第七号2013

巻
頭
言
巻 頭 言
昨年末には、衆議院の解散・総選挙が行われ、自由民主党と公明党による安倍政権
が新たに発足しました。新たな政権においては、国内の経済・雇用情勢の改善、震災
復興と原子力安全の確保、消費税増税と一体的な社会保障の改革などの課題に加え、
TPP をはじめとする経済連携の推進や近隣諸国との関係改善などの国際的な問題への
対応が重要な課題となっています。
いずれの課題も、従来の政策を踏襲することにより解決できるものではなく、現実
に生じている問題とそれをもたらしている諸要因を的確に把握・分析し、それに基づ
き、問題解決のために効果的な政策を立案・実施することが求められています。
その際には、政策の理念や目的を明確にするとともに、現実の制約条件のなかで実
施可能で有効な政策手段を選択する必要があります。また、客観的な根拠を示すこと
により、政策の必要性について多くの人々の理解が得られるように努力する必要があ
ります。このような政策の立案・実施を支える理論的な基礎として、公共政策学はま
すます重要性を増しています。
このため、2012年 8 月には、北海道大学公共政策大学院に設置されている公共政策
学研究センターの研究遂行能力を一層高め、社会における諸課題に効果的に対応する
とともに、公共政策学教育部における教育活動を側面的に支援するため、本センター
に三つの研究所を整備し、研究体制の強化を図りました。
その一つである「北大東アジア研究所」は、北方領土をはじめとする近隣領域紛争、
民主化やナショナリズムなどの各国政治変動、人口・ジェンダー・シティズンシップ
などに関わる地域共通の社会問題をテーマに、東アジア地域についての理論・実証的
研究に従事します。また、
「北海道サステナ社会研究所」は、再生可能エネルギーの活
用、国土保全、少子高齢化社会における社会保障をテーマに、日本と北海道における
持続可能な環境・福祉のあり方を体系的・分野横断的に検討します。さらに、
「札幌ア
ーバン・ガバナンス研究所」は、都市経営、大都市制度、都市成長戦略をテーマに、
札幌に焦点を合わせながら、比較の視座から、現代都市の抱える課題を考察します。
これらの研究所をベースにしながら、公共政策の今日的な問題に対応するための研究
をリードしていくことが、本センターに与えられた課題です。
本年報は、公共政策学の発展を目的として、研究成果の発表、研究交流の場の提供
を行うものです。本号では、2012年11月17日に開催したシンポジウム「諸外国の社会
保障改革―福祉レジームの新しいかたち―」及び2013年 1 月26日に開催したシンポジ
ウム「北海道ダイアログ 東アジアにおける市民社会対話」をはじめとして、人の国
際移動、地方議会・公務員、構造改革特区、医療などに関する幅広い分野の政策を対
象とした論文を掲載いたしました。また、文部科学省元大学入試室長(現東京大学本部
-1-
年報 公共政策学
Vol. 7
研究推進部長)の先崎卓歩氏からも学校間接続政策に関する論文を寄稿していただい
ております。
関係の皆様のご協力により本年報を刊行できましたことに心より御礼申し上げます。
また、今後とも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2013年 3 月
公共政策学研究センター長・教授
松本 勝明
-2-
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
シンポジウム I:
諸外国における社会保障改革
-福祉レジームの新しいかたち-
我が国においては、国民が安心で希望と誇りが持てる社会の実現を目指して、社会
保障と税の一体改革が進められようとしている。この改革では、社会保障の機能の強
化を図ることと併せて、その安定財源の確保が重要な課題となっている。社会経済情
勢の変化に対応して、財源の見直しを含めた社会保障制度の改革を行うことは、他の
先進諸国においても重要な政策課題となっており、様々な取組みが行われている。
このような状況を踏まえ、諸外国における改革について検討することを通じて、福
祉レジームの新しいかたちを展望することを目的として、北海道大学公共政策大学院
と科学研究費基盤研究(A)「日本型福祉・雇用レジームの転換をめぐる集団政治分
析」(研究代表者
宮本太郎)との主催により、2012年11月17日に「諸外国における
社会保障改革-福祉レジームの新しいかたち-」をテーマとするシンポジウムを開催
した。
以下、このシンポジウムにおける報告及びパネルディスカッション(コメント・討
議)の概要を掲載する。
・報告 ···························································
P. 4
スウェーデン 宮本 太郎 (北海道大学大学院法学研究科教授)
イギリス
一圓 光彌
(関西大学政策創造学部教授)
フランス
加藤 智章
(北海道大学大学院法学研究科教授)
ドイツ
松本 勝明
(北海道大学公共政策大学院教授)
・パネルディスカッション ·········································
コメント
討
土田 武史
(早稲田大学商学部教授)
議
司会:佐藤 雅代 (関西大学経済学部教授・HOPS 研究センター研究員)
(注)文中、カッコ内の■はパワーポイントの該当スライドの標題
-3-
P.26
年報 公共政策学
■第1部
Vol. 7
報告
~各国社会保障改革の動向
スウェーデン 宮本 太郎(北海道大学大学院法学研究科教授)
司
イギリス
一圓 光彌(関西大学政策創造学部教授)
フランス
加藤 智章(北海道大学大学院法学研究科教授)
ドイツ
松本 勝明(北海道大学公共政策大学院教授)
会
佐藤 雅代(関西大学経済学部教授・HOPS 研究センター研究員)
司会(佐藤)
:
て、宮本太郎先生の「比較のなかのスウ
それでは、北海道大学公共政策大学院
ェーデン-子育て支援を中心に」をお願
シンポジウムを始めさせていただきたい
いしたいと思います。それでは、宮本先
と思います。私は本日、司会を務めさせ
生、よろしくお願いいたします。
ていただきます HOPS 研究員の佐藤と
申します。普段は関西大学におります。
●比較のなかのスウェーデン
本日の順番としましては、開会のご挨
子育て支援を中心に 宮本:
拶の後、スウェーデン、イギリス、フラ
こんにちは。北海道大学の宮本です。
ンス、ドイツということで 4 カ国の報告
私の所属は法学研究科なのですが、公共
がございます。それぞれの報告は25分を
政策大学院で、今ご挨拶された松本先生
予定しておりまして、一旦、4 報告が終
とチームティーチングというかたちで同
わりましたら、休憩をとらせていただく
じクラスを担当させていただいています。
ことになっております。封筒のなかに公
公共政策大学院には、私どものような
開シンポジウム質問用紙が入っておりま
研究者とともに、研究者に近い学識をお
すので、この休憩時間に質問用紙を集め
持ちで、もっとも研究者が必ず高い学識
させていただきますので、ご質問項目な
を持っているとは限りませんが(笑)、
どを書いていただければと思います。今
松本先生のように研究者的な素養もお持
回はご登壇の先生みなさまにお聞きした
ちで行政からお越しになった方、厚生労
いということもあるかと思いますが、特
働省から客員教授として派遣していただ
にどなたにお聞きしたいか、先生のお名
いた方がおられます。松本先生は本来、
前を書いていただければ、後半の討議の
東京の方で行政官と研究者のネットワー
ときにそれぞれの先生にご対応いただこ
クの要のようなところにおられる非常に
うかと思っております。
影響力の大きな方で、今日は松本先生の
それでは、時間がとにかく足りないと
顔で、全国から錚々たる研究者のみなさ
いうことですので、早速、第一報告とし
んにお集まりいただいてシンポジウムが
-4-
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
実現できました。
というのが各国の社会保障だったのです
このシンポジウムは私が研究代表をし
ね。そのリスクとは何なのかですが、そ
ている「日本型福祉・雇用レジームの転
のように総体的に雇用は安定していたの
換をめぐる集団政治分析」のプロジェク
だけれど、労災に遭うかもしれない、失
トも共催ということで加わらせていただ
業するかもしれない、年を取れば退職し
いています。このプロジェクトがどうい
なければならないというような典型的な
う関心のもとに行われているかというこ
職業人生に伴うリスクに社会保険で対応
とは、このシンポジウムとの趣旨とも重
して、そのリスクに備えるということは
なるので、冒頭に少しご説明させていた
「防貧」と呼ばれるわけです。そうした
だこうと思うのですが、松本先生のご挨
社会保険にいろいろな事情で加わること
拶にもありましたように、税と社会保障
ができない人たちが生活保護という公的
の一体改革については政治的な激変を迎
扶助で支えていく。これが「救貧」なの
えて、どうなるかよくわからなくなって
ですが、「防貧」と「救貧」が組み合わ
きてはいますが、改革の方向とは、これ
されて、各国の社会保障がつくられてき
まで高齢者 3 経費、つまり年金・介護・
たと思います。そこにはいくつかのタイ
医療ですが、これに子育て支援を加えた
プがあったということだと思います。
社会保障 4 経費にして、これを消費税で
「福祉レジーム」という言葉を使って
きちんと支えるということです。
いますが、これは最近、社会保障体制の
こうした改革を私たちが評価する場合
タイプを表す言葉としてよく使われるよ
に、世界でどういう社会保障が進んでい
うになっています(■「1 福祉レジー
るのか、もっと大きく言うならば、これ
ムの変容? 収斂? 再分岐?」
)。だい
まで福祉国家と総称されてきた世界の社
たいこれまでに 3 つぐらいのレジームが
会保障体制はどのような変化をたどりつ
あると言われてきました
つあるのか、そうした流れのなかで、私
一つは「社会民主主義レジーム」で、
たちの国の社会保障の将来を展望しなけ
比較的、政府の役割が大きく、なんらか
ればいけないし、社会保障改革のあり方
の事情で人々が仕事を離れるとか、家族
も考えなければならないということで、
がいろいろな理由でばらけるようなこと
実は私たちのプロジェクトもそういう関
があっても、そうしたリスクに対して総
心で議論を進めています。
体的に手厚く対応できるような対策をと
これまで福祉国家と総称されてきた世
っています。これが社会民主主義レジー
界の社会保障体制は、いろいろなタイプ
ムなのですね。
があるのですが、共通項もあり、総体的
それに対して「保守主義レジーム」は、
には安定した男性稼ぎ主の雇用と、その
男性稼ぎ主の雇用やそれで養う家族をま
勤労所得で養われる家族といったかたち
ず前提にして、その社会保険、防貧の仕
が前提になっていて、そうした人々の生
組みを重視するところがあります。そう
活における必然的なリスクに対応しよう
いう意味で社会保険が重点的に位置付け
-5-
年報 公共政策学
Vol. 7
られているという仕組みです。最後の
です。
「自由主義レジーム」は総体的に生活保
今日はその共通の変化について、いろ
障は雇用と家族に委ねて、社会保障の役
いろな先生方からお話があると思います。
割は限定していこうという仕組みです。
一つには支出を全体として抑制せざるを
これは各国の社会保障に対するお金の
得なくなるということです。一圓先生の
使い方を反映していたもので(■「3
方から、ユニバーサル・クレジットとい
各レジームの支出内訳」
)、自由主義レジ
うお話があると思います。詳しくは先生
ームの場合は現金給付であれ公共サービ
からお聞きするべきなのですが、これは
スであれ、支出が少なかったのですが、
給付つき税額控除ということで、日本の
それに対して社会民主主義レジームは公
社会保障改革でも消費税の逆進性対策の
共サービスに対する支出が、医療以外の
ポイントと言われている制度の一形態で
保育、介護、職業訓練など現役世代に対
す。これは所得の低い人たちに働いてい
する公共サービスについて手厚くなって
ることを前提に税金をとるかわりにお金
います。これは先ほど申し上げたように、
を給付する仕組みで、これまでの防貧、
現役世代の雇用と家族が揺らいでも公共
救貧という分け方では括れない新しいか
サービスで支えることができるというこ
たちの社会保障なのです。しかも、働け
とです。
なくなったときに取得するのではなくて、
これに対して保守主義レジームは、社
働いていても所得が低いという人たちの
会保険より現金給付が手厚くて、年金に
所得をかさ上げするタイプの就労連携型
対する支出が大きく、男性稼ぎ主の安定
の所得保障です。一圓先生のお話はイギ
雇用を予見として、あくまでそれに寄り
リスを背景にされるのですが、スウェー
かかりながら退職以降に生活保障を行う
デンでもドイツ、フランスでも似たよう
ということです。
な制度が広がっています。
以上のように 3 つのレジームに分かれ
それから家族支援サービスが、これま
ていたわけですが、今、3 つのレジーム
では社会民主主義レジームの得意技とい
を通して共通の変化が生まれています。
うところがあったのですが、そこは家族
なぜ、変化が生じてきたかというと、3
任せだった保守主義レジームを含めてど
つのレジームの共通の特徴として、安定
んどんお金がつぎこまれるようになりま
した雇用と家族が前提だと申し上げまし
した。特に公的な支援、財源がつぎこま
たが、それが壊れてしまったというのが
れるようになったということです。
現状なのです。各国共通にこれまでの社
では、どこもスウェーデン型に近づい
会保障体制が寄りかかってきた前提が揺
ているのかというと、そうは単純に言え
らいできて、その結果、様々なリスクへ
ないところがあって、誰がサービスを供
の対応が果たせず、しかも財政が逼迫と
給するのかということ関しては、むしろ
いうことになるのですが、そのように各
保守主義レジームのかたち、つまりスウ
国共通の変化が生まれているということ
ェーデンのように自治体が全部やるので
-6-
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
はなくて、非営利組織がサービスの担い
は高い傾向すらあるということです。
手になるという民間委託拡大のかたちが
このように、経済的にも好調な国々、
各国共通に広がっているのです。
社会保障にたくさんお金を使っていても
さらに社会保険制度についても、これ
経済成長率が安定している国々はあって、
までのように安定した雇用と家族を前提
それは現役世代を支えるサービス支出に
にできなくなっているので、みなきちん
資源を投入しているということがわかり
と保険料が払えるとは限らない。したが
ます。そうなってくると、日本でなぜこ
って税金の投入の度合いを高めるとか、
ども子育て支援に社会保障改革の眼目を
いろんなライフサイクルに対応できる社
置いていくのかということが理解できる
会保険にするということで再編が進んで
と思うのです。
いるということです。3 つのレジームを
子ども手当を含めた子ども子育て支援
通して、同じ方向の改革が進められてい
は、子ども園などのサービス供給も含め
るということです。ひょっとしたら、3
てですが、世界で子育て支援のかたちは
つのレジームが一つの方向に重なってい
どのようになっているかと言うと、レジ
くということで、そのように収斂してい
ームごとに子育て支援のかたちも違って
くのかもしれません。
いたのです。それは具体的にどういうこ
ここまでで時間の半分を使ってしまい
とかと言うと、このマトリクスは(■
ましたが、残りの半分で、このような流
「5
子育て支援のレジーム類型」)、縦
れのなかで、子ども子育て支援について
軸に家族福祉サービスの支出が大きいか
どんなタイプがあり、スウェーデンは今
小さいか、子ども手当、児童手当を含め
なにをしているのかということについて
て示しています。横軸は女性の就労がど
急いでお話ししたいと思います。
れぐらい進んでいるかどうかを示してい
まず、一つのポイントは、スウェーデ
ます。大きく 3 つのタイプの子育て支援
ン型は高福祉高負担で経済的に負荷がか
が各レジームにあることがわかります。
かるのではないかと思われてきたのです
具体的には、同じ家族支援にお金を使っ
が、そうではないということが社会保障
ていても、かたや、おかあさんが家で育
改革の議論を通してようやく理解されて
児に頑張ることを支援する専業主婦支援
きました。世界経済フォーラムの各国の
型に対して、共働きで夫婦が働くことを
国際競争力のランキングを見ると(■
支援するというかたちがあります。他方、
「4
世界経済フォーラム国際競争力ラ
女性の就労は力のある女性であれば、ど
ンキング2012」)、ここには OECD 各国
んどん現場で活躍してもらうのですが、
が社会保障にどれぐらいお金を使ってい
あまり家族福祉、保育サービスなどを手
るか、GDP 比で示されているのですが、
厚くやって働ける条件づくりまで手は回
経済競争力と社会保障支出の大きさとは
しませんよ、というかたちがあって、こ
関係がないということで、むしろたくさ
の 3 つに分かれています。
んお金を使っている国の方がランキング
実はこの 3 つは、かなりはっきりデー
-7-
年報 公共政策学
Vol. 7
タの上でも裏付けがとれるのです(■
「6
いるのですが、日本は実は小泉政権時代
3つのレジームについてのデー
に市場志向型に近づいたり、前の安倍晋
タ」
)。例えば専業主婦支援型、両働き家
三政権のときにはこっち専業主婦支援型
族支援型というのは、家族福祉にたくさ
に接近したり、民主党政権になったら両
んお金を使っているのですが、そのお金
働き支援型にいったりと、とても揺れて
の使い方が違っているのですね。社会民
いることなのですが、それでもこの分野
主主義レジームでは、両働き支援型、専
が社会保障改革の主軸であるということ
業主婦支援型ともに家族福祉に対する
では認識が一致しているのですね。
GDP 比は高いのですね。しかし、サー
保育所や幼稚園のあり方についても
ビス給付の割合を見てみると、専業主婦
(■「7
3つのレジームと保育所・幼
支援型は現金給付に傾いていることがわ
稚園の利用率」)、3 つのレジームは非常
かります。他方、それ以外にも育児休業
にクリアに分かれていて、1 歳児から 5
の設定の仕方、その間の所得保障のあり
歳児まで非常に保育サービスの利用率が
方もずいぶん違っていて、専業主婦支援
高いのは社会民主主義レジーム、それに
型は働いていた女性が子どもができると
対する保守主義レジームは、幼稚園は非
きに仕事をやめてしまうことを前提につ
常に利用率が高いのですが、2 歳までは
くられているのですね。だからこのレジ
非常に低い。これは専業主婦を前提にし
ームは育児休暇がかなり長いのです。そ
たサービス給付だからです。ところが今
のわりにその期間の所得保障はフラット
この点に関して各国では、ドイツがいい
で少ないのです。
例ですが、2013年までに保育所を70万人
それに対して、両働き支援型は育児休
分確保すると保守政権が決めました。ま
業が相対的に短くて、その間の手当が従
た、育児休業も 1 年間は従前所得の67%
前の勤務所得に比例しているというかた
にして、まさに女性が働いて子どもを産
ちになります。これは何を意味するかと
み育てると得ですよというかたちを2006
言えば、専業主婦支援型は長い育児休暇
年につくりました。そういう意味では、
をとらせてそのままリタイアということ
子ども子育て支援について、両働き支援
です。それに対して両働き支援型は1年
型への収斂傾向があるといえるかもしれ
程度の育休をしっかりとってもらうので
ません。
すが、その期間の育児休業手当は従前の
ところが、そのサービス供給の中身で
所得に比例させることで、女性が働いて
すが、その前に社会的支出の給付の動向
いると育休をとったときの所得保障が充
を見てみると現金給付の大きさは各国で
実する。そのかわり育休期間が短いので、
だんだん収斂しています(■「8 社会
1 年しっかりとった後で仕事に戻っても
的支出の動向
らうという方向で制度が設計されていま
これは各国、お金がないからですが、サ
す。
ービス給付は増えている(■「9 社会
このように 3 つのパターンに分かれて
的支出の動向
-8-
現金給付」カラー別紙)。
サービス給付」同)。特
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
に家族政策についての現金給付はフラッ
社会を支える根本だという考え方が77年
トになっていて(■「10 家族政策の現
以降、追求されてきたということです。
金給付」同)、サービス給付が特に増え
これは一方では教育改革と重なってい
ているのです(■「11 家族政策のサー
て、時間の関係で詳述しませんが、生涯
ビス給付」同)。しかし、スウェーデン
学び続けるようなことができるような後
ではサービス給付のあり方については、
期中等教育の教育改革と連動しながら、
公共部門の保育所から非営利あるいは営
その一番基本的な力を就学前教育で身に
利部門での保育所で過ごす子どもが増え
つけるというかたちができあがりました
てきています(■「16 近年の子育て支
(■「12
援の改革動向」)
。
スウェーデンにおける就学前
教育と生涯教育の展開」
)。
最後に、スウェーデンの子育て支援が
合わせてポイントになるのは、その負
各国との比較で、どういう意味でモデル
担の問題です。日本も一体改革で子ども
になっていて、どういう意味でそれ自体
子育て支援を打ち出したわけですね。も
が変わってきているのか、少し整理をし
う一方では、生活保護改革が取り組まれ
て終わりたいと思います。
ているわけですが、そこで重要なのは貧
スウェーデンは1975年から幼保一体化
困の連鎖をいかに食い止めるかというこ
の就学前教育を導入しました(■「12
とです。各国の子ども子育て支援、なか
スウェーデンにおける就学前教育と生涯
んづくスウェーデンの子ども子育て支援
教育の展開」
)
。96年には日本で言えば文
では、就学前教育が貧困対策としても重
科省ですが、教育省が保育サービスを含
要なポイントにおかれてきたのです。特
めて、行政的な責任を負うということに
に2000年に入った後、日本に比べればか
なったのですね。こうしたなかで実は
なり深刻さの度合いが違いますが、貧困
1970年ぐらいまでは、スウェーデンと日
問題が広がってきて、人々の能力差に生
本の女性の就業率はほとんど一緒だった
まれ育った家庭の違いがうかがえるので
のです。しかし、このころからワニが口
はないか、ということで、2002年には
を開けたように双方大きく差がつきはじ
「マックスタクサ」といって保育料につ
めます(■「14 女性労働力率 日本と
いて、一人目は家計収入の 2 %まで、2、
スウェーデンの対比」)
。
3 人目は 1 %までというかたちで上限を
そして就学前学校の子どもの数ですが
(■「15
スウェーデン
決めてしまいます。2003年には 4、5 歳
就学前教育参
児について年間525時間の就学前教育は
加児童の増大」)
、ポイントは就学前学校、
無償というかたちを導入していくのです。
幼保一体化ということなのですね。要す
イギリスでも99年ぐらいから「シュ
るに、義務教育に入る前に、いかにどん
ア・スタート」ということで低所得者世
な家庭に生まれ育っても、その後の職業
帯向けの保育サービスの拡充が行われま
生活を生き抜いていくことができる基本
す。そのモデルとしてはアメリカの「ヘ
的な能力を確保できるということが福祉
ッド・スタート」があるのですが、保育
-9-
年報 公共政策学
Vol. 7
と貧困政策の結び付き、重ね合いという
だいて光栄に思っております。
ところに一つポイントが生まれてきてい
るのです。
早速、イギリスの社会保障の財源政策
ということでお話ししたいと思いますが、
いろいろと補足的に述べたいことはあ
先ほど宮本先生も触れておられましたよ
るのですが、一言だけでまとめておくと、
うに保守・自民連立政権が2010年に発足
両働き支援型への改革が各国で進んでい
しまして、新たにユニバーサル・クレジ
て、その面ではスウェーデンがモデルで
ット制度が動き出しています。そのこと
あり、供給体制としてはむしろ混合シス
を中心にお話ししたいと思います。それ
テムで民間の供給主体を生かすというこ
は、宮本先生のお話にありました就労連
とが重視されるようになっています。同
携型の社会保障に関係しています。先ほ
時に就学前教育と包摂政策、貧困政策が
ど「救貧」
、「防貧」という制度の違いに
重なってきているということが一つの注
ついて触れられましたが、かつては働い
目すべき点だと思います。私の方からは
ているか働いていないか、また働いてい
ここまでです。<拍手>
なければ貧しく、働いていれば働けなく
なった時のために税金や保険料も払える、
司会(佐藤)
:
この二つの区別が明確だったのですね。
宮本先生、どうもありがとうございま
した。
しかし、かなり前からそうした状況は変
わってきて、働きながら十分な生活がで
25分はこんなに短かったのかなと思う
きないという状況が出てきました。働き
ところしきりですが、次のご報告の準備
ながら税金、保険料を払えないような状
をよろしくお願いいたします。聞き足り
況では、働けなくなった時の準備がどう
ないところや「ここをもう少し」という
してできるでしょうか。また、一人でよ
ところがありましたら、お手元の質問用
うやく生きていけるような賃金でどうし
紙に「宮本先生へ」とした上で記載いた
て子どもが育てられるでしょうか、とい
だきたいと思います。
うことです。子どもの多くが貧困となり、
では、続きまして、関西大学の一圓光
働きながら生活できない人たちがたくさ
彌先生より「イギリス社会保障の財源政
ん出てきて、働いている人であっても足
策-ユニバーサル・クレジット制度の意
りないところは税金で補助をしていくと
義」ということです。先生、よろしくお
いう仕組みが長い間をかけて出来るよう
願いいたします。
になりました。今回の制度改革は、複数
あったそうした仕組みを一つの制度に統
●イギリス社会保障の財源政策
合しようとするものなのです。
-ユニバーサル・クレジット制度の意義
一圓:
先ほど各国の制度は「収斂」するのか
という問題提起がなされましたが、確か
みなさん、こんにちは。今日はこのよ
うな意義深いシンポジウムにお招きいた
に、そういう仕組みそのものについては、
日本でも給付つき税額控除が問題になっ
- 10 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
ていますし、他の国でも取り入れられよ
なりました。
うとしており、形としては「収斂」と言
障害者や児童や高齢者等に対する福祉
っていいと思うのです。これからイギリ
サービスの確保は地方自治体の責任です
スのシステムについてお話ししますが、
が、原則的に有料です。ただ福祉サービ
同時に私が強調したいのは、その制度が
スを必要とする多くの人は貧しいですか
使われる背景がイギリスはかなり違うと
ら、そういう人たちには利用料を軽減し
いうことです。
たり無料にする措置がとられています。
目次にそってまずイギリスの社会保障
またこの分野では供給の民営化が進めら
の特徴をお話しします。宮本先生の福祉
れるようになっています。福祉サービス
レジームでイギリスは自由主義的なモデ
利用者の多くは所得が十分なく、そうし
ルの中に入っていますが、イギリスの社
た人には所得も保障されます。
会保障は税財源を中心にしています。例
イギリスで「ソーシャル・セキュリテ
えば日本であれば社会保険料はどんどん
ィー」と言うと基本的に所得保障、現金
上がっていって、社会保険料との比較で
給付のことを意味します。これは大きく
税負担はあまり上がらないというのがこ
普遍的給付と選別的給付とに分けること
こ10年ぐらいの経過ですが、逆にイギリ
ができます。普遍的給付とは、社会保険
スは、保険料は全く上がらないで税金が
料を払ってその見返りとして年金や失業
上がっていくという経緯をたどっており、
手当を受ける、病気になって働けなくな
社会保険にではなく税金に大きく依存す
ったら障がい年金を受ける、貧しくても
る仕組みとなっていることがわかります。
貧しくなくても保険料の拠出を条件に給
また、子ども手当の話がありましたが、
付が受けられる、そういう給付のことで
例えていえば、税財源で月2万6000円を
す。
全児童に支給するというやり方が伝統的
イギリスの社会保険制度は日本と違っ
にはとれなくて、「親が貧しければ支給
て基本的に所得比例制ではないのです。
します」という選別的な給付に大きく依
定額制で、年金の場合には付加年金とい
存しているのがイギリスの特徴です。
ってプラスアルファがつくのですが伝統
社会保障を医療と福祉と所得保障とに
的にごくわずかしかありませんので、付
分けて捉えますと、そのうち医療はすべ
加年金の保険料を払ってきた人でも公的
て税金により賄われ、国民はほとんど無
年金だけでは生活保護基準を上回れない。
料で医療が受けられます。北欧とよく似
働いている間社会保険に加入していても、
た、普遍的な無料医療の制度です。ただ、
退職後、公的扶助=生活保護に依存せざ
北欧と違って中央政府が管理しており、
るを得ない事態に陥ることがある。イギ
それがうまく運営できない一つの要因で
リスの社会保険が基本的にそのような水
したが、だんだん末端への権限の委譲が
準にあるということを念頭に置いてお聞
進められ、また労働党政権の時に大幅な
きいただければと思います。
予算増が図られかなり改善されるように
- 11 -
普遍的給付としては他にも児童給付、
年報 公共政策学
Vol. 7
障がい者に対する手当、介護者に対する
以上は労働年齢の人たちを対象とする
手当などがあります。これらの給付は拠
選別的な給付で、これとは別に年金を受
出を条件としないで、必要に応じ決めら
ける年齢の人には別の公的扶助制度、年
れた額が全員に税財源で支払われます。
金クレジットがあります。そのうち「ギ
普遍的給付の水準が低いこともあって、
ャランティー・クレジット」というのは
貧しい人にのみ支払われる選別的給付の
年金受給者のための公的扶助制度です。
制度は数多く制度化されました。日本の
また、社会保険にずっと加入していても
生活保護にあたる公的扶助制度としては
公的年金だけでは生活できず公的扶助を
インカム・サポート=所得補助がありま
受けるというのでは、働いている時に貯
す。求職者給付は、社会保険の給付が受
金する意欲がわかず、自分で将来設計を
けられない失業者等に生活保護に準じて
立ててよい老後を築こうという気持ちが
支給されます。就労支援手当は病気や障
無くなってきます。それを改善するため
がいで働けない生活困窮者に支払われる
に、貯金をしたらそれに応じて公的扶助
給付です。かつては障がい年金と言って
をうける場合でも手元に余裕が残るよう
いましたが、障がいがあっても、できる
に設計されたのが「セイビング・クレジ
限り働けるよう支援する制度に改められ
ット」です。
ています。
福祉サービスの利用料も、既に述べた
所得補助制度に関連して、貧しい人の
ように低所得の人たちについては所得に
特別の出費に対応するための制度として
応じて軽減されます。福祉サービスの利
ソーシャル・ファンドがあります。その
用料も含めて、さまざまな選別的な制度
他には、子どもを育てている低所得の親
があるために、それらの制度の相互作用
にタックス・クレジットという給付つき
で、少しぐらい働いても生活状態は全く
の税額控除制度が設けられています。こ
よくならないという状況が生まれるよう
れは普遍的な児童手当を充実することが
になっていました。この問題に対応しよ
財政的に困難なため、財源を貧しい世帯
うとしたのがユニバーサル・クレジット
に集中するために生まれました。
制度なのです。これは、ばらばらに運営
同じように、パートタイムで働く人で
されている選別的な制度をまとめて一つ
生活が苦しい人に対して、働いた所得に
の制度にして、利用者にわかりやすくす
プラスアルファして生活が維持できると
ると同時に、より多く働いたら必ずその
ころまで引き上げる「タックス・クレジ
収入の一部が手元に戻ってくるという仕
ット」制度もあります。また、家賃が払
組みにしたものです。
えない人に対して、生活困窮度に応じて
ユニバーサル・クレジット制度は、年
家賃補助をするタックス・クレジットと
金クレジット制度以外の、労働年齢を対
同じような給付設計の住宅給付制度があ
象とする所得調査つきの制度をすべて統
ります。カウンシル税給付は地方税を軽
合するもので、今年(2012年)3 月にそ
減するための同様の仕組みです。
のための法律「ウェルフェア・リフォー
- 12 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
ム・アクト」が成立しました。来年
下で設けられている薬代が免除されると
(2013年)4 月から段階的に導入されて、
か、学校での給食代が免除されるといっ
最終的に古い給付がなくなるのは2017年
た補助の制度があります。そういうもの
末ということになっています。
を統合しようというのがユニバーサル・
一点だけ補足しておきたいのは、イギ
クレジットの趣旨です。
リスの場合、公的扶助つまり生活保護が
政府がより重大だと考えている問題は、
簡素化されています。ですから、世帯構
「就労促進的でない」点です。週16時間
成などの世帯条件や年金がどれだけある
とか30時間とかで給付が変化する区切り
かということがわかれば、自分で受給で
があって、そこを超えないと追加的な就
きる扶助額が計算できます。日本では、
労は意味をなさない、生活は一向に改善
民法の扶養義務が優先されて、金持ちの
されない仕組みになっている点です。例
お父さんに援助してもらえないのですか
えば、児童に対するタックス・クレジッ
とか、子どもは漫才をやってもうけてい
トでは、週16時間以上働くことによって
るのではないですかなどと、家族の支援
受給できますが、稼ぎが 1 ポンド増えれ
を問われることになるのですが、イギリ
ば96ペンス給付が減額されます。この比
スでは、戦時中に子どもが疎開でロンド
率のことをマージナル・ディダクショ
ンからあちこちに行って、いろいろな家
ン・レート=減額率と呼んでいますが、
族と一緒に生活する状況が生まれた時に、
いわば限界税率にあたります。限界税率
扶養義務関係は親と児童以外は考慮しな
が高いですから、16時間働いたら、それ
いことになりました。親が大金持ちでも、
以上所得を増やそうとはしない、就労意
そのことが成人した子どもの公的扶助の
欲がわかないということになります。
受給に影響することはありません。この
もう一つの問題は「無駄な行政コス
ことは、ユニバーサル・クレジット制度
ト」です。申請者はいろんな機関で手続
ができる背景として、見落としてはなら
きをしなければならず、無駄な行政コス
ない点だと思います。
トがかかっています。多くの人が間違っ
これまでの選別的な制度の問題の一つ
た窓口で相談していますし、制度が複雑
は「ばらばらで複雑」な点です。それぞ
で申請していない人もたくさんいます。
れの制度は改革を重ね簡素化されてきま
例えば、住宅給付だと給付を受けられる
したが、日本で言う厚生労働省に当たる
人のうち半分以下しか申請していません。
雇用年金省で所得補助や失業者に対する
その反対に、非常に複雑であるために、
扶助制度などが管理されている一方、住
間違いや不正も起こります。乱給も漏給
宅給付とカウンシル給付の運営は地方政
も多く行政コストもかかっている。そう
府が行っています。また児童給付とタッ
いうことで、制度を統合することが必要
クス・クレジットに関しては歳入関税庁
になったのです。
が行っています。これに加えて、公的扶
助受給者など低所得者は医療保障制度の
このような制度のもう一つの問題は、
「福祉依存の増加」です。選別的なシス
- 13 -
年報 公共政策学
Vol. 7
テムのなかにどっぷりつかって、なかな
は65%で、しかも税金や保険料を除いた
か這い出すことができないため、労働年
純所得(手取り所得)の65%です。税務
齢の 4 人に 1 人が仕事をしていないとか、
署が運営しているタックス・クレジット
260万人は過去10年のうち半分の期間に
は粗所得(税込み所得)に対して41%の
わたって仕事をしないで給付を受けてい
減額率が適用されます。給付を受けてい
るという状況です。2009年のデータでは
る人も、どのように働くと生活が良くな
公的扶助、生活保護を受けている人が
るのかまた悪くなるのか、わからない状
200万人近く、児童クレジット、就労ク
況です。
レジットの受給者471万人、年金クレジ
政府が考えているユニバーサル・クレ
ットが273万人、この他に住宅給付、カ
ジットを、子ども 2 人の片親世帯の場合
ウンシル税給付の人もいます。少しダブ
を例に示したものが下の図です。他に所
っている人もいますから、全部足すわけ
得が無ければ年180万円程度の給付が支
にはいかないのですが、たくさんの人が
給され、週 5 - 6 時間働いて所得が入っ
選別的な給付制度の下で生活しているこ
ても給付は減らされません。その後収入
とになります。
が増えるにつれて、65%の減額率で給付
2011年時点の児童タックス・クレジッ
トが具体的にどのようになっているのか、
が削減され、470万円ぐらいになると給
付はゼロになります。
子ども一人の世帯について見てみます。
こういう制度ができたイギリスの社会
所得が低ければ子ども一人について年間
保障の歴史的背景についてお話ししよう
50万円程度の給付が支払われます。所得
と思ったのですが、時間の都合でできま
が全くないような場合は公的扶助が支払
せんので、最後にユニバーサル・クレジ
われるのですが、公的扶助の水準以上で
ットの合理性についてお話しします。ユ
も、50万円の給付は支払われます。そし
ニバーサル・クレジットの合理性は、少
て所得が145万円ぐらいになると給付は
しの就労でも可処分所得の増加につなが
徐々に減額されます。減額率は41%です。
るように設計されている点です。コンピ
所得が350万円程度になると支給されな
くなります。この制度の減額率は41%に
すぎませんが、住宅給付なども含めて考
えると、実際の減額率は100%近くにな
ります。かつては異なる制度の相乗効果
で稼いだら損をすることがあり、修正が
加えられてこのように改められたのです
が、それでも週16時間の就労の前後では、
減額率が100%以上となっています。
まだいくつもの選別的制度があって、
それぞれ減額率も異なります。住宅給付
- 14 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
ューターのオンラインで、今週たとえば
会保険の代わりに導入し、社会保険の弱
5 時間働いたら、そのデータは雇い主か
体化を図るのは決して望ましくないと思
ら税当局に伝わり給付に反映するという
います。あるいは子ども手当などの強化
ように、リアルタイムで給付が調整でき
をあきらめて、その代わりとして児童ク
るようになっています。1 週間か 2 週間
レジット制度にするというのは望ましく
遅れるかもしれませんが、そういうシス
ないと思います。誰もが普遍的な社会保
テムにすることで短い就労時間も含めて
険制度などに参加し続けることを支える
細かい所得の変化に対応しようとしてい
形で、給付付き税額控除を用いるのがよ
ます。IT 化を前提にした合理的なシス
いのではないかと思っています。
テムになっていると思います。利用する
人にとってもわかりやすいです。
司会(佐藤)
:
しかし、限界税率、減額率を下げると
いうことは、裏を返せば、減額率が適用
一圓先生、どうもありがとうございま
した。
される所得の範囲はどんどん広がること
やはり25分は短いという気がしました
になります。上の図で言えば、年所得
が、次は加藤智章先生です。用語がなか
480万円というところまで減額されると
なか難しくて専門家には当たり前の用語
いうことです。そうすると、ゆるやかで
なのですが、これはどういうことだろう
はありますが「貧困の罠」に包まれる人
と思われることがあると思います。お手
は多くなります。確かに少しでも働いた
元の質問用紙をどうぞご活用ください。
ら追加的な収入の35%が手元に残るので
それではせかすようで恐縮ですが、次
すが、その影響は多くの人に及びます。
は北海道大学の加藤智章先生よりフラン
また限界税率、減額率が下げられたとは
スについてご報告いただきます。では、
いえ、所得税の税率などのことを考える
どうぞよろしくお願いいたします。
と65%はやはり低くありません。
イギリスがこういう道に進んでしまっ
●諸外国における社会保障改革
た大きな理由は、普遍的な給付の改善を
-福祉レジームの新しいかたち フランス
せずに、その代わりにこうした制度を多
加藤:
用してきたことにあります。普遍的な給
付の改善と合わせて実施するようにして
こんにちは。北海道大学法学研究科の
加藤です。
はじめて、自立を後押しする制度になる
といえるのではないでしょうか。
今日は「諸外国における社会保障改革
-福祉レジームの新しいかたち」という
政府が実施しようとしているユニバー
ことでフランスの話をさせていただきま
サル・クレジット制度は、現在のイギリ
す。ここでは、基本的には社会保障財政
スにとっては大変合理的な制度といえる
法律意義を中心に福祉レジームの新しい
のですが、例えば所得比例の社会保険制
かたちについて、検討課題を紹介してい
度を持っている日本などでこの制度を社
きたいと思います。
- 15 -
年報 公共政策学
Vol. 7
先ほどの宮本先生のお話によれば、フ
いますし、医療については、90年代に入
ランスの場合は保守主義レジームという
ってすべての人が的確な医療を受けられ
ところに分布される制度で、社会保険を
るようにということで、英語風に言うと
中心に社会保障は形成されていることが
CMU という制度が設定されました。こ
1 点です。
れは後で詳しく触れますが、皆保険につ
まず、日本との関係も含めて、フラン
いて着目すると、フランスは1990年代に
スの社会保障制度の概要について簡単に
なってようやく皆保険体制が実現したの
おさえておきたいと思います(■「フラ
であり、皆保険の実現という面では日本
ンス社会保障制度の概要」
)
。
と共通していますが、時期的には日本が
日本との共通点ですが、日本がどうい
先行しています。
う制度に位置付けられるかということは、
日本との違いでは、宮本先生のお話を
それ自体、一つの問題ですが、社会保険
若干補足することになりますが、フラン
を中心にしているということ、それから
スは家族給付制度が非常に充実していま
社会保険も一つではなくて複数の制度が
す。フランス人はこれに非常に自信を持
併存しているということがあります。日
っていまして、世界のなかで最も充実し
本で言うと、民間労働者を中心とする健
ていると自負していますが、宮本先生の
康保険、自営業者、非正規労働者が増え
紹介された数字を見ると最近はそうでも
てきていますが、国民健康保険制度と医
ないようです。これには歴史的な沿革が
療保険についても大きく言うと二つあり
ありまして、1930年代に総人口が減少す
ます。年金も国民年金の上に厚生年金が
る時代があり、時代的に言うと軍事力の
乗っていたりというように日本の制度も
衰退に密接に関係するということで、比
設計されていますが、フランスも民間労
較的早い時代から、出産推進と、他方で
働者を中心とする一般制度が一番大きい
は所得保障の充実ということもあって、
制度で、これ以外に農業従事者の制度で
家族制度が昔から充実しています。
すとか、自営業者を中心に組織されてい
日本における国民健康保険の1号被保
る制度、公務員やフランスの国有鉄道の
険者のような地域保険という考え方はフ
職員だけを対象にしている制度や特別制
ランスには存在しません。また高齢者医
度と言われるものが存在します。大きく
療の新しい制度がいろいろと議論されて
言うと、今の4つの制度に分類されます
いる最中ですが、そういうものは存在せ
が、一般制度が一番大きくて、これが国
ず、突き抜け方式を採用しています。ま
民の80%ぐらいを組織していると言われ
た、介護保険制度も存在しません。介護
ています。
手当制度で対応しており、フランス本土
皆保険皆年金が実現されているという
には96の県があるのですが、県単位で介
ことで日本との共通点を挙げましたが、
護手当制度が運営されています。県単位
これも年金について比較的早い時期から
ということは県の財政状況に応じて給付
ほぼ皆年金ということで制度を充実して
額が異なってくるということになります。
- 16 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
介護手当については介護保険制度を導入
けた財政削減をしなければならないとい
するという話も聞いていますが、今のと
うことで、このときにフランスは職域団
ころ、介護保険制度とはなっていません。
体が社会保障制度の運営に大きな役割を
資料には書き漏れていますが、「補足
担ってきたのですが、ここで、国民議会
制度」というものがあり、これは日本と
に大きな権限を与えることによって社会
の比較を考える上では重要だろうと考え
保障の財政運営を透明化しようという試
られます。補足制度とは足を補うという
みをしました。そこで、社会保障財政法
意味の「補足」ですね。法定給付に加え
律を導入したのです。ジュペ・プランは
て、ボランタリーなかたちで給付を付け
当初、国民の大きな反対もあって頓挫し
加えるという制度で、これがフランスの
たかに見えましたが、その内容は現在の
大きな社会保障制度の大きなポイントに
制度に引き継がれ、反映されているとい
なっています。
う意味では非常に重要なものです。その
社会保障体制がどういうかたちで変遷
なかでも特に社会保障財政法律の導入は
してきたのかということですが、90年代
大きな位置付けを与えられるべきものだ
以降から見ていこうと思います(■「社
と考えています。
会保障体制の変遷1」)
。1991年の「財政
これは日本流に言うと、社会保障に関
法律」というのは簡単に言うと日本で言
する特別会計というのはいくつかあるの
う国家予算ですが、このときに租税代替
ですが、これらを一つの社会保障財政法
化への移行ということで、CSG といい
律にまとめて、国家予算とは別に審議の
ますが、社会福祉目的税を導入するとい
対象としたということです。国家予算が
うことを決めました。フランスは1945年
成立した後に、議論・作成準備に入って、
にピエール・ラロックという人が戦後の
12月ぐらいに社会保障財政法律を制定す
社会保障制度はこうあるべきとプランを
るというかたちになっています。これは
作成したのです。フランス人は国を信用
ある意味、国民に財政規律の重要性を再
していないので自分たちで制度を運営す
認識してもらうことと、社会保障に関す
るということを強調しました。つまり、
る情報の共有化と可視化を狙っていると
税金に頼るという社会保障制度ではなく
いうことで、いろいろと数字が出てきま
保険料だけで構築するのだということで
すが、全国医療保険支出目標、オンダム
出 発 し ま し た 。 し か し 、 こ の 91 年 の
(ONDAM)と言うのですが、来年度の
CSG の導入は、フランスが財源的に問
医療費の目標額を決めて、それを実際、
題があり限界があって税金を投入せざる
どれぐらい使ったか、オーバーしたか、
を得なくなったという点で、歴史的には
予算内に収まったかを明らかにするとい
非常に大きな転換を迫られたということ
う作業をしています。こうした作業をす
になります。
ることによって、政策遂行の効率性や必
次に大きな転換点は95年の「ジュペ・
要性を、国民に情報共有させるというこ
プラン」というものです。通貨統合に向
とです。成功したのか失敗したのか、そ
- 17 -
年報 公共政策学
Vol. 7
のためにどういう政策が必要なのか、と
えて、2004年に医療負担の患者側の負担
いうことをあらかじめ啓蒙する、情報を
を引き上げるというかたちで医療費の抑
提供するということでは社会保障財政法
制策を打ち立てました。それから2008年
律は重要なのだろうと思います。
の段階で、積極的連帯手当を創設して、
社会保障財政法律はずっと続いていて、
一圓先生のお話とも共通しますが、就労
そのなかで特にこれからは医療の話を中
連携型の所得保障というかたちで、いわ
心にしていきますが、99年に CMU の導
ば生活保護の大きな見直しをしています。
入を決定します(■「社会保障体制の変
これは社会保護の財源構成です。(■
遷2」
)。普遍的医療給付の導入というも
「2009年社会保護・財源構成」)日本で言
のです。フランスは基本的に医療保険、
う「社会保障」はフランスでは「社会保
社会保険の国ですから、なんらかの事情
護」という言葉が相当しますが、その財
で社会保険に加入できない人たちには、
源構成を見たものです。これは保険料の
カトリックの影響もありボランタリーな
総額は3900億ユーロで予算全体の 7 割近
かたちで貧しい人には医療の提供があっ
くを占めているのです。ただ、使用者の
たのです。細々としたかたちでの医療保
割合が36%で、被用者の割合が17%とい
障は導入されていました。しかし、やは
うことになっています。日本の場合、数
り経済的な状況で医療を受けることがで
字は逆転して、被用者の方の負担が大き
きないということは最大の不幸であると
く、使用者の負担が小さいのですが、全
いうことで、CSG の料率を引き上げる
体のトータルの割合はほぼ日本と同じで
ことによってその財源を生み出し、貧し
す。
い人にも医療保険の給付を提供すること
にしました。
これは社会保護法律で、どこまで社会
保障が予算をカバーしているかを見たも
特にフランスが画期的なのは、一部負
のですが(■「フランス社会保護・社会
担の負担割合は 3 割で日本と同じなので
保障予算概念:2009年」
)、社会保障法典
すが、先ほど触れた補足給付制度の存在
に占める社会保障の金額、社会保障財政
で、多くの人が 3 割負担をどうやら払っ
法律の対象となる社会保障という項目で、
ていないように思われます。この CMU
少しわかりづらいのですが、最終的に社
は 2 段階あって、全く貧しい人の場合は、
会保護勘定がだいたい 6 割、6000億ユー
その 3 割の一部負担金さえも払わなくて
ロぐらいということになっています。社
もいい、ある意味で医療費の無料化をこ
会保障法典では、全体の 6 割程度を議論
こで実現したのです。そのために CSG
していることを示す表です。
の付加率、税金の料率を4.1%引き上げ
たのです。
次が保険料率の変遷ですが(■「保険
料率の変遷」)、基本的にフランスの医
大きく見ると、90年代は医療供給に着
療保険を使用者側が賃金の12.8%、労働
目して医療費の抑制をしていましたが、
者は0.75%と非常に少ない数字になって
それがうまくいかないという反省を踏ま
います。これは97年に5.5%あったもの
- 18 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
が、98年から0.75%に落ちている。これ
先ほど補足制度が充実していると話し
は先ほど言った CMU の導入によって、
ましたが、これは国民医療費の負担構成
CSG という社会保障目的税を引き上げ
がどうなっているかという医療・医療財
た結果、ここの料率を引き下げたという
費用の負担構成です(■「医療・医療財
ことで、0.75%というのは使用者手当金
費用(CSBN)の負担構成」)。これは国
に対応する財源というかたちです。年金
民医療費と考えていいのですが、補足組
は、8.3%対6.55%ということで、少し
織が2010年には13.5%の財源構成で、家
保険料の算定基礎になる賃金額に上限を
庭負担が9.4%でだいたい 1 割弱ですの
設けている部分と無制限にかけている料
で、3 割負担とは言え、実際に家庭が負
率が違うということになっています。家
担している分は少ないのです。
族手当については使用者側だけの負担で
それから法定基礎制度における部門別
5.4%というかたちで、90年の 1 月 1 日
支出と一般制度の部門別支出ですが(■
には 7 %だったのですが、これは最初に
「2012年社会保障財政法
法定基礎制度
紹介しました91年に CSG 導入のときに
における部門別支出」、
「2012年一般制度
1.1%の負荷率で福祉目的税を導入した
部門別支出」
)
、法定基礎制度におけると
のですが、その代償として、この使用者
いうのは社会保障全体で、日本流に言い
の保険料率5.4%に引き下げたというか
ますと、民間労働者の自営業者を含んだ
たちになっています。
ものと考えてもらえばいいのですが、老
次の表は(■「CSG の推移」)、保険
齢給付の負担が大きいということは日本
料の料率に対する CSG の推移がどうな
と同じ状況なのですが、この報告の準備
っているかを示したものです。フランス
で資料をつくっていて面白かったのは、
で重要なのは、社会保険に非常に固執し
一般制度、つまり民間労働者の制度では、
てきて90年代に CSG を導入したのです
なぜか年金よりも医療保険に使われてい
が、CSG の引き上げは最初1.1で、2.4、
る部分が大きいということです。フラン
3.4ですが、7.5と CMU という普遍的医
スの特徴と言えるかもしれません。
療給付を導入したために大きく料率が上
最後に課題ですが、二つ挙げています。
がっていますが、いずれも国民全体にか
財政の問題と高齢化の問題です(■「課
かわる問題を解決するということ、国民
題」
)。社会福祉目的税も導入し、一方で
全体のための制度は何かということに着
は、保険料もまだしっかりしたかたちで
目して、そこに税金を入れるということ
存在するということですが、フランスも
については、どうやらフランス人も抵抗
ここに来て、財政的な逼迫が問題と報道
しない。逆に言うと、国民全体の議論、
されています。これをどういうふうに変
制度の姿を了解して税金の料率を引き上
えて対応していくかが問題ですが、それ
げるかたちの政策をとってきました。こ
については今、大きな議論になっている
の点はフランスと日本の大きな違いでは
ということではないようです。
ただ、これも少し触れましたが、財源
ないかと思いました。
- 19 -
年報 公共政策学
Vol. 7
の問題で保険料率をどうするかという議
で終わらせていただきます。<拍手>
論になった場合に、おそらく一番の問題
は、医療保険の使用者負担が12.8%と非
司会(佐藤)
:
常に高くなっていることです(■「保険
料率の変遷」
)
。おそらく財源問題が浮上
加藤先生、どうもありがとうございま
した。
したときには、12.8%という部分をどの
諸外国における社会保障改革、いよい
ようにするのか、そこでどういう議論が
よ 4 カ国目です。スウェーデン、イギリ
なされるのかということがフランス・ウ
ス、フランスと続きまして、ラストの北
ォッチャーとしては興味のあるところで
海道大学の松本先生によるドイツにおけ
すが、おそらく、この12.8%の見直しは
る社会保障改革についてお話しいただき
不可欠な問題ではないかと、外れる可能
ます。よろしくお願いいたします。
性もありますが、私はそう考えています。
それから高齢化の問題ですが、日本は
一番早く 7 %から14%の高齢化になった
●ドイツにおける社会保障改革
松本:
国ですが、フランスは真逆で、65歳以上
人口が 7 %に達するのは先進諸国の中で
私からはドイツの社会保障改革につい
てご報告したいと思います。
も一番早く1860年代です。その後、高齢
保守主義レジームに属すると言われて
化率が14%になるのに110年くらいかか
いますドイツの社会保障制度の特徴は、
っている、というのがフランスの人口構
医療、介護、年金、失業、労災の 5 つの
造の推移です。このことも反映して、あ
社会保険が中心となっていることです。
まり高齢化については議論がなされてこ
これは日本とも共通する点です。ドイツ
なかったのですが、最近は介護が大きな
においても人口の高齢化、就労形態の多
問題になってきています。というのも、
様化、国際競争の進展などに対応して社
フランスの場合は、年金の支給年齢が60
会保障の改革が進められています。この
歳ですので60歳以上人口と言うのですが、
改革では、社会保険を中心とした社会保
これに着目しますと2060年には32%にな
障制度を前提に、社会保険の財源、適用
ると予測されていて要介護者が増えると
範囲、給付などに関して抜本的な見直し
いうことが一つ問題になるだろうと言わ
が進められています。実施されている見
れています。それからミッテランが大統
直しの方向性には、日本と大きく異なる
領になったときに、支給開始年齢を60歳
点が見られます。以下順次説明していき
に引き下げた影響がありまして、今少し
たいと思います。
ずつ引き上げる方向に動いています。こ
まず、財源の問題です。社会保険にお
のあたりにどのように対応していくかが、
いては事前に保険料を支払うことにより、
社会保障財源の逼迫ということとの関係
病気などの一定のリスクが発生した場合
でフランスの課題であろうと思います。
には給付を受けることができます。給付
時間が来ましたので、私の報告はこれ
と負担の間にこのような密接な関係が存
- 20 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
在するため、社会保険は費用を負担する
に行われていることです。この議論にお
ことについての人々の理解を得やすいと
いては、リスクが高い者と低い者との調
いうメリットを有しています。
整を行うことが社会保険の本来的な機能
一方、賃金を対象として賦課され、労
であると考えられています。
使で負担される社会保険料に関しては、
医療保険では被保険者の年齢、性別、
次のような懸念が持たれています。高齢
既往歴とは無関係に保険料が徴収されて
化などに伴い、社会保険の支出が増加す
います。その保険料をもとに医療上必要
るため、社会保険料の引き上げが必要に
な給付が行われることにより、健康上の
なります。これは労働者のために保険料
リスクが高い者と低い者との調整が行わ
を負担する事業主に賃金コストの増加を
れています。また、年金保険では寿命の
もたらします。これにより、企業の国際
長い者と短い者との調整が行われていま
競争力は弱まり雇用情勢が悪化すること
す。しかし、社会保険では、このような
になります。このため、過去20年以上に
調整を目的としない給付や再分配も行わ
わたり、ドイツでは、2 大政党のいずれ
れています。例えば、3 歳未満の子を養
による政権においても、事業主が負担す
育した期間に対する年金給付や医療保険
る社会保険料の増加を抑制し、軽減を図
の被扶養者に係る保険料の免除などがこ
ることが重要な政策目標とされてきまし
れに該当します。
た。
こうした給付や再分配は、先ほどの考
実際にも、社会保障財源に占める社会
え方からすれば、本来は社会保険ではな
保険料、とりわけ事業主負担の割合が低
く、子育てや家族の支援のような公的主
下しています。保険料負担の軽減を可能
体の責務に対応したものですので、その
にするための重要な手段の一つは、社会
ための支出は保険料ではなくて税により
保険に対して国庫補助を投入することで
負担すべきであるとされます。こうした
す。年金保険の場合には、環境税や付加
考え方に沿って財源の見直しを行い、必
価値税を財源として、国庫補助の増額が
要に応じて社会保険料財源を税財源に置
行われました。従来は基本的に保険料だ
き換えることにより、社会保険料率は全
けで賄われてきた医療保険についても、
体で 7 ~ 9 %ポイント低下するという試
2004年からは国庫補助が行われることに
算が出ています。
なりました。また、これと併せて、事業
こうした検討を通じて財源のあり方を
主負担分の保険料率を現状で固定し、今
理論的に明らかにし、本来あるべき姿に
後の支出増には被保険者が負担する保険
近づける努力をすることは、社会保険へ
料を増加させることで対応する仕組みが
の信頼を高め、費用負担への理解を得る
導入されました。
上で重要なことであると考えます。
注目されることは、このような政治的
賃金に応じて賦課される社会保険料に
な決定と並行して、社会保険の財源のあ
ついては、賃金コストを増加させるとい
り方をめぐる理論的な検討や議論が活発
う問題のほかにも、資産所得などが考慮
- 21 -
年報 公共政策学
Vol. 7
されないために負担の公平性の面で問題
に2009年には、その他の者にも民間医療
があることが指摘されています。また経
保険への加入が義務づけられ、すべての
済の停滞や失業の増加による影響を受け
者が公私いずれかの医療保険に加入する
やすいという面もあります。
ことになりました。年金保険では、労働
このような問題を解決するため、医療
者以外にも、手工業者など一定の種類の
保険に関しては対立する二つの提案が行
自営業者に加入義務が課されています。
われています。一つは、賃金の多寡にか
さらに、その業務のために労働者を雇用
かわりなく、すべての被保険者が例えば
せず、一人の依頼主のために活動してい
月100ユーロといった一律の額の保険料
る「被用者に類似した自営業者」も加入
を負担することです。もう一つは保険料
義務の対象とされました。
の賦課対象を資産所得にまで拡大するこ
一方、被用者であっても、その労働報
とです。このような対立が生じている背
酬が月400ユーロ以下のいわゆるミニ・
景には、社会保険で再分配を行うことの
ジョブを行う者は社会保険の加入義務が
是非についての考え方の違いがあります。
免除されています。なぜなら、ミニ・ジ
つまり、前者の提案は、社会保険の内部
ョブを行う者にはミニ・ジョブ以外に家
で所得再分配を行うことは適当ではない
族による扶養や資産など生計を維持する
という考え方によるものです。社会保険
にたる重要な経済的基盤が存在すると考
で所得再分配を行うことが当然であるよ
えられるからです。このままでパートや
うに考えていると、一律額の保険料には
派遣などの非典型的な就労が増加します
違和感があるかもしれません。しかし、
と、被用者であっても社会保険の適用を
一律額の保険料は、医療保険ではすでに
受けない者が増加するため、社会保険の
スイスやオランダで実施され、ドイツで
保険料収入の減少や、就労を行う者が受
も部分的に導入されています。
け取れる年金額の減少が懸念されます。
次に社会保険の適用範囲についてお話
このため、ミニ・ジョブを行う者本人
ししたいと思います。社会保険は必ずし
には保険料の負担義務はないのですが、
もすべての者を被保険者とするわけでは
その者を雇用する事業主には医療保険と
ありません。ドイツでは将来のリスクに
年金保険に対する事業主保険料を負担し
自ら備えることが困難であって社会的保
なければならないこととされました。こ
護が必要と認められる者だけを社会保険
れは、ミニ・ジョブの増加によって社会
の対象にしています。この背景には、そ
保険の保険料収入が減少することや事業
れ以外の者にまで国が介入することは正
主が通常の就労を保険料負担のないミ
当化できないという考え方があります。
ニ・ジョブに転換しようとすることを防
しかし、社会保険の対象は労働者にとど
ぐために行われました。この事業主保険
まっているわけではなく、時代とともに
料はミニ・ジョブを行う者の年金額が将
拡大してきています。今日、医療保険に
来において算定される際に加味されるの
は居住者の 9 割が加入しています。さら
で、その分だけ年金額を増加させる効果
- 22 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
を持っています。
険のように現物給付を中心とする制度に
次は社会保険と社会扶助との関係です。
おいては、保険給付として提供されるサ
年金保険の場合で考えてみますと、日本
ービスの質と効率性の確保が重要な課題
のような基礎年金の仕組みがなく、賃
となります。質と効率性を確保するため
金・保険料に比例した額の給付が行われ
の手段としては、一つは、計画や規制な
るドイツの年金保険においては、現役時
どを通じた公的介入が考えられます。二
代の就労期間が短かくまたは賃金が低く、
つ目はサービス供給者団体と保険者団体
保険料の納付期間や納付額が少ない場合
間の交渉・合意、3 つ目は当事者間の競
は、受け取れる年金額が少なくなります。
争が挙げられます。
このため、老後の生計を維持することが
この 3 つのうちいずれの手段を採用す
困難になる可能性があります。しかも近
るかは、それぞれの国によって大きく異
年の年金改革では、年金水準を長期的に
なっています。ドイツの場合は、この 3
引き下げる措置が講じられていますので、
つの手段のいずれもが採用されている混
その可能性は今後さらに拡大していくと
合的なシステムになっています。
予想されます。このような者への対応は、
近年の改革のなかでは、この 3 つの手
日本の生活保護と同様に最低生活を保障
段のなかでも当事者間の競争を拡大する
する制度である社会扶助の役割であると
政策に注目が集まっていますが、ドイツ
考えられてきました。
の医療制度が全面的に自由な競争に委ね
しかし、社会扶助を受けることになれ
られているわけではありません。
ば子に扶養が求められることから、その
医療保険における当事者としては、保
申請を行わない高齢者も少なくありませ
険を運営する保険者、開業医、病院など
ん。このため、年金保険とは別の新たな
のサービス供給者、保険に加入する被保
制度が導入され、子に対して扶養を求め
険者の 3 者が挙げられます。
ないことを基本として高齢者に生活の基
まず、サービス供給者と被保険者の関
礎保障が行われることになりました。年
係をみると、患者である被保険者はサー
金保険の内部に年金額の最低保障を設け
ビス供給者を選択することができるため、
ることにしなかったのは、次のような問
サービス供給者は患者の獲得をめぐって
題を考慮したからです。
互いに競争する立場にあります。このよ
一つは高齢者には年金以外の収入があ
るのに年金額だけで最低保障の必要性を
うな競争はドイツだけではなくフランス
や日本でも見られます。
判断することが公平かという問題です。
次に、保険者と被保険者の関係をみる
もう一つは、納付した保険料額にかかわ
と、ドイツの特徴は、被保険者が自ら加
りなく最低額の年金を受け取れることが、
入する保険者を選択する権利が全面的に
被保険者が保険料を支払う意欲を低下さ
認められ、被保険者の獲得をめぐる保険
せるのではないかという問題です。
者間の競争が導入されたことです。この
次は、給付の質と効率性です。医療保
競争を通じて、各保険者には、より多く
- 23 -
年報 公共政策学
Vol. 7
の被保険者を獲得するために、より低い
る給付の質と効率性を高めるための重要
保険料でより質の高い給付を提供しよう
な手段の一つであり、また、リスク調整
と努力する誘因が働くものと期待されて
のような一定の制約の下で行われていま
います。
す。
しかし、保険者は、このような方法で
医療保険を有する欧州大陸諸国のなか
はなく、若くて健康な被保険者を選別す
にはドイツのほかにもスイスやオランダ
ることを通じて、保険料を低く抑えるこ
のように選択や競争の要素を重視する方
とにより、この競争において有利な立場
向に向かっている国があります。その一
に立とうとする恐れがあります。このよ
方でフランスのように公的介入を重視す
うな選別が行われないようにするために、
る方向に向かっている国が存在していま
リスク調整が行われています。これを通
す。
じて、若くて健康な者が多く加入する保
最後にこの報告のまとめを行いたいと
険者から、高齢で病気がちな者が多く加
思います。社会保険を一つの固定的な制
入する保険者への財政移転が行われるこ
度としてとらえるのは適当ではないと考
とにより、保険者間の財政的な調整が行
えます。社会保険には国による特徴が見
われています。このため、リスク調整は、
られます。改革の方向にも国による違い
保険者間の保険料率の格差を縮小させる
が見られます。また、一つの国において
効果ももっています。
も社会保険は時代とともに変化していま
一方、保険者とサービス供給者の関係
す。ドイツでは社会保障制度の中心とな
は、保険者団体とサービス供給者又はそ
っている社会保険について、社会経済の
の団体との集団的な交渉・契約が中心と
変化に対応するための改革が行われてい
なっています。この仕組みでは、ある保
ます。そのなかでは、労働者を対象にし、
険者が加入する被保険者に対してより質
賃金の額に応じて賦課され、労使折半で
の高いサービスを確保するために、サー
負担される社会保険料を財源として給付
ビス供給者との間で他の保険者とは異な
を行うという、これまで社会保険の前提
る内容の契約を締結することはできませ
として考えられてきた基本的な枠組にも
ん。このため、個別契約の可能性を拡大
変更が加えられています。さらに、選択
して、この分野でも競争を拡大すること
や競争という要素を取り入れることも積
が課題となっています。これが実現すれ
極的に進められています。
ば、個別の保険者が開業医、病院などと
もちろん、ドイツにおけるすべての取
協力をして、例えば慢性病の患者に対し
り組みが成功したというわけではなく、
て必要な医療がさまざまなサービス供給
また、他国においても適用可能というわ
者からその人の病状に応じて継続的に提
けでもありません。しかし、社会経済の
供される体制をつくり上げていくことも
未曾有の構造変化に直面して、社会保険
可能になると考えられます。
が今後とも期待される役割を果たしてい
以上のように、競争は医療保険におけ
くためには、これまで社会保険において
- 24 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
当然の前提と考えられてきたことにも再
うことがあるかと思いますが、お手元に
検討を加えて、必要に応じて大胆な改革
ある質問用紙にぜひ記入ください。どな
が行うことが求められるのではないかと
たに対する質問かということと、差し支
考えます。
えなければお名前などの情報も書いてい
以上で私の報告を終わります。ご静聴、
ありがとうございました。
ただければと思います。これからしばら
く10分あまり休憩をとらせていただきま
すが、その間に係の者が席の間を回りま
司会(佐藤)
:
すので、お渡しいただければ結構ですし、
松本先生、ありがとうございました。
4 カ国の社会保障に関するご報告はこれ
前の方にお持ちいただいても結構かと思
います。
で終了いたしました。いろいろとまだ消
化不良があったり、もっと聞きたいとい
しばらくご休憩いただきたいと思いま
す。それでは後ほど。
- 25 -
年報 公共政策学
■第2部
Vol. 7
パネルディスカッション
コメント
土田 武史(早稲田大学商学部教授)
討
論
宮本 太郎(北海道大学大学院法学研究科教授)
一圓 光彌(関西大学政策創造学部教授)
加藤 智章(北海道大学大学院法学研究科教授)
松本 勝明(北海道大学公共政策大学院教授)
司
会
佐藤 雅代(関西大学経済学部教授・HOPS 研究センター研究員)
司会(佐藤)
:
う機会を与えていただきまして、どうも
休憩時間もやはり一瞬のように過ぎて
ありがとうごいざいました。
いくということで、すでに時間をオーバ
今回 4 人のご報告があり、これをどう
ーしておりますが、この後の時間も先生
やってコメントしようかと迷ったのです
方のお話も目一杯聞いていただくために
が、先日松本さんからいただいた趣意書
も、早速ですが、後半をスタートさせて
のなかに、今回のシンポジウムの趣旨と
いただきたいと思います。
して、「社会保障の機能強化と財源確
後半はすぐパネルディスカッションで
保」ということが書かれていましたので、
はないかと思われた方もおられると思い
その二つの角度から整理してみようと思
ますが、本日は早稲田大学の土田武史先
いました(■「コメントの視点」
)。
生より 4 報告についてのコメントという
最初の「社会保障の機能強化」につい
ことで、やはり25分間頂戴したいと思い
ては、2008年の社会保障国民会議や、税
ます。この 4 報告をまとめるのは大変か
と社会保障の一体改革のなかでも取り上
と思いますが、土田先生の切り口という
げられています。その内容はほとんど宮
ことで聞いていただきつつ、後半のディ
本先生から借りたものになってしまうか
スカッションに思いをはせていただきた
もしれませんが、就労スタイルが多様化
いと思います。
し、就労を通じて生活保障システムが最
では土田先生、どうぞよろしくお願い
いたします。
近、壊れつつあることに対して、それを
補完するために社会保障の強化が求めら
れているが、それはどうか、という点が
●コメント
一つです。
土田:
それから、もう一つは社会保障の機能
早稲田大学の土田です。今日はこうい
強化を図っていく場合に、当然、財政対
- 26 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
応が必要になってきますが、どういう財
う言い方もあるものですから、混同しな
政対応をしようとしているか、またそれ
いために、フレクシキュリティという言
は単に財政対応だけではなくて、それに
葉を使います。ここでは生産性あるいは
伴って社会保障システムも変わっていく
効率の低い産業の就労者を解雇していき、
ということになりますが、どのように変
解雇された者に対しては失業保険で所得
わっていくのか。この二つの点から眺め
保障をしっかりしつつ新たな職業につく
てみようと思いました。
ために職業訓練をしていくという対応が
まず、就労を通じての生活保障、ヨー
行われています。
ロッパ社会を見た場合にいずれの国も強
今回の 4 カ国をみた場合に、イギリス
化していますが、そこには二つの側面が
は職業訓練もやっていると思いますが、
あると思います(■「就労面での生活保
どちらかと言えば就労促進のウエイトが
障策」
)。一つは就労要求に焦点をおいた
大きいし、フランスなどは非正規失業者
対策と、もう一つは職業訓練に重点を置
に対して基金を設けて職業訓練などをや
いた対策に区分して見ることができるだ
っていますね。そういう点からみればス
ろうと思います。
ウェーデンに近いかな、ということです
就労要求を強化するという政策として
は、ドイツの「ハルツ改革」があげられ
が、いずれにしても2つの政策が見える
ということです。
ます。改革は I から IV まであり、IV が
そういうことを一応、踏まえた上で財
最も強力な対応で、失業扶助と公的扶助
源対策を見ていきたいのですが(■「財
を統合して失業手当 II というものを設
源確保策の変化(1)」)、従来の型を簡
けました。そこでは労働能力のない者に
単に振り返ってみますと、ドイツ、フラ
対しては公的扶助を適用していく一方、
ンスは能力主義であり選別主義で、いわ
労働能力のある者に対しては、かなり強
ゆるビスマルク型と言われていますが、
力な個人的なアドバイザーを置いて就労
社会保険方式が中心で保険者が当事者自
促進を図っていくというものです。その
治を中心にして運営していくとパターン
場合には長期雇用、あるいはパーマネン
でした。
ト雇用だけではなくて、ミニ・ジョブ的
もう一方のイギリス、スウェーデンは
な仕事のあっせんも行われ、とにかく、
平等主義、普遍主義が理念になっていて
どういう仕事でもいいけれど就労すれば
税方式中心で、中央政府、スウェーデン
それに対応した生活保障を行っていくと
の場合は地方政府がかかわってきますが、
いう政策です。
そういうところが運営管理するというこ
もう一つの職業訓練ですが、スウェー
デンのフレキシキュリティがあげられま
とで、かなり対照的な類型化ができてい
たと思います。
す。日本ではアクティベーションという
ところが、最近の変化がいくつか見ら
名称で紹介されさていますが、ドイツの
れるわけですが(■「財源確保策の変化
政策もアクティベーションの一つだとい
(2)」
)、今日のお話のなかにたくさん出
- 27 -
年報 公共政策学
Vol. 7
てきましたように、フランスやドイツで
合は、先ほど一圓先生が報告で詳しく述
は、社会保険に対して税を導入するとい
べておられましたが、いろいろな個別の
うことがかなり顕著に見られるようにな
タックス・クレジットが入ってきていま
っています。ドイツの場合は松本先生の
したが、来年からユニバーサル・クレジ
お話がありましたように、医療保険にお
ットというかたちへさらに展開していく
いて国庫補助をしており、その場合の一
ということがありました。
つの理屈づけとしては母性保護など社会
それからスウェーデンでは、就労のイ
保険になじまないものについては、国が
ンセンティブを高めるということで税方
直接、税を入れて負担しているという内
式の改定が行われ、例えば、勤労所得減
容の改革が進んでいます。年金保険につ
税、就労促進税制と言われているものや
いては環境税などによる国庫負担が入っ
失業保険料を引き上げて税控除から除外
ているということでした。
したり、就労インセンティブを高めるた
フランスについては有名な CSG(一
般社会拠出金)があげられます。これは
めに税方式でもクレジット方式の導入が
とられているということです。
加藤先生の訳語で、先ほどは「福祉目的
次に、財源の変化に応じた社会保障の
税」という言葉を使っておられましたが、
変化については、まず担い手の変化があ
同じものです。それを導入し、なおかつ、
げられます。従来は、税方式においては
先ほどの医療保険の普遍化というなかで
国家ないしは中央政府、地方政府が大き
付加率の引上げが指摘されておりました
な権限を有し、社会保険の場合は労使で
が、対象範囲を拡大するということが行
構成する社会保険者が大きな役割を担っ
われていました。いずれにしても、本来、
てきました。それが、先ほど松本先生か
社会保険料によって賄われていたものに
ら詳しいお話がありましたように、近年、
対して税負担、税の導入が見られるとい
運営主体が非常に多様化してきました
うことが一つの変化です。
(■「社会保障の担い手における変化」)。
もう一方、これはスウェーデンの年金
中央政府に対して地方政府の役割が非常
改革としてよく知られていることですが
に大きくなっていますし、社会保険の分
(■「財源確保策の変化(3)
」)
、税方式
野においても社会保険給付の補完ないし
による基礎年金を廃止して社会保険方式
は上積みとして民間保険が入ってきてい
による所得比例年金を導入したことがあ
る、あるいは社会保険のウエイトを下げ
げられます。税方式の国において社会保
て民間保険を拡大するということで、非
険方式が導入されたというのはフランス、
常に多様化しつつ、役割分担もかなり明
ドイツとは逆のかたちになります。
確化しながら展開しているということが
また、税方式をとっている国について
見られます。
も、いわゆるクレジット方式が入ってき
それから地域社会の役割の変化があげ
ているという変化がみられます(■「財
られます。先ほど一圓先生の報告では
源確保策の変化(4)」)。イギリスの場
「福祉の末端の強化」という表現をされ
- 28 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
ていたと思いますが、地域社会がかかわ
行われていますが、他の国でも一般的に
る形で福祉サービスの変化があります。
保険料率の上限を設定したり、給付水準
また、市場機能の強化がかなりみられる
を引き下げたりするという傾向がみられ
一方で、最近の大きな特徴としては社会
ます。
的企業の展開が挙げられると思います。
そうなると当然ながら、老後の所得保
それだけではなくて、松本先生も言われ
障が問題になるわけですが、公的年金の
ましたが、非営利組織が拡大し、役割を
低下を補うためには基本的には私的年金、
担うようになってきているということも
例えばドイツの場合にはリースター年金
挙げられます。さらに、各保険者間の市
が導入されましたし、イギリスの場合は
場競争とか、保険者と医療提供者の間の
もともと大きかった補足的な年金がさら
選別における競争だとか、市場機能を活
に強化されています。そのなかでフラン
用した競争政策も導入され、多様な動き
スは少し違っていて、例外的と思ってい
が展開されています。
ますが、おそらく私的年金であった補足
自己責任の強化もみられます。先ほど
年金が徐々に強化されてきており、社会
言ったことと重なりますが、就労促進と
保険と同じように国が税制上の控除なり、
いうことで、就労して自立しようとして
補助金を支給していくというかたちで進
いる者について国が助けていく、手を差
んでいくのではないかと思います。
し伸べるという政策が強化されていると
医療における給付ですが、これは年金
いう変化があるのではないかと思いまし
と違って、部分給付が非常に行われづら
た。
いと、つまり病気に対して、「ここまで
このようにいろいろな変化があります
の給付ですよ」と言うことは非常に難し
が、最後に、4 カ国の報告をふまえてこ
いので、公的給付は維持されていくだろ
れからの社会保障はどういう方向に向か
うと思います。従来の医療は急性疾患を
っていこうとしているのかということに
中心にして展開されてきたのですが、高
ついて述べてみたいと思います(■「社
齢化にともなう慢性疾患の増大に対応す
会保障改革の方向(1)
」)
。
ることが、これからの医療政策として重
問題意識としては、ご報告を聞く前に
要視されていくだろうと思います。
は収斂方向がどこにあるかということが
もう一つ、最近特に問題になっている
あったのですが、どうも収斂はしそうに
のは、遺伝子治療などいろいろな医療技
ないというのが全体的な印象です。少し
術が発展して、医療費高騰の最大の要因
個別的に見ると、まず年金制度について
になっていますが、これをどのように公
は公的年金のウエイトはおそらく低下し
的医療保険制度のなかに繰り入れていく
ていくだろうと思います。日本では保険
かということが、非常に難しい対応とし
料率ないしは保険料の上限を設定すると
て出てくるだろうと思います。ただ、そ
ともに、マクロ経済スライド方式で年金
ういうことが増えてくると、医療保険に
額の水準を引き下げていくという改革が
おいては公的な条件設定をして対応する、
- 29 -
年報 公共政策学
Vol. 7
さらには混合診療の解禁も迫られてくる
障改革の方向(2)」)。その場合、一つ
と思います。私自身は混合診療の導入に
は子育て支援ということで経済的支援な
ついては賛成ではありませんで、当然な
り施設の拡充ということがあるでしょう
がら保険外併用療養費などでなんらかの
し、二つ目は若齢者の雇用対策について、
対応ができていくだろうと思っています
一方では就労支援、他方では職業訓練と
が、いずれにしても医療技術の進展に対
いうことのウエイトがますます大きくな
する対応が大きなテーマになってくるだ
っていくだろうと思います。若齢者への
ろうと思いますし、国によって対応策が
対応については、おそらく民間委託のウ
大きく異なってくると思います。
エイトが高くなっていくことが予想され
それから財政においては、従来、社会
ます。
保険でやっていたところでも、先ほど話
次はジェンダーの平等化政策ですが、
がありましたように、保険料負担や医療
今回のご報告のなかでは宮本先生が触れ
費負担の上限という問題がかかってきま
られましたが、他の方は触れておられま
すから、そういうことを踏まえて、医療
せん。これは報告者にジェンダー視点が
水準を保つために財源設定としては税の
ないということではありませんが(笑)、
導入が拡大していくように思われます。
今後の社会保障の展開を考えていく上で、
もう一つは慢性期疾患と関係しますが、
この点は極めて重要な視点だろうと私は
介護との連携が大きな課題になっていく
考えます。宮本先生が言われましたよう
だろうと思います。これについては、先
に、従来、男性稼ぎ主型社会というもの
ほど、フランスについて従来と多少違っ
がモデルになっていましたが、それが崩
たようなかたちの対応策が講じられると
壊していくなかで、ジェンダー的な視点
いう話がありました。介護保険をドイツ
の強化がこれからの福祉の新しいあり方
と日本がやっていますが、介護保険はい
を考える上で、非常に大きなポイントに
わば例外的な対応ですし、多様な取り組
なるだろうと私は思っています。
み方というものがあると思いますが、い
最後に、最低生活保障についてですが
ずれにしても医療・介護の連携が今後の
(■「社会保障改革の方向(3)
」
)、現在、
課題になっていくと思います。
ヨーロッパ諸国で大きな課題になってい
先ほど宮本先生の方から詳しいお話が
る背景としては貧困、社会的排除の拡大
ありましたが、子ども、若齢者への対応
があります。そういうことから、最低生
についての強化があります。逆に言いま
活保障が大きな課題となり、保障の平等
すと、従来の高齢者に対する対応のウエ
化、普遍化が強化されるだろうと思われ
イトを下げて、子ども、若齢者への対応
ます。そういう意味では選別主義的な方
の強化に向かう方向であり、先ほど年金
向より普遍主義的な方向の対応策が強く
は上限設定と言いましたが、それに対応
なっていく気がします。
するかたちだと思いますが、そういう方
向に進むだろうと思います(■「社会保
それから「貧困の罠」についてですが、
これは貧困対策において常に出てくる問
- 30 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
題です。それに対する対応の強化が図ら
質問用紙について、すべてにお答えする
れていくだろうと思います。ただ、ユニ
時間はおそらくないのですが、それぞれ
バーサル・クレジットのなかで明らかな
の先生方にお渡ししていますので、そこ
「貧困の罠」の拡大が指摘されていまし
からピックアップしてご回答なり、議論
たので、単純に対応の強化を取り上げる
していただくというかたちで進めていき
だけでは不十分であり、重層的な対応が
たいと思います。テレビ番組ではないの
求められているといわなければなりませ
で、話す順番は「しゃべらせて」という
ん。
声の大きい人から当てていくということ
今日のご報告の 4 カ国において最低生
にしたいと思いますが、発表順というこ
活保障について見た場合に、いずれもワ
とで、まずは宮本先生から土田先生のコ
ークフェア的な対応や政策で一致してい
メントについてお話しいただきたいと思
ると考えていいと思います。その他には
います。最長でも 3、4 分までというこ
ベイシック・インカム的な方向も考えら
とでお願いします。
れるわけですが、ここではワークフェア
的な対応策が主体になっており、具体的
宮本:
な内容は国によって異なっているという
ことだろうと思います。
土田先生、ありがとうございました。
それから会場の方からも質問をいただい
非常に早口の報告で申し訳ありません。
時間がまだ残っているかと思いますが、
ています。これにもお返し申し上げたい
と思います。
これで終わります。<拍手>
私は「収斂」という言葉を使いました
が、これは、これまでタイプの違ったレ
●討論
ジームがあったが、だんだん相互に接近
司会(佐藤)
:
しているのではないかということだった
土田先生、ありがとうございます。
のです。これについて土田先生は「収
では、講師の先生方は前に出ていただ
斂」とは言えないだろうということでし
けますでしょうか。ここから残された時
たが、これは「収斂」という言葉の程度
間はパネルディスカッションというかた
が違うので、基本的な認識は一致してい
ちで進めていきたいと思います。
るのではないかと思います。
最初の報告、コメントも含め、講師は
土田先生が言われた就労連携型の所得
5 名いらっしゃいますので、何回、話が
保障では税の導入が進んでおり、子育て
振れるだろうかと思いますが、コンパク
支援へのシフト、ジェンダー平等の重視
トなご発言をお願いしたいところです。
ということがあります。このあたりを考
最初は講師の先生方にそれぞれ土田先
えると相当近づいてきているのではない
生のコメントを受けて、何か一言ずつお
かと思います。ただ、私は「収斂」と言
願いしたいと思っています。一巡した時
ったときに、全く重なり合うとは思って
点で、フロアのみなさまからいただいた
いなくて、むしろ重なり合う前に、新し
- 31 -
年報 公共政策学
Vol. 7
い分岐のようなものが出てくるのではな
は広がっており、「モビケーション」と
いかと思っているのですね。
いう言葉もこれからキーワードになって
つまり就労連携型の所得保障と言って
いくのではと思います。
も、一圓先生によると各国かなり中身が
最後に、最低所得保障に重点がいくの
違っていて、どこまで基本的な保障をし
ではないかということは私も全く一致し
た上でタックス・クレジットを重ねてい
ています。ただ、ナショナルなコミュニ
くのか、また、支援としてどれぐらいサ
ティーのなかで最低生活保障をしようと
ービスを提供していくのか、その度合い
したときに、その部分に必ずしもナショ
の問題で、新しい分岐が生まれているよ
ナルなアイデンティティが同一でない人
うにも思います。どこも子育て支援に力
たちがたくさん入ってきているのですね。
点を置くことでは一致しているのですが、
それがいいか悪いかではなくて、事実と
誰がどこまで、どの程度の自己負担でや
しての問題なのですが、これが最低生活
っていくかについては分岐が出てきてい
保障に大きなハレーションを起こしてい
て、土田先生のいう強い収斂の前に、新
ることが、ヨーロッパでも、部分的には
しい分岐が生まれてくるのではないかと
日本でも指摘できることではないかと思
思います。
います。
それからフレクシキュリティについて
つまり、連帯感が持てないという意識
はその通りだと思うのですが、要するに
が芽生えてきていて、それぞれ生活が苦
労働市場を流動化させた上で、きちんと
しくなってくると、場合によっては自分
就労支援をしているということですね。
もあのような境遇になるかもしれないと
これは少し宣伝を交えて申し上げておく
いうリスクの共有感覚より、移民の増大
と、ヨーロッパ、特に北欧では「フレク
そのものにナショナル・コミュニティー
シキュリティからモビケーションへ」と
の危機を感じて、そこにざわざわとした
いう言い方がされています。ちょうど来
心の落ちつかなさを覚えるような人が増
週火曜日にデンマークから、コペンハー
えているようなところがあります。そこ
ゲンビジネススクール教授のカイ・ペダ
を狙ってヨーロッパでは排外主義なポピ
センさんという、北欧理事会にこの分野
ュリストの新興政党がどんどん伸びてき
で新しい報告書を出した専門家を招いて
ているのですね。北欧でも、そうした政
モビケーションについてのセミナーを開
党が政治のキャスティングボードを握っ
くのです。公共職業訓練だけでは次の職
ています。今度の総選挙で日本もどうな
につけなくなってきているということで、
るかわかりませんが、最低保障の重視と
生涯教育、これは日本の趣味と教養的な
いうことと連帯の新しいあり方は微妙に
世界ではなくて、きちんとした職業に結
重なって、これからの社会保障の行方を
び付いた生涯教育ですが、これを体系的
決めるのではないかと思います。
に展開することで重厚なフレクシキュリ
ティを進めていこうという流れが北欧で
- 32 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
司会(佐藤)
:
るのですが、実施されません。
宮本先生、ありがとうございます。で
は続いて、一圓先生、お願いいたします。
児童手当も同じなのですが、そういう
普遍的な給付が伸びないなかで、「給付
をばらまくのでなく所得の少ない人に集
一圓:
中しましょう」ということが積み重ねら
土田先生、どうもありがとうございま
す。
れ、その結果それらを統一するユニバー
サル・クレジットができるようになった。
いくつかの点に限ってお話しさせてい
ユニバーサル・クレジット自体は合理的
ただきたいと思います。例えば年金につ
でよくできているのですが、全体の社会
いて、イギリスには付加年金があって公
保障の構造のなかで見ていかないと、い
的年金そのものがだんだん抑制されてい
い制度ができたということには決して言
って、代わりに民間年金が伸びるだろう
えないということです。
というまとめでした。その通りなのです
もう一つはそれに関連して、最低生活
が、世界銀行の社会保護局のホルツマン
保障が重要になってきて、それが普遍的
などが、公的年金がヨーロッパで肥大化
な仕組みになる方向にあるのではないか
し過ぎたと言うときに、「イギリスを見
という点です。最低生活保障を戦後イギ
なさい、日本を見なさい、こんなに少な
リスは、ベヴァリッジプランにそって実
くやっていますよ」と反対の例を挙げる
現しようとしました。ナショナル・ミニ
時にまず最初に出てくるのがイギリスな
マムの水準を定めて、これをすべての国
のですね。イギリスの公的年金は既にと
民に保障するということにしました。も
ても低く、これ以上下げられないと言う
しナショナル・ミニマムを全国民、全地
ことです。
域で達成できれば、最も平等で、所得比
大きな流れとして、公的年金を抑制し
例の給付はいらないわけですね。
て民間がそれに代わって伸びていくだろ
このように、イギリスでは働いている
うということは認めるのですが、ドイツ
時の所得に応じて保険料を払って、仕事
やフランスやスウェーデンとイギリスを
のない時にも自分の生活水準を大きく変
同レベルで論じることはできない。とい
えないで維持できるような所得比例制は
うのは、公的年金は前回のブレア労働党
否定され、平等主義的なナショナル・ミ
政権の時にも充実することができなくて、
ニマムの給付制度が採用されることにな
結局、民間の年金に頼る形となり、それ
りました。先ほどは時間の都合で説明で
を助けるためにたくさん税金が使われて
きなかったのですが、実際には地域によ
いるのです。民間の年金を補助するため
って物価が違います、特に住宅費は大き
に、タックス・エクスペンディチャーと
く異なります。ナショナル・ミニマムの
いうかたちで税を投入しています。それ
給付を設定する上で、住宅費の問題はベ
を公的年金に回しさえすれば、生活保護
ヴァリッジも十分認識していました。し
を上回る水準に公的年金の底上げができ
かし「住宅政策を後で完備してくださ
- 33 -
年報 公共政策学
Vol. 7
い」と問題を先送りして、一定の額を住
代に補足制度の強制適用というか、強制
宅費として算定しナショナル・ミニマム
加入が実現したことがあります。さらに
の給付としました。住宅費一つとっても、
それに、もう一段、任意加入の補足制度
一定の所得で全国民、全国一律に最低生
あり、そういう意味では年金の給付を考
活を保障するということは、そもそも困
えると、3 段階の構成になっています。
難だったのです。児童手当についてもベ
これは法定給付がそもそも最初からか
ヴァリッジは養育費一人いくらというこ
なり低い給付水準であったために、それ
とで計算しますが、実際の子育て費用に
にプラスアルファの上乗せ給付を実現す
大きな違いがある中で、一律の手当の額
るという補足制度が進展して、それが現
は低くなってしまいました。このように、
在に至っているのだろうと思います。そ
最低生活というものを一つの所得額で一
ういう意味では上積み機能強化はフラン
律に保障することは思ったより難しい。
スの場合は昔からやっていたし、これか
ですから、所得比例の社会保険の中に再
らも伸びていく可能性があるのかなと思
分配機能をとりいれていく方が、より頑
っています。
強な社会保障になる。それができなかっ
それから、もう一つは報告では具体的
たために、イギリスは選別的な給付の整
にお話しできなかったのですが、医療保
備と合理化の途を辿らざるをえなかった。
険の給付の維持に関連して、フランスは
イギリスの歴史を見て、そのように思っ
先ほども説明しましたが、社会保障財政
ています。
法律ということで、毎年、支出目標値を
決めます。これは1997年からずっと目標
司会(佐藤)
:
値を定めて、3 年のスパンで目標が達成さ
一圓先生、ありがとうございます。で
は、加藤先生、お願いします。
れたかを検証するのですが、面白いこと
にというか、そのオンダムという制度を
つくって1997年にかろうじて 1 億ユーロ
加藤:
ぐらいの範囲内で実績値が目標値を下回
私の方からは、まず土田先生からご指
ったのです。実績値が小さくて済んだの
摘のあった私的年金における上積み機能
ですが、それ以降は一貫して目標値を上
の強化について、フランスは少し例外的
回って、赤字が継続する状況にあります。
ではないかというお話がありました。控
さすがにフランス人もなんとかしなく
え室で土田先生とお話しさせていただき
てはならないといろいろと改正の工夫し
ましたが、法定給付に加えてフランスに
ているところですが、このなかで面白い
は補足制度があります。
と思ったのは、フランスの場合は開業医
これはさらに 2 段階あって、補足制度
と病院では診療報酬のつくり方が違って、
と言うからには基本的には任意でボラン
その予算の個所付けはかなり複雑なもの
タリーな組織として出発したのですが、
でした。しかし、オンダムによって政策
制度が浸透、普及した背景には、1970年
がきれいに見えてくることによって、し
- 34 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
かも目標値が毎年のようにクリアできな
しかし、土田先生が説明されたような
いということもあって、開業医の診療報
意味での統一的な改革の方向性は確かに
酬のコードと病院のそれとを統一化する
存在するのではないかと思います。
ということが、ようやく実現するように
なぜ、改革の統一的な方向性が見いだ
なりました。これは多数の利害関係者の
せるのかと考えてみると、一つは各国の
なかで時間がかかったとは言え、診療報
直面している状況が非常に似通っている
酬に関する診療行為分類の共通化できた
ためではないかと思います。つまり、高
ということは、ある意味、社会保障財政
齢化の進展、就労形態の変化、女性の社
法律の間接的な効果として評価すべきで
会進出、国際競争の激化などです。
はないかと考えています。
それから先進国、なかでも今日取り上
具体的な数値が目標値を下回るような
げられている国々が属している EU で考
状態になっていませんが、一時期に比べ
えてみると、私の報告のなかでも触れま
ると上回る金額が圧縮されてきたという
したが、社会保障の負担、特に事業主の
ことで、そういう努力は最近フランスで
負担が大きくなっていくと、企業はそう
も徐々に実現してきているのではと考え
いう国から出て行って、他の国に立地し
ています。これは報告のなかでお話しで
ていく可能性があります。このため、各
きませんでしたので、ここで補足いたし
国が、より魅力的な立地場所となるため
ます。以上です。
に、社会保障の負担軽減に努力するとい
う共通した方向性があるのではないかと
司会(佐藤)
:
思います。
加藤先生、ありがとうございました。
松本先生、お願いします。
そして、さらに反対のことを言います。
医療における給付について土田先生が挙
げられている4つのことは各国に共通し
松本:
ていると思います。しかし、これを具体
「収斂」という問題について私の考え
的にどういう政策で実現するのかという
ていることを申し上げたいと思います。
と、ドイツでは競争に重点があるし、フ
社会保障はそれぞれの国の歴史や文化、
ランスや日本では公的介入に重点があり
社会、経済の特性に応じた制度となって
ます。このような違いも、容易に一つの
いるわけですから、それを一つの制度に
方向に収斂するというようなものではな
まとめるのは難しいと思います。例えば、
いと思います。ですから、そのように分
医療保険では税方式の国と社会保険方式
けて考えてみないと、一口に「収斂」と
の国がありますが、それをどちらかに統
言っても、議論がなかなか収斂していか
一するとか、年金制度でいうと所得比例
ないのではないかという気がします。
年金と定額年金をどちらかに統一すると
いうような意味での収斂が近いうちにお
司会(佐藤)
:
こるとは考えにくいと思います。
ありがとうございます。土田先生、い
- 35 -
年報 公共政策学
Vol. 7
かがでしょうか。とりあえず、議論の収
うことで重視されています。
斂はもう少し待っていただいて(笑)、
それから「幼保一体化は日本でも導入
みなさんに書いていただいた質問用紙は
すべきでしょうか」というご質問です。
各先生方にお渡ししております。複数の
幼保一体化は日本では待機児童対策のよ
先生に対する質問は、お一人ずつの先生
うになってしまっているのですが、子ど
にしかお渡ししていないのですが、各先
もの就学前の成長の観点から見ると一番
生の方から答えておこうと思われたもの
大切ではないかと思います。そういう意
について 3、4 分をメドにお答えいただ
味では、私は長期的には導入すべきだろ
くと同時に、土田先生も含めて他の先生
うと思っています。
方に、「これを聞いておきたい」という
次は「アメリカの社会保障は結局、ど
ことを最後にポンと言っていただくと、
うなのか」というお尋ねですが、私より
次に回すときに、それに対しても各先生
答えるのに適切な方はおられると思うの
にお答えいただくというかたちにしたい
ですが、私が理解している限りでは、ア
と思います。つまり、他のパネラーに球
メリカではソーシャル・セキュリティー
を投げてもいいということでお願いした
とウェルフェアが全く違う世界になって
いと思います。ただし、投げても投げな
しまっているということだと思います。
くても時間は 3、4 分をメドにというこ
とで、まず宮本先生、お願いします。
ウェルフェアは日本ではいい言葉です
が、アメリカでは福祉に依存する人たち
を養っているというような負のイメージ
宮本:
が非常に強くて、日本も下手するとそう
ありがとうございます。みなさんから
いう方向に行ってしまうのかもしれない
のご質問は学生の方からのご質問も多い
という危惧があります。他方、ソーシャ
のですが、平等主義的にお答えしていき
ル・セキュリティーは自立した市民によ
たいと思います。
る社会保険の領域ということで、特に高
「日本では学童保育がありますが、海
齢者のそれは中間層において非常に充実
外ではどうなっているでしょうか」とい
しています。全米退職者協会、世界でカ
うことですが、例えばスウェーデンでは、
トリック教会の次に巨大な非営利団体が
日本以上に両親ともに就労している場合
このアメリカの AARP で3000万人ぐら
が普通ですので、放課後学校については
い会員がいるのですが、これがガッチリ
大変重点が置かれていて、9 歳までの子
とおさえていますので、アメリカの中間
どもについて75%ぐらいの子どもが放課
層の高齢者の所得保障は非常によくでき
後学校に行っているということです。こ
ているということだと思います。
こでの教育の中身も重要な関心対象です
そ れから 、少 し長い ご質 問です が、
が、イギリスでは「チルドレン・センタ
「スウェーデンでは就学前教育の事例な
ー」といって、放課後の居場所をつくる
どで保育と貧困政策の重なりがあるが、
ことが低所得家庭の貧困対策になるとい
日本ではどうなのか」という趣旨のお尋
- 36 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
ねですが、日本は児童扶養控除など給付
一圓:
のかたちではありますが、保育サービス
いくつか質問をいただきましたので、
という点では、これからだと思います。
お答えできる範囲でお話ししたいと思い
ただ大きな補助金事業、社会包摂などを
ます。「イギリスについて、就労のあり
行う事業などで貧困世帯を対象にした子
方がワークフェアか、アクティベーショ
どもたちの居場所づくりなどは日本各地
ンであるかが問題である。戦後福祉国家
で始まっていると思います。
がつくってきたナショナル・ミニマムや
それから最後のご質問ですが、「スウ
シチズンシップをあきらめていいのでし
ェーデンでは大学が無償化であるなど教
ょうか。それから、今の連立政府のよう
育のチャンスが広がっているが、日本で
に公的役割を削減するだけでは問題を悪
はどうなるのか」ということです。日本
化させるのではないか」ということです
は教育を受けて、つぶれない会社に入っ
が、問題意識は全く同じです。
て、そこで大人になるよう仕込まれ、リ
「ナショナル・ミニマム」という言葉が
タイアした後で社会保障ということで、
出てきたのですが、私自身はこのテーマに
教育や雇用の社会保障が時系列的につな
ついて論文を書いたことがあります。先ほ
がってしまっているのですね。それで教
ども言いましたように、ベヴァリッジが戦
育の仕組みがやり直しのきかない仕組み
後の社会保障のデザインをつくって、全国
になってしまったと思うのですが、今後
民に世帯に応じたナショナル・ミニマムの
はやはり教育と雇用と社会保障の相互乗
給付ができるように社会保障を設計しまし
り入れというかたちが広がっていくべき
た。これを「ナショナル・ミニマム」と
でしょう。「エデュケア」という言葉が
言ったものですから、この言葉は最低限
ありますが、エデュケーションと社会保
の所得を決めるものと理解されてきたの
障が結び付いていく必要があると思いま
ですが、もともとこの言葉を使ったのは
す。社会保障の役割はただ人を保護する
ウェブで、彼はあらゆる生活の部面で貧
だけではなくて、人が社会とつながる条
困に陥らせるような問題を、国民的最低
件づくり、つまり教育と重なっていくの
基準をつくって防ごうと考えました。例
であり、これからは日本もそうしたエデ
えば環境、賃金、医療などの最低基準を
ュケアの方向に行かざるを得ないのでは
設けて、貧困の原因ごとに生活を守る基
ないかと思います。
盤をつくるということを考え、その基準
完全に時間をオーバーしています、す
みませんでした。
をナショナル・ミニマムと呼びました。
そういう意味では一定の所得できれいに
物事を解決するという考え方ではありま
司会(佐藤)
:
せん。私自身も、貧困の原因ごとに普遍
ありがとうございました。では、一圓
先生、お願いします。
的な制度を整備してその対策をとるとい
う方法が望ましいと思っています。
残念ながら、戦後のイギリス政府は、
- 37 -
年報 公共政策学
Vol. 7
ベヴァリッジが描いた理念を実現してい
支給で所得、貧富の差が生まれる。それ
るかのように取り繕って、福祉国家が建
についてどう考えるか」というご質問で
設されたかのような幻想を与え、一定の
すが、これは必ずしも私に対する質問で
所得を保障するナショナル・ミニマムの
はないかもしれませんが、私は、逆にイ
制度に固執したため、かえって多くの人
ギリスが平等主義的な定額のナショナ
に十分な生活が保障できず、余裕のある
ル・ミニマムの給付にしてしまったこと
人は民間の制度に頼るようになり、広い
が、社会保障の貧困をもたらす結果にな
中間層の人たちが社会保障や社会保険制
ったと思っています。いろいろな所得で
度をあてにしなくなりました。そうして
生活している幅広い中間層のニードを満
普遍的な制度はさらに抑制され、さまざ
たすことができるような、従前所得にリ
まな給付付き税額控除制度によって置き
ンクした給付制度が維持されれば、それ
換えられていったとのだと思います。
に再分配効果を加味することにより、大
現在のユニバーサル・クレジット制度
は、大変合理的で選別的な制度としては
多数の人の生活保障を確保できたのでは
ないかと思います。
望ましい制度です。他の国でも就労と所
関連してイギリスの社会保障における
得保障をリンクする仕組みとして生かす
社会保険の位置付けが低くなっている背
べき制度で、利用価値はなくはないと思
景についてですが、ベヴァリッジ報告に
いますが、それを各国の社会保障の制度
基づいて定額制の社会保険ができて動き
体系の中でどのように位置付けるかにつ
出した初期の段階で私の先生であるのエ
いては、その国で十分に考えられなけれ
イベルスミスは所得比例の年金改革案を
ばならないと思います。
労働党の改革案として発表しています。
「社会保障の徴収について、公平、中
その提案に保守党は対案を発表しますが、
立、簡易という税の考え方とあまりにも
その内容は民間年金業界が困らない程度
矛盾しているように思われる」と書いて
のごく控えめな付加年金を上乗せする制
くださっていますが、私が取り上げてき
度で、結局それが現在のイギリスの付加
た選別的な給付制度の問題は、税の徴収
年金制度の流れを決めることになってし
制度というより多様な給付制度の問題な
まいました。
のです。仕事をして収入を増やそうとす
同じことは児童手当についてもいえま
ると、多様な給付制度が重複してその世
す。戦後の政府はベヴァリッジの提案を
帯に影響し、働くとかえって所得が減る
大きく下回る低い児童手当を維持し、児
といった問題があるということで、それ
童の貧困が大きな社会問題となりました。
を簡単な制度に代えて就労が世帯にとっ
そうした中でこれを解決するために十分
て不利とならないような制度にしようと
な額の児童手当を求める声も強まったの
しているということです。
ですが、結局有子低賃金世帯のための選
「貢献主義を背景にした年金、特に厚
生年金制度はたぶん所得比例で、老後の
別的な制度が設けられるという経緯を辿
っています。
- 38 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
次に「失業者や子どもに対する定額手
願いします。
当の説明がありましたが、例えば市営住
宅や保育サービスの現物給付はどうなり
加藤:
ますか」というご質問です。住宅給付の
「医療保険における使用者負担の割合
話をしましたが、戦後は公営住宅をたく
の高さは、使用者の不満や雇用条件の悪
さんつくって所得の低い人に住まわせる
化を生まないか」というご質問ですが、
政策をとりましたが、政府が直接良質の
日本の使用者にはもっと負担してもらい
安価な住宅を供給するという政策は次第
たいと思うぐらいですが、フランスの使
に下火となります。サッチャー政権の時
用者が12.8%という保険料率に対して異
には、公営住宅を個人に買わせて持ち家
を唱えているという動きはなさそうです。
に変える政策もとられました。所得が低
雇用状況の悪化を生んでいるのではな
くて家賃が負担できない人に家賃を補助
いかということについては詳しい資料を
するのが住宅給付制度です。公営住宅に
持ち合わせていませんのでわかりません
住んでいる人でも民間の賃貸住宅に住ん
が、フランスはおそらく最近、失業率は
でいる人でも住宅給付制度で家賃補助が
それなりに改善されているといえ、8 %
されていますが、ユニバーサル・クレジ
ぐらいでずっと推移していますから、影
ットが実施されますと、その給付の中に
響がないとは言えないのではないかと思
住宅費も含まれますのでなくなることに
います。(2008年に7.5%まで低下したも
なります。児童に対する学校給食の補助
のの、その後失業率は上昇しており、
や保育園の費用補助も、ユニバーサル・
2012年初頭には10%の大台に乗った。)
クレジットのなかに含めていこうとして
また、失業者に対して一定程度、早期
いますので、そういう意味ではわかりや
に待遇するということについては、社会
すい制度になると考えられます。
的排除に対する費用やいろいろなかたち
配布したレジュメの最後に、ベイシッ
の就労連携型の所得保障、最低保障給付
ク・インカムのモデルと負の所得税のモ
を一方では手当しなければならないとい
デルとその中間に位置する給付付税額控
うこともあるので、そこはある意味、負
除のモデルを図示しています。大きな流
のバランスがとれているのかな、という
れとしては、現在、負の所得税=公的扶
気がします。したがって、もし財源の見
助からベイシック・インカムへの道を進
直しをするときにはおそらく、社会保護
みつつあることは確かです。しかし、今
全体の予算配分を考えなくてはならない
のイギリスのやり方を続けていって理想
でしょうが、12.8%という使用者の社会
的なベイシック・インカムにたどり着け
保険の負担率は、一つの焦点になるだろ
るかと言えば、私は非常に悲観的です。
うと思います。
司会(佐藤)
:
制度の充実について変化がないか、新し
それから「フランスにおいて家族給付
ありがとうございます。加藤先生、お
い動向はないか」ということですが、こ
- 39 -
年報 公共政策学
Vol. 7
のあたりはあまり普段、目を通さないと
医療提供を受けられない人たちもいると
ころで、最近の新しい動向について、
いうことで、制度としては貧しい人につ
「これです」というような情報提供でき
るものは持ち合わせていません。しかし
いては一部負担金なしに医療費の無料化
を実現しているということです。
フランスが先進国のなかでも合計特殊出
全体を通しての質問ということですが、
生率が2.0%と高くなっているのは家族
読み上げますと「高齢者の増加による問
給付金制度の充実がかなり影響している
題、就学前教育の導入や社会保険料支払
と国際的にも認められていると考えてい
いなどの種々の政策をみると社会保険と
ますので、これをあまり大きくいじると
いう制度そのものの必要性、必然性はあ
いうことはないと思います。(しかし、
まり感じられないような気がするがどう
税源の逼迫を理由に給付の削減や所得制
か」というご質問です。私は社会保険守
限の復活が意図されており、議論をよん
旧派なので、基本的な生活維持について
でいる。)
自分のことは自分で面倒を見るというこ
それから「CMU に関連して、日本と
とに根ざした相互保障のシステムとして
30年のタイムラグというのはなぜなの
社会保険はその存在意義を失わないので
か」というご質問ですが、これは私が理
はないかと思っています。これは他の先
解するところでは、日本が国民健康保険
生方は違うという方が当然、おられると
法で地域住民というところに着目して被
思いますが、私はそのように考えていま
保険者資格を与えたということは非常に
すので、社会保険の必要性はなお、ある、
画期的なことで、このアイデアはノーベ
と思っています。以上です。
ル賞級だと思っています。
つまり、ドイツもそうですが、ヨーロッ
司会(佐藤)
:
パ大陸国系の社会保険は職域保険で対応し
ていますので、どうしても組織化できない
ありがとうございます。では、松本先
生、お願いします。
ような業種の少ない人たちをどこにはり付
けるかということを考えると、なかなか難
松本:
しいものがあります。そういう意味では
最初の質問は、「保険者間の競争は過
フランスも皆保険はなかなか進みません
当競争などの逆選択のデメリットを生じ
でしたが、2000年前後に、税金を投入し
させると思うのですが、ドイツでは具体
て、一気に医療費を無料化するところま
的にどのような対策がとられているので
で制度を実現しました。それを見ると、
すか」ということです。保険者間の競争
ある意味、フランスはやはり素敵な国で
について設けられている制約で最も重要
はないかと思っています。ただ、グレー
なものはリスク調整です。これがなけれ
ゾーンにいる人たちもいて、日本の生活
ば、各保険者は、よいリスクを選別する
保護の水準で頑張っている人はフランス
方向に動くだけで、適正な給付をして保
にもいるということもあります。満足に
険料を下げる努力をするとか、給付の質
- 40 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
を上げる努力をする方向には向いていか
進んでいるためです。その理由は、マー
ないと思います。一つ付け加えておきま
ケットへのより大きな影響力を持って、
すと、先ほど保険者とサービス供給者と
例えば薬剤の購入などをより有利な条件
の関係については、集団的な契約から個
で行いたいと考えているからです。競争
別契約に向かう方向が目指されていると
の前提として、一人の競争者ということ
いうお話をしました。現在は団体間の契
はあり得ないですが、おそらく保険者の
約であることから、この両者の関係には
数は、統合によりかなり減っていくこと
ドイツの国内法としての競争法の適用を
になるでしょう。
除外するという規定があります。ところ
それから最後の質問ですが、「ドイツ
が個別契約になるとそうは言っていられ
の改革方法で日本のどの制度に応用がで
なくなります。このため、ドイツでは、
きそうですか、具体的なものがあれば教
保険者とサービス供給者の間に競争法を
えてください」ということです。私は医
適用するのかどうかが社会法関係者の重
療保険におけるリスク調整を挙げたいと
要な議論のテーマとなっています。
思っています。もちろん、そのまま日本
二つ目の質問は「基礎保障を設けても、
に適用できるという話ではありません。
年金を払わなくても基礎保障があるので
日本の医療保険の場合は、フランスやド
いい、という意味で、良くない結果をも
イツと比較すると、制度的にも大きく分
たらすのではないか」というものです。
かれており、しかも多数の保険者が存在
年金のなかに最低額の保障があると、そ
し、そのいずれに加入しているかで保険
れは一定額まではいずれの額の保険料を
料負担に差があります。また、加入する
払っても、年金額は同じということにな
人には、保険料が安い保険者に加入する
ります。基礎保障制度では、収入や資産
という選択権はありません。
が少ないことを理由に申請をして、年金
高齢者については各保険者の間で一定
とは別の給付を受給することになります。
の財政的な調整が行われていますが、そ
このような基礎保障があるから年金保険
の範囲を高齢者以外にも広げていくこと
料を払わなくてもいいと思う人はおそら
は考えられるのではないかと思います。
くあまりいないのではないかと思います。
そのときにリスク調整が考えられます。
それから三つ目の質問は「被保険者の
そう言うと、その後から出る議論として
獲得競争で敗れた保険者について、その
は、競争はどうするのかということです。
被保険者はどうなるのか。結局、一つの
競争は、より質の高い給付、より低い保
保険者による総取りになるのではない
険料を医療供給者などと交渉し、実現す
か」というものです。これは実態を説明
る保険者が存在することを前提にしてい
するとわかりやすいと思うのですが、競
ます。しかし、すぐにそのような保険者
争が入ってから何が起こったかというと、
が出てくるわけではありません。保険者
一つの大きな変化は保険者の数が減少し
間の競争の行われていない日本を前提に、
ていることです。これは保険者の統合が
競争を入れる方向にいくのか、国の介入
- 41 -
年報 公共政策学
Vol. 7
を強化する方向にいくのかについてはい
を扱ったのです。そのとき、一圓先生の
ろんな議論があるのではないかと思いま
イギリス研究も勉強させていただいたの
す。ヨーロッパの議論を聞いていても、
で、非常に今日は感慨深い思いがあるの
その両者のどちらが果たして効果的なの
ですが、実は先ほど所得比例部分を含め
かについては今のところ、いずれにも軍
て公的な連帯といいますか、社会保険を
配は上がっていません。
維持することが非常に強固な社会保障制
度をつくることになるということで、ま
司会(佐藤)
:
さにその通りだと思うのです。
ありがとうございます。
ところが、全額税方式で基礎年金をや
ってくれと言ったときに、そこまで踏み
宮本:
込んでいっていないのですが、公的年金
今日はせっかくこれだけの顔ぶれの先
は基礎年金部分だけであとは民間かある
生方が集まったので、ぜひ私からも教え
いは積み立て方式でいいのではないかと
を請いたいということなのですが、今
いうニュアンスがあるわけで、そうなっ
次々と「社会保険論者宣言」がなされま
てくると議論の流れとしては、所得部分
して(笑)、雲行きからすると、どうも
を含めた公的年金制度は非常に大きな危
私だけがスウェーデン担当ということで
機に立ち至っているだろうと思うのです。
税方式論者という見方をされるのかな、
では、全額税方式にしたらどうか、定額
と思ったのですが、決してそうではなく
にしたらどうか、ということは、イギリ
て、医療はともかく、年金については私
スの歴史が示すところによれば、そうす
自身も強固な社会保険論者です。
ると中間層はどんどんそこから離れてい
先生方にうかがいたいのは、社会保険
って民間の保険に入って、定額分はもっ
をどうやって守るかということです。と
と下げていいのではないかということで、
いうのも、今の社会保障と税の一体改革
今日一圓先生が描かれたようなイギリス
の議論のなかで、例えば、経済団体から
の状態が日本でも予想されるわけですね。
ヒアリングするとみんな基礎年金は全額
加藤先生のお話は CSG の使い方で税
税方式で、ここに全部、消費税を投入し
の投入を必ずしも全額税方式ではなくて、
てくれという議論です。先ほど加藤先生
連帯を補強するようなかたちで行うよう
が言われていましたが、日本の経営者に
な方法について示唆されていたように思
とって社会保険料負担をどう減らすかと
うのですね。松本先生は医療にかかわっ
いうことは非常に大事になっています。
てのことですが、もちろん年金にかかわ
ただ全額税方式で基礎年金をつくると
っても同じ信念をお持ちだと思うのです。
いうことは、先ほど一圓先生がイギリス
日本が直面している状況のなかで、今全
の歴史に照らして言われたことなのです
額税方式を唱えるのは、どんどん年金の
が、実は私は自分の博士論文を書いたと
保険料の納入率が悪くなって、仕組みが
きに、スウェーデンの50年代の年金改革
倒れるのではないかと懸念されます。
- 42 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
日本の政治家は税に逃げたり、社会保
松本:
険に逃げたりで、社会保険が危うくなる
私からお話しします。制度を改革する
と税に逃げて、税がとれないとなると社
こと自体は別に否定されるものではない
会保険の方が保険料を上げても抵抗が少
し、状況が変われば、それに見合った改
ないので逃げたりしているのですね。逃
革を行うべきだと思います。また、一旦、
げているうちにどちらも倒れていくとい
行った改革でも、ドイツの場合のように、
う状況のなかで、松本先生が日本の社会
成果を生まないということであれば、も
保険を守る処方箋として考えていること
う一度見直すこともあっていいと思いま
はどんなことなのかなと思ったのですが、
す。
半ば、行政官でもおられるのでおっしゃ
ただし、一定期間が経つと、財政的な
りにくいこともあるかもしれませんが、
再見直しをして、それによってまた制度
あえて口を開いていただくとどんなとこ
が変わっていくことで、それが制度への
ろなのか、これはぜひ土田先生も含めて
不信感につながっているようであれば、
お聞かせ願えればと思います。
それは困ると思います。しかし、本来的
には、社会保険は一つの固定的なもので
司会(佐藤)
:
はなくて、時代とともに変わる仕組みで
非常に大きな球を投げられて、残り時
間は少ないとは思いつつ、非常に重要な
すから、修正自体はあまり否定的に考え
るべきではないと思います。
ポイントだと思います。実は最後に残し
連帯に基づく社会保障の必要性は、や
ていた質問用紙がありまして、「日本の
はり訴えていかないと、皆が自然に「連
社会保障制度はたびたびの修正変更を行
帯に基づく社会保障は必要だ」というよ
ってもうまく機能しない、信頼されない
うにはなっていかないと思います。
のはどうしてなのですか」というご質問
実は、昨年、土田先生にお願いしてド
を、特定の先生ではなくご質問ではなく
イツ大使館の企画による「ドイツ社会史
て、みなさまにというお話もありました。
展」を早稲田大学でやっていただきまし
ですので、それぞれのご報告の国の代
た。このような取り組みを通じて、社会
弁者として語っていただくもよし、一研
保障がなかった時代はどんな状況だった
究者として語っていただくもよしなので
のか、いかに苦労して社会保障の仕組み
すが、今、宮本先生が投げてくださった
がつくられてきたのか、そして今、これ
社会保険、社会保障をどう守っていくの
をいかにして維持しようとしているのか、
か、という観点から、本日の議論を土田
ということを常に訴えていかないと、連
先生も含めてそれぞれの先生なりにまと
帯や社会保障の必要性が広く理解される
めていっていただきたいと思います。
ことはなかなか難しいのではないかと思
どなたから手を挙げられますか。最初
います。
にしゃべっておいた方が楽かもしれませ
ん(笑)。
それから、財源の話ですが、私が言い
たかったことは「社会保険料を上げるの
- 43 -
年報 公共政策学
Vol. 7
が大変になってきたから税で」とか、
固な連帯が育まれていたと思っています。
「一般会計が大変だから社会保険料で」
最近のドイツの変化ですが、松本先生
ということではなく、社会保険のなかで、
が触れていましたが、疾病金庫がどんど
税財源でやるべきものと、保険料でやる
ん合併していき、自動車のフォルクスワ
べきものを整理する考え方を示し、それ
ーゲンと民営化された郵政のドイツポス
に基づき、投入すべき国庫補助額を示し
トの疾病金庫が一緒になるなど異業種間
ていかなければならないということです。
の合併が進んだ。そうすると金庫内の連
専門家の間でもそれを明らかにする努力
帯が明らかに弱くなっていくことになり
が必要ではないかと思います。
ます。
司会(佐藤)
:
では、金庫内の連帯から国民全体への連
そういう変化に対して、ドイツの議論
では、土田先生の手が上がりましたの
で、お願いします。
帯へとどんどん変わっていくということ
を言っていますが、本当にそうなのか。
私は実態とは異なると思っています。そ
土田:
んなに簡単な問題ではないだろうと思っ
連帯の話が出たのですが、私は最初の
ています。そうした組合方式の状況を日
宮本先生のコメントを聞いたときに触れ
本で見た場合、健保組合は協会けんぽや
ておきたいと思ったことがあります。そ
国保よりも得をしているということでマ
れは社会保障における連帯は非常に重要
イナスイメージが強くなり、保険料率も
ですが、社会保険は連帯を育みやすいと
高くなってきています。私は加藤先生と
いうことです。
同じく社会保険については守旧派なので
ドイツの場合は同じ職業、職場なりで
すが、健保組合が協会けんぽに移ったり
医療保険組織をつくっていったわけです
する状況に対して、一体健保組合が支え
から、同質性が担保されていたので、連
てきた連帯ということはどうなるかとい
帯も強かったということです。医療保険
うことは常に気になります。
者としての疾病金庫における連帯は、ド
そういう傾向は強まっていくときに、
イツの社会保障の一つの基礎になってい
何が大事かというと、宮本先生が触れた
ます。年金保険については企業単位では
教育だと思うのです。特に、年金の場合
なく、世代間連帯、つまり、高齢者に対
は世代間連帯が強くなってきますが、ド
して若い人が保険料を払う、自分たちが
イツでは学校教育できちんと教えていく
年とってきたら次の世代の人が払うとい
と聞いたことがあります。日本でも昔は
うことが基礎になっています。1950年代
子どもが親をずっと支えていかなければ
改革のときに、世代間連帯を福祉国家の
ならないということがあったのですが、
基礎におくということになり、年金保険
それを現在は社会的な世代間扶養で支え
と医療保険は、連帯の基礎は異なってい
ているということの重要性をきちんと教
るけれども、社会保険というところで強
えていく。医療保険についてもそういう
- 44 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
ことを教えていくということで、健保組
司会(佐藤)
:
合はもう少し連帯のメリットを維持して
ありがとうございます。盛り上がって
いく、そうした社会的意義をおさらいし
きたところで時間が残り少なくなってき
ていく教育も必要ではないかと思ってい
ましたが、ごめんなさい、少しだけ延び
ます。
ます。
もう一つ触れたいと思ったのは、先ほ
どから就労連携的な福祉の充実を強化し
加藤:
ていくというお話がありましたが、確か
信頼性の問題と財源の問題ですが、私
にそうなのですが、それについて私は若
は割と一体になっているのではないかと
干のマイナスイメージを持っています。
考えています。先ほど、国民健康保険は
ハルツ改革を見た場合に、どういう仕事
ノーベル賞級のアイデアだと言いました
であれ、ミニ・ジョブなど何らかの仕事
が、同時に税金と保険料の境を無くして
に就けば生活が保障されることになるの
しまった一体改革だということで、オヤ
ですが、そこでは自分の仕事が変わるケ
ジギャグ的に言わせてもらうと、宮本先
ースが多くなります。
生に非常に失礼な物言いになるかもしれ
つまり自分が何をしたいか、どういう
職歴や資格をもっているかということで
ませんが、「社会保障と税の一体どこが
改革なのだ」ということです(笑)。
職業を選択する、そこでは「ベルーフ」
というのは、フランスは CSG を入れ
つまり天職ともいうべき職業概念があっ
るときに、国民連帯と職域連帯と区分け
たのが、もう何でもいい、とにかく1ユ
をするのですね。要するに所得のない高
ーロジョブで、自分に関係のない単純な
齢者とか、医療の提供を十分に受けられ
仕事をしたとしても生活を保障すべきで
ない貧困者の存在というのは、職域連帯
はないかということは、生活保障と仕事
ではなくて、国民的連帯の結果として、
が分離してしまうのですね。人が生きて
救済というか手を差し伸べられなければ
いくことは仕事をすることだと言うと言
いけないのだろうと。それは保険料では
い過ぎかもしれませんが、そうした仕事
なくて税金だというのが、どうやらフラ
をする、働くという意味がそこから失せ
ンスの考え方で、それはいろいろな分野
ていくことになります。そのことをもっ
で広がっていく可能性があるのですが、
と重視しなければならないと思っていま
年金の部分についてはおそらく最低限の
す。単に仕事さえ与えられれば生活が保
ところは税金でいいだろうが、それ以上
障されるというだけで、そういう就労型
の部分、従前所得の保障というところは、
福祉を単純に進めるわけにはいかないの
当然保険料により職域連帯でやるべきだ
ではないかと思っています。そこのとこ
ということについては、おそらくまだ固
ろを一言触れたいということです。
い信念が残っていて、フランスは今後し
ばらく続くのではないかと思っています。
それはある意味、財政規律の問題にも反
- 45 -
年報 公共政策学
Vol. 7
映して、職域連帯は同じような仕事をして
だから何%程度補助すると、大ざっぱな
いるからみんなで助け合おうという発想な
制度への補助という形で実現している。
のですが、それは逆に言うと、自分たちは
実際、国民健康保険に対する国庫補助は、
これぐらいしか払えないから、こういう給
かつては給付費の 3 分の 2 ほどになって
付で我慢しようという理屈でもあって、フ
いました。保険料で全部賄えるのであれ
ランスの職域連帯は逆に平等の発想をとっ
ば社会保険はいらないですね。誰もが、
ていないのだと思うのです。
自分の保険料で給付が賄えるのであれば、
日本の連帯は国民連帯、平等志向で、
民間でもできるのですから。
そこに重きを置きすぎた結果、今税金と
社会保険として皆保険、皆年金を維持
保険料との区分けをどうするかというと
するということは、所得の低い人が社会
ころが非常に曖昧になっている。それが
保険に参加できるような国庫負担の入れ
日本の不幸で、実は国民健康保険とか、
方をしなければならない。国際的に見て
国民年金をつくったときに、国民皆年金
も日本の税収は低いですから、日本では
という意味では素晴らしいアイデアだっ
税の方を上げて社会保険を税で補強する
たのですが、そのときに少し財源の、区
ようなかたちで皆保険、皆年金を維持す
分けというか、整理の仕方が見えなくな
るべきだと思っています。
ってしまったということなのかと考えて
います。
イギリスの社会保障の問題ばかり指摘
しすぎたようですが、NHS という医療
保障の方はうまくやっていまして、これ
司会(佐藤)
:
は税方式です。北欧も税財源で医療が提
では一圓先生、お願いします。
供されていますが、北欧は県税(比例
税)を徴収して県が医療を提供している
一圓:
ようで、ある意味では地域保険であると
信頼されないというのは本当にさびし
考えられなくはありません。地域で強固
いのですが、国民健康保険による皆保険
な連帯が保てることが、信頼・安心を確
がノーベル賞ものだというのは本当にそ
保する重要な要素ではないかと思います。
う思っています。今、非正規雇用が多く
て、社会保険が成り立たないと言ってい
司会(佐藤)
:
ますが、皆保険にしろ、皆年金にしろ、
ありがとうございます。大きなボール
ほとんど現金収入のない農村の人たちを
に対する回答が玉になって返ってきたと
全部、被保険者にして制度を実施したわ
ころで、さすがにそろそろおしまいにし
けですね。
なければならないのですが、ここでボー
よく考えたら素晴らしい制度です。そ
ルを投げてくださった宮本先生に、まと
のやり方は所得の少ない人に就労連携型
めと各先生のコメントに対する返しを合
の保険料納付みたいな形で明確な補助を
わせてしていただこうかと思います。す
するのではなく、財源が十分でない制度
みません、突然のムチャブリになってし
- 46 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
まいましたが(笑)、よろしくお願いい
司会(佐藤)
:
たします。
宮本先生、ありがとうございます。
本日は長時間にわたり、「諸外国にお
宮本:
ける社会保障改革-福祉レジームの新し
ひたすら、勉強になったというところ
いかたち」ということで、シンポジウム
です。おそらく、今日のパネラーは中年
にご参加、本当にありがとうございまし
以上ということで、会場には若い方がい
た。
て「社会保険を強調すると、また連中に
諸外国におけるというかたちで、各国、
とって得なのではないか」という疑惑も
スウェーデン、イギリス、フランス、ド
招きかねないのですが(笑)、おそらく
イツということで集まっていただいたわ
年金を含めて必ずしも若い人にとって損
けですが、どこかの国というより確実に
になっていないと思いますが、そこはき
日本の先生方にご報告いただき、改革と
ちんと確かめる必要があろうかと思いま
して何を日本として学ぶか、成功例なの
す。そのためにも、選挙が近づいていま
か失敗例なのか、まさにこれから注目し
すが、シルバーデモクラシーを脱却する
ていかなければならないことだと思いま
ことがとても大切なことです。0 歳から
す。
30歳までの人口は全体の44%で、もちろ
今日は、国内外で著名な先生方ばかり
ん20歳まで投票権がないせいもあります
で、私も「ああ、揃っている」というミ
が、得票に顕れているのは30%なのです
ーハーな気持ちで、論文だったり教科書
ね。65歳以上は人口比では30%なのに
だったり、いつもお名前をお見かけする
40%の得票になっているということです。
先生方でしたので、本当に嬉しく思って
おそらく今度の選挙もこうした大きな問
います。北海道大学公共政策大学院で、
題もかかわってくると思いますので、こ
これだけのシンポジウムを開かれたとい
れからは民主主義の回路を常に活性化し
うことで、本当にご準備から何から大変
続けていくことが連帯の原理を深め広げ
だったと思いますし、土曜日のこの忙し
ることにかかわっているのだろうと思い
い時期にお集まりのみなさん方、本当に
ます。
ありがとうございました。
いずれにしても多様な国の多様な話だ
みなさま自身と本日のパネラーに拍手
ったのですが、最後のところでは一つの
ということで、シンポジウムを終わらせ
日本の直面している共通のテーマになり
ていただきたいと思います。本当にあり
ました。ムチャブリの話になりましたが、
がとうございました。<拍手>
見事に収斂してきたと思います(笑)。
大変勉強になりました。どうもありがと
うございました。
- 47 -
年報 公共政策学
Vol. 7
参考資料
- 48 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 49 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 50 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 51 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 52 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 53 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 54 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 55 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 56 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 57 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 58 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 59 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 60 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 61 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 62 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 63 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 64 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 65 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 66 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 67 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 68 -
シンポジウム I:諸外国における社会保障改革
- 69 -
年報 公共政策学
Vol. 7
- 70 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
シンポジウム II:
北海道ダイアログ 東アジアにおける市民社会対話
21世紀最大の成長地域として注目を集めている東アジアであるが、凄まじい経済成
長を遂げていると同時に、伝統的、非伝統的な脅威をも多く抱えている。分裂国家や
領土問題が軍事衝突を惹起する可能性がある一方、SARS や鳥インフルエンザのよう
な新型感染病が国境を超え、急速広がる地域でもある。さらには、経済成長とグロー
バリゼーションがもたらす構造的な疲弊や歪みがガバナンス能力を弱体化させ、社会
構成(social fabric)をすり砕こうとしている。これらの課題をそれぞれの国や地域が
取り上げようとしながらも、紛争に煽られやすい閉鎖的なナショナリズムに捉われか
ねない。今日の東アジアには既存の枠組みを超える知的対話が必要である。それは、
国家や市場から自律性を持った「市民」による対話であり、またはその「市民像」を
ともに思考し、創出するダイアログである。北海道ダイアログはまさにそのような目
的を持ったシンポジウムである。
以下はこのシンポジウムにおいて発表された五つの論文を掲載する。
・報告
台湾環境運動の発展:環境正義の観点
邱
花妹 (台湾中山大学社会学系助理教授) ······················· P.72
台湾労働組合が直面している挑戦
邱 毓斌 (屏東教育大学社会発展系特任准教授) ··················· P.85
マイクロブログから見る輿論の市民社会
崔 衛平 (北京電影学院元教授) ································ P.97
韓国の国家―市民社会の変化と社会運動の挑戦
チョ・ヒヨン
(民主化のための全国教授協議会常任議長
聖公会大学 NGO 大学院長) ·· P.105
韓国における女性学:歴史的軌跡とポジショナリティ
(Korean Women’s Studies: Historical Paths and Positionality)
イ・ナヨン (中央大学校社会学科教授) ························· P.131
- 71 -
年報 公共政策学
Vol. 7
■ 報告
台湾環境運動の発展:環境正義の観点
台湾中山大学社会学系助理教授
邱
花妹
Hua-Mei Chiu, Assistant Professor, Sun Yat-sen University Taiwan
一.
