする。あり得ることだ。
がる木屑などは恐らく戦車の欠片だ。およそ全てが破壊し尽くされてしまったのだろ
だが数千単位でいたはずの小アイアス軍の全員が死体に変わっていた。荒れ地に転
それである。
いた。確かにいた。荒れ地に転がっている折れた旗の紋様は、小アイアス軍が掲げる
﹁マジか⋮⋮﹂
ければ間に合わない。現にもうアキレウスの視界には小アイアスの軍が││
〝 疾風怒濤の不死戦車 〟 な ら ば 比 喩 抜 き で 一 瞬 で 追 い つ く。戦 闘 準 備 は す ぐ に し な
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
に持ち替え、もう片方の腕には英雄殺しの槍を手挟んだ。
小アイアス軍が誤って進んだルートを追跡していく。両手で操っていた手綱を片手
殺しにしないことにしていた。例えそれが気に食わない相手だったとしても。
自らの愚かさが招いた危機だろうが、ここまで来た以上は見捨てない。もう自軍は見
﹁ったく、しょうがねぇなアイツは﹂
18
他の奴も
生きてる奴いるか
返事しろ
!?
﹂
!
う。
﹁オイ、アイアス
!
﹂
?
がり、どれもこれもが小アイアス軍の兵士を串刺しにしていた。
る。トロイア軍が用意した罠というのはありえないほどの無数の杭が地面から生え広
る。何より異常なのは、地面から突き出したように飛び出ている夥しいほどの杭であ
屍となった兵士の表情はこれ以上はないというくらいに恐怖に染まって固まってい
此処には死体しかない。だが、その死に方がどれもこれも異常で凄惨だった。
をしてそう感じさせるのだ。常人ならば、とっくに正気を失っていよう。
此処は紛れもない死地であり地獄だった。アカイア軍最強の英雄であるアキレウス
﹁わかってるさ、もう行く。さっきから俺も肌が粟立ってるよ﹂
人語を解する神馬、クサントスが言った。
だと私の野生の勘が告げています﹂
﹁過ぎたことはどうしようもないでしょう。それより我が主、早々にここを離れるべき
﹁⋮⋮クソッ、もっと早く来ていれば間に合ったか
見渡す限りの死体に呼びかける。残念ながら、死体に紛れた生者はいないようだ。
!
その時、不意に声が聞こえた。声の方を振り向くと、血だらけの小男が必死の形相で
﹁││ぁ、アキレ、ウス⋮⋮﹂
第1節:英雄敗北
19
﹂
這うようにこちらに向かってきていた。
﹁無事だったのか、アイアス
﹂
!?
怒が込み上げてくる。
アキレウスはどうすることもできずにそれを茫然と見ていた。次第に、腹の底から憤
りを起点として生え広がり、完膚なきまでに彼の生命を終わらせていた。
絶叫と共に小アイアスの体の内側から無数の杭が突きだしていた。それは心臓の辺
﹁ぎ、ァぁああぁあぁああぁあ
震える手を小アイアスが伸ばしてきた。それをしっかりと掴もうとした瞬間、
﹁乗れ、アイアス。もう大丈夫だ。俺の戦車なら本陣まですぐだからな﹂
老け込んでさえ見えてきた小アイアスに手を差し出す。
るアカイアの本陣がある方の陸地で戦うべきだ、とアキレウスの勘は告げていた。
戦うにしてもトロイア側の陸地は避けたい。スカマンドロス河を挟んで向かいにあ
れなりの修羅場を潜り抜けてきた戦士であるにも関わらずだ。
は大人しく退くことにした。小アイアスの怯えきった様子は尋常ではない。彼とてそ
勝てない。そう言われるとアキレウスとしては是非とも戦ってみたくなったが、此処
ない、お前でも⋮⋮﹂
﹁に、逃げ⋮⋮ろ。アレは、奴らは、化物だ⋮⋮特に、アイツ、アイツには、誰も、勝て
!
20
﹂
﹁⋮⋮オイ、出てこい。いるんだろ、下衆野郎。助かったと安堵させてから殺るなんざ、
随分と悪趣味じゃねぇかよ
余のマスターも、
?
﹁テメェ、何者だ
だった。
﹂
忽 然 と 現 れ た 長 身 の 男 は 黒 ず く め だ っ た。幽 鬼 を 思 わ せ る 不 吉 な 佇 ま い の 槍 使 い
これで少しは溜飲が下がるといいのだが﹂
て生娘を辱めるような性根の腐った畜生には相応しい末路だろう
そも人間ではないのだから、人のように優しく殺されると思う方が烏滸がましい。まし
﹁││余を下衆と呼ぶか。悪辣なのは自覚している。だが、これは制裁だ。侵略者など
?
赤のライダーだ
?
イダーよ﹂
﹁あ
なんだそりゃ﹂
﹁そうか。貴様が余と見えるのはこれが初めてか。余は貴様を知っているがな、赤のラ
?
逃げるつもりか
││逃がすと思うか
?
﹂
?
﹁ああ、思うとも。なぜなら余に構っている暇など、貴様にはないのだからな﹂
?
に勝つのは困難極まりないからな。忌まわしきアレを使いでもしなければ﹂
だが、名乗ったところで貴様とやり合うつもりは毛頭ない。業腹ではあるが余では貴様
﹁こちらの話だ。気にするな。余はサーヴァント・ランサー、真名をヴラド三世という。
?
﹁殺り合うつもりがないだって
第1節:英雄敗北
21
﹂
そう言って、あっさりと黒い男は背を向けた。
﹁どこに行く
﹁我が主、挑発に乗っては││
﹂
!
!
一発決めなきゃ腹の虫が収まらん
!
﹂
!
﹂
!?
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
狙いはピンポイントで踵だった。踵を狙うとすれば彼だけだ。なぜなら現状アキレ
﹁パリスか││
はいま危うく死ぬところだった。
足元に突き刺さった矢。全身から汗が噴き出る。冗談でもなんでもなく、アキレウス
咄嗟に手綱を振るい、上空から迫る閃光の如き矢を寸での回避した。
﹁一つ忠告だが、避けねば死ぬぞ﹂
近し││
初 速 か ら し て 既 に 音 速。〝 疾風怒濤の不死戦車 〟 は 一 秒 の 猶 予 も な く ヴ ラ ド へ と 接
た。
手綱を振るう。仕方なしと諦めたのか、三頭の馬がアキレウスの意に従って駆け出し
﹁うるせぇぞクサントス
﹂
﹁そうかよ。じゃあ過労死する前に俺がたっぷりと寝かせてやるよ永久になッ
員例外なく極刑に処す。無辜の民を脅かそうとする侵略者共など、許されざる存在だ﹂
﹁余は多忙だ。具体的に言えば、他の部隊をあと二つ強襲しなければならない。無論、全
!?
22
ウスの急所が踵であると知っているのは、相手の弱点を見抜くことに関して異様なまで
の慧眼を持つパリスだけなのだから。
しにするのは難しいだろうな﹂
﹁ほう。避けたか。あの男の狙撃を避けるとは流石だな。やはり余ではお前の踵を串刺
﹁⋮⋮ッ、パリスに聞いたのか、俺の急所を﹂
﹁む、そうか。この時代ではいまだ知られていない事実なのだな。後世において、踵が貴
様の弱点なのは常識だが﹂
悔しいが言う通りだった。ヴラドを追える余裕などアキレウスにはもうない。
﹁さっきからワケわからねぇこと抜かしやがって。もういい、テメェは失せろ﹂
はないぞ﹂
﹁そうさせてもらおう。だが最後に一つだけ教えてやろう。狙撃を行った男はパリスで
﹁なに││﹂
どういうことだ、と問いかけることはできなかった。現れた時と同様に、ヴラドは既
に忽然と消えていた。
あった。
さっき矢が飛んできた方角に眼を凝らす。その先には荒れ地に佇む二人の男の姿が
﹁いや、いい。それよりもあいつだ﹂
第1節:英雄敗北
23
弓を持っている方はかなりの長身だ。自分やヴラドよりも更に高身長。だがその図
体の割には随分と痩せている。加えて異様なのは、頭部から覆いかぶさる柄付きの長布
だ。あれじゃ前見えねぇだろ、とアキレウスは内心訝しんだ。
なるほど確かに狙撃手はパリスではなかった。パリスと同等、いやそれ以上に厄介な
相手だ。言うなればオーラが違う。特に右手に巻きつけてある紋様を帯びた布からは、
並々ならぬ神気が感じられた。
そしてもう一人の男に視線を向けた瞬間、アキレウスの鼓動が一瞬止まった。
た。
!?
のよね﹂
﹁や、また会ってねアキレウス。残念なコトにオジサン、冥界の底から甦ってきちゃった
﹁馬鹿な⋮⋮なんで、なんでアンタが生きている
﹂
アキレウスが確かに殺したはずの男が、大英雄ヘクトールがおもむろに歩み寄ってき
長剣でありながらの長槍ドゥリンダナ。
煌びやかな緑衣と、金に縁取られた赤いマントを羽織った無精髭の男。携える武器は
十年、嫌でも網膜に焼きついた男の顔を、なぜ見間違えることができようか。
知らず、震えた声が漏れていた。遠目であろうとその姿を見間違うはずがない。この
﹁││││ばか、な。いや⋮⋮だがっ、そんなはず、は、﹂
24
ヘクトールは笑っていた。殴り殺した後でも、時折思い出しては腹が立った軽薄な笑
みそのままだ。つまりこの男は偽物とかそういうモノでなく、正真正銘の兜輝くヘク
トールなのだ。
アンタのオヤジに泣きつかれて、僅かでも良心を痛めた俺が間
﹁⋮⋮やっぱもっと引き摺っておくべきだったか。原型留めなくなるまで磨り潰してお
くべきだったのか
﹂
笑みを消した神妙な面持ちで、ヘクトールはそんな言葉を口にした。
﹁⋮⋮いや、悪いねアキレウス。オジサン、もうキミとは戦うつもりはないんだよね﹂
だから殺す。もうアンタとは二度と戦いたくなかったけどな﹂
﹁そうかよ。⋮⋮だが、アンタが生きている以上はもう一度殺す。復讐とか関係なく、敵
﹁オジサンが甦ったことと、それはまったく関係ないことだから気にしなくてもいいぜ﹂
違っていたのか⋮⋮
?
?
⋮⋮待てよ。アンタが俺と戦わないで、他の誰に俺の相手が務まるって言うん
﹁は
?
ね、本来なら﹂
﹁それはもう、オジサンの不肖にして自慢の弟パリス││と言いたいところなんだけど
だまだ発展途上と言えるだろう。
そんな者、いるとすればパリスだけだ。だがそのパリスも、アキレウスを下すにはま
﹂
だよ
?
第1節:英雄敗北
25
﹁本来なら
﹂
?
んでくれよ
﹂
﹂
?
という予感があった。
しできなかった。視線はもう、狙撃手から離せられない。離せばその瞬間、自分は死ぬ
ヘクトールが背を向ける。甦った敵将の首がすぐそこにあるのに、アキレウスは手出
俺と見えた時は、この俺を殺してみせろ。││英雄として、この世界を救ってみせろ﹂
仁にはどうやっても勝てんだろうぜ。⋮⋮だが、もし││もしも、生き延びてもう一度
﹁じゃあな、あばよアキレウス。これが今生の別れになるだろう。お前さんじゃ、あの御
感を感じる。いよいよヘクトールと小アイアスの言葉が真実味を帯びてきた。
ヘクトールを警戒したまま、視線を僅かに長身の男に移した。確かに並々ならぬ威圧
﹁ああ、そうだぜ。キミの相手は、あとはもうあの御仁に任せるよ﹂
﹁あの男がそうだと
がない。それに、小アイアスの最期の言葉も気にかかった。
強さを誰よりも知っているのだ。そのヘクトールがハッタリでそんなことを言うはず
戯言だと一笑に付すことができなかった。なぜならヘクトールこそが、アキレウスの
?
?
﹁俺より強い、だと⋮⋮
﹂
﹁キミより確実に強いであろう男に、キミの相手をしてもらうことにしたよ。悪く思わ
26
会話をする為だけにヘクトールが待たせていたのだろう。長身の男は話が済んだと
見るや否や、即座に矢を撃ち放ってきた。
手綱を振るい、アキレウスは戦車を走らせる。
矢は迅雷めいた速度だ。加えて狙いも正確無比。だが〝疾風怒濤の不死戦車〟なら
ば矢の軌道を見てからでも避けられる。
問題は敵が置き矢を使ってこちらの行く先に矢を先回りさせてきた場合だ。回避方
向及び距離が考えなしでは容易に討ち取られてしまうだろう。
如何にして相手の矢を掻い潜り接近し、チャージを決められるか。勝敗はそれにか
かっている。
││と、アキレウスは読んでいた。
だが長身の男の次なる行動は騎乗だった。
﹂
?
一目見て聖獣だとわかる気高さだ。
男を騎乗させた鹿が、走る。
劣らぬ速度、男を乗せた鹿は一瞬にして〝疾風怒濤の不死戦車〟の背後を取ってきた。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
そ れ は 稲 光 に も 等 し き 疾 走 だ っ た。最 速 を 誇 る 〝 疾風怒濤の不死戦車 〟 に 勝 る と も
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
突如として長身の男の傍に現れた神々しき鹿。黄金の角と青銅の蹄を備えたそれは、
﹁鹿だと││
第1節:英雄敗北
27
﹁マジか││
躱す。
﹂
﹁なんなんだよアイツ
﹂
力の限りに手綱を振るう。限界を超えた全速疾走によって、辛くも背後からの射撃を
!?
ちょっと待て、そりゃあアルテミス神の聖獣で、彼の英雄の試練
?
ナ イ ン ラ イ ブ ス
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
﹁射殺す百頭﹂
!
咄嗟に車台から引き摺りだした大楯にありったけの魔力を込めて展開する。
﹁蒼天囲みし小世界││ッ
﹂
だがそれだけで危機は去りなどしない。見れば男は既に九つの矢を弓に番えていた。
ら放たれた矢を、片手で持っていた槍で間髪のところ弾き飛ばす。
真横から聞こえてきた、憤怒すら感じさせる苛立たしげな声。限りなく近距離からか
﹁私を、その名で呼ぶな小僧﹂
﹁あの男はまさか、ヘラ││﹂
英雄など、彼しかいまい。
アキレウスは敵の正体に気がついて、慄然とした。確かに自分より強いと断言できる
で生け捕られ、た││﹂
﹁ケリュネイアだと
﹁我が主、アレは恐らくケリュネイアかと﹂
!?
28
刹那、激流の如き九つの閃光がアキレウスに殺到した。腕が軋む。楯が軋む。だがそ
の世界はあらゆる攻撃を受けとめる神造兵装だ。例えそれがギリシャ最強の英雄が誇
る究極の一であろうとも防ぎきる││
リで体を捻ったことで肩に逸れた。
飛来した矢は過たずアキレウスの心臓へと吸い込まれるように空を走り││ギリギ
男がケリュネイアの背中から跳躍する。頭上からの間髪入れぬ神速の一矢。
﹁││いや、詰みだ小僧﹂
閃光が収まる。視界が晴れる。耐え切ったと、アキレウスが内心安堵した瞬間、
数秒に及ぶ宝具の鬩ぎ合い。周囲のあらゆるモノがその余波によって薙ぎ払われた。
!
わんばかりに、ケリュネイアに騎乗し直して撤退していく。
だが、背を向けたのはむしろ男の方だった。もう既にアキレウスには興味がないと言
のならば、それを乗り越えずして何が英雄だ。
て逃げるなどという選択肢などあり得るわけがない。敵として眼前に立ちはだかった
そうだとも。アキレウスには既に撤退する気など欠片もない。あの大英雄を前にし
でもない。
久しく味わっていなかった痛みに顔を歪める。だが戦闘行動に支障が出るほどの傷
﹁くっ﹂
第1節:英雄敗北
29
﹁なぜ││﹂
逃げる。それは言葉にならなかった。
﹁っ、⋮⋮なん、だ﹂
矢に貫かれた部位が異様に熱い。いや、いつの間にか体全体が灼熱のように熱かっ
た。
アキレウスは堪らず車台に倒れ伏した。体に力が入らない。
﹂
激痛に次ぐ激痛が襲ってくる。ただの一瞬で意識が二度三度と暗転した。
﹁あ、ぁ、う、ぐっ、あぁ、あああああああああ││││ッ
かった。いいや、ただの言い訳だとアキレウスは自嘲する。
負けた。完膚なきまでに敗北を喫した。鎧を持ってきていれば、まだ勝負はわからな
だった。
どに熱かった。アキレウスがただ一つ理解したのは、自分は負けたのだということだけ
クサントスが何を言っているのか、まるで理解できない。頭の中すら沸騰しそうなほ
な││││。││医││見││││ば﹂
﹁バリ││、ペ││ス、急││ま││う。││主と言││ヒ││ラの毒は二日も耐││れ
だこれは死ぬいっそ狂ってしまいたい死にたい殺してくれ││
絶叫が堪えられない意を解するに及ばぬほどの痛みと苦しみわけがわからないなん
!?
30
第1節:英雄敗北
31
結局のところ、ヘパイストスの鎧を着てこなかったのは自分も慢心していたからだ。
ヘクトール亡き後のトロイア軍を相手にして、そこまでの装備はいらないと侮っていた
のだ。
その末路がこれだ。おそらく自分はこのまま死ぬだろうと、アキレウスはぼんやりと
しながら考えた。何やらクサントスたちは必死で自分のことを助けようと全力で走っ
ているようだが、分は悪いだろう。
自らの体を犯す猛毒はそれだけ最悪な代物なのだ。この毒を解毒できる医者などそ
うはいまい。
だが、自分が真っ先に自分の命を諦めては駄目だと、アキレウスは折れそうな自分の
心に激を入れた。
どうやら自分には、まだやるべきことがあるらしいのだ。
あの男は言った。生きていたのなら、再び自分を殺しに来いと。まるでもう一度殺し
てほしいような言い草だった。
あの男はこうも言った。英雄として、この世界を救ってみせろと。そうだ。己は英雄
だ。英雄であるという誇りをもって、全力で生きる。それがアキレウスだ。
だからこのままでは死ねないのだ。
このままでは、終われない││
32
この日、トロイア軍との戦闘において、アカイア軍のほぼ全ての部隊が潰走、ないし
全滅した。
て数多いる英雄たちと渡り合ってきた。
総大将として兵を率い、軍師としてオデュッセウスと駆け引きを繰り広げ、戦士とし
生前、やれることは全部やったのだ。
悔だけはなかったと思っていた。
死後英霊となったヘクトール。己の人生にどうしようもないほどの無念はあれど、後
ただそれだけが欲しくて、ヘクトールはかつて十年の月日を死に物狂いで戦い続けた。
そ う。護 り た か っ た も の は 確 か に 此 処 に あ っ た の だ。ト ロ イ ア の み ん な に 笑 顔 を。
よってもう一度希望を得たのだ。
恐らくはヘクトールの死によって絶望していたであろう彼らが、ヘクトールの復活に
そして、誰も彼もが笑顔だった。
民草の誰もが感動していたのだ。滂沱の如き涙で頬を濡らしきっている。
いや、そんな生温い表現は適さないだろう。それは最早、絶叫じみていた。
りの歓声だった。
アカイアを散々に撃ち破って凱旋してきたヘクトールを迎えたのは、耳を劈かんばか
第2節:復讐の預言者
第2節:復讐の預言者
33
34
誰に己の襟懐を晒すこともなく戦った。周りの誰をも、不安にさせたくなかったか
ら。
結局、ヘクトールはアキレウスに紙一重で敗れ、それはトロイアの滅亡に繋がった。
それでも、とてもちっぽけでも守れたものは確かにあった。そう思っていた。だか
ら、それでいいのだと思っていた。
けれどやはり、トロイアの民の笑顔を見れば、やはり自分が守りたかったものはこれ
だったのだと痛感した。
彼らを裏切るような真似だけはもうできない。それは、きっと心が弱いせいだろう。
自分など英雄では断じてない、とヘクトールは自嘲した。
そう。英雄になどなれない。正義の味方になどなれない。救世主などにはなれない
││
迷いはあるし、葛藤もあった。この道を選んではいけないと、どうしようもないほど
に理解している。
それでもヘクトールはその道を選んだ。トロイアの王として、彼らだけを守ると心に
誓った。
アカイアを退け、トロイアを守る。例えそれが、人理崩壊に繋がるのだとしても。
聖杯とトロイア城塞さえあれば、トロイアの民だけは助かる。他の何が焼き払われよ
うと。
だからヘクトールは、その道を往く。
◇
夜。トロイア城塞内部、ヘクトールの執務室にて。
﹁さ、それじゃあ皆の衆、軍議でも始めようか。⋮⋮ってオイオイ、ヴラド公以外露骨に
めんどくせぇって顔してるな﹂
招集に応じて卓に着いてくれたものの、サーヴァント一同の揃いも揃った仏頂面にヘ
﹂
クトールは苦笑せざるを得なかった。まるでこっちが責められているような気分であ
る。
﹁オジサンだってめんどくさいのは嫌だけどさ、軍議は大事だろ
憮然としているのは、例え長布を頭から被っていてもよくわかった。
﹁ただ徒に戦場を荒らしまわっているだけの私が、軍議などに参加する必要もあるまい﹂
?
からないことはなくしたい。戦捷は本人の口から聞いておきたいんだ﹂
いんだ。なんたって戦は生き物だ。何が起きるかわからないものだから、できるだけわ
なくちゃいけないからよ、その上でより確実に戦の流れや呼吸って奴を把握しておきた
﹁まぁまぁ、そう気を悪くしないでくれよアルケイデス。こっちは大将として全体を見
第2節:復讐の預言者
35
﹁三千。私が殺めたアカイア兵の数だ。アキレウスにはヒュドラの毒矢を喰らわせた。
持って二日が限度だろう。苦しみに耐えかねればすぐにでも自害するはずだ﹂
それだけ言うと、アルケイデスは執務室から出ていった。
﹁む。この私がどうかしたのか
﹂
﹁いや、気にするなって無理があるんじゃないの だってオタクのその膨らんだお腹
﹁特に気にするな。大したことではない﹂
ヴラドの眼はものすごく不審なモノを見るそれである。
?
?
﹁貴様のその腹、いったい何があったと言うのだ
﹂
ヘクトールの視線とヴラドの視線が、同時にカエサルに向いた。
﹁⋮⋮それは余も同感だな﹂
﹁そうだな││と言いたいところだが、まず一個気になってることがあったんだよねぇ﹂
中途中で行動を共にしていた余がいればそれで事足りる。軍議を続けよう﹂
生粋の戦士だ。軍議など気が乗らぬのも無理はない。アルケイデスの戦捷の詳細は、途
﹁放っておけ、ヘクトール。此処にいる者は皆、戦士でありながらの将軍だが、奴だけは
﹁⋮⋮気難しい御仁で﹂
36
﹁うむ。君の弟は君の言うとおり、中々できる男だった。いや、君が言っていた以上に強
に、横から矢が突き刺さって貫通してるままなんだからさ﹂
?
かだった。接近戦では分が悪いと見るや、初撃で相討ち覚悟の攻めを見せてきた。流石
にカエサルも不覚を取るほどの大胆さだった﹂
呆れたようにヴラドが言う。
﹁理由は解ったが、なぜ抜かん⋮⋮﹂
困らんので別にこのままでもよいかと思ってな。幸い、私の腹は夢と希望と愛が詰まっ
﹁抜こうとすると思いの外、痛くてな。その上抜き辛くて面倒極まりないと来た。特に
ているゆえ、刺さっているだけならあまり痛くない﹂
俺の弟だってことか
なんでパリスと戦闘になったんだ
﹂
﹁いや、脂肪だから痛覚薄いだけだろ⋮⋮ま、要するにアンタの腹に矢を突き刺したのは
?
なぜ﹂
その邪魔立てをしたのがパリスだったというわけだ﹂
﹁⋮⋮まぁ、隠し立てしても仕方あるまい。マスターに生前のマスターの暗殺を頼まれ、
そうだな、とカエサルが考えるような素振りを見せる。
?
?
﹁うむ。では語ろう。私が如何にして君から預かった二万五千のトロイア兵で、アカイ
﹁⋮⋮そうだな。そうするよ﹂
告しよう﹂
﹁それは後ほど自分で訊くといい。さ、それよりヘクトール、いまは軍議だ。次は私が報
﹁カサンドラが、カサンドラを⋮⋮
第2節:復讐の預言者
37
アの中軍四万と戦ったかを﹂
﹁次は余だな。余はアルケイデスと共に右翼を撃滅した。アルケイデスが屠った三千に
を得なかったようだが﹂
いた部隊だけが、唯一完全には崩せなかった。もっとも味方の潰走を見て、後退せざる
﹁だが、オデュッセウスという男だけは噂に違わぬ軍才であったな。あの男の指揮して
正解だったらしい。
トールは舌を巻かざるを得なかった。左翼ではなく、自分の代わりに中軍を任せたのは
だが精強極まるアカイア兵を相手にしてのこの発言なのだ。流石の軍略だ、とヘク
いる。特にアカイア勢はそれが顕著だ。ゆえに連携が疎かになるのも無理なきことだ。
この時代の戦とは、元より集団による武力よりも突出した個人の武力が幅を利かせて
では倒してくださいと言っているようなものだろうに﹂
合軍ゆえの当然の軋轢ではあるのだろうが、ぶっちゃけ烏合の衆同然であったな。アレ
の末端まで練度が行き届いているが、肝心の武将間での連携があまり取れていない。連
与えた被害は六千五百というところか。アレだな、実に惜しい。アカイア兵は確かに兵
﹁むぅ、仕方あるまい⋮⋮では結果だけ語ろうか。こちらが出した被害は千七百。敵に
うぜ。今日疲れたんだからよ﹂
﹁あー、面倒だからざっくりと重要なことだけ頼むよ。オジサンあんまり長いと寝ちゃ
38
加え、余が二千。トロイア兵も奇襲に動員し、さらに五千は倒したはずだ。アキレウス
が率いていたというミュルミドネス隊の四千だけは早々に下がっていたので削れな
かったがな﹂
﹁なんだよ、皆やるじゃねぇか。オジサンが倒せた敵兵なんて五百だけだってのによ﹂
ヴラドが苦笑を零す。
﹁わざと抑えただけであろうに﹂
そのとおりだった。倒したはずのヘクトールが生きているとアカイア軍に知らしめ
る為だ。
案の定、左翼の敵軍は戦車で自軍を蹂躙しているのがヘクトールだと理解した途端、
﹂
恐慌状態に陥った。あとは適当に突き回ると、呆気なく潰走した。
?
ある。
アルケイデスは武将というよりは戦士だ。それこそ一騎当千どころではない英傑で
好きなように戦場を走り回り、敵を蹂躙し尽くしてくれとだけ言ってあったのだ。
アルケイデスとその男だけは、ヘクトールは軍を預けずに単騎駆けをさせていた。
かった長躯の男の姿があった。
ヘクトールが視線を向けた先には、腕を組んだままこれまで一切の発言をしていな
﹁それじゃあ││最後にアンタの戦捷を聞かせてくれるかい
第2節:復讐の預言者
39
もう一人の男はというと、アルケイデスとは違い軍の指揮は問題なく担える。だがこ
の男の本領は騎馬戦なのだ。一千騎ほどの騎兵を預ければ、それこそ十倍以上の敵兵を
駆逐できたことだろう。
だが生憎、騎兵による戦はこの時代、この場所では為し得ない。騎兵に適した馬を纏
まった数、用意できないのだ。馬はもっぱら戦車か、あるいは伝令の扱いが主だろう。
それならば軍を預けるよりは、単騎で行動してもらった方が効率的だと考えたのだ。
﹂
・
・
・
軍の指揮に関しては、自分とヴラドとカエサルがいればもう充分すぎるのだからと。
﹁一万だ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮は
かに凌駕した数なのは、アルケイデスがその生涯で多くの幻想種を相手にしていたのに
だがここまで異常な数値を叩き出すとは思いもしなかった。アルケイデスすらも遥
名馬は英霊の域に達した一種の怪物ですらあるのだから。
識だった。一つの時代で無双を誇るその男の騎馬の扱いは神懸かっているし、彼が駆る
雑兵を狩らせれば、恐らくこの男が一番戦果を上げるだろうと言うのは三人の共通認
い。
ヘクトールもカエサルもヴラドも、言葉を失っていた。戦慄していたと言ってもい
﹁一万の敵兵を、俺たちで斬った﹂
?
40
対し、この男はひたすらに戦場で人を殺めてきたが故の経験の違いだろうか。
﹂
・
・ ・ ・
・
・
・
・
・
・
・
﹁武将も三人ほど討ち取った。名は知らんし、興味も沸かぬ雑魚どもだったがな﹂
﹁アンタの相手になるような奴はいなかったのか
﹂
・
・
﹁いや、一人面白い奴がいたな。ディオメデスという男は、関羽、張飛以来の難敵だった﹂
?
単純な戦闘能力ならヘクトールを凌駕するだろう。
アカイア勢の中でも三指に入るほどの英傑だった。アキレウスには一歩劣るものの、
﹁まさかディオメデスを討ち取れたのか
?
◇
それがその男のクラスと真名だった。
サーヴァント・ライダー、呂布奉先。
る天下無双の英雄。
長躯逞しい、煌びやかな中華鎧を身に纏った男。三国志世界において最強の一角であ
浮かべる笑みは修羅のそれだ。
赤兎も、久しぶりに猛ったほどだ。次に戦場で会えば今度こそ討ち取ろう﹂
﹁いや、痛撃は与えたがあと一歩のところで逃げられた。それほどの強敵だった。俺も
第2節:復讐の預言者
41
その後、軍議は明日の戦いにおける編成の見直しだけをしてすぐに終わった。
自分しかいなくなった執務室で、ヘクトールは腕を組んで沈黙していた。
今日の戦いでアカイア軍はこれ以上ないという痛撃を受けた。何せ損害兵数は三万
近い。負傷して戦線に立てなくなった兵を含めればもっとだ。加えて、明日にでもアキ
レウスが猛毒に侵されたことを全軍が知り、さらに士気は低下するだろう。
強欲の権化たるアガメムノンの心が折れるのも時間の問題だ。これ以上トロイアの
地に踏み止まれば死ぬ、とそう考えるのも遠くはない。そうなれば己の命惜しさに、す
ぐにミケーネに逃げ帰ろうとするだろう。
廊下から控えめに顔を覗かせて、少女はヘクトールのことを窺っていた。
﹁││失礼します。よろしいですか、兄さん﹂
それも是非もないことだと、ヘクトールは思った。
いかと思うほどだ。
相対するのはこれで二度目だ。もう彼女たちと敵対するのは、自分の運命なのではな
と、時代が神代であろうと、そこに人理の綻びがあればきっと結び直しにくるだろう。
彼女たちは、きっと来る。ヘクトールにはその確信があった。場所が何処であろう
予感がある。そんなわけがないという予感が。
﹁あとは、何も起きなきゃトロイアの勝ち⋮⋮﹂
42
その少女は、かつて太陽神の心さえも奪った美貌の女だった。
カサンドラ。彩美しい蒼を基調としたキトンを身に纏う少女。高貴さと気品を備え
ながらも、その奥ゆかしい佇まいが余計な威圧感を与えず、接する人々に安心感をもた
らすだろう。
楚々とした可憐な乙女。そう形容する以外に術はないとヘクトールは思うほどだっ
・
・
・
・
・
・
・
た。我ながら親バカならぬ兄バカだという自覚はあるが。
﹁ああ、いいよ。こっちにおいで、アヴェンジャー﹂
ります。でも、兄さんにそう呼ばれたくないと思うのは、私のわがままですか⋮⋮
﹂
﹁⋮⋮カサンドラと呼んでください、兄さん。確かに私は復讐者のサーヴァントではあ
不満そうに、哀しそうに彼女は小首を傾げてくる。
?
﹂
そ れ は な ん で だ い
﹁いや、そんなことはないよ。悪かったね、カサンドラ。お兄ちゃんを許しておくれ﹂
﹁はい、許します。﹂
満面の笑みはお日様のようだった。
﹁なんですか、兄さん
?
﹁カ エ サ ル に 聞 い た。生 前 の 自 分 を 暗 殺 し よ う と し た ん だ っ て
﹂
?
?
﹁⋮⋮ところで、カサンドラ﹂
第2節:復讐の預言者
43
わたし
わたし
でもそれなのに彼女は、兄さんの大切なモノを壊そうとしてる⋮⋮そんなの絶対許せな
わたし
﹁私、兄さんが大好きです。だからトロイアの人々は許してあげます。助けてあげます。
﹁俺が守ろうとしたモノ、ね⋮⋮﹂
﹁当たり前です。兄さんが大好きな、兄さんが守ろうとしたモノですから﹂
﹁でもキミは、トロイアを救おうとしている﹂
カサンドラは笑っていた。さっきと同じ、お日様のような笑顔で。
神々も、アカイアも、そして││││誰も私を信じてくれなかったトロイアも﹂
﹁ええ。この頃の私も、既に希望を失っていたはずです。全てを憎んでいるはずです。
るのだ。
つまりはいま生きているカサンドラもまた、心の裡に溢れんばかりの憎悪を抱えてい
﹁そう、か⋮⋮﹂
の私とで、然したる精神的な違いもないはずなのですが﹂
﹁いいえ、私には解りません。なぜ彼女がそのような行動に出るのか。死後の私と生前
わたし
だって取れるというだけの話だろう﹂
﹁人理が崩壊し、このトロイア以外の全てが滅ぶからね。心優しい君なら、そういう選択
ようですから﹂
﹁⋮⋮彼女が私の邪魔になるからです。あろうことか彼女は、トロイアの救済に反対の
44
わたし
わたし
い。彼女が私の邪魔をするのなら、生きていてもいいことなんてありません。未来が本
わたし
わたし
来の通りになれば、彼女は嘆き苦しむだけです。そんな人生、意味も価値もありません。
邪魔をするのなら殺した方が彼女の為なんです。どうせ彼女は何もできないし、何も救
えない﹂
でも、とカサンドラは笑った。変わらず、お日様のような笑顔だった。
﹁いまの私は違う。私は力を手に入れました。聖杯の力で、こうしてまた兄さんとお話
しすることができました。だから兄さん、ずっと一緒にいる為に、一緒に全てに復讐し
ましょう。人類に、神々に、世界に﹂
﹁⋮⋮ああ、そうだね。カサンドラ、俺はお前の味方だよ﹂
手を振って、アヴェンジャーは執務室を後にした。
﹁ありがとう、兄さん。それじゃあ、おやすみなさい﹂
のか。
トロイアの人々の笑顔か。それとも、滅んでもなお残せた、ほんのささやかな残照な
自分の護りたかったもの。果たしてそれは、なんだったのだろうか。
ない。
││さて、それは本当のところなんだったのだろうか。いまとなっては、よくわから
﹁⋮⋮俺が守ろうとしたモノ、ね﹂
第2節:復讐の預言者
45
46
もう、ヘクトールにはわからなかった。
ただ一つだけ言えるのは。
もう、道は選んだのだ。引き返すことはできない││
第3節:愚者と預言者
見渡す限りの蒼穹と、見渡す限りの草原だった。
青々とした景色は眼に優しく、風は微かに強いけれど、それがむしろ心地いい。
レイシフトは無事に成功したみたいだ。第三特異点の時のように、海賊船の上という
こともない。
ん、空気がおいしい﹂
﹁ここが神代かぁ⋮⋮真空のそれだって言ってたからどんなものかと思ったけど⋮⋮う
なんというか、呼吸をするだけで体に活力が湧いてくる気がした。レイシフト前から
あった緊張感は、おかげで随分と和らいだ。
﹁││真空というよりは、私は現代の人間にとっての毒素だと捉えるがね﹂
しゃがみ込み、土を指で擦り合わせて検めているのはキャスターだ。
黒いスーツに赤いコートを着込んだ長髪の男性。諸葛孔明の擬似サーヴァント、ロー
ド・エルメロイ二世。
﹂
特に機嫌が悪いわけではないのだろうけど、眉間にはいまも皺が寄っている。
﹁毒素、ですか
第3節:愚者と預言者
47
?
﹁現代に較べ、大気どころか万物に魔力が過剰に満ちているんだ。この環境に適合して
いない現代人では、空気を吸い込むだけで魔力が必要以上に体に循環し、結果、魔力中
毒になる﹂
わたしは慌てて両手で口と鼻を密閉した。そんなわたしを孔明は微笑ましそうに見
てから、
いれば特に問題はないだろう﹂
?
にお前に言っているんだぞ
﹂
﹁その辺りのことを、サーヴァントである君たちも留意しておくように。そこの新参、特
トたちへ視線を向けた。
手に着いた土を払い、孔明が立ち上がる。そして後ろへと振り返り、他のサーヴァン
大な魔力消費は君という器を壊しかねない。その辺りのことを││﹂
デアからの補助があろうとも、直接我々に魔力を供給しているのは君自身だ。一度の多
常に全力全開でいけるなどとは思わないように。大気中に幾ら魔力があろうとも、カル
﹁あくまで〝比較的〟ではあるが、そうなるな。とはいえ聖杯のバックアップよろしく、
﹁それってつまり、いつもより魔力を出し惜しみしなくていいってことですか
﹂
大気中の魔力を酸素と一緒に取り込もうと、私たちがその都度魔力を君から吸い取って
﹁安心したまえ、マスター。サーヴァントを五騎連れているのが幸いしたな。君が幾ら
48
?
﹁私には高ランクの自己回復スキルがあるの知ってる マスターちゃんに迷惑はかけ
ないわよ﹂
﹁先輩方、お話し中ですがすみません
﹁おい、本当にわかって││﹂
﹂
﹁あー、はいはい、わかってますよ。いちいち煩いせんせーさまですね﹂
だ。くれぐれも戦闘時の非効率的な行動は控えてくれ﹂
﹁それを踏まえてなお、君の魔力燃費は尋常ではないからこうやって釘を刺しているん
ルデアにおいては新米のサーヴァントである。
アヴェンジャーのサーヴァント、ジャンヌ・ダルク・オルタ。孔明が言った通り、カ
纏った長髪の少女は露骨に面倒くさそうな顔をした。
最早ガンをつけているとしか思えないような鋭い視線を向けられて、露出的な黒衣を
?
響いた。
﹂
﹂
何やらヒートアップしそうな雰囲気だったところに、マシュの張りのある声が不意に
!
﹁十時の方向を見てください、先輩。敵です
?
会話中だろうと食事中だろうと睡眠中だろうと、空気が読めなくて本当にすまないと
﹁くっ、またマシュが敵襲警報機と化す日々が始まってしまったのか⋮⋮﹂
!
﹁どうしたの
第3節:愚者と預言者
49
言わんばかりにこちらの都合を気にせず仕掛けてくるのだ連中は。それもひっきりな
しに際限なく。特に倫敦では本当に酷かった。精神的に参ってしまうのも無理ないこ
とだろう。もちろん戦場に立つ上では当然のこと、〝是非もないネ〟なことだと理解は
しているけれども。
﹂
﹁なんでしたら教授も前に出ても大丈夫ですよ。私の護りは彼がやってくれてますし﹂
魔術を起動して前衛のサポートをしつつ、孔明が嘆息した。
﹁エミヤめ、相変わらず弓兵の自覚がないな﹂
了解、と声を揃えてマシュとエミヤとジャンヌ・オルタが同時に疾駆する。
いあるんだから、速攻で片をつけよう﹂
﹁わかった、ありがとう。それじゃあみんな、戦闘用意。霊脈の確保とかやることいっぱ
きだな﹂
だからな。となれば我々のレイシフトを察知して、〝敵〟が偵察で放ってきたと見るべ
んなモノが自然を徘徊しているわけがない。アレは魔術師が使役するゴーレムの一種
﹁⋮⋮竜牙兵だな。数は三十五。まっすぐこちらに向かって来ている。神代と言えどあ
ミヤに尋ねた。
持ち前の千里眼で、真っ先に敵の仔細を把握したであろう赤い外套のアーチャー、エ
﹁それで、敵のタイプはどんな感じ
?
50
言いながらわたしは、ちらりと後ろに視線を向ける。彼だけは相変わらず霊体のまま
なので、その姿を見ることはできない。けれど近くに敵が来れば、その速さを以って即
応してくれる。
﹁私はキャスターだ。前衛になど出るものか。中には近接戦闘が可能な者もいるかもし
れんが、私は一般的なキャスターだ。擬似サーヴァントであるということを除いてだ
が﹂
孔明と話している間に、決着はもう間近だった。
マシュがその大楯で敵の攻撃を率先して受けとめ弾き返し、彼女によって作られた隙
を空かさずエミヤとジャンヌ・オルタが攻め立てる。
いざ戦闘となれば連携は完璧だった。新参であったジャンヌ・オルタも、カルデアで
や
ま
を
ぬ
き
つるぎ
み ず を わ か つ
﹂
﹂
﹂
の連携訓練の成果がしっかりと出ていた。三十五体いた竜牙兵も、あと残り二体のみ。
ちから
﹂
カッコイイです
﹁心技、泰山ニ至リ 心技、黄河ヲ渡ル││ッ
﹁出ました、エミヤ先輩のスーパー干将莫耶
それは││﹂
!
!
ラ・ グ ロ ン ド メ ン ト・ デ ュ・ ヘ イ ン
!
!
﹁すまないマシュ、頼むからオーバーエッジと呼んでくれ
﹁全ての邪悪を此処に││﹂
﹁あっ、待ちたまえジャンヌ・オルタ
!
﹁これは憎悪によって磨かれた我が魂の咆吼││吼え立てよ、我が憤怒ッ
!
第3節:愚者と預言者
51
﹁このバカ⋮⋮﹂
さぁ、首を斬りましょう、おさらばです﹂
﹁すみません、ジャンヌ・オルタさん。これは流石に擁護できません⋮⋮﹂
﹁ん、どうしたのよ二人とも
﹁あ﹂
私の言ったことを何も理解してないな
とさっき言っただろうが
﹂
﹁いまの敵に宝具を使う必要なんてまったくなかっただろ
﹁は、何がよ﹂
﹁そこの馬鹿女
﹂
勝ち誇った笑みを浮かべ、手を振って戻ってくるジャンヌ・オルタ。だが、
﹁見てくれたマスターちゃん、この私の強さ││﹂
わたしは恐る恐る孔明の顔を見上げる。案の定、額に青筋が浮かんでいた。
戦闘は特に苦戦することもなくつつがなく終了した。問題はあったけれど。
?
ダヴィンチちゃん製だからサーヴァントにも効くはずです。
このファックめ
﹂
非効率的な行動は避けろ
!?
﹁素なのか⋮⋮わざとではなく。あぁ、余計に性質が悪いな
!
!?
!
!
?
上手く怒りは霧散させることができたらしい。
﹁⋮⋮ありがとう、マスター。あとで飲ませてもらう﹂
あ、副作用とかはないのでご心配なく。わたしが保証します﹂
﹁教授、胃薬いります
!
52
﹂
﹁その辺にしてあげてください、教授。オルタちゃん、これがカルデアでの初陣なんだ
し。ちょっと張りきっちゃったんだよね
﹂
?
ど、内心落ち込んでそうだ。
葉巻を吸う孔明の眉間はさらに皺が寄っているし、ジャンヌ・オルタはすまし顔だけ
い。
ほっと息を吐く。特異点に着いて早々の仲違いなんて、今回はいつになく出だしが悪
﹁⋮⋮仕方ないわね。肝に銘じますとも、ええ﹂
が足りなくて負けましたでは、滑稽にもほどがある。いいな
逃そう。ただし次にやったらカルデアに一人で帰ってもらうぞ。いざという時に魔力
﹁アレが至極普通だと困るという話なんだが⋮⋮まぁいい、初犯だから今回は特別に見
﹁は、張り切ってませんっ、至極普通ですとも、ええ﹂
?
﹂
?
マシュの視線の先、そこには二人の若い男女を十数人の兵士が囲んでいる光景があっ
が﹂
﹁あ、いえ、敵ではありません。敵になる可能性はありますが。むしろ状況的に大です
﹁えぇ⋮⋮もう次の来ちゃったの
と、またしてもマシュが控えめに声をかけてきた。
﹁あの、先輩﹂
第3節:愚者と預言者
53
た。
マスター﹂
?
﹂
!
言いながら投影した弓を消失させ、エミヤは双剣に戦闘スタイルと切り替える。
ろうに﹂
﹁チ、ならず者にしては存外勇敢だな。その気概があれば軍でもそこそこ出世できるだ
矢は一人の兵士の肩に見事命中。けれど残念、逃げる様子はなさそうだ。
早々にお引き取り願おうという魂胆だろう。
た時と較べ、随分と低威力に抑えている。狙いも恐らく急所以外。痛い目に遭わせて
生き生きとした笑みを浮かべてエミヤが矢を放つ。サーヴァントや魔物を相手にし
﹁さて、なんのことやら
﹁エミヤに言われたくない。貴方こそ助ける気マンマンでしょ﹂
﹁即答か。君のお人よしっぷりも限度がないな﹂
﹁助けよう﹂
﹁それで、どうする気だ
エミヤが矢を番えた弓を構え、眼を眇めながら言った。
﹁男の方は負傷しているな。衣服の上からでも脾腹の辺りが出血しているとわかる﹂
いわね﹂
﹁ふむ⋮⋮ならず者の兵隊さんが無辜の市民に乱暴しようとしているようにしか見えな
54
﹂
﹁戦うしかなさそうだね。じゃあ、みんなよろしく。無駄な殺生は控えてね。あ、でも│
│身包みは剥いでほしいかな。証とかみんなも欲しいよね
?
なので頑張ります
﹂
﹁出たわ、マスターちゃんの悪い癖。ていうか悪の顔。いい笑顔してるわよねぇ﹂
﹁先輩、私、証すごく欲しいです
!
﹂
?
あの三人とて流石に時間はかかるだろう。特にジャンヌ・ダルク・オルタは露骨に
﹁だというのに、英雄の証を取って来いと言ったのだ。これは中々無茶な注文だからな
わたしの独り言に、隣に立っていた孔明が反応した。
﹁殺すなと君が命じたからだろう﹂
﹁⋮⋮大丈夫かな、意外と手こずってる
さっきと同様に同時に三人が駆け出し、すぐに交戦に入った。
!
﹂
か、と真剣な面持ちで呟いた。
溜飲が下がったと言わんばかりに口元に笑みを刻む。││それから不意に、ギリシャ
やりにくそうだ。苛立ちが見て取れる。ざまぁみろ﹂
?
?
だな﹂
と解る。時代はBC1000年前後だというが⋮⋮二百年近くさらに昔なら⋮⋮厄介
﹁この場所がだ。あるいはギリシャの近辺だろうな。敵兵の鎧の形状、デザインでそれ
﹁え
第3節:愚者と預言者
55
BC1200年くらいだと、何があるんだっけ
﹂
?
﹁こんにちは、お二人とも大丈夫でしたか
﹂
﹁えっ、自分の部下に襲われていたんですか
﹂
﹁その、助けていただいてありがとうございます⋮⋮﹂
こっちは妹のカサンドラだよ﹂
﹁い や ⋮⋮ こ っ ち の 話 だ。気 に し な く て い い。そ れ よ り、自 己 紹 介 が ま だ だ っ た ね。
言葉尻は悄然と萎んでいった。
はもう裏切り者扱いされていて、捕える為だったのかもしれないが⋮⋮﹂
﹁複雑な事情があってね⋮⋮彼らはボクを連れ戻そうとしたんだろう。あるいは、ボク
?
導者として﹂
﹁それに彼らを殺さないで撤退させてくれたことも感謝しなきゃいけないね。彼らの指
声をかけたわたしに、線の細い、端麗な顔立ちの青年が笑顔で告げる。
﹁ああ、ホントに助かったよ。ありがとう﹂
?
シュたちに頭を下げていた。
後ろで控えていたわたしたちも、彼女たちの方に歩んでいく。二人の若い男女がマ
わたしが首を傾げて唸っていると、ジャンヌ・オルタが元気よく手を振っていた。
﹁マスターちゃん、片付いたわよー
!
56
とても可愛らしい女の子だった。その気品のある顔立ちと物腰と服装から、お姫様だ
というのは容易に想像がついた。マリーとは随分とタイプが違いそうではあるけれど。
﹂
﹁で、ボクはパリス。先日まではトロイア軍の総大将をしていた者だ﹂
﹁パリス⋮⋮それに、トロイア⋮⋮
その言葉の意味を理解して、わたしは弾かれたように孔明の顔を見る。
!?
今回の特異点トロイアでの戦いも、負けず劣らず苦しい戦いになるのだろう││
た。
冬木から倫敦までの特異点。そのどれもが想像を絶するほどの苦戦を強いられてき
だから自ずと理解して、気づけば固唾を飲んでいた。
いた。
苦々しい面持ちだった。見れば他のサーヴァントたちも、皆同様に厳しい表情をして
ターニングポイントとは、トロイア戦争に他ならない﹂
﹁⋮⋮そういうことだな。今回の特異点はトロイア。そして人理崩壊に関わる人類史の
第3節:愚者と預言者
57
となっていたヘレネのことであり、即ちパリスは他国の王の妻を略奪することになって
だがこれが悲劇の始まりである。最も美しい女とは、既にスパルタ王メネラオスの妻
た。
結果として、パリスはアフロディーテが黄金の林檎を得るに相応しいと審判を下し
い女を与えると嘯いた。
と。アテネは如何なる戦争にも勝利を得る力を与えると。アフロディーテは最も美し
三人の女神はパリスを賄賂で買収しようとした。ヘラは世界を支配する力を与える
していたトロイアの王子パリスに判定を求めた。これがいわゆるパリスの審判である。
人の女神はそれを巡って対立した。仲裁を図った主神ゼウスは、当時イデ山で羊飼いを
自分こそが最も美しい女神であると自負していたヘラ、アテネ、アフロディーテの三
女にこれを捧げると叫んで黄金の林檎を投げ入れた。
一人だけ除け者にされたエリスは激怒し、結婚を祝う宴席に乗り込むと、最も美しい
に、争いの女神エリスだけが饗宴に招かれなかったことに起因する。
トロイア戦争のそもそもの発端は、英雄ペレウスと女神テティスの婚儀が行われた際
第4節:釣り合わぬ天秤
58
第4節:釣り合わぬ天秤
59
しまったのだ。
妻を奪われたメネラオスは兄であり、ミケーネの王であったアガメムノンにそのこと
を告げた。アガメムノンはギリシャ連合軍、総勢10万人、1168隻の大艦隊を以っ
てトロイアへと侵攻した。
トロイアは老王プリアモスに代わり、ヘクトールが総大将となって総勢五万の兵力で
迎え撃つ。
アキレウスや大アイアス、ディオメデスにオデュッセウスといった名立たる英雄が与
するアカイア軍である。およそアカイア軍の誰もが自軍の勝利を信じて疑わなかった
ことだろう。
だがその勝利がもたらされるまでには十年近い歳月が必要となった。九年もの間を、
ヘクトールはアカイア軍の猛攻に耐え続けたのである。
そして戦争が十年目に差し掛かり、両軍が戦いに倦んできた頃、アキレウスがブリセ
イスとクリュセイスという二人の美しい娘を捕虜としたことで戦況は一気に動き出す。
アキレウスはクリュセイスを戦利品としてアガメムノンに献上し、もう一方のブリセ
イスは自分のモノとした。
だがクリュセイスという娘の父親は太陽神アポロンに仕える神官であり、当時は神官
とその家族を捕虜とすることは禁忌とされていた。
60
クリュセイスの父親はアガメムノンの許を訪れ、娘の返還を泣訴した。アポロンの怒
りを恐れたアカイア諸侯はこの申し出を受け入れるものだと認識していたが、クリュセ
イスを手放したくないアガメムノンは彼を手酷く追い返してしまう。
その結果はアポロンの災厄の矢による、疫病の蔓延という事態を引き起こすこととな
る。
アカイア諸侯はただちにクリュセイスを父親の許へ返すようにアガメムノンに諫言
した。
アガメムノンは渋々それを了承するが、代わりにブリセイスを自分に献上するように
アキレウスに言ったのだった。
アキレウスはアガメムノンの要求に当然激怒した。それは筋違いも甚だしいと。
だがアガメムノンは引き下がらず、断るのなら兵を送ってでもブリセイスを連れてい
くと言う。
アキレウスはブリセイスを渡すことを了承した。だがその代わり今後一切アカイア
の為に戦わないと宣言した。
当然、この絶好の機会をヘクトールは見逃さない。トロイア軍はすぐに全軍でうって
出た。
初めは軍神アレスをも退ける猛将、ディオメデスの奮闘もあってアカイア軍が優勢
だった。だがアキレウスと彼の率いるミュルミドネス隊を欠いたアカイア軍は大幅に
士気が下がっており、次第にトロイア軍に圧倒され始めた。
ついには本陣まで追い詰められたアカイア軍。それを見かねたアキレウスの親友パ
トロクロスはアキレウスの具足を借りて、彼の代わりにミュルミドネス隊を率いて戦場
に立った。
アカイア軍はアキレウスが戦線に復帰したと思い、士気を取り戻す。なんとかトロイ
ア軍を本陣から追い返すことには成功したが、パトロクロスはヘクトールに討ち取られ
てしまう。
ヘクトールはパトロクロスからアキレウスの具足を奪い取った。当時の価値観では
敵の武将を討ち取った際、装備を剥ぎ取って戦利品にすることが当たり前だったのだ。
親友を討たれ、己の具足も奪われたアキレウスは怒り、哀しみ、ヘクトールへの復讐
を誓う。彼を殺せば自分も死ぬ運命にあると知りながら、それでも友の為に再び戦うこ
とを決意したのだ
鍛冶神ヘパイストスから新たな鎧と楯を譲り受け、アキレウスはヘクトールと雌雄を
決する。
なった。とまぁ、ここまでがホメロスの英雄叙事詩〝イリアス〟で語られたトロイア戦
﹁││かくして、ヘクトールはアキレウスに倒され、トロイアは哀しみに包まれることに
第4節:釣り合わぬ天秤
61
﹂
争の大まかな流れだな。おさらいとしてはこんなところか。何か質問はあるかな、マス
ター
ていた。パリスさんの治療も兼ねて。
カサンドラさんとパリスさん。二人と出会った場所からすぐそこの岩場で腰を休め
滔々と語り終えたエミヤがわたしへと尋ねる。
?
あ
?
ね﹂
?
観測しようとした。だが紀元前の調査は精度が下がる。今回の特異点はBC1000
﹁ロマンはソロモンについて調べる為に、BC1000年をカルデアスとシバを使って
﹁それはどうして
﹂
物がBC1550年頃に存在していたともいう。私としては、BC1184年を推すが
4年からBC1184年までの10年間。他にもアガメムノンの黄金のマスクという
があるな。ヘロドトスによればBC1250年頃、エラトステネスによればBC119
ば解ってもらえるだろうか。それでトロイア戦争があった年代に関してだが、幾つか説
﹁現代で言うと西アジアのその西端、トルコに位置する。ダーダネルス海峡付近と言え
と正確な年代もよくわからないんだけど﹂
な。トロイア戦争っていうよりは、トロイアってそもそも地理的に何処にあるの
﹁トロイア戦争のことはよくわかったよ。でも二つだけよくわからないことがあったか
62
年の観測から揺れ幅があった結果発見されたわけだ。最初はこの時代をBC1000
年前後だと我々は思っていたわけだが、幾ら精度が落ちるからといって550年もずれ
るとは思えない。であればBC1000年からの揺れ幅もおよそ最小限だろう。とい
うわけで、幾つかある説のうち、最も時代が新しいモノだと考えただけだ﹂
ど﹂
﹁君、エミヤくんって言ったっけ。いろいろ詳しいんだね。よく解らない話もあったけ
と、孔明の治癒魔術ですっかり元気になったパリスさんが爽やかな笑顔で感嘆した。
﹁うん、ホント、わたしも感心しちゃった﹂
﹁聖杯戦争に関わる以上、こういった知識は蓄えておいて損はないからな。君も勉強す
ることだ、マスター。知識はあればあるほど、いざという時に起死回生の策を生み出せ
る。肝心なのは知識を如何に知恵に変えられるかだが、君はとりわけそういった才能が
あると思う﹂
﹁どうだい、この後、ボクとお茶でも││いたたたっ
﹂
わたしにすり寄ろうとしてきたパリスさんの耳を、カサンドラさんが思い切り抓って
!?
﹁いや、あの、顔は関係ないと思うんだけど﹂
﹁うん、ボクもあると思うな。だって、キミ顔かわいいし﹂
﹁そ、そうかな﹂
第4節:釣り合わぬ天秤
63
いた。
のは流石に異論があるのだが
﹂
?
﹂
﹂
⋮⋮マシュに手出したらカルデアの全
ボクは妻がいる身だけど、かわいい女の子なら誰でも大歓迎だよ
と、マシュが控えめに挙手しながら伺いを立てる。
﹁││あの、パリスさん。差し支えなければ質問よろしいでしょうか
﹁何かな
戦力を動員してぶち殺すからな
?
?
!?
﹁パリスさん、あんまり調子に乗らないでね
?
?
﹂
!?
ぞ﹂
﹁こ れ に 懲 り た な ら 気 を つ け た ま え。君 に は 私 以 上 の と ん で も な い 女 難 の 相 が 見 え る
だけど、笑顔がものすごく怖かったんだけど
﹁き、肝に銘じます⋮⋮⋮⋮ね、エミヤくん。彼女、いきなりとんでもなく怖くなったん
たしの義務だ。
冗談でもなくマジである。先輩と慕ってくれるマシュを守るのはマスターであるわ
?
﹂
﹁待てマスター、どうしてそこで私を見る 彼やダビデやオリオンと同列に扱われる
﹁うーん、男の人のアーチャーって女っ誑しばっかりなんだね⋮⋮﹂
を見ると見境がないんです⋮⋮﹂
﹁すみません、この愚兄は下半身でしか物を考えられない生き物なんです。綺麗な女性
64
﹁忠告ありがとう、エミヤくん。でも、それもう多分致命的に手遅れだよ。三人の女神に
絡まれた後だったからね﹂
﹂
を選んだのでしょうか。ヘラかアテネの報酬を選んでおけば、トロイアが窮地に陥るこ
﹁そう、それですパリスさん。ゼウスから審判を求められた時、どうしてアフロディーテ
とはなかったのでは
?
る。
いい加減な雰囲気は全部掻き消えていた。パリスさんは神妙な面持ちで言葉を続け
﹁⋮⋮正直、どれを選んでも嫌な予感がした﹂
﹁一割だけですか⋮⋮﹂
﹁というのは一割冗談だよ﹂
﹁本当に下半身でしかモノを考えられない人だったんですね⋮⋮﹂
だぜ﹂
﹁ああ、それね。決まってるだろ こういう時、迷ったら何事も下半身で選ぶべきなん
?
になってしまったんだけどね⋮⋮﹂
アレが一番マシだと感じたんだ。まぁ、結果はこの通り、トロイアを危機に陥れること
つ は 掛 け 値 な し に ダ メ な 気 が し た。だ か ら ア フ ロ デ ィ ー テ を 選 ん だ の は 消 去 法 だ ね。
﹁どれを選んでもろくでもないことにしかならない。とりわけアフロディーテ以外の二
第4節:釣り合わぬ天秤
65
﹁いまだから言いますけれど、それには少し誤解があります﹂
﹂
不意にカサンドラさんが口を挟んだ。パリスさんは妹の突然の発言に、意外そうに首
を傾げた。
﹁えっと、それはいったいどういう意味だい
﹂
?
悄然と項垂れるパリスさんを、カサンドラさんがクスリと笑う。
﹁つまりやっぱりボクのせいだよね⋮⋮﹂
﹁あ、いえ、パリスのせいで三年くらい余裕がなくなって兄さんよくぼやいていました﹂
﹁つまりボクは悪くないと
んの件がなくとも、その内口実をでっち上げていずれ攻めて来ていたとも﹂
が持つ東の国々との交易の利権だって兄さんは言っていました。その為ならヘレネさ
﹁アガメムノンが本当に欲しがっているのはトロイアを落とすことで手に入る、この国
エミヤの言葉にカサンドラが頷く。
ネの件はただの口実ということか﹂ ﹁なるほど⋮⋮確かに人間の視点、史実的にはそう考えるのが妥当なのか。つまり、ヘレ
戦をするには、勝った時に相応の利益がなければならないと﹂
どアガメムノンは馬鹿じゃないって。戦をすれば大量の資源が消費されます。だから
﹁ヘクトール兄さんが言っていました。女一人の為に、アカイアの全勢力を動員するほ
?
66
﹁それは当然です。いまさら開き直られたら困りますからね﹂
﹁││さて、そろそろ本題に入ろうか。今回の特異点についてだ﹂
いままで黙っていた孔明が口を開いた。
﹂
﹁パリス王子にカサンドラ王女、カルデアとその目的についての説明は、エミヤがトロイ
ア戦争について語る前に私が済ませましたね
二人が頷く。
?
を、必死に覆い隠そうとしている。鏡を見た気がした。
パリスさんがそう言った瞬間、カサンドラさんの表情が一瞬引きつった。辛そうなの
﹁⋮⋮ああ、あるよ。とびっきり異常な事態がね﹂
がトロイア兵に囲まれていた状況からして既に異常だと見受けられますが﹂
﹁では第一にお尋ねしたいのは、最近何か異常なことはありませんでしたか お二人
?
﹁カエサル
﹂
それってもしかくして赤い服を着たふくよかな人
﹁ああ、それであってるよ。君の知り合いだったのかい
﹁以前敵対したことのあるサーヴァントなの﹂
﹂
?
﹁サーヴァント⋮⋮死後人々に信仰され、英霊となった人間。その現身か。だったら兄
?
?
深夜というべきか。ボクたちはカエサルという男に殺されそうになった﹂
﹁さて、どこから話そうか。うん、じゃあ最初から話そう。一昨日の夜⋮⋮いや、昨日の
第4節:釣り合わぬ天秤
67
さんやあのカサンドラもきっとそうなんだね⋮⋮っと、話を続けようか。カエサルとは
痛み分けになったけれど、なんとか逃げることができたんだ。とはいえすぐにトロイア
を出るという決断がボクにはできなくてね。なにせいまは、兄さんから総大将の役を引
き継いでいたから。だからひとまずは市街に身を隠して、いったい何が起きるのかを見
てみようと判断した。それで、夜が明けてボクたちが見たのは⋮⋮兄さんと、もう一人
のカサンドラだった。兄さんは他の強そうな人たち、多分サーヴァントを四騎伴ってア
カイア軍と戦いに行った。戦の戦捷は夕方にはトロイアに伝わったよ。アカイア軍を
徹底的に叩き、三万近い損害を与えたってね。それからボクはトロイアを出る決断をし
て、いまに至るというわけだ﹂
﹁え、なんでここでローマ
﹂
﹂
?
﹁トロイアの王族の一人であるアイネイアスは、トロイアの市民の一部を連れてこの地
?
エミヤが言った。
﹁考えられる理由の一つはローマだな﹂
わたしは疑問に思ったことを口にする。
﹁えっと、どうしてギリシャが負けると人理が崩壊するの
パリスさんの話を聞き終えると、心底苦々しそうに孔明が呻いた。
﹁⋮⋮やはり、それか。アカイア軍が敗けることこそが、今回の人理崩壊の要因だな﹂
68
﹂
から離脱し、イタリア半島に逃れる。後に彼の子孫にはある英雄が生まれ、ある国を創
る。つまり、それがロムルスであり、ローマだ﹂
﹁要するに、トロイアが滅びないとローマが誕生しない⋮⋮
間違いなく人理に関わる要素だろう﹂
いんだ。イスカンダルの東方遠征は東西へ多大な影響を及ぼしているからな。これも
めば、彼の覇道にも歪みが生じるかもしれない。東方遠征が起きなくなるのかもしれな
しているのは間違いない。だからこの戦争がめちゃくちゃになり、イリアスの物語が歪
﹁彼の王はイリアスの大ファンでね。つまりはこの戦争の出来事が彼の覇道の志に根ざ
今度は孔明が言った。
﹁もう一つ考えられる理由があるとすれば、それは征服王イスカンダルだな﹂
﹁そう。第二特異点と同じだよ。ローマなくして後の世界の繁栄はない﹂
?
て。
けれど結局はその言葉を紡いだ。感情を凍らせたような冷徹な瞳と声音を以ってし
瞳で見つめている。
彼の視線の先にいるのは小首を傾げているわたしだった。なぜかわたしを、辛そうな
言葉が途切れる。エミヤはそれを口にするのを酷く躊躇っていた。
﹁つまり今回の特異点で我々がすべきことは⋮⋮﹂
第4節:釣り合わぬ天秤
69
﹁││我々がすべきことは、トロイアが滅ぶように戦況を修正することだ﹂
た人たちの命を救うことができる。
天秤は釣り合うべくもない。百万の命で、過去現在未来の人たちを、数億数兆といっ
なくてはならない。
その決断を、わたしがしなければならない。大勢の人間の命を、わたしは天秤にかけ
かを切り捨てなくてはならないということ。
いままでの特異点とは致命的に異なる点。それは大勢の誰かを救うために、大勢の誰
その無辜の彼らを、見捨てなくてはならない。
けれどトロイアには数十万、あるいは百万人近い人たちが暮らしているだろう。
ない。
トロイアが滅びないという異常を改善するには、当然トロイアを滅ぼさなくてはなら
べきことこそを厄介だと言ったのだ。
異点がトロイア戦争であれば厄介という意味で、引いては今回の人理修復の為に、やる
孔明が岩場に来る前に、厄介だと呟いていた理由にようやく理解が及んだ。それは特
た意味。その重さに眩暈がした。吐き気がした。
エミヤが提示した、やるべきことを口にする。その言葉の意味。その言葉に込められ
﹁トロイアが、滅ぶ、ように⋮⋮﹂
70
天秤は釣り合わない。だからわたしが下すべき答えは決まりきっている。
﹂
それでも、どちらを取るかなど、そんな決断をすぐに下せるわけがなかった││
◇
﹁貴様、いまなんと言った
た。
皆さまのマスターである私から命令があります、と。それは呂布とカエサルに下され
待ったをかけたのだ。
これからアカイア軍との戦に向かうという直前になって、アヴェンジャーが唐突に
底冷えするような声で呂布は訊き返した。
?
﹁俺はディオメデスと決着をつけねばならん。娘、俺の戦を邪魔する気か
﹂
片手で振り上げた軍神五兵を、呂布はアヴェンジャーの鼻先へと突きつけた。 な命令と、俺の戦の邪魔をする命令だ。貴様のそれは後者だ﹂
﹁⋮⋮俺には嫌いな命令が二種類ある。戦の何たるかを理解もしていない的外れで愚か
トしてきたカルデアの方々を倒してきてください、と言ったのです﹂
﹁呂布さまとカエサルさまのお二人はアカイア軍とは戦わず、今朝この時代へレイシフ
第4節:釣り合わぬ天秤
71
?
声 は こ れ で も か と い う く ら い に 殺 気 を 孕 ん で い た。周 り で 見 て い た 兵 た ち は 怯 え
返って腰を抜かすほどである。
だがアヴェンジャーはまるで動じることもなく、にこやかな微笑を浮かべたまま平然
と言葉を返す。
﹂
?
﹁デブだと この私を捕まえて貴様デブと言ったか デブとは動けぬただの肉の塊
背を翻し、呂布は赤兎馬に騎乗した。
﹁承知した。行くぞ、デブ﹂
﹁いえ、今朝方、竜牙兵の索敵網に彼らが引っかかったのです﹂
﹁それは予言か
向かえば会えるでしょう﹂
﹁ありがとうございます。カルデアの方々はトロイアより南東、イデ山の方にまっすぐ
自分のマスターであろうと躊躇わずだ﹂
やる。ただし、俺は首を刎ねる時は本当に刎ねる。例えそれが自分の義父であろうと、
﹁⋮⋮いいだろう、そこまでの覚悟を以って俺に命じたというのなら今回だけは従って
沈黙は数秒だった。呂布は無表情のまま軍神五兵を肩へと背負い直す。
の時はこの首を刎ねていただいて構いません﹂
﹁もしカルデアとの戦いが、貴方さまにとってなんの価値もないものでしたら、ええ、そ
72
!?
!?
のこと。私は動けるデブゆえデブではない
﹂
﹁いやアンタ、自分で自分のことデブって言ったよな
嫌なのだ。彼らの助けがあれば私が楽をできる﹂
﹂
?
マスター
アルケイデスの方が適任
?
・
・
・
だったと思うんだが。いや、むしろ二人で行かせるのが一番いいと思うんだけどねぇ﹂
﹁なぁ、カサンドラ。行かせるのは呂布でよかったのかい
呂布とカエサルが1000人の兵を伴って移動を始めた。
仕方ないが行ってくる﹂
﹁させぬとも。だがせざるを得ないだろう。何せ彼らには敵将を狙わせるからな。では
﹁オイオイ、まさかサーヴァントの相手をさせる気か
﹂
﹁ヘクトール、現在の私の麾下である兵1000人と馬を借りていくぞ。私は動くのが
ヘクトールとヴラドが呆れたように言った。
﹁それよりいい加減、腹に刺さっている矢を抜け⋮⋮﹂
?
!
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
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・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
さまと二人だけになれば、その瞬間にアルケイデスさまに戦いを挑むからです。本当に
・
アルケイデスさまを二人で行かせなかった理由も簡単です。呂布さまはアルケイデス
と判断した呂布さまは、即座に離反してトロイアに仇為すでしょう。そして呂布さまと
・
メデスを討ち取ります。そして、アカイア軍に自分と戦うに相応しい強者いなくなった
・
﹁いえ兄さん、これでいいのです。呂布さまをこのままアカイア軍と戦わせれば、ディオ
第4節:釣り合わぬ天秤
73
あの方は、一匹狼のような方ですね。まさか私が観測した17通りの未来のうち、14
の未来で離反するとは流石に思いもしませんでした﹂
遠く離れていくカエサルたちを尻目に、ヘクトールも行軍を開始した。
ている。サーヴァントを二体欠いたところでどうということもないのだから。
編成は大幅に変わった。だが問題は特にない。アカイア軍の士気は下がりに下がっ
しよう﹂
﹁そういうことなら仕方ないねぇ。サーヴァントは大人しく、マスターの命令に従うと
ターとしての断固たる采配と取っていただき、大人しく従ってください﹂
﹁虚言の呪いとはそういうものですので、気にしないでください。これは皆さまのマス
﹁⋮⋮悪いね、カサンドラ。どうもお前の言っていることがまったく信じられない﹂
74
たように思われたが、忽然と一騎の戦車が突出して来た瞬間、趨勢を完全に塗り替えら
昨日、彼女の部隊は他の幾つかの部隊と共に敵の右翼とぶつかった。緒戦は圧してい
イアの男の誰もが眼を惹かれることだろう。無論、そんな元気がある普段であればだ。
き美女。淡い緋色の具足を身に纏いながらも、隠しきれない豊満な胸のラインにはアカ
肩までかかる色素の薄い赤髪を風に靡かせて歩く、さながら一輪のアイリスの花の如
な雰囲気を備えた長身の見目麗しい女である。
怪我人ばかりがところどころに蹲るアカイア軍の本陣を歩き回っているのは、涼やか
た。
各諸侯の部隊を見て回ってみたが、自分の部隊はまだマシな方なのだと彼女は思っ
昨日までの覇気がまるで感じられなくなっている。
それは当然のことながら負傷兵こそが最たるもので、五体満足で生還できた者ですら
意気消沈として項垂れていた。
鬱々とした陣屋だった。何処も彼処もこうなのである。アカイア兵のおよそ誰もが
第5節:飛将軍襲来
第5節:飛将軍襲来
75
れたのだ。
四頭立ての戦車を駆る一人の男、兜輝くヘクトール。死んだはずの彼を見た兵たちは
恐慌状態に陥った。それは彼女以外の将校も同様で、他の部隊の潰走に引き摺られる形
で、彼女も自分の部隊をやむなく後退させたのだ。
全滅に近い右翼や被害著しい中軍と違って、左翼を担当した部隊の直接的な損害は軽
微である。
だが気の滅入り具合で見れば他の部隊と似たようなものだ。特にヘクトールを間近
で見た者たちは絶望的な表情を隠せない様子なのだから。
彼女の部隊の者たちは流石に泰然自若としているが、内心の不安や動揺はやはりある
のだろう。気丈高く振る舞おうとするあまり、いつも以上に、必要以上に堅いのだ。
﹁右肩、大丈夫なのかい
﹂
入る強さを誇る異数の勇者、軍神アレスをも退けるディオメデスである。
振り向くとそこには、傷を体中に刻んだ偉丈夫の姿があった。アカイア勢でも三指に
したところで、彼女に張りのある声がかけられた。
編成と作戦の確認の為の軍議が終わり、本陣を歩き回ってから自分の陣屋に戻ろうと
な﹂
﹁││思い切ったことを考えたものだ。自分の兵を全て、オデュッセウスに預けるとは
76
?
﹁マカオンの奴がとりあえず動くようにしてくれた。流石は医神アスクレピオスの息子
だよ。痛みはかなり酷いが、まぁこれくらいなら気合で耐えるさ。これで呂布とかいう
奴ともう一度戦える﹂
﹁彼、過労死しなければいいけどね﹂
に兵を預けた件だ﹂
君もあいつ
﹁医療班は地獄だろうぜ。負傷者は山の如くだからな。⋮⋮それより、オデュッセウス
﹁効率の問題だよ。私よりもあいつの方が、用兵が巧い。だからだろう
に兵を預けることにしたのは﹂
?
在である。
らかはカバーできるはずだ。もう最前線に出られるような齢ではないが、その軍才は健
オデュッセウスが中軍を担うとして、右翼か左翼を老将ネストルが指揮を執ればどち
彼の指揮下に入った兵は、アカイア軍の中でも精鋭中の精鋭ばかりなのだから。
全てが彼の統率の下に忠実に動けば、いまのトロイア軍にも対抗できるだろう。なにせ
ともあれ、これでオデュッセウスが指揮することになる兵の数は三万を超えた。その
なるほどディオメデスらしい理由だ、と彼女は苦笑した。
ものか﹂
﹁呂布との戦いに傾注したかったからな。奴を相手にしながら片手間に指揮などできる
第5節:飛将軍襲来
77
﹁そういえば、よくミュルミドネス隊がオデュッセウスの指揮下に入ることを了承した
ね。アガメムノンと仲違いした時は、アキレウスの許しが出るまで頑として動かなかっ
た連中なのに﹂
﹂
?
﹁解毒する為の薬がないんだっけ
﹂
﹁マカオンが首を振ったんだ。絶望的だろう﹂
﹁アキレウス⋮⋮あいつ、助かるかな﹂
単に不覚を取る者となればさらに自ずと限られてくる。
そもそもヒュドラの毒矢を持っている者など限られているし、アキレウスがこうも簡
ことで、それが真実なのだと全員が嫌でも理解した。
だが死んだはずのヘクトールの存在もあり、マカオンがアキレウスを診て匙を投げた
最初は皆の誰もが何を冗談を、と思った。こんな状況で笑えない話をするな、と。
彼の駆る人語を解する神馬曰く、ヘラクレスにヒュドラの毒矢を受けた、と。
スの負傷である。
アカイア軍の士気が極端に下がり、幾人かの脱走兵すら現れた最大の原因がアキレウ
﹁一瞬意識を取り戻していたようだ。その時に部下に伝えたんだろうさ﹂
﹁彼、ずっと朦朧としてなかったっけ
﹁そのアキレウス直々に、オデュッセウスの指揮下に入るよう指示を受けたらしい﹂
78
?
ディオメデスが厳しい面持ちで頷いた。
アキレウスの神馬たちはマカオンに治療が困難であると言われると、アキレウスを連
れてすぐにアカイア軍の本陣から出ていったのだ。他に治せる医者を捜しに行ったの
だろう。僅かな可能性を諦めずに。
﹁そっか。じゃあ、あいつを欠いたまま、ヘクトールを倒さなきゃいけないのか﹂
﹁ヘクトールだけじゃない。呂布とかいう奴も化物じみた強さだった。加えてクサント
﹂
スの話が本当なら、ヘラクレスのこともある﹂
﹁ディオメデス、君、笑っているよ
﹁お前こそ﹂
を倒してみせよう﹂
た。アキレウスが死にかけなんじゃしょうがない。彼の代わりに、今度こそ私があいつ
﹁ま ぁ ね。正 直 ヘ ク ト ー ル が 甦 っ て く れ て 嬉 し い さ。彼 と は 何 度 と な く 引 き 分 け て き
?
二人同時に苦笑した。
﹁まったくだね﹂
討ちだ﹂
勝ったと思ってトドメ刺そうとしたら消えてやがる。そんで深追いしたところで返り
﹁俺も奴とは何度も引き分けているがな。というか、逃げ足速すぎるんだよあの野郎は。
第5節:飛将軍襲来
79
﹁この戦、勝てると思うか
﹂
笑みを消してディオメデスが問いかけた。
?
﹁⋮⋮最悪俺たちアカイアは、全員がこの地に骸を晒すことになるかもな﹂
二回痛撃を受ければわからないけれど﹂
部下や諸侯を守る為の英断に他ならないからね。でも、まぁ、まだ無理でしょ。あと一、
るのならアガメムノンを見直すよ。それは確かに臆病さゆえの決断かもしれないけど、
な男がそうすっぱりと諦められるとも思わないね。むしろいますぐ逃げる決断を下せ
﹁ヘクトールを倒し、あと一歩でトロイアを落とせるところまで来てたんだ。あの強欲
﹁逃げるかね、アガメムノンは﹂
もなぶつかり合いで圧せるだろう。
兵数はまだアカイア軍が二万近く勝っている。士気さえトロイア軍を上回れば、まと
とができるはずだ。
している。彼らを導くことができる勇者や王さえいれば、彼らはもう一度立ち上がるこ
然たる空気が蔓延したアカイア軍ではあるが、まだ誰もがその眼の奥に微かな闘志を残
せめてアガメムノンにもう少しカリスマがあれば、まだ勝ちの芽はあっただろう。悄
げたがっているんだ。大将の怯懦は末端の兵卒まで伝播してるよ﹂
﹁⋮⋮現状ではどう足掻いても無理じゃないかな。総大将であるアガメムノンがもう逃
80
﹁私としては臆病者の謗りを受けて、後世の人間に嗤われるよりはマシかな﹂
﹁同感だ。⋮⋮と、そろそろ出陣の時間だな。生き残れよ﹂
彼女の肩を軽く叩き、ディオメデスは踵を返して自分の陣屋へと戻っていった。
今日の戦いでアカイアが完全に敗北する可能性もあるだろう。それほどまでにいま
のトロイアは圧倒的だ。
彼女とディオメデスが自分自身に課した役目は同じである。即ち、単騎で動く敵将の
討伐。ないし、それが無理な場合は足止めだ。
ヘクトールや、ディオメデスの言う呂布を相手にすること自体に恐怖はない。自分な
らば打倒できると豪語しよう。だが、ヘラクレスだけは別だった。
ヘラクレスは彼女にとって偉大に過ぎる。何せ彼女に名を与えた者こそ彼のヘラク
レスである。
戦を前にして鼓動が逸るのは何年振りだろうか。手が震えそうになるのもだ。その
不安さを彼女はむしろ心地いいと感じた。
勝ち戦など、元より面白いものではない。敗色濃い戦いこそ、武人の望むべきものだ。
腰に佩いた剣の柄に手を添える。それはいつの日かの決闘の末に、互いを褒め称えた
友誼の証明としてヘクトールから送られたものである。
﹁⋮⋮よし、覚悟はできた。誰が相手でも、私は逃げない﹂
第5節:飛将軍襲来
81
手に伝わる馴染みの感触が、彼女の心を落ち着けた。
◇
ボク、何かおかしなことを言ったかい
﹂
?
﹂
﹁言った。おかしいこと、言った。パリスさんはトロイアの王子なんでしょ
そんな簡単に決められたわけ
た。だから、トロイアを滅ぼそう﹂
なんで
それ以上に悩んだよ。苦渋だったと言ってもいい。でも、こうするしかないって感じ
﹁⋮⋮簡単じゃないよ。すごく悩んだ。これほど悩んだのはあの審判の時以来だ。いや
?
?
度に、無性に腹が立った。
わたしに対し、パリスさんが微笑のまま問いかける。その本当に平然としたような態
﹁どうしたの
?
で言った人が、パリスさんであることが理解できなかったのだ。
ううん、違う。言葉の意味は理解できた。ただそれをあまりにもあっさりとした口調
最初、何を言っているのかわからなかった。
ぼそうか﹂
﹁ま、トロイアが滅ばないと世界が滅ぶんじゃしょうがないよね。だからトロイアを滅
82
﹂
⋮⋮そっか、ボクとトロイアの人たちの為に怒ってくれてる
﹁感じたって、自分で説明もできないのにトロイアを滅ぼすなんて決断できたの
﹁あれ、なんか怒ってる
?
自分の国が、滅んでも﹂
本当に、それでい
ません。私も上手く説明はできませんが、そうしないといけない気がするんです﹂
﹁その⋮⋮ごめんなさい。私も、パリスと同じ意見です。トロイアは、滅ばなくてはいけ
助け舟を求めたところで、彼女は申し訳なさそうに表情を濁してしまった。
﹁⋮⋮カサンドラさんも、彼に何か言ってあげて﹂
る存在なのだと、否応なく理解してしまったから。
とってトロイアの人々はどうでもいい人たちなんかじゃない。心から大事に思ってい
その言葉と儚そうな表情のせいで、余計にわけがわからなくなってしまった。彼に
気にしてくれなくて構わないよ﹂
んだね。本当にありがとう。でも、トロイアの人たちのことはともかく、ボクの心情は
?
﹁⋮⋮二人とも、無理してそういうこと言ってるんじゃないの⋮⋮
いの
?
?
﹁それは、世界の為
﹂
ないよ。変えちゃダメなんだ、きっと⋮⋮﹂
結論をボクは出した。でも、例え無理するななんて言われても、ボクはこの結論を変え
﹁いいかよくないで言えば、もちろんよくないよ。無理だってしてるさ。無理してこの
第5節:飛将軍襲来
83
?
﹁⋮⋮いや、違うよ。そういうわけじゃない。ごめん、本当に上手く言葉にできない⋮⋮
ただ世界を滅ぼして、トロイアだけが生き延びる道は何か間違っている、という気がす
る﹂
考えながら訥々と絞り出したパリスさんの言葉に、カサンドラさんが頷く。
道を選ぶのは、間違ってなんてないじゃない
!?
トロイアを滅ぼさなければ、人理は崩壊するぞ
﹂
?
でもだからといって、このまま何もしなければ人理が崩壊して世界が滅ぶこともわ
けれど人理を修復する為に、トロイアを滅ぼしていいわけがない。
わかっている。そんなことはわかっている。どうしようもないくらいわかっている。
﹁それ、は﹂
?
﹁君がトロイアを切り捨てることを是としたくないのはわかる。だが、ならばどうする
興奮していたわたしを孔明が諌めた。
﹁⋮⋮そこまでにしておこう、マスター﹂
﹂
誰にだって生きる権利はあるんだから、トロイアが生き延びる
で、ずっと昔に滅んだ国だけれど、貴方たちにとってはいま存在している国のはず
!
!
!
自分の故郷なんだよ
﹁何も⋮⋮何も間違ってなんてないじゃない 私たちからしたらトロイアは過去の国
﹁トロイアが生き延びるのは、トロイアの為にはならない。私はそんな気がするんです﹂
84
かっている。わかっているのだ。わかっているのに。
﹁⋮⋮ひとまず、やるべきことを整理しようか﹂
二の句を次げなくなったわたしの代わりに、孔明が口を開いた。
﹁目下、我々がやるべきことは二つだ。第一に霊脈を確保して召喚サークルを形成する
こと。いまだにカルデアとの通信が不確かなのは問題だからな。召喚サークルさえ形
﹂
成できれば、ロマンとの念話も可能なはずだ。それでパリス王子、この近くに戦地にな
らない安全な霊脈はありますか
けて、その女性に治療してもらいに行くのですが断られてしまうんです﹂
いと将来、酷いことになりますので。具体的に言うとパリスは後にヒュドラの毒矢を受
﹁パリス、悪いことは言いません。私たちも同行して彼女に謝りに行きましょう。でな
もそこで暮らしてるってことかな﹂
ら南東に向かえばあるんだけどいい霊脈だよ。問題はボクの昔の妻だった女性がいま
た時の気性が抜けなくてね、堅苦しいのは苦手なんだ。そうそう、そのイデ山、ここか
﹁孔明さん、ボクのことはパリスで構わないよ。どうもボクはイデ山で羊飼いをしてい
?
﹁決まりだな。いますぐイデ山に向かおう﹂
してもらえるとも思えないし、許してもらう資格なんてないとは思うけど﹂
﹁あー⋮⋮それは完全にボクの自業自得だね。わかった、誠心誠意謝ろう。いまさら許
第5節:飛将軍襲来
85
だが、と孔明は続けて、
﹂
?
れる。この風の中を突っ切って走ることが、いまのわたしにはできそうにない。
レイシフトした直後は気持ちいいと思っていたこの風が、いまは妙に肌に痛く感じら
立ち止まり、下り坂に広がる草原を無言のまま見つめ、ただ風を浴びた。 どれくらい歩いただろうか。多分、そこまで遠くには行っていない。適当なところで
一人、その場から離れようとして、けれどマシュとエミヤがついてきていた。
﹁ありがとうございます⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ああ、構わないさ。時間はあまりないかもしれんが﹂
ですか
﹁⋮⋮ごめんなさい、教授。わたし、ちょっと頭冷やしてきます。編成はお任せしていい
覚悟を決めたというのに、わたしはまだ、心の整理がついていない。
でも、いまは上手く考えが纏まらない。当事者であるパリスさんとカサンドラさんが
とトロイア戦争に武力介入するチームとに分けようと言いたいのだろう。
孔明がわたしへと視線を向けた。パーティーを二つに分けて、イデ山に向かうチーム
イア軍に加勢することを私は提案するが⋮⋮﹂
受けたようだからな。下手をすれば今日の戦いで帰趨が決するぞ。そうなる前に、アカ
﹁同時にトロイア戦争への武力介入も必要だ。昨日の戦いでアカイア軍は相当な痛撃を
86
﹁先輩⋮⋮﹂
﹁こういうこと、いつかあるかもって思ってたけど、⋮⋮思ってたよりきついね﹂
振り向いて、わたしを心配そうに見ていたマシュに言った。笑顔は上手く作れただろ
うか。ちょっと自信がない。
えきれない分は、不肖ながらこの私も背負わせていただきますので﹂
﹁先輩、マスターだからといって独りで全部を背負おうとしないでください。先輩が抱
﹁むしろ君たちは何も気にせず、全部私にブン投げてくれてもいいんだぞ。軽蔑してく
れて構わんが、人間の取捨選択は私の得意分野だ﹂
﹁⋮⋮ありがとう、マシュ、エミヤ﹂
そう言ってくれる人がいるだけ、多分自分は幸せなのだろう。でも、流石に全部をエ
ミヤ一人には背負わせられないし、背負わせる気はなかった。そんなことは、多分して
はいけない。
﹂
?
﹁正義の味方には、倒すべき悪がいるってことだよね。いままでは、都合よくそういう人
ということだからな﹂
﹁⋮⋮君の言っていることはとても難しい。誰かを救うということは、誰かを救わない
う方法ってないのかな
﹁⋮⋮ねぇ、エミヤ。甘いことを言うかもしれないけれど、世界もトロイアも、両方を救
第5節:飛将軍襲来
87
たちやサーヴァントが敵だった。けど、私にはトロイアが悪だなんて思えない⋮⋮﹂
﹂
?
じゃない。
だ。突 き つ け ら れ た 選 択 肢 に、み ん な 平 等 に 苦 し ん で い る。わ た し 独 り が、辛 い わ け
言葉は途切れた。その先は言わなくてもわかっている。迷いがあるのはみんな同じ
﹁││あぁ、でも⋮⋮〝オレ〟が本当に救いたかったのは⋮⋮﹂
見えた。
表情を動かすこともなくエミヤは言った。けれど彼の瞳は、いつもよりも酷く哀しく
い﹂
い。ならばより多くの者を救うために、最小値の人間には犠牲になってもらうしかな
﹁残念ながら最終的にそこへ行きついてしまうのだよ。全ての人間を救うことはできな
﹁数、ね⋮⋮﹂
アの民を犠牲にして、後の世の数億、数兆という人間の未来を守る。失われる数が違う﹂
﹁⋮⋮ああ、〝私〟なら迷わずトロイアを滅ぼすさ。数十万、あるいは百万というトロイ
﹁エミヤは、選べるの
彼らを犠牲にすることもあってはならない﹂
て然るべきだろう。だが、罪がないのは世界中の人々も同じだ。トロイア存続の為に、
﹁そうだな。運命によって滅ぶことを決定づけられた彼らにこそ、本来救済が与えられ
88
﹂
﹁⋮⋮弁えていたのにな﹂
﹁エミヤ⋮⋮
﹂
!
﹂
楯越しですら伝わってきた衝撃波によろめきそうになる。
﹁だ、大丈夫、マシュ
﹁くッ、かなりの高威力⋮⋮敵は間違いなくサーヴァントです、先輩
﹂
!
!?
まさか前に会ったサーヴァント カエサル
?
?
それとも、ヘクトー
千里眼で敵を捕捉したのか、エミヤが戦慄も露わに愕然と眼を見開いた。
!?
﹂
わたしの前にマシュが楯を構えて躍り出ると、直後爆炎が広がった。
鬼気迫る声で唐突にエミヤが叫んだ。
そろ皆のところに││マシュ
﹁いや、なんでもないさ。オレにとって、カルデアは少々居心地がよすぎたらしい。そろ
?
﹁遠方からの狙撃だな。位置は││││な、あの男は⋮⋮ッ
﹂
﹁どうしたの
ル
?
?
た。
エミヤの視線の先に眼を向ける。そこには小さな赤い影が見え││次の瞬間消失し
な。よほどの馬鹿がマスターなのか、あるいは肝が据わっているのか﹂
﹁⋮⋮最悪の男が敵に回ったぞ。まさか奴をバーサーカー以外で召喚する者がいるとは
第5節:飛将軍襲来
89
轟音はすぐ傍で鳴り響いた。再びマシュが敵の攻撃を防いだのだ。
ゴッド・フォース
己が得物でマシュの楯と圧しあっている敵の姿を見て、今度こそわたしは息を飲ん
だ。
長躯逞しい、煌びやかな中華鎧を身に纏った男。手繰る方天画戟の真名が軍神五兵で
あることをわたしは知っている。
かつて第二特異点で頼もしい味方だったサーヴァント。それが、今度は敵として現れ
たのだ。
だがその時とは異なる点が二つあった。
一つは凶悪な面構えながら、明らかに理性を宿した双眸でマシュを見据えているこ
と。
もう一つは彼が跨る巨大な汗血馬の存在だ。遥か遠方から一瞬で此処まで接近して
きたその異常。それは間違いなく、彼の駆る名馬の力ゆえだろう。
干将莫耶を投影したエミヤが背後から敵へと斬りかかる。だがその二連撃は呆気な
く空を斬った。またしても空間転移さながらの現象を以って造作もなく躱してみせた
のだ。
体を反転させ、エミヤが干将莫耶を構え直してその男と向かい合う。
﹁よりにもよって、ライダーでの現界とはな⋮⋮﹂
90
その呟きは酷く苦々しい。
それも当然だろう。狂化され、ただ暴れるだけの存在であるならば、まだ幾らでもや
りようはある。だが今回の彼は冠絶したその武技を遺憾なく発揮してくるだろう。何
故ならその男は、関羽、張飛、劉備の三人の英雄を相手取ってなお互角に戦える無双の
﹂
益荒男なのだから。
﹁呂布、奉先⋮⋮
だが、と呂布が獰猛に嗤った。
は、知っていたのか﹂
﹁ほう。俺の真名を即座に当てたか、カルデアのマスターよ。いや、当てたというより
!
くに意識を失っている。
なってわたしの体に纏わりついてきた。きっとここにいるのがわたし独りならば、とっ
全身から迸るような闘気と殺気。眼に見えないはずのそれは、どす黒い死の気配と
呂布が右手で振り上げた軍神五兵を背後いっぱいに逸らして構える。
赤兎馬が呼応するように猛々しく嘶いた。
で捻じ伏せるのみだ﹂
ろ。貴様らが何人で徒党を組もうと、万策を用意しようとも、俺と赤兎はその悉くを力
﹁俺の真名が知られようとどうでもいい。俺の名を知って対策を練るのならば好きにし
第5節:飛将軍襲来
91
震える拳に力を入れた。カルデアのマスターとして、みんなのマスターとして、みっ
ともない姿だけは見せない。何もできないわたしだからこそ、何があっても動じてはい
けない。恐怖なんかに屈してはならない。
﹂
!
これよりわたしたちは、無双に挑む。
剣戟の交錯と共に舞い散る火花は開戦の合図。
つ。
マシュとエミヤが同時に走った。赤兎馬を駆る呂布奉先がそれを真正面から迎え撃
デス一人に比する武力は見せてみろ││
﹁さぁ、死にたくなければかかって来い、カルデアのサーヴァントども。せめてディオメ
92
第6節:疾風と暴風
ひたすらに圧倒的だった。
エミヤとマシュが同時に繰り出した電光石火の速攻を、それ以上の速さを以ってほと
んど同時に切り払う。
そして次の瞬間、苛烈なる反撃は二撃、三撃と間髪入れずに迸った。
戦いの場であった草原は既に見る影もない。呂布が放つ攻撃は一撃一撃が必殺のそ
れだ。二人が軍神五兵を受け止め、躱す度に地形は災害に遭ったかのように惨憺と崩壊
していく。
﹂
さしずめ暴風の如き攻勢だ。完全に躱してなお余波のみでエミヤとマシュの体に傷
攻めてみろォッ
!
を負わせる。
!?
﹁これが軍神五兵の神髄か⋮⋮ッ
ゴッド・フォース
﹂
シュは大楯を以って防御するも、そのあまりの威力に後ろへ弾き飛ばされた。
怒号と同時に呂布が軍神五兵を横一線に薙ぎ払う。エミヤは干将莫耶を以って、マ
﹁どうした、守るだけか
第6節:疾風と暴風
93
!
94
破損した双剣を再度投影しつつ、エミヤが肩で息をしながら苦笑する。
軍神五兵。それは超軍師陳宮が考案した、六形態に変形するマルチプルウェポンの方
天画戟だ。切断、刺突、打撃、薙ぎ、払い、射撃の六つの能力は、一つ一つが独自の宝
具として機能し得るほどの性能である。
そう。この英雄は宝具一つで六つ分の宝具を十全に使いこなし、さらにそれを最適か
つ縦横無尽に操るのだ。これを怪物と言わずなんと言う。
加えて、最早過剰としか言いようがないほどのダメ押しが赤兎馬の存在である。
猛々しく嘶くその獣は、敵対する二人の動きをつぶさに見て取り、攻撃の瞬間を見逃
さない。己の主が対処しきれない角度からの攻撃は、全て赤兎馬が跳躍することで完全
に回避していた。
呂布の怒濤かつ神速の猛攻は赤兎馬がいてこそのモノだろう。彼は敵からの致命打
をほとんど意にも介さない。戦いへの意識、それを九割以上攻撃とカウンターの為だけ
に割いている。全ては己の相棒が悉く捌くと確信しているが故の大胆さだ。
正に人馬一体。人中の呂布、馬中の赤兎此処にあり。彼らには一分の隙もありはしな
い。
この戦いは元より二対一などではなかった。条件は端から五分と五分。二対二に他
ならない。
第6節:疾風と暴風
95
であれば、エミヤとマシュが劣勢を強いられるのも当然の帰結だった。相手は白兵戦
において、中華史上でも項羽と一、二を争うほどの猛将だ。並の英霊であれば、例え三
人がかりであろうと十合と持たず骸を晒していたことだろう。
呂布の猛攻に対し、エミヤとマシュは辛うじて持ち堪えている。それはひとえに二人
ともが極めて防戦に優れたサーヴァントであり、そのコンビネーションも限りなく完璧
に近い為だ。
だが突破口がまるで見えず、エミヤは焦りを覚えていた。彼とマシュのどちらかが攻
撃を受け止め、その隙間に反撃を押し込んではいるが全て徒労に終わっていた。むしろ
カラド・ボルグ
反撃の度に逆にカウンターを加えられ、自らを窮地に陥れるだけなのだ。
││距離を取って螺 旋 剣で⋮⋮いや駄目だ。軍神五兵が相手では分が悪い。
思いついた戦術を、エミヤはその場で切り捨てる。何をしようにも軍神五兵が厄介す
ぎるのだ。攻撃のほぼ全てが切り払われるか、籠手化したそれによってそっくりそのま
ま弾き返される。その二つをようやくすり抜けたところで、今度は赤兎馬が回避する。
一合剣を交える度に、エミヤは呂布と赤兎馬の戦い方を仔細に把握していった。それ
は五手先の生存、十手先の未来を予測させていたが││このまま続けば二人とも討ち果
たされるという苦い答えが見えていた。
もう一人頭数がいれば。そう思考しかけ、エミヤは心の中で首を振った。
五人のサーヴァントのうち、一人はマスターの守護に徹する。それは絶対だ。
人類最後のマスターである彼女を失うのは、エミヤたち五人のサーヴァントの敗北だ
けに留まらない。それはカルデアの敗北であり、引いては人類の滅亡を意味するから
だ。他の敵兵や暗殺者が何処に息を忍ばせているかも判らない現状で、彼女を完全に孤
立させることだけはできない。万が一でも彼女を失うわけにはいかないのだ。
ゆえにこそマスターの傍では、いまも戦列に加わることなくその男はじっと戦いを見
ていた。
加えて孔明たちの援護も期待はできない。何故なら岩場の方でも、いまも間断なく爆
炎が燃え広がっているからだ。アレは間違いなく、ジャンヌ・オルタが操る呪いの焔。
つまりは既にあちらも交戦中ということを意味している。
つわもの
そして案の定、その予想を決定づけるように岩場の方から多勢のトロイア兵と一人の
男が躍り出てきた。
我々は見た
即ちトロイアの敵
﹂
そしてローマの敵だ
往けぇ
!
!
!
!
!
ならば次は勝つだけのこと
!
る時だ アレなるはヘクトールの敵
我々は来た
!
がら吶喊してくる。
カエサルの号令に従い、トロイア兵たちが異様なほどの熱気を帯びた雄叫びを上げな
!
!
﹁さぁ、勇敢なるトロイアの兵たちよ いまこそ御大将ヘクトールの護国の志に報い
96
これ
ごめんエミヤ、ちょっとそっち行っちゃった
あ、やっぱ無理、多過ぎだから
﹂
!
!
女はエミヤの位置から比較的近く、駆けつけるとなれば数秒といらない。だが僅かでも
兵がマスターの許へと向かっているが、そちらを対処する余裕などあるわけがない。彼
呂布の猛攻を捌きながら、エミヤは歯を噛み締める。カエサルと数十人近いトロイア
役割は果たしている。
一騎当千の英雄たるジャンヌ・オルタには敵うべくもないが、それでも足止め程度の
た。
イア兵の中には五度旗で殴られようと体勢を立て直し、彼女に食らいついている者もい
ジャンヌ・オルタの攻撃を受ければ、通常であれば一撃、二撃で大抵沈む。だがトロ
ない強さを持った兵も幾人かは混じっているだろう。
残ってきた猛者たちだ。その中には名を馳せてはいないが、英雄と呼ばれてもおかしく
それも当然だ。彼らは神代の人間であり、いずれもトロイア戦争を戦い続け、生き
ローマ兵、海賊たちとは明らかにその練度が異なっている。
彼らは雑兵などでは断じてない。これまでの特異点で散々戦ってきたフランス兵や
いない。
トロイア兵を旗で殴り、焼き払いながらもジャンヌ・オルタは完全に手が追いついて
!
﹁このッ、マスターちゃんの方には行かせないっての
第6節:疾風と暴風
97
眼前の男から意識を逸らせば、その瞬間に首が虚空を舞うだろう。
頭上から轟然と振り下ろされる軍神五兵。切断による特殊効果は物理防御の一切を
無視する。
まともに防ごうとしても、ガードの上から瞬く間に一刀両断されるに違いない。エミ
﹂
ヤは紙一重でそれを躱した││だが、
﹁ぐ、っ
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
﹁││まったく、見ておれんな。交代だ二人とも。この男の相手は私一人で受け持とう。
た。呂布もまた無言のまま、陣羽織に身を包むその男をじっと見据えている。
・
長刀を携えて忽然と参戦したその男を警戒したのか、赤兎馬が一度大きく距離を取っ
以って軍神五兵の軌道を逸らしていた。
エミヤが諦念を懐きかけた時││疾風が呂布との間に割って入り、その神域の剣技を
・
間に合ったとしても切断の特殊効果の前ではその防御も意味を為さない。
再度振り被られる軍神五兵。マシュが咄嗟に防御に入ろうとするも間に合わず、例え
﹁終わりだ﹂
よろめきそうになるのを必死に堪える。だがその隙は致命的だった。
込まれていた。
胸部に走る爆裂めいた衝撃。あろうことか、赤兎馬の蹄が深々とエミヤの胸板に叩き
!?
98
マシュ、そなたはすぐにマスターの護りに入れ﹂
あまりにも無謀な申し出だった。だが、あるいは彼ならばと思ったのだろう。逡巡は
一瞬だった。マシュはすぐに頷いた。
﹁わかりました、先輩の守護はお任せください。あとはよろしくお願いします﹂
そう言葉を返すや否や、マシュはすぐにマスターの方へと向かい、トロイア兵との戦
闘に入る。
﹂
﹁エミヤ、お前はカエサルの奴めの迎撃に往くがよい﹂
﹁貴様、さては呂布とサシで戦いたいだけだな
し合いを望むなというのは無理な話よ﹂
﹁応さ、これほどの益荒男と会い見える機会などそうそうない。であれば、一対一での果
?
その男はオルレアンにおいて、大英雄ジークフリートと共に邪竜を討伐してみせた
やマシュをも凌駕する。
カルデアのサーヴァントの中でも最強クラスなのだから。加えて防戦の巧さはエミヤ
呂布と相対したその男の心配は恐らく無用だ。この男はこと白兵戦に限って言えば、
エミヤもまた呂布から背を向け、自分が戦うべき相手に眼を向けた。
われた礼は言っておく﹂
﹁ふん、勝手にしろ。自分からタイマンを買って出た以上は死ぬんじゃないぞ。命を救
第6節:疾風と暴風
99
者。新たなるドラゴンスレイヤーだ。
?
・
・
・
・
・
・
・
・
﹂
?
・
・
・
・
・
一瞬にして十合、二十合と剣戟は交錯し、互いの必殺を相殺し合う。
小次郎も負けじと疾駆し、刀を閃かせ、彼らの首級を狙いに行く。
・
・
・
・
・
戦いはさらに加速する。赤兎馬が嘶きを上げながら、なおも速く鋭く疾走する。
の切っ先を、横から滑るように弾いてその悉くを受け流す。
・
・
翻るは軍神五兵。対するは物干し竿。乱舞の如く繰り出される暴風めいた軍神五兵
瞬間、赤兎馬が駆ける。小次郎も大地を蹴った。
う﹂
死合おうか呂布奉先。アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎が貴殿の相手を務めよ
﹁さて、三國無双の英雄を相手に、我が秘剣が通じるか否かを試させてもらおう。では、
﹁⋮⋮面白い。すぐに骸を晒してくれるなよ、侍。でなければ殺す甲斐がない﹂
な在り方に、呂布は口元に笑みを刻んだ。
殺気を全身に受けながらも飄々とした態度をまるで崩さない。その男の涼風のよう
干し竿とで人刃一体。そら、条件は同じであろう
・
体。であれば一人と数えるべきであろう。こちらも私と、我が肉体の一部にも等しい物
・
﹁二対一では気が引けるか、飛将軍 だがその心配は無用だ。元よりお主らは人馬一
﹁よもや、たった一人で俺たちに戦いを挑むとはな﹂
100
第6節:疾風と暴風
101
二人と、そして一頭は笑っていた。笑みの表れ方は異なるが、内心に秘めたるは圧倒
的歓喜。
この男は殺し甲斐があると、三者三様に等しく思考した。
加速は際限なく続く。かくして、疾風と暴風は自らの武技を以って激しく鋭く鬩ぎ
合った。
◇
戦況はあらゆる意味で混沌としていた。大体がジャンヌ・オルタのせいだろう。
ところ構わず無差別に呪いの焔を撒き散らし、見渡す限りの緑だった草原は燎原の如
く。
のみならず、空中を旋回するのはワイバーンの群れだ。オルレアンにおいては散々に
苦しめられた難敵であったが、此度においては頼もしいまでの味方である。
サーヴァントと言えど、1000人というトロイア兵を一度に相手取るのは至難の業
だ。英雄と呼ばれる者は総じて一騎当千の戦士であるが、一瞬で1000人という人間
を打倒し尽くせるのは一握りの者だけだろう。広範囲の対軍宝具や対城宝具を用いな
ければ、打ち破るにはとにかく時間がかかるのだ。増して精強極まるトロイア兵ともな
ればなおのこと。
ゆえにこそジャンヌ・オルタは自らの固有スキルである〝竜の魔女〟によって、周辺
に飛び回っていたワイバーンをこれでもかというくらいに招集したのだろう。
その結果が阿鼻叫喚の地獄のような絵図である。50頭近いワイバーンによってト
ロイア兵を襲わせるジャンヌ・オルタは紛うことなき悪の魔女だった︵何せとても悪い
笑みを浮かべている︶。
だがトロイア兵も徒党を組み、その連携によってワイバーンに対抗している。一方的
に蹂躙するとまでは行かないが、かなりの数のトロイア兵をひきつけることができてい
た。
その間にジャンヌ・オルタや孔明、パリスが着々と敵兵を無力化していく。
流石の数である為、数十人はこちらに流れてきているが、それもマシュ一人でどうに
かマスターを守りきれている。
だからこそ、エミヤは余念なくカエサルと対峙することができた。
呆れている。エミヤとしても同感だ。それだけ小次郎の剣技は英霊の観点から見ても
カエサルは畏敬の念を込めて小次郎を讃えたつもりなのだろう。だが表情は完全に
流石はLEGEND OF SAMURAIと言ったところか﹂
﹁名刀とはいえ宝具ですらない得物で、よくも呂布相手にあそこまで立ち回れるものだ。
102
尋常の埒外にある。
﹁セプテムで見た時も思ったが、幾ら速く剣を振ったところで剣筋が三本に増えるわけ
なかろう。私とて剣速にはそこそこの自信があるが、アレは無理だと断言できる﹂
﹁ほう。その口ぶりだと第二特異点での記憶があると見た。貴様はまたしても、人理崩
壊を目論む者の走狗と化したわけか﹂
﹂
﹁私はあの時もいまも、ローマの為に戦っているだけだ﹂
﹁トロイアがローマだと
﹂
﹂
﹁なんだ、時間を稼ぐのはいいが、別に私を倒してしまっても構わんのだぞ
﹁人の決め台詞を勝手に使わないでもらおうか
﹁私が何より気になっているのはその腹だ。何故に横から腹に矢が突き刺さっているの
けない。この男との会話は最小限に抑えるのが賢明だ。
声を荒げてからエミヤははっとした。話術でカエサルのペースに持ち込まれてはい
?
?
!?
﹂
とエミヤは納得した。ロムルスにとってはだいたいのモノがローマなのだから。
ややこしい言い回しだった。とはいえカエサルの言うことも理解ができたし、確かに
言おう﹂
﹁然り。トロイアとはローマの前身。であれば即ちローマである。ローマもきっとそう
?
﹁ところでカエサル、二点ほど確認していいか
第6節:疾風と暴風
103
だ
﹂
﹁ファッションを馬鹿にするの大概にしたまえ﹂
﹁むぅ。では現代アートということで手を打とうか﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
?
⋮⋮﹂
!?
かかっている辺り、その凶悪さが窺い知れる。
﹂
だろう。何を吹き込まれたのかは判らないが、トロイア兵がパリスにも問答無用で斬り
やはりカエサルと会話をするのは悪手だ。この男の〝煽動〟は最早洗脳の域にある
﹁相変わらず最悪だな貴様という男は
﹂
き る か と。ぶ っ ち ゃ け ち ょ っ と や り 過 ぎ た。彼 ら の こ の 神 風 っ ぷ り に は 正 直 引 く わ
助けになるのかと。引いてはトロイアの為になるのかと。そしてどれだけ私が楽をで
﹁なに、道中念入りに煽っておいただけの話だよ。君たちの行動が如何にヘクトールの
・
かしいが﹂
﹁それより貴様、彼らトロイア兵に一体何をした 様子がバーサーカーさながらにお
為だろう。それにしてはわけがわからないが。
溜息を吐き、同時に深呼吸もする。矢が刺さっているのはきっとエミヤの動揺を誘う
﹁現代アートを侮辱するのも大概にしたまえ⋮⋮﹂
?
?
﹁これか。もういっそオサレな気がしてきたのだがどう思う
104
﹁構えろ、カエサル。ここから先は剣で語れ﹂
﹂
﹁いいだろう。君とは決着を着けねばと常々思っていたのだ﹂
﹁⋮⋮それは何故に
まで私とキャラが被っているのだっ
﹂
クロケア・モース
お前それ││││完全にただの箇条書きマジックだろうが
!
!
互いに剣を渾身の力で圧し合いながら、ついでとばかりにエミヤは口を切った。
一際甲高い剣戟の響き。間髪のところで双剣を楯にしてこれを防ぐ。
いだ次の瞬間には黄の死が逆方向から襲いかかった。
巨体に似合わぬ迅雷めいた一閃。干将でガードする。だがその安堵も束の間だ。防
く避けられ、カエサルが体を反転させると同時に首目がけて長剣を翻してきた。
互いの剣が弾かれあう。エミヤは即座に再度莫耶を振り下ろした。だがそれは容易
烈な響きを上げて交錯する。
刹那、疾走はほぼ同時だった。一瞬で互いの眼前へと肉迫し、干将莫耶と黄 の 死が苛
﹁はは、なるほどな
﹂
生え際がちょっと怪しい。加えて一人称も同じ私と来た。││要するに君は何から何
﹁口が達者で剣を用い、赤い外套を着ている。酷い女っ誑しだが端正な顔立ちで、ただし
?
!
ハゲ
﹂
﹁一つ言っておくが、私の生え際はまったく怪しくないからな お前と一緒にするな
第6節:疾風と暴風
105
!
!
﹂
思ってはいるが
﹂
﹂
﹁貴様、いま言ってはならないことを言ったぞ この私を、よりもよって禿げ散らかし
た醜い豚だと
﹁よし、君はやはりこの手で殺めねばならんようだ
﹁そこまでは言ってない
!?
!
!?
その上で我が頭脳の先を行けるかな、エミヤ
!
?
きた。
エミヤが下がり、距離を取ろうとしたところでカエサルがひたすらに間合いを詰めて
﹁⋮⋮っ﹂
﹂
﹁││と、思っているのだろう だが君の戦い方を把握しているのはこちらも同じだ。
方は熟知している。であればこそ、彼を攻略する為の戦闘論理は構築可能││
だがこの男とこうして剣を交えるのは二度目である。セプテムでの戦いで彼の戦い
いるエミヤをして、辛うじて視認するのがやっとだった。
本人が自負しているように、その剣速がとんでもなく鋭く速いのだ。千里眼を持って
白兵戦に関しては呂布よりも下なのだろうが、それでもカエサルは充分手強い。
痛撃となりうる斬撃のみを確実に捌いた。
長剣が閃く。間断なく繰り出される幾条もの剣筋。掠り傷を負いながらも、エミヤは
同時に一度距離を取り、瞬間、カエサルが跳ぶように疾駆してきた。
!
!
106
ミドルレンジ
クロスレンジ
中距離からの鶴翼三連に持っていきたいエミヤだったが、その狙いは当然の如く看破
されている。カエサルは徹底して近距離での斬り合いに持ち込もうとしているのだ。
それも当然と言えば当然だ。カエサルは遠距離攻撃を持たない。加えてステータス
ではエミヤを大きく凌駕している。このまま近距離で戦い続ければ力押しで勝利を呼
び込むことができるのだ。セイバークラスは伊達ではなく、普通に戦えば勝つべくして
勝つのだから。
だが、エミヤは口元に笑みを刻んだ。
﹁把握、ね。果たしてそれは本当にそうかな 私は手数の豊富さなら、英雄王にも食ら
ろッ
﹂
いつけると自負しているぞ。私の戦術を読みきれると言うのなら││ああ、やってみ
?
オ
フリーズアウト
ン
ソードバレルフルオープン
﹁停止解凍、全投影連続層写││
﹂
バ レッ ト
クリア
﹂
着地の寸前。体勢が最も崩れるであろうタイミングで全ての投影宝具を逐次射出。
!
する。
エミヤの背後に現出する17挺の刀剣類。それを見たカエサルが転じて全力で後退
!
詠唱を行う。
トレース
ロー ル ア ウ ト
ひたすら接近し、瀑布の如き斬撃を繰り返すカエサルに対し、エミヤは防戦しながら
!
﹁投影、開始。憑依経験、共感終了。工程完了。全投影、待機
第6節:疾風と暴風
107
カエサルが持ち前の剣速を以って悉く弾いていくも3挺を被弾。
﹂
即座に次の宝具を投影し、第二波を放つ。人では担えぬほどに巨大な四本の剣。それ
を避ける隙間なく同時射出││
﹁避けれぬのならば││両断するのみッ
!
むけつにしてばんじゃく
や
ま
を
ぬ
き
だが当然、それは読まれていた。瞬く間すらなく干将を再度叩き落とし、その勢いの
莫耶を振りかぶると同時に、引き戻された干将がカエサルの背後から奇襲をかける。
﹁││心技、泰山ニ至リ﹂
ちから
意を決したように肉迫してくる。
再び投影した干将莫耶を両手に携え、一気にエミヤは斬り込んだ。カエサルもまた、
き飛ばす。
苦々しい面持ちのカエサルが、術中に嵌まっているのを理解しながら双剣を同時に弾
いかかる。
投影した干将莫耶をカエサル目がけて投擲する。陰陽の剣は弧を描いて左右から襲
﹁││鶴翼、欠落ヲ不ラズ﹂
しんぎ
だがその間にエミヤが準備する時間は充分稼げた。
なく、むしろ全力で前へと踏み込んでいき、一本の大剣を真正面から斬り裂いた。
轟然と風を抉るように突き進む四本の大剣。カエサルはそれを宣言通り避けること
!
108
つるぎ
み ず を わ か つ
ままに莫耶をも斬り砕いた。
﹁││心技、黄河ヲ渡ル﹂
﹂
振るうは干将。同時に、今度こそカエサルを斬り裂かんとして莫耶が戻ってくる。
﹁私は来た、私は見た、ならば次は勝つだけのこと││
を以って、またしても同時攻撃は捻じ伏せられた。
それこそがカエサルの全力だったのだろう。閃光と呼んで差し支えないほどの連撃
!
