成長企業のヒューマン・リソースが直面した問題

ヒューマン・リソースから見たビジ ネス・リーダーシップ
日本ストライカー株式会社顧問
立教大学経営学部兼任講師
松坂暲政
[email protected]
私は、2006 年 3 月で日本ストライカー株式会社の常務取締役を退任し、ビジ
ネスの第一線から退いた。1970 年に日本アイ・ビー・エムに入社して 23 年、
ギネス社で 2 年、ファイザー社のメディカル・テクノロジー・グループで 4 年、
ストライカー社で 8 年、合計 37 年間、一貫して外資系企業のヒューマン・リソ
ース(Human Resource、外資系企業では通称 HR と言う)、いわゆる、教育研
修を含めた人事の領域で仕事をしてきた。縁あって昨年から、立教大学経営学
部で BLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)を担当する機会が与えら
れ、学生と一緒にリーダーシップについて考える良い機会となっている。そこ
でビジネスの世界でヒューマン・リソース(人事・人材開発)を担当してきた、
経験から見た「ビジネスリーダーシップ」について少し考えてみたい。
成長企業のヒューマン・リソ ースが 直面した問題
私が最後に仕事をしていたストライカー社は、1946 年に整形外科医で、発明
家でもあったホーマー・ストライカー(Homer Stryker)博士により、ミシガ
ン州カラマズーに設立された。ギプスカッターから始まり、回転式ベッド、骨
切除用電動鋸など、さまざまな手術器具を開発して世界の医療機関に提供して
きた。
ストライカー社に一つの転機が訪れたのは 1977 年にジョン・ブラウン(John
W. Brown)が社長に就任したときである。ストライカー博士が会社を設立した
目的は、
「利益のためではなく、できるだけ患者に負担をかけずに手術を成功さ
せ、QOL(Quality of Life‐生活の質)の向上に貢献したい」と、いう医師とし
ての願いからであった(James C. Breneman, M.D., 1992)。従って、それまで
の会社は、利益を求めることよりも医療技術の向上のために、優れた医療機器
の開発に主眼が置かれていた。しかし、ジョン・ブラウンはビジネスを伸ばし、
会社を大きく発展させることによって創業者の願いを世界に広めていくことを
考え、ビジネス領域を整形外科用器具から「骨の治療」に特化した会社への転
換を図ったのである。
彼は、ストライカー社をニューヨーク市場に上場するとともに、
「骨の治療」
に関連した事業を手がける優れた会社を買収しながら、毎年、一株当たりの利
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益を 20 パーセント以上成長させることを目標に掲げ、それを実現してきた。彼
が CEO として会社をリードしてきた 28 年間の平均成長率は 24%で(松坂暲政、
2005)、これは着実に毎年成長し続けてきたことを示している。優れた製品を持
つ小さな企業を大きく発展させてきた過程を見ると、ジョン・ブラウンが CEO
として果たしてきた役割は偉大であり、ストライカー社にとってはまさに的を
射た理想的なリーダーであった、と言えるだろう。
ストライカー社が次に大きな経営の変化を迎えたのは、1998 年にファイザー
社の整形外科製品を扱っていたハウメディカ事業を買収した時である。その当
時のストライカー社の売り上げは約 10 億ドルであったのに対し、ハウメディカ
社の売り上げはほぼ同じ規模の9億ドルであった。従って、買収が完了すると
同時に会社の売り上げは結果として倍に飛躍することになった。そのため、社
内の各部門ではそれに対応し、業務を遂行して行く上で大きな変革が求められ
ることとなったのである。
1999 年 7 月、最後に残されていた日本での統合が完了するとともに、買収、
及び、統合の手続きがすべて完了した。統合プロセスは、日本では日本人社長
のリーダーシップの下で比較的スムーズに行われた。しかし、昨日まで、市場
では熾烈な戦いをしていた競争会社同士の統合は、当然のことながら買収され
たハウメディカ社の社員の反発、志気の問題が生じ、特にヨーロッパではキー
となる社員の退職が続出した。ストライカー社は、整形外科分野では業界トッ
プを争う会社として関係者には認識されていたのであるが、特定少数の医療機
関相手の限られた市場でのビジネスで、グローバル経営を展開していく上での
経験がまだまだ不足していた。むしろ買収されたハウメディカ社の方が、医薬
業界でグローバルなビジネスを展開していたファイザー社の経営方針のもとで
活動していたので、グローバルな考え方を取り入れたビジネスを推進していた、
と言えるだろう。
そのようなことから、ストライカー社のヒューマン・リソース担当副社長は、
統合が完了すると同時に安定した組織を構築し、働く場として魅力があり、社
員が生き生きと仕事に立ち向かう、活力ある会社づくりを進めていくために人
事諮問委員会(HR Advisory Council)を設立した。そこで、新しい会社の方針・
