がんばればできる!はもう通用しない

がんばればできる!はもう通用しない
エリート教育の早期化と学力低下ですすむ二極化
世界に羽ばたく日本人
ここで、疑問です。果たして「日本人」は、世界標準
最近、日本から飛び出して世界で活躍する日本人アス
になっているのでしょうか?
リートが増えていますね。ニュース番組のスポーツコー
確かに一部のアスリート達の世界での活躍は目立って
ナーでは、そんな話題を耳にしない日ありません。
いますし、世界で戦える選手も増えています。しかし、
メジャーリーグにサッカー、ゴルフ、テニスにスケー
それは日本人全体のアスリートとしてのレベルが上がっ
トをはじめとするオリンピック競技の数々で、日本人の
ているから、相対的に優秀な選手が増えているのでしょ
活躍がとても目立ちます。
うか?
メジャーリーグひとつ取ってみても、これは凄いこと
日本人全体のレベルがどんどん上がっているので、私
だというのが分かります。50 年前にはメジャーリーグ
たちは日本人でいるだけでよい。それだけで私たちのレ
で活躍する日本人など皆無でした。90 年代の半ばに、
ベルも、私たちの子どもたちのレベルも、どんどん上が
野茂英雄選手が日本人歴代2人目のメジャーリーガーと
っていくのでしょうか?それなら安心ですね。
なったことはまだ記憶に新しいのではないでしょうか。
早期エリート教育
その後、渡米する選手は増え続け、今日では 20 人近く
もの日本人がメジャーリーグで活躍しています。
サッカーも同じですね。90 年代に三浦知良選手が海
日本では「エリート」と言うと、「エリート階級」な
外リーグで活躍しているのを観て「ああ、日本人もここ
どという言葉に表れるように何となくネガティブなイメ
まで来たか」と頼もしく思った記憶があります。そのサ
ージがありますね。歴史をさかのぼって、日本を戦火に
ッカーでは、今や日本代表チームのメンバーは、ほぼ海
叩き込んだ軍上層部のエリートたちを想像する人もいる
外のリーグで活躍する程、日本人の海外進出は当たり前
のかも知れません。そんな人たちは「エリート」という
のようになっています。
言葉に極端なまでのアレルギー反応を示し、そのような
ゴルフの石川遼君やテニスの錦織圭君も世界標準のプ
雰囲気が、世間一般の「反エリート教育」への気分を醸
レイヤーですし、オリンピックでのメダル数もどんどん
造してきたのかも知れません。そして、それがそのまま
増えてくるのを観ていると、同じ日本国民としては嬉し
「反早期教育」へと繋がります。
いし、頼もしいし、誇りを感じます。
もちろん、教育は個人の自由、親の専権事項ですので、
それだけ日本人は優秀になってきているのかもしれま
エリート教育をしたくなければしなければ良いまでのこ
せん。…いや、どうなのでしょう?
と。逆に我が子をエリートに育てたいと考えるなら、エ
リート教育を施せばよいのです。
「エリート 'elite'」とはラテン語の 'elegare' 「選ぶ」
に由来することばで「選ばれた人」と言う意味。単純に
他人より「より選りすぐれた人」という意味です。
さて、スポーツの世界でのエリート「選ばれし人々」
と言えば、既述のようにたくさんの名前を挙げることが
出来ます。つまり、彼らはエリートなのです。そんな彼
らをエリートと呼ぶ時には「嫌味な」とか「鼻持ちなら
ない」または「国をめちゃくちゃにしてしまう」などと
1
いう感慨はないはずです。
る」ということであって「イチロー」になれると言うこ
では、彼らはどのようにしてエリートになったのでし
とではありません。つまり、メジャーリーグ級になるた
ょうか。
めには、相当恵まれた環境、親から与えられる環境、身
体的な優位性、さらに運にも恵まれないといけないので
高校球児がプロ野球の選手になれる確率は 0.2%と、
す。
当誌でも引用した記憶があります。つまり高校球児の
そんな恵まれた子、つまりエリート教育を受けている
500 人に 1 人しかプロへはいけないわけです。では、ど
子がいる一方で、例えば中学から目覚めてプロ野球の選
のような子どもたちが、その 0.2%の選ばれし人々なの
手になろうと志した子がいたとしましょう。これを後者
でしょう。
とします。前者と後者、どちらが有利ですか?どちらの
才能のある人?もちろん才能は必要でしょうね。人よ
方が、成功する確率が高いですか?言うまでもありませ
り努力した人?もちろん人並み以上の練習が必要です。
ん。前者に決まっていますね。
では、才能があって練習すればよいのでしょうか。そう
エリートが増えている
すれば 0.2%になれますか?
