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抗凝固療法と硬膜外麻酔
Epidural Anesthesia in The Patient
Receiving Antithrombotic Therapy
京都大学大学院医学研究科侵襲反応制御医学講座麻酔科学分野 助教
正田 丈裕
Takehiro Shoda
近年,周術期の静脈血栓塞栓症予防に抗凝固薬を投与することは通常診療となって
おり,心血管系や脳血管系の動脈閉塞性疾患のために,術前に抗凝固薬・抗血小板薬が
投与される患者が激増している.術後鎮痛に硬膜外麻酔を施行することは患者にとっ
て大きなベネフィットをもたらすが,一方,抗凝固薬の使用が脊髄硬膜外血腫のリス
クを増大させる.本稿では,硬膜外麻酔と抗凝固療法を併用する場合の最近の考え方
について概説する.
はじめに
とっても大きな利点である.ある種のがんの手術に関し
ASRA(American society of regional anesthesia and
ては,術後鎮痛にオピオイドを用いるよりも,神経ブロッ
pain medicine)は,抗凝固療法と区域麻酔を併用する
クによる鎮痛を施した方が,がんの再発率が低いとの報
際のガイドラインを作成している.1998 年に第 1 回の推
告もある 4).
奨項目が提唱され,2 回の改訂の後,2010 年に最新版ガ
硬膜外麻酔が抗凝固薬と関連するのは,抗凝固薬の併
イドラインが発表された .欧州でも,ドイツ,オースト
用によって硬膜外麻酔の合併症である脊髄(硬膜外)血
リア,ベルギー,スペイン等で同様のガイドラインが発
腫の発症率が上昇するからである.脊髄血腫は非常に重
表されている 2).一方,本邦にはそれにあたるガイドラ
大な合併症であり,発症すると 8 時間以内に椎弓切除,
インは存在しない.本稿では,米国と欧州のガイドライ
血腫除去して除圧しないと神経学的合併症が改善しない
ンをもとに,抗凝固療法と硬膜外麻酔との関連を述べる.
といわれる 5).従来,脊髄血腫は非常にまれな合併症で
1)
硬膜外麻酔のベネフィットと
抗凝固薬に関連するリスク
あり,凝固異常のない患者に硬膜外麻酔を施行した際の
発生率は 150,000 分の 1 である 6, 7).しかし,硬膜外麻酔
にヘパリンによる抗凝固療法を併用すると脊髄血腫の
硬膜外麻酔は,術後鎮痛でオピオイド全身投与による鎮
発生率は約 7 倍となり,穿刺時に出血した場合は,その
痛や IV-PCA(intravenous patient controlled analgesia)
危険率はヘパリンを使用しなくとも 11 倍,ヘパリン療
より鎮痛効果は大きく,鎮痛の質としてもより優れて
法を施行した場合は 110 倍になることが報告されている
いる .体動時にも鎮痛効果が大きいことは早期離床に
3)
(表 1 )6, 7).
VTE 予防のための抗凝固薬と硬膜外麻酔
2. 低分子ヘパリン(エノキサパリン)
エノキサパリンは,術後 1 日 1 回投与(おもに欧州で
これまで周術期静脈血栓塞栓症(venous thrombo-
採用)と,2 回投与(おもに米国で採用)のレジメンが
embolism:VTE)予防で保険適応が本邦で認められてい
ある.1 日 2 回投与は,1 回投与に比べて脊髄血腫のリ
たのは,UFH(未分画ヘパリン:UFH)
,エノキサパリン
スクが増え,また,他の抗凝固薬との併用によってさら
(低分子ヘパリン:LMWH)
,フォンダパリヌクス(活性化
に増大する 8).血管穿刺をした場合は投与を術後 24 時間
血液凝固第 X 因子:FXa 阻害薬),ワルファリンの 4 剤で
以降にする.膝関節置換術を硬膜外麻酔で受けた高齢者
あった.しかし,2011 年 4 月,国内初の経口 FXa 阻害薬
の女性では,1 日 1 回投与でも脊髄血腫の頻度は 3,600 人
であるエドキサバントシル酸塩水和物が整形外科下肢手術
に 1 人と高い 8).本邦でも,術後エノキサパリンの投与
施行患者におけるVTE 発症抑制を適応として承認された.
による脊髄血腫の報告がすでにある 9).治療量を投与さ
経口薬であるワルファリン,エドキサバントシル酸塩水和
れている場合は,穿刺は最終投与から最低 24 時間あける
物以外の薬理学的パラメータと硬膜外麻酔併用時の推奨
よう推奨されている.
される投与方法を,文献 1, 2)に基づいて表 2 に記した.