ヒューマン・リソース戦略を策定し、統一された施策を全世界に展開していこ
うとしたのである。統合の成功は、組織が真に一体となって心を合わせ、社員
が同じ方向を目指して進むことができるか否かにかかっていたのだ。私もその
8人のメンバーの一人として定期的に開催される会合に参加し、新しい会社の
方針、施策を検討する議論に加わることになった。
ここで、企業で一般的に使っている「人事」と、特に外資系企業で使用して
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いる「ヒューマン・リソース(Human Resource)」という言葉について、私の
経験をもとに少しだけ説明を加えておきたい。私が、IBM に入社した 1970 年
代は日本語の「人事」は、英語で「パーソンネル(Personnel)」という言葉が
使われていた。経営組織はマトリックスシステムを取り入れていて、人事はス
タッフ部門でライン部門をサポートする位置づけであった。職務としては、人
材の採用から退職までの一連の処遇制度を考え、スタッフとしてラインをサポ
ートする役割を担っていたのである。1980 年代に入ると、専門的知識の提供、
処遇制度づくりとその運用(アドミニストレーション)から一歩進んで、
「リソ
ース・マネジメント(Resources Management)」
、いわゆる人材戦略の重要性
が語られるようになってきた。そして、過去の狭く限定された人事管理から、
人事管理の権限をライン管理者に委譲し、
「ラインによる人事管理」の概念が取
り入れられるようになった。そして、人事はライン管理者のピープル・マネジ
メ ン ト ・ ス キ ル を 向 上 さ せ る た め の 管 理 者 教 育 、 MDP ( Management
Development Program)を推進する役割に変わっていったのである。さらに
1990 年代に入ると、いつの間にか外資系企業からは「パーソネル(Personnel)」
という言葉が消え、人事は、
「ヒューマン・リソース(Human Resources)」と
呼ばれるようになった。そして、経営者(ゼネラル・マネジメント)は、ビジ
ネスの国際的な競争が厳しくなるにつれ、組織の変革・人材の効率化の必要性
に迫られ、より広く、より戦略的な視点からヒューマン・リソースを捉える新
しい挑戦が生まれ、HRM(Human Resource Management)
(M.ビアー他、1990)
や Human Capital Management という言葉もでてきたのである。しかし、一
般的にはこれらの言葉は企業の現場ではあまり使用されていない。
社員の処遇の面から考えると、人事は「平等」でなければならない、とよく
言われる。人事が「パーソネル(Personnel)」と言われていたころには、社員
を一様に処遇することがある意味では「平等」と考えられていた。しかし、
「ヒ
ューマン・リソース(Human Resource)」になると、
「Pay for performance / Pay
for job」の考え方を基本にしている外資系の企業では、「より困難な仕事をして
いるもの、より優れた業績を上げた社員」に対しては、それなりに差をつけて
処遇をすることが「平等」と考えられるようになった。この場合の「平等」と
いうことは、人を一律に同じように遇することではなく、アウトプットを正当
に評価して、それに見合う報酬も含めた処遇をすることを意味している。
私が、ストライカー社で仕事をするようになったのは、1999 年の 2 月のこと
である。初めて CEO のジョン・ブラウンに会ったとき、会社の経営を遂行して
いくのは、経営全体の舵を取る「General Manager(CEO)」, 経営計画と財務
の数字に責任を持つ CFO(Chief Financial Officer)、 そして組織作りに責任
を持つヒューマン・リソース Head の三人でよい、と言った。それまではどこ
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の企業でも経営に重要な役割を果たすのは、売り上げに責任を持つ営業・マー
ケティングの Head である、というのが一般的であった。しかし、ジョン・ブ
ラウンは、営業・マーケティングは General Manager が立てた計画に沿って売
り上げ目標を達成していくことが大切な役割であって、彼らには「長期的な展
望に立った会社の経営を考える責任」はない、と明確に語ったのである。
さ ら に 、 ヒ ュ ー マ ン ・ リ ソ ー ス の 役 割 は 、「 組 織 作 り ( Organization
Development)であり、そのための戦略(Strategic Planning)と長期的な観点
からみた基幹人材の育成(Succession Planning)」である。それまでの人事担
当者は、日常の活動としていた社員の採用から退職までの一連の処遇制度作り
とその運営を重要な職務と考えていた。しかし、ジョン・ブラウンは、それら