仮にここで、お子さんをプロ野球の選手に育てようと
思った場合、皆さんならどうします?子どもがやる気
これは野球ばかりではありません。サッカー然り。ゴ
を起こすのを待ちますか?子どもの努力に任せますか?
ルフも、テニスも、スケートもそうです。ありとあらゆ
「為せば成る」の精神論で子どもたちに「頑張れば出来
るスポーツで活躍している子どもたちは、単に頑張った
るよ」と励ましますか?
のではなく、単にラッキーなのでもなく、かなりの高確
もしくは小さい頃からキャッチボール三昧。常にバッ
率で早期エリート教育を受けているのです。
トとボールで遊ばせる。機会があれば試合を見に行く。
世間一般が風潮として「エリートなんかいらない」と
少しでも早くからリトルリーグに所属させ、週末は練
言っている間に、せっせと我が子にエリート教育を施し
習。平日も身体を動かす練習をさせるでしょう。スパル
ている親たちがいます。そんな教育を受けた子たちが一
タとまでは行かないまでも、生活の中に野球があふれて
流のアスリートとなり、世界へ羽ばたいています。そし
くると思います。
て、その様なエリート教育を施す親が増えているので、
そして、可能であれば少しでも良いチームへ、少しで
日本人の一流アスリートのニュースを目にする機会が増
も良いコーチにつけたいと願うようになるのではない
えているのです。
でしょうか。リトルリーグで力をつけて目立つ選手にな
こうしてみると、エリート教育を嫌う「頑張れば出来
れば、さらに上を目指して心置きなく野球が出来る環境
る流」の精神論の信者たちが、エリート教育によって育
に、少しでも良い環境で野球に取り組める中学や高校へ
っていった日本人の活躍を観て「日本の誇り」と歓喜し
進学させようと思うのは自然です。
ているのは皮肉なことですね。
その様にして、親からのフルサポートを受けながら育
さて、日本人全体として「スゴイ人たち」になってい
った結果、めでたく 500 倍の狭き門をくぐり抜けプロ
るのではなく、一部のエリート教育を受けた子たちが
野球の選手になれるのでしょう。
「スゴイ人たち」になっている。では他の日本人は?そ
ところが、これはあくまでも「プロ野球の選手になれ
う。これが問題です。
二極化
一部のエリート・アスリートたちが、世界へ羽ばたく
程の優秀さを示す一方、日本人全体はどうなっているの
でしょうか?文科省が統計を取っている「子どもたちの
体力・運動能力」の推移を見ると、昭和の時代からあま
り変わり映えしません。向上が見られる取り組みもあれ
ば、低下もある。日本人の運動能力の国民的な底上げが、
今日の一流アスリート急増の直接の原因ではないことは
2
明らかです。
が減少する一方で、小学生の受験者数はここ十年間 300
つまり、今までは「ドングリの背比べ」、昭和の頃ま
%増と急激に増え続けているのです。しかも、小学生で
では皆同じような身体能力で、大差がなかったわけです
3級以上を受験する子が 100 人に1人は存在するので
が、ここのところ急激に飛び抜けて優秀な人が増え、結
す。
果として取り残された普通の人との差が二極化してきて
さらに中学生の指導を長年行ってきた経験から言わせ
いるのです。
ていただければ、中学からの英語学習のスタートでは中
学卒業までに準2級が精一杯です。
と、スポーツの話をして参りましたが、「うちの子は
つまり、中学生のうちに2級以上受験する子どもたち
プロスポーツ選手になるワケじゃないから関係ないわ」
は、小学生かそれ以前に早期英語教育を受けていてる。
とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。しかし、ちょ
つまり、小学生で3級以上を受験する1%の子どもたち
っと待ってください。この極度の二極化は、スポーツの
が、そのまま中学校へ行って英検の2級以上を受験する
世界に限られた話ではありません。教育の世界も、着実
1%なのです。
に二極化の道を辿っているのです。
学力は二極化して、さらに固定化しているのです。
すでに「パルキッズ通信 2012 年 11 月号」で触れて
大学全入時代
いるので、詳細は避けますが、英検の受験者の動向にも
二極化の傾向が表れています。ここ 10 年で中学生の英
検受験者数が 20%減と、減少を続けているのです。
日本人の9割に英語は不要、などという本がありまし
英検といえば、中学時代には皆さんも受験されたでし
たが、そんなタイトルは日本人に安心感を与えますね。