3. フォンダパリヌクス
1. 未分画ヘパリン
フォンダパリヌクスは選択的な FXa 抑制薬として開発
低用量の UFH(5000U を 1 日 2 回皮下注)による VTE
された新規の薬物である.皮下注後の血漿濃度ピーク値
予防は,硬膜外麻酔の禁忌とはならない.ヘパリンの効
までは 2 時間,半減期は 20 時間前後とされている.硬膜
果は,活性化部分トロンボプラスチン時間(activated
外麻酔と併用した研究はまだ少なく,表 2 にあげた推奨
partial thromboplastin time:APTT)で評価可能であ
項目は薬物動態のパラメータに基づいて作成されたもの
るので,穿刺やカテーテル抜去前に測定する.UFH 投与
である.本邦における添付文書の内容は,おもにドイツ
によるリスク増大の 3 つの要素は,穿刺後 1 時間以内の
で行なわれた治験に基づいている 2).ASRA では,フォ
投与,穿刺時出血,他の抗凝固薬(アスピリン)との同
ンダパリヌクスを VTE 予防に使う場合には,カテーテ
時投与であることが明らかにされている(表 1 ) .また,
ル留置を行なわないことを推奨している 1).
6, 7)
UFH による脊髄血腫の約半数がカテーテル抜去の際に発
生しており,UFH の最終投与から 2 ~ 4 時間以上あけ
てカテーテルを抜去することが推奨されている .4 日
5)
以上 UFH を投与されている場合,ヘパリン起因性血小
板減少症の可能性を考え,穿刺前に血小板数をチェック
すべきである.
術前合併症に基づく抗凝固薬,抗血小板薬の
投与・休薬と硬膜外麻酔
1. ワルファリンとその代替薬としてのヘパリン 1, 10)
ワルファリン投与中の患者が,硬膜外麻酔を受ける場
合は,プロトロンビン時間国際標準比(prothrombin
表 1 硬膜外麻酔における脊髄血腫発生頻度(文献 6,7 より引用・改変)
脊髄血腫発生頻度
硬膜外腔穿刺後にヘパリン療法を行なわない症例
・全症例
1:150,000
・穿刺後出血を伴わない場合
1:220,000
・穿刺後出血を伴う場合
1:20,000
・長期アスピリン療法を併用する場合
1:150,000
・長期アスピリン療法を併用しない場合
1:150,000
硬膜外腔穿刺後にヘパリン療法を行なう症例
・全症例
1:22,000
・穿刺後出血を伴わない場合
1:70,000
・穿刺後出血を伴う場合
1:2,000
・硬膜外腔穿刺後1時間以降にヘパリン投与を開始する場合
1:100,000
・硬膜外腔穿刺後1時間以内にヘパリン投与を開始する場合
1:2,000
・長期アスピリン療法を併用する場合
1:62,000
・長期アスピリン療法を併用しない場合
1:8,500
time-international normalized ratio:PT-INR)をモニター
行なわれている場合は穿刺直前に PT-INR で評価を行な
して抗凝固状態の評価を行なう.長期間ワルファリン投
う.カテーテルの抜去も PT-INR を評価して,1.5 未満を
与を受けている患者は,手術 3 ~ 5 日前に投与を中止す
必要条件とする.この 1.5 というカットオフ値は,第Ⅶ
る.抗凝固療法の継続が必要な場合は,UFH を 10,000~
因子活性が約 40%あることに相当し,40%あれば正常に
15,000U/ 日持続静注に変更し,穿刺施行 4 時間前までに
近い止血能力があることを意味している 11).低用量ワ
中止する.穿刺の直前に PT-INR < 1.5,あるいは,活性
ルファリン療法と硬膜外ブロックの併用をしていた研究
凝固時間(activated clotting time:ACT)< 180 秒であ
で,脊髄血腫を起こさなかった患者群の硬膜外カテーテ
ることを確認する.その他の抗凝固薬,抗血小板薬を併
ル抜去時の平均 INR 値が 1.4 であったこともこのカット
用している場合は,個々に対応するが,硬膜外穿刺はし
オフ値の根拠となっている 12).
ない方が無難かもしれない.
