第 5 章 子どもの世界 1. 子どもの現状 こどもの権利条約 2. 子どもの世界 - 本の中のこども 3. 聖書におけるこども 人生の諸段階 子どもの世界を「子どもの人権条約」を中心に学ぶ。乳幼児から学童全般に わたって、虐待をはじめとする子どもへの人権侵害が多発している。かつては 教育的手法として容認されていた体罰は、今は犯罪として告訴され、裁かれる。 人権意識が希薄なまま教師になったか、または自分が受けた教育をコピーする という傾向が見られる。子どもの叫び声が聞こえてくる現状に学び,いったい 子どもの世界はどういうものであったか。あるのか。私たちは児童文学の歴史 のなかにも、子どもの世界をたずねようとおもう。そして聖書における子ども 観を概観しようとおもう。 小5女児自殺、周囲「なぜ」 20051106 朝日新聞 長崎 五島市の小学 5 年生の女児(11)が 10 月 31 日昼、市内の親類宅で首をつっ て自殺していたことがわかった。県教委によると、県内で小学生が自殺したの は初めて。遺書はなく、学校や家庭で目立ったトラブルもなかったという。女 児は死を選ぶ2日前、道徳の授業で「命の尊さ」を作文でつづったばかりだった。 学校関係者に衝撃が広がった。五島署の調べでは、女児は自宅近くの叔母(39) の家で、1階廊下の天袋の取っ手にビニール製のひもをかけ、首をつっていた。 足元に座布団 8 枚が重ねてあったという。女児は 31 日正午ごろ、母親(41)と 一緒に叔母の家に出かけた。母親は女児と食事を済ませて外出し、午後 3 時 20 分ごろに戻ったところ、冷たくなった女児を見つけた。叔母は仕事で不在だった。 女児は建設業の父親 (51) と母親、弟 (9) の 4 人暮らし。通っていた小学校によ ると、授業や友人関係で悩んでいる様子はうかがえず、同級生の話でも自殺に つながるような情報もなかったという。女児は自殺する 2 日前の 29 日、笑うこ とを通して、がんを克服した患者の話を題材に、命の大切さを考える道徳の授 業を学校で受けた。「笑って生きていくことはすばらしい」という内容の感想文 を書いたという。教頭は「毎朝、弟と一緒に学校に通い、友達の悩みを聞いて 107 第 5 章 子どもの世界 あげる子どもだった。命の尊さを教えていただけに残念だ」と沈痛な表情で話 した。 原因多様化、大半は不明 警察庁によると、2003 年に自殺した小中高校生は全国で 225 人。大人も含め た自殺者 3 万 4427 人の 0.7%だが、2002 年より 51 人増えた。原因は家庭不和 や友人関係のもつれ、学業不振、進路問題など様々だが、大半は不明という。県 教委の調べでは、県内では 95 年以降に 7 人が自殺した。全員が中高生で小学生 はいない。今年3月には長崎市の中学校で2年の男子生徒が飛び降りて亡くなっ た。長崎市の園児誘拐殺害事件、佐世保市の小 6 女児殺害事件と、重大な少年 事件が相次ぎ、学校現場では「命の尊さ」の教育に重点が置かれてきた。その 矢先の事件に、県教委の担当者は「人を傷つけないだけでなく、自分の命もか けがえのないものだと教えてきただけに残念だ」と衝撃を受けた様子だった。 「登校拒否を考える親の会」(長崎市)の世話人・井形和子さんは「自殺に至 るケースは少なくても、親に『死にたい』『殺してくれ』と訴え、助けを求める サインを出す子はいる」と指摘する。「何が彼女を追いつめたのかを考え、幼い 子どもの自殺の予防につなげなければならない」 子どもの現状 総務省の平成 15 年の推計人口によれば,我が国の総人口は 1 億 2,761 万 9 千 人であ。このうち、青少年(0-24 歳)は 3,276 万 1 千人で,総人口の 25.7%を 占めている。青少年は、昭 1955 年、52.5%と過半数を占めていたが、それから ほぼ一貫して減少している。1975 年には 40%を切り,その後も減少を続けている。 2003 年には 25.7%で,前年に比べ 0.4 ポイントの減少となっている(青少年白 書 2003) 子どもの状況 近年,保護者が子どもに対し暴行を加えるなどの児童虐待が大きな社会問題 となっている。児童相談所や警察に寄せられる児童虐待に関する相談件数も増 加している。 児童相談所が受け付けた相談 児童相談所に寄せられる児童虐待に関する相談処理の件数は,急増しており, 2002 年 度は 2 万 3,738 件となった。 虐待の内容 身体的虐待が半数と一番多く,次いでネグレクトが約 4 割,心理的虐待,性 的虐待の順となっている。 108 第 5 章 子どもの世界 被虐待児童の年齢 0 歳~就学年齢以前の乳幼児が,全体の半数を占めている。虐待が早期から始 まっていることを示している。 また,2002 年中に児童相談所が虐待に関する相談を受けた件数は 2 万 3.738 件と急増している。身体的虐待が一番多く 8 割である。次にネグレクトが約 4 割、 心理的虐待、性的虐待の順となっている。警察が検挙した児童虐待は 157 件で あり,検挙人員は 183 人であった。被害児童は 166 人であり,そのうち 42 人 (25.3%)は死亡していた。 虐待の歴史 親が子どもを傷つけたり、殺してしまうという悲劇は、歴史的に古くからあり、 神話時代にさかのぼる。ギリシャ神話には夫への復讐のためにわが子を殺害し た女神メディアの話がある。スターンは親の中にわが子を殺したいという普遍 的な欲求を見いだし,これをこのギリシャ神話にもとづいてメディア・コンプ レックスと名付けた。 ローマ法は,子どもは親の所有物であると規定しており,親は子どもを売る 権利や殺す権利を持っていた。 1600 年代には,子どもを虐待したり,殺害した事件の裁判が行われるように なったが,当時の法廷記録によると親や養育者が罪に問われることはなかった。 1800 年代に入って,人びとは家庭内で虐待されている子どもを何とか救いだ さねばならないと考え始めた。しかしながら,当時,子どもを保護する法律が なかったため,動物愛護協会が動物虐待禁止法を援用して子どもの保護にあたっ た。子どもの保護協会という団体が設立され,協会が子どもの保護に努めるよ うになったのは 1875 年のことであった。 