柔らかいものと硬いもの 何時、眺めても麻子の唇は美しい。麻子の顔で

柔らかいものと硬いもの
何時、眺めても麻子の唇は美しい。麻子の顔で最も魅力的な部分だろう。上
唇と下唇がほぼ同じ厚さだ。
内部からまくれ上がって出来た人間の微妙な言葉を発するための器官。微妙
なのは発声だけではなく、たとえ声を発していなくとも、自らを語っている。
見詰めていると、常に何かを語りかけられている気がする。沈黙以上の沈黙を
語りかけられている気がする。
麻子という女の思考とは別に、唇自体が思考し、何ものかに変態し、柔らか
く自己主張する。恐ろしい予兆のようでもあり、待ち望んだ福音のようでもあ
る。
麻子の唇は食べ物と、母の柔らかい頬のほかに触れたことが無かったのは子
供の頃。成長するにしたがって唇は硬いものに数限りなく触れている。
麻子がフルートを習いだしたのは三歳の頃である。幼女が自らフルートを選
んだのではない。音楽家だった両親の影響だ。彼らがフルートを娘に与えたの
だ。麻子は大好きなキャンデーよりその楽器の甘く純潔な音色に心を奪われた
に違いない。小さな唇が金属の先端にそっと暖かい息を吹き込むと、小鳥が合
唱する。
ギターリストの父もピアニストの母も、厳しく麻子に望んだ。かいあって麻
子の演奏はたちまちにして上達していった。過程では麻子の愛らしい唇は無慈
悲な目にもあったろう。ひび割れることも、腫れ上がることもあった。長時間
の練習が幼い子供をどのように変化させていったのだろう。感情。音感。脳髄
のスナップと呼ばれる配線が柔らかい雲の稲妻のように音楽を作り上げていっ
たに違いない。想像もつかないことだ。
麻子はフルートに依って美しくなったのか、両親の美貌を遺伝的に受け継い
だものか知らない。たぶん、両方なのだ。母親は音楽には厳しかった。他の事
柄には優しかった。麻子は母が作る料理で成長していった。
食べ物の好き嫌いと、人間の性格、性質に大いに関連するという考え方があ
る。科学的な根拠はなくても信じやすい。何よりも、害悪が少ない考え方だか
ら、気楽である。例えば、ねばねばとした蜂蜜が好きな人間は、偏執的な物事
にこだわる甘えが強い人間である。硬い食べ物が好きな人間は短気である。
「腹がすいた。今日はこれまでだ」
麻子が師匠している演奏家は変わった性格だった。我侭で、傲慢で、偏屈で、
大らかで、繊細だった。美しい中年男だった。結婚はしていない。結婚に向い
ていない性質なのか、同性愛者なのか。噂がないわけではない。麻子を可愛が
っていた。女としは感じていなかったらしい。本人の言葉である。麻子は美し
かったし、十八になっていたし、処女であるけれど、十二分に性愛の対象者、
有資格者である。
演奏家Aはだぶだぶのセーターを着ている。何でそんな事を説明するかとい
えば、彼の偏屈な性格を説明するためである。その緑のセーターは五年前に麻
子が演奏家にプレゼントしたものである。麻子と言うよりも、正確には麻子の
母親が編み上げて、あまりにも服装に無頓着な演奏家に贈った。
上等な毛糸で編み上げられたものだけれど、五年間、着続けていて、あちこ
ちほころびていたし、食べ物の染みがついている。ゴミ箱の中に住んでいるよ
うな、生活である。普通、音楽家と言うものは、清潔好きで、整理整頓に気を
使うものであるが。演奏家Aは違っていた。彼を天才と言う批評家もいた。酷
評する仲間もいた。何処の世界も魑魅魍魎がいるものだ。
演奏家Aはキッチンに行くと、トーストを焼き蜂蜜を付け、シナモンを振り
かけた。ミルクを沸かす。
「おまえ、食うか」と、演奏家Aは言った。Aもさすがに麻子の母親の前では
麻子をそのようには呼ばない。二人きりになると、兄が弟に言うような口の聴
き方をする。悪餓鬼の兄が、である。何故、そうなったのか、何時からなのか。
