特 集 新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 ロシア大統領選と新プーチン体制 ―せめぎ合う再工業化と脱工業化― ロシアNIS経済研究所 次長 服部 倫卓 はじめに 逐次報告してきた。また、2011年12月の下院選 2012年3月4日、ロシア大統領選の投票が行 挙結果を踏まえ、本年初頭には「2012年のロシ われた。公式発表によれば、V.プーチン現首相 アはどう動くか」というレポートを発表してい が63.6%の過半数を得票し、第1回投票で当選 る1)。本稿は、これらの報告を集大成する試み を決めた。大統領の任期は、従来の4年から、 でもあるので、内容的に既出レポートと重複す 今回から6年となる。プーチンは5月7日に就 る部分が少なくないことをお断りしておく。 任式を挙行し、2018年までの新たな政権をスタ ートさせることになっている。D.メドヴェージ ェフ現大統領は、首相に任命される予定である。 4つのロシア論 2011年12月30日付の『ヴェードモスチ』紙に、 本稿では、今回のロシア大統領選挙を、筆者 社会政策独立研究所のN.ズバレヴィチ地域プ なりの視点で総括することを試みる。その際に、 ログラム部長が、「4つのロシア」と題する注 選挙の技術的諸問題や有権者の投票行動とい 目すべき論考を寄せている。「4つのロシア」 ったことに関しては、他の論者によって専門的 とは、具体的には、①大都市、②中規模な工業 で優れた分析がなされると予想されるので、本 都市、③農村および小都市、④北カフカスおよ 稿ではあまり深く立ち入らない。筆者としては びシベリア南部の民族共和国、を指している。 むしろ、選挙の過程で浮き彫りになったロシア ズバレヴィチは、ロシアを一体のものとして捉 国家・社会の構造と、権力闘争の底流としての えることの陥穽を指摘し、政権側も野党側も複 経済政策路線のせめぎ合いに着目しながら、 数のまったく異なるロシアが存在しているこ 2012年ロシア大統領選の深層に迫ってみたい。 とを認識してその現実に対応していかなけれ 具体的には、N.ズバレヴィチという論者が示し ばならないと唱えているのである2)。以下、や ている「4つのロシア」論と、それとも関連す や長くなるが、ズバレヴィチの4つのロシア論 る「再工業化」と「脱工業化」の相克を、分析 の要旨を紹介する。 枠組みとして利用したい。 * なお、筆者は本月報の「インサイド・ロシア」 2011年の結果として言えるのは、ロシアを一 のコーナーでロシア大統領選をめぐる動きを 体のものとして捉えるという惰性によって、政 2 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 権がつまずいたということである。現実には、 に投票するような人口30万のサランスクもあ 1つのロシアではなく、3つ、ないしは4つの る。 ロシアが存在しているのであり、政権側も野党 側もその現実に対応しなければならない。 「第1のロシア」は、大都市である。大都市の ロシアのインターネット・ユーザー3,500万 人、変革を欲しているようなミドルクラスが集 中しているのは、まさにこれらの大都市である。 数自体は多くないが、ロシアには12の百万都市 彼らが政治的行動を起こしているのは、経済危 があり、さらにそれに近い人口の都市が2つあ 機が迫っているからではなく、プーチンの下で って(ペルミ、クラスノヤルスク)、ロシアの 停滞がずっと続くという見通しに危機感を抱 人口の21%がここに住んでいる。過去20年間で いているからだ。むろん経済的動機もあり、そ これらの大都市は工業都市でなくなった(ただ れは腐敗した国で投資が進まず、新しいタイプ し、ウファ、ペルミ、オムスク、チェリャビン の職が不足していることによる。「第1のロシ スク、ヴォルゴグラードでは依然としてソ連時 ア」の抗議運動は、経済危機がなかったとして 代以来の工業企業が経済の中心であるが)。脱 も、発生したはずだ。経済危機が起これば、彼 工業化的な変容が最も劇的に進んでいるのは らも痛手を被るが、能力がより高い彼らは、そ エカテリンブルグ、ノヴォシビルスク、ロスト の状況に迅速に対応できるのである。 フナドヌーであるが、その他のすべての百万都 「第2のロシア」は、人口2万~3万から、25 市で雇用構造の変化(ホワイトカラーの増大)、 万くらいまでの、中規模な工業都市である。た 中小企業への就労の増加が見られ、公務員です だ、時にはチェレポヴェツ、ニジニタギル、マ らより高い職能を備えるようになっている。地 グニトゴルスク、ナベレジヌィエチェルヌィの 方都市は、モスクワに比べれば給料は半分か3 ように人口が30万~50万に及ぶこともあり、ト 分の2だが、それでも消費生活のモデルでは首 リヤッチのように70万という例もある。すべて 都のそれに近付いている。ミドルクラスが集中 の中都市がソ連時代の産業の専門を保持して しているのも、まさにこれらの大都市である。 いるわけではないが、その精神や、ソ連的な生 移住者が向かう行先も大都市で、ロシア全体の 活様式は根強い。こうした都市では、鉱工業部 人口に占めるその割合が高まっている。ただ、 門でのブルーカラーの比率が多い上に、公務員 モスクワとサンクトペテルブルグには国中か も多く、しかも職能の低い公務員が主流だ。需 ら人が流れ込んでおり、ロシアの移民による人 要が低かったり、制度的な壁があったりで、中 口純増加の80%がここで生じているのに対し、 小企業は圧迫されている。 その他の大都市には主として同じ地域の住民 が流入している。 「第2のロシア」には、国民の約25%が住ん でいる。そのうち、もっとも尖鋭な「モノゴー 「第1のロシア」には、人口50万人以上の都 ラド(企業城下町)」には、正確に数えれば、 市も加えることが可能である。そうすれば、総 約10%が住んでいる。ちなみに、地域発展省は 人口に占める比率は30%まで高まる。最も定義 モノゴーラドの数を334と発表しているが、そ を緩めれば、人口25万人以上の都市を含めるこ こには小規模な村落のようなものも含まれて とができ、そうなれば全人口の36%、5,100万 おり、ある程度安定的に稼働している企業を抱 人ということになる。むろん、それらは千差万 えた現役のモノゴーラドは、約150である。残 別であり、トムスクのような人口50万の学術都 りの都市では、工業企業がすでに1990年代に雇 市もあれば、皆がこぞって与党「統一ロシア」 用を大幅に縮小しており、もはや企業城下町と ロシアNIS調査月報2012年5月号 3 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 呼ぶのは適切でない。 もし今後、経済危機の第二派が生じたら、最 マハチカラには統計上58万人が住んでいるが、 近郊の人口密集地を含めれば100万人に迫る)、 も打撃を受けるのは、 「第2のロシア」である。 工業都市は存在しない。都市のミドルクラスは 鉱工業が大きな落ち込みに見舞われる中で、住 今のところほとんど未形成で、他の地域に流出 民の適応能力は高くない。2009年には連邦政府 してしまって育たない。農村人口は増加し年齢 が地域向けの交付金を急増させ急場をしのい 構成も若いが、若者は都市に出てしまう。これ だが、今後財源が見付からないと、これらの都 らの地域では地元のクランが権力、資源、民族、 市の住民が職と賃金を求め政権に抗議する急 宗教などの闘争を繰り広げ、彼らにとっての関 先鋒となり、政権が大衆迎合的な決定を下す圧 心事は連邦からの資金を取り付けることだけ 力が強まる。2009年の経験が示しているように、 である。2009~2010年に連邦からの資金で住民 政権は「第2のロシア」の抗議の危険性を認識 の生活も向上し、それゆえに選挙では政権党に しており、いかにその火消しをするかも承知し 有利な結果が出た。連邦からしてみれば、これ ている。ミドルクラスにとっては肝心な諸問題 らの地域への支援はそれほどの規模でもない も、職と賃金を求める「第2のロシア」にとっ から、経済危機が再燃しても対処でき、これら ては、どうでもいいことである。政権はそれを 地域の状況は大きく変わらない。 分かっていて、「第2のロシア」に「第1のロ 「第1のロシア」が全人口の30%前後である シア」と敵対させようと仕向けるだろう。だが、 のに対し、「第3のロシア」が38%という中で これは展望のないやり方で、時間が経つにつれ は、国は後者を重視して家父長主義的な路線に 逆効果になる。中規模な工業都市の人口は急激 傾きがちである。また、「第2のロシア」の抗 に減少しており、若者は州都に流れている。 議的ムードについては、ロシア当局は、危機が 「第3のロシア」は、広大なエリアから成る辺 起きたとしても対処できるであろう。しかし、 境で、農村および小都市である。ロシアの人口 2011年の流れが示唆したように、遅かれ早かれ の38%を占める。彼らは土地に生きており、農 「第1のロシア」の比重が高まっていくことは、 業の歳時記は政権交代とは関係ないので、政治 不可避である。 * には無関心。人口が減少し高齢化している小都 市や農村は国中にあるが、とくに多いのは中央 以上がズバレヴィチの論考の要旨であった。 管区、北西管区、ウラルおよびシベリアの鉱工 むろん、この4分類が適切かという点に関して 業地域である。農村住民が多いのは南管区およ は議論が分かれるところだが、今日のロシアは び北カフカス管区で、そこにロシアの農民の ベクトルを異にするいくつかのセグメントに 27%が集中している。その他の地域では、大都 大別できるという点に関しては大方のコンセ 市に隣接した農村の住民だけが、生き残り可能 ンサスが得られそうだし、ズバレヴィチの議論 だろう。たとえ危機で年金や賃金が遅配になっ は充分に説得的である。以下本稿では、このズ たとしても、彼らの抗議エネルギーはほとんど バレヴィチの「4つのロシア」論を基本的な分 ない。 析枠組みとして利用しながら、議論を進めてい 「第4のロシア」は、北カフカスおよびシベリ きたい。 ア南部の民族共和国で、ここにはロシアの人口 なお、関連する事柄として、今日のロシア国 の6%弱が住んでいるにすぎない。