神の訪れの時

神の訪れの時
ルカによる福音 77
神の訪れの時
19:41-48
ここはイエスがお泣きになる場面です。それもヨハネ伝のラザロの墓場で
のように「涙を流された」Jesus wept というのではなく、ここの
というのは英語の cried と同じで、「声を出して泣かれた」という意味です。
号泣ということはないにしても、激しくむせび泣かれたという感じでしょう
か。
何故それほど胸がいっぱいになられたかは、お言葉から想像するしかあり
ませんけれども、恐らく主の目には 40 年後の悲惨な滅亡の日の光景が、目の
前のエルサレムと二重映しになって見えていたのでしょう。ユダヤ人のロー
マへの反抗と決定的壊滅の日です。
イタリアのローマへ行きますと、その A.D.70 年の戦勝記念碑のようなも
のが残っています。ティトスの凱旋門と言いまして、パリのエトワールの凱
旋門を小さくしたような大理石の建造物です。はっきり言ってエルサレム征
服記念碑ですね。もちろんイタリア人から見れば、4 年もかけてユダヤ人の
反乱を鎮圧したのですから、まさに輝かしい勝利ですが、エルサレムのユダ
ヤ人にとっては悲惨な飢え死にと大殺戮でした。死者の数からだけ言うなら
たぶん広島より沢山の人間が死んでいます。
敗れたユダヤ人の側には、もちろん記念碑は残っていませんけれど、歴史
の記録が残っていますね。書いた人はユダヤ人でヨセフスという人です。こ
の人は開戦時にはユダヤ軍のガリラヤ防衛総司令官だった人ですが、最後は
捕虜になってエルサレムへの降伏勧告に協力しています。結局、それでもユ
ダヤ人は降伏しなかったのです。「ユダヤ戦記」と言われるギリシャ語の作
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品ですが、歴史の文献として今も価値を持っています。
そのヨセフスのユダヤ戦記によると、エルサレムの包囲は最後の三カ月が
まさに地獄絵図だったそうです。城壁を何か所かで崩してローマ軍が市内に
なだれ込んだ時には、多くの家では家族全員が既に飢え死にしているのを見
て、ローマ兵自身も恐れをなした位だと言います。そこのすぐ後を原作から
読んでみます。
「彼らは生存者については、同じような感情を持たなかった。出会った者
は一人残らず追い詰め、狭い通路を死体でふさぎ、全市に血の洪水を起こし
たので(ここから後、昔の歴史書ですから文学的誇張と思って読まねばなり
ませんけれど)多くの火災が血の流れで消えるほどであった」これはヨセフ
スさんの文学的修辞でしょう。
ルカの記録したこの時のお言葉の中にも「おまえとその内にいる子らとを
地に打ち倒し」という所があります。40 年後のその光景を、今そこに住む人
たちとダブらせて見ておられたのでしょう。
1.エルサレムの悲劇 :41-44a.
41.いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われ
た、 42.「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら
………しかし、それは今おまえの目に隠されている。 43.いつかは、敵が周
囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、 44.おまえとそ
の内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置
かない日が来るであろう。
最後の文章は石で積んだ建物は、家屋であれ、神殿であれ、とにかく二つ
の石が縦に重なって残らない位、崩して平らにしてしまわれる……という意
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味です。
「塁を築き」という所、漢字から想像すると土塁を積むことでしょうが、
原文の
というのは材木で組んだ柵ですね。ユダヤ人のゲリラは夜、抜
け穴から打って出て、これに火をかけたとヨセフスは書いております。最後
はローマ軍は本当に城壁と向き合う巨大な土塁を延々と築き、材木でこれを
補強して、外部からどんな方法でも食料を運び込めないよう、完全に兵糧攻
めにしたそうです。ですから最終的にローマ軍に殺された者たちは、既に幽
霊のように痩せこけて、戦う体力ももう無かったのです。
もちろん、時を見透す目というのは哲学者でも評論家でも持つわけですが、
ここに神のお心と人間の罪を見抜いている人がいれば、更に鋭く事柄の本質
まで極めて語ることができる筈です。罪と罪が招く不可避的な破滅を予告す
るということでは、イザヤとかエレミヤとか、旧約の預言者たちもそれをし
ました。ナザレのイエスの場合はそれ以上です。
何とかしてそれを回避させたいが、時の勢いはもうそこへ向かって動き出
して止まりません。42 節に「もしエルサレムが、きょう平和のための方策を
知っていたら」という所は、多分、神様との和解の道をということでしょう。
もっと謙虚になって、神の意志に服する心を持っていてくれれば……とイエ
スは願うのですが、ファリサイ人や指導者たちは、自らの頑なさで盲目にな
っています。42 節末「それは今おまえの目に隠されている」という所、まる
で既に裁かれて見えなくなっているのと同じです。
それにしても、この前読んだ所で「もしこの者たちが黙れば石が叫ぶ」と
おっしゃった位の喜びに満ちたシーンからこの暗い絵にパッと移る所、まこ
とに印象に残ります。多分ルカがわざとこの二つの部分を並べて見せている
のだと思いますが、それがイエスのお心をも非常にシャープに浮き立たせて
おります。「主の名によって来る者に祝福あれ」と叫んでいる人たち自身、
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イエスのことを本当は分かっていないし、イエスご自身そのことを先刻見抜
いて、既に破滅の日に目を移しておられます。
2.エルサレムの真の悲劇
:44b.
