NIRA30 周年記念シンポジウム ソーシャルガバナンス・フォーラム 分権・市民社会における市民・コミュニティー・都市・地方政府を展望する 日時:平成 16 年 12 月3日(金) 場所:マツヤサロン ■主催者挨拶 小林 総合研究開発機構の会長を務めております小林陽太郎でございます。本日は、 「ソー シャルガバナンス・フォーラム」にお集まりをいただきまして、誠にありがとうございま す。 私ども NIRA では、21 世紀明けまして、それとともに「我が国のかたちと進むべき道」 ということを一つの大きな戦略的な研究開発プロジェクトといたしまして、スタートをし ております。今年は、NIRA の創立 30 周年の年に当たりますので、この大きなテーマの下 で、数次にわたる記念シンポジウムを開催いたしております。政府、市民社会、市場、東 アジア、世界、この5つの領域をガバナンスという側面から捉えて、21 世紀にふさわしい ガバナンスのあり方について検討してまいりたいと考えております。 ちょっと横へそれますけれども、 「ガバナンス」という言葉そのものについては、ここの ところ何年か、企業のガバナンス、コーポレートガバナンスということが、いろんな意味 で世の中の関心の的になってきております。たまたま、これはまさに私事にあたって恐縮 でありますけれども、1999 年春に、私、経済同友会の代表幹事に就任いたしまた。去年の 4月に退任いたましたけれども、就任のときに、私自身、非常に関心のありましたのがや はりガバナンスという問題で、単純に言いますと、企業のガバナンスというのは社会のガ バナンスと無関係ではない。しかもその社会というのは、一般社会というよりも、その固 有固有の社会のガバナンスと無関係ではないということ。そしてまた、その社会とか国の ガバナンスというのは、やはり世界のガバナンスと無関係ではないということ。最終的に は、世界にしろ、社会にしろ、また企業にしろ、ガバナンスの根底というのはやはり個人 の理念、個人の哲学、個人のガバナンスに帰するのだということを、やや背伸びがちであ りますが、ご挨拶をしたわけであります。 今日、ソーシャルガバナンス・フォーラムが、先程申し上げました5つの領域のうちの 一つであります市民社会、これに焦点を当てまして、わが国におけるこれからの市民社会 のあり方を、市民、コミュニティー、あるいは都市、地方政府、そういった観点から、皆 さんとともに考えてまいりたいと思います。 いま市民社会というふうに申し上げましたけれども、「市民社会」という言葉は大分昔か らあったように思いますが、しかし、例えば「シビルソサエティ」という言い方は、最近 になって、20 世紀の終わりぐらいから、しかも 21 世紀の社会のあり方として非常に意識さ れて使われてきている言葉だというふうに思います。特に日本の場合には、戦後、政官財 と言われるような、そういった仕組みが日本の社会の一つのガバナンス機構としてかなり 注目もされていましたけれども、それがいつの間にか一方で、市民というもう一つの角(か く、かど)というものが参加をして、日本なりにこれから市民社会、シビルソサエティと いうものをどのように展開していくべきなのか議論がなされているところだと思います。 ガバナンスと言えば、それぞれの社会にしろ、ユニットにしろ、あるべき、あるいは好ま しい姿というものを持続的に実現をしていくための、一つは思想でもありますし、また仕 組みでもありますし、そのどちらが欠けてもガバナンスとしては十分とは言えない、とい うふうに思います。 まさに NIRA としてのこの市民社会の変革にいかにメスを当てて応えるかということで、 自立した市民の社会的連携という問題でありますとか、あるいは大きなテーマとしては持 続可能な経済社会システムでありますけれども、まさにそのシステムに市民がいかに絡ん でいくのか、というようなプロジェクトを実施してきております。 本日のフォーラムがグラスルーツの市民、コミュニティー活動、こういったことによる 新しいガバナンスのかたち、くどいようでありますが、やはり志と仕組みが両方絡まるわ けですけれども、またローカル・オプティマムのまちづくりのあり方でありますとか、さ らには分権自治国家、まさに最近も三位一体云々の議論が盛んでありますが、しかし、こ ういった分権自治国家にふさわしい地方政府システムのあり方、こういったことに焦点を 当てて実施をしました3つの研究開発プロジェクトの成果を踏まえまして、現状の認識や これからの取り組み方等の課題について、検討を深めていきたいと考えております。 この後、基調講演を神野先生から伺うわけでありますけれども、いま申し上げた3つの 研究プロジェクトの、いわば先駆けとなりました日本型ソーシャルガバナンスのあり方研 究会、この座長を神野先生にはお務めをいただいた経緯がございます。「分権・市民社会へ の課題と展望」という演題で、本日のフォーラムの全体像を掘り起こしていただければ、 大変幸いだと思っております。 本日のフォーラムが、市民社会を中心としたこのガバナンスに関する皆様のご興味や、 あるいはいくつかのご疑問にお答えをする、結果として分権・市民社会の実現に向けて、 皆さんとともに少しでも前へ進む、そういうことにつながることを心から祈念をしており ます。後程のパネルは福原会長に座長をお務めいただきますけれども、先生方はじめ、こ のフォーラムについてご参加をいただきました、また問題提起その他について中身をご提 供いただく方々に、改めてお礼を申し上げて、主催者のご挨拶にさせていただきます。本 日はひとつよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 ■基調講演 「分権・市民社会への展望と課題」 司会 神野 直彦(東京大学経済学部長) それではフォーラムに移らせていただきます。基調講演「分権・市民社会への展望 と課題」と題し、東京大学経済学部長の神野直彦様にご講演いただきます。それでは神野 先生、よろしくお願いいたします。 神野 東京大学の神野でございます。本日このような席で私が発表させていただくという 機会をお与えいただきました小林会長および塩谷理事長、さらには総合研究開発機構のご 関連の皆様方に、深く感謝をする次第でございます。 私が今日お話をさせていただくテーマは、分権・市民社会――次の経済社会を展望しよ う、というテーマでございます。 私たち人間の歴史には一つの「峠」があって、その峠を超えると、まったく異なった時 代の風景が出てくるということを経験するのでございますけれども、いま私たちは歴史の 峠とも言うべき大転換期に来ている。この峠はどういう峠なのかということは、おそらく 多くの人々が共通に認識しているのではないかと思います。それは、19 世紀末から始まっ た重化学工業を中心とする工業社会から知識社会、ないしは情報社会とかと言われている ような社会へ大きく転換をしていく時期であって、それを反映して 19 世紀の後半あたりか ら形成され始め、普遍的に世界に行き渡り始めた国民国家が黄昏時を迎えている、グロー バル化とローカル化と、よく言われるような現象が起きている、ということだと思います。 こうした歴史の峠には、それぞれの国民が自分たちの特色を認識しながら、その特色を 生かしてこの峠を渡っていく必要があるのではないか、というふうに考えています。 私たち日本人の特色はどこにあるのかということですけれども、私ども東京大学の名誉 教授でいらっしゃる宇沢弘文先生がご指摘になっているのですが、明治時代に日本を訪れ たヨーロッパ人が、さまざまな印象記を残しています。そこで日本人の特色として共通に 指摘している点が3点あります。一つは、日本人の優しさであります。日本人はどうして こんなに優しいんだろう、ということですね。もう一つは、謙譲であります。日本人はど うしてこんなに自己主張をしないで譲ってしまうのか、ということに驚いております。そ れからもう一つは、心のゆとりです。どうして日本人はこんなにも心のゆとりを持ってい るのだろう。 おそらく私たち日本人が持って生まれた性格として、優しさ、謙譲、そして心のゆとり というのを、ヨーロッパ人が感じたように、いまでも失わずに、基本的には心の底では持 っているのではないかというふうに思います。 ただ、現在自信を喪失して、こうした3つの特色を失おうとしている。今日お話をする ソーシャルガバナンスの市民社会の絆は、もともと日本人も持っていて、それは優しさ、 謙譲、ゆとりの中に現れているのではないかというふうに思います。 もう一つ、ヨーロッパ人が共通に認識している点で、これは日本人の特色ではありませ んけれども、社会現象として指摘している点がございます。それは、どうして日本の子ど もたちはこんなに笑ってるんだろう、ということです。町にどうして子どもたちの笑顔が こんなに溢れているんだろう、ということに感心しています。 私は終戦直後に生まれましたけれども、その後貧しい戦後復興期を迎え、高度成長期を 迎えていくわけですが、その中での私たちは貧しかったけれども、町には子どもたちの笑 顔が溢れていました。残念ながら、そうした子どもたちの笑顔は現在では消えつつあり、 かつ、悲しむべき子どもたちの社会的な病理現象が現在蔓延しているのではないか、とい うふうに思います。 私たちは、そうしたゆとりを持ちながら高度成長を成し遂げたというふうに思います。 こうした時期に重要なのは、希望と楽観主義で、流行歌はいつもその時代のバックグラウ ンド・ミュージックで、その時代の思想を反映しますけれども、私たちが幼いころラジオ から流れてきた歌に、「カネのないやつはオレんとこへ来い、オレもないけど心配するな」 という楽観的な見方があったわけで、そうした楽観主義に支えられて我々は高度成長を成 し遂げたのではないかと思います。 ただ、1980 年代あたりから、歴史の大きな転換点にぶつかり始めました。私が学生時代 に、『4万時間』という本が出て、これは1週間に5日労働をして、1日5時間の労働をす ると 35 年働いて労働時間が4万時間になる。人生はそのころ 21 世紀には 70 万時間になっ ていて、労働時間はわずか4万時間、生理的に費やされる時間が 30 万時間、あとの 35 万 時間は、人間が人間的に生活でき――実はここでソーシャルガバナンスが入ってくるわけ で、そこでは人間がお互いに助け合い、かつ王侯貴族にしかできなかったような楽しみ、 音楽をして楽しんだり、美術をして楽しんだりするような時間が増えてくる、ということ をフランスの未来学者が指摘をして、そうした本が出ておりました。しかも、その4万時 間に一番早く到達するのは日本である、というふうに予測をしていたのです。 この間それを出版した――これは朝日新聞社が出版したのですけれども、朝日新聞の方 がいらっしゃいまして、いつも先生は4万時間の話をするのだけれども、どこで間違えて 日本はこうなったんでしょうか、ということを聞かれたことがあります。もう一度読み返 してみますと、その本の第2部が、1985 年という、これが転換点だという指摘になってい るんですね。この 1985 年にどういうことが行われるかというと、それまで大量生産大量消 費によって実現してきた生活水準の向上から、特殊な貧困を除くと、生活水準を引き上げ ることによって、一般的な貧困がなくなる。その暁に、人間は、文化とか、生活様式の充 実の方向に転換し始めるのだ、というふうに指摘しております。つまり、人間の量的な生 活から質的な生活の充実へと転換し始めるのが 1985 年だと、こういうふうに指摘していた わけでございます。 事実、1985 年というのはターニングポイントでした。日本は、1985 年に世界で最も豊か な国になったというふうに言ってもいいかと思います。アメリカを一人頭国民所得で抜き ましたのが 1985 年です。しかし、私たちはそれ以降の方向性をやや誤ったのではないかと いうふうに感じざるを得ません。 この 1985 年にはもう一つ決定的な出来事が起こりました。それは皆さんもご存じのよう に、1985 年にヨーロッパ地方自治憲章ができて、ヨーロッパがグローバル化に対抗してE Uという、国民国家を超える組織をつくりながら、他方で地方分権を進めて、国民の生活 を地方自治体が守っていくという方向に転換し始め、地方分権という大きな流れが世界的 にうねりとして巻き起こってきたのが、1985 年でございます。 私たちはそれ以降、失われた 90 年代ということを経験してしまうのですけれども、もう 一度考えてみると、市場が失敗をして政府に依存した。しかし、その政府も失敗する、と いったときには、市場と政府の失敗を超えて、もう一つのシステム、これは「市民社会」 というふうに言ってもいいかもしれませんが、政治、経済ではなく、政治システムと経済 システムとは区別された社会システムに、おそらく着目をしなければならなかったのでは ないかということでございます。 私たちがいま頼りにしている経済学の基本的な前提は、コモンズの失敗、「コモンズの悲 劇」ということですね。共有地にして、お互いの助け合いで生きていくということをする と、それは失敗してしまうんだ、という議論でございます。 ところが、コモンズ、日本で言うと入会地みたいなものですけれども、そうしたものが 本当に悲劇が起きているのだろうかという調査が行われた結果、国際コモンズ学会の調査 によると、世界でコモンズの悲劇は起きていない。なぜなら、コモンズというのは顔見知 りの関係があって初めて成立しますから、オープンアクセスではないので、コモンズの悲 劇のように、共有地にしてしまうと、もうそれぞれの人がモラルハザードが働いて、濫消 ――みだりに消費をしてしまうという事実はない、ということが明らかにされております。 しかも、国際コモンズ学会の会長であるマーガレット・マッキーンは、世界で最もコモ ンズをよく管理している国民として日本を指摘し、最もコモンズの機能した例として、弘 法大師がおつくりになった満濃池の管理を挙げているわけでございます。しかもこれは現 代の農業にも通じるのだ、という指摘をしております。 私たちはそうした意味で、政治システムや経済システムと区別された、社会システムと いうことに着目をしなければならないのではないか。これは市民社会と言い換えていただ いても構いません。この社会システムと言われているシステムには、おそらく2つあると いうことが言えるのではないかと思います。一つはインフォーマルセクターでありまして、 自然に集まることだけを目的にした組織ですね。家族とか、コミュニティーとか、という ふうに考えていただければいいものでございます。これを「インフォーマルセクター」と いうふうに呼んでおきます。 もう一つはボランタリーセクターで、自発的に集まってはいるけれども、何かの目的を 持って集まっているもの。日本では NPO というふうに言われておりますが、アソシアシオ ンとか、あるいは労働組合などもここに入れてもいいかもしれませんが、そうしたボラン タリー組織がある、ということですね。 私たちは、これまで自発的に機能してきたインフォーマルセクター、家族の機能やコミ ュニティーの機能を、自発的に発展していくということでは期待はできないような状況に あるのではないかと思いますが、期待ができるのは、ボランタリーセクターでございます。 最近、ヨーロッパ社会経済モデルで、経済発展の重要な要素として期待されているのは、 人間の絆としてのソーシャルキャピタルですね。これはソーシャル・オーバーヘッド・キ ャピタルとは区別されておりますので、物的な意味での社会資本ではなくて、人間の絆と しての社会資本を意味しております。 ハーバードのパットナムの指摘するように、南イタリアと北イタリアで、なぜ北イタリ アが経済発展が速いのかと言えば、それは北イタリアに社会的な資本が蓄積されていると いうことですね。そういう人間の絆とも言うべき社会的な資本を蓄積させながら、つまり インフォーマルセクターというものをもう一度見直しながら、その上で展開されるボラン タリーセクターの拡大、ということに私たちは次の社会の機軸的な戦略を見出すべきだろ うと思います。 このボランタリーセクターには2つございまして、一つは、「自助組織」と書いておきま したけれども、もともと例えば教会のように、そのメンバーの人たちを助ける協同組合の ようなものを考えていただければいいわけですが、組合員たちの、つまりその組織に参加 している人々の内部の組織員たちの相互の助け合いの機構、これは社会システムが市場シ ステムの領域、言い換えれば、協同組合が――生活協同組合などを頭に入れていただけれ ばいいわけですけれども、市場、企業で行われていたような領域に進出していくというこ とを意味していると思います。 もう一つは、「他助組織」ですね。その組織に参加していない、外部の人々のためにボラ ンタリーで活動するもので、これは政治システムのほうに近づいていく、NGO などを念頭 に置いていただければいいかと思います。 こうしたシステムに着目をしながら、そうした社会システムを基盤に置きながら、もう 一度私たちの政治システム、つまり統治の組織を考えてみよう。それは「ソーシャルガバ ナンスとコモンズの再生」というふうにレジュメの4番目に書いておきましたが、コモン ズを基盤にしながら、下から上に政治組織を組織変えさせていくということでございます。 言い換えますと、ヨーロッパで広く受け入れられている補完性の原理と連帯民主主義、こ ういうふうに言い換えていいかと思います。補完性の原理というのは、19 世紀末のローマ 法皇の思想に端を発しますけれども、個人でできないことを家族が、家族ができないこと をコミュニティーが、コミュニティーができないことを市町村という地方自治体が、市町 村ができないことを道府県が、道府県ができないことを国民国家が、国民国家ができない ことをEUが、というようにボトムアップで上げていこうという思想ですね。 