岬 波 日 本 列 島 魚 釣 り 周 航 記 東 日 本 編 波平著 隠居波平釣り日誌 ごあいさつ 定年後、退職金はたいて小型中古ボートを購 入。1級沿海艇に改造し「はまちどり」と名 づけた。小型船舶1級免許ほか必要な資格は 既に用意があった。…体調不安を除いて。 初年度は準備と外洋航海の稽古。 二年度は西日本海域を周航、1千マイル。 三年度目は東日本海域を周航、3千マイル。 年)の記録だ。 -2- 本著は、三年度(平成 百日間の単独航海だった。 多くの方々に大変お世話になった。 みなさんほんとうにありがとう。 感謝、感謝。 今は凡々たる年金生活。 周航記出版に代えてパソコン掲載。 ・完全装備・ ノットで、遠州灘を航行中 ノット エンジン・ヤンマー375 19 沿海艇・最高速度 hp 潮の香がするだろうか? ) 母港播磨マリーナで艤装中の愛艇「はまち どり」 (アルビン・ゲッタウエイ 27 読み辛いが、 お目通しくださるとうれしい。 波 平 28 ft 18 隠居波平釣り日誌 「日本列島魚釣り周航記」 ごあいさつ 2 第四章 北海道 〈日本海側〉 奥尻島・神威脇 積丹・美国 羽幌・焼尻島 7 1 … 第六章 関東 外房総・勝浦 ……… 内房・保田・盤洲 ……… 横須賀・ベラシス 三浦半島・三崎 第七章 東海・近畿・帰港 静岡焼津・小川 静岡・御前崎マリーナ 8 5 7 3 7 6 尾鷲・九木浦 帰港・播磨マリーナ 3 9 9 8 2 4 6 4 6 4 4 2 2 2 1 1 1 1 1 おわりに 8 8 9 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 湧別町・湧別 知床・宇登呂 5 5 7 6 0 5 5 6 4 6 5 4 5 利尻・仙法志 1 出港・播磨マリーナ 5 第一章 出港・瀬戸内海・山陰 …… … 5 2 大三島・宮浦 6 〈オホーツク側〉 3 周防灘・姫島 7 〈太平洋側襟裳岬まで〉 根室半島・花咲 十勝・広尾 〈太平洋側襟裳岬以西〉 …… 32 31 30 29 34 33 宗谷・富磯 4 島根出雲・十六島 9 … 日高・東静内 2 1 2 1 2 2 8 6 9 9 ( 本書はこれを元に補筆整理したもの) にアクセスし、ライブ更改し続けていた。 周航中は携帯電話から直接マイ・ブログ 9 4 1 亀田半島・臼尻 第五章 東北太平洋側 青森・八戸 岩手・宮古 牡鹿半島・鮎川 仙台湾・七ケ浜 茨城・大津 -3- 5 隠岐・浦郷 6 兵庫・柴山 第二章 若狭・能登 7 石川・金沢 8 石川輪島・舳倉島 第三章 佐渡・東北日本海 9 新潟佐渡・小木 新潟・粟島 秋田・男鹿マリーナ 青森・深浦 21 20 23 22 28 27 26 25 24 36 35 16 15 14 13 19 18 17 12 11 10 9 3 9 4 9 2 2 3 3 4 6 0 9 1 6 0 6 9 0 9 9 9 1 1 1 1 隠居波平釣り日誌 -4- 隠居波平釣り日誌 第1章 瀬戸内海・山陰 【4月 日 母港出港・大三島宮浦港泊】 準備期間が長かった、イメージトレーニン 艇で通るのは辛い。伯方島と大島の間の宮の は大型船の航行が多い。シケ模様のなか小型 来島海峡(四国今治と芸予諸島大島の間) グが足りていて、あっけないほど冷静。 窪瀬戸へくぐり入った。狭い水道だがすでに 艇友らの見送りのなかふだん顔で出港。 ではちょっと出かけてきま~す。 慣れた通い路。 三島の宮浦港へ向かった。宮浦港入港。神さ 抜け出て後、この日の姫島行きを断念。大 2艇並んで天川を下り高砂沖へ出た。 びた浮き桟橋(ポンツーン)に着岸。ここは 友艇「晃」が家島まで伴走してやるという。 小豆島の南側本船航路をめがけて走る。 神の島。大山祇神社がある、戦の神だ入り組 時宮浦着、古来武将や軍人の参詣が絶え 化していた。避難入港し一泊しよう。 んだ天然の良港。次第に時化(シケ)は本格 途 中 家 島諸 島 の 西 端男 鹿 島 の 脇 を か す め 一気に小豆島を目指す。 小豆島東端「金ケ埼」は真鯛釣りの好ポイ ント。マリーナから約1時間少々の距離。 ないと聞いている。 あった。が艇速度が上げ辛く船足が伸びない。 一 気 に 周 防灘 の 姫 島 ま で 突 っ 走 る つ も り で 波、約1メートル。少し走り辛い。初日は 元気を付けろ」と自宅から夏みかんと伊予み 日本一周」が話ネタになる。「これを食って てきて給油・雑談。艇ギャビン上の看板「夢 油の配送を依頼。すぐタンクローリーがやっ 島のガソリンスタンドへ携帯電話。燃料軽 出港したのが9時過ぎ。遅すぎたようだ。ス かんをもってきてくれた。自家栽培だとか。 ☆ 「灘」と名がつく海域は波が荒い。 で備後灘、燧灘(ひうちなだ)を走る。 小豆島と四国との間備讃瀬戸を西へ、つい ローライフで参ろう。急ぎ旅じゃない。 「はまちどり」艇には慣れた魚釣り路。 17 -5- 24 隠居波平釣り日誌 日・宮浦港~姫島】 にこの潮流・海流との闘いだ。 海流は黒潮だ。今回の列島周航は常 ☆海流…潮流とは別に海流がある。代表的な 【4月 6ノットがやっと。激戦区だった。 〔気圧が 出港時 凪いだ。 〕 だったのが に上昇、 マイル釣島水道を航 携帯電話とパソコンがつながらない、メー を使っている。加えて初期設定があやふやで 気圧の数値は正確ではない。安物の気圧計 : 〕 宮浦→松山沖は約 : 〕 マイル。気分良く 伊予灘から国東半島と姫島の間の水道に 〔難航中 ノットで高速走行。出港後2時間経っている。 20 艇内泊だ。午前三時前頃から突風が吹き荒れ 艇は大揺れ、今日は凪だろうと思っていた、 難儀だ。 〔これより安芸灘へ入る 分出港、 分とかからない距離。 28 松山沖 10 マイル釣島水道 ルもブログも開けない、ブログ打ち込みはパ 行中、釣り船が多い、縫って走る、快調。 ノット、松山沖 p h 8 1 0 1 ( ブロ グ ア ッ プ 時 p h : 4 1 0 1 〔 ト ラ ブル 発 生 07 ある。ただ気圧の上下変化を見ている。 刻) 〕 10 : る潮の流れを潮流という。潮流に風 っ た。凪いでいたら 宮浦港を出て1時間後、やっと安芸灘へ入 波シブキが殴りかかる。また6ノットに減速、 ったる!と、速度アップ、フロントガラスに 波はまだ怒っている、6ノット。いっちょや 明け方の突風はひどかった、5時 53 《参考》 観光船桟橋の隣 あぁドンブラコ、 とてもおいしかった ☆潮流…潮汐(ちょうせき・潮の干満)によ 宮浦・ポンツーン が逆らうと潮波が立つ。この日は終 始潮波に苦しんだ。 20 25 ソを介さず携帯電話から直接だから大丈夫。 15 57 58 50 06 -6- 05 10 10 伊予ミカン 隠居波平釣り日誌 入りつつあるところ。風裏になり波がおさま ( マイ った。時化てウサギが飛び跳ねている 白波 ) が立っている 、8ノット。姫島まで ル、ここで燃料補給のつもり。 島内を散歩。店を見つけて食事。中年女性 「波平波枕」は自費出版本。この度200 日・姫島~江崎~鷺浦~十六島】 部を刷り増しし名刺変わりに持参した。 【4月 周航3日目。凪いだ。姫島漁港の朝は久し ぶりの大漁にわいていた。 水揚げ状況を見学後6時出港。周防灘を行 く。凪いでいるなら走るべし。一気に関門海 峡へ突っ込んだ。エンジン快調、絶好調。 関門海峡は狭く大型本船の航行が頻繁だ。 《一気走り》 んから自分が採った という自慢の岩 海苔と : 技は地元漁船にしか出来ぬことだ。 海峡を完全に出切ったのは午前8時 分。 真ん中で悠然と釣り糸を垂れている。こんな をする漁船が意外と多いのに驚く。海峡のど いつものことだが、この混雑する海峡で漁 で5度目の航行になる。 際を走る。東行西行ともにこのコース。今回 いつも九州寄りに大きく航路を外れ、岸の間 行を妨げないように航路端を走る。わたしは 油断ならない海域。小さなボートは本船の航 を差し出した。 佃煮をもらった。わたしは拙著「波平波枕」 った。仲間に加わって一緒に呑んだ。海女さ 8ノットはスッゴク頑張っている。姫島 もり。 当初の意気込みは完全に粉砕され、ひと波ひ 姫島で給油後、関門海峡を突っ切ろうとの うの体で姫島にたどり着いた。 周防灘ではさらにシケがひどくなり、ほうほ った。安芸灘で翻弄され、伊予灘でもまれ、 小島。当初計画では初日の泊地になるはずだ 姫島は大分県国東半島沖周防灘に浮かぶ 〔姫島泊・ 〕 二人が食後の酒を楽しんでいた。海女さんだ 「はまちどり」が見える で給油後、関門海峡を一気に突っ切るつ 「ウサギが云々」とはシケを言う慣用句。 道から吹き上がる風と潮波に荒れる海。 ☆ 伊予灘は安芸灘と周防灘との間。豊後水 15 と波 を這うように乗 り越えて姫 島港へ逃げ 込んだ、 26 六連島を左舷に見ながら意気揚々と北上。あ 10 30 -7- 給油所前に停泊、 姫島岩海苔・佃煮 18 隠居波平釣り日誌 円/㍑。1㍑あたり約683m走っっている。 に入った。入って湾内を一回りし、また出た。 ついつい油断して温泉津の沖を通過。鷺浦 ま浜田港沖を通過し温泉津を目指した。 浮標に注意。周囲の他船の動きを見落とさな 船に使う軽油は免税扱だ。給油を受ける際、 停泊適所が見つからなかった。 燃料軽油314㍑を補給。24492円。 い。幸い視界は良かった。 そのつど事前に申請して県税事務所 から 事 まり島寄りを走ると危ない。危険箇所を示す 関門海峡を西へ出たすぐは響灘である。玄 前に交付を得た免税チケットを差し出す。陸 島水道抜ける。右舷前方に観音埼。ここを右 させここで停泊しようかと計った。温泉も近 江崎では、この後、艇を港内の適所へ移動 × = 0 6 3 . 3 3 3 ) ㎞ 。強行軍すぎた 2 5 8 . 1 0 8 1 マイル東 た。その都度艇は大揺れする。とてもじゃな 十六 島湾奥のここは 気持ちも 身体も休まる へ走れば恵曇港がある。ここも敵地。だが、 には最適の泊地だろう。さらに 十六島漁港は広々した港、ボート・ヨット かも。 ル( 十六島に停泊。この日の航程約180マイ 十六島(ウップルイ)漁港へ向かった。 界 灘 は こ の 西 方 海 域 一 帯 の 壱 岐 島ま で の 間 円ほ ど安 上 で 自 動 車 用 に 買 う 場合 と 比 べ に折れ入ると室津マリーナだ。昨年の初年度 い。絶好のロケーション。が、もやった艇の くなるが、手続きが非常に煩瑣。 列島周航の際、対馬比田勝港からの帰路立ち 真横を、帰港する漁船がフルスピードで走っ いが休めない。早々にもやい綱を放ち沖へ逃 ノ ットで突っ走る。もう日本海だ。真正面に大 呂屋もなかった。 天然の良港。ただ、閑散としていて店屋も風 げ出た。 注・逃げ出はしたが江崎港は極めて良港で 瀬戸は避ける。島の西側を大きく回った。こ こから先は不慣れな海域。安全航海に徹する。 ある。このたびはたまたまもやった位置が悪 へ出たのはまだ日は高く、かつ凪いでいて。 かっただけ。停泊適所は充分にある。すぐ沖 油谷湾沖を行く。大きな湾だ。入ってみた ノット。さぁ、燃料補給を いがこのたびは我慢。 凪いでいた。 で、沖を思うままに走ってみたかったから。 江崎港を出た後、浜田港で第3夜を過ごそ 艇から撮影、広い港だ 本 州 西 岸 か ら 約 5 マイル 西 方 海域 を 寄った所。今日は沖をまっすぐ北上。 る。左舷前方に蓋井島(ふたおいじま)。水 をいう。本州山口県下関市西岸沿いに北上す 78 うと思案した、が、ベタ凪だったのでそのま 十六島漁港、 -8- 13 31 きな島。角島だ。本州との間は海士ケ瀬戸。 20 姫島→江崎は約116マイル。江崎漁港で 江崎港へ入った。 どこの港でうけようか。 21 隠居波平釣り日誌 〔十六島漁港・ご飯がデケタ! : 〕 港周辺に食い物屋はない。伝家の宝刀を抜 いた、一合炊きメシ、片手鍋で玉子焼、酒は まぼろしの焼酎イサミ、オカズ?タマゴ焼き があるじゃないか。 らこすっても落ちなかった。でも、コゲメシ ちどり」の難航を知り、この計画の断念を言 む計画だった。が、氏は、出港以来の「はま 日・十六島~隠岐】 すこし無理な航海をしていた。一昨日の大三 ってきた。事実、この約束があってわたしは は美味しい。 【4月 島→姫島は本来なら日和待ちす べき とこ ろ : 7 二郎ちゃんとの計画頓挫で気が抜けた。 無謀な走りと言うべきであった。 である。昨日の180マイル一気走りもまた 〕 〔隠岐へ 5 朝 食 は 2 日 前 に 大 三 島 で 買 込 んだ パ ン と リンゴ。デザートは伊予ミカン。パンはこれ 以上置くとカビる。無理して食べた。酒は操 〔隠岐 : 〕 上図は道前の概略、上が北 船中は呑まない。もちろん朝出港前に呑んだ p h 4 1 0 1 実は、隠岐へは、釣友の二郎ちゃんが航空 隠岐は道前・道後からなっている。 隠岐は薄墨色、やがて黒々とあらわれた。大 ☆ りはしない。 5時半に出港→隠岐浦郷を目指す。 始業点検、ビルジ(アカとも言う・船底に 小雨、 一合炊きは初めての試み、大成功!美味し マイル、 溜まる海水)に油がすこし浮く他異常なし、 隠岐まで いご飯が炊けた。焦げ飯が嬉しいじゃないか。 ラーメンは汁のほぼ半分が日本酒だ、これも 分、陽は既に正視に耐えず水平線上 5時 度。 酎伊佐美、せめて1品オカズらしいオカズが 便で先乗りしているはずだった。隠岐浦郷で 約 大成功!使った片手鍋はテンブラ鍋だか、フ ライパンにもなるし、ラーメンも湯がける。 37 欲しい、3日目にして始めての本格的自炊。 タマゴ、一合メシ、即席ラーメン、そして焼 50 合流し、しばらくここで一緒に魚釣りを楽し 24 58 04 写真炊飯器の中のコゲ付きはこの後いく 20 -9- 27 20 さらに点検、大丈夫。 元気が出る気がする 大大成功!失敗に備えてラーメンも作った、 年のせいかタマゴを食ったら 隠居波平釣り日誌 波 加 島 を 回 り 込 み 島 前 の 湾 入 へ と分 け 入 る 西 ノ 島 と 知 夫 里 島 の 間 の 釣 り ポ イン ト 「 赤 ☆ 写真 のブリは グ ラ ム の ハ オ リ 型 メタ ルジグで釣った。下の写真三度埼での釣 灘」へ出た。すでに土地の釣り船が絶好位置 を占めていて、三度埼(☆みたべざき・西島 つもり、隠岐はもう緑の島に変わっている、 小雨模様で視界が悪い。隠岐は2マイル半 果。数度シャクッたらあっけなく釣れた。 、自慢のタ 西岸沖)へ転じジギング釣りを試みた。ブリ 8本縒り 竿・リールはダイワソルティガのベスト ックル。 0 0 0 0 1 8号を巻き込んである。その他 トリガーも搭載。 ーリング仕掛けを 組。もちろんアウ カ ツオ お よ び サワ ラ な ど 等用 の ト ロ いろいろ。 番。 スピニングリールは最大ステラ ☆① 竿は ② 1.5 本積み込んだ。もちろん電動も。 マッチ、糸・ は今回周航での初釣果。 70 PE : 0 0 3 ㍍ を用意。深場釣りを考えて潮の抵抗を ⑤ 掛かり釣り用アンカーロープは 氷も必要の都度漁港で仕入れる。 ミなどは溶けて匂いが出る。 釣り餌は事前には用意しない。オキア ④ 釣り餌と、氷が問題だった。 ー・ジグ)中心。大きな箱に満杯。 ③ 仕掛けは疑似餌(サビキし掛け・ルア 10 - 10 - 10 PE まで近寄らなければ見えなかった。 と中ノ島との間(大口)を奥へくぐり入った。 携帯で連絡したが通じなかった。用意しても らっている泊地の位置がわからない、 いったん浦郷へ入港し、氷などを調達の後、 隠岐ブリ70センチ 三度埼・定置網周り うすボンヤリと影の如くあらわれ、やがて 黒々と立ちはだかった。 艇はほぼ真北へ向け航行中。 目指す浦郷は島前の西ノ島の奥。知夫里島 正面が知夫里島、奥に中ノ島。 ノット。気持ちが高ぶっている。 〕 29 艇速 〔ゲット 12 大口から湾内に入り、浦郷のメル友N氏へ 20 隠居波平釣り日誌 【4月 日・隠岐2日目】 : キロの磯アンカーをブッ込むつも り 。 トビラを締め自宅へ戻った。皆さん、この作 6時が作業場の終業時間。氏ららは作業場の 気図を携帯に送信してくれる。今日 った。少し寒い、セーターを着込んだ。午後 ⑥ 特大タモ2つ、ギャフ2本、大きな包 業 場 か ら 山ひ と つ 越 えた ち い さ な集 落 に お 明日は少しシケるかも。明日の長距離航行は 減らすため出来るだけ細手を使う。8 丁など等も積んだ。巨大漁対策だ。小 住まいだ。もう見渡すかぎりあたりに人影は 〕 魚は干物にするつもり。干し網2つ。 控えた方がよさそう。しばらくここで釣りを 魚探はハミングバードの高性能機種。 日は凪。 釣 友 ゆ りた ろ う が 毎 晩 1 週 間 分の 予 想 天 〕 : 作業場前で朝を迎えた。 〔宅配便は2時まで 時半まで熟睡、だいぶ旅なれしてきた。 しながら命の洗濯しよう。8時就寝~今朝4 28 : L M H S I F カッパ姿で黙々と仕分け作業に専念。殻の 3名で仕分けし出荷する。 は終わっていた。山積みされた大量の岩牡蠣。 キャビンから這い出ると、既に朝の水揚げ 38 ⑦ 刺身用の醤油・わさび・生姜などなど。 ☆ 59 13 この度の周航に備え新調。ダシジャコ と思っていた。が、氏は下戸でまったく酒を れを氏と一緒に食べるこ とに なるのだ ろう 初釣果はN氏へ進呈した。わたしは今晩こ 無い。 〔天気図と共に 4 28 ままの出荷だが、殻の外側を見た目おいしそ - 11 - 1匹、カレイの表情も映す優れもの。 おォ~グルメだ、幸せだ! 酒の数々もタップリ積み込んだ。 〕 氏 を 含 め3 名 で 牡 蠣の出 荷 前 作 業 をや っ 呑まぬ方だった。 岐で岩牡蠣の養殖をやっている。艇はその作 がけた。 ことだった。以後は作業場を覗かないよう心 時も手を休めるヒマは無さそう。申し訳ない ていた。揚げた牡蠣はその日の内に出荷。寸 み、ひとり喋りまくってなんとなく夕方にな N氏は仕事中だった。わたしひとり酒を呑 味しい。 業場前にもやった。大きな牡蠣だ、とても美 の仲間N氏が隠 サイフは空になったけれど、 〔メル友 31 メーリングサイト 18 隠居波平釣り日誌 うに手入れする。休憩時間以外はただ黙々と ずに尋問「どこから釣りに来たの?」 ールが多く肝心なメールが閲覧しきれない。 続して閲覧するが大変時間がかかる、迷惑メ : するが充分に点検閲覧し得ていない ルが溜まる一方だ。ブログも同様打ち込みは て電波が岸壁に阻まれ届き難い。未読のメー 岸壁に艇を着けると、艇内は岸壁の下に隠れ この日が非番の地元警察官らだった。 〕 魚 と一 緒に煮る とう まい と 言っ てN 氏 から 作業場前に繋留して二日目の夜を迎える。 〔隠岐の夕暮れ …。携帯電話などは身につけていない。これ じ ゃ ぁ 昨 日 沖 か ら 電 話し て も 通 じ な か っ た わけだ。 凪じゃない、世間は凪だと言うだろうが、 タマネギが届いた。オッカァが畑で作ったも : のだそうな。かしこまって頂戴した。わたし 隠 岐 の 島前 は 三 つ の 島 の 集 ま りか ら な っ 〕 艇 内に ただ じ っ と閉じ こ も っ てい ても し は料理が苦手である。うまく煮ることができ ている。知夫島・西の島・中の島。わたしは 〔島巡り かたがない。シケ気味ではあったがまた釣り るだろうか?夕凪、ウグイスの声、タマネギ 0 6 0 1 ( ) れ て い る 、舟 引 運 河 とい う 。 巾 ㍍ 、 長さ 島に細くくびれた ところがあ り運河 が掘ら 出て西の島を時計回りにまわってみた。西の 好 の釣りポイント。今日はこの赤灘を抜け 知夫島と西の島との間を「赤灘」と呼び絶 (9頁図参照) 。 ㎝のアラ2匹) に出た。手頃な宅配ネタ( 日・隠岐3日目】 〕 西 の 島 の東 岸 入 江 浦 郷 湾 に 繋留 し て いる が釣れ、すぐに竿を納めて港へ戻った。送料 円、魚の写真を撮るのを忘れた。 赤灘はシケがきつく釣り辛かった。アラ以 外はすべてリリース。早々に竿を納め、艇を 浦郷の連絡船の桟橋横へ着けた。ついでに食 堂に入った。今日は人間用のまともな昼メシ 【4月 おっかぁの玉ネギ には明日釣る魚を添わそう。 ビビりのわたしにはシケ模様の海。 39 島前は中ノ島以外は細かく見て廻った。島 な観光船かヌッと顔を出した、玉下駄~ せない。思い切って突っ込もうとしたら大き ㍍、曲がりくねっていて向こう側は見通 0 4 3 〔いただいたメールのこと 04 32 : 後はまわり得ていない。天候が許さなかった。 - 12 - 11 15 メ ー ル は 入 港 後 携 帯 電 話 を パ ソコ ン に 接 12 を食いたい、漁協裏の飯屋でサザエ飯ゲット。 久しぶりに食事らしい食事。この後また作業 場前へ戻り、艇をもやい独り飲んだくれた。 作業場ではまだ皆さんが黙々と働いていた。 二人連れが防波堤の先で魚釣りをしてい た。目つきがジロリ見のおっさんたち。負け 11 29 35 隠居波平釣り日誌 巾 ㍍では、対向船とすれ違うのが大変だ。 潮の流れが強い。不慣れな船は片側岸に船舷 を着けて停止し、その脇をなれた船が通る。 わたしの操船技術では、この水路の早い流れ の中で片側岸に艇を寄せて停止するこ とは 難しい。ましてやバックなど出来ようも無い。 運河で対抗船と出会えば百年目、艇を破損し エは作 業場前の船着場に垂らした籠に いっ たん溜め置く。充分溜まれば市場に出す。 粒ほどあった。 爺さんに「500円分サザエをください」 と頼んだ。