(第 3 2 回)例会 さ く ら

第 2 5 3 3 回( 第 3 2 回 )例 会
前回 2532 回例会記録
2014 年 3 月 8 日(土)
1. 点 鐘
2. 合 唱 「さくら」
3. ゲ ス ト の 紹 介
4. ビジターの紹介
5. スマイルの発表
6. 出 席 報 告
7. 会 長 報 告
8. 幹 事 報 告
9. 卓 話
川﨑 智晴 会 長
合 唱 委 員 会
川﨑 智晴 会 長
親 睦 活 動 委員会
親 睦 活 動 委員会
出 席 委 員 会
川﨑 智晴 会 長
鳥山 直樹 幹 事
冷戦下のアジア 日本はどう対応するか
東京国際大学名誉教授
(財)昭和経済研究所アラブ調査室室長
渥美 堅持 様
◆次回(2014
◆次回(2010 年 3
8 月 15
21 日)例会予告◆
インターアクト海外研修報告
Rid2590 第6・7・8グループ
IM(インターシティーミーティング)
例会点鐘 12:00 IM登録 13:00
《合唱歌詞》
平成 26 年 3 月 1 日(土)
点 鐘:川﨑 智晴 会 長
合 唱:
「雛祭り」
会 員 数
58(39)名
本日出席率
66.67%
本日出席数
30(25)名
2/15分修正出席率
84.62%
ゲスト:平澤 沙織 様(スピーカー)
濱島成士郎 様(みずほ証券 横浜西口支店 支店長)
西原 孝和 様(第7G ガバナー補佐)
チャン・トゥイ・ティ・フォン 様(米山奨学生)
辻 哲 様(横浜南 RAC)
村橋 真理 様(ピース・フィールド・ジャパン)
ビジター:大須賀 洋 様(横浜 RC)
佐藤 年男 様(横浜南陵 RC)
下山 清隆 様(横浜南陵 RC)
◎今週メークアップへ行った会員
2/23 地区米山奨学生終了式(武居会員)
2/24 ロータリーの友理事会(中山会員)
2/25 次年度地区チーム研修セミナー
(白川・蒲・武内 各会員)
2/27 横浜南陵RC例会(渡辺会員)
さくら
1 さくら さくら
の やま さと
野山も里も
か
ぎ
見わたす限り
くも
かすみか雲か
あさ ひ
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
2 さくら さくら
やよいの空は
見わたすかぎり
かすみか雲か
い
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
≪会長報告≫
川﨑 智晴 会長
1.2 月22日・23日小長井 雅晴会員のご葬儀には多
数のご参列を戴きました。ありがとうございま
した。
2.2 月23日に、2013学年度ロータリー米山奨学生終
了式が開催されました。武居 正則カウンセラー
に出席して戴きました。ご苦労様でした。
本日の
BGM
なごり雪
— 61 —
3.来 る3月20日(木)に横浜南陵ロータリークラブ創
立35周年記念例会が開催されます。クラブより創
立当時会長の弓削 会員及び三役がご招待を受け
ております。役員、理事の方及びご都合の付く方
は是非ご出席をお願いします。
≪幹事報告≫
鳥山 直樹 幹事
1.‌本日例会後、第 9 回理事会を 4 階にて開催します
ので、役員、理事のご出席をお願いいたします。
2.‌3 月 1 日より、ロータリー財団レートは現行の
102 円です。
3.‌皆様に本日、
「抜粋のつづりその七十三」小冊子
を配布しました。毎年恒例で東京 RC の会員さん
で熊平 雅人様より寄贈していただきました。是
非ご一読ください。
4.‌他クラブより例会変更の案内がきております。詳
細は事務局にお問い合わせください。
≪委員会報告≫
・ロータリー財団委員会
粟飯原 勉 委員長
蒲隆夫・小原淳・鈴木康昭、各会員よりご寄付頂き
ました。
累計 17,150 ドル
・米山記念奨学委員会
小原 淳 委員長
川﨑智晴・小原淳・鈴木康昭・槇俊徳、各会員より
ご寄付頂きました。