私たちがいまソーシャルガバナンスなどで意識しているようなコモンズにかかわるとこ ろは、個人でできないところから市町村までの話、コミュニティーまでの話を言っており ますし、それからコミュニティーでできないところを市町村が、といったときに、基礎自 治体、広域自治体、それから国民国家、さらには国民国家を超える組織、どういうふうに ボトムアップでアレンジしていくのかという問題に行き当たってくると思います。 私たちが政府を考える場合のイメージですが、日本はともすると、政府というのは企業 と同じような経済主体だと考えがちです。つまり、公共サービス(サービス)を生産して いるところだ。これはただ一般的な話ではありません。アダム・スミスは「小さな政府」 というふうに主張したときには、政府というのは企業という性格を持っているのではなく て、家計という性格を持っているのだ、つまり消費の主体だ、というふうに考えたわけで すね。 日本は、政府というのは、生産の主体だと現在では考えつつあると思いますが、正確に 言えば、政府というのは生産の主体でも消費の主体でもないのではないか。私たちは、家 計というものの中で消費を行います。ただ使い尽くすということだけの消費ですね。ただ、 それ以外に、家計の中ではある意味での実は生産行為も含んでいます。ただ単に食べると いうことではなくて、誰かがアンペイドワーク(無償労働)をして、お料理をするために 加工をしたり、お年寄りの養老、子どもたちの育児などは無償労働でやっているわけです ね。つまり、消費という単なる使い尽くすという行為だけではなくて、社会システムでは、 生産とも言うべき無償労働で行われている領域を持っている。実は、受け身の消費だけで はなくて、無償労働で行われているところが下から上に上がっていくのだ、つまり助け合 いでコミュニティーとか市町村とか道府県が担っていくのだと、こういうふうに考えてい くべきではないかと思います。 そうしますと、ソーシャルガバナンスを担う主体ということで、市民というふうに定義 をいたしますと、この市民は生活者だということですね。単なる消費者、つまり受け身の 消費者、市場で売っているものを買ってきたり、あるいはただ単に政府が生産してくれる 公共サービスを消費するという主体ではなくて、自ら能動的に行動する生活者と位置づけ られなければならないと思います。 この生活者として能動的に行動する人々が、能動的に動くことによって、連帯民主主義 (associative democracy)、自らサービスの生産に参加しながら、その地域社会のメンバー として生きていく、そういう人々を考えていく必要がある。 日本は、ともすると観客社会で、消費者として受け身で、音楽を楽しむ、スポーツを楽 しむといっても、観客として見る楽しみしか考えていませんけれども、本来は4万時間に なって自由な時間が膨大になっていくと、 する 社会、つまり 見る 社会から する 、 参加して、音楽をして楽しむ、それからスポーツを する 楽しみというのを覚える社会 に大きく展開していって、人間が人間として生きていく社会になるだろうと思います。こ れまでのように、大量生産大量消費のようなものではなく、量を質に転換させるのは情報 です。情報というのは形を与えることですので、これまでのように、大量生産大量消費を するのではなく、物のつくり方が、人間の知識量を入れて、自然に存在する物質量に加え て知識量が増大していく。例えば私たちは、鉄の矢じりをつくるときには、自然に存在す る鉄の量に加えて、知識を加えて鉄の矢じりをつくっているわけですけれども、鉄の矢じ りをつくるときよりも、心臓のペースメーカーをつくるときのほうが、自然に存在する物 質よりもより多くの知識量を加えている。 つまり、知識を加え、情報を加えることによって、自然に存在する物資量を少なくして、 量よりも質、よく使いやすいもの、より便利なもの、そうした質を目指すような社会にな ってきて、それを可能にするのには、地域からお互いの助け合いで、下から上へと上げて いく政府設計が必要なのではないか、ということでございます。 とりとめのない話になりましたけれども、生活者として人間が行動し、そうした人間が 創造していく、新しくつくり上げていく協力の体系、それが出来上がって初めて、市場も 活性化し、活発化していく、つまり協力の領域が有効に機能することによって、企業が活 動する競争の領域も活発化するのではないか。私たちが次の歴史の社会として築き上げる のは、そうした手元に人間の社会や生活を形成する権限をたぐり寄せていくような分権・ 市民社会なのではないかというふうに思います。 ご清聴ありがとうございました。 NIRA30 周年記念シンポジウム ソーシャルガバナンス・フォーラム 分権・市民社会における市民・コミュニティー・都市・地方政府を展望する 日時:平成 16 年 12 月3日(金) 場所:マツヤサロン ■パネルディスカッション 「分権・市民社会における市民・コミュニティー・都市・地方政府を展望する」 モデレーター 福原 義春(株式会社資生堂名誉会長) パネリスト 大西 隆(東京大学先端科学技術研究センター教授) 大原謙一郎(大原美術館理事長) 鎌田 司(共同通信社編集委員兼論説委員) 工藤 裕子(早稲田大学教育学部助教授) 熊倉 浩靖(特定非営利活動法人 NPO ぐんま代表理事) コメンテーター 神野 司会 直彦(東京大学経済学部長) それではパネルディスカッションに移らせていただきます。 歴史の峠とも呼ばれる大きな時代の変わり目にあって、わが国は 90 年代以降の長期低迷 期から脱しつつあるものの、依然として政治、経済、社会の各分野にクリアすべき重大な 課題が山積し、重苦しい閉塞感を払拭できないでいます。これらを克服して、国・地域の 活力を再度呼び戻し、再生と創造の時代に移行するためには、わが国の政治、経済、社会 全般にわたる抜本的なシステム改革が不可欠です。 本日は、これまでの市場の失敗や政府の失敗を乗り越えて、市民社会が重要な役割を果 たしていくという政治社会状況を想定したソーシャルガバナンスの視点を基本にして、私 たちの社会を構成している市民コミュニティー、都市、そして広域的な地方政府システム という各セクションごとに、これからのわが国社会の進むべき方向を考えてみたいと思い ます。 それでは、ご登壇いただきます討論参加者の皆様、ご紹介申し上げます。お名前をお呼 び申し上げますのでご登壇いただきたいと存じます。 まず、パネリストとして、東京大学先端科学技術研究センター教授の大西隆様。(拍手) 大原美術館理事長の大原謙一郎様。(拍手) 共同通信社編集委員兼論説委員の鎌田司様。 (拍手) 早稲田大学教育学部助教授の工藤裕子様。(拍手) NPO ぐんま代表理事の熊倉浩靖様。(拍手) 次に、コメンテーターとして、先程ご講演をいただきました神野直彦様。(拍手) そして、全体のモデレーターを、資生堂名誉会長の福原義春様にお願いいたします。(拍 手) では、福原様、よろしくお願いいたします。 福原 本日の進行役を務めます福原でございます。なにせ問題が大きくて、それからパネ リストは大勢で、時間は限られておりまして、私の能力はとても足りませんので、単に司 会進行ということになってしまうのではないかというふうに案じております。しかしなが ら、皆さんの貴重な時間ですので、できるだけたくさんの情報をお届けするようにしたい と考えております。 先程の小林会長の話にございましたように、近未来の望ましい方向について、市民、コ ミュニティー、都市、それから地方政府、そういうふうな切り口で順次論議をしようとい うのが、このフォーラムの企画でございます。先程神野先生の基調講演では、1990 年代、 失われた 90 年代というお話がございましたが、私は、失われたというよりは、過渡期にお ける準備中の 90 年代というふうに考えているわけです。その後に何が来るのかということ は、もう神野先生のお話のとおりと考えております。 何しろ少し欲張った形でございますので、一体どのようになっていくかということが心 配でございますが、私がいろいろお話をするよりは、まずは先生方のお話を一通り伺った 上で、それからまたいろいろ論議をしていただき、あるいはもし時間が許せば、皆様方の ご質問もいただきたいというふうに考えているわけでございます。 まず一番最初のセクションは、 「市民・コミュニティー」というセクションでございます。 これは NIRA からプレゼンテーションをいたしますので、それをご覧ください。 司会 近年、世界的に市民セクターの活動が活発化し、従来からの地域コミュニティー活 動に加えて、一定の目的を持った多種多様な市民組織が結成され、市民相互間の連帯、連 携を強めるとともに、政府部門や企業社会との協働、ネットワーク関係を構築し、経済シ ステムや政治システムにも積極的に進出しています。このような政治社会状況をソーシャ ルガバナンスと呼べば、NPO の活動や地域コミュニティーに関する話題が増えてきたわが 国も、ソーシャルガバナンスの入口に立っていると言えるでしょう。 これは「フォレーニング」と呼ばれるスウェーデンの市民組織の地域活動を示した写真 です。スウェーデン南部、スモーランド地方のクロノベルグのフォレーニングが、地域社 会の自然、文化の維持のための活動を行ってるところです。スウェーデンでは、歴史的に フォレーニングの活動が盛んですが、国もそれを民主主義の小学校と位置づけて、積極的 にサポートしています。 これは、スウェーデン同様、市民活動の盛んなフランスの市民組織アソシアシオンが経 営管理を任されている公共文化施設の事例です。パリに隣接する人口5万 4000 人のイッシ デムリノ市では、約 400 のアソシアシオンがさまざまな分野で活動していますが、これは、 アソシアシオンにより経営されている同市の児童館とマルチメディアセンターです。フラ ンスでは既に1世紀以上前の 1901 年に、わが国の NPO 法に相当するアソシアシオン法が 制定され、アソシアシオンは、民主主義と経済を結ぶ社会的靱帯と言われるほどに、社会 に定着しています。 これは、活発な地域コミュニティー活動で有名な鳥取県智頭町の新田集落の活動を示し た写真です。左の写真は、大阪市の生活協同組合と連携して実施している、子どもたちを 対象にした体験学習プログラムで、大阪市の子どもと、地元新田集落の子どもが、水を張 った田んぼで泥遊びをしているところです。右の写真は、江戸の末期から継承されている 「人形浄瑠璃」を保存するために、集落の人たちが練習をしているところです。智頭町で は、町内を 16 の集落振興協議会に区分し、グラスルーツのムラおこし事業を実施していま すが、この新田集落では、別途「新田むらづくり運営委員会」という NPO を立ち上げ、さ まざまな事業を実施し、その収入をムラづくり事業に充てています。 これは、役場と住民が主体的に、地域内の道路や圃場整備を行うことで、コストパフォ ーマンスの高い公共投資を実践している、長野県栄村の事例です。栄村では、幹線道路な ど比較的大きな工事は民間業者に委託しますが、地域レベルの公共工事は村職員による直 営工事で、住民に身近な農道や作業用道路などは、村人自身の手で、それぞれ必要に応じ た設計基準で建設し、一般の公共事業に比べ、少ないコストで整備しています。 このように、地域社会においても、市民組織独自で、あるいは行政などと協働した形で、 市民セクターによる多様な地域再生に向けた試みが世界各地で展開されていますが、その 一方で、最近のスウェーデンを初め、欧州各国では、市民活動や地域コミュニティー活動 への参加に消極的な若者が増えていることに悩んでいるようです。 わが国においても、ボランティア活動への参加人員や、NPO 設立は近年大きく伸びては いますが、人口減少や高齢化、市町村合併による地域再編などにより、地域コミュニティ ーが各地で衰退し、またケータイ家族などと呼ばれるように、人間関係が希薄になったり、 形を変える現象が、若者を中心に顕著になるなど、市民の社会的連帯の将来に不安を残す 材料も見受けられます。 自立的な市民社会の歴史の浅いわが国において、ようやく定着し始めた市民セクターの 健全な発展を促進し、地域社会の活力再生を実現するため、積極的な市民活動を育む分権 自治の確立を含む制度面、教育面など、あらゆる領域での政策対応が求められています。 福原 これから、この主題についてパネリストの皆様のお話を伺いたいと存じます。東京 大学先端科学技術研究センターの教授であります大西隆先生から、お願いいたします。 大西 私は都市計画が専門ですが、都市計画の分野、最近「まちづくり」という言葉を使 ったりして、あまり「都市計画」という言葉を使わない傾向もあるのですが、明らかに「ま ちづくり」のほうが広くて、多くの人が関心を持つ響きがあるということなのだろうと思 います。その中でも特に「参加型まちづくり」 、大勢の人が参加して町をつくるという、そ ういうような表現が広がっています。それで、この最初の主題に関して、私は、 「知恵の実 現」ということについてお話ししたいと思います。 「参加型まちづくり」という言葉、いろいろな段階、参加の程度というのがあるのだろ う。やや距離を置いた参加、しかし参加には違いないというのに、我々はよく選挙で投票 するとか、そういった「手による参加」とでも言うのか、投票をするということですね。 それから、経済学で「足による投票」という言葉があって、これは「参加」という言葉を つければ「足による参加」ということですが、要するに自分が気に入った自治体に自分が 住み着く。そこに移住することによって、その自治体は支持を得たということで自信を深 めるし、去られた自治体はがっかりするということで、それが自治体に対するある種の賛 否の表明になっている。これが「足による投票」です。 日本ではあまり「足による投票」というのはやらないのかもしれませんが、従来からあ る、ある種の距離を置いた間接的な参加としてあったのだろうと思いますが、最近非常に 活発になっているのは、 「知恵による参加」ということではないかと思います。 「知恵による参加」というのは、要するに審議会の公募委員に一般の市民の方が手を挙 げたり、あるいはパブリック・インボルブメントとか、パブリック・コメントということ で、できるだけ大勢の市民から、ある政策について、例えばまちづくりの政策についての 意見を聞いて、できるだけそれを取り込んだ格好で案を修正していく。これは多くの自治 体でやられていることで、市民からすれば、自分があるアイデア、考えを持っている場合 に、それを積極的に表明することによって、政策立案に貢献する、参加する、ということ であります。 私は、この知恵による参加というのが今各地で非常に活発に展開されているというふう に思っているわけですが、既にその中ではさらに、ある意味で一歩進んで、さっき申し上 げた「知恵の実現」ということを、一般の市民、あるいは市民活動をしている方が考えて いる例が出てきているのではないか。 「知恵の実現」というのは、知恵による参加というのも、最終的には政策を自治体につ くってもらって、その自治体が政策を実施していくということによって知恵が実現される わけですが、知恵の実現というのは、より直接的に、自分たちで自分たちが考えているこ とを実現してしまう。 よく例に出すのが、横浜を中心に活動している、太陽光発電のパネルを設置することに よって地球温暖化を少しでも防ごう、そういう目的を実現しようとする NPO 活動なんです が、神奈川県というのはスウェーデンに匹敵するような大県でありまして、ここのエネル ギー政策というのは世界的にもインパクトがあるという発想から、その NPO では、自分た ちがそういった政策を、県なり市に提案するというだけではなくて、自分たちで太陽光発 電のパネルを設置していくということはできないかと。このためには当然財源が要るので、 そのために市民の基金をつくって、屋根のないアパート、マンション暮らしの市民も、年 間 6000 円程度の会費をそこに納めると、それが塵も積もれば山となるで、太陽光発電のパ ネルをつくる財源になっています。その NPO が一定のノウハウを持っているので、学校と、 大きな屋根が南側に面してあるようなところに掛け合って、設置していくということです。 実際に実績を上げているわけです。 そうしたことによって、自分たちが思っていたことを自分たちの手で実現していく。し かも活動の内容は、私益ではなくて公益的な活動の内容である。参加というのも、こうし た段階に至っているのではないか。 それで、最後に申し上げたいのは、それを一方で支えるような仕組みというのが考えら れてきているということです。来年の4月から、順調にいけば、市川市と志木市で、住民 税の1%を、自分の好きな活動のために回してくれという権利を納税者に与えよう、ある いは有権者に与えようという制度が発足する予定です。やや難航しているというふうにも 聞いておりますが、いずれこういうのが日本でも出てくるだろう。つまり、税金というの は義務で払って、あとは非常に間接的にしか有権者、納税者が声を出せないということで あったわけですが、一定の割合については、より直接的に有権者、納税者が、ああいう NPO の活動にぜひ自分の税金の1%を使ってくれ――これは2%になっても3%になってもい いんですが――ということによって、資金面から市民活動を支えていく、そうした動きを 強めていこうと。それは自治体自らが政策に取り組んでいくということが日本でも出てき ているということで、私はこうした参加のいわば最前線というのが発展していくことが、 まちづくりにとっても非常に望ましいのではないかなというふうに考えています。 福原 ありがとうございました。