そこには大 民の社会階層意識に関する調査結果を、参考ま 都市も中小都市もあるが(ダゲスタン共和国の でに図1で紹介しておく。これはレヴァダ・セ 4 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 図1 ロシア国民の社会階層意識(%) 100% 1 1以下 1 1以下 1以下 1 5 5 5 0.2 3.4 上 37.0 46 2011年、世界が「アラブの春」に揺れ、また 米国やEUを起源とする世界経済危機の「第二 波」の到来が叫ばれる中で、ロシアは当初、そ 中の上 45 プーチンの出馬決定に至るまで れらとは一線を画し、比較的安定した動きを示 しているかに見えた。むろん、2012年の大統領 47 中の中 選を控え、メドヴェージェフとプーチンのいず れが次期大統領の座に就くのかという不透明 50% 32.0 36 33 中の下 それでも、現体制は安泰であると信じられ、 「メ ドヴェージェフなのか、プーチンなのか」とい 33 下 17.0 13 14 13 2009年 12月 2010年 12月 2011年 12月 う二者択一も、国民の選択というよりは、当事 者間の話し合いの問題であるかのように捉え 不明 0% (出所)http://goo.gl/D1CwN http://goo.gl/3EiOC 感が重くのしかかっていたことは事実である。 参考: 1958年の 日本 日本の参考値は、 られていた。 ただ、そうした中でも、当時のメドヴェージ ェフおよびプーチンの言動を跡付けてみると、 大統領選をにらんだ駆け引きや、政策的な主導 権争いなどが見て取れた。2011年1月12日、プ ーチン首相はロシア独立労組連盟の第7回大 ンターがロシア全国で実施した世論調査で、 会に来賓として招かれ、そこで行った演説にお 「自分はどの社会階層に属すと思うか?」とい いて「モノゴーラド」問題に言及した。なお、 う質問に対する回答をまとめたものである。最 前出のズバレヴィチの論考の中でも取り上げ 新の調査は2011年12月6~23日にロシア全国 られているが、モノゴーラドとは、ロシアに多 1,511人の成人を対象に行ったもの。過去3年 く見られる、一つの企業または産業によって支 間の回答結果の推移を、図1にまとめた。日本 えられている企業城下町のことであり、2008 について、「1億総中流」などと言われて久し 年以降の経済危機下でその状況が悪化してい いが(最近は逆に怪しくなっているが)、ロシ た3)。この中でプーチンは、以下のように政府 アも意外に中流意識が強く、現時点で国民の のモノゴーラド対策を誇示してみせた。すなわ 85%は自らを中流と見なしているという結果 ち、2010年には35のモノゴーラドの発展プログ になっている。ただし、日本の場合は「中の上」 ラムが開始され、2011年にはさらに15の市・町 という意識が主流なのに対し、今日のロシアで に同様の資金援助を行う。工業団地の創設、中 はまだ「中の中」や「中の下」が圧倒的に多い 小企業やハイテクビジネスのためのインフラ という違いがある。図には参考までに、日本に も含め、その近代化のための総合投資計画が策 おいて中流意識が拡大し始めた時期に当たる 定されている。2015年までにモノゴーラドで20 1958年の数字を示しており、今のロシアはこれ 万以上の雇用創出を計画しており、これにより に見るような昭和30年代頃の日本の状況に近 モノゴーラドにおける失業率が現状の半分以 いと言えるかもしれない。 下になる4)。このように、上掲の「4つのロシ ア」論に即して言えば、プーチン首相は2011 ロシアNIS調査月報2012年5月号 5 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 年に入り「第2のロシア」を重視する姿勢を明 べるにとどまり、再選出馬についての明言は避 確に打ち出していた。 けた。「これ(現体制から誰が出馬するのかが プーチン首相は2011年4月20日、連邦議会の 不明確な状態)は永遠に続くわけではない。… 下院で前年の内閣の活動実績に関する報告を …その発表はかなり近い」と述べるなど、出馬 5) 行った 。この報告自体は毎年恒例のものだが、 への意欲はうかがわせた。しかし、自らの近代 2011年のそれは2時間20分にもわたってプー 化/イノベーション政策の総本山とも言うべ チン首相が大演説をぶつという異例のものと きスコルコヴォの晴れ舞台で開いた会見のわ なった。この報告に関しは、以下のような批判 りには、いかにも歯切れが悪かった。これを見 が専門家から寄せられた。すなわち、政府は、 たマスコミや専門家の間ではメドヴェージェ 農業、航空機産業、防衛産業、インフラ、教育、 フへの失望感が広がり、「プーチン大統領+ク 医療などを支援する構えだが、特徴的だったの ドリン首相で決まり」といった説がまことしや はその際にプーチンが数年間にわたる計画、巨 かに語られたりもした7)。 額の費用、大きな将来性について語っているこ そうしたなか、注目されたのは、少なくとも とである。「今後10年間で、軍の装備を一新す 表面上は、プーチン首相がメドヴェージェフ大 る」「今後10年間で、我が国の新たなインフラ 統領のリベラルな経済政策を取り入れ、言わば を形成する」といった具合だ。その論理は、賢 そのお株を奪うような動きに出たことであっ 者が国を正しい道に導くというものであり、国 た。T.スタノヴァヤという専門家によると、プ 民はその主体というよりは、政府がもたらした ーチンは具体的には、①車検制度の規制緩和、 成果の恩恵に与る存在と位置付けられている。 ②中小企業を念頭に置いた減税(社会保険料の プーチンの報告のなかには、 「民営化」 「自由化」 料率の引き下げ)、③「戦略的イニシアティブ 「グローバリゼーション」「国際分業」といっ 庁(ASI)」の設置、といった動きを見せた。 た言葉が一切出てこない。「民間ビジネス」と また、「ロシアは資源依存経済から脱却しなけ いう概念が欠如しており、それが国民経済発展 ればならない」というテーゼは、過去2年ほど のパートナーとしてではなく、単なる国家から はメドヴェージェフ大統領の専売特許のよう の支援の対象として位置付けられている。以上 になっていたが、プーチン首相も再びにわかに 6) が批判のあらましであった 。後述のように、 そのレトリックを取り入れるようになった。こ 実はこのプーチン報告が、経済政策面での重要 れらの動きは、プーチン首相が、政権与党「統 な分岐点になったとされる。 一ロシア」の選挙綱領の基礎となるべきいくつ 対するメドヴェージェフ大統領も2011年5 月18日、モスクワ郊外のスコルコヴォ・ビジネ かの政策を推進し始めたものと考えられると いうのが、スタノヴァヤの見立てであった8)。 ススクールにおいて、鳴り物入りの記者会見を 開き、内外800名もの記者がこれに集まった。 プーチンの出馬決定 しかし、大統領選への再出馬宣言が飛び出すか 2011年9月24日、政権与党「統一ロシア」の と期待されたものの、メドヴェージェフ大統領 党大会が開かれた。大会で演壇に立ったメドヴ は、 「そうした決定は、すべての機が熟した時、 ェージェフ大統領は、2012年3月の大統領選挙 それが最終的な政治的効果を挙げる時に下す に同党からプーチン現首相を擁立することを べきである。そうした決定を発表するのは、記 提案した。むろん、形式論から言えば国民が選 者会見とは若干違う形であるべきだ」などと述 挙で大統領を選ぶわけだが、現体制を代表して 6 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 選挙を戦う候補者が確定したことで、ロシアを チンとメドヴェージェフは一心同体であると 悩ませてきたいわゆる「2012年問題」には、実 いう前提があったものの、ここに来てメドヴェ 質的に終止符が打たれた。現大統領のメドヴェ ージェフがユコス事件、対野党関係、リビア問 ージェフは、「統一ロシア」の候補者名簿の筆 題などで独自の立場をとるようになり、プーチ 頭で2011年12月の下院選挙を戦ったのちに、プ ンとの隔たりが生じた点9)。 ーチン大統領の下で首相に就任するという方 ちなみに、世界経済危機の第二波という要因 は、ブーニン所長だけでなく、多くの専門家が 針が示された。 この決定は、キングとルークを入れ替えるよ こぞって指摘したポイントであった。ギリシャ うに同時に動かすチェスの一手「キャスリング」 問題でヨーロッパ経済が苦境に陥るなか、2012 になぞらえられた。ロシア語では「ロキローフ 年以降の政治体制が不確定であることで、ロシ カ」と言い、これが2011年のロシアの流行語大 アからの資本逃避が生じたり、大型プロジェク 賞のようになった。日本語で言えば「入れ替わ トが軒並み止まったりといった弊害が生じ、ロ り」といったところだろうか。 シアの政財界で「確実性」を求める声が高まっ メドヴェージェフ、プーチンの両氏は、とも たという側面があったようだ。ただし、「危機 に2012年3月の大統領選への出馬に前向きで が迫っているので強いプーチンが大統領に復 あったと考えられている。プーチンは、2008 帰する」と説明したら、メドヴェージェフ現大 年大統領選の際には、自らの後継者をぎりぎり 統領の面目が潰れるので、表向きは両者の個人 まで決めず、下院選挙の時点まで情勢を見極め 的な信頼関係で合意したという体裁がとられ て決定を延ばしした。それと同じように、今回 たと指摘されている。もしも経済環境が異なっ も決定をなるべく先延ばししようとするだろ ていたら、ロシアの2012年問題も別の展開を辿 うというのが、大方の見方であった。それが、 っていたかもしれない。 9月の「統一ロシア」の党大会で、早々と2012 プーチンの大統領復帰とメドヴェージェフ 年以降の体制が打ち出されたわけである。プー の首相への転身確定の余波として、A.クドリン チンの大統領復帰という選択自体は、多かれ少 副首相・蔵相が退任することになった。