は社員でなくてもできることであり、できるだけ外部のリソースを利用した方
がいい。ヒューマン・リソースは、将来会社が直面するだろう事柄を想定して、
それに対して何をしなければならないかを考え、会社が継続的に利益をあげ、
成長し続けていくための優れた組織を作ることに頭を使った仕事をしてい欲し
い、との言葉だった。
2002 年の秋、テネシー州メンフィス で会議が開かれた時のことである。組
織が急激に大きくなったことに加え、会社が継続して成長を続けていくために
はさらに新たな人材が大量に必要となっていた。全世界のストライカーグルー
プの各組織で、キーのポジションに起用できるマネジャー/リーダーの人材が不
足していて、いつまでたってもオープンポジションが充足されないことがヒュ
ーマン・リソース担当者の大きな悩みとなっていたのである。
そこで、それぞれの組織のキーとなるポジションをもう一度みんなで洗い出
し、実際に数えてみることにした。そして、これからも会社が、毎年一株当た
りの利益を 20%以上成長させ続けていくために、過去のトレンドと今後の予測
される成長を検討してみると、毎年 8 パーセントの人員の増加が予測された。
それから、キーのポジションを占めるマネジャー、ディレクター、Executive の
数が全社員の 9%と仮定し、退職率なども考慮にいれると、三年後にはその時の
数の 35 パーセントの新しいマネジャー/リーダーが必要となるだろう、という数
字が弾きだされた。ここにきて新たに、それだけの人材をどのようにして確保
するか、という大きな問題が浮上してきたのである。現実に目の前にあるオー
プンポジションの充足に四苦八苦していたそれぞれの組織の HR 担当者たちに
してみれば、三年後、五年後に向けたこの数字は驚きであり、気の遠くなる話
でもあった。
この想定された数字を充足させるために、社内の人材をどうのように育成し
ていくのか。また、外から新たに採用するときには、ストライカーらしさを維
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持していくために、どのような人材を採用すればよいのか。そこで議論が重ね
られた結果、ひとまずストライカー社のマネジャー/リーダーに求められる資質
について整理して、それまで漠然としていたものを具体的に特定してみようと
いうことになった。それは、いわば外部から人材を採用するときの判断基準と
なるもの、すなわち採用面接者が注意してみておかなければならない行動特性
であり、さらには、社内の人材を育成していくときにマネジャー/リーダーが部
下に明確に目標を設定する指針となるべきものである。
それまでは、マネジャー/リーダーとなるキーポジションに人材を採用する際
は、米国ギャラップ社のリーダーシップ資質を測るセレクションインタビュー
を実施して、原則としてそのアセスメントの結果、資質があると判定された者
を採用することにしていた。その内容は、一般的な経営者の資質を測るもので
あるため、ストライカーのマネジャー・リーダー用として、必ずしも全てのポ
ジションに当てはまるかどうかは疑問であり、特にアメリカ以外の国では納得
し難いものでもあった。また、社員の育成に関しては、上司が一般的な知識・
経験から育成計画をたて、それぞれの上司の経験と判断に任されて作成し、運
用されていたのである。
ストライカー社のマネジャー/リーダーに求められる資質を特定するに当たっ
ては、まず各国、部門のキーポジションがリストアップされ、全世界で 800 の
重要となるポジションを特定した。それから、2003 年に外部のコンサルタント
の協力を得て、ストライカー社で活躍している、優れたマネジャー/リーダーと
認められる人々の特性について洗い出し、必要な能力、望ましい資質を特定す
るために Leadership Development Survey を実施することになった。このアン
ケート調査に加え、さらに、本社の経営者、及び各国、部門の主要な地位を占
めている 80 人ほどのリーダーには直接インタビューを行ってデータを収集する
ことにした。
このようにして、約一年かけて調査・分析した結果、ストライカー社のマネ
ジ ャ ー ・ リ ー ダ ー に 求 め ら れ る 12 の 能 力 ( Exceptional Leadership
Capabilities)と一般社員に求められる 7 つの行動特性(Core Competency)(ス
ペンサー、ライル M.、2001)が特定された。さらに、それから一年間かけてこ
れらの資質、コンピテンシーをベースにした目標管理制度、評価、育成計画の
ツールが開発され、また、マネジャー・リーダーの育成を支援するために、い
わゆる「360 度評価」のツールも開発し、2006 年度から実際に使用を開始して
いる。
企業組織は日々の業務を遂行していくとき、トップが一人一人の社員を動か
しているわけではなく、組織の中軸を占めるマネジャー/リーダーに権限を委譲
し、多くの事柄は彼らの判断に委ねられる。従って、彼らのリーダーシップが