子どもの虐待が医療関係者や福祉関係者の関心を集めるようになったのは, 1900 年代も後半になってからのことである。子どもの傷害が親によって引き起 こされた可能性のある事例を最初に論文にしたのはキャフィである。この論文 の中で,キャフィは虐待された子どもの硬膜下出血と長骨のX線上の変化を報 告している。また,1955 年にはウーリーが,X線所見に見られる子どもの外傷 の多くが故意に加えられたものであると指摘している。 このように子どもの虐待は、医療関係者の関心を引いた。しかし、こういっ たケースは例外的なものであると考えられていた。子どもの虐待が決して例外 的なものではなく,一般に考えられる以上の子どもの負傷が,実は親やそれに 代わる養育者によって引き起こされた可能性があることを示したのはケンプで あった。1960 年代の初期,彼は自分の勤務する病院の小児科に運び込まれた子 どもたちの負傷の多くが,偶発的な事故によるものではないことに気づき,いっ 109 第 5 章 子どもの世界 たい子どもたちに何が起こっているのかを精力的に調査した。調査は 1 年間に および,全米 71 の医療機関から約 3000 ケースの報告が彼のもとに集まった。 これら 300 ケースのなかには,死亡例が 11%,脳に器質的障害を生じたものが 28%含まれていた。この調査の結果,これらの子どもの負傷や「事故」の状況 には「症候群」としてよばれるような,一定の共通した特徴が見いだされるこ とが明らかとなった。それは「被殴打児症候群」(batteredchildsyndrom)とよ ばれるようになった。そして実の親を含め,子どもに危害を加える大人から子 どもを保護するための法律の整備が急ピッチで進められた。1962 年には,虐待 の存在を知った場合,もしくはその可能性を疑った場合の報告義務に関する最 初の法律が制定され,その後,1964 四年までには米国の全州が何らかの形で報 告義務制度を持つようになった。こうした各州の動きを受けて,1974 年には連 邦政府が虐待に関する初の連邦法の整備を行った。この米国の報告義務制度や 虐待防止法については第 7 章で詳しく見ていくことにする。このように,1960 年代から 70 年代にかけて,さまざまな分野で虐待への対応が検討されていった。 とりわけ,最近では性的虐待の問題が多くの関心を集めた。被殴打児症候群は, 今日の身体的虐待にあたる。 その後,虐待の定義は拡大し,この 1. 身体的虐待のほかに 2. 養育の拒否お よび放棄(neglect),3. 性的虐待(sexualabuse),4. 心理的虐待(emotionalabuse) を含むようになった。 1. 身体的虐待 「外傷の残る暴行,あるいは,生命に危険のある暴行」と定義される。カリフォ ルニア州法では身体的虐待を「他者によって子どもに与えられた意図的もしく は非偶発的な身体的損傷」としている。 虐待を生じる親の特徴や家族などの要 因として、親の精神病理によるもの,子どもが成長するためには体罰を含む厳 格なしつけが必要だとする親の子育て観によるもの、経済的な間題から子ども に適切関わりができないもの、友人関係や家族外の援助が不足していることな どがおもな原因であった。 2. 養育の拒否 ネグレクト 「遺棄,衣食住や清潔さについての健康状態を損なう放置」(遺棄とは,いわ ゆる棄児。健康状態を損なう放置とは,栄養不良,極端な不潔,怠慢) 養育の 放棄・拒否による虐待として「養育者による児童の健康と発育・発達に必要な 保護,最低限の衣食住の世話,情緒的・医療的ケア等が不足または欠落したた めに,児童に栄養不良,体重増加不良,低身長,発達障害(運動・精神・情緒) 等の症状が生じた状態で,以下のいずれかによるもの。 110 第 5 章 子どもの世界 養育の放棄・拒否。養育の無知(養育者に育児知識または能力がない)」と定 義している。ネグレクトは低所得,生活保護の受給,住宅事情や生活状況の悪さ, 教育レベルの低さ,就業率の悪さといった問題と密接に関係しているとする報 告もある。 3. 性的虐待 性的虐待は,身体的虐待にみられるような身体的外傷を残さないことが多く, また虐待者である大人ばかりか,子ども自身もそうした虐待の事実を秘密にし ておこうとする傾向を示すため発見が困難である。子どもが虐待を受けた事実 を隠そうとするのは性的虐待においてはその傾向が最も著しい。フィンケラー は,性的虐待を「子どもが 13 歳未満の場合には,5 歳以上年上のものとの性的 接触,子どもが 13 歳以上 16 歳未満の場合には 10 歳以上年上のものとの性的接 触」と定義し,性的接触を「性交,肛門と性器の接触性的愛撫などを意味する」 としている。これらは性的虐待を大人の行為によって定義しようとするもので ある。 4. 心理的虐待 米国では,虐待に関する報告義務制度が定められているが,心理的虐待の報 告については義務づけていない州が多い。心理的虐待の定義は難しい。厚生省 調査は子どもに心理的外傷をあたえるような大人の行為を心理的虐待としてい る。心理的虐待になってしまう可能性のある養育者の行動や態度として,拒否 的態度,冷淡さ,子どもに対する不適切な制限,極端に一貫性を欠く態度を指 摘している。治療対象の 60%に心理的虐待の問題がみられたが,心理的虐待の 問題のみで治療を受けていたのは全体の 5%にすぎなかった。このように,心理 的虐待は他の形態の虐待と合併して生じることが多い。身体的虐待などを主訴 として心理治療を行っている際に,その治療経過の中から心理的虐待の存在が 確認されるといったケースが多いようである。こういった実情を考えるならば, 心理的虐待を具体的に定義しようとすることは,あまり意味がないことなのか もしれない。 (「子どもの虐待」) 子どもにとりくむ運動 日本でもボランティア組織に入って国際的な働きを担う青年が少しずつ増え ている。バングラディシュに学校を建てようというグループがある。ネパール、 アフガニスタンで医療活動をするキリスト者の医師・看護婦たちがいる。数万 人の支援組織がある。国内でも子どもに取り組む運動がなかったわけではない。 