それは一言でいうと、ナザレのイエスという人の中に神の訪れを見抜けな
かったことです。それがこの 44 節後半の意味ですね。
それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである
むしろ、「遂に知るに至らなかった」知ろうと思えばその機会はあったの
に、惜しいかな……悲しいかな、心を閉ざして知ることがなかった。
神の訪れ God’s visitation と訳してある語ですが、h` evpiskoph, は、旧約聖
書の中では神の審判の意味に使われることもありますが、反対に神が民を顧
みて、憐れみをかけて下さる意味にも使われます。ここでは意味は後者で、
折角お心にかけて、救いの手を伸ばしてくださった―そういう愛と救いの
訪れを言うもので、イエスご自身の存在が外ならぬ神の救いの業であること
に目が開けなかったのです。
さて私どもは 1 章からここまで読んだ限りで、イエス様と宗教家たちとの
食い違いを色々な角度から見てきました。「この人は罪人たちを迎えて一緒
に食事している」という非難もありましたね。取税人、罪人、娼婦……その
他一人前の人間とはみなされなかった人たちが、一旦自分の中にある何かに
目覚めると、イエスに強く引き寄せられました。そういう道徳的落ちこぼれ
でないという自尊心を持った人に、かえって「神の国の晩餐をあなたは断る
だろう」とイエスは断言なさいました。相手は「イエスは伝統を冒涜する、
律法を破る、安息日を守らない。宗教家の風上にも置けない奴……」と心の
扉を固く閉めていったのです。ところが、実はこれが神の訪れでした。この
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人の中に神を見るか? この人の語りかけの中に神のお心が読めるか……。
「あなたは遂に神の訪れを知ろうとしなかった」というこのお言葉は、ナ
ザレのイエスがあの時点であそこに来られたということ自体が、史上一回き
りの最大の救いのチャンスであったと同時に、最大の裁きでもあったことを
考えさせます。
3.エルサレムの悲劇の根(エルサレムの宗教をを告発なさる) :45-46.
45.それから宮にはいり、商売人たちを追い出しはじめて、 46.彼らに言わ
れた、「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたは
それを盗賊の巣にしてしまった」
カギカッコでくくってある文はイザヤ書からの引用です。ルカは極度にコ
ンデンスして書いていますので、これだけでは事情が分かりにくい所もあり
ます。他の福音書から補ってみると、この時のイエスの行動は非常に激しい
もので、気違い沙汰と見た人も多かったと思います。マルコはこう書いてい
ます。
11:15.それから……イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を
追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、
当時の事情を書いた文献によると、宮の庭で売り買いした商人は、決して
トウモロコシやたこ焼きを売っていたのではなく、犠牲に捧げる羊や山羊や
牛を売る公認の業者たちだったようです。貧しい人たちのためには犠牲の鳩
を売りました。元々こういうものは、宮の外のオリブ山に昔からの犠牲獣市
場があったものですが、大祭司カヤパの時に境内の異邦人の庭に業者を入れ
たらしいのです。今日流に申しますと、利権と神殿当局の癒着です。
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両替人というのは、外地からの巡礼などがデナリやドラクマ貨幣をユダヤ
貨幣のシェケルに交換するための店です。イスラエルの切手なんかは、この
lqv
という字が書いてあります。先年までイスラエルの貨幣はリラ、リロー
トでしたが、
最近旧約聖書のシェケルに変わりました。出エジプト記 30 章(13
-16)によると、ユダヤ教徒の成人男子は人頭税の形で毎年神殿に一人につ
き半シェケルを納めたそうです。こういう通貨は、もう国内にいる人にも行
き渡らなくなって、実際には大多数の人が両替人の世話になりました。まあ
これを境内に引き入れて、神殿会計の増収をはかる所が、この時代のユダヤ
教の霊的内容を暗示します。イエスはその両替屋が聖所のシェケル貨幣を並
べたテーブルを次々にひっくり返しては、石の庭に貨幣を散乱させました。
まあ、これで即時逮捕されなかったのが不思議なくらいです。
『わが家は祈の家』とイザヤ書にあるのに、これでは「盗賊の巣」だ!