麻子はこのハンサムで粗雑な天才的なフルート演奏家が死ぬほど好きなのだっ
た。けれど、どう愛せば良いのか分からないのだ。
演奏家Aに麻子はラブレターを出した。ラブレターだと判るのはAだけであ
るようなものを。つまり、音楽についての考えや思いを綴ったものであった。
Aからは直に返事がきたが、手紙は麻子を失望させるものだった。演奏家は何
も理解していない。小娘をあなどっている。自分をただの弟子としてしか感じ
ていないのか。自分の努力も想いも、狂気のような崇拝も、愛も、何もかもが
通じていなかった。
「先生。私を捨ててください。私は才能もない駄目な生徒ですから」と、麻子
は涙を流した。演奏家Aはげらげらと笑った。無理やり笑っているようでもあ
った。笑い終わると、笑いすぎて出てきた、涙を華奢な指で払った。Aは麻子
にフルートをくれた。目玉が飛び出るほど高価なものだった。Aはそれを鉛筆
でも貸し与えるように麻子に渡した。
麻子は感激してフルートを抱きしめて泣き、ベッドの中に持ち込み、抱いて
眠った。抱かれて眠ったといった方が良いかもしれない。ベッドは熱く湿り、
音楽の河となって真夜中を流れた。
唇をもつ生き物は人間だけだと言う。チンパンジーは桃色の唇をめくって、
おどけた、醜悪な笑いを作ることがある。唇では無く、口内の粘膜を裏返して
見せているのだ。唇は発生学的にどのように出来上がってきたのだろうか。
それはともかく、人間の美しい唇は人間を魅了する。女の美しい唇は男を魅
了する。男の美しい唇は女を魅了するのだろう。
唇は女自身をも魅了する。
麻子はうどんとアイスクリームが大好物だ。うどんやアイスクリームを食べ
る時、唇は重要な役割を果たす。うどんを啜り込む時の食感は唇でまず初めに
感じる。白く滑らかなうどんは唇の間を通り抜ける。歯に触れる前のおだやか
な締め付けとなる。唇が無ければうどんを上手く啜りこめないだろう。
有名な作家には有名な「言葉がある」。読者は「言葉」を心の中で呟いて、己
の心を感情移入する。
「おんなはうどんのようにわらった」と、いう文章は誰の
ものだったか。上手い比喩として語られていた。
私の最近の小説では比喩を書かない事を心がけている。以前は気のきいたと
思われる比喩を捻りだすのに、執筆の大部分の時間を費やしたものだ。
比喩は色あせるし、読者の想像力に依存することが多い。文章が曖昧なもの、
独善的なものになりやすいと考える。
「うどんのようにわらう」とはどんな笑いだろう。
麻子はうどんをひと啜りして少し笑った。美味いうどんだったからではない
だろうが、不味かったら笑いは浮かばなかったろう。
「可笑しいわね。若いころみたい」
前後の事は省略するが、ふたりで歩き回って、真夜中に空腹に耐えられなく
なった。屋台のうどん屋が坂の上からゆっくり降りてきた。
私は麻子の若い頃を知らない。麻子が何時、誰と真夜中のうどんを食べたの
か知らない。道端にしゃがみ込みうどんの丼を抱え込んでたべる自分に麻子は
羞恥を感じたに違いない。麻子の口紅のはげ落ちた唇を通り、
「うどんのように
白い歯」を通り抜けるうどんは可笑しいものだろう。
女の唇の美しいイメージのひとつに私は唇と十字架をあげたい。
麻子は子供のころ敬虔なキリスト教徒の母親の影響を受けて協会に通ってい
た。子供心にキリストに恋をしていた。半裸のやせ衰えたキリストが張り付け
られている銀のクロスを首にかけていた。
日に何度か、キリストの腹や胸に唇をあてた。特に就眠前、ベッドの端でお
祈りするときは熱心だった。初潮に気付いた時も、驚いて母に告げることをた
めらっていた。学校の教室で教えられていたから、知識としては知っていた。
血を流すという事は、特別なことで、宗教的なことに感じられた。
キリストが十字架で血を流した。釘を打ちつけられた掌と足と、両脇の下に