筑豊の子どもを守る会 石炭から石油へとエネルギー政策が転換され、職を失った炭坑労働者、特に、 子どもたちの目にあまる惨状が訴えられた。土門拳の写真集「筑豊」は多くの 人に衝撃を与えた。全国の主にキリスト教主義大学の学生が「筑豊の子どもを まもる会」を結成し、閉山炭住に住みこんで、子ども会活動、学習指導、就職 した子ども達を励ます「がんばってる会」等の運動を展開した。筆者は筑豊の 子どもを守る会に参加し、3 年間は春・夏・冬の休みを、閉山炭住に住み込んだ。 そこは小・中・高校時代をすごした飯塚市の近くでもあっ た。石炭産業から捨てられ、高度成長の流れから取り残さ れる炭住の人々に接すると、子どもたちが基本的生活、ま た教育の機会均等を奪われていることがよくわかる。子ど もこそ、自の置かれた状況を分からないまま、一番の被害 者になる。活動はパンとミルク等の食糧、衣類等の配給だ けでなく、子ども会の組織、学習会、そして東京・大阪等 土門拳 「筑豊のこどもたち」 に集団就職していく子ども達を励ます「がんばってる会」 などの活動をおこなった。 「筑豊の子どもを守る会綱領」 一、筑豊地域諸炭坑の閉山による最大の犠牲者は子どもである。故に、子 どもを私たちの奉仕の中心的対象とし、人格的交わりを通して子ども の健全な成長をはかるべく、これを私たちは、彼らの両親とともに、衷 心より私たちのことがらとして考え、実践していくものである。 一、筑豊地域諸炭坑の閉山により放出された失業坑夫は、疎外された群衆 としての姿を顕著に現した。これは日本の現代社会構造が資本の利潤 追求のために、人間を手段としているからである。この事態に、私た ちは抵抗し本来的人間の回復をめざすものである。 一、筑豊の閉山炭坑地域への実践的奉仕活動に、私たちを押し出してきた 力は、キリスト・イエスの愛である。私たちは、聖書から福音を正し く受けとめ、人間の罪を根源にもつゆがんだ社会状況の中で、責任有る ものとして行動し、よりよい社会形成のために努力するものである。 かくあることが私たちの使命と確信する」(「東洋英和学院百年史」) 大学はこの運動にかかわる学生たちを勉強はしないでと、問題視した。一つ だけ、「東洋英和学院百年史」が、学生の活動を評価し、学校の年史のなかに詳 細に記録している。 いわゆる「60 年安保」、すなわち日米安全保障条約の傘の下で高度経済成長 政策をばく進する日本の資本主義の矛盾に対して、学生たちは敏感に反応した。 112 第 5 章 子どもの世界 安保体制への批判を繰り返し、大きなデモへと発展していた。この時期に、石 炭産業に従事していた坑夫たちは捨てられた。企業利益優先のために汚水処理 をしないで垂れ流した水銀による「水俣病」、米ぬかからつくるライスオイルに、 製造過程で用いられた猛毒 PCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入し、九州一円に 被害を及ぼした「カネミ油症」事件が起こった。また、森永ミルクに混入した 砒素によって多くの乳幼児に障害をおよぼした「森永砒素ミルク」事件、 「薬害」 による指のない子の出産などが頻発した。高度成長の時代の利益優先がこのよ うな矛盾をあらわしていたのである。 60 年安保は主に街頭デモを行動の主としていたが、70 年代になると、これら の運動を自己の内から批判する、いわゆる「自己批判的」のかたちをとった。 その表現は学内封鎖バリケード闘争という形態へと深化した。当時、学生運動 に関与した者達は、おりに触れて、これら一連の学生運動の総括を求められて いる。筆者も、必要に応じて、総括を試みてきたが、ついでに言えば、学内封 鎖が解除されて、反 70 年安保運動が解体した後、どうなのか。 大学は入試に 共通試験を導入し、カリキュラムを改正、また私学に対する国 庫補助を増やすなど、大きな改革がなされた。学生運動の成果と言える。医学 部では指摘された無給の研修医制度はなくなった。これも成果の一つであろう。 しかし、高度成長の時期と平行して、戦後のベビーブームによる学齢人口の 増加に伴い、大学は拡張に一途をたどり、数万人という平均的市町村の人口を 超えるような学生を抱えるマンモス大学さえ出現した。急激な大学教員の増加 は、自ずと教育の質的低下を招き、授業では黄色くなったノートで講義をつづ ける怠慢教授が槍玉に上げらたりして、大いに批判された。このようなことは なくなった。教授する側も、自らの学問的生を問われ、その問いに向かい合っ ている。学生運動の成果と言える。では、学制改革運動がもたらした、マイナ スは何か。学生運動がもたらした最も大きな責任は中学・高校に導入された「管 理教育」である。この時期から、中学・高校は主任制をとり入れて、完璧な文 部省管轄下に入った。即ち、学校教育が子ども達を管理の対象ととらえ、教育 におけるのびのびした個性をとらえて、これを伸ばすという教育の根本理念を 踏みにじった。日本全体が、子ども達を管理の対象ととらえている教育の構造 を誘導したことである。そして今は、管理教育も破綻し、あらたな教育のあり 方を模索している。 学生時代に安保闘争や部落解放、筑豊に関わった人たちの多くは、その後も その延長線上に自らの生を営んでいる。ある人は障害者のミニ施設を運営し、 ある人は市民運動のなかから政治に参画しようとしている。ある人は牧師とし て。また教育現場で働いている。 113 第 5 章 子どもの世界 子どもの権利条約 成立まで 子どもに特別な配慮が必要だとする訴えは 1924 年のジュネーブ子どもの権利 宣言で取り上げられた。1959 年に国際連合は「子どもの権利宣言」を採択した。 そこでは「子どもは、身体的および、精神的に未熟であるため、出生前後に適 当な法的保護を含む特別の保護およびケアを必要とする」とした。ここでは国 の内外で縁結びされた、里親また養子縁組みされた、子どもの保護また福祉に 主要な関心があった。しかし、その後、世界的な戦争または紛争当事国の極度 の難民状態にある子どもの保護に目が向けられるようになった。また経済的な 極度の格差から生じる、発展途上国また第三世界の人口膨張と飢餓状態にある 子どもに関心が寄せられるようになった。1989 年の「子どもの権利条約」はこ のような背景をもっている。