ヴィジュアル版 ギリシア・ローマ文化誌百科 下 ・訂正表・ 読者の皆様へ このような「訂正表」を、添付しなければならなくなったことについて、心からお詫び 申し上げます。 上巻刊行後、監訳者から赤字のチェックで指摘した個所が反映されていないというご指 摘をいただきました。至急確認いたしましたが、監訳者からいただいた赤字を、そのまま 反映させることなく、編集上の判断を優先してしまった事実が判明いたしました。 このままでは、監訳者に多大なご迷惑をおかけするだけでなく、読者の皆様にも大きな 誤解をあたえるおそれがあるということから、上巻の出庫と下巻の刊行を一時停止するこ とにいたしました。 監訳の先生方には、あらためて原書との厳密な照合のうえ、細部にいたるまでのチェッ クをしていただきました。そのため、かなりの分量にわたる修正個所となりましたが、一 切取捨することなくすべて掲載させていただきました。お見苦しい点については、平にご 容赦いただきたくお願い申し上げます。 読者の皆様には、刊行が遅れただけでなく、多大のご迷惑とご不便をおかけすることに なりましたことを、あらためてお詫び申し上げます。 現状として、できるかぎりの対応をさせていただきましたことをご理解いただければ幸 いです。 原書房 <本文> 頁 誤 正 17 家政活動は家庭の敷地内のじつにさまざまな場所で営まれていたよ 家事は家の敷地内のさまざまな場所で営まれていたようだ。それでは うだ。「家庭内の活動」はどのようなものだったのだろうか。 「家事」とはどのようなものだったのだろうか。 19 エトルリアの伝説の女性タナクイルなど ローマの伝説に登場するタナクイルなど 説明的であると同時に規範的で 説明調であるばかりでなく命令調で 23 倫理的な近視眼 近視眼的な倫理観 26 いわば神の指示により、奴隷が売り払われるという奇妙な形をとるこ 奴隷を神に売り払う、あるいは神に「売り込む」という奇妙な形の解 ともあった。 放もあった。 27 28 34 35 37 39 40 42 48 55 56 59 60 61 63 64 68 76 79 84 古代ローマ時代には ローマ世界には おそらくそうだろう。 あるいはそうかもしれない。 ヘシオドスのこうした態度は、土地を離れての交易に対する当時の偏 ヘシオドスの詩が、土地を離れての交易に対する当時の偏見を如実に 見を如実に物語っているといえよう。それは古代ギリシア・ローマに 表しているのはたしかだろう。そのような態度は古代ギリシア・ロー おいて、 マにおいて、 ヘシオドスはこう書き記している。 ヘシオドスはこう語る。 そして彼の読者である土地を所有する貴族たちには そして彼の詩の聴き手である土地を所有する貴族たちには メッサナ海峡 メッシーナ海峡 トゥスカニア諸島の トスカーナ諸島の アシアを横断する「シルクロード」を介して アジアを横断する「シルクロード」を介して トゥスカニアを活動拠点として トスカーナ地方で ギリシア人たちの言い伝えどおり ギリシアの伝説が伝えるところでは しかしほどなくして都市国家の市民たちは、物を購入するという貨幣 しかしほどなくして都市国家の市民たちは、貨幣がその素材となる金 の力が、素材となる貴金属の価値のみから発生するのではないという 属の価値以上の購買力を持ちうることに気づく。それのみならず、彼 ことに気づくことになる。この磨耗しにくい小さな円盤には、象徴的 らはまた、この磨耗しにくい小さな円盤には、象徴としての少なから な価値という大きな力も秘められていたのだ。 ぬ有用性が秘められていることも悟ったのである。 だが、貨幣のもつ象徴的な力は、古代ギリシア・ローマ世界の2つの だが、貨幣のもつ象徴的な力は、古代ギリシア・ローマ世界の2種類 政治的領域で圧倒的であったことが判明した。 の政治家たちの目には格別魅力的なものとうつった。 いずれにしても、貨幣を使う人々がこのようなことを疑問に思うこと 貨幣を使う人々にもその答えはよくわからなかっただろうし、おそら はなかったのだろう。 くは、それが狙いだったのだろう。 もともとはローマの主要通貨単位であり、青銅貨「アス」10枚分、前 ローマの主要通貨単位であり、もともとは青銅貨「アス」10枚分、前 140年以降は… 140年以降は… その偏在性ゆえに その遍在性ゆえに 自分のみならず自分の家族のイメージを大衆に普及させる 自分のみならず皇帝一族の肖像を普及させる 「講演」を開いて知的な秘儀を説き、 彼らの知的な秘儀を「披露(エピデイクシス)」し、 すべてに偏在する。 すべてに遍在する。 "pshche" "psyche" こうした「皮肉な」態度は こうした「犬儒派的」すなわち「シニカル」な態度は 激しい痛みを苦しむすべを 激しい痛みに耐えるすべを ポシドニウス ポセイドニオス 「異教徒の叡智」の多くは 「異教徒の叡智」を伝える文献の多くは 古代ギリシアの子供たちにとっては 古典期のギリシアの子供たちにとっては 機関としての「学校」 制度としての「学校」 音楽や叙情詩の吟唱も 音楽や竪琴の音にあわせた詩の吟唱も 一方、ペルガモンの名は事実上「字体」の同義語となっていった。動 一方、ペルガモンの名は事実上「写本」の同義語となっていった。動 物の皮をなめし、処理をほどこして書けるようにした「羊皮紙」は、物の皮をなめし、処理をほどこして書けるようにした羊皮紙は、ラテ ラテン語では「ペルガヌム」(後には「ペルガントゥム」)として知られ ン語では「ペルガメヌム」、後には「ペルガメントゥム」として知られ るようになった。 るようになり、ここから「パーチメント(羊皮紙)」という言葉が生ま れた。 そして前133年頃、ペルガモンの所蔵する字体は、アッタリド王家最 そして前133年頃、ペルガモンの所蔵する写本は、アッタロス王家 後の王アッタロス3世の遺言によって 最後の王アッタロス3世の遺言によって オクタウィアヌスは、その図像が示すとおり、秩序、不変、安定の象 またオクタウィアヌスを描いた図像は、彼こそが秩序、不変、安定の 徴であり、政治的な調和と平和を実現する存在だった。神の加護を 象徴であり、政治的な協調と平和を実現する存在であることを示そう 受けた指導力、若さ、新しい活力が、オクタウィアヌスの武器だった(皇 とした。そこに描かれたのは、神の加護を受けた指導者の姿、新た 帝が晩年になってからは、青年期の姿を表わしたオクタウィアヌス像 な活力を吹き込む若者の姿だった(青年期のオクタウィアヌスを表し がつくられた)。 た像は、皇帝が晩年になるまでつくり続けられた)。 前6世紀に書かれたホメロスの『ディオニュソス讃歌』では 前6世紀に作られた『ホメロス風ディオニュソス讃歌』では 女と男の両方から生まれ、性的な交わりによって受胎したが、性によ 女と男の両方からの誕生、すなわち有性生殖と無性生殖の両方の形 らない形で再生することで、 で生まれることで、 こうした「変わりやすさ」ゆえに こうした「変わり身の早さ」ゆえに ブドウ園を訪れたり、茶目っ気たっぷりに信奉者にいたずらする。 いたずら好きの従者をひき連れてブドウ畑を練り歩く。 酒盃の構造や形状を利用したこのような「遊び」は…それを観賞する 酒盃の空間的な構造を利用したこのような「遊び」は…それを見る者 者のさまざまな視点を前提として物語を展開する(思いがけない展開 の視点がさまざまに変化することを利用して物語を展開させる。それ であることが多い)。 は思いがけない展開であることも多い。 