冬休み旅行記 - 小樽商科大学

冬休み
冬休み旅行記
================================
■はじめに
■ポコノ
■フィラデルフィア
■ラスベガス
■ロサンゼルス
■サンフランシスコ
■ニューヨーク
■おわりに
=================================
氏名:高澤 慧輔
所属:小樽商科大学
学年:3年次
学科:商学科
■はじめに
新年明けましておめでとうございます。残すところ後4回程度のレポートですが、今年
もどうぞ宜しくお願いします。遅ればせましたが、レポートの提出が非常に遅れて申し訳
ありません。事故でパソコンを初期化することになってからというものの、パソコンをセ
ットアップすることやマイクロソフトオフィス日本語版を調達することに随分時間がかか
ってしまいました。なお、カメラも事故で破損したため、レポート途中に写真がない部分
が多々ありますがお許し下さい。
今回のレポートは前回のレポートの最後にも書かせて頂いた通り、冬休みを利用してア
メリカ国内を旅行してきたものの回想記録という形になります。ポコノ―フィラデルフィ
ア―ラスベガス―ロサンゼルス―サンフランシスコ―ニューヨークと、約1ヶ月に渡る長
い旅行でした。途中ラスベガスからは、旅のお供にオランダから来た女子留学生を連れた
二人旅です。
旅行を通して経験したこと実感したことばかりが書いてあり、体系化された知識などは
一切出てこないため、他人の旅行話のようでやや退屈な中身かもしれません。それでも、
出来るだけ唯の旅行にしないように頑張ってみました。思い出せる範囲でこと細かに書い
たので、いつもよりかなり長くなってしまうかもしれませんが少しでも目を通して頂けれ
ば幸いです。
(寮から大学敷地内)
■ポコノ
ちょうど秋学期が終わり冬休みに入った頃の話です。12 月 14 日~12 月 16 日にかけてポ
コノというところにある友人の別荘に計 13 名で行ってきました。移動中に標識を確認した
ところ、Mt Pocono となっていたので、ポコノというのはどうやら日本と同じように山間
の別荘地といったところでしょうか。
大学から 2~3 時間のドライブを経て、ポコノに到着。余談ですが、アメリカの人々を見
ていると時速 70~80km で走って 30 分程度のドライブで着くような場所は、近いと認識さ
れるようです。こちらの人は本当に歩くことが少ないので、そんなことが関係しているの
かもしれません。
はてさて、ポコノの別荘地についてまず驚いたのは入口にゲートがあり、別荘の持ち主
である証書を提示しないと別荘地エリアに入ることも許されないことでした。日本の別荘
地に行ったことがないので、日本でも同じシステムなのかもしれませんが、僕には新鮮な
驚きでした。加えて、入口で別荘地エリアの地図を渡されるのですが、これがまた非常に
複雑で別荘の持ち主も地図がないと迷ってしまう程のものです。カーナビにも別荘地の道
路は標示されず、非常に厳重な警備であることが伺えます。
ポコノで過ごした3日間は何をしたというわけでもなく、パーティーをして友人達と息
抜きをしていただけですが、アメリカならではの問題にも直面しました。それは、グルー
プの一人がレズビアンなのですが、もう一人の友人がそのことを執拗にいじりはじめたの
です。僕は焦って話を逸らそうとしているのにも関わらず、他の人は平然としていて僕に
は異様に映りました。日本と比べるとレズビアンやホモセクシャルへの社会的認知は高い
ような感覚がしますが、それも以前レポートに書いたようにそういった関連の無数のコミ
ュニティが存在し、声を大にして存在を主張するからではないかと感じます。
ポコノには二泊して、その後友人トムと彼の自宅にお邪魔させて頂くことになりました。
楽しくも後片付けはいつも決まった人達がやっており、日本人と比べると他人に対する配
慮が足りないという印象が強いのが正直なところです。
(こんな光景はどこの国も変わりませんね)
■フィラデルフィア
フィラデルフィアのトム宅に着いたのは、ポコノを出てから4時間程度でしょうか。広