さて、この 3 行に書いてある出来事は、ふつうイエスの「宮清め」と言わ
れます。しかし本当はイエスが宮を清めたとか粛正されたというよりも、既
に死んだ宗教への神の裁きを、あの象徴的な形でデモンストレーションなさ
ったのだと思います。その意味でこれは「宮清め」というより「宮裁き」と
言った方が良いかも知れません。神は既にエルサレムの宗教を見捨てておら
れたわけです。そしてこれに代わる新しい命は、自分の罪を知る魂とイエス・
キリストのつながりから生まれるしかないのです。
《 ま と め 》
この神殿の境内でのイエスの激しい行動には、多くの人たちが自分なりに
感激したり、燃えたりします。その多くは宗教の堕落と戦うイエスの勇気に
感激するわけですが、イエスご自身はここではそういう戦いに燃えてはいら
っしゃらなかったのでしょう。
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神の訪れの時
とすると、正義の戦いのためには暴力も肯定されるという一部の方の論拠
は、ここからは成り立たないのですね。もう 10 年以上になりますが、ある老
教授と論じ合ったことがありました。でもこういう受け止め方は、老教授だ
けではないようです。
思うにイエスは、そういう神殿の粛正とか改革に体を張っておられたので
はなく、神の怒りと裁きを象徴的に演じておられたのだと私は思います。こ
れはいわばドラマです。心ある人に何かに気づかせるためのショッキング・
ドラマであったと思います。
ルカがこれを記した意図は、決してイエスの正義感や命がけの情熱に読者
を感動させようということではなく、こんな断定的な言葉を、そして神の審
判の模型みたいな行動が、そもそも人に許されるのか? もしこの人にそれが
許されるとすれば、この人は何ものか? ということなのです。狂人であれば
別ですが、エルサレムの神の家がどうあるべきか、どうあってはならないか、
それを大祭司も無視し神殿長も無視して、公認の商売人をを叩き出して、神
聖なシェケル貨幣を宮の庭にばら撒いてまで、権威を持って断言しておられ
るのです、この人は。
実はこの話は、ルカ伝では 2 章から始まっていました。それもまだ 12 歳の
少年の口から「私は自分の父の家にいるのです。いや、父のお仕事、父の事
業の中にいるのです」という言葉が出た……と。あれを書いたときから著者
は既にこの場面の伏線を引いているのです。
そして同じ断言は、泣いて語られたという最初の激しい言葉の中にも見ら
れます。「エルサレムよ、お前は神と和解する道を拒んだ。だから聖なる都
は瓦礫の山となる。選ばれた神聖な民も情け容赦のない手で殺される。永遠
の栄光と思われた神殿も跡形なく崩される。石が縦に二つ重なっていない位
まで、ペシャンコになる。お前が神の折角の訪れの時に心を開かなかったか
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らだ。」そんなことを、まるで神様ご自身と同じように断言する者がここに
来たことを知れ!……それが福音史家ルカのメッセージです。
もし、この人が狂人でなく、この人の訪れが本当に世界史上唯一の神の訪
れだったとすれば、あなたはこの方の最後の言葉を無視して、安全であり得
るか? この方の死に様と復活の様にショックを覚えないか! あなたの罪の
贖いはこの人の流した血によることを、真剣に本気で考えずにおられるか?