手により、足により、さらには今度は知恵により、そし てまた現実の肉体による参加、あるいはカネによる参加、あるいはさらに進んで地方自治 体との協働というような面まで広がっていくという、先端的な実例のお話をいただきまし た。 次に、大原謙一郎さん、岡山県の大原美術館理事長をなさっておられます。地域の話も 含めて、お願いします。 大原 「神戸生まれ京都育ちの倉敷人」と称しております。倉敷人ではありますけれども、 東京生活延べ 10 年以上になりまして、東京の大ファンでもありますが、 時々福原さんから、 「おまえの言うことはアンチ東京だ」と怒られます。決してそういう意味ではありません で、ただ、地方の論理と主張ということは時々申し上げております。と同時に、今ご紹介 いただきました大原美術館という美術館の経営者をいたしております。かつては企業人で ございましたが、企業人から公益非営利事業の経営をやっているということで、ある意味 でシビル社会、あるいはソーシャルガバナンスを担うプレーヤーの一人でもあるというこ とで、今日はお話をさせていただきたいと思います。 まず、神戸生まれ京都育ちの倉敷人という立場から、先程のプレゼンテーションは非常 に興味がありましたし、また先生のお話にも共感するところが多いのですが、ただ、最後 のところが少し気になるなという気がします。 プレゼンテーションの最後のところにどういうのがあるかというと、 「自立した市民社会 の歴史の浅いわが国で、これから何か新しいものをつくり上げる入り口に立っている」、と いうお話でございました。私の生まれました神戸は、かなり市民社会があったんじゃない のと思います。特に、阪神間コミュニティーというのがありますね。今の湘南のコミュニ ティーともしかしたら似ているかもしれないと思うのですが、ここはかなりのソーシャル ガバナンスが発達した地域が、明治から大正、昭和初期にかけてでございますが、ありま した。あまり東京の方の目に触れなかったようですが、関東大震災の後で多くの方が越し てお見えになりました。例えば谷崎潤一郎なんかもその一人だったのですが、「ああ、日本 にこんな社会があるんだ」という驚きと、いわば感動が実を結んだのがたぶん『細雪』と いう作品だったんじゃないでしょうか。 京都も町衆の町ですね。京都の町衆ガバナンスというのは、これも言い始めたら大変な ことになるんですけれども、最近のことを言いますと、明治時代の初めに――ちなみに京 都では明治時代というのは最近なんです(笑)――学校令というのが引かれました。その 前に京都は町衆が小学校をたくさんつくっていました。いわゆる番組小学校と言いまして、 明治2年には、1年のうちに 56 校できたという話がありました。これ全部町衆が自分の手 でつくった学校でした。政府の手でつくったものではありません。 そういう形でつくった中の一つが明倫校という、これは昔の石門心学の流れをくむ学校 ですけれども、文部省に移管されてからずうっと最近になって、文科省になる前に廃校に なってしまいました。こういうのをお役所の手で廃校にすることを許すのは、決して京都 の町衆の考え方ではありませんから、今もこの学校の跡は町衆がちゃんと管理をして、利 用しています。素晴らしい建物です。 中には貞教小学校というのがありまして、これは株式会社でした。明治時代に株式会社 小学校を町衆がつくっているんですね。今で言えば特区なんでしょうけれども。 そういうふうな形で、それだけではありませんで、あらゆるところに京都というのは町 衆の力によるまちづくりが進められていた。これが宮廷と別の世界で進められていた。こ ういう意味では京都にはずうっとソーシャルガバナンスの伝統が根づいていたのかなと思 います。 倉敷人と申し上げましたが、倉敷もそういうところなんですね。これは江戸時代以降が 主なんですけれども、江戸時代以降、町衆の手で役人を選挙するとか、町衆の手で福祉施 設をつくるとか、いわゆる義倉(ぎそう)のシステムですけれども、藩がつくったのでは なくて町衆がつくっています。そういうシステムをずうっと発達させた結果、今も、例え ば私どもの大原美術館は民間の美術館ですし、病院にしましても、市の病院ではありませ んで、倉敷中央病院という、これはいつか李登輝さんが心臓手術でお見えになったという ことで有名になった病院ですが、これもまったく私立の民間の財団法人病院です。今でも 倉敷ではそういう意味では、民間が公益を担うという、ある意味でソーシャルガバナンス みたいなのが成り立っている。 そういうことを考えると、今までソーシャルガバナンス、あるいは自立した市民の活動 の歴史が浅かった日本というのが、ここら辺からちょっと福原さんから怒られるところで すけれども――関東武家社会の話なんじゃないのと。そうじゃなくて、関東武家社会以外 の日本全体では、かなりソーシャルガバナンスが発達していたのじゃないの。そこからど ういうことが出るかといいますと、ナレーションの先程の一番最後のところに、 「そういう 中でいろんな行政システムを組んで、ソーシャルガバナンスあるいはそういう市民社会の 育成を図らなければいけない」というくだりがありました。正直言って、これしんどいね という感じが私はしています。 そういうふうに、今まで歴史が浅くてなかったものを、ヨーロッパかどこだか分かりま せんけれども、真似をしてつくろうよという考え方ではちょっとしんどいんじゃないだろ うか。そうじゃなくて、日本各地にそういうソーシャルガバナンス、あるいは市民社会、 あるいはシビルソサエティの発達しているところがずうっとあるんですから、こんなに豊 かな日本のシビルソサエティの伝統をうまく引き出して生かしてあげようじゃありません か。そういうシナリオのほうが、いま生まれかけたものを死なさないように一生懸命イン キュベーションをやりましょうという考え方よりも、より健全に日本に、いわばシビル社 会を、根づかせるというのはおかしいですね、失わせないようにする方策ではないか、と いうふうに倉敷からは見えております。 福原 ありがとうございました。大変面白いお話を伺いました。明倫小学校は私も参りま したが、京都の町衆の手で立派に運営されていて、アーティスト・イン・レジデンスもあ りますし、ボランティアの人たちが運営している喫茶店もありますし、そしてまたその種 の人たちのたまり場になって、いろいろ次の計画を考えている。なかなか面白いシステム ですね。 それから、今江戸の敵を討ったようなお話でございましたが(笑)、江戸のほうも実は、 田中優子先生、そのほかの本でご存じのように、結構江戸の民衆の、互助といいますか、 ひとつの文化、それはある意味で言うと上からの仕組みの中につくられたところもあるわ けですが、それなりの人情を持って皆で支え合っていたというところがございます。そう しますと、先程神野先生のお話のように、今の時代というのは、この土地なりのやり方を いろいろ発揮していく時代である、ということを今お話を承って感じた次第でございます。 ありがとうございました。 共同通信社の編集委員兼論説委員でいらっしゃいます鎌田司さんにお話をいただきます。 鎌田さんは、ついこの間、ジャーナリストの方々の団長としてヨーロッパに行かれており ますので、そのときのお話もこれから少しご披露いただけるものと思っております。では 鎌田さん、よろしくお願いいたします。 鎌田 先程のプレゼンテーションの続きになるかもしれませんが、私のほうからはフラン スの事例を一つお話しして、それから日本のことについてお話しさせていただきたいと思 います。 今年の5月にフランスの地方分権改革の調査に行ってきました。フランスというのは、 日本と同じで、長い間中央集権国家という言われ方をしていたのですが、去年の3月に憲 法を改正しました。これは地方分権を進めるために憲法を改正したわけです。ということ で現在は第2次地方分権改革と言われておりますが、その分権改革の真っ最中に今あるの がフランスの状況です。 今のプレゼンテーションの関係で一つお話をしたいのは、皆さんの中にはフランスのリ ヨンに行かれた方が多いと思いますが、リヨンの郊外にペルージュという小さな村があり ます。ここは「美しい村」という認定を受けているところなんですね。フランスには市町 村というか、コミューンというのが3万 6000 もありまして、人口 2000 人以下のコミュー ンが 80%を超しています。ですから日本よりももっと小さなところがたくさんあります。 この美しい村は、70 年代に過疎化が進んだときに、ある村の村長さんのアイデアで、活性 化の一つのアイデアとして出てきたものなんですけれども、歴史的な遺産がその町にある。 それも景観をつくるのに2カ所以上ある。あと、細かなかなり厳しい基準があるのですが、 現在フランスで 140 ぐらいの村が、この「美しい村」の認定を受けています。 フランス人というのはどうも格付けが好きらしいのですが、これによってEUとか海外 からも観光客が集まるという形で、かなり話題性のある認定制度になっています。ペルー ジュは人口が現在 1400 人ですが、10 年ぐらい前までは 900 人だった。それがそれだけ増 えました。ここは中世に城塞都市という、要塞のあった町で、石を敷いた道がありまして、 両側は石造りの古い家並みが続いている。ですから、行くと、中世にタイムスリップした ような雰囲気があるのですが、現在ここには派手な看板とか広告は全然見えません。電線 は地下に埋設していまして、そういう中世のイメージを大事にしています。 ご紹介したいのは、役場の運営です。ここには職員がパートを含めて6人ぐらいです。 役場を開いている時間は1日2時間ぐらいです。村長さんはいるのですが、村長というの は、日本の場合には議会というのは二元代表制ですけれども、フランスは、議会の議長が 執行機関の長を兼ねています。ということで、村長さんが議長です。村長さんは常勤で、 2人の助役さんは副議長なんですけれども、ピザ屋さんと工業デザイナーです。時間があ れば役場に来て何かやるというような状況です。 実は、そういう役場ですから、日本のような形で役場の行政サービスというのはできて ないわけです。それをどういうふうに補っているかというと、NPO 組織です。この村に 24 の NPO 組織があります。観光イベントのフェスティバルを開いたり、あるいは学校給食の 給食費の徴収とか、そういうところまですべて NPO がやっているということです。 その村長さんとか助役さんたちは議会の議員なんですけれども、そういう NPO の活動で 知り合った人たちが、これは選挙制度が日本と違うわけですが、名簿をつくりまして、そ れで選挙に立候補して、多数派を構成した、というような状況ですね。ですから、本当に 小さいのですが、コミュニティーを自分たちで維持しているというような状況を見ること ができました。 翻って、日本のことになると、若干現実的なことになって申し訳ありませんが、先程の 栄村の場合ですと、たしか雪下ろし隊というのもつくっているかと思います。ということ で、過疎地域では、日本の場合には役場というのは最大企業ですので、行政が主導をする のはある程度やむを得ないかなという感じを持っています。ただ、都市の場合には、これ は先程から皆さんおっしゃっているように、一人一人の市民がそれぞれ参加するというこ とは必要ですが、いかんせん、特に男の場合には、なかなかどうやってかかわったらいい かというところがまだ分からないようなところがあります。 そういう意味では、日本の場合は、行政がそういう参加のきっかけをつくるということ が非常に大事なのかなと。例えば最近は役所のほうで、出前講座というのが結構頻繁に行 われていますが、そういうところに市民として参加をする。そこで行政との接点をつくる。 もう少し進めば、自治基本条例とか、総合計画を今市民参加型でつくるという動きが全国 各地で広がっていますけれども、そういうところに参加をすることによって、行政を知る というところから、「だったら自分はこういうことは参加できる」というのが分かるのでは ないかなと思います。 私も実は団塊の世代なんですが、今地域自治組織といいますか、合併との関係ですが、 そういうコミュニティー組織を制度化しようという動きが出てきていますけれども、実は まだ恒常化した制度の整備にはなっていません。行政学者の中には、そういう地域自治組 織にこそ、団塊の世代の第2の生き甲斐の場所というふうな位置づけをする人もいます。 ですからできるだけ早くそういう参加ができる場所、制度を整備する必要があるかなと、 こんなことを考えております。 福原 ありがとうございました。コミュニティーの皆さんの活動というのは、果たして制 度でできるかどうか、ちょっと私としては問題だと思うのです。制度ももちろん必要であ りますが、いろいろな支援策をつくった上で、皆さんがおつくりになるということが大事 であって、そしてまた自治体の長の方がそれに対して協力をする、応援をする、それから 受け入れて参加をさせる、こういう要素が必要ではないかと思うんですね。 そういう意味で、ドラッカーも言っているように、日本は間もなく大変な数の、健康で、 しかも体力もある、団塊の世代の人たちが新しい意味で社会に溢れ出てくるので、非常に 新しい社会になるであろうというような予言をしておりますから、それがもう3年か4年 後に迫っているのだと思いまして、期待をしております。 それでは次は、早稲田大学の教育学部助教授でいらっしゃいます工藤裕子先生です。工 藤裕子先生は、イタリアの大専門家でいらして、聞くところによるとイタリアの方からも 相談を受けることがあると言われております。工藤先生のいろいろお考えになっているこ との一端を、とりあえず短い時間でお話をお願いします。 工藤 イタリアが一応専門なんですが、最初のセクションではイタリアに関してあまり申 し述べることがございませんので、後のほうにとっておきたいと思いますが、皆さん、最 近紹介されておりましたのでご存じかと思うのですが、イギリスの「エコノミスト」とい う経済雑誌が、「世界中の住みやすい国」という調査をしまして、もちろんこれは日本でも よく、「住みやすい県」とかいう調査によって、いろいろと毀誉褒貶があったり、話題にな るところですけれども、世界中でどこが一番住みやすいというふうにお思いになりますで しょうか。 今年は順番が若干入れ替わりまして、アイルランドだそうです。アイルランドが1位に 輝いたその理由というのは、ご案内のようにEU、そしてユーロに加盟するに当たって財 政面で健全化を果たした。これはイタリアも同じなんですが。それから非常に近代化を上 手に成し遂げて、古い価値を損なわない、歴史的な伝統というものを損なわないで新しい 価値を取り入れたこと。そして非常に大きな評価を得たのが、いまだにコミュニティーが 非常にしっかりしていて、そのコミュニティーの価値観というのが健在である、そういう ところだそうです。 確かに行ってみますと、観光国で、インターナショナルでありながら、昔ながらの価値 とか伝統というのを失わない社会なのかなと。最近、先程大西先生が「まちづくり」とい う言葉をおっしゃっていましたが、行政を専門としている私にとっては、地方自治体の財 政問題というのは今一番気になるところで、今日も地方自治体の関係者の方も多く参加さ れていると聞き及んでいるところなのですが、最近では「まちづくり」という勇ましい言 葉がだんだん使えなくなってきて、 「まちづかい」という、既存の資源とかインフラをどう やって使いこなしていくか、あるいは、あるものを何とかやり繰りしていこうという、ち ょっと寂しいと言えば寂しいのですけれども、 「知恵を出す」と先生がさっきおっしゃって いたことにつながるのかなというふうに、自分なりには理解しております。また同時に、 「ま ちづくり」とか「まちづかい」というと、どうしてもハードの、いわゆる社会資本という 感じのイメージが強いので、最近では地方自治体によっては、「人づかい」というような言 い方もするそうです。 そのちょっと前に、「 まちづくり から 人づくり へ」という言葉がキャッチフレー ズになって、いわゆるハードを整備してもしょうがないのだと。むしろ人材とか、その地 域にあるいろいろな活動、コミュニティーを活性化しなければ、箱ものをつくっても中身 がしっかりしないよということが随分言われましたが、人はだんだん成長してきても、そ れが十分に生かされてないということから、最近では「人づかい」という言葉をよく聞き ます。 先程、農道を自ら皆さんが手足を動かしてつくるというのが紹介されておりましたが、 私が先週の土曜日に行ってまいりました山口県の柳井市というところでも、 「みんなで道普 請」というタイトルで活動していまして、まち――市は、例えばセメントとか、本格的に 舗装しなければならない場合には、技術者とか、あるいは重機を提供する。しかし、皆さ んどうぞ手足を使ってください、汗を流してくださいということで、お年寄りの方は炊き 出しに参加したり、若い人は実際に石ころを運んだりということをやっておられますが、 それを通じて非常にコミュニティーの意識が高くなってきた。それから、自分でつくった 道だという愛着感から、すごく大事にして、ふだんでもゴミが落ちていれば自ら拾うとか、 それまで何となく国の補助金でいつの間にか道路ができたよというと、何となく知らない うちに出来ていたというに対して、ものすごく愛着感が出てきたということを現地で聞き ました。 このことは、先程大原さんもおっしゃっていたのですが、コミュニティーというのが日 本にないわけではなくて、立派に市民社会があって、ただ、アジア的とよく言われると思 うのですが、そのアジア的コミュニティーというのは、制度の上にあるというよりも、何 となくあるんですね。それがあんまり認識されてこなかったというだけかなというふうに 思っております。 