2012 なかれ織り込み済みだったものの、このタイミ 年に成立するメドヴェージェフ新内閣に加わ ングで発表されたことに関しては、多くの専門 るつもりがない旨をクドリンが明言し、それに 家も驚きを隠さなかった。専門家によれば、 「プ 不快感を示したメドヴェージェフ大統領がク ーチン大統領・メドヴェージェフ首相」という ドリンに直接退任を迫り、結局9月26日に大統 新体制が最終的に合意されたのは、8月末頃と 領がクドリン副首相・蔵相の解任に関する大統 見られるという。 領令に署名したものである。クドリンは今日の それでは、当初の見通しよりも早く、この時 ロシア政官界を代表するリベラル派のエコノ 期にプーチンの大統領復帰という方針が確定 ミストであり、2000年以降のプーチン政権では、 したのは、なぜだったのか? 政治工学センタ 政権そのものは権威主義的な体質を抱えなが ーのI.ブーニン所長は、2つの要因があったと ら、マクロ経済および財政政策は概ね規律のと 指摘している。第1に、世界経済危機の第二波 れたものであり、それを担保していたものこそ の脅威が高まる中で、プーチンが大統領に復帰 クドリンの存在であった。プーチンにとってみ することにより、より盤石な権力体制を構築す れば、クドリンはイデオロギーを異にしながら ることが要請された点。第2に、もともとプー も信頼できる腹心であり、財政規律を守ってく ロシアNIS調査月報2012年5月号 7 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 れる有能なテクノクラートだった。しかし、 立は、確かに財政政策を争点としているものの、 2008年にプーチン=メドヴェージェフのタン それに人間関係や権力闘争が絡んでこじれて デム体制が成立すると、メドヴェージェフとク しまったものと言うことができる。 ドリンが対立する場面が目立つようになる。筆 者の見るところ、メドヴェージェフの価値観は 市民の反発を招いた「入れ替わり」 リベラルなものであり、その意味ではクドリン 振り返ってみると、2010年頃からロシアの市 は潜在的な同志とも言える。しかし、大統領と 民が現支配体制に反旗を翻すような動きが、部 して実績を挙げたいメドヴェージェフは、近代 分的に見られるようになっていたことは事実 化のための投資、軍の再装備、国民の社会保障 である。サンクトペテルブルグでガスプロム社 負担の軽減といった歳出拡大を伴う政策イニ が計画していた超高層ビル建設が、文化人や市 シアティブをとらざるをえない立場にある。そ 民の反対運動で変更を余儀なくされたことは、 して、メドヴェージェフとクドリンの個人的な 当国にあっては画期的な出来事であった。モス 関係が良好でないことから、歳出拡大をめぐる クワ州でも、中止に追い込むことこそできなか 対立が尖鋭化した。実際には、軍の再装備とい ったものの、道路建設のための森林伐採に反対 ったことも、もともとはプーチンが主導してい する市民運動が盛り上がりを見せた。2010年末 たことであり、プーチンも歳出拡大に傾きがち には、クレムリンのすぐ隣のマネージ広場で、 であることに変わりはないが、権力基盤がより 民族間対立(「第4のロシア」の問題)に端を 強いプーチンには、クドリンに財政を任せる余 発したフーリガンによる騒乱騒ぎが起き、政権 裕があった。メドヴェージェフとクドリンの対 の権威を失墜させた。 図2 ロシア国民のプーチンおよびメドヴェージェフへの支持率(%) 100 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 2007 2008 2009 プーチン支持率 メドヴェージェフ支持率 2010 2011 2012 プーチン不支持率 メドヴェージェフ不支持率 (出所)http://www.levada.ru/indeksy 8 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 図2は、「レヴァダ・センター」が毎月ロシ り、現体制が2012年からさらに6年間も(最悪 ア全国で実施している世論調査結果で、国民の の場合2期12年間も)続く見通しとなったわけ プーチンおよびメドヴェージェフへの支持 である。もしもこれがメドヴェージェフの再選 率・不支持率の推移を跡付けたものである。こ 出馬であれば、未来志向的なニュアンスも汲み れを見ると、プーチンおよびメドヴェージェフ 取れ、ミドルクラスたちの反発はそれほど大き の支持率は2008年頃をピークに、その後低下傾 くなかったかもしれない(ただし、その場合は、 向にあったことが分かる。とりわけ、2011年に 軍事・治安機関関係者など、別の方面からの反 入って支持率が顕著に下降している。一般的に 発が生じたであろうが)。しかし、現体制を体 言ってロシア国民は(とりわけ「第2のロシア」 現し、より年齢も高いプーチンが大統領に復帰 「第3のロシア」は)、自らにとって身近な経 するということで、多くの市民がこれを時代に 済・社会問題を尺度として為政者を評価する傾 逆行する動きであり、「停滞の時代」への逆コ 向が強いので、2011年に生じた政権の支持率下 ースであると受け止めた。そうした危機感ゆえ 落も主としてその観点から原因を探るべきで に、ここからロシアのミドルクラスたちが、か あろう。そして、それが前年あたりから国民に つてなく政治的に活発化することになるので 芽生え始めた現体制への造反的なムードと重 ある。 なり合い、プーチンおよびメドヴェージェフの 大統領選の前哨戦として、連邦議会の下院選 支持率がじりじりと低下していったといった 挙の投票が、2011年12月4日に行われた。その ところではなかっただろうか。 結果、表1に見るように、与党の「統一ロシア」 ただ、このように逓減傾向にあったとはいえ、 は、単独過半数こそ維持したものの、大勝した 2011年半ばの時点でプーチンの支持率は70% 前回2007年との比較で大幅な退潮を余儀なく 前後もあり、メドヴェージェフのそれも60%を された。野党の共産党、 「公正ロシア」、自由民 超えていた。有力な野党の対抗馬が存在しない 主党はいずれも得票・議席を伸ばしたが、これ こともあり、2人のうちどちらが現体制を代表 は野党への積極的な支持というよりも、有権者 して2012年大統領選挙を戦ったとしても、最終 が政権与党への抗議として「統一ロシア」以外 的に勝利すること自体は確実だった。そして、 の党に票を投じるという行動をとったからだ 上述のように2011年9月の「統一ロシア」党大 と見られる。 会で、プーチンの大統領復帰という方針が示さ ただ、選挙結果にも増して、大きなインパク れたわけである。これでこの国を覆っていた不 トを与えたのは、選挙後の大規模な抗議デモで 透明感が払拭され、ロシアは粛々と次のステー あった。下院選挙に不正があったとして、モス ジに進んでいくかと思われた。しかし、ここか クワ中心部で大規模な抗議デモが繰り返し開 らむしろロシア政治は流動化していくことに 催される事態となったのである。当初は弾圧の なるのである。 姿勢で臨んでいた体制側も、政治改革案を示す ここで存在感を増すことになるのが、「第1 など、事態の鎮静化に追われた。かくして、当 のロシア」、つまり大都市のミドルクラスであ 初は「メドヴェージェフか、プーチンか」とい る。彼らの多くは、この国で広まってきた閉塞 う選択の問題だけがクローズアップされてい 感にフラストレーションを覚え、それを打破し たものの、その問題が決着したとたん、市民が たいと願うようになった。そうしたなか、プー 声を上げ始め、ロシアの政治はその様相を一変 チンが大統領という元の鞘に収まることにな させたのである。 ロシアNIS調査月報2012年5月号 9 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 表1 ロシア下院選挙結果(2007年と2011年の比較) 2007年12月2日投票下院選挙 2011年12月4日投票下院選挙 得票率 (%) 獲得 議席数 44,714,241 64.30 315 2.共産党 8,046,886 11.57 3.自由民主党 5,660,823 4.公正ロシア 政党名 1.統一ロシア 得票数 政党名 得票数 得票率 (%) 獲得 議席数 1.統一ロシア 32,379,135 49.32 238 57 2.共産党 12,599,507 19.19 92 8.14 40 3.公正ロシア 8,695,522 13.24 64 5,383,639 7.74 38 4.自由民主党 7,664,570 11.67 56 5.農業党 1,600,234 2.30 0 5.ヤブロコ 2,252,403 3.43 0 6.ヤブロコ 1,108,985 1.59 0 6.ロシア愛国者 639,119 0.97 0 ほか5党の合計 2,262,328 3.25 0 7.右派活動 392,507 0.60 0 有権者数:109,145,517 投票参加者数:69,609,446 投票率:63.78% 再び前掲の「4つのロシア」論に立ち返って 有権者数:109,237,780 投票参加者数:65,656,526 投票率:60.10% のは困難である。むろん、モスクワでの抗議デ 言えば、プーチン体制の国民的支持基盤に揺る モを主導しているのも、こうした人々であろう。 ぎが生じているのには、大別して次のような2 思うに、プーチンは確かにロシアに秩序をも つの側面があるものと思われる。①「第2のロ たらし、その安定の中でミドルクラスが育って シア」「第3のロシア」における変化。これま きたが、現在はまさにそのミドルクラスがプー でプーチンを支持してきたような社会層が、自 チンに対する反乱を起こしていると言えるか らの生活水準が悪化したり、思うように高まら もしれない。 ないことに不満を抱き、若干プーチン離れを起 こしている。②「第1のロシア」の動き。すな わち、以前からプーチン体制を冷ややかに見て いたような社会層が、従来以上に尖鋭化し、層 としても厚みを増している。 ロシア政治の地殻変動をどう見るか —2人の専門家の分析 ロシア「世論基金」のA.