だが仕上げはあと一手残っている。三度目の投影で干将莫耶をもう一度現出させ、そ
せいめい
りきゅうにとどき
の刀身を強化し巨大化させる。
われら
ともにてんをいだかず
!
││唯名、別天ニ納メ。
﹂
││両雄、共ニ命ヲ別ツ⋮⋮
!
ろした││ 渾身を込めて、エミヤは体勢を崩したカエサルにオーバーエッジの干将莫耶を振り下
﹁鶴翼、三連⋮⋮
第6節:疾風と暴風
109
第7節:黒赤の騎兵
必中の間合い。そして必殺のタイミングだった。
それを、寸でのところで防がれた。
﹂
最後の攻防が終わると同時に、カエサルが転げながらも俊敏な動きで即座に距離を
取った。
﹁ふぅ。死ぬかと思った。死ぬなと思った。だが、私は死ななかった
﹁貴様⋮⋮﹂
さっていたのが幸いであったな﹂
そのふざけたような理由にエミヤは舌打ちした。
持つように握り直したそれで、刀身を殴りつけて軌道を逸らしたのだ。
て干将による斬撃をも、あろうことか咄嗟に腹から引き抜いた矢で、瞬時に鏃の根元を
そう。カエサルは体勢を崩しながらも莫耶による斬撃は黄 の 死で受けとめた。そし
クロケア・モース
たし、実際セプテムでは倒されているのだから。いやなに、たまたま腹に矢が突き刺
﹁そう屈辱的な顔などするな、エミヤ。いまのが初見であれば間違いなく私は死んでい
!
110
ただの鏃如きで剣を弾かれたのは、筋力値の決定的なまでの違いのせいだろう。エミ
ヤの筋力がマリー・アントワネットと同じDであるのに対し、カエサルの筋力は最高ラ
ンクのAである。
﹁⋮⋮以前と同じ手に頼るのは下策だったか﹂
であればこそ、二度目でも仕
防がれたのは決して偶然の産物などではない。セプテムで一度見せたが為に、タイミ
ングなどを完璧に把握されていたがゆえの必然だ。
﹁なに、鶴翼三連は君の信頼する必殺技の一つであろう
できる。
技量と怪力をも投影する。これならばカエサルの剣速にも対抗し、その膂力さえも凌駕
エミヤが投影し、左手に携えたのは巨大極まる石の斧剣だ。この武器ごと、持ち主の
﹁では、今度はお前の知らない手段でお前を打倒してみせよう﹂
い。単に今回は私が僅かに上回っただけのこと﹂
避不能の状況を作り上げるのだから、一度型に嵌まれば対処は困難。君に落ち度はな
留められる公算が高いと踏んだ。それは決して間違いではあるまい。何せ物理的に回
?
などと、襲撃者にあるまじき発言をさも平然としながら、カエサルは構えていた剣を
心が躍る。だが││私はもう疲れたので帰らせてもらおうか﹂
﹁君と戦うのは面白いな。びっくり箱のように次から次へと奇怪な戦法が飛び出てきて
第7節:黒赤の騎兵
111
だらりと下げた。
﹂
?
﹂
?
・
・
﹂
?
・
﹁知られたところで特に問題はない。君たちがトロイアと戦うのならば、いずれあの男
﹁なぜ私にそんなことを教える
回る戦力が、いまのトロイアにはあるということだ。
彼のその口ぶりが意味するところは一つである。ライダーとして現界した呂布を上
言ったのだろう。
正気を疑うような言葉だった。それをカエサルも自覚しているからこそ、敢えてと
てこんな言い方をするが、呂布如きが離反したところで、こちらの勝利は揺るがない﹂
・
がね。昨日、一万のアカイア兵を削っただけでも奴は充分な役割を果たしている。敢え
﹁私からすれば土壇場で裏切られるよりは早々に離反してもらった方が安心できるのだ
﹁なるほど、ご苦労なことだ。呂布を味方に引き留めるのに随分と必死だな﹂
くなる﹂
れはそれで呂布が再戦を望む程度には強いというわけだ。であれば、裏切る可能性が低
﹁呂布をお前たちと戦わせることだ。そのまま倒してくれてもよし、倒せぬのならば、そ
﹁目的だと
﹁マスターの命令で来たが、おそらく彼女の目的も果たされたのでな﹂
﹁⋮⋮貴様は我々を倒しに来たのではないのか
112
と対峙することになろう。そしていまの君たちでは勝つことなど到底不可能だよ。そ
れに何より、この私がトロイアに組しているのだ。これが恐らく致命的となるだろう。
いや、致命的だと断言しよう。君は、君たちカルデアはいま絶好の勝機を逃したのだ。
ここで私を仕留められさえすれば、まだどうにかなったものを﹂
﹁⋮⋮殺し損ねた私が言うのもなんだが、君ならカルデアの戦力で充分仕留められるぞ﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
﹂
﹁ああ、そうだな。確かにセプテムでもそうだった。だが私はもう君たちと戦うつもり
・
フルンディング
はない。何せ私はカエサルだ。将軍だ。あとは戦をするのみよ。ではな
郎の方もどうにかしなければならない。
であれば、思考を切り替えよう。速やかにマスターと合流し、体制を立て直す。小次
ころで黄の死に弾かれるのが関の山だ。
追 跡 は 間 に 合 わ な い。あ の 巨 体 で 恐 ろ し い ほ ど に 素 早 い の だ。赤原猟犬 を 撃 っ た と
そう言って、カエサルは身を翻して一目散に逃げていった。
!
﹂
そうしてエミヤが、風の乱舞するような彼らの戦いに眼を向けた時││
!?
◇
あり得ない光景を目の当たりにした。
﹁な、に⋮⋮
第7節:黒赤の騎兵
113
114
鳴り渡る剣戟の残響に、およそ空隙などというモノは存在しない。刃が触れ合う度に
飛び散る火花も、一瞬たりとも掻き消えることはなかった。
長時間切り結んでいたわけでは断じてない。だが小次郎と呂布が交えたそれは既に
五千合を超えている。
にも拘らず、両者が流したのは血ではなく大粒の汗のみだ。五千という数の互いの必
殺を、他の者であれば何百回と死んでいてもおかしくないはずのそれを、二人は完膚な
きまでに踏破した。
此処に来て、彼らの呼吸はまるで乱れていなかった。
呂布は元より半身半機の体である。動く要塞と称されるその身は、およそ疲弊という
概念がないくらいの耐久力を誇っている。
対する小次郎は││呼吸などという無駄な行為は早々にやめていた。
涼やかな面持ちのまま剣を振るう小次郎ではあるが、その内心には確かな驚愕があ
る。
呂布の冠絶した武技そのものに対する驚きは特にない。群雄割拠の後漢末期におい
て最強を誇ったこの英傑ならば、備えていて当然のものだと納得したがゆえだ。
小次郎が何より愕然としたのは、赤兎馬の方である。あろうことか馬という身であり
第7節:黒赤の騎兵
115
・
・
・
・
・
・
・
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・
・
・
・
・
・
・
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・
・
・
・
・
ながら、人の死角や呼吸の間隙を正確に見抜いて疾駆してくるのだ。
その結果、引き起こされる現象を小次郎はよく知っていた。
カルデアにおける後輩の天才剣士、沖田総司。桜色の着物と紅袴を着こなす可憐な少
女。小次郎に剣の指南を求めてくれた彼女が用いる〝縮地〟という技法そのものであ
る。
だからこそ、小次郎に呼吸をする余裕など最初からなかった。呼吸をすれば、その隙
を 突 い て 赤 兎 馬 は い き な り 眼 前 に 現 れ て く る の だ。そ れ は 呂 布 を 前 に し て 致 命 的 と
言ってもいい。
ゆえにそんな機能はとっくに己の肉体から削ぎ落とした。
侍は剣を握れば己の体を戦闘に適したモノに作り替えられる。現代人であるはずの
両儀式が行えるその技法を、小次郎も当然のように行うことができた。
だがそれでも縮地を完全に封じられるわけではない。小次郎の盲点に何度も滑り込
んでくる上に、そもそもがとんでもない駿足である為だ。
攻撃を避けるのも受け流すのも掛け値なしの綱渡りだった。一歩間違えれば、一ミリ
でもズレればその瞬間に死を招く。
体はもう動くなと、何度も何度も悲鳴を上げて訴えかけていた。既にその身は限界を
超えて、死の領域に片足を踏み入れている。だがそれら全てを無視して、小次郎は自ら
116
の全てをただ斬撃と回避のみに費やした。
小次郎が剣を振るう相手は既に呂布から赤兎馬へと転じている。呂布の攻撃は当然
受け流しながらではあるが、まず赤兎馬を仕留めなければ勝機がないと思ったのだ。正
に将を射んとせば先ず馬を射よ、である ││はてさて。勝てるかな、これは。
次の瞬間には絶命してもおかしくない。むしろ敗北は濃厚だと小次郎は思いながら
││それでも笑みを浮かべて剣を振り続けた。
剣を振る。それこそが小次郎にできる唯一のこと。勝つにせよ負けるにせよ、彼のす
べきことは変わらない。かつてツバメと相対した日々のように、ただそれにのみ腐心す
るだけだ。 そして、対する呂布と赤兎馬もまた、余裕など欠片もありはしなかった。
体力的な意味では呂布に何一つ問題はないが、赤兎馬の方は刻々と消耗していた。い
まだ判然としない程度に徐々にだが、その動きも鈍くなってきているのだ。
だからこそ呂布は死力を以って攻め続けた。小次郎の剣が赤兎馬を捉えるよりも前
に討ち取る為に。
涼しい顔で猛攻を捌き続ける小次郎に、呂布は驚愕を通り越して畏怖の念を禁じ得な
かった。
第7節:黒赤の騎兵
117
ゴッド・フォース
轟然と荒々しく振るっているだけのように見える軍神五兵だが、その実、一撃一撃に
籠められた技巧は彼の武の極みである。
小次郎は軍神五兵の軌道を見切り、その切っ先を横から絶妙に弾くことで全ての攻撃
を受け流している。それは宝具でもない長刀、備中青江で軍神五兵とまともにぶつかれ
ば、あっさり曲がってしまうからだろう。
ゆえに呂布は小次郎が軍神五兵を受け流そうとする瞬間に、打点をミリ単位で微妙に
ズラすことでその精緻なまでの往なしを狂わせようと試みた。
小次郎はあろうことか、それに初見で即応してきた。打点をズラしてくるのなら、そ
の分こちらも寸前で修正をかければいいとでも言うかのようにあっさりとだ。
一度目はただの奇跡だと呂布は思った。だが二度目もやられて眼を疑い、三度四度と
延々と続くうちに理解した。眼前の男は神域にあるのだと。
戦いは完全に膠着していた。どちらかが何か一つでも誤ればその瞬間に決着は着く
だろうが、此処に来てそんな失態を犯す両者ではなかった。ゆえに、この戦いはなおも
続く。
そのうちに赤兎馬が、無言で呂布に語りかけてきた。そろそろ一度退くべきだと。
赤兎馬自身が己の体力の消耗を考えて、このままでは自分自身が討たれると思ったか
らだろう。だがそれは決して怯懦ゆえの提案ではなかった。
118
赤兎馬は小次郎を恐れて逃げたがっているわけでは断じてない。むしろこのまま死
ぬまで戦いの中で駆け続けることこそを望むだろう。
赤兎馬は呂布の同類だ。戦いの中でしか生きられない、飢えた獣である。呂布が死
に、その後に懐いてもいない関羽の騎馬となったのも戦いの中に身を置く為だ。そして
関羽が死に、自らを駆るに相応しい男が誰もいなくなったの理解して、草を食むのをや
めて死を選んだのだ。
だから赤兎馬は単に、己のせいで呂布が負けるのが許せないのだ。
であればこそ、呂布はこの戦いをやめるわけにはいかなかった。
かつて月でサーヴァントとして召喚された時は、妻によく似た少女がマスターだっ
た。だからこそ、彼女の為だけに戦う傀儡となることを良しとした。
だがいまの呂布はライダーだ。赤兎馬という最高の名馬を駆る一人の男だ。お前の
主は最強なのだと、赤兎馬に示す為に戦わなくてはならないのだ。
ゆえに撤退はない。眼前の男を赤兎馬と共に打倒する。赤兎馬と共に戦うことこそ
が彼の望みだった││
不意に、ようやく剣戟は収まった。赤兎馬が仕切り直すように距離を取ったのだ。
小次郎も追撃はかけず、一度足を止めた。僅かでもいいから休みたかったのは彼も同
じだ。
小次郎は大きく息を吸い、吐き出し、それで気息を整えた。
死の領域で動き続けたせいで体への負担は尋常ではなかった。だが然程の問題もな
い。体は斬撃を放つ為だけにある。五臓六腑が痙攣していようとも、腕の振りの速さは
衰えていない。ゆえに││││全力でそれを放てる。
そうして小次郎は、物干し竿を頭のすぐ後ろで水平に構えた。
﹁決着を着けようか。呂布奉先、そして赤兎馬よ。我が秘剣を以って、貴殿らを斬る﹂
﹁⋮⋮いいだろう。受けて立つ﹂
呂布が決然と軍神五兵を両手で構えた。彼ほどの騎手ならば手綱を握る必要すらな
い。足の締め付けだけで、赤兎馬とは阿吽の呼吸なのだろう。
方々ではワイバーンの鳴き声やトロイア兵の絶叫が響いている。だが、そんなものは
既に聞こえない。余計な情報を全て頭の中から閉め出した。ゆえに小次郎にとって、こ
の一瞬は限りなく静謐に近かった。
いつになく、小次郎の心臓は大きく脈を打っていた。緊張ではない。強いて言えば興
奮だった。何か、予感がある。いまから起きる光景こそが、自分が待ち望んでいたモノ
なのだと。そういう曖昧な、けれど妙なまでの確信があった。
赤兎馬が疾駆した。呂布が軍神五兵を頭上高くに振り上げた。
﹁秘剣││燕返し﹂
第7節:黒赤の騎兵
119
己の射程に入った彼らに、小次郎は全霊を以って剣を振るった。
それこそが彼の究極の一。魔術に頼ることなく第二魔法の領域に到った業。一刀を
以って、全く同時に三つの斬撃を放つ回避不能の魔剣である。
それは文句なく正常に放たれた。足場は平地である為に問題なく、刀も少しも曲がっ
てはおらず、ゆえにこの燕返しは完璧である。
それを、赤兎馬は完全に回避した。
三つの斬撃を放った瞬間、回避不能の牢獄の中から赤兎馬と呂布が消失していたの
だ。気づけば彼らは、小次郎と大きく間合いを取っていた。
小次郎はそのあり得ない光景に愕然としながら、思考を停止させながら││歓喜に打
ち震えた。
笑みが堪えられない。嬉しくてたまらないのだ。感動で涙さえ出そうだった。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
小次郎はついに、かつてのツバメ以上の難敵と会い見えることができたのだ。これが
僥倖以外のなんであるというのだ。
﹁ともあれ、感謝しよう。呂布、そして赤兎馬よ。貴殿らのお陰で、私は新たな秘剣開眼
た男はお前が初めてだ﹂
﹁貴様こそ多重次元屈折現象とは馬鹿げた真似をしてくれる⋮⋮赤兎を此処まで焦らせ
﹁ク、その馬はつくづくとんでもないな。よもや、次元をも跳躍できるとは思わなんだ﹂
120
第7節:黒赤の騎兵
121
の機会を得られたのだ⋮⋮
││いざ、勝負⋮⋮
﹂
││俺が奴を先に斬れるか。
││私が奴らを先に斬れるか。
が飛び込んできたところを俺が先んじて斬ればいい。それが決まれば俺たちの勝利だ。
││と、奴は考えているはず。ならば二度目の燕返しが繰り出されるよりも前に、奴
を放つ。それが決まれば私の勝ちだ。
ところで、その直後の次元跳躍は流石にできまい。そこに瞬時に駆け、二度目の燕返し
││見たところ赤兎馬はいまので疲弊した様子。であれば再度の次元跳躍を行った
次こそはという、更なる高みへの向上心のみ。
中にある念は一つだけ。
さもありはしない。そんなモノツバメとの戦いで幾らでも味わってきた。だから彼の
いままでになく、嬉々としながら小次郎は再び構えを取った。避けられた屈辱も悔し
!
赤兎馬が地面を蹄で引っ掻いた。自らの足の状態を確かめたのだ。あと一度の縮地
修羅の如き獰猛な笑みを。
それでも二人は等しく笑みを浮かべた。一方は涼風の如き穏やかな笑みを。一方は
互いに懐くのは死への念。分が悪い勝負だと、互いがそう認識していた。
!
122
ならば可能だ。
だが赤兎馬は躊躇っていた。なぜならわざわざ小次郎の懐に飛び込まずとも、呂布な
らばなら苦も無く彼を打倒できるのだから。
小次郎の剣技が宝具の域にあろうとも、所詮は対人宝具の範疇を出ない。であれば、
対城宝具としての軍神五兵で抵抗すら許さず粉砕できる。
それでもなお、呂布が赤兎馬に小次郎に向かわせようとしているのは、全ては赤兎馬
の誇りの為である。
なるほど軍神五兵の射撃を放てば小次郎は倒せるし、それは間違いなく呂布の勝利と
言えるだろう。だが、それは〝呂布と赤兎馬〟の勝利を意味しない。それでは意味がな
・
・
・
いと、呂布はその選択肢を即座に切り捨てたのだ。
││真正面から奴を切り捨ててこそ、俺たちの勝利に他ならない。
無言でも伝わってくる呂布の意志に、赤兎馬もようやく腹を括った。己を信じ、主を
信じ、勝利を信じる。
赤兎馬が雄々しく嘶いた。全速力で駆け、ツバメ返しに対し縮地で瞬時に距離を取
る。そうすればあとは即座に間合いを詰めてきた小次郎が燕返しを放とうとし、呂布が
先んじて斬るだけだ。
そうして赤兎馬が疾駆しようとしたその瞬間である。
第7節:黒赤の騎兵
123
頭上より、豪雨の如く矢が降り注いできた。
◇
混戦は極めに極めてきた。
雄叫びとも悲鳴ともつかないような絶叫が、絶え間なく鼓膜を揺すりに揺する。同時
に視界を赤一色に染める紅蓮の焔とで、とっくにわたしから平衡感覚を没収していた。
ちょっとでも気を抜けば、その場で崩れ落ちていただろう。いまもなお力の入らない
足で、どうにか立っているだけなのだ。
決してマシュたちが頼もしくないわけじゃない。きっと自分を守ってくれるだろう
と信じている。それでも狂気的な眼の色で殺しにかかってくるトロイア兵に迫られれ
ば、体は勝手にぴくりとなって震えてしまう。
気合でそれを抑えつけた。表情筋を押し殺し、さも超然と佇み続ける。わたしこそが
カルデアのマスターなのだと、敵にも味方にも誇示するように。
いざ戦闘が始まれば、わたしにできることはごく限られていた。
カルデアから支給された魔術礼装には、それぞれ三つの強力な魔術を行使する為の機
能が付加されている。けれどそれも、使用できるのは長時間で一回ずつが限度である。
124
何せわたし自身の魔力量など、取るに足らないくらいしかないのだから。
いまわたしが着ている白いブラウスと青いスカートの魔術礼装は、名称を〝アニバー
サリー・ブロンド〟。五つある魔術礼装の中では、特に攻撃の補助に優れた能力を備え
ている。
けれどこうも乱戦のような状態を呈していると、魔術の使いどころが難しい。戦況を
把握するのにも一苦労だ。
やはり汎用性を重視して、〝カルデア〟の制服を着てくるべきだったかと後悔する。
胸元の上下のベルトで胸の大きさを強調するようなデザインがちょっとイヤだなんて、
してはいけないわがままだった。
とはいえ、アニバーサリー・ブロンドが優れた礼装であることは間違いない。選んだ
一番の理由も、いま連れているメンバーと抜群の相性を誇るからだ。
話が脱線したけれど、あとはもうわたしにできることは二つのみ。
第一に令呪だ。一つの特異点で最大三画まで使用できるそれは、戦況を左右するほど
の力を持っている。ゆえに徒に使用することはできず、逆にいざという時は躊躇わず切
らなくてはいけないジョーカーである。
さっきはエミヤが呂布に斬られそうになったところで使おうとしたけれど、小次郎が
実体化して走り出したところで使用をギリギリ思い留まった。彼ならば間に合うと確
信していたからだ。
そこから先は、令呪を使うべき機会はいまのところない。乱戦状態と、周囲に燃え広
がる焔がいよいよ酷くなり過ぎて、判断がつかないとも言う。
だからいま、わたしにできるのはただ毅然とあることのみだった。マシュに決して怯
えを見せず、彼女を焦らせないこと。不安にさせないこと。大将であるわたしが動じれ
ば、それは彼女に波及する。それだけはしてはいけないと、自分自身に言い聞かせた。
四つの特異点を超えて戦いにも慣れただろう。それでもわたし同様に内心の恐怖は
間違いなくあるはずだ。だから彼女のマスターであるわたしは堂々として、彼女の拠り
﹂
所でなくてはならない。それだけが、ほとんど何も役に立たないわたしができる唯一の
ことなのだから。
﹁マスターちゃん怪我はない
ジャンヌ・オルタが必死に駆けつけに来てくれた。
いよいよマシュが対処しきれなくなってきたところで、敵兵を旗で薙ぎ倒しながら
!?
い隠して、満面の笑顔でわたしは告げた。
声は震えそうだった。安堵のあまり、いまにも足腰が崩れそうだった。それを全部覆
ちゃん﹂
﹁⋮⋮うん、マシュが守ってくれたから五体満足。心配してくれてありがとう、オルタ
第7節:黒赤の騎兵
125
﹁し、心配
﹂
少しもしてませんっ ええ、本当にこれっぽっちも。マスターちゃんを
守るのは、あくまで契約上の理由ですからね
!
なく優しさというモノを備えていた。
でもその根底にあるのはきっと聖女である方の彼女と同じ。悪い子でも、彼女は間違い
全てに復讐することを誓った竜の魔女。性格が捻くれた悪い子ではあるけれど、それ
!?
!?
﹁ホント、忌々しい農民。フランスじゃ大体あいつのせいで敗けたのよね、私﹂
取るとは﹂
﹁呂布が化物なのは当然だが、やはりあの侍も大概だな。あの呂布をまさか一人で相手
実鎌鼬に他ならなかった。近づけばその瞬間、風の刃によって何もかもが粉と化そう。
それは比喩ではなんでもない。彼らが一瞬のうちに五撃、六撃と繰り出す斬撃は、真
広がる焔が立ち入る余地すらない死の領域である。
その先では風が渦巻いていた。疾風と暴風が荒れ狂っているのだ。そこだけは燃え
言いながら、孔明がとある方向へと眼を凝らす。
め、その間に離脱しよう。問題は⋮⋮﹂
﹁こ こ か ら 立 て 直 す ぞ。わ た し は 宝 具 発 動 の 準 備 に 入 る。石 兵 八 陣 で 敵 を 全 て 閉 じ 込
次いで疲れた顔の孔明とパリスさんが、カサンドラさんを守りながら合流した。
﹁無事のようだな、マスター﹂
126
可愛らしさが台無しになるくらいの本当に嫌そうな顔でジャンヌ・オルタが同意し
た。
総合的な能力で見れば、小次郎は決して強いサーヴァントではないだろう。だがこと
白兵戦に限って言えば話は別だ。
小次郎は第三特異点においても、孔明の補助を受けていたとはいえ、真っ向からヘラ
クレスを引きつけるという役を十全に果たしてくれた。攻撃がまったく通らず、明らか
ゴ ッ ド・ ハ ン ド
に相性が最悪なのにも拘らずである。
彼の大英雄の破格の宝具〝十二の試練〟に対して相性のいいエミヤもいたので、もう
アークなくても勝てるんじゃないかな、と少し思ったくらいだ。結局はアークで倒した
けれど。
とにかく、小次郎は負けない戦いというのが呆れるほどに巧いのだ。きっと呂布が小
次郎に致命打を与えられないのも、無理に攻めれば相討ちになると悟ったからだろう。
二人の必殺の応酬は未だ続いている。端から私には、何もかもが認識できない速さの
領域で行われている。令呪や礼装でサポートすることなど出来やしない。
トロイア兵の関節などを矢で狙い撃ち、殺さず無力化しながらパリスさんは言った。
るエミヤくんとあっちの小次郎くんが、上手く敵を引き離せればと﹂
﹁で、ボクたちは孔明さんの宝具発動の時間を稼げばいいんだね。あとはタイマンして
第7節:黒赤の騎兵
127
﹁引き離せればいいがな。いよいよとなったら、君が一矢を投じるしかないぞ﹂
﹂
!
﹂
?
﹂
?
女の心を射止めようと彼女に授けた力である。
・
・
・
・
・
カサンドラさんの予言の力。それは愛多き太陽神アポロンが彼女に惚れてしまい、彼
彼女のやろうとしていることを察して、孔明が厳しい面持ちで言葉を濁す。
﹁予言か。だがそれは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮わかりました。少し待っていてください。いま、観てみます﹂
た。
決まりが悪そうにしていたのも束の間だ。パリスさんは真剣な表情で彼女を見つめ
しさ。まぁいいけど。││ところで、何かいい打開策はないのかい
﹁ぐ、ぬ。相変わらずカサンドラはボクに冷たいよね。お兄ちゃんとも呼んでくれない
流し目で格好つける彼に、容赦なく冷酷にカサンドラさんが笑顔で即答した。
﹁それはないです﹂
﹁ふぅん、惚れちゃったかな、キミたち
嘆の声を上げてしまうような弓術の冴えだ。
迫りくる十人の敵兵全員の足首を、パリスさんが一呼吸の間に矢で射抜く。思わず感
るけどね。それにこっちはこっちで││別に余裕があるわけじゃない、と
﹁エミヤくんたちの方はともかく、彼らに横槍を入れるとボク殺されそうな雰囲気出て
128
しかしカサンドラさんはその予言の力で、将来アポロンが自分に飽きて捨てる未来が
見えてしまい、彼の求愛を拒んだのだ。怒ったアポロンは彼女に虚言の呪いを施し、彼
女の予言が他者の誰にも信じてもらえなくなるようにした。うん、アポロン酷い。どう
してこう、ギリシャにはアレな人間や神さまが多いのだろう。オリオンがギリシャ狭い
なと嘆くのもわかる気がする。
数秒間瞑目していたカサンドラさんが、不意に眼を開けた。
﹁パリス、耳を﹂
言われたとおり耳を寄せたパリスさんだけに、小声で何かが告げられる。
それを聞き終えた瞬間、彼は驚愕で眼を見開いた。 死にかけで、いますぐにも簡単にトドメをさせる彼を、
?
﹂
戦車に括りつけて何日も何日も兄さん引き摺ったアイツをッ、いまは討つなと⋮⋮そう
﹁⋮⋮それで、彼を見逃せと
言うのかお前は
!?
右手は震えに震えている。血はすぐに滴り落ちてきた。心の奥底から込み上げそう
葛藤していた。
トロイアを滅ぼすという言葉さえ平気な振りをして発してみせた彼が、露骨なまでに
﹁││っ﹂
﹁ええ、彼を失えば世界が滅ぶ。私たちは⋮⋮彼と、力を合わせなくてはなりません﹂
第7節:黒赤の騎兵
129
になる何かを、必死に堪えようとしているようにわたしには見えた。
そうして彼は一度大きく呼吸をし、震えた声を絞り出した。
﹁それで、つまり我々はどうすればいい
孔明が言った。
﹂
本当かどうか怪しい話ではあるけれど、少なくとも嘘だとは思わなかった。
きた戦車で逃げれば撒けるから﹂
こも安心してほしい。で、あとは孔明さんの石兵八陣で敵を足止めして、援軍が乗って
唯一の問題は、ボクがそいつへの殺意を抑えられるかだけだけど、全力で耐えるからそ
﹁大丈夫、このまま耐えていればすぐに二人援軍が現れる。片方は死にかけだけどね。
じることができるのか、わたしには少し不安があった。
その言葉の裏にある意味は、この場にいる全員が理解していた。だからその言葉を信
﹁⋮⋮これはカサンドラとはなんの関係もない、ただのボクの予想として聞いてくれ﹂
?
るのなら、ボクも耐えるさ﹂
﹁⋮⋮気にしなくていいさ。この葛藤は、キミの心の中にあるんだろ。キミが耐えてい
悄然と俯くカサンドラさんに、パリスさんが微笑みかける。
﹁ごめんなさい、パリス⋮⋮﹂
﹁⋮⋮わかった。いずれ彼はこの手で討つが⋮⋮いまは、いまだけは⋮⋮見逃そう﹂
130
﹂
﹁そうか、君にはもう既に太陽神が憑いているのだな。だから彼女の言葉を君だけは信
じられる。そうだな
だとしたら彼の腕前をもっと見てみたいな。ボクは
?
まだまだ半人前だからね。是非参考にしたい﹂
かしてそっちが本職なのかい
﹁ああ、なるほど。最初助けてもらった時、矢を射たのはエミヤくんだったんだね。もし
てやりたいものだ﹂
﹁やはりアーチャーは後ろにいるべきだとつくづく思うよ。何処かの赤い男にも聞かせ
だ。前衛を務めるマシュとジャンヌ・オルタを後方から魔術と射撃で支援をする。
頷きを返すと、孔明は宝具の下準備をしながら再び防衛戦に加わった。パリスさんも
耐えるぞ﹂
﹁了解した。これ以上の詮索はやめておこう。ではマスター、あと一押しだ。それまで
言葉を信じられなくなる可能性もあるからね。線引きはすごく微妙っぽいんだ﹂
﹁孔明さんは鋭いね。でも一応言葉は濁しておくよ。答えたせいで、キミたちがボクの
?
浮かない顔をしていた。
二人とも、なんだか楽しそうだ。そんな風に思っていると、隣ではカサンドラさんが
うなモノではないぞ﹂
﹁私には充分超一流に見えるがね。少なくとも私が出会ってきた弓兵に、決して劣るよ
第7節:黒赤の騎兵
131
﹁どうしたの
﹂
?
﹁マシュ、そこ竜の牙あるから回収よろしく
﹂
!
!
﹂
やはり、鏡を見ているようだった。だから彼女が自分自身を見限っているのが、わた
自嘲気味に薄く微笑んだ彼女は、無力感に酷く打ちひしがれているように見えた。
局、私は独りでは何もできないんです﹂
﹁それはパリスがいてくれたからです。本来であれば私の言葉は誰にも届きません。結
と思う。だってカサンドラさんは、いまも道を示してくれたじゃない﹂
﹁いきなり大声出してごめんね、カサンドラさん。でも、何もできないなんてことはない
本来の力を取り戻すだけなのにあんな要求してくるのだろう。
ない。でも牙や証や凶骨は幾つあっても足りないから仕方ない。ホント、なんでみんな
半ば反射的に指示していた。カサンドラさんに対してちょっと失礼だったかもしれ
ますね
﹁はい、先輩 床で臥せっていて来れなかった沖田さんへのいいお見舞いの品になり
!
らでは間に合わないでしょうし⋮⋮﹂
転がっているワイバーンの牙を使えば竜牙兵くらいなら作ることもできますが、いまか
く教わった程度の私の魔術では、いまさらお役に立てることはなさそうです。あそこに
﹁何もできないのは、苦しいですね⋮⋮孔明さんは凄腕の魔術師のようですし、母から軽
132
しはどうしても納得できない。
﹁⋮⋮無力なのは、わたしも同じだよ。わたし独りじゃ、きっとあの炎の中で何もできず
に死んでいた﹂
炎の只中にいるというのは、わたしにとってはトラウマに近い。特異点Fで、心を削
りに削られたのだ。だからちょっとだけ、ジャンヌ・オルタに一言くらい言いたい気持
ちはあったりする。守ってくれて本当に感謝しているけれど、もうちょっと大人しめに
行こうよ、と。
いまはまだ、その答えを選べない。選ぶ勇気も、選ぶ覚悟もないんだ。人の命を取捨
る。きっとわたしに課せられた試練とは、それを選ぶということ。
答えはいずれ出さなくてはいけない。そしてその答えは、多分最初から決まってい
な選択肢を突きつけられた。正直、どうしていいのかまだわからない。
今回の特異点は、いままでとは違う。とても重い、なんて言葉では言い表せないよう
あの男に囁かれても、それでもわたしはここに来たのだ。
だからいま、ここにいる。怖くてもこの特異点にやってきた。諦めるのが一番楽だと
は負けたくないんだ﹂
ばいいなんて思わない。⋮⋮そうだ、わたしは何もできないからこそ、せめて心でだけ
﹁わたしは無力で何もできない。それはわかってる。でも何もできないからって諦めれ
第7節:黒赤の騎兵
133
選択することを恐れている。
当然と言えば当然かもしれない。だって人類最後のマスターなんてモノをやってい
るのは、ぶっちゃければただ状況に流された末の結果に過ぎない。たまたま一人だけ生
き残ったからそうなっただけ。拒否すれば人理崩壊待ったなしと突きつけられて、断る
なんて選択肢は選べない。人類の未来を背負う覚悟はなかったけれど、人類の未来を終
わらせる覚悟はもっとなかったという、ただそれだけの話だ。
きっとわたしはまだ、本当の意味でマスターなどではないのだろう。何もかも、足り
ないモノが多すぎる。
でも、いまのままの自分ではなんか悔しい。倫敦での戦いを経て、そう思ったのだ。
ながら、多分同時に自分自身を慰めた。
いまだってつくづく自分が卑怯だと思う。わたしはカサンドラさんを慰めようとし
ら﹂
﹁ううん、そんなことない。ないんだよ。わたしは弱い癖に、ただ負けず嫌いなだけだか
﹁⋮⋮貴女は、強い方ですね。ちょっと羨ましい﹂
なんて負けちゃだめ﹂
らカサンドラさんも負けちゃだめだよ。何もできないから諦めればいいと囁く誰かに
﹁カサンドラさん、わたしは独りでは何もできないけれど、それでも負けたくない。だか
134
﹁ひとまずはここをいっしょに乗り切ろう。独りじゃ何もできないって言うけれど、も
うわたしも貴女も独りじゃない。ここには頼れる人たちがいっぱいいるから。⋮⋮い
誰かと協力すれ
つだったか偉大な王が言ってたよ。覇道を拓くのに、揮う力が誰のモノかなんて関係な
い。それを如何にして御し、導くか⋮⋮大事なのはそれだって﹂
﹁は、覇道ですか。あの、そういうのは別に⋮⋮むしろあまり⋮⋮﹂
﹁あ、いやっ、別に世界征服しようとか言ってるわけじゃないんだよ
!?
うちのオルタちゃんだって脳筋だから焔ばら撒いて力任せに旗振って
ば自分にできないことや、相手ができないことだってできるようになるよねって言いた
いだからね
!
﹂
るだけで、敵に強力な一撃を入れるにはみんなでお膳立てしてあげなきゃ全然ダメダメ
だし
!
﹁マスターちゃん、ばっちり聞こえてるんだけど あとで話あるから覚えてなさいよ
﹂
!?
!?
たことができるから﹂
﹁だからカサンドラさんもみんなといっしょに戦おう。そうすればきっと、できなかっ
ジャンヌ・オルタの言葉をガン無視し、わたしはカサンドラさんに微笑みかけた。
きなくても、みんがいれば、きっとなんだってできるんだ﹂
﹁⋮⋮でもみんなで力を合わせれば、みんなが普段以上の力を出せる。独りじゃ何もで
第7節:黒赤の騎兵
135
﹁私は⋮⋮﹂
カサンドラさんが口ごもる。きっと躊躇いも迷いも、怖さもあったのだろう。痛いほ
ど、わかる気がする。
それでも。それを全部踏み越えて、彼女は言葉を続けてくれた。
│﹂
﹁⋮⋮うん。なら貴女のその力で、どうかわたしたちを導いて﹂
﹁││ええ、わかりました﹂
怯えが混じりながらも、その頷きは決然としていた。
呼びかけた彼をカサンドラさんは力強い眼差しで見つめ、ただ無言で頷いた。
?
﹁パリス﹂
孔明さん、準備はオーケー
﹂
﹁⋮⋮わかった。皆、そろそろ援軍が来てくれる
﹁ああ、いつでも行ける﹂
﹁じゃ、まずはボクから派手に決めるとするか
!
﹂
!
魔力が籠められた矢を、パリスさんは頭上高くへと撃ちこんだ。瞬間、天空より降り
﹁太陽神よ、汝の力を借り受ける。我が一矢を、日輪より降り注ぐ災禍とせよ
パリスさんが意気揚々と弓を構える。敵ではなく、遥か上空の太陽へと向けてだ。
!
﹂
﹁私も⋮⋮諦めればいいと囁く自分に、負けたくない⋮⋮みんなの、一助になりたい│
136
ポイボス・カタストロフェ
注ぐ矢は、空を黒で埋め尽くすほどの群れとなって全ての敵へと殺到した。
麗しのアタランテの〝 訴 状 の 矢 文 〟にも似た範囲攻撃を、トロイア兵は避けること
もできない。
矢に射抜かれた彼らは、誰しもが特に傷を負ったりはしていない。ただし、急に彼ら
の動きが著しく鈍くなった。中には倒れ伏し、そのまま起き上がれない者まで混じって
いる。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
﹁〝災厄の矢〟って奴だよ。一日、二日は熱があるだろうから安静にしててくれよ、トロ
﹂
イアのみんな。││と、予言的中。確かに見えてきた。〝疾風怒濤の不死戦車〟が⋮⋮
にわたしたちの眼前まで駆け抜けてきた。
そしてその戦車を我が物顔で駆るのは、一人の可憐な騎士だった。
﹂
こ
い
つ
等
ボクが来たからに
?
!
悪者は当然、寄って集って襲いかかってきてるトロイア兵だろ
は十人力だからね
﹁英雄なのに十人力しかねぇのかよお前⋮⋮﹂
!
!
る三頭立ての戦車。それはすぐさま焔の海の中へと割って入り、その速度を以って一気
全員がパリスさんの視線の先に眼を向けた。遥か遠方から、ものすごい勢いで迫りく
!
﹁シャルルマーニュ十二勇士、アストルフォ見参 たまたま見かけて助けに来たよ
第7節:黒赤の騎兵
137
車台から寝そべったまま衰弱しきった声でツッコミを入れたのは、死体同然の蒼褪め
た顔色の青年だった。
﹂
?
﹁⋮⋮いいのか、俺はお前の兄を﹂
しい﹂
﹁諸事情があってね。それより、此処からすぐに離脱したい。キミたちの力を貸してほ
⋮⋮
﹁⋮⋮って、よりにもよって、パリスかよ⋮⋮トロイア兵に、なんでお前が襲われてる
ていた。
二人のやりとりにパリスさんが割って入る。射抜くような視線を、病人の彼へと向け
﹁││アキレウス﹂
謝してるんだから﹂
にお礼は受け取ってくれよ。ボクはキミのお陰でボクの大事な人を守れてホントに感
﹁あ、そっか。キミからしたら未来の話というか、また別の話だったね。まぁでも、素直
こっちは⋮⋮﹂
﹁お前もうホント帰れよ⋮⋮楯のお礼とか意味わかんねぇし、貸した覚えなんてねぇよ
どこにいるか知らないけど﹂
﹁あ、もう、病人は寝てなよ。ボクが治せる人のところまで連れて行ってあげるからさ。
138
まさか、とパリスさんが不敵に笑う。
﹁君のことはいずれ殺すさ。だが、それはいまじゃない。いまは他に、やらなければいけ
ないことがあるからね﹂
﹁⋮⋮わかった。と言っても、いまの俺はクソの役に立たん。だから任せたぞ、アストル
おーい、ジャンヌ、と楯持ってる子 敵全部散らすからそこから
!
フォ﹂
﹂
﹁おう、任せとけ
離れて
!
人一人包むほどの大きさへと膨れ上がった。
ブ
ラッ
ク・
ル
ナ
﹂
!
御者任せてるだけだぞ
﹂
!?
!
られたように一斉に背を向けてこの場から離れていく。
﹁勝手にテメェのモノにしてんじゃねぇよ
意外と元気そうな彼、アキレウスであった。
!
﹂
甲高い角笛の音がトロイア兵へと襲いかかる。それを聴いた彼らは、唐突に恐怖に駆
ルフォが全力で笛を吹き鳴らした。
マシュとジャンヌ・オルタが自分の宝具の射線上から離れたのを見て取って、アスト
﹁それじゃあみんな一気に潰走しちゃえよっと││恐慌呼び起こせし魔笛
ラ・
声を張り上げながら、アストルフォが腰に備えていた角笛を手に取る。瞬間、それは
!
﹁よし、それじゃあみんないまのうちに僕の戦車に乗っちゃって
第7節:黒赤の騎兵
139
﹁││援軍か。頼もしいじゃないか﹂
と、カエサルと戦っていたはずのエミヤがいつの間にか傍にやって来ていた。
だがその表情は優れない。エミヤはわたしに向き直ると目を伏せた。
パリスさんといっしょに呂布を狙い撃っちゃって﹂
﹁真剣勝負に横槍を入れれば小次郎が怒るんじゃないのか
?
もう逃げるから戻ってきて
﹂
!
を示していた。
﹁ごめん小次郎
!
布が目まぐるしく軍神五兵で打ち落としている。その荒々しさは露骨なまでに苛立ち
瞬時に赤兎馬が駆け出した。だがエミヤとパリスの狙いは正確無比。避けた先で、呂
放ち始めた。
そうして二人は、小次郎と一歩も動かずに対峙していた呂布へ向けて豪雨の如く矢を
﹁うん、キミの腕前、見せてもらうよ﹂
は借りもあるしな。やるぞパリス﹂
﹁そうか。奴は冬木からの最古参だったな。では遠慮なく邪魔させてもらおう。呂布に
﹁謝ればきっと大丈夫。小次郎とは長い付き合いだから﹂
﹂
﹁ううん、エミヤが無事でよかったよ。さぁ、小次郎を回収して逃げよう。早速だけど、
﹁すまない、マスター。カエサルを逃した。恐らく、致命的な失態だ⋮⋮﹂
140
わたしは声の限りに叫んだ。返ってきたのはこれ見よがしな、やれやれというポー
ズ。
﹂
けれどすぐに刀を鞘に納め、こちらへ走ってきてくれた。 ﹁待て。まさか逃げるのか、佐々木小次郎
つけよう﹂
!
﹂
魔力を放つその石は霧を生じさせ、外界からの光を遮断した。
小次郎を追撃しようとしてきた呂布の周囲に、突如として空から石柱が落ちてくる。
﹁悪いがそこまでだ、呂布奉先。石兵八陣
﹁いや、逃がさん。貴様はここで倒すッ
﹂
果し合いよりも、マスターの命を優先させてもらう。もう一度相見えた時にこそ決着を
﹁悪いな、呂布。私は一人の剣士である前に、マスターの護り刀ゆえな。そなたたちとの
!?
!
出てこれない。
!
そうにしながらも高らかに宣言した。
自分こそがこの戦車の主なのだと主張するように︵実際そうだけど︶、アキレウスが辛
﹁よし、全員乗ったな。出せ、アストルフォ
﹂
声が途切れる。石兵八陣の封印結界に呂布を完全に閉じ込めた。これでしばらくは
﹁なに││﹂
第7節:黒赤の騎兵
141
142
アストルフォが手綱を振るう。三頭の馬が疾駆し、瞬く間に呂布がいた場所から離れ
ていく。
敵はもういない。完全な安全圏に入ったと言えよう。
かなりのぎゅうぎゅう詰めではあるけれど、戦車の車台に座っていて助かった。緊張
が切れたせいで、しばらくは歩けそうになかったから。
ようやくわたしは、安堵のため息を吐くことができたのだった。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
第8節:別行動
〝疾風怒濤の不死戦車〟は、スカマンドロス河のほとりで停められた。
クサントスたち三頭の馬が実は本調子ではないらしく、本来のスピードは三割も出せ
ず、長駆するのも控えた方がいいのだとアキレウスが言ったからだ。なんでも宝具と宝
具の鬩ぎ合いの余波を受けたせいで、全身打撲のような状態にあるのだとか。
それでも彼ら三頭は痛みに耐えて、昨日今日とひたすらに走っていたらしい。それだ
け主のことを助けたかったのだろう。
ともあれ流石に疲労は著しいので、一時の休息を取ることにしたわけである。
馬を休ませ、また孔明とカサンドラさんが三頭に治癒魔術を施している間に、河のす
ぐ側で腰を下ろしたわたしたちは改めて話し合いをすることにした。
まずはわたしたちカルデアのことをアキレウスやアストルフォに説明し、その目的な
ども事細かく、かつできるだけわかりやすく彼らに伝えた。
起き上がることもできないらしく、アキレウスは戦車の御者台で寝たままだ。本当は
﹁⋮⋮なるほどね、オッサンが甦ったのにはそういう理由があったわけか﹂
第8節:別行動
143
喋るのも相当に辛いらしい。
実際顔色どころか、全身が蒼褪めていた。そのまま彼が眼を瞑って動かなければ、死
体にしか見えないほどである。
﹁愛好した覚えねぇぞ
﹁えーと、女装愛好家
﹂
﹁だから、俺とお前がどういう仲だってんだよ﹂
﹁連れないなぁ。ボクと君の仲じゃないか﹂
笑顔のアストルフォに、アキレウスがうんざりしたように言った。
﹁いや、知らねぇ仲だから。お前とは完璧初対面だっての⋮⋮﹂
たからね。ほっとけなかったんだ﹂
﹁ボクとばったり会ったってわけ。アキレウスとは知らない仲じゃないし、恩義もあっ
んで手当たり次第に近くの街を訪ねてたところで﹂
アイツでも不可能らしく、しかたねぇから陣屋を出て他に治す手段を探してたんだ。そ
くれた、一時的に痛覚を殺す薬を服用して誤魔化してるだけだからな。つっても解毒は
﹁いや、実際狂いそうだったさ。気分自体も最悪だ。いまは軍医のマカオンが処方して
エミヤの言葉にアキレウスが力なく苦笑する。
﹁だが、ヒュドラの毒矢と来たか。よく発狂しないで済んでいるな⋮⋮﹂
144
﹂
!? ?
﹁あれ、でも確か、スキュロス島にいた時は女の子の格好して暮らしてたんでしょ
﹂
﹁人の恥ずかしい過去を掘り返すんじゃねぇよ あ、アレは母に身を隠してくれと泣
?
頼むから
﹂
!
宥めるエミヤの言葉に、まったくとアキレウスが溜息を吐いた。
だ笑い話にして誤魔化せる類のモノだろう﹂
﹁落ち着きたまえ。誰しも恥ずかしい過去の一つや二つはあるものだ。君のそれは、ま
﹁こらそこ、イメージするのをいますぐやめろ
とキャッキャウフフしているわけだ。ちょっと吐きそうになった。
さんが着ているような長衣〝キトン〟。それを着こなした彼は、年頃も同じ女の子たち
アキレウスの女装姿を思い浮かべてみる。筋骨逞しい彼の体を包むのは、カサンドラ
きつかれて、一時的に仕方なくであってだな⋮⋮﹂
!
!
﹁││それにしても、サーヴァントね。てことは、やっぱあの男はヘラクレスだったの
か﹂
﹂
?
スなのか
﹂
﹁ヒュドラの毒矢という時点でまさかとは思ったが、君にそれを射たのは⋮⋮ヘラクレ
顔を凝視した。
いま、とんでもない単語を聞いた気がして、わたしは思わず首を傾げてアキレウスの
﹁え⋮⋮
第8節:別行動
145
?
答えを聞きたくなさそうな顔のエミヤの問いに、アキレウスが頷く。
喋っちゃったの
・
・
・
・
・
まさか、理性、あるの⋮⋮
﹂
?
色を失って戦慄していた。
﹁⋮⋮喋ったの
?
唸るエミヤの言葉ももっともだ。理性のあるヘラクレスなんて、まず最初の一殺がで
全戦力をぶつけても、勝てるかどうか⋮⋮﹂
﹁カエサルが言っていたのはこれか⋮⋮確かに理性のあるヘラクレスなら、ここにいる
るほどだ。間違っても理性を失っててできるような芸当じゃねぇ﹂
弓術もパリスと同等⋮⋮いやそれ以上だった。あれはケイローン先生ともタメを張れ
﹁狂ってるようには見えなかったから、バーサーカーとかいうクラスじゃないだろうな。
れる。
声は勝手に震えていた。第三特異点で追われに追われた時の恐怖が、嫌でも思い出さ
?
その言葉に、場の空気はさらに死んだ。マシュもエミヤも、そしてきっとわたしも顔
クレスだ﹂
わけじゃなかったし、本人はその名で呼ぶなとか言っていたが、それでもあいつはヘラ
・
る英雄なんざヘラクレスしかいないはずだ。噂で伝え聞いていた巌のような外見って
行で生け捕りにしたアルテミスの聖獣。神霊であるアルテミス本人を除けば、それを駆
﹁ああ、間違いない。あれはヘラクレスだ。ケリュネイアの鹿は、彼の大英雄が十二の難
146
きるかどうかすら怪しくなってくる。
そのうえで他に地元補正と知名度全開のヘクトール、カエサル、呂布、もう一人のカ
サンドラ、おまけにアキレウスの話ではそこにヴラド三世までいるらしい。敵の戦力は
多いわけではないけれど、それでも過剰なまでの戦力としか思えない。
正直、胸の中に広がるのは絶望的な感覚だ。勝てるのだろうかという不安が否応なく
込み上げてきた。
﹁││これは、早急に戦いに介入しなくてはならないな。こんなところでぐずぐずして
いる場合ではない﹂
﹂
三頭の治癒を終えた孔明が、苦々しい面持ちで話しに入ってきた。
﹁もう治してくれたのか、クサントスたちを
カサンドラさんが答えた。アキレウスはほっと胸を撫で下ろし、
れませんので、今日はあまり駆けない方がよろしいでしょうね﹂
﹁はい、怪我の方はこれで問題ありません。ただしこの子たちの疲労までは回復させら
?
﹁いや、程度の問題ではない。兄の仇であるはずの俺の愛馬たちを癒してくれた。その
んです﹂
﹁あ、いえ。私の治癒魔術など未熟なものでして⋮⋮ほとんど、孔明さんがやってくれた
﹁⋮⋮そうか。感謝する、カサンドラ王女。それに孔明殿も。この恩は決して忘れん﹂
第8節:別行動
147
行為には苦痛と葛藤が伴っただろう。それに耐えて、癒してくれた。俺にはきっとでき
ない行為だ。俺には持ちえない優しさと寛容だ。だから、本当に心から礼を言わせてほ
しい﹂
笑みを浮かべてそう告げたアキレウスに、カサンドラさんは曖昧な表情を返す。きっ
と、曖昧な表情しか返せなかったのだ。
﹂
?
⋮⋮﹂
﹁ボ ク も
ボ ク と し て は ア キ レ ウ ス を 解 毒 し て く れ る 人 を 捜 し て あ げ た い ん だ け ど
がイデ山に向かうメンバーだ﹂
﹁私とエミヤ、小次郎、ジャンヌ・オルタ、それにアストルフォも同行してほしい。残り
マシュが訊いた。
﹁では、どう分けるのですかロード
力で戦場に向かった方がいいだろうな﹂
トール、それにヴラドがいる。三人が三人とも、放置できない強敵だ。できる限りの戦
﹁カエサルと呂布は戦線にはまだ加わっていないだろうが、それでもヘラクレスとヘク
空気を切り替えるように、すぐに口を開いた。
助け舟を求めるように振られた孔明が無言で頷いた。彼女の心情を察したのだろう。
﹁私は⋮⋮私にできることをしようとしたまでで⋮⋮その、お話の続きをどうぞ⋮⋮﹂
148
?
﹂
﹁それならボクに心当たりがあるから大丈夫だよ、アストルフォくん。イデ山に解毒で
きる女性がいるんだ﹂
よかったね、アキレウス
!
﹁⋮⋮マジでいいのか、パリス。俺はトロイアの敵で、ヘクトールの仇だぞ
﹁君を毒如きで死なせはしない。キミはボクに戦いの中で殺されろ﹂
るとも
﹂
よし、と孔明は頷き、それからカサンドラさんに視線を向けた。
?
!
﹁最後に、貴女にこれで正しいのかを確認したいのだが、どうだろうか
﹂
﹂
﹁うん、そういうことならアキレウスのことは任せたよ。ボクも人理修復の為に協力す
?
のなら││やってみやがれ﹂
﹂
﹁わかった。お前がそこまで言うんなら俺も遠慮せず毒を癒してもらう。俺を殺せるも
愉快そうに口の端を釣り上げた。
ていた。それから噴き出したように肩を揺らして大笑いし、吹っ切れたように彼もまた
笑みを浮かべて堂々と殺害宣言をしたパリスさんに、アキレウスは一瞬呆気に取られ
?
だ。
パリスさんの言葉に満面の笑顔で喜ぶアストルフォに対し、アキレウスは浮かない顔
﹁え、ホント
?
﹁話は纏まったな。アストルフォも我々に同行してもらうということで構わないか
第8節:別行動
149
﹁わかりました。また観てみますので、少し時間を下さい﹂
カサンドラさんが眼を瞑る。予言を行うのだ。
沈黙はさっきの戦いの時よりも長かった。時折苦しそうに表情を歪める。額からも、
大粒の汗が滴り落ちる。
数分を経って瞼を上げた。ふぅ、と疲れたように一息吐き、それから彼女はパリスさ
んを手招いて耳元で何かを囁いた。
長い耳打ちが終わった。パリスさんは聞いた内容を整理するように、顎に手を添え一
考していた。
﹂
?
だ。だからどうにかアカイア軍に取り入って、兵を借りればいいんだと思う﹂
﹁まずは孔明さんだけど、孔明さんがアカイア軍を指揮しているヴィジョンが見えたん
パリスさんはそんな彼女を一度だけ微笑ましそうに見てから、改めて話を続けた。
カサンドラさんが恥ずかしそうに俯く。
は、しっかりとカサンドラさんの方だった。
孔明が断言する。みんなも同意するように頷いた。でもみんなの視線の先にいるの
﹁当たり前だ。我々は君の言葉を信じよう﹂
はいけないことや、しなくてはならないことを助言したりするけどいいよね
﹁⋮⋮それじゃあ、これからボクの予想した10通りの未来に基づいて、それぞれがして
150
どれほどの腕だ
﹂
﹁どうにか、か。さて、どうすれば兵を借りられるか⋮⋮﹂
﹁孔明殿は軍の指揮ができるのか
?
ん﹂
4000をやっぱり返してもらって、もしかしたら更に兵をつけてもらえるかもしれ
にもついて行ってもらう。これでオデュッセウスに預けてきた俺のミュルミドネス隊
││いや、ネストルの爺さんに文をしたためる。証言人というか馬として、クサントス
﹁それほどか。⋮⋮よし、わかった。その言葉を信じ、俺も賭けよう。俺がアガメムノン
師だった。恐らくオデュッセウスにも引けを取らないだろう﹂
﹁私ではなく、私が宿した英霊の力だが、此処より遥か東に位置する大国では最高峰の軍
僅かに身を起こし、アキレウスが食いつくように問いかけた。
?
﹂
﹁それは助かる。私が戦場で一個人として戦うよりも、軍の指揮を執った方が戦線を保
てるだろう。だが、いいのか
?
﹂
?
﹁常人の三倍生きてるアカイア軍の最長老で、相談役だ。オデュッセウスの野郎とも弁
気になって、ついわたしは尋ねていた。
﹁ところで、そのネストルのお爺さんって人は偉い人なの
﹁わかった。そういうことならその厚意に甘えさせてもらう﹂
﹁クサントスたちを癒してもらった礼をさせてくれ﹂
第8節:別行動
151
舌でやり合える食えない爺だよ。アガメムノン含め、将校全員からの信頼も厚い。俺の
手紙の内容を一顧だにしない、なんてことはないはずだ﹂
若い頃の自慢話にはうんざりするけどな、とアキレウスが苦笑する。
る。
?
奴の体に触れた途端、弾かれ
﹁いつも通りの貧乏くじか⋮⋮まぁいい。慣れている。それで
ゴ ッ ド・ ハ ン ド
﹁攻撃は通じない。だから防御に徹してくれ﹂
﹁ああ、それなら解っているさ。〝十二の試練〟だろう
?
まさか、ネメアの裘か ⋮⋮やれやれ、いよいよ勝機がまる
?
!?
しかないか、と腹を括ったように呟いたのだった。
顔を片手で覆い、エミヤは呆れたように笑いながら空を仰いだ。それから、まぁやる
で見えないんだが﹂
﹁体ではなく、布だと
﹁あ、いや、彼が被っている布に触れた途端、全て弾かれているみたいだよ﹂
ているというわけだ﹂
﹂
パリスさんの説明に、アキレウスが補足した。エミヤがもの凄くげんなりした顔をす
﹁ああ、それヘラクレスだわ﹂
しれない﹂
﹁じゃあ、次にエミヤくん。キミはもしかしたら、頭から布を被った長身の男と戦うかも
152
﹁勝機が見えないというエミヤくんの考えはまったくその通りだ。独りで戦っても、多
分死ぬだけだろう。だから耐えるしかない。加勢が二人現れたところで反撃に出るん
だ。忌々しいことに、二人ともアカイア軍きっての猛将だから頼りになるはずだよ﹂
﹂
﹁ああ、あいつ等か。あいつらの実力なら俺が保証する。二人ともヘクトールのオッサ
裘を突破する条件は解っているのか
ンに引けを取らないぜ。まぁ、俺には及ばんが﹂
﹁だが、肝心の攻撃が通らないのだろう
﹂
ドゥ リ ン ダ ナ
﹁キミは投影って魔術で宝具を複製できるんでしょ
パリスさんの確認にエミヤが首肯する。
?
できる可能性は充分あるな﹂
﹁確かに。不毀の極槍の宝具ランクはA。ネメアの裘のランクがEXでもなければ突破
ドゥ リ ン ダ ナ
くという概念が備わっている。これならネメアの裘を突破できるかもしれない﹂
﹁なら、兄さんの槍を使ってみたらどうかな 不毀の極槍には世界のあらゆる物を貫
?
?
?
いったい何よ﹂
﹁予言ってなんだかワクワクするね、ジャンヌ
?
﹂
ハイテンションのアストルフォに絡まれて、ジャンヌ・オルタは心底めんどくさそう
!
﹁今度は私
と、パリスさんが今度はジャンヌ・オルタとアストルフォに視線を向けた。
﹁それで、次にだけど﹂
第8節:別行動
153
﹂
?
な顔である。
﹂
?
様 の 方 の ジ ャ ン ヌ・ダ ル ク な ん じ ゃ な い 私 と あ い つ は 別 人 よ。私 は ア ヴ ェ ン
﹁まったくの初対面よ。アンタの会ったことあるのって、もしかくしなくても白い聖女
﹁アレ、ボクのこと覚えてないの
﹁⋮⋮あのさピンク。さっきからアンタ妙に馴れ馴れしいんだけどなんなの
154
﹁⋮⋮あー、私、恨まれる心当たりありまくりだわ。オルレアンで故意に吸血鬼として呼
﹁彼、なんかキミたちのこと全力で殺しにかかってくるから気をつけてね﹂
再びパリスさんの言葉をアキレウスが補足した。
た﹂
﹁そ れ は ヴ ラ ド と か 名 乗 っ て た オ ッ サ ン だ な。俺 の こ と を 赤 の ラ イ ダ ー と か 呼 ん で い
﹁キミたち二人は黒ずくめの槍使いと戦うことになると思う﹂
し、下手を言って思い出されるのもあれだ。
いまは黙っていよう。さっきの脳筋云々の件についてはもう忘れちゃってるみたいだ
でも算数が苦手なのはあっちと同じだったりする。口に出したら怒られそうなので、
自慢げに胸を張ってジャンヌ・オルタは言った。
綺麗に書けますしね、ええ﹂
ジャー。魔女としてのジャンヌ・ダルク。もちろん、私の方が有能です。字も凄く凄く
?
んでるし﹂
﹁そうなんだ。ボクは恨まれるようなことなんて特にないと思うけどなぁ﹂
﹂
もそいつと戦う時は、アストルフォくんと一緒に騎乗して戦おう。キミなら焔で遠距離
﹁ヒポグリフからは絶対に降りて戦っちゃだめだよ。串刺しにされる。ジャンヌちゃん
からの攻撃も可能だろ
る。ジャンヌ・オルタも真剣な表情と声音で、わかったわ、と返していた。
真面目な口調だった。それだけにアストルフォの言葉には、無視しがたい重みがあ
んだと思った方がいい﹂
ストしてるだろうし。何より極刑王はホントに恐ろしい宝具だよ。一撃被弾したら詰
戦の時ほどの強さじゃないと思うけど、それでも護国の鬼将で自分のステータスをブー
﹁そんな簡単な相手じゃないけどね、黒のランサーは。ルーマニアじゃないから聖杯大
﹁はいはい、わかったわ。要するに空から蹂躙すればいいのね﹂
?
ターの護り刀に徹するとしよう﹂
﹁ふむ、心得た。戦にも興味はあったが是非もない。であればいままで通り、私はマス
入してくる、という未来もあり得てくるんだ﹂
た方がいい。あまりにそっちに戦力を割きすぎると、手薄と思われたこっちに戦力を投
﹁それで小次郎くんだけど、キミは戦場には向かわず、ボクたちと一緒にイデ山に同行し
第8節:別行動
155
﹂
﹁待ってください、パリスさん。小次郎さんがこちらのチームということは、ヘクトール
さんを抑えるのは誰になるのでしょう
?
いろ細かくあるけれど、これ以上は視野を狭めることになりかねないから言わないでお
まボクが話した内容も、およそ間違いのなさそうな範囲でのことだ。他にも本当はいろ
信じさせずとも命令という形で予言に基づいた行動を取らせることができるしね。い
性は充分留意していてほしい。もしも兄さんではなく彼女が向こうの大将なら、予言を
ね。未来予知はあっちもできる。だからあっちのカサンドラが未来を変えてくる可能
﹁最後に一つ言うとすれば、トロイアにもサーヴァントのカサンドラがいるという点だ
上、もうすぐにでも行動しなければならない。
言いながらパリスさんが腰を上げた。わたしも、みんなもだ。話し合いが終わる以
﹁よし、こんなところだね﹂
たちにも勝ち目はあるかもしれない。
べるほどの英傑だろう。そんなサーヴァントが味方になってくれるのなら、まだわたし
地元補正と知名度全開のヘクトールと単独で戦える。それは間違いなく、大英雄と呼
以上らしい﹂
れたサーヴァントが兄さんの相手をしてくれるみたいだ。しかも兄さんを相手に互角
﹁ああ、そこは安心していいよ、マシュちゃん。アストルフォくんみたいに現地で召喚さ
156
くよ﹂
﹁では、ここから先は別行動だな。エミヤとジャンヌ・オルタはアストルフォと共にヒポ
グリフで先行し、そのままトロイア軍との戦いに入ってくれ。私はクサントスと共にア
カイア軍の本陣に向かおう。クサントスがあまり駆けられない以上、だいぶ遅れるとは
思うが﹂
﹁とはいえ、あまり悠長にできる時間はないのでしょう 多少の無理なら私は構いま
せん﹂
クサントスが決然と孔明に言った。
渡した。ちゃんと読めるのかちょっと不安だ。
そう言ってアキレウスは、ぷるぷると震えた手で字が書き殴られたパピルスを孔明に
遇されるはずだ﹂
めたぞ。これをネストルの爺さんに渡してくれれば、アンタはアカイア軍の客将として
﹁まったく、ほどほどにしておけよクサントス。⋮⋮よし、孔明殿。手紙は確かにしたた
?
ただエミヤだけは、無言のままわたしをじっと見つめていた。
アストルフォも既にヒポグリフを顕現させ、騎乗している。ジャンヌ・オルタもだ。
それだけ言い、孔明はクサントスと共に早々と出立した。
﹁それではマスター、行ってくる。霊脈の確保は頼んだぞ﹂
第8節:別行動
157
﹁どうしたの
﹂
?
﹂
?
決して君一人ではない。君の周りには我々がいるし、君の隣には、頼りになる後輩がい
の先には、もしかしたら地獄しかないかもしれない。││それでも、その道を歩むのは
だ。君も、君の信じるモノの為に戦えばいい。きっとそれは苦しくて辛い道だろう。そ
﹁そうだな、謝る必要はない。私は││いや、オレは、オレが信じたモノの為に戦うだけ
自分の無力さが、自分の弱さが、やはりどうしようもなく悔しかった。
る。だから、本当に申し訳なくて。どうしていいのかもわからなくて。
エミヤには││ううん、みんなには助けられっぱなしだった。すごく迷惑をかけてい
いや﹂
﹁⋮⋮お礼を言えばいいのかな。それとも、謝ればいいのかな。ちょっと⋮⋮わかんな
させやしない﹂
﹁そうだな。だからそれまで大いに悩むといい。君が答えを出せるまでは、人理を崩壊
答えを出さなくちゃいけない。そうだよね
﹁でも時間はもう、そんなに多くあるわけじゃない。わたしは明日か明後日にでも、その
るわけがないんだ﹂
し、即切り捨てられる者はただの機械でしかない。人間である君が、すぐに答えを出せ
﹁⋮⋮マスター、君の迷いも葛藤も、人間として正しいものだ。救うべき人間を数で判断
158
る。そうだろう
﹂
いや、羨ましい限りだ﹂
小次郎の言葉に、エミヤが苦笑する。
背を翻し、エミヤは片手を振ってヒポグリフの許まで歩いていく。
﹁私はお前のようなバトルマニアじゃないんだがね﹂
するとジャンヌ・オルタが開口一番に冷然と、
﹂
﹁エミヤ、アンタはヒポグリフの足に掴まりなさいよね﹂
﹁な、それはちょっとおかしいと思うんだが
?
セクハラで焼くわよ﹂
やっぱセクハラだわ⋮⋮﹂
﹂
﹁私はピンクの後ろに乗るとして、アンタまさか私の後ろに座って私の腰に掴まる気
!?
?
まったく問題ないじゃないか﹂
﹁それでピンクの腰に嬉々として掴まる気ね
﹁彼は男子だろう
!?
?
﹁確かに承ったぞ、エミヤ。お主は心ゆくまで強者との果し合いを愉しんでくるがいい。
﹁はい、任せてください。エミヤ先輩﹂
﹁では行ってくる。マスターの守護は任せたぞ、マシュ、小次郎﹂
そう言ってエミヤは微笑みかけた。わたしと、わたしの後ろにいたマシュへと。
?
﹁いや待て。私がアストルフォの後ろに乗って、その後ろに君が乗ればよくないか
第8節:別行動
159
﹂
﹁だとしても今度は後ろから掴まった私の胸の感触楽しむ気でしょ
クハラだわ⋮⋮﹂
﹁詰んでいる⋮⋮選択肢が出る前に完全に詰んでいるだと⋮⋮
あげるよ
それなら問題ないよね
﹂
﹁それも何かが致命的におかしいんだが⋮⋮﹂
?
どちらにせよセ
?
﹂
!
戦地まですごく遠いんだろうけど﹂
馬の二頭と││あとずっとなぜか大人しかったフォウくんを見渡してわたしは言った。
残りのメンバーであるマシュ、小次郎、パリスさん、カサンドラさん、アキレウスと
﹁⋮⋮よし、それじゃあこっちも行こっか﹂
ヒポグリフがアカイア軍とトロイア軍が衝突するであろう戦地へと向かって行った。
眼が合うと、なぜかぷいと顔を背けてしまったジャンヌ・オルタ。
上空から手を振るアストルフォ。無言のまま笑みを浮かべて頷くエミヤ。わたしと
アストルフォがヒポグリフに鞭を入れる。幻獣は羽ばたき、空高く飛翔した。
﹁よし、それじゃあ行っくよー
から抱きかかえ、アストルフォの後ろにエミヤが乗ることで解決した。
謎の言い合いを始めた三人だったけれど、結局ジャンヌ・オルタをアストルフォが前
﹁もうエミヤだけ走ってくればいいんじゃない
?
!
﹁うーん、よしわかった。じゃあこうしよう。エミヤ、キミはボクが前から抱きかかえて
!?
160
辛うじて潰走せずに持ち堪えているのは、ひとえにオデュッセウスやネストルの采配
にしてなお圧し負けていた。
そんな彼らがトロイア兵を圧倒できようはずがなく、同数の兵力どころか寡兵を相手
けている。
勇猛果敢だったアカイア兵が、今日はどこか弱腰だった。鬨の声にも普段の張りが欠
に士気を挫いていた。
だ。それはアカイア兵たちの精神の根幹に多大な衝撃を与え、これでもかというくらい
削られている。のみならず、最強を誇ったアキレウスが毒を受けて戦線を離脱したの
それも無理なきことである。昨日の開戦にて、アカイア軍の兵力は一気に3万近くも
いた。
兵の数でも質でも勝っているはずのアカイア軍だが、当然のように劣勢を強いられて
兵数はトロイア軍が総勢4万8千に対し、アカイア軍が総勢6万5千である。
戦端が開かれて既に二時間。両軍は原野にて熾烈なぶつかり合いを繰り広げていた。
第9節:武力介入
第9節:武力介入
161
162
あってこそのものだろう。士気のあまりの低さを、両将軍は持ち前の軍略でなんとか
補っていた。
だがそれも一騎の戦車が戦場に現れた時、なんの意味も為さなくなった。
戦場に轟くのは爆音だ。蹄鉄が大地を踏み抜く度に周囲へと爆炎が燃え広がり、原野
を赤く染めていく。
ア カ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
其は赤焔を纏いし名馬たるポダルゴス、クサントス、アイトーン、ランポスが牽く四
頭立ての戦車、〝気炎万丈の爆砕戦車〟。アキレウスの〝疾風怒濤の不死戦車〟とも対
を為す、ヘクトールが駆る対軍宝具だ。
堅陣を組んで楯を一斉に構えたアカイア兵が、決死の覚悟でその戦車を押し留めよう
と試みた。
だが一瞬の拮抗もありはしない。四頭の炎馬は密集した敵兵を木端の如く蹴り砕き、
そのままチャージによって蹂躙し尽くす。
怯えを露わにして、アカイア軍の戦線が次第に下がっていく。ヘクトールは逃げ惑う
アカイア兵の一部に狙いを定め、御者台に乗ったまま使い捨ての投擲槍を容赦なく投げ
放った。
大気を抉るように突き進む槍。渾身を以って射出されたそれは、そのあまりの速さに
赤熱して低空を滑る。
一人のアカイア兵に突き刺さると、そのまま紙くず同然に穿ち砕き、後ろのアカイア
兵を何十人も鏖殺せしめた。
最早こうなっては戦いにもならない。ヘクトールを止めるには、アカイア軍きっての
英雄が相手をしなければ話にならない。
だがいま単騎で動けるその二人はこの場にいない。ここより遠く離れた戦場にて、一
方は呂布を捜して駆け回り、一方はアルケイデスとの戦闘に入っている。この場にヘク
トールを止められる者は誰もいなかった。
そう。彼らを除いてはだ。
﹁││ったくよぉ、これじゃあ加勢する意味あんのかって話だよ﹂
両軍の衝突を、戦場から僅かに離れた小高い丘から睥睨する粗野な男。自らの宝具で
ある二頭立ての戦車の隣に胡坐を掻いて彼は座っていた。
その表情はどこまでもつまらなげである。呆れていると言ってもいい。
は決まってるんじゃねぇのか
その辺り、テメェはどう思ってんだ
﹂
?
が諦めた時のみよ﹂
﹁戦は何が起きるか最後まで判らんモノだ。であればこそ、趨勢が決するのはどちらか
?
しゃんと戦えってんだ。これじゃ仮にオレが奴を引き受けたところで、もう趨勢っての
﹁見ろよ、アカイア軍のあのザマを。どいつもこいつもビビりやがってやがる。もっと
第9節:武力介入
163
胡坐を掻いた男のすぐ後ろで、彼は腕を組んで佇んでいた。座っている方の男とは対
﹂
照的に、口元に浮かぶのは愉しそうな笑みである。彼は両軍のぶつかりあいに、心を躍
らせていた。
﹁へえ、そうかい。だがアカイア軍はもう厭戦ムードにしか見えねぇが
﹂
?
﹁心配せずとも、此処一番の重要な局面は掻っ攫っていくさ。貴様とは味方になるか敵
﹁ハ、出遅れても知らねぇぞ﹂
﹁⋮⋮決めかねている。ゆえに、いまはまだ静観に徹しよう﹂
﹁で、テメェはどうするんだ
の二頭の馬は、戦いはまだかと急かすように荒々しく嘶いていた。
その男に似合わぬ、慈しむような眼差しと表情である。視線を向けられた灰色と漆黒
いつらと一緒に戦うのも久しぶりだしな﹂
﹁⋮⋮いいだろう。まだ可能性があるなら、オレもちょいと手伝ってやるとするか。こ
軽やかに身を起こすと、男は戦車の御者台に乗り込んだ。
彼の言葉に、男はそうかと言って笑みを浮かべた。
よりの証左。胸の奥の、誇りの灯火に他ならない。まだ彼らは、諦めてはおらん﹂
もその顔をみっともなく歪めておるのだ。それは、奴らがまだ勝ちたいと思っている何
﹁確かに奴らの面持ちには恐怖と絶望が滲み出ているさ。だが、同時に悔しさが何より
?
164
になるかはわからぬが、どちらにせよ心躍る戦となろう﹂
悪戯な笑みを浮かべて彼は言った。
﹂
御者台に立った男もまた、不敵な笑みを返し、
﹁オレはテメェが敵でも一向に構わねぇぜ
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
レウスとやり合うのは、またの機会だな﹂
!
ハ・ セ
ン
グ
レ
ン
の宝具である〝蹴り穿つ死蹄の車〟を走らせた。
マ
・
そうして荒々しく叫び、ライダーのサーヴァントである彼は、クー・フーリンは自ら
﹁おう。じゃあな││行くぞテメェら、待ちに待った戦だッ
﹂
﹁オレはオレの信条に肩入れし、カルデアの嬢ちゃんたちに与すると決めている。アキ
だが、と青い衣に身を包んだ男は、肩を竦めて諦めたように笑う。
オレを差し置いて最速なのかどうかをな﹂
・
直オレも一度槍を交えて確認したいと思ってたところだ。果たして本当に野郎が、この
・
﹁なるほどな。それには全面的に同意するぜ。最速の英雄と名高いアキレウスとは、正
彼もに挑んでみたいとも思ってしまう﹂
も魅力的な英雄が多すぎる。誰も彼も味方として肩を並べたくはあるが、是非とも誰も
﹁うむ、それもまた一興よな。だからこそ、答えを出しかねているのだ。あちらもこちら
?
﹁そうか。では行くのだな、クランの猛犬よ﹂
第9節:武力介入
165
接近は一息だった。その疾走を以ってアカイア兵を追撃していたトロイア兵を五百
ア カ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
人ばかり轢き殺したが、彼も二頭も意にも介さない。
クー・フーリンの視界に映っているのは、既に〝気炎万丈の爆砕戦車〟とその駆り手
であるヘクトールのみ。
御者台に積みに積んだ槍を一本、クー・フーリンは挨拶代りに擲った。
それはヘクトールの投擲にも引けを取らぬ迅雷めいた一閃だ。それのみで、並みの宝
具を遥かに凌駕するほどの威力が秘められている。
目前へと迫ったそれを、ヘクトールは同じく隕石じみた一投を以って相殺した。そし
て、反撃は間髪入れずに繰り出される。
投擲槍が三本、立て続けに迸った。そのどれもが対処を仕損じれば即死を免れないほ
どの豪速である。
﹂
ハ・ セ
チャージを試みた。
ン
グ
レ
ン
そ の 間 に 〝 蹴り穿つ死蹄の車 〟 を さ ら に 接 近 さ せ、ク ー・フ ー リ ン は 側 面 か ら の
マ
四頭のうちの一頭がその炎蹄を以って蹴り砕いた。
を以って迎え撃つ。三本を相殺し、残る一本がヘクトールの戦車へと迫っていく。
口元に獰猛な笑みを浮かべ、クー・フーリンが応戦する。三本に対し、四本の投擲槍
﹁ハッ、おもしれぇ
!
166
手綱を振るい、即座にヘクトールが戦車の向きを半回転させた。そのまま真正面から
互いの馬が全速力でぶつかり合う。
爆ぜ広がる衝撃波。周辺にいた両軍の兵が藻屑のように吹き飛ばされる。
だが互いの戦車は速度をゼロにして無傷のまま拮抗していた。猛獣の雄叫びめいた
オジサン、危うく死ぬかと思っただろ﹂
嘶きを上げながら、互いの馬が互いを圧しあっている。この六頭を草食動物と言ったと
ころで誰も信じないほどの凶暴さだ。
﹁オイオイ、アンタいきなりなんなのさ
るじゃねぇか。マハとセングレンのチャージを受けて五体満足どころか対等とはな﹂
﹁全部つつがなく対処しておいてどの口が言いやがる。それに、テメェの愛馬たちもや
?
思ってもねぇ謙遜は止せよヘクトール。見たところ、オレとテメェの
オジサンの投擲の上を行く奴なんざ、そりゃあクランの猛犬くらいだろうさ﹂
﹁マハとセングレンね⋮⋮投擲見た瞬間からアンタが誰か察しはついていたけどねぇ。
﹁上を行くだ
投擲は互角だろうが﹂
?
﹂
!
弾かれ合う。即座に再度全速力で疾駆する。
不意打ちの投擲はほぼ同時に繰り出され、衝突した。その余波を以って互いの戦車が
││ねッ
﹁⋮⋮おまけに油断も慢心もないと来たか。やれやれ、苦手だよ、アンタみたいな御仁は
第9節:武力介入
167
クー・フーリンは愛馬の二頭に声を張り上げた。
レー グ
今回は御者がいねぇんだから
!
﹂
!
テメェも﹂
?
ゆえにこの一戦、死力を賭して勝利しなければならない。人類史を守る為││などと
いと思うのは男であれば自然なこと。
互いに投擲は最強だという自負があったはずだ。であればこそ、眼前の敵に勝利した
あの男は間違いなくいま燃えているのだ。それも当然だと、クー・フーリンは思った。
らないが、少なくともいまこの瞬間をあの男は愉しんでいる。
なぜならヘクトールの口元は笑みによって微かに歪んでいた。普段はどうなのか判
クー・フーリンは見抜いていた。
疲れたような、億劫そうな顔をしていたが、その内心に潜む煮え滾るような闘争心を
口元に笑みを刻みながら見据える先にいるのはヘクトールだ。
なら尚更だ。そう思うだろう
﹁槍で打ち合うのもいいが、こうやって槍を投げ合うのも最高だね。相手が自分と互角
く嘶いた。
応とでも言うように、あるいは主こそとでも言うように、マハとセングレンが猛々し
ぞ
全部自己責任だ。オレは奴との投擲の競い合いに傾注する。ヘマやらかすんじゃねぇ
﹁いいかテメェら、回避もチャージも勝手にやってろ
168
﹂
いう御大層なモノの為ではなく、己の誇りとくだらない男の意地の為に。
﹁そんじゃ、まぁ、始めるとするか⋮⋮
返す。
瞬間は永遠の如く。刹那の交錯。互いに可能な限り、鋭く迅く立て続けに投擲を繰り
を高めた。
数メートルの間隔すらなく更に接近したところで、クー・フーリンは極限まで集中力
今度はヘクトールの戦車が紙一重でそれを避ける。
たところで、クー・フーリンは再度槍を擲った。
即座に繰り出される反撃をマハとセングレンが緊急回避。さらに戦車が接近してき
同じく投擲を以ってその一投を撃ち落とした。
狙いを定め、渾身を以って投擲する。ヘクトールは真正面から戦車で接近しながら、
!
音速一歩手前の速さで馳せ違う最中、五本、六本と互いの槍は例外なく相殺された。
﹂
!
もしれない。
と投擲においてここまで拮抗してきた相手は、スカサハを除けばヘクトールが初めてか
抑えられない。単純な強さならクー・フーリンに匹敵する者はそれなりにいた。だがこ
仕留めそこなった悔しさよりも、遥かに歓喜が勝っていた。口元がニヤニヤするのが
﹁これも全部防ぐかよ⋮⋮
第9節:武力介入
169
ア カ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
不意に〝気炎万丈の爆砕戦車〟が宙に浮いた。そのまま上空へと一気に駆け上がり、
あの戦車、空走れるのかよ
﹂
次の瞬間、何本もの槍が隕石の如く降り注いできた。
﹁はぁ
!?
元に浮かべたのはやはり笑みだ。
?
ドッグファイト
る度に眼下に向けて放たれる槍は、避けられる毎に地上の両軍に神の裁きの如く突き刺
遥か上空での戦いは、しかし地上へ災害の如く余波を撒き散らしていた。頭上を制す
鬩ぎ合った。
それを迎撃し合い、躱し合い、時には戦車と戦車をぶつけ合い、互いに一歩も引かず
度必殺を期して渾身の槍を擲った。
り広げ、クー・フーリンとヘクトールは絶好の攻撃ポジションを確保する度に、その都
戦いはすぐに再開された。馬たちは敵の頭上や背後を取ろうと全力で格闘機動を繰
く。
決してなく、むしろ安定感さえあった。ただ見えないだけの固い足場を走り抜けるが如
彼の言葉に従い、二頭の馬が虚空を踏み締める。空中を駆け上がりながらも浮遊感は
﹁││なら、こっちも遠慮しなくていいってことだよな
マハ、セングレン、飛べ﹂
のクレーターが幾つも出来上がっていた。クー・フーリンは驚きに眼を剥いたが││口
マハとセングレンがジグザグに疾走して目まぐるしく回避する。避けた後には極大
!?
170
第9節:武力介入
171
さる。
ゲ
イ・
ボ
ル
ク
戦いは続く。互いの投擲槍の貯蔵が、その底を尽きるまで。
ドゥリンダナ・ピルム
そして互いの真なる必殺の投擲である、〝突き穿つ死翔の槍〟と〝不毀の極槍〟がぶ
つかり合うその瞬間まで││
◇
あらゆる角度から奇襲をかけてくる矢を剣で弾く。その決死の動作を彼女は何千回
と繰り返しただろうか。
ケリュネイアに騎乗したアルケイデスは、一矢を射る毎にまったく別の方向へと瞬時
に回り込み、即座に次弾を射かけてきた。
それをほとんど勘だけで察知し、裂帛の気合いを以って淡い赤髪の彼女は撃ち落とし
ていく。
対峙する男の何もかもが桁外れだった。ただの矢が猛将の渾身の一撃すら凌駕する
ほどに苛烈なのだ。防御するだけで、彼女は確実に疲弊していた。
それでも休む暇は一瞬たりともありはしない。一瞬などという猶予があれば、アルケ
イデスは豪雨の如き矢を放ってくる。
交戦に入って既に二時間近く経っている。一方的に虐殺されるアカイア兵の楯とな
る為、彼女は真っ向からアルケイデスに挑みかかった。
だが彼女の攻勢は一分も続かなかった。攻守はすぐに逆転し、あとはひたすら矢を迎
撃するだけに終始している。
防戦一方。正に否定しようもなくその通りだ。││だがアルケイデスを相手にして、
二時間も持つというのは掛け値なしの偉業だった。
彼女の体力など既に底をついている。だがそれでも、彼女は懸命に動き続けた。
彼女はアカイア軍の〝楯〟である。誰もが恐れ戦くヘクトールの投擲からも、彼女は
逃げずに受け止める楯である。
味方を守る為には、この男と戦い続けなければならない。それがきっと、アカイア軍
の士気向上にも繋がるだろう。
なればこそ、手足も心臓もまだ動く││
能だ。微傷は覚悟しなければならない││が、
間髪入れず立て続けに放たれた十五本の矢。その全てを完全に対処することは不可
!
によってそれだけを確実に防いだ。
うち一本から放たれる強烈な死の気配。咄嗟に右手を翳し、現出させた一枚の花びら
﹁ま、ずッ││﹂
172
﹁フン、いい反応だ。咄嗟にヒュドラの毒矢を見抜いたか。鷹の名に恥じぬ慧眼だ﹂
何を思ったのかケリュネイアの足をとめ、アルケイデスが彼女へ言葉をかけた。
もりだ﹂
﹁貴方から、賜った名だからな。名づけの親である貴方に恥じぬよう、多少は精進したつ
肩で息をし、豊満な胸を大きく上下させながら彼女は答えた。休ませてくれるのなら
ば遠慮はしない。見栄を張る余裕など端からないのだから。
﹂
﹁何度も言わせるな。私はお前に名をくれてやった男では断じてない。私はアルケイデ
ス。神を否定し、神を貶める者だ﹂
﹁トロイアに与することが、神を貶めることに繋がるのか
在意義がなくなるのだからな。その為ならば、人類史を滅ぼすことも厭いはしない﹂
﹁神は人の信仰がなくては成立しない機構だ。ゆえに人類が滅びれば神も滅びよう。存
?
﹂
﹁よく解らないが、貴方が良くないことをしようとしているのだけは判る。だからこそ、
貴方を止めてみせる⋮⋮
!
﹁手向けだ。受け取れ﹂
﹁それでも││﹂
ぞ﹂
﹁愚 か な り。限 界 な ど 優 に 超 え た そ の 肢 体。も う じ き 糸 が 切 れ た よ う に 動 か な く な る
第9節:武力介入
173
九つの矢が弓へと番えられた。膨れ上がる厖大な魔力を察知して、彼女は再度右手を
ナ イ ン ラ イ ブ ス
翳し、体内の魔力を収束させた。
﹁射殺す百頭﹂
ア
イ
ア
ス
﹂
放たれる九つの閃光。視界に映る一切を薙ぎ払うが如き熱量。それを彼女は、
ロ ー・
﹂
?
ア
イ
ア
ス
から導き出される答えは一つ、熾天覆う七つの円環とは貴様の血なのだ。多用すれば失
ロ ー・
﹁貴様が後に自害する際、大地に滴る血はアイリスの花を咲かせたという。つまりここ
﹁な、なぜ、それを⋮⋮﹂
掻き集め、七枚の楯を精製しているのだろう
﹁その技は負担が大きいようだな。それも当然か。掌から血を流し、さらに体中の鉄を
う完全に余力を失った。
身に余るような称賛だった。だがアイアスは言葉を返せなかった。いまの攻防で、も
﹁はぁ、は、ぁ⋮⋮は、﹂
﹁これを凌ぐか。流石と言おうか、テラモンの娘よ﹂
防ぎきった。
宝具。己の持ちうる最強の護りを以って彼女は││アイアスはアルケイデスの必殺を
咲き誇るは七枚のアイリスの花びら。一枚一枚が城壁に匹敵する強度を備えた結界
﹁熾天覆う七つの円環││ッ
!
174
血する。ゆえに先程から私の矢を剣で弾き、楯を出し渋っていたわけだな﹂
ナ イ ン ラ イ ブ ス
何もかもが見抜かれている。やはり勝ち目など、初めから欠片もありはしない。
諦念と肉体の疲労が、ついにアイアスの膝を折らせた。
﹁次はもう、結界宝具を使えまい。ゆえにこの一撃を二度は防げぬ││射殺す百頭﹂
ア
イ
ア
ス
﹂
再度放たれた絶望の光。アイアスは避けることも防御の姿勢を取ることもできず│
│
ロ ー・
﹁熾天覆う七つの円環││ッ
﹁チ、やはり持たんか⋮⋮
入っていく。
﹂
だが翳した七つの花弁は瞬時にその六枚が蒸発した。七枚目の花弁も、次第に罅が
自らの楯を、自分ではない誰かが再度展開し、九つの閃光を受けとめた。
!
間一髪だった。アイアスも赤い外套の男も寸でのところで助かったのだ。
え、射殺す百頭の射線上から離脱する。
忽然とアイアスの前に現れた赤い外套の男。楯が破壊される直前に彼女を抱きかか
!
なぜ私の楯を││﹂
?
言いかけたアイアスに男が言葉を被せた。そして彼女をそっと地面に降ろすや否や、
﹁君は逃げろ。この男の相手は私が務める﹂
﹁なんだ、お前は⋮⋮
第9節:武力介入
175
黒白の双剣を手元に出現させ、あろうことかアルケイデスと対峙した。
﹂
!?
﹂
?
﹂
?
はいつぞやのリベンジに挑ませてもらおうか。さあヘラクレスよ、恐れずしてかかって
タ化している上にクラスがアヴェンジャーというわけだな。まぁ、なんだっていい。で
﹁随分と変わり果てたものだな。理性を失ってもなおあった高潔さが感じられん。オル
﹁できるものならやるがいい。我が復讐の邪魔をする者は悉く殺す﹂
除する﹂
﹁そうだとも。そして、これ以上の狼藉は認めん。お前のような異物はこの戦争から排
アルケイデスが誰何した。
﹁カルデアのサーヴァントだな
それでも彼は僅かな怯えさえ見せず、復讐鬼と化した大英雄と向き直った。
という結末を弁えていたのかもしれない。
づける為に発せられた壮語なのかもしれない。もしかすれば、彼はとっくに自分が死ぬ
そう言って男はアイアスに勝気な笑みを覗かせた。それはもしかすれば、彼女を勇気
が、まぁ、別にアレを倒してしまって構わんのだろう
﹁なに、例え相手が最強だったとしても、時間を稼ぐくらいなら造作もないさ││││だ
⋮⋮
﹁何を、馬鹿なことを⋮⋮やめろ、誰もその男に勝てはしない。その男は最強なんだぞ
176
第9節:武力介入
177
来い
﹂
ここに、カルデアの武力介入が開幕を告げた。
!
第10節:反撃の秘策
ひっきりなしに行き来する伝令の言葉を、その男は腕を組んで佇み、じっと聞き続け
ていた。
目つきは鋭く、その面持ちは怜悧かつ冷酷な印象を他者に与える男である。
眉間には深い皺が刻まれていた。あまりにも芳しくない戦況のせいか、額からは汗が
流れ落ちている。
そしてようやく伝令が戦況の報告を持ってくるのが収まった時、その男は、智将オ
デュッセウスは深々と溜息を吐いた。
﹂
それから後ろに立っていた男に振り向き、苦笑するように一言。
﹁馬鹿げているな﹂
﹁アキレウスの手紙の内容がか
結局無理に無理を重ねたクサントスは、可能な限り迅速に孔明をネストルの下へ連れ
ロイ二世である。
言葉を投げかけられ、訊き返した男は諸葛孔明の擬似サーヴァント、ロード・エルメ
?
178
ていった。そして孔明は彼の翁によって、アカイア軍の本陣へと案内され、オデュッセ
ウスと引き合わされたのだ。クサントスは、今度こそぐったりと寝込んでいる。
強さのことだ。今日トロイア軍の指揮を執っている人間はヘクトールでもなく、昨日の
﹁確かにそれも馬鹿げているとは思ったが、そちらではない。私が言っているのは敵の
者でもない。だというのにこの手強さだ。ヘクトールだけでも厄介なのに、二人もの非
凡な将軍が向こうに現れたのだ。この戦、このままでは最早アカイアに勝ち目などある
まい﹂
と、そこで自分の発言の不可解さを自覚したのか、オデュッセウスは補足する。
﹂
﹁昨日と今日で指揮官が違うと判ったのは、別に斥候や密偵の報告があったからではな
いぞ。なぜ判ったのかと言うと││﹂
﹁敵将の指揮。その呼吸が違うからだな
笑みを浮かべた。
なんでもないことのように孔明が先に答えて、オデュッセウスは満足げに口元に薄く
?
・
・
トロイア軍の攻勢はいつにも増して怒濤だった。少しは手を抜いて調整が必要か、な
こちらの前衛があまりにも簡単に崩れそうでね﹂
あった。今日の指揮官は堅実ながら随分と苛烈な攻めを見せてくる。正直、焦ったよ。
﹁ご明察だ。昨日の指揮官と今日の指揮官とでは、戦術の組み立て方に大きく隔たりが
第10節:反撃の秘策
179
どという考えを一瞬でオデュッセウスから消し飛ばしたほどである。あとはもう、何一
つ采配を誤ってはいけないと、必死に各部隊へと指示を飛ばしていた。
その結果が、結局のところ前衛の完全な敗走である。オデュッセウスの軍略を以って
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
﹂
しても為す術がなかった。前衛を務めたアカイア兵たちは、無様にもこぞって後退を始
・
めている。
﹁だがそれも計画通りなのだろう
・
・
・ ・
・
・
・
・
・
・
﹁なるほど、敵将はヴラド三世だな。貴方の言う通り、そういう戦術を得意とする男だ﹂
⋮⋮ゲリラ戦をやらせたら、如何なる軍もこの男の指揮する軍には勝てはすまい﹂
が、野戦の指揮が冠絶して巧いというわけではない。得意分野は別にあるな。恐らく
して劣るわけではないからな。むしろその采配は充分に一流の極致にあるだろう。だ
﹁この策も、二度は通じんだろう。ヘクトールと較べて、今日指揮を執っている人間が決
オデュッセウスが笑みを消し、忌々しげに表情を歪める。
が高い。もっとも││﹂
互い様だが、奴には私の手の内など知り尽くされているからな。気づかれていた可能性
以上ないほど絶妙かつ自然にな。ヘクトールが指揮を執っていなくて幸いだった。お
﹁ああ、前衛は予定通り敵軍に打ち負けてくれた。そして、後退を余儀なくされる。これ
・
孔明の言葉に、オデュッセウスがほくそ笑んだ。
?
180
﹁こんな男までいたのでは、木馬を使ってトロイアに潜入しても返り討ちだな。昨日の
奴といい、まったく常軌を逸している﹂
﹂
シャ髄一の智将オデュッセウスをして、その規格外なまでの評価なのだ。
それほどまでにか、と孔明は表情を動かすことなく、けれど内心で慄然とした。ギリ
だったよ。君の言う、ガイウス・ユリウス・カエサルは﹂
は ど う 足 掻 い て も 奴 の 指 揮 す る ト ロ イ ア 軍 に は 勝 て ん。そ う 思 わ せ る ほ ど の 指 揮 官
だ。士気の高さが同等ならばまだ対抗できるという自負はあるが、いまのアカイア軍で
ぬ采配だったよ。アレは正しく天才だ。いや、天才などという言葉も生温いほどの怪物
全てを賭すような大胆さを持っていた。先の先の先まで読み尽くしていなければでき
﹁その指揮は定石通りでありながら千変万化し、好機と見れば迅速に、そしてその一瞬に
ら自分が対峙しなくてはならない男のことなのだから。
答えなど訊くまでもなかった。それでも孔明は訊かずにはいられなかった。これか
﹁昨日の指揮官はそんなにも手強かったのか
?
今日の戦いをなんとか無事に終わらせ、それから諸侯たちに君と引き合わせなくては
わりを任せられる。⋮⋮とはいえ、流石に今日いきなり指揮を預けるわけにもいかん。
ロード・エルメロイ二世よ、君の頭脳は私に匹敵するだろう。君になら安心して私の代
﹁││ともあれ、だ。君が私の策を完全に見抜いてくれた以上は手紙の内容を信じよう。
第10節:反撃の秘策
181
な。私が指揮している軍を君に預けるのは、それまで待っていろ﹂
それでオデュッセウスも最前線に出られる。自らの武勇を以って敵兵を屠りながら、
味方を引っ張ることができるのだ。これで多少はアカイア軍の士気も向上しよう。あ
くまで、焼け石に水程度のものであるが。
オデュッセウスが先程深々と溜息を吐いたのも全ては安堵ゆえである。否応なく挑
るわけがない。
いるのだ。オデュッセウスと諸葛孔明をして、大逆転できるような策を容易に決められ
そもそもヘクトール、カエサル、ヴラドという三人もの異数の将軍がトロイア軍には
る。
なければ、奇策も奇襲も嵌まりはしない。せっかくの策も全てが無為に終わるだけであ
兵がここぞという時に踏ん張れねば何も意味がないのだ。味方の兵に最低限の勢いが
如何に奇抜な策を用意しようとも、どんなに予想外の奇襲を行おうとも、結局味方の
目算だ。
奇策、奇襲さえ成功すれば大逆転できるなどというのは酷く甘く、そしておめでたい
くもない﹂
な空気は手の施しようがない。私や君の策略を以ってしても、趨勢を覆すことは叶うべ
﹁⋮⋮だがそんなことをしても、最早意味があるのかは判らんな。アカイア軍の絶望的
182
んだ分の悪い賭けに勝って、心底からほっとしたのだ。もしも策が嵌まらなければ、前
﹂
衛が崩れただけで終わってしまう。そうなれば、さらに士気は下がっていただろう。
孔明の言葉に、オデュッセウスが頷く。
﹁それでも、貴方はまだ諦めてはいないのだろう
?
だが、その程度がなんだという。孔明は自らが懐きそうになった恐怖を抑え込んだ。
の戦に関する知識はあるが、軍を指揮することなどウェイバーは初めてだ。
三万という数の人間の命を預かる。そのプレッシャーは重苦しい。諸葛孔明として
一軍を預かることになるとは流石に予期していなかった。
擬似サーヴァントとしての力を揮う覚悟はできていた。だが諸葛孔明として、まさか
トは思った。
この一日で戦の雰囲気に慣れて、覚悟を決めようと孔明は││ウェイバー・ベルベッ
発動の為である。
令に新たな命令を飛ばしていく。二時間半をかけて練り上げた、オデュッセウスの秘策
そう言って笑い、オデュッセウスは孔明に背を向けた。再び集まってきた何人もの伝
ではあるがね﹂
在が味方として現れてくれた。勝てる可能性はまだあると私は踏んでいる。まぁ、極小
﹁戦は最後まで何が起きるか判らない。現にまったく予期していなかった、君という存
第10節:反撃の秘策
183
184
彼のマスターである少女は、世界を背負わされたのだ。天秤を背負わされたのだ。人
類か、トロイアか。初めて迫られたその二者択一は、一般人だった彼女には重すぎるモ
ノだ。
だから孔明が三万如きで臆していいわけがない。
エミヤたちも、もう敵のサーヴァントと交戦に入っている頃合いだろう。誰一人とし
て油断は欠片も許されぬ強敵ばかりである。
孔明もまた、戦わなければならないのだ。自分にしかできないことを、彼らとは違っ
た戦場で。
指揮を執る。数多の勇者を率いた、あの偉大なる王のように。
心の中でそう誓い、孔明は、エルメロイは、ウェイバーは戦場を見つめ続けた。
◇
このトロイア戦争において、アキレウスが率いてきたミュルミドネス隊はアカイア軍
最強の兵団である。
それはアキレウスというアカイア軍最強の武将の下で、死と隣り合わせの苛烈極まる
軍事訓練を踏破してきた精鋭中の精鋭だからというのも一つの理由だ。
第10節:反撃の秘策
185
だが何より彼らを最強の兵士足らしめているのは、彼らミュルミドン人の生態系が、
そもそも他の人間たちと隔絶していることに由来する。
結論から言うと、彼らは元来人間ではない。その正体はオリュンポスの主神たるゼウ
スによって、人間へと姿を変えられた蟻なのだ。
その蟻としての特性を、彼らは忘れずに備えていた。
そも兵士の強さとは士気の高さで上下する。戦において補給が要諦であるとされる
のはその為だ。腹が減っては戦ができぬと言うように、気力と体力が充実していなけれ
ば本来の力を発揮できず、弱兵となんら変わりはしないのだ
多くの歴史の中で寡兵を以って大軍を制する場合、奇策や奇襲の助けに因るところも
大きいだろうが、まず何よりも士気が敵兵を凌駕していることが大前提だ。でなければ
小数を以って多数を圧倒することなど、夢のまた夢なのだから。
だが彼らミュルミドネス隊は例外だ。彼らの士気は上下などしない。気力など彼ら
の戦闘能力には何も影響を与えない。アキレウスの下で培った戦闘能力と集団戦闘の
技能の全てを、いつ如何なる時も十全に発揮できる。
兵隊アリという、昆虫としての機構が彼らのDNAには刻まれている。それは戦いか
ら自らの精神を切り離し、ただ一つの歯車として精密に任務を遂行させることを可能に
していた。
186
ゆえに幾ら味方が劣勢であろうともまったく動じず、自分たちの将であるアキレウス
が毒に侵され死にかけていようと彼らは何も取り乱すことはないのだ。
揺るがなきソルジャーとしてただ任務を果たす。それのみで彼らは行動する。そこ
に気力が交わる余地は欠片もない。
ミュルミドネス隊の五人の部隊長であるメネスティス、エウドロス、ペイサンドロス、
ポイニクス、アルキメドンがそれぞれ顔を見合わせ無言で頷く。
伝令からの報告で、味方の前衛はもうすぐこの丘陵地帯まで下がってくる。それを
追ってきたトロイア軍に、埋伏していたミュルミドネス隊が電光石火の奇襲をかける。
それがオデュッセウスの案じた計略の最初の一手である。
そうしてアカイア軍の前衛が死に物狂いで丘陵地帯へと後退し、それをトロイア兵が
意気揚々と追撃してきたところへ。
彼らミュルミドネス隊は、一斉に敵軍の側面へと躍り出た。
突如として現れた伏兵に対し、トロイア軍が動揺する。その間に横から全力で畳み掛
けた。
四千という数が一丸となって敵軍を圧倒する。その圧力の前に、トロイア兵たちは為
す術なく横から崩された。
ミュルミドネス隊が確実かつ迅速に敵兵を一人一人殺めていく。
第10節:反撃の秘策
187
だがトロイア兵も精強極まる兵団である。初めは酷く動揺していたが、次第に落ち着
きを取り戻そうとしていた││その時である。
鬨の声が雄々しく響き渡る。アカイア兵たちだ。
逃げ惑っていたアカイア兵たちではない。前衛を務めていた彼らは、オデュッセウス
が選び抜いた最も士気の低かった弱兵や負傷兵たちだ。彼ら前衛はオデュッセウスの
命に従い後退し、主力である後衛と位置を入れ替わったのだ。
後衛に位置し、主戦力として温存されていた彼らはオデュッセウス軍、ディオメデス
軍、アイアス軍からなる混成部隊だ。アキレウスのミュルミドネス隊ほどではないが、
彼らもまた精強な兵団だった。
その2万6千が横から崩れかけているトロイア軍に真正面から一気呵成に突撃して
いく。
三軍からなる混成部隊も確かに士気は下がっている。だが、他の部隊ほどではなかっ
た。奇襲によって、少なくともこの場においてはトロイア軍の士気を上回っていた。
先程とはまったく逆の展開になった。最早トロイア軍に為す術はなく、次々に討ち果
たされていく。
潰走を余儀なくされたトロイア兵たちを、アカイア兵たちが逆に追撃し返していく。
既に討たれたトロイア兵は三千を超えただろう。
だがそこへ、槍を携えた漆黒の影が躍り出てきた。そして、突如として地面からアカ
イア兵に襲いかかるのは無数の杭だ。彼らは足元からの奇襲に対処できずに悉く貫か
れた。
り合いを経て、敵軍の前衛を散々に打ち破ったと。
トロイア軍総勢4万8千に対し、アカイア軍は6万5千。原野での二時間半のぶつか
戦況の全てを自らの口で説明した。
カルデアとの戦いを終えてトロイア軍の本陣へと合流してきたカエサルに、ヴラドは
ら、込み上げてくる悔しさと屈辱に必死に耐えた。
カエサルから発せられた言葉と事実を、ヴラドは粛々と受け入れた。受け入れなが
が﹂
﹁してやられたな。いや、お前ほどの男をまんまと謀ったオデュッセウスが異常なのだ
◇
トロイア全軍の指揮を執っていたはずのヴラド三世である。
赫怒を露わにした、しかし底冷えするような低い声。
﹁躾の時間だ。自らの血で喉を潤し朽ちるがいい、蛮族どもめ﹂
188
そしてこのまま逃げ惑う前衛を、控えていた後衛ごと追い立てるつもりだった。
嵌められたな、とはカエサルが全てを聞き終えた開口一番の言葉だった。
カエサルの言い分は、昨日倒したはずの兵力3万に対し、敵の兵力が5千ばかり少な
いというものだった。とはいえ、それは負傷兵を含めれば特別おかしいことではないと
ヴラドは判断したのだ。
だが敵の前衛のあまりの弱さを鑑みると、その負傷兵が前衛を務めている可能性があ
るとカエサルは指摘した。その場合、やはり5千近い敵兵が姿を晦ませていることにな
るのだ。そうすると彼の言葉にも辻褄が合う。
原野の奥に進んだ先は軽やかな丘陵地帯となっていた。軽いとは言っても、兵を埋伏
させるにはうってつけの場所である。
誘い込まれたのだ。それにヴラドは、カエサルに言われるまで気づかなかった。
敵の前衛の後退にまったく違和感を懐けなかったのだ。敵は間違いなく必死に戦っ
ていたと言える。誘い込もうなどという意図は少し感じられないほどに。
僅かでも疑念を懐いていたならば、ヴラドはすぐに兵を下げただろう。だが、それが
できなかったのだ。生前において戦で感じ取れた敵の計略の気配を、今回ばかりは事前
に察知できなかった。己への怒りで手が震える。
﹁まあ、それも仕方あるまい。敵軍の前衛は負傷兵以外も、最も士気の低い連中で固めら
第10節:反撃の秘策
189
れていたのだろう。そして前衛を務めた連中は、オデュッセウスの策を当然知るべくも
な か っ た だ ろ う な。だ か ら 奴 の 思 惑 と は 裏 腹 に、自 分 た ち な り に 必 死 に 戦 っ て い た。
戦った末のあまりにも自然な後退だ。そこから違和感など読み取れるわけがない。私
が看破できたのも、第三者の視点から俯瞰することで嗅ぎ取れた微細な違和感があれば
こそだ﹂
うノルマ別にないからね
君、わかってる
振りじゃないよこれ
?
﹂
?
?
れぞれヴラドとヘクトールが勝るだろうが、トロイア陣営のサーヴァントの中では、や
悠然とカエサルが断言した。頼もしい限りである。ゲリラ戦と防衛戦においてはそ
てすぐに全軍を立て直してみせるさ﹂
﹁承知した。私はもう個人として戦う気は毛頭ないからな。であればこそ、指揮官とし
余は己が武を以って、自らの汚名を返上してこよう﹂
﹁む、済まぬ⋮⋮少し取り乱した。⋮⋮カエサルよ、全軍の指揮は、あとはお前に任せる。
?
﹁こらこら、ランサーだからと言って別に自害しようとしなくてよいのだぞ そうい
そうとしたところで、慌ててカエサルが待ったをかけた。
悄然としながらヴラドが、自らの槍の切っ先を自分の胸元に添える。勢いよく突き刺
⋮⋮っ。かくなるうえは自裁するしかあるまい﹂
﹁よ せ、カ エ サ ル。い ら ぬ 気 遣 い だ ⋮⋮ 余 は ヘ ク ト ー ル か ら 預 か っ た 軍 を、み す み す
190
﹂
はりカエサルこそが軍指揮において文句なしの最強である。
﹁⋮⋮そういえば、呂布はどうした
かえらずのじん
ヴラドはふと尋ねた。
搦め手は、如何せんあの手の脳筋によく効くからな﹂
﹁孔明の石兵八陣に捕まった。恐らく今日の合戦には間に合わないだろうな。あの手の
?
れた後だった。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
そうしてじきに最前線まで追いつき、だが既にトロイア兵は三千人近くが討ち果たさ
それを言葉として誰に漏らすでもなく、ヴラドは胸中で己への不退転の決意とした。
││もしもそれすらできなければ、死よりも重い罰を自らに課すしかあるまい。
・
許されず、損失は自分の手で清算しなければならない。
だが自分が死ぬことはトロイアの更なる損失へと繋がるだろう。ゆえに死ぬことは
つもりだ。
するほどの失態だった。自裁せよと言われたならば、ヴラドはそれを謹んで受け入れる
損失は恐らく、既に数千に及んでいるだろう。自分がヘクトールなら、間違いなく罰
早く駆けつけ、一人でも多くの味方を死なせない為だ。
そう言い残し、ヴラドは肉体への負担を度外視して戦場を全力で駆け抜けた。一刻も
﹁やはり、余も単騎で敵兵を狩るしかあるまいな。では、赴く﹂
第10節:反撃の秘策
191
カズィクル・ベイ
ヴラドは肚の底から込み上げる怒りを己が杭に乗せ、手当たり次第に敵兵を狩り始め
た。
聖杯大戦においては僅か三秒で五百体もの竜牙兵を葬った〝 極 刑 王 〟による広域
殲滅攻撃だが、アカイア兵の精鋭たちは流石だった。一撃で仕留められる者もいたが、
それでも二撃三撃と躱し続ける者も中にいる。特にミュルミドネス隊に到っては、全員
が全員、無名ながらも英雄を思わせるほどの手練ればかりだ。
﹁生かしては帰さんぞ、蛮族ども⋮⋮
﹂
デュッセウス軍を初めとする混成部隊もだ。
や が て 勝 て ぬ と 判 断 し た ミ ュ ル ミ ド ネ ス 隊 が ヴ ラ ド を 避 け て 下 が っ て い く。オ
万の杭によって悉く返り討ちにした。
というほど対軍に適した宝具である。全方位から間断なく迫りくる彼らを、ヴラドは二
み、杭によって迎撃する。敵が幾らいようとも関係ない。〝 極 刑 王 〟はこれ以上ない
カズィクル・ベイ
恐怖などないとばかりに襲いかかってくるミュルミドネス隊の兵士を杭によって阻
を獲得していた。
ニアではない為そのランクは下がっているが、それでも狂化Bに相当する戦闘ボーナス
ヴラドはこの地域も予め〝護国の鬼将〟によって自陣の領土と定めている。ルーマ
﹁中々やる。余もお前たちのような部下が心底欲しかった。だがッ﹂
192
!
﹁││いいえ、ワラキア公。貴方の無双もここまでです﹂
追撃をかけようとしたところで、頭上より声が投げかけられた。ヴラドの周囲が突然
発火した。
持ち前の敏捷を以ってそれを回避する。即座に体勢を立て直し、ヴラドは頭上を見上
げた。
﹂
そこにはヒポグリフなる幻獣に騎乗した一人の黒い少女と、少女としか見えぬ一人の
可憐な騎士がヴラドを見下ろしていた。
﹁お前は、アストルフォ⋮⋮それに竜の魔女、ジャンヌ・ダルク・オルタ⋮⋮
邪悪な笑みを浮かべるジャンヌ・オルタに対し、ヴラドもまた不敵な笑みを返す。
りですね、ワラキア公﹂
﹁あら、ピンクだけじゃなくてやっぱり私のことも憶えていたのね。ともあれお久しぶ
!
ト
﹂
?
?
﹂
貴方独りで相手になるとでも思っているの
?
?
ないはずがないと証明する為です﹂
こっちは二人よ
?
﹁なるほど、貴様らしい理由よな。それで、余と戦うつもりか
﹁戦う
﹂
﹁フン、全ては聖女の方の私への当てつけよ。あの女にできた人理修復が、この私にでき
コ
か、貴様がカルデアに与しようとはな。いったいどういう風の吹き回しだ
﹁ああ、フランス以来だな。私をよりにもよって鬼として召喚せし邪悪なる者よ。まさ
第10節:反撃の秘策
193
﹁ほう。アストルフォを戦力として数えるのか
﹂
?
﹁なに言っているの 私の強さがサーヴァント二体分って言いたいだけよ。ピンクは
けで、怒りに駆られた気配はまるでない。自分の弱さを弁えているからだろう。
半ば本気、しかし半分は挑発を含めての言葉だった。だがアストルフォは苦笑するだ
﹁うわ、ボクめっちゃディスらてる⋮⋮ちょっとは役に立つと思うんだけどなぁ⋮⋮﹂
194
味方からのぞんざいな扱いに、流石のアストルフォも不満げである。
﹁えぇ⋮⋮﹂
私にとってただの足ですから﹂
?
﹁随分と余裕があるな 場所がルーマニアでもなく、余が吸血鬼でもないからと安心
しているのかな
だとすれば舐められたものだ。その驕りには極刑を以って応じる
?
﹂
鞭揮うアストルフォが持ち前の直感を以って察知したのか、寸でのところでそれも回
面から横に向けて杭を更に突き出すことで即座の追撃を加えにかかる。
軽やかに飛行してヒポグリフが躱す。だがその瞬間を狙って、上空まで届いた杭の側
竜の如く襲いかかる。
届かぬが、杭から杭をさらに繰り返し突き出すことで、それは空中のヒポグリフへ昇り
言葉と同時にヴラドは先制を仕掛けた。地面より突き立てた杭。一本ではまったく
しかあるまい⋮⋮
?
!
避させた。
ヴラドは引き続き杭の横から杭を突き出しつつ、さらに地面から幾つもの杭を出現さ
せ、別方向、あらゆる角度からヒポグリフに奇襲をかける。
ヒポグリフとそれを駆るアストルフォに回避を任せるジャンヌ・オルタが、すぐに反
撃を繰り出してきた。あくまで上空からの呪いの焔による遠隔攻撃。それをヴラドは
ギリギリで察知し、瞬時に飛び退くことで回避する。
互いの攻撃の応酬に間などない。杭と焔は間髪入れずに敵へ殺到した。
疾駆して焔をやり過ごしながら、ヴラドは意を決して敵への接近を試みた。
上空のヒポグリフに向かって杭を足場に駆け上がる。跳躍した。槍を振るう。
一度でも槍を突き立てれば、敵の体内から杭を出現させ、内側から突き殺すことがで
きる。そんな絶望的な状況をも凌ぐことができるのはカルナくらいのものだろう、とヴ
ラドは信じたかった。
跳躍と同時に繰り出した刺突を、ジャンヌ・オルタが間髪のところで旗で受けとめる。
報復の焔を槍で切り払いながら、ヴラドは別の杭へと着地した。最早上空の利など、
さ っ き ま で の 余 裕 が 顔 か ら 消 え て い る
ジャンヌ・オルタたちにはあってないようなものである。
ぞ、生娘﹂
﹁余 が 空 戦 に 対 応 で き な い と 侮 っ て い た な
第10節:反撃の秘策
195
?
﹂
忌々しげに視線を注いでくるジャンヌ・オルタへと、ヴラドはこれ見よがしに嘲弄を
送った。
﹁こ、のッ、ドスケベ公⋮⋮
﹂
!
立てた。
杭から杭への跳躍を繰り返し、前後左右上下、あらゆる角度からヴラドは苛烈に攻め
炎で焼き払い、旗で薙ぎ払い、ヒポグリフが回避する。
オルタ目がけて殺到する。
跳躍したヴラドに付き従うように、二十七本の杭が瀑布さながらの勢いでジャンヌ・
無だった。
額に青筋を浮かべてヴラドは言った。眼は血走っている。さっきまでの冷静さは皆
て召喚した報いも受けてもらおうか小娘ぇッ
﹁││貴様は串刺しだ。言ってはならぬことを言った。ついでにフランスで私を鬼とし
﹁この吸血鬼﹂
涼やかな微笑さえ浮かべてヴラドは言った。これが大人の余裕である。
のことでもない﹂
ともそんな苦し紛れの罵倒では、むしろ微笑ましいだけだがね。目くじらを立てるほど
﹁そのふざけた呼び名はやめてもらおうか。ドラキュラほどではないが不快だよ。もっ
!