それに対して最近は、欧米モデルといいますか、そもそも「欧米モデル」という言葉も 変なわけで、ヨーロッパとアメリカはかなり市民社会の構造とか価値観が違いますので、 日本でよく言われているのはヨーロッパ型だと思うのですが、そういった制度が日本の従 来あったコミュニティーとは合っていないということなのだというふうに、自分なりには 理解しています。 自分の専門である行政学の分野ですと、こういった自治体と市民、あるいはコミュニテ ィー、NPO、ボランティアグループなどが協働して新しく行政のサービスをする。あるい は、行政サービスの提供に民間の会社やコミュニティーが協力して、自らもサービスの提 供に加わるというモデルが、「新しい公共」というふうに言われてきています。 このモデルは逆に日本から世界に発信しているとも言えるもので、学会でも非常に注目 されているところですが、そういった形が、日本の場合は制度が先にあるのではなくて、 実態がだんだんと動いていって、それから後付け的に最近になって枠組みを与えるといい ますか、そういうふうになっていると思うんですね。それがなかなか日本は制度がないか ら遅れているというふうにとらわれがちなんですけれども、私たちはもっと自信を持って 取り組んでいけばいいのではないかなと思います。 今日ご参加の方にも NPO をされているとか、これからお話しになる私の左隣におります 方も NPO のお話をきっとされるのだと思いますが、そういった関心が非常に進んできてい ると思います。 先程発表の最後にもありましたが、最近ではヨーロッパでも、若い人の NPO とか、コミ ュニティーに関する関心が薄れている、これは確かに一般的にはよく言われることですが、 実感として申し上げますと、そうかなという、個人的にはハテナです。といいますのは、 例えば私の持っている大学生も、NPO、ボランティアに対する関心というのは非常に高く て、大学の実施しているインターンシップとかボランティアの講座というのは、いつもい っぱいで、人数制限をするほどです。それから、私も実は NPO を2つ学生とやっておりま すが、非常に関心が高い上に、いかに社会貢献するか、あるいは社会に対して単に受け身 になっているだけではなくて、自分から政策提言に参加できる大人になりたいという意識 を非常に強く持っているので、これから実はいい傾向があるのではないかなというふうに 思っています。 大学生と始めた一つの NPO は政策提言型の NPO で、いろんな地方自治体と一緒にお仕 事をさせていただいているのですが、先方のクライアントの自治体さんにも、学生さんの 発想で非常に面白いとか、あるいはいままでになかった発想があるということで重宝がら れていますし、学生のほうとしては、学生ではふだんできないような行政の中に入って一 緒に仕事ができる、自己実現のような形でやっておりますので、これは非常に面白い傾向 かなと思います。 福原 ありがとうございました。今、柳井市の例も挙げてお話しになりましたが、やはり 皆さん人の家を借りてお住みになると、割合傷つけて家主に返したりするけれど、ご自分 でお家をお建てになるときれいにお使いになるという、そういう傾向がどうしてもあるん ですね。 それからもう一つは、自分だけがよければいいという時代から、次第に互助という時代 に入って、それがもう少しいまや進みつつあって、他者の利益のために働くことによって 自分を実現するのだということを最後におっしゃったわけですが、そういう時代に差しか かりつつある。それが結局全体の利益になるというか、全体の安心感、心の豊かさという ことにつながっているということをサゼスチョンされたとものと思っております。 ヨーロッパとアメリカ型の違いをご指摘になりましたが、メイフラワー号で上陸した連 中が自分たちでセルフコントロールといいますか、それぞれの努力をして、次第に国をお つくりになった国と、昔から国があって、それがまず小さな部落をつくり、村をつくり、 町をつくり、そして都市をつくっていった、その違いがありますので、どちらかというと、 ヨーロッパ型のほうのスタイルに日本は似ているのではないかという、私自身はそういう 印象を持っているわけです。その辺、これから先考えていくべきことではないかというふ うに思っております。 最後になりましたが、特定非営利活動法人 NPO ぐんまの代表理事であります熊倉浩靖さ んにお願いいたします。 熊倉 私の組織は、NPO 法人形態のシンクタンクです。ですから、いろんな福祉だとか、 通常考えられているような NPO イメージで行われている活動をしているわけではありま せん。まさにまちづくりとか、政策評価とか、そういう意味ではソーシャルガバナンスに つながっている市民と自治体との協働そのものをコーディネートするという仕事をさせて いただいています。 ただ、今 NPO がヨイショされるほどには実態は伴わず、NPO ってどこでも四苦八苦で す。それは2つの理由があります。先程大原さんが疑問を呈されて、そうだ、そうだと思 って聞いていたのですが、私たちの国は、少なくとも応仁文明の乱この方、400 年、500 年、 結構深い市民社会をつくってきたはずです。たかだか明治この方 150 年の中で若干それが ブレているだけだと思うのですが、そのブレの中で、いま我々かなり市民側がかなり自信 を失っているというか、トレーニングができていないというのは、高度経済成長の裏面だ と思います。高度経済成長の中で、とにかく私たちは働くのだ、働いて働いて、個人も、 組織も、地域も、すべて所得を上げるのだ、それに直接つながらないものは、税金という 回路を通して、国なり、自治体なりに依拠する、つまりそこに負託をするのだ、という構 造をとってきたと思います。これは、いいとか悪いことではなくて、事実だと思います。 そうした中で市民側が、国なり自治体なりに負託をする代わりに、今まで自分達ででき ていたいろいろな技術だとか、仕組みだとかを置き去りにしてきた。だから今再びそれを 取り戻すと言われたときに、いろいろやり方が分からなかったり、古い事例が浮かび上が ってこない。ただ、そのぎくしゃくがあるのかなと思います。 そこで持ち上げられて NPO だと言われて、いろんなテーマ型に動いている。確かに光は 当たりますけれども、でもその体力はものすごく脆弱です。この脆弱な体力を、どうやっ て NPO 自身が、あるいは NPO やコミュニティーのネットワークが、さらに地方自治体が、 お互いに支え合えることを、それこそ工藤先生が言われたように、実態から制度化をして いくのかというのが、たぶん私たちにとってとても大きな課題になってきていると思いま す。 そうした意味では、スウェーデンの例で、民主主義の小学校というふうに説明されたと きに、面白いことを気づきました。それは、特に地方都市においては、コミュニティーの 単位としては、小学校区(学校区)という単位がとても重要なコミュニティーとして動い ているということです。これはもしかすると東京のような大都会ではないかもしれません。 東京では小学生のときから、私立や大学の付属のような形で小学校区が解体をさせられて いる例がどうも多いようですし、一方、過疎山村地域においては、小学校を維持すること がもう大変だという状況になっていますが、中間的な地方都市部においては、小学校、中 学校はやはり公立中心ですね。今、この公立中心の義務教育は国からだんだん都道府県、 あるいは市レベルに移っていくでしょうけれども、そういう小学校区の中でのコミュニテ ィーのあり方に注目したいですね。そしてできればそこに公民館とか、市民福祉センター のようなものができていると、そこのコミュニティーは本当によく動いていきます。実は なおそうした形が日本の多くの都市生活を支えていると思います。 工藤先生の言葉をもう一度考えると、そのことをどうやって自分たちがもっと意識化を し、制度化をし、そして地域をつくるトレーニングをもう一度、そうしたコミュニティー の上でやっていくかですね。そうなっていくならば、多分日本の社会というのは、小林会 長が言われた分権自治国家というところに動いていくことが可能なのではないでしょうか。 そういう意味ではスウェーデンの民主主義の小学校と言われたフォレーニングと言われる 組織と、学校区とか公民館というのをもう一度対比をしていくことも、私たちは必要かな と思っています。 多くの NPO などが先端的にやっていることが、そこでコーディネートをされていくなら ば、おそらく自治体とあまり軋轢をもたらさずに、そして技術の転移を含めながら、新し い地域社会というのをつくっていくことが可能なのではないか。そんなことを今ふと思っ ております。 福原 ありがとうございました。どうしてもこれからは――もう既にそうなんですが、NPO の時代になるという予感を持つわけですが、今おっしゃるように、まだ体力がそれに伴っ ていない。それから、それなりのインフラといいますか、社会的ないろいろな秩序が、そ ういうものを受け入れ、応援するには必ずしも至っていないというところがあると思いま すね。ですから、まだそういう点では未熟と言えば未熟なんですが、実はこれは明治時代 でもそうで、日本は先進国から比べれば遅れているわけですね。遅れていたために、かえ って、その後の成長が速かった。つまり、いろいろなところの国の法律なり制度なりを研 究して、いいとこ取りをして、一番いいミックスをつくってしまったというようなところ がありますし、私たちの芸術文化を支援しようというメセナ活動なんていうのも、まった く日本にはなかった。というより、昔にはパトロンの人たちが――それこそ町衆=町の人 たちがいてやっていたわけですが、それが明治で完全に切れてしまいましたので、ほとん どゼロから出発したようなところがあるわけですが、それがかえってヨーロッパから見る と新鮮に見えてくる、というようなことがあって、今まだ未発達だからといって、ひとつ も気弱になることはまったくないと私は考えております。将来は満々たるものになってい くことになると思います。 神野先生、いかがでしょうか。 神野 私は、最初に紹介がありましたスウェーデンの市民組織を調査に行ったときに、所 管している役所は、日本は法務省に当たりますが、民主主義を高揚することを使命とする 部署でございます。民主主義のためになぜそうした市民組織を活性化させるのかというと、 民主主義というのは、選挙のときに投票するだけでは起こらない。公の問題、社会に共通 する問題、すべての社会の構成員を排除しない公の問題について、常に市民は考えて、そ こに解決のために参加してもらいたい。そのためにスウェーデン政府は、国民の一人一人 が、成人になれば少なくともどこか一つの市民組織に入ってもらいたい。しかしこれは強 制はできない。グラスルーツですね。自発的に行わなければだめだというふうに言ってお りました。 調査をいたしますと、スウェーデン国民は、1人が大体3つの市民組織に入っておりま す。環境問題、それから先程問題になっています青少年の問題、それからジェンダーの問 題、だれでもが公の問題を考えるどこかの市民組織に入ってもらいたい、というふうに言 っていたということです。 そのときに政府は、グラスルーツでなければならないので、政府が補助金を出して市民 組織を起こすというようなことはしないんだけれども、見ていて、この市民組織は公のた めに伸ばさなければならないということになれば、補助金を出したり、富くじをやる権限 を付与する、ということを言っていたわけです。 大原さんがおっしゃったように、日本でも、コミュニティーの下からのグラスルーツの 運動は存在しています。そして、むしろ盛んだと言っていいかと思います。マーガレット・ マッキーンが指摘しているとおりでございます。ここで紹介になっている栄村は、伝統的 に協働作業として行っていた水利や道づくりというようなことを、村民の協働でやったり、 相互扶助、これ全部介護の資格を取らさせているわけですね。そういうようなことをやっ ておりますし、それから智頭町も、同じように、政府といいますか、町役場は、介入はし ない。グラスルーツでなければならないと、一致しているんですね。 新田とか、いろんなところで NPO が起きてくるわけですが、NPO が起きてくるのを町 役場が最初から介入してはならない。畑を耕す段階、それから種をまく段階、これはもう グラスルーツでないとだめだ。そして芽が出てきたら、介入をして補助金を出す、こうい うふうに言っておりました。 ですから、民主主義、公の問題――日本は公という概念がないんですね。いつも公とい うのに「官」というレッテルを張られて、官から民へ。私どもがこの間やった名誉教授会 で、浜下名誉教授がおっしゃっていましたけど、 「「公用電話」というふうに中国で言えば、 社会の構成員が誰もが使える電話のことを言う。しかし日本で「公用車」と言えば、官だ けが利用する車を言う」、というふうにおっしゃっておりましたが(笑)、公の問題につい て皆で考えて解決していくということが重要だと思います。 福原 ありがとうございました。それでは、次の問題に移らせていただきます。 次の問題は、「都市」の問題でございます。今と同じように、都市の再生ということにつ きましては NIRA で用意した資料がございますので、それをご覧になっていただいて、ま た同じように先生方にご意見をいただきたいと思います。 司会 活発で自立的な市民活動は、古来、自治の精神にあふれた都市を舞台に展開されて きました。世界的に都市化が進展する中で、都市のプレゼンスが拡大していますが、わが 国においても、市町村合併が進行した段階では、都市のウエートがさらに高まるものと考 えられます。近未来における分権・市民社会を支えるローカルガバナンスの中核的な役割 の多くを都市政府が担うことになるでしょう。 しかしながら、地方都市の現状は厳しいものがあります。まもなく長期にわたる人口減 少期を迎えるわが国ですが、既に多くの地方都市で、中心市街地の空洞化、都市人口の減 少が進行し、地域全体の活力低下傾向が見られます。また、世界的に経済、社会構造が、 工業化社会から、知識・情報化社会へと大きく転換しつつある状況にあって、今後の地方 都市再生のあり方が問われています。 わが国が目指す分権・自治社会を育む社会的インキュベーターとしての地域社会フレー ムを考えてみると、国際経済や国家などの外界からのさまざまな圧力から、地域社会を守 るガードとしての役割を果たすのが、州などの広域地方政府です。そして、その内側に府 県や市町村があり、中核的な都市自治体を中心として、地域社会の基本構成要素である個々 の市民、およびその有機的結合体としての大小さまざまな形態の市民社会組織の自主的活 動を保護し、援護しているという構図を描くことができます。 これは、オランダの経済学者クラッセンの都市サイクル仮説を図式化したものです。彼 とその仲間の研究者は、ヨーロッパの都市圏の人口動態を研究した結果、一定の栄枯盛衰 の法則が見られることを発見しました。この法則は、クラッセンの都市サイクル仮説とし て知られていますが、それによると、都市圏の人口動態は、都市化、郊外化、逆都市化、 再都市化という、成長、衰退、再生の段階をたどるとされています。そして、わが国の多 くの地方都市圏においても、近い将来には中心都市の人口と郊外の人口の両者がともに減 少するという、クラッセンの逆都市化に類似したプロセスに突入することが予測されてい ます。 しかも、国全体の人口が長期にわたり減少していくというわが国の場合には、都市サイ クル仮説で回復段階とされる再都市化現象が生じる見込みが極めて薄い地域も相当数出て くるでしょう。 都市自治体と市民の協働的関係の下で、地域アイデンティティを高める独自の文化政策 や国際交流により、都市再生を成功させた事例として、フランスのナント市や、スペイン のビルバオ市を挙げることができます。どちらの市も深刻な地域経済不況から独自の芸術 文化政策を基調とし、広く国際社会とのネットワーキングを展開することにより、活力再 生に成功した事例です。 左は、ナントの市民芸術文化活動の中心となっている 24 時間開放の総合芸術文化センタ ー、リュウ・ユニークです。右は、ビルバオ復活の象徴ともされているビルバオ・グッゲ ンハイム美術館です。 わが国においても、多くの先進的都市が、活力再生に向けて独自のユニークな活動を展 開しています。石川県金沢市は、国の制度、政策を活用して、市民生活の向上に結びつく インフラ整備に力を注ぐ一方で、独自の条例を数多く制定して、地域のアイデンティティ を守りながら、都市政策を進めています。 左の写真は、1994 年に制定された、こまちなみ保全条例による地区景観保全事業の様子 で、景観保全についても多くの条例を制定し、きめ細かく町並みの保護に努めています。 また、金沢市は、豊かな伝統文化に加えて、新しい芸術文化活動の普及など、文化政策を 基本とした都市再生にも熱心で、右の写真は、この秋にオープンした最新鋭の現代美術館、 金沢 21 世紀美術館です。 わが国の地方都市の多くが、クラッセンの都市サイクル仮説で言う逆都市化のプロセス に突入しているにもかかわらず、そのまちづくりを支えるわが国の都市、地域政策の骨格 は、かつての人口増加期の標準仕様型から脱却できていません。近未来の分権・市民社会 における都市政策のあり方として、標準仕様型から、ローカルオプティマム、すなわち地 域最適選択型に転換することが急務です。そして、地域が自らの将来像を描き、幅広い文 化政策や国際交流の展開など、従来の手法にとらわれない、多様で柔軟な都市再生戦略を 市民と都市政府が協働して実現し得る政策フレームを整備すべきでしょう。 福原 ありがとうございました。今ご覧になったスライドの中で、ナントのリュウ・ユニ ークという文化センターがあります。随分立派な建築物だなとお思いになるでしょうけど、 これはエルユー(LU)というビスケット屋さんの古い工場の跡地で、そのエルユーとい うビスケット屋さんは郊外に移転しました。