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効果的に発揮されてこそ社員のエンゲージメントレベルを高め、仕事に燃え立
たせることができて、組織は機能するのだ(バッキンガム&コフマン、2000)。
これらの新しいツールは、使用を開始したばかりでまだ評価する時期にはきて
いない。しかし、少なくともマネジャー/リーダーたちが日々の業務を遂行して
行くときに部下の育成計画を立て、指導していくときのツールとして、また社
外から人材を求めるときに、求められる能力・資質・特性などを共通の言葉で
明確に語ることができるようになったので大へんやりやすくなった、と言える
であろう。社員も自分の能力の有無、レベルチェックが可能となり、納得して
努力目標を立てることができるようになったのである。
医療機器業界の優れた人材に ついて
外資系企業の人事の責任者が年初に設定する目標の中に、毎年変わらない同
じ内容のものが二つある。その一つは、
「優秀な人材の確保」で、もう一つは「人
材の育成」である。
「優秀な人材の確保」とは、まず「社内の優秀な人材にはそ
れにふさわしい処遇をして、社外に流出しないようにすること」
、もうひとつは、
社内に適切な人材がいない場合には、「会社に必要な人材を外から採用するこ
と」である。そして、「人材の育成」には、「新卒・中途で入社した社員の戦力
化」、「管理者の人事管理能力・スキルの向上」、「将来の会社の経営を担う基幹
人材の育成」等が挙げられる。
近年、医療機器業界が直面している困難な状況は、保険償還価格の改定が進
められ、二年ごとに価格が大幅に下落し続けていることだ。保険償還価格は、
患者が病院で治療を受けたときに健康保険組合が病院に支払う医療費のことで、
その価格は厚生労働省が定めている。医療費の高騰、健康保険組合の赤字の問
題から、医療行政制度も毎年いろいろな変革が求められている。保険償還価格
の引き下げもそのような動きのひとつだ。病院も効率化を図るために、IT 化、
センター化、医師の専門家などを進めている。医療機器販売をしている企業に
とっては、保険償還価格が下落することにより、利益を確保し、さらに成長し
ていくためにはそれ相応のユニット数の製品を販売し、流通システムなど、保
険償還価格の下落による影響以上に効率化をはかっていかなければならない。
量を多く販売するためにはそれだけ営業への負担が重くなり、優れた営業(セ
ールスパースン)が必要となってくる。
私が、医療機器業界で 12 年間仕事をしてきた経験から言えることは、この業
界で「優れた営業(セールパースン)
」と言われる社員は、必ずしも一般的な営
業のイメージとして語られる「外向的で客を退屈させない話し上手な人物」と
は少し異なっているかもしれない、ということだ。口数があまり多くなく、と
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つとつと話し、人付き合いもあまり広くない社員であるにもかかわらず大きな
売り上げを上げている社員が多い。実際に治療にたずさわるわけではないが、
整形外科医の意を汲んで、患者に最も適した人工関節製品を進言し、手術器具
を揃える。手術に関連する医学知識も必要で、ときには手術にも立ち会わなけ
ればならない。患者に対してはあくまで医師が主役であるが、手術に必要な製
品と器具に関しては、深い知識と最新の医学情報を持って医師に意見を進言し
なければならない。患者の QOL(Quality of Life)を願い、誠実で、気配りが
あり、専門知識に深く、何よりも手術を成功させるために医師と綿密なコミュ
ニケーションをとり、安心感を与え、信頼を得ることが大切となる。このよう
な信頼関係を構築していくことが大切な世界では、表面的な「外向的で話し上
手」だけでは長くは続かない。
ロバート・P・ニューシェル(Robert P. Neuschel)は、リーダーとは「奉仕
を受ける存在」というよりは、
「奉仕することを努めとする存在」である、と「サ
ーバントリーダーシップ(servant leadership)」について説明し、
「奉仕するこ
とを通じて、優れたリーダーは自らのリーダーシップを確個としたものに築き
あげる」と述べている(ニューシェル、2006)。医療機器業界の優れた営業は、ま
ず患者のために奉仕することに誇りと喜びを持ち、医師のパートナーとして手
術を成功に導くために一般の人々にはまったく見えないところで大切な仕事を
している、まさにサーバントリーダーの精神が重要である、と言えるだろう。
ビジネス環境の変化への対応
話はちょっと変わるが、私が IBM に入社して確か3年目、会社にも慣れ、仕
事にも自信がつき始めた頃の事である。アジア太平洋地域本部(IBM World
Trade Asia Corporation, Asia Pacific HQ)で仕事をしていた。毎年、年初に目
標を立て、年末に業績を評価する目標管理システム(P.ハーシイ他、2000)の
話しをしていたとき、アメリカ人の上司が私に向かって、
「ところで君は、今年
は何をやるのだ・・」と訊いてきた。私は、前年に一つのプロジェクトを成功