196
第10節:反撃の秘策
197
辺り一帯に堆く地面から突き出した無数の杭は幾重にも交錯し、アスレチックなジャ
ングルジムといった様相を呈している。あるいは上空に張られた蜘蛛の巣か。真実そ
こは、素晴らしいまでの惨殺空間と化していた。
まずは足場を破壊しようとジャンヌ・オルタが杭を燃やそうと試みるが、杭の同時最
大出現本数は二万である。壊した端から無限増殖する勢いで新たな杭が突き出してく
る。
その間にヴラドはジャンヌ・オルタたちへの刺突を何度も試みる。槍で一撃入れれば
勝利は確定するにも等しい。体内の杭を、体内に焔を循環させることで燃やしてくるよ
うな悪夢同然のことでもやってこなければ、内側からの攻撃は対処できないのだ。むし
ろできる方がおかしいのだ。確実に、疑いようもなくだ。
ヴラドはひたすらに攻め続けた。眼前の二騎と一頭など早く葬ってしまわなければ
ならない。
トロイア軍とアカイア軍の戦いは、一度トロイア軍が崩れたことでひとまず互角の勝
負に持ち込まれるだろう。少なくともカエサルが立て直しに成功するまでは。
であればこそ、形勢を左右するのはサーヴァントだ。
ゆえにヴラドは速やかに眼前の敵を倒し、アカイア兵を再び狩り始める必要があるの
だ。それは自らの失態によって失われた三千の命に報いる為でもある。
198
太陽は中天に差し掛かっている。日が落ちるまではまだ五時間近くもあるだろう。
それまでに彼らを倒し、損失を取り戻せなければ、いよいよ自らを罰する必要がある
とヴラドは思った。
レジェンド・オブ・ドラキュリア
日が落ちれば己を罰し、その罰を以って全ての敵を滅ぼす。それこそが死より重い罰
となろう。
ヴラドは、自らの禁忌である〝 鮮 血 の 伝 承 〟の発動を視野に入れた││
ない。
風だけが、寒々と吹き荒んでいる。最早二人の戦いの決着を邪魔立てする者は誰もい
後だった。
戦いの爪痕だ。アカイア軍もトロイア軍も、巻き込まれるのを恐れて既に戦場を移した
見渡す限りにあるのは幾つものクレーター。二人の戦闘の余波による凄惨なまでの
辺り一帯は既に原野と言うのも烏滸がましいほどの荒れ地と化していた。
だ。
御者台から跳躍し、クー・フーリンは自らの足で大地へと降り立った。ヘクトールも
たように地上へ戦車を降下させる。
投擲槍の貯蔵がなくなったのはヘクトールも同じだったようだ。互いに示し合わせ
その表情はどこか満足げで、口元には歯を剥き出しにするほどの笑みが刻まれていた。
ついに最後の投擲さえも相殺され、クー・フーリンは舌打ちをした。それでもやはり
上空に迸る衝撃波。それは迅雷と隕鉄が衝突し、苛烈に鬩ぎ合った末の余波だった。
第11節:最強の敵
第11節:最強の敵
199
互いに携えるのは自らの愛槍のみである。間合いはそれなりの距離があった。槍を
﹂
打ち合うのではなく、投げ合うのに最適の位置取りと言えるだろう。
﹁ふぅ⋮⋮肩が痛くて堪らないねぇ。アンタはどうだい
ほとほと疲れた様子のヘクトールが声を張り上げた。
﹂
﹁おまけに軍師と政治家もやってるんだよねぇ。器用貧乏だと嗤ってくれていいんだぜ
﹁なるほど、そういやテメェは戦士である前に将軍だったか。そりゃあご苦労なこった﹂
でよ﹂
イツも化物みたいに強くてな、俺だと万策を講じなきゃ拮抗するのがやっとだったもの
﹁いや悪いね、コレはほとんど癖になってるんだ。アカイアの英雄ってのはどいつもコ
も無駄だといい加減悟りやがれってんだ﹂
﹁あぁ、いい感じに温まったな。だが、それはテメェも同じだろう。油断を誘おうとして
?
200
ち合っても構わんが﹂
﹁││そんじゃヘクトール、そろそろ雌雄を決しようか。オレとしては槍でまだまだ打
そこまで喋ってから、クー・フーリンは姿勢を低く構えた。
ろうさ﹂
﹁貧乏ってのは余計だろう。テメェほど全てにおいて万能な男は世界に十人といないだ
?
クランの猛犬﹂
?
クー・フーリンは決然と一つのルーンを刻んだ。それは自らの肉体を瞬間再生させる
であればこそ、彼が真っ向から勝利する為に残された方法はただ一つ。
う。
が一段階ほど下がっている。この状態で普通に投げ合えば、恐らく敗北を喫するだろ
対しクー・フーリンはライダーとして現界したせいか、ランサーの時と較べて筋力値
ろう。
此処はヘクトールのホームグラウンドだ。ステータス各種が圧倒的とさえ言えるだ
いやむしろ、とクー・フーリンは笑う。
して相手にとって不足はない。
敵はトロイア最強の英雄だ。九大英霊が一人だ。ケルトの大英雄、クー・フーリンを
の最強をぶつけ合うのだ。燃えないわけがないだろう。
││恐怖。そんなわけがない。これは興奮以外の何物でもない。これから互いの真
フーリンの肌を総毛立たせた。
迸る殺気。立ち昇る闘気。煮えたぎるほどの熱意。それら全てが大気を通してクー・
ヘクトールもまた、不毀の極槍を肩に背負うようにして構えを取った。
ドゥ リ ン ダ ナ
ンタもこの距離で俺と対峙したんだろ
﹁投げ合いで始めたんだ。なら最後まで投げ合いで通すべきだろうさ。だからこそ、ア
第11節:最強の敵
201
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
為の文字である。││これで、心置きなく死にに行ける。
限界を無視して力を振り絞る。肉も骨も血管も、全てが軋みを上げるほどに力を振り
絞る。肉体はそれに耐えきれず、細胞の一つに到るまで崩壊を始めた。
それら全てを無視してクー・フーリンは全力で疾駆した。一歩大地を踏みしめる毎
に、体中の何かが罅割れる。
跳躍する。ゲイボルクを携えた右腕に、有りっ丈の力を籠める。ともすれば、ゲイボ
ルクが砕けかねないほどの膂力を以って。
痛み。クー・フーリンをして絶叫したくなるほどの激痛が全身に蠢く。笑みを浮かべ
てその全てを誤魔化した。
││それでもやはり、彼も笑った。
ヘ ク ト ー ル が 激 痛 に 顔 を 歪 め る。右 腕 は と っ く に 火 花 と 電 気 を 撒 き 散 ら し て い る。
熱量の為に紅蓮に輝いていた。
仕掛けの右腕を、彼は自ら意図的に暴走させたのだ。漆黒の腕は、しかしそのあまりの
限界を無視したのはヘクトールとて同じだった。オーパーツによって組まれた機械
ほどに爆ぜていた。
同時にヘクトールの右腕が火を噴く。肘から噴き出した魔力光と炎熱は、かつてない
﹁標的確認。方位角固定││﹂
202
ゲ
イ・
ボ
ル
ク
﹂
﹁突き穿つ死翔の槍ゥッ
ドゥリンダナ・ピルム
﹁不毀の極槍ゥッ
﹂
!
﹂
かしすぐさま戦車は反転し、トロイアの本陣へとひた走っていった。
ヘクトールは一度だけ赫怒を露わにした眼光を以ってクー・フーリンを睨みつけ、し
た。
よ ろ め き な が ら ヘ ク ト ー ル が 自 ら の 愛 槍 を 拾 い、〝 気炎万丈の爆砕戦車 〟 に 騎 乗 し
ア カ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
全てを賭けて擲った一撃だった。それが勝利できぬなどあってはならない。
今度ばかりはクー・フーリンもその顔に憤怒を刻んだ。今度こそ、必勝を期して己の
!?
に主の下まで跳ね返ってきた。
││やがて二本の槍は互いに籠められた魔力と破壊力を相殺し尽くし、弾かれたよう
拮抗を見つめ続けた。
ほどの疲労感と激痛。それでも二人は辛うじて顔を上げ、己の最強が勝つの信じてその
投擲手は互いに地面に倒れてぐったりしていた。もはや意識を保つことさえ億劫な
ゲイボルクとドゥリンダナが衝突する。拮抗。道を譲れと、二本の槍が荒れ狂う。
はその余波のみで怯えて逃げるように地割れを起こした。
裂帛の怒号が交差する。二つの閃光が同時に迸った。次元が歪むほどの衝撃。大地
!
﹁な││これも、引き分けだと⋮⋮ッ
第11節:最強の敵
203
戦場には、クー・フーリンとその戦車だけが残された。
双剣で矢を切り払う毎に体を即座に反転させ、別方向からの射撃にも即応する。それ
勢いは怒濤のそれでありながら、迫りくる矢は一方からではなく八方からだ。
◇
闇の中に意識を沈めた。
マハとセングレンに戦地の外に出て休息するように指示を飛ばし、クー・フーリンは
ただろう。だから業腹ではあるが、クー・フーリンはこの結果を良しとした。
ともあれ、ヘクトールを撤退させた。これで少しはカルデアの少女たちの助けとなっ
多少は駆けられるものの、敵にチャージを決められるほどの余力はない。
動けるようになるにはしばらく時間がいるだろう。マハとセングレンも疲労は著しい。
よろめきながら身を起こし、クー・フーリンは戦車の御者台に這い上がる。まともに
を繋ぎとめていた。
限界を超えた投擲によって崩壊し尽くした肉体は、回復のルーンによって辛うじて命
倒れ伏したまま、クー・フーリンは諦めたように力なく笑う。
﹁チ、ここで、逃げやがるかよ⋮⋮まったく、連れねぇじゃねぇか⋮⋮﹂
204
第11節:最強の敵
205
を一呼吸の間に十回近くは繰り返した。
加えてなんの冗談か、間というモノが一切ない。エミヤの脳裏に、防戦に徹しろとい
うパリスの言葉が一瞬過ぎった。
知らず苦笑が零れた。徹しろも何もあったモノではない。
││攻めになど転じられるわけがなかった。そんな真似をこの敵は決して許しはせ
ず、そんな隙をこの敵は決して逃しはしない。
いや、そもそも前提が違う。攻めに転じる以前に、エミヤは千里眼を以ってしてもケ
リュネイアを捕捉しきれなかった。辛うじて視界に映った残像の移動方向から次の射
撃位置を予測して、これまでどうにか切り抜けているだけである。
そんな有様で攻勢に出たところで、愚かな死体が地面に転がるだけだろう。
やはりここはパリスの助言に従って、加勢が現れるまでは耐え忍ぶしか他になかっ
た。
だがそれも、長くは続くまい。一撃一撃が必殺と言って差し支えないほどの威力の矢
は、着実にエミヤから体力も魔力もごっそり削り取っていく。干将莫耶の再投影も既に
二十三回行っていた。
何よりも厄介なのはヒュドラの毒矢の存在だ。その貯蔵は限られているだろうから
濫用は避けるだろうが、それを射てくる可能性が常にあるせいで、掠り傷さえ負っては
206
ならなかった。
小次郎が先天的な才能として備える心眼であれば、死の気配として事前に察知できる
のだろう。だがエミヤの持つ心眼は経験則に因る後天的なモノだ。ゆえに毒矢か否か
を見分けることはできなかった。だから全ての攻撃を完全に防がざるを得ない。
体は常に動かし続け、同時に脳内もフル回転だ。どうすれば突破口を抉じ開けられる
か。エミヤは攻撃に対処し続けながら、勝利への方程式を必死に模索した。
まずはネメアの裘よりも先に、あの鹿をどうにかしなければ話にもならない。いまの
この状況は戦いですらなく、ただ一方的な狩りでしかないのだから。
ケリュネイア。それは矢よりも速く走ることができるという、黄金の角と青銅の蹄を
備えし雌鹿だ。月の女神であり、同時に狩猟を司るアルテミスが、リュカイオンの山中
で草を食んでいるのを見つけて捕まえた聖獣である。
だがケリュネイアの鹿は全部で五頭おり、うち一頭をアルテミスは捕まえることがで
きなかった。残りの一頭はあまりに足が速かったのだ。あのテキトーに矢を放っても
百発百中の絶技を誇るアルテミスをしてである。
いまエミヤの周囲を流星の如く疾駆しているのは、当然最も速い一頭だ。その一頭は
第三の試練の折にヘラクレスが捕縛したのだ。││そう、彼の大英雄が一年もの時間を
費やして。
それも水を飲んでいる間の隙を突いてようやくである。対していまのエミヤは、無論
そんな手段には頼れない。そのケリュネイアに騎乗しているのが当のヘラクレスだか
らだ。戦闘中に水を飲ませるなどという隙は決して生じ得るはずもない。
であれば真正面から撃破する他にないわけだが、実のところケリュネイアを仕留める
算段はあるにはある。魔力消費を完全に度外視した物量戦術であり、結果マスターへ多
大な負担をかけることになるだろうが、この際躊躇うわけにはいかなかった。
問題はそこまで漕ぎ着けることが現状では不可能ということだ。どころか、次の瞬間
には死んでいてもなんら不思議はないだろう。
││そしていま正に、その時がやってきてしまった。
一際強力な一撃を双剣で受けとめる。その一瞬の隙を狙って滑り込ませるように、ほ
とんど同時に放たれた五連撃が頭部と四肢へと迫りくる。ほんの一刹那のタイムラグ
が致命的だった。五つの内、三つ四つは対処できるがあと一つが間に合わない。そして
その矢を受ければさらに体の自由は効かなくなり、即座に蜂の巣にされるだろう。
しくじった、とエミヤが諦念を懐きかけた時││
いま死ぬことは、
それを、敢然とエミヤの前に躍り出た淡い赤髪の女剣士が自らの剣で打ち払った。
!?
﹁なっ、逃げろと言ったはず││﹂
﹁なんだ、そのザマは この私を護っておいてその体たらくだと
!?
第11節:最強の敵
207
この私が許さないぞ
た。
﹂
﹁そしてッ││面食らっている暇がお前にあるのか
﹂
被せるように女剣士が怒鳴り散らす。涼やかな美貌は、しかし柳眉が逆立てられてい
!
打ち払う。
気づけばエミヤは、彼女と背中合わせに立っていた。
﹁私は、お前に辱めを受けた﹂
なおも続くあらゆる角度からの騎射を捌きつつ、彼女は言った。
!?
うにエミヤには見えた。
顔が真っ赤に染まる。怒りとも羞恥ともつかないそれに、本人が一番戸惑っているよ
﹁し、しかも、まるで姫か何かのように抱きかかえるなど⋮⋮っ﹂
子犬のような哀愁が漂っている。
声音は酷く悄然として聞こえた。横目で見た彼女の俯きがちな面持ちも、捨てられた
﹁アカイアの楯であるこの私が誰かに護られるなど、屈辱以外のなんだという⋮⋮﹂
エミヤもまた、アルケイデスが放ってくる矢を凌ぎながら反論した。
﹁いや、ちょっと待ちたまえ。そんな心当たりは当方にはないのだが
﹂
理不尽な物言いに一瞬茫然としていたエミヤに代わり、背後から迫る矢を再び彼女が
!
208
だが次の瞬間、彼女は決然と顔を上げた。その面差しはどこまでも凛々しい戦士のそ
れだ。迫りくる幾つもの矢を一刀の下に轟然と薙ぎ払い、彼女は言葉を続ける。
﹂
﹁だから、責任を取れ﹂
﹁責任だと
悪いが、俄かに信じがたいのだが﹂
﹁我はテラモンの子にして、ヘラクレスに鷹の名を貰いしアイアス﹂
なのだと。
そこでようやくエミヤは気づいた。彼女こそ、パリスの言っていた加勢のうちの一人
う話も変なのだが⋮⋮とにかく共に戦おう﹂
まり、加勢させろと言っている。あ、いや、元々戦っていたのは私なのだから加勢と言
が、ならばせめてお前の背中を私に預けてくれ。代わりに私の背中をお前に預ける。つ
﹁お前を護らせろなどとは私には言えん。助けられた以上、その資格はないだろう。だ
?
?
が弱いだろう。
が、それでも大アイアスと讃えられるほどの背丈というわけでもない。少しばかり押し
とはいえ、彼女の身長は170センチ前半だ。確かに女性としては高身長ではある
士王を初めとして、エミヤにとっては慣れ親しんだ真実である。
神話では男だったと記述されていたからというのはあるが、それは別にいい。彼の騎
﹁なに、君が彼の大アイアスだと
第11節:最強の敵
209
﹂
﹁その、いったいどの辺りが大アイアスと呼ばれる所以なのだ
いきなりなんてことを訊くんだ
!
!?
﹂
?
は
﹂
﹂
私を女と思って侮る奴の多いこと
不満と怒りを剣に乗せて、彼女は矢を迎撃する。
﹁それで、お前の名はなんという
﹁エミヤだ﹂
!?
﹂
﹂
オルタ化とは、その英霊の属性の反転現象を多くは指す。だからヘラクレスの場合
それは、希望の一言だった。
ているからだ。神としての己と共にな﹂
﹁馬鹿。いちいちあの男の神経を逆撫でするな。そう呼ぶのは、あの男がその名を捨て
?
﹂
あるのだろうな
?
それは確か、ヘラクレスの幼名だな。なぜわざわざその呼称を
﹁アルケイデス
?
﹁ではエミヤ。あれだけの啖呵を切ったんだ。お前にはアルケイデスに勝ち得る手段が
?
!
!?
﹁男はみんな馬鹿に決まっているだろう
!
﹁な、まさかそういう意味で大アイアスと呼ばれているのか 馬鹿かアカイアの連中
はとても覆いきれないほど豊満な胸を隠すようにしながら。
顔を羞恥で真っ赤にしたアイアスにエミヤはまたしても怒鳴り散らされた。片手で
﹁ばっ⋮⋮この変態
210
も、高潔な武人としての彼が真逆になっただけだとエミヤは思っていた。
だがヘラクレスの場合のオルタ化とは、神としてのヘラクレスから、人としてのアル
ケイデスへの反転を意味するのかもしれない。
無理難題が過ぎるだろう
﹂
ならばそれは、神の祝福の証たる〝十二の試練〟が失われていることを意味する。つ
まり││
﹁あの男を十二回殺さなくていいのか﹂
﹁お前はあの男を十二回殺すつもりだったのか
!?
﹂
勝利への軌跡は拡張された。あとはパリスの言葉通り、もう一人加勢が来れば反撃に
だ一殺に傾注できる。
ドを温存などせずに切りに切る。ヘラクレスを十二回殺す為の全ての布石と手段をた
だが一回殺めるだけでいいのなら出し惜しみは何もいらない。持ち得る全てのカー
は厳しいかもしれない。
に変わりはない。バーサーカーのヘラクレスを十二回殺めるよりも、もしかしたらそれ
相変わらず難易度は振りきっている。アルケイデスを一回殺すのは至難であること
!?
此処に推参仕るッ
!
出られる。そして││
!
地平の彼方まで響きかねないほどの大声で名乗りあげ、その男はエミヤの視界の端に
﹁テュデウスの子、ディオメデスッ
第11節:最強の敵
211
現れた。
アテネ
アイアスとも並ぶ、アカイア軍きっての英雄。このトロイア戦争において、女神の寵
愛を総身に受けし偉丈夫。軍神アレスをも退ける勇者。
﹂
だが、やってもらおう。少しの間
カチリと嵌まる音をエミヤは聞いた気がした。勝機はいま、この手にある。
でいい。奴から私を護りきってくれ﹂
﹁アイアス。君は私を護る資格がないと言ったな
﹂
!
潮
は
は
剣
鉄
で
出
で
来
心
て
い
は
る
硝
子
﹁Steel is my body,and fire is my blood.﹂
血
でも言うかのように。
闘ぶりだ。まるでその背に護るべき誰かがいれば、それだけで何倍も力が湧いてくると
それら全てを、アイアスが悉く切り払う。疲労困憊、満身創痍だったとは思えない奮
﹁させない
に仕留めようという算段だろう。
瞬間、矢の攻勢が更に苛烈となった。エミヤの詠唱を見て取って、発動が完了する前
﹁││I am the bone of my sword.﹂
体
て世界へと語りかけるように、祈りを捧げるように言霊を紡ぐ。
頼もしいまでの返答だ。だからこそエミヤは迷わず双剣を捨て、片膝をついた。そし
﹁⋮⋮分かった。何をするつもりか知らないが、私がお前の楯となろう
!
?
212
た
び
の
戦
場
を
超
え
て
不
敗
エミヤは詠唱を続けた。その間にも矢は飛び交ってくるが、ただ無心に世界へと語り
幾
かける。
詠唱を短縮して固有結界を発動することは可能だ。けれど省略とは即ち手抜きであ
﹁I have created over a thousand blades.﹂
り、当然その世界には綻びが生じる。その世界は通常よりもあらゆるモノが軽くなる。
バスター
魔力供給がない状態でも発動、維持できるという利点もあるが、その分投影の精度は落
アー ツ
だ
の
一
度
も
敗
走
は
な
く
た
だ
の
一
度
も
理
解
さ
れ
な
い
ちてしまう。アルケイデスを相手にしてそんな真似は許されない。剣はただ破壊の為
た
にあるのではなく、人の心を魅せる芸術を伴っていなければならないのだ。
﹁Unknown to Death.Nor known to Life.﹂
やがて射撃のみでは仕留められぬと見て取って、アルケイデスがケリュネイアの足を
﹂ 一度止める。そして彼の傍らに現れたのは、美しくも猛々しい牡牛と、三つ首の巨大な
る猛犬だ。
﹁■■■■■■■■■■■■■■■││ッ
力の限りの突進と、豪速を以って振りかぶられる鋭利な巨爪。そして後方から放たれ
吼と共に肉迫してくる。
アルケイデスの言葉に従って、魔獣〝クレーテーの牡牛〟と神獣〝ケルベロス〟が咆
!
﹁行け﹂
第11節:最強の敵
213
ア
イ
ア
ナ イ ン ラ イ ブ ス
ス
﹂
るは九つの閃光〝射殺す百頭〟。それは一切の慈悲も容赦もない同時攻撃。
ロ ー・
﹂
!
﹂
!?
だ。
﹁そうだ
﹂
の
者
﹂
は
常
に
独
り
﹁よし、期待してるぜ魔術師の兄ちゃん オレもテメェを護ってやる
彼
英雄をブッ倒そうぜ
剣
の
丘
で
勝
利
に
酔
う
﹁Have withstood pain to
!
!
create many weapons.﹂
共にあの大
振り向いてディオメデスが問いかける。伝承にあるとおり、耳を劈かんばかりの大声
﹁アイアス、こいつを護ればいいんだなぁ
持った楯でケルベロスの爪撃を受けとめ、その巨体ごと弾き返した。
ディオメデスの鬼神めいた槍撃がクレーテーの牡牛の頭部を見事に抉り穿ち、片手に
﹁オラァッ
思ってエミヤが立ち上がりかけた時、
しかし残る二頭は両側面から襲いかかっていた。流石に自分で防ぐしかない。そう
見張った。
アルケイデスの宝具をアイアスが防いだ。贋作ではない本物の強度にエミヤは眼を
﹁熾天覆う七つの円環
!
!
!
214
詠唱を以って返事とする。パリスとアキレウスの言った通りだった。確かにこの二
故
涯
に
に
意
味
は
な
く
人はこれ以上ないほどに頼もしい。ゼロに等しかった勝率は、エミヤの中で二割を超え
た。
生
﹁Yet those
hand will never hold anything.﹂
頭部に風穴を開けながらも、クレーテーの牡牛はなおも突進してくる。ケルベロスも
爪撃を繰り返してきた。だがアルケイデスは通常の射撃に切り替えている。聖杯から
の
体
は
きっ
と
剣
で
出
来
て
い
た
魔力のバックアップがあろうとも、流石にあまりにも多くの宝具の同時連続使用は無理
があるのかもしれない。また一つ、勝ち筋は拡張されていく。
敵の攻撃の全てをアイアスとディオメデスが死に物狂いで捌いていく。
そして彼らのその奮闘が、いま結実する。
そ
エミヤは最後の言葉を紡ぎ上げる。世界を塗り替える為のその真名を。
える無間の歯車。
大地に無数に突き立つは剣の墓標。空中に浮かび、緩やかに回るは守護者の証とも言
る大禁呪、固有結界。エミヤの英霊としての宝具〝 無 限 の 剣 製 〟。
アンリミテッド・ブレイド・ワークス
爆ぜ広がる焔が、原野を荒野へと染めていく。術者の心象風景によって現実を侵食す
﹁So as I pray,││〝unlimited blade works〟﹂
第11節:最強の敵
215
さいきょう
無限の剣群を以って、エミヤは堂々と彼の大英雄と対峙した。
﹂
﹁││行くぞ、アルケイデス。オレの世 界を以って、貴様という最強を打ち負かす⋮⋮
216
!
第12節:最優降臨
本陣まで戻ってきたヘクトールはようやく生還できたと実感し、安堵の溜息を深々と
吐いた。
戦闘中、ずっと生きている心地がしなかったのだ。それほどまでに恐ろしい相手だっ
たと言えるだろう。
己の最強の一撃すら引き分けに終わったのは業腹ではあるが、それはクー・フーリン
とて同様だ。痛み分けということで手を打つしかない。これ以上ないくらいに燃えは
したが、もう二度と相対したくもなかった。
ふらつきながら戦車から降りて、ヘクトールは全軍の指揮を執っているはずのヴラド
の許まで行こうとした。するとそこにいたのは、普段からは想像もつかぬほど真剣な面
持ちで戦場を見据えるカエサルであった。正に将軍といった佇まいと存在感だ。
﹂
?
ぐまた戦場の方へと視線を戻した。
ほとほと疲れた声でヘクトールは声をかけた。カエサルは一瞬だけ眼を向けると、す
﹁⋮⋮よう、戻ってたんだな。ヴラドはどうしたよ
第12節:最優降臨
217
﹁⋮⋮ ヘ ク ト ー ル か。ヴ ラ ド な ら 私 に 指 揮 を 任 せ て 単 騎 で 敵 兵 を 狩 り に 行 っ た。オ
デュッセウスに出し抜かれてな。兵を三千ばかり失ってしまったのだ。その責任を取
りに行った﹂
﹂
?
戦に絶対などない。それはヘクトールが言わずとも、カエサル自身も理解しているこ
に負けんよ﹂
この私がアカイアに同情するほどだぞ。敵の士気が同等まで回復しない限り、私は絶対
﹁昨日、皆が散々に敵の士気を挫いてくれたからな。むしろ君ら四人、やり過ぎなのだ。
﹁頼もしい限りで﹂
せたところだ。すぐにまた打ち砕いてやろう﹂
い。指揮は私に任せてもらって大丈夫だ。一度崩されかけたが、ようやく体勢を立て直
﹁なんと、クー・フーリンとな。よくぞ生還したものだ。そなたは暫し休息を取るがい
や、ホント危うく死ぬところだった﹂
﹁あぁ、もうまったくその通りよ。オジサン、いきなりクランの猛犬に絡まれてね。い
けん。⋮⋮それでどうしたのだ、ヘクトール。疲れて戻ってきたのか
﹁だろうな。様々な鬼謀を試みている。いまのところ全部潰しているが、私とて気は抜
んどくさい野郎だよ﹂
﹁オデュッセウスね⋮⋮あいつは本当に厄介だからなぁ。ある意味アキレウス以上にめ
218
とだろう。それでもなお、彼の言葉に異を唱える気がまったく湧いてこなかった。
カエサルのそれは油断でも慢心でもなく絶対の確信だ。彼がそう言うのならそうな
のだ。絶対に負けないと、不思議とヘクトールもそう思った。
﹁お疲れ様です、兄さん﹂
ヘクトールは不意に後ろから声をかけられた。戦場には不釣り合いな、なんとも愛情
が籠められた可憐な声音だ。振り向くとそこにはやはり、最愛の妹が笑顔を添えて立っ
ていた。
を吹き飛ばせるモノがあるとすれば、それは世界をも斬り闢くほどの剣による最大の攻
ひら
級の対城宝具を以って臨まなければ話にもならないのだ。もしも一刀の下にこの城壁
宝具もその威力とランクの是非を問わず完全に遮断する。真正面からの攻城には最上
〝語り継がれし護国の煌壁〟はその規格外の強度も然ることながら、対人宝具も対軍
ト ロ イ ア ス・ ブ レ イ ズ ウ ォ ー ル
それ自体がランクEXの結界宝具なのだ。
太陽神アポロンと海皇神ポセイドンによって建造された城塞都市トロイアの城壁は、
たんだけどねぇ﹂
いんだ。というか、お兄ちゃんとしてはお前には安全な王宮でじっとしていてほしかっ
らな。どこに敵の密偵や暗殺者が紛れているかわかったものじゃない。要するに、危な
﹁カサンドラか。あんまり本陣をうろうろするのはイケないぜ。本陣と言えど戦場だか
第12節:最優降臨
219
撃でなければならないだろう。
ファイアーウォール
もちろん、城壁の届かぬ上空や地底からの侵入も不可能である。城壁がないと言って
も、上空にも地中にも敵の侵入と攻撃を阻む焔 の 壁が常時展開されている。その強度
も城壁と同様であり、侵入者を一瞬で熔解させる。
だからこそアカイアは、最終的にトロイの木馬による内側からの崩壊を目論んだの
だ。
城内にいれば、間違いなく安全だった。けれどアヴェンジャーは、一緒に行くと言っ
て頑なだったのだ。ついにはマスター命令まで持ち出したので、結局ヘクトールが折れ
心配ありませんとも﹂
ルー ト
た形で同行することになった。竜牙兵を数体、護衛として伴うことを条件につけはした
が。
﹁私の力をお忘れですか
できるのだ。
ルー ト
測できる。つまりは、バッドエンドへと向かう選択肢とその結末を前もって観ることが
一つは悲劇的な未来。特定の行動を取った場合に、都合の悪い未来へと行く軌跡を観
測できる。
一つは直線的な未来。現在が何も改変されることなく、そのまま自然に辿る軌跡を観
カサンドラの予知能力。それには観測できる未来が大別して三種類ある。
?
220
ルー ト
一つは良好的な未来。特定の行動を取った場合に、都合の良い未来へと行く軌跡を観
測できる。つまりは、ハッピーエンドへと向かう選択肢とその結末を前もって観ること
ができるのだ。
とはいえだ。それを知識として弁えているいまでも、彼女の予言を信じる気が湧いて
﹂
こなかった。例え彼女の言葉が真実であったとしてもアポロンの呪いは強力極まりな
く、ヘクトールから信じる気持ちを萎ませていた。
﹁そういえば、どうしてわざわざ戦についてきたんだ
らいだ﹂
ア
ホ
﹁無理なきことだ。これほど可憐な妹ならば過保護にもなろう。私の側室に迎えたいく
﹁それはわかってはいるが、やはり心配でな⋮⋮シスコンと笑ってくれて構わんが﹂
カサンドラをフォローするように、カエサルが優しげな笑みを浮かべて口を挟んだ。
﹁ヘクトール。彼女の遠見や念話の魔術は、充分役に立っているよ﹂
?
改めてヘクトールはアヴェンジャーに眼を向けた。
﹁それで、同行した理由だ﹂
﹁ははは⋮⋮眼がマジだぞヘクトール。いや、悪かった﹂
に手出したら不毀の極槍をぶっ刺して豚串にするから覚悟しろよ
ドゥ リ ン ダ ナ
﹂
﹁アンタも節操がないよねぇ。うちのパリスといい勝負だぜ。だがまぁ││カサンドラ
第12節:最優降臨
221
?
わたし
﹁だが果たして、状況に応じた最適なサーヴァントを今度もまた引けるかな カサン
えて空けておいたのだろう。
余裕があるのだ。もしもの時を想定して、臨機応変に対応できるよう、最後の一枠を敢
自身を含め、現在聖杯によって召喚されているサーヴァントは六騎だった。あと一枠、
アヴェンジャーが所有する聖杯で召喚できるサーヴァントは全部で七騎まで。彼女
確信しているのだろう。
不敵なまでの微笑だった。その一手で不利になった未来を絶対かつ完全に覆せると
修正しようと思いました。││いまから、最後のサーヴァントを召喚します﹂
た。そのせいでかなり不利な未来になってしまいましたの。なので少しばかり軌跡を
ルー ト
﹁カ ル デ ア に つ い た 彼女 の せ い で し ょ う ね。少 し ば か り 未 来 を 改 変 さ れ て し ま い ま し
222
カエサルの懸念に、カサンドラがにこりと笑顔で答えた。
すので﹂
﹁はい、引けますよ。目当ての英霊を目当てのクラスで引く条件は、全てクリアしていま
てしまったせいでな﹂
を尽きていると思うのだが。特にそう││このガイウス・ユリウス・カエサルを召喚し
に引いている。そう、特にこのカエサルだ。君の幸運、既にその預金残高はいい加減底
ドラ嬢、君はこれまでこれ以上ないというほど当たりと言えるサーヴァントを立て続け
?
﹁条件とな
﹂
それはどういう意味だいカサンドラ
?
したので﹂
﹁うん
﹂
もっとも、実はほとんど必然です。私は強い方が確実に来てくれる瞬間に召喚を行いま
﹁私の呼びかけに兄さんが来てくれたのは当然でしょうが、残りの四人は一応偶然です。
アルケイデスのことである。
前者にヘクトール、カエサル、ヴラドの三人が該当し、後者は言うまでもなく呂布と
できる二人の無双の英雄です﹂
だ五騎のサーヴァントは、トロイアを護り得る強き三人の守護神と、万軍を倒すことの
﹁カエサルさま。聖杯に願えばある程度、望む英霊は召喚できます。私がこれまで望ん
?
召喚テーブルがあると申しますか﹂
ノが何かしらの分岐点になるのです。一瞬ごとに確率の変動があると申しますか⋮⋮
﹁んー⋮⋮なんと言いましょうか。英霊を召喚するに際して、時間や場所、そういったモ
?
﹂
?
やはり信じがたかったが、ともあれチート以外の何物でもなかった。つまりアヴェン
﹁そういうことです、兄さん﹂
べるサーヴァントを確実に引き当てていたってわけかい
﹁カサンドラは予知能力によって最もいいタイミングで召喚を行うことで、当たりと呼
第12節:最優降臨
223
ジャーは、本来一パーセントの確率でしか引き当てられないサーヴァントを、五回連続
で引き当てていたというわけだ。そして、最後に引くサーヴァントも決して例に漏れな
いのだ。
﹂
?
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
⋮⋮まさかカサンドラ、お前が呼び出すサーヴァントというの
?
存在もまた、その英霊を召喚する為の縁となるでしょう。いわゆる連鎖召喚というもの
﹁その通りです。いま、この戦場にはアストルフォという英霊が現界しています。彼の
廉さを帯びながら、だが同時にどうしようもないほどに邪悪だった。
クスリとアヴェンジャーが笑った。楚々とした彼女が見せたその婉然たる笑みは清
は﹂
﹁デュランダルだと
竜牙兵たちが陣を刻んでいる間に、アヴェンジャーはそれを眺めながら話を続ける。
││いえ、デュランダルを触媒とすればいいだけですから﹂
・
﹁本当はと言うと、その英霊自体を呼ぶことは簡単なんです。兄さんのドゥリンダナを
の為の陣である。
そしてアヴェンジャーは、竜牙兵たちに地面に魔法陣を刻ませた。サーヴァント召喚
﹁ええ、本来なら1パーセント未満の確率でしか来てくれない英霊をです﹂
言うわけだな
﹁なるほどねぇ、それでいまこの瞬間こそが、カサンドラが望むサーヴァントを引けると
224
ですね﹂
﹁カサンドラ嬢も無慈悲だな。アルケイデスと呂布に加えて、彼の無双の英雄をも従え
ようとするか。⋮⋮ヘクトール、君の妹ちょっと怖くない このカエサル、流石にい
まのトロイアの戦力に若干ドン引きなんだが﹂
足そうに頷いた。
竜牙兵が陣を刻み終えた。アヴェンジャーは間違いがないかじっと検め、それから満
いのでしょうね﹂
です。恐らく、私がバーサーカー寄りの存在だからでしょう。そちらの方が親和性がい
﹁ですが、どういうわけか99パーセントの確率でバーサーカーでしか来てくれないの
アカイア⋮⋮と、カエサルが心底憐憫を含んだ声音で呟いた。
﹁本来優しい子を怒らせちゃいけないということさ、カエサル﹂
?
﹂
?
た
せ
み
た
せ
み
た
せ
み
た
せ
み
た
せ
﹁では││閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ。繰り返す都度に五度。ただ、満た
み
不毀の極槍を放り投げ、ヘクトールは魔法陣の前に突き立てた。
ドゥ リ ン ダ ナ
﹁あいよ﹂
は兄さん、魔法陣の前に、不毀の極槍を置いていただけますか
ドゥ リ ン ダ ナ
く兄さんと同じ九大英霊であるアーサー王に勝るとも劣らぬ最優のセイバーです。で
﹁ともあれ、この時間帯で召喚を行えば彼はセイバーで来てくれます。彼の英霊は、恐ら
第12節:最優降臨
225
される刻を破却する﹂
し
詠唱はどこまでも堂々と紡がれていく。失敗などないと、違えようもなく確信してい
るがゆえに。この召喚こそがトロイアを勝利に導くのだと、アヴェンジャーは既に識っ
ているのだ。
﹁汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪よ来たれ、天秤の守り手よ││
﹂
﹂
﹁││サーヴァント・セイバー。契約に従い、参上した。問おう。貴女が俺のマスターか
た。
眼が眩むほどの光。爆ぜ広がらんほどの魔力の奔流。魔法陣の中心に、その男は現れ
!
を巻く。
魔法陣の輝きが極限まで高まる。魔力は奔流となって、魔法陣の中で怒濤の勢いで渦
﹁誓いを此処に。我は常世全ての善と成る者。我は常世全ての悪を敷く者﹂
魔法陣が光輝く。魔力は収束され、エーテルは像を帯びていく。
この理に従うのならば応えよ﹂
﹁││告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、
226
ほどだった。カエサルも同様に眼を見開いている。
雄々しくも凛とした声。青年の英気というモノに、一瞬ヘクトールをして圧倒される
?
その男の躰はおよそ完璧と言えるモノだった。金剛石の如く鍛え抜かれた逞しい肉
体はその頑強さも然ることながら、同時にしなやかさを決して失わぬ黄金比を誇ってい
た。
胸筋、腹筋、背筋、腕部、脚部、臀部に到るまで、その全てがだ。
右手に携えた長剣はドゥリンダナとよく似た意匠だ。華美であり権威を象徴する儀
礼的な剣を思わせながら、その刀身は静謐なまでの輝きを発している。その切れ味は言
うまでもないだろう。
もう状況は聖杯からもたらされた知識で既にご存じのことと思います。私はこれから
﹁ええ、私が貴方のマスターであり、アヴェンジャーのサーヴァント、カサンドラです。
﹂
トロイアを守る為に、人理を焼却するでしょう。それでも貴方は私に力を貸してくださ
いますか
男らしくも端正な顔立ちの青年は、口元に爽やかな微笑を添えて答える。
ずだ。何よりいますぐ顔を背けたいであろうにだ。
悠然とアヴェンジャーが問いかけた。││内心、酷く動揺しているであろうにも拘ら
?
騎士と任じてくださるのであれば、御身が間違っても何処の馬の骨とも知らぬ一般兵と
一人の男として異を唱えるわけにはいきません。貴女は俺の姫だ。御身が俺を自らの
﹁││ええ、当然です。貴女のような可憐な女性の頼みとあれば、一人の騎士としても、
第12節:最優降臨
227
駆け落ちなどしないのであれば、我が力と聖剣を以って万軍を滅ぼすと誓いましょう﹂
片膝をつき、セイバーは自らの剣を迷いなくアヴェンジャーに差し出した。
そ
れ
彼女は戸惑いながらその剣を受け取った。それから助けてほしそうに、ちらりとヘク
〟とでも言いたげな視線だった。
トールの顔を見ていた。セイバーの求める叙任式のやり方が判らないわけではないだ
ろう。それでも、〝これ先にやらないとダメなの
た。
仕方なさそうに嘆息し、それからアヴェンジャーはセイバーの両肩を剣で軽く叩い
方が時間がかからないだろう、と言外に伝えた。
ヘクトールは仕方なしにアヴェンジャーに向かって無言で頷く。さっさと済ませた
いないのだ。
ないようだった。多分バカだからだろう。アヴェンジャーの動揺にまるで気づいても
ヘクトールはセイバーを見つめる。一人だけ、自分の行動にまったく疑問を懐いてい
?
﹁なんなりと、マスター﹂
﹁では、セイバー。最初の命令です﹂
う﹂
﹁は、ありがたき幸せ。この命に代えても、御身の敵を悉く滅ぼして御覧に入れましょ
﹁セイバー、貴方を我が騎士と認めます﹂
228
全裸なのは流石にちょっと⋮⋮っ﹂
涼やかな笑みを浮かべて男は言った。対しアヴェンジャーは、
﹁いい加減服を着てください
││あぁ、服な
服 ごめん、別にいらないと思って着てなかったよ
﹂
!
!
!
恥ずかしそうにアヴェンジャーが視線を逸らした。
﹁えっ
!
片もありはしなかった。
白い歯を見せて青年は笑う。女性の前で裸体を晒していたことに対する羞恥など欠
﹁これでよろしいですね、マスター﹂
姿。その体からは生命力と闘気が充溢している。
変質者然とした青年は、ようやく聖騎士という出で立ちに収まった。威風堂々たる
パラディン
な裸体を晒していた青年は、ようやく服と白銀の鎧を着装した。
素を見せてセイバーが決まりが悪そうにたははと笑う。それから上から下まで完全
?
﹁ではセイバー、一応、貴方のお名前を訊いてもよろしいですか
﹂
差し出された剣を慎んで受け取るセイバーに、アヴェンジャーが尋ねた。
?
した。
きっと見てはいけないと勝手にフィルターがかかったのだろう、とヘクトールは予想
えなかったのに⋮⋮これ、お返しします﹂
﹁まったく⋮⋮まさか裸で召喚されるなんて思いませんでした⋮⋮そんなヴィジョン見
第12節:最優降臨
229
パラディン
セイバーが爽やかに笑い、己が真名を告げる。どこまも堂々と。
此処に、最優のサーヴァントが降臨した。
貴女と共にある。此処に契約は完了しました﹂
﹁││我こそはシャルルマーニュが十二勇士筆頭、聖騎士ローラン。これより我が剣は
230
く裘で覆われていない腕や足にもその加護は行き届いているだろう。
人類の道具を拒絶する以上、この攻撃でアルケイデスは一切の傷を負いはしない。恐ら
││神獣の裘の力を、エミヤは絨毯爆撃を始める前にアイアスから聞き及んでいた。
刺しにせんとして空を激走した。
無限とも言えるそれら剣群を高速で撃ち続ける。それは頭上左右前後から、標的を串
数十数百数千と、およそ認識できるだけの全てをだ。
だ が 剣 群 の 豪 雨 に 果 て な ど な い。エ ミ ヤ は 丘 に 突 き 刺 さ っ た 剣 を 逐 次 浮 遊 さ せ た。
による迎撃のせいでもあっただろう。
雷鳴とさえ言えるほどの速度の賜物と、同時に駆り手であるアルケイデスの技量と騎射
数千という弾丸を浴びせられてなお、その聖獣は未だ微傷のみで済んでいた。それは
つるぎ
殺到する剣群の間隙を、一騎健在のケリュネイアが稲妻めいた軌道で疾駆する。
た。
クレーテーの牡牛とケルベロスは既に仕留め、物言わぬ剣山と化してすぐに消滅し
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
231
232
ゴッデス・オブ・ウォー
だがケリュネイアは例外だ。ディオメデス曰く、アルケイデスが右腕に巻きつけた
戦 神 の 軍 帯なる帯から発せられる神気によってその速さも頑丈さも増しているようだ
が、それでも僅かなれどダメージは負った。であればこそ、
││まずは、奴の機動力を殺すッ
彼らが最も嫌うであろう、そのパターンを取捨選択。こちらのその戦術によって、彼
て構築していく。
き込んだ。そこから彼らが最も苦手とする攻撃パターンを、心眼による戦闘論理を以っ
回避、防御、迎撃、移動ルートの選択パターン。その全てをエミヤは己の脳髄へと叩
していく。
ケイデスとケリュネイアの一挙手一投足から厖大なまでの情報アドバンテージを獲得
だがこの怒濤の攻撃に無駄などない。エミヤは魔力と時間を消費して、代わりにアル
えていた。
││この程度は彼の大英雄にとって造作もあるまい。そんなことはエミヤも当然弁
張ることで対処される。
それを、アルケイデスが一矢の轟撃のみで風穴を空けた。続く連撃すらも矢の弾幕を
どの物量だ。
回避不能の剣の牢獄を作り上げる。ケリュネイアの神速を以ってして逃げきれぬほ
!
らが選び得る何十通りもの行動を予測する。幾重にも分岐する複雑な迷路は、しかしエ
ミヤに例外なく勝利への道を照らしていた。
ここに方程式は完成する。いまこそケリュネイアを詰みに行く時││
﹂
間断なく剣群を射出し続けながら、エミヤは弓に黒赤の魔剣を矢として番えた。
!
した。
フルンディング
魔剣は走狗となって再度襲いかかり││アルケイデスが轟然と弓を振って叩き落と
那、赤原猟犬がその軌道を修正した。
フルンディング
空を疾駆する黒赤の魔剣はケリュネイアへと襲いかかり、だが容易く空を切る。刹
何処までも標的に食らいつく。
放つはベオウルフの魔剣〝赤原猟犬〟。攻撃対象の匂いを覚えることで、この魔剣は
﹁赤原を往け、緋の猟犬││
!
﹂
!
剣群を放ち続けながら、その間にエミヤは干将莫耶を投影し、魔力を込めて投擲した。
るからだ。だからこそエミヤも、攻撃のみに傾注することができるのだ。
は意にも介さない。アイアスとディオメデスが、いまこの瞬間は迎撃に徹してくれてい
剣群はなおもケリュネイアへと殺到する。時折紛れ込ませてくる反撃の矢を、エミヤ
けよう⋮⋮
﹁耐えろよ、マスター。この戦い、出し惜しみは一切しない。オレの全てをあの男にぶつ
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
233
234
それを、瞬時に七度繰り返す。
剣群の間を縫って旋回する七対の陰陽剣。アルケイデスがケリュネイアを操りなが
ら矢を放ち、迎撃を試みる。
だが七対の陰陽剣は旋回の途中でその軌道を不自然なまでに変動させる。それぞれ
が互いを引き寄せ合うことで、アルケイデスの迎撃を躱したのだ。
とはいえそれすらも、眼前に迫った段階で弓によって一つ一つ直接打ち落とされてい
た。
エミヤは思考を先の先まで張り巡らせた。アルケイデスの行動パターンから次の移
動ルートを逆算する。
頭痛は強烈なまでの吐き気を催した。脳の神経も魔術回路も、とっくに焼き切れそう
なほどに熱を帯びている。無限の剣の射出を行いながら、並行して脳を酷使し続ける。
敵の行動の一瞬一瞬から己の最適の行動を模索する。
アルケイデスとて持ち前の心眼によってエミヤの攻撃パターンを解析し続けている
だろう。この戦いの本質は、読みの競い合いに他ならない。
だがこの攻防。移動という動作も守りという動作も取っていないエミヤにこそ僅か
な思考の余裕があった。そして何より、エミヤの厖大な手数をアルケイデスは未だ把握
するには至っていない。その紙一重の差と決定的な差が勝敗を別つ。
我
が
骨
子
カ ラ ド・ ボ ル グ
は
捻
じ
れ
狂
う
﹁││I am the bone of my sword﹂
弓に番えるは〝偽・螺旋剣〟。放つは未だ何も的のない空白の地点。
フルンディング
││そこへ、まるで引き寄せられるようにケリュネイアが疾駆した。
無限の剣群も赤原猟犬も干将莫耶も、全てはケリュネイアをその回避ルートへと誘い
出す為の布石だった。逃げ場を次々に限定していき、エミヤは最後のルートを特定して
いた。
直撃する寸前、アルケイデスが舌打ちをしながらケリュネイアの背中から跳躍した。
﹂
かくしてケリュネイアだけが、空間の捻じれに巻き込まれるように弾け散った。
期は、満ちたり。
出しながら声を張り上げた。
アルケイデスが自らの足で剣の荒野に着地したのを見て取って、エミヤは瞬時に駆け
﹁││いまだ、斬り込むぞッ
!
﹂
?
どうなるか
ランク
それは、より神秘が高い方こそが勝つ⋮⋮
?
﹂
﹁世の中には矛盾という言葉がある。絶対に貫けぬ盾と、絶対に貫ける矛が衝突した時
並走するアイアスが問いかけてきた。
の裘を突破するつもりだ
﹁エミヤ、ケリュネイアを仕留めたのは見事だと言おう。だがいったいどうやって神獣
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
235
!
ドゥ リ ン ダ ナ
走りながらUBW内に転がり落ちていた不毀の極槍を、エミヤは手元へと引き寄せ
ドゥ リ ン ダ ナ
た。
不毀の極槍には世界のあらゆるモノを貫く概念が備わっている。であればこそ、例え
人類の道具を拒絶する神獣の裘と言えど、対抗できる可能性があった。
ドゥ リ ン ダ ナ
ドゥ リ ン ダ ナ
だ が 実 の と こ ろ、そ の 矛 盾 は 成 り 立 つ こ と は な か っ た。剣 群 に 混 ぜ て 射 出 し た
・
・
と
不毀の極槍は、あっさり神獣の裘に弾かれたのだ。不毀の極槍のランクがAと言えど、
同等以上の神秘を備えた神獣の裘を突破するには至らなかったのだ
﹂
だが、まだ方法はあるとエミヤは考えた。
﹁ディオメデス、これは君が使え
・ ・
オイ、そりゃぁヘクトールの槍じゃねぇか それもコピーしたのかよ
・
﹂
!?
投げ渡したそれを見て、ディオメデスが瞠目する。
﹁あ
んでもねぇなこの異界は
?
﹂
!
疾駆するエミヤたちに対し、アルケイデスも横へ疾駆しながら矢を撃ってきた。それ
﹁⋮⋮いいぜ兄ちゃん。お前を信じて、オレも斬り込もうじゃねぇか
保証はなかった。それを理解しながらも、傷だらけの偉丈夫はニヤリと笑った。
だ﹂
﹁それよりもその槍ならば、君が用いるその槍ならば、恐らく奴の護りを突破できるはず
!
!?
!
236
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
237
をアイアスが剣を翻し撃ち落としていく。
やがてアルケイデスは、意を決したように自ら三人の眼前へと飛び込んできた。
弓を腰へと括り付け、代わりに新たな宝具を右手へと現出させる。
それは青銅のカタチをした何かだった。その形状からエミヤは、バーサーカーとして
現界したヘラクレスの斧剣を思い起こした。
振り被られる斧剣。アイアスがそれを受けとめ││瞬間、轟音が周囲へと撒き散らさ
れた。
・
・
聴覚への奇襲に、エミヤたちが例外なくぎょっとする。その隙にアルケイデスが横一
線に青銅のそれを薙ぎ払う。
寸でのところで、エミヤは投影した長剣でガードする。二人も辛うじて間に合ったよ
うだ。だがそのあまりの威力に、優に十数メートルは弾かれた。
体勢を即座に立て直しながら、エミヤは敵の宝具の正体に当たりをつけた。
それは恐らく、斧剣のカタチをした鳴子なのだ。第六の試練の折に、鍛冶神ヘパイス
トスが用意したという、ステュムパーリデスの鳥を脅かして一斉に飛び立たせた音響兵
器に他ならない。
アルケイデスが掌を上にし、クイクイと手招きする。恐らく布の下では余裕かつ不敵
の笑みが浮かべられていることだろう。ケリュネイアを失いながら、三人の敵を相手
﹂
取ってなお、彼には一切の焦りがない。事実エミヤたちはこれで対等なのだ。いまよう
やく、彼と同じ土俵に立てたのだ。
﹁だがな、アルケイデス。それは強者の驕りと知るがいい
ゴッデス・オブ・ウォー
だがついにディオメデスの槍撃が、アルケイデスの腕に巻きついている戦 神 の 軍 帯
けが、着々と傷を負っていく。
百に届く斬撃と槍撃を以って、いまだアルケイデスは被弾しない。エミヤたち三人だ
らだろう。
みを防いでいく。恐らくは先の戦いで、アイアスの攻撃に脅威がないと承知しているか
アイアスの攻撃だけは意にも介さず、アルケイデスはエミヤとディオメデスの攻撃の
め、アイアスが牽制及び二人の楯となる。
それでもエミヤたちは負けじと苛烈に攻め立てた。エミヤとディオメデスが主に攻
十合二十合と続く攻防を、アルケイデスが悉く制していく。
ミヤたちの反応を鈍くする。
抗する度に轟音が発せられる。その大音量は、事前に覚悟していても、それでも一瞬エ
それをアルケイデスは、神速の剣捌きを以って対処した。斧剣がエミヤたちの剣と拮
アの二人が横へと回り込み。三方向から同時に攻める。
かかって来いという挑発に対してエミヤが言葉を返し、三人同時に疾駆した。アカイ
!
238
に掠った。
その瞬間、帯から発せられていた濃密な神気の全てが消し飛んだ。
﹂
い
つ
?
存在する理だ﹂
ラ
ウ
コー
ピ
ス
ている。それはアレスを殺す力だ。アレスではアテネに勝てない。それは確固として
配しているように、オレはパラス・アテネの力、〝戦司る姫神の誉れ〟をこの身に宿し
グ
﹁オレの前にアレスの加護は無意味だぜ アンタがアレスの力を纏って││いや、支
そ
だがディオメデスだけは勝ち誇った笑みを浮かべている。
を見開いていただろう。
流石のアルケイデスをして驚愕に息を飲んだらしい。エミヤも、そしてアイアスも眼
﹁っ⋮⋮
!?
う。
ら れ な い。 戦 神 の 軍 帯 に よ っ て 強 化 さ れ て い た 武 具 か ら そ の 加 護 が 消 失 し た 為 だ ろ
ゴッデス・オブ・ウォー
攻防は再開される。だがアルケイデスの攻撃からは、さっきまでの圧力と威力が感じ
嫌う彼からすれば、本来身につけていることすら業腹だったのだろう。
をゴミのように捨てる。その力を完全に殺された以上、装備している理由はない。神を
さして動じぬ声で呟くと、跳躍して距離を取ったアルケイデスが右腕に巻きつけた帯
﹁⋮⋮なるほど、相性が致命的だったというわけか﹂
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
239
ア ル ケ イ デ ス の 斬 撃 を ア イ ア ス が そ の 身 を 挺 し て 受 け と め る。そ の 瞬 間 を 狙 っ て
ドゥ リ ン ダ ナ
ディオメデスが迅雷の如く刺突を繰り出した。
果たしてディオメデスの操る不毀の極槍は神獣の裘に触れた途端に呆気なく弾かれ
ドゥ リ ン ダ ナ
て││だが同時にアルケイデスも後方へと弾き飛ばされていた。
エミヤの狙い通りだった。ディオメデスが不毀の極槍を扱うことで、神獣の裘は攻撃
を無効化しきれなくなっている。貫くことはできなかったが、それでも刺突によるその
衝撃と威力のみは圧し通した。
たのだ。
・
そうしてディオメデスの操る不毀の極槍は、神獣の裘と拮抗できるだけの階位に到っ
ドゥ リ ン ダ ナ
ない。だがそれでも神秘は上がる。
ランク
無論、筋力、耐久、敏捷と違って、向上した宝具は威力や性能自体があがるわけでは
ステータス向上の内容は筋力、耐久、敏捷││そして宝具である。
・
女神の寵愛は、単純に言ってステータスを向上させる。ランクBであれば、該当する
ノだ。
そう。これはディオメデスがその身にスキルとして宿す、女神の寵愛の効果に因るモ
苛立たしげな声をアルケイデスが発した。
﹁これも、忌々しい女神の力の仕業だな⋮⋮﹂
240
このまま圧せると、エミヤは思った。ディオメデスとて同様だったのだろう。先程よ
りも、彼はなお苛烈な攻勢を見せ始めた。
だが、次の瞬間、それは思い上がりだったと理解する。アルケイデスの左手に新たな
﹂
長剣が出現した。
ナ イ ン ラ イ ブ ス
﹁射殺す百頭ッ
・
・
・
・
・
・
・
・
・
九連撃が││いや、十八連撃が殺到する。
アイアスは持ち前の防戦の巧さで辛くも凌ぎきるも弾き飛ばされ、ディオメデスは捌
周囲の三人へと均等に襲いかかる必殺の乱舞。
だ。
あろうことかアルケイデスは、左右の剣でそれぞれ同時に射殺す百頭を放ってきたの
ナ イ ン ラ イ ブ ス
そしてそれは繰り出された。眼にも止まらなぬ神速を以って剣は閃き、エミヤたちに
!
﹂
ききれずに左腕を彼方へと斬り飛ばされた。
ト リ ガ ー・オ フ
!
て脳裏に描く。死を回避すべく、体は勝手に剣を振るって六連撃を防ぎきった。
研ぎ澄まされた直感は未来予知となり、己へと殺到する連撃を正確なヴィジョンとし
た。
そしてエミヤは咄嗟に長剣から、本来の持ち主の技量とスキルをその瞬間のみ投影し
﹁投影装填ッ
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
241
よろめくアイアスと片腕を失って蹲るディオメデスはすぐには戦線に復帰できない。
それまでの間、エミヤ一人で彼の大英雄と対峙しなければならないのだ。自然と額を汗
が伝った。
﹂
?
﹁何がだ
﹂
﹁大した奇遇だな﹂
それでもエミヤは、思わず笑みを浮かべていた。
慄を催すほどの脅威だった。
リ
バー
ン
紛れもない一級の宝具だろう。その担い手がアルケイデスであることを鑑みれば、戦
回るという。
それは後に騎士王の手に渡る剣とされ、その切れ味は〝勝利すべき黄金の剣〟をも上
カ
剣はセイバーとして現界した時の名残だ。銘を、マルミアドワーズという﹂
用い、私の属性を反転させ、クラスをアヴェンジャーへと強引に書き換えたのだ。この
﹁本来、私はセイバーとして呼び出された。それをマスターであるカサンドラが聖杯を
は苦笑を隠さず問いかけた。
刀身を背後へと逸らし、剣を腰の横で下へ寝かせるように構えを取りながら、エミヤ
な剣、難行には用いていないはずだが
﹁お前が持つ宝具は、十二の難行で用いた宝具だけだと思っていたんだがな⋮⋮。そん
242
?
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
士王の剣だということがだ
﹂
エ
ク
ス
カ
リ
・
バー
・
・
﹁フッ、そんなの決まっているだろう 私とお前、いま持っている剣が││││共に騎
?
れない。
ト レ ー ス・オ ン
﹂
!
二刀流には及ばない。並外れた膂力から生み出される剣速は、剣一本では到底対処しき
だが常勝の騎士王、アルトリア・ペンドラゴンの剣技を以ってしてもアルケイデスの
ち合った。
憑依経験によりかつて共に戦った彼女の剣技を模倣して、エミヤはアルケイデスと打
振り被る。
そ う し て エ ミ ヤ は 踏 み 込 ん だ。上 段 か ら 黄 金 の 長 剣 │ │ 〝 約束された勝利の剣 〟 を
!
││手数が足りないのなら、増やせばいい⋮⋮
!
ク
ス
カ
リ
バー
した漆黒の聖剣〝約束された勝利の剣〟を担う。
エ ク ス カ リ バ ー・ モ ル ガ ン
〝約束された勝利の剣〟を右手一方だけに持ち替える。そして左手には、新たに投影
エ
エミヤシロウは、決して自分にだけは負けてはならないのだから。
そ の 全 て を 鉄 の 意 志 を 以 っ て 捻 じ 伏 せ た。弱 音 を 吐 く 己 な ど 断 じ て 許 し は し な い。
ていた。
エミヤは無理を承知で敢行した。魔術回路が軋み、全身の細胞が激痛にのた打ち回っ
﹁投影開始ッ
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
243
此処に互いの力が拮抗した。神速の斬撃に対し、神速の斬撃を以って即応する。膂力
ではエミヤが圧倒されていたが、星の聖剣と闇の聖剣はそれを補うほどの威力を誇って
いる。
一合切り結ぶ度に血を吐いた。それでも剣を振り続ける。
五合切り結んで片目が死んだ。それでも剣を振り続ける。
十合打ち合って触覚が失せた。それでも剣を振り続ける。
二十合剣を交え、アイアスが己が身を楯としてエミヤとアルケイデスの戦いに割り込
んだ。
拮抗が崩れる。エミヤは致命打となり得るそれを全てアイアスに任せた。彼女なら
ナ イ ン ラ イ ブ ス
﹂
﹂
ば己を守りきってくれると信じたがゆえに。
﹁射殺す百頭ッ
!
間髪入れず振り被られる青銅の斧剣。それをアイアスが防いだ。
約束された勝利の剣が砕け散った。
エ ク ス カ リ バ ー・ モ ル ガ ン
ど 敵 う べ く も な か っ た せ い で も あ る の だ ろ う。最 後 の 一 撃 を 合 わ せ た 時 に、
無理の中で投影を行ったせいで想定に綻びがあったのだろう。元より完全な複製な
繰り出された神速の十八連撃を、エミヤも神速の十八連撃を以って相殺する。
﹁星光の剣よ││
!
244
瞬間、アルケイデスの側面に忽然と躍り出たディオメデスが片手で渾身の刺突を繰り
出した。
アルケイデスがそれをマルミアドワーズでギリギリで弾く。
エ
ク
ス
カ
リ
バー
││それは。その瞬間こそが、一筋の光だった。ただ一瞬の勝機だった。
エミヤは有りっ丈の魔力を約束された勝利の剣へと注ぎ込んだ。
﹁この光は、永久に届かぬ王の剣││﹂
渾身の力を込めて柄を両手で握りしめる。振り上げた聖剣は星の光を最大限へと解
エ ク ス カ リ バ ー・ イ マ ー ジ ュ
﹂
放し、いま、その真価を発揮する。
!
るがゆえに、この一撃は神獣の裘を以ってしても無効化できない││
││かくして、聖剣は違えようもなく一刀両断にしてみせた。
オメーデースの人喰い馬が、である。共に第四の難行と第八の難行でヘラクレスに生け
││そう。寸前でアルケイデスに身代わりの楯にされたエリュマントスの猪とディ
えていく。
胴体を真っ二つにされては体を維持できるはずもなく、黄金の粒子となってスゥと消
!
彼我に距離などない。ならば躱せる道理は欠片もない。贋作とはいえ神造兵装であ
真名と共に究極の斬撃を放つ。迸る光は赫焉となり、アルケイデスへと殺到する。
﹁永久に遥か黄金の剣ッ
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
245
捕られた魔獣だった。
もっともアルケイデスとて無傷では済まなかったらしい。右上半身は確かにごっそ
りと消し飛んでいた。なおも現界して現世に踏み止まっていられるのは、高ランクの戦
闘続行ゆえだろう。だがそれもあと一刻とて持ちはすまい。
荒野が揺らめく。固有結界はすぐに消失した。エミヤは立っていることもできず、聖
剣を霧散させると同時に大地に倒れ伏した。
体に力を入れようとしても入らない。顔を上げるだけで精一杯だった。
ディオメデスとアイアスがアルケイデスにトドメを刺そうと疾駆した。
だがアルケイデスは足元に出現させた黄金の盃に乗り込むと、追撃の槍撃と斬撃を難
なく躱した。
さいきょう
空中に浮遊した盃は、エミヤたちの頭上で動きを止めた。
元されたのだ。
・
・
・
・
・
・
・
・
その瞬間、悪夢が起きた。消失したはずの右半身が、時間遡行でも起こしたように復
言いながらアルケイデスは左手に黄金の果実を出現させ、それを一口で平らげた。
とはな﹂
強さ││私は貴様を尊敬しよう。よもやこの身をあと一歩のところまで滅ぼしかける
・
﹁エミヤ、と言ったな。貴様の世 界、確かに見せてもらった。人の身でありながらのその
246
それはヘラクレスが十一番目の試練の折、百頭竜ラドンを倒して手に入れたモノだろ
う。
黄金の果実の効果。それは食した者に不死を与える。
エミヤは絶句し、アイアスは蒼白となり、ディオメデスは引きつった笑みを口元に刻
んだ。この男には絶対に勝てはしないと、心の奥底まで思い知らされた。
﹁フ、そう絶望的な顔などするな。本来死者であるサーヴァントを不死にすることはで
きん。外面だけ取り繕ったはいいが、この右上半身は空洞のままだ。快癒するまであと
一日はかかるだろう。この場においての勝者は間違いなく貴様らだ。ゆえに、素直に誇
るがいい。では、また会おう﹂
アルケイデスを乗せた黄金の盃が、彼方へと飛んでいく。
﹂
!
きっとマスターは、魔力消費のあまり激しい苦しみを懐いただろう。なのに倒しきれ
た。
自分の全てをぶつけた。魔力の出し惜しみなど一切せず、徹底して勝利を狙いに行っ
とはいえ、やはりエミヤは胸中の絶望感を拭うことはできななかった。
暗鬱とした空気を誤魔化すように、ディオメデスの豪快な笑いが周囲に響いた。
素直に誇るとしようぜ
﹁⋮⋮ふぅ、掛け値なしの化物だったな。だが、逃げたのはあいつだ。ここは言う通り、
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
247
なかった。
お前は勝ったぞ﹂
善戦はできたかもしれない。それでも一歩どころか十歩以上も及ばなかった、という
気がする。
壁は大きいと痛感しながら、エミヤは力なく笑った。
﹂
﹁ほら、起きろエミヤ。勝者がひれ伏していてどうする
﹁⋮⋮控えめに言っても、引き分けだと思うんだが
アイアスに支えられ、エミヤは身を起こした。
﹂
ディオメデス、貴様ふざけたことを言うんじゃないっ
マ
!?
!?
テメェ、傷口叩くなよ痛ぇじゃねぇか つーかオレの左腕どこだ
!
!
﹁ごぁッ
!?
﹁し、しししてないぞそんな顔
﹁おお、こりゃ珍しいな。アイアスがメスの顔をしてやがる﹂
無理をして死にかけた甲斐はあったのだろう。
彼女の笑顔を守れた。それがエミヤは、そこはかとなく嬉しかった。ならばきっと、
それはとても穏やかな、女性らしい笑顔だった。
りがとう、エミヤ﹂
は、一つの勝利だと思う。その⋮⋮助けてくれて、すごく感謝している。だから⋮⋮あ
﹁それでも、お前は私の命を救ってくれた。お前が護れたモノは確かにある。ならそれ
?
?
248
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
249
カオンにくっつけてもらわねぇと
﹂
おかげで何度死にかけたか分からない。
攻撃を避け続けているが、ジャンヌ・オルタには反撃する気力すら残っていなかった。
おかげで最早ヴラドとの戦闘は不可能だ。必死にアストルフォがヒポグリフを操り
なのかもしれないが、それでもこれは度が過ぎているとジャンヌ・オルタは思った。
いに持っていっているのだ。相手がヘラクレスであることを考えれば仕方のないこと
原因にはすぐに思い至った。全部エミヤが悪い。彼が魔力をこれでもかというくら
乏しくなったからだ。
ジャンヌ・オルタは憔悴していた。理由は至極単純。マスターからの魔力供給が急に
◇
懐いた。
その音に三人共が首を傾げ││次の瞬間、そのおぞましいまでの魔力の発露に戦慄を
取っていた方だろうか。
││ふと遠くから、角笛の音色が聞こえてきた。方角は││そう、トロイア軍が陣
二人のやりとりを、エミヤはこっそり笑った。
!
当 然 そ れ が 腹 立 た し か っ た。本 来 な ら 絶 対 に 勝 て る と い う 自 信 が 彼 女 に は あ っ た。
けれど何より許せないのは、
││こんなの、マスターちゃんが死んじゃうかもしれないじゃないっ
徹するしかないだろう。
ア兵に襲いかかるだろう。それでは武力介入の意味がない。撃破が無理なら足止めに
正直なところ、撤退は避けたいところだ。いま逃走を選べばヴラドはそのままアカイ
それから思考を切り替える。いまはまだヴラドとの戦闘中だった。
に決めた。
るわけにもいかないから、今度会ったら一発ぶん殴っておこうとジャンヌ・オルタは心
苦しんでいるであろう彼女を想像すると、殺意まで湧いてきた。流石に味方を処刑す
!
著しい。
荒い喘ぎ声と大粒の汗。さっきまでの元気がまるでない。何があったのか、疲労困憊
﹁んっ、くぅ⋮⋮ぁ、⋮⋮﹂
だが、急にアストルフォまでもが顔を苦しみに歪めていた。
角笛の音が何処からか聞こえる中、ジャンヌ・オルタはアストルフォへと言った。
終始して﹂
﹁⋮⋮ごめんピンク。私ちょっと無理そう。だから攻撃を避け続けて、時間を稼ぐのに
250
﹁いきなりどうしたのよピンクまで
が││﹂
﹁ちょっと、どこ行く気
﹂
確かに戦えない私も悪いけど、あいつの足止めしないと意味
させ、彼方へと疾走させた。
元の次元へと回帰すると、アストルフォは鞭を振るい、ヒポグリフをヴラドから反転
次元の狭間に逃げることでやり過ごした。
絶好の好機と見てヴラドが刺突を繰り出してくる。それをヒポグリフが、ギリギリで
!?
﹂
躇ってたくせに、今度は遠慮なしって⋮⋮しっかり反省してるよあいつ⋮⋮ちょっと見
﹁あの、バカ⋮⋮⋮⋮勝手に、人の魔力ごっそり持っていきやがったよ⋮⋮あの時は躊
!?
なに、いったいどういうこと
?
直した﹂
?
﹂
?
◇
﹁ボクの知る限りの最強の対城宝具が飛んでくる⋮⋮
﹂
額から汗を流しながら、厳しい表情でアストルフォは言った。
﹁巻き添えって⋮⋮なんの
﹁逃げるよ、ジャンヌ⋮⋮ここにいたら巻き添えを喰らうかもしれない﹂
﹁は
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
251
!
に敵軍の影が小さく見えるくらいだった。
﹁感謝します、ヘクトール殿﹂
﹁なんだよ、妙に礼儀正しいな。お前そういうキャラじゃないだろ
たというヘクトール殿、貴方に恥じない戦士である為です﹂
﹂
の剣の担い手として相応しいと自負しています。それもこれも、この剣を元々持ってい
その筆頭が俺と言ってもいい。俺は騎士として全然かもしれませんが、強さだけは、こ
?
?
﹁いや、なんて言いますか、俺たち十二勇士の中には貴方に憧れた騎士は多いですよ
ヘクトールは原野でローランと肩を並べて立っていた。周囲には誰もいない。前方
くらいなら問題はない。
構成されている為、持久力に優れた。クー・フーリンとの戦いを終えてなお、多少走る
二つ目はローランを前線まで速やかに連れて行くこと。ヘクトールの戦車は四頭で
一つ目はいま言った通りだ。これでトロイア軍が巻き込まれる心配はないという。
頼まれた。
万軍を滅ぼす。それを有言実行する為にと、ヘクトールはローランから二つのことを
ずだ﹂
﹁││要望どおり、トロイア軍は左右に動かした。射線上にはアカイア軍しかいないは
252
照れくさそうにしながらも、ローランは屈託のない笑顔でそう言った。
﹂
ローランほどの英雄に憧憬の念を懐かれるのは間違いなく名誉なことだろう。だが
ヘクトールとしては、忸怩たる思いを懐かずにはいられない。
﹁⋮⋮あんまりオジサンを尊敬してくれるなよ。オジサン、ただの負け犬だぜ
ヘクトールの自虐に、ローランが哀しそうに表情を落とした。
﹁後悔しているのかい
でようやくでした﹂
﹂
当にバカな話ですが、もしかして自分がバカなんじゃないかと思ったのは、最後の最後
﹁⋮⋮俺だって同じです。自分の愚かさのせいで、多くの味方を死なせてしまった。本
?
絶世の名剣を握る彼の右手は震えていた。
デュ ラ ン ダ ル
られなかった自分の愚かしさが憎いです﹂
﹁後悔⋮⋮そうですね、ないと言えば嘘になるでしょう。オリヴィエの言葉に耳を傾け
?
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
顔が真っ赤になるほどに強く吹く。耳や眼から血を流すほどに力の限りに音を出す。
そうしてローランは、左手で持った黄金と水晶の角笛を全力で吹き鳴らした。
して躊躇わない﹂
・
ばいいのか考えました。俺は、俺にできることをする。俺はもう、これを使うことを決
・
﹁そうだ、俺は後悔している。だから、反省もした。バカな俺ですが、俺なりにどうすれ
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
253
代わりに角笛へと、おぞましいほどの魔力が収束される。
それこそ角笛の力だった。ローランの渾身によって吹き鳴らされた音色は大帝と十
二勇士への助力の要請となり、彼らの尋常ならざる魔力のバックアップを得ることがで
きる︵拒否権はない︶。
頭 部 か ら 血 を 垂 れ 流 す ロ ー ラ ン が ふ ら つ き な が ら、そ れ で も 辛 う じ て 踏 み 止 ま り、
デュ ラ ン ダ ル
デュ ラ ン ダ ル
絶世の名剣を肩で背負うように構えを取った。
オリファンに集った魔力が絶世の名剣へと注がれる。
膨れ上がる光。それはともすれば、星が鍛えし最強の聖剣にも匹敵するほどの輝き
だった。
﹂
いとッ 俺は俺の全てを賭して味方を守り抜き、敵を滅ぼし尽くす
その証としよう
この一撃を、
!
﹂
!
ノを両断する究極の斬撃に他ならない。
放たれる極光。視界全てを白く塗り潰すほどの輝き。その光はこの世のあらゆるモ
﹁勝利呼び込む天聖剣││ッ
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
渾身を込めて、無心でローランが振り抜いた。紡がれるその宝具の名は││
彼方のアカイア軍をローランは見据える。その瞳から一切の感情が消失した。
!
!
﹁ヘクトール殿、俺は誓います。俺は俺の眼の前で、味方はもう、誰一人として死なせな
254
第13節:勝利を呼ぶ聖剣
255
かくして、射線上に存在した一万近いアカイア軍が文字通り消滅した。
浮足立った残りのアカイア軍が我先にと退いていく。
聖剣はものの見事に、今日の会戦の勝利をトロイア軍にもたらした││
いま現在アカイア軍の士気が壊滅的に低いのは、死んだはずのヘクトールが復活した
対してもそのスタンスを徹底していた。
オスマントルコに対してどこまでも苛烈だったのと同様に、串刺し公はアカイア軍に
戦のセオリーを無視した彼女の采配に、ヴラドは納得などできないのだろう。
上げるように命じたのだ。
けれどアヴェンジャーは、そこに掣肘を加えた。今日の戦いは終了とし、全軍を引き
兵力をさらに殺ぎ落とす絶好の機会なのは、戦の素人から見ても明らかなのだ。
ローランの聖剣の一撃によって、アカイア軍は撤退を余儀なくされた。追撃して敵の
もちろんアヴェンジャーとしても、その理由が判らなくはない。
けれどやはりと言うべきか、ヴラドの方は露骨に不満そうな面持ちである。
だった。
た為、ヴラドはマスターであるアヴェンジャーが戻るようにと念話を通じて命じたから
アルケイデスとヴラドが前線から本陣に帰還してきた。アルケイデスは重傷を負っ
第14節:イデ山へ
256
からでもあるだろう。アルケイデスがアキレウスにヒュドラの毒矢を喰らわせたから
でもあるだろう。呂布が一日にして一万人を討ち取ったからでもあるだろう。カエサ
ルのその采配が、悉くアカイア軍の上を行っているのもあるだろう。
だ が 何 よ り も ヴ ラ ド の 存 在 が ア カ イ ア 軍 の 士 気 を 徹 底 的 に 挫 い て い た。彼 は 討 ち
取った敵兵を、生前そうやったように見せしめとして串刺しにして晒したのだ。
恐らくそれが決定的だった。勇猛果敢だったアカイア兵の心をへし折り、拭い去るこ
とのできないほどの恐怖を植えつけた。
彼がいまここで追撃を加えないのは、己の流儀に反すると言ってもいい。侵略者に手
心を加えるような真似は、ともすれば自らの矜持すら侵害するものでもあるだろう。
何よりも彼は、先の失態に釣り合うだけの戦果をまだ挙げていない。結局ジャンヌ・
オルタたちとの交戦も、互いに痛撃を与えることなく終熄した。彼からすればこのまま
では終われないのだ。
敵は浮足立ち、士気もさらに下がっている。蛮族どもを見逃す
?
ない。
しれない。納得のできる答えが返ってこなければ、単騎で追撃しに行ってもおかしくは
ひとまずヴラドが戻ってきたのも、アヴェンジャーに直接異を唱える為だったのかも
手はあるまい。此処で撃滅して完全に敵の戦意を折るべきだ﹂
﹁どういうつもりだ
第14節:イデ山へ
257
無論、ヴラドは決して自らの保身や自尊心の為に言っているわけではないだろう。自
らの失態のせいで犠牲にしてしまった兵たちに報いなくてはならないと、きっとそう考
えているからだ。
﹂
?
爽やかにローランが応じた。けれどオリファンを吹いた時に、耳や眼から血を流して
います﹂
﹁ええ、オリファンを吹いた後ですから。ですがカエサル殿、俺は戦えと命じられれば戦
﹁君もダメージが大きいのだろう
次いで、カエサルもローランへと視線を向けて、
ヘクトールが宥めるように二人のやりとりに口を挟んだ。
いない﹂
何よりアルケイデスが瀕死で戻ってきた。いま戦の流れは言うほどこっちには傾いて
して慎重に行こう。実際、こっちも予想外に疲弊しているしな。オジサンもそうだが、
﹁⋮⋮ヴラド、そこまでにしておこうぜ。確かに追撃が上策だが、ここはマスターを尊重
ことなく毅然としていた。
返ってきたその言葉に対し、ヴラドが無言で睨む。それでもアヴェンジャーは怖じる
せん﹂
﹁理由を言う意味はありません。だからこれはマスター命令です。追撃は絶対に認めま
258
いたのだ。その痛みは尋常ならざるモノだろう。その痛みに彼が耐えていられるのは、
その理性が輪をかけて蒸発しているせいかもしれない。
ヴラドが眼を瞑る。しばしの間黙考し、それから諦めたように嘆息した。
﹁⋮⋮ 分 か っ た。軍 の 総 大 将 は ヘ ク ト ー ル、貴 様 だ。貴 様 の 指 示 に は 従 お う。だ が ア
ヴェンジャーよ、ひとまず理由は言ってみろ。別にその内容が信じられずとも、余は貴
様の命令に従うとも﹂
﹁追 撃 に 向 か え ば ま だ 傍 観 に 徹 し て い た サ ー ヴ ァ ン ト が ア カ イ ア 側 に 与 し ま す。そ の
サーヴァントはヴラドさま、貴方にとって相性最悪の天敵です。つまりは貴方が討ち取
られてしまうのです。私はそれを避けたいのです﹂
あくまでも渋々だが、ヴラドはそう言って自らに与えられた幕舎へと下がっていっ
﹁⋮⋮なるほど、信じられんな。信じられんが、二言はない。追撃は、見送ろう﹂
た。
の戦力も馬鹿にできないんじゃないのか
﹂
﹁オイオイ、クランの猛犬以外にもまだとんでもないのが出てくるのかよ。案外、あっち
アヴェンジャーの言葉に、ヘクトールが呆れたように苦笑いをした。
﹁名前までは私も知り得ません。ですが、間違いなく大英雄です﹂
﹁相性最悪ねぇ⋮⋮俺も信じられないが、いったい誰だろうねぇ﹂
第14節:イデ山へ
259
?
﹁ふむ。以前ヴラドの言っていたカルナという男でないことを祈るしかないな。串刺し
公をして〝あいつマジでヤバイ〟とその口調すらキャラ崩壊させて恐れるほどの大英
雄だからな﹂
カエサルのその言葉に、アルケイデスが布の下で、ほう、と感嘆の声を漏らした。
うぞ﹂
?
﹂
?
です﹂
?
﹁⋮⋮よかろう。他ならぬ貴様の頼みだ。引き受ける﹂
﹁それでも、行ってきてほしいのです﹂
確信は予言によるモノなのだから。
それを言ってもアルケイデスは信じないだろう。ヴラドに帰還を命じた時と同様、その
パリスがその殺意を抑え込んだことで、アキレウスは既に死ぬ運命から脱している。
﹁アキレウスだと
奴は今夜中に死ぬぞ﹂
﹁では回復し次第、イデ山に向かってください。アキレウスと私を殺してきてほしいの
﹁一日経てば全快する。それがどうした
と、そんな彼へ不意にアヴェンジャーが訊いた。
﹁アルケイデスさま、お体の調子はどうですか
﹂
﹁インド屈指の、施しの英雄か。もしもそやつならば、私がその神の血を蹂躙してくれよ
260
﹁ほう、実に意外だな﹂
そんな言葉を漏らしたカエサルに、アルケイデスが布越しに視線を向けた。
も堕ちた。味方でなければカエサル、神性を持つ貴様の首も後ろから断ち斬っていると
﹁確かに私は暴君どもへの復讐の為に、全てを擲つ覚悟をした。誇りなど捨てて外道に
ころだ。だがな、神々に弄ばれた憐れな娘の頼みを聞くくらいの情は残っているのだ﹂
アルケイデスがアヴェンジャーへと視線を戻す。
﹁私はなカサンドラ、貴様の復讐を肯定する。貴様は世界の全てを毀す権利がある。欲
﹂
するモノ全てを手に入れる権利がある。生前に受けた苦しみの分だけ、幸福を得ていい
のだ。明日の昼、イデ山へ向かう。それでいいな
﹁ありがとうございます、アルケイデスさま﹂
たように視線を向ける。
アヴェンジャーの安堵も束の間だった。唐突に口を挟んだ自分の兄へと、彼女は困っ
﹁││待てカサンドラ。それ、俺も行くことにするよ﹂
?
別の何処かに綻びが出てくる。
予知能力があろうとも、物事はつくづく思い通りにはならない。何かに対応すれば、
ヘクトールの口からその言葉が発せられることも、アヴェンジャーは予期していた。
﹁⋮⋮やっぱりですか、兄さん﹂
第14節:イデ山へ
261
ルー ト
できれば兄には、これ以上重荷を背負ってほしくない。けれど生前の自分自身とアキ
レウスは殺さなくてはならない。あの二人は邪魔なのだ。だから、この軌跡を選ばなく
てはならない。
とはいえアルケイデスをイデ山に向かわせるのを、ヘクトールに黙っているわけにも
いかなかった。というよりアヴェンジャーは兄に問い詰められれば、嘘などつけずにす
ぐに真実を口にしてしまうことだろう。
敵、敵、敵。敵の千客万来を、マシュと小次郎とパリスが捌きながらの移動は十時間
◇
とめても無駄だと知っているので、アヴェンジャーは仕方なく了承した。
﹁妹は、生前のカサンドラは││││俺が殺す﹂
その言葉を決然と吐き出した。
飄々とした雰囲気もおどけた様子も欠片もない。ヘクトールはまったく冗談抜きで、
の大罪に対する罰を受けなきゃならん﹂
を崩壊させることも厭いはしない。だが、それは大罪だと弁えている。だから俺は、そ
﹁俺は、トロイアを守ると決めた。滅びの運命を変えると誓った。その代償として人理
262
第14節:イデ山へ
263
に及んだ。
ひっきりなしの敵襲に、いい加減みんながうんざりしていた。もうそろそろ日が落ち
るという頃合いになるまでに、ワイバーンだったりケンタウロスだったりキメラだった
り、いったいどれだけの敵とエンカウントしたことか。
いま現在も、三人は白いキメラと交戦中だ。現れた三体の内、既に二体は物言わぬ骸
となって地に伏していた。
その間、御者台で横になっていたわたしはというと、いましがた念話を送ってきた孔
明との会話中だった。
まず真っ先に体の心配をされ、それから孔明は今日の戦いの経過を報告してくれた。
戦況は芳しくない。途中、オデュッセウスの策が嵌まって一時的に盛り返すも、カエ
サルの采配は冠絶したものであり、やはり士気で上回るトロイア軍にアカイア軍は圧し
負けてしまうのだ。
そして交戦中に、唐突にトロイア軍は左右へと別れた。オデュッセウスも孔明も確信
エ
ク
ス
カ
リ
バー
的なまでの嫌な予感に基づいて、すぐに兵を下げようとした。
だがそこへ、約束された勝利の剣にも匹敵する光がアカイア軍を強襲したという。一
万弱の兵士たちが、為す術もなく光の中に飲まれ消滅した。
追撃がなかったのは不幸中の幸いらしい。むしろ何故ない、と孔明もオデュッセウス
も訝しんだようだ。
﹄
?
だろう﹄
?
と思ってしまう。いや、ヘラクレスがアルケ
﹃それにしても、この期に及んでローランってマジなんですか
?
ク
ス
カ
リ
バー
孔明曰く、約束された勝利の剣には威力が一歩劣るらしい。けれど代わりにアストル
エ
身が深刻なダメージを受け、かつ防御宝具も一定時間無効になるという。
ローランの保有する魔力と関係なく、一日一回発動できる切り札。代償として自分自
プを受け、その魔力を総動員して放たれる対城宝具。
力で吹くことで、シャルルマーニュとその十二勇士から尋常ならざる魔力のバックアッ
〝 勝利呼ぶ込む天聖剣 〟。そ れ は 黄 金 と 水 晶 の 角 笛 〝 オ リ フ ァ ン 〟 を ロ ー ラ ン が 全
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
﹃アストルフォが言うんだ、間違いない。宝具の詳細も彼からの情報提供だ﹄
ども。
イデスになったことで、十二の試練が失われているだけまだマシなのかもしれないけれ
ゴ ッ ド・ ハ ン ド
率直にトロイアの戦力おかしくない
﹄
ずれていたから助かった。あと少し本陣寄りの角度なら、私も間違いなく消滅していた
ケ イ デ ス と の 戦 闘 か ら 生 還 し た よ。私 は 〝 勝利呼ぶ込む天聖剣 〟 の 射 線 上 か ら 微 妙 に
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
﹃ああ、奇跡的にだがな。特に私とエミヤか。あいつはよくヘラクレス⋮⋮もとい、アル
﹃それじゃあ、みんなはアカイアの陣屋で合流できて、ちゃんと無事なんですね
264
フォ曰く、世界のあらゆるモノを断ち斬る特性がしっかりと極大の斬撃にも反映されて
いるとのことだ。ある意味では、騎士王の聖剣よりも厄介かもしれない。
?
なった﹄
というか、そんなことあり得るんですか⋮⋮
﹃それで今夜の軍議で決まったことだが、明日は私がアカイア全軍の指揮を担うことに
﹄
﹃えぇ それはその、大抜擢ですね
!?
﹄
?
まったく、確かに私に賭けてくれると言ったが、何も全賭けしてくれ
?
﹄
ないほどの激痛が押し寄せていることだろう。
冗談めかして孔明は言った。けれどわたしの勘が正しければ、彼のお腹には洒落なら
なくてもいいだろうに。お蔭でこっちは背水の陣で胃が痛い﹄
に対してだぞ
ムノンに譲渡してもいいとすら書いてあったのだよ。アキレウスが、あのアガメムノン
には認めてあったんだ。私が致命的なミスを犯せば、自分の女を含む全ての財をアガメ
﹃アキレウスの手紙だ。私がしくじれば、アキレウスは全ての責任を自分が取ると手紙
﹃というと
たのには、他にも理由が二つほどあるがね﹄
﹃私も驚いたさ。だがオデュッセウスは私を信じて推薦してくれた。そんな無茶が通っ
?
﹃あの、大丈夫ですか⋮⋮
?
第14節:イデ山へ
265
﹃君がくれた胃薬はよく効く。カルデアに戻ったら、ダヴィンチに礼を言わなければな﹄
﹄
?
らずいる。つまりは、もうどうにでもなれ、ということだ﹄
?
﹃⋮⋮そんな状態で、戦えるんですか アカイア軍のトップの⋮⋮えーと、アガメムノ
れは軍としての死を意味するのだよ﹄
﹃軍とはそういうモノだ。彼らを許せば秩序は崩壊し、規律は意味を為さなくなる。そ
﹃処断って、そんな⋮⋮﹄
者もいる。深夜になれば、そういう者がまだまだ出るだろうな﹄
﹃今日も既に、何人かの脱走兵が処断されたほどだ。発狂してその場で首を刎ねられた
﹃そんなに酷いんですか⋮⋮﹄
が、それでも当人たち曰く目も当てられんザマらしい﹄
で死んでいる。オデュッセウスや大アイアスといった名将たちの部隊はまだまともだ
﹃⋮⋮正直、かなり厳しいだろう。今日痛感したことだが、アカイア軍の士気は誇張抜き
けれど答えはすぐには返ってこなかった。数秒の沈黙の後に、いや、と孔明は言って、
知らず、恐る恐ると訊いていた。
﹃でも⋮⋮それでも教授なら、彼の諸葛孔明なら⋮⋮トロイア軍にも勝てますよね
﹄
﹃ぶっちゃけて言おう。アカイア軍の諸侯の中にはもう現状を諦めている人間が少なか
﹃⋮⋮それで、もう一つの理由ってなんですか
266
?
ンでしたっけ
その人は撤退を考えていないんですか
﹄
?
孔明の悪い笑みが自然と脳裏に浮かんだ。
﹃似たようなモノだろう﹄
﹃説いたというか、それもう洗脳なんじゃ⋮⋮﹄
あるまい。というより、
呆れるほどの弁舌家らしい。その三人に囲まれて説得されたのでは、最早自由意志など
孔明の口が回るのはよく知っている。オデュッセウスとネストルもアキレウス曰く
り強い愚劣な男だからな。こちらの口車にまんまと乗ってくれたよ﹄
ガメムノンの権威を失墜させ、他者からの侮蔑を招くかを説いた。強欲で自尊心もかな
だから私とオデュッセウスとネストル翁の三人で、撤退することが如何に愚かしく、ア
﹃あの男は軍議の議題で真っ先に撤退を唱えたさ。だが、撤退されては人理が崩壊する。
?
何も言葉を返せなかった。わたしなどより遥かに頭のいい孔明がそう言うのだから、
違いなく最強の一角だ﹄
一の創造的天才だ。その頭脳は人類史においても最高峰だろう。軍を指揮させれば、間
可能だ。まして、相手はあのカエサル。あんな形をしているが、奴はローマが生んだ唯
ナリ
勝てない。如何に私が諸葛孔明の力をこの身に宿しているとはいえ、不可能なものは不
﹃とにかくそんな状態だ。撤退を許されない状況ではあるが、かと言って現状ではまず
第14節:イデ山へ
267
そうなのだろう。
・
希望などもうないのだろうか。そう思いかけた時、
﹄
?
﹄
?
・
﹃教授⋮⋮﹄
・
何かが起こるまでな﹄
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
﹃私はそれまで、どうにかアカイア軍を瓦解させずに戦い抜く。奇跡でもなんでも、その
ともかくだ、と孔明は改めて言い、
点ける決定的な何かがあれば、あるいは││﹄
・
した。だがそれも焼け石に水程度でしかない。もっと根本から、アカイア兵の心に火を
﹃アキレウスの解毒の目処が立ったことは全軍に通達され、それで僅かだが士気も回復
あっけらかんと孔明が即答した。
﹃わからん﹄
﹃回復って、どうやって⋮⋮
とオデュッセウスの共通認識だ﹄
な。だが、その士気をどうにか回復させることができれば、まだ勝機はある。それが、私
﹃勝てないのは現状で、ということだ。いまの士気の低さではできることも限られるし
﹃え⋮⋮
﹃勝てはしない。││だが、ならば私は勝つ為に、負けない戦をするだけだ﹄
268
状況が絶望的だと、きっと誰よりも解っている。それでも彼は、諦めてなどいないの
だ。
ううん、そうじゃない。孔明の頭の中に、諦めるなどという発想はそもそもないのか
ト・
フィ
ロ
ティ
モ
もしれない。例え絶対に勝てなくとも、彼ならば挑むような気がする。
きっとそれこそが、〝彼方にこそ栄え在り〟。届かないからこそ挑むのだ。
兵士さんたち休ませなくていいんですか
﹄
﹃では、連絡は以上とする。これより夜間の調練を行うのでね、こちらもあまり時間はな
いんだ﹄
﹃調練って⋮⋮戦争中ですよ
!?
腹を括ったのかもしれない。もちろん、弁舌というか詐術めいたそれで、なるべく士気
通なら士気なんてこれでダダ下がりだ。もしかしたら、もうこれ以上下がらないからと
長時間に及ぶ戦いから帰ってきたことろで調練とか、もしかしなくても鬼だろう。普
それで念話は終わった。
せるさ。では失礼﹄
できれば、トロイア軍も攻め辛くなるはずなんだ。心配せずとも日付が変わる前に休ま
﹃どうしてもアカイア軍に覚えてほしい陣形があってね。一夜漬けだが形さえなんとか
!?
が下がらないように兵士たちを乗せるのだろうけれど。
﹁大丈夫かな⋮⋮﹂
第14節:イデ山へ
269
﹁││何がでしょうか
﹂
きょとんと小首を傾げながら、カサンドラさんがわたしの顔を覗き込む。
?
戦闘はどうやら終わったらしい。小次郎が白いキメラから混沌の爪を剥ぎ取ってい
苦笑しつつ、視線を彼女から戦車の外へと向ける。
﹁まぁ、その⋮⋮そういうことにしておいてくれるとありがたいかな﹂
だろう。
本人曰く半人前でも、それでも彼女は神代の魔術師なのだ。全部お見通しということ
た。
殊更元気を出して答えたわたしを、でも、と言いたげにカサンドラさんが見つめてい
﹁へーきへーき。ちょっと気分が悪かっただけだもん﹂
﹁あの、まだ寝ていた方が⋮⋮﹂
び直す。
に取る。息苦しくて二つ三つ開けていたブラウスのボタンもかけ直し、リボンタイも結
言いながら、わたしは上体をゆっくり起こした。額に当てていた濡れタオルもついで
﹁戦況はよくないけど、とりあえずみんな無事だってさ﹂
﹁そうでしたか、孔明さんと﹂
﹁あ、ううん、なんでもないよ。いま教授と念話したんだ。もう終わったけど﹂
270
る最中だった。
三体からの採集を終えて、三人がアキレウスの戦車へと乗り直した。
﹁お疲れさま、三人とも﹂
﹁ありがとうございます、先輩。白キメラ三体同時は、流石にちょっと骨が折れました
⋮⋮﹂
と、わたしから受け取ったハンカチで額の汗を拭きつつ、疲れた様子のマシュが言っ
た。
荒い息と赤い顔と合わさって、なんかそこはかとなく
対して汗は流しているものの、浮かべる笑みはやはり涼やかな小次郎が次いで言う。
﹁中々の獲物であったが⋮⋮やはりツバメほどではなかったか⋮⋮﹂
た。
戦闘中に僅かな休息を取っていたバリオスとペーダソスが、おもむろに再び歩き出し
なんかもういろいろ最低なパリスが最後を締める。いますぐ戦車から締め出したい。
エロくてよかったんだけどなぁ﹂
﹁アレ、ボタンしめちゃったの
?
それを耳に咎めた小次郎が顎先に指を添えて、神妙な面持ちでフムと呟く。
緩やかに流れる景色を眺めながら、思わずぼやいてしまった。
﹁アマゾネスさん、道中まったくいなかったね⋮⋮羽根ほしいんだけどなぁ﹂
第14節:イデ山へ
271
﹂
﹁ツバメの一羽でもいれば、その両翼から鳳凰の羽根の百枚や二百枚は毟り取れるのだ
がな﹂
﹁なんでツバメの翼から鳳凰の羽根が取れるんですかねぇ⋮⋮﹂
﹁小次郎さんの言うツバメとは、もしかしてズバリ鳳凰そのものなのでは⋮⋮
と視線を向けて、
・
・
・
﹁それよりもマスター、体は問題ないか
?
﹂
・
?
・
・
・
・
・
・ ・
・
⋮⋮あぁ、さっきまで、乗り物酔いが酷かったからね。その⋮⋮心配かけてごめ
﹁え
?
魔力供給を必要としない。自分の魔力で自分と合体憑依している英霊の力を行使して
パス自体は繋がっているとはいえ、デミ・サーヴァントであるマシュはわたしからの
いないみたいだ。全力で平気なフリをした甲斐はあったらしい。
内心、安堵した。魔力が枯渇しかけ、さっきまで死にかけていたのは彼女にはばれて
申し訳なさそうに言ったマシュに、わたしは笑顔でそう返した。
﹁ううん、マシュが気にすることじゃないよ﹂
﹁すみません、先輩。今度からは酔い止めを持参しますので⋮⋮﹂
﹂
んね
・
マシュの疑問に小次郎が笑いながらはぐらかす。それから、真剣な眼差しでわたしへ
﹁さて、どうだったかな﹂
?
272
いる為だろう。だから他のサーヴァントたちへの魔力供給がほとんど途絶したことに
も、彼女だけは気づいていない。
もっとも、小次郎には当然ばれている。それでも彼は、わたしの意を汲んで黙ってく
れていた。
イデ山に向かうメンバーが小次郎で幸いだった。彼は他のサーヴァントと較べて魔
力をほとんど消費しない為、わたしからの魔力供給が極小でも普通に戦闘を行えたの
よかったらどうだい
﹂
だ。これが他のサーヴァントだったら、戦いの途中で絶対にマシュも気づいていただろ
う。
﹁お嬢さん、まだ気分が悪いなら俺が添い寝してあげますよ
?
ただ顔色は死人同然に蒼褪めているので、幽霊みたいで微妙に怖かったりする。
うに、彼は女性への気遣いを決して忘れないのだ。
アキレウスが白い歯を見せて笑いかけてきた。自分の方こそ最悪に気分も悪いだろ
?
彼女はボクが看病するよ﹂
?
お前、看病にかこつけて彼女にいかがわしい真似をするつもりだろ﹂
?
﹁それは君の方じゃないかな。添い寝とかなんとか言っておいて、密着してどんな真似
﹁あ
レウスへの敵愾心は実際のところだだ漏れだった。
薄い笑みを浮かべてパリスが口を挟んだ。表面上は友好的に見えるけれど、彼のアキ
﹁病人は大人しくしていたらどうかな
第14節:イデ山へ
273
をすることやら﹂
ひとまず互いの禍根を忘れたのかと思えば、まったくそんなことはないのである。こ
と あ る 毎 に パ リ ス と ア キ レ ウ ス は 互 い に 皮 肉 を 言 い 合 っ た り と 道 中 常 に 険 悪 だ っ た。
それはもう、カサンドラさんがおろおろとするくらいに。
ちなみにわたしがパリスから〝さん〟を省いたのも、道中いろいろあって呆れたから
だ。自分の方がでかいし長い、などとくだらない言い合いを始めた時には、トロイアの
カ サ ン ド ラ さ ん が
王族だからと敬う気持ちはすっかり失せていた。わたしはともかくとして、マシュの前
でそういう話はやめてほしい。
﹁あ の さ 二 人 と も、い い 加 減 何 か に つ け て 張 り 合 う の や め な よ
困ってるよ﹂
真剣な面持ちでそう言うと、パリスは山の麓に慎ましく建っている小屋へと歩みを進
説明する﹂
﹁先にボク一人で行って、オイノネに会って謝ってくる。事情なりなんなりはそれから
わたしたちも降りようとしたところで、パリスが手で制する。
﹁それに、ようやくイデ山に着いたみたいだしね﹂
ばつが悪そうにパリスが言いながら、ひゅっと戦車から軽快に降りる。
﹁⋮⋮そうだね、悪かったよ。くだらない話はここまでにしよう﹂
?
274
めた。
﹂
小屋の前に着くと、パリスは少しの間立ち止まっていた。それから意を決したように
戸を叩き、中へと入った。
﹁パリス、大丈夫かな⋮⋮
?
オイノネはパリスを深く愛していた。それでもパリスは、ヘレネーを妻とする為にオ
だ後だった。彼女はその後すぐに、首を吊って死んだという。
追い返してしまったことを後悔したオイノネは薬を持って追いかけたが、既に彼が死ん
れてしまうのだ。そしてイデ山からトロイアへと戻る途中に、パリスは死んでしまう。
けて瀕死となったパリスはオイノネの許を訪れるも、結局捨てられた恨みから追い返さ
もっとも伝承によれば、トロイア戦争の末期にピロクテーテスにヒュドラの毒矢を受
にとパリスは言われていたらしい。
学んでいたので、もし誰も癒せないような傷を負ったら自分のところに戻ってくるよう
厳密には人間ではなく、ニンフという精霊なのだそうだ。アポロンから薬草について
オイノネ。それがパリスの昔妻だった女性の名前だ。
わたしの呟きに、マシュが応じた。
最低なことをしてしまいましたから﹂
﹁厳しいかもしれませんね。事情はどうあれ、パリスさんは間違いなくオイノネさんに
第14節:イデ山へ
275
イノネを捨てた。
パリスにも事情があったのはわかる。ヘレネーは女神であるアフロディーテから与
えられた女性である。女神から紹介された女性を断れるわけがない。断れば、アフロ
ディーテの面子を潰すことになるのだ。それがどれだけ恐ろしいことなのか、慧眼を持
つパリスなら分からないわけがない。
それでもやはり、それは免罪符になどなりはしない。例え仕方がなかったのだとして
も、オイノネからすれば関係のない話だし、許されないことだろう。
もし自分がオイノネの立場だったら、パリスを許すことができるだろうか。きっと彼
は、いま殺されても文句は言えない。
どれだけの時間が経っただろうか。十分はもう既に過ぎたと思う。殺されているん
じゃないかと不安が過ぎった時、小屋からパリスが出てきた。
手を振って、こっちに来るように合図していたので、バリオスとペーダソスが小屋へ
と進んでいく。
近くに寄ってようやく気づいた。パリスの両頬が真っ赤だと。思い切り叩かれたの
﹂
だ。それもう気が済むまで。
﹁ビンタで許してくれたの
わたしの言葉に、パリスは苦笑して頭を振る。
?
276
﹁絶対許さないってさ。それはもう死ぬかと思うくらいビンタされたよ。││でも、そ
れでもまだボクを、こんなどうしようもないボクを⋮⋮いまでも、好きだって言ってく
れた⋮⋮﹂
パリスの赤く腫れた両頬を、涙が伝っていた。
手が震えている。それはきっと、自分自身の無力さへの怒りだろう。
彼の口元が歪む。悔いと共に、嗚咽を必死に堪えていた。
涙を拭い、パリスが無理やり微笑を浮かべた。
山の中にいたウェアウルフとの戦闘を数回こなし、サークルの形成に適した場所を見
である召喚サークルの形成の為だ。
アキレウスをオイノネさんに任せ、わたしたちはすぐに外へと出た。もう一つの目的
それからすぐに、アキレウスの治療に取り掛かった。
それでもオイノネさんは微笑を添えてわたしたちを快く遇してくれた。
中には一人の美しい女性が待っていた。やはり、彼女の眼元も赤かった。
小次郎がアキレウスに肩を貸して、小屋の中へと連れ込む。
誰も何も言わなかった。一人にしてあげるべきだと、全員が思ったのだろう。
りを散策してくるから﹂
﹁さぁ、アキレウスを中へ連れて行ってやってくれ。ボクは、ちょっと久しぶりにこの辺
第14節:イデ山へ
277
繕う。
そこでマシュが自らの宝具をセット││する前に、再度ウェアウルフとの戦闘を数回
こなした。
戦闘終了後、改めて宝具をセットして、それが触媒となって召喚サークルが起動する。
﹄
!
嗚呼、ようやくお話することができてこの清姫感涙の極みで
!?
﹂
?
﹄
﹂
早くいらしてください
焼かれてないよね
が気じゃありませんでしたとも
旦那様が呼んでいます
マ ス ター
﹁ロマン生きてるよね
﹃ロマンさん
﹄
!
?
!
彼女たちは無事なのか
!
?
それでも這って近づいてきた音。
ドタバタとした音。足を引っ掛け、ステンと転げるような音。通信越しのロマンが、
!?
!
﹃え、通信が繋がったのかい
!?
﹄
﹃ロマンさんが旦那様たちとの連絡が途絶えたなどとふざけたことを申しますから、気
マ ス ター
﹁や、やぁきよひー、元気だった
としては、彼女との会話はいろいろ気を使わなくてはならない。
思わずびくっとした。と、同時に思考をちょっと切り替える。わりと嘘つきなわたし
す
﹃旦那様旦那様旦那様
マ ス ター マ ス ター マ ス ター
﹁これでロマンとも連絡が取れるはずだけど││﹂
278
﹄
﹃いたたっ⋮⋮そうか、サークルを形成できたんだね。これで場所も年代も読み取れ│
│ってこれトロイア戦争の場所と年代じゃないか
りだったのだ。
ロマンの慌ただしい声を聞いて、ちょっと安心した。正直、帰れるかどうかも気がか
!?
みんなも集めてくれる
﹂
﹁状況把握が早くて何よりです。それじゃあ、現状のいろいろを説明するから、そっちの
?
ケイデスら四騎の強力極まるサーヴァントも動員し、瞬く間に戦況を塗り替えた。
一人のカサンドラさんに召喚された他のサーヴァント、カエサル、ヴラド、呂布、アル
そこへ、ヘクトールは聖杯によってこの時代へと蘇った。アヴェンジャーであるもう
着状態へと陥っていた。
特異点はトロイア戦争。ヘクトールの死後、アカイア軍とトロイア軍の戦いは再び膠
全員が集まったのを確認してから、わたしは彼らへと現在の状況を伝えた。
管制室に集められたようだ。
ダヴィンチちゃんを初め、沖田さんや式ちゃんやアイリさんたちサーヴァントも中央
いている。
返ってきた声は真剣そのもの。多分彼はもう、わたしが行き当たった問題に察しがつ
﹃⋮⋮わかった﹄
第14節:イデ山へ
279
わたしたちカルデアが行うべきは、トロイア軍と戦い、歴史がアカイア軍の勝利で終
わるように戦況を修正すること。
ただしそれは歴史通りの結末、トロイアの滅亡に繋がるのだ。
特異点を修復し、人理の崩壊を防ぐ為には、トロイアを滅ぼさなくてはならない。
その全てと現在の戦況を、わたしはカルデアにいるみんなに話し終えた。
﹄
キミが出す答えは、我々全員の答えだ。キミは独りで戦ってるなんて、そ
んなこと考えているわけじゃないだろう
?
他のみんなからも、それぞれの言葉が伝えられる。
そんなわたしなんかに、ロマンは優しく声をかけてくれた。
?
いからね
﹃⋮⋮わかった。でもそれでも、キミ一人に責任の全てを押しつけるつもりは僕にはな
ても考えても、まだ結論が出ない。本当に自分が嫌になる。
みんなが命を賭けて戦っていて、残された時間は刻一刻と摩り減っているのに。考え
しの責任。まぁ、その⋮⋮まだ、覚悟を決めれたわけじゃないんだけどね⋮⋮﹂
﹁ありがとうロマン。でも答えを出すのはわたしの役目。それがマスターである、わた
﹃だから││﹄
重々しい沈黙を最初に破ったのはロマンだった。
﹃⋮⋮カルデアのいまの責任者は、この僕だ﹄
280
﹃難しい問題だね。きっとどちらも正しくて、どちらも何かが間違っているんだと思う。
だから後はもう、君が護りたいモノの為に、君が譲れないモノの為に戦うしかない。君
の選んだ答えの為に、白百合の騎士も全霊を尽くすと誓うよ﹄
﹃マスター、私はマスターの一振りの刀です。この沖田さん、マスターを信じていますと
も﹄
﹄
﹃トロイアはッ⋮⋮ローマへと⋮⋮未来へと、続くぅぅっ。だからこそォ⋮⋮ッ﹄
﹃イスカンダルゥ⋮⋮イスカンダルゥ⋮⋮イスカンダルゥ⋮⋮
つ、伝え、られる⋮⋮
!
トできる保証がない﹄
ら問題ないだろうけど、サーヴァント一騎を転送するとなれば確実にそっちにレイシフ
ないよ。召喚サークルとこっちとの繋がりがいまはまだ不安定でね。補給物資程度な
﹃あー⋮⋮その、みんな張り切っているところすまない。現状、メンバーチェンジはでき
?
﹃まぁ旦那様ったら 片時もわたくしと離れたくなかったなどと皆さまの前で大胆す
マ ス ター
ティーチの戯言を完全に無視して、わたしは思わず呟いた。
ス ルー
﹁そっか。メンバーチェンジできないんだ⋮⋮﹂
である拙者のターンでござろうにwwww﹄
﹃そwれwはwあんまりですぞロマン氏wwwwここはヘクトール氏の永遠のライバル
第14節:イデ山へ
281
!
ぎます⋮⋮っ﹂
カルデアからの補給物資であるお弁当をみんなで食べた。今回は清姫が作ってくれ
軽薄な感じに戻っている。
パリスも小屋へと戻ってきた。気持ちの整理はつけられたらしく、振る舞いは以前の
そうだけれど。
の状態は好転しているように見えた。オイノネさん曰く、回復まではまだ時間はかかる
小屋に戻る。薬は既にアキレウスに飲ませてくれたらしく、気持ち、さっきよりも彼
それでひとまず通信を終えた。補給物資は、それからほどなくして転送されてきた。
りあえず補給物資だけ送っておくよ﹄
﹃ともかく、そういうわけだ。メンバーチェンジは現状不可能と考えてくれ。いまはと
いけれど。
いう概念を奪い、同士討ちの状況を作れるはずだ。ちょっと怖いことになるかもしれな
ては有効だろう。彼自身の狂気を広域に渡って拡散するそれは、トロイア軍から統率と
そしてカリギュラの対軍宝具〝我が心を喰らえ、月の光〟もまた、トロイア軍に対し
フ ル ク テ ィ ク ル ス・ デ ィ ア ー ナ
らばアカイア軍の士気の低さを援軍という形で少しはカバーできるかもと思ったのだ。
ダ レ イ オ ス 三 世 の 対 軍 宝 具 〝 不死の一万騎兵 〟 は 軍 勢 召 喚 系 の 宝 具 で あ る。こ れ な
アタナトイ・テン・サウザンド
﹁あ、ごめん、きよひー。来てほしかったのはカリギュラかダレイオスなんだけど﹂
282
第14節:イデ山へ
283
たらしく、味は大変満足の行くものだった。
夜が更ける。小次郎とパリスが交代で見張りを買って出てくれた。敵が攻めてくる
時間はもう既にわかってはいるけれど、それでも一応の処置である。
疲労のせいか、マシュはもうぐっすりだった。彼女は戦いに備えて休まなくてはなら
ない。
と。
わたしも疲れてはいるけれど、どうにも眠れない。暗がりの天井を見つめ続け、自分
自身へと問いを繰り返してた。貴女はいったいどうするの
令呪を使って、戦場に向かったサーヴァントを呼び戻すことはできない。そうすれ
ンドラさんが同様に対抗するしかないだろう。
ヘクトールはパリス一人で抑えるしかない。竜牙兵を従えるアヴェンジャーもカサ
り立たない。
つきではあるけれど、相手は彼にとって相性最悪。マシュのカバー失くして防衛戦は成
アルケイデスを抑えるには最低二人は要るだろう。小次郎の白兵戦の強さは折り紙
対し、こちらの戦力はマシュに小次郎にパリス。そしてカサンドラさん。
敵はヘクトールとアルケイデスと、そしてアヴェンジャーであるカサンドラさん。
敵がやってくると告げたからだ。
時間はもうない。食後にパリスがカサンドラさんに耳打ちされて、明日の昼にここへ
?
ば、あちらが負けるからだ。
ルー ト
だからわたしたちに残された活路は、アキレウスの復活を待つしかない。彼が戦える
﹂
ようになるまでの時間を稼ぐしかないのだ。パリス曰く、その軌跡は限りなく細いとい
う。
かけられた。
﹁カサンドラさん⋮⋮
どうしたの
﹂
?
める。
﹁明日は⋮⋮ここ一番の、ターニングポイントになると思います﹂
?
たカードで対抗しなくてはならない。
が二人の英雄の支援を受けてなお届かなかった。その最強に対し、わたしたちは限られ
十二の試練を失ってなおアルケイデスは最強だ。自らの全てを出し尽くしたエミヤ
ゴ ッ ド・ ハ ン ド
﹁⋮⋮それはやっぱり、アルケイデスとヘクトールがこっちに攻めに来るからかな
﹂
無言で幾ばくかの時間がそのまま過ぎた。それからカサンドラさんは、訥々と話し始
寄り添っていた。
身を起こして訊き返す。その間にも彼女はゆっくりと歩み寄ってきて、わたしの隣に
?
オイノネさんが用意してくれた寝室の寝台で寝転がっていたわたしへと、不意に声が
﹁││まだ、起きていますか
?
284
そして、ヘクトール。パリスもカサンドラさんも、死んだはずだった兄と向かい合わ
なくてはならないのだ。
予言で未来を変えられる以上、未来予知は最早ただの目安でしかありません。明日、皆
﹁確かにそれもあります。ですがやはり、一番の理由は私自身です。私も向こうの私も
さんが生き残れるかは、きっと私に懸かっているのだと思います。私があちらの私を凌
駕できるか。明日を切り抜けられるかどうかは、それが全てでしょう﹂
つまるところそれは、自分との闘いという奴だ。エミヤなら、碌な物じゃないと苦笑
するところだろう。きっと、ジャンヌ・オルタもだ。
﹁自分には、負けたくないと思います。だから私は自分に負けない為に、私ができること
をしたいと思います。いま貴女の許を訪ねたのはその為です﹂
そう言って、カサンドラさんがわたしの名前をそっと囁いた。
やっぱり、わたしには分からなかった。どうして彼女がそんなことを言えるのか。わ
身は遠からず死ぬことになりますので﹂
﹁いいんです。魔術師として大成する気なんて私にはありません。それにどうせ、この
﹁ちょっと待って。そんなことしたら貴女は││﹂
に送っている魔力を、それで私も負担致しますので﹂
﹁││、いまから私の魔術回路の一部を貴女に移植してパスを繋げます。貴女が皆さん
第14節:イデ山へ
285
たしは全然納得できない。
るんだよ
伝承みたいに、酷い目に遭わなくて済むんだよ
﹂
!?