累計 1,170,000 円
蒲隆夫・白川正孝・鳥山直樹・槇俊徳・鈴木康昭、
各会員より奨学生基金にご協力頂きました。
≪卓話≫
「新人証券ウーマンの奮闘記」
みずほ証券 横浜西口支店 平澤 沙織 様
みなさんこんにちは。みずほ証
券の平澤沙織と申し ます。よろし
くお願い致します。
私は昨年の 4 月に入社したばかり
で 1 年目の新人です。実家はあの牛
タンで有名な宮城県の仙台になりま
す。東京には「ねぎし」など有名な
牛タン屋さんがたくさんありますが・・仙台と東京の牛
タンの違いには気づかれた事はありますでしょうか?仙
台の牛タンの方がとっっっても厚くておいしいです。私
はそう感じました。ぜひいってみてください。
そして宮城といえば、東日本大震災で大きな被害をう
けました。実は不運なことに、地震発生の三日前に中心
部である仙台から名取という海の近くの戸建ての新居へ
引越しをしたばかりでした。しかしその当時、私は東京
の大学にかよっていたため、宮城の新居に残っているの
は両親だけでした。
父は地震発生の瞬間は、二階で書類を作成していたそ
うです。すると突然大きな揺れが襲い、パソコンも揺れ、
本棚からはすべての本が落ちてきました。天井からぶら
下がった照明は振り子のようにゆらゆらと大きく揺れ、
地デジに変えたばかりのテレビも倒れました。それにし
ても数分間大きな揺れが続いたのでさすがの新築の家も
壊れてしまい、正直もうだめだと、せっかく老後を大好
きな海の近くで過ごそうと新築に引っ越したのに、楽し
めたのは三日間だけで、そして今ここで死ぬことになる
なんて、
、
、と思ったそうです。
父は今まで市街地の仙台に住んでいたため、山も海も
近くにはない環境でした。だから海のそばに住んでいな
い人間には、津波がくるなんて想像がつかなかったので
しょう。しかし外から近隣住民の大きな叫び声と急発進
する数台の車の音が聞こえてきたことで父は気づきまし
た。津波だ。津波がくると。二階の窓から北方向の田ん
ぼをみると、黒々とした大きな濁流がすすんでいる。見
た瞬間、あの流れは絶対我が家にくると確信したようで、
着のみ着のままで、車に乗って、逃げたのです。逃げる
といっても、見渡す限り平野のみで、高いところといえ
ば隣の駅にあるビルの屋上駐車場でした。逃げながら、
たくさんのすれ違う人に「大水がくるぞ!!」と叫びま
した。父はパニックで「津波」という単語が出てこなかっ
たのです。さすがに津波なんてこないだろう。このおっ
さんは何をいってるんだ。という顔をして父を見ていた
ようです。
「地震がきたら、海から逆方向にできるだけ
遠くににげるのがベストです。しかし皆車で順序正しく
逃げようとしたのです。しかし津波は待ってくれません。
そんなことをしているうちに地震のため、高速道路が閉
鎖されました。それでもバリケードを破っても無理やり
高速道路に進入した車は助かりましたが、閉鎖で諦めた
車は・・・流されました。黒々とした大きな濁流に飲み
込まれたのです。車内にいた人々はどのような心境だっ
たのでしょうか。目の前を濁流が襲ってくる。車を降り
て逃げようとしても間に合わない。もう諦めしかなかっ
たのかもしれません。この経験から災害には、なんとし
ても生き抜くという気持ちが必要だと父は思ったようで
す。気持ちがあっても願いが叶わなかった人もいるだろ
うが、とにかく諦めない事。それが大事だと父は言って
いました。それにしても世間はこのような災害に疎いと
思いました。平和ボケというのでしょうか。過去に災害
があったとしても、時間がたてばもう無いだろうと思っ
てしまいます。まさか津波が来るなんて。まさかこんな
に大きな地震がくるなんて。そのまさかが一番怖いので
す。100年後、また同じような事が起きないように今、
この恐怖を体験した私達が原子力発電所などの施設、堤
防に対して改善をし、次の世代に繋げていきたいと思い