オスロン会長が、大 統領選を前にしたロシアの世論動向につき語 「第2のロシア」 「第3のロシア」の場合は、 ったインタビュー記事があるので10)、以下でそ 国がオイルマネーを活用するなどして彼らの の要旨を紹介しておく。オスロンは、2011年に 生活を改善・安定化できれば、引き続き現体制 入ってプーチン・メドヴェージェフの支持率が への忠誠を調達できるだろう。選挙でも、組織 低下した原因は、同年初頭に実施された諸物価 的な動員が可能な土壌がある。それに対し、 「第 の引き上げであったとしている。 1のロシア」に属する人々が求めているのは、 * 目先の暮らしもさることながら、より自由で自 2011年にプーチンの支持率は、急激というよ 己実現のできる社会である。インターネットや りも段階的に低下した。最初は、年初に物価の ソーシャルメディアでコミュニケーションす 値上げがあり、政権への支持が下がった。2009 る自覚的な市民を、政権当局が操作・動員する 年当時は、危機は外国から到来したもので政権 10 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 は悪くないと受け止められ、この脅威に対処で ンからカネをかすめ取ろうとする役人が増殖 きるのはタンデムだけだと考えられたのだが、 しており、司法もそれとつるんでいる。こうし 今回は違った。その次に、秋にタンデムの大統 た状況に、積極派の国民は愛想を尽かしている。 領と首相の「入れ替わり」が明らかになり、メ むろん、積極派が全員ビジネスマンとは限らず、 ドヴェージェフが二番手の役割に後退するこ 腐った連中の下で働くことを余儀なくされて とになり、一部国民の期待を裏切った。 いる芸術家や公務員もいるが。一方、反政府集 これまでプーチンが成功してきた最大の原 会には貧困層の国民も見られるが、彼らには貧 因は、彼が常に世論の求める声と共鳴していた しさゆえに常に不満を表明したい気持ちがあ ことである。2000年には、カオス・崩壊を克服 り、たまたま現在反政府運動が盛り上がってい するというものだった。2003~2004年には、国 るから参加したというだけだ。これに対し、消 民は自らの物質的な生活を豊かにしたいと願 極派の国民は、上述のような問題に直面してお っていた。プーチンは経済について語るビジネ らず、積極派が何に不満を抱いているのかも理 スマンに身軽に変身して見せ、国民の期待に応 解できない。 えた。2007年末~2008年初頭は、新生ロシアが 最も幸福だった時期で、道が外車で渋滞するよ うになったり、国民が普通にトルコやエジプト に保養に出かけたりできるようにもなった。 2008年のタンデム政権の出現は、国民に歓迎 された。プーチンは安定した中心として経済を 取り仕切り、メドヴェージェフは未来について * 以上がオスロンの分析であり、筆者の見方と 概ね符合しているように思われる。 次に、政治工学センターのA.マカルキン第一 副所長による分析を、ミドルクラスについての 部分を中心に、以下のとおり紹介してみたい11)。 * 語り、青少年に語りかけ、当時支持率は急増し ロシアの状況は、アラブのそれとは大きく異 た。社会には刷新に対する期待が高まり、すべ なる。ロシアでは今のところ、大卒青年の就職 ての社会グループが新しいものを求めた(グル に、深刻な問題はない(数年後には生じるかも ープによって求める新しいものは違ったが) 。 しれないが)。もしも自分が専攻した専門の仕 今回の大統領選の特徴は、社会が15~20%の 事に就けないとしても、事務職の管理職に就く 積極派と、85~80%の消極派にくっきりと二分 ことは可能で、その点がバザールの売り子にな されていることであり、「入れ替わり」に失望 るしかないアラブとの違いである。中級・高級 したのは積極派。積極派とは、職業的な野心を の商店で買い物をしているロシア市民にとっ 持った人々であり、すべての地域にいるが、大 ては、食料品の値上げも大した問題ではない。 都市に多い。一頃、これらの積極派がメドヴェ ロシアで抗議運動に参加している人々が、ほと ージェフを支持していた時期があったが、メド んどの場合過激でないのは、一部には、こうし ヴェージェフが脇役になってしまったことで、 たことに起因している。 彼らは自分たちの代表が政権にいないと感じ ロシアの若いミドルクラスは2011年末、最初 るようになった。社会的不満が鬱積し、反政府 は前例のない活発さを見せて投票で政権党を 集会という形になって表れた。選挙の不正に対 罰しようとし、その後には広場に集まった。彼 する抗議は、不満を表明するためのきっかけに らがこのような行動を起こしたのには、いくつ すぎなかった。国民の最大の不満の種は、ロシ かの原因が考えられる。それはまず、石油高の アで勢いを増すばかりの無法状態。ビジネスマ 時期には覆い隠されていた汚職、行政の非効率、 ロシアNIS調査月報2012年5月号 11 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 縁故主義といった問題が、経済危機によって露 デモが繰り返される騒然とした雰囲気の中で、 わになり、その結果政権への失望が広がったこ 2012年3月4日の投票に向けて、大統領選の火 とである。それはまた、政治に口を出さない代 蓋が切って落とされた。候補者として正式に登 わりに、自らの実力と可能性次第で稼いだり出 録されたのは、V.プーチン(統一ロシア)、G. 世することはできるという、暗黙の社会契約へ ジュガノフ(共産党)、M.プロホロフ(自薦) 、 の倦怠である。1848年のフランス2月革命の半 V.ジリノフスキー(自由民主党)、S.ミロノフ 年前に「フランスは飽きている」ということが (公正ロシア)の5名だった。有力な民主野党 言われたが、2011年暮れにモスクワでデモがあ 政治家のG.ヤヴリンスキー(ヤブロコ)は支持 る前のロシアも、やはり飽きていた。 署名に不備があったとして、登録を認められな ところが、そのロシアでカーニバルが始まり、 かった。 今や、最近まで「ヨーロッパで最良の蔵相」と プーチンへの対抗馬のうち、ジュガノフとジ 呼ばれていたA.クドリンと、公序良俗を乱した リノフスキーはロシア政界の古株であり、一定 罪で15日間投獄されていた天才的な扇動者の の固定的支持層こそ抱えているものの、国民の A.ナヴァリヌィが、並んで演壇に立っているの 多数派の支持を集められないことは明らかで である。ロシアの倦怠感はまた、強烈な屈辱感 あった。また、リベラル派のプロホロフ、中道 とも結び付いていた。屈辱感とは、具体的に言 左派のミロノフには、多かれ少なかれ新味があ えば、たった2人の人間が、誰がこの国を向こ るものの、いずれもリーダーとしての資質が未 う6年間、さらには12年間率いるかを決めてし 知数の上に、陰でプーチン政権と繋がっている まったことによるものだった。次の10年代を、 ということも疑われている12)。結局、プーチン 同じ体制の下で迎えることになるかもしれな に取って代わりうる強力な対抗馬を欠いたま いと考えることは、市民たちにとって耐えがた まの選挙となり、プーチンに対する信任投票と いことだった。また、V.チューロフ中央選管議 いう意味合いが強まった。プーチンの勝利自体 長の「魔法」に対する屈辱感もあった。 は確実視される中で、3月4日の第1回投票で そして、もう一つ重要だった要因が、インタ プーチンが過半数をとって勝利を決めてしま ーネットを用いた共同行動である。最初は非政 うか、それとも過半数に届かずに決選投票にも 治的な慈善活動だったのが、ナヴァリヌィのた つれ込むかがむしろ焦点となった。 めの資金集めに転じ、それが政治集会への動員 プーチン陣営は大統領選に向けてウェブサ になっていった。しかも、政権と社会の間には イト「putin2012.ru」を開設し、1月12日に大 信頼感が失われているのに対し、ネットの中で 統領候補としての公約を発表した。ただ、 「2012 は信頼というきわめて重要な現象が生じてい ~2018年のプログラム」と題されたこの文書は、 た。ネットの中で人々は、お涙頂戴の話は信じ 今後正式に発表する選挙綱領の概要を示した ないが、真実を語り、透明な資金を集めてその ものであるとされ、ごく簡略な内容であった。 結果を公表することのできるような相手は信 そしてその後、プーチンは実質的に自らの選挙 用する。反政府集会に市民を動員したのは、ま 綱領に相当する一連の論文を、新聞紙上で次々 さにそのような人々だった。 と発表した。これこそが、今回のプーチン陣営 の選挙キャンペーンの目玉となった感がある。 特徴的だった「論文攻勢」 モスクワおよびいくつかの大都市で反政府 12 1ヵ月半にわたって週1本のペースで発表さ れた論文を整理すると、下記のようになる。 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 ●第1弾(総論・導入編) 「集中するロシア ― のようであり、政府・与党一体となって「プー 我々が応えるべき要請―」(2012年1月16日 チン公約すぐやる隊」として動いているような 付『イズベスチヤ』紙) 。 様相を呈した。 ●第2弾(民族問題) 「ロシア:民族問題」 (2012 労組や企業城下町を締め付け 年1月23日付『独立新聞』) 。 ●第3弾(経済問題)「我々の経済的課題につ プーチンが新聞紙上で自らの「哲学」を語っ いて」 (2012年1月30日付『ヴェードモスチ』 てみせたのが選挙戦の表の舞台だったとすれ 紙) 。 ば、裏の舞台ではプーチン陣営は組織的な締め ●第4弾(政治問題)「民主主義と国家の質」 付けに動いた。反政府デモで危機感を覚えた体 (2012年2月6日付『コメルサント』紙) 。 制側が、反対派への譲歩や国民的対話というよ ●第5弾(社会問題)「公正の確立。ロシアの りは、あくまでも従来の手法で締め付けを強化 社会政策」(2012年2月13日付『コムソモリ し、試練を乗り切ろうとしている様子が見て取 スカヤ・プラウダ』紙) 。 れた。その際にターゲットとなったのは、「第 ●第6弾(安全保障問題)「強くあること:ロ シアにとっての国家安全保障の保証」(2012 2のロシア」だった。 