序言
このような発展の起因は、国家技術官僚
が国際環境保護運動と永続発展理論の勃
1987 年 に 『 我 ら の 共 有 す る 未 来 』
興を意識したことにあるだけでなく、そ
(Our Common Future)が出版されて以来、
れは政府の国内における継続的に起った
「永続発展」は徐々に国際間の環境理論
環境運動に対する一つの対応でもある。
の主流となってくる。経済発展と環境保
同時に、企業からも1990年代から環境保
護との間は必ずしも調和が取れないもの
護の論述を開始し、環境管理システム或
ではないことを前提に、各国において経
いは環境汚染改善技術を導入し始めた。
済発展の緑化工程(greening of develop-
しかし、このような環境保護論述が日増
ment)が展開され、法令や政治面におけ
しに主流化となりつつある趨勢の下にお
る管理の枠組みの調整ないし環境争議の
いても、近年台湾の環境運動は緩やかに
処理など、程度の差こそあれ制度的な動
なることがなく、反対に益々激化する様
きが見られた。それと同時に、企業も永
相を呈する。国家の重点的な扶植産業で
続発展の列車に乗り込み、緑色技術の応
ある二大産業―電子工業と石油化学工業
用や環境管理システムの導入などの戦略
の拡張計画と汚染問題は、環境運動の激
を 通 じ て 「 緑 色 」 資 本 主 義 ( green
しい質疑と挑戦を受けることになる。環
capitalism)への追求を目的とすると誓
境運動の動能(capacity)、運動と国家・
う。環境保護はもはや環境保護運動家の
資本間との衝突形態、運動自身が提起し
一人芝居ではなく、いわゆる環境制度化
た対抗性理論なども、それまでとは異な
(environmental institutionalisation)と資本
る展開を提示する。
緑化(greening of capitalism)の政治面・
何故に政府・企業が日増しに環境保護
経済面の趨勢の下で、それまで国家や企
と永続発展を重視する姿勢を取っている
業と対立してきた環境運動家は、各形式
ようなのに、環境衝突は反対に激化する
の環境決策体系に参与する機会を手に入
のか。本文は台湾における環境運動の勃
れ、更に緑色企業が認定する利害関係人
興と発展という脈絡の下で、一歩進んで
( stakeholder ) に も な り 得 た の で あ る
反電子汚染と科学園拡張の運動を例に、
(Dryzk 1997,Carter 2001)。
近年環境運動の行動者、策略と理論など
他国と同じように、台湾は1980年代か
の各方面の変容を説明し、環境と社会正
ら環境議題主流化の過程を経験してきた。
義の観点から環境衝突における激化趨勢
- 72 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
に対する解釈を提起したい。
東アジアにおける市民社会対話
よる生態環境の破壊への反対、環境の悪
果・分配の不平に対する抗議、長い間経
二.
台湾の環境運動の勃興と発展
済発展と環境政策の決議から除外された
ことに対する不満などにある(何明修
台湾の環境運動の勃興についての研究
2006)。
の大多数は、1980年代からの政治民主化
前述で触れたように、台湾の政府と企
及び各種社会運動と同時に起った草の根
業はそれぞれ1980年代後期及び1990年代
反汚染運動、保育運動及び1980年代後期
から環境制度化及び資本緑化の工程を展
1)
に起った反核運動(Hsiao 1999) に集中
開したが、政府の制度面による環境問題
している。社会運動者の角度から環境運
の対処或いは企業の選択的な環境改善の
動の勃興に対する解釈では、研究者が見
動きは、環境問題の減少或いは環境運動
た運動の主体は汚染に対して耐え切れな
の後退を意味するものではない。生産と
い被害者となる草の根の民衆であり(蕭
消費活動が絶えず空気汚染・水質汚染・
新煌1988、李丁讚・林文源2000、何明修
廃棄物の排出などの異なる形式の環境悪
2006)、「反公害の皮を被る」被害者農漁
化をもたらすほか、踵を接してやってき
2)
民(劉華真2010) 、自己の価値感と理
た開発案が原因で台湾の限られた自然資
念に基づき保育運動と反核運動を主導す
源と環境はもはや資本主義の拡張の需要
る学者や専門家、環境保護組織に参与す
が満足できるものではなくなった。生産
る中産階級の知識人ないし1980年代の党
条件である土地、水、エネルギー源が不
外人士或いは反対党の政治人物である
足の状況で、政府と企業主導の各種開発
(Hsiao 1999、Hsiao and Tseng 1999、何明
案はいっそう海辺と山間部へと推進する。
修2006)。政治経済の発展の脈絡から見
工業地区、ダム、廃棄物埋立施設や焼却
れば、環境運動の勃興要因は「権威資本
炉が生態の敏感区域まで攻め込み、台湾
主義」に対する挑戦であり、資本拡張に
生態環境の積載能力(carrying capacity)
のボトム・ラインを探り出そうとしてい
1)
行動者の認知を分析するに当たり、
Hsiao(1999)は台湾環境運動を三つの支
流に分類した。(1)被害者意識から立
ち上がった反汚染運動 (2)自然環境
の悪化を意識し発起した保育運動
(3)公共の安全に注目し発起した反核
運動(:32)
2) 劉華真(2010)は過去地方の住民と称され
た草の根の行動者は、その過半数は「反
公害の皮を被る」農漁民被害者で、彼ら
の行動目的は反汚染だけでなく、自らの
自然資源使用権及び配置権が工業部門に
よって掠奪されることへの抵抗でもある
と指摘した。
た。それによって幾たびの反開発の運動
が引き起こされた。
1986年の鹿港における反杜邦運動及び
1987年の後勁における反五軽運動以来、
「予防原則」(prevention principle)に基
づく新開発計画の反対運動は持続的に台
湾の重大な環境争議となっている。この
運動は開発案の自然資源に対する搾取を
反対し、開発案に付随して発生する環境
の悪果は環境及び人体の健康に厳しい衝
撃を与えると質疑する。運動は常に敏感
- 73 -
年報 公共政策学
Vol. 7
な生態地区(例えば湿地など)や絶滅危
ができたのである(例えば環境活動家を
惧種(シロイルカ、クロツラヘラサギな
国家永続発展委員会委員や環評委員に任
ど)の保護及び工業汚染の予防などと関
命するなど)。また例えば長年の抗争を
連性を有するため、性質の異なる環境運
続けてきた美濃のダム反対運動も、第一
動や保育運動がそこで結び付けられたの
次政党交替の後にとうとう不成功に終わ
である。
った。しかし極力反商のイメージからの
全体的に言えば、1980年代後期以来、
脱出を図る民進党は、施政面においては
台湾の環境運動は環境主流化、政治民主
国民党が1980年代後期以来の経済自由化
化及び経済自由化という幾つかの趨勢の
政策の継続を選択し、大型資本と企業に
下で成長してきたものである。
積極的に歩み寄った(Ho 2005)。争議
まずは、国内環境保護運動の圧力と国
によっては執政者は環境運動と資本の力
際環境保護の趨勢の影響下、1986年に台
の引き合いの間で逡巡し、決策が反覆す
湾で初めて「環保署」が設立され、1992
ることもある。その最も典型的な例とし
年に「公害糾紛処理法」が成立された。
ては、核四(第四原発)建設停止令の事
更に1994年には「環境影響評估法」と
件であろう。2000年民進党が政権を握っ
「野生動物保育法」が成立し、1997年に
た後に直ちに核四の建設停止令を下した
は「国家永続発展委員会」が設立された。
が、程なく企業の圧力に耐え切れず再び
各決策機関も体制内の参与空間の一部を
建設再開を公布したのである。
公開したため、環境影響評価の過程は各
更に、資本のグローバル化と自由化、
種の反開発運動の重要な戦いの場となっ
脱統制化という大きな趨勢の下で、個人
たのである。
の資本が台湾の選挙、政治、経済発展政
時を同じくして、政治民主化過程も環
策に与える影響は益々大きくなる。資本
境運動に部分の政治機会を与えた。環境
は拡張に急ぎ、また主要政党がみんな開
議題が台湾の選挙と政党政治に入り込ん
発主義を信奉する状況の中で、2000年政
だのである。1980年代後期から1990年代
党交替後の台湾では生態環境の負荷を遥
の全期間を通じて、環境運動は地方政権
かに超えるような開発案が絶え間なく登
を獲得した、或いは地方選出を果たした
場した。「緑色矽島」(電子工業)、
「両兆
民進党の政治人物と提携関係を結び、宜
双星」
(電子工業)
、「大温暖大投資」(石
蘭・台南・屏東における六軽、浜南工業
油化学工業・鋼鉄業)などの開発政策の
区(七軽も含む)の進出の阻止に成功し
支持を得て、電子工業や石油化学工業な
たのである。2000年になると民進党は中
どの国家策略型産業は、近年は益々限ら
央政権を獲得し、台湾は初めての政党交
れた土地と水資源を蚕食鯨呑し、同時に
替を経験することになる。権威統治時代
工業資本の拡張や汚染に対する反対運動
からすでに社会運動と盟友関係にあった
を引き起こした。この他に、政府が推し
民進党は一部の機会を開放したため、環
進めた道路開発やダム、人工湖、引水工
境運動は政治決策の中心に接近すること
事などの公共企画、個人資本による海岸
- 74 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
線私有化計画も、再三保育運動の反対に
と略称される)を成立させた。その後、
遭 う。 311東日 本大震 災( 福島原 発事
台湾電子産業が国際分業への整合に成功
故)後、原子力発電が再び重大な環境争
したことに従い、経済的な成功に「高い
議となり、長い間低迷していた反核運動
科学技術と低い汚染」の社会意向も加わ
は新しい動力を獲得し、たちどころに社
り、竹科図式は台湾で高く評価され支持
会での支持率は上昇し、積極行動者の様
を得た。政府の投資と運営によって科学
相も多元化していた。
園区は台湾で継続的に拡張し、中部科学
全体的に言えば、台湾社会は政府と企
園区(中科)と南部科学園区(南科)は
業が環境保護措置の導入や永続発展の言
それぞれ1996年と2003年に設立された。
論の頻繁使用を体験し確認してきたとは
この三大科学園区は引き続き基地を新設
言え、各種の開発計画の押し寄せ、空気
し、現時点では台湾全土には11の基地を
汚染や水質・廃棄物問題の未解決、経済
擁し、4400ヘクタールを超える土地の規
発展と環境保護の決策体系における権力
模を占める。その中、水の需要量の高く
構造の不均衡などの状況の下で、環境運
化学の使用が最も密集する半導体と光電
動は近年益々激しくなる趨勢が見られる。
産業の生産額は、1993年と2003年にそれ
反電子汚染と科学園区拡張の運動を例と
ぞれパソコン及びその周辺産業を超え、
して取り上げ、本文は台湾の新たな環境
園区内の二大産業となった。2007年にな
運動の変貌について簡単に論述し、何故
ると、半導体と光電産業の合計は科学園
に環境衝突は激化する趨勢に向かうのか、
区の生産総額の九割を占め、雇用者数は
解釈を試みたい。
園区の八割五分をしめた(Chiu 2010)。
半導体業の急速な成長に伴い、竹科は
三.
反電子汚染と科学園区拡張運動
1990年代中期になると半導体工場の火事
が頻発し、1997年に科学園区の廃水の不
考えてみれば、台湾政府が1970年代後
法放出が地方の記者と地域の住民によっ
期から全力的に電子産業と科学園区を扶
て発覚された。それまで「高い科学技術、
植してきたことは、発展型国家
低い汚染」
、「環境保護の模範生」と誉れ
(developmental state)における経済発展
高かった竹科は、周辺地域の住民の挑戦
を緑化する(greening)強い意向をかな
に直面することになり、「高い科学技術
り表明している。産業のアップグレード、
に高い汚染」という対抗的な言論も登場
高い付加価値・高い科学技術・低い汚染
した。地方の環境保護活動家の継続的な
の産業を扶植すべく、台湾政府は1970年
遊説と圧力の下で、新竹科学園区管理局
代後期から電子産業を中心とするいわゆ
(科管局)は1998年に最初の環境報告書
る「ハイテク業」を扶植し、科学の発展
を出版し、その管理機関である「国家科
という名を以って、アメリカのシリコ
学委員会」(国科会)は1999年末に学者、
ン・バレーの経験を借り、1980年に台湾
専門家、地方環境保護団体、住民、企業
の最初の科学園区(新竹科学園区、竹科
ないし政府の代表をも網羅する監督機関
- 75 -
年報 公共政策学
Vol. 7
の「竹科環境監督小組」を成立させた。
際には監督の遂行も汚染源の確定も困
反電子汚染の運動も1997年から1999年の
難)の設立や「敦親睦隣」活動の継続的
萌芽期から2000年~2005年の体制・監督
推進、住民(竹科の雇用者も含む)の糾
と も に 困 難 な 時 期 に 突 入 し た ( Chiu
合が難しいこと、地方の環境保護組織の
2010、杜文岺、邱花妹2011、Chiu 2011)。
人力と資源が限られていることなど、竹
事実上、2005年より以前の電子汚染は
科汚染問題は未だ社会全体の注目を引く
非常に地方的な環境議題であった。経済
ことがなく、地方の運動も往々にして住
面の成功と清潔な産業イメージによって
民の不満への対応や汚染の改善に留まる
竹科の汚染問題は隠蔽されたのである。
ことが多く、電子資本と科学園区全体の
最も重要なのは、環境保護の法規は電子
発展に対してより深刻より鋭い批判を提
製品製造過程の急速な変化に追いつかず、
起することはできなかった。
住民の慨嘆は工場主の違法や汚染に関す
2000年中期以降、民進党の緑色矽島及
る科学的な証拠を掴めないため、訴えよ
び両兆双星政策の下で、政府は電子資本
うがなかった。1999年末に環境監督小組
のための土地・水資源の確保を一段と進
が設立された後でも、竹科の汚染問題は
み、科学園区の拡張に努めた。竹科廃水
全体的な調査と研究が欠けていた。権力
排出地にあたる香山湿地の牡蠣の重金属
構造が不均衡の状況下、健康リスクに対
汚染が漁業署の研究によって確認された
する評価なども含める地方環境保護団体
ことや、中科廃水による農田の塩化、中
の諸訴求は、立案されることのないまま
科竹科両地付近の空気ヒ素汚染、甲級飲
に終わってしまった。ある期間の体制へ
用水水源である霄裡渓が二大光電工場か
の参与を経た後、環境保護活動家は体制
ら汚染を受けていることなど、数件の電
の中に留まり多少の監督の役割を果たす
子汚染事件が浮上し、環境保護団体及び
か、或いは諦めて脱退するか、という選
被害者の農・漁民の不満を招来して、次
択の間で彷徨った。彼らは最終的には竹
から次へと反対運動を引き起こした。
科焼却炉建設の争議で正式に環境監督小
顧みれば、電子汚染と電子資本拡張に
組から離脱し、民衆運動に訴える形をと
対する反対運動が2005年以降になってか
った。一方、廃水の流出が原因で起った
ら相当程度の発展が見られたのは、民進
臭気問題なども含めた地域住民の環境問
党が提供した政治構造への参与機会と関
題に対する不満は、地下廃水管による近
係する。2005年、環境保護と永続発展へ
海放流が導入され、徐々に減少していっ
の重視を再度表明するため、民進党は環
た。
境保護のベテランで学者の張国龍を環保
全体的に言えば、多重な難題が残され
署署長に任命し、更にその後張は数名環
ていることが原因で、例えば汚染の排出
境保護運動の背景を持った学者、弁護士、
が環境保護法規に適合していること、汚
活動家を第六回「環境影響評估委員会」
染の摘発に科学的な証拠が欠けているこ
の委員に任命した。これはそれまでにな
と、竹科科管局による環境監督小組(実
かった、環境保護活動家の環評の審査及
- 76 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
び決策への実質的な参加となる3)。しか
を入手して、初めて科学園区と電子産業
し、彼らが実際に中科三期后里基地と七
拡張がもたらす環境、社会、健康に与え
星基地の環評審査に取り掛かると、企業
る衝撃を摘発することができた4)。その
企画時の日程に従い工場の設立や運営を
次に、決策体系への参与を通じて、環境
進めようとする政府と電子資本は、この
保護団体は決策とプロセスに関する様々
ような詳密な環評審査に耐えることがで
な不正義を摘発し、社会の支持を広げた。
きなくなった。環評委員は経済発展の障
更に、環評審査の過程は多数の環境保護
害物と批判され、行政院も公式や非公式
団体を非正式ではあるが一つの運動連盟
の形で環評に介入し、激しい社会論争を
への集結に向かわせた。これらの政治中
引き起こした。最後に、第六回環評委員
心地である台北で活動している団体は、
の任期内において中科三期后里基地と七
地方の環境保護団体と提携関係を結び、
星基地の大型開発案は「条件付きで通過
開発の情報を利害関係のある地域に流し
した」。蘇花高、彰工電廠、台塑大煉鋼
―特に土地の徴用を強要され、水の資源
廠などの争議の激しい重大投資案は懸案
が掠奪され、或いは汚染の危険性に直面
となり未解決のままに終わった。張国龍
する農漁民たちに―運動の草の根の基盤
の退陣後、環境保護運動の背景を持つ環
と社会基礎を拡大していった。最後に、
評委員は二年の任期を終えた後、留任す
政府が科学園区環評に対する堅持が保た
る人は一人もいなかった。
れた状況の下で、環境保護運動は環評審
運動の発展から見れば、環境保護活動
査過程で蓄積してきたエネルギーを利用
家が環評決策体制に加わったこの二年間
して、環評において条件付きで通過した
は、環境運動の能力(capacity)は高め
但書への書き込みを目指したり、健康リ
られた。まずは中科三期環評審査の過程
スク評価の実行の要求を提起し、環境監
で、環境保護活動家は制度的な参与を通
督小組を成立させたりなどして、新たな
じて、環評委員の権力を運用し関連情報
運動の場を展開させた。また政治的な圧
力をかけることによって、中科三期環評
3)
環評法によれば、環評委員は14名の専門
家と 7 名の政府側の当然代表から組織さ
れる。任期は二年で、開発案に対して審
査権と否決権を持つ。環保署署長は14名
の民間環評委員の任命権を持つが、政府
代表は中央の決策に従うのが通常である
ことから、このような権力構造は政府に
環評の結論に介入する空間を与えた。行
政院研考会の委託によって作成された研
究計画統計によれば、1998年から2009年
までの間、開発案が最終的に環評委員会
によって否決されたものは、僅か全数の
5.85 % に 過 ぎ な い ( 葉 俊 栄 ・ 張 文 貞
2010)。
の未解決の争議のための法律効力を有す
4)
- 77 -
南科と中科とも環評法施行後の1996年と
2003年に成立したものだが、どちらの開
発案も政府の計画日程の通りに、極めて
効率的に環評審査を通過した。1996年 1
月、当時の総統李登輝が自ら南科に赴き、
鍬入れ式を主宰した。式の24日後、南科
は条件付きで環評を通過し、その後多数
の未解決問題を残した(環保署文件
No.31160, 1996/06/18)。中科(一期二
期)は2003年に成立し、環評審査を通過
するのに三週間もかからなかった(Chiu
2010:142-3)。
年報 公共政策学
Vol. 7
る行政公聴会を国科会に行わせた。その
者は全国的或いは地域的な環境保護の専
公聴の資料は後に環境弁護士によって中
門家、弁護士、学者、地域の被害者とな
科三期環評無効の行政訴訟に計画的に使
る住民、農漁民、農民権益組織、学生な
用された。
いしフリーのメディア関係者をも含む。
全体的に言えば、科学園区の拡張と電
この運動は台湾近年の最も精力的に活動
子汚染に対抗する運動は、2000年中期以
してきた環境保護団体、例えば地球公民
来論争が断つことがなかった。近年の運
基金会(前身は高雄市教師会生態教育中
動は次の幾つかに分類することができよ
心と地球公民協会)、台湾環境行動網
う。(1)科学園区基地の新設に反対す
(2010年に地球公民基金会に吸収された)、
るものである。中科三期、中科四期、竹
台湾蛮野心足生態協会、看守台湾協会や
科宜蘭城南基地、竹科宜蘭紅柴林基地の
彰化県環保聯盟などをも巻き込んだ。ま
新設反対運動を含む。(2)科学園地に
た運動の過程は幾つかの新しい組織の誕
よる土地の取り込みと水源の確保への抵
生を促した。后里の農民は自救会の組織
抗運動である。中科四期による伝統農村
から地方の環境保護組織へと辿り、また
村落の相思寮に対する強制徴用に反対す
ボランティア活動として参加していた中
る運動や、中科四期による彰化渓州農民
科三期・四期の環評訴訟の弁護士たちは、
用水の強奪に反対する運動、竹科竹南基
2010年に正式に環境法律人協会を設立し
地による苗栗大埔農地の強制徴用に反対
た。もう一つの顕著な特徴としては、環
する運動がこれにあたる。(3)電子産
境運動と農民運動はこの運動を通じて提
業の危害やリスクを拒否する運動である。
携関係を結んだことである。科学園区の
光電工場に対し甲級水源である霄裡渓に
拡張は土地の取り込み、水源の奪取、空
与える汚染の停止を要求すること運動や、
気水質の汚染による農・漁業産品への悪
彰化雲林農漁民による中科四期の廃水放
影響などと関連し、これらの問題は農漁
出を拒否する運動である。(4)友達、
民の権益や永続農業の未来と深く関りを
宏碁などの電子資本に対して直接に抗議
持つ。「農村再生条例」に注目して2009
を行う運動である。
年に成立した「台湾農村陣線」も成立後
2005年以降の運動は、積極的な行動者
科学園区による土地の取り込みや水源奪
の様相は多元性を呈し、運動の社会的基
取に反対する運動に飛び込んでいた。
盤も大幅に増強してきた。運動策略も多
〈二〉行動者の多彩な様相は運動策略の
元化に向かい、現状に対する批判はより
多様化として現れた。運動の中では、体
強力なものとなり、環境及び社会正義の
制内への参与は常に体制外での抗議と同
視点から展開させた運動理論も益々明晰
時進行で行われた。中科三期・四期に対
となってきた。
する反対運動の過程では、環境保護団体
〈一〉行動者の構成から見れば、近年の
は草の根の農漁民と高いレベルで連結し
運動は社会基盤と社会の参与を間断なく
ていた。常に確認できる光景として、環
拡大する過程である。運動の積極的行動
評審査の進行中、農漁民は環評会会場外
- 78 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
まで稲、花、野菜、果物や牡蠣の殻など
ある。科学園区管理局が作り出した被覆
を運び抗議を行い、環評に体制内の論争
が存在したため、園区外の住民は汚染源
と体制外の草の根の抗議と両方の圧力を
を突き止める方法もなかった。しかし、
加えようとした。環境保護活動家と草の
霄裡渓が光電工場から汚染被害を受けて
根の農民の力の結合は、運動の在地知識
いる事実は、一部の運動のベクトルを加
(lay knowledge)への重視にも現れた。
害者である華映と友達に向かわせた。友
中科三期の環評及び行政公聴会における
達は汚染加害の現行犯で、中科三期・四
攻防戦では、環境保護の学者たちは農漁
期の主要投資企業でもあった5)。これは
民の在地の水文、気候、農業と土地使用
抗議運動の矛先が華映友達及びその仕入
の知識に結び付け、環評報告の偽りを暴
先である大手企業の宏碁にも向かってい
き、政府側が頼りにしてきたエリートた
た原因である。
2010年のもう一つの新しい展開は、政
ちの科学に挑戦した。
その他に、近年法律関係者の積極的な
府による電子産業の危害に対する取締り
参与も環境訴訟という新たな戦場を切り
の強化を図るべく、一部の環境保護団体
開いた。中科三期環評無効の訴訟は、
が法規の修正に加わったことである。近
2008年 1 月、2010年 1 月と立て続けに台
年の数度にわたる環境運動で明らかにな
北高等行政裁判所、最高行政裁判所にて
ったのは、環保法に反しないものは即ち
農民と環境保護団体側の勝訴判決が下さ
汚染ではないとは限らないことである。
れた。その結果、環保署と国科会は法令
電子産業の製造過程では複雑で多様な化
をねじ曲げ、矢継ぎばやに二次環評を通
学品を用い、しかも製品生産周期が短く
過させ、中科三期を窮状から救おうとし
製造過程も急速に変化する。「生産先行、
た。2012年10月台北高等行政裁判所にて
風険再議」(生産を先行させ、それに伴
中科四期の「開発許可」の撤廃判決が下
うリスクを考慮するのは後:訳者注)と
され、公民の訴訟が再び勝利を収めたが、
いう資本運営のロジックの下で、従来の
行政機関上訴後の結果は、今後の観察を
環保法規はすでに電子産業の危害が環境
待つことになる。
及び健康に与える衝撃を規範することは
なお、この運動は直接的に企業に対し
できなくなっている(Chiu 2010と2011、
挑戦を試みた初めてのものである。長い
杜文岺・邱花妹2011)6) 。中科三期・四
間、電子企業は科学園区という垣根の中
期の環評攻防戦の中で、企業は再三「企
で国家が提供する補助やインフラを享受
業機密」を理由に、原材料のリストの全
し、国家が工業用地や水道電気の取得、
廃棄物の処理などを代行し、更に垣根の
外側から来る抗議に対するガード役まで
担っていた。科学園区建設反対運動では、
公民団体の相手となった開発機構は科学
園区管理局及びその所属となる国科会で
5)
友達光電は2012年 3 月に、中科四期への
進出を断念すると公表した。
6) 例えば台湾の毒性化学物質管理弁法は
298種の毒性化学物質を管理下に置くが、
華映と友達はそれぞれ僅か13種と 3 種し
か申告していない。
- 79 -
年報 公共政策学
Vol. 7
面公開を拒否した。このことは運動団体
の生産と拡張の過程は環境の危害を生み
が極力提唱してきた環境及び健康リスク
出し、自然資源に対する搾取及び再分配
評価の実行を困難にした。そのため、法
の過程と見なされる。同時に、この過程
規の修正を通じて化学品の統制を完全な
は常に住民、第一産業生産者及び弱者な
ものにすることは、この運動の策略と目
る農漁民の生存環境、健康ないしその生
標の一つでもある。環境保護団体は2010
計を代価とする。更に、環評審査及び政
年以降から光電産業及び半導体産業の排
府が関連争議を処理する決策過程では、
水放出規制標準、毒性化学物質規制方法
利害関係者が充分に告知されず、弱者が
の修正に取り掛かることにした。
系統的に決策体系から除外されるなどの
一つ特筆に価するのは、台湾における
プロセスにおける不正義も数度にわたっ
この1990年代後期から登場した環境運動
て確認された。決策体系の中の権力不均
は、終始国際間における電子産業環境と
衡問題は、環境不正義のもう一つの側面
労働の正義に対する追求や毒性化学製品
を形成する。その他に、環境争議の過程
規制の改善を図る運動のネットワークに
では、行政体制は明らかに資本利益のほ
参与していたことである。環境保護団体
うに傾斜し、中科三期環評が裁判所によ
は2001年にアメリカの「矽谷毒物聯盟」
って無効と通告された後になっても、司
を交流のために日本へ招待し、その後の
法体系との対抗をも惜しまず、急速に環
2002 年 に 「 国 際 責 任 科 技 運 動 」
評の再審査を行い、中科三期をその場で
( International Campaign for Responsible
直ちに合法化させたのである。このこと
Technology, ICRT)の発起に参与し今日
は公民社会の不平等な発展図式に対する
に至る。電子資本の高度なグローバル化
強力な批判を引き起こした。
という環境では、台湾在地の運動は各段
全体的に言えば、この運動が言及した
階において国際運動のネットーワークの
「環境と社会の不正義」は少なくとも以
応援を得ていたし、運動の理論と策略に
下の幾つかの方面で現れる。(1)空気
おいても継続的に国際運動の理論と発展
汚染、水質汚染、廃棄物及び毒害リスク
から影響を受けている。
などの環境の危害の不平等分配。(2)
〈三〉最後に近年の論述について言えば、
不当の搾取と、限られた自然資源の再分
電子資本がもたらした環境と社会の不正
配。(3)発展政策が均衡性を持たず、
義こそが、近年の論述の核心である。近
特定企業に対する補助や保護が社会の不
年の運動は、電子汚染が環境及び住民の
公平を拡大した。(4)決策過程は、プ
健康に与える衝撃を暴くだけでなく、国
ロセスの正義と符合しない。(5)政府
家の電子産業に対する過度な補助、電子
が環境論争に対する立場は、明らかに資
資本のための土地の取り込み、水資源の
本側へ傾斜する。上述の分配の不均等や
掠奪、廃水による農漁民の生存基盤であ
プロセスにおける不正義の問題は、継続
る水源の汚染、永続農漁業の生きる機会
的に暴かれ論議され、更なる社会の不満
の抹殺などを力強く批判した。電子資本
を引き起こし、環境運動の正当性と社会
- 80 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
(treadmill of production thema)がある。
的基盤を強めた。
即ち、資本主義は自然資源への搾取
四.
(“withdrawls” from ecosystem)と廃気物
何故に環境衝突は断たないか
の 生 態 系 へ の 廃 棄 ( pollution as
近年の経済発展の急ピッチの中、台湾
“additions” to ecosystem)によって資本の
環境運動は、国家略策型産業の電子産業
蓄 積 を 行 い ( Schnaiberg, Pellow and
及び石油化学産業の拡張、海岸や山林な
Weinberg 2002:20)、それが絶えない環
どの自然資源の私有化、不当の水資源の
境衝突を引き起こす(Schnaiberg, Gould
開発ないし道路建築などの公共事業を反
1994)。台湾の環境運動は、生態環境の
対してきた。全体的に言えば、この対抗
超過負荷に対する政治的対応で、「予防
性を持つ環境運動は台湾では益々激化す
原則」から拡張反対と汚染拒否の環境運
る趨勢を見せている。電子汚染と科学園
動を行い、根本的な部分から政府と企業
区拡張の反対運動から見れば、この運動
の経済発展の図式に挑戦し、それが原因
が2005年以降になって形成されてきた規
で政府と資本利益と調合しがたい衝突へ
模と影響力、政府と資本主導の開発図式
と陥ったのである。
に対する抵抗、更に環境と社会正義の視
その次に、近年の環境運動は台湾公民
野から提起した批判の強力さなどは、ど
社会の分配不均衡問題の持続悪化に対す
れをとっても運動早期のものを遥かに超
る不満を反映している。電子汚染と園区
えていた。環境の制度化と資本の緑化と
拡張に反対する運動を見れば、公民社会
いう趨勢の下で、何故環境衝突は益々激
が抱えていた不満は次のようなものを含
化するのか。
んでいる。即ち国民全体の税金で大型資
本文では次のように考える。まず、運
本に対して過度の補助を行うこと、弱者
動を激化に導いた要因は、資本主義内部
である農漁民の土地や水源を強制徴用し
の矛盾と衝突にある。環境衝突が途切れ
大型資本を扶植、弱者をこの上弱体化さ
ることなく発展することは「資本主義の
せること、環境の危害は不平に農漁民の
第 二 の 矛 盾 」( second contradiction of
労働及び生活の場へと分配すること、汚
production)の分析に近いものである。
染は民衆の健康及び食品の安全に害を及
即ち資本主義が絶えず自然資源の搾取と
ぼし、現世代と次世代の永続農業とその
資本の蓄積を追求すると同時に、生態環
他の発展の権利を奪うこと、などである。
境の危機も作り出し、体系における欠か
次から次へと続く開発案は生態環境及
せることのできない「生産条件」
び弱者に対するある種の強奪であり、運
(condition of production)をも破壊し、環
動の論述は「野蛮なる遊戯」(廖本全
境運動の発生はこの体系経済―生態危機
2009)と強く批判した。電子産業のみで
に 対 す る 政 治 的 な 対 応 ( O’Connor
なく、石油化学産業の拡張に対する反対
1998)である。これと近い分析のものと
運動(国光石化反対運動など)でも、中
しては「生産苦力磨坊」のテーマ
産階級(環境運動家、学者弁護士、都市
- 81 -
年報 公共政策学
Vol. 7
部の中産階級)、弱者である農漁民と若
諸手段を取らせることになる。近年、中
者や学生が行動を以って政府と資本主導
科三期案から台東美麗湾リゾート地
の開発案に反対し、環境や社会、世代正
BOT 争議案まで、台湾では何度も行政
義に適切な異なる発展の図式を求めるこ
体系が裁判所の判決結果の執行を拒否し、
とを確認することができる(邱花妹
強制的に環評の再審査を行い違法の開発
2011)。 近年の 運動の 激化 は、異 なる
案を現地において無理やり通過させたと
「発展」の意識形態間の衝突と理解する
いう理不尽な事件が起った。中科三期の
こともできる。これは台湾公民社会がよ
り環境、社会と世代正義に適切な発展に
対する追求の具体的な実践でもある。
争議では、環保署は新聞告示まで掲載し、
「無効用・無意義・破壊環評体制」(機能
しない・意義を持たない・環評体制に対
更に、近年の環境衝突の激化原因とし
する破壊行為:訳者注)と裁判所の判決
て、政府の決策及び環境争議に対する対
を糾弾した。7)この行為は台湾の司法威信
応も明らかに資本利益側に傾斜していた
ないし憲政体制を損い、そのため公民社
ことも挙げられる。近年の発展で明白に
会の更なる強い批判を引き起こした。8)
最後に本文で指摘したいのは、企業が
なったのは、政治民主化、経済自由化及
び環境主流化の三つの大きい趨勢の下で、
自然資源の有限性、住民と弱者による汚
台湾のポスト権威/ポスト発展型国家の
染悪果の負担や民衆の知る権利などの厳
政府は、経済発展と環境保護のバランサ
しい問題を回避し、ただ選択的に環境の
ーの役割を果たすことができなくなり、
改善を行うことは、衝突を緩和するのに
永続理論は空洞化し環境民主も形式的に
何の役にも立たないことである。台湾業
陥り、政府全体の粗雑な開発主義と資本
界の模範生となる電子産業を例に挙げる
利益に対する迎合という事実を隠蔽する
と、大型電子工場は1990年代から環境管
こともできなくなる。環境争議が発生す
理 シ ス テ ム ( 関 連 部 署 の 設 立 、 ISO
るたび、政府の決策は包み隠すことなく
14001の取得、OHSAS 18001環境の作成、
大型資本と財団利益に傾き、このことは
工安管理認証)を導入し、工業安全、汚
常に公民社会の国家に対する不満を刺激
染防止、エネルギー節約設備(例えば台
し、環境運動の正当性と社会的基盤を広
湾半導体公司は廃水の高回収率で有名)
げた。
例えば、環評の過程では数度にわたっ
7)
て環境民主の形式化、情報公開の不足、
決策過程における利害関係者の除外、専
門家の独断、政府各機関の代表による環
評の結果操作への介入などの諸問題が暴
8)
かれた(徐世栄・許紹峰2001、杜文岺
2010)。これらの問題は環境運動を更な
る激しい体制内の排斥と体制外の抗争等
- 82 -
2010年 2 月10日、環保署は100万近くの
金額を使って台湾の五大新聞紙に半紙サ
イズの広告を掲載した。広告では裁判所
の判決を批判し、同時に各業界からの判
決執行要請を振り切った。
例えば600名近くの法律関係者と弁護士
は「法律人による厳正なる声明、司法の
尊厳が行政機関によって踏み躙られるこ
とは許せない」旨の連署を行い、環保署
の判決執行と中科三期工事の停止を呼び
掛けた。
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
など、国際レベルの環境保護基準に符合
実を覆い隠すことはできない。本文は、
するようと積極的に動き出し、しかも公
台湾環境衝突の激化は、公民社会が政府
共関係においても環境保護と関連する活
と企業主導の発展図式に対する政治的対
動を取り入れた。だが、企業によって行
応であり、また公民社会がより環境、社
われたこのような選択的な環境改善は、
会と世代正義に適合した発展図式を追及
在地の住民が直面する汚染、資源の枯渇
する政治的な実践でもあると指摘したい。
と分配の不平などの諸問題には対応して
近い将来、異なる発展の図式と発展のビ
いなかった。友達光電を最も皮肉な例と
ジョンの間の価値に関する争いは、継続
して取り上げてもよかろう。友達光電は
的に様々な環境衝突を生み出し、環境と
近年積極的に環境保護に取り組み、2008
社会正義の視角からの分析は、より頻繁
年に「友達の緑色約束」を提起し、様々
に台湾環境運動の枠組みづくりの核心理
な近代的な環境管理システムを取り入れ、
論に用いられる可能性は高い。
認証の獲得、自主的に企業の責任報告書
を提出し、緑色工場の建設への投資も行
参 考 文 献
った。これらの行動によって友達は年々
台湾の主な経済誌と環保署主催の企業責
1
任及び環境保護の賞を獲得していた。だ
が同時に、友達は霄裡渓の汚染源で中科
三期の主な利用者である。環境運動の批
2
判と抗議に直面した時、友達はほとんど
の場合は政府という盾の後ろに隠れるこ
3
とを選択した。
五. 結論
台湾は1980年代後期以降、政治民主化、
経済自由化と環境主流化の発展を経て、
4
5
国内の環境抗議と国際間の永続発展の流
れの影響を受け、台湾の政治と経済部門
は環境制度化や資本緑化などの様々な改
6
善を取り組んできた。しかし、政府によ
って進められた形式的な環境政策決定の
7
民主化や企業の選択的な環境改善の動き
は、継続的な資本拡張による自然生態環
境の悪化や住民及び環境健康に与える負
8
の影響、更に弱者の一層弱体化という事
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シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
■ 報告
台湾労働組合が直面している挑戦
屏東教育大学社会発展系特任准教授
邱
毓斌
I はじめに
ことを、断言している。上記の現状とは
以下の通りである。2012年の平均賃金は
2012年 9 月、台湾行政院院会(内閣会
1998年のレベルに後退した 1)。台湾は全
議)は「労工委員会(労工部)基本賃金
世界の主な工業化国家の中で、2007年か
審議委員会」が出した基本賃金を上げる
ら2010年まで実質的な賃金が後退した国
という結論を覆し、景気が回復するまで
である 2)。貧富の差が拡大し、最も豊か
無期限に基本月給を凍結すると決議した。
である20%の家庭と最も貧しい20%の家
これは労働基準法が施行されて30年弱以
庭の収入の差が2002年の6.39倍から2009
来、行政院が初めて基本賃金を上げるこ
年の8.22倍まで上がった 3)。近年、労働
とを否決した例である。このことは、法
者運動とその他の社会運動は綿密な批判
定の基本賃金審議制度(労、使、政及び
と抗議を行なっていた。もっとも、現在
学者により構成される)の瓦解を宣告し
まで、このような抗議は馬英九政府が新
たことと等しい。10月に、馬英九政府は
自由主義の経済政策を深め続ける決心を
中国にある台湾企業を台湾に戻って投資
揺さぶることはできていない。
するよう誘い込み、労働法令の規制を緩
本稿は、労働組合の運動史の角度から
和することを発表した。後者は、企業に
上記の労働者抗議の歴史的な由来とその
より多くの移住労働者(外労)を使うこ
限界を分析する。市民社会の重要な一環
とを認め、定期労働契約の期限を 1 年か
である台湾の労働組合運動は、労働者が
ら 2 年に延長し、加工輸出地域に類似す
目前に直面している危機を十分に意識し、
るいわゆる「経済特区」を設立すること
労働者が遭う不公平な待遇をも力惜しま
を含む。さらに、12月に、経済部が開い
ず指摘しているが、労働の現場あるいは
た「全国経済発展会議」は、移住労働者
全国レベルで国や資本に対して有力な反
の給料を基本賃金の規制から脱却させる
撃を出すことができていない。過去の国
こと、弾力的な労働時間、残業の制限を
民党による権威統治が残した労働組合制
緩和することなどの政策提案を作成した。
行政院は 3 か月以内でこれに対する具体
的な政策の対応を講じることを承諾した。
驚くべきことに、馬英九政府は、この
一連の政策の発展が、台湾の被用者の賃
金が毎年衰退している現状を改善できる
1) 「主計總處:上班族月薪 倒退回14年前」
聯合報2012年10月23日
2) US
Department
of
Labor,
2012,
International Labor Comparisons.
3) 「8.22倍!台灣原始貧富差距飆新高」聯
合報2010年 8 月20日
- 85 -
年報 公共政策学
Vol. 7
度の遺産、及び民進党政権の労働組合運
「全総」という)に加入するよう要求し
動への介入が、台湾の労働組合運動の組
た。国民党は、一方では全総に経費やそ
織と拡張する能力を制限しているため、
の他の資源上の支持を与え、一方では全
台湾の労働組合は、新自由主義の攻撃に
総の人事を厳しくコントロールした。
反抗するために効果的に組織や動員する
もう一つの巧妙な措置は、労働者を 2
ことができないと思われる。本稿の結論
種類の形態でしか組織できないという規
として、労働組合運動が上記の苦境を突
定である。第一種すなわち「産業労働組
破する可能性を検証し指摘する。
合(industrial union)」とは、30人以上を
雇用している同一の工場または会社にお
II 権威時代の労働組合制度
いて成立する労働組合である。よって、
この類型の労働組合が「産業労働組合」
一般的に、労働者を研究する学者は、
と呼ばれるのは有名無実である。なぜな
国民党による権威統治時代の労働者政策
らば、労働組合法は労働者が産業または
を「国家統合主義」(state corporatism)
業種単位で組織することを認めないから
4)
と定義する 。1949年以後に台湾に移転
である。労働研究や労働者運動に関する
した国民党政権は、労働組合の適法性を
分野において、このような労働組合は
否定しなかった。逆に、国民党政権は労
「 廠 場 労 働 組 合 ( company- or factory-
働組合の成立を促し、これらを党や企業
based unions, CFBU)」と呼ばれる。第二
のコントロールの下に置くとともに、全
種 す な わ ち 「 職 業 労 働 組 合 ( occupa-
ての労働組合が唯一の公式の労働組合総
tional union)」とは、固定的な雇用主が
連合である「中華民国全国総工会
いない労働者、自営業者及び小型の企業
(China Federation of Labor, CFL)」(以下、
(10人以下)の労働者のために設立した
労働組合である。その実際の機能は、国
4)
Hsu, Cheng-kuang, 1988, ‘Corporatist
Control and Labor Movement in Taiwan.’
Paper presented at the Conference on NorthEast Asia in the World Perspective, May,
1988, Taegu, Korea;Huang, Chang-Ling,
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1999, Labor Militancy and the Neomercantilist Development Experience: South
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dissertation of Department of Political
Science, University of Chicago; Ho, Mingsho, 2006, “Challenging State Corporatism:
The Politics of Taiwan's Labor Federation
Movement ,” China Journal 56: 107-127.
の労働者保険を代行する組織である。労
働者保険法の規定によると、10人以上の
企業は企業単位で、労働者のために労働
保険をかけなければならない 5)。労働保
険は国民党権威統治時代における最も重
要な社会保険である。一方、10人以下の
企業の労働者及び自営業者は、職業によ
って住所地の職業労働組合に参加し、こ
れによってはじめて労働保険の資格を得
ることができる。保険料を代理して受け
5)
- 86 -
1988年の改正によって、同規定は、5 人
以上の企業はその職員のために労働保険
をかけなければならないとなった。
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
取ることができ、かつ国から代理の手数
組合を成立させようとする同じ会社また
料をもらえる一方、会員数の確保にも困
は工場にいる労働者にとっては、決して
らない(職業労働組合に参加しなければ
簡単ではない。なぜならば、重大な労使
労働保険やその後の健康保険を加入でき
紛争がない限り、同じ会社にいる30人の
ないからである)。したがって、職業労
労働者が、すでに存在している労働組合
働組合は、長い間、雇用主や政治家に支
に加入せず、新たに労働組合を成立させ
配され、労働者の権益にはほぼ関心がな
るために集まることは、彼らが直接に資
いのみならず、国民党政権の揺るぎない
本家や管理層と衝突することになり、非
支持者でもあった。要するに、廠場労働
常に難しいからである。したがって、図
組合の会員は、集団の労働権益により関
1 のとおり、職業労働組合の組織率・労
心を寄せ、民主化過程において集団行動
働組合数・会員数は廠場労働組合よりは
者になった。これに対し、多くの職業労
るかに多い。
働組合は、現在まで政治や産業の間柄に
よって、上記のような、国民党による
おいて保守的な性格を持ってきた。たと
労働組合組織に関する制度上の設計は、
え多くの会員の労働条件が極めて悪くて
労働者人口を巧妙に 3 つの層に分けた。
も、保守的な労働組合のリーダーたちは
すなわち、(a)廠場労働組合に適用でき
会員を守るような政策をとらなかった。
る30人以上の労働者を有する企業(約 3
ところで、業種別の労働組合ないし業種
割の労働者人口)、(b)労働保険や健康
間の労働組合のような、国際的に普通な
保険のために職業労働組合に加入せざる
労働組合形態は認められなかった。
を得ない、労働者10人以下の企業または
さらに、労働組合法は、労働組合を成
自営業者(約 5 割)、(c)労働者数が30
立する最低人数は30人の雇用者であるこ
人未満、10人以上の企業の職員(約 2
とを定めた。この規定は、職業労働組合
割)であるが、このうち(c)は、実質
の成立には問題にならないが、廠場労働
的に労働組合を組織する権利が剥奪され
図1. 台湾労働組合組織率:1989-2009(資料:行政院労委会労工統計年報)
- 87 -
年報 公共政策学
Vol. 7
た。したがって、1980年代の政治制度転
力、及びパターナリスティックな管理主
換期において現れた自主的労働運動の源
義への挑戦である。1987年と1988年の旅
は、主に(a)の中の労働者数が100人を
客輸送業と台鉄のストライキ及び南部の
超える会社で働く被用者であり、全労働
石油化学業のストライキは、政府や資本
者の14%しか占めていなかった。それ以
家に未曾有の圧力をかけた。実際に、当
外の労働者は、労働保険の資格を得るた
時の集団行動騒動(ストライキ、サボタ
めに職業労働組合に加入するか、制度上、
ージュ、抗議等)は、製造業以外のメデ
労働組合を成立させる権利が剥奪された。
ィア・病院・銀行・空港その他のサービ
ス業界の雇用者にまで拡大した。このよ
III 台湾における自主的労働運動の勃興
うな行動を通じて、労働者は集団組織の
重要性を徐々に認識していった。すでに
顧みると、1980年代半ばの自主的労働
労働組合が存在していた工場の職員は、
運動の勃興には 2 つの要素が働いた。ま
自身の所属している労働組合がただのお
ずは権威政体の緩みである。1980年代前
飾りであり、資本家か党に支配されてい
半から、台湾社会は国民党の権威統制か
ることに気付いた。ゆえに、労働者は改
ら徐々に脱却していった。一方では、
選を通じて、このような「閹鶏(去勢さ
様々な自力救済的な抗争が現れ、他方で
れた鶏)労働組合」を真の労働者の組織
は、国民党の独裁が政治的な反対運動や
に改造した。労働組合が存在しなかった
社会運動により挑戦された。この政治的
会社では、労働者は労働組合を成立させ
な転換の核心は、1986年の民進党の成立
はじめた。この「労働組合組織化運動」
及び1987年の戒厳の解除である。これに
は、より多くの労働者に集団的な組織に
より、長い間、抑制されていた労働者は
よる保障を与えた。1989年の 1 年間で、
集団行動を行う空間を獲得し、従来、資
104の新労働組合が成立し、会員数が 3
本家が一方的に決める労使体制に挑戦す
万人増えた。しかしながら、自主的労働
ることができるようになった。次は1984
運動がまだ新しい方向を探しだしていな
年に、アメリカの圧力によって制定され
いうちに、国や資本家の逆襲はやってき
た労働基準法である。従来、雇用主の意
た。
思によって決められた労働条件(例えば、
環境コストを外部化し、労働コストを
賃金、労働時間、残業代、労働契約、解
抑えることは資本家の習慣であるため、
雇等)がはじめて法律によって体系的に
1980年代の環境保護運動と労働運動は資
規範化された。このことは、労働者の長
本家に一定程度の圧力をかけた。李登輝
い間の不満に法律上の根拠を提供した。
政権初期の不安定な政局は、資本家に投
戒厳を解除した後の労働争議の第一波
資環境の悪化について集団的にクレーム
は、3 種類の労働課題を含んでいた。す
するチャンスを与えた。彼らは、社会運
なわち、労働基準法により規範化された
動における「脱秩序行為」を整序するよ
残業代と解雇手当、賃金調整のための努
う要求した。1988年の末から、台湾の資
- 88 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
本家は集団行動の波を打ち出した。すな
おいて、労働運動が受けた鎮圧は最も厳
わち、様々な同業組合・工業総会・商業
しいと言える。1989年から1994年まで、
総会は、集団の名義を用いて、マスコミ
300人以上の労働組合の幹部が解雇され、
を通じて政府に対する不満を表明し、政
40人以上の幹部または組織者が起訴され、
府が社会の秩序の乱れの解決に無能であ
刑罰を科された。この一連の鎮圧は、研
ることを公然に非難した。この圧力のピ
究者に「帝国大反撃」と呼ばれ 7)、当時
ークは、台塑集団が環境保護運動と労働
の労働運動を一定程度威嚇した。その結
運動の高騰を理由に、1989年 1 月、台湾
果、1991年の労使紛争の数は激減した一
での人事を凍結し、投資を中止すると公
方、労働組合の活動も大きく緩やかにな
表したことである 6)。
った。そこで、廠場労働組合の弱点が余
資本家をなだめて懐柔するために、当
すことなく露呈することとなった。すな
時の李登輝政権にとって最も可能な、迅
わち、中小企業の激増や仕事場の分割
速な対応は、社会運動とりわけ労働運動
(例えば、台塑・統一・大同ないし公営
の鎮圧であった。総統府から行政院・司
の公売局の各支社でそれぞれの労働組合
法院・経済部・法務部・高検署・警政署
が成立した)によって、廠場労働組合の
までは、集中的に様々な特別会議を開き、
平均的な規模は大きくないし、1990年の
労使紛争に対する公的権力以外の力〔外
平均的な会員数はわずか519人しかいな
力〕を排除し、公的権力を貫徹すること
かった。このような規模と資源を持って、
を表明した。したがって、戒厳が解除さ
1 つの工場で公的機関と長期的に対抗す
れた後の旅客輸送業のストライキ騒動及
ることは決して簡単ではない。当時、自
び1989年 5 月の遠東化織労働組合ストラ
主的労働運動内部において、その組織形
イキは、真っ先な打撃の標的となった。
態について反省し始めた。すなわち、廠
一連の労働組合の幹部が解雇されまたは
場労働組合は製造工場のなかで力不足で
起訴されることによって、多くの活動的
あるのみならず、日々増加しているサー
な労働組合は消えてしまった。1990年に
ビス業界の労働者を組織するにも不利で
李登輝は、元参謀総長である郝柏村を首
ある。ゆえに、1990年代前半、多くの労
相と任命し、「社運チンピラ」を打撃す
働組合の幹部が製造工場に戻り、労働組
ることを宣言し、社会運動のなかの活動
合の戦力がしだいに低減し、労働組合の
的な人物を「チンピラ」として管理する
一次的な目標は生き延びることになった。
ことにした。民主化が遅れて進んでいる
多数の解雇された幹部は、職員ではなく
他の国に比べると、台湾の労働運動が受
なったため、会員の身分も失った。廠場
けた鎮圧はそれほど厳しくなかったと言
労働組合に加入できないので、いまだに
える。しかし、台湾の社会運動の流れに
7)
6) 「台塑重新評估國内投資‧凍結人事」聯合
報1989年 1 月31日。
- 89 -
呉乃徳・廖錦桂「帝國大反擊:解雇工會
幹部、勞資關係和階級衝突」中央研究院
勞動市場與勞資關係研討會(台北・
1991)。
年報 公共政策学
Vol. 7
労働運動団体で活躍している少数の一部
ら400である。
を除き、労働組合の幹部であった人の多
第 2 の力は公営企業からなるものであ
くは労働運動を辞退せざるを得なくなっ
る。一部の公営企業の労働組合の分会は、
た。
1980年代の末にすでに集団的な行動をし、
公営企業の不合理的な管理と人事制度に
IV 民主化以後の労働運動
挑戦した。しかしながら、多数の公営企
業の労働組合総会は依然として国民党に
1990年代半ばに入り、2 つの力が自主
支配されていた。1991年に行政院は正式
的労働組合に参加した。第 1 の力は、県
に私有化政策を推進し始め、公営企業の
市レベルの「産業総労働組合」である。
職員に危機感を覚えさせた。その結果、
各地の廠場労働組合は、労働組合の力が
その後、いくつかの大きな労働組合は改
普遍的に弱いという弱点を克服するため
選される際に、いずれも基層的な労働者
に、労働組合の間の相互援助に頼るよう
が当選し、よって国民党や公的機関によ
になった。このような労働組合の間の団
る支配から脱却した。これらの労働組合
結的な行動は二重の意義を有する。まず
は、私有化が落ちぶれて国の財産を安売
はこれによって親政府の全国総労働組合
りし、利益を図る事業または党営事業と
体系(全総の地方にある会員労働組合は
なった、と批判した。一方で、これらの
県市「総労働組合」と呼ばれる)の独占
労働組合は、他の民営企業の労働組合と
的な地位を破り、廠場労働組合が地方政
提携や協力の関係をもちはじめた。
治に対する影響力を高め、個別の労働組
台湾では、1996年から総統の直接選挙
合が臨んでいる問題の解決を協力するこ
制が導入された。従来の非民主的な中央
とである。また、これによって経済のグ
民意機関も民主的な選挙によって選出さ
ローバリゼーションによる産業の移行問
れるようになった。政治の民主化と政党
題に対応する。資本の流出による倒産や
の競争は、自主的労働組合が国の機関に
大量の人員削減は、絶えない集団的な労
鎮圧されるリスクを下げた。県市の産業
使紛争を引き起こした。かかる失業者は、
労働組合総会及び大手公営企業は、労働
通常労働組合に所属していないため、多
運動の指導的な地位を占めるようになっ
数の労働組合以外の力〔外力〕からの協
た。以上の 2 つの力による膨大な会員数
力を必要とする。産業総労働組合の設立
は、労働者の投票を手に入れようとする
は、集団の力を借りて彼らの闘争の協力
政治家に労働組合と対話する意欲を喚起
に資する。政府によるその法的地位の承
させた。これらの労働組合の幹部は、総
認をもらえないものの、1994年の台北県
体的に現実主義的な傾向を見せた。1990
産業総労働組合から発足し、2000年に至
年前後の失敗の経験は、彼らに組織の生
って合計10県市において産業総労働組合
存を優先的に考え、現有の会員の利益を
が成立した。それらに所属する会員労働
保障することを前提とするようにさせた。
組合(廠場労働組合)数はおよそ350か
先人の経験を生かし、これらの労働組合
- 90 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
は、相対的に念入りな政治戦略を採るよ
成立した。自ら成立大会に出席すること
うになった。例えば、国会や政党に対す
を要請した総統の当選者である陳水扁は、
る遊説、政治的な取引、公聴会、記者会
成立大会で挨拶をした際に、全産総の法
見などがある。デモや抗議などは依然と
的地位を認めると宣言した。よって、台
してよく使われる手段であるが、その多
湾において50年以上持続していた単一的
くの対象は政府機関になった。ストライ
な総労働組合体制は歴史になった 8)。
キのような労使関係と直接に衝突する産
もっとも、上記のような発展は、依然
業行動は、労働組合の日程表からしだい
として国民党の権威統治時代が残した遺
に消えていった。戒厳が解除された後現
産の下にあり、現実主義志向の廠場労働
れた第 1 代目の労働組合の幹部と比べる
組合主義である。全産総は、その資源の
と、新しい労働組合の幹部は廠場労働組
限界に鑑みると、2 種類の事務にしか注
合の枠組みにより深く関わるようになっ
力できない。第 1 に、各労働組合に関わ
た。「現有の会員のために」というのは、
る個別の訴求である。第 2 に、普遍性が
労働組合活動の最高準則となった。2000
ありながら各労働組合に関わる労働者の
年に成立した「全国産業総工会」(略
課題である。例えば、労働時間の短縮、
称 : 全 産 総 、 Taiwan Confederation of
労働組合法の改正などがある。簡単に言
Trade Unions, TCTU)は、まさに上記の
えば、リーダー階層の個人的な政治資源
ような労働組合に関する想定に基づいて
と見える親国民党の全総に比べると、こ
設立されたものである。
の新しい総労働組合は、相対的に各労働
1997年 7 月、8 つの県市の産総と 8 つ
組合の即刻の訴求に積極的に答えられる。
の全国的な大型の労働組合(うち 7 つは
このような性質は、1990年代末期の反民
公営企業の労働組合)は、新しい全国レ
営化運動がボトルネック段階に入ること
ベルの総労働組合を成立することを決め
にしたがって、さらに目立つようになっ
た。これによって労委会と全国総工会へ
た。各公営企業にとって、異なる私有化
の更なる挑戦を図った。準備の過程にお
日程表があり、異なる省庁に所管される
いて、合計28万人の会員を有するこれら
ため、協力して私有化政策に対抗するこ
の労働組合は、一定の動員の実力を見せ
とが困難である。したがって、個別の事
た。例えば、1998年のメーデーの「新社
業の労働者権益の保障について協商する
会の夢」デモは、2 万 5 千人労働者の参
ことを主として、現実主義的な行動戦略
加という空前の記録を樹立した。また、
に移転した。公営企業に対し、私営企業
翌年のメーデーでは、「台湾を踏破して
反失業」を標語として、10の県市におい
て同時にデモを起こした。このような動
8)
員の実力は、2000年の激しい総統選挙に
おいて各政治陣営に重視された。3 年の
準備を経て、2000年 5 月 1 日に全産総は
- 91 -
同年、他に成立した 3 つの全国レベルの
総労働組合のいずれも、旧有の全国総工
会から分裂してきたものである。これら
の保守的な総労働組合の分裂または再編
によって、現時点では13の全国レベルの
総労働組合がある。
年報 公共政策学
Vol. 7
が直面する挑戦は、個別の工場のパター
つかの独立な労働組合と連合し、相対的
ナリスティックな管理階層のみならず、
に緩い連盟団体である「団結工聯」10)を
新自由主義的な労働政策の影響からなる
設立した。よって、全産総は、自主的労
ものもある。後者は、労働の弾性化や非
働運動におけるリーダーの地位をしだい
典型的な雇用などがある。したがって、
に失っていった。
公営企業の労働組合と私営企業の労働組
合との両方の需要を均衡に満たすことが、
V
経済グローバリゼーションからの挑
戦に対応できない廠場労働組合形態
全産総内部の団結を求める前提であるこ
とは、明らかである。
1990年代半ばからの自主的労働運動は、
しかしながら、このような均衡は、
2003年全産総の改選の際から失なわれ始
政治的影響力や若干の議題(例えば、労
めた。民進党政権は、全産総の新しいリ
働基準法の拡張適用や失業保険の確立な
ーダー階層が支配されうるものであるこ
ど)において一定程度成長してきたが、
とを望んでいるからである。したがって、
組織の能力においてはひたすら衰退して
労働者事務を主管する労委会は、全産総
きた。過去20年、廠場労働組合のような、
の改選に介入した。行政上の資源からの
資本家にその組織の能力を決められる労
協力を受け、民進党が気に入った候補者
働組合形態は、組織率・労働組合の数・
は、一部の労働組合の支持を得ることや、
会員数が低下し続けた。廠場労働組合の
いくつかの保守的な公営企業の労働組合
全ての会員数が労働者数のわずか6.8%
に全産総を加入させることに成功した。
しか占めず、1 %未満の企業にしか労働
最後に、民進党の候補者は激しい競争の
組合が存在しない。
組 織率の 衰退 に最も 重要 な原因 は、
なかで、自主派候補者を打ち破った。こ
れらの大手公営企業(または元公営企
「古いものが去り、新しいものが来な
業)の労働組合は、全産総の議事日程を
い」ということにある。会員であった人
9)
しだいに主導しはじめ 、民進党政権に
は、工場の廃業や解雇などのような事情
対する批判を弱めた。そこで、私営企業
に遭った途端、再び廠場労働組合の会員
の労働組合を主体とする県市の産総の全
になることは不可能である一方、新たに
産総に対する不満は次第に高まっていっ
廠場労働組合を成立しようとすれば、命
た。最後に、労働派遣や無給休暇など労
知らずな30人の同僚とグルになって資本
働弾性化議題について全産総の力を尽く
家に対抗しなければならない。言い換え
さない行為に抗議するために、いくつか
の県市の産総は、2005年から次々と全産
総から脱退して、2007年に、ほかのいく
9)
全産総が成立した初期に、会員労働組合
のなかで、わずか 7 つが公営企業からな
るものであった。現時点では15である。
10) 団結工聯の成員は、全産総から脱却した
台南県産総・高雄県産総・台北市産総、
全産総に加入しなかった台南県産総、自
主労働連合と台塑関連企業の労働組合聯
合会、及びいまだに全産総会員である中
華電信労働組合・宜蘭県産総・苗栗県産
総・新竹県産総を含む。
- 92 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
れば、国外の労働者は労働組合に加入し
政府や資本家は、上記の労働者のいずれ
ようとすれば、かかる産業の労働組合を
も「補充的な労働力」であり、「労働力
選んで申請表を記入するだけで済むのに
不足」に対応するためのやむを得ない措
対し、台湾の労働者の場合であれば、一
置であると公言している。しかしながら、
群の人を集めて蜂起してはじめて労働組
実際、44万人の移住してきた労働者と60
合を成立することが可能になる。また、
万人の派遣労働者は、以前から一部の産
廠場労働組合の構造に鑑みれば、労働組
業において「代替的な労働力」となって
合は現有の会員にのみ関心を持っている。
いた。移住労働者と派遣労働者は、製造
なぜならば、他の工場の労働者はともか
業と建築業に低廉な労働コストを提供し
く、同じ工場の派遣社員でさえ労働組合
続け、全世界の分業体系にある電子産業
に加入することが認められていないから
にも、自由に指揮できる弾力的な労働力
である。さらに、法律が認めていないの
を提供した。自由化以後の金融や通信サ
みならず、労働組合の会員は、上記のよ
ービス業は、激しい市場競争に鑑み、大
うな加入が自らの労働組合とは無関係で
量な正式ポストを労働派遣に変えた。ま
あると考える。したがって、たとえ全国
た、社会福祉や介護システムにおける欠
レベルの総労働組合が成立したといって
員問題を解決するために、家庭介護の移
も、長年の制度上の慣習にしたがって、
住労働者を引き入れた。さらに、政府が
台湾の廠場労働組合は、「組織」より
財政の赤字を穴埋めるために人事の予算
「サービス」のほうに傾いている。労働
を凍結することによって、公的機関は全
組合のリーダー階層は、労働組合の組織
国最大の派遣労働者の使用者となった。
率の低下を無視しているわけではなく、
多くの最前線の公共サービスにおいて、
多くの業種に労働組合がないという現象
このような不安定かつ低廉な労働力は主
にも苦慮しているが、経験や理想像に限
役になった。「企業のコストの低減」や
界があるため、いまだ効果的な対応措置
「小さな政府」といった論理に基づく雇
11)
を施すことができていない 。
用関係は、「移住労働は奴隷労働者のご
廠場労働組合を主な形態とする自主的
とく」のような人権迫害の原因となるの
労働運動は、明らかに経済グローバリゼ
みならず、公共サービスの質の劣化、さ
ーションによる衝撃に積極的に対応する
らに台湾の賃金が停滞している原因の 1
ことができない。また、下層のサービス
つでもある。上記の状況は、民進党の政
業界の労働者や非典型的な労働者、移住
権によって緩和されていない。民進党政
してきた労働者のような、新興の労働者
権の際に(2000−2008年)、確かにいくつ
グループを組織する能力をも有しない。
かの制度が規制緩和され、自主的労働運
動が参加できるようになったし(例えば、
11) 邱毓斌「台灣自主工運組織策略的歷史侷
限:對工會領導階層的分析」『社會運動
的年代:晚近二十年的台灣公民社會』
(群學出版社・2011)
新たに成立した全産総の代表は労働者保
険基金審議委員会または基本賃金審議委
員会に参加できるなど)、国民党政権の
- 93 -
年報 公共政策学
Vol. 7
下で違法であった全産総の適法性を認め
た。観察で分かった 1 つの結果は、2003
たが、労働者年金改革において、労働者
年から現在まで、いくつかの年のメーデ
運動によって主張された「付加年金制」
ーに大規模な全国動員の抗議行動がなか
を採用せず、より保守的な「個人口座
ったことである。十分かつ有力な抵抗が
制」を採用した。上記の問題は、2008年
ないため、2008年以前の国民党であれ、
に国民党政権が復活してから現在まで、
2008年以後の民進党であれ、野党は労働
加速して悪化してきた。新自由主義の攻
者権益の保護について口約束しかせずに、
撃、及び馬英九政府の中国市場に対する
与党政権に挑戦するどころか、利益を得
極端な依存は、労働者の労働条件をさら
ている資本家階層への挑戦すらしない。
よ っ て 、 如 何 に 「 organize the unor-
に悪化させた。注意する必要があるのは、
2000年から、民進党政府と国民党政府は
ganized」するかが、台湾労働運動の肝
労働派遣の勃興を許容し、企業側による
心な議題となる。2012年の労働組合法の
一方的な「無給休暇」措置を放任するよ
改正は、新しい制度上のチャンスを提供
うになった。これは、台湾の 2 つの主流
した。
の政党の労働基準法に対する態度が一致
していることに等しい。すなわち、労働
VI
基準を緩和するという目標がいまだ達成
結論:労働者の新しい組織のチャン
スと挑戦
できていない場合、資本家による労働基
準法の違反を黙認する。
2010年 5 月 1 日に、政府は労働組合法
主流の 2 つの政党とも右翼であり、資
の改正案を公布した。その中で最も重要
本家集団に親善する状況の下で、台湾の
な改正は、労働組合の組織形態が従来の
労働運動は、以下のような苦境に直面し
2 種類から 3 種類に変わったことである。
ていた。すなわち、政治の力からの援助
すなわち、従来の産業労働組合(廠場労
を欠きながら、労働運動は資本家と国の
働組合)は名を変えて企業労働組合とな
新自由主義的な攻撃に抵抗しがたい。個
り、職業労働組合は変更がなく、新たに
別的な労働アリーナの議題を主な関心と
設 け ら れ た 産 業 労 働 組 合 ( industrial
する廠場労働組合は、新自由主義の政策
union)は、同じ業種において、異なる
が労働組合の日程表に入ることを拒絶し
労働場所や行政区域の労働者によって成
がたい。言い換えれば、新自由主義の攻
立しうるようになった。もう 1 つの重要
撃を受ける多くの労働者は、集団行動を
な改正は、教師には、ストライキ権は依
して抵抗するところか、組織されること
然として与えられないが、労働組合を設
すらなかった。この苦境は、唯一の自主
立する権利が与えられたことである。中
性が高い総労働組合である全産総は、民
小企業、学校、異なる労働場所にいる労
進党に介入されて戦闘力が下がった以後
働者のように、従来、労働組合を設立で
に、より明らかになった。すなわち、こ
きなかった労働者にとって、ようやく団
の全国レベルの動員網は機能しなくなっ
結する機会が出てきた。
- 94 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
過去の 2 年間で、小中学校の教師、幼
全国レベルの総労働組合の多くは保守的
稚園の職員、電子産業のエンジニア、警
であるため、組織のエンジンという役は
備員、大学教師、大型量販店の職員など
より積極的な県市の産業総労働組合とな
が労働組合をつくった。しかしながら、
った。しかしながら、県市の総労働組合
12)
小中学校の教師の労働組合を除き 、新
が有する組織の資源はより限界的である。
しい産業労働組合は力が弱く、組織力の
第 2 の挑戦は、十分な組織に関する知
成長が非常に限界的である。これによっ
識 や 技 術 ( organizing knowledge and
て明らかに分かったのは、台湾の労働運
skill)が欠けていることである。組織の
動が直面しているいくつかの重要な挑戦
仕事には一定の知識と技術が必要となる。
である。第 1 に、誰が新しい労働組合を
例えば、組織の目標を如何に選定するか、
組織するか。制度の規制緩和は、草の根
企業または産業に対する研究を如何に行
のような労働者が自主的に労働組合をつ
うか、適当な組織のテクニックを如何に
くることを保障しない。国際的な経験に
選ぶかなどである。これについて、一定
鑑みると、いまだ組織されていない労働
程度の経験の蓄積が必要であるが、台湾
者を動員し労働組合を加入させるには、
の廠場労働組合は、過去に製造工場を超
現有の労働組合の人力と資源を利用して
えた範囲における組織経験を有せず、現
組織しなければならない。過去20年間、
在までの経験でも、製造業と一部のサー
全世界の労働運動が直面してきた共通の
ビス業界(例えば銀行)に限定されてい
問題は、現存の労働組合が、現有の会員
る。2010年の労働組合法の改正が制度上
にサービスを提供しながら潜在的な会員
の規制緩和を行ったため、台湾の労働組
を組織する際に、如何に資源を分配する
合は他の国の労働組合のように、如何に
か、ということである。多くの国の労働
積極的に組織を行うことによって組織に
組合は、現有の会員にサービスを提供す
関する十分な知識とテクニックを蓄積で
ることをより重視するといったモデルを
きるか、ということを勉強し始める必要
やめ、より多くの労働者に組合に加入し
がある。2011年 8 月に、全国金融業工会
てもらうという仕事を強化し始めた。こ
聯 合 会 ( Taiwan Federation of Financial
の問題は、台湾においてより深刻である。
Unions)及び中華電信工会(Chung-hwa
Telecom Workers’ Union)は、香港職工
12) 従来、教師は労働組合法ではなく、教師
法に基づいて、県市レベルの教師会を作
ることしかできなかった。2010年労働組
合法の改正後、全国の県市の教師会が県
市レベルの教師労働組合に転換し、全国
教師労働組合総聯合会(全教総、
National Federation of Teachers' Unions,
NFTU)が成立した。現時点の会員数は
約10万人がいる。もっとも、全教総は全
産総や団結工聯に加入していない。
会 聯 盟 ( Hong Kong Confederation of
Trade Unions)を招き、組織のテクニッ
クに関する研修コースを開いた。これは
まさに、国際的な組織経験を学ぶことに
よって、台湾の労働運動の組織面の不足
を克服するための努力の 1 つであろう。
第 3 の挑戦は、集団交渉への制限とス
トライキへの制限である。民進党と国民
- 95 -
年報 公共政策学
Vol. 7
党のいずれも、「労働三法(労働組合法、
ろん、現状に対する不満や政治家に対す
労資争議処理法、団体協約法)」の2012
る怒りは、必ずしも労働組合の組織率に
年の改正が自らの功績であると宣言して
直接に転換するわけではない。台湾の労
いる。しかしながら、上記の法令を詳し
働運動は、目前の機会を掴み、労働組合
く検討すると、いくつかの面において労
の組織率を高め、戦闘力を強めなければ
働者の集団行動により多くの制限を設け
ならない。これは、未来の台湾の労働運
たことがわかる。例えば、労使紛争の事
動の実力の強さに関わるのみならず、台
項が、労働契約のような法律によって保
湾将来の経済の発展が、現在の低賃金の
障される事項であれば、ストライキを行
産業形態から脱却できるか否かに関わっ
うことができず、訴訟であらそわなけれ
ている。
ばならない。労働条件の調整に関する事
項のみが、ストライキを行う理由となり
うる。一部の業種のストライキ権は、新
しい改正案によって制限され(水、電力、
ガス、病院、金融)ないし禁止された
(教師)。さらに、新しい団体協約法は、
労使双方が団体協約を結ぶ機会を高めた
わけではない。産業労働組合は、ある労
働場所の過半数の労働者に加入させなけ
れば、集団交渉の資格を有しない。これ
は、多くの新興的、労働組合の組織率が
低いサービス業界にとって、到底、達成
不可能な目標である。
楽観視すれば、労働法令の改正はまっ
たく評価できるものではないが、労働組
合の組織範囲と視野が個別の会社を超え
ることが可能となった。また、社会にお
いて労働組合の発展に有利な土壌はより
肥沃になった。公衆は貧富の差の拡大及
び賃金の停滞について極めて怒っている。
これは、馬英九の支持率を 2 割以下に下
げた。実際、中央研究院の1990年からの
調査によると、5 割以上の民衆は労働組
合がより強くなると望んでいた13)。もち
13) Chang, Chin-fen and Heng-hao Chang
- 96 -
(2010) ‘Changes of Public Attitudes toward
Union Power in Taiwan in the Last Two
Decades’, China Perspectives September,
2010.