ました。
そんな宮城で生まれた私は、東京で楽しい学生生活を
送っていたのですが、色んなことに取り組む事が好きな
— 2 —
性格のため、学生時代は色々なことに取り組むことで暇
な時間をつくらないようにしていました。
部活には4つに所属していました。ひとつは軽音部で
す。バンドを組み、三日月で有名な絢香をしっとり歌っ
たり、ブルーハーツのトレイントレインを飛び跳ねなが
ら歌いました。時にはピアノも弾いたりしました。二つ
目はバドミントン部。ひたすら試合に出ましたし、筋ト
レにも励みました。女性相手じゃ物足りなく、男性相手
に試合もよくしていました。三つめは生徒会のような
サークルに入り、文化祭や入学式、卒業式を企画しまし
た。このサークルでより大学と関わる事ができたため、
友人を増やす事ができました。
様々な活動の中で一番力をいれたものは、4 つ目であ
るダンス部です。そこでは部長として40名ほどの部員
をまとめていました。部員はすべて女の子。そしてダン
スと言えば目立ってなんぼのスポーツの世界です。そ
りゃすんなりとうまくいく訳がございませんでした。
本番が近くなるにつれ起きたトラブルに、まずは恒例
のセンター争いでした。始めは、ダンス経験者である私
と副部長の二人でセンターを決めていました。それに対
し納得している子が多いなか、「自分が一番うまい。な
ぜあの子のほうがセンターになるんだ」とこぼす子がで
てきたのです。さらにはその決まったセンターの子を蹴
落とそうと、あることない事を私たちに吹き込んできた
りし始めたのです。女は怖い。面倒くさい。そう思った
瞬間でした。自分も女ではありますが。それの対処策と
して私が挙げたのは「みんなでセンターになろう作戦」
でした。文字通りみーんなセンターにするのです。ロー
テーションをし、みんなが目立つ機会を作りました。最
初は、センター争いをしているほうが皆練習にやる気が
出るかなとも思いました。しかし部員全員が、センター
に対して執着心を持っているわけではなかったため、そ
の作戦を実行しました。必ずセンターになるということ
は、上手い子に隠れる事が出来ないということから練習
をものすごくするようになりました。結果的にはいい選
択でしたが、全員平等が必ずしもいいわけではないと思
います。競争させたほうが勝ち負けがはっきりしていて
わかりやすいし、闘争心をかき立てられるでしょう。で
も私がもっていたダンス部は争いごとが好きではなく、
どちらかというと穏便に済ませたいタイプが多かったよ
うに思います。その中で目立ちたい子は少数派であった
ため、その子たちが浮いてしまっていました。その対処
もしたかったのです。その対処をすることが出来た理由
として、部員とのコミュニケーションをはかったことが
ありました。部員とは一人一人とさりげないことでも毎
日話そうと決めていたため、相談事や部内の問題などを
すぐ教えてもらう事が出来たのです。そして、私を信じ
て部員が色々話してくれたおかげだと感じました。
部長を経験したことで、人間関係をつくっていくこと
の重要さや、個々の特性を見つけ出す難しさ、それをふ
まえた上でたくさんの人をまとめるということの大変さ
を学びました。
実はこの経験が私が今のみずほ証券に勤務するきっか
けになりました。就職活動を始めたのは大学 3 年生の1
月でした。これは人よりも遅めです。いまは証券という
仕事に就いていますが、正直最初は金融なんて想像もし
ていませんでした。むしろ母が元銀行員だったため、親
とは違う職業につきたいという願望すらありました。そ
こで最初に見たのはホテル業。きっかけは大学受験で宮
城から出てきた時にホテルを利用したことでした。自分
にとっては一世一代の大事な受験の前夜。とても緊張し
てホテルで過ごしていました。すると、ホテルスタッフ
が気遣ってくださり、部屋のアップグレードをしてくれ、