1月25日、ロシア独立労組連盟の総会が開か れ、連盟は大統領選でプーチン候補を支持する 年2月20日付『ロシア新聞』)。 ●第7弾(外交問題)「ロシアと変わりゆく世 ことを決定した。ロシア独立労組連盟は、各産 界」(2012年2月27日付『モスクワ・ニュー 業および地域の労組の連合体で、2,500万人の ス』紙) 。 組織構成員を擁する。旧ソ連の全ソ労評の後継 このうち、本稿のテーマと最も密接にかかわ 機関であり、「独立」と銘打ってはいても、官 る第3弾経済論文に関しては、別のところで抄 制労組という性格が色濃い。本件は、プーチン 訳して紹介したので、ご参照いただきたい 13) 。 陣営による組織的な締め付けの典型例だった ただ、これらの論文はいずれもそれなりのボ と言っていいだろう。総会で幹部らが行った演 リュームがあるものの、自らの「歴史観」「世 説は、反政府デモやそれを支援する欧米を非難 界観」を語ることに主眼が置かれており、具体 するなど、かなり大衆迎合的な内容だったよう 論には欠けるうらみがある。これらの論文を読 だ14)。 んでも、プーチン新政権の下でどのような政策 12月のモスクワでの反政府デモがたけなわ が講じられるのか、必ずしも具体的に把握でき だった時期に、スヴェルドロフスク州の工業都 るわけではない。 市ニジニタギルで、「ウラル鉄道車両工場」の それでも、選挙戦の過程で、ロシア政官界の 労働者が政権支持集会に動員されるという出 動きを見ていて非常に顕著だったのは、プーチ 来事があった(同社は、鉄道車両もさることな ンが新聞で論文を発表したり演説したりする がら、戦車などの軍需生産で名高い)。そして、 たびに、周囲がそれに機敏に反応し、政策とし 2月2日にエカテリンブルグで地域間社会・政 て肉付けし前倒しで実行していこうと努めて 治運動「勤労者の擁護のために」の設立準備会 いたことである。とりわけ、移民政策の厳格化、 合が開催され、そのウラル鉄道車両工場、プー 1990年代の民営化の受益者による国庫への納 チン支持団体の「全ロシア国民戦線」、労組の 付金、贅沢税の導入などで、そのような動きが 州連盟の代表者が発起人として参加した。将来 見られた。何やら、すでに新政権が発足したか 的な政党への改組も視野に入れているという。 ロシアNIS調査月報2012年5月号 13 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 専門家はこれを、中央当局と歩調を合わせたも けて3位フィニッシュを果たしたことであり、 ので、左派有権者の支持を奪い取るためのもの 同氏は今後の政治活動に向け一定の足掛かり 15) だと見ている 。一連の動きには、地方の工業 を築いた。 都市、企業城下町を足掛かりに政権基盤を固め 直し、そしてそれを単発に終わらせるのではな 図3 2012年大統領選の各候補の得票率(%) く、組織化・常設化していこうという流れが見 0 50 100 て取れる。 締め付けと言えば、地域の行政へのそれも見 逃せない。ロシアでは、12月の下院選から3月 の大統領選までの期間に、4地域の知事が解任 された。具体的には、V.ポズガリョフ・ヴォロ V.プーチン 63.60 G.ジュガノフ 17.18 M.プロホロフ 7.98 V.ジリノフスキー 6.22 S.ミロノフ 3.95 グダ州知事、A.ブロフコ・ヴォルゴグラード州 知事、I.ミハリチューク・アルハンゲリスク州 知事、S.ダリキン沿海地方知事である。いずれ も自らの希望で退任したということになって いるが、クレムリンは彼らの仕事に満足してい *投票率は65.34%。 なかったことを示唆している。これらの地域に 共通しているのは、下院選で与党「統一ロシア」 の得票率が低かったことである。ダリキンの解 任は大統領選まで1週間という異例のタイミ 図4 プーチンの得票率が高かった地域と 低かった地域(%) チェチェン共和国 99.8 ダゲスタン共和国 92.8 イングーシ共和国 91.9 と考えられている。ヴォログダ州で新知事に就 カラチャイ・チェルケス共和国 91.4 任した元チェレポヴェツ市長のO.クフシンニ トゥヴァ共和国 90.0 モルドヴィア共和国 87.1 ヤマロ・ネネツ自治管区 84.6 労組と対面したりした。新知事は大手鉄鋼メー タタルスタン共和国 82.7 カー「セヴェルスターリ」の支援も取り付ける カバルダ・バルカル共和国 77.6 ケメロヴォ州 77.2 ハバロフスク地方 56.2 オムスク州 55.6 イルクーツク州 55.5 カレリア共和国 55.4 ヤロスラヴリ州 54.5 ウラジーミル州 53.5 オリョール州 52.8 コストロマ州 52.8 カリーニングラード州 52.6 モスクワ市 47.0 ングだったが、汚職蔓延の元凶と考えられてい たダリキンの解任は、プーチンに有利に働いた コフは、大統領選期間中に精力的に州内を回り、 など、プーチン勝利のために労を惜しまなかっ たようである16)。 大統領選の投票結果 大統領選挙の投票は、3月4日に実施された。 各候補の最終的な得票率を示したのが、図3で ある。プーチン首相が63.60%を得票し、第1 回投票で当選を決めたとされている。 波乱のない結果に終わったが、強いて注目点 を挙げれば、ミロノフとの4位争いとも言われ 0 50 100 ていたプロホロフがジリノフスキーすらも退 14 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 下では、「不確実性」の兆候とされるのは、単 に選挙に負ける可能性だけでなく、決選投票に もつれ込むことすらもそうなのである。決選投 票は、体制を侵食し、役人たちに日和見を許す ことになりかねないものだと思われている。も っと言えば、第1回投票での辛勝というのも駄 目なのである。プーチンはただの政治家として の大統領にはなりたくないのであり、国民的リ ーダー、自らが築いた体制の支柱であろうとし 投票するプーチンの姿 ている。彼は他の候補者と戦っていたのではな く、自らと戦っていたのだ。そして、もっと地 プーチンの得票率の高かった地域、低かった 味な第1回投票の得票率で我慢しておいたら 地域のそれぞれベスト10を整理すると、図4の 避けられたであろう大きな騒動という犠牲を ようになる。プーチンが異常な好成績を収めて 払ってでも、その結果を獲得した17)。 いるところは、ほとんどが少数民族系(しかも 部外者が見ると、「プーチン政権は絶対優勢 多くがイスラム系)の地域であり、腐敗的な土 なのに、なぜ野党やマスコミを圧迫したり、選 壌をうかがわせる。プーチンは「第4のロシア」 挙で不正を働いたりするのか?」と、不思議に では支持調達に成功したと言えるが、人口の少 も思われる。結局のところ、マカルキン氏も指 ない地域が多いので、これが全国レベルで選挙 摘しているとおり、プーチンは単に選挙に勝っ に勝つ決め手になるわけではない。 て政権の座に就くだけでなく、これまで築いて 一方、プーチンの得票率が最も低く、唯一過 きた強固な支配体制を維持しようとしている 半数を割り込んだのが首都のモスクワ市であ からこそ、試練に直面しているのだろう。今回 り、バルト海に面する飛び地のカリーニングラ の選挙にしても、勝つこと自体は最初から当た ード州がこれに続いた。いずれも、反政府デモ り前であり、むしろ「戦後秩序」こそが焦点で のメッカである。あとは、モスクワ周辺部の州 あったと、そんな言い方ができるかもしれない。 が目立つが、これらは以前から「レッドベルト」 と呼ばれていた地帯であり、共産党の支持基盤 が強いことに関係している可能性がある。なお、 「戦略2020」の読み方 大統領選挙に前後する時期の見逃せない動 プーチン氏のご当地であるサンクトペテルブ きとして、プーチン首相の命を受けたロシアの ルグ市における同候補の得票率は、58.8%であ 専門家グループが、同国の今後の政治・経済政 ったとされている。 策の根幹となるとされる基本文書「戦略2020」 前出のマカルキン氏は、3月4日の投票結果 の新版を策定したという話題があった。 を受け、次のようにコメントしている。プーチ 経緯を整理すると、「戦略2020」はプーチン ン政権は、これまでと同様、どんな民主主義に 首相の指示により、「専門家グループ21」が策 も付き物の不確実性を、外国の勢力によって挑 定に当たった。最初の草案は、経済発展省の主 発された危険な不安定性と同一視し、いかなる 導によって起草され、2008年秋に政府が承認し 手段を使ってもそれを最小化することこそ肝 た。しかし、世界経済危機の影響で、文書の修 要と考えている。しかも、今日のロシアの条件 正が必要になった。その修正作業は、ロシアを ロシアNIS調査月報2012年5月号 15 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 代表する経済学者らに委ねられ、2011年8月に ところが、「戦略2020」の修正作業に携わっ 第2の中間案が提出された。当時は、2011年12 た国民戦略研究所のM.レミゾフ所長が、爆弾 月1日までに最終案が準備されると想定され 発言とも言える過激なことを、インタビューで ていたものの、冬になって、最終案は大統領選 述べている20)。以下に、所長の発言の大意を記 挙後に出るということが明らかになった。そし しておく。 * て、3月14日、864ページに上る新たな「戦略 2020」の最終版が、一般に公表されたというわ 18) けである 。 新版の「戦略」が、なぜ今頃になって公表さ れたのかというのは、非常に単純である。選挙 新版の「戦略2020」がどのような精神にもと キャンペーンの期間中、それの邪魔にならない づいて策定されているのかは、以下のような象 よう、伏せられていたからだ。「戦略」が伏せ 徴的な一節を読めば、明らかであろう(p.5)。 られている状態は、2011年4月20日から、2012 年3月4日にプーチンが選挙で勝つまで続い 新たな成長モデルは、脱工業化経済、明日 た。2011年4月20日とは、プーチン首相が議会 の経済への志向を想定している。その基礎と で政府活動報告を行い、その中で新版の「戦略」 なるのは、教育、医療、IT、メディア、デザ の主要路線を退けた日だった。