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
■ 報告
マイクロブログから見る輿論の市民社会
北京電影学院元教授
崔
衛平
元新華社総編集長の南振中が1998年に
最初に「二つの輿論の場」の考え方を提
論の軽視すべからざる事情も説明してい
る。
2011年 7 月11日、「二つの輿論の場を
起し、一つは民衆の「口頭輿論の場」、
そしてもう一つは新聞メディアが創り上
貫通させる」というタイトルの文章が
げようとした「輿論の場」である。2008
「人民網輿情監測室」の署名付きで「人
年、氏は一歩進んで二つの輿論の場には
民網」で発表され、その中では、両者間
「相互脱線の危険性」が存在すると指摘
の区別について次のように論じている。
したと同時に、「口頭輿論」の範囲を広
一つは党報、国家のテレビ局、国家の
げ、「ネット論壇と携帯電話のメッセー
通信社などの「主流メディアの輿論の
1)
ジ」もその中に含ませた。
場」で、ここでは党と政府の方針や政策
2008年、『人民日報』は新しい下級機
が忠実に宣伝され、社会主義の核心価値
構である「人民網輿情監測室」を発足さ
観が伝播される。もう一つは口コミ、特
せ、インターネット上の輿論と民心に対
にインターネットの「民間輿論の場」を
する監視と測定を任務とし、「伝統的な
頼りに、人々はマイクロブログ、BBS、
メディアのインターネット版(中央メデ
QQ 3)やブログで時事に関する討論を行い、
ィア、地方メディア、市場化メディア、
社会に対する不平不満を指摘し、政府の
海外メディアの一部を含む)、ネットニ
公共管理に対して批判する。インターネ
ュースのスレッド、ネットコミュニティ
ットは「思想・文化・情報の集散地及び
/論壇/BBS、マイクロブログ、ネット
社会輿論の拡大装置」となり、「輿論の導
く構造」を造り直した。4)
「オピニオンリーダー」の個人ブログ、
ウェブ・サイトなど、インターネットに
なぜ二つの輿論の場の間にはそれだけ
おける輿論と民心の主なキャリアーを対
の相違が生じるのか。文章の中では次の
象に24時間体制の監察を行い、更に専門
ような分析がなされていた。「最も重要
家による統計や分析を行い、監察分析の
研究報告を成果として作り上げる」。2)逆
3)
から言うと、この監察室の設立は社会輿
1)
2)
http://news.xinhuanet.com/book/2008-04/
21/content_8018979_3.htm
http://news.xinhuanet.com/book/2008-04/
21/content_8018979_3.htm
4)
- 97 -
インスタントメッセンジャー(IM)ソフ
トの一種。中国本土において最も普及し
ているコミュニケーションツールであり、
とくに若者の間で支持され、携帯やメー
ルと同じ感覚で使用されている。(訳者
注)
http://opinion.people.com.cn/GB/15119932.
html
年報 公共政策学
Vol. 7
なのは次の三点である。公共的な突発事
そこで形成される。一つのマイクロブロ
件が起った初期に、政府は対応遅れにな
グが50回転送され、25のコメントがなさ
りがちで、新聞も真相を報道しないだけ
れれば、そこでは一つの見える公共空間
でなく、大衆の無理解を問責する。事件
が形成され、異なる意見はそこで表現さ
が発展・変化する過程では、常に情報の
れる。新浪微博(新浪マイクロブログ)
封鎖延いてはネットユーザーを逮捕する
のように様々な制限を受けつつも、疑い
手段を用いて民間の輿論の場を弾圧し制
なく政府を批判する声の最も集中する場
御しようとする。事件が鎮静化した後は
となっている。だからこそ、2012年 5 月、
反省もせず、制度の不完備を修復するこ
人民日報社社長の張研農は復旦大学の公
ともない。更に平時において政府のメデ
開講演でインターネットの言葉を引用し
ィアは民衆の不安や憂慮に対する関心が
て次のようなことを言った。「半日のマ
足りず、プラスになるはずの宣伝は一人
イクロブログを読んだ後で平常に戻るの
芝居ないし自己満足になりがち」という。
には、七日間の新聞聯播 6を見る必要が
三点とも一つの「事件」を中心に事件へ
ある」
。
の対処が問題意識となる。一方、事件に
また、マイクロブログに留まらず、他
対する異なる対応姿勢が、民間の輿論の
のメディアや現実まで拡散し、そこで影
場の重要な特徴を形成する。
響を与える力も存在する。今年マイクロ
該文章のいちばん最初に引用した事件
は、同問題を理解する時の手助けとなろ
ブログで割合影響力のある事件を例とし
て挙げてみよう。
う。郭美美という若い女性がマイクロブ
ログで「紅十字会商業総経理」のタイト
一.
大飢饉の討論
ルで登録した後、高級車とブランド品の
かばんの写真を掲載することで中国赤十
2012年 4 月29日、人民日報甘粛支社社
字会を騒動に巻き込んだ。インターネッ
長の林治波が次の内容のスレッドを立て
トでの同事件に対する検索件数は同時期
た 。「毛沢 東を 中傷す るた めに 1960-
の日本東北大震災を上回った。年末の広
1962年の間の餓死人数は何千万人にも上
報では、その年の中国赤十字会への寄付
るとのデマを流した人がいる。そのため
額は六割近く落ちたという。
に、ある人が当時最も情況のひどかった
ここ数年、マイクロブログは「民間輿
河南省安徽省の村落を訪問した。実情は
論の場」の重要な場所となった。140の
デマと食い違い、餓死者が出たと聞いた
5
文字 だけでなく、画像の添付も長文テ
キストもできるし、より重要なのは転送
6)
と評論機能があることで巨大なオーラは
5)
マイクロブログにはつぶやき一回で140
文字の制限がある。(訳者注)
- 98 -
中国の国営放送である中国中央電視台
(CCTV)が、毎日19時00分から19時30分
(CST)に放送しているニュース番組であ
る。番組の主な主旨は、中国共産党と中
国政府の声を宣伝して、今起きている大
きな出来事を伝えることである。(訳者
注)
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
ことがある村の人はいても、餓死者がい
んの情報をいただき、当時の悲惨な状況
たことを証明できた人は極めて少ない」。
を教えていただくことにより私の事実に
このスレッドはあっという間に七千以上
対する認識が深まり、非常に強い衝撃を
の転送がなされ(現在はすでに本人によ
受けた。私個人の不当言論が原因で国民
って削除された)、コメントは数え切れ
の辛い記憶がよみがえ、たくさんの方々
ず、マイクロブログのホットトピックス
の感情を害したことに対し、ここで深く
となった。人々は次々と彼を指摘した。
お詫びを申し上げ、謝罪する。同時に皆
それに対して林氏の回答は、家族の中で
様の指摘に感謝し、これからは皆様と共
餓死者が出た者に出会ったことがなかっ
に歴史の悲劇が繰り返されることがない
たことであった。
よう尽力したい」(この詫び状は現在
その結果、反響はますます大きくなっ
24448回の転送と20675回のコメントを記
た。多くの人が自分の家族に死者が出た
録している)。このように政府側の人間
ことを言うために立ち上がった。辛い過
が自分のつい最近の不当行為に対し直接
去であったが、人々は証明するために立
に公衆に謝罪するのは、非常に稀なこと
ち上がることを選んだ。筆者のマイクロ
である。
ブログで次のような話を残した者もいた。
マイクロブログでのこの討論は、あっ
「私は揚州里下河地区の出身で、その困
という間に紙のメディアまで広まった。
難な時期にうちの家族だけで餓死者が二
5 月21日の『南都人物周刊』は「1959年
人も出た。義祖父と義曾祖父だった。祖
-1961年の大飢荒(大飢饉:訳者注)」と
母はその時どの家族も餓死した人がいた
いうタイトルの長編報道を掲載し、内容
と言った」(ID: @mom 的流水)
。もう一
は香港で出版された、牛犇という作家の
人は次のように言った。「父が朝思い返
著書『大飢荒口述実録』に関するもので
して話した。実家の村は元々110人前後
あった。著書の中で牛犇は自分の故郷の
で、三年後は70人ぐらいになり、自然死
安徽省阜陽県の38名のお年寄を対象にイ
亡以外に餓死者は30数人いた」(ID: @
ンタビューを行った。この牛寨大隊とい
薄扶林道82号)。筆者の知識人である友
う場所は1960年の初めから1960年の終わ
人もマイクロブログで安徽省の実家で家
りまでの間、人口は4062人から3132人ま
族が死んだ情況を公表した。「うちの叔
で落ち、四分の一に近い人が死んだ。こ
父は50年代生まれで、60年前後お腹がす
の報道が特別な意味を持つのは、タイト
いて毒のある植物の種を食べて死んだ」
ルに使われた「大飢荒」という言葉を直
(ID: @ 何足畏)。
接に使ったことにある。これはそれまで
この支社社長の謝罪と辞職の声が上が
政府側が自らの責任を免れるために使っ
ったため、氏は次のようなスレッドを立
てきた「三年自然災害」とは違うものだ
ててようやく事件は収まった。「謝罪:
った。一つの事件に対する命名は即ちそ
私は大躍進の歴史に対する研究が不足で、
れに対する理解である。2012年、雑誌
情況の掌握も足りない。ここ数日たくさ
『看歴史』は、この報道に特別奨励を与
- 99 -
年報 公共政策学
Vol. 7
えた。
た。彼の回答が開始する前まで、すでに
中国において歴史問題は常に政治問題
2000もの質問が待ち構えていた。
となり、また現実問題となる。誰によっ
氏は、五つの腕時計は違う時期に、そ
て表現されるか、どのように表現される
れぞれ合法的な所得で購入したものだと
かは、豊富な政治的エネルギーを内包す
強調した。事故現場での微笑は疲れと重
る。
圧から逃れるためのものと弁明した。イ
ンタビューの進行中、楊局長の六本目の
二. 「表哥」事件
腕時計がマイクロブログに掲載され、更
にインタビューが終わった後の 8 月30日
2012年 8 月26日の明け方、陜西省で36
明け方、七本目、八本目、九本目、十本
人死亡、2 人重体という重大な交通事故
目が立て続けに掲載され、最終的には十
が発生した。陜西省安監局(安全生産監
一本となった。これはもはや「表哥」の
督管理局:訳者注)局長の楊達才が現場
問題ではなくなり、ネット上では彼のこ
での視察時の微笑を帯びた表情がネット
とを「表叔」9) と呼び始めた。その後彼
上で公布され、ネチズンの強い不満を買
が13万元のメガネをかけていたことやブ
った。ネチズンは重大な交通死亡事故の
ランド品のベルトをつけていたことも見
場での冷血態度を批判した。公布された
つけられ、ネット上では「全身が宝物」
写真で氏は高価な腕時計をつけていたた
と揶揄された。
8 月30日当日、陜西省紀委(紀律検査
め、ネット上で人々の興味を引き起こし、
7)
氏に対し「人肉検索」 がなされた。ネ
委員会:訳者注)は、楊達才に対する調
ットで公布された写真から氏は五つの違
査はすでに展開し、紀律の違反や腐敗の
った場面でそれぞれ違う腕時計をつけ、
問題が判明できれば、関連規定に従って
その価格は低めに推定しても約20万元前
厳密に対処すると公表した。時を同じく
後であることがわかった。そのため彼は
して平面メディアも追いかけ、新聞紙が
8)
「表哥」 と名付けられた。その後の 8 月
事件の報道を開始した。最後になって 9
29日の夜、氏は新浪マイクロブログでブ
月21日に陜西省紀委は西部網(官製のウ
ログ・インタビューを受けることになり、
ェブサイト)に陜西省安監局党組書記兼
腕時計による危機に直面することになっ
局長楊達才の重大なる紀律違反による免
職を公表した。「モナリザの微笑み」か
7)
人肉検索とは、中国のインターネット上
において行われている、多数の匿名人物
間でやりとりを行いながら、検索エンジ
ンによる検索と、人手による公開情報の
検索との両者を駆使し、ある人物の名前
や所属を特定したり、事件の真相を解明
する活動である。(訳者注)
8) 「表哥」は腕時計の兄ちゃんの意味であ
る。(訳者注)
ら免職まで一ヶ月もかからなかった。
この期間、江蘇テレビのあるアナウン
サーはマイクロブログで次のように発言
した。「番組がスタートする前、ある領
9) 「表叔」は腕時計の叔父さんの意味であ
る。(訳者注)
- 100 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
導(幹部官僚:訳者注)は腕の時計を外
ない人もいる。このような事件は、偶然
した。しかもいくら天気が暑くても高価
性が強すぎる。しかも腐敗官吏の数から
な腕時計やベルトを隠すために常に上着
見れば、戦果もあまりにも小さすぎる。
をつけている」。ネチズンの間では「ネ
だが、公共輿論の側面から観察すれば、
ットは領導を退く余地のないところまで
このことは一種の民意の雰囲気を醸成し、
追い込んだ」と評した。その後、何人か
一種の全体的な背景を作り出し、結果と
のアナウンサーはマイクロブログで「摘
して民衆の死活問題をなおざりにする官
表」(腕時計を外す:訳者注)現象を言
吏を大衆の嫌われ者にした。
及した。
この「二つの輿論の場」のつなぎ役を
「表哥」楊達才が新浪微博のインタビ
実現するために、2012年 7 月22日に『人
ューを受けた時、あるネチズンが「周久
民日報』はマイクロブログ「人民日報微
耕天価煙事件」を覚えているかと聞いた。
博」を始動させた。これは象徴的な意味
2008年12月10日、南京市江寧区房産局局
を持つ事件である。二つの輿論の場の対
長の周久耕はメディアに対し、「開発商
立を無くそうとし、政府の権威を建て直
のコストより安い分譲住宅に関しては、
そうとする。折しも北京「7・12」豪雨
これからは物価部門と共に調査と処理を
災害期で、79人の人は大雨で命を失った。
行う」と発言した。この発言はネチズン
中国の首都の脆弱さに対してネット上で
の不満を引き起こし、氏に対する「人肉
は驚きと批判に満ちた。「人民日報微
検索」が行われた。2008年12月14日、氏
博」も即座に憂慮の意を表明した。
が会議に出席した際、その机の上に天価
7 月28日明け方、人民日報マイクロブ
煙の「南京九五至尊」が置かれていた画
ログから次のような書き込みが出された。
像が見つかった。このようなタバコは、
「過去の七日間、豪雨は我々に命の無常
カートン一つで「一時帰休者三か月分の
と重さを感じさせ、周囲の様々な不足と
生活保障費に相当する」と指摘する人が
欠陥を認識させた。我々が心の中で銘記
いた。12月15日、周久耕がつけている腕
すべきは、災難時の愛の贈与と伝達、そ
時計は10万元もするものだというスレッ
れに責任に対する堅守と擁護である。こ
ドがネットで立てられた。それに続いて
の頃流行りの言葉を思い出す。『あなた
彼の弟は不動産開発商人で、息子は建築
が立っている場所は、あなたの中国であ
資材業者であることも明らかにされた。
る。あなた次第で中国は変わる。あなた
12月29日、周久耕は免職された。一年後
に光りがあれば、中国は暗くならない』。
の2009年10月10日、彼は収賄罪で11年の
安」。
刑を言い渡された。
語調に変化があっただけでなく、ネチ
この二つの事件は比較的に典型的で、
ズンの言葉を借りれば、「人間の話し」
ドラマチックである。このような「ネッ
をするようになった。しかもその中の
ト上の反腐敗」が反腐敗の第二の戦いの
「この頃流行りの言葉を思い出す。あな
場となることに対し、それほど楽観的で
たが立っている場所は、あなたの中国で
- 101 -
年報 公共政策学
Vol. 7
ある…」は、まさに筆者が使った言葉で
力を意識し、それを占有しようとする。
ある。ネチズンの中で驚いた人が多かっ
報道によれば、現時点ですでに 4 万を超
た。なぜなら筆者は「要注意」の異見人
える党政機関と政府役員が政務のための
士で、このように人民日報が筆者の言葉
マイクロブログを開設したという。表立
を引用することは、人々にはまったく新
った宣伝フレーズの競争以外、政府側は
鮮に感じさせるに違いない。たくさんの
自身の資源を利用して隠密裡に輿論全体
人はこのスレッドでこの「注目すべき」
配置の計画や操縦の工作を行った。ネッ
事実を言及した。この原稿の作成時、こ
ト評論員を展開させることが例の一つで
のスレッドの伝送回数は75,899回で、コ
ある。この人たちは普通のネットユーザ
メントは15,518である。これは恐らく人
ーの名を使っているが、口調は統一され
民日報のマイクロブログが設立されて以
ている。人々は彼らのことを「五毛」と
来最も高い伝送回数のものではないだろ
呼ぶ。地方によってはインターネットと
うか。原因は不明だが、初期の「人民日
関連する民事訴訟と行政訴訟は、一律立
報」のマイクロブログでは筆者のことを
件しないと定めた場所もある。
フォローしたが、数日後そのフォローは
厳格な審査制度が存在する中国におい
取り消された。7 月31日の題名「主流メ
て、インターネットの技術が輿論の公共
ディアと民間の輿論の場を貫き、社会の
空間に意外な突破点を与え、輿論におい
分岐を補う」の『南方都市報』論説も
て市民社会に新たな道を切り拓いた。
『人民日報』のこのマイクロブログから
元々それ自身が輿論の市民社会である。
論評を展開したものだった。
一般の民衆、大学生、企業家、芸術家、
現時点で「人民日報マイクロブログ」
警察、小資本家・ホワイトカラー、知識
のファンは303万いる。この数字は何を
人らは今マイクロブログでやっているよ
意味するか。四川出身の時事評論家李承
うにお互い顔を合わせ、即時に情報の交
鵬(元スポーツ評論家)のファンは642
換ができたことは、かつてなかった。特
万で、不動産業経営者任志強のマイクロ
に突発事件の際における役割は一層明確
ブログのファンは1226万である。この原
である。小売商人夏俊峰10)、温州の呉英
稿の執筆時、女優姚晨のマイクロブログ
(その罪名が「非法吸収公衆存款」)(銀
のファンは2660万である。今年前半、彼
行法違反・無免許営業:訳者注)のよう
女のファンが1955万に上がった時、『人
な、地方裁判所で死刑が言い渡された裁
民日報』の若手編集者が内部養成プログ
判に対する訴えや呼びかけは、最終的に
ラムで、姚晨の発言を受信する人の数は
はどれも執行までは至らなかった。民衆
『人民日報』の発行量の七倍に当ると発
の声が関連機関に届いたのは明らかであ
言した。このことに対して『中国青年
報』は姚晨は『人民日報』に危機感を与
えたという内容の評論を発表した。
政府側は当然インターネットの巨大な
10) 夏俊峰は都市管理の役人の暴力執行に対
抗する時に役人二人を殺した。殺人罪か
正当防衛かをめぐって論争が起きた。
(訳者注)
- 102 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
る。
東アジアにおける市民社会対話
ら現実中のある重要メディアの評論員は
しかし、振り返って反省する必要のあ
る問題もある。
個人のマイクロブログでは絶え間なく怒
鳴り続けている。また、人々は、権力の
一.比較的に話題性のあるものは往々
圧力の下では力を合わせる必要性が生じ、
にして一時的なものが多く、人々はたち
自分と同じ立場の人たちの非理性的な行
まち群がり、また急速に立ち去っていく。
動は、往々にして見てみぬ振りをする。
マイクロブログの公衆は、「事件公衆」
三.中国の現在の情況は、『1984』と
と見なしても良かろう。しかし、どうい
『すばらしい新世界』の足し合わせであ
う出来事が「事件」となり得、真の注目
る。プロのネット評論員の浸透も含めて、
すべき話題となり得るかは、あまりにも
全体主義が思想の自由や言論の自由を制
偶然性が強すぎる。同時に事件公衆の発
限する現象は割合人々には認識されやす
言には、一種の落ち着きのなさと軽率を
い。だが、市場という見えない手が、利
特徴とする。例えば愛国風潮問題におい
潤の駆動の下で公共の話題や政治議題を
ても、片方は現実の中の興奮と激情で、
消費し、似て非なるものを作り出し、公
もう一方はネット上の嘲笑と風刺である。
共視野を遮り、その中から「既得利益」
後者の反応は往々にして条件反射的で、
を獲得することに関しては認識が足りな
表面的な現象に留まり、その中の構造的
い。マイクロブログというメカニズム自
なものまで掘り下げることがなく、建設
身は広範的な参与の特徴を持つが、平等
的な視野を生み出すこともない。
性は持たない。ファンは金銭によって買
二.マイクロブログは即ち個人メディ
収できるものである。だから「玩微博」
アで、マイクロブログの利用には何一つ
(マイクロブログを弄ぶ:訳者注)とい
障害物がない。多くの利用者にはそれが
う表現が生まれる。結局のところ、新浪
公共輿論の場であるという意識を持たな
をも含めるポータルサイトは商業的なも
い。ハンナ・アレントの言葉を借りれば、
のでかなりの部分の操縦可能性をひそん
そこは「雌雄同体」の場であり、そこで
でいて独立した公共のプラットフォーム
は公共領域の情報と個人領域の情報は完
とは言いがたい。
全に混同され、公共の立場と個人の立場
四.スレッドは140文字しかなく、思
も混同され、公共の身分と個人の身分も
想の表現、異なる視角の体現ないし公共
また混同される。公共の話題は個人の話
討論自身を制限する。その構成は討論の
題として処理され、即ち任意的、横暴的
脱線を困難にし、しかも一貫性に欠ける。
な方式を以って処理され、それは公共理
思考の展開は漸進的、階層的に進める必
性を培うのには不利である。あるメディ
要があり、時には一つのスレッドのみで
アの記者が公の場で次のように述べた。
なく、系列のものが必要となる。だが、
新聞で何かを書く時はメディアの要求の
系列のスレッドでも多く転送されるもの
応じて書かなければならないが、マイク
はそのうちの一つのみで、前後のものが
ロブログでは好きなように話せる。だか
欠落している情況では、誤解が生じやす
- 103 -
年報 公共政策学
Vol. 7
い。このことはスレッドを立てる人には
するか、いかにして公共のプラットフォ
一つの試練となり、自身の公共性には限
ームを広げ、遮られた声を発掘できるか、
界があることを意識しなければならない
そしていかにして人々の間の分岐への対
のである。
処法を学ぶか、これらはすべて新しい課
このことは知識人の仕事に新たな空間
題となる。
を与えた。いかにスレッドの討論におけ
る理性を高めるか、いかに公共性を提供
- 104 -
2012年12月3日
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
■ 報告
韓国の国家―市民社会の変化と社会運動の挑戦
民主化のための全国教授協議会常任議長 聖公会大学 NGO 大学院長
チョ・ヒヨン
1. 序文
2. 国家―市民社会、市民社会戦線、社会運動に対する理論的論議
3. 民主化体制下における国家―市民社会の変化と社会運動
1) 民主化体制下における国家―市場―市民社会の関係変化
2) 民主化体制下における市民社会の変化
4. 反独裁民主政府下における国家―市民社会と社会運動
1) 反独裁民主政府下における国家―市場―市民社会の関係変化
2) 反独裁民主政府下における市民社会の変化
5. ポスト民主化体制への移行と国家―市民社会の変化および社会運動
1) 新保守政府の出帆とポスト民主化体制
2) 新保守政府下における社会運動の変化
1. はじめに
ながら市民社会と社会運動がどのように
変化したのかを分析しようとするもので
本稿は、民主化以降、国家―市場―市
ある。本稿では、以下の図にある時期区
民社会の構造的関係がどのように変化し
分に基づき分析を行うことにする。まず、
たのか、また、そのような変化に対応し
1961年以降1987年までの時期はいわゆる
- 105 -
年報 公共政策学
Vol. 7
「開発独裁体制」であり、87年以降の時
ア的”市民社会の誕生であり、もう一方
期は「民主化体制」と呼ぶことができる。
では公的市民社会の誕生でもあった。市
また、2008年以降については「ポスト民
民革命の最大の要である自由は、すなわ
主化体制」と定義する。独裁が 6 月民主
ち上述のような意味において、経済的自
抗争によって崩壊した後、民主化を時代
由と政治社会的自由という二重性を持つ
的課題とする時期が20年間続いた。そし
のである。
てこの時期が、筆者の言うところの「ポ
国家から分離され独立的な存在となっ
スト民主化体制(民主化以降の体制)」
た市民及び市民社会を前提とし、それに
へと変化することになる時期である。
基づいて成立する体制がすなわち近代民
主主義である。近代民主主義はまさに国
2.
国家―市民社会、市民社会戦線、社
家に対抗して強化されてきた市民社会の
会運動に対する理論的論議
力を前提に作動する政治体制である。
しかし、国家と市民社会の分離の上に
近代社会への移行は、複数の次元で多
立つ民主主義は、市民社会の上に君臨し、
くの変化を伴ってきた。まず、経済的次
それを押さえつけようとする抑圧的国家
元では封建制的経済秩序から資本主義的
の出現によって常に危機に瀕することに
市場秩序への変化があり、政治的次元で
なる。権威主義の出現や左翼全体主義や
は絶対主義国家から近代代議民主主義的
ファシズムのような右翼全体主義の出現
国家への転換があり、また社会的次元で
は、国家からの市民社会の分離と独立と
は身分制あるいは前近代的臣民社会から
いう近代的政治原理を否定する国家の君
市民社会への転換があった。
臨、あるいは、国家による市民社会の
周知の通り、このような転換は市民革
命が重要な契機となっている。市民革命
を通し、前近代的国家に「包摂」されて
“封建化”という結果に繋がる。このよ
うに、民主主義政治体制の原理を否定し、
“社会の上に君臨する”国家が成立する
いた社会は国家から独立することになる。
時、市民は抵抗的主体となり、民主主義
この市民社会は、二重的性格を持ってい
的国家への回復を目指す闘争を展開する。
る。すなわち、一方には国家に反する自
この闘争戦線を筆者は“民主主義戦線”
律性を持った“公的”な―国家だけが公
と表すことにする。
的機構なのではなく―領域を担う社会と
ところで、このような市民社会は国家
しての性格があり、他方では過去の国家
に反する同質的な実体ではない。近代市
による統制から抜け出して自由な経済活
民社会は階級的に分裂している社会であ
動および経済関係を結ぶ、ブルジョア的
り、同時に、多様な社会的敵対と亀裂に
社会としての性格がある。市民社会のこ
よって分裂している社会であると言える。
のような二重的側面を考慮すれば、市民
近代資本主義の発展に伴って、このよう
革命とは、一方では(絶対主義的)国家
な敵対と分裂は様々な形態で現れながら
からの市場の独立を意味する“ブルジョ
再生産される。マルクス主義の核心命題
- 106 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
のように、近代市民社会は、社会の歴史
東アジアにおける市民社会対話
表現することができる 1)。
上最初に国家に対立する独立性を主張す
ることができるが、市民社会の土台を成
3.
す経済的関係による資本と労働の絶対的
民主化体制下における国家―市民社
会の変化と社会運動
な関係によってそれは不断に分断された
社会となるのである。市民社会内の階級
1) 民主化体制下における国家―市場―
的敵対を軸とする多様な抵抗性の表出を
市民社会の関係変化
筆 者 は “ 階 級 的 行 動 主 義 ( class
近代韓国社会で国家―市場―市民社会
activism)と呼ぶ。また、このような階
の関係が構造化されたのは、1960年代以
級的行動主義が表出する戦線を本稿では
降の朴正煕開発独裁体制下においてのこ
“階級戦線”として概念化する。
とであった。開発独裁体制は市民社会に
このような階級的敵対と矛盾のほかに
対する統制・動員的体制であり、市場に
も、市民社会内では多様な社会的敵対と
対する支援・育成的体制であると言える。
矛盾及び対立が存在することになる。階
その意味で、開発独裁体制は市民社会を
級的敵対に還元されない多様な敵対と矛
統制・動員化する“国家―市場同盟体
盾をめぐっては、支配的集団と被支配集
制”でもあった。これが朴正煕体制の本
団の間で多様な闘争と葛藤が存在してき
質なのである。例えば、朴正煕体制は警
た。いわゆる“生活世界”の種々の矛盾
察と軍隊という物理的力を利用し、労働
と敵対は、一方では国家によって、他方
者の賃金闘争をはじめとする市民社会の
では市場によって条件づけられて構造化
多様な抵抗を抑圧すると同時に、月に一
されるが、同時に階級的敵対に還元され
度、大統領が輸出拡大会議を主催するほ
ない固有の性格を持ち続け、自然にこれ
どに国家の全力を輸出、市場育成、成長
らを取り巻く葛藤と闘争が存在してきた
という目標に注ぎ込んだ体制であった。
のである。環境、消費および文化的領域
このような点で、下の図のように“強力
での問題、人種問題、家父長制、同性愛、
な統制的”
、“発展”国家―“国家の支援
人権など多様な主題と領域をめぐって多
様な個人あるいは集団の主体性は高揚し
1)
た。また、多様な社会的敵対において被
支配的地位にある集団が自身の権利や人
間らしい生き方のために展開した苦闘が
あった。このような多様な闘争から表出
した躍動性は“市民的行動主義”として
表現できるであろう。そして、これらの
生活世界の矛盾をめぐって市民的行動主
義が表出する戦線は“生活世界戦線”と
- 107 -
ハーバマス(1989年)は、金と権力を媒
介として制度化された体系(政治行政体
系と経済体系)と、行為の意思疎通的合
理性によって規範的に統合され象徴的に
構造化された生活世界とを区分している。
いわゆる“体系による生活世界の植民
化”が進行しているため、これに対応し
て体系に対する生活世界の復元運動が新
社会運動として起こる(クォン・ヨンヒ
ョク、1996)。ここで言う生活世界は、
このようなハーバマス的な含意を内包化
し、包括的な意味での生活世界として作
用するのである。
年報 公共政策学
Vol. 7
によって高速成長する”市場―、“抑圧
会を支配してきた権威主義的発展国家の
された”市民社会が存在したと評するこ
総体的危機局面を助成した。市民社会の
とができる。開発独裁体制下でのこのよ
総体的抵抗に直面した権威主義的発展国
うな国家を筆者は“新重商主義的発展国
家は、危機の中で新たな変化を強要され
家”として概念化する。
ることになるのである。
このような開発独裁体制に対抗し、市
大局的に見れば、1987年の民主化初期
民社会が抵抗しながら活性化していった。
の局面で、国家―市場―市民社会の関係
市民社会のその抵抗的活性化は反独裁民
は次の様なものであったと言える。すな
主主義闘争という“主要矛盾”を中心に
わち、強力ながらも過去のような統制力
収斂され、やがて巨大な国民的反独裁民
を喪失した民主化国家が存在し、他方で
主化運動が出現したのである。光州民衆
はすでに特恵的支援の下で巨大化した市
抗争を経てすでに反独裁は時代精神にな
場と資本が存在しており、その反対には
っており、また、抵抗しながら活発化す
抵抗的に活性化した市民社会が存在する
る市民社会の抵抗力はもはや発展国家の
ことになっていたのである。この状況に
抑圧的な力を圧倒する段階にまで達する
対して筆者は、ある一方に朴正煕開発独
ことになる。そして、1970年代末~1980
裁体制が作り出した巨大な階級的・社会
年代初盤以降、発展国家は慢性的な窮地
的既得権勢力が存在しつつ、他方では平
に突入していく。このような開発独裁体
等主義への高い期待を抱いた大衆が存在
制に対する市民社会の抵抗の頂点に1987
しているものとして論じた(チョ・ヒヨ
年 6 月民主抗争が存在する。1987年 6 月
ン、2012年:10頁)。後者は、強力な統
民主抗争は、1960・1970年代以降韓国社
制的発展国家の抑圧と統制を突き抜け、
- 108 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
むしろそれによって鍛錬された存在とし
化させることになり、また他方において
て出現し、前者は国家の戦略的支援の下
は市民社会の要求が選択的に収容され、
で成長した結果、“政経癒着”などの多
それが制度化する結果にもなった。この
様な腐敗的様相を帯びて存在したのであ
過程がすなわち政治的自由化の過程であ
った。
ると言えよう。この点で、政治的自由化
このように市民社会が抵抗的に活性化
は市民社会に対する国家の統制の弱体化、
し、経済的に新重商主義的発展国家の政
言い換えれば自律化という意味と同時に、
策方針の再生産が難しくなってゆくこと
市民社会の要求の選択的収容及び制度化
によって、1980年代以降発展国家は本格
という意味を持ち得る。しかし、国家の
的に危機に陥ることになる。こうして韓
このような政治形態の変化にも拘わらず、
国社会は権威主義体制から民主主義体制
権威主義的“発展”国家の性格がどのよ
へと移行する“民主主義移行”(イ・ヒ
うに変化するのかということは、後の国
ョ ンジン /ソ ン・ホ グン 【編 】、 1995
家―市民社会、市民社会内の闘争の結果
年)の経路に移っていった。
に委ねられることになる。政治変動の側
政治的側面から見れば、民主主義への
面で韓国社会は1987年 6 月の民主抗争以
移行は1970年代までの権威主義的発展国
降、“上からの保守的民主化”(チョ・ヒ
家の政治形態の変化を意味しているもの
ヨン、1998年:3 章)という経路をたど
である。すなわち、民主主義国家への独
り、旧支配勢力のイニシアチブが廃れる
裁的国家の移行である。このような民主
ことなく維持された妥協的移行を経験す
主義への移行は、一方において過去の権
ることになるのであるが、発展国家の性
威主義国家による市民社会の統制を弱体
格もまさにこのような政治変動の性格に
- 109 -
年報 公共政策学
Vol. 7
影響される。従って、発展国家は決定的
家による市場統制の弱体化(市場自律
に破壊乃至は解体(dismantling)される
化)と開放を意味する。このような経済
2)
のではなく、変形(transformation) す
的自由化を極端に表現したものが、すな
るものであると筆者は考える。ここまで
わち新自由主義である。1987年 6 月の民
見た様に、民主化の不徹底性にも拘わら
主抗争で頂点に達した反独裁闘争は、権
ず政治的自由化は自律化と制度化の性格
威主義の新重商主義的発展国家を弱体化
を持ち続けて進行していくのである。
させることによって、市民社会の自由と
市場の自由を同時に提示させることにな
経済的自由化と政治的自由化の二重的性格
った。この二重性は、1987年 6 月以降の
ここまでの考察に従えば、民主主義へ
韓国社会の変化にも現われている。つま
の移行の過程は、政治的自由化と経済的
りそれ(自由化の二重性)は、自由化へ
自由化の同時進行の過程であることが分
の強力な志向を内包する―反独裁民主化
かる。これは、2 節で述べた市民革命の
勢力の一部を担う―自由主義勢力
二重的性格と明らかに対応するものであ
(liberal)にもそのまま表出していると
る。政治的自由化が、国家による市民社
言える。すなわち、経済的自由化の増進
会の統制の弱体化(自律化)と市民社会
という名目の下、それが極端化しながら
からの要求の収容(制度化)を意味する
新自由主義的政策が推し進められること
ものであるとすれば、経済的自由化は国
になるのである。
表2.1987年以降の政治的自由化と経済的自由化の変化
下位特性
自律化
政治的自由化
制度化
経済的自由化
市場自律化
開放化
2)
性格
権威主義的発展国家による市民社会の抑圧から、国家によ
る市民社会の統制の弱体化。市民社会の自律性の拡大。市
民社会の政治的自律化。
市民社会の要求に対する国家の開放性増大であると同時
に、市民社会の要求が反映される制度的通路と空間の形成
及び拡大。
以前の国家主導的な方式よりも市場自律性が増大。民営化
の拡大、労働市場に対する政治的制限などの克服。
国内市場への外国資本の侵入の拡大。
グラムシが述べているように、“変形”
とは支配階級が被支配者の同意を確保す
るために支配の自己変革を遂行する、い
わば受動革命の重要な過程である。受動
革命と変形主義については、Gramsci,A
(1999年:106-114頁)を参照。韓国の受
動革命と変形主義については、チョ・ヒ
ヨン(1998年:3 章 5 節)、チェ・ジャ
ンジプ(1995年)を参照。
2) 民主化体制下における市民社会の変化
ここまでの議論を踏まえ、このような
変化によって規定されながら内外の3種
類の戦線が市民社会をどのように変化さ
せるのかを見ていくことにしよう。1987
年以前まで存在していた市民社会に対す
る国家統制が民主主義に移行しながら顕
- 110 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
著に弱体化する中で、市民社会は多様に
れていた大衆が進歩改革的な躍動性を持
活性化した。
ち、それを表明させるようになったこと
を意味するものなのである。グラムシ
市民社会の“抵抗的活性化”から“主体
的活性化”へ
(1971)が述べたように市民社会が支配
的なヘゲモニーの再生産の空間であると
前述の通り、市民社会の活性化が国家
すれば、正に国家の論理が大衆によって
と市場の改革を要求する“外的な”方向
受容されそれが大衆の政治性を規律する
へ表出したのに対し、市民社会の内的な
ことになる。その意味で、主体的活性化
変化は民主主義への移行過程で現れたも
というものは、ヘゲモニーに支配された
のである。これを、市民社会の主体的活
空間としての市民社会の性格を飛び越え、
性化と呼ぶことができるだろう。権威主
それに対応する対抗ヘゲモニー的実践と
義的発展国家に抵抗する市民社会の躍動
して市民社会が出現・拡張したというこ
性を“抵抗的活性化”と表現するならば、
とを証明している。
民主主義への移行過程で現れた市民社会
では、まずは民主主義戦線における変
の新しい躍動性は“主体的活性化”と表
化から見ていくことにしたい。民主主義
現できる。主体的活性化は、国家に対抗
への移行、すなわち“権威主義的”国家
する抵抗的な市民社会の躍動性としても
から“民主主義”的国家への移行に従っ
表出することはある。しかし、他方では
て、次第に権威主義的発展国家に対抗す
従来争点にならなかった新しい争点をめ
る市民社会の“抵抗”的活性化は、旧体
ぐって政治化したり、市民社会における
制下で歪曲した国家と市場を民主的に改
各種の階級・階層・集団が組織化して、
革するための“制度化された”動力とし
自分たちの要求あるいは利害を実現させ
て表出し始める。詳述すると、まず民主
ようとする主体的な態度が高揚する過程
主義は市民社会の要求が自然に表出する
を意味するものでもある。その一例とし
制度化された空間を拡張するものである。
て、以前は官辺団体のみだった市民社会
そのため、権威主義国家あるいは独裁国
内部において多様な職業、階級、階層の
家に対抗する形で歪曲した市場の改革を
組合や結社が誕生し、政府と政党に対し
目指していた“抵抗的活性化”としての
て批判的な意見を出す市民・民衆団体が
市民社会の躍動性は、次第に、歪曲した
拡大していることが挙げられる。これは
国家および市場を改革するための“制度
ある意味、職業別あるいは階層階級別の
化された”躍動性として表出する。つま
自覚と組織化が進んでいるということで
り、街頭での戦闘という形で出現してい
もある。
た市民社会の抵抗的活性化は、制度化さ
1987年以降のこのような市民社会の主
れた場においてその制度的通路を利用し
体的活性化は、社会運動の活性化という
つつ、より多様な形で表出することにな
見地から見れば、極めて肯定的な現象で
るのである。
あろう。すなわち、それは国家に動員さ
- 111 -
また、先に見たような歪曲した国家と
年報 公共政策学
Vol. 7
市場の民主的改革を争点とする多様な社
次は、階級戦線における主体的活性化
会運動組織の生成からも、民主主義戦線
を取り上げる。階級戦線での市民社会の
を中心とする市民社会の主体的活性化が
活性化は、労働運動を含む民衆運動の組
現れていることを確認することができる。
織化・政治的発展に現われていると考え
また、過去において反独裁民主化運動に
られる。このような発展は、政治的自由
包括されていた各部門の運動が、独自性
化、特に市民社会に対する国家統制の弱
を持つ新しい社会運動組織として再編さ
体化を意味する自律化の「恩恵」という
れることもその例として挙げられる。例
ことができる。
えば、駐韓米軍犯罪根絶運動本部、人権
権威主義国家から民主主義国家への移
運動サランバンなどのように、反独裁民
行に伴って、自律的な政治の空間及び社
主化運動から分化した形態の多様な運動
会運動の空間が拡張し、労働運動は以前
組織が作られている。さらには、市民運
の非合法的位置づけを乗り越えて半合法
動という名目で、民主主義の深化と活性
的な合法運動へと自らを展開させていく
化を目的とする組織が作られてもいる。
ことになる。これは、労働運動の組織
1989年 7 月の経済正義実践市民連合、
的・政治的発展を意味する。労働運動は
1994年 8 月の参与連帯の出帆がそれに当
以前にも増して社会運動の中心的位置づ
る。そして、腐敗追放運動連合、開かれ
けを強めた。また民衆運動は、一方で民
た社会市民連合などのように、民主主義
主主義の深化拡散を目指す努力(政治的
の拡大深化、市民的・政治的人権の拡
民主主義から社会経済的民主主義への転
大・制度化を目的とする組織も現われて
換)の主たる推進力として作動し、他方
いる。民主主義への移行が伴う政治的自
では発展主義の持続と市場主義・開放主
由化の過程で市民社会の自律性が増大し、
義という発展主義の動きの下で、民衆た
それを追い風に上記のような“結社
ちの生存権を勝ち取るための闘争を展開
(association)”の活性化が見られたと言
することになった。
3)
えよう 。
1987年 7~9 月の労働者大闘争以降に
活性化した民主労組運動は、生産職の領
3)
2000年に市民の新聞で発刊した民間団体
総覧で、民間団体の年度別成立時期を掲
載している。それによれば、1980年代以
前に成立した団体の比率は21.9%に過ぎ
ないが、1980年代以降の比率は78.1%に
達している。また1997年の民間団体総覧
によると、1987年以降に創設された団体
の比率は55.8%となっている。この結果
より、権威主義政権下では抑圧されてい
た市民社会の多様な結社が、民主主義へ
の移行過程では爆発的に増えたことを窺
い知ることができる(チョ・ヒヨン、
2004年)。
域はもちろんのこと事務職や専門職まで、
そして中小企業のみならず大企業まで、
また、国内企業のみならず公企業や外国
企業にまで広がって行き、その過程で市
民社会の民主的転換のための土台が築か
れた。このような組織的発展は、1990年
1 月22日の全国労働組合協議会の創立や、
1995年11月 3 日の民主労働組合総連盟の
創立へと繋がったのである。
- 112 -
しかしながら、政治的自由化の“恩
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
恵”には、民主主義への移行過程に伴う
などである。このような生活世界におけ
経済的自由化の“災禍”もまた随伴する
る諸問題の争点化は、政治的自由化によ
ことになる。後半の図でも見るように、
る市民社会への抑圧の弱まり、言い換え
1987年以降の民主化の過程は、政治的自
れば自律化の拡大がもたらした現象でも
由化の“恩恵”と経済的自由化の“災
ある。つまり、政治的自由化は、生活世
禍”が交差する局面であることが分かる。
界戦線で過去に周辺化乃至は抑圧されて
ある意味で1987年以降の民主闘争は、政
いた問題点を争点化し得る社会的空間を
治的自由化の恩恵を利用しながら、経済
提供する恩恵として表出したものだと言
的自由化に伴う災禍と対峙する状況であ
うことができる。
った。農業開放に反対する農民の闘争
(チャン・ソンファン/チョン・ジンサ
ン、2001年)や労働法改正に立ち向かう
外換危機を媒介として反独裁野党政府時
代へ
労働者たちの闘争が、正に経済的自由化
1987年以降に“上からの保守的民主
に起因する災禍と対峙する闘争の事例で
化”の経路を辿り展開された国家改革と
あると言える。前者の場合、農業開放化
市場改革が、活性化して行く市民社会を
自体を阻止することはできず、開放化に
相殺する方向で展開されたものであった
伴う農業再編への支援拡大という形で帰
なら、50年ぶりの野党政権は成立しなか
結することになったが、労働市場の柔軟
ったことだろう。しかし、上からの改革
化を図るための労働法改正の試みは、
への包摂にも拘わらず、それを飛び越え
1997年の労働法改正総罷業(ゼネスト)
て活性化する市民社会―労働運動及び多
によって保留されることになった。
様な市民的運動を含む―の躍動性により、
続いては、生活世界での多様な社会的
野党政権への移行は達成された。その上、
亀裂に対応する市民社会の主体的活性化
IMF 危機によって変形した国家が市民
である。生活世界における矛盾は、発展
社会を包摂することは困難となり、その
国家の初期ではなく、発展を“成就”し
ことが既存の国家権力の危機と野党政権
た条件下で現れる新しい社会的・文化的
への政権交代をもたらしたのである。過
矛盾に対応しているものだと言える。生
去の政権による変形的再生産が失敗した
活世界の矛盾に対応した市民社会の主体
のは、IMF 危機という“偶然的”な要
的活性化は、従来取り上げられなかった
因が大きく影響していたとも言える。外
問題を争点化する過程でもあった。言う
債の返済ために IMF から借款するしか
なればその問題点とは、“マクロファシ
ないという国家経済の危機的状況は、既
ズム”に対する抵抗の中で遮られていた
存権力層の統治能力に対する甚大な疑懼
“ミクロファシズム”(イム・ジヒョンほ
心を抱かせると同時に、野党政権にチャ
か、2000年)的問題点や、消費と文化の
ンスをもたらしたとも取れる。既存権力
商品化によって生じる新しい問題点、歪
集団の統治能力に対するそれほどの甚大
んだ豊かさから提起される多くの問題点
な疑懼心が無かったなら、野党政権の誕
- 113 -
年報 公共政策学
Vol. 7
生は不可能だったはずである。
では外国資本が支配力を行使できるよう
に幅広い開放化が試みられ、資本市場、
4.
反独裁民主政府下における国家―市
株式市場に対する大々的な開放化措置が
民社会と社会運動
同じく為替危機の克服を名目に展開され
たのである。盧武鉉政権は、周知の通り
1) 反独裁民主政府下における国家―市
米韓 FTA を電撃的に推進し、“同時多発
場―市民社会の関係変化
的 FTA”を掲げて全面的な開放化政策
1987年以降における民主主義への移行
を推し進めた。これらの過程で金融の対
過程で国民政府の樹立と IMF 管理体制
外従属と脱国民化(イ・ビョンチョン、
への転換がもたらしたのは、諸般の政治
2001年)が拡散することになった。この
社会的関係の重大な変化であった。いわ
点では、“相対的に進歩的”と見做され
ゆる“97年体制”の出現がそれである。
ている金大中政府が同じく為替危機とい
IMF 体制への移行と野党政権への移行
う状況の中で、マレーシアのマハティー
は、複合的に相互作用し、1998年以降の
ル政府に比べてもはるかに開放主義的な
韓国社会に影響を及ぼしてきた。
政策を採り、IMF の政策勧告をとても
忠実に実行したということも、興味深い
政治的自由主義勢力の新自由主義化
対照をなしている。
まず、開発独裁体制下で強力に存在し
ていた発展主義あるいは成長主義は、
民主化体制下での資本権力の強化とその
1987年以降、市場主義的・開放主義的発
効果
展主義(これを筆者は“新自由主義的発
1987年以降の反独裁民主政府の統治政
展主義”と呼ぶ)へと変貌し、反独裁自
策と、それに伴う市民社会の変化を見る
由主義勢力がまさしくその新自由主義的
ためには、ある重要な変化に着目する必
発展主義に捉えられる状況を産み出した。
要がある。それは、市場権力と資本権力
国民政府と参与政府が有していた野党と
の強化である。朴正煕体制下での戦略的
しての性格は、以前の発展主義的基礎の
支援を受けて成長した韓国の大資本権力
転換と省察、それに伴う政策的変化へと
は、反独裁自由主義勢力の社会経済的進
向かうこともあり得たはずである。しか
歩主義を制約する巨大な力を作用させた。
し、政権の主体勢力自体の政策的不徹底
開発独裁(あるいは従属的ファシズム)
や IMF 危機がもたらした外的制約によ
が主導する資本主義化の過程が進展する
り、50年ぶりに誕生した野党政府と参与
中で、開発独裁国家の“下位パートナ
政府は発展主義の克服ではなく、むしろ
ー”として成長した資本権力が、やがて
それを深める方向へと向かったのである。 “自分の足で立って”韓国の経済を支配
実際、国民政府の下では、為替危機の克
するようになったのである。これが、反
服と言う名目で銀行及び国営企業の民営
独裁中道自由主義勢力の社会経済的進歩主
化が進められた。さらに、民営化の過程
義を制約する力を作動させたのであった。
- 114 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
このように見てくると、民主化体制下
が自身の議題を実現し、自分たちの要求
での国家は二重の性格を有していたと考
を貫き通すために動員できる制度的・非
えられる。すなわち、それは一方では独
制度的支援の量を急激に増えたというこ
裁国家から民主主義国家へ移行する過程
とである。実際、相当な範囲に及ぶ進歩
で、過去の独裁国家の遺産をえぐり出す
改革運動の議題が政策課題として収容さ
役割を担う“民主改革国家”として存在
れていた。
していた。しかし他方では、新重商主義
的発展国家から新自由主義的発展国家へ
2) 反独裁民主政府下における市民社会
と徐々に変貌を遂げていたのである。民
の変化
主政府の下での国家―市場―市民社会の
関係を図解すると以下の図のようになる。
そうならば、このような発展国家の政
治経済的変化の中で、民主主義戦線、階
級戦線、生活世界戦線をめぐる市民社会
制度化の拡大とその効果
及び社会運動の変化はどのように現われ
続いて、自律化と制度化を構成要素と
たのだろうか。また、その過程における
する政治的自由化に関連して次のことに
ジレンマはどのようなものだったのであ
触れる。すなわち、国民政府と参与政府
ろうか。これらの点を見ていくことにし
の下では自律化が一層拡大すると同時に、
たい。
市民社会の要求を選択的に収容する“制
まず民主主義戦線の場合、制度化によ
度化”が進行していた。これはつまり、
って市民社会の一部に組み込まれながら
反独裁民主化運動に参与していた反独裁
も、同時に、政治的自律化と制度化が附
野党政権の出現によって、市民社会運動
与する空間の中で新しい躍動性を表出さ
- 115 -
年報 公共政策学
Vol. 7
せるという二重性が現われていた。
得なかったものである。しかし、野党政
一次的に確認することができるのは、
府誕生以降の空間では、市民社会の改革
反独裁民主化運動の時期や民主主義への
運動が強力に推進され注目を集めている
移行過程で提起されていた要求が、国民
ことがわかる。
政府の下で大幅に制度化されていったと
次は、階級戦線の場合を見てみよう。
いうことである。周知のように、国民政
階級戦線でも、選択的な包摂のための制
府の初期の段階では、経済危機を追い風
度化が試みられた。野党政府の出帆以降
にしながら財閥改革が―妥協的にではあ
の労使政委員会などはその代表的モデル
るが―推進された。腐敗防止法の制定を
と言えよう。いわば労使政委員会は、以
通して、腐敗追放に対する市民社会の圧
前のような労使政の対立関係を乗り越え、
力が一定程度制度化されたことも、一つ
労使政それぞれの間での新しい協議のモ
の例である。過去の清算と関連して、
デルとして試みられたものである。これ
「疑問死真相究明委員会」の設立や民主
は、市民社会内における労働の要求を制
化運動の名誉回復及び補償なども進めら
度的なテーブルで議論し、収容するため
れることになった。
のものであった。そして、全教祖の合法
このような制度化の過程では、市民社
化、失業克服を目指す社会保障制度の拡
会が一定領域において受動化される様子
大、国民基礎生活保障法の制定など、多
も見えてくる。例えば、反腐敗のような
様な形で-組合主義的方法で-資本と労
場合、親政府的な反腐敗運動機構が存在
働、労働と政府の関係を形成しようとす
したりもするのである。国民政府はこの
る試みが現われている。労使政の協議モ
ような市民社会の受動化を加速化させ、
デルを通し、いくつかの社会保障制度の拡
親政府的な市民社会を動員するために
充、冒険的実業の実施なども達成された。
“第 2 建国委員会”なども創設している。
しかし、階級戦線の場合は、このよう
この様に、一定の側面では過去の市民
な制度主義的包摂を乗り越え、開放主
社会の議題が政府に収容されていく中で
義・市場主義的な発展主義の政策が新し
受動化も進んでいくことにはなったが、
く拡大推進されることで、新たな階級的
別の側面では野党政府の出現以降拡張し
亀裂が深まることになった。そしてその
た政治的・市民的活動空間に助けられて、
結果、上のような政府の“従属的新自由
多様な市民社会の改革圧力運動が展開さ
主義”政策に反対する労働陣営と政府の
れた。代表的なものとして、2002年 4 月
間で葛藤関係が拡大することになるので
には政治改革のための楽天落選運動のよ
ある。いわゆる“20:80社会”が到来し、
うなものがある他、2002年後半から実施
構造調整及び経済改革の過程で数多くの
された医薬分業、言論改革なども挙げる
失業者が生み出され、労働市場の柔軟化
ことができる。これらの運動は過去には
という名目で雇用関係が非正規職化した
“想像”もできなかったものであり、以
ことにより、所得不平等、雇用不安定が
前の国家―市民社会関係の中では実現し
一層深刻化して民衆の苦痛を強めること
- 116 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
になった 4)。金大中政府の下では、この
人権の侵害を予防することを目的として
ような市場の自律化と開放化が拡大推進
設立された国家人権委員会のような機関
されたことで、経済的自由化の“災禍”
は、人権運動の要求の制度化という点で
も一層大きくなった。野党政府の初期に
相当の進歩を象徴しているものであろう。
は、相対的には協議的関係が造成された
また、文化権力に対する監視と、大衆消
が、構造改革が進展するに従って労働陣
費生活文化上の諸問題を争点化している
営の抵抗的活性化はむしろ勢いを増した。
文化改革市民連帯の活動なども重要な変
そして、反労働的構造や労働排除的構造
化のうちの一つである。
の造成、あるいは改革に反対する労働者
の闘争が、“従属的新自由主義”に反対
生活世界運動の登場
する闘争へと収斂されていくことになっ
たのである。
民主政府の下における生活世界戦線の
変化の一つとして、市民社会活動が体制
三番目として、生活世界の戦線を見て
に対抗する運動から生活世界の領域まで
みよう。生活世界の戦線では、野党政府
拡大し、それに伴い“生活世界改革運
の出現による市民的・政治的空間の拡張
動”が浮上してきたということがある
を享有しながら、かつて周辺化乃至は抑
(Cho、2011年)。その一環として、開発
圧されていた多くの議題が新しく争点化
以降の時代に固有な新しい生活上の要求
されていく過程を踏むことになった。そ
―環境問題、消費者問題、安全な食べ物
して、“聴かれることのなかった声(the
などの問題―に対応する運動が出現し始
voice of the voiceless)”が制度的空間に
めた。ある意味で、過去には“絶対貧困
おいて反映される可能性も高まったので
問題”を中心に開発(development)と
ある。
それに伴う矛盾が問題化していたのに対
消費生活上の課題、人権、同性愛、障
し、ここでは開発以降の“新しい富裕”
害者、外国人労働者など、マイノリティ
と“富裕の矛盾”を争点化する運動が出
ーの問題が新しく争点化され、かつ重点
現したことになる。
的になったことは、重要な変化であると
このような生活世界志向的運動の登場
言える。このような生活世界の問題を中
と浮上は、いわゆる“脱物質的価値
心とする新しい政治化と争点化は、部分
(Inglehart、1997年)が大衆の生活世界
的な制度化も達成した。市民的・政治的
の中でより一層重要になったことと軌を
一にしている。ポスト開発資本主義時代
4)
労働所得分配率の推移を見ると、1996年
64.2%、1997年62.8%、1998年61.6%、
1999年59.7%、2000年59.4%といったよ
うに持続的に減少していることがわかる
(統計庁)。1996年における上位20%世帯
の収入は、下位20%の所得の4.74倍であ
ったが、2000年には6.7%にまで増加し
た(東亜日報、2002年 4 月26日)。
における新しい生活世界の改革的運動は
多様である。例えば、環境、性差別、同
性愛、ポルノ問題、姦通罪廃止、フェノ
ール汚染事件、各種不良食品の問題、消
費者の諸問題、情報人権、知識権力、チ
ャペル問題などが挙げられる。
- 117 -
年報 公共政策学
Vol. 7
“保守の能動化”と“市民社会の葛藤的
分化”
市民社会との逆説的な乖離が拡大したと
いうことになる。
民主政府の末期には、“二重的国家”
このような点で、前者を反独裁民主政
としての性格が矛盾を生じさせ始めてい
府の統治に対する“保守的離反と抵抗”
た。すなわち、一方で民主改革の議題を
とすれば、後者は“進歩的離反と抵抗”
政策化させ―制度化の水準にまで―実現
と呼ぶことができる。これら二種類の離
させたことによって生じた危機である。
反は反独裁民主政府、特に盧武鉉政府の
反独裁民主化運動とそれ以降の民主改革
危機を深刻化させた。加えて、このよう
運動で要求していた民主主義戦線の多様
な危機的様相は盧武鉉政府主導部におけ
な議題が実現すればするほど、次第に
る“統治の美徳”(チョ・ヒヨン、2009
“国民的合意が広範囲に存在する議題”
年)の不在によって一層加速化したもの
を通り越し、熾烈な闘争の対象となる議
である。
題にまで対面するようになったのである。
ここでは前者を“保守の能動化”と表
例えば、2004年の“4 大改革立法”をめ
現することにしたい。保守勢力の能動化
ぐる状況がまさにそれである。この4大
と関連して開発独裁の時期には官辺団体
改革立法には国家保安法や私立学校法な
の能動化があったが、これは単純に上か
どが含まれていた。しかしこれらは、保
ら動員されたものに過ぎなかった。1987
守勢力の強力な抵抗を呼び起こす課題で
年以降の改革の局面では、保守勢力が民
ある。これは“民主改革の水平的拡散”
主改革という時代精神に圧倒され、積極
(チョ・ヒヨン、2009年)に伴う危機で
あると表現できよう。
的な攻勢を取ることができなかった。し
かし、以上の二つの危機要素が媒介とな
反対に、まず階級戦線では、反独裁民
って保守勢力の能動化が現れ始めた。進
主政府が新自由主義的発展主義を収容し、
歩改革勢力からは不可避なものと見なさ
それに伴う経済政策を実施したことで、
れていた改革、例えば過去の清算に対し
先に述べた様な両極化と雇用不安定、所
て、保守勢力は“過剰改革”や“社会主
得分配の悪化、非正規職化など多様な社
義的改革”としてそれを激しく批判し 5)、
会経済的問題が出現した。反独裁民主政
府はこのような問題に対して、積極的な
5)
“社会経済的進歩主義”を具現する政策
を実施することができなかったため、危
機的要因は一層拡大したのである。すな
わち、国家の民主化の速度に比べ、市場
権力の強化と市民社会の階級的両極化が
はるかに急展開した。しかしそれに対応
して、その危機を相殺する積極的な社会
政策を民主政府が駆使することができず、
- 118 -
過去の清算の一部として定められた“民
主化運動名誉回復法”に従った過去の清
算過程は、これを如実に示している。
1989年、7 名の警察が亡くなった事件に
関わった学生がこの法律に基づいて民主
化運動家として名誉回復したのであるが、
これに対して保守勢力は激烈な抵抗を見
せた。このような保守的抵抗以外にも、
光州民主化運動関連者が国家遺功者とな
り、5.18墓域が国立墓地となったことに
対して、進歩的過去の清算の名を借りた
国家主義の強化であると、進歩陣営の内
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
積極的に保守勢力を動員して多様な抵抗
間が過ぎる中で“民主化の成果”自体は
的集団行動を組織した。市民社会内での
“与えられた”ものとして認識されるよ
このような新しい“保守の能動化”現象
うになり、大衆は自分たちの社会経済的
に伴い、市民社会はやがて“葛藤的分
問題を解決できない反独裁自由主義民主
化”に移行することになる。これこそ、
政府、ひいてはそれが掲げる民主主義自
チェ・ジャンジプ(2010年、7 章)が表
体に不満と疑問を抱くようになる。すな
現したように、“国家対市民社会”から
わち、反独裁自由主義勢力の“社会経済
“市民社会対市民社会”の対立構図への
的挫折”が民主主義に対する不信にまで
変化である。実は、民主化の過程は市民
繋がるということである。このような現
社会のヘゲモニーをめぐる闘争の過程で
象はアジアのほぼ全てのポスト独裁政府
もある。独裁末期及びそれ以降の初期過
あるいは民主政府に当てはまる。アジア
程が市民社会の進歩的ヘゲモニーの作動
の多くの国で、“反独裁民主政府”を経
していた時期だとすれば、民主化への移
て逆説的な民主主義の“逆転”が起こっ
行の過程は―過去の問題を解決しながら
ているのである。
新しい問題が登場する過程という意味で
民主化の“社会経済的成就”のこのよ
-各国によって複雑な変化の様相を見せ
うな遅滞は、“新しい発展主義”で民衆
ることになる。
の不満を占有する保守勢力に政権が渡る
という結果を生んだ。2008年に韓国で成
反独裁自由主義勢力の社会経済的失敗が
立した李明博政府や、台湾の馬政府の成
民主主義に対する不信に:“新保守政
立はそれを表している。このような意味
権”登場の意味
で、反独裁自由主義政府の終焉と“新保
このように、新自由主義の地球化とい
守政権”(チョ・ヒヨン、2008年)の登
う国際的条件と、内部の強力な資本権力
場は、“民主主義を急進的に拡張できな
及び主体的な戦略能力の脆弱性などによ
かった進歩勢力に対する大衆の復讐”と
って民主化が制約され、民主化が政治的
表現することができよう。
改革主義を越えた社会経済的進歩主義に
発展できなくなってくると、大衆は民主
5.
主義自体に対する不満を表出させはじめ
ポスト民主化体制への移行と国家―
市民社会の変化および社会運動
る。大衆の間に“独裁時代の記憶”が鮮
明に存在している時にはこのような不満
1) 新保守政府の出帆とポスト民主化体制
をわきにやることもできるが、徐々に時
2007年12月、李明博候補は野党勢力の
鄭東泳候補を押さえて当選した 6)。反独
部から批判が上がった。例えば、ムン・
ブシクが“記憶の国家化”という見地か
ら批判したことで、これをめぐる論争が
展開されている(ムン・ブシク、2002
年;チョ・ヒヨン、2002年を参照)。
6)
- 119 -
2007年12月の大統領選挙は、李明博ハン
ナラ党候補が1,148万(48.67%)の支持
を得て、617万4,681表(26.14%)だっ
た鄭東泳候補を押さえ当選した。
年報 公共政策学
Vol. 7
裁民主政府の時期が終結し、李明博政府
降定着した民主主義的選挙政治の枠内で
が登場したことは、“政府変化”の側面
作動していた点でも両者は異なる。しか
から見ると、中道改革自由主義政府から
し、李明博政府と開発独裁政府は親企業
“新保守政府”への変化として捉えるこ
的・親大企業的という点で完全に連続し
とができる。くわえて、より広く見た歴
たものと見ることができる。過去の開発
史的な文脈では、“ポスト民主化体制”
独裁政府が新重商主義的発展国家として
への転換であるとも言える。
機能していたとすれば、李明博政府は全
面的な新自由主義的発展国家として機能
開発独裁的旧保守と新保守の連続性と差
していた。李明博政府の性格は、李明博
が現代建設という建設会社の CEO であ
別性
韓国では、1961年を起点に開発独裁時
ったという点、そしてそのような意識に
代が始まり、1987年 6 月の民主化抗争で
駆り立てられたものであったという点で
民主改革時代が始まったのだとすると、
-朴槿恵を今後“温情的保守”と定義す
民主改革をめぐる複合的な葛藤を経過し
るのと対立させ― CEO 保守と定義する
て―2007年12月の大統領選挙で保守勢力
ことができる。
が勝利したため―新保守政府時代が到来
したことになる。筆者は“権威主義的新
ポスト民主化という時代規定
保守政府”という表現を用いる。新保守
ところで筆者は、新保守政府の成立を
政府というのは、1960・70年代の独裁的
単純に政府交替の次元では捉えずに、
保守政府と区別する意味がある。また、
1987年 6 月の民主抗争を通して成立した
権威主義的というのは、李明博政府が市
“民主化体制”が、“ポスト民主化体制
民社会の躍動性と抵抗に対して抑圧的な
(民主化以降体制)
”へと移行する契機と
性格を強く有していることを意味してい
して捉えている。これは、2008年の李明
る。
博政府の成立を契機に出現したという点
新保守政府と呼ぶものは、当然ながら
旧保守政府と同質性を持ちつつ、同時に
で“08年体制”と呼びうる 7)。ポスト民
主 化 は 、 い わ ゆ る “ 独 裁 対 反 独 裁 ”、
差別性も有しているものである。差別性
“(民主)改革対反改革”の構図が周辺化
から見ると、旧保守が“安保系保守”の
され、新しい対立線をとりまく角逐の時
性格を帯びていたとすれば、新保守はよ
期という意味を含んでいる。すなわち、
り典型的な“新自由主義的保守”として
“ポスト87年体制”という意味で“ポス
の性格を帯びていたものと捉えられる。
これは、暴力的手段を日常的に用いた過
去の“ファッショ的”旧保守とは異なる
7)
ものである。また、旧保守が民主主義的
選挙政治を“無力化”させるやり方で作
動していたのに対し、新保守は1987年以
- 120 -
チェ・ジャンジプは自身の著書『民主化
以降の民主主義』において「以降」とい
う言葉を用いているが、ここでの「民主
化以降」は民主化が始まって以降の時期、
つまり大局的には1987年体制を主に意味
している。
シンポジウム II:北海道ダイアログ
ト民主化”という概念を用いることにな
東アジアにおける市民社会対話
として機能していることを意味する。
る。これは結局、韓国社会乃至は韓国の
朴正煕開発国家が、産業化初期の段階
民主主義が、1987年以降の一つのサイク
における国家―市場の強力な同盟を象徴
ルから新しいサイクルに転換したことを
するとすれば、新自由主義的発展国家は、
意味している。
既に強力になった大資本と国家の新自由
主義的同盟を象徴するものと見ることが
国家主義的類型の“新自由主義的発展国
できる。新保守手政権の下で、資本権力
家”
と市場権力は―1987年民主化体制下の守
次に、国家の性格については、1960・
勢的地位を抜け出し―より一層攻勢的な
70年代の“新重商主義的発展国家”が
地位に立つようになったのである。反独
“新自由主義的発展国家”へ転換したと
裁民主政府の下では、“民主改革的政
言える。反独裁民主政府時代には、民主
治”と“新自由主義的経済”論理は一定
改革国家という性格と新自由主義的国家
の緊張感を持って存在していたが、新保
という性格が緊張の中で共存していた。
守政権下ではそれが全面的な親和関係に
そのような点に基づき、それを“二重的
変化した。このように変化した条件の中
国家”と表現することができる。その反
で、資本権力と市場権力は、自分たちの
面、李明博政府の下では、CEO 型保守
要求と利害に反する民主改革的諸制度―
の登場と典型的な“新自由主義的発展国
出資総額制限制度、労組専従者賃金の支
家”が動き始めたと言える。これは、新
給、労働法上の不利な条項など―を解
自由主義的競争国家として、政府がより
体・変形させたのである。
一層積極的に市場と資本に親和的なもの
- 121 -
つまりここでは、下の図にあるような
年報 公共政策学
Vol. 7
構図が作動していると説明できる。まず、
民社会内の諸戦線でどのような変化が現
新保守政権の下で、新自由主義的発展国
れたのかを見ていくことにする。まず、
家が“強力になった資本と市場”と積極
民主主義戦線の変化である。先に李明博
的な同盟関係により作動する。そして、
政府を“権威主義的新保守政府”と表現
この強力化した市場と資本は、市民社会
したように、過去と同一のものではない
を不断に植民化することで“葛藤的分
が新しい形態の“権威主義的統治様式”
化”の中に置かれている市民社会が親資
に回帰した李明博政府は、民主主義戦線
本的・親市場的に作動するように企図す
を新しく躍動させたと言える。
る。反独裁民主政府以降の市民社会では、
進歩改革的勢力のみが能動化するのでは
権威主義的傾向の強化に伴う民主主義戦
なく、“保守的市民社会”勢力も能動化
線の躍動化
するのであるが、この保守的市民社会は
李明博政府は、初期の段階では民主主
新自由主義的発展国家と積極的に同盟す
義的統治様式に対する修辞を繰り広げて
るため、そこに進歩改革的市民社会が対
いたが、次第に権威主義的統治様式に傾
立する構図となって現われるのである。
倒して行った。
李明博個人は、過去の独裁勢力の桎梏
2) 新保守政府下における社会運動の変化
から総体的に自由な反独裁民主化運動の
そこで、2007年以降李明博政府下にお
“6・3世代”であった。しかし、2008年
ける市民社会の変化について見てみよう。
の蝋燭デモに対する強硬鎮圧から2009年
李明博政府は韓国の国家―市場―市民社
1 月10日のインターネット寄稿者「ミネ
会の関係から見ると、“極端に保守的”
ルバ」拘束、2009年 1 月20日の龍山での
な性格を持ったものと言える。1987年以
アパート立て籠もりに対する強硬鎮圧に
降の民主化の過程で達成された民主主義
至るまで、徐々に権威主義的統治様式に
の形式は保ちつつも、それを実質的に形
依存する方向へと変化したのである 9)。
骸化させることで、李明博政府は市民社
新保守政府の権威主義的傾向はオフラ
会内での多層的な躍動化現象を生むこと
イン領域での大衆の行動に対してだけで
になった 8)。
はなく、サイバー領域にも同時に向けら
民主主義戦線の変化
それでは、李明博政府の成立以降、市
8)
9)
2008年 5 月から 2 ヶ月間繰り広げられた
「蝋燭デモ」は、新しいイシュー(アメ
リカ産輸入牛肉問題のような生活問題)
や新しい主体(中高生を含む若い世代の
参与)の登場によって、李明博政府の下
で市民社会が沈滞せずに躍動化する契機
を提供した。
- 122 -
盧武鉉政府の下では“階級本質主義”的
抑圧性が維持され、末期には開発主義的
習性が FTA 推進のような形で表出する
ことはあったが、過去の開発主義的習性
と抑圧的習性が一定まで抑えられていた
と言える。この時も、過去の開発独裁的
官僚の間では昔の習性や志向と民主政府
の志向との間に最小限の緊張を孕んでい
たが、李明博政府ではこれがせめぎ合う
ことなく表出したのである。
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
れることになった。例えば、前者は街頭
に縮小あるいは無効化した場合が多い。
デモや整理解雇反対労働争議などを指し、
李明博政府は、政権交代に伴う政策転換
後者は SNS(social network service)や
の次元を超え、“改革政策の逆転”及び
インターネットなどのサイバー領域、モ
“過剰な過去回帰”をしていると市民社
バイル通信領域などを指している。前者
会の進歩改革的勢力が認識するようにな
の領域での権威主義的抑圧が大規模な抵
ると、それに従って多くの亀裂や抵抗が
抗―例えば龍山の事件のような―に繋が
新しく表れ始めることになった。
ることは当然あるが、後者の領域でもよ
り一層躍動的で広範囲な抵抗を産み出し
李明博政府の下での階級戦線の変化
た。すなわち、インターネットのシャッ
次に、ポスト民主化体制の新保守政府
トダウン制やインターネット実名制を導
下で、階級戦線にいかなる変化が現れた
入し、インターネット内の自由を抑圧し
のかを見てみたい。
ようとしたことに対する多様なサイバー
李明博政府は、当初から露骨かつ持続
行動主義が表出したのである。選挙時期
的に、支持階級に対する友好的な経済政
の SNS 通信を不法化しようとする動き
策を実施した。例えば、総合不動産税の
などは―既存の合意的規律が存在しない
還付、各種不動産税の緩和、企業に対す
ため―逆にサイバー空間での大衆、特に
る税制緩和といった各種の税負担の軽減、
若年層の躍動性を助成した。
首都圏の規制緩和、四大江整備事業の進
このような権威主義的様相が市民社会
展などを挙げることができる。これらの
内で潜在化乃至は受動化していた民主主
政策は、“経済危機克服”や、過去の政
義的戦線を活発化させ、多様な積極的行
府による過度な税負担の軽減を通して経
為を噴出させた。もちろん、この時の民
済を活性化させること、などを大義名分
主主義戦線はそれ以前の“独裁対反独
としているが、実際のところは自らの支
裁”や“改革対反改革”の境界で活性化
持階層に経済的恩恵を与えていることが
したものとは異なる。
明らかである。
民主主義戦線の再活性化は、“民主政
李明博政府は、四大江事業に22兆ウォ
府10年”間の進歩的発展を李明博政府が
ンを注いだ。これは、自分たちの確固た
“逆転”しようとする過程で発生した。
る支持基盤である既得権勢力、特に土建
国家人権委員会をめぐって生じた摩擦が
開発勢力に対して明らかな経済的恩恵を
その代表的なものである。2009年 1 月22
与えるものであった。
日、李明博政府は208名規模の人力をそ
この点は、労働者、農民、庶民などに
の 3 分の 2 水準となる148名に縮小し、
対する積極的な恩恵政策が十分に実施さ
人権委員会の地域事務所 3 ヶ所を閉鎖す
れていないのと対照的である。2009年 1
るなどの処置を取った。地方分権化のた
月の龍山事件のような場合は、それを顕
めの政策も、大部分が逆転した。時々形
著に象徴している。この事件は、都心再
式的には維持されたが、内容面では大幅
開発のような巨大な開発利益が生み出さ
- 123 -
年報 公共政策学
Vol. 7
れる事業での開発利益の分配、あるいは
まることになる。
最小限の生計補償を要求する住民に対し、
これは、ポラニー(2009年)的意味で
経済的な恩恵の代わりに悲惨な禍を“贈
は“悪魔の石臼”が作動しているものと
呈”した事件であったと言える。李明博
表現することができる。つまり、市場の
政府の出帆以降、庶民と民衆に対する積
論理が全社会にまで拡大し、それに対応
極的な経済政策の不在という特徴が顕著
して社会の自救的抵抗が増大することを
になった。
意味する。地球化を背景とする新自由主
義的国家・経済運営の拡大は、“社会の
資本の支配領域拡張に伴う社会の抵抗
解体的危機”を同伴することで社会から
このような亀裂と抵抗は、単なる最下
の抵抗を産み出したのである。つまり、
層の問題や特定階級の問題というだけで
これがポスト民主化時代の抵抗の躍動性
はなかった。この点では、ポラニー
を産んだ別の要因である。
(Polanyi)的な洞察に依拠することがで
民主政府の10年、そして李明博政府の
きる。すなわち、市場の支配領域が拡張
初・中盤を、いわゆる新自由主義的競争
する中で社会による自己保身のための応
論理を“不可避な”ものとして収容しな
戦が現れ、それが社会の抵抗を呼び起こ
がら、それに対して大衆が適応的競争を
したということである。
していた時期(いわば“新自由主義的統
李明博政府が、資本運動に対して、公
治性”が作動していた時期)とするなら
的統制よりも国際競争力強化のための支
ば、李明博政府の後半は大衆の抵抗性が
援戦略を行使したことで―市場と競争を
さらに拡大した時期であったと言える。
重視する新自由主義的談論によって正当
そこでは、非正規職や整理解雇の現実を
化しつつ―(大)資本の蓄積運動は、一
順応あるいは適応すべきものとして受け
部の産業分野ではなく全経済分野、大衆
入れていた状態から、変化可能なものと
の生活全域に拡張することになった。特
して抵抗しようとする方向へと変化し始
に、産業や金融領域だけではなく、流通
めたのである。韓進重工業の整理解雇に
やサービスの領域などに大資本及び中規
対するキム・ジンスクのクレーン闘争、
模資本が大々的に浸透するようになり、
2010年の希望バスに象徴される全国的連
自営業者が主に基盤を成す領域でも急速
帯闘争がこのような変化を最も劇的に表
に“下降分解”が現れた。このような現
している。
象は、新保守政府の下で親企業的政策が
浮上したことでより一層可視化された。
生活世界戦線の変化
韓国では自営業部門が下層大衆の経済活
三つ目として、李明博政府下では生活
動が行われる領域なのであるが、このよ
世界戦線での新しい躍動性が表出した。
うな領域で下降分解が拡大し、正規職部
反独裁民主政府の下での生活世界戦線の
門での非正規職増大がそれと結びつき、
活性化は、実際のところ“上からの改
大衆の社会経済的生活の不安定が一層強
革”が追い風となった側面が大きい。つ
- 124 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
まり、“抵抗的活性化”という意味が大
進歩主義者足り得ないという条件を出現
きくなかったのである。しかし、
させたわけである。土建国家的開発主義
李明博政府の下で民主主義が後退して
を追い越すための先行闘争は、すでに韓
新権威主義的性格を帯び始めたことに加
国でセマングム闘争や廃棄場闘争を通し
え、すでに反独裁民主政府の下での“開
て展開されていたのであるが、このよう
放”という経験があったことによって、
な先行闘争を追い風に李明博政府の下で
むしろ“抵抗的”性格の生活世界政治が
民主主義の生態的次元が大衆的な水準で
活性化することになった。
可視化されたということである。これは
このような生活世界戦線の躍動化をい
くつかの側面から考察してみよう。まず、
市民社会の変化の重要な側面であると言
える。
“四大江反対闘争”を通して生態環境問
次に、市民社会活動が、国家と市場に
題を中心とする市民社会の新しい変化が
対抗してそれを“外在的”に監視する活
現れた。従来、韓国の市民社会における
動から“自助的”で代案的な活動に拡張
変化の過程では、生態主義は重要な議題
したということについてである。これを
とはなり得なかった。1973年に蔚山空港
先の生活世界改革運動に照らすと、“代
の起工式では“ルールの軌跡を超越し、
案的生活世界”運動であると言うことが
新羅の力を再現しようとするこの民族的
できる。これは、既存の体制が前提する
な要求を、ここ蔚山で実現しようとする
生活世界それ自体を拒否するという点で、
ものであり・・・産業生産の黒い煙が大
体制自体からの離脱を目指す運動、すな
気に流れ出すその時には、国家と民族の
わ ち “ 体 制 離 脱 的 運 動 ( regime-exiter
希望と発展が眼前に到来したことを知る
movement)”と表現することができる。
こ とでし ょう ”(チョ ・ヒ ヨン、 2007
このような代案的運動は、多様な形態
年:226頁)と示唆した。
として現われた。例えば、生命思想、生
事実、既存の開発独裁国家は労働者と
態共同体主義、霊性、無所有の思想、生
農民を抑圧する国家だったが、他の側面
態主義、共同体主義などの多様な代案的
では全国土を開発主義的狂風に巻き込む
価値や思想に基づいた新しいフレームを
“土建国家(ホン・ソンテ、2011年)”と
構成する努力などがそれである。このよ
して再生産された。このような土建国家
うな価値の拡散と共に、韓国でも帰農運
的モデルは、“ニュータウン”という変
動、生態共同体運動、スローライフキャ
形した形で再生産・拡大されたものであ
ンペーン、運動家の霊性、ファストフー
り、これが民主主義の問題として争点化
ド反対運動、菜食主義、ボチュプロジェ
されることはなかった。しかし、李明博
クトなど既存の主流的価値とは異なる生
政府の下での四大江反対闘争は、逆説的
き方と価値を追求する流れが生じた。こ
に韓国民主主義運動の生態主義的志向を
れと共に、代案的な共同体を形成しよう
強化する方向に作用した。ある意味で
とする運動もあった。代表的な共同体運
“生態主義者”でなければ市民社会内の
動として、山岸農場(ヤマギシズム運動
- 125 -
年報 公共政策学
Vol. 7
の産室)、ガンジー学校、多日共同体、
社会的企業、生協などの協同組合、共済
ハンマウム共同体、茂朱安城面のミルア
組合、労働者所有企業、非営利組織
ル労働家族などが挙げられる。また、生
(NPO)などが含まれると考える。
活協同組合運動は代表的な代案的生活世
市民社会内での複数の活動を、営利性
界運動と言えよう。韓国女性民友会のハ
と非営利性で区分し図解すると、次のよ
ンサルリム運動やプルム生協、都農共生
うになる。
運動を展開する共生農ドゥレ(1995年)、
このように見ると、まず1987年以降は
ホジョ生協など、多くの生協運動がポス
経実連(1989年創立)、参与連帯(1994
ト開発資本主義化の挑戦の中で次第に大
年創立)などに象徴される伝統的な
衆参加的な運動として発展していったの
NGO が市民社会の“ヘゲモニー的活動
である(市民の新聞【編】
、2004年)。
類型”として存在していたことが分かる。
それが最近になり、社会的経済に該当す
社会的経済運動の拡散
る市場内の非営利的経済活動が注目され
このような生活世界改革運動の一環と
して、市場における私的利潤の獲得を目
るようになり、進歩的性格を帯びながら
拡散したと見られる。
標とする企業活動とは異なった非私的経
市民社会組織を次の様に分類すると、
済活動を組織する自助的な市民社会活動
主に NGO が国家権力を監視しながら対
も拡大した。資本権力と市場権力による
抗する“抵抗的活性化”の代表的運動だ
大衆の生活世界の植民地化が拡張する中
ったのが、次第に進歩改革的流れが大衆
で、むしろ自助的な市民社会活動が広が
の多様な生活領域で拡張し、“市場的領
ったのである。筆者はこの自助的活動に、
域での市民社会運動”がより拡大するこ
- 126 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
とになったと判断できる。図で見るよう
させる条件を強めた。ある意味、民主政
に、市民社会活動としては伝統的な
府の時期には抵抗の収斂傾向が制約され
NGO が注目されていたが、市民社会運
ていたのとは反対に、相互連結化の可能
動の一環としては社会的企業や協同組合、
性が大きくなったものと言える。特に、
生協などが注目されていた。このような
李明博政府下で推進力を与えられた新自
社会的性格を持った企業と協同組合が作
由主義的資本主義が―これは、市場と大
られるようになったことで、下からの要
資本の独占力を拡散する過程でもあった
求によって社会的企業育成法が2007年 7
―全生活領域に拡散されたことにより、
月に、協同組合法が2012年12月から施行
多様な抵抗が相互連結しながら表出し、
された10)。
いわゆる“反李明博”の内容性が、両極
化、不平等、民生、財閥改革などに収斂
2012年大統領選挙をめぐる民主主義の構
されたのである。このことは、二つのこ
成的角逐
とを意味する。すなわち、四大江“生か
上述のように李明博政府の下では市民
し”事業に対する抵抗が、親企業的開発
社会の複数の戦線で躍動化現象が現れ、
主義政策による大規模な自然破壊に抵抗
このような市民社会戦線での角逐を総和
したものであるということと、大企業、
する政治的角逐が、2012年の大統領選挙
特に流通大資本が通りの商圏や在来市場
で明らかになったものと思われる。
の商圏に拡散的に浸透することに対する
先にも触れたが、李明博政権の企業親
多様な抵抗が拡張しているということで
和的且つ“反庶民的”な政治基礎は、多
ある。このような抵抗性の拡散と顕在化
様な生活領域の抵抗を相互連結的に作用
は、過去の民主政府が推進できなかった
福祉、経済改革、財閥改革、医療福祉、
10) 社会的企業の場合、2007年の約50社から
2012年には認証社会的業が680社まで増
加し、自治体型の予備社会企業を含むと
約2000余社に達した。雇用された有給勤
労者も約13,000名となっている。続いて
協同組合の場合、韓国では開発独裁体制
による上からの“国家組合主義的”組織
の一環として1961年に始まった。1962年
には水産業協同組合も始まった。しかし、
民主化の過程における市民社会活動の一
環として扱われるものは、“下からの協
同組合運動”と呼ぶことができる。この
代表的なものは1988年の“ハンサルリム
共同体消費者協同組合”であろう。2011
年以降には“協同組合支援法”により 5
人以上で自由に生活協同組合を構成でき
るようになるなど、新たな協同組合的運
動が拡散している。
教育福祉などの課題をめぐる保守と進歩
の競争構図を逆説的に描き出すことにな
った。2012年大統領選挙の核心的な争点
は―李明博政府の下でより悪化した―民
生、福祉、経済改革、両極化解消などの
社会経済的課題であった。先に言及した
階級戦線での新しい躍動性が、このよう
な問題を政治の核心的な課題に変えたと
考えられる。もちろん、このような階級
戦線の躍動性は、単純に大衆が明らかな
階級的・政治的意識を持つようになった
ことを意味するものではなかった。分断
体制の影響と依然として存在する反共分
断意識により、階級戦線の躍動性も、大
- 127 -
年報 公共政策学
Vol. 7
衆が階級的意識を持つように仕向ける段
衆から批難を浴びて“周辺化”されたこ
階には達しなかったのである。ただそれ
と で、 2012年 の選挙 は以 前と異 なり 、
は、李明博式親企業政策に対する挫折と
“朴槿恵を中心とする保守勢力”対“民
怒りとして表明され、既成政策の福祉競
主統合党の文在寅候補を中心とする進歩
争、経済民主化競争という形で出現させ
改革陣営”の全面的対立となった。この
たものであった。2012年大統領選挙で朴
選挙で、60・70年代開発独裁体制を主導
槿恵が李明博式の CEO 型保守のイメー
した朴正煕の娘である朴槿恵セヌリ党候
ジを脱ぎ捨て、“温情的保守主義”のイ
補が当選したことにより、市民社会は新
メージを打ち出したことも、このような
しい条件に向き合うことになった11)
大衆の変化によるものである。
参 考 文 献
大統領選挙と市民社会
2012年の大統領選の過程で、市民社会
が露わにした変化も特徴的である。すな
わち、市民社会が国家からの“十分な独
立性”を確保できず、大統領選での両陣
営の角逐に深く結びついたことである。
先述のように、民主主義戦線と生活世
界戦線での抵抗的活性化は、保守政治勢
力と進歩改革政治勢力の対決に結びつき、
大統領選挙では保守的市民社会と進歩的
市民社会がそれぞれ前者と後者に結合し
ながら熾烈な角逐を展開する状況となっ
た。民主化体制下で市民社会運動が政治
勢力と距離を置きつつそれを批判する形
で介入したのに対し、2012年大統領選挙
では、政治勢力内部における保守対進歩
の対立構図と市民社会内部における保守
対進歩の対立構図が一体化する現象が起
きた。
すでに李明博政府を成立させる過程で
“葛藤的分化”に突入していた市民社会
は、2012年の大統領選を目前に控えて
“陣営的”対立へと転換し、角逐し合う
状態に至ったのである。特に進歩左派の
統合進歩党が2012年に不正投票事件で大
・ クォン・ヨンヒョク「ハーバマスと新し
い社会運動」、『社会批評』15号、1996年。
・ ムン・ブンシク『失くした記憶を探し
て』、三仁、2002年。
・ 市民の新聞(編)『韓国市民社会運動15年
史―1987~2002』、市民の新聞、2004年。
・ イ・ビョンチョン「転換期の韓国経済と
金大中政府の構造調整実験:グローバル
スタンダードと旧体制の악조합」、イ・ビ
ョンチョン/チョ・ウォンヒ(編)『韓国
経済、再生の道はあるのか―構造調整実
験の評価と展望』、タンデ出版、2001年。
・ イム・ジヒョンほか『われらの中のファ
シズム』、三仁、2000年。
・ イム・ヒョンジン/ソン・ホグン(共編)
『転換の政治、転換の韓国社会:韓国の政
治変動と民主主義』、社会批評社、1995年。
・ チョ・ヒヨン『韓国の国家・民主主義・
政治変動』、タンデ出版、1998年。
11) 2012年の大統領選挙では、保守候補であ
る朴槿恵が投票者全3072万人中1577万表
(52%)を獲得し、進歩改革連合候補と
言える文在寅が1469万表(48%)を獲得
した。以前であれば、進歩左派候補が
2002年に96万表(4 %)、2007年には71
万表(3 %)を獲得したが、2012年の選
挙では金昭延・金順子候補を併せても
53,000表(0.2%)程度しか得ることが
できなかった。
- 128 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
・
同上
「“過剰”な過去清算か、
“過少”な過去清算か」、『経済と社会』、
2002年秋号。
・
同上
『非正常性に対する抵抗か
ら正常性に対する抵抗へ』、アルケ出版、
2004年。
・
同上
『朴正煕と開発独裁時代』、
歴史批評社、2007年。
・
同上
「“新自由主義の地球化時代
の政治”と新保守政権」、『季刊動向と展
望』72号、2008年春号。
・
同上
「“87年体制”、“97年体制”
と民主改革運動の転換的危機」、キム・ジ
ョンヨプ(編)『87年体制論』、創批社、
2009年。
・
同上
『民主主義左派、チョルス
とウォンスンを論じる』、ハヌルアカデミ
ー、2012年。
・ チェ・ジャンジプ「変形主義と韓国の民
主主義」、『社会批評』13号、1995年。
・
同上
『民主化以降の民主主義』、
フマニタス、2010年。
東アジアにおける市民社会対話
・カール・ポランニー/ホン・ギビン(訳)
『大転換:我々の時代の政治的経済的起
源』、図書出版キル(道)、2009年。
・ Cho, Hee-Yeon. 2011. "Changes in Social
Movements and its Reconstruction in the
Democratization in Asia". In Hee-Yeon Cho,
Andrew Aeria and SongwooHureds.From
Unity to Multiplicities: Social Movement
Transformation and Democratization in Asia.
Selangor, Malaysia: Gerakbudaya/SIRD .
・ Gramsci, Antonio. 1971. Selections from the
Prison
Notebooks.
NY:
International
Publishers.
・ Habermas, J., 1989, The Theory of
Communicative Action. Lifeworld and
System: A Critique of Functionalist Reason,
Vol. 2, trans. by T. McCarthy, Cambridge:Polity.
・ Inglehardt, Ronald. 1977. The Silent
Revolution, Princeton: Princeton University
Press.