い国土を持つアメリカが時にうっとうしくなるのが、このドライブの時間の長さです。
トム宅においては、叔母さんの誕生日パーティーに同席させて頂いたり、人生初の薪割
りを体験したり、アメリカならではのクリスマスのデコレーションに参加させてもらった
りと、よりアメリカ人の普段の生活に近いものが体験出来たと思っています。
(暖を取るための薪割り…ハイジを思い出しました)
滞在期間中にはフィラデルフィア市街地にも行ってきました。フィラデルフィアと言え
ば、やはりアメリカがイギリスから独立したという歴史と関連付けられて有名でしょうか。
市街に出て NPO で働くトムのお母さんの職場を見学させてもらって(何故か今のところ何
処のお宅にお邪魔しても両親の職場を見学させてもらっています…アメリカでは普通なの
でしょうかね…)、アメリカ建国の歴史的建築物等々を見回ってきました。
(独立宣言が出されたインデペンデスホール)
歴史を語るのは僕の役目ではないと思いますので、観光名所の細かな説明については避
けますが、中でも印象的だったのは、アメリカ独立と自由の象徴とされているリバティベ
ルです。アメリカ史上においては重要な意味を持つ鐘であり、独立戦争時には戦火を逃れ
るために 900kg 以上もあるこの鐘をフィラデルフィアから、ここ自分のいるアレンタウン
まで運んだりもしたそうです。
その巨大で歴史的に重要な鐘の前に立ってみて、隣にいたトムは何だか感慨深そうに見
えました。そんなことを目の当たりにして、一方僕はリバティベルを見つつ象徴とは何だ
ろうと考えていました。命がけで運びされた象徴を見て、もしイギリス軍がこの鐘を破壊
していたらアメリカに独立と自由は来なかったのかというと、そうではないと感じました。
僕は象徴がダイナミクスを動かすダイナミクスになる可能性を見て、ものは使いようとい
う言葉を思い返したのでした。
(リバティベル)
■ラスベガス
フィラデルフィアから戻って、アレンタウンで一日過ごした後にロサンゼルスに向けて
出発しました。アレンタウンからロサンゼルスへの直行便がなかったため、途中デトロイ
トを経由しました。
中学校程度の知識で申し訳ありませんが、デトロイトは5大湖(エリー湖)に面してい
る自動車産業が有名な都市ですね。自動車産業が未だに活発なのか、あるいは昔の名残な
のかがわかりませんが、空港の表示案内は英語と日本語という日本以外で見るには不思議
な組み合わせでした。おそらく自動車産業と関連しているからでしょうか。少し日本の産
業の力というものを垣間見た気がします。
(日本語と英語の看板)
5時間程度のフライトの後、ラスベガスの空港についてやっぱりラスベガスだなぁと感
じたのは、空港の中にもスロットマシンが置いてあることでした。そしてやはりそこでギ
ャンブルをしている人達もいるもんでおそるべしラスベガス。後々知り合った博識なおっ
ちゃんの話によると、ガソリンスタンドや CVS にもスロットマシンは置いてあるそうな。
おそるべしラスベガス。
(空港内部、スロットマシーン)
先に述べておきますと、この時期のラスベガスは寒かったです。後にロサンゼルス、サ
ンフランシスコと渡ることになりますが、ラスベガスが一番寒く昼夜問わず冬の格好でい
ました。砂漠だもんなぁ…と思って、何処でこの知識を得たんだろうと考えてみた時に中
学や高校の基礎教育がいかに大事なのかが身にしみました。
その後、空港の外でシャトルバスに乗って予約していたホテルへ。メインのストリップ
に入ってみてまるで町全体が統一されたテーマで構成される超巨大テーマパークのようだ
と感じたのを覚えています。マクドナルドですらもこれでもかという程ライトアップされ、
巨大なホテルが立ち並ぶ姿は自分の持っているお金をチープに映し出しているような気が
しました。
(夜のラスベガス)
ホテルに到着して、チップを待っているドライバーさんにチップを渡しホテルの玄関に
到着してロビーがあるのかと思いきやカジノがあったのでした。ラスベガスではホテルホ
ッピングも観光の1つとして成り立つ程、様々なホテルがそれぞれ特色を持っていました。