小粒なサザエが 焼いて食った。これって放流サイズかな。 〕 戻ると背広の人がやってきて、「ここはフェ リ ー 離 着 岸の 邪 魔 に なる か ら 向 こ う 側 へ 移 動して欲しい」と言った。で、「ハイ」と答 えてそうしようとすると、「わたしはここを 移動してもらえればそれでいいのです。わた : 運 搬 船 が よく 着 い て いる よ う な 気がす る け しは、この向こう側のことは知りませんよ、 隠岐・浦郷港は、島根鼻(鼻のように突き ど…」背広の人ってのは嫌だね。サラリーマ 〔珍崎村外れ船溜り場 出ている小山)を取り巻き、鼻の西側と、真 ン時代の自分を見る思いがした。その場所っ 大事になるは必定。 ん中と、東側(浦谷・ウランタン の3箇所 てガラガラなんだよなぁ~。 〕 に分かれている。艇はこの浦郷じゃなく西の 〔サザエ 小さいけれどサザエ。箱メガネで覗き、船 島・珍崎村外れの船溜りへ移した。人影がな : ) 晴らし抜群の風呂があった。登りあがって汗 島根鼻頂上に国民宿舎国賀荘があった。見 隠岐へ着いた日、浦郷港真ん中の大型フェ 流し。夕食をお願いした宿泊客以外はダメと く寂しかった。 リー乗り場すぐ横(写真下・対岸)に艇をつ のこと。わたしはワイルドな艇内泊。 り中。 外機)が数隻。サザエ舟だ。老漁師(?)が けた。上陸し釣具屋で氷と餌を買って、艇に ㍍ほど離れた位置に小舟(船 11 ものうげに毎日舟を出していた。採ったサザ 作業場から 14 50 - 13 - 20 09 の上から突いてとるげな、わたし独りで酒盛 20 12 隠居波平釣り日誌 艇 を 着 けた メル 友 の「 岩 牡 蠣 仕 分 け 作 業 所」は珍崎村外れだ。午後6時に作業を終え、 【4月 日・隠岐4日目】 〕 と言う。珍埼村が見えてきたぞ! 西ノ島珍埼村は牛の放牧が主たる産 業らし かった。確実に収入になると聞いた。警笛が うるさくて寝ていられない。 〔珍埼村異聞2 〕 : 、住人約 。ここ2・3年で 居ない、アッ!1人居た。ワイや、波平や。 所の戸は朝から閉まったままだ。人っ子一人 今日は土曜日。作業場も休みらしい。作業 のこと、山を幾つかに分けて牛を自然放牧し たので問うてみた、「牛を呼びよります」と うもおかしい。サザエ漁の爺さんがやってき 地の張り合いをやっとると思っていたが、ど を鳴らしている、対向車が鼻突き合わせて意 後ろの山の中腹で朝から車が盛んに警笛 ていない。庭で独り土いじりしている老人が とつ越したところ。閑散とした村。人が歩い 珍埼村を訪れた。前掲写真の左側へ小山ひ いる、話のジイチャンはサザエを捕っている。 トビが舞っている、牛が山をほっつき歩いて 高い、病院が無い、ウグイスが鳴いている、 が見えない。 くくり付けたが、水面が風で波立ってナマコ ナ マコ を捕っ て や ろう と長 い 竹に ヤ ス を 〔珍埼村異聞 : 戸の村。この作業 メ ル 友 と 従 業 員 2 名 が 帰 宅 し た 後は 完 全 に ~ 戸数約 人ほど減ったそうだ、老人が施設に移ったの が大きな原因、残る者らも老人だらけ、だん ぜんバァさんが多い、他で働いていて定年に なると爺さんは村へ戻りたいと言う、バァさ んは、あたしは嫌だと言う、わたしは定年に なって戻ったとサザエ爺さんは言った。この 計 算 で は ジ イ チ ャ ン の方 が多 く なら な い と 旅では、その土地土地の皆さんと交わり語 ているそうだ。警笛は牛に餌をやる合図。配 おかしいが、居着きか難しいらしい。物価が らいたいと思っていた。このことを事前にN 画面奥作業場前に繋留 無人になった。 その珍崎村は約 場は陸の孤島そのもの。この寂しい所に艇を もやい、独り旅寝することになろうとは思っ てもみなかった。ただし、きわめて安全な場 所ではある。明日は大シケの予想。浦郷湾口 には4~5メートル の大波 が押し寄せるだ ろう。ここなら外海のシケから完全に隠れお おせる。 艇に自転車を積んでいる。裏の山に道があ 09 居た。メル友N氏のお宅はわからなかった。 るが、そこまで自転車を担ぎ上げることがで 10 50 30 合 飼 料 を ウ ン と 食 わ せて 早 く 太 ら せ る の だ きん。 20 16 70 40 氏にお伝えしておくべきだった。 - 14 - 50 30 隠居波平釣り日誌 N氏の岩牡蠣養殖は牛 の放牧よりは収入 になるようだ。 子牛をある程度ここで育てて出荷する。出 夕方、日が暮れるとキャビン内に電池を灯 す。小さな明かり、腹がくちるともう何もす ることがない、 揺れる艇内で寝るのは苦痛ではない。酒が 様子を聞く。 彼女の全盲友人はボランティアの付き添 いを得て今年富士山頂上まで登山を果した。 わたしと同年 〔天晴 歳 マッサージ師。 〕 ( ) 彼 女 は パ ソ コ ン で は 文 字 を 音 声に 変 換 し いた。子供の名は天晴と書いてテンセイと読 初めて連休を取ったと言った。子供を連れて と知り合いになった。働きづめだったが今回 ひょんなことから大阪北の居酒屋のオヤジ 出航のつもり。 こちらへ移った。明日ここから柴山へ向けて 珍 埼村 外れ の 船 溜 まりは 不 便過ぎ る の で 浦郷湾の浦谷 ウランタン 。 ) 「見る」とか「見た」とかの言葉を使う。見 ( : 外海は4㍍のシケ、ここは完全に風裏の奥 える者には見える。どうもそういうことらし : : 〕 まったところでシケの実感はない。それでも、 い。彼女はパソコンができる。わたしのブロ . 眠気を誘いごく自然に寝入る。 【5月1日・隠岐5日目】 〔見る 尺八が趣味で随分長くやっている、未だに 上手になれなくて、だから稽古をせにゃなら ん。三弦の師匠の元へ合奏稽古に通っている。 代 の 全 盲 の 女 性。だ が ご く自 然に 時折突 風 が海 面を叩 きながらやって来 て艇 グを見ている。彼女の友人の、やはり全盲の 師匠は を岸壁に打ち付ける。艇にはフェンダー 防 方からコメント蘭に1文をいただいた。波の 65 52 荷先で成牛になり、それぞれのブランド名が つく。 ジイチャンのサザエ漁はこの日(4月末) で終わりだ。舟を整理し、箱メガネ・突き棒 などを小脇に抱え、折れ曲がりそうに背負っ て帰って行った。 〕 舷材・クッション をぶら下げている、大し 面立ちを、水平線のことを伝えたい、観てほ 波平 ラフラ揺れている。もう寝ようかと思う。 夢に酔い酒に酔いして隠岐4月 18 ませるらしい。彼と一献酌み交わした。サザ 艇に尺八を持込んでいる。 た衝撃は無いが大仰にガッポンガッポン揺 〔4月末 57 て聞き取る。写真はおかぁさんに見てもらい、 - 15 - 05 50 しい、どう書いたら見やすいのだろう、 40 れる。艇内では船長がはやから酒に酔ってフ 19 隠居波平釣り日誌 エがあった。彼とテンセイとわたしが焼いて 食った。 ていた。 【5月2日・隠岐5日目】 : 断 念し 風裏に あ た る 三 度 埼 みた べさ き に ) 父さんも誘っておいでよ」と言うと、すぐに 移動した。 ( 父親を連れてきた。 寒い夜だ。夜中の1時半に起床。生活時間が むちゃくちゃになってきた。星空がきれいだ。 夜が明けたらまたブリを食うつもり。 った。子供を乗せてやりたかったが、保護者 子供と父親を艇に乗せ、港外をしばらく走 漁船らは波に没してはまた浮かび出る。一様 った、 ノット、沖に小さい漁船が出ている。 山が動く感じ、波に乗っかって波と一緒に走 ャビン屋根に取り付ける。 反射板。霧で視界が悪くなれば、これを艇ギ 写真左肩 隅のひし形 の妙な物はレー ダー 艇は小さい、が、波は大きい、ゆったりと の許可無しでは乗せ辛かったのである。天晴 ブリ狙い、ゆっくりは鯛狙い、島の荒磯に赤 〔赤灘 【5月3日・隠岐6日目 】 1 1 や 黄 が 張 り付 い て 見 える の は 磯 釣り の 人 た 〕 : わたしも負けずに魚釣りした。またブリ1 ちだ。 港湾整備だが、いささか大規模すぎるのでは 本ゲット。あわてて竿を納める。また釣れた 東側。 まだ完成したばかりで未使用の状態。 ないか。造りはしたが何に使うかいまだ検討 ブリと焼酎だけの昼飯兼夕食。午後4時、 ら困る。 この地から出た大物政治家いたかなぁ。堤防 食 い 終 わ っ て そ の ま ま キ ャ ビ ン で寝 て し ま 中みたい。無駄とはいわんが贅沢なことだ。 内側に小船が多数もやってあった。小船は年 った。 赤灘 浦谷は浦郷湾内3箇所の船溜まりの一番 に潜行板を曳いている、少し速めに曳くのは ブリ半身、コレばっか 〕 3時過ぎに起床。5時過ぎに兵庫県柴山漁 〔隠岐の潮・出港できない 覗きに来る子供が居た。聞くと、お父さんと 港 を 目 指 した が 湾 口 を出 る と 3 ㍍ 近 い 波 だ 艇に興味があるのか再々「はまちどり」を 遊びに来ていると言う。すぐ近くの民宿に逗 った。柴山まではここから マイル。渡航を 留しているらしかった。「乗ってみるか?お 00 君だ。 食っている。 10 寄たちの遊び舟だとか。年金波止場と呼ばれ 10 07 - 16 - 90 隠居波平釣り日誌 は左舷前方 度水平線上約 度の位置、は や正視に耐えない、ひたすら行かん大海原。 右手が知夫島、左は西の島、中央奥は中の 島。 日~5月3日、1週間の隠岐滞在だっ から出港した「はまちどり」は、この合流の 渦の中を走ったようだ。 〔鳥取の海 度、約 〕 ノット、鳥 マイルに鳥取の大山が見 マイル、絶好調。 : お陽さまが酔っ払った赤い顔を出した、晴天。 向かう、左舷側に中の島、山際が薄い茜色だ。 して本州への最短港・境港へ向かうつもりだ 波 が き つく て 難 航 する よ う な ら 安 全 を 期 けた。タンクローリーに軽油の搬送を依頼し い港だった。大型巡視艇のすぐ後ろに艇を着 山陰の海は好きだ。故郷の匂いがする。 若かった。 砂丘に遊んだ昔を思い出した。あの頃はまだ 鳥取海岸を海側から眺めるのは初めてだ。 た。 したいが、艇に積んだ500㍑では足らない。 途中鳥取で給油のつもり。 ☆(後日の調査) : 〕 p h 5 2 0 1 柴山は私のふるさとだ。小学校3年の春ま 8 2 1 出され海流図が公開されている。これによる でここで育った。神戸に生まれ、父の郷里柴 〔柴山着 と 当 時 の 隠岐は 約 2 ノッ ト で 西 進す る 対 馬 山へ戦争疎開していたってわけ、ここには未 海上保安庁から1週間毎に「海洋速報」が 暖流の流軸のど真ん中にあったようだ。暖流 度、島を離れ境港へ向か だにその頃の幼馴染が居る。私と同姓の者が ノット、進路 は隠岐の島に突き当たり二つに分かれ、島の 46 艇を鳥取港へ向けた。一直線に柴山港を目指 った。が、凸凹海域を越して大丈夫と判断し、 鳥取港へ入港し燃料軽油を補給した。奥深 取港まで える。カツオ鳥が舞っている、 右舷 : 変な波とうねりが発生している。ここはガマ 汐流」とが大口周辺の凸凹海底に影響され、 「海流」 (対馬暖流)と潮の干満による「潮 た。 4月 〕 07 20 28 20 外 海 か ら 赤灘 の 瀬 戸 をく ぐ り 湾 へ入 っ た と ころ。 波はすでに湾の波。 【5月4日・隠岐7日目~柴山】 〔浦郷→柴山 60 45 ンして走るしかない。 15 27 うコースを取った。が、潮波区間を過ぎて左 薄く隠岐が見えている、 多い。縁をたどればほとんどの方たちと何ら れ、遥か後方水平線所に 西方で再びひとつに合流し西へ向かうが、島 豪快な曳き波見ておく 、凪、ただしウネリがあって走り辛い、 5時出港、湾内ベタ凪、湾口の「大口」へ 53 33 20 - 17 - 05 へ転舵、境港から鳥取港へ目標を移す。太陽 14 隠居波平釣り日誌 かの姻戚関係がありそうだ。 艇に乗り込んだ。 「釣り竿は持ってこずか?」 という、アキどん、缶ビール3本だけ持って てなんとしょ! りが身体に血肉にしみこんむ。潮が読めなく 難しい。だがここは故郷の海、故郷の潮の香 ら」とアキどん。「師匠を訪ねるなら万全の 幼馴染のツー君が、同級生を集って一席設 (およそ半世紀ぶりの同窓会) とわたし、「ちょっとドライブのつもりやか 惑う。 用意をしてこなあかんやないか」 幼 い頃 の距離 感 と今 見る 景 色 との差 に 戸 幼 い 頃 描 いた 絵 は い つも 決 ま っ た 構 図 の 柴 釣果、ブリ2本、鯛9、ガシラ、メバル。 けてくれた。6名集まった。女性にも声をか 山港の風景だった。 城山へ登った。うっそうとしたおどろおど けてあったようだが出会えなかった。当時幼 数名だったらしい。 年ぶ りとも な れば 初め わたしは以後神戸に移り住んだ。 仲間は まで一緒だった同級生らだ。1学年1学級、 に歌える。そのときから小3の春に分かれる という出だしだった。この一節だけはいまだ 「♪赤ちゃんのお耳はちっちゃなお耳…♪」 の 講 堂 で 歌 を 習 っ た の を 覚 え て いる 。 歌 は 稚園はなかった。小学校入学前に数日間学校 ろしい城址だったはずだが、たんなる小さな 台地にすぎなかった。 ブリはアキどんが釣った。ハリス2号で釣 った。ヘナヘナ竿でスピニングリールのドラ ッグをジージ ー出し入れしながらとうとう 再 会 と いっ て も : だった。が、乾杯し、会釈を交わしたら、と 釣り上げた。 柴 山 港 を 出た す ぐ の 沖に す ば ら し い 天 然 礁 たん花が咲いた。「村のどこそこの家に確か て会うのも同然だ。話が合うだろうかと不安 がある。大きな瀬になっていてオキアミ餌で - 18 - カンコ舟が昔は俊足の舟だった。細身で艪 こぎの軽い舟だった。もうどこにも見かけな い。わたしはこれで艪こぎを覚えた。 あ のこ ろ砂 浜 で 砂に潜 る 小 蟹 を採 っ て 遊 んだのだった。その小蟹を見たかった。が、 もう港の改修で砂浜が無い。 【5月5日・柴山2日目】 〕 した」といって朝早くやってきた。 ~ 80 見てアンカーを入れるが「潮を読む」これが ~ワシのことや」と某氏。「こんなことがあ 同級生が居たと思うが…」とわたし。「おぉ 〔不心得な弟子 58 、潮行きを に出るが」と言うと、「ハイ行きましょう」 60 アキどんが「ドライブがてら様子見に来ま 30 柴山沖での釣果 釣る。かかり釣り。水深 47 焼酎「三岳」を「ハイどうぞ」「これから沖 11 隠居波平釣り日誌 た」と応ずる者。わたしは彼等がワイワイや ったなぁ~」と、わたし。「おぉ~そうやっ いってデカイ方を下げてきたのだった。 「アキどん、このブリ1本僕におくれよ」と あぁ、ブリはアキどんが釣ったもの。 ヨ竿・ハリス 石鯛は小鯵釣りのサビキで釣った。ナヨナ んでます、 号。小さなスピニングリール フカセたら一発や、港へ戻って紅蟹で酒を呑 りだすと何のことか分からない。が、わたし ブリはクーラーに収まりきらず尾を落とし てある。 【5月6日・柴山3日目】 〕 ビックリの石鯛と波平 が話すことは、彼等には概ね通じたようだ。 友等はわたしの昔の記憶に驚いていた。驚く しく思い出していたのだ。記憶は思い出すた 〔石鯛 5月6日 にはあたらない、わたしは故郷をいつも懐か びに更新され、磨かれ、鮮明になっていたよ : うだ。これ、自分でも実に驚いた。 47 ㎝の石鯛、現認者は二郎ちゃんと 松葉カニには負けるが、酔っ払って呑む隠居 縁戚の若い衆がベニ蟹持って呑みにきた。 ビックリした。 辛抱溜まらずこやつが浮かびかがってきた。 いながらリールをジイジイ言わせていたら、 一杯呑んでいた。酔っ払っていて、冗談言 外道がこれである。 釣 り の 生 き餌 に す る つも り の 小 アジ 釣 り の のドラッグ機能をフルに使っての釣果。ブリ 1.5 (わたし)には分に過ぎた肴である。ゴチに なった。 - 19 - わたしは、前日釣ったブリと鯛を持参し、 会場の調理場に託していた。姿造りになって 膳を飾った。同級生等は皆漁師の親方らであ 柴山沖 14 奥野氏、どうじや、アルバどん、この刺身食 る 66 いに柴山へやって来んか? ゆりよ、上手に 湾内から臼が浦を見 る。魚が珍しいわけではない。が、魚を美味 しく食べるプロでもある。 持ち込んだ釣果 隠居波平釣り日誌 この二人は大漁だったことがない。わたしは 写真の石鯛釣った。が、二人はなぁ~んも釣 れなかった。 【5月7日・柴山4日目】 ☆ 石鯛のくちばしは、記念に取って置くの が釣り人のならいである。 〕 時 過ぎに解除された。泡食って沖へ釣りに出た。 前 夜 か ら 出 て い た 強 風 注 意 報 が午 前 〔一躍釣り名人 : 〕 ブリ2本、鯛多数。 港へ戻ると釣友・つられ氏夫婦が桟橋に待 ち構えていた。今朝思い立ってやって来たと か、あちこちから思わぬ人がやって来る。明 日8日は神戸新聞が取材に来るそうだ。 今日の釣りを、沖で誰かが見ていたらしい、 一躍釣り名人になってしまった。 艇の向こう側家並みが疎開先だった。 遅くまで親戚の者らがやってきて艇で一 石 鯛 の サシ ミは ビ ッ ク リ す る ほ ど う ま か に 着 いた 二郎 ち ゃ ん と奥 野 氏 は 艇 を 探 す が 強風注意報が出ているが湾内はベタ凪。石 とになっていた。が、予定変更し、ここ柴山 サシ ミは甘く上品なうまみ があってすばら 飯代わりの焼酎はマワリが早い。 神戸新聞の取材を受けた。分家の長男が面 【5月8日・柴山5日目ブログメンテ】 った、他の釣果は自宅へも宅配する。 見つからなくて戸惑ったらしい。漁港船溜ま 緒に飲み食いした。この日は日曜日。わたし へ共通の釣友奥どんと日帰りでやってきた。 しかった。くちばしは採ってある。 二郎ちゃんは、当初は隠岐へやって来るこ りへ艇を寄せ、二人を乗せた。 鯛・は親戚の料理上手にわたし一人分を取り 〔柴山の酒 : 故郷の味だ。わたし、幼い頃はとれ過ぎた 小蟹(セコガニ)を畑の肥料用にすき込むよ うなことがあった。その足をもぎり食ったり したことがある。懐かしい! 昨晩から漁船の曳き波を避けて、対岸に造 42 は隠居、明日も明後日も日曜日だが、世間は 成中の岸壁へ艇を移動させていた。朝早く港 10 20 分けた後は、皆で食ってくれと渡してある、 柴山の上計(あげ)村を見る そうじゃない。今は一人で夕食中。 45 サシミまでの間、チビチビやっているが、朝 09 なんでやろ?この二人と一緒に魚釣りして - 20 - 故郷の味 隠居波平釣り日誌 白がって、新聞社へ取材要請したようであっ た。彼は漁船「豊洋丸」船長。釣り客がある と遊漁船にもなる。知る人ぞ知る大物釣りの 港では概ね酔っ払っていた。 第2章 若狭・能登 : 〕 ノット、針 アルコールで洗った、今朝金沢へ向け出港す る。 〔波と共にあり 津居山沖7マイルを航行中、 度、波1㍍少々、水温 度、 p h 2 2 0 1 、 0 6 3 に吹き出しがあり沖は荒れる。河口付近は荒 柴山→浦島礁→金沢港→舳倉島 度 度波以外なぁ~んも無し、 山河もあった、 れると読んで7マイル沖にコースを取った。 津居山沖を通過。 〔浦島礁 : 〕 分、丹後半島・経が岬沖 マイル 波があった。が、さほど難航することもなく 泊まりにするつもりであった。時に2㍍近い みなして世話をやいてくれた。 柴山滞在最終日に地元新聞(神戸新聞)の ここでもし難航し船脚が伸びなければ、伊根 津居山は円山川河口、南風があると川沿い んやり、中ほどの絶好調。 水平線はなんとか確認できる。曇天、空もぼ 視界2マイル、 15 凄腕漁師。 彼の口癖、 「おじさん(わたし)あんまり酒呑み過ぎ んがええでぇ~」 柴山には5日間滞在した、 17 食え食え、呑め呑めと言うからそうした。 友も居た、 16 07 : これより第二航程、故郷で身も心も洗って 1日まで禁漁だそうな。かつてここで巨大な 伊根に入るつもりだった、が、浦島は、6月 浦島礁真上を航行。ここで釣り糸を垂れた後、 8時 13 取材を受けた。 【5月9日・柴山6日目~金沢】 〕 10 取材時すでに酔っ払っていた。 と。原風景の中で酒が飲めるのが、懐かしゅ 〔金沢へ発つ 45 - 21 - 70 …、アレッ!風呂には1度しか入らんかった、 43 10 「物心がつく頃暮らした柴山は心のふるさ うてかなわんのや」とわたし。 正気のときは沖で魚を釣っていた。 04 隠居波平釣り日誌 イシナギを釣ったことがある。また巨大が釣 っていても座っていても、妙におちつかない。 金沢みなと会館前(街に近い)に繋留適所 ㍍ライン。レーダに船影あり。 若 狭 湾 沖を一直 線に走 り 九 頭 竜川 河 口 の が在りそうだと事前に見当つけていた。あが 福井港沖に着いた。約 マイル。大部分が携 なく水深 0 0 2 れると困るから通過する。瀬の真上で宮津の 大 型 遊 漁 船 が 客 を乗 せて ア ン カ ー を 入 れ て いた。明らかに禁漁違反。しゃくだから写真 少し空いていたので艇を付けた。近くにいた そこは巡視船の船溜まりになっていた。が、 濃霧は九頭竜川の影響だろうか、沿岸に近 人がやって来て、ここに船を着けるには港湾 帯電話圏外。 どりは取り締まり船じゃない。気持ちは彼ら づくにつれ霧が濃くなった。すでに定置網敷 に撮った。だがここには掲載しない。はまち ノット、視 事 務 所 に 行っ て 許 可 をも ら う 必 要 が あ る と と同類である。ウネリ高まる、 設海域。レーダーに定置網は映らない。危険 界1マイル、 p h 4 2 0 1 。 : こで遊漁船の釣り客だったことがある。あの 港。