プレスリリース - 奈良先端科学技術大学院大学

プレスリリース
平成 23 年 09 月 16 日
報道関係者各位
国立大学法人 奈良先端科学技術大学院大学
光合成植物は太陽光から円偏光を作り出し、利用しているか?
~高効率円偏光発光高分子の発生実験から葉緑体の光合成機構に新説を提唱、
そして自然の仕組みに学ぶ次世代の光機能素子材料の開発にはずみ〜
【概要】
太陽光は、右回りで進む右円偏光と、左回りの左円偏光が 50:50 の割合で混じった自然光と呼ばれ
る状態で地球上に降りそそいでいる。光合成を行う緑色植物の構成成分であるクロロフィル(葉緑素)
も円偏光を吸収し、円偏光発光を示すことがすでに報告されていたがその役割についてはよく理解さ
れていなかった。
奈良先端科学技術大学院大学(学長:磯貝 彰)物質創成科学研究科 高分子創成科学研究室博士
課程の中野陽子博士(2010 年3月学位取得、現在、オランダ・アイントホーフェン工科大学博士研究
員)と藤木道也教授は、ケイ素を主にした高分子半導体を使い、葉緑体 (図 1, 図 2)とよく似た環境
をつくり、入射した光のエネルギーを吸収して円偏光を高効率で発生させることに世界で初めて成功
した。この成果は次世代の光エレクトロニクスに不可欠な光機能素子材料の開発に大きく貢献するだ
けでなく、植物の光合成での葉緑体の働きを解明する手がかりとなることが期待される。
中野さんと藤木教授は「光合成を行う緑色植物も太陽光から左右どちらかの円偏光を発生させ、光
合成反応に積極的に利用しているのではないか」との仮説に基づき研究。ケイ素を主にした化合物に、
光学的性質を変えることができる有機分子(有機側鎖基)を結合した「有機ポリシラン」と呼ばれる
物質を使い、円偏光を発生する人工的な半導体高分子に仕立てた(図 3)。これを葉緑体の大きさに
近い 5μm の微粒子を溶液(有機溶媒)中で調製し、円偏光特性などの光学的性質を詳細に調べた(図
4)。
その結果、自然光を試料溶液に入射させると、5μm 程度のポリシラン微粒子が優れた円偏光特性を
示し、自然光から非常に高純度の円偏光吸収と円偏光発光(円偏光純度 35%、蛍光量子収率 53%)
が発生していることを世界で初めて見いだした。光に対するポリシラン微粒子の屈折率が 1.62 程度で
あるのに対して、有機溶媒の屈折率が 1.37 になった時に円偏光発生効率が最大となった(図 4)。ま
た有機側鎖基の化学構造を少しかえるだけで、左右どちらの円偏光も発生できた(図 5)。
葉緑体は 2-10μm 程度の大きさで凸レンズ状の形態で(図 2)、チラコイドとその積層構造である
グラナ(直径 400 から 600nm、長さ 500 から 800nm)など構成要素の屈折率は 1.6 前後、液相のスト
ロマ(基質)の屈折率は 1.4 前後と予想されることから、葉緑体の光合成機構においても同様の仕組
み(円偏光閉込効果)が関与しており、太陽光から左右の円偏光を効率よく発生させ、光合成反応に
利用しているのではないかとの新説を提唱した。
また、入手容易な種々の紫外・可視吸収を有する高分子や分子にも適用可能で、特別な波長板など
固体光学素子を使うことなく、高効率の円偏光の簡便発生と簡便分離を可能にする偏光液体素子を常
温常圧下で作製することが容易になるため、安全性と操作性に優れている。また使用したポリシラン
や溶媒はすべて回収して再利用できるので、短工程かつ経済性に優れているなど低炭素化社会に相応
しい環境調和型の光機能性高分子の創成技術が実現すると期待される。
この研究成果は、平成 23 年 9 月 16 日以降、間もなく、アメリカ化学会が発行する高分子科学の学
術専門誌である Macromolecules 電子版 http://dx.doi.org/10.1021/ma201665n に掲載される予定である。
【本プレスリリースに関するお問い合わせ先】
奈良先端科学技術大学院大学 物質創成科学研究科 高分子創成科学研究室
氏名 藤木 道也
TEL 0743-72-6040 FAX 0743-72-6049