- 129 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
■ 報告
韓国における女性学:歴史的軌跡とポジショナリティ
(Korean Women’s Studies: Historical Paths and Positionality)
中央大学校社会学科教授
イ・ナヨン
I はじめに
代の成長期には、すでに多くの学者たち
が韓国女性学の「現状」を点検し「危機
この論文は、高等教育の産物としての
診断」を試みたのである。Hyung Cho
韓国の大学における女性学の現況と変化、 ( 1990 ) を 筆 頭 に Soon-Kyung Cho
そしてこれらをめぐる知識生産の経路を
( 1992; 1999 )、 Joo-Hyun Cho ( 1996a;
追跡することに目的を置くとする。また、
1996b; 2000)
、Jung-Hee Kang・Sook-Jin
分科的学問とする女性学の制度化過程と
Lee(1996)、Jeong-Wook Lee(1996)、
現況を分析し、この過程に影響を与えた
Eun-Shil Kim ( 1998 )、 Hyo-Jae Lee
社会的背景を検討してみることにする。
(1994; 1996)、Ok-Ra Cho(1999)、Jae-
特に、2000年以降における韓国の高等教
Kyung Lee(1999; 2000; 2003)は、女
育政策の変化に伴う女性学の変化につい
性学の教育方法と教科課程、学問として
ての分析を試みる。
女性学のアイデンティティ構築、他の分
韓国における女性学の歴史は、1977年
科学問との関係性の問題などを論議し、
アジアでは最初である梨花女子大学に開
また韓国女性学会は1996年と1999年、二
設された教養女性学講座を出発点とする。
度にかけてそれぞれワークショップと学
以降、1982年梨花女大学大学院に開設さ
術大会の主題で女性学教育と知識生産の
れた女性学科の修士課程、そして1984年
問題を扱った事がある。爆発的な社会的
には女性学が分科学問であると宣言した
(大衆的)関心以降、揺れ動く女性学の
「韓国女性学会」の創立は画期的な出来
分科学問的アイデンティティに対する悩
事である。このような過程は、教養女性
みは、特に1990年代後半アジア通貨危機
学講座の開設、学位課程の確立、分科学
以降(韓国ではこの時期は IMF 時代と
問の成立と他の分科学問への拡散という
称す)著しかった。例えば、Joo Hyun
制度化の軌跡と一致する側面があるため、
Choo(2000)は新しい世紀の内的・外
筆者は時期別の特徴を知識生産の構造と
的変化伴い、学問的アイデンティティを
場(arena)を中心に分析することにす
追い求めながら同時に制度的拡張を成し
る。
遂げなければならない韓国女性学の課題
1970年代と80年代の胎動期を経て、女
を指摘した事がある。彼は、外的条件の
性運動と学問が爆発的に成長した1990年
変化に対応する形で、学会レベルでは研
- 131 -
年報 公共政策学
Vol. 7
究領域の変化及び分科学問の拡張を、大
所と学術誌、学会を検討した上で、他の
学院における女性学専攻課程では研究領
学問分科に及んだ影響に対して、社会学
域の専門化とその領域に関する大学単位
の観点から言及したいと考える。第三に、
の学制間研究の強化を、学部課程では教
変化の様相を解釈する過程で筆者は、
養教育体系の参加と開発に対する長期的
1990年代中盤以降学問への機会構造自体
計画を提案したのである。同時に内的条
が変化したことに注目し、学問の資本主
件への対応は、ジェンダー概念の強化と
義の拡散、新自由主義市場競争体制の深
独立的な女性アイデンティティ構築が前
化との関係において大学政策の変化と大
提にならなければいけないと指摘してい
学構造調整の圧迫など、他の外部的要因
る(169)。
を考慮しながら分析する。最後に、これ
しかし全般的な学問の「危機」談論が
増幅した2000年代中盤以降、他の学問的
を念頭に、以後の課題と展望を述べたる
ことにする。
分科では大韓民国高等教育政策の変化と
大学との関係が経済的・社会的・政治的
II 韓国の女性学、制度化の歴史的軌跡
脈絡下に新しく眺望されて来たことに比
べれば、相対的に韓国女性学に対する体
韓国の女性学の制度化過程に対する分
系的な診断はいまだ行われていない。そ
析は、この間一部のフェミニストの学者
の変わり、多様な政治的・社会的・文化
たちによって多様な方法行われている。
的現象がフェミニズムという名の下に議
Eun-Shil Kim ( 2010 ) は 最 初 の 時 期 を
題化され、民主主義の強固化以降に女性
1984年から1995年と設定し、「普遍的思
運動の制度化と学問と運動との関係をど
考」としてのフェミニズムという枠組み
のように設定するかという悩み、世代の
で女性経験の特殊性を強調したこの時期
間差、女性たち内部の差に対する悩みが
に、女性学の認識論的枠組みの発展が成
多様な研究主題として表出された。それ
り立ったと述べている。二番目の時期は、
では、「女性学」は「今」どのような地
1995年から2004年までを女性学が制度化
点に立っていて、この座標が位置する背
され「ジェンダー」が韓国社会で専門化
景は、果してどのような姿を見せている
される時期とされている。この時期は、
のであろうか。
学際的(interdisciplinary)プログラムあ
分析の主要内容は次のとおりである。
るいは学科として女性学が大学院だけで
第一に、女性学の制度化の歴史的軌跡を
はなく学部レベルでも提供され、女性学
追い、第二に、学位課程の女性学/ジェ
的知識を提供する多様な社会機構や政府
ンダー関連学科(大学院と学部連携専
機構が登場し、1999年には学術振興財団
攻)、女性学/ジェンダー/女性関連教科
(現韓国研究財団)にて独立した分科学
目、教養女性学の現状を検討し、変化の
問として登録されるようになる。特に、
推移を見てみることにする。また、女性
1995年北京女性大会以降、ジェンダー主
学における知識生産に寄与している研究
流化(gender mainstreaming)という名の
- 132 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
下で政府政策とフェミニスト陣営との間
は「韓国人文学の危機'」談論と土台を
に友好関係 が築かれ、2005年韓国で開
共有しながら構造的な「危機」に直面し
か れ た 世 界 女 性 学 大 会 ( International
た分析する(333-334)。Eun-Shil Kim と
Interdisciplinary Congress on Women)で
同じように、Young-Sun Kim もこの時期
は「普遍性と特殊性」という以前の枠組
に果して女性学が必要なのかという問題
みを乗り越えることに寄与したと評価さ
が提起され、制度化過程で派生した慣性
れる。しかし、1997年いわゆる「IMF
的再生産、これによる問題を内的に省察
経済危機」以降の新自由主義の急速な拡
する必要性があると指摘している。
散と階級の両極化現象は、その間水面下
結局時期別の範囲化の問題は、制度と
で震動したフェミニスト陣営内における
して女性学をどのように理解し分析する
世代間の葛藤を増幅させたが、これは
か、これと関連して、これを分析し再現
2005年以降本格化したのである。したが
している学者の位置性と無関係ではない。
って、Kim は、2005年以降から今まで
また、フェミニストの知識生産様式の変
時期を「女性学を問題化すること」
化と女性運動と学会の関係の変化、政治
(Problematizing Women's Studies)"と指
的環境の変化(これによる政府の政策機
摘している(17-18)。すなわち、女性学
構の変化)という内的、外的要因がどん
をするという自体に対する内部的質問が
なに考慮されているのかと関連している。
可視化された時点として見ている。
この論文では、筆者は学際的学問として
一方、Young-Sun Kim(2010)は、韓
の「女性学」の制度的位置性に焦点を当
国女性学の制度的形成を1977年-1980年
て、胎動期、成長期、そして拡散と危機
後半、1990年代、2000年代以降と分類し
意識の高まる時期に分類し、分析を試み
ており、最初の時期には、進歩派女性運
る。
動の要求と動力を基盤に、梨花女大女性
学科と女性学会などに代表される制度学
1. 胎動期(1970年代-1980年代): 女性
界と学術運動を標榜する非制度圏(例え
運動の一環として教養女性学の成立
ば、(社)韓国女性研究所)の女性研究
と拡散、そして韓国女性学会の誕生
者集団が形成された。他方、1990年代に
韓国女性学の胎動過程は、個人が処し
は大学教育制度の全般的な体制変化の一
た限界を乗り越えようとする努力とこれ
環として展開されたが、これにより主に
を条件化する社会変革に対する熱望、変
大学を中心とする制度圏内の変化が著し
化のための政治的行動(介入)と繋がっ
かったと指摘する。大学院の共同課程の
ている。軍事独裁体制下であった1970-
設置、修士•博士課程開設及び学部連携
80年代の韓国社会が直面した特殊な政治
あるいは複数専攻(double majorなど)
的・社会的状況に対する変化の欲求とい
制度は、このような背景下で構築された
う内的要因は、1975年国連によって宣言
(331-332)。しかし、Young-Sun Kim は
さ れ た 世 界 女 性 の 日 ( International
2000年代中盤以降の韓国のおける女性学
Women’s Year)、西洋における女性学の
- 133 -
年報 公共政策学
Vol. 7
成長、西洋で女性学の洗礼を受けた学者
に拡散したのである。1980年代以降女学
たちの流入という外的要因と結合し、学
生たちの闘いは教養での女性学開設だけ
術運動と社会改革運動として拡散した。
でなく、学内における女性研究所の設立
特に、当時家父長的社会に存在した「女
にも寄与した。例えば、1988年開設され
性」と女性教育に対する偏見を打破して
た釜山大学校の女性研究所も釜山女子大
女性たちが経験する実質的な差別と抑圧
学(現新羅大学)の女性研究所も、当時
の問題を分析する仕事は、「覚めた女性
釜山地域における女子大生たちの民主化
たち」に緊急な課題として浮上した
運動の産物であった。
(Chang, 2008)。1970年代当時、梨花女
女性学が、1970年代の維新末期に抑圧
子大学社会学科教授と同時に女性資源開
的な国家下に胎動し、民主化運動が絶頂
発研究所所長だった Hyo-Jae Lee は維新
だった 1980年代後半に急速に成長する
時代における家父長的イデオロギーが独
よ う に な っ た 背 景 に 関 し て 、 Jung-Ok
裁イデオロギーと関係していると報告し、
Lee(1996)は二つの側面から説明を加
性差別と軍事独裁、階級問題を連結して
えている。第一に、1970年代後半すべて
分析しようとしたし、これは以後女性学
の市民社会運動が抑圧的国家権力によっ
教科課程の主なモデルを提供するように
て統制されている中、女性学という講座
なる(Young - Sun Kim 2010: 329)。
が容易に承認されたということは女性学
結果、大学内における教養の女性学教
の進歩的性格に対して無知であったか、
育は、社会変革運動として女性運動に対
もしくはそれを知りつつも政権に対する
して直接的な反応であったと同時に日常
直接的脅威になるとよりは、社会的関心
の中にフェミニズムを拡散するという二
の分散という点で見逃したのではないか
つの「女性学的任務」を遂行するという
と主張する。また、当時国際人権運動団
面で重要な課題として浮び上がった。
体で指摘された韓国の悪名高い人権問題
1977年から梨花女大における教養科目に
を、国連の世界女性の日宣言(1975)に
採択された女性学は、1990年代まで専門
応じることで緩和しようとした意図があ
大学を含めて全国のすべての大学で正式
ると指摘する。第二に、1980年代後半女
教養科目に採択され驚くほどに早く拡散
性学が本格的に成長するようになったの
した。1987年までは、大学で女性学開設
は、1987年労動者の大闘争に集約され統
は主に大学当局や少数の「意識がある」
合された社会運動の脈絡で、運動に積極
教授たちによるものであり、他方1987年
的に加わった女性たち自身のアイデンテ
以降は、大学の総女子学生会の要求によ
ィティに対する要求、社会運動に消極的
り開設された場合が多いことが一つの特
な女性たちを社会運動に動員しようとす
徴である。特に民主化運動が盛んだった
る男性活動家たちの必要性、集約された
1980年代韓国社会の雰囲気とちょうど胎
社会運動を分散させようとする政府の暗
動した大学内における女子学生会の要求
黙的な態度などが結合されていたという
が結合し、女性学は大学内において急速
点も指摘している(74-76)
。
- 134 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
Hyo-Jae Lee(1996)もまた、1980年
東アジアにおける市民社会対話
(1990)は少なくとも教養科目水準では、
代女性学の拡散を民主化と改革を要求す
女性学が周辺性を脱したと主張している
る学生運動の影響が大きかったと評価す
(201-202)。韓国社会における女性学の
る(281)。彼は、社会の根深い性差別意
急速な成長と拡散は学問を基盤とした学
識と女性を抑圧する構造的矛盾を暴き、
問に対する熱気に起因しているというよ
下から改革を要求した当時の若い世代の
りは、民主化運動が担ったところが大き
熱気を「女性学運動」と呼んで高く評価
いと一般的に評価される(Hyo-Jae Lee,
している。このような背景下において、
1996:
Lee は1970年代から高まった女性家族法
Young Lee 2006)。
281;
Seung-Kyung
Kim,
Na-
改訂運動の影響と女性労動者たちの闘い
1980年代、教養における女性学の発展
を支援する連帯運動の過程で露呈した性
に寄与した女性学専攻研究者を排出した
差別と労動の搾取に対する問題意識、女
梨花女大女性学修士課程設立(1982年)
性学科出身の女性学講師たちの力量によ
と、これらの位置性を認める韓国女性学
り、女性問題研究のための学術運動が引
会の創立(1984)、また女性学知識生産
き立つようになった点などを主張してい
の学問書としての『韓国女性学』の創刊
る(281)。
(1985)と梨花女大女性研究員(1977)
したがって、教養課程における女性学
の『女性学論集』(1984)創刊について
開設の時期別推移及び特徴を再度検討し
言及しなければならない。韓国女性学会
てみると、第一、1970年代は主に大学当
は、韓国社会で女性学を学問的に定着さ
局、女性研究所、または個人教授の主観
せ体系化させようとする共同の知的場を
により開設されたもの、第二、1980年代
用意するという目的で1984年 10月に創
中盤に女子大学の場合主に女性研究所と
立された。女性学会設立は運動としてだ
女性教授個人の主導の下で、男女共学大
けでなく、学問を通じて女性学を定立さ
学の場合には男子学生の教錬一体科目と
せるための努力の一環であり、女性学研
して開設、第三、1988年と1989年以降の
究者たちの間、そして学校間の連帯と交
女子学生会の要求のより開設された
流や女性運動に対する理論の提供などを
(Hyung Cho, 1990: 204-205)。実際、
目標にした点で意義が大きい(Tae-Lim
1988年と1989年に女性学生会の要求で女
Yoon, 1995)。創立翌年の1985年には、
性学を開設することになった学校は計24
会員数124人だった女性学会は、2012年
の大学にも上り、1989年末まで計42の大
現在多様な分科学問のディスプリンを持
学にて女性学が開設されることとなった
つ個人会員844人、女性団体、研究所な
(Jeong-Ok Lee, 1996: 73)。これらの大
ど団体会員95個機関が加入し活動をして
学は、それ以降にも大学内における女性
いる(韓国女性学会ホームページ参照
学科目の爆発的な増加を促したが、1990
( http://www.kaws.or.kr/ ))。 大 学 外 で は
年には69の大学にも上った(Hyung Cho,
1990 )。 し た が っ て 、 Hyung Cho
- 135 -
年報 公共政策学
Vol. 7
『もう一つの文化』(1984年)1) 、韓国女
社会変革の一環でフェミニズム認識論が
性研究会(現,(社)韓国女性研究所)2)
高等教育内の教科課程に導入され拡散し、
などが設立され同人誌、学術誌発刊など
学位過程が開設されることで男性中心的
を通じてフェミニズム認識論の拡散に寄
学問構造に問題提起し始めたという特徴
与し始めたという点も挙げておかなけれ
を持つ。また学問としての女性学は、学
3)
ばならない 。結論的には、この時期は
問もしくは学会の中と外で多様な場で学
問的アイデンティティを確立し制度的構
築を模索した時期といえる。
1984年に創立した『もう一つの文化』
は、女性問題の独自性を認識し多様性
が認められる社会変化を通じて女性問題
2. 躍動的成長期(1990年代): 学位過
を解決しようとする戦略を持っていた。
程として女性学の制度化
『もう一つの文化』は、家父長制や男女
1990年代は、女性学が制度的に急速に
不平等に対する反対を意味するが、人々
に強要しないという点を強調し、制度改
成長する時期であった。特徴として第一
革よりは日常的な生活様式の変化を目的
に、学位過程としての女性学プログラム
として、書き込みと特別講義などを通じ
と学科開設が全国単位で拡散し、第二に、
て連帯感を創造するといった緩い/開か
れ た 組 職 を 標 榜 し た ( Joo-Hyun Cho,
大学付属の女性研究所設立も全国的に広
1996 b: 143)。『もう一つの文化』とい
がり、第三に、これにより他の分科学問
う同人誌は、韓国社会の家父長的権威主
でも「ジェンダー」研究が胎動したとい
義、画一主義, 性差別の固定観念克服を
主要主題にし、これとの連携の中で商業
う点を挙げられる。まず、1990年に大邱
主義、資本主義における階級不平等、女
カトリック大学(当時ヒョソン女子大
性解放文学を見直すのに寄与した。
学)と啓明大学に女性学修士課程が新設
2) 「韓国女性研究会」は女性問題に対する
理論の定立、女性運動の模索と女性政策
され、1992年には梨花女子大に初めて博
樹立に寄与するために1989年設立された
士 課 程 が 開 設 さ れ た ( Joo-Hyun Cho,
学術団体である。1998年韓国女性研究所
1996a:3; Jae-Kyung Lee 1999: 31; Ilで組職を改編し、1999年社団法人で登録
し現在公式名称は(社)韓国女性研究所
Kwan Chung 2003: 324)。以降、同徳女
である。研究所学会誌は『女性』
子大学(1996)、淑明女子大学(1996)、
( 1985 ) に 出 発 し て 『 女 性 と 社 会 』
誠 信女子 大学 ( 1996)、釜 山女子 大学
(1990)、『フェミニズム研究』(2001)に
変わり、2009年から投稿雑誌となった。
(現新羅大学)
(1996)など主に女子大で
3) たとえば、フェミニズムを全面に立てな
女性学と修士課程プログラムが開設され、
かったが Hyo-Jae Lee 先生が設立を主導
漢陽大学(1996)に引き続き1999年には
した韓国家族学会(1977)(雑誌『家族
と文化』)、また学問外郭でフェミニズム
ソウル大学にも女性学共同課程が設置さ
認識論の拡散に寄与したといってもよい。
れることで主要男女共学大学にも正式学
政府の女性問題担当の機構である韓国女
位課程として設立された。この時期、女
性開発院(現韓国女性政策研究院)の設
立(1983)もまた他のセクターにおける
制度化過程としてみなさなければならな
い。関連学会誌では 『ジェンダーレビ
『女性研究』は2009年から投稿雑誌とな
ュー』(2006)、『女性研究』などがあり、
った。
1)
- 136 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
性学制度化過程に一番重要な枠組みとし
象は、学会という制度圏の外でも拡がり
て作用した大学院共同課程体制は、専任
始め、代表的には1997年設立された女性
教員補充による追加的負担なしでも容易
文化理論研究所と研究雑誌『女/性理
に設置が可能であったため、大学当局の
論』が挙げられる。
抵抗を最小限にすることができ、これは
学会の外では、1995年北京女性大会と
多様な学校制度を融合するという目標下
金大中政権(1998-2003)樹立以降の女
に共同課程開設が奨励され、当時大学教
性問題を政策アジェンダに挙げる努力が
育環境の変化とも連関している(Young-
見られたのだが、この時期にジェンダー
Sun Kim, 2010: 332)。このような変化
主流化というスローガンと実践が一体化
は学制間研究のための大学付属の研究所
したことが一つの特徴である。国民の政
設立へと拡がったが、実際梨花女大アジ
府が出帆し、大統領直属下に女性特別委
ア女性学センター(1995)を中心に梨花
員会が 1998年に設置され、国際社会で
女性神学研究所(1993)、同徳女子大学
女性の地位が社会発展の主要指標として
韓国女性研究所(1996)、カトリック大
含まれるようになった背景とも関連して
学性平等研究所(1996)、誠信女子大学
いる(Kim, 2010: 16)。結論的に、こ
韓国女性研究所(1996)が順に設立され
の時期は知識生産の場として「女性学」
た。ここで、研究所出刊学術誌も増えた
が多様な制度的形態の中で躍動的に成長
が、この中淑明女子大学アジア女性研究
した時期である。特に、金泳三政権以来、
所 の Asian Women ( 1995 ) と Asian
女性運動団体と政府間の関係が「敵対的
Journal of Women's Studies ( AJWS )
対立」していたが、それが「協力関係」
(1995)は韓国女性学最初の英文国際学
会誌という点で意義がある。
へと変化して行き、これによって多くの
女性関連政策が立案されたが、女性学が
この時期の主要な特徴の中で、一つは
他の分科学問分野でフェミニスト認識論
中枢的役割を果たしたといっても過言で
はないだろう。
が拡散し始めたことにより、学会、研究
会、研究所設立が増加したという点で評
3. 強 化 す る 一 方 で 衰 退 す る 二 重 化
価できる。1992年設立された韓国英米文
(2000年代以来)
学フェミニズム学会(1992)、韓国女性
2000年代に女性学が制度化する過程と
コミュニケーション学会(1993年研究会
しての特徴は、簡単に要約できないほど
として出発、2003年学会に発展)、韓国
複雑だが、大雑把にまとめると二重化の
女性心理学会(1995)、韓国女性哲学が
過程と言えるだろう。強化されて広がっ
会(1997)、韓国女性文学学会(1998)
ているが、一方では弱まって衰退する両
などがフェミニズムを全面に出し女性の
極化の現象が現れ始めた。これと共に
観点という表現を使用しながら男性中心
「危機」という談論もさらに急速に流さ
的学問の全般に挑戦し、女性主義の意識
れた。その背景には、2000年代初期と
を拡散するのに寄与した。このような現
中・後期との時間的な差、ソウルと「地
- 137 -
年報 公共政策学
Vol. 7
方」、ソウル内でもいわゆる「上位」大
学の文化学共同課程にジェンダー専攻が
学とそうでない大学の間での序列化と空
最初に公式化された(2001)以来、中央
間的区画化、政策/女性運動/学問領域の
大学の社会学科大学院にジェンダー専攻
4)
成長と間隙 、政権の変化、女子大学と
が開設(2003)された。
男女共学大学、独立学科と協同課程との
したがって女性学に関連した大学院課
差があった。これらが互いに交差しなが
程の三つの形態、すなわち①独立分科と
ら異なる条件を構成(意図したか、しな
しての「女性学」、②分科学問の形態を
かったとは関係なく)し、相異な効果を
備えているが実質的には他の分科学問の
生産したためである。この章では、二重
関与によって運営される協同課程、③他
化の最初の時期である2000年代中盤まで
の分科学問の下位専攻分野としての女性
を重点的に論じ、その後の状況は次の章
学はこの時期に完成されたといっても過
で本格的に分析したいと思う。
言ではない。もう一つの主要な学位課程
制度として学制の位置づけを計るため
である学部の女性学も制度化された。梨
に最も重要な要素が、学位課程と大学付
花女子大、同徳女子大、西江大、淑明女
設研究所であると思えば、時期的に2000
子大、成均館大、新羅大など 8 大学に学
年代初・中盤の女性学は、1997年のIMF
部連係専攻や複数専攻の制度として構築
経済危機を乗り越え、かえって制度的な
された。そして2005年には、13の大学校
側面にあっては強化されたように見える。
には女性学科と共同課程に修士課程が、
Griffin(2005)が指摘した人的(専門担
4 の大学には博士課程が、2 の大学には
当教授、行政職員)、物的資源(基金)
他の分科学問にジェンダー専攻の大学院
を備え、学科として学位授与が可能な女
学位課程(修・博士)が、8 の大学の学
性学科は、大学院と学部の連係専攻があ
部には女性学の連係専攻や副専攻の学位
るが、どれもこの時期に完成された。た
課程が制度化された。なお、全南大の女
とえば、釜山大学に女性学の修士課程
性研究所(2000)、漢陽大の女性研究所
(2002)と博士課程(2004)の開設、西
(2002)など大学付設研究所と韓国女性
江大学に女性学の修士課程(2005)の開
史 学 会 ( 2004 )、 ジ ェ ン ダ ー 法 学 会
設、啓明大学に博士課程(2007)の開設
などがある 5)。他の分科学問では延世大
4)
5)
女性特別委は2001年女性部に昇格し、女
性運動界は初代長官であるハン・ミョン
スクを排出する。以後、数多くの女性運
動団体の活動家と女性学科の出身者が政
府機関に入ったが、これはペモクレト、
女性運動の制度化などの論議を招いた。
Hae-Jung Byun 他(2011)によれば、漢
陽大と誠信女子大を除いて把握されてい
る国内の女性学専攻者の数は、2011年現
- 138 -
在修士学位課程の卒業者が約552人、博
士学位課程の卒業者が約31人である。こ
の中、梨花女子大の女性学科の卒業生が
全体修士課程の卒業生の約48%、博士課
程の卒業者数の約80%を占める(325 p326 p)。女性学の修・博士学位の所持者
79人を対象にした職業別分布調査によれ
ば研究/教育機関の関連従事者が30人で
最も高く、その次にフリーランサー(教
育講師など)22人、女性団体など市民団
体の従事者が 9 人、政治や政党、その他
行政機関などの勤務者が 7 人であった。
シンポジウム II:北海道ダイアログ
(2005)が設立し、ジェンダー関連の学
東アジアにおける市民社会対話
の一つとして包括されることも見られた。
術誌も続々と創刊され、登載誌・登載候
「女性にやさしい」、「民主政府」といわ
補誌に選ばれることや他の分科学問でも
れる金大中、盧武鉉政権の影響で女性運
ジェンダー研究が成長を続けた。
動はある程度の制度化を成し遂げた後、
成長と拡散の背景には2000年代中盤に
女性学の「危機」が目立つようになった
登場した大学内での専任女教授の採用問
のも皮肉なことである。なぜ、私たちは
題も関係している。積極的な措置ととも
女性学の制度的成長の後に、逆説的に歴
に数多くの「女性」学者が専任教授に赴
史的退行を経験していると感じているの
任することになり、その中女性主義認識
だろうか。制度的成長の現実はどのよう
論に接して女性運動の経験がある女性教
で、危機談論の原因と背景は何だろうか。
授らは大学内の女性学/ジェンダー研究
次の章では現在韓国の女性学の制度的な
の拡散に寄与した。実際に全国の国公立
現実について具体的に考察し、変化のポ
大学の社会学科に女性学/ジェンダーを
イントを捉え、韓国の社会における高等
専攻した「女性」教授が採用されたが、
教育の構造的な問題として分析したい。
ソウル大学の場合(2006年)、行政的に
は社会学科の付属であるが、女性学協同
III 韓国の女性学の制度的現状
課程を専門担当する形で専任教授 1 人が
採用された。また、中央大の社会学科の
1. 学位課程と大学付属研究所
場合には、2003年に採用されたジェンダ
最近、最も著しい外的変化は、まず学
ー専攻者がジェンダー研究の拡散のため
位課程の量的縮小である。2000年代中盤
2007年に他の女性学の専攻者を採用した
以後、大邱カトリック大学、尚志大学、
こともある。
ソウル女子大学、淑明女子大学、漢陽大
しかし、皮肉にも女性学の制度的な強
学など5つの大学の女性学科がなくなっ
化と拡散の時期にまさに危機談論が登場
た。啓明大学の女性学大学院も閉院する
したことである。最近、数年の間に女性
ことになり、女性学科は政策大学院に包
学の学位課程の構造調整に対する問題が
括された。さらに2007年度に開設された
登場し、実際にいくつかの女性学科がな
啓明大学の女性学博士課程は社会学科に
くなったため、学校内外の女子学生の運
吸収された。その結果、2011年10月現在、
動は沈滞が始まった。ソウルと地方を問
全部 9 つの大学に「女性学」が開設され
わ ず 女 性 学 講 座 の 数 が 減 っ て ( Hae-
ている。実に独立した学科として存在す
Kyung Kim 他、2009)、女性学の教養科
る女性学科は梨花女子大学の女性学科
目および連係専攻と複数専攻の学生数も
(学部連係専攻、修士・博士課程)が唯
減少し始めた。分科学問として強固な立
一であり、同徳女子大学では特別課程と
場を持っているようにみられた「女性
して大学院の中に学科の形で存在してい
学」は既存のかたい制度的な学問分科か
る。啓明大の場合は女性学科が女性学大
ら疎外されることや既存分科の下位領域
学院の女性学科として独立して存在した
- 139 -
年報 公共政策学
Vol. 7
が、後で政策大学院の女性学科に包括さ
的、物理的支援の体制を提供したという
れた。同徳女子大と啓明大の女性学科の
点を考えると、女性学の外形的縮小は
場合、それぞれ 2 人の専任教授が専攻科
「事実」であると考えられる。時期的な
目を開設し、講義や講師選任など教科課
傾向を見ると1990年に 6 箇所に過ぎなか
程に関わる学科運営を総括的に管理、責
った大学付設女性研究所は、1990年代女
任を負っているので独立的学科と協同課
性学の制度化の時期に急激に増加し、そ
程の中間的な形として分類することが可
の後2000年代後半以後に減少している。
能であろう。その他、釜山大学、西江大
したがって、分科学問としての女性学
学、ソウル大学、聖公会大学、誠信女子
の地位は決して強化されることができな
大学、新羅大学など 6 箇所の大学には協
かったと判断するのが正しだろう。これ
同課程が開設されていて、3 つの大学で
は学制の植民化現状の代表的な現象でみ
は細部専攻に明示されている。学部での
なされる共同課程という不安定な構造と
女性学の連係専攻や副専攻も、2005年で
関連している。(Seung-Kyung Kim・Na-
は 8 つの大学同徳女子大、牧園大、西江
Young Lee, 2006)。共同課程の問題はす
大、淑明女子大、新羅大、成均館大、梨
でに2000年代初期に何回も指摘されたこ
花女子大、忠北大などにあったが、2011
とがあるが、同じ問題が繰り返されてい
年度になると 3 つの大学、同徳女子大、
ることが明らかになった。協同課程は既
西江大、梨花女子大まで減少した。 淑
存の分科と学問間の境界を越え、柔軟な
明女子大は女性学大学院が閉院されるに
学問的疎通と創造的生産を可能とする長
つれ学部連係専攻もなくなったと思われ
所がありながらも実質的に専任教授や
る。
「公式的学科「(department)構造がない
二つ目に注目する事は、大学内の「女
ので他の学科の専攻教授で構成された運
性研究」、
「ジェンダー研究」の産室であ
営委員が講師選定や開設科目などを決め
り女性学の関連科目の開設に主導的な役
る と い う 限 界 を 持 つ ( Tae-Hyun Kim,
割を担ってきた大学付属の「女性」研究
2000:204-205)。専任教授なしで外部講
所も、2005年に比べると数的に減少した
師に依存するので体系的な教科課程の調
という点である。様々な資料やデータを
整が困難し、学科の物理的支援がほとん
総合的に検討すると、2005年には22箇所
どないことで学科運営に関連した財政確
であった研究所中、5 箇所が閉所したが
保の困難、奨学金などの学生補償制度の
1 箇所が新しく開所して現在18箇所の研
不在、これらと関連した学生定員の不確
究所が運営されている。女性研究所が今
実性などの問題が繰り返されている。学
まで学内でフェミニストの認識論的共同
生が少ないという劣悪な基盤により多様
体役割を果たしていながら学術誌発刊、
な科目の開設ができなく、主導的で体系
様々な学術行事の主導、地域社会での女
的な女性学の発展が難しい状況である。
性研究の重要な役割遂行、女性関連の
したがって協同課程はいつも大学構造調
(女性)教授らと学生たちに多様な心情
整の際に、第一の対象になり、実際に 5
- 140 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
箇所の女性学協同課程(大邱カトリック
よって学生数が増加している点は注目す
大、尚志大、ソウル女子大、淑明女子大、
るべきである。
漢陽大)が大学の構造調整で退出された。
その中、聖公会大学の NGO 大学院内
2. 大学院の女性学/ジェンダー専攻の教
実践女性学が修士課程に拡大した現象と
科課程
中央大学の社会学科にジェンダー専攻が
Jae-Kyung Lee は1999年に韓国の女性
公式化された現象は肯定的な変化で捉え
学教科課程の開発課題を大きく二つに分
られる。聖公会大学の場合、女性活動家
けて整理した。一つ目は、韓国の女性学
の短期的再教育プログラムから出発して
の理論的深化による学問的アイデンティ
修士課程プログラムまで発展した。また、
ティを確立すること、二つ目は、専門性
女性運動の現場で必要とする女性主義知
深化による労働市場での競争力の確保す
識生産を提供することで活動家の専門性
る こ と で あ っ た 。( Jae-Kyung Lee,
の向上とネットワーク活性化に寄与する
1999:39)。これを達成するためには、第
という点では、学問と現場(現実)との
一に理論と方法という側面から精巧な学
結合を指向するフェミニズム認識論に一
問的アイデンティティの確立が必要であ
致すると評価されるだろう。 特に女性
る。彼は欧米の理論に依存しているとい
運動に対する要求と反応で女性学という
う批判を受け入れて女性の間の経験の差
学問が発展してきた歴史を考えるとか、
と類似性、歴史性を理解することが必要
逆に遅いではないかと思われる。もちろ
なところで、階級、性、地域、近代性な
ん聖公会大学の場合、進歩的学問の風土
ど多様な概念を適用し、「韓国女性た
に起因したNGO大学院の設立と現場で長
ち」の経験を解釈しなければならないと
く女性運動し、女性学を専攻した専門担
主張した。(36-37)。第二に、実務と関
当教授が献身している特殊性が考慮され
連した専門性である。これは特に女性学
なければならないだろう。
科の修士卒業生が専門的な職業に対する
中央大学校の場合、ジェンダー/女性
準備が充分でないという指摘であり、職
学を専攻した二人の女性学者がおり、大
業市場で必要な研究技法と技術
学院課程の三種類の領域(社会変動、労
(technique)訓練が必要とされた。この
働/文化/ジェンダー)中、一つの正式的
た め に 他 学 科 と の 連 係 過 程 ( inter-
な科目に採択され、毎学期に 2 科目のジ
disciplinary program)が可能な教科課程
ェンダー関連授業が定期的に開設される
の開発を提示している。第三に、理論と
ことでジェンダー専攻学生数が増加して
実践の連係を強調しているが、具体的に
いる傾向である。学部課程でも一つの専
は団体や研究所で訓練が受けるインター
攻基礎、四つの専攻選択科目に指定され
ンシップ(internship)課程の開設が急務
ている。ソウル大学の場合にもジェンダ
であると指摘している。第四に、学部の
ーを専攻した専門担当教授が赴任して以
連係専攻の新設と体系化が必要であり、
来、教科課程の進行が統制されることに
女性学の学問的目標と学生たちの現実的
- 141 -
年報 公共政策学
Vol. 7
な欲求が適切に反映するように企画しな
的変化を反映するものの、間学問的学問
ければならないと強調している。以上の
することでの不安を解消しようとする欲
ような指摘は、10年ほど過ぎた今でも有
求が反映されていることであろう。また
効な側面が持つ。どころが、現在多くの
「女性主義文化理論(ソウル大)
」
、「フェ
大学院の教科課程は、Jae-Kyung Lee が
ミニスト文化理論(中央大)」 「文化と
指摘した第一の課題である「韓国の女性
性研究のセミナー(延世大)」、「セクシ
たち」の多様な経験の解釈には最も成功
ュアリティーの歴史(梨花女子大)」、
であり、聖公会大学の場合は、理論と実
「性研究(聖公会大)」
、「性、情報、メデ
践の連係を最もよく実践していると見ら
ィア(啓明大)」
、などほとんどの学校に
れる。
文化とセクシュアリティー科目が開設さ
2010年の 2 学期の時点で2011年 1 学期
れていたことから考えてみると、2000年
の間、大学院に開設された女性/ジェン
代以後、変化した学生たちの研究関心が
6)
ダー関連の科目の総数は92個 であり、
反映されていると思われる。
講師陣は専任教授の比率が62%で概して
ただし、延世大学の文化研究学科を除
高い。教・講師の専攻は女性学が30%で
いては教授法(pedagogy)に関連した授
最も多く、その次が社会学(21%)であ
業がほとんどないことや他の地域に対す
る。講義科目は主に女性学理論、方法論、
る研究が行われていないことなど変わり
家族、性、文化、労働などの分野に分布
はなかった。実際に多くの修士・博士課
している。2003年度に筆者が学科ホーム
程の学生たちがアカデミーの内外で研究
ページを通じて教科課程を調査した結果
と講義(教育)という進路を選択するの
7)
と比較 すると、1)家父長制に関連し
で女性主義の教授法の開発は緊急な状況
た授業が消えた、2)相対的に「女性学
であり、他地域の女性たちに対する理解
研究方法論」など認識論と方法論の授業
も欧米中心主義(米国と西ヨーロッパ)
が増加した、3)「トランスナショナル・
から抜け出すための主要な課題なので関
フェミニズム」、
「グローバリゼーション
連授業がないことは残念である。
とジェンダー」、「グローバル/アジア・
フェミニズム」など国際化と関連した授
3. 教養女性学
業が盛んに開設されている。これは時代
学部の教養科目で女性学の関連講座は
「女性学概論」から始まって「性と社会」、
6)
7)
学校と学科によっては 2 年 1 回開設され
る科目があったため本調査で集計ができ
なない場合がある。
当時は学科ホームページに提示された科
目を基準したもので今回の2011年度デー
タは実際に開設された科目に対する全数
調査を基づいたものなので直接的な比較
は不可能だし、ここでは簡略でも変化の
概要だけ探ってみようと思う。
「家族と女性」、「大衆メディアと女性」
など時代の変化と学生の欲求を反映しな
がら多様な形で開設されてきた。1990年
代いわゆる「教養女性学の全盛期」の時
期 に Jung-Hee
Kim ・ Sook-Jin
Lee
(1996)は、大学の教養課程が抱えてい
る問題について次の通り指摘している。
- 142 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
1)多すぎた学生人員と大規模の講義に
大学に「ジェンダー、セクシュアリティ
よる討論授業や共同研究に阻害を与える、
ー文学」、「ジェンダーと歴史:平等と差
2)2 単位で運営される場合が多くて講
異の政治史」、「区別の政治学:人種、階
義時間が不足し、一方的な講義式の授業
級、性」など相対的に女性学の関連教養
になる恐れがある、3)講師への頼りが
科目が多い理由は、最近「フマニタス
高い、4)開設学科や主務者の差により
(人間)・カレッジ」という独立した教養
女性学の科目の存立自体が安定的でない
大学を中心に人文学を活気づけようとす
と主張しながら、女性学科がない学校の
る学校の政策的な特徴にある。また、私
場合、教養科目委員会と関心がある教授、
立大学である高麗大学の場合、1・2 学
女子学生会、その他学科などで講義を開
期に合わせて 3 個の開設に止まっている。
設しているので個別的、非体系的に運営
同徳女子大学校の場合、学部の連係専攻
され、状況によっては閉講こともある。
と大学院学位課程が存在することで相対
5)知識と理論の中心に伝えるのではな
的に教養女性学の開設が容易であると考
く意識変化を中心にした多様な授業運営
えられる。卒業の条件として教養女性学
方式が非学問的であると批判される。加
の領域の中で必ず 1 科目は履修すること
えて生物学的‘女性’や‘女性’の関連学科の
を定めているし、毎学期に13個の教養女
出身者であれば(例えば、家庭大)誰で
性学の科目を開設されていることは注目
も教えることができる科目だと見なされ
するところである。
るという問題があるが、問題の大半は現
2011年度の各大学の教養科目の関連講
在(2011年)も続けていると思われる。
義案を調べてみると、女性学、社会学、
女性学/ジェンダーの関連学科がある
文学などを専攻した教・講師が講義する
大学とソウルの主な私立大学、地方の国
場合が多かったが、開設学校や開設者の
公立大学を中心に調査した結果、学校規
無知によってフェミニズムを全く勉強し
模と発展方向、定員の差を考慮せず、開
なかった‘女子’学者が教える場合も多か
設科目の数だけ見ると予想通り女性学/
った。それゆえに、性、女性という題名
ジェンダーの関連学科がある大学では相
に開設されているけれど実際の講義内容
対的に女性(学)関連の教養科目が数多
は「女性主義的観点」と関係がない場合
く開設されていた。梨花女子大学の場合、
も多かった。(例:生物学的性差を強化
2010年の秋から2011年の春学期まで21個
し再生産する場合、家父長的家族制度を
の科目が開設されたし、ソウル大の場合
支持する場合、さらに女性をさげすむこ
は15個、延世大は13個、漢陽大は13個、
とやその対象化する場合、性的少数者を
慶煕大は11個などたくさんの科目が開設
病理化する場合など)。講師の個別的意
されている。漢陽大学の場合、現在は関
識と教授法に依存しているので講義の質
連学科がなくなったが、以前女性学科と
も確保することも困難であろう。これは
女性研究所が長く維持されてきたという
教養女性学だけの問題よりも体系的な教
点については考えるところがある。慶煕
授法に対する教育がほとんど行われてい
- 143 -
年報 公共政策学
Vol. 7
ない学問全般の状況、個人的な人的関係
会学科に就いた「女性」学者の多くは、韓
ネットを通じて講師を受給する現象、
国女性学の知識生産及び学制化において
個々人の講師の意識を客観的に測定しに
主導的な役割を果たしてきたが、むしろ
くいことなど根本的で構造的な問題がか
韓国の社会学のなかでフェミニズム知識
み合っている。また、女性学の非/制度
やフェミニスト研究者らの位置は周辺化
化とも関連するが、分科学問としての女
されてきた(Jae-Kyung Lee 2000: 106-
性学の制度化が女性学の教養講座の体系
107)。
的開設と女性主義的観点の堅持に必要条
これに対して、あるフェミニスト社会
件であると Eun-Shil Kim は提案(1998
学者らは韓国の社会学とフェミニズムと
年)したが、このような点でまだ有効で
の関係や社会学内のフェミニズム研究の
ある。
位置づけについて断続的に問題を提起し
てきた。その中、社会階層理論を事例と
4. 他の学問分科に与える影響―社会学
を中心に
して既存の社会学の性差別主義的な偏向
を指摘した Hyung Cho(1981)の研究、
韓国において、学制としての社会学と
実証主義及び機能主義に基づいた既存の
女性学は紛争と交渉という多層的な関係
社会学研究の没性的な傾向を批判しなが
を維持してきた。1970年代の後半から女
ら批判社会学とフェミニズムの共通点を
性運動との緊密な照応の中で、高等教育
探そうとした Young-Ja Lee(1991)の研
体系として位置づけられ始めた女性学は、
究が先駆的であると言える 8)。連続線上
独立性と間学問性(interdisciplinarity)
で、Soon-Kyung Cho(1992)は、社会
を同時に確保しようとする緊張関係で社
学概論書と社会学のジャーナル分析を通
会学や他の諸学制との協力的な関係を模
じて女性学が社会学の教育課程と研究内
索してきた(Joo-Hyun Cho, 1996; Joo-
容及び方法論的、理論的な内容が与えた
Hyun Cho, 2000; Seung-Kyung Kim·Na-
影響を観察した。この研究において
young Lee, 2006)。しかし、韓国戦以降、
Soon-Kyung Cho は、フェミニスト志向
アメリカの社会学の支配的な影響下で形
成されてきた韓国の社会学(Wan-Sang
8)
Han, Ki-Heung Lee, 1987; Wan-Sang
Han, 1991; Jong-Hae Yang·Yoon-Hae Lee,
1995; 1996)は、1990年代以降「女性」学
者や学生の数が明らかに増加したにも関
わらず、男性中心的な世界観を支えてい
る構造及び行為を(再)生産してきたと
いう批判から脱することができなかった
(Young-Ja Lee, 1992; Soon-Kyung Cho,
1992)。社会学で訓練されたか或いは社
- 144 -
Young-Ja Lee(1991)はこの論文で、男
女の世界の二分化を自然的な秩序として
把握してきた観点を拒否するフェミニズ
ムは、理性と感性、客観性と主観性を
各々男性性と女性性のカテゴリに見なし
てきた思考体系と道具的な合理性が支配
する社会に挑戦すると主張した。フェミ
ニズムは公的/私的の領域の二分法的な
区分を可能にする性二元論的なアプロー
チを止揚することで、両領域間の差別的
な境界を壊すことができる新しい認識論、
方法論、理論体系を作り出す学問的な作
業を追及すると考えたのである。
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
的な研究の判断基準を、1)女性に関す
批判した当時の現実は2000年代以降にお
る言及さえないこと、2)女性に関して
いてもさほど改善されていない。
論議しているが女性学的な観点からアプ
2010年10月現在、社会学科が設置され
ローチしないこと、3)女性に関して論
た全国の40か所の大学(都市社会学科、
議しながら部分的に女性学的観点を受容
情報社会学科及び単科大学内社会学専攻
しようとする努力は見えるものの反女性
を含め)の総専任者251人のなか、男/女
学的観点と混在していること、4)女性
専任の比率は各々84.1%と15.9%である。
に関する論議が名目主義(tokenism)の
女性専任教員が 1 人以上である学科
一つの形となっていること、5)女性学
(72.5%)の内、フェミニズム/ジェンダ
的な観点が一定程度反映されたことなど
ー/セクシュアリティーの専攻者がいる
五つの基準に分けて分類した。現在、主
学科は23ヵ所(57.5%)、大学院課程が
流社会学内の研究において、その内容と
設置された34ヵ所の学科の内、関連授業
流れを分析するには、具体的な分析(測
(性の社会学、ジェンダー社会学、フェ
定)に難点が存在するが、社会学内のフ
ミニズム理論、性と家族など)を開設す
ェミニスト研究の志向点を考察したこと
ることで学科のホームページに明示して
に意義があると思われる。
いる学科は22ヵ所(64.7%)であった。
他方、Jae-Kyung Lee(2000)は、社
教授の中でフェミニズム/ジェンダー/セ
会学に対するフェミニスト学者らの批判
クシュアリティーの専攻者の有無と関連
は、単純に女性の不在に対することでは
授業の開設との不一致からは、専攻の如
なく、より根本的な認識論的かつ方法論
何を問わず「女性」であるという理由で該
的な問題提起と社会学的な知識が発展し
当科目をいつものように受け持たなけれ
正当化される方式に挑戦することである
ばならない状況や関連専攻者ではない教
と主張しながら、フェミニズムの導入が
授や外部講師に依存した授業進行の状況
韓国の社会学に与えた影響と社会学内で
が推し量れる。特に、「ジェンダー社会
の女性の地位を論じていた。彼は、大学
学」の専攻者が全体の女性専任教員40人
の社会学科に在職している教授の中の女
の内、27人(全体の10.8%、女性専任の
性の割合(1999年度基準)などを調べな
中67.5%)であるという事実は、生物学
がら社会学内の女性学者が周辺化してい
的「女性」と「ジェンダー研究者」を同一視
る事実を指摘したうえで、社会学の教科
する社会学(者ら)の通念と「女性」教員
課程と教育内容で「女性」を扱う方式もま
を充員することによって「ジェンダー研
た「名目上」の範囲を超えない状態である
究」に関する必要性も充足させようとす
と批判した。加えて女性に対する社会学
る戦略が実在していることをあらわす。
的な研究が女性研究者らの分け前である
これは階級、労働、組織などといった社
現実において「研究の性別化」の問題にフ
会学の「主流」分野の採用にあたって「女
ェミニスト批判が拡張されるべきである
性」の周辺化とも関連付けられる。しか
と指摘した。しかし、Jae-Kyung Lee が
し、社会学という堅固な分科学問的な枠
- 145 -
年報 公共政策学
Vol. 7
組みの中で、フェミニストらが具体的に
変化の要旨は、一方では規制緩和を通
「主流」の分科学問のパラダイムの男性中
じて参入障壁を低くする間接的に競争を
心的な当然と思われる仮定(taken-for-
促進する、他方では国家が財政支援を媒
granted assumptions)に対し、どのよう
介とし大学間の競争を直接的に誘導する
に抵抗しながら「インナー・サークル」を
装置を確立することである。特に、1997
変化させてきたのか、またこれが分科学
年の IMF、文民政府の大学設立準則主
問に如何なる影響を与えたのかは、今後
義と定員自律化が引き起こした放漫な高
の研究課題である。
等教育体制、それとともに文民政府の下
で強調されてきた「グローバル化」の過程
IV 機会構造の変化と新しい経路の模索
で‘研究水準の世界一流化’という正当性
が、構造調整の根拠になったのは明らか
女性学科の減少、大学付属女性(学)
である。これをもって韓国社会は制度を
研究所の減少、分科学問としての不安定
通じて大学のみならず知識人社会の入れ
な位置づけ、学部教養女性学の減少と内
替えと再編の時期を迎えるようになった。
容的な問題などによって、今までの制度
したがって、大学付属女性研究所の問
化の過程自体が「不完全な制度化」あるい
題も大学の自律化政策、韓国研究財団が
は制度化の「後退」として読められる。筆
主導する重点研究所支援事業、HK(人
者は、これは単に女性学科の内部の問題
文学韓国)事業と学術雑誌事業(登載雑
に起因するというより、社会的・外的な
誌/候補雑誌支援)
、大学自らの構造改革
諸要因が絡み合った結果であると思われ
(統廃合)などの諸要素とともに考慮さ
る。
れなければならない。実際に、ここ数年
まず、韓国社会の知識政策の変化と関
間、「世界的水準の研究力量の強化」とい
連する。始まりは金泳三文民政権当時の
う呼びかけの下で相対的に貧弱な研究所
1995年の5・31改革政策であり、金大中、
は「不実」と烙印が押され自体構造改革の
盧武鉉政権を経て韓国の高等教育体系は
対象となり、外部支援金を多くもらえる
市場親和的な効率性を強化しようとした
研究所は「重点育成」の対象となってきた。
が(Won Kim, 2008; Soo-Myung Cho,
これを通じて国家支援や外部支援金な
2009)、これをもって設立準則主義、大
どの物的条件が良い研究所は相対的に急
学定員の自律化、専門大学院制の導入、
増し、研究力量(専任研究員数とこれに
学術振興財団(現、韓国研究財団)の主
基づいた論文数)もまた増大してきたが、
導の各種研究プロジェクトや BK 21事業
女性学の分野においても例外ではない。
( 1999 )、 地 方 大 学 の 力 量 強 化 事 業
勿論物的土台を無くさないために再び異
9)
(NURI)などが次々と確立された 。
9)
なるプロジェクトに向かって疾走しなけ
大学の政策に関する詳細な内容と変化の
推移は Soo-Myong Jang(2009)と Won
- 146 -
Kim(2008)、Kyung-Hee Han(2006)を
参照すること。
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
ればならない、不断の成果物を作り出さ
キャピタリズムが前提している市場経済
ねばならない悪循環に陥った。
の論理が大学に導入されると、競争力の
次に、新自由主義の時代の「アカデミ
議論に劣らない重要性をもつ大学の価値
ッ ク / キ ャ ピ タ リ ズ ム ( academic
の居場所がなくなるという逆効果を孕ん
capitalism)」の拡大・深化現状と関連さ
でいる点なのである(Kyung-Hee Han,
10)
れる 。アカデミック・キャピタリズム
2006: 14)。実に2000年代後半、韓国の
は、大学は疑似市場の行為を通じて商業
大学は深化した商業的競争関係に突入し、
的な競争関係に服しており、教授らは外
生き残るのか否かが遠い未来のことでは
部資金の確保のたに市場志向形の努力を
なく、「今」目の前に現れている。教育科
尽くしているという意味である
学技術府(文科省)だけでなく青瓦台
(Slaughter & Larry, 1997)。問題は、企
(韓国の大統領官邸)まで関与して、定
業家的な大学のモデルやアカデミック・
められた基準に大学が満たしているかど
うかを判定し、支援額を決めるというこ
10) Slaughter と Larry ( Slaughter & Larry,
1997)は、新自由主義の時代の大学は国
家機関や企業などの外部の資源を引き入
れ、利潤を得るため「疑似市場の行為
(marketlike behavior)」を伴う商業的な
競争関係に服していると指摘し、「アカ
デミー資本主義」という言葉を使った。
競争による資源の獲得は、象徴的な次元
の名誉だけでなく経済的な利益を残すと
いう点から実質的かつ現実的である。こ
のような現実において大学は、純粋な学
問の象牙の塔として残されることより企
業化を通じて生き残されなければならな
い課題を抱えることとなった。大学内の
知識人集団もまた商業的な環境の中で生
き残るために自らの人的資本を最大限に
活用するしかできなかった。人的資本
(human capital)は、労働の質によって
決定されるが、その際に知識人が所有し
ている人的資本の質は、「よく売れる」知
識の生産の可否と外部の資本をどのくら
い多く引き入れられるのかによって判断
される。従って、大学(研究機関)内の
知識人集団は、市場や国家と代表される
公共領域から自律的な存在であると同時
に、他方では、これらによって雇用され
ているという点から「学者(academics)」
か つ 「 資 本 家 ( capitalists ) 」 と な っ た
( ibid, 8 - 13; Seung-Kyung Kim⋅NaYoung Lee, 2006)。
とがら免れる大学はないだろう11)。何よ
りも、最近いくつかの私立大学が大企業
の所有になってから「大学ランキングが
上昇」するようになったため、大学の構
造改革は「生き残る」ためには避けられな
い「大勢」のように見えた。さらに今のと
ころ60万人である国内大学の学生定員が
2024年になると41万人まで急減するとい
11) 韓国の教育科学技術府(文科省)は、
2011年 9 月に 4 年制と短期大学を合わせ
て評価対象となった349個の大学のなか、
4 年制が28か所、短大14か所など、43か
所の大学が政府財政支援制限大学として
指定された。このなかで祥明大学を含め
て 4 年制の大学が 9 か所、短大15か所な
ど、17か所の大学が新入生授業料貸出制
限大学として追加公示された。政府は
「不実大学」のリストの発表が受験生の当
該の大学への志願を抑え構造改革を促す
効果につながることを期待していると述
べた(韓国日報、2011年 9 月 5 日)。また
大統領が直接10か所の教育大学の総長と
会い、構造改革の必要性と正当性を訴え
た後、反撥する大学には「警告」のメッセ
ージを渡すと明言した(ソウル新聞、
2011年10月24日)。
- 147 -
年報 公共政策学
Vol. 7
う人口統計学的変化予測によって「不実
学制的構造、女性学(を始めとするいわ
大学」の撤退に正当性を提供している。
ゆる「儲からない」人文学系列の学科)に
したがって、知識生産の計量化、「客観
対する国家支援の不在などにより特徴付
的な」評価システム、年棒制度、常時評
けられる。これらはすべて女性学の制度
価システムなどの導入を通じて、事実上
化において阻害要因であったというのを
大学は「生産性」や「効率性」、「競争力」と
考慮すれば、学制として後発走者であり
いう論理によって際される状況になって
ながら学部に学科制度も不在である、人
12)
いる 。多くの人文社会系列の学科がそ
文学科と社会科学の境界に置かれた女性
のようなシステムに適していない場合、
学が堅固な分科学問として位置づけられ
容易に統廃合や廃科の対象となっている
るのは事実上不可能な企画であったかも
こともこういった論理の延長線上にある。
しれない。そのうえ、韓国の特殊性であ
第三に、堅固な学部制と大学別・学制
る大学と分科学問間の深刻な序列化を考
別の順位構造、高い国家依存度という特
慮するならば、2000年代以降のいくつか
徴を持つ韓国の大学の特殊性につながる。
の男女共学の大学で女性学科と学位制度
Griffin(2005)は、女性学の制度化を深
ができたことこそ、奇跡に近いことであ
化させるか、あるいは妨げるかの要因と
るとも言えよう。
して 1)教科課程を発展させるにあたっ
教養女性学における諸問題も、その延
て大学の自立性の度合い(高/低);2)
長線上で広くみると、韓国の大学教育で
柔軟な/堅固な学制的構造;3)女性運動
の教養教育の現実につながる。堅固な学
の反-制度化性向/女性学の制度化を目指
部学科を中心とする韓国の学事(序列)
す女性運動への支援あるいは中立性;
構造体制、教育目標と教育課程間の体系
4)女性学に対する国家の支援などを提
性の欠如と、専任教員の不足と講座当た
示したのである(92~93)。このなかで、
り学生数の過多、これによる非専任教員
韓国の大学は政府に対する低い自立性
に対する低い待遇、改善を制約する財政
(定員や学科開設など)、堅固な(学部)
困難、基礎学問の排除されやすい意思決
定構造、大学の序列構造という風土など、
12) このような論理は、いわゆる「生産性・
能率性が劣ろう」学科の廃科を正当化す
る根拠として使われている。これによっ
て最近、学科の教授らの論文発表件数
(研究能力)、1 人当たりの学生数、就職
率などを基準とした学科と学校評価が常
時化されており、これに基づいた全国大
学評価の結果がメディアで報じられてい
る。財閥系列のメディアでは先を争って
自ら開発した評価基準に基づいて大学を
毎年評価しているが、問題はメディアの
発表した「順位」が受験生の学校や学科選
択に影響を与えているということである。
様々な構造的諸問題が教養教育の革新と
発展を阻んでいる現実が(Nam-Joo Suh,
2010)総合的に考慮されなければならな
い。
教養科目の中で女性学が減っている現
象は、教養教育にかかわる大学内の制度
的変化にもつながる。1990年代の当時に
も「女性学」の教養科目は女性研究所や教
授運営委員会、関連学科の主管、教養学
部、女学生関連の部署などによって開設
- 148 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
す る の が 可 能 で あ っ た ( Hyung Cho,
的な声を出す女性も決して少なくない。
1990: 212-215)、しかし最近になって多
このような事実を如何に解釈するかが結
くの大学で教養科目は教養学部大学や教
局のところ、女性学の位置づけに対する
養課程部などが独自的に管理、開設する
理解と噛み合いながら間学問的分科学問
趨勢であり、教養科目の数自体を全般的
として女性学を解体するか再構成する作
に減らすという状況であるため、教授や
業と直接につながるという点で重要であ
学科、研究所などから開設要請を強制し
る。
にくくなっている。
したがって、「危機議論」と関連して注
V
意すべき点は、第一に、表面的な縮小と
結びにかえて:未完のプロジェクト
と今後の課題
いう問題が内部的に行われている肯定的
な変化まで軽視かつ無視する論拠として
過ぎ去った10年間、韓国の大学社会は
論弁として働いてはならないということ
想像をこえるほど変化してきた。学校や
である。第二に、韓国の大学の変化と分
学科の統廃合などといった構造改革、経
離された個別の危機意識として拡大解釈
営のマインドのある CEO の登場、巨大
することも警戒しなければならない。内
資本による大学の買取り、研究財団に代
部の問題のみを取り込むと外部の矛盾を
表される知識生産の制度化などに基づい
見逃すことになるし、内部の省察が行き
て、研究の実績(SSCI、SCI、A&H、登
過ぎると自嘲を越えて自害に至る場合も
載誌、登載候補誌などへのカテゴリ化及
ある。何よりも女性学が「女性」たちだけ
び登録件数重視)、学会活動、ボランテ
の、「女性」たちだけのために、「女性」た
ィア活動、大学発展基金の助成、外部研
ちだけによる学問ではなく、男性と女性
究費の受注額、講義評価、産学連携の実
との関係であるジェンダー問題、そして
績、学生の就職率など、細かく「ポイン
ジェンダーと異なる社会的範疇との交差
ト化」され、大学教員らを評価する格子
する問題を扱う問題として記憶されるべ
構造のシステムが構築された13)。このよ
きであるとともに、フェミニスト集団の
うに格差の拡大や勝者独占という体制が
究極的な志向点であるのではないだろう
進むなかで台頭したのが学界に広がった
か。
「危機論」である(Won Kim, 2008: 50-
学問的機会構造が激変するなかでも、
「我ら」は女性学に携わることの多様な
51)。そして危機論の繰り返されるたび
ごとに登場するのは、過去に対するノス
経路を続いて開拓してきたし、領土をも
拡大してきたという事実も忘れてはいけ
ない。現在のジェンダー/女性を研究す
る学会や研究所がアカデミーの内外、女
性学という分科学問を越えて遍在されて
いるし、これを経由して(学術誌)学問
13) これによって2011年11月11年に全国大学
教授協議会が〈大学市場化反対時局宣言
文〉を発表したように多くの批判的学者
らは市場万能主義的構造改革に対する批
判といくつかの計量的数値で大学を評価
するシステムに対して再考することを公
開的に唱えた。
- 149 -
年報 公共政策学
Vol. 7
タルジアに基づいた「普遍的議論」である。
どと関連する。
しかし現実を批判するめたに思い出され
よれ故に、女性学の危機は個人的な問
る過去回帰的な「普遍的議論」ははたして
題や個々の学科、学校の問題に限るより
望ましいことなどだろうか。他の人文社
学界全般の変化、社会構造的、政治的変
会科学の分野はさておいても、女性学に
化と噛み合った結果として理解されるべ
古き良き時代はあったのか。何より時代
きである。筆者はこれまで女性学は内部
の変化とともに変わる制度的機会の構造
的に不均衡な制度化あるいは未完の制度
が読み取れないまま、自嘲だけで「危機」
化という課題を踏まえながら、急変する
は乗り越えられるか。
外部的環境に対応してきたと思う。国家
韓国の女性学は、大学内の女性教育の
権力によって改革の対象となっている大
重要性の再考と社会変革への参加という
学という現実から、フェミニストはとき
歴史的な使命命意識のもとで、アカデミ
としては失敗や順応することを余儀なく
ーの中に男女平等の意識を吹き込むのみ
されるが、ときには小さい勝利を味わい
ならず、社会・文化・政治などといった
ながら、内外的な紛争を調整・交渉して
様々な領域からラディカルな変化を模索
きた。もちろん諸分科学問で男性中心的
してきた。しかし大学の内外で韓国の女
な知識の根幹が揺らぐほどの認識論とし
性学は「危機」に瀕していると評価したい。
てフェミニズムが拡大されたとは言いに
外部的では他の社会的危機と連動して、
くく、分科額文としての女性学のアイデ
内部的には女性学に携わる「我ら」の問題
ンティティは依然として不安定な状況で
と関連されている。前者は、文民政府
ある。女性の社会的地位の向上は、当然
(金泳三大統領政権期の政府名称、1993
ながら志向すべきである変化として思い
年~1997年)の時期から始まった大学政
つつも、これに貢献した女性運動やフェ
策の変化や IMF 危機から推し進められ
ミニストに対する社会的な烙印は持続さ
た市場化政策、競争市場原理に基づいた
れると同時に強化されている。
大学の構造改革、学生数の減少という渦
女性平等は時代的潮流として受け止め
の中で、新自由主義・市場経済体制が加
ながらも、そのため戦ってきたフェミニ
速化される大学の現実と絡み合いながら、
ストたちの努力は無視されてきたことも
これは大学の序列構造と学科を中心とす
事実である。にもかかわらず男女共学で
る学事構造、専攻の地位化(位階化)と
ある大学の教科課程と他の学問分科にお
いう韓国大学の古い弊害につながる。後
けるフェミニズム認識論は新しい方式で
者には、分科学問として定着すらできな
構成され拡散されているようである。ま
かった時からの委縮された制度的問題や
た、他の場を通じてフェミニズム知識の
普遍化、商業化されたフェミニズムの社
生産の新しい経路が開拓されている事実
会的位相、女性学を専攻する人の不安定
も見逃してはいけない。特に女性・ジェ
な未来、女性運動の一環として設立が推
ンダーにかかわる問題は特殊ではあるが
進された女性家族部(省)の位相変化な
些細なこと、誰でもできることなどのよ
- 150 -
シンポジウム II:北海道ダイアログ
東アジアにおける市民社会対話
うに認識されており、それだけではなく
らがゲットー化を克服しなければならな
繰り返されて質問の対象となり、ゲット
い。このため理論的な開放性、フェミニ
ー化される他の学問の領域で、フェミニ
スト認識論の戦略的記入と円滑なコミュ
ズムの領土開拓が多様なかたちで行われ
ニケーション方法に対する工夫も並行し
ているという事実を思い出さなければな
なければならない。第三に、境界をこえ
らない。
るコミュニティの構成とフェミニスト・
数多くの女性たちが今享受している
ネットワークが強化されなければならな
「自由な大学」生活は、実は政治、社会、
い。このため同じ領域、異なる領域でフ
分科など、全ての分野にわたって性平等
ェミニズムを勉強して実践している数多
な観点を拡散させようとした過去の先輩
くのフェミニストらを支持し認定しなが
たちの努力と彼女らが成し遂げた集団的
ら積極的に連帯していかなければならな
業績の産物である。我々はその受益者で
い。このため他の分科学問で孤軍奮闘し
あると同時に、平等で自由な学問の場、
ているフェミニストらのハブの役割を果
正義のある社会を後輩に譲り渡す責任も
たす韓国女性学の堅固な位置づけが優先
背負っている。もはや特権化された「我
すべき課題である。
ら」は外部的には大学の市場化を反対す
女性学・ジェンダーを扱っている「我
る進歩的学者らと連帯して学問の環境を
ら」の位置づけを確認することは、内部
変化させると同時に、内部的には不断の
批判と自嘲、自己省察のような反省的次
自己省察と革新の課題を抱えている。
元に留まろうとすることではなく現実に
内部的な課題と関連して筆者はすでに
対する的確な認識に基づいた対案的ビジ
2011年韓国女性学会・春/秋季の発表を
ョンを構想するためである。「学問する
通じて、いくつかを提案したことがある。
こと」、「教育すること」の文脈と意味が
第一に、女性学を研究する後輩たちが知
急変している今、「我ら」の内外に内在し
的他者として落後されないようにし、
ている無数の境界を乗り越え他の「我ら」
「競争力」のある学問の後を継ぐ世代とし
と接続し、さらに境界自体を移動させ解
て訓練させるための方法論、理論、教授
体する政治学が不可欠である。「我ら」を
法などのような講座を啓発し、標準講義
改めて想像する作業は女性学に携わるこ
案を真剣に考えなければならない。学科
とを再考することを求め、「我ら」という
間、学校間が連携して授業を開設するか
集団のアイデンティティを再構成するこ
(共同育児)、現場の活動家らを対象とす
とも求めているため、時としては苦しく
る才能寄付も厭わないことである。第二
て悲しい痛みが伴うことであるが、結局
に、他の分科学問に対する介入と拡張を
のところ認識論と政治学としてのフェミ
持続的に行う必要がある。「主流」学界の
ニズムとフェミニスト「集団」の生存、拡
議論に介入して批判することを積極的に
大再生産のために不可欠な過程であるこ
遂行することによって学界での可視性を
とも忘れてはいけない。
増加させ(学界、ジャーナルなど)、自
- 151 -
年報 公共政策学
Vol. 7
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学校間接続政策の前期形成過程
学校間接続政策の前期形成過程
-「教育接続」政策の諸相とダイナミクス-
先﨑
目
卓歩
次
1.はじめに
2.前期接続政策の形成環境
3.前期接続系統政策の概観
4.行政組織と前期接続政策
-接続系統の接触面と学校所管-
5.学科構成と前期接続政策
-中学校令施行規則制定問題-
6.指導理念と前期接続政策
-中学校教授要目改正問題-
7.最後に
-接続政策と「集合的営為」-
1. はじめに
学校間接続(articulation)は、通常下級学校と上級学校間の関係やあり方を説明・
検討する際に広く用いられる概念である。公教育制度上に展開されるものであり、学
校間における理想と現実の乖離を克服しようとする手段、すなわち政策 1)(以下「接
続政策」という)を、関係者が政府を媒介として講ずることとなる。ここで留意すべ
きなのは、公教育政策を含む公共政策は、法令・予算等の行政手段を政府が立法府の
決定に基づき行使することで実現されるとしても、その原理、つまり政策によって実
現されるべき理想と現実の措定、そしてなにより克服の意志は関係者によって形成さ
れるということである。この意味において政府は関係者の一員であって絶対的存在で
はない。
しかしながら、学校間接続は、関係者から自己の完結性・正当性が強く主張され、
政策形成に必要な連携・協力が構築困難な分野である。その代表例が高校と大学の接
続をめぐる問題である。1972年(昭和47年)と1990年(平成 2 年)を比較すると、大
学・短大の現役志願率は約40%から約60%に上昇し、収容力(入学者÷志願者×
100)は約80%から約60%に低下し、進学率は概ね30%代後半で推移した。だが2011

1)
文部科学省 元大学入試室長(現東京大学本部研究推進部長)
宮脇淳(2006)『公共経営論』PHP 研究所、p.112。
- 155 -
年報 公共政策学
Vol. 7
年(平成23年)現在、現役志願率61.8%、収容力92.4%、進学率56.7%であり、平成
初期まで統計すらなかった私立大学・短大の定員割れ発生率は45.8%に達する、「大
学全入」時代を迎えた。これにより「狭き門」がもたらす高校側と大学側の応酬は相
当程度緩和されることとなったが、現在の高大関係はどうか。数年前、文科省で高大
接続政策を担当していた時、高校・大学関係者の間に数え切れないほどの議論の機会
を設けたが、大抵「安易な入試で大学が学生集めをするから生徒が勉強しなくなる」
と「高校における学力育成が不十分なため大学入試も初年次教育も低きに流れる」の
激しい応酬となった。論点は変わっても連携・協力の機運は必ずしも高まらず、応酬
は続いている。
このように学校間接続をある時点、ある現象だけで捉えようとすると、教育・学
習・学力や入試の在り方などをめぐって、総じて関係者が上級学校サイドあるいは下
級学校サイドに分かれ、その時点のその立場としてはまっとうな、又はやむをえない
主張を交錯させる、収拾のつかない状況に直面することとなる。これは近代学校制度
が成立した明治以降、姿形を変え続くものである。学校と学校の「あいだ」に生ずる
ゆえの捉えどころのなさ(当事者意識の持ちにくさ)がこの問題の特徴であり、最難
度の問題とされるゆえんである。
とすれば、接続政策の検討に際しては、その変化自体をよく知るとともに、その形
成過程、つまり政府を含めてどのような関係者が、どのような立場から、どのような
思考をめぐらし、どのように行動してきたのかを把握し、さらにそれらの検討から得
られる示唆を現代の接続政策に活かす必要がある。
近代化を急ぐ我が国は、東京大学(帝国大学)から始まる「上から」と小学校から
始まる「下から」の接続系統を並列で整備する、他国にはない政策手法を結果的に選
択した。やがて高等教育機関と中等教育機関は接続の接触面を形成するようになるが、
そこに生ずる相当な学力ギャップをどう埋めるかという問題に直面する。克服するべ
く政策の「発明」2)が行われた。その一つが、社会への人材輩出を一義とせず接触面
の学力ギャップを埋める予科としての「高等学校」3)であり、もう一つが独仏のアビ
トゥアやバカロレアとは全く異なる進学制度、すなわち中等教育の修了後に改めて上
級学校が実施する選抜を突破しなければ進学できない制度であり、その手段としての
「入学試験」であった。中等教育機関進学のための入試は他国にもみられたが、我が
国の中学校 4)は第二次世界大戦終戦前(以下「戦前期」という)を通じ強く「上か
2)
3)
4)
天野郁夫(2006)『大学改革の社会学』玉川大学出版、pp.239-241。
厳密には中学校令における高等中学校、第一次高等学校令における高等学校、第二次高等
学校令における高等学校高等科、大学令による大学予科などの複雑な変化を遂げた。本稿
では時代に即した呼称を用いるが、一般名称として用いる場合は「高等学校」と表示する。
厳密には学制による中学、教育令による中学校、中学校令による尋常中学校、改正中学校
令による中学校など複雑な変化を遂げた。本稿では時代に即した呼称を用いるが、一般名
- 156 -
学校間接続政策の前期形成過程
ら」の影響を受けており、その意味おいては「発明」の一部ともいえる。
このような「発明」が接続政策の端緒においてなされたことは、接続政策の形成過
程、特に中等教育と高等教育の接続政策の形成と展開を、教育と選抜の2つの観点か
ら検討する必要を示唆する。前者は教育・学習の円滑性からみた接続関係であり、後
者は選別・進学可能性からみた接続関係である。本稿ではこれを「教育接続」
、「選抜
接続」と呼ぶこととするが、「教育接続」「選抜接続」「学力」いずれもが、今なお学
校間接続における重要なキーワードとなって継承されており、現代の接続政策は戦前
期の接続政策(以下「前期接続政策」という)と地続きの関係にある。本稿は以上の
ような問題意識に基づき、主として中等教育と高等教育における前期接続政策の形成
過程の整理・分析を、学校の接続系統という「外面」及びそれと密接に関連する行政
組織、学科構成、指導理念という「内面」において生じた諸相と、それらの相互関係
(ダイナミクス)-それは高等教育側の「上から」と、中等教育側の「下から」の応
酬という形で顕在化する-を交えつつ俯瞰的に行うこととするが、かつて筆者が行っ
た「選抜接続」政策の変遷 5)についての検討との対照で、「教育接続」を中心に、か
つ対象期間を現代の接続問題の原型を成立させた時期である戦前期に絞り込むことに
よって、接続政策が政府を含む関係者間で、どのような応酬を経て形成されていくか
を掘り下げ、学校間接続を検討する上での普遍的な視座を得る一助としたい。
ここで本稿と先行研究との関係を明らかにしておく。接続政策は、学校制度の成熟
をまって生じたものではなくその発展途上-いわゆる学制改革-に内包される形で登
場した(ただし接続政策は、学力ギャップによる定員内不合格の問題やその後の志願
者に比した収容力の低さ(「供給過少」)をめぐる「量」的問題(本稿ではこれらを
「半断線」と呼ぶ)や、接続系統の「複線化(袋小路)」の問題といった、当時学制改
革の範疇としては必ずしも意識されていなかったものも含まれる)。学制改革の一過
程として接続政策を扱った優れた先行研究は存在する。阿部重孝(1937)の制度論的
研究や、天野郁夫(2006、2009 ab)、本山幸彦(1981、1998)、筧田知義(1975)な
どの社会学的研究、米田俊彦(1992)などの社会史学的研究などがそれである。だが、
学制改革は極めて複雑な経過をたどったため、その厳密な解明・解釈に力点が置かれ
てきた。前期接続政策自体の変遷を概観したものや、そこに生じた行政組織、学科構
成、指導理念の変化を俯瞰しようとしたものは意外に見当たらない。学校間接続が政
策イシューとして関心を集めつつある今、今後は本稿も含め上記の優れた先行研究を
踏まえた接続政策の基礎研究の蓄積が望まれる。
以下、本稿では、まず接続政策の形成環境となる政学官などの状況を確認し(2.)、
5)
称として用いる場合は「中学校」と表示する。中学校はごく初期を除いて男子の教育機関
であり、これに相当する女子の機関として高等女学校があった。
先﨑卓歩(2010)「高大接続政策の変遷」『年報 公共政策学第四号』北海道大学、pp.5989。
- 157 -
年報 公共政策学
Vol. 7
その上で接続政策の「外面」を概観するべく学校種の接続系統及び学校種の創設・改
廃の推移を検討する(3.)。さらに概観からは見えてこない「内面」、すなわち文部
省の組織構造(4.)、学科構成(5.)とその指導理念(6.)の形成過程を見た上で、
最後に形成過程からの考察をまとめるとともに、そこから得られる示唆について言及
する(7.
)。
なお、本稿では戦前期の旧文部省、東京帝国大学などの機関が登場するが、現存の
機関とはその様相を大きく異にしており決して同一視するものではない。また、政府
や大学関係文献からの引用が多くあるが、見解・主張の一切は私見であり、省や大学
等の見解・主張とは全く無関係であることをおことわりしておく。
2. 前期接続政策の形成環境
当時の接続政策を理解する際に留意すべきなのは、政治、教育言論、行政などの政
策形成環境の状況である。本稿の主眼はあくまで前期接続政策の形成過程を俯瞰する
ことにあり、戦前期文教の政学官関係を論ずるものではないが、接続政策の歴史的枠
組みを明確にするため、戦前期の学校種の大半が出揃う明治期の政策形成環境を概観
しておく。
2.1 政治環境等
明治の教育政策は森有礼らによって帝国議会開設前から進められたこと、開設後も
枢密院が強い影響力を有したことはよく知られているが、帝国議会においても教育の
各般について幅広く議論され政策に少なからず影響を与えた 6)。現代と大きく異なる
のは議会開設当初の教育に関する活動単位が政党ではなかったことである。政党は
個々の教育問題について明確な方針を掲げる成熟度にはなく、政治活動は貴衆両院の
壁を越えた同士的活動体によって展開された。その中心となったのが学制(政)研究
会である 7)8)。貴族院華族議員の近衛篤麿公爵を会長(後に長岡護美子爵)9)とし、尾
崎行雄、久保田譲といった文部大臣経験者、貴族院勅選議員、衆議院議員を含む組織
で、政党が一定の成熟を見る明治末期まで強い影響力を保持した。中でも専門的・理
論的中核となったのが伊澤修二、久保田譲、辻新次などの文部省局長・次官を退いた
貴族院勅選議員たちであったことは注目すべき点である。彼らの主張は必ずしも政府
寄りとはいえず、接続政策を含む学制改革において激しく政府と対立することもあっ
た。一見華麗な経歴の彼らだが藩閥政治全盛期にあってその系譜から比較的外れた者
6)
7)
8)
9)
本山幸彦編著(1981)『帝国議会と教育政策』思文閣出版、pp.579-580。
発足当時の名称は学政研究会であったが、教職が政論に関わることを白眼視する風潮に配
慮し、間もなく学制研究会に改称された。
本山編著(1981)、pp.569-570。
本山編著(1981)、p.577。
- 158 -
学校間接続政策の前期形成過程
たちであった点で共通している。
同会の起源に、文部省編輯局長であった伊澤修二や官立学校関係者らによる利益団
体・国家教育社があり、後に見るように、接続政策とも関わる小学校教育費国庫補助
の実現を帝国議会に請願するなどの活動を行っていた。しかし1892年(明治25年)、
河野敏鎌文部大臣の内訓や翌年の井上毅文部大臣の箝口訓令によって学校教員は政論
を扱う団体への所属が禁止されたため、1894年(明治27年)、それらの制約を受けな
い国家教育社内外の民間の教育関係者や彼らに賛同する貴衆両院議員によって別途発
足したのが学制研究会である。2 年後、近衛の仲介によって国家教育社と辻が主宰す
る親政府系の大日本教育会が合流してほぼ全ての教育関係者層を網羅する一大組織・
帝国教育会が発足(初代会長は近衛)したことを契機に、学制研究会は更に勢力を拡
大した(同会の活動などによって箝口訓令は1898年(明治31年)に廃止され、国庫補
助は1899年(明治32年)に実現した)。その後学制研究会が政治組織としてだけでな
く、次第に高等師範学校や私学などの学校関係者、教育マスコミ関係者をも含めた有
力な教育言論組織としての色彩を有したのはそのためである。学校関係者には高等師
範学校系に嘉納治五郎(貴族院勅選議員)、谷本富、私学系に東京専門学校(早稲
田)の高田早苗(貴族院勅選・衆議院議員)、慶應義塾の小幡篤次郎(貴族院勅選議
員)などが、教育マスコミ関係者には『教育時論』の湯本武比古を筆頭に、『普通教
育』の山懸悌三郎、『教育報知』の日下部三之介、『教育界』の曽根松太郎、『帝国教
育』の樋口勘次郎など、教育主要誌の主宰・主筆や有力記者を抱えていた。私学系の
高田は『読売新聞』の主筆を務めたこともあり、教育マスコミ関係者の湯本、山懸、
樋口は高等師範学校卒であるなど横断的なつながりも強く、また同会メンバーの文部
省系貴族院議員を通じて文部省との関係も深かった。しかし同会は、1904年(明治37
年)の近衛の死去や政党・行政の成熟とともに勢力を失い、1909年(明治42年)頃組
織的活動を停止し、1919年(大正 8 年)に解散した。
なお、本稿で触れる余裕はないが、帝国教育会は総じて文教行政の補完的性格を有
した10)。学制研究会の衰退とともに教員の全国組織としての性格を強め、昭和に入る
と国策協力を積極的に行ったため、戦後批判を浴び1948年(昭和23年)に解散した。
最後の会長は荒木正三郎であり、日本教職員組合(日教組)会長の兼務であった。
学制研究会と並ぶ活動を展開したのが(東京)帝国大学総長・教授を中心としたい
わゆる帝大派と呼ばれる貴族院勅選議員たちであった。帝国議会が開設された1890年
だい ろく
と
やま まさ かず
(明治23年)から存在し加藤弘之、菊池大麓、濱尾新、外山正一、山川健次郎などが
その代表である。後に見るように接続政策の議論においてはしばしば帝国大学とそれ
以外の勢力が対立するが、明治期においては帝大派と学制研究会の対立がその底流に
10) 久保健三、米田俊彦、駒込武、児美川孝一郎編著(2001)『現代教育史事典』東京書籍、
pp.184-185。
- 159 -
年報 公共政策学
Vol. 7
あると見てよい。学制研究会が貴衆両院議員、官吏、現場関係者、教育マスコミ、実
業界といった幅広い人脈から構成され、最盛期には70名を超えていたのに対し、帝大
派は文字通り帝国大学の重鎮として貴族院勅選議員になった者で構成され、10名内外
に止まった。しかし、学校制度の頂点に立ち、政財官界の主要部に人材を輩出し続け
る帝大派は明治期の接続政策の形成において議会の内外を問わず優位を占めることが
多かった。比較的超然とした帝大派にあって菊池大麓だけは学制研究会にも参加する
柔軟さを見せた。後に見るように菊池が学・官で活躍し、是非はともかく接続政策を
動かすことができたのはこうした姿勢と関係している。その菊池も両者の対立の激し
さから文部大臣時代の1902年(明治35年)、同会を脱退することとなる11)。
2.2 行政環境
官吏の行政専門職化が確立するのは文官任用令(1893年(明治26年))に基づく文
官高等試験制度が導入される1894年(明治27年)以降であり、試験任用者が局長以上
の勅任官・親任官に累進するのは文部省では明治30年代末のことである12)。それ以前
は、(東京)帝国大学教授、同大卒の高等師範学校長や中学校長、高等学校長又はそ
の経験者が局長等に就任(兼務)することは珍しくなかった点で現代と大きく異なる。
嘉納治五郎、菊池大麓はその代表であり、行政官である前に現場代表として行動する
ことも少なくなかった。後に見るように両者における尋常中学校を巡る激しい「綱引
き」が報じられたこともあった。今なお続く我が国の学校間接続の基盤がこうした状
況下で検討・形成されたことは注目すべき点である。行政の成熟に伴い、特に財政、
税制、地方行政との関係において他省との高度かつ専門的な調整が不可欠になってく
ると、教育専門家を中心とした教育行政のあり方が疑問視・限界視されるようになっ
た。20世紀初頭にはいわゆる「教科書騒動」などに端を発した文部省廃止論が内務省
への吸収論13)として現れたり、樺山資紀元内務大臣が文部大臣就任時に内務省官吏を
移籍14)(赤司鷹一郎、田所美治、村松茂助など)させたりした。そのほかにも福原鐐
二郎、松浦鎮次郎、粟屋謙などが内務省から移籍し明治後期から昭和初期にかけて文
11) 本山編著(1981)、p.574。
12) 先に述べた辻、久保田などは文部省における行政畑が比較的長いが、文官任用令以前の入
省、すなわち官吏としての資質能力を試験等で判定されるのではなく、当時東京大学又は
帝国大学法科・文科大学卒に付与されていた無試験任用特権による入省(試補)であった。
辻、久保田そして後に見る澤柳政太郎などはいずれも文科卒業であり、法科出身の高等官
は少なかった。
13) 本山編著(1981)、p.588、p.602。
14) 官吏の履歴等については秦郁彦編著『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(1981)、
『日本官僚制総合事典』(2001)、『日本近現代人物履歴事典』
(2002)(いずれも東京大学出
版会)参照。
- 160 -
学校間接続政策の前期形成過程
部省局長、次官、大臣として活躍した15)。明治30年代末以降の勅任官・親任官への累
進はこうした移籍組が先鞭を付けたといえる。
2.3 「審議会」の登場
文部官吏の行政専門職化と地位の累進は予算編成・獲得、法令制改定に必要ないわ
ゆる法科技術の向上をもたらしたが、教育現場からみれば局長等の行政中央ポストの
喪失を意味し、行政を媒介とした政策化は今まで以上にコストを要することとなった。
また、政党の成熟に伴って超党派的活動が行き詰まりを見せると、学制研究会、帝大
派、帝国教育会は協力して高等教育会議の設置を議会や政府に働きかけ成功してい
る16)。当初彼らはこの会議を文部省に匹敵、あるいは上位の機関とすることを構想し
たが、西園寺公望文部大臣が行政干渉であるとして強く反発した結果、教育政策に関
する審議会としての位置付けとなった。この会議の設置運用について当初否定的だっ
た政府も政策形成過程における重要性に気づき、次第にこのシステムを積極的に活用
するようになった。その傾向は高等教育会議の後継である臨時教育会議、文政審議会
などにおいて顕著に見られる17)。教育政策形成において政府が審議会を活用する手法
は現在の中央教育審議会まで営々と継承されることとなる18)。このほか初等中等教育
諸学校の実力教員が文部省の督学官などに就任し政策に一定の影響力を留保するルー
トもあったが、これは後に見る。
総じて言えることは、前期接続政策の形成においては、教育関係者又は彼らを中核
とした団体が、影響力を行使しようとしばしば政府に強く働きかけたことである。本
稿でもいくつかのケースを取上げることとなるが、それらは政府に対し受動的・自己
防御的に批判を行うだけではなく、時に能動的な提案を行うものだったことに留意す
る必要がある。確かにその動機が公教育を手段として個人若しくは団体の社会的上昇
を図ろうとする野心にあったとしても、公教育の発展に政策レベルで貢献したいとい
う当事者意識・責任感が強く感じられる。批判的行為は当時と現代の共通点であろう
が、内容の是非はともかく、批判とともに提案がなされた点も現代における共通点と
いえるのか、残念ながら判断が分かれるところであろう。
3. 前期接続系統政策の概観
学校間接続を政策として捉えようとするとき、接続系統の変化、つまり各学校種が
15) このうち福原は文官任用令以前の1892年(明治25年)の入省(試補)である。逓信省に入
り、約 1 年で内務省に移籍、約4年の内務属を経て文部省に移籍した。法科出身であり、
文部省移籍後まもなく教育行政法研究のため西欧留学を命ぜられている。希少な法科人材
への同省の期待が窺える。
16) 天野(1996)『日本の教育システム』東京大学出版会、p.121、本山編著(1981)p.596。
17) 天野郁夫(1985)『教育改革を考える』東京大学出版会、pp.97-105。
18) 天野郁夫(1996)、p.122。
- 161 -
年報 公共政策学
Vol. 7
どのように登場し、どのような相対性の中で接続を織りなしたかを見ることが先ず必
要となる。接続政策のいわば「外面」をなす部分である。本章では前期接続系統政策
を概観する。
3.1 接続系統の成熟 -「縦」と「横」の充実-
周知の通り、我が国の学校制度は1872年(明治 5 年)に布達された学制に始まる。
全国を8の大学区に分け、それぞれを入れ子構造の中学区(13万人単位)・小学区
(600人単位)に整然と区分し、各学区に一校の学校(小学・中学・大学)を配置し、
「大-中-小」というシンプルなピラミッド型の学校体系を構築するというものであ
る。小学は「教育ノ初級ニシテ人民一般必ス學ハスンハアルヘカラサル」所とされ、
中学は「小學ヲ経タル生徒ニ普通ノ學科ヲ教ル所」とされた。大学は「高尚ノ諸学ヲ
教ル専門科ノ學校」であり主に理学、化学、法学、医学、数理学を授ける所とされた。
この「大-中-小」こそが、その後の我が国の正系の接続系統、いわば「縦」のライ
ンの骨格となるのだが、この時点ではその「理想」を示したに過ぎない。例えば中学
は「小學ヲ経タル」だが、大学と中学の関係は必ずしも明確ではない。はやくもここ
に学校間接続問題の萌芽が見られる。
政府は学校整備の着手順序として第一に「厚ク力ヲ小學」に振り向け、第二に「速
ニ師範學校ヲ興スヘシ」とし、第三に教育の機会均等を、第四に「漸次中學ヲ設クヘ
キ」とした(下線は筆者)
。
「漸次」という言葉に表れるように、この手法による学校
制度の完成には相当な時間を要することとなる。やがて急激な近代化に対応するべく、
各省は所管する政策の推進に必要な促成の人材養成機関を設けた(工部省工部学校、
農商務省駒場農学校など)。その一環として文部省が手がけたのが、幕府時代の流れ
を汲む洋学伝習機関(開成所と医学校)を統合して設置した東京大学(1877年(明治
10年)発足)である。初代文部大臣である森有礼のとき、各省の学校の多くは東京大
学に統合され、1886年(明治19年)帝国大学に移行した(統合は移行後も続いた)。
結果的に我が国は、小学校から漸進する「下から」の接続系統と、東京大学(帝国大
学)を頂点とした「上から」の接続系統を並立させるという、他国には見られない政
策手法を選択することとなる。「下から」の到達を待たずして「上から」の接続系統
を発足可能としたのは、それに必死で飛びつく、失業化した旧士族という有能な人的
資源が大量に存在したためである19)。接続問題は、彼らの吸収(淘汰)が終わった後
に到来する、
「下から」の接続系統との関係をどう構築するかにあった。
その後戦後に至る約80年間に、接続系統は概ね以下のように変化した。それは初
等・中等・高等教育を貫く「縦」のラインの形成と、各教育段階におけるそれ以外の
学校種の充実、すなわち「横」の充実の歴史ともいえる。
19) 吉見俊哉(2011)『大学とは何か』岩波書店、p.123。
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学校間接続政策の前期形成過程
3.2 1886年(明治19年)以降の状況 -「縦」のラインの形成を目指して-
3.2.1 接続系統の並立
戦前期の学校制度の実質的な基本となるのは、1886年(明治19年)、森文部大臣の
時に制定された諸学校令、すなわち帝国大学令、小学校令、中学校令、師範学校令で
ある。学制やその後継の教育令の実績と反省を踏まえ制定されたこの諸学校令に基づ
き、学校制度は具体的に形成されていくこととなる。
小学校は「児童身體ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並其生活ニ必須ナ
ル普通ノ知識技能ヲ授クル」ことを目的とし、中学校は「実業ニ就カント欲シ又ハ高
等ノ學校ニ入ラント欲スルモノニ須要ナル教育ヲ為ス」ことを、東京大学の移行によ
って誕生した帝国大学は「國家ノ須要ニ応スル學術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究ス
ル」ことをそれぞれ目的とした。帝国大学令は東京にあるこの一校のために創設され
たものだった。
諸学校令はその法形式自体に大きな政策変更を含むものであった。それまでの学制
や教育令は学校制度全体を一つの規定で書き切る設計となっていた。だが、学校制度
の完成図はおろか接続系統すら並立する状況などを踏まえ、一貫した教育理念で学校
制度全体を規制することをあきらめ、学校種別に制度を規定することとしたのである。
そこには多様な学校種の創設を容易にし、国家社会の発展に伴って多様化するニーズ
に柔軟に対応しようとする意図が存在した。こうした現実的な手法は憲法制定のため
西欧出張した伊藤博文がオーストリアの公法学の権威・スタインから学び、森に伝え
たことによるものとされている20)。
小学校と中学校はそれぞれ尋常と高等から構成された。尋常中学校は小学校と同じ
く府県立だが、高等中学校は帝国大学と同じく官立であり、尋常・高等中学校は同じ
中学校といっても全く別の組織である(尋常小学校-高等小学校-尋常中学校-高等
中学校-帝国大学)。また、主として小学校教員を養成する尋常師範学校や中学校教
員・校長を養成する高等師範学校からは帝国大学に進むことはできず、「縦」のライ
ンの一員とはいえない。
この頃は、「上から」と「下から」の接続系統の並立化が最も進んだ時期であった。
帝国大学直下の準備教育機関であり、「上から」の接続系統に属する高等中学校(5
校)全てが尋常中学校の全期間(5 年)に相当する機関、すなわち高等中学校の予科
(3 年)を設置し、更に東京にある第一高等中学校を除き予科の補充科(2 年)を設置
していたこともあった。尋常中学校と予科・補充科の最も大きな違いは、外国人によ
る外国語教授が中心だった帝国大学(1 校)の教育についていける高い語学力の育成
能力にあったが、この能力を尋常中学校に普及させるだけの人的資源を未だ我が国は
持たなかった。
20) 本山幸彦(1998)『明治国家の教育思想』思文閣出版、pp.191-193。
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年報 公共政策学
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3.2.2 接続系統の接触面の形成と原理
こうした状況は「縦」のラインの構築を目指す政府にとっても、また予科・補習科
に教員を割く高等中学校にとっても好ましいことではなかった。接続系統の並立状況
から脱し接触面を形成するべく考案されたのが1889年(明治22年)に始まる「聯絡」
制度である。当時全国は5つの学区に別れ、各学区は高等中学校が管轄し、区内の尋
常中学校、小学校に対し指導的立場にあった。各高等中学校は尋常中学校卒業者のう
ち校長が認める優秀者を能力の程度に応じて(予科を含めた)相当学年に編入し、そ
れでも定員が余った場合に、広く入学試験(一般試業)を実施することとした21)。や
がて尋常中学校の質の向上が図られ1893年(明治26年)までに全ての高等中学校で補
充科が廃止される(予科の廃止には至らなかった)。この背景には、尋常・高等師範
学校や教科書の整備などによる教育の質向上と表裏をなすものとして、粗製濫造の傾
向があった尋常中学校に対する「正格化」政策 22)、すなわち施設整備基準の制定や
「地方税ノ支弁又ハ補助ニ係ルモノハ各府懸一箇所ニ限ルヘシ」とした中学校令の規
定改正があったことに留意する必要がある。1885年(明治18年)に106あった中学校
は、翌年に56校、その翌年に48校に激減した。以降学校数は質の向上を図りつつ少し
ずつ増加するが、その傾向が確実なものとなるのは、中堅知識層の需要増加が生じた
日清戦争以降のことであった。
高等中学校は、東京大学予備門の流れを汲む第一高等中学校を中心に年々競争倍率
を上昇させていた。高等中学校の定員は帝国大学の定員を下回るように設計され、卒
業者は原則として帝国大学に進むことができた23)。だからこそ上昇志向のある青年は
浪人を繰り返してでも高等中学校を目指した。このため戦前期の「選抜接続」の問題
は帝国大学と高等中学校(後に高等学校)ではなく、高等中学校と尋常中学校(後に
中学校)との間に顕著に生じた。彼らを惹きつける魅力が帝国大学に付与されていた
と言い換えることもできる。それは卒業者に与えられる「名誉」(学位)24)、「特権」
21) 尋常中学校卒業者は無試験で高等中学校に進学できたが、そこには卒業試験があり、資格
試験としての性格を有した。その後「発明」としての入学試験が定着し、卒業試験が定着
しなかったのはなぜか。研究を要するところである。
22) 天野郁夫(2007)『増補・試験の社会史』平凡社、p.263、米田俊彦(1992)『近代日本中
学校制度の確立』東京大学出版会、p.23。この「一府県一校制」は、1891年(明治24年)
1 月に廃止。
23) 時代は少し下るが、高等学校から帝国大学への進学率は、1902(明治35)年で99.2%であ
り、大正期に旧制高校が増設され、爆発的に卒業生が増加した以降の1935年(昭和10年)
でも82.5%となっている。残りの者は軍学校などに転じた少数を除き、法学部や医学部な
どの人気学部を目指す浪人(白線浪人)であり、彼らも数年以内に帝国大学に進学してい
たとされる。竹内洋(1999)『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』中央公論新社、
pp.75-76。
24) 久保田譲(1899)『学制改革論』帝国教育會、p.22。久保田は文部省普通学務局長、文部
次官を経て、明治後期に文部大臣に就任した人物。
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学校間接続政策の前期形成過程
(官費留学生の便宜、徴兵猶予、官吏・教官・医師・弁護士等の資格)25)、そして厳
しい入学試験の突破などに裏付けられた社会的「威信」26)であった。このため小学校
を卒えると、そもそも府県に一校程度しかない尋常中学校に進学できなかった(しな
かった)者たち、あるいは進学はしても高等中学校との学力ギャップを知って中退し
た者たちが、東京に集中する私立の予備校に通って高等中学校やその予科・補充科の
入学試験の突破を目指すルートが形成されることとなった27)。
当時公教育は、指導水準の低さを背景とした強い試験万能主義(競争心を刺激し学
習意欲・効果を高める)の風潮の中にあり、小学校さえも日課-月次-期末-進級-
卒業の各段階に行われる重層的な定期試験によって厳格に管理され、臨時、巡回、比
較といった不定期試験も常態化した28)。それでも小学校卒業者はさらに何年かを尋常
中学校への入学準備にかけ、入試に合格して入学しても卒業にこぎつけるものは半数
に満たない程度の学力水準であり、さらに何年もの受験準備を経なければ高等中学校
への進学は困難な時代だった29)。是非はともかく、進級・卒業試験は高等中学校から
みれば自らが担当する「選抜接続」の前哨戦として機能したことになろう。
3.2.3 接続政策の問題 -「長さ」と「半断線」-
この時期の学校制度は、6 歳の小学校入学から帝国大学卒業までに最短で17年を要
した。模範とした海外の制度からみても(3~4 年長い)、未だ40歳代前半に留まる平
均寿命30)からみても長かった。それは帝国大学が求める学力水準に到達するための
「長さ」であり、同時に帝国大学の下に学力ギャップを埋める予科を置かなければな
らない「教育接続」の未成熟を露呈するものでもあった。さらにそのしわ寄せは、高
等中学校への接続ならぬ「半断線」、つまり学力不足による(定員内)不合格の頻発
という形で国民に転嫁された。途中で多くが脱落し、帝国大学卒業者の平均年齢は27
歳に達していた31)。戦前期の大学進学率は最大でも 1 %以下32)に止まった。だが公教
育制度の諸機能は全て、大半の国民が到達しえない大学の存在を前提として成熟し、
25) 久保田(1899)、p.22。
26) 天野郁夫(1986)「高等普通教育と社会階層」『教育社会学研究第41集』日本教育社会学
会、p.13。
27) 天野郁夫(2009 a)『大学の誕生(上)』中央公論新社、p.175。
28) 斉藤利彦(2011)『試験と競争の社会史』講談社、p.248。
29) 天野(2006)、p.241。
30) 厚生省「簡易生命表」及び「完全生命表」によれば、統計上最も古い1891年(明治24年)
から1898年(明治31年)の平均寿命は男子42.8歳、女子44.3歳。
31) 天野(2006)、p.123。
32) 戦前期末期の1942年(昭和17年)の小学校在籍者約1,300万人に対し、大学は約 7 万人
(大学院のほか、私大予科や北海道、京城、台北帝大予科を含む。高等学校約 2 万人は含
まない)。ちなみに中学校約50万人、専門学校約15万人、実業学校約70万人、高等女学校
約70万人だった。
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年報 公共政策学
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やがて社会や下級学校の指導層における違和感や、大学へ至る各学校段階での厳しい
入試に適応するべく普通学科の詳細な知識の伝達に明け暮れる受動性をもたらすこと
となる。その感覚は暫くの間国民の教育(学歴)による社会的上昇(立身出世)熱の
増大と、それを肯定・助長する国家・社会の風潮を背景に自覚されなかった。やがて
(尋常)中学校の数・卒業者の急拡大と、教育水準の向上によって高等中学校(後に
高等学校)入試おける定員内不合格はほとんど見られなくなるが、それが高じて高等
教育機会の「供給過少」という、「量」的問題を引き起こすこととなった。20世紀に
入る頃から中等・高等教育機関への入学難が「試験(受験)地獄」という言葉の登場
とともに急速に社会・政治問題化33)することとなる。「長さ」や「半断線」の問題は、
後に見る「複線化(袋小路)」と並び学校間接続の深刻な問題であり、これらを放置
することは学校制度が社会から乖離することを意味した。
3.3 1891年(明治24年)以降の状況 -「横」への広がり-
3.3.1 「實ニ混ミ入タ教育上ノ御話」の登場 -学校間接続議論のはじまり-
1891年(明治24年)8 月15日、大阪市において「國家教育ノ形體」と題する講演が
行われた34)。講演者は東京師範学校、東京音楽学校の校長を経て文部省編輯局長の職
にあった伊澤修二である。彼は「炎暑ノ候」に「長演説ヲ致シマスル」ことに恐縮し
ながら「數幅ノ掛圖ヲ拵ヘテ」くるほどの周到さ熱心さで「實ニ混ミ入タ教育上ノ御
話」を始めた。我が国の学校体系は帝国大学、すなわち「頭ノ方」が起点となって下
降的に発達したものと、小学校、すなわち「尾ノ方」から上昇的に発達したものの二
つの系統が並立しており、これを「ドコカデ接續セネバナラヌ事」になる。ところが
実際には「遺憾ナガラ未ダ十分ニ連續シテ居ラヌ」、そこに「形體」上の最大の問題
があると指摘したのである。学校間接続議論のはじまりである。
この講演は2.で見た学制研究会や帝国教育会の源流の一つである国家教育社の記
念すべき第 1 回大集会で行われたものだった。伊澤はこの頃同社を率いて小学校教育
費国庫補助運動を展開していたが、その動機は学校間接続と深く関係する。学校系統
の並立を整理・統一するには国庫補助によって学校の起点となる小学校を整備しなけ
ればならない35)という、「下から」の接続系統理念に基づいていた。
こうした伊澤の意識は、小学校から大学まで原則単線構造を採る現代の我が国から
みれば共有できよう。しかし当時の主要国には学校系統を(
「上から」と「下から」で
はないものの)労働者と特権階級など階級別に並立させるのが一般的で、小学校から
大学まで原則単線構造の開放型を実現していたのは事実上アメリカだけだった36)。そ
33)
34)
35)
36)
天野郁夫(2000)『教育學研究 第67巻 第 1 号』日本教育学会、pp. 8 - 9。
明治館(1891)『伊澤修二教育演説集 第一』秀英舎、pp. 1 -33。
本山編著(1981)、p.575。
天野(2006)、p.240。
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学校間接続政策の前期形成過程
のアメリカの制度を、伊澤はハーバード大学留学の際に学んでいた。だが彼の理想と
する姿が帝大派などとの間でコンセンサスを得るに至らず、長く激しい応酬を必要と
することとなった。それは原則単線構造が戦後まで実現しなかったことに表れている。
3.3.2 高等中学校廃止論
帝国議会では「民力休養」を背景に高等中学校の廃止が声高に叫ばれていた37)。尋
常中学校を少し高度化するか、以前の東京大学予備門のように帝国大学に例外的に附
属校を設置すれば済むのであって、一つの学校種を充てて整備するまでの必要はない
という主張である。先に見た学校制度に対する違和感が既に帝国議会に見られた。
政府は議会に高等中学校の充実を訴えたが、1891年(明治24年)、大木喬任文部大
臣が第一(東京)と第三(京都)高等中学校以外はこだわらないとの発言が『国民新
聞』にスクープされ(「二箇所丈ケ存シタラバ格別不都合ハナカラント思フ…二箇所
(今ノ第一、第三)存置説ナラバ、多分同意スルニ苦マザルベシ」7 月25日付「遂ニ
二ニ歸セン」)、衆議院予算委員会で辻次官が追及される事態に及んだ(12月 2 日)38)。
また同院本会議で政府が「決シテ其唯〃大學ヘ這入ル予備門ノミデハゴザリマセヌ」、
今後は「追〃ニ高等中學校ヘ中等以上ノ業務ヲ執ル様ナ人ヲ、入レルコトヲ勸メナケ
マ
マ
レバナラヌ」
(辻次官)と答弁すると、
「看板ハ成程普通高等教育ト、大學ニ入ル生徒
ヲ教育」する二つの機能を掲げているが、実際には高等普通教育の方は行われていな
いと反論されている(同24日)39)。
結果、帝国議会第二議会(1891年(明治24年)11月~12月)において、第一、第三
高等中学校以外は不要との予算案が議決された。議決の同日、議会が解散されたため
実施には至らなかったが、高等中学校が制度的に極めて不安定であったことを示して
いる。ここで重要なのは政府と議会がともに社会人として必要な素養の獲得を念頭に
置いた高等普通教育と、上級学校への進学を念頭に置いた準備教育を区別し、後者ば
かりが重視されてはいけないという意識、つまり学校制度が社会と乖離してはいけな
いという意識を共有していたことである。では、準備教育ではない高等普通教育とは
具体的に何か。森有礼を含め、その後多くの指導者が「国民の中堅として、如何なる
境遇に立つも、一般に必要とする常識を養はんとする」や「国士ヲ養成スル」などと
概念40)では語り得ても、それは実業教育とどう違うのか、国民に受け入れられるのか、
具体的に示せずにいた。
37)
38)
39)
40)
本山編著(1981)、p.215。
内閣官報局(1891)『衆議院第二囘豫算委員會速記録第十一號(第三科)』、p.12。
内閣官報局(1891)『衆議院第二囘通常會議事速記録第二十二號』、pp.13-16。
天野郁夫(2009 b)『大学の誕生(下)』中央公論新社、pp.300-301。
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3.3.3 普通教育と接続政策
そもそも接続政策からみた普通教育とは当時どのようなものだったのか。森有礼は
1888年(明治20年) 6 月21日に行った宮城県庁での講演で、小学校と尋常中学校の目
的を総じて「普通實用ノ教育」とし、直後に法令用語である「普通教育」に言い換え
ている41)。森にとっての普通教育の意義はこの「實用」にあった。「實用」とは「善
ク国益ヲ努メ又善ク分ニ応ジテ働ク事」であり、これこそが教育の根幹すなわち「善
良ノ臣民」を育成することだと、同年11月15日の和歌山県での講演で述べている42)。
更に森は、翌年秋の奥羽地方学事巡視中に行った講演において「善良ノ臣民」を育成
するために工・商・農業などの実業に就くための教育、すなわち「實業教育」の必要
性を説いた。ただしそれは「主トシテ勤働ノ習慣ヲ養成スル教育」43)のことであり、
特定の職業技能を獲得するための職業教育や就職に役立つ学科を学ぶ実科教育とは区
別されたもの(「普通」
)である44)。森はその具体例として「必ズシモ田畑ヲ耕ヤスト
のみ かんな
カ鑿鉋ヲ以テ働ラクト云フニ非ズ、之ヲ行フニハ先ズ學校ノ小使等ヲ廢シ教員率先シ
テ生徒ト共ニ學校ノ拭掃除草取水汲等一切ノ事ヲ為シ自弁自理ノ實ヲ擧ル」45)(ルビ
は筆者)と述べている。本山幸彦の言葉を借りるならば「志気と気力が充実し、積極
的、自発的に「勤働」を通じて国家活動に参加する」国民教育46)ということになる。
このように普通教育と実業教育の関係は必ずしも観念の域を出なかった。
実業教育は後に見る実科中学校の創設と失敗などを経て実科と結合し、1899年(明
治32年)に実業学校が制度化されることで具体性を公式に獲得することとなる。実業
学校は「大-中-小」の「縦」のラインと相互補完関係をなす「横」の学校種の一つ
として発展するものであり、接続政策上重要な地位を占めるものである。一方「勤働
ノ習慣ヲ養成スル教育」は普通教育の基礎概念の一部となり、清掃活動などは現在も
「当番活動等の役割と働くことの意義の理解」(小学校学習指導要領第 6 章)という意
味で、義務普通教育における重要な教育活動(特別活動)として定着している。
しかしそれでも、先の帝国議会の議論にあった高等普通教育と準備教育の違いは明
らかではない。それを見るためには今しばらく接続系統の変化を追う必要がある。
3.3.4 井上文政の登場 -社会への接近-
学校制度と社会との乖離を懸念する一人に井上毅がいた。1894年(明治26年)に文
部大臣に就任すると「縦」のラインは生かしつつ社会との接近を図る政策を次々と打
41)
42)
43)
44)
45)
46)
大久保利謙編(1972)『森有禮全集巻一』宣文堂書店、p.537。
大久保編(1972)、p.581。
大久保編(1972)、p.645。
本山(1998)、p.229。
大久保編(1972)、p.645。
本山(1998)、p.229-230。
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学校間接続政策の前期形成過程
ち出した。
その背景に日清戦争前後の資本主義の発展がある。政府や産業界は「戦後経営」の
一環として、実業振興に必要な専門的能力をもった若い人材を早急かつ大量に社会に
提供することを求めた。井上や文部次官の牧野伸顕らは、これに応えることが学校が
社会に貢献することだと考えた47)。そのため井上は「従来ノ高等普通教育ヲ移シテ専
門教育トシ」
、
「尋常中学校ヲ以テ中等教育即チ普通教育終局ノ所トス」とすることを
伊藤博文宛書簡において述べている48)。
この考え方に基づき、陣容・水準が突出し未だ一校しか設置し得ない帝国大学49)と
は別に、それまで予科だった高等中学校を、帝国大学と似た専門学部制(医・工・法
など)50)を敷く「低級大学」51)として改組した。それが高等学校である。高等学校令
が制定され(第一次高等学校令)、学校の目的は単に「専門學科ヲ教授スル所トス」
と規定し、その上で、「但帝國大學ニ入學スル者ノ爲メ豫科ヲ設クルコトヲ得」とし、
帝国大学に配慮して予科機能を残したが任意設置の扱いとした52)。予科は帝国大学の
各分科大学に対応する3つの「部」を設置して教育を行うこととされた(高等学校大
学予科学科規程の制定)。こうすることで高等学校は、従来通り予科を経て帝国大学
に進むコースを維持しつつ、予科を省略して高等教育を行う学校(
「低級大学」)とな
り、実用性の観点から学校制度を社会に接近させ、かつ「長さ」の短縮53)にも貢献し
ようとした。見方によっては帝国大学を学制の埒外に見て下位制度を実質化する、い
わば「棚上げ」54)政策ともいえる。またこのとき、高等学校の性格に鑑み、学区制が
47) 筧田知義(1975)『旧制高等学校教育の成立』ミネルヴァ書房、p.108。
48) 1894年(明治26年)10月10日付。本山(1981)、p.219-220。
49) 帝国大学の前身である東京大学の創設は1877年(明治10年)だが、2 番目の京都帝国大学
の創設はそれから20年も後の1897年(明治30年)だった。
50) 高等中学校時代も専門学部を置くことは可能だったが、医学部を除き活発ではなく、予科と
しての機能が中心だった。井上の改革は予科と専門学部の主客を逆転させることにあった。
51) 文部次官兼普通学務局長などを経て昭和初期に文部大臣を務めた岡田良平や文部省専門学
務局長を経て昭和初期に文部次官を務めた松浦鎭次郎などがこの用語を用いている。例え
ば国民教育奨励會(1922)『教育五十年史』民友社、p.208(岡田「低い大学」)、p.297
(松浦「低級大学」)。
52) 当初高等学校予科に入学できるのはその学区内の者に限られていたが、1897年(明治30
年)度からその規制が撤廃された(明治29年文部省訓令第 4 号)。
53) 高等中学校の下に設けられた予科については、高等学校に移行する際に廃止(生徒は明治
28年度まで在籍)され、尋常中学校との直接接続が実現した。ただし、高等学校は高等中
学校時代と比べ期間が延長(2⇒3 年)されている。予科の廃止はその機能を縮小し内蔵
したものといえる。
54) 戦前期には帝大の水準が他の学校と比べ高すぎるゆえの「棚上げ」論と帝大側の反論がし
ばしば登場する。例えば1879年(明治12年)の文部少輔・神田孝平と東京大学初代総長・
加藤弘之との論争(ただしこの論争は東大が学制における大学の定義に適うのかという趣
旨)、1899年(明治32年)の貴族院議員・元文部次官の久保田譲と貴族院議員・元文部次
官・帝国大学総長の菊池大麓との論争などである。このように「棚上げ」論争は当時の公
たか
- 169 -
ひら
年報 公共政策学
Vol. 7
廃止されている。
だが、この政策は成功せず、十分な生徒を確保することができなかった。井上は
「低級大学」に当初予定していた学位授与権などを設定できなかった。多くの研究者
は、高等学校がこうした中途半端な性格となった背景に帝大派の働きかけがあった、
あるいは摩擦を嫌ったためと指摘する55)。高等学校がその程度の存在に留まるならば、
制度上の位置づけこそないものの、入試は緩く実績のある私立を含む専門学校に分が
あった(専門学校に実績のない高等学校医学部は成功した)。あくまで高等学校のニ
ーズは、厳しい入学試験の突破というリスク56)を選択してでも進む価値がある、帝国
大学への進学を保証する予科の方に生じた。先に見た帝国大学に付与された魅力は、
それほど強い求心力を持っていた。
学校制度の社会への接近は初等並びに中等教育段階においても志向され、普通学科
の一部と実科を統合的に指導する実業補修学校・徒弟学校並びに実科中学校の創設と
して結実する。実業補修学校・徒弟学校は変化しつつ発達するが、実科中学校は、中
等教育に進学する者の主たる関心が普通学科に強く特化した高等中学校予科への進学
に向けられていた57)ことから定着せず、1901年(明治34年)に廃止された。つまり中
等教育と社会との関係においては帝国大学が持つ魅力に匹敵する求心力が、まだこの
時点ではなかったことになる。確かに井上文政は時代を先取りし失速した感は否めな
い。だが、後に実業学校をはじめとした「横」のバリエーションが大きく発展・普及
したことに鑑みれば、その契機をもたらした功績は大きい。