ビジネスデスクがある部屋にしてくれたのです。おかげ
で心地よく勉強ができました。さらには出発の朝、キッ
トカットをくれ、最高の笑顔で「がんばってください
ね!」といってくれました。ホテルスタッフにとって私
は毎日何百人もくるお客様のうちの一人でしかありませ
ん。しかし私は5年たった今でもここまで強く覚えてい
ます。そんな心に残るサービスをお客様に提供できるひ
とになりたいと思うようになりました。
でも結果はうまくいかず、恥ずかしながらエントリー
シートという履歴書さえもパスしませんでした。今思え
ばあれはただのホテル業に対する憧れでしかなかったの
です。
さらに私は英語が苦手で、外国人の方へサービスが出
来なくては使い物になりません。そのようなプロ意識が
なかったからだろうなと思いました。
自分には何が合っているのだろう。どうしようと悩み、
母にも相談しました。そこで改めて金融業について聞い
てみたのです。すると、金融業に就いて一番良かったこ
とは「人様のお金を扱う仕事であることから、世間の信
頼を得ることが出来たこと」といわれたのです。母はい
ま63歳でパート勤めなのですが、宮城県にある一番有
名な百貨店でパートをしており、面接で前職は銀行員で
したと伝えると、すぐに内定をもらえたと自慢しており
ました。そこで私は世間からの信頼が厚い職業なんだと
感じました。仕事面について母は、お客様との人間関係
を構築することで、一人一人のニーズに合ったサービス
を提案できるし、人生設計を助けることができる。お客
様に感謝されたときの達成感はとても大きい。と教えて
くれました。
その、
「人の信頼を得る」ということ、
「一人一人のニー
ズに合った提案もの」が私にとって今まで大事にしてき
たこともあるし、部長を経験する上で学んだ事でした。
それを発揮するには「金融業」だと感じ、改めて見るこ
とにしたのです。しかし金融といっても銀行、証券、保
険とありますが、そのなかでも何故証券なの?という疑
問になりますよね。銀行はたくさんの人達の身近にある
職業です。普通預金などはお客様からお金を預けにきて
くださるし、資産を預かるのがメインというイメージで
した。比べて証券は株などで儲けるというイメージから
証券嫌いの方もいるので、なかなか自分から預けてくだ
さる方が少ないです。しかし私達の仕事はそんなお客様
の不安を払拭し、お金を預けてもらいます。これは資産
を増やし、さらに豊かな生活を送っていただくという仕
事です。お客様との信頼関係が第一であり、自分がお客
様にとってどのような存在であるのかが丸わかりになる
ため、
やりがいがある仕事だと感じました。そこで出会っ
たのがみずほ証券でした。証券にも、野村さん、大和さん、
— 3 —
SMBC さんとたくさんありましたが、なぜみずほ証券か。
それは面接方法の違いがありました。今の企業の面接
フローは、エントリーシートを通過した後はグループ
ワークが2、3回続き、そのあと集団面接。最後に個人
面接という企業がほとんどでした。しかしみずほ証券は
最初から最後まで個人面接で、自分のことを見てくれて
いるのがわかったため、一番飾る事なく話せましたし、
とても楽しい面接でした。面接官が見送りしてくださっ
た帰りのエレベーターでは話が弾んだため、乗るのをや
めて、20分くらい立ち話したこともありました。それ
も女性の面接官だったのですが、私はこれまで女性の面
接官になると落ちるというジンクスを持っていたため、
話が弾んだことがとても嬉しく、思い出に強く残ってい
ます。最終面接では「平澤さん、おめでとう。これから
もよろしくね」と言われた瞬間、嬉しすぎて泣き崩れた
のもよく覚えています。そして面接が行われたビルを出
た瞬間、宮城にいる父に早速電話で報告し、二人で泣い
て喜びを分かちあいました。人目を気にせずそのドロド
ロの顔のまま駅に向かい、通りすがるおばさんがギョッ