E-mail [email protected]
【解説】
◎生命体は左利き、右利き、どちらかの構造の分子や光を利用している
地球上に住む生命体はすべて、右あるいは左の構造からできた分子からできている。例えばアミノ
酸は左利き、糖は右利きである。フラスコの中の反応では鏡像異性体と呼ばれる左利き、右利きの分
子が等量できるにも関わらず、生命体は左右分子のどちらかしか利用していない。鏡の国のアリスが
経験したように、現実世界の分子と鏡の世界の分子では、味も匂いも全く異なる。光の世界でも右と
左が存在し、それぞれ右円偏光、左円偏光と呼ばれ、今話題の3次元テレビの立体視効果を得るのに
もその特殊な偏光が使われている。生命分子が左右2タイプのどちらかを使うことについては科学者
の間では生命ホモキラリティーの謎と呼ばれ、19 世紀後半フランスのルイ・パスツールの時代から
150 年以上続く未解決の問題とされている。その起源は、遠く果てしない宇宙に存在する円偏光光源、
左利きアミノ酸を含む隕石落下、素粒子レベルの弱い非対称力(CP 対称性の破れ)、光速で飛び出す回
転する β 電子、コリオリ力(北半球は右向きの力が、南半球では左向きの力が働く)
、全くの偶然だ
とするものなど諸説がある。
動物の中には、ホタルの尻尾から放たれる発光が円偏光であること(H. ワインバーグら, Nature,
1980, Vol.286, 641 )、シャコの目は円偏光を識別していること(T.-H. チョウら、Current Biology, 2008,
Vol.18, 429)、黄金虫の羽は円偏光を反射しているなど (V. シャーマら, Science, 2009, Vol. 325, 449)、理
由は未解明ながら円偏光特性を巧みに利用していることがすでに知られている。
一方太陽光は自然光と呼ばれる右円偏光、左円偏光が 50:50 の割合で混じった状態で地球上に降り
そそいでいる。光合成を行う緑色植物の構成成分であるクロロフィルも円偏光発光を示すことがすで
に報告されていたがその役割についてはよく理解されていなかった(I. Z. シュタインバーグ, Annual
Review of Biophysics and Bioengineering, 1978, Vol.7, 113)。今から半世紀ほど前に、海藻の光合成能力は
右円偏光の太陽光が左円偏光のそれよりも大きいことが報告されていた(G. C. マクレオド, Limnology
and Oceanography, 1957, Vol. 2, 360)。今年になって豆科の植物では逆に、左円偏光の太陽光が左円偏
光のそれよりも大きく生育することが報告された(R. P. シバエフら, International Journal of Botany,
2011, Vol. 7, 113)。そこで光合成を行う緑色植物も太陽光から左右どちらかの円偏光を発生させ、光合
成反応に積極的に利用しているのではないかとの仮説に基づき、本研究を開始した。そして地球上に
存在しない鏡の世界の緑色植物で起こっている出来事を垣間みようと思った。
◎光合成と円偏光の関係は
光合成を行う緑色植物の葉緑体(クロロプラスト)は一般に 5−10μm 程度の大きさでかつ凸レンズ
のような形状をとっている。葉緑体を構成するクロロフィル分子(葉緑素)(図 1)では、環周辺部
に立体異性をつくる不斉炭素が 3 箇所、1本の長鎖側鎖基には不斉炭素が 2 箇所が存在している。こ
こで図 1 左側のクロロフィル分子は地球上に天然に存在する現実世界の分子であるが、右側のクロロ
フィル分子は天然に存在しない鏡の世界の分子である。
天然型クロロフィル分子はさらに約 1 億個(108)集まってできた規則的な階層構造(チラコイドと
その積層構造であるグラナ、グラナ間を連結するラメラ)をとっている(図 2)。それらの構造を、
金属イオン、酵素などを含むストロマと呼ばれる水溶液で囲まれて存在している。葉緑体がなぜ 5μm
程度という大きさなのか、なぜクロロフィル分子が 5 カ所もの不斉炭素を必要とするのか(図 1)?