噴水ショーなどの観るのにお金のかからないものも豊富なので観光客を集客するのもさし
て難しいことではないそうです。そうした環境の中で入ってすぐのカジノというのは、そ
のホテルに泊まった客のみを対象にしているわけではないことが伺えます。
博識なおっちゃんの話によると、去年は12億$、つまり 1$=118 円で日本円に換算すると
1416 億円。これだけ巨大な額がラスベガス全体におけるカジノギャンブルだけでの収入だ
ったそうです。
実際カジノに行ってみると 25$もするチップ(カジノで使うコインのようなものです)を
山のように積み上げた人ばかりで、たかが余興にこれだけポイッとお金をかけられてしま
う層の人たちが世の中にはこんなにいるのかという気持ちになりました。
ラスベガスの空港に着いた時間が夜9時だったので、町を探索する時間もなく初日の夜
だけ Mirage という随分豪華なホテルの中のビュッフェを利用しました。価格は 25$という
ことで日本円で 3000 円ぐらいでしょうか。あまり価格が馬鹿みたいに高くありません。
そもそもホテルの宿泊費もさして高くなく、滞在してもらうこと自体より、その間に使っ
てもらう金額に、つまりはギャンブルでの収益に重きを置いているのがよくわかりました。
食事を終えてしばらくして、フリーポーカーに参加してみました。フリーポーカーは初
心者にディーラーがポーカーを教えてくれ、更にお金をかける必要がないというものです。
ポーカーのルールは知っていたものの元々ギャンブルをやる気質でもなく、特に奨学金か
らや親から出してもらっているお金をギャンブルに使うということはとても出来ないので、
擬似カジノを経験するにはとても良い機会になりました。
はてさて、フリーポーカーで座った席の隣には、何処からどうみてもカジノの住人らし
き人物が一人。ロイという名前のおじさんで、常に少し笑顔で薄暗いサングラスとキャッ
プをかぶったおっちゃんでした。
「公務員やってたんだけど、歳も歳だし辞めたんだわ。
一人身だからね、溜まったお金使うこともなくてこっちで家買って住んでんの。
もう3年ぐらいになるけどここは一人身には凄く良いところさ。
」
と身の上話を聞かせてもらっていた際に「それじゃ僕も将来はここ入りですね。
」と返した
ところからえらく気に入ってもらって色々話を聞かせていただきました。胡散臭いおっち
ゃんだったため、一緒に来たオランダ人の留学生は「あの人の言ってることは全部嘘だ
わ!」と言ってましたが、おそらく本当の嘘つきだからこそ少し信じることが出来ました。
「なにかアドバイス下さいよ。
」と言ってみたところ
「ハウス(カジノ自体)とは絶対に勝負するな。
これが鉄則だね。
俺は他のギャンブラーや観光客としか勝負しない。
それが俺がここで生き残っていられる理由だよ。
」
と札束を雑に握り締めて教えてくれました。
フリーポーカーを教えてくれたおばちゃんが誕生日だということだったので、帰り際に
1$だけ渡して Happy Birthday!と声を掛けたところ
「ありがとう坊や。ギャンブルはするんじゃないよ!」と後押ししてくれました。カジノ
の従業員なのに…と苦笑いしつつも、やっぱり人間は人間だなぁと少し暖かい気持ちにな
ったことを覚えています。
(カジノのスロットは全自動でした)
翌日
ホテルホッピングをしつつオランダ人留学生の友人たちと合流
そして早速問題発生。
会った瞬間からもめてる…仲が良いんじゃないのかいぃ…と思って
試しに何処で知り合ったかを聞いてみたところ
「授業でプロジェクトを一回一緒にやったの」と聞いてビックリ。
僕ら日本人と友達という概念が違うんだなぁとしみじみ。
何だかんだで「Welcome To Las Vegas という看板が見たいの」という我侭に付き合って
4人で中心地から歩くことに。
現地の人に道を聞いたところ歩いて15分ぐらいだと言うので
歩き初めて結局掛かったのは1時間とちょっとでした。
経験から言わせて頂くと、こちらの人は時間と方向にはひどくアバウトです。
旅行の際には気をつけた方が良いかもしれません。