とした顔をしていたのも覚えています。そしてその日父
は、親戚を集め赤飯を炊いて、私の内定祝いをしたそう
です。
就職活動は私にとっていい経験になりました。すごく
優しい面接官もいれば、圧迫してくる面接官もいました。
一番怖かった面接官は女性の某金融機関の方で腕組みを
してののしってきた方でした。しかし企業によっては、
学生の耐久性を見るためにわざと圧迫するところもある
ようです。その経験があったからこそ、今ではどんな怖
いお客様の対応をしていてもそこまでビクつかないのか
もしれません。今や某金融機関の女性に感謝です。
さて、ここまでこの仕事に就くまでの道のりを話し
てきましたが、一体どんな仕事をしているのかをお話
します。
私達1年目に与えられたミッションは2つあります。
1つめは新しいお客様をどれだけ自分でつくるか。2つ
めはお客様の資金を預かってくる。ことです。
この2つのミッションを達成させるためにはたくさん
の方と仲良くなる必要があります。その方法として、個
人宅や企業を飛び込み訪問します。朝の9時から夕方
16時まで、インターホンを押しまくり、自己紹介シー
トという自分のプロフィールが書かれた紙や名刺、パン
フレットを配り歩きます。1日100件アプローチが目
標です。そのおかげでインターホンには様々な種類の音
がある事を知りました。皆様ご存知のファミリーマート
の音楽がインターホンの音であるという珍しいお宅があ
りました。もう一瞬でその方の印象はファミマです。
もうひとつの方法としてテレコールがあります。内容
としては電話帳にある番号にどんどんかけまくるという
ものです。いまの時代はもう無くなりましたが、課長達
の時代には、電話を置く事ができないように、受話器と
腕をぐるぐる巻きにされ、全然件数をあたっていない時
には四季報を投げつけられ怒られたという話を聞きまし
た。最初は冗談だと思っていたのですが、本当らしく、
証券に入ったのが今の時代でよかったと心から思いま
した。
1日の目標が100件アプローチということは1日
100人と出会うわけです。お客様の反応はというと人
それぞれ色々な反応がありました。しかし、基本は冷た
い反応です。
「何回もしつけーんだよ」とインターホン
越しに怒鳴られたり、
「もう電話してこないで。
」とわざ
わざ会社に苦情を言ってくるかた。ご主人様は商品を買
うと言ってくださったが、奥様に内緒だったようで、案
内中に鉢合わせをしてしまい、目の前で夫婦ケンカに
なってしまったこともありました。私は奥様から怒鳴り
散らされ、せっかく渡した名刺も投げられました。その
ときは「煮るなり焼くなりしてください」といい、もう
一度名刺を置いてきた覚えがあります。
しかし、中には色々な面白い方もおります。インター
ホンを鳴らし、奥様が出たかと思いきや「今だれもおり
ません」と奥様いらっしゃるのに言われたり、インター
ホン越しに「あなたのオーラ紫ですね」となぜか占われ
てブチっと切れたり。商品説明をしており、利率が低い
商品に対して「ああ〜ん。その利率可愛うぃ〜」という
奥様など、たくさんの方に出会いました。
面白いかたもいれば、すごく優しくしてくださる方も
おりました。暑い中、寒い中訪問を頑張っているからと
お家にあげてくださり、温かいコーヒーや紅茶さらにデ
ザートまで出してくれました。仕事面でも、
「沙織ちゃ
んの成績になるなら」と私に新たなお客様をたくさん紹
介してくださいました。その方は私の恋愛相談にも乗っ
てくださり、本当に感動したのを覚えています。私もこ
の方の力になりたいと強く思いました。
あとは株が大好きで、マーケットを見る事が大変好き
な方がいます。その方の見る銘柄は珍しいものだけれど
も結構な確率であたるものが多く、そういった情報を教
えてくださるかたもいます。
そんないろいろなお客様とお話する事が出来るこの仕