なぜ巨大な数が集まって凝集体を形成しているのか?(図 2)、なぜ太陽光の強さや温度、ストロマ
中のイオン強度(Mg2+/K+)によって光合成能力自律的に調節されているのか?、なぜ自然光である
太陽光を使って効率よく光合成できるか?ストロマには何か特別な役割があるのか?これらの疑問
に対し、種々の仮説を検証するための実験の実施が困難で、十分に明らかにされていたとは言えなか
った。
◎葉緑体をまねた環境で実験、高効率で円偏光を発生
そこで、中野氏と藤木教授は、有機ポリシランと呼ばれる直径 0.2nm のケイ素主鎖骨格と長さ 1nm
の有機側鎖基、全長 70nm のからなる人工的な半導体高分子を使って(図 3)、大きさ 5μm の微粒子
を液相中で調製し、円偏光特性などの光学的性質を詳細に調べた(図 4)。その際、有機側鎖基の構
造を少しかえるだけで右利きと左利き構造ができ、現実世界と鏡の世界の高分子を比較することがで
きた(図 3)。また溶媒の組成や屈折率を連続的に変化させることができた。
ポリシラン微粒子の試料調製操作は、すべて常温常圧下、液相で行うため、安全性と操作性に優れ
ている。有機ポリシランの環状エーテル溶液にアルコールを加え、直径約 5μm の微粒子が合成収率
100%、わずか数秒で生成してくる。使用したポリシランは 100%回収できるため試料のロスが全くな
い。使用した溶媒はすべて再利用できるので、短工程かつ経済性に優れている。低炭素化社会に相応
しい環境調和性に優れた光機能高分子の創成技術である。
最近、量子コヒーレンス、量子ビート、確率共鳴、量子閉込といった固体物理や量子光学などの概
念が生命活動の担う可視光吸収性分子でも観測されているとの報告が相次ぎ、大きな話題になってい
る(E.コリーニ ら, Nature, 2010, Vol. 463, 644, G.S. Engel ら, Nature, 2007, Vol. 446, 782)。今回我々は、
固体物理や光物理の分野で最近広く知られるようになってきたスローライト、光閉込効果などが、葉
緑体の光捕集機能や電荷分離機能にも関わっているのではないかとの作業仮説のもと、不斉側鎖基を
有するポリシランの μm サイズ凝集体を作製し詳細に検討してきた。その結果、粒子サイズが 5μm 程
度のポリシラン微粒子が優れた円偏光特性を示し、自然光から非常に高純度の円偏光吸収と円偏光発
光(円偏光純度 35%、蛍光量子収率 53%)が発生していることを見いだした。そしてポリシラン微
粒子の屈折率が 1.62 程度であるのに対して、有機溶媒の屈折率が 1.37 になった時に円偏光発生効率
が最大となった(図 4)。側鎖である化学構造を少しかえるだけで、現実世界と鏡の世界である左右
どちらの円偏光も発生できた。世界で始めて得られた成果である。
◎葉緑体の光合成機構に新説
低屈折率の有機溶媒(オプトフルード)中に高屈折率であるポリシラン凝集体を分散させることに
より、自然光が試料溶液に入射すると、特定の屈折率を有する有機溶媒組成において、左右の円偏光
が非常に効率よく閉じ込められ、左右円偏光が分離しているとの結論を得た。すなわち短波長側の紫
外光は左回り円偏光が遅くなり、長波長側の紫外光に対しては右回り円偏光が遅くなり、その結果と
して、自然光エネルギーがすべて右円偏光となって高効率で非常によく発光するという仕組みである。
本知見から、葉緑体においても 5-10μm 程度の大きさであり、チラコイドとその積層構造であるグ
ラナなど構成要素の屈折率は 1.6 前後、ストロマの屈折率は 1.4 前後であることから、葉緑体の光合