プーチンはその イン、「印象の経済」など、人的資本の開発 演説で、脱工業化的な経済路線ではなく、積極 を志向するサービス部門である。先進国でも、 的な産業政策、経済成長における国家の役割を 途上国でも、「クリエイティブ・クラス」が 主張したのである。 誕生している。これは自らの日常的な仕事の 選挙戦が進むにつれ、プーチンはその路線を 過程でイノベーションを創出する創造的な さらに強め、新版の「戦略」とは対極にある新 労働に従事する人々である。21世紀の現代的 たな工業化コンセプトを打ち出した。また、 「戦 な経済において、競争優位を決定するのは、 略」のイデオローグたちが外国からの労働移民 まさに彼らである。近年の経済史が示してい の受入に積極的なのに対し、プーチンはそれに るように、クリエイティブ・クラスによるイ 批判的であった。政権は2020年までに国防装備 ノベーションの創出は、制度的な環境からは に20兆ルーブルを投入するというプログラム 相対的に独立して、多様な組織やネットワー を2010年に承認しているわけだが、「戦略」の クの枠内で生じる。そのためには、人的資本 起草者たちは同プログラムを優先課題とは見 の開発に関連したすべての分野に、質的に異 なしておらず、そもそも産業政策およびハイテ なるアプローチを採ることを必要とする。 ク振興の手段としての国防発注という路線を 重要視していない。ところが、プーチンの選挙 なお、ここに登場する「クリエイティブ・ク キャンペーンでは、国の発展はハイテク生産に ラス」という言葉は、経済学者・社会科学者で かかっているという点が強調された。ロシアで あるリチャード・フロリダが、米国の脱工業化 は工業のうち最もハイテク的なセクターが国 した都市における経済成長の鍵となる推進力 防産業なので、その保護・育成が死活的に重要 として提示した社会経済学上の階級のことで とされるのである。 19) ある 。新版「戦略2020」の策定に当たったロ プーチンは、夜警国家的なビジョンとは異な シアの学者たちは、脱工業化社会こそがロシア る、国家・開発路線を掲げて、大統領に当選し の進むべき道であると唱えているわけだ。 た。新たな工業化、移民の制限、社会的公平が 16 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 スローガンだった。もしもプーチンがこれらの り組むためのロードマップを策定したと発表 公約を取り下げたら、政治的なメンツを失い、 した22)。ちなみに、4月11日にプーチン首相が 国民が寄せてくれた信頼を裏切ることになる 議会向けに前年2011年の政府活動報告を行っ ので、プーチンはそれらの公約を実行していく た際には、 「戦略」への言及は一切なかった23)。 はずである。むろん、「戦略」は広範な文書な 当然のことながら、ロシアのマスコミでは、 ので、都合の良い箇所が部分的に実施されるこ 選挙公約の乱発が今後財政を圧迫することに とはあるだろうが。 繋がるのではないかと不安視する論調も見ら れる24)。 経済政策のジレンマ これに対し、A.ドヴォルコヴィチ大統領補佐 再び「4つのロシア」論を援用するならば、 官は、プーチン首相が大統領選の過程で唱えた ロシアの最良の頭脳たちは、「第1のロシア」 公約を実行に移しても、財政は破綻しないとい のクリエイティブ・クラスに未来を託し、脱工 うことを強調した。補佐官によれば、いずれに 業化の方向に舵を取ることを提言している。そ しても我々はすでに存在する予算上の上限の れに対し、学者たちに「戦略」の策定を委ねた 範囲内で活動するので、財政の安定性に支障は 張本人のプーチンは、「第2のロシア」に軸足 来さない。平均的な評価ではプーチンの一連の を置く選挙戦を展開し、再工業化路線を掲げて 公約のコストはGDPの1.5%になるが、それは 国民の信任を得た格好となったのである。 我々が今後数年間で予想している資源の範囲 新版の「戦略2020」は大部なので、筆者自身 内に収まる。これらの公約の多くでは、明確な その中身を厳密に検証するには至っていない。 メカニズムが示されていないので、かなり柔軟 あるいはレミゾフ所長は、プーチンが選挙中に に対応する余地があると、補佐官は説明した。 掲げていた路線への危機感から、戦略との乖離 他方、E.ナビウリナ経済発展相は、プーチンが を過度に強調しているのかもしれない。ただ、 選挙前の論文で述べた措置を実施することに 逆に産業政策派の論客がその立場から新版の より、ロシア経済は向こう3年間、成長が0.4 21) 「戦略」を批判していることから見ても 、や ~0.9%ポイント上積みされ、その後政策がさ はり「戦略」はプーチン流の工業振興路線とは らに効果を全面的に発揮すれば、経済効果は慎 かなり異なる方向性を志向していると見なし 重なシナリオよりもさらに大きくなると発言 てよさそうである。象徴的な点を挙げれば、 「戦 している25)。 略」では2014年までに財政歳出の国防・国家安 プーチンは長年にわたりクドリンに財政を 全保障・治安維持費をGDPの0.9%分節約する 任せ、マクロ経済・財政面では規律のとれた政 としている(p.117) 。 策をとってきた経緯がある。今後も、実際には 筆者の印象では、これまでのところ政策エリ 選挙公約に過度に囚われずに、現実的な政策路 ートの間では、新版の「戦略」よりも、プーチ 線を選択する可能性も考えられる。しかし、都 ンが選挙キャンペーン中に発表した一連の論 市部のミドルクラスの反乱に危機感を抱き、 文を新政権の指針として重視していこうとす 「第2のロシア」に極端に傾斜した選挙キャン る動きの方が目立つように思われる。たとえば、 ペーンを張った結果として、経済政策路線にお 下院の与党「統一ロシア」会派は4月初頭、プ いて深刻な矛盾を抱え込んでしまったことは ーチンが発表した一連の政策論文を受け、そこ 否定できない。 で挙げられた最も喫緊の160の問題の解決に取 ロシアNIS調査月報2012年5月号 17 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 投票後の集会で支持者を前に感極まった 様子のプーチン。 なお、この直後、ロシアのあるテレビ局が、 ソ連時代の名画「モスクワは涙を信じない」 を放映したという(小熊宏尚氏ご教示)。普 段から放映されることの多い人気作ではあ るが、当てつけの意味があったか? 窮地に追い込まれるメドヴェージェフ 筆者は、もし仮にメドヴェージェフが現体制 を代表して2012年3月の大統領選を戦うこと 絶対的な政治家でなければ最高指導者として 認めないという傾向があるのではないか。 現時点では、プーチンは5月7日に大統領に になったら、激しい反政府運動などは起きず、 就任後、既定路線どおり、メドヴェージェフを ロシアは比較的スムーズに次の時代に移行で 首相に指名する見通しである。前出のマカルキ きたのではないかと考えている。メドヴェージ ン第一副所長は、近く成立するはずのメドヴェ ェフはより若く、リベラルで、経済近代化を標 ージェフ内閣につき、概略以下のような見通し 榜している。「ITボーイ」的なキャラクターも を示している27)。 相まって、若きミドルクラスたちとの親和性は、 プーチンなどよりもはるかに強い。しかし、残 * 新内閣に関しては、2つのシナリオがある。 念ながらメドヴェージェフはプーチンと運命 第1に、可能性がより低いシナリオとして、改 共同体を築いてしまった。今となっては、プー 革を実施できる有能なチームというものがあ チン体制への批判勢力から、メドヴェージェフ る。だが、プーチンとメドヴェージェフの談判 待望論が聞こえてくるはずもない。 という組閣の方式からして、一体性のあるチー 現に、3月中旬にレヴァダ・センターが実施 ムができる可能性は最初から限られている。ま した全国世論調査によれば、6年後にプーチン た、メドヴェージェフ新首相は、年金改革のよ の大統領再選を願う国民は17%しかいないが、 うな不人気な政策を実施できるのかという疑 メドヴェージェフが次の大統領の座に就くこ 問もある。彼は政界に長くとどまることを希望 とを願う国民はさらに少なく、わずか6%しか しており、有権者の支持に大打撃が生じるよう 26) いないという結果が出た 。ロシア国民は「敗 な不人気な政策は不都合なのである。そこで、 者」には冷たい面があるので、あっさりとプー より可能性の高い第2のシナリオが浮上する。 チンの軍門に下ってしまったメドヴェージェ それは、惰性的な活動はできるが、厳しい社 フに対する視線は冷ややかなようだ。やや矛盾 会・経済政策は実施できないという政府である。 しているようにも思えるが、ロシア国民は、プ しかも、メドヴェージェフの影響力は最初から ーチンの強権化を批判しながらも、やはり強く 限定されてしまうことになる。 18 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 重要な蔵相人事に関して言えば、現在はクド フの顧問になったM.アブィゾフが検討されて リン派で緊縮財政主義者のA.シルアノフが蔵 いる模様。2011年の下院選キャンペーン以来、 相を務めている。シルアノフが留任したら、ク アブィゾフはメドヴェージェフのチームの一 ドリン流の財政政策が継続されるというシグ 員となり、「拡大政府」を組織化する仕事を担 ナルと受け取っていい(政府内での権力ではク 当している。当然メドヴェージェフには閣内に ドリンには遠く及ばないが)。プーチンはいっ 腹心が必要であり、アブィゾフはその一人とな たん任命した政府高官を特別な理由もなしに りうる。 解任することは好まないので、シルアノフ留任 メドヴェージェフとしては、アブィゾフの他 の可能性は高いと考えられる。もし仮にシルア にもさらに何人かの腹心を閣内に入れたいと ノフが解任された場合には、後任の蔵相候補と ころだが、その候補者のそれぞれに問題がある。 なりうるのはT.ゴリコヴァ現保健相、A.セルジ 現在の政府におけるメドヴェージェフの最大 ュコフ現国防相である(彼らが現在のポストか の同盟者はV.スルコフであり、同氏はメドヴェ ら離れる場合)。