させ、新しいことをいくつか取り入れていたので、それを継続して実施して行
きたい、と答えた。
ところがそのアメリカ人の上司は、
「君が昨年、たいへんよい仕事をやり、プ
ロジェクトを成功させたことは認める。しかし、それは昨年のことであって、
今年もそれが成功するかどうかは分からない。今年のビジネス環境は昨年と同
じではないはずだ。まず前年度のことはゼロセットし、今年の考えられうるビ
ジネス環境の変化を吟味・分析して、それから何を目標に設定するべきかを検
討しなければならない。結果として同じ内容になるかもしれないが、昨年成功
したので今年も同じことをそのまま継続してやろう、という発想は、ビジネス
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を成功に導いていくための方法ではない」と、言われた。
その時のこの言葉が、30 年以上経った今でもよく思い出され、脳裏から離れ
ない。ビジネスは常に競争の世界にあり、社会の変化、時代の変化を先に見て
自分の業務目標を設定していかなければならない、ということだった。
私が IBM で働いていた 23 年間は、コンピュータビジネスの巨人と言われ、
競合を常に圧倒してただひたすら大きく伸びていたように思われた。日本ア
イ・ビー・エムの社員数は、入社したときは 7,000 人であったが、それから毎
年のように大量採用が続き、退職するときには 27,000 人となっていた。当時の
マネジメント、社員は、IBM が経営に行き詰まり、リストラをしなければなら
ない会社になることなど全く予想していなかった。経営者が、1992 年にハード
からソフトへのビジネスの転換に立ち遅れたことを認め、リストラをしなけれ
ばならなくなったことが発表された時(ドラッカー、2000)、社員にとっては信じ
難いことで、地球が崩壊していくようなたいへん大きなショックを受けたもの
である。
日本の大手企業でも同じようなことが起こり、世間では絶対に潰れないだろ
うと思われていた伝統的な企業が経営に行き詰まったときも同じような状況だ
った、とそのような企業に勤めていた友人達から聞いている。どんなに素晴ら
しい会社と言われていても、時代の流れを見誤り、変革を怠れば一瞬にして倒
産に追い込まれることは、それまで絶対に大丈夫だろうと一般の人々が考えて
いた大手金融機関の破綻を思い浮かべれば理解できることだろう。定年まで安
泰な企業は最早どこにもない、と言うことだ。
経営組織の変化
私が、IBM の人事で仕事をしていたときの同僚で、今も時々いろいろな相談
をする友人がいる。彼は IBM の人事一筋で仕事をし、定年退職後も日本アイ・
ビー・エム研修サービス株式会社でプロフェッショナル研修を担当している。
職位管理、職務評価、管理職研修のプロで、現在もいろいろな企業の管理職・
リーダーシップ研修を引き受けて忙しくしている。先日、その友人に会って最
近の状況について意見を交換する機会があった。
私が IBM を退職したのは 1993 年であるから、既に 14 年前のことである。当
時、新しい仕事を始める時には、まず職務の達成すべき目標、担当する業務の
内容を明確に記述して人事に新しい職位設定の申請をしたものだ。その内容に
基づき職務分析を実施して職位レベル(その職務の給与レベル)が設定された。
ところが最近では仕事の変化のスピードが激しく、職務記述書を書いて仕事を
スタートさせたとしても、半年後には当初に想定されていた職務内容とはまっ
たく異なった仕事をしなければならないケースが多くなってきた。最早、過去
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に実施していた職務記述書に基づいた職務評価はまったく意味をなさなくなっ
てしまった、という。
最近では、職務の目標の方向性を把握し、仕事の範囲を想定し、大枠の中で
職務のレベルチェックをしながら給与レベルを設定する。それぞれ個人に目標
を書かせ、社員に任せて行く方法が取られているようだ。そうしなければ社員
のモラールも上がってこないのだろう。基本的には変化のスピードが速い時代
に、与えられた自分の仕事、言われたことだけをやっていたのではビジネスに
対応できなくなってしまったのである。結果として仕事のできる人は他の人の
仕事もどんどん取り込んでいくことになる。
このことは、もう一つの面から見ると、階層別に権限が決められていた過去
のピラミッド型の組織が、意思決定のスピードを重視したフラットな経営組織
へと変わってきたことにも表れているだろう(J.R.ガルブレイス、1996)。ピラ
ミッド型の組織の時は、組織図を見れば、第一線の管理者、第二線、第三線の
管理者が明確に記され、いわゆる課長、次長、部長として、外から見てもその
管理者の権限が理解し易かった。一人のマネジャーが管理する部下の数も、4∼
5 名から多くとも 10∼12 名ぐらいまでに限られていた。
ところがフラットな組織になってくると、組織図を見てもあまりそのマネジ
ャー/リーダーの権限がどの程度なのか、世間の感覚的な表現で言う階層的な「偉
さ」が見えてこない。一人で仕事をしているものがいれば、40 名の部下を配下