?
俯く彼女に、わたしは微笑を浮かべて首を振った。
です﹂
﹁ごめんなさい⋮⋮こんな、ひどく自分勝手な理由で⋮⋮でも、私、兄さんが大好きなん
してたんだね﹂
﹁⋮⋮そっか、パリスもカサンドラさんも、最初からお兄さんの為に未来を取り戻そうと
ているはずの二人が、なぜトロイアが滅びる道を選んだのか。
ようやく腑に落ちた。トロイアを守りたかったはずの二人が、いまもトロイアを愛し
││ああ、そうか。そうだったんだ。
が笑えていない世界なんて、私はいりません﹂
も、すごく哀しそうでした。それじゃあダメなんです。トロイアが救われても、兄さん
﹁⋮⋮最初に、観たんです。兄さん、泣いてました⋮⋮辛そうでした。トロイアを救って
はなく、希望すら湛えているようにわたしには見えた。
即答は微笑を添えて返ってきた。その笑みは決して諦めからくるような儚いモノで
﹁いいんです﹂
?
﹁⋮⋮ねぇ、本当に、それでいいの 貴女がトロイアに戻れば、きっと貴女は生きられ
286
だったら、それこそを大切にしなきゃ﹂
?
覚悟ができたというわけではないけれど、それでも、自分が進むべき道は見えた気がす
だから戦う理由は、その二つがあれば充分だった。この期に及んでトロイアを滅ぼす
にも美しいのだと、その両目に焼きつけていた。
幾つもの特異点を旅して、その都度マシュは眼を輝かせていたと思う。世界はこんな
それに、何よりもマシュだ。
モノを護りたい。
にも否定してほしくない。それを無為になんてされたくない。彼らが積み重ねてきた
人類の歴史は、多くの英霊たちが多くの人々と共に築き上げてきたものだ。それを誰
わたしは多分、そんなみんなが好きなのだ。
んな個性的だった。
悪だったり、どこかネジが外れていたり。当たり前かもしれないけれど、それはもうみ
これまでの戦いで、多くの英霊たちと出会ってきた。みんなそれぞれ高潔だったり邪
わたしにとってのそれは、なんだろうか。きっと、それはみんなだ。
ないモノ。その為に戦えばいいのだ。
深く考える必要はなかったのかもしれない。デオンの言う通り、護りたいモノと譲れ
んでしょ
﹁それでいいんだと思うよ。それがカサンドラさんの護りたいモノで、譲れないモノな
第14節:イデ山へ
287
る。
﹂
未来を取り戻す。これからもマシュには光ある明日を歩んでいってほしい。だから、
戦おう。
﹁それでは、了承は取れたと思っていいのですね
あ、そっか。移植の件だったよね。⋮⋮うん、お願い。正直、今日はすごくきつ
?
﹂
?
?
せんので⋮⋮﹂
あ、そう、なの⋮⋮
?
ないですよ
本当ですからね
?
﹂
﹁こうして密着しているのも、精神の同調を高める為だけのものでして⋮⋮他意なんて
﹁えっ
﹂
﹁あの⋮⋮そんな顔、しないでください。別に性的な行為をするというわけではありま
た。
裸体となったわたしへと、同じく裸体となったカサンドラさんがそっと抱きついてき
顔が熱くなるの無視しながら視線を泳がせつつ、彼女の言うとおりにした。
験はないものでして﹂
﹁ぁ⋮⋮その、なんか、恥ずかしいな⋮⋮お手柔らかにお願いします。何分、そういう経
﹁では早速始めましょうか。服、脱いでいただけますか
かった。カサンドラさんがいっしょに魔力供給してくれるならすごく助かる﹂
﹁え
?
288
?
ほっと息を吐いた。カルデアには性別を気にしない者が多いどころか、性別の垣根が
あやふやな彼︵あるいは彼女︶もいるのだ。そう、これが普通の反応であり、ごく一般
的な感性なのだ。
﹁││第一、私は兄さんが好きなんですから﹂
﹂
訂正。ごく普通じゃなかった。
﹁好きってそういう意味なの
やふやで、いまにも微睡に落ちそうになる。
いつの間にか、頭がぼーっとしていた。同調が高まったせいか互いの精神の垣根があ
た。
例に漏れず、彼女もまた英霊なのだ。その証拠にほら、やはりどこかネジが外れてい
なかったんです。それに兄さんにとって、所詮私はただの妹ですし⋮⋮﹂
⋮⋮ですがアドロマケ義姉さんは、それもう素晴らしい女性でして、私に勝ち目なんて
﹁もちろん、兄としてもお慕いしていますが、当然男性としても恋慕していますとも。
!?
﹂
?
﹁護ろうね⋮⋮わたしたちが、譲れないモノを、絶対に││﹂
﹁なんですか
﹁うん⋮⋮わかった。⋮⋮ねぇ、カサンドラさん⋮⋮ううん、カサンドラ﹂
﹁どうぞ、お休みになってください。貴女が起きた時には、移植は終わっていますので﹂
第14節:イデ山へ
289
次目覚めた時には、戦いは新たなステージへと移っているのだから││
しっかりと休んでおこう。
意 識 は 闇 の 中 へ と 沈 ん で い く。安 息 は き っ と こ の 一 時 だ け に な る だ ろ う。だ か ら
言葉は決然と返ってきた。
﹁││はい﹂
290
一日一発限りの切り札だと既に知っているはずだ。
ている。であればこそ、カルデアと協力関係にあるであろうアカイア軍も、対城宝具が
ヴラドからの報告で、カルデアにアストルフォが協力しているのはカエサルも承知し
見す見すそこに撃ちこまれ、一気に兵力を削られることになるのだから。
ロ ー ラ ン の 〝 勝利呼び込む天聖剣 〟 に 対 処 す る 為 の 苦 肉 の 策 だ ろ う。密 集 さ せ て は
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
幅広く展開していた。
べったいV字のように兵が並んでいる。つけ加えると、それは通常の鶴翼よりも遥かに
アカイア軍が採った陣形は防御に適した鶴翼だった。分かりやすく例えるなら、平
のが、それもどうも違うという気がする。
大方全軍の指揮を誰か一人に完全に委譲したのだろう。オデュッセウスかと思った
らずではあるが、昨日までとは較べ物にならないくらい纏まりがあるのだ。
昨日までとは何やらアカイア軍の様子がうって変わっている。士気の低さは相変わ
戦地となった荒野に佇むカエサルは、前方の敵軍を眺めながらフムと呟いた。
第15節:alea iacta est
第15節:alea iacta est
291
広域に展開しているのは、つまるところ撃ってきても旨みはないぞという意思表所
だ。
もっとも、この鶴翼には当然弱点がある。通常よりも散開して展開しているのだか
ら、敵を圧す力は微弱にならざるを得ない。ただでさえ士気が下がっているアカイア軍
では、絶対にトロイア軍に圧し負ける。
その辺りのこと、敵の指揮官が把握していないわけはないだろうが││
オデュッセウス以外にも、厄
オデュッセウスと同等以上に軍指揮が巧い者となれば、思いつく限りではカルデアの
﹁敵の指揮官は、ロード・エルメロイ二世かな﹂
彼だけだ。
介な者が出てきたな⋮⋮﹂
﹁諸葛孔明をその身に宿した擬似サーヴァントか⋮⋮
・
・
・
・
・
実のところ、今日の戦で全軍の指揮を執るのはカエサルではないのだ。
﹁あとは任せたぞヴラド。私は、一端消える﹂
│とはいえだ。
も劣らぬ采配を見せてくるに違いない。カエサルの心は、密やかに踊り始めていた。│
擬似とはいえ、その能力は本物と同等だろう。であれば、オデュッセウスにも勝ると
カエサルの呟きに、隣に立っていたヴラドが油断ならぬ面持ちで反応した。
!
292
﹁本当にいいのか
昨日、あれだけの失態を犯した余が指揮を執って。というより、余
かえらずのじん
のだろう ならば単騎駆けは呂布とローランに任せておけ。特に今日の呂布は一味
づけたのだ。まだこの辺りの土地は〝護国の鬼将〟で自らの領土にしきってはいない
﹁気持ちばかり先走っているな、ヴラド。昨日の戦いでかなりアカイア側の陣地へと近
としては単騎で敵兵を駆逐する腹積もりだったのだが⋮⋮﹂
?
カエサルはニヤリと笑った。
﹂
立ち向かわなければ、瞬く間に三国無双が始まろう。
その憤怒の矛先は、これからアカイア軍へと向かう。ディオメデスなり小次郎なりが
ろう。
そうで正直怖かった。話しかけただけで首を刎ね飛ばされてもおかしくはなかっただ
いた。額にも青筋がくっきりと浮かび上がり、剥き出しの犬歯は人であろうと噛み砕き
昨夜、ようやくカエサルたちと合流した呂布の眼はこれでもかというくらい血走って
ころか、昨日の会戦に戻るのも間に合わなかった。
を食ったからだ。そのせいで佐々木小次郎との一騎打ちの決着を着けられなかったど
何がかと言うと、完全にブチ切れているのである。昨日、〝石兵八陣〟で酷く足止め
違うからな﹂
?
﹁それにだ。昨日の意趣返し││したくはないか
第15節:alea iacta est
293
?
ヴラドが一瞬驚いた顔を浮かべる。それからすぐに、彼の口元にはカエサル同様の悪
﹂
巧みを思いついた悪童のような笑みが刻まれていた。
﹁余は敵を引きつけておけばよいのだな
﹁││オイ、豚。いつまで瀬踏みをしているつもりだ
上から射殺すような眼で睨んでもいる。
﹂
?
﹁理不尽な⋮⋮﹂
?
アカイア軍の士気が最低なのに対し、トロイア軍は連日の勝利に加え、毎日カエサル
結論は出た。普通に攻めれば普通に勝てると。
せすぐ後退させたりと、それによって敵の士気や状態を確認していたのだ。
十分は睨み合いを続けていた。そこから互いに陣形を微妙に動かしたり、一部を前進さ
呂布の言う通りだった。互いの軍が互いを視界に収める程度に接近したところで、数
﹁敵軍の様子を見て測れるものはもう測っただろう
いい加減、進撃を命じろ﹂
﹁黙れ、貴様のその体型は晩年の董卓を思い出して腹が立つのだ﹂
﹁君、いい加減ナチュラルに豚とか呼ぶのやめてくれない
﹂
自らを誇るように宣言したカエサルへと、呂布が苛立たしげな声で横槍を入れた。馬
?
てやろうではないか﹂
﹁ああ、それで構わない。その間にこの私が、このカエサルが、この戦いに終止符をうっ
?
294
が念入りに煽りに煽っている。士気の高さと熱気は最高潮と言っていい。
昨日の戦いで一万近い損害をアカイア軍に与えた。兵力は約五万でもうほとんど拮
抗している。その状態でまともにぶつかれば、士気が高いトロイア軍が勝つ。これは覆
しようもない事実だ。
だから警戒すべきはオデュッセウス、あるいは諸葛孔明の神算鬼謀のみである。昨
日、手酷くやられたヴラドなら、今度こそ不審な挙措を何一つ見逃すまい。
とはいえ、だからこそヴラドは攻めあぐむかもしれない。いや、それは指揮を執るの
がカエサルだろうと同じだが。
オデュッセウスも諸葛孔明も神域の軍師なのだ。妙な素振りがあれば、こちらは警戒
せざるを得ない。攻め立てるのにもどうしても二の足を踏むことになる。
となればこちらは堅実に、時間はかかるだろうがじっくりと絞り上げるように攻める
しかない。ひとまずはだ。
一瞬言葉を返せなかった。裏切りの将として悪名高い呂布奉先にそう評価されるの
にとりわけ貴様は、俺の知っている誰よりも用兵が巧い。そこだけは認めている﹂
﹁俺は軍人だ。上官の采配に愚がなければ異論などあるわけがない。当然だろう。それ
込んでいくとばかり思っていたよ﹂
﹁意外だな。この私の指揮にきっちり従ってくれるのだな。てっきり勝手に敵軍に突っ
第15節:alea iacta est
295
は、人類史上最高の天才と自負しているカエサルをして僅かに面映ゆいものがあった。
││まぁ、だからと言って裏切らないと言ったわけではないが。
カエサルは咳払いをしてから、
て待ち構える姿勢を見せている。
?
﹁撃てば君がまた負傷するだろう それではその後の戦いに支障が出よう。密集して
る。彼の面持ちには僅かに不満の色が見えていた。
不意に背後からその声が飛んできた。カエサルの側で待機させていたローランであ
﹁カエサル殿。俺は本当に、宝具を撃たなくていいのですね
﹂
同じくヴラドが下知を出し、各部隊を前進させる。アカイア軍は、やはりそれに対し
呂布が獰猛に笑い、赤兎馬が嘶きを上げて駆け出した。
﹁了解した。呂布奉先と赤兎馬、これよりアカイア軍を殲滅する﹂
﹁││よし。では待たせたな。始めていいぞ、ヴラド。呂布も、直ちに進撃せよ﹂
296
ア
イ
ア
ス
勝利呼び込む天聖剣〟すら防ぐかもしれないとも危惧していたのだ。
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
熾天覆う七つの円環 〟 の 強 度 は 常 軌 を 逸 し て い る と い う。下 手 を す れ ば 〝
ロ ー・
そ れ に ア カ イ ア 軍 に は ア イ ア ス が い る。 ヘ ク ト ー ル 曰 く、 彼 女 の 〝
い﹂
いるところに撃つのならアリだと思うが、ああ展開されればあまり敵は討ち果たせま
?
だとすれば開幕直後に宝具を放つのは避けた方がいい。撃つならばアイアスを退け
た後に、より多くの敵を粉砕できる位置取りと瞬間でこそだ。
害は抑えられるし、敵への損害を与えられるというわけだ﹂
﹁開幕宝具発動が非効率的であるのならば、君が一人一人敵を斬り殺した方が味方の損
それでは、自分も出陣して参りますね
わかりました、俺、頑張ります
﹂
この身を
すみませんカエサル殿、もう一回お願いします。できれば、子供でも分かるよ
うに説明していただければ俺も理解できるかもしれません﹂
﹁⋮⋮
そういうことだったんですね
刃として敵軍を皆殺しに致しましょう
﹁││
?
ということだ。ローランの自己申告によると、彼の〝理性蒸発〟のランクはAらしい。
いや、多分それは本当にわかってくれたのだろう。問題はそれを忘れてしまわないか
に言葉を飾ったつもりはないのだが⋮⋮。
││ちゃんと私の言葉を理解してくれたのだろうか⋮⋮ 難解な言い回しで無駄
にカエサルにはそこはかとない不安もあった。
ローランの強さを疑う気などない。彼の堂々たる言葉には頼もしさも感じたが、同時
り出した。
勝気な笑みを浮かべて溌剌とそう宣言すると、聖騎士は自らの足で敵軍へ向かって走
!
!
!
!
???
!?
﹁むぅ⋮⋮要するにだな、君は敵軍に突っ込んだ方が役に立つのだよ﹂
第15節:alea iacta est
297
戦闘においてはランクAの直感に相当する力を発揮するスキルだが、その分やはり頭は
アレなのである。
はほとんど不可能とさえ言えるだろう。彼らは合理の極致にある。理によって動けば
オデュッセウスと諸葛孔明を出し抜くのは容易ではない。││否、二人揃ったいまで
た。この状況での強行軍など、あまりにも理から外れている。
間違っても強行軍など行ってはならない気温だ。けれど、だからこそそれが幸いだっ
あと一、二時間で中天に差し掛かる頃合いだ。陽は恨めしいほどに照りついている。
カエサルはふと空を見上げた。
ようとも関係ない。その時は今度こそカエサルがこの戦いを決する。
アカイア軍を指揮していると目される孔明がヴラドに対し、例え想定以上の奮戦をし
がトロイア軍を指揮して敵軍を圧し潰す。
だがそれでいい。呂布やローランが有力な敵将を一人で受け持っている間に、ヴラド
みれば、回せるサーヴァントや英雄は三騎か四騎くらいになるだろうが。
ントや猛将を何人投入してもローランを抑えようとするはずだ。呂布がいることも鑑
あちらはなんとしても対城宝具の発動だけは阻止したいだろう。であればサーヴァ
半ば自分に言い聞かせたカエサルだが、その根拠は敵にある。
﹁いや、きっと大丈夫だ⋮⋮﹂
298
第15節:alea iacta est
299
必ずその匂いを嗅ぎつけられ、その策を看破される。
であれば、理を度外視した気合いと根性の出番である。それによって合理というモノ
を覆す。理詰め相手にはこれが一番効くはずだ。
通常ではありえない進軍ルートと移動距離になる。だがそれを無理をしてでも行お
う。カエサルはこの一手で決着をつけるつもりだった。
普通であればその強行軍で誰もが脱落しよう。例え敵の許まで辿り着けたとしても、
士気と体力は減りに減る。
カエサルは交戦を始めた両軍から背を向け、後方で待機していた五千の兵へと歩み
寄っていく。
直立する彼らの前で、カエサルも立ちどまった。
彼ら五千人のトロイア兵は、全て自らの意思でカエサルの立案した作戦に志願してき
た者たちである。
カエサルは昨夜、トロイア兵に問いかけた。地獄を体験する覚悟はあるか、と。トロ
イアを勝利に導く為に、死んでなお灼熱の中を走り続ける覚悟はあるか、と。
彼ら五千人はその問いに是と答え、死を肯んじた者たちである。
そんな彼らならばきっと辿り着ける。辿り着けたうえでなお敵軍を圧倒できるだろ
う。
まったくの根性論である。戦術家が揮う采配としては愚かと言わざるを得ないだろ
う。だがその根性論を計算に入れたうえで、カエサルは勝算が高いと踏んだのだ。時に
人の心の強さは、常識を覆せる。トロイアを護る為に命を賭すと覚悟した彼らならばそ
れが可能だ。
ロー マ
﹂
さ ぁ、
死してなお敵陣へと辿り着き、敵を貪り尽
﹄
行くぞォォォォォォ││││ッ
そ の 時 に こ そ、貴 様 ら は 紛 れ も な い 英雄 と な れ る ッ
ア ー レ ア・ヤ ク タ・エ ス ト
賽は投げられたッ
﹃オオオオオオオオオオオオッ││││
カエサルの号令に、己が生命の全てを吐き出すが如き勝ち鬨を以って兵士たちが応じ
!
!
!
!
!
くせっ
!
貴様らがトロイアを勝利へと導くのだッ
砂漠で朽ち果てろ。走れなくなった者たちの無念だけを共に連れていこう。これより
﹁では強行軍を行い、敵本陣を背後より強襲する。脱落者は容赦なく見捨てる。勝手に
思い定めたのだ。であればこそ、喜びなどという感情は殺している。
満足の行く答えだ。だがカエサルは笑わなかった。彼らと同様に、既に自分を死体と
き返した。
異論など一つも出ない。老兵から少年兵まで、覚悟を秘めた静謐な眼差しを以って頷
心など、感情などない。苦しい、疲れたなどという戯言は一切許さん。ただ無心で走れ﹂
﹁いいか、貴様らはただの死体だ。致死の軍だ。既に死んでいる。死んでいるからこそ、
300
第15節:alea iacta est
301
た。
五千を率い、カエサルはひたすらに走り出した。
まずは絶対にアカイア軍の索敵網に入らぬ位置まで後退し、迂回する。そこから戦地
を回り込むようにひたすら走るのだ。行軍ルートは荒野から途中で砂漠へとその景色
を移り変えていく。
サーヴァントをして気を滅入らせるほどの暑さだ。神代の人間であるとはいえ、トロ
イア兵たちには堪えるだろう。
だがそれでも、カエサルは彼らに走れと声を張り上げ続けた。それこそが勝利に繋が
ると声高に鼓舞し続けた。
ひたすらに走った。トロイアの勝利の為に。
◇
││その男を例えるならば、やはり暴風という言葉が相応しかろう。
そして暴風が駆るそれは赤い稲妻だ。赤兎馬は雷光の如き疾走を以ってアカイア軍
へと瞬く間に切り込むと、その疾走の余波のみで何十人もの敵兵を木端の如く蹴散らし
た。
そして馬上で轟然と振るわれるのは乱世の梟雄の方天画戟。
穂先に触れた敵兵の上半身が、鮮血と共に雑草の如く薙ぎ払われる。のみならず、や
はりその一撃の余波でも幾人ものアカイア兵が吹き飛ばされた。
それが二撃、三撃と際限なく縦横無尽に繰り出される。呂布が築き上げた死体は一呼
吸の間に百を超えただろう。
﹂
﹂
﹂
自軍へ突撃してきた怪物に、アカイア兵が怯えを露わにして逃げ惑う。だが、
﹁これ以上はやらせねぇぞ
﹁死にさらせぇ
﹁部下の仇、取らせてもらう
!
﹂
!
砕かれる武器と共に、三人の英雄の首が宙へと舞う。それを意にも介さず、呂布は赤
﹁貴様ら程度では、二十人ばかり頭数が足りなかったな﹂
││それを呂布は、一撃の下に造作なく粉砕した。
﹁フンッ
諸共。刺し違える前提の決死の攻撃に他ならない。
彼らは同時に跳躍し、剣と槍による乾坤一擲の同時攻撃を繰り出した。それは死なば
に立ち向かうアカイア軍の英雄が三人いた。
そんな中、湧き上がる恐怖をそれ以上の憎悪と憤怒によって押さえつけ、敢然と呂布
!
!
302
兎馬を再度走らせ敵中をさらに荒らし回る。
俺に立ち向かえる益荒男はァッ
﹂
何処だ
何処にい
!?
﹂
呂布は驚愕に眼を見開いた。
敵も味方もいない茫漠たる荒野を走る二頭立ての戦車に乗るその男を目視した途端、
トロイア軍とアカイア軍が衝突するその側面から、槍は投げ放たれてきている。
けながら、赤兎馬が投擲手へ向かって疾駆した。
投擲された槍を呂布は寸でのところで打ち払う。二撃、三撃と間断なく続く轟撃を避
!
逃げ惑う敵兵を討ち果たしながら、飢えた獣が怒りを露わに声を張り上げる。
る
﹁臆病者どもが。命を擲つ覚悟もない者が俺の視界に入るなッ
!?
そこへ、不意にあらぬ方向から迅雷が迸った。
!?
!
﹁⋮⋮すまん、赤兎。奴とは⋮⋮俺一人で戦わせてくれ﹂
りかける。
二頭立ての戦車を駆る男を呂布は凝視する。それから逡巡の末に、呂布は愛馬へと語
それに合わせて、どういうわけか二頭立ての戦車も停止していた。
が駆けるのをやめた。
気づけば足に力を入れていた。体へと伝わる締め付けから呂布の意を汲んで、赤兎馬
﹁奴は⋮⋮
第15節:alea iacta est
303
赤兎馬は何も言わなかった。だが愛馬が構わないと言ってくれたのを、呂布は理解し
た。
﹂
﹁クー・フーリンに相違ないな
?
﹁赤兎には、悪いと思っている﹂
││そう。いつぞやの決着をつけねば、と両者が同様に思考したのだ。
であるならば、互いに望むのは己以外の誰をも交えぬ一騎討ちに他ならない。
男を憶えているように、眼前の男もまた呂布を憶えているのだと。
下馬に合わせて同じく戦車から降りた時点で、察しはついていたのだ。呂布が眼前の
逆に返ってきた問いに、呂布は口元に笑みを浮かべた。
﹂
﹁そういう貴様は呂布奉先だな
?
互いに同時に立ち止まり、互いの得物を油断なく構えた。
二頭立ての戦車を駆る男も呂布と同様に戦車から降り、呂布へと歩み寄っていく。
寄っていく。
表 情 が 武 人 の そ れ へ と す ぐ に 戻 る。呂 布 は 今 日 唯 一 の 敵 と 見 定 め た 相 手 へ と 歩 み
を撫で上げる。
穏やかな笑みを浮かべ、呂布は下馬した。それから優しく、慈しむように赤兎馬の首
﹁⋮⋮そうか、悪いな。あぁ、俺は勝つとも﹂
304
﹁オ レ も マ ハ と セ ン グ レ ン に は 詫 び て き た さ。せ っ か く ラ イ ダ ー で 召 喚 さ れ た っ て の
に、タイマンこそを望むんだからな﹂
の猛犬、月での決着をつけさせて貰うぞ⋮⋮
﹂
ゴッド・フォース
﹁フ、考えは何から何まで同じらしいな。ならば、これ以上の言葉は不要だ。││クラン
﹂
!
!
此処に、クー・フーリンと呂布奉先が激突した。
ニヤリ、と両者が獰猛な笑みを口元に刻む。
花は数十と虚空に舞い踊った。
クー・フーリンの電光石火の刺突を、同じく呂布の刺突が撃ち落とす。一息の間に火
得物が弾かれあった刹那、互いに次撃を間髪入れず繰り出した。
その衝突の余波で大地が軋み、隆起する。
神 速 を 以 っ て 同 時 に 両 者 が 踏 み 込 ん だ。轟 然 と 振 る わ れ る 軍神五兵 と ゲ イ ボ ル ク。
﹁上等ォッ
第15節:alea iacta est
305
第16節:聖騎士包囲網
クー・フーリンと呂布が武の極限を以って苛烈に鬩ぎ合う最中、彼女たちもまた荒野
にて聖騎士と切り結んでいた。
﹂
﹂
﹁死になさいッ
!
デ ィ ア マ ン テ・デ ィ・オ ル ラ ン ド
││これが無敵と讃えられたローランの肉体であり防御宝具、〝不屈なる金剛の躰〟
一ミリたりとも食い込むことなく弾かれた。
果たして旗の穂先と長剣は造作なく鎧を貫き││││だが彼の皮膚に触れた途端に
た。持ち前の直感でこの攻撃が歯牙にかける必要すらないと判っていたがゆえだ。
対しローランは勝気な笑みを浮かべたまま、その同時攻撃になんの方策も立てなかっ
うに轟然と彼の胴へと翻る。
の穂先はローランの心臓へと過たず鋭く迫り、アイアスの斬撃もまた、吸い込まれるよ
す。アイアスがタイミングを合わせる形で閃いたそれは迅雷の一言だ。邪竜を描く旗
裂帛の気合いと共にジャンヌ・オルタとアイアスが聖騎士に対し同時攻撃を繰り出
﹁せい││っ
!
306
の力だった。B+に相当する物理ダメージを削減するそれは、二人の渾身を以ってして
も傷一つつけられない。彼の護りを真正面から突破できるとすれば、それは間違いなく
超一流のサーヴァントだろう。
二人の攻撃を弾いたその間に、ローランが横一線に剣を薙ぐ。その魔神めいた一撃を
﹂
ジャンヌ・オルタとアイアスが辛うじて躱す。だが完全に回避してなおその余波が二人
の体に襲いかかった。
﹁なんて、馬鹿力⋮⋮っ
﹂
デ ィ ア マ ン テ・デ ィ・オ ル ラ ン ド
物理攻撃でない以上、これならば間違いなくローランの〝不屈なる金剛の躰〟をすり
ンへと撃ち放つ。
魔力消費を度外視して、ジャンヌ・オルタが怒りをぶつけるように呪いの焔をローラ
!
から互角以上に打ち合えるだろう。
備えていた。ローランの尋常ならざる膂力ならば、狂化されたヘラクレスとさえ真っ向
ターが外れているのだ。ゆえに本来魔獣の類いしか持ちえぬ高ランクの〝怪力〟をも
ローランの筋力はB+。それに加えて彼は理性蒸発による影響で、あらゆるリミッ
たアイアスが苦しげに呻く。
常人が浴びれば間違いなく粉々になるほどの衝撃だった。後退して態勢を立て直し
!
﹁こんのォ、なら燃えなさいってのよッ
第16節:聖騎士包囲網
307
デ ィ ア マ ン テ・デ ィ・オ ル ラ ン ド
抜けられる。││そう、〝不屈なる金剛の躰〟の方はである。
迸る呪いの焔は大地を熔かしながらローランへと迫り、しかしその体に触れる寸前で
見えない壁に阻まれるように逸らされた。
﹁なっ││﹂
デュ ラ ン ダ ル
ジャンヌ・オルタとアイアスが揃って瞠目する。
いずこ
ドゥ リ ン ダ ナ
これこそがローランの宝具、〝絶世の名剣〟が内包する三つの奇跡の内の一つだっ
た。
ヘクトールの死後、何処へと流れた不毀の極槍は後に天使によって鍛え直された。そ
れによって黄金の柄に埋め込まれた聖遺物の加護は、持ち主にあらゆる魔術と呪いを弾
く耐性、即ちランクEXの対魔力を付与していた。
﹁ホントにこれも弾かれちゃうのね⋮⋮﹂
苦々しくジャンヌ・オルタが呟いた。事前にアストルフォにローランの強さの全てを
聞き及んでいたとはいえ、実際に戦ってみるまではそのデタラメぶりは信じがたかっ
﹂
た。だがこうして相対してみて、彼女はそれを痛感した。
を露わに言い返そうとした時、
癇に障るくらいの爽やかな微笑だった。そんなわけない、とジャンヌ・オルタが怒り
﹁どうした、麗しいお姉さん方。これでもう終わりかな
?
308
﹁││いいやまだだ
まだこのボクがいるぞっ
﹂
!
﹂
可憐な声を轟かせ、ローランの背後からアストルフォが敢然と剣を振りかぶった。
!
る。
﹁アストルフォじゃん。久しぶりだな
元気か
﹂
昨日のオリファンで全部お前に吸い取られたよっ
﹂
!
?
﹂
自分の宝具だろ
ていうかなんで拒否権ないんだよ
﹂
﹂
?
キレ気味に返した。
﹁あれ強制だから
﹁えっ、そうだったの
﹁なんでお前がそれ把握してないんだよ
!?
!?
﹁いやぁ、悪い悪い。あんまり細かいことに意識が向かなくてな。たまにこの剣の真名
!?
!?
!
﹂
戦闘中だというのに緊張をまるで感じさせない能天気な問いかけに、アストルフォが
﹁ないよ元気なんて
!
!
剣を弾かれた反動でたたらを踏むアストルフォへと、ローランが破顔して声をかけ
ローランに通じない。
力〟によって筋力がワンランク向上しているとはいえ、アストルフォの攻撃はまるで
意外そうな顔でローランが振り向いた瞬間、剣が脳天に直撃した。だがやはり、〝怪
﹁お
?
﹁なんだ、そうだったのか。別に無理して魔力供給してくれなくてもよかったんだぞ
第16節:聖騎士包囲網
309
も忘れそうになって焦ったりするんだよな﹂
﹁ほ、宝具の名前を忘れかけるとか、ホントにローランはバカモノだね
﹂
﹁││愉快な同窓会はそこまでよ。いい加減⋮⋮こっち向きなさいってのッ
!
﹂
!?
﹂
﹁いやぁ、驚いたよお姉さん。いまのは直撃していたらちょっとヤバかったかもな﹂
見据える。
ローランは愉しそうに笑いながら、しかし油断ない視線を以ってジャンヌ・オルタを
る。
咄嗟に身を屈めて避けたアストルフォの頭上をローランが舞い、回転しながら着地す
後方へと弾き飛ばされた。
剣と旗が衝突する。これまでにない壊滅的なまでの威力にローランが耐えきれずに
ていなかったが、この瞬間のみは〝絶世の名剣〟を楯にして防御の姿勢を取っていた。
デュ ラ ン ダ ル
初めてローランの表情に真剣さが浮かび上がる。これまで全ての攻撃を意にも介し
﹁││ッ
渾身││いや、限界突破の一撃だった。
それは〝自己改造〟によって自身の攻撃力を規格外の領域にまで増大させた彼女の
く旗をフルスイングする。
アストルフォと向かい合うローランの無警戒の背中へと、ジャンヌ・オルタが遠慮な
!
310
﹁私はアヴェンジャーのサーヴァントにして竜の魔女、ジャンヌ・ダルク
﹂
その
かつてオル
レアンでカルデアのサーヴァントを独りで相手取った最強のサーヴァントよ
私を無視するなんて、百万回焼かれても足りない愚挙と知りなさい
!
!
私の楯を以ってして、その血路を切り拓こう
﹂
も私は二人の楯となれる。ジャンヌの攻撃がお前に有効だと判った以上、勝機はある。
﹁アカイアの楯であるこの私も忘れてもらっては困るぞ。私の攻撃がお前に効かなくと
突きつける。
啖呵を切ったジャンヌ・オルタに並び立ち、アイアスも続くように剣をローランへと
!
!
〟を構えた。
ト ラ ッ プ・オ ブ・ア ル ガ リ ア
だからね。いや、頭の構造は理解不能なんだけどさ
﹂
﹁あ、ボクのコトも忘れないでよね ローランのことは誰よりも知り尽くしているん
!
剣をしまいながら、アストルフォが〝触れれば転倒
!
!
いいのか
足の裏は唯一普通に攻撃が通る俺の弱点なんだぜ
﹂
?
?
ち抜けるならこれで隙作った方が断然有利だし﹂
?
?
﹁アンタたち敵に教えちゃいけないこと言い合ってない⋮⋮
﹂
もなければ狙い撃てるものじゃないだろ ジャンヌがローランの護りを無理矢理ぶ
﹁フフン、ホントに馬鹿だねローランは。足の裏なんて、ケイローンとかの神域の射手で
?
﹁え、それサーヴァント相手だと足を霊体化させるんだろ 俺の足の裏消しちゃって
第16節:聖騎士包囲網
311
﹁しまった
﹂
﹂
足の裏が弱点なんて私聞いてないんだけど
﹂
!?
﹁おい、仲間割れは戦いが終わってからにしろ
﹁アンタ一回燃やすわよ
﹁あはは、ごめんそれ言うの忘れてた﹂
﹁ていうかピンク
﹂
ジャンヌ・オルタの指摘に十二勇士のバカ筆頭が揃って声を上げていた。
!?
!?
不満げに呟いた。
﹁あ、そうだローラン、いまさら一つ訊くけど、こっちにつく気はないかい
迷いなど一切ない即答だった。
﹁ないな﹂
?
ものは確かにある。なら、俺が剣を振るう理由はそれで充分だ﹂
マスターに忠誠を誓っている。彼女の目的は復讐だけど、それでもその果てに守られる
﹁まぁ、どっちが正しいかって訊かれたら、そりゃお前たちの方だろうさ。けど俺はもう
﹁うん、知ってた。でも孔明に離間を試してくれって頼まれたからね、一応訊いてみた﹂
﹁ヘクトール殿と一緒に戦えるんだ。俺がいまからトロイアを裏切るわけないだろ﹂
だよね、とアストルフォが苦笑する。
﹂
アイアスの一喝にジャンヌ・オルタがしゅんとする。悪いのピンクでしょ、と小さく
!
!?
312
﹁⋮⋮オッケー、そういうことならお互い変なしがらみなしで戦おうか﹂
迷いを吹っ切ったようにアストルフォが晴れやかに笑う。
﹂
の可能性を信じた子がいるんだ。ボクの戦う理由も、それで充分。世界は、未来は、燃
﹁ローラン、ボクは世界を守るよ。人間の汚さを目の当たりにしながらも、それでも人間
やさせはしない﹂
﹁それじゃあ、あいつはもう完全に敵ってわけでぶち殺していいわよね、ピンク
﹁うん、やっちゃおう。三人で袋叩きだ
する。
﹂
決然と宣言したアストルフォへと、ジャンヌ・オルタが嗜虐的な笑みを浮かべて確認
?
というかボク
!?
とした。
﹂
フリじゃないからねこれ
一人、ばっちりローランの体の状態に理解が及んだアストルフォはもの凄くげんなり
その言葉の意味を計りかねて、ジャンヌ・オルタとアイアスがきょとんと首を傾げた。
り辛い。具体的に言うと、鎧が窮屈で仕方ない﹂
﹁アストルフォと、胸の大きな綺麗なお姉さんが二人も相手か。うん、これはちょっとや
!
?
がツッコミに回らないといけないとか異常事態だからね
?
﹁わかってる、幾ら俺でも女性の前で裸体を晒すわけがないだろ。それくらいの節度は
!?
﹁ローラン、いま脱ぐなよ 絶対だぞ
第16節:聖騎士包囲網
313
弁えてる﹂
﹂
!
いい加減沈めてあげるわ
﹁嘘吐けお前絶対弁えてないよ
﹁御託はそこまでよ
!
切り払う。
﹂
〟で刺突を繰り出
!
完璧なタイミングで放たれたアストルフォの刺突は、しかしローランの異常なまでの
は問題なく及ぶだろう。
す。ローランの護りを突破できるはずもないが、衝くことさえできればこの宝具の効果
直後、ローランの側面に躍り出たアストルフォが〝触れれば転倒
ト ラ ッ プ・オ ブ・ア ル ガ リ ア
隙だらけのジャンヌ・オルタへと迫るそれを、アイアスが持ち前の剣捌きで代わりに
軽やかな身のこなしでそれを躱すと、ローランはすかさず反撃の一撃を繰り出した。
い。
轟撃だ。だが鈍重な素振りで振り下ろされたそれは、当然ローランに当たるわけがな
破壊力一点重視の大振り。まともに当たればローランの防御すら突破できるほどの
を限界を超えてブーストする。
肉体への負担を無視して、ジャンヌ・オルタは再び〝自己改造〟によって自身の膂力
ローランへと肉迫した。
猛然と旗を振りかぶりながらジャンヌ・オルタが疾駆する。続くようにアイアスも
!
314
反応速度によって難なく躱されていた。
間髪入れず、容赦なくアストルフォにも報復の剣撃が閃いた。それもアイアスが二人
の間に割って入り防御する。
瞬間、ローランの足元から呪いの焔と共に七本の影の槍が現出する。
﹂
﹂
!
悪辣とした笑みを以って言葉を返した。
冷や汗を額から流しつつも笑みを崩さないローランに対し、ジャンヌ・オルタもまた
ですからね
﹁わざわざ親切に教えてくれた間抜けがいるんですもの。狙ってあげないと申し訳ない
!
た。
﹂
空気を震わせ、爆ぜ広がる衝撃波。足を地面にめり込ませながらもローランは耐え
る。
再現するかのように、ローランが上段から打ちこまれたそれを絶世の名剣で受けとめ
デュ ラ ン ダ ル
だが着地の直後を狙ってジャンヌ・オルタが再び旗を轟然と振るった。先程の攻防を
彼の跳躍はぎりぎり間に合い回避された。
その奇襲に流石のローランが息を飲む。だが直感によって寸前で予測していたのか、
﹁││っ
!
﹁危ない危ない、なんだかんだ足の裏は狙ってくるわけね⋮⋮
第16節:聖騎士包囲網
315
互いに旗と剣を圧し合う。だが拮抗は刹那だ。圧し負けたジャンヌ・オルタが後ろに
二歩、三歩と下がらせられた。
即座にローランは再び側面から放たれたアストルフォの刺突に対処する。剣で弾き、
流れるような動作で神速の刺突を眉間目がけて彼へと返す。
﹂
アストルフォが死を覚悟し、だがやはりそれすらもアイアスが剣を楯にして防いでい
た。
﹁ちょっとお姉さん、アンタ連携巧すぎない
﹂
!
﹁⋮⋮そうか、それはすげぇ。マジで心から敬服する。││だがッ
﹂
!
デュ ラ ン ダ ル
!
﹂
無手となったアイアスへと、全力で絶世の名剣が振り下ろされた。
るッ
﹁俺も今度こそ、絶対に味方を護り抜いてみせるッ その為に、アンタたちを斬り捨て
迸る気迫。豪腕を以ってローランがアイアスの剣を弾き飛ばした。
!
方に羨望を懐かずにはいられなかった。
美人だから見惚れていたというのもあるだろう。だが何よりも彼は、彼女のその在り
アイアスの冷涼たる微笑に、ローランは一瞬呆気に取られた。
﹁⋮⋮
﹁味方はこの命に代えても護りきる。それが私の信念だからな﹂
!?
316
デュ ラ ン ダ ル
││だが侮るな。武器を失おうと、彼女のその体は楯でできている。
自身へと稲妻の如く迫る絶世の名剣を、アイアスは右手に一枚のアイリスの花弁を出
﹂
﹂
現させて造作なく受けとめた。
﹁なにっ
!?
と絶世の名剣を掴んでその動きを封じていた。
デュ ラ ン ダ ル
ローランは躱そうと即座に跳躍しようと試みたが、アイアスが花弁の上からきっちり
る。
驚愕で表情を固めているローランへと、ジャンヌ・オルタが嬉々として旗を振りかぶ
﹁隙見っけ
!
﹂
横からのフルスイングがローランの胴体にジャストミートする。
!?
﹁いやぁ、自傷以外でこんなダメージ食らったの初めてかも││﹂
ながらも問題なく体勢を立て直した。
とはいえ戦闘不能に追い込むには程遠い。吹き飛んだローランは大地を二転三転し
削減できたが、それでも確かにダメージを受けていた。
にその命を刈り取るだろう。防御宝具で守られているローランはおよそのダメージを
並の宝具を遥かに凌駕するほどの一撃は、高耐久力を誇るサーヴァントでさえも確実
﹁ぐっ
第16節:聖騎士包囲網
317
318
むしろ楽しげに呟くローランへと、追撃は容赦なく加えられる。
振りかぶられる旗。それを避けた直後、アストルフォの刺突が執拗に嫌らしいタイミ
ングで放たれる。
二人の猛攻を捌きながら反撃を織り交ぜても、その全てがアイアスに阻まれた。
傍から見れば間違いなく三人がローランを圧倒していた。
だが実際は違う。攻防を繰り返すうちにジャンヌ・オルタの攻撃は稀に決まっていた
が、それでもローランは次の瞬間にはけろりと起き上がってくる。限界突破の一撃は、
しかし痛撃を与えるには至らないのだ。
その動きが鈍るようなことも決してない。むしろローランは次第にギアを上げて、剣
筋のキレもさらに増していた。三人の英雄を相手取ってなお、彼の武技は燦然と冴え
渡っている。
やがて戦局に変化は起きた。ローランの攻撃対象がアイアス一人に絞られたのだ。
まず楯を毀す。それが勝利への最短ルート。ローランは考えるまでもなく本能でそ
う認識した。
重たく鋭い苛烈なまでの攻勢を、苦痛に顔を歪めながらもアイアスが全霊を以って捌
いていく。
ロ ー ラ ン の 狙 い な ど 彼 女 は す ぐ に 理 解 し た。そ の 上 で 真 っ 向 か ら そ の 挑 戦 を 受 け
取ったのだ。
││上等だ。毀せるモノなら毀してみろ。
二人を護る楯として、アイアスは絶対に負けないと意を決した。
戦いは続く。自らの信念を貫き通す為に、そして自らが護りたいモノを護る為に。
◇
エミヤはその姿を千里眼で視認した瞬間、呆れるあまり思わず嘆息していた。
視線の先では二人の英雄が荒々しく武勇を競い合っている。苛烈なる猛攻が何度と
なく繰り出される度に、地形さえも容易く歪んでいた。
二人の内の片方は呂布である。そして、問題なのはもう片方だ。
エミヤはもう一度嘆息した。どこで召喚されてもあの顔があるのだ。いい加減うん
ざりしてしまうのは不可抗力だろう。とはいえ、心強いのは確かである。
﹁私 と し て は い い 加 減 見 飽 き て し ま っ た 顔 だ が な。と こ ろ で ジ ャ ン ヌ・オ ル タ た ち も
﹁クランの猛犬と来たか。それは頼もしい限りだ﹂
たのも奴だろうな﹂
﹁孔明、呂布と交戦しているのはクー・フーリンだ。恐らく、昨日ヘクトールを抑えてい
第16節:聖騎士包囲網
319
ローランとの交戦に入ったぞ。呂布を抑える予定だったアイアスもそちらに合流した
ようだな﹂
孔明がきっぱりとエミヤの提案を突っぱねた。
﹁絶対出るな﹂
必要はあるまい﹂
よれば彼女はカサンドラとパスを繋いだのだろう
﹁ところで孔明、そろそろ私も前に出るべきだと思うのだが マスターからの連絡に
ラフだと苦笑していたが。
その間に孔明はあらゆる策の下準備をしたいようだ。もっともその九割がただのブ
止めをさせている。
させていない。いまは進軍してくるトロイア軍に対し、全軍で矢を射かけさせ、その足
突出してきた呂布にいきなり百人以上の犠牲を払わせられたが、敵本隊はまだ近づけ
幾人もの伝令が復唱し、それからひた走っていく。
﹁各部隊に伝令だ。陣形を通常の鶴翼まで縮めろ﹂
眉間に皺を寄せる孔明が、傍で控えさせてた兵たちに下知を飛ばす。
ファンを吹く余裕はないだろう。⋮⋮絶対撃たせるなよ﹂
﹁よし、ならばこれで対城宝具が撃たれる心配はないな。三人がかりならば、流石にオリ
320
?
ならばもう、魔力消費を気にする
?
﹂
﹁⋮⋮そうは言うがな、こちらに戦力を出し惜しむ余裕があるのか
﹁では逆に訊こう。そのボロボロの魔術回路で何ができる
﹂
?
しめていた。
反論の余地もない指摘だった。自分のあまりの無力さに、エミヤは知らず両手を握り
﹁⋮⋮っ﹂
?
う
触覚も薄いのだろう
こ
こ
そんな状態でもう一度投影を行えば、今度こそ完全に魔
?
で、果たしてアルケイデスとヘクトールを退けられるかどうか。鍵はカサンドラと、そ
それに何より、イデ山のマスターたちもエミヤは気懸かりだった。あちらの戦力だけ
に足りていないのだ。
た。戦場に立てるとしても今夜か明日となるだろう。つまりアカイアの戦力は決定的
片腕を失ったディオメデスも、軍医であるマカオンからドクターストップを出され
していられなかった。
やはり、反論の余地はない。だが勝敗が決するかどうかの瀬戸際なのだ。じっとなど
お前は絶対戦うな﹂
術回路がイカれるぞ。分かったのなら本陣で大人しくしていろ。神経が回復するまで
?
とはいえ、そこまで魔術回路を酷使する奴があるか。まだ片目の視力は死んだままだろ
﹁エミヤ、お前が昨日やった無茶には本当に眩暈を覚えたんだぞ。アルケイデスが相手
第16節:聖騎士包囲網
321
322
してアキレウスとなるだろう。
エミヤは戦場を見つめ続けた。いよいよ両軍が直接ぶつかり合っている。士気で劣
るアカイア軍が、やはり圧しきれていないように見えた。
無力感は際限がなかった。自分の手が、かつての無力だった頃の自分の手のような錯
覚さえあった。
胸の中では苦痛と吐き気と遣る瀬無さが混ざり合っていた。込み上げてくるナニか
に、エミヤは必死に耐えていた。
耐える。いまのエミヤには、それしかできない││
キレウスが戦闘に参加できればこちらは極めて有利になる。
とにかく持久戦で時間を稼ぐ。その間に、アキレウスの回復を待つという算段だ。ア
ンジャーのカサンドラはカサンドラ自身が迎え撃つ、という布陣だ。
マシュと小次郎がアルケイデスを抑え、パリスがヘクトールを抑える。そしてアヴェ
と言っても、ただの最終確認に過ぎない。戦闘における手筈は既に決めてある。
中でわたしたちは、作戦会議を行っていた。
いるけれど、雨が降っているわけでもないのでいまは特別問題はない。
隠れるようにあるという、かつてのパリスの家屋だった。寂れていて屋根に穴が空いて
オイノネさんとまだ治りきっていないアキレウスを連れて向かった先は、山の中腹に
ては不利と判断したからだ。
それに際して、わたしたちは山の麓の小屋から場所を移していた。迎え撃つ位置とし
攻めてくるという。
そろそろ正午だった。パリスの話では、もう間もなくヘクトールたちがこのイデ山に
第17節:兄弟の死闘
第17節:兄弟の死闘
323
324
アンドレアス・アマラントス
なぜならアルケイデスの攻撃は、もうアキレウスには踵を除いて効かないからだ。
ゴッデス・オブ・ウォー
アキレウスの踵以外を護る神の祝福、〝 勇 者 の 不 凋 花 〟は神性を持つ者でなければ、
あるいは神造兵装による攻撃でなければ突破できない。
神としての己を捨て去ったアルケイデスに神性はない。彼は〝 戦 神 の 軍 帯 〟という
宝具から神性を無理矢理引き出していたらしい。アキレウスに彼の攻撃が通っていた
のはその為だ。
とはいえ昨日の戦いで、その宝具を失っていると孔明からの報告が来ていた。
対し、アルケイデスの護りは〝神獣の裘〟。これは人類の道具を拒絶する能力を持っ
ている。
人類の道具を拒絶する。それなら話は簡単だ。武器なんか捨てて素手で戦えばいい。
体術の心得があるアキレウスならば、アルケイデスが相手でも打撃を決めていけるだろ
う。何せ相手の攻撃などほとんど気にする必要もないのだから。
とにかくだ。二度目にアキレウスがアルケイデスと戦えば、十中八九勝てるだろう。
無論、相手は最強の英雄。簡単に下すことはできないだろうけれど。
⋮⋮不安はあった。徐々に回復へと向かっているとはいえ、アキレウスの顔色はまだ
まだ悪い。彼が戦えるようになるまで、パリス曰くまだ時間が要るらしい。
それまで、こちらが耐えきれるかどうか。ヘクトールもそうだし、やはり何より、ア
第17節:兄弟の死闘
325
ルケイデスこそが大きな壁だ。方策は立ててあるけれど、それでうまく行くかどうか。
首を振る。もう、悩んでいても仕方がない。ここまで来たのなら腹を括るしかないだ
ろう。
いまわたしたちが打てる手は全部打った。わたしが溜め込んでいた竜の牙は、全てカ
サンドラに提供した。あちらのカサンドラ││アヴェンジャーが引き連れてくるであ
ろう竜牙兵に、充分対抗できるだけの竜牙兵は用意できた。
山の中も、既にトラップだらけである。カルデアで待機していた切嗣さんの通信越し
の指示の下、小次郎とパリスとカサンドラが早朝から設置してくれたのだ。カサンドラ
が用意した魔術的な罠と、カルデアからサークルを通して転送されてきた地雷などであ
る。
ちなみに地雷といっても、普通の対人地雷とは一味違う。これは切嗣さんの依頼でダ
ヴィンチちゃんが作ってあった対サーヴァント用の地雷である。〝神獣の裘〟で守ら
れ て い る ア ル ケ イ デ ス に は 通 用 し な い か も し れ な い し、予 知 能 力 を 備 え る ア ヴ ェ ン
ジャーには事前に見抜かれるだろう。けれどヘクトールは別だ。注意深い彼もその罠
のほとんどは看破するだろうけれど、パリスとの戦闘中なら踏み抜く可能性は多少なり
ともあるはずだ。
そして山一帯も、カサンドラが簡易的にだけれど神殿化済みだ。味方に対して若干の
﹂
ステータスのプラス補正を、逆に敵に対しては若干のステータスのマイナス補正を与え
る。まるで柳洞寺の如き空気よな、とは小次郎の言葉だ。
ヘクトールと⋮⋮お兄さんと本当に戦える
﹂
﹁いや、だって、兄弟で殺し合うなんて⋮⋮﹂
﹁そうなんだ⋮⋮パリスがそれで納得してるなら、わたしがとやかく言うことじゃない
ワクしてるんだ﹂
いまのボクを兄さんに見てほしい。兄弟で殺し合うってのに、ボクはこれ以上なくワク
いったいどれだけ兄さんに通用するのかってね。それを試してみたくてしょうがない。
﹁むしろ、正直ちょっと楽しみなんだ。いまのボクが、甘さを捨てられたいまのボクが、
そう言って、パリスは小さく笑った。
とじゃないんだ。⋮⋮というか、むしろね﹂
別に互いに恨みや憎しみを懐いているわけじゃない。だからこれは、特に悲嘆すべきこ
兄さんと殺し合うわけだけし、敵対する以上は殺意をぶつけ合うことになる。でもね、
﹁あぁ、そういうこと。心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。確かにいまから
?
あと、懸念があるとすれば││
﹁パリスは大丈夫⋮⋮
あ、うん、戦えるけど
?
どうして、と不思議そうにパリスが首を傾げた。
﹁え
?
?
326
のかな﹂
﹁ま、とはいえ兄さんがボクを殺したら、ちょっとは気にしてくれるかもしれない。││
だから、ボクとしては負けるわけにはいかないな﹂
真剣な面持ちで、パリスが決然とその言葉を口にした。
ドラも、罠の位置はちゃんと頭に入ってるかい
﹂
﹂
未来予知の過度な使用は、
﹁と、そろそろ時間だね。みんな配置に着こうか。小次郎くんもマシュちゃんもカサン
﹁応さ、自分らで仕掛けたのだ。当然把握しているとも﹂
﹁はい、私も問題ありません﹂
﹁私の場合は、予知があるので大丈夫です﹂
脳への負担が大きいんじゃない
﹁⋮⋮カサンドラ、あんまりそれに頼り過ぎちゃだめだよ
﹂
に何通りもの未来を観測していた時などは、それが顕著だった気がする。
パリスの言う通りだった。予知をする度に、カサンドラは疲れた様子だったのだ。特
﹁バカ、みんな、もしかしたらって程度には気づいていたよ﹂
首を傾げるカサンドラの額を、パリスが軽く小突いた。
?
?
?
パリスの言葉にカサンドラが驚きで眼を見開いていた。
?
﹁⋮⋮私、そんなこと言いましたっけ
第17節:兄弟の死闘
327
ほら、一応ボク、キミのお兄ちゃんなわけだし
﹂
﹁状況が状況だ。キミの力は当てにするしかないけどさ、それでも、弱音の一つはボクに
吐いてくれてもいいんじゃない
?
?
﹂
?
いらしくて、ついつい笑みが零れてしまう。
?
羞恥からか、カサンドラが逃げるように家屋を後にした。
﹁そう、ですね。では、その⋮⋮機会を見て。⋮⋮私も、もう行きますね﹂
﹁いいと思うよ。本人がそう呼んでほしいみたいだし、呼んであげたら
﹂
顔を赤くして恐る恐るとそんなことを訊いてくる。その上目遣いの仕草が妙にかわ
うか⋮⋮
兄さんなんて呼ぶのは、恥ずかしいというか⋮⋮いまさらそう呼んでも、いいのでしょ
﹁いまのパリスは、すごく頼りになると思ってます。だけど、その⋮⋮いまさらいきなり
カサンドラが呟くようにぽつりと言った。
﹁⋮⋮実際のところ﹂
部屋の隅に立てかけてあった弓を腋に手挟んで、パリスが一人外へと出た。
わけね。⋮⋮それじゃあ、先に行ってるよ。最初の牽制もボクの役目だからね﹂
﹁できれば兄って呼んでほしいんだけど⋮⋮まだ、そう呼べるほどの甲斐性はないって
カサンドラの呟きに、パリスが肩を竦める。
﹁パリス⋮⋮﹂
328
﹁マスター、一つよいか
﹂
あ、うん、どうしたの
もしかして、やっぱり罠とか気が乗らないかな⋮⋮
﹂
?
不意に小次郎が言った。
﹁え
?
?
﹂
?
だからわたしも、真剣に彼の言葉に耳を傾けなくてはならないだろう。
見つめている。
飄々とした雰囲気はなりを潜めていた。小次郎はひたすら真摯な眼差しでわたしを
け述べてもよいか
﹁││だがまぁ、この護り刀にも、もし我が儘が許されるのならば、いまのうちに一つだ
﹁そっか。ありがとう﹂
よ。ゆえに案ずるなマスター。この小次郎、そなたの采配には異論なく納得している﹂
﹁確かに、好む手ではないな。だが、侍にも兵法というモノがある。戦に計略はつきもの
?
そこを小次郎は、みんなの為に折れてくれたのだ。それもまた良しと笑いながら。
り本音を言えば不服だったのだろう。
なるほど、という申し出だった。あの時、呂布との一騎打ちを邪魔されたのは、やは
せてもらいたい﹂
﹁では、次に私が呂布と邂逅せしめた暁には、今度こそ余念なく奴らとの果たし合いをさ
﹁うん、言ってみて﹂
第17節:兄弟の死闘
329
﹁わかった。今度こそ、邪魔はしないし、邪魔はさせない﹂
﹁ていうか、それだけでよかったの 前にみたい今度月見に付き合えって言うのかと
﹁そうか。恩に着るぞ、マスター﹂
330
﹁うんっ、いいかもそれ。絶対行こうね
・
・
﹂
・
・
・
・
・
・
・
﹁⋮⋮私に、できるでしょうか。真名解放は問題ありませんが、そこから攻撃に転じるの
だ。
額には大粒の汗。返す言葉は振り絞るように紡がれた。やはり喋るのもまだ辛いの
﹁おう⋮⋮俺の代わりに、そいつでアルケイデスに借りを返してきてくれ。マシュ⋮⋮﹂
寝台に横たわるアキレウスへと、〝蒼天囲みし小世界〟を抱えるマシュが言った。
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
﹁││それではアキレウスさん、この楯はお借りします﹂
・
雅に笑い、鞘に納めた刀を肩に背負い、小次郎も家屋から出ていった。
なに、時間はきっちり稼いでくるさ﹂
﹁うむ。では私も戦に赴くとしよう。あの大英雄の相手は些か以上に骨が折れるが││
!
としゃれ込むか﹂
﹁ほう、それはいい。ではこの特異点での戦いが終わったら、皆で京都にでもレイシフト
けど﹂
思った。お酌くらいならするし、甘酒かノンアルでいいなら、わたしでもと思ったんだ
?
は私には無理そうです﹂
﹁そうか⋮⋮やっぱり完全に使いこなすには至らないか。クラス相性がいいから、もし
かしたらとも思ったが⋮⋮まぁ、無理なら仕方ねぇよ。とりあえずそいつで普通にぶん
殴るだけでも、神獣の裘は突破できるはずだ﹂
気負いしたような表情でマシュが頷く。
そんな彼女にアキレウスが言葉を続ける。
確かに、楯は攻撃にも使えますが⋮⋮﹂
﹁⋮⋮いいかマシュ、楯とは武器だ﹂
﹁武器、ですか
を防ぐことで攻め続けろ﹂
うが、守りもまた攻めを兼ねているんだよ。だからマシュ、お前はアルケイデスの攻撃
護り、敵の攻撃を阻むことで、敵の心を挫く武器なんだとさ。攻めは守りを兼ねるとい
﹁いや、楯は武器なんだ。これは俺の従妹の受け売りの言葉なんだがな。楯とは味方を
?
笑顔で告げた。マシュもまた笑顔で決然と頷き返し、家屋を最後に後にした。
﹁うん、頑張って。マシュならアルケイデスにもきっと勝てるよ﹂
﹁それでは先輩、私も行って参ります﹂
笑みを浮かべてマシュが言った。表情の不安げな色は、もう既に拭い去られていた。
﹁アキレウスさん⋮⋮はい、わかりました﹂
第17節:兄弟の死闘
331
﹁⋮⋮ありがとう、アキレウス。マシュを激励してくれて﹂
言いながらわたしは、彼の額の濡れタオルを交換した。
﹂
魔術でバックアップとか、令呪でサポートとか、でき
ることが少しくらいはあるんだろ
?
﹁あれ、寝てて聞いてなかったんだっけ わたしは外出ちゃダメだってさ。外出たら、
?
アンタは行かなくていいのか
﹁マシュは、俺の従妹に似ててな⋮⋮ちょっと放っておけなかったんだ。⋮⋮それより、
332
正直悔しい。けれどその悔しさに耐えることが、いまのわたしにできる数少ないこと
なるのだから。
だから今回、わたしは戦場に立ってはいけない。それはみんなの足を引っ張ることに
甘んじて受けるのだ。
なった彼は、目的の為に手段など選ばない。勝利という名目の為には、卑怯者の謗りを
もっとも、アルケイデスだってそれは問題なく可能なはずだ。けれどアルケイデスと
だから。
をせずとも自らの最強の武を以って、真っ向から敵サーヴァントを下すことができるの
ヘラクレスであれば、マスター殺しなど率先してやることはないだろう。そんなこと
﹁そうか⋮⋮﹂
アルケイデスに射殺されちゃうみたい⋮⋮﹂
?
だった。
あとはもう、みんなを信じるしかない。自分にもできることをしながら、みんなを信
じて待っているしかない。
外に出てはいけない以上、わたしはここでアキレウスの看病をするしかないのだ。
不意に遠くから間断なく爆音が響いてきた。山全体が振動している。その揺れは、ま
るで収まる気配がない。
家屋の壁の穴から外を眺めてみると、山の麓からレーザーめいた幾つもの矢が殺到し
て来ていた。
それを同じく、レーザーめいた幾つもの矢が悉く迎撃している。
アキレウスが呟く。その表情はやはり苦しげだ。それは体調のあまりの悪さでもあ
﹁始まったか﹂
るだろうし、何より焦燥感がその顔色を支配していた。
﹂
?
深呼吸をして、アキレウスが瞼を下ろした。
﹁⋮⋮そうだな、一刻も早く治す。それが俺の戦いだ﹂
﹁いいからリラックスして、安静にしてて。それがきっと、貴方の戦いだよ﹂
﹁気にするなって、それは無理がないか
﹁アキレウス。外のことは、いまは気にしないで。きっと体によくないよ﹂
第17節:兄弟の死闘
333
334
わたしも寝台の横に椅子を置き、腰を下ろした。気にするなと言った手前、わたしも
また焦ってはいけない。
マスターとは大将なのだ。動じることなく、わたしもまた待っているしかない。
こうして、それぞれの戦いの火蓋はついに切られたのだ。
◇
およそパリスほど、ヘタレと呼ぶに相応しい英雄はいないだろう。
その臆病ぶりはイリアスにおいて明確に描かれているほどである。身内に寛容なヘ
クトールでさえ、弟のあまりの情けなさに呆れて厳しい罵倒を浴びせたことすらあった
のだ。
事実、パリスは臆病者である。もしサーヴァントとして召喚された場合、マスターか
答えは││││否だ。
ら視える固有スキルの項目には怯懦:Aと明記されていることだろう。
では、果たしてパリスは弱いのか
アルケイデスの矢はその命中精度も然ることながら、何よりその威力こそが常軌を逸
群れは、上流へと遡る濁流の如き勢いで押し寄せてきた。
眼下より迸る閃光に際限はない。一撃一撃が並の宝具を凌駕するほどの威力の矢の
?
している。矢の力強さでは、パリスはアルケイデスに及ばない。されど、
﹂
!
こと弓術に限ってのみ大英雄と互角以上に戦えているのは、その身に憑依している太陽
無論、パリスは自らの才能だけでアルケイデスと渡り合えているわけではない。彼が
パリスは、閉じていた天稟が全て開いている。
だが彼の心の弱さはヘクトールと共に死んだのだ。そして甘さを捨て去ったいまの
困難に、運命に立ち向かう覚悟を持つことができなかったのだ。
まりにも甘く、致命的なまでに勇気が欠けていたからだ。彼はいままでずっと強者に、
確かにかつてのパリスは真実取るに足らない雑兵だっただろう。彼は戦士としてあ
その身が秘めたるポテンシャルは決して兄にも引けを取らない。
して、兜輝くヘクトールの弟だ。そして何よりも、いずれ彗 星を撃ち落とす英雄である。
アキレウス
││そう。パリスが弱いわけがないのだ。なぜなら彼は勇壮なるトロイアの男児に
駕していた。それは彼我の射撃戦を拮抗させるほどの力である。
矢の威力自体は劣っている。だが速射性に限って言えば、パリスはアルケイデスを凌
ほどの矢を以って迎撃し尽くす。
アルケイデスが放った矢の全てを、パリスは十倍近い物量││視界全てを黒く塗り潰す
一呼吸の間に二十の矢を瞬時に放つ。それを休む暇なく繰り返した。それによって
﹁フ││││ッ
第17節:兄弟の死闘
335
神アポロンの影響も多分にあった。
パリスの速射の才覚を十全に発揮させているのは、アポロンが彼へ授けた〝弓矢作成
〟のスキルの恩恵があったればこそだ。それによってパリスは矢を放った直後、間髪入
れず弓を引くだけで次弾を放てる。
﹄
ゆえにその連射は最早対軍宝具の域にあり、東方の大英雄にすら匹敵するモノだっ
た。
﹃パリス、兄さんの投擲が来ます
﹁││っ﹂
﹂
!
ど論外だと。冷静さを失ってはならないと。
カサンドラの優しげな声音にパリスははっとした。ここで自分がパニックに陥るな
﹃落ち着いて、パリス﹄
などを常人よりも受けやすい。
外れて臆病なままだ。それは一種の危機回避スキルとしても機能していたが、敵の威圧
その衝撃に思わずパリスの口から悲鳴が漏れた。甘さを捨てられたとはいえ、彼は並
﹁ひぃっ
石めいた投擲槍が着弾する。
妹の念話越しの警告に、パリスは即座に跳躍した。直後、さっきまでの射撃位置に隕
!
336
﹁すまない、カサンドラ。もう、大丈夫だ﹂
深呼吸をして弓を構え直す。山の麓から迫りくる矢の群れを、パリスは再度迎撃す
る。
先刻同様、アルケイデスの射撃を相殺し尽くし、そのうえでパリスは山の麓の彼らへ
と矢を豪雨の如く降らせ続けた。
だが当然、それにほとんど効果などありはしない。ヘクトールには造作なく弾かれ、
〝神獣の裘〟を纏ったアルケイデスにはそもそも通用しない。アヴェンジャーはとい
うと、しっかりアルケイデスの後ろに隠れているのだ。
﹂
だがそれでもパリスは迎撃と反撃を繰り返した。作戦目的はとにかく時間を稼ぐこ
とである。
!?
込めた矢をパリスは弓へと番えた。
思考はどこまでもクリアに。アポロンの力を最大限まで引き出し、有りっ丈の魔力を
除した。
湧き上がる死への恐怖。それをパリスは懸命に押さえ込み、雑念を全て頭の中から排
光がパリスへと殺到してきた。
山の中腹にいながらも感じられる厖大な魔力の発露。次の瞬間、山の麓から九つの閃
﹁││って、この魔力は
第17節:兄弟の死闘
337
ト
ロ
イ
ア
ス・ ポ
イ
ボ
ス
ナ イ ン ラ イ ブ ス
そして眼前まで迫った九つの閃光、ほとんど一つへと重なった〝射殺す百頭〟に向け
て放ち、
ロ
イ
ア
ス・ ポ
イ
ボ
ス
﹃ええ、こちらでも把握しています。ではパリスは引き続き狙撃をお願いします。アル
﹁カサンドラ、兄さんたちが山の中に切り込んできた﹂
からだろう。
それでも進撃を決意したのは、麓からの狙撃ではパリスを仕留められないと判断した
しているはずだ。
サンドラによって簡易的ながらも神殿化され、罠が張り巡らされていることは重々承知
彼らからすれば、できればイデ山に踏み込むことは避けたかっただろう。イデ山がカ
山の麓に動きがあった。ようやくヘクトールたちが山の中へと踏み込んできたのだ。
用はすぐにはできないだろうが、ともかく最初の危機は切り抜けたのだ。
上手くいった、とパリスは安堵の息を大きく吐いた。疲労感は著しいし、宝具の再使
たらす威力もまた絶大だった。
射抜く一撃であり、それは人類最速の英雄をして回避不能の光速の一矢。その速さがも
これこそがパリスの対人宝具、〝彗星堕とす護国の閃珖〟。いずれアキレウスの踵を
ト
眩いほどに煌めいたパリスの矢が、大英雄の奥義を死の寸前で弾き逸らした。
﹁││││〝彗星堕とす護国の閃珖〟﹂
338
ケイデスの矢を迎撃しつつ、狙いは兄さんに絞ってください﹄
パリスの独り言を、しかしカサンドラは遠方からつぶさに拾っていた。すぐに念話で
返答がもたらされた。
﹁オーケー、了解だよ﹂
﹃マシュさんと小次郎さんにも戦闘準備に入ってもらいます﹄
﹁ボクも大変だけど、二人も大変だよねぇ﹂
﹃ここが正念場です。頑張りましょうね⋮⋮兄さん﹄
不意な言葉に、思考が一瞬停止した。その間に念話は終了していたらしい。妹のシャ
﹁││││﹂
イな一面に、パリスは溢れんばかりの愛おしさを感じてしまう。
だがそれも長くは続かなかった。パリスの耳は僅かに剣戟の音を聞き咎めた。
して、反撃の矢を放ってくる。
そこへ向けて再度矢を降り注ぐ。それによってアルケイデスもパリスの位置を特定
すぐに割り出せた。
山全体を遠見で俯瞰しているカサンドラとの視覚共有から、ヘクトールたちの位置は
嬉々とした笑みを浮かべながらパリスは山林の中を駆け下る。
﹁兄さんと来たか⋮⋮そっか、それじゃあ、頑張らないといけないかな﹂
第17節:兄弟の死闘
339
わ
た
し
ドゥ リ ン ダ ナ
胸に去来した感情は様々だった。込み上げてくる想いは、涙腺を緩ませそうになる。
峙した。
ヘクトールの呼びかけに、足がとまる。パリスはついに、死したはずの兄と眼前で対
﹁パリス﹂
飛び退り、それも辛うじてパリスはやり過ごした。
り下ろしてくる。
ヘクトールが跳躍した。パリスの眼前に躍り出ると、頭上から〝不毀の極槍〟 を振
ところで回避する。
ただの石が魔弾めいた速度で迫りくる。持ち前の動体視力で、パリスはそれを寸での
ヘクトールは避けながら石を拾い、それをパリスへと投擲してきた。
それに対し、パリスは木々の間を横合いに駆け巡りながら矢を放っていく。
リスの方へと疾駆してきた。
即座に気づかれ、〝不毀の極槍〟で容易く切り払われている。瞬間、ヘクトールがパ
ドゥ リ ン ダ ナ
だった。すぐに矢を射かける。
カサンドラの念話と同時に、パリスもヘクトールを肉眼で捉えた。躊躇は一瞬だけ
ます﹄
﹃二人がアルケイデスとの戦闘を開始しました。私も、アヴェンジャーとの交戦に入り
340
それを堪えて、パリスは薄く笑って言葉を返す。
﹁久しぶりだね、兄さん﹂
をしている。いまのお前なら、確かにアキレウスを仕留められるかもしれない﹂
﹁ああ、久しぶりだ⋮⋮それに随分と見違えたモノだ。ヘタレていたお前が、いい面構え
感慨深そうにヘクトールが言った。彼にしては珍しく何も取り繕うことなく、その本
心を曝け出していた。
﹂
﹁うん、倒すよ。いまのこの異常を元通りにした後、改めて兄さんの仇は取ってみせる
さ﹂
﹁兄想いの、いい弟を持ったよ。俺は﹂
﹁それで、わざわざ声をかけたのはなんでなのさ
訊いておきたいことがあったんだよ﹂
﹁久しぶりに弟と話してみたかったってのはあるさ。だがまぁ、アレだ。幾つかお前に
?
﹁そうだな。じゃ、まずはお前ら、トロイアに戻る気はないのか
﹂
それは降伏勧告とも取れる言葉だった。無論、パリスは降るつもりなどない。けれ
?
を稼ぐのに持って来いでもある。
兄と語らえるのは、パリスとしても本望だ。そして打算的な話をすれば、会話は時間
﹁うん、いいよ。他ならぬ兄さんの質問だ。答えられることならなんでも答えよう﹂
第17節:兄弟の死闘
341
ど、とりあえずいまは迷ったような素振りを見せる。
﹂
いたトロイア兵は、躊躇なくボクに斬りかかってきたけれど
かそういう扱いなんじゃないのかな
?
?
﹂
?
?
﹂
?
?
ぬまで、変わらず愛し抜くよ。でも、それでもボクは、やらなきゃいけないことがある
きにさせられた彼女を捨てるなんて、そんなことできるわけないだろ。彼女はボクが死
﹁いや、そんなつもりは断じてないよ。アフロディーテの魅了によってボクのことを好
で攫ってきておいて、まさか捨てるのか
﹁オイオイ、お前がトロイアに戻らなかったらヘレネーはどうするつもりだよ 自分
﹁そっか。でも、遠慮しておこうかな。カサンドラも、戻るつもりはないと思うし﹂
由もなくなるだろうさ﹂
﹁⋮⋮カルデアとアカイアに協力するのをやめてトロイアに戻ってくるのなら、殺す理
ヘクトールが言葉を詰まらせた。けれどそれも一瞬だった。
よね
﹁なるほどね。じゃ、カサンドラは アヴェンジャーは、カサンドラを殺そうとしてる
お前が正気に戻りさえすればな﹂
﹁オリンポスの神に狂わされたってことで通してある。まだ戻れるっちゃあ戻れるぜ。
?
ボク、もう裏切り者と
﹁そうだね⋮⋮戻る戻らない以前に、いまさら戻れるの 昨日、カエサルが引き連れて
342
からね﹂
﹁⋮⋮そうまでして、世界を救いたいか。⋮⋮いや、いいさ。それは立派な選択だよ、パ
リス。お前の行動は英雄的だ。だが││﹂
ヘクトールがパリスを睨みつけて言葉を続ける。
たはずだぞ。だというのに、お前はトロイアを滅ぼすのか
﹂
﹁それは、国を背負った者の取っていい選択ではない。俺の死後、トロイアはお前に託し
﹁うん、トロイアを滅ぼすよ﹂
?
﹂
パリスの即答に、ヘクトールが哀しそうに表情を落とす。
﹁お前は、トロイアを愛していなかったのか⋮⋮
?
ロイアを愛しているし、いまでもトロイアの為に戦っているよ﹂
﹁⋮⋮兄さん、一つ誤解があるみたいだから訂正するよ。ボクはね、いまでも変わらずト
﹂
?
はっきりと告げる。
・
・
・
・
・
・
・ ・ ・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
なぜ、トロイアを滅ぼすことが、トロイアの為になる
?
﹁ボクはね││││トロイアの為に、トロイアを滅ぼすんだ﹂
﹁⋮⋮どういうことだ
?
﹁⋮⋮そっか。兄さんは、わからないのか﹂
﹂
わけがわからないと言いたげな怪訝そうな表情のヘクトールに、パリスは意を決して
﹁なに⋮⋮
第17節:兄弟の死闘
343
その自覚のなさが、パリスは少しだけ哀しかった。
兄さんはもう死んだんだよ
死んだ後まで、国に殉じることはないと思うけど
﹂
?
?
しにできるわけがない﹂
?
﹂
?
たよ。あれこそが、俺が本当に護りたかったものなんだ⋮⋮﹂
﹁パリス。俺が二日前アカイアを打ち破って凱旋した時、トロイアは笑顔に包まれてい
ヘクトールもまた、表情を殺して〝不毀の極槍〟を構える。
ドゥ リ ン ダ ナ
﹁⋮⋮分からないな。俺には、お前の言っていることが分からない﹂
パリスは決然と弓に矢を番えた。
る。兄さんのやろうとしていることは、絶対にトロイアの為にはならないんだ﹂
﹁⋮⋮そうか。ならやっぱり、ボクは兄さんを止めるよ。兄さんは、絶対に間違ってい
﹁ああ、その大罪を、俺が全て背負ってでもだ﹂
﹁その大罪を、兄さんが全て背負ってでも
﹁ああ、それで代わりに世界が滅んでもだ﹂
﹁それで、代わりに世界が滅んでも
﹂
ない。彼らは、〝いま〟を生きている。未来で滅ぶからといって、〝いま〟、彼ら見殺
﹁この地で、この時代で召喚された以上は、トロイアの滅びを見過ごすことは俺にはでき
?
﹁じゃあボクからも訊くけどさ、どうして兄さんはトロイアを救おうとしているのさ
344
││ああ、知っている。そんなことは、パリスだって狂おしいほどに解っている。そ
れでも、引き下がるわけにはいかないのだ。それはトロイアの為であり、自分の為であ
り、妹の為でもあり、兄の為だ。
お前は、俺の敵だ⋮⋮
﹂
ヘクトールの目つきが変わった。弟を見る親愛のそれから、敵を見る冷徹なモノへと
転じていた。
﹁俺の邪魔をするというのなら、パリス
!
﹂
けれど、それを無理矢理抑え込む。パリスもまた、油断なく兄を見据えた。
い恐怖が湧いてきた。
その言葉に肌が粟立つ。兄に本気の殺意をぶつけられ、パリスの内心にそこはかとな
!
!
実力差は明白だった。だがパリスはヘクトールの手の内を知り尽くしている。山中
ながら矢を射かけた。
矢を防ぎながら強引に接近してくるヘクトール。対しパリスはひたすら距離を作り
るロジェロが持っていた楯だと眼を見開いたことだろう。
その楯もまた宝具だった。ローランやアストルフォが見れば、ヘクトールの子孫であ
で手繰る〝不毀の極槍〟で捌きつつ、左手に出現させた楯を以って防いでいく。
ドゥ リ ン ダ ナ
宣言と同時に一息で二十の矢を撃ち込んだ。予期していたヘクトールが、それを右手
﹁ああ、それでいいよ。ボクもトロイアの為に、兄さんを倒す││ッ
第17節:兄弟の死闘
345
346
のトラップも利用することで、どうにかその猛攻を紙一重で捌き続けた。
兄と殺し合っている。そこに哀しみはなく、怒りもない。始まる前に会った心躍る気
持ちなど、とうの昔に凍てついていた。ただ使命感だけがパリスの体を動かし続けた。
自分は負けてはならないのだと、自分は兄に勝たなくてはならないのだと、魂が叫んで
いるのだ。
誰に邪魔をされることもなく、誰が介入できるはずもなく、兄弟の殺し合いは続く。
れ、生門、景門、開門から攻めれば生還し、傷門、驚門、休門から攻めれば痛撃を受け、
いた陣形だ。八門はそれぞれ休門、生門、傷門、杜門、景門、死門、驚門、開門と呼ば
〝八門金鎖の陣〟とは三国志演義において、曹操配下の武将曹仁が劉備軍に対して用
う名の奈落への入り口だ。迂闊に攻め込めば手痛い被害を被る破目になるだろう。
もしその陣形であるのならば、隙としか見えない八つの穴は誘いの穴であり、死とい
を過ぎったのは、〝八門金鎖の陣〟という言葉だった。
じっと敵陣の様子を見ているうちに、穴は八つあることにすぐに気づいた。ふと脳裏
た。
らけだった。それでもヴラドは嫌な気配を確かに感じ取り、全軍の攻めの手を一旦止め
いまアカイア軍が敷いている円形の陣も致命的なまでに穴だらけで、どう見ても隙だ
葛孔明だ。警戒し過ぎるくらいでちょうどいいはずだ。
必要以上にヴラドが敵軍の動きを警戒し過ぎているというのもある。だが、相手は諸
押してはいる。とはいえ、ほとんど膠着状態と言わざるを得なかった。
第18節:月の続き
第18節:月の続き
347
死門と杜門から攻めれば全滅するという。
つまりは八つの穴がそれぞれどれに対応しているのかを見極め、生門、景門、開門か
ら攻めればいいのだが││
﹁なるほど、まったく判らん﹂
開き直ったようにヴラドは呟いた。
完全にお手上げである。諸葛孔明の友人であり軍師でもある徐庶はこの陣形を容易
く打ち破ってみせたというが、八つの穴の差異など見えてこない。判別などまるでつか
なかった。
無論、徐庶は元々八門金鎖の陣が如何なるものかを知っていた為に攻略できたという
のはあるのだろう。初見のヴラドがいきなり看破できる方が異常と言っていい。
それでもカエサルならば普通に見抜けたかもしれない、とヴラドは思った。
﹂
焦る必要はない。ヴラドは息を吐き、肩の力を抜いた。
まで高めるスキルを持っているカエサルだからこそ行える作戦なのだ。
う。一見愚かとも取れる強行軍は、〝カリスマ〟と〝扇動〟という、自軍の士気を極限
もしもヴラドが強行軍を率いていれば、恐らく奇襲の段階まで士気が持たないだろ
言ってから、ヴラドは頭を振った。この配役は間違っていないのだ。
﹁やはり余が強行軍を率いるべきであったか⋮⋮
?
348
腰を据えて戦おう。予定通りじっくり絞り上げるように攻め、敵の八門金鎖の陣も、
穴には入り込まず外殻を剥がすように徐々に圧していけばいい。敵を引きつけている
間に、カエサルが背後を衝く。それでこの戦は決する。
アカイア軍には背後からの奇襲に対応する余力などない。例えカエサルの強襲が孔
明に見抜かれていようとも、最早どうにもならないのだ。
本隊からは、兵力は割けて千五百が限度だろう。それがカエサルの読みであり、ヴラ
ドも妥当だと思った数字である。それ以上の兵力を奇襲に対応させれば、今度はアカイ
ア軍の本隊がトロイア軍の本体に対処しきれなくなる。
つまり、もうトロイアはアカイアを詰む段階に入っているのだ。
それにイデ山の方の戦闘も、およそヘクトールたちが有利だろう。イデ山の方のカル
デアの戦力は、マシュ・キリエライトに佐々木小次郎、そしてパリスとカサンドラだ。こ
・
・
・
・
・
・
・
・
・
の四人でヘクトールとアルケイデスをどうにかできるとはヴラドには思えなかった。
・
あと懸念があるとすれば、それは昨日アヴェンジャーが言っていた││
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
轟音が周囲へと響いていた。もう数時間近くも打ち鳴らされる剣戟の叫びだ。
ジャーの言葉は、どうにも信じられないがゆえに。
・
│ │ そ れ を ヴ ラ ド は 鼻 で 笑 っ て 一 蹴 し た。い や、一蹴してしまったのだ。ア ヴ ェ ン
﹁いや、あり得ぬな﹂
第18節:月の続き
349
350
ヴラドはふと視線を、トロイア軍とアカイア軍がぶつかる戦場とは関係なしの側面へ
と向けた。
英雄が二人、歪に隆起した大地にて、互いの武を競い合っていた。
◇
迸る刺突は雷光そのもの。薙ぎ払いは全てを屠る風の刃だ。
クー・フーリンと呂布の死闘は留まるところを知らず加速を続け、その余波で地形を
際限なく歪めながら互いに鎬を削り合う。
ヒットアンドアウェイをあらゆる角度から間髪入れず繰り返しながら、クー・フーリ
ンが瀑布の勢いで攻め立てる。
対し呂布は牙城の如く構え、襲いかかる猛攻に苛烈なカウンターを返すことに専心し
ていた。
槍使いでもクー・フーリンの俊敏さはほとんど頂点と言ってもいい。速力で呂布は決
して眼前の男に敵いはしない。だが膂力ならば、呂布はクー・フーリンを凌駕している。
ライダーとして現界したことで以前闘った時よりもステータスが落ちているのは両者
ともに同じだが、呂布は+補正を失っただけで最高ランクの筋力を維持していた。ゆえ
第18節:月の続き
351
にまともに攻撃を加えることさえできれば、クランの猛犬と言えどそれは無視できない
痛撃となるだろう。
だからこそ、呂布は立ち回ることなく徹底して受け身に回っていた。速さで競えば分
は悪いが、力で対すれば己にこそ流れは傾くと確信しているからだ。
無論、クー・フーリンも当然それを理解していた。ゆえにまともに力でぶつかるので
はなく、己の速さを最大限活かす為にヒットアンドアウェイに徹しているのだ。
側面から刺突を放ち、だが造作なく切り払われる。即座に繰り出される反撃の薙ぎ払
いを後ろに跳躍して回避し││瞬間、盛り上がった岩の影へとクー・フーリンは身を隠
した。
戦闘を続ける毎に、大地の至るところが歪なまでに上下していた。その全ては呂布が
振り下ろした一撃一撃の余波に因るモノである。
それはクー・フーリンにとって好都合だった。盛り上がりは死角になり、足場にもな
る。彼の速さは荒れ果てた地形であろうと十全に発揮できるのだから。
岩を足場としつつ、クー・フーリンは縦横無尽に獣の如く疾駆した。呂布の認識を振
りきって視界外へと回り込み、神速を以ってその背後へと躍り出る。
ゴッド・フォース
今度こそと閃かせた必殺の刺突は││だがやはり、それを予期していたように呂布が
つつがなく軍神五兵で切り払った。
352
月面での戦いの時はバーサーカーだった為に、破壊力は甚大なれどその攻めは単調
ゴッド・フォース
だった。だがいまは違う。英雄犇めく後漢末期の戦場で培われた呂布奉先の武の神髄
は遺憾なく発揮され、クー・フーリンを苦しめていた。
や は り 何 よ り も 厄 介 な の は 六 形 態 に 変 形 す る 万 能 宝 具 〝 軍神五兵 〟 だ。数 時 間 に
ゴッド・フォース
渡って猛攻を加え続けるクー・フーリンだが、あらゆる攻撃手段の全てがいまだ決定打
を与えるに至っていない。
一見攻めにこそ有利と思える軍神五兵だが、その真価は反撃にこそあるとクー・フー
リンは見ていた。
そも六形態のうちの二つが敵の攻撃を防ぐ力を持っている。籠手化による〝打撃〟
は呂布の防御力を増大させ、敵の攻撃を受けとめ、返す特殊防御であり、〝払い〟は物
理攻撃を弾きながらダメージを返す特殊カウンター。
そこから透かさず流れるように繰り出される〝切断〟、〝刺突〟、〝薙ぎ〟の猛攻に
はケルトの大英雄をして舌を巻くほどである。
加えてさらに、対城宝具である〝射撃〟が控えているのである。いざ宝具と宝具のぶ
つけ合いになっても、大抵のサーヴァントが呂布の前に膝を屈しよう。
││ホントめんどくせぇっつーかひでぇインチキ宝具だなオイ⋮⋮
舌打ちをして、クー・フーリンが呂布の反撃を捌きながら仕切り直す。
!
乱れかけていた気息を岩の影で整え、すぐに再度疾駆する。疾走の最中、クー・フー
﹂
リンは意を決して片手で一つのルーンを虚空に刻んだ。
﹁アンサズ
﹂
通っている。いままでと違い、ダメージを無効化しきれていないのだ。
鋭い刺突に対し、呂布が苦しげに顔を歪めた。
籠手化した軍神五兵でその全てが受けとめられた。だがいままでよりも遥かに重く
ゴッド・フォース
上昇させた。そのまま切り込んで電光石火の刺突を急所に向けて連打する。
仕掛け時と見たクー・フーリンはさらにルーンを刻み、筋力とゲイボルクのランクを
対魔力も低いのだろう。
防御を誇れども、魔術に対しては軍神五兵のカウンターも巧く機能しないのだ。加えて
ゴッド・フォース
要塞の如く佇んでいた呂布が初めてその場から飛び退った。物理攻撃に対し無類の
トは、己の全てを曝け出すに相応しい難敵なのだ。
もなくライダーであるのだから、使えるものは全部使おう。何よりも眼前のサーヴァン
あぐんでいるのだから最早なりふり構っている余裕はない。ランサーでもセイバーで
戦いでルーン魔術に頼るのはクー・フーリンとしても気が乗らないが、ここまで攻め
叫びと共に燃え盛る焔が空を走る。唐突な魔術の使用に呂布が瞠目した。
﹁アンサズ
!
!
第18節:月の続き
353
ゴッド・フォース
再びルーンを刻み、火炎を迸らせた。だが呂布は、今度は跳び退ることなく軍神五兵
﹂
で無理やりそれを切り払った。
﹁フンッ
た。
││その時だった。
ピシリッ
そして、音だけではなかった。
││なんだ、いまの手応えは⋮⋮
!?
剣戟の音と共に、嫌な音がはっきりとクー・フーリンの鼓膜に響いた。
!
内心の動揺を隠しつつ、けれどクー・フーリンは心の中で愕然としていた。軍神五兵
ゴッド・フォース
屈んで辛うじてやり過ごし、次なる〝切断〟の振り下ろしをゲイボルクで受けとめ
つ。
だが呂布が猛追する。避けた先に先回りし、今度は横一線に軍神五兵の〝薙ぎ〟を放
ゴッド・フォース
紙一重のところでクー・フーリンは横に跳躍してそれを避けた。
全てを貫き穿ち、一度食らえばまともな動作すら取れなくなるのだ。
〟。魔神の如きその突きは決して後ろに躱してはいけない。殺到する衝撃波は縦列の
振り払い損ねた炎を浴びながらも、お返しとばかりに繰り出される轟々たる〝刺突
!
354
と打ち合ったゲイボルクが何かおかしい。
間断なく続く猛攻をゲイボルクで捌きながら││その都度嫌な手応えを感じながら
││クー・フーリンは一旦大きく距離を取った。
呂布を警戒したまま、クー・フーリンは己の宝具に視線を落とし││眼を疑った。
││罅、だと⋮⋮ッ
た。
││待て、まさか昨日のアレか⋮⋮
ドゥ リ ン ダ ナ
﹂
追撃することなく、呂布が開いた位置から声を張り上げた。見れば軍神五兵を、弓の
ゴッド・フォース
!
もトップクラスだろう。
折れることもないと謳われる絶世の名剣の前身であり、その強度はあらゆる宝具の中で
デュ ラ ン ダ ル
ヘクトールもまた限界を凌駕して不毀の極槍をぶつけてきたのだ。決して刃毀れせず、
ドゥ リ ン ダ ナ
無 理 も な い の か も し れ な い。ゲ イ ボ ル ク と 衝 突 し た 宝 具 は 〝 不毀の極槍 〟。そ し て
を超えた負担を強いていたのだ。
フーリンは昨日相当の無茶を敢行した。それは自分の肉体のみならず、愛槍にさえ限界
地 元 補 正 で そ の 強 さ を 最 大 限 ま で 発 揮 し て い る ヘ ク ト ー ル に 対 抗 す る 為 に、ク ー・
!?
穂先にくっきりと浮かぶ亀裂。信じがたいが、ゲイボルクは紛れもなく毀れかけてい
!?
﹁どうやら、ヘクトールとの戦いがよほどその槍に堪えていたらしいな
第18節:月の続き
355
﹂
形態へと変形させている。間違いなく、宝具と宝具の勝負に持ち込もうという魂胆だろ
う。
﹁⋮⋮ああ、どうやらそうみたいだな﹂
ゴッド・フォース
﹁ここで俺が軍神五兵を貴様に向けて撃ったらどうする
う。
﹁ほう、いいのか。貴様の背後には、アカイア軍がいるようだが
﹂
?
貴様同様、俺はただ状況を利用しているに過ぎん﹂
?
だがいまここで避けてしまえば、その瞬間アカイア軍の敗北は決まるだろう。それは
う。
別だが、後ろにいるのは全員が兵士である。戦に出ている以上は死ぬのも仕事の内だろ
本来ならアカイア軍が何人犠牲になろうと知ったことではない。無辜の民なら話は
文句などない。まったく呂布の言う通りだとクー・フーリンは素直に納得した。
﹁まさか卑怯などとは言うまいな
はっとするクー・フーリンに、呂布が悪辣な笑みを口元に刻んで言葉を続ける。
﹁││ッ
!
﹂
実に避けられる保証もないが、それでも回避行動に有利な補正が加えられることだろ
クー・フーリンには〝矢避けの加護〟がある。流石に対城宝具規模の射撃となれば確
﹁ハ、んなもん決まってるだろ。遠慮なく躱してやるよ﹂
?
356
第18節:月の続き
人理の崩壊を意味し、カルデアの少女たちに面目が立たなくなる。
それだけは駄目だ、とクー・フーリンは思考する。なんとしてでも、此度の戦いで彼
・
・
女たちを勝利に導かなくてはならないのだ。
││そうだ。オレは、北米での借りを返す為に、嬢ちゃんたちに肩入れしてるんだ。
彼女たちにとって、自分が彼女たちと敵対する前なのか後なのかは判らない。けれど
ひとまず、クー・フーリンにとっては後の話だった。
冬木で兄貴面をしておいて、後に敵に回ってしまったのだ。そういうことはよくある
ゲッシュ
ことだとクー・フーリンは割り切れるが、彼女たちはそうではあるまい。彼女たちに
とっては裏切りに等しかったはずだ。
だからこそもう一度手を貸さなくてはならない、とクー・フーリンは己に誓いを課し
たのだ。
トロイアは強い。見渡す限りの大英雄ばかりである。ここで敵サーヴァントの一人
でも討ち取らなければ、カルデアは相当に苦戦を強いられることになるだろう。いや、
・
・
・
・
・
・
いまの状況では敗北こそが濃厚だった。であればこそ、いまここで呂布奉先は仕留める
か、最低でも痛撃を与えておかなくてはならないのだ。
ゴッド・フォース
││受けて立とう。クー・フーリンは逡巡の末に、決然と投擲の構えを取った。
﹁⋮⋮いいぜ、来いよ呂布。軍神五兵を撃ってきな。オレの宝具が、貴様を斬り抉ってや
357
・
る﹂
﹂
!
﹂
!
イ・
ボ
ル
ク
﹂
!
﹂
!
れた││
迸る極大の閃光。対するは赤い稲妻と化した穿ちの朱槍。
!
拮抗する裂帛の気合いと共に、対城宝具と対軍宝具が同時に両者の手元から解き放た
﹁突き穿つ死翔の槍ゥッ
ゲ
﹁主砲発射││軍神五兵ゥッ
ゴッド・フォース
クー・フーリンが助走をつける為に呂布に向かって疾駆し、
﹁この一撃、手向けとして受け取るがいい⋮⋮
眼前の敵へと狙いを定め、呂布がかつて月で共に戦った少女の口上を口ずさみ、
トス││﹂
﹁万物は融解し、魂の純度はクォリアの地平に降りる。トゥインクトゥラ・トリスメギス
く。穂先に渦巻く紅蓮の光。それは溢れ出んほどの呪いの発露だ。
そしてクー・フーリンのゲイボルクにもまた、空気が淀むほどに魔力が凝縮されてい
凌駕せんとその輝き次第に増し、大地すらも鳴動させて轟々と唸りを上げた。
瞬間、おぞましいほどの魔力が軍神五兵へと収束していく。灯る極光は陽の光さえも
ゴッド・フォース
口元に狂喜的な笑みを浮かべ、呂布もまた〝射撃〟の構えを取った。
﹁││よく言ったぁッ
358
眩いほどの光が呂布の視界全てを焼き払いながら突き進む。
ゴッド・フォース
紅の閃光が隆起した大地を容易く砕きながら空を奔る。
衝突する二つの宝具。紅蓮の槍は軍神五兵より放たれた光に風穴を空け││││だ
が、その強度に限界が訪れ粉々に砕け散った。
││クー・フーリンは些かも動揺しなかった。この結末はある程度予測できていたこ
とだ。
だからこそ十八のルーンを使い、即座に防御結界を構築する。
結界が極大の光と拮抗する。粉砕されたゲイボルクは、しかし確かに砲撃の威力を減
衰させていたのだ。対城宝具の一撃を浴びてなお、結界は砲撃の光を後ろに逸らすこと
なく耐えきった。
ゴッド・フォース
││その結末を呂布とて予期していた。ゆえに彼は即座にクー・フーリンに向かって
疾駆する。
〝射撃〟を放ったことで軍神五兵の中心部は失われている。だがそれでも弓の部位
﹂
に対応する側面の刃は残っていた。それによる〝切断〟で、今度こそ無手のクー・フー
リンを一刀両断してみせよう。
!
呂布が轟然と軍神五兵を振り被る。無手のクー・フーリンでは、この攻撃に対処する
ゴッド・フォース
﹁クランの猛犬⋮⋮討ち取ったりぃッ
第18節:月の続き
359
・
・
・
術などあるわけがない││││││されど、
ゴッド・フォース
││剣、だと⋮⋮ッ
ク ル ー ジ ン・ カ サ ド・ ヒ ャ ン
光輝く剣の名は││
!
・
・
・
・
・
・
・
・
ゴッド・フォース
・
・
・
・
・
肩の傷から夥しい血を流し、同時に機械の部位を漏電させる。口からも吐血しなが
地を汚し、同時にクー・フーリンを返り血で赤く染めた。
かくして鮮血が舞い、決着の瞬間が訪れた。斬り抉られた呂布の胴体から迸る血は大
た。
刀身より放たれた暁の如き輝きは天へと駆け上り、蒼穹に浮かぶ白雲さえも薙ぎ払っ
の体を深々と斬り抉った。
真名を解放して神速を以って振り上げられた煌剣は軍神五兵を弾き飛ばし、呂布奉先
﹁斬り抉る死光の剣││ッ
﹂
それでも彼が信頼し、戦いで最も用いた兵装のうちの一つである。
そして、その宝具の真名が紡がれる。それは決してクランの猛犬の切り札ではなく、
その瞬間に凍りついた。
軍神五兵を振り下ろした呂布が愕然と眼を見開く。勝利を確信して浮かべた笑みが、
!?
されどクー・フーリンの右手には、暁光を纏う剣が忽然と現出していた。
﹁││その首級、貰い受ける﹂
360
ら、呂布が苦しげにしつつも笑みを浮かべた。
﹁ぐ、⋮⋮やって、くれたな。クランの猛犬﹂
番多く持ち得るクラスだ。オレの宝具が槍と戦車だけだといつ言った
﹂
﹁ゲイボルクに意識を囚われ過ぎたな、呂布奉先。いまのオレはライダーだ。宝具を一
﹁されど、負けは負けだ。言い訳はせん。お前の勝ちだ、クー・フーリン⋮⋮﹂
ない﹂
﹁とはいえ、これはテメェに二度も通じる手じゃねぇわな。一度限りの初見殺しに違い
た。であればこそ、この敗北は必然だったのかもしれない。
互いに相棒から降りて戦っていたことで、クラスの概念など呂布は完全に失念してい
?
死体同然の身でありながら、呂布は最期の矜持で倒れることなく踏み止まった。
﹁さぁ、勝者の務めだ。この首を刎ねてくれ⋮⋮﹂
﹁ああ、飛将軍の首級、確かに貰い受ける﹂
呂布の言葉に頷いて、クー・フーリンが剣を振りかぶる。
﹂
!
相応しくないわけがない。そう言わんばかりの嘶きと共に、赤兎馬が呂布の詫びの言
﹁■■■■■■■■■■■■■■■■■■■││ッ
穏やかな面持ちで紡がれた今際の際の言葉は、しかし、
﹁すまんな⋮⋮赤兎、お前の相棒として俺は相応し、く││﹂
第18節:月の続き
361
﹂
葉をクー・フーリンの体ごと一蹴した。
れた。
﹂
無防備な脇腹に蹄が容赦なく突き刺さる。クー・フーリンはものの見事に蹴り飛ばさ
﹁がふっ
!?
解した。
﹁いいのか
﹁⋮⋮﹂
俺は、負けたのだぞ⋮⋮
﹂
?
以って告げている。
ふらついた足取りで呂布が赤兎馬へと騎乗する。
﹁⋮⋮わかった。奴との再戦もある以上、生き恥を晒そう﹂
﹁クランの猛犬、この命、悪いが貴様にはくれてやれん。さらばだ⋮⋮
!
﹁赤兎馬か⋮⋮ありゃあ主思いのいい馬だな﹂
脇腹を抑えながら起き上がり、クー・フーリンはそれを追撃することなく見送った。
苦痛を堪えて呂布が叫び、赤兎馬が即座に駆け出し撤退した。
﹂
無言で赤兎馬が呂布を見つめ続けた。自分の主がお前以外に誰がいる、とその視線を
?
愕然とする呂布に赤兎馬が猛々しく嘶いた。乗れと言っているのを、呂布は正しく理
﹁赤兎⋮⋮っ
!?
362
﹂
口元に笑みを浮かべてそう呟いた彼に、二頭の愛馬が後ろから容赦なく蹴りを入れ
た。
主をなんとも思わん最悪の奴らだなテメェらは
!
その聞き覚えのある声に、彼は露骨なまでに顔を顰めた。そして振り返り、
と、不意にクー・フーリンに後ろから声が投げかけられた。
﹁││神馬であるアキレウスの馬でもなければ、それは難しいと思うがね﹂
クー・フーリンが理不尽な文句を言いながら、マハとセングレンの首を手荒く撫でた。
﹁いやもう何言ってるか全然分からねェよ。人間の言葉喋りやがれってんだ﹂
いるのだと分かっただろう。
二頭がやかましく嘶いた。見る者が見れば、それは他人の馬を褒められて不貞腐れて
﹁何しやがる
!?
﹂
﹁うわぁ、嫌な顔見たよ⋮⋮冬木││特異点F以来だな、アーチャー。それで、なんの用
だ
?
﹁たりめぇだろ。クルージンはドゥバッハと並ぶオレの主武装の一つだっつーの。主武
れたが、ゆえあってこの場に足を運んだのだった。
皮肉気な笑みを浮かべてエミヤが答えた。孔明には本陣でじっとしていろとは言わ
サー。槍術だけでなく、剣術もまた神域とはな﹂
﹁ひとまずは呂布を撃退したことを称賛しようじゃないか。いや、御見それしたよラン
第18節:月の続き
363
もしやったら使用料払え﹂
装の剣を、オレが十全に使いこなせないわけねぇだろうが。⋮⋮言っとくが勝手にコ
ピーすんじゃねぇぞ
?
﹁頼みだと
お前が、オレに
﹂
?
あってはならないのだ。彼女が死ねば、人理の修復ができなくなる。彼女は最優先で助
アとトロイアのぶつかりあいにも余裕がないが、カルデアのマスターを失うことだけは
どうやら事態は、クー・フーリンが思っていた以上に切羽詰っているらしい。アカイ
そう言って、エミヤが頭を下げた。
代わりに彼女たちを助けてやってほしい。頼む、この通りだ﹂
いところだが、昨日の戦いでまともに戦える力が残っていなくてね。すまないが、私の
ルが、イデ山にいるマスターたちの方に襲撃に向かったらしいのだ。私も助けにいきた
﹁いますぐイデ山に向かってほしい。アルケイデス⋮⋮つまりはヘラクレスとヘクトー
対しエミヤはどこまでも真摯な眼差しをクー・フーリンへと向けて言葉を続ける。
りながらの、エミヤの発言なのである。彼にとっては、気味が悪いほどの発言だった。
クー・フーリンが怪訝そうに表情を曇らせた。互いに犬猿の仲であるという認識があ
?
﹁わかった。では一つ、クランの猛犬に頼みがある﹂
﹁さっさと本題に入りやがれ。まどろっこしいのは無しにしな﹂
﹁そうか。それは残念だ﹂
364
けなければならないだろう。
ゴ ッ ド・ ハ ン ド
﹁⋮⋮承知した。嬢ちゃんたちのことはオレに任せな﹂
を装備している。ゆえに人類の道具による攻撃は全て弾かれる。人類の道具以外によ
﹁恩に着る、ランサー。アルケイデスは十二の試練を失っているが、それでもネメアの裘
る攻撃か、裘の概念に拮抗できるような宝具がなければ攻撃は通らない。気をつけてく
れ﹂
﹁ギリシャの大英雄も相変わらずめんどくせぇ防御してんなぁ。まぁ、ならルーンとこ
いつらで攻めるだけの話だ﹂
言いながら、クー・フーリンが自らの戦車に騎乗した。
﹂
?
の希望に他ならない。
ピー ス
その男はいまのアカイアに決定的に足りないモノを埋める、トロイア攻略の為の最後
を、クー・フーリンは最初から知っていた。
通に戦いが進めばトロイアが勝つが、アカイアが勝てる要因がまだ一つ残っていること
トロイアとアカイアの戦いも確かに気懸かりだが、それは頭の中から閉め出した。普
らせた。
エミヤが頷いた。それを確認して、クー・フーリンは手綱を振るって戦車をすぐに走
﹁そんじゃ行ってくる。イデ山は南東に見えるアレだな
第18節:月の続き
365
その男はいまだ盤上の外からこの戦いを眺めているのだろう。思わず呆れて笑みが
零れた。あの大英雄は、この期に及んでどちらに与するか迷っているのだ。もしあの男
がトロイアにつけば完全に趨勢は決するが、おそらくそうはなるまい、とクー・フーリ
ンは読んでいた。トロイア側のサーヴァントの面子を考えれば、きっとアカイアにつく
はずだ。
ゴ ッ ド・ ハ ン ド
だ か ら 両 軍 の 戦 い は も う 気 に し な く て い い。問 題 は や は り イ デ 山 で の 戦 い で あ る。
十二の試練が失われているとはいえ、敵はアルケイデス。そして地元補正が最大のヘク
トールだ。クー・フーリンが加勢に回ったとしても、確実に勝てるという保証などない
だろう。
目指す先は視界に小さく見える、いまも死闘が繰り広げられている霊山だ。
疾走をさらに速めた。
もう一度クー・フーリンは手綱を強く振るった。それに合わせてマハとセングレンが
﹁急げよ、テメェら。あんまり猶予はなさそうだからな﹂
366
第19節:最後のピース
カエサルと共に、五千のトロイア兵が姿を晦ませていることは孔明も把握していた。
真っ先に疑ったのは埋伏である。苛烈な攻めを見せながらも時たま軍を後退させる
ヴラドの采配からは、孔明の謀略を警戒すると同時に、誘い込ませたいという考えがチ
ラついた。孔明の傍らに立ち、別の視点を持った参謀としてついてくれた老将ネストル
も、伏兵じゃろうな、と口添えしてきたほどである。
だが孔明は、どうしても違和感を拭えなかった。カエサルとヴラドが埋伏の手を使っ
ているにしては、意外にも簡単に見破れた。巧妙に隠されているように見えて、僅かに
埋伏の気配が漏れているように感じられたのだ。それこそ、非凡の戦術家でなければ見
逃してしまう程度の匂いとして。
?
それがキナ臭いと感じた。埋伏は十中八九偽装だと、孔明は結論づけた。
││では、カエサルと五千の兵はどこに消えたのか
知らず、苦々しい呟きが漏れていた。
﹁⋮⋮側面か、もしくは背後からの強襲か﹂
第19節:最後のピース
367
隣のネストルが、まさか、と驚きに眼を見開いていた。
確かにそう思うのは無理もないだろう。孔明とて、自分でも信じがたいのだ。この快
晴が過ぎる熱気の中、荒野と砂漠の強行軍は愚策極まる。道中で兵は何人も脱落し、敵
まで辿り着いたところで戦う体力も気力も底をついていることだろう。
けれどそれはあくまで、普通の場合の話である。〝カリスマ〟と〝煽動〟のスキルを
有するカエサルならば可能かもしれない。強行軍を行ったうえでなお、アカイア軍を圧
倒できるだけの兵力と士気を保っていられる。
﹂
?
んな﹂
﹁戦場を移す。側面から移動し、挟撃を受けないように戦いを仕切り直すしかありませ
呻くネストルに、孔明は告げる。
﹁う、ぬぅ⋮⋮だがのぅ﹂
るしかありません。その後はどうするつもりですか
﹁ネストル翁、これ以上トロイア軍に押されればもうアカイアは海岸側の陣屋まで下が
になったアカイア軍はトロイア軍に散々に打ちのめされて全滅するだろう。だが││
ない。正面と背後から挟撃を受ければ、アカイア軍はもう完全に士気を失う。恐慌状態
ネストルの言葉は、およそ正しい。いまのこの状況はほとんど詰みと言って差し支え
﹁強襲ならば、もうどうしようもない。退却じゃ。これはもう退却するしかあるまい﹂
368
﹁追撃で失う兵も多いじゃろうて⋮⋮いや、だが最早それしか打つ手はあるまいか﹂
﹁兵を千五百、殿として置くしかありませんね。殿軍の指揮は、直接私が担いましょう。
なんとしてでも食い止めます﹂
﹂
ネストルが孔明の顔を凝視する。
﹁⋮⋮孔明殿、お主、死ぬ気か
どの部隊を呼び戻すかと迷っていた時、
くはない。
てはならない。だが、本隊同士の戦いから、その精鋭を離脱させることもできればした
孔明はすぐに伝令を出そうとした。強襲軍五千に対抗する為の千五百は精鋭でなく
孔明が笑みを浮かべてそう言うと、ネストルは何かに耐えるように押し黙った。
たちに未来を繋ぐために、喜んでその礎となりましょう﹂
私がここで死のうと、まだ仲間がいます。可能性はまだ潰えてはいない。私は他の仲間
﹁人理を崩壊させない為に、アカイア軍に全滅してもらうわけにはいかないのですよ。
は思いもしなかった。孔明殿に責はあるまい﹂
﹁いや、孔明殿の采配は見事じゃった。ワシはここまでアカイア軍が持ち堪えられると
﹁太鼓判を押されておいて、碌に戦えもしなかった。その責任を取りましょう﹂
?
﹁││おう、孔明殿。死にに行く気なら、俺も同行するぜ﹂
第19節:最後のピース
369
﹂
不意に溌剌とした大きな声が投げかけられた。その声の主は、片腕を失って寝込んで
いたはずの偉丈夫、ディオメデスである。
﹁軍医からは戦うな言われていたはずでは
﹂
!
デスでもヘクトールでもなくカエサルなのだ。
も強力極まりないが、それらにはまだ対抗できないこともない。一番の障害はアルケイ
カエサルさえ討てれば、まだどうにかなる可能性はあるだろう。他の敵サーヴァント
孔明はすぐに前線のディオメデス隊へと伝令を飛ばした。
孔明の言葉に気分を害した風でもなく、むしろ快活にディオメデスが大笑した。
﹁おう、そうこなくっちゃな
隻腕の貴方に無茶を言うが、どうにかカエサルと刺し違えてくれ﹂
﹁⋮⋮わかった。そこまで言うのならその命、貴方の部下と共に使い潰させてもらう。
嫌いじゃないのだ。
吐き、だが口元には自然と笑みが浮かんでいた。ディオメデスのような豪放磊落な男は
ついてくるなと言っても、間違いなく無視して同行するだろう。孔明は呆れて溜息を
ディオメデスが口元を獰猛な笑みで歪めた。
俺の麾下を連れていってくれていい﹂
﹁暇だ。戦いたくてしょうがねぇ。それより孔明殿、俺に死に場所を寄こせや。部隊も
?
370
第19節:最後のピース
371
英雄同士の個人戦でなら、カルデアもアカイアも劣勢ながらも充分持ち堪えられてい
るのだ。
けれどトロイア軍の指揮を執るカエサルには、アカイアやカルデアの誰もが対抗でき
ていない。オデュッセウスや諸葛孔明の能力をその身に宿すロード・エルメロイ2世
が、戦術家として劣っているわけでは断じてない。
けれどオデュッセウスにも孔明にも、致命的にカリスマこそが欠けていた。アカイア
軍が失った士気を、二人はどうやっても取り戻すことができないのだ。戦術家としての
実力が拮抗している以上、士気の高さがそのまま両軍の優劣を決定づけている。
この状況を覆すには、もうカエサルを討ち取るしかない。自らトロイア兵を率い、強
かえらずのじん
行軍を行ってきているいま、恐らくカエサルを倒せる最後のチャンスに他ならないだろ
う。
千五百を孔明が指揮し、石兵八陣も用いて敵軍の足止めをする。その間にディオメデ
スが決死の覚悟でカエサルを討つ。それがいまできる最善だ。
幾らかの時間が経ち、最前線にいたディオメデス隊の千五百が本陣まで戻ってきた。
孔明は彼らに自分と共に強襲に対処せよ命じた。
ネストルに本隊の総指揮を任せ、両軍が向かい合う荒野から兵を率いて孔明は下が
る。
照りつける灼熱の太陽の下を行軍し、やがて荒野から砂漠へと足を踏み入れた。
恐らく向かってくるトロイア軍の五千には勝てはしない。それでも、時間だけは死ん
でも稼ぐ。
覚悟を決めて孔明が砂漠を行軍する中、不意に一際強い熱風が生じていた。
砂漠の砂をさらうように吹き荒ぶそれは、一時の間、孔明たちから視界を奪う。
風がやんで、孔明は瞑っていた眼を開いた。その瞬間、
つもなかった。
ではアルケイデスに傷一つつけられない。彼には〝神獣の裘〟を突破する手段など一
神造兵装である〝蒼天囲みし小世界〟を借り受けたマシュはともかく、小次郎の斬撃
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
二対一でありながら、二人はやはり劣勢を強いられていた。
だ。
山林の中を駆け巡りながら、マシュと小次郎の二人が戦っているのはアルケイデス
◇
信じられないモノを目の当たりにした孔明は、驚愕を通り越して茫然とした。
﹁││││││﹂
372
それでもできることは多少ある。シールダーであるマシュを差し置いて、小次郎は率
先してアルケイデスの攻撃を受けにいった。
片手で振るわれるマルミアドワーズから繰り出される神速の連撃を、同じく神速の剣
技を以って小次郎がその全てを受け流す。
今回に限り、攻撃と防御の役割は逆転している。この場でマシュが唯一アルケイデス
に攻撃を通せる以上、攻撃の要は彼女である。
であればこそ、小次郎は己の全てを防御へと傾注した。常にアルケイデスの眼前へと
張り付いて、マシュが斬撃を食らわないように体を張る。それだけがいま彼にできる唯
一のことだ。
﹂
!
ば、アルケイデスが負けることはありえない。
ゆえにアルケイデスが警戒しているのはマシュのみだ。彼女の攻撃さえ防いでいれ
も、攻撃が通らないのであればそれは脅威足り得ない。
とって、そもそも小次郎は眼中にないのだ。如何に神域の剣技を身につけていようと
だがそれは造作なく、轟音を発する鳴子の斧剣によって阻まれた。アルケイデスに
る。
小次郎が攻撃を凌いだ瞬間を狙って、マシュがアルケイデスに楯でのチャージを試み
﹁やぁ││ッ
第19節:最後のピース
373
374
アルケイデスの攻撃も当然マシュ一人に絞られている。彼女を仕留められれば、その
瞬間に二人との戦いに決着がつくのだから。
マシュへと繰り出される怒濤の斬撃を、小次郎が無理やり割って入ってその悉くを受
け流す。山中を疾駆しながら、彼らはその攻防を延々と繰り返していた。
二人にとって、苦しい戦いと言わざるを得なかった。マシュ一人の攻撃では到底アル
ケイデスを倒せはしない。だがそれでいいと、小次郎もマシュも認識している。元より
相手はギリシャ最強の大英雄だ。二人の勝利条件は、アキレウスが復活するまでの時間
を稼ぐことに他ならない。
時には山に仕掛けていた罠を眼晦ましとして利用しながらアルケイデスの攻勢を耐
え凌ぐ。
山育ちである小次郎にとって、山林での戦闘などツバメ相手に慣れ親しんだものであ
る。地形を最大限利用して、小次郎はアルケイデス相手に立ち回った。
だがアルケイデスとて超一流の狩人だ。山林での戦闘も不得手なわけがない。神殿
化した山の、彼我へのステータス補正を加味してもなお、その暴威は止められない。
やがて猛攻を加え続けていたアルケイデスが、大きく跳躍して距離を取った。その瞬
間、彼の足元に人一人乗れる巨大な黄金の盃が具現化される。
当然、その宝具の効果は二人も孔明の報告から聞き及んでいた。黄金の盃が飛行宝具
﹂
であることも承知のことである。
﹁マシュ
﹂
!