子どもは保護の対象とれてきたが、そこからさら に進み、子どもは一人の人格として尊重されるという子ども観の変化を見るこ とができる。 内容 条文は名前また国籍を得る権利、親を知り養育される権利、虐待・放任・搾取・ 経済的搾取・性的搾取・死刑・拷問からの保護、難民の保護、障害児の権利に 関する規定からなっている。 特徴と意義 「宣言」ではなく、法的拘束力を持つ国際条約として成立した、子どもが権利 の主体であることが明記され、子どもの権利、親の権利、国の義務の関係が明 確にされた、発展途上国の子どもの状況が反映されたことに、本条約の特徴と 意義がある。(「人権とキリスト教」) かつて、家庭内暴力から逃れてきた女性たちが逃げ場を求めていた。千石剛 賢(通称千石イエス)は彼女たちを保護し、キリスト教的共同体「イエスの箱船」 を主宰してきたが、このグループが事件として新聞に取り上げられたのは 1975 年のことであった。結局、検察局はリーダー千石剛賢を立件起訴することはで きなかった。彼らは現在、福岡市中州でスナック「シオンの娘」を経営しながら、 共同生活を存続している。数年後、芹沢俊介が指導者千石剛賢に取材して本を 出版したが、その書名は「父とは誰か、母とは誰か」と名づけられ、家族関係 を問うものとなっている。 また「うちの子がなぜ!-女子高校生コンクリート詰め殺人事件-」 (1989 年) で著者佐瀬稔は、子どもが育った家庭とその家族関係に注目し「現代の家庭・ 教育に広がるえたいの知れない病理」を指摘する。 子どもをどう見るか、正しい人間観がなければ、子どもは管理の対象とされ、 114 第 5 章 子どもの世界 親の所有意識に支配され、大人の願望を押しつけられることになる。そこで、 子どもがどう見られてきたかを、児童文学の歴史を概観しよう。 2. 子どもの世界 - 本の中のこども 児童文学の源泉は、古くから言い伝えられた話、神話や伝説、また民話のな かに求められる。18 世紀に語り伝えられた話が編集されるようになった。「ギリ シア神話」、フランスの巨人物語「ガリガンチュアとパンタグリュエル」、ドイ ツの英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」、イギリスの「ロビンフッド」、シェラザー ドという娘が王に毎晩聞かせ千夜一夜続いたという「アラビアン・ナイト」、「ア ラジンと魔法のランプ」「シンドバットの冒険」などは児童文学の古典といわれ る。 イソップはギリシアの「イソップ寓話ぐうわ集」を編集した。イソップの影響 を強く受けたフランスのラ・フォンテーヌは「寓話詩」を著した。17 世紀はフ ランスのぺローが登場する。ぺローの「教訓をともなった過ぎし昔の物語また は小話集」は子どもを意識した最初の児童文学である。「赤ずきん」「長靴をは いた猫」「サンドリヨン」などがある。 18 世紀 無人島で 20 数年を過ごした「ロビンソン・クルーソー」(デフォー作)は近 代小説の先駆をなした。本書はルカ福音書 15 章の「放蕩息子の話」をもとにし、 全体は教訓物語の形を取っている。スイフトは「ガリバー」を書いた。ガリバー は外科医であった。患者が少なくなって船医の職を得た。その船は難破して、 彼は見知らぬ地に漂流し、身長 6 インチの小人の国の捕虜となる。ガリバーはいっ たんイギリスに帰ったが、再び出航し、こんどは身長 60 フィートの巨人の国に 漂流する。冒険と空想は固定的な社会観念を相対化し、常識から魂を解放する。 今も子どもを魅了する話となっている。 18 世紀は、近代的児童観の成熟とともに、子ども独自の本があらわれ、児童 雑誌の創刊、近代童謡詩や児童劇などが始まり、児童文学の花が開いた世紀で あった。 産業革命がイギリスから世界に広がったり、フランスでは革命がおこった。 文学はこの時期に古典主義を脱し、ロマン主義へと転換していった。 19 世紀 児童文学の開花 19 世紀の児童文学は、人間の心情の自然なあらわれを重んじるロマン主義へ と変わった。ドイツではロマン主義は民族主義と結びついて、グリム兄弟の童 115 第 5 章 子どもの世界 話が著わされた。グリムは、それまで勝手につくりかえられていた物語伝承を、 一つの方法で編集する「伝承の科学」を打ち立てた。彼は伝承の起源と発生、 時代の設定、原話を口述筆記し、その核心に迫り、忠実に継承する方法を築いた。 「白雪姫と七人のこびとたち」「おおかみと七匹のこやぎ」「ブレーメンの音楽 隊」「ヘンゼルとグレーテル」「ねむりひめ」は、こうした方法による代表的な 作品である。グリム兄弟に触発された児童文学は世界に広まり、「ノルウェー民 話集」「イタリア民話集」「スイスの子どもと家庭の童話集」そして「イギリス 昔話集」が出版された。 近代童話の成立 児童文学史上最大の人物はデンマークのアンデルセンである。「子どものため の童話集」の中の「火打箱」 「小クラウスと大クラウス」 「お姫さまとえんどう豆」 は伝承性の高いものである。「はだかの王様」は真実を発見する子どもの目を書 いている。「みにくいあひるの子」「人魚ひめ」は童話をとおして自分を語って いる。童話を通してその中に人間の根元的な問題である愛と死、神、罪と罰、救い、 再生を示している。ここに近代童話の成立を見る。 「イーダの花」は物語伝承から離れ、可憐な少女イーダの花への思い、月の光 の中で花の舞踏会、枯れた花のお墓づくりのなかに作者の心情があらわされ、 自由な想像の展開がみられる。 イギリスのキャロルは「不思議の国のアリス」でファンタジーを採り入れ、 当時主流をなしていた教訓文学を、ナンセンス・ファンタジーをもって批判した。 ファンタジーは「幸福な王子」 「ジャングル・ブック」などに受け継がれている。 またトラバース「メアリー・ポピンズ」がある。 イタリアではコロディの「ピノキオの冒険」が人気を博した。ピノキオは、 旧約聖書の預言者ヨナのように、鯨にのまれたり、次々と災難にあう。ところが、 妖精があらわれて、彼を助け、父のところに戻してくれる。ピノキオに欠けて いるのは道徳感覚であり、それをつらい修行を通じて身につけるに至る。彼は よい心を持っているが、誘惑に負けやすい。そして罪を隠すためならばどんな うそでもついてしまう。