ヒラリズム 5の16 陽羅 義光 文士と愛人 北原白秋は写真家松下長平の妻俊子と関係を持ち、ばれた 結果白秋と俊子は勾留された。 編み笠をかぶされ手錠をはめられた、なぜなら姦通罪があ った時代であったからである。 長平は今で云うDV夫で変態性欲者であったから、俊子は 検事に対して悔いはないと開き直ったが、白秋は仮釈放や示 談金などで肉親にひどく迷惑をかけたせいもあって、罪の意 識に呵まれた。 その後白秋は夫と別れた俊子と結婚したが、貧困などの原 因でうまくいかず別れる羽目になった。 それまでの白秋は画期的な詩集『邪宗門』で話題になった 「 言 葉 の 魔 術 師 」、 い わ ば 「 前 衛 詩 人 」 で あ っ た が 、 貫 通 事 件 後はいわば「生活詩人」になった。 その後白秋は江口章子と結婚するが、章子は白秋の肉親と うまくいかず、雑誌記者の池田林儀と駆け落ちをした。 それからの白秋は「童謡詩人」になった。 白秋と章子の仲を斡旋しようとした谷崎潤一郎は、妻千代 をないがしろにして、その妹で十四歳の石川せい子(代表作 『痴人の愛』のモデルである)に魅せられ、手込めにして、 『源氏物語』の若紫にイメージを重ねていた。 谷崎の親友の佐藤春夫はそんな様子を目にしていたから、 千代に同情し情を通い合う間柄になっていった、春夫の名詩 『さんまの歌』はその頃を歌っている。 谷崎はせい子と結婚したいから、千代と娘を引き受けてく れないかと春夫に頼んだが、頼んだものの、せい子は手に負 え な い し 、千 代 は 益 々 き れ い に な る し で 踏 ん 切 り が 付 か な い 。 そのうち千代は書生の和田六郎とできてしまい、谷崎は四 苦八苦の末にその関係を認め、変態的な秀作『蓼喰ふ虫』を 書いた。 千代は谷崎と離婚し六郎と結婚することになったが、当然 春夫が邪魔をする。 すったもんだの末に春夫と千代は結婚するが、その後春夫 は幸せ過ぎたせいか女房の尻にしかれてしまったせいか、詩 人の感性を喪っていった。 白秋の姦通罪に強い興味、というよりも烈しい恐怖心を抱 いたのは、当時(谷崎潤一郎と才気を競い合い人気を二分す る)芥川龍之介であった。 なぜなら龍之介は「愁人」と名付けた秀しげ子と姦通をし ていたからで、しげ子の色気と積極性に恐れをなして中国に 逃げた。 そこで染された梅毒を持って帰国した龍之介は、親友宇野 浩二が梅毒が元で発狂したことを知る。 母も発狂していたので、発狂をおそれた龍之介は、姦通罪 と発狂との二重のおそれに日々悶々とする。 睡眠薬が増え、身体も消耗し続ける龍之介は、しげ子を南 部修太郎と「共有」していたことを知り、この世への執着が 完全に消滅する。 龍之介は妻の友人の平松麻素子と、帝国ホテルで心中を計 画するが、 二度にわたり麻素子に逃げられ、二度目は一人で薬を飲んだ が、麻素子の手紙で駆けつけた妻に発見され、一命を取り留 めた。 こうなると生きる屍で、屍の筆で、瀕死の白鳥の歌とも云 う べ き 『 歯 車 』『 或 阿 呆 の 一 生 』 を 書 き 、 最 期 は 妻 の 傍 で 自 殺 を遂げた。 芥川の親友の宇野浩二は、芥川が死んだ後で、斉藤茂吉の 治療と尽力もあり、狂気から解放された。 宇野が梅毒にかかるのは自然のなりゆきで、谷崎に匹敵す る醜男なのに色街ではすごくもてた。 煙草も酒もやらない宇野が、足繁く通ってくる姿は、その つ ぶ ら な 瞳 と 相 俟 っ て 、色 街 の 女 た ち に は 純 粋 に 映 っ た の だ 。 私娼窟の伊沢きみ子と同棲した宇野は、そのヒステリーに 苦しみ、後に代表作『苦の世界』を書いた。 妻をもらってからも宇野の色街女好きは変わることなく、 原とみと関係を持ち「ゆめ子もの」を、星野玉子と関係を持 ち「玉子もの」を、村上八重と関係(これはほとんどプラト ニック)を持ち「三重次もの」を書いた。 