に持っているものもいる。さらには、ひとりの社員がいろいろなプロジェクト
にかかわり、組織図上のラインを超えて複数の部所とかかわりあいを持ちなが
ら仕事をしているケースも多く見られるようになってきた。組織上は部下のい
ない者がプロジェクトのリーダーとして多くの社員や管理職を動かして仕事を
しているケースがいくらでもある。過去の固定的な概念が強く、職務に与えら
れた権限が明確でなければ他の社員に仕事に必要な指示が出せない者、上司か
らの指示がなければ動けないような者は、このような環境ではいい仕事ができ
ないのが現実である。
企業が求めるマネジャー/リー ダー
外資系企業総覧 2006 年版(東洋経済社発行)をみると、日本にある主要な外
資系企業だけでも 1489 社、その他が 2011 社、合計 3500 社ある。その主要な
企業の経営者、部門長レベルのキーポジションに就くマネジャー/リーダーの人
材を斡旋しているエグゼクティブ・サーチ(Executive Search)、通称ヘッドハ
ンターをしているコンサルタントと話をしていると、現在日本にある外資系企
業が求めているマネジャー/リーダーの特性がよく見えてくる。新しい仕事を短
期的に立ち上げて行くときなどは別として、最近ではカリスマ的なリーダーは
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あまり求められない、と言うのだ。企業の大小、業界の違い、日本でのビジネ
スの歴史の違いなど、おかれた状況によって細かな求められる特性は異なって
くるにしても、彼等の話をまとめてみると外資系企業で成功しているマネジャ
ー/リーダーにはいくつかの共通する点がある。それは次のようなものだ。
・ やるべき目標は絶対にやりとげようとする意志と実績がある
・ 将来を見る目、ビジョン、戦略がある
・ 組織、部下をよくマネージし、部下を育成できる
・ 自分の部隊だけでなく、関係部門と強調できる
・ 仕事、組織、会社を変革していこうとする強い意識がある
・ グローバルな考え方が理解でき、ローカルな動きができる
・ 人間的な魅力、信頼がないとダメ
また、彼らはこうも指摘する。新しい環境で、新しい仕事に就くと、必ず何
かにぶつかるだろう。それを乗り越えて成功するマネジャー/リーダーとなりう
る人材かどうかは、行動特性、コンピテンシー(スペンサー、2001)だけでは
判断はできない。その人の人間的なもので、ひとに共感する力、無私の精神で
人に対応し、学びの心があるかどうか、というところを見なければならないの
だと。権威に服従させようとしてもだめで、部下達が自発的にやる気を持って
仕事に向かわなければ、望むような成果が得られないからだ(ハイフェッツ、
1996)。これらの魅力的な人間であること、つまり「人間力」は、外資系企業だ
から求められるものではなく、どこでもマネジャー/リーダーには共通して求め
られるものであろう(野田&金井、2007)。
自然発生的なリーダー(e mergent leader)としての能力
私は、現在日本ストライカー社の顧問という立場で、今年も新卒採用の役員
面接を手伝って 100 名ほどの学生の面接を行った。いろいろな企業が学生の採
用を決定するまでのプロセスを見ていると、会社説明会の後、多くの企業では
応募してくる学生にグループワークを実施している。5∼6 名で構成されたグル
ープに課題を与え、問題解決に向けて討議、作業を行わせる。そこで、問題を
理解し、本質や背景を迅速に読み取り、分析した上で論理的に説明する「概念
化能力」、グループメンバーの話の要点や真意を敏感に感じ取り、柔軟に対応し
ていく「コミュニケーション能力」
、グループメンバーに効果的に働きかけて課
題を達成していく「リーダーシップ能力」が測られる。
R. J. ハウス(R. J. House)は、リーダーを「自然発生的なリーダー(emergent
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leader)」「選挙で選ばれたリーダー(elected leader)」「任命されたリーダー
(appointed leader)」と、三つのタイプに分けている(金井壽宏、2005)。こ
のカテゴリーから考えれば、企業の中のマネジャー・リーダーは、
「任命された
リーダー(appointed leader)」ということになる。この「任命されたリーダー
(appointed leader)」の能力、資質はどのようにして見極めることができるの
だろうか。
大卒の学生を採用しようとするとき、どこの企業でも本音で欲しい人材は、
通常は「将来会社の中軸として活躍してくれそうな人」を念頭におく。複雑な
業務を管理し、率先して社員をリードして職務を遂行し、利益を確保してくれ
るマネジャー/リーダーがいれば、それだけ経営者は楽になるのである。応募者
にグループワークをさせるのは、課題への取り組みを通して集団の中に置かれ
たときの他者への関わり合い、行動特性を見て、その学生のリーダーシップ能
力を見ようとしているのだ。このような状況におかれたとき、面接では見えて
