神経シナプスの老化に関する研究 - 群馬大学大学院医学系研究科 神経

北関東産学官研究会 技術情報誌「HiKaLo」助成研究紹介
研究題目「シナプス特異的アクチン結合蛋白ドレブリンを用いた神経細胞老化診断
システムの開発」
群馬大学大学院医学系研究科 脳神経発達統御学講座・高次細胞機能学
分野
教授 白尾 智明
略歴:昭和55年群馬大学医学部卒、昭和59年より群馬大学医学部薬理学
教室助手、国立生理学研究所神経化学研究部門助手、慶応大学医学部生
理学教室助教授を経て、平成5年より現職。
研究紹介
よく「子供のあたまはやわらく、大人のあたまはかたい」などと言いますが、あたまが“やわらかい”、“かたい”
とは、いったいどういうことなのでしょうか。脳の神経回路はコンピュータに似ていると言われますが、脳の神経回
路は、コンピュータの回路と違って、使いこむことにより自動的に進化します。この点が、脳とコンピュータの決定
的な違いであり、これこそがあたまの“やらかさ”の秘密なのです。
神経細胞はたくさんの手を伸ばしてつながりあい、複雑なネットワークを作っています。この“つながり部分”
が“シナプス”と呼ばれる結合部位で、脳にだけある特殊な装置です。そして、あたまの“やわらかい”、“かたい”
は、このシナプスの柔軟性によると、最近の脳科学では考えられています。私たちの研究室では、シナプスが、
脳の発達過程でどのように変化していくのかを研究しています。そして、赤ちゃんから子供へ発達し、また成人
から老人へと変化する鍵となるシナプス内の分子「ドレブリン」を発見しました。
ドレブリンは脳の発達とともに現れてきますが、年をとると減ってしまいます。アルツハイマー病などで記憶力
が落ちてしまっている脳では、ほとんどなくなってしまいます。また、記憶が盛んに行われるような脳内信号をシ
ナプスに送ると、ドレブリンはシナプスで増えたり減ったりします。さらに、興味深いのは、青魚に豊富な栄養素
の DHA(ドコサヘキサエン酸)を抜いた食事により、ドレブリンの量が低下してしまうことです。私たちは、やわら
かい脳の仕組みの研究を通じて、脳疾患の病態解明や治療法の開発を目指して研究を進めています。
成果の概要
老年性痴呆症の原因である神経細胞死の前兆と
して、シナプスでドレブリンの減少が起こります。私た
ちは、「老化や神経毒性に伴う細胞死を早期に診断し、
その減少を抑制しさらに再構築することが可能となれ
ば、老化によるスパイン減少をくい止めて老化神経細
胞機能を再生させ神経細胞死の予防ができる(図1)」
と考え、「神経経細胞のシナプスの老化の早期診断法
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の確立」を目指しています。そのために、本研究では、ドレブリン A の脳内の微量定量を目ざし、特異的に反応
する抗体の製品化に向けての性能検査とドレブリン A mRNA の微量定量法の確立を行い、0.05ミリグラムという
少量の組織中のドレブリンのmRNA を測定することが可能となりました。
樹状突起スパイン
私たちのからだは細胞から成り立っているが,脳を作っている神経細胞は他の細胞とは違っていて,たくさんの
枝分かれした突起を持つ特徴的な形をしています。これらの突起はあたかも樹木のような形をしていることから
樹状突起とよばれています。樹木の枝に形成される葉っぱと同じように,樹状突起にはスパインとよばれる先端
が少しふくらんだ小さな突起(直径1-2mm)が無数にみられます。この小さな突起のひとつひとつが,他の神経
細胞からのびてきた神経終末と結合する興奮性シナプスであり,脳の情報処理を担う最小単位となっています。
錐体神経細胞の突起の数や枝振りは,樹木の成長と同じように,脳が育つにつれてだんだんと複雑になってい
きます。生まれたばかりの脳の神経細胞樹状突起には,葉っぱの芽と同じように,スパインになる前の細長い突
起(フィロポディア)が存在します。フィロポディアには,他の神経細胞が放出する化学伝達物質の情報を電気信
号に変換する分子がまだ十分には集まってきていません。生後,目が開き耳も聞こえて外界の情報を受け取る
ことができるようになると,フィロポディアが急激に減って,頭部が少しふくらんだ形のスパインが増えてきます。
樹状突起スパインは興奮性シナプスの後部側に特徴的な微細構造であり、ここには,情報を受け取るため