実科中学校が失敗した原因は国民のニーズに合わなかったことだけではなかった。
教育課程が普通学科に大きく傾斜し、実科の履修は高学年において僅かに可能とされ
るに留まり、尋常中学校との差別化が図られなかったことにも原因がある。普通学科
の教育は帝国大学の準備教育と共通するものであり、それと別のものとして高等普通
教育を示すことはこの時もできず、むしろ実科中学校の失敗と後に見る「横」(実業
学校)の拡充が相まって、「縦」のラインにおける高等普通教育と準備教育の区別は
一層困難なものとなっていく。
3.3.5 接続政策の問題 -「複線化(袋小路)」-
上記のように日清戦争以降は、「縦」のライン以外、いわば「横」の学校種が創設
教育を預かる最高幹部たちの間に見られたものであり、その結果、最後まで「棚上げ」さ
れることはなかった。
55) 天野(2009 a)
、p.185、本山(1998)、p.284、p.292など。
56) 高等学校(高等中学校)の合格率は1896年(明治29年)に56.0%(倍率1.7)であったも
のが、1901年(明治34年)には33.7%(倍率3.0)に上昇した。この間、高等学校の象徴
である第一高等学校の入試倍率は2.5倍から4.4倍に上昇し、大正~昭和戦前期には実質倍
率が 6~12倍で推移する。
57) 筧田(1975)、pp.116-121。
- 170 -
学校間接続政策の前期形成過程
されはじめた時期である。やがて「縦」のラインつまり小学校、尋常中学校、高等学
校(高等中学校)から外れると、欠員が生じた場合などに例外的に実施される資格試
験に合格する場合を除いて帝国大学に到達できない、
「複線化(袋小路)」の性格を強
めることとなった。「長さ」や「半断線」と並ぶ重要問題がこの存在だった。その意
味では師範学校も「複線化(袋小路)」の一種に過ぎなかった。「縦」のラインの収容
力の強化も図られたが、我が国は戦前期全体を通じ、ニーズを充足するだけの財政を
最後まで確保し得ず、「縦」のラインの「選抜接続」は総じて厳しさを増していくこ
ととなった。
ただし、収容力不足の理由を国の財政だけに帰することはできない。当時の文部省
の担当局長(菊池大麓専門学務局長)は、後に「當時の所謂中學熱なるものに付て大
に憂へて居った」ため「中學校増設は特別の事情有る場合の外は認可しない」ことと
し、府県においては「中學校に代ゆるに中等實業学校を以てせしめんとした」58)と回
顧している。また文部省は先に見た尋常中学校の「正格化」政策で浮いた財源を師範
学校拡張費に充て59)、19世紀末には尋常中学校だけではなく中等教育諸学校(師範学
校を含む)をどのような割合でどの程度設置すべきかの構想づくりに着手し、さらに
次項以降で見る実業学校の充実のため、予算の成立を待たず省内に実業教育局を設置
している60)。
このように、政府は「縦」のライン(国家的エリートの養成ライン)の確立を目指
しながらも、その肥大化は国益に与しないとし、国民の進学による上昇志向熱を師
範・実業人材の養成に誘導し、その制度的充実の追い風としようとしていたことが分
かる。
「横」の充実はこうした政策的文脈の中で理解する必要がある。
3.3.6 私立セクターの存在 -「横」の戦略-
「横」の充実は学校種の広がりだけではなく、設置主体の広がり、すなわち私立セ
クターの存在も含めて捉える必要がある。
当時制度的地位を付与された「横」の学校種としては師範学校、高等女学校、実科
中学校、実業補習学校、徒弟学校があった。この他に事実上の学校種として各種学校
と専門学校があり、両者の違いは比較的高度な専門教育を行う専門学校とそれ以外の
各種学校という程度で厳密なものではない。後に見るように、その中から主に中等教
育段階として実業学校61)が、高等教育段階として専門学校(含・実業専門学校)が制
58) 田所美治(1903)「序(菊池執筆部分)」『九十九集 菊池前文相演述』大日本図書株式会
社、pp. 1 - 2。
59) 米田(1992)、p.42。
60) 米田(1992)、p.45。
61) 実業学校が必ずしも中等教育段階の学校というわけではないが、実業専門学校などを除き
その多くが中等教育段階の学校であったことを踏まえ、本稿ではこのように表記する。
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年報 公共政策学
Vol. 7
度化され、大正中期には専門学校の一部が大学と位置付けられることとなる。こうし
た学校の中には東京工業専門学校や東京府立女子専門学校などの官・公立も存在した
が、学校数で見た場合その中心は私立であった62)。当時政府には私学に財政支援する
発想も制度もなく、外国に見られるような富裕な宗教団体や篤志家が後ろ盾となるこ
とも期待はできなかった。よって存続のためには授業料収入の確保-つまり「営利性
の追求」-が極めて重要であり、それが私学に、官・公立とは異なる大胆な「教育方
針」と柔軟な「教育機会の開放」をもたらした。
大胆な「教育方針」とは何より邦語主義を採ることである。「縦」のラインの学校
の問題はコストの問題でもある。帝国大学のような外国人による洋語教科書を用いた
教授は莫大なコストがかかる。ならば私立は翻訳教科書を用いた邦語教育を基本とし、
教員は外国人教授で鍛えられた帝大卒の日本人教員を「縦」のラインから借りてくれ
ばよい、というわけである。また、柔軟な「教育機会の開放」とは授業料確保のため
の夜間課程や通信課程などである。中には「縦」のラインの受験予備校の役割を兼ね
る(本業とする)学校も多く存在した63)。このため、教育の質や学力という点におい
ては必ずしも高い水準が担保できる仕組みとはいえなかった。
政府はまずは規制のない競争環境の中で私立学校の発達を待ち、社会のニーズや学
校種の成熟度を測りながら次第に制度化を図った。そして制度化に伴う「特権」(徴
兵猶予、官吏(判任官)任用など)の付与と引き替えに規制による質の担保を図り、
低コストな学校制度の整備を目指した。接続系統におけるもう一方の中核である
「横」の学校はこうして「育成」された私立の世界だった。
やがて頭角を現したのが、東京専門学校(現早稲田大学)、慶應義塾(現慶應義塾
大学)、英吉利法律学校(現中央大学)、明治法律学校(現明治大学)、東京仏学校
(現法政大学)やその附属・系列校などである。彼らは戦前期に各種学校から専門学
校、大学へと一歩ずつ累進し、戦後は大学進学率上昇と私学助成制度を背景に様々な
セクター
経営戦略を展開し、やがて私学全体が国公立と比肩する存在へと成長していくことと
なる。
3.4 1899年(明治32年)以降の状況 -中等教育段階の接続改革-
3.4.1 中学校の性格づけと実業学校の制度化
我が国の資本主義は日清戦争などを経て急速な成長を遂げつつあり、産業構造の変
革期を迎えようとしていた。それは同時に近代的な知識・技能を持つ国民、つまり中
等教育程度の教育を受けた国民を大量に欲する時代の到来でもあった。
62) 私立セクターの記述については、天野(1996)、p.67-87。
63) 例えば、戦後総理大臣になる岸信介は1914年(大正 3 年)3 月に山口中学校卒業後、第一
高等学校受験のため上京、中央大学が設置した予備校(中央高等予備校)に通い、同年 7
月の入試に合格した。
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学校間接続政策の前期形成過程
こうした時代を背景として中等教育段階における大規模な接続改革が行われた。当
時尋常中学校は、実業を志向する人材の養成(実業教育)と「高等ノ學校」を志向す
る人材養成(準備教育)の両者を行う機関とされ、いわば「縦」と「横」の性格が相
半ばしていた。創設当初は主として実業教育機能に期待されていた64)が、「上から」
の視点に立てば帝国大学に人材を提供する「縦」のラインの形成に重大な影響を及ぼ
しかねない。このため、性格づけを巡る論争がたびたび発生し、ついに官・民から実
業教育と準備教育で別々の学校種を創設する(又は途中学年から分岐する)という複
線化案が登場した65)。
その結果、1899年(明治32年)に中学校令を全部改正し、かつての高等中学校にお
ける目的の一部66)、高等普通教育を目的とすることにより「縦」のラインの位置づけ
を明確にするとともに、実業教育については「横」の学校種として実業学校を制度化
(実業学校令の制定)し、中等教育が複線化された。実業学校は後の日露戦争や第一
次大戦を経て急激に需要を伸ばすこととなる。
また、このとき尋常中学校の名称が中学校に変更されている。それまで「尋常」と
いう名称は、一つの学校種を上下に分かつ場合に「高等」と対をなして用いられてき
たものである。既に5年前に高等中学校が高等学校に改称されていたことを踏まえれ
ば当然の措置といえる。だが、「高等」が存在しない尋常中学校制度が5年も存在した
という事実が、接続系統の接触面の上下に位置した両学校種の制度的不安定さを物語
っている。
3.4.2 高等普通教育と接続政策
上記の通り中学校の目的は実業教育と準備教育のうち前者を分離したが、準備教育
ではなく高等普通教育と規定された。進学準備の教育がなくなったわけでは勿論ない。
先に見た違和感や受動性を背景に、地方の指導者としての資質を養う概念を含みうる
64) 中学校令制定時の文部大臣・森有礼は、1887年(明治20年)に福島県で行われた県官、郡
区長、教員に対する講演において、尋常中学校の卒業者は「尚進ンテ高等中學校若クハ他
ノ専門學校ニ就ク者アル可ケレトモ」、尋常中学校は「要スルニ之ヲ卒業シテ直チニ實業
ニ就ク者ヲ養成スルヲ以テ目的トス」と述べている。大久保編(1972)、p.546。
65) 主要なものに戸水寛人(東京帝国大学法科大学教授)
、澤柳政太郎(第一高等学校校長)、
野尻精一(文部省視学官)、正木直彦(文部省視学官兼第一高等学校教授)湯本武比古
(『教育時論』主宰)がある。それぞれの案は微妙に異なっている。米田(1992)、pp.5357。
66) 1890年(明治23年)10月に制定された文部省直轄諸学校官制の改正(勅令第233号)によ
り設けられた規定には、高等中学校は「高等ノ普通教育ヲ授ケ及大學竝高等専門學科ノ學
習ニ須要ナル豫備ヲ為サシム所トス」(下線部筆者)とされた。これは1886年(明治19
年)の中学校令制定当初の「実業ニ就カント欲シ又ハ高等ノ学校ニ入ラント欲スルモノニ
須要ナル教育ヲ為ス」という中学校(尋常・高等)の目的を更に具体的に規定したものと
解しうる。
ひろんど
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年報 公共政策学
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高等普通教育が選択されたとみるべきである。事実、中学校令改正を担当した菊池大
麓文部次官兼専門学務局長も「先づ稍高等なる普通教育を授くる所と云ふことを主と
し、上級の學校との聯絡は、第二段に考ふべき事と信ずるなり」67)と述べていた。だ
が普通学科はもともと帝国大学のアカデミズムと親和性を持つものであり、その意味
で高等普通教育と準備教育との差はないといえた。残されるのは普通学科の構成と程
度の調整、つまり小学校との(接続)関係を強調するか、高等学校との(接続)関係
を強調するかという問題に焦点化されていくこととなる。なお、帝国大学は中学校の
普通学科を高等学校に適合させるべく高度化・分化を図ろうと試みるが成就しなかっ
た。ここにも接続政策を考える上での重要な示唆が含まれているが、それは後に
(5.)見ることとする。
3.4.3 「選抜接続」改革のはじまり
先に見たように高等学校の専門学部のニーズは低迷を続け、当時まだ制度的位置づ
けが曖昧だった専門学校に移行したり、新設された京都帝国大学に「格上げ」吸収さ
れたりして、1905年(明治38年)度を最後に全ての高等学校から姿を消し68)、予科の
機能だけが残った。一方、予科の希望者は中学校における量的急拡大と連動してます
ます増大し、やがて高等学校受験者の急拡大と合格率の急落に及んだ69)。1902年(明
治35年)、政府はついに高等学校大学予科入学試験規程の告示によって入試の統一ル
ールを定め、受験者の進学希望先を考慮しつつ成績順に各校に割り振る「共通試験綜
合選抜」制度を敷き、有為な人材の確実な収容を目指した。今も果てることのない高
等教育機関の「選抜接続」改革の歴史がこの時から本格的に始まるのだが、それを追
うのは他稿に譲ることとする70)。なお、教育的精神的影響を考慮し、1900年(明治33
年)に小学校における進級・卒業試験が廃止された。
3.5 1903年(明治36年)以降の状況 -高等教育段階の接続改革-
3.5.1 臨時教育会議
臨時教育会議は官制において「内閣総理大臣ノ監督ニ屬シ教育ニ關スル重要ノ事項
ヲ調査審議ス」ると定められた、内閣直属の諮問機関である71)。発足時の総理は寺内
正毅だが後半は原敬総理の時期である。1917年(大正 6 年)10月から 2 年後の 3 月ま
で活動し、同年 5 月に廃止された。その活動時期の大半は第一次世界大戦の期間と重
なることとなる。
67)
68)
69)
70)
71)
開発社(1897)「中學教育に就て」『教育時論455(12月5日)号』、p.11。
第一高等学校(1939)『第一高等学校六十年史』(非売品)三秀舎、p.230。
詳しくは注56参照。
先﨑(2010)、pp.59-89。
米田俊彦(2009)『近代日本教育関係法令体系』港の人、p.134。
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学校間接続政策の前期形成過程
この会議は専ら学制改革を扱う審議機関であり72)、特にその関心は中等教育と高等
教育の接続改革を総合的に推進することに向けられた。このことは、我が国の資本主
義の成長と深く関係していた。日清、日露、第一次大戦などを経て急速な成長を遂げ
つつあった我が国は近代的な知識・技能を持つ国民、つまり中学校や実業学校程度の
教育を受けた国民を大量・安定的に欲する時代に移行していた。そして帝国大学まで
はいかないにしても高等学校・専門学校程度の教育が普及する可能性を踏まえた検討
が必要になっていた73)。
3.5.2 高等学校の「予科」化と専門学校・大学の制度化
1903年(明治36年)、これまで事実上の学校種だった専門学校及び実業専門学校74)
が制度化(専門学校令の制定)され、予科としての機能だけが定着した高等学校に代
わって「低級大学」の役割を担うことが期待された。だが臨時教育会議では、これを
契機に、かねてからの懸案だった大学制度の創設・専門学校の大学昇格要求が加熱し、
1919年(大正 8 年)に大学令の制定として結実した。これにより帝国大学は大学の一
形態となり、大学は設置セクターを問わず学位授与権を持つに至った。大正初期頃ま
で、帝国大学側は、(自らを基準として)大学の創設を認めるならば複数学部で構成
される総合大学でなければならず、私立の設置を認めるべきでないと主張したが、激
しい議論の末、この頃には官公私立による単科大学を含めた大学の創設や専門学校の
うち官立(多くが高等学校の専門学部から分離・独立したもの)や私立の一部の大学
昇格など、高等教育機関の大幅な充実を図るコンセンサスが図られていた。帝国大学
に付与されていた「名誉」や「特権」の多くが大学と共有された。だが巨大な国費が
投入され「国家ノ須要」な人材を多数輩出し、厳しい「選抜接続」に裏付けられた帝
国大学の「威信」はもはや揺るがなかった。高等教育段階は「縦」(帝国大学・大
学)と「横」
(専門学校)という属性、
「選抜接続」の難易度、設置主体(官公私立)
などの多様な価値観が交錯しつつも、東京帝国大学を頂点とした序列化の時代を既に
迎えていた。
3.5.3 完成高等普通教育と接続政策
臨時教育会議は高等学校の性格変更も行った。1918年(大正7年)に高等学校令が
新規に制定され(第二次高等学校令)、高等学校の目的は「男子ノ高等普通教育ヲ完
成スル」(下線部は筆者)こととされた。1894年(明治27年)の第一次高等学校令制
定以来、単に「専門學科ヲ教授スル所トス」とのみ規定されてきた目的が、四半世紀
72) 文部省(1972)『学制百年史』帝国地方行政学会、p.446。
73) 文部省(1972)、p.447。
74) 専門学校令の制定と同時に実業学校令を改正し、高等教育に相当する実業学校を実業専門
学校とし、専門学校令の対象とした。
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年報 公共政策学
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を経てようやく改正されたこととなる。先に見たように、中学校令における尋常・高
等中学校時代の目的はともに「実業ニ就カント欲シ又ハ高等ノ学校ニ入ラント欲スル
モノニ須要ナル教育ヲ為ス」であったが、この規定は維持したまま、1890年(明治23
年)に高等中学校官制において「高等ノ普通教育ヲ授ケ及大學竝高等専門學科ノ學習
ニ須要ナル豫備ヲ為サシム所」(下線部は筆者)と具体化され、高等普通教育機能と
準備教育機能を明示した。この官制は文部省直轄諸学校官制の改正(勅令第233号)
の一部であり、地方所管である尋常中学校は対象となっていないが、こちらも高等普
通教育機関に整理されたと考えるべきである。その後高等中学校が第一次高等学校令
によって中学校令から分離され、残った尋常中学校は1899年(明治32年)の同令改正
によって中学校と改称された際に高等普通教育機関と規定された。これを踏まえ、第
二次高等学校令で高等学校は完成高等普通教育機関とされたのである。
当時、公教育の指導層の一部には、高等学校がほとんど国民に無縁な帝国大学専用
の機関・予科として存在することへの違和感があった。このため明治末期には高等学
校令を廃止し中等教育機関の一部とする「高等中学校令」が制定された75)。しかし大
正初期、施行目前に就任した文部大臣(奥田義人)がこれを嫌い自ら枢密院と協議し
無期延期76)にする事態が発生した77)。このように中等・高等教育の間で高等学校の位
置づけを巡る応酬は激化し、高等学校は制度的不安定に晒されていた。
臨時教育会議においても、高等学校を巡る「上から」と「下から」の応酬が展開さ
れた。その結果、中学校に引き続き高等学校の目的からも準備教育の概念が消滅した。
規定上は高等普通教育機関の一つということになったがその解釈には中学校の場合と
同様注意を要する。このとき既に中学校卒業者の約半数が高等学校とそれに匹敵する
軍学校(陸軍士官学校・海軍兵学校など)を志願する時代となり、文部省幹部もそれ
を意識していた78)。中学校の目的である高等普通教育と準備教育の違いがなくなって
いたように、高等学校の完成高等普通教育機関という位置付けも、この「用語法」に
即して解すべきであろう。
大学へと続く高-中-小の接続系統はこうして普通教育という概念によって整理され
た。「縦」のラインにおける「教育接続」の一応の成立である。残された問題は、普
通学科の構成と程度において帝国大学との(接続)関係を強調するか、中学校との
(接続)関係を強調するかとなる。高等学校の学科構成と程度は中学校のそれを帝国
大学の学科に適合するように強調、すなわち高度化・分化させたものとなった。つま
り完成高等普通教育を文字通りの意味ではなく大学基礎教育と解釈することで予科の
実質を担保したのである。
75)
76)
77)
78)
天野(2009b)、pp.112-115。
第二次高等学校令の附則により廃止された。
国民教育奨励會(1922)、p.304。
開発社(1901 c)
『教育時論第575号(4 月 5 日号)』、p.35。
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学校間接続政策の前期形成過程
このように、中高接続における教育課程レベルの論点は、実業教育の分離を契機に
次第に普通学科の種類やその程度へと移行していく。後に(5.、6.)見るように、
それはやがて「教育接続」における「上から」と「下から」の激しい応酬を生むこと
となる。
3.5.4 7 年制高等学校の帰趨
臨時教育会議は「長さ」などの問題を解決するべく 7 年制高等学校制度の創設を提
言し実現された。注目すべきは高等学校令第 7 条第 1 項で「高等学校ノ修業年限ハ七
年トシ高等科三年尋常科四年トス」と規定し、第 2 項で「高等学校ハ高等科ノミヲ置
クコトヲ得」と規定したことである。つまり 7 年制高等学校を高等学校の基本とし、
例外として「高等科ノミヲ置ク」高等学校を認める構成としたのである。現行の中学
校 5 年・高等学校 3 年を一貫校化し、中学校に相当する尋常科を 4 年、高等学校に相
当する高等科を 3 年とし、1 年間の短縮を図った。入試も尋常科入学時の一回とし、
設置主体も官立だけでなく、公私立も認めて増設・拡張を図ろうとした。
一方、「選抜接続」は「試験(受験)地獄」という言葉を生むまでになっていた。
政府はこれへの迅速な対応を第一とした整備計画を策定した。だがそれは 7 年制高校
を中心としたものとはならなかった。「試験(受験)地獄」の改善は高等科の量的拡
張にあると見た政府は、尋常科もあわせて整備しなければならない 7 年制高校を嫌っ
たためである。ここには重要な政治的・政策的含意があるのだが、それは別の機会に
論じたい。このため計画では、既存の高等学校を「高等科ノミヲ置ク」高等学校とし
て存続させるだけでなく、更に新規の「高等科ノミヲ置ク」高等学校も認めた。定員
についても、7 年制高校の上限は高等科480人・尋常科320人とされたが、新設の「高
等科ノミヲ置ク」高等学校は600人、既存のそれは上限設定の適用から除外された。
一連の政策は俗に大正の大増設と呼ばれるのだが、臨時教育会議の答申を踏まえつつ
もかなりの変更が加えられ、その上で原総理自らが山縣系・帝大系の貴族院議員らの
強い反対を抑えて実行された79)のである。しかも、その後の需要増が供給増を簡単に
飲み込み、結局「選抜接続」の厳しさを改善するまでには至らなかった80)。
また、7 年制高校は高等科へ持ち上がる際には試験がなかったため人気を博し、尋
常科への「選抜接続」を熾烈なものにした。なお、高等学校の受験資格は、「高等学
79) 菊池城司(2003)『近代日本の教育機会と社会階層』東京大学出版会、pp.211-244。
80) 第二次高等学校令により高等科の増設・拡張が誘導され、改正前の1915年(大正 4 年)、
いわゆるナンバースクールの時代は 8 校・定員6,300人であったものが、改正直後の1920
年(大正 9 年)、いわゆるネームスクールの時代は15校・8,800人に増加した。その後更に
数を伸ばし、昭和戦前期には 2 万人強に達した。しかし旧制中学の量的急拡大には追いつ
かず、合格率は1915年(大正 4 年)に21.7%(倍率4.6)だったものが、1920年(大正 9
年)には14.8%(倍率6.7)にまで低下し、その後変動はあったものの改善されたとはい
えない状況が続いた。
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年報 公共政策学
Vol. 7
校高等科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校尋常科ヲ修了シタル者、中学校第四学年
ヲ修了シタル者」などとされた。これにより中学校の生徒でも 4 年生に進級すれば、
5 年生を経て卒業せずとも「高等科ノミヲ置ク」高等学校と 7 年制高校高等科を受験
できることとなった。いわゆる「4 修受験」の登場である。だが「教育接続」の要と
なる教授要目(教育課程の編成基準)については改正されず81)、既存の中学校(5 年
制)のものを用いることとなった。では 5 年生の指導内容を 7 年制高校ではどう処理
したのか。それは高等科側に委ねられた。当時高等学校には「教授要目」が存在せず
指導方針は各校に委ねられていたため、自らの工夫によって吸収可能とされたのであ
る。高等科の「教授要目」は1923年(大正12年)に文科、1926年(大正15年)に理科
がはじめて制定されるが、その構成も学年制を採らない弾力的な構造が採られた。こ
のため高等科の「教授要目」の制定は、中学校と 7 年制高校尋常科の指導内容の不均
衡を高等科側で飲み込むべく制度化したものと解しうる。
これにより、5 年生の指導内容で、入試の頻出領域だった三角法(三角関数の基
礎)から出題されなくなるという現象が生じた82)。中学校の「教授要目」を改正せず
に「4 修受験」を認めたことによる副作用である。「4 修受験」は中学校教育を蔑ろに
するものだとして、学校現場などから廃止意見が相次ぎ、政府の審議会(文政審議
会)で特別委員会を設けて議論したが戦前期を通じて存続することとなる。
結局、7 年制高校は終戦までに官立 1 校(東京)、公立 3 校(富山、浪速、府立)、
私立 4 校(武蔵、甲南、成蹊、成城)の計 8 校の設置にとどまった。政策を打ち出し
た当の政府によるものが 1 校のみという事実をどう捉えるか、評価の分かれるところ
であろう。
このように、7 年制高校は一貫教育によって年限の短縮を図るとともに、設置主体
を私立にまで拡げるなど、その限りにおいては画期的なものであった(部分最適)。
しかし、是非はともかく「試験(受験)地獄」の改善のための「量」的拡張を既存制
度の維持・拡充によって図ろうとする政策と干渉したため設置はごく少数にとどまり、
接続上の諸問題の解決(全体最適)に貢献しなかった。接続政策においては部分最適
と全体最適の均衡を図る政策感覚が必要であることを示す好例であろう。
3.6 1924(大正14年)以降の状況 -中学校の再定義-
3.6.1 文政審議会
文政審議会は官制において「内閣総理大臣ノ監督ニ屬シ其諮詢ニ応シテ調査審議
ス」ると定められた、総理を総裁(初代は清浦奎吾)とする内閣直属の政策審議機関
81) 後に(6.)見るように、1902年(明治35年)に制定後1911年(明治44年)に一度改定され
たが、その後20年間ほとんど手を加えられなかった。
82) 伊藤紀祥、上垣渉(2005)「旧制高等学校入学試験問題(数学)の分析」
『数学教育史研究
巻5』日本数学教育史学会、pp.21-22。
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学校間接続政策の前期形成過程
である83)。1924年(大正13年)4 月から1935年(昭和10年)1 月まで活動し、同年12
月に廃止された。また官制に基づき、副総裁に文部大臣ほか一名を置くこととされた。
ほかに幹事長を置き、文部次官が就任した。この審議会では主に中学校の性格にかか
「4 修受験」を認めたこ
わる議論が行われた84)。設置早々の1924年(大正13年)5 月、
とが中学校の教育を混乱させたとの意見が出された。これを受け、「中學校ノ現状ニ
改良ノ余地アリト認ム」として1926年(大正15年)1 月に中学校改善建議案特別委員
会が設置されたが、結論は出なかった85)。
1928年(昭和 3 年)9 月、「中學校教育改善ニ關スル件」が審議された。中学校に
ついては臨時教育審議会でも議論されてはいたがほとんど未着手の状態だった。ここ
では、中学校の性格変更に関することと、約20年改正されていない実践のガイドライ
ンである中学校教授要目(文部省訓令)の見直しに関することが中心となった。いず
れも接続政策上重要だが、ここでは前者を扱い後者は後に(6.)見ることとする。
中学校の性格変更とは第1に、中学校を再定義し、初等教育の基礎に一層高等の教
育を行うとし、従来の中流社会の男子教育としてのスタンスを退け、小学校との関係
を強調するスタンスに移行する点である。第2に、これを具体化するものとして中学
校の第 3 学年以上を主に実業を志向する第一種課程と、進学を志向し外国語・数学を
重視する第二種課程に分化させる点である。明治中期以降の量的急拡大を遂げた中学
校は、もはやその性格を単一に規定できないほどに「多様化」していた。普通学科の
水準を学内課程で分岐させたこの改革は、これまでの指導者の用語法に強いて倣えば
普通学科の水準を抑えて実業を増課した第一課程が高等普通教育、従来の第二課程が
準備教育ということもできるが、第二課程在籍者が大多数を占めた事実(次項参照)
からみて、準備教育の分離に成功したなどというものではなく、多様化した進路需要
に応えるものと考えるべきである。また、本稿では触れる余裕はないが、大正末期か
ら昭和初期の不況に伴う深刻な就職難への対応という意味合いも強い。
中学校の量的急拡大の状況を見ておく86)。1917年(大正6年)から1936年(昭和11
年)の中学校数は329校から559校に増加し、1.69倍となった。生徒数は147,467人か
ら352,320人となり、2.38倍の増加を示した。1926年(大正15年)には学校数518校、
生徒数316,759人であったから、大正と昭和に 2 区分してその増勢ぶりをみると、大
正期後半に学校数で1.57倍、生徒数で2.14倍の発展を示し、昭和初年学校数で1.07倍、
生徒数で1.11倍となっており、大正期後半の増加率が非常に高く、昭和になって中学
校数の増加は停滞傾向を示したことになる。それでも、1936(昭和11年)の学校数、
生徒数を中学校令改正の翌年の1900年(明治33年)の学校数、生徒数と比較すると、
83)
84)
85)
86)
米田(2009)、p.135。
文部省(1972)、p.451。
文部省(1972)、p.475。
文部省(1972)、pp.480-481。
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年報 公共政策学
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それぞれ2.88倍と5.0倍に増加したこととなる。一方、実業学校は大正期後半に学校
数で1.44倍・生徒数で2.18倍、昭和初年から1936年(昭和11年)までに学校数で1.52
倍となり1,300校を超え、生徒数で1.86倍となり434,345人を数えた87)。
この審議会は文部省が事前に精緻な原案を諮詢案として提示し、それに沿って審議
会で議論したため短期間で答申が出されたが、それでも審議では制度に関わる第2の
点に比較的多くの時間が割かれた。その結果、課程分化の時期が早すぎるとして、こ
れを第 4 学年からとし、第 3 学年からの分化も可能とするにとどめることとされた。
このほか第二種課程における外国語・数学の重視などを希望事項として盛り込み、
1929年(昭和 4 年)6 月に答申された。諮詢案は答申に基づき修正され、1931年(昭和
6 年)2 月に中学教育改善案として総会で可決され、制度改正に反映されることとなる。
3.6.2 中等教育段階の充実 -全体の教育水準と合格者の学力水準-
中学校第一種・第二種課程はこうして導入された。1935年(昭和10年)、両課程設
置中学校457校、第一種課程のみの中学校 9 校、第二種課程のみの中学校87校であり、
この年の第一種課程と第二種課程の生徒数の割合は24.5%と75.5%となっている。数
字上は第一種課程が振るわなかった、ともいえるが、中学校が「縦」のラインの一員
であることを考えると一概に失敗だったとはいえない。依然として「複線化(袋小
路)」を強化するものであることも事実であり、様々な評価はできようが、中学校が
課程分化したことにより高等学校・専門学校などとの接続、社会との接続への対応が
現実に即したものとなり、また実業学校の大幅な拡充により、「縦」と「横」の相互
補完関係が一層綿密なものとなったといえるのではないか。実証研究が待たれるとこ
ろである。
一方、前項で見た中学校の「多様化」と小学校との(接続)関係の強調に留意する
必要がある。いきおい中高の「教育接続」の水準低下が懸念されるが、「試験(受
験)地獄」という認識が定着しており、その懸念が大勢を占めることはなかった。も
っとも高等学校は懸念を抱かなかったかもしれない。なぜなら中学校段階の量的急拡
大はやがて高等学校志願者の急増をもたらし、平均倍率約 6 ~10倍(昭和戦前期)と
いう、非常に厳しい「選抜接続」によって優秀な生徒を確保する可能性を高めたから
である。量的急拡大は、中学校全体の教育水準と高等学校合格者の学力水準を区別す
べき状況を生み出していた。
後に(5.)見るように、公教育制度が永続性と頑健性を獲得するには「選抜接
続」を「教育接続」に整合させる必要がある。入学試験の出題をナショナルカリキュ
ラムの範囲内とするなどはその例であり、当時の我が国はようやくその意識が定着し
つつあった。しかし忘れてはいけないのは、定員内不合格を別にすれば収容力の程度
87) 文部省(1972)、pp.480-481。
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学校間接続政策の前期形成過程
である「選抜接続」の厳しさは教育水準の程度である「教育接続」では制御できない
ということである。巨費を投じて上級学校の収容力の増強を図る方法は有効だが、総
理大臣が陣頭指揮を執りようやくなしえた大正の大増設であっても、需要増が供給増
を簡単に飲み込んだことは先に見たとおりである。「選抜接続」は厳しさを増し、そ
うであるほど合格を目指す志願者の努力を引き出し試験科目の習熟可能性を高めると
いう皮肉を生む。こうした効果が期待できる以上、是非はともかく、教育関係者は入
学試験自体に教育的意義を見出すこととなる。
3.7 1937(昭和12年)以降の状況 -中等教育段階・高等教育段階の一元化論-
3.7.1 1920-30年代の接続議論
学校種の性格・名称の変更などはその後も続き、1935年(昭和10年)に実業補修学
校88)や青年訓練所が統合されて青年学校が発足し、小学校を経て社会と接続する者へ
の教育・青年教育が制度的に整備された(教育水準からみて中等教育段階の学校と呼
ぶことはできない)
。また、1941年(昭和16年)に小学校は国民学校に改組された。
この時期の接続議論の中心は中等教育段階・高等教育段階の一元化にあった。すな
わち、中学校、実業学校、高等女学校といった中等教育における「縦」と「横」の学
校種を中等学校として一元化すること、高等学校、専門学校といった高等教育におけ
る「縦」と「横」の学校種を大学として一元化することである。青年教育諸学校の一
元化によって成立した青年学校の成立は、そのはじまりと見ることもできた。
3.7.2 教育改革同志会と教育審議会
こうした議論をリードしたのが教育改革同志会89)である。同会は近衛文麿公爵を支
えるいわゆる革新官僚や学者で構成された昭和研究会の系列団体だった。元内務大臣
の後藤文夫、東京帝国大学教授の阿部重孝、文部省実業学務局長を経て衆議院議員と
なった木村正義、東京府立第一中学校長の西村房太郎らがいた。1937年(昭和12年)
近衛内閣が発足すると、会員は政治、経済、文化、社会、教育等の各界に拡大した。
教育審議会は、臨時教育会議、文政審議会などの後継として近衛内閣発足の同年に
設置され、1942年(昭和17年)まで続いた。この審議会は中等・高等教育各段階の一
元化のほか義務教育年限延長などについて議論し、戦後開花する接続政策の先鞭をつ
けた点で評価される。しかしその指向性を、1938年(昭和13年)に制定された国家総
動員法や、その後の大政翼賛体制などと分離して扱うことはできない。一元化につい
ては学校関係者の反対などもあり結局答申に反映されず、1943年(昭和18年)に中等
88) このほか、井上文政期に登場した職工養成学校である徒弟学校があったが、実業学校の一
種である工業学校の規程改正(1921年(大正10年))によってその機能が吸収され、徒弟
学校は廃止された。
89) 久保、米田、駒込、児美川編著(2001)、pp.39-40。
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年報 公共政策学
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学校令が制定されたが、各学校種を残しつつ概念上中等学校として一元化するに留ま
った。大学・高等学校については戦時下による年限短縮等が実施された。
3.8 1947年(昭和22年)以降 -単線型への移行-
3.8.1 「複線化(袋小路)
」からの脱却
戦後の学校制度は、民主主義に立脚した教育の機会均等を標榜し、「複線化(袋小
路)
」の解消を中心とした制度改革を断行した。我が国初の理念法である教育基本法と
ともに諸学校令は学校教育法にようやく一本化され、大学は、かつての帝国大学と旧
制大学に加え、専門学校や師範学校を含めたものとなった。中等教育は義務教育であ
る前期(中学校)並びに後期(高等学校等)と整理され、これにより義務教育は戦前
から構想されてきた年限延長( 6 ⇒ 9 年)を実現した。一方、低度の職業教育機関と
しての性格を持つ青年学校は廃止された。これにより、どの学校種に在籍していても、
いかなる上級学校への進学をも制度上可能とする、原則単線型の接続系統が確立した。
振り返ってみれば、前期接続政策の基本スタンスは、帝国大学を頂点とした「縦」
のライン形成への批判を、学校制度への多様なニーズとして肯定的に受け止め、
「横」の充実と体系化の原動力とするものであった。それは「複線化(袋小路)
」とい
う問題を生み出したものの、戦後の単線化政策はこの多様な学校種の形成があればこ
そなしえたともいえる。
3.8.2 「高大接続」の出発 -「長さ」と「半断線」の帰趨-
また、高等学校は帝国大学・官立大学などを母体とする国立大学の教養部として吸
収された。アメリカの強い影響下で成立した戦後の学制(6-3-3-4)は、我が国が
「発明」した完成高等普通教育という名の事実上の予科制度と相容れなかったという
側面もあろうが、高等教育概念の拡大と初等中等教育の水準の向上が予科を不要とし
たともいえる。
これにより、接続政策の問題の一つである「半断線」は、「教育接続」の成熟によ
る改善が図られたことになる。また、高等学校の消滅と大学概念の拡大により「半断
線」は収容力においても一応の改善を見たことになるが、それはつかの間のことであ
って、志願者の増加によって「選抜接続」の厳しさは年々強化され、やがて旧帝大以
外の大学進学も決して容易とはいえなくなっていく90)。
当の高校と大学の間では「狭き門」をめぐる激しい応酬が展開され、大学入試はそ
れがもたらす精神的・肉体的苦痛や難問奇問の頻出なども含めて学校教育全体を歪め
る深刻な問題(元凶)と位置付けられた。それは少子化を背景とした「大学全入」時
90) 例えば1964年(昭和39年)の大学進学率は約20%(現役志願率約30%・収容力約70%)。
しかし受験生の急増等により1966年(昭和41年)度の大学進学率は約16%(現役志願率約
40%・収容力約60%)に低下。回復に約 4 年を要した。
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学校間接続政策の前期形成過程
代の到来まで続き、現在は「安易な入試で大学が学生集めをするから生徒が勉強しな
くなる」と「高校における学力育成が不十分なため大学入試も初年次教育も低きに流
れる」という応酬に変化したことは冒頭でも触れた。
このように、これまで「上から」と「下から」の接続系統の接触面にあるがゆえに、
議論・非難の的となった高等学校(高等中学校)・中学校(尋常中学校)の位置に、
大学・高等学校が納まることとなった。現代の学校間接続問題が高校と大学の接続
(高大接続)に収斂する構造はこうして始まる。なお、予科の廃止や中等教育や高等
教育への進学が国民生活や社会に浸透していくにつれて、「長さ」の弊が叫ばれるこ
とはなくなっていった。
4. 行政組織と前期接続政策 -接続系統の接触面と学校所管-
これまで見てきたように、接続系統の接触面には「上から」の接続系統に属する高
等学校(高等中学校)と、「下から」の接続系統に属する中学校(尋常中学校)が存
在した。そしてそのいずれもが接触面にあるがゆえの不安定に晒された。
高等学校(高等中学校)は、「低級大学」として独立性を強め社会に高等教育を修
めた人材を直接輩出する機関となるか、あるいは帝国大学の予科として従属性を強め
るかをめぐって不安定が生じたが、専門学校の制度化など「横」の充実などに支えら
れ、結局完成高等普通教育機関という名の予科としての位置づけが定着した。一方、
中学校(尋常中学校)は、卒後ただちに地方の指導者となる人材を養成する実業教育
機関となるか、あるいは高等学校の予科となるかをめぐって不安定が生じたが、こち
らも実業学校の制度化など「横」の充実などに支えられ、結局予科的性格を強く志向
する高等普通教育機関としての位置づけが定着した。
高等学校が前身の高等中学校の頃から(専門学部を除き)一貫して予科としての性
格を有し、帝国大学との結びつきが強かったのに比して、中学校(尋常中学校)と小
学校の関係はそれほど強いものではなかった。このため、中学校(尋常中学校)を
「下から」の接続系統として取扱うのか、「上から」の接続系統として取扱うのかとい
う議論を発生させた。それは政策を企画・立案する行政組織上の問題としても顕在化
した。
本章以降は接続政策の「内面」というべき論点を扱うが、先ず本章では、文部省にお
ける学校所管の遷移を通じて接続政策の形成過程とその問題点を見ていくこととする。
4.1 専門学務局と普通学務局
学校制度を、東京大学(帝国大学)などを所管する文部省専門学務局と、小学
校・師範学校などを所管する同普通学務局に分掌する構成は1881年(明治14年)に始
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まる91)。それまでの官立学務局・地方学務局という設置主体別の局構成から教育段階
別の局構成に移行したのである。1885年(明治18年)には学務第一局(専門学務局に
相当)、学務第二局(普通学務局に相当)と名称を変えるが教育段階別の局構成であ
ることは変わらなかった。なお、この間中学校は一貫して普通学務局の所管であった。
この年の12月に行われた太政官制から内閣制への移行に伴い、その翌年の1886年(明
治19年)-奇しくも諸学校令制定と同じ年-に現在の国家行政組織法に相当する官制
通則が定められ、これに基づき現在の各省庁設置法に相当する各省官制が制定された
(勅令第 3 号)
。文部省官制諸規定を見ると、学校教育を担当する組織が学務局一局と
なり、第一課が帝国大学、第二課が大学分校(高等中学校)、尋常中学校、高等女学
校、第三課が小学校、師範学校など、第四課が専門学校などを所管した。初等・中
等・高等教育行政のほぼ全てが一つの局に掌握されるという構成は、文部(科学)省
の全期間を通じて極めて珍しい92)。厳しい財政状況を背景に当時官衙で広範に実施さ
れていた「行政整理」の影響が考えられる。
普通学務・専門学務を統括する学務局長は最初の約 3 ヶ月は空席で、その間は元学
務第二局長(普通学務局長)だった辻新次が心得とされていたが、残余の 1 年半は第
三高等学校の前身となる大阪中学校長を務めた折田彦市や帝国大学の体制強化(各省
学校の統合など)に尽力した濱尾新・元学務第一局長(専門学務局長、後に帝国大学
総長)が正式発令された。当時の省内情勢を窺い知ることができる。
翌1887年(明治20年)の官制改正(勅令第50号)で再び二局構成となり、帝国大学
などを所管する専門学務局と、小学校・師範学校などを所管する普通学務局に分かれ、
高等中学校は専門学務局、尋常中学校は普通学務局の所管とされた。高等・尋常中学
校の間に敷かれた学校所管の区切りが、これまで見てきた「上から」と「下から」の
接続系統の接触面と一致していたことが分かる。
4.2 接続系統の接触面と学校所管の不一致 -菊池大麓と嘉納治五郎の「綱引き」-
しかし、1890年(明治23年)の官制改正(勅令第101号)で、高等中学校のみなら
ず尋常中学校も帝国大学を所管する専門学務局の所管とされ、尋常中学校は高等中学
校と同じ「上から」の接続系統に組み込まれた。この特殊性は同じく中等教育機関で
ある高等女学校が引き続き普通学務局の所管であることにも現れている。中学校が
「縦」のラインの一員としての性格づけを明確にしたのが1899年(明治32年)以降で
あることは先に見たが、その10年ほど前から既に専門学務局の所管とされていたこと
になる。それはなぜか。
先に見たように、諸学校令が制定された頃は「上から」と「下から」の接続系統は
91) 文部省(1931)『内外教育制度の調査』文部省調査部、p.42。
92) この他には1945(昭和20年)10月から1949年(昭和24年)5 月まで設置された学校教育局
があるのみである。
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学校間接続政策の前期形成過程
並列化のピークを迎えていた時期である。両者が接触面を形成するべく「聯絡」制度
が導入されるが、当時高等学校(高等中学校)は各学区内の尋常中学校に対して指導
的立場にあり、「聯絡」制度は「上から」の影響力の行使と見ることができる。尋常
中学校の専門学務局への移管もこうした意味での接続政策の円滑化を図るものと考え
られる。
だが、「下から」の接続系統の整備を進める普通学務局からみれば、中学校(尋常
中学校)は接続系統の接触面を越えて専門学務局が所管している状態、つまり学校所
管との不一致を生むこととなる。事実、尋常中学校の所管を巡り、
「上から」(専門学
務局)と「下から」(普通学務局)の激しい「綱引き」があったとされる。例えば
1898年(明治31年)2 月、反官・反藩閥で知られる新聞『日本』は、「文部省の将来
問題」という記事において東京帝国大学理科大学数学科教授と兼務して専門学務局長
に就任した菊池大麓と、高等師範学校の校長と兼務して普通学務局長に就任した嘉納
治五郎との間に見解の相違があり、「菊池氏は中學を以て大學に引き寄せんとし、他
の一派嘉納氏等は小學と接近せしめんと」していると報じた(14日付)。さらに 5 月
には大衆新聞『万朝報』が、嘉納局長が前文部大臣で政界の実力者である西園寺公望
に対し、尋常中学校は「其性質として普通学務局に属すべきものなり」と移管運動を
行ったと報じた(11日付。「茗渓會派の一喜一憂」)。これが奏功したかは定かでない
が、「横」の充実の一環として実業学校が制度化され、中学校が「縦」としての性格
を強めていく中、2 年後の1900年(明治33年)4 月、中学校が普通学務局に移管され
た(勅令第106号)93)。嘉納には中学校が高等学校と同様帝国大学の予科となるのでは
ないかとの懸念があったと考えられる。1891年(明治24年)の帝国議会第二議会にお
いて当時の辻文部次官は「尋常中學校ハ豫備ジアゴザイマセヌノデス94)」と答弁して
いたが、それでは安心できなかったことになる。一方当の中学校では、教員は高等師
範学校卒が増えつつあったが校長の多くは帝国大学の卒業生で占められていた95)。こ
のように「上から」「下から」のみならず師範学校や中学校における複雑な勢力の絡
み合いが本省にもたらした現象が先に見た「綱引き」であったといえる。
しかし「綱引き」が本省において生じた最大の要因は、当時専門学務局長の多くが
菊池など帝国大学教授からの就任(兼務)だったこと、一方普通学務局長が高等師範
学校長の嘉納だったことであろう。メリットシステムに基づく近代的な官吏任用制度
は1893年(明治26年)に発足したばかりである(文官任用令)。試験任用された官吏
が文部省において局長等の行政責任者に到達するのは明治30年代末以降であり、それ
までの間、辻新次や久保田譲、澤柳政太郎などのわずかな行政畑育ちを例外(ただし
93) 両局の他に実業学校などを所管する実業学務(教育)局が設置されるようになるが、「行
政整理」の関係などで廃止又は専門学務局との合併・分離を繰り返した。
94) 内閣官報局(1891)、p. 2。
95) 米田(1992)、p.60。
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文官任用令以前の入省)として、教育・学術の専門家が直接に行政の中核を担ってい
たことになる。教育・学術・行政が高度かつ精緻に専門分化した今日では考えられな
い現象であるが、この事実は当時の政策文脈を正しく理解する上で重要である。
それはともかく、嘉納・菊池間における「綱引き」は、彼らにとって接続系統の接
触面と学校所管の不一致がいかに重大な問題とされていたかを示している。では、そ
れは具体的にどのような問題なのだろうか。
5. 学科構成と前期接続政策 -中学校令施行規則制定問題-
実業学校の制度化など「横」の充実の中で、中学校は「縦」のラインの一員として
の性格を強めていく。それは接続系統の成熟、すなわち「縦」のラインの形成と、そ
れに伴う「横」の充実を示す象徴的な出来事の一つといえたが、その過程は「上か
ら」と「下から」の激しい応酬を要した。見方を変えれば、接触面の在り方をリード
してきた帝国大学側の「上から」の主張に対し初等中等教育側の「下から」の主張が
プレゼンスを発揮しはじめるターニングポイントを迎えたともいえる。
本章では、中学校令施行規則制定問題を軸に、接続系統の接触面に生じた応酬の実
際を見ていくこととする。
5.1 20世紀前後の中学校の状況
先に見たように戦前期の学校制度の発展は、1886年(明治19年)に制定された中学
校令を含めた諸学校令にはじまるが、中学校の場合、中学校令を具体化した中学校令
施行規則が1901年(明治34年)に制定され、ようやくその基盤を整備するに至った。
この間、中学校(尋常中学校)では量的急拡大がみられた。制度が発足した1886年
(明治19年)にはその数56校・在籍者10,300人であったものが、施行規則が整備され
た1901年(明治34年)には216校・88,391人と、わずか15年の間に校数は約3.9倍、在
籍者数は実に8.9倍に拡大している。こうした量的急拡大は教育水準の維持を困難に
させる。事実、実践のためのガイドラインとして中学校令と同時期に制定された尋常
中学校ノ学科及其程度(文部省令)では、1894年(明治27年)の改正の際、-校数は
約1.5倍・在籍者数は約 2 倍に達していた-第二外国語の必修化廃止などを実施して
いる。その後更に急激な増加を遂げた19世紀末から20世紀初頭において、再び改正の
必要性が論じられていた。こうした事情から制定されたのが、先述の中学校令施行規
則(1901年(明治34年)であった。
だがこの直後、慌ただしい事態が発生する。対応するべき実践のガイドラインは制
定されず、そればかりか、施行規則そのものが翌1902年(明治35年)に、わずか11ヶ
月で改正され、ようやく実践ガイドラインである中学校教授要目(文部省訓令)が制
定されたのである。公教育の歴史における珍事がこのときなぜ生じたのか。まずは、
尋常中学校教科細目調査委員会と澤柳政太郎という、主張の異なる二つの存在に注目
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学校間接続政策の前期形成過程
する必要がある。
5.2 尋常中学校をめぐる二つの動き
5.2.1 尋常中学校教科細目調査委員会 -「上から」の主張-
尋常中学校の指導実態(教科細目)を広く調査するため、文部省専門学務局は1897
年(明治30年)9 月に東京帝国大学文科大学長(11月に同大総長、その後文部大臣)
であった外山正一を委員長とする尋常中学校教科細目調査委員会(以下この章におい
て「委員会」という)を発足させた。国語には東京帝国大学教授であり同大に我が国
初の国語研究室を開くこととなる上田萬年(後に文部省専門学務局長、同大文科大学
長)、数学には菊池大麓及び彼と並ぶ近代数学教育の双璧であり算術・代数教育の権
威であった同大教授の藤澤利喜太郎、理科(物理科)に同大初の理学博士となった山
川健次郎教授(後に同大総長、京都帝大総長)を迎えるなど、当時の教育・学術界の
最高権威が揃えられた(委員には高等師範学校の教員なども含まれるが、多くは彼ら
の教え子であった)。数学科委員であり、文部次官でもあった菊池は『教育時論』に
おいてこの「上から」の色彩が極めて強い人選に「非難の聲」や「攻撃する者」があ
ることを認める一方、これ以上の人選ができるものなら組織してみよ、と強烈な自信
を示した 96) 。委員会は、翌1898年(明治31年)4 月に尋常中学校教科細目調査報告
(以下「調査報告」という)を文部大臣(西園寺公望)に進達してその活動を終えた。
「調査報告」のポイントは三点あった。第一は、この調査の趣旨そのものである。
「調査報告」を公表する際に専門学務局97)が冒頭に付した「緒言」には「各學校ノ間
ニ於テ、自ラ學科程度ノ不均一ヲ生ズルノ虞尠カラス仍テ一定ノ準則ヲ定メ、中學教
育ノ統一ヲ計ル98)」とある。それまでの実践ガイドラインである尋常中学校ノ学科及
其程度は大まかな内容・程度を示すものであり、各校の指導水準・速度や学力水準に
深刻な開きが生じていた。その実態を明らかにし、指導すべき内容を細かく示し各学
校での指導内容を標準化する方針を立てることが調査の趣旨だった。
第二は、高度化・分化を求めたことである。「調査報告」に登場する学科を当時の
学科及其程度と比較すると、①国語及漢文を国語と漢文に分離、②物理及化学を物理
と化学に分離、③理化示教、鉱物地質、生物及動物、植物の新設など、帝国大学の専
門学科を意識した細分化が見られる。
第三は、授業時間を過少と認じたことである。外山は進達文で「授業時數ノ僅少ナ
ルカ為ニ擔當委員ニ於テ其時數ヲ增加スルニアラサレハ完全ナル細目ヲ編成スルコト
96) 開発社(1897)、pp.10-11。
97) 1897年(明治30年)10月から翌年10月まで、専門学務局は「高等学務局」と改称された
が、所掌事務に大きな異動はない。本稿では煩雑を避けるためこの間も「専門学務局」
と記述することとする。
98) 文部省(1898)『尋常中學校教科細目調査報告』文部省高等学務局、p. 1。
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能ハスト認メタルモノ尠カラサル」けれども政府から「當初右時數ノ義ハ為ルヘク現
行規程ノ範圍内ニ於テ調査スヘキ旨演達アリタルニ」仕方なく現行の授業時間数を優
先して内容の省略・先送りを図ったとしつつも 99)、各委員が「時數增加ニ關スル希
望」を学科ごとに「陳述」することを認めた100)。授業時数の増加を視野に入れた調
査を行ったことが窺える。
このように東京帝国大学教授を中心とした委員たちは、調査の趣旨が尋常中学校の
教育・学力水準の深刻な状況を踏まえて指導内容を標準化することにあるにも関わら
ず、学科を帝国大学の教授内容に即するべく高度化・分化させ、授業時数の増加を求
めようとした。尋常中学校に対する「上から」の「教育接続」の発想とはこのような
ものだった。
専門学務局もさすがにこの「調査報告」だけで決定することは避け、「緒言」には
さ
か
く
「該報告書ニ關シテハ其是非得失ニ付本省ニ於テ更ニ十分ノ査覈ヲ經ルニアラサレハ
直ニ其全體ヲ是認シ之ヲ一般ニ施行セシムルコト能ハス101)」(ルビは筆者)と記して
いるが、当時の局長は文部次官兼東京帝国大学数学科教授の菊池大麓が兼任しており、
更に幾何指導の最高権威としてこの委員会の委員も兼ねていた。しかも尋常中学校は
専門学務局が所管していたことを考えれば、「調査報告」が実現される環境は整って
いたといえる。ただし、倫理や国語における委員間の対立や、審議会である高等教育
会議102)が開催できないほどの深刻な予算不足、政治的理由などでその後の作業は停
滞していた103)。
だが、「調査報告」の進達から 3 ヶ月後の1898年(明治31年)9 月、菊池は外山の
文部大臣就任に伴い、東京帝国大学総長に就任し省の外に転出することとなる104)。
5.2.2 澤柳政太郎の登場 -「下から」の主張の登場と「上から」の主張との調整-
菊池の総長就任から 2 ヶ月後の11月、第一高等学校校長から普通学務局長に就任し
たのが澤柳政太郎だった。以来約 8 年間その職に留まることとなる。
99) 文部省(1898)、p. 3。
100) 文部省(1898)、p. 4。
101) 文部省(1898)、p. 1。
102) 1896年(明治29年)から1913年(大正 2 年)まで設けられた、我が国初の教育政策に関す
る文部大臣の諮問機関。帝大総長・直轄学校長・文部省員で構成し、民間の教育理論家など
も加わった。高等教育に関する会議ではなく、高等な立場から教育行政・学校制度全般に
ついて審議した。
103) 米田(1992)、p.51。
104) 菊池と外山は幼少からの長い歴史がある。二人は同時期に蕃書調所(東京大学の前身の一
つ)に学び、菊池が最初に渡英した時期は外山が勝海舟の推挙で英国に派遣された時期と
重なり、外山が日本人初の東大教授(社会学)に就任した同じ年(1877年(明治10年))
に、菊池は数学科初の教授に就任している。そして東京帝大総長の前任・後任となったの
であるから、仕事を越えた浅からぬ仲であったことが窺える。
- 188 -
学校間接続政策の前期形成過程
澤柳については、現代の我々から見れば後年の京都帝大澤柳事件や成城学園の創設
といった大学人・教育家としての印象が強いが、帝国大学哲学科を卒業後文部省に入
省し、以来総務局報告課長、文書課長、記録課長、文部大臣秘書官、官房図書課長等
を歴任したれっきとした官吏であった。1892年(明治25年)に修身教科書機密漏洩事
件で引責辞任したが、その後京都や群馬の尋常中学校長や第二、第一高等学校長を経
て普通学務局長に就任した。豊富な官歴に加え中等・高等教育現場の責任者を歴任す
る多彩な顔を持っていた。
尋常中学校長を歴任した澤柳は、小学校と中学校の学力格差が深刻な状態にあるこ
とを痛感し、約10年続いた中学校(尋常中学校)への「上から」の政策の流れを変更
し小学校との接続を強調するスタンスに変更すべきと考えていた。尋常中学校が普通
学務局の所管に移行して 7 ヶ月後の1900年(明治33年)11月、澤柳は中学校長を対象
とした会合で、中等普通教育と準備教育は「二個の異なりたるものがあるべきもので
はな」く、高等教育のような「分科ならざるを宜しとす」とし、「調査報告」を覆す
発言を行った105)。帝国大学に適合した学科構成が学問的知識の直接的な注入に繋が
ることを懸念し、逆に普通学科の統合・総合化を図ろうとしたのである。澤柳の考え
方は文部省案となってその年の12月に開催された高等教育会議に諮られた。菊池総長
を含め帝国大学関係者が約 3 分の 1 を占める106)この会議で文部省案の大幅な修正、
つまり「調査報告」に示された「上から」の主張との調整が図られ、翌1901年(明治
34年)3 月、中学校令施行規則が制定された。
とはいえ、その内容を見ると、全体として現場と生徒の負担が軽減され、初等中等
教育の完結性を高めるものとなっている。①学科構成は現行の中学校を基本としつつ
倫理から修身への改称、習字の国語への統合、簿記の廃止、実科の廃止などが行われ、
「調査報告」にあるような高度化・分化は退けられた。また倫理から修身への改称は、
帝国大学で扱うような学問の注入的性格を排除するためとされる107)。②教育内容は
漢文の軽減、数学における軽減(代数を初歩に限定、立体幾何と三角法を削除)、唱
歌の必修化などが、③授業時数は国語、外国語、歴史・地理の減少、博物と物理及化
学の増加などが行われた。
しかし、施行規則の内容におそらく菊池は大変な衝撃を受けたことだろう。なぜな
ら、このうち漢文の軽減などは高等教育会議の決定に逆行するものであり、最も削減
が顕著な数学に至っては同会議に諮詢すらされていなかったからである。菊池の衝撃
は当時有力な教育政策誌だった『教育時論』への批判投稿として表れ、やがて政策責
任者である澤柳との公開論争へと発展することとなる。
105) 開発社(1900)「全国中學校長相談會」『教育時論第563(12月 5 日)号』
、pp.34-35。
106) 本山編著(1981)、p.572。
107) 米田(1992)、p.90。
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年報 公共政策学
Vol. 7
5.2.3 高等学校の反応
菊池・澤柳論争を見る前に学校現場の反応を見ておく。教育内容の強い削減ベクト
ルと学科の統合・総合化を詳細に規定し、小学校との接続を強めた中学校令施行規則
は、相対的に高等学校の教育内容との接続を稀薄にすることとなる。またこのことは
高等学校入試の出題水準にも影響を与える。高等学校の校長で構成され、文部大臣も
臨席する重要な会議として高等学校長会議があったが、同会議は前年の1900年(明治
33年)に、「高等學校入学試験ノ程度ハ當分ノ内中學校卒業ノ程度ヲ以テ標準トスル
コト108)」を確認したばかりであった。にもかかわらず、翌1901年(明治34年)には、
「新規定」すなわち中学校令施行規則について、「中學校ニ於ケル學科改正ノ為高等學
校ノ入學試験ハ新規定ノ程度ニ依ルベキカ如何」を諮問案 109)としている。「教育接
続」の低下を前提として「選抜接続」と連動させるべきかを改めて問うものであり、
高等学校側にとって極めて重要な議題である。残念ながらこの時の議論の内容を示す
資料は見あたらないが、同年11月の『教育時論』は、高等学校入試の程度問題につい
て、中学校令施行規則の制定により「中學校と高等學校その他接續諸學校との間に、
學科程度の聯絡を失したるも、その善後策は未だ講ぜられず…輕卒に急激の改革を行
ふこと、これ文部近來の惡癖なり」と指摘した110)。既に教育マスコミは、表面的に
は教育課程を巡る「教育接続」上の問題が、実は入試と「接續」、すなわち「選抜接
続」上の問題でもあることを的確に捉えていたことが分かる。
下級学校での指導範囲が上級学校入試の出題範囲(の上限)となるという考え方は
今の我々にとっては常識であるが、当時もそうであったかは疑問である。高等学校が
制度化された1894年(明治27年)に制定された高等学校修業年限及入学程度(文部省
令第16号)には、「高等學校入學ノ程度ハ尋常中學校卒業ノ程度ニ依ル」と規定され
ていた(第 2 条)。にもかかわらず、高等学校長会議において入試に関する先述の
「確認」が必要な状況にあった。わずか数年前の1890年代まで、高等学校の主な人材
供給源は各府県に 1 校程度しか整備されていなかった尋常中学校ではなく、成立学舎、
きょうりゅう
共立学校、東京英語学校といった予備校の出身者、若しくは中学校(尋常中学校)の
中退者だった111)。また帝国大学と結びつきの強い高等学校からみれば、中学校の教
育水準は低く、不満だったことも関係するだろう。
このように当時我が国は、「選抜接続」を「教育接続」に整合させ、公教育制度の
108) 東京帝国大学(1900)「専門学務局長ヨリ高等學校長会議諮問送付」
『文部省及諸向往復書
翰』、p.17。
109) 東京帝国大学(1901)「専門学務局長ヨリ高等學校長会議諮問送付」
『文部省及諸向往復書
翰』、p.13。
110) 開発社(1901d)『教育時論第598(11月25日)号』、p.44。
111) 例えば1888年(明治21年)度の一高入試では、各府県の尋常中学校からの合格者が皆無な
いし数名程度であったのに対し、予備校からは共立学校53名、東京英語学校53名、成立学
舎20名の合格者を出していた。
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学校間接続政策の前期形成過程
永続性と頑健性を獲得しようとする、その入り口にいた。だからこそ、高等学校側は
帝国大学への「教育接続」を低下させ、初等中等教育の完結性を高めようとした尋常
中学校の変化に反応したのである。なお、一方の当事者である中学校側の反響は特に
なかったという112)。
5.3 菊池・澤柳論争の経緯と決着
5.3.1 菊池・澤柳論争の経緯
菊池の最初の批判が『教育時論』に掲載されたのは、明治34年(1901年)3 月15日
号(第573号)
、中学校令施行規則が制定されて10日後のことである。批判の論点は多
岐にわたるが、そのいくつかは澤柳の学校間接続に関する見識を問うものであった。
まず菊池は代数を初歩に、幾何を平面幾何に限定し、三角法を廃止したことを、
「一も具体的観想を得ること能わず」や「殆ど其意を解する能わず」などの言葉で批
判し、このようなことでは、上級学校は特別の学科を設けて、中学卒業者の足らない
所を補わなければならなくなると述べ、なぜこれほどの大きな削減について高等教育
会議に諮詢しなかったのかと質した113)。(帝国大学教員が多く在籍する)高等教育会
議を蔑ろにしたことへの立腹はともかく、「教育接続」を無視してでも中学校の内容
を軽減させ初等中等教育の完結性を高めようとする澤柳の姿勢を看過できなかったの
である。
これを受け、その10日後に刊行された次号において澤柳普通学務局長が反論を展開
した。削除の理由は「実に全国中學校に於ける数學教授の現況と成績」に基づいて検
討されたものであり、高等学校入試において数学の成績が「滿點百中僅かに二十乃至
三十の得點」でも入学してくるわけだから、「現制の時間を以て、立体幾何平面三角
まで教授せんとするは、實に無理なるが故なり」と反論した。また、そうした数学の
小学科のことまで高等教育会議で扱うことは適切でないと述べた。そして最後に、①
内容を削減して程度を低くし時間は減じない、②時間を増加する、③中学校の入学程
度を高くする、の 3 方策があるが②③は現実性がなく①を採用したのだと、中学校令
施行規則の制定における方針を述べた114)。小-中学校間の教育問題を強く打ち出す
ことで約10年続いた「上から」の政策シフトを変更しようとしたのである。
これに対し、更に10日後の号に菊池の再反論が掲載された。かかる削減は十分に高
等教育会議に諮詢すべき内容であるとし、同じく中等教育機関である高等女学校の数
学の取扱いについては諮詢したではないかと反論した。また、中学校の学力低下につ
いても、第一高等学校の入試答案を検査した経験から十分承知しており、これは数学
科だけでなく全学科の問題であり、「之を救済するの術は良教員の充実するにあり」
112) 米田(1992)、p.95。
113) 開発社(1901 a)『教育時論第573( 3 月15日)号』、pp.30-31。
114) 開発社(1901 b)『教育時論第574( 3 月25日)号』、pp.29-31。
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年報 公共政策学
Vol. 7
として、前号において澤柳が示した 3 方策のいずれでもない方策を提示した。また、
幾何を削減するにしても、空間幾何を廃止するのではなく、平面・空間幾何全体を簡
易にする方法もあると、幾何指導の最高権威という立場からの反論も行っている115)。
5.3.2 菊池・澤柳論争の決着
その後澤柳が再反論することなく論争は幕を閉じた。澤柳が再反論を行わなかった
理由は分からないが、事実としていえることは、菊池はそれから 2 ヶ月後の1901年
(明治34年)6 月、東京帝国大学総長から第一次桂内閣の文部大臣として文部省に戻
り、澤柳の上司となったことである。そして翌年 2 月、中学校令施行規則はわずか11
ヶ月で改正され、「數學ハ算術、代数初歩及平面幾何ヲ授クベシ」との規程は菊池の
主張どおり「數學ハ算術、代数、幾何及三角法ヲ授クベシ」に復することとなったが、
それ以外で大きく覆ったものはなかった。また、実践ガイドラインである中学校教授
要目がようやく制定された。
5.4 菊池・澤柳論争の評価
5.4.1 菊池・澤柳論争の整理
先ず注目すべきは、東京帝国大学と文部省という、ともに我が国の公教育を牽引し、
しかも当時極めて密接な関係にあった機関の総長と局長が、完全公開の状態で政策論
争を行ったことである。かつその内容も、学校間接続について、水面下に「選抜接
続」の論点を含みつつ「教育接続」の面から争った例として極めて貴重かつ重要であ
る。このような例は教育政策上極めて異例であり、他の政策分野でも希少なものであ
ろう。
ここで主張を整理する。①尋常中学校の「学科構成」について、委員会は帝国大学
への「教育接続」を意識した高度化・分化を志向するが、澤柳は総合・統合化を主張
した。②また「内容・時数」について、委員会は削減案を示しつつも高等学校・帝国
大学への「教育接続」を意識し増加の意欲を示したが、澤柳は倫理から修身への改称
に代表される学問的干渉の排除、数学に代表される更なる内容削減を行い、初等中等
教育の完結性を目指した。つまり、中学校の深刻な学力状況への対処と高等学校・帝
国大学の準備教育ではないことを小中接続、つまり普通学科の構成・水準の調整に求
めたこととなる。このように両者のスタンスには明確な対立性が見られた。なお、準
備教育は法令上から消え高等普通教育が中学校の目的と規定されていたが、その実態
に差がないことへの批判は昭和になっても続いていた116)。
115) 開発社(1901 c)『教育時論第575( 4 月 5 日)号』、pp.34-36。
116) 東京帝国大学教授の阿部重孝は明治初期からの就学・就職率、学科の変遷等を精緻に分析
し、政府の学制改革や普通・実業・準備教育の方針を批判した。主著は『教育改革論』
(1937年(昭和12年)、岩波書店)。
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学校間接続政策の前期形成過程
5.4.2 菊池・澤柳論争の解釈
先ず菊池は指導内容の削減を行えば上級学校は特別の教育を行い下級学校の教育の
不足を補わなければならなくなり不適切だと主張する。これに対し澤柳は、中学校の
量的急拡大を背景として、入学試験の数学で 2~3 割しか取れなくても入学してきて
おり、中学校の教育課程はそもそも実態にそぐわず無理があるのだと反論した。つま
り澤柳は「下から」の接続系統の観点から中学校の教育内容を削減・統合する有効姓
を説いたのである。このように両者のスタンスは、ともに上級学校であろうとするも
の、すなわち中学校は小学校の上級学校、高等学校は中学校の上級学校であろうとし
たものであることが分かる。換言すれば菊池は小中接続に、澤柳は中高接続に十分意
を用いなかったともいえる。
澤柳は事態処理の方策として 3 方策を示し、そのうち内容を削減し程度を低くし時
間は減じない案以外ないと主張する。これに対し菊池は、3 方策のいずれでもなく、
指導力の充実で対応するのが筋だと主張する。澤柳の主張は高等学校との接続に目を
つぶるもので、菊池の主張は理想的だが直ちに対応できないものだといえる。いずれ
もその時点のその立場の正当性を主張しているにすぎない。
また、この論争は一見「教育接続」を巡る論争だが、水面下に「選抜接続」の問題
を孕んでいたことに留意する必要がある。中学校における指導内容の削減について、
高等学校側は入試の水準を下げるか、あるいは中学校の教育水準に規律されない出題
を行うか、どちらかで対応することとなる。前者であれば高等学校が社会全体若しく
は帝国大学に対する責任を果たせなくなる危険があり、後者であれば学校間接続が後
退する危険がある。澤柳はこの葛藤の中から、より大衆化した教育段階の保護、つま
り初等中等教育の完結性の確保を選択したのである。
5.4.3 現代に与える示唆
公教育が制度としての永続性・頑健性を獲得するためには「選抜接続」で扱う学力
の水準を「教育接続」のそれに合わせる必要がある。だが下級学校の指導力・学力の
「多様化」を理由として指導内容を削減した場合、その分の公教育に対する責任は上
級学校に付加されることとなる。もちろん上級学校も付加された責任を黙殺して更に
上級の学校や社会に先送りすることはできる。だが、それは各学校段階独自の目的や
役割を果たしたことになるのか。その解を短絡的に求めることが本稿の目的ではない。
しかし確実にいえることは学校間接続を意識する最大の意義は、接続政策の個々の
問題への対応によって得られる部分最適と全ての学校間接続の円滑化という全体最適
の政策的バランスを保つことにあるということである。特に初等中等教育と高等教育
という学校間接続の最も大きな節目について、全ての関係者がそうした不断の意識を
持つことこそが、公教育制度全体の維持・発展を保証することにつながる。
やがて事態は菊池の文部大臣就任などもあって収束する。接続政策をめぐる主張の
- 193 -
年報 公共政策学
Vol. 7
是非によって決せられたのではなく、政府の組織構造が自ずと解を導出したのだが、
当然ながらいつもこうした幕引きが用意されているわけではない。
結果として菊池は高等学校と中学校の接続を憂慮しつつも、中学校と小学校との接
続に意を用いなかった。また澤柳は結果として中学校と小学校との接続を憂慮しつつ
も、高等学校と中学校との接続に意を用いなかった。その時点のその立場としてはま
っとうな、又はやむをえない両者の応酬は、その一方で当時の公教育を預かる両者が
全体最適を見ずに部分最適を優先したとの指摘を覆せない。
学校間接続は、下級学校と上級学校がそれぞれ独自の目的や役割を有していること
を踏まえつつ、いかにしてそれぞれの責任を果たしていくかという観点に立つべきで
ある117)。だがそのためには、社会と学校体系における自らの目的と役割を客観的・
相対的に理解し、その上でいかに実践するかが検討されなければならない。極めて酷
なことながら、それを関係者のたゆまぬ努力と叡智の結集によって政策化していかな
ければ学校間接続の問題は解決しえないことを、この事例は我々に示唆している。
6. 指導理念と前期接続政策 -中学校教授要目改正問題-
接続政策の形成過程で見るべきなのは、接続系統や学科の種類・程度といった操作
的なものだけではない。学科の指導理念の変化にも重要な示唆が含まれている。
もともとそれらは西欧から輸入されたものであり、それを留学などによって身を以
て行うなど重要な役割を果たした者の多くが帰国後帝国大学の教授などに就任して我
が国の先駆的指導者となった。その求心力は次第に衰微しながらも、概ね大正の新教
育運動、特にそれらに通底する生活中心主義、活動主義などの実質陶冶的思想が開花
するまで続く。それは「上から」の「教育接続」に対する影響力の低下を意味するこ
ととなる。
それを象徴的に表す出来事が中学校教授要目の改正問題である。先に見たとおり
「教授要目」は、菊池・澤柳の論争を経て1902年(明治35年)の改正中学校令施行規
則に基づき制定された実践のガイドラインである。だが、それは「教授要目」の困難
な道のりのはじまりに過ぎなかった。実践のガイドラインは社会の変化や指導理論等
の進歩に応じて適宜見直されていくべきものだが、数学については1911年(明治44
年)に一度微修正された後は、関係者の努力にもかかわらず、約20年間ほとんど手が
加えられなかった(全体をみても途中1925年(大正14年)に物理及化学が改正された
に過ぎない)
。それはなぜか。
本章では前章と連動させ、貴族院勅選議員・文部大臣など政官の要職を歴任し、学
術においては東京帝国大学教授・総長にして数学教育の最高権威であった、いわば
「上から」の接続系統の象徴である菊池大麓と、数学教育において彼と双璧をなす藤
117) 中央教育審議会答申(1999)『初等中等教育と高等教育の接続について』、p.20。
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学校間接続政策の前期形成過程
澤利喜太郎の影響力の推移を、中学数学の「教授要目」の改正過程を通じて捉えるこ
とにより、接続政策の大きな変化-「上から」の関与の後退-とその意味を見ていく
こととする。
6.1 二つの教育思想をめぐる葛藤
6.1.1 分科主義
先に見たように中学校数学科は、菊池の文部大臣就任とともに算術・代数・幾何・
三角法という 4 つの分科に復した。菊池・藤澤らは、指導に当たり、各分科が相互に
強い独立性を維持することを求めていた。これを分科主義という。本稿の今後の展開
上必要となるので、しばらく明治中期の数学の指導理念を追ってみる。
いやしくも
例えば中学校の低学年で指導される算術について、藤澤は、幾何は「秋毫ダモ 苟
安ヲ許サズ、徹頭徹尾厳密ナル論理法ニ拠ラザルベカラザル」ものであり「算術ト幾
何學トハ全ク其ノ性格ヲ異ニス」るものだと述べ118)、菊池も呼応するように幾何の
立場から「幾何學ト代数學トハ別ニシテ幾何學ニハ自カラ幾何學ノ方法有リ。濫ニ代
数學ノ方法ヲ用ヰル可カラザルナリ…代数學ノ法則ヲ之ニ応用スルハ決シテ許ス可カ
ラザル」と述べている119)。なぜなら、幾何とは「少数ノ公理及定義ヲ基礎トシ、夫
ヨリ逐次推究シ正当ノ証明無クシテハ一歩モ進マ」ない学問だからである。藤澤も呼
応するように、(a+b)の二乗展開を図で指導すること、つまり一辺が(a+b)の正
方形の面積と等しいなどと指導することは「断然、省イタ方ガ善イデス」120)と厳し
く戒め、数式で指導することを求めている。
なぜこれほど厳格な分科主義を求めたのか。藤澤は、小学校の実践ガイドラインで
ある小学校教則大綱(1891年(明治24年)制定・文部省令)の「算術ハ日常ノ計算ニ
習熟セシメ、兼テ思想ヲ精密ニシ、傍ラ生業上有益ナル知識ヲ与フルヲ要旨トス」に
着目し、これは「必ズシモ小学校ノ算術ニノミ適スルモノニアラズ121)」とし、中学
数学の目的は、①将来数学者となるものに予備知識を与える直接の利益と、②それ以
上に大きなものとして、思想を精密にし推理を精確にするという間接の効用、すなわ
ち精神的鍛錬にあり、①②の一方に注目して指導すれば両方満たされるから汎用性が
高い②を指導すべきであり、ゆえに中学数学の目的は精神的鍛錬にある、というので
ある。このように、直接指導する内容の獲得以上に、その過程における精神的鍛錬が
及ぼす人格形成が重要であるという考え方を一般に形式陶冶というが、当時分科主義
と形式陶冶が最も浸透していた国がイギリス、フランス、ドイツなどであり、菊池は
ケンブリッジ大で、藤澤はロンドン大・ベルリン大・ストラスブール大などでこの理
118) 藤澤利喜太郎(1895)『算術條目及教授法』丸善株式會社書店・三省堂書店、pp.78-79
119) 菊池大麓(1897)『幾何学講義 第一巻』大日本図書出版、p.20。
120) 藤澤利喜太郎(1900)『數學教授法講義筆記』大日本図書出版、p.152。
121) 藤澤(1895)、p. 4。
- 195 -
年報 公共政策学
Vol. 7
念・技術を会得し日本に広めたのだった。したがって、幾何と代数・算術に跨る「関
数」(特に関数関係を視覚化(グラフ化)する部分)などを中学校で指導することな
どは、菊池・藤澤の最も嫌うところだった。
6.1.2 「改造運動」思想の登場
1901年(明治34年)9 月、イギリス・グラスゴーで開催された英国学術会議の席上、
ジョン・ペリーはそれまでの数学教育を古典的なものとし、「実用数学(practical
mathematics)」の重要性を説いた。①数学指導や内容の選択は有用性の観点からなさ
れるべきだ、②子どもの経験に即した教育方法を選ぶべきだ、③方眼紙を使用し、ま
たできるだけ早く微積分の概念を会得させるべきだ、などがその内容であった122)。
賛否は割れたが、翌1902年(明治35年)には米国数学協会会長のエリアキン・ムーア
がこれに近似する演説を行い、また同年ドイツの数学者フェリックス・クラインが論
文『中等学校の数学教授について』を発表し、①各分科を融合し、かつ他学科との関
係を密接にすべきだ、②形式陶冶を過信せず、自然や社会の諸現象を数学的に観察す
る能力を育てるべきだ、③このため、関数概念の涵養と空間観察力の要請を数学教育
の骨子とすべきだ、④学ぶことの本質は、数学の厳密な論理性ではなく作業などの明
確性・明瞭性なものから出発すべきだ、などと説いた123)。数学教育における「改造
運動」のはじまりである。彼らは分科主義や形式陶冶の意義を完全に否定するのでは
なくその反省に立ち、子どもの生活や経験に立脚した社会的有用性のある数学教育を
志向し、そのためのより自然な数学の姿の追求、すなわち各分科の融合を企図した。
こうした実質陶冶的な考え方は数学界では融合主義と呼ばれた124)。「改造運動」は間
もなく我が国に紹介され、以降両者をめぐる議論が活発化する。
6.1.3 最初の中学校教授要目の改正
19世紀末から20世紀初頭は数学教育が脱皮を迎える時期だった。数学が特殊技能者
や数学者のためではなく、学校の正科と捉えられるようになったのは、つい19世紀の
初めごろにすぎない125)。特殊(エリート)から一般(大衆)へと進む教育対象の拡
大は、当然数学教育のあり方自体を変えることになる。抽象的・観念的なものから具
体的・実在的なものへの転換である。これは数学教育だけに限ったことではない。公
教育の普及・発展は、必然的に学校における全ての学科、活動に抽象から具体への路
122) 公田藏(1998)「「近代数学」と学校教育-数学の普及の歴史から-」『数理解析研究所講
究録第1,064巻』京都大学数理解析研究所、p.80-81。
123)上垣渉(1998)「数学教育改造運動の日本的受容」『三重大学教育学部研究紀要 第49巻』、
p.50。
124) 融合主義と同時期に出てきた概念に、数学科全体の内容を再構成する「綜合主義」がある
が、両者は厳密に区別されて用いられていたわけではなかった。
125) 小倉金之助・鍋島信太郎(1957)『現代数学教育史』大日本図書出版、p.98。
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学校間接続政策の前期形成過程
線変更を求めることになる。
1911年(明治44年)、「教授要目」は最初の改正の機会を得た。数学科の冒頭には
「數學ハ算術・代数・幾何及三角法ニ分チ各學年ニ對シテ教授事項ヲ配當スト雖モ常
ニ相互ノ聯絡ヲ圖リテ教授シ特ニ算術ニ關スル複雑ナル事項ハ代数及幾何ヲ授クル場
合ニ之ヲ教授スベシ」が明記された。分科主義をベースに融合主義的要素が取り入れ
られたことになる。
6.2 指導層の地殻変動
6.2.1 指導層の多様化・拡散化
当時教育の指導的地位にある者は教科書の執筆を通じて公教育政策と関わっていた。
そして教科書のシェアはそのまま執筆者の学校現場への影響力・支持率を反映するこ
とにもなった。国会図書館が所蔵する資料のうち確認しうる最古のものとして、文部
省が編纂した1910年(明治43年)度版の『各府懸中學校使用教科書圖書表』126)があ
る。各分科の教科書シェアの上位3位の執筆者を次に示しておく127)128)。
算術
代数
幾何
ひさし
①寺尾寿 ・吉田好九郎 (91校・29.9%)
②藤澤利喜太郎
(70校・23.0%)
③高木貞治
(37校・12.1%)
①寺尾寿・吉田好九郎 (85校・28.0%)
②高木貞治
(66校・21.7%)
③藤澤利喜太郎
(57校・18.8%)
①菊池大麓
(85校・28.0%)
つるいち
②林鶴一
(53校・17.4%)
③寺尾寿・吉田好九郎 (31校・10.2%)
三角法 ①遠藤又藏
②林鶴一
(110校・36.2%)
(57校・18.8%)
③菊池大麓・澤田吾一 (29校・9.5%)
上記のとおり、この時期菊池や藤澤の教科書が中学校の現場で必ずしも高い支持を
得ていたわけではなかった。そして菊池や藤澤のシェアを脅かす寺尾・吉田、林の教
科書の構成には融合主義的な工夫が見られた。先に見たように中学校教授要目に融合
主義的性格が付与されるのは翌年の1911年(明治44年)であった。文部省は規則改正
126)『師範學校中學校高等女學校使用教科書圖書表』の分冊である。
127) 文部省(1912)「明治四十三年度 各府懸中學校使用教科書圖書表」
『師範學校中學校高等
女學校使用教科書圖書表』國定教科書共同販売所、pp.122-142。
128) この年度の中学校は304校(公立239、私立65)であった。
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年報 公共政策学
Vol. 7
前に既に融合主義的教科書を認め129)、また学校現場においても力を持ち始めていた
ことが窺える。折しも帝国大学や高等師範学校などの代表が文部省の局長・次官など
の要職に就任するルートが途絶え、代わって試験任用された官吏が就任しはじめた時
期である。
執筆者の経歴からも様々な示唆が読み取れる。4分科中3分科に登場する寺尾・吉
田だが、寺尾は東京帝国大学理科大学教授で、先述の中学校令施行規則の制定・改正
問題で登場した尋常中学校教科細目調査委員会の数学科委員の一人であったが星学科
出身であり、吉田は学習院数学科教授であった。代数と幾何に登場する高木は菊池・
藤澤の直系の弟子で東京帝大理科大学数学科教授、幾何と三角法に登場する林も菊
池・藤澤に師事し、当時東京高等師範学校の教授であった。三角法で菊池の共著者と
して登場する澤田も菊池に師事し当時は東京高等商業学校の教授であり後に歴史学者
に転じた。遠藤は学習院女子部教授で、教科書だけでなく多数の受験問題集なども手
がけ、また当時第一高等学校に多くの合格者を輩出した大成中学校130)の教員や予備
校講師としての顔も持っていた。全員東京帝国大学の卒業生(遠藤は不明)とはいえ、
菊池・藤澤とは学科が異なったり、師事した者の中にも他の大学や専門学校、師範学
校などで活躍する者がいた。また、直系の弟子として同大に残る高木の教科書が他者
の教科書より支持されているわけでもない。教科書の執筆者の顔ぶれをみると、当時
の数学教育の指導層が重厚さを増しつつ、かなり多様化・拡散化してきていることが
分かる。
6.2.2 新しいルートの形成
また、文部省と中学校との関係にも変化が見られる。1911年(明治44年)の「教授
要目」の改正には、現場、すなわち東京高等師範学校附属中学校の数学教員の取り組
みが影響している。綜合主義・融合主義の思想を自校の指導に取り入れるために教員
のぶ
ゆき
である西川順之、黒田(伊達木)稔が作成した教授細目が文部省の「教授要目」の改
正に影響を与えたのである。両者はともに東京高等師範学校の出身であり131)、西川
は後に東京高等師範学校教授を経て文部省の督学官に就任して全国の学校現場を指導
し、その後高知高校や松本高校の校長を歴任した。督学官は1873年(明治6年)に発
足した視学官に起源をもち、しばらくは廃止復活が繰り返されたが、次第に教育指導
の実力者が就任するポストとして定着していく。
129) 中学数学科の教科書は国定ではなく検定であった。
130) 1900年(明治33年)度入試における大成中学校の一高合格者は18名、在京中学で 5 番目、
在京私立で 3 番目であった。
131) 西川は1898年(明治31年)に理科を、黒田は1899年(明治32年)に数学専修科を卒業して
いる。西川は優等だった。人事興信所(1934)『昭和9年人事興信録』に之部 p.17(西川)、
人事興信所(1918)『人事興信録』く之部 p.21(黒田)。
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学校間接続政策の前期形成過程
ある学校現場の優れた取り組みがやがて教育政策に反映される、それに関わった教
員が文部省(文部科学省)の教科調査官や視学官となり、政策形成に直接参画したり
全国の学校現場に助言等を与えたりすることは、現代の行政手法にも見られる。その
原型が既にこのとき見られ、しかも菊池・藤澤に代表される先駆的指導者と文部省と
いうルートとは異なるものとして形成されつつあったことに注目する必要がある。
6.3 中学校教授要目の再改正
6.3.1 指導者層の混迷
1911年(明治44年)に行われた「教授要目」の改正は菊池・藤澤のみならず、中学
校教員にとっても納得のいくものではなかった。たしかに前文において融合主義的方
向性を打ち出したものの、指導内容は分科別に記述されるなど、基本構造は制定当初
と同じ分科主義的傾向を強くとどめていた。そもそもこの改正に影響を与えた西川・
黒田の間にも意見の一致を見ないところがあったように、具体的方向性については未
だ模索の途上にあった。その状況は他国も同様で、数学教育の新しい境地に到達した
国はまだなかった。
こうした各国事情を反映し、1908年(明治41年)ローマで開かれた万国数学者会議
では 4 年後の次回会議までに各国が国内委員会を設けて数学教育の実態を調査するこ
ととなった。我が国では1911年(明治44年)、つまり「教授要目」が改正された同じ
年に藤澤132)を長とする国内委員会が組織され、中学校委員には西川が就任した。翌
年報告書が作成されたが、その冒頭で藤澤は「時日ノ餘裕ナカリシガ故ニ擔當委員ノ
私見ニ過ギザルモノモアルベシ」133)と述べ、この時点でも意見の収拾をみなかった
ことを告白している。
6.3.2 中学校・高等学校教員の結集
だが、この頃から「改造運動」はますます拡大していくこととなる。1915年(大正
4 年)、文部省は先述のクラインの影響を受けたドイツの教科書を翻訳し『新主義數
學』として出版するなど融合主義への更なる接近を示した。訳者の森外三郎は、菊
池・藤澤に師事した第三高等学校の教授であった。このほかにも「改造運動」の海外
事情を積極的に紹介した一人に先述の林鶴一がいた。こちらも菊池・藤澤に師事し、
東京高等師範学校や新設の東北帝国大学の教授を務めた数学者だった。また海外の数
学教育事情を視察し、帰国後西川と同じく東京高等師範学校教授に就任した黒田は、
同志とともに同校校長の嘉納治五郎に働きかけ、同氏が主宰する教員の全国組織・中
132) この頃菊池は、1903年(明治36年) 7 月に文部大臣を辞した後学習院院長を経て、1908年
(明治41年)京都帝国大学総長に就任し、帝国学士院院長を兼任していた。1917年(大正
8 年)死去。
133) 數學教科調査委員會(1912)『數學教科調査報告』文部省、p.2。
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年報 公共政策学
Vol. 7
等教育研究会に数学教育の協議組織の設置を要請し、1918年(大正 7 年)、全国師範
学校中学校高等女学校数学科教員協議会が開催されるに至った。注目すべきは「協議
会」に対し文部省が諮問題を提示していることである。その内容は「中學校…ノ目的
ヨリ觀テ其ノ数学教授上改善ヲ要スベキ点及コレガ方案如何」であり、文部省は「協
議会」の存在と彼らが唱える「改造運動」を受任しつつも、自らは未だ分科主義との
関係が整理できないでいる状況が窺える。前年に菊池は鬼籍に入っていたが、藤澤は
教授職にあった時期である。
「協議会」は翌1919年(大正 8 年)に日本中等教育数学会として独立した(現在の
日本数学教育学会の前身となる)。初代会長には林鶴一が就任した。「協議会」時代と
の大きな変化として高等学校の参加が挙げられる。これは前年の第二次高等学校令の
制定により、高等学校は高等教育機関から完成高等普通教育機関へと性格が変更され、
形式的には中学校と同じ高等普通教育機関と位置づけられたためであろう。だが先に
見たように、高等学校は依然として帝国大学予科として機能したから、「数学会」は
中等教育と高等教育の接触面に位置するすべての数学教員を対象とする組織だったと
理解するのが適切である。
第 1 回の議題は「高等學校及中學校ニ於ケル數學科教授時間數トソノ教授要目ニ就
キテ」という、まさに中高の「教育接続」をめぐる論点であり、同時に「選抜接続」
とも直結していた。なぜなら第二次高等学校令により、次年度の高等学校入試から
「 4 修受験」が導入されるからである。それに伴い教育課程をどう構築するかに彼ら
の関心は集まっていた。
こうして接触面の彼我にいる教員が「改造運動」と「 4 修受験」を通して「教育接
続」と「選抜接続」について議論し、教授要目改正案がまとめられた。中学校の代数
は一年前倒しして第一学年からとし、関数及び関数のグラフ化を正面から盛り込むな
ど現行の「教授要目」と比較すると意欲的な内容となっていた。この改正案は文部大
臣(中橋徳五郎)に提出されたが、「教授要目」を改正できる環境は未だ整っていな
かった。
「教授要目」が改正されないまま「 4 修受験」が導入されたことにより、高等学校
の入試から三角法が姿を消すという奇妙な現象が出現したことは先に見た。三角法は
第 5 学年で扱う内容で、出題すると 4 修受験者が不利になるというのが理由である。
「教授要目」が改正されなかったのは「改造運動」だけが原因なのか。それとは別
の、大きな原因があったことは、臨時教育会議や文政審議会の議論において見たとお
りである。当時我が国は学校制度と教育課程の両面に接続政策上の重大問題を抱えて
いたのであった134)。
134) 藤澤は1921年(大正10年)3 月に東京帝大を退職、文政審議会委員、貴族院勅撰議員など
を歴任した。1933年(昭和 8 年)死去。
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学校間接続政策の前期形成過程
6.3.3 中学校教授要目の改正
1928年(昭和 3 年)9 月、文政審議会において、「教授要目」の改正を含む「中學
校教育改善ニ關スル件」が審議された。「教授要目」の改正については臨時教育会議
でも扱われたがほぼ未着手の状態だった。そこで前年の12月、文部省に中学校教育調
査委員会が設置されて下調査が行われそれに基づき諮詢案が作成された135)。この諮
詢案が中学校の性格変更を含むものであったことは先に見たとおりである。この審議
会は文部省が精緻な原案を諮詢案として提示し、それに沿って議論したため、短期間
で答申が出されている。諮詢案は答申に基づき修正され、1931年(昭和 6 年)2 月に
中学校教育改善方針として総会で可決され、同年 5 月改正中学校教授要目が告示され
た136)。数学科の「教授要目」からは分科の壁が消え、「改造運動」の成果が反映され
た。中学校が小学校との接続を強調する中、「改造運動」の反映も初等教育との関係
強化の文脈で進められた。
中学校教授要目が制定されてから既に約30年、最初の改正から数えても約20年もの
年月が経過していた。この間、初等中等教育に対する帝国大学の直接的影響力は後退
し、代わりに高等師範学校、師範学校教員などに多様化・拡散化した指導人材が、高
等師範学校、師範学校出身の教員とともに初等中等教育を牽引するという、大きな変
化を遂げることとなった。
帝国大学の関心は、初等中等教育機関に在籍する不特定多数を対象とした「教育接
続」から離れていった。幼少期から幾重にも続く「選抜接続」によって選りすぐられ
帝国大学に到達した、獲得しうる「最高の学生」との営み(教育・研究)に集中して
いくこととなった。やがて中-高の接続関係は教育ではなく選抜を介した人材の需給
関係(ゼロサム関係)に収斂し、戦後の高大接続においてますます強化されていくこ
ととなる。
7. 最後に -接続政策と「集合的営為」-
戦前期の学校間接続は、概ね①「上から」と「下から」の接続系統の並列に始まり、
②両者の接触面の形成の上に③「縦」のライン形成・「横」の登場を経て④「縦」と
「横」の相互補完という成熟の順序を辿ったが、「教育接続」の未成熟と「選抜接続」
の制御不足から「長さ」「半断線」「複線化(袋小路)」という問題を生んだ。また
「教育接続」は、接続系統の接触面に生じた緊張関係に強く影響され、我が国独自の
「高等学校」や「入学試験」という「選抜接続」の装置を「発明」し、それへの依存
をもたらした。その状況は今日まで続き、2008年(平成20年)の中央教育審議会答申
では、高校と大学ともに入学定員の「供給過少」を前提とした「入試によって学力水
135) 文部省(1972)、pp.474-477。
136) 文部省(1972)、pp.473-475。
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年報 公共政策学
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準が担保できるという考え方」に陥っているが、収容力が9割を超え、定員割れ私学
が約 5 割となった「大学全入」時代では、そうした「選抜接続」依存からの「転換が
求められる」と指摘するに至っている137)。定員を抑え進学率を抑制せよとの意見も
あろう。確かに社会の負託に応えられない大学の淘汰は不可避だが、我が国の大学進
学率は先進諸国と比べ高くない。大学は幅広く学生を受入れて国民の進学意欲に応え、
自立した市民や職業人に必要な能力を育成する責務がある。
前期接続政策は戦後約70年を経た現代の接続政策と深い関係を有している。本稿の
最後に、それらが現代の高等教育と初等中等教育の接続に与える示唆について言及し
たい。
第一に、接続政策を巡る応酬に関する示唆である。前期接続政策は設計理念が大き
く異なる「上から」(高等教育側)と「下から」(初等中等教育側)の接続系統に一貫
性(「縦」のライン)を形成するべく、
「教育接続」だけを見ても、学校種の創設改廃、
学科の構成・程度、指導理念(形式・実質陶冶)などの多様な要素を、激しい社会変
化の中で進歩させた(部分最適)。しかし一度として両者の調和的安定(全体最適)
を見なかった。進学率が最大でも 1 %以下138)という、大半の国民が到達しえない大
学の存在を前提に公教育制度が成熟する違和感や、厳しい入試に対応するべく普通学
科の詳細な知識の伝達を要する受動性が初等中等教育側に滞留し、高等教育側との間
に論点は変われど応酬は続く関係をもたらした。東京帝国大学教授であった阿部重孝
は、戦前期の学校教育が「上級学校に進む少数者の教育的利益に依つて著しく支配さ
れ、国民大衆の教育的必要を満たす上に於て遺憾な點を蔵することになつた」とし、
「学制の全体に関するプログラムなし」の議論は「危険を示すもの」であるとした139)。
この指摘は当時の接続政策の状況を見事に言い当てている。現代の接続政策も未だ応
酬を克服する過程にあり、部分最適と全体最適の均衡を図るべく学校制度全般にわた
る検証と議論を必要としている。その際、定員の「供給過少」時代に形成された違和
感や受動性に基づく応酬が、現代の「大学全入」時代に説得性・生産性を持ちうるか
については特に吟味されなければならない。
第二に、普通教育に関する示唆である。戦前期は学校種の創設改廃、目的変更が頻
繁に行われその度に学校間接続が論じられたが、それはしばしば普通教育と準備教育
を巡る応酬を通じて行われた。「普通實用ノ教育」などに起源を持つ普通教育は実業
学校・専門学校などの「横」の学校種の登場により実業理念と分化する。このため普
通教育と準備教育をめぐる議論は、大学のアカデミズムと親和性を持つ中学校・高等
学校の普通学科の構成・程度の調整、つまり小学校との(接続)関係を強調するか、
大学との(接続)関係を強調するかという応酬に帰着した。嘉納と菊池の「綱引き」
137) 中央教育審議会答申(2008)『学士課程教育の構築に向けて』、p.29。
138) 注32参照。
139) 阿部重孝(1937)『教育改革論』岩波書店、p.33。
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学校間接続政策の前期形成過程
や菊池と澤柳の論争がその例である。やがて法令から準備教育という概念が消え、普
通教育(小学校)、高等普通教育(中学校等)、完成高等普通教育(高等学校、大学予
科)という概念で接続系統が整理された。
見てきたように準備教育は、一般に厳しい「選抜接続」が普通教育を歪めるとのニ
ュアンスを表すときに用いられてきた。確かに進学が多くの国民にとって無縁又は成
就しなかった時代は、阿部の指摘した、学校制度全体が「少数者の教育的利益」に
「支配」されていく実態に鑑み、準備教育という概念を用いて普通教育を「選抜接
続」の従属から少しでも遠ざけ自己完結性を高めようとする必要があったかもしれな
い。先に見た澤柳の中学校政策がその例であろう。しかし「大学全入」時代における
準備教育の意味については改めて深く洞察されなければならない。入試における難問
奇問も作問技術の向上とマスコミ・予備校の監視によりほとんど見られなくなった。
これらの要素を踏まえれば、準備教育のニュアンスをかつてのままに学校間接続を検
討することは高校・大学が手を携えて学力を育成する「教育接続」の機運を今後も制
限することにならないだろうか。
第三に、教育責任に関する示唆である。多くの学校関係者が抱いたであろう違和感、
受動性を背景に前期接続政策における応酬はかくも熱を帯びた。初等中等教育関係者
は、ある種の被害者意識をもって「上から」の接続系統に対抗したのだが、その間も
教え子に対する学力の育成責任は当然かつ厳然と存在する。やがて被害者意識は上級
学校に対してだけでなく、下級学校にも向けられる。1893年(明治26年)の第三高等
中学校設置区域尋常中学校長会同では、はやくも学校長たちにそうした主張が見られ
る140)。この史実を世に紹介した筧田知義は「高等中学校が入学生徒の学力の不十分
なることを尋常中学校の教育の水準の低さにおき、尋常中学校がその生徒の学力の低
さを小学校教育の低さにおいた」主張をする感覚は「それぞれの学校の教育的責任を
いささか他に転嫁したものである141)」と指摘する。当然「責任転嫁」は接続する学
校種相互の反発を生み、連携・協力を阻害する。とはいえ「選抜接続」が厳しい状況
にあった戦前期や戦後のある時期までは、それはそれなりの説得力を有したであろう。
だが、さすがにそれも過去のものとなっている。少子化局面にある我が国は、是非
はともかく「選抜接続」の学力育成機能を低下させる、いわば見放されつつある事実
を直視すべき時に来ている。またそれは「選抜接続」の猛威にかき消されがちだった
もう一つの側面、「教育接続」の再構築が現実性を持ちはじめた好機の到来ともいえ
る。
「教育接続」と「選抜接続」はともに学力を指標とするが、その取扱いには違いがあ
る。本来「教育接続」とは教育・学習目標準拠(criterion-referenced)、つまり接続す
140) 筧田(1975)、pp.114-119。
141) 筧田(1975)、p.119。
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年報 公共政策学
Vol. 7
る学校種が役割の違いを尊重しつつ教育・学習目標を共有し学力情報の流通を介して
連携・協力するものであり、「選抜接続」は集団準拠(norm-referenced)、つまり学力
を手段として志願者集団の中から合格者=進学対象者集団を特定するものである。
「選抜接続」の厳しさは「教育接続」の可能性を極端に制限してきた。学校間接続は、
大学の志願者集団から合格者集団を選抜することを最優先させた、しかも極めて短期
間で実施・処理される試験による学力情報で事実上決するものとなった。それ故にそ
の間の客観性・公平性の担保には相当なコストと緊張感を要するものの、得られる情
報量や汎用性は極めて限定される、「教育接続」からみれば非合理で非効率なものと
ならざるをえなかった。高校の学力情報は調査書等を介して閲覧可能だが、自己完結
性が強い校内尺度に依るため、活用が(推薦入学等も含め)限定的であることは広く
知られている。つまり激しい高大の応酬は、高校の学力情報を選抜にも大学入学後の
教育にも活用困難な状況を作り出し、両者が組織的に問題点を共有・協議し、相互に
教育の質向上に役立てる建設的能動性を排除してきたのである。
「大学全入」時代はそこから脱する好機である。例えば高校側の平素の指導に必要
な広範かつ標準化された学力(到達度)把握資料があれば、大学側の選抜・リメディ
アル教育・初年次教育の資料との一部共有化などの是非が検討されてもいい時期であ
ろう。もしそうなれば公共的な流通システムが必要となるが、それは難関校を含めた
各高校・大学に一層特色ある教育・学習・選抜を実施する転機をもたらす可能性があ
る。その際留意すべきは校内尺度である。各高校を自己完結体と見た場合の校内尺度
の教育的役割は評価されるが、その学力情報は学校を超えて流通できないという意味
で客観性を欠く。それを補正し142)流通を図るか、それとも校内尺度における「教育
接続」上の問題は不問のまま推薦入学などを極大化していくか。いずれにせよ「大学
全入」時代は、高大の学力情報の流通を制限する必然性は低下し、高校の自己完結性
がもたらす「教育接続」への影響が検討対象となる時代といえよう。
第四に、指導理念に関する示唆である。見てきたように、前期接続政策の形成過程
では、高等教育側と初等中等教育側の間に普通教育の指導理念をめぐる応酬が生じた。
大学や高等学校は「下から」の学力育成が強固でなければ学術的パフォーマンスや社
会的プレゼンスが低下する。少なくとも大正初期頃まで帝国大学には初等中等教育の
指導理念に影響力を保持しようとする姿勢が見られた。菊池・藤澤の徹底した分科主
義を中学校に浸透させようとしたことはそれを象徴している。だが、初等中等教育の
指導者層が重厚さを増しつつ多様化・拡散化し、やがて高等師範・師範学校卒の教員
142) 1979年(昭和54年)に登場した共通一次試験は校内尺度を補正するものであり、現在の大
学入試センター試験に継承されている。「選抜接続」の重要指標であるが年内に実施され
る AO 入試・推薦入学に活用できず、また「教育接続」から見た場合、①高 3 の 1 月に実
施されるため高校時の指導改善に直接役立たない②受験しない科目の学力情報は補正・流
通できないなどの論点が生じている。
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学校間接続政策の前期形成過程
とともに実質陶冶的な理念・方法を追求する潮流が定着すると、高等教育側の「教育
接続」への直接的影響力は低下していくこととなった。もっとも影響力の低下は、厳
しさを増す「選抜接続」において、もはや優秀な合格者の確保に困らなくなった証左
と捉えるべきかもしれない。是非はともかく学校間接続は「選抜接続」の学力育成機
能に強く依存することとなったからである。
現代はどうか。「大学全入」時代の今、大学側は「選抜接続」依存の成功体験、す
なわち下級学校の教育に頓着せずとも、入試さえ行えば一定の学力水準以上の合格者
で定員を満たしうるという感覚から脱却できたのだろうか。高校側は非受験科目の授
業を受験科目に振り替え、書類上は授業を実施したことにして履修単位を与え卒業さ
せる「未履修」状況を組織的・継続的に作り出した。この法令違反が全国で露見し大
きな社会問題となったのはつい2007年(平成19年)のことである。だが、そうまでし
て大学に送り出された学生は、各大学にとって満足のいく水準にあるのか、その検証
はなされたのか。推薦入試を行う学部の54.3%、AO入試を行う学部の60.6%が、自
身の入試では基礎学力の担保に課題があるとしているのである143)。天野郁夫は「大
学全入」時代の高大接続に生じた学力問題が「日本の教育にとって、きわめて新しい
問題」144)だと述べている。これは学校間接続が学力を手段とする「選抜接続」に依存
し、学力育成を目的とする「教育接続」への思慮が不足していたこと、またこの問題
がもはや「選抜接続」による弥縫では処理しきれないことを痛烈に指摘したものと捉
えられなければならない。
第五に、政策形成における「集合的営為」への示唆である。見てきたように前期接
続政策の形成過程は、学校種の創設・改廃とその接続関係、教育・学習・学力といっ
た接続上の諸問題について、教育団体、有識者、政府などが様々な応酬を展開し、影
響力を行使し合う過程であった。教育関係者の代表を構成員として紡ぎ出した政策原
理を政府を媒介として実現する営みは、いわば「集合的営為」と呼ぶべきものである。
教育関係者たちは学制研究会、帝国教育会などを組織して政策を議論・提案し、時
に行政手段を有する文部省の要職に就官して自らの欲する方向へ政策を誘導しようと
さえした。確かに近代日本における創建期の出来事であり、政学官が高度に専門分化
した今日からみれば不適切な行為や野心が含まれる。だがそれらは「集合的営為」の
構成員がその地位にふさわしくあろうとして自らに課した参画コストであり、熱意や
責任感には評価できるものがある。そうした当事者意識が公教育制度の基盤形成に果
たした役割は大きい。
現代はどうか。「選抜接続」の機能が低下する現代は、高校・大学が役割の違いを
尊重しつつ教育・学習目標及び学力情報を共有し、共同して学力育成に傾注できる好
143) 中教審(2008)、pp.116-117。
144) 天野(2006)、p.183。
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年報 公共政策学
Vol. 7
機である。今こそ高大接続の現状と真摯に向きあい「集合的営為」を発揮せねばなら
ない。確かにどの構成員・出身組織も多忙で重要な本務を持っている。だが、本務へ
の絶対視(閉じこもり)は「集合的営為」を阻害し、時代の慣性に流されて応酬を続
けてしまう危険性を強く懸念せねばならない。それは接続政策を部分最適に拘泥せし
めて全体最適の実現を困難とする、合成の誤謬(fallacy of composition)に追い込むこ
ととなる。
政策形成を「集合的営為」として捉えるとき、政策の成否はひとり政府の功罪では
ない。政府を含めた各構成員・出身組織の果たすべき役割(建設的議論の能動的実
施・提案、組織内の意思統一、他組織との自発的議論、政策遂行に必要な予算・法令
の整備、実施時の連携・協力など)の誠実な履行にかかっている。まさに構成員・出
身組織に求められる参画コストと言い換えることができる。それは政府の参画コスト
である審議会などに出席すれば履行されるものではない。そこに至る各構成員・出身
組織の努力があってはじめて「集合的営為」は成立する。今必要なのは各構成員・出
身組織の建設的能動性である。
学校間接続の検討は、下級学校と上級学校がそれぞれ独自の目的や役割を有してい
ることを踏まえつつ、いかにしてそれぞれの責任を果たしていくかという観点で行わ
れるべきである145)。そのためには、構成員・出身組織が社会と学校体系における自
らの役割を客観的・相対的に理解し、その上でいかに実践するかが追求されなければ
ならない。極めて酷なことながら、それを全構成員・出身組織のたゆまぬ努力と叡智
の結集によって継続してはじめて公教育制度全体の維持・発展が保証されると考える。
前期接続政策の形成過程では、「集合的営為」が比較的活発だったものの各構成
員・出身組織の正当性が強調されたため、全体の調和的是正(全体最適)に達しえな
かった。現代の構成員・出身組織は部分最適の総和を全体最適へ止揚するべく先ずは
史実と現実に真摯に向き合い、自己批判と相互理解を深め、建設的行動を行う時期が
来ている。
少子高齢化の時代を迎え、大幅な経済成長は期待できず、我が国は医療・介護・福
祉に莫大な予算を投入しつつある。このため、教育政策は他の公共政策と質や必然性
をめぐる熾烈な生存競争を一層強いられることとなる。教育政策の質を高める「集合
的営為」が軽視され、政府の政策能力に過剰に依存し、予算・法令に関する法科技術
が過信され続ければ、公教育政策はやがて最低限の政策すら維持困難となる状況を懸
念せねばなるまい。
145) 中教審(1999)、p.20。
- 206 -
学校間接続政策の前期形成過程
参 考 文 献
1.政府文献
内閣官報局(1891)『衆議院第二囘豫算委員會速記録第十一號(第三科)』。
内閣官報局(1891)『衆議院第二囘通常會議事速記録第二十二號』
文部省(1898)『尋常中學校教科細目調査報告』文部省高等学務局。
數學教科調査委員會(1912)『數學教科調査報告』文部省。
文部省(1912)「明治四十三年度
各府懸中學校使用教科書圖書表」
『師範學校中學校高等
女學校使用教科書圖書表』國定教科書共同販売所。
文部省(1931)『内外教育制度の調査』文部省調査部。
文部省(1972)『学制百年史』帝国地方行政学会。
中央教育審議会答申(1999)『初等中等教育と高等教育の接続について』文部省。
中央教育審議会答申(2008)『学士課程教育の構築に向けて』文部省。
2.大学文献
東京帝国大学(1900)『文部省及諸向往復書翰』。
東京帝国大学(1901)『文部省及諸向往復書翰』。
第一高等学校(1939)『第一高等学校六十年史』(非売品)三秀舎。
3.講演録等
明治館(1891)『伊澤修二教育演説集
第一』秀英舎。
久保田譲(1899)『学制改革論』帝国教育會。
藤澤利喜太郎(1900)『數學教授法講義筆記』大日本図書出版。
田所美治(1903)『九十九集
菊池前文相演述』大日本図書株式会社。
国民教育奨励會(1922)『教育五十年史』、民友社。
大久保利謙編(1972)『森有禮全集巻一』、宣文堂書店。
4.学術文献
藤澤利喜太郎(1895)『算術條目及教授法』丸善株式會社書店・三省堂書店。
菊池大麓(1897)『幾何学講義
第一巻』大日本図書出版。
阿部重孝(1937)『教育改革論』岩波書店。
小倉金之助・鍋島信太郎(1957)『現代数学教育史』大日本図書出版。
筧田知義(1975)『旧制高等学校教育の成立』、ミネルヴァ書房。
本山幸彦編著(1981)『帝国議会と教育政策』思文閣出版。
天野郁夫(1985)『教育改革を考える』東京大学出版会。
天野郁夫(1986)「高等普通教育と社会階層」
『教育社会学研究第41集』日本教育社会学会。
米田俊彦(1992)『近代日本中学校制度の確立』東京大学出版会。
- 207 -
年報 公共政策学
Vol. 7
天野郁夫(1996)『日本の教育システム』東京大学出版会。
上垣渉(1998)「数学教育改造運動の日本的受容」『三重大学教育学部研究紀要第49巻』。
公田藏(1998)「「近代数学」と学校教育-数学の普及の歴史から-」『数理解析研究所講
究録第1,064巻』京都大学数理解析研究所。
本山幸彦(1998)『明治国家の教育思想』思文閣出版。
竹内洋(1999)『日本の近代12
学歴貴族の栄光と挫折』中央公論新社。
天野郁夫(2000)「20世紀・日本の教育は何を為しえたか」『教育學研究
第67巻
第1
号』日本教育学会。
菊池城司(2003)『近代日本の教育機会と社会階層』東京大学出版会。
伊藤紀祥、上垣渉(2005)「旧制高等学校入学試験問題(数学)の分析」
『数学教育史研究
巻5』日本数学教育史学会。
天野郁夫(2006)『大学改革の社会学』玉川大学出版。
宮脇淳(2006)『公共経営論』PHP研究所。
天野郁夫(2007)『増補・試験の社会史』平凡社。
天野郁夫(2009a)『大学の誕生(上)』中央公論新社。
天野郁夫(2009b)『大学の誕生(下)』中央公論新社。
先﨑卓歩(2010)「高大接続政策の変遷」『年報
公共政策学』北海道大学。
斉藤利彦(2011)『試験と競争の社会史』講談社
吉見俊哉(2011)『大学とは何か』岩波書店。
5.事典等
秦郁彦編著(1981)『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会。
久保健三、米田俊彦他編著(2001)『現代教育史事典』東京書籍。
秦郁彦編著(2001)『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会。
秦郁彦編著(2002)『日本官僚制総合事典』東京大学出版会。
米田俊彦(2009)『近代日本教育関係法令体系』港の人。
6.雑誌等
開発社(1897)『教育時論第455(12月 5 日)号』。
開発社(1900)『教育時論第563(12月 5 日)号』。
開発社(1901a)『教育時論第573(3 月15日)号』。
開発社(1901b)『教育時論第574(3 月25日)号』。
開発社(1901c)『教育時論第575(4 月 5 日)号』。
開発社(1901d)『教育時論第598(11月25日)号』。
人事興信所(1918)『人事興信録』。
人事興信所(1934)『昭和9年人事興信録』。
- 208 -
学校間接続政策の前期形成過程
Policy Formation in the Articulation between Schools
before the Second World War
SENZAKI Takuho 
Abstract
The articulation policy between schools has been one of the most difficult problems in
public education policy in Japan. We must learn the history of the articulation policy, which
consists of selection and education until the end of World War II from the Meiji era, and in
which education unwillingly depended on the selection because of the low capacity of the
upper school. But education cannot depend on selection because university, by falling birthrate,
became able to contain over 90% of the entrance into a school of higher grade applicant in the
2000s. We must build a new policy mainly on the education now. It will be achieved only
through the collective endeavor of the participants including public authorities rather than
symptomatic treatment demonstrated by deal with the national government.