(目的地で機嫌を取り直す二人…いやはやよくわからんもんです)
次の日からは、やっぱり二人行動。
一緒に来たオランダ人留学生は「彼女達はとても自己中心的だわ!」と
憤慨していましたが、僕から見ればどっちもどっちでした。
日本人で良かったなぁと実感したものの
正直なところ僕もかなりオランダ人留学生のわがままには
嫌気がさしていたのも事実です。
オランダ人ってこんな感じなのかなぁと一瞬思ってしまった自分を鑑みて
自分も日本人のイメージ作りのきかっけになっているであろうことを再確認しました。
はてさて二人で向かったのはかの有名なデスバレーです。
死の谷なんて日本語では呼ばれていますね。
バスで向かったのですが、ここで出会ったバスのドライバーが先ほどから出てきている
博識なおっちゃんです。
大学時代に地理と歴史を選考していたらしくラスベガスについて色々と教えてくれました。
なんていったって12時間のワゴンツアーの最中、一分たりとも休まずに喋ってるわけで
す。それはもうエリア51だかなんだかから、ラスベガスの発展の仕方まで色々聞かせて
くれました。
1 時間半ほどワゴンに揺られた後
荒野という言葉が相応しい地にポツンと小さな街が見えてきました。
博識なおっちゃんが言うには、都心部でいかがわしい紙を配っている人達や
露店を開いて商売している人達はこの小さな街から来ているということでした。
この街には地下組織のコミュニティが五万とあるという話で
ラスベガス中心部の華々しい光景とこの街の光景を比べてみて
日本で言っていた格差って一体何のことだろうなという気がしました。
休憩がてらバスから降りて現地のお店や人を見てみると
そこにはやっぱり他の地域と変わらないただの人がいて
移民達が生活のためにやっている商売なんだなということがひしひしと伝わってきました。
途中、雄大な自然が作り出した地形の上に降ろされて歩いてみて
勢い良く下まで降りてみて、昇る時に死にそうになりながらも自然を満喫してきました。
ここでワゴンから追い出されたら確実に死ぬという光景の中
自分ってちっさいなぁと青いことを呟きつつ
ようやくデスバレーに到着しました。
(広大な自然)
(自然の底…川が干乾びた様子。黒いのは人です)
(自然の底…まだまだ余裕の表情)
(必死の帰り登山)
説明が遅れましたが、デスバレーというのは
大陸が裂けて、裂けた部分から海水が浸入して池状になったものです。
裂けた大陸が侵食されて、風によって海面に堆積物としてなるものと
海水の塩分が融合して白い土地が出来上がったものです。
僕は怖かったのでやめましたが
オランダ人留学生が地面を削って食べるに曰く
「しょっぱい!」とのことでした。かける言葉が見つかりませんでした。
もちろん、デスバレーの地の下には海水があるわけで
誰かが掘ったような穴から見ることもできました。
本当に何もなく、ここでは何も育たないような場所で少し自分を見つめなおしてきました。
(デスバレーにて)
ツアーでは砂砂漠へも連れていってくれました。
道中が礫砂漠ばかりだったのと
自分自身が砂砂漠をこの目で見るのが初めてだったためとても新鮮でした。
一通り一人でぷらぷらと砂漠を歩き終えて博識なおっちゃんと話していたところ
「サソリや蛇、特に小さいのには気を付けろっていったっけかな?」と
ぼそっと不安げに言ったおっちゃんの一言を聞き逃しはしなかったのでした。
いやぁ…アバウトだなぁ…とここでもしみじみ。
翌日
一人でフーバーダムに行ってきました。
フーバーダムは何故か外国人旅行客にはあまり人気がないものも
アメリカ国内からの旅行客に人気があるという不思議な観光スポットです。
一人でぷらぷらするつもり満々だったにも関わらず
バスの中で台湾人の女性と出会い一緒に行動することになりました。
アメリカという環境では人に話しかけるのもそう困難ではなく
話しかけるのもそう困難ではなく
一人旅をしていても退屈しないのかもしれません。
台湾人の女性はアメリカの大学院でファイナンスを勉強していて
そこには日本の会社から派遣された30代ぐらいの社員の人達も沢山いるということでし
た。