86 89 92 95 97 105 106 彼らはディオニュソスの女性信者であるマイナスやバッコスの巫女(図 サテュロスとシレノスは、マイナスあるいは「バッコスの巫女」と呼 403)とともに神との酒宴を楽しみ、サテュロスのように陽気な 行列 ばれる女性信者(図403)とともにディオニュソスにつき従う 従者で をつくってディオニュソスを称え、一連の行事を完結させるのである。 ある。酒宴の参加者たちもまた、サテュロスのように陽気な行列をつ くってディオニュソスを称え、一連の行事を完結させるのである。 それぞれの地域の社会的慣習や伝統、飲食におけるしきたりと それぞれの社会における飲食の慣習や伝統、しきたりと (他の非ギリシア人たちと同様) (そして同様に他の非ギリシア人が) つまり、図像を解釈するうえで、「エトルリア風」と「ギリシア風」の そのため、こうした図像を解釈するうえで、「エトルリア風」と「ギリ 区別があるなら、どのようにその線引きをするか、という微妙な作業 シア風」の線引きをどのようにするか、そもそもそのような線引きを が必要となる。 すべきなのか、といったむずかしい判断が必要となる。 アテナイとエトルリアではまったく異なる意味をもっていたのである。 アテナイとエトルリアでまったく同じ意味をもっていたわけではない のである。 十字架にかけられる前夜に最後の晩餐を催したというキリストの特徴 十字架にかけられる前夜に最後の晩餐を催したイエスという人物は、 は、不思議な親しみを感じさせるものだったのではないだろうか。彼 不思議な親しみを感じさせる存在だったのではないだろうか。彼らは らはキリストに、 イエスに、 さまざまに論じられる、オデュッセウスがポリュペモスの目をつぶす あれこれ論じたオデュッセウスがポリュペモスの目をつぶす場面は、 場面は、 アテナイの各部族を代表する アッティカの各部族(フュレー)を代表する ピニックスの丘 プニュクスの丘 なにかをたくらんでいる奴隷や、あごに手をあてて悪だくみをしてい あごに手をあてて悪だくみをする「ずる賢い奴隷」(図419、420) る悪党(図419、420)といった のような 前5世紀末のアテナイのクラテル 前5世紀末のアッティカ式クラテル 題材にしたものと考えられる。 題材にしたものと考えられている。 喜劇の一画面を 喜劇の一場面を 現存していない戯曲の中からその出典元となった具体的な作品をつき たとえそれが特定の戯曲を題材にしたものだとしても、元の作品が現 とめるのは、題材となった作品が失われている場合、おそらく不可能 存していない場合、その出典元をつきとめるのはおそらく不可能だろ だろう。 う。 見世 物 喜劇や悲劇といったさまざまな劇がひきつづき上演された。 107 110 111 113 競技は 周囲の自然環境にどのように対応したのだろうか。 後に誕生するさまざまな聖域伝説という組み合わせからは ホメロスの『アポロン讃歌』は 伝説によると 心を奮いたたせる格言として 宇宙の法則や万物の定め 見世物 喜劇や悲劇といった劇がある程度は上演されつづけた。 競技会は 自分たちをとりまく自然界をどのように感じ取ったのだろうか。 後に誕生する、この景色にまつわるさまざまな起源伝説という組み 合わせからは 『ホメロス風アポロン讃歌』は 伝承によると すばらしい格言として 万物普遍の法則やその定め 「通訳者」 「通訳者」 よくても不可解な、悪くするとまったくわけのわからない謎かけのよ よくても謎かけのような、悪くするとどうにでも解釈できるような類 うなものだった。 のものだった。 115 116 124 この英知にいたる課程を この英知にいたる過程を これは「劇的な運命のいたずら」のもっともみごとな例だろう。 これは「劇的アイロニー」のもっともみごとな例だろう。 音楽は耳に訴えかける学問というよりも魂にかんする学問であった。 音楽は音にかんする学問というよりも魂にかんする学問であった。 133 成功の秘訣について書き残している。 成功の秘訣について書を著した。 138 呼び起こすことができると考えている吟遊詩人を 呼び起こすことができると考えている役者を 140 セクストゥス・エンピリクス『ピュロニズム概説』 セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義概説』 142 「アフロディシアス作」 「アフロディシアス彫刻学校製」 146 しかし、ここで思い描かれているのは「実際の人物」の化身ではなく、さらに、ここで思い出して欲しいのは、このような彫像が「体現」し ありのままの人間を超えた姿―英雄化されたり、不朽の名声を与えら ていたのは、「ありのままの姿」ではなく、等身大以上の存 在―英 れたものだったということを念頭においておく必要がある (上121ペー 雄化されたり、不朽の名声を与えられた姿だったという点である(上 ジ参照)。 121ページ参照)。 成長した姿で より威信のある姿で このような意味で、お決まりの片足を一歩踏みだしたクーロス像の姿 このような意味で、お決まりの片足を一歩踏みだしたクーロス像の姿 は、 「生き生きとした」イメージを与えるもので、死後硬直とは無縁だっ には、死後硬直とは無縁の「生き生きとした」イメージを与える効果 た。 があった、と考えてもおかしくはないだろう。 147 あるいは、前6世紀の美術における発展は、どの程度まで自然に進 あるいは、むしろこの変化は、前6世紀の美術における発展から自 化した結果であるとみなすべきなのか。 然に進化した結果と考えるべきなのか。 154 古代の人々のイメージづくりやその普及のしかたは 古代における図像の製作方法やそれを広める手段は 155 この像を「酒がめの祭り」と呼ばれるディオニュソスの祭と関係づけ この像は「酒がめの祭り」と呼ばれるディオニュソスの祭と関係があっ られることもあるが、この像がどこにおかれていたとしても たともいわれるが、この像が元々どこにおかれていたにせよ 156 とはいえ、前1世紀末頃までに「古典美術の伝統」が正式に終焉を とはいえ、すでに前1世紀末頃には、「古典美術の伝統」が正式に終 迎えたように思われていたことは否定できない。ローマ人がそうした 焉を迎えたように思われていたことは否定できない(ローマ人がそれ ことをそもそも気にかけていたならば別の話だが。 を強く意識することはあまりなかったが)。 『世界の名作』 『世界の名作(ノビリア・オペラ)』 大カトをはじめとするギリシア的な伝統主義者やギリシア嫌いにとっ 大カトをはじめとする伝統主義者やギリシア嫌いにとって て 158 160 162 164 166 169 170 173 176 177 180 182 184 188 189 191 192 194 198 世界主義的な思想の持ち主だった 国際的な感覚の持ち主だった ウィラの列柱や庭園にも ウィラの柱廊や庭園にも この食堂には「恐ろしいもてなし役」の典型として悪名というモチー この食堂には「恐ろしいもてなし役」の典型として悪名高いポリュペ フの原型となったポリュペモスの像が モスの像が だが、鑑賞者たちに美を伝えるための媒体にはすでに変化が現われ だが、その美の伝統を伝えるための媒体は、すでにここでは変化し ていた―言葉が図像にとってかわったのである。 ている―図像にかわって言葉がもちいられているのである。 ある1つのプロセスが未完了であり、今も継続していて、完結してい ある1つのプロセスが完結しておらず、継続中であることを示してい ないことを示しているのだ。 るのだ。 "Classic"(古典)の学位 "Classics"(古典学)の学位 これはなにも真新しい極論ではない。だが実際のところ これはなにも目新しい事態ではない。