突き立てられた槍によって血を流した。槍は突き立てられたからか、それとも
磔による衰弱死だったのか、私は詳しくないが。
少女の麻子は異様な興奮に襲われて、クロスに接吻した。
女は大人になれば色々なものを唇に運ぶ。食べ物ではなく、男の身体を愛撫
するために唇を使う。男性器の愛撫に唇を使う行為は、一般的なものだろうが、
世界の地域や時代により厳しく禁じられていた。現在でも個人によっては恥ず
べき、忌避されるものかもしれない。
実際の性行為を逃れ、口による愛撫で「職業」が成り立つほどに一般化して
いるのが現代の日本だ。
一種の潔癖からかと、金銭による取引に抵抗を感じるため私は買春をしたこ
とはない。江戸時代は廓と呼ばれる売春地帯があった。客は最初から性交がで
きたわけではなさそうだ、何度か通い、酒を飲みかわし、会話をした。気持ち
が通じてからのちの、肉体の交わり、と言う事らしい。
性の事、エロスについて書いているわけではないが、唇は身体のエロチック
な部位である。哺乳動物でも唇があるのは人間だけらしい。そう言われて、猿
や犬や馬の顔を眺めると、口の周りは存在するが、人間の様な唇は無いようだ。
猿や馬が口を裏返して、口中の粘膜を見せる事はあっても唇は無いのだ。唇は
人間だけの特別な部位なのだろう。
私は少し厚めの唇が好きだ。下唇が上唇よりやや大きめな女が良い。大きす
ぎてはいけない。小さい「おちょぼ口」というのも好きではない。唇の薄い女
も嫌いだ。ふっくらとした厚めの唇が良い。
麻子が私の前で口紅を付けるようになったのは何時のころからだったろう。
どうしても思い出すことはできない。関係ができて二三年は経っていたろう。
「恥ずかしくは無いのか」
「綺麗でしょう。亜矢子がくれたの」と、娘からのプレゼントの口紅をひく。
私は口紅の好みは特にないが、明るい赤が好きだ。オレンジ色や紫は好みで
はない。麻子にあれこれ言う事はしない。口紅の色まで指示されたら、私なら
厭だ。
最近は男でも口紅を使う時世でもあるようだ。
先日、電車の中で非常に美しい男を見かけた。黒の革ジャンパーの男は芸人
なのだろうか。細身の体つきといい仕草といい、舞台に似合う。男は若い。何
歳ぐらいだろうかと考えた。少し眠そうな、不用心な表情をしている。自己愛
の強そうな人間だ。男の唇は潤っている。化粧をしているのだなと気付いた。
男の唇が突然二三回痙攣した。
麻子と食事をしていた。麻子の唇の端が痙攣している。下唇の半分が断末魔
の虫の様に動いている。はっとして眺めた。本人が意識的にやったのではない。
ひとりでに痙攣したのだ。ひくつきは一二度でおさまった。
心配した麻子は医者に行った。「迎えに来て」と、言う。
病院までタクシーを飛ばす。二三度来ているので勝手はわかっている。大き
な建物のロビーに入り辺りを見渡した。待合室の会計カウンターの近くに麻子
の姿があった。私の顔を見て立ち上がり、近づいて来た。
「診察は終わったのかい」
麻子は笑っている。
「何でもないと言われたわ」
嬉しそうに言う。唇の痙攣は心配するほどのことではなかったのだ。
一安心して、病院からタクシーを拾いターミナル駅に着いた。
「少しお腹が空いたな。うどんでも食べるかい」
目の前に関西で有名な「うどん屋」の「ミミウ」の看板があった。
「うどん嫌いなの知っているでしょう」と、麻子は言う。
麻子はうどんや蕎麦が好きじゃないのだ。先日の真夜中、坂道でうどんを食
べたのは夢だったのだろうか。気持ちがはっきりしなくなった。
立ち止まって、迷っていると、人ごみに流されそうになる。革ジャンパーの
男の肩に乗っているチンパンジーがこちらを見て笑った。口内の粘膜を裏返し
て笑っている。手にはフルートを持っている。長い手で、フルートを振り回し
ている。チンパンジーは私をあざけっているらしい。