大きな港だが艇をもやう適所がない。シ 柴山を朝6時出港→金沢港へ午後3時入 グボートが繋がれていた。そのタグボートの を巡った。無かった。大きな浚渫船の腹にタ で、再度、もやうに適した場所を探し港内 い箇所だった。 高く、艇をつけ得ても岸壁に這い上がり得な の場所を示してくれた。指定の岸壁は非常に 言った。許可は得られなかった。代わりに別 【5月9日・金沢】 で福井港に近づけなかった。 海図で浦島礁を割り出し、真上を通過すべ く自動操船装置を設定していた。 〕 時、船頭は遠くに見える他船の動きにピリピ ュンセツ船の 腹にタグボートが繋がれてい 横腹に艇を付けた。 〔金沢港 リしていた。「はまちどり」艇は遠くから見 た、人影が見えたので、声を掛けタグボート 随分昔になるが、かつてわたしも同時期こ ると取り締まり船に似ている。わたしは高速 の横に抱いてもらった。退勤時間が来てタグ 日・金沢→舳倉島】 で接近し直近を走った。遊漁船は取り締まり 【5月 〔金沢港 : 】 : 0 0 1 大 小 の 漁船 や 大 型 本 船 や プ レ ジ ャ ー ボ ー ツ船から岸へは渡り板が架けてあり、揚がり 口にのビラに鍵が掛かっている、上陸できな 〕 トらが思い思いに全速で湾内を走る、真夜中 〔濃霧 い。引き波がいつもあって艇は四六時中ガッ ㍍、 でもかわらない、艇が大揺れし、鉄船・タグ 福井港まで ポンガッポン揺れている、シュンセツ船に乗 47 いまだ定置網が敷設可能な水深ではないが、 05 ボ ー ト に 艇 が 打 ち 付 けら れ て 艇 が メ ゲ そ う 10 り移れば揺れは少ないが、甲板は鉄板だ、立 マイル、濃霧、視界 17 33 - 22 - 65 ボートの連中は全員陸へあがった、シュンセ 23 船かとビックリしたに違いない。 17 14 この霧ではヤバくて沿岸に近づけない。間も 10 隠居波平釣り日誌 灯を灯し、微速で湾口へ。なんと湾内にボン を解いた。とにかく港外へ出よう、夜間航行 である。深夜3時過ぎに我慢ならずもやい綱 う漁法だ。港内にこの仕掛けを放つのはルー は近づき魚を取り込む。本来は広い外海で行 が激しく揺れる。揺れる竹竿を見つけて漁船 ㍍ラインを出た。舳倉は対馬暖流中に浮かぶ ロー沖6マイルへ、漁船散見す、凪、水深 イル付近を航行中、とり舵(左転舵)ヨーソ こは沖5マイルあたりまで瀬がある。今4マ 初めての港へ入った際は、方向感覚が定ま は恐竜が頭をもたげたような形。 ☆ 海士崎は能登半島の後頭部あたり。半島 0 0 1 東西南北判断の頭の磁石が狂っている、8ノ らない。寝起き後しばらくは狂う、この日は 岬の沖は海中へ瀬が長く伸びている。瀬 島、 ル違反。 夜間航行灯。船は夜明けまでは夜間航行灯 テンを放って漁をしている漁船があった。港 外で夜が明けるまで暫時待機。4時過ぎに真 ット、まだ明けきっていない暗い方の海へ沖 南北を間違え、見当違いの方向へ行きかけた。 とは海中に盛り上がった岩のこと。油断 を点けて航行する。これもルール。 出しする。もし周辺に定置網があったら、こ 定 置 網 漁の 網 あ げ は夜 明 け 前 暗い間 に 行 す る と 艇 は 瀬に の し 上 げ 船 底 を 破 壊す - 23 - 北(?)の山際がしらみ始めた。寝ぼけ頭だ、 の 時 間 帯は 網 揚 げ の 漁船 が群 れ てい て 赤 々 う。漁船はこうこうと明かりを灯して網あげ と灯がともっているはずだ。 る。航行中は常に瀬に注意し出来るだけ 定置網は、概ね岸から沖2マイル半まで 左転舵=とり舵、右転舵=おも舵。 作業をする。明るい辺りを避けて避けて航行 〕 深い場所を走る。 〔陽は登った する。 タグボートの横が漁船の通り筋だった。解 っ て い た がま さ か 各 船速 度 を 落 とさ ず フ ル ス ピー ド で駆 け 抜 け よう とは 思 っ て い な か : : ☆ 黒潮はフリッピン沖から北上し、九州南 の沖を走る。 設は困難。水深100ラインをメドにそ 00㍍を越えると物理的に定置網の敷 の間に敷設されている。これが基本ルー 舳倉島へ向かっている、航程約 ル、だが、遠浅の海では4マイル沖まで マイル、 った。港内は微速でトロトル走る。これがル ほぼ1時間近く金沢港外で待機。時々ペッ 裕は無い。 ㍑缶ほどの 発泡スチロールに背丈ほどの竹竿を刺し、そ 〕 能登半島西岸海士崎沖にさし掛かった。こ 14 にハリを付けた縦綱をぶら下げている。ボン テンは幾つも放つ。それぞれが潮の動きに乗 って勝手に流れ、その間に魚が掛かると竹竿 〔沖を走る ・朝の太陽は幾度観ても感動する。 ・ボンテンは縦延縄漁の漁具。 ール。わたしは逃げ出した。 80 も敷設されていることがある。水深が1 52 トボトルをくわえて茶を飲む。朝飯を食う余 05 07 の竹竿の頭に小旗をつけた大型のウキだ。下 20 隠居波平釣り日誌 西諸島を洗い、本流は太平洋岸へ、その支流 ☆ 舳倉島は 標高 がわず か キロ北 ㍍しかない平 たい島。遠くからは見えにくい。 こ こ ま で タン クロー リー で燃料 軽油 を運 ㍑ 円は んでもらう、艇は常に右舷着け、給油口が右 舷側にある 免税軽油 0 0 7 9 1 円/㍑、な 7 0 1 んなもんあるかい! 円/㍑前後。 に飯代食われてしもた。店屋?釣り具屋?ほ 今日は昼メシも晩飯も抜かにゃならん、艇 本土ではこの時期 んて安いのだろう…冗談デッセ! 4 8 1 能 登 半 島 先 端 の 輪 島 漁 港 から 約 : 地。 の海に浮かぶ孤島。周囲6㌔、渡り鳥の中継 50 は対馬海峡を通り抜け日本海へ流れ込む。 日 本 海 へ入 っ た 黒 潮支 流 を 対 馬暖 流 と い う。対馬暖流は日本列島沿に北上し一部は津 軽海峡を東進し太平洋へ抜ける、津軽暖流だ。 残る支流は更に北海道西岸沿いに北 上し宗 谷岬を越えオホーツク海へ入る、宗谷暖流だ、 〕 こ の 度 の 日本一 周 航 海では 常 に 黒潮の流 れ に注意した。 マイル、視界良好。 〕 : に入るつもりだった。だのに、なぁんも忘れ 金沢で餌や氷など万全の用意をして後、舳倉 (国土地理院図借用) て金沢港を逃げ出した。昨晩は寝不足、眠た - 24 - 75 12 ☆ トカラの岩礁とは、平磯岩礁のこと。 〔ねむたいが先 舳倉島だ。 赤印の位置に艇を着けた。 〔舳倉(へぐらしま)は見えない 舳倉島まで 見 える 。 数 えた ら 八 つ、 な ん で 七ツ 島 な ん 右舷7マイル「七ツ島(別名ゴジラ岩)」が 49 あれが舳倉島 11 対岸の白点が艇 08 や ? ト カ ラの 時も 途 中に こ の よ う な 岩 礁 が 水平線に七つ島 あった。まだ舳倉は見えない、 見えた!08:07 水平線上に薄い島影、 12 16 隠居波平釣り日誌 り餌の用意がないこ とをまた 悔やむだ ろう いからこれから昼寝する。目が覚めたら、釣 の 気 合 が 入っ て い る から バ イ キ ン が 降 参 す んでもかでもすぐに腐る。しかし、おっさん て良港。避難港として最適。繋留箇所もゆっ けた北防波堤の内側に艇を着けている。極め 弁天島(港内の岩)の脇を北側奥へすり抜 : : ヨッシャ!アブリ殺してやろう、焦げ気味に ソーセージは白い斑点を着ておった。カビだ、 るまでは待てん、ソーセージで1杯呑もう。 ない。1合炊飯器を取り出した。点火、炊け ウトッとしたら目が覚めた、腹ぺこで眠れ たると大事に至るそうだ、まだもう少し残っ ーカードを投げてよこした。ソーセージにあ イ!止めとけ、食ったらあかん」と、レッド を 食 っ て い る の を ブ ロ グ で 知 っ て 、「 ヤ バ なのだが、わたしがカビのはえたソーセージ 友人のモーさんが、彼は公衆衛生の専門家 ( ) : 〕 った、今日は骨休めじゃないか、 っ た 漁 船 から 出 て き た の は 皆 ジ イチ ャ ン だ たシケではないが誰も出ない。昨日沖から帰 ていた、漁船は今朝は1隻も動かない。大し 知らなかった。バケツに雨水が大量に溜まっ 昨夜は雨が強かったようだ、熟睡していて たりしている。 る。意外と腹は下さない。 〕 焙って食ったが、なぁんだやっぱりソーセー ているが食わないことにする。さぁて、何を 〔おかずがない ジじゃないか。焼酎の消耗が激しい、アキど 食ったものか…、酒もある肴 おかき等の乾 冷蔵庫がないから食品の買い置きができ ない。入った港で調達する。だが、この島に は店屋が無かった。 缶詰は積んでいる。遭難し漂流した際の緊 日・舳倉島2日目】 急食料だ。取り出してひとつ食った。 【5月 〔舳倉島の朝 右から3席目(白く見える)が愛艇、左 な。航行中は眠くて困った。 〕 んが持ち込んだ焼酎瓶がダンダン軽くなる、 き物 もある、飯のオカズが無い、醤油や砂 〔水平線 水平線は下へ下へ。ソーセージは食ってしま ーが上がってしまう。用心のため、初手から が、停泊中はバッテリーからとる。バッテリ から。電気は走行中はエンジンからとれる。 電源を故意に切ってある。バッテリーが弱る 艇に冷蔵庫はない。いや、あるが使わない。 へ。 糖ならある。 30 った、飯はまだ炊けない、水平線はさらに下 06 冷蔵庫の電源は切っておくのである。で、な 06 - 25 - 18 07 11 端に弁天島がある、 14 隠居波平釣り日誌 し酸っぱくなったが、気にしていたら食うも 保存食を温めて食った、キムチがある、少 んともない、毛布の外の手足が痒い。 生だろうか?でも、毛布に包まった部分はな 次にダニかと思った。艇のキャビンにダニ発 わたし、数年前、全身に湿疹が出て延々足 のが無い、オツなアジだ、体調は上中下に分 けると、下の絶好調。 治医が「お前は心がけが悪い、性根を治さん 掛け3年間かゆみに苦しんだ経験がある。主 漁港は4種に分類する。 (分社)があった。 島内散策を終え、艇に戻り、即席ラーメン ースは野菜の代わりになるだろうと積んで るわけがないが、痒みが取れた。その実は艇 こ のた びの 痒み は この亜 種 ではな かろう いた。味?いわく言い難し。しあわせだなぁ を湯がいて今食ったところ。アテを造った、 か。ひょっとしたら昨日食った腐りかけソー ぼかぁ~、トマト酒呑んで酔っ払って昼寝し の一連の故障 修理が完了したら自然 と湿疹 セージにあたったのかもしれない、メンソレ よう、なんでこんなに瓶深が浅いのや、底が 焼酎三岳のトマトジュース割り、トマトジュ タームを持参している、歳だなぁ、これが一 きりなしに呑むから底がどんどん近づく。 焼酎瓶の底が近い、チビチビ呑むが、ひっ そこやないか! ている。 : 〕 : 店屋が全く無い。飲料水の自動販売機も見 〔やっぱりダニやろか? 平たい島だ、自転車で簡単に周れた。島内 つからなかった。見つかったのはジイサン・ 〔三岳底 〕 ボリボリ手足を掻きながらブログを打っ 番よく効くような気がする。 が消えたのだった。 言った、で、性根を治したら、そんなもん治 と病気は治らん。お前は死ぬまで治らん」と 利用範囲説明 ここは第4種漁港。 漁港種 利用が地元漁業を主とするもの 第一種と第二種の中間のもの 利用範囲が全国的なもの 離 島 そ の 他 辺地 に あ っ て 漁場 の 開 発 〕 には車は無い、三輪車が大活躍、ギャル(?) - 26 - 別 第一種 第二種 第三種 第四種 : 昨夜から手足に痒い湿疹(?)が出て弱っ 44 バァサンだけ、子供が居ない。あとは海とお 12 がフキ採りをしていた。全国有名神社の遷宮 11 ている。当初は蚊に噛まれたのかと思った。 05 又は漁船の避難上特に必要なもの 〔台風1号? 12 台風1号発生の報を聞いた。 08 隠居波平釣り日誌 名弱とのことだが、 数名程度じゃないか。 社と廃屋・廃校。人口約 実際は バードウオッチの団体が来ていた、1軒し ン ズ を つ けた カ メ ラ を背 負 っ て ヨレ ~ と 立 っておる。目の前に何鳥でもええから来てく れ へ んや ろか? そ れ を鳥ら が逆ウオ ッ チし ておる。 地のばぁちゃ んらは野生のフキを採った り、岸辺に立ちこんでワカメを採ったりして おる。ジイチャンらは団子になって、ヒマそ うにタバコをふかせておる。島内一巡して、 わたしも実はヒマなのだと気がついた、これ から髭でも剃ろうかと思う。 民家は百戸ほどある。廃屋が多そうだ。廃 屋 か と思 う と な かに ばぁ ち ゃ ん が居た りす る。定期船が1日1便通っている。 日・舳倉島3日目】 ったが遠慮した、あぁ痒くてかなわん、 上・天然ワカメ 下・千切れワカメ拾い 漁解禁のことを開口という。アワビの開口、 ワカメの開口などという。時間が来ると漁協 がサイレンを鳴らす。 〕 島 か ら 1 マ イ ル 離 れ ても 水 深 は わ ず か 数 凪だ、早朝一旦は魚釣りしようと沖に出た。 〔毛虫刺されらしい : : 〕 0 4 さんらが一斉にウエットスーツに着替えて メだった、が、痒くてたまらん、痒くて痒く ギ ョ タ ン 反応 が あ り 数 度 ジ グ ッ てみ た が ダ 0 1 鳥は多い、渡り鳥の中継地になっていると ワカメ採りをした、天然ワカメだ。養殖とは て釣り竿持っていられない。 - 27 - かない民宿に泊まっていたらしい。 へぇ~民宿があったの? ありました、わたし、さがして今夜の夕食を 【5月 〔ワカメ開口 か。長旅にくたびれてヨレヨレの小鳥が多い 一味違う。船揚げ場に魚網を広げ、その上に 前後の広大な瀬が広がっていた、 らしい。それをバードウオッチの年寄りらが と島へ戻った。 島には診療所があったはずだ、受診しよう きちんと並べて干す、 で、 水深 ㍍だった。漁場は4~5マイル南々西あたり 10 お願いした。この島は野鳥の天国。バードウ オッチの穴場。 26 見学する。バードウオッチャーらも皆年寄り 分間だけ採取ができる、バァ 12 大 ギ ャ ル らのウ エ ッ トス ー ツ 姿 を撮 りた か 時(?)から 今日はワカメの開口日だったらしい、朝 11 でヨレヨレってわけ。上等の三脚つき望遠レ 30 70 民宿 補足・民宿は もう1軒あるそうな。 26 12 20 隠居波平釣り日誌 休診日かな?と、診療所前でウロウロして いたら、通りかかった若い青年が「診療所に 来られたのですか」といぶかしげな目付きで だった。 問うた。「ハイ」と言うと、その青年が「ど うぞ」と言った。 毛虫に刺された症状だと思うとのこと、痒 〕 裸足でスリッパを履いていた。 見えもしない小さな虫 が真犯人だったと は!群がって襲われたに違いない、が、探す とこれがどこにも居なかった。どうなっとる んや?? 〔痒い 〕 発症したのは舳倉に着いてからだ、素足に : 息を吐きながら寝た。次の日は、同様のいで ) ( ) 痒い犯人判明!糠 ヌカ 蛾 ガ だった。民 立ちでバードウオッチャーをウオッチして ( 宿 の お かみ が 客 を 通 船波 止 場 ま で 見 送 り に スリッパ、両腕をまくりあげ、焼酎に酔った 赤い斑点を数えてみた 、片側足の膝下に 島内を歩き回った。晩はまた焼酎の息。一気 、右甲 出ていて、たまたま通りかかったわたしの手 0 0 3 、手の左甲 0 5 1 0 5 3 、息を詰めるほど痒い、釣りどころ もらった。これ以上炎症が広がるのを抑える る、ニガリだ。おかみに付いていって塗って 、 箇所、両足で 総計 じゃない。 先生にこの島の生活をお尋ねした。やはり 0 0 4 ほど持っている、あぁ痒い! : 〕 1 オッチャー)が、「予備知識が無かったので そばでこれを見ていた民宿の客(バードウ 水虫は全部治すのはもったいない」と言った。 分の足を出し「こいつを掻くと気持ちがエエ。 ことがある。受診した医者はスリッパから自 昔、足の指周辺に水虫ができて往生した 人は本土へ渡っていて、島には達者な老人し すね」と言った。この島にはそれ(ヌカ蛾) 二度と受診しなかった。しかし名言だ。少し が、痒みは向こう 週間続くそうだ。 か居ないとか。この島の方々は輪島にも家が が居て、ホレこのようにします、と、襟付き 痒い箇所があるのは幸いである。もちろん痒 だった。 夕刻、再度訪問し、一緒に一杯やった。 あって、そちらが本宅だとか。 長袖・長ズボン・指先だけ出した手袋を見せ 名ほど居るそうな。治療を要する 23 20 すぎるのは苦痛である。 住民は 〔痒い に赤い斑点が増えた。わたしは今現在赤い斑 〔痒い : み止めの塗り薬を処方してもらった。以来せ 04 足の赤い斑点を見て声を掛けてくれた。ヌカ 診療所Dr.と波平 点を 15 のような小さな蛾が居るそうな、特効薬があ っせと塗っているが、痒みは取れない。 16 16 30 自治医大を出たばかりのタマゴ dr - 28 - 46 dr た。わたしは無防備、Tシャツ・半ズボン・ 70 隠居波平釣り日誌 ㌔離れた孤島。気象 の島にはヌカガと呼ばれるちいさな虫がい からは毛虫によるものという推測ですが、こ た。 庁の波高予想はぜんぜん当たっていなかっ る。舳倉島は沿岸から 前述の舳倉島診療所の若いドクターは、こ て、そいつも強烈に刺すので(刺された時は によるものだと思われました。このすごい数 の年9月末で離島勤務を終え、本州の基幹病 わからず、後になってわかってくる)それか 《少し横道へそれますが…》 院勤務へ戻られた。先生は診療所勤務期間中 もしれない。なるべく、手足を露出せずに外 : 0 0 2 分 分、佐渡まで 分 マ ノッ ノット、シャワー浴び 第3章 佐渡・東北日本海 ブログ「診療日記」を付けておられた。内一 た。夜は、その方と一緒にお酒を飲み交わし に出るようにアドバイスし、薬を処方しまし 50 部を以下に紹介。 わ た し が 痒 い 痒 い で受 信 し た 日 ( 5 月 〕 ㎝と言う マイル先)へ向け舳倉島 ㍍ 日・舳倉島4日目・→佐渡】 ました。……以下略。 【5月 〔波2㍍風あり約 トに減速、 同 〕 - 29 - 日)はわたしを含め2人が受診したとある。 日、晴れ、朝から凪で今日もワカメ 佐渡羽茂漁港( を出港、金沢・新潟両気象台は波 が今現在は2㍍を少し上回る波。艇速5ノッ 時 ㍍ラインを越えた あたりから波の頭が丸くなった。 ト。舳倉島を出て水深 さまざまな港によりながら、小さな船で日本 時 マイルの位置を航行中。波1㍍半、 佐渡まで 白波チラホラ。 膝から下)に無数の紅班、丘疹が無数に出現 ながら走る。 〔佐渡・小木港へ入港 12 「舳倉島診療日誌」から抜粋。 5月 今日は観光客が2人来院 きり。…中略…こういう天気のいい日は患者 が少なめです。 06 を一周しよう という壮大な計画途中の関西 のお方でした。 (わたし波平のこと) 15 イル。跳ねまくってどうにもならん、 したとの事です。診てみると確かに無数にあ 10 ……略……その患者さんの主訴は手足(肘、 15 20 しました。 90 10 09 36 気 象 台 は 本 州 沿 岸 の波 高 予 想 を伝 え て い 35 12 そのうち一人は兵庫県の明石から出港し、 03 13 12 ります。分布から考えて、おそらく何かの虫 : 13 50 08 12 隠居波平釣り日誌 たった今繋留完了。あぁシンド、シケは嫌 〔旅枕 〕 する。佐渡が揺れておる。 〕 艇から陸へあがったらフッカンフッカン 〔佐渡は揺れていた : だ、 良 い 箇 所 を 見 つ け て艇 を く く りつ け た が 大丈夫かな?ドケッって言われへんやろ 55 尺八は表に4穴、裏に1穴。穴の位置だが、 真 竹 1 尺 八寸 を 九 つ 半に 区 切 る 九割 半 の 法 と、十に区切りる十割りの法とがある。 惣菜屋の隠居だとばかり思っていたが、ま : やって来た、入るつもりだった羽茂漁港はも 乗り越え乗り越えして佐渡へ来た。とうとう まだ痒い、先ずヌカ蛾の痒さと戦い、波を デタラメである。隠居に尺八作りの基本をお ましょうとやってみた。鳴りはするが調律が が鳴らないのだと言う。それでは鳴らしてみ 尺八が数本飾ってあった。店の隠居が作った 昨日は疲れてしまって、ほっとして一杯呑 だ現役の優れた宮大工であった。 う少し先だがシケ波に疲れて手前の小木港 話しした。艇で焼酎をナメていたらその隠居 んだせいもあって、午後4時半ごろから毛布 : 〕 あさまだき痒さしみいる佐渡の雨 〔1句 日・佐渡2日目】 に入った。 がやってきた。わたしは持参の尺八で数曲吹 被ってゴロリ、午前1時半起床、佐渡は寒く 【5月 小木港は城山を挟んで内の澗(小木漁港) いた。隠居は大工あがりだった。 枚の桐の 55 1 れない。 たみたい、痒くて痒くてもう寝てなんぞいら 波平 と外の澗(小木港・本港)にわかれる。最初 て痒い、寝返り打った際、痒い箇所をこすっ だ。 木で細工した旅枕を記念にもらった。工芸品 か? 48 艇をもやって昼食と買い物。惣菜屋の棚に 15 様子がわからぬまま内の澗へ入った。 弁天埼と磯二子の間から内の澗へくぐり 入り、左側小桟橋内側に艇を着けた。漁船が 14 〔釣れるらしい : 〕 54 を引っ張り込む魚が居るらしい。釣具屋のお やじがそう言っている。 ここに4~5日居座ります、いかが?アル バどん出番ですよ!流しの胴付き釣りです。 - 30 - 12 繰り抜き桐旅枕 03 鷲 崎 沖 に巨 大 な 瀬 があ っ て ド ラム 缶 の 浮 08 出 入 りするスジ 以 外は海 草 が 水 面ま で 密 集 ㌢スジを違えて しペラに絡まりそうで危険だった。