Keywords
Articulation, General education, Falling birthrate, Norm reference, Criterion reference, First
annual education, Remedial education, Collective endeavor of the participants, Fallacy of
composition

Ministry of Education,Culture, Sports, Science and Technology-Japan
- 209 -
議会基本条例の分析と評価
議会基本条例の分析と評価
―北海道の議会基本条例を素材に―
生沼
裕
1. はじめに
北海道大学公共政策大学院では、毎年夏、自治体議員向けのサマースクールを開催
している。このスクールは、地方分権、地域主権が進展する中、自治体議会の活性化
に寄与することを目的に、大学・大学院の取組としては全国初の試みとして、平成20
年(2008)にスタートしたものである。昨年(平成24年(2012))は、8 月 2 日
(木)・3 日(金)の 2 日間、道議、市議、町議ら40名の参加を得て、学内において開
催され、私も事務局を務めさせて頂いた。当スク-ルの講師として、福島町議会議長
の溝部幸基氏にご講演を頂いたが、言うまでもなく、北海道の福島町議会は、自治体
議会改革の先進地として全国的に名高い。
議会改革の先進地としては、この福島町議会以外にも、道内には、全国で最初に議
会基本条例を制定(平成18年(2006))した栗山町議会がある。後述するが、議会基
本条例 1)は、その後徐々に全国に普及し、2011年末時点で全国で260条例を数えるま
でになった。また、道内においても、福島町議会を含め、既に18条例が制定されてい
る。そして、今日、議会基本条例は「自治体議会改革における“成果の象徴”」2)とし
て語られることも多く、議会基本条例を制定している自治体議会は、制定していない
議会に比べ、一般的には、議会改革が進んでいる議会と推定され、評価される傾向が
あるように思う。
しかしながら、果たして本当にそうなのか、というのが、本稿におけるテ-マ(疑
問点)であり、その解を確認してみたいというのが、本稿の目的である。
これまでのところ、管見の限り、先行研究などでも、このような視点で、議会基本

1)
2)
北海道大学公共政策大学院教授 E-mail:[email protected]
神原勝は「議会基本条例とは、自治体の政府制度である二元代表民主制を首長と対等に担
う議会が、主権者市民の負託に応えて優れたまちをつくるために、議会運営の理念、理念
を具体化する制度、その制度を作動させる原則などを定めた条例で、当該自治体レベルの
議会運営に関する最高規範として位置づけた条例」と定義している(神原勝(2009)
『[増
補]自治・議会基本条例論―自治体運営の先端を拓く』公人の友社. 127頁。)。なお、本
稿で取り上げる道内の議会基本条例については、基本的に神原勝の定義によるが、議会基
本条例という名称であること、かつ、最高規範に準ずる位置づけのものも対象とする。
長野基(2012)「議会基本条例が議会活動に与えたインパクト-制定・未制定の議会の分
析から」『議会改革白書2012年版』廣瀬克哉・自治体議会改革フォ-ラム編.202頁。
- 211 -
年報 公共政策学
Vol. 7
条例の分析を行い、各規定事項の運用実態をも検証した上で、条例の評価、ひいては
議会改革の評価を行ったものは見当たらない。
そこで、本稿では、道内の議会基本条例を素材に、条例条文の比較分析を行うと共
に、これらを実態調査の結果(実績)と突き合わせることにより、条例に規定されて
いる事項、各種改革ツ-ルが本当に実際に実行されているのかどうかについて、検証
してみたいと思う。
2. 議会基本条例の概要と運用実態
まず、全国の議会基本条例の制定動向を確認した後、北海道における18の既制定の
議会基本条例を分析・概観し、その上で、これらの条例の運用実態の一端を検証する。
2.1 全国の議会基本条例の制定動向
議会基本条例は、北海道栗山町議会において、平成18年(2006)5 月に制定された
ものが最初とされる。その後、全国的にも徐々に制定が進み、表 1(「自治体議会改
革フォ-ラム」3)が毎年調査し、公表している「全国自治体議会の運営に関する実態
調査2012」4)の集計結果。以下、本調査を「調査 A」という。)にあるように、本調査
時点では、全国で251、北海道内では16の条例が制定済みとなっているが、その後の
議会改革フォ-ラムにおける未回答自治体に対する電話での追加調査によると、2011
年末時点で全国で260条例が制定されているという。また、NPO 法人公共政策研究
所5)の「2012北海道内自治体議会を活性化するための環境整備に関する調査」6)(以下、
本調査を「調査 B」という。)によると、道内では、2012年 4 月 1 日現在、18の条例
が制定されている。
3)
4)
5)
6)
http://www.gikai-kaikaku.net/index.html
・調査対象:全自治体議会 1,789団体(180)/2012年 1 月 4 日現在
( )内の数値は、北海道内の数
(47都道府県(1)、19政令市(1)、23特別区、768市(34)、932町村(144))
・回答状況:回答数1,496(151)
都道府県47(1)、政令市19(1)、特別区23、市751(33)、町村656(116)
(回収率:83.6%(83.9%))
・実施期間:2012年 1 月~3 月
・調査実施主体:自治体議会改革フォ-ラム
http://www16.plala.or.jp/koukyou-seisaku/index.html
・調査対象:北海道議会及び北海道内の市町村議会(180)
・回収状況:回答数163
道1、政令市1、市34、町村127
(回収率:90.5%)
・調査期間:2012年 5 月 2 日~7 月13日
・調査実施主体: NPO 法人公共政策研究所
・調査時点:2012年 4 月 1 日
- 212 -
議会基本条例の分析と評価
表1.
Q【議会基本条例】
議会基本条例の制定を予定していますか?(1つお選びください)
全体
全体
都道府県
1496 100.0%
無回答(またはその他)
47 100.0%
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0.3%
1.現時点では制定の予定は
ない
686
45.9%
16 34.0%
4 21.1% 14 60.9% 652 46.3% 95 63.8% 274 36.5% 12 36.4% 378 57.6% 83 71.6%
2.制定すべきどうかを検討
中である
315
21.1%
5 10.6%
4 21.1% 7 30.4% 299 21.3% 28 18.8% 172 22.9% 11 33.3% 127 19.4% 17 14.7%
3.制定の方針で検討に着手
している
147
9.8%
2
4.3% 4(1) 21.1% 2
8.7% 139
9.9%
7
4.7% 92 12.3% 3
9.1% 47
7.2%
4
3.4%
4.2012年3月には制定見込み
(予定含む)である
26
1.7%
4
8.5%
0
0.0% 0
0.0%
22
1.6%
1
0.7% 17
2.3% 1
3.0%
5
0.8%
0
0.0%
5.2012年7月までの制定をめ
ざしている(予定)
19
1.3%
1
2.1%
0
0.0% 0
0.0%
18
1.3%
0
0.0% 13
1.7% 0
0.0%
5
0.8%
0
0.0%
3.2%
2
4.3%
1
5.3% 0
0.0%
45
3.2%
2
1.3% 30
4.0% 0
0.0% 15
2.3%
2
1.7%
0.0% 229 16.3% 15 10.1% 152 20.2% 6 18.2% 77 11.7%
9
7.8%
7.議会基本条例を制定済み
48
251
2.1%
特別区
4
6.2013年中の制定をめざし
ている
1
政令市
16.8% 16(1) 34.0%
0
0.0% 0
6 31.6% 0
0.0%
3
0.2%
1
0.7%
1
0.1% 0
0.0%
2
0.3%
1
0.9%
※廣瀬克哉・自治体議会改革フォ-ラム編「議会改革白書2012年版」中の「全国自治体議会の運営に関す
る実態調査2012集計表及び回答自治体一覧表」のデ-タに基づき、筆者が作成。
なお、( )は、北海道議会及び札幌市議会の回答を指す。以下、表7、8、9、10、12、13、15、16、17ま
で同じ。
2.2 北海道における議会基本条例
前述のとおり、道内では、18の議会基本条例が既に制定されている。この中には、
全国初の議会基本条例と言われる栗山町議会基本条例の他、福島町議会基本条例、足
寄町議会総合条例
7)
などが含まれている。そこで、ここではまず、これら18条例
(2012年12月 1 日現在)の主要項目毎に条文の比較分析を行い、その構成や内容、規
定の仕方等の差異が各条例間に存在することを確認しながら、道内の議会基本条例の
全体を概観してみたいと思う。
2.2.1 市民参加に関する項目
表 2 は、道内の18の議会基本条例の市民参加に関する項目について、各根拠規定の
有無を整理したものである。
まず、「傍聴者への議案審議資料等の提供」については、10条例に根拠規定が置か
れていることが分かる。なお、規定の仕方としては、栗山町 8)のような「傍聴者の求
7)
8)
足寄町議会総合条例は、様々な議会関係規則を一本の条例に統合した条例であり、議会基
本条例という名称ではないが、表 2 などからも分かるように、他の議会基本条例と同様に、
議会運営のあり方や原則などに関する規定が数多く盛り込まれていることから、本稿では
議会基本条例として扱う。
2 条 4 項「議長は、別に定める栗山町議会傍聴規則(平成 2 年規則第 1 号)に定める町民の
傍聴に関し、傍聴者の求めに応じて議案の審議に用いる資料等を提供するなど、町民の傍
- 213 -
年報 公共政策学
Vol. 7
表2.
項目
市民参加
傍聴者 傍聴者
への
への 参考人・
自治体名 議案審議 発言の 公聴会の
資料等の 機会の
活用
提供
付与
陳情・請
請願者等の
願の位置
意見を聴く
付けの
機会の設定
明示
住民・NPO 等との
意見交換の場
4-3
4-4
4-4
4-2,4-5,10-2
7-3
5-5
4-3
17
4-3
7-4
7-4
5-6
7-5
一般会議、意見
交換の場
町民会議
一般会議(必要に
応じて)、意見
交換の場
意見交換の場
4-4
意見交換の場
4-4
4-4
5-3
5-4
5-4
栗山町
2-4
4-3
4-4
4-4
4-2,4-5,14-2
今金町
2-3
4-3
4-4
4-4
4-2,4-6,10-2
知内町
2-3
福島町
名寄市
三笠市
北海道
鹿追町
5-5
5-4
5-5
4-2
帯広市
和寒町
4-3
4-5
4-6
4-6
白糠町
2-4
4-3
4-4
4-4
豊浦町
2-3
4-4
4-4
4-3
4-4
4-4
5-3
5-4
5-4
9-(2)
9-(3)
9-(3)
6-3
6-4
6-4,1535,153-6
8-2
8-2
旭川市
北竜町
2-3
釧路市
登別市
足寄町
士別市
7-3
議会報告会の
開催
4-8
年1回以上
4-7
必要に応じ
開催
議会
モニター
の
設置
平日の
夜間、
土曜・
日曜日
の会議
開催
パブ
リッ
住民
クコ
投票
メン
ト
4-7,131,13-2
4-9 4-1,9-2
4-1,9-2
7-8
年1回以上
5-7,5-8 年1回以上
5
まちなか会議
意見交換の場、
5-5,12-3
懇談会
懇談会(必要に
4-4
4-4
応じて)
懇談会(状況に
4-6
応じて)
一般会議、
4-2,4-5,10-2
4-8
意見交換の場
12
意見交換の場
まちづくり懇談会,
4-2,12-2
4-6
一般会議
情報及び意見を
5-5
交換する場
市民との論議の場、
2-(2),3-(1)
意見交換会
意見交換の場、
6-5,14-3
7-1,7-2
出前講座
4-1,9-2
7-7
7-1,23-1
5-1,11-4
4-1,10-2
4,10
4-1,10-2
4-5
8-3,12-2
意見交換会,懇談会
説明
責任
9
5-1
年1回以上
4-1
4-1
年1回以上
4-1,9-2
年1回以上
4-1,9-2
5,10-1
5-1
9-(1)
年1回以上
年1回以上
6-7
2-(1),71
6-1
4-(3)
※各自治体の議会基本条例を基に筆者作成。例えば、2 - 4は、第 2 条第 4 項、9 -(2)は、第 9 条第二号を
意味する。主たる根拠規定部分を記載。以下、表 5 まで同じ。
めに応じて」提供するというものが多数を占めるが、和寒町の「支障のない範囲で提
供」など、慎重な言い回しも見られる。
次に、「傍聴者への発言の機会の付与」については、福島町と鹿追町のみに規定が
置かれている。福島町においては、議会基本条例の「傍聴者の意見を聴く機会を設け
る」という規定の他に、下記のような「福島町議会への参画を奨励する規則」(平成
21年 3 月12日。従前の傍聴規則を全部改正したもの。)を制定し、積極的な取り組み
を企図している。一方、鹿追町では、「必要に応じ傍聴者からの意見聴取を行い参考
とする」と、やや消極的な規定ぶりである。
聴の意欲を高める議会運営に努める。」
- 214 -
議会基本条例の分析と評価
福島町議会への参画を奨励する規則(抜粋)
(用語の規定)
第2条
「傍聴」(以下「参画」という。)とは、前条に規定する基本条例の理念・原則に
基づき、会議においてその議論等を一方的に聴くだけではなく、議長の許可を受けて討
議に参加することを言う。
(参画の奨励)
第3条
議会は、町民自治を基礎とする町民の代表機関であることから、町民参加の大事
な場としてとらえ、参画者を積極的に受け入れ、その意見等を聴く機会などを設けなけ
ればならない。
「参考人・公聴会の活用」については、表 2 のとおり、多数の条例に規定が置かれ
ているが、栗山町の「議会は、常任委員会、特別委員会等の運営に当たり、参考人制
度及び公聴会制度を十分に活用して、町民の専門的又は政策的識見等を議会の討議に
反映させるものとする。」と同様の規定が多い中、福島町及び足寄町では「町民や学
識経験者等の専門的・政策的識見等」と、「学識経験者等」が追加されている。一方、
名寄市では「参考人制度及び公聴会制度を活用して、市民の専門的又は政策的な識見
等を委員会の審査に反映させるよう努める。」、帯広市でも「参考人制度及び公聴会制
度を十分に活用し、市民の専門的又は政策的識見等を議会の討議に反映させるよう努
めるものとする。」9)、北海道の「公聴会の開催、参考人の招致等を積極的に活用する
よう努めるとともに」など、努力義務規定になっているものも見られる。更に、鹿追
町では「必要に応じ参考人制度及び公聴会制度を十分に活用し」と、必要性が強調さ
れている。なお、これらの規定の中には、必ずしも市民参加の視点に基づく活用ばか
りではなく、専門家登用の根拠として読み取れるものがある10)。
「陳情・請願の位置付けの明示」「請願者等の意見を聴く機会の設定」についても、
多くの条例に規定が置かれているが、栗山町の「議会は、請願及び陳情を町民による
政策提案と位置づけるとともに、その審議においては、これら提案者の意見を聴く機
会を設けなければならない。」11)の他、今金町の「必要に応じてこれら提案者の意見
を聴く機会を設けるものとする。」12)、名寄市の「議会は、提出された請願及び陳情
を審査するに当たって、所管する委員会において提出者による意見を聴く機会を設け
9) 和寒町、釧路市もほぼ同様。
10) 長野基(2012)「条文分析 2011年制定の議会基本条例に見る議会改革の動向」
『議会改革
白書2012年版』廣瀬克哉・自治体議会改革フォ-ラム編.183頁。
11) 福島町と足寄町は後段が「機会を設ける」、登別市は後段が「説明を聞く場を設けます」
、
白糠町、豊浦町、北竜町は栗山町とほぼ同じ。帯広市は「請願及び陳情の付託を受けた委
員会は、これを市民による政策提案と位置づけ、その審査においては、提案者の意見を聴
く機会を設けなければならない。」。
12) 知内町は後段が「機会を設けなければならない」、鹿追町は今金町とほぼ同じ。
- 215 -
年報 公共政策学
Vol. 7
ることを原則とする。」など、必要性要件や例外が認められるもの、また、和寒町の
「議会は、請願及び陳情等を町民による政策提案と位置付け、その審議並びに調査に
あたっては、提出者の意見を直接求めるよう努めます。」、釧路市の「議会は、市民に
よる請願及び陳情の提出を政策提案と位置付け、付託を受けた委員会において、提出
者の意見を聴く機会を設けるよう努めるものとする。
」
、士別市の「議会は、市民によ
る請願及び陳情を政策提案と位置付けるとともに、その審議においては、提出者の意
見を聴く機会を設けるよう努めなければならない。」のように、努力義務規定になっ
ているものがある。
次に、「住民・NPO 等との意見交換の場」「議会報告会の開催」についてであるが、
北海道を除く17条例において、何らかの「市民との対話の場」に関する規定が盛り込
まれていることが分かる。規定の仕方としては、表 2 のとおり、いわゆる「議会報告
会の開催」の根拠規定13)が明示的に置かれているもの、「一般会議」14)を設置すると
するもの、その他、意見交換会や懇談会、出前講座などを設けるものなどがある。
この他、栗山町では「町民から議会運営等に関する要望、提言その他の意見を聴取
し、議会運営に反映させる」ための「議会モニタ-の設置」と「住民投票」について、
福島町と足寄町では「平日の夜間、土曜・日曜日の会議開催」15)、また、登別市では
「パブリックコメント」16)に関する規定が置かれている。
2.2.2 討議、情報公開に関する項目
次に、討議の項目についてであるが、表 3 を見て頂きたい。
まず、「議員間討議(自由討議)」については、18条例すべてに根拠規定が置かれて
いる。この規定も、下記の栗山町のものが基本型17)になっている。
13) 例えば、栗山町では「議会は、前7項の規定に関する実効性を高める方策として、全議員
の出席のもとに町民に対する議会報告会を少なくとも年1回開催して、議会の説明責任を
果たすとともに、これらの事項に関して町民の意見を聴取して議会運営の改善を図るもの
とする。」(4 条 8 項)
14) 例えば、栗山町では「議会は、法律により活動が制限されている常任委員会、特別委員会
等の制約をこえて、町政の諸課題に柔軟に対処するため、町政全般にわたって、議員及び
町民が自由に情報及び意見を交換する一般会議を設置するものとする。」(14条 2 項)
15) 「議会は、多くの町民が参加できるよう、平日の夜間、土曜・日曜日に会議を開催するよ
う努める。」福島町、足寄町とも同じ。
16) 「市民と意見交換の場を定期的に設けるとともに、パブリックコメントを行います。」
17) 今金町、知内町、鹿追町、豊浦町、北竜町、足寄町は、ほぼ同じ。福島町もほぼ同様だが、
「少数意見を尊重しながら合意形成に努め」「議案提出を積極的に行う。」と規定している。
- 216 -
議会基本条例の分析と評価
表3.
項目
討議
情報公開
自治体名
議員間討議
(自由討議)
一問一答
反問権
本会議、常
任委員会、
特別委員会
の原則公開
栗山町
3-1,9-1~9-3
5-1
5-2
4-2
4-6
今金町
3-1,9-1~9-3
5-1
5-2
4-2
4-5
知内町
3-1,9-1~9-3
5-1
5-2
4-2
4-6
福島町
6-1,23-1,23-2
8-2
8-6
7-2
7-2
7-2
名寄市
3-(1),11-1~11-4
7-(1)
7-(2)
5-2
5-2
(「全ての会議」
に含まれるか?)
三笠市
3-(1),10-1,10-2
6
4-2
4-2
北海道
5-6
5-4
6-3(本会議
除く)
6-3
18
鹿追町
3-(3),10-1~
10-3,12
5-1~
5-3,15
帯広市
3-(3),11-1,11-2
和寒町
7-(1)
3-2
5-1
5-1
5-5
議会運営
委員会の
原則公開
6-(2)
4-2
4-2
7-(2)
5-2
5-2
4-2
全員協議会の
原則公開
正副議長志
議会評価、
願者の所信 議会広報
議員評価の
表明機会の の充実
実施
設定
重要議案に対す
20-1,
2-2
る各議員の態度
20-2
特に町民に対し
て説明が必要と
判断される事項
14
についての審議
状況及び各議員
の対応
重要議案に対す
13-1,
る各議員の態度
13-2
議案等に対する
17-1~
19-1,
議員個々の採決
18
17-4
19-2
態度
6-1,
6-2
重要議案に対す
14
る各議員の対応
個別議員の賛否公開
7-6
4-5
(「全ての会議」
に含まれるか?)
5-2
4-2
5-2
4-2(本会議
除く)
4-5
4-7
重要議案に対す
る各議員の態度
重要議案に対す
る各議員の態度
6
12-1~
12-3
9-1~
9-3
14-1,
14-2
11-1,
11-2
15-1,
15-2
白糠町
3-1
豊浦町
3-1,9-1~9-3
5
4-2
旭川市
4-1,4-2
13-1-(2)
10-2
北竜町
3-1,9-1~9-3
5-2
4-2
7-2
5-2
5-2
10-(2)
7-3
7-3
(「委員会等」に
含まれるか?)
7-4
議案に対する
議員の賛否
8
8-2,78
6-2
6-2
6-2
6-6
議案等に対する
議員個々の採決
態度
17
11-2
8-1
8-1
8-1
5-1
釧路市
3-(3),10-1,10-2
7-1
2-(4),4-(3),
登別市 13-1,13-2,14(議員 10-(1)
間協議の場)
8-1,
4-(4),5-(1),
足寄町
82-2,
13-1~13-3
89-10
士別市
5-(3),16-1,16-2
11-1
10-2
(「委員会等」に
含まれるか?)
4-5
重要議案に対す
る各議員の態度
5-6
10-1
栗山町議会基本条例(抜粋)
(議員の活動原則)
第3条
議員は、議会が言論の府であること及び合議制の機関であることを十分に認識
し、議員相互間の自由な討議の推進を重んじなければならない。
(自由討議による合意形成)
第9条
議会は、議員による討論の広場であることを十分に認識し、議長は、町長等に対
する本会議等への出席要請を必要最小限にとどめ、議員相互間の討議を中心に運営しな
ければならない。
- 217 -
年報 公共政策学
2
Vol. 7
議会は、本会議、常任委員会、特別委員会等において、議員提出議案、町長提出議案
及び町民提案等に関して審議し結論を出す場合、議員相互間の自由討議により議論を尽
くして合意形成に努めるとともに、町民に対する説明責任を十分に果たさなければなら
ない。
3
議員は、前2項による議員相互間の自由討議を拡大するため、政策、条例、意見等の
議案の提出を積極的に行うよう努めるものとする。
他にも、例えば、北海道の「議会は、会議案や意見案等の審議に際し、積極的な議
員相互の討議が行われるよう努めるものとする。」
、白糠町の「議員は、議会が言論の
府であること及び合議制の機関であることを十分に認識し、議員相互間の自由な討議
の推進を重んじなければならない。」などのように、比較的シンプルなもの、名寄市
のように「委員会の会議において、委員外議員が発言できる機会を保障するものとす
る」という規定があるもの、登別市のように「議員間の協議の場」18)を設置するもの
などもある。
「一問一答」方式については、本会議における質疑応答に対する一問一答方式を規
定するもの19)、本会議における大綱質問・一般質問に対する一問一答方式を規定する
もの20)、本会議における質疑・一般質問に対する一問一答方式を規定するもの21)、本
会議・委員会における一般質問・緊急質問・質疑応答に対する一問一答方式を規定す
るもの22)、その他23)と、条例間で対象が微妙に異なっている。
また、首長等の「反問権」についても、
「議員の質問」に反問できるとするもの24)、
「議員の質疑」に反問できるとするもの25)、「議員の質問、質疑」に反問できる(反問
を認めることができる)とするもの26)、その他27)と、条例間で対象が異なっている他、
18) 14条「議会は、議員個々の政策提案及び課題の提起を議会意思として確立するための協議
の場を設け、合意を得た事案を市長に提案します。」
19) 栗山町、知内町、名寄市、帯広市(但し、「一問一答方式等で行うことができる」)、白糠
町、北竜町。
20) 三笠市。
21) 和寒町、釧路市(但し、「一問一答の方式で行うことができる」)、足寄町。
22) 今金町。
23) 北海道は「議会は、質疑又は質問(以下「質疑等」という。)について、必要に応じ、一
問一答方式を実施するなど、論点を明確にし、道民に分かりやすくするよう努めるものと
する。」と規定。福島町は、議会のすべての会議における質疑応答について、回数・時間
などを制限しない一問一答方式で行うと規定。士別市は、議会の会議における質疑応答は、
一問一答方式で行うことができると規定。登別市は、一般質問の再質問を一問一答方式で
行うと規定。
24) 栗山町、知内町、福島町(「論点、争点の明確化等を図るため」)、名寄市、白糠町、北竜
町。
25) 鹿追町(「答弁に必要な範囲内で」)。
26) 今金町、北海道(「答弁に必要な範囲内において質疑等の趣旨を確認するため」)、帯広市
- 218 -
議会基本条例の分析と評価
「答弁に必要な範囲内で」や「論点、争点の明確化等を図るため」など、限定された
目的に限って認めるものが見られる。
次に、情報公開の項目についてであるが、同じく表3を見て頂きたい。
まず、「全員協議会の原則公開」については、明示的な規定が確認できるのは、福
島町、足寄町、士別市のみであった。
また、「個別議員の賛否公開」については、表3のとおり、公開対象を重要議案に限
定しているものと、限定していないもの28)がある。
「正副議長志願者の所信
「議会評価、議員評価の実施」については、福島町29)のみ、
表明機会の設定」については、栗山町と福島町にのみ、根拠規定が置かれている。
2.2.3 政策審議、議員の身分、待遇、政治倫理に関する項目
次に、政策審議の項目についてであるが、表 4 を見て頂きたい。
まず、
「通年議会」については、福島町のみが根拠規定を置いている。
「長による政策等の形成過程の説明」「予算・決算における政策説明資料の作成」に
ついては、下記の栗山町のものが基本型30)になっている。
栗山町議会基本条例(抜粋)
(町長による政策等の形成過程の説明)
第6条
町長は、議会に計画、政策、施策、事業等(以下「政策等」という。)を提案す
るときは、政策等の水準を高めるため、次に掲げる政策等の決定過程を説明するよう努
めなければならない。
(1)
政策等の発生源
(「答弁に必要な範囲内で」)、豊浦町(「本会議等の論点等を明らかにするため」)、旭川市。
27) 和寒町(「議員の質問及び提案に対して、論点・争点の明確化等を図るため」)、登別市
(「市長等及びその補助職員は、本会議又は委員会において、論点及び争点をわかりやすく
するため」)、釧路市(「議員の発言、議員提出議案等に関し」
)、足寄町(「議員の質問等に
対して」)、士別市(「議員の質問、政策提言及び議員提出議案等に関し」)。
28) 福島町は「各議員の選挙公報等における公約の実現性、議案等に対する議員個々の採決態
度を議会広報で公表」、登別市は「議案に対する議員の賛否及び議決内容について定期的
に公開」、足寄町は「議案等に対する議員個々の採決態度と議員の公務活動状況を、的確
に評価できる情報を議会広報等で公表」と規定。
29) 福島町は「議会の基礎的な資料・情報、議会・議員の評価等を 1 年毎に調製し、議会白書
として町民に公表する」(17条 1 項)としている。
30) 今金町、知内町、豊浦町、北竜町、足寄町はほぼ同じ。福島町は「町長は、議会に政策等
(計画、事業等)を提案するときは、内容をより明確にするため、次に掲げる形成過程の
資料を提出する」「執行後における政策評価に資する審議を行う」
「政策説明資料を提出す
る」というように、義務化している。更に「町長は、決算審査にあたつて執行方針・予算
等に基づいて行う行政評価・事務事業評価について、説明資料を付して提出する。」とい
う規定も置かれている。
- 219 -
年報 公共政策学
Vol. 7
(2)
検討した他の政策案等の内容
(3)
他の自治体の類似する政策との比較検討
(4)
総合計画における根拠又は位置づけ
(5)
関係ある法令及び条例等
(6)
政策等の実施にかかわる財源措置
(7)
将来にわたる政策等のコスト計算
2
議会は、前項の政策等の提案を審議するに当たっては、それらの政策等の水準を高め
る観点から、立案、執行における論点、争点を明らかにするとともに、執行後における
政策評価に資する審議に努めるものとする。
(予算・決算における政策説明資料の作成)
第7条
町長は、予算案及び決算を議会に提出し、議会の審議に付すに当たっては、前条
の規定に準じて、分かりやすい施策別又は事業別の政策説明資料を作成するよう努める
ものとする。
一方、名寄市31)は「議会は、市長が提案する計画、政策、施策、事業等(以下「政
策等」という。)について、政策等の水準を高めるため、市長に対して、次の各号に
掲げる事項の説明を求めるものとする。
」
「議会は、市長が予算案及び決算を議会に提
出し、審査に付するに当たっては、前条の規定に準じて、市長に対し施策別又は事業
別の分かりやすい政策説明資料の作成及び提出を求めるものとする。」と、主語が議
会になっており、首長の作為(努力)義務を規定することを避ける配慮が見られる32)。
更に「議会は、予算編成の基本となる総合計画の進行管理について報告を求めるもの
とする。」という規定も置かれている。
次に、鹿追町では「反問権」とは別に、
「政策提案に対する反論」33に関する根拠規
定を置いている。
また、「文書質問」34)については、表 4 のとおり、5 条例に、「会派」35)については、
7 条例に規定が置かれている。
31) 三笠市、鹿追町、帯広市、和寒町、釧路市、登別市、士別市も、議会が主語となっている。
32) 廣瀬克哉(2010)「議会基本条例の諸論点」『議会改革白書2010年版』廣瀬克哉・自治体議
会改革フォ-ラム編.81頁。
33) 7 条「議会では、町長及びその他の執行機関の長若しくは議会等が行う提案において、町
政の重要課題に係る事項で理解困難及び根拠不明な場合は、町長等及び議員は、議長又は
委員長の許可を得て、信義と緊張関係を踏まえて「反論」することができる。」
34) 例えば、福島町では「議員は、通年議会の制度を活用し、休会中においても主体的・機動
的な議員活動に資するため、議長を経由して町長等に対し文書質問をすることができ
る。」(12条 1 項)と規定されている。
35) 例えば、名寄市では「会派は、政策を中心とした同一の理念を共有する議員で構成し、活
動する。
」(4 条 2 項)、北海道では「会派は、議会内の議員団体として政策立案等を行うほ
か、所属する議員の活動を支援するものとする。」(15条 2 項)などと規定されている。
- 220 -
議会基本条例の分析と評価
表4.
項目
政策審議
予算・決
長による
算におけ 政策提案
政策等の
自治体名 通年議会
る政策説 に対する 文書質問
形成過程
明資料の
反論
の説明
作成
6-1,6-2
7
今金町
6-1,6-2
7
知内町
6-1,6-2
7
9-1,9-2
10-1,
10-2
12-1,
12-2
名寄市
8-1,8-2
9-1,9-2
7-(3)
三笠市
7-1,7-2
8
3-1,3-2
鹿追町
8
帯広市
8-1,8-2
和寒町
6-1,6-2
4-1~4-4
7-1,7-2
政務調査 議案提
議決事件
費(政務 出・政策
議員定数 議員報酬 政治倫理
の追加
活動費) 立案等
16-1,
16-2
12-1~
12-5
13
11-1~
11-3
13-1,
13-2
釧路市
8-1,8-2
7
4-1~4-3
11-1
10-(3)
足寄町
9-1,9-2
10
士別市
13
14
8
9-3
8
23-2
11
10
9
22
6
7-1,7-2
9-1,9-2
11(視察
研修費)
11-1,
11-2
15
10-3
9-1,9-2
2-(2)
9-1,9-2
9-3
8
14
6
9-3
8
6
4-(4),
13-3
12-1,
12-2
11-1,
11-2
5-(3)
15
3-(5)
21-1~
21-3
15-1~
15-3
14-1~
14-3
14-1,143,14-4
17-1~
17-4
15-1~
15-3
22-1~
22-3
15-1~
15-3
14-1~
14-3
14-1~
14-4
18-1~
18-3
16
23
16
15
4-1,4-2
19-1~
19-4
17
14(資産等
の公開)
24
6-2
8-1~8-3
6-1,6-2
9-3
8
7
旭川市
北竜町
8
5-3
5-3
6-1,6-2
9-3
11
7
白糠町
登別市
4-1~4-3
15-1~
15-4
北海道
豊浦町
会派
10-1~
10-2
栗山町
福島町
議員の身分、待遇、政治倫理
18-1~
18-5
18-1~
18-3
13-1,
13-2
10-1,
10-2
15-1~
15-3
19-1~
19-4
19-1,
19-2
13-1,
13-3
11-1,
11-2
16-1~
16-3
16-1~
16-3
16-1,
16-2
20-1,
20-2
20-1~
20-3
19-1~
19-4
17-1~
17-3
17-1,
17-2
20-1,
20-2
21-1,
21-2
20-1~
20-3
17
17
14
12-1,12-2
17
18
15
19
18
6
「議案提出・政策立案等」については、前述の「議員間討議(自由討議)」のところ
でも出てきたが、栗山町の「議員は、前 2 項による議員相互間の自由討議を拡大する
ため、政策、条例、意見等の議案の提出を積極的に行うよう努めるものとする。」36)
(9 条 3 項)というような規定が代表例である。が、例えば、北海道の「議会は、議
員提案による条例の制定、決議等を通じて、政策立案等を積極的に行うものとする。」、
白糠町の「常任委員会、特別委員会は議会の議決すべき事件のうち、委員会等が所管
する事務について、学識経験を有する者等の専門的知見の活用等により、議会に対し
積極的に議案を提出するものとする。
」、旭川市の「議会は,政策の水準の向上を図る
36) 今金町、知内町、福島町(「議案提出を積極的に行う。
」)、鹿追町、豊浦町、北竜町、足寄
町は、ほぼ同じ。
- 221 -
年報 公共政策学
Vol. 7
ため,条例の提案,議案の修正,決議等により政策提案を行うとともに,市長等に対
し,積極的に政策提言を行うものとする。」、釧路市の「議会は、市長等と常に緊張あ
る関係を保持し、事務の執行の監視及び評価を行うとともに、政策立案、政策提言等
により市政の発展に取り組むものとする。」などのように、自由討議の規定とは別に、
独立した積極的な規定を設けているものも多い。
次に、議員の身分、待遇、政治倫理の項目についてであるが、表 4 のとおり、議員
定数、議員報酬、政治倫理に関して、多くの条例に何らかの根拠規定が置かれている。
このうち、議員定数と議員報酬については、「別に条例で定める」と、いわゆる「○
○○議会議員の定数を定める条例」や「○○○議会議員の議員報酬及び費用弁償等に
関する条例」といった別条例にその詳細を委ねる形式が基本だが、定数や報酬の見直
しの際の指針となる考え方37)などが併せて規定されている。また、福島町では、報酬
を「歳費」と位置づけ、鹿追町では、定数・報酬の決定に当たり、「鹿追町議会議員
定数・報酬及びあり方等審議会」に議長が諮問し、参考とするとしている。
2.2.4 補佐機構、研修、評価・見直し、最高規範等に関する項目
次に、補佐機構の項目についてであるが、表 5 を見て頂きたい。
まず、「付属・調査機関の設置」については、栗山町38)と福島町39)のみに根拠規定
が置かれている。
また、「専門的知見の活用」については、明示的には、白糠町40)と釧路市の条例に
規定が確認できる。
「議会サポ-タ-」の設置については、栗山町41)と登別市のみに規定が置かれてい
る。一方、「議会事務局機能の拡充」に関しては、三笠市を除くすべての条例に、何
37) 例えば、栗山町では、議員定数に関して「議員定数の改正に当たっては、行財政改革の視
点だけでなく、町政の現状と課題、将来の予測と展望を十分に考慮するとともに、議員活
動の評価等に関して町民の意見を聴取するため、参考人制度及び公聴会制度を十分に活用
するものとする。」(21条 2 項)と規定されている。
38) (調査機関の設置)
第15条 議会は、町政の課題に関する調査のための必要があると認めるときは、議決によ
り、学識経験を有する者等で構成する調査機関を設置することができる。
2 議会は、必要があると認めるときは、前項の調査機関に議員を構成員として加えるこ
とができる。
39) 福島町の場合は、附属機関。
40) 「常任委員会、特別委員会は議会の議決すべき事件のうち、委員会等が所管する事務につ
いて、学識経験を有する者等の専門的知見の活用等により、議会に対し積極的に議案を提
出するものとする。」(6 条 2 項)
41) (議会サポーターの協力)
第16条 議会及び議会事務局は、広く英知を結集して活動をするため、町内外から自主的
な協力者(以下「議会サポーター」という。)を募り、その協力を得ることができる。
2 議会サポーターの氏名は公開し、その協力活動は原則として無償とする。
- 222 -
議会基本条例の分析と評価
- 223 -
年報 公共政策学
Vol. 7
らかの規定が置かれている。この場合も、下記のような栗山町の規定が基本型42)にな
っている。
栗山町議会基本条例(抜粋)
(議会事務局の体制整備)
第18条
議会は、議会及び議員の政策形成・立案機能を高めるため、議会事務局の調査・
法務機能を積極的に強化する。なお、当分の間は、執行機関の法務機能の活用、職員の
併任等を考慮するものとする。
次に、評価・見直しの項目についてであるが、まず「議会改革推進組織」について
は、根拠規定を置いているものとして、栗山町43)、名寄市、北海道、登別市、士別市
が挙げられる。なお、栗山町の場合、特に「議会改革推進会議」を設けるとしている
が、名寄市、登別市、士別市は、議会運営委員会や特別委員会がその任に当たるとし
ている。
次に、「基本条例評価・見直し」については、表 5 のとおり、全ての条例に規定が
置かれている(但し、旭川市は「議会運営の評価・検証」。)が、評価・見直しの時期
については、規定の仕方に差異が見られる。なお、各条例のこれまでの改正回数や主
な改正内容については、表 5 に記載のとおりである。
最後に、最高規範の項目についてであるが、「最高規範性」については、北海道44)
を除く全ての条例に根拠規定が置かれているが、栗山町45)のように議会基本条例を
「議会運営」における最高規範と位置づけるものと、福島町46)のように「議会」の最
高規範と位置づけるものがある。
42) 知内町、福島町、豊浦町、北竜町はほぼ同じ。
「当分の間」以下の規定がないものとして、
今金町、鹿追町、帯広市、白糠町、旭川市。また、充実強化が議長の努力義務になってい
るものとして、名寄市、北海道、和寒町、釧路市、士別市。議長の義務になっているもの
として、登別市、足寄町。
43) (議会改革推進会議)
第11条 議会は、議会改革に継続的に取り組むため、議員で構成する議会改革推進会議を
設置する。
2 議会は、必要があると認めるときは、前項の議会改革推進会議に学識経験を有する者
等を構成員として加えることができる。
44) 但し、北海道の条例には、次の条項が置かれている。
(他の条例との関係)
第26条 この条例は、議会の運営に関する基本的事項を定める条例であり、議会における
他の条例、規則等を制定し、又は改廃する場合においては、この条例との整合性を確保す
るものとする。
45) 今金町、知内町、名寄市、三笠市、和寒町(議会運営と活動)
、白糠町、豊浦町、北竜町、
足寄町は同じ。
46) 鹿追町、帯広市、旭川市、釧路市、登別市、士別市は同じ。
- 224 -
議会基本条例の分析と評価
2.3 北海道における議会基本条例の運用実態
以上、道内の18の議会基本条例の構成や内容、規定の仕方等の確認を通じて、その
概要を見てきたが、次に、これらの条例の幾つかの主要項目について、実態調査(調
査 A・調査 B)の結果(実績)と突き合わせる(もちろん、デ-タのあるものに限ら
れるが)ことにより、その運用実態の一端、すなわち、条例に規定されている事項が
実際に実行されているかどうかについて、検証してみたいと思う。併せて、参考まで
に、各項目についての全国及び道内の取組状況についても、調査 A の結果を基に説
明を加えることとしたい。
なお、表 5 の履歴に記載のとおり、士別市については、条例の施行(平成24年
(2012年)4 月 1 日)が、これらの実態調査の対象期間の後であるため、突合表には
記載するが、あくまでも参考デ-タである。また、施行が平成23年(2011年)以降の
条例については、実態調査の対象期間の途中に施行されたものもある。更に、表 5 に
記載のとおり、条例の中には、制定後改正されているものが幾つかあるが、今回突き
合わせる項目については、実態調査の対象期間の途中又は後に施行された改正箇所に
該当するものは基本的にはない(登別市の場合も、市長の反問権は制定当初から規定
されている。
)ことを申し添える。
2.3.1 市民参加に関する項目
表 6 は、市民参加に関する主な項目について、議会基本条例の根拠規定の条項とそ
れに対応する実態調査結果(実績)を対比し、整理したものである。
まず、「傍聴者への発言機会の付与」については、前述のとおり、福島町と鹿追町
の条例に根拠規定が置かれているが、調査 A によると、発言を希望する者がいなか
ったことから、両町の実績はゼロである。なお、表 7 のとおり、調査 A 全体でも、
全国でわずかに29議会(回答1~4に該当)、うち道内では、4 議会のみ(中川町、遠
別町、音更町、上士幌町)が何らかの形で発言を認めている。「議場への市民参加」
は、緒に就いたばかりと言えよう。
次に、「参考人・公聴会の活用」については、前述のとおり、多数の条例に規定が
置かれているが、実績があるのは、調査 A では北海道と帯広市(いずれも参考人招
致)、調査 B では名寄市と北海道(いずれも参考人招致)のみである。また、表 8 の
とおり、調査 A 全体でも、公聴会開催は全国でわずか 6 議会、うち道内はゼロ、一
方、参考人招致は全国で219議会、うち道内では、北海道議会を含め 9 議会のみとい
う結果である。
「請願者等の意見を聴く機会の設定」についても、前述のとおり、多くの条例に規
定が置かれているが、実績があるのは、調査 A では栗山町、帯広市、旭川市(条例
に規定なし)、釧路市、足寄町、調査 B では栗山町、名寄市、帯広市、旭川市(条例
に規定なし)、釧路市のみである。また、表 9 のとおり、調査 A 全体でも、全国で
- 225 -
年報 公共政策学
Vol. 7
表6.
項目
市民参加
傍聴者へ
自治体 の発言の
名
機会の
付与
実績
(調査 A)
表 7 参照
栗山町
×(5)
4-3
×(1)
×
4-4
○(4)
○
今金町
×(5)
4-3
×(1)
×
4-4
×(1)
×
知内町
請願者等
参考人・
実績
実績
の意見を
公聴会の (調査 A) (調査 B)
聴く機会
活用
表 8 参照
注1
の設定
実績
実績
(調査 A) (調査 B)
表 9 参照
注2
×(5)
4-3
×(1)
×
4-4
×(5)
×
×(6)
7-3
×(1)
×
7-4
×(5)
×
名寄市
×(5)
5-5
×(1)
○
5-6
×(5)
○
三笠市
北海道
鹿追町
×(5)
×(5)
×(6)
4-3
17
4-3
×(1)
○(3)
×(1)
×
○
×
4-4
×(5)
×(2)
×(3)
×
×
×
帯広市
×(5)
5-3
○(3)
×
5-4
○(4)
○
和寒町
×(6)
4-5
×(1)
×
4-6
×(5)
×
白糠町
×(5)
4-3
×(1)
×
4-4
×(5)
×
豊浦町
×(6)
×(1)
×
4-4
×(5)
×
旭川市
×(5)
×(1)
×
○(4)
○
北竜町
デ-タなし
4-3
デ-タなし
×
4-4
デ-タなし
×
釧路市
×(5)
5-3
×(1)
×
5-4
○(4)
○
登別市
×(5)
9-(2)
×(1)
×
9-(3)
×(5)
×
足寄町
×(5)
6-3
×(1)
×
6-4,153○(4)
5,153-6
×
士別市
×(6)
×(1)
×
福島町
5-5
4-2
8-2
×(5)
×
住民・NPO 等との
意見交換の場
4-2,45,14-2
4-2,46,10-2
4-2,45,10-2
7-5
4-4
一般会議、
意見交換の場
議会報告会の開催
4-8
年 1 回以上
町民会議
一般会議(必要に応
じて)、意見交換の場
意見交換の場
意見交換の場
実績/回数
(調査A)
表10参照
3
4
4-7
7-8
5-7,
5-8
5
必要に応じ
開催
年 1 回以上
年 1 回以上
2
4
1
4-5
2
16
9
5-5,12-3
11
まちなか会議
意見交換の場、
懇談会
懇談会
4-4
(必要に応じて)
懇談会
4-6
(状況に応じて)
4-2,4一般会議、
5,10-2
意見交換の場
12
意見交換の場
まちづくり懇談会,
4-2,12-2
一般会議
情報及び意見を
5-5
交換する場
2-(2), 市民との論議の場、
3-(1)
意見交換会
意見交換の場、
6-5,14-3
出前講座
意見交換会、
8-3,12-2
懇談会
4-4
年 1 回以上
1
0
4-8
年 1 回以上
4
1
4-6
年 1 回以上
デ-タなし
5
8
7-1,
7-2
年 1 回以上
1
9
年 1 回以上
10
※各自治体の議会基本条例を基に筆者作成。例えば、2 - 4は、第 2 条第 4 項、9 -(2)は、第 9 条第二号を
意味する。主たる根拠規定部分を記載。実績(調査 A)は、自治体議会改革フォ-ラムの「全国自治体
議会の運営に関する実態調査2012」デ-タを、実績(調査 B)は、NPO 法人公共政策研究所の「2012北
海道内自治体議会を活性化するための環境整備に関する調査」デ-タを使用。表○○は、本稿に掲載の
該当する表を指す。また、調査 A の○×の横の( )内は、各表中の回答番号を指す。以下、表11、
14、18まで同じ。
※注1 (問)H23.4(2011.4)~24.3(2012.3)の期間、公聴会の開催や、参考人招致を行いましたか。
→有○
※注2 (問)H23.4(2011.4)~24.3(2012.3)の期間、請願又は陳情提出者による本会議又は委員会での
直接説明の実績についてお答えください。→有○
345議会(回答 4 に該当)
、うち道内は、札幌市議会を含め19議会に止まっている。
最後に「住民・NPO 等との意見交換の場」「議会報告会の開催」についてであるが、
これも前述のとおり、北海道を除く17条例に何らかの「市民との対話の場」に関する
規定が置かれているが、表 6 を見ると、白糠町とデ-タのない北竜町を除き、回数に
差はあるものの、各議会において少なくとも 1 回以上の開催実績があったことが分か
る。なお、表10のとおり、調査 A 全体では、全国で457議会、うち道内は、北海道議
会を含む53議会が、何らかの「市民との対話の場」を設けているが、逆に、全国及び
道内を通じて、約 3 分の 2 の議会はここで言う「市民との対話の場」を全く設けてい
- 226 -
議会基本条例の分析と評価
ないことが分かる。
表7.
Q【傍聴者・希望者の発言】
2011 年1月1日~12 月 31 日の間、本会議または委員会で、陳情・請願の説明以外に、会議傍
聴者または希望する市民が発言する機会はありましたか?(1つお選びください)
全体
全体
1496 100.0%
都道府県
47 100.0%
政令市
特別区
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
無回答(またはその他)
6 0.4%
0 0.0%
0 0.0%
1.条例・要綱等の明文化され
た規定に基づく「演説(発言)
1 0.1%
0 0.0%
0 0.0%
制度」により、発言を認め、議
事録に記録した
2.条例・要綱等の明文化され
た規定に基づく「演説(発言)
1 0.1%
0 0.0%
1 5.3%
制度」により、発言を認めた
が、議事録には記録していない
3.議長または委員長の裁量
(申し合わせ事項である場合を
含む)により発言を認め、議事
9 0.6%
0 0.0%
0 0.0%
録に記録した(意図的に休憩を
とっての傍聴者発言を含む)
4.議長または委員長の裁量
(申し合わせ事項である場合を
含む)により発言を認めたが、
18 1.2%
0 0.0%
0 0.0%
議事録には記録していない(意
図的に休憩をとっての傍聴者発
言を含む)
5.陳情・請願の説明以外で
は、いかなる場合においても会
議傍聴者または希望する市民が 1002 67.0% 37(1) 78.7% 15(1) 78.9%
発言することを認めていないの
で、発言する機会はなかった
6.発言を希望する市民・会議
傍聴者がいなかったので、発言 459 30.7%
10 21.3%
3 15.8%
する機会はなかった
1
4.3%
5
0.4%
0
0.0%
5
0.7% 0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
1
0.1%
0
0.0%
1
0.1% 0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
0
0.0% 0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
0
0.0%
9
0.6%
2
1.3%
3
0.4% 0
0.0%
6
0.9%
2
1.7%
0
0.0%
18
1.3%
2
1.3% 10
1.3% 0
0.0%
8
1.2%
2
1.7%
18 78.3% 932 66.2% 90 60.4% 519 69.1% 25 75.8% 413 63.0% 65 56.0%
4 17.4% 442 31.4% 55 36.9% 213 28.4% 8 24.2% 229 34.9% 47 40.5%
表8.
Q【公聴会・参考人】
2011 年1月1日~12 月 31 日の間で、公聴会の開催や、参考人招致を行いましたか?
(複数回答:
「1」または、該当するものをすべてお選びください)
全体
都道府県
市町村
市町村
市
市
町村
町村
(全国) (北海道内) (全国) (北海道内) (全国) (北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0 0.0% 0 0.0%
1 0.1% 0 0.0% 1 0.1% 0 0.0% 0 0.0% 0 0.0%
政令市
特別区
全体
1496 100.0%
47 100.0%
無回答(またはその他)
1 0.1%
0 0.0%
1.2011年1月1日~12月31日
の間で、公聴会の開催や参考人 1272 85.0%
15 31.9% 13(1) 68.4% 19 82.6% 1225 87.1% 141 94.6% 622 82.8% 30 90.9% 603 91.9% 111 95.7%
招致は行わなかった
2.公聴会を開催した
6 0.4%
0 0.0%
0 0.0% 0 0.0%
6 0.4% 0 0.0% 4 0.5% 0 0.0% 2 0.3% 0 0.0%
3.参考人招致を行った
219 14.6% 32(1) 68.1%
6 31.6% 4 17.4% 177 12.6% 8 5.4% 126 16.8% 3 9.1% 51 7.8% 5 4.3%
- 227 -
年報 公共政策学
Vol. 7
表9.
Q【請願陳情における市民の提案説明】市民が説明する機会
2011 年1月1日~12 月 31 日の間で、請願または陳情の審査を行なう際に、(紹介議員ではな
く)提出者として市民が会議で直接説明する(趣旨や意見を聴く)機会はありましたか?
(1つお選びください)
1496 100.0%
1 0.1%
47 100.0%
0 0.0%
市町村
市町村
市
市
町村
町村
(全国) (北海道内) (全国) (北海道内) (全国) (北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0 0.0% 0 0.0%
1 0.1% 0 0.0% 1 0.1% 0 0.0% 0 0.0% 0 0.0%
698 46.7%
20 42.6%
7 36.8% 11 47.8% 660 46.9% 61 40.9% 324 43.1% 4 12.1% 336 51.2% 57 49.1%
全体
全体
無回答(またはその他)
1.請願または陳情の審査を行な
う際に、提出者として市民が直接
説明することを想定していないの
で、市民が会議で直接説明する
(趣旨や意見を聴く)機会はなか
った
2.請願または陳情の提出者が希
望しなかったので、市民が会議で
直接説明する機会はなかった
3.議会(委員会)の判断とし
て、市民が会議で直接説明する
(趣旨や意見を聴く)機会は設け
なかった
4.請願または陳情の提出者とし
て市民が会議で直接説明する(趣
旨や意見を聴く)機会があった
5.請願または陳情(もしくは、
審査するとした陳情)の提出はな
かった。
119
都道府県
8.0% 4(1)
8.5%
政令市
0
特別区
0.0% 1
4.3% 114
8.1% 11
7.4% 60
8.0% 2
6.1% 54
8.2%
257 17.2%
13 27.7%
345 23.1%
10 21.3% 10(1) 52.6% 8 34.8% 317 22.5% 18 12.1% 211 28.1% 11 33.3% 106 16.2%
76
5.1%
0
0.0%
9
7.8%
2 10.5% 3 13.0% 239 17.0% 19 12.8% 132 17.6% 5 15.2% 107 16.3% 14 12.1%
0
0.0% 0
0.0%
76
5.4% 40 26.8% 23
3.1% 11 33.3% 53
7
6.0%
8.1% 29 25.0%
表10.
Q【市民との対話の場】
2011 年1月1日~12 月 31 日の間に、議員個人・会派主催ではなく、議会や委員会主催の意見
交換会、懇談会、議会報告会等、議会として市民と直接対話する機会は、何回ありましたか?
全体
全体
無回答(またはその他)
「=0」
「>0」
1496 100.0%
6
0.4%
1033 69.1%
都道府県
47 100.0%
0
0.0%
政令市
特別区
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0
0.0% 1
4.3%
5
0.4%
1
0.7%
2
0.3% 0
0.0%
3
0.5%
1
0.9%
32 68.1% 17(1) 89.5% 18 78.3% 966 68.7% 96 64.4% 511 68.0% 17 51.5% 455 69.4% 79 68.1%
457 30.5% 15(1) 31.9%
2 10.5% 4 17.4% 436 31.0% 52 34.9% 238 31.7% 16 48.5% 198 30.2% 36 31.0%
2.3.2 討議、情報公開に関する項目
表11は、討議、情報公開に関する主な項目について、議会基本条例の根拠規定の条
項とそれに対応する実態調査結果(実績)を対比し、整理したものである。
まず、「議員間討議(自由討議)」については、前述のとおり、18条例すべてに根拠
規定が置かれているが、調査 A によると、実績があるのは、栗山町、知内町、福島
町、名寄市、和寒町のみである。また、表12のとおり、調査 A 全体でも、何らかの
形で議員間討議(自由討議)が行われたのは、全国で241議会(回答2~6に該当)、う
ち道内は、21議会のみという結果であった。
「反問権」についても、表11のとおりであるが、調査 B によると、実績があるのは、
名寄市、豊浦町、登別市のみである。
- 228 -
議会基本条例の分析と評価
表11.
項目
自治体
名
議員間討議
(自由討議)
討議
実績 (調査 A)
表12参照
栗山町
3-1,9-1~9-3
今金町
情報公開
反問権
実績(調査 B)
注1
○(5)
5-2
×
4-6
3-1,9-1~9-3
×(1)
5-2
×
4-5
知内町
3-1,9-1~9-3
○(5)
5-2
デ-タなし
福島町
6-1,23-1,23-2
○(2)
8-6
×
名寄市
3-(1),11-1~11-4
○(5)
7-(2)
○
三笠市
3-(1),10-1,10-2
×(1)
北海道
5-6
×(1)
5-5
×
×(1)
鹿追町
3-(3),10-1~10-3,12
×(1)
6-(2)
×
○(3)
帯広市
3-(3),11-1,11-2
×(1)
7-(2)
×
×(1)
和寒町
3-2
○(5)
5-2
×
白糠町
3-1
×(1)
5-2
×
4-5
重要議案に対する各議員の態度
×(1)
豊浦町
3-1,9-1~9-3
×(1)
5
○
4-7
重要議案に対する各議員の態度
×(1)
旭川市
4-1,4-2
×(1)
13-1(2)
×
北竜町
3-1,9-1~9-3
デ-タなし
5-2
×
4-5
重要議案に対する各議員の態度
デ-タなし
釧路市
3-(3),10-1, 10-2
×(1)
7-2
×
登別市
2-(4),4-(3),13-1,132,14(議員間協議の場)
×(1)
10-(2)
○
7-4
議案に対する議員の賛否
○(2)
足寄町 4-(4),5-(1), 13-1~13-3
×(1)
8-2,78
×
6-6
議案等に対する議員個々の採決態度
○(2)
士別市
×(1)
11-2
×
※注1
5-(3),16-1, 16-2
デ-タなし
個別議員の賛否公開
実績(調査 A)
表13参照
重要議案に対する各議員の態度
特に町民に対して説明が必要と
判断される事項についての審議状況
及び各議員の対応
○(2)
4-6
重要議案に対する各議員の態度
○(3)
7-6
議案等に対する議員個々の採決態度
○(2)
4-5
重要議案に対する各議員の対応
○(2)
×(1)
○(3)
×(1)
×(1)
○(4)
×(1)
(問)H23.4(2011.4)~24.3(2012.3)の期間の反問の実績についてお答えください。→有○
表12.
Q【議員間討議の実施状況】
2011 年1月1日~12 月 31 日の間に、本会議または委員会で、首長提出議案の審査を行う際
に、議員間で議論を尽くして合意形成に努めるための「議員間の討議(自由討議)」を行いま
したか?(複数回答:「1」または、該当するものをすべてお選びください)
全体
都道府県
市町村
市町村
市
市
町村
町村
(全国) (北海道内) (全国) (北海道内) (全国) (北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0 0.0% 0 0.0%
2 0.1% 0 0.0% 2 0.3% 0 0.0% 0 0.0% 0 0.0%
政令市
特別区
全体
1496 100.0%
47 100.0%
無回答(またはその他)
2 0.1%
0 0.0%
1.首長提出議案の審査を行う
際に、「議員間の討議」は行わ 1274 85.2% 40(1) 85.1% 17(1) 89.5% 23 100.0% 1194 84.9% 128 85.9% 643 85.6% 26 78.8% 551 84.0% 102 87.9%
れなかった
2.「質疑」の時間帯に、議事
73 4.9%
0 0.0%
0 0.0% 0 0.0% 73 5.2% 9 6.0% 30 4.0% 3 9.1% 43 6.6% 6 5.2%
をとめて(暫時休憩等)行った
3.「質疑」の時間帯に、議事
41 2.7%
3 6.4%
1 5.3% 0 0.0% 37 2.6% 2 1.3% 12 1.6% 0 0.0% 25 3.8% 2 1.7%
をとめずに行った
4.「質疑」の時間とは区別し
て、議長の判断または議員の動
議 等 に より 、 議事 を とめて、 33 2.2%
0 0.0%
0 0.0% 0 0.0% 33 2.3% 2 1.3% 20 2.7% 1 3.0% 13 2.0% 1 0.9%
「議員間の討議(自由討議)」の
場を設定して行った
5.「質疑」の時間とは区別し
て、議長の判断または議員の動
議等により、議事をとめずに、 52 3.5%
2 4.3%
0 0.0% 0 0.0% 50 3.6% 6 4.0% 40 5.3% 3 9.1% 10 1.5% 3 2.6%
議員間の自由討議の場を設定し
て行った
6.「討論」の時間帯に、議員同
士で賛否をめぐって相互に質
42 2.8%
3 6.4%
1 5.3% 0 0.0% 38 2.7% 2 1.3% 14 1.9% 0 0.0% 24 3.7% 2 1.7%
問、反論する事実上の「議員間
の討議(自由討議)」を行った。
- 229 -
年報 公共政策学
Vol. 7
表13.
Q【議案に対する賛否の公開】
起立または挙手による表決を行った議案に対する賛否(各議員または会派の対応、採決態度)
を議会報や議会のホームページで公開していますか?(1つお選びください)
全体
全体
無回答(またはその他)
1.議案に対する賛否(各議員ま
たは会派単位の対応、採決態度)
は公開していない
2.すべての議案について、各議
員個別の賛否(対応、採決態度)
を公開している
3.重要議案についてのみ、各議
員個別の賛否(対応、採決態度)
を公開している
4.すべての議案について、会派
単位の賛否(対応、採決態度)を
公開している
5.重要議案についてのみ、会派
単位の賛否(対応、採決態度)を
公開している
1496 100.0%
0 0.0%
都道府県
47 100.0%
0 0.0%
972 65.0% 27(1) 57.4%
340 22.7%
市町村
市町村
市
市
町村
町村
(全国) (北海道内) (全国) (北海道内) (全国) (北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0 0.0% 0 0.0%
0 0.0% 0 0.0% 0 0.0% 0 0.0% 0 0.0% 0 0.0%
政令市
特別区
6 31.6% 0
11 23.4% 2(1) 10.5% 2
63
4.2%
0
0.0%
114
7.6%
8 17.0%
7
0.5%
1
2.1%
0.0% 939 66.7% 123 82.6% 455 60.6% 23 69.7% 484 73.8% 100 86.2%
8.7% 325 23.1% 14
9.4% 195 26.0% 3
9.1% 130 19.8% 11
9.5%
0.0%
63
4.5%
7
4.7% 26
3.5% 2
6.1% 37
10 52.6% 21 91.3%
75
5.3%
5
3.4% 71
9.5% 5 15.2%
5
0.4%
0
0.0%
0.5% 0
0
1
0.0% 0
5.3% 0
0.0%
4
0.0%
5.6%
5
4.3%
4
0.6%
0
0.0%
1
0.2%
0
0.0%
一方、「個別議員の賛否公開」については、調査 A によると、条例に規定が置かれ
ている議会の内、実績がないのは、デ-タのない北竜町を除くと白糠町と豊浦町のみ
となっている。なお、表13のとおり、調査 A 全体では、何らかの形で議案に対する
賛否の公開が行われているのは、全国で524議会(回答2~5に該当)、うち道内は、札
幌市議会を含む27議会のみという結果である。全国と比べても、道内の実績は芳しく
ない。
2.3.3 政策審議に関する項目
前述のとおり、政策審議に資するため、議会基本条例には「長による政策等の形成
過程の説明」「予算・決算における政策説明資料の作成」「会派」「政務調査費(政務
活動費)」
「議案提出・政策立案等」などの規定が置かれているが、それらに対する一
つの成果指標として、首長側提出議案(直接請求は除く)に対する「否決議案の有
無」「議案修正案提出の有無」「可決修正案の有無」、また「議員等提案の政策的条例
案の有無」「議員等提案の政策的条例案の可決の有無」について、議会基本条例の根
拠規定の条項とそれに対応する実態調査結果(実績)を対比し、整理したものが表14
である。
結論から述べると、表14のとおり、これらの実績のある議会はごく少数に止まって
いることが分かる。調査 A と調査 B を合わせても、デ-タのない議会を除いて実績
があるのは、
「否決議案の有無」については、釧路市のみ、「議案修正案提出の有無」
については、知内町、名寄市、帯広市、旭川市のみ、「可決修正案の有無」について
は、名寄市、旭川市のみ、また、「議員等提案の政策的条例案の有無」については、
- 230 -
議会基本条例の分析と評価
表14.
項目
長による政
自治体
策等の形成
名
過程の説明
予算・決算
における政
策説明資料
の作成
会派数
会派
(調査 B)
注1
栗山町
6-1,6-2
7
0
今金町
知内町
6-1,6-2
6-1,6-2
7
7
0
0
福島町
9-1,9-2
10-1,10-2
0
名寄市
8-1,8-2
9-1,9-2
三笠市
7-1,7-2
8
4-1~4-3
15-1~
15-4
北海道
鹿追町
8
帯広市
8-1,8-2
和寒町
白糠町
豊浦町
6-1,6-2
6-1,6-2
4-1~4-4
2
6
13
4
6
8-1~8-3
7
5
北竜町
6-1,6-2
釧路市
8-1,8-2
4-1~4-3
7
登別市
足寄町
士別市
11-1
9-1,9-2
13
6
4
4
6
10
14
11-1~
11-3
13-1,
13-2
0
0
0
7
旭川市
10-1~
10-2
16-1,
16-2
12-1~
12-5
11
0
7-1,7-2
政務調査
議案提出・
費(政務
政策立案等
活動費)
0
7-1,7-2
9-1,
9-2
11(視察
研修費)
11-1,
11-2
15
政策審議
議員等提案の
議員等提案の
否決議案の
議案修正案
可決修正案の
同左(調
同左(調
同左(調 政策的条例案 同左(調 政策的条例案 同左(調
有無
提出の有無
有無
査B)
査 B)
査 B)
の有無
査 B) の可決の有無 査 B)
(調査 A)
(調査 A)
(調査 A)
注2
注3
注3
(調査 A)
注4
(調査 A)
注4
表15参照
表16参照
表16参照
表17参照
表17参照
9-3
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
9-3
9-3
デ-タなし
×
×
×
×
○
×
○
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
23-2
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
○
デ-タなし
○
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
22
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
10-3
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
2-(2)
×
×
×
○
×
×
×
○
×
×
6-2
9-3
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
○
×
○
×
×
×
×
×
○
×
14
×
×
○
○
○
×
×
×
×
×
9-3
デ-タなし
×
デ-タなし
×
デ-タなし
×
デ-タなし
×
デ-タなし
×
6
○
○
×
×
×
×
×
×
×
×
3-(5)
4-(4),13-3
5-(3)
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
※注1
※注2
(問)会派の数 (H24.4.1現在)
(問)H23.4(2011.4)~24.3(2012.3)の期間、首長側提出議案(直接請求は除く)の内、議会
によって否決された議案は何件ありましたか。→有○
※注3 (問)H23.4(2011.4)~24.3(2012.3)の期間、首長側提出議案(直接請求は除く)に対する議
員による修正案の提出(うち、可決した修正案)は、何件ありましたか。→有○
※注4 (問)H23.4(2011.4)~24.3(2012.3)の期間、議員又は委員会が提出した政策的な条例案(議会
や議員に係わるもの、例えば、議会基本条例、議員定数、報酬、政務調査費、会議規則、委員会
条例など以外の政策的な行政関係条例案。なお、既存の政策的な条例の改正案及び廃止案を含
む。)の件数(内、可決された条例の件数)と具体的な条例案名等をご記入願います。(なかった
場合には「0」件とご記入ください)→有○
帯広市、白糠町、豊浦町、うち「議員等提案の政策的条例案の可決の有無」について
は、白糠町47)のみという結果である。
なお、調査 A 全体でも、これらの実績は芳しいとは言い難い。表15のとおり、「否
決議案の有無」について実績があるのが、全国で148議会、道内ではわずか 2 議会、
表16のとおり、「議案修正案提出の有無」について実績があるのが、全国で321議会、
道内では札幌市議会を含め17議会、うち「可決修正案の有無」について実績があるの
47) ただ、「白糠町議会議員の議員報酬及び費用弁償に関する条例の一部を改正する条例」と
のことである。
- 231 -
年報 公共政策学
Vol. 7
表15.
Q【議会による議案修正】
2011 年 1 月 1 日~12 月 31 日の間に、首長側提出議案(直接請求は除く)のうち、議会によっ
て否決された議案は、何件ありましたか?
全体
全体
無回答(またはその他)
「=0」
「>0」
1496 100.0%
14
0.9%
都道府県
47 100.0%
0
0.0%
政令市
特別区
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0
0.0% 0
0.0%
14
1.0%
2
1.3%
4
0.5% 0
0.0% 10
1.5%
2
1.7%
1334 89.2% 45(1) 95.7% 15(1) 78.9% 22 95.7% 1252 89.0% 145 97.3% 667 88.8% 31 93.9% 585 89.2% 114 98.3%
148
9.9%
2
4.3%
4 21.1% 1
4.3% 141 10.0%
2
1.3% 80 10.7% 2
6.1% 61
9.3%
0
0.0%
表16.
Q【議会による議案修正】
2011 年 1 月 1 日~12 月 31 日の間に、首長側提出議案(直接請求は除く)に対する議員による
修正案の提出(うち、可決した修正案)は、何件ありましたか?
・提出された修正案件数
全体
全体
無回答(またはその他)
「=0」
「>0」
1496 100.0%
18
1.2%
都道府県
47 100.0%
0
0.0%
1157 77.3% 33(1) 70.2%
321 21.5%
政令市
特別区
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0
0.0% 0
0.0%
18
1.3%
4
2.7%
1
0.1% 0
0.0% 17
2.6%
4
3.4%
10 52.6% 11 47.8% 1103 78.4% 129 86.6% 551 73.4% 26 78.8% 552 84.1% 103 88.8%
14 29.8% 9(1) 47.4% 12 52.2% 286 20.3% 16 10.7% 199 26.5% 7 21.2% 87 13.3%
9
7.8%
・可決された修正案件数
全体
全体
無回答(またはその他)
「=0」
「>0」
1496 100.0%
124
8.3%
都道府県
47 100.0%
2
4.3%
1207 80.7% 38(1) 80.9%
165 11.0%
政令市
特別区
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0
0.0% 1
4.3% 117
8.3% 17 11.4% 49
6.5% 2
6.1% 68 10.4% 15 12.9%
13 68.4% 21 91.3% 1139 81.0% 125 83.9% 605 80.6% 28 84.8% 534 81.4% 97 83.6%
7 14.9% 6(1) 31.6% 1
4.3% 151 10.7%
7
4.7% 97 12.9% 3
9.1% 54
8.2%
4
3.4%
表17.
Q【議員提案条例】
2011 年1月1日~12 月 31 日の間に、議員または委員会が提出した政策的な条例案(議会や議
員にかかわるもの以外の、政策的な行政関係条例案)の件数(うち、可決された条例の件数)
と具体的な条例案名等をお知らせください。
・提出された条例案件数
全体
全体
無回答(またはその他)
「=0」
「>0」
1496 100.0%
3
0.2%
都道府県
47 100.0%
0
0.0%
政令市
特別区
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0
0.0% 0
0.0%
3
0.2%
0
0.0%
1
0.1% 0
0.0%
2
0.3%
0
0.0%
1372 91.7% 31(1) 66.0% 8(1) 42.1% 8 34.8% 1325 94.2% 143 96.0% 690 91.9% 32 97.0% 635 96.8% 111 95.7%
121
8.1%
16 34.0%
11 57.9% 15 65.2%
79
5.6%
6
4.0% 60
8.0% 1
3.0% 19
2.9%
5
4.3%
・可決された条例案件数
全体
全体
無回答(またはその他)
「=0」
「>0」
1496 100.0%
5
0.3%
都道府県
47 100.0%
2
4.3%
政令市
特別区
市町村
(全国)
市町村
(北海道内)
市
(全国)
市
(北海道内)
町村
(全国)
町村
(北海道内)
19 100.0% 23 100.0% 1407 100.0% 149 100.0% 751 100.0% 33 100.0% 656 100.0% 116 100.0%
0
0.0% 0
0.0%
3
0.2%
0
0.0%
1
0.1% 0
0.0%
2
0.3%
0
0.0%
1424 95.2% 29(1) 61.7% 11(1) 57.9% 22 95.7% 1362 96.8% 146 98.0% 718 95.6% 32 97.0% 644 98.2% 114 98.3%
67
4.5%
16 34.0%
8 42.1% 1
4.3%
42
3.0%
3
2.0% 32
4.3% 1
3.0% 10
1.5%
2
1.7%
が、全国で165議会、道内では札幌市議会を含めわずかに 8 議会、また、表17のとお
り、「議員等提案の政策的条例案の有無」について実績があるのが、全国で121議会、
- 232 -
議会基本条例の分析と評価
道内ではわずか 6 議会、うち「議員等提案の政策的条例案の可決の有無」について実
績があるのが、全国で67議会、道内ではわずか 3 議会という結果である。これらにつ
いても、全国と比べて、道内の実績は芳しくない。
2.3.4 補佐機構に関する項目
表18は、補佐機構に関する主な項目について、議会基本条例の根拠規定の条項とそ
れに対応する実態調査結果(実績)を対比し、整理したものである。
まず、「付属・調査機関の設置」については、調査 B によると、条例に根拠規定が
置かれている栗山町と福島町のどちらにも実績が認められる。なお、鹿追町について
は、別途、「鹿追町議会議員定数・報酬及びあり方等審議会条例」を制定(平成23年
5 月 1 日施行)している。
次に、「専門的知見の活用」については、調査 B によると、条例に明示的な根拠規
定がある白糠町と釧路市のどちらにも実績はなく、実績があるのは、福島町のみであ
る。
表18.
項目
補佐機構
自治体名
付属・調査機関
の設置
実績
(調査 B)
注1
栗山町
15-1~15-3
専門的知見の
活用
実績
(調査B)
注2
議会事務局
機能の拡充
議会事務局人数
(調査 B)
※( )内は専
任の人数 注 3
実績
(調査 B)
注3
○
×
18
3(3)
○
今金町
×
×
12
3(2)
×
知内町
×
×
11
3(0)
×
○
○
21
4(0)
×
名寄市
×
×
16-1,16-2
5(4)
×
三笠市
×
×
4(3)
○
北海道
×
×
25-1
82(71)
○
鹿追町
○
×
16
4(2)
×
帯広市
×
×
16-1,16-2
12(11)
×
和寒町
×
×
10-1,10-2
2(0)
×
白糠町
×
×
7
3(2)
×
豊浦町
×
×
12
2(0)
×
旭川市
×
×
17
23(21)
×
北竜町
×
×
14
2(2)
×
釧路市
×
×
14
10(9)
×
登別市
×
×
16
7(7)
×
足寄町
×
×
16
3(0)
×
士別市
×
×
21-1,21-2
5(5)
×
福島町
20-1~20-3
2-2,6-2
5-3
※注1
(問)調査機関又は附属機関を設置しての調査検討等を、議会として行っていますか(H24.4.1現
在)。
※注2 (問)H23.4(2011.4)~24.3(2012.3)の期間、地方自治法100条の 2 に基づく専門的知見の活用
(調査機関又は附属機関の設置を除く)を行いましたか。
※注3 (問)議会事務局の人数等(H24.4.1現在でご記入ください)
(問)調査担当職員(専任)を議会事務局に配置している(当該調査担当職員(専任)が法務担当を兼
務する場合を含む) (H24.4.1現在)→有○
- 233 -
年報 公共政策学
Vol. 7
最後に、「議会事務局機能の拡充」についてであるが、前述のとおり、三笠市を除
くすべての条例に何らかの規定が置かれているものの、調査 B によると、少なくと
も「調査担当職員(専任)を議会事務局に配置している(当該調査担当職員(専任)
が法務担当を兼務する場合を含む)」と回答した議会は、栗山町(
「法務担当職員(首
長部局兼任)及び調査担当職員(専任)をそれぞれ議会事務局に配置している」
)
、三
笠市(「調査担当職員(専任)を議会事務局に配置している(当該調査担当職員(専
任)が法務担当を兼務する場合を含む)
」
)、北海道(
「法務担当職員(専任)及び調査
担当職員(専任)をそれぞれ議会事務局に配置している」)のみであり、その他は、
「法務担当職員(専任又は兼任)、調査担当職員(専任)の議会事務局への配置を検討
中」と回答した旭川市を除き、「法務担当職員(専任又は兼任)、調査担当職員(専
任)を議会事務局に配置しておらず、今後の配置についても検討していない」との回
答48)であった。
3. 全体のまとめ
以上のように、道内の18の議会基本条例だけを見ても、条文を詳細に比較分析する
と、その構成や内容、規定の仕方等が異なることが分かる。また、実態調査の結果
(実績)との対比では、条例に根拠規定があっても、何らかの理由で、実際には実績
が伴っていないケ-スが少なくないことも分かった。一方で、調査 A 全体の結果等
からは、数こそ多くはないものの、議会基本条例を制定していない道内の議会におい
て、議会改革の各種取組が一定程度行われていることが確認できる。例えば、次の表
19は、調査 B において、「住民・NPO 等との意見交換の場」「議会報告会の開催」「議
員間討議(自由討議)」
「一問一答」「反問権」「通年議会」について、何らかの条例・
規則の規定に基づく仕組み又は実績があると回答した道内の自治体議会のうち、議会
基本条例を制定していないところについて、それらの根拠規定を調べて整理したもの
である。これを見ると、道内において、美幌町などのように自治基本条例に根拠規定
を有するものや、会議条例、会議規則に根拠規定を有するものが結構存在することが
分かる。更に、調査 A や調査 B の結果からは、議長や委員長の裁量又は申し合わせ
等に基づき、議会改革の各種取組を実施しているところも決して少なくないことが分
かっている。
このように、①議会基本条例の条文を詳細に見ていくと、条例によって構成、内容
等に差異があること、②議会基本条例の項目毎に運用実態を見ていくと、条例に根拠
規定があっても、必ずしも実績を伴っていない場合が少なくないこと、③議会基本条
例以外にも、自治基本条例や会議規則、申し合わせなどによって、各種取組を一定程
48) 今金町、知内町、福島町、名寄市、鹿追町、帯広市、和寒町、白糠町、豊浦町、北竜町、
釧路市、登別市、足寄町、士別市。
- 234 -
議会基本条例の分析と評価
表19.
住民・NPO等との
意見交換の場
議会報告会の開催
議員間討議(自由討議)
北広島市
一問一答
反問権
森町
会議条例2、3
八雲町
会議規則59-4・一般質問
ニセコ町
会議規則60条の2
まちづくり基本条例20-2
占冠村
会議規則61条の2・一般質問
苫前町
美幌町
通年議会
会議規則62-2・一般質問
会議規則51条の2
自治基本条例29-3
自治基本条例29-4
自治基本条例30-1
自治基本条例31-1、31-2
質疑、質問、応答
斜里町
白老町
自治基本条例30-2
会議規則61条の2
会議規則46
会議規則58
日高町
平取町
自治基本条例29
音更町
会議規則51条の2
清水町
会議規則61条の2
芽室町
自治基本条例25-4
中札内村
浜中町
会議条例3-1、3-2
会議規則51条の2
会議規則62条の2
会議規則61-5(明文なし)
別海町
会議規則51条の2
標津町
会議規則55・質疑
会議規則51条の2
羅臼町
会議規則60-2・一般質問
会議規則50条の2
※各自治体の条例等を基に筆者作成。例えば、29-3は、第29条第 3 項を意味する。
度行っている議会が存外存在すること、が確認できる。これらのことから、当然と言
えば当然ではあるが、個々の自治体議会における議会改革の評価に当たっては、単純
に議会基本条例が制定されているというだけでは全くもって不十分であり、第一に、
議会基本条例が制定されている場合には、条例の構成、内容面の総合性や具体性49)、
例外事項の有無、努力義務規定か否かなど、条例を詳細に検証・評価する必要がある
こと、第二に、条例の実態面、すなわち運用実態が伴っているかどうかを、項目毎に
しっかりと確認・監視する必要があること、第三に、議会基本条例以外の手段、例え
ば自治基本条例や会議規則なども検証・評価の対象とし、内容面、実態面から、議会
改革の取組を総合的に評価する必要があること、などが指摘できよう。
4. おわりに
本稿では、道内の議会基本条例を素材に、条例条文の比較分析を行うと共に、これ
らを実態調査の結果(実績)と突き合わせることにより、条例に規定されている事項、
各種改革ツ-ルが実際に実行されているのかどうかについて、部分的にではあるが、
49) 神原勝(2009)『[増補]自治・議会基本条例論―自治体運営の先端を拓く』公人の友社.
172~174頁。
- 235 -
年報 公共政策学
Vol. 7
検証を試みた。もちろん、これらの分析は、あくまでも道内の既制定の18条例のみを
対象としているため、全国の260とも言われる議会基本条例全体に同様の傾向が見ら
れるかどうかは、今後の研究に委ねざるを得ない。だが、栗山町と福島町の議会基本
条例を合わせると、「全国各地の条例に規定された内容の90%はカバ-しているとい
っていい(神原勝)」と評価50)されるほど、これらの条例の完成度は高い。そして、
それらを含む18条例だけを見ても、条文を詳細に比較分析すると、構成の相違、更に
同様の項目ですら内容面で微妙な、ある意味、作為的な差異が見られること、また、
条例に立派な根拠規定があるにもかかわらず、残念ながら実績が伴っていないもの
(空規定)が決して少なくない(のではないか)ということが確認できたのは、手前
味噌ではあるが、有意義であった。なお、誤解のないように付言しておくが、だから
といって、議会基本条例の制定の意義や役割を否定する意図は毛頭ない。ただ、ここ
で強調したいのは、議会基本条例を制定しているからといって、議会改革が進んでい
るという意味での先進的な議会とは単純には評価できないということである。そして、
条例全般についてよく言われることではあるが、大事なことは、これらの条例を作り
っぱなしにせず、定期的に検証し、評価の上、後ろ向きではなく前向きに、条例の内
容面のみならず実態面も含め改善していくことであろう。例えば、福島町では、前述
の議会基本条例の見直し規定に基づき、条例に基づく附属機関である議会諮問会議に
諮問し、その答申を踏まえて改善内容をとりまとめ、主な行動計画については議会だ
よりで住民に周知を図っている51)。このように、できていないことをそのまま放置す
るのではなく、現状と課題をつまびらかにし、改善策を考案し、一歩一歩努力を積み
重ねていくことが重要であろう。更に、議会改革の取組の手順としては、議会基本条
例をいきなり制定(ややもすると空手形になる危険性が否定できない)するのではな
く、まずは申し合わせ等に基づく取組をひとつひとつ積み重ね、ある程度改革が軌道
に乗った後に、議会基本条例又は自治基本条例等に根拠規定を集約していく「実績先
行型(改革先行型52))」の方が、「条例先行型53)」よりも順当ではないかと思う54)。栗
山町や福島町の議会基本条例は「実績先行型」の代表例とされるが、今回の検証では、
これらの議会ですら、条例の運用が決して容易ではないことの一端が垣間見られたと
ころである。従って、「条例先行型」を否定するつもりはないが、その場合は「実績
先行型」以上に、条例の評価・見直しをしっかりと的確に行っていく覚悟が当該議会
50) 溝部幸基・石堂一志・中尾修・神原勝(2010)『福島町の議会改革―議会基本条例=開か
れた議会づくりの集大成(北海道自治研ブックレット)』公人の友社.3 頁。
51) 以下のホ-ムペ-ジに、福島町の過去の議会だよりが掲載されている。http://www.gikaifukushima-hokkaido.jp/
52) 加藤幸雄(2009)『議会基本条例の考え方』自治体研究社.78~80頁。
53) 脚注46に同じ。
54) 神原勝(2009)『[増補]自治・議会基本条例論―自治体運営の先端を拓く』公人の友社.
135頁。
- 236 -
議会基本条例の分析と評価
には必要となる。そして、そのような覚悟が伴わない場合は、必然的に条例を制定す
ること自体が自己目的化してしまい、結果として、条例制定後に「空約束条例」との
誹りを受ける羽目となろう。
最後になるが、本稿は、言うまでもなく、議会基本条例を制定している自治体議会
を非難することが目的ではない。栗山町の議会基本条例制定から 6 年しか経っておら
ず、実態調査の結果などからも、多くの議会で議会改革の取組は緒に就いたばかり、
試行錯誤の真っ最中と言ったところであろう。そもそも緒にすら就いていない議会も
まだまだ多い中、議会基本条例を制定している自治体議会の取組が、しっかりと実態
を伴ったものとして更なる進歩を遂げることを大いに期待するものである。そのよう
な意味で、改革の道程において、議会関係者に僅かながらでも本稿が参考になれば、
大変幸甚である。
主な参考文献
江藤俊昭(2008)「議会活性化のための法整備と政治-議会基本条例の意義と課題」
『自治体法務研究(14)2008年秋号』ぎょうせい
江藤俊昭(2011)『地方議会改革―自治を進化させる新たな動き』学陽書房
加藤幸雄(2009)『議会基本条例の考え方』自治体研究社
神原勝(2009)『[増補]自治・議会基本条例論―自治体運営の先端を拓く』公人の友社
中邨章(監修)・牛山久仁彦/廣瀬和彦(編)(2012)『自治体議会の課題と争点―議会改
革・分権・参加』芦書房
日経グロ-カル編(2011)『地方議会改革の実像-あなたのまちをランキング-』日本経済
新聞出版社
橋場利勝・中尾修・神原勝(2008)『議会基本条例の展開―その後の栗山町議会を検証する
(北海道自治研ブックレット)』公人の友社
廣瀬克哉・自治体議会改革フォ-ラム編(2012)『議会改革白書2012年版』生活社
廣瀬克哉・自治体議会改革フォ-ラム編(2011)『議会改革白書2011年版』生活社
廣瀬克哉・自治体議会改革フォ-ラム編(2010)『議会改革白書2010年版』生活社
廣瀬克哉・自治体議会改革フォ-ラム編(2009)『議会改革白書2009年版』生活社
増田正・深澤佑太(2010)「議会基本条例の構成と類型に関する統計分析」
『地域政策研究第12巻第 4 号』
溝部幸基・石堂一志・中尾修・神原勝(2010)『福島町の議会改革―議会基本条例=開かれた
議会づくりの集大成(北海道自治研ブックレット)』公人の友社
- 237 -
年報 公共政策学
Vol. 7
Analysis and Evaluation of the Basic Ordinances
of Local Assemblies
Yutaka OINUMA
Abstract
For the purpose of evaluating the basic ordinances of local assemblies that have increased
nationwide, this paper will compare the texts of the ordinances and analyze them, and examine
whether matters prescribed by the ordinances were really executed with 18 basic ordinances of
local assemblies in Hokkaido as case studies.
The results confirm that there were some differences in the contents prescribed by the
ordinances, and there were several cases that were not executed even though the ordinances
included the regulations that were the grounds for such.
Keywords
local assembly, local government, basic ordinance, assembly reform
- 238 -
国境を越える人の移動に対応した医療制度
国境を越える人の移動に対応した医療制度
―EUにおける取組みと日本への示唆―
松本
勝明
1. はじめに
国際的な経済環境の変化などに伴い、外国で住み、外国で働く日本人、日本で住み、
日本で働く外国人は、今後ますます増加することが予想される。このような人々にと
って、外国あるいは日本で適切な医療が受けられるかどうかは重要な問題である。し
かし、医療保険等の医療保障制度や医療サービスの供給に関する制度(以下、両者を
合わせて「医療制度」という。)については、各国の国内制度として定められており、
日本と外国との間での整合性が図られているわけではない。
一方、財、サービス、資本、人が自由に移動する内部に国境のない域内市場の実現
を目指している EU においては、医療制度に関しても、国境を越える人の移動に対応
した様々な取組みが進められている。
そこで、本稿においては、こうした EU における取組みについて検討することによ
り、国境を越える人の移動に対応した医療制度について考察を行う。
2. 保健医療政策に関する EU の権限
欧州連合(Europäische Union 1)(EU))の前身である欧州経済共同体(Europäische
Wirtschaftsgemeinschaft)は、1957年に締結された欧州経済共同体設立条約(いわゆる
「ローマ条約」)2)により、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー及びル
クセンブルクの 6 か国を加盟国として発足した。欧州経済共同体の中心的な関心は、
その名前が示す通り、加盟国の経済的な利益にあり、その目的は、加盟国間の自由な
競争を伴うオープンで、自由な市場経済を実現し、維持することにあった。欧州経済
共同体においては、発足後間もない1959年に、加盟国間での労働者の移動に対応して、
公的医療保険による医療給付などを対象とする社会保障の調整が開始された。この調
整は、労働者の自由移動を通じて労働力の域内での最適配分を実現し、経済的な利益
を得ることを狙いとするものであった。つまり、この調整の目的は、何よりも労働者

1)
2)
北海道大学公共政策大学院教授
EU においては2012年現在で23か国語が公用語となっている。本稿では、欧州経済共同体
の発足当初からの加盟国であり、EU 加盟国の中で最大の人口を有するドイツ連邦共和国
の公用語であるドイツ語で EU 関係の用語を表記することとする。
Vertrag zur Gründung der Europäischen Wirtschaftsgemeinschaft.