両者とも、プーチンには引き ージェフ大統領の再選を支持していた。現在ス 続き信頼されている。いずれにせよ、考えられ ルコフの影響力は低下しており、政治分野の仕 る蔵相候補はどれもメドヴェージェフの側近 切り役という役割を失い、その多くの部下が大 ではなく、プーチンが人事を取り仕切る形とな 統領府を去ることを余儀なくされた。政府では る。 近代化問題を担当しているが、その組織的な重 組閣の最大の焦点は、現内閣で燃料・エネル みは以前と比べて大幅に低下している。それで ギー産業を担当しているI.セーチン副首相の も、メドヴェージェフ大統領が政治家として生 処遇である。これまでのプーチン内閣には、メ き残りたいという意欲を見せているだけに、政 ドヴェージェフ大統領の力の及ばない大臣が 治的マネージャーとしてのスルコフはメドヴ 2人おり、それがセーチンとクドリンだった。 ェージェフにとって有益でありうる。スルコフ セーチンは、クドリンのようにメドヴェージェ も野心を失っておらず、それはマスコミで一連 フを表立って批判したりはしていないものの、 の論文を発表し、ミドルクラスの利益に向けた メドヴェージェフとの関係は改善されておら 未完の改革案について語っていることからも ず、メドヴェージェフが提唱している大がかり 見て取れる。スルコフは内閣官房長官に就任す な民営化計画に最も反対しているのもセーチ る可能性があり、そうなれば政府の機構内の鍵 ンその人だ。もしもセーチンが内閣に留任する となるポストに自分に忠実な人材を配置する と、メドヴェージェフ新首相の力は最初から殺 ことができる。メドヴェージェフにとっても内 がれてしまう。 閣官房を押さえることは政治的に重要であり、 セーチンが内閣から去るとしたら、後任のエ それなしでは内閣を効果的に指揮することは ネルギー担当副首相候補としては、現ロスアト 困難だ。しかし、プーチンは最近、2003年以来 ム総裁のS.キリエンコや、A.ミレル・ガスプロ 自らの儀典長として働いてきたA.ヴァイノを ム社長が有力だとも言われる。専門家は、S. 新たに官房長官に据えており、かくしてプーチ シマトコ現エネルギー相は2008年にセーチン ンは大統領復帰後も内閣官房をコントロール が連れてきたので、セーチンが政府を去れば同 したい意向を示しているわけである。 氏も退任するとの見方で一致している。新しい その他にメドヴェージェフ派の閣僚となり エネルギー相としては、1月にメドヴェージェ うるのは、A.ドヴォルコヴィチ現補佐官と、 ロシアNIS調査月報2012年5月号 19 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 Ye.ユリエフ現顧問である。問題は、両者がど マスコミや専門家の間でより頻繁に語られて のようなレベルのポストを得ることができる いるものだが、メドヴェージェフ内閣が、大胆 かであり、ドヴォルコヴィチは副首相および教 な改革を実施できる内閣に取って代わられる 育・科学相、ユリエフは保健相の可能性がある というものである(たとえばクドリン首相とい とされる。ただ、ドヴォルコヴィチの副首相起 う説)。両方のシナリオとも、メドヴェージェ 用は物議を醸すかもしれないし、教育・科学省 フ内閣が短命となるという点では共通してい と保健省自体が零細化される可能性もある。そ る。内閣の命運はかなりの程度石油価格に左右 ういう落ち目となった役所を引き受けること されることになり、もしも油価が下落して経済 は、両者にとって満足できないかもしれない。 危機の第二派が始まれば、すべての責任を首相 ゆえに、両者の運命は、政府機構改革にかかっ が負わされる。もしも油価が下落しなければ、 てくる。メドヴェージェフ・チームの一員とし メドヴェージェフは評論家が考えているより ては、さらにN.ティマコヴァ報道官が挙げられ、 も長く居続けられるかもしれない。 首相報道官に就くという見方から、メディアを 担当する大臣という見方まで、諸説ある。 閣僚人事をめぐるプーチンとメドヴェージ むすびに代えて —新プーチン体制のロシアはどこに行くのか ェフの交渉は、難航しているようだ。メドヴェ 以上見てきたように、「4つのロシア」論に ージェフがなるべく政府の顔触れを刷新した 沿って言うならば、プーチンは「第2のロシア」 いと思っているのに対し、プーチンは継続性を 「第3のロシア」「第4のロシア」に依拠し、 望んでいると考えられる。また、メドヴェージ そこにおける組織的な締め付け・動員や、おそ ェフは自らの影響力を多少なりとも保持し、強 らくは不正にも訴えて、2012年大統領選の勝利 力な政治的首相になりたいのに対し、プーチン をもぎ取った。「第1のロシア」の代弁者とな にとっては2008年まで存在したようなよりロ りうる現職のメドヴェージェフ大統領は、選挙 シア的な強い大統領制の方が都合が良い。最大 への出馬を断念せざるをえず、新体制での首相 の焦点の一つは、長きにわたるプーチンの腹心 の地位こそ約束されているものの、存分に手腕 で、内閣でエネルギーという基幹部門を担当し を発揮できるとは想像しにくい状況である。ま ているセーチンの処遇だろう。他にも火種はあ た、「第1のロシア」のクリエイティブ・クラ り、たとえば2014年オリンピックの準備を担当 スを重視し、脱工業化路線を打ち出そうとして するD.コザクの扱いがあって、メドヴェージェ いた新版の「戦略2020」は、選挙キャンペーン フと同氏の関係が芳しくないのに対して、プー 中にはその邪魔にならないよう慎重に蓋をさ チンはソチ大会が目前に迫る中で政治的に重 れ、プーチン当選を見計らって公表はされたも 要なプロジェクトの担当者を変えたくはない。 のの、新政権がどれだけそれを活かすかは不透 『MK』紙が保守派の論客K.ザトゥーリンの 明となっている。むしろ、「第2のロシア」を 論考を掲載し、そこでは首相職を廃止してすべ 念頭に置いた再工業化路線を旨とするプーチ ての権力をプーチン大統領に集中すべきだと ンの新聞論文の方が、新政権の指針となりそう 主張されていた。首相職の廃止という考え方は、 な雲行きである。むろん、プーチンがメドヴェ メドヴェージェフ内閣が長続きしないという ージェフのお株を奪うような形でリベラルな ことを想定した上で、より長期的なスパンを視 経済政策を取り入れる動きを見せたり、資源依 野に入れたものである。もう一つのシナリオは、 存経済からの脱却といったスローガンを掲げ 20 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 る場面もあったわけだが、問われるのは今後の 権の今後は、それらにどれだけ効果的に対応で 具体的な政策の中味だろう。 きるかにかかっている。 客観的に言って、2012年ロシア大統領選は、 反政府勢力の動員力が低下し始めているよ 時代に逆行する帰結をもたらしてしまった感 うな印象も受けるが、モスクワには常に街頭に が否めない。いかにプーチン政権が「第2のロ 繰り出す用意のある人々が1.5万~2万人いる。 シア」 「第3のロシア」 「第4のロシア」に軸足 現在、彼らは新たな課題に直面しているのであ を置く政策を採ろうと、「第1のロシア」のミ る。一気にすべてのことを成し遂げてしまおう ドルクラスが社会層として厚みを増していく という衝動は、冷静な認識に取って代わられた。 ことは、趨勢的に不可避である。本来であれば これからは短距離走ではなく長距離走になり、 社会の進歩をリードすべき「第1のロシア」を そこには問題も山積しているが、利点もあると いわば敵に回して、新体制の政権基盤は大丈夫 いうことが、悟られるようになった。人々は団 なのだろうかという疑問も生じる。 結を重視しており、1980年代の末と異なり、奇 ともあれ、プーチンは5月7日に就任式を挙 跡を起こしてくれる単一のリーダーには期待 行し、6年間の新たな任期をスタートさせるこ していない。反政府活動家の多くは、ユニーク とになる。これから、ロシアはどこに向かうの な政治的経験を積んでいる。過去10年ほど、政 か? それを予測することは、筆者の手に余る。 治の世界には基本的に、体制に従順な人間しか そこで、すでに何度か登場している政治工学セ 参入しておらず、彼らはその時点の風向きに応 ンターのマカルキン第一副所長の示している じて政治的信条も簡単に変えるような節操の 28) 展望を最後に紹介し、本稿を締めくくりたい 。 ない人々であったが、現在は非従順的な新人類 本稿作成に当たって、マカルキン氏の分析に頼 が政治に加わっている。彼らは運動の平和的な りすぎてしまったが、筆者が最も信頼するロシ 性格を堅持しており、政権側が酷い弾圧を行っ ア政治アナリストなので、ご容赦いただきたい。 た場合のみ過激な行動も辞さないという原則 * プーチンが第1回投票で勝利を収めたとい で団結している。政党法の改正で新党の登録が 始まれば、反政府勢力の細分化が進んでいくが、 うのはすでに政治的現実であり、各種の調査機 これは自然なプロセスであり、将来において特 関によってもプーチンが過半数を獲ったこと 定の課題解決のために反政府派が団結するこ は確認されている。下院選挙の時よりは、イメ とを妨げはしない。また、細分化が進むことで、 ージは改善した。問題は2つあり、第1に事前 各政党が現政権の路線に取って代わる政治お の世論調査の予測では58%程度とされていた よび社会・経済路線を提示することが可能にな プーチンの得票率が、公式結果では63%と過大 る。ただし、反体制派にとっては過度の小党分 なものとなったこと。第2に、反体制野党だけ 立状態に陥らないことが重要である。これから でなく、ジュガノフの共産党のような体制内野 は派手な集会よりも地道な仕事が求められ、そ 党までもが、不公正な選挙について批判してい こでどれだけ実を挙げられるかによって、彼ら ること。従来もそうした批判はあったが、政治 の未来が大きく左右される。 情勢の変化により、重みが違ってきている。 だが、もっと深刻なのは、プーチンの勝利が、 政党システムの再編は、ロシア政治の力関係 を大きく変える可能性があり、すべての既存政 現政権の前に立ち塞がる問題を何一つ解決せ 党が試練に直面する。