色々お話を聞かせて頂きましたが、そこは自分の中に閉まっておこうと思います。
フーバーダムはコロラド川に位置し、ロサンゼルスは勿論カリフォルニア州などの広域
にそこで生産された電力を供給している巨大なダムです。超巨大ダムや、その内部の超巨
大ラジエーターを見て、何だか小さい男の子のようなワクワク感がでてきたのを覚えてい
ます。
ここでも印象的だったのは、フーバーダムがテロリズムの標的になりかねないというこ
とで、フーバーダムの手前で軽自動車から大型バスまで全ての車両がチェックされている
ことでした。自業自得であるといえば、賛否両論でるでしょうがそれはさておき、平和に
対する意識の違いというものを目の当たりにしたのでした。
時系列での話ではなかなか話せないので、
ラスベガスで夜での話をここいらでまとめてします。
夜は基本的に一人で行動することが出来たので凄く気持ちが楽でした。
そういえば留学先の大学で一人で昼食をとっていると、よく友達が来て
「どうして一人で食べてるの!?
一人で食べることはないんだよ!今、食事もってここに来るから待ってて。
」
といったことがよくあったなぁと思い返すことができます。
以前、日本人の中学生の 70%は孤独を感じているというデータを何処かで見ましたが
そんなことを思い出して、日本人は孤独に強いのかなという感じがします。
はてさて、一人になった夜は出来るだけショーをみるようにしていました。
単純に劇やショーといったものが好きなんですね。
自分が観てきたものは以下の4つです。
・"O"
・"Mistere"
・"Love -the beatles-"
・"Phantom the opera"
上の3つは日本でも有名な Cirque du soleil のショーです。
日本に来ていた時は、「この人達は一年間の3分の1ぐらい働いて後は休みなのかなぁ」
などと考えていましたが、ラスベガスで毎週4~5日で一回 2 時間の講演を一日2回の常
駐でこなしているということで、世の中そんなに甘くないんだなとしみじみ。
一番下のショーは「オペラ座の怪人」という名前で日本でもよく知られていますね。
説明が長くなってしまいましたが、とにもかくにも、"O"というショーが世界一のエンタ
ーテイメントであるともっぱら評判だったので、どんなもんだいと思って日本円で2万円
ぐらい払ってみてきました。う~ん…高かった…。
チケットの予約をしていなくて、キャンセル待ちをしていたら、途中チケットのダフ屋に
6度ぐらいからまれたりして大変でした。あまりに断っていたら、「20$で買わないか?買
わないのかよ!もうチケットただでやるから俺と来い!」と
もうやけになっていましたが、ほいほいもらったり買って後々問題になったり、不正チケ
ットの際はトラブルの主犯にされかねないので手を出しませんでした。
皆さんも旅行の際はお気をつけて。
肝心のショーは、世界一のエンターテイメントを名乗るに相応しいものでした。
チープな表現ですが、鳥肌が止まらないというのは人生初の経験で、
完成されて手の加える余地がないものを見たような気がしました。
ステージが違えども、プロフェッショナルであることの凄さということを痛感しました。
一方で他のショーMistere ではパフォーマーが失敗するところを2度も目撃してしまい
やっぱり人間だよなぁ…だからこそ凄いんだよなぁという感慨が沸いてきました。
ラスベガス旅行を振り返ってみると
人間の力というものを大きく感じた旅行でした。
砂漠の中に作られた都市
フーバーダムといった
水や電気を運ぶ施設をも何千もの人が協力しライフラインを確保し
世界中でも有数のエンターテイメントを集めてしまい
電飾や噴水で世界一眩しい街にしてしまう
そんなことをやってのける人間の力というものを本当に痛感しました。
■ロサンゼルス
ラスベガスからロサンゼルスまではバスで移動しました。
しかし、そのバスが一時間半も遅れてピックアップ地点に着くという
なんとも日本では考えられない遅刻をしたにも関わらず
ドライバーが乗った時点で「チップを 2$払ってもらうことになってるから」と