繋留後水 中をうかがい見ると、あと たが、よく見たら動くに動けぬ場所だった。 箇所であったからだ。いったん艇を着けはし 橋が空いていたのはそれだけここが危険な おれば岩礁に艇底を割るところであった。桟 50 隠居波平釣り日誌 今日一日は観光バスに乗るつもり。 〕 バス運転手が佐渡おけさを歌った。おもむき た。団体行動、時間と時間に挟まれて動く、 てええか?」と言う。 うてある。アキどんが「利尻に行かしてもろ 深い歌声。海はベタ凪、昨日のシケ模様がウ : パン : 〕 観光を終え小木港へ戻った、艇はバルサン 〔バルサン 気象状況を報じている。佐渡は舳倉島の現気 に蒸せてキャビンに入れない、パソコンはキ ソのよう。舳倉島の灯台がほぼ1時間おきに 象の1時間遅れだそうな。で、舳倉のこの気 ャビン外に出しておいた、が、パンはキャビ 〕 : : 佐渡、真ん中が国仲平野。巨漁ポイント鷲崎 佐渡は本土側が小佐渡、その後ろ北側に大 さったようである。ありがたいことだ。採っ が置いてあった。どなたかが差し入れてくだ 0 5 9 : ないしょ!よわった、タケチテェ~! ピ辞典にはバンブーチルドレンは居ない、ど がら、わたしの手にあまる。アイアムのレシ たばかりの皮付きだ、だが、まことに残念な 艇内に佐渡観光の資料パンフとタケノコ 換気に努めた。 になるのでウチワ をシャニムニ振り回して バルサンの匂いはすっかり消えていた。気 〔バンブー ャビンで寝られるかな? で何か食ってから艇へ戻ろうと思う。今晩キ ケ と 海 老 天は ど う だ ろう ? わ か ら ん ! 食 堂 ンのなか、これって食えるだろうか?コロッ 象情報はここではメジャーらしい。 51 〔観光とダニ 惣菜屋の隠居がコロッケと海老天を差し 入れてくれた。今、それ食って佐渡観光の腹 ごしらえ中。 バルサンを買ってきた、留守中炊いておく つもり。アキどん用のダニは緊急避難させて おくからね、アキどん待ってますよォー、 18 沖は大佐渡北東角の本土側沖合。なお、金山 は大佐渡側にある。 「追っ掛けて出て来いや」と仲間らには言 - 31 - VS 20 仲間らが、あいつが痒いのはキャビンにダ 円。 44 ニがわいとるからやないか?と、ウワサして いるらしかった。その疑惑を払拭するため敢 〕 えてバルサンを炊くことにした。 〔観光中 堂でウナ丼蕎麦セットとコップ酒で 〕 豪華昼食。安い簡易食堂だった、メニュー中 最高の豪華セット。 〔それなりにオモロイ 36 台から両津湾を望む 23 観光バスに乗っている。金山坑道も見学し 16 大佐渡スカイラインの頂上展望 09 56 路線バスで両津に来た。観光センターの食 11 隠居波平釣り日誌 乗ったのかって? ほ ん なも ん乗 りゃ せ ん、ワイは船乗りや、タライ乗りやない! ✶ ✶ 艇を✶から✶へ移動させた、 これから焼いて食って「おぎの湯」 温泉 へでかける。 ♪ 佐渡は居よいか、 すみよいか ♪ 日・佐渡4日目】 がって、帰りはダァーと駆け下る。 折り畳み自転車で出かける。坂を押してあ 小高い山の中腹。 おぎの湯は、内の澗(小木漁港)の後ろの ( これを湯がくに大鍋がない。一緒に湯がく ヌカがない。生ではイガくて食えないに違い ない。 パンもコロッケも捨てざるを得なかった。 食器類もゴシゴシ洗った。エビ天は大好物で 【5月 〔ひらき : 〕 ) 匹、チャッコイのは 調 子 に 乗っ て タ ラ イ舟 の 前 で マ メ ア ジ 釣 ったら1時間足らずで : : : 〕 - 32 - ある。捨てるには惜しい。食ったがなんとも なかった。 日・佐渡3日目】 〕 〔惣菜屋隠居とドボンの人 焼いて食った、あとはホレこのとおり、 47 【5月 〔タライ舟 意を決し艇を内の澗から→外の澗(小木本 港)へ移動させた。海底の岩に艇底を削らな いかとヒヤヒヤしながら。 〕 42 た、 小木本港・外の澗。艇はその南埠頭根っこ 〔湯へ 07 タケノコが生え に突き出た穴開き桟橋に着けている。 12 タ ラ イ 客注 視 の な かマ メ ア ジ を釣 り ま く 16 パソコン横から 写真対岸から観光タライ船が出る。佐渡オ った、 56 09 ケサが一日中鳴っている。 07 40 06 15 隠居波平釣り日誌 昨 日は 昼から 惣 菜 屋隠居 に 連 れら れ て 小 木半島を徹底観光。太鼓で有名な鼓堂の本拠 〕 んも一緒、植木屋さん。指先に小鳥、 〔ナマコ : 佐渡は千石船の一大造船基地でもあった。3 香が吹き出る珍味。あぁコノワタはもちろん は焼きナマコに。焼くと柔らかくなって潮の 地がここにある。稽古風景を参観した。 長 い 竹竿にヤスを付けてナマコを二つ取 00石積みの実物展示がその基地・宿根木に ズルズル食う。 った。ひとつは刻んで酢の物に、もうひとつ あり、つぶさに見学した。 〕 いが断念する。浅いところで水深 ㍍、ドラ ム 缶 の ウ キ を 引 っ 張 り込 ん で 二 度と浮 か せ なかった巨大魚が居るそうな、わたしの手に 余る。 瓢 箪 礁 は 鷲 崎 沖 と 言う よ り 弾 崎沖 と い う のが正しいだろう。 : 〕 ~)が 韓国漁船が佐渡沖合(瓢箪瀬など)を乱獲 しまわったが、新日韓漁業協定(H 日・佐渡5日目→粟島】 発 効して以降は元に戻りつつある。 【5月 〔佐渡・小木港→粟島 : ( 佐渡の小木には食い物の店がやたら多い。 持って来た」と言ってお椀に入った熱い味噌 の隠居が見送ってくれた。「おれの家の朝飯 ) 婦連れの釣り客が来た。桟橋に穴があって旦 ムチャクチャに多い。なかに「七右ェ門蕎麦」 汁持参である。熱々ご飯もオカズも充分にあ 佐渡を6時半出港、小桝屋 惣菜屋の屋号 那がドボン。意気消沈の様子に「一杯呑もう が秀逸だった。清楚な味わいは他に類の無い いる。 千 鳥 の 類だ ろ う か小さ な 鳥 が群れ 飛 ん で った。 ぁ食え、味噌汁が冷める」と言った。うまか や」と声を掛け、杯を置いたのが午前0時間 マイルに瓢箪礁がある。淡路 島が納まるほど巨大な瀬だ。立ち寄ってみた 崎から北々西 明日、粟島へ向け出港する。佐渡最北端弾 た。 る、昼・夜2食分ある。「豆が良かろうと思 ( ) 小鳥(カナリヤ)も犬 シーズー犬 もかみさ - 33 - 90 11 ものだ。蕎麦を志す者はもって範とすべき一 〔瓢箪は手に余る 14 半。 15 って」と美味しそうな黒豆。「さぁ食え、さ 夕刻、艇をもやった桟橋に、軽四バンで夫 07 01 品かと思う。わたしは感動のあまり三杯食っ 23 17 13 10 隠居波平釣り日誌 ノット。 右舷に小佐 渡の山並を見ながら凪の海を 疾走中、 p h 6 2 0 1 。艇の気圧計は例 度へ。 によってだいぶ高めに狂っておる、沖2マイ ルまで南進し後転舵 〕 が正常に作動しないのでは瀬は当てられな 南西端周辺を探っていた時、ペラにロープを 度、スローで漁港入港。 からませた。が、自力走行6ノット可能、水 温 い。ここでの釣りはあきらめた。 海 図 に は 日 本 測 地 系 と世 界 測 地系 の 二 種 ボートの事故で最も発生 頻 度の高 いの が、このペラに異物を巻き込む事故。 ☆ は世界測地系が使われている。誤差は緯度経 船 外機仕 様 の 艇 なら チル ト アッ プ す れ あって、緯度経度の表示が少し異なる。現在 度にもよるが300~450㍍ある。 : 瀬の真上(?)を数巡した、結局釣り具は 長)から拝借したものだ。わたし、資金不足 海図は大部分ヨット・オオサカベイ(林艇 切り離すことが出来る。 ばペラに手が届き、ナイフなどで異物を 出さずに通過。大きな瀬なのだが 隻も操業 が、船内機仕様の(我が艇)場合は、水 1 していなかった。 水深は 0 0 1 のと、プレジャーボート・小型船舶用「港湾 が低いと心臓麻痺を起こす危険がある。 手作業で異物を除去するしかない。水温 中に潜り入って、自分でペラに取り付き 案内」の全国各冊である。資金不足で購入し 外 洋 で 潜 る と サ メ に 襲 わ れ る 危 険 があ 万1のも 分1の海図では行き当てることは困難。まし 辛かったのは事実だが、現所有者の林艇長は る。我が艇は頻繁に魚釣りをするから魚 数㍍の箇所もあるはずだが てや日本測地系では誤差がある。艇魚探の船 過年度既に所有ヨットで夫婦二人で日本一 を〆た際の血の匂いがある。これがサメ 海図では 外 セ ン サ ーに ゴ ミ が から ま っ て 探索 が ま ま 周をなし終えている。その周航記録が海図や を呼ぶ。 ならぬ、粟島を目指す。 「港湾案内」に書き込まれている。これが貴 : が艇には無い。 去することがは可能だが、この小穴は我 ここから、長柄の鎌を突っ込み異物を除 に小穴が開けてあり、少々のことなら、 なお、漁船の場合はペラの真上の船底 瀬の中心を探したがわからなかった。魚探 魚 探 セ ン サー に 絡 ま った 海 草 を むし り 取 っ 〕 ペラにロープ絡まる、粟島漁港へ3マイル たが完全には取り切れなかった。凪いではい たが常にウネリがあり危険だった。水深は1 49 の位置。入港前に今晩のおかずを釣ろう島の 〔トラブル発生 重だった。是非にもとお願いして拝借したの 20 が正常に作動しなかった。海草が絡まってい 25 であった。 25 た。腰にロープをくくりつけ、艇外へ出て、 万1と でよう買わんかった。 〔ナカ瀬? 16 ㍍を越えている。 60 拝借したのは、海図 27 万 10 50㍍、人食いサメの居る海域である。魚探 11 - 34 - 16 70 隠居波平釣り日誌 〕 〔粟島 【5月 日・粟島2日目】 : : 〕 頼んだ潜水夫さんは、来てくれなかった。 〔洗濯島 ら旗を降ろした。刺し網漁船がそれを合図に で出逢ったヨットマンと遅くまて呑んだ。 ナマコ漁の海士さんはまだ戻らない。 った直後みたい。無人廃屋。その脇にまだ使 ぐ近くに派出所があった。どうやら廃止にな 朝目覚めて外を見渡すと、艇をもやったす ここには民家が百軒ほどあって、漁船が約 えそうな水道栓。ひねると水が出た。さっそ ら入ったばかりの所(☆)、漁船が出入りす るつどガッポンガッポン揺れる。曳き波で艇 は大揺れ。 って楽しんだ。 本一周中。以後航海中常に情報を交換しあ ・出逢ったヨットは燧寇Ⅱ。このヨットも日 く無断借用し洗濯した。 隻。 「はまちどり」をもやったのは港口か かう。早いもの勝ち。 待ちぼうけだ。待ちくたびれて日が暮れた。 漁船は右端側船溜まり居る。 いっせいに港口へ向かった。沖の瀬で、刺し 06 : 〕 19 時 半 頃 漁協 職 員 が 漁 協 屋 上 の ポ ー ル か 16 今日昼前に来てくれるそうだ。昨夕はここ 12 〔勇姿 潜るつもりだ、ヒモが前に垂れ下がってい る が 背 中 のフ ァ ス ナ ー を 引 っ 張 りあ げ る ヒ 15 網を入れる場所取り合戦だ。全速力で瀬に向 18 港で真水を得るにはそれなりの苦労があ - 35 - モ。 あぁ生前中は、みなさん大変お世話になり ました、さようなら。 漁港に艇をもやった後、ウエットスーツに 着替え、必死の覚悟でロープ除去に潜った。 あきらめて浮かびあがった。 ダメ!息が続かん! アレッ、この世かな?あの世かな?まだこ の世ですよね! 海士さんに助っ人を頼んだ。海女じゃなく 2日目に☆→★へ艇を移動した。 ー引上げ用、カメラを突き出 海士、ナマコ漁の潜水夫さん。まだ沖でをし ☆ 白いヒモは背中のファスナァ ているそうだ。わたし、艇で海士さんが沖か ★ 56 ら戻るのを待っている 洗濯姿、これも雄姿か? 50 12 して自分で撮影 隠居波平釣り日誌 る。水道栓がピカァ~と光って見えた。 〕 が多い。地球極楽トンボはK氏のハンドルネ 合う。で、本名を告げられても判らないこと ブクブク上がってくる。やがて両腕いっぱい かなか浮かび上がらない。泡が艇の左右から : : を1本差し出した。若い海士さんだった。こ 「それはそれ、これは感謝の気持ち」と酒 1回潜って3万円程度と漁協で聞いていた。 謝礼が必要であった。所要時間にもよるが てきたらしかった。 門の潜水夫である。ついでに本来の仕事もし にナマコを抱えて上がってきた。ナマコ漁専 検 診 医は わ た し の 手足 の 赤 い 虫刺 さ れ 後 ーム。波平はわたしのそれ。 艇 の 後方に 着 岸し ていた 大 型 タグ ボ ー ト を見て、痒み止め薬を処方(差し入れ)して 〔福丸 福丸から船長がやって来て「あなたテレビに くれた。この薬はよく効いた。 〕 ペ ラ に 難癖 つ けた から ま り ロ ー プ を 逮 捕 れで充分です、お金は要らないと言って受け 〔逮捕 出たことない?」と問うた。「はぁメダカ釣 った」とわたし。福丸「やっぱりそうや!」 、 そばの人に「この人、有名な人やぞ!」と、 した。身柄をゴミ捨て場へ移送した。ペラの 日・粟島3日目】 〔太陽丸ソイ 【5月 取らなかった。 l m h s i f 〕 : お願いした若い潜水夫氏はボンベを背負 曳き波が少ない、 根っこに撒きついていた。 ム を 呑 む から 一 緒 に 酒が 飲 め な くて ご め ん って潜り、1分もせぬ間にロープを取り去っ ねて来られた。今日は住民検診の日でバリウ なさいとのこと。検診中の医者(脳外科・ヨ ( ) ㍍の位置にあった。 あた りにもゴ ミが詰まっていないか再 度点 た。エンジン冷却用海水の取り込み口(船底) 診場は艇から約 艇をここへ移動させた、 からまりロープを外した後、艇を静かな位 08 - 36 - 12 ットマン)が艇の検診 様子見に に来た、検 身柄拘束 だんだん大仰なことになってきた。 の仲間・地球極 グボートの後方 楽トンボさん差し回しの粟島住人H氏が訪 メーリングリスト 「はまちどり」はタ 17 検をお願いし潜ってもらった。と、今度はな 06 56 メル 友はお互いにハン ドルネームで呼び 50 19 10 隠居波平釣り日誌 : 〕 その隣船・太陽丸が刺し網漁から帰ってき しにした。鍋から出す際にグッシャグシャに ウロコとエラを落とし、姿そのままを酒蒸 〔ソイ2 た「食ってみろ!」と、この大物わが艇へ来 崩れてしまった。わが腹中に入って復活の予 置に移動させた。太陽丸の前だった。 賀。 定。腹中の酒に酔って泳ぐつもりかな。 はびっくり、視線を海へ戻そう、 ナブラだ! 離島・僻地漁港へ投じられた巨額公共事業 の不自然さを思う。 〔針が立った : 〕 ナブラは写真ではわかりにくいなぁ、 「針が立ちはじめた、山が近くなった」とH さんは言った。気圧が下がりつつある、ダシ : 粟島を観光、豊かな自然、2車線道路、ア 海を見る、随所にナブラがある、「とうとう 近々と見える。粟島の山の中腹の展望台から (南風)が強くなりつつある、本州の山々が 清水 がふんだんに湧き出ていた。世話にな レッ!トールゲート、ウソ、嘘でっせ、だけ - 37 - ウ ミネ コ が群 れ 飛 んでニ ャ ア ニャ ア 言っ ♪うまかったズ~ラズラ♪ ップ半分入れ、酒に浸らぬよう鍋底に棚を作 った。酒が蒸発し切ってしまったためだ。事 前の使用実験はしていなかった。取り出す際 に魚が崩れた。 しかし味は上々。 〕 な海面の動きを見ている ったH氏がさかんにそのことを言っていた。 〔島の自然 ナブラ見えますかねぇ?わずか ブリがやってきた」と た。緑が豊かだ。ワサビなどの栽培に適した 粟島は離島には珍しく水の豊富な島だっ ど手数料が差し引かれる。 魚は島から本土へ運んで売り捌く。そのつ るらしかった。 太陽丸は民宿もやっていて、客用の魚は自 ておる。 なんじゃこれ! 酒蒸用の鍋を持参していた。酒を鍋底にコ 姿・酒蒸しのつもり、 ど、はちまき状に島を取り巻く立派な道路に 15 46 29 16 16 08 ってその上に魚を寝かせて蒸す。焦げてしま る、波平になら大丈夫 分でとる。島内の漁師の多くがこのようであ 民宿客用には少しキズがあ 隠居波平釣り日誌 Hさん。大謀敷網が見える、嵐の前の海、針 行こう。その後 を 駆 っ て 対 岸 の 定 期 船乗 り 場 ま で ト イ レ に た、 まだヌカ蛾に刺された跡が痒い。 〔母と子 : 〕 ( ) ダー、重鎮である。おかぁさんは本州の小学 アッ!ナマコ漁の船が港口へ向かった。 あぁ忙しい!腹はまだ空かない、 時半になったら温泉へ行く。 は立ち、風が妙に怪しげである。雨が降り始 めた、艇は燃料補給を終えてある、空と海と、 針 気圧計 をながめている。 前夜に仕掛けた網は翌朝早くに揚げ、代わ タ カ ラ ちゃ ん の お 父さ ん は 島 の 若 き リ ー 言う。家族全員参加、最年少は末っ子タカラ 港に入ると、まずトイレの在りかを探す。 ゴミ捨て場を探す。漁港の場合は漁船のイケ スに魚が生かしてあることが多い。港を絶対 に汚さない。これが旅船の礼儀。 シケがおさまったと見て、まずナマコ漁の 船が出漁した。 〕 州の赴任地へ戻った。 タカ ラちゃんは お かぁさ ん を見送ら ないと : 聞いていた。泣いてしまうからだそうな。で : 隣船はもう沖へ出て昨夜仕掛けた刺し網を 波堤に登って外海を見ると、そうシケている 船釣りのポイントは島の風裏にあった。防 艇は突堤先端に近い位置にもやっている。 も港口の突堤先端に、おかぁさんの船を見送 揚げてきた、今、かみさんと二人で捕れた魚 ようでもない。釣りに出よう、と、エンジン わたし、タカラちゃんと並んで突堤先端に立 動き始めた船のブリッジに人影はない。 る彼女があった。 の網外しをしている。雨が小降りになった。 を始動させ、もやい綱を解きかかるとアリャ 雨の日は格別痒いと聞いていた。本当だっ や~めた! 雲間から陽が射す、気持ち明るくなった感じ。 〔ボリボリ て来た。そして今日先程のフェリーでまた本 校の先生で週に1度島へ戻る。昨日島に帰っ 〕 この繰り返し。 りのに次の網を仕掛ける。これは夕方揚げる。 日・粟島4日目】 〔粟島は雨 【5月 向かって吹く風を概ねそう呼ぶ。 ダシ風の方向は各地バラバラ、陸から沖へ 気圧が下がれば気圧計の針が立つ。 ちゃん、6歳の女の子、メダカの学校を歌う、 Hさんが、今晩は皆でカラオケやろう!と 22 った。 まる気配は無い。 さぁて、小降りになったことだし、自転車 - 38 - 16 10 08 ァ!また一陣の風。雨が降り始めた、オラ、 気圧計の針が暴風域を指している、大雨、 07 だ が港内に立つサザ波にはまだシケの おさ 53 03 20 隠居波平釣り日誌 アッ!誰かが出て来た! 両手を振っている、 〔遭遇 ~! 〕 分702、 数字は緯度経度。北緯 東経139度 : 〔みちくさ 〕 分792、 マイル、真っ正面に島発見! 難航すれば飛島に入港のつもりだった。 あれが飛島! 飛島まで 〔見えた! 乗って走っている。 約2ノットで北北東へ流れる対馬暖流に 度 捉らえるのが難しい、ナマ目で観察。スゲェ に遭遇、デジカメではシャッターチャンスを 、数十頭のイルカの群れ 47 : : 〕 : ノ ッ ト、 2 0 7 9 2 : 9 3 1 * 2 9 7 4 5 8 3 「おかぁさぁーん!」 p h 6 2 0 1 。 54 タカラちゃんは叫んでいる。 お と う さ ん の H 氏 から タ カ ラ ちゃ んは お かぁさんが見送れないのだときいていた。そ のタカラちゃんを突堤先端に見つけた。タカ ラちゃんは、横に立つわたしにしばらく気付 三梅は呑むもの、 三山は見るもの、 〕 H氏はまだ若いが優れて見識の高い方、いろ ンボ氏)の友人・H氏に大変世話になった。 だ。 で は な い 、 ネ ジ レ 凪 いで い る 、 波、グニュ~とネジレうねっている、シケ いろ教わることが多かった。 山・鳥海山が雄大に連なって見えた。 今は見えない、昨日見えた、台風崩れの気象 が山々を見せた、 - 39 - 07 29 07 かなかった。 お父さんは、思うにこのことをご存知無い 呑み、そして見た、 日・粟島5日目→飛島→男鹿半島】 てあるが判るかな? 粟島を5時半に出港、メル友(地球極楽ト 〔日本海をさらに北上 【5月 のではないか。母と子の大切な秘密なのかも。 〕 氏は直後の選挙で村長になった 〔三梅と山々 海に大きな定置網が仕掛け 14 59 31 06 13 08 島の高台から本州を望む、 13 21 粟 島 の 高 台 か ら 本 州 を望 む と 、 朝 日 岳 ・月 越乃寒梅・白梅・雪中梅を三梅と言うそう 48 38 初ホッケ 17 隠居波平釣り日誌 飛島の手前でちょっと道草、具を下ろした 途端にアタリ、これ、ホッケですよ!(具は チョクリ仕掛け) 秋田のヨット・ハックベリー艇の仲間たち。 常連さんらだった。 酒を1本さげて輪に参加、お開きの際、彼 留適所を探すのが大儀で、有料だが男鹿 マリーナに入った、わたし、ここにしば らく居ようと思う、気に入った。 〕 : 日・男鹿マリーナ2日目】 : 〕 : たかも、消毒したことにする。 油断して真っ黒焦げ、カビが生えかかってい ない。3日前に買った食パンを焼いて食う。 熟睡、マリーナ構内に漁船の引き波は入ら 〔男鹿の朝 【5月 塩焼きにした。 今日ワイが釣ったホッケや、 来い! オ~イうまいもん食いたいやつは、やって 〔さぁ食ってみよう : らから別の酒2本を手渡された、 「先が長い、 45 たくさん釣り船が出ていた。なかにまぎれ入 って釣り竿を伸ばした。 飛 島漁港 内に 繋留適 所 が 見つから な かっ た、 上陸せず、やむなく沖へ出た。凪いでいる。 〕 どこかでこれを使え」とのことだった。 