事に対して、とても楽しいと思えるようになりました。
しかし楽しいことだけではなく、つらいこと、驚いた事
もあります。朝はとても早く、7時出社。私はこれでも
一応女の子なのでメイクやなんやかんや時間がかかるた
め5時半起床です。つらい。1ヶ月のノルマが出来なけ
れば怒られる。上司が部下に怒ること、それを『つめる』
というそうです。会社に入り初めてその言葉を知りまし
た。つらい。そして先輩には舌打ちしてくるちょっと怖
い人もいる。つらい。地元の友達で会社の話になり、愚
痴話になっても、話が合いません。友達は日曜日の夜の
憂鬱さはわからないそうです(笑)つらい。こんなつら
さを経験してから11ヶ月。同期のなかで辞めていく人
も出ており、2 ヶ月に 1 回くらいで行われる研修を重ね
るたびに人数が少なくなっているのに気づき、寂しさを
感じていました。2ヶ月間休職した同期だっています。
そんななか、毎朝続けてることがあります。朝通勤する
ときに仲いい同期と「おはよう。今日も頑張ろう」と必
ずメールを送り合うことです。これで、あの子も頑張っ
ている。私も頑張ろうと思える事ができます。同期の存
在 は 本 当 に 大 切 だ と 感 じ ま し た。 さ ら に 私 は ク ラ ブ
ミュージックが好きなので、電車で聞きながら日経新聞
を読み、テンションをアゲアゲにしていざ出陣!という
感じの毎朝です。
— 34 —
そしてこの仕事をする上で一番驚いたのは、お金に対
しての価値観でした。
みなさんにとって 100 万円とはどのくらいの価値で
しょうか?何回も何回もずっとアプローチしてやっと
やっとお客様になっていただき、100 万円分の債券を買っ
てくださった方がいました。私は喜びながら課長に報告
しました。課長も喜んでくれましたが、「おめでとう。
でもこれで満足はしてはいけないよ」との言葉をもらい
ました。なぜ満足してはいけないか。いま、私のノルマ
は月 1000 万です。このノルマを達成させるにはあと 900
万円分努力しなければいけないからなのです。しかし証
券会社では 100 万から 500 万は当たり前。1000 万や1億
で先輩たちは毎日取引をしています。私はその先輩たち
の「当たり前」に驚くばかりでした。ここには、会社を
経営なさる方など立派な方ばかりいらしているので、も
しかしたら 100 万円なんて微々たる金額に感じる方もい
らっしゃるかと思います。しかし卒業したての私達には
100 万なんて金額はとてもとても価値が高いのです。私
達の月給は 20 万もいきません。100 万もらうためには
5ヶ月以上働かなければ貰えないのです。そんな大金で
すが、証券会社ではあたりまえのように動かしています。
株の注文は電話で受け、パソコンにその場で入力して完
了という流れなのですが、このキーボードひとつで何
百万のお金が動くかと思うと怖くなり、つい最近まで手
が震えながら受注していました。それに、値段が秒単位
で動いているので、自分の受注がモタモタしていればお
客様が買いたい値段で買えないかもしれない。と緊張し、
仕事をしながら胃が痛くなるほどでした。私はずっとこ
んな緊張しながらしか仕事ができないのか、このお金の
価値観でやっていけるのだろうか。こんな大変な仕事
合ってないかもしれないと不安になったこともありま
した。
でも、ふと思ったのです。お客様にも私と同じ価値観
の方がいらっしゃるかもしれないと。お客様の100万
や1000万や1億。そのお金はたった数日で稼いだお
金かもしれないし、もしかしたら何十年も汗水流して働
いて、頑張ってやっと貯めたお金かもしれない。それぞ
れ違う思いが入ったお金です。そんなお金を、私みたい
な最近出会った人に預けてくれるということがどれだけ
凄いという事か。一つ一つ思いがこもった大切なお金を
預かるのだから緊張感をもって仕事をするのは当たり前