実際のところ 「古典主義」はたんなる石に刻まれた芸術ではない。 「古典主義」は絶対不変の美の哲学ではない。 ダンテの『神曲』は、年下の同じイタリア人ペトラルカの作品とならび、ダンテの 『神曲』は、年下の同じイタリア人のペトラルカの作品とならび、 古典文学(とくにウェルギリウス)の言葉の意味や響きをうまく調和 古典文学(とくにウェルギリウス)の価値観や感性に深い理解を示す させた作品を残している(図476)。 ものだった(図476)。 教皇文書では、これほど多くのぐらついた円柱が建つ場所を保存す 教皇文書は、無数の円柱が倒壊する景色を保存する理由のひとつと る理由は、これが「模範とすべき脆さ」だからだ、と述べており、こ して、「見事なまでのはかなさ」を挙げていた。朽ち果てゆく建築物 のままいくと1800年頃にはローマ時代の建築物が崩壊してしまうの に対するこのような態度は、1800年頃に生まれるロマン主義を先取 ではないかとの懸念を示した。 りするものだった。 「永遠の古代都市」 「永遠の都」 アテナイへと向かった。 アテネへと向かった。 アテナイのアクロポリスの丘(図482) アテネのアクロポリスの丘(図482) 時の流れに逆らって、永久に有機的に繁栄した状態にあるのだという。すなわち時の流れをものともせず、つねに若々しい生命をもち続ける のだという。 この時代に著作活動を行なっていたプルタルコスは、彼自身がおかれ この時代に著作活動を行っていたプルタルコスにとって、このような ているローマ時代から、あえて文化的距離をおこうとした。それは古 時間を超えた永遠性は、彼の描く時代と彼自身の生きる時代との文 代ギリシア文化がもつ、時代を超えた永遠性ゆえの行動だった。 化的な隔たりを埋める意味を持っていたのである。 パルテノン宮殿 パルテノン神殿 チャールズ・タウンリー卿のコレクションを中心とした「完璧な」状態 チャールズ・タウンリー卿のコレクション(図491)を中心に、ローマ に修復され、また古代ローマ時代の彫像を集めた展示室が大英博物 時代の彫像を集めた展示室が大英博物館にオープンした。彫像は「完 館に公開した(図491)。その展示物は、彫像の多くがお上品に「局 璧な」状態に復元されたもので、その多くがお上品に局部を隠してい 部を隠した」ものだった。 た。 しかし古代ギリシア・ローマ的な考えや伝統は しかし古代ギリシア・ローマの思想や伝統は 古典世界はあらゆる社会的迫害や抑圧にかんして、選択肢や先例を 古典世界はあらゆる社会的抑圧に対して、さらには心理的抑圧に対し 示してきた。 て、新たな選択肢や先例を示してきた。 代表的なギリシア・ラテン文学の作品の中に同性愛が高らかに謳われ 権威あるギリシア・ラテン文学作品の中で高らかに謳われているよう ていることが、まったく異なる種類の社会と受けとめられた。 な同性愛は、まったく異なる社会的選択肢を示してくれるものだった。 ハリウッド映画は必然的にタイム・トラベルやバーチャル・リアリティ ハリウッド映画がつくり出す世界は、必然的にタイム・トラベルやバー の世界を描かなくてはならないため、二次的解釈や議論、分析などよ チャル・リアリティになる。そこで重要視されるのは物語観賞であり、 りも物語的視点を重要視する。それゆえに、われわれの古代ギリシア・ 二次解釈や議論、分析ではない。ここで注目すべきは、われわれが ローマ文化にかんするイメージは、究極的には映画の中の世界に根ざ 古代ギリシア・ローマに対して抱いているイメージの多くが、最終的 しているのだということを、心に留めておくべきだろう。 には映画の中の世界に由来する、という事実だろう。 歴史的観点からアドバイスをしていたある人物は 時代考証を担当していたある人物は だが一方で、 「本物の古代ローマとはこういうものである」という決ま だが一方で、 「本物の古代ローマとはこういうものである」という考え りきった考えや、自分たちだけが正しいかのような主張をする学者た そのものや、自分たちだけがそれを専有しているかのような主張をす ちの「退屈な演説」(映画の中では皇帝コンモドゥスにこの台詞を言 る人々の「退屈な演説」(『グラディエーター』中の皇帝コンモドゥス わせている)を打ち破ろうとするこのような挑戦を歓迎する人々もい の台詞)を打ち破ろうとするこのような挑戦を歓迎する人々もいた。 た。いいかえれば、映画における古代文明の再現は、どちらが古代 いいかえれば、映画における古代ギリシア・ローマの再現は、古典文 の文化を占有するかという「純粋主義者」と「大衆主義者」との戦場 化の所有権をめぐる「純粋主義者」と「大衆主義者」との戦場となっ となったのである。 たのである。 だが、1692年に大きな論争を呼んだウィリアム・テンプル卿の『古 だが、すでに17世紀には、ウィリアム・テンプル卿の『古代と現代に 代と現代における学問について』という論文が発表されたのに続き、おける学問について』という論文が1692年に発表されて議論を呼ん 17世紀初頭にはすでに、 だことがきっかけとなり、 フェニキア人が住んでいたイベリア[現在のグルジア共和国] フェニキア時代のイベリア半島 201 トゥスカニア式 トスカーナ式 203 その過去は、指標として、寄港の地として、今もなお息づいているの その過去は、目標の地として、寄港の地として、あるいは出発の地と である。 して、今もなお息づいているのである。 83 88 399 406 94 囲み 文学批評となったアリストテレスは コラム 頁 No. 11 27 46 76 333 地区 348 「アンフォラ」という呼称はここに由来する。 368 反宗教的な叡智 390 マルクス・アントニウス側の人間であることを示している。 誤 正 地区 彼の作品を特定する基準になっている作品である。 異教の叡智 マルクス・アントニウス側の人間であることを示したものかもし れない。 文学批評のひとつとなった。アリストテレスは アリストテレスの意味づけに議論の余地はあるものの、観客が自 このアリストテレスの言葉については今も解釈が分かれるが、観 分たちの恐れを「浄化」することができるのは確かである。主役 客の恐れの「浄化」という、なかば医学的な効果を意味している の転落がどのように起こったかを理性的に理解することによって、ようである。「運命の逆転」がどのように起こるかを理性的に理解 また、感情をゆさぶるこのうえない恐怖が実際に舞台上でくりひ することによって、あるいは、その逆転のもたらす恐怖の感情が、 ろげられることによって、観客自身の恐怖がとりのぞかれるため 実際に舞台上で演じられるのを目にすることによって、観客自身 である。 の恐怖がとりのぞかれるためである。 アプリア式の アプリアの パエストゥム式の赤絵式 パエストゥムの赤像式 96 412 413 98 囲み 前5世紀におけるアテナイの政治や家庭がどのようなものであっ この悲劇は前5世紀のアテナイで政治や家庭における同様の問題 コラム たかを知る手がかりにはなるものの、この悲劇は当時の体制を強 について考えるきっかけをつくったが、おそらくは現状を強化す 化するものでもあった。 ることにもなった。 105 422 都市の風景を描いた精密なトロンプ・ルイユ(だまし絵)の中に くみこまれている。 1世紀の第1四半世紀 上には 下には 106 423 107 424 『テバイ攻略7勇士』 108 囲み カエサルよ コラム トラキアの農夫はオルフェゆかりのハイモス山から、サルマティ ア人は水を飲む馬の血に育まれて来た。 キリキア人は(輸出したサフロンの)しずくを浴びて来た。 