ブロークン・ファンタズム
盃を、あろうことか彼らの方へと蹴り飛ばす。そして││
二人の接近を見て取って、だがアルケイデスは布越しに口元を笑みで歪めた。黄金の
ちに行く。
マシュはアルケイデスへのチャージを。小次郎は盃を破壊しようと渾身の斬撃を放
む家屋を発見されればその瞬間に全てが終わる。
空から矢を一方的に射かけられては打つ手がない。それどころか、もしもマスターが潜
ゆえに二人は即座に踏み込んだ。空を制されてはマシュの攻撃も届かなくなる。上
﹁はい
!
﹂
!?
ブロークン・ファンタズム
だが彼以外のサーヴァントがそんな真似に打って出るなど想定の埒外だった。宝具
から。
投影魔術によって宝具を使い捨てられるエミヤが何度となく用いている技であるのだ
マ シ ュ が 驚 愕 に 眼 を 見 開 く。 壊 れ た 幻 想 自 体 は 彼 女 も よ く よ く 眼 に す る 光 景 だ。
﹁な││
その神秘を解放し、なんの躊躇いもなく自らの宝具を爆破した。
﹁〝 壊 れ た 幻 想 〟﹂
第19節:最後のピース
375
はその英雄の象徴であり、英雄の分身と言って差し支えないのだ。
だがアルケイデスは己の宝具をゴミ同然に扱ったのだ。黄金の盃が元々は太陽神ヘ
ブロークン・ファンタズム
リオスから授かった神の宝具であるということも、あっさり爆破した理由の一つでもあ
るのだろう。
ブロークン・ファンタズム
けれどアルケイデスが壊 れ た 幻 想を行った理由は単純だ。勝つ為である。勝利の為
なら、彼は躊躇なく外道と呼ばれる行為に走れるのだ。
爆ぜ広がる魔力の奔流を前にして、マシュは咄嗟に楯を掲げて壊 れ た 幻 想から身を
護る。小次郎も無理やり横に跳躍して致命傷を免れた。
だが炎と煙が膨れ上がった最中、アルケイデスが二本の剣をしまい、代わりに流れる
ような動作で弓を取り出し三本の矢を瞬時に放つ。
矢は過たず、吸い込まれるように小次郎の眉間、心臓、喉元へと迫り││
﹂
﹁不覚を、取ったか⋮⋮っ﹂
なぜ、とマシュが愕然とし、すぐにヒュドラの毒矢のせいだと理解した。
の瞬間、手から刀を滑り落とし、不意にその場でくずおれた。
攻撃をほとんど躱しきった小次郎にマシュが安堵の溜息を吐き││だが小次郎はそ
咄嗟に二本の矢を小次郎は撃ち落とし、残り一本の矢も肩を掠めるだけに留まった。
﹁フ││ッ
!
376
努めて平静な声を出そうとするも、紡がれた声は酷く震えていた。その精神が明鏡止
水の境地に至っている小次郎をして、ヒュドラの猛毒は耐えがたい代物なのだ。
間髪入れず小次郎に射かけられた矢を、マシュが間一髪のところで楯で防ぐ。
﹂
﹁マシュ⋮⋮私のことは、もう捨て置け。私を護りながらでは、そなたもいずれ⋮⋮っ﹂
ナ イ ン ラ イ ブ ス
﹁ですが││﹂
﹁射殺す百頭﹂
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
蒼天囲みし小世界
!
ナ イ ン ラ イ ブ ス
﹂
だがアルケイデスは既にマシュの眼前まで詰め寄っていた。
容赦なく放たれる九つの閃光を、マシュは宝具を解放してなんとか防ぐ。
﹁││っ
!?
!
そこへ再び、マルミアドワーズが振り被られる。これで終わりだと、マシュが諦めか
よろめくマシュ。糸が切れた人形のように、力なく彼女の体が傾いた。
シュの体に確かなダメージとして殺到し、一瞬で彼女の余力を奪い去った。
れることはなかったが、その威力までは殺しきれなかった。楯越しに受けた衝撃はマ
神造兵装であるアキレウスの楯の頑丈さは尋常ではない。十八連撃を受けてなお毀
るしかなかった。
二刀から繰り出される十八連撃。真名解放が間に合わず、マシュは楯でそのまま受け
﹁射殺す百頭ッ
第19節:最後のピース
377
けたその時││
マ
ハ・ セ
ン
グ
レ
ン
﹂
!
﹂
!
﹂
!
﹂
!
迸る火炎をアルケイデスが跳躍して躱した。その着地点を読んでいたようにマハと
戦車を疾走させながら、クー・フーリンが虚空にルーンを刻む。
﹁アンサズ
クー・フーリンが再びチャージを試みる。
木 々 を 薙 ぎ 倒 し な が ら 吹 き 飛 び、だ が 体 勢 を 立 て 直 し た ア ル ケ イ デ ス に 向 か っ て、
獰猛な笑みを浮かべる主に呼応するように、二頭の馬が荒々しく嘶いた。
るよ
﹁おう、大丈夫か嬢ちゃん。あとは任せな、アルケイデスはオレとこいつらで片づけてや
﹁クー・フーリンさん⋮⋮
かつて火の包まれた冬木にて、彼女と彼女のマスターを助けてくれた兄貴肌の男。
いたのは、戦車を駆る大英雄の姿。
絶望に染まったマシュの瞳が、光を取り戻す。地面に倒れ伏した彼女が見上げた先に
﹁ぁ││││﹂
その蹄を以って蹴り飛ばした。
木々も罠もその全てを粉砕しながら爆走してきた二頭立ての戦車が、アルケイデスを
﹁││踏み潰せ、蹴り穿つ死蹄の車ッ
378
第19節:最後のピース
379
セングレンが即座に轟然たる蹄撃を繰り出した。
それをマルミアドワーズと鳴子の斧剣でアルケイデスがガードする。
此処に、ケルト最大の英雄とギリシャ最大の英雄が激突した。
◇
砂漠を進軍中だった。迂回に迂回を重ね、あと少しでアカイア軍の背後を衝ける距離
まで近づいていた。
カエサルは強行軍の最中、ずっと叱咤激励し続けた。その効果があったのか、脱落し
た兵は僅か三百だけだった。
四千七百もの兵がいれば、例え待ち構えている敵部隊がミュルミドネス隊であっても
遅れは取るまい。敵はいたとしても千五百が限度だろう。それ以上の兵力が待ち受け
ていれば分は悪いが、それはそれで問題ない。そうなれば本隊同士の戦いで、間違いな
くヴラドは圧しきれる。
アカイア軍の背後までもう少しというところで、カエサルは行軍の速度を緩めた。代
わりに四方八方にただちに斥候を走らせた。
諸葛孔明が強行軍に気づき、兵を埋伏させて待ち構えている可能性もあった。千五百
380
とはいえ、逆に奇襲を受ければ返り討ちに遭う恐れは充分ある。伏兵がいないかどうか
は、確認しなくてはならなかった。
幾らかの時間が経ち、斥候が戻ってきた。四方八方、敵はいないとの報告がもたらさ
れた。いるとしても、もっと奥の前方のみだ。
カエサルは念の為、もう一度斥候を周囲へ散らしてから行軍を再開した。異常があれ
ば、すぐに戻ってくるようにも斥候には命じた。これで万が一の事態もありはしない。
兵たちにもいよいよ戦闘だと謳い上げ、さらに士気を向上させる。
走りながら、カエサルは思考に没した。
││まさか本当に私の存在がこの戦いの勝敗を左右することになるとはな。
実のところ、カエサルはトロイアが勝つことにそこまで乗り気ではなかったのだ。
人類史が燃え尽きるのはカエサルとしても看過しがたいことではあるし、何よりトロ
イアが滅びなければその先のローマに繋がらない。できれば本来の歴史通り、トロイア
にはローマへと続いてほしかった。
だからこそアヴェンジャーにカサンドラの暗殺を命じられた時も、実はちょっと手心
を加えていたし、深追いもしなかった。徹底的に追い詰めることなく、極細ながらも退
路を用意しておいた。
思惑通り、パリスはカサンドラを連れて逃げ、その後カルデアと合流した。そして彼
女たちと力を合わせ、人理崩壊を阻止せんとして奮闘している。
とはいえ、それでもあと一手が欠けていた。アルケイデスたち大英雄に対抗し得る戦
力は確かに揃っている。サーヴァント同士の力は、それほど開いてはいないだろう。
だが哀しいかな。サーヴァント同士の力が拮抗している以上、勝敗を決するのは軍同
士の戦いになるだろう。
そしてカエサルがトロイア軍を率いる以上、いまのアカイア軍には決して負けない。
例え敵軍に諸葛孔明とオデュッセウスが揃っていても、士気の高さで圧倒できる。
そう。カルデアとアカイアに決定的に欠けているモノ。それはカリスマを有する王
者の存在に他ならない。
アカイア軍の総大将であるアガメムノンにはそれがなかった。アカイア軍とカルデ
アの敗因は間違いなくそれだろう。
趨勢は決まったのだ。この戦いはトロイアの勝利で終わる。カエサルが敵軍の背後
を強襲し、ヴラドが指揮する本隊と挟撃を行う。それでアカイア軍を全滅させることが
できる。
いに乗り気ではないとはいえ、軍の指揮を任された以上は一人の戦術家として本気で戦
トロイアが勝ってしまうからと言って、カエサルに手を抜くつもりは微塵もない。戦
﹁あと一つ、何かピースがあれば、まだ結果はわからなかっただろうがな﹂
第19節:最後のピース
381
に臨むしかない。カエサルにも軍人としての、英雄としての誇りがある。
トロイアが勝つ。それはそれでありだろう。滅亡を決定づけられた国だ。多くの不
幸と絶望を理不尽に与えられた国だ。人類史の全てを犠牲にしての救済。それは決し
て、断固として否定できるものでもないだろう。
どちらにせよ犠牲は出るのだ。凄まじい数の人間か、さらに遥かに凄まじい数の人間
か。その違いしかない。
トロイアの人間は、現在を生きている。なら彼らの命を摘み取る権利など誰にもあり
はしないのだ。
小高い砂丘が見えていた。それを超えれば、いよいよ待ち構えているであろう、敵の
千五百と当たることになる。
丘を越えようとして││だが不意に熱風が吹いた。
丘の向こう側から砂塵が舞う。堪らずカエサルは眼を瞑っていた。
風が止んだ。カエサルは顔をこすりながら眼を空けた。
特に何かおかしいことはなかった。見渡す限りの砂漠と荒野。そしてさっきまでと
れがあったのだ。
恨めしく言いながら、カエサルは周囲を見渡した。いま、熱風と同時に妙な魔力の流
﹁むぅ、口と耳にも砂が入ってしまったか⋮⋮だから砂漠は嫌なのだ﹂
382
変わらぬ蒼穹と、そこに浮かぶ灼熱の太陽があるのみだ。
妙な魔力の流れは神代であるからだろうと、カエサルは結論づけた。神代の空気は魔
力が酷く濃密なのだ。天候の変化で、魔力の流れが変になることもあるかもしれない。
遠くのサーヴァントや遠方からの魔術行使を知覚するのも、後の時代に較べれば一苦労
だった。
﹁オリンポスの神々が気まぐれでも起こしたか。まぁよい、進軍を続けろ﹂
そうして砂丘を超えて││││カエサルは驚きに眼を見開いた。
私には一万に見えるのだが﹂
敵兵が待ち構えていた。だがその数は千五百どころではなく、一万近い兵数なのだ。
﹁おい、君、眼前の敵兵は何人に見える
カエサルは事前に副官として選び、傍に控えさせていた青年に問いかけた。
?
﹁喜べ諸君、我々は勝ったぞ
こちらに兵力が一万も回されたのならば、今頃本隊は確
だからこそカエサルは率いてきたトロイア兵たちに振り返り、高らかに告げる。
れば、どう足掻いても本隊同士の戦いに圧し負ける。
諸葛孔明はここに来て采配を完全に誤ったのだ。一万もの兵力を対強襲軍に動員す
溜息が出た。失望の溜息だった。
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁自分にも、一万に見えております﹂
第19節:最後のピース
383
!
クロケア・モース
実に勝利していよう。貴様らの行軍が、トロイアを勝利へと導いたのだ
鬨の声が上がる。カエサルは黄 の 死を天へと掲げ、さらに続けた。
﹂
!
突撃だッ
﹁そして、あの一万など烏合の衆に過ぎん 士気は貴様らが優に勝っているだろう
ゆえに、蹂躙せよ
!
眼前の敵を滅ぼし、完全なる勝利を物にせよ
!
﹂
?
トロイア兵が次第に圧され始めていた。
する鬨の声からは、覇気が溢れんばかりに感じられる。
﹂
敵軍から轟く喊声に耳を疑った。敵兵の一人一人に到るまで、全員が一丸となって発
ぬほどの気力が漲っているのだ。
る。カエサルの鼓舞でこれ以上はなく勢いに乗っているトロイア兵たちに、決して劣ら
まず士気の高さからして段違いだった。異様なほどの熱気が敵兵から発せられてい
敵軍の何かがいままでとはまるで違う、とカエサルは気づいた。
﹁なに││
││だが両軍がぶつかった瞬間、あろうことか互いの圧力が拮抗した。
ことで勢いがつく。ぶつかれば間違いなく敵軍を圧せるはずだ。
一気呵成に砂丘を駆ける歩兵たち。逆落としというほどでもないが、丘の斜面を下る
る。
カエサルは前方に向かって剣を振り下ろした。それが合図となって、全軍が進行す
!
!
!
384
馬鹿なと思いながらも、カエサルはある事実に気がついてはっとした。
敵軍が、この時代ではあり得ないはずの陣形を用いているのだ。
﹂
騎兵がすぐそばまで接近中だと。
・
・
・
・
・
いま
!
斥候はいったい何をしていた
﹂
すぐそばまで来ているなどと、なぜ
背後からの強襲だと 馬鹿な、そんなはずがあるかっ
もっと早く気づけなかった
のアカイアのどこにそんな余力があるという
!?
かなとこ
一方が敵を引きつけ、もう一方が背後や側面に回りこみ挟撃するそれは鉄床戦術と呼
に対処できなければ間違いなく死ぬし、全滅する。
伝令に喚き散らしてからカエサルははっとした。冷静さを欠くな。この状況を冷静
!?
!?
茫然と言いかけた時、伝令が慌ててカエサルの下へと馳せ参じた。後方より一万騎の
﹁何者なのだ、こやつらは││﹂
であり、しかもそれはあろうことかマケドニア式だった。
・
だが六メートルの長槍を持った歩兵が並ぶ密集方陣は間違いなくファランクス陣形
サリッサ
のような何かならば別に驚くことではないのだ。
自体は、さらに昔のメソポタミアで存在が確認されているからだ。だからファランクス
それに似ただけの何かならば、まだ納得はできた。ファランクスの原形とされる陣形
﹁ファランクス陣形だと⋮⋮
!?
!?
!?
﹁一万の騎兵だと
第19節:最後のピース
385
・
・
・
・
・
・
・
・
ばれるものだ。これは歴史上のとある天才戦術家が好んで用いた戦術の一つである。
ラ
ラ
ラ
ラ
ラ
イッ
﹄
不意に雄叫びが聞こえてきた。それは地平線の彼方まで届きかねないほどの遠雷の
アァァァ
如き雄叫びだった。
アイオニオン・ヘタイロイ
﹃AAAALaLaLaLaLaie││││││
間だった。
トロイア攻略の為の最後のピースが、征服王イスカンダルが、満を持して参戦した瞬
風で翻す益荒男の姿。それは多くの勇者たちの夢を束ねし王者の姿。
きた軍勢の先頭で騎馬を駆る一人の大英雄の姿。巨大な漆黒の馬を駆る、赤いマントを
全軍が潰走し、撤退を余儀なくされたカエサルが見たモノ。それは背後から強襲して
れた。
││かくして、カエサル率いる軍勢は〝 王 の 軍 勢 〟によって為す術もなく蹂躙さ
!!
386
ゆえにやっと、わたしにできることが訪れたのだ。アキレウスの看病。それをいま終
にまで弱まったのだ。
それでもだ。ようやくヒュドラの毒性はこの瞬間、普通の毒性と然程違いがない領域
で、その体の自由を奪っている。
とはいえ、その毒性は凶悪極まりない。体内に残った僅かな毒がいまも彼の体を蝕ん
るだろう。ヒュドラの猛毒は既にそのほとんどが除去されている。
アキレウスの容態はいまだ芳しくない。けれどその顔色はだいぶ良くなったと言え
眼鏡をかけることも忘れない。眼鏡もこの魔術礼装のれっきとした一部なのだ。
した、秘書かあるいは司書のような制服、アトラス院の制服に袖を通す。ついでに伊達
純白のブラウスと青地のスカート││アニバーサリー・ブロンドから、紫色を基調と
着替える。
わたしはじっと座っていた椅子から立ち上がり、アキレウスが眠る傍らで魔術礼装を
パリスに言われた時間になった。
第20節:英雄復活
第20節:英雄復活
387
わらせる。
どれほど焦燥でこの胸を掻き毟りたくなったことか。戦っているみんなの安否を思
えば、気が気じゃなかった。
それでも耐えた。まだかと耐えて、この瞬間がやってきた。
魔術回路を起こし、わたしはアキレウスの体に右手を翳す。そして魔術礼装に備わっ
た三つの魔術の一つを発動する為の言葉を紡ぐ。即ち、
手から発せられた光がアキレウスの肉体を浄化していく。アトラス院の魔術礼装に
﹁〝イシスの雨〟﹂
は、流石にヒュドラの猛毒を払い除ける力は本来ない。それでも普通の毒と変わらない
レベルにまで弱まったいまなら、問題なく浄化できるのだ。そしてこのタイミングこそ
が、異常状態を治す魔術〝イシスの雨〟でアキレウスを治せるようになった瞬間だっ
た。
﹂
かっとアキレウスが開眼し、飛び跳ねるように寝台からすぐさま降りた。
﹁どうかな、ちゃんと治った⋮⋮
﹁若干の怠さはあるが、それだけだな。戦闘に支障はないだろう﹂
す。
知らず不安の色が漏れた問いかけに、そうだなと呟きながらアキレウスが軽く肩を回
?
388
ほっと息を吐く。これで失敗だったら、本当にもう終わりだった。
﹁それじゃあ、アキレウス。あとはお願い。みんなを助けに行ってあげて﹂
の五千は、イスカンダルが率いる王 の 軍 勢が軽々と蹴散らした。
アイオニオン・ヘタイロイ
死を覚悟して、カエサルが率いる五千のトロイア兵と対対するつもりだった。だがそ
を見た。
だ。現実の砂漠から心象風景の砂漠へと引き摺りこまれた孔明は、そこで自らの王の姿
突如として砂漠に吹き荒んだ熱風は、固有結界の発動の兆し、異界への誘いだったの
◇
信じている。孔明たちの無事も、マシュたちの無事も││
だけだ。
これでもう、本当にできることはなくなった。あとは信じて、みんなが勝つのを待つ
それを見送って、わたしは椅子に座り直した。
そう告げてアキレウスは弾けるように走り出し、山の斜面を彗星の如く疾駆した。
う。我が父ペレウスと、我が母テティスと、我が師ケイローンの名に賭けてな﹂
﹁ああ、任せておけ。アンタたちに借りた恩義は、俺の武の全てを以って返させてもら
第20節:英雄復活
389
孔明もディオメデスも、そして連れてきていた千五百のアカイア兵もその光景を唖然
として眺めていた。
アイオニオン・ヘタイロイ
アカイア兵たちは皆、意図しない援軍の存在そのものにも驚いていただろう。だが彼
らが真に眼を奪われたのは王 の 軍 勢の、鳥肌が立つほどの雄姿に他ならなかった。
我らこそが最強の兵団。そう高らかに宣言するような勝鬨と戦いぶりだった。眼の
前の軍勢の雄姿に、アカイア兵たちはきっといま現在の自らを省みて、忸怩たる想いを
懐いたことだろう
ヘ タ イ ロ イ
潰走したカエサル軍の追撃もすぐにうち切り、イスカンダル軍が停止した。そして、
重装騎兵の中から一騎が孔明たちの方へと駆けてくる。
漆黒の巨大な馬はブケファラス。れっきとした英霊でもある名馬である。そしてそ
れを駆る益荒男こそ、ウェイバー・ベルベットが自らの王と仰いだ征服王イスカンダル
だ。
﹁おう、久しいな坊主。いや、お主からしたらそうでもないのか
余には冬木での戦い
ブケファラスから降りながら、イスカンダルが心底愉しそうに言った。
軍で、兵は千以下まで脱落するだろうがな﹂
な引き際よ。殲滅する腹積もりが半分近くも討ち漏らしたわ。もっとも撤退の間の行
﹁ガイウス・ユリウス・カエサルか⋮⋮うむ、確かに噂に違わぬ天才だったわ。実に見事
390
?
・
・
の記憶が二つ混在していて妙な心地なのだがな﹂
﹁││││っ﹂
その言葉に、込み上げてくる想いがあった。自然と孔明の││ウェイバーの眼頭が熱
くなる。きっとこの間の、特異点となった第四次聖杯戦争での再会がなければ、とっく
に頬を滂沱の如き涙が濡らしていただろう。
﹂
それを堪えて、孔明はイスカンダルへと駆け寄って、
﹁ライダー、貴方という男は││││ぐはっ
││孔明の額に強烈な衝撃が走った。
ちつけた。
まったく容赦のないデコピンだった。のけ反った孔明はそのまま背中を砂の上に打
!?
ばっと起き上がり、孔明はイスカンダルに食ってかかる。
﹂
!?
を続ける。
﹁兵は神速を尊ぶぞ
余と再会できたことに感動している暇が貴様にあるのか
﹂
?
その言葉に孔明はハッとせざるを得なかった。確かにいまは、一分一秒が惜しい時で
?
呆れたようにイスカンダルは言った。それから真剣な面持ちで孔明を見つめて言葉
﹁まったくバカモノめ、何を感慨に耽っておるか。そんなコトは後にせい﹂
﹁いきなり何をするんだオマエは
第20節:英雄復活
391
ある。
・
・
・
アイオニオン・ヘタイロイ
軍師として采配を振るわなければならないのだと。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
﹂
?
ヘ タ イ ロ イ
ポ プ リ タ イ
﹂
アの本隊も丸ごと余の固有結界の内に引き摺りこんである﹂
?
他はどうした
﹁此処にいるのは、重装騎兵と重装歩兵が一万ずつだな
﹁応とも﹂
アイオニオン・ヘタイロイ
?
?
﹁残りの三万は既にトロイア軍本隊と戦闘に入っている。無論、ローランに聖剣を撃た
﹁まさか王 の 軍 勢の総数がそれだけではあるまい
﹂
﹁││全部だ。背後より強襲してきたカエサルの部隊は元より、アカイアの本隊、トロイ
・
その質問に、イスカンダルは口元ににんまりとした笑みを刻む。
﹁ライダー、では状況の確認だ。貴方の固有結界で、いったい何処まで取り込んだ
・
敢えて軍師の名で呼ばれたことの意味を、孔明は正確に理解した。いまは自分こそが
﹁そう、だったな⋮⋮﹂
ト││││いや、諸葛孔明よ﹂
・
カイアの敗北は決まるだろうよ。であれば、ただちに行動せよ、ウェイバー・ベルベッ
る以上、そう長くは持たん。この結界を維持していられる間に劣勢を覆さなければ、ア
﹁ようやく気づいたか。そう、余の〝 王 の 軍 勢 〟は固有結界だ。世界の修正を受け
392
れても被害が抑えられるように、左右に別れ両側面攻めさせているとも。⋮⋮アレはブ
リテンの騎士王の聖剣にも匹敵するほどだからな。馬鹿正直に固めておけば一撃で全
滅させられる可能性もあるだろう﹂
﹁三万か⋮⋮ひとまず押し返すには、充分な戦力だな﹂
だがトロイア軍の本隊を指揮しているのはヴラドである。〝護国の鬼将〟をスキル
として有する彼ならば、現実の荒野と砂漠がこっそり固有結界内の荒野と砂漠に置き換
わっていることもすぐに察知しているはずだ。何せ〝護国の鬼将〟で自らの領土と化
アイオニオン・ヘタイロイ
した土地が、忽然とそうではなくなっているのだから。
アイオニオン・ヘタイロイ
ゆえに時間を稼げば王 の 軍 勢が消滅することも理解しているだろう。となればヴ
ラドは、徹底して守りを敷くはずだ。
それにトロイア軍は、そもそも非常に防戦に優れた軍勢である。如何に王 の 軍 勢
と言えど、本気で堅陣を組んだ彼らを固有結界の制限時間内で崩しきることは難しいだ
ろう。
ここはやはり、アカイア軍を立て直すしかないのだ。
時間が惜しかった。すぐに本隊同士の戦いに戻らなければならないだろう。だが普
通に行軍を行えば間に合わない。
﹁ここにいる二万にはこの場で待機してもらい、結界の維持に専念してもらうしかない
第20節:英雄復活
393
な﹂
﹂
?
﹁無論だ。味方の為に決死の覚悟で強襲軍を迎え撃とうとしたそなたは真の勇者に他な
﹁俺も乗っていいのか
﹁さぁ乗れ、坊主。それに、そこの隻腕の勇者もな﹂
イスカンダルが御者台に飛び乗り、孔明へと振り返る。
神 威 の 車 輪が出現した。
ゴルディアス・ホイール
それを虚空に向けて振りおろし、切り裂かれた空間から神牛による二頭立ての戦車、
イスカンダルが腰に佩いていたキュプリオトの剣を鞘から抜き払った。
だな﹂
﹁三人か。一人ばかり定員オーバーだな。ではここからはブケファラスではなくこっち
﹁私とライダー、それにディオメデスで先行しよう﹂
と合流させることはできない。
れも百メートルかそこらが限度だ。数も多すぎる。結界の解除と同時に都合よく本隊
う。イスカンダル自身が結界内に取り込んだ者の再出現する場所を選べるとはいえ、そ
連れてきたディオメデス隊の千五百は、後から追いついてきてもらうしかないだろ
孔明の言葉に、イスカンダルが同意した。
﹁妥当な判断だな﹂
394
らない。余の戦車に乗るには充分過ぎる資格がある。なんなら、余の臣下にならんか
﹂
﹁はは、面白ぇ奴だなアンタ まぁ確かにアガメムノンの下で戦うよりは気持ちいい
?
﹁うむ、それは残念だ﹂
!
綱を振るう。二頭の神牛が走り出し、すぐに最高速へと到達した。
﹁アカイア軍の士気の回復だな
アイオニオン・ヘタイロイ
イスカンダルが頷く。
﹂
?
ならばそれもやり方によっては可能なはずだ。
王 の 軍 勢が時間を稼いでいる間に、アカイア軍を立ち直らせる。いまのこの状況
?
﹂
二万の軍と千五百のディオメデス隊にそれぞれ指示を出してから、イスカンダルが手
で走らせれば五分もかからん﹂
﹁おっとそうだったな。では本隊同士の戦場まで、ひとっ走りするとするか。なに、全力
﹁おい、いまは勧誘している場合じゃないだろう
﹂
笑いながら言い、ディオメデスが御者台に飛び乗った。孔明もだ。
もらう。とりあえず、戦車には乗らせてもらうがな﹂
だろうが、オレも出会い頭の一度の勧誘で頷くほど安くはないんでな。いまは断らせて
!
﹁それで坊主、いま我々がやらなければならないことは判っていような
第20節:英雄復活
395
﹂
﹁そんなことできるのかよ 一応俺らアカイアの将だって、士気を上げようと万策は
尽くしたんだぜ
?
?
ポ プ リ タ イ
イスカンダル軍の重装騎兵と重装歩兵を以ってしても、流石に制限時間内では崩しき
ヘ タ イ ロ イ
守備力を誇っている。その喊声も、決してイスカンダル軍にも引けを取らない。
イア軍の猛攻から耐え忍んできたのだ。人類史において、この軍は間違いなく最高峰の
それも当然だろう。大英雄ヘクトールの指揮の下、トロイア軍は十年近い年月をアカ
だがやはり、防戦に徹するトロイア軍は呆れるほどに強固極まりない。
重装歩兵に両側から絞り上げられているのだ。
ポ プ リ タ イ
り 堅 陣 を 組 ん で い る。地 平 線 の 彼 方 ま で 轟 く ほ ど の 喊 声 を 上 げ る 三 万 の 重装騎兵 と
ヘ タ イ ロ イ
戦況はうって変わっていた。アカイア軍を苛烈に攻め立ていたトロイア軍が、予想通
そうして本隊同士が戦う場へと、孔明たちは三分ちょっとで辿り着いた。
そう思っているのだ。陳腐な手ではあるが、その悔しさを刺激してやればいい﹂
おらん。その胸には悔しさを滲ませている。トロイア軍に勝ちたいと、皆、誰もがまだ
﹁アカイア軍の兵どもは、確かに心が折れかけている。だが、心の奥底ではまだ諦めては
みには、確かな自信が浮かんでいる。
呑気とも言えるようないい加減な口調でイスカンダルが答えた。だがその口元の笑
﹁まぁ、なんとかなるだろう﹂
396
れそうにはなかった。
対しアカイア軍は、場違いなほどに静寂としていた。皆誰もが、唐突な軍勢の出現に
手足をとめている。
イスカンダル軍に対する戸惑いもあっただろう。それゆえに混乱しているのもある
ゴルディアス・ホイール
のだろう。だが何よりも、彼らは明らかに気後れしていた。
﹂
イスカンダルは神 威 の 車 輪をアカイア軍の只中で停車させると、そんな彼らにさっ
そくとばかりに口を切った。
どいつもこいつも情けない面構えをしおってからに
!
揃いも揃って腰抜けの上に玉無しだったらしいな
﹂
!
?
﹁んん
なんだその文句を言いたげな顔は
ホメロスの叙事詩で、貴様
何度だって言ってやろう。貴様らは愚
?
た。
遠慮も躊躇いもない露骨なまでの侮蔑に対し、アカイア兵たちの視線に怒気が籠っ
かりよ
まったく、救いようもない愚図ば
﹁援軍を尻目にして貴様らは休むだけか 共に戦う気力すらないとは、アカイア兵は
に、アカイア兵たちの視線が忽然と現れた闖入者へと集中する。
呆れたと言わんばかりの表情と口調。大声で戦場に響き渡ったイスカンダルの言葉
﹁おう
!
!
?
図だ。後世貴様らに憧れる者など誰一人としておらんわ
!
第20節:英雄復活
397
らはただの笑いの種として扱われるであろうな
﹂
粋がってトロイアに攻め込み、無様
ああ、まったく以って
これほどまでにみっともない連中の血を引いている
に返り討ちに遭っておめおめ逃げ帰る負け犬でしかないとな
などと、末代までの恥であるのだからな
貴様らの子孫には同情しよう
!
!
﹂
は明らかに自信が欠いていた。
違う、と何処からか声が上がった。だがそれはあまりにも弱々しい主張だ。その声に
!
!
した。
﹂
トロイア兵の
押し黙るアカイア兵に、イスカンダルはさらに冷然と言葉を続ける。
一人でも討ち取り、自らが勇壮なるアカイアの男児であると証明してみせよ
というのなら、真に勇者であるというのなら行動を以って示すがよい
!?
どこの征服王イスカンダルの軍勢が情けない貴様らに代わって蹂躙してくれようぞ
!
おれ
﹂
貴様らはそこで、自分たちがどれほど憐れかを噛み締めながら、我らの雄姿を眺めて
!
﹁もっとも、余は貴様らのような軟弱な軍には何一つ期待していない トロイア軍な
!
!
﹁違うというのならいつまでこんなところで突っ立っている
貴様らが真に男である
さらなる大音量でもたらされたイスカンダルの大喝が、彼らの声を一切合財消し飛ば
﹁聞こえんわ戯けッ
!
398
!
言うことは終わったと言わんばかりに、イスカンダルは孔明とディオメデスに振り向
いた。
なら本当に見下げ果てるしか他にないがな﹂
﹁よし、発破はかけた。あとの鼓舞は任せたぞ、ディオメデス。これで立ち上がれんよう
でなんとかするさ﹂
﹁おう。サンキュー、イスカンダルさんよ。耳が痛いほどの言葉だった。あとはこっち
軽やかに手を振って、ディオメデスが御者台から降り立った。
直り次第、余の軍と共闘だな。僅かな時間ではあろうがな﹂
﹁坊主も降りろ。アカイア軍の指揮は貴様が執っているのだろう アカイア軍が立ち
?
ゴルディアス・ホイール
イスカンダルが手綱を振るう。敵軍へと向かい、 神 威 の 車 輪が疾走する。
言わずに頷きを返す。
だから孔明は、何も言わずに頷いた。イスカンダルもまた、ただ笑みを浮かべて何も
語りたいことは幾らでもある。それでも、それは全てが終わった後だ。
に轡を並べ、志を揃え、人理修復という目的に向かってひた走る。
第四次聖杯戦争の特異点では敵として相対した。だからこそ、今度こその共闘だ。共
孔明も戦車から降り、それからイスカンダルと視線を交わした。
﹁共闘か⋮⋮ああ、わかった﹂
第20節:英雄復活
399
そして自軍と向かい合ったディオメデスが、イスカンダルの後を引き継ぐように大声
何処の誰とも知らねぇぽっと出野郎に好き勝手言われたままでい
を以って言葉をかける。
﹁おうテメェらッ
﹁俺たちは誰だ
﹃アカイアだッ
﹁勝つ者は誰だ
﹃アカイアだッ
﹂
﹄
﹂
﹄
もっと声を張り上げろォッ
﹂
﹂
﹂
い い 加 減 顔 を 上 げ や が れ いのかよ 何処の誰とも知らねぇ野郎の援軍にでかい顔させたままでいいのかよ
あぁん
真のアカイア兵は、この俺について来いッ
テメェらの心はいつまで死んでるんだ
隻腕だろうと、俺は突っ込むぜ
﹂
﹂
﹂
﹁そうだ、俺たちがアカイアだ
﹁全然まったく足りねぇぞッ
﹁他のどの軍に負けるわけがねぇ
﹁アカイアこそが最強なんだ
!
喉が引き裂けんばかりにディオメデスがさらに大声を振り絞る。
!
!
!
!
!
!?
そうだ、と方々から声があがる。それは次第に数を増した。
!
!?
!
!?
﹁ならばいざ勝利を掴まんが為に、決死の覚悟で戦えぇぇぇぇッ
!!
! !? ! !?
!?
!
400
﹃オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ
﹁孔明殿、指示を出してくれ
﹂
彼らの対抗心と闘争心は呼び覚まされたのだ。
﹄
イ ス カ ン ダ ル の 王 の 軍 勢。そ の 鮮 烈 な ま で の 雄 姿 を 目 の 当 た り に し た か ら こ そ、
アイオニオン・ヘタイロイ
それはきっと、ただ鼓舞しただけでは起こり得なかった奇跡だ。
た。
喊声はどこまでも轟いた。死にかけていた彼らの闘志に、ようやく再び大火が灯っ
!!
﹂
!
出す。
自らの手で勝利をもぎ取れ
!
ディオメデスが言った。孔明は頷き、彼らに負けない大声でアカイア兵たちに下知を
!
援軍に決して後れを取るなっ
!
けれど彼らが刻んだモノは確かにあった。その雄姿とその闘志が、アカイア兵たちを
固有結界とイスカンダルの軍勢はほどなくして消失した。
正面と側面から攻め立てられて、流石のトロイア軍が崩れ始めた。
と真っ向から斬り込んでいく。
アカイア兵たちが我先にと疾駆する。側面から攻められているトロイア軍の正面へ
な命令を出すだけでいい。
難しい策などいらない。いまはやっと取り戻せた士気を最大限活かす為に、最も単純
﹁全軍、突撃だ
第20節:英雄復活
401
触発した。イスカンダル軍を欠いてなお、アカイア軍は怒濤の勢いでトロイア軍を圧し
ていく。
弱腰だった兵は何処にもいない。誇りを胸に、彼らはトロイア兵に勇ましいまでに挑
んでいく。
此処に、アカイアの英雄たちが完全なる復活を果たした。
◇
山の中を間断なく爆炎が燃え広がった。普段は使わないルーン魔術を、クー・フーリ
ンは御者台の上から出し惜しみなしで連発していた。
対魔力がランクAだと思われていたアルケイデスだが、意外にもアンサズによる炎は
ある程度が通っていた。恐らくセイバーからアヴェンジャーへと歪曲したせいで、対魔
﹂
力のランクが下がっているのだ。
﹁アンサズ
マ
ハ・ セ
ン
グ
レ
ン
殺到する炎をアルケイデスが躱す。だがそこへ間を置かず、蹴り穿つ死蹄の車による
えない。
ならば、とクー・フーリンは畳み掛けるように炎攻撃を繰り返す。反撃の余裕など与
!
402
チャージを決める。アルケイデスはそれを二振りの剣で受けとめざるを得なかった。
チャージによる攻撃は剣で防がれ、アンサズによる炎攻撃もアルケイデスに決定打を
与えるには至らない。このままでは膠着状態が続くだろう。││││このままではだ。
チャージの度に舞い散る土塊の中から、クー・フーリンは手ごろな大きさの石をその
﹂
手に掠め取った。そしてそれを、ルーン魔術で強化する。
!
嗟に投げ、敵の頭蓋骨を砕いた逸話を持っている。
クー・フーリンとて決して彼らにも劣らない。かつて彼は、手に持っていた林檎を咄
清なども投石の名手である。
ダビデや、中華は北宋の時代にその名を轟かせた梁山泊の好漢、没羽箭の異名を持つ張
武器とするサーヴァントも決して少なくはないだろう。九大英霊のうちの一騎である
この時代においても、投石は敵を倒す上で当たり前にある手段である。投石を自らの
化が施されたそれは、問題なくサーヴァントを害し得る武器と化すだろう。
ない。ならばそれは、神獣の裘の護りを当たり前に突破できる。そしてルーンによる強
そう。石器として加工された石ならばともかく、ただの石が人類の文明であるはずが
口元に笑みを刻んだ。
布の下でアルケイデスが眼を見張った。それを感じ取り、クー・フーリンはニヤリと
﹁││││っ
第20節:英雄復活
403
ゆえに御者台の上から全力で振り被った礫は音の速さを優に超え、アルケイデスの胸
部を豪快なまでに痛打した。
よろめくアルケイデスの胸元へ、間髪入れずマハとセングレンが蹄を突き出し蹴り飛
ばす。
山の斜面をアルケイデスが転がるも、その耐久値は最高峰だ。一、二撃まともに食
らったところで戦闘行動に支障はない。すぐに体勢を立て直された。
だがその間にクー・フーリンもまた、自らのとっておきの魔術の下準備を済ませてい
た。
カー
マ
ン
善悪問わず土に還りなぁッ
!
散った木々を掻き集め、巨人のシルエットを形作った。
ウィッ
!
側面へと回り込む。
炎の巨人がアルケイデスへと肉迫する。同時にクー・フーリンは戦車を走らせ、その
だがそれでも、アルケイデスを倒す上での確かな戦力となるだろう。
劣る。幾つもルーンを組み合わせ、無理やり再現しているに過ぎない。
無論それは正規の宝具ではなく、キャスターとして顕現させた本来のモノには幾らも
﹁倒壊するは灼き尽くす炎の檻
﹂
虚空に刻んだ幾つものルーン。周囲に燃え広がった炎は集束され、辺り一帯に砕け
﹁我が魔術は炎の檻、茨の如き緑の巨人。因果応報、人事の厄を清める社││﹂
404
轟然と振り被られる巨人の腕。嘶きと共に突き出される死の蹄。
その同時攻撃を、アルケイデスが左右の剣で受けとめた。
﹂
!
著しい。
トロイアとアカイアが戦う戦場から休むことなくひた走ってきたのだ。彼らの疲弊も
とんどないが、保有する魔力量は既に二割を切っている。加えてマハとセングレンも、
そもクー・フーリンは呂布との戦いを終えた後での連戦である。肉体的ダメージはほ
││このままだと不味いな。
明確なまでの焦りがあった。
圧しているのは誰がどう見てもクー・フーリンに他ならない。だが彼自身の胸中には
石を繰り返した。
突進する。二頭の馬も即座に次なるチャージを試みて、クー・フーリンも御者台から投
弾き飛ばされていたウィッカーマンが、炎を撒き散らしながら再度アルケイデスへと
ぎ倒すのみだった。
アルケイデスが尋常ならざる身のこなしでそれを避ける。礫は逸れ、後ろの大木を薙
だがその瞬間を狙って、クー・フーリンは再び礫を投擲する。
渾身を以って戦車と木々の巨人が弾き返された。
﹁フ││││ッ
第20節:英雄復活
405
406
恐らくそれを、アルケイデスは正確に見抜いている。だからこそ無理に反撃に出よう
とはせず、防戦に徹して待っているのだ。クー・フーリンが致命的な隙を晒す瞬間を、あ
るいは魔力切れで自滅する瞬間を。
アルケイデスは反撃に出られないのではなく、出ていないだけなのだ。
ウィッカーマンで牽制し、マハとセングレンの蹄撃がアルケイデスに防御を取らせ
る。そして対処しきれないところを礫で攻める。それは着実にアルケイデスにダメー
ジを蓄積しているが、そのペースはあまりに遅い。
魔力切れを起こすのが先か、アルケイデスを倒せるのが先か。それは微妙なところ
だ。
否、アルケイデスが敢えて持久戦を選んだ以上、それは勝算があってのことだろう。
ならば分が悪いのはクー・フーリンの方こそである。
ク ル ー ジ ン・ カ サ ド・ ヒ ャ ン
││チ、あと一手が足りん。
残りの宝具である斬り抉る死光の剣では神獣の裘を突破できない。かと言って、戦車
か ら 降 り 立 ち ア ル ケ イ デ ス 相 手 に 徒 手 空 拳 で 挑 む の は 愚 の 骨 頂。ヘ ラ ク レ ス で な く
なったことで勇猛のランクが落ちてそうではあるが、それでもその体術は健在だろう。
誘いである可能性は捨てきれなかったが、クー・フーリンは魔力消費を承知の上でさ
らに攻勢を強めた。
いままで以上にウィッカーマンが荒れ狂い、アルケイデスへと燃え盛る巨腕を振り下
ろす。マハとセングレンにもさらに加速するように意思を伝えた。
それに対し、アルケイデスが炎に焼かれながらも必死に距離を取ろうと下がってい
く。礫を放ちながら、クー・フーリンが追撃する。
だがついにマハとセングレンが疲労を見せ始めた。そして、その瞬間をアルケイデス
は見逃さなかった。
二振りの剣をアルケイデスが音速を以って投擲する。鳴子の斧剣はウィッカーマン
の頭部へと突き刺さり、マルミアドワーズはクー・フーリンの頬を掠めていった。
ひたすらに後退していたアルケイデスが、切り返して前方へと疾駆する。
﹂
アルケイデスと戦車が馳せ違う。
﹁な││││ッ
﹂
一瞬で首を捩じ切られ、霊核を壊されたセングレンが粒子となって消滅する。
クー・フーリンは刹那の交錯で起きた絶技に愕然とした。
!?
!
戦車を反転させ、マハにアルケイデスめがけて突っ込ませる。頭部を失ったウィッ
く嘶いた。
クー・フーリンの額に青筋が浮かぶ。主の赫怒に呼応するように、マハもまた荒々し
﹁ヤロウ⋮⋮ッ
第20節:英雄復活
407
カーマンもだ。
地面に突き立ったマルミアドワーズを引き抜いて、アルケイデスが防御の姿勢を取
る。 怒りの籠ったマハの蹴りを、剣を以って弾き返される。その瞬間を狙ってクー・フー
リンは御者台から跳躍した。
それこそスカサハの下で会得した超人的瞬間跳躍術〝鮭跳び〟。それは縮地にも似
た現象を引き起こし、アルケイデスの認識すら超えてその眼前へと躍り出た。
視認することさえ許さず、クー・フーリンは鮭跳びによる爆速と勢いを以ってアルケ
イデスの胸板を蹴りつけた。
﹂
蹴り飛ばされたアルケイデスへとウィッカーマンが身投げするように跳躍する。
ウィッカーマンにさらに畳み掛けさせた。
クー・フーリンは御者台の上に着地しつつ││足に殺到する激痛を無視しつつ││
ていないのだ。ただ一度の使用が脚部への尋常ならざる負担を強いていた。
だがその代償は甚大だった。鮭跳びのスキルは、実のところ生前のそれを再現しきれ
だろう。
低い呻き声が布の下から漏れ出ていた。ようやくアルケイデスに痛撃を与えられた
﹁グ││││っ
!?
408
││決めに行く⋮⋮
での魔力が収束し、九つの矢が番えられている。
対しアルケイデスは剣を腰に差し、代わりに弓を出現させた。既にそれには厖大なま
は加速して、アルケイデスの想定を超えて接近する。
右手に現出させた煌剣を振るい、マハを戦車から切り離す。重りから解放されたマハ
!
る。
﹂
だが多大なダメージは与えられた。眼に見えてアルケイデスの動きは鈍くなってい
が高ランクの戦闘続行を有していることなど百も承知。
無論、クー・フーリンとてこれだけで仕留められるとは思っていなかった。眼前の敵
も、それでもアルケイデスは健在だ。
だが当然の如く、爆発の中心点から長躯の影が逃れてきた。肌を焼け爛れさせながら
いよう。
辺り一帯を焼き払うほどの爆炎。並のサーヴァントならこれで既に消し炭となって
瞬間、紅い閃光が視界全てを埋め尽くす。
が内包する魔力を暴走させた。
アルケイデスの体をウィッカーマンが圧し潰した瞬間、クー・フーリンは木々の巨人
!
﹁あの頭蓋を踏み砕いてやれ、マハ││
第20節:英雄復活
409
││来るか、宝具⋮⋮
イ
ン
ライブス
!
﹂
││な、こいつ、何処に向けて⋮⋮
なかった。
ナ イ ン ラ イ ブ ス
九つのうちの一つだけがマハへと迫り、残りの八つが向かう先はクー・フーリンでは
!?
放たれる九つの閃光。それにクー・フーリンは眼を疑った。
﹁││││死光の⋮⋮っ
カ サ ド・
﹁││││百頭ッ
﹂
互いの宝具が、いまこの瞬間、解き放たれる。
﹁斬り抉る││││﹂
ク ル ー ジ ン・
﹁射殺す││││﹂
ナ
でアルケイデスと刺し違えることを覚悟した。
ない。その代わりマハが確実にアルケイデスの頭蓋を踏み潰す。クー・フーリンは此処
最低限、マハに飛んでくる矢だけは絶対に防ぐ。それで自分が五体砕かれようと構わ
つか七つまでなら決死の覚悟で相殺してみせよう。
魔力が底をついてきている以上、確実に圧し負けるだろう。それでも九つのうちの六
フーリンは両手で構え直した煌剣に魔力を込めて振り上げた。
ヘラクレス、もといアルケイデスの代名詞、射殺す百頭。それを迎撃すべく、クー・
!
!?
410
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
それは丸っきり明後日の方向││││そして、マシュとアサシンが倒れ伏す位置に向
けての射撃だった。
戦いの最中、山の中を駆け巡り続けた。だがアルケイデスは逃げながら、当初の場所
へと戻ってきていたのだ。恐らくはこの為に。
布越しにアルケイデスが嗤った。さぁどうする、と。
マシュとアサシンを見殺しにすればアルケイデスは殺れる。だが。
││││あぁ、オレの負けか。
クー・フーリンは速やかに己の敗北を受け入れて、再び〝鮭跳び〟によって跳躍した。
八つの閃光が迸るその先、マシュたちの前へと瞬時に移動する。
その跳躍で完全に足が逝った。骨は砕け、筋は惨たらしく断ち切れただろう。
視界の先でマハが射殺されるのをクー・フーリンは確認した。
﹂
激痛などそれで全て吹き飛んだ。肚の底から込み上げてくる憤怒と共に再度真名を
ク ル ー ジ ン・ カ サ ド・ ヒ ャ ン
紡ぎ上げる。
!
相殺しきれなかった残り一つの閃光が迫る。クー・フーリンは己の身を挺して楯とす
が予期した通り、七つの閃光を相殺した。
振り下ろす暁の煌剣。八つの閃光に対抗すべく放たれた極光。それはクー・フーリン
﹁斬り抉る死光の剣ッ
第20節:英雄復活
411
るしか他になかった。
﹂
左半身がごっそりと持っていかれる。だがそれでも、後ろの二人は無事だった。
﹁クー⋮⋮フーリン、さん⋮⋮
!
が負けていただろう﹂
抜かせ⋮⋮オレはまだ、戦えるぞ⋮⋮勝ち誇るのは、早計だな⋮⋮っ
?
への敬意を以って真名を紡ぐ。
おもむろに番えられる九つの矢。神への嫌悪を懐きながらも、アルケイデスが好敵手
﹁見事な強がりだ。だが我が奥義によってその躰、今度こそ四散させてくれようぞ﹂
﹁あ⋮⋮
﹂
﹁││苦痛の声すら漏らさんか。流石だな、クー・フーリン。足手纏いがいなければ、私
くに彼の体を蝕んでいた。
その身は既に動かない。霊核も既に破壊されている。そしてヒュドラの猛毒が、とっ
が力が入らないのか、その手は小刻みに震えていた。
アルケイデスへと向き直り、まだ戦えると言わんばかりに片手で煌剣を構え直す。だ
血を流しながら、血を吐きながら、それでもクランの猛犬は倒れなかった。
││これで、借りは返せたか⋮⋮。
クー・フーリンは僅かに振り向き、そんな彼女に薄く微笑んだ。
信じられないモノ見るような眼で、マシュがその光景を見上げていた。
?
412
ナ イ ン ラ イ ブ ス
﹁射殺す百頭ッ
﹂
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
!
﹁ぬ││ッ
﹂
・
・
ラ イ ン ラ イ ブ ス
!
ろう。
とんど頂点と言ってもいい。力で対すればアキレウスは決して勝ち得ることはないだ
自らの膂力の全てを以ってアルケイデスが受けとめる。その力は全英霊の中でもほ
!?
﹂
以って、アキレウスは眼前の大英雄を圧し潰さんと疾走した。
楯の表面に展開された極小の世界に射殺す百頭が弾かれた。そのまま自らの世界を
﹁蒼天囲みし小世界ゥッ
﹂
ていた自らの楯を拾い上げ、その真名を紡ぎながら裂帛の気合いを以って突進する。
音の速さを凌駕して、アキレウスが山の斜面を駆け下りる。刹那の間にマシュが使っ
なぜなら彼こそは人類最速の大英雄。その疾走は彗星の如く。
り得た。
距離は遥か遠くである。だが如何な距離があろうとも、彼ならば充分に己の間合い足
││││だがその瞬間、ついに彗星がその戦場を視界に収めた。
りはしない。
再び放たれる九つの閃光。瀕死のクー・フーリンでは、最早それに対処する術などあ
!
﹁おおおおおおおおおおおおお││││ッ
第20節:英雄復活
413
・
・
だからこそアキレウスは己の速さでアルケイデスの力へと挑んだ。
彼我の勝敗を分けたのはなんだったのか。それはアルケイデスが既にダメージを受
け過ぎていたゆえか、あるいはアキレウスが皆から受けた恩義に報いる為か。
いずれにせよ、この場において勝ったのは速さだった。
拮抗が崩れる。己の世界を以って、アキレウスはアルケイデスを弾き飛ばした。
ナ イ ン ラ イ ブ ス
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
受 け 身 を 取 っ て ア ル ケ イ デ ス が 体 勢 を 直 す。だ が そ の 体 は ふ ら つ い て い た。
射殺す百頭 と 激 突 し た こ と で 蒼天囲みし小世界 の 威 力 は 弱 ま っ て い た。さ れ ど 宝 具 の
一撃だ。アルケイデスの体を四散させるには至らなかったが、最早戦闘を行う余力など
奪い去っていた。
ゴッデス・オブ・ウォー
撃は貴様の護りを突破できんからな。ゆえに私は逃げさせてもらう﹂
﹁││断る。大人しくいまの一撃だけで我慢しておけ。 戦 神 の 軍 帯がない以上、私の攻
を彼へと返す。
意気揚々と告げるアキレウスに、だがアルケイデスは苦笑を漏らしつつも意外な言葉
ねぇな。受けた借りは百倍にして返させてもらうぜ﹂
﹁此処で会ったが百年目だ、アルケイデス。借りは一つ返したが、これじゃあ全然足り
とはな﹂
﹁⋮⋮ヒュドラの毒矢を食らって生き延びたか。よもや、その顔を二度見ることになる
414
﹁へえ、なら攻撃が通るなら相手をしてくれるのかい
﹁待ちやがれっ
﹂
﹂
・
・
・
・
・
・
そうしてアルケイデスはあっさりとその身を翻し、躊躇なく逃走を選んだ。
・
・
・
・
別存在よ。それに、お前の相手は他にいよう。お前の相手を、あの男以外の誰が務める﹂
・
﹁挑発しても無駄だ。私に、ヘラクレスのような高潔さなど期待するな。私とあの男は
﹁ハ、彼の大英雄さまの発言とは思えないな﹂
まは遠慮しよう。見ての通り、私は既に満身創痍だ。分が悪いのは変わらない﹂
﹁なるほど、ヘクトールの言っていた宙 駆 け る 星 の 穂 先による決闘か。だがそれもい
ディアトレコーン・アステール・ロンケーン
不敵に微笑み、アキレウスは英雄殺しの槍を掲げてみせる。
?
振り向くとクー・フーリンが倒れ伏し、その血で大地を赤く染めていた。 アキレウスが追おうとして、不意に背後からどさりという音を耳が聞き咎めた。
!
ウスには彼らを捨て置くことなどできなかった。
!
﹁いや、だが⋮⋮﹂
葛藤するアキレウスに、死体同然の体でなおクー・フーリンが声を張り上げた。
﹁なに、ぼさっとしてやがる⋮⋮いいから、奴を追え⋮⋮
﹂
そう。怪我人が三人もいるのだ。絶対にアルケイデスを追うべきではあるが、アキレ
﹁く⋮⋮﹂
第20節:英雄復活
415
﹂
﹁追ってください、アキレウスさん。二人は、私がパリスさんの隠れ家まで連れて行きま
す⋮⋮っ﹂
﹁マシュ、大丈夫なのか
﹁⋮⋮よし、なら二人は任せた。俺は奴を追う
﹂
英雄の復活が、滅びの運命を変えつつあった。
迷いを断ち切り、アキレウスがアルケイデスを追う為に山林の中を疾駆していく。
!
﹁もう、倒れているわけにはいきません⋮⋮﹂
アキレウスの呼びかけに、マシュが苦痛に顔を歪めながらもその身を起こした。
!?
416
第21節:運命の行方
そうして、退却を告げる鉦の音が戦場に響き渡るのに然したる時間はかからなかっ
た。
ゴルディアス・ホイール
アカイア軍は完全に士気を取り戻している。加えて呂布が戦闘不能。固有結界が消
失したとはいえ、イスカンダルは継続して神 威 の 車 輪で戦場を荒し回っている。既に
デュ ラ ン ダ ル
トロイア軍の損害は著しい。ヴラドが退却を決意するのも当然だった。今日の会戦に
おいて、趨勢はもう決している。
だった。
高ランクの〝戦闘続行〟を有するがゆえに、致命傷でもなければ然程の問題すらないの
平然として立っていた。〝理性蒸発〟による影響で彼は痛みなどおよそ無視できるし、
対してローランの方はというと、確かに少なくないダメージを負っている。それでも
彼の視線の先では、三人の可憐な騎士が例外なく膝を屈していた。
感心したように呟きながら、ローランが構えていた絶世の名剣をだらりと下げる。
﹁まさか、アカイア軍があの状況から持ち直すとはな﹂
第21節:運命の行方
417
﹁なんだ、逃げるのか⋮⋮
こんな、ボロボロの私を前にして⋮⋮﹂
ジャンヌ・オルタも、実のところ微傷程度の傷しか負っていない。
正 に 楯 で あ る。決 し て 砕 け ぬ ア カ イ ア の 楯。ア イ ア ス に 守 ら れ た ア ス ト ル フ ォ も
成り得なかった。恐らく次もその次も、終わりに到ることはないだろう。
る。この一撃で終わりだとローランが繰り出した斬撃が、都合二十度、結局終わりには
彼女は既に満身創痍だ。傍から見れば、まだ立ち上がれるのが信じられないほどであ
敵に笑いながらローランを挑発した。
剣を杖にして立ち上がる。ぜぇぜぇと辛そうな呼吸を繰り返すアイアスが、けれど不
?
﹂
?
せて笑った。
!
た旗を、ローランが軽やかに後退して造作なく躱した。
怒りに身を任せたように一気に駆ける。渾身を以ってジャンヌ・オルタが振り下ろし
﹁気安く呼ぶなっての
﹂
震える体を旗で支えながら起き上がったジャンヌ・オルタに、ローランが白い歯を見
﹁追ってくるならお相手するぜ、ジャンヌちゃん﹂
﹁逃がすと、思ってんの⋮⋮
わないことにしたんだよ。なるべく﹂
﹁退却が指示されている以上、俺も退くしかないからな。生前の反省の下、命令には逆ら
418
﹂
!
で、全身の筋肉がズタボロだった。本当はもう、立っていることすら苦痛なのだ。
それに体が限界なのは彼女も同じだ。自己改造で無理やり筋力をブーストしたせい
ンには勝てないだろう。
アイアスが戦闘不能になりかけている以上、ジャンヌ・オルタ一人では決してローラ
リミッター解除による怪腕。そして何よりも、剣の技量こそが冠絶していた。
ジークフリートにも匹敵する防御力。未来予知じみた勘の良さ。理性がないゆえの
れほどまでにローランは強い。
三人ならば勝てる、と彼女は思っていた。それでも食らいつくのがやっとだった。そ
ルタの脳裏から完全に掻き消えていた。
無敵と言う他にない。初めは明確にあった勝利のビジョンが、もう既にジャンヌ・オ
にゾンビの如くだ。
が、それでもけろりとして立ち上がってくるのだ。端から痛覚などないと言わんばかり
けれどついに、ローランを倒すには至らなかった。明らかにダメージを負っている
を突いて何発も渾身の一撃をローランに叩きつけた。
ジャンヌ・オルタは数時間に及ぶ戦闘で、アイアスとアストルフォが作ってくれた隙
さらに追撃を加えようとしたところで、アイアスが制止の声を振り絞った。
﹁待てジャンヌ、一人で突っ込むな⋮⋮
第21節:運命の行方
419
く、と悔しげに呻き、振り上げた旗をジャンヌ・オルタは力なく下ろした。
そしてアストルフォもまた、とっくの昔にへばって地面に倒れ伏している。稀に飛ん
できたローランの渾身の一撃を受けとめて、五体満足ではあるもののそれで余力を根こ
そぎ奪われてしまったのだ。
そんな彼に、ローランは不意に声をかけた。
﹁⋮⋮そうだ。お前に一つ、訊きたいことがあった﹂
﹂
﹂
?
音で言葉を紡ぐ。
﹁││アストルフォ⋮⋮お前、俺のこと⋮⋮恨んでるか⋮⋮
﹂
アストルフォが首を傾げる。ローランは意を決して、それでも何処か怯えを含んだ声
﹁ローラン⋮⋮
二の句はすぐには続かなかった。問いかけるのを、彼は躊躇っている。
ローランは彼を真剣な眼差しで見つめている。
辛うじてアストルフォが顔を上げた。
﹁ぇ⋮⋮
?
を振る。
アストルフォは思わず言葉を失った。そんな彼の様子に気づかず、ローランは一人頭
﹁││││││﹂
?
420
デュ ラ ン ダ ル
﹁いや⋮⋮悪い、馬鹿なこと言ったな。そんなの当たり前だよな。俺のせいで、みんな死
んだんだから⋮⋮﹂
悄然としながら腰の鞘に絶世の名剣を収め、ローランが逃げるように背を向ける。
﹁││やっぱ俺、お前とは戦いたくないみたいだ。できれば次の相手は⋮⋮⋮⋮お前以
外がいい﹂
背中越しにそう言って、霊体化したローランが三人の前から姿を消した。
﹁奴を、追わねば⋮⋮﹂
そんな体でまだ戦う気
﹂
アイアスが一歩前へと踏み出した。たったそれだけの動作で、彼女は苦悶の表情をそ
ちょっとアンタなに言ってるの
!?
の美貌に浮かべていた。
﹁はぁ
!?
﹂
方の楯になれる位置にいなければ⋮⋮﹂
わたし
﹁受けとめる。それが楯だ﹂
こいつ一緒にとめてよね
!?
即答して、アイアスが血塗れの体でさらに歩みを進めていく。
!
?
﹁ちょっとピンクもいつまで休んでる気
﹁⋮⋮﹂
﹂
﹁奴を、自由にしてはいけない。でなければまた対城宝具が撃たれてしまう。せめて、味
!?
﹁そんな体で受けとめられるの
第21節:運命の行方
421
無視すんなっての
!?
﹂
!
トロイア軍の殿として踏み止まる五千の兵が必死にアカイア軍の猛攻に抗うも、完全
全て返さんと言わんばかりの勢いで追撃戦へと突入した。
トロイア軍は既に撤退を始めていた。それに際してアカイア軍は、これまでの借りを
◇
ローランは、自分が倒さなければならないと││
それでも、アストルフォは思った。決意した。
ルタがいなければ、戦いとして成立することすらなかっただろう。
三人で力を合わせても、ローランには勝てなかった。きっとアイアスとジャンヌ・オ
ば気が済まない。
心底むかついた。それが心底許せない。一発殴って、一から十まで説明してやらなけれ
確かにローランは反省したのかもしれない。けれど彼は、何も解っていない。それが
明確なまでの怒りである。気づけば地面の砂利を、力の限りに握っていた。
地面に倒れ伏す彼の中には、込み上げてくる想いがあった。
アストルフォは答えない。まったく聞いてもいなかった。
﹁ちょっと聞いてんのピンク
422
ラ
ラ
ラ
ラ
ラ
イッ
ゴルディアス・ホイール
に士気を取り戻したアカイア軍は怒濤の攻勢を以って敵兵を一人、また一人と討ち果た
していく。
アァァァ
﹂
そして固有結界が消失してなお、イスカンダルの猛威は衰えない。
﹁AAAALaLaLaLaLaie││││││
﹁オラァッ
﹂
無論、それだけではない。
でに木端の如く蹴散らしていく。
神牛の二頭が激走し、その蹄を以って幾人もの敵兵を蹴り潰し、雷撃によって豪快なま
ト ロ イ ア 兵 た ち を 咆 哮 と 共 に 蹂 躙 す る は、イ ス カ ン ダ ル が 駆 る 戦 車 〝 神 威 の 車 輪。
!!
勇者に他ならん
あんま俺たちアカイアを舐めんじゃねぇぞ
﹂
﹂
先程の言葉は訂正しよう。そなたたちこそ、真のアカイアの
この征服王イスカンダルと戦列を並べるに足る益荒男たちよな
﹁たりめぇだコノヤロウ
!
!
﹁おう、やるではないか
れぬと言わんばかりに、喊声を上げながらトロイア兵へと襲いかかった。
二人の英雄の奮闘によってアカイア軍の士気はさらに上がる。自分たちも負けてら
る槍を以って、瞬く間にトロイア兵の首を次々と刎ね飛ばした。
戦場を駆けるは一人の偉丈夫。隻腕でありながら、ディオメデスは片手で轟然と手繰
!
御者台の上で笑みを浮かべるイスカンダルが、その大声を戦場へと轟かせた。
!
!
!
第21節:運命の行方
423
﹂
獰猛に笑うディオメデスの言葉に、アカイア兵たちも声高に同意した。
﹁なるほど、余も負けてはおれんな
﹁││いいや、これ以上の狼藉は断じて認めん。一人残らず串刺しにしてくれようッ
﹂
異を挟んだのは、苛烈でありながら底冷えするような酷薄な声。
﹁ぬおぅっ
﹂
!
!
皆の者は余に続けぇ
﹂
﹁深追いしてきた蒙昧どもに慈悲などいらん。その悉くを返り討ちにしてやるがいい
で下がっていた。
そう、それは極 刑 王による広域殲滅攻撃。既に戦場はヴラドの領土足り得る場所ま
カズィクル・ベイ
直後、大地より突き立つ数千の杭が幾人ものアカイア兵を串刺しにした。
を振るって神 威 の 車 輪を空中へと走らせた。
ゴルディアス・ホイール
持ち前の軍略によって対軍宝具の行使を寸前で察知したイスカンダルが、咄嗟に手綱
!?
乱戦とも言える様相を呈しながらも、ヴラドは正確に敵と味方を見分け、確実にアカ
アカイア軍に劣らぬ喊声を以って続いていく。
その捨て身とも取れるヴラドの奮戦は自軍への確かな鼓舞となり、トロイアの殿軍が
地面から生え出る杭と手繰る槍を以って、瞬く間にアカイア兵を穿ち殺していく。
アカイア兵たちが怯んだ隙に、ヴラドは声高に叫ぶと敢然と敵中へと切り込んだ。
!
!
424
イア兵たちを極刑に処す。
だがそこへディオメデスがヴラドへ向かって疾駆した。
迎撃の杭を掻い潜りながら、雷光とも取れる刺突を放つ。それをヴラドが寸でのとこ
ろで槍で受けとめる。
ラ
ラ
ラ
ラ
ラ
イッ
﹂
ゴルディアス・ホイール
隻腕でありながら、繰り出された刺突の威力は常軌を逸している。堪らずヴラドが後
﹁ぐ、っ﹂
方へと弾き飛ばされた。
アァァァ
そこへ、更なる追撃。
﹁AAAALaLaLaLaLaie││││││
む。
種に他ならん
﹂
!
﹁確かに貴様と余とでは相容れまい。流石の余も、彼の串刺し公に対し軍門に降れなど
!
貴様こそ余の最も嫌う人
そのまま御者台のイスカンダルへと槍を振りかぶる。キュプリオトの剣がそれを阻
杭を足場にして中空へと跳躍し、ヴラドが紙一重でチャージを躱した。
弱めることなく突き進む。
疾走を阻まんとする数多の杭を撃砕しながら、だが神 威 の 車 輪はその勢いをまるで
!!
﹁征服王イスカンダル。侵略者の権化、蛮族の中の蛮族よ
第21節:運命の行方
425
とは言わんさ。だがッ﹂
豪腕を以ってイスカンダルがヴラドの槍を弾き返した。 ﹂
!
!
する。
││やられる⋮⋮
﹂
!
ゴルディアス・ホイール
ゴルディアス・ホイール
﹂
﹁加勢しに参りました、ヴラド殿。俺が来たからには味方はもうやらせません
﹁よし、よく来たローラン。ならば宝具を開帳し、蛮族どもを殲滅せよ
!
﹂
!
返る。
絶世の名剣を鞘から走らせ、ローランはアカイア軍と相対しながらもヴラドへと振り
デュ ラ ン ダ ル
数メートルも押し返した。
衝突する二つの力。無謀とも取れるローランの拳の一撃は、しかし神 威 の 車 輪を十
向かった。
忽然と割り込んだローランが渾身の拳を振り被り、神牛のチャージに真っ向から立ち
﹁やらせねぇよッ
ヴラドが死を覚悟して││││だが、
!?
迸る雷撃を、ヴラドが杭を楯にしてやり過ごす。だが間髪入れず神 威 の 車 輪が肉迫
制覇しよう
﹁だからこそ、貴様は余の敵であれ 護国の鬼将と謳われた貴様を、余は敬意を以って
426
﹁了解
﹂
アイアスたちは抑えきれなかったのか
明朗と言葉を返しながら、ローランが片手にオリファンを現出させた。
あいつの宝具は⋮⋮
!
﹂
!
は確実に阻まれる。ここは逃げるしかなかった。
!
た。
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
﹂
﹂
アカイア兵へと向けて、ローランが血涙を流しながらも容赦なくに剣を振り下ろし
頭上へと振り上げられた剣が、視界全てを白く染めるほどの輝きを帯びる。
れる。
おぞましいまでの魔力がオリファンへと集い、その魔力の全てが絶世の名剣へと注が
デュ ラ ン ダ ル
昨日の光景を思い出したアカイア兵たちが、恐怖を露わにして我先にと逃げていく。
前奏曲に他ならない。
ローランが全力でオリファンを吹き鳴らす。戦場に響き渡る角笛の音色は絶望への
﹁言ったはずだ。俺の眼の前で、味方はもう誰一人死なせないとッ
﹂
イスカンダルも声を張り上げる。ローランの隣にヴラドがいる以上、宝具発動の妨害
対城宝具が来るぞ⋮⋮
慄然としながらもディオメデスが即座に身を翻した。
﹁やべぇぞ
!
﹁全軍、散開して後退だ
!
!?
!
﹁万象を灼け、勝利呼び込む天聖剣││││ッ
!
第21節:運命の行方
427
﹂
放たれる極光。大地すら両断しながら突き進む至高の斬撃。この世のあらゆるモノ
それは、こちらの台詞だ
を断ち斬る光の刃である以上、抗うことなど││││否
﹁││││味方は誰一人として死なせないだと
!
!
ロ ー・
ア
イ
ア
ス
・
﹁熾天覆う七つの円環││││ッ
﹂
!
真名解放と共に開く七枚の花びら。光の全てを彼女は楯となって受けとめる││
!
体内の鉄を掻き集める。持ち得る魔力の全てを放出して、鮮血の花びらを形成する。
ゆえにアイアスは、迫りくる光に向けて決然と右手を伸ばした。
そして、誰かを護りたいという想いがあった。
アカイアの楯であるという誇り。
だがそれでも、誇りがあった。
恐懼した。
恐怖。そんなものは無論ある。この絶望的なまでの光を前にして、彼女は紛れもなく
・
からでもあるし、何より恐怖ゆえだった。
その体は震えている。それはローランとの戦いで消耗し、体にほとんど力が入らない
具現とさえ言えるデュランダル・オリファンの輝きを真っ向から見据えていた。
満身創痍でありながら、アイアスは両の足でしかと大地に佇み、死という名の慈悲の
それを真っ向から受け止めんとする女がいた。
?
428
﹂
淡く赤い輝きが白き光の全てを押し留める。だが、
﹁ぐ、ぅ⋮⋮っ、あぁああああああああっ⋮⋮
れる。
!
││だめ、だ。これ以上は、も、たない⋮⋮
ラ・ グ ロ ン ド メ ン ト・ デ ュ・ ヘ イ ン
吼え立てよ、我が憤怒ッ
﹂
だが七枚の花弁が、次第に一枚一枚と罅割れて、ついに最後の一枚になるまで破壊さ
内を荒れ狂う激痛に顔を歪めながらも、アイアスは耐え続けた。
左手で震える右手を支える。必死で抗う。決死で踏みとどまる。殺到する圧力と、体
!
!
し出される。本来攻撃用の対軍宝具であるはずのそれを、彼女は自己改造によって一時
突き出したアイアスの右手の寄り添うように、ジャンヌ・オルタの旗が並ぶように差
最後の一枚の楯を覆うように、不意に炎の障壁が展開された。
﹁まだよ、まだ終わらない
!
的に防御へと転用したのだ。
﹂
!?
これでマスターちゃんに褒められ││﹂
!
!
光が煉獄の炎を貫いた。
勝ち誇るようにジャンヌ・オルタがそう言いかけた時、デュランダル・オリファンの
が頂いてあげる
﹁独りでいいところ持ってこうなんてそうはいきませんからね 武勲は全部、この私
﹁ジャンヌ
第21節:運命の行方
429
﹁は
ウソ、これでもダメなの⋮⋮
ああもう
﹂
ホントにあの忌々しいジャンク
!
体
は
剣
で
出
来
て
い
二枚の楯では、聖剣の一撃を止められない。ゆえに││││
る
はともかく体力が限界だった。彼女たちにはもう踏み止まるだけの余力がない。
対しアイアスは体力も魔力もほとんど底をついている。ジャンヌ・オルタとて、魔力
ゆえにローランは、いつ如何なる時でも最強の一撃を放てる。
ファンはローランの魔力をまったく必要としないのだ。
大抵の宝具が自身の魔力や体力を消費して発動されるのに対し、デュランダル・オリ
此処に来て致命的な差が出たのはデュランダル・オリファンのその特性ゆえだろう。
フード女の聖剣と同等じゃない⋮⋮
!?
!
!?
ロ ー・
ア
イ
ア
ス
三枚目の楯を展開した。
何やってんのアンタ
﹂
﹁熾天覆う七つの円環││││ッ
﹁は
﹂
!
お前の魔術回路は⋮⋮
!
!?
アスが揃って驚愕する。
投影どころか戦闘も禁じられていたはずのエミヤの加勢に、ジャンヌ・オルタとアイ
!
!?
﹁バカ、よせ
﹂
赤い外套の騎士が、己が身を顧みずに、
﹁││││I am the bone of my sword﹂
430
エミヤとて自分がどれほど愚かな真似をしているのかは解っていた。本陣にいる孔
明は、いまごろ頭を抱えていることだろう。
だがエミヤシロウほど我慢できない男はいなかった。それはアカイア軍を守る為で
もあるし、何より自軍を守ろうと命を張った二人の女性を前にして、見過ごすなどとい
う選択など取れるはずがなかった。
そんな選択肢を選ぶくらいなら、この身が壊れても構わない││
頑丈なんでね⋮⋮
﹂
一度の投影くらいなら問題ない。頭の悪い鍛錬をしていたせいで、私の魔術回路は一際
﹁大丈夫、孔明は過剰に心配しているだけだ。一日も休めておけば充分回復したとも。
!
してこの場に立った。他ならぬアイアスとジャンヌ・オルタを助ける為に。
アイアスには解ってしまった。眼の前の男は、まったく大丈夫ではないと。無理を通
﹁ぁ⋮⋮﹂
!
とはいえ、その間にトロイア軍は遥か視界の彼方まで下がっていた。いまから追撃を
ローランが放った究極の一を、防ぎきったのだ。
そうしてついに、デュランダル・オリファンの光の全てを受け切った。
誰にも聞こえぬ小さな呟き。
﹁また、借りができてしまったな⋮⋮﹂
第21節:運命の行方
431
再開しても利するところは少ないだろう。
アカイア軍の消耗も著しい。ゆえに彼らも、速やかに後退した。
本陣まで戻ったエミヤは対城宝具を防いだことを孔明によくやったと称賛を受けた
後、がっつりと怒られた。
◇
パリスの隠れ家にマシュが駆け込んできた。
彼女が無事だったことに安堵しかけ││男二人を背負っていることに気がついて、わ
たしは息を飲んでいた。
二人をマシュが寝台へと寝かせる。
片方は小次郎だった。負傷と言えるようなモノは全身の軽い火傷と、肩に一つ、小さ
く浅い裂傷があるだけだ。けれど彼の顔色は、まるで死人のように蒼褪めている。ヒュ
ドラの毒矢を食らったのだと、すぐに理解が及ぶほどだ。
ただ一撃、浅い傷を負っただけ。それなのに、小次郎は死の危機に瀕している。ヒュ
ドラの毒矢の凶悪性を改めて思い知った。
﹁すぐに解毒の薬を調合します﹂
432
一緒にパリスの隠れ家に避難していたオイノネさんが、そう申し出てくれた。麓の小
屋から持参していた薬草を数種類選び、家屋の奥の部屋へと引っこんだ。
ほっと息を吐く。薬はすぐに作れるのだ。それならば小次郎はきっと助かるだろう。
とはいえ、すぐに快癒するわけではないだろう。この特異点での戦いから小次郎は戦
線 離 脱 す る こ と に な る か も し れ な い。解 毒 が 完 了 す る ま で 無 理 は で き な い。そ れ は
きっと死に繋がるから。
そしてもう一人の、苦しげに表情を歪める男の顔を見て、心臓の鼓動が止まりそうに
なった。
左上半身のほとんどを失った死体同然のサーヴァント。青い衣はとっくに血塗れに
なっている。
彼の顔には見覚えがあった。ううん、忘れるわけがない。炎の燃え盛る廃墟と化した
地獄のような冬木の街で、わたしとマシュと所長を助けてくれた頼もしい兄貴肌の彼。
ケルトの大英雄、クランの猛犬の異名を持つクー・フーリン。死にかけていたのは彼
だった。
﹂
?
知らず漏れていたわたしの言葉に反応して、掠れたような声が彼の口から小さく紡が
﹁よぉ⋮⋮嬢ちゃん⋮⋮久しぶりだな⋮⋮﹂
﹁アニキ⋮⋮
第21節:運命の行方
433
れる。
?
﹁それ、は⋮⋮﹂
﹁見りゃわかんだろ⋮⋮オレの霊核は、もう完膚なきまでに壊れてる﹂
慌てふためくわたしへと、クー・フーリンが冷然と告げた。
﹁よせ、無駄だ﹂
服か。
その前に礼装をまた着替えなきゃダメだ。一番治癒に向いているのはカルデアの制
﹁待ってて、いま治癒魔術をかけるから﹂
詫びる小次郎に、クー・フーリンが笑いながら答えた。
﹁テメェはただのついでだよ。マシュの嬢ちゃんのな﹂
﹁済まぬ、ランサー⋮⋮余計な手間を取らせた⋮⋮﹂
俯くマシュがそう零した。その口元は、悔しげに固く結ばれていた。
﹁クー・フーリンさんは、私と小次郎さんを庇って⋮⋮﹂
にも激痛が伴っているのだと嫌でも理解させれた。
引きつった笑みを口元に刻み、彼が軽口を叩く。けれどその声も震えていて、喋るの
も、見せろよな⋮⋮﹂
﹁んだよ⋮⋮そんな、蒼褪めた顔しやがって⋮⋮せっかくの再会だぞ 笑顔の一つで
434
二の句が出ない。彼の手足が既に透けているのをはっきりと見てしまったから。
クー・フーリンはもう助からない。まだ体を保っていられるのが不思議なくらいであ
る。きっと彼は意志一つで条理を捻じ曲げ、無理やり現界を続けているのだ。
﹁残念だがオレはここでリタイアだ⋮⋮いや悪いな。できれば、もっと力になってやり
たかったんだが﹂
酷く申し訳なさそうな顔で告げられたその言葉に、わたしは涙を堪えて頭を振る。
多分、もう充分過ぎるくらい力になってくれていたのだと思う。彼が何をしてくれた
のかわたしは知る由もないけれど、それでも確信があった。
きっと彼がいなければ、人理はとっくに崩壊していた。この戦いには負けていたと。
だからわたしは彼の要望通り、無理やり笑顔を浮かべてみせて言葉を返す。
﹁⋮⋮充分だよ、ありがとう。きっと、すごく助かった⋮⋮貴方が繋いでくれた〝いま〟
を、きっと〝未来〟に繋げてみせる﹂
自嘲するようにわたしは告げた。
﹁悩んでるよ、いまでもずっと⋮⋮﹂
のかと思ったが﹂
これなら、まぁ問題なさそうだな。また一段と複雑な特異点だから、てっきり悩んでん
﹁へえ⋮⋮あの時のひよっこが、随分と頼もしいコトを言うようになったじゃねぇか。
第21節:運命の行方
435
本当にトロイアを滅ぼすことが正しいのかと、いまも自問自答を繰り返している。
数だけで見れば間違いなく正しい。けれど誰かを切り捨てなければならないのは、や
はり何かが間違っている。
けれどそれ以外の手段なんてないのだろう。そんな都合のいい結末はこの世の何処
﹂
にも用意されてはいないのだ。そんなこと、他のみんなはとっくの昔に弁えている。
﹁それでも、お前は自分がやるべきことを判っている。そうだな
決然と頷く。
の未来を取り戻します﹂
﹁クランの猛犬が聞き届けた。その言葉を決して違えるなよ
・
・
・
・
・
その先に、誰が立ち塞
?
﹁貴方に救われたこの命、絶対に無駄にはしません。貴方に救われたこの命で、私は人類
﹁⋮⋮ゲッシュか。ああ、いいぜ。聞いてやる﹂
﹁クー・フーリンさん、誓いを一つ、立てさせてください﹂
俯いていたマシュが顔を上げ、決意を秘めた表情で彼を見つめる。
﹁クー・フーリンさん﹂
い。そうすりゃきっと、己の道も見えるだろう﹂
﹁ああ、それでいい。難しいコトなんざ考えるな。お前はお前の信条に肩入れすればい
﹁わたしは、わたしの護りたいモノと、譲れないモノの為に戦う﹂
?
436
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
がろうと、その全てを薙ぎ倒して往け﹂
涙を堪えてマシュが頷き、クー・フーリンが満足そうに微笑んだ。
せる。相手の面持ちが自分と同様に変化したと気がついて、それが殊更二人のカサンド
互いに決定打を与えられず、二人が合わせ鏡のようにまったく同時にその表情を曇ら
当然の帰結だった。
二人が同一人物である以上、やはり彼女たち自身の実力にも差などない。その拮抗は
空中で幾つもの光が悉く四散した。全ての魔力光が例外なく相殺されたのだ。
二人のカサンドラが互いに手駒を使役しつつ、同時に数多の魔力光を撃ち放つ。
の采配にも決して優劣はない。
戦況は完全に膠着している。彼我の竜牙兵の強さには一切の差などなく、使役する主
山の中腹にて、数百体の竜牙兵が共食いでもするかのように乱戦を繰り広げていた。
◇
した。
そんな矛盾したような激励を最後に残し、クランの猛犬が黄金の粒子となって姿を消
﹁そんじゃ、そろそろ逝くわ。ま、命賭けつつ、命大事に頑張れよ││﹂
第21節:運命の行方
437
﹂
?
ラを苛立たせた。
兄さんの邪魔をしているという自覚はないの
?
あっても許容できなかった。
﹁どうして、兄さんを苦しめているんですか
?
﹂
﹂
﹁貴女は、私自身の手で殺してあげる││
!
﹂
﹁貴女は、私自身の手で殺してあげる││
!
﹁よりにもよって兄さんを苦しめているのが、私だなんて﹂
﹁よりにもよって兄さんの邪魔をしているのが、私だなんて﹂
?
﹁どうして、兄さんの邪魔をするんですか
﹂
その瞳に溢れんばかりの殺意が灯る。互いに眼の前に立ちはだかる自分自身が、どう
怒りを滲ませた震える声で、二人が一字一句、同じ言葉を同時に呟いた。
﹁││許せない﹂
﹁││許せない﹂
やはり〝いま〟を生きるカサンドラもまた、氷の笑顔でそう告げた。
﹁貴女こそ、いまのうちに自裁してください。兄さんを苦しめているのは貴方です﹂
が冷然と眼前の自分へと問いかけた。
普段他者へと見せる穏やかな微笑を完全に掻き消して、アヴェンジャーのカサンドラ
﹁いい加減、死んだらどうですか
438
眦を決する二人の少女が同時に右手を掲げ、呪文を紡ぐ。迸る炎熱が周囲の木々や竜
牙兵を焼き払いながら突き進むも、やはり拮抗以外の結果を生み出さない。
未来予知にしてもそうである。自分にとって最適の行動を取った瞬間、相手もまた最
適の行動を取るので優劣の天秤はすぐにその傾きをならしてしまう。
ゆえにこの拮抗を破壊するのは、他者の介入に他ならない。
当然、その介入があるのかないのか、二人のカサンドラは承知している。その瞬間も
だ。
二人はその瞬間こそを待っていた。
そして二人のカサンドラが戦う場所へと。
﹂
﹂
﹁待てパリスッ
﹁くぅ⋮⋮っ
!
﹁カサンドラ
﹂
ってどっちがどっち
﹂
互いへと向けられていた兄弟の視線が、不意に二人の妹へと同時に向いた。
打ち払いながら肉迫する。
負傷著しいパリスが矢を射かけながら必死に後退し、ヘクトールがそれを危なげなく
││彼女らの兄弟が同時にその場に躍り出た。
!
!?
﹁私が本物です兄さん
!
第21節:運命の行方
439
!?
混乱しかけたパリスへと、生身のカサンドラが片手を振って声の限りに叫んだ。そし
﹂
﹂
てもう片方の手でアヴェンジャーを指差して、
﹁あっちが偽物です
﹁なっ││私は偽物なんかじゃありませんっ
﹁ごめんね、アヴェンジャーのカサンドラ
﹂
?
﹂
﹁それは兄さんの方じゃないかな ボクの得物は弓だよ 互いにカサンドラを狙う
ラを庇いながらじゃきついだろ
﹁ようやく追い詰めたな、パリス。逃げ足が呆れるくらいに速いお前も、俺からカサンド
パリスもカサンドラを庇うように彼女の前に位置を取った。
その全てが打ち払われた。
立て続けにパリスは射かける。だがヘクトールがアヴェンジャーの前に回り込むと、
ころで避けていた。
だが未来予知で狙撃を察知していたアヴェンジャーは、身を屈めてそれを間一髪のと
!
かけた。
どちらがどちらかを把握したパリスは、すぐさまサーヴァントの方へと向けて矢を射
心外だと言わんばかりにアヴェンジャーが憤慨する。
!
!
440
分にはこっちが有利だと思うけど﹂
?
?
﹁妹を殺そうとするとか、最低ねパリス﹂
﹂
ぁ、その⋮⋮ヘクトール兄さんに殺されるのでしたら、私としては有りかなと
?
アヴェンジャーが心底蔑んだ視線を以ってそう告げる。
その辺、キミの方はどう思う
﹁その理論で行くと、キミの前に立っている兄さんも最低ってコトになるんじゃない
⋮⋮﹂
﹁えっ
パリスが苦笑しながら後ろのカサンドラへと話を振った。
?
ください﹂
﹁はい﹂
﹁呼び方改まっても全然敬われてないな
﹂
!?
掲げた楯と不毀の極槍で、やはりその全てをヘクトールが打ち払う。
ドゥ リ ン ダ ナ
ぞんざいな扱いに泣きそうになりながらも、パリスが妹の要望通り矢を連射する。
!
﹂
を守らせていただきます。ですのでパリス兄さん、あっちの私は遠慮なく殺っちゃって
や
﹁ヘクトール兄さんに余計な苦しみを与えるわけにはいきません。なので全力でこの身
呆れるパリスにカサンドラは、ですが、と真剣な面持ちで続け、
﹁顔を赤くして何言ってんだこの妹は⋮⋮﹂
?
﹁ボクに余計な苦しみを与える分にはいいんだね
第21節:運命の行方
441
﹁もういい加減に観念したらどうですか
アヴェンジャーが声を張り上げた。
﹂
?
﹁貴女にも観えているのでしょう 自分たちの敗北という未来が。所詮パリスではど
442
あなた
﹂
!
私なんかに、いったい何ができるっていうの
﹂
!?
望的な未来なんて、その全てを叩き潰します
﹁それでもパリス兄さんと私が力を合わせれば、きっと貴方たちにも負けはしない。絶
あるのは決意だ。絶対に屈しないという、闘気滴る力強いまでの意志に他ならない。
その表情に絶望などない。恐怖などない。
だがカサンドラは、揺るがなき瞳で自分自身を見返した。
それでも﹂
﹁そうかもしれない。確かにパリス兄さんでは、ヘクトール兄さんには届かない。││
気がしない。逃げるだけで精一杯だと。
戦ってみて彼は判ったのだ。やはり自分の兄は偉大なのだと。どうやっても勝てる
歯噛みしながらも、その言葉に誰よりも納得したのはパリスだった。
う﹂
う足掻いても兄さんには勝てません。もう間もなくパリスは死に、貴女もすぐに後を追
?
﹁私一人では何もできない そんなことはわかってる。でもパリス兄さんがいてくれ
﹁無理よ
!
!
るなら、私はなんだってできるんです
はなく││
﹂
﹁さぁ、軌跡を示せ。未来を照らす光
ポ イ ボ ス・プ ロ フ ィ テ ィ ア
﹂
﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
パリスの脳裏に投影されるカサンドラの視覚。それは眼球が通す外界の情報などで
た。
・
紡ぐ呪文は一言。それによってカサンドラは、自分の視覚をパリスの視覚と共有させ
・
堂々と言い返し、カサンドラが右手をパリスへと差し伸ばした。
!
!
それは過たずパリスの頭蓋へと吸い込まれるように閃いて││予め攻撃が来るのが
その隙を逃すヘクトールではない。即座に間合いを詰め、電光石火の刺突を放つ。
脳に殺到する厖大なまでの情報量に、パリスが一瞬ふらついた。
﹁これ、は⋮⋮ッ
!?
判っていたかのようにパリスが絶妙なタイミングで弓を振るって打ち払った。
﹂
!
サンドラと視覚を共有したことで、リアルタイムであらゆる未来を観測できるように
否。未来予知〝じみた〟ではない。いまのパリスには明確に未来が観えていた。カ
だがやはり、その全てをパリスが弓で打ち払う。まるで未来予知じみた勘の良さだ。
驚きは一瞬。焦ることなくヘクトールが更なる刺突を乱打した。
﹁││っ
第21節:運命の行方
443
なったのだ。
そして持ち前の慧眼で、パリスは最適の行動を瞬時に読み取り実行したのだ。
視覚を共有したのがパリス以外の者であれば、それはまったく無意味だっただろう。
むしろその予知を信じられない以上、致命的なまでの視覚妨害と化したはずだ。
ポ イ ボ ス・プ ロ フ ィ テ ィ ア
けれどパリスは例外だ。アポロンをその身に宿す為にカサンドラの予知を信じるこ
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
とができる。ゆえにそれは、正に〝未来を照らす光〟になったのだ。
尋常ならざる頭痛を無視しつつ、一切の無駄なくパリスがヘクトールの猛攻を捌いて
いく。そして攻撃と攻撃の合間の一瞬の空白に、弓矢作成で精製した一矢を即座に天へ
と撃ち放った。
その一矢は中空で消滅し、代わりに豪雨の如き矢の群れが降り注ぐ。太陽神アポロン
の力を借りうけた広域射撃だ。
ヘクトールが後退して、楯と槍でアヴェンジャーを守る。
﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
やがて矢が止んで、ヘクトールはパリスへと問いかけた。
﹁これで終わりか
見て、苦々しくもその言葉の真意に納得した。
不敵に笑うパリスをヘクトールは訝しむ。だが忽然と現れた更なる二人の乱入者を
﹁うん、これで終わりだ。そして││ボクらの勝ちだよ、兄さん﹂
?
444
乱入してきたのは満身創痍のアルケイデスと、五体満足のアキレウスである。
二人がそれぞれヘクトールとパリスの横に並び立つ。
アルケイデスが淡々と告げた。
﹁援軍のクー・フーリンは確実に仕留めた。だが、残りは倒しきれなかった﹂
﹁オイオイ、あいつこっちに来てたのか ⋮⋮だが、クランの猛犬を仕留められたのは
それとも逃げるか
﹂
けれどアキレウスが復活を果たした以上、カルデアの戦力が劇的に減ったというわけ
大きいな。よくやってくれた。流石だ、アルケイデス﹂
!?
このまま戦うか
?
ではない。
﹁どうするカサンドラ
?
は驚愕
に、いまの攻防でトロイアの勝利が決するはずだった。
の場においての勝利についても同様だった。パリスではヘクトールに敵わない。ゆえ
トロイアの勝利は最初からほとんど確定していたと言ってもいい。そしてそれはこ
動揺を滲ませた呟き。だがそれは彼女にとって無理からぬことだった。
?
も露わに茫然としていた。
﹂
背中越しにヘクトールは問いかけた。だが返事がない。振り向けば、アヴェンジャー
?
﹁そんな││未来が、変わった⋮⋮
第21節:運命の行方
445
けれどそれが、あろうことか覆った。それどころか、人理を賭けた戦いの行く末すら、
﹂
最早五分の領域にまで持ち込まれた。何かを間違えれば、トロイアが負けてしまう可能
﹂
性すらあるだろう。
﹁カサンドラ
兄の一喝にアヴェンジャーがはっとした。
﹁ひとまず立ち止まってる時間はないはずだ。どうする
ヘクトールの指示にアルケイデスが無言で頷く。
﹁了解だ。退くぞ、アルケイデス﹂
﹁⋮⋮⋮⋮撤退、します﹂
にする。
アヴェンジャーが歯噛みする。後ろ髪を引かれながらも、躊躇った末にその言葉を口
││そのはず、なのに。
読んでいた。この選択こそが最適で確実なのだと、事実として知っていた。
それでもカサンドラとパリスとカルデアのマスターさえ仕留められれば問題ないと
ごろ本隊同士の戦いを、トロイア軍は制することができていないのだから。
できることなら退きたくない。それがアヴェンジャーの本心だった。なぜならいま
﹁それ、は⋮⋮﹂
?
!
446
平然としているように見えるアルケイデスだが、実際のところ彼のダメージは深刻な
のだ。いまも戦闘続行のお陰で立っていられるに過ぎない。すぐに治癒が必要だった。
となれば、ヘクトールがアキレウスとパリスを同時に相手取らなければならない。防
戦に秀でた彼をして、二人を同時に相手取ることは難しい。
そんな状況で幾ら未来を観測しても、この場での勝利は最早どう足掻いてもあり得な
かった。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
ならば一旦退くしかないだろう。それで仕切り直しだ。幸いこの場を退けば、勝利の
・
・
・
・
﹂
可能性はまだ幾らでもある。アヴェンジャーたちには、まだ籠城という最終手段も残さ
れている。
アキレウスのその言葉に、ヘクトールはニヤリと笑う。
﹁逃がすと思うか。いや、逃げられると思うか、オッサン
?
﹂
?
ア カ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
?
アヴェンジャーを狙ったパリスの矢は、だがアルケイデスが自身の体を楯にして問題
た。アキレウスも即座に間合いを詰める。
アルケイデスとアヴェンジャーが乗り込もうとし、パリスが矢を放って妨害を試み
言いながらヘクトールは、自身の傍らに気炎万丈の爆砕戦車を出現させた。
で何回逃げ延びたと思ってんだよ
﹁そりゃ逃げるくらいなら造作もないぜ オジサン、人類最速のお前さんからこれま
第21節:運命の行方
447
﹂
!
﹂
?
けていた。
﹁待ってください兄さん
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
本当に人理を崩壊させてでも、トロイアを護る気ですか
﹂
!?
﹁⋮⋮⋮⋮ああ、この地、この時代に現界した以上、俺にトロイアが滅ぶのを見過ごすこ
!
厳かに告げ、ヘクトールがその身を翻そうとした。そこへカサンドラが咄嗟に声をか
勝たせてもらうぞ、アキレウス﹂
﹁オジサンもだ。⋮⋮だが、それでも、俺も我が儘言ってられねぇからな。⋮⋮次こそは
﹁かもしれないな。もう二度と戦いたくないと思っていたが﹂
その辺、どう思うよアキレウス
﹁いやいや、まさか本当に生き延びるとはな。やっぱり俺とお前は戦う運命なのかねぇ。
アキレウスと打ち合っていたヘクトールが、その瞬間距離を取った。
気炎万丈の爆砕戦車が空中を駆け抜けていく。
ア カ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
不 敵 に 微 笑 む ア ヴ ェ ン ジ ャ ー が 最 後 に そ う 言 い 残 し、ア ル ケ イ デ ス の 駆 る
けどね﹂
﹁また会いましょう、もう一人の私。貴女たちがトロイア城塞を攻略できるならば、です
・
なく防いだ。接近してきたアキレウスも、ヘクトールが前に出て押し留める。
俺もすぐに逃げる
!
返事の代わりにアルケイデスが手綱を振るった。
﹁行け、アルケイデス
448
となんてできないんだよ﹂
﹁兄さん、それは間違っています。考え直してください
﹂
﹂
!
そこに
!?
誰一人として人間扱いされることもなく、何もかもが奪われる
何も罪のない人たちがっ、薄汚い欲望のままに虐げられるんだぞ
一切の情けはない
ずだッ
﹁アカイアに負けたトロイアの人々が、いったいどんな目に遭うかお前は知っているは
震える声でヘクトールが問いかけた。
﹁⋮⋮何がだよ
?
こそ、幸せになってほしかったんだ⋮⋮っ
﹂
!
﹂
俺はっ⋮⋮俺はお前に
この地に現界した彼が、トロイアを護る以外の選択など、取れるはずがなかったのだ。
しないだろう。
モノを護れなかった。死後、英霊となった彼が懐いた無念は、きっと誰にも推し量れは
自らの全てを賭して、愛する者たちを護ろうとしたヘクトールは、結局護りたかった
そこには憎悪があり、怨嗟があり、悲哀があり、そして絶望があった。
た。普段彼が隠し通していた本心が、思いの丈が、その全てが曝け出されていた。
その慟哭を伴った力の限りの訴えに、カサンドラもパリスもアキレウスも言葉を失っ
それをどうしてっ、愛する人々のそんな末路をっ、この俺が許容できるというッ
!
!?
!
!
﹁これが最後だカサンドラ。俺と共にトロイアに戻ってくれ
第21節:運命の行方
449
!
﹁兄さん⋮⋮﹂
﹂
!
⋮⋮さよならだ、カサンドラ﹂
﹁それでも⋮⋮俺は今度こそ、トロイアを護ってみせる。その邪魔は誰にもさせない。
が呟いた。
差し伸べられた手が力なく下がる。全ての想いを押し殺して、そうか、とヘクトール
ことを愛しているのなら、その選択だけは││選んではいけない。
その選択だけは、決して選んではいけないのだ。カサンドラが、本当にヘクトールの
えて懸命にその言葉を吐き出した。
心が張り裂けそうになりながら、胸が抉られそうになりながら、カサンドラは涙を堪
﹁⋮⋮それは、できません。私は⋮⋮トロイアを、滅ぼします﹂
それでもカサンドラは、ヘクトールの手を取らなかった。
笑っていられる楽園がある。
だってその先には、きっと温かな日常があるのだから。トロイアの誰もが、きっと
ことなら取りたかった。
いまにも泣きそうな顔で、縋るように差し伸べられたその手を、カサンドラもできる
ていいはずがない。だから一緒に来るんだ、カサンドラ⋮⋮
﹁トロイアが滅びれば、お前に待ち受ける未来は判っているはずだ。あんな結末を認め
450
第21節:運命の行方
451
まるで永別を告げるように言い残し、ヘクトールが想いを振り切るように山を駆け下
りていく。
アキレウスはそれを追わなかった。全力で逃げに徹した彼を追撃して仕留められる
わけがないと、誰よりも理解しているがゆえに。それに何より、とても追う気分にはな
れなかった。
カサンドラが蹲る。堪えきれなくなった嗚咽と共に、滂沱のように涙を流していた。
アキレウスは、ふとアルケイデスの言葉を思い出した。
││お前の相手を、あの男以外の誰が務める。
その言葉を、アキレウスは本当の意味で理解した。
ヘクトールは、アキレウスが倒さなければならない。それは人理を守る為ではなく、
ましてやアカイアの為でもなく、因縁があるからでもないだろう。
アキレウスは、この場で泣いて蹲る少女の為に、ヘクトールと戦わなければならない
のだ。
運命が揺れ動く。運命は此処に流転した。その行く末を、誰も見通すことなどできは
しない││
結局わたしは彼の頼みを断れず、その意志を尊重して共にアカイアの陣屋まで連れて
た。その理由は訊くまでもないだろう。
けれど小次郎はそれを決して肯んじなかった。私も連れていけと言って譲らなかっ
だから彼だけは、イデ山に残していこうと思っていた。
つの動作が文字通り命を削ってしまうのだ。
体になってしまっていた。無理に動こうとすれば体への負担が尋常ではないらしく、一
小次郎の命は無事に取り留めた。とはいえ、やはり少なくとも数日はまともに動けぬ
日も落ちていた。
アキレウスの戦車でアカイア軍の陣屋へと直行した。着いたのは夕方で、ほどなくして
ヘクトールたちがイデ山から撤退して、小次郎に解毒薬を飲ませた後、わたしたちは
夜の帳が降りた星空の下で、それを孔明の口から直接聞いた。
ア軍は城塞へと帰還し、アカイア軍も海岸の側の陣屋へと既に全軍が戻ってきている。
それぞれの軍が退いたことで、その日の戦いは日の暮れないうちに終熄した。トロイ
第22節:決戦前夜・アカイア
452
きた。いまは大人しく眠りについている。
それからだった。戦いに介入していたメンバーと無事に合流して、直接情報交換を
行っていたのは。
アキレウスの幕舎の中で休んでいる小次郎を除いたわたしたちイデ山チームと、孔
明、エミヤ、ジャンヌ・オルタ、アストルフォに加え、マシュと顔立ちがちょっと似た
﹂
お姉さん、アイアスさんが幕舎の側で焚火を囲んで集まっていた。
﹁││それでさ、どうしてエミヤは簀巻きにされてるの
ように縄でグルグル巻きにされてテキトーに投げ出されていた。
みんなが体育座りだったり胡坐だったり思い思いに座っている中で、彼だけが芋虫の
?
のに宝具の投影を行ってしまったらしい。片目の視力が死んでいて、触覚も希薄だった
要約すると、昨日アルケイデスとの戦いで魔術回路を酷使して体の調子が軽くヤバイ
のエミヤの蛮行を教えてくれた。
つまりどういうことだろう。いまいち話が読めないわたしへと、アイアスさんが今日
かった﹂
﹁だが、英霊におよそ常識人などいないのだ。そんなこと、もっと早くに気がつけばよ
孔明が葉巻の煙を吐き出してから、遠い眼をしてそんな言葉を漏らした。
﹁マスター、私は今日までエミヤのことを常識人だと思っていた﹂
第22節:決戦前夜・アカイア
453
にも拘らずだ。
本人は問題ないの一点張りだ。それがただの痩せ我慢だと、他のみんなは思ってい
る。話を聞いたわたしも、多分そうだと思った。だってエミヤだし。
きっとこれからの戦いでも、エミヤをスタメンから外すことはないだろう。
首を傾げるわたしへと、孔明が首肯した。
﹁つまるところ、エミヤが縛られているのはこれ以上勝手な行動を取らせない為
?
﹁いや、その⋮⋮本当にすまない⋮⋮﹂
﹁ちなみに体の調子をよくする効能も織り交ぜてある。ありがたく思えファックが﹂
エミヤが顔だけわたしに向けて苦笑する。
た。さながら天の鎖か、あるいはマグダラの聖骸布だな﹂
﹁いや、参ったよこの縄は。呪術が織り込まれていてね、霊体化しても抜け出せないと来
﹁少なくとも明日の朝まで解放する気はない﹂
﹂
の戦いの折に彼を召喚して以来、ずっとスタメンを張ってもらっているのもその為だ。
利なのだ。彼がいるかいないかで状況への対応力がまるで変わってくる。オルレアン
確かに孔明の言うとおりかもしれない。エミヤの投影魔術はこれ以上ないくらい便
が、それでエミヤの魔術回路が使い物にならなくなったら元も子もあるまい﹂
﹁エミヤのおかげでアカイア軍の損害は抑えられた。ああ、無論それはいいことだ。だ
454
竜殺しさながらの、申し訳なさを露わにした表情でエミヤが言った。
きっと無理やり抜け出そうと思えば抜け出せるのだろう。そうしないのは、みんなに
﹂
心配をかけてしまったという自覚があるからかもしれない。
﹁おう、錚々たる面子が揃っておるではないか
ているのだろう。
れたところからは騒がしい声も耳に入ってくる。きっとアカイア兵たちが飲み会をし
イスカンダルは見たところ軽く酔っていた。酒臭さが漂ってきている。ちょっと離
ダーくんがどうしてこうなってしまうのか、やはり不思議としか言いようがない。
の は 特 異 点 と な っ た 第 四 次 聖 杯 戦 争 以 来 だ ろ う か。紅 顔 の 美 少 年 で あ る ア レ キ サ ン
大きな瓶を抱えた赤ら顔の巨漢、征服王イスカンダルである。こうして顔を合わせる
不意に焚火を囲むわたしたちへと大声を張り上げた男がいた。
!
﹁なに、朝になれば酔いも醒めるさ。アカイアの連中もそれほど飲んでいるわけではな
﹁私は明日の戦いに弊害がないかと心配しているのだが﹂
らな。余の固有結界の力を知った以上、最早奇襲がどれほど下策か思い知ったはずだ﹂
﹁案ずるな坊主。トロイア軍が今夜奇襲してくることはあり得ぬよ。なんせ余がいるか
呆れ顔で孔明が言った。
﹁ライダー、貴方はどうして戦の最中だというのに酒盛りに興じているのだ⋮⋮﹂
第22節:決戦前夜・アカイア
455
いからな。むしろ飲んでいるというよりは、食っているという表現の方が正しかろう。
どぅへへ、もっと飲もうぜ、うぇっへっはあはは⋮⋮﹂
いい肉だぞ。後で坊主も喰うがよい﹂
﹁││イスカンダル殿ぉ
﹁あぁ、オレぁいいんだよ。ちょっと今日は俺も無理しすぎてなぁ 命に関わるから
アイアスさんが言った。ものすごく頭痛を催してそうな渋面だ。
﹁オイ、ディオメデスが完全に泥酔しているのだが⋮⋮﹂
酷くだらしない顔でイスカンダルに肩を絡めてくる、これまた巨漢の男が一人。
!
456
だってよ。だはははは
﹂
マ カ オ ン に 今 度 こ そ 前 線 に 出 る な っ て 怒 ら れ ち ま っ た ん だ よ。さ も な い と ぶ っ 殺 す
!
﹁んぁ、そっか⋮⋮わかった。じゃあまたあとな
﹁それで、用とは
配だった。
﹂
﹂
ふらついた足取りでディオメデスが引き返していく。戻る途中でぶっ倒れないか心
!
うか﹂
﹁おう、ディオメデス。余はちっとばかし彼らに用があってだな。またあとで共に飲も
笑い上戸と言うのか。涙すら零しながらディオメデスがひたすらに笑い続ける。
!
孔明が改めてイスカンダルへと問いかける。
?
﹂
﹁ここに彼の駿足のアキレウスがいると聞いてな。是非とも一度会ってみたくてこうし
て足を運んできた次第だ﹂
にんまりと笑い、イスカンダルがアキレウスの隣に腰を下ろした。
﹁士気がボロボロだったアカイア軍に発破をかけてくれたのはアンタだって
アキレウスも不敵な笑みを返しながら問いを投げた。
アイオニオン・ヘタイロイ
﹁余は連中を煽っただけだ。立ち直らせたのはディオメデスよ﹂
いってな﹂
を 合 わ せ て い る だ け で も 判 る さ。ア ン タ は 俺 の 知 っ て い る 王 の 誰 と 較 べ て も 凄 ま じ
ろうな。でなければああまでなったアカイア軍が立ち直れるわけがない。こうして顔
﹁だとしても見事なものだ。アンタの〝 王 の 軍 勢 〟とやらがよほど鮮烈だったのだ
?
﹂
?
﹁明日、我らは戦列を共にする。互いに悔いのない戦をしよう﹂
アキレウスがそれを受け取り杯を軽く合わせると、小気味よい音が鳴る。
内の一つを差し出した。
アキレウスがそう応じるや否や、イスカンダルは瓶から二つの杯へと酒を注ぎ、その
﹁ああ、構わないぜ。俺もアンタみたいな奴は嫌いじゃない﹂
キレウスよ、一杯交わし、余と友誼を結ばぬか
﹁うむ、彼のアキレウスにこうも称賛を受けると、流石の余をして面映ゆいな。どうだア
第22節:決戦前夜・アカイア
457
厳かに宣うイスカンダルに、アキレウスもまた真剣な面持ちで頷きを返す。二人が酒
を同時に一息で呷った。
それを見届けてから、孔明が改めて口を開く。
始めていいぞ坊主。余も参加しよう﹂
?
﹂
?
また城壁の届かぬ上空や地底にも焔の結界が展開されており、侵入を試みた者を一瞬
上級の対城宝具を以って攻城に臨まなければ話にもならないという。
城壁。その規格外の強度は対人宝具による攻撃も対軍宝具による攻撃も受けつけず、最
〝 語り継がれし護国の煌壁 〟。そ れ は ア ポ ロ ン と ポ セ イ ド ン が 建 造 し た ト ロ イ ア の
ト ロ イ ア ス・ ブ レ イ ズ ウ ォ ー ル
挙手して質問したわたしへと、パリスが答えた。
﹁〝語り継がれし護国の煌壁〟はね、ランクEXの結界宝具なんだ﹂
ト ロ イ ア ス・ ブ レ イ ズ ウ ォ ー ル
﹁えっと、どういうこと
分かってないのはわたしとジャンヌ・オルタとアストルフォくらいだろうか。
苦々しい面持ちでアキレウスが呟いた。他の面々の表情も同様に深刻である。よく
﹁籠城か⋮⋮厄介なことになったな﹂
軍は恐らく城塞の前で展開するだろう。いつでも籠城できるようにな﹂
﹁では⋮⋮パリスたちが聞いたアヴェンジャーの言葉を鑑みるに、明日の戦い、トロイア
﹁おう、軍議だな
﹁さて、そろそろ本題に入りたいのだが⋮⋮﹂
458
で熔解させるような代物らしい。
エ
ク
ス
カ
リ
バー
つまり、籠城されれば打つ手がないということなのかもしれない。
⋮⋮そんなもの││﹂
﹁最 上 級 の 対 城 宝 具 っ て い う と、ア ー サ ー 王 の 約束された勝利の剣 と か の こ と だ よ ね
わたしの内心の不安を打ち消すように、エミヤが不敵な笑みを浮かべてはっきりと宣
﹁私が用意してやろう。攻城は任せたまえ﹂
言した。
刺すような視線を以って孔明が告げる。
﹁おいエミヤ、いい加減少しは自分のことを顧みろ﹂
﹂
?
ない。籠城を続けられ、攻城の見込みがなければいずれアカイア軍の士気はまた下がる
﹁⋮⋮エミヤくんの言う通りだ。彼が聖剣を使わなければ、ボクたちはトロイアに勝て
意を決したように口を開いた。
カサンドラの言葉を聞いたパリスも暫しの間考えるような素振りを見せて、それから
そっとパリスに耳打ちする。
エミヤに話を振られたカサンドラが僅かの間言い淀んだ。それから躊躇いながらも
﹁えっと、それは⋮⋮﹂
﹁そうは言うがな、他に手はあるまい。そうだろう、カサンドラ
第22節:決戦前夜・アカイア
459
だろう。そうなれば、やはりアカイア軍は勝てなくなる﹂
﹁なんだと
﹂
驚くエミヤに代わり、孔明が尋ねた。
﹂
?
なれば、確実に迎撃してくるはずだ﹂
きない。明日、明後日と連日聖剣を叩き込めば、そのうち城壁は破壊できるからね。と
﹁城壁を破壊しきれずとも、ダメージを与えられる以上は向こうもキミの存在を無視で
﹁む、それはいったいどういうことだ
﹁││とはいえ、それで充分なんだよ﹂
エミヤが悔しげな表情を浮かべる。
﹁そうか⋮⋮﹂
じゃ、精々城壁に罅を入れるのがやっとだろう﹂
ければ、全力で振るうこともできないんだ。繰り出せて三発が限度だろう。その回数
とで潤沢だからそこは問題ない。けれど、エミヤくん自身に聖剣を使い続ける余力もな
﹁うん、聖剣の投影自体はほぼ完璧だし、魔力供給もカサンドラが彼女とパスを繋いだこ
?
?
﹁それはやはり、エミヤの魔術回路がズタボロなせいか
﹂
﹁もっとも、エミヤくんの聖剣ではトロイアの城壁を破壊しきることは不可能だけどね﹂
﹁決まりだな。攻城は私に一任させてもらおうか﹂
460
そこを叩く、とパリスが最後に力強くそう言った。
ほら、エミヤの魔術回路のこともそうだし、小次郎のことだってあるし⋮⋮﹂
﹁ねぇ、それなら攻めるのは待って、数日は回復の為の期間を置いた方がいいんじゃない
かな
﹂
?
策なんだ﹂
そ二十四時間なんだ。だから対城宝具を撃たれる心配がないその間に攻め込むのが得
﹁あいつの勝利呼び込む天聖剣は一日一回しか発動できない。そのクールタイムはおよ
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
アストルフォが答えた。
﹁理由はローランだよ﹂
﹁それはどうして
わたしの提案に、頑として孔明が主張した。
﹁いや、決戦は明日だ﹂
?
そしてカサンドラに耳打ちされたパリスのその言葉が決め手だった。彼が││いや、
﹁うん、攻めるなら明日だろうね﹂
発動できない状況で聖剣を使われれば被害は著しいだろう﹂
﹁アイアスに加え、いまならマシュとアキレウスもいるからな。だがこの三人が宝具を
焚火に小枝をくべながら、孔明がさらに補足する。
﹁無論、防ぐ手立てがないわけではない﹂
第22節:決戦前夜・アカイア
461
ひいては彼女がそう言うのなら、攻めるのは明日以外にありえなかった。
﹂
﹂
アンタ勝手に何言ってるのよ
!
なかったのを忘れたの
﹂
?
?
アレ、わりとあと一歩で倒せたよ
?
にかっと笑うアストルフォに、ジャンヌ・オルタが恥ずかしそうに赤面する。
だよ。だから落ちこんでちゃダメだぞジャンヌ﹂
の読みが正しければ、本当にあと一、二撃でジャンヌの攻撃は致命傷に到っていたはず
﹁決して攻撃が効いてないわけじゃないんだ。ダメージは確実に蓄積されていた。ボク
あはは、と笑うアストルフォだが、すぐに真剣な表情になって言葉を続け、
いんだ﹂
﹁ローラン、戦闘続行持ってるからね。ついでに理性もアレだから、痛みにものすごく鈍
﹁うそ、だってアイツめちゃくちゃピンピンしてたじゃない﹂
﹁え
﹂
﹁問題も何も、私らじゃアイツに勝てなかったじゃない。三人で全然まったく歯が立た
驚くジャンヌ・オルタにアストルフォが不思議そうに首を傾げる。
!?
ね。そこんところよろしく
﹁は
!?
﹁え、なんか問題あった
?
﹂
﹁あ、そうだ。ついでに言っておくけど、ローランの相手はボクとジャンヌがするから
462
﹁お、落ち込んでなんていませんっ むしろ⋮⋮そう、私の最強っぷりがつらいくらい
です
防 御 宝 具 を た だ の 旗 で ぶ ち 破 っ ち ゃ う と か、も う ホ ン ト 有 能 過 ぎ て つ ら い
!
﹂
?
方はヴラドと相性がいい﹂
鬼化されても、固有結界の中は照りつける太陽が出ている。どちらにせよ文句なしで貴
らば固有結界の中に引き摺り込めばヴラドは宝具を使えなくなる。それに万が一吸血
﹁ヴラドの極 刑 王は護国の鬼将で自身の領土とした場所でなければ使用できない。な
カズィクル・ベイ
﹁ほう。して、その理由は
孔明が話し合いを続行した。
﹁さて、次にヴラドだが、ライダーに相手をしてもらいたい﹂
途端に勝ち誇る彼女に、思わず笑みが零れてしまう。
わー﹂
!
﹂
が却下だ﹂
﹁⋮⋮は
?
﹂
!?