我々が言うトタン屋根式のような工場の跡地 が文化センターになり、レストランになり、小劇場になったり、音楽ホールになったりし ているので、エルユーという会社の記念棟がそのまま昔の記憶のために残されている。つ まり、箱モノではなくて、昔の施設をそのまま、工場の骨組みもそのままにいろいろなも のに使われているという例であります。 それから、金沢 21 世紀美術館は、10 月7日にオープンいたしました。先週までに 130 万人入ったという話でございます。日本で年間 30 万人以上入る美術館というのは3%ぐら いしかございません。そうすると、この 130 万というのは極めて大きな数字で、オープニ ング効果はもちろんありますが、例えばテーマパークにも比すべきものになってしまった ような気がします。 ただ、それが大事なのではなくて、ここでは子どもの教育、子どもに美術を見せるとい うことによって、その子どもたちが 10 年後にどうなるかということを考えている美術館で あるというところが、決定的に今までの美術館と違うところだと思います。聞くところに よりますと、市は予算を出して、プログラムをつくって、1年の間に市内の小学生全員に 見せるというようなことを考えていらっしゃるということを聞きました。 というふうに、いろんな物事が形を少しずつ変えているということも一つの現状でござ います。 そして、今クラッセンの仮説のご紹介がありましたが、一方で東京は港区の人口がどん どん増えていくというように、逆に都市化が盛んになっていくというところもありまして、 一方で金沢のように頑張って、質・量ともに市民と都市がうまく融合していこうというふ うに考えているところもあります。その辺のことをどうお考えになるか、皆様のご意見を 伺いたいと思います。それでは大西先生、どうぞ。 大西 先程コミュニティーで、今回都市というテーマですが、先程の皆さんのご議論を伺 っていて、一つ隠された論点があるのかなという感じがいたしました。それば、 「ソーシャ ルガバナンス」というこのタイトル、これを日本語に訳すとどうなるかということですね。 ソーシャル=社会、「ガバナンス」というのは辞書で引くと「統治」とか「管理」という意 味ですね。そのまま訳すと「社会管理」とか「社会統治」という、おそらく今皆さんが議 論された内容とはちょっとズレた語感だと思うんですね。 私はむしろ「社会活動」というような言葉のほうが、ここで議論された内容にはふさわ しいのかなと。しかし、ガバナンスという言葉があるわけですね。 ソーシャルガバナンスというのは、これは私の個人的な感じになりますけれども、支配 機構の人々に一番近いところで、地縁的なある種の支配の仕組みですね、そういうのは日 本にもあるわけですね。かつてもあったわけです。そういうのを指すというと、私にとっ ては割とぴったりくるんですね。 ところが、それについては、おそらく今社会活動、あるいは NPO 活動などをやっている 人たちは、あまりそこに積極的に巻き込まれたくはないと思っているのではないか。別の 言葉で言えば、やはり自由さがあって、要するにその活動をするもしないも自由であると。 ある意味では、その活動をしないことが決定的な社会のダメージにもならないし、という、 自由さというのは非常に重要なのだろう。これは都市に住む人は、それを求めてもともと 来たのだと。多かれ少なかれそういうことがある、ということとも関係があると思うので す。 ちょっと変な話ですが、たまたま地震のことを調べに中越地方に行ったのですが、その ときに、神戸で地震に遭われて避難所生活を送られて、もうこういう地震のあるところは いやだというので長岡に行かれて、また遭ってしまったという、ちょっと気の毒な方がい て、その方の印象を聞くと、神戸では避難所でとにかくいろんな要求が出て、まとめるの が大変だったと。だけど長岡では、いろんな要求は出るんだけど、しかるべき人がまとめ ると、みんな文句言わずについていくというんですね。非常に団結がいいと。それは神戸 という大都市と長岡との違いなのかなという感じもするのですが、それは裏返すと、そこ にぴったりはまっている人は暮らしやすいけども、ちょっとはみ出ている人は暮らしにく い、ということかもしれないと思うんですね。だから、そういう角度で捉えてみると、伝 統的に日本に合った市民社会というのに、やはり窮屈でいられなかったという人たちもた くさんいて、そういう人たちが新しい結びつきを求めてつくっているのが NPO だったり、 現在の市民活動なのかなという気がするんですね。それはボランティアで、やりたい人が やる活動だと。 だけど、皆に対してサービスをしなくちゃいけないという面もあるわけですね。そこが 私は都市あるいは都市自治体の役割なのだろうと。政府、税金を強制的に取ってやるから には、やはりみんなにあまねくサービスをするというのが基本なのだろうと。もちろん福 祉とか防犯というようなことを含めて、我々が社会全体にきちんとしたサービスが及ぶこ とを期待している、そういうジャンルというのがあるわけでありまして、そういうことを まさにガバナンスするために、都市自治体の存在というのは皆が認めているわけですね。 ただ、その中にも多様さが出てきて、特に 90 年以降、非常に多様になってきたわけですね。 私もさっき紹介された金沢に非常に注目をしていまして、我々のまちづくり、都市計画 という分野で、20 個近くの条例を、金沢は営々としてつくってきたんですね。いまやこれ が、いわば開明的な、まちづくりに熱心な自治体の一つの目標になっていて、わざわざ一 つ条例をつくろうと思っていたところが金沢の例を知って、その条例をいくつかに分けて、 数でも勝負しようというところが出てたりしているのですが、とにかくそういう意味では 非常に先進的なところですね。 要するに、条例をつくるということは、従来のように機関委任事務を通達に則って遂行 するという、そういう通達行政、機関委任事務ではなくて、独自なルールをつくって、皆 で、金沢だけにしかある意味では通用しないルールの下で町をつくっていこうと。これが 蓄積されていくと、大分外見的にも変わった、ほかと違う町になってくる。うまくやれば それが魅力になるのだろう、というふうに思うんですね。 そういうことは、多くの自治体では、もとから持っている資産という意味では別ですが、 これからという意味では、始まったばかりだとも言えるわけです。ちょうど我々の都市計 画という分野で言うと、景観法という法律ができてきて、都市の一つ基本的な要素である 景観というのをきちんと守って、あるいはつくっていこうということが、この 12 月半ばか ら始まろうとしているわけです。ですから、そういう意味では、まさに都市におけるいろ いろな独自な試みというのが、いよいよ本格化するというふうな期待を私は持っています。 福原 ありがとうございました。今の言葉の中に、古いしがらみのような共同体から自由 になろうという、今度は新しい結びつきをつくろうということがあって、そこに自発性と いう一つの問題が隠されているように思っております。それが今あちこちで発揮され、ま た発揮するようないろいろな土壌、インフラ、あるいは一種の規制といいますか、逆規制 みたいなものをつくろうというような動きになっているのかもしれない、というふうに思 います。後程また次のセッションで地方政府の問題について、そのようなことに関連して お話をいただけると思っております。 それでは大原さん、お願いします。 大原 さっきは割合まじめに6分間という中でお話ししたのですが、今大西先生のお話を 聞いて、もうちょっとコメントしなくちゃいけないなというところもありますが、神戸人 はそんな勝手じゃないということじゃないですよ(笑)。そうじゃなくて、それは若干あり ますので、その前に、まず今の NIRA のプレゼンテーションのところにつきまして、今度 は全面的賛成ということを申し上げます(笑) 。 古来こういう精神というのは、都市的なところからどんどん発達してきた一番最初の関 所がありました。まさにそのとおりだったと思いますし、日本でも古来そうだったんです ね。さっきは京都の話を申し上げましたけれども、京都でなくても難波がどうだ、堺がど うだ、奈良がどうだ、あるいは私の倉敷の近くを見ましても、松江はどうなの、出雲どう なの、米子はどうなんだろう、萩、津和野、山口、全部そうですね。都市的なところから そういう自治的な、いわばボランティア社会というか、ソーシャルガバナンスの発達した 社会か出てきた。 そのとおりなんですが、そしてそこのところが今回のプレゼンテーションの中の設問で もあります都市サイクルに対してどう考えるのというところにも、答えを出してくれるの ではないかと思うのですが、一言で申し上げまして、私がいま地方から見ていまして、キ ーワードは、町衆ガバナンスはサステイナブルということです。 町衆ガバナンスはサステイナブルなんですね。これは例えば、これも京都の例で申し訳 ありませんが、祇園祭というお祭りがありますね。さっきの話の中で応仁文明の大乱とい うことがありましたが、実は祇園祭りは、応仁文明の前の保元平治から、京都で度重なる 大乱を全部乗り切ってきているんですね。そのたびごとに権力者がころころ、ころころ変 わっていく。いわば公ガバナンス――さっきの公というのは、政府的公という意味ですけ れども、公ガバナンスであれば、たぶん潰れているでしょう。そうじゃなくて町衆ガバナ ンス、これは平安時代から町衆ガバナンスだったと言われています、祇園祭りをつくり上 げるのは。これは仕組みもあり、志もあり、すべてがある町衆ガバナンスでずうっとやっ てきたものだから、祇園祭はずうっといままで 1100 年にわたってつながってきた。 そういう意味では、町衆ガバナンスは、いわばサステイナブルですよ。これは今でもそ ういうことはずうっと続いていまして、例えば倉敷の町、私の町を申し上げますと、祇園 祭りという祭りを秋祭りのときにやっております。こういうふうなものを全部町衆がやっ ているんですね。 ついでに申し上げますと、中身は申し上げませんけれども、2日間で8万人、今年は人 間を集めました。2日間で8万人集める祭りに運営費いくらかかったと思われますか。60 万円です。もしもこれを、さっきのガバメントのほうの公がやったとしたら、たぶん電通 さんかどっかにお願いをして、1000 万円プロジェクトだと思いますね。町衆がやると、こ れが 60 万円でできる。 そういうふうなことがずうっとつながってくると、日本ってもっともっと面白い国にな るかなという気がするのです。そういう形で私自身は倉敷の町の商店街に対しては非常に 心配していますけれども、さはさりながら、そうやって町衆ガバナンスが続いている限り、 この町はサステイナブルだなと思っています。そういうことでやっていけばいいんじゃな いかなと。 これはですから、NIRA さんの言われるソーシャルガバナンスに対する応援演説みたいな もので、このところまではまったく問題のない、模範生的な回答なんですけれども、その 後で、今のプレゼンテーションの中で、ちょっと気になったのが、一番最初にここに出て きた丸い絵がありましたね。一番外側に州とか道とかあって、真ん中に黄色いところがあ って、これが市民社会の担い手でしたか、そういうふうなものがあって、そこのところに NPO とか何とか書いてある。これね、今大西先生は、そういった市民社会の担い手という のを、支配機構の中の一員として見るということをおっしゃいました。それを聞いて、 「あ、 それだったんだ」と思ったんですけれども、私自身、非営利公益法人の経営者ですから、 プレーヤーの一人として、この図はしんどいねと思っていたところを、まさにズバリと言 い当てられたような気がするのですが、実はああいう捉え方で本当にいいのだろうかとい うことを、現場のプラクティショナー、経営者は考えています。 それで、今までの例の中で、ビルバオのグッゲンハイムが出てきましたね。ビルバオの グッゲンハイムは、確かにあの丸い絵の中の一番中核のところのまちづくりですか、ちょ っといやだけれども――のための道具として使われた、これはあるかもしれません。だけ ど、ビルバオはそうなんだけれどもニューヨークのグッゲンハイムはどうなのということ を言いますと、これはビルバオに出る、あるいはラスベガスに出る、そういうふうなこと で、世界の現代美術の大殿堂として、そんなコミュニティーの枠からワーッとはみ出した 行動をやっていますね。これが世界的な意味で、ある意味でソーシャルガバナンスの担い 手になっている。そういうことがありますし、それから地域を担うそういうふうなものに しましても、プラットフォームというコンセプトは、ここにおいでの方皆さんよくお馴染 みだろうと思いますけれども、こういう地域の支配機構の外に出て、日本中ネットワーク を張っていこうというふうな考え方でもあると思いますし、そういう意味では、ああいう 丸い中にガーッと押し込めると、押し込められたら、私は窮屈でちょっとしんどい、とい うのが実感です。 それならば、そうやってプレーヤーとして何が欲しいのかということ。これはたぶん熊 倉さんにも共感していただけると思うんですけれども、3つ欲しいものがあります。JKK と言っているのですが、自由と共感とお金、この3つが欲しい。ちょっと言葉として気に なったのは、行政の主導でインキュベーションをしよう、ということを提案されたのかど うかというのはちょっとプレゼンテーションはよく分からなかったのですが、インキュベ ーションじゃないんですね。私たちが欲しいのは、自由であり、共感であり、お金である。 自由というのは、自由を持ちながら、ただ変なことにならないように――変なことにと いうのは、例えばコンプライアンスに反するとか、アカウンタビリティがなくなるとか、 不透明になるとか、そんなことがないように、この仕組みは必要ですよ。そのために福原 さんに非常に頑張っていただいているというのはよく承知していますけれども、自由が欲 しい。 それから2番目に、共感が欲しい。このところはさっき福原さんが、仕組みですべてで きるの、とおっしゃいました。まさにそこです。仕組みじゃなくて志なんですね。志を育 てる、その志を育てるような教育なり、あるいはセミナーなり、シンポジウムなり、これ が大事であって、仕組みとか、技能、技術、その仕組みを使うやり方、ノウハウ、それで はなくて、基本は志だ。志の高い社会を持って、そうして熊倉さんと私たちの仕事に対し て共感を持っていただける、そういう社会をつくっていただけるように、これが私たちの 大きな希望です。ですから、2番目のKは共感。 3番目はお金。これにつきましても、さっき富くじの話が出ましたね。これは最初のJ ともかかわるのですが、私たち市民社会の担い手に、いろんなやり方でお金を調達する方 策というのを許していただきたいという感じがいたします。もちろん寄付を集める、何か に集める、いいんです。富くじでもいいですし。さっきの京都の話を言いますと、かまど 税というのがあったというのをご存じかもしれません。地方政府が、あるいは京都の宮廷 とか何とかが集める税金ではなくて、もっと自主的に市民の中から市民生活のものを支え ていこうという、かまど税というのが京都にあったということを、これは漏れ聞いたので すが、聞きました。いろんな形でお金についても自由が欲しい。 したがって、私たちプレーヤーとして望みたいのは、行政から、この中にカッチリ組み 込んで守っていただくことではなくて、そうではなくて、JKK、自由が欲しい、共感が欲 しい、お金を、私たち一生懸命自分の工夫で調達をしていく、そういうふうなことができ るようになってほしい。そういうことです。 これがいわばこれからのソーシャルガバナンス、広い意味での担い手になっていく非営 利公益事業の希望であるということをご理解いただければと思います。 福原 ありがとうございました。先程の卵型の絵は若干誤解を招くところがあるかもしれ ません。おっしゃるところ、確かにそうだと思います。実はこの卵型の絵というのは、こ の次のセッションの地方分権との関連があるので、ちょっとイメージ図をお示ししたのだ と思います。 それから、今大原さんの言い方ですと、町衆の人たちの行為というのが極めてサステイ ナブルであるということをおっしゃいました。まさにそうだと思いますが、その次の問題 として、皆さんの志は高いとして、本当の意味のリーダー、中核のリーダーみたいのがい たほうがいいのか、あるいはいなくてもいいのか、この辺はこれから考えどころだという ふうに思います。もしいたほうがいいのであれば、その人たちにリーダーシップスキルを 経験させるような何かの手だてがあってもよろしいのではないか、というふうにも感じる わけです。そういうことによって人々の心が豊かになればよいのではないかと。 それでは、鎌田さん、お願いします。 鎌田 今大原さんのほうから西日本の都市がいくつも出てきまして、私も実は昔西日本の 大阪を中心にして赴任しておりましたので、随分懐かしい思いをして聞いておりましたけ れども、私のほうから、東日本の都市を一つ事例としてお話をしたいと思います。 長野県松本市でサイトウ・キネン・フェスティバルというのが毎年行われておりますが、 皆さんの中にもファンがいらっしゃるかと思いますが、1992 年に始まりましたので今年で もう 13 回になりますね。ご存じのように小沢征爾さんの指揮で、サイトウ・キネン・オー ケストラという、斎藤秀雄さんの門下生たちが中心になってつくっている、そのフェステ ィバルのために集まってくる七夕オーケストラなのですが、本当に世界的な水準のコンサ ートが聴けるというフェスティバルですね。 特にオペラを上演しているのですが、これは 20 世紀のオペラで、日本では非常に上演さ れる機会が少ないのが多くて、松本に行かないと観られないと。