110 428 111 429 113 430 114 431 115 囲み コラム 117 433 122 囲み コラム 世界中の権威ある神託を吟味した結果 世界中のさまざまな神託の信憑性を吟味した結果 東洋風 東方風 初期スパルタのもっとも重要な立法者リュクルゴスの伝記の中で、プルタルコスによるリュクルゴス(スパルタの最初の立法者)の 著者プルタルコスは、古代ギリシア・ローマ時代、音楽とはあら 伝記からは、古代ギリシア・ローマ時代、音楽がいかにあらゆる ゆる事象を内包する存在であったと述べている。 事象を内包する性格をもつものだったかが見て取れる。 囲み とくにティマイオスという人物にそれを語らせている。 コラム 145 451 149 457 153 461 154 462 155 463 156 464 159 皇帝よ トラキアの農夫はオルフェウスゆかりのハイモス山からやって来 た。馬の血を飲んで育つサルマティア人もやって来た。 キリキア人はここで(自分たちの輸出したサフランを)雨あられ と浴びた。 1世紀後半 ポンペイの住民 代表者たちが 女性用に衣服 130 442 143 449 『テバイ攻めの七将』 1世紀の第3四半世紀 ポンペイ市民 代表者同盟が 前1世紀最終四半世紀から後1世紀の第1四半世紀 128 441 1世紀初め 左には 右には しかし声をそろえて、こう言う。ティトゥス、あなたこそが、真 の祖国の父であると。 チュニジア チュニジア hoc est habere, hoc est posse 124 439 125 建物を描いた精密なだまし絵の中にくみこまれている。 しかし声をそろえて、ティトゥス、あなたの名を呼ぶ。祖国の真 の父であるあなたの名を。 テュニジア テュニジア hocesthabere hocestposse 123 438 151 460 <図版キャプション> リュシピデスの画家、アンドキデス(陶工として)の作とされる。リュシピデスの画家と陶工アンドキデスの作とされる。 前4世紀の最終四半世紀 前4世紀末 神話的なシチリア人の とは異なるこの像 神話的なペルガモン建国者 これは古代オリンピック大会が開始された年(前776年)、また はその前後の時代にあ 東洋化 対外貿易 風を受けながら人々を見下ろせるような場所、すなわち水辺に建 てられた船首を模した台座の上に安置されていた。 前1世紀末から後1世紀初め 女性用の衣服 とくにそれは『ティマイオス』において顕著である。 神話上のシチリアの とは異なる。この像 神話上のペルガモン建国者 これは古代オリンピック大会が開始されたとされる年(前778 年)、またはその前後の時代にあたる。 東方化 海洋交易 自然に風を受けられる高台に安置されていた。その台座は船首を 模したもので、周囲には水が張られていた。 ペルガモンの神話的建国者 ペルガモンの神話上の建国者 海に追い払われようと 国外追放されようと 「ウフィツィの格闘家」 「ウフィツィのレスリング選手」 「テルメの王侯像」 「テルメの君主像」 アッタロスがガリア人を破ったことを アッタロスがガラティア人(ガリア人)を破ったことを レプリカ制作を命じたという このレプリカ制作を命じたという ベルヴェデーレの中庭に置かれているが、1797年にナポレオン ベルヴェデーレの中庭に置かれていたが、1797年にナポレオン によって一時的に持ち去られた。 によって一時的に持ち去られたこともあった。 囲み 以前アテナイで雇っていた信頼のおける周旋人 コラム 以前アテナイで仲立ちをしていた信頼のおける友人 <古代ギリシア・ローマ年表> 161 467 この悪名高い凱旋門は、それ以前につくられたローマ帝国時代の この凱旋門は、それ以前のローマ皇帝たちの時代につくられた図 彫像を移築して建設されたものである。 象を「転用」したことで有名である。 ローマ支配を確立した際に 164 469 いくつかの像が集められている。 「絵のように美しい作品の集合体」 167 472 168 474 171 476 172 477 174 479 174 480 176 482 古美術をもとにした 古代のものをモデルにした 長期にわたって大陸研究をしていた頃に 長期にわたって欧州大陸で研究をしていた頃に 1世紀の第1四半世紀頃 1世紀初め頃 私はその様式と精神、いいかえれば古代美術品の形状がもつ優美 私は古代美術品の形状がもつ様式と精神、いいかえればその優美 なシンプルさを なシンプルさを この細密画 この絵の細部 マンテーニャは北イタリアのパドヴァで絵の技術を学んだが、古 マンテーニャが北イタリアのパドヴァで絵の技術を学んだのは、 典芸術を「人文主義」的に研究しようとする新しい動きが高まっ ちょうど古代の芸術を「人文主義」的に研究しようとする新しい ていた頃で、この行列のような古代の出来事を研究せざるをえな 動きが高まっていた頃だった。おそらくマンテーニャも、このよ かったのである。またマンテーニャの絵は、古典芸術の世界がロー うな行列にかんする古代の記述を研究していたのであろう。また マ芸術によって席巻されたことを、15世紀イタリアのルネサンス 彼の絵は、ローマによる古典芸術の征服を、その芸術が15世紀の 期におけるローマ文化の支配と暗にかさねあわせて表現している。イタリアで輝かしい「再生」を遂げたことに暗になぞらえている のかもしれない。 「ウフィツィの格闘家」 「ウフィツィのレスリング選手」 アカデミア・サン・ルーカ アカデミア・ディ・サン・ルーカ アテナイ アテネ プロピレア(前門) 今でもその姿はさえぎられている。 オスマン帝国の遠隔支配地 「大旅行家」 177 483 アテナイを訪れた 「天賦の才を授けられたフェイディアスの作品」 178 484 「南部のアテナイ」 181 囲み パルテノンの女神たちの姿 コラム 英連邦に向けられたアテナイの女神の憤怒を思い アテナイの女神よ、違うのだ! あなたがたを略奪したのは 当時主流だった考え方からは 182 490 185 493 193 503 504 199 509 202 513 214 521 219 529 ローマ市における彼の地位が確立した際に 人々が集まっている。 「絵のように美しい廃墟の集合体」 プロピュライア(前門) その姿はさえぎられている。 オスマン帝国辺境の僻地 「グランドツアー(巡遊旅行)」の旅行者 アテネを訪れた 「フェイディアスによる神業のような作品」 「南のアテネ」 パルテノンの女神アテナの姿 英国全体に向けられた女神アテナの憤怒を思い 女神アテナよ、違うのだ! あなたを略奪したのは 現代の考え方からは カノーヴァは、典型的な古代美術作品と復元された古代の遺物の カノーヴァは、古代の手本を忠実に模した彫像を制作し、また古 両方を手本に、忠実にこれらを模した作品を制作した。 代の作品の修復もおこなった。 ということを意味するのである。 ということを意味するものだった。 ヘンリック・シンキーウィッチの小説(1896年)をもとに作ら 同じテーマを扱ったヘンリック・シンキーウィッチの小説(1896 れた映画で、同じテーマを扱った作品の中では初期のもの。 年)や以前の映画をもとに作られた作品である。 反キリスト教主義者で 「反キリスト」 これより以前の19世紀末頃に書かれたルー・ウォーレスによる原 ルー・ウォーレスによる19世紀末の原作を以前に映画化した他の 作と同様、映画の中でも 作品と同様、この映画も ドイツではウィリアム・ワイラー監督の「傑作(マイスターヴェ ルク)」と称えられたという。 同時期のギリシア様式の典型にもよく似ている。