身を乗り出しかけた孔明に、イスカンダルは一杯の酒を呷ってから答える。
﹁な、なぜ
﹁つけ加えて言うのなら、余は明日の戦いで王 の 軍 勢を使う気もない﹂
アイオニオン・ヘタイロイ
﹁なるほどな。反論の余地もなく、余はこれ以上ないというくらいの適役らしいな。だ
第22節:決戦前夜・アカイア
463
﹁考えてもみよ。アカイア軍にもトロイア軍にも魅力的な英雄がなんとまぁ多いこと。
余は真剣に悩んだぞ。トロイア軍に与してアキレウスを初めとする猛将たちと矛を交
えるか、古今東西名だたる英雄たちが集ったトロイア軍と戦うか、それとも第三勢力と
してこの戦に参戦し、両軍に喧嘩を吹っ掛けるか、それはもう唸るほどに悩んだほどだ。
そのせいで些か出遅れてしまったわ﹂
その言葉に誰もが頭を抱えていた。第四次聖杯戦争となった特異点で知っていたと
はいえ、この英雄はフリーダム過ぎる。そうでなければ覇者として世界に名を刻むなど
できなかったのかもしれないけれど。
﹂
?
じ土俵、同じ条件で戦わずしてどうする。余は奴が率いるトロイア軍を、アカイア軍を
れほどの男を前にすれば、戦術家としての余の血が騒いで仕方がない。であれば奴と同
﹁そしてガイウス・ユリウス・カエサル。余の相手に最も相応しき男は奴に他ならん。あ
﹁ライダー⋮⋮﹂
てはと思ったのだ﹂
﹁ウェイバー、そなたとは一度矛を交えた。ならば今度こそは共に肩を並べて戦わなく
孔明のオウム返しにイスカンダルが笑みを浮かべて、然り、と答えた。
﹁私とカエサルだと
﹁││だがやはり、決め手はそなたとカエサルよ﹂
464
率いて真っ向から制覇しよう﹂
﹁アカイア軍を率いるって、そんな無茶な⋮⋮﹂
アイアスさんが言った。その視線は飲み会で騒がしい方へと向いているし、彼女の口
﹁ああ、孔明、それならどうやら大丈夫そうだぞ﹂
﹂
元には呆れたような笑みが湛えられている。
﹁どういうことだ
﹂
!?
ドヤ顔で胸を張り、イスカンダルがさらに一杯の酒を一気に煽った。
孔明が溜息を吐いた。それで全部を吹っ切ったのか、ニヤリと笑みを浮かべた。
﹁うむ、ならばウェイバー・ベルベットよ。軍師として余の隣に並び立て。よいな
無論です、我が王よ﹂
?
次の特異点以来だろうか。
孔明の眼が僅かに潤んでいるように見えた。その嬉しそうで楽しそうな表情も第四
﹁⋮⋮
!
﹂
﹁見たか坊主、これぞカリスマAよ。アカイアの者たちは既に皆、我が朋友に他ならん﹂
﹁なに貴方は軽くアカイア軍を乗っ取ってるんだ
その男の指揮下に入りたいと言っている者が半数以上だ﹂
﹁夕暮れから酒盛りを始めた結果、将兵たちとそこの男は完全に意気投合してな。既に
?
﹁わかった。もう好きなようにしてくれ。臣下として、貴方の邪魔はしないとも﹂
第22節:決戦前夜・アカイア
465
﹂
ならばマスターとして、わたしが口を挟むことはない。孔明には自分の思ったままに
戦ってほしい。
﹁⋮⋮さて、それで、呂布の相手はどうする
﹁止めるべきではないのか、マスター
﹂
﹁アルケイデスの相手は、アキレウスが務めるのが最適だろう﹂
だな﹂
﹁⋮⋮わかった。マスターがそう言うのなら私も止めん。⋮⋮では、次はアルケイデス
りを穢すことになると思うから﹂
﹁⋮⋮止めたいけど、止められないよ。きっと止めちゃだめなんだ。それは小次郎の誇
エミヤの言葉に、わたしは微笑して首を振る。
?
呂布の前に立つと思う﹂
﹁それでも、小次郎が戦う。きっと本人も譲らない。毒に侵された体を引き摺ってでも、
ないが、毒を受けた小次郎では荷が重いと思うのだが⋮⋮﹂
﹁呂布は今日、クー・フーリンと戦って重傷を負った。どれほど回復しているかはわから
此処にいない彼に代わり、わたしがきっぱりと答えた。
﹁呂布の相手は、小次郎がする﹂
歓喜に打ち震えていた孔明に代わり、エミヤが言った。
?
466
孔明がチラリと彼へと視線を向けた。
確かに現状、アルケイデスに対して最も相性がいいのはアキレウスだろう。神獣の裘
の護りを突破できるし、逆にアルケイデスはアキレウスの護りを突破できないはずだ。
けれど、
﹁おう、断る﹂
﹁お前もか⋮⋮﹂
きっぱりと悪びれもなく言ったアキレウスに、孔明が諦めたように嘆息する。
きゃいけない野郎は他にいる﹂
﹁ア ル ケ イ デ ス に 挑 み た い っ て の は 俺 と し て も 山 々 な ん だ が な。け ど 俺 が 相 手 を し な
﹂
?
﹂
?
?
﹂
?
﹁貴女はクサントスたちを癒してくれた。孔明殿には借りを返したつもりだが、貴女に
﹁私の為⋮⋮
中には既にない。だから俺は、貴女の為に戦いたいんだ。カサンドラ王女﹂
﹁いや、パトロクロスの復讐はきっちり済ませたさ。オッサンへの恨みも憎しみも、俺の
ないと
﹁それはやはり、憎悪の為ですか 一度殺してなお、貴方の親友を殺めた兄さんが許せ
カサンドラの問いにアキレウスが決然と頷いた。
﹁兄さんと戦うつもりなんですか
第22節:決戦前夜・アカイア
467
はまだ恩義に報いていない。だから一時だが、この槍を貴女に預ける。俺という武器を
貴女の好きなように使ってくれて構わない。貴女の望みが叶うまで、この身は貴女の為
にある。なんでも命じてくれ﹂
﹁もし私が自害を頼んだらどうするんですか
﹂
ただ勝つのではなく、兄さんが
﹁その⋮⋮兄さんと一対一で戦ってくださいますか
笑みを浮かべてアキレウスが答えた。
微妙にいい雰囲気だった。それを見かねたパリスが咳払いをして、
﹁ありがとう、ございます﹂
その迷いのない彼の言葉に、カサンドラも泣きそうになりながら笑みを返した。
﹂
全てに納得したうえで、倒してくださいますか⋮⋮
?
﹁ああ、承知した﹂
?
﹁気にするな。頭を上げてくれ。そして命じてくれ﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい。すごく、意地の悪いことを言いました﹂
即答したアキレウスに、カサンドラが頭を下げた。
﹁それを本当に貴方が望んでいるのなら、迷わずこの命を差し出そう﹂
?
﹁知っている﹂
﹁⋮⋮貴方は、兄さんの仇です。私はいまも貴方を恨んでいるし、憎んでいます﹂
468
﹁⋮⋮アキレウス。妹に手を出したらどうなるか分かっているだろうね
狩人みたいな感じだから
﹂
﹁獣耳属性なんだ、アキレウスって⋮⋮﹂
﹂
﹂
﹁あ、いや、別にそういうつもりじゃねぇよ。俺の好みはもっとこう⋮⋮そう、麗しの女
?
ヒ
ポ
グ
リ
フ
⋮⋮それはもしかして、この世ならざる幻馬のことかい
﹂
?
流石、あらゆる宝具を持つアストルフォだった。本人の力量が低くても、決して彼は
るだろう﹂
だ。次元を超えられるキミの幻獣なら、トロイア城塞の焔の障壁も掻い潜ることができ
﹁うん、通常ならばトロイアに侵入するなんて不可能だ。けれど、キミの宝具だけは例外
﹁ボク
?
﹁現状、一つだけ手段があるんだ。││キミの宝具だよ、アストルフォくん﹂
普通ならね、とアキレウスの疑問にパリスが答える。
?
は城塞内に侵入して兄さんと戦うしかない﹂
﹂
﹁⋮⋮兄さんとアヴェンジャーは、城内から出てこないみたいだね。だからアキレウス
その間にカサンドラが再度パリスに耳打ちしていた。
ぼそっと呟いたわたしにアキレウスが異議ありと言わんばかりに食いついてきた。
﹁いや、ちょっと待て。なんでそうなるんだよ
!?
!
﹁待てパリス、侵入はできないんじゃないのか
第22節:決戦前夜・アカイア
469
足手纏いになどならないだろう。
﹂
?
?
﹂
?
そう。この特異点での戦いの発端は、そもそもヘクトールに起因していると言っても
しは彼女のその言葉に、不思議とすぐに納得していたのだから。
それはきっと予言ではなく、カサンドラ自身が考えた末の言葉だったのだろう。わた
それこそが貴女にとっての、カルデアのマスターにとっての戦いなんだと思います﹂
﹁貴女は私やパリスと一緒にアキレウスと兄さんの戦いを見届けなくてはなりません。
わたしで間違いがないと言うように、カサンドラがはっきりと頷いた。
突然の慮外の指名に、思わず自分を指差した。
﹁え、わたし⋮⋮
﹁トロイアに乗り込むのは私とパリスとアキレウスと││それから、貴女です﹂
オッサンの戦いには立ち会うつもりだろう
﹁それで、トロイアには俺の他に誰が乗り込むんだ カサンドラ王女、貴女も当然俺と
重要なはずのやりとりを二秒で終えた二人に、ジャンヌ・オルタが呆れ顔で呟いた。
﹁アンタたち宝具の貸し借りあっさりし過ぎでしょ⋮⋮﹂
﹁わかった。好きに使え﹂
﹁うんいいよ。けどその代わり戦車貸してね﹂
﹁よし、ならアストルフォ。お前の馬を俺に貸せ﹂
470
過言ではないだろう。彼と、そして彼自身の想いと向き合わずして、この特異点での戦
いは終結しない。終結させてはならないのだ。
す﹂
﹁⋮⋮わかった。わたしも二人の戦いを見届ける。そして、今度こそちゃんと答えを出
エサル率いるトロイア軍をライダー率いるアカイア軍が、呂布の相手を小次郎が。そし
﹁およその配役は決まったな。ローランの相手をアストルフォとジャンヌ・オルタが、カ
てヘクトールの相手をアキレウスがするというわけだな﹂
一同の顔を孔明が見回す。それぞれが頷きを返した。
うべきか。
もしくはやはり、ヘクトールと戦う前にアキレウスにアルケイデスの相手をしてもら
うか。
ここは誰か一人がヴラドを抑え、その間に残りの戦力でアルケイデスに挑むべきだろ
には至らなかった。
しても一歩届かなかったし、消耗していたとはいえクー・フーリンでさえ彼を打倒する
それでも未だ最強の敵に変わりはない。エミヤがアイアスさんとディオメデスと共闘
アルケイデス。彼こそが最大の問題だった。既に多くの宝具を失っているとはいえ、
﹁あとは、ヴラドとアルケイデスか。さて、どうするかだが⋮⋮﹂
第22節:決戦前夜・アカイア
471
﹁││││││││﹂
アルケイデスと一対一で戦うと、不意に一人が申し出た。
﹂
発言者にみんなの視線が集中する。誰もが驚きに眼を見開いていた。
﹁本気なの⋮⋮
その瞳に迷いはなく、恐れもありはしなかった。
わたしのその言葉に、決然とした頷きが返ってきた。
?
472
﹂
﹂
第23節:決戦前夜・トロイア
﹁あっ、オジサンだ
﹁ヘクおじこんばんは
!
!
﹁あらあら、ヘクトールさんじゃないですか﹂
兜被ってねぇけど
﹂
!
!
今日も兜輝いてんぞ
!
無論、ヘクトールはそんなことを咎めない。彼らの不躾とも取れる態度を不敬などと
対的な関係でありながら、民の誰もが気安くヘクトールに話しかけてくる。
それでもヘクトールを前にして、誰もかしこまったりはしていない。王と民という絶
あった。
老王プリアモスに代わって実権を担っていたヘクトールは、トロイアの実質的な王で
さまざまだった。
幼い男の子や女の子、ふくよかな婦人やヘクトールと同じ年頃の中年男性。老若男女
顔で次々と民が集まってきた。
茜色に染まった夕暮れの城下町をなんとはなしに歩いていたヘクトールに、満面の笑
﹁よ、ヘクトール
第23節:決戦前夜・トロイア
473
は思わないし、気楽に接してくれた方が肩が凝らなくていいとさえ思っていた。
﹂と言いながら遠慮なしに叩いてくる。年
子供は平気でヘクトールにタックルをかましてくる。おばちゃんたちは猫背の彼の
背中を﹁もうちょっとしゃきっとしなさい
と言っても過言ではなかった。
その関係が心地よかった。彼にとってトロイアの人々は民であると同時に、全員が家族
光景なのだろう。確かに威厳がないのも困ったものだが、それでもヘクトールは民との
他国の王││とりわけ厳格だったり己を絶対とする君主から見れば、眼を疑うような
だった。
トロイアの民にとってヘクトールは王であると同時に、近所のオジサンのような扱い
の近い親父連中も、気安く肩を組んできたり脇腹を小突いてきたりする。
!
お前に抱かれたいって娘は結構多いぜ⋮⋮
﹂
?
?
﹁いやいや、オジサンだって嫁さんいる身なんだぜ 妓楼に寄ったってアンドロマケ
肩を組んでいた中年がこっそりヘクトールに耳打ちした。
?
﹁どうだい旦那、うちでちょっと休んでいかないか まだまだあっちも現役なんだろ
らやめさせていた。
涙目になり、苦笑しながら幼い少年にやんわりと懇願する。その子の母親が謝りなが
﹁あ、コラコラ、オジサンの顎ひげを抜こうとしないでくれよぅ﹂
474
?
にばれたら怒られちゃうだろ﹂
﹁おう、じゃあウチで一杯やってくか
﹂
カエサルか
﹂
ほっつき歩いてたドスケベそうなおっちゃんに酒を差し入れたからよ﹂
﹁ドスケベそうなおっちゃんって誰のことだよ
﹁いやあのデブっちょな人じゃねぇ。黒い服着た顔がちょっと青白い人だ﹂
?
下手をすればその場で串刺しもありえただろう。ヘクトールはそう考えたが、
?
?
﹁よりにもよってヴラドのことかよ⋮⋮ドスケベなんて言って怒ってなかったか
﹂
﹁あ、そ り ゃ そ う か。じ ゃ あ 王 宮 に 帰 っ た ら 酔 わ な い 程 度 に 軽 く 飲 む と い い。そ の 辺
﹁悪いねぇ、いま戦争中なんだよなぁ⋮⋮﹂
る男だった。そこはヘクトールにとって、生前の行きつけの店でもあったのだ。
反対側から肩を組んできた中年が口を挟んできた。この近くで飲み屋を経営してい
?
﹁ドスケベ公はね、すごく優しかったよ
?
﹂
﹂
!
少年の隣の女の子も、婦人たちも一様に同意していた。ならその愛称はやめてやれ
﹁うん、ドスケベおじさん、すごく紳士だった
ヘクトールを見上げる幼い少年が笑顔で言った。
!
たぞ﹂
﹁いや、特には怒ってなかったぜ 酒とつまみも笑顔でお礼を言って受け取ってくれ
第23節:決戦前夜・トロイア
475
よ、とヘクトールは思ったが。
﹂
!
﹂
!
﹁オジサンが甦った以上は、もうアカイアには好き勝手させねぇ。みんなはオジサンが、
者を下してみせる。
敵が立ち塞がっているが、それでも負けるつもりはなかった。今度こそ、あの最強の勇
本当にようやく、彼らに安寧を与えてやれるのだ。絶望の運命を覆せる。未だ強大な
そしたら、長かった戦争も終わるんだ﹂
﹁でも、もう心配はいらねぇんだ⋮⋮あと少しだ。あと少しでアカイアを追い返せる。
けど、とヘクトールは優しく笑みを浮かべ、
﹁おう、ありがとよ。お前のその心意気は、既に立派なトロイアの戦士だ﹂
それが、ヘクトールは嬉しかった。心の底からこの少年のことを誇りに思う。
ているのだ。この国を護りたいと思っているのだ。
う。それでも軍に志願しようとしてくれている。それだけ少年も、この国を愛してくれ
見れば少年の体は些かか細かった。きっと戦いなど、本来向かないタイプなのだろ
まから特訓頑張ってますんで
﹁俺、来月で十五になって、そしたら軍に入れるんです。俺もトロイアを護れるようにい
礼儀正しい少年が、ヘクトールに元気よく笑顔でそう言った。
﹁ヘクトールさん、今日もお疲れ様でした
476
今度こそ絶対に護ってみせるぜ﹂
﹁⋮⋮ねぇヘクおじ﹂
お嬢ちゃん﹂
不意にマントを引っ張りながら、幼い女の子がヘクトールを見上げていた。
﹁うん、なんだい
﹂
?
﹂
?
﹂
込み上げてくる想いを飲み込んで、ヘクトールは不敵に笑んでみせる。
その言葉が、何故か肺腑を衝いた。
﹁辛い時は、泣いてね
一瞬、言葉が出なかった。
﹁││││﹂
﹁ヘクおじ、無理しちゃダメだよ
ヘクトールは屈んで彼女と目線を合わせた。
?
?
﹂
?
ヘクトールを慮った言葉を、民たちは次々と口にする。
ロマケさんやプリアモスさまを不安にさせてはいけませんよ
﹂
﹁そうですよヘクトールさん。たまにはちゃんと休んでくださいね あんまりアンド
ねぇぞ。俺たちはよ、みんなお前が大好きだから心配なんだぜ
﹁ヘクトール⋮⋮お前昨日腕ぶっ壊して帰ってきたばっかだろ。ホント、無茶すんじゃ
﹁⋮⋮大丈夫だ。オジサン、こう見えて元気ありあまってるんだぜ
第23節:決戦前夜・トロイア
477
?
?
﹁そうか⋮⋮いやぁ面目ないなぁ。こりゃもうじき隠居した方がいいかもな
た。
﹂
苦笑しながら頭を掻く。幼い少女の頭を撫で、ヘクトールはよっこらせと腰を上げ
!
躊躇なく剣を自分の腹部へと突き刺した。横っ腹の脂肪を豆腐同然に抉り、カエサル
﹁さて、死ぬか﹂
暫しの間、瞑目していたカエサルはおもむろに開眼し、己の愛剣を握った。
その傍らには黄 の 死がある。
クロケア・モース
正座をしていた。
トロイア城塞の宮殿内のとある一室で、カエサルが武士さながらの整然とした姿勢で
日は既に暮れている。ひっそりとした静かな夜だった。
◇
にっと笑って、手を振りながらヘクトールは王宮へと向けて踵を返した。
弱音を吐いてしまいそうになる。
民と語らうのは好きだった。民の笑顔が好きだった。けれどここにいると、ついつい
﹁そんじゃ、そろそろ行くわ。またな、みんな﹂
478
﹂
が僅かに顔を顰めた。そのままゆっくり横にスライドしようとして││
﹁いやちょっと何やってんのお前
そりゃ是非もないって言うかよ⋮⋮﹂
?
一千もの兵を連れて生還してきたことこそ掛け値なしの偉業だった。
かも敵は数万。そんな状況で敗北を喫するのは当然と言っていい。むしろ全滅を免れ、
強行軍を行って敵の目前まで辿り着いたところで、固有結界に取り込まれたのだ。し
﹁相手はあの征服王イスカンダルだろ
尊大だったカエサルは見る影もない。簡単に言うと、超しょんぼりしていた。
く自裁させてくれ⋮⋮﹂
﹁とめてくれるな。意気揚々と奇襲を仕掛けて無様にも返り討ちに遭ったのだ。大人し
それを見かけたヘクトールが慌てて静止に入っていた。
!?
﹁それもそうだな﹂
向で頼みたいんだけどねぇ﹂
﹁いまお前に死なれるとオジサンすげぇ困るんだけど 死ぬよりも、雪辱を晴らす方
が出来上がったと聞く。その軍勢が宝具化していた可能性は充分あるだろう。
たのかもしれない。ガリア戦争終結後、ローマではなくカエサル個人に忠誠を誓う軍勢
カエサルがセイバー以外で召喚されていたならば、 黄 の 死 以外に対軍宝具を持ちえ
クロケア・モース
﹁せめて私がセイバーでなければ奴の軍勢にも対抗できたのだがな、多分﹂
第23節:決戦前夜・トロイア
479
?
クロケア・モース
逡巡は一秒もなかっただろう。自身へと突き刺していた黄 の 死を引き抜いて、カエ
サルが立ち上がる。
﹂
以上、彼奴の勝利と言うわけでもなかったな。生きている限り負けではないのだから
﹁さっきのは忘れるがいいヘクトール。次勝てば負けではない。そして私が生き延びた
480
差し入れでも持ってこさせてくれ。ピザとコーラを希望する﹂
!
﹁この時代にそんなもんねぇよ﹂
﹁そうだったな⋮⋮では、脳細胞を活性化させてくれる甘味を頼む。よいな
﹂
﹁ようし、では早速明日に備えて戦術でも練るとするか。ヘクトール、あとで私の部屋に
はトロイア陣営のサーヴァントの中でもカエサルだけだともヘクトールは思っていた。
価を発揮する。そしてイスカンダルの采配のその上を行くことができるとすれば、それ
というより、元よりそのつもりだったのだ。軍の指揮を任せてこそカエサルはその真
﹁ああ、そりゃあ構わんぜ﹂
ア軍を率いてくるだろう。奴は私と同じ戦狂いだろうからな﹂
もう一度私に貸してくれ。イスカンダルともう一度競い合いたい。奴も恐らくアカイ
﹁よし、腹は決まったぞヘクトール。明日の戦い、もしよければトロイア軍の全指揮権を
﹁切り替え早いなぁ﹂
!
﹁あいよ、食いすぎるなよー﹂
廊下まで共に歩く。ヘクトールの私室とカエサルにあてがった部屋は逆方向だ。背
を翻したカエサルに、ヘクトールは適当に手を振った。
﹂
﹁さぁ、イスカンダルめ、ファランクスでもなんでも来るがいい。我がローマが誇る散開
白兵戦術で返り討ちにしてくれるわ
んな言葉を口にした。
ヘクトールの内心を代弁するように、不意にいつの間にか隣に立っていたヴラドがそ
⋮⋮﹂
﹁││騒々しい男だ。せっかくの静かな夜だというのに、もう少し静かにできぬものか
たところで、ヘクトールは苦笑交じりにやれやれと嘆息した。
高笑いをしながらのそのそと進んでいく。その後ろ姿が角を曲がって見えなくなっ
!
微笑を浮かべてヴラドは言った。
由など余にはないとも﹂
﹁フ、構わぬさ。彼らは親しみを籠めて妙なあだ名で呼んでくれたのだ。ならば怒る理
﹁それはアンタもだろ。ところで、その時に民が失礼をしたようで、すまん⋮⋮﹂
﹁街を見回っていたらしいなヘクトール﹂
﹁よう、ヴラドじゃねぇか﹂
第23節:決戦前夜・トロイア
481
ヘクトールは正直なところ少し驚いていた。民はヴラドが怒っていないと言ってい
たが、それは怒りを堪えてくれただけだと思っていたのだ。
無
けれどヴラドには、本当に一切の怒気がない。穏やかな雰囲気さえあったのだ。
﹁ところでヘクトール、貴様の民に葡萄酒を献上されたのだ。一杯付き合わぬか
論、酔わぬ程度にだがな﹂
した。
?
のことだろう。
葡萄酒をちびちびと呷りつつ、ヴラドが言った。どうなのだとは、傷ついた体の状態
﹁それで、呂布やアルケイデスやローランはどうなのだ
﹂
周囲には誰もいない。だから王という立場を忘れ、二人でだらしなく石床に腰を下ろ
風は涼やかで心地がいい。僅かに雲は出ているが、星は充分に燦々と煌めいている。
トロイアの街並みを一望できる場所だった。都市より外の景色も見渡せる。
と案内した。
ヴラドのせっかくの誘いを断るわけにもいかなかった。ヘクトールはすぐにそこへ
﹁ああ、じゃあ城頭で風を浴びながら、星でも眺めるとするか﹂
が。
これまた驚きの発言だった。民からの好意を無駄にしたくない為なのかもしれない
?
482
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
﹁ア ル ケ イ デ ス と ロ ー ラ ン は 問 題 な い。カ サ ン ド ラ が 治 癒 魔 術 を か け 続 け て い る か ら
な。早朝には完治しているはずだ﹂
デ ュ ア マ ン テ・デ ィ・オ ル ラ ン ド
も っ と も、 朝 で は ロ ー ラ ン の 勝利呼び込む天聖剣 は ま だ 使 用 で き な い。
﹂
不屈なる金剛の躰の方は機能するようになっているらしいが。
﹁待て、ヘクトール。すると呂布は何か問題があるのか
﹂
﹁あぁ、奴はどうも駄目らしい﹂
﹁どういうことだ
?
?
呂布はトロイア城塞の外で赤兎馬と共に夜営していた。そこでじっと待っているの
しに行ったヘクトールに、呂布は特に動じた様子もなくそう告げた。
れば││つまりは戦闘行動を取ると数分とせずに自爆する恐れすらある。容態を確認
それに損壊した機械の部位がいつ爆発するとも判らないらしい。激しく動くなどす
つけてしまうのだ。
身の部位を治したところで、漏電して火花散る機械の部位が、生身の部位を内側から傷
機械の部位に深刻なダメージがある以上、生身の部位を治す意味もほとんどない。生
てからじゃないと修理もままならんらしい﹂
診せてみたが、どうも俺の右腕とはまた勝手が違うみたいでな。その辺のことを把握し
﹁あいつの体は半分機械仕掛けだ。それを治癒魔術では治せない。トロイアの技術士に
第23節:決戦前夜・トロイア
483
だ。ある男がやってくるのを。
そんな状態で戦場に立つのは自殺行為だろうに﹂
それをヘクトールは、かいつまんでヴラドに説明した。
﹁死ぬ気か、呂布は
﹂
?
﹁余は初め、トロイア軍のそもそもの士気の高さを見て、貴様にカリスマのスキルがない
﹁カエサルが持っていて、俺とお前が持ってないスキルだな﹂
を誇る英雄なども持っている。けれど、
それは大抵の王が持っているスキルだろう。王でなくとも、兵や民から圧倒的な人気
を総合したスキルだ。
カリスマ。国や軍を統一する為の指揮能力であり、天性の才能。本人の持つ魅力など
葡萄酒を一口呷り、星空を眺めながら不意にヴラドが呟いた。
﹁││〝カリスマ〟というスキルがあるだろう
配下の将たちが敵に回った方が戦いが面白くなると思ったからだろう。
求めての行為だったのかもしれないと。きっと劉備や曹操を裏切ったのも、彼らとその
ヘクトールはふと思った。呂布が生前裏切りを繰り返してきたのは、ひとえに強敵を
しての在り方には敬意を表そう﹂
﹁なるほど。正に武人の極みだな。裏切りばかり行う奴の性根は好かんが、その武人と
﹁奴にとって、戦場に立たないことこそが死なんだろうさ﹂
?
484
のが不思議だった﹂
もう一口呷ってから、ヴラドは続けた。
いているのではないのだ。自国への愛、民草への掛け値なしの愛を以って同胞を纏め上
﹁だがそれも数日この国で過ごすうちに合点がいった。貴様はカリスマによって兵を率
げているのだな。貴様という男の人間性を、トロイア兵たちは過たず理解している。だ
からこそカリスマなどなとくも、兵たちは貴様に付き従ってきたのだ。貴様の自国への
愛に報いる為に﹂
ヴラドが穏やかな笑みを浮かべた。
﹁この国は、いい国だな﹂
﹁そうか⋮⋮まぁなんというか、ありがとよ﹂
たお蔭なのだろう﹂
?
なしに引っ張ってくるほどだった﹂
そんな余に怖じることなく親しみを以って接してくれた。幼子など余の髪の毛を遠慮
﹁余は己の見てくれが人に恐怖を与えるモノだという自覚はある。だがこの国の民は、
照れくささを誤魔化す為に、ヘクトールも葡萄酒を一気に呷った。
﹁オイオイ、あんまり褒めんでくれよ
﹂
﹁民草は皆、心穏やかだ。およそ誰もが正しい心を持っている。貴様という指導者がい
第23節:決戦前夜・トロイア
485
我が民ながら恐れ知らずにもほどがある、とヘクトールは思った。もっともそれもヴ
ラドが軍人として苛烈ながらも、そもそもが善人であると理解しているからだろう。
・
・
・
・
・
を護りたいと思ったのも理由の一つだ。だが、一番は貴様だ﹂
・
・
・
・
・
・
・
﹁まだ、昨日の失態の責任を取っていないのも理由の一つだ。鬼になっても、この国の民
自害しよう。そのはずだった。
なお、苦痛を懐く行為のはず。そんなことをするくらいならば、間違いなくヴラドは
﹁いや、だが。それはお前にとって死よりもなお⋮⋮﹂
血迷わせたのかもしれんな。││戦況次第で、余はアレを使う﹂
・
﹁過去現在未来において、一度、あるかないかの特例だ。あるいは、この少ない酒が余を
知らずヘクトールは、苦笑する彼の顔を凝視していた。
﹁ヴラド、お前││﹂
その含んだような言葉に、ヘクトールは耳を疑った。
れん。⋮⋮幸いだ。これなら恐らく夜が明けようとも││太陽は雲で隠れよう﹂
・
﹁ふむ。風が僅かに冷たくなってきたな。雲も増えそうだ。明日の朝は雨が降るかもし
ふとヴラドが空を見上げた。
寧を与えたいと﹂
﹁本当にいい国だ。余も、この国を心の底から護りたいと思った。この国の者たちに、安
486
﹁俺だと⋮⋮
﹂
最後の一杯を呷り、ヴラドが腰を上げた。
と共に堕ちてやる﹂
う。この世全ての悪を背負おうとする者の隣には、鬼が並び立つべきだろう。余も貴様
﹁ヘクトール、貴様一人にその業は背負わせん。人理焼却という咎を、余も共に受け持と
を背負うと決めた。
それでも、トロイアを見捨てることはできない。ゆえに、この道を選んだ。全ての罪
ことだという自覚が、ヘクトールには当然あった。
反論の余地はなかった。この胸の裡には葛藤があり、迷いがある。やってはいけない
紛れもない悪だろう。そして、誰よりもそう思っているのは、他でもない貴様のはずだ﹂
﹁貴様は人理を焼却させてでもトロイアを護ろうとしている。それは、人類から見れば
?
牲にしての救済など正しくはない。それはヘクトールも解っていた。
カサンドラもパリスも、ヘクトールが間違っていると言っていた。確かに人類史を犠
一人残されたヘクトールは酒を呷りながら、さまざまなことへと想いを馳せた。
同意を待たずにヴラドが城頭から階下へと降りていった。
なるだろうな。勝つぞ、ヘクトール﹂
﹁アカイアはローランの聖剣が使えない間に攻めてくるだろう。つまり、明日が決戦と
第23節:決戦前夜・トロイア
487
488
けれど二人が言っているのは、どうもそれとは違うという気がする。
それがなんなのか、ヘクトールはよく解らなかった。
迷いはある。葛藤もある。もしかしたら、気持ちはいまも揺れ動いているのかもしれ
ない。
瞼を閉じて、民たちの顔を想起した。
そこには日常があった。トロイアの民の、誰もが笑っていられる日常があった。
それを護りたい。決して失いたくなどない。彼らを絶望の底に叩き落としたくなど
ない。
間違っていても、もうこの道しか選べない。もう引き返すことなどできない。例えそ
の果てに何を犠牲にしても、誰をこの手にかけようとも、進むしかない。
決意は変わらない。トロイアを、今度こそ護ってみせる。
││夜が更けていく。やがて星空は雲に隠れ、静かな夜に小雨の音が混じり出した。
そうして夜が明けた。それこそが、決戦を告げる開幕の狼煙に他ならない。
もっとも、その後魔術回路が無事な保証はどこにもない。というより、むしろ││
よる固有結界の発動もできるだろう。
それでも二十七本の魔術回路の調子は最低限回復していた。これならば完全詠唱に
識は朦朧とした。
死んだままだし、全身が微熱を帯びているような感覚に包まれている。気を抜けば、意
とはいえ、それでも体の状態は最悪の一歩手前と言えるだろう。いまだ片目の視力は
マシだ。
先程解かれた縄に塗り込まれていた回復の効能のお陰か、想定していたよりも遥かに
めていた。
アキレウスの幕舎の裏で佇むエミヤは、雨に濡れるのも意に介さず、自身の状態を検
もうじき起床の頃合いではあるが、およそ誰もがまだ寝静まっているだろう。
辺りは薄明るいが、小雨がまばらに大地を濡らし続けていた。
早朝である。
第24節:曇り空の下の誓い
第24節:曇り空の下の誓い
489
﹁それで、どうなんだ
﹂
いつも以上に鋭利な彼の視線は、言外に虚偽や韜晦は許さないと告げている。
けた。
同じく雨に濡れるのも気にせず、エミヤの眼前で腕を組んで立っていた孔明が問いか
?
ぞ。本気なんだな
・
・
・
・
﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
念押しするように、孔明が厳かに問いかけた。
﹁ああ﹂
・
﹁本気で、神造兵装を二本も投影するつもりなんだな
﹂
・
?
?
再度の問いに、エミヤは不敵に笑んでみせる。
・
﹁⋮⋮勝つうえでその行程が要る以上、私には止められん⋮⋮だがエミヤ、いま一度訊く
死後も行うという、ただそれだけの話だ。
いまから行うそれは、きっとその程度と特に変わりはないだろう。生前できた無茶を
五次聖杯戦争にマスターとして参加した時など、その最たるモノだったはずだ。
くは憶えていないが、眩暈を覚えるほどの無茶など少年時代に幾らでも行っている。第
そう。元よりエミヤにとって無茶など日常茶飯事だったと言ってもいい。彼自身よ
無茶という自覚がありながらも、平然とエミヤはそう答えた。
﹁良くはないが、問題ない。予定通り、いまから固有結界内で神造兵装の投影を行う﹂
490
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
﹁でなければアルケイデスは倒せまい。パリス││カサンドラもそう言っていただろう
﹂
こともなく、むしろ安堵さえ懐いてそれを受け入れることにした。
このトロイアでの戦いで、今度は自分の番がやってきたのだ。エミヤは特に動揺する
その度に、何度拳を握りしめたか。何度、奥歯を噛み砕きそうになったか。
ではアステリオスが。セプテムやロンドンでも、誰かが未来への礎となった。
いままでの戦いでも、常に犠牲はあったのだ。オルレアンではマリーが。オケアノス
選択の余地もなくなるのならば、この身を犠牲にすることを厭いはしないさ﹂
﹁重大な選択を迫られたマスターを残して逝くのは、正直心苦しい。だが私が逝かねば
それでもだ。
さらに敵サーヴァントと交戦すれば、もう無事でいられる余地などありはしない。
発動と神造兵装の投影で、間違いなく魔術回路は半数が逝く。そんな状態になった上で
それは、予言するまでもなく容易に予想できることだろう。いまから行う固有結界の
﹁⋮⋮﹂
﹁だが、こうも言っていた。それを行えば、お前の戦いは此処で終わると﹂
?
﹁恩に着るぞ、ロード﹂
﹁⋮⋮わかった。ならば好きにしろ。私も全力で、できる限りお前をサポートする﹂
第24節:曇り空の下の誓い
491
話はそれで終わりだった。孔明もあとは何も言わず、補助魔術でエミヤの宝具発動の
バックアップに入ってくれた。
あとはいつも通り、詠唱を行うだけでいい。
全てを救うなど、そんなモノは空想のお伽噺に過ぎない。そのあまりにも冷たい現実
全ての者を救うことはできない。
多くの命を切り捨ててきたエミヤこそが、誰よりもそれを理解している。
解っているのだ。そんなことは嫌になるくらいに解っている。
一つない。それをどうして、その命を摘み取る道を選ばなければならないのか。
だって、彼らは何も悪くないだろう。破滅に追いやられなくてはならない罪科など何
││否、本当はトロイアの人々こそを救いたかった。
アの人々を救いたい。
その躊躇いは当然だ。その葛藤は自然のモノだ。エミヤとて、できることならトロイ
マスターである彼女は元より、マシュもトロイアを滅ぼすことを躊躇っている。
シュのことである。
迷いを懐かせたのは、二人の少女だ。それは他でもない、マスターである彼女とマ
エミヤは暫しの間、固有結界を発動することを躊躇った。
﹁⋮⋮﹂
492
を、何度この身が味わったことか。
人類史を守るには、トロイアを滅ぼすしかない。その答えは決して変わることがない
だろう。
カルデアは、本当に居心地がよかったのだろう。人類史を救うという絶対的な大義の
下に、明確な悪と戦えたのだから。
自分たちは、正しいのかと。
それを、彼女もマシュも気づいている。気づき、考え、悩んでいる。
自分たちの敵が、悪とは限らないという真実に。
きっと、眼を背けていたのだ。
本当の目的があるのかもしれない。それこそが彼にとっての正義だろう。
恐らくはソロモンにだって正義がある。人類史焼却のその先には、もしかすれば彼の
きた者たちの胸には、彼らしか知ることのできぬ想いがあっただろう。
明確な悪。四つの特異点での戦いで、そんな者、本当はきっといなかった。敵対して
人類史を救う戦いは、守護者としての戦いと、結局のところ何一つ変わらない。
自分のあまりの愚かさに、エミヤは心底嫌気が差した。
悪辣な笑みと共に、いつだったかの神父の嬉々とした祝福が脳裏を過ぎった。
﹃││喜べ、少年。君の願いはようやく叶う﹄
第24節:曇り空の下の誓い
493
494
自分たちは、過ちではないのかと。
正しくなどないのかもしれない。過ちなのかもしれない。
││それでも、立ち止まるべきではない。
彼女も、マシュも、他の皆も、それでも信じているのだ。
人間を信じている。人間が積み重ねてきたモノを信じている。人間の可能性を信じ
ている。
一人でも誰かがそれを信じている限り、この歩みは止めるべきではない。
エミヤも、信じている。
マスターである彼女のことを。彼女と共にあるマシュのことを。
ならば戦う理由はそれで充分だ。彼女たちが進む道を、決して閉ざしたくなどない。
二人が歩む道は荒野だろう。一歩踏み出すだけで、心が欠けそうになるほどの険しい
道だ。
それでも二人ならきっと歩んでいける。踏破できるに違いない。そう信じている。
もう迷いはなかった。エミヤは右手を翳し、瞼を下ろした。
二本の神造兵装の投影を行うことは、他の皆も知っている。けれどこの行為によって
エミヤの未来が決まることを知っているのは、エミヤ自身と孔明に、パリスとカサンド
ラだけだった。
深夜にパリスが、エミヤと孔明だけにそれを打ち明けたのだ。
話を聞いた孔明は、作戦を一から考え直すことを提案した。
予言で未来を知った以上、その時点で未来を改変できるようになる。
それでもあらゆる物事にはターニングポイントがあり、ある軌跡を辿らなければ行き
つけぬ未来も存在した。
二本の神造兵装の投影は、人理を修復するうえで、避けては通れぬ道に他ならない。
少なくとも、エミヤはそう確信していた。
きっと二人はエミヤの独断を怒るだろう。平気だと嘯きながら、その実、これから行
う投影は確実にこの命を削るのだ。
それでもこの決意も誓いも変わらない。この身を剣として、彼女たちの道を切り拓
く。
は
剣
で
出
来
て
い
る
ゆえに、言霊を紡ぐ。エミヤの全てを体現したその言霊を。
体
引き続き孔明はサポートしてくれている。
無限に剣が連なる荒野にて、精神を落ち着け気息を整える。
精度は格段に向上する。
そうしてエミヤは全ての詠唱を終えて、 無 限 の 剣 製を発動した。これで投影の
アンリミテッド・ブレイド・ワークス
﹁I am the bone of my sword││﹂
第24節:曇り空の下の誓い
495
エミヤは雑念も未練も、全てを頭の中から閉め出した。
いま考えるべきはただ一つ。いま試みるべきことはただ一つ。
最高の剣を模倣する。ただそれだけだ。
ト レ ー ス・ オ ン
それが、未来への道しるべとなるだろう。
な感覚だ。
ク
ス
カ
リ
バー
痛みが走る。魔術回路が熱い。引いては全身の血管に灼熱の塊を流し込まれたよう
﹁投影、開始﹂
ト レ ー ス・ オ ン
差し出した両手の先に、再び魔力を集中させる。眼を瞑り、イメージする。
聖剣を孔明へと一旦預け、エミヤは両手を空にした。
﹁さて⋮⋮では、次だな﹂
ろう。
だった。神造兵装である以上、完璧な投影はできないが、これは限りなく本物に近いだ
投 影 は 無 事 に 完 了 し た。約束された勝利の剣 は こ れ 以 上 な い ほ ど に 会 心 の 出 来 栄 え
エ
投影八節の工程を終えて、渾身の一作を形にする。
の双眸に輝きを焼きつけた彼女の聖剣。
イメージする。まずは黄金の剣だ。決してエミヤの記憶から零れ落ちることなく、そ
﹁投影、開始││﹂
496
歯を食いしばって集中する。痛みを無視し、ただイメージすることにのみ没頭した。
願う。祈る。届け、と心の中で叫んだ。脳裏に描いたその剣を、必死に掴み取ろうと
した。
像を結ぶ。実体となって、エミヤの両手にその重さを伝えている。投影は完了した。
﹁六割﹂
﹁幕舎に戻るぞ。そろそろ他のみんなも起きる時間だろうからな﹂
エミヤは大きく息を吐いた。よろめきながら立ち上がる。
・
この剣さえあれば、きっとアルケイデスにも対抗できる。あとは、信じるだけだ。
その剣こそが、アルケイデスを打倒する為の切り札に他ならない。
れている。
だがその甲斐はあった。エミヤの手には、限りなく本物に近いそれがしっかりと握ら
・
同時に固有結界が消失し、剣の荒野から幕舎の裏へと戻ってくる。
﹁く、は││││ッ﹂
エミヤは剣を握ったまま、その場で膝を折った。
﹂
駆け寄る孔明に、エミヤは頷きを返す。
﹁大丈夫か
!?
﹁あぁ、辛うじてな。魔術回路も、六割が焼切れただけだ⋮⋮﹂
第24節:曇り空の下の誓い
497
返事はなかった。孔明はひたすらに渋い表情をして押し黙っていた。
傍らに座っていたマシュが微笑を添えて挨拶してきた。
﹁││おはようございます、先輩﹂
く冴えている。
ど、不思議とぐっすり眠れたらしい。寝起きは意外としっかりしていて、頭もいつにな
アキレウスが女子用に別個で用意してくれた幕舎の床は寝心地がよくなかったけれ
とこ
眼を覚ましたのは、小雨の音が気になったからだろうか。
◇
一つの決意を、その胸中に携えて。
密やかに踵を返した。
││そうして二人のやりとりの全てを隠れて見届けていた彼女もまた、その場所から
何事もなかったかのように歩いていくエミヤに、孔明が溜息を吐いてそれに続いた。
苦痛も倦怠感も何もかもを覆い隠し、エミヤはにこやかに笑った。
ではないからな﹂
れも私の状態のことは、マスターやマシュには内密に頼む。いま二人を動揺させるべき
﹁眉間に皺が寄り過ぎだぞ。何か心配事があると、まるでその顔に書いてある。くれぐ
498
﹁うん、おはよう、マシュ﹂
身を起こしつつ、伸びをする。体に倦怠感はないけれど、ちょっとだけ肩が凝ってい
る。
﹁起きたのね、マスターちゃん。おはよ﹂
と、ちょっと離れた位置に座っていたジャンヌ・オルタがにこやかな笑顔でマシュに
倣う。妙に機嫌がよさそうなのは、彼女が現在進行形で頬張っている食べ物のせいだろ
うか。
のよね﹂
﹁あぁ美味しい。カルデアからの補給物資は最高ね。ホント、これ食べると凄い力出る
満足げに焼きそばパンをもきゅもきゅと食べるジャンヌ・オルタに、思わず頬が綻ん
でしまう。でも、流石に五つはちょっと食べすぎなんじゃないかな。
・
・
・
・
・
・
それに、残り二画の令呪も、絶対に使いどころを間違えないと決めている。
・
違ってもしないけれど。
てしまった。令呪で太れと命じたら太るのかな。いやいや、もちろんそんな命令は間
勝ち誇るような笑み。日々カロリーと戦っている女子としてはちょっとピキッと来
いんです﹂
﹁思ってること顔に出てるわよマスターちゃん。私、サーヴァントだから太らないし良
第24節:曇り空の下の誓い
499
﹁あー食べた食べた。これでコンディションは最高。ローランも瞬殺だっての﹂
最後の一口をペロッと飲み込み、ジャンヌ・オルタがにかっと笑う。
﹂
?
﹁先輩を雨から守るのも、シールダーである私の務めです
元気よくマシュが答えた。
﹂
!
﹁いや、マシュ、それ腕疲れるよね⋮⋮
傘代わりにマシュが楯を頭上に翳した。それで小雨はきっちり阻まれたけど││
なのだろうか。豪雨でないだけマシかもしれないけれど。
空は暗雲で覆われていた。昨夜の星空が嘘のようだ。神代だから天候の変化も劇的
その他の身支度も終わらせて、マシュを伴って幕舎を出る。
やはりここは初志貫徹でアニバーサリー・ブロンドに袖を通した。
寝間着を脱いで下着だけになる。ちょっとの間どの魔術礼装を着ようか迷った末に、
始まるらしいし、早く起きよう。
彼女の食べっぷりを見ていたら、わたしもお腹が空いてきてしまった。すぐに移動が
手を振りながら幕舎を出た。
立ったついでに片隅に立てかけてあった邪竜の旗を肩に背負い、ジャンヌ・オルタが
ね﹂
﹁もうすぐ出立らしいわよ。先に出てるから、マスターちゃんも急いで準備しなさいよ
500
﹁マスターの言う通りだぞ。これから戦いだというのに余分な力は使うものじゃない。
せめて楯ではなく、傘を使いたまえ﹂
呆れたようにそう言いながら、エミヤが投影した傘を差し出してきた。彼の後ろには
仏頂面の孔明もいる。
楯を降ろし、受け取った傘をマシュが広げる。楯よりも面積が狭いから、自然と寄り
﹁ありがとうございます、エミヤ先輩﹂
添う形になっていた。
﹁おはよう、二人とも。エミヤ、縄は解いてもらったんだね﹂
﹁あぁ、それで以って、決戦の為の下準備は既に終えているよ﹂
見ればエミヤの両手には、二振りの神造兵装の剣が握られていた。
それに籠められている神秘に息を飲む。同時に、籠められているのはそれだけではな
いとなんとなく思った。
そこには想いがある。エミヤが、二振りの剣に籠めた想いが感じられた。
片方はひたすらに清廉であり、もう片方はひたすらに静謐だった。
﹂
?
﹁何だが 投影は限りなく完璧に近い。自分で言うのもアレだが、過去最高の出来だ
わたしの言葉にエミヤが首を傾げる。
﹁それはそうと、だいじょうぶだった⋮⋮
第24節:曇り空の下の誓い
501
?
ぞ﹂
﹂
?
﹂
?
﹁エミヤもピンピンしているだろう そいつと、そいつの魔術回路の頑丈さは折り紙
孔明が微笑を浮かべて答えた。
﹁⋮⋮ああ、見ての通りだよ﹂
﹁⋮⋮ホントなの
題なく使えるとも。さっき傘を投影したのを見ただろ
﹁そのことか。孔明のサポートもあったからつつがなく終わったさ。魔術回路も特に問
の投影を行えば、その代償として魔術回路がどうなったか分かったものではない。
昨日一昨日と、エミヤは相当の無茶を敢行したのだ。その上で固有結界内で神造兵装
﹁うん、それはなんとなくわかる。わたしが言ってるのはエミヤの体のことだよ﹂
502
キレウスの戦車に乗ってくれ。朝食は移動しながらで頼む﹂
﹁それでマスター。聞いているかもしれないが、すぐに行軍が始まる。さっそくだがア
だから、今回ばかりは流石に自重してくれたのかもしれない。
はハラハラさせられるのだ。孔明がサポート兼お目付け役としてついてくれていたの
どうやらエミヤは本当に大丈夫らしい。よかった。すぐ無茶をするから、いつも彼に
苦笑する孔明に、ようやくわたしも確証が持てた。
つきだ。まったく、呆れるくらいだよ﹂
?
﹁わかった﹂
かもしれない。
ゴルディアス・ホイール
としていた。喋るどころか、瞼を上げる動作さえも、いまの彼には多大な労力がいるの
わたしたちが乗り込んだのに気付いているのかいないのか、小次郎は何も言わずじっ
もやはり、戦うのは自殺行為以外の何物でもないだろう。
比較的すぐに解毒薬を服用できたからアキレウスの時ほど酷いわけではない。それで
その顔色は当然悪い。とても戦えるとは思えないほどだ。ヒュドラの毒矢を受けて、
そして、小次郎。御者台の隅に座り込み、瞼を下ろしてじっとしていた。
し、二人の命の危険もあるだろう。
在は誤魔化せない。トロイアの王族二人がアカイア軍に紛れているのは騒ぎにもなる
ちゃん騒ぎをしていた昨夜は誤魔化せただろうけれど、いまはどう足掻いても二人の存
ちなみにパリスとカサンドラは、いまはローブで素顔を隠している。酒を飲んでどん
オルタはアストルフォのヒポグリフに彼と一緒に騎乗した。
るメンバーは、わたし、マシュ、パリス、カサンドラ、そして小次郎だった。ジャンヌ・
言われたとおり、すぐにアキレウスの戦車の御者台にみんなで乗る。こっちに同乗す
それだけ告げると、孔明はエミヤを連れて赤いコートを翻した。
﹁私とエミヤはライダーの神 威 の 車 輪に同乗する。また後でな﹂
第24節:曇り空の下の誓い
503
わたしも敢えて、彼に何も声をかけなかった。他のみんなもだ。
アカイアの全軍も、準備は整っているらしい。各部隊が平原に整然と立ち並んでい
た。
イスカンダルが進軍を毅然と命じた。昨夜のアレは冗談ではなかったらしい。堂々
たる征服王の号令に、アカイアの将兵たちは一切の不満も疑問も浮かべていない。むし
ろ意気揚々と彼の言葉に従って移動を開始した。
アキレウスの愛馬たちも歩き出した。走ればそれだけで全軍を置き去りにしてしま
うので、そのスピードは当然抑え目だ。ミュルミドネス隊がそれに続く。
ゆっくりと景色が流れていく。いつの間にか小雨は止んでいた。けれど晴れる気配
は一向にない。多分またあとで降るのだろう。
雨が止んでいる隙に、わたしは朝食を摂ることにした。カルデアからの補給物資のサ
ンドイッチや総菜パンだ。
﹁はい、どうぞ。カサンドラとパリスもね﹂
自分たちが何処へ向かえばいいのかちゃんと分かっているのだろう。
ちなみに彼は手綱を握ってもいなかった。神馬であるクサントスたちの知能は高く、
アキレウスが遠慮なしに手を差し出していた。
﹁なぁオイ、それ俺にも食わせてくれよ﹂
504
﹂
わたしが三人にどっさりとパンを差し出している間に、マシュが四つの紙コップにお
茶を注いでいた。気遣いができすぎる後輩である。
し﹂
・
・ ・ ・
﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
アンドレアス・アマラントス
﹂
﹁だ よ ね。そ も そ も 神 性 を 持 た な い ヘ ク ト ー ル じ ゃ ア キ レ ウ ス の 体 を 傷 つ け ら れ な い
ごく自然にそう答えた。それは余裕でも楽観でもなく、確固とした事実なのだろう。
サンドイッチを頬張りながら、アキレウスが勝ち誇るでもなく見栄を張るでもなく、
﹁まぁ、普通に戦ったら普通に俺が勝つだろうな﹂
だし、訊くまでもないのかもしれないけれど。
食べながら、ふと疑問に思ったので質問してみた。いや、実際に一度勝っているわけ
﹁そういえば、アキレウスはヘクトールに勝てるんだよね
?
﹁ちょっと待って。攻撃通るのに、ヘクトールはアキレウスから逃げ回ってたの
﹁不毀の極槍。アレは俺の勇 者 の 不 凋 花を突破できる﹂
ドゥ リ ン ダ ナ
﹁⋮⋮え
?
ストス神から賜った楯と鎧もあったしな﹂
﹁オッサンが不毀の極槍で俺の不死を突破できようが、俺の有利は変わらない。ヘパイ
ドゥ リ ン ダ ナ
一昨日、イデ山に向かう途中の雑談で、そんな風なことをアキレウスは言っていた。
?
﹁││いや、オッサンの攻撃は俺に通るぜ﹂
第24節:曇り空の下の誓い
505
﹁どういうことでしょうか
﹂
アキレウスはお茶で喉を潤してから言葉を続ける。
わたしの隣からマシュが問いかけた。
?
﹂
?
ア
イ
﹁こいつだ。というか、そろそろ着るかいい加減﹂
﹁ちなみに、それはどんなのなの
ア
ス
より、膂力でも耐久力でも俺が勝ってる。加えて鎧がある﹂
ドゥ リ ン ダ ナ
あぁ、言っておくが決してオッサンを侮っているわけじゃないからな
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
だが速さは元
﹁そ れ で、勝 負 は 白 兵 戦 に 持 ち 込 ま れ る わ け だ が ⋮⋮ 白 兵 戦 な ら 十 中 八 九 俺 が 勝 つ。
で勝利を勝ち取るしか他にない。
言ってもいい。宝具同士の戦いで凌駕できない以上、ヘクトールは真っ向からの白兵戦
そ れ は 確 か に 絶 大 な ア ド バ ン テ ー ジ だ ろ う。英 雄 同 士 の 戦 い は 宝 具 同 士 の 戦 い と
殺してるってわけだ﹂
があるから問題なくそれを防げる。この時点で俺はオッサンの最強の一手を完全に封
の タ イ ミ ン グ で こ そ だ。だ が 俺 に は 熾天覆う七つの円環 に 匹 敵 す る 蒼天囲みし小世界
ロー
放せない。手放せば攻撃手段がなくなるからな。仮に投擲できるとすれば、それは必中
あ く ま で 不毀の極槍 に よ る 攻 撃 の み の 話 だ。ゆ え に オ ッ サ ン は 不毀の極槍 は 絶 対 に 手
ドゥ リ ン ダ ナ
﹁いいか、オッサンの最も得意とする攻撃は投擲だ。だが攻撃が通ると言っても、それは
506
?
そう言いながら、アキレウスは戦車に備えついていた小さな武器庫から黄金の鎧を取
り出した。
それはひたすらに煌びやか鎧だった。意匠はいまアキレウスが纏っている鎧と大差
はないが、鎧自体が帯びる魔力はどこまでも神聖だ。
いままで着ていた鎧を脱ぎ捨てて、代わりにアキレウスが黄金の鎧をその身に纏う。
﹂
﹂
瞬間、彼の空気が一変したような気がした。正に黄金の聖闘士といった佇まいだ。
﹁どうだ、かっけぇだろ
﹁うん、ダサ⋮⋮かっこいい﹂
﹁待てコラ、ダサってなんだよ
!?
?
ね
﹂
﹁あ、ごめんっ。で、でもそのちょっとダサいのが一周回ってカッコイイってなるんだよ
!
は最早未来予知の域にあるだろうさ﹂
た者の頭脳と感覚を強化して思考の働きや反応速度を鋭くする。危機に対する第六感
撃を半減させることができる。加えてこの鎧を着た俺に同じ攻撃は二度通じん。纏っ
﹁とにかくだ。この鎧は一言でいうと半端ねぇ。頑丈なのは当たり前だが、敵からの攻
アキレウスが気を取り直すように咳払いをした。
﹁なんか釈然としねぇな⋮⋮﹂
第24節:曇り空の下の誓い
507
それはサーヴァントのステータス風に言うと、心眼︵真︶と心眼︵偽︶の付与だろう
か。それによる敵の攻撃の〝見切り〟を可能にするというわけだ。
ただでさえ硬いアキレウスが黄金の鎧を纏うことで、防御面において一分の隙もなく
なるのだ。そんな状態の彼を仕留められる英雄は、それこそ全世界と全時代でもほんの
一握りだけだろう。
本題に入ったと言わんばかりに、アキレウスが真剣な面持ちでさらに続けた。
﹁││でだ、普通に戦えば普通に俺が勝つが、今度は普通じゃないだろう﹂
たように、アキレウスのヘクトールに対する恨みなどもう欠片もないのだろう。
呆れ混じりではあったけれど、その声の響きに確かな敬意が含まれていた。昨晩言っ
たんだ。ホント恐ろしいオッサンだよ﹂
の思考を怒りで固定させる為だろう。そうやって勝率を僅かでも上げようと腐心して
前の鎧じゃなく、敢えてパトロクロスから奪った俺の鎧を着てたのも、全ては挑発で俺
戦っては仕切り直し、それを繰り返していたのも俺の隙と弱点を模索する為だろう。手
﹁けどよ、オッサンが逃げまくっていたのは勝ち目がまったくないからじゃないんだよ。
│ただし、その笑みはすぐに掻き消えた。
若干引き気味に言葉を漏らしたわたしへと、だろう、とアキレウスが不敵に笑う。│
﹁それはなんていうか、ヘクトールも逃げ回るよね⋮⋮﹂
508
﹁次に戦う舞台はトロイアだ。間違いなく、アヴェンジャーによって神殿化された完全
アキレウス﹂
アウェーのバトルフィールドだ。イデ山の時とは逆に、俺にステータスのマイナス補正
が入るだろう。その効果は無視できまい﹂
﹁││それにヘクトールの具足も侮れない。でしょ
﹁ヘクトールの防具ってそんなに凄いの
﹂
お互いに宝具を捨てての殴り合いに持ち込んだんだけどな﹂
は間違いなく自分の鎧に装備を変えていたはずだ。まぁ、結局は槍で創った闘技場で、
﹁あぁ、あの野郎、挑発する為だけに俺の鎧を着ていたが、ガチで俺の首を獲るって時に
ゆっくりと進む戦車の隣にヒポグリフを歩み寄せ、アストルフォが口を挟んだ。
?
イー
リ
レウスの鎧を自分の防具にしたんじゃなかったっけ⋮⋮
ア
ス
?
れたモノとして扱われなかったような気がする。むしろだからこそ、戦利品であるアキ
わたしの記憶が正しければ、トロイア戦争においてヘクトールの防具は取り立てて優
?
ニュ伝説でその多くが語られているんです﹂
﹁先輩、ヘクトールさんの装備はギリシャ神話で語られるよりも、むしろシャルルマー
それを巡って他国の人と争いが起きたくらいだからね﹂
絶世の名剣と一緒にボクら十二勇士の間じゃ伝説の武具として讃えられていたんだよ。
デュ ラ ン ダ ル
﹁│ │ ヘ ク ト ー ル の 鎧、楯、兜。三 つ を 纏 め て 〝 護国の残照 〟 と 呼 ば れ て い た そ れ は、
第24節:曇り空の下の誓い
509
アストルフォの説明を、マシュが続いて補足した。
?
決意を秘めた力強い言葉だった。初めて会った時は俯きがちだった彼女の顔は、しか
﹁ええ、わかっています。私が自分の言葉で、兄さんを納得させなければなりません﹂
そう言って、アキレウスがカサンドラへと視線を向けた。
要なのは貴女だぜ﹂
﹁⋮⋮だが、まぁアレだ。俺とオッサンの戦いにおいて、強さなんてものは二の次だ。重
劣勢もあり得るだろう。言葉を濁したが、アキレウスは多分そう言おうとした。
﹁トロイア内部で戦う分には、結局俺とオッサンは五分かもな。あるいは﹂
それこそ五分と五分の戦いだったのだから。
のかもしれない。殴り合いは完全なる平等であり、女神などの横槍が入る余地はない。
それでもなお分が悪いと判断したからこそ、ヘクトールもアキレウスの決闘に応じた
勝ちとか言ってられねぇぞ⋮⋮﹂
﹁あっちはあっちでひでぇ防具だなオイ。つーかそれ使われたら白兵戦も十中八九俺の
は持ち主の状態異常の無効ってところかな﹂
﹁えっとね、鎧は全ステータスワンランクアップ。兜は戦闘時における直感の付与。楯
だが﹂
﹁アストルフォ、オッサンの具足にどんな効果あるか判るか 俺は詳細を知らないん
510
しいまはしっかり上を向いている。
それがとても喜ばしい。わたしはきっと口元に微笑を浮かべていたことだろう。
ふと見ればパリスも薄く微笑みながら、その眼がちょっと潤んでいた。言うまでな
く、妹の成長に感激しているのだろう。
曇り空の下、行軍は続いた。
爽やかに笑い、アキレウスが宣言した。
﹁ああ、それでいい。俺は貴女の言葉が届くまで、絶対に膝を折らないと此処に誓おう﹂
第24節:曇り空の下の誓い
511
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
・
・
・
城壁に背中をもたれかけて座り込み、呂布は眼前の光景をじっと見つめていた。
視界に映るのは二百騎の軽騎兵だ。騎兵が主流ではないこの時代で、しかしカエサル
がどうにか全軍の中から選抜した二百騎である。
この時代には鞍はあるが鐙はない。だが眼前の二百人は見事に馬を乗りこなしてい
る。
原野を駆けながら、先頭のカエサルが剣で合図をした。後続がそれに対応する動きを
即座に取る。呂布をして、ほう、と唸らせるほど統率の取れた動きである。
動きの確認だけの軽い調練だったのだろう。然程の時間も駆けずに二百騎が停止し
た。
﹂
カエサルが馬を呂布の方へと寄せてくる。
る。
馬上から微笑を浮かべてカエサルが言った。如何にも自信あり、という面持ちであ
﹁どうだったかな
?
512
呂布は鼻を鳴らした。
﹁悪くない。二百騎がまるで一頭の巨大な獣のようだった。その醜い図体で、よもや騎
兵の扱いがこうも巧みだとは思わなかったぞ﹂
所詮たかが二百騎である。されど、二百騎だ。その機動力を最大限活かせば敵の数な
ど関係ない。そも二百騎の目的は、敵軍を打ち倒すことにはないのだから。
この少数精鋭の騎兵の目的は、その速度と突破力を以って敵の歩兵を断ち割り、算を
乱すことにある。そしてそこを自軍の歩兵で追撃を加えれば、敵軍は容易に崩れるだろ
う。
それがイスカンダルが指揮を執るアカイア軍に対する、カエサルの用意したとってお
きの戦術なのだろう。
﹂
で、何故にそんなに機嫌が悪いのだ 殺意すら感じられるのだが
が痛むのか
ひょっとして体
?
ヘクトールが呂布を単騎駆けさせていたそもそもの理由は、纏まった数の騎兵が用意
﹁これほどの騎馬隊が用意できるなら、初めからこの俺に預けておけという話だ﹂
る気もない。
体から火花をまき散らしながらも呂布は首を振った。しかし湧き上がる怒気を抑え
?
?
﹁飛将軍にそう言ってもらえるのなら、どうやら充分な戦力になりそうだ。⋮⋮ところ
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
513
できないからだった。だが呂布ならば、二百騎もいれば充分敵兵を駆逐できたのだ。も
しこの二百騎を三日前の戦で従えていたならば、その時もっと戦果を上げることができ
ただろう。
この場に残されたのは呂布と、呂布の隣で休んでいる赤兎馬だけだ。
て、城塞内へと入城した。
そう言って、カエサルは二百騎が待機していた方へと駆け戻っていく。彼らを連れ
﹁いや、まったく言う通りだ。ではな呂布﹂
もうすぐ戦が始まるのだぞ﹂
﹁もういい、失せろ。さっさと兵を休ませてやれ。動きの確認程度の軽い調練とはいえ、
ただろう。
侮れぬと言うべきか、彼らがいなければカエサルのこの戦術は机上の空論でしかなかっ
の乗馬は、幼い頃から特殊な訓練でも積んでなければ本来できぬモノだ。神代の人間は
百人も軽騎兵の動かし方に対応できるトロイア兵がいたと驚くべきだろう。鐙なしで
この時代に軽騎兵を用いるなど、通常の埒外にある思考に他ならない。むしろよく二
﹁だろうな﹂
突拍子もない発想だった﹂
﹁な、なるほど、それはすまん。騎馬隊を編成しようと思ったのは、昨夜でな。我ながら
514
自分の体から時折発せられる火花が鬱陶しいと思いながらも、呂布はただ待ってい
た。
赤兎馬も同じだ。無言のまま、静かに待っているのだ。
クー・フーリンに斬り裂かれた体はもう直らない。じきにこの身は爆炎と共に四散し
よう。
それでも動じることなく待っていた。奴は必ず来るという、何も根拠のない確信が呂
布の中にはあるからだ。
そうして、どれほどの時間が立ったのか。不意に赤兎馬が顔を上げた。何かを感じ
取ったのだ。
知らず呂布も獰猛に笑っていた。笑いながらボロボロの体に活を入れて立ち上がる。
視界の先にはいまだ何も見えない。それでもその遥か先から、立ち昇るような闘気が
感じられたのだ。アカイア軍は、すぐそこまで来ている。そしてあの男も││
◇
呂布を背中へと乗せた赤兎馬が、猛々しく嘶いた。
﹁戦だ、赤兎﹂
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
515
数時間の行軍の末、視界の先にトロイア城塞が小さくだが見えてきた。
それに際して、イスカンダルが一度全軍を停止させた。
最大の脅威であるローランの対城宝具は、再使用できるようになるまでの時間はまだ
あった。だがそれでも、敵のサーヴァントが有する対軍宝具は幾つもあるのだ。これ以
上迂闊に近づけばその餌食となるだろう。
実際、既にアルケイデスの狙撃圏内には入ってしまっている。挨拶代わりか牽制か、
一定置きの間隔で矢が放たれてきている。その狙撃は、いまのところはパリスが迎撃す
ることで凌いでいた。
千里眼で前方を正確に見て取ったエミヤは、孔明とイスカンダルに仔細を報告した。
ト ロ イ ア 軍 は ま だ 城 内 か ら 出 て き て い な い。城 頭 に は 呂 布 を 除 く ト ロ イ ア の サ ー
ヴァントが勢揃いしていると。
﹁だがそれでも、こちらの戦力とて負けてはいない。勝機は充分あるだろう﹂
エサル、呂布、ヴラド、アルケイデス。この中に侮れる者など一人も居やしないだろう。
アヴェンジャー・カサンドラが従える六騎のサーヴァント、ヘクトール、ローラン、カ
神 威 の 車 輪の御者台から降り立ち、苦笑しながらエミヤは言った。
ゴルディアス・ホイール
な﹂
﹁こうして改めて見ると、敵の面子のあまりの容赦のなさに白旗を上げたくなってくる
516
ゴルディアス・ホイール
言いながら、同じく孔明も御者台から軽やかに飛び降りた。次いでイスカンダルも
神 威 の 車 輪を一旦消し、代わりにブケファラスを実体化させる。
イスカンダルの言葉に、孔明とエミヤは無言で頷いた。
﹁では始めるとするか。手筈どおりに、まずは彼奴らを城から引き摺り出すとしよう﹂
ク
ス
カ
リ
バー
それがこの戦いの第一段階である。そしてその後、敵軍と敵サーヴァントを分断し、
エ
それぞれの戦いに持ち込むのだ。
その最初の一手が、約束された勝利の剣による攻城だ。
ブケファラスに騎乗し直しながら、イスカンダルが期待の籠った笑みを見せる。
﹁では頼んだぞ、エミヤよ。余にいま一度騎士王の聖剣の輝きを見せてくれ﹂
トロイア戦争において、アカイア軍はトロイア城塞を正攻法で攻略することはできな
果たしてどうやってトロイア城塞を攻略するのかと。
││アカイア軍とトロイア軍の区別なく、およそ誰もが思っただろう。
そうして、エミヤは高らかに聖剣を振り上げた。
﹁贋作者の名に懸けて、せいぜい期待に応えるとしよう﹂
フェイカー
だ。
浮かべた苦笑を、エミヤはすぐに切り替えた。これ見よがしに不敵に笑ってみせたの
﹁流石に彼女の輝きには及ぶべくもないだろうさ。だが││﹂
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
517
かった。そのあまりの難攻不落ぶりにアカイア兵たちは絶望さえ懐いただろう。逆に
ト ロ イ ア ス・ ブ レ イ ズ ウ ォ ー ル
トロイア兵たちは、自分たちの居城の比類なき頑丈さを疑うことなく信じている。
・
・
・
・
・
・
・
・
ゆ え に 誰 も が こ う 思 っ て い る の だ。ト ロ イ ア 城 壁 を │ │ 語り継がれし護国の煌壁 を
正攻法で突破することなど不可能だと。
・
では、エミヤが採る手とはなんなのか。
│ │ そ ん な も の は 決 ま っ て い る。真正面からの攻城だ。正 攻 法 に よ っ て 最 硬 の 城 壁
を撃ち砕き、この聖剣が最強だと証明する。騎士王アルトリア・ペンドラゴンの星の聖
剣を以ってすれば、城壁にダメージを与えることなど造作もないのだと。
││君の力を借りるぞ、セイバー。
心の中で呟いて、エミヤは振り上げた聖剣に決然と魔力を籠めていく。
カルデアとカサンドラの魔力が、マスターの少女を通してエミヤへと流入する。
残り四割の魔術回路が軋みを上げた。孔明のサポートで、辛うじてエミヤ自身も魔術
回路も持ち堪えられていた。
刀身が光輝く。暗雲によって微かに暗い周辺を、黄金の光は燦々と照らし上げる。
その光に、アカイアの将兵たちは心を奪われたことだろう。
﹂
この星の輝きこそが栄光の証だ。戦場を駆ける兵たちが、遥かに夢見る勝利の光だ。
﹁束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流││受けるがいい⋮⋮
!
518
ク
ス
カ
リ
バー
﹂
││そして、聖剣が決戦の開幕を此処に告げる。
エ
!
ク
ス
カ
リ
バー
││そう。ただの一撃ではだ。
しも、エミヤの担う贋作では貫くことなど不可能だ。
確かにその頑丈さは掛け値なしと言えるだろう。アルトリアが担う聖剣ならばまだ
トロイア兵たちは安堵していたことだろう。やはりトロイア城塞は無敵なのだと。
約束された勝利の剣の一撃を以ってしても突破するには至らなかったのだ。
エ
ト ロ イ ア 城 塞 が 眼 に 見 え て 揺 れ た。だ が 城 壁 は 傷 一 つ つ い て い な い。
光と炎はいまだ鎬を削り合っている。だがやがて聖剣の光が焔の障壁を撃ち抜いた。
視界が紅蓮の輝きと黄金の輝きで明滅する。衝撃は際限なく大地を鳴動させていた。
める。
それこそが万象を阻み、万物を焼き払う無敵の護り。紅蓮の炎熱が光の奔流を食い止
光が城壁へと直撃する││寸前、城壁の表面に炎の障壁が展開された。
イア城壁││語り継がれし護国の煌壁へと襲いかかる。
ト ロ イ ア ス・ ブ レ イ ズ ウ ォ ー ル
大地をも斬り裂きながら迸る黄金の閃光が、人類史において最高峰の強度を誇るトロ
り抜いた。
遥か遠方に聳え立つトロイア城塞へと向けて、エミヤは渾身を以って黄金の聖剣を振
﹁約束された││││勝利の剣ッ
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
519
エミヤは再度聖剣を振り上げた。
魔力供給は潤沢だ。ゆえに本来禁じ手中の禁じ手であるはずそれを、いまならば何度
だって放つことができるだろう。
無論、それはエミヤとマスターの負担を度外視すればの話である。
だが彼女ならばきっと耐えられる。耐えると昨夜、エミヤに決然と宣言した。ならば
それを信じよう。
聖剣に再び魔力を籠める。耐えられるか耐えられないか。それを心配するべきは己
こそだとエミヤは苦笑した。
この身は既にボロボロだ。孔明がサポートに入っていなければ、とっくに骸と化して
いよう。
体が重い。意識はいまにも飛びそうだ。それでも。
││あぁ、耐えてみせるとも。弱音など決して吐くものか。
なぜならそれは、自分の弱い心に屈するということを意味するだろう。それだけはあ
ク
ス
カ
リ
バー
﹂
り得ない。だってエミヤシロウは、自分にだけは決して負けられないのだから。
エ
迸る閃光が炎の障壁と拮抗する。
裂帛の気合いと共に、再び黄金の聖剣を振り下ろす。
﹁約束された勝利の剣││││ッ
!
520
それはおよそ先程の再現だった。聖剣の光と炎の障壁が互いを食い合い、やがて障壁
を貫き城壁へと光が殺到する。
だがその瞬間、先程とは差異が出た。第二射を浴びて城壁に罅が入ったのだ。
昨夜パリスは、三発では罅を入れるのが限度と言った。だが、それはあくまでも普通
に聖剣を放った場合の話だろう。
一ミリの誤差もなく同じ場所に立て続けに撃ち込めば、きっとその限りではないはず
だ。
聖剣を担おうともエミヤはアーチャー。ゆえに第三射の聖剣も、正確無比に同じ場所
へと叩き込もう。そうすれば、無敵のトロイア城壁とて貫ける││
これが最後の一撃だ。この一撃で聖剣の力をこの場の全ての者に刻みつける。あと
エミヤは三度聖剣を振り上げた。よろめきそうになった体を意志の力で持ち堪えた。
!
の余力は全て対サーヴァント戦に回す。それでエミヤの戦いは終わるだろう。
エ
ク
ス
カ
リ
バー
﹂
吸い上げた魔力を糧に、刀身が黎明の光の如く輝いた。
!
た。
光が奔る。三度目の拮抗の末に炎の障壁を突破して、ついに城壁の一部に風穴を空け
全霊を以って、エミヤは三度目の真名解放に踏み切った。
﹁約束された勝利の剣アアアア││││ッ
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
521
││暫しの間、静寂が訪れた。吹き荒ぶ風の音だけが耳に響く。
聖剣はこれで打ち止めだ。正門の真横に穴を空けたとはいえ、それは決して大きくは
ない。侵入口としてはあまりに隘路だ。そこから侵入を試みようとしたところで容易
に迎撃され、死体の山が出来上がるだけだろう。
けれどトロイア軍には攻城の手段があると知らしめた。アカイア軍もこれによって
士気が大きく上がるだろう。
トロイア城塞の正門が開いた。次々とトロイア兵たちが城塞の前へと立ち並ぶ。第
四射はないと判断して展開することにしたのだろう。
それと同時に、トロイアのサーヴァントたちが城頭から飛び降りた。大地に降り立
ち、すぐさまアカイア軍の方へと向かって疾駆してくる。ヴラド、ローラン、アルケイ
デスの三人である。
﹁勇壮なるアカイアの将兵たちよ いまこそ我らが、難攻不落のトロイア城塞を落と
そして、征服王は高らかに謳い上げる。
と掲げた。
労いの言葉を口にしながら、イスカンダルがキュプリオトの剣を鞘から引き抜き天へ
たわ﹂
﹁││大義であった、エミヤ。余の知る騎士王の聖剣の輝きに、決して劣らぬモノであっ
522
!
す時なり
﹂
貴様らの雄姿を、いま世界へと刻め その奮闘は、しかと後世へと語り
継がれるであろう
!
﹂
!
前の男を制覇したいと、両者が等しく思っていた。
眼前の男が偉大であると互いに認識しているがゆえに、眼前の男に勝利したいと、眼
互いに懐く想いは掛け値なしの敬意であり、それゆえの敵愾心だ。
大英雄である。
スカンダルとガイウス・ユリウス・カエサルだ。共に人類史にその名を刻む紛れもなき
連戦の末に、彼我の兵力は四万弱で拮抗していた。そして両軍の総指揮を執るのはイ
れてなお、彼らの戦意は揺るがない。
それを返り討ちにせんと言わんばかりに、トロイア軍も前進する。攻城の手段を示さ
天へと轟くほどの喊声を上げ、アカイア兵たちが我先にと疾駆した。
!!
﹁全軍、進撃せよぉぉぉぉぉぉぉぉ││││ッ
﹄
みを口元に刻み、力の限りにイスカンダルが雄叫びを上げる。
キュプリオトの剣が轟然と振り下ろされる。指し示す先はトロイア軍だ。獰猛な笑
と熱気が立ち昇っていた。
兵たちは無言だ。だが皆、一様に笑みを浮かべている。無言のまま、全軍からは闘志
!
!
﹃オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ││
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
523
やんでいた雨が再び降りだした。それは次第に勢いを増し、視界すら遮るほどの豪雨
となった。
だがそれでも、互いの軍の喊声は雨の音に紛れることなく轟いた。
此処にイスカンダル率いるアカイア軍と、カエサル率いるトロイア軍が雌雄を決す
る。
◇
そうしていよいよ、わたしたちの、それぞれの戦いも始まりを告げる。
ポ
グ
リ
フ
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
この世ならざる幻馬 か ら 疾風怒濤の不死戦車 へ と 乗 り 換 え て、ア ス ト ル フ ォ が 言 っ
ヒ
﹁それじゃあ宝具を交換だね、アキレウス﹂
﹂
た。ジャンヌ・オルタも既に御者台へと乗り込んでいる。同時にわたしを含めた他のみ
んなは戦車から降り立った。
﹁おう。存分に使えアストルフォ。⋮⋮お前らも好きなだけ暴れてこいよ
﹁ええ、貴方が無様にも毒矢を受けたせいで、数日まともに戦えませんでしたからね。言
ただし性格が最悪なクサントスは││
主のその言葉に、バリオスとペーダソスが当然だと言わんばかりに猛々しく嘶いた。
?
524
われずとも全力で走らせていただきます﹂
悪態を吐いた愛馬の一頭に対し、アキレウスは苦笑しながらその腹を軽く小突いた。
もしれん﹂
﹂
﹁さっさと行ってくれアストルフォ。さもなきゃこいつのケツに槍をぶっ刺しちまうか
﹁主、それで刺されると傷を癒せないのですが⋮⋮﹂
﹁知るかアホ﹂
アキレウスがもう一度クサントスの肚を小突いた。
ていうか、勝てるの⋮⋮
?
を返した。
ちょっと失礼かもしれなかったわたしの言葉に、彼は特に気を悪くするでもなく笑み
﹁アストルフォ⋮⋮本当にローランと戦うの
?
誤解しないように﹂
﹁私は昨日の借りをあいつに返したいだけですからね。あくまでも、その為の共闘です。
差し出されたその手を無視し、ジャンヌ・オルタが鼻を鳴らす。
﹁その為に、キミの力を貸してね、ジャンヌ﹂
アストルフォが、共に御者台に乗り込んでいたジャンヌ・オルタへと振り向いた。
じゃ絶対にあいつには勝てないよ。だから││﹂
﹁勝つさ。ボクは絶対にあいつに勝たなきゃいけないからね。⋮⋮まぁ、でも、ボク一人
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
525
﹁うん、ありがとう
﹁よっしゃあ
﹂
そんじゃ一番槍は貰っちゃうよ。みんなも頑張ってね
﹂
﹁はい、そのつもりです。私には託された多くのモノがあります。その為にも負けられ
﹁うん、頑張ってね。マシュならきっと勝てる﹂
いい。
これなら変な心配をする必要はなさそうだ。だからわたしは、ただ彼女を信じ抜けば
に堅くなっているわけでもない。
と、そう言ったマシュの表情は凛としていた。決意を秘めた眼差しであり、けれど変
﹁││先輩、それでは私も行ってきます﹂
手を振って見送る暇もなく、疾風怒濤の不死戦車は視界の彼方へと消えていった。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
が如く走り出した。その疾走は刹那で音速へと到るほどだった。
三頭の馬、クサントス、バリオス、ペーダソスが嘶きを上げて、数日の鬱憤を晴らす
!
だろうけれど。
ていた。顔を赤くしてすごくかわいい││なんて言うと、本人は素直じゃないので怒る
満面の笑顔とまっすぐ過ぎる好意を向けられて、ジャンヌ・オルタがものすごく困っ
﹁⋮⋮っ﹂
!
意気揚々と朗らかに告げ、アストルフォが手綱を振るった。
!
526
ません﹂
マシュが背を翻し、アストルフォたちに続くように敵の方へと駆けていった。
ヒプグリフに騎乗しながらアキレウスが言った。
﹁よし、それじゃあ俺らも行くぞ﹂
そう言ってわたしは、戦場とは明後日の方を見つめて佇む小次郎へと視線を向けた。
﹁うん、わかった⋮⋮でも、その前に最後に一つだけ﹂
彼へと歩み寄り、その顔を見上げる。彼の視線の先を改めて追うと、一騎のサーヴァ
ントがそこにはいた。
後漢末期において最強の武を誇った乱世の梟雄、呂布奉先である。
雨でよく見えないけれど、呂布もまた小次郎をじっと見つめているのがなんとなくわ
かる。
二人は、いまここで決着を着けようとしているのだ。
不意に涙腺が緩んだ。泣きそうになったのを誤魔化して、わたしも彼へと微笑を返
やかな微笑というよりは、死期を悟った老人のように穏やかな微笑だった。
横に立ったわたしへと顔を向け、笑みを浮かべて小次郎が言った。それはいつもの涼
誠に過ぎた幸福よ﹂
﹁⋮⋮すまぬな、マスター。ただ一振りの刀なんぞの意思を尊重してもらうなど、私には
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
527
す。
﹁でも、小次郎。戦うからには、勝ってきてね。負けたら承知しないよ
﹁⋮⋮うん、ありがとう。そう言ってもらえて、わたしも嬉しい﹂
﹁この小次郎。そなたに逢えて、幸運であった﹂
顔を上げる。小次郎はいつも通りの涼やかな微笑を浮かべていた。
﹂
俯きかけたわたしへと、小次郎が││と、不意にわたしの名前を口にした。
いことを言いそうだった。
会話が途切れた。二の句が思い浮かばない。これ以上何かを言うと、言ってはいけな
﹁⋮⋮﹂
る﹂
﹁ク、それはいい。そなたにそう言われた以上、負けるわけにはいくまい。激励、感謝す
?
いたのならば、下僕も冥利に尽きるというもの﹂
﹁忠義か。我ながら忠臣などとは間違っても呼べんが、マスターにそう思ってもらえて
を湛えている。
わざとらしい言葉だった。そんなわたしの言葉にも、小次郎は変わらず穏やかな笑み
といけないからね﹂
﹁⋮⋮まぁなんていうか、マスターとしては、たまにはサーヴァントの忠義にも報いない
528
﹁││、達者でな﹂
最後にもう一度わたしの名前を口にして、小次郎が呂布の方へとおもむろに歩んで
いった。
﹁││っ﹂
思わず口を開きかけた。出そうになった声を必死に抑える。伸ばしかけた腕を震え
ながら下ろした。
本当は止めたかった。だって、きっとこれでお別れだ。小次郎はもう、帰ってこない。
止めれば、彼は止まってくれるだろう。マスターにそう言われれば是非もなしと笑い
ながら。
けれど、それはきっと、彼の心に悔いを残してしまうだろう。剣士としての、彼の誇
りを傷つけることになる。それだけは、したくなかった。
雨が降っていてよかった。本当は泣きはらしていたこの顔を、少しは誤魔化せただろ
その言葉に、みんなが無言で頷いた。
﹁⋮⋮わたしたちも行こう﹂
背を向ける。またいつか、再会できるその日を信じながら。
込み上げてくる想いを飲み込んで、わたしは小次郎の背中へと呟いた。
﹁また、会おうね⋮⋮﹂
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
529
530
うから。
アキレウスがヒポグリフに騎乗し、パリスとわたしがその後ろに乗る。そしてカサン
ドラを、アキレウスが前から抱きかかえる。
アキレウスが片手で鞭を振るい、ヒポグリフが飛び立った。
豪雨をかき分けるように飛翔する。眼下では既に、両軍が熾烈なぶつかり合いを繰り
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
広げていた。そして、サーヴァントたちも。
疾風怒濤の不死戦車のチャージを受けとめて、ローランがひたすらに後ろへと圧し続
けられている。
不意にエミヤとヴラドが姿を消した。恐らく二人だけが固有結界内に入ったのだ。
また彼は無茶をしたのだ。どれだけ彼は人を心配させれば気が済むのか。湧き上が
る怒りをいますぐにでもぶつけたい。だから、どうか無事でいてほしい。でないと、怒
れない。
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
││そして、最強の敵アルケイデスへと。
ア
ロ
ン
ダ
イ
ト
ア キ レ ウ ス か ら 託 さ れ た 〝 蒼天囲みし小世界 〟 と、エ ミ ヤ か ら 託 さ れ た 〝
無毀なる湖光〟をその手に携え。
マシュ・キリエライトが、単騎で敢然と挑んでいった。
◇
そうして、ついに二人が二度目の邂逅を此処に果たした。
豪雨の降り注ぐ原野にて、小次郎と呂布が互いを目視した瞬間、同時に笑みを零して
いた。
﹁まるで死人のような面構えだな、佐々木小次郎﹂
﹁それはこちらの台詞だぞ、呂布奉先﹂
無様という他にない立ち姿だ。小次郎の顔色は最悪であり、呂布の全身はズタボロで
随所から火花が散っている。
無理もあるまい。解毒薬を飲んだとはいえ、苦痛はいまも体中を駆け巡っている。意
ていた。
いつもは涼しげな微笑を浮かべる小次郎だが、この時ばかりはその笑みを引きつらせ
ているがゆえに。
二人同時に迷いなく頷いた。全力で戦えるのは五秒に満たないと、互いがそう認識し
るのみ﹂
﹁ああ、肩慣らしも出し惜しみもいらぬ。互いの武の極限を以って、ただ一瞬を駆け抜け
﹁お互い酷い有様よ。これでは打てる手も限られよう。││であるのならば、呂布よ﹂
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
531
532
識はいまにも遠のきそうで、視界は霞んでさえいる。指先の震えもまったく収まる気配
がない。
それでも、この一戦に全霊で臨むと小次郎は決めた。
この戦いは己が義務であり、己が願望だ。 呂布は瀕死の体を押して小次郎の前に立ってくれた。ならば全力を以って応えずし
て何が侍か。
そして何より、眼前の武将と名馬を斬り伏せたい。そうすれば、己は更なる剣の高み
へと登れるだろう。
小次郎は邪魔な陣羽織を脱ぎ捨てて、上半身を曝け出した。
血を吐きながら秘剣の構えを取る。
それで肉体の全ての造りが切り替わる。ただこの刹那を駆け抜ける為の機構へと造
り替えた。
体の震えは止まっていた。刀を握る手には問題なく力が入る。足裏はしっかりと大
地を踏みしめていた。
視野を狭める。景色など視覚情報から削ぎ落とす。双眸が見つめる先には人馬一体
の羅刹のみが映ればいい。
呼吸を止めた。心臓の鼓動を停止させた。そんな余分な機能は必要ない。余力の全
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
533
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
てをただ眼前の敵を斬り伏せる為だけに使い果たそう。それさえできれば、十秒後の生
存などなくていい。
そ う。限 界 は と っ く の 昔 に 超 え て い た。そ も 立 っ て い る こ と こ そ が 無 理 に 等 し い。
その〝無理〟こそを、小次郎は捻じ伏せた。それゆえの代償が死であることなど些末な
ことだ。
そうして小次郎は死域に入った。その身は既に死体である以上、猛毒による苦痛など
あるはずがない。
だからいまより五秒のみ、小次郎は毒に侵された体でなお全力で戦える。
そして呂布もまた、その心身は小次郎と何一つとして変わらない。
クー・フーリンに受けたダメージは深刻だ。僅かに動くだけで、呂布に際限のない激
痛を与え続けた。全力で動けばその十秒後には四散するほどの体である。
それでも、この一戦に全力で臨むと呂布もまた決めていた。
戦うことは眼前の敵への義務であり、己が願望に他ならない。
小次郎は毒に侵された体を押して呂布の前に立ってくれた。ならば死力を尽くさず
して何が武人か。
そして何より、眼前の剣士を捻じ伏せたい。そうすれば、己と愛馬は更なる武の頂へ
と到れるだろう。
ゆえに奥の手を使うことを躊躇わない。例えそれが、己の十秒後の生存を断つ暴挙で
あろうと。
││我が誇り、戦場にあり。いざ、今生に望みし宿命の一戦へ。
背中に跨る主の意思を汲み取り、赤兎馬が気高いまでに嘶いた。
その体が黄金に光輝く。呂布の体と具足もまた黄金の輝きを発する。赤みがかった
呂布の頭髪は稲妻めいた白さを帯びて逆立った。
││呂布の半身が機械であるように、赤兎馬の半身も機械である。それは彼らが各々
・
﹂
の力を、正しく一つにする為に他ならない。即ち、
・
﹁行くぞ赤兎、合体だ
ドラゴン・フォース
﹁人馬一体となりし時、我らは共に龍へと到る。是即ち││〝 龍 神 騎 兵 〟
竜になぞらえたモノ。
﹂
軍神五兵が古代中国の軍神蚩尤になぞらえたモノならば、それこそは黄帝が従えし応
ゴッド・フォース
到った。
その姿は正にケンタウロス。人馬一体の極致であり、幻想種の頂点の領域へと彼らは
!
なった。 下半身となり、呂布が足を折り畳んで上半身となる。そして、一人と一頭が文字通り重
瞠目する小次郎を余所に、呂布と赤兎馬が変形する。首を内側へと仕舞った赤兎馬が
!
534
ドラゴン・フォース
龍 神 騎 兵による効果は単純だ。呂布と赤兎馬の全てを合算する。即ち、呂布のステー
タスを赤兎馬のステータス分アップして、呂布の保有スキルに赤兎馬の保有スキルをプ
ラスする。
無論、呂布が瀕死である以上、本来の力は発揮しきれないだろう。合体が呂布の体に
さいきょう
多大な負担を加える以上、やはり十秒後には四散する。
それでも、この形態こそが彼らの無 双に他ならない。
その気迫と圧力は、かつてオルレアンで相対した邪竜をも凌ぐほどだと小次郎は感じ
た。
││よもや、本当に一つになるとはな。
止まっていた体の震えが一瞬戻ってきた。けれどそれは猛毒ゆえの痙攣などではな
さいきょう
さいきょう
!
く、真実武者震いに他ならない。小次郎は笑みを浮かべた。
││よかろう。ならばその無 双、我が秘 剣を以って斬り捨てる⋮⋮
そうして、その瞬間はやってきた。
いま此処に人馬一体の羅刹と、人刃一体の羅刹が交差する。
運命は、ただの数秒で決せられるだろう。
﹁来い﹂
﹁行くぞ、佐々木小次郎﹂
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
535
││瞬間は永遠となる。ゼロコンマ一秒以下の世界の中を、二人が動いた。
運命を決める刹那の交差へと、呂布が爆走を以って踏み込んだ。
竜巻の如くゥッ
﹂
一歩踏み出す毎に大地は罅割れ、一歩進む毎に音の壁を突き抜ける。
﹁駆け抜けるぞ赤兎ッ
!
﹁燕返しィッ
││
﹂
﹁一歩音越え││二歩無間││三歩絶刀││
﹂
無論、〝縮地〟ではない。サーヴァントである以上、本来の強さを取り戻すことはで
!
!
らば、小次郎のそれも疾風だ。目指す先は前方十メートルの位置に再出現した彼らの懐
秘剣を放ち終えたその刹那、小次郎は間髪入れず踏み込んだ。赤兎馬の疾走が暴風な
瞬間、初戦の時と同様に縮地で次元を超えて後ろへ飛び退ったのだ。
だがその神越の剣技を以ってしても人馬は捉えきれない。小次郎が燕返しを放った
放った燕返しの中でも、至高の斬撃に他ならなかった。
繰り出されるは三つの斬撃。死体同然の身でありながら、それは小次郎がいままで
!
かぶる。
一瞬で眼前へと躍り出た呂布へと向けて、静謐に構えた物干し竿を神速を以って振り
﹁秘剣││﹂
!
536
きても成長することはありえない。新しくスキルを得ることなど通常では不可能だ。
だからこれはただの疾駆だ。〝透化〟と〝気配遮断〟で敵からの認識を極限まで薄
めただけの縮地もどきに過ぎなかった。
とはいえそれが功を為したのか、呂布の反応が一瞬遅れた。
ゴッド・フォース
だが当然、呂布は小次郎の接近を予期していた。ゆえにそれは致命的な隙には成り得
ない。
呂布が渾身を以って軍神五兵を横一線に薙ぎ払う。
音など優に超えた速度。ともすれば光速とさえ誤認するほどの勢いだ。サーヴァン
トの知覚能力を以ってしても視認できるようなモノではない。小次郎は脳裏に己の死
﹂
の瞬間を垣間見た。
!
﹂
!?
ゴッド・フォース
僅かに呂布が瞠目する。放つと思われた燕返しを、小次郎はその瞬間放たなかった。
﹁││っ
け抜ける。
体を地すれすれへと屈ませながら、寸でのところで軍神五兵の刃を切り払いながら駆
の中で辛うじて軍神五兵の軌道を捉えた。
ゴッド・フォース
その未来を、一刀の下に拒絶する。小次郎は血走り、血涙を流す双眸と極限の集中力
﹁││ッ
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
537
538
ただ呂布の迎撃を往なしながらその横を馳せ違ったのみ。
呂布の背後へと逸れた小次郎は、だがその瞬間即座に地を蹴って切り返した。
背後から再度肉迫する小次郎。物干し竿が閃く。今度は呂布が辛うじてそれを切り
払った。
透かさず小次郎が切り返す。側面からの跳躍。側面からのさらなる速攻。電光石火
の二撃目を、やはり呂布が寸でのところで切り払う。
それでも小次郎はなおも切り返して呂布へと剣を閃かせた。
三撃目。切り払われると同時に迎撃の刃が翻る。頬を掠めながらもやり過ごす。
│ │ 足 り な い。小 次 郎 は 心 の 中 で 呟 い た。も っ と 速 く。も っ と 鋭 く。心 の 中 で 貪 欲
に必要なモノを追い求めた。
四撃目。やはりこれも切り払われた。小次郎の動きが僅かに鈍くなっている。
││届かない。あと一歩があまりに遠い。彼らを斬るには何かが足りない。
残された時間はあと二秒だ。それで小次郎の体は完膚なきまでに死ぬだろう。
不意に彼女の顔が脳裏を過ぎる。││刹那、小次郎は心の底から勝ちたいと思った。
そもそもこの戦いには意味などない。小次郎と呂布の果し合いは、既に大局には関係
ないのだ。何故ならこの勝負、どちらが勝とうと後に残るのは死体だけ。どちらが勝っ
たところで、どちらの軍が優勢になるわけでもない。
││それでも、なお彼女は戦うことを許してくれた。眼の端に大粒の涙を溜めながら
も、それでも笑って小次郎を送り出してくれたのだ。
なればこそ、その想いに報いたい。彼女の為に勝利したい。元よりこの身はただ一振
りの刀。だからこそ、彼女に己が勝利を捧げたい。
余力は既に残っていない。それでも小次郎はさらに己の限界を振り絞った。己の臨
界を突破した。人の理の外へと足を踏み出し、鬼の領域を上回る。それさえ適えば、こ
の一刀は造作なく龍の総体をも断ち斬ろう。風を抜き去り、音を超えて光に迫れ││
たのだ。
ゴッド・フォース
ついに呂布の認識を超えた。疾駆と斬撃を繰り返し、呂布の反応速度を完全に振り切っ
それこそが決着の訪れだ。〝燕舞〟による怒濤の六連撃を防がれながらも、小次郎は
目と六撃目を、呂布は防御しながらも視認することさえできなかった。
瞬間、小次郎は加速した。疾風は暴風を凌駕して、神風の領域へと踏み入った。五撃
!
背後へと回った小次郎は、秘剣の構えを取った。呂布が振り向きざまに軍神五兵を振
り被ろうとし││
呂布の胴体が、赤兎馬からズレ落ちる。
先んじて秘剣を放った小次郎に、その体を両断された。
﹁燕返し﹂
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
539
遠く聞こえる喊声と、体を打ちつける豪雨の音だけが周囲に響く中、呂布と赤兎馬は
自分たちの敗北を受け入れた。
││どうやらこの護り刀は此処で役目を終えたらしい。折れた刀は、もう戦えまい。
うにただ消滅するのみである。
霊基が壊れた以上、このまま消えればカルデアに戻ることもできない。呂布と同じよ
そう、小次郎の霊基さえも、完膚なきまでに壊れていた。
い、破綻していた。
えた加速こそが、決定打となっただろう。それにゆえに小次郎の肉体は何もかもが狂
これは当然の帰結だ。本来動かぬ体を、無理を通して動かしたのだ。最後の限界を超
とはいえ、その体は既に消えかけていた。
されない。
だが、倒れることだけは良しとしなかった。勝者である小次郎に、地に伏すことは許
もう刀を握る力など残されてはいない。五感は完全に消失している。
それを見届けて、小次郎は指先から物干し竿を滑り落とした。
た。
最期に穏やかな笑みを浮かべて呂布は告げ、赤兎馬と共に黄金の粒子となって消滅し
﹁次は、負けんぞ││﹂
540
﹁マスターには⋮⋮謝らねばな。なんと不忠のサーヴァントか﹂
自分の我欲のままに戦って、勝手に朽ち果てるのだ。呂布との戦いさえ見送れば、数
日休んだだけで体は回復しただろう。そうすればまた、彼女の護り刀としてこれまで通
り戦えたのだ。
それを、小次郎は良しとできなかった。斬りたいと思った相手がいて、戦いたいと
思った相手がいた。それを、我慢することができなかった。
未練はある。あの約束こそが心残りだった。
京で花見をしようと言った。彼女には酌をしてもらうはずだった。その約束を、結局
小次郎は反故にしてしまうのだ。
いつかまた、彼女と逢えるその日を信じて││
消えた。
そうして、彼は涼やかな微笑を口元に浮かべ、黄金の粒子となってこの世界から掻き
これが永別ではないのだと理解して、小次郎は少し安堵した。
ろう。
ろでも会っていたかもしれない。ならば小次郎も、きっとまた彼女と逢える時が来るだ
マスター
どこぞのアイドルなど、二つもの特異点で会っているのだ。もしかすれば、別のとこ
﹁⋮⋮いや、きっと、いつかその約束も果たせよう﹂
第25節:羅刹二人、刹那の決闘
541
第26節:剣の隣に並び立つモノ
両軍が激突する寸前だった。トロイア軍が不意に左右に割れた。
軍勢の中央に一本の細い道が開かれる。その道を、カエサル率いる二百騎の軽騎兵が
・
疾駆した。縦列で軍勢の中から一息で躍り出ると、隊列を楔の形に変えて、そのまま矢
の如き勢いでアカイア軍へと突撃していく。
・
完全に意表を衝いただろう。事実、アカイア兵たちは驚愕していた。
﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
我ながら突拍子もない策だと思っていたが、イスカンダルもまた突拍子もない男だっ
戦慄と同時に、カエサルは喜悦の笑みを口元に刻んだ。
﹁まさか、同じ戦術を考えつくとはな﹂
・
た。先頭を走るのはブケファラスを駆るイスカンダルだ。
あろうことか、それとは軽騎兵のことである。奇しくもその数は二百騎ほどと思われ
・
咄嗟に右方向へと行く手を変えた。
だがカエサルは、同じようにアカイア軍の中央から躍り出てきたそれを見て瞠目し、
﹁││
!
542
第26節:剣の隣に並び立つモノ
543
たということだろう。
とはいえ驚いているのはイスカンダルとて同じだろう。軽騎兵による速攻で敵軍の
出鼻を挫こうと互いに考えていたのだ。お互い様とはいえ、その初手は狙いが一緒だっ
たことで頓挫した。互いにこの二百騎の軽騎兵は無視できまい。
予想通り、イスカンダル率いる二百騎がカエサルの二百騎を猛追してきた。
カエサルは馬を走らせながら、剣を振って後続に合図を送る。隊列を楔の形から縦列
へと戻し、前の百騎がそのままカエサルに続き、後続の百騎が別方向へとルートを変え
る。そちらの先頭を駆るのは、昨日の強襲の際、カエサルの副官を務めてくれた青年で
ある。元々軍で斥候や伝令の役を担っていた彼は馬の扱いが巧みだった。
無論、〝騎乗〟と〝カリスマ〟のスキルを有するカエサルの指揮の方が較べるべくも
なく遥かに巧い。二隊のうち、どちらを討ちやすいかは歴然だろう。
それでもイスカンダルはカエサルの方へと追随してきた。
当然だと、カエサルは笑う。もしも青年の方の百騎を追っていれば、イスカンダルの
騎馬隊をカエサルが側面から衝いていただろう。逆の場合でも青年の隊の方がイスカ
ンダルの側面を衝いたが、これまたどちらの場合が対処しやすいかも明白だった。
カエサルは馬を反転させ、真正面からイスカンダルの騎馬隊を迎撃する構えを見せ
た。
544
イスカンダルが馬腹を蹴る。ブケファラスが僅かに加速し、後続もそれに続く。
カエサルは剣で再び合図を送った。百騎が五隊に散る。四隊はそのまま逃れ、カエサ
クロケア・モース
ルが率いる一隊だけがイスカンダルの部隊とそのままぶつかりそうになった。
寸前でカエサルはさらに方向を変えた。キュプリオトの剣が閃く。 黄 の 死で斬撃を
弾いた。馳せ違う。
反転してきたイスカンダルが縦列のままカエサルを追ってくる。だが側面から青年
の百騎が突撃を加えようとしていた。今度はイスカンダルの騎馬隊が五隊に散開し、そ
れを躱す。
カエサルは剣を頭上に掲げ、三度合図を送った。散っていた騎兵がカエサルの一隊に
合流する。イスカンダルの騎馬隊も全てがその間に合流していた。
ここまでは小手調べであり、ただの測り合いに過ぎなかった。お互いの騎馬隊がどれ
ほど速いのか、どれほどの動きが取れるのか、どれほど指揮を揮えるのか。それを読み
合っただけである。
ほとんど互角だった。練度は決して低くなく、かと言って飛び抜けて精鋭に仕上がっ
ているわけでもない。当たり前だ。一夜で編成した部隊なのだから。ぼろが出そうな
箇所は、全て互いの采配で補っているに過ぎない。
というより、一夜で編成しただけでまともに戦える部隊を作れたことこそが異常だっ
第26節:剣の隣に並び立つモノ
545
た。それはカエサルとイスカンダルの指揮の巧さにも一因はあるだろう。だが各部隊
から選出した選りすぐりの精鋭であることを差し引いても、互いに従えている兵たちの
適応力こそが奇跡的だった。
その奇跡にカエサルはひとまず感謝した。こうして騎馬戦でイスカンダルと競り合
えるなど、正しく望外の幸福と言っていい。
眼前の男は後世の多くの英雄たちが敬意を懐き、憧れた存在だ。
ナポレオンがそうだ。ハンニバルがそうだ。そして、カエサルがそうだ。
そんな男と真正面から直に戦ができるのだ。戦術家として歴史にその名を刻んだ多
くの男たちが、きっとカエサルに羨望と嫉妬の念を向けるだろう。
カエサルは意識を切り替えた。いまの軽い手合せで、彼我の騎馬隊の決定的な違いは
見て取れた。それは即ちブケファラスだ。イスカンダルの駆る名馬だけが冠絶して優
れた足を持っている。
それは長所であり、けれど短所でもある。騎馬隊は基本、走る時は一番遅い馬に速さ
を揃える。誰がどう見ても、ブケファラスは露骨なまでに速さを抑えて走っていた。そ
れは余力と呼べるものでもあるが、ともすれば一騎だけ突出し、孤立する危険性がある
ということだ。
獲りに行くとすればその瞬間でこそだ、とカエサルは眼を光らせた。
546
戦いの在りようは既に変わっている。なぜなら騎馬隊を以って敵軍を攪乱するには、
まず敵の騎馬隊を駆逐しなければならないのだ。でなければ互いが互いを妨害し続け
るだろう。
そしてどちらかがどちらかを制した時、敵軍を一方的に騎兵によって攪乱できる。戦
の帰趨はその時にこそ決するだろう。勝負の命運は、カエサルとイスカンダルの騎馬戦
に懸かっていると言ってもいい。
││とはいえこの勝負、トロイア軍の方こそが不利だった。
騎馬隊の指揮を執る以上、本隊の指揮は他の者に任せなければならない。
無論、それはイスカンダルとて同じである。
だが、その本隊を任せられる指揮官に差があった。残りのトロイアの将校が凡愚であ
るかというとそんなことは断じてない。カエサルの眼から見ても充分に指揮を任せら
れる人間は揃っている。攻めるならばともかく、守りの指揮に関してならトロイアの英
雄たちは非常に堅固な戦ができるだろう。
だが、イスカンダルが本隊の指揮を任せた人間は、間違いなく諸葛孔明の擬似サー
ヴァント、ロード・エルメロイ2世に他ならないだろう。
連日の戦いでトロイア軍がアカイア軍を圧倒していたのは大きな士気の差があった
からだ。
第26節:剣の隣に並び立つモノ
547
だがいまの彼我の士気の高さは互角である。兵の練度も、兵の総数も互角である。
ならばこの均衡を崩す要因は、指揮官の采配に他ならない。
カエサルは焦燥を飲み込んだ。心は決して乱さない。落ち着いて、自分の信じる戦を
する。それだけだ。
必ず討ち取る。カエサルは燃え滾る闘争心で口元を歪め、イスカンダルの騎馬隊目が
けて駆けていった。
◇
限界などとうの昔に超えていようと、エミヤは固有結界の発動に踏み切った。
一節のみの詠唱で簡易的に発動したそれは、ほとんど張りぼてのようなモノと言って
いいだろう。気を抜けばいまにも消失しかねないほどである。およそ五分とてこの空
間を維持できまい。
けれどそれで充分だった。世界は間違いなく塗り替えたのだ。この空間内において、
極 刑 王 〟の使用が封じられたことを意味する。
カズィクル・ベイ
ヴ ラ ド 三 世 は 〝 護 国 の 鬼 将 〟 で 獲 得 し た 領 土 を リ セ ッ ト さ れ る。即 ち そ れ は、〝
固有スキルと宝具を封印されたヴラド三世は決して強くないだろう。元来武術家タ
イプの英霊でないことを鑑みれば、槍術の技量も一流の域にはないのだから。
荒野に突き立つ二振りの剣を引き抜き、エミヤはヴラドへと斬りかかる。
手繰る長槍を以って、ヴラドがそれを苦悶の表情で防いでいく。
弾き返された剣を再度エミヤは振り下ろした。辛うじてヴラドがその斬撃をやり過
ごす。
ヴラドに攻勢の気配は一切ない。徹底して守りと逃げの構えを見せている。固有結
界の時間切れを待っているのは明白だった。
だからこそエミヤは、疲労困憊の体でありながら強引にでも攻めに行った。圧倒的有
利な状況に持ち込んではいるが、そもそもエミヤの体の状態は既に最悪を通り越してい
る。いつ何が破綻するかも分かったものではない。固有結界の時間制限のこともある
が、そうなる前に決めなくてはならなかった。
﹂
?
るのか
﹂
?
?
罪無きトロイアの人々を死に追いやることが貴様の正義か
?
﹁ところで、貴様はこの戦いについてどう思っている 自分たちが正しいと思ってい
エミヤはその言葉を無視して休まず斬りかかった。舌打ちと共にヴラドが即応する。
苦笑交じりにヴラドが提案する。時間稼ぎをしようとしているのが見え見えだった。
かな
﹁随分と焦っているようだな。一度、落ち着いて深呼吸でもした方がいいのではないの
548
剣と槍で圧し合いながら、言葉はさらに投げかけられた。
素 直 に な
それをなおも無視する。ヴラドの言葉は確かにエミヤの心の奥底を衝いてきたが、だ
からと言っていまさら決意も戦意も鈍るわけがない。
﹂
﹁違 う は ず だ。お 前 と て 無 辜 の 人 々 を で き る こ と な ら 助 け た い の だ ろ う
れ。こちらに寝返ってみるのも一つの手ではないか
?
あらゆる方向からヴラドへと向けられる。
一度大きく距離を取る。代わりに荒野に突き立つ無数の剣を浮遊させた。切っ先は
自分に許した。
エミヤはただ斬り込むだけではヴラドを仕留められないと判断し、あと一度の無理を
いだろう。
この圧倒的窮地に立たされて、毛ほども諦めていないのは流石英雄と言わざるを得な
と必死なのだろう。いま持ち得るあらゆる手練手管を駆使しているのだ。
ちに絶対に仕留めんと必死になっているように、ヴラドもまたこの危機を絶対に脱する
無視されようと、ヴラドは落ち着いたまま言葉を続けてきた。エミヤがこの好機のう
?
と殺到する。
右手に持った剣を頭上へと振り上げ、勢いよく振り下ろした。同時に剣群がヴラドへ
﹁なかなかに魅力的な提案だが、断らせてもらう。お前は大人しく此処で消えろ﹂
第26節:剣の隣に並び立つモノ
549
高速で飛来するそれを、ヴラドが迎撃していく。だが彼の技量ではその全てを捌くこ
とは不可能だった。二七本の剣を打ち落とし、躱したところで、ついにヴラドの胸に剣
が深々と突き刺さった。
こ れ で 役 目 は 果 た せ た の だ。代 償 と し て 魔 術 回 路 は さ ら に 二 割 が 逝 っ て し ま っ た。
ルを持たないはずだ。ならば致命傷で起き上がるようなこともないだろう。
消耗は著しい。とはいえ、ヴラドは確かに殺した。〝この〟ヴラドは戦闘続行のスキ
で痺れるような痛みが走った。無理に無理を重ねたせいだろう。
全身で大きく息をする。無理をし過ぎたせいか動悸が激しい。雨が肌に触れるだけ
とだけは辛うじて堪えた。いま倒れれば、きっともう起き上がれない。
エミヤもまた膝を折っていた。倒れそうになった体を両手で支え、地面に倒れ込むこ
﹁はぁ⋮⋮は、ぁ⋮⋮は、ぁ││っ││ぐ、っ﹂
れている。
原野へと戻っていた。雨は相変わらず降ってはいるが、豪雨と呼べるほどの勢いは失わ
ヴラドが膝を折り、そのまま荒野へと倒れ伏した。同時に固有結界が掻き消え、元の
りだった。抵抗する暇もなく、護国の鬼将は無数の剣によって刺し貫かれた。
血を吐くヴラドへと、容赦なくさらなる剣群が襲いかかる。一撃食らえばそれで終わ
﹁が、││﹂
550
これでは今後の戦いで使い物にならないだろう。
││こうなると、一度消滅するのも手かもしれんな。
もっともここまで無理をした以上、霊基の方にも深刻なダメージがあるかもしれな
い。そうすると最悪の場合、消滅すればカルデアに戻ることもできないだろう。
あるいはアイリスフィールの治癒能力なら、時間さえかければエミヤを元通りにする
ことができるかもしれないが。
そうエミヤが思考したところで、
あり得ない声を耳にした。
﹁││余を串刺しにするなど、随分と皮肉が効いているな﹂
﹂
!?
││まさか⋮⋮いや、だが。
霊核が無事であるはずがない。ゆえにヴラドが起き上がれる道理など欠片もないのだ。
はずだった。間違いなく心臓も貫いていたし、首や頭部にさえ突き刺さっていたのだ。
に穿った風穴はそのまま幾つも残っている。明らかに内臓のほとんどが損傷している
刺さっていた剣自体は、固有結界の消失と共に掻き消えている。だが剣がヴラドの体
視線の先、死体となったはずのヴラドがゆっくりとその身を起こしていた。 弾かれたようにエミヤは顔を上げた。
﹁な、に││
第26節:剣の隣に並び立つモノ
551
エミヤは一つの可能性に思い至った。確かにヴラドがこの状況から死を免れる方法
が一つある。だがそれをヴラドが使うはずがないと妄信していた。
その考えを、眼の前の光景が完全に否定した。ヴラドの体中の風穴が、時間遡行でも
起こしたかのようにゆっくりと修復されていく。
レジェンド・オブ・ドラキュリア
その再生能力は、不死の怪物としての能力に他ならないだろう。
﹂
〝 鮮 血 の 伝 承 〟。自身にとって禁忌中の禁忌であるはずの宝具を、ヴラドは発
動したのだ。
﹁ば、馬鹿な⋮⋮ヴラド三世が、自ら吸血鬼になっただと⋮⋮
⋮⋮
﹂
ればこそ、それが余の信念なればこそ、この身を吸血鬼に貶めることも厭いはしない
﹁だが、それでも余はこの呪われた力を揮おうぞ。トロイアを護る。それが余の正義な
怒りもない。不快もない。かと言って歓喜や愉悦があるわけでもない。
その表情に湛えられたそれも別のモノだ。
た。
その言葉とは裏腹に、ヴラドの声音には些かの不快さも怒りも含まれてはいなかっ
の吸血鬼。余にとって、最も忌まわしき存在であるドラキュラだ﹂
﹁⋮⋮そうだ。貴様の眼前に在るのは、最早ただの怪物だ。夜を統べる王。吸血鬼の中
!?
552
!
その宣言こそがヴラドの想いの全てだった。
トロイアを護るという、決意。
ヴラドの表情と瞳に湛えられたモノは、それのみである。
右手が翳される。掌から銃弾の如く射出された杭を、エミヤは寸でのところで避けて
いた。
だが杭は掌から間断なく撃ち続けられていた。干将莫耶を投影し、その全てを弾き落
とす。
即座に疾駆する。杭を防ぎ、躱しながら側面へと回り込む。内から外へと干将莫耶を
横に薙ぐ。
黒白の双剣は、しかし虚空を斬った。ヴラドは無数の蝙蝠へと姿を転じ、エミヤの周
囲へと舞い踊る。
蝙蝠の口が紅く光った。そう思った瞬間、全方位から高速で杭が撃ち出されてきた。
到底対処しきれない数である。エミヤは咄嗟に跳躍した。双剣を楯にして頭を庇う。
それでも避けきれず、防ぎきれずに全身を杭が浅く抉る。
怯むエミヤの前に、眼にも止まらぬ速さで人影が躍り出た。それは人狼へと姿を変え
﹂
たヴラドである。
﹁そこだッ
!
第26節:剣の隣に並び立つモノ
553
﹁がっ⋮⋮
﹂
上がろうとしていた。
意識が飛びそうだった。ほとんど無意識のうちに、エミヤは干将莫耶を杖にして起き
地面の上を転がった。
吹き飛ばされる。エミヤは体勢を直すどころか、受け身を取ることもできずに濡れた
腹部を痛打したのだ。
瞬間、衝撃が走った。人狼としての速さと膂力を活かした重く鋭い一撃が、エミヤの
!?
﹂
?
﹂
?