のさまざまな分子装置が備わっています(図 3)。それは,シナプス前終末から放出されるグルタミン酸を受け取
る受容体,受容体をシナプス部位に留めておく足場蛋白群,さらにカルシウム結合蛋白やリン酸化酵素などの
シグナル伝達系にかかわる蛋白群です。
シナプス前終末
シナプス小胞
伝達物質受容体
足場蛋白
樹状突起スパイン
アクチン細胞骨格
樹状突起シャフト
図2 興奮性シナプスと樹状突起スパイン 免疫電子顕微鏡像、DAS2 抗体(本文参照)によりドレ
ブリン A がシナプス後部構造である樹状突起スパインに集まっていることがわかる。
スパイン機能とドレブリン
ドレブリンはスパインの形や動きを制御する主要なアクチン結合蛋白です。ドレブリンには細胞の形態形成
や移動に関わる E 型と樹状突起スパインに局在しシナプス機能に関わる A 型の 2 種類が存在しています。この
2 つのアイソフォームは共通する遺伝子 dbn1 から転写される際にエクソン選択の違いによって作り出されます。
ドレブリン A の配列には下図に示すように、E 型にはない特異的配列 ins2 が含まれています(図 5)。
成熟した神経細胞に発現している A 型アイソフォームは神経細胞にだけ見いだされる特殊な蛋白で、主に
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樹状突起スパインに局在しています。神経培養法と呼ばれる方法で、脳から取り出した神経細胞をガラスの上
で成長させ、その細胞にドレブリンを過剰発現させると異常に大きく変形したスパイン(メガポディア)が形成され
ました。また、アンチセンスオリゴヌクレオチドと呼ばれる薬物(特許取得済み)を用いて、ドレブリンの発現を抑
制すると樹状突起上のスパイン密度が減り、存在するスパインも幅の狭い未熟なものになりました。これらのこと
は、ドレブリンが結合したアクチンがスパインの成熟過程における形態変化の制御に中心的役割を果たしている
ことを示しています。また、最近になってドレブリンのスパインへの集積はシナプス後部肥厚(PSD)に存在する足
場蛋白のひとつ PSD-95 の集積や NMDA 受容体の活動依存的なスパイン集積に必要であることがわかり、ドレ
ブリンはスパインの形作りばかりでなく、スパイン内の機能蛋白の輸送あるいは集積の調節にも関与していること
が示されました。さらにドレブリンのスパイン内局在自身も活動依存的に制御されていることも発見され、現在ド
レブリンはスパインの構造のみならず機能制御の鍵分子として世界中から注目を集めています。
神経疾患とドレブリン
アルツハイマー病などの変性疾患や脆弱性 X 症候群、ダウン症候群、その他認知障害を示すような精神神
経疾患の多くは樹状突起スパイン形態の異常を伴うことが知られていることから、樹状突起スパインの形態はこ
れらの神経疾患の病態と密接に関連していると考えられています。
シナプス機能不全が想定されているアルツハイマー病死後脳の海馬におけるドレブリンの発現,分布を調
べてみると、ドレブリンがシナプス後部から消失していることがわかりました。またドレブリンの消失は海馬以外に
も広く大脳皮質で起きており,正常人においても加齢により減少することが見いだされています。これに対しシナ
プス前終末に存在する蛋白には有意な変化はありませんでした。このことは、従来細胞死による神経細胞やシ
ナプスの脱落によるものであるとされてきた加齢やアルツハイマー病にみられる認知障害が、シナプスの脱落以
前に起こるであろうシナプスの機能不全によるという考えを支持しています。また、一般には神経細胞の脱落を
伴わないダウン症候群の死後脳でもドレブリンが顕著に減少しています。これらの知見はアルツハイマー病とダ
ウン症候群に共通する認知機能低下の分子基盤にドレブリンが関与している可能性を示しています。
健常脳
アルツハイマー病におけるシナプスの機
能不全を引き起こす分子メカニズムについて
アルツハイマー病脳
Ab ペプチド
DHA
は、世界中でアルツハイマー病のモデル動物
PI3 キナーゼ
PI3キナーゼ
を用いて研究されています。スウェーデンの
DHA
PAK
PAK
アルツハイマー病家系にみられるアミロイド前
コフィリン
ドレブリン
カスパーゼ
コフィリン
ドレブリン