- 239 -
年報 公共政策学
Vol. 7
の自由な移動を阻害する要因を取り除くことにあったわけで、国境を越えて移動する
労働者を保護することは二次的な意味を持つにすぎなかった(Schulte (2007),
p.265)。
1993年にはマーストリヒト条約が発効した。この条約により欧州経済共同体の活動
は経済統合にとどまらなくなり、欧州経済共同体の名称も欧州共同体(Europäische
Gemeinschaft)へと改められた。これに伴い、保健医療政策も欧州共同体の政策分野
の一つとして位置づけられた(欧州共同体設立条約第129条)。しかし、欧州共同体自
体の権限は、疾病予防などに関する加盟国間での協力を促進することに限定され、各
加盟国における保健医療組織や医療供給については第一義的に各加盟国が責任を負う
ものとされた。また、疾病のリスクに対する社会保障は、医療保険によるものであれ、
公的保健サービスによるものであれ、この条項による影響を受けなかった。この結果、
それ以前と同様に、保健医療政策の中心的な主体は各加盟国であり、欧州共同体は加
盟国の政策を補足し、加盟国間の協力を促進するものとされた。このような、保健医
療政策に関する欧州共同体・EU と各加盟国との関係には、その後においても大きな
変化は見られない 3)。
EU が規則(Verordnung)4) 、指令(Richtlinie)等を定める権限を有するのは、EU
に関する条約において加盟国が自らの主権を部分的に放棄し、その権限を EU に対し
て明示的に委ねた場合に限られる。EU に関する条約においては、各加盟国の法制度
を統一する一般的な権限は規定されていない。したがって、EU が規則等を定めるこ
とによりハーモナイゼーション(各国の制度を統一的な目的及び基準に合わせるこ
と)を行うことが可能となるのは、EU に関する条約においてそのことが明示的に認
められている場合に限られる。保健医療制度については、現在のところ、EU がハー
モナイゼーションを行う権限は認められていない。
27か国にまで拡大した加盟国において今日みられる社会保障制度は、それぞれが長
年にわたり独自の発展を遂げてきた結果であり、極めて多様なものとなっている。医
療保障制度に関しても、ドイツのように医療保険を採用している国がある一方で、イ
ギリスのように国民保健サービス(NHS)を採用している国もある。いまのところ、
3)
4)
2009年12月に従来の欧州共同体設立条約に代わって施行された欧州連合運営条約(Vertrag
über die Arbeitsweise der Europäischen Union)においても、保健医療政策に関しては、極め
て限定的に EU の権限が認められているにすぎず、保健医療政策の決定並びに保健医療組
織や医療供給に対する加盟国の責任が維持されている。
規則及び指令は、欧州委員会の提案に基づき、理事会及び欧州議会により共同で採択され
る。規則は、一般的な効力を有しており、全ての加盟国において拘束力を有し、かつ、直
接的に適用される。規則は、加盟国の国内法により実施することを要しない。これに対し
て、指令は、その目的に関しては拘束力を有するものの、その目的を達成するために適切
な実施手段を講じることは各加盟国に委ねられている。指令の実施に関しては一定の期限
が定められる。
- 240 -
国境を越える人の移動に対応した医療制度
加盟国により異なる構造となっている社会保障制度について EU としてのハーモナイ
ゼーションを行うべきであるとの政治的な合意は存在しない。また、近い将来におい
て、EU によるハーモナイゼーションが行われることにより、例えばドイツの医療保
険制度が大きな変化にさらされるとは考えがたい(Schlegel(2007),p.701)。
このように、医療保障制度を含む社会保障制度はEUによるハーモナイゼーション
の対象となる分野ではなく、基本的に、各加盟国はそれぞれの国の制度を自由に構築
することができる。しかし、このことは、EU が定めた規則、指令等や欧州裁判所
(Europäischer Gerichtshof)5)の判決が各加盟国においてそれぞれの国内制度として定
められている社会保障制度に何らの影響も及ぼさないことを意味しているわけではな
い。例えば、前述した社会保障の調整は、労働者の自由移動を保障することを目的と
するものではあるが、このほかにも、欧州連合運営条約が定めるサービスの自由移動、
物の自由移動、開業の自由などが、各加盟国の医療制度に影響を及ぼしている。
3. 労働者の自由移動
EU 域内では労働者の自由移動が認められている(欧州連合運営条約第45条)。し
かしながら、他国で就労することにより労働者又はその家族が社会保障の給付を受け
られないなどの不利益を被る恐れがある場合には、労働者の自由移動が制約される可
能性がある。このため、労働者の自由移動を確保する対策として、加盟国間を移動す
る労働者の社会保障の調整が行われている。
その目的は、各国間で異なる社会保障制度のハーモナイゼーションを行うことでは
なく、あくまでも異なる社会保障制度が存在することを前提として、国境を越えて移
動する者が不利とならないような調整を行うことにある。したがって、この調整は各
国が自国の社会保障に関する給付の種類や受給要件について定める権限を侵すもので
はなく、また、社会保障制度に関して各国間での相違があることを禁じるものでもな
い。
この調整のために、社会保障に関する給付請求権の獲得及び維持並びに給付額の算
定のために各国の国内法で考慮される期間を通算することや、就労国以外の国で居住
する者に対しても給付を支給することなどが求められている。
この調整の詳細は EU 規則である「社会保障制度の調整に関する規則(規則第
883/2004号)」6)及び「社会保障制度の調整に関する規則の実施方法の定めに関する規
5)
6)
欧州裁判所は、欧州連合条約及び欧州連合運営条約の解釈及び適用に関して法の順守を確
保することを使命としている。
Verordnung (EG) Nr. 883/2004 des Europäischen Parlaments und des Rates vom 29. April 2004 zur
Koordinierung der Systeme der sozialen Sicherheit, Amtsblatt (ABl.) L 166 vom 30.4.2004, Seite
(S.) 1.
- 241 -
年報 公共政策学
Vol. 7
則(規則第987/2009号)」7)において定められている 8)。医療給付に関しては、規則第
883/2004号第17条以下において、どのようなケースでどのような条件を満たせば、あ
る加盟国で働いている者及びその家族が他の加盟国で給付を受けることができるのか、
いずれの加盟国の給付主体が給付を行うことになるのかなどについて定められている。
なお、この規則の対象は、あくまでも法令に基づく給付であり、契約に基づく民間医
療保険の給付は調整の対象には含まれない 9)。
3.1 他の加盟国で居住している場合
就労している加盟国とは別の加盟国で居住している者に対しては、原則として、就
労している加盟国の法令が適用される(就労地法原則)10)。したがって、「管轄の給
付主体が所在する加盟国(管轄加盟国)」以外の加盟国で居住している者には、管轄
加盟国の医療給付制度が適用される。つまり、ドイツで就労し、フランスに居住する
者には、ドイツの医療保険に関する法律である社会法典第 5 編11)が適用される。
しかし、このような者及びその家族が病気になるのは、通常、居住する加盟国(居
住加盟国)においてであり、居住地の近くで医療を受けることが必要となる。このた
め、管轄加盟国とは異なる加盟国で居住している被保険者12)及びその家族は、居住加
盟国の給付主体から現物給付(外来・入院医療、薬剤の支給など)を受ける。この場
合に行われる現物給付の範囲、種類及び方法は、居住加盟国の法令の定めるところに
よる13)。このため、管轄加盟国で受けるよりも低い水準の給付しか受けられない場合
や、それとは逆に、管轄加盟国よりも低い自己負担で給付を受けられる場合がある14)。
7)
8)
9)
10)
11)
12)
13)
14)
Verordnung (EG) Nr. 987/2009 des Europäischen Parlaments und des Rates vom 16. September
2009 zur Festlegung der Modalitäten für die Durchführung der Verordnung (EG) Nr. 883/2004 über
die Koordinierung der Systeme der sozialen Sicherheit, ABl. L 284 vom 30.10.2009, S. 1.
前述のとおり、社会保障に関する調整は1959年から実施されている。これらの規則は、そ
れまでの規則に代わって制定され、2010年 5 月から新たに適用されることになったもので
ある。新たな規則が制定された理由やそれによる変更内容などについては、松本(2012)を
参照願いたい。
外国で受けた医療の費用について民間医療保険による償還が受けられるかどうかは、それ
ぞれの保険契約の定めによる。
ただし、ある加盟国で就労している者が、事業主により他の加盟国に派遣され、その国で
当該事業主の責任の下で働く場合には、24か月間に限り、引き続き前者の加盟国の法令が
適用される。
Sozialgesetzbuch Fünftes Buch vom 20.12.1988, Bundesgesetzblatt (BGBl.) I S. 2477.
医療給付が医療保険ではなくイギリスのように公的保健サービスとして行われる加盟国の
場合は、給付を受給することができる者を指す。
このような仕組みが採用されているのは主として実務的な理由によるものである。もし、
居住加盟国ではなく管轄加盟国の法令が適用されるとすれば、居住加盟国の給付主体は全
ての加盟国(27か国)の法令を適用しなければならなくなる可能性があり、極めて複雑なも
のとなるからである(Pennings (2010), p.157)
例えば、ドイツの医療保険の被保険者でありフランスに居住する者がフランスで外来医科
- 242 -
国境を越える人の移動に対応した医療制度
現物給付に要した費用については、給付を行った給付主体の請求に基づき管轄加盟国
の給付主体が負担する。
管轄加盟国とは異なる加盟国で居住する被保険者及びその家族であっても、管轄加
盟国に滞在する期間においては、それらの者が管轄加盟国に居住しているのと同様に、
管轄加盟国の法令に従い管轄給付主体からその費用負担による現物給付を受ける。
一方、現金給付の取扱いは現物給付の場合とは大きく異なっている。管轄加盟国と
は異なる加盟国に居住する被保険者及びその家族に対しても、現金給付は管轄加盟国
の給付主体により支給される。例えば、ドイツ医療保険の被保険者でありフランスに
居住する者は、ドイツ社会法典第5編に基づく傷病手当金をドイツの医療保険の保険
者である疾病金庫から受けることができる。
3.2 他の加盟国に一時的に滞在する場合
被保険者及びその家族は、管轄加盟国以外の加盟国に旅行などで一時的に滞在して
いる間に急に病気になった場合にも、管轄加盟国とは異なる加盟国で居住する場合と
同様に、滞在している加盟国で現物給付を受けることができる。ただし、受けること
ができるのは、給付の種類や滞在期間を勘案して、滞在中に行うことが医学的に必要
なものに限られる15)。この場合にも、滞在加盟国の給付主体により、滞在加盟国の法
令の定めるところにより給付が行われる。この給付に要した費用については、給付を
受ける者が前払いする必要はなく、滞在加盟国で給付を行った給付主体から管轄給付
主体に対して請求される。このような手続きを円滑に行うためにヨーロッパ医療保険
カード(Europäische Krankenversicherungskarte)が発行されている16)。このカードに
より、ある人が特定の国内医療保障制度によってカバーされていることが容易に証明
される。
欧州裁判所は、Ioannidis 訴訟の判決17)において、滞在加盟国において現物給付が受
けられるのは急病により治療が必要となったケースだけに限られるわけではないとの
考え方を示している。それによれば、他の加盟国での一時的な滞在中の健康状態の変
化により必要となった治療が、本人も自覚している慢性病のような既存の病気との関
診療を受ける場合には、給付は償還払いで行われ、被保険者は費用の 3 割及び一治療当た
り 1 ユーロ(一日最高 4 ユーロ)の自己負担を行わなければならない。これに対して、その
者がドイツで外来医科診療を受ける場合には、給付は現物給付として行われ、自己負担は
1 四半期当たり10ユーロとなる。
15) したがって、滞在期間が短く、その者の健康への危険がないと判断される場合には、滞在
先での医療給付は行われず、帰国後に医療を受けることになる可能性もある(Pennings
(2010), p.165)。
16) このカードには、所持者の名前、生年月日、個人番号、保険者の番号、カードの番号及び
カードの有効期限が記載されている。
17) Europäischer Gerichtshof (EuGH), Rechtssache (Rs.) C-326/00, (Ioannidis), Sammulung (Slg.)
2003 I-1703.
- 243 -
年報 公共政策学
Vol. 7
連性を有しているとしても、滞在加盟国での給付が受けられないというわけではない。
3.3 治療を目的として他の加盟国に行く場合
このほかにも、被保険者及びその家族が治療を受けることを目的として他の加盟国
に行くケースが考えられる。その理由としては、これらの者が他の加盟国においてよ
り質の高い治療を受けられると考える場合や管轄加盟国で必要とする治療を受けるた
めには待ち時間があることなどがあげられる。このような場合には、管轄給付主体の
事前承認を得ることが必要とされている。
この事前承認を受けることができれば、滞在加盟国の法令に従って現物給付が行わ
れ、当該現物給付に要する費用は管轄保険者により負担される。この事前承認は、当
該治療がその者の居住加盟国の法令に規定されている給付の範囲に含まれ、かつ、居
住加盟国ではその者の健康状態や予想される病状の推移に照らして適切な期間内に実
施されない場合に行われる。
4. サービスの自由移動
4.1 欧州裁判所の判決
前述のように、加盟国間での社会保障の調整について規定する規則第883/2004号に
よれば、治療を目的として他の加盟国に行き、管轄給付主体の費用負担により現物給
付を受けるためには、管轄給付主体による事前承認を受けなければならない。これに
対して、欧州裁判所の一連の判決においては、このような事前承認を条件とすること
は、ケースによっては欧州共同体設立条約(現在の欧州連合運営条約)が定める「サ
ービスの自由移動」などに反するとの考え方が示された。
サービスの自由移動は、労働者の自由移動、自営業者の開業の自由と並んで、欧州
連合運営条約が定める「人に関する基本的自由」を構成するものである。サービスの
自由移動には、サービス提供者の国境を越えた活動に関する能動的な自由移動だけで
なく、サービス利用者による国境を越えた利用に関する受動的な自由移動が含まれる
(Herdegen(2009),p.302)18)。サービスの自由移動の対象となるのは、対価を得て
行われる経済的な活動であるが、営利目的の存在は前提としない。また、その対価が
誰によって負担されるのか、例えば、サービス利用者本人か、社会給付の給付主体や
国などの第三者なのかは、問題とならない。
事前承認を必要とすることがサービスの自由移動に反するとした欧州裁判所の判決
の一つとして、Kohll 訴訟の判決19)があげられる。この原告は、ルクセンブルクの国
民で、同国の医療保険の被保険者である。原告は、娘にドイツの歯科医による治療を
18) このほかにも、サービスの自由移動の適用対象としては放送サービスのようにサービスだ
けが国境を超える場合もある。
19) EuGH, Rs. C-158/96, (Kohll), Slg. 1998 I-1931.
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国境を越える人の移動に対応した医療制度
受けさせることについて疾病金庫の事前承認を申請した。しかし、この申請は疾病金
庫により認められなかった。その理由は、その治療が急を要するものではなく、かつ、
ルクセンブルクにおいても実施可能なものであるためである。
また、同様に事前承認を必要とすることが基本的自由(この場合は物の自由移動)
に反するとした判決として Decker 訴訟の判決20)があげられる。この訴訟の原告もル
クセンブルクの国民で、同国の医療保険の被保険者である。原告は、ルクセンブルク
の眼科医による処方箋を基にベルギーで購入したメガネの費用償還を加入している疾
病金庫に求めたが、支払いを拒否された。その理由は、原告が疾病金庫による事前承
認なしに外国でメガネを購入したことにある。
いずれの場合にも、疾病金庫の決定はルクセンブルクの医療保険法に沿ったもので
あった。同法によれば、外国での治療は、外国滞在中に必要となった緊急の治療の必
要性に対応したものに限り認められる。これに対して、両原告は、この規定はそれぞ
れサービスの自由移動及び物の自由移動に対する正当化されない障害となっていると
して、ルクセンブルクの裁判所に訴えた。これを受け、ルクセンブルクの裁判所は、
欧州裁判所に対して欧州共同体条約のサービスの自由移動及び物の自由移動に関する
条項の解釈についての決定を求めた21)。
欧州裁判所は次のような判断を示した。どのような社会保障制度を構築するかは基
本的に各加盟国の権限に属している。しかしながら、各加盟国は社会保障制度を構築
するに当たって欧州共同体法を考慮に入れなければならない。社会保障に関するもの
であることだけで、欧州共同体法が定める基本的自由の適用が排除されるわけではな
い。つまり、各加盟国の保健医療制度は欧州共同体法が適用されない領域というわけ
ではない。他の加盟国で行われた医療給付の償還に関して事前承認を必要条件とする
ことは基本的自由に反する。なぜならば、同じ治療を国内で受ける場合には事前承認
を必要としないにもかかわらず、他の加盟国で受ける場合には事前承認を必要とする
ことは、他の加盟国の医療サービスへのアクセスを難しくする効果を持っているから
である。また、他の加盟国で受けた給付の費用は管轄加盟国の料金表に従って償還さ
れるので、事前承認なしに他の加盟国で医療給付を受けられることにより国内の社会
保障制度の財政バランスに相当の影響が及ぶと懸念されるわけではない。さらに、医
療の質が低下することへの懸念も、医師等の資格についての加盟国間での相互承認が
行われており、他の加盟国の医師等も同等の資質を有すると認められることから、事
前承認を正当化する理由として認められない。したがって、前述のような事前承認を
求めることは許されない。
20) EuGH, Rs. C-120/95, (Decker), Slg. 1998 I-1831.
21) 加盟国の裁判所は、自らの決定に至る際に EU 法の解釈等に係る問題が提起され場合、自
らの判決を下すために必要があると判断するときは、あらかじめ欧州裁判所にその問題に
ついて拘束力のある決定を求めることができる。
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年報 公共政策学
Vol. 7
この二つの判決に関して重要なことは次の二点である(Becker(2009),p.52)。ひ
とつは、多くの加盟国に支持されていた医療に対する基本的自由の適用除外が欧州裁
判所によって否定されたことである。すなわち、同裁判所は、医療サービスをその特
殊性にかかわりなく経済的な活動にかかわる事柄であるとした。もうひとつは、医療
保険が負担しなければならない費用をコントロールするための事前承認の必要性が欧
州裁判所によって認められなかったことである。
一方、Smits-Peerbooms 訴訟22)では、入院医療に関してこのような外来医療の場合
とは異なる判断が示された。原告 Smits は、オランダの医療保険の被保険者であり、
ドイツの病院に入院してパーキンソン病の治療を受けた。しかしながら、保険者は、
オランダの病院でも十分で適切な治療を受けられるとして、この治療にかかる費用の
償還を拒否した。原告 Peerbooms も、オランダの医療保険の被保険者であり、交通事
故の被害者であった。この原告は、オランダでは試験的にしか実施されておらず、か
つ、対象年齢の制限が設けられている特殊な治療を受けるため、オーストリアの病院
に転院した。この原告から出された費用償還の申請も、その治療が専門家の間で一般
的と認められていない種類のものであるとして拒否された。
これに関して、欧州裁判所は次のような判断を示した。欧州共同体法に反すること
なく他の加盟国での入院医療について事前承認を求めることは可能である。当該保険
者が契約を締結した施設において、同じあるいは同等の効果を持つ治療を適時に受け
ることが可能であれば、事前承認を拒否することは可能である。社会保障の財政的な
均衡が相当程度に脅かされる恐れは、サービスの自由移動を制限することを正当化し
うるものである。各加盟国には、全ての地域をカバーする医療供給体制を整備する義
務があり、入院医療の供給を計画し、コントロールすることを可能にするために他の
加盟国で入院医療を受けることに事前承認を求めることは基本的に許される。
このように、欧州裁判所は、事前承認を必要とすることに関して、病院内で行われ
る医療は、開業医により診療所で又は患者の家庭を訪問して行われる医療とは異なる
性格を有することを認めている。その理由は、病院の数、地理的な分布、組織、医療
機器及び提供する医療の性格を決定するためには、計画の仕組みが必要であると考え
られるからである。このような計画は、質の高い入院治療への十分かつ継続的なアク
セスを保障するものでなければならず、また、費用をコントロールし、資源の浪費を
防ぐことにも役立つ。もし、保険者との契約を締結していない病院による医療を自由
に利用できることになれば、このような契約制度を前提とした計画は危機にさらされ
ることになる。
その後も、多くの訴訟を通じて欧州裁判所による判決が積み重ねられた。この結果、
欧州裁判所の判決に基づき、入院医療などの場合を除き、治療を受けるために他の加
22) EuGH, Rs. C-157/99, (Smits-Peerbooms), Slg. 2001 I-5473.
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国境を越える人の移動に対応した医療制度
盟国に行く場合に、社会保障の調整に関する規則が定める現物給付としてではなく、
サービスの自由移動を根拠として当該治療に要する費用の費用償還を受けることが可
能となった23)。
4.2 国境を越える保健医療サービスにおける患者の権利の行使に関する指令
サービスの自由移動に関する欧州連合運営条約の規定は加盟国に直接適用可能なも
のである。しかし、実際には、この条約の規定だけでは加盟国に残されているサービ
スの自由移動に関する制限を撤廃することは困難であると考えられる。なぜならば、
このような制限をなくすためには、裁判手続きによる個々の案件ごとの処理ではなく、
国内規定間の調整及び加盟国間の行政協力が必要であるからである(Schulte(2010),
p.130)。
このような状況を背景として、開業の自由及びサービスの自由移動のための法的枠
組みを整備することを目的として、2006年に「域内市場におけるサービスに関する指
令」24)が制定された。しかし、保健医療サービスはこの指令の適用対象外とされた。
2004年に欧州委員会(Europäische Kommission)25)から行われたこの指令の最初の提
案では、前述のサービスの自由移動に関する欧州裁判所の判決を踏まえた規定が設け
られていた。しかしながら、この提案は、保健医療サービスの特殊性、特に、保健医
療サービスが複雑であること、多くの人々にとって重要な意味を持つこと及び公的資
金が高い割合で投入されていることが十分に考慮されていないことを理由として、欧
州議会(Europäisches Parlament)26)及び理事会(Rat)27)で拒否された(Schulte(2012),
p.75)。
保健医療サービスに関しては、欧州委員会から2008年 7 月に改めて「国境を越える
保健医療サービスにおける患者の権利の行使に関する指令案」28)が提案された。欧州
委員会は、保健医療サービスの国境を越える提供及び利用に関する前述の欧州裁判所
の判決を踏まえ、この指令を制定することにより、保健医療サービスの提供及び利用
に関する権利の一般的かつ効率的な行使を保障しようとした。
23) 外国で治療を受ける機会は、今のところ極めてわずかしか利用されていない。公的保健医
療支出に占める外国での治療の割合は、増加傾向にあるものの、EU 全体では最大で1%程
度、ドイツでは0.5%程度にすぎない。この原因は、何よりも、外国で治療を受けることに
伴う言語、文化、法の面での障害が実施上の困難として存在することにあると考えられる
(Schulte (2012)、pp.73-74)。
24) Richtlinie über Dienstleistungen im Binnenmarkt, RL 2006/123/EG, ABl. L 376 vom 27.12.2006, S.
36.
25) 欧州委員会は EU 全体の利益を促進するいわば EU の行政府であり、政策執行機関である。
26) 欧州議会は加盟国国民の代表として直接選挙された議員により構成される。
27) 理事会は政策分野ごとに存在し、各加盟国の当該分野の担当大臣により構成される。
28) Vorschlag für eine Richtlinie des Europäischen Parlaments und des Rates über die Ausübung der
Patientenrechte in der grenzüberschreitenden Gesundheitsversorgung, KOM(2008) 414 endgültig.
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年報 公共政策学
Vol. 7
この指令案は、一部修正のうえ、2011年 2 月に理事会で可決され、同年 4 月24日に
「国境を越える保健医療サービスにおける患者の権利の行使に関する指令」29)が施行
された。提案から可決までに2年半もの期間を要した理由は、各加盟国と欧州委員会
及び欧州議会との立場の違いにより多くの点で対立がみられたことである。各加盟国
は欧州裁判所の判決で示された考え方を指令として定めようとしたのに対して、欧州
委員会及び欧州議会は患者の更なる権利と包括的な協力に関する規定をこの指令に定
めたいと考えていた(Baumann(2011),p.186)。この指令の定めは、2013年10月25
日までに各加盟国の国内法により実施されなければならないこととされた。
この指令の目的は、保健医療サービスに関してもオープンな域内市場を作り出すこ
と並びに EU 全体での医療保護の水準を改善することにある。このため、この指令は、
国境を越える治療に関する事前承認と費用償還の枠組み、質の高い、安全な治療の促
進並びに加盟国間の密接な協力の推進について規定している。
この指令によれば、被保険者が国境を越えて治療を受けることにより発生する費用
については、当該治療が管轄加盟国の給付の対象範囲に属するものである限りにおい
て、管轄加盟国による償還が保障される。管轄加盟国は、患者に対して、患者の権利、
それを行使するための手続き、費用償還のルールと条件などに関する情報を提供しな
ければならない。償還される費用の額は、管轄加盟国において当該治療を受けたとす
れば負担される額を限度とする。ただし、それを超える費用(例: 旅費、宿泊費、障
害がある人への付添人の費用)まで負担するかどうかは、各加盟国に委ねられる。ま
た、外国での治療を希望する被保険者は、国内でその給付を受けるために必要な条件
を満たさなければならない30)。
事前承認を条件とすることが認められるのは、質の高い均衡のとれた医療を十分か
つ継続的に受けられることを確保するため又は費用を抑制するとともに資源の浪費を
なくすために計画が必要であり、かつ、治療が入院して行われる場合あるいは費用の
かかる特殊な医療施設・機器が使用される場合などに限定される31)。加盟国は、事前
承認を必要とするケースを定めた場合には欧州委員会に通知しなければならない。
管轄加盟国は、次のような場合には事前承認を拒否することができる。すなわち、
当該患者又は人々が他の加盟国で当該医療を受けることにより安全面での相当のリス
クにさらされる十分な可能性がある場合、選択されたサービス供給者にサービスの質
の基準の順守及び患者の安全確保に関する深刻かつ特別な懸念を抱く理由がある場合、
29) Richtlinie des Europäischen Parlaments und des Rates über die Ausübung der Patientenrechte in der
grenzüberschreitenden Gesundheitsversorgung, RL 2011/24/EU, ABl. L 88 vom 4.4.2011, S. 45.
30) このような条件としては、例えば、ドイツの場合では、入院する場合には開業医の指示が
必要なこと(社会法典第 5 編第39条第 2 項)や医学的リハビリテーションを受けるためには
疾病金庫への申請が必要なこと(同編第40条第 3 項)があげられる。
31) このほかに、特別のリスクを伴う治療の場合や医療の質又は安全性に疑念のあるサービス
供給者による治療の場合にも、事前承認を条件とすることが認められる。
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国境を越える人の移動に対応した医療制度
並びに患者の現在の病状及び予想される病状の推移を考慮して、相当する医療サービ
スを国内でも医学的に容認可能な期間内に提供することが可能な場合である。各加盟
国は、どのような医療サービスについて事前承認が必要かを公示しなければならない。
加盟国は、他の加盟国で治療を受け、その費用の償還を受けるための手続きを、客
観的、公平な基準に基づき、必要かつ適切なものとしなければならない。他の加盟国
での治療についての申請に対する決定には適切な期限が設けられ、それが拒否される
場合にはその理由が示される。
加盟国は相互にこの指針の実施に必要な協力、なかでも質と安全性に関する基準及
び指針の設定に関する協力、国境を越えた治療に伴う問題に関して患者を支援するた
めに各国に設置される窓口に関する情報交換などを推進する。
欧州委員会は、特に希少疾病の分野において、医療供給者及び専門センター間のネ
ットワーク32)の構築に関して加盟国を支援する。また、欧州委員会は、特に希少疾病
に関して、診断と治療の能力を強化するための加盟国間での協力を支援する。
この指令は規則第883/2004号に影響を及ぼさない。したがって、被保険者及びその
家族は、治療を受けることを目的として他の加盟国に行き、規則第883/2004号に基づ
き、その国の被保険者と同様に現物給付として治療を受けることが引き続き可能であ
る。しかし、この場合には、前述のとおり、保険者による事前承認を受けることが条
件となる。一方、この指令に基づけば、被保険者及びその家族は、原則として事前承
認なしに治療を受けるために他の加盟国に行くことができる。ただし、この場合には、
最大でも国内で受けたとすれば負担される金額が償還されるに過ぎない。このため、
場合によっては他の加盟国での治療に要した費用のために少なからぬ自己負担が生じ
る恐れがある(Hernekamp, Jäger-Lindemann(2011),p.406)。
5. 開業の自由
労働者の自由移動は、従属的な就労を行う人の自由移動を保障するものであるのに
対して、開業の自由(欧州連合運営条約第49条)は、自営業を行う人の自由移動及び
事業体の立地選択の自由を保障するものである。このため、開業の自由は、医療保険
に関しては、保険診療に従事する医師などに対して影響を及ぼす。
これとの関連において重要な意味を持っているのは、特定の職業に関する職業資格
の加盟国間での相互承認に関する制度である。加盟国間での人及びサービスの自由移
動に対する障害を除去するという目的を達成するためには、ある加盟国で職業資格を
得た者が他の加盟国で当該資格に関わる職業を行えるようにする必要がある。このた
32) このネットワークの目的は、医学及び医療技術のイノベーションを活用した高度に専門的
な医療の実現に関する協力、疾病に固有の予防に関する知見の獲得と普及、特に専門知識
の集中が必要で、かつ、専門家が少ない領域に属する健康問題を有する患者の診断及び治
療の改善などに貢献することにある。
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年報 公共政策学
Vol. 7
め、欧州連合運営条約第53条第1項は、欧州議会及び理事会がディプロム、試験合格
証明書その他の資格証明書の相互承認に関する指令を制定するものと定めている。
2005年に制定された「職業資格の承認に関する指令」33)は、ある加盟国で職業資格
を取得した者に対して、他の加盟国においてその国の国民と同じ条件で同じ職業に就
き、職業活動を行う保証を与えている。
「職業資格の承認に関する指令」により、医師、看護師、歯科医師、助産師、薬剤
師などの養成教育に対しては、ヨーロッパレベルでの統一された最低基準が適用され
る。これらの職業の資格に関しては、この最低基準を満たす養成教育の修了証明書が
他の加盟国によって自動的に承認される。具体的には、これらの職業資格に関しては、
同指令が定める養成教育に関する最低基準を満たし、かつ、当該職業を行うことを認
める同指令別表Ⅴに掲げる養成教育修了証明書34)に対しては、他の加盟国で当該職業
活動を行うに当たって、当該他の加盟国で交付された養成教育修了証明書と同じ効力
が与えられる35)。したがって、他の加盟国で交付された養成教育修了証明書を所持す
る者について、その者が受けた養成教育の内容を改めて審査すること、そのために終
了した養成教育の内容に関する詳細な情報提供を求めることは許されない
(Europäische Kommission(2005),p.31)
。
この指令に従って、例えば、ドイツにおける医師免許などについて規定する法律で
ある連邦医師法36)第 3 条第 1 項は、前記指令別表 V の5.1.1.に掲げる他の加盟国の
医師に関する養成教育証明書を提示した者は、医師免許を与える条件の一つである
「ドイツの大学で6年以上の医学教育を受け、医師試験に合格したこと」を満たす者と
みなしている37)。
ドイツにおいて医師が医療保険による診療を行うためには、ドイツの医師免許を所
持するだけでは不十分であり、保険医としての認可を受けなければならない。もちろ
ん、保険医としての認可は、申請者が医師免許を有することが前提条件となっている。
しかし、保険医の認可を受けるためには、医師免許を有することのほかに、それぞれ
の専門領域に応じた卒後教育を修了していることが必要となる。また、保険歯科医の
33) Richtlinie über die Anerkennung von Berufsqualifikationen, RL 2005/36/EG, ABl. L 255 vom
30.9.2005, S. 22.
34) 同指令別表 V において加盟国ごとに定められた期日以降に交付された養成教育修了証明
書は、通常の場合、当該養成教育が同指令の定める最低基準を満たしていることを証明す
る。
35) 他の加盟国での資格取得者の資格を承認し、受け入れる国は、その者に対して自国におい
て当該職業を行うために必要な語学力を求めることができる。ただし、この要求は、当該
職業の種類に応じて客観的に必要な語学力の限度を超えてはならないこととされている。
36) Bundesärzteordnung in der Fassung der Bekanntmachung vom 16. April 1987, BGBl. I S. 1218.
37) その他の条件としては、医師としての職業遂行に関して、体面を汚し又は信頼を損ねる罪
を犯したことがないこと、職業遂行に不適切な健康状態にないこと、及び職業遂行に必要
なドイツ語に関する知識を有することが定められている。
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国境を越える人の移動に対応した医療制度
認可を受けるためには、歯科医師免許を有することのほかに、2 年間の準備期間
(Vorbereitungszeit)38)を経過していることが必要となる。他の加盟国の歯科医師免許
を有する者がドイツで保険歯科医の認可申請を拒否されたケースを取り扱った Haim
訴訟39)の判決において、欧州裁判所は 2 年間の準備期間を求めることは資格の相互承
認に関する指令に反しないとの判断を示している。
このように、ある加盟国で職業資格を取得して、他の加盟国で職業活動を行う者に
対して、当該他の加盟国で資格を取得した者にも適用される職業遂行上の更なる条件
を定めることは、それが客観的に正当化されるものであり、かつ、必要性に応じた適
度なものである限りにおいて認められる。
6. まとめ
以上に述べた EU における状況は、医療に関して、国境を越える人の移動に伴い生
じうる問題とそれに対応した取組みの必要性を示している。国境を越える人の移動が
活発になることに伴い、外国に居住し、病気になった場合にもそこで医療を受ける人、
旅行などにより外国に一時的に滞在する間に医療が必要となり、そこで医療を受ける
人、さらには、特定の医療を受けるために外国に行き、そこで医療を受けようとする
人が増加すると考えられる。しかしながら、各国の医療保険制度等はそれぞれの国内
制度として設けられている。それぞれの制度が対象とする被保険者の範囲や給付を受
給するための要件は、基本的に国内に居住する者が国内で医療を受けることを前提に
定められており、各国の制度間での相互の整合性や連携が図られているわけではない。
このために、国境を越えて移動する人は国内にとどまる人に比べて医療に関して不利
な状況におかれる可能性がある。当然のことながら、いずれの国も他の国の医療制度
について定めることはできない。したがって、国境を越えて移動する人がこのような
不利益を受けないようにするためには、EU で行われているような各国間での調整を
図るための制度が必要になると考えられる。
日本においても、人口の減少、製造業の海外移転の増加などの経済・雇用情勢の変
化、アジア市場の拡大などの国際環境の変化に対応して、世界の主要な貿易相手であ
る国や地域との間で高いレベルでの経済連携を推進することが重要な政策課題とされ
ている。また、この場合の経済連携の推進には、物やサービスの貿易を自由化するこ
とにとどまらず、経済関係を強化するために、投資の自由化、規制の緩和、制度の調
和など幅広い分野の取組みが含まれている。
EU における状況からは、このような意味での経済連携の推進が医療制度に与える
影響について次のように考えることができる。各国の国内制度として定められている
38) 準備期間として認められるのは、保険歯科医のアシスタントあるいは代理としての業務、
病院などで勤務医としての業務に従事した期間である。
39) EuGH, Rs. C-319/92, (Salmone Haim), Slg. 1994 I-425.
- 251 -
年報 公共政策学
Vol. 7
医療制度は、各国において独自に発展してきたものであり、その基本的な考え方や具
体的な制度の在り方はそれぞれの歴史的・文化的・社会的・経済的な背景の違いを反
映して、実に多様なものとなっている。経済連携が推進されるなかで、このような各
国の医療制度を統一的な目的及び基準に適合させる「ハーモナイゼーション」を行う
ことについて各国の合意が容易に得られるとは考え難い。また、複数の国を対象とし
た医療制度(例えば、複数の国にまたがる公的医療保険制度)が近い将来に構築され
るとも見込めない。
しかしながら、医療制度を経済連携の推進とは無関係の分野であると位置づけるこ
ともできない。経済連携を推進する上で、国境を越えて就労することやサービスを利
用することをより自由にすることはその重要な目的の一つになると考えられる。この
ような観点から、国境を越えて就労する人々に対する医療の保障、国境を越えた医療
サービスの利用、外国で医療サービスの提供に従事する医療専門職の資格の相互承認
などに関して、各国間での取り決めが行われる可能性がある。そうなれば、各国がそ
れぞれの責任で定める医療制度にもこうした各国間での取り決めが重要な影響を及ぼ
すことになると考えられる。
[付
記]
本稿は、JSPS 科研費24530693の助成を受けた「国境を越える人の移動に対応した社会保障の
在り方に関する研究」の成果に基づくものである。また、本稿は、社会政策学会第125回
(2012年秋季)大会における報告を基に加筆修正したものである。同学会での報告に対して有
益なコメントを頂いたことに感謝の意を表したい。
引 用 文 献
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- 253 -
年報 公共政策学
Vol. 7
Medical care systems for persons who move across
national borders
MATSUMOTO Katsuaki
Abstract
For increasing persons who move across national borders, it is very important that they can
get appropriate medical care. The EU has taken active measures in the field of medical care
systems to ensure the free movement of persons.
This paper examines these measures and discusses medical care systems for those persons.
The analysis suggests that coordination of national systems is necessary for protecting their
positions in medical care systems. It illustrates also influences of the comprehensive economic
partnerships on medical care systems.
Keywords
EU, medical care system, economic partnership, coordination regulation
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特区制度における規制改革の課題と展望
特区制度における規制改革の課題と展望
―構造改革特区を事例に―
若生
幸也
1. はじめに
日本の経済社会が少子高齢化・人口減少・グローバル化などの課題に直面する中で、
経済社会の持続的発展を実現するため、規制改革は1980年代後半以降、重要な政策課
題として急速に浮上した。その流れの中で、本稿が取り上げる構造改革特区制度は、
実情に合わなくなった国の規制が、民間主体の経済活動や地方自治体の事業を妨げて
おり、経済社会の持続的発展の障害になっているという問題意識から2002年に生まれ
た制度である。
構造改革特区制度は規制のみを対象としており、「提案」と「認定」のプロセスを
持つことに特徴がある。「提案」は地方自治体・民間主体等が規制改革案を発案し、
その申請主体の代理人となった内閣官房が規制所管府省と協議を行い、規制改革案が
採択されると実行に向けた規制改革メニューを形成する仕組みとなっている。また
「認定」は形成された規制改革メニューを利用し、地方自治体が内閣官房に対し当該
地域を特区として認めるよう申請する仕組みである。
構造改革特区制度の目的は、構造改革特別区域法の第 1 条 1)に定められている。そ
の具体的内容は、「ア)特定の地域における構造改革の成功事例を示すことにより、
十分な評価を通じ、全国的な構造改革へと波及させ、我が国全体の経済の活性化を実
現すること、イ)地域の特性を顕在化し、その特性に応じた産業の集積や新規産業の
創出、消費者・需要家利益の増進等により、地域の活性化につなげること」2)の 2 つ
である。
この構造改革特区制度におけるトリガー的要素は、提案を通じた規制改革メニュー

北海道大学公共政策大学院専任講師
〒060-0809 北海道札幌市北区北 9 条西 7 丁目北海道大学公共政策大学院
[email protected]
1) 構造改革特別区域法(目的)第 1 条 この法律は、地方公共団体の自発性を最大限に尊重し
た構造改革特別区域を設定し、当該地域の特性に応じた規制の特例措置の適用を受けて地方
公共団体が特定の事業を実施し又はその実施を促進することにより、教育、物流、研究開発、
農業、社会福祉その他の分野における経済社会の構造改革を推進するとともに地域の活性化
を図り、もって国民生活の向上及び国民経済の発展に寄与することを目的とする。
2) 「構造改革特別区域基本方針」、p.3
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou2/hourei/030124/030124tokurei_091001.pdf
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年報 公共政策学
Vol. 7
の形成にある。構造改革特区制度は、地方自治体・民間主体等からの提案を集積した
規制改革メニューを充実させ、改革を進めるべき規制対象をボトムアップ型で認識し、
共有する構造を持つ。規制改革メニューの多くは特区化されたのちに、内閣に設置さ
れた構造改革特別区域推進本部内の第三者機関(評価・調査委員会)による評価を経
て全国化される。
このため、規制改革メニューの「量」と「質」を向上させない限り、構造改革特区
制度が規制改革に果たす役割、そして日本の経済社会全体の持続的発展に結びつく政
策的効果の帰着も限定的なものとならざるを得ない。政府は「構造改革」を、「新た
な経済社会の環境に、企業、地域、個人が柔軟に対応し、その持てる能力が最大限に
発揮されるよう、制度や政策、更に政府の在り方そのものを変革する不断の取組」3)
と定義づけている。規制改革の政策効果の帰着点である「制度や政策、更に政府の在
り方そのもの」の変革を行うためには、経済社会の発展を阻害している制度等につい
て継続的かつ包括的に見直す必要がある。
しかし、足元の構造改革特区制度の現状は時を経るにつれて、提案数、採択数が量
的に急速に減少しており、採択された規制改革メニューの質においてもその検証が必
要な段階に来ている。本稿ではこうした現状に対して、構造改革特区制度の提案・採
択状況、採択規制の質等を把握し、その変化要因を明らかにした上で、今後の方向性
を検討する。なお、本稿では、規制改革メニューの質について国の行政内部での意思
決定に関する困難性に着目し検証することにしたい。
2. 特区制度に関する先行研究と本稿における分析枠組み
特区制度に関する先行研究は、構造改革特区制度が2002年に開始されたこともあり、
多くが個別事例研究の領域にとどまり、特区制度全体に視野を広げた包括的・体系的
な論考は少ない。その中で制度面全体に視野を広げた論考として、まず植田は1980年
代の産業規制改革からの流れ、他国における規制改革との違いを整理した上で、規制
改革における特区制度の位置づけを論じている 4)。植田は、構造改革特区制度が規制
改革に果たす役割は大きくないと結論づけている。その理由として、①提案や申請件
数が漸減傾向にあること、②全国展開により発生する弊害について規制所管府省に立
証責任を課しているが、立証すべき期限が明示されていないこと、③半年の間に提案
募集から認定を行わなければならず、合意に時間的猶予のかかる規制改革の「本丸」
は先送りされる懸念があること、を指摘している。植田の論考は、①構造改革特区制
度初期のものである点、②構造改革特区制度が規制改革に果たす役割が小さい理由を、
提案・申請件数・認定事業数の減少傾向等、量や手続面に限定して検証している点に
3) 「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2004」、p.3
http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2004/040604kaikaku.pdf
4) 植田(2004)
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特区制度における規制改革の課題と展望
特徴がある。
次に服部は、構造改革特区制度を①「全員参加型政策立案モデル」(すべての人に
規制改革に関する政策立案の機会を開放)、②「合理的判断ゲームモデル」(規制所管
府省が個別の政策提案に合理的判断をもって検討せざるを得ない強制的な場面を設
定)、③「地方自治体関与型制度改革モデル」(規制の特例による事業の実施に地方自
治体が関与することで、弊害が生じた場合の被害の拡大防止や速やかな現状復帰等の
対応を確保)の 3 つに分け、政策決定プロセスの側面からモデルによる類型化を行い、
構造改革特区制度の課題を導出している 5)。導出した課題としては、①政策への参加
機会を保証するだけでは、実際の政策参加が増加するとは限らないこと、②実現可能
性の低い提案にも人的・時間的コストがかかること、③多面的な議論が尽くされず政
策が実現され、特定利益に寄与するなど政策偏向の危険性があること、④全国化に際
して限定的な要件緩和や煩雑な手続の解消など、規制ユーザーの利便性を高めるため
の検証を行い、さらなる制度イノベーションを図る制度になっていないこと、などを
挙げている。
また小野は、構造改革特区制度により生まれた地域限定の規制改革を、広く全国展
開するために必要な条件としてプログラム評価の導入を検討している 6)。小野はプロ
グラム評価導入の目的を、①プログラム評価によって定量的評価も含め評価の客観性
を確保すること、②規制改革の実行サイクルを確立すること、などを挙げている。こ
れらを踏まえ、プログラム評価導入にあたっての条件(①評価体制・②評価デザイン
の実施・③評価結果を活用する仕組み)を整理している。この小野の論考は、①構造
改革特区制度初期のものである点と、②規制改革メニュー化された規制の法的効力か
らの分析がなされていない点で限界がある。
さらに、構造改革特区制度の成立過程や特区制度の評価・検証システム、構造改革
特区のデータ分析、類似制度との比較、地方自治体に対するアンケート調査、分野別
事例分析、海外における類似制度との比較等の包括的・体系的な整理を行った研究と
して、東京市政調査会研究室の論考 7)があるが、これも小野論文と同様の課題を抱え
る。
以上の先行研究等を踏まえつつ、本稿で①構造改革特区制度導入後10年が経過した
時点で再検証を行う点と、②国の行政内部での意思決定に関する困難性の側面からの
質の検証を中心とする点で新たな視点を組み込む。そして、今まで日本で行われてき
た様々な特区及び特区関連制度の位置づけを(1)規制改革の有無と(2)財政・金融
措置の有無、を軸として整理し、構造改革特区制度の特性を明らかにする。
また、構造改革特区における提案申請数・採択数の推移を概観した上で(量的側
5)
6)
7)
服部(2007)、pp.35-41
小野(2004)、pp.88-103
東京市政調査会研究室(2007)
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年報 公共政策学
Vol. 7
面)、メニュー化された規制改革について、前述したように国の行政内部での意思決
定に関する困難性の側面からの質を検証する。困難性から見た質については、(1)規
制の法的効力の位置づけ(規制種別)を中心軸とし、
(2)特区または全国展開、(3)
府省連携の有無の視点から検証する。中心軸である(1)「規制の法的効力の位置づ
け」は、一般法に近づくほど規制改革の効力が普遍化されることを基本とする。効力
上位の法規範に基づく規制改革は、一般的により広範な利害関係の調整と克服を伴う
ことが多く、行政内部での意思決定の困難性が高まると仮説を設定することによる。
また(2)「特区または全国展開」については、一般に地域を限定した特区よりも全国
展開の規制改革は対象地域が広くなり、地域ごとの特性や地域間の利害関係等の複雑
な構造を抱えるため、行政内部での意思決定の困難性が高まると考える。ただし、社
会的規制の中には医療・福祉等の全国一律基準を重視する規制分野が含まれており、
全国展開よりも特区の方が行政内部での意思決定の困難性が高まる場合があることに
は留意すべきである。さらに(3)「府省連携の有無」については、府省連携が必要な
規制改革の場合、行政組織の縦割りを超えた利害調整が必要となるため、行政内部で
の意思決定の困難性は一般的に高くなると考える。
なお、規制の構成要素を分解すると、①規制主体、②規制内容、③規制対象に分け
ることができる。①規制主体は(3)府省連携、②規制内容は(1)規制種別、③規制
対象は(2)対象地域、とそれぞれの分析軸が対応している。
これらの評価軸を踏まえた上で、特区制度における規制改革の課題を整理し、今後
の特区制度の方向性を整理する。
3. 特区及び特区関連制度の位置づけ
現在までの特区及び特区関連制度の位置づけを整理するため、特区の類型を明確化
する。類型を明確化する要素は特区における特例措置である(1)規制改革の有無と
(2)財政・金融措置の有無である(図 1 参照)8)。
これらの軸を用いると、財政・金融措置がなく規制
改革をとる①「規制緩和特区」、規制改革がなく財
政・金融措置をとる②「保税特区(税制緩和特区)」、
規制改革及び財政・金融措置をとる③「税制・規制
緩和特区」に分類できる。日本における特区及び特
区関連制度も、①規制緩和特区は(a)構造改革特
区、②保税特区は(b)沖縄経済特区、③税制・規
制緩和特区は(c)地域再生制度・(d)総合特区と
それぞれ分類できる。
図1. 特区及び特区関連
制度の位置づけ
8)
伊藤(2011)、p.1
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特区制度における規制改革の課題と展望
表1. 特区及び特区関連制度の概要
(出典)内閣官房「構造改革特区~地域特性を活かして魅力を創出~」9)、「地域再生制度の概要」10)、「総
合特区制度について」11)をもとに作成
各特区及び特区関連制度の概要は表 1 のとおりである。(a)構造改革特区は、規制
改革のみを対象として、財政・金融措置を対象としない制度で、2002年に構造改革特
別区域法により定められた。構造改革特区による規制改革は全国の構造改革の突破口
として位置づけられているため、一定期間経過後、有識者等の第三者で構成される評
価・調査委員会が支障がないと判断した場合、全国展開を図ることになっている。ま
た、全国展開に係る支障有無の挙証責任は規制所管府省にあることから、全国展開の
意思決定を前提とした仕組みとなっている。
(b)沖縄経済特区は、規制改革を対象とせず、財政・金融措置を対象とする制度で
ある。沖縄振興開発特別措置法に基づき、1987年に設置された自由貿易地域(那覇
市)、1999年に設置された特別自由貿易地域(うるま市)、2002年に設置された金融業
務特別地区(名護市)、2002年に設置された情報通信産業特別地区(那覇市・浦添
市・名護市・宜野座市)が対象となっている。なお、沖縄経済特区は、沖縄振興開発
特別措置法による関税・税制・金融上の優遇措置のため、全国展開を想定していない。
(c)地域再生制度・(d)総合特区は、規制改革及び財政・金融措置を一体的に対象
とする制度で、(c)地域再生制度は地域再生法(2005年)、(d)総合特区は総合特別
区域法(2011年)により定められている。(c)地域再生制度は、構造改革特区と同様
の仕組みであり、規制改革及び財政・金融措置の提案を地方自治体・民間主体等から
受け、内閣官房が各制度所管府省と折衝することで、地域再生メニューを形成する。
この地域再生メニューに基づき、各地方自治体からの地域再生計画の申請を受け、内
閣官房が認定すると規制改革及び財政・金融措置の特例が受けられる仕組みである。
地域再生制度における規制改革案は、構造改革特区提案と一体的に処理されており、
9) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou2/kouhyou/panf/index.html
10) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiikisaisei/siryou/gaiyou.pdf
11) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/pdf/101224tokku_seido.pdf
- 259 -
年報 公共政策学
Vol. 7
規制改革の観点からは同質であると言える。そのため、規制改革メニューにおける全
国展開の位置づけも構造改革特区同様、前提とした仕組みとなっている。
(d)総合特区は、他の特区及び特区関連制度とは異なり、「国と地方の協議会」で
推進方策が協議される点に特徴がある。この協議会で、規制改革及び財政・金融措置
の具体化が図られる。全国展開については、第14回総合特別区域評価・調査検討会に
おいて、評価対象とするか否かを要検討としており、構造改革特区に比べ全国展開に
対して慎重な位置づけとなっている12)。
これらの各特区及び特区関連制度の異同を踏まえた上で、本稿の中心的検討対象で
ある構造改革特区制度と規制改革との関係を次章で論じる。
4. 構造改革特区提案と規制改革との関係分析
4.1 構造改革特区提案数と採択数分析
4.1.1 構造改革特区提案数と採択数の推移
構造改革特区提案における量的側面を分析する。表 2 からも明らかなとおり、構造
改革特区の提案数は回を追うごとに減少傾向にある13)。また、特区化された件数を提
案数で除した特区化率も近年大幅に低下している。
表2. 構造改革特区の提案数及び実現数(率)の推移
(出典)構造改革特区推進会議「特区提案1-11次(事項)データ」及び内閣官房「構造改革特区に関する当
事務局と各府省庁のやりとり」資料14)をもとに作成
12) 内閣官房ウェブサイト「総合特別区域評価・調査検討会 第14回資料」(2012年 9 月14日
開催)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/sogotoc/kentoukai/dai14/siryou.pdf
13) 第10回以降は、地域再生制度(規制改革分)も一体的に処理されているため、純粋な構造
改革特区提案件数ではないが、それを含めても大幅に減少している。
14) 構造改革特区推進会議が作成した特区事項データ(第 1 回(2002年 7 月-10月)、第 5 回
(2004年 6 月- 9 月)、第10回(2006年10月-2007年 2 月))http://www.mmjp.or.jp/gyoukaku/
tokku/tokkujikou1-11.zip及び構造改革特別区域推進本部の府省折衝データ(第15回(2009
年 6 月-11月)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou2/091119/kaitou.html、第20回(2011年 6
月-10月))http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou2/kentou/20th/saisyu_kaitou.html
- 260 -
特区制度における規制改革の課題と展望
なお、特区として提案した規制改革案は、例えば医療・福祉分野等全国一律の規制
効力を確保したい規制所管府省の意向により、当初から全国展開されることもある。
全国化した件数を提案数(新規申請分)で除した全国化(新規)率も回を追うごとに
低下傾向であったが、近年若干上向きの傾向を示している。上向きの傾向を示した要
因は、東日本大震災復興関連の規制改革案がメニュー化されたためである。また、提
案の中で継続検討とされた規制改革案(検討化数)が事後に全国化されるパターンも
ある。
これらを整理すると、地方自治体・民間主体等からの提案数や全国化数の減少傾向
は大きいものの、それ以上に特区化数は減少傾向にあり、近年の提案は特区化されに
くいことが読み取れる。
4.1.2 構造改革特区採択数及び提案数減少の要因
構造改革特区を、①採択数の減少と②提案数の減少に分けて整理する。①採択数減
少の一因は、内閣官房と規制所管府省との折衝が十分な成果を生み出していない点に
求められる。
折衝後変更率15)は第 1 回が8.5%だったものの、第10回以降は 2 %台で推移してい
る(表 3 参照)。また特区化寄与率及び全国化(新規)寄与率16)は、折衝後変更とな
表3. 内閣官房と規制所管府省との折衝による規制改革項目数の推移
(出典)構造改革特区推進会議「特区提案1-11次(事項)データ」及び内閣官房「構造改革特区に関する当
事務局と各府省庁のやりとり」資料17)をもとに作成
15) 折衝後変更ありの数値は、内閣官房と規制所管府省との折衝が複数回にわたった場合に、
「対応不可」・「事実誤認」の評価カテゴリから「特区化」・「全国化」・「現行制度で可能」
に変化した規制改革案数を示す。
16) 折衝後変更ありの数値を特区化数及び全国化(新規)数で除した値である。
17) 前掲 14)参照
- 261 -
年報 公共政策学
Vol. 7
った規制改革が全体の特区化及び全国化にどの程度寄与しているかを示している。第
1 回から第10回までは折衝が採択(特区化及び全国化)に一定程度寄与していたもの
の、第15回及び第20回は全く寄与していないことが分かる。同様に、特区化数、全国
化数も低迷しており、折衝の役割低下は採択率の低下に結びついていると言える。つ
まり、内閣官房が規制所管府省との折衝を行ったとしても、地方自治体や民間主体等
が提案した規制改革案のメニュー化にはつながりづらくなっており、構造改革特区制
度のトリガーたるメニュー化自体が劣化していることが分かる。なお、対応不可とな
った規制改革案のうち、経済的及び社会的にニーズが大きいと判断したものについて
は、2005年から内閣に設置された構造改革特別区域推進本部内の第三者機関である
「有識者会議」で検討されるようになった。本会議は2005年度に18件、2006年度に 6
件の規制改革に向けた意見を構造改革特別区域推進本部長(総理大臣)に提出した18)。
2007年以降は従来の全国化の可否を検討していた評価委員会と合流した「評価・調
査委員会」がこの業務を引き継いでいる。本委員会は2007年度に 3 件、2008年度に 7
件、2009年度に 3 件、2012年度に 1 件の規制改革意見を構造改革特別区域推進本部長
に提出した19)。しかしながら、これらの意見数は膨大な規制改革案のうちのわずかな
数でしかない。例えば2008年度の評価・調査委員会では、第 7 次提案から第12次提案
までの約1,300項目の候補のうちの 8 件(意見提出は 7 件)を検討の対象としている。
このように現状の評価・調査委員会の対応不可となった規制改革案を再検証し再度規
制改革メニュー化する機能は、少なくとも物理的に強い限定性があると言わざるを得
ない。
②提案数減少の原因について、東京市政調査会研究室では、「制度導入時に想定さ
れていた規制改革の主要項目がほぼ出揃ってしまったことにある」20)と指摘する。想
定されていた規制改革とは、規制所管府省内で既に検討されていた規制改革分野であ
り、これらは構造改革特区制度導入時に例示された。「これらが一巡した後は、地域
固有の問題意識に基づく提案、逆に言えば国が事前に想定していなかった提案が総体
的に増えていき、また分権的提案も総体的に増加」した。「こうした提案に対して各
所管省庁の理解を直ちに得ることは極めて難しく、実現率の著しい低下を招くことに
なった。この実現率の低下は、提案者側に『提案疲れ』を引き起こし、提案数のさら
なる減少という結果をもたらすことになった」と整理している。並河も「担当者の提
案疲れ」を指摘している。特に年2回実施される構造改革特区提案受付時に「熱心な
首長のところでは何か出せと要求されることも多い。これでは発想は枯渇してしま
18) 内閣官房ウェブサイト「構造改革特区における有識者会議について」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou2/yusikisya/kaisai.html
19) 内閣官房ウェブサイト「評価・調査委員会について」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou2/hyouka_chousa.html
20) 東京市政調査会研究室(2007)、p.297,298
- 262 -
特区制度における規制改革の課題と展望
う」21)と提案数減少の要因を示している。
この整理と併せて考慮すべき点は、東京市政調査会研究室による特区提案の方法に
ついての地方自治体へのアンケート調査結果である22)。提案方法は最も多い選択肢か
ら順に、「所管部局から自発的に」(38.4%)、「取りまとめ部局等から所管部局へ働き
かけて」(31.5%)、「民間企業、NPO 等からの発案があって」(12.0%)、「都道府県
からの働きかけがあって」
(6.7%)となっている。想定されていた規制改革案のメニ
ュー化が一巡した後には、各地方自治体が一層自発的な問題意識により提案を行う必
要がある。
4.2 構造改革特区提案における採択規制の分析
4.2.1 構造改革特区提案における規制種別と特区化・全国化との関係分析
次に規制改革メニューの行政内部における意思決定の困難性からの質的分析を行う。
その分析枠組みは、「2.
特区制度に関する先行研究と本稿における分析枠組み」で
既に述べたとおりである。
表 4 では、第 1 回・第 5 回・第10回・第15回・第20回の構造改革特区提案における
規制種別と特区化・全国化された規制改革案との関係を示している。地方自治体や民
間主体等から申請された規制改革案は、内閣官房と規制所管府省との合意が形成され、
表4. 規制種別と特区化・全国化された規制改革案との関係
(出典)構造改革特区推進会議「特区提案1-11次(事項)データ」及び内閣官房「構造改革特区に関する当
事務局と各府省庁のやりとり」資料23)をもとに作成
21) 並河(2006)、p.83,84
22) 東京市政調査会研究室(2007)、p.133
23) 前掲 14)参照
- 263 -
年報 公共政策学
Vol. 7
特区または全国展開の規制改革メニューとして採択される場合と、合意形成されず採
択されない場合がある。規制改革案は法的効力の異なる規制を束にしており、そのう
ち一部が採択されることもある。このため、規制の束の中で効力下位の規制のみが採
択された場合、申請ベースよりも法的効力が弱いレベルの規制改革メニューとして採
択される。
先にも見たように、規制改革メニューでは全国化数(216件)が特区化数(134件)
を上回っている。申請ベースで最も件数の多かった行政法は、採択ベース(特区化+
全国化)では減少している(申請973件・採択97件)。採択ベースでは代わって、政
令・省令・告示が増加する傾向にある(申請430件・採択116件)。
申請ベースと採択ベースにおける規制種別の構成比を比較すると、一般法が19.4%
から18.9%、行政法が43.5%から27.7%、業法が12.8%から13.4%、政令・省令・告
示が19.2%から33.1%、通達・通知が5.1%から6.9%へと変化している。つまり、申
請ベースと比較し採択された規制改革案は、法的効力の弱い規制種別が中心となって
いる。
次に、採択された規制改革案に占める特区化と全国化の比率を規制種別ごとに整理
する。一般法(特区化率22.7%・全国化率77.3%)、行政法(特区化率37.1%・全国
化率62.9%)、政令・省令・告示(特区化率41.4%・全国化率58.6%)は全国化され
る傾向が強く、業法(特区化率48.9%・全国化率51.1%)、通達・通知(特区化率
50.0%・全国化率50.0%)は明確な違いが見られない。
このように申請ベースよりも法的効力の弱い規制改革案が採択され、特区化よりも
全国化が採択される傾向にあることが分かる。ここで注意すべきは、経済的規制と社
会的規制の区分である。経済的規制とは、新庄の定義によると「公的な直接規制のう
ち、自然独占性や情報の偏在が見られる分野において、資源配分非効率の発生の防止
や消費者保護を主な目的として、企業の参入・退出、価格、サービスの質および量、
投資、財務などさまざまな項目について」24)の規制である。例えば、需給調整の観点
から行われる参入規制や価格規制などが代表例である。
また社会的規制とは、「公的な直接規制のうち、消費者や労働者の安全・健康の確
保、環境の保全、災害の防止などを目的として、商品・サービスの質やその提供に伴
う各種の活動に一定の基準を設定したり、制限を加えたりするもの」25)である。保
健・衛生分野、公害・廃棄物・環境保全分野、雇用分野などに多い。
「経済的規制は原則撤廃し、社会的規制も最小限度に限定する」26)という内閣府規
制改革会議の方向性が示されており、経済的規制の改革に関する意思決定の合意が形
24) 新庄(2003)、p.305,306
25) 新庄(2003)、p.306,307
26) 内閣府規制改革会議「規制改革推進のための3か年計画(再改定)」、p.204
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2009/0331/item090331_03-03.pdf
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特区制度における規制改革の課題と展望
表5. 特区化・全国化された規制改革案と経済的規制・社会的規制との関係
(出典)構造改革特区推進会議「特区提案1-11次(事項)データ」及び内閣官房「構造改革特区に関する当
事務局と各府省庁のやりとり」資料27)をもとに作成
成されやすい環境にあると言える。そのため、経済的規制に係る規制改革を優先的に
進めるべきという方向性が導き出されやすい。
これらを踏まえた上で、まず申請ベースと採択ベースの経済的規制と社会的規制の
構成比率を整理する(表 5 参照)。申請ベースでは、経済的規制が22.8%、社会的規
制が77.2%であるのに対して、採択ベースでは、経済的規制が23.1%、社会的規制が
76.9%となっている。つまり、申請ベースと比較して、採択された経済的規制・社会
的規制の構成比率はほとんど違いがない。
次に、経済的規制と社会的規制における特区化・全国化の構成比率を申請ベースと
比較し整理する。経済的規制における申請は22.8%、特区化は38.1%、全国化は
13.9%であるのに対して、社会的規制における申請は77.2%、特区化は61.9%、全国
化は86.1%となっている。つまり、申請ベースと比較して、経済的規制は特区化され、
社会的規制は全国化される傾向にある。これは医療・福祉分野等をはじめとした社会
的規制が経済的規制に比べ、地域的特殊性よりも全国統一基準を重視するため、特区
化に向けた困難性がむしろ相対的に高くなる点に留意が必要である。それと比較する
と経済的規制は地域的特殊性との親和性を整理しやすく、特区化の困難性が相対的に
低くなる。
なお、構造改革特区提案全体として全国化が採択される理由は、採択された規制改
革案全体(350件)の中で、全国統一基準を重視する社会的規制(全国化採択分186
件)の占める割合が53.1%と大きく、この影響を受けているためである。
27) 前掲 14)参照
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年報 公共政策学
Vol. 7
4.2.2 構造改革特区提案における規制種別と府省連携との関係分析
次に、規制種別と府省連携との関係を整理する。単独府省で改革可能な規制と比較
して、複数府省にまたがった規制は縦割りの構造を克服する必要があり、行政内部で
の意思決定の困難性が一般的に高い。
これらを踏まえた上で、まず申請ベースと採択ベースの府省連携なしの規制と府省
連携ありの規制の構成比率を整理する(表 6 参照)。申請ベースでは、府省連携なし
が86.1%、連携ありが13.9%であるのに対し、採択ベースでは、連携なしが92.9%、
連携ありが7.1%となっている。つまり、構造改革特区提案で採択された規制改革案
の多くは、府省連携が必要ない規制項目であり、申請ベースよりも府省連携が必要な
規制は、行政内部での意思決定の困難性が高く採択されにくい傾向にある。
次に、申請ベースと採択ベースにおける府省連携ありの規制種別の構成比率を比較
すると、一般法が21.9%から23.1%、行政法が57.4%から30.8%、業法が3.9%から
0.0%、政令・省令・告示が12.9%から23.1%、通達・通知が3.9%から23.1%へと変
化している。つまり、府省連携の必要な規制改革案が採択されたとしても、全般的に
は申請ベースより法的効力の弱い規制が中心となっている。
表6. 規制種別と府省連携の有無との関係
(出典)構造改革特区推進会議「特区提案1-11次(事項)データ」及び内閣官房「構造改革特区に関する当
事務局と各府省庁のやりとり」資料28)をもとに作成
4.2.3 構造改革特区提案における採択規制の課題
これまで整理してきたように、近年、構造改革特区制度で実現した規制改革の多く
は、総じて規制の法的効力が弱く、規制所管府省にとって意思決定の困難性の低いも
のとなっている。今後の構造改革特区制度の展開に向けては、採択された規制改革案
28) 前掲 14)参照
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特区制度における規制改革の課題と展望
の法的効力の弱さや行政内部での意思決定の困難性の低い規制改革案が採択される要
因を明らかにする必要がある。申請ベースでも法的効力が弱く、意思決定の困難性の
低い規制改革案が申請されていれば、地方自治体・民間主体等申請側の問題となる。
しかし最も重要な点は、行政内部での意思決定の困難性の高い規制改革案は採択され
ず、困難性の低い規制改革案が採択されていることである。つまり、内閣官房と規制
所管府省との折衝や評価・調査委員会の意見が、行政内部での意思決定の困難性の高
い規制改革案をメニュー化するにあたって十分な成果を生み出せていないことが重要
な課題として指摘できる。
この課題を解決するにあたって検討すべきは、政策決定に関する①合理的形成仮説
と②組織的形成仮説による違いである29)。①合理的形成仮説とは、公共政策を目的と
手段の連鎖構造としてとらえ、社会科学的分析手段を評価結果に結びつける考え方を
指す。この考え方は、科学的分析手段でもたらされる結論を、公共政策上の次の意思
決定に必ずフィードバックし連動させることを基軸としている。
対照的に②組織的形成仮説では、評価結果を次の公共政策の意思決定にフィードバ
ックし連動させることを必ずしも目的としていない。評価結果の公表は、行政内部や
国民に対する教育的・情報共有的性格を強くし、アクター相互間の利害調整を優先し
やすいため見直しのスピードも漸次的となりやすい。
現状の構造改革特区制度は、基本的に②組織的形成仮説を基に設計された制度と言
える。それは、規制改革メニューの形成にあたって、統一的な社会科学的分析手段を
活用しておらず、公共政策上の次の意思決定に必ずフィードバックし連動させる仕組
みとはなっていないためである。そのため、内閣官房と規制所管府省との折衝はアク
ター間の政治的・行政的・業界的パワーゲームとしての性格を強めており、十分な成
果が生み出せなくなっている。そのため、見直しを漸次的性格から少しでも量・質の
両面で改善するには、構造改革特区制度に①合理的形成仮説の要素、すなわち統一的
な分析評価プロセスを加えることが今後の方向性として想定できる。
5. 今後の構造改革特区制度の方向性
5.1 規制改革メニュー採択プロセス改善に向けた取組み
規制改革メニュー採択プロセス改善に向けては、(1)第三者委員会の機能強化、
(2)ターゲット規制改革分野の設定が求められるものの、その前提として統一的分析
評価軸の設定が必要である。
内閣官房と規制所管府省との折衝の状況を調査・評価するために、現状の(1)第
三者委員会の機能強化が求められる。現在の評価・調査委員会は、特区を全国展開す
るか否かを判断する評価と経済的・社会的意義の高い未実現提案の再検討を実施して
29) 宮脇(2011)pp.262-266
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年報 公共政策学
Vol. 7
いる。しかし委員会は、全国展開に関する評価に重点を置いて活動しており、未実現
提案の再検討は従たる位置づけとなっている。未実現提案の再検討を行うことはもち
ろん重要であるが、各回の構造改革特区提案の折衝における規制所管府省からの初回
回答及び再検討回答の発出時に評価・調査委員会を開催し、その回答を検証する必要
があると考えられる。
この評価・調査委員会の課題として、規制改革案をメニュー化するための統一的評
価軸が形成されていない点が指摘できる。全国展開に関する評価では、特区認定を受
けた地方自治体に対してアンケートやヒアリングを実施することもある。しかし、そ
の評価軸は特区ごとに異なり、かつ多くが定量化されていない。共通の評価軸がない
と、内閣官房と規制所管府省とのパワーゲームで規制改革案のメニュー化が定性的に
決定され、組織的形成仮説の側面を強くする。
この克服に向けて、統一的評価軸としてまず指摘できるのは費用便益分析の活用で
ある。この評価軸は、全国展開の可否検討時や未実現提案の再検討時、内閣官房と規
制所管府省との折衝の検証時に活用する。便益が費用を超えているにもかかわらず、
規制所管府省が規制改革案のメニュー化を行わない場合には、その根拠を規制所管府
省が明示するよう義務づける。このように、組織的形成仮説を基に設計された構造改
革特区制度に、合理的形成仮説の要素を加えることで、調査・評価委員会の機能強化
を図る。
費用便益分析の実施にあたっては、総務省行政評価局の資源を活用することが想定
される。現在でも、内閣官房が実施する規制所管府省の全国化対応状況の調査に際し
て、総務省行政評価局に対して協力依頼を行うことができる30)。評価・調査委員会や
内閣官房が費用便益分析を実施することも想定できるが、必要に応じて総務省行政評
価局に費用便益分析を依頼可能な体制を構築する。
費用便益分析は、「規制の事前評価の実施に関するガイドライン」31)を基準として、
「規制の事前評価マニュアル」32)を参考に実施する。このマニュアルでは、①規制の
目的、内容及び必要性の定義、②費用及び便益の分析(共通事項の検討・費用の分
析・便益の分析)、③費用と便益の関係の分析、④代替案との比較、⑤評価書の作成
などのプロセスを定義し、各段階での実施事項・留意点・アウトプットイメージ・諸
外国の事例等を明示している。2004年から2007年まで試行的に規制の事前評価が行わ
れたが、評価された規制247件のうち効果を定量化したのは26件(10.5%)であり、
30) 「構造改革特別区域基本方針」、p.13,14
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou2/hourei/030124/030124tokurei_091001.pdf
31) 総務省行政評価局「規制の事前評価の実施に関するガイドライン」
(平成19年 8 月24日政策
評価各府省連絡会議了承)
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/seisaku_n/pdf/070824_2.pdf
32) 総務省行政評価局「規制の事前評価マニュアル―定量分析の充実のために」
http://www.soumu.go.jp/main_content/000070803.pdf
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特区制度における規制改革の課題と展望
ほとんどが定性的な評価にとどまった33)。そのため、規制改革メニュー化にあたって
の事前評価では、マニュアルを活用した定量的な評価(費用便益分析)が求められる。
もちろん、費用便益分析にも課題は多い。特に、②費用及び便益の分析と④代替案
との比較には様々な留意点がある。②費用及び便益の分析では、規制改革の費用及び
便益がすべて計上できるよう十分な長さの期間を設定することが必要となる。また現
在の規制が維持された場合の変化を、社会経済情勢の変化を踏まえてベースラインと
して設定する。
④代替案との比較は、ベースラインを前提とした現在の規制が維持された状態とメ
ニュー化予定の規制(撤廃も含む)が制定された状態との比較が望ましい。比較対象
はこの 2 つを基本として設定する。なお、費用便益分析を実施するには一定の期間が
必要となるため、内閣官房と規制所管府省との折衝期間の延長も考慮する必要がある。
費用便益分析は、ひとつの基準であり、抱える問題点もある。しかし、多くの規制に
対して統一的な評価軸を設定し、それをベースに相互比較による客観的な議論を展開
する土台を形成することが可能となる。
その他、全国展開に対する評価を中心に、費用便益分析と併せてインパクト評価も
活用可能である。インパクト評価とは、「施策や事業実施が対象社会に引き起こした
変化を精緻に測定する評価アプローチ」である34)。インパクト評価では事業が実施さ
れた状況と、仮に事業が実施されていなかったとしたら実現していたと推定される状
況とを比較することが理想である。構造改革特区の場合は、特区認定されている地方
自治体と、政策意図の実現に影響する属性(経済・社会状況等)が近似する地方自治
体を対象として、成果指標を定義し比較を行うことで政策のインパクトをより正確に
認識することができる(マッチングモデル)。また規制が一定期間維持され、特区化
からも一定期間が経過している場合は、特区化以前の長期的トレンドと特区化以後の
トレンドを比較して政策のインパクトを認識できる(時系列モデル)。
これらの統一的評価軸を用いて合理的形成仮説の要素を加えることで、内閣官房と
規制所管府省とのパワーゲームによって統一的評価軸の結果と異なる結論を得る場合
でも、その乖離について内閣官房がアカウンタビリティを果たすことができる。その
乖離の説明に対して疑義や異論がある場合、評価・調査委員会が再審査等を行えるプ
ロセスを確立することが重要である。
また、(2)ターゲット規制改革分野の設定が求められる。特に規制改革の優先順位
の観点からは、大くくりでまず経済的規制を中心にターゲットとして内閣官房が設定
する。次に経済的規制と社会的規制の融合分野、そして社会的規制分野へと展開する。
33) 総務省「規制影響分析(RIA)の試行的実施状況」
http://www.soumu.go.jp/main_content/000154095.pdf
34) 国際協力機構「事業評価年次報告書2010」
http://www.jica.go.jp/activities/evaluation/general_new/2010/pdf/part01_03.pdf
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年報 公共政策学
Vol. 7
これは先に示した費用便益分析導入の観点からも、経済的規制の便益がより金銭価値
化しやすいため、優先順位が高いと言える。このようなターゲット規制改革分野を設
定し、内閣官房及び評価・調査委員会の資源を集中させることで、実現度を高める必
要があろう。
5.2 地方自治体・民間主体等の提案プロセス改善に向けた取組み
地方自治体・民間主体等の提案プロセス改善に向けては、(1)地方自治体の規制改
革案作成プロセスの見直し、(2)全国的情報共有団体の再構築が想定される。
(1)地方自治体の規制改革案作成プロセスの見直しにあたっては、地域内アクター
のさらなる提案創出を促す必要がある。
「4.1.2 構造改革特区採択数及び提案数減少
の要因」で見たように、地方自治体の提案方法は主として、地方自治体執行部の内部
資源活用によるものである。しかし、この方法では提案数が回を追うごとに限定的と
なっている。そのため、地域アクターとしての民間主体等の発案や地域内での協議が
できる場を地方自治体が用意し、特区提案を地域課題解決のために積極的に活用する
姿勢が求められる。民間主体等の経済社会活動の障壁を洗い出し、国の規制のみでは
なく地方自治体自身の取組みの見直しにつなげることが望まれる。
また(2)全国的情報共有団体の再構築にあたっては、2006年 3 月末に活動を停止
した「構造改革特区推進会議」(事務局:社団法人行革国民会議)のように、他の地
方自治体や民間主体等と情報連携を推進する中間的主体も、提案数増加や提案の包括
化に必要である。
構造改革特区推進会議は、2004年には87自治体が参加し、①構造改革特区の申請と
実現の理論武装ならびに特区関係市区町村間の情報交換、②構造改革特区制度の拡充
ならびに運用改善についての意見の集約と世論の喚起、③特区の一般制度化と三位一
体改革への提言ならびに自治体の先進事例の研究、④構造改革特区担当大臣ならびに
推進室との意見交換・協議、⑤上記目的を達成するための PR、情報活動、研修活動
の展開などの活動を実施した会議である35)。この構造改革特区推進会議では、第 1 回
から第11回までの構造改革特区「提案」の各府省とのやりとりを Excel データとして
整理した。このような提案にあたっての基盤的データを広く公開することも、既存の
提案事項を正確に認識し、提案の参考になるため重要となる。
構造改革特区制度が地方自治体・民間主体等からの提案を基礎としていることから、
個別提案の改善、関連規制も含めた提案の包括化、類似提案の共同提案検討などは、
提案主体自らが横型ネットワークを形成することが望ましい。
35) 構造改革特区推進会議ウェブサイト「構造改革特区推進会議規約」
http://www.mmjp.or.jp/gyoukaku/tokku/kiyaku.htm
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特区制度における規制改革の課題と展望
6. おわりに
本稿では、構造改革特区制度における規制改革案の提案数・採択数が回を追うごと
に急速に減少していることを整理した。また、採択された規制改革メニューの質も法
的効力が弱く、行政内部での意思決定の困難性の低いものにとどまることを明らかに
した。この状態を生み出す最も大きな課題は、内閣官房と規制所管府省との折衝や第
三者機関である評価・調査委員会の意見が、行政内部での意思決定の困難性の高い規
制改革案をメニュー化するにあたって十分な成果を生み出せていないことにある。こ
のことにより、構造改革特区制度の核である「メニュー化」自体が劣化している状況
にある。
この課題を解決するためには、規制改革案のメニュー化に向けた費用便益分析等の
統一的評価軸を形成し、評価・調査委員会で全国展開の可否検討時や未実現提案の再
検討時、内閣官房と規制所管府省との折衝の検証時に活用することが重要となる。構
造改革特区制度は、規制改革という政治的・行政的・業界的利害関係の複雑な分野を
対象としているため、費用便益分析等の統一的評価軸による結果を、政策決定に直接
反映することは難しい。しかし便益が費用を超えているにもかかわらず、規制所管府
省が規制改革案のメニュー化を行わない場合には、その根拠を規制所管府省が明示す
るよう義務づけることは組織的形成仮説の枠組みの中でも可能である。これは組織的
形成仮説を基に設計された構造改革特区制度に、合理的形成仮説の要素を加えること
に他ならない。
今後の課題としては、ボトムアップ型の構造改革特区制度に対して、トップダウン
型の規制改革手法である規制改革会議(内閣府審議会)等における規制改革プロセス
や実現数の推移、実現した規制改革案の質的検証等を実施した上で、ボトムアップ型
とトップダウン型規制改革を比較し、それぞれの量的・質的成果と要因等の異同を明
らかにすることである。また、2011年より開始された総合特区制度は、総合特区ごと
に設置される「国と地方の協議会」による推進方策の検討が特徴的であり、構造改革
特区制度同様、ボトムアップ型の規制改革手法として位置づけられる。各制度の規制
改革プロセスの違いによる量的・質的成果と要因等の異同を明らかにすることも、今
後の課題として挙げられる。これらを通じて、より規制改革の量的・質的効果を高め
る規制改革プロセスを検討したい。
2002年の制度開始時から10年が経過した構造改革特区制度は、地方自治体や民間主
体等が自らの課題認識に基づき、規制改革にボトムアップ型で関与できるという点で
いまなお意義を有している。本来的な目的に立ち返り、制度の改善を図る時期が到来
していると考えられる。
- 271 -
年報 公共政策学
Vol. 7
参 考 文 献
阿部昌弘(2011)「産業の国際競争力強化と地域活性化を目指す総合特区の創設―総合特別
区域法案―」『立法と調査』第314号
伊藤白(2011)「総合特区構想の概要と論点―諸外国の経済特区・構造改革特区との比較か
ら―」『調査と情報』第698号
植田政孝(2004)「規制改革と特区制度」『大阪産業大学経済論集』第 5 巻第 3 号
占部裕典(2008)「経済特区税制―沖縄振興特別措置法における『地域優遇税制』」『日税研
論集』第58号
小野達也(2004)「構造改革特区が日本の経済・社会を活性化する条件―社会実験としての
構造改革特区」『Economic Review』Vol.8 No.1
金井利之(2007)『自治制度』東京大学出版会
新庄浩二編(2003)『産業組織論』有斐閣
鈴木亘(2004)「構造改革特区をどのように評価すべきか―プログラム政策評価の計量手法
からの考察―」『会計検査研究』第30号
東京市政調査会(2007)『構造改革特区は分権型社会を創るか』東京市政調査会
東京市政調査会研究室(2007)『検証
構造改革特区』ぎょうせい
並河信乃(2006)『市民・自治体の政策実験―特区制度は活用できるか』生活社
服部敦(2007)「構造改革特区制度」御園慎一郎・大前孝太郎・服部敦編『地域再生システ
ム論』東京大学出版会
宮脇淳(2011)『政策を創る!考える力を身につける!「政策思考力」基礎講座』ぎょうせ
い
室伏謙一(2007)「規制改革の動向及び今後の展望について」三井物産戦略研究所
八代尚宏(2012)「経済成長戦略における構造改革特区の役割」『税研』第164号
- 272 -
特区制度における規制改革の課題と展望
Issues of Regulatory Reform in the Special Zones System
WAKAO Tatsuya
Abstract
This paper focuses on the special zones system for structural reform. The special zones
system for structural reform receives a proposal from local governments and the private sector.
This system is to increase the menu of regulatory reform. In addition, the application for
certification from the local government is to achieve region-specific regulatory reform.
The number of proposals is decreasing. The rate of adoption is declining faster than that of
proposal. Compared with application proposals, low legal force measures have a higher
prevalence of adoption. Therefore, the special zones system for structural reform has little
impact on overall regulatory reform. This paper outlines solutions for this problem.
Keywords
special zones system, structural reform, regulatory reform, local government, legal force
- 273 -
地方公務員の労使関係制度改革
地方公務員の労使関係制度改革
―改革の経緯と勤務条件の統一について―
戸谷
雅治
1. はじめに
行政の運営を担う公務員に関する制度を社会経済情勢の変化に対応したものとする
ことが喫緊の課題である(国家公務員制度改革基本法 1 条)として、現在、国家公務
員だけでなく地方公務員制度に関しても様々な改革が進められようとている 1)。その
中で、現在制限されている協約締結権を公務員に付与し、勤務条件を自律的に決定で
きる労使関係制度の構築も盛り込まれている。住民に身近な行政を担う地方公務員は
全国で約280万人 2)おり、彼らの勤務条件がいかにして決定されるかは、その地域の
行政サービスの在り方にも影響を与えうる重要な問題である。特に今回の改革案では、
労働基本権付与と公務員の統一的勤務条件決定システムの関係をどのように考えるの
かについて問題が大きい。また、地方公務員制度を設計する上で、国家公務員制度と
の整合性だけでなく、地方公務員固有の問題も考慮することが重要である 3)。しかし、
現在までの先行研究では、国家公務員制度改革については積極的に議論されている 4)
のに比べ、地方公務員に関するものは少ない 5)。こうした中で、地方公務員制度改革
に関しても検討をすることは有意義であると考える。
以下では、地方公務員を中心に今回の改革にいたる経緯及び現行法制を概観した上
で、改革案の内容を紹介し、その問題点について検討することとしたい。
2. 今回の制度改革の経緯
近年の公務制度改革 6)は、1996年11月、橋本内閣の下で発足した行政改革会議に
始まる。その後、小泉内閣では2001年12月25日に「公務員制度改革大綱」を閣議決定

1)
2)
3)
4)
5)
6)
全国市長会 [email protected]
本文中、意見にわたる部分については筆者個人の見解であり、所属団体を代表するもので
はない。
総務省「地方公務員制度改革について(素案)」(平成24年 5 月11日)
総務省自治行政局公務員部給与能率推進室「平成23年地方公共団体定員管理調査結果」
(平成24年 3 月)3 頁
西村(2012)37頁
島田・下井(2010)、荒木他(2011)、根本(2011)、武井(2012)、道幸(2012)、渡辺
(2012)等
稲継・大谷(2012)、西村(2012)等
宇賀他(2008)5~6頁
- 275 -
年報 公共政策学
Vol. 7
した。それには新人事制度の導入、適正な再就職ルールの確立あるいは国家戦略スタ
ッフの創設等の論点が明記されていたが、労働基本権については「現行の制約を維持
する」と結論づけており、労働基本権の付与には消極的であった。
しかし、日本労働組合総連合会(以下、連合)や全国労働組合総連合(以下、全労
連)の申立てを受けて、国際労働機関(International Labour Organization: ILO)は、労
働基本権の制約を維持するとしていた日本政府に再考を促す勧告として「結社の自由
委員会」報告を採択し、その後同様の勧告が何度も採択された 7)。こうした動きを受
け、2006年 5 月26日には、行政改革の基本方針等を定めた行政改革推進法が成立し、
同法に基づいて設置された行政改革推進本部専門調査会は、公務員の労働基本権のあ
り方を検討課題の 1 つとし、2007年10月19日には人事院勧告制度に代えて、自律的な
労使関係制度の構築等を求める「公務員の労働基本権のあり方について(報告)」を
取りまとめた 8)。
2008年 6 月13日には、国家公務員制度改革について、その基本理念及び基本方針そ
の他の基本となる事項を定めた国家公務員制度改革基本法が公布・施行され、その中
では、「政府は、協約締結権を付与する職員の範囲の拡大に伴う便益及び費用を含む
全体像を国民に提示し、その理解のもとに、国民に開かれた自律的労使関係制度を措
置するものとする。」(12条)とされており、地方公務員の労働基本権については、
「第十二条に規定する国家公務員の労使関係制度に係る措置に併せ、これと整合性を
もって、検討する。
」(附則 2 条)とされている。
国家公務員制度改革を総合的かつ集中的に実施するため内閣に設置された、国家公
務員制度改革推進本部が2011年 4 月 5 日に決定した「国家公務員制度改革基本法等に
基づく改革の『全体像』について」では、非現業国家公務員に協約締結権を付与し、
人事行政に責任を持つ使用者機関として公務員庁(仮称)を設置することに伴い、人
事院勧告制度及び人事院を廃止するとされており、地方公務員の労働基本権について
は、「地方公務員制度としての特性を踏まえた上で、関係者の意見も聴取しつつ、国
家公務員の労使関係制度に係る措置との整合性をもって、速やかに検討を進める。」
とされている。
これを受け、総務省は地方公務員の労働基本権の在り方についての検討を行うに当
たり、2011年 4 月26日から 5 月18日にかけて、「地方公務員の労働基本権の在り方に
7)
ILO「329th Report of the Committee on Freedom of Association」
(2002年11月)165~187頁
「331st Report of the Committee on Freedom of Association」(2003年 6 月)198~210頁
「340th Report of the Committee on Freedom of Association」(2006年 3 月)303~325頁
「350th Report of the Committee on Freedom of Association」(2008年 6 月)296~307頁
「354th Report of the Committee on Freedom of Association」(2009年 6 月)235~245頁
「357th Report of the Committee on Freedom of Association」(2010年 6 月)163~170頁
「363rd Report of the Committee on Freedom of Association」(2012年 3 月)231~240頁
8) 小幡(2008)28頁、根本(2011)6~7頁、出雲(2012)32頁
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地方公務員の労使関係制度改革
係る関係者からの意見を伺う場」を開催し、首長の全国的連合組織である全国知事会、
全国市長会、全国町村会や、自治体議会の議長の全国的連合組織である全国都道府県
議会議長会、全国市議会議長会、全国町村議会議長会(以上、6 つの団体を地方六団
体という)、地方公務員の労働組合の連合体である公務員連絡会地方公務員部会、日
本自治体労働組合総連合等から意見聴取している。
その後、総務省は同年 6 月 2 日に「地方公務員の労使関係制度に係る基本的な考え
方」、同年12月26日に「地方公務員の新たな労使関係制度に係る主な論点」、2012年 3
月21日に「地方公務員の新たな労使関係制度に関する考え方について」、同年 5 月11
日に「地方公務員制度改革について(素案)」を公表し、一般職の地方公務員に対し
て協約締結権を付与し、人事委員会勧告制度を廃止する等の改革案を示している。
これに対し、全国知事会は2011年 7 月 4 日に「『地方公務員の労使関係制度に係る
基本的な考え方』について」、同年11月28日に「地方公務員の労使関係制度改革に関
する考え方」、2012年 5 月18日に「地方公務員の新たな労使関係制度に関する決議」
を公表し、また全国市長会は、2011年 7 月 5 日に「『地方公務員の労使関係制度に係
る基本的な考え方』に対する意見」、2012年 1 月27日に「『地方公務員の新たな労使関
係制度に係る主な論点』に対する意見」
、同年 5 月25日に「『地方公務員制度改革につ
いて(素案)』に対する意見」を公表し、地方公務員の労使関係制度は安定しており、
改革の必要性が明確でないこと、国と地方の間で十分な協議が行われていないこと等
を挙げ、両会とも改革に難色を示している。
一方、公務員連絡会地方公務員部会や日本自治体労働組合総連合等の労働組合から
は、再三にわたる ILO の勧告を尊重すべきこと、労働基本権制約の代償措置である
人事委員会勧告を超える給与の削減が多くの自治体で行われていること等を挙げ、改
革の早期実現を求めている 9)。
総務省は、こうした問題について検討し成案を得るために、有識者で構成される
「地方公務員の自律的労使関係制度に関する会議」を同年 9 月12日から開催し、地方
六団体はじめ関係団体から意見を聴取している。
3. 現状
3.1 地方公務員の勤務関係
地方公務員法(以下、地公法)は、職員の職に欠員を生じた場合に、任命権者は、
採用、昇任、降任又は転任のいずれかの方法により、職員を任命することができると
しており(地公法17条 1 項)、特定の「職」を前提として、そこに具体的個人を充て
9)
公務公共サービス労働組合協議会ホームページ
http://www.komu-rokyo.jp/info/rokyo/2012/2012rokyo_infoNo51.html
http://www.komu-rokyo.jp/info/rokyo/2012/2012rokyo_infoNo52.html
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年報 公共政策学
Vol. 7
ることによって任用としている10)。
任用は、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基づいて行わなければならず
(同15条)、すべての国民を平等に取り扱わなければならない(同13条)。また、政治
情勢の変化等に左右されず職務に専念するために、職員の分限及び懲戒については公
正でなければならず(同27条 1 項)、地公法若しくは条例又はその両方で定める事由
による場合でなければその意に反して不利益に取り扱われることはない(同条 2 項)。
一方、勤務実績が良くない場合、心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又
はこれを堪えない場合、その他その職に必要な適格性を欠く場合等には職員の意に反
して降任又は免職することができ(同28条 1 項)、また、心身の故障のため、長期の
休養を要する場合、刑事事件に関し起訴された場合には、職員の意に反して休職する
ことができる(同条 2 項)
。これらの処分を分限処分という。
地公法、条例、規則等に違反した場合、職務上の義務に違反し、又は職務を怠った
場合、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行があった場合は懲戒処分として戒告、
減給、停職、又は免職の処分をすることができる(同29条 1 項)。
職員が職員としての身分を失う場合としては、前述の分限免職及び懲戒免職の他に、
辞職がある。辞職は、職員が退職の意思を表明し、任命権者がこれを承認し退職発令
をすることにより離職の効果が生じる。
3.2 地方公務員の労働基本権
地公法における勤務条件とは、「職員が地方公共団体に対し勤務を提供するについ
て存する諸条件で、職員が自己の勤務を提供し、又はその提供を継続するかどうかの
決心をするにあたり一般的に当然考慮の対象となるべき利害関係事項であるものを指
す」11)とされる。
勤務条件は、民間企業の労働条件や他の公務員の勤務条件との均衡を考慮し(地公
法24条 3 項)、社会一般の情勢に適応するものでなければならない(同14条)。また、
非現業職員は、勤務条件を条例で定める(同24条 6 項)。
警察及び消防以外の非現業職員は、職員団体の結成・加入(同52条)、当局との団
体交渉は認められている(同55条 1 項)。一方、協約締結権は認められていない(同
条 2 項)が、法的効力のない書面による協定は締結できる(同条 9 項)。争議権は認
められていない(同37条 1 項)。労働基準法(以下、労基法)は基本的に適用される
が、必要に応じて適用が除外され(地公法58条各項)、労働組合法(以下、労組法)
は適用されない(地公法58条 1 項)12)。
10) 任用の法的性質については争いがある。塩野(2006)254~255頁
11) 昭和33年 7 月 3 日法制局一発19
12) 公務員の労働基本権制限に関する経緯については、菅野(1983)、濱口(2008)、宇賀他
(2008)5 頁参照
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地方公務員の労使関係制度改革
これに関して、判例では、
「公務員の地位の特殊性と職務の公共性にかんがみるとき
は、これを根拠として公務員の労働基本権に対し必要やむをえない限度の制限を加え
ることは、十分合理的な理由があるというべきである。…公務員に対しても、その生
存権保障の趣旨から、法は、これらの制約に見合う代償措置として身分、任免、服務、
給与その他に関する勤務条件についての周到詳密な規定を設け、さらに中央人事行政
機関として準司法機関的性格をもつ人事院を設けている。
」とし、代償措置としての人
事院制度を前提として国家公務員の労働基本権制約は違憲ではないとしている13)。
また、地方公務員の労働基本権については、「地方公務員の労働基本権は、地方公
務員を含む地方住民全体ないしは国民全体の共同利益のために、これと調和するよう
に制限されることも、やむをえないところといわなければならない。…地公法上、地
方公務員にもまた国家公務員の場合とほぼ同様な勤務条件に関する利益を保障する定
めがされている(殊に給与については、地公法二四条ないし二六条など)ほか、人事
院制度に対応するものとして、これと類似の性格をもち、かつ、これと同様の、又は
これに近い職務権限を有する人事委員会又は公平委員会の制度(同法七条ないし一二
条)が設けられているのである。…その点において、制度上、地方公務員の労働基本
権の制約に見合う代償措置としての一般的要件を満たしているものと認めることがで
きるのである。」とし、やはり代償措置としての人事委員会制度を前提として違憲で
はないとしている14)。
これらの判例については、憲法28条を使用者にとって厳しい制約を課すものと解釈
したために、公務員について憲法28条の適用の余地を不当に狭めており、また、現実
的要請である団体交渉権や協約締結権ではなく、専ら争議権を中心に議論されている
等の批判がなされている15)。
3.3 職員団体と団体交渉
職員団体とは、職員がその勤務条件の維持改善を図ることを目的として組織する団
結体又はその連合体をいい(地公法52条 1 項)、職員が「主体となって」組織する労
働者団体であり、少なくとも構成員の過半数が職員でなければならないと解される16)。
また、オープンショップ制をとっている(同条 3 項)。ただし、重要な行政上の決定
を行う職員、重要な行政上の決定に参画する管理的地位にある職員、職員の任免に関
して直接の権限を持つ監督的地位にある職員、職員の任免、分限、懲戒若しくは服務、
職員の給与その他の勤務条件又は職員団体との関係についての当局の計画及び方針に
関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが職員団体の構成員
13)
14)
15)
16)
全農林警職法事件(最大判昭和48年 4 月25日・刑集27巻 4 号547頁)
岩手県教組事件(最大判昭和51年 5 月21日・刑集30巻 5 号1178頁)
道幸(2012)24~25頁
猪野(2011)184頁
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年報 公共政策学
Vol. 7
としての誠意と責任とに直接に抵触すると認められる監督的地位にある職員その他職
員団体との関係において当局の立場に立って遂行すべき職務を担当する職員(以下、
管理職員等)と管理職員等以外の職員とは、同一の職員団体を組織することができな
い(同条 3 項)17)。
特徴として、①労働協約は締結できない、②適法な交渉の性格は「意見・苦情・不
満」、③不当労働行為という概念がない、④人事委員会等への登録制度がある、⑤労
使紛争解決は、職員個人が人事委員会等に対して行う「勤務条件に関する措置要求」
あるいは「不利益処分の不服申立て」に限られる等が挙げられる18)。
人事委員会等に登録するためには、当該職員団体が同一の地方公共団体に属する警
察及び消防職員以外の職員のみをもって組織されていることを必要とするが(同53条
4 項)、役員については職員でなくてもよい(同条 5 項)。登録をすることにより、①
法人になることができ(職員団体等に対する法人格の付与に関する法律 3 条)、②当
局は適法な交渉の申入れがあった場合は、これに応ずる義務を負い(地公法55条 1
項)、③任命権者の許可を受けて在籍専従が可能になる(同55条の 2 第 1 項)19)。一
方、非登録職員団体が交渉を求めた場合、当局は合理的な理由がない限り、恣意的に
その求めを拒否することのないよう努めるものとされている20)。
職員団体が交渉することのできる地方公共団体の当局は、交渉事項について適法に
管理し、または決定することのできる地方公共団体の当局とされている(同55条 4
項)。一般的に当局は任命権者を指し、教育委員会の職員については教育長を、議会
事務局の職員については議長を指す21)。ただし、当局が交渉に応じない場合であって
も、交渉に応ずるよう求めることは措置要求の対象とはならない22)。
登録された職員団体は、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれ
に附帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項について、当局と交
渉することができる(同55条 1 項)23)。ただし、地方公共団体の事務の管理及び運営
に関する事項は、交渉の対象とすることができない(同条 3 項)24)。
団体交渉で一定の合意が得られたとしても、国家公務員の職員団体については何ら
書面でこれを確認することができない(国家公務員法108条の 5)のに対し、地方公
務員の職員団体は当局と書面による協定を結ぶことができ(地公法55条 9 項)、当
17)
18)
19)
20)
21)
22)
23)
国家公務員労働組合の法的性質については武井(2012)参照
小原(2000)213頁
登録制度については小川(2009)参照
第三次公務員制度審議会答申(1973年 9 月 3 日)
独立行政法人については渡辺(2003)参照
兵庫県学校事務労働組合事件(神戸地判昭和63年 2 月19日・判時1290号63頁)
愛知県立佐屋高等学校事件(名古屋地判平成 9 年 3 月26日・労民集48巻 1、2 号99頁)
現在の各都市の団体交渉の状況については稲継・大谷(2012)53頁参照
24) 管理運営事項については小部(2009)参照
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地方公務員の労使関係制度改革
局・職員団体双方が誠意と責任をもって履行しなければならない(同条10項)。当局
が不当に履行しない場合は、行政措置要求が可能となる25)。
3.4 人事委員会・公平委員会制度
都道府県及び指定都市には人事委員会、指定都市以外の人口15万人以上の市及び特
別区は人事委員会又は公平委員会、その他の市町村等は公平委員会を設置しなければ
ならない(地公法7条)。人事委員会・公平委員会共通の機能としては、勤務条件に関
する措置要求・不利益処分の審査等があり、人事委員会のみの機能としては、人事行
政に関する調査、研究、企画、立案、勧告、職員の試験、選考の実施がある(同 8
条)。
職員は、勤務条件に関して人事委員会又は公平委員会に対して、当局により適当な
措置が執られるべきことを要求することができる(行政措置要求、同46条)。人事委
員会及び公平委員会は、事案について審査・判定し、地方公共団体の機関に対し必要
な勧告をしなければならない(同47条)
。
また、不利益な処分を受けた場合には不服申立てができる(同49条の 2)。人事委
員会及び公平委員会は、事案について審査し、その処分を承認し、修正し又は取り消
し、必要な場合には任命権者に不当な取り扱いを是正するための指示をしなければな
らない(同50条)。指示に故意に従わなかった場合、1 年以下の懲役又は 3 万円以下
の罰金が科される(同60条)。
人事委員会は、毎年少なくとも 1 回、給料表が適当であるかどうかについて、自治
体の議会及び首長に同時に報告するものとされ、給与を決定する諸条件の変化により、
給料表に定める給料額を増減することが適当であると認めるときは、あわせて適当な
勧告(いわゆる人事委員会勧告)をすることができる(同26条)。
4. 改革の概要
以下では、総務省が2012年 5 月11日に公表した「地方公務員制度改革について(素
案)」で示された改革の概要を見る。
4.1 協約締結権を付与する職員の範囲及び団体交渉の当事者等
協約締結権を付与する職員の範囲については、団結権を制限される職員(警察職
員)、普通地方公共団体の長の直近下位の内部組織の長その他の重要な行政上の決定
を行う職員(範囲は都道府県労働委員会が認定、告示)、地方公営企業又は特定地方
独立行政法人に勤務する職員を除く一般職の地方公務員とする。
団体交渉の労働者側の当事者は労働組合とする。労働組合は、都道府県労働委員会
25) 小原(2000)232頁
- 281 -
年報 公共政策学
Vol. 7
に、申請書に規約を添えて申請し、認証を受けることで、団体協約の締結権が認めら
れるなど、法律で定める一定の効果を享受することができる。認証には、同一の地方
公共団体に属する職員が全ての組合員の過半数を占めている等の要件を満たす必要が
ある。
使用者側の当事者は、地方公共団体の当局であり、団体交渉及び団体協約を締結す
ることができる当局を法定する。地方公共団体の長以外の当局が条例の制定又は改廃
を要する事項について団体協約を締結しようとするときは、あらかじめ地方公共団体
の長との協議を要する。
なお、不当労働行為の救済手段として、認証労働組合や職員は都道府県労働委員会
に申立てをすることができ、これを受けた都道府県労働委員会は調査・審問を行い、
認定した事実に基づき、救済命令等を発し、また和解を勧めることができる。
4.2 勤務条件の決定原則等
情勢適応の原則、職務給の原則、均衡の原則など勤務条件の決定原則については引
き続き法定し、また勤務条件は引き続き条例で定める。協約締結権の付与に伴い、勤
務条件に関する人事委員会勧告制度を廃止し、住民への説明責任を果たし、住民の理
解を得る観点から、都道府県及び政令市等に設置される第三者機関である人事委員会
が、民間の給与等の実態を調査・把握する。現在、職種別民間給与実態調査を実施し
ていない全国の多くの市町村については、国の団体交渉の状況、都道府県の人事委員
会が示した調査結果等を参考にしながら、給与改定を行う。一方、団結権を引き続き
制限される警察職員の勤務条件については、職務の特殊性及び協約締結権を付与され
る職員の勤務条件との均衡を考慮して定める。
4.3 団体協約の効力、交渉不調の場合の調整システム
団体協約の勤務条件に関する事項について、首長等は以下①から④の義務を負う。
①勤務条件を定める条例の制定改廃を要する事項については、地方公共団体の長は
条例案の議会付議の義務を負う。
②勤務条件を定める地方公共団体の規則又は地方公共団体の長等が定める規定の制
定改廃を要する事項については、当該事項に係る事務を所掌する地方公共団体の長等は
地方公共団体の規則又は地方公共団体の長等の定める規定の制定・改廃の義務を負う。
③法律又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の長等の定める規定に
基づき、地方公共団体の長等又はその委任を受けた補助機関たる上級の地方公務員が
定める勤務条件については、地方公共団体の長等又はその委任を受けた補助機関たる
上級の地方公務員は当該勤務条件の決定または変更の義務を負う。
④上記以外の事項については、当該事項について適法に管理し、又は決定すること
のできる者は団体協約の内容を実施するために必要な措置を講ずる義務を負う。
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地方公務員の労使関係制度改革
団体協約の内容を反映させるために付議された条例案が、会期中に条例とならなか
った場合及び団体協約を締結した労働組合の認証が取り消された場合は、団体協約は
失効する。また、団体協約の内容を反映させるために付議された条例案が、修正され
て条例となった場合は、当該条例と牴触する範囲において、団体協約は失効する。
認証された労働組合と当局の間に発生した紛争であって団体協約を締結することが
できる事項に係るものについて、都道府県労働委員会によるあっせん、調停及び仲裁
の制度を設ける。中央労働委員会によるあっせん、調停及び仲裁の制度についても併
せて整備する。仲裁裁定のあったときは、当該仲裁裁定の定めるところにより、関係
当事者間において有効期間の定めのない団体協約が締結されたものとみなし、団体協
約と同様の効力を有する。
4.4 消防職員
消防職員26)にも一般職員と同様、団結権及び協約締結権を付与する。ただし、一
般職員の施行日から 3 年後の施行とする。なお、団結権及び協約締結権の付与に伴い、
消防職員委員会制度は廃止する。
5. 労働組合による勤務条件決定の独占
今回の改革案の中でも特に問題になると考えられるのは、第一に組合員の範囲と団
体協約による統一的勤務条件の適用範囲にずれがあることである。すなわち、労働組
合が勤務条件決定に勤務者側から参画する地位を独占し、その組合と任命権者との間
で決められた勤務条件が(条件付きながら)全ての勤務者に適用されるにもかかわら
ず、当該組合は当該勤務条件が適用される勤務者の全てによって組織されることが必
ずしも予定されていない。
5.1 民間における労働協約の意義
民間の場合、労働者が個別に使用者と結ぶ労働契約、使用者が統一的労働条件を定
める就業規則、使用者と労働組合が結ぶ労働協約と、労働条件を決定する要素が複数
存在する(労基法 2 条 2 項)27)。基本を為すのは個々の労働契約であるが、使用者が
合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労
働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件による(労働契約法、以下労契法 7
条)。一方、労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反す
る労働契約の部分は無効となり、無効となった部分や労働契約に定めのない部分につ
いては労働協約の基準が定めるところによる(労組法16条)。そして、その効力の及
26) 消防職員の団結権については近藤(2009)参照
27) 菅野(2010)84頁
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年報 公共政策学
Vol. 7
ぶ人的範囲は後述の一般的効力を除き、原則的に当該労働組合に加入している労働者
のみである。
5.2 今回の改革案における団体協約の位置づけ
民間における労働協約は、あくまで労働組合に加入する労働者のためのものであ
28)
り 、労働条件の決定については、就業規則の果たす役割が大きいとは言え、基本は
個々の労働契約である。労働協約は労働条件向上に資するものではあるが、労働組合
に加入していない場合にも、個別の労働契約を結ぶ際に、労働条件を個人の意思で決
定することが理論上可能である。
一方、国家公務員、地方公務員ともに労働契約ではなく任用であるため、個別に交
渉し勤務条件を決定することはできない(憲法73条 4 号、地公法24条 6 項)。また、
今回の改革が実施された場合には、勤務条件の統一性を保つため、一労働組合との間
で結ばれた団体協約を受けて変更された勤務条件は、他組合員や非組合員についても
適用されるものと思われる29)。
つまり、今回の改革案における団体協約の位置づけは、当該労働組合に加入する地
方公務員のみを適用対象とするものではなく、団体協約の作成に参画することがそも
そもできない他組合員や非組合員も含め、その自治体に勤務する全ての地方公務員を
対象とすることを前提としたものである。そして、個々に勤務条件を決定することので
きない地方公務員が、自律的に勤務条件を決定しうる唯一の手段である。その唯一の手
段を行使するためには、本来加入・結成が自由な労働組合に入らなければならない。
前述のように、現状においても加入・結成の自由な職員団体が勤務条件の変更のた
めに書面協定を結ぶことができるが、この協定には法的効力はない。仮に書面協定の
内容どおりに勤務条件が変更されたとしても、その決定はあくまで首長等の任命権者
や議会の判断によるものであって、法的に書面協定との関連はない。一方、今回の改
革においては、団体協約の締結によって勤務条件を変更するために首長が条例案を議
会へ提出する義務を負う等、任命権者が4.3で述べた様々な義務を負うことになり、
団体協約が勤務条件決定に直接的に影響を及ぼす。
この点、労働組合に加入しない自由を残しておくことはかえって不当であり、地方
公務員の利益を損ない、改革の主眼である自律性を害するのではないかとすら思える。
団体協約が自治体内全ての地方公務員に影響を及ぼしうるものであるとともに、勤務
条件を自律的に決定しうる唯一の手段であれば、適用対象となる地方公務員を巻き
込む形を模索すべきであり、ユニオンショップ制30)あるいは排他的交渉代表制の導
28) 菅野(2010)595頁
29) 道幸(2008)86頁、晴山(2012)32頁
30) 道幸(2003)54~55頁
- 284 -
地方公務員の労使関係制度改革
入31)等を含め、改革の根本から再考する必要があるだろう。
6. 団体協約の不利益変更を反映した勤務条件の一般的効力
改革案の中で次に問題となるのは、勤務条件の不利益変更を内容とする団体協約が
締結された場合、その勤務条件の一般的効力である。すなわち、勤務条件の不利益変
更を内容とする団体協約を締結した労働組合に加入していない地方公務員は、その団
体協約の内容を決定する過程に参画していないにもかかわらず、勤務条件を不利益に
変更されるか否かという問題である。今回の改革案でも現状と同様にオープンショッ
プ制が維持され、認証された労働組合に加入しない職員も相当数存在するものと想定
される。また、複数の労働組合が存在する場合、組合ごとに団体協約の内容が異なる
可能性もある。統一的勤務条件の設定が求められる地方公務員において、現状のよう
に法的効力のない書面協定ではなく、団体協約によって不利益に変更された勤務条件
が他組合員や非組合員との関係でどのような法的効力を持つかが重要な課題である。
6.1 民間における労働協約の不利益変更
民間における労働協約の規範的効力は、協約締結組合の組合員にのみ及ぶのが原則
であるが、労組法17条では「一の工場事業場に常時使用される同種の労働者の四分の
三以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至つたときは、当該工場事業場
に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用されるものとす
る。」とされている。これに関して、判例は、「右規定の趣旨は、主として一の事業場
の 4 分の 3 以上の同種労働者に適用される労働協約上の労働条件によって当該事業場
の労働条件を統一し、労働組合の団結権の維持強化と当該事業場における公正妥当な
労働条件の実現を図ることにあると解される」とし、未組織労働者にも労働条件の不
利益変更に関する部分の効力が及ぶとしている32)。ただし、4 分の 1 以下の労働者が
少数組合を結成していた場合は、少数組合の団体交渉権保護の観点から、適用されな
いとされる33)。
また、労働協約による労働条件の不利益変更については、判例において、未組織労
働者は「労働組合の意思決定に関与する立場になく、また逆に、労働組合は未組織労
働者の労働条件を改善し、その他の利益を擁護するために活動する立場ないこと」か
ら、「当該労働協約を特定の未組織労働者に適用することが著しく不合理であると認
められる特段の事情があるときは、」例外的に否定される場合もあるとしている34)。
31)
32)
33)
34)
道幸(2008)86頁
朝日火災海上保険事件(最三小判平成 8 年 3 月26日・民集50巻 4 号1008頁)
ネスレ日本事件(東京地判平成12年12月20日・労判810号67号)
前掲脚注32)朝日火災海上保険事件参照
- 285 -
年報 公共政策学
Vol. 7
6.2 就業規則の不利益変更
民間においては、使用者が労働条件等を統一的に定めた文書として就業規則があ
る 35)。5.1で述べたとおり、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を
労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条
件によるものとする(労契法 7 条)。また、使用者は、労働者と合意することなく、
就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を
変更することはできない(労契法 9 条)が、変更後の就業規則を労働者に周知させ、
かつ、就業規則の変更が、労働組合等との交渉の状況等に照らして合理的なものであ
るときは、就業規則を変更することができる(労契法10条)。特に、労働組合等との
交渉状況については、「本件就業規則の変更は、行員の約90%で組織されている組合
…との交渉、合意を経て労働協約を締結した上で行われたものであるから、変更後の
就業規則の内容は労使間の利益調整がされた結果といての合理的なものであると一応
推測することができ」るとしている36)。
6.3 今回の改革案における団体協約の不利益変更の一般的効力
民間であれば、労働者が個別に使用者と結ぶ労働契約、使用者が統一的労働条件を
定める就業規則、使用者と労働組合が結ぶ労働協約と、労働条件を決定する要素が複
数存在し、同一の職場の同一の職種であっても労働者ごとに労働条件が違うことは十
分ありうる。一方、地方公務員は勤務条件条例主義がとられ、また住民への説明の観
点から勤務条件の統一性は強く求められる。今回の改革が実施された場合にも勤務条
件の統一性を保つため、一労働組合との間で結ばれた団体協約を受けて変更された勤
務条件は、他組合員や非組合員についても適用されるものと思われる37)。
少数組合が勤務条件を不利益に変更する内容の団体協約を締結した場合、その効力
が他組合員、非組合員に及ぶかについては、国家公務員の事例ではあるが、国家公務
員の給与を人事院勧告以上に減額する「国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関す
る法律」が2012年 2 月29日に成立した。政府はこの法律を作成する過程で、労働組合
と自律的労使関係制度に基づく交渉を先取りする形で交渉を行い、人事院勧告以上の
引下げについて連合系団体と合意した後、国会に法案を提出した。しかし、国家公務
員の場合は連合系団体加入者22%、全労連系団体加入者17%、未加入者32%38)とい
う、多数組合が存在しない状況にある。こうした中で今回の法律に基づき、全ての国
家公務員の給与が引き下げられることは問題となりうる。
現に、全労連系団体である日本国家公務員労働組合連合会(以下、国公労連)は、
35)
36)
37)
38)
菅野(2010)111頁
第四銀行事件(最二小判平成 9 年 2 月28日・民集51巻 2 号705号)
道幸(2008)86頁、晴山(2012)32頁
人事院平成23年度年次報告書69頁
- 286 -
地方公務員の労使関係制度改革
同法案は労働基本権を制約したまま一方的に不利益を課すものであり、違憲であると
して給与カット分の返還と慰謝料の支払いを求めて提訴している39)。裁判所によって
どのような判断が下されるかが注目される。
7. その他の課題
首長以外の任命権者と労働組合の間で団体協約が締結された場合の対応も問題とな
40)
る 。任命権者と労働組合の間で締結された協約が条例の変更を必要とする場合は、
議会に条例改正案を提出し、通過をして初めて勤務条件に反映される。任命権者とは、
多くの場合は首長を指すが、教育委員会においては教育長を指す等、首長以外が交渉
の当事者になる場合もある41)。しかし、議会に議案を提出することができるのは首長
と議員のみである。つまり、教育長は交渉義務を負うが、協約を労働条件に反映させ
るために議会に諮ることはできない。改革の素案では、「委員会及び委員においては、
団体協約の締結の前に長への協議及びその同意が必要」とされているが、重要なのは
協約締結後に首長が議会に協約内容を反映した議案を出すか否かである。教育長の締
結した団体協約の内容が、事前協議において同意した内容と合致しない、あるいは交
渉期間中に首長が交替し、前首長の方針を新首長が継承しない等として、首長が議会
に議案を提出しなかった場合にどうするのかという問題がある。
また、団体協約の内容を反映させるための条例案が議会を通らなかった場合の扱い
も大きな課題である42)。首長が負う義務は団体協約の内容を反映させるための条例案
を議会へ提出するまでであり、最終的に団体協約の内容が勤務条件に反映されるか否
かは議会の審議次第である43)。団体協約の内容を反映させるために付議された条例案
が、会期中に条例とならなかった場合、団体協約は失効し、団体協約を作成するため
に労使双方が交渉に費やした労力や時間あるいは都道府県労働委員会が調整のために
費やしたそれは全くの無駄になる44)。
8. おわりに
以上のように、今回の改革案には多くの課題がある。特に、統一的勤務条件が求め
られる地方公務員においては、団体協約によって決定された勤務条件が全ての職員に
適用されるにもかかわらず、当該組合は当該勤務条件が適用される勤務者の全てによ
って組織されることが必ずしも予定されていないことについては、勤務条件決定の自
39)
40)
41)
42)
43)
国公労連ホームページ http://www.kokko-net.org/kokkororen/12_sosyou/120525.html
荒木他(2011)18頁
島田・下井(2010)91頁
荒木他(2011)20頁、西村(2012)42頁
議会制民主主義の要請と公務員の自律的勤務条件の決定との調整については渡辺(2012)
参照
44) 交渉当事者としての使用者に議会を含めることを指摘するものとして毛塚(2010)83頁
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年報 公共政策学
Vol. 7
律性という点において大いに疑問が残る。また、団体協約による勤務条件の不利益変
更についても、その決定過程に関与していない他組合員や非組合員に適用されるか否
か、さらに検討が必要である。
今後、改革について検討するに当たり、国家公務員と地方公務員の差異について見
直す必要がある。今回の地方公務員改革については、2.で見たように国家公務員改革
との整合性が求められている(国家公務員制度改革基本法附則 2 条)。全体の奉仕者
である両者の制度について、一定の整合性は当然必要である。しかし、一元的に管理
可能な国家公務員と異なり、全国の自治体はそれぞれ勤務している地方公務員の数に
しても財政状況にしても、置かれている状況は多種多様である45)。さらに、前述のよ
うに地方公務員は現状でも書面協定の締結が認められている中で、労使関係は安定し
ており、実際、都市自治体を対象としたアンケート調査でも国家公務員制度改革に地
方が合わせる必要があるとの回答は11%にすぎなかった46)。また、一自治体の中を見
ても、首長と議会の議長は二元代表制であり、任命権者も多元的である。国家公務員
と地方公務員の共通課題については整合性が必要であるが、両者に差異があることも
認識し、それぞれに適した制度を構築するべく、今後検討を進める必要がある47)。
*追記
脱稿後の2012年11月 5 日に「地方公務員の自律的労使関係制度に関する会議」は、地
方公務員に協約締結権を付与することにより、職員の意欲と能力の向上や労使の協働による組
織全体のパフォーマンスの向上に資するとの報告書を公表した。同報告書では、消防職員の団
結権及び協約締結権付与についても肯定的見解が示されている。
同月 8 日には、政府と地方六団体が地方自治に関する事項について協議する「国と地方の協
議の場」において、地方六団体は、地方公務員制度改革について国から納得できる説明がなく、
法案化について反対する「地方公務員制度改革について」を提出している。こうした中で同月
15日、政府は地方公務員に協約締結権を付与する「地方公務員法等の一部を改正する法律案」
及び「地方公務員の労働関係に関する法律案」を閣議決定し、衆議院に提出したが、翌16日に
衆議院が解散したため両法案とも廃案となった。
参 考 文 献
荒木尚志・岩村正彦・山川隆一・山本隆司・渡辺章(2011)「座談会
転機を迎える国家公
務員労働関係法制」『ジュリスト』有斐閣1435号 8 頁
出雲明子(2012)「国家公務員制度改革の動向と論点」
『都市とガバナンス』日本都市センタ
45) 稲継・大谷(2012)47~52頁
46) 稲継・大谷(2012)57頁
47) 全国市長会「『地方公務員の新たな労使関係制度に係る主な論点』に対する意見」
(平成24
年 1 月27日)参照
- 288 -
地方公務員の労使関係制度改革
ー18巻29頁
稲継裕昭・大谷基道(2012)
「国家公務員制度改革が都市自治体に及ぼす影響」『都市とガバ
ナンス』日本都市センター18巻46頁
猪野積(2011)『地方公務員制度講義改訂版』第一法規
宇賀克也・稲継裕昭・株丹達也・田中一昭・森田朗(2008)「座談会
公務員制度改革の現
状と課題」『ジュリスト』有斐閣1355号 2 頁
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小幡純子(2008)「公務員の労働基本権のあり方」『ジュリスト』有斐閣1355号28頁
小原昇(2000)『地方公務員の勤務条件と労使関係』学陽書房
毛塚勝利(2010)「公務労使関係システムの構築に関する議論の現在と問題点」『季刊労働
法』労働開発研究会230号73頁
小部正治(2009)「「管理運営事項」をめぐる攻防」『労働法律旬報』旬報社1695号36頁
近藤幸夫(2009)「消防職員の結社の自由」『労働法律旬報』旬報社1695号20頁
塩野宏(2006)『行政法 III 第 3 版』有斐閣
島田陽一・下井康史(2010)
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公務員制度改革と公務関係の法的性質」『季刊労働法』
労働開発研究会230号85頁
菅野和夫(1983)「公務員部門労働法(一)~(三)」『法曹時報』大学図書35巻10号 1 頁、
11号 1 頁、12号 1 頁
――――(2010)『労働法第 9 版』弘文堂
武井寛(2012)「国家公務員労働組合の法的性格」『法律時報』日本評論社84巻 2 号16頁
道幸哲也(2003)「公務員労働団体の代表法理」『日本労働法学会誌』法律文化社101号39頁
――――(2008)「公務員労働法における団公・協約法制」『季刊労働法』労働開発研究会
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2 号22頁
西村美香(2012)「自律的労使関係制度の導入と地方公務員制度」『都市とガバナンス』日本
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濱口桂一郎(2008)「公務労働の法政策」『季刊労働法』労働開発研究会220号138頁
晴山一穂(2012)「団体交渉と立法措置」『法律時報』日本評論社84巻 2 号30頁
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『日本労働法学会誌』法律文化
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――――(2012)「国家公務員の労働条件決定システムと議会制民主主義の要請」『法律時
報』日本評論社84巻 2 号 9 頁
- 289 -
年報 公共政策学
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The Reform of the Labour Relations System
of Local Public officials
―The Course of the Progress
and the Unification of Working Conditions―
TOYA Masaharu 
Abstract
The Japanese government is now trying to reform the labour relations system of public
officials including local public entities. They propose the officials regain the rights to conclude
the labour agreements with the central/local governments and to make their working
conditions autonomically. It is however very difficult to coordinate the relation between the
recovery of the rights and the necessity for unification to the working conditions of the public
officials.