クラシック音楽の市場と いうのは東京が独占市場なところがありまして、本当に中央集権なんのですが、このフェ スティバルに関して言えば、やはり分権が音楽の市場でも進んでいるかなという印象があ ります。 申し上げたいのは、実はこれは、それだけを申し上げますと贅沢なフェスティバル、お 祭りというような印象もあるのですが、実は非常に市民参加が多いイベントになっている ということです。地元の事業が非常に多いんですね。例えば、市内の小中学生が 3000 人ぐ らい、歓迎の吹奏楽パレードをやります。松本城に集まって、小沢征爾さんの指揮をみん な楽しみにしているというような、そういうのがあります。 それから、県内の小学校6年生を対象にした子どものための音楽会というのを開いてい ます。これは総合体育館で、県内に1万 7000∼8000 人ぐらいの小学校6年生がいまして、 2回に分けてやる。ですから 8000 人ぐらいですね。もうほんとに壮観です。これが 13 回 続いていますので、もう 10 万人を超えているようですね。 ということで、このまま行けば、日本人の中ではオーケストラを生で聴いたことがない という人はまだまだいるかと思いますけれども、少なくとも長野県民に関しては、聴いた ことないという人はいなくなっちゃうんじゃないかなというようなことを思います。 もう一つは、ボランティアの参加が非常に多いんですね。400 人ぐらいいるんでしょうか。 そのボランティアというのも、やりたいということで全国から集まってくる。そういうふ うにボランティアが全国から集まってきて支えるというのもユニークだと思います。 今年、新しくホールが一つ、市民芸術館というのが開館したのですが、そこでは常設の ボランティアによる運営というのを今考えているようです。松本というのは、コンベンシ ョンの誘致も盛んにやっているのですが、商工会議所の話ですと、やはりサイトウ・キネ ン・フェスティバルをやっているということで、松本の知名度がある。それからその印象 が非常にいいということで、そういう意味では経済活動にもプラスになっているというこ とを聞いています。 私は個人的に好きでして毎年行っているのですが、以前は、コンサートが終わると町が もう真っ暗なんですね。終わった後ゆっくり腹ごしらえしたいなと思っても、開いている ところがなかったのですが、ここ数年は、終わると、そのコンサートが終わった人たちに 食事ができるようにわざわざ店を開けているというレストランが増えましたね。それから、 浅間温泉という温泉があるのですが、ここでは夕食を、例えば5時半ぐらいに早めに食べ てもらって、出かけてもらう。で、送迎をする、そういうことが出てきています。という ことで、ホテルの応対が行くたびごとに、洗練されている、という言い方が当たっている のかどうか分かりませんが、そういう印象を持ちますね。タクシーに乗っても、運転手さ んたちがフェスティバルのことをよく知っている、ということがあります。 松本は、市町村合併で来年から実は上高地も松本市内になるのだそうです。東京から行 くと、上高地というのは松本にあるのだろうというふうに誤解する方が今までいたのです が、そういう意味ではこれから本当に広域的な、そういう地域、観光に、もっとそのフェ スティバルをどう生かしていくのか、そういうことが非常に課題になるのかなというふう に、外から見ていると考えています。 フェスティバルというのは、これは得難いもので、本当に市民にとってみれば最大のシ ンボルというようなところがあるのですが、これは小澤さんの希望で松本で開くことにな ったと言われておりますけれども、もっと下地がありまして、実は松本市では音楽活動、 市民サークルというのが非常に盛んなんですね。ハーモニーホールというところがありま すが、そこの広報誌も実はその市民サークルの人たちがボランティアでずうっと作ってき ている。それで、小澤さんがそのサイトウ・キネン・フェスティバルを開催したいと考え たときに、いくつか候補があったのですが、ある音楽事務所の方を通して松本に話が出て きて、松本ではそういう活動があったので、即対応して、受け入れ態勢を組織できた、そ ういう経過があるわけですね。 ですから、これからはそういう音楽を含めた文化の分野、それからもう一つは温泉、観 光を含めて、そういう地域にある資源をどういうふうにして活用しながら、なおかつそれ を魅力のあるものにしてアピールしていくか。これはやっぱり市民一人一人が参加すると いうことが、松本の例でも、非常に大事なのかなと改めて考えている次第です。 福原 ありがとうございました。大変具体的な例で、今鎌田さんがプレゼンテーションさ れたのは、地域の活動に全国から参加するという一つのまた別な形であります。これは一 体どういう意味を持つのか、またゆっくり考えてみる必要があると思います。 それでは工藤裕子先生、お願いします。 工藤 今回の第2ラウンドは、都市そのもののことかなと思っていたら、皆さんかなりコ ミュニティーに触れられていたのでちょっと混乱しているのですが、もともとの NIRA さ んの発表に立ち返って、町とか都市のことをお話ししたいと思います。 「都市」という言葉は、そもそも大都市を意味するという前提がどうも日本ではあるよ うですが、都市と言いますと、古くはアテネのそれこそ都市国家があり、中世ヨーロッパ におけるいわゆる都市国家があり、都市文明が発達したということを考えると、必ずしも 大都市、人口とか規模の大きな存在というわけではないですね。 日本の場合、市町村というふうに3つの行政の区域の違いがございますが、ヨーロッパ の場合には、一番基礎的な自治体というのは、たとえ 10 人の町でも、100 万人の町でも、 例えばフランスであればコミューンですし、イタリアだとコムーネということで、上下の 差がありません。これは法律的にも差がないんですね。そのことを考えてみますと、大都 市というふうについ考えがちな都市自体が、本当はもうちょっといろいろな存在があって もいいのかなという気がまずしています。 そのことを考えると、例えば今鎌田さんのほうからフランスのお話がありましたが、イ タリアは日本とほぼ同じぐらい、若干小さめの国土面積の上に、日本の約半分の人口が住 んでおりますが、コムーネという基礎自治体の数は 8100 と、日本の 3000 を2倍以上あり ますので、すぐ想像できるように非常に小さい単位です。しかし、合併という話はどこに もありませんし、そういう意味でよく向こうの内務省の方に、日本は合併が進んでいると 聞くけれども、どうやったらできるだろうかといつも言われるのですが、「しないほうがい い」と言っています(笑)。ちなみに合併大反対派なんですが。 イタリアがどうしてその 8000 もあるコミュニティーをいまだに維持しているかといいま すと、非常に美しい言葉で私は大好きなんですが、「カンパニリズモ」という言葉がありま す。「カンパーネ」というのは教会の塔の先についている鐘のことで、 「カンパーネリズモ」 ですね、それで「カンパニリズモ」と言うのですが、要は昔それぞれのコミュニティーに 教会があって、いわゆる中世の都市の3セットと言われる、教会で精神的なシンボル、市 場があって、そこに交易があって、市庁舎があって政治的な機能を果たす。特に精神的な シンボルである教会の鐘で時を告げる、鐘を鳴らしたときに聞こえる範囲が、おらが村の アイデンティティのある範囲だという、そういう伝統がありまして、なかなかそれを飛び 越えてアイデンティティを共有しろといっても、それはできないという、こういう強い意 識がある。これがいまだに強く残っているというのは、私はすばらしいことだと思います し、それを大事にして、その上で近代化を果たしていこうという姿は、日本にも参考にな るのかなというふうにいつも思っています。 しかし、もちろん現実問題としては日本が抱えていると同じような過疎問題であるとか、 特にイタリアは日本と同じように、山間地域が非常に広いですので、いわゆる中山間地域 問題があるんですね。それをどうやって切り抜けているかというと、合併という方法では なくて、既に国境を越えた例えば山岳都市の連盟をつくっている。鎌田さんもご存じだと 思うのですが、フランスのイタリア国境に近いほうの山岳連盟とイタリアの山岳連盟など がいろいろ協調して、互いの利益になるような政策をつくったり、EUの構造基金等を利 用していろいろな施策を実行している。そういう意味では非常にソフトな都市連合といい ますか、都市連携をしているという現実があります。 先程のプレゼンテーションの中でも、 「工業化社会から知識情報化社会になっている中で 地方都市の問題が」というようなくだりがあって、これは、おやおやそうかなというふう に私は思ったのですが、むしろ工業都市ですと、人口基盤がしっかりしているとか、労働 力があるところでないと何もできないということになりますが、日本でも、小さな地方自 治体が頑張っておられるように、小さくてもキラリと光る政策とか、あるいは地域の特色 のある生産とか、そういうのはまさに知識情報化社会だからこそ山奥でもできる。最近で は山奥でつくっている例えば伝統的なチーズだとか、特産品を、インターネットで世界的 に販売して、十分利益を上げているとか、そういう事例もたくさん報告されている中で、 むしろ中小都市がますます元気になっていく地盤ができているんじゃないかなというふう に思っています。 もう一点は、最近日本でも、先程都心回帰の話が出ましたが、都心回帰と同様に、Iタ ーンとかUターンとか、地方にあえて住む。むしろ東京とか、大都市圏にいた人間が地方 都市に移り住むという現象も出てきています。これは都市というものが、先程成長してい くということと同様に、都市の機能は何かと考えてみますと、住まうところで、いままで ですと、日本だとニュータウンが象徴しているように、住まいと職業というのはどうも分 けて考える傾向があるわけですが、Uターン、Iターンにしろ、都心における職住隣接に せよ、町の機能というのは、多機能があってこそ町をつくっていくものだと。つまり、住 居だけをどっかに移して固めた、その単機能の町をつくるということ自体がおかしくて、 それが例えば多摩ニュータウンで現在高齢化が進んで問題になっている。町の機能の基本 的な、例えば商店街がさびれてしまうというような問題につながるのかなと思っています。 そういう意味では、イタリアの都市などは規制が厳しいという側面もありますが、同時 に、職業、それから生活の場、それから楽しみの場、こういったものが一緒に混在してい るという意味では、最近日本でも、最近の小泉政権のインバウンドの中で、「住んでよし、 暮らしてよし」がキャッチフレーズになったりと、単に夜寝るだけという町からだんだん 変わってきているようでありますが、その辺が一緒になると、また日本の町も元気になる のかなというふうに思っています。 福原 ありがとうございました。今のイタリアの例というのは、日本とはちょっと逆の道 を走っているわけです。逆の道を走っていることの怖さは、その地域のアイデンティティ を失う可能性があるということに対する警鐘になるやもしれません。イタリアは現実に、 そういうたくさんのコミュニティーで、それなりの活力を維持しているというふうに理解 をしているところがあるわけですけれども、これは次のところでもう少しお話を広げてい ただきたいと思います。 熊倉さん、どうぞ。 熊倉 最後の発言者ってとっても有利でして、皆さんが言ってきたことについて自分の考 えを加えていって、いろいろ議論ができるので、とても有利だなあというふうに思ってい ます。 先程の神野先生が、フォレーニングは民主主義を高揚するための省が所管していて、し かもグラスルーツの自発性が重要だというふうに言われました。これはたぶんこれからの 私たちの国のあり方というか、私たちの社会にとっても、望むべき形だと思っています。 たしか憲法の 92 条だと思いますが、「地方自治の本旨」という言葉が出てきます。それ は、団体自治と住民自治が、いわば二輪体制でいってはじめて地方自治は成り立つし、私 たちの国は、その地方自治を基本にした社会として国を組み直すのだというのが、新しい 日本国憲法の一つの柱だったと思います。よく憲法の3つの原則と言って小学校、中学校 で習いましたが、それにもう一つ、地方自治という大きな原則があったはずです。その地 方自治は団体自治と住民自治でなりたつはずなんですが、ところが住民自治については、 私たちは投票しかしてこなかったんですね。実態としては。先程神野先生がたぶんそのこ とを意識されて、投票だけではなくて、日常的な活動の中で公共をつくり、自分たちが管 理をし、あるいは他に及ぼしていく、そういうことをやっていくのだ、だからフォレーニ ングというのはそういう所管にあるのだと言われたのだと思います。日本の中でもまさに 考えていくべき基本だと思います。 私たちは、しばらく国や地方自治体にすべてやるべきことをお預けをしてきたので、今 スキルが下がっております。そういう意味では、さっきの都市の衰退から言えば、住民自 治の衰退過程で、それを今我々は何とか戻そうとしている。そこに戻すときに、住民自治 を支えてくれる団体自治が大切となる。まさに両輪になる。スキルを支えてくれたり、お 金を準備してくれたりする。日本の社会の中では一度地方自治体を通しませんとお金は戻 ってきませんので、そういうことが必要であったり、あるコミュニティーに参加したり、 ある NPO に参加する自発性を、多様に用意できる、まさに工藤先生が言われる多機能、そ れから大西先生が言われた多様な選択肢を持つような場としての都市という自治体が必要 になってくる。そういう意味では、工藤先生の意に反して、私は合併推進論者です。ある 程度の規模の団体自治がないと、十分に多様な選択を用意できないというふうに思ってい るからです。 それで、イタリアの場合は私まったく知りませんし、今聞いたばかりですけれども、国 境を越えても連合が行われるとか、さまざまなタウンシップによって補完が行われている のだろうと思います。私たちの場合にはタウンシップの補完ではなくて、一つの団体自治 の形で一番基本的な住民自治の補完をする。しかし、住民自治はまさにその地域の中で多 様であるべきだ。この2つのことが分かってくると、比較的きちっとした団体自治が持て る規模を持った自治体と、その中で多様に活動する住民自治が、地縁型であったり、NPO 型、テーマ型であったり、多様に動いて、非常に活力のある都市ができていくのかな、そ れが都市の再生につながっていくのかなと思いました。 日本でも、 「小さくてキラリと光る」と言うんですけれども、大体小さい自治体は残念な がら財政力指数が 0.2 とか 0.4 なんですね。誰が補完しているか。実は都道府県が補完をし ています。そして、例えば私のまちは群馬県の高崎というまちです。特産品は何かと言わ れたら、「総理大臣」と答えるしかないまちでございまして(笑)、四半世紀で3人総理大 臣を世に送りました。たぶんあと5年以内にもう一人確実に送ります。もう 15 年たつと、 もう二人目が送れると思います。そういうまちですけれども、このまちが今 30 万の中核市 になろうとしております。それは、県の半分以上の権限を持って、住民自治に応えられる だけの専門性をきちんと団体自治として持とうと。しかし一方で、いま 32 小学校がありま して、まもなく 60 ほどの小学校区になるわけですが、小学校区ごとに、できれば合併特例 法の地域自治区ではなくて、地方自治法の本来の地域自治区を、60 ほどの小学校区で何と かきちんと立ち上げたいという次のステップに入ろうとしております。たぶんその一つ一 つがもともと村なんです。村連合を日本では市で被ってきて、タウンシップではない、と いうのが日本の形なのかなと思います。それは次の第3セッションに行く議論だと思いま す。 町衆のガバナンスで思い出しましたのは、私たちのまちがもう一つまともに売れるもの は群馬交響楽団であります。さっき斉藤記念オーケストラの話がありましたので刺激をさ れまして、多少対抗的に話をしなければいけないですが、私たちのまちは 50 年前に、日本 で初めて大東京以外に、市民の力でオーケストラを持ってしまいました。これを維持する というのがまさに町衆ガバナンスはサステイナブルでございまして、 何とか維持していか なければならない に近い状況から、 維持するのが当たり前 という状況に今なっており ます。今群響が何かやっても光はあまり当たりませんけれども、そういう当たり前の状況 が続いております。 その中でもう一つ、40 年ほど前に、私たちのまちは、当時人口 14 万、市の財政規模が9 億 5000 万しかないまちでした。そのときになんと3億 5000 万かけて、2000 人入る大ホー ルをつくってしまいました。アントニン・レーモンドがつくって、DOCOMOMO の 20 選 にもきちんと選ばれております群馬音楽センターという施設です。かなり老朽化していま す。音楽の専門家には、早く壊せと言われます。とんでもないと。これは我々の金字塔で あると。さっきの話で言えば、教会の尖塔にも当たるものですので、何とか維持をしてお りますけれども、何と3億 5000 万のうちの1億円は、市民の貯金でございました。今高崎 市は約 800∼900 億ぐらいの財政規模の都市ですので、財政規模は 100 倍なんですね。今 の高崎市庁舎だと、下の駐車場を全部入れまして、もう一つシティギャラリーというとて もいい市民ホールができておりますが、合わせて 350 億なので、40 年ほど前に我々の先輩 たちは 100 億集められた。今1億も集まらないんですよね。NPO をやっていても。 そういうことを考えたときに、私たちは、だからそのものを維持し続けている。大原先 生のところもまさにそうだと思いますけれども、維持するのが当たり前になってきている サステイナブルを、どうもう一度私たちが自覚をしていくのか。