それで鼻がのびて嘘がばれてしまう。しかし、彼は不 幸な経験を通して賢くなる。最後に父ゼペットから念願の生命を授かり、操り 人形から本物の人間に変身する。 小説 大人の小説の形式と構造が児童文学に取り入れられるようになった。スティー ブンソンの「宝島」、ウィーダの動物小説「フランダースの犬」、動物虐待に怒 りを描いたシューウェルの「黒馬物語」、アメリカでは自立する少年をとおして 痛烈に社会批判をする「トムソーヤの冒険」が評判を得た。トム・ソーヤはミ 116 第 5 章 子どもの世界 シシッピー川に沿う平和な村でロビンフッド遊びに夢中になり、自分は本当に 義士だと信じ込む。友人ハックと一も一緒で空想のおもむくままに冒険をかさ ねる。そのなかの黒人奴隷ジムを奴隷制度が廃止された州につれていく挿話は、 貧しく抑圧された人たちにたいする擁護と共に厳しい社会批判をなしている。 また続編「ハックルベリー・フィンの冒険」が評判を得た。 家庭生活を描いた最初の小説「若草物語」は、父不在の穴を姉が埋め、みん なの協力で一家のまとまりをなす四姉妹の物語である。父マーチが戦地から送っ た手紙に、娘に望むことは「母に対しては愛情深き子どもで、各自のつとめを 忠実に尽くし、心の敵と勇敢に戦う父の愛すべき、誇るべき淑女である」と家 族の理想像を描いている。ほかにモンゴメリの「赤毛のアン」、バーネット作「小 公子」がある。 フランスでは、少年の遍歴をとおして成長するマロの「家なき子」、孤島に漂流 して集団生活をする冒険小説「15 少年漂流記」が出た。 近代絵本 子どもがもって生まれた自然の本性を評価する、ルソーやフレーベルによる、 新しい子ども観が普及すると、美術印刷の目覚ましい発展も加わって、近代絵 本の誕生を見た。ドイツのホフマン作「もじゃもじゃペーター」は教訓性とナ ンセンスの入り交じった物語が良く、幼児の心性が宿っている点で「近代絵本 の起点となった」。クレインの「子どもオペラ」、ドイルの幻想的な「妖精の国」、 フランスのオルレアンの聖処女を描いたモンヴェルの「ジャンヌ・ダルク」な どがある。また絵本は挿絵から脱して絵と言葉が一体となった作品となってき た。 ノンフイクション作品としては、ファーブルの全十冊「昆虫記」は生物の劣 等とも言われた昆虫の生態を調べ、自然の秘密を解き明かそうとした。結局は その限界を知り、あまりにも精巧に出来た創造者への畏敬となっていった。本 書は幼くして死んだ息子の霊前にささげられたもので、神への畏敬を著した広 大な叙事詩となっている。カナダのシートンは「動物記」を著し、今日でも広 く読みつがれている。 日本の児童文学 古代 「古事記」の神話や英雄物語のなかから子どもが喜ぶ話が語られていた。「浦 島」は日本書紀に豪族の一青年と他界の女との哀れな恋の物語であるが様々な ヴァージョンがある。「竹取物語」は子どもの文学に成っていた。「更級日記」 の著者は少女だが、物語を読みたくて田舎から京都に上っていく人がいた。物 117 第 5 章 子どもの世界 語は絵巻としてあらわされていたが、室町後期から近世初期になると冊子本と なり手書きではあるが、奈良絵本として上流階級の子ども達に流布した。 17 世紀後半、江戸時代中期には表紙の色が赤い「赤本」が出版されていた。「さ るかに合戦」のような昔話から、「舌切りすずめ」「桃太郎」などの説話が、子 どもに読まれた。その特徴は勧善懲悪を説くものが多い。 キリシタン時代にすでに、グーテンベルクの印刷機が日本に運ばれ天草にお かれていた。1593 年にはイソップ寓話集「エソポのハブラス」がローマ字によ る口語文体で翻訳され、外国文学との接点となっていた。やがて長い鎖国の時 代がある。アン・ヘリングは「児童文学を扱っている本のたいていが、明治時 代より前の時代には注目に値するものがなかったとして、まったく無視してい る。しかし、」と言って「江戸児童図書へのいざない」という一書をあらわして いる。それによると江戸時代の主に版画印刷による絵草子やかるた、すごろく など多種多様な児童文学が残っている。 明治維新となり欧米の文化と共に児童 文学もヨーロッパの影響に染まる。 つうぞくいそっぷものがたり 明治初期の 1870 年代に、イソップ物語の「通 俗伊蘇普物語」、アラビアンナ イトの「暴夜物語」、ヴェルヌ作「80 日間世界一周」が出版された。これらの多 くは大人の文学だった。子どもの本の翻訳はアメリカのパレー作「万国史」が 出版されている。 グリム作「八ツ山羊」、アンデルセン作「不思議の新衣装」、バーネット作「小 公子」、マーク・トゥエイン「乞食王子」などが出版された。そして 20 世紀初 頭には古典的名作の殆どが出そろう。 明治中期の 1880 年代になると巖谷小波が登場する。 巖谷小波作「こがね丸」は教訓性に満ちたもので、文学的香りはまだ薄い。 こがね丸という犬が友人の協力を得て、修行の末父の仇討ちを遂げるという物 語である。後に日本最初の創作童話と評価されるようになったが、日本におけ る近代児童文学の成立を告げるものであった。巖谷小波はドイツ留学の経験を 持ち、ゲーテやアンデルセン、グリムの影響を受けていた。ついで「日本昔噺」 はなさかじじい などを著した。お伽噺の全盛時代を迎える。「桃太郎」「花咲爺」「鼠の嫁入」な かんぜんちょうあく ど昔話が編集された。これらは勧善懲悪主義と国家富強主義との色彩の強い言 文一致体をなしていた。巖谷小波は口演童話やお伽芝居にも貢献した。 日清戦争、日露戦争という時期には軍事物がはやった。押川春浪作「海底軍艦」、 「武侠艦隊」などがあり、愛国心に訴える英雄の活躍が描かれている。 明治時代は近代国家建設に向かって、外来文化を急速に受け入れたものの、ま だまだ封建時代の残滓を抜けることはできなかった。 20 世紀は、エレン・ケイの「児童の世紀」に強調されるように、子ども達の 118 第 5 章 子どもの世界 内的な意志や能力が注目されるようになった。 ファンタジー ミルン作「くまのプーさん」は第一次世界大戦後の児童文学に息を吹き返した。 ピアス作「トムは真夜中の庭で」は過去の時間と現実の時間が交差するファン タジーを著した。