こない「自然発生的なリーダー(emergent leader)」の資質・能力が簡単に見
えてくる。そこで示される「自然発生的なリーダー(emergent leader)」の能
力・資質がないとすれば、企業の中で主要なポジションに起用されたとき、
「任
命されたリーダー(appointed leader)」としての能力、資質が期待できない。
企業は、チームの中でまず自分で動き、同時に人を動かすプレーイングマネジ
ャーの資質を持った社員を求めているのである。
このことは、企業で新しい組織を編成するときにも同じことが言えるだろう。
主要ポジションに誰を起用するか、その人がマネジャー/リーダーとして相応し
いかどうかを判断するポイントは、一般的には組織の中での活動状況、他の社
員からの受容度合い(acceptance)を見て判断される。特に、フラットな経営
組織ではラインを超えて多くの部所と関わりあいを持ちながら、過去の固定的
な概念での職務範囲を超えて仕事を進めていかなければならない。権限に頼っ
た方法では、仕事を進めることができないのである。権限は、仕事を進めてい
く上で「自ら自然に獲得していくもの」であり(リンダ A. ヒル、2007)
、優れ
たマネジャー/リーダーは「ビジネスを成功させて行くために必要な条件を、い
つのまにか自分で揃えてしまう」能力を有している、と言った方が良いだろう。
求められる倫理観・人間とし ての判 断基準
今年(2007 年)も 4 月 2 日(月)に多くの企業で入社式が行われた。相次い
で不祥事の問題が生じた企業のトップの訓示は「おわび」のオンパレードだっ
た、とマスコミで報道されている。プロ野球西武球団の不正なスカウト活動、
実験データを捏造して番組を報道した関西テレビ、ずさんな品質管理が発覚し
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た不二家の問題など、過去一年間を振り返って見るだけでいたるところに同じ
ような問題が見受けられる。最もステータスが高く、安定して優れた会社と評
価され、学生が就職活動をするときの憧れとなっている電力会社 12 社の全てが、
過去のデータ改ざんやトラブルの不適切事例を隠蔽していた。記者会見した経
営者は、
「コンプライアンス(法令順守)の精神が足りなかった」とコメントし
ている。また、生命保険会社 38 社の保険金や一時金の巨額な不払いが金融庁に
報告された。このようなことが社会全体に蔓延しているとすれば、これから何
をどのように考えて行かなければならないのだろうか。
私は、「法令順守の精神」というよりも、「見つからなければやってもいい。
周りもやっているから」と安易に考え、心の中では良くないことであるとは思
いつつも、ついつい目を瞑って関わることを避けてしまう。
「人間としてやって
はいけないこと、やらなければいけないこと」に関する「価値基準・判断基準」
が、企業のマネジャー/リーダーはもちろんのこと、最近の日本を支えているは
ずの多くの指導者に欠如しているのではないか、と思われてならない。仕事を
遂行していく上で、物事の良し悪しを自ら判断することをせず、無責任に他人
に放り投げてしまう。彼らの判断基準は、
「他がやっているから、我々もやって
もいいだろう」と、いうところにある。マネジャー/リーダーとしてフォロワー
をリードしていくときに最も大切なことであるはずだ。
ビジネスの世界でヒューマン・リソースを担当してきた者として、あらため
て真にリーダーに求められる大切なことは何かを考えてみた場合、昨今の状況
をみると、教育によって身につけられる知識やスキル、能力もさることながら、
その人の根本にある人間性、社会生活を営む上で個人としての強さ、固が確立
されているかどうかを吟味し、見直していかなければならないような気がして
ならない。それは人材育成を生業としてきた立場からみると、なんとも頭の痛
い問題とも言えるのである。
終わりに
私は、企業研究会の人事部長の会「21 世紀の経営人事を考える会」のメンバ
ーとして 20 年以上も活動している。そこでよく話題となることの一つに、日本
の製造部門の効率化はどこにも負けないだろう、ということがある。メンバー
企業の工場を訪れ、見学させてもらうとその素晴らしさはどこへ行っても感心
させられる。私が勤務していたギネス社やストライカー社のヨーロッパの工場
に行くと、日本の品質管理の考え方が取り入れられ、日本語をそのまま使った
「Kaizen」活動が行われていた。
一方で、なかなか解決の糸口が見つからない問題として間接部門の効率化が
ある。私が、アメリカのオフィスを訪ずれたときにいつも感じることは、人事、
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総務、財務、事務管理部門など、間接部門で働く社員の数が日本の会社と比べ
てきわめて少ないということである。名刺を交換すると、二十歳代後半∼三十
歳前後の若い男女の社員がマネジャーやディレクターのタイトルを持ち、与え
られた職務に誇りと自信をもって起こってくる問題に対応し、責任をもって判