周 辺 海 域 の 状 況 を いろ い ろ 教 えて も ら っ た。 19 0 0 1 0 0 2 マリーナは7時が始業時間、クラブハウス - 40 - まだ走れる。 〔酒呑むと気合いが入るのだか、 男 鹿 半 島船 川 港 の 一 角 男 鹿 マ リー ナ へ 入 るつもり、 マイルに近づいたが半島はまだ 薄モヤの中。 秋田マリーナへも 遊びに来いと誘わ れた が果たせなかった。 マイル (約 右上側はハックベリーの写真・マリーナの ポンツーンとクラブハウス ☆ 粟島→男鹿半島間は約 キロ) り囲まれ、そのまま輪に参加。クラブハウス で呑み助らがが団子になって呑んでいた。肴 凪いだ海だったが疲れた。漁港へ入り繋 33 19 は彼らの釣果。料理上手が姿造りにしている。 08 12 今 朝粟 島 を出 港以来 7 時 間 が経 とう とし 〕 ている、1㍍の波、疲れてきた。 〔男鹿マリーナ 17 マ リ ー ナに 入 っ た 途端ヨ ッ ト マン ら に 取 13 22 15 隠居波平釣り日誌 で熱い茶の接待を受けた。メバルを釣りに出 〕 ~。 円、あぁ~シンド! : 〕 数度その一部を開ける。内に溜まった真水を 男鹿大橋上流にこの防潮水門がある。日に 入港申請がしてある、5月 海道条例に基づき既に奥尻島・神威脇漁港へ 明後日もダメかなと言う。作戦を立てる。北 〔八郎潟 それにしても、なんと広大な耕作地である ことか、タマゲタ! キロ、帰りは自転車折りたたんで マリーナから水門まで自転車でフラフラ 走って約 タクシーに乗った、 〔あぁ、兵士は行く 0 0 5 3 マイル沖。 : たいが、南西からの風が徐々に強まる感じ、 堤防の外は白波、自転車を駆って八郎潟見学 に行こうと思う。 新瀬(シングリ)、男鹿向瀬、どちらも超 ~ 一流の魚釣りポイント。しかし、どちらも遠 い。 海へ放流する。写真は海側から撮ったもの、 申請してある、なら、ここから一気に奥尻島 : に入って一服しビールを呑んだ。干拓地の防 潮水門はさらにこの先。 民家の造りの際立った 壮大さは八郎潟干 面) より水位が低い。調整池にたまった水は干潮 時に水門を開けて排出する。防潮堤が壊れた 日に入りたいと 開いた時にボラやスズキが入り込む。産卵を へ行こう。ただし、 〕 艇 に 積 んだ 折 り 畳 み 自 転 車 で 男 鹿 市 観 光 済ますとまた水門が開いた時に出てくる。ボ 〔男鹿散策 マップを手に八郎潟大潟村へ向け散策中。途 の話、なんだか戦地へ赴く出征兵士のような 03 行くと八郎潟と海との境・男鹿大橋だ。食堂 12 拓と関係があるのだろうか。 干拓地にできた大潟村は基準海面(平均水 ラは入る前の身は赤く、出て来くると白いそ 明日は雨でシケるとマリーナ職員は言う、 03 が凪いでいたら 26 〔気分醸成中 すことを考えた。 シケて日和待ちする分、立ち寄り先を減ら た。 道江差五勝手漁港→奥尻島、を当初考えてい 秋 田 県 戸賀 漁 港 → 青森 県 深 浦 漁港 →北 海 25 or 26 : 〕 13 一角。遠浅の海。浅い海はシケやすい。 16 15 中豪壮な造りの民家が多い。庭木の手入れが な! 気分になってきたぞ。 …、なんと不埒な!傲慢 うだ。なにしろ、メッチャ広大な干拓地であ 自然に勝とうと思って 半端じゃない、なぜだろう、道行く村人に尋 30 る、地平線の向こうまで…、 マ リ ー ナは 男 鹿 半 島 の ふ とこ ろ船 川 港 の 15 ねたが納得ゆく返事が得られない、もう少し 13 ら 全 域 水 没か? 中 途 半端 な 造 りや な い け ぇ 17 - 41 - 10 隠居波平釣り日誌 艇を陸電が使える場所へ移動させた、燃料 0 3 2 ㍑を補充し、あとは晩飯食って寝るだけ。 八郎潟探索途上、イクラ丼の表示を出す店を みつけてある。値段?わからん、まず、イク ラ丼を脳裏に 浮かべつつ艇でいっぱ いやっ 男鹿半島船川港は南東向きに開いた港、昨 日は南東の風だった。マリーナの護岸外は白 波、 《天下の情勢》 し、今は東京湾への帰還途上にある。艇長は 南藤氏、温和な豪傑である。 わたし波平、ただいま男鹿半島付け根近く の男鹿マリーナにすっこんで、凪待ち中。ベ タ凪でないと原則出港しないビビリ派。何が 怖いたって、シケた海ほど怖いものはない。 今 朝 方 か ら 時 折 大 粒 の雨 が 叩 き つける よ う 粟島で一夜一緒だった四国新居浜の ヨット燧寇(スイコウ)Ⅱはこの日飛島から て気分を肥大させ、イクラ丼にふさわしい豪 華な心地を醸成して後、イクラちゃ~ん、と に降る。オ~コワ! 列島に挑戦中だ。艇長はニガミばしった面構 4月1日に兵庫県西宮を出港以来、反時計回 のヨット・トトロも、現在列島周航挑戦中。 昨 年四 国の久 礼 漁 港で出 会 っ た 兵庫 西 宮 細いったらありゃしない。上述各艇と時折相 し あた っ てなぁ~ んもするこ と がなく て心 こもっているとナマハゲが襲ってきそう。さ を頭にのせて押しつぶされそう。艇内に閉じ えのオヤジ塩埼氏。クルー二人同船。 りに北上し、今は北海道の小樽に居る。トト 互交信し、あぁ彼らもガンバッテおると思い、 アッ、問題発生、 自らを励ます。 阪のヨット・オオサカベイは、現在九州のハ あそこに見える大きな病院(男鹿みなと市 → ご飯を炊くのがめんどくさい、 アッ、アッ、次の問題、 → 腹が減ってきた、 いる。林氏だ。 わが艇と同型のアルビン 南岸に居て日和見中。今回は久米島まで南下 トⅡは九州南西諸島攻略を果たし、現在四国 艇・イーグリッ ウステンボスに居る。オシドリ夫婦が乗って 同じく昨年鹿児島・野間池港で出会った大 下の構えと聞いている。艇長は樋田氏。 ロは北海道は周航しない。反転し日本海を南 男鹿半島の根っこは薄暗く、寒く、北海道 秋田 マリーナへ入った。このヨットも日本 : 〕 - 42 - 31 ft 参ろう。 ありゃ~、ふられた、 時間外閉店、 波平 こ のあ た り の 食 堂は昼 の いっ ときし か営 男鹿の夜恋しイクラの 肌の色 中見つけた店 日・男鹿マリーナ3日目】 06 28 八郎潟見学の途 業しない。都会の食堂街感覚は通用しない。 【5月 〔天下の情勢 01 23 隠居波平釣り日誌 : 〕 地がいい。モーニングメニューを食いに来て ビュービュー吹きまくる暴風雨はある種 安全な箇所に艇をもやっているとはいえ、 〔インケツな風 ーがあるに違いない。今日は、マリーナは休 そのまま居座りだ。本は3冊買った、読み切 「肴」になる、風音・雨音・艇のカッポンカ 買った本を読んでいる。ここは暖かくて居心 業日、大きなマリーナにわたし一人居残って、 る頃にはシケもおさまるだろう。痒い痒いだ 民病院)へ行けば、きっとモーニングメニュ 一人寂しくサバの缶詰食うなんてオラ・ヤァ ッポン揺れが味付けだ。負けてたまるか!っ マリ ー ナは 休 業 日 でク ラ ブ ハ ウスは 閉 ま おれる かッ!艇のケツから風が襲って来る 昼メシなんぞナマッチョロイもの食って : っている。ポンツーンにもやった艇はシケも のがワシャ気にいらん、来るなら真っ正面か てんで盛んに呑むからなぁ、 病 院 食 堂は 8 時 か ら で す わ ! まだ 開 い て どきの風でガッポンガッポン揺れている。市 〕 いなかった。どうもワイの時間と世間様の時 : 西北西の風がビュービュー吹いている。マ らでは艇の向きは変えにくい。 船首を風上に向けたいが、風が強まってか らやってこい! 〕 民病院の外来待合は天国である。 階フロアは、患者さんらが腹減り顔でウロウ ロしている、世間は冷たいって目でね。あぁ 腹が減った。カラスもカモメも飛んで来ん。 リーナのポンツーンに居て、四方からモヤイ 〔北の国 : 〕 今は北々西の風、依然として風はおさまら ㍍ (?)を越える風。他の場所だったらヤバか ない、男鹿の厳しい自然を思わずにはいられ ロープを取り、突風に耐えているけれど ここは病気で来るところだと思うから、こ っ た ぜ 、 ヒュ ー ン っ て 風 が 唸 っ とる 。 う わ 17 : ている。この日・火曜日はマリーナの休業日。 シケの桟橋にもやう艇に独り乗って揺れ べとは一味ちがう、ここはナマハゲの国、 時だけど夕闇がすぐそこ、瀬戸内海の軟弱夕 だねって感じだよ、日暮が近づいた、まだ こ に 居 る と自 分 がそ れな り の 病 気で あ っ て 外来待合から艇へ戻っている。 風がだんだん強まって、艇が心配で、病院 ない、こういう日がわたしの人生にあったの に座る。 市民病院の外来待合椅子に腰掛け、売店で 〔入院中 〕 ぁ!突風じゃない台風だよ、やめてくれ、う 雨音だけが、やたら騒々しい。 〔うわぁ~止めてくれ! 間はうまくフィットしません。でも、病院1 〔雨音 が、苦から→懐かしさの域へ移行しつつある、 43 ~ダ、 14 ほしい心地がする。痒い痒いがあるじゃない 20 わぁ~ 、オーニングがモゲちぎれる! 10 33 かと自分に思いきかせ、患者顔して外来待合 17 13 23 09 - 43 - 07 10 隠居波平釣り日誌 【5月 日・男鹿マリーナ4日目】 〔曇天だけどやっつけました 〕 ヨット燧寇は、秋田マリーナから今朝ここ : きる。だがここには洗濯機がなかった。その 男鹿・本壮の三つ。指定管理者制のもと ☆ 秋田県にはマリーナが三つある。秋田・ 男鹿マリーナに入った。再会を祝い乾杯。 昔 は 洗 濯 板っ て の が あっ て 被 服 類 を こ れ に に、体管理されている。スバラシイ! マリーナでは水道が使える。で、洗濯がで ゴシゴシこすり付けて洗濯した。が、洗濯機 ヨットは航行中に炊事・食事などしながら ゆっくり走る。が、ボートは操船に専念し突 っ走る。出港時間の差はこの違い。 5日間も日和待ちした。辛抱が切れた。深 浦までなら航行可能と読んだ。燧寇に続け! 〔並走 〕 マイル、イルカの大群に取り囲 : 〕 すごい群れだ、何百頭いるのだろう。 〔飛び上がるヤツがいる ノット。 まれる。すごい群れだ、8ノット、彼等も8 深浦まで : : ージ中。隣のヨット燧寇は夜明けと同時に深 30 海 水 の色 がフワァっ と濃 く なる とイル カ らが水面から姿を見せる。ふざけて飛び上が - 44 - がない今、わたしはそこまではやらない。バ ノット、全身モミクチャ強制マッサ 鹸なすくって雨中に立ち、ラジオ体操でもし 浦を目指し出港した。わたし「はまちどり」 リ高く て、後、そのまま乾くのを待つ手もあろうが、 は1時間半遅れで出港。 04 ケツに合成洗剤と洗濯物と水を入れ、暫時浸 ・男鹿5日目→深浦】 〕 椿温泉にドボン まだその機会に恵まれない。…なんと不精な。 艇の前後左右にイルカ しふやした後、頃合を計って取り出し、すす 【5月 〔男鹿出港、 見学、 男鹿半島を離れ深浦を目指し北上中、ウネ 男鹿半島・鵜の埼海岸を 11 07 波平 ぎ、艇のあちこちにくくりつけて乾かす。写 真はその状態。 の舟 大雨のなか、シャツ・パンツを着たまま石 09 12 が泳ぐ 47 25 11 梅雨空に衣泳がす旅 13 52 24 隠居波平釣り日誌 るヤツがおる。艇のペラで怪我をしなければ 走り辛かった。 艇は、夕陽公園の真ん前。アルバ氏差し入 れのピカイチ焼酎の栓を切った。ぼかぁ~幸 せだなぁ~、もっと幸せになりたいなぁ~、 マイル、 こ れを2時間かけて走った。一時は戸賀漁 オーイ!AさんBさんCさん、焼酎背負って、 男鹿マリーナ→戸賀港の間は約 りそうだ。危なくて走れない。幾枚も写真を 港にそのまま停泊することを考えた。が、こ 肴ぶら下げてやって来い! よいが。群れはますます大きくなる。ぶつか 撮るが安物デジカメはシャッターにタイム れしきの波にヘタっては残念と、また沖へ出 : : の仲間らの宝のひとつ。 深浦にその人在りと知られた海の男。これ海 船具店実商の成田氏の世話になった。氏は ラグがあって撮影ができない。ムービーカメ 〕 男 鹿 を 先に 出 港し た ヨ ッ ト 燧 寇 を 途 中 で 〔ヨット酔い た。 〕 けっこう波があった。あぁシンド。男鹿マ 船長は船酔いしない。同船のクルーが酔っ た。だがこのクルーは上陸するまでその気も : 戸賀漁港でしばらく休んでまた沖へ。 ね。ヨットのクルーが深浦の夕陽公園のベン ヨ ッ ト マ ン で も 船 酔 いす る こ と があ る の や マイルを一気に走るつもり。5時半出港のつ 津軽海峡横断の奥尻島・神威脇までの約 深浦に着いた。 見せなかったそうだ。スゴイ! 港の真ん中の夕陽公園前に艇をもやった。 かろうじて2艇分空いていた。だが大潮干潮 時刻は用心が肝要。水深が浅い。キールが深 日・深浦→奥尻】 い大型ヨットは避けた方が良さそう。 【5月 イルカと遊びながら深浦入港。 チで青い顔してヘタっておる。笑っちゃなん 〕 先行するヨット燧寇から波の様子を携帯 賀港へ逃げ込んだ。 追い越したようだ。燧寇は1時間ほど送れて 〔戸賀漁港経由→深浦 ラは持っていない。 10 る もり。さぁ、いよいよ北海道に取り付くぞ。 り艇はこの右横に居 ねぇ、今日の波はそういう波だったってこと。 燧寇と艇長、はまちど リーナから出て岬を回ったら波があった、戸 34 電話で連絡を受けていた。男鹿半島の南西角 90 31 度前後、これ以降は 12 - 45 - 16 水温は次第に下がって 05 29 わたしも昼メシ食う余裕がなかったもんね。 〔深浦は曇天にして波低し 26 15 ら漁師が豆アジをくれた の塩 瀬崎は波がキツイとあった。なるほど 戸賀漁港・漁協前に付けた 隠居波平釣り日誌 ペラに遺物がからまれば一巻の終わり。大仰 総計3週間、 海域を4つに分けて周航計画を立てた。 日間を当てた。 だが一応覚悟して出港した。ウソだぁ~、な 《北海道海域の特性》 北海道の6月は寒い。冬支度が必要だった。 前の入港申請はしなかった。小さな艇だ、広 ノット い 港 の 隅っこ に し ば し 休 む に な んら 支 障 が 度、 あるわけではない。 〔針路 : 〕 あちらの水平線へ向かって、はまちどりは 3 5 3 難儀なことに、 い「北海道漁港管理条例」があって、漁港入 ベタ凪と見て出港したが、ウネリがあって走 「はまどり」は減速中、 滑空中、アレッ!ヤッパうねっとる、え~と、 港が事前申請・許可制になっている。漁港入 ットを発見。 津軽海峡 南端 で右舷 前方 に燧寇 らし きヨ り辛い。 漁港へ申請手続きをと 携帯電話したが応答がない。約2マイル離れ 仕組みである。 〔マグロ海峡 支払った。利用申請し許可を得たからはその その他の港からもキツイ支払請求があって った。入港し得たのは内4港だけだったが、 わたしは、事前に の海域の周航を敬遠する。 的・自然的要因を嫌い、多くのシーマンはこ きる かどうかは分からない。これらの人為 しい海域。予定を立てても、その日に入港で 応もまちまちだ。北海道の海況は厳しい。難 収される。入港できる漁港は限られていて対 港は有料で艇長1㍍につき1日百5円 が徴 北海道には、ヨット・ボートに極めて厳し 00 な? て追い抜いた、 埼艇長気が付いたか 後の状況如何にかかわず支払わねば ならぬ 燧寇を追い越した、塩 んとかなるやろと思っとる。 第4章 北海道 マイル 06 21 なお、漁港以外の大規模港・避難港には事 08 ヨット燧寇は1時間半前(早朝4時)に北 海道松前港を目指して出港した。約 の航程、ヨットにはきつい難コース。 12 : 〕 - 46 - 21 14 52 隠居波平釣り日誌 : 津軽海峡西端ど真ん中を北上中。あ 度7マイル 暖流の残流は、宗谷海峡を越えてオホー ツクへ入る。 ☆ 後日調べたところ、この日の津軽暖流は れはなんだ? 島だ。右舷前方 に小島が見える。もう少しで津軽海峡西端を 西から東へ約2ノット弱の流れ。艇速6 ノット弱のヨットにはきつかったろう。 度、 抜け出る。視界中に他の船影無し。水温 海は深く濃い群青色。波頭がまばらに白髪。 ノット。 い。 オッ!あれが島影か? 水 平 線 上 に や や 黒 い影 、 あ れ が奥 尻 島 ! マイル。 マイル先、依然携帯圏外、携帯が通じた→ ブログ発信、奥尻まで 視界に水平線しか入らない。 : 凪いではいたが海流・潮流の複雑な海域で 鳥? 居ない。波に弾みつつ 〕 左舷真横8マイルに大島、艇は水深2千㍍ ある。水温計が刻々と水温変化を告げている。 〔低い雲、高い山、そして奥尻 津軽暖流の影響を受けるのを避け、かつ松 海域を航行中、ってことは、あの島(大島) 度を越えていた。それが徐々に 度を切りかけている。ここでもし 14 手数料って高いからなぁ。 マ 手続き怠ってごめんなさい。だって許可申請 艇には基準を超える装備を備えていた。 許可申請手続きは怠ってしまったが、実は、 ある。 イル 沖を越える 際は 近海航 行許可が必要 で 離れた位置を走ったかも。航法違反だ。 このとき陸地(北海道の西岸)からだいぶ なるだろう。最大限の警戒。 ペ ラ に ゴ ミでも か ら ま せば 一 巻 の終 わ り に 下がり、 前のマグロ延縄漁を警戒して、海峡の西端を だってこと。 奥尻はまず最南端の青苗港へ入るつもり。 マイル、まだ見えな 12 さらに西へ離れて北上した。 ベタ凪ではない、まばらな白波なら苦にな らない。 レーダー照射は浮遊ゴミを警戒し、レンジ レベルを半マイルに設定。進路直前海面を照 ㌔) マイル 28 先に奥尻島があるはず。まだ見えない。 その山の頭は雲のなか。艇真っ正面 見える ここで燃料軽油を補充の後、神威脇漁港へ向 かおう。その青苗まで 20 射しつつ航海した。ときに8マイル(約 に レ ン ジ をあ げ て 周 辺 の 様 子 を 探る が 何 も 映らない。海鳥も見かけない。天上天下唯我 日本海を北上した対馬暖流の7~8割 独尊。 ☆ は津軽暖流となって海峡を抜け太平洋 上に大島が薄ボンヤリ 15 へ出る。 ☆ 津軽海峡を抜けずそのまま北上する対馬 津軽海峡西北端、水平線 深浦港内は 23 12 40 は 2 千 ㍍ の海 底 から 立ち 上 がっ た 山 の 頂 上 10 12.8 15 - 47 - 17 13 30 07 隠居波平釣り日誌 〔オットセイ 掛けを垂らすといき 垂れ紐が邪魔だね、白い波シブキ なり来た ャ釣った。 分間も釣ったらクーラーが満杯。 オ ッ ト セ イ が 時 々 顔 を出 し て わ た し を 見 て いる。カメラを向けると潜ってしまう。まる カやグジラは背中から潮を吹く。オットセイ の具) (右上・サビキ2度の釣果、下は今晩の波平鍋 こい顔に髭が生えていた。幾頭も居た。イル は鼻から潮を吹く。明らかに意思のある目で 波平鍋分以外の釣果はこれからヒラキにす る。ここには黒いネコは居そうにない、氷も わたしを見る。 「おっさん、どこから来た?」 この撮影点でホッケ入れ食い 分到着が遅れたら難儀だった。 無い、干すしかない。風が出始めた、ヤバか った、もう 山の中腹から港を撮影 料の補給ができないと読んでいる。 威脇漁港へ向かった。神威脇漁港では燃 給し、釣果をクロネコ宅配し島西端の神 ☆ 青苗港は奥尻島の南端。ここで燃料を補 30 釣ったホッケはそのまま青苗でクロネコ のひなびた漁村。 20 に託した。かみさんが適当にさばくだろう。 〕 14 入港。戸数約 16 温泉がある。この神威脇漁港に入る直前に港 40 の前で2度サビキを垂らした。 神威脇漁港の沖から撮影、 - 48 - 15 〔神威脇漁港 : ㎝ : ㍍、濃い漁影あり。ハリ ちの歓迎を受けた。鳥が群れている、漁探ス イッチオン。水深 ~ ス2号のチョクリサビキを繰り出した。たち まち全ハリスにホッケが鈴なり。 40 のホッケがぞろぞろ。オモロイ、メチャクチ 30 15 はオットセイの鼻息だよ、 魚探魚影にサビキ仕 : 〕 57 奥尻島・青苗港前4マイル。オットセイた 11 47 隠居波平釣り日誌 青苗港は尻尾の付け根にある。 奥尻島は米粒に尻尾が生えたような形。 て来る。 か艇を見つけて、だれぞかれぞ様子見にやっ 神威脇漁港はその米粒の西側脇にある。 ☆ 奥尻空港西端沖に群来岩(瀬)が散らば っている。トド島がある。この一帯が魚 ぐホッケが煮えるだろう。 ホッケをサシミ用に三枚に卸していた。後 日・奥尻2日目】 ろを向いたスキにウミネコがくわえ去った。 【5月 た、燃料 ㍑を使った。 った、常にうねりがあり 〕 ノットが限度だっ た が砕 石 の上 を スリ ッパ で 行く 危う さ があ 昨日の深浦→奥尻は、おおむね凪いではい 〔神威脇漁港、少し疲れた : の宝庫。どこに具を垂らしてもたちどこ 04 こにはすぐそこに温泉がある、 時に開く この島には飛行場がある、その関係の工事 : 〕 朝飯作りが面倒で、買い置きの安物ソーセ 〔ホッケ・ホッケ・ケッケッケ も来ない。もらったビールは呑んでしもうた。 ージを食いながら沖へ出た。ホッケが気にな って差し入れてくれた。団体が去るともう誰 質問をしたりした。その案内氏の返答に 〕 と聞いている。あぁ、腹が減った…、 パ歳には勝てんみたい。 今朝のオシッコの色は茶色濃かった、ヤッ くれるのだが…。 さんが「パッパ、ご飯ですよ」と声を掛けて んでいる、自宅なら、こうしていたら、かみ 疲れていると思って、まだキャビンで寝転 17 ろに釣れる。今回周航中、最も魚が濃か ったのがここ。 神威脇漁港は小さな漁港だった。地の漁 船はイカ船1隻を見ただけ。 蝦夷アワビの稚貝養殖施設「あわび種苗 育成センター」があった、観光バスが日 に数度観光客を乗せてきた。 