ルイス作「ライオンと魔女」、ル・グヴィン「ゲド戦記」は新 しいファンタジーをもたらした。フランスのサン・テグジュベリ「星の王子様」、 ドリュオン作「緑のゆび」、風刺にみちたイタリアのロダリー作「チポリーノの 冒険」、フィンランドのヤンソン作「ムーミン」など今世紀を代表する本格的ファ ンタジーである。 小説 イギリスのランサム作「ツバメ号とアマゾン号」は子ども達の日常のなかで の体験が描かれている。冒険を含むごっこ遊びの世界を生んだのである。 ドイ ツのケストナー作「エミールと探偵たち」「飛ぶ教室」、イギリスのルイス作「オ タバリの少年探偵たち」、スウェーデンのリンドグレーン作「名探偵カッレくん」 など事件の謎解きのおもしろさに加えて危険な状況の中でいかに生きるべきか を追求している。 絵本と幼年童話 イギリスのポーター作「ピーターラビットのおはなし」、「リスのナトキンの おはなし」 は小動物たちに幼い子どもの心をうつす、 現代絵本の始まりとなった。 オランダのブルーナは「ちいさなうさこちゃん」シリーズで二、三歳の幼い子 どものために書いた。 フランスのロッシュ・マザン作「おそうじをしたがらないリスのゲラルンゲ」、 アメリカのガネット作「エルマーの冒険」、イギリスのボンド作「くまのバディ ントン」、ノルイウェイのプロイセン作「スプーンおばさん」、ドイツのブロイ スラー作「大どろぼうホッテンプロッツ」などが出版された。 この時期は子どもが大人の手をはなれ、児童文学は独自の道を開いた時期で ある。児童文学は子どものバイタリティを信じ、未来を託しつつ、発展した。 先進国においては児童図書館が設置され、また国際化をすすめた。児童文学 書が各国において制定された。アメリカではニューベリー賞、コールデコット賞、 カナダでは児童文学賞、ノルウェーでは「教育大臣賞」が制定され、児童文学 の創造像と普及に貢献している。国際的には「国際アンデルセン賞」が制定さ れている。 近代日本 日本の児童文学は欧米に比べて一世紀の遅れをなしていた。新しい息吹を吹 き込んだのは小川未明作「赤い風船」(1910)である。一少女の外国へのあこが 119 第 5 章 子どもの世界 れを描いたもので、勧善懲悪の物語性を脱出し、ロマンティクの雰囲気をもっ ていた。その後雑誌「赤い鳥」が創刊され、続いて雑誌「金の船」「おとぎの世 界」「童話」また幼年雑誌「コドモノクニ」が創刊され、はなやかな童話と童謡 の時代が到来した。このような風潮の背景には、自由主義・民主主義・人道主 義が唱えられて、子どもの個性と創造性を尊重しようと言う、子ども中心の教 育が提唱された。子どもの独自性を認めようと言う「子どもの発見」は大人の 児童観から子どもを純粋無垢なものととらえまた、美化するという童心至上主 義につながっていた。童話のなかには現実の子どもではなく、作者の郷愁であっ たり理想の子どもが描かれていたと言える。 鈴木三重吉は雑誌「赤い鳥」を 創刊した時、「世間の小さな子たちのために、芸術として価値ある純麗な童話と 童謡を創作する最初の運動を起こしたい」と言い、当時一流の人たちを集めて いる。こうして雑誌「赤い鳥」は、芥川龍之介「くもの糸」、島崎藤村「ふたりきょ うだい」、有島武郎「一房の葡萄」などを生み出した。子どもの文学は大人の文 学と対等な地位に高められたのである。さらに坪田譲治、平塚武二、新美南吉 などの新進童話作家が活躍する舞台を提供した。 ところがこれらの童心主義の童話は、戦後になって批判され、否定されるこ とになった。また童謡については文部省唱歌に対する批判から童心童語の童謡 がうまれた。北原白秋はわらべうたの伝統の上に新しい感覚を取り入れて「赤 い鳥小鳥」を創作した。西条八十作「かなりや」、野口雨情作「証城寺の狸囃子」 を造った。これには当時の童心主義の流れのなかにある。 昭和初期にかけて、子どもを階級的な存在ととらえて、文学のなかに反資本 主義の思想をあらわそうとするものが生まれた。プロレタリア児童文学運動で ある。 槙本楠郎作「文化村を襲った子ども」、猪野省三作「ドンドンやき」など。 この運動は弾圧によって解体された。 もう一つの動きは「少年倶楽部」を舞台とした大衆児童文学である。吉川英 治作の歴史物語「神州天馬侠」、佐藤紅緑作の立身出世物語「ああ玉杯に花うけ て」、佐々木邦作のユーモア小説「苦心の学友」、山中峯太郎の冒険小説「敵中 横断三百里」などがつぎつぎにあらわれた。 この時代の風潮に流されなかった宮沢賢治と新美南吉の出現は大きな収穫で あった。宮沢賢治の「注文の多い料理店」は料理店に入った猟師が逆に食べら れそうになる話で、宮沢賢治の自然破壊に対する告発がユーモアたっぷりに描 かれている。「風の又三郎」は自然のシンボルとしての風を、伝説の「風の又三郎」 と重ねて書いている。「銀河鉄道の夜」は銀河系を旅する鉄道を描いている。大 きなスケールのファンタジーである。宮沢賢治は法華教の熱心な信者で「まこ との幸福」追求する真摯な姿勢が見られる。アンデルセン、キャロルなどの外 120 第 5 章 子どもの世界 国文学の影響を受けながら、自然の息づかいを敏感に受け取る豊かな感性をもっ て人間の本質に深く迫っている。日本最大の作家といえる。 新美南吉作「おじいさんのランプ」は郷里の農村を舞台に文明開化の時代を 生きた庶民的なおじいさん像を描く民話的童話である。赤裸々な人間の姿を鮮 やかに浮かび上がらせている。「ごんぎつね」は善意が通じず、悲劇的な結末を 迎える話。 1937 年日中戦争が始まり、戦争色が強くなると国家権力の統制がつよまり、 戦争讃美の作品のみが出版を許される状況となった。 戦後の児童文学 戦後すぐに児童雑誌「赤とんぼ」「銀河」「少年少女」が民主主義の理念を唱 えて創刊されたが、ながくは続かず、数年で衰退した。石井桃子作「ノンちゃ ん雲にのる」、竹山道雄作「ビルマの竪琴」は戦地ビルマに残って生きる一等兵 を主人公とする反戦小説である。壷井栄作「24 の瞳」は教師と 12 人の子ども達 の心のふれあいを描いている。 石森延男作「コタンの口笛」は北海道のアイヌ の人種差別と貧困の問題を扱うはじめての長編となった。この作品の成功によっ て長編の作品がでるようになった。