そして、一度失われつつ あるいろんな技術――失われているのは自然保護だとか里山の整備だけじゃなくて、町で 暮らす技術についても我々は失いつつあるのではないか。それをどうやってもう一度トレ ーニングをし、自己トレーニングをしながら確保していくのか。そうしたときに、私たち はもう一度都市という舞台に生きる市民という形を作り出せるのではないかと思っていま して、まさに都市の時代になってほしいなというふうに思っています。 福原 どうもありがとうございました。お話の中にも、次の第3の地方政府の問題にかか わることがございますので、神野先生のコメントの前に、地方政府の問題に入らせていた だいて、コメントをいただきたいと思います。 それではプレゼンテーションをお願いします。 司会 わが国が直面する歴史の峠を乗り越えるためには、グローバル化が進む中で、混迷 と厳しさの度を加える国際情勢に適格に対応するとともに、また、年金、財政問題など、 山積している国民的政策課題に専念できる政策指向型の中央政府と、長期人口減少期を迎 え、その活力低下が懸念される地方再生の課題を、地域の特性を生かしながら機動的に解 決し得る、分権化された地方政府という、国としての体制が必要と考えますが、残念なが ら、現在の国・地方システムは、そのためにはいまだ不十分と言わざるを得ません。 多くのEU諸国においては、国家統合を進める一方で、国内的には分権・分散型の政治 システムへの転換、すなわち地方分権国家への衣替えを急ピッチで進め、そうしたプロセ スの中で各地域ごとに、地方政府、地域経済、市民セクターが連携し合い、積極的な地域 経済活動を展開し、それが国民経済全体の活力向上に貢献している事例を数多く見ること ができます。 NIRA では、イタリア、フランスなど、近代国家の成立期において、中央集権的色彩の強 かった国々で、近年急速に地方分権国家に変貌しつつあるケースに着目し、その分析等を 通じて、近未来の分権市民国家において、望ましいわが国の地方政府システムのイメージ を描いてみました。 これは、現在のイタリア、フランスの地方政府システムです。それぞれ、70 年代、80 年 代に、広域地方政府としての州を機能させ、逐次国の権限を州に依存し、また、基礎的自 治体の強化、都市の広域連合制度の充実などを実施して、地方分権国家としての体制整備 に努めてきています。日本の府県に相当する中間自治体も存続して、市町村の補完等の機 能を果たしています。 これは、現在の中央政府と都道府県、市町村からなる二層制の地方システムから、スリ ム化した中央政府と、広域地方政府としての州、市町村を補完する中間自治体としての府 県、市民サービスを一手に引き受ける市町村という、三層制の基本構造を示したものです。 三層制は一見屋上屋を重ねるようですが、国を含めたトータルな政府システムとしては、 出先機関を含む国のスリム化や、府県機能の特定化、市町村数の減少等による行革効果を 生み出すことは十分可能です。また、必要な政府機能は住民の身近に置くという、自治の 原点を維持する上からも、歴史的に国民意識に定着した府県に新しい役割を与える仕組み が必要と考えました。また、現在の政令市については、府県と市町村両方の機能を備えた 特別市とすることを想定しました。 首都地域の考え方についても、いくつかの代替案が考えられます。現在の東京都を東京 州とし、現在の 23 区について必要な統合再編を行った上で、特別市と市町村から成る二層 制の構造による案や、イギリスのグレーターロンドン・オーソリティ型の広域調整を主た る機能とする特別自治体、または自治体連合を設定し、首都機能のセンター部分を、普通 市と異なる首都市を置くなどの考え方も可能です。 広域地方政府システムとしての州の区割の考え方は決して一つではなく、視点によりい くつかの案が考えられます。これは最も標準的なブロック割案をベースにした試案で、今 後の州単位での国際展開を考慮して、東京州を除くすべての州が、日本海と太平洋に面す る形になっています。また、沖縄、北海道は、1道県で1州を構成し、二層制の構造を持 つ特別州としています。また、経済・財政規模の飛び抜けた東京都も、単独の州の設定と してあります。 なお、現在の都道府県制から州制への移行プロセスについては、一定のブロック区分ご とに、府県の広域連合化を進め、その区分で国の地方市分局についても再編統合し、国の 出先機関として残す部分と、地方に割譲する部分に分けて、割譲すべき部分はある段階で、 府県連合と合体して州を形成します。 福原 ありがとうございました。それでは、先程の州のあり方みたいなものについては、 もう古来いくつものあり方がありまして、あまりこういうことにこだわっていただかなく て、そもそも今のような三層制のシステムをとることによって、一体中央政府はどこまで 小さくできるか、それから草の根の力をどこまで引き出せるか、ということを考えていま す。 大西先生のほうから、第3部の地方政府の問題についてご発言をお願いします。 大西 コミュニティーから州までという、非常に壮大な議論をしなきゃいけないというこ とですけれども、さっき工藤先生から、イタリアで 8000 の自治体、コムーネがあって、フ ランスの話はさっき出ましたが3万 5000∼6000 あると。逆にイギリスは日本より少ないで すね。世界にいろんな例があるんですね。四層制もあるけれども、一時期イギリスでは、 イギリス政府の下にいきなりロンドンの区があって、その間がなかった時期もありました。 世界の例は、それぞれ背景なり、あるいは何かのきっかけがあって成立しているので、 教訓としてある型を日本の例として持ってくるということよりも、一言で言えば、いろん な例があるので、何でもやろうと思ったらやれるというふうに世界の例を理解するのが一 番いいのではないか。つまり、おそらく今の自治体についてもそうですし、都市の構造な んかについても、我々は何となく駅前にはオフィスビルとかデパートがあるべきだと思っ ているけれども、コペンハーゲンに行くと駅前には公園があったりするわけですね。逆に 外国の人が日本に来ると、鉄道の駅にこんなにいろんな機能を詰め込んで便利な駅をつく っていると驚嘆するんだろうということで、お互いいろんな事情でいろんな試みをやって、 それが刺激にはなるけれども、その教訓というのはいろんなことが自由にやれるというこ とを、むしろ成立可能性があるという意味で、学ぶべきではないかなと思っているわけで す。 その意味では、いきなり大きな話からいきますと、私は州の妥当性というのは、どっか の都道府県が、まずそんなにいいものなら合併して州的なものをつくってくれると、非常 に実証的な確かさになるのではないかと。時々鳥取県と島根県の動きとか、注目している のですが、いまのところあまりないですね。そしたら北部九州ということで、長崎、佐賀、 福岡県というのは結構そういうことを知事が3人集まって話しているんだそうですね。九 州は一つという、そういう議論もかつてありまして、今でもあると思いますが、むしろ現 実的には3つの県、福岡市を中心として、それぞれ個性的な都市が並ぶという意味で、北 部の九州の3県というのは一体のまとまりがあるのではないか。 いわゆる広域連合という地方自治法の制度があって、そういう制度を使えば、今でもそ ういう意志さえあればできるわけですね。大きな規模になるということが、経済政策を展 開したり、交通基盤の整備とか、そういう意味で非常に効果があるということであれば、 やれる制度をどんどん使っていくということがあっていいのではないか。そういうのが出 てくると、遅れたところがなかなかきっかけが与えられないとできないので、全国的にや ろうじゃないかということに結びついていくのではないか。そういう意味で、いきなり天 から降ってくる議論ではなくて、地に着いた動きを見たいなと思っています。 しかし、私の率直なところ、40 幾つに日本の県が分かれていて、それぞれが競い合うと いうのは、これから人口が減っていく社会の中で、少し政策のメリハリがつきにくいのか なと。つまり、広域的な自治体なればこそやることというのが、さっき産業とか交通と言 いましたけれども、あるのではないか。それにはやはり政策に使える資源というのが行っ てないと効果的なことができないのも事実でありますので、やや全体に隠れている県とい うのは頑張る余地があるのかなと思うんですね。 ただ、ちょっと気になるのは、そうは言いながら、例えば佐賀県みたいに何となく全体 に隠れたところでも、知事が変わったりすると急に元気になるので、やっぱりトップのキ ャラクターかななんて思ったりするわけであります。したがって、そういうことを考える と、大きさだけではない。質も大事だということです。しかし、この残された聖域、都道 府県制度をどうするか。これは地域にとっては相当インパクトがあることであるので、ぜ ひ残された聖域に踏み込んだ議論なり、あるいは行動というのが、先駆的なところでとら れていくことを大いに期待したいというふうに思います。 福原 ありがとうございました。かつて青森、盛岡、岩手、秋田、これが合併しようとい うのでなくて連合しようという案がありましたね。 大西 そうですね。 福原 ですから、こういうことを提案して、それがきっかけになって、今のような踏み込 んだ議論になればということですね。 大原さん、お願いします。 大原 一つ質問と、もう一つ、原理原則だけ言います。区割について言い出したらとても 時間が足りませんので。 質問としては、地方のそういう政府が何をやらなきゃいけないのか。どの部分を権力機 構としてやらなきゃいけないのか。地方政府のやっていることは、かなりの部分は NPO で できるのではないかというのは、私地方の住民として感じています。 もっと具体的に言うと、警察、消防、税金の徴収と予算配分、これは権力が必要でしょ う。それ以外全部とは言わないけれども、多くの部分は、ある程度きっちりした管理の下 にある NPO で十分できるのではないか。そういうふうにして考えていったら、二層だろう が、三層だろうが、もっともっと効率的な、軽い地方制度ができるのではないかと、私、 地方にいて実感しているのですが、どうでしょうか、ということが一つ。 それから、原理原則について言えば、お願いなんですけれども、地方の意味と意義とい うものをぜひぜひ忘れないようにしていただきたいと思います。どうもこの辺で議論を聞 いていますと、地方では生産技術として工場が回って、雇用が確保されれば、それでハッ ピーなんじゃないか。日常的な文化の上では、どっかで民謡でも聞いて、炉端で昔話でも、 おじいちゃん、おばあちゃんがして、それでいいんじゃないの、なんて――ひがみかもし れませんけれども、そんな感じがするんですね。 そうじゃなくて、今日本をつくり上げているクリエーション、文化的にも事業的にも、 ですけれども、これは多くのものが地方から出てきています。私はクラレ(倉敷レーヨン) という会社にいましたが、倉敷でしょう。ライバル東レさんは滋賀でしょう。テイジンさ んは山形県米沢。今日本を支えている自動車産業はどうか。豊田はもちろん名古屋の豊田 市ですね。ホンダ、スズキ、浜松でしょう。ダイハツは大阪だし、マツダは広島。すべて こういうふうに地方が事業を生んでいるんですね。 今プロ野球で話題になっているあの楽天の三木谷さんは神戸ですね。それからダイエー を買収に行った孫さんのところは九州の会社でしょう。地方から事業はクリエートされて いる、このクリエートする力を失ったら日本はひどいことになる。地方制度を考えるとき に、ぜひこれを考えていただきたい。 と同時に、文化的にもそうなんですね。私のところの美術館で、最近、過去 10 年間の日 本の現代美術の最優秀新人の作品を集めた、「We Love VOCA」 という展覧会があるんで すが、そのシリーズの 10 年間の優先作品を網羅した展覧会をやりました。入選者を集めて 皆さんでお話をしたときに、圧倒的に多いのは関西弁ですね。これは私の印象だけではな くて、あるミュージアムの研究者の方が、世界で活躍をしている現代アーティストの中で、 圧倒的に西日本人が多いということを言っていました。その評論家の方は、その背後には、 西日本で生きている日本の伝統文化とか、日本の伝統を尊重する心とか、生活の中に生き ている歴史とか、おっしゃっていました。 もう一つは、先程から話題にありましたが、西日本で発達をしていたソーシャルガバナ ンスがあるかもしれない。いずれにしましても、文化的にも事業的にも、日本は物事のク リエーション、そしてある意味で風格の源であるということを十分ご考慮いただいて、生 産技術として雇用の確保をされて、昔話のできる地方ならいいというイメージはぜひぜひ お持ちいただかないようにと、ちょっとお願いを申し上げまして私のコメントにいたしま す。 福原 非常に貴重なご意見をいただきました。私が NIRA に代わって申し上げることでは ないのですが、質問1は、イエスの方向だと思います。当然のことだと思います。後でお っしゃった意見のほうは、まさにそうです。デザイナーの方々も、色使いのきれいなデザ イナーの方々はすべて関西の方ですね。非常に不思議なことなんですが、どうもそうなよ うです。別に大原さんにおもねって関東を差別するわけではないんですが(笑) 、どうもそ んな感じがいたします。それは今大原さんが言われたせいなのかどうなのか、それはよく 分かりません。しかし、現実の問題としては、例えば田中一光さんにしても、きれいな色 使いをした方は関西の方が多いですね。これは不思議なことです。 ですから、地方を大事にするということは、これはもう当然のことだと思います。 鎌田さん、どうぞ。 鎌田 今の大原さんのお話は、私も非常に同感できることが多くて、要するに道州制がな くたって今のままの制度で十分できるのではないか、というようなことにもなるのではな いかなと思います。ということで、私も個人的には、最近道州制の論議がいろいろ出てき ているのですが、なぜ道州制なのかなというのをいつも考えながらいるということを申し 上げた上で、具体的にフランスの事例を一つ申し上げたいと思います。 というのは、たぶん日本人は、州というのはどういうイメージなのかというのは、おそ らく実感が湧かないんじゃないかなと思います。我々、フランスへ行くに当たって、州っ て一体どんなものなんだ、まず知ってみようというのが一つテーマでした。リヨンがある ところはローヌ・アルプ州というところでして、ここは8つの県で構成しています。人口 は全部で 550 万です。フランスには州は、本土州というか、昔植民地を持ったりしていま すので、本土州たけですと 22 あります。ローヌ・アルプ州の事例は、実は若干モデルとは 言えないところがあります。 パリの周辺にイル・ド・フランス州というのがあるのですが、そこに次いで大きな州と いうことで、規模から言うと、かなり大きな州の一つです。州は、1982 年の第一次の地方 分権改革のときに初めて制度化され、地方自治体として認められたわけですが、主な仕事 は、国土整備、それから高校の施設整備がありますが、一番主要なのは経済開発です。そ れから職業訓練です。ということで、ローヌ・アルプ州では、国際事業団、ERAI と言うん ですが、企業誘致、あるいはローヌ・アルプ州内の企業支援のための、日本で言えば第三 セクターに当たるかと思いますが、そういう組織をつくっています。ところがこれはかな り大きな組織でして、海外に 10 以上事務所を持っています。日本にも東京に事務所があり ます。 ということで、我々が行ったときに、ちょうど3月に日本の電機メーカーや電子機器、 情報通信機器の大手のメーカーをごそっと呼んで、企業誘致のプレゼンテーションをして いるのですが、実はグルノーブルという町もローヌ・アルプ州にありまして、ここでミナ テックというフランス政府、国を挙げてのナノテクノロジーの研究センター基地構想とい うのが今動いているんですね。そこに日本の企業を誘致しようということで、どっと呼ん だのですが、これは日本のジェトロも協力しています。そこの担当者の話ですと、そうい う企業に事前に、私は素人ですのであまり詳しく申し上げられませんが、ナノテクでもい ろんな分野があるわけですね、マイクロテクノロジーでもそうですが、そこの大手の企業 はどれに関心があるのかというのを事前に情報収集した上で、フランスに来た企業の担当 者に個別に、ここではこういうことは対応できるということを具体的にアピールしたとい うことで、日本の企業は関心を持っているというようなことを言っていました。 そういう担当者は、実は企業のマーケティングのプロなんですね。今は公務員ですが、 もともとはそういう民間企業の長けた方をスカウトして、高額の報酬で仕事をしてもらっ ているということです。 それからもう一つは、大学に対する財政支援が州の一つの仕事になっています。フラン スはご存じのように国立大学ですので、基本的には国丸抱えですが、財政事情が厳しいと いうこともあって、州内にある大学に対する財政支援ですけれども、我々が行ったのは、 インサと言うのですが、国立応用科学院という、フランスの超エリートのエンジニアを養 成する大学院と言ったらいいのでしょうか、そういうところで、200 以上の海外の大学とか 研究機関と協定を結んで交流をしています。日本の東北大学とこの間協定を結んで、リエ ゾンオフィスを相互開設したりしています。そういうところに州が財政を支援しているの ですが、説明をしてくれた教授の話ですと、優秀な研究者が卒業すると、州内の企業に残 ると言うのです。それは結局、州内の企業にとってみれば優秀な人材を確保できる、経済 開発の進展につながるということで、我々はそういう意味では人材供給のポンプの役目も しているのだというふうに言っていましたけれども、大学は逆に州内の企業の技術者の再 教育のプログラムを持ったりしています。 