カスパーゼ
駆蛋白の変異体を過剰に発現するトランスジ
ェニックマウスではアルツハイマー病と同様、
アクチン細胞骨格系の動態
アクチン細胞骨格系の障害
老化に伴い Aβペプチドと呼ばれる異常蛋白
正常シナプス機能
シナプス機能障害
の蓄積が認められるようになります。同時に大
脳皮質ではドレブリンが顕著に減少します。ま
た、神経細胞内にヒラノ体と呼ばれる樹状突起アクチン分解物の蓄積があり樹状突起内アクチン細胞骨格系の
破綻が認められます。特にアクチン結合蛋白に作用してアクチンの重合・脱重合を調節している P21 活性化キ
ナーゼ(PAK)の酵素活性はアルツハイマー病同様、老化アルツハイマー病モデルマウスの脳で低下していま
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す。現在、アルツハイマー病の分子基盤として、Aβペプチドの蓄積−PAK 活性低下−ドレブリンの減少−シナプ
ス機能不全−認知障害、という経路が想定されています(図 4)。アルツハイマー病の発症には遺伝的な脆弱性
に加えて数々の環境危険因子が関与しています。その一つにドコサヘキサエン酸(DHA)があげられます。
DHA は青魚などに多く含まれる必須の不飽和脂肪酸で、脳内脂肪酸の 15%を占めています。疫学調査によれ
ば DHA を多く摂取すると、アルツハイマー病罹患率が低下することがわかっています。DHA 含有食の摂取は
PI3 キナーゼ/Akt 経路を直接活性化し、蛋白分解酵素カスパーゼの活性を抑制し、アクチン分子の分解を抑
えるのだろうと、私たちは考えています。
ドレブリンが樹状突起スパインからなくなることでどのような不具合が生ずるのでしょうか?前述のとおり、培
養神経細胞を用いたノックダウン法でドレブリン A の発現
量を半減させると、アクチン細胞骨格系に作用して樹状突
起スパインの数が減少し、形も未熟なものとなります。また、
NMDA 型グルタミン酸受容体が活動依存的にスパインに
集まる現象もドレブリンが半減することで起こらなくなります。
海馬の培養細胞にグルタミン酸をかけることで活動を高め
るとスパインのドレブリン A が樹状突起シャフトの方に一過
性に移動します。つまり、ドレブリンの不可逆的な消失は
シナプス機能を破綻させると考えられます(図4)。
健常脳スパイン
アルツハイマー病脳スパイン
Aβ
AMPA受容体
ドレブリン
アクチン
NMDA受容体
コフィリン
ドレブリン A 蛋白の特異的検出と mRNA の微量定量
前述のドレブリン A 特異的配列 ins2 を用いれば、ドレブリンのうち A 型を特異的に区別して検出することが
できます。DAS2 は、ins2 の配列の一部のペプチドを抗原として作成した抗体で、ドレブリン A サブタイプに特異
的に反応します。DAS2 抗体の商品化に向けて、より安定して輸送ならびに長期保存できる凍結乾燥した抗体
が再生後、組織学的および生化学的にドレブリン A を認識するかどうかについても検討を行って、正常にはたら
くことが確認された。
また、近年、PCR という DNA を増幅することのできる技術を使って微量な生体サンプルから特定の DNA を
定量的に検出する技術が進歩しました。目的の DNA 配列に特異的なプライマー対を用いた PCR 反応によって
理論的には2n ずつ増幅される PCR 産物をサイクル毎に定量する方法で、この方法によれば、微量サンプルから
目的蛋白に対応する mRNA を正確に定量することができます。そこで、特異性の高い TaqMan プローブを用い
た PCR の系を用いてドレブリン A mRNA の微量定量法を開発しました。その結果、マウスの左大脳皮質、右大
脳皮質、両側海馬から調製した cDNA の 1/20 量(鋳型 RNA0.05・g 相当分)を用いてドレブリンの定量 PCR を
行って、十分の精度でドレブリン mRNA 量を定量することができました。したがって、この方法を用いれば、ヒト剖
検脳あるいは死後脳の部位別定量はもちろん、鼻粘膜あるいは脳脊髄液に混在するわずかな神経細胞からも
ドレブリン mRNA 量を測定することが原理的に可能であることがわかりました。
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