「神の訪れ」はあなたへの訪れとして受け止めよ。
恐らく著者は、今の私たちにそれを伝えたいのでしょうが、ルカの押さえ
に押さえた文章はただ、イエスと宗教家たちの状況だけを画面にとらえて、
いよいよ物語がクライマックスへ、雲をはらんで行くことだけを最後の 4 行
に納めて暗示しております。
47.イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者また民衆の重立
った者たちはイエスを殺そうと思っていたが、 48.民衆がみな熱心にイエス
に耳を傾けていたので、手のくだしようがなかった。
(1984/08/26)
《研究者のための注》
1. 41 節の「いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき」は、37 節以下の状況につなぐ
と少しく時間的に遡るように見えます。モリスは「イエスが泣かれたのは都の近くと
あるが、ルカは正確に何処でということを言わない」と書いています。41 節の意味が、
都が初めて視界に入った時ということであれば、36~37 節のあたりに入りましょうし、
近づいた
が第 68 講で述べたような、目の前に見える所に着いておられた
という意味であれば、40 節に後続してもいいわけです。ルカは福音の文脈を生かすた
めに、ある程度自由に材料を配列していますから、群衆と弟子たちの軽薄な喜びと対
照させるために、この記事をわざとここに置いたとも見ることもできます。
2. 43 節の表現がヨセフスの記録する形での A.D.70 年のローマ軍の作戦とあまりに細目
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で一致するということから、これは実際に事が起こった後で書き加えられたもので、
イエスの預言ではないと見る人たちがいます。というより、何かそういう風に見る方
が学問的で高級なように思うのが今日の傾向のようです。しかし、Vinsent Tayler や
Geldenhuys も指摘する通り、この時点における社会的政治的状況を見抜く目を持っ
た人なら、何らかの形でエルサレムの運命をかなり正確に見透すことができたと思い
ます。イザヤやエレミヤでさえ、当時の民が神の裁きを受けて、エルサレムが滅びる
ことを予告できたのです。それに 43,44 節のようなことは、これ以前にも城壁で囲ま
れた町を包囲して落とすときには普通に使われた方法であることを知るべきでしょう。
3. 「神の訪れの時」という表現が 44 節にあります。原文に「神の」はなく
―「あなたの訪れの時期を」です。「あなたの」は、あなたの上
に臨む、あなたを訪れる、という目的語的属格、「訪れ」は旧約の用例から見て、神
が民を訪れる意味です。したがって、神があなたを訪れなさる決定的時機、訪れなさ
った決定的な時点という意味になりましょう。
4. いわゆる「宮清め」の記事は、マタイ 12 章 12 節以下、マルコ 11 章 15 節以下とヨハ
ネ 2 章 13 節以下にあります。マタイとマルコは殆ど同じで、ただマルコには引用した
文の後に「また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった」とい
う文がついています。E.シュヴァイツァーは「イエスが祭儀に用いる器具を持ち運ぶ
ことに対して抗議したのか」と書いています。とすると、神殿活動自体の停止を暗示
します。もう一つの解釈は、神殿内に持ち込んではならない世俗の器物を持ち込んで
いた……とすれば、たとえばミシュナの規定に反して、異邦人の庭を商人のための近
道に利用させていたのかも知れません。ゼカリヤ書 14:21 を参照。Lane のマルコ註
解 406 頁が参考になります。引用されたイザヤ書は 56:7 です。
5. ヨハネの記事は「イエスはなわでむちを造り」という言葉が最初にあり、「商売人た
ちを追い出し」の所が「羊も牛もみな宮から追いだし」となっております。それに鳩
を売る人たちへの叱責のお言葉がついています。しかしヨハネ記事の最大の相違は、
この行為がイエスの最後のエルサレム入りの直後ではなく、最初の過越の時に行われ
たとして第 2 章に入っていることです。恐らくヨハネは、古い宗教に対するイエスの
三年間の活動がこの行為によって象徴されていたと見て、最初に掲げたものか、ある
いは同じ行為が三年間の初めと終わりに二度繰り返され、しかも神殿の実情はその間
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に何ら変わっていなかったと見るかです。
6. 両替人の台は、
言葉
つまりテーブルですが、この言葉がギリシャ語の銀行という
になったこと等については、前々講「王者の委託」の註を参照してく
ださい。神殿税にユダヤ貨幣シェケルを用いることは、出エジプト記 30 章 13-16 の
規定によりますが、この時代には本当のユダヤ貨幣は鋳造されておらず、実際にはフ
ェニキアのツロのシェケルが代用されていました。マタイ 17:24 の
うのがそれです。もっとも 27 節で魚の口から出た
く両替屋で
とい
はギリシャ貨幣で、恐ら
二枚にかえて、イエスとシモンの二人分になったと考えられ
ます。
7. 前置きの所で、広島より沢山の人が死んだと言いましたのは、ヨセフスの言う 110 万
人というのを話四分の一程度に取ってであります。しかし、「エルサレム市の城壁内
の面積から言っても、それだけの数が入ることは不可能であったろう」とレオン・モ
リスは 299 頁の註に指摘します。ヨアヒム・エレミアスは 1 平方メートル当たり 2 人
の人間が子羊を引いて庭に立てるとして、神殿の庭はすし詰めの状態で 6400 人、これ
が 3 回入れ替えするくらいあったとし、合計 18000 人、その一頭の羊を 10 人の人が食
べたとして、過越日の人口 180000 と見ています。このような巡礼を除けば、平常時の
人口は、25000~30000 位というのが、エレミアスの指摘です。
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