観 光 客に ま ぎ れ て一 緒に 施 設 の 中 へ 入 27 のグループが民宿に泊まっているらしい。わ り知らぬ顔で見学した。案内係員に二三 43 10 15 - 49 - 160 妙に引っ掛かるものがあった。案内氏は は「はまちどり」 ヌヌッ!「ご飯ですよ」の声が…、 た。左の写真はそこから ぁわぁ言いながらやって来た、でも意外と礼 苗センター、左端の白点 わたしのブログの閲覧者だった。記念の 高級ホテル「緑館」があっ 儀正しい方々、缶ビールとツマミを、どうぞ 拡大写真・白い建物が種 あとが無い、居るのはウミネコだけ、もうす 12 艇から民家を望む、山腹に お土産をもらった。 〔人が居た : 22 住人はだぁれも出ていない。だがどこから 18 隠居波平釣り日誌 ってしかたがない、釣ってみようってわけだ。 ホ ッ ケ で ホ ッ ケ で 、 釣っ て も 釣 っ て も ホ ッ ど中間あたり。約 軍。 え一 気に マイル北北東。 マ イ ル を 走 る の は か な りの 強 行 シ ン グ ル ハン ド の ヨ ッ ト で ベ テ ラン とは い 60 日・奥尻3日目】 60 : : 〕 ではの航海だ、わたしがここに居ると知って 朝寿都漁港を発った、ベテラン樋田艇長なら ト・トトロが間もなく神威脇に入港する。今 時計まわりに列島周航の途上にある。津軽海 艇 長 樋 田氏 は 4 月 1 日 に 西 宮 を出 港し 反 昨夜は夕食をヨット・トトロと一緒、 ないとか、氏はこまめで話し好きな方だ、料 定コースに復帰中。北海道をまわるつもりは ついでに西岸を小樽まで北上、後、反転、予 ) ( 担は昨年から決まっておる。 峡は西→東の流れが強く逆行するのに難儀 〔ヨットと会食 【5月 28 の強行航海。ホッケを釣ってある、料理は全 漁港にもやう、後ろがトトロ ケ・ホッケで、アッと言う間にクーラー満タ で、食うメシはホッケ・ホッケ…、 したそうだ。函館に漂着 ? し、以後、事の トトロ入港、2艇並んで威脇 ン。港に戻ってエラ取ってハラワタ出して、 戸 あ ま り の寒 漁 村 に も ク ロネ あれこれしてクロネコ店を探した。なんと、 民家わずか コがおった。 で、朝飯代わりに駄菓子食ったらまた元気が 釣った。すべて沖でさばい 出てまたまた沖へ出た。ホッケでホッケで、 あっと言う間に 〕 と、言いながら、メシも食わずにホッケ釣り、 寿都漁港は、奥尻→積丹半島までのちょう - 50 - てヒラキにした。 アツそうだ、夕食のサシミの分も釣ろうか、 で、また具を垂らしたらホッケでホッケで、 〔神威脇料理 ホッケ・ホッケで、どうにもならんぞ、 昨年西日本海域周航途上出会ったヨッ 17 て氏がする、わたしは釣るだけ、この役割分 32 どうにもならんぞ!朝からメシは食ってお 浴槽に入ってホッケのゲップ 05 50 らん。もう腹ペコ、あぁ腹が減った。 温泉です、艇から約2百㍍ 53 20 隠居波平釣り日誌 理もシャベクリも氏の独断場、わたしは釣っ たホッケを差し出しただけ、昨夜はコールマ ン・ランタンを点し、夜遅くまで旧交を温め た。 ソイとタナゴはトトロ艇のご飯に化けた。 美味しかったそうな。 〕 自転 車で猛烈風雨のなか周辺 探訪に出て いたトトロ艇長が勢い込んで戻ってきた。こ れをもらったと言う、ナマコとホヤ。酒の肴 : という。毎日毎日人気のない島の山肌にへば ナマコ・ホヤ専門の潜り漁師が居た。ドラ がデケタ! 艇は水銀灯がある位置にもやっている。昨 り付く仕事だとか。腕をぐるぐる回して「そ イスーツで潜る。様子見にやってきたが、き 事の人。「なぁ~んもない所だ、ここは…」 事に入っているとのこと、村人じゃない、工 と人が出てくる、7年前から山の法面補強工 きた。人っ気のない漁村だがどこからかフッ 朝 7 時ころ 作 業 着姿 の おっさ んがやっ て 〔神威の嵐 : 今朝からシケがしだいにきつくなりつつ ある。 〕 時頃、海面をみたらヤリイカの群れが泳 こらにアワビやサザエがこないにおった」と、 っと親子だろう、似た感じの3人組だった。 〔神威脇漁港の夜と翌朝 いでいた。よく見るとホッケも居る、あれも 両手で輪を作った。それも最近は居ないと言 夜 居るこれも居る、サビキを垂らすと大きなソ : 〕 0 0 6 ㍍)の西横腹にこの神威脇 に打ち付けられる、フェンダーがショックを 立派な二車線道路だが、わたしまだ通る車を 道路際の山の法面補強工事だ。その道路は ある」と言った。ほんまかいな?あった!す 強工事関係の人が「ここは山の吹き下ろしが ㍍をだいぶ越えていると言っている。 ごい吹きおろしである。ヨットのトトロ氏が 和らげるが湯が沸かせない、ラーメンが食え 〕 : 26 ーセージと水。ホッケはある、焼けば食える が食う気がしない。 〔また宴会 観ていない。 読んでいた。が、艇を見に来た山の斜面の補 漁港がある。東の風なら漁港は風裏になると 神威山(約 〔神威脇の嵐 2 う、なぁ~んも無いのである。否、アッタ! にされた。 45 ない、ご飯が炊けない、朝ご飯は駄菓子とソ と彼。あるやないか温泉が。 彼、 「住民専用の風呂。あれが本当の源泉や」 イが釣れた。フライパンのようなタナゴが釣 のパイナップルだ 「あそこのチッチャイ小屋に行ったか?」と 大きなホヤが三つ・海 15 れた。タモを突っ込んでイカやホッケに馬鹿 07 09 09 15 - 51 - 06 風が唸り声をあげて襲ってくる、艇は岸壁 16 10 隠居波平釣り日誌 〔神威脇3 : 〕 ると言う、走れそうなら深浦を目指すという。 パソコンは開き得ていない。電源が無い。 と、店番のばぁさんは言った。何でも屋だか だが嵐で船が出ない。だからパンが来ない、 くるが、青苗へは北海道・本島から船で来る。 パンは青苗港から日に数本のバスが運んで すなわち「何でも屋」にパンは来なかった。 し、港内は北東からの山越えの吹き降ろしの いる、風は東からと気象庁は言う。が、しか 東 を 屏 風 のよ う な 起 立し た 山 壁 に 囲 ま れ て る、アレッ!港内は波立っている、港は北と ヨットなら走れそうだ。振り返って港内を見 防波堤の上に這いあがって外の波を見た、 2本から取る。ブログは携帯電話から直接打 り気味だ。緊急電源補充機を使用。単3電池 せている。携帯電話のバッテリーも常にあが ね の上 に クッシ ョ ン を置 きそ の上に 安座さ ンが壊れる。航行中のパソコンは毛布2枚重 で取る手もあるが、エンジンの振動でパソコ バッテリーあがりが怖い。アイドリング状態 エ ン ジ ン バッ テ リ ー から 取 れ な くも な い が ら何でもあるかというに、ごく限られた物し 強風である。風が特殊地形でネジ曲がって暴 ち込むが電波状況のせいだ と思うが掲載で この風はヨットにはよいらしい。 かない。サバやサンマの缶詰はあったが買わ れているみたいだ。 〕 きたかどうか疑わしい。 〔IT 環境2 日の出 : 年後の団 ヨットは荒天に強い。プレジャーボートで 塊」の一文があった。わたし彼等団塊より六 : どうなるか知らない。 年後が解ったりする つ上、ケセラセラでここまで生きてきたが後 ロ艇は出港した。 〕 は危険で走れないときでも、ヨットは意外と 春秋ほか2冊を買った。春秋に「 男鹿半島に居た時、市民病院の売店で文芸 港以来まったく触れていない。 テレビ・ラジオ・新聞には、先月 08 の足しにはならんが買って食った。明日もシ ケがきついのじゃないか、艇の気圧計のハリ がまだ下がりつつある、神威山はだいぶ機嫌 が悪いとみた。後で知ったが、パン屋は奥尻 〕 には往生した のことは知らない。今の自分も明日の天気も この山からの吹き降ろし風 平気で走る。艇の基本性能が違うのだ。トト 10 島にもあった。この何でも屋さんがクロネコ 日・奥尻4日目】 の取次ぎもやっていた。 【5月 〔舞々風? 40 ワシャ不思議でかなわんのだわい。 ものか、なんで今奥尻島に居るのかそれすら 10 昨夜は艇が大揺れで大変だった、少し風は 落ちたがまだ強い、だってパンすらまだ来な 〔IT環境 : 07 い。 24 なかった。百円アイスクリームがあった、腹 神 威脇 にた だ 1軒 ある スー パ ース ト アー 07 ト トロ艇 は と りあ え ず 港 の 外ま で出 てみ 08 06 - 52 - 18 57 29 隠居波平釣り日誌 っていたりする。公共工事の不可解さが見て 鉢巻状に島を周回している。巨大な橋が架か 島 内 を 観光 が て ら 気 晴 ら し に 奥 尻 町 か 青 だ、今日の出港はやはり止めた方がよさそう。 床、やはり風がきつい、曇天だ、不気味な色 〕 とれる。この道の向こうには人の住む集落は 〔神様の目玉 気圧がゆっくりあがりはじめた、空に明る : : : 神威脇漁港の位置的特異性が、周辺を自転 牡蠣とエゾアワビを見つけている。獲って食 たせいじゃないか。艇をもやっている岸壁に 昨日の昼、ホヤとナマコを酢醤油で仰山食っ 昨夜は体調が悪く常備薬を追加服用した。 る意) ・退屈しのぎの本など等。 米・ラーメン・飲み物(お茶・ナマ水を避け したい、真空パックご飯・トマトなど果物・ 充しよう、手持ち金が無くなった。買出しも 街へ出て郵便局の自動受払い機で資金補 充電。 勝手に入り込んで、パソコンを接続し携帯を 終日開いている、電源コンセットがあった、 地元用の風呂は入浴料タダ、湯は流し放し。 バス便は日に4本ある、 無い。 をウガイ呑みし、これで身体を壊さぬわけは 生 の ホ ヤや ナ マコ をモ グ モ グ 食っ て 焼 酎 きバスがある。 に奥尻行 ない。車は通らない。道路は常に混んでおり 渋滞しているものだとの思いがあって、ガラ 頁の写真はそ 苗へバスで出かけてみよう、8: さが戻った。海岸線沿いに自転車で走ってみ た、有料かとみまがう立派な2車線道路、道 ガラ道路が不自然に見える。1日4往復のバ 立派なこと。 〕 スもこの港で折り返す。だのになんと道路の を見たいわけじやない、山と海が見たい。 アレッ!海は凪いでいる、山に小鳥が鳴い ている、なぎさには海草がのんびりたゆたゆ 〔神威山中腹から下界を見た 日・奥尻5日目】 〕 車で走ってみて初めて解った。この港内を少 いたいが今は我慢、以前牡蠣中毒で苦しんだ 〔見通し明暗 : 〕 43 も う 朝 7 時だ の に まだ 周 辺 は 薄暗 く 気 味 07 常に睡眠不足。艇が揺れすぎて眠りが浅い。 し出ると周辺海域は凪いでいた。しかし、港 ことがある。細切れの睡眠だ、風が時折強く 〔海は暗い 【5月 こから、 「はまちどり」が判るかな? 舘」だ。今晩はそこで食事。 神威山の中腹に観光ホテルがあった、「緑 01 っておる。 港へ戻る、波立っている。風が強い、神威 山が港目掛けてふいごを吹いておる、ほっぺ をふくらし目をつりあげてフイゴを吹いて おる。 参ったなぁ、わしゃ魚々をイジメ釣るだけ で、まだ世間様にはなぁんも悪いことはしと らんでっせ!神さんよ、おぬしの目玉は節穴 19 内では後背の山からフイゴを吹くような風。 か? 48 吹き艇が揺れてしばしば目が覚める。4時起 05 - 53 - 47 離島では、ときにこのような立派な道路が 58 30 05 14 隠居波平釣り日誌 遠別へ、明々後 が悪いねぇ、今日の出港は断念。明日、寿都 の北側には人は住んでいない。路線バスは、 奥尻島は米粒に似たかたちの縦細の島。島 よう。あるいは手前の美国漁港へ入ってもよ 思う。ここでエンジンオイルの入れ替えをし 来岸へ、明後日は焼尻 い、美国からなら利尻までは一直線だ。 マイルだ。日 程が遅れ気味だから通過するつもり。 寿都漁港まででは近すぎる ここ神威脇(終点)から→西側海岸沿いに最 南端・青苗へ下り→東海岸を最北端賽の河 原・稲穂(終点)へ行き、そして戻る。 青苗湾一帯は かつての北海道西南沖地震 来 岸 漁 港で は プ レ ジ ャ ー ボ ー トは 嫌 わ れ p h 7 0 0 1 るとウワサが流れていた。この隣の余別漁港 の波被害跡がいまだに生々しかった。 ガラ空きの車内。運転席すぐ横の座席にす は 小 さ く て燃 料 軽 油 の補 給 が受 けら れ そ う 、水温 の狂いを修正した、風力計、気温計は持って わる。運転手氏と雑談しながらツルツル走る。 : 〕 港の位置的特異性が完全に納得できた。この バス車窓から見る海は凪いでいた。神威脇漁 に四ツ股の大きなボラ引っ掛け針をセット。 の竹でヤリイカを捕ろうと思う。竹竿の先端 まだ艇の屋根にくくりつけてある。今夜はそ 佐 渡 の 小木 港 で ナ マコ を 捕 っ た長 い 竹は 港の吹 き 降ろし 風にわた し は 惑 わさ れ て い ヤリイカがやって来たら、この長い竹竿で水 : 0 0 0 3 時に水銀灯が点き臨戦状態、1時間 : 路線バス観光から帰り、温泉に入り、英気 中。酔いがまわって眠たい、イカなんぞどう 経過、イカは現れない。只今艇内に戻り休憩 もり。 中 を か き まわ し イ カ を引 っ か け 捕ら え る つ たようだ。 知らぬわたしにいろいろ問いかけがある。 乗客連は互いに顔見知りばかりみたい。見 ない、寒い。セーターを着て防寒着を羽織る 円、高 〔またフラれた にない。 温度。 毎 日 起 きた ら 最 初 に 空 を 仰 い で天 気 状 況 〕 を観望し出港するかどうかを考える。 〔路線バスで奥尻観光 神威脇→青苗→奥尻→賽の河原、この間を 路線バスで往復する。4時間で い か な ? 地元 運 転 手 の 観 光 案 内 付きだ よ 。 〕 「んだ、どこさがらぐた?」わたしも負けず を養ったらやる気が出た。明日の作戦を立て 〔明日は に、「ぜとないがいさからぐだ」けっこうこ れで通じる。 でもよいような気がしてきた。またイカに馬 時々数名の客が乗り降りする、ズーズー弁、 24 る。明朝神威脇を出港する。寿都沖を通過し、 21 鹿にされた、あいつらは賢い、シャクだなぁ。 35 来岸をやり過ごし、小樽マリーナへ行こうと 16 49 20 道は立派、快適ドライブ。 、風8㍍位、小雨、気圧計 りついて動かん覚悟、きゃつもガンバッとる。 艇 脇 の 岸壁 の 蝦 夷 アワ ビ は 断 固壁 に へば 日は利尻まで行くぞ。ただし凪ならばの話。 or 12 - 54 - 13.1 65 or 隠居波平釣り日誌 昨夜は、タモで掬い取ろうとしたのだった。 幾度かタモに掬ったが、タモを揚げる瞬間に 日・奥尻6日目→積丹半島美国】 視界には空と海だけ、沿岸はるか沖を走る 〕 大きなクジラだった。背中しか見えない。 衝突を避け急停止した。艇を止めると変に怖 い、このまま下からひっくり返されたらどな いしょ! 〔神の使いあらわる 岬を回って石狩湾へ入った、 〕 ㍍地点 竿を納めそのまま余別・来岸沖を通過、積丹 で釣り竿を出した。巨大カジカ1尾ゲット、 積丹半島神威岬沖3マイル水深 0 1 1 ㍍は、艇へさき直前の水面しか : ノット、 ㍍、レーダーに映像なし、リフ マイル、 ので陸は薄モヤの中、なにも見えない。 濃霧視界 レクター装着、 濃霧、視界 この先、積丹半島先端神威岬まで 〔濃霧 : : 〕 、 分神威脇出港、奥尻を離れた、ウ p h 0 1 0 1 、水温 〕 : 0 0 2 ㍍ライン、漁具を警 10 イカらは空中にロケットで飛び出し 逃げて しまう。 【5月 〔美国へ 時 ネリはあるが凪、 ノット、 し潮を吹いた。水深 艇 体 ほ どの ク ジ ラ が2 頭 艇 の 直 前 に 浮 上 〔何クジラ? ちどり」がとらえやすくなる。 をキャビントップに掲げた。他船から「はま レーダーリフレクター(レーダー反射板) と船影に見間違う。 レーダーは海鳥も映す。海鳥の群れが多い 見えない状況。 マイル先、 曇天・視界3マイル、積丹半島神威岬を目指 す。 さ ぁ 行くぞ 北 海 道 の海 を 行く ぞ!こ の 海 域は昔ニシンの海、今はハマチドリの海。 神 威脇 漁港 を出 て 島西 岸に 沿って北 々東 20 : 戒しつつスロー航行中。視界約1キロに改善、 ㌢ほどもある大きなカジカだった。 なぁ~んだカジカかって感じもある。 釣り味はドスンと重たいだけ。 〕 で船脚を延ばしたかったが、小樽マリーナは 積 丹 半 島を石 狩 湾 へ深 く 回 りこみ 小 樽 ま 〔美国 : 度。 53 34 ベタ凪のウネリ海、艇速をアップ、気圧変わ らず、水温 - 55 - 12 09 へ4マイル、後、東北東へ穏やかに転じ、賽 〕 の河原をはる か右舷に見ながら積丹岬 へ向 かった。 〔北へ走る ノット、 わたしこれ以 外あまり見た いものがない、 空と海、その境に水平線。見なれた景色、 07 神様ってお顔 09 50 50 p h 1 1 0 1 、 08 06 12.6 10.3 13 18 15 33 30 31 10 19 54 05 82 隠居波平釣り日誌 味噌を積んでいる、水に解いて温めれば味噌 ない。疲れが出てきた。どこかで気を抜いて 日(水)は休業日だと言った。休業日 ゆっくりしたい。 今日 汁になるだろうが、いまだ試していない。既 【6月1日・美国】 でも入港は可能だが、エンジンオイル入れ換 ついばみながら、フランスパンの食いかけを 〔ビビり待機 に幾度か使った使い捨て割り箸で「ギジ」を モグモグ食った。食い合わせがケッタイじゃ マイル えは不可能。小樽行きを断念。沿岸 〕 : マイルほど石狩 度右転、真っ直ぐ美国漁港へ入った。 沖を半島沿いに進み、美国の宝島沖まで直進 し 美国漁港は、積丹岬から 湾へ入った位置。昔ニシンで繁盛した港。 変わらんね、もっと割に割って透け透けの白 割りを呑む。牛乳って、いくら割っても色は 気がする。それをなだめようとて焼酎の牛乳 な い か い ? 胃 袋 が 虐 待 を 言 い つ のる よ う な の ま ま 小 樽ま で 行 こ う か と 考 え た が で沖だししたが波は高まるばかりだった。こ ていた。積丹岬の岬波かと思い水深 ンまた昨夜の位置に戻った。波は2㍍を越え 美国を5時半に出港、3マイル出てUター マイ ㍍ま 0 5 1 漁港前の宝島に近づいてみた。何でこれが にしたろかしらん。 であふれ泳いでいたのであろう。魚探で魚影 り竿を持って船着場をウロウロしていた。今 車で北海道一人旅中の青年に出会った。釣 やめた。曇天、あやしげな半端雲が何をたく ルある、この間ずっと真横からの波になる、 5 1 1 : : 夕食にカジカを煮て食った。白身であっさ 港。利尻でゆつくりしたい。ここ美国もよい 泉する手もある、第一目標は利尻島仙法志漁 ず波立つ。美国漁港は積丹岬から 岬周辺は、どの岬でも天候如何にかかわら 天気図ではシケるはずがない日だった。 である。 、 ラン♪と、騒ぎ踊った港とは思えない静かさ やかだ、その昔、♪ヤーレン・ソーランソー ら、再度出てみよう。港内はウソのように穏 機、波が気力を失ったら、ヤクザ雲が去った を探るが魚影はなかった。そのまま入港。 〕 マイル。 明日霧が無く、 かつ、 マイル。霧があっても焼尻島までは行 羽幌へ立ち寄って温 りした味、シコシコしてテッチリ(?)に似 ところだが、外防波堤内側に艇をもやい街を マイル石 る、土地の人はこれを「ギシ」とよんでいる。 きつけるだろう。苫前 なら 凪いでいたら直行する。天売島・焼尻島まで 利尻まで 〔あぁ利尻! らむのかせわしげに動く。桟橋でしばらく待 宝島なんや?きっ と昔ニシンがこの周辺ま 05 晩のおかずを釣るつもりだとのことだった。 時半、美国漁港入港・着岸。小雨そぼ降 る港だった、さぁ、昼メシ食いに行こう、朝 は タ マゴ 1ケ と フ ランス パ ン を 少し ムシ リ 食っただけ、この時間なら港の食堂は開いて いる。サザエ定食を食った。 〕 19 狩湾へ入り込んだ位置である、いまだ岬特有 〔カジカと白酒 29 or 75 眺めているが、いまいちゆっくり出来そうに 48 ダシがうまく味噌汁の具に良いそうだ、艇に 16 10 - 56 - 20 10 07 10 31 90 12 隠居波平釣り日誌 : p h 5 1 0 1 6ノット、雲間 : ㎝の魚がバラバラッと水面から マイル先左に いた。 焼尻島と天売島がボンヤリ見 える、焼尻まで4マイル 魚探で魚影を探りつつ徐行中 〔焼尻島 〕 56 可能性がある。遠別へいったん入港し燃料補 こと。絶対にここが一番値が高いと、給油所 日本一のアブラだそうな。値段(単価)の 艇は、画面中央ずっと向こう、外防波堤内側 手前の漁船溜まりには空が無くて入れない。 夕食はオカズ無し。 いようだった。ギョタンも退屈がっていた。 の島周辺はなだらかた遠浅であまり瀬が無 夕 食 の お かず を 1 尾 釣ろ う と し た け れ ど こ 霧のような雨。出歩く気がしない。入港前に 無事入港し給油も済ませた。艇内で夕食中、 給後、焼尻島へ向かうべきか否か。常に燃料 は燃料消費の程度把握が難しい。 のオッサンが自慢していた。 へ給油。 り出す→電動汲み上げモーターを繋ぐ→艇 ド ラ ム カン を運 び 出す → 長 い ホー ス を 取 16 ゲージのありように注意している。シケの海 焼 尻 島 で は 燃 料 軽 油 の補 給 が 受 けら れ な い : 〕 の波 の影響下にある のでは と考え沖出しし てみたのだった。 〔焼尻島へ再出港 7時半再出港、 波やや落ち着く、 に青空が見える。サァーと差し込む陽光、フ ロントガラスにシブキ、遥か彼方へ向け這い 行く心地。 