ワルファリンを経口投与して効果が発現するまでに
2. 抗血小板薬 1)
おもに動脈硬化性閉塞疾患(虚血性心疾患,脳梗塞,
24 時間を要する.したがって,VTE 予防のために手術
直前に初めてワルファリンを投与する場合は,初回投
閉塞性動脈硬化症)に適応がある抗血小板薬は様々な薬
与が 24 時間以前の場合,あるいは 2 回目の投与がすでに
理学的機序の薬物が開発されている.表 3 に抗血小板薬
表 2 未分画ヘパリン,低分子ヘパリン,第Ⅹa 因子阻害薬の薬理学的パラメータと硬膜外麻酔との関連
ヘパリンナトリウム静注
ヘパリンカルシウム皮下注
エノキサパリン皮下注
フォンダパリヌクス皮下注
抗Ⅹa / 抗Ⅱa 活性
1
3.8
∞
血漿中濃度ピーク値までの時間
静注で 0 時間 皮下注で 1∼2 時
2∼4 時間
1.3∼2.1 時間
血漿半減期
1 時間(100U/kg)
2∼3 時間
17∼21 時間
薬物投与後の穿刺
4 時間
予防量:12 時間
治療量:24 時間
禁忌
穿刺後の薬物投与
1 時間
血管穿刺:6 時間
6 時間
血管穿刺:24 時間
8 時間
血管穿刺:禁忌
薬剤投与後の
硬膜外カテーテル抜去
4 時間
12 時間
20 時間
硬膜外カテーテル抜去後の
薬剤投与
1 時間
2 時間
2 時間
表 3 抗血小板薬の作用機序および術前休薬期間
一般名
作用機序
アスピリン
COX1 阻害(不可逆)
NSAIDs
COX1 阻害(可逆)
チクロピジン塩酸塩
術前休薬期間
TXA2 合成抑制
7日
不要
10 日
P2Y12 受容体阻害
cAMP上昇
イコサペント酸エチル
アラキドン酸の競合拮抗
TXA2 合成抑制 TXA3 合成促進
7日
ジピリダモール
PDE5 阻害
cGMP上昇
1∼2 日
クロピドグレル
7日
シロスタゾール
PDE3 阻害
ペラプロストナトリウム
PGI2 誘導体
リマプロストアルファデクス
PGE1 誘導体
アルプロスタジルアルファデクス
PGE1 誘導体
不要
サルポグレラート塩酸塩
5-HT2A 受容体阻害
1∼2 日
オザグレルナトリウム
TXA2 合成酵素阻害
トラピジル
TXA2 合成酵素阻害
ジラセブ塩酸塩
アデノシン作用増強
cAMP上昇
3日
24∼48 日
GPⅡb/Ⅲa 受容体阻害
血小板 - フィブリノーゲン
および
結合阻害
血小板 -von Willebrand 因子
*
アブシキシマブ(abciximab)
*
エプチフィバチド(eptifibatide)
*
チロフィバン(tirofiban)
2∼3 日
2∼3 日
cAMP上昇
TXA2 合成抑制
不要
不要
不要
8 時間
8 時間
COX:cyclooxygenase,NSAIDs:non-steroidal anti-inflammatory drugs,TXA:thromboxane,PDE:phosphodiesterase,PG:prostaglandin,
5-HT:5-hydroxytryptamine(serotonin),GPⅡb/Ⅲa:glycoprotein IIb/IIIa,cAMP:cyclic adenosine monophosphate,cGMP:cyclic guanosine monophosphate
*:本邦未承認.
の種類およびその作用機序を列挙した.
非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)は単独使用では,脊
髄血腫を起こす危険性はない 13).アスピリンも単独で使
おわりに
本邦には現在,抗凝固薬の使用と区域麻酔に関連する
用している限り,脊髄血腫の可能性は限りなく低いと考
ガイドラインは存在しない.2004 年に発表された JaSPER
えられている 7).したがって,手術による出血のリスクの
(Japanese society of pulmonary embolism research)
みを考えればよく,通常術前に休薬する必要はない.逆
による肺血栓塞栓症・深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)
に,休薬すると冠動脈症候群や脳梗塞の危険性が高まる.
予防ガイドライン 10)に,当時 VTE に保険適応であった
チエノピリジン誘導体の投与中に硬膜外麻酔を施行し
未分画ヘパリン,ワルファリンとの関連推奨事項が記さ
た研究やエビデンスはないので,おもにその薬物動態お
れたのみである.しかし,選択的 FXa 阻害薬であるフォ
よび薬力学に基づき,その作用が残存していると考えら
ンダパリヌクスおよび LMWH のエノキサパリンによる
れる期間は硬膜外穿刺を避けることが望ましい.具体的
周術期 VTE 予防の保険適応が認められ,さらに合併症
に,硬膜外麻酔を施行して安全な休薬期間は,クロピド
を持った手術患者が増加し,術前に抗凝固薬,抗血小板
グレルで 7 日間,チクロピジンで 10 ~ 14 日間である.
薬を投与されている患者が激増してきた.また,アジア
新規の抗凝固薬 1)
人種は白人と比較するとワルファリンの必要量が少ない
との報告 14)があり,抗凝固薬の効果に人種による違い
新規の抗凝固薬として,経口直接トロンビン阻害薬で
が存在する可能性がある.さらに,ASRA や欧州の麻酔
あるダビガトランエテキシラート,経口 FXa 阻害薬であ
科学会のガイドラインでは記載がないが,本邦では使用
るエドキサバントシル酸塩水和物,リバーロキサバン(非
されている薬物があり(表 2 ),実際,シロスタゾール
弁膜症性心房細動患者の虚血性脳卒中および全身性塞栓
の使用による硬膜外麻酔後の脊髄血腫の症例報告 15)があ
症の発症抑制を適応として 2012 年 1 月承認された),血
る.これらの薬物に関しても使用指針が必要であると考
小板 Glycoprotein IIb/IIIa 受容体拮抗薬(本邦では未承
えられる.以上のことを考えると,早急に本邦独自のガ
認)が開発され,臨床使用されつつある.これら薬物と
イドラインの作成が望まれる.
硬膜外麻酔との併用に関しても今後検討が必要であろう.
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