ょう。最近、その中学生が英検を受験しなくなっていて、
事実、英語教育に携わりながら、こんな事を言うのもな
割合にすれば4人に1人しか英検を受験していないので
んですが、私もほとんどの日本人に英語などという代物
す。理由は、想像するに「大学全入」。希望すれば誰で
は不要と考えています。
も大学へ行けるご時世です。もちろん一流大学へは行け
「優秀な2割」と「普通の8割」に二極化している今
ませんが、高校3年間、勉強なんかしなくても、AO で
日。「普通の8割」…学力が低下し続けていて、つまり
大学へ進学できる。これについては後述しますが、つま
ひと昔前の「残念な1割」に相当する今日の「普通の8
りは子どもたちの学習意欲が低下しているのです。英検
割」で満足ならば、英語など全く不要です。ただ、学力
の受験者数の減少が、学習意欲の低下、さらには全体的
において少しでも上を目指すのならば話は別。「英語は
な学力の低下を婉曲に表していると言えるのです。
関係ない」などと言っている場合ではありません。
同時に、中学生の1%が英検の2級以上(準1級・1
少子化が進み、さらに大学進学率が高まり、望めば誰
級を含む)を受験しています。中学生で、すでに高校生
でも大学へ進学できる「大学全入時代」に突入して数年
並みに出来る子が増えているのです。まさしくエリート
が経ちます。学力が低くても、誰でも大学へ入れるわけ
ですね。では、このようなたちは中学から英語をスター
です。
トしたのでしょうか?
大学側も、生き残りをかけて生徒獲得に必死です。自
そうではありません。それを小学生の英検の受験者数
然、一般受験に耐えられないような学生も AO などの
の近年の動向が証明しています。中学生の英検受験者数
推薦で大学生になります。先日の日経新聞では、一般入
試の子と AO 入試の子の、高校3年生9月時点での勉強
時間数のアンケート結果が掲載されていましたが、一般
入試の子が1日平均4時間弱勉強しているのに対して、
AO 入試の子は平均2時間と少し。1時間未満の子が半
数弱を占め、さらに全く勉強しない子が 16%もいるそ
うです。
なるほど、大学も二極化の道を着実に歩んでいるわけ
です。高3の9月で勉強していないのなら、高1や高2
では勉強するはずがありません。そして、そんな大学生
たちに、高校3年間ですっかり忘れてしまった「中学レ
43
あの頃は良かった
「俺が出来たんだからこの子も出来る」「英語なんか
はやる気になったら始めれば良いんだ」「頑張ればどう
にかなる」。
昭和の時代は平和でしたね。学力は平均的で、エリー
トなんかいませんでした。早期教育する家庭も少ない。
自ずとドングリの背比べ状態で、中学へ進み、高校入試
が初めての試練。それでも、学生たちの学力に大差はあ
りませんでした。
ベルの英語」から教え直さなくてはいけない。大学の現
つまり、「頑張ればどうにかなった」これは事実なの
場の先生方には、お気の毒で仕方がありません。ひと昔
です。英語なんかは、中学から始めてもどうにかなった。
前は「大学受験時が英語能力のピーク」という表現が、
コレも事実です。ただ、全ては遠い昔のこと。昭和に思
大学生の質の低下を表していましたが、今では AO で入
いを馳せれば、それでも良いのでしょう。
試する子たちの多くが、「高校受験時が英語力のピーク」
しかし、時は平成。しかも、一部の親たちはせっせせ
などと揶揄されるのかも知れません。
っせとエリート教育を実践しています。これからの子ど
さて、そんな大学入試。「少子化」=「全入時代」=「誰
もたちは大変です。いざ、頑張ろうと思った時には・・・
でも大学へは入れる」=「誰でも難関校に入れる」とこ
ライバルたちはもう視界にも入らないくらい、ずうっと
んな図式を思い浮かべる方も、少なからずいらっしゃる
先を走っているのです。
ようです。東大・京大は無理でも、早慶なら行ける。早
小学校時代、毎日3時間勉強した子がいたとしましょ
慶が無理でも MARCH(難関私大グループ)ならいける
う。一方、全く勉強せずに小学6年間を過ごした子がい
だろう、と気楽に考える方も多い。ところがどっこい、
たとしましょう。この両者が、仮に東大を目指した場合、
現実は全くその逆の様相を呈しているのです。
どちらが有利ですか?
かつての「高校からでも頑張れば大丈夫」の伝が通用
つまりはそういうこと。一事が万事、この原理が働い
しなくなってきているのです。
ているのです。
なぜって?