だが、この出港は見合すべきであった。ガ 〕 マンする気力が無くなりかけている。 〔疲れた、今日はここまで ~ り走り辛い。幾度か波間に潮噴きをみた。一 度は は背中も見せなかった。前方 天売島、さらに右はるかむこうに焼尻島。ま だ携帯圏外。通じた、天売手前7マイル。 気力・体力のヘタリ加減は自覚している。増 毛・留萌への途中避難入港も頭の隅に置いて - 57 - 54 マイル弱、携帯圏外。焼尻島へ 18 燃料軽油給油中 07 向かっている。シケではないが、終始波があ 沿岸から 12 10 小雨、 焼尻島 20 40 飛び上がり直後に潮吹ききがあった。クジラ 30 隠居波平釣り日誌 ドイ思いせぇでもええやんか」の意見、これ か。鳥たちのご馳走。 と き お り 海 面 が ざ わ つく の は 小 魚 の ナ ブ ラ : 〕 ら出したばかりだもの。余程シャクだったの 影響下のあるようだ。広葉樹林。 焼尻島イチの原生林を散策した。津軽暖流の にもやっている。 かみさんの意見。やけくそだね。 〔まいったなぁ か、艇のキャビンの屋根に降りて立ってゴソ て欲しいなぁ。 前頁・給油中の写真で艇後部にゴムボート つもりである。 シ ケ て 艇 が ひ っ く り返 っ た ら こ の ゴ ム ボ 島の縁周辺は海鳥だらけ。ウミウだと思う。 ホーク種。高級肉でお金持ちでも滅多に食え 頭が黒く角の無いおとなしそうなヒツジ。サ ヒツジの牧場だった ートが勝手に浮く手はずだ。くくりつけずに、 いつも膨らせた状態で積んでいる。 これへ移乗する際、もし余裕があれば2馬 力船外機を付けるつもり。瞬時の転覆の際は もう成り行き任せ。もしも暗岩などに乗り上 げ ゆ っ く りズ ブ ズ ブ 沈み は じ め た ら ヨ ッ コ ラショとこれへ乗ればよかろうか。 「すぐ死ねるのに、こんなのに乗ってシン 原生林を抜け出ると広大な 絶えず小鳥の声。 た。ビックリしたみたいですよ、煮えた湯か が目を離した途端に舞い降り、パックを咥え のご飯を温めるのを空から見ていて、わたし ウ ミネ コ がカ セ ッ トコ ン ロ で 真空 パ ッ ク った。 焼尻島は「草木」と「鳥」とヒツジの島だ 17 ゴソ歩きまわる。気持ちが悪いなぁ、こらえ な白点が「はまちどり」 を積んでいるのが分かるだろうか。救命艇の 焼尻島の原生林 42 島周辺の岩は海鳥だらけ - 58 - 焼尻漁港・一番外側の、小さ 隠居波平釣り日誌 ゃないか。島では食わないと言っていた。 ないそうだ。島にはこれ食わす店はないのじ ブ漁やウニ漁に使う。 上から箱メガネで海底を見て漁をする。コン 自然放牧。 【6月2日・焼尻2日目】 〔予報と現実 : 〕 /秒。気象は西→ 焼 尻 島と 天 売 島は羽 幌 町 沖 マイルに 東へ移動する。出港は控えよう暫時待機とす 言うばかりで一向に要領を得ない。ようよう 漁 師 に 明 日 の 波 の 予 想 を 問 う とズ ー ズ ー 天 売 島は バ ー ド ウ オ ッ チ ャ ー に は 人 気 ようだ。 並んで浮かぶほぼ同じ大きさの島。両島 る。各岬の現在の実測風力は、船舶気象通報 聞き取れた、 : : 〕 ウ ミネ コは 近 く で 見る と ず い ぶ ん 大 き な 〔島ギャング は一見似ているが、それぞれ様相が違う テレホンサービスで聞き取る。 の島らしい。ウトウやオロロンが観察で 〕 ノットで2時間の航程。しかし、 マイル。凪 「…だ ども、ルズルのごだぁ~オラずらね 〔焼尻音頭 焼尻島→利尻島、は、わずか いでいたら 4キロ離れた天売島が見えている。この間 鳥である。ツバメを襲ってくわえるのをみた。 ノットも出せない。ってことは は武蔵水道という。魚釣りするならここがよ 漁師の家々の差表場は一様にすっぽ り網を この波では かろう。 かぶっている。カラスやウミネコ対策だ。わ 時 だ か らも う 本 日 中の 出 港 は 控 え なけ 写真では凪いで見えるが海には大きなウサ ればならん。 今 浜に細身の磯舟が多数並んでいた。北海道 13 たし奥尻で背開きしたホッケを2枚 かっさ 58 40 ギが跳ね騒いでいる(白波が立っている意) 。 島内散策中に撮影。 きるとそうだ。 ☆ 焼尻島から見た天売島 ぇ」 の実感(B)は9/秒~ それは6㍍/秒。わたしが今風を肌に受けて 台の実測風力(A)は9㍍/秒。焼尻灯台の 1㍍の予想。しかし今現在の気象庁積丹岬灯 ゆ りた ろう の 気 象 予報 に よ る と今 日 は 波 45 23 - 59 - 11 14 05 12 10 20 ではどこででも見かける独特の船。この船の 12 隠居波平釣り日誌 らわれた。ご飯の熱々もヤバかった。 カラスが優勢な港と、ウミネコが優勢な港 昨日は1時間半昼寝をした。夜は8時前に 寝た。もう目が覚めた。まだ3時前。 ところで、北寄りの風、南寄りの風のこと に価値観の差がある。また、日本では風の方 〔いざ利尻島へ 4時 〕 水深 ノット、タテナワ・ハエナワの仕掛けをか 、海鳥がやたら多い、種類もさまざま。 分焼尻島出港、凪、 p h 7 1 0 1 網のチャックを開けないが、カラスはチャッ 向を言うに、吹き来る方角を言うが、中国で 3 . 0 1 クのツマミをくわえて引き開ける。ただし、 は風の去り行く方角を言うようだ。遣唐使の : との二通りある。ここはカラスが優勢。 を、北々東の風とか南々西の風とか言う。北 チ ャ ッ ク が下 向 き に 開く 場 合 に かぎ る よ う 頃、かの国と航海技術をすりあわす際、不幸 東北とか南西南とは言わない。南北と東西と だ。地の漁師がわたしの干し網を見て、その に し て な がら く こ れ に 気 付 か な かっ た そ う カラスの方が賢いようだ。ウミネコは干し 干し網はダメだ、カラスがチャックを開ける いくぐりながら沖へ。 天売島へも寄港したかったが、事前入港申 請をしていなかった。残念! 〕 度を割った。利 : マイル、水平線上に島影らしきも 北海道本島からも利尻からも焼尻からも のが見える、錯覚かもしれない。雲が低い。 尻島まで ウネリ、冷気のなか水温は 針路0度、真北へ向け航行中。なだらかな 〔走っている : 今 日 の 天気は どう か? こ れ バ ッカ 考 え て と聞いている。 だ。遣唐使の遭難が多発した原因のひとつだ 〕 いる。 〕 10 と言った。 〔風裏風力 海上保安庁発表の焼尻灯台での実測風力 〔今日は凪 2 : マ イル 約 ) う? 中心、風によって自船が流される方角をこそ 象を大切に思うが、かの国は中華思想で自分 事前の計画ではいったん遠別に立ち寄り、 ( たまたま利尻島は風が吹き来る方向である。 【6月3日・焼尻島→利尻島】 燃料補給の後、機を見て利尻島へ向かうつも キ ロ 離 れ た 位 置 を 航 行し て い 19 がわたしの実感に比べ随分弱すぎる。当の灯 台まで行ってみた、なるほど風は弱かった。 39 50 気にしたかに思われる。ただし、日本でも、 日本と中国との風の向きの表現の差は、国 04 05 りであった。が、それでは利尻の仙法志漁港 る。 35 潮の流れを言う際は、中国の頭になる。もっ 灯台がある位置が風裏になっていた。海上保 15 20 への入港申請日に遅れる恐れがあった。途中 〔今日は凪のようだ 03 : 〕 13 - 60 - 15 ともらしい話だが本当だろうか? 民性に基づくものじゃないか。日本は自然現 31 40 安庁はなぜこれを見過ごしているのだろ 03 17 隠居波平釣り日誌 〔利尻島・仙法志港 〕 : 〔利尻浜焼 〕 : 中でまたホッケを釣って遊んだ。ヒライてこ の海況が許すなら一気に利尻へ向かうおう。 津軽暖流の残滓流に乗って走っている。約 れから干すところ、よい天気だ、おいしく干 利尻富士の裾野へ、そのフトコロへ入港。途 1ノット強の北上する海流があるようだっ 醤油ぶっかけて食うだよ た。大漁!これ以上積むと 10 せそうだ。 、 を越える。 利尻富士が見える! 51 : 打尽に掬い取る、もっぱら養殖魚に出荷前の 特別食として与えられる。 - 61 - こ~りゃうめぇ~ オオナゴ漁の船が戻ってき 11 た。海水温も思ったほどは下がらない。未だ 53 12 オオナゴ漁だ。魚探で群れを見つけて一網 サイコウだぜ! オオナゴの浜焼き 沈没する。 度大きく上回っている。時に 〕 澄んだ水、昆布がいっぱい 12 おー! 本島沿岸沿いに流れる宗谷暖流影響か? 〔利尻島 感動だ! 感動だ! 06 俺の利尻富士だ! 利尻島仙法志漁港 竿はギャフ、ただし中物用 10 隠居波平釣り日誌 山の海鮮丼3千5百円に挑戦したが食い切 れなかったとか。だが、艇に着くなりオオナ ゴの浜焼を6尾食った、食い終わって一緒に 沖へ出てホッケとカレイを釣った。もう食い きれん、リリース、リリースとアキどん。 は姫路からやってきた。前夜思い立って兵庫 し波平がヘタリ気味なのを按じ、陣中見舞い アキどんは、ブログを閲覧していて、わた て」とアキどん。 「もう腹いっぱいで食えまへん、逃がしたっ 「さばいて食うか?」とわたし。 「これがホッケでっか!」 に駆けつけた。そうとは言わんがワッシャ解 〔違反だけれど 〕 58 アキどん・竹竿の先にウニ だった。 〕 が竹竿で捕って二人で食った、むらさきウニ 艇をもやった位置にウニが居た、アキどん 07 て出た時はベタ凪だった、 7時「天狗の鼻」(釣りポイント)へ向け 〔北の海 : : 〕 アキどん、 : 匹焼いて醤油かけて キロほど箱ごと「ほれ持って キットこのことだね! 食った、サイコウだぜ!うまいって言うのは け」とタダで貰った、 求めたもの、 浜 焼 中 のオ オ ナ ゴ は 巨 大 ソ イ の 釣 り 餌 に か! 県 加 古 川 を今 朝 6 時 に出 発 → 利 尻仙 法 志 午 後3時着。 る。嬉しい。 - 62 - なんでも獲りすぎちゃう 途 中 飛 行機 を 乗 り 継い だ 千 歳 空 港 で 昼 メ おォ~、凛々しいお姿だこと キに山積みの大漁。なんぼ シを食ったらしい。イクラやウニなど盛り沢 08 船庫に入りきらなくてデッ 【6月4日・利尻仙法志港2日目】 〔アキどん来艇 56 艇 友 ア キ ど ん が 飛 行機 を 乗 り 継ぎ 兵 庫 県 06 59 10 10 隠居波平釣り日誌 の波。ここが が、途中波が出て転針し礼文島の風裏へ移動。 島の縁に取り付く頃はすでに ノット。ガッポンガッポン帰港。 風裏か?艇が流れて釣りにならん。仙法志へ 戻ろう。 アキどんがんばる。 仙法志沖へ戻るとなぁ~んだ凪いでいた、 : 〕 ア キ どんはこ の後下 船し 飛行機 で国 へ帰 に戻る。 一 緒 に 2 時間 半ほ ど 島内 を 走 り まわ っ て 艇 たみたい、 走る。 9日以降は天候が崩れそうだ。8日までに 湧別港へ入ってしまいたい、二郎ちゃんと 日に湧別で落ち合う約束だ。 〔岬波 〕 ノシャップ(野寒布)岬沖沖3マイルを回 頭中、ウサギ跳ねる、波尖る。 野寒布岬まではほとんどベタ凪だった。岬 にかかると三角波が待ち構えていた。 岬沖3で大型漁船を見つけた。漁船は洋上 微速で前進していた、漁船の進路直前をすり に止まり操業中のように見受けられた。が、 凪だ、わたしはこれから出港し野寒布(ノ p h 1 1 0 1 〔宗谷湾 : 〕 。しかし、 ニか蟹かの漁船だったのではないか。 ロシア漁船は稚内方向へ向かっていた。ウ どは危険だと聞かされた。 後日談だ。ロシア船の直前をすり抜けるな ア漁船であった。 抜けた、ロシア国旗が見えた、赤錆びたロシ ノ 、これからの海は浮遊ロープや 廃網が多い、ワッチを強化する、速度自粛、 ット。 左 舷 に 見 な が ら ノ シ ャッ プ 岬 を 目指し 9時に利尻仙法志出港、利尻富士の稜線を るつもり。 シャップ)岬・宗谷岬を回りオホーツクへ入 る。 : 利尻富士、空を突く。 またホッケ釣り、行ったり来たりしながら、 ワッハッハ・ワッハッハで、ホッケ釣り。 【6月5日・利尻3日目→宗谷・富磯】 〔利尻を発つ アキどんがレンタカー を借りてきて島内 観光に連れ出してくれた。 が始まった。解禁日だっ 艇先方で3~4頭のクジラが潮を噴く、少し 瀬戸内海のシケ波に似る、波 - 63 - 12 1.5 レンズ雲かかる 島周辺あちこちでウニ漁 左に転舵、流れ藻が多い、アレコレ避けつつ 1.5 23 44 34 09 10 11 17 11 隠居波平釣り日誌 岬先端の三角波には比すべくもない、 ノッ 機。 は9マイル沖合いにもある。わたしは、さら にこの沖を走った。波の避けようがなかった。 港するつもり。だが、清浜沖周辺は危険礁が 宗谷岬越えは断念し、清浜か宗谷へ避難入 野寒布岬を廻り宗谷湾へ、しかし波は納ま 多そうだ。既に岬波の影響下だろう。宗谷へ ㍍ らない。危険箇所をすぎると後は大胆になる。 マイル沖でも 水深 避難しよう。 浅い海だ。沿岸 〕 前後。浅い海は波が立ちやすい。小型船は航 行し辛い。 〔宗谷港?? : ㍍は吹いている、波は2㍍を越えた、 難。港口の暗礁に危うく乗り上げるところだ った。 宗谷岬の西側は日本海、東側へ回り出ると オホーツク海。 南東からの風だった。宗谷湾へ深く入り岸 沿いに走れば波は避けられる。だか海は浅く 認した。ヤバイかった。 なんとこの時、わたしは自艇の現在位置を誤 陸上でならまだしものこと、海ではヤバイよ。 わたしは方向感覚が弱い。たびたび道に迷う。 照しながら話を聞いてほしい。 以下は、下段に掲げる図1・図2を細かく参 た宗谷村の宗谷だった。 この宗谷港じゃなく、岬西側の宗谷湾に面し わ た し が こ の 時 避 難 入 港 し よ う とし た の は る。 を オ ホ ー ツ ク 側 に 回 りこ んだ す ぐ の 港 で あ 宗谷港は「港湾案内」(図1)では岬先端 一気に宗谷岬沖も走りきるつもりであった。 発電の風車林立す。皆威勢よく回る、約 ト。8マイル先に宗谷岬、宗谷岬山上に風力 12 40 20 宗谷岬は回りきれない、宗谷(港)へ緊急避 風 26 岸辺一帯は定置網だらけ、ホタテ養殖イカダ 図1、プレジャーボート「港湾案 図2、海図1/20 万・日本測地 10 13 内」 - 64 - 系 15 隠居波平釣り日誌 思ってしまった。図をしっかり見ていな ★ 図1の「宗谷」を「宗谷港」のことだと 二つが掲載されている。 生む、いや間違った、錯覚・誤解を生む。 〔富磯港?宗谷港? 〕 わたしは迷ったあげく富磯漁港に入った。 なぁんだ、ここが宗谷だったのかと思いつつ …。 ・富磯に入ったことは入港後すぐわかった。 が、この富磯にある漁港を宗谷漁港すなわ ち 宗 谷 港 と言う の じ ゃ な い か と のネ ジ レ た 思いがあった。キツネにつままれたような心 地。 〕 いかけたとする。地の人は「んだ、んだ」 どこ?宗谷港ですか?」と地元の人に問 実にやっかいである、「外来者がここは 谷漁港だと思って入港したのだ。 は2㌔半離れていた。わたしは富磯漁港を宗 あとで解ったのだが、宗谷漁港と富磯漁港 風が唸り吹いていた。 た。 ① 図1を見て「宗谷」へ緊急避難を決め と首をタテに振るだろう。だって、宗谷 万 の 海 図 で は 分 別が ② 同案内図の「宗谷港」ページを開き、 できん。 2 ㌔ 半 の差 は 1 / 岬の港はみな広義の宗谷港である。だか たしが今居るのはどこ? どうも釈然としない、わけがわからん。わ 〔宗谷港?? : が掲載されていたのだった。ここが宗谷 : 「宗谷港」とは「大岬港」のこと、正しく 湾ページの「宗谷」じゃない! ★「宗谷港」は「港湾案内(図1)」の宗谷 ―だが間違いだった― のと思い込んでいた。 い。 「宗谷港」内に「宗谷漁協」があるも 宗 谷 港は 正 し く は 宗 谷 大 岬 港と よ ば れ い宗谷港の表示は無い。 の 宗 谷 港 の 位 置 に は 大岬と 記 載 さ れ て に宗谷と書き込まれているだけで、本当 図 2 には 宗 谷 湾 に面し た 宗 谷村 の 位 置 ☆ 図1の「港湾案内」には宗谷港と宗谷の ☆ ☆ るわけだ。これを略して図2では大岬と 記載してある。わたしはこれに気がつか なかった。 は「宗谷大岬港」のこと。 ★ 電話先した先は、図1の「宗谷」だった。 「宗谷大岬港」の案内ページに宗谷大岬港 大きな錯覚・不注意 2 ㍍ 超の波 の な か危 険 岩 礁や 定 置 網 を とは別の宗谷湾側の「宗谷」の電話番号 き、レーダー・GPS両画面をにらみ、 漁港。 47 そこに記載の宗谷漁協へ電話し、緊急 だりするわけだ。これが三角四角五角を 20 - 65 - 14 ら、宗谷大岬港のことを、大岬って呼ん ③ 入港許可を得た。 ★ 避けつつ独り操船。図1図2を傍らに置 周辺の様子を窺いつつガッポンガッポ ★ 37 避難入港受け入れを要請。 ン。 16 隠居波平釣り日誌 〔釈然とした : 〕 錯覚が解けた、わたしは宗谷漁港ではなく 富磯漁港に居る。 落ち着いて今一度図1・2を見直せば、す が、しかし、 帰ってしまった、 て寝なおすべぇ」漁師らはみな船から降りて 揚場に人の群れがダーと出てきて、ダーと引 何するにつけても村全体が同時に動く。荷 まことに恥ずかしいが、これがシングルハ きあげる。あとはだぁれも居ない空っぽの港。 ぐに判るはずの初歩的ミスである。 ンド航行の弱点だ。思い込んだら修正が難し わたしが居るけれど…。 この海域は非常に浅く、港の入り口周辺は 富磯漁港タコ漁船群、 い。 でも、なぜ?なぜ? なぜ、このような初歩 的ミスガ生じたの か? そして、狭義の宗谷港は宗谷岬の東側の大岬 岩礁が水面下ギリギリまでせりあがってい : 〕 : 〕 防波堤の上へ出て宗谷湾を眺めるが、沖に 〔宗谷・富磯滞留 明ける、まるで白夜のような感じだった。 午後8時頃まで明るい、午前3時半には夜が 艇は沖側岸壁の内側につけて は船は1隻も見えない。風が強く立つことが - 66 - わたし、パニクッっていた! の こ と で 正し く は 宗 谷大 岬 港 と よば れ る こ た。海図を見直す余裕がなかった。脳裏に幾 度か船底が岩礁に破壊する音を聴いた。 と。宗谷港と宗谷漁港は全く別の港だってこ と。 【6月6日・宗谷富磯2日目】 〔宗谷富磯 ☆ 遠距離航海で一番大切なのは、自艇の位 置 を 常 に 正し く 把 握し て いる こ と であ がビュウービュウー吹いている。4時 朝3時半、もうすっかり夜明けである。風 このたびは、プレジャーボート用の「港 艇は漁船の溜まり場に着けているが漁船は 分、 湾案内図」と「日本測地系海図」とで、 る。 40 まだ1隻も動かない。漁師は既に船に乗り込 いる、 宗谷・富磯漁港 港湾名記載の相違があり、これがとっさ んでいる、 15 艇からタコ漁船群を見る、 59 の判断ミスを呼び起こした。 21 04 …と、「…んだ、だむだこら、オラ、けぇっ 07 17 隠居波平釣り日誌 吹き飛ばされて海へ落ちる。漁師も敬遠の今 出来ない、立つと風が背中を押すじやないか、 ア キ ど ん が下船 時に残し て お いてく れた も ・最北記念碑前。完全防寒スタイル。手袋は ぁシンド、自転車は疲れる。 船溜まりに 師らの時間だ。4時前頃風は少し弱まった、 になると、もうあたりはすっかり明るい。漁 浅い眠り。早くから目覚めている。3時半 日の海、わたしはビビりの半可通、今日は得 の。 隻ほど漁船がもやっている。数 意の日和見としよう、気温は5度前後、冷気 が港を覆っている。 体感温度は0度以下。港にはだぁ~れも居 ない。車も見ない。風力発電の風車が回って 隻沖へ出たようだがすぐに帰ってきた。また 風が出始めた、霧が濃い、防波堤から外は綿 、波1㍍と言うが時折艇を : 漁 師 も 沖へ 出 て み ない と 波 の 様子 が わ か 全防寒を要す。 いましばらく様子を見る、体感気温4度、完 風で岸壁に押し付けられていて離岸し難い。 車も霧の中。仮に今出港を決意したとて艇は 襲うこの強風はどうだ。山上の風力発電の風 菓子の中、 p h 4 1 0 1 いる。山は一面熊笹で覆われている。 「危険! 熊に注意」と立て札。 寒い、気温5度 : 〕 - 67 - 〕 記念碑前の海。 らんらしい。シケ模様の朝は、数隻沖へ偵察 おり、ここまで出ると波の様相は変わるよう 漁は 湾 か ら宗 谷 海 峡 へ出 る キ ワ で行 わ れ て 富磯は宗谷湾のフトコロの内である。が、 シケている。 か? 観光客目当てのみやげ屋がある。食堂があ る。 だ。 〔離岸できない 出港しょうと思った。もやい綱も解いた。 22 久しぶりにウドン定食。 : 〕 06 〔とにかく岬へ 日本列島最北の地 自転車で日本最北端に到達、沖はシケ、遥 か沖にボンヤリ樺太が見える。 宗谷岬記念碑前 40 に出るってことが行われていた。 海を望んだ時のことを…、 こんなおっそろしいところが越せるやろ 思い出すなぁ~、ここから 【6月7日・宗谷富磯3日目】 〔さらに待機中 11 46 宗谷海峡だ、すごい海だ、ここが最北だ、あ 05 18 隠居波平釣り日誌 が、艇が岸壁に押し付けられて離岸できない。 水無月七日富磯の客 波平 てせわしく動く。この作業グループが3つあ る。ホタテの稚貝の水揚げだ。ゴルフボール 凪 で な けれ ば 絶 対 沖へは 出 な い覚 悟 で あ 賃は船で沖へ出ると2万円、陸作業は1万円、 バウスラスターも力不足、どうにもならん。 誰 か に 艇 を強 く 押 し 出し て も ら いた い が 付 った。