じゃないかと。そして経験を積み、緊張感だけでなく、
自信を持ってお客様のお金を増やす提案ができるように
しなければならないと思いました。いま、私は個人・法
人への営業をしています。この仕事を続けていくことで
将来経験したいことは 3 つあります。まず 1 つめに富裕
層の中のさらに富裕層の方とお仕事をし、たくさんの金
融商品やケースを知ること。2 つ目にそのような知識を
得た上で、企業の IPO や債権などの商品を発行して企
業運営に携わりたいと考えています。3 つめにこの会社
で働くきっかけを与え、色々な悩みを解決してくださっ
た人事で、私も同じように他の社員に希望を与えるうよ
うな仕事がしたいと思いました。この 3 つの目標を掲げ、
いまはただがむしゃらにがんばろうと思います。
この数ヶ月営業活動をしていて学んだ事。それはお客
様があってこその私であるということでした。そしてこ
の仕事は商品を売ることではなく、自分を売るというこ
とでした。正直なところ、証券会社はたくさんあります
が、取り扱っている商品はどこも同じようなものです。
問題はその商品をどう提案するか。お客様のニーズに合
う提案をするためには、お客様から資産の事や生活に関
する悩みを聞き出さなければいけません。しかし、信用
できない奴に大事な大事な資産や生活の話なんかしたく
はないでしょう。そうなるために必要なのはいかに信頼
されるかということでした。信頼される事はそんな簡単
なことではありません。これからもリレーションを構築
するために日々努力を重ねようと思います。
最後になりますがお願いがあります。先ほどお話しま
したが、私のミッションは新しいお客様を作ることと、
資金を預けていただく事です。もし、今日こんな者に興
味を持っていただけましたら、一度おつきあいいただけ
ませんでしょうか。そして、皆様の今までの人生の経験
を私に学ばせてください。ぜひお願いします。
本日はこのような貴重な場にお呼びいただき、本当に
感謝しています。
ご清聴ありがとうございました。
【講師略歴】
平澤 沙織(ひらさわ さおり)様
●出身地
宮城県仙台市
●家族
父、母
スポーツジムでトレーニング、ダンス
●趣味
●学歴
平成17年 私立尚 絅学院女子高等学校 入学
平成20年 私立尚 絅学院女子高等学校 卒業
平成23年 國學院大學 文学部 日本文学科 入学
平成25年 國學院大學 文学部 日本文学科 卒業
●職歴
平成25年 みずほ証券入社 横浜西口支店配属
しょう け い
しょう け い
≪スマイルレポート≫
濱島成士郎様(横浜西RC):本日は私達のつたないお話
をおききいただくことになりありがとうございます。精一
杯やりますので、どうぞよろしくお願いします。
大須賀洋様(横浜RC):本日はお世話になります。
西原孝和様(横浜南陵RC・第7Gガバナー補佐):私がよ
く存じ上げて居りました小長井雅晴会員が逝去され、誠
に残念です。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
佐藤年男様(横浜南陵RC):本日はお世話になります。
下山清隆様(横浜南陵RC):かなしいことが続きました
が、川﨑年度もあと4ヶ月、皆様協力してのりこえて下
さい。
横浜南ロータアクト様:日頃より大変お世話になっておりま
— 25 —
す。3月23日にWithを開催しますので、皆様、是非お越し
ください。
川﨑会長・水谷副会長・鳥山幹事:横浜西ロータリークラ
白井成男会員:大須賀パストガバナーようこそ。
ブ、みずほ証券 横浜西口支店、支店長 濱島成士郎様、
間野健司会員:みずほ証券 横浜西口支店 平澤沙織様、
スピーカーの平澤沙織様、本日の卓話、宜しくお願い致
濱島支店長、本日は卓話楽しみにして居ります。宜しく
します。
お願い致します。
川﨑智晴会員:①みずほ証券の平澤様、支店長の濱島