﹁今頃呂布は消えていよう。その穴埋めをしたいのだ。貴様には我が眷属となり、トロ
﹁な、に⋮⋮
が、貴様は断るといったが、実は拒否権などないのだよ﹂
﹁ふ む。そ の 様 子 で は 諦 め る つ も り は な い ら し い な。│ │ と こ ろ で 先 程 の 話 の 続 き だ
問題はただ一つ。既にエミヤには、まともに戦う体力が残っていないということだ。
手段ならばあるだろう。あと一度か二度の投影はできるはずだ。
なった余を、いまさらどうやって殺すという
﹁形勢は逆転した。貴様ではどうやってもいまの余を降すことはできんだろう。不死と
姿を本来のモノへと戻し、ヴラドがエミヤを見下ろしながら声をかけた。
﹁止せ。それ以上の無理を重ねれば消滅するぞ﹂
554
イアの為に戦ってもらう。余が貴様の本当の願いを叶えてやる。貴様が自らの理想の
﹂
為に黙殺した本当の願いをな﹂
﹁貴様⋮⋮
﹂
!
ロ ー・
ア
イ
ア
ス
﹂
││だから代わりに、
能なのだ。
その結末を、エミヤは受け入れるしかなかった。この結末をエミヤが覆すことは不可
だろう。
し過ぎた状態で死に、そのうえ無理やり吸血鬼に変えられれば霊基も無事では済まない
これが予言の瞬間だ。これが運命の瞬間だ。エミヤの戦いは此処で終わる。無理を
は、最早この攻撃を対処する術などありはしない。
ヴラドの体内から杭が蛇の如く伸び出てきた。既に立ち上がる力すらないエミヤで
﹁血に濡れた我が人生を此処に捧げようぞ││血塗れ王鬼
カ ズ ィ ク ル・ ベ イ
なのだろう。その後眷属にしてしまえば、肉体の再生など容易いのだから。
間違いなく宝具発動の兆しである。まずはそれでエミヤを完全に無力化するつもり
ヴラドの体から魔力が膨れ上がる。瘴気とも呼べる黒い奔流が渦を巻く。
﹁では悪に堕ちろ、正義の味方よ﹂
!
﹁熾天覆う七つの円環
!
第26節:剣の隣に並び立つモノ
555
││一人の女が、その運命を破壊した。 カ ズ ィ ク ル・ ベ イ
エミヤとヴラドの間に割り込んだ赤髪の麗しき女戦士は││アイアスは展開した七
﹂
枚の花弁を以って血塗れ王鬼による攻撃を防ぎきった。
﹁やぁああああっ
ア
イ
ア
﹂
?
﹂
!
ス
理不尽に怒る彼女に、エミヤは首を傾げるしか他になかった。
﹁そうではない
﹁そう、か⋮⋮見るに堪えないほど、無様な姿を晒していたか⋮⋮﹂
﹁見てられん。まったく以って見ていられなかった﹂
その涼やかで麗しい面差しは、けれど露骨なまでに不機嫌そうだ。
ヤへと振り向いた。
ぐちゃぐちゃになった体を再生させつつあるヴラドを警戒したまま、アイアスがエミ
その凛々しいまでの背中を見上げながら、エミヤは彼女へと声をかけた。
﹁アイアス⋮⋮
地面を転げまわって倒れ伏したヴラドは肉塊同然の姿となっていた。
器としてヴラドへとチャージを決め、圧殺する勢いで弾き飛ばした。
熾天覆う七つの円環が発する斥力場に、杭が根こそぎ圧し潰される。そのまま楯を武
ロ ー・
のみならず、彼女は溢れんばかりの気迫と共に、楯を翳したまま前方へと突き進んだ。
!
556
﹁お前は、危なっかしくて見てられん。お前が体を張って、お前が命を削る度に、この胸
は不思議と苦しさに締めつけられてしまう。こんなことは初めてだ。意味がわからな
い⋮⋮﹂
だが、とアイアスは続けた。
いると思うと、気が気じゃなくなってくる。この感情はなんなんだ⋮⋮﹂
﹁見てられんが、見過ごすこともできない。私の見ていないところでお前が無理をして
そんなことはエミヤにだってわからない。だから思わず口を開いた。
﹂
不機嫌そうだったアイアスの面持ちに、不意に朱色が差していた。
﹁つまり⋮⋮君はいったい何が言いたいんだ
?
怒っているわけではないのだろう。なぜか彼女は││そう、すごく恥ずかしそうにし
ていた。
﹂
?
﹂
お前は一生、この私が守ってやる
!
顔を赤くしたまま、けれど彼女は開き直ったように声高に言った。
﹁私にお前を守らせろ。私がお前の楯となろう
﹂
!
!
﹁い、一生
?
﹂
﹁え、えっと⋮⋮だからっ、その⋮⋮そう、もう資格の有無などもう知ったことではない
﹁アイアス
第26節:剣の隣に並び立つモノ
557
﹁ぁ、いまのはなし
一生はただの勢いだからな
いますぐ忘れろっ
!?
﹂
!
長剣を滑るように抜き放ち、突きつけた。
表情を凛然たる戦士のそれへと改めて、アイアスがヴラドへと向き直る。腰の鞘から
体を再生し終わったヴラドが、その身をゆっくりと起こしていた。
た。
ついには顔を真っ赤にしたアイアスだったが、その後ろで不意に呻き声が聞こえてい
!
﹂
!
﹁エミヤ⋮⋮
お前はまたそんな体で⋮⋮
﹂
!
﹁アイアス。悪いが、ただ守られるだけなど私は御免だ。⋮⋮オレもね、君と同様、傷つ
だからエミヤは、彼女の隣に堂々と並び立ってみせた。
力が湧いてきた。
限界は既に超えている。それでも彼女が奮起している姿を見れば、不思議とエミヤは
!?
││立ち上がったエミヤが干将莫耶を以って先んじて撃ち砕いた。
掲げた手から杭が放たれる。それをアイアスは剣を振り被って撃ち落とそうとして
わせてもらう。││行くぞ、楯の英雄
﹁守るか⋮⋮よかろう。ならば余も、トロイアを守る為にこの忌まわしき力の全てを揮
りたいモノがある。共に戦った仲間を、私は必ず守り抜く﹂
﹁そういうわけだ。この男は死なせん。お前にも守りたいモノがあるように、私にも守
558
く誰かを見過ごすことなんてできないんだ。君がオレを守ると言うなら、オレが君を守
るとここに誓おう。││一生な﹂
﹁な││﹂
﹁おっと、一生というのは忘れてくれ。勢いで言ってしまっただけだからな﹂
またしても顔を真っ赤にしたアイアスへと、エミヤはニヤリと笑ってそう言い足し
た。
わたし
憮然としたような数秒の沈黙の末に、アイアスが諦めたように溜息を吐いた。そのす
おまえ
ぐあとに、彼女は涼やかに微笑んだ。
﹂
?
その言葉に、ヴラドが嬉しげに微笑を湛えた。
血鬼に堕ちようと、それが覆ることもないだろう﹂
お前たちはトロイアにとって紛れもない英雄で、紛れもない正義の味方だろう。例え吸
ちの側にはつけんな。お前たちにはお前たちの正義がある。それを否定する気はない。
﹁そういうわけだ、ヴラド。強引な勧誘をしてもらったところ悪いのだが、やはりお前た
不敵に笑ってみせたまま、エミヤは莫耶をヴラドへと突きつけた。
﹁愚問だな。君の方こそ、ついて来いというものだ﹂
私の戦いについて来れるか
﹁⋮⋮わかった。ならば私は剣の隣に並び立とう。だからお前は、 楯の隣に並び立て。
第26節:剣の隣に並び立つモノ
559
﹁⋮⋮このような無様な吸血鬼となった余を、英雄と⋮⋮そう言ってくれるのか、エミヤ
﹂
?
﹂
!
﹂
!
返した。
ロ ー・
ア
イ
ア
ス
エミヤはアイアスへと視線を送った。言葉を投げかけずとも、意を汲んで彼女が頷き
性も完全なモノではなくなっている可能性が高かった。
ことだろう。雲で陽射しが届かないとはいえ夜ではないのだ。もしかすれば、その不死
だ が ヴ ラ ド は 逆 に 下 が っ て い く。熾天覆う七つの円環 に よ る チ ャ ー ジ を 警 戒 し て の
ドへの接近を試みる。
楯は剣に並び立ち、剣は楯に並び立つ。互いの死角を絶妙なまでに補いながら、ヴラ
は完全なまでに一致していた。
その連携は鉄壁であり完璧だった。たったの二度目の共闘でありながら、二人の呼吸
間断なく撃ち出される無数の杭を、エミヤとアイアスが悉く防いでいく。
互いに迷いはない。三人が同時に動いた。
て貴様らを降す
﹁フ⋮⋮よかろう。ならば来るがいい。例え吸血鬼になろうとも、余は護国の英雄とし
らば彼女のサーヴァントとして、その道を切り拓くのみ⋮⋮
﹁無論だ。だが、だとしても、オレにも信じるモノがある。彼女はきっと答えを出す。な
560
第26節:剣の隣に並び立つモノ
561
二人がさらに疾駆する。強引とも言えるような接近でありながら、迎撃の杭の全てを
撃ち落としていく。
下がるヴラドに、ついにエミヤが懐へと飛び込んだ。体内から射出される杭。アイア
スが撃ち落とす。その間にエミヤが干将による一撃を叩き込んだ。
傷を修復しながら、ヴラドが無数の蝙蝠へと姿を変える。あらゆる角度からの杭の射
撃をアイアスとエミヤが打ち払っていく。
互いに攻めきれていなかった。持久戦になるだろう。この場の三人がそれを悟った。
言うまでもなく、そうなって一番厳しいのはエミヤである。限界を幾つも超えた彼こ
そが、いつ倒れてもおかしくない。
けれどエミヤは音を上げない。自分との戦いに彼は決して負けないだろう。
戦いは続く。その鉄壁なまでの守りと、吸血鬼としての耐久ゆえに。
それでも三人は苛烈なまでに互いを攻め続けた。
己の肩に背負った誰かを護る為に。
第27節:友情の音色
迎撃として幾つも投擲されてきたヘクトールの槍。音速を超えて迫るそれを辛くも
全て掻い潜り、ようやくアキレウスはヒポグリフをトロイア城塞へと隣接するくらいに
まで近づけた。
﹂
アキレウスが鞭を振り、ヒポグリフにトロイア内へとさらに突っ込ませる。
﹁いまだ
トロイア内部に侵入した以上、ヘクトールはもう投擲をしてこないはずだ。狙いが逸
例外なく消し炭も残らなくなっていたことだろう。
いたわけではないけれど、もしも次元跳躍にも障壁が対応していれば、この場の四人が
ほっと息を吐く。心の中で渦を巻いていた恐怖が霧散する。パリスのことを疑って
しかし、ヒポグリフは例外的にそれを越えられた。
おり、侵入者を瞬時に溶解させてしまうのだから。
上空からの侵入も本来なら不可能だ。城壁の届かぬ位置にも炎の障壁が展開されて
パリスが叫んだ。それに合わせてヒポグリフが次元を跳躍する。
!
562
王宮か
﹂
れれば、街に被害を出すことになる。彼がそれを許容するとは思えない。
﹁王女、何処に降りる
?
アの王族であるはずの二人がアキレウスといることを、彼らは訝しんでいる。
いたことだろう。けれどわたしたちと一緒にカサンドラとパリスがいるのだ。トロイ
もしもトロイアに侵入したのがわたしとアキレウスだけならば、彼らは皆逃げ惑って
トロイアの人たちは、遠目にわたしたちを窺っていた。
は、いつの間にか小雨程度になっている。
着陸したと同時に、わたしたちはヒポグリフの背中から降り立った。激しかった雨
アキレウスが再度鞭を振るい、ヒポグリフをゆっくりと降下させた。
﹁承知した﹂
﹁あそこ、街中の広場に降りてください﹂
アキレウスの言葉に、カサンドラが街の中のとある一点を指差した。
?
ヘクトールのその姿は、いままで見たモノとは違っていた。中世の騎士を思わせる煌
伴っている。
ぐに広場へと駆けつけてきたのだろう。もう一人のカサンドラ││アヴェンジャーも
声を張り上げたのはヘクトールだった。わたしたちのトロイアへの突入に際して、す
﹁││まさか、トロイアに侵入してくるとはな﹂
第27節:友情の音色
563
イー
リ
ア
ス
びやか鎧と鏡の如き澄んだ楯、そして輝く兜を装備している。これがアストルフォの
ドゥリンダナ・ピルム
言っていたヘクトールの三種の神器〝護国の残照〟なのだろう。右手に携えるドゥリ
ドゥリンダナ・スパーダ
ンダナもまた、その形態は長槍から長剣へと転じている。即ちそれは〝不毀の極槍〟で
はなく、〝 不 毀 の 極 剣 〟に他ならない。
等々の疑問の声が方々から聞こえてくる。
トロイアの人々は、カサンドラが二人も存在することに対してさらに戸惑っていた。
まさか偽物か
?
民衆へと向けられたパリスの言葉に、間違い と、誰かがオウム返しに訊き返した。
協力しているだけだ﹂
たつもりもない。ボクたち二人はいま現在の間違いを正す為に、アキレウスと一時的に
﹁トロイアの民草よ。こっちのカサンドラもボクも偽物じゃないし、トロイアを裏切っ
564
﹁言ってくれるな、パリス。まぁ、確かにお前の言う通りだ。死んだ俺が甦り、いまもこ
アヴェンジャーの代わりに、ヘクトールはそのままパリスへと言葉を投げかける。
眦を決した彼女が口を開こうとして、苦笑を零すヘクトールがそれを手で制した。
気と殺意が灯っていた。
続けられたパリスのその言葉を聞き咎めて、アヴェンジャーの視線に露骨なまでの怒
確かに喜ばしいことではあるけれど⋮⋮明確なまでの間違いなんだ﹂
﹁それは他ならぬ、ヘクトールのことだよ。死んだはずの兄さんが生きている。それは
?
うして戦っているのは異常事態に違いない。││だが、それがなんだ
﹂
トロイアを護るために人類史を滅ぼすなんて、そんなことはさせられない。だから兄さ
﹁だったらボクらはそれを止める。ボクたちも言ったように、兄さんは間違っている。
ずだ﹂
﹁間違えていようとも、俺はトロイアを護る。その邪魔は誰にもさせん。そう言ったは
いた。
ヘクトールの言葉には迷いがない。視線はどこまでも冷徹にパリスへと向けられて
?
﹂
んを倒してでも止めてみせる。例えそれが兄さんの護りたかったモノを壊す行為⋮⋮
トロイアを滅ぼす行為なのだとしても
ヘクトールの表情に怒気が混じった。
何一つ怖じることなく、決然とパリスがそう告げた。
!
を投げかけた。
ヘクトールが押し黙った間に、パリスは彼ら││トロイアの人たちへともう一度言葉
し、自分たちが何を犠牲にして生き延びようとしているのか、それを知る義務がある﹂
もりだったんだろうけど、そんなことは断じて許されない。彼らに無知は許されない
﹁当たり前だよ。兄さんは全部の罪を自分一人で背負おうとして、全てを隠しているつ
﹁⋮⋮よりにもよって、それを彼らの前で言うか、パリス﹂ 第27節:友情の音色
565
﹁いま言った通りだ トロイアが滅亡を逃れれば人類史は滅びる。トロイアが滅びる
なのだと理解したのだ。
ごうごう
の言葉を否定もせず、険しい表情で口を噤むヘクトールの様子に、パリスの言葉が真実
けれどトロイアの人たちの視線は、パリスからヘクトールへと移されていた。パリス
の元凶であるお前が、どの口で言うのかと。
それは本来なら、パリスに批難が囂々と集中するような発言だっただろう。この戦争
だ﹂
のは人類史になくてはならない軌跡の一つだ。トロイアは、滅びなくてはならないん
!
す﹂
?
?
││わたしへと向けられた。
﹁カルデアのマスター。もしよろしければ、降伏しませんか
﹂
ヘクトールの言葉に、アヴェンジャーが微笑を浮かべて頷いた。そして彼女の視線は
﹁確認だと
﹂
﹁待ってください、兄さん。戦いを始める前に、一つだけ確認したいことがあったんで
出した。││けれどそこへ、
周囲からの視線の全てを無視して、ヘクトールが覚悟を決めたように一歩前へと踏み
﹁⋮⋮もういい、黙れパリス。俺はトロイアを救う。例えお前たちを殺してでもだ﹂
566
﹁え││
﹂
慮外すぎるその提案に、思わず声が漏れていた。
﹂
滅ぼしたとして、その後、本当に人類史を守れるのですか
トロイアを
あなたたちカルデアに﹂
﹁貴女は人類史を守る為に戦っている。ですが、本当に守れるのですか
﹁⋮⋮何が、言いたいの
?
?
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
ト ロ イ ア ス・ ブ レ イ ズ ウ ォ ー ル
・
・
・
・
・
・
・
・
・
い為の方法を、アヴェンジャーたちは当然、明確に持ち得ているのだろう。
・
・
・
・
・
トロイアを救って人類史が滅びれば、結局トロイアも滅びることになる。そうならな
⋮⋮確かにアヴェンジャーのその言葉には、一理あるのかもしれない。
してなお、人類を残すことでもあるのですから﹂
・
概にそうとも言えないと思います。だってトロイアを救うということは、人類史を滅ぼ
・
﹁人類史を犠牲にして生き延びようとする私たちは、悪なのかもしれません。ですが一
だった。
睨んだまま、わたしは無言で続きを促す。アヴェンジャーは微笑を口元に添えたまま
けですよ﹂
﹁怒りましたか そんな顔をしないでください。私は一つの選択肢を提示しているだ
?
?
?
微とはいえ、城壁を破壊されたのはおかしいと思いませんでしたか
ランクEXであ
﹁語り継がれし護国の煌壁はランクEXの結界宝具、評価規格外の宝具です。なのに軽
第27節:友情の音色
567
?
・
・
・
・
るのなら、あらゆる攻撃を遮断できるくらいでなければならないでしょう。⋮⋮確か
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
に、一定以上の破格な攻撃を防ぐことは敵いません。││ですがこの城壁は、滅びに対
するシェルターの機能を備えているのです﹂
そこまで言われれば、彼女が何を言いたいのかは、わたしにも解った。確かにこれは
提示されて然るべき、一つの選択肢なのかもしれなかった。
﹂
?
そしてその想いは、きっと誰もが等しく心に懐いているモノだった。
トールの護りたかったモノなのだ。
それはきっといつの時代、どこの国にもある、ありふれた光景だ。これこそがヘク
る。
男がいた。女がいた。子供がいた。老人がいた。建物があり、人の営みがここにはあ
た。釣られたように、わたしも彼らを見渡した。
見てください。そう言いながら、アヴェンジャーが視線を周囲の人々へと向けてい
中の最善の手段、そう捉えることはできないでしょうか
トロイアだけは、人類のごく一部だけは確実に救う手段を持っています。これは最悪の
ロイアは滅びないのです。つまり私たちは人類の全てを救う手段は持っていませんが、
厖大な魔力が必要ですが、私は無限の魔力を備えた聖杯を所持している。未来永劫、ト
﹁世界が滅びようと、トロイアは滅びない。もちろん城壁と障壁の加護を維持するには
568
人類史を守りたい。わたしたちはそう思ってここまで進んできた。人類史とは即ち、
人の営みだ。このどこにでもあるありふれた光景こそがそれだろう。
だからこれは、わたしたちが守りたかったモノでもあるのだ。
・
・
・
・
・
・
・
・
﹁ここにいる人たちは貴女にとっては過去の人たちなのかもしれませんが、それでも彼
彼らには生きる権利がないんですか
死の運命か
らは懸命にいまを生きている。本来なら既に滅んだ過去の人たちだからといって、滅ぼ
﹂
す権利が貴女にあるんですか
ら抗う権利はないんですか
?
?
類史を守れるなんて保証はどこにないでしょう
そもそも、貴女は勝てますか
彼
?
?
の道ではありませんか
﹂
の魔術王に、グランドの階位にあるソロモン王に。トロイアを救うという選択も、一つ
?
﹁彼らを犠牲にして人類史を守ろうとするのは、本当に正しいことですか 確実に人
し、死の運命に抗う権利も、誰に断る必要もなく持っている。
滅ぼす権利など、そんなモノあるわけがない。彼らには生きる権利が間違いなくある
?
があるわけではない。ただ厳然と真摯に、彼女はわたしに問いかけてきた。
そうして、アヴェンジャーが口元から微笑を消した。かといって、決して彼女に悪意
?
﹂
﹁さぁ、答えを聞きましょう。カルデアのマスター、貴女はいったい、どうするのですか
第27節:友情の音色
569
?
彼女の問いに、わたしは││
◇
驚異的なまでの速度だった。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
眼では追いきれないほどの速さで雨を掻き分け、原野を縦横無尽に疾駆するのは三頭
立ての戦車〝疾風怒濤の不死戦車〟だ。
この世の全てを置き去りにする神速のチャージは、ローランをして辛うじて躱すのが
やっとだ。本来の駆り手が操っていたならば、回避することなど到底不可能だっただろ
う。
だがチャージを躱したところで、その瞬間に御者台の上から全力で振り被られる邪竜
デュ ラ ン ダ ル
の 旗 に ま で 反 応 す る こ と な ど 敵 い は し な い。ロ ー ラ ン は ジ ャ ン ヌ・オ ル タ の 一 撃 を
﹂
絶世の名剣で受けとめざるを得なかった。
﹁││ッ
元よりローランの防御宝具すら突破してくるほどの打撃である。そこに戦車による
衝撃が総身を蹂躙した。
そしてその威力もまた壊滅的だ。防御した瞬間、体がバラバラになりかねないほどの
!
570
第27節:友情の音色
571
暴力的なまでの速度が相乗されたことで、その威力はいよいよ高位の対軍宝具じみてさ
デュ ラ ン ダ ル
えいる。三つの奇跡の内の一つである〝魔力が尽きようと刃毀れせず、決して折れるこ
ともない〟という不滅の能力を宿していなければ、絶世の名剣も跡形もなく砕けていた
ことだろう。
踏み止まることなどできるはずもなく、ローランは優に数十メートルも弾き飛ばされ
た。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
転がりながらも体勢をなんとか立て直し││その直後には再度戦車が眼前まで迫っ
ていた。
そ れ も 当 然 だ ろ う。疾風怒濤の不死戦車 の 速 度 は 視 界 全 て が 間 合 い と さ れ る ア キ レ
ウスと同等かそれ以上だ。であれば数十メートルの距離など一息の間があればゼロに
できる。
今度はまともにチャージを食らう。いや、敢えて躱すという選択を採らなかった。い
まの姿勢で無理にチャージを躱せば、旗による一撃を体で諸に受けてしまう。そうなれ
ば防御宝具など容易く突破され、一撃でローランの体に瀕死のダメージを刻むだろう。
ならば戦車のチャージを甘んじて受ける方が遥かにマシだ。
デ ィ ア マ ン テ・デ ィ・オ ル ラ ン ド
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
も っ と も チ ャ ー ジ の 方 も 不屈なる金剛の躰 で B + 分 の 物 理 ダ メ ー ジ を 削 減 で き て い
るとはいえ、全てのダメージは殺しきれない。疾風怒濤の不死戦車は速度の上昇に比例
572
してその威力を増していく。戦闘開始直後は無効にできていた物理ダメージも、いまと
なっては削減しきれていなかった。
アストルフォとジャンヌ・オルタは速度という唯一のアドバンテージを最大限に活か
すことで、ローランの戦闘能力を凌駕してきた。
戦いの運びは既に一方的とさえ言えるモノだった。
││それも当然かもしれない。ローランは撥ね飛ばされ、虚空を舞いながら思考し
た。
そもそもやはり、アストルフォとは戦いたくないのだ。本来は友である彼に、どうし
て剣を向けなければならないのか。心はずっと、戦うことに対してブレーキを加え続け
ている。
それでも、いざ戦えば体は半ば勝手に動いてしまう。ローランの精神状態など知らん
と言わんばかりに、十全の戦闘能力を発揮してしまう。
苦しい。ひたすらに息苦しかった。いっそ負けてしまえればどんなに楽か。
だがそれはローランの肉体が許さない。チャージを何発喰らおうと、この身が砕ける
ことはあり得なかった。
暗雲をぼんやりと眺めるローランの視界が、不意にさらに暗くなった。
虚空を舞うローランの傍らに戦車が隣接していた。視線の先にはジャンヌ・オルタ。
邪竜の旗が轟然と振り下ろされた。
今度こそ防御も取れずに旗が胸部を痛打してきた。鎧が砕けると同時に、猛烈な勢い
で地面へと叩きつけられる。
・
・
・
使者は言った。シャルルマーニュがフランク王国へ帰るならばマルシル王もキリス
交渉の為の使者を派遣してきた。
戦況はやがてフランク軍が有利となり、敗北を予期したサラセンのマルシル王は停戦
ルマーニュは遠征を行い、イスパニア︵スペイン︶で戦った。
サラセンの支配下にあったイベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻すべく、シャル
即ちそれは、再征服運動に起因している。
レ コ ン キ ス タ
││ロンスヴォーの戦い。
ローランはふと、あの戦いのことを思い起こした。
・
││けれど、それでいいのか心が咎めた。そんな選択が許されるのかと。
で、ローランは微かに笑った。
││これでいい。友を傷つけるくらいなら負けでいい。遠のきそうになる意識の中
は、予想通り一撃で瀕死のダメージを刻みつけるほどのモノとなっていた。
クレーターの中心でローランは呻いた。速さが相乗されたジャンヌ・オルタの一撃
﹁││││、ぁ、ぁ⋮⋮っ﹂
第27節:友情の音色
573
ト教に改宗し、多くの贈り物と人質も差し出すと。
降伏を受けるか否か。議論は紛糾した。以前サラセンには、フランクから送った使者
を殺されている。彼らを信用できるかどうかで意見が分かれたのだ。
その弁舌を以って死ぬような窮地からは逃れられると確信していたからだ。
ならば、とローランはガヌロンを推薦することにした。智謀に長けた己の継父なら、
大帝は命じた。彼らに別の誰かを推薦しろと。
な任務を与えるわけにはいかなかったのだろう。
返信の使者は殺される危険性があったからだ。大帝としては、十二勇士にそんな危険
かった。
ロ ー ラ ン や オ リ ヴ ィ エ が そ れ に 志 願 し た。だ が シ ャ ル ル マ ー ニ ュ は そ れ を 認 め な
のである。
移り変わる。即ち、降伏を受け入れる旨を返信する使者をいったい誰にするかというも
シャルルマーニュは降伏を受け入れることにした。それにより議題は次のことへと
た。
逆にローランの継父であるガヌロンは、好条件だから降伏を受けるべきだと主張し
ローランは大帝にそう告げた
﹃サラセンは信用できない﹄
574
第27節:友情の音色
575
だがガヌロンからすれば、それは義理の息子に死ねと言われたのも同然だったのだ。
死ぬかもしれない任務に推すなど、もしかすれば自分が亡き後に領地を乗っ取るつもり
ではないかという疑いすら持ったのだ。⋮⋮英霊となって自分たちの伝承を知ること
で、ローランは当時の継父の心境を知ってしまった。
ローランに継父を謀殺するつもりはまったくなかった。大帝に誰が使者に相応しい
かと尋ねられ、自分の考えを正直に述べたまでである。
けれどガヌロンの中では猜疑心が育つ一方だったのだ。ついには怒りと憎悪が彼の
心の中を満たした。ガヌロンはローランへの復讐を誓ったのだ。
使者としてガヌロンを迎えたのはサラセンの将、ブランカンドランだった。二人はマ
ルシル王の許へと向かう途中で意気投合し、ローランを殺す計画を企てた。
それは一端降伏したフリをして、シャルルマーニュが帰国するところを背後から強襲
しようという作戦だった。
ガヌロンはマルシル王にその計略のことを話し、ローランを殺すことが王の今後の安
泰に繋がるだろうと唆したのだ。
ガヌロンの言葉を信じたマルシル王は、彼の言う通りに計略の準備を整えた。
マルシル王から多くの貢物と人質を受け取り、ガヌロンはシャルルマーニュの許へと
帰還した。
576
シャルルマーニュはマルシル王の降伏の返事を受けて、フランクへ帰ることにした。
そして殿軍を誰に任せるかという話し合いになると、ガヌロンは計画通りローランを
推した。
継父から信頼されて推薦されたと思ったローランは、それを快諾した。十二勇士の他
の面々も続くように殿軍へと志願した。
そうしてローランは二万の兵士と共に殿軍としてロンスヴォー峠に残ることにした。
だが、ローランたちはサラセンの大軍近づいてきていることに気がついた。
その数は四十万。二万ではどう足掻いても勝てるわけがない。十二勇士が力を合わ
せたとしても退けられる数ではなかった。
だからオリヴィエは、ローランにオリファンを吹くように進言した。オリファンの音
は 何 処 に い よ う と シ ャ ル ル マ ー ニ ュ の 耳 に 届 く の だ。そ の 音 を 聞 け ば シ ャ ル ル マ ー
ニュはサラセンに騙されたことに気がついて、すぐに援軍として戻ってきてくれるはず
だった。
デ ュ ラ ン ダ ル・ オ リ フ ァ ン
そしてオリファンを吹けば、それは同時に大帝と十二勇士の魔力がローランへと供給
されることを意味する。それによる勝利呼び込む天聖剣の一撃で、多少なりともサラセ
ン軍を減らすことができるのだ。
││だが、ローランはオリファンを吹くことを良しとしなかった。
﹃援軍を呼ぶなど騎士として恥ずべきことだ﹄
そう言って、オリヴィエの言葉を無視したのである。
その言葉に、オリヴィエは従った。ならば仕方がないと諦めたのだ。
十二勇士たちは勇敢に戦った。次から次へと無尽蔵に襲いかかってくるサラセン軍
を幾人も討ち果たした。
けれどやはり、その数はあまりに多い。十二勇士たちは疲弊し、次々と倒れていった。
二万人いた兵も、その数をみるみると減らしていく。その数も僅かとなった。
そうしてようやく、ローランはオリファンを吹き鳴らした。
オリヴィエが激怒した瞬間である。
﹄
﹄
!
れだった。
答えろ、ローランッ
﹄
激怒する親友に、やはりローランは言葉を返せなかった。
﹃なぜっ、いまになって、オリファンを吹いた
!?
だ。吹くなら最初に吹くべきであったし、いまさら吹いたところで致命的なまでに手遅
当たり前だ。援軍を呼ぶなど恥であると言っておいて、手のひらを返して吹いたの
ローランは言葉を詰まらせた。それほどに親友の眼差しは険しかったのだ。
﹃なぜ、いまになって吹いた
?
﹃許さんぞ、ローラン。私は、お前を許さんぞ⋮⋮
!
第27節:友情の音色
577
578
それが親友からの最後の言葉だった。
││ともかくだ。オリファンの音を聞いたシャルルマーニュは軍を引き返した。同
時にガヌロンの裏切りは露呈し、拘束されることとなる。
だが、全ては遅かった。
二万の殿軍は全滅したのだ。最後まで生き残ったローランも、オリファンを吹き鳴ら
した際の自傷が原因で息絶えた。
シャルルマーニュにできたことは、彼らの仇を討つことだけだった。
全て、ローランのせいだった。最初にオリファンを吹いてさえいれば、二万が犬死す
ることなどなかっただろう。全員が助からずとも、二万人が全て死に絶える前にシャル
ルマーニュ軍は戻ってこれたはずだった。
自らのせいで、二万の命を失った。
ローランはそれを悔いている。償いきれぬ己の大罪だと理解している。
だからローランは、もう二度とあの過ちを繰り返さないと心に誓った。
もしも次があるのなら、味方はもう誰一人として死なせないと心に誓った。
もしも次があるのなら、二度とオリファンを吹くことを躊躇わないと心に誓った。
味方を守る。それだけが、ローランの願いである。
瀕死の体に力が入る。薄れかけていた戦意が再び灯った。
そうだ。例え友が敵に回ったのだとしても、引き下がるわけにはいかない。
それは自らに立てた誓いを反故にする愚挙に他ならない。それだけは、してはならな
い。無駄死にさせてしまった二万人の命に報いる為には、あの愚行を省みなければなら
ない。そうでなければ、それこそ二万人が死んだ意味すらなくなるだろう。
デュ ラ ン ダ ル
だから倒す。敵であるのならば友であろうと殺す。味方を護る。引いてはそれは、敵
を殲滅するということだ。
ト ロ イ ア ス・ ト ラ ゴ ー イ デ ィ ア
瀕死の傷など無視してローランは起き上がった。即座に動く。
再度眼前まで迫ってきた疾風怒濤の不死戦車に、自ら向かって行く。絶世の名剣を振
り抜いた。
デュ ラ ン ダ ル
不死であるとされる神馬バリオスを真正面から斬り裂く。
絶世の名剣の前では不死であるなど些末なことだ。この剣が内包する三つの奇跡の
うちの一つ、〝攻撃対象の攻撃無効化と不死能力を無効化する〟能力にかかれば、不死
デュ ラ ン ダ ル
の神馬といえど殺すことなど造作もない。
神馬を斬り裂いた絶世の名剣は、そのまま戦車を横一線に両断した。
御者台に乗っていたアストルフォとジャンヌ・オルタが空中へと投げ出される。
迷いを黙殺してローランは跳躍し、アストルフォの腹部へと渾身の蹴りを叩き込ん
﹁││っ﹂
第27節:友情の音色
579
だ。
﹂
獣のように咆哮した。
﹂
・
・
・
・ ・
・
・
・
・
・
・
││退くわけにはいかない。例えアストルフォ、お前が俺を恨んでいたとしても⋮⋮
贖いだ。
にするわけにいかない。それがあの戦いで二万もの命を死にさせてしまったことへの
アストルフォは敵だ。例えかつての仲間であろうといまは敵だ。ならば誓いを反故
華奢な彼の体が弾き飛ぶ。ローランはとどめを刺すべく疾駆した。
じながら足を思いきり振り抜いた。
可憐な顔が苦悶に歪む。ローランの心が軋んだ。││いっそ心など毀れろ。そう念
﹁がっ⋮⋮
!?
﹁うぅぅぉおおおおおおおおおお││││ッ
!
﹁■■■■■■■■■■■■■■││││ッ
﹂
だからローランは、此処に思考を完全に切った。無心でアストルフォへと肉迫する。
いっそバーサーカーで呼ばれていれば、余計なことなど考えずに済んだだろう。
⋮⋮っ。
│ │ 要 ら な い。俺 に 理 性 な ん ぞ、要 ら な か っ た。そんなモノがあったから、俺 は
!!
!!
580
第27節:友情の音色
581
まるで慟哭だと、ローランは最後に他人事のようにそう思った。
◇
蹴りの一撃で内臓のほとんどが圧し潰された。吐き気と眩暈と激痛が、全身を駆け
巡っている。多分あと五分もせずに事切れるな、とアストルフォは他人事のようにそう
思った。
それでもアストルフォは、その全てが欠片も気にもならなかった。そんなことより
も、ただただこの胸が痛かった。
いつぞやのように、哀しみから友は心を閉ざしてしまったらしい。獣のように吼える
彼の瞳からは、既に正気の色が失われている。
││もう、ホントにしょうがないヤツだなぁ。
口元には自然と笑みが浮かんだ。ローランの傍迷惑ぶりには呆れるしかない。味方
であっても厄介なのに、敵であればさらに厄介なことこの上ない。
││まぁいいさ。キミを正気に戻すのは、いつだってボクの役目だからね。
それはものすごく面倒くさいことではあるけれど、特にこんな死ぬ寸前の体では心底
くたびれることではあるけれど││アストルフォはもう一度、ローランを正気に戻すと
582
決意した。
けれどだ。
そんなの││││恨んでないに決まってる
アストルフォにだって許せないことがある。ローランの馬鹿さ加減には、流石に頭に
来た。
││ボクがお前を恨んでるかだって
だろッ
?
││だって、オリヴィエは⋮⋮。
もう誰も助からないとか、そういう話ではないのだ。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
けれどそれは、吹くにはあまりにも手遅れだったからではないのだ。吹いたところで
した。
吹かないと言っていたオリファンを後になって吹いて、オリヴィエはそれはもう激怒
かった。あの時の彼にとって、それがどれだけ勇気の要る行為だったことか。
いや、むしろ最後の最後でオリファンを吹いてくれたことが、アストルフォは嬉し
んだのだとしても、そんなことでアストルフォが友だちを恨むはずがない。
ローランがオリファンを吹かなかったせいで││いや、吹けなかったせいで自分が死
た。
なぜローランはそんなことさえ判らないのか。アストルフォはそれが一番腹が立っ
!!
⋮⋮だというのにローランは、なんてことを言うのだろう。だから一発、その顔面に
拳を叩き込まなければ、アストルフォは気が済まない。
デュ ラ ン ダ ル
空中で体を振り回して着地体勢を取る。着地と同時に潰れた内臓に衝撃が走り、一瞬
意識が飛びかける。根性だけで気力を保った。
﹂
!
被った旗を打ち合わせる。
こいつを殺すのは私なんだからっ
﹂
﹂
振 り 下 ろ さ れ る 絶世の名剣 を、横 か ら 割 っ て 入 っ た ジ ャ ン ヌ・オ ル タ が 轟 然 と 振 り
デュ ラ ン ダ ル
だからアストルフォは││友を信じた。
死ぬ。
なく斬り殺されるのがオチだろう。奇跡的に避けられたところで、続く二撃目で確実に
アストルフォではこの斬撃を対処できない。いや、できたところで防御の上から造作
している為だろう。
に飲まれてなお、その武技は冴え渡っている。彼が〝無窮の武練〟をスキルとして所持
狂 戦 士 の 如 く 叫 び な が ら ロ ー ラ ン が 迫 る。轟 然 と 振 り 下 ろ さ れ る 絶世の名剣。狂 化
﹁■■■■■■■■■■■■■■││││ッ
!!
迸る埒外なまでの衝撃に三人がそれぞれ弾き飛んだ。
﹁ピンクは、やらせないわ
!
﹁ボクいつの間にキミに命狙われてたの
!?
第27節:友情の音色
583
思わずアストルフォはツッコミを入れていた。
ど﹂
﹂
﹂
し、してないし、全然してないですからねっ
﹁あっ、もしかして心配してくれてる
﹁はぁ
!
?
﹁■■■■■■■■■■■■■■││││ッ
!?
⋮⋮わかったわ。なら私は。
?
自分で対処すると彼女に意志を伝えておいて、実のところこれは窮地である。普通に
留めようというのだろう。
だがそれでも、ローランはやはり彼女には見向きもしない。まずはアストルフォを仕
の背後へと回り込もうとしている。
刹那のアイコンタクトを終えて、ジャンヌ・オルタが走る方向を転換した。ローラン
││本気
││大丈夫、ボクが自分でなんとか対処する。だから。
は鋭く視線を送ってそれを制する。
再び防御の為に割り込もうと、ジャンヌ・オルタが駆け出そうとした。アストルフォ
ジャンヌ・オルタには見向きもせず、真っ直ぐにアストルフォへとだ。
なんてやり取りをしている間に、再び咆哮を上げながらローランが突っ込んできた。
!!
﹂
﹁フン、思ったよりも元気そうじゃない。そのままくたばってくれてもよかったんだけ
584
!
対処したのではどう足掻いてもローランの斬撃はやり過ごせない。
﹂
だからもう、なりふりは構わない。自分の全てをここで費やす││
これでも││││喰らえぇ
!
﹂
る対人宝具、即ち〝すごい魔導書︵仮名︶〟に他ならない。
それこそはアストルフォが四つ所持する宝具のうちの一つ。あらゆる魔術を打ち破
た。
眼前まで肉迫してきた狂った友へと、アストルフォは具現化した一冊の本をブン投げ
﹁ローランッ
!
!?
・
・
・
・
・
け れ ど 友 を 正 気 に 戻 す。そ の 為 に は 自 分 の 全 て を 費 や す と 決 め た の だ。宝具の一つ
アストルフォでさえ流石に躊躇いを覚える行為だった。
宝 具 は 自 身 自 身 の 分 身 だ。だ か ら 宝 具 を 爆 発 さ せ る な ど お よ そ の 英 霊 が 行 わ な い。
即ちそれは、 壊 れ た 幻 想に他ならない。
ブロークン・ファンタズム
魔導書の至るところに亀裂が走り、光が漏れる。それは宝具が内包した神秘の暴走。
だ。
だがそんなローランも、魔導書が光輝いた瞬間にやけくそなどではないと悟ったはず
たのだろう。明らかに彼は戸惑っていた。
唐突な魔導書の投擲に、理性を失ったローランをして予想外かつ意味不明な行動だっ
﹁││││ッ
第27節:友情の音色
585
・
・
・
・
・
や二つなど、どうってことない││
﹁これで││今度こそ終わりぃッ
た。けれど、
﹂
デュ ラ ン ダ ル
爆発の寸前で咄嗟にローランが後ろに跳躍した。必殺の一撃は微傷程度で済まされ
﹁││││ッ﹂
ない。
壊 れ た 幻 想 に 対 し て は 機 能 し な い。こ の 一 撃 を 食 ら え ば ロ ー ラ ン と て た だ で は 済 ま
ブロークン・ファンタズム
物 理 ダ メ ー ジ を 防 ぐ ロ ー ラ ン の 肉 体 も、魔 術 と 呪 い を 弾 く 絶世の名剣 の 加 護 も、
!
れでも
﹂
ローランはアストルフォの拳を意にも介していなかった。当たり前だ。怪力を含め
ランの顔面目がけて全力で放った。
残る余力の全てを賭して、そのまま右手を振り被る。頭の後ろまで逸らした拳をロー
追随する。
アストルフォは爆炎の中を突っ切った。体を焦がしながらも、全速力でローランへと
﹁まだだぁッ
!
!
それをローランは背中越しに、絶世の名剣を楯にするように構えて防御を取る││そ
デュ ラ ン ダ ル
背後から待ち構えていたジャンヌ・オルタが、渾身を以って邪竜の旗を振り被った。
!
586
てもその筋力はランクC。この拳でローランは欠片もダメージを受けはしない。
いまのローランにとって、やはり警戒すべきはジャンヌ・オルタの一撃なのだ。ただ
でさえ既に瀕死の重傷である。そこへもう一撃まともに食らえば、彼は今度こそ死ぬだ
ろう。
デュ ラ ン ダ ル
││だからこそ、これは勝敗を別つ瞬間だった。
ブ
ラッ
ク・
ル
ナ
ローランは背中越しにジャンヌ・オルタの旗を絶世の名剣で辛くも防ぎ、代わりに対
ラ・
処しきれぬアストルフォの拳打を甘んじてその頬で受けとめた。
オ
リ
ファ
ン
﹂
瞬間、アストルフォの右手に握り込まれた恐慌呼び起こせし魔笛が光輝く。
﹁受け取れ、ローラン。これがボクからキミへ贈る友情の音色だぁっ
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
だがあまりの衝撃ゆえに体から力が抜けたのか、ローランは絶世の名剣を指先から滑
デュ ラ ン ダ ル
受けながらも五体満足。満身創痍でありながら、彼はまだ屈していない。
だ が ロ ー ラ ン の そ も そ も の 耐 久 力 も 掛 け 値 な し で あ る。 壊 れ た 幻 想 の 爆 炎 を 諸 に
ブロークン・ファンタズム
顔面ゼロ距離の位置から爆炎を叩きつけられて、ローランが真横に吹き飛んだ。
しながら、もう一度 壊 れ た 幻 想を炸裂させた。
ブロークン・ファンタズム
爆音が轟く。爆炎が再度咲き誇る。アストルフォは自身の右手を躊躇いなく犠牲に
!
﹂
り落とした。それはつまり、魔術や呪いに対する加護を手放したことを意味する。
﹁││ジャンヌッ
!
第27節:友情の音色
587
アストルフォの力の限りの呼びかけに、決然と竜の魔女が頷き返した。この瞬間こそ
﹂
がローランを倒せる絶好の機会であると、彼女もまた理解したのだ。
﹁全ての邪悪を此処に││報復の時は来たッ
ラ・ グ ロ ン ド メ ン ト・ デ ュ・ ヘ イ ン
﹁これは憎悪によって磨かれた我が魂の咆哮││吼え立てよ、我が憤怒ッ
﹂
ローランへと投げかける言葉は、既にアストルフォの中で決まっていた。
戻ったのだろう。
見下ろすと、どうやら意識は辛うじてまだあるらしい。殴った時の衝撃で、正気にも
よろめきながら、アストルフォは彼の側まで近づいた。
ローランは震えながら起き上がろうとして、糸が切れたようにぐったりとした。
けられた。
かくして、ローランは呪いの焔と槍によってその身を貫かれ、そのまま地面に叩きつ
奔流も受け流せない。
吹き飛び、空を舞うローランにそれを躱す術もなく、加護を手放したがゆえに呪いの
ンを穿つ為、地面から幾本もの影の槍が現出する。
真名の解放と同時に、辺り一帯を焦がすほどの焔が撒き散らされた。罪人たるローラ
!
丈の魔力をその刀身へと収束させる。
高らかに謳い上げながら、ジャンヌ・オルタが腰の鞘から細剣を抜き払った。有りっ
!
588
﹂
﹁││十二勇士は、誰もお前のことを恨んでなんかいないよ、馬鹿﹂
﹁ぇ⋮⋮
モノとなっている。
﹁え、じゃないよ。当たり前だろ﹂
・
・ ・
・
・
・
・
・
・
﹁⋮⋮でも、オリヴィエは、俺を許さないって﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
うでもいいモノの為ではなく││
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
嘘だった。ローランがオリファンを吹けなかったのは、騎士としての沽券などというど
援軍を呼ぶなど騎士として恥である。ローランはそう言った。けれど、そんなモノは
取り戻してしまった日でもあったんだ﹂
・
の理性を取り戻していた日でもあり⋮⋮同時にボクとキミが、普段持ちえぬ恐怖心をも
・
﹁ローラン、あの日はね⋮⋮新月だったみたいだよ。ボクとキミが普段失われていた分
・
掠れた声がローランの口から零れた。同時に表情は、信じられないと言わんばかりの
?
れっ、オリファンを吹くことを躊躇ってしまった⋮⋮﹂
ば、俺の体はその時点でボロボロになってしまう⋮⋮だから俺はあの時、怯懦に駆ら
﹁オリファンを吹けば、俺の体は刃を通すようになる。いや、そもそもオリファンを吹け
懺悔するように、震えた声でローランが呟いた。
﹁││そうだ。俺は⋮⋮死ぬのが怖かった⋮⋮﹂
第27節:友情の音色
589
もしもオリファンを最初に吹いていれば、二万人は助かったかもしれない。けれどそ
の代わり、ローランはきっと一番最初に死んだだろう。
敵はローランこそを目の仇にしていたのだ。不死性を失ったローランに、敵はこぞっ
て襲いかかっていたはずだ。幾ら無双を誇ったローランと言えど、瀕死の状態では生き
残れるわけがない。
ボクはそれが嬉しかったよ。だってキミは恐怖に打ち克ち、決死の
?
ヴィエはキミだけは守ると、そう思い定めていたんだよ。だから後になってオリファン
﹁オ リ フ ァ ン を 吹 か な け れ ば キ ミ だ け は 助 か っ た。キ ミ が 吹 か な い と 言 っ た 時、オ リ
﹁││││﹂
﹁当然だろ。だってオリヴィエは、キミにだけは助かってほしいって思ってたんだから﹂
﹁でも、オリヴィエには、怒られた⋮⋮﹂
は思ってる﹂
覚悟でオリファンを吹いてくれたんだ。それは紛れもない友情の音色だったってボク
かったからだろ
﹁それでもキミは結局オリファンを吹いた。それは死んでいく仲間たちを見ていられな
微笑を浮かべて、アストルフォはゆっくりと頭を振った。
⋮⋮﹂
﹁ごめん、アストルフォ⋮⋮俺が不甲斐ないばっかりに、お前たちを死なせてしまった
590
を吹いたことをすごく怒った﹂
﹁うぅ⋮⋮あ、ぁ⋮⋮っ、あ、ぁ﹂
嗚咽を漏らすローランに、アストルフォは構わず続ける。
﹁いいかい、ローラン。ボクたちはキミを許しはしない。許されるなんて、そんなことキ
ミだって望んでいないだろう。││それでも、ボクたち十二勇士はキミのことを恨んで
なんかないからな。だって十二勇士はみんなお前のこと、大好きだから﹂
満面の笑顔でアストルフォは締めくくった。
これで言いたいことは全部言うことができただろう。そう思った途端、体から力が抜
けてきた。もうちょっとだけ頑張っていようと、アストルフォは自分自身に活を入れ
る。
ローランが涙を拭う。晴れたような微笑を口元に浮かべた。
それを見届けてから、アストルフォは自分の後ろでローランとのやりとりを見守って
微笑を浮かべたまま、ローランが黄金の粒子となって消滅した。
﹁あぁ、自信はないが気をつける。⋮⋮それじゃ、そろそろ逝くわ。じゃあな﹂
胃を慮ってやれよな。⋮⋮まぁ、ボクが言えた義理じゃないかもしれないけど﹂
﹁うん、これに懲りたらあんまりアホなこと言うんじゃないぞ。たまにはオリヴィエの
﹁⋮⋮ありがとう、アストルフォ。俺はまたお前に救われた﹂
第27節:友情の音色
591
くれていた少女へと振り向いた。
﹂
﹁翻訳すると、ボクがいてくれてすごく助かった、ありがとうってことでいいんだよね
﹁⋮⋮まぁでも、多少は役に立ったって言っておくわ﹂
興味がなさそうにジャンヌ・オルタは短く言った。
﹁⋮⋮あっそ﹂
﹁ボクも限界みたいだから、これでお別れだ﹂
﹁なによ﹂
﹁ジャンヌ﹂
592
みんなの代わりに
?
﹁か、かわいい⋮⋮
﹂
そんじゃあとよろしく
﹂
!
!?
﹁じゃぁね、ばいばーい
!
﹁キミ、ホント捻くれてるなぁ⋮⋮でも、そんなところがキミのかわいいところだよね﹂
ストルフォ﹂
お礼くらいは言ってあげるわ。あくまで、みんなの代わりにだけど⋮⋮ありがとう、ア
﹁マスターちゃんとか他のみんなはそう思ってるかもしれないし
でも、とジャンヌ・オルタは微妙に恥ずかしそうにしながら言葉を続けた。
﹁よくない。そんなこと全然思ってません﹂
?
第27節:友情の音色
593
ジャンヌ・オルタが動揺した隙に、アストルフォは元気よく手を振った。
ぁ、という名残惜しそうな声が彼女の口から零れ落ちた。アストルフォとしても別れ
は寂しいことではあるけれど、きっとすぐにまた再会できる日が来るだろう。それを思
えば、現在の別れよりも、未来での再会にこそ胸が躍った。
││今回の冒険も、すごく大変だったけどすごく面白かった。
最後にそう思いながら、アストルフォも友を追うように、速やかにこの時代から消え
去った。
けれど、それはきっと間違ってもいる。それがどんなに正しくても、犠牲が出る時点
り合ってもいないのだ。
それはきっと正しい。だって、絶対的なまでに数が違うのだから。天秤はまったく釣
だから、人類史を守る為にトロイアを切り捨てる。
り、その為に尽力しなければならないだろうし、尽力したい。
も、だからといって諦めていい理由にはならない。未来を取り戻せる可能性がある限
例えわたしたちカルデアが、未来を取り戻せる保証など何処にもないのだととして
い。
それらを無為にしない為には、トロイアを滅ぼすという選択肢を選ばなければならな
これまでの戦いで繋いできたモノ。
これまでの戦いで積み上げてきたモノ。
これまでの戦いで培ってきたモノ。
出すべき答えは、最初からわかっている。
第28節:カルデアス・ユニティ
594
で本当の意味で正しいことではないだろう。
それでも、両方を救うなんて手段はこの場合に限ってはあり得ない。
トロイアを救うということは、人理を焼却することを意味する。逆に人理を修復する
ということは、トロイアが滅亡することを意味する。この二つはどう足掻いても両立し
ない。
だから答えは出すしかない。わたしはそれを決断しなくてはならない。だから││
﹁わたしは⋮⋮トロイア、を││﹂
﹂
最後の言葉を絞り出そうとして、軽く肩が叩かれた。ふと顔を上げると、そこには微
﹁焦んなよ﹂
笑があった。
?
﹂
?
ら耳を塞ぐな。そいつから眼を逸らすな。いいな
﹂
きゃいけない声があるって。それはまだまだ沢山あるはずだ。だからまずは、そいつか
﹁こ っ ち の 王 女 も 言 っ て い た だ ろ う。ア ン タ は 見 な き ゃ い け な い モ ノ が あ る。聞 か な
﹁え⋮⋮
や、違うな。アンタはまだ、答えを出すべきじゃない﹂
﹁無 理 に 答 え を 出 す ん じ ゃ ね ぇ。い ま す ぐ 彼 女 の 問 い に 答 え る 必 要 は ね ぇ さ。⋮⋮ い
﹁アキレウス⋮⋮
第28節:カルデアス・ユニティ
595
?
気づけば、自ずと頷きを返していた。
アヴェンジャーが残念そうに嘆息した。口元に浮かぶ微笑も、どこか愁いを帯びてい
甘さです。でも││﹂
を切り捨てることを躊躇っている。それは甘さなのかもしれません。けれど、好ましい
方を救いたいと思っている。それが決して両立しないことと理解しながらも、トロイア
﹁⋮⋮そうですね。彼女はとても優しい方です。この期に及んで世界もトロイアも、両
そう、なのだろうか。いまだ決断できないわたしは、きっと甘いだけだ。
切り捨てられるような人間が、世界なんか救えるものかよ﹂
界を救おうとしている人間が、簡単に誰かを切り捨てられるわけがない。簡単に誰かを
﹁それにそっちのアヴェンジャーの王女もちょっと性急だぜ。というか意地が悪い。世
に巻き込まれない程度に少し離れてそれを取り巻いていた。
広場の中央に二人が立つ。わたしたちやアヴェンジャー、トロイアの人たちは、戦闘
た。
アキレウスが前へと歩み出す。応じるように、ヘクトールも無言のまま歩みを進め
うがな﹂
だよ。まぁもっとも、この戦いがどういう風に終わるかなんざ、誰にもわからないだろ
﹁それでよし。アンタが答えを出すのは、俺とオッサンの戦いが終わったあとでいいん
596
る。
﹁せっかくの提案だったんですけれどね。彼女たちが私たちに勝てたとして、この戦い
で失われるモノも少なくないでしょう。あの侍がそうです。赤い外套の弓兵も、今回の
戦いで致命的な故障を抱えたでしょう。そして楯の少女は││さて、どうなるでしょう
﹂
ね。ともかく、この特異点での戦いを制したとして、次の特異点での戦いを乗り切るこ
とができるでしょうか
﹁マシュは、負けない﹂
その言葉を、自然と口にしていた。
?
﹁本気で仰っています 彼女の相手はあのアルケイデスですよ 一対一であの方に
第28節:カルデアス・ユニティ
勝てる英霊が、いったい世界に何人います
﹂
﹁わたしはマシュを信じてる。それに﹂
﹁それに
?
五人もいればいい方だと思いますが﹂
?
?
小首を傾げるアヴェンジャーに、わたしははっきりと言葉を返した。
﹁マシュは一人じゃない。マシュにはわたしが、わたしたちがついている﹂
?
アキレウスとヘクトールが、気迫を露わに構えを取る。
問答はそれで今度こそ終わりだった。
﹁⋮⋮そうですか﹂
597
誰もが息を殺していた。肌を打ち、体を濡らす雨のことも、地面で弾ける雨の音も、そ
の一切が意識の外である。
この一戦を一瞬でも見逃してはならないと、きっとわたしたちの誰もがそう感じてい
たのだ。
﹁そんじゃまぁ、始めようじゃねぇかオッサン﹂
﹁いいだろう。だがこの場で俺に挑んだことを、後悔するなよアキレウス﹂
トロイア内は案の定、アヴェンジャーによってステータスの補正が加えられるように
﹁あぁ、地の利がアンタにあるからって、負けた時の言い訳には使わんさ﹂
細工されているのだろう。全ステータスのワンランク低下は見積もっておくべきだ。
逆にヘクトールは、アストルフォの話が本当なら、鎧によって全ステータスがワンラ
ンクアップしているはずだ。そういう宝具は得てして燃費が悪いものではあるけれど、
聖杯によって魔力供給が為されている以上は関係ない。
加えてアキレウスは楯をマシュへと預けてきた。今回に限り、彼はヘクトールの投擲
を楯で防ぐことができないのだ。
もっともここは街中の広場である。周囲への被害を考えれば、ヘクトールも下手な投
﹂
擲は控えるだろう。放つにしても、周囲への被害が出ない程度には威力を絞るはずだ。
﹁行くぞ、アキレウス。今度こそお前を殺し、俺は││トロイアを護ってみせるッ
!
598
第28節:カルデアス・ユニティ
599
底冷えするような凄みと共にヘクトールが踏み込んだ。
神速を以ってアキレウスが即応する。
閃光じみた速さで交差する槍と剣。常人であるわたしには、初手からして既に不可視
の領域へと達していた。
そうして、宿命の決戦の火蓋は此処に切られた。アキレウスとヘクトール。アカイア
最強の英雄とトロイア最強の英雄が、いま再び雌雄を決する││
◇
周囲へと撒き散らされる死の颶風。それは天をも支えるアルケイデスの豪腕を以っ
て繰り出される、鳴子の斧剣とマルミアドワーズによる斬撃の余波に他ならない。
それは荒々しくも閃光の如き鋭さだ。およその英雄がただの一撃で沈むほどの必殺
だ。それが、一息の間に十重二十重と殺到する。
最早、それは攻撃などという範疇には収まるまい。ただの剣圧ですら雨を根こそぎ吹
き飛ばし、大地には亀裂を刻みつけている。この災害めいた猛攻を捌ききれる英雄な
ど、ほんの一握りしかいないだろう。
だがそれを悉く、マシュ・キリエライトは一歩も退くことなく凌いでいた。
﹁やぁぁああッ
﹂
!
﹂
!
ア
ロ
ン
ダ
イ
ト
ロ
ン
ダ
イ
ト
それは、〝次にアルケイデスと戦う間、全力を尽くして戦って〟というモノである。
た。
ゆえに令呪である。彼女のマスターは、予め昨夜のうちに一画の令呪を消費してい
きるわけがない。
とはいえ、たかがワンランクのステータスの上昇程度でギリシャ最大の英雄に拮抗で
ステータスをワンランクアップしている。
担い手の魔力を貪欲なまでに消費していく代わりに、無毀なる湖光はマシュの全ての
ア
一つはエミヤに託された漆黒の魔剣、〝無毀なる湖光〟の力に因るモノである。
それを可能とした要因は三つだろう。
けれどいまは違う。彼女は単騎でアルケイデスと互角以上に渡り合っている。
た。
昨日の戦い、マシュは小次郎と力を合わせてもなおアルケイデスに対抗しきれなかっ
利なカウンターだ。
撃の全てを弾き返す。それはギリシャの大英雄をして、決して無視できぬほどの重く鋭
のみならず、剣による反撃さえも織り交ぜた。楯によるチャージでアルケイデスの斬
﹁││││ッ
600
それによってこの戦闘においてのみ、マシュのステータスはさらにワンランクアップ
している。筋力値は最高ランクへと到り、耐久値は最早、人の身では辿り着けぬほどの
階位へと達していた。
宝具と令呪。それによる二段階のステータスのブーストによって、マシュはアルケイ
デスと真っ向から切り結べるだけの強さを獲得したのだ。
ロ
ン
ダ
イ
ト
最早捌き損ねた斬撃を浴びようと、マシュは怯むことなく即座に報復の斬撃を繰り出
ア
していた。
そして無毀なる湖光は、エミヤの手によって複製されたとはいえ神造兵装の宝具に他
ならない。人類の文明による武器でない以上、神獣の裘の護りも問題なく突破できる。
﹂
!
遺してもらった意志がある。
おもい
繋いでもらった令呪がある。
ねがい
託してもらった宝具がある。
きぼう
そう。それこそが三つ目の要因だ。
と必ず薙ぎ倒すと⋮⋮
﹁多くの人たちに渡されたモノがあります。そして誓いを立てました。敵が誰であろう
剣と楯で圧し合いながら、布越しに笑みを浮かべてアルケイデスが呟いた。
﹁││なるほど、昨日とは別人だな。なかなかに手強い﹂
第28節:カルデアス・ユニティ
601
アルケイデス
││一人じゃない。いまマシュは、仲間と共に最強の敵へと挑んでいるのだ。
だから怯えなどない。恐怖などない。
﹂
絆の力が、彼女をどこまでも奮い立たせた。
﹁はぁああああっ
﹂
!
だがマシュは些かの苦痛さえ顔に浮かべなかった。それがただの強がりなどではな
﹁効きませんっ
けそれは致命傷となるだろう。これで詰み││
いま放った七本の矢の全てにヒュドラの猛毒を塗ってあったのだ。ゆえに掠めただ
体勢を立て直し、アルケイデスは着地しながら布越しにほくそ笑んだ。
それをマシュは楯と剣で打ち払う。だが、一本の矢が彼女の足を掠めていた。
瞬きの間すらなく立て続けに七本の矢をマシュへと向けて放つ。
を換え、虚空を舞いながらも弓へと瞬時に矢を番えた。
だが無論、ただ圧し負けるだけのアルケイデスではない。弾き飛ばされながらも武装
猛然と後ろへと弾き飛ばされる。
迸る尋常ならざるほどの衝撃。その瞬間、拮抗が崩れた。圧し負けたアルケイデスが
た。
渾身を以って楯で圧す。〝魔力防御〟によって、マシュは惜しみなく魔力を放出し
!
602
いと証明するように、疾駆する彼女の動きは少しも鈍重になっていない。
魔霧都市ロンドンにおいて、彼女のマスターが毒の霧の中にあって無事でいられたの
はマシュの力に因るモノである。そして本人もまた、ヒュドラの猛毒を弾くだけの対毒
スキルを備えていたのだ。
雷光めいた速度でマシュがアルケイデスへと接近する。裂帛の気合いと共に振り被
られた漆黒の魔剣を、アルケイデスは再び瞬時に武装を換えて二振りの剣で防御した。
﹁⋮⋮っ﹂
あろうことか、アルケイデスがたたらを踏んだ。それほどまでの苛烈なる一撃だっ
た。
間髪入れずに二撃三撃と迸る斬撃と楯による殴打とチャージ。先程までとは速さも
鋭さも重さも、その全てが桁違いだ。
﹂
!
ア
ロ
ン
ダ
イ
ト
﹁あああああああああああああああああ││ッ
﹂
咆 吼 と 共 に 振 り 被 ら れ る 無毀なる湖光。凄 み す ら 感 じ さ せ る ほ ど の 気 迫 だ。と も す
!
イトは強くなっているのだ。
どういうわけか、彼女は進化し続けている。一合剣を交える毎に、マシュ・キリエラ
猛攻を凌ぎながらアルケイデスが唸った。
﹁これは⋮⋮
第28節:カルデアス・ユニティ
603
ればこのままアルケイデスが負けかねないほどの勢いだ。
捨て身めいた勢いでマシュは攻め続ける。それこそが必ず勝つと宣言した、彼女の決
意の証に他ならない。
││託された想いがある。繋いでくれた希望がある。
││だからこの身に敗北は許されない。ここで私の全てが潰えてもいい。
││いまだけでも構わない。名も知らぬ貴方の力を、もっと私に貸してください⋮⋮
た。
次第に劣勢になっていくアルケイデスの口元に、隠しきれぬ喜悦の笑みが刻んでい
十二の栄光の宝具は、神獣の裘を除いてあと一つだ。
キ ン グ ス・オ ー ダ ー
幾度となく鎬を削り、ついに鳴子の斧剣が耐えきれずに砕け散った。これで残された
出したのだ。
ろう。それでもこの戦いにおいてのみ、マシュはその英霊の宝具以外の力の全てを引き
いまだ彼の真名を獲得していないマシュでは、本来の力を引き出すことなど不可能だ
その決意に、■■■■■■が応えたまでのことである。
!
││聖杯によって復讐者へと歪められたアルケイデスであるが、それはあくまで聖杯
﹁面白い﹂
604
第28節:カルデアス・ユニティ
605
ア
ン
リ
マ
ユ
の力の一端によるモノである。北米におけるクランの猛犬のように聖杯の力の全てで
悪へと歪められたわけでもなく、この世全ての悪の泥のような悪意の塊が彼の体に入り
混じっているわけでもないのだ。
ゆえに神々に対する復讐を是としながらも、本人自身は己に高潔さなどないと嘯きな
がらも││アルケイデスの心の奥底には確たる誇りが残っていたのだ。
即ち、武人としての誇りだ。
一合一合剣を重ね合う度に苛烈さを増していくマシュの武技。それにアルケイデス
は触発されつつあった。
復讐の為に覆い隠していた武人としての闘争心。それが次第に膨れ上がり、ついには
剥き出しとなったのだ。
剣撃をフェイントに使ってマシュの意識を釣り、アルケイデスは楯の上から轟然とマ
シュを蹴り飛ばした。
キ ン グ ス・オ ー ダ ー
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
いまの彼女をそんな一撃で屠ることは不可能だろう。だがそれでいいとアルケイデ
・
・
スは笑った。なぜなら十二の栄光に残された、最後の宝具を発動する為の猶予は作れた
のだ。
マルミアドワーズを地面へと突き立て、アルケイデスは頭上高くへと右手を伸ばし
た。
﹁神々とは││あの薄汚い暴君どもとは、即ち森羅万象の具現である﹂
おぞましいほどの厖大な魔力を右手に収束させながら、アルケイデスは厳かに言葉を
紡ぐ。
接近して宝具の発動を妨害する││その行動をマシュは取ることができなかった。
近づくことを、体が本能的に拒否していた。眼前の大英雄の気迫はそれほどまでに凄
かいな
かみがみ
絶であり、その巨躯から立ち昇る闘気と威風は、マシュの全身を総毛立たせた。
・
・
せかい
その瞬間、途方もないほどの異常事態が起きていた。
かいな
!
﹁そん、な⋮⋮
﹂
慄然とマシュが驚愕の声を漏らした。
!?
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
稲妻すら発しながら荒々しく螺旋を描く水の奔流。それはさながら怒り狂う水龍の
み、天へと突き抜けるほどの巨大な水の塊が激しく渦を巻いていた。
暗雲の一切が吸い込まれた晴れ渡る蒼穹の下で、だがアルケイデスの右手の先にの
手に収束させたのだ。
・
雨が集う程度ならばまだわかる。だがアルケイデスは、天上の暗雲の全てすらその右
・
その言葉の通りだった。周囲の水が││雨の全てが彼の右手の先へと集まっていく。
﹁水よ、我が腕へと集え。いまこそ大地を穿つ時ぞ⋮⋮
﹂
﹁なればこそ我が腕を以って、我が意志を以って││その自然を捻じ伏せよう﹂
606
如く。
﹁││行くぞ、デミ・サーヴァント。我が一撃、刮目せよ﹂
││伝説に曰く、ヘラクレスは第五の試練の折に家畜小屋を綺麗に洗い流す為に二つ
の河の流れを変えたと言う。
つまるところアルケイデスが引き起こしている現象とは、水の流れの操作に他ならな
い。
かいな
これこそが、神々から与えられた試練の悉くを捻じ伏せてきた力の象徴だ。
アルケイデスの腕は神々の理こそを捻じ伏せる。ゆえに彼は、森羅万象こそを此処に
使い潰すだろう。
アルケイデスの右腕が、マシュへと向けて振り下ろされた。
そして、天へと届くほどの激流の渦が。
大地を削るほどの暴威の塊が。
ア ル ペ イ オ ス
ペー ネ イ オ ス
﹂
世界の全てを押し流す二筋の水龍の具現が。
いま此処に、真名と共に解き放たれた││
!!
勢いで大地を粉々に砕きながら突き進む。
たった一人だけに向かって殺到する、人智を超越するほどの水の奔流。それは怒濤の
!
﹁激流逆巻く││││双竜の咆吼ッ
第28節:カルデアス・ユニティ
607
これは文字通りの災害だ。神の裁きにも等しき暴威に他ならない。
抵抗など無意味だ。立ち向かうことこそが愚挙だろう。絶望に飲まれ、背中を向けた
ところで恥とはなるまい。逃げることを、いったい誰が咎められよう。
││それでも、マシュは敢然と神造兵装の楯を構えて待ち受けた。
レ
ウ
ス
コ ス モ ス
﹂
退く選択肢など即座に捨てた。立ちはだかるこの試練を踏破すると、彼女は静かに決
キ
意した。
ア
みんなも一生懸命頑張っている⋮⋮
│ │ そ う だ。私 は 負 け ら れ な い。負 け る わ け に は い か な い。私 だ け じ ゃ な い。他 の
も、歯を食いしばって耐え忍ぶ。
楯越しにすら伝わってくる埒外なまでの威力に、マシュは昏倒しそうになりながら
しく鳴動させた。轟音が遠い彼方まで響き渡る。
世界そのものの楯と、世界を飲み込まんとする水流が拮抗して衝撃を生み、大地を激
した。
楯の表面に世界が展開される。圧倒的な水圧を防ぐべく、マシュは宝具の真名を解放
﹁蒼天囲みし││││小世界ゥッ
!
かけて死にそうになりながらも、ずっと平気な顔をしていた。私に心配をかけまいとし
先輩もそう。昨日だって一昨日だって、先輩には先輩の戦いがあった。魔力が枯渇し
!
608
て、私にばれないようにと平然と振る舞っていた。何もできないと自分の無力さを噛み
締めながらも、それでもみんなを見守り続けていた。
いまだって戦い続けている。突きつけられた選択の答えを出す為に、きっと、いまも
││
﹂
圧されながらも、マシュは必死に耐え続けた。
楯が水流を圧し留める。溢れんばかりの水流が左右へと逸れていく。徐々に後ろへ
ける。自分は決して一人ではない言い聞かせ、マシュは己自身を奮い立たせた。
気合い、努力、根性、意地、信念、勇気、愛、絆。自身の心をあらゆる想いで支え続
﹁だから││ッ
!
﹂
だが無情にも、無敵の護りに亀裂が走った。
!?
具に他ならない⋮⋮
・
・
・
・
・
・
・
・
・
ゆえにアキレウスの楯ですら、この水の暴威を受けとめきることは不可能だ。
!
だが激流逆巻く双竜の咆吼は大地をも││世界をも削る一撃だ。即ちそれは、対界宝
ア ル ペ イ オ ス・ ペ ー ネ イ オ ス
の結界宝具は無敵なのだ。
が壊れようと国や神が滅びようと、如何様になろうと世界だけは残るからだ。ゆえにこ
蒼天囲みし小世界は対城宝具や対国宝具、対神宝具でさえも防げるだろう。それは城
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
﹁││ッ
第28節:カルデアス・ユニティ
609
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
ついに世界が崩壊した。蒼天囲みし小世界が粉々に砕け散ったのだ。
﹂
カ
ル
デ
ア
ス
﹂
絶望がついにマシュを飲み込もうとして││││それでも、彼女は諦めなかった。
﹁まだだぁああああああっ
ド・
マシュは即座に自身の楯を具現化し、
ロー
擬似展開/人理の礎││ッ
さらなる防御を敷いていた。
﹁真名、偽装登録ッ
!
リ
バー
ン
エ
ク
ス
る
じ
カ
リ
バー
その輝きこそは、勝利すべき黄金の剣や約束された勝利の剣にも似た栄光の輝きだ。
カ
その瞬間、マルミアドワーズの刀身が黄金に染め上げられた。
ドワーズを振り被る。
深々と抉られた大地を一息の間に踏破して、アルケイデスがマシュの眼前でマルミア
向けとして散れ﹂
﹁││よくぞ耐えた。貴様はいま、最大の試練を乗り越えた。ゆえにこそ、我が奥義を手
過ごした。
防ぐ。逸らす。堪える。後ろへ圧され続けながらも、マシュは水の奔流の全てをやり
ように、楯の防御が強固になる。
その強き意志に、宝具が応えた。決して折れぬマシュの心の強さに引き摺られるかの
あ
水の奔流に、怒濤の暴威に、二枚目の楯を以ってなおも彼女は抗い続ける。
!
!
610
いま此処に、セイバーとしてのアルケイデスの真の奥義が解き放たれる。その真名は│
ナインライブス・マルミアドワーズ
│
﹁射 殺 す 百 頭 ││ッ ﹂
ド・
カ
ル
デ
ア
ス
そう、防御できる宝具はだ。
いだろう。
な守りを敷いたところで、この攻撃を防御できる宝具など騎士王の鞘以外にはありえな
さえ必殺が約束されたような攻撃に、さらなる二段目の必殺があるのだ。如何なる強固
射殺す百頭は斬撃を放った後に九つの閃光を敵へと向けて放つ絶技である。一段目で
ナ イ ン ラ イ ブ ス
神 速 の 九 連 撃 を 回 避 す る こ と な ど 不 可 能 だ。万 が 一 避 け ら れ た と し て も、こ の
百倍にも跳ね上がった。
閃くは神速の剣。真名が解放されたことで、この瞬間マルミアドワーズの切れ味は数
!
これは慢心ではなく、油断でもなく、ましてや楽観しているわけでもない。
の最強が、たかが小娘一人の前に屈するはずもなし。
なぜならこの宝具こそ、セイバーとしてのアルケイデスの究極の一に他ならない。そ
そのままマルミアドワーズを振り抜いた。
再度の擬似展開/人理の礎で凌ぐ気か。アルケイデスはそう予測しながらも、迷わず
ロー
﹁真名、偽装登録││﹂
第28節:カルデアス・ユニティ
611
それは英雄としての自負だ。それは武人としての矜持だ。如何なる無敵の護りが敷
かれようとも必ず斬り砕く││
﹁││││ッ
﹂
そうしてマシュは自身の楯を││││傍らへと投げ捨てた。
!
・
る⋮⋮
ロ
ン
ダ
イ
ト
ロ
ちた聖剣は浄化されつつあったのだ。
ン
ダ
いま此処に、魔剣は聖剣へと回帰した。
イ
ト
・
・
・
ロ
・
ン
・
ダ
・
イ
・
ト
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
そして自身の手で魔剣を聖剣へと改めたことで、マシュは無毀なる湖光を自身の宝具
ア
ゆえに彼女が無毀なる湖光を手にしていた瞬間から、同胞を殺めたがゆえに魔剣へと堕
ア
マシュがその身に宿した英霊は、最も穢れなき騎士と称された■■■■■■である。
漆黒に染まっていた刀身が、透き通る湖水の如き清廉さを帯びていく。
││そして、その手に握る魔剣が、不意に聖なる輝きを放ち始めた。
!
ならば残された手段は一つだけだ。放たれた一撃目を、マルミアドワーズごと粉砕す
ての直感が、マシュにそう告げていた。
自身の宝具ではアルケイデスの九連撃を防げない。シールダーのサーヴァントとし
マシュは楯を捨てた代わりに、無毀なる湖光を両手で握り直した。
ア
その慮外の行動にアルケイデスが瞠目する。
!
612
・
・
・
・
・
・
・
として掌握した。
いまなら彼女は、この宝具の全性能を引き出せるだろう。そして、
││私には解る。この宝具の真の力が。この宝具の本当の使い方が。
マシュ自身、その理由は定かではなかった。それでも体がそれを知っている。
﹂
だから迷わず、彼女は感じた通りにそれを実行する。それこそが、この場で残された
一筋の勝利への軌跡に他ならない。
﹁最果てに至れ、そして││限界を超えるッ
ロー
ド
・ ア ロ ン ダ イ ト・リミテッド・ゼロ・オーバー
﹂
マシュは射殺す百頭を迎撃すべく、湖の聖剣を全霊を以って振り被った。
ナ イ ン ラ イ ブ ス
までの魔力は、だが刀身に過負荷を与えながらも留められたままだ。
刀身が、静謐な湖を連想させる清らかな蒼へと染まっていく。溢れんばかりの過剰な
!
!
│
限界を無視して両手に力を籠めて圧し続ける。
咆哮をぶつけ合う。勝利への想いが鬩ぎ合う。互いに眼前の敵を捻じ伏せんとして、
を藻屑の如く吹き飛ばした。
黄金の剣閃と湖水の剣閃が此処に交差する。迸る魔力が周囲のありとあらゆるモノ
!
これこそが円卓において最強と称された湖の騎士、サー・ランスロットの真の奥義│
﹁擬似展開/縛鎖全断・ 過 重 湖 光 ァァァァッ
第28節:カルデアス・ユニティ
613
そうして、決着の瞬間は訪れた。
ア
ロ
ン
ダ
イ
ト
何が勝敗を別ったのかは定かではない。
さ れ ど い ま こ の 瞬 間、無毀なる湖光 の 刀 身 が マ ル ミ ア ド ワ ー ズ の 刀 身 へ と 食 い 込 ん
だ。そのまま黄金の剣を滑るように両断し、担い手すらも斬り裂いた。
⋮⋮鮮血が舞い、風が吹き荒んだ。静寂がこの場を支配する。
ア
ロ
ン
ダ
イ
ト
不意にそれを壊したのは、罅割れるような音だった。
限界が来たのか、無毀なる湖光の刀身が歪に曲がり、罅が入って砕け散ったのだ。そ
して役目を終えたかのように、魔力の粒子となって消滅した。
アルケイデスが胴から夥しい血を流しながらも、静かに笑みを浮かべた。
ふと気がつけば、アルケイデスが足の先から徐々に黄金の粒子になっていた。
たな﹂
﹁仲間に想いを託され、応えたのは他ならぬ貴様だ。ならば真に称賛すべきは貴様だっ
託されました。私が勝てたのは、きっとそのおかげです﹂
﹁⋮⋮私一人では、絶対に貴方には勝てなかったでしょう。けれど私には、多くのモノが
﹁しかし、その幻想も侮れん。よもや、我が奥義をも踏破する剣を創るとはな﹂
アルケイデスは微笑を浮かべたまま言葉を続ける。
﹁所詮はあの男が創った贋作か⋮⋮二度とは存在せぬ夢幻の剣だ﹂
614
﹁⋮⋮我が復讐は果たせなかったが、悪くない。一時とはいえ、復讐を忘れるほどの戦い
ができたのだからな。貴様とも、あの男たちともだ﹂
戦闘続行を持つ彼である。戦おうと思えば、まだ戦えるはずだ。それでも既に彼の消
滅は確定している。疲弊しきったマシュを道連れにすることなど容易いだろうが、彼は
それを良しとはしなかった。眼前の少女には、特に恨みがあるわけでもないのだから。
ゆえにアルケイデスは素直に敗北を受け入れたのだ。きっとそれは、満足してしまっ
たからというのもあるのだろう。
﹁また、いつか会い見えようぞ。次は私が勝たせてもらうがな﹂
﹁すみません、正直、勘弁してください。ギリシャの大英雄と三度も戦うのはちょっと
⋮⋮﹂
﹁ではな、心強き娘よ││﹂
えないのだから。
それは願ってもない言葉だった。カルデアはお世辞にも、戦力が充実しているとは言
ならば、私が悉く駆逐してやろう﹂
﹁では、いつの日かカルデアとやらに呼ぶがいい。魔獣や神獣、神性を持つサーヴァント
ちょっとだけ寂しそうにアルケイデスが呟いた。
﹁そうか⋮⋮﹂
第28節:カルデアス・ユニティ
615
616
そうして、最後の最後まで倒れることなく踏み止まっていた大英雄は消滅した。
アルケイデスの消滅を見届けたマシュは、糸が切れたように地面へと倒れた。
余力はもう欠片も残っていなかった。しばらく動くことさえできないだろう。本当
はすぐにでも別の戦闘に助勢に行きたいところではあるけれど、回復するまで休むしか
なかった。
・
・
青空に浮かぶ太陽に眼を細めながら、マシュは自分に少しの間の休息を許した。
││そう、青空に浮かぶ、太陽に眼を細めながら。
◇
無数の蝙蝠がエミヤとアイアスの周囲を流星の如く旋回する。
それぞれの口腔から音速を以って撃ち出されるのは、奔流と呼べるほどの杭の弾丸の
嵐である。それは四方八方から絶え間なく二人に殺到した。
だがエミヤとアイアスは、一つの例外もなく音速の杭を打ち落とす。流麗な円舞を思
わせるほどの動きで剣を振るい、互いの死角すらも守り合う。
既に戦い始めて短くない時間が経過していた。それでもなお、二人には一切の被弾が
ない。
第28節:カルデアス・ユニティ
617
背中合わせに戦う二人は、全幅の信頼を以って互いに命を預けている。どちらかが何
か一つでもしくじれば、その瞬間に互いが諸共に死ぬような状況だ。それでありなが
ら、二人には迷いも恐怖も欠片もありはしなかった。
中距離からの杭による射撃に徹していた蝙蝠たちが、不意に一か所に集まる。それは
人型を象ると、ヴラド本来の姿へと回帰した。
その表情には苦渋がありありと浮かんでいる。
エミヤとアイアス。二人の連携が織り成す守りの布陣は強固極まりない。だがその
連携が巧いにしても、幾らなんでも限度があった。二人の戦いぶりは、断じて一度や二
度の即席のコンビで形成できるモノではないだろう。
二人の間には言葉も視線も、最早交わされる余地すらなかった。何も言わずとも、阿
吽の呼吸で互いにとっての最善手を自ずと取り続けている。
接近し、横薙ぎにアイアスが剣を振るってきた。ヴラドは跳躍し、その斬撃を寸での
ところで回避する。
背中に蝙蝠の翼を生やし、そのまま上空へと飛翔する。
分散した蝙蝠による杭の射出では威力が足りず圧しきれない。ならばとヴラドは急
降下し、その勢いを利用して刺突を繰り出した。
豪速を以ってエミヤの頭蓋を穿たんとし、だがその直前でアイアスが一枚の花弁を右
手に現出させて楯とした。発せられる斥力場にヴラドの刺突は弾かれる。
間髪入れずに閃くは干将莫耶によるエミヤの双撃。寸前で霧へと転じることでやり
過ごす。
肉体を元の状態へと復元し、再び飛翔した。眼下の二人を見下ろしながら、ヴラドは
舌打ちをする。
いまの連携にしてもそうである。異常なまでに二人の呼吸は一致している。それゆ
えに、やはりその連携は完璧であり、鉄壁だった。
それはまるで、過去に既に、何度も共に戦ったことがあるのだと思わせるほどだ。
││実際のところエミヤもアイアスも、自分たちでさえ驚くほどだった。
元々連携の巧いアイアスではあるが、今回に限り合わせているのはエミヤの方だっ
た。彼こそがアイアスの動きを熟知しているかのように、自分の戦い方をこれ以上なく
彼女に合致させていた。
上空から降り注いでくる苛烈な刺突を幾度も防ぎながら、ふとアイアスが口を開い
た。
﹁だって、どうして私の戦い方を隅々まで知っている
﹂
﹁唐突に酷い言い草だな。思わず、なんでさと言いたくなったぞ﹂
﹁エミヤ、お前キモイぞ﹂
618
?
﹁⋮⋮さてな﹂
ロ ー・
ア
イ
ア
ス
はぐらかしたエミヤだが、その理由には一つ心当たりがあった。
即ち、熾天覆う七つの円環である。
それは何人も防げなかったというヘクトールの投擲を防いだことで宝具へと昇華し
た彼女の楯。
そして、エミヤが唯一得意とする防御宝具だ。
それをいつ何処で使えるようになったのか、どうして得意なのか、それはエミヤ自身
も憶えていなかった。
だが投影できるということは、固有結界に貯蔵する機会があったからに他ならない。
ならばいつか何処かで、彼女のオリジナルを見たかもしれないということだ。
そして、彼女の戦い方すらも││
だからだろうか。アイアスと背中合わせに戦うエミヤの中には、不思議と懐かしさが
あった。安心感があった。
ともあれだ。負ける気がしない。アイアスとなら、如何なる攻勢が押し寄せようと防
ぎきれる。そんな確信がエミヤにはあった。
上空のヴラドが苛立ち混じりに呻く。
﹁まだッ、沈まぬか⋮⋮っ﹂
第28節:カルデアス・ユニティ
619
620
刺突は何度繰り返そうと阻まれた。エミヤを狙えばアイアスが庇い、アイアスを狙え
ばエミヤが庇った。
あと一撃さえ決めれば、エミヤはあっさり仕留められるだろう。もう既に余力など欠
片もありはしないのだから。だが、その一撃があまりに遠い。
湧き上がってきた、叫びたくなるほどの憤怒をヴラドは堪える。
元々バーサーカーのクラスで召喚されていれば違っていた話だが、吸血鬼になった影
響でヴラドの思考力は低下していた。本来ならば、狂化を得たサーヴァント並みにまで
落ちるはずだった。
ヴラドの胸中には、気が狂いそうなまでの二つの衝動が蠢いている。
一つは吸血鬼としての吸血衝動だ。血を吸いたいという、おぞましいまでの欲望が込
み上げてきて仕方がない。
そして、そんな醜悪な存在に成り果ててしまったという吐き気と嫌悪感。いますぐに
でも己の体を串刺しにて燃やして灰にしたいという自殺衝動だ。
だがそれらの衝動の全てをヴラドは抑え込んでいた。
いま眼前の二人に勝利するには、引いてはトロイアを護るには吸血鬼としての力が必
要なのだ。ならばそれを受け入れなければならない。己の力として御さなければなら
ない。
第28節:カルデアス・ユニティ
621
そう。ヴラドは護国の鬼将としての誇りを以って、平時の思考力と人としての自我を
保ち続けていた。
どうやってこの膠着状態を好転させるか。ヴラドは上空からの刺突を繰り返しなが
ら思考した。
持久戦ならいまのヴラドが負ける道理はない。
夜でない以上は完全な不死とは決して言えない。それでも陽射しが暗雲で阻まれて
いることで、充分過ぎる再生能力は維持している。留意すべきは不死を滅するような投
影宝具のみなのだ。
ヴラドは二人を攻めきれていないが、眼下の二人もヴラドを攻め切れてはいないの
だ。
このまま戦い続ければ先に疲弊するのはエミヤとアイアスだ。彼らとヴラドでは持
久力が違う。
この男の意志は潰えるのか
そしてエミヤは誰がどう見ても限界だ。時折足運びがおぼつかない時すらある。い
ずれ彼こそが真っ先に音を上げる。
││いや、だが、この男が折れるのか
?
ヴラドではないだろう。
そうだ。エミヤは限界など、とっくの昔に通り越している。エミヤが戦う相手は既に
?
エミヤが戦っている相手。それは最早、自分自身に他ならない。限界だと囁く自分自
身こそを、エミヤは斬り伏せようとしているのだ。
ヴラドは確信した。エミヤは決して倒れないと。そしてこの二人を討ち取ることは
できないと。
││ならばせめて、どちらか一方と刺し違えるしかない⋮⋮
ずにさらに槍を突き出した。
アイアス目がけて繰り出した刺突をエミヤがギリギリで阻む。
カズィクル
それでこの戦いは手打ちだ、とヴラドは口元に笑みを刻んだ。
ア
イ
ア
ス
無理に攻めこんだ以上は、エミヤの方も相討ち覚悟で反撃を繰り出してくるだろう。
の展開は間に合うまい。ヴラドの必殺こそが先んじる。
│ │ こ の 瞬 間 だ。ゼ ロ 距 離 か ら の こ の 位 置 だ。こ の 間 合 い な ら 熾天覆う七つの円環
ロ ー・
力任せに振り被った槍は防がれ、代わりに反撃がその身を斬り裂く。それに眼もくれ
反撃覚悟で攻め手を強める。ヴラドの攻勢に、より一層二人の護りが強固になる。
意を決し、ヴラドは再び翼を羽ばたき急降下した。豪速と怪力を以って槍を振るう。
!
不意に天より差した光によって、次第に肉体が焼け爛れていく。陽の光を阻んでいた
そうして、宝具を発動しようとしたその瞬間││ヴラドの体から力が抜けた。
﹁血塗れ││﹂
622
﹂
はずの暗雲は、忽然と薙ぎ払われていた。
﹁な││馬鹿な⋮⋮なぜ、急に⋮⋮
然の現象であることを││
﹂ 空が晴れたのは、決して偶然などではない。カルデアの結束によってもたらされた必
即ち、エミヤがマシュに宝具を託したことに一因があることを。
追い詰められたのは、マシュが仲間の力を借りたが為であることを。
それはアルケイデスがマシュに追い詰められたが為であることを。
暗雲の全てが収束されたことを。
││ヴラドは知る由もない。アルケイデスが宝具を発動したことで、トロイア周辺の
!?
り被る。
は
剣
で
出
来
て
い
る
き出した。ヴラドの背後へと回ったアイアスも、同じように自らの血で形成した楯を振
それが最後の投影だ。エミヤは右手に七枚の花弁を咲かせ、それをヴラド目がけて突
﹁I am the bone of my sword﹂
体
いまだった。
そしていまなら吸血鬼の再生能力も揮えはしない。エミヤたちが畳み掛けるならば
陽射しにヴラドが呻きを上げる。吸血鬼である以上、太陽の光には耐えられない。
!?
!
﹁おお⋮⋮ぉおおおおおおお││ッ
第28節:カルデアス・ユニティ
623
ロー
﹁熾天覆う││﹂
ア
イ
ア
ス
﹁││七つの円環ッ
ラドが前後から圧迫される。
﹂
﹂
二人が同時に同じ真名を紡ぎ上げる。二つの楯が形成した紅蓮の斥力場によって、ヴ
!
﹁余はッ、余は、負ける訳にはいかんのだ⋮⋮ッ
せるものか⋮⋮ッ
﹂
﹂
でなければ
それを二度も、あの男に味あわ
トロイアを、潰えさせるわけにはいかんのだ⋮⋮
友は、ヘクトールは救われん⋮⋮
!
!
・
・
・
・
だからこそ、負けるわけにはいかない。
・
と感じた。
吸血鬼に堕ちてなお、ヴラド三世は紛れもなく英雄だった。その姿を、エミヤは尊い
誇り高き、護国の鬼将の姿である。
吸血鬼としての怪腕を揮いながらも、そこにあったのは紛れもない人間の姿だった。
!
!
﹁護りたかったモノを⋮⋮護れなかった無念⋮⋮ッ
死力の全てを振り絞る。己の命を使い果たす勢いで、ヴラドは楯を徐々に圧し返す。
!
はまだ諦めてはいなかった。
だが吸血鬼としての膂力の全てを以って全力で抗う。日輪に焼かれながらも、ヴラド
﹁ぐ、オオオオオオ││││ッ
!
624
﹁ヘクトールにも護れたモノはあるはずだ
﹂
れたモノもあるはずだ。それは││﹂
﹂
﹁例えトロイアがアカイアに敗北しようと、滅ぼされてなお⋮⋮それでも、彼の英雄が護
負けじと楯で圧しながら、エミヤは腹の底から叫んだ。
!
﹂
?
ヴラドは眼を伏せて考え込み、それから瞼を上げた。
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁その為に、カサンドラはトロイアへと向かった﹂
﹁それで、あの男が納得するのか⋮⋮
続けられた言葉に、ヴラドがはっとした。その表情が神妙に歪む。
﹁⋮⋮
!
ア
イ
ア
ス
最期に友への祈りを残し、消えていった。
そうして、吸血鬼に成り果てながらも、決して誇りを失わなかった護国の鬼将は。
﹁それでもどうか友に、異教徒なれど⋮⋮主のご加護があらんことを││﹂
二つの熾天覆う七つの円環がヴラドを圧し潰していく。
ロ ー・
不意に楯を圧し返す力がなくなった。
力が尽きたのか、それともエミヤの言葉に納得したのか。
﹁どちらとも言えぬな。どちらが正しいのかも余には判らぬ。それでも││﹂
第28節:カルデアス・ユニティ
625
キレウスのステータスをワンランクダウンしているから、というのもあるだろう。
それはアヴェンジャーがトロイア内に施した魔術的な細工によって、侵入者であるア
いまのヘクトールから見れば、アキレウスの攻勢は然程の脅威にも映らない。
浴びせられながらも、ヘクトールはまったく怯むことなく対処する。
刹那の間に飛び散る火花は十五を超えた。一息のうちに殺到するそれだけの槍撃を
だがそれを、ヘクトールは剣と楯で造作なく防いでいく。
極まる攻勢だった。
濁流。裂帛の気合いと共に繰り出される神速の刺突は、正しくそう呼べるほどの苛烈
れるのが必定だ。
戦に徹するのがやっとだろう。そして最上位の英雄でなければ、やがて悉く蜂の巣にさ
並みの英雄であればただの一撃で眉間を即座に撃ち抜かれ、上位の英雄であろうと防
が放つ刺突の乱舞だ。
小雨の一滴一滴すらも穿ちかねないほどの精緻かつ高速の連打。それはアキレウス
第29節:護国の残照
626
第29節:護国の残照
627
イー
リ
ア
ス
イー
リ
ア
ス
それに加えてヘクトールは、〝護国の残照〟を装備しているのだ。
デュ ラ ン ダ ル
護国の残照。それは楯、兜、鎧の三つからなる防御型宝具。後にローランの手に渡る
絶世の名剣と並び、シャルルマーニュ伝説において讃えられているヘクトールの三種の
神器だ。
楯は持ち主に対するバッドステータスを無効化し、兜は被った者にランクAに相当す
る〝直感〟を付与する。
そして鎧は装備者のステータスアップ││厳密には〝己の陣地で戦闘を行う場合、全
ステータスをワンランクアップする〟という、ヴラドの〝護国の鬼将〟にも似た効果を
装備者に与えている。
つまりヘクトールは、都合2ランク分のステータスのアドバンテージを獲得している
のだ。それだけのアドバンテージがあれば、最早生前のように逃げ回る必要など欠片も
ない。
ドゥ リ ン ダ ナ
ドゥ リ ン ダ ナ
刺突を楯で弾いたその刹那、ヘクトールは間髪入れずに踏み込んだ。次の刺突が繰り
出されるよりも先に不毀の極剣を振り被る。
アンドレアス・アマラントス
雷 光 め い た 一 撃 が ア キ レ ウ ス の 頬 を 掠 め た。不毀の極剣 の 効 果 に よ っ て
勇 者 の 不 凋 花の加護は無効化される。躱し損ねればアキレウスと言えど痛撃は避けら
れまい。
猛攻を加え続けていたアキレウスだったが、気づけば防御に回っていた。刹那の間に
﹂
五撃、六撃と閃く斬撃。それを持ち前の駿足と槍捌きを以って凌いでいく。
﹁チッ││
﹂
!
ヘクトールが〝直感〟を得ているように、アキレウスはヘパイストスが鍛えし黄金の
加えて鎧によって、普段持ちえぬスキルを得ているのはアキレウスも同じである。
ルの戦力を隅の隅まで精査し尽くしている。
アキレウスの戦力を底の底まで解析し尽くしているように、アキレウスもまたヘクトー
眼前の男を仕留める為に、いったいどれほどの労力を費やしたことか。ヘクトールが
﹁舐めんじゃねぇぞオッサンッ
││だが、それはアキレウスとて同様だ。
なモノなど手に取るように判るのだ。
分析し続けていた。恐らくは本人よりもアキレウスの戦い方を知悉している。不得手
それも当然だろう。ヘクトールは生前、アキレウスから逃げ回りながらも彼の戦力を
ターンは、執拗なほどに彼の苦手とするところを衝いてくる。
アキレウスへと襲いかかる斬撃は、かつてよりも重く鋭い。そして狙う個所と攻撃パ
の利によって、互いの武力は僅かにだが逆転している。
劣勢気味の現状に舌打ちをしたアキレウスだが、戦況は彼の危惧した通りだった。地
!
628
ルー ト
鎧によって〝心眼〟を得ている。それによる〝見切り〟は、決して彼に詰みとなり得る
軌跡を辿らせない。
自然と脳裏に描けた形勢逆転の一手を実行する。斬撃を捌き、今度は透かさずアキレ
ウスが攻勢に転じた。
加速する。体力の消耗など勘定に入れない。動けなくなろうと死んでも動くと覚悟
を決め、際限なしにアキレウスは自身のギアを上げ続けた。
神速を以って槍を振るう。躱されれば、その瞬間に背後に回り込んで次撃を放った。
神懸かった反応速度で切り払われる。そのまま流れるような動きで、ヘクトールが剣
による刺突を繰り出した。
スパーダ ピルム
アキレウスは即座に後ろへ跳躍し、その突きをやり過ごそうと試みる。
だがその瞬間に剣の柄が伸長し、 剣は槍となって食らいつく。
﹂
!
激痛に同時に顔を歪める。歯を食いしばり、痛みを無視してアキレウスはすぐさま次
互いの槍の穂先が互いの腕へと突き刺さる。
刺突を迸らせた。
躱せない。そう判断するや否や、アキレウスは体を捻りながらも相討ち覚悟で渾身の
想定。目測。間合い。何もかもが狂った。回避行動が間に合わない。
﹁││ッ
第29節:護国の残照
629
630
なる刺突を繰り出した。
甲高い音と共に火花が散る。刺突はヘクトールの楯によって防がれた。
もう一撃。そう思った時には既に間合いが取られていた。その絶妙なまでの仕切り
直しの巧さにアキレウスは舌を巻く。
││相変わらずか。いざ仕留めにかかっても、容易には討ち取れねぇ。
そう。ヘクトールの防衛の巧さは常軌を逸している。彼が守りに入っているうちは、
絶対に仕留められないとさえアキレウスは思っていた。
そもそも速さではアキレウスが明確に上回っているのだ。にも拘らず、ヘクトールは
かつて何度となくアキレウスから逃げ回ってきたのだ。太陽神の加護があったとはい
え、それがどれだけ異常なことか。
ふと気づけば、ヘクトールの腕の傷が癒えつつあった。彼の背後には右手を翳すア
ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ
ヴェンジャーの姿がある。治癒魔術によってヘクトールを回復したのだ。
宙 駆 け る 星 の 穂 先には回復阻害の能力がある。本来であればヘクトールを治癒す
ることなど不可能なはずだ。その呪いが機能していないのは状態異常を無効化する楯
のせいだろう。
ヘクトールの腕が癒えたのと同様に、アキレウスの腕も治っていた。アヴェンジャー
に対抗したカサンドラのお陰だ。
第29節:護国の残照
631
戦いはすぐさま再開された。己の武の全てを曝け出す勢いでアキレウスは攻め立て
スパーダ
スパーダ
ピルム
る。だがその攻勢を以ってしてもヘクトールは攻めきれない。ヘクトールは自身が劣
ピルム
勢になったと判断するや否や、何度も仕切り直しを図ってきた。
加えてそれだけではない。ドゥリンダナの形態を槍から剣、 剣から槍へと幾度も切
り替え、その都度アキレウスの間合いの感覚を狂わせ、揺さぶりにかかった。
腸が煮えくり返りそうになるほどの嫌らしい牽制である。復讐に駆られていた時の
アキレウスであれば、完全に頭に血が昇っていただろう。
だがカサンドラの為に戦うと決意したいまのアキレウスに怒りはない。冷静さを失
わず、堅実に攻め続けた。
とはいえ、ドゥリンダナの切り替えによる牽制は効果的だ。アキレウスはどうしても
攻めあぐんだ。そしてその間にヘクトールは攻勢へと転じ、だが負けじとアキレウスが
押し返す。攻守は幾度も反転し続ける。
多少の傷は二人のカサンドラがすぐに癒した。致命打を与えなければ戦いは延々と
続くだろう。
アキレウスとしては、まずヘクトールを叩き伏せてからカサンドラに話をさせるつも
りだった。
だが現状ではそれも難しい。ならば戦いながら対話を試みるしかないだろう。
戦 闘 中 に 話 す な ど あ ま り に も 愚 か だ。隙 も 幾 ら だ っ て で き て し ま う だ ろ う。ヘ ク
トールを相手にして、それはあまりにも致命的だ。〝心眼〟を得たいまのアキレウス
は、感覚的にも論理的にもそれを正しく理解していた。
それでもアキレウスは、窮地に到る選択であると理解しながらも、槍撃を繰り出しな
がら意を決して口を開いた。
﹂
?
?
﹂
!
?
無 表 情 に 呟 き な が ら ヘ ク ト ー ル が 踏 み 込 ん だ。閃 く 不毀の極剣。そ の 切 っ 先 が 僅 か
ドゥ リ ン ダ ナ
﹁調子が悪い、か。お前がそう思うのは勝手だがな││﹂
力強い言葉とは裏腹に、アキレウスの渾身の一撃は楯で容易に受け流された。
たしい挑発はしないのか、ヘクトールッ
﹁常日頃、アンタが口元に張り付けていた笑みはどこ行ったよ それにいつもの腹立
ウスはさらに煽りを口にする。
その指摘にヘクトールは無言のままだ。側面から轟然と槍を振り回しながら、アキレ
ゆとりがない証拠だぜ﹂
﹁アンタさっきから、自分のコトをまったく〝オジサン〟とか言ってねぇよな 心に
刺突と薙ぎを織り交ぜた猛攻を対処しながら、ヘクトールが怪訝そうに呟きを返す。
﹁⋮⋮なに
﹁随分と調子が悪そうだな、オッサン﹂
632
に反応の遅れたアキレウスの首を掠める。
﹁調子が悪いのはお前だろう、アキレウス。お前にしては、いまのも酷く鈍い反応だ﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
続く斬撃をどうにか躱す。全力で後退し、アキレウスは苦笑ながらも気息を整えた。
・
﹁⋮⋮そりゃあ、そっちの王女のせいで、体に重圧がかかってるからな﹂
・
・
しいな﹂
・
﹁それだけじゃないな。俺の眼は誤魔化ねぇぞ。解毒できても、病み上がりはきついら
﹁││ッ﹂
﹂
!
された。
ドゥ リ ン ダ ナ
槍で受ける。だが体に殺到する壊滅的な威力に、アキレウスは耐えきれずに弾き飛ば
が桁違いに跳ね上がる。
瞬間、肘のバーニアが火を噴いた。圧倒的なまでの運動エネルギーが加算され、剣速
く振り抜く。
言い終わると同時にヘクトールがなおも踏み込んだ。不毀の極剣を横薙ぎに荒々し
となッ
毒に蝕まれたお前の体は、幾らか脆弱になっているはずだ。お前が想定するよりずっ
だが、
﹁その顔は図星か。まぁ確かに解毒はできただろうさ。問題なく戦えもするだろうよ。
第29節:護国の残照
633
﹂
体勢を立て直し、ヘクトールの方へとすぐさま視線を走らせ││いない。
ドゥ リ ン ダ ナ
﹂
ドゥ リ ン ダ ナ
していたヘクトールが、己が宝具を隕石の如く擲った。
前方斜め上から響く怒号。アキレウスは弾かれたように顔を上げた。中空へと跳躍
﹁不毀の極槍ァッ
!
││それでも俺の方が速い⋮⋮
身の宝具に向かってヘクトールも疾駆した。
││だが、そんなことはヘクトールとて承知のことだ。投擲を行い着地した直後、自
ずだ。
き刺さった不毀の極槍。それさえ先んじて奪えばヘクトールの攻撃手段をなくなるは
ドゥ リ ン ダ ナ
地面を滑りながらもアキレウスは即座に切り返した。クレーターを作り、地面へと突
てしまった。
身に殺到する。間一髪のところで直撃は免れたが、それでも少なくないダメージを負っ
全力で後退する。着弾と同時に不毀の極槍から発せられた衝撃波がアキレウスの総
﹁││││ッ
!
走った。
一歩を跳躍するように踏み込み、ヘクトールは逆に潜り込むように姿勢を低くしてひた
ほとんど同時だが、紙一重の差で先んじることができるだろう。アキレウスは最後の
!
634
ドゥ リ ン ダ ナ
・
・
・
・
・
アキレウスが不毀の極槍の柄を掴み││だがヘクトールは自分の宝具になど眼もく
れず、右手の拳をアキレウスの踵目がけて掬い上げるように振り抜いた。
不毀の極槍は囮。意識をそれへと釘づけにする為だけの罠。アキレウスの全身が総
﹁しまっ││﹂
毛立った。
唯一の攻撃手段であるドゥリンダナを、ヘクトールは何が何でも必ず回収するだろ
う。そう決めつけていた。唯一の攻撃手段を奪える。その誘惑にアキレウスは勝てな
かった。その千載一遇のチャンスの前に、思考することを放棄してしまった。
﹁││こと駆け引きで、お前が俺に勝てるかよ﹂
ぁ、がぁ││っ﹂
言葉と同時に、ヘクトールの拳がアキレウスの踵の骨を容赦なく打ち砕いた。
!?
ない。
蹴り飛ばされ、アキレウスが地面を転がる。
拾い上げて肩に背負う。
蹴り飛ばされた拍子にアキレウスが手放した不毀の極槍を、ヘクトールはおもむろに
ドゥ リ ン ダ ナ
アキレウスの腹部へと叩き込んだ。その一撃は最早、 勇 者 の 不 凋 花に阻まれることも
アンドレアス・アマラントス
激痛に堪えきれずに声が漏れる。その間にもヘクトールは体を反転させ、回し蹴りを
﹁ぐぅっ
第29節:護国の残照
635
アンドレアス・アマラントス
ドロメウス・コメーテース
﹂
?
て誤魔化し、深く立ち入ろうとしても無言を貫こう。
な男だからだ。ゆえに誰かに弱音を吐くことなどありえないのだ。心配されても笑っ
眼前の男は容易に本心を他者へと見せない。ヘクトールはその実、責任感の塊のよう
戦うのみだ。
思い定めていた。ならば武器が勝手に諦めていいはずがない。この身が玉砕するまで
己は彼女の武器である。ヘクトールの心の城壁を壊す為のモノ。アキレウスはそう
を見守る少女のモノだ。
元より勝敗など二の次だ。そもこの戦いはアキレウスのモノではない。背後で戦い
キレウスは立ち上がってヘクトールと向かい合った。
それでも震えながら身を起こす。苦痛を無視し、踵が砕けたことなど度外視して、ア
﹁ハ、ァ⋮⋮っ⋮⋮お、ォ⋮⋮ッ﹂
のまま戦えばいずれアキレウスが敗北を喫する。それは彼自身も理解していた。
││勝負はあった。それはきっと間違いないだろう。不死性と走力を失った以上、こ
ヘクトールが冷然と問いかけた。
なければ治せない。これで勝負あったな。││で、どうする、まだやるつもりか
前の不死は無効になるし、走力も七割近くダウンしたはずだ。加えて踵は、余程の術で
﹁お前の踵は勇 者 の 不 凋 花と彗 星 走 法の楔となっている。踵が破壊された以上、お
636
第29節:護国の残照
637
唯一、ヘクトールが自分の全てを曝け出せる相手がいるとすれば、それは己こそだと
アキレウスは思った。
かつて殴り合ったのだ。打算も勝算も抜きにして、互いの全てをぶつけ合った。
だから互いに、嫌になるくらい互いのことを理解している。まだやるつもりかと問い
かけておいて、ヘクトールはアキレウスが諦めないと知っている。
ゆえに答える必要などない。肩で息をしながらも、アキレウスは槍を構え直した。ヘ
クトールも既に構えている。
││取り繕っているモノ。それをかなぐり捨てさせる。
││届かせる。心の牙城を切り崩し、カサンドラのその想いを。
││己の武の全てを賭して。己のこの言葉で。
││ぶつけてこい、ヘクトール。お前の全てを、俺に。
よろめきそうになりながらも、アキレウスはヘクトールに向かって全速力で疾駆し
た。
◇
雨は止まず、降り続けている。
638
剣戟の響きは雨音と共に、いまもずっと耳朶を打つ。
アキレウスとヘクトール。二人の戦いを誰もがじっと見守っていた。
声援などありはしない。悲鳴すら上がりはしない。罵声などもっての外だ。
わたしもパリスもカサンドラも、そしてアヴェンジャーやトロイアの人たちも、皆、息
を飲んで広場の中央で戦う二人から視線を逸らせないでいた。
戦いは最早、ほとんど一方的と言わざるを得なかった。
アキレウスの動きは眼に見えて悪くなっている。彗星は輝きを失い、その攻勢には
さっきまでの速さと力強さが欠けている。
痛みに耐えながら、それでもアキレウスは猛然と攻め立てていた。繰り出す刺突の連
打も疾風のようだ。並の英雄が相手であれば、それで充分仕留められていただろう。
けれど相手はヘクトール。繰り出された槍撃を、いとも簡単に弾いている。いまのア
キレウスの攻勢は、彼にとって微風のようなモノでしかないのだろう。
スパーダ ピルム
報復の剣撃はすぐさまアキレウスへと翻り、攻守はそれで逆転する。
迅雷めいた斬撃。暴風のような薙ぎ払い。閃光さながらの刺突。 剣と槍を幾度も切
り替え、あらゆる手段を以ってヘクトールがアキレウスを追い詰める。
アキレウスが懸命に防ぎ、躱そうとする。けれど走力を失っているせいか、躱しきれ
ず、捌ききれず、次第に彼は傷を負う。もう既にカサンドラの治癒が追いつかないほど
に。
それでもまだ、踵を除いて決定的なダメージは受けていない。弱点を打ち砕かれたに
も拘らず、彼は底力を振り絞って奮戦している。満身創痍になりながらも、ギリギリの
ところでヘクトールに食らいついている。
﹂
斬撃を辛うじて槍で受けとめながらも、アキレウスが口を開く。
﹁なぁオイ、オッサン。アンタは本当に、これでいいのかよ⋮⋮
﹁何が言いたい﹂
ろう。アンタがやろうとしていることは過去の否定だ。それは自らが駆け抜けた人生
﹁〝いま〟は俺たちにとっての現在だ。でもアンタにとっては既に終わった後のことだ
無言のヘクトールへと、アキレウスは言葉を続ける。
﹁⋮⋮﹂
﹁アンタほどの男が、自分が何をやろうとしているのか判ってねぇわけねぇだろ﹂
?
判ってんだろそんなこと
﹂
を無意味にする行為だぞ。いやアンタだけじゃねぇ。アンタに付き従ってきた将兵た
ちの生き様をも蔑ろにする行為だぞ
!
!
み込み、上段から轟然と不毀の極剣を振り被る。
ドゥ リ ン ダ ナ
受け止めている槍ごとヘクトールがアキレウスを弾き飛ばした。そのまま即座に踏
﹁⋮⋮うるせぇよ﹂
第29節:護国の残照
639
泥濘で滑りそうになりながらも無事な方の足で着地し、アキレウスはヘクトールの追
撃を間一髪のところで防御する。
たのは、お前だろう
!?
そのお前がッ、どの口で言う
﹂
!?
﹁だったら恨み言でもぶつけてみろよッ
﹂
﹂
!
憎んでいるッ
俺は逃げも隠れもしねぇぞ
﹁っ⋮⋮あぁぶつけてやる。俺は、お前を恨んでいるッ
!
込む。
﹁ぐっ
﹂
﹁お前だけじゃねぇ、何もかもだッ
﹂
くずおれかけるアキレウス。それでも寸でのところで持ち堪え││けれど、
﹁がっ⋮⋮ぁ││﹂
めかみを強打した。
間髪入れず荒々しく振り回される不毀の極槍。石突きがよろめいたアキレウスのこ
ドゥ リ ン ダ ナ
!
!?
﹁俺は、俺の部下を何人も殺めたお前が憎いッ
﹂
剥き出しの怨嗟と共に槍を弾き、ヘクトールがアキレウスの胸部に痛烈な蹴りを叩き
!
!
槍で圧し返しながら、アキレウスが自分を鼓舞するような力強い言葉で言い返す。
憤怒を込めてヘクトールが剣で圧す。
!
﹁お前が、よりにもよってお前がっ、どの口で言う 俺の部下を誰よりも多く殺してき
640
!
﹂
﹂
俺の妹を辱めたあの小男が憎いッ
俺は、俺は││ッ
俺の妻を奪い、俺の父を殺めたお前
トロイアに戦争を仕掛けてきたアガメムノン
吐き出される憎悪と共に、刺突がアキレウスの脇腹を容赦なく貫いた。
﹁う、ぐっ⋮⋮
が憎いッ
﹁この戦争を仕組んだゼウスが憎いッ
の息子が憎いッ
いッ
﹂
﹁トロイアを護れなかった俺が⋮⋮大切な人たちを護れなかった俺自身が、誰よりも憎
しながら、ヘクトールが声の限りに叫んだ。
行き場のない感情の全てを槍に乗せ、八つ当たり同然にアキレウスの脇腹を抉り散ら
!
!
!
!?
!
!
いった
!?
何もッ、何も為し得なかっただろうが⋮⋮ッ﹂
何が九大英霊だ なぜ俺は讃えられている
俺に何ができた
!?
いたのだ。
い俺が何をした
!?
﹁⋮⋮そんな俺がいまさらトロイアを救う為に戦っていいのかも判らねぇ。いやそんな
ら。彼は自分で、自分自身を蔑むしかない。
呪詛は続く。他の誰も糾弾しないから。他の誰もがヘクトールを責めたりしないか
!?
!?
かったのは、自分自身。トロイアを護れなかった自分自身こそを、彼は何よりも呪って
││それが、ヘクトールの憎悪の全てだった。結局のところ、彼が何よりも許せな
!!
﹁何が兜輝くヘクトールだ
第29節:護国の残照
641
資格なんざきっとねぇ。過去改変が過ちだなんて、そんなことは言われなくても判って
る。起きたことをやり直そうとするのは、ただの俺の我が儘だ。その行為によって、俺
なぜこの国
は英雄としての最低限の誇りすら失うだろう。それでもっ、見捨てられるわけがない。
﹂
愛する人たちが死に逝く悲劇を、なぜ黙って見過ごすことができる⋮⋮
は、トロイアは滅びなければならない⋮⋮
アキレウスは無言のままだ。それでもヘクトールは構わず続ける。
?
?
るだと トロイアの滅亡が人類史の発展に繋がるだと
⋮⋮ふざけるなよ、それ
戦うと決めたはずだった。答えは出ているはずだった。護りたいモノと譲れないモ
カルデアへの││わたしへの糾弾となるだろう。
眼を逸らしたい。耳を塞ぎたい。彼の嘆きは、そのまま人理を修復しようとしている
その慟哭に、心が欠けそうになった。知らず握りしめていた手から、血が滲み出る。
﹁⋮⋮っ﹂
頬を伝う血涙と共に、その絶望の嘆きはヘクトールの口から零れ落ちた。
いか。
││初めから生きることを、許されてはいなかった。そう言われたようなものではな
?
?
じゃまるでこの国はッ、この国の人々は⋮⋮ッ﹂
?