チップを全員に強要している傲慢さに驚きました。
そして途中の休憩ポイントでドライバー自らバスの中を歩き回って個人個人から回収して
いるのを見て
なんだかずるいなという気がしました。
バスに揺られること6時間半程度
その間の景色は荒野荒野荒野、これでもかという荒野ばかりでした。
再度ラスベガスが立てられている土地の条件の凄さを実感。
ロサンゼルスには夜9時半ごろに到着したものの
去年の春に一人で来て2週間ちょっとの間
自分の足やバスを駆使して見て回ったせいか特に新しい感覚もなく
少し懐かしい気がしました。
ロサンゼルスの宿泊地には夜11時ぐらいに到着
人生初のホステルを体験することとなるのです。
ホステルには6人の人間がいました。
一人は台湾出身
二人はドイツ出身
一人はセルビア出身
一人はオーストラリア出身
そして日本出身の僕です。
部屋について感心したのはドイツ人の学生が取った行動でした。
よっぽど酔っていたことも大いに関係すると思うのですが
「この部屋で盗難や事件はないようにしよう
僕らはせっかく色んな国から来てここにいるわけだ
旅の話をしたり貴重な経験が出来る場所で、嫌な思いはしないようにしよう」
と皆に向けて一言。
共同部屋というと物がなくなったりするため
ロッカーも用意されている部屋で疑心暗鬼になりがちな関係ですが
そこでとったドイツ人の学生の行動には
素直に尊敬を覚えました。う~ん、世界は広い。
ここでも色々な話を聞いたりしたりしましたが、長くなるので僕の中に閉まっておきます。
ロサンゼルスの観光話でも書こうかと思ったのですが正直なところ特にありません…
というのも、個人的に僕はロサンゼルスが何故、日本人に人気なのかがわからないのです。
正直なところ、買い物ぐらいしかすることがありません。
観光スポットといえばファッションストリートか
セレブの住まいとその付近の高級ブランドショップ郡
テーマパークと俳優達の手形ぐらいでしょうか。
ショッピングが好きではない人には致命的につまらない街かと思います。
ロサンゼルスという街について少しお話すると
公共交通機関の便が非常に悪いです。
それは多くの住民が車を持っているからであり
言い換えるのであれば車を持っていないとロサンゼルスでは生活できないということです。
公共交通機関を利用する層の人は車を持っていない層の人達
つまり、あまり裕福ではない方が多いという現状の中で
中には凄く危ない人達もいます。
そういったことを考えると、旅行者には非常に親切でない街であるという印象が今でも強
いです。
なにせ有名観光スポットも散在しているため
旅行者はバスで移動せざるを得ませんし
車は国際免許がなければレンタルすることは出来ません。
また交通システムも日本とは異なるため事故にも繋がり易いといった点を考慮すると
観光客には不親切極まりない街かと思います。
旅行の際はお気をつけて。
ロサンゼルスならではの出来事をお話すると
ずっと同じ人と、しかも異性と行動するというのは非常に疲れるもので
ロサンゼルスにいる従姉妹達と一日だけ過ごしました。
人生初のゴルフをするべく何故か打ちっ放しではなくコースへ連れていってもらった結果
話しかけてきてくれた韓国人の人と周ることに。
手取り足取り、時にはお気に入りのクラブを貸してくれたりして
本当に親切な方でした。
「アジア人だからなのか何か以前会ったことがあるような親しみを覚えるなぁ」と思って
いたら
ドラマに出ている俳優さんだということでした。
従姉妹に聞くと、こういったことはよくあることだそうで
もっとそういった職の人達が日本より身近な環境なのかなという気がしました。
一通り、去年と同じようなコースを回りつつ
観光終了。一路、サンフランシスコへ向かうのでありました。
■サンフランシスコ
ロサンゼルスからサンフランシスコへは、学生らしく飛行機ではなくバスを使って移動
しました。だいたい10時間程度でしょうか…いやはや長かった…標高のかなり高い所を
道路が走っており、例えるならば雲の国のような風景をひたすらサンフランシスコへ向か
いました。
