series essay 田中みずき(銭湯ペンキ絵師) ペンキ絵と広告 これだけの変化があれば皆さん気づいて下さるに違 暑い夏の日が続きます。銭湯の水風呂と、入浴後の いないと、暑さにもめげずに制作を進めたのでした。 コーヒー牛乳が恋しくなる季節です。 先日、都内の千代田区にある銭湯「稲荷湯」に絵を描 反応はいかに きました。数年おきに絵を描き替える銭湯が多いなか、 制作を終え、新しい絵になっての営業初日。早速、お 稲荷湯では毎年描いています。それは、絵の下に地元の 風呂に入りに行きました。「あまりにも変わり過ぎて、 お店から一年契約の広告を出していただき、その広告料 落ち着かない!!」なんていうお客様もいるかもと、 で絵を制作するというシステムになっているからです。 少々心配になりながらの入浴です。自然な反応を知りた この仕組みは昭和の時代までは一般的なものでし く「ふらりと来た入浴客」を装い、耳をすまします。フ た。当時、ペンキ絵を描く職人は広告会社に属してい ロント前で雑談をしていくお客様たちの様子を見ます。 たのです。しかし、次第に銭湯の数や利用者が減り、 その結果、2 時間ほどの滞在中に絵が変わったことに この広告会社の仕組みは廃れました。現在ではペンキ 気づいたお客様は、御一人のみ。 絵職人は広告会社を通さず、銭湯から直接注文を受け 驚きつつも、実は安心する結果でもありました。実 て制作をします。そのため、ペンキ絵の下の広告は見 は、一般的なモチーフや構図、色彩にしていても少し られなくなっていきました。 の変化で「何だか落ち着かない絵」というものができ 数年前に銭湯好きの仲間たちと「銭湯振興舎」という てしまうことがあり、これがペンキ絵では一番困るの グループをつくり、ペンキ絵の下の広告を復活させよう です。遠近感や色彩の理屈はあっているし、明確に文 と試みて実施に協力いただけたのが、今回の銭湯です。 字には表せないながらも、どうしてもこの絵を観ると 銭湯に掲示されている広告は地域の雰囲気を伝え、 落ち着いてお風呂に入れないという謎の違和感を持っ 入浴後の寄り道に役立ちます。それは銭湯を通じて地 てしまう絵。これを避けるのがペンキ絵です。 域に興味を持っていただく助けにもなると、数年続け とはいえ、変化に気づいてもらえないことを御主人 る中で強く感じています。 夫婦はどう思ったかが心配です。伺ってみると、「長 年うちお客と話しているから、想定内。これだけ変え 変化に気づいてくれるかな たのだから満足だよ」「あと、数カ月経ってからいき 毎年の制作に合わせ、御主人夫妻との絵の相談も毎 なり気づくかたもいるのよ。ペンキ絵は、そういう風 年変化してきました。今年の御夫婦からの要望は、「絵 に見てもらうもの」というお言葉。そう、一番大切な が変わったことを皆さんに気づいてもらいたい」とい のは、心地よくお風呂に入っていただける空間をつく うものでした。 りだすことです。 一般的なペンキ絵を制作していると、お客様の中に それでも、数日すると気づくかたも増え、明るい色 は絵が新しくなったことに気づかないかたもいるそう 彩や赤富士の縁起のよさなどに好評をいただけるよう です。それでも、せっかく新しい絵になったからには、 になってきました。 お客様とペンキ絵の変化について語って盛り上がりた 来年、どのような絵のご要望をいただき、どんな絵 いという御主人。そのため、今年はとても珍しい絵に が生まれるか、今からドキドキしている次第です。 なりました。 まず、空の表現を変えます。通常の青空ではなく、 夜の空から黄色く光を帯びていく夜明けの様子をグラ デーションで描くこととなりました。また、富士山も 変えていきます。通常の青いものではなく、今回は光 を帯びる赤富士です。 10 公共建築ニュース Vol.48 No.572 2016 年 8 月号 プロフィール ● 1983 年大阪生まれ。幼少時から東京在住。筑波大学付 属高等学校進学後、明治学院大学在学中に銭湯ペンキ絵師・中島盛夫氏 に弟子入り。現在は独立し、銭湯のペンキ絵のほか、老人ホームの浴室や 店舗など制作の場を広げている。現代美術展覧会・レビュー情報サイト 「カ ロンズネット」元編集長。ペンキ絵制作に関する活動は、ブログ「銭湯ペ ンキ絵師見習い日記」 (http://mizu111.blog40.fc2.com/) にて随時掲載。
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