昭和のドングリの背比べから、平成の二極化へ。子ど
簡単な話です。スポーツの世界同様に、学業の世界で
もたちを取り巻く環境はずいぶんと様変わりしました。
も早期エリート教育が行われるようになっているので
そんななか旧態然とした精神論、「為せば成る」式の昭
す。小学校高学年の 10 人に1人が英検を受ける。つま
和の論理を子どもたちに押しつけるのは可愛そうではあ
り、小さい頃から「頑張って勉強する少数派」と、AO
りませんか。
入試で象徴されるような勉強しない、ゆとりを持って生
活している、「呑気な大勢」に二極化しているのです。
大学全入時代とは言え、東大・京大や超難関大の早慶、
難関大の MARCH にしても、「定員」というものがあ
るのです。全入時代だから、みんな難関校に入れるので
はありません。それどころか、早期からエリート教育に
励む親が増えていて、そんな親たちは難関校を目指して
いる。つまり、勉強する2割の子どもたち、もしくはそ
れ以上に勉強しているわずかなエリートたちが、しのぎ
を削って難関大を目指しているのです。一方で小中を遊
んで暮らし、高校生になってようやく大学入試を目指す
子どもたち。どちらが一流の大学への切符を手にします
か?言うまでもありませんね。最初から勝負にもならな
いのです。
54
では、どうしたら良い?
昭和から平成へ、総中流から二極化へと時代は変わっ
ても、変わらない物があります。それが大学入試制度。
現行の大学入試制度で、最も重要視されるのが英語の
存在です。大学入試センター試験でも、国語と並んで他
教科の倍の 200 点の配点です。私立でも英語が勝負を
決します。
センター英語の平均点は、相も変わらず 120 点前後。
でも、センターの英語なんて簡単なんです。実際、超難
関大学へ行く子どもたちは、センター英語などは楽々こ
なしています。これで 190 点とる子と 120 点の子がい
あるならば3級止まりです。これだと、英検準1級取得は
れば、その差は 70 点。この点差は、もう他の教科では
高校生へと先延ばしになる。すると、一流どころの国立大
埋めがたいですね。つまり、日本の大学入試の場合、英
にはなかなか手が届かない。結果として、早慶などの一流
私立大学を目指すことになるでしょうか。
語でいかに高得点出来るか。これでほぼ勝負は付いてし
さらに、中学まで英語を先延ばししてしまうと、どう頑
まうのです。
張っても中学卒業までに英検の準2級が関の山。すると、
センターの英語は簡単だ、と書きましたが、事実簡単
東大には手が届かないどころか、早慶も厳しくなる。する
です。ただ、従来の「文法」と「単語の丸暗記」型の学
と MARCH 止まりとなる。
習ではせいぜい頑張っても 150 点が関の山。まぁ 75%
学歴が全てと言うつもりはありません。ただ、いつ英語
取れれば悪い方ではありませんが、これでは難関校には
をスタートするのかが、直接、目指せる大学のランクと関
届きません。やはり、英語はほぼ満点取れるだけの力を
係しているのは事実です。1日延ばしにすることで、どん
つけておかねばなりません。ではどうすればよいのか?
どん大学の、そして、お子さんの未来の選択肢は狭まって
この点に関しては、本誌でも繰り返し触れています。
いきます。
幼児期にやっつけてしまうか、小学校卒業までに準2級
今、目の前で取り組んでいる幼児・小学生の英語教育。
を取らせてしまう。これが一番楽で、コストがかかりま
つまりは、通える大学に直に響いてくるとご理解いただ
せん。
き、日々取り組んでいきましょう。英語はもはや「プラス
どうせ中高と、英語の塾で毎年毎年百万単位で消えて
アルファ」の習い事ではないのです。早めにやっつけてし
いくことになります。それらならば、幼児期に、小学生
まいましょう。
のうちに、少々のコストをかけて、英語をやっつけてし
まうのが得策なのは明かですね。
先延ばしにしない教育
英語を「先延ばし」にする理由はいくらでもあります。「経
済的な余裕がない」「時間がない」「やるべき事がありす
ぎる」。それはそれで結構なことですが、それで英語を先
延ばしにするのは大問題です。
幼児期に英語をやっつけてしまえば、小学生、しかも低
学年のうちに英検準2級が取れる。つまり中学入学時に、
すでに英検2級に手が届いている状態です。ということ
は、中学を卒業するまでに準1級はクリアできる・・・つ
まり、一流の国立大学に手が届くのです。
これを少し先延ばしして、小学生からの英語のスタート
になると、中学に入るまでに準2級が精一杯。中学受験が
65