断し、意思決定をしていることに感心する。彼らが 3∼5 分で意思決定するもの
を、日本では上司の指示を仰ぎ、関係各位の了解を取ってから回答を出さなけ
ればならないケースが多い。スピードと人手が何倍もかかってしまうのだ。も
ちろんそれなりに仕事の範囲が明確になっていて、必要に応じて上司や関係者
にも報告しているのであるが、仕事の責任を自ら進んで担い、それを広げてい
こうとする姿勢には見習うべきものがある。会社は、社員の力を信じて仕事を
まかせ、持っている能力をフルに発揮させる(デプリー、1999)。結果として出
てくる成果に対しては、それなりの報酬を与えるシステムがあるからこそ社員
も積極的にチャレンジしようとするのであろう。
最後に、もう一度リーダーシップにもどろう。変化のスピードが激しくなっ
た現代のビジネスの世界では、変化に対応して複雑な業務を遂行する能力だけ
でなく、常に、各自の持ち場で変化の先を読みながら、自らのチームと組織に
変革を引き起こし、新しい仕事を作り出していくリーダーシップ能力がある社
員、マネジャー/リーダーがいる組織だけが生き残っていける時代となっている。
資生堂名誉会長の福原義春さんは、著書「部下がついてくるひと」の中で、
「ビ
ッグリーダーの時代はすでに終わっている。だれもがその持ち場でリーダーと
なるべき時代なのだ」と述べている(福原義春、2001)。これはまさに立教大学
経営学部の BLP で目指しているものだ。誰もが、自分の得意な分野で、交代で
チームを引っ張るリーダーとなれる組織、まずイニシャティブをとり、第一歩
を踏み出す積極性がある社員がいる組織が活力ある組織となるのである。
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参考文献:
・Breneman, James C. , 1992「The Stryker Story」Phil Schubert & Associates,
Kalamazoo, Michigan
・松坂暲政
2005「少子高齢化社会の医療ビジネス‐医者・患者に最高の整形外科サービ
スを提供する」、Business Research No. 977 2005 October 企業研究会、p.88∼93
・ビアー、M.
スペクター、B.
梅津祐良、水谷栄二訳
ローレンス,P.R.
1990
ミルズ、D.Q.
「ハーバードで教える人材戦略」
・スペンサー、ライル M、 スペンサー、シグネ M
2001「コンピテンシー・マネジメント」
・ バッキンガム、マーカス
れ」
2000
ウォルトン、R.E. 著
コフマン、カート
著
生産性出版
梅津祐良、成田攻、横山哲夫 訳
生産性出版、pp 11~19
著
宮本喜一訳 2000「まず、ルールを
pp. 362∼366
日本経済新聞社
(ギャラップ社が描く企業業績向上の道筋‐すぐれたマネジャーを配した適材適
所の人材配置が従業員の意欲の原動力となる。ギャラップ社では、「仕事熱心な従
業員」を「エンゲージメントレベルが高い社員」として企業業績向上の指標とし
ている。)
・ニューシェル、ロバート P
著
梅津祐良訳
2006「リーダーシップ・エッセンシャル
ズ」生産性出版 pp.136~142
(サーバントリーダーシップ(Servant Leadership)については、デプリー、マ
ックス(Max DePree)、福原義春
済界や、福原義春著
監修訳 1999 「リーダーシップの真髄」
2001「部下がついてくる人」 日経ビジネス文庫
・デプリー、マックス(Max DePree)
、福原義春
髄」
監修訳 1999
経
も参照)
「リーダーシップの真
経済界 pp. 30~38、
(序文:ジェームズ・オトゥール、pp. 10∼20)
・ ド ラ ッ カ ー 、 P.F. 著
2000
上田惇生訳
ら変化をくりだせ!」ダイヤモンド社
・ ガルブレイス、J.R.
道子/中條尚子
ローラー、E.E.
訳
1996
他著
「チェンジ・リーダーの条件‐みずか
pp. 48~51
寺本義也
監訳
柴田高/竹田昌弘/柴田
「21 世紀企業の組織デザイン」
山王大学出版部刊
pp.65~66 (階層型組織から文鎮型の水平型組織へ)
・ ハイフェッツ、ロナルド A 著
幸田シャーミン訳
1996 「リーダーシップとは」 産
能大学出版部刊、pp159~194
・金井壽宏
「リーダーシップ入門」
・ ヒル、リンダ A
著
日経文庫、pp. 84~90
マクドナルド京子訳
2007「新任マネジャーはなぜつまずいてし
まうのか」 Diamond ハーバード・ビジネス・レビュー
・福原義春著
2001
「部下がついてくる人」
・野田智義、金井壽宏著
2007
日経ビジネス文庫
「リーダーシップの旅」
14
March
2007、pp. 58~71
pp. 189~190
光文社新書
pp.229~233
・ ハーシィ、P.
訳
ブランチャード、K.H.
「行動科学の展開」
・「外資系企業総覧 2006 年版」
ジョンソン、D.E.
生産性出版 pp.155~157
東洋経済社
15
著
山本成二、山本あづさ