This paper explains the course of this reform plan and the current system of the labour
relations of local public officials, and then examines some problems of the proposal.
Keywords
local public officials, labour relations system, labour agreement, labor union, the unification
of working conditions

Japan Association of City Mayors
E-mail: [email protected]
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長期入院型医療制度を問う
長期入院型医療制度を問う
―高齢者の終末期医療から―
高波 千代子
1. はじめに
わが国の医療制度は、全ての国民が公的な医療保険制度に加入し、いつでも必要な
医療を受けることのできる皆保険制度を採用し、フリーアクセス診療を実現している。
こうした医療体制は、世界最高水準の平均寿命の維持や、高い保健医療水準を確保す
る上で大いに貢献してきた(厚生労働省編,2005; p17)。そして国際的にも評価の高
いこの医療制度の特筆すべき特徴の一つが、患者の入院期間の長さである。わが国の
平均在院日数は、他の先進諸国と比較して極めて長い。平均在院日数の定義は各国に
よって異なり単純な数字の比較は困難であるものの、例えばイギリスの平均在院日数
は7.8日(2009)、フランス12.8日(2009)、デンマークに至っては4.3日(2010)1)で
ありながら、日本の平均在院日数は33.2日(2009)である 2)。日本人は他国の人々に
比べ 3 倍近くの期間、病院で入院治療を受けている。
このような違いはなぜ生じるのか。要因の一つには、慢性期の患者が入院する日本
特有の「療養病床」の存在がある 3)。療養病床に入院する患者は、家族や馴染んだ自
宅から一人離れ、治療効率を優先して設計された無機質な病室で、出かけることもな
く一日中病衣を纏い、ベッド上で天井を見上げる生活を余儀なくされる。見舞い客が
来ない日は、看護師と交わした会話が患者にとって唯一の言葉を発する機会となろう。
患者はこのような非日常的な生活を数カ月以上、長ければ数年も過ごすのである。
そして長期間のベッド上での生活は、自立生活がもはや許されないほど、他の身体
の諸機能を衰弱させる。それが廃用症候群の問題である。その上、廃用症候群からの
離脱のためには、廃用におちいった期間よりもさらに長期間のリハビリテーション医
療や看護を必要とする場合が多い。よって、廃用症候群の増加は必然的に入院の長期
化をもたらすと推測されるのである(佐鹿他,2011; p1)。医療のための限られた人
的資源・財源は、より一層、高齢患者へ偏在することになり、超高齢社会を目前に控

1)
2)
3)
医療法人渓仁会 手稲渓仁会病院 [email protected]
OECD Health DATA 2011 [http://stats.oecd.org/index.aspx?DataSetCode=HEALTH_STAT] 参照。
平均在院日数は、全病床[精神病床、感染症病床、結核病床、一般病床、療養病床及び介
護療養病床]の数値である(OECD Health DATA 2011 及び厚生労働省.「平成22年医療施設
動態調査・病院報告の概況」22頁参照)。
療養病床の平均在院日数は176.4日、介護療養病床は300.2日である(厚生労働省.「平成
22年医療施設動態調査・病院報告の概況」22頁参照)。
- 291 -
年報 公共政策学
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えた我が国にとっても大きな課題である。
本論では、これら長期入院が患者に対して及ぼす弊害を確認し、長期入院の弊害の
具体的な例として、昨今、新聞紙面上等でも大きく取り上げられることの多い 4)胃瘻
(ろう)を取り巻く問題について取り上げる。そこでは胃瘻が増加する背景や医療制
度に内在する要因を検討し、諸外国における高齢者の終末期医療に対する取組み等も
参考にしながら、今後の高齢化社会を見据えた医療政策のあるべき方向性を提示して
みたい。
2. 長期入院の弊害
これまで長期入院制度の弊害は、医療の必要性の低い高齢患者が病院に長期に入院
をする、いわゆる「社会的入院」の問題として取り上げられてきた。つまり、高度の
医療を必要としない患者の入院の長期化は、医療費や医療資源の不効率な配分である
との指摘から、その改善の必要性が唱えられてきたのである(印南,2009; p79)。も
ちろん長期入院による医療費の拡大が財政へ与える影響は、高齢化が急速に進む日本
社会にとって喫緊の課題であることに疑いの余地はない。ただし、ここで見落として
ならないのは、医療財政の問題が長期入院の弊害の一面でしかないという点である。
長期化する入院の問題を考えるにあたっては、財政面のみならず入院患者自身、つま
りは私たち自身の身体にもたらされる影響を忘れてはならない。平均在院日数の数字
が短縮していたとしても、患者への弊害に対する改善なくして長期入院の本質的な解
決とはなりえないのである。
2.1 廃用症候群
そこでまず、長期入院によって高齢患者へもたらされることの多い廃用症候群につ
いて、その概念や徴候について確認する。
私たちの生体の骨、関節、靭帯、筋肉等には、絶えず重力、加(荷)重、運動とい
う負荷が掛かり、その機能を保っている。麻痺やギプスの固定により運動が行えず、
或いは寝たきり等によって加重が掛からない期間が長く続くと、骨には萎縮や骨粗鬆
化(廃用症候性骨粗鬆症)が起こり、軟部には萎縮や拘縮が起こることがある。これ
らを総称して廃用症候群と呼ぶ 5)。健康人であったとしても、筋肉は活用しなければ
萎縮し、関節の拘縮も意外に早く進行する。不適切な「安静」が長期化すれば、たと
え約 1 週間の安静であっても廃用症候群は発症する。急性期病院に入院した高齢者で、
4)
5)
例えば、朝日新聞.平成23年11月30日夕刊『食べる幸せ いつまでも』
、朝日新聞.平成23年
12月14日朝刊『胃ろう 長短話し合って』
、朝日新聞.平成24年 1 月13日朝刊『患者思い 揺
れる家族(胃ろう体験談)』、朝日新聞.平成24年 1 月26日朝刊『胃ろうつけた後も大事』
等がある。
南山堂.(1998)『南山堂 医学大辞典 第18版』の「廃用症候群」を参照。
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長期入院型医療制度を問う
入院 2 週間前まで歩行可能であった患者のうち、入院により新たに16.8%が介助歩行
となったという報告もある(Mahoney et al. 1998; p307)。
高齢者、特に女性は元々の筋肉の量も男性に比較して少なく、尚更その衰弱の進行
は早い。脳卒中等により足首の関節が足底のほうへ屈曲し、寝たきりの状態が長く続
くことによって、つま先が伸びた状態のまま固まる尖足が生じると、もはや二度と自
分の足で立ち上がることはできなくなることもある。
これら廃用症候群は、筋肉や関節だけではなく様々な臓器にも生じる。身体を横に
した状態から立ち上がる際に血圧が下がり、脳貧血症状を起こして歩行が不安定とな
り、転倒の原因となる起立性低血圧も誘発される。長時間同じ姿勢で横になるため、
関節等の骨が突出している箇所が寝具とこすれ、摩擦を起こし、皮膚がただれ褥瘡
(床ずれ)になることもある。身体を動かさないことから不眠や食欲不振となること
もあり、認知症を誘発し、またその症状の進行を早めることもある。
2.2 廃用症候群と長期入院の関係性
欧米諸国では早くから、長期の安静によって患者に廃用症候群がもたらされるため、
できる限り早期に患者をベッド上の安静から離脱させる必要があるとされてきた
(Kottke,1965; p437)。特に高齢患者について、褥瘡等の医原性疾患(iatrogenesis)
のリスクを高める主たる要因の一つは、入院期間の長期化であると認識されており
(Szleif et al. 2008; p337)、16~44歳の若年層の患者に比べ、65歳以上の高齢患者では、
その入院期間中の発症リスクが 2 倍程度高まると報告されてもいる(Brennan,1991;
p370)。
わが国においても、リハビリテーション医学領域では、廃用症候群の概念及び個々
の徴候が明らかにされてきた。しかし、廃用症候群の診断の面では、確固たる診断基
準が開発されておらず、医師の臨床経験に基づいた主観的診断に頼らざるを得ない状
図1. 疾患別入院割合の推移
(出典)NTT 東日本関東病院 HP [http://www.ntt-east.co.jp/kmc/sinryo/22rihabiri.html] を参考に筆者作成
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年報 公共政策学
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況にある(佐鹿他,2010 b; p167)。従って、その患者数を正確に把握することは難
しいものの、NTT 東日本関東病院(665床)が一定の診断基準のもとで行った調査結
果によるとリハビリテーション病棟における疾患別入院割合における廃用症候群の割
合は、この 7 年で2.8%から41%にまで上昇している(図 1 )。
また、横浜市立大学付属病院及び同付属市民総合医療センターで入院中の患者のう
ち、リハビリテーション医療を必要とする主な機能障害が「廃用性障害」である患者
は、入院患者の20~30%に達しているという報告もある(佐鹿他,2010 a; p 3)。
これらの結果を全体として推察すると、わが国では近年、急速に廃用症候群が増加
しているということができる。つまり、療養病床での長期の入院において患者は廃用
症候群に陥り、寝たきりの状態から回復困難となって入院がより長期化するという状
況が増加しているといえる。
3. 胃瘻
このように廃用症候群は、長期入院がもたらす高齢患者への直接的な弊害の一つで
ある。その廃用症候群、いわゆる寝たきりの状態となった高齢患者を取り巻く問題に、
胃瘻がある。
胃瘻とは、腹壁と胃腔の間に造られた穴にチューブを通して、直接胃の中へ栄養を
注入する方法である。我が国では、経口での栄養摂取が困難なケースにおいて、患者
に胃瘻を造設して栄養摂取を行うことが広く普及しており、内視鏡による経皮内視鏡
的胃瘻造設術(Percutaneous Endoscopic Gastronomy; PEG)の発達によって、患者の苦
痛や介護者の負担が軽減されたことから、近年急速に普及してきた。PEG キットの
販売数をみると、1993年に約6,500本であったところ、2001年には造設用キット販売
数は45,000本、2003年にはその約 2 倍の84,300本へと急激に増え、2005年には10万本
を突破している(会田,2011; p151)。今後の高齢化の比率と同等に算出すると、全
国の胃瘻造設者数は2025年頃までに100万人にも上るとの予測もある(藤本,2009;
p56)。
PEG は、外科的な胃瘻造設術に比べ侵襲性も少なく、鼻から管を通す経鼻栄養法
に比べ患者の不快感も少ない等のメリットも多いと評価されている(蟹江,1998;
p543、蟹江,2000; p13、赤澤,2001; p42)。では、その胃瘻造設の何が今、問題と
なっているのか。全日本病院協会が全国の医療施設や介護施設等を対象に行った「胃
瘻造設高齢者の実態把握及び介護施設・住宅における管理等の在り方の調査研究」の
報告書(以下、全日本病院協会報告書)を基に分析する。
3.1 胃瘻と廃用症候群の関係性
まず、推定26万人に上ると推測される胃瘻造設高齢者には、その実に 9 割が寝たき
りの状態にあるという、廃用症候群との強い関係性がある。寝たままの状態では人は
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長期入院型医療制度を問う
誰でも誤嚥しやすい。誤嚥を避けるために胃瘻を利用すれば、嚥下機能は活用される
ことなく、より一層衰弱していく。また12%の胃瘻造設高齢者は造設後 5 年以上を経
過しており、その内の 5 割は「生命維持」のみを目的に装着しているという実態も見
過ごせない。また、慢性期病院の 3 割もの患者が胃瘻を造設している。経口併用で栄
養摂取を行っている胃瘻造設者は、わずか1~2割に留まり、胃瘻を離脱し経口での食
物摂取に戻る見込みのある胃瘻造設者は、わずか2~3割と報告されている。これらの
点からも、わが国では、寝たきりの患者に延命目的で胃瘻が造設され、一度造られた
胃瘻は中止されることなく、長期間継続されていることが推測できる。
また、「認知症」が胃瘻造設の原疾患となっているケースが、介護老人保健施設で
は16%にも及び、その他の医療機関でも6~8%も存在するという報告も、大きな問題
を抱えている可能性がある。そもそも認知症の原疾患には、大きく「アルツハイマー
病」と「脳血管障害」に分けられる。そして後者の脳血管障害型認知症患者の場合、
嚥下機能の麻痺によって経口摂取が困難となっているようなケースには、一時的に
PEG による胃瘻栄養法を活用し、嚥下訓練を並行して実施することに何ら疑問はな
い。しかしながら、一方のアルツハイマー型認知症の場合、問題はより複雑となる。
この患者群は、嚥下の機能障害というよりも、認知症の症状として意欲や食欲が低下
し、拒食している場合もあるからである。この点、後述するように、欧米のアルツハ
イマー病協会等は、アルツハイマー病が進行して摂食困難となった場合には、胃瘻の
栄養法はもはや適応とならず、むしろ患者にとって不利益をもたらすのみとなるため、
胃瘻を造設しないように勧告しているほどである。前述の「認知症」を原疾患として
胃瘻を造設しているわが国の16%の患者に対し、摂食拒否しているから即 PEG、と
いう答えが出されているのだとしたら、これは大きな問題となり得るのである。
3.2 胃瘻増加の背景
それでは、このような問題をはらむ胃瘻がなぜ増え続けるのか。ここでは、医療制
度がもたらす誘因という視点から、胃瘻造設の原因疾患の半数以上 6)を占める「脳血
管疾患患者」の嚥下障害を例に考察する。
嚥下障害が高頻度に発症する脳血管障害には、大きく「仮性球麻痺」と「球麻痺」
のレベルに分けることができる。仮性球麻痺の特徴は、嚥下反射は残存するものの、
飲み込む筋力の低下、協調性の低下、また失語、失念、認知機能障害等の高次機能障
害等が併発する。それゆえ、これらの患者群には、嚥下訓練による回復の可能性は潜
在しているものの、訓練を実施すること自体が難しいケースが想定される。一方の球
麻痺には、嚥下反射が残存せずに、経口摂取が全く不可能となる症例が多い。すなわ
ち、脳血管疾患による嚥下障害にも、仮性球麻痺のようにリハビリによって回復でき
6)
前掲の全日本病院協会報告書によると、慢性期病院では59.7%に上る。
- 295 -
年報 公共政策学
Vol. 7
るものと、球麻痺のように回復できないものがあるのである。従って、胃瘻造設の判
断においては、リハビリが不十分だったのか、そもそも回復不可能な麻痺であったの
か、慎重に判断されなければならない。それにも関わらず、わが国では、胃瘻の適応
基準に関する公的なガイドラインが整備されていない。前掲の全日本病院協会報告書
によると、新規胃瘻造設の基準を設けている医療機関は、急性期病院で 3 割強にとど
まり、慢性期病院に至っては7.5%にしか至らない。つまり多くの医療機関では、各
医師のそれぞれの判断によって胃瘻造設の決定が下されているのである。
また、そもそも胃瘻造設の決定には、その前の段階で適切に嚥下訓練を実施し、そ
の回復の可否を慎重に判断することが不可欠である。それにも関わらず、言語聴覚士
等による嚥下訓練に対する診療報酬上の評価は、ごく僅かなものでしかない(摂食機
能療法185点)7) 。その反面、PEG 手技料の保険点数は、ここ数年で上昇している
(2011年時点で9,460点)8)。日数をかけて誤嚥のリスクを負いながら患者に嚥下訓練
を実施したとしても、医療機関の直接的な収入増にはつながらず、一度 PEG を造設
しさえすれば、チューブ交換時等にも収入が定期的に入ることになる。
その上、療養病床における包括支払制度、つまり定額制のシステムは、コスト抑制
のインセンティブを生む。つまり、収入が一定額に抑えられている場合、できる限り
コストを抑えると考えるのは必然である。この点、胃瘻の管理は食事介助に要する人
件費よりも安価に済み、その上、管理自体も簡便であって時間も節約できる。
そして胃瘻造設の増加の背景には、平均在院日数の短縮化政策が、急性期・慢性期
区分による転院圧力を高めていることもあげられる。急性期病院では、診療報酬上の
在院日数の規定があるため、入院が長期化すれば、その医療機関の収入減に直結する。
そのため、急性期病院には、ゆっくりリハビリに向き合っている時間的余裕はない。
しかし、病院では何か処置しなければならない、という意識が働き、必要な処置とし
て胃瘻が選択されることもある(会田,2011; p174)。このように、わが国の医療制
度は、胃瘻が選択されやすいインセンティブにあふれているのである。
そして前述のとおり、一度造設した胃瘻は長期化することが多い。自ら経口摂取で
きるようにならない限り、胃瘻による栄養法を中止することは稀である(会田,
2011; p192)。胃瘻の継続に関する意思確認を患者に対して行ったことはないという
医療機関も多い 9)。患者の症状によっては、リハビリを丹念に実施することで胃瘻を
離脱する可能性が残されてはいる。とはいうものの、医療機関が経口摂取のリハビリ
7)
8)
9)
摂食機能障害を有する患者に対して摂食機能療法を30分以上行った場合、治療開始日から
起算して 3 カ月以内は、毎日185点を算定することができる。ただし、それ以降は、1 月
に 4 回を限度として算定できる(平成20年診療報酬点数表参照)。
1999年時点で6,400点だったものが、2000年の改正時に7,570点となり、現行では9,460点
となっている。
全日本病院協会.(2011)『胃瘻造設高齢者の実態把握及び介護施設・住宅における管理等
のあり方の調査研究報告書』207、218、221頁参照。
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長期入院型医療制度を問う
を担う人材(言語聴覚士等)を雇用しようにも、嚥下訓練に対する診療報酬上の評価
は低く、人件費一人分にもならないのが現状である。
3.3 胃瘻と自己決定
このように胃瘻造設は、侵襲性の伴う医療行為であり、その後の生活や生命にも関
わる重大なものである。しかも一度造設すると中断は難しい。そのような治療であれ
ば、自らの意思で決断したいと望むのは当然である。そもそも医療は、医師が患者に
対して、考えられ得る治療の選択肢、それらの効果、リスク、予後、費用等を説明し、
その上で当該治療を受けることに患者が同意すること、すなわちインフォームドコン
セントが前提となる。しかしながら、現状では、本人自ら胃瘻の造設を決断できてい
るケースは極めて少ない。患者の代わりにその家族が決定している場合が 8 割前後と
いうのが実情である10)。胃瘻を造るか否かの時点においては、もはや患者本人は重度
の認知症、或いは昏睡状態にある等の要因から、自ら決断することができない状況に
おかれているのである。
8 割もの人が、自分自身ではなく家族の意向によって胃瘻を造設されている。これ
は、もはや意識のない患者本人のためというよりも、傍にいる家族や近親者のために
胃瘻を造設しているようなものである。
また、インフォームドコンセントの内容にも偏りがあるという指摘もある。胃瘻の
必要性や有用性に関する説明はするものの、胃瘻を造らないという選択肢を提示する
ことは稀というのである(会田,2011; p174)。これでは、全ての選択肢が提示され
ているとはいえない。この点からも、施術ありき慣行による医療機関の姿勢も伺える。
また、インフォームドコンセントの実施の仕方にも、標準化されていないわが国の医
療の現状が垣間見える。
4. 諸外国の取組み
ところで、高齢化が進み、高齢患者の増加や高齢者の終末期医療、そして延命治療
の在り方が医療制度の根幹的な課題となっているのは、他の先進諸国でも同様である。
欧米諸国においてはこれら高齢者を取り巻く医療の問題をどのように取り扱っている
のか確認し、わが国への示唆を見出してみたい。
4.1 医療倫理重視
まず欧州では、伝統的に人格主義生命倫理が発展してきたといわれる。医療の問題
に対する決定に際しては、専門職である医師が主導的な役割を果たし、医師の職業倫
理に基づいて治療の差し控えや中止を判断する。人格主義生命倫理学の最高原理は
10) 全日本病院協会.(2011)前掲159頁参照。
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年報 公共政策学
Vol. 7
「人間の尊厳」原則であり、「執拗な治療」は人間の尊厳を侵害することになるので実
施しない、という考え方である。例えば欧州17カ国が参加した The ETHICUS Study
によれば、延命医療の制限の意思決定に際し医師が考慮した点として挙げたのは、
「良質の医療(good medical practice)」が66%と最も多く、「患者の最善の利益(best
interest of patients)」が28.5%とこれに続く(Sprung et al. 2008; p274)。これらは、共
に医師の判断であり、合わせて 9 割を超える。患者や家族の申出(2 %)やリビン
グ・ウィル(0.9%)による決定は前者に比較して明らかに少ない。
また医師という専門職の判断を尊重するということは、職能団体が自らの責任の下
でガイドラインを作成し、それに則って医療を提供するということでもある。例えば、
前述の脳血管疾患患者に対する胃瘻造設に対し、英国スコットランドでは「脳血管疾
患診療ガイドライン;嚥下障害の診断と治療(公式診療ガイドライン)11)」が設けら
れている。そこには胃瘻の適応基準や決定から造設までの手順が詳細に掲載され、そ
れに従って胃瘻の判断が行われている。では、本人の意思が不明な場合に家族が更な
る治療を要望した場合、医師が医学的にその必要はないと判断した際にはどうなるの
か。英国では、法廷の判断によるとされ、現在の傾向としては後者の医療職の判断に
重きが置かれているといわれている(会田,2011; p15)。
また、欧米では、高齢者の終末期医療において、経口摂取ができなければ自動的に
胃瘻を造設することに対して、そもそも批判的な文献が数多くみられる。前述のとお
り、特に重度の認知症患者に対しては、胃瘻は臨床的に良い結果をもたらさないとい
う研究結果を基に胃瘻造設を推奨しないことが欧米のガイドラインに明記されている。
例えば、米国のアルツハイマー協会のガイドラインは「アルツハイマー末期で嚥下困
難になった患者に対する最も適切なアプローチは、死へのプロセスを苦痛のないもの
にすることであ」り、「経管栄養法がこの患者群に利益をもたらすという医学的証拠
はない」と明記している。またオーストラリア政府が2006年に策定した「高齢者介護
施設における緩和ケアガイドライン」では、「(胃瘻等による)経管栄養法は認知症に
より嚥下困難となっている患者に対してむしろ害が大きい」としている12)。
4.2 患者の自己決定権重視
その一方で、高齢者のみならず医療を受ける全ての患者は原則として自ら決定する
権利を有しており、その自己決定権が最大限、重視されなければならないとの考え方
もある。特に米国は、個人主義生命倫理を重視し、最高原理は個人の自己決定権とす
11) Scottish Intercollegiate Guidelines Network (2004) Management of patients with stroke;
Identification and management of dysphagia (A national clinical guideline) 参照。
12) Australian Government National Health and Medical Research Council, 2006 Guidelines for a
Palliative Approach in Residential Aged Care. Enhanced version - May 2006 [ http://www.
pallcare.asn.au/pdf/membership/guidelines_pa.pdf ] p91 参照。
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長期入院型医療制度を問う
る立場にあり、患者の自己決定権は、権威保持者である医師に対して患者自らが対抗
(意思表示)するために形成された概念として、治療方針は患者が自分自身で決定し、
その結果についての責任も自分でとるという主張に支えられている。1990年に制定さ
れた米国連邦の「患者の自己決定法(Patient Self-Determination Act)
」は、全ての医療
機関に対して、医療の承諾或いは拒否に関する権利を患者に保障することを義務付け、
延命医療の拒否は患者の権利であることを明示している。また、Living Will の法制化
を実現しているのも米国である。患者が入院する際には必ず、自らの延命治療に対す
る意思を表明し、その患者のカルテの第一頁目に添付することが医療機関に義務付け
られている。
また、イギリスでは治療拒否事前決定制度(Advance decision to refuse treatment)が
意思決定能力法に規定されている13)。これは、特定の治療に対し、その治療が必要と
なったときには自分の意思決定能力を欠きその治療に対する意思を表明できなくなっ
た場合のために、事前に治療の拒否或いは中止の意思を示しておく制度である。また、
同じ意思決定能力法において、自ら意思決定できない状況にあると認められた人々に
代わって決定に関与する権限を有している者に対し、遵守すべき原則が明記されてい
る。それは、「本人の最善の利益(best interest)を実現するように行わなければなら
ない」という「最善の利益」原則である。具体的には、「本人の年齢や外見、状態、
ふるまいによって最善の利益の判断が左右されてはならない」等、その判断にあたっ
ての細かなチェック項目が記されている。これは、本人の客観的状況を決定権者が外
部者の視点で観察した結果、良いと考えたに過ぎないものを「最善の利益」と捉えて
はならないと示しているのである(菅,2010; p36)。つまり、家族の意思のみによっ
て判断されることは厳格に否定し、あくまでも患者が主体であることが示されている
といえる。
4.3 緩和ケア概念の拡大
では、胃瘻等の延命治療を選択しなかった、或いは選択されなかった患者の終末期
はどうなるのか。この点、欧州では、高齢者の終末期医療における緩和ケアの概念の
導入の必要性が説かれている(WHO Europe,2004 a; p14)。高齢化に伴い、高齢者
の終末期も多様化し、身体的、精神的、そして社会的に多くの課題を終末期医療が抱
えるようになった。そこで今後の医療制度は、それらの課題を本質的に解決する方法
を提示しなければならないとの問題意識を出発点に、ペインコントロールや症状管理
を含め、これまでは癌の末期患者に専ら提供されてきた「緩和ケア」の知識・技術を
導入すべきだとしているのである。つまり、限りなく安らかに最期の時を迎えられる
体制を、全ての高齢者の終末期医療にも取り入れていくべきであるという考え方であ
13) 「意思決定能力法(The Mental Capacity Act 2005 Chapter 9; 24)」に規定されている。
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年報 公共政策学
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る。これは病院のみならず、むしろ終末期の療養を支える訪問医や訪問看護師が対象
となる。そのため、それらの専門職に対する緩和ケアの知識や技能の取得が期待され
ている。
5. わが国の政策の方向性
それでは、日本における胃瘻の問題はどのような方向性に進んでいくべきか。
医療行為としての治療の選択においては、まずは医師の臨床的判断が前提となるこ
とは疑いようもない。ただし、各医療職にその決定を全て委ねるのではなく、標準化
されたガイドラインに基づいて判断されるべきである。前述のとおり脳血管疾患患者
や認知症患者に対する胃瘻は、適応の判断が難しい。それに加えて、前述のとおり、
わが国の医療制度には、胃瘻造設を選択する方向に傾き易い制度上のインセンティブ
も豊富に存在する。そのような中で安易に胃瘻が造設される可能性を減らしていくた
めには、どの疾患のどのような病態の患者に胃瘻が適応となるのか、という標準化さ
れた臨床的基準が必要である。そしてその基準は、胃瘻を造設した後の生活がどのよ
うに変化するのか、胃瘻はその患者の生の質の向上に寄与するのか等の全人格的視点
からの要素も考慮しなければならない。その上で、その臨床的判断を前提に、患者本
人の同意を得るためのできる限りの努力がなされるべきである。つまり、胃瘻を造設
するか否かを決定においては、その判断に至るプロセスを重視する必要があり、一定
の判断基準と判断過程を標準化したガイドラインが有効である。
これまで高齢の患者には胃瘻を造る選択肢しかなかった。そのため、医療職と患者
の意思が相反することは稀であったが、今後は、上記の臨床的判断と本人の意思が対
立することも想定し得る。そのような事態への対策も必要となるだろう。以下では、
それらの点を詳しく考察する。
5.1 治療ガイドラインの整備
まずは、治療のガイドラインを適切に整備する必要がある。特定非営利活動法人
PEG ドクターズネットワークが実施した平成22年度老人保健事業推進費補助金「認
知症患者の胃ろうガイドラインの作成―原疾患、重症度別の適応・不適応、見直し、
中止に関する調査研究―調査研究事業報告書(平成23年 3 月)」では、認知症患者へ
の胃瘻造設による若干の治療効果(生活自立度の改善、経口摂取機能の改善、QOL
の改善等)が示されたものの、原疾患別、重症度別等の詳細な検討はなく、不適応や
中止の必要性が検討されるべきケース等にはふれられていない。
そもそも慢性疾患は、癌等とは異なり、時間を尺度として予後を予測することが難
しい。そのため、終末期を定義すること自体、一般に困難とされており、終末期に関
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長期入院型医療制度を問う
する研究も進まない現状にある14)。厚生労働省は、平成19年に初めて「終末期医療の
決定プロセスに関するガイドライン」を作成したが、あくまでも手続上の指針に留ま
り、どのような患者の病態が終末期にあたるか、という具体的な定義を示したもので
はない。
しかし、医療を担う職能団体には、必要最低限のガイドラインを作成する責任があ
る。特に医師には、検査の要否・時期、治療の要否・時期・方法の選択などの決定に
おいて裁量が与えられ15)、社会的地位も確立し、医療保険財源から相応の報酬も得て
いる、これらのことからも、医療を司る者として医学的妥当性を追求する責務がある
といえよう。医療界の中で見解が分かれているからと曖昧な表現を羅列した指針では、
その責任を全うできているとは言えない。限られた医療財源を公平に配分するべく、
明確に医療の基準を提示し、それに則って標準化された医療が行われるべきであり、
その最低限の保障として適切なガイドラインを作成すべきだと考える16)。
5.2 患者の自己決定を支える仕組み
治療のガイドラインが整備され、標準的な医療が提供される体制が整ったとしても、
もちろん治療を受ける本人の意思を尊重することは忘れてはならない。患者の意思を
尊重するにも、まずは、患者自身が自分の疾病を把握できていることが前提となる。
例えば、認知症の初期段階の患者に対しては、主治医が将来的な症状の進行について
説明を行い、今後の生活や治療に対する自らの心構えを確立し、事前に意思を表明し
ておくように促す。もちろんこれらの説明は、医師のみで行うのは負担が大きい。従
って、「ものわすれ外来」等の機能を強化し、臨床心理士及び社会福祉士の活用を促
14) 日本老年医学会は、2001年、終末期の医療とケアに関する『学会の立場表明』のなかで老
年の終末期から時間の概念を省略し、「病状が不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な
最善の治療により病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避と
なった状態」と定義した。しかし、認知症の終末期の定義は示されていない。
15) 仙台高栽1994年12月15日判決。また、札幌地裁1998年 3 月13日判決では「医師に対し、現
在の医学において認められている可能な診断方法をすべて講ずるよう要求することは不可
能であり、診断方法の選択については、いわゆる医師の裁量を否定することができない」
とされ、岡山地裁1994年 4 月22日判決においても「医師は診療にあたり、いかなる療法を
用いるかを選択する裁量権を有する」とされている。
16) 現在、社団法人日本老年医学会が実施主体となり、厚生労働省平成23年度老人保健健康増
進等事業「高齢者の摂食嚥下障害に対する人工的な水分・栄養補給法の導入をめぐる意思
決定プロセスの整備とガイドライン作成」を行っている。この中で、人工的な栄養法が生
命維持に対して効果が少なく患者に苦痛があるだけの場合、導入せず自然な死を迎える選
択肢もあることを患者本人や家族に示し、導入後に中止や減量ができることも盛り込んだ
指針案を同年12月に発表した。今後の進展が期待されるが、一方でこの指針案にも、その
性質上、「倫理的妥当性を確保するため」のものであり、「医学的妥当性を確保するための
ものではな」いと明記されており、後者の医学的妥当性のガイドラインが適切に作成され
ることが望まれるものである。
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年報 公共政策学
Vol. 7
進し、きめ細やかな診療を実施していくことが望まれる。
また、事前に患者が意思を表明するためには、自分の意思決定代理人を事前に指示
しておく「高齢者事前指示制度」の導入も有効であろう。厚生労働省の終末期医療の
あり方に関する懇談会の報告書(2010年10月)には、リビング・ウィルについての立
法に関し医師の54%が賛成したとされており、臨床現場においても望む声が多い事実
もある。今後、高齢化が進み、認知症患者が増加すると見込まれるわが国では、早急
に法制化に向けて検討すべきであり、応諾可能な近親者の範囲を定めるなど、事前指
示制度を活用したい人がいれば、その意思が最大限尊重されるような体制を整えるべ
きであろう。
この点、意思決定代理人に関する規定には、あくまでも本人の意思を推測し、本人
の利益のために決定を代理するものと明記すべきである。意思決定代理人は、患者が
自らの判断を将来的に委ねる相手ではなく、あくまでも患者本人の最善の利益を追求
する役割を担う者として規定すべきである。つまり、患者がたとえ自分自身に対する
治療について、自分で決定することが困難な状況になったとしても、あくまでも患者
本人が自律的存在であり、その前提が覆されることはないとすべきである。
では、医療職の判断と患者の意思が逆行したときはどうするか。その場合には第三
者機関に判断を委ね、例えば家庭裁判所に決定を求める手続きを導入する等の手段が
考えられるが、この点はより深い検討と考察が求められる。
5.3 緩和ケアへの取組み
このように患者本人の意思が尊重される枠組みが整備されたなら、今後の高齢者に
対する終末期医療のあり方も変容していくことだろう。これまで当たり前に施されて
きた胃瘻等の延命治療を拒む患者が増えることも予想できる。そもそも高齢化が進め
ば、亡くなる高齢者も増加する。超高齢化社会を目前に、高齢者の最期のそのときに、
医療がどのように関わるべきか。わが国の医療は、大きな課題が突き付けられている。
この点、欧州の緩和ケア概念の拡大への取組みは、わが国に対する示唆に富んでい
る。わが国の療養病床や高齢者施設、或いは在宅においても、高齢者終末期患者に対
する緩和ケアを実践していくべきである。そして、生活の質や生命を大きく左右する
胃瘻に頼らざるを得ない状況に陥らないように努力すべきである。そのためには、嚥
下機能訓練に対する言語聴覚士、看護師、介護職の職域の枠を柔軟に外していくこと
も求められる。もちろん誤嚥の可能性のある患者に嚥下訓練を実施することは、決し
て容易なことではなく、生命の危機に晒す恐れもある。ただ、嚥下障害を有する患者
は、認知症の症状として、単に意欲が低下し食事が進まない場合も決して少なくない。
そのような患者に対して経口による食事を如何に勧めるかは、介護職も学ぶことはで
きる。現在、高齢の胃瘻患者の増加を見込んで胃瘻のケアを介護職も実施できるよう
に規制緩和が進み、介護職を対象にした研修が平成24年以降、数多く開催される予定
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長期入院型医療制度を問う
となっている17)。しかし、私たちが望むべきは、胃瘻の手技をこなす介護職ではなく、
患者が最期まで食事の楽しみを味わえるように、嚥下訓練を実施しながら患者の経口
摂取を支えることのできる介護職ではないだろうか。
また緩和ケアは、患者本人の苦痛緩和や精神的ケア、家族への心理的配慮を重点に
置くため、医療職と患者との意思疎通を担う、看護師の役割が増大する。現行の療養
病床や高齢者施設の看護師の配置基準では、対応しきれないだろう。その一方で、治
癒を前提とした治療に対する医師の役割は、少なくなる。従って、緩和ケアにあって
は、医師の配置要件を緩和し、その人件費分を看護師増員に充て、きめ細やかな終末
期ケアを提供する体制を整えるべきである。さらには、緩和ケアに従事する専門職へ
の専門教育以外に、一般医師・看護師に対しても認識向上に向けた緩和ケアの医学教
育の充実も求められる。
また、死を見据えた医療は医師等の精神的負担になりうる。その軽減を担うべく、
患者本人や家族の精神的ケアを拡充させるためにも、医療社会福祉士(Medical Social
Worker; MSW)の活用も望まれる。現在は主として退院調整に従事している MSW の
役割を拡大し、診療報酬上においても配置人数等を評価し普及していく必要がある。
高齢化が進むわが国では、このようにして全ての高齢者の終末期医療の現場で、そ
れが病院や施設或いは自宅であろうとも、患者が限りなく安らかに最期の時を迎えら
れるように体制を築き、患者の希望に配慮して、残された人生を少しでも豊かに過ご
せるような医療を提供すべきである。
6. 結語
「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」の第 2 条 4 項
には、高齢者虐待について、以下のとおり定義している。
・
・
・
・
・
「高齢者を衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置(・・)等養護を著しく
怠ること」(傍点筆者)。
現在の療養病床で行われている医療が、上記に該当しないと自信をもっていえる人
はどれだけいるだろうか。病院の入院期間中、廃用症候群になった患者の中には、そ
の症状を防ぎ得た患者が少なからずいるはずである。日本の医療制度下でなければ、
再び自らの足で立って歩けた患者がいたはずである。胃瘻に頼らなければ、再び自分
の口から食事を取れるようになった患者がいたはずである。私たちがこれまで「致し
方ない」と目をつぶってきたものの中には、防ぎ得たものも含まれているかもしれな
いのである。
私たちは皆、年を重ね高齢者と呼ばれる段階に入る。加齢は全ての人に平等に訪れ
17) 平成23年 6 月22日に公布された「介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を
改正する法律(平成23年法律第72号)」により、平成24年 4 月 1 日から、一定の研修を受
けた介護職員等が、たんの吸引や胃瘻による経管栄養等を実施できることとなる。
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Vol. 7
る。すなわち、高齢者医療の課題は、全ての者が直面する問題である。高齢患者一人
ひとりの「人生最期の生活をいかに生きるか」という根本的な希望を支える制度設計
が、高齢者医療には必要であり、そのための抜本的な制度改革が望まれる。
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Szlejf, C., Farfel, J.M., Saporetti, L.A., Jacob-Filho, W., Curiati, J.A. (2008) Factors related to the
occurrence of iatrogenesis in elderly patients hospitalized in a geriatric ward: a prospective study.
Einstein Journal of Biology and Medicine 6(3); 337-342.
World Health Organization Europe (2004a) Better Palliative Care for Older People.
- 305 -
年報 公共政策学
Vol. 7
World Health Organization Europe (2004b) Palliative Care. The Solid Facts.
Ziden, L., Frandin, K. Kreuter, M. (2008) Home rehabilitation after hip fracture. A randomized
controlled study on balance confidence, physical function and everyday activities. Clinical
Rehabilitation 22; 1019-1033.
- 306 -
長期入院型医療制度を問う
Terminal Care for the Elderly in Japan
TAKANAMI Chiyoko
Abstract
People in Japan can benefit from the healthcare based on a universal public insurance
system, while the average length of hospital stay is the longest in advanced countries. Most
patients in the long-term care hospitals are the bedridden elderly living on tube feedings. Not
only do the majority of the elderly have dementia; they generally have little chance of
expressing their own words when they are offered life-prolonging treatments. The elderly may
require a terminal care with a palliative approach when they are dying due to the ageing
process, that is, not only as a consequence of an incurable disease.
Keywords
long-term care, tube feeding, dementia, terminal care, palliative approach
- 307 -
地方議会向けサマースクールの開催について
地方議会向けサマースクールの開催について
北海道大学公共政策大学院公共政策学研究センター研究員
水澤
雅貴
北海道大学公共政策大学院(公共政策学連携研究部・公共政策学教育部)では、8
月 2 日(木)
・3 日(金)の 2 日間、地方議員向けのサマースクールを開催した。
このサマースクールは、地方分権が本格化する中、自治立法権の担い手としてその
役割がますます重要となっている地方議会の活性化に寄与することを目的に、大学・
大学院の取組としては全国初の試みとして、2008年にスタートしたものであり、本年
は第 5 回目、道議会、市議会、町議会議員ら40名の参加を得て実施した。
議会改革の問題から、議員活動、議会運営の実務上の課題などについて、講義を通
じて理解を深めるだけでなく、受講者自らが考え、情報・意見を出し合い、議論する
ことで相互研鑽を図ることを狙いとするもので、大学・大学院の取組として、このよ
うな地方議会議員向け研修を、宿泊を伴う集中講義・グループ討議形式で実施するの
はユニークと言える。
また、当大学院の機能を活用して実施するこのスクールは、当大学院自身が、公共
空間を担う諸主体の中の一つとして、積極的に社会的役割を果たしていこうとするも
のであり、当大学院の社会貢献活動の一環と位置付けることができる。
以下、今回のサマースクールを総括する。
1 サマースクールの概要・日程
サマースクールの概要及び日程は次のとおりである。
概
要
1
主
催 : 北海道大学公共政策大学院
2
後
援 : 北海道市議会議長会
北海道町村議会議長会
3 開 催 期 間 : 2012年 8 月 2 日(木)~8 月 3 日(金)
開 催 場 所 : 北海道大学(札幌市北区北 9 条西 7 丁目)
4 対象・定員 : 地方議会議員及び地方議会議員を志す方。定員20名程度
5 受 講 料 : 8,000円(宿泊代含まず)

メールアドレス:[email protected]
- 309 -
年報 公共政策学
Vol. 7
<HOPS 2012地方議員向けサマースクール日程>
- 310 -
地方議会向けサマースクールの開催について
2 サマースクールの特色
今回のサマースクールの企画に当たり、次のような特色を意図した。
①
長期離席が難しい地方議会議員等に配慮して日程を 2 日間とし、密度の濃いス
クールとすること
②
地方議会改革の動向と課題、議会基本条例制定の効果等について、研究者の研
究成果(理論)と地方議会改革の当事者の生の熱い声(実践)を聞く機会を設け
ること
③
NPO 法人公共政策研究所と公共政策大学院院生が本年度行う道内地方議会へ
のアンケート調査結果(実態)について速報し、議会の活性化について参加議員
との意見交換を行うこと
④
全国初の「文理融合型」公共政策大学院として、「理論と実践の架け橋」を重
視し、政策立案能力を有する有為な人材の育成に力を注いでいる当大学院の特色
を生かし、参加者が自ら考え、参加者間の討議、意見交換・情報交換し、発表す
る機会を多く設けること
3 募集と応募状況
サマースクールの実施に当たっては、北海道市議会議長会と北海道町村議会議長会
の後援を受け、両団体が有するネットワークを活用して、受講者の募集に協力をいた
だいた。この場を借りて改めて感謝申し上げる次第である。
受講者の募集に当たっては、道内市町村議会事務局に募集案内をメール送付したこ
と、北海道議会事務局と札幌市議会事務局に直接募集案内を持参し、議員の皆さんへ
の直接配布をお願いしたこと、その他、北海道大学及び当大学院のウェブサイトに案
内を掲示するとともに、マスコミへの資料提供を行った。
今回の募集定員は、例年と同じ20名とした。募集開始直後から、昨年受講した地方
議員からの応募や首都圏の地方議員からの応募照会があるなど、関心が高く、締切日
(6 月15日)の時点で応募者は42名と大幅に定員数をオーバーする応募者に達した。
4 受講者
受講希望者が定員数をオーバーしていたが、 表1 男女比率
今回のサマースクールでは特別な選考は行わ
ず、希望者全員の受講を受け入れることとし
た。
その後、2 名の辞退者が出たため、最終受
性別
男
女
計
(注1)(
人
32(17)
8(1)
40(18)
比率
80%
20%
100%
)内は2011年実績(以下同じ)
講者数は40名となった。
受講者の属性を分類すると、次表のとおりである。道内からの参加者は39名で、道
外(千葉県)からの参加者が 1 名であった。団体の区分別では、都道府県議会議員は
- 311 -
年報 公共政策学
Vol. 7
表2 受講者の道内・外比率
区分
人
比率
道内
39(17)
97%
道外
1(1)
3%
計
40(18)
100%
表3
現職・議員志望者の構成
区分
人
比率
現職
37(13)
93%
議員志望者
3(5)
7%
計
40(18)
100%
2 名、市議会議員が11名、町村議会議員は24名と現職議員の比率が93%であった。ま
た、今年度の特徴は、北海道大学公共政策大学院と連携協定を結んだ芽室町議会から
6 名の応募があるなど複数人応募議会が10議会、26名(65%)と去年の複数人応募議
会が 1 議会、2 名であったことと比較しても、今年は会派やグループによる複数人応
募議会が多かったこと、また、女性議員の応募(今年 8 名、前年 1 名)が多かったこ
とと、議会事務局長が 2 名(前年 0 名)参加したことがあげられる。
年齢別では、最小年齢32歳~最高年齢78歳で、平均年齢56歳(前年51歳)であった。
議員経験別では、1 期・2 期のフレッシュな議員が64%を占める一方、3 期以上の
ベテラン議員が36%で、その中には現職の議長が 2 名含まれている。ベテランクラス
でも、これまでの議会活動に変革の必要性を感じ、改めて勉強して、議会活動・議会
改革に活かしたいとする意欲的な方が多かった。
表4
現職の経験状況
区分
1期目
現職(人)
13(4)
比率
35%
2期目
11(4)
29%
3期目
5(3)
15%
年齢構成(( )内は2010年実績)
区分
30歳代 40歳代
受講者(人)
3(5)
5(3)
比率
7%
12%
4期目
6(0)
16%
5期目
2(2)
5%
計
37(13)
100%
表5
(注2)再受講生
50歳代
18(4)
45%
60歳代 70歳以上
13(6)
1(0)
33%
3%
計
40(18)
100%
9 名(23%)
5 スクールの内容
スクールの内容については、1 の概要・日程のとおりであり、目下の重要課題であ
る地方議会改革等をテーマに、研究者と地方議会改革の当事者の講義・グループ別討
議等を設定した。
5 - 1 事前学習
当スクールは、少人数方式により受講者が自ら考え議論することを特色の一つとし
ており、2 日間にわたる議論を実り多いものとするため、事前学習として次のテーマ
に関する意見等の事前提出を各受講者にお願いした。
(1)あなたが所属する(又はあなたが目指す)議会の議会改革・活性化(議会基本
- 312 -
地方議会向けサマースクールの開催について
条例含む)に関するこれまでの取組、現状と課題、今後予定されていることに
ついて
(2)地方議会改革・活性化(議会基本条例含む)に関し、他の受講者から聞きたい
事項・意見交換したい事項等について
(3)「課題設定型議会」に必要と考えられる次の 4 つのプロセス(①~④)における
議会の在り方に関して
①住民参加による地域課題の発見と共有(議会や委員会等主催の住民との対話
の場ほか)
②課題を踏まえた議会内の討議と合意形成(議員間の自由討議、議会事務局体
制の充実ほか)
③行政(執行部)と議会の課題共有と討議(通年議会、一問一答方式、反問、
政策討論の場の充実ほか)
④住民への説明(議会情報の公開・提供の充実、議会や委員会等主催の議会報
告会ほか)
ここでは、受講者が事前提出した(3)「課題設定型議会」に必要と考えられる 4
つのプロセスにおける議会の在り方に関する主な意見等を整理してみる。
まず、①の住民参加による地域課題の発見と共有と④の住民への説明を合わせた「課
題発見と検討結果説明(対住民)
」に関して、次のような課題提起があった。
a
町長が移動町長室や町長室開放を行い、住民の課題発見や課題共有を行っている
中で、議会は何をすればいいのか。住民との対話の主導権は、議会ではなく首長
となっている。
b
地域課題を聞くには議員個人の後援会や地元に聞く方が詳しく聴き取れると考え
る議員が多く、住民との対話を議会に提案しても、議員個々の賛同を得ることが
できない。
c
議会報告会では、住民は自らの利害に関する案件には興味を示すが、直接影響の
無い案件には全く興味を示さず、議論が低調であった。議論が進むアイデアはな
いか。
d
議会報告会では、議員も説明に慣れていないこと、住民も話すことに不慣れなこ
ともあり、話題が広がらなかった。
一方、②の課題を踏まえた議会内の討議と合意形成と③の行政(執行部)と議会の
課題共有と討議を合わせた「マネージメント(議会内、対執行部)」に関しては、次
のような課題提起があった。
a
これまで、議会では行政側からの提案に対する賛否に終始し、議員自ら課題を提
起して討議・合意形成に至ったという経験は無い。
b
付託案件や所管調査のための委員会ではなく、委員会でテーマを決めて自由討議
ができれば面白い。特に、将来的な課題をテーマに話し合いができたらいい。
- 313 -
年報 公共政策学
c
Vol. 7
自由討議には委員長等の議論集約能力が欠かせない。論点と争点をまとめる能力
を養うべきである。
d
議会の華は議論である。しかし、議論を繰り返すほどに、つまらない結論に落ち
着くことが多い。
e
行政と議会は対立的な構造となりやすいため、情報共有がなかなかできない。意
識の上では、行政も議会も「住民全体の福祉向上のため」という意識を互いに持
つことが重要ではないか。
このように、議会としての住民との対話、議会報告会、議会内の自由討議、行政と
議会の課題共有と討議など、議会の活性化がなかなか思うように進展しないことへの
いら立ちを感じさせる課題提起が目立った。
5 - 2 講義・講演
スクールでは、まず、当大学院の山崎幹根教授から「これからの地方議会改革」と
題しての基調講義が行われた。山崎教授は、「自治の質を高めることが今求められて
おり、地方議会の役割は大きい。地方議会に今求められていることは、議会活動を住
民に理解してもらう努力や議員の行動が形となる議会での議員の質問力向上である。
さらに、二元代表制の一翼として、首長の暴走を抑制するという役割も求められてい
る」「地方議会改革は進化・多様化の時代を迎えており、それぞれの地方議会に合っ
た改革が必要である」といった指摘を含む地方議会改革全体を俯瞰した内容の講義が
行われた。
続いて、長年、議会事務局職員の立場で議会改革に携わってこられた高沖秀宣講師
からは、「地方議会改革の動向と課題―事務局側からの視点」と題してご講演をいた
だいた。高沖講師は、「今の自治体議会改革は初動期を経て第 2 期に入ったのではな
いか?」と話を切り出され、自治体議会改革 4 期(段階)仮説として、「(初動期)改
革が始まり、議会基本条例を制定するまで。(第 2 期)議会基本条例に基づき、政策
形成機能の充実・強化を図る→通年議会となり、議会の在り方が変わる。(第 3 期)
議会に予算編成権を与え、本格的な二元代表制へ(事務局に財政担当課・法制担当課
を設置する等の事務局改革)。(第 4 期(完成期))議会主導型行政・議会一元制へ移
行。」という、議会の発展段階説を述べられた後、地方議会をめぐる厳しい見方とし
て、江藤俊昭氏(山梨学院大学法学部教授)の主張と朝日新聞(H23.2.17)の記事の
紹介をされた。江藤教授の主張からは「①閉鎖的な議会から、住民に開かれ、住民参
加を取り入れる住民と歩む議会に変わること、②執行機関の追認機関から、それと切
磋琢磨していく議会に変わること、③議会が、議員・会派による執行機関への質問だ
けの場から、議員同士の討議を中心とした議会運営に変わること」が今の議会にとっ
て急務であるとの指摘を、また、朝日新聞の記事からは「なくそう『3ない議会』」
として、①首長提出議案の無修正・否決 ②議員提出の政策条例なし
- 314 -
③議員個人の
地方議会向けサマースクールの開催について
議案に対する賛否状況の非公表」を紹介され、「議会不要論の払拭」と「市民の立場
から様々な問題点や課題を捉え、それらを解決するために備えておくべき議員として
の能力、すなわち、審議能力、政策形成能力、政策立案能力などの議員の資質向上」
を行うべきと述べられた。
さらに今後の課題として、「地方政府」としての自治体議会の可能性に関して、「憲
法が想定している『二元代表制』は、権力の乱用による弊害を抑制しようとする仕組
みであり、首長の語る「民意」と議会の語る「民意」が相互に牽制しつつ前進する仕
組みであるはずだが、果して、『二元代表制』は実践されているか?議会は眠ってい
ないか?」との厳しい指摘があった。最後に、「議会に対する厳しい見方にもめげず、
議会が自ら政策提案が出来ること、首長だけの提案ではいずれ政策面で限界が来る。
議会が首長と政策提案を競い合うことで、自治体として政策のレベルアップが期待さ
れる。議員として現行法制下でやれることは、まだまだたくさんあるのではないか」
と、各々議会に戻ってやるべきことをやってほしいとの激励があった。
会場からの質疑では、「政策づくりと議会事務局との関係」について、「事務局職員
を巻き込んで予算等の勉強をして欲しい。議員が職員と一緒になって政策づくりの雰
囲気をつくることから始めて欲しい」、続いて「通年議会の意義」についての質問に
対しては、「任期中すべて活動することになり、議会の在り方、議会事務局の在り方
を変えなければならない。議会は一年中審議可能なので、修正案や代案を出すことか
ら始めて欲しい」、最後の質問として「自由討議と会派の関係」については、「会派が
あれば自由討議が進まないと考えられているが、委員会で、委員長が論点を定めて自
由討議をすれば、会派内の話にとらわれることなく討議が出来る。論点の絞り込み等
議会事務局と討議のシナリオをしっかり作り上げることが大事」とのサジェスチョン
があった。
続いて、地方議会改革のフロントランナーである北海道福島町議会の溝部幸基議長
から「議会基本条例制定のビフォー・アフター」と題してご講演をいただいた。溝部
議長からは、次のような話があった。「議長に就任した平成11年から『開かれた議
会』を目標に議会改革に取り組んできた。改革の視点として、1 点目は、二元代表制
としての議会の役割は何なのか、議会の主役は議員であることをしっかりと自覚し、
従来の行政依存・追認の議会活動から脱皮し、主体性を持って議会の意思決定をする
にはどうしなければならないかという視点。2 点目は、4 年に一度議員を選挙する住
民の意向を行政に反映させるための住民参画で、議会活動を住民によく理解してもら
うために情報を共有するという住民の側に立った視点。3 点目は、地方分権改革、三
位一体改革、市町村合併推進等々、国全体が大きく変動している社会情勢の中で保守
的な議会・行政といえども、変わっていかなければならないという視点。この三つの
視点で、全国の先進事例を参考にしながら『気がついたことから・できる事から』を
合言葉に現行法でできるものから順次取り組んできた。」と、続けて、議会基本条例
- 315 -
年報 公共政策学
Vol. 7
への思いを込めて、「議会基本条例の前文には、『開かれた議会』づくりの集大成とし
て、決してこの改革を後退させてはならないとの強い思いが込められており、合議制
の議会と独任制の町長が緊張関係を維持しながら、政策をめぐる立案・決定・執行・
評価(監視)における論点・争点を明確にし、善政を競い合うとして、改革の3つの視
点(①わかりやすく町民が参画する議会、②しっかりと討議する議会、③町民が実感
できる政策を提言する議会)を忘れることなく、不断の努力を続けることを約束して
いる。
」と、その熱い思いを受講生に語り掛けられた。
会場からは、「福島町議会と議会事務局との関係」について質問があり、溝部議長
から、「福島町の議会事務局体制は、正職員(事務局長、総括主査、主事)3 名、臨
時職員 1 名の計 4 名であり、監査委員事務局を兼務しているが、同規模の町村議会事
務局としては平均を上回る状況にある。過疎化に歯止めが利かない小規模自治体の議
会は、どうあるべきかの議論もあるが、地方分権改革が進行する中で議会の役割は拡
大し、責任もますます重くなっている。事務局の人的体制(質量的)が課題であり、
当面、人事交流で質的な体制強化を目指す事で妥協せざるを得ない。二元代表制の一
翼を担う議会として、しっかりと行政と対峙し、その役割を充分果たすためには、議
会事務局の体制強化も必須の要件だ。議会事務局の役割は、①議員対応(情報収集・
庶務等)、②行政対応(調整・情報共有等)、③住民対応(広報広聴・協働参画等)と大
きく三つある。小規模自治体の議会議員の専従状況を考慮すると、行政側と比較し、
まともに討議をする体制となっているとは言えず、事務局に依存する度合いが高くな
っている。しかし、財政悪化の状況下では、経常経費で大きなウエイトを占める人件
費の抑制が課題となり、厳しい職員定数管理のもと、議会事務局の人員増は、全く不
可能であり逆に削減を求められている状況にある」と回答された。
なお、ご多忙の中、快く出講をお引き受けいただいた高沖・溝部両氏には、改めて
深く感謝を申し上げる次第である。
最後に、私水澤(NPO 法人公共政策研究所理事長)と当大学院公共経営特論 I 受
講の院生 7 名により、本年度院生の協力の下当研究所が実施した道内地方議会へのア
ンケート調査結果(速報値)の報告を行った。当該実態調査を分析することにより、
道内自治体議会が課題設定型議会(前述)になっているかどうかの評価を行ったが、
重要ないくつかの指標の評価結果から、道内自治体議会は課題設定型議会には道半ば
という結論となった。なお、当該調査結果をまとめた報告書は当研究所のホームペー
ジ 1)に既に掲載してあるが、ご参照いただければ幸いである。
5 - 3 グループ別討議
事前学習や講義等を踏まえ、グループ別討議では、事前学習の「①住民参加による
1)
http://www16.plala.or.jp/koukyou-seisaku/essay.html
- 316 -
地方議会向けサマースクールの開催について
地域課題の発見と共有と④住民への説明」を討議するAグループ(1~3 班)と、「②
課題を踏まえた議会内の討議と合意形成と③行政(執行部)と議会の課題共有と討
議」を討議するBグループ(1~3 班)に分かれて、熱心な議論が行われた。
各班は、3 日午前中に班毎に議論したことを手際良く模造紙にまとめ、同日午後の
全体会においてそれぞれ発表・意見交換を行った。Aグループ(1~3 班)とBグル
ープ(1~3 班)の各発表のポイントは、概ね以下のとおりである。
◎Aグループ
・現状と課題について
a
住民は議会に対する関心がない。また、議会も、住民との対話の機会が少ないこ
とを良しとして来たのではないか。
b
首長が行う懇談会や町政報告会と、議会が行う議会報告会との違いを住民の側に
分かってもらえない。
c
昨年、議会と住民との対話の場を初めて設けたところ、住民から議員一人ひとり
の議会活動を聞かれ、何のための対話の場であったのか疑問を持った。住民との
対話の持ち方には工夫がいる。
・解決策について
a
チーム議会として地域に出向き、地域課題を住民と共有する試みが大切であり、
住民の議会への関心を高めることで、議会への信頼を取り戻せる。
b
議会報告会を行って来て、議会と行政の区分ができなかった住民も、回数を重ね
るにしたがって、理解出来るようになった。重要なことは、議会と住民との対話
を継続することであって、一度や二度でやめてはいけない。
c
議会と住民との対話では、まちの課題の説明やまちの課題を住民から引き出すこ
とはなかなか難しい。しかし、難しいでは済まされないので、議員の資質向上を
図らなければならない。
◎Bグループ
・現状と課題について
a
議員間の自由討議は本会議では行われていない。先輩議員が本会議で賛否を言っ
たことに反対などできない。議場で討議する仕組みが必要だ。
b
もともと、議会は首長からの提案を追認する体制になっているため、原案を示さ
れなければ、議論そのものも展開できない。
c 議員自ら議案を考えることも、議員間で討議することも不慣れである。
d
議員の資質が伴っていないことから、一問一答方式の利点や技法の習熟がされて
いない。
・解決策について
a
議員間の自由討議については、議会基本条例や正副議長の申し合わせなどによっ
て一定のルール化をすることで、自由討議がしやすくなる。
- 317 -
年報 公共政策学
b
Vol. 7
自由討議については、進行方法や論点・争点の整理方法などの整理がまず必要で、
そのための研修会を開催してはどうか。
c
一問一答方式による質問が、議員個人の満足のためでなく、住民のための質問で
あることを再認識することが大切である。
なお、グループ別討議の発表後の全体での意見交換では、「議会改革」に関して
「チーム議会として、改革を継続すること」などが確認された。
このように、一歩一歩の実践が大きな改革に繋がることを受講者全員が共有、確認で
きたことが、本サマースクールの成果の一つと言えよう。
6 今後に向けて
サマースクール終了時に受講者全員にアンケートを実施した。アンケート結果(抜
粋)は次のとおりである。これを見ると、サマースクールの開催回数については、
「年 1 回程度」が76%に対し、「年 2 回程度」を望む声が21%、1 泊 2 日の期間につい
ては、「ちょうど良い」が78%、「短い」「やや短い」が16%と、「年 1 回」で「1 泊 2
日」の希望が多かった。さらに、今後のサマースクールのテーマとしては、表 8 にあ
るように「議会改革」、
「政策立案」、
「住民参加」など多様な意見が寄せられた。
また、アンケートの自由意見欄の主な意見等については、次のとおりである。
・大変勉強になりました。2 日目のグループ別討議も内容のある話で、充実した日々
でした。今後の議会活動に活かせる様にします。
・今回で 3 回目になりました。毎年内容が深まって来て、充実したものとなっている。
道や他の市町村の方々と話が出来ることが何よりの収穫です。もっともっと勉強し
ていかなければと考えています。
・事前学習した内容について議論する方式は、課題を掘り下げられるので良い。また、
他の自治体の議員の方と情報交換する機会はあまりないので、良い場となりました。
◇アンケート結果(抜粋)
表6 このような議員向けスクールの今後の開講について、どのように思いますか?
年 1 回程度
28
76%
年 2 回程度
8
21%
未記入
1
3%
計
37
100%
表7 1泊2日の期間はいかがでしたか?
やや長い
1
ちょうど良い
29
やや短い
1
短い
5
未記入
1
計
37
3%
78%
3%
13%
3%
100%
- 318 -
地方議会向けサマースクールの開催について
表8
今後議員向けスクールを開催する場合、どのようなテーマを取り上げたらいいと思いま
すか。
(1)議会に関するテーマ
議会改革のあり方
議員の政策立案力
(9 件)
(9 件)
自由討議の具体的手法 広報・広聴の充実
(3 件)
(2 件)
会派(1 件)
議決事項の拡大
(1 件)
議会の町民参加のあり 議員の資質向上
方(6 件)
(5 件)
議会事務局の役割強化 議員報酬・議員定数
(2 件)
(2 件)
(2)その他のテーマ
自治体財政
市・町立病院のあり方 デマンド交通(1 件)
(2 件)
(2 件)
消防の広域連携
脱原発
社会保障
(1 件)
(1 件)
(1 件)
税制(1 件)
農政(1 件)
公共事業(1 件)
子育て支援
(1 件)
外交問題
(1 件)
男女共同参画のあり方
(1 件)
・素晴らしい機会をいただきました。また、参加している議員の方々も意識が高い方
が多く、討議も実り多いものでした。
・サマースクールは情報量も多く、良かった。全体的に志の高い会であり、議員にな
って良かったと再確認できた。各市や町に、北大の学生が来て意見を聞かせてほし
い。
このように、受講者からは感謝と今後のサマースクールへの期待の声が数多く寄せ
られたところである。来年度のサマースクールの在り方については、これらのアンケ
ート結果を踏まえて、今後、検討していく必要があろう。
最後に、今回のサマースクールを一つの契機として、受講者同士が幅広くネットワー
クを形成し、今後も情報交換をしながら同志を増やし、各地域で議会の活性化や地域
の振興にますます取り組んでいかれることを期待したい。
- 319 -
【活 動 報 告】
注)肩書きは当時のもの。
勝目
1. シンポジウム(2012年度開催分)
●日
康
(総務省自治財政局財務調査
課理事官)
時:2012年 6 月30日㈯
14:00~17:00
場
●日
所:北海道大学クラーク会館
時:2012年10月27日㈯
15:00~17:30
テーマ:「原発事故と民間事故調」
場
報告者・パネリスト:
下村
健一(内閣審議官)
北澤
宏一(民間事故調委員長)
堀尾
健太(東京大学)
鈴木
一人(北海道大学)
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
―北海道へのヒントを探る」
報告者・パネリスト:
川上
●日
好久(沖縄県総務部長・前企画
時:2012年 8 月 6 日㈪
部長)
18:00~20:30
場
所:北海道大学スラブ研究センター
荒川
裕生(北海道総合政策部長)
西村
宣彦(北海学園大学経済学部
山崎
幹根(北海道大学公共政策大学院
小磯
修二(北海道大学公共政策大学院
4 階大会議室
准教授)、
テーマ:「韓国政治の『今』を読み解く!
:その挑戦と展望」
教授)
報告者・パネリスト・コメンテーター:
洪
翼杓
W310
テーマ:「沖縄発・新たな地域政策の可能性
(韓国民主統合党国会議員)
特任教授)
「2013年対北朝鮮政策と南北関係の展望」
文
炳柱
(韓国民主統合党政策研究院
●日
政策委員会室首席研究委員)
時:2012年11月15日㈭
場
「韓国政治における福祉論争:争点と展望」
韓
恵仁
(韓国建国大学)
13:00~
所:コングレスクエアコンベンション
ホール
テーマ:グローバル化と大都市制度の新た
「韓国最高裁判所における『植民地期の過
去の歴史』関連裁判の意味と展望」
な地平」
報告者・パネリスト・コーディネーター:
ヨンソン・アン (フランクフルト大学)
林
林
成蔚
(北大公共政策大学院)
田中
大輔(中野区長)
朴
鍾碩
(北大法学研究科)
入倉
憲二(名古屋市副市長)
柏木
斉
(経済同友会副代表幹事)
時:2012年 8 月27日㈪
鈴木
隆
(横浜市副市長)
14:30~17:00
田中
大輔(中野区長)
宮脇
淳 (北海道大学公共政策大学院
●日
場
所:日本生命札幌ビル 3 階大会議室
テーマ:「公共施設マネジメントセミナー」
報告者・パネリスト:
根本
文子
(横浜市長)
院長)
山下 史守朗(愛知県小牧市長)
祐二(東洋大学 PPP 研究センター
長)
長谷川 一樹(株式会社富士通総研
公共事業部)
- 321 -
●日
邱
時:2012年11月17日㈯
花妹
場
邱
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
硫斌 (台湾・屏東教育大学社会発
W103
展系助教授)
姚
テーマ:「諸外国における社会保障改革
人多 (台湾・清華大学社会学研究所
副教授)
―福祉レジームの新しいかたち―」
崔
衛平
徐
友漁 (元中国社会科学院哲学研究所
光彌(関西大学政策創造学部教授)
郭
于華
智章(北海道大学大学院法学研究科
チョ・ヒヨン(民主化のための全国教授
報告者・パネリスト・コメンテーター:
宮本
太郎(北海道大学大学院法学研究科
一圓
加藤
(清華大学社会学科教授)
協議会常任議長 聖公会
教授)
大学 NGO 大学院長)
勝明(北海道大学公共政策大学院
イ・ナヨン(中央大学校社会学科教授)
教授)
土田
(元北京電影学院教授)
教授)
教授)
松本
(台湾中山大学社会学系
助理教授)
13:30~17:00
田中
武史(早稲田大学商学部教授)
弥生(独立行政法人大学評価学位
授与機構研究開発部准教授)
●日
篠田
時:2012年12月15日㈯
徹 (早稲田大学社会科学研究科
教授)
13:30~17:30
場
所:北海道大学理学部 5 号館
2 階大講堂
テーマ:「自治体議会のこれから―議員の
2. 研究会(2012年度開催分)
定数・報酬問題を通じて議会のあ
2-1.公共政策学研究会
り方を考える―」
●日
時:2012年 4 月26日㈭
16:30~18:30
報告者・パネリスト・コーディネーター:
金井
場
利之(東京大学公共政策大学院
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
教授)
山崎
テーマ:
「クラウド化の進展に伴う地域 ICT
幹根(北海道大学公共政策大学院
教授)
土屋
隆
産業の動向」
(福島県会津若松市議会
報告者:
議会制度検討委員会委員長)
広瀬
●日
若生
重雄(北海道芽室町議会議長)
幸也(北海道大学公共政策大学院
専任講師)
時:2013年1月26日㈯
●日
9:00〜18:00
場
W409
時:2012年5月22日㈫
16:30~18:30
所:北海道大学スラブ研究センター
場
402号室
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
テーマ:「北海道ダイアログ:東アジアにおけ
る市民対話」
W310
テーマ:「火力燃料転換が震災後の CO2 排
出量と電力コストに与える影響
報告者・パネリスト:
の分析」
- 322 -
崔
報告者:
東
愛子
雲燾
(長崎大学経済学部客員教)
(北海道大学公共政策大学院
●日
博士研究員)
時:2012年10月15日㈪
15:00〜19:00
●日
場
時:2012年 6 月28日㈭
所:北海道大学法学研究科センター
会議室
16:00~18:00
場
テーマ:「震災復興の現状と課題」
所:北海道大学人文・社会科学総合
W409
教育研究棟
報告者:国際ワークショップ
「多文化共存と東アジア共同体」
テーマ:「NGO とリスク管理」
ジョン・インギョン(高麗大学教授)
報告者:
高井
キム・ヒガン(高麗大学教授)
明子(セーブ・ザ・チルドレン・
ジャパン事務局次長)
池
直美 (北海道大学公共政策大学院
林
政蔚 (北海道大学公共政策大学院
専任講師)
●日
時:2012年11月 1 日㈭
教授)
16:00~18:00
場
中山
所:北海道大学人文・社会科学総合
大将(北海道大学スラブ研究
W403
教育研究棟
センター博士研究員)
キム・ミンギョン(高麗大学教授)
テーマ:「故郷は遠きにありて:韓国にお
ける多文化政策の一考察」
2-3.国際政治経済政策事例研究
報告者:
池
炫周
●日
直美(北海道大学公共政策
大学院
時:2012年10月 5 日 16:30~18:00
場
専任講師)
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
W201
2-2.国際ワークショップ
テーマ:「中台関係と尖閣諸島問題」
●日
報告者:
時:2012年 9 月 4 日㈫
テーマ:国際ワークショップ
野嶋
剛
(朝日新聞国際編集部次長)
「東アジアにおける領土問題解決の
ための新パラダイム構築」
●日
報告者:
林
場
成蔚 (北海道大学公共政策大学院
時:2012年10月12日
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
W201
テーマ:「Japan-China relations: Challenges
教授)
小磯
修二(北海道大学公共政策大学院
遠藤
乾 (北海道大学公共政策大学院
岩下
明裕(北海道大学スラブ研究
and prospects?」
教授)
報告者:
ライハルト・ドリフテ(ニューカッスル大
教授)
センター教授)
陳
昌洙
16:30~18:00
名誉教授)
●日
(世宗研究所日本研究
場
センター所長)
時:2012年10月19日
教育研究棟
- 323 -
16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
W201
テーマ:「米国の『アジア回帰』と米中戦
テーマ:「ネットと愛国」
略不信」
報告者:
安田
報告者:
浩一(フリージャーナリスト)
加藤
●日
場
洋一(朝日新聞編集委員、元アメ
リカ総局長)
時:2012年11月 9 日 16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
W201
●日
場
テーマ:「日本の国境」
時:2012年 1 月11日 16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
報告者:
西牟田
W201
テ ー マ :「 The Age of FTAs – Korea’s
靖(フリージャーナリスト)
Response to the Global Economy
●日
場
時:2012年11月16日
and its implications for Japan」
16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
報告者:
W201
Heungchong Kim(Director of the Center for
テーマ:「ルワンダ大虐殺後の罪責と和解
Regional Economic Studies,
-修復的正義による和解の可能
Korea Institute for Interna-
性をめぐって」
tional Economic Policy)
報告者:
佐々木
和之(ルワンダ・プロテスタント
●日
大学准教授)
場
時:2012年 1 月18日 16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟 W201
●日
場
時:2012年12月 7 日 16:30~18:00
テーマ:特別講演「経済統合とアジア」
所:北海道大学人文・社会科学総合
報告者:
教育研究棟
W201
佐藤
洋治(ワンアジア財団理事長)
テーマ:「卒現代と社会イノベーション」
報告者:
鈴木
●日
寛
(前文科省副大臣)
場
時:2012年 1 月25日 16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
●日
場
時:2012年12月14日
16:30~18:00
テーマ:「3・11後の哲学」
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
W201
報告者:
W201
大澤
真幸(社会学者)
テーマ:「近未来の日本外交」
報告者:
石井
●日
正文(外務省地球規模課題審議官
場
時:2012年 2 月 1 日 16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
〔大使〕)
教育研究棟
W201
テーマ:「日本大災害の教訓―複合危機と
●日
場
時:2012年11月21日
16:30~18:00
所:北海道大学人文・社会科学総合
教育研究棟
リスク管理」
報告者:
W201
船橋
- 324 -
洋一(財団法人日本再建イニシア
小柳
ティブ理事長、元朝日新聞
建彦(日本経済新聞社編集委員)
主筆)
●日
時:2012年11月21日
2-4.公共経営事例研究
テーマ:「グローバル経済と報道
●日
報告者:
時:2012年10月10日
太田
テーマ:「新幹線と地域振興―九州新幹線
泰彦(日本経済新聞社編集委員)
の効果から考える」
報告者:
●日
久間 敬介(日本政策投資銀行九州支店
時:2012年11月26日
テーマ:「LCC 時代の道内空港」
企画調査課長)
報告者:
山本
●日
時:2012年10月17日
邦彦(北海道空港社長)
切通 賢太郎(北海道総合研究調査会
テーマ:「大都市制度を考える」
主任研究員)
報告者:
小林
裕彦(弁護士・地方制度調査会
●日
委員)
秋元
時:2012年12月 5 日
テーマ:「オーケストラと地域文化」
克彦(札幌市副市長)
報告者:
宮澤
●日
敏夫(札幌交響楽団事務局長)
時:2012年10月24日
テーマ:「地方財政の持続可能性」
●日
報告者:
緒方
時:2012年12月15日
テーマ:「旭川家具の展開」
俊則(地方公共団体金融機構
報告者:
総括主任研究員)
●日
長原
時:2012年10月27日
●日
實
(カンディハウス会長)
時:2012年12月19日
テーマ:「新たな沖縄振興政策」
テーマ:「集落支援員の実践と今後」
報告者:
報告者:
川上
内村
●日
好久(沖縄県総務部長)
時:2012年10月31日
●日
テーマ:「環境を活かしたまちづくり―新
時:2012年12月26日
テーマ:「民主党政権とは何だったのか」
総合計画を中心に」
報告者:
報告者:
秋山
俊二(喜茂別町副町長)
山下
幸紀(北海道新聞)
一夫(弟子屈町企画財政課
課長補佐)
●日
時:2012年 1 月16日
テーマ:「北海道観光のこれから」
●日
時:2012年11月 7 日
報告者:
テーマ:「IT とメディアの未来」
大西
報告者:
- 325 -
雅之(鶴雅グループ代表)
2-5.
●日
福祉労働政策事例研究
時:2012年10月15日
テーマ:「未踏高齢社会は近代の次の時代」
報告者:
長谷川 敏彦(日本医科大学医療管理学
教室主任教授)
●日
時:2012年10月22日
テーマ:
「医療制度改革の動向と今後の課題」
報告者:
島崎
●日
謙治(政策研究大学院大学教授)
時:2012年10月29日
テーマ:「北海道における高齢者保健福祉
政策について」
報告者:
上田
尚弘(北海道保健福祉部福祉局
高齢者保健福祉課課長)
●日
時:2012年11月 5 日
テーマ:「社会保障の政策形成過程―介護
保険を事例として―」
報告者:
極高
宣
(国立社会保障・人口問題
研究所名誉所長)
●日
時:2012年11月12日
テーマ:「個人の尊厳とその人らしさを支
援するシステムをめざして」
報告者:
池田 惠利子(公益社団法人あい権利擁
護支援ネット代表理事)
- 326 -
「年報 公共政策学」投稿規程
1. 趣旨・目的
本誌は、公共政策に関する研究成果の発表、ならびに実践と研究の交流を通じた公共政
策学の発展を目的としています。
2. 投稿の資格
⑴ 研究者、実務者を問いません。
⑵ 未発表・未投稿のものに限ります。他の雑誌に掲載されたものや現在投稿中のもの
は投稿できません。
⑶ 投稿された論文は、インターネット上で公開されること及び後日出版されうるこ
と、何らの対価を請求できないことに承諾する必要があります。編集委員会は、投稿
された論文について、投稿者がこれらの事項を承諾したものとして取り扱います。
3. 原稿の採否
⑴ 投稿された論文は、編集委員会が委嘱した複数のレフェリーによって査読が行われ
ます。査読結果を踏まえて編集委員会が最終的に掲載の採否を決定します。
⑵ 掲載の採否の判断の結果については、電子メールによって投稿者にお知らせしま
す。
⑶ 採用するものについては、レフェリーのコメントに基づき、投稿者に一部修正を求
めることがあります。
⑷ 採否にかかわらず、投稿原稿の返却はいたしません。
4. 原稿の送付
⑴ 原稿は、氏名・住所・電話番号・電子メールアドレスを明記のうえ、郵送または電
子メールにて送付してください。
⑵ 郵送の場合は、印刷したもの2部と、文章および図表のファイルを保存した
CD-ROM を送付してください。
⑶ ファイル形式は、MS Word 形式、テキスト形式のいずれかとします。可能であれば
PDF 化したものも添付してください。
⑷ 送付先
北海道大学公共政策大学院「年報 公共政策学」編集委員会
① 郵
送:〒060-0809 北海道札幌市北区北9条西7丁目
② 電子メール:[email protected]
5. 様式
⑴ 論文は和文または英文に限定します。
⑵ 原稿はA4判を用い、別に定める「執筆要領」に従って執筆してください。
6. 原稿の校正
校正は原則として第一校までとします。
7. 論文などの別刷
論文などの掲載原稿の別刷の印刷は投稿者の自己負担で行います。
- 327 -
執 筆 要 領
1. 原稿の長さ
20,000字以内とします。ただし、字数には表題・図表・注・文献リストを含みますが、英文
要約(Abstract)は含みません。
2. 書式
原稿の書式は以下のルールに従ってください。
⑴ 書式設定
① 用紙サイズ:A4判
② ページ設定:1ページ40字×30行の横書き一段
③ ページ番号:各ページの下部中央に、通し番号を半角数字でつけます。
④ フ ォ ン ト:和文は明朝系フォント、英文は Times または Times New Roman を使用する。
⑵ 全体の構成
① 表題
② 執筆者の氏名・所属・連絡先
③ 本文および脚注
④ 引用文献
⑤ 図表
⑥ 英文タイトル、英文要約および英語キーワード
の順序で構成します。
3. 表題
フォントサイズは16pt 程度とし、中央揃えにする。
4. 執筆者の氏名・所属・連絡先
⑴ 執筆者の氏名は、フォントサイズを12pt 程度とし、中央揃えにする。
⑵ 執筆者の所属と連絡先は、著者名の右肩に*、**、…の記号をつけ、原稿の第1ページの
下部に脚注として所属と連絡先(住所・電子メールアドレスなど)を明記する。大学院生
の場合は○○大学大学院○○研究科○○課程在籍と記入する。フォントサイズは脚注と同
じとする。
5. 本文
⑴ 節、項
半角数字を用いて、「1.」「1.1」「1.1.1」のように記入する。
⑵ 英数字
半角文字を用いる。
⑶ 句読点
「、」「。」「()」「=」などの記号類は全角文字を用いる。
⑷ 年号
原則として西暦を用いる。元号を使用する場合には、西暦の後ろに括弧書きにて添える。
(例) 2003年(平成15年)
⑸ 外国名
和文表記が通常用いられている場合は、「和文表記(英文表記:略称)」とする。
和文表記が無い場合は、「英文表記(略称)」とする。
(例) 北海道大学公共政策大学院(Hokkaido University Public Policy School:HOPS)
⑹ 数式
独立した数式には、式の末尾に数式番号を振る。括弧の順序は、[{( )}]とする。
(例) C  a  bY K , L   T 
(1)
- 328 -
⑺
脚注
脚注番号は、本文該当箇所の右肩に「1)、2)」のように片括弧・半角数字によって通し番
号で付ける
脚注は、フォントサイズを10pt程度とし、各ページの最後に記載する。
6. 図表・写真
⑴ 図表・写真は、執筆者の責任において電子形態で作成し、オリジナルおよび仕上がり寸
法大のコピーも原稿とともに提出する。
⑵ 図表・写真は、大きさに応じて1/4ページ大(400字相当)、1/2ページ大(800字相当)
と字数換算する。
⑶ 写真は図として取り扱い、図および写真には図1(英文の場合 Fig.1)、表には表1(英
文の場合 Table 1)のように通し番号を入れる。
⑷ 他の著作物からコピーした図表の転載は、原則として受理しない。
⑸ 文字の大きさ、説明記号の大きさ、線の太さなど、刷り上がりサイズでの見やすさに配
慮して図を作成すること。電子メールによる提出の場合、PDF ファイルに変換して文字化
けを起こしたりしていないか確認して提出すること。
⑹ 図の番号とタイトル、および説明文を図の下部に書く。
(例)
〈図〉
図1 国内総生産(GDP)の推移
(出典)内閣府経済社会総合研究所編『国民経済計算報告平成14年版』
(注1)季節調整済み
⑺ 表の番号とタイトルを表の上部に、説明文を表の下部に書く。
(例)
表1 日本の…の動向
〈表〉
(出典)○○研究所『…』
7. 文献引用
⑴ 本文中に他の文献から引用した場合、引用文献の「著者名(刊行年)、ページ」を表記し、
参考文献に列記する。
(例1) 脚注を用いる場合:〈本文〉…3)。〈脚注〉3) 佐藤(2000a)、pp.2-10
(例2) 本文に記す場合:〈本文〉…(佐藤(2000a)、pp.2-10)。
⑵ 文献リストは、著者名(アルファベット順か五十音順)、出版・発行年、論文名、書名・
雑誌名、出版社名、巻号、所在ページの順で記載する。
⑶ 和文文献は、書名・雑誌名を『』で、論文名を「」でくくる。欧文書名・雑誌名はイタ
リック体にする。
⑷ 同じ著者のものは年代順に並べる。同じ著者の同一年代のものは、引用順にa、b、c
…を付して並べる。また、同一著者の複数の文献を記載するときは、2つめ以降の表示に
は、氏名の代わりに、――――(4倍ダッシュ)を用いる。2行以上になる場合は、2行
目以降は一文字下げる。
⑸ 写真、図表を他の文献から引用、転載する場合は、著者自身が事前に著作権者から許可
を得なければなりません。本誌はそれについては責任を負いません。
8. 英文要約および英語語キーワード
⑴ 英文要約は、フォントサイズを10pt 程度とし、長さは100語以内とする。
⑵ 英語のキーワードは、要約の末尾に5語以内で列記する。
- 329 -
『年報 公共政策学』編集委員会
編集委員長
辻
康夫(北海道大学公共政策大学院 教授)
編集委員
石井 吉春(北海道大学公共政策大学院 教授)
高木 真吾(北海道大学公共政策大学院 准教授)
高野 伸栄(北海道大学公共政策大学院 准教授)
「年報 公共政策学」 第7号
平成25年5月17日発行
編集兼発行人
辻
康夫
発
行
所
北海道大学公共政策大学院
札幌市北区北9条西7丁目
TEL:011(706)4716
[email protected]
印
刷
所
北海道大学生活協同組合
印刷・情報サービス部
札幌市北区北8条西8丁目
TEL:011(747)8886
- 330 -