いぬいとみこ作「ながいながいペンギンの話」 は作者が「たのしくて長い幼年童話」の創作を目指したものであたらしい幼年 童話の開拓と言える。 古田足日、鳥越信たちは、社会的現実に生きる子どもの問題を扱おうとする 早稲田大学童話会をつくった。その中から、中山恒作「赤げのポチ」がでた。 炭坑町の貧しい長屋に住む少女が、ポチとのかかわりのなかで起こるさまざま な問題の中で自立していく、社会的リアリズムに満ちた物語である。 石井桃子、瀬田貞二、いぬいとみこらによる「子どもと文学」が創刊された。 欧米の児童文学作品と比べて日本の作品におもしろみが欠けていたことが指摘 され、おもしろい、物語性をもった、ファンタジーやナンセンスものが目指さ れた。このようなリアリズムまたはファンタジーの方向は戦前の小川未明、坪 田譲治などの童心主義に対する批判があった。子どもの立場にたって文学を見 つめ直し、新しい方向を求めたのである。戦後の新しいながれは、1960 年前後 に始まり、写実的な少年小説、空想系の童話、幼年童話という分野を開拓した。 また作家たちの戦争体験を語る児童文学もあらわれた。長崎源之助作「あほ うの和紙」は作者が軍隊生活を一兵卒の目を通して見、戦争を告発している。 赤木由子作「柳のわたとぶ国」は満州を舞台に六年間の少女の日常生活を物語っ ている。前川康男作「ヤン」は日本軍青年将校と中国の戦災孤児の交流をえが いている。 121 第 5 章 子どもの世界 古田足日作「宿題ひきうけ株式会社」は写実小説の流れをつくった。大石真作「教 室 205 号」また灰谷健次郎著「兎の眼」は学校を舞台にした物語である。自閉 的なこども、障害児とともに成長していく教師とクラスの子どもが描かれ、現 代の教育に問題を投げかけている。 戦後文学のなかに幼年童話が加わった。寺村輝夫著「ぼくは王さま」は教訓主 義を打破したナンセンス童話である。中川李枝子作「いやいやえん」はエネルギッ シュな園児のはなしである。松谷みよ子作「ちいさいモモちゃん」は幼い子の 成長過程を母親の目から描いている。 戦後の絵本は隆盛をきわめ、安野光雅、いわさきちひろ、赤羽末吉、谷内こ うたなど国際的にも評価される絵本画家を輩出した。 日本童話の国際的評価についていえば、宮沢賢治や松谷みよ子らの童話や小 説は国際的な評価を得ているが、外国語への翻訳があまり多くないこともあっ て、他にはあまりみられない。 現代 これまで児童文学でタブーとされてきた戦争否定や人種差別、徴兵問題がと り上げられるようになった。性(セックス)、離婚、麻薬、自殺、家庭崩壊など も取り上げられるようになった。複雑な現代社会のなかで、これまでのように 子どもたちに童心をたたえたバラ色の将来を描くことが出来るだろうか。ドイ ツのエンデ作「モモ」や「はてしない物語」は現代の病根や危機と向かい合う 子どもをとらえている。 歴史上の事件に題材をとって様々な問題に立ち向かう人間を描く歴史物語で は、リヒター作「あのころはフリードリヒがいた」がある。本書は戦争の悲惨 を描き、子どもの側から社会を告発する。フェアーマン作「隣の家の出来事」 は極度の人種差別の実態の中で黒人の怒りがあらわされている。 アメリカのブ ルーム作「カレンの日記」は離婚を扱っている。ドイツのコルシュノウ作「だ れが君を殺したのか」は自殺を扱っている。 輝いた未来を描くのではなく、複雑な現代社会と亀裂した人間関係のなかで、 いかに生きるかという現実対応の問題が描かれている。 現代の児童文学はバラ 色の理想でなく、現実の問題を直視し、これとどう対応するかということを描 く傾向が強くなっている。 児童文学が盛んな国は翻訳によって広範な読者を得 て、国際化してきた。児童文学がはたす役割はこれからも大きいものがある。 122 第 5 章 子どもの世界 3. 聖書における子ども 子どもは、天からの恵み、また宝、とする考えは、いつどこにも共通している。 それゆえ、結婚の儀式は盛大に祝われ、多産を願ってきた。結婚した妻が不妊 であることは禍いであり、不幸とされた。アブラハムの妻サラは 90 才まで子を 持たなかった。サムエルの母になったハンナは子をもたぬことを「嘆いて主に 祈り、激しく泣いた」(1 サムエル 1:10)。 子-その意味 聖書では 20 数種の言葉が「子」と訳されていて、子どもの多様な姿をとらえ ているのである。いくつかをとり上げてみよう。 (「聖書大事典」 「新約聖書大辞典」 参照) 1.「ベン」 家を建てるという意味 家を興すという意味をもっている。相続する特権と、家を繁栄させる義務と 結びついている。この言葉は 4800 回出てくる。ベン・ハーという映画があった。 ハー家の子どもという意味である。 2.「イールド」 生むという動詞に源を持つ。89 回出てくる。 モーセがナイル川で助けられた場面で次のようにある。「開けてみると赤ん坊 がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、『これはきっと、 ヘブライ人の子です』と言った。(出エジプト記 2:6) 以上は旧約聖書の引用である。次に新約聖書を見よう 3.「パイディオン」は 47 回出てくる。 親の保護のもとにある 7 才までの小さい子ども。 4.「テクノン」 99 回出てくる。 生まれたばかりのもの。 5.「フィオス」子、男子、息子の意味で最も多く 381 回出てくる アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図 ( マ タイ 1:1) 息子をさすことが多く、キリストを神の子と言い表す場合に敬語を用いて「御 子」(S o n)とし、相続する資格をもつ長男の身分と特権を意味する。そして、 最愛のわが子を呼ぶとき用いられた。 イエスは神を父のちかさに近づけた。父なる神に対する人なる「子」は新約 聖書に 68 回でてくる。それはイエス・キリスト自身をさす場合があり、また洗 礼をうけたクリスチャンをさす場合がある。キリスト教は、神の子キリストの 十字架の贖ないによって、洗礼をうけキリスト者とされたものは、神の子とな り神の国を受け継ぐ相続人となる。「もし子どもであれば、相続人でもあります。 