細かい描写はほ とんど彫りこまれておらず、その長く伸びた体は、新たなエトル リア文化の出発点となった。 誤 同時期のギリシアのオリジナルに忠実である。だが、細かい描写 がほとんど彫りこまれていない長く伸びた体は、エトルリア独自 の新しい特徴である。 222 533 230 545 231 546 ポシドニウス カリア人貴族マウソロスの大理石巨像(前350年頃)。 241 569 会食をするウェスタの処女たち。フォロ・ロマーノにあるアラ・ 会食をするウェスタの巫女。43年にフォロ・ロマーノに奉献され パキス(平和の祭壇)でみつかった大理石製レリーフの一部。43 た「アウグストゥスの敬虔の祭壇」の大理石製レリーフの一部。 年寄進。 テュニジア沖で難破したマーディア号で発見されたもの。 チュニジアのマーディア沖で難破した船から発見されたもの。 アレティウム(現アレッツォ)出 アレティウム(現アレッツォ)出土。 ルネサンス期につくられた彫像のレプリカ。 ルネサンス期の復元品。 ポセイドニオス カリア人貴族の大理石巨像(前350年頃)。かつてはマウソロス 本人と考えられていた。 正 207 「過去の独裁者」による著作『アテナイの法令』 「暴君殺し」(オリジナルの彫像群) ハリカルナッソスの霊廟 「老オリガルキ」(偽クセノフォン)『アテナイ人の国制』 「僭主殺しの像」原像 ハリカルナッソスのマウソロス霊廟 209 アリアノス 『アッティカ夜話』 アリアヌス 『アッティカの夜』 <古代ギリシア・ローマの人物> 見出し アイスキネス 誤 アテナイの著名な雄弁家でマケドニアのフィリッポス2世に フィロストラトスとの歩み寄りを主張したため、デモステネス の政敵となった。 アテナイの戯曲家。アテナイの三大悲劇の中で唯一現存する 『オレステイア』の作者として知られる。 前27年のローマ皇帝即位後、オクタウィアヌスが名のったこ の名は、「聖なる者」を意味している。 あたかもローマを共和政から独裁国家へと効率的に転換さ せた2人に感謝するかのように 正 マケドニアのフィリッポス2世との講和を主張した著名なアテ ナイ人。このためにデモステネスの政敵として有名である。 ペルシア王家の王朝名。 名字 アッタリド 後援したが、その資金源は 東洋における アッピアノス 国別に編纂した『ローマ史』 アプレイウス ラテン語文学にはめずらしく アルキビアデス 最盛期にはペリクレス政権に携わった。アテナイとスパルタ の二重スパイとしても知られる。ソクラテスの朋友。 アレクサンドロス大王 マケドニアの軍部を支配下におさめる。 アンティオコス 代々伝わる王の名。 イビュコス 独裁者ポリュクラテス ペルシア王家の王朝名のギリシア語表記。 名前 アッタロス 後援した。アッタロス王家の資産は 東方における 地域ごとにまとめた『ローマ史』 ラテン語で書かれた小説としてはめずらしく ペリクレスに政治の道を教わり、またアテナイとスパルタの 二重スパイとしても有名であった。ソクラテスの友人。 マケドニア軍の指揮を任される。 の数名の王の名。 僭主ポリュクラテス アイスキュロス アウグストゥス アカイメネス アグリッピナ アッタリド アテナイの悲劇作家。唯一現存するアテナイの悲劇の3部作 である、 『オレステイア』3部作の作者として知られる。 ローマの最高権力者となった前27年にオクタウィアヌスが名 のったこの名は、「尊厳なる者」を意味している。 ローマを共和政から専制的な体制へと事実上転換させた2人 の人物に感謝するかのように、 ウァリウス・ルフス ウェスパシアヌス 吟唱されたといわれている。 演じられたといわれている。 「四皇帝乱立時代」、すなわちネロ失脚後に訪れた政権の空 もとは軍司令官だったが、 「四皇帝乱立時代」、すなわちネロ 白状態において、軍司令官として頭角を現わした。 失脚後に訪れた権力の空白状態において勝者となった。 「復興した共和国を支配する」 「復活した共和政に君臨する」 ウェルギリウス その素朴な学識は その田園嗜好は ウェルギリウスはキリスト教以前の詩人だが、ヨーロッパでは、またヨーロッパでは、ウェルギリウスはなかばキリスト教的 キリスト教の預言者に等しい存在として位置づけられている。 な予言者と位置づけられてきた。 ウェルキンゲトリクス 先住民ケルト族の首領をつとめていた。前52年、みずから 先住ケルト人の一部族長であった。前52年の一斉蜂起の先 が先導者となり、独立をめざして蜂起するが、 導者となったが、 ウェレス ウィリアム・ワイラー監督の「傑作(マイスターヴェルク)」と宣 伝している。 さほど真剣に評価すべき作品ではないように思われる。 この主張をあまり真面目に受け取ってはいけないようである。 テュニジア チュニジア サッフォを描いたポンペイの壁画(1世紀後半)。黄金のヘアネッ 黄金のヘアネットをかぶり、蝋板と筆を持ち、宝石を飾ったこの トをかぶり、蝋板と筆を持ち、宝石を飾ったこの女性は、18世紀 女性がサッフォを表しているとされるようになったのは、18世紀 になってはじめてサッフォと確認された。1世紀、富裕層のあい になってからのことである。この肖像は、1世紀の裕福で教養あ だで勉学に励む娘の姿を描いた作品が制作されたといわれるが、る若いローマ人女性を描いた作品の1つであろう(ポンペイの壁 画、1世紀後半)。 このサッフォ像もその1つである。 四頭政治 四分治制 242 570 244 575 254 587 頁 カエサル カト(大 カリグラ カルネアデス キケロ キュルス キンキナトゥス クセノフォン クセルクセス グラックス兄弟 クラッスス クレオン ローマ領総督。最初は小アシアで、次はシチリアで聖域や個 ローマの属州総督。最初は小アジア、次いでシチリアで、そ 人の邸宅を荒らしまわり、芸術品を略奪した。前70―69年、 の地位を濫用して聖域や個人の邸宅から美術品を略奪した。 この重罪はキケロの『ウェレス弾劾』によってみごとに浮き彫 前70-69年、キケロは『ウェレス弾劾演説』によって彼の罪 りにされ、ウェレス起訴にいたった。 を告発し、その弁論の力で裁判を勝訴にみちびいた。 機械論的で明快なラテン語 機械的なほど明快なラテン語 共和政ローマの小規模な自作農地の基盤づくりを熱心に行 共和政ローマの基盤は小自作農にある、という信条をかたく なった。 守った。 「恐れているあいだは憎ませておけ」 「憎ませておけばよい、恐れてさえいれば」 そのため、古代ギリシアにはカルアネデスが「新たな」アカ そのため、古代にはカルネアデスが「新アカデメイア学派」 デメイアを設立したとする称賛の声もあった。 を創始したと評されることもあった。 議論隙な政治家 賛否両論ある政治家 その弁論の記録は57編が現存している。彼の残した多数の また57編の演説と多数の書簡が現存している。彼の残した 書簡は、古代から現代にいたるまで 多くの著作は、古代から現代にいたるまで キュルス キュロス 小作農から元老院議員になった古典的な例。 小自作農であり元老院議員である人物の古典的な例。 彼の書いた歴史書には、かつての師ソクラテスとの心温まる 歴史を扱った彼の著作には、かつての師ソクラテスに対する 思い出もおりこまれているほか、 愛情にみちた回想録が含まれるほか、 アケメネス朝参照 アカイメネス朝参照 腐敗した法曹界を改善し 司法の腐敗を是正し ローマの道徳規範は失われた ローマの軍旗が奪われた。 前427年に制定されたミュティレネ法をはじめとする、無慈 前427年に可決されたミュティレネ決議をはじめとする、無 悲な外国人政策を推進した張本人であるといわれている。同 慈悲な対外政策を推進した張本人であるといわれている。