サンフランシスコは、なんともアップダウンの激しい街で商大の地獄坂など目ではない
町でした。町にはチャイナタウンはもちろん、イタリアタウンも存在し、町並み自体もヨ
ーロッパに近かったため、アメリカではないような不思議な感覚でした。
ゴールデンゲートブリッジや、アルカトラズ刑務所などといった観光名所を周ってきて、
ここサンフランシスコでしみじみと新年を迎えました。新年の花火はやはり派手で派手で、
なおかつ町の広場に何万という人が集まる姿は圧巻でした。
(サンフランシスコの街並み)
(アルカトラズ刑務所)
■ニューヨーク
ニューヨークでは、友人ニール宅に約 10 日間も居候させて頂きました。両親がネイティ
ブインディアンであるので、おうちではほぼ毎日が本格インディアン料理で、少し味を占
めてしまいました。
ニールの友人や弟さん達とのんびりとした生活を送った日々はとても早く過ぎ、学校の
始まる日の前日に学校の寮に戻って参りました。
■おわりに
長かった…話をいろいろと詰め込み過ぎた感じがします。物書きには到底なれそうにも
ないですね…。今回のレポートは、パソコンが故障して以来メモ帳で日記のようにして書
き溜めていた日々の継接ぎと、後日談の付け足しによって作成されました。途中から、旅
行の説明がやたら簡略化されていくのはそのためです…お許し下さい。
旅行話はあまり他の人にとって有益ではないものが多くなりそうで、短いレポートにし
ようと決めていたものの、終わってみればこの長さ。最早、今までの3回のレポートより
ダントツに長くて悲しくなってきました。
ラスベガスのことだけやたらと細かく書いてしまったので、いっそのことなら全部細か
く書いてしまおうかと思ったものの、もう学校が始まってしまい課題山積なのでその余力
は残っていませんでした。帰ってから、個人的にお話出来ればと思います。
はてさて、僕の留学生活2学期目、つまり最終学期が始まりました。今学期履修するの
は、以下の4科目です。どの科目も週2回の授業があります。
・Managing for Not Profit
・Entrepreneurial Strategy & Policy
・Drawing 2
・Painting 1
今後のレポートはこれらの科目について書かれていくことになります。
各科目を簡単に日本語で説明いたしますと、以下のようになります。
・Managing for Not Profit:非営利組織についての基礎。設立~マネジメントを学習する。
・Entrepreneurial Strategy & Policy:投資家サイドから観る企業家の学習です。
・Drawing 2:素描の学習の引き続きです。主にペンシル、チャコール、ペンを使います。
・Painting 1:絵画制作の学習です。水彩画や油絵に挑戦してみたいと思います。
ビジネスの科目は、単位習得状況から考慮すると最早取る必要はないのですが、英語学
習だけで留学を終わらせないために履修してみました…おかげで帰った後も、一般教養科
目を商大で履修しなければならないのであります…とほほ。
余談ですが、一週間に2回授業があるのに、ビジネスの科目では週2つ課題が出ます。
商大のゼミで一週間にレポート1つ提出するという作業を大変だと思っていたのは少し甘
かったようです。今期もまた悪戦苦闘の日々になりそうですが、皆さんに有益な情報を少
しでもお届け出来ればと思います。
長くなりましたが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。次回からは、ま
た学校生活で学んだこと、学習面で学んだことという形で綴っていきたいと思います。そ
れではまた、次回お会いしましょう。
□おまけ
道中、オランダ人留学生が食べていたアメリカ版マックフルーリーです。M&M とミックスされているのですが、着
色料がアイスクリームに溶け込んで正直食べる気がサラサラ出てきませんでした。特に食の安全などに厳しい日本にお
いて、これは日本で成功することは難しい組み合わせだなと感じました。日本に帰ってからは、そんな他愛のない話を
皆さんに出来たら…と思っています。