姦通罪を恐れたのは芥川のみならず、有島武郎もそうであ った。 名作『或る女』は国木田独歩の恋人佐々城信子がモデルで あるが、主人公葉子の生き方死に方は、大きく作者本人に影 響を与えていた。 私塾を経営していた波多野春房の妻秋子の、積極的な求愛 に負けて関係を持った。 秋子は絶世の美人であったが、性格的には美しいとは云え なかった、我が儘で単純で浅はかな秋子は、夫春房に有島と の関係を洗いざらい白状してしまった。 父か兄に、天下の有島武郎をモノにした自慢話でもする風 に。 春房は厖大な金の要求で有島を執拗に威した、有島は金が 惜しかったわけではなく、秋子との関係を金で解決すること に我慢がならなかったのだ。 (妻に死なれたばかりで既に虚無感に襲われていた)有島 と、 ( 虚 栄 心 や 自 尊 心 は 人 一 倍 の )秋 子 は 、心 中 す る こ と を 決 意 し 、 軽 井 沢 の 別 邸 で 長 々 と 性 愛 に 耽 っ た 後 に .縊 死 し た 。 発見されたのは一か月後であったから、二人の遺体は腐り 果て、蛆まみれであった。 晩年の有島と交流が厚かった島崎藤村は、妻の死後に無垢 でうぶな姪のこま子に手をつけ、妊娠させた上に、その始末 に困ってパリまで逃げた。 パリから戻った藤村は、こま子とよりを戻し、その関係を 公表した。 結果、こま子は台湾の兄の元に送られ、藤村との関係は終 わった。 藤村は、この一連の出来事を、私小説の問題作『新生』と して発表した。 芥川龍之介を尊敬していた太宰治は、芥川以上にもて、芥 川以上に自殺未遂や心中未遂を重ねた。 そ の こ と を 題 材 に 、『 人 間 失 格 』 な ど 多 く の 傑 作 を 書 い た 。 そうしてとうとう、愛人の山崎富栄と玉川上水で心中して しまった。 太宰の心酔者や友人などから、山崎富栄は評判がわるく、 太宰を殺したんだと云う者もあるが、その濡れ衣は拙著『太 宰治新論』を読んでもらえれば晴れるはずだし、だいたい太 宰の晩年の傑作は、富栄の支えなくしては生まれなかったは ずだ。 太宰が敬愛していた同じ津軽出身の葛西善蔵は、小娘おせ い を 愛 人 に し た 。お せ い は 、 ( 妻 子 を 故 郷 に 残 し 寺 で「 執 筆 一 割飲酒九割」の生活をする)葛西の身の回りを見るための小 娘だった。 おせいに酒の酌をさせながら、ちょくちょくおせいを小突 いていた葛西は、そのうち本当に手を出してしまったのだ。 寺の中で。純朴なおせいは葛西を偉い作家だと信じていたか ら、その後も付いてゆく。葛西はおせいのことを繰り返し書 き、哀れ哀れと書き、名品を残した。 葛西の弟子の嘉村礒太は、おっと、切りがないからもうい いか。 はてさて、どうしてこんなことを長々と書いてきたかと云 うと、亦こんなことは書こうと思えばまだまだ延々と書ける のかと云うと、文学者なんぞ些かも立派ではないぞ、と云い たい、さらに酷く情けなく、みっともない連中なのだと云い たいんじゃ。 けれども日本近代文学の名作傑作問題作と、愛人との関係 は深いのも事実なのである。それは男性作家のみならず、女 性作家もそうなのだから困ったものだ。 「浮気は文化だ」と中年タレントの石田某が云ったが、案 外 当 た っ て い て 、『 源 氏 物 語 』 か ら 、 近 松 、 西 鶴 、 近 代 文 学 ま でずっとそうなのだから、一層立派でなく情けなくみっとも ない。 そ れ で も わ し に 云 わ せ れ ば 、ホ ン ト は「 浮 気 」で は な く「 本 気」なのだから、立派でなく情けなくみっともないが、奧が 深く、意味が濃い。 尤も、愛人をつくれば誰でも傑作が書けるわけでもなく、 もしそうなら、わしなんか百も千も傑作が書けているはずで ある。
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