神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、 123 第 5 章 子どもの世界 共にその栄光をも受けるからです。」(ローマ 8:17) しかし、それは自動的に相続者となるのではない。キリストは最後の審判 のことを教えた。その審判は羊と山羊とが一目瞭然に分かるように、「お前た ちは、わたしが飢えている時にたべさせ」てくれたかどうかを問う。(マタイ 25:31-40) 聖書における - 子どもの権利 「人権」という言葉は、近代的用語であり,聖書にはない。「人権」はフラン ス革命における「人権宣言」以来定着したものと思われていた。しかし、第 2 次大戦下のユダヤ人大量虐殺、また原爆による大量殺戮さつりくは従来の人権思想 を打ち砕いてしまった。第 2 次世界大戦後、国連が取り組んだ最大課題は、こ の「人権 」 問題である。先に述べたように加盟国に一定の拘束を与える国際条 約として形成されている。 しかし、人権意識のもとになる精神は、他の民族・国家のそれに比較すると 聖書にこそみられる。 子どもに関する言及は旧約聖書に 33 ある。その内訳は次の通りである。 胎児(2)、幼児(3)、男児(4)、女児(3)、孤児(21)( )= 回数 孤児の保護 父はなく、わたしたちは孤児となり、母はやもめとなった。 (哀歌 5:3) 戦争は、多数の死者を出し、主だった人たちは敵国バビロンに捕囚の引かれ ることになった。紀元前 586 年のことである。哀歌はこの歴史的出来事を悔恨 する歌である。主なる神を信頼せず、武力にたよってエジプトと同盟したり、 人の数を頼んだ結果である。神に対する背信行為だと預言者は指摘し、掟に背 く民に対して、あなたの子は孤児になるぞ、妻は寡婦になるぞと注意をうなが している。この預言は現実となった。残された民は自らを悔い改め、哀悼する。 家庭から男手は失われ、孤児と寡婦が残った。このような惨状に対して、聖書 はなお、孤児また寡婦の保護を求めている。 寄留者や孤児の権利をゆがめてはならない。寡婦の着物を質に取ってはな らない。 (申命記 24:17) 彼らの先祖がエジプトで 400 年に及ぶ奴隷であったこと、即ち、寄留の民・ 難民となって、人権を奪われてきた、苦い経験がある。弱い者に対するこまや 124 第 5 章 子どもの世界 かな思いやりは、彼ら特有の民族的経験からくる。 子ども 相続する権利 イエスは放蕩息子の譬で、弟に「お父さん、わたしが頂くことになっている 財産の分け前をください」といわせている。子は親の財産を相続する。それは 子の権利と考えられた。「父親は財産を二人にわけてやった」。息子は放蕩に身 を持ちくずし、「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪 を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と言っていた。(ルカ 15) 旧約の神は、きびしくさばく神と印象づけられ、神は人から遠くへだたった ところにいた。イエスはその神を「父」と呼び、俗語でいう「父ちゃん」とで もいう近さに近づけた。ゲッセマネの最後の祈りを、ギリシャ語で編纂してい た福音書記者は、ここだけイエスが語っていた地方語アラム語で「アッバ」と 強調し、次のように記している。 アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取り のけてください。しかし、わたしが願 うことではなく、御心にかなうことが 行われますように。 (マルコ 14:36) このように、神を父と呼び、自分を神の子と位置づける表現が、新約には 291 ある。 イエスの子ども観 イエスが子どもについて語った教えは特にない。が、次のようなイエスの振 る舞いと言葉はイエスの子ども観を語っている。 子どもの祝福 イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子た ちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言 われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならな い。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子ど ものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはで きない。」そして、子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 (マルコ 10:13 下線筆者) 125 第 5 章 子どもの世界 イエスの子ども観について要点を五つほど記しておこう。 1. イエスは病気を癒すとき手を触れた。手当によって癒した。福音書には少な くとも 30 回以上、イエスは触って癒している。子どもの頭をなでるのは親愛の 表現であり、子どもに対する大人の祝福である。 2. 子どもは律法を守りえないので、神の救いに値しないと考えられた。この意 味で子どもを一人前扱いにしない習慣があり、子どもは神の愛の対象になかっ た。 3. 異邦人も身体に障害をもつ者も、神の愛の対象になかった。ユダヤ教の慣習 をイエスは批判し、子どもを擁護する。 4. 神の国は「このような」者たち、つまり、直接に子ども達のものではなく、 比喩的に用いている。子どもは神の国の「比喩的存在」というのである。それ は子どもがもっている特質で無分別、受容性を指す。 5.「子どものように神の国を受け入れる人」 「子どもが」神の国を受け入れると、子どもを主語にして読む従来の読み方に 対して、荒井献は子どもを目的語ととり、「子どもを受け入れるように、神の国 を受け入れる」可能性を主張して次のように言っている。「神の国は成人男性か ら人権を求められていない女子どものような人々のものである。だからはっき り言っておく。そういう女子どもを受け入れるように神の国を受け入れるもの でなければ、そこには決して入ることはできない」(「イエス・キリストを語る 」)。 126 第 5 章 子どもの世界
© Copyright 2026 Paperzz