尾髙厚三会員:本日の卓話、平澤様、濱島様、よろしくお願
様、卓話よろしくお願い致します。②ピース・フィールド・
いします。
ジャパンの村橋さんようこそ。③武内さん、蒲さん、先週
青木理会員:すみません。やっと例会出席できました。
はごちそうさま。
泉地晃宏会員:もうすぐひな祭りですね。子どもさんたち
鳥山直樹会員:①湯島の「くろぎ」に行ってきました。5ヶ
月待ちの結果の訪問です。小さな割烹ですが、ひとつひ
のすこやかな成長を願って。
松宮宏行会員:今日はだいぶ暖かい陽気になりました。も
とつの料理が丁寧に作られていて、まだ若い料理人の人
う雪は降りませぬよう。
柄が表れていました。②マンジャーレ ウォーター エッヂ
本日のスマイル 26件 に久しぶりに行ってきました。6種類の苺の食べ比べ
等、課題に豊んだメニューで良かったです。③ローズホ
(今月の担当 渡辺 義隆)
テルに行ってきました。お世話になっているので、たまに
はとコースをいただきました。ペキンダックにフォアグラを
◎スマイルリクエスト
入れるという斬新な発想が面白かったです。
水谷透会員:小原さん、先週は副会長の代役ありがとうご
チャン・トゥイ・ティ・フォン様(米山奨学生)
ざいました。申し訳ありませんが、来週も宜しくお願い致
オーバー・ザ・レインボー
します。
彼氏の好きな曲
中山義之会員:大須賀パストガバナーを歓迎して。
蒲隆夫会員:①大須賀洋米山記念奨学委員会常務理事
様、米山奨学事業について、勉強させていただいていま
す。②みずほ証券 横浜西口支店 平澤沙織様、支店長
濱島成士郎様、タイムリーな卓話、大変楽しみです。
平成 26 年3月1日
第 9 回 理事会議事録
議案及び決議事項
1.2014−15年度会長エレクトセミナー(PETS)登
録の件 武居会長エレクトを登録、登録料はクラブ
負担とする(決定)。
2.2014−15年度地区協議会開催及び登録の件 次年度
各委員長及び3年以内の新会員が出席義務者で、出
欠を確認のうえ登録、登録料はクラブ負担とする
(決定)。
3.2014−15年度クラブ支援米山奨学生カウンセラーの
件 武居会員に留任を依頼(決定)。
4.臼杵中央ロータリークラブ来訪対応の件 通常例会
とする(会場設定<クラブ旗、食事、部屋は会場委
員会、バナー等は、残数を確認し対応、飲み物<ビ
ールの試飲を予定>に関してはプログラム委員会と
紹介者で連絡を取り会場委員会に連絡) (決定)
5.事務局短期雇用契約の件 今年度どおり契約更新と
する(契約書に南陵ロータリーと按分することを明
記する)
(決定)。
6.クラブ奉仕委員会提出 春季情報集会は4月第2週~
第3週とし平日3グループ(リーダー伊藤(雄)会
員、宮田会員、種市会員)+例会前とする(承認)。
7.プログラム委員会提出 4月例会プログラムを承認
(4/12みずほ証券横浜西口支店長 濱島成士郎様 4/19キリンビール 中牟田孝一様詳細はプログラム
委員会一任)
(承認)。
8.社会奉仕委員会提出 第24回南区桜まつり協賛に社
会奉仕委員会より2万円の拠出、ぼんぼりの協賛を
各会員に働きかける(承認)。
9.新世代奉仕委員会提出 浅間会員ご逝去に伴い委員
長代理として鈴木康昭会員を選任(承認)、理事会
への参加を全員一致で承認(決定)。
10.親 睦 活 動 委 員 会 提 出 3 / 2 9 例 会 は 創 立 記 念
(1962.3.30)例会であり、今年度最終夜間例会である
ため記念となる会員卓話をお願いし、会食の際は出
し物を予定(承認)。
11.社会奉仕委員会提出 5/11ロータアクト主催「タバ
コの吸殻拾い」協賛・参加(承認)。
12.合唱委員会提出 キーボード故障による買い替え、
費用は予備費より充当(承認)。
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