「統一ロシア」は、改革 ず、むしろ問題が増大しているという点だ。政 の必要に迫られているが、それをどんな方針で ロシアNIS調査月報2012年5月号 21 特集◆新プーチン体制下のロシア経済と日ロ関係 進めるかについて党内にコンセンサスがない。 者だ。彼らは庇護者としての国家を求めており、 看板のすげ替えにとどめるという慎重な立場 安定を欲するだけでなく、少しずつでもいいか もあれば、「統一ロシア」から「全ロシア国民 ら一貫して自分たちの生活水準を引き上げて 戦線」に組織的資源を送り込んで新党を形成す ほしいと願っている。「黄金の2000年代」が、 るという考え方まである。同党のライバルとな それは可能であるということを見せてしまっ りうるD.ロゴジン氏の「軍支持運動」も結成さ たから、なおさらだ。ところが国家は、石油が れた。共産党もS.ウダリツォフという新進気鋭 200ドルにでもならない限り、まったく異なっ の左派政治家に脅かされているし、自由民主党 た政策をとらなければならない。早速7月には、 もS.バブーリンやK.クルィロフといったより 選挙をにらんで先送りされていた公共料金引 オーソドックスなナショナリスト論客によっ き上げが実施されることになる。すでに体制支 てその存立を掘り崩される可能性がある。「公 持派の国民の一部は、いくつかの具体的な不満 正ロシア」は、リベラル派の有権者にとって、 から失望を感じ始めており、この地下でくすぶ 議会に議席を獲得できる党の中では、最もマシ っている炎は燃え上がっていく。 な党であり、それゆえに同党は議会選挙で躍進 このことは、プーチン支持層のより周縁的な できたわけだが、その地位を失い、組織の内部 部分には、より一層当てはまる。これらの一部 が崩壊していき、有力な活動家の多くは左派や は、「失うもの」が一応はある人々で、他の候 リベラルに接近していく可能性がある。ヤブロ 補が大統領になった場合のカオスを心配して、 コは伝統的に融通が利かず、他の党との合併も プーチンに投票した。別の人々は、プーチンの 拒んできており、したがってリベラル新党たち 他に現実的な選択肢を見出せず、プーチンに入 との競合を余儀なくされるだろう。 れた。確かに、プーチン以外の候補者を大統領 現在のところ目立っているのはプロホロフ として想像することは困難だし、彼らにとって の新党結成で、彼はリベラル勢力の中でしかる 批判票を投じることは無責任なことと思われ べき地位を占め、政治家や、現在は政党参加を たのだ。両者とも、自らの選択が報いられてい ためらっているエリートたちの中心になりう ないという不満を感じている。 る。また、プロホロフはクドリンなど、他人と 組む余地も大きい。 普通、選挙に勝った者は「100日間のハネム ーン期間」を与えられるものだが、上述のよう いずれにせよ、ロシアには「政治」が帰って な状況ゆえに、プーチンはそれを望めない。プ きた。体制側は、主導的であり、あらゆる面で ーチンは最初から、社会全体に受け入れられる 最も資源を有しているが、以前持っていたよう ような多価的な改革を実施することを宿命付 な絶対的な優位は失っている。 けられて、大統領の座に就くことになる。こう 政権にとっての脅威は、モスクワのミドルク した状況では、社会の中で最も活発で、自立的 ラスを支持層とする反政府運動だけではない。 でクリエイティブな層と、とりわけ反政府運動 それは、体制を弱体化はできても、それ自体で が盛り上がる中で仲介役となれるような層と、 は、 「タハリール広場」 (エジプト革命の震源地) 正常な関係を築くことが差し迫った課題とな に繋がるわけではない。むしろ注目すべきは、 る。政権関係者の発言振りからして、それをや プーチンを支持した有権者の動機だ。プーチン るのは困難で心地良くないが、それでも必要で の中核的支持層は、数百万の家父長主義的な価 ある。 値観のロシア人であり、主に公務員や年金生活 22 政権側と体制外野党が相互不信を抱き、お互 ロシアNIS調査月報2012年5月号 ロシア大統領選と新プーチン体制 11)http://www.politcom.ru/13126.html より詳しくは、 筆者のホームページで紹介している。 的な結果を招来しかねない。3月5日のモスク http://www.hattorimichitaka.com/00noteru_2012. ワとペテルブルグにおける政権側の強硬な対 html#No.0133 12)これらの候補者のうち、プロホロフとミロノフ 応は、自らの力に関する自信のなさ、ほんの些 については、現地『コメルサント』紙の報道に 細なことでロシア版の大衆革命に繋がりかね もとづいて、その政治家像を筆者のホームペー ないという恐怖感を示しているものとも受け ジで紹介している。 http://www.hattorimichitaka.com/00noteru_2012. 取れる。この状況でとりわけ求められるのが、 html#No.0174; 正常で、制度化され、両者にとって許容可能な http://www.hattorimichitaka.com/00noteru_2012. 政治対話である。政権側は長年にわたり、少し html#No.0183 13) 「プーチンはロシア経済をどこに導くのか ―選 でも野党に歩み寄ることは弱みを見せること 挙前に発表された経済論文を読む―」 『ロシア だといった立場をとってきたが、12月の下院選 NIS経済速報』 (2012年3月15日号、No.1556)。 後、その立場を改めつつあるのは、前向きな傾 14)http://www.fnpr.ru/n/241/6749.html; http://www.kommersant.ru/doc/1858766/ 向だ。現代世界では柔軟性を欠くアナクロなシ 15)http://www.kommersant.ru/doc/1864323/ ステムが安定性を発揮できる可能性はますま 16)http://www.kommersant.ru/doc/1890286/ す低くなっている。選択は政権にかかっている。 17)http://www.politcom.ru/13428.html より詳しくは、 筆者のホームページで紹介している。 http://www.hattorimichitaka.com/00noteru_2012. 【注】 html#No.0205 1)服部倫卓「2012年のロシアはどう動くか」 『ロ 18)最終的なテキストは、 「戦略2020」のウェブサ シアNIS経済速報』 (2012年1月15日号、 イトからダウンロード可能。 No.1550) 。 http://2020strategy.ru/documents/32710234.html 2)http://www.vedomosti.ru/opinion/news/1467059/ 19)リチャード・フロリダ著・井口典夫訳『クリエ chetyre_rossii イティブ・クラスの世紀』 (ダイヤモンド社、 3)詳しくは、服部倫卓「ロシアのモノゴーラド(企 2007年) 。 業城下町)問題」 『ロシアNIS調査月報』 (2010 20)http://vz.ru/politics/2012/3/15/568364.print.html 年2月号)参照。 21)http://expert.ru/2012/03/14/bez-finansov-i-industrii/ 4)http://premier.gov.ru/events/news/13844/ 22)http://www.ria.ru/politics/20120403/616676085.html 5)http://premier.gov.ru/events/news/14898/ その概 23)http://premier.gov.ru/events/news/18671/ 要は、 『ロシアNIS経済速報』 (2011年5月15日 24)http://www.kommersant.ru/doc/1863441/ 号、No.1528)で紹介した。 25)http://www.ria.ru/economy/20120323/603617772. 6)http://expert.ru/expert/2011/16/promezhutochnyijhtml otchet/ 26)その他の人物に大統領になってほしいという国 7)http://www.rbcdaily.ru/2011/05/19/focus/ 民が43%、回答困難が34%であった。 562949980268917 http://goo.gl/Ccv69 8)http://www.politcom.ru/12026.html 詳しくは、服 27)http://www.politcom.ru/13539.html より詳しくは、 部倫卓「メドヴェージェフとプーチンの主導権 筆者のホームページで紹介している。 争い」 『ロシアNIS調査月報』 (2011年7月号) http://www.hattorimichitaka.com/00noteru_2012. 参照。 html#No.0232 9)http://www.politcom.ru/12607.html より詳しくは、 28)http://www.politcom.ru/13504.html(ただし、本記 筆者のホームページで紹介している。 事はその後、閲覧不能になってしまった) http://www.hattorimichitaka.com/noteru2011.htm# より詳しくは、筆者のホームページで紹介して No.0108 いる。 10)http://www.kommersant.ru/doc/1870060/ より詳 http://www.hattorimichitaka.com/00noteru_2012. しくは、筆者のホームページで紹介している。 html#No.0221 http://www.hattorimichitaka.com/00noteru_2012. html#No.0176) いの声に聞く耳を持たない態度を続ければ、劇 ロシアNIS調査月報2012年5月号 23
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