同 法は、ミュティレネの男子市民全員を反乱罪で処刑すると定 決議は、アテナイとの同盟から離反をくわだてたミュティレ めたもの。 ネの男子市民全員を処刑すると定めたもの。 コリオラヌス コンスタンティヌス サッフォ ローマ共和国の将軍 4頭政治 女性だけの社会あるいは女性賛美主義の提唱者であったこ とはまちがいないが、詩の中では美しい少女と同様、異性愛 も称賛している。 共和政ローマの将軍 四分治制 おそらく彼女は社会的あるいは宗教的なつながりをもつ女性 だけのグループの一人だった。ここから「レズビアン」という 言葉が生まれたが、彼女の詩は美しい少女たちと同様に、異 性愛も賞賛している。 サルスティウス ヌミディアのベルベル族領地をめぐる ベルベル人の国ヌミディアに対する 他にもカティリナ戦争にかんする研究論文や年代記『歴史』他にもカティリナ戦争をあつかった作品や編年体による『歴 を残している。 史』を著した。 スエトニウス 『カエサル』 (『ローマ皇帝伝』所収) 『ローマ皇帝伝』 スタティウス かたくるしい叙事詩的な作品『テバイ物語』は、ウェルギリ 叙事詩の手法を強く意識した作品『テバイ物語』は、ウェル ウスの作品と比べると、厳粛さと信念に欠けるものであった。ギリウスと比べると厳粛さと説得力に欠けるものであった。 また『シルウァエ』 (「材木」、転じて「原材料」の意。 また『シルウァエ』 (「森」、転じて「原材料」の意。 ストラボン 初期ローマ帝国およびその領土を調査したギリシアの地形学 帝政初期のローマ帝国、及び周辺地域を調べた地誌学者。 者。 スプリナ 重要なエトルリア一族の名。 エトルリアの重要な一氏族の名。 スラ プレブス(平民)を統治した。 プレブス(平民)の力を抑制することもあった。 セウェルス家 アントニヌス帝の後継者を輩出したローマの一族。 アントニヌス朝の皇帝たちに続いて、皇帝を輩出したローマ の一族。 セネカ ギリシア独特の残酷なテーマをもとに9本の悲劇を書いてい ギリシアの陰惨なテーマを扱った9本の悲劇を書いている るが、それらこの自殺劇は同様に陰惨な事件であった。 が、彼の自殺はこれらの悲劇と同様に劇的なものであった。 セ プ ティミウ ス・セ ブリタンニアのヨークで死去した唯一の ブリタンニア(ヨーク)で死去した唯一の ウェルス 僭主殺し ブロンズ群像には、この2人を記念した彫像が含まれている。ブロンズ群像は、この2人を記念したものである。 ソフォクレス 代表作といえば、難解なプロットをたくみに操った『アイアス』難解なプロットをたくみに操った作品としては『アイアス』が があげられる。 秀逸である。 タキトゥス 初期ローマ帝国の年代記編者。 『年代記―ティベリウス帝か ローマ帝政初期を扱った彼の歴史書『年代記』と『同時代史』 らネロ帝へ』 (と 『同時代史』の一部のみ現存している。また、は、その一部が現存している。また、タキトゥスは 『アグリコラ』 タキトゥスは『アグリコラ』 『ゲルマニア』の中で、ローマ支 ではローマ時代のブリテン島について、 『ゲルマニア』ではゲ 配下のブリタンニアおよびゲルマン民族にかんする貴重な記 ルマン人についての貴重な記録を残している。現存する『弁 録を書き残している。優れた演説家でもあり、ラテン語の散 論家についての対話』にみられるように、彼は雄弁家として 文集『弁論家についての対話』を著した。 も優れていた。 タルクィニウス 特権階級の一族 貴族の一族 初期ローマ建国に尽力したとされており 都市国家ローマの成立の初期に関係したとされており タルクィニウス家の崩壊 タレス それらはすべて他人の受け売りだったとされている。 ディオクレ ティアヌ 4頭政治 ス 古代ローマ建築 ティベリウス 考古学的な研究によると、カプリ島とスペルロンガ(図212) 沿岸の町で隠遁生活を送ったことがわかっている。 テミストクレス 追放された。 デモステネス 民主議会 テレンティウス などは トゥキュディデス 将軍の座を追われた。 ネルウァ ドミティアヌス帝の後継者として即位。元老院からローマ執 政官に2度任命された。 帝国における専制政治 ネロ パウサニアス パウロ タルクィニウス朝の滅亡 それらはすべて間接的な形でしか伝えられていない。 四分治制 古典様式建築 考古学の分野では、カプリ島とスペルロンガ(図212)に残 る彼の別荘が知られている。 陶片追放された。 民会 など)は アテナイを追放された。 ローマの執政官を2回務めた人物で、ドミティアヌス帝の後 を継ぐために元老院によって皇帝に選出された。 皇帝による専制政治 豪奢な宮廷「黄金屋敷」 豪奢な「黄金宮殿」 学問好きだがだまされやすい 勤勉だがやや軽信的な 地中海沿岸で 地中海の随所で 殉死した 殉教した ハドリアヌス 属州の囲いこみ政策 外敵の封じ込め政策 ウィラ兼隠遁所 避暑用のウィラ ハンニバル スペインに攻め入り スペインを通って ヒッポダモス 碁盤目状の道路網を整備したことで 碁盤目状の道路網を考案もしくは応用したことで ピュタゴラス 植民地 植民市 ファウスティナ 家名 名前 フィリッポス2世 フィリッポスは効果的な国家戦略を策定してマケドニア王に フィリッポスは事実上マケドニア帝国の基礎固めをおこない 即位 フィロストラトス 後2、3世紀に活躍した、レムノス出身のギリシア著述家3、レムノス島出身の一族が用いていた家名で、後2-3世紀に活 4人が共有する苗字。著書は 躍した3人もしくは4人のギリシア人著述家がこの名を持って いた。彼らの著作は プトレマイオス(クラ 古代ギリシアにおいて 古代世界で ウディオス プラトン 暴君ディオニュシオス2世の時代、シュラクサイにも出向き プルタルコス 道徳主義者を描いた伝記の ルキウス・ユニウス・ 最後にタルクィニイを治めた驕慢王タルクィニウス ブルトゥス プロコピウス 帝国を賞賛する 反帝国的な プロタゴラス オリュンピアの神々に対する プロトゲネス & プル アペレス、 プル デ ン ティウス、 クレメンス・アウレリウス デンティウス (348-405年以降)のライバルとして多くの逸話を残した人 物。 ペイシストラトス 古代アテナイの専制君主。 都市活動を行なうほか ペトロニウス 著書『サテュリコン―古代ローマの諷刺小説』は断片しか現 存しないが 初期ローマ時代の ペリクレス トゥキュディデスの書に登場する政治の英雄。前5世紀中頃 のアテナイにおいて、みごとな政治手腕を発揮して民主主義 の操をとった。またアテナイにおいて新たな文化を開花させ た功績者としてその名を広めた。アクロポリスに建てられた 数多くの記念建造物がそれを物語っている。 僭主ディオニュシオス2世治世下のシュラクサイにも出向き 道徳的視点から書かれた伝記の タルクィニウス朝最後の王タルクィニウス驕慢王 ユスティニアヌスを賞賛する 反皇室的な オリュンポスの神々に対する ア ペ レ ス の ラ イ バ ル と し て の 逸 話 も 残 し て い る。 プルデンティウス、クレメンス・アウレリウス(348-405年 以降没) アテナイの僭主。 公共事業を行なうほか 著書『サテュリコン』は部分的にしか現存しないが ローマ帝政初期の トゥキュディデスの書で傑出した政治家として描かれる人物。 前5世紀中頃のアテナイにおいて、みごとな政治手腕を発揮 して民主主義の舵をとった。またアテナイの文化が開花した この時代は、彼にちなんで「ペリクレス時代」と呼ばれる。 アクロポリスに建てられた多くの建築物も彼によるものであ る。 ヘロデス・アッティク アントニウス・ピウス帝 アントニヌス・ピウス帝 ス ヘロデス大王 ヘロデス大王 ヘロデ大王 ローマの傀儡として即位したユダヤの統治者。 