﹁そもそもなぜ、この戦争が特異点足り得る トロイアが滅びなければ人理が焼却す
642
ノ。その為に答えは選んでいたはずだった。
それでも、ヘクトールのその言葉を、その想いを無視できない。
悪意があるわけじゃない。ただ彼は、トロイアの人たちの、愛する人たちの幸福と笑
顔を望んだだけだ。それの、どこがおかしい。
過去を改変してまで彼らを救おうとするのは、確かに間違っているのかもしれない。
それでも、救われる誰かがいる以上、きっとそれは正しくもある。
わたしには、世界を背負う覚悟が足りなかったのだろうか。それとも最初から世界を
背負う資格なんてなかったのだろうか。もういまとなっては、どちらであろうと些細な
ことだ。
だってもうわたしには、トロイアを護りたいという彼の想いを摘み取るなんて、そん
なこと││
⋮⋮何一つ犠牲なく、未来を取り戻せるなんて思っていたわけではない。前に進め
ば、進んだ分だけ犠牲は出る。そんなこと、最初からわかっていたはずだった。わかっ
ていたのに。
わたしは彼らを、犠牲になどしたくない││
不意にヘクトールが、乾いた笑みで自らを嘲った。
﹁自らが駆け抜けた人生を無意味にする行為だと、お前はそう言ったなアキレウス﹂
第29節:護国の残照
643
﹁けれどそれは間違いだ。そもそも初めから、俺のやってきたことには何一つ意味など
なかった。初めから滅ぶと定められていた国を護ろうとして、結局は護れなかった。こ
れを無意味と言わず、なんと言う。⋮⋮もしも意味があるのならば、それはいまこの瞬
間の為だ。この地に現界したいまこそが、俺の生きた意味だろう。人類史を滅ぼしトロ
イアを救う。俺はその為に此処にいる﹂
凍りついたような瞳でアキレウスを見つめながら、ヘクトールは最後に彼へと言葉を
告げた。
いたのだ。
それに戦ったところで、もう勝ち目なんてない。踵を砕かれた時点で、運命は決して
はとっくに切れているだろう。
それできっと終わりだ。いくらアキレウスでも、もうこれ以上は戦えない。戦闘続行
にその体が傾いた。
声もなくアキレウスがよろめいた。脇腹から血を流しながら、糸が切れた人形のよう
﹁││││﹂
不毀の極槍がアキレウスの脇腹からゆっくりと引き抜かれる。
ドゥ リ ン ダ ナ
だ﹂
﹁だからお前は此処で死ね、アキレウス。トロイアを救うには、お前という存在が目障り
644
これで戦いは終わる。わたしたちの戦いも。人類の未来も。何もかも。
││あぁ、でもやっぱり、これは何か違う気がした。
もう戦えないと、もう前に進めないと、弱いわたしは心の中で嗚咽を漏らし││でも、
それでも別のわたしは、心の中で叫び続けている。
諦めるなと。可能性を、未来を諦めてはいけないと。だってそれは、きっと続いてい
くモノだから。繋がれていくモノだから。過去の人たちから、未来の人たちへと。
それはきっと、このトロイアだって変わりはない。ヘクトールだって同じはずだ。
﹂
だから、諦めてはいけない。無意味だなんて、そんなこと言わせちゃだめなんだ。
気づけば、わたしはそれを使っていた。
倒れちゃダメだ、アキレウス││っ
!
ま再び火が灯る。
止まった。この身に纏う魔術礼装の力によって、切れかかっていた彼の戦闘続行に、い
想いは叫びとなった。その瞬間、踵を砕かれ、内臓を抉られてなおアキレウスが踏み
﹁〝騎士の誓い〟
!
﹁貴様、まだ倒れないのか⋮⋮ッ﹂
と判るほどに、彼の声音は喜悦に満ちていた。
苦しげに文句を言いながらも、アキレウスが口元に笑みを刻んだ。背中越しでもそう
﹁││ハ、病み上がりの怪我人に鞭を打つとか⋮⋮意外と図太いんだな、アンタ﹂
第29節:護国の残照
645
忌々しげに顔を歪めるヘクトールに、アキレウスが苦笑して言葉を返す。
﹁兄さんが駆け抜けた人生は、決して、無意味なんかじゃありません だって兄さん
││真っ向から、はっきりとヘクトールの言葉を否定した。
﹁無意味なんかじゃ、ありません﹂
その言葉に、カサンドラは迷いなく決然と頷き返し、
﹁あとは⋮⋮貴女が言ってやれ、王女﹂
方へと││カサンドラの方へと振り返った。
死体同然の顔色で血を吐きながらも不敵に笑い、アキレウスはふらりとわたしたちの
せぇくらい拗らせやがって⋮⋮﹂
﹁ようやく全部吐き出したみたいだな⋮⋮ったく、いい年したオッサンがよ、めんどく
646
﹂
﹁護りきった、だと⋮⋮
た
﹂
は、間違いなくこのトロイアを護ってくれました。アカイアから、護りきってくれまし
!
耐えてくれました。辛いのに、苦しいのに、いつも笑顔で頑張ってくれていた。兄さん
どんなに苦しくても、誰にも弱音を吐かず、誰も不安にさせないために、ずっとずっと
﹁兄さんはこの十年、アカイアから私たちを護りきってくれました。どんなに辛くても、
訝しげに眉をひそめるヘクトールに、カサンドラは続ける。
?
!
の笑顔がなければ、この国の人たちの心はとっくの昔に死んでいた。兄さんの笑顔が、
﹂
そんなもの│
みんなの笑顔を護ってくれていたんです。そんな兄さんは私の⋮⋮私たちトロイア全
員の誇りです
﹁誇りが⋮⋮誇りが、なんだという 誇りになんの意味がある⋮⋮
│﹂
!?
トロイアが燃やされ尽くそうとも消せない光です﹂
ク
トー
ル
﹁消せない⋮⋮光﹂
ヘ
!
その身に纏っている
﹂
誰かがきっと貴方に憧れ、貴方のようになりたいと思った。その証を、兄さ
んはいまも手にしている
!
きます
﹁だって護国の英雄の意志は、誇りは、ずっと語り継がれていきます
受け継がれてい
照です。アカイアに滅ぼされてなお、その残照だけは誰も侵すことはできません。例え
﹁意味ならあります。だってその誇りは、トロイアのみんなが、等しく胸に秘めていた残
?
!
だからこそ、涙をたたえてカサンドラは訴え続ける。苦しむ兄を、救いたいからこそ。
る。
彼は何かに耐えていた。その手を震わせ、必死に胸の中の何かを抑えようとしてい
妹のその言葉に、その想いに、ヘクトールが苦しそうに顔を歪めた。
!
!
﹁⋮⋮っ﹂
第29節:護国の残照
647
﹁兄さんは護れたんです トロイアの人たちが等しく心に秘めていた誇りを 光を
私たちは、トロイアは、アカイアに滅ぼされてなお屈しなかった
!
⋮⋮だから兄
!
!
﹂
!
だって私たちは、トロイアのみんなは、兄さんのことが大
!
い。
その涙は、全てヘクトールに向けられたモノだった。
俺が今度こそ、絶対にお前たちを護る⋮⋮
だからっ﹂
﹁⋮⋮やめろ⋮⋮いいんだ⋮⋮っ、お前たちが、俺を省みる必要なんかねぇ
としなくていいッ
そんなこ
トロイアの人々の頬は濡れている。それはきっと雨ではなく、悲哀の涙に他ならな
ヘクトールが茫然と周囲を見渡した。
好きだから⋮⋮
そう思っているはずです
さんが自分の誇りを穢そうとするなんて、そんなの、哀しいっ⋮⋮きっとみんなだって
さん、トロイアの為に人類史を滅ぼすなんて、そんなこと、しないでください⋮⋮っ、兄
!
!
の痛みは、きっとここにいる誰もが、彼と一緒に受けとめてくれるモノだから。
││でもそれはきっと、もう耐える必要なんてないモノだ。だってその苦しみは、そ
いた。
苦しさを飲み込んで、痛みを胸の内に留めて、それでもヘクトールは耐えようとして
血を吐くように、ヘクトールはその言葉を吐き出した。
!
!
648
﹁オジサン、もういいの
﹂
誰かが、泣きながらその想いを叫んだ。
誰かが、泣きながらその想いを訴えた
﹁お前が何もか背負う必要はねぇよヘクトール
﹂
﹂
﹂
お前たちを、不幸になど││﹂
!
!
僕たちはもう大丈夫ですから
誰かが、泣きながらその想いを伝えた。
﹁もういいんですヘクトールさん
!
﹁⋮⋮っ、だが、それでもっ⋮⋮それでも俺はッ
﹂
﹁不幸なんかじゃありません
﹁な、に││
!
!
!
⋮⋮馬鹿な、お前はこれから、自分がどんな目に遭うか
?
トロイアが滅びてしまえば、お前に待ち受けている運命は残酷
!?
で、悲劇で、救いなどなく⋮⋮っ﹂
知っているだろう
﹁不幸なんかじゃ、ない⋮⋮
ヘクトールが茫然とカサンドラの顔を見返した。その表情には困惑が浮かんでいる。
?
ロイアに生まれて不幸だったなんて思っている人は一人もいません。この国に生まれ
﹁たとえ滅びの運命に囚われていようと、この先に悲劇が待ち受けていようとも、このト
涙を零しながらも、カサンドラが兄へと優しげに微笑む。
﹁そんなことありません﹂
第29節:護国の残照
649
なければよかったなんて、そんなこと誰も思ってなんかいなんです。それは私だって例
外ではありません﹂
気づけば雨がやんでいた。暗雲はどこへいったのか、いつの間にか空から光が差して
いた。
その光が、この国を暖かく照らす。この国の人々を。ヘクトールを。カサンドラを。
﹂
!
陽の光のように明るい、心からの満面の笑みだった。
﹁本当に幸せだったから
その笑顔に偽りなど欠片もなく、翳りなど微塵もなく。誰の心をも照らすそれは││
﹁だって私は、このトロイアに生まれて、兄さんの妹に生まれて││﹂
カサンドラは指先で涙を拭い、自分の兄へと笑いかけた。
驚きにヘクトールが眼を見開いた。
は、一度だってないのだから﹂
までを、そして私の生きるこれからを否定しない。私は自分が不幸だなんて思ったこと
う。私の未来に、希望なんてないのかもしれない。││それでも、私は私が生きたこれ
が裂けても言えません。嫌なことはいっぱいあったし、きっとこれからもあるのでしょ
﹁辛くなかったと言えばもちろん嘘です。憎悪を懐かなかったなんて、そんなことは口
650
◇
幾度となく騎馬隊は交差し、激突し、その数を互いに半数ほどにまで減らしていた。
一騎討たれれば一騎討ち返し、それを何度となく繰り返した。
互いに持てる戦術の全てを曝け出し、互いの持ち得る戦術の全てを読み合い、鎬を削
り合った。
カエサルとイスカンダルの騎馬戦。一歩優勢だったのは意外にもカエサルの方だっ
た。
それはきっと僅か数日の差と言えど、兵たちとの間に育んだ連帯感の差ゆえだろう。
カエサルが編成した騎馬隊には、この数日で共に戦った兵たちが何人もいたのだ。
そのお蔭か、動きが僅かにイスカンダルの騎馬隊を凌駕した。
徐々にだが、互いに討ち合う兵の数に差が出始める。そして熾烈な駆け合いのその末
に、彼我の兵数に確たる差が生じていた。
あともう少しでイスカンダルの首級を獲れる。そうカエサルは確信し││││だが、
その瞬間はついに訪れた。
そう。トロイア軍の前衛が崩れ出したのだ。諸葛孔明の擬似サーヴァント、ロード・
﹁⋮⋮間に合わなかったか﹂
第29節:護国の残照
651
652
エルメロイ2世が指揮を執るアカイア軍の猛攻を前にして、戦線を支えきれなくなった
のだ。
まるで何処かで決定的な何かがあったからこその、その瞬間の訪れだった。あるいは
暗雲が消え去ったその瞬間、きっと運命は流転したのだ。
瓦解するように自軍の前衛が押し負けたその瞬間を、カエサルは己の眼に焼きつけ
た。
もう少しだった。だが届かなかった。カエサルはイスカンダルに勝てなかったのだ。
血が滲むほどの悔しさを口の中でいっぱいに噛み締めてから、カエサルは深々と嘆息
した。
無念である。けれど負けてなお、清々しい気持ちだった。
征服王イスカンダル。騎馬隊の指揮を執るその男の姿は、なんと勇ましく、なんと
雄々しいことか。なんと、鮮烈であることか。
自分が憧れた男は、こういう男だったのだ。
クロケア・モース
その男と戦で語り合えたという気がする。想いと魂をぶつけ合った。相対しながら
も、カエサルはイスカンダルと理解し合えただろう。
最後に一度だけ、騎馬隊が激突し合った。負けた腹いせ代わりに繰り出した黄 の 死
の一撃は、あっさりとキュプリオトの剣に弾かれる。
﹁次は負けぬぞ、征服王﹂
笑みと共にその台詞を吐き捨てて、イスカンダルの騎馬隊と馳せ違う。
そのまま馬首を巡らし、カエサルはトロイアの本隊の方へと騎馬隊を駆けさせた。
趨勢が決した以上、イスカンダルも深追いはして来なかった。そもそも彼我の騎馬隊
は既に余力が尽きかけている。馬も潰れつつあった。どちらも自軍の本隊と合流する
しか手はないだろう。 本隊の後列。本陣で指揮を執っていたトロイアの将のところまでカエサルは駆けた。
指揮を執っていた将が無念も露わな面持ちでそう告げた。
﹁カエサル殿⋮⋮すまぬ、力、及ばなかった⋮⋮﹂
騎馬から降りながら、それよりも、とカエサルは続け、
﹁それはこちらの台詞だ。間に合わなくて、すまなかった﹂
﹂
?
﹁わかった。だが、全軍が入城するには時間がかかる。足止めの部隊を残す必要がある
ように﹂
﹁よし、ならば全軍に伝達。後退して、速やかにトロイア城塞に入城。籠城の構えを取る
らといって、敵がそこから侵入できるわけではない﹂
﹁補修までは済んでいない。だが炎の障壁は問題なく復旧している。穴が空いているか
﹁聖剣で破壊された城壁の箇所の修復はどうなっている
第29節:護国の残照
653
が⋮⋮どうするつもりだ
﹂
?
それは私が││﹂
!
さて、とカエサルは思案した。殿軍は一千と決めたが、どの部隊に担当してもらうか、
その言葉に将は頷き、伝令を飛ばして各部隊への準備をさせた。
めをする﹂
らに幾ばくかの時間を稼げるはずだ。その隙に全軍、全力で後退だ。あとは殿軍が足止
守りを敷くだろう。その瞬間、崩れつつある前衛にも槍を一斉に投擲させろ。それでさ
﹁各部隊への指示を頼む。後衛に矢を一斉に敵へ射かけさせろ。敵はそれに対し、楯で
悔しげに手を握りしめ、それでも彼は、カエサルの意を汲んでくれた。
﹁⋮⋮っ、すまぬ、カエサル殿﹂
う﹂
とも。例えアカイアの猛将どもが束になってかかってきても、絶対に足止めしてみせよ
ばその責任は取らねばなるまい。⋮⋮なに、これでも英雄の身でな。多少の時間は稼ぐ
﹁敗因は貴公ではない。私だ。私が征服王を時間内に討ち取れなかったがゆえだ。なら
した。
覚悟を決めたような表情で言葉を続けようとしたトロイアの将を、カエサルは手で制
﹁カエサル殿⋮⋮
﹁千だな。殿軍の指揮は私が執ろう。それで必ず抑えてみせる﹂
654
と。
そこへ、カエサルの後ろに控えていた青年が微笑を浮かべて提案する。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
しい負傷兵の一千です﹂
・
・
・
・
﹁カエサル殿。殿軍にうってつけの部隊がありますよ。本陣後方で待機している消耗著
カエサルは言葉を詰まらせた。彼らの決死の覚悟を、昨日無為にしてしまったのだ。
﹁いや、だが、それは﹂
だというのに、また命を捨てさせるなど。
を使い潰してください。我々は貴方に報いたい﹂
﹁昨日集まった兵士たちは、元より死を覚悟しています。だからどうかカエサル殿、我々
私は勝てなかった。何を報いるという﹂
そう言ったカエサルに、青年はなおも涼やかな微笑をたたえて言葉を返す。
﹁バカな。君は何を言っている
?
それでも魂は屈しなかった﹂
ど屈しなかった。負けるかもしれないけれど、トロイアは滅びるかもしれないけれど、
することができたんです。だからそれは、紛れもない誉れです。俺たちはアカイアにな
しかった。一矢報いることができたのですから。⋮⋮俺たちでも、あのアカイアを圧倒
快でした。例えそれが一時の勝利であろうとも、我々はアカイアに打ち勝てて本当に嬉
﹁貴方の指揮と頼もしい英雄たちのお陰で、アカイアを散々に打ち破れたのは本当に痛
第29節:護国の残照
655
だから、そう続けながら、やはり青年は笑顔で言った。
普通ならばきょとんとされるような発言だったろう。けれど兵士たちは、首を傾げる
﹁お前たちは、紛れもないローマだ﹂
集めた一千の兵士たちへと、カエサルは告げる。
そうしてカエサルは、青年の進言を受け入れ昨日の一千を招集した。
モノは確かにあるぞ。未来に刻んだモノが、此処にあったぞ。
││ヘクトール、お前たちは負けてなどいなかったのだ。お前たちトロイアが護れた
き光を受け継がせたのだろう。
ならばきっと、この敗北にも意味はある。この敗北こそが、きっとローマへと誇り高
いまカエサルは、トロイアの中に、確かにローマを感じていた。
志だ。
後に彼らの子孫であるローマの人々が持ちえたモノ。ローマの人々に受け継がれた
その誇りは、その気高さは、カエサルのよく知るモノだった。
﹁⋮⋮お前は、愚かだ。自らの命を大切にできぬ者は愚物極まる。だが、それでも││﹂
││馬鹿が。カエサルは苦笑しながら吐き捨てた。
たちに、生きた証を下さい﹂
﹁最後まで、将軍の下で戦いたいんです。最後の最後まで、胸を張って戦い抜きたい。俺
656
こともなく決然と頷きを返してくれた。
﹁不 甲 斐 な い こ の 私 を 憎 ん で く れ。ト ロ イ ア に 勝 利 を も た ら す こ と は で き な か っ た。
⋮⋮だが、だからこそ最後の責務を果たす。一秒でも長くトロイアを存続させる為に、
﹂
諸君の命を再び私が預からせてもらう。私と共に殿軍を務め、味方の入城の時間を稼い
﹂
でくれ。お前たちは此処で、私と共に散ってくれ⋮⋮
﹁了解
!
カエサルは黄 の 死を頭上へ掲げ、力の限りに声を張り上げた。
クロケア・モース
ルも殿軍の一千も、誰一人として恐れてなどいなかった。
地響きと共に数万が突撃してくる光景は、土砂崩れめいた光景だった。けれどカエサ
幾ばくかの間を置いて、アカイア軍が猛追してくる。
トロイア軍が殿軍を残し、一斉に全速力で後退した。
そこへ矢による斉射が終わった瞬間、間髪入れず前衛が一斉に槍を投擲する。直後、
り、アカイア兵たちは楯を正面に掲げ、防御の姿勢を見せていた。
カエサルはトロイアの将に目配せし、後列に敵へと矢を射かけさせた。予測した通
声を揃えて、兵士たちが高らかに返事をした。
!
たちの子孫へとしかと受け継がれるであろう
ならば恐れるな
!
己を誇り、仲間を
﹁お前たちは生きている。生きた証を此処に刻む。そしてその証たる誇りは後世、お前
第29節:護国の残照
657
!
﹂
誇り、国を誇り、胸を張れぇッ
だッ
お前たちこそトロイアだッ
お前たちこそローマ
!
陣を切る。
﹂
!
そしてそれは未来へと続く。なればこそトロイアの敗北は敗北に非ず、紛れもない勝
のだ。
この風こそがトロイアの魂だ。栄光のローマへと受け継がれる、誇り高き魂の咆哮な
身をなおも熱く滾らせた。
突き進む。駆け抜ける。熱風を感じた。烈風がこの身を打つ。それが、カエサルの全
た武力を発揮し、寡兵でありながらアカイア兵たちを次々と薙ぎ倒していく。
一千の兵たちも熱狂的な咆哮を上げながらカエサルに続いた。一人一人が鬼神めい
るアカイアの英雄を、カエサルは一刀の下に斬り捨てる。
襲い来るアカイア兵を、咆哮を上げながら剣の一振りで十数人と斬り裂いた。肉迫す
数十倍の兵力差を、死の気迫を以って相手取る。
行した。
最早戦術も糞もない。一千の兵を従えて、カエサルはアカイア軍への決死の突撃を敢
﹁万軍など恐れるに値しないッ
さぁ、行くぞ。賽は投げられたッ
剣を猛然と振り下ろす。殿軍の一千が一斉に原野を駆け出した。カエサルもその先
!
!
!
658
利に他ならない。
だからこの疾走も敗北ではなく、確かな勝利へと続くのだ。
一千は熱狂の中にありながらも、カエサルの手足のように一丸となって戦い続けた。
一頭の巨大な魔物の如くアカイア軍へと襲いかかる。その焼けつくような気炎に、アカ
イア軍は恐怖さえ見せていた。
だがそもそもの数が違いすぎる。殿軍の兵は一人、また一人と見る見るうちに散って
いく。
胸中で彼らの死を悼みながら、彼らの奮闘を心から讃えながら、カエサルは戦い続け
た。
﹂
﹂
だが確実に殿軍の数も減っている。もう付き従う兵は二百人を切っていた。
軍は既に三千人以上薙ぎ倒していた。
叫んだ。叫びながら敵兵を斬り捨てる。襲い来るアカイア兵を、カエサルの率いる殿
﹁駆けろ、駆けろ、駆けろォッ
!
!
雨の如く殺到する投擲槍。隣に並び立っていた青年が、身を挺してカエサルを庇っ
り続ける。
力の限りに吼える。体中に突き立った矢など気にも留めない。走り続ける。剣を振
﹁うぅぉおおおおおおおおおおおおおおおォォッ
第29節:護国の残照
659
た。
青年の全身が幾本もの槍によって貫かれる。その体が無残なまでに血に染まる。
決して屈しない、燃え盛る焔。滅びてなお消せぬ輝き。それこそがトロイアの志であ
意志を繋ぐ。入城を終えたトロイア兵たちへと意志を示す。
エサルと共に在るのだ。
それでも一千の魂は││││いや、この戦いで散っていったトロイア兵たちの魂はカ
りを胸に、最期の最期まで勇敢に戦い抜いたのだ。
もう、カエサルの周りに味方は誰もいなかった。もう全員が例外なく逝ったのだ。誇
同時に三つ刎ね飛ばす。
肚の底から込み上げてきた憤怒を剣に乗せる。音速を超えた黄 の 死は、敵将の首を
クロケア・モース
涙を堪えてカエサルは迷いを断ち切った。青年にはもう眼もくれなかった。
﹁⋮⋮っ﹂
││止まらないでください。
くずおれながら、青年が穏やかな眼差しを以って微笑んだ。口元が微かに動く。
た。
眼を見開く。咄嗟に足が止まりそうになる。カエサルは彼の体を抱き止めようとし
﹁ぁ││││﹂
660
り、ローマであると││
ラ
ラ
ラ
ラ
ラ
イッ
のカエサルに逃げるように道を空ける。
アァァァ
││馬鹿が。だが、それもまたローマだ。
ていることだろう。
クロケア・モース
えて彼はカエサルの前に再び姿を見せたのだ。諸葛孔明は今頃、顔に手を被せて苦笑し
ところ、もうイスカンダルが前に出てくる必要など欠片もないのだ。だというのに、敢
既にカエサルは致命傷を負っている。あと一刻と持たずに消滅するだろう。つまる
カエサルはニヤリと笑った。眼の前の光景が心底おかしかったのだ。
突っ込んできた。
巨大なる黒馬、ブケファラスを駆る征服王が、カエサルの気迫に劣らぬ咆哮を以って
!!
だが一騎││
﹂
群がる敵兵の全てを薙ぎ倒して進み続ける。アカイア兵は怯んでいた。たった一騎
かった。
投擲された槍が肩と腹に突き刺さる。それでもカエサルは少しもその疾走を緩めな
し、その勢いのままに敵将を二人斬り捨てた。
吼 え た。走 る。敵 兵 を さ ら に 斬 り 殺 す。迫 り く る 剣 と 槍 を 黄 の 死 の 一 振 り で 粉 砕
!
﹁AAAALaLaLaLaLaie││││││
第29節:護国の残照
661
カエサルは思ってしまったのだ。きっとイスカンダルもだ。
互いに面白いと思っている。この熱を。この風を。命が燃え盛るこの瞬間が、至高の
刹那であると思ってしまったのだ。ならば止まれるはずがなかった。最後まで戦わず
にはいられない││
騎討ち。一瞬の交差││
これが最後の勝負だ。これが決着の瞬間だ。この戦を締めくくる正真正銘最後の一
互いにもう、眼前の男しか視界に入っていなかった。
!
る。
キュプリオトの剣。閃くそれが、カエサルは自身の首に食い込む瞬間を眼にした。
だ。 黄 の 死は寸前でイスカンダルの首を逸れていた。
クロケア・モース
虚空を斬った。嘶きと共にブケファラスがその身を滑るような動きで屈めていたの
剣速はカエサルがイスカンダルのそれを凌駕した。獲れる。
霊を以って黄 の 死で即応する。
クロケア・モース
飛びかかったカエサルを返り討ちにせんと、イスカンダルが轟然と振り被ったのだ。全
余 力 の 全 て を 使 い 潰 し て カ エ サ ル は 跳 躍 し た。同 時 に キ ュ プ リ オ ト の 剣 が 閃 い た。
﹁来た、見た││勝ぁつッ
﹂
眼前の大英雄に掛け値なしの敬意を込めて、カエサルは己の全てをただ一刀に乗せ
!
!
662
視界が黒く塗り潰される。
負けた。けれど最後まで屈せず戦い抜いた。ならばそれはやはり、勝利なのだ。
この敗北はローマへと続く、世界へと続くトロイアの勝利に他ならない。
││あぁ、此度もまた、心躍る戦であったな⋮⋮。
﹂
最期に心の中でそう呟き、カエサルは満足げな笑みを口元に刻みながら消滅した。
◇
﹁幸せ、だった⋮⋮
嫌なことが多少あっても、否定なんてできるはずがあり
?
いうなら言ってみなさい、もう一人の私﹂
ません。⋮⋮それに幸せだったと思っているのは、そちらの私も同じはずです。違うと
人が私の兄さんなんですよ
かい国で生まれ育って、こんなに温かい人たちに囲まれて日々を営み、とっても素敵な
﹁ええ、嘘なんかじゃありませんよ。嘘であるはずがありません。だって、こんなにも温
茫然と呟いたヘクトールに、カサンドラがはっきりと頷き返す。
?
まっすぐな視線を向けられて、アヴェンジャーが動揺と共に言い淀んだ。
﹁それ、は⋮⋮﹂
第29節:護国の残照
663
﹁答えて。どうなの
﹂
貴いモノだったよ
でもっ
﹂
!
・
・
アヴェンジャー
他ならぬアカイアに焼き尽くされた
!
だから、復讐し
!
﹂
ないとダメなんじゃない 兄さんが護りたかったモノを、今度こそ護らなきゃ⋮⋮
・
﹁でもその幸せは奪われた
・
かけがえのない
私が兄さんやみんなと一
緒にこの国で過ごした日々が、不幸なわけがない 幸せだったよ
モノだったよ
!
!
﹁なんて、そんなこと⋮⋮言えるわけないじゃない⋮⋮っ
たじろぐアヴェンジャーは、やがてぽつりとそう呟き││││けれど、
﹁⋮⋮⋮⋮幸せじゃ、なかった﹂
る。
沈 黙 は 認 め な い。そ う 言 わ ん ば か り に、カ サ ン ド ラ が な お も 自分自身 を 鋭 く 見 据 え
?
眼の端に涙を湛えながら、アヴェンジャーがアキレウスを睨みつける。
!
!
!
664
!
﹁兄さんは勇敢に戦った。トロイアは滅ぶけれど、それでも、未来へと繋いだモノが確か
はっとしたアヴェンジャーへと、カサンドラは諭すようになおも続ける。
いはずよ﹂
にもあるのだから。でもその復讐は、兄さんの誇りを穢してまでやるようなことじゃな
﹁⋮⋮アカイアを許せないという貴女の想いを、私は否定しないよ。その憎悪は私の中
!
にある。だからこそ、未来の人たちは兄さんのことを讃えてくれた。護国の英雄として
語り継いでくれた。トロイアのことを、憶えてくれていた。だから復讐は、兄さんが未
来へと刻んだモノを否定してまでやることじゃない。ううん、やっちゃいけないことな
んだよ﹂
アヴェンジャーが崩れ落ちる。
﹁ぁ││﹂
﹁なん、で、私⋮⋮そんな、ことも⋮⋮﹂
放心して俯く彼女は、うわ言のようにその悔恨を口から零した。
カサンドラはヘクトールへと向き直る。
ないから。兄さんが未来へ繋いだモノには、貴い輝きがあると信じているから。だから
﹁私たちはトロイアの滅びを受け入れます。私たちが大好きな兄さんの誇りを穢したく
兄さん、いままで護ってくれてありがとう。私たちは、もう大丈夫です﹂
﹂
?
恐る恐る問いかけてきた兄へと、カサンドラは笑顔で告げた。
﹁はい﹂
﹁お前は⋮⋮幸せ、だったのか⋮⋮
長い無言の末に、ヘクトールは口を開き、
﹁⋮⋮⋮⋮カサンドラ、お前は﹂
第29節:護国の残照
665
﹁そうか││﹂
呟いたヘクトールの頬を、不意に涙が伝った。
いつか、アヴェンジャーはヘクトールに言った。自分の生には、意味も価値もなかっ
たのだと。
だからこそヘクトールも思った。妹に救いを与えてやらねばならないと。それこそ
が兄としての務めだと。それは世界の全てを敵に回してでもやらねばならないと。そ
の為なら最低の悪で構わないと、そう思い定めていた。
けれどカサンドラは、幸せだったと言ってくれた。辛いことがあっても、嫌なことが
多少あっても、それを否定できるはずがないと。
多少。そんなはずがないというのに、カサンドラは事もなげに笑顔でそう言ってのけ
たのだ。
何があっても、そんな程度で陰るような人生ではなかったと、そう言ってくれたのだ。
ならばその生には、きっと意味も価値もあったのだ。太陽の光よりも明るく貴い、黄
も
う
一
人
の
妹
金の輝きがあったのだ。
アヴェンジャーも、いまならそれを否定すまい。
震えた声で、ヘクトールは安堵の言葉を口から零した。
﹁││││あぁ⋮⋮よかった。本当に⋮⋮っ、よかった⋮⋮﹂
666
そう。ヘクトールはいま、救われたのだ。だってそもそも、彼は妹こそを誰よりも救
いたかったのだから。
願いは、最初から叶っていたのだ││
﹁⋮⋮兄さん、もう終わりにしましょう﹂
カサンドラのその言葉に、けれどヘクトールは涙を拭って頭を振った。
﹁⋮⋮それはできない。これは俺が始めたことなんだ。外ではまだ、カエサルたちがト
ロイアの為に戦ってくれているだろう。いまさら降りる訳にはいかない﹂
ヘクトールを見上げて、アヴェンジャーが力なく言った。
﹁兄さん⋮⋮他の方たちとのパスは、先ほど途切れました⋮⋮みんな、もう⋮⋮﹂
途中で掌を返すわけにはいかない。それは彼らへの裏切りとなる。俺には最後の瞬間
﹁⋮⋮そうか。だが、だとしてもだ。トロイアを救おうと戦ってくれた彼らの為に、俺が
ドゥ リ ン ダ ナ
まで、全力で戦う義務があるだろう。だから││﹂
そう言ってヘクトールは不毀の極槍を構え直し、アキレウスを鋭い視線で見据えて告
げる。
・
・
・
・
・
﹁ヘクトール、投擲で勝負だ﹂
・
それを受けて、瀕死寸前のアキレウスは堂々と不敵に笑ってみせた。そして、
﹁俺を止めたければ、お前が俺を倒せ﹂
第29節:護国の残照
667
そんな、とんでもないことを口走った。
投擲で俺に勝てるとでも
宝具の域に到達していないお前の
周囲にいた誰もが耳を疑った。それはヘクトールとて例外ではない。
﹁⋮⋮それは正気か
投擲で﹂
?
そだ﹂
?
﹂
?
在り方が、俺は少し羨ましい﹂
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
ドゥ リ ン ダ ナ
投擲による勝負、まさか受けないのか
﹂
?
くへと放り投げた。
その挑発を受け取って、ヘクトールもまたニヤリと笑う。そして不毀の極槍を頭上高
﹁そりゃどうも。で、どうするつもりだ
?
﹁⋮⋮お前は本当に、腹が立つくらいに英雄らしいな。││だがその真っ直ぐなまでの
ともすれば支離滅裂な言葉を口にした彼へと、ヘクトールは苦笑を返す。
ニヤリと笑ってアキレウスはそう告げた。
ろう
らもし投擲で俺がアンタに勝ったならば、アンタも潔く負けを認めるしかない。そうだ
・
﹁投擲はアンタの最強だ。そして投擲では、流石の俺もアンタには敵わねぇ。││だか
﹁だからこそだと
﹂
﹁思っちゃいねぇさ。こと投擲に関しちゃ、俺もアンタの後塵を拝する。だが、だからこ
?
668
・
・
・
・
﹁人類史上最強かどうかはともかくとしてな⋮⋮オジサンはこのトロイア戦争で、投擲
﹂
同士の勝負で誰かに後れを取ったことはねぇ。なんで││打ち砕けるものならやって
みなッ
びる。
円を描いて落下してきた愛槍を投擲の構えで掴み直し、ヘクトールの右肘が爆炎を帯
!
﹂
!
受け流す。
クトールを真っ向から打倒するのみである。それでこの男は今度こそ納得できるだろ
けれどいまは、その必要もない。カサンドラは想いを伝えた。だからこそ、あとはヘ
過ぎると自制してきた。
以外、何人も防げなかった究極の投擲に。だが蒼天囲みし小世界なしで挑むのは無謀が
ア キ レ ウ ス・ コ ス モ ス
ずっとヘクトールの不毀の極槍に真っ向から挑みたいと思っていたのだ。アイアス
ドゥ リ ン ダ ナ
いた。いまにも意識が飛びそうですらある。それでもアキレウスは笑ってその苦痛を
踵は激痛を訴え続けている。抉られたせいで内臓は小気味いいくらいに攪拌されて
も、彼らの射線上から退避した。
啖呵を切りながらアキレウスは後退し、助走に必要な分の間合いを取る。周囲の人々
タの投擲を凌駕する⋮⋮
﹁ハ、ようやく調子が戻ってきたみたいだなオッサン。ならばいまこそ、俺の投擲でアン
第29節:護国の残照
669
う。
この一投に命を賭ける。余力の全てを振り絞る。でなければヘクトールの投擲は超
えられない。痛みを気にしている暇などありはしない。
﹂
!
﹂
!
全身全霊の力を込めて。
そして、裂帛の気合いを以って。
擲の為の力に変換し、己が愛槍をヘクトール目がけて振り被る。
アキレウスが疾駆する。その助走によって爆発的なまでに高まった勢いの全てを投
﹁奔れ、宙駆ける││﹂
ディアトレコーン
を捻る。
アキレウスへと狙いを定めたヘクトールが、いっぱいまで引き絞られた弓の如くに体
﹁標的確認。方位角固定││﹂
パリスが、二人のカサンドラが見守る中で、両者がまったく同時に動きを見せた。
立ち昇る灼熱の如き闘志に空気がひりつく。トロイアの人々が、カルデアの少女が、
﹁おうッ
﹁決着をつけるぞ、アキレウス││
﹁我が名はアキレウス。英雄ペーレウスが子﹂
﹁我が名はヘクトール。トロイア王、プリアモスが子﹂
670
﹂
己の誇りの全てを賭して。
アステール・ロンケーイ
﹁││ 星 の 穂 先 ィッ
﹂
二つの彗星が同時に迸った││
ドゥリンダナ・ピルム
﹁││不毀の極槍ゥッ
!
だがこの勝負。結果は語るまでもないだろう。
宙 駆 け る 星 の 穂 先が食らいつく。
ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ
対 軍 宝 具 と 呼 べ る ほ ど の 領 域 に 足 を 踏 み 入 れ た。 不毀の極槍 を 相 手 に
ドゥ リ ン ダ ナ
拮抗は続く。こと此処に到り││いや、いまこの瞬間だからこそアキレウスの投擲は
て鬩ぎ合う。その余波で世界が揺れた。大地が悲鳴を上げて罅割れる。
二本の槍が真正面から拮抗する。火花と稲妻をまき散らしながら互いを滅さんとし
それは天空より降り注ぐ雷霆の如く。
それは天空より降り注ぐ隕石の如く。
伴って、二本の槍が虚空を轟然と駆け抜ける。
だ が 捨 て 身 の 投 擲 が も た ら し た 威 力 は 冠 絶 し て い た。空 気 が 軋 む ほ ど の 衝 撃 波 を
た。
は跡形もなく砕け散り、アキレウスの右腕もまた、二度とは使い物にならなくなってい
それは正しく鬼神の一投だっただろう。槍が投げ放たれた瞬間にヘクトールの右腕
!
!
第29節:護国の残照
671
672
アキレウスの投擲ではヘクトールの投擲に及ばない。対軍宝具の領域に足を踏み入
れた程度では勝てはしない。
無論、アキレウスの投擲が弱いわけではない。トロイア戦争において、間違いなくヘ
クトールに次ぐ威力を誇るだろう。
だがヘクトールの投擲は、彼の究極の一に他ならない。投擲において最強足り得ぬア
キレウスのそれでは、どう足掻いても勝てはしないのだ。
そも拮抗していることこそが奇跡だった。カサンドラの想いを背負い、死力を尽くし
たからこその拮抗だ。
それがアキレウスの限界だ。ヘクトールの投擲を超えるには到らない。
ゆえにこの勝負。間違いなくヘクトールが勝つ。
ドゥ リ ン ダ ナ
││そのはずだった。
不意に不毀の極槍の穂先に罅が入った。亀裂が走ったその音は、不思議と誰の耳にも
届いていた。
・
・
・
・
・
・
その現象にヘクトールこそが誰より愕然とし││││だが彼は、得心したかのように
苦笑した。
││そうか。最後の最後で、アンタが立ち塞がったか、クランの猛犬。
つまるところ、二日前の戦いはどこまでも引き分けだったのだ。
ドゥ リ ン ダ ナ
クー・フーリンが、自らの愛槍の耐久値を不毀の極槍によって削り切られていたよう
に。
ゴッド・フォース
ヘクトールの愛槍もまた、その耐久値をゲイボルクによって削り切られていたのだろ
う。
ドゥ リ ン ダ ナ
ディアトレコーン・アステール・ロンケーン
クー・フーリンのゲイボルクが呂布の軍神五兵と打ち合い罅が入ったように。
ヘクトールの不毀の極槍もまた、ここに来て宙 駆 け る 星 の 穂 先と衝突したことで
限界が来てしまったのだ。
如何な名槍や魔槍といえど、いずれ折れるが必定だ。そんなこと、ヘクトールは最初
ドゥ リ ン ダ ナ
から弁えていた。だからそれを、彼は不思議とは思わなかった。
﹂
!
限って言えば勝算すらなかったはずだ。
この戦いに臨んだアキレウスの心に、打算など欠片もありはしないだろう。今回に
ろうな。
││きっとコイツは俺の宝具が限界だってこと、別に見抜いていたわけじゃねぇんだ
ヘクトールはその光景に、自然と微笑を浮かべていた。
砕きながら押し進む。
轟くアキレウスの叫びに呼応するかのように、彼の愛槍が不毀の極槍の穂先を徐々に
﹁往けぇええええええええええ││ッ
第29節:護国の残照
673
674
それでもアキレウスはヘクトールに投擲の勝負を挑んできた。勝てぬと理解してな
お、勝利のみを信じて愚直に前へと突き進んだ。
矛盾している。支離滅裂にもほどがある。とち狂ったような思考に違いない。
けれど、だからこその、この決着だとヘクトールは思った。
いつぞやの一騎討ちと同じだった。自分の優位などどうでもいい。不利であろうと
構わない。その眩しいまでの愚直さがアキレウスに勝利をもたらした。いや、アキレウ
ドゥ リ ン ダ ナ
ディアトレコーン・アステール・ロンケーン
ス自身が、その愚直さで自らの勝利を掴み取ったのだ。
ついに不毀の極槍が粉々に砕け散る。 宙 駆 け る 星 の 穂 先がその勢いのままに突き
進む。
迫りくる槍を避ける術は、ヘクトールにはない。避けようとも思わなかった。
││かくして、アキレウスが擲った彗星は、ヘクトールの心臓をその鎧ごと貫いた。
◇
槍に撃ち抜かれたヘクトールの体が後ろへ弾かれる。
多くの人々が二人の戦いを見守る中で、彼の体が背中から地面に叩きつけられた。そ
れは誰の眼にも、不思議と緩慢に見えていただろう。
苦痛にその表情が歪んだのは一瞬だった。血を吐きながらもヘクトールの口元に笑
みが浮かぶ。
その微笑は儚くもとても穏やかで、その瞳は静謐なまでに澄みきっていた。
彼が自身の敗北を受け入れたのだと、この場にいる誰もが自ずと悟った。
たく、凄い奴だよ、お前はさ⋮⋮﹂
﹁投擲で俺が負けるとはな。だが、負けは負けだな⋮⋮お前の勝ちだアキレウス。まっ
僅かに身を起こしながら、ヘクトールが右肩を押さえて蹲るアキレウスへと称賛を
送った。
﹂
﹁⋮⋮今度こそ、アンタとは二度とサシでは戦わんぞ⋮⋮っ﹂
﹁オジサンもだよ⋮⋮次に敵対したら、絶対に逃げるからな
﹁クソオヤジが﹂
﹂
!
?
﹁私、私⋮⋮っ﹂
た。
ヘクトールに駆け寄ったアヴェンジャーが、いまにも泣きそうになりながら声を上げ
﹁兄さん⋮⋮っ
フッ、と二人が揃って憎らしい笑みを浮かべ合う。
﹁青二才め﹂
第29節:護国の残照
675
﹁⋮⋮ありがとよ、カサンドラ。俺の我が儘に付き合ってくれて﹂
兄さんが、私の我が儘に付き合ってくれたんです⋮⋮っ。ごめん
!
﹂
?
カサンドラの方だった。
不意にヘクトールをそう呼んだのはアヴェンジャーではなく、この時代を生きている
﹁││兄さん﹂
で続けた。
泣きながら同じ言葉を繰り返すアヴェンジャーの頭を、ヘクトールは苦笑しながら撫
﹁⋮⋮やれやれ、しょうがねぇ妹だな﹂
﹁ごめ、ん、なさい⋮⋮っ、ごめん、なさい⋮⋮ッ﹂
抱きついて子供のように咽び泣く。
その言葉に、アヴェンジャーが堪えきれずに嗚咽を漏らした。血塗れのヘクトールに
﹁ぁ││﹂
だぜ
﹁なぁに、かわいい妹の頼みだからな。気にすんなよ。兄貴はいつだって、妹の味方なん
な手つきで撫でさする。
傍らで膝をついたアヴェンジャー。瞳の潤んだ妹の小さな頭を、ヘクトールは優しげ
なさい、兄さん⋮⋮っ﹂
﹁││っ、違います
676
彼女もまた、ヘクトールの傍らに佇んでいた。そのすぐ後ろには、パリスとカルデア
の少女の姿もある。
カサンドラは、なんと声をかけていいのかわからない。そんな曖昧な表情を浮かべて
いた。
兄の二度目の死は哀しくて、けれど二度目の死に追い込んだのは紛れもなく彼女自身
だ。
だから声をかける資格などないと、カサンドラはそう思ったのかもしれない。
見れば彼女は、唇を噛んで涙を堪えている。泣く資格すら自分にはないとでも言うか
のように。
陰で、俺は救われた。少しだけだが、俺は俺を許すことができたよ。俺が護れたモノを、
﹁カサンドラ⋮⋮迷惑をかけてすまなかった。それから、お前もありがとよ。お前のお
心から誇ることができるようになった﹂
その言葉に、カサンドラは安堵を懐いたように微笑した。
ううん、とカサンドラは頭を振った。
こんなに強かったんだな﹂
﹁⋮⋮お前のことは、俺がずっと護ってやらなきゃいけないと思っていた。でも、お前は
﹁大したことはしていません。兄を支えるのが、妹の当然の務めですから⋮⋮﹂
第29節:護国の残照
677
﹁そんなこと、ありません⋮⋮パリス兄さんが力を貸してくれて、カルデアの方々が私を
助けてくれたからです⋮⋮でなければ、きっと﹂
﹂
!
﹂
?
返ってきた声の頼もしさに、ヘクトールは安堵と誇らしさを感じて微笑した。
﹁はい
全うしろ。死ぬ最期の瞬間まで、この国の為に戦うんだ。いいな
はこの国を護れなかった俺のせいであり、お前のせいだ。だから最後まで、己が責務を
﹁如何なる理由があれ、お前はトロイアに戦争を持ち込んだ罪人だ。トロイアが滅ぶの
うに真摯に告げる。
震えた声で、けれど真摯なまでに弟は返事をしてきた。だからヘクトールも、同じよ
﹁はい﹂
﹁パリス﹂
ヘクトールは視線を移す。カサンドラのすぐ後ろへと。
を我慢して。
言葉は返ってこなかった。カサンドラはただ無言で頷いた。零れ落ちそうになる涙
﹁⋮⋮﹂
う。だからお前も自分を誇れ。お前は俺の自慢の妹なんだから﹂
﹁それでも戦うと決意したのはお前だろう。勇気を出して、前へと進んだのもお前だろ
678
﹁二回もアキレウスに殺されちまったんだ。後日、ちゃんと仇は取ってくれよ⋮⋮
﹂
?
ならば敵であるヘクトールが、わざわざ彼女に言葉を残す必要もないだろう。
アでの戦いを通して出した答えなのだろう。悩み抜いた末の決断なのだろう。
彼女の瞳には、哀しみと共に決意が秘められていた。それは多分、彼女がこのトロイ
それだけで充分だった。それだけで報われたモノもあるだろう。
ないのかと悩んでくれたのだ。
それでも、なお彼女は迷っていた。迷ってくれたのだ。どうにか全てが助かる方法は
た。
心優しい少女だ。彼女が抱えた大義を考えれば、トロイアは滅ぼされて然るべきだっ
くれていた。
であることなど関係なく、さらに言えば敵であることなど関係なく、それでも哀しんで
彼女もまた、ヘクトールの最期を悼んでくれていた。既に死んだ身││サーヴァント
無言のままじっと見つめ合う。
カルデアのマスター。彼女と視線が交わった。
ヘクトールはもう一度視線を移す。
掠れた声の返事と共に、頬を涙が零れ落ちた。
﹁はい⋮⋮っ﹂
第29節:護国の残照
679
680
意地で現界を保っていた肉体は限界が来ていた。消えつつあるヘクトールは、最後に
周囲を見渡した。
│ │ 多 く の 人 が い た。見 知 っ た 顔 が 幾 つ も あ る。ヘ ク ト ー ル が 愛 し た ト ロ イ ア の
人々だ。
彼らこそがヘクトールの護りたかったモノ。どれほどの重さの黄金と比してなお劣
らぬ宝物だ。
瞼を下ろして、ヘクトールは己の駆け抜けた人生を想起した。
辛いことは数多くあった。心が折れそうになったことも何度もあった。もう嫌だと、
もう逃げたいと、弱音を吐きそうになったこともあっただろう。
その度に護りたいモノを思い出して、自分自身を奮い立たせた。
絶望的な状況だからこそ不敵に笑い、民たちと将兵たちを安心させた。
⋮⋮結局は勝てなかった。負けてトロイアは滅ぼされた。
けれど、それでも残せたモノがあったのだ。それを彼らは、自分たちの誇りとしてく
れた。
滅んでなお、トロイアは未来へと刻んだモノがある。
││あぁ、そうだ。そうだったんだ。
やっと気づけた。ヘクトールもまた、答えを出せたのだ。
未来を救い、人類史を護る。
それこそが、この国が残した光を護ることに他ならない。
二度も敵対して、今更かもしれない。そんな権利はないかもしれない。それでも、ヘ
クトールは思った。
﹂
﹂
││願わくば次の召喚は、カルデアであってほしいと。彼女に自分を呼んでほしい
と。
﹁おじさん
﹂
﹁ヘクトールさん
﹁ヘクトール
!
から。
嬉しくて仕方がない。彼らはヘクトールのことを、こんなにも愛してくれていたのだ
ヘクトールを囲む誰もが、彼の為に泣いてくれていた。
涙ながらに自分を呼ぶ声に、ヘクトールは瞼を上げた。
!
!
最後に救いと答えを得て。
そうして、護国の英雄は。
ちの為に戦えて││││最高に幸せだったぜ⋮⋮﹂
﹁ありがとよ、皆。オジサンも、この国に生まれ育って⋮⋮お前たちと出逢えて、お前た
第29節:護国の残照
681
682
満面の笑みを浮かべてこの時代から去っていった││
第30節:Grand Order
ヘクトールが消え去り、アヴェンジャーは時間が止まったかのように固まっていた。
俯く彼女の表情は誰にも見えない。それでも地へと滴り落ちるその涙が、彼女の中に
ある哀しみをこれ以上なく表していた。
兄がいなくなった後の何もない空白を抱きしめたまま、その背中が微かに震える。
キレウスへと注がれる。
呪殺せんばかりの氷の視線は、傷と腕の痛みゆえに膝をつき、苦痛に表情を歪めるア
顔を上げた彼女のその表情は、凍てつくような冷たい怒りと憎悪に満ちていた。
でも、と。震え含んだ声音でそう続け、アヴェンジャーが幽鬼のように立ち上がる。
それは酷く空虚な嘆きであり、それゆえに悲痛なまでの後悔が滲み出ている。
の意味もちゃんと分かる⋮⋮﹂
﹁私が兄さんを傷つけた⋮⋮私が兄さんを苦しめた⋮⋮いまなら貴女が言っていた言葉
わたし
顔を伏せたまま、掠れたような声で不意にアヴェンジャーが呟いた。
﹁⋮⋮私が、間違っていた﹂
第30節:Grand Order
683
﹁私はその男が憎くて憎くて仕方がない⋮⋮私から兄さんを二度も奪ったアキレウスを
﹂
殺したくて堪らない。心の底から殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺した
くて仕方がない⋮⋮
!
カ サ ン ド ラ
﹂
私 は、貴 女 じ ゃ な い の か な ⋮⋮ カ サ ン ド ラ じ ゃ、な い の か な ⋮⋮ 前 に 貴 女 の
カサンドラは頭を振った。
言った通り、私は紛い物だったのかな⋮⋮
?
﹂
?
﹁でも貴女は⋮⋮⋮⋮〝アヴェンジャー〟でもあるんだよ⋮⋮﹂
﹁でも⋮⋮
﹁そんなことありません。貴女は私です。紛れもなくカサンドラです。でも⋮⋮﹂
?
⋮⋮
﹁ねぇ、最後に一つだけ教えて。どうして私は、貴女と同じ答えを出せなかったのかな
視線の先の自分自身に向けて言葉を紡ぐ。
恩讐に染められた表情がふと和らぐ。儚げに力ない微笑を浮かべ、アヴェンジャーは
アヴェンジャーの視線が自分自身へと向けられる。
無言を貫いていた。
り言い訳するつもりも跳ね除けるつもりも更々ない。そう言わんばかりに、彼は粛々と
アキレウスは何も答えない。彼女のその憎悪は甘んじて受け入れるしかない。元よ
﹁⋮⋮﹂
684
││サーヴァントのその精神性は、大なり小なり〝クラス〟の影響を受ける傾向があ
る。三騎士が比較的高潔な人格面が強調されるように、狂戦士がその狂気に身を委ねて
しまうように。
復讐者はきっと、その復讐心に囚われる。
して忘却することができない⋮⋮﹂
﹁貴女は確かに私だけど、アヴェンジャーなの⋮⋮貴女は自らの心に燻る憎悪の炎を、決
それが答えだった。カサンドラとアヴェンジャーの些細な違いであり、決定的な違
い。たった一つの致命的な差異。もしもアヴェンジャーがキャスターとして現界して
いたならば、きっと彼女もカサンドラと同じ答えを出せただろう。踏み止まることがで
きただろう。
﹁うん、納得できた⋮⋮でも、ごめんね 私⋮⋮止まれそうにないよ⋮⋮何もかも壊さ
その頬を、涙が零れ落ちる。
した。
あまりにも単純で、あまりにもちっぽけなその理由に、アヴェンジャーが悄然と自嘲
﹁⋮⋮そっか、そうだったんだ﹂
第30節:Grand Order
685
はもう止まれない。兄さんが未来に残したモノを、壊してしまうかもしれない⋮⋮っ﹂
ないと気が済まないよ⋮⋮せっかく気づけたのに、私も兄さんも納得できたのに⋮⋮私
?
686
止まれない。それはきっと仕方がないこと。カサンドラは胸を痛めながらそう思っ
た。
復讐は憎悪を連鎖させる悪いこと。理屈としては分かっている。それでも、感情は別
だ。
大切な人を殺されて、許せるわけがない。許せばいいというものでもない。許しては
いけないことだってあるはずだ。
カサンドラだって、決してアカイアを許したわけではない。力を貸してくれたとはい
え、悪い人ではなくむしろ好い人だと思いながらも、いまなおアキレウスに対して懐く
怨恨は捨てきれない。
それでもカサンドラが復讐を良しとしなかったのは、トロイアの為だ。ヘクトールの
為だ。
滅びてなお、残せたモノがある。だからこそ、この哀しみも苦しみも辛さも、なかっ
たことにしてはいけない。胸の内に抱えて先に進まなければならない。そういうこと
なのだ。
その選択は哀しくて苦しくて、とても辛い。いまにも嗚咽が零れてしまいそうになる
ほどに。
それでも、歯を食い縛って耐えなくてはならない。アヴェンジャーとして現界してい
るせいで、そうすることができない眼の前の自分自身の為にもだ。
だからカサンドラは、自分自身へとこう告げた。
﹂
﹁止まらなくていい﹂
﹁ぇ││
懐いたその怒りは当然のものだもの﹂
!
涙を流し続ける自分自身に頭を振って、カサンドラは笑いかけた。 ﹁でも⋮⋮それじゃ壊してしまう⋮⋮大切なモノを、何もかも⋮⋮
﹂
﹁貴女は、止まらなくてもいい。アカイアを許す必要なんてない。大切な人を殺されて
不安げな表情で困惑を見せた自分自身へと、カサンドラはなおも続ける。
?
﹂
!
た。
カサンドラの隣に並び立ち、パリスもまたもう一人の妹へと優しく微笑みかけてい
﹁││受け止めるのは、何もキミ自身だけじゃないからね﹂
茫然とするアヴェンジャー。そんな彼女へとさらに、
いんだよ。貴女の怒りは、憎悪は││私自身が受けとめる
﹁貴女に兄さんの残したモノは壊させない。だから安心して、全力でかかってきてもい
力強い意志を持って放たれたその言葉に、アヴェンジャーが驚きに眼を見開く。
﹁大丈夫。貴女は私が止めるから。止まれない貴女の代わりに、私が絶対に止めるから﹂
第30節:Grand Order
687
﹁ボクだってキミの兄貴なんだ。妹の尻拭い││あぁ、是非とも任せてくれ﹂
﹁⋮⋮いいわ。ぶつけてあげるわ。私の憎悪を、私の何もかもを
﹂
まなじりを決し、アヴェンジャーが眼の前の四人を鋭く見据える。
ち、躊躇いを捨て、自らの復讐心を肯定する。
そうして彼女は、自分自身に加え続けていた自制心という名の箍を壊した。迷いを断
カサンドラが手を差し伸べてそう告げた。その言葉に、アヴェンジャーも頷き返す。
﹁さぁ、始めましょう。本当に本当の、最後の戦いを﹂
﹁⋮⋮ありがとう、みんな﹂
笑んだ。
アヴェンジャーが涙に濡れた顔を両手で拭う。顔を上げて彼女は、救われたように微
﹁⋮⋮っ﹂
ように、無言のままアヴェンジャーへと頷いてみせる。
そうして最後に、カルデアの少女も彼らと共に並び立った。言葉など必要ないと言う
﹁だから来いよ。俺は逃げも隠れもしない。アンタの復讐、真正面から受けて立とう﹂
道理の外へと放り捨て、笑いながらカサンドラの隣に並び立つ。
アキレウスも歯を食いしばって立ち上がる。瀕死であることなど度外視し、限界など
﹁⋮⋮そもそも、オッサンを殺したのは俺だろう﹂
688
!
アヴェンジャーの掌の上に聖杯が現出し、光り輝いた。
瞬間、周囲の景色が忽然と切り替わっていた。気づけばトロイアの広場から、トロイ
アの城外の原野へと移り変わっている。聖杯の力で空間転移を行ったのだろう。
その移動に際して、彼我の間には大きな距離が作られていた。
聖杯を携えたまま浮遊して、アヴェンジャーは虚空より四人を見下ろしながら宣言す
る。
﹁血戦の時は来たれり 私はいまより貴女たちを殺す アカイアの英雄たちを一人
残らず死滅させる
!
だから││﹂
﹂
!
てくれると信じられたがゆえに。
だから迷わず、彼女は聖杯を自分の体内へと埋め込んだ。
!
大総裁、〝魔神ボティス〟
﹂
﹁これは我が怨恨、これは我が憎悪、これは我が恩讐││顕現せよッ、序列十七、地獄の
ヴェンジャーを包み込み、そのカラダをまったく別のモノへと変貌させる。
アヴェンジャーの肉体から立ち昇る黒く淀んだ瘴気の奔流。それは螺旋を描いてア
﹁聖杯よ⋮⋮我を供物として⋮⋮っ、此処に、彼の者を降臨させよ⋮⋮
﹂
その啖呵に、アヴェンジャーは満足げに微笑んだ。彼女たちなら、きっと自分を止め
!
!
﹁ええ、全力で私たちが、絶対に貴女を止めてみせる⋮⋮
第30節:Grand Order
689
!
その総体が見る見るうちに膨れ上がる。それは天へと聳える塔の如く。柱に浮かぶ
幾つもの赤い眼球が、地上の全てを睥睨する。
いま此処に巨大な漆黒の肉柱が││魔神柱ボティスが出現を果たした。
そのおぞましさに誰もが息を飲んだだろう。その醜悪な姿に誰もが恐れ慄いた。ト
ロイア兵を城の内部へと追いこんだアカイア兵たちも皆、手足を止めて魔神柱への視線
を逸らせずにいる。
そしてすぐさま、吐き気すら催すほどの魔力の発露を伴って、赤い眼球が一斉に妖し
く閃いた。
同時に、次に起こされる行動を予知していたカサンドラが両手を前へと突き出した。
自らの魔術によって防御障壁を瞬時に構築する。
その直後、誰も彼もの視界が赤一色に塗り潰される。
周囲一帯を焼き払う奈落の業火。それこそが魔神柱の〝焼却式〟だ。アカイア兵た
ちにそれを防ぐ手立てなどあるはずもなく、ただの一撃で多くの者が消し炭となって
散っただろう。
即 座 に 打 ち 鳴 ら さ れ る 退 却 の 鉦。こ の ま ま 此 処 に 留 ま れ ば ア カ イ ア 軍 は 全 滅 す る。
そう理解したイスカンダルと孔明の判断だった。
﹃未 来 は 閉 ざ さ れ た。世 界 は 閉 ざ さ れ た。お 前 た ち に 希 望 な ど な い。元 よ り 運 命 は 定
690
まっている。諦めよ││﹄
機械的に、感情無き声で魔神柱が告げた。焼却式を至近距離で喰らったカサンドラた
ちもまた、耐えられる道理など欠片もありはしないのだ。カサンドラが張った障壁程
度、難なく突破されたことだろう。
だが。
﹁││違う。運命は、決まってなんていない。諦めない限り、信じている限り、未来はど
こまでも続いていく﹂
カルデアのマスターである少女は無傷のまま、魔神柱にまったく怯むことなく言葉を
返した。
││凛然と佇む彼女の傍らには、旗を掲げる竜の魔女の姿が共に在った。
そう。確かにカサンドラの障壁だけでは到底焼却式は防げない。ゆえに彼女たちが
無事なのは、ジャンヌ・オルタのお陰である。
リ ュ ミ ノ ジ テ・ エ テ ル ネ ッ ル
ジャンヌ・オルタは〝自己改造〟によって、邪竜の旗の性能を一時的に本来の宝具で
ある〝我が神はここにありて〟へと無理やり近づけたのだ。
対魔力を物理防御に変換する本来のそれとはまた別の原理による護りだが、ともあれ
まったく、ギリギリで間に合ったからいいものを﹂
邪竜の旗による防御結界は焼却式を辛うじて防ぎきったのである。
﹁無事ね、マスターちゃん
?
第30節:Grand Order
691
!?
あと心配と
!?
﹁全力で駆けつけてきてくれてありがとう﹂
﹂
!
﹂
?
けれどアキレウスは重傷であり、ジャンヌ・オルタの消耗も少なくない。この場で十
た有象無象など、如何ほどのものでもないだろう。
英雄とは、そのおよそが一騎当千の武力を有している。本来であれば眼前に展開され
そのあまりの数に、ジャンヌ・オルタが無意識に不安を口にした。
﹁ちょっとこれ、流石にヤバくない⋮⋮
惜しみしていない。その結果が地を埋め尽くすほどの魔物の群れだ。
それは聖杯の魔力を利用した、怒濤なまでの連続召喚だった。聖杯の魔力を一切出し
の魔物までもが無尽蔵に湧き出してくる。
それだけには留まらず、ラミアやゴーレム、果てはゲイザーやデーモンといった上位
それはシャドウサーヴァントだ。それはスケルトンだ。それは竜牙兵だ。
瞬間、地よりありとあらゆるモノが這い出てきた。
魔神柱から再び発せられた厖大なまでの魔力が周囲へ伝う。
が指摘する前に、魔神柱が更なるアクションを起こしていた。
言葉の割には息も絶え絶えで肩を上下させるジャンヌ・オルタであるが、それを誰か
かまったくしてないから
﹁少しも全力じゃないですからね たまたま近くにいただけだからね
692
全に戦えるのはパリスのみだ。
だが魔物の軍勢の背後には、長距離からの攻撃手段を持つ魔神柱すら控えているの
だ。
悠久の時を超越し、
端的に言えば、あまりに分が悪い。この物量は到底捌ききれるものではないだろう。
未来を そして世界を救うべく
!
・
なたは己が大儀を果たすがいい
・
・
勝って未来を切り開くのだッ
﹂
!
ゆえにそ
!
ウェイバー
ど不要。視線の交差だけで互いが為すべきことを理解して、互いならば成し遂げられる
イスカンダルと孔 明が頷き合う。王と臣下のアイコンタクトは一瞬だった。言葉な
た。
イスカンダルのその言葉と同時に、孔明が軽やかにブケファラスの背中から飛び降り
!
﹁カルデアのマスターよ、およその雑魚共は余と余の軍勢が引き受けよう
・
き散らし、地を埋め尽くすほどの魔物の群れを諸共に異界へと攫っていく。
その呼びかけこそが合図となって、不意に一陣の熱風が吹き荒んだ。それは砂嵐を撒
サンドラたちの背後よりその大声を雄々しいまでに轟かせた。
キュプリオトの剣を天へと掲げ、孔明と共にブケファラスを駆るイスカンダルが、カ
!
そう。彼の王を除いては。
﹁││集えよ我が同胞ッ
!
﹂
我が許へと馳せ参じよッ
!
第30節:Grand Order
693
と信じ、それぞれの戦いへと赴くのだ。
そうしてイスカンダルと魔物の軍勢が、固有結界の中へと姿を消した。
魔神柱を結界に取り込まなかったのは、その総体が巨大過ぎるせいだろう。異界に取
アイオニオン・ヘタイロイ
り込む対象が大きければ、結界は数分程度しか維持できないのだ。
そして王 の 軍 勢が、魔神柱のような敵に対し相性が良くないのも理由の一つに違
いない。
アイオニオン・ヘタイロイ
魔神柱は驚異的なまでの再生能力を有している。生半な攻撃では瞬時にその肉体を
復元されて徒労に終わる。ゆえに個々の攻撃力が突出していない王 の 軍 勢では、魔
神柱に決定打を与えることができないのだ。
だからこその、イスカンダルの〝およその雑魚を引き受ける〟という言葉である。魔
神柱を打倒するのは、この場に残った者たちの役割に他ならないのだから。
なおも地より湧き出す数多の魔物。その数は先程よりも遥かに少ない。恐らくは魔
瞬間、再び魔神柱より魔力が周囲へと迸った。
舌打ちをしながら、孔明が忌々しげに魔神柱を睨みつけた。
ないようだな﹂
う。加えてライダーが魔神柱を完全に孤立させてくれた⋮⋮⋮⋮とは、残念ながら言え
﹁アカイア軍は下げた。これで全滅して人理が崩壊するなどという事態も起きないだろ
694
力以外の素材や憑代の方が足りなくなっているのだろう。
とはいえ、それでも軍勢と呼べるだけの規模はある。
﹂
苦笑しながらも、得心したように孔明が呟いた。
﹁なるほどな﹂
﹁どういうこと
﹂
?
・
・
・
・
・
・
?
ターよ﹂
﹁敵は強大だ。現状、勝ち目があるのかも微妙なところだ。││さて、ではその上でマス
り絶望的な状況と言わざるを得ないだろう。
ただでさえ厄介で強力な魔神柱に、予知能力が備わっている。それはともすれば、よ
﹁そんな⋮⋮﹂
ない﹂
代となっているのと合わせて考えれば、魔神柱がその力を引き継いでいると見て間違い
﹁正確に言えば、知っていたのだ。予知能力を持つアヴェンジャーがあのデカブツの憑
・
﹂
この期に及んで戦力を温存する意味などありはしない。あるとすればそれは││
後の決戦であるにも拘らずだ。それがどういう意味か解るか
﹁いいかマスター。あの魔神柱は魔物を召喚する余力を残していた。これが正真正銘最
?
﹁イスカンダルが、固有結界を発動するのを読んでいた⋮⋮
第30節:Grand Order
695
真摯な面持ちで、孔明が己のマスターをまっすぐ見据える。
多くの矛盾を抱えるかもしれない。その矛盾がいずれ自分自身を殺すかもしれない。
を孕みながらも、同時に多くの間違いをも孕んでいる。
この選択はきっと傲慢で、独善的なものでもあるのだろう。この選択は確かな正しさ
何かが聳え立っていようもと、その悉くを乗り越える。
だからやはり、未来は諦めない。これから先に何が立ちはだかろうと、想像を絶する
いのだ。
時に苦しみをも伴うけれど、それでも頑張っていくからこそ、それはきっと何よりも尊
誰かが紡いで、誰かが受け継ぎ、それもまた後の誰かへと繋がっていくのだ。それは
りたい。
自分だけではない。過去現在未来を生きる、多くの人たちが積み重ねてきたモノを護
それこそが、この特異点での戦いを通して改めて出した、彼女の答えだった。
﹁わたしは、いまここに宣言する。未来は、わたしが背負う﹂
決然たる言葉と共に、力強いまでの意志を以って顔を上げた。
﹁││わたしは、カルデアのマスターだ﹂
その言葉に一瞬だけ彼女は瞠目し、俯いて││
﹁君の選択を、君の〝答え〟を聞かせてくれ﹂
696
それを知ってなお、それでも彼女は戦うことを降りない。その道を往くと決めた。時
カタチ
に迷って、時に苦しんで、それでも歯を食いしばって前へと進むと。
だから彼女は、その決意を言葉にする。令呪が刻まれた右手を伸ばす。
未来へとその手を伸ばすように。
運命へと抗うように。
ただ、前へと││
﹁カルデアの最後のマスターが、令呪を以って我がサーヴァントたちに命じる﹂
この場に居合わせたジャンヌ・オルタと孔明が、己のマスターの言葉に黙然とその耳
を傾ける。
いまこの場にいないエミヤやマシュも、そしてカルデアからこの戦いを見届けている
全ての仲間たちも、息を呑んで彼女の声にその耳を傾ける。
そうして、彼女は確たる意志を以って。
﹁⋮⋮まったく、それはお世辞にも効率のいい令呪の使い方とは呼べないな﹂
褪せる。
サーヴァントたちへと想いを伝えた二画目の令呪の赤い紋様が、その役目を終えて色
此処に、Grand Orderを示した。
﹁〝││勝て。そして未来を取り戻せ〟﹂
第30節:Grand Order
697
﹂
孔明が苦笑を零した。けれど苦言を呈しながらも、その笑みは満更でもなさそうだっ
た。
﹁でもこういう令呪の使い方って、カッコイイと思わない
るぞ。いま此処にいない他の者たちの分まで、我々で取りを飾るとしよう﹂
﹂
﹁ええ、最高に頭のイイ戦い方って奴を見せてあげましょう﹂
﹂
﹁ちなみに、お前の言う最高に頭のいい戦い方というのは
﹁ひたすら全力でぶん殴る
﹁ああ、もうお前はそれでいい。頭脳労働は私の担当だ﹂
?
!
?
頭脳動労担当の軍師殿、どうすりゃあのデカブツに勝てるんだ
?
い。
なかった彼はいま現在素手である。が、徒手空拳であろうとその戦意に翳りはないらし
アキレウスが指をパキポキと鳴らしながら問いを投げた。自分の槍を回収する暇も
﹁││それで
﹂
﹁私も男だからな。⋮⋮さて、御託はここまでだ。そろそろマスターの無茶ぶりに応じ
﹁へえ、意外と軍師殿ってバカなのね﹂
﹁フッ、どうせなら三画全部費やすべきだったな。私ならそうした﹂
べる。
邪竜の旗を肩に背負いながらそう言って、ジャンヌ・オルタも愉快そうに笑みを浮か
?
698
傷の方も最低限、カサンドラが癒していたようだ。完治までとはいかないし、踵も治
せてはいなかった。それでも〝戦闘続行〟を有する彼ならば、それで充分戦闘に参加で
きるだろう。
魔神柱はいまなお魔物の召喚に勤しんでいる。出現してくる数は依然としてさっき
よりも少ないが、着実にその数を増していた。戦力が整えば、いよいよ一斉に攻撃を仕
掛けてくるだろう。その間に孔明たちは、魔神柱を打倒する術を見出さなければならな
い。
視線を向けられたカサンドラが、孔明に頷きを返す。
﹁魔神柱の未来予知に対抗するには、貴女の力が必要だ﹂
﹂
?
﹁できるでしょうか⋮⋮
私の予知は、パリス兄さんにしか⋮⋮﹂
カサンドラが自信なくその表情を曇らせる。
?
奴の予知を凌駕する﹂
だ。重要なのは観測した未来を基に、どう行動するかだ。貴女の予知に基づいた戦術で
﹁最善の未来が見えていようとも、その未来を手繰り寄せることができるかは別の問題
線ですよ
イアの光を護ることに他なりません。⋮⋮ですが、互いに未来予知を使うだけでは平行
﹁元よりそのつもりです。私も人類史を護る為に戦います。それこそが兄さんの、トロ
第30節:Grand Order
699
孔明は自分のマスターへと視線を移した。
﹂
?
﹁〝この魔神柱との決戦に限り、カサンドラが示す未来を信じて〟﹂
無言で孔明が頷いた。その行動が正解だと言うように。
再び右手を掲げ、彼女は孔明を見据えながら言葉を紡ぐ。
﹁最後の令呪を以って、諸葛孔明の擬似サーヴァント、ロード・エルメロイ2世に命じる﹂
ゆえにいま必要な一手とは、ここで最後のカードを切ることに他ならない。
即ちそれは、大軍師諸葛孔明をその身に宿す、ロード・エルメロイ2世のことである。
⋮⋮そんなことが可能な者がいるとすれば、心当たりは一人だけだった。
ならば別の誰かが、カサンドラの代わりに魔神柱の読みを凌駕しなくてはならない。
いで結局は予知能力を活かしきれない。
残念ながら、それはカサンドラには荷が重い。仮にできたところで、虚言の呪いのせ
そして幾重にも分岐する未来をも読み尽くす必要があるだろう。
それに対抗するには未来を予測する魔神柱の行動を読みきって、その十手先、二十手、
ではないが、ひとまず本能的に最善の未来を取捨選択してくるはずだ。
魔神柱ボティスは予知能力を備えている。その思考能力がどの程度のものかは定か
不意に問いかけられながらも、彼女はすぐに頷き返した。
﹁いま必要な一手が判るか
700
ニヤリと孔明が笑った。それは勝利を確信した笑みだった。
﹂
﹁││オーケー、マスター。これで条件は全て整った。視覚を繋いでくれ、カサンドラ。
ポ イ ボ ス・プ ロ フ ィ テ ィ ア
我が身に宿りし大軍師の頭脳を以って、魔神柱の描く未来を覆そう﹂
﹁わかりました。未来を貴方に託します。視覚共有││軌跡を示せ、未来を照らす光
一秒ほどで戦術プランを組み立てた孔明が、眼を開いて指示を出す。
孔明が眼を閉じて思考する。そして同時に、いよいよ魔物の軍勢が迫りくる。
ヴィジョンを観測することができるだろう。
孔明をほのかな光が包み込む。これによって彼も、カサンドラの予知による未来の
!
﹂
!
わたしたちの力を合わせて魔神柱を倒す⋮⋮
!
!
の采配なのだ。疑念を抱く余地などありはしない。
﹁行くよみんなっ
﹂
矢継ぎ早に下されたその指示に全員が異論なく頷いた。未来予知の力を得た大軍師
をして待機
予知を行いつつ後衛の護りに傾注だ。マスターはジャンヌ・オルタへのブーストの準備
ヌ・オルタを極力消耗させることなく魔神柱の前まで先導してくれ。カサンドラは未来
らまっすぐ魔神柱へと突っ込め。アキレウスはそれに先行し、彼女の護衛だ。ジャン
の後、道が閉ざされぬように矢を射かけ続けろ。ジャンヌ・オルタは全速力でその道か
﹁││パリス、初手はお前だ。宝具を開帳し、魔神柱までの一直線の道を作ってくれ。そ
第30節:Grand Order
701
﹃おうッ
﹄
﹂
!
ロ
イ
ア
ス
ポ
イ
ボ
ス
﹂
!
﹁││行くわよ。大ボスの首級はこの私がもらってあげるわ
﹂
だが一筋の道は問題なく切り拓かれた。あとはただ駆け抜けるのみである。
風穴は一秒も立たぬうちに塞がっていた。
無論、驚異的なまでの再生能力を誇る魔神柱に対しては効果がいま一つである。その
払い、それは魔神柱にすら風穴を穿つ。
光の如き一矢が魔物の只中を突き抜ける。射線上にいた敵の全てを僅か一瞬で薙ぎ
﹁彗星堕とす││││護国の閃珖ッ
ト
そうしてパリスは日輪の如く光り輝くその矢を、いま真名と共に弓から撃ち出す。
限に開放し、同時に魔力も最大解放だ。
意気揚々とパリスが弓へと矢を番える。己が身に宿った太陽神アポロンの力を最大
﹁それじゃあ開幕の一撃は、ボクが担わせてもらうよ⋮⋮
かけ声に対し、各々が頷きと共に決然と応答の声を張り上げた。
!
﹁遅れたら捨てていくわよ
﹂
﹁エスコートは任せな、ジャンヌ・オルタ﹂
みを浮かべて切り込んでいく。
邪竜の旗と漆黒の細剣をそれぞれ右手と左手に携えて、ジャンヌ・オルタが凶悪な笑
!
702
!
﹁││ハ、誰にモノを言ってやがる。踵が死んでようと、この俺こそが最速の英雄だッ
﹂
その全てが二人に触れることなく射殺された。
!
だがそれを今度は、二人に追従する無数の八卦炉が閃光を放って迎撃していく。
そうしてパリスの狙撃を掻い潜り、魔物の群れが二人へと押し寄せる。
らす敵は存在し、元々の数が厖大なれば、打ち漏らす敵の数もまた甚大となる。
パリスの放つ矢は無尽蔵だ。されど敵の魔物の数もまた無尽蔵。どうしても撃ち漏
貫いていく。
れ撃ちでありながら、同時に正確無比なる狙撃だった。一矢一矢が敵の急所を過たずに
後方よりパリスが間断なく矢を射続ける。瞬きの間すらない神速の連射。それは乱
﹁彼女たちの邪魔はさせない。道はボクが切り拓く⋮⋮
﹂
ずもない。スケルトンが、竜牙兵が、ラミアが、ゴーレムが彼女たちへと殺到し││
二人が競い合うように一筋の道を疾駆する。だが無論、魔物たちがそれを見過ごすは
不敵に笑ってアキレウスがジャンヌ・オルタの前へと躍り出た。
!
だがそれでも、仕留めきれぬ敵は数体いた。それらが矢の嵐と八卦炉の閃光を掻い潜
遠隔操作する八卦炉で魔物を焼き払いながら、不敵に孔明が笑みを浮かべる。
﹁軍師が後方で見ているだけだと思うなよ。我が身に宿りし諸葛孔明の力、刮目せよ﹂
第30節:Grand Order
703
り、やっとの思いで二人へと襲いかかり││
﹂
﹂
!
能に近い。防御にしても、それが間に合うかどうかさえも厳しいだろう。
││そう、通常ならば。
!
すぐさま展開された炎の障壁は、直後、魔神柱による空間爆破をピンポイントで防ぎ
咄嗟の指示に即応した。
孔明の言葉は念話としてジャンヌ・オルタの脳内へと叩き込まれ、彼女もまた味方の
﹃ジャンヌ・オルタ、左斜め15度から45度にかけて、炎による障壁を展開
﹄
魔神柱の邪視は空間を誘爆する。何処を爆破するか判らぬ以上、回避することは不可
業を煮やしたのか。ならば、と魔神柱がその巨体に蠢く眼を光らせた。
ジャンヌ・オルタ自身はいまだ無傷であり、欠片も消耗していない。
ジャンヌ・オルタのリードブロッカーとなって、アキレウスは戦いながら疾駆する。
先 生 直伝の格闘術を見せてやるよッ
ケイローン
脚が振るわれる度に風が唸った。拳が敵に触れる度に轟音が爆ぜるように響き渡る。
りで返り討ちとしていく。
殺到する魔物たちを悉くアキレウスが薙ぎ倒す。時に拳で、時に蹴りで、時に体当た
当然のように、アキレウスの音速の拳打によって粉砕された。
﹁オラァッ
!
﹁槍がねぇと戦えないとでも思ったか
?
704
きった。
魔神柱ボティスは未来予知の能力を持っている。
だがカサンドラとてそれは同じだ。そしてカサンドラは視覚を孔明と共有し、未来視
によって垣間見たヴィジョンをそのまま孔明へと伝達している。
ゆえにこその孔明の采配だ。
ロード・エルメロイ2世の頭脳は、諸葛孔明の頭脳は、魔神柱の遥かその上を行く。魔
神柱の行動の先の先の先すら完膚なきまでに見通していた。
﹄
﹂
り、ジャンヌ・オルタの消耗は必要最低限で済んでいる。
立て続けの空間爆破を、再び孔明はつぶさに指示を出して迎撃させる。その指示によ
﹃右斜め25度から55度、炎の障壁
!
!
がらの回し蹴りを左脇腹に目がけて繰り出した。
返事と共にアキレウスがギアを上げた。神速を以ってデーモンへと接近し、暴風さな
﹁あいよ﹂
﹃アキレウス、左側面から奴を攻めろ﹄
し、その巨腕を振り上げている。
走りながらアキレウスが声を張り上げた。一体のデーモンが猛然と真正面から肉迫
﹁オイ、ちょいと手強そうなのが来たぞっ
第30節:Grand Order
705
﹄
それは間髪のところで防御された。だがデーモンがたたらを踏んだその瞬間││
﹁ちょっと孔明
アンタ下手打ったんじゃないの
れる。そうだろう
││エミヤ
﹂
!
!
﹂
遥か後方から、黒い洋弓より解き放たれた魔剣が豪速を以って虚空を迸る。
﹁││偽・螺旋剣﹂
カ ラ ド・ ボ ル グ
無論だ。そう答える代わりに、赤い外套の弓兵は投影した宝具の真名を紡ぎ上げる。
背後へと振り返り、孔明がニヤリと笑いながらその声を張り上げた。
?
﹁案ずるな、そのまま真正面から突っ込め その道はいまより三秒後に再び切り拓か
応しきれていないのだ。
一筋の道がいまにも閉ざされようとしていた。多すぎる敵の数に、パリスの射撃が対
キレ気味にジャンヌ・オルタが怒鳴り散らす。
!?
二人の疾駆は止まらない。二人の疾走を阻める者は何人も存在しない││否、
ミングで放たれた影の槍が、呆気なくその頭蓋を貫いた。
たたらを踏んでいたデーモンに回避行動を取る余裕などありはしない。絶妙なタイ
て虚空より撃ち放つ。
孔明の指示に再び竜の魔女が即応する。魔力で編んだ呪いを物質化し、それを槍とし
﹃ジャンヌ・オルタ、左斜め32度、影の槍、射出
!
!?
706
そう。二度目の令呪で費やされた命令は、決して無駄などではなかったのだ。
激戦を終えてその疲労から倒れ伏していたサーヴァントに、僅かながらの余力を取り
戻させていたのだ。
﹂
空間を捩じ切りながら、螺旋剣が轟然と魔物の群れを吹き飛ばす。孔明の言葉通り、
一筋の道は再び此処に切り拓かれた。
﹁■■■■■■■■■■■■││││ッ
そのまま突っ込めッ
﹄
!
て││だがその寸前で孔明が力の限りに叫ぶ。
﹂
ジャンヌ・オルタは先程のように自己改造で邪竜の旗を結界宝具へと変質させうとし
のだ。
即ち、焼却式だ。開幕直後に放たれた奈落の業火。その二撃目のチャージが完了した
ルタも理解している。
幾つもの赤い眼球が一斉に輝く。それがなんの兆候を意味しているか、ジャンヌ・オ
魔神柱が激怒したようにその咆哮を轟かせる。
!!
これで死んだらあとでアンタ殺すからね
!?
!
は正しく、死に向かっての疾走だ。
敵の大技に対し、無防備のままジャンヌ・オルタとアキレウスが疾駆を続ける。それ
﹁ッ、信じるわよ
!?
﹃防御はいい無視しろッ
第30節:Grand Order
707
そしてついに再び焼却式が放たれる。周囲の空間全てを燃やし尽くすほどの爆炎が
咲き誇る。
それは先程よりもなお強力な一撃だ。辺り一帯を焦土にしかねないほどのものであ
る。
魔神柱の目前まで迫るジャンヌ・オルタたちどころか、その後方で支援するカサンド
ラたちまでをも確実に焼殺するほどの威力である。
だが当然。それは本当に無防備であればの話である。どれほどの業火を用意しよう
とも、突破できぬ楯があった。
ア
イ
ア
ス
﹂
即ちそれは、このトロイア戦争においてヘクトールの投擲を防いだ無敵の楯に他なら
ロ ー・
ない。
﹁熾天覆う七つの円環ッ
ろう。
ア
イ
ア
ス
る。防御対象が広くないこの宝具では、後衛の者たちまで護るのは流石に無理があるだ
だ が 熾天覆う七つの円環 で 護 り き れ る の は ジ ャ ン ヌ・オ ル タ と ア キ レ ウ ス の み で あ
ロ ー・
七枚の絶対の護りが二人を奈落の業火から護りきった。
の宝具を、ジャンヌ・オルタとアキレウスの前面へと展開したのだ。
右手を掲げ、凛然と己が宝具の真名を叫んだのはアイアスだった。遥か後方から自ら
!
708
であれば彼女たちに生き残る術などありはない。カサンドラの防御障壁だけではや
はり焼殺されるが定めである。
ロー
ド・
カ
ル
デ
ア
ス
﹂
そうして彼女たちに奈落の業火が押し寄せて││
﹁擬似展開/人理の礎ッ
それを見て、孔明がすぐに皆へと指示を飛ばす。
そうしてついに、ジャンヌ・オルタとアキレウスが魔神柱へと隣接した。
全てを遮断した。
最後に駆けつけてきたマシュ・キリエライトが、己がマスターを守護する為に爆炎の
人理を守る為の礎だ。
それこそは全ての疵、全ての怨恨を癒す白亜の城。そして未来を切り拓く力にして、
!
﹂
!
ない。
況ならばそれでも融通が利くが、一瞬一瞬が勝敗を別つほどの状況となればそうもいか
孔明が指示を出したのではどうしてもタイムラグが付き纏う。予め指示を出せる状
ヌ・オルタは一時的に〝直感〟のスキルを会得する。
返事と共に、彼女は魔術礼装の力を使用した。これによって発動対象であるジャン
﹁うんっ
﹁マスター、ジャンヌ・オルタに〝勝利への確信〟を発動だ﹂
第30節:Grand Order
709
けれど〝直感〟を得たいまのジャンヌ・オルタならば、それによって最適な展開を自
分の力だけで感じ取ることができるのだ。もう孔明が指示を出すまでもない。
アキレウスが全力で拳を魔神柱へと叩き込む。一呼吸の間に数え切れぬほどの拳打
を浴びせ、その巨体を浮き上がらせた。
そしてジャンヌ・オルタが空高くへと跳躍し、同時に〝自己改造〟によって自身の筋
力を最大限までブーストする。
魔神柱のような巨体が相手であれば、ローランのように避けられる心配などありはし
ない。
邪竜の旗を全力で彼女は振り被る。渾身の一撃が魔神柱の肉体をごっそりと吹き飛
ばす。
だがやはり、魔神柱の再生能力は常軌を逸している。巨体の三割を削り取られながら
﹂
も、刹那のうちに再生を終え││
﹁うらぁっ
即ち、その冠絶した攻撃力だ。魔神柱のような巨体にこそ、彼女の精度を犠牲にした
││ここに来て、ジャンヌ・オルタのその真価を最大限に発揮していた。
燃え上がる地獄の炎がその巨体を燃やしていく。破壊に再生が追いつかない。
間髪入れずに叩き込まれた邪竜の旗の二撃目が、なおも魔神柱の肉体を砕いていく。
!
710
破壊力重視の攻撃は会心の一撃となって轟くだろう。
﹂
魔神柱の異常的なまでの回復力を、ジャンヌ・オルタは異常的なまでの攻撃力で圧倒
していた。
﹁││向こうの戦況は
を撃滅しております﹂
ゴルディアス・ホイール
﹁戦術も統率もない、有象無象の魔性どもが我らに敵うはずもなし。既に敵の九割以上
固有結界内からイスカンダルの伝令として馳せ参じたミトリネスである。
優勢な戦況を油断なく見据えながら、孔明は傍らの青年と問いかけた。
?
ジャンヌ・オルタを八卦炉で護衛しつつ、盤上を眺める棋士の如く戦況を俯瞰しなが
﹁││さぁ、全ての準備は整った。私の宝具発動の為の準備もな﹂
無言で彼女は頷いた。心の中でカウントをスタートする。
﹁マスター、決めるぞ。二十秒後、ジャンヌ・オルタを全力でブーストだ﹂
戻っていったのだ。
ミトリネスが姿を消す。イスカンダルへと孔明の言葉を伝える為に固有結界内へと
﹁御意﹂
らに戻り、そのまま魔神柱に宝具を解放されたしと﹂
﹁流石だな。ならばもう充分だな。王に伝令を。十七秒後、神 威 の 車 輪に騎乗してこち
第30節:Grand Order
711
らも、並行して孔明はその術式を構築していたのだ。
﹂
突如、上空より飛来する幾つもの石柱。魔神柱を円形に囲むように大地へと突き刺さ
るそれこそが、諸葛孔明の宝具である。
かえらずのじん
﹁これぞ大軍師の究極陣地││石兵八陣
﹂
!
ゴルディアス・ホイール
﹂
かえらずのじん
石兵八陣の呪いと神 威 の 車 輪の雷撃によって、魔神柱はいまなおその動きを止めて
かえらずのじん
だ。
穿たれた風穴が閉じることもない。石兵八陣は魔神柱の再生能力さえも抑制したの
かえらずのじん
びながら、魔神柱の巨体を抉り散らして突き破った。
同然に神 威 の 車 輪による全力全開のチャージを決める。神牛は鮮烈なまでの雷霆を帯
ゴルディアス・ホイール
そこへ間髪入れず、固有結界内からこちらへと戻ってきたイスカンダルが、半ば奇襲
﹁遥かなる蹂躙制覇││ッ
ヴ ィ ア・エ ク ス プ グ ナ テ ィ オ
そして何より呪いによって、その巨体を豆腐同然に脆くした。
は麻痺し、その行動を完全に制限されている。
魔神柱は最早、眼球を蠢かせることすらできなかった。石兵八陣の呪いによって肉体
へと轟かせる。
陣地が形成した呪いによって、魔神柱が眼に見えて苦しみだした。その断末魔を天上
﹁■■■■■■■■■■■■││││ッ
!? !
712
いる。
﹂
!
最大最強の一撃で決着をつけるならばいまだった。
これで⋮⋮決めてぇっ
!
││まだよ。まだこんなものじゃない⋮⋮
サ
ン
ド
ラ
アヴェンジャーは、トロイアの人々が胸に懐いた憎悪の全てをその身に背負っていたの
カ
眼 前 の 魔 神 柱 こ そ が そ の 象 徴 と 言 っ て も い い。魔 神 柱 の 憑 代 と な っ た
得なかった想いだろう。
それは彼らが、トロイアの光を信じてなお、誤魔化しきれぬ負の感情だ。懐かざるを
の無念。
国を護れなかった、多くの兵士たちの無念。愛する人を喪った、いまも生きる女たち
││そう。この国には、この戦場には、多くの怨念が無念と共に渦巻いている。
全てをさらに魔力へと変換して焚きつけた。
赤黒く淀み、逆巻く銀河の如く煌めく細剣。ジャンヌ・オルタは自身と周囲の怨念の
!
になろうと、ジャンヌ・オルタは有りっ丈の魔力を己の細剣へと集わせる。
それによる負担など無視した。限界など知ったことではない。体中が裂けて血塗れ
て、竜の魔女は極限まで自身の力を振り絞る。
叫ぶ彼女の声はジャンヌ・オルタへと伝わった。一時的に得た〝魔力放出〟によっ
﹁ジャンヌ・オルタに〝魔力放出〟を付与
第30節:Grand Order
713
だろう。
││それを燃やし尽くし、清算することこそがこの戦いを終わらせる唯一の術。
アヴェンジャー
柄にもなくそう思ったからこそ、ジャンヌ・オルタは自身の全力を魔神柱へぶつける
ことを決意した。
﹂
!
それは紛れもなく復讐の炎でありながら。
それは地獄の具現のような光景でありながら。
柱の総体を貪り尽くし、その巨体を燃やし尽くす。
告げられた真名と共に、漆黒の細剣より復讐の炎が迸る。禍々しいまでの炎熱は魔神
﹁吼え立てよ、我が憤怒ッ
ラ・ グ ロ ン ド メ ン ト・ デ ュ・ ヘ イ ン
いま此処にジャンヌ・オルタの宝具は限界を超えて解き放たれる。
規格外なまでの魔力が復讐の炎を喚起する。この地に渦巻く怨念の全てを糧として、
囁かれた言葉もやはり、優しい少女の声だった。
﹁││私に、その身を委ねなさい﹂
それは魔女というよりは、どことなく聖女のような微笑みであり、
口元に刻んでいた邪悪な笑みがふと和らいだ。
ばしてあげるわ﹂
﹁⋮⋮カサンドラ。貴女たちのその憎悪、同じ竜の魔女たる私が完膚なきまでに吹き飛
714
されど、その炎には優しさが含まれていた。
それは確かな、浄化の炎だったのだ。
魔神柱が、塵一つ残さず消滅した。
決着の瞬間だった。
◇
戦いは終わった。
心地よい涼風がそよぐ原野を、エミヤはアイアスに支えられながら歩いていた。
もうすぐ時代の修正が始まり、元の時代への帰還となる。ならばカルデアの他のメン
バーたちと合流しておく必要があるだろう。
道中、エミヤは何度も苦悶の声を口から零した。
令呪によって余力が僅かに戻ったとはいえ、それは本当にほんの少しだけである。い
まのエミヤに宝具の投影は酷だったのだ。螺旋剣を撃った後、エミヤはその場で倒れて
﹂
しまったのだから。
?
﹁あぁ、なんとかね⋮⋮﹂
﹁大丈夫か
第30節:Grand Order
715
﹁嘘吐け、バカ﹂
﹂
アイアスが呆れたようにそんな暴言を吐き捨てた。
﹁おっと、ばれたか﹂
﹁なんだ、ついに強がる気力がなくなったのか
﹂
ちに、君に伝えておきたいことがある﹂
﹁なんだ
?
ディオメデスは負傷中に無理を重ね、今日の戦いに参加することができなかったの
アイアスが呆れたように苦笑する。
﹁それにしても、ディオメデスも締まらん奴だ﹂
し、後のマシュの勝利にも繋がったのだ。
の力を誇っていた。アレを破壊できたからこそ、エミヤはアルケイデスを撃退できた
アルケイデスの〝 戦 神 の 軍 帯 〟は軍神アレスの力を宿した宝具であり、絶大なまで
ゴッデス・オブ・ウォー
確かに、とアイアスが相槌を打つ。
ていなければ、我々はアルケイデスをどうすることもできなかっただろう﹂
﹁デ ィ オ メ デ ス へ の 伝 言 を 頼 む。感 謝 し て い る と。あ の 男 が 〝 戦 神 の 軍 帯 〟 を 破 壊 し
ゴッデス・オブ・ウォー
﹁まぁ、ようやく一息つけるというのもあるからね。⋮⋮それより、意識があるいまのう
素直に認めたエミヤがおかしかったのか、アイアスがクスリと笑ってそう尋ねた。
?
716
だ。アカイアとトロイアの戦争に決着がついたわけではないが、人理の修復の瞬間には
立ち会えなかった。
完全に蚊帳の外である。本人としても悔しい限りだろう。昨夜のヤケ酒は、きっとそ
﹂
?
んな悔しさの表れだったのかもしれない。
﹂
﹁言伝、承った。⋮⋮で、それはいいのだが、それだけなのか
﹁うん
それだけとはどういう意味だ
﹂
?
﹂
?
それが凛々しい女戦士の素顔だった。
その仕草は、なんともか細げな女性らしさを感じさせた。
アイアスが不満げに口を尖らせる。
﹁なんだ、そのついでみたいな言い草は⋮⋮﹂
﹁あぁ、いや無論、君にも感謝しているさ﹂
﹁だから⋮⋮私に対する言葉は、何もないのか⋮⋮
エミヤを支えて歩きながら、彼女は僅かに顔を赤くして上目遣いで続きを言う。
その追及に、彼女は観念したように深々と息を吐き出した。
?
首を傾げるエミヤへと、アイアスが恥ずかしそうに言い淀む。
﹁いや、だから、その⋮⋮﹂
?
﹁アイアス
第30節:Grand Order
717
自分自身を楯と公言するアイアスであるが、その素顔はやはりごく普通の女性だった
のだ。
?
﹁⋮⋮そうだな。バーサーカーじゃなければいいが﹂
私の気がいつ狂ったという
?
真実は言えない。言えるはずもなかった。言ったところで信じはしないだろうが。
不服そうに詰問してくるアイアスに、エミヤは言葉を濁して誤魔化してしまった。
﹁お前な⋮⋮私を侮辱しているのか
﹂
同じシールダーだろうな。楯持ちとして、私は一流の英雄だと自負している﹂
また共に戦おう。⋮⋮私がサーヴァントとして呼ばれるなら、きっとクラスはマシュと
﹁ああ、そうだな。いつか私も、カルデアとやらに呼ばれるかもしれんしな。その時は、
真摯に告げたその言葉に、アイアスが穏やかに微笑んだ。
﹁⋮⋮アイアス、またいつか会おう。君とは、またいつか会えるような気がする﹂
ならば、別れを惜しむより││
だって彼女は、エミヤのことを嫌ってなどいないということなのだから。
いなく喜ぶべきことなのだろう。
なぜこんなにも別れを惜しんでくれているのか判らなかったエミヤだが、それは間違
﹁うるさい。これで別れなのだから、何か言ってくれてもいいだろう⋮⋮﹂
﹁やれやれ、そんな顔をされると困ってしまうな⋮⋮﹂
718
いつの日か、彼女は発狂して自害する。自らの強さが味方の諸侯に認められてなどい
ないと思い至り、アカイアの為に戦うことの虚しさから己の首を貫いてしまうのだ。
それが、アイアスという英雄の末路である。
ここは過去ではあるが、特異点だ。しかも時代の修正はもうすぐ始まる。
何を言ったところで、何を忠告したところで意味などない。彼女が自害する結末は変
わらない。
﹁⋮⋮アイアス、君は優秀だ﹂
﹂
それでも、堪えきれずにエミヤは口を開いていた。
?
﹂
?
込み上げてきた言葉の全てを伝えてから、エミヤは自己嫌悪で歯を噛み潰しそうに
﹁誰に認められなくても、オレが君を認めている。それを忘れないでくれ⋮⋮﹂
﹁エミヤ
といって、死ぬんじゃないぞ﹂
﹁だからアイアス、あまり自暴自棄になどなるんじゃないぞ。誰かに認められないから
﹁いきなりそんなに褒めるな⋮⋮嬉しいけど、恥ずかしいだろう⋮⋮﹂
は本当に凄いんだ﹂
﹁アカイアの楯として、自分の意思で誰かを護れる君は、本当に立派だと思っている。君
﹁と、突然なんだ
第30節:Grand Order
719
なっていた。
こんな言葉に意味などない。彼女の結末が変わることもない。ただの自己満足でし
かなかった。
それでも、
思わず羨望を懐いてしまうような、凛々しさと麗しさを備えた女戦士。それがアイア
その後アイアスさんは、なぜか笑顔でエミヤに膝枕をしてあげていた。
きた。
気を失っているエミヤを抱っこして、アイアスさんがわたしたちのところへとやって
◇
途切れそうになる意識の中で、最後にエミヤはそう思った。
るかもしれない。そうあってくれればいい。
⋮⋮結末は決して変わらないだろう。それでも、もしかすれば、ささやかな変化はあ
﹁お前に認められて、私はとても嬉しいよ。他の誰の称賛よりも、ずっとな﹂
満面の笑みを浮かべて、アイアスは感謝の言葉を口にした。
﹁││ありがとう、エミヤ﹂
720
スさんへの印象だった。
みんなが戦ってる間にラブコメでもしていた
でもこの光景を眼にして、本当はとても女性らしい人なのだと思い至った。
⋮⋮ところでなんなのこの二人は
のだろうか。
て私たちの許へと戻ってきた。
それはそれとして、魔神柱の消滅を確認したジャンヌ・オルタも聖杯をその手に携え
んとのこの一件で修羅場になったりしないかな。
⋮⋮大丈夫かなエミヤ。最近オペレーターの人と仲良さそうだったけど、アイアスさ
はちゃんと向こうに届いているのではないだろうか。
そういえばカルデアとの通信は召喚サークル以外ではできなかったけれど、映像とか
?
頭おかしいでしょ今回の敵
?
げんなりとした面持ちで長々とそう言って、ジャンヌ・オルタは草の上へと寝ころん
の面子。第五特異点はパスよパス。他の面子で行ってよね﹂
は初めてのレイシフトだったけど、毎回こんな感じなの
﹁本当にお疲れさまよ。どいつもこいつも腹立つくらいに強い敵ばっかりだし。⋮⋮私
受け取って、お疲れさまと労いの言葉を笑顔で告げる。
ふらつきながら、ジャンヌ・オルタが黄金の杯をわたしに差し出す。
﹁はいマスターちゃん、聖杯よ﹂
第30節:Grand Order
721
だ。
⋮⋮これで小次郎以外、全員がこの場所に集まった。
孔明はイスカンダルと何やら神妙な顔で話し込んでいる。かと思えば、孔明が額にデ
コピンを浴びせられたり、孔明が子供っぽい仕草でイスカンダルの背中をポコポコと叩
いたりしている。
やったじゃねぇかオイ
﹂
⋮⋮余人が二人の間に入るべきではないだろう。二人の間には、言葉では言い表せぬ
モノがあるのだから。
﹁アルケイデスに勝ったんだって
!
はそうそうできんさ。俺はお前だからこそ勝てたんだと思ってる。だからお前は、これ
の大英雄を倒せたんだ。それは掛け値なしの偉業だぜ。同じ条件であろうと他の奴に
﹁ああ、そんなこと気にすんな。武具は壊れてなんぼだろ。それにどんな理由があれ、あ
にすみません⋮⋮﹂
力を貸してくれたからこその勝利ですので⋮⋮。あと、その、楯を壊してしまい、本当
﹁確かに勝てましたが、それは決して私一人の勝利ではありませんので。皆さんが私に
彼女の方はというと、恐縮ですと言わんばかりに小動物のように縮こまっている。
た。
と、アキレウスが自分のことのように嬉しそうにしながらマシュを手放しで褒めてい
?
722
からアルケイデスに勝った女と名乗っていいんだぜ﹂
﹁そ、そんな大それたこと言えるわけないじゃないですか
﹁余計名乗れませんよっ
しれんがな﹂
﹂
﹂
全員裸足で逃げ出すぜ。││ただし、俺クラスの奴には嬉々として全力で挑まれるかも
﹁ハハ、ホント謙虚な嬢ちゃんだ。それ名乗っとけばギリシャ周辺の二流以下の英雄は
!?
﹄
辱されたと思って激怒するか、ありえないと鼻で笑うかのどちらかだろう。
イデスという英霊が偉大過ぎるからだ。もしそんな話をイアソンが耳にすれば友を侮
確かにそうかもしれない。それは決してマシュが侮られているわけではなく、アルケ
﹁あ、いやよくよく考えたらアルケイデスに勝ったなんて言っても誰も信じねぇか﹂
!
!?
わたしの返事に、ロマンが通信越しにほっと息を吐いた。
﹁うん、聞こえているよ﹂
そのそそっかしさを感じるような声に、安堵と共に自然と笑みが零れてしまう。
のだと判る、慌てたような声だった。
なんだか妙に懐かしさを感じさせるロマンの声。わたしたちを心配してくれていた
不意にどこからともなく声が響いた。
﹃││こちらロマン。聞こえているか
第30節:Grand Order
723
通信が無事に届いたのもその影響だと思う
﹄
﹃そうか、よかった。⋮⋮それでだけど、聖杯の回収を確認した。もうすぐこの時代の修
正が始まるぞ
!
!
たんです。兄さんに言った言葉は、嘘なんかじゃありませんからね
﹂
私も酷い目にあったりして死んでしまいます。⋮⋮でも、それでもなお、私は幸せだっ
﹁そんな哀しそうな顔をしないでください。これから先、トロイアは滅びるでしょう。
わたしの胸の内を察してか、困ったようにカサンドラが苦笑した。
なんと声をかけていいのかわからない。だって、彼女は、この先││
﹁カサンドラ⋮⋮﹂
彼女は穏やかな笑顔でそう言った。
﹁⋮⋮お別れのようですね﹂
傍にいたカサンドラへと、自然と視線が向かっていた。
から。
それに人理の修復は、滅びを免れようとした国が、歴史通り滅ぶことを意味するのだ
やはり、この特異点で出会った人たちとの別れは名残惜しい。
るけれど。
それはまた一歩前へ進めたことを意味するのだから、間違いなく喜ばしいことではあ
﹁⋮⋮いつも急だよね、時代の修正﹂
724
?
﹁うん⋮⋮でも、だけど⋮⋮っ﹂
﹂
﹁⋮⋮それで充分です﹂
﹁え││
だから、泣いてはいけない。許しを乞うなんて以っての外だ。
助かる可能性があったのに、わたしがそれを摘み取ったのだ。
ラが、トロイアの人たちが納得しているかなんて関係ない。
どんな理由があれ、わたしはトロイアを切り捨てた。それをヘクトールが、カサンド
だって、泣く資格なんてわたしにはない。
零れ落ちそうになった涙を必死に堪える。
﹁⋮⋮っ﹂
ちと出会えたおかげで、兄さんを救うことができました﹂
﹁私の身を案じてくれてありがとう。貴女のような方に会えて本当に良かった。貴女た
?
﹁それじゃあボクからも幾つか言葉を。⋮⋮元気でね。もしカルデアにボクが呼ばれた
わたしは、無言のまま頷くことしかできなかった。
どこまでも優しく微笑んで、カサンドラがわたしにそう告げた。
の国の残照を護ることでもあるんです﹂
﹁⋮⋮どうか、前へと進んでくださいね。そして未来を取り戻してください。それがこ
第30節:Grand Order
725
らその時はよろしく。もっとも、ボクのような愚か者が英霊になってるとは思えないん
だけど﹂
﹂
?
﹂
!
い
そなたは最上級の扱いで遇する所存だ
ではな
!
﹂
!
から颯爽と立ち去っていった。
そうして、一日とはいえアカイア軍を見事に纏め上げた大英雄は、一足先にこの時代
言いたいことを好き勝手捲し立て、豪放磊落にイスカンダルがにんまりと笑った。
!
我が幕僚へと加えたい。待遇は応相談だ。アキレウス、そなたも前向きに検討してほし
﹁未来の勇者たちよ。またいつの日か再会を果たそうぞ。その時こそ是非ともお主らを
堂々と佇む大英雄は、わざとらしい咳払いを一つしてから語り出した。
イスカンダルが声を張り上げてみんなの注目を集める。
﹁││おう、皆の者よ
﹁⋮⋮そっか。じゃあ、最後の瞬間までボクも頑張ってみるとしよう﹂
そんな妹の言葉に、照れくさそうにパリスが微笑しながら頬を掻いた。
﹁ええ、パリス兄さんも、私の自慢の兄さんですよ﹂
同意を求めたわたしへと、カサンドラが忌憚なく首肯した。
ね
﹁そんなことないよ。パリスは立派だった。カサンドラの立派なお兄さんだった。だよ
726
こちらから何か言葉を返す暇もなかった。孔明が代わりに言ってくれたのかもしれ
ないけれど、わたし自身はお礼も言えていないのに。
でも、別れを惜しみ、ナーバスになる。そんなのきっとイスカンダルには似合わない。
だから稲妻のように去っていったのは、それはそれで彼らしいのかもしれない。
イダーでもランサーでもシールダーでもいいからよ。その時は人類最速のこの力、遺憾
﹁じゃあなお前ら。また一緒に戦おうぜ。俺のこと、いつか絶対召喚してくれよな。ラ
なく揮ってやるぜ﹂
⋮⋮予言を信じても
勝気な笑みと共に告げれたそれは、実にアキレウスらしい自信に満ちた言葉だった。
そして、
一緒に未来を救う為に戦いたい
我慢できなくなったかのように、カサンドラが声を上げた。
﹁私も貴女の力になりたい
!
虚言の呪いがなんだという。令呪の一画を費やせば、その呪いだって一時的には無視
だって役に立たないなんて、そんなことある訳がない。
自然と声を出していた。
﹁そんなことない﹂
らえない私じゃ、役になんて立たないかもしれないけれど││﹂
!
﹁私もっ﹂
第30節:Grand Order
727
できたし、カルデアには清姫だっているのだから。
彼女なら、きっと虚言の呪いなど素知らぬ顔で無視できる。だって、あの子の前には
嘘など絶対許されない。
虚言の呪いのせいで他者に予言が嘘だと思われようと関係ない。その予言に嘘がな
いと清姫なら絶対に見抜けるはずだ。
きっと他にも、カサンドラの予言を信じることのできる英霊はいるだろう。
他者の性格と属性を見抜く眼力を持ち、言葉による弁明や欺瞞に騙されない、他者の
本質を掴む力を持つ││そんな英霊ならば、きっと。
﹂
?
﹂
!
言っちゃだめですよね﹂
﹁でも⋮⋮そうですよね。呼んでほしいなんて言っておいて、役に立たないかもなんて、
困ったようにカサンドラが微笑した。
﹁⋮⋮私のこと、そんなに期待してくれるんですね﹂
く、カルデアに貴女が来てくれれば心強いよ
の勇気こそが誰かを救い、きっと誰かの助けになるんだよ。だから予言なんて関係な
﹁他の誰でもない、カサンドラの勇気があったからヘクトールは救われたんだよ。貴女
﹁え││
﹁カサンドラの予言は役に立つ。それにそもそも、カサンドラの力はそれだけじゃない﹂
728
﹁いつかカサンドラの力をわたしに貸して。未来で、カルデアで待っているから
﹁││はい、呼んでいただければ、絶対に役に立ってみせますね﹂
通信越しにロマンが告げる。
﹃レイシフトの準備は万全だ。すぐに帰還してくれ﹄
いよいよわたしたちを光が包む。これで本当にお別れだ。
それでも、いつかまたみんなと会える。わたしたちはそう信じている。
だから笑顔でカサンドラたちへと手を振った。
そうしてわたしたちは、カルデアへと帰還した。
◇
﹂
!
﹂
!
トロイアは木馬によって陥落し、アイネイアスは後のローマへと続く国を興すだろう。
﹁特異点となったトロイア戦争、無事にその時代の修正が行われたよ。これで歴史通り、
くる。
やっと今回の戦いが終わったのだという実感が湧いてきて、どっと疲れが押し寄せて
ロマンを初めとする所員一同に笑顔で帰還を喜ばれた。
﹁おかえり、みんなっ
第30節:Grand Order
729
イリアスも変にその内容が変わることもなく、イスカンダルは己が覇業の原点とするだ
ろう﹂
人理を無事に修復できた。それは喜ばしい。でもやはり、トロイアは滅んだのだ。わ
たしたちが滅ぼしたのだ。
なんて、冗談めかして笑いながら。
﹃ツバメの方が遥かに手強かったでござるよ∼﹄
た船を直す為にワイバーンを一番多く狩ってくれた。
ワイバーンが襲ってきた時も、彼が纏めて瞬殺してくれたのだ。第三特異点でも、壊れ
ファブニールは、ジークフリートと彼がいなければ倒せなかった。セプテムで大量の
戦ってきた。
小次郎は特異点Fで初めて召喚したサーヴァントだった。それから、ずっと一緒に
﹁⋮⋮わかった、ありがとう﹂
カルデアには帰ってこれない﹂
の霊基は耐えられなかったらしい。彼の消滅と共に霊基の全損を確認した。⋮⋮彼は、
﹁⋮⋮呂布との最後の戦い、彼はサーヴァントとしての限界を優に凌駕した。それに、彼
躊躇いながら尋ねたわたしへと、ロマンは無言で頭を振る。
﹁ところでロマン⋮⋮小次郎の、霊基は⋮⋮﹂
730
﹁神代へのレイシフト⋮⋮一秒一秒が命がけだったと思う。それでも君たちは戦い抜い
てくれた。辛い選択に対し、答えを出してくれた﹂
独り俯いてしんみりしていたところで、ロマンが敢えて構わず話を続ける。
﹁これから先の戦いも、今回以上に厳しいものになってくるだろう。第五特異点へのレ
イシフトもあまり先送りにはできない。だから、いまのうちに休めるだけ休んでほし
い﹂
それでブリーフィングは終わりだった。レイシフトに伴ったサーヴァントたちも、そ
れぞれ自室へと戻っていく。でも、エミヤだけは医務室に直行だった⋮⋮。
マシュと二人揃って中央管制室を後にする。
会話はそれで途切れそうになる。わたしたちの靴音だけが、廊下に寂しく響き渡る。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そうですね。本当に、つらい戦いでした⋮⋮﹂
﹁マシュもお疲れさま。よく頑張ったね。今回は本当に大変だった﹂
カー、眼鏡という、普段の姿に戻っている。
歩きながらマシュが言った。彼女は既にサーヴァントとしての装いから、制服にパー
﹁お疲れ様でした、先輩﹂
第30節:Grand Order
731
特異点での戦いを終えて帰還して、二人で廊下を歩くのは毎度のことだ。
いつも二人で、特異点で体験したことを歩きながら語り合う。
あれは大変だったよね、と。サーヴァントたちとの別れは寂しいよね、と。それでも
多くのことを学んだし、未知なることにわくわくしたりして楽しかったよね、と。
でも今回ばかりは、楽しかったなんて口にできない。無論、カサンドラたちと出会え
たことは、何物にも代えがたいものだと思ってはいるけれど。
たちは今回の戦いでトロイアを切り捨てて、でも同時に、トロイアの意志を背負ったん
﹁そうだね。矛盾しないのは難しい。⋮⋮でも、矛盾してでもわたしは進むよ。わたし
その真理に、きっと多くの人たちが摩耗してきた。多くの人たちが絶望してきた。
世界とは、残酷なまでにその釣り合いを取ろうとする。
誰かを救う為には、誰かを傷つけなければならない。
﹁ともすれば人は、矛盾せざるを得ないのかもしれませんね⋮⋮﹂
マシュが真摯に頷き返す。
その事実を口にした。
誤魔化してはいけないことだから、有耶無耶にしてはいけないことだから、わたしは
⋮⋮同時に間違ってもいる﹂
﹁⋮⋮どうあれ、わたしたちはトロイアを切り捨てた。それはきっと正しいことで、でも
732
だ﹂
滅んでも、残せたモノがある。ヘクトールが、トロイアのみんなが未来へと残した光
がある。
それを、未来を守ることで繋いでいく。ずっとずっとその先へと。
﹂
それこそが、いまを生きるわたしたちの役目だと思うから。
﹁先輩は、大丈夫ですか⋮⋮
う。
それはきっと、マスターとしての重圧を感じているわたしを慮ってくれての言葉だろ
?
﹁││はい、これからもGrand Order、みんなで頑張っていきましょう﹂
んなを支えてみせるから﹂
﹁わたしが未来を背負うから、みんなでわたしを支えてね。わたしもマスターとして、み
﹁先輩⋮⋮﹂
ら、わたしは絶対に折れないよ﹂
﹁それでも大丈夫だよ。マシュが傍にいてくれるから。みんなが一緒に戦ってくれるか
わたしは、わたしを心配してくれている後輩へと微笑んだ。
本音を晒して、でも、と続ける。
﹁⋮⋮正直、すごくきついかな﹂
第30節:Grand Order
733
734
笑顔で互いを激励して、自室の前でマシュと別れた。
⋮⋮戦いはこれからも続く。次は、先送りにしていた第五特異点へのレイシフトだ。
トロイアでの戦いは熾烈を極めた。きっと北米での戦いも、それに劣らぬ激戦となる
だろう。
いますぐ行こう││なんて大言は流石に吐けない。わたしもみんなも疲労困憊著し
い。
部屋に入って、ベッドへと着替えもせずに倒れ込む。
それじゃあ、幾ばくかの休息を取ろう。
戦いは、これからも続いていくのだから││
特異点X 人理定礎値:A+
BC.1184 死滅英雄血戦トロイア
〝悲劇の予言者〟
Order Complete
定礎復元
プレゼントボックスに報酬が届いています。
ご確認ください。
﹁セイバーのサーヴァント、ヘクトールだ。アンタが俺のマスターかい
?
第30節:Grand Order
735
736
それじゃあマスター、オジサンと一緒に、世界を救いに行こうぜ││﹂
∼fin∼