成機構におても同様の円偏光閉込効果が関与しており、太陽光から左右の円偏光を効率よく発生させ、
光合成反応に利用しているのではないかという新説を提唱した。自然光でかつ非コヒーレントな太陽
光を使った光合成系の光捕集や電荷分離機構に新しい描像を提供できるのではと期待している。
◎次世代の光機能素子開発へ
最近、Optofluidic (オプトフルーディック)という造語が生まれた(D. プサルティスら, Nature, 2006,
Vol. 442, 381)。光学素子をリジッドな固体材料ではなく、設計性にすぐれた液体材料に置き換えた新
概念の光学システムとして近年注目を集めている。固相と液相の界面や液液界面の平滑性を簡単に引
き出し、複数の分子組成からなる相溶性溶液の濃度勾配を持つフロー反応系などの光学設計が容易に
できるなどの優れた特徴を有している。これまでに、屈折率マッチングさせたオイルイマーション光
学顕微鏡、巨大な液体反射鏡を用いた望遠鏡、液体コアの光学ファイバー、固体・電解質界面におけ
る接触角が外部電場で変化する電気湿潤効果による可変焦点液体レンズなどとして知られていた。自
然光から効率よく円偏光を取り出す技術が可視光・赤外光・電波の領域で開発されているがいずれも
非常に高度な微細加工技術や職人芸のノウハウ、高価な真空装置などを必要としている。
本知見はまた入手容易な種々の紫外・可視吸収を有する高分子や分子にも適用可能で、固体光学素
子を使うことなく、高効率の円偏光の簡便発生と簡便分離を可能にする偏光液体素子を常温常圧下で
の作製が可能となる。通常、円偏光を発生させるには、バンドパスフィルター、直線偏光板、波長板
(λ/4)という三つの固体光学素子を必要とするが、Optofluidic の手法の概念を利用すれば、太陽光
のような自然光でかつ非コヒーレントな光でよい。実際に、光合成を行う植物にはそのような素子を
持ちあわせていない。
液体中に分散させた数 μm 程度の光学活性高分子凝集体は、円偏光閉込め効果を利用した素子設計
の自由度が飛躍的に大きくなる。高効率の光電変換や光熱変換の素子材料設計にも活用できよう。将
来、屈折率マッチングをとったプラスチックフィルムや高分子ゲルなどが利用できるようになれば、
取扱いが容易な新しい偏光分離素子材料として利用できるようになるかも知れない。
【図 1】 光合成緑色植物系の基本分子構造
・緑色植物に含まれるクロロフィル(葉緑素)
:左が地球上に実在するクロロフィルで赤丸が
不斉炭素、右が実在しない鏡の国のクロロフィルで青丸が不斉炭素
N
Mg2+
N
O
N
N
O
O
O
O
左:地球上に実在するクロロフィルで
赤丸が不斉炭素
右:実在しない鏡の国のクロロフィルで
青丸が不斉炭素
【図 2】 葉緑体(クロロプラスト)の構造模式図
【図 3】今回効率よく円偏光を作り出し、取り出すことのできる半導体高分子の基本構造式
・赤丸が右手の不斉炭素、青丸が左手の不斉炭素を持つ半導体高分子
【図 4】円偏光を発生させる半導体高分子微粒子構造の模式図(上)
。
半導体高分子(1-S)の円偏光吸収強度の溶媒屈折率依存性(下)
。
-0.5
円偏光吸収強度
-0.4
-0.3
-0.2
-0.1
0.0
0.1
1.30
1.35
1.40
溶媒の屈折率
1.45
【図 5】環状エーテル・アルコール系溶媒の屈折率を最適化させた混合溶媒中に分散させた
半導体高分子の微粒子が示す円偏光光学応答信号。左利きの高分子(2-R、赤)と右利きの高
分子(2-S、青)
。
(図 a)円偏光吸収、
(図 b)円偏光屈折率、
(図 c)円偏光発光。