ローマ帝国下のユダヤの統治者。 ヘロドトス マラトンの戦いなど…アテナイで朗読されたという。 (『歴史』マラトンの戦い( 『歴史』6.94-120)など…アテナイで朗読 6.94-120)。 されたという。 ボエティウス コンスタンティノポリスでローマ皇帝の支配下にあった東ゴー 東ローマ皇帝の代理としてイタリア王となった東ゴート族の ト王テオドリクス テオドリック ポシドニウス ポシドニウス ポセイドニオス 前1世紀以降没 前1世紀以降 ホメロス 32編のさまざまな詩編を集めた『ホメロス風讃歌』の著者と 古代においては32編のさまざまな詩編を集めた『ホメロス風 しても、ホメロスは古代ギリシアにおいて高い評価を得てい 讃歌』の作者であるともされていた。 た。 だが2編の叙事詩には、現在でいう「ミュケナイ」が物語に だが2編の叙事詩はそれよりもはるかに古い口承伝承にもと 登場するなど、それよりもはるか以前の伝説を彷彿とさせる づくもので、そこに描かれているのは、現在でいう「ミュケ 記述が存在した。 ナイ時代」の頃と漠然と考えられていた英雄の時代である。 ホラティウス 非常に辛辣な作風。 さほど辛辣なものではない。 ポンペイウス ローマの戦士、政治家。後に「大王」と呼ばれた(図282)。 ローマの軍人、 政治家。後に 「大ポンペイウス」と呼ばれた (図 282)。 マリウス ローマ内戦時代における派閥争いを主導した執政官。 ローマ内戦時代における政治・軍事の指導者。 マルクス・アウレリウ アントニウス王朝 アントニヌス朝 ス 『自省録』 (でみずからを深く省みながら静穏な威厳を確立し『自省録』でおのれを棄て静かな威厳をたもつ た ムネシクレス プロピレア プロピュライア メナンドロス 「極端な」リアリズム 生活臭にみちたリアリズム ユリウス・クラウディ イウルス ユルス ウス ヨセフス ローマ時代の中東で活躍した ローマ時代の中東を扱った ラース・ポルセンナ ラース ラルス ローマ初期の年譜によると 初期ローマにかんする伝承によると リウィウス 共和制を開始してエトルリアの暴政から独立したローマの英 ローマ共和政初期の時代とエトルリア人専制君主からの解放 雄化に多大な貢献をした。ローマ初代皇帝アウグストゥス時 をおおいに賞賛したが、彼が執筆活動を行っていたのは、皮 代に執筆活動を行ない、人々の心をうつ作品を残した。 肉にもローマ初代皇帝アウグストゥスの時代であった。 ごく一部の作品のみが現存している。 作品の一部のみが現存している。 リュクルゴス 半伝説的な古代の支配者。スパルタの立法者。 スパルタ初期の半伝説的な統治者・立法者。 ルキアノス ルクレティア ルクレティウス レオカレス ロンギノス ロンゴス 対談 タルクィニイ人 快楽主義の信条 オリュンピアにマケドニアのフィリッポス2世とその親族を描 いた肖像画が残されている。 畏敬や恐怖心を クセノフォンの 対話編 タルクィニウス王家 エピクロス主義の信条 オリュンピアにあったマケドニアのフィリッポス2世とその親 族の彫像は彼の作とされている。 畏敬や驚嘆の念を エフェソスのクセノフォンの <古代ギリシア・ローマ神話ガイド> 見出し 誤 さまざまな利害関係に応じて 正 さまざまな興味や関心に応じて アルコン 市民官僚または執政官 エウエルゲティズム エウエルゲティズム アイアス 功績をあげ(図552)、その勇猛さからサラミス島の英雄と された。 功績をあげた(図552)勇猛なアイアスは、サラミス島出 身の英雄であった。 アキレウス ブリセイス(図189)を奪われた後、トロイア包囲でみせ た ときにイウルスと同一視され、「ユリウス」族の祖先と ローマではアスクレピウス トロイア包囲中、ブリセイス(図189)を奪われた後にみ せた エディキュール オボロース 前4世紀にはじまり、さかんに行なわれた。 前4世紀にさかんになり広まった。 冒頭 アスカニオス アスクレピオス アドラストス アマゾネス アムピアラオス アンティゴネ イウルス ウェスタ ガイア ときにユルスと同一視され、ゆえに「ユリウス」家の始祖と ローマではアエスクラピウス テバイ攻略7勇士 テバイ攻めの七将 ヒッポリュトス ヒッポリュテ テバイ攻略7勇士 テバイ攻めの七将 王である叔父の命令にそむいたため、兄ポリュネイケス(「テ 王である叔父の命令にそむいて兄ポリュネイケス(「テバイ バイ攻略7勇士」参照)を埋葬した後、 攻めの七将」参照)の遺骸を埋葬したため、 イウルス ユルス ウェスタの処女たち ウェスタの巫女 (ギリシア、ローマともにテラまたはテルス) (ゲーとも呼ばれる。ローマではテラまたはテルス) カストルとポルクス 双子座との関連があり、冥界とオリュンポス山を行き来して ある神話は双子座とむすびつけ、また別の神話では冥界とオ すごしている。 リュンポス山を行き来してすごす半神とされている。 カパネウス ガラテイア シレノス テバイ攻略7勇士 ガラテリア人 神話上の男 テバイ攻めの七将 ガラティア人 神話上の精 シレニ シレノイ スキュラとカリュブ メッサナ海峡 ディス スピンクス 恐怖におちいれるが ダイダロス 多くの古代ギリシア・ローマの工芸家の後援者となり、「ダ イダロス様式」と呼ばれる彫刻を制作した。 タンタロス ディオニュソス テバイ攻略7勇士 テレポス バッカント ハデス さまざまな罪を犯した。 エウリピデス作の戯曲『バッカエ』 テバイ攻略7勇士 アッタリド王家 バッカント (ローマではディスまたはプルトン、「資産家」の意) メッシーナ海峡 恐怖におとしいれるが 多くの古代ギリシア・ローマの職人の守護聖人となり、また 彫刻を発明した人物ともされた。「ダイダロス様式」という 名称はここに由来する。 彼の犯した罪についてはいくつかの伝承がある。 エウリピデスの悲劇『バッコスの信女たち』 テバイ攻めの七将 アッタロス王家 バッコスの巫女 (ローマではディス。プルトンすなわち「富める者」とも呼 ばれる) プロメテウス ヘスペリデス ティタン(巨人)。 ガイアとヘラの結婚祝いとして贈られた ヘラクレス アテナイの僭主ペリクレイトスや、アレクサンドロス大王を アテナイの僭主ペイシストラトスやアレクサンドロス大王を はじめとする専制君主のローマ皇帝たちにとって、 はじめとする専制君主、そして多くのローマ皇帝にとって、 旅人の姿 伝令の姿 ヘルメス ヘレン ペンテウス ポモナ マイナス ミダス ムーサイ メデイア ギリシアの少数民族 ディオニュソスが獲得した オウィディウスの『変身物語』 バッカント(バッコス神の従者)とも オウィディウスの『変身物語』 ムネモシュケ 神話によると、ローマ時代、9人のムーサイたちにはそれぞ れ ティタン神族。 結婚祝いとしてガイアからヘラに贈られた ギリシアの諸民族 ディオニュソスに心を支配された オウィディウスの『転身譜』 バッコスの巫女とも オウィディウスの『転身譜』 ムネモシュネ 一般的にムーサイの数は9人とされ、ローマ時代にはそれぞ れ クビクルム(ラテン語) 地下(ギリシア語でクトン)あるいは冥界に属するもの。 多くの時代区分法で、 クリア ローマ時代の元老院や市議会 ローマの元老院や自治市の参事会 元老院 ローマ共和国における統治機関。ローマ帝国が栄えた時代に 共和政ローマを統治した諮問機関。帝政期にはその権限は主 は権力は主として皇帝の手ににぎられていた。 として皇帝の手ににぎられていた。 