が、この凪待ち辛抱が難しくなってい 総計 人ほどが懸命に働いている。 の径ほどの稚貝、稚貝1枚5円だとか、作業 近にはだぁれもおらん、自分で押し出して急 る。疲れがその原因だ。里心が芽生え始めて いる。 ぎ操舵席に戻ると、もう艇は岸壁に押し付け られている、わしゃ泣きたい。 こ の 日にシ ャ ニ ム ニ出 港し よ うとし た の には今ひとつ別の理由がある。宗谷岬先端の 宗谷暖流と、岬先端の潮汐(潮流)を読んで いた。潮波を警戒する上からはこの日この時 船から稚貝を陸揚げし : : り現役漁師に聞かないとダメ。 員は概して海の実態に疎い。海のことはやは が意外と多い。また、どこの漁港でも漁協職 出たこ とのない女 性や湾内し か知ら ない方 れる。が、あまり信じてはいけない。海には いろいろな人がここの海の講釈をしてく てオホーツク海へも入るらしい。 プがある。タコ漁船はごく稀に宗谷岬を越え ホ タテ 稚貝 養 殖 とは 別に タコ 漁の グ ル ー ているところ バウスラスターとは、船首船底に付けた横 向きペラのこと。電動式だ。 〕 ☆ 宗谷暖流は宗谷海峡から知床半島先端 刻がベターだと読んでいた。 て岬線から北へ出ると波の相が変わった。3 までオホーツク海を北海道沿岸に沿っ 100 〔難儀だワイワイ : 〕 - 68 - 〔初戦敗退 8時半しゃにむに離岸し、敗退し、また元 ㍍を越える尖り波、負けるものかと頑張った て流れる海流で、黒潮の分流・対馬暖 の富磯漁港へ戻った。沿岸を2マイル半離れ が前方に白波砕く洗岩様のもの、高波の中、 〕 流の最北端の姿。 作業。 夜 明 け 前2 時 過 ぎ から 昼 前 ま での 断 続 的 〔漁はホタテ 面舵をいっぱい、脳裏に船底を割る破砕音を 聞きながら間一髪危機を回避、途端に意気地 が無くなった。航跡をたどり富磯漁港へ戻っ た。残念無念、ご当地ではこれが凪だとか、 01 漁船が慌ただしく沖と港を往復する。戻る 人 ほ ど が 群 が り 寄っ 20 あぁ、ウミネコは飛ぶ、浜千鳥はヘタバル。 10 と カ ッ パ を 着 込 んだ 59 46 意気萎えて岬根に泣くはまちどり 12 08 隠居波平釣り日誌 タコ漁の船が次々帰って来た。隣の宗谷漁 港 から 漁 協職 員 が出 ばっ て 来 て 船ご とに 水 違っていた。 分で死ぬぞ、これも違う。水温は 度 ③ 明日はかくかくの天候とか、だが現実は ④ を大幅に下回っている。 分も生きては 揚げを確認・検量し受け取る。その漁協の兄 ちゃん等が手あきの時に艇へやってきた。い おれない、5分ともたないだろう。3分 〕 飛ばそう! と、数曲吹いたら嫌になった。退屈なときは ボヤ~としてたらええ。 【6月8日・宗谷富磯4日目】 〕 ど何も無い。トイレも無い、水産物倉庫も無 ここは第二種漁港だが、船着場以外ほとん 〔未だ富磯漁港で日和見中 : 〔日和見の心 足らずで意識を失う。 たれて船ごともって行かれるぞ。 : い。漁船が沖から帰る都度隣の宗谷漁港から い、製氷施設も無い。あれもない、これもな 宅 へす っ こ ん で し ま い艇 か ら 見 渡せる 範 囲 漁 協 職 員 が出 張 し て き て 漁 船 ご と の 水 揚 げ 名ほども出ていた人達は、皆自 に人影は無い。寒いが、艇には暖房の用意が を計量 記載し トラックに積み込んで 持ち帰 4.明日は南西が吹いて雨があるぞ。 ない、重ね着して耐えるしかない、酒を呑む る。あるいは契約運送業者がここで積んでそ アッ、そうだ! : 〕 時半まで昼寝をしていた。ス り口には危険な岩礁がある。今日中に東 岬を越えたオホーツク側の港だ。港の入 ギロチンに消えたが、彼女は唯一退屈が苦手 マリー アン トワネ ットは フ ランス 革 命で う。今現在は低気圧接近中、これが去ったら ーもたちあがった、さぁオイラも立ちあがろ キッとした、メンテでダウンしていたサーバ 酒食らって 〔現況の科学分析・報告 シッコは別。間に合わない。 漁港まで行き、漁協建物へ入る。ちょっとオ トイレは自転車で2キロ半向こうの宗谷 のまま出荷先へ届ける仕組みのようだ。 手もあるが、独り酒は身体にも心にも良くな 聞く。彼等は少し間違いを言っている。 ① ホンマやろか? 元の漁船の航行力 を誇って郷里の自慢 尺八吹いて遊ぶ手があった る♪ 話しをしている。「はまちどり」艇の立 ② 今日はわたしには凪ではない。彼らは地 ♪ 独 り 酒場 で 呑 む 酒は ~ 別 れ 涙 の 味 が す あぁ、難儀だ。 朝方浜に 1.ロシア船に気をつけろ、近寄ると鉄砲撃 ろいろ情報をくれた。 10 い…。 2.今日の凪なら東浦へ行けるだろう。 15 漁協の事務職員からだ、そのつもりで話を 分で死ぬぞ。 47 46 03 3.海へ落ちたら 18 だったみたい、ヨッシャ、尺八で退屈を吹き 場で言っているのではない。東浦は宗谷 20 - 69 - 100 19 15 浦を目指すのはヤバい。 15 15 隠居波平釣り日誌 満差 分、干潮流は 日に出港しよう。 日の宗谷岬は干 9時に第一船が帰港、「はまちどり」艇から 次第に明るくなる、タコ漁船の出漁時間だ、 加工場へ直行。ホタテの稚貝も即箱詰めしト タコはそのままトラック荷台に放り上げて アブラはタンクローリーがやってきて配る。 ㎝、干潮時刻は9時 水揚げ風景を眺め釣果を数えた。第一船 ( ) 杯、以後 は風雨が更に強まるだろう。民宿があれば逃 時帰 時半までに計6隻が順次 タコは1杯2杯と数える 、第ニ船は 港し ラックの荷台へ。今日これから明日いっぱい 杯 ノ ッ ト が加 わる 西から東へ推定流速2~3ノット。ここに対 馬 暖 流 の 分 支 流 宗 谷 暖流 と最勢時には計約5ノットの東流がある計 げ込むのだが、これもなさそう、イヤあるに 杯まで、金額にすると 帰港した。大きなタコだ ~ 万円~3万円、釣果が少ない船ほどタコは があるその差 算だ、この時、わずかでも東からの風がある 時出港 日 の 風 の 状 態 を み て 昼前 キロ5百円だとか、船ごとに釣果に大きな差 は 渦 が で きる 、 日なら 分後ろへずれる。 時に出港、1日ずれて だ、潮汐干満は日に ややこしい計算でおそれ入る。これが小さ なボートで荒海を乗り越える手法。 。9メート んでいる民家がある。 漁船溜まりに 艇をもやっ ている が今 朝は 上手の差だろうと思う。 を揺する。その艇内で、着れるだけ着込み鼻 ウフウ強まり、その都度艇が怯えたように体 漁師はだぁれも出てこない、ときおり風がフ さて、わたし、風向き、風力を勘案し、あっ : 〕 : ㍍は吹いている。身体をやや : な な め に し て 山 上 の 発電 風 車 を 見る と 風 車 ぎて不可能。 めげそうになって畳もうとする が風が強す ら艇後部のオーニングを折り畳まなかった。 こ れ ほ どの 強 風 が吹く と思 わ なかった か 〔ンゴォー 趣深いことじゃねぇ~。 宗谷岬直前の漁港で寒風にさらされている。 心細いわけじゃない、ただ独り日本の北端 水をすすっているのは誰? キロはある。 【6月9日・宗谷富磯5日目】 〔宗谷・富磯 6月9日 〕 ミズダコだ。ボンテン漁だ。小さくても ル睨んで過ごした。 た後は終日艇内にこもり、週刊誌の数独パズ さりこの日の出港を断念し、タコの数を数え 小さく、逆に操業時間は長いようだ、下手と は在る。道路際法面補修工事の方々が泊り込 キロ超のもいる、 10 16 10 「はまちどり」艇は全長 ル弱の小さな船。もう少し船が大きければこ のような計算は無用なのだが、 「はまちどり」 10 次第に風雨が強まってきた、ここ富磯漁港 20 では岬々でこの計算をする。 ☆ オホーツクは親潮の海でもある。宗谷岬 〕 はこれら潮流と海流とがせめぎあう最 北の岬。 〔8日のまとめ 11 は給油施設も製氷設備も無い。漁船への燃料 11 20 15 12 22 と岬は高波で荒れ、三角波が立ち、岬先端に 11 22 11 1.5 28 ft 日本最北端の夜明けは早い、3時になると 28 05 45 12 11 20 - 70 - 30 22 11 or 43 12 11 隠居波平釣り日誌 は 以 前 と 変わ ら ぬ 速 度で 回 っ て いる 。 ア レ アホか!強がりである。発想の転換でミジ しなくなった。 プロペラほどにもブンブン回転しているだ メ・ミジメを乗り越えようとしている。それ ッ ! ブ レ ー キ を 掛 け て い る の か な? 飛 行 機 ろうとの想いが外れてけったいな心地。ンゴ なり に乗り越え得たような気もする。 〕 み た い わ けだ 。 自 炊 能力 は ゼ ロ に 近 い 。 近 い? ウソだろう、ゼロやないか!ゼロ以下 日・宗谷富磯6日目】 〕 のマイナスや! 【6月 〔はまちどり定食2 〕 回目の結婚記念日を迎えた、退 背負って出勤した。ごく稀に食堂街へ出たが、 ラリーマンだった。かみさんが作った弁当を 職後丸5年が過ぎている。ずっと冴えないサ つい先日 : 〔はまちどり定食 かで俺は寝ているのかとあきれる。 かで岸へあがると艇の大揺れに驚く。このな 艇内に居るとさほど感じないが、一旦何用 ォーって、風が唸っとる。「ワイの艇に吹か んといてんか、あの風車に吹いたれ!」 発 電 風 車は 風 力 に 応じ て 回 転 速 度 を あ げ るのではなさそうだ。大発見。 これだけ吹かれるとどうにもならん。 : 独りしらじらと覚めている。旅に出てこの時 嵐の中、漁港にもやった艇内に閉じこもり 卓上炊きを持ち込んでいる。米1合に水を加 牛乳があれば最高。3番目が1合飯、一人用 締まった味。次はパン、食パンをモギリ食う。 一味唐辛子をドバッ、真っ赤っ赤、ビシッと 式の物、水7、酒3で湯がきタマゴを加える、 乾燥麺を袋から取り出して鍋に入れ 湯がく 柴山港に居た時、リンゴをかぶって歯が1 い。 いて食うがこれ以外は丸カジリ、洗いもしな い、リンゴ・バナナを食う、バナナは皮を剥 める、手間がかかるのは降参だ、トマトを食 が面倒でいけない。酒なら栓を開けたら即呑 しただけ。今こうして長旅に出るにメシ作り い つ も メ ニ ュ ー 表 の 決ま っ た ひ と隅 を 指 差 間を得た、日和待ちってあんがいおもしろい、 え固形燃料で炊く、水かげんが決まらない。 〔ポケェ~としている 外は寒い、キャビンハッチを閉め、なかに黙 本抜け落ちた、歯ごと食ってしまったようで : スハして締りが無い。ときどき舌先で抜け穴 下アゴの前歯のひとつが欠け落ちた。スハ おかずはキムチ、トマト、リンゴ、バナナ、 要するに、なんでもいいから食堂へ駆け込 念と座っている。この無為、なぜか嬉しい。 艇内食をご紹介。まずは即席味噌ラーメン、 06 ある。 降参降参 !艇 内にすっこ んでいるし かな 36 そして納豆、あぁホッケの干物、ドリンクは い。寒い。 38 10 なぜだろう?少量の水、少量の食料、そして 〕 16 焼酎、近くに食堂があればホッとする。 風の音、波の音、揺れる艇、先程から雨音が - 71 - 21 酔うに足る酒がある、寝転ぶに足るスペース 42 も、思うがままに寝起きする、疲れはない、 18 隠居波平釣り日誌 〕 を探り、あぁ、ここが開いていると確認する。 〔定食3 : 食料の買い出しも先ず簡便を旨とする。パ 昼 時 に なる と ア ル ミ 箔製 の パ ッ ク を 取 り出 し、氏はチュウチュウ吸う。 〔定食4 〕 : 〕 い金属、大丈夫かいな? て母が泣いたのを覚えている。母が山から戻 こともある。だが、わたしはひもじい思いを : 発 したことはない。 トトシャブという料理があるそうだ。食事 機見える、内1機が止まっ の畝に座り、抜いた大根を分け合って食った わたしと妹とが全部食べてしまっていた。畑 幼い頃田舎に疎開していた。食い物が無く 袋 を破 れば 後は ズル ズル 引 き出 し て 食う だ ・舌で口中を検索すると、ドデカイ大 穴が ていたとは! け。こやつは食った後、腹の中でふやけ膨ら 〔定食5 気になってしかたがない。 を打ち続けている。 開き得ていない。様子がわからぬままブログ パソコンは電波状況が悪く、久しくブログを いつも風車を眺めてい っ て 蒸 し 芋を 入 れ た 篭に 手 を 入 れた が空 っ 飯かじっていて欠け落ちた奥歯の詰め物、硬 ふたの上に乗っているのは、たった今こげ 1合炊きの釜。 : ン、これが最高、駄菓子は持ち重りのするも のも買う、 要 す る に 食 っ た ら 腹の足 し に なり そ う な もので調理不要な物ってこと。納豆はフタを 開けて箸を突っ込み掻き回せば食える、キム チも簡単、箸でつまみ出すだけ、積み込み食 料に即席味噌汁がある、まだ一度も試し食っ てない、これは湯を沸かさねばならぬ手間な 食材である。 飯器、一合炊けます、 開 いた 歯 があ る 。舌 のセ ンサー の鋭 敏さ 先日新たな食材を開発した、トロロ昆布。 卓上式・一人炊・簡易炊 むような気がする、腹の足しになる、昆布は 好物でもある。 釣友二郎ちゃんはもっと徹底している。釣 閑話休題 艇から風車が た。羽の角度を変えたようだ。 16 17 り行きの際、氏は弁当にパック入りの搾り出 し式液性食材(コーンスープなど)を持って くる。氏は立派な歯を持っているがその実は 総入れ歯だってことをわたしは知っている。 08 - 72 - る 07 ぽだった。母のあのときの顔を覚えている。 39 03 に驚く。この大穴があの詰め物でふさげ得 09 42 07 隠居波平釣り日誌 まい。 ない。安穏すぎる人生である、ラーメンがう し、このトトシャブ料理は未だ食ったことが ンのバンドをきつく締めるのだという。わた 時になると水道栓から水をガブ飲みし、ズボ 取りかぶった。アキどんは5㎜ほどを呆れ顔 がよろしいと勧めた。わたしは5㎝ほど切り と取り出し、好きなだけサシミに刻んで食う わたしは取って置きのタクアンを 本丸ご 「ハイいただきます」 「アキどん、サシミも食うか?」 宗谷だぜぇ~ 焼尻・利尻・ アイヤーアイヤー ♪ 彼等に我が尺八の深遠さがわかるかしらん。 ん、ウミネコらが何事やらんとやって来るが 1 ふざけでタクアン1本取り出したわけで 〔定食7 ッ!! あぁ~流れ旅、名曲だなぁ~シビレル ♪ で切り取った。 糖尿病で食事制限がある。認知症は腹減り自 はない。心底これは御馳走になり得ると思っ 母は大食漢だった。わたしも同じ。母は今 覚とは別物。お腹が空いたお腹が空いたと言 て用意したものだった。アキどんが呆れ顔を " " したので、 あぁこのお方は常識人だった と、 気がついた。 : 〕 : + + + 円) 納豆 生卵 フイッ - 73 - う。腹いっぱい食わしたいがそれができない。 〕 氏は、豪華ウニ丼と浜焼きオオナゴとが胸 ャベツミックス( 〔定食6 アキどんは美食家でかつ大食漢でもある。 につかえて、食欲がいまいち湧かないようで たまにはこういう特別食もある、千切りキ 氏を利尻に迎えるにあたり、あのときタレツ : 〕 えた手間料理だ。主食はパン。 これらを1椀にブッコミ→マヨネーズで和 シュハンバーグ。 28 あった。だが焼肉パック3袋は平らげた。 20 キ 焼 肉 の ジ ン ギ ス パ ッ ク を 3 つ 用意 し た の だった。氏には焼酎を下げて来いと伝えてあ 〔北の嵐 港内とはいえ嵐の中だ、四六時中ガッポン った。氏の口に合う肴が必要であった。 氏は 千 歳で飛行機乗り継ぎ をした がそ の ガ ッ ポ ン 揺れる ボ ー トに 閉 じ こ もっ て い る で、午後4時からつい先程まで、尺八独習 平常心、平常心、 合間に3千5百円のウニ丼を食ったらしい。 食い、その後、夕食にこの焼き肉を食った。 と、ビビりのオイラは気が狂うかもわからん。 10 艇 に 着 いて さ っ そ くオ オ ナ ゴ な浜 焼 き を 19 会を開催しておった。付近にはだぁれもおら 特別スタミナ食 22 実はもうひとつ御馳走を用意していた。 128 10 隠居波平釣り日誌 日・宗谷富磯7日目】 〕 船 ホ タ テ 積 ん で 戻 る →カ ッ パ が 群 が る の 繰 り返し、昼前までも続くことがある、 〔ルポ1 : 〕 : p h 4 1 0 1 た、後部デッキの屋根オーニングはこの際折 にある。今日早朝はシケ模様だったのでいっ 前後に、やるか、やらないかのオフレが各戸 p h 7 0 0 1 り 畳 も う と思 う が い まだ 風 が あ っ て 畳 み 辛 たん沖へ出てから判断するとなって、4時に コ漁の漁船。 日から始まるらしい。各船漁具の積み 今朝からナマコ漁船に動きが見える、ナマコ 漁が 込みやエンジン点検だ、ナマコは底引き網で 捕る。 ㎝近い 樽ウキから太い道糸を垂らし、海底をズルズ タコはタテ縄ボンテン漁だ、直径 や っ て い る位 置 に 移 動し 繋 留 す るこ と に な ま で と 決め : 富 磯 漁 港は 小 石 を なげ れ ば 向 こ う 側 ま で ともある。 いた ら 岬 を回っ てオ ホー ツ ク へ出 漁す る こ られている。漁場は概ね宗谷湾内だが凪いで 1 船 あ た りボ ン テ ン 仕 掛 け は ルと、冷凍サンマをぶら下げた樽を潮に流す、 はいかんそうだ。 船溜まりの漁船は2群ある、タコ漁とナマ 〔ルポ2 〕 総出でやる。風邪引きくらいでは休むわけに 作業は、じいちゃんも、ばぁちゃんも村人 るらしい、今は荷揚場に繋留している。 この漁の漁船3隻は、今「はまちどり」がも 日に終わる予定とか、そうなると、 20 対岸のナマコ漁船群 豪華だ!スバラシイ! 【6月 〔嵐明け い。ホタテ漁船もタコ漁船も出漁した。さら 決行が決まった。例年なら先月末でこの漁は ホタテ稚貝漁は朝2時起きだそうな。3時 に 天 候 が 回復 し た ら 昼前 に は わ たし も 出 港 終わるが、今年はシケが続きまた寒すぎて未 だっ するつもり。潮汐(チョウセキ)流が些かで だに漁が終わらない、ここ 年無かったこと も宗谷暖流を抑えるのを期待している、寒さ 分で1船分の作業が 漁は だそうだ。 なってきた。 ~ 16 に慣れてだんだ ん当たり前のような感じに まで上昇、嵐の昨日は 09 09 - 74 - 29 52 ホタテ船が戻る→カッパ着が群がる→慌 ただしい作業→ 40 06 終了する、…と、また船は沖へ取って返す→ 30 20 54 20 16 11 隠居波平釣り日誌 速いとのことだった。 ちどり)では 岬は 難しい」と言った、潮が ナマコ漁師の一人が「今日はその船(はま 「熊出没に注意」のタテ看板がある、 充分届く大きさ、丘陵は熊笹に覆われている。 いことはない、が、危険すぎる、岬を回った の難しいことか、無理すれば今日でも回れな としか考えていなかった。だがなんと宗谷岬 気に枝幸までも可能だが、用心して東浦まで 岬は警戒していなった。宗谷岬を越えたら一 んけぇ、あぁ、難儀だ。 のや?こいつが張り切る分、東風が強まるや も、なんでこうもオホーツク海高気圧は強い グズぼやくのが恥ずかしかった。それにして の電話口の声は張りがあった、わたし、グズ ( ) を船溜まりにくくりつけ、代わってナマコ船 ナマコ漁を始めるらしい。ホタテ漁用の漁船 腕し、とぼけた回転を続ける山上の風車を眺 たし単独では体力・気力に不足だ、切歯やく タロウが同船なら間違いなく出港だ、が、わ 後の横波航行に体力がもたん。ヨシ○やユリ うだ。 する。この違いが艇運行の構えに差を出すよ れた。氏は釣りをやらない。わたしは釣りを 流(潮汐流)は別段問題としなかったと言わ 南藤氏は潮汐流のことを語らなかった。潮 日にホタテ稚貝漁を終え、その代わりに がモヤイを解くことになる。 めている。陽射しが強まった、防寒用の重ね : 〕 : : : る。だって気力が満ちてきた、風がおじぎし 潮汐からの判断では否、だが敢えて出港す 〕 たかに思われる、出撃だ! 時が満ちたって感じ。風も波も気力が押さ ただいた。南風かぁ~、今は真東の風ですわ、 - 75 - 着を徐々に脱いでいる。 日・宗谷富磯8日目→北見枝幸(給 油)→羅臼(上陸休憩)→湧別(泊) 】 【6月 側 岸 壁 に よじ 登 り く やし が る こ とし き り で 〔出港します この時点でこの日の出港をあきらめた。外 ある。 〔先達は、もたま欲しきものなり で 日本一周 を果たした 南藤氏に宗 谷越えのア : 57 イ ル 沿 岸 から 離 れ る よう に な ど の 情 報 を い えつける。するだけの我慢はした。出港する。 〕 ドバイスを求めた。氏が宗谷を越えたときは 〔ぼやき " ( ) " 東風 こち 吹かば… ってやつですわ。先輩 (※ 本書の無断転載を禁じます。 ) が、凪いだら出港の構えで空を見上げてい 先年「はまちどり」と同じアルビン 09 出漁準備の仕上げは燃料の積み込みだ。積 左舷からの波で走れないだろう。青空が広が 04 南風だった由。定置網を避けるには4~5マ ってきた。 12 込み後、じっとしておれず港外を一回りして 〕 、今日の出港は見合わせる、東風 51 戻る漁師がある。 〔さらに1日 今 12 が依然強い、これでは岬を無理やり回っても 45 知 床 岬 は 怖 い 所 だ と承 知 し て いた が 宗 谷 14 る。いまだ出港をあきらめきってはいない。 28 19 ft 09 16 12 隠居波平釣り日誌 - 76 -
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