ということで、日本に置き換えて考えますと、実はそのフランスの州というのは非常に 規模が小さいんですね。経済開発とか、経済関係に主に特化した形で仕事をしているとい うところがあります。そういう意味では、先程申し上げたような経済開発というのは、実 は日本の都道府県レベル、県レベルだとちょっとエリアが狭いのかなという印象を確かに 持ちました。 ですから、これから日本で道州制を考えるヒントとしては、そういう小さい組織をつく りながら、経済開発とか地域経済の活性化のための制度として道州制ということは考えて もいいのかなという印象を持ちました。 日本のことで言いますと、先程出てきたプレゼンテーションの模式図はちょっと分かり にくかったかと思いますが、NIRA で研究会で広域行政府についての研究を重ねてきている わけですが、その成果をお示しをしたことになるかと思います。この特徴は、私が申し上 げていいのかどうか分かりませんが、都道府県を残しているということですね。フランス でも実は都道府県がまだ残っています。やはり 200 年の歴史があるので簡単には廃止でき ないという状況のようです。日本の都道府県は 120 年の歴史がありますので、県をうまく 残しながら、活用しながら、道州制へ移行というようなことがいいのかなと思います。 それから、大西先生がおっしゃった、まずできることをやってみたらというのは、私も 本当にそう思います。北東北の3県では、青森、岩手、秋田ですが、10 年後には合体とい うような報告書が出たりしていますが、実はそういうできることを今一生懸命やっている わけですね。シンガポールに共同の海外事務所をつくったり、12 月に共同の地方債を発行 するということになっています。そういうことで、私も、まずいきなり州というよりは、 県でできないことが何があって、それを広域で一生懸命まずやってみたらどうだ、という 感想を非常に強く持っています。そういうことを市民に見ていただく、あるいは参加して 考えてもらう中で、都道府県の限界みたいなものが明らかになる。じゃ道州制にという、 そういうステップになるのかなと思います。 ということで、今国では地方制度調査会で道州制についての議論をしているわけですけ れども、冒頭の私の発言をひっくり返すようで申し訳ありませんが、制度よりも、まず実 態を先にいろいろ考えた上で、それでなおかつ市民が中心になって、道州制が必要なのか どうかも含めて、あるいはどういう制度がいいのか、どういう区割がいいのかも、市民中 心でできることを考える、例えばフォーラムみたいなものをつくる、そういうことを提案 したいと思います。 福原 ありがとうございました。今のお話は、要するに市民活動、あるいは基礎的レベル の地方政府の活動を妨げないような、それを援助するような州の活動というのがあるべき であると。州というのはその程度のものであるというようなお考えであると思います。 工藤先生、どうぞ。 工藤 道州制という問題を考える前に、あるいは先程の合併の問題にしてみてもそうです が、そもそもなんで分権化をするのかというのを今一度考える必要があるのかなと思いま す。 日本でも、80 年代以降、90 年代を中心に、地方分権ということが錦の御旗のように言わ れてきているわけですが、考えてみますと、必ずしも分権ということがいいことかという と、いいことか悪いことかというような価値判断とはまったく別の次元にあるわけで、例 えば中央集権があったからこそ、日本は非常に短い期間に近代化を遂げたり、それこそ田 中角栄さんの列島改造論ではないですが、インフラを一気に整備したりとか、あるいはナ ショナルミニマムを整えるとか、そういういいことをいっぱい実現してきたわけですし、 それは中央集権化なくしてはできなかった。効率的に短時間に目的を達成するということ はできなかったはずなわけですね。 ところが、ご案内のように、現在ではそういった全国規模で何かを勇ましく鼓舞してい くというほどの財政もないということと同時に、むしろそれよりは、それぞれの地域に独 特のサービスであるとか、あるいは施設であるとか、そういうものを皆が求めている。そ うしますと、それぞれの地域で合理的に、あるいは差別化したサービスを実現するために は、全国規模で何かをやるというよりは、それぞれやったほうが合理的だろう、そのほう が効率的だろう、こういう話になってくるわけですが、じゃ単位を小さくすれば本当に合 理化するのかというと、世界がやったいろんな事例を見ても、必ずしも経済合理性がそれ で働くとは言えないわけですね。それでいろいろ最適規模論というのが出てきて、どのぐ らいの規模の自治体にしたら一番効率がいいかとかいうことをいろいろと皆試算するわけ ですが、これもケース・バイ・ケースで、どんな土地柄だとか、どんな財政基盤があるか によって変わってくるようです。 ただ、共通して言えることは、分権化することによって、意思決定する機関がコミュニ ティーに非常に近くなるということで、意思決定が早くなるということです。ですから、 お金がかからないということには、ある程度貢献することは明らかで、意思決定に長々と 時間がかかっていますと、その間無駄が生まれるわけですから、基本的にはコミュニティ ーと政治、あるいは行政が近くなることで、意思決定の速度が早まって、そこで生じる無 駄が少なくなる。 実は、小さなところに行政を持っていけば、それだけ例えば政令指定都市になりまして、 区をつくるということになりますと、区役所をつくったり、結構お金がかかるので、必ず しも節約という点から言って、全体的に節約になるとは限らないのが実態ですが、そうい う側面があるのかなというふうに認識しています。 1点だけヨーロッパのお話を申し上げると、イタリアでもこの 10 月半ばに憲法改正が行 われる――まだ最終的な決着はついていないのですが、最終段階まで詰めが進んでおりま して、基本的には本格的な連邦制へと移行していくということでの合意がなされています。 ここで見本とされているのはドイツの連邦制ですが、EUの諸国がなぜここまで、日本 でいう道州制、ある地方分権ということに熱心なのかというと、実は制度が先という非常 に矛盾した現象なのですが、最初の基調講演で神野先生がおっしゃっていた 85 年の自治憲 章、これはいわゆる思想としての基本はつくりましたが、その後EUの政治的・経済的統 合が進んでいく中で、さまざまな補助金の制度ができてくる。実はいまのEUの構造基金 の単位というのが、サブナショナルではなくてサブシステムなんです。ですから、州であ るとか、次の段階になります。 現在、5月1日に新しく 10 カ国の加盟国が増えましたけれども、そうすると、いわゆる 旧東欧諸国の一部が入ったわけですが、国の単位では、新しく補助金をもらえないんです ね。申請するときにはどうしてもその下の段階、地方政府なんですが、だからといって基 礎自治体では申請することができないということで、例えばスロベニアという、イタリア に国境を接している国がありますが、ここは段階が2段階しかないので、これから日本の 県に当たる、州に当たる、どっちとも言えるのですが、そういった単位を新たに新設しよ うとしています。その理由は、単に補助金が欲しいという、それだけなんです。 だから、EUで地方分権化、あるいは連邦化がにわかに動いてきているというのは、ど ちらかというとEU全体という、一つの国家を超えたまとまりが強調されることに、抵抗 するというと格好がいいのですが、それに対して工夫をしている生活の知恵という、そう いうところはあるのではないか。それはご参考になるかと思いますので、お話しさせてい ただきました。 福原 ありがとうございました。できるだけ政策決定は身近なところでやるという一つの 原則みたいな、あるいは理想みたいなものがあります。EUの場合は、範囲の拡大、テリ トリーの拡大ということと、今のような補助金の問題もありますけれども、一方、拡大と いう作用があれば、縮小して凝縮していくという反作用もある、そういうことに考えてよ ろしゅうございますか。 工藤 はい。 福原 ありがとうございました。最後に、熊倉さん。 熊倉 道州制について、私よく分かりません。というのは、州というのが国の機関なのか、 地方自治体なのか、まだ私の中で整理ができません。地方分権推進委員会以来、 「国と地方」 という言い方がずっとされてきました。「中央と地方」でもなければ、「東京と地方」でも なければ、「国と地方」。つまり地方と言うときには、地方自治体を指してきました。です から、「基礎自治体と広域自治体」という言い方が盛んにされてきたわけですけれども、い ま基礎自治体が、生活圏に合った市町村合併を進め、そこに可能な限り都道府県の権限を 移譲している。中核市になれば半分は移るわけですし、やがて中核市はもっともっと権能 を高めていくでしょう。いまの政令市並みの権能になっていくと思います。 そうすると、住民に一番近いところでのほぼ完璧な補完関係が自治体としてできるわけ ですから、その上に一体県とか州というのがどう位置づくのかというと、まさに補完性の 原理から組み直していくことが、多分答えを出す方法だと思っています。 そういう意味では、私は自分の地元にあっては、私たちの住民自治と都市自治体として の私のまちをしっかりしたものにしていくことがどうしても目標になりますので、道州制 についてはよく考えてないというのが実態です。 ただ、その中で今度は県の役割は何なのだろう。どんなに頑張っても、どうしても市と しての自立性を持てないような地域ができます。あるいは、何か間違いがあって、中心の 都市に対して合併ができなくなってしまった町村があります。今至る所でそれがおきて、 破談破談の連続です。これは住民にとって本当に悲しいことです。ほとんど特定の首長さ んや市町村議員さんの思惑のために住民が大変な苦しみを味わわされようとしています。 そうした市町村が残ったときに、住民自治のための補完機能を、その町村はできるはず がないわけですから、県がやらざるを得なくなるだろう。まさに住民自治のための補完機 能を直接担うことが、もしかしたら県の大きな役割として今後出ていくのかなと思います。 そうなると、5年後のわが国の社会は、先程から江戸幕府は結構たたかれておりますけれ ども、江戸幕藩体制のときの藩と天領がモザイク状に入り乱れるような状況になっていく のかなあ。県の残された役割は代官所。そして自立した藩ができていく。よくヨーロッパ やアメリカの人と話をすると、「私のシティはミューニシパルだ」ということを胸を張って 言います。自治都市なのだと言います。それからこのごろ中国の友人たちも、「市人民政府 の何々です」ということを非常に胸を張って言うようになりました。 つまり、まさに人民、住民の基礎に立った地方政府としての自立した都市をどれだけ私 たちがつくれるのか。その中で豊かな住民自治をどう実現できるのか。そちらが主であっ て、その補完機能として府県が残るのか、道州制に移行していくのか、私はボトムアップ の論理、補完性の論理とすれば、そのように進めるべきではないかというふうに思ってお ります。 福原 現場からの非常に力強いお話がございました。まさにそのとおりだろうと思います。 方向はもうボトムアップでなければ、ボトムのほうの力は出せないわけですから、上から、 「ボトムよ、頑張れ」と、こういう時代ではないわけです。ということはよく皆さんご理 解されることだろうと思います。 大変お待たせしましたが、神野先生に全体を通してコメントを頂戴できればありがたい と思います。 神野 都市について、ごく大雑把に議論をさせていただくと、農業社会の都市というのは、 農村に、もちろん農業という生産機能があって、それが交流する市場が立ったり、あるい は農村を統治するための支配機能が集まっている場、これが都市だったと思います。今度 は工業都市になると、工業という生産機能を都市が抱え込む。工業が立地する場として工 業都市が成立します。そうすると、私たちが次に迎える社会を知識社会というふうに言っ ておけば、知識社会の都市はどういう都市なのでしょうか、ということになるのだと思う んですね。そこはたぶん知恵のある人が集まる場、言い換えれば、知恵のある人というの はホモサピエンスで人間そのもののことですから、人間が集い集まる場、つまり支配機能 でも市場機能でも生産機能でもなく、生活機能が営まれる場として都市が機能していくの ではないか。先程のプレゼンテーションで発表になった例は、文化による都市づくりを紹 介していただいているのだと思いますが、文化というのは、生活様式ですので、生活様式 によるまちづくり、こういうふうに言い換えていいと思います。 スウェーデンでは、高齢化が進むと、その都市は子ども誘致政策、子どもを育てるんだ ったらあの町だ、という町になっていこうという政策を打ちます。そうするとこれは総合 政策を打っていかなければなりません。日本の都市のように、子どもが遊べる場がないと か、子どもがいたずら書きをする場がない。もっと言えば、子どもたちが人間的に触れ合 う場がなくなると、その都市は選択されなくなるということだと思うのです。 そういう生活機能の場として押さえると、ここで「基礎自治体」と書いてありますが、 「都 市」という基礎自治体はどういうエリアになっていくのかというと、先程のお言葉を使え ば、生活圏というふうに言ってもいいかもしれませんが、生活細胞――人間が子どもを産 み、育て、老いていく生活機能が、包括的に存在している場、これが生活細胞であり基礎 自治体だと思います。例えば、現在千代田区は過疎化、30 万人いた人口が3万人に減少し ているといって慌てているわけですけれども、それは人間の生活機能のどれかが抜けてい る。 この機能は別な場所に行かないとだめだということになっていくと、そっちの場所に行 ったほうがいいということになるわけですね。 合併もおそらく、中央区の人口は増えていますが、例えば「お買い物は中央区よ」って 言って、中央区に行って、そこで千代田区と中央区がまとまれば完結できるのであれば、 一つの生活細胞として出来上がっていくのではないかと思います。 その上の広域自治体の考え方ですが、私は、先程来皆様方が言われているように、補完 性の原理で上に上げていくべきだと思いますので、細胞が集まって心臓とか肝臓とかって 器官を形成するように、同じ生活様式、同じ文化と言ってもいいかもしれませんが、そう いうことが営まれるように集まっていく。道州というような上の場合には、たぶんそこで の生活様式よりも少し上の機能になりますから、先程ご紹介にあったように高等教育とか いうことが担われることになるのでしょうけれども、その場合も、あくまでも生態圏―― 人間の生活がどうして地域ごとに違うのかというと、自然には顔があって、生態圏、エコ ロジーには一つの圏があるんですね。その生態圏ごとに人間は必ず知恵を使って合わせて 地域ごとの生活が営まれるようにしますから、その生態圏を意識するということと、あと は、生活機能のつながりというのは、夜を見て考えましょうということです。昼間を見る とどうしてもダメなんですね。 昼間の、ここの市と、ここの市と、ここの市、あるいはここの県と、ここの県と、ここ の県、こう合併すればいいと、こういうふうに描けるのですが、夜ですと夜景になります。 夜景でライトが灯っているところというのは生活が営まれている場ですが、ヨーロッパを 見てもらえば分かりますが、ヨーロッパはパーッと放射線状のものがいくつも、パー、パ ー、パーッとつながっていて、それが一つの州になったりしているはずです。 日本の場合に夜景を見てもらうと、五街道方式で、ツ、ツ、ツ、ツッと線になっている んですね。どうして線になっているかというと、集権化しているという説もありますが、 一つは地形です。急峻な山があるとすると、こちらにこう光の線が流れているのに、こう いうふうに合併しても、2つの光の線がこう分かれちゃっていると何の意味もないので、 むしろこういうふうに縦長につながったほうがいいわけですね。 そうすると、次の広域自治体を考えるときも、光の線を念頭に置いて、それで必ず文化 圏が出来上がってるはずですから、急峻な山があって、向こうとこっち側と全然文化が違 うのに、あえて一緒になっても意味がない。お互いの助け合いの空間であるという、自然 村的な考え方を忘れないことが重要ではないかというふうに思います。 福原 最後にサゼスチョンに富んだコメントをいただきまして、誠にありがとうございま した。ここで今日学んだことは、現代生活における市民と申しますか、住民がいかに活力 に富んだ活動をするかのメカニズムがひとりでにできていく、ということだというふうに 私は考えますが、これは別に制度的に押しつけるわけでもなく、また、先程のお話の中に ありましたように、自然発生的にそのような動きによってもし皆さんの生活や心が豊かに なるのだったら、ひとりでにそのようになってくるであろう。しかし、そうなってきたら、 それを助長するような何ものかがやはり提案されなければならないというふうに考えられ るわけです。今の地方政府のプランにしても、一つの考えでありまして、そういったこと が刺激になって皆さんがそういうことをお考えになって、21 世紀の日本をつくるようにな れば幸いであるというふうに考えております。 予定時間が延びてしまいましたが、皆さんのお話、それぞれを有益なサゼスチョンとし ておうかがいさせていただきました。大変ありがとうございました。地域コミュニティー から広域自治体までをデザインするというきわめて野心的な試みであり、なかなか示唆に 富むフォーラムになったのではないかと思います。本日お集まりの皆様も最後までご清聴 いただきありがとうございました(拍手)。 (閉会)
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