プリーブ プレブス コミティア (ラテン)[複数個所] 誤 (ラテン語) 正 (ギリシア) アウグル アウロス アエデス アッティカの アドウェントゥス (ギリシア)[複数個所] 語源は古代エトルリア語。 二人一組 寺院建築 アテナイ地域 イメージとして (ギリシア語) エトルリア起源。 二本一組 神殿建築 アテナイの領土 図像に またそのお告げを伝える手段。 オリュンピア紀 クルスス・ホノルム ローマの政界で、諸行政官職を歴任してゆく出世コース。 執政官の選出 行政官の選出 異なる構成員による 異なる構成をもつ 護民官 プリーブ プレブス 国から特別な権力を与えられていた10人の執政官。 特別な権限を与えられていた10人の行政官。 コレイゴス コレイゴス コレゴス 演劇でコロスを編成する費用を負担した合唱隊長、指揮者(図「コロスの長」または「コロスの興行主」の意。演劇祭でコ 412)。 ロスを編成する費用を負担した(図412)。 コロス 劇場では解説者の一団とオルケストラで演奏する観客のこ 劇場では、オルケストラで事件の解説者や目撃者を演じる一 と。 団のこと。 サテュロス劇 サテュロス(バッコス)に扮して サテュロスに扮して シノイシズム 語義は「共生」。前1000年頃のギリシアで、少人数のグルー 語義は「集住(シュノイキズモス)」。前9世紀以降のギリシ プが集まり、中央集権化された共同社会を築いた。 アで、少規模な集落が集まり、共通の中心地をもつ共同体を 形成した。 人民会議 人民会議(ギリシア) エクレシア(ギリシア語) エクレシア。成人男性市民による議会で、 民会。成人男性市民から構成され、 セステルス セステルス セステルティウス もっとも一般的には古代ローマの貨幣単位として用いられて 古代ローマで用いられていたもっとも一般的な貨幣単位。 いた。 ソフィスト (そこから現在の「詭弁法」という言葉が派生した) (そこから「ソフィスト」には現在の「詭弁家」という意味 が生まれた) (とくに教訓やギリシア時代の修辞法の実践) (とくにギリシア修辞学の指導と実践) ダイダロス風 クレタの伝説の名工ダイダロスによる古代彫刻作品から生ま これらの彫刻が、古代にはクレタの伝説の名工ダイダロス れた作風を指す(図257、452)。 の作とされていたことから、この名称が生まれた(図257、 452)。 ダムナティオ・メモ 敵 公敵 リアエ 悪印象を刻みつけられる。 その人物を描いた図像が破壊されることもあった。 ディクタトール ディクタトール ディクタトル 独裁者 独裁官 テトラルキア デーム 東洋化 トライリーム ドラクマ 見出し (ラテン) アエディクラ(ラテン語) オボロス (ギリシア語で「串」を意味する「オベロス」から) オラクル また神官や巫女など、そのお告げを伝える媒介者。 オリュンピアード オリュンピアード カーサス・オノルム カーサス・オノルム ローマ時代の政界で、コンスルに昇りつめるまでの要職、つ まり「エリートコース」。 キュービキュラム キュービキュラム(ラテン) クトーニアン 地下あるいは冥界に住むこと(ギリシア語でクトン)。 クラシカル 古典。多くの年表などで、 悲劇『メデイア』を書いたエウリピデスは…と述べている。 エウリピデスの悲劇『メデイア』は…とほのめかしている。 <用語解説> エディキュール(ラテン) オボロース (ギリシア語で「吐く」の意) 執政官 エヴェルジェティズム(施与慣行) ドーリア人 トリグリュフォス パンアテナイア祭 ファスケス フォルム フュレ プリーブ プロスキネシス (四頭政治) デーム(ラテン語「デモス」より) 東洋化 東洋の影響 トライリーム オボロース ダイドラクマ ギリシアの一地方に住む人々で メトープに代わるもの(図165)。 (四分治制) デモス(ギリシア語) 東方化 東方の影響 三段櫂船 オボロス ディドラクマ ギリシア人を構成する一民族で メトープと交互に並ぶ(図165)。 壷の片面にはアテナイ 壷の片面にはアテナ リクトールが身につけていた、斧の柄に棒の束をしばりつけ 斧のまわりに棒の束をしばりつけたもので、リクトルが携行 たもの。 した。 古代ローマ市の ローマ都市における 部族。ポリス内部で市民を分類するためにつくられた単位。「部族」と訳されるが、ポリスに属する市民をグループ分け した人為的な区分。 プリーブ プレブス 東洋では 東方では 議論の余地はあるが、ギリシアでこれを最初に部下に命じた ギリシアではアレクサンドロス大王が最初にこれを臣民に命 のはアレクサンドロス大王であるというのが通説である。 じ、不評を買ったといわれている。 ヘレニズム様式 ヘレニズム様式 ヘレニズム ギリシア風と非ギリシア風の様式や表現法、言語を融合させ ギリシア世界と非ギリシア世界の様式や表現、言語の融合。 たもの。一般に前323-331年頃のものとされる。 一般的には前323年から前31年までの時代をさす。 へロット 先住民からなる古代スパルタの農奴。 集団で農奴の身分に落とされたスパルタの隷属住民。 ヘーローオン 勇士 英雄 ポメリウム ローマやその他の古代ローマ都市で、聖地として確保された ローマやその他のラテン都市で、宗教上の「市域」を定めて 土地のこと。 いた境界線。 ポリス 主権国、都市を単位とした自治国家、およびその地方(コラ)主権を有する自給自足の国家であり、都市部と周辺農村部(コ を包含する。それぞれの自治体ごとに独自のアイデンティ ラ)から成る。それぞれの都市国家が共同体としての独自の ティをもっていた。 アイデンティティをもっていた。 マグナ・グラエキア 偉大なるギリシアの意。ギリシアの植民地となっていた南イ「大ギリシア」の意。南イタリアとシチリア島でギリシア植 タリアとシチリア島を指す。 民市が建設された地域を指す。 ミノス文明 青銅器文明で、「壮麗な」エーゲ文明。 青銅器時代のエーゲ海「宮殿文明」。 ミメシス ミュケナイ文明 ムニキピウム モス・マヨルム リクトール ルディ レイトゥルギア もう1つの中心地は火山島であるテラ(またはサントリニ)他の中心地は火山島であるテラ(またはサントリニ)島を含 島。 む。 ギリシア哲学においては芸術と現実との重大な関連性のこ ギリシア哲学においては芸術と現実をむすびつける重要な手 と。 段。 ヘラディック文化と同時期にはじまり、その後ミノス文明に 前1600-1150年頃のギリシア本土の青銅器文明。ミノス文 先立って前1600-1150年頃に栄えた。 明と同時期に栄え、それより長く続いた。 住民にローマ市民権が与えられていた属州の都市。またその 住民にローマ市民権が与えられていたイタリアの都市。また 執政官や評議員にローマ市民権が与えられていた地方自治都 は行政官や参事会員にローマ市民権が与えられていた属州の 市。 自治市。 「父祖の威風」の意。原語は「祖先伝来の風習」の意 「父祖の習慣」の意 リクトール リクトル 執政官 行政官 公開ゲーム 公の競技会 またドミティアヌス帝によって、ルドゥス・マグヌスと呼ば またドミティアヌス帝がローマのコロッセウムの東側につく れる剣闘士の訓練所がローマのコロッセウムの東側につくら らせた「ルドゥス・マグヌス」のような、剣闘士の訓練所も れた。 ルディと呼ばれた。 たとえば両舷に3列ずつオールを配したガレー船(トライ たとえば三段櫂船の漕ぎ手の年間経費を負担したり(トリエ リーム)の漕ぎ手の費用を負担したり、音楽会や演劇(コレ ラルキア)、音楽祭や演劇祭でのコロスの編